1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
豊臣秀長の武功はもっと評価されていいだろう。
全て引き分け以上の結果だからよ。
仮に朝鮮で指揮を執ったら、歴史も変わったかもしれんし、秀吉
の後釜になってれば、容易に家康の外交戦術で沈むはずもなかった
だろうに。
2
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 13:09:13 ID:tDcRU2BM
秀長は男色家だから能将だったのぢや!
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 13:26:23 ID:MqN7uZhh
↑それは無い
兄と共に男色は無い
秀長「兄に殺意を覚えたことは何度もあります」
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 13:51:26 ID:FMxhb3KD
.
兵力
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 14:09:43 ID:FMxhb3KD
兵力だけではねえ。
秀次は大軍でも惨敗したし
播磨淡河城攻めで淡河定範相手に敗走させられたことがあるだろ>秀長
なかなかの戦上手だったけど生涯不敗は嘘
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 14:49:24 ID:MqN7uZhh
>>10 それ聞いたことあるけど
信憑性あるの??
何か他で聞いたこと無いし
一旦退くことはあるけど
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 15:01:35 ID:FMxhb3KD
>>9 いや、結局城を自分で焼いて逃げたじゃん?痛み分けだろ。
いえ、秀長公の御敗北でございます。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 15:53:34 ID:MqN7uZhh
小人数の局地戦から十万規模の戦略までそつなくこなせるのが秀長クオリティだな
秀長ほどの戦歴を持つ人はまずいない
>>11 火牛の計はかなり胡散臭いけど淡河城を攻めあぐねてたのは事実だろう
自分も一次資料が何かは知らないけど、
とりあえず「神戸市淡河町の歴史」「三木史談」なんかを読んでみたら?
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 16:57:45 ID:FMxhb3KD
3〜4千の兵で但馬攻略は評価するべき。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 17:20:34 ID:Of3oprq1
>「神戸市淡河町の歴史」
えええ!淡河町って神戸市にあるの!?
なぜか、もっと西の姫路の近所かどこかだと思い込んでたよ・・・
市民なのに今まで知らなかった・・・ちょっとショック。
19 :
ji:2006/09/04(月) 17:22:34 ID:xZYr7KsB
まあたしかにこの人の軍才はもっと評価されても良いと思う
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 17:44:36 ID:yiA5BbM5
秀長は勝利の神様でもあったのかも?
秀長の死後、秀吉は諫める者が居なくなったせいか、狂人ぶりを発揮していきますよね?
その面でも、秀長の存在は大きかったのかも?
秀吉・秀長の姉とものたてた瑞竜寺の「木下家過去帳」によると、弥右衛門は、秀長や旭が生まれた後に逝去したそうな
敗北を知らぬとは生涯半人前であったことだろう。
秀長=亀田兄
亀田クンも無敗だよ。
淡河城で淡河定範に逆撃くらったのは事実ではあるが
ああいう小規模戦の敗北なんて信長家康とかだってざらにあるわけだから
評価は下がらんよ。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:19:57 ID:XvjZzN5A
内政では敗北はあるかも、後でフォローしとるのでは
大軍優勢以外で勝利経験はあるかな
少数逆転の勝利がないのがマイナスには成らんと思うけど
戦争なんて優勢な状況を作って行うのが常道なんだし。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 22:46:44 ID:+eoRWDPc
小早川隆景といい勝負だな
内政も外交も戦争も調整役もできるし、まあ便利な男だよな。
生きていたら家康と対立してたのかねえ。
>>28 (寿命が秀長の方が長いと仮定して)生きてたら家康は猫かぶったまま死ぬんじゃないかなぁ。
>>26 そいつぁ、秀吉さんの兵力じゃ。
まあ総大将に任命されて着実にこなすなら中の上や。
秀長が死んで豊臣が内部分裂してくれない状況では、できるだけ
良い状況で次代に繋げるために領国経営にせいを出しそうだな。
秀長が長生きしてれば、朝鮮出兵を諫めることができただろうし、秀頼の後見人になって家康を抑えることができたかもな。
なぜだか知らんが秀長は結構過小評価だよな。
ID:22uwBhnGの論法だと相当数の将がたいしたことがないことになるな。
部将クラスは特に。
秀長が梁田広正だったら、
加賀平定できたかねえ。
秀長晩年は秀吉との関係も微妙だったみたいじゃん
大和の領国経営で秀吉と揉めて謹慎処分喰らってる
秀長に朝鮮出兵は止めれないだろうし、別に止める理由も無い
秀吉死後の家康を牽制するには十分だろうが
秀長在世時から、朝鮮出兵は持ちだされていたんですか?
秀長が生きている頃から、すでに秀吉の暴走は始まってたんですかな。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 10:10:34 ID:o0t8apFQ
歯止めが利かなくなったって言ってるジャン
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 11:13:34 ID:QXU5ZbCB
別に始まって無いだろう。
謹慎は規律を守るためだろ
三戦の秀長スレ見て来なされ。
朝鮮の役が無くならなくても
朝鮮の役の時に秀長が存命なら、十中八九総大将は秀長になると思われ
そうなれば日本軍は一元化した動きを取れるので、その後の展開が変わってくる
朝鮮征討は規定路線だったらしいから秀長生存でも文禄の役は実施されただろうな。
でも慶長の役のような再度出兵はどうなったかな。
それと
>>35に書いてある謹慎というのはおおげさで正月の拝礼を停止された程度みたいよ。
そのへんは日本史板の秀長スレでも話題になってた。
三戦の方でもそりゃあもう・・・
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:56:06 ID:o0t8apFQ
..
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 23:31:15 ID:7+Cz4pbn
内政では、どうだろうな
悲しみや苦しみはあったとおもうけど
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 23:43:05 ID:FAjIta2c
金策は上手かったんだろ。
てか、外様まで秀長を信頼してきたんだから、家康にとっては怖い存在
だよね。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 11:24:27 ID:G0cwgZSm
.
秀長は豊臣家での地位の割りに、当時の資料が少なくて実態がわからないんだよね。その存在を評価されるようになったのは
戦後になって研究が進んでからで、逆に言えば生存している間は、さほどの存在感を発揮していなかったと思われる。
良くも悪くも補佐役だったんだろうね。
あと、その領地の奈良では、興福寺の僧が死んだのを聞いて大喜びしている日記を残していて、司馬遼太郎はそれを
あたかも利権を奪われた旧守派の醜さのように書いていたが、実際当時の豊臣圏は相当の重税を課せられてて、領民は
大変だったから、住民の立場としては、死んだと聞いたらみんなが喜ぶくらいのかなりの悪領主と言う感覚だったと思う。
まあ、そういう秀吉政権の「負の側面」を背負っていた、と言う評価も出来るんだけどね。ただ、あくまで秀吉あっての人物で、
ひとり立ちして表舞台で活躍する、と言うタイプでもないように感じるよ。
存在感がなかったから当時の資料がすくないというのはどんなもんかね。
それと僧、しかも高位の僧と住民というのを一緒の立場と考えるのもどうだろうね。
なんか見方が全般的にいびつにみえるなあ。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 20:12:47 ID:sA5nmPQl
存在感が無かったら、毛利や他の大名に簡単にやられてる。
正月なんか秀吉が主力連れて信長参りだから
相当大変だったはず
敵が侮ってないのが実力
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 20:17:07 ID:sA5nmPQl
それと忘れていけないのが、
半兵衛も小六も羽柴の内政には関与できない現実
たった一人で零細から大企業まで支えた実力者と言うこと。
>>48 まあ、あくまでオレの見解だってことで。無論、水準以上の能力の持ち主だった事は認めているよ。
ただ、秀吉死後の豊臣家の救世主的な人間だったかどうかについては疑問がある、ってだけで。
そういう見方もあるくらいに考えてください。
別に秀長を過小にみているということにたいしていってるんじゃなくて
歴史的な事象への見方がおかしいということをいってるんだけど。
秀長に関する一次資料が少ないのは当時あまり評価されてなかったからだろ
それ以外に理由が見当たらない
まぁ当時の一般的な価値観で評価されてなかった事が
現代人から見ると評価できる事は往々にしてあるしな。
秀吉の弟ってことでおもしろい話ができないかなーと。
>>52 事象?秀長を過小評価していると思われるかもしれないが、羽柴〜豊臣初期にかけて
秀吉軍の実質的な中心は蜂須賀小六でしょ。秀吉騎下の最大兵力が、彼が統率していた
蜂須賀衆だったわけで。秀吉がある程度自由に動けたのは、秀長と言うより歴戦の勇者である
小六の押さえの力のほうが大きかったと思うよ。
個人的には、小六こそ過小評価されすぎているようにも思う。
小六は太閤記で変な補正受けちゃったせいでまともに評価されなくなった感はあるね
スレ違いだけど
蜂須賀小六が秀吉が長浜城主になったときに領したのが2000石いかないぐらいで
中国攻略にいってからは1万石強ぐらいだったかな。
これは秀長はもちろん浅野よりも少なかったんじゃないかな。
それと小六の秀吉配下での功績は軍事よりも政の分野のほうが大きいといわれてるよね。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 21:13:13 ID:sA5nmPQl
>>53 >>秀長に関する一次資料が少ないのは当時あまり評価されてなかったからだろ
>>それ以外に理由が見当たらない
秀長自身が残さなかったからだろう。
補佐役の資料が無いのは保科正之がいるな
柳生宗矩の資料も無いらしい
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 21:17:49 ID:sA5nmPQl
織田政権の当時の配置からしても、
秀長の地位は前田利家や佐々成政と同等なのである
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 21:25:57 ID:sA5nmPQl
残念ながら信長が小六や半兵衛を内政に使うことを許さないよ。
与力にそこまではさせない。
やれるのは秀長のみ
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 22:18:08 ID:hZOQqFgd
近くで見ていた利家が、秀長の事を信長に報告してたかもしれないね。
てか、秀吉と違うのは、秀吉は若い頃から転々と職を変え、時には松下の
部下として働いていて、全くの戦国素人ではなかった。
しかし秀長は農作業一筋。突然武将として力を発揮できたのは他にはいないだろ。
信長の秀長評とかってないの?
