大砲について語ろうか

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1名無しさん@お腹いっぱい。
日本の武芸十八般でもある砲術、火術について語りましょう。
火縄銃のスレはあるので、こっちは大筒関係の話題でお願いします。


▼火縄銃について語ろう▲
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156341397/
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 17:06:59 ID:LrTknajB
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 18:15:23 ID:f0bIhSM9
たまごやきに匹敵したらしい
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 18:35:49 ID:yyxX0h2i
小銃は割と進歩したのに大砲は何故か普及しなかったね
関ヶ原や大坂ではそこそこ使ったようだが
ほとんど輸入品だし
5奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/12(火) 21:24:50 ID:D30ypkQG
三河の手筒花火。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:40:09 ID:+qdcx37O
大はう
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:46:53 ID:2mnaAtTJ
巨人にも匹敵したらしい
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:48:27 ID:ejI831LU
うっかり8兵衛
9魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/09/13(水) 00:05:42 ID:l+rj0F/G
>>1乙です!

そういや大筒って火縄と違って前装式の方が新しくて、後装式の方が原始的なんだよな
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 01:59:50 ID:7fJXgibp
大坂冬の陣で、家康が大坂城本丸攻撃に使ったフランキー砲はオランダ製だったっけ?
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 02:32:28 ID:bfOnZtLq
黒田の抱え大筒
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 03:05:07 ID:C7yURKww
>>10
渡辺宗覚
大友宗麟の家臣で大砲鋳造の責任者。宗麟の命令で明へわたり、技術を習得した。
大友家の滅亡後は早川家に仕えたが、大砲の献上により徳川家康に登用される。
大阪の陣に使用された大砲を鋳造し、自らも家康の陣に参陣していた。

これだったら一応日本製かな
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:13:55 ID:oaMPtrK3
木砲って日本発祥なんすかね??
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 19:21:37 ID:SO/Z1sKT
徳川が大坂冬の陣て゛使用したのは、鍛鉄製の芝辻砲で水平弾道で6300メールもあったそうです。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 20:18:20 ID:SO/Z1sKT
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 21:06:17 ID:3NVsdhBy
大坂天守に当てたと言われるのは輸入したカルバリン砲だよ
小口径で長射程
当時の欧州での主力砲
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 21:35:55 ID:myFoV0yp
>>14
砲身が6300mもあったような書き方に見えるぞw

6300mというのは最大射程の事だな。
狙った所に当たるのはせいぜい1kmくらいまでだったと思う。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:26:39 ID:bvQTuNqy



 \ ♪ 赤い太陽に  流れる汗を〜  拭いてにっこり 大砲手入れ〜 ♪/
    \  ♪ 太平洋の波、 波、 波に〜  海の男の 艦隊勤務  ♪ /
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          |@. 尊皇   @ |  -------------日本皇民党----- |
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      ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|ー|.(◎)l':|'''''"|.''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(◎)|:|''_/
       ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ̄ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ̄ゞ_.ノ ̄

19奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/23(土) 23:34:47 ID:UwbOhmoJ
ニュー速+のAAか。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:38:17 ID:BPDrpxz3
佐賀藩のアームストロング砲はマジすげええ
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 07:11:28 ID:6ZdPsswD
大砲が使われたのは関ヶ原や大坂の陣だけ?
関ヶ原以前にも大砲を使ったと記録されてるものはないかな?
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 20:50:30 ID:DIzTYKxQ
>>21
大友家が門司城攻めで南蛮船に依頼して海から砲撃してもらったのが最初かな
実際に大筒(国崩し)を所持して使ったのは丹生島城での戦いくらいかな。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 20:09:34 ID:1r3X7g3z
>>16
淀殿の居室に当てたのは備前島から打った稲富重次では?
最も射程が長いはずの輸入砲を一番短い距離から打ったわけ?
じゃ、天王寺口や八丁目口から打った砲は何を狙ったの?
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 02:10:23 ID:iyJEkQdm
関が原で、石田陣しかなかった

国崩し「大筒」でも家康を倒せなかったのは

なぜか?石田は形にとらわれすぎた?