来週のその時でやるってよ
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 01:53:26 ID:Fe/0zsg3
来週?
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 01:56:24 ID:Fe/0zsg3
きたー!来週のNHKのその時歴史は動いたで、秀長特集やるぞ!
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 02:00:13 ID:/vLnNf7e
第263回
シリーズ 秀吉の家族@
もう一人の秀吉
〜豊臣秀長 太閤記 (たいこうき) を演出した弟〜
放送日 平成18年9月13日 (水) 22:00〜22:43 総合
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html 戦国を統一した豊臣秀吉の成功のかげには、家族たちの献身的な働きがあった。その家族の群像を描くシリーズ『秀吉の家族』。
1回目は秀吉の弟・豊臣秀長。身命を賭して兄の天下取りを支えた秀長の生き方に注目する。
4年前、大分県日田市で秀長が着用したといわれる甲冑が発見された。この鎧からは秀長が秀吉と背格好まで同じだったことがわかるという。まさに秀長は秀吉の影武者のごとき存在であった。
さらに信長の一家臣から天下人へと出世していく秀吉の動きを綿密に追うと、その活躍に秀長の存在が不可欠であったことが浮かび上がる。
秀吉の最も忠実な分身に徹した秀長は、秀吉のために命を賭けて敵と交渉し、合戦では危険な最前線に身をさらした。さらに秀長は情けにあふれた行動で、味方だけでなく敵の信頼をもかちとり、秀吉の功績へとつなげていく。その葬儀には20万人の民衆が参列したという。
秀吉の栄光に隠された弟・秀長の献身の生涯を通して“もう一つの”太閤記の真実に迫る。
sage進行でしない?
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 00:09:00 ID:Rxs//bv6
.
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 00:45:56 ID:Q8W5Cgio
別所攻めの時淡河定範に大敗してるはず
>>9で既出だけどスレタイには突っ込みたくなるよな
大敗というのは戦場を放棄するぐらいの敗北じゃないと。
この淡河の場合は突出したところを逆撃をくらって後退するも攻城軍全体は崩れたわけではなく
それで淡河定範は自ら城を焼いて三木城に移動しているという流れだから。
>>72 負けは負け
何で言い訳してるんだ?そんなに秀長の経歴に傷がつくのが嫌なのか?
>>73 俺も負けだと思ってるよ。
ただ大敗というほどじゃないといってるだけで・・・。
なんか君のほうが必死にみえるんだけど・・・。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 09:19:18 ID:3bNjG2WK
対局に影響無いから負けにはあたらず
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 09:23:16 ID:dnHlHZ5E
戦闘で負けたが戦争には勝った
よくぞ言うた、作左!
負けの定義にもよるよな。
攻城戦で奇襲くらって、一時的に引いたのが負けになるわけ?
それなら城落とせずに引いた武将も負け扱いになり、生涯不敗の武将なんかいなくなる。
別に生涯不敗の武将がいなくても何も困らないじゃん
まあ、コーエーで戦闘力100を与えられた上杉謙信ですら下野のへっぽこ城
落とし損なっているし
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:06:48 ID:DTZKiLGD
この人も側室とか沢山居たんだろうか。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:58:53 ID:lnTE7ngA
あんまり記録には無いらしい
つーか、秀長のこと自体、ビックリするほど記録がない。とても政権の重要人物だったとは思えないほど。
そのために、秀長については有能だったという説とともに、「秀吉の秘書官程度でしかなかった」って説も同時にあるわけで。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:23:37 ID:lnTE7ngA
資料無いから無能とは、
愚の骨頂
>>84 資料無いから有能とは、
愚の骨頂
でもあるぞ。
有能だった資料はあるじゃん
秀長が今評価されてるのも資料からそれが読み取れるからだろ。
別に無から有をひねりだすような真似をしてるわけじゃないの。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 08:46:00 ID:lnTE7ngA
秀長の部下には、良いのが多い。
藤堂高虎、小堀遠州など
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 15:10:21 ID:Y6Kw5e3V
藤堂高虎か城造り有名みたいだがどうせ朝鮮人の技術者頼み!性格は奇人変人
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 15:22:27 ID:lnTE7ngA
築城にいるのか?あんなの??
幸村のファンになるような人種の今のトレンドが秀長か
島津義弘も流行ってるみたいだけど
「地味だが以外に活躍している」
というところに擽られるのでしょうな。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 20:41:38 ID:lti4wQ2E
太閤記の補填みたいな人だからな
竹中半兵衛の弟子としても、
それぞれの評価をあげるのを文句は無い
>>89 藤堂高虎の城作りは技術的な面もさることながら
その立地選択に対する戦略眼の確かさが高い評価の源泉。
ただなんとなく要害つくってみました、レベルで築城名人とは呼ばれないよ。
まあ、城はいくら造りが堅固でも戦略的価値がなければ何の意味もないからな
>仮に朝鮮で指揮を執ったら、歴史も変わったかもしれんし
生きてたら朝鮮出兵ないだろうそもそも
秀長生前から朝鮮出兵の準備してただろ>秀吉
朝鮮出兵自体は浪人対策の要素もあるから
今でいうところの失業者対策事業
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 00:33:36 ID:y0Hcy0dC
秀長は歴史好きからは十分に高い評価をされてると思うが。
能力や事績の割に知名度はないが。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 00:50:58 ID:RJn5iStT
高虎が本気で仕えたのは、秀長だけだったとどっかの資料に書いてあった
高虎自身がそんなことを言うわけ無いからそれは後世の創作じゃないか
まあ藤堂本人なら家康だというしかないだろうから、創作だろうな。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 08:55:39 ID:Q7K/7ZaF
まあ、何度も主君替えてるからな
別に家康も気にしないだろう
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 10:37:27 ID:WDk7HnLz
四国攻めの時は、秀長のためと働いたみたいね
高虎が積極的に自分で主人を選んでるのは秀長までという感じはする。
その後は結構流されてる、というか勝ちに乗るならルートが一本しかないし
年齢重ねてるから若い頃みたいな野心が感じられないし。
秀長の墓ははじめ大和郡山にあったが、荒れ放題だったので、
高虎が京に移してその横に自分の墓を立てたという話がある。
主君替えが多くても、どこかで命張らなきゃいけないわけだし、
高虎にとってはそれが秀長だったのではないかと。
ちなみに大和大納言家が取り潰された後、遺臣団の多くは
秀次に付けられ、秀次事件で連座して処刑されたり没落している。
>>106 それで豊臣本家に忠誠を求められても無理ってもんだわな。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:18:00 ID:Q7K/7ZaF
何か高虎スレになってきたな。
まあ別アングルから見るのは良いな
自演
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 10:18:02 ID:ypHCQAbz
そういえば、高虎の父 秀長は本能寺ごろ迄は長秀なんだな丹羽さんよりもらったらしいが、
逆さにして秀長。
確か高虎も父の逆さにだな
何故秀長は貰った名前をひっくり返したの?
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 11:26:22 ID:I3BHc4Ao
武田信繁の死と、羽柴秀長の死。
歴史に大きな影響を与えたのはどっちだと思う?
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 11:27:07 ID:ypHCQAbz
他の重臣による配慮らしい。
同じ名は間違いやすい。
諱で相手を呼ぶことなんて殆ど無いんだからそんなにややこしくないだろ
天下人である兄秀吉の「秀」を下にしてるのを憚ったんじゃないか
蒲生氏郷も似たような理由で改名してる(元の名前は賦秀)
>>112 前田利家の死に比べれば影響は低いと思う
前田さんがあと10年長生きしていれば・・・(もしくは秀頼が生まれず秀次政権だったら・・・)
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 13:43:24 ID:ypHCQAbz
↑前田利家では無理
そうか?利家が家康より長生きしてりゃ随分変わったと思うがな
変わりはしたと思うが、秀長の方が明らかに影響強かったと思う。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 17:40:05 ID:yE3npRfW
皆さん〜今日!NHK22時〜から「その時歴史が動いた秀吉の家族」観てね
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 21:03:16 ID:7vVSJCFk
第263回
シリーズ 秀吉の家族@
もう一人の秀吉
〜豊臣秀長 太閤記 (たいこうき) を演出した弟〜
放送日 平成18年9月13日 (水) 22:00〜22:43 総合
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html 戦国を統一した豊臣秀吉の成功のかげには、家族たちの献身的な働きがあった。その家族の群像を描くシリーズ『秀吉の家族』。
1回目は秀吉の弟・豊臣秀長。身命を賭して兄の天下取りを支えた秀長の生き方に注目する。
4年前、大分県日田市で秀長が着用したといわれる甲冑が発見された。この鎧からは秀長が秀吉と背格好まで同じだったことがわかるという。まさに秀長は秀吉の影武者のごとき存在であった。
さらに信長の一家臣から天下人へと出世していく秀吉の動きを綿密に追うと、その活躍に秀長の存在が不可欠であったことが浮かび上がる。
秀吉の最も忠実な分身に徹した秀長は、秀吉のために命を賭けて敵と交渉し、合戦では危険な最前線に身をさらした。さらに秀長は情けにあふれた行動で、味方だけでなく敵の信頼をもかちとり、秀吉の功績へとつなげていく。その葬儀には20万人の民衆が参列したという。
秀吉の栄光に隠された弟・秀長の献身の生涯を通して“もう一つの”太閤記の真実に迫る。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:08:09 ID:7vVSJCFk
始まりましたよ
秀長で番組が出来るとはすごい時代になったな
すこしは知名度上がるかな?
いきなり城盗られたぞ
シリーズ編かよ
もういいよ豊臣は
男ならまだいいが次はねねだとさ。
笑える
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:46:55 ID:7vVSJCFk
最後の締めが良かった
あの札の字は筆跡鑑定してるのかな?本当に秀吉の字なら感動なんだけど。
秀次にも光を!