豊臣を守るいくさにしてはゆるみすぎたのでは ?
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 12:55:38 ID:Si/D3eJz
大砲というのは要塞や艦船を破壊するための兵器だからね。
ましてや当時の大砲の砲弾はタダの金属の玉で、着弾しても炸裂しない。
でっかい金属の玉が忘れた頃に高速で飛んでくるだけだから、大して効果はないだろう。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 13:12:03 ID:GyjyIQul
>>25
基本的に、人馬に対してはびびらせるだけの兵器だな。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 13:53:56 ID:oAjkPpR9
大阪城の天守閣入り口にある大砲の詳細について。
ひとつ無知な自分にご教授を。
28魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/10/10(火) 21:47:01 ID:P5JJHV2v
>>22
鎮西要略にある記述だね。
ポルトガル船に門司城を砲撃させたんだよな
だから1561年が今のところ大砲が使われた最初の合戦なのかな?

他に関ヶ原以前だと、1586年に大友義鎮が自ら城内の高台?から国崩しを撃ってるなぁ。
29魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/10/10(火) 21:50:34 ID:P5JJHV2v
あ、あと冬の陣では大阪方も砲撃してるな。
太郎筒と次郎筒だかで

連投スマソ
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 00:33:34 ID:0aF7ciDX
1578年 木津川沖の合戦。大鉄砲が使用される。
1586年 大友家、篭城戦で石火矢を使用。
1589年 加藤清正が、肥後国本渡城を攻めた際、双方が大筒を使用。
1600年 伏見城攻めに、大筒及び石火矢が使用される。
同年    大津城攻めに、大筒が使用される。
同年    丹後国田辺城攻防戦で、双方が大筒を使用。
同年    小西・石田勢、関ヶ原で大筒を使用。
同年    佐和山城攻防戦で、城方が石火矢を使用。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 00:47:55 ID:P2XkZMDl
木砲はムガル帝国のバープルも使用してたようだから日本発祥とは言いがたいな。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 01:03:31 ID:4tB0u6KP
秩父困民党まで現役だったな木砲。
33魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/10/22(日) 07:36:01 ID:BmLLmRLN
むしろ紙砲が気になる
34名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 15:58:49 ID:2Ae68Dd5
あげ
35名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 16:27:22 ID:ggBHMUPe
>>33
紙→神→田代
36冷砲 ◆RX/MoGZ9xs :2007/02/16(金) 22:31:49 ID:nccfVwKH
大砲においては後ろ込め式の方が旧式な訳だが、
安全性は後ろ込めのが高そうなイメージ。

ところで大砲って呼ばれる基準って何だろ?
大鉄砲は大砲なのだろうか
37あぼーん:あぼーん
あぼーん
38人間七七四年:2007/02/16(金) 23:19:35 ID:9k+KSYrj
>>36
しっかり子砲を合わせないと暴発するから後装式の方が危ない。
後、大砲は構造物破壊に用いられるものと言うのが基本
39人間七七四年:2007/02/18(日) 00:22:34 ID:vaIFt3UK
>>30
慶長の役で島津軍が大砲使って明軍を破ったって聞いたが
それは資料にない小説のフィクション?
40人間七七四年:2007/02/19(月) 09:59:20 ID:3yeMhRuR
大砲っていつ頃できたの?
西暦200年頃に登場するようなゲームもあるけど。
Wiki見てもわからん
41人間七七四年:2007/02/19(月) 10:03:13 ID:3yeMhRuR
解決
42人間七七四年:2007/02/19(月) 23:27:22 ID:APfTz7dn
解決したなら答え書いてよw
43人間七七四年:2007/03/25(日) 13:15:20 ID:BxZ4U4a0
ヨーロッパ製の大口径大砲が実際に使用されていたかどうかは、極めて疑問。
「梱包して大坂に送った」という記事はあれど、放列を敷いた、発砲した、
という当時の記録を見いだせません。
実際に大量に使用されたのは、国友村製の五十匁大鉄炮。1600メートル
までは照準可能な照尺が残っています。
44人間七七四年:2007/03/25(日) 13:25:19 ID:3y4St5Zw
石火矢って何?
45人間七七四年:2007/03/27(火) 01:23:25 ID:EHt5vKqN
>>22
耳川の合戦の前哨戦でも山田有信の篭もる城に向けて
国崩しを使用している。
46人間七七四年:2007/05/06(日) 00:23:46 ID:ASY6ZRTh
47人間七七四年:2007/06/20(水) 03:01:34 ID:YJNTFzys
強力なの?
48人間七七四年:2007/06/20(水) 10:21:27 ID:aywDQjiD
物理的なダメージよりも精神的なダメージの方が大きい。
49人間七七四年:2007/06/20(水) 20:33:21 ID:xvlULFqD
カルバリンのほかに、更に大口径のカノン砲らしき砲を輸入してるがつかったんだろうか?
50人間七七四年:2007/06/20(水) 21:32:51 ID:bL3rfKNp
>>49
オランダから輸入した12門の大砲なら、大阪冬の陣の一斉砲撃(12月16日)の数日前に兵庫に到着したという資料がある。
どうやらこいつの到着と設置をもって、一斉砲撃を開始した様に感じる。
51人間七七四年:2007/06/20(水) 23:43:12 ID:xvlULFqD
>>50
dクス。
豊臣方の大砲は朝鮮の役で朝鮮・明軍から鹵獲したものらしい・・・
朝鮮軍から奪ったなら天字銃筒や地字銃筒とかの後装砲かな?
檄木筒と薬筒に分かれていて、中口径の地字銃筒の射程距離は棒火矢で1500mだそうだ。
鳥卵丸という200個の散弾も撃てるそうだ。
ただ、ポルトガルのフランキのほうが性能よさそう。
52人間七七四年:2007/08/06(月) 19:48:28 ID:6tIwT/eZ
 
53人間七七四年:2007/08/09(木) 00:18:22 ID:nCLA6US5
おおっと、豊臣方の大砲ならば紙砲を忘れて貰っちゃこまるぜ
54人間七七四年:2007/08/15(水) 22:09:42 ID:CgGbohH6
>>23
天守閣の柱を砕いたのは毛利高政が撃った大筒「四海波」だとも聞くが
55人間七七四年:2007/10/08(月) 23:40:57 ID:JKvOoJfM
小田原の役で徳川軍が大砲使ってる。
56人間七七四年:2007/10/08(月) 23:56:20 ID:OTr8Tzaz
江戸城にしまった家康の大砲ってまだあるの?
57人間七七四年:2007/11/04(日) 18:39:42 ID:ahOMC+UE
>>55
本多忠勝が車山まで大砲運んだ云々って話だったっけ?
でも当時の大砲で山から城まで弾届くのかな?
58人間七七四年:2007/11/04(日) 20:43:53 ID:o8cY3/LV
>>57
寄居の鉢形城ね。戦国まつりで行った事あるよ。
城との距離はほんの1kmくらいだから、高所からなら十分射程距離内でしょう。
59人間七七四年:2007/11/04(日) 22:30:02 ID:ahOMC+UE
>>58
ふむ、そうだったか。でも徳川関連だからまだ怪しいw
でも、忠勝は槍働きだけでなく、長篠で鉄砲隊率いて山県討った話や、
こういった近代兵器用いた逸話まで残るのが凄い所だな。
60人間七七四年:2007/11/14(水) 17:21:21 ID:XUh0KRjd
むしろ無傷話から槍働きよりもそういった指揮のほうが上手かったんじゃないのか
61人間七七四年:2008/03/28(金) 12:14:18 ID:7foyB5kp
おおづつ構え!打て〜
62人間七七四年:2008/03/28(金) 15:33:09 ID:E6XD0Qt9
戊辰戦争のころにオリンピックがあれば、仙台人は金メダル間違いなしだね!
鎧兜の重装備で20`を食事抜きでしかも全速力で走り抜けられるからね!
号砲ははるかかなたの大砲じゃなければいけないけどね!
63人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 13:47:18 ID:r8AO8nUo
島原の乱から大塩平八郎の乱までは大砲は使われなかったでOK?
64人間七七四年:2008/08/01(金) 03:17:10 ID:QjyuOWbb
根来流忍術抱え撃ちって木砲を抱えて打ってたってことですか?
木砲って一人で持てるんですか?しかも抱えるって、抱えてる人は衝撃に耐えられるんですか?