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:56:57 ID:7vVSJCFk
あの字は綺麗すぎると思った。
>>127 伝秀長鎧の、兜の内側に埋め込まれていた護符のことか?
「秀長加護 天正十五年」てやつだな
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 23:07:54 ID:xg0Kf+1J
直筆でないにしろ
けっこう感動した
ちくしょー、うまい作りにしやがって
スレタイっぽい感じじゃなかったね。
でもそこが良かった。
秀吉と秀長、裏表両面だったからこそ
短期間で天下取れたのだなあ
秀長にスポット当ててくれたのは嬉しいのだが・・・・
余りにも秀長を持ち上げ過ぎて妙なこそばゆさも感じたな
今まで秀吉個人or半兵衛、官兵衛両軍師が担ってきた部分を
秀長に被せ代わりのスーパーマンに仕立てたようで何でも都合よく解釈しすぎだと
その時歴史が動いたは結局そういう番組だから仕方ない
中川清秀の件はあきらかに見殺し。全滅なんてありえん
今夜の「その時歴史が動いた」見逃したー!!
再放送あるんかな・・・
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 23:31:40 ID:7vVSJCFk
>>135 http://www.nhk.or.jp/sonotoki/faq.html Q2. 番組の再放送はいつですか?
(1) 本放送の翌週《火》曜 16:05〜16:48
総合 全国 (福岡県を除く)
(2) 本放送の翌週《金》曜 午前0:00〜0:43(※木曜深夜)
総合 近畿地方のみ
(3) 本放送の翌週《金》曜 午前1:10〜1:53(※木曜深夜)
総合 全国 (近畿のぞく)
(4) 本放送の翌週《月》曜 17:15〜17:58 BSー2
※BS−2の放送は不定期です。
いずれも編成の都合で休止または時間がずれることもありますので、当日の新聞等でご確認ください。
>>136 小一郎のやうにお前は思いやりのある奴だなwwwww
「その時歴史が動いた」は講談、最新の研究結果がちゃんと説明されるのは「NHK高校講座」。
大人向けの番組の方が青少年向けの番組より幼稚という不思議。
大人向けだからこそストレス発散の講談的内容でも済まされる。
モノを知らないガキにいい加減なことを教えるわけにはいかない。
発想が逆なんだよ。 娯楽漬けで育ったガキにろくな奴はいない。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 09:44:50 ID:VUkaRsnh
小山田が書いたと言うことは、徳川では相当恐れられてたな
まあ大河で無視し続けてきたから補填としたらGJ
中川の件は計画的見殺し。高山も加担。
次の次の大河ドラマ、秀吉系列かな。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 10:21:45 ID:A2bKJUjE
幕末、朝で主役やってる女が主役らしい
うわー まじか・・・
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 15:42:43 ID:CO2srWdz
幕末って時点で見ない。
せめて明治or大正の戦争ものなら別だが・・・。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 17:10:44 ID:A2bKJUjE
小堀遠州は、秀長に影響は受けてるかな??
篤姫だっけか。
現代的な解釈や感情を持ち込むのは勘弁してもらいたいなあ。
大河は「とにかく女活躍させて昼メロやらせときゃババアが見る」
って事に気付いてから糞。視聴率を気にしないで冒険できるとこが
国営放送の強みなのにワンパターン化してどうすんだ。
逆に幕末でよかったよ、これ以上あんな糞どもに戦国時代を弄られ
たくない。
NHKはじつは金曜時代劇とかのが面白い。
大河は史実重視、木曜・金曜時代劇は娯楽重視と謳ってるのに大河が史実がさっぱりなせいで。
鳴門秘帳
山田風太郎の秘伝何とか系を完全リメイクしてもらいたいけど、某国営放送
では無理か。と、いうかBBCとかではエロ描写もおkなのになんで日本じゃ駄目なんだろう
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 11:02:16 ID:QV44BEVu
大軍を率いての統率力は相当なもんだろね。いくら有力な武将も同伴していて
たとはいえ、徳川秀忠、豊臣秀次、古くは大友宗麟などは駄目駄目だったね
秀忠、秀次の若輩御曹司コンビと老練な秀長とを比較するのは酷じゃないか?
徳川秀忠、豊臣秀次、が大軍を率いた年齢の時に、秀長は大群を統率できたのか?って事だわな。
無意味そのものの比較だ。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 13:56:57 ID:QV44BEVu
あら?若い頃には3000くらいで但馬平定してるよ
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 14:06:47 ID:6JIh7FcX
武田信玄>>>>小早川隆景>羽柴秀長
>>155 じゃあ秀次は若い段階で東北平定してるよ。
秀忠は大阪城落としてるよ。
これをもって秀次、秀忠>>>>>秀長としてもいいですか?
状況も環境も違うものを比較してもしょうがないって事。
「大軍に兵法なし」と言われるけど、実際に大軍を率いて敗退してる人たちを挙げてその難しさを説いてるだけで、
別に秀忠や秀次と比較してどうこう逝ってるわけじゃないんじゃないの
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 14:12:29 ID:aunkfPmF
>>157 違くね?
とりあえず、大阪城は家康の力でしょうよ
>>159 秀次の東北平定にも秀忠の大阪の陣にも確かに家康がついていますよ。
でもそれなら秀長には秀吉、もっと言えば信長がついているわけで。
単に比較が無意味というので止めとけば冷静な見方する奴と思ったんだが
上のような屁理屈までこねるあんたは間違いなく下衆だね。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 15:55:08 ID:QV44BEVu
>>160 但馬平定戦、伊勢平定戦は秀長の単独ですぞ。
秀忠や秀次よりは家康の方が比較し易いと思う、
戦歴豊富で中々の名将の家康でさえも大軍を指揮するとぱっとせず、
謀略や政略で事を決していた。
やっぱ大軍を率いるにはまた別の才能がいるんだろうね。
秀次の場合四国や東北での実績は考慮外だと思う。齢20未満の人間がどれだけの
指揮統率がふるえるものなのかと。だから長久手の敗戦も秀次の責というよりも
実際に指揮しただろう老臣の誰かの責とすべきと考える。
そもそも長久手は本当に秀次が大将だったのか?
当時は三好秀次でまだ羽柴秀勝も生きているから
地位兵力的には池田堀とさして変わらんだろ
羽柴秀勝っても所詮は信長の子供で警戒心を解くために貰った養子程度の存在、
病弱だったらしいし後継者候補としては考えてないんじゃないの。
>>166 別にそういうことが言いたいわけじゃないんだが
>>165 ん?上手く伝わらなかったかスマン。
秀吉が長久手で秀次を総大将にしたのは将来的な事も考えての采配であり、
それならば後継者にする気の無い秀勝を総大将にする意味がない。
だからそういう立場の秀勝は地位的に秀次に劣る存在で、
将来後継者候補の秀次は池田&堀より格上の存在って事を言いたかった。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 20:57:27 ID:XfUL6Atr
羽柴秀勝は長久手では総大将はしたくないのでは??
万が一討ち死にならしゃれにならん
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 10:14:35 ID:WOGe5Qx7
3
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 10:18:51 ID:W+JIHj7Y
九州征伐は、あまり話題にならないな。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 11:46:10 ID:WOGe5Qx7
九州は島津軍やぶったしな
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 13:39:06 ID:DV3NmOwU
九州征伐は島津が豊後攻めに失敗してボロボロになったとこを叩いただけだしな
むしろ志賀親次と佐伯惟定を評価すべき
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 13:53:43 ID:W+JIHj7Y
何それ???
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 16:17:32 ID:DV3NmOwU
1586年7月島津は約5万の軍勢で筑前を攻めるが高橋紹運、立花宗茂親子の
頑張りにより失敗
同年10月義弘率いる3万5千が肥後から、家久率いる1万〜2万の軍が日向から
豊後を攻めるが、義弘軍は岡城の志賀親次等に阻まれる。
一方の家久は佐伯、臼杵の攻略に失敗するものの12月に戸次川で四国勢と大友
義統を破る。義統は豊前まで逃げ島津は府内を占拠する。しかし87年3月に豊臣
軍が豊前に到着するまで木付城、栂牟礼城、岡城、臼杵城等は抵抗を止めず、
結局島津軍は3月15日に府内から撤退、それに乗じた大友の反撃を各地で受ける。
特に志賀親次と佐伯惟定は瞬く間に多くの城を奪還し、さらに撤退時に合流した義弘
、家久を19日に三国峠で親次が、20日に梓山で惟定がそれぞれ襲撃している。
4月17日の根白坂の戦いで島津があっさり負けたのは、筑前攻めから約10ケ月に
およぶ連戦の疲れと、5万以上いた島津軍が筑前・豊後攻めの失敗の影響で外様
連中が離反して2万程度になってたのが大きかろうと思う。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 16:41:33 ID:W+JIHj7Y
その後に仙石(センゴク)が秀吉の命で行って大敗喫してる
別に関係ないだろ
いえいえ
仙石のあれは本人(とあえて言っておく)があまりにどうしようもない事やっちゃったからだし……
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:22:37 ID:W+JIHj7Y
反乱もなしに、あそこまでの進軍はすごいけど
戦後処理も
北条みたいになってたら
秀吉主役の太閤記なのに、その存在すらないことにされてる・・・。
もうだめぽ。
>>180 一体何の話しをしているのだ。閲覧者には解釈不能だぞ。
おそらくは先日のテレビドラマかと。
後半だけ見たけれど、秀長の出番の記憶が無い。
妹?は出てきているのにね。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 10:29:55 ID:gQl+Zspn
...