誰か詳しい方教えてください
65人間七七四年:2008/08/01(金) 03:54:53 ID:r6ZgDe9q
確かに砲手が負傷するリスクは大きく、そのためかなり熟練が求められた。

だがそれは曲芸紛いとも言え、19世紀に近代的な大砲と理論が欧米から
導入されるまで日本の砲術が迷走していたことの表れ、としばしば指摘される。
66人間七七四年:2008/08/19(火) 22:26:29 ID:zisxEr1Y
えー木砲は日露戦争で使われ効果が認められました。
まあ小型の爆弾投射機ですね。
言ってみれば迫撃砲の元祖になりますね。
67人間七七四年:2008/08/20(水) 23:11:28 ID:qC3fym6G
旅順攻防戦に出征した花火職人が、塹壕線の際に手榴弾を敵陣に
向かって投射するために、打ち上げ花火の打ち揚げ筒を応用して
作ったと聞いているが・・・
それらしい写真を見たことがある。
68人間七七四年:2008/08/21(木) 16:06:12 ID:y7Jo2K8T
当時の大砲は、駐退機がついてないから、
撃つと、砲身があとずさりしてしまう。
だから、1発撃って、左にずれたからって
次は右の方に少しずらして撃とう
なんてのはできないわけ。撃った反動で、大砲が動いてしまっているから。
だから、また元の位置に戻して、さっきはこの位置で撃ったから、次は少し右に
向けて、とか、こんな調整をしていたから、当たらないこと甚だしい。
69人間七七四年:2008/08/21(木) 16:13:03 ID:y7Jo2K8T
江戸時代の末になってからだが、将軍の前で、大砲の試射が行われている。
たまは、鉄や鉛の塊ではなくて、内部に火薬が入った炸裂弾。

この大砲さえあれば「どんな城でもこれで落とせる」と豪語する外国人商人?であった。

で、仮の小屋を作って、そこめがけて撃ったものの、連続して弾が外れたうえに
おまけに、大砲の筒の中にあるうちに弾が暴発。砲手は重傷を負ってしまう有り様。
                   ↑膣発というんだったか?。よくある。
70人間七七四年:2008/08/21(木) 16:15:27 ID:y7Jo2K8T
前込めの火縄銃でもそうだが、不発のときは筒の先端から
引っ張り出すのだろうか。
いつ暴発するかもしれず、超コワイ。
71人間七七四年:2008/08/21(木) 16:55:58 ID:jVv6OtiF
肩に背負って撃つ小さな大砲もあったと聞くが
72人間七七四年:2008/08/21(木) 18:20:36 ID:y7Jo2K8T
長さ2メートルくらいの鉄砲のことを指しているのかもしれない。