番組HP見ても名前すら無いな…orz
死んだ後に名前だけが出てくるんだろうな…。
でhfっゆいい
dgeyfh
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 15:36:26 ID:wOYJO7Up
山内一豊の土佐での一領具足の鎮圧の危うさに比べれば、
秀長の紀伊や大和の統治能力の高さが際立ってしまう。
同じ統治難国でも、
土佐・・・DQN系、謀略に強い。
紀伊・・・国人の力が強力、一向宗もまだ力がある。軍事力も高い。
大和・・・北部は歴史があり、DQN系より遥かに海千山千の宗教勢力がある。
誰でも知っていることだろうが、もう統治能力が違いすぎる。
190 :
189:2006/11/18(土) 22:12:51 ID:wOYJO7Up
今頃気付いたが、
誤)土佐・・・DQN系、謀略に強い。
正) 土佐・・・DQN系、謀略に「弱い」。
191 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 16:46:09 ID:ed/mKfCS
秀長のような彼氏が欲しい
秀長は本当に必要なとき以外は金を使ってはくれんぞ
正直、ケチだぞ
193 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 20:06:48 ID:2bivtAsJ
ケチと言うより倹約家
そうせねばやってられなかったらしい
194 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 21:07:02 ID:c+LRHBpr
いまどきの女はそれなりに自分も稼いでるから
へんにプレゼントだのオゴリだのをされるよりワリカンとかのが
自分を尊重されている気になるんだ。
だから必要なときだけ使ってくれれば十分!
ほんと秀長は良いルイージ
大和とか伊勢とかの難しい土地を金のやりくりで見事にまとめたらしいしね。
そうなると逆に台所事情はきつかったろう。
藤堂高虎とかも、無駄が嫌いそうなエピソードあるし。
兄の贅沢話との対比が涙ぐましいな。
>>191 へうげものの秀長はイケメンだな。
あれなら抱かれてもいい。
197 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 22:59:30 ID:N/7l8ynt
秀吉との年齢差を考えると実弟かな?
母親は一緒なんだよな、父親が違うんだっけ?
199 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 14:20:34 ID:IL5hA1Sk
資料でも別れるらしい。
おそらく実弟
ナポレオン=秀吉
ダヴー=秀長
201 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 16:46:01 ID:K/VCQpqv
たしか秀吉の父が死んだ時すでに秀長は生まれてたはず
小和田に拠るとどっかの寺の記帳からの計算らしいが
(秀長誕生時には弥右衛門生存、故に秀長は弥右衛門の胤)、
果たしてその史料って信用できるのかね
太閤記や他の史料でもずっと異父弟と伝わってたのにいきなり
「実は同父弟だったんじゃないの?」といわれても納得できない
もし同父弟なら何故異父弟だという風に誤って伝わってしまったのか
203 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 19:33:17 ID:ajSU5Xcm
>>202 秀長がそう思わせるぐらい丁重だったらしい。
もともと自分を語らない人だから。
204 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 19:34:40 ID:Q2Crm8GS
まぁ総務大臣って感じだね。彼は。
>>203 それ堺屋の小説の記述でしょ?
眉唾だと思うぞ
>>202 秀吉自身が自分の人生を脚色しまくって宣伝したせいで
「信用のおける資料」なんてのが極端に少ないのですよ、実際。
秀吉秀長同父兄弟説は秀吉研究の権威である桑田忠親の研究が始めだよな。
>>148>>151 国営放送てw
歴史かじる以前に世の中のことを少しは学ぼうぜw
おまえらみたいな教養のない人間が何を言っても誰も相手してくれないぞ
兄は猿だが、秀長は鯰顔に見える。
>>209 政府・与党の圧力で偏向するから皮肉ってるんだろ?
右翼からは左に偏ってると言われ左翼からは右に寄りすぎだと言われ
てことは別に偏向してないのではないかなと思った
212 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 06:58:39 ID:NoUf/pxW
NHKは常に偏向してるよ。柳沢国会も政府の要請がありオンエアしなかった。
秀長て穏和で優しいイメージがあるが、島津家久の毒殺とか結構荒事も多いよね?
いやそれ証拠が無い、というより言い掛かりに近い気が。
まあ実際やったと仮定しても証拠残ってたらいかんのだけど。
家久は島津に消された説もある
本気で暗殺するならあんなモロバレな方法とらねーよ豊臣は利用されたんだよ
って説だ あと普通に病死説もある
まあ謎の家久死去の説の一つに秀長による暗殺ってのがあるって認識くらいいいじゃん
別に秀長が聖人君子じゃないと駄目なわけじゃないでしょ?
217 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 22:42:40 ID:BgXdjzKU
やる理由ないけど
見せしめ程度じゃないかね。
メリットないけど
219 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 22:59:18 ID:BgXdjzKU
どうせやるなら
島津潰してるだろ
>謎の家久死去の説の一つに秀長による暗殺ってのがあるって認識くらいいいじゃん
ひとつ、別に謎ではないw 40で病死はよくあること
ひとつ、根拠がない憶測なので”説”ではなく陰謀論
佐土原城で急逝したのは事実だし、豊臣による毒殺説、島津による毒殺説、病死説などいろんな仮説が語られているのもまた事実。
異論は異論として受け入れる度量が必要だな。
秀長の長者ぶりを褒め称え感謝してるという内容の記述もあるからなぁ。なんかよくわからんよね。
223 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 00:01:47 ID:XWvwdwZw
家久に恨みのある伊東家や大友家からの刺客にやられたかもしれんし、
想像は尽きんな。
紀伊攻めでも誰かを毒殺してたような。
>>221 だからー。どれも根拠がないんだよね。
仮説、証明される可能性のない仮説=妄言
なら病死説も証明されたわけではないから妄言になるぞ。
そういうのを、謎の死という。だからこそ様々な仮説が飛び交うわけだ。
それらを全否定したいなら、病死であることを証明してみ。
紀伊攻めの際に降伏した雑賀孫市を偽って毒殺したという俗説があるな>秀長&高虎主従
そもそも孫市自体何者かもわからないんだが
>>226 問題はそこではなく、「毒殺説があるから」という理由で「秀長は汚い武将だ」という印象操作をしようという連中なんだが。
島津の弟くんの死の原因を秀長と結びつけて語ろうとする奴こそ、最初に毒殺の証拠を提示する義務があるんだけど。
>島津の弟くんの死の原因を秀長と結びつけて語ろうとする奴こそ、最初に毒殺の証拠を提示する義務があるんだけど。
毒殺したのは間違いない、というのならたしかに証拠が必要だろうが、可能性があると仮設をたてただけだろ。
仮説という言葉の意味わかっているかい?
また、可能性を完全に否定したいのなら、それこそ立証する必要がある。それが仮説というものだ。
犯罪を立証するには被害者の存在と被疑者の動機、
それに凶器やアリバイなど犯罪が可能であったという証拠が必要だからな
凶器やアリバイはともかく、秀長には家久を殺害する動機が存在しない
既に降伏を決定した相手を毒殺して何か得することがあるとは思えない
仮説の一つとして認めるのは吝かではないが、説得力に乏しいのは否定できないと思われ
別に自分は毒殺説支持者じゃないからどっちもでいいけど。
可能性を全否定したいなら、証拠が必要であることを指摘したまでで。
ただ、動機がないと思う根拠が
>既に降伏を決定した相手を毒殺して何か得することがあるとは思えない
ということなら、降伏後に暗殺された例は結構あることだけいっておくよ。
毒殺説って、島津関係の書物から発生?
ある程度の傍証が無ければ仮説ではなく妄想だな
こと歴史においては結構妄想としか思えない事柄が俗説としてまかり通っていたりするが
ならば、毒殺説はありえないという傍証を提示してみたら?
自分はどっちでもいいから、説得力のある傍証だったら賛同するよ。
・・・・・・なあ、わかってるんだろ? 「○×はない」という証明を相手に要求した時点で論理的に敗北してるんだってことは。
なんで毎回ID変えてんの?
>>236 横レスですまないけど、君はこの件に関してはどういう見解があるん?
病死説?義久による粛清説?
1587年5月に家久が病気になっている書状が存在
秀長との会見は5月以前?そして6月5日死亡
死ぬのにそんな時間がかかるってどんな毒?
定期的に与えることによってじわじわ効くような毒もあるだろうが
それだと定期的に毒を服用する必要がある
>>237 病死も暗殺も、どちらの可能性もあるなと思ってる。
暗殺説はありえない、と強く主張するひとがいるから、その根拠を聞いているだけ。
もともと病気で弱っている所に、毒薬または劇物をあたえて衰弱死。その時代の薬学ってどの程度のモノだったの?
家康がプロ顔負けの薬マニアで漢方に精通し自分で調合して
家臣や自分で服用してたりするけど
健康のために青酸カリかなんか飲んでたような・・・他の劇薬だっけ
>>240 チン毒 ハンミョウ ヒソウ 水銀
が主な毒と言われている
ただしチン毒は想像上の産物
どれも貴重品や舶来品で通常入手は困難
島津や豊臣なら容易ではないにしても手に入るだろうけど
効果はどれも数時間から数日で死亡する
だったと思う
>>231 「降伏後に暗殺された例は結構ある」というならその事例を一々挙げてみ?
最後まで抵抗を続けた武将が戦後に粛清されるのは珍しくないが、
まだ島津との戦闘行為が続いてるのに降伏者を暗殺して何のメリットが有るのか
暗殺説を主張したいならまずはそこをはっきりと指摘するべきだろう
244 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 10:59:56 ID:zt/Tam8A
>>239 暗殺説がありえないという人の前に、根拠なく「暗殺説」を提示する人のほうに聞くべきじゃねえの?
何度も言うけど否定の証明を相手に求めた時点であなたの負け、もっと言えばあなたは物事の考え方自体がおかしいんだよ。
245 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:19:26 ID:iGsqaYdo
島津家久も、蒲生氏郷みたいにカルテのような物が残っていたら良いのに
246 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:22:25 ID:x4zHCgiR
>>243 >暗殺説を主張したいならまずはそこをはっきりと
何度もいうが、別に暗殺説を主張したいわけじゃない。
完全否定したい派(当然根拠があっていってるのだろうから)の考えを聞きたいだけ。
>>244 >暗殺説がありえないという人の前に、根拠なく「暗殺説」を提示する人のほうに聞くべきじゃねえの?
たしかにそちらの意見も聞きたい。
だが、コメントしてくるのが暗殺完全否定派のひとたちばかり(少なくとも昨晩は)だったので、まずは
そのひとたちの意見を聞こうとしているんだがどこかおかしいかい?
否定の証明云々の話だが、「暗殺がありえない証明」が言葉としてお気に召さなければ、「病死である証明」でもいいよ。
そのへんはどっちでも。
自分は病死説も暗殺説も、どちらも立証は不可能だと思ってるがね。
247 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:35:30 ID:lQsCv9yv
島津と紀伊の二回疑惑があるな。
248 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:46:01 ID:vpYzVW07
別に自分も秀長暗殺説を完全否定したいわけじゃないよ
仮説としての存在は認めたうえで
「根拠の薄い仮説だな」と指摘してるだけ
貴方自身も秀長暗殺説が信憑性のあるものだと思ってるわけではあるまい
249 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:53:19 ID:x4zHCgiR
たしかにそれほど可能性が高い仮説だとは思っていない。家久については。
ただそれとは別に、秀吉秀長兄弟というのは苦労して成り上がっただけに、ひとの嫌がる汚れ仕事も結構やってきた(やらざるを
えなかった)んじゃないかとは思ってる。颯爽としたイメージはあるけどね。
それでいて、明るい印象を相手に与えるのがこの兄弟のすごいところだろう。
250 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 20:42:48 ID:iGsqaYdo
信長公記や多聞院日記に名前残ってるのに、太閤記などの談話には残ってないんだろ?
251 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 18:15:06 ID:l4TJnK7B
252 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 19:47:49 ID:Retjey3L
>>250 太閤記の著者に思うところがあったんだろうね。
253 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 22:00:43 ID:XQWiVFpL
>>250 竹中半兵衞や三成が目立っているからだろ。
あぼーん
255 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 07:18:33 ID:OT1gwRse
信長公記はともかく多聞院日記は秀長への悪口で一杯だからな・・・
同じ太田牛一の大かうさまぐんきのうちでは記述有ったっけ
256 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 23:34:42 ID:hjMIcpht
257 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 03:46:38 ID:a/1sUn+Z
>>255 多聞院日記には秀長が死んだときに大量の金銀が蓄えられてるのを非難して、
「あさましいことよ」って逝ったんだっけ
自分は原本は読んだこと無いが、司馬遼太郎の「豊臣家の人々」の秀長の話で読んで腹が立ったのを覚えてる
まあすぐ司馬本人に「あさましいのはむしろ秀長から金をせしめ取ってきたこいつらの方だ」と書かれてたけどw
あれはいい小説だった
>>256 ソースは何だと聞きたいな
258 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 10:03:16 ID:eqtddDdn
>>256 たしか、武功夜話だな。
前野に言ったセリフ
259 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 21:28:39 ID:PKpUhUfN
愚かなこととわかっていても、方針転換が難しいのが現実の政治。
260 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 16:57:13 ID:rwMEe8yE
261 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 21:52:35 ID:wzVPCu9u
秀長なら、解っていたのでは?半島のアホさが
262 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 21:54:44 ID:vPtvZGd3
大納言さえ健在であれば・・・豊臣の治世が続いたことはいうまでもないのである。
あぁ、大和大納言。
263 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 23:15:11 ID:O70ROLVX
秀吉は実は無能で、実力者秀長の操り人形だったんじゃないの?
264 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 23:31:32 ID:RFDVvVSI
九州征伐後の尾藤知宣の処遇には秀吉と秀長の微妙な権力関係が反映してると
考えるのはうがちすぎだろうか
265 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 07:04:53 ID:cWDaNim/
>>263 「そのとき歴史が動いた」で小和田氏がそんなこと言ってたな
秀吉みたいなのは戦国時代に幾らでも居るとか何とか
秀長の功績が長年、評価されなかったことからの反動も理解できるが・・・
秀長ファンはちょっと調子に乗りすぎて秀長を過大評価しすぎ、秀吉を過小評価しすぎ
266 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 07:55:16 ID:aYrudi2T
劉邦あっての韓信、蕭荷、張良
267 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 08:49:38 ID:DxUvJ5Dr
武将としての力量は徳川家康に匹敵していたほどの大物
四国も九州も独力で平らげる軍事的才覚を持ち、
家中統制能力は秀吉以上
まさに豊臣家の屋台骨だった
秀吉没後も健在なら家康が付け込む隙など微塵もなく、
豊臣家は安泰だった
268 :
いえやす:2007/04/07(土) 10:48:12 ID:Mn4beoQi
健康管理も武将の大事な心得のひとつです。
269 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 12:10:18 ID:bBocriD+
秀長の死因は結核か何かでしょ
肺の病はあの時代本人が気にしてもどうしようもないからなあ
まあ健康に気をつけてた家康は偉いと思うが
270 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 19:21:15 ID:ASY6ZRTh
271 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 19:48:52 ID:70aeygUF
豊臣家の重責を一人で背負い込んで過労と心労で早死にしそうだが
272 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 05:02:55 ID:yFMrQBud
273 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 12:01:26 ID:n5B598wp
☆
274 :
takeda:2007/08/02(木) 12:23:40 ID:U/pb6fzr
家康が最も恐れた男秀長、氏郷、利家、幸村、光秀、昌幸、氏照、信玄、マサカゲ
275 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 21:32:19 ID:iriRUNKV
どんだけ恐れてるんだよw
276 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 21:03:44 ID:tv+Ikwxu
百姓上がりなのに、どこで武将としての器量やスキルを学んだんだろ?
兄貴同様に我流なんだろうか?
277 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 22:27:02 ID:US4JkedG
>>276 基礎は竹中半兵衞らしい。
後は独学か誰かいるかも
278 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 23:56:42 ID:avVJKbz6
279 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 07:08:31 ID:/RZfAlpA
>>276 蜂須賀党も少しは寄与してるんじゃないかな?
280 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 21:29:11 ID:BR4iuLCZ
勉強したけりゃいろいろ方法があったんじゃないか?
寺社勢力が強かったのは教育、福祉を担当してたからだろう。
281 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 11:29:11 ID:gVPKGB9T
>>280 今と違う。
寺社関係は、戦国で領地が奪われ、筒井迄ムチャクチャだったが、秀長が相手したから。
282 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 16:12:12 ID:O2Vqot9h
>>276 そもそも読み書きできたのか? 平仮名位は読めたろうが。
書状の筆跡(直筆)を見れば、その辺りも推測できそうだが。
283 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 17:01:15 ID:gVPKGB9T
かなり、達筆らしい。
284 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 17:04:09 ID:5ZqSIXn+
弟が天皇の御落胤だったんじゃないのかと言ってみる
285 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 17:08:57 ID:LkaCTgxC
秀長亡き後の秀吉の外征のやり様の稚拙さを見れば、秀吉の軍功に占める秀長の果たした貢献度がいかに大きかったか、判ろうというのもだ。
秀長あっての秀吉であり、秀長無き秀吉など、三流武将だろ。
秀長が生涯戦で負け無しって、例えば「徳川秀忠は生涯戦で負けたことが無い」って言うのと同じレベルの話だろ。
287 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 18:25:54 ID:zVWT4UhT
今度はこっちでかよ。みじめな奴だww
288 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 20:16:20 ID:2H+3iXhn
289 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 00:40:40 ID:816sMagC
290 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 01:14:40 ID:bDL7KlBf
勝敗っていうのは微妙な表現だよな
秀長は賤ヶ岳前哨戦で負けたといえないこともないし、賤ヶ岳合戦として羽柴軍が勝ったから勘定に入れないでいいかもしれない
秀忠は関ヶ原戦争、大坂の陣では勝ってるが、上田城や岡山で負けたといえないこともない
規模やら結果のもたらすその後やらで何を勝敗というかも全然変わるしな
最終的な目的を達する為にはどれだけ無様に負けようが大した意味はない
291 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 02:31:48 ID:/7+6FA3H
とりあえず小物が一つ釣れましたな
292 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 16:02:10 ID:9hWFOQw1
この御仁はかなりの蓄財家らしいね。どの位大和の既得権益を破壊したんだろ?
293 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 17:40:54 ID:rCsdy2C3
z
294 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 00:59:46 ID:IvHvgM2y
一族武将なら、上々な方だと思う、曹仁より遥かに使えたと思う。
何でも三国志に例えるのがどれほど恥ずかしい行為なのかが解らない三国志脳の恐怖。
296 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 11:05:52 ID:2C3HgCVH
太閤立志伝4のイケメン秀長萌えw
298 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 13:29:37 ID:TVahqmx4
299 :
296:2007/11/15(木) 16:42:49 ID:Zw/bSZzr
300 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 19:37:32 ID:TVahqmx4
>>297 秀吉と違うタイプと言う意味合いもあるかも。
ガリとデブでブルースブラザーズだな。
302 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 19:47:02 ID:Bv7vcfY4
本能寺の変直前ぐらいだと、秀長は中国方面軍の副将格だったけど織田家の中での序列は
どんな辺だったんだろう?
同程度の序列の武将をあげてもらえないでしょうか。
304 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 22:16:56 ID:JBkJdODx
「所詮は陪臣。
織田家直臣の序列に加わろうなどとは、
図々しいにもほどがあるわ!」
とか言われたら悲しいだろうな、
という秀長ファンの俺w
305 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 09:01:00 ID:785EG9rR
306 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 12:58:12 ID:T8wzBlbD
>>304 まあ、独立は希望したら可能だったからな
307 :
304:2007/11/17(土) 16:43:32 ID:wQGnoZIv
>>306 確かに。
堺屋氏の小説だっけ?