軍船に固定して使う。

小さな大砲は、対人用に使うには重すぎるし
(普通の5kgの銃でも、かまえると重くていつまでも保持してられない。)
弾は、炸裂弾ではなく、たんに鉛などの固まりだから、
こういう大型の銃(小さな大砲)は、敵の舟を沈めるのに使うと効果的。
73人間七七四年:2008/08/26(火) 00:35:19 ID:cYvOxr/m
>>71
大鉄砲のたぐい?
現存している砲術でも立射や座射、流派によっていろいろな撃ち方がある。
戦国時代はこれで火矢や散弾を撃つこともあったそうだ。
>>72
狭間筒は他にも城壁の鉄砲狭間に備え付けたりもするな〜。
朝鮮の役では相当恐れられていて、
李舜臣は負傷して船内にいたところ、日本船の大鉄砲で船壁ごと貫通されて死んでる。
74人間七七四年:2008/08/27(水) 17:58:41 ID:XI13VxQX
李舜臣の最後って、そうだったのか。
75人間七七四年:2008/08/27(水) 19:06:33 ID:mLdium+j
堺や長崎で購入できた。従ってフランキー堺
76人間七七四年:2008/08/27(水) 19:35:38 ID:XI13VxQX
攻城戦では、板の盾などを持って接近してくるから、
大鉄砲で撃てば貫通できるかもしれない。
77人間七七四年:2008/08/28(木) 14:58:40 ID:qm+BU8lg
女直人の将軍称えててわろす。
エヴェンキ人の子孫がツングースの支配者を称えるwwwww
いかに学がないかわかる。
78人間七七四年:2008/10/23(木) 01:01:38 ID:w7EhqNgX
関ヶ原で家康が小早川に大鉄砲の一斉射で脅しかけてたな
79人間七七四年:2008/10/23(木) 01:03:21 ID:/LpgPX/C
>>78
関ヶ原のあれは後世の創作だろ。家康は確かに大砲戦術の第一人者ではあるが。
80人間七七四年:2008/10/23(木) 16:44:07 ID:eNSHfyDF
平田弘史の漫画に一貫五百の大筒がでてくるけど、
実際にあんなもの戦で使われたの?
81人間七七四年:2008/10/24(金) 00:27:30 ID:Esoi+N/z
>>73
柳成竜「懲録」には…
自ら力戦していたが、飛来した弾丸がその胸に命中して背中に抜けた。左右の者が帳中に扶け入れた。
舜臣は、「戦いはまさに切迫している。くれぐれも私の死を知らせぬように」と言い、言い終わるや息絶えた。

……と、李舜臣の最後が書かれてるんだけど、これだとちょっと船体をぶち抜いた弾で死亡、ってのと合わないよね?
どこの資料にあった話なんだろ……
82人間七七四年:2008/11/11(火) 12:24:47 ID:PweA3IAg
久留米の大砲ラーメンのスレじゃねぇのか?
83人間七七四年:2009/02/04(水) 17:17:45 ID:5Ls7DXw/
伊勢長島一向一揆の鎮圧に大砲で矢倉を破壊したと「信長公記」にある。
第二次木津川口の戦いで信長の安宅船が大砲を装備して毛利水軍を撃退。
大友宗麟が丹生島城で島津軍に発砲して撃退。
小田原の役で双方が大砲を使用している。
朝鮮出兵でも配備記録がいろいろ出てくる。

日本で大砲の普及が始まるのは1570年代の大友宗麟や織田信長っぽい。
84人間七七四年:2009/02/04(水) 20:47:32 ID:fN8yaMnR
>83
>伊勢長島一向一揆の鎮圧に大砲で矢倉を破壊したと「信長公記」にある。
>第二次木津川口の戦いで信長の安宅船が大砲を装備して毛利水軍を撃退。

それはどちらも「大鉄砲」であり、大砲ではない。
85人間七七四年:2009/02/05(木) 00:58:37 ID:xI3kJ/qk
>>84
>それはどちらも「大鉄砲」であり、大砲ではない。

「大鉄砲」は大砲だ
実際オルガンティノは信長の「大鉄砲」のことを大砲と言ってる。
86人間七七四年:2009/02/05(木) 01:09:49 ID:xI3kJ/qk
大砲の定義の問題だな

小銃より大きい火砲について
石火矢、大筒、大鉄砲などと色々な呼ばれ方をしているが
現代の軽迫撃砲や携帯無反動砲も大砲なのだから
抱え筒のようなものでも大砲と呼んでも差し支えないだろ。
87人間七七四年:2009/02/05(木) 01:19:58 ID:Nwomja3W
戦国期の大砲に関してはこの本がすごく良かった