この当時、弟でも能力があれば
別に家を構えることも珍しくなかった
とかいうくだりがあったよね。
太閤立志伝5でも大殿との親密度が
上がったら、「直臣やらないか?」
ってお誘いあるし。
それをずっと断るのが秀長プレイの
醍醐味だと信じてる。
308 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 18:32:00 ID:GRzZV2VW
太閤立志伝4
秀長でプレー。
姫路城城主の兄秀吉に、謀反を提案。
すると秀吉は了承し、信長に対して謀反を起こす、
速攻で秀吉の下を離れる。
秀吉は織田信長・毛利輝元に攻め込まれ、死亡。
秀長は武田家に仕え、城主まで上り詰める。
運がいいと勝頼の居城の隣の城を与えられる。勝頼が他城を攻撃している隙に
謀反を起こし、全力で勝頼の居城を攻め込む。
こうして武田を滅ぼし、天下を取った。
309 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 19:23:46 ID:2Zj6IYpf
もっとって言うか例えばプロ野球のピッチャーで
生涯成績が10勝0敗、防御率0.95の選手が居たとしよう。
さてこの選手は野球の神様と呼ばれるように成るだろうか?
>>309 あまりの微妙さに神様扱いされるかもしれないw
「あいつ何故か負けだけは付かないんだよ」
んで引退間際は一部の好事家の間で伝説的存在にw
311 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 22:38:29 ID:fUUo17CD
>>308 兄者にに忠実でない秀長なんて…
>>309 無敗なのに生涯10戦しか出してもらえない
プロ選手って例えとしては
非現実的では?
313 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 23:20:03 ID:L3AE+ijG
>>312 なるほど、それはありそうだな
ということはあれかな。
309がスレタイを見て言いたいことは
車に乗らずに無事故無違反で
ゴールドカードの優良ドライバーなんて
片腹痛いぜ!
ってのに相通じるものがあるのかな
314 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 16:34:07 ID:9EPp5OV2
表に出ない謀略は数えきれないほどあると思うけど。毛利相手なら。
>>314 そんなものありとあらゆる戦国大名にあるだろうよ>表に出ない謀略
316 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 19:32:40 ID:FEME/ht/
まあそうだが、
>>車に乗らずに無事故無違反で
>>ゴールドカードの優良ドライバーなんて
>>片腹痛いぜ!
これは、全然当てはまらないと言うことで
317 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 08:32:47 ID:kldzW6WB
じゃあ
飲酒運転でスピードオーバーで
高速道路逆走してるのに
無事故無違反でゴールドカードの
優良ドライバーってことか
318 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 23:03:34 ID:yliW/w58
>>309-310 もっと試合にはでてるけど現役生活の短かった伊藤智あたりはいまや伝説化されてるけどね。
横滑りのスライダーと速球のコンビネーションは最強だった。神様ってわけじゃないけど非常に評価は高い。
319 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 19:29:14 ID:D1OUTlXu
但馬平定とかは少ない兵でやったんだろ?
但馬一国もらってるという事は国主レベル。
織田信長も認めてたんだろ。
321 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 19:50:39 ID:qEpsWi93
知行宛行状や特権の認可状が長秀の名で出てるから但馬における実効支配は確認できてるんじゃないのな。
322 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 20:13:18 ID:D1OUTlXu
だよな。言葉尻で攻撃すんのやめてくんない?
323 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 19:38:08 ID:poFy9/XF
こないだ本の整理してたらNHKラジオ文化セミナーの
「信長・秀吉と家臣たち」って本が出てきたんだが、
>そしてこの年の六月と十月、秀長が家臣に但馬の地を宛行っている様子が見られますから、
>但馬の支配権を秀長が分担した様子です。
>しかし、考えてみると、一国の支配権を家臣にすぎない秀吉が分け与えるという形は、
>織田家の組織の中では考えられません。
>身分的には秀長は信長の直臣で、兄秀吉の与力という立場だったのではないかと思います。
とあるんだけどどうなのだろう?
俺は陪臣だとばかり思ってた。そういう説もあるんかいな。
しかしこのスレタイなんとかならないのか
324 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 20:33:58 ID:3IvEuqvY
>>323 信長公記に、
伊勢長島で攻め入った武将の中に秀長単独で名がでてることからも、
直臣だったのではないか、という推測があるね。
325 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 21:26:00 ID:SY86BYEl
コイチローの嫁は元尼さんの人だけ?
とても信じられん。
326 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 22:38:38 ID:dBFXUriH
>>325 まあ、寺社の嫌がらせかもしれんが、『虎の城』の描写が正しいのかも。
327 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 18:21:26 ID:FIpbvdbz
日本の100人番外読んだ
「銘酒 豊臣秀長」か…
秀吉の誤植と思う人がたくさんいるんだろうなw
個人的には「銘酒 大和大納言」とかのほうが良いなあ
328 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 21:08:34 ID:KGVMaa/9
過疎ってるけどコイチローの戦歴を書いてみるので
気がついた人は補足や指摘をたのむよ
・1565年 美濃国鵜沼城攻め? (初陣?)
・1567年 稲葉山城攻略 (秀吉別働の間本隊預かる?)
・1570年 金ヶ崎の戦い (秀吉軍の最後方隊で撤退)
姉川の戦い
・1573年 小谷城攻略戦
・1574年 長島一向一揆討伐戦 (秀吉名代)
・1576年 石山本願寺攻め
・1577年 雑賀攻め
但馬攻略開始
・1578年 播州三木城攻め (丹生山焼き討ち・淡河城攻めで淡河弾正に一杯喰わされ敗走)
・1580年 但馬攻略完了
・1582年 備中高松城攻め
山崎の戦い
・1583年 滝川一益攻略
賤ヶ岳の戦い (本陣預かる。中川清秀討死の責を問われる?)
北ノ庄城攻め
・1584年 小牧・長久手の戦い (織田信雄の監視)
・1585年 雑賀攻め (副将)
四国征伐 (総大将)
・1587年 九州征伐 (別働隊大将。島津を追いきれなかったので秀吉に怒られる)
ミスもあるが結果は上々でなんとも手堅い戦績といったところ?
329 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 18:28:06 ID:zIstnP0e
確か信長から、着物?を直接もらった事があるんでしょ?
330 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 02:56:13 ID:AbYra94Y
>>328 地味と言うけど、四国征伐、九州征伐の規模は異常。
関ヶ原の10万クラスの連合軍
331 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 20:08:00 ID:wTKHI4Ud
管理能力が高い
バランス感覚にすぐれる
与えられた仕事を自己の裁量で的確に裁ける
主人に忠実
上司の代行として部下を統率し結果をだせる
ナンバー2としては理想
>>331 そしてそれは全部「No1になれない資質」でもあるな。
333 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 20:32:10 ID:wTKHI4Ud
確かにね
秀吉という最高位のナンバー1がいたから秀長は活躍できたと思う
秀吉がいなければ秀長はここまで活躍できなかったし活躍できる人間に成長できなかったんじゃないかな?また秀吉も補佐役として最高の秀長がいたからあそこまで昇れたんじやないかと俺は思う
まさに理想のコンビだ
334 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 22:43:11 ID:jRbBDaax
335 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 17:40:18 ID:sU+JLWCA
家康も、信長がいなければ天下は取れなかった。
あんな、自己中ばっかの軍団を、しかも10万単位で無難に指揮できたのはさすが。
>>335 信長も家康いなかったら天下を狙うことは無理だった訳だが。
337 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:29:03 ID:j3zzAaLM
>>332 それでも徳川秀忠よりは上だから、優秀な2代目になれる
>>337 何をトンチンカンな事を言っているんだお前は。
秀長は一度たりとも「後継者」の役を与えられたことはない。
339 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:02:34 ID:zai0q7cQ
>>338 常に秀吉の名代だけど?
それに、もし秀長が秀吉より後に死んでたら、間違いなく豊臣家の後継者になってた。
340 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:30:35 ID:WKErGC8S
俺も二代目としての能力と組織の重鎮としての能力は違う
しかし秀長が倒れてから元茶頭の山上宗二が処刑、利休の死と秀長に近しい堺衆の死が続くが
これって秀長が生きてたら防げたと思う?
それとも巻き込まれたかな?
秀長は朝鮮出兵を止めてたってネタも、博多商人にデカい顔させたくない堺衆の要請があったとかだったら
なくはないのかなと思うんだが…
利休の死にはどういう意味があったんだろうなあ
341 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:33:47 ID:WKErGC8S
違うと思う、だ
すまん
>>339 > それに、もし秀長が秀吉より後に死んでたら、間違いなく豊臣家の後継者になってた。
秀頼がいても!?どういう理論だよ。
343 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:58:41 ID:zai0q7cQ
>>342 事実上な。
秀吉が史実通りに死んだら、秀長は間違いなく後見に任されるし、
今までの実績から見れば秀頼が成人まで事実上豊臣の当主。
別におかしくないのだが?
なぜそこまで噛みつく?
生理来てるのか?
なんで「間違い無く」なんて断言できるんだか。
晩年の秀吉の事を考えれば、自分より秀長が長く生きそうなら
それこそ「間違い無く」粛清しただろうよw
345 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:15:14 ID:w8ec38q8
どちらも断言なんて出来ないが、
可能性で言えば粛清の方が可能性高そうなのは史実の流れを見る限り仕方ないかも。
秀次粛清の流れになっていけば、秀次の弟を養子に取ってる
秀長と意見が対立して秀吉に疎んじられて行く構図は容易に想像できる。
346 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 12:32:55 ID:hORAhkkf
たとえ平身低頭で主君に忠実であっても、主君が死んだとたんに変貌し遺族にもひどい仕打ちをする忠臣がいるってことは
他ならぬ秀吉自身が誰よりもよく知っているからなぁ。
なまじ秀長の場合、他の有力大名と違って容易に秀頼にとって代われる存在なだけに、秀吉の猜疑心を一層刺激しそうだ。
347 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 18:01:27 ID:J+aRPMmG
中国では初代の兄を助けて覇業を確立→初代の死後専横・即位って例に北宋の趙匡義があるな
348 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 21:11:06 ID:hoW1a9wF
俺は秀長が秀次切腹を止められたかどうかが一番の焦点だと思う
正直、晩年の秀吉を見ているととても難しいと思う。
でも秀長が秀次切腹事件に巻き込まれて失脚又は誅殺されてたら
秀吉死後の豊臣家はもっと早くつぶれただろうな
349 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 23:07:33 ID:B+Yi6z60
350 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 05:30:25 ID:0lUp4niQ
結局、この人の百十二万石って、
大和、紀伊、和泉以外にどこが入ってたのかわからないんだよね。
その三国全部併せても九十万石行かないし。
豊臣家ってやたら色んな所に小さな荘園みたいな領地持ってたからな。
352 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 22:34:25 ID:fp9zfXxe
戦術立案とか陣頭指揮能力とかも、並みの武将よりは優れていたんだろうけど
ほんとうはそれ以上に、
戦時の情報共有のやり方とか、各々のストレスをうまく吸い上げるとか、
各々の調整をしていかにスムーズに戦う環境を整えるかとか、
イケメンエリート総務部長的な能力が抜きん出てたんじゃないかな。
武人か文官かといえば文官なんだけど、
めちゃくちゃ優秀な文官は戦争にも応用力があるってことじゃないか。
この人わ。
353 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 01:24:42 ID:EJfwi7dc
裏方のスペシャリストだな。
それでいて名代という表舞台も勤まるし、秀吉に重用されるのもわかる。
しかし天下取った後は用済みのタイプだな。
あんまりにも優れた文官が幼い後継者にとって一番の脅威だから。
354 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 22:59:00 ID:nL17UHNU
>>353 人身に後継者いないから脅威にはならない
356 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 08:52:49 ID:Cqjyn/Aj
三国志呉の孫策と孫権みたいな関係では?
357 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 10:24:51 ID:ES6SopVs
むしろ尊氏と直義
358 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 21:42:55 ID:9v7nl0Wh
359 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 19:26:10 ID:8rhL21o/
学研M文庫ってのから豊臣秀長が出てた
作者は志木沢郁とかいう人
360 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 06:46:12 ID:iOOtjfvY
その人なら読む価値あるかも知れんよ
この人のやっていた事はどうも、武将と言うより羽柴家、豊臣家の筆頭執事みたいな感じだったようね。
特に後期は入阪した同盟、配下諸侯の接待が主な仕事だったようだ。
362 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 10:29:34 ID:W7gGdNl5
>>361 他になり手なし。
戦場には九州まで全て出ている
363 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 20:21:04 ID:P/O9PNbd
秀長の家臣ってどんなのがいるの?
藤堂、桑山、本多位しか分からん
364 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 20:43:22 ID:aDiAivNq
>>363 志村ー、小堀小堀!
島左近は居たかどうかはっきりしないんだっけ?
365 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 03:53:01 ID:I9okQUTl
武田信玄→武田信繁みたいなもん?
>>364 小堀は家臣と言うか、茶坊主だったような。
367 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 19:54:26 ID:xsbKUnRl
>>366 小姓だったかな
でも遠州のオヤジは重臣じゃなかった?
368 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 13:37:07 ID:k/tritow
かなりの大領土をもらってたよね?
369 :
人間七七四年:2008/04/26(土) 23:44:50 ID:d2mLHE9O
秀長はすごい財産を残したらしいが
秀保が死んでお家取り潰しになったあと
その財産はどこへ消えたんだろう
国庫(=秀吉)に吸収?
こないだ出た秀長の小説読んだら
材木代金横領が役人個人の罪になってた
真相はどっちなんだ
370 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 00:46:26 ID:waOZ40Hq
おそらく、真実では?
部下に詰め腹切らせる人じゃないし、
年賀に出ず謹慎したらしいから
371 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 01:03:37 ID:/QTlwCt9
秀長が仮に長生きして静粛しようとしてたら、どうなってただろう?
秀次よりも人望あっただろうし、当時の秀吉は既に暴挙が目立つようになってたから、
秀長派の大名、武将が現れて内乱になるんじゃないのかな?
秀長自身は反乱とかに無縁って感じもするけど、謂れの無い追悼命令が出たら変わってくるかもしれんし。
372 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 03:34:28 ID:aVnEmiGv
秀長は秀吉に腹切れって言われたら
切っちゃう気がしてならないんだよなあ
そこが引っかかる
373 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 08:21:36 ID:wI7pzISA
ある意味、利休と似たような展開かね。
374 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 08:43:19 ID:7tqwMwD1
追悼命令が出る時点で死んでるじゃねーか
375 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 13:18:40 ID:JKWktyae
>>369 >こないだ出た秀長の小説
なんてタイトル?
376 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 14:03:28 ID:FAmpXBKW
>>371 そんなことでかつがれるようなタイプではないし
かつがれてうまくいくタイプでもないと思うな
秀長の評価は秀吉あってのものだと思うんだ
(秀長を卑下しているんじゃないよ)
秀次切腹を止められるか止められないかはわからんが
連座については諸将から執り成し依頼があるだろうから
あちらを立てたりこちらを立てたりしてるうちに
結局過労で亡くなったりして(;´Д`)
>>375 その名も「豊臣秀長」学研M文庫かなんか
ググったら出てくると思う
377 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 00:39:12 ID:xHiluD72
金商人事件って知ってますか?
378 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 15:16:26 ID:mvCvtCyB
>>376 >秀長の評価は秀吉あってのものだと思うんだ
その逆じゃないのか。
秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが。
>>378みたいな書き込みを、「贔屓の引き倒し」と呼びます。
380 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 15:29:54 ID:mvCvtCyB
>>379 事実を述べているだけ。
それに対して薄っぺらなレッテル張りをしてみても、何の意味もない。
反論するなら、意見の趣旨についてしたらどうだい。
>>380 秀長あっての秀吉なら、秀長が羽柴家乗っ取ってるよ。
反論って物はね、しっかりとした「論」が最初にあって始めて成り立つ。
論でもなんでもないただのマンセー感情に、わざわざ反論なんて物をしてもらえると思ったら大間違いだぞ。
382 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 15:52:30 ID:53QeREoq
秀長の戦功でありながら、秀吉の戦功として語られているものとは?
383 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 16:21:10 ID:mvCvtCyB
>>381 >>秀長あっての秀吉なら、秀長が羽柴家乗っ取ってるよ。
歴史的事実として秀長は終生忠実な秀吉の部下。
乗っ取りを企てた事など一度とてない。
ま、個人的に何を妄想しようと自由だが。
>反論って物はね、しっかりとした「論」が最初にあって始めて成り立つ。
論でもなんでもないただのマンセー感情に、わざわざ反論なんて物をしてもらえると思ったら大間違いだぞ。
「天に唾する」とはまさにこの事。
>>382 自分で調べてみたら。
反論するならその上で。
自分の説の根拠も提示できずに逃げちゃったよ
385 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 16:35:03 ID:53QeREoq
>事実を述べているだけ。
といった以上、事実を述べなよ。どの戦功だい?
具体的に指摘しないと反論しようがないだろう。キミが逆の立場ならそう思わないか。
386 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 16:37:51 ID:mvCvtCyB
>>384 >自分の説の根拠も提示できず
まさに君の事だろ。
君の論法は、単なる妄想と根拠無きレッテル張り。ただそれだけ。
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
幼稚な質問をしてくる方がどうかしている。
>>386 そんなごたくはどうでもいいからさ、君の説の根拠となる資料なり文献なりを出せよ早く。
388 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 16:41:24 ID:mvCvtCyB
>>385 >どの戦功だい?具体的に指摘しないと反論しようがないだろう。
反論するだけの知識もないのに否定するなって話だ。
上記でも述べたが、
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
それなりに知識を頭に詰め込んでから反論してもらおう。
389 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 16:46:22 ID:mvCvtCyB
>>387 >君の説
って何だい?意味不明。
ちなみに、君の真っ当なご意見は全く見受けられないんだかな。
他人には論拠を求め抽象的な批判中傷を押し通すってのが、君の「手」らしいな。
こういう手合いは見飽きた。
中身が薄っぺらな奴の常套手段だ。
390 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 16:59:17 ID:53QeREoq
>反論するだけの知識もないのに否定するなって話だ。
反論・否定って何のことだい?
こちらは最初から否定も肯定もしていない。ただ、どの戦功のことなのか聞いているだけ。
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
>というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが。
この「秀長の戦功」について、具体的に書けばよいだけだろう。
391 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 17:13:44 ID:mvCvtCyB
>>390 何度も繰り返すが、
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
このレベルは、他人に尋ねるのではなく自分で確認すべき問題。
今時の小学生でもできる事だがな。
君が小学生以下の知能だというのなら、話は別だが。
392 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 17:25:05 ID:53QeREoq
あいにくだが、初歩的な歴史知識だと、それは秀吉の戦功になっているはずだろ。
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
>というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが。
だから、自称脱初歩のキミに尋ねているんじゃないか。初歩的な歴史知識ならこっちも
調べられるんだがね。で、どの戦功?
393 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 17:30:49 ID:mvCvtCyB
>>392 >初歩的な歴史知識ならこっちも調べられる
では調べてから、意見してもらおう。
394 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 18:08:13 ID:xHiluD72
秀長の統治下では郡山は発展したけど、奈良は衰退したという話を聞いたことがあるんですが?本当ですか?
395 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 18:23:27 ID:53QeREoq
>>393 意見するなんて一言もいってないって。
で、どの戦功?
揶揄したり煽ったりしないことは約束する。とりあえず書いてみてくれないか?