日本の軍事革命
久保田 正志 著
ttp://www.kinseisha.jp/0327.htm
88人間七七四年:2009/02/05(木) 09:29:44 ID:sSp6rjzM
李舜臣の最後は潤色もあってよくわからないんだよね。鉄砲で狙撃されたんじゃないかと。

大砲で言うと、1592年の釜山襲撃でその部下の鄭運が日本の大砲による反撃で死んでるね。
順序が逆になるけど、同じ年に安骨浦で九鬼の安宅船が朝鮮水軍から大砲を食らってなんとか耐えきった例があります。
89人間七七四年:2009/02/12(木) 09:10:14 ID:rc4pYzl2
大坂冬の陣で使われた大砲は300門を超える。
そのなかには大口径のカノン砲12門、カルバリン砲4門、セーカー砲1門などの洋式砲もあった。
カルバリン砲は砲身長3mを超える長い射程中口径砲だが、
小口径だが同じくらいの砲身長をもち更に射程のある国産砲・芝辻砲を主力とした。
暴発を恐れてか非常に肉厚の鍛造砲で、
家康は堺だけで戦役前の10年間に1000門ほどを発注している。

秀吉の小田原包囲では用意した大筒1000門とあるが、大鉄砲の類も含めてだろうか。
90人間七七四年:2009/02/12(木) 13:23:36 ID:EJKm/B6l
そういえば大阪城にも防御用の大砲があったが、緒戦で使いすぎて、それが豊臣軍全体の
火薬不足を招いたらしいな。
91人間七七四年:2009/03/06(金) 01:22:46 ID:0MjqPL27
>>89
そりゃそうだな
1000門が全部一貫以上の弾を撃てるような大筒だったら、天守閣消えてなくなるわ
92人間七七四年:2009/03/11(水) 20:57:46 ID:MYR1FlPp
>>89
家康が発注した大筒は、そのほとんどが50匁(口径3センチほど)までの大筒で
ヨーロッパの基準から見て「大砲」と呼ぶに値するような一貫以上の大筒は
1000門中2門と驚くほど少ない。
木造建築物に対しての砲撃は、大口径の砲よりも
小〜中口径の大筒を大量配備したほうが有効だったようだ。
93人間七七四年:2009/03/12(木) 17:00:02 ID:Zk8YHtPT
50匁以下は鉄砲のうちで
大筒は50匁より大きいもののことを言うんじゃないの?
94人間七七四年:2009/03/12(木) 21:54:35 ID:Vb12heki
鉄砲…10匁以下
大鉄砲(士筒・中筒)…10〜100匁
大筒…100〜一貫
石火矢…一貫以上

ただし明確な基準があったわけではなく、境界はあいまい
95人間七七四年:2009/03/12(木) 23:04:03 ID:acX2fWZB
ほぼ野戦だった夏の陣では大砲はどれだけ使われたんだろうか?
大坂方も朝鮮の役で鹵獲した天字銃筒や地字銃筒といった大砲があったっけ。
96人間七七四年:2009/03/12(木) 23:23:30 ID:DRs7Hr4e
>>95
野戦で大砲が使われたと言う記録は、天正12年の肥前島原合戦の有馬軍と、
慶長5年の関ヶ原での石田軍のみ。
97人間七七四年:2009/03/12(木) 23:43:12 ID:Zk8YHtPT
大友氏の耳川の戦いや戸次川の戦いでは使われなかったのかな?
98人間七七四年:2009/05/22(金) 22:32:56 ID:RLkXoX8w
保守
99人間七七四年:2009/05/23(土) 17:14:44 ID:n2xq4qbe
俺の20cmのビッグマグナムが火を吹くぜ
100人間七七四年:2009/05/24(日) 20:58:53 ID:fwXRB81x
>>99
貴殿のは砲長はご立派だが、口径がちと・・・。
それに保護袋に包まれたままであるし、いつ実戦に使われるのか?
101人間七七四年
8インチ砲か。重巡クラスですな。