396 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 18:36:21 ID:mvCvtCyB
>>395 繰り返す。
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
このレベルは、他人に尋ねるのではなく自分で確認すべき問題。
今時の小学生でもできる事だがな。
君が小学生以下の知能だというのなら、話は別だが。
397 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 18:48:52 ID:DPO+XD2M
ID:mvCvtCyBの言う
「自分の意見を具体的に何も言わないで人の意見にだけ突っ込み入れる歴史無知のゲーム厨」
この種の三好厨系の低脳に手取り足取り説明するのは確かに疲れる
その苦労は俺も知ってるから、考えただけでもゲンナリする気持ちは理解できる
ただし、この場合はID:53QeREoqの言ってることの方が正しいと思う
なぜなら、秀長の功で秀吉が評価されてる戦って
実際、俺も思いつかないしID:53QeREoqも、それを内心思いながらも
しかし口に出して言っちゃうと、また荒れるから、普通に質問してるわけで
もし、本当にあるんなら、どうかID:mvCvtCyBには教えて欲しい
398 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 19:00:56 ID:mvCvtCyB
>>397 >秀長の功で秀吉が評価されてる戦って実際、俺も思いつかない
自分で調べてもみないで、質問しないでもらいたい。
端的に言えば、秀長の存在は当時絶大だったにもかかわらず、後世あまり目立たない事が一例。
秀長死後の豊臣の斜陽も一例。
個別事例は自分で確かめてもらいたい。
小学生でもやってる事だ。
399 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 19:12:25 ID:53QeREoq
個別事例を確かめた上で、ないと判断しました。これ初めてだけど自分の意見ね。
で、異論があるなら、具体的にどうぞ。
「もっと調べろ」というのはなしね。調べた上での結論なんだから。
400 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 19:26:23 ID:mvCvtCyB
>>399 >個別事例を確かめた上で、ないと判断しました
浅い探求しかしていないのは・・・(もしくは嘘か)
深い知識があれば、そんな感想は間違っても出て来ない。
401 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 19:37:21 ID:7JUjXQzv
具体例が出てこないようでは
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから
は全くのデタラメであると結論づけられますね
自説を通したければまず、根拠を挙げなさい
深い知識があれば、の話ですが
402 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 19:53:43 ID:mvCvtCyB
>>401 情報操作の意図が見受けられる。
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
を故意に省いたか・・・
ろくに調べもしないで、他人に説明を求めないでもらいたい。
もしくは、知ってはいるが、釣り狙いで質問しているか・・・
自助努力の問題を他人に押し付けるなって話だ。
>>402 > 自助努力の問題を他人に押し付けるなって話だ。
そりゃお前にぴったりの言葉だ
404 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 19:57:23 ID:7JUjXQzv
と言うことで、
>>402を見てもお分かりの通り、
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから
>というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが
の具体例を何一つ示せないままのID:mvCvtCyBでした
はい、次の患者さんどうぞ
405 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:07:18 ID:mvCvtCyB
>>403 >そりゃお前にぴったりの言葉だ
意味不明。知識はないが小学生レベルの中傷だけは一丁前か。
>>404 繰り返す。
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
このレベルは、他人に尋ねるのではなく自分で確認すべき問題。
今時の小学生でもできる事だがな。
君が小学生以下の知能だというのなら、話は別だが。
自ら為すべき事を為さず、それを他人にまる投げして責任転嫁する幼稚さは愚劣の一言。
もしくは分かってる上でのすっとぼけた釣りか・・・
>>405 言い訳はいいからお前は具体的な事例なり資料なり書籍なりを提示しろ。
出来ないなら二度とこのスレで書き込みをするな。資源の無駄だ。
407 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:11:38 ID:7JUjXQzv
>自ら為すべき事を為さず、それを他人にまる投げして責任転嫁する幼稚さは愚劣
なので、いつまで経っても自説の根拠を示せないID:mvCvtCyBは愚劣だと本人も認めました
患者さんの病名は
「根拠無く自説を振り回す荒らし病」です
処方箋は「根拠となる具体例」となっております
408 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:13:46 ID:bnCi/GG/
>>405 あんた本能寺スレでも無知さらけ出して逃げ出したくせに懲りないなw
リア厨?
409 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:15:33 ID:mvCvtCyB
>>406 >具体的な事例なり資料なり書籍なり
を読んでないのでは話にならない。
それは君個人の自助努力の問題。
ウンコをした後ケツを他人にふかせる事を要求する類のお子チャマ君か?君は
410 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:16:17 ID:bnCi/GG/
ID:mvCvtCyBの説の根拠は堺屋の小説w
411 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:18:45 ID:mvCvtCyB
>>408 >本能寺スレでも無知さらけ出して逃げ出したくせに
また根拠なしのレッテル張りか・・・
こういう手合いは書き込んだ内容には一切言及せずに、
論点と無関係な方向で他人を中傷してくる。
「無知」だというなら具体例を挙げてもらいたいものだ。
ま、無理だろうけど。
412 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:20:11 ID:7JUjXQzv
>ウンコをした後ケツを他人にふかせる事を要求する類のお子チャマ
どうやらID:mvCvtCyBにはオムツも必要だそうです
繰り返しますが、患者さんの病名は
「根拠無く自説を振り回す荒らし病」です
処方箋は「根拠となる具体例」となっております
413 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:22:56 ID:mvCvtCyB
>>410 >ID:mvCvtCyBの説の根拠は堺屋の小説w
では聞くが、君は堺屋小説の内容を否定できる論拠があるのか?
ないだろ、全く。
他人の意見は否定できても、根拠がないので論理的な反論は何一つできず、
己の薄っぺらさを露呈させてるだけ。
414 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:24:03 ID:bnCi/GG/
>>411 自説の根拠たる資料も出せずに
「小説家はきちんと歴史考証してるから云々」
とか宣うあんたの方がどうかしてるよ
415 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:27:14 ID:mvCvtCyB
>>412 >繰り返しますが、患者さんの病名は「根拠無く自説を振り回す荒らし病」です
処方箋は「根拠となる具体例」となっております
自助努力を何もせず(もしくは釣りか)、
自己責任の問題まで他人に責任転嫁してくるお子チャマ君。
416 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:28:59 ID:7JUjXQzv
>他人の意見は否定できても、根拠がないので論理的な反論は何一つできず、
>己の薄っぺらさを露呈させてるだけ
根拠無しに他人の意見を否定できるID:mvCvtCyBの病名に
「自己紹介乙病」が追加されました
こちらの処方箋も「根拠となる具体例」となっております
417 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:31:17 ID:bnCi/GG/
そもそもあんたの空想に対して論理的に反論なんて有り得ないだろ
学生のディベートごっこじゃあるまいし
あんたの自説の論拠が想像や小説の受け売りって点から一歩も出てこないわけだし
418 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:32:39 ID:mvCvtCyB
>>414 >自説の根拠たる資料も出せずに
繰り返す。
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
このレベルは、他人に尋ねるのではなく自分で確認すべき問題。
今時の小学生でもできる事だがな。
君が小学生以下の知能だというのなら、話は別だが。
自ら為すべき事を為さず、それを他人にまる投げして責任転嫁する幼稚さは愚劣の一言。
もしくは分かってる上でのすっとぼけた釣りか・・・
>「小説家はきちんと歴史考証してるから云々」
では何を根拠に堺屋小説を茶化し、その内容を否定できるのか、
是非お教え願いたいものだな。
ま、無理だろうけど。
結局上っ面で否定はするだけが取り得のお子チャマ君か、君も。
419 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:34:06 ID:bnCi/GG/
イタイ子供に火を付けてしまったようだ
元々のスレ住人諸氏スマンm(_ _)m
俺は退散するw
420 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:36:03 ID:7JUjXQzv
>>418までのmvCvtCyBによる発言で、自助努力をしたくない無知と言う診断も出ました
処方箋は服用しないと効果がありませんよ
これまで全く「具体例の提示」がなされていませんから、誰も納得しておりません
421 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:36:45 ID:mvCvtCyB
>>416 >根拠無しに他人の意見を否定
いつ、どこで?
示してもらおうか。
言っとくが、これはこちらの自助努力の問題ではない。
そういう根拠なしのレッテル張りをするから、君はお子チャマ君な訳。
422 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:41:21 ID:7JUjXQzv
『これまで全く「具体例の提示」がなされていません』
状態で、他人を罵倒する姿勢が
>根拠無しに他人の意見を否定
だとの結論になっております
きちんと示しましたので、あとはID:mvCvtCyBの反論なり謝罪が出てくることでしょう
423 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:42:57 ID:mvCvtCyB
>>419 痛い所を突かれ、尻尾を巻いて逃げ出すか・・・
ま、所詮はこの程度だよ、君はwww
>>420 >これまで全く「具体例の提示」がなされていませんから、誰も納得しておりません
無知蒙昧で何を意見しても笑止千万。
無知な人間が己の無知を棚に上げ、自分で確認すべき事柄まで他人に押し付けてくる幼稚さは哀れというしかない。
424 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:43:38 ID:7JUjXQzv
ちなみに、言い出しっぺによる「具体例の提示」がなされていれば、具体例に基づいた
まともな反論も出てくることでしょう
他力本願はみっともないので、念のため
425 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:46:34 ID:7JUjXQzv
具体例を出せない理由は、ID:mvCvtCyBの「無知蒙昧」によるものだと認めるわけですね
それなら、みなさん納得しますよ
そうでないと言うのなら、自分で確認すべき事柄ぐらいは自分で調べましょう
出来れば、の話ですが
426 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:48:25 ID:mvCvtCyB
>>422 >『これまで全く「具体例の提示」がなされていません』状態で、他人を罵倒する姿勢が
>根拠無しに他人の意見を否定だとの結論になっております
意味不明。
日本語として意味を為していない乱文で、己の論拠の無さを誤魔化そうとしてもミエミエだ。
恥の上塗りだよ、お子チャマ君。
427 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:48:43 ID:bnCi/GG/
この人は言ってる事が全て自分に当てはまってると
気付かないのかしら?
本能寺スレでの「朝廷陰謀説」の論拠も
出さず逃げ出したままなのに…
428 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 20:54:53 ID:mvCvtCyB
>>427 >本能寺スレでの「朝廷陰謀説」の論拠も出さず逃げ出したままなのに…
今度は事実を歪曲するでっち上げの嘘か・・・
ちゃんと読めよ。
堺屋小説の件は君のハッタリだというのはミエミエだぞ。
上っ面な知識も無いのに、著名な作家の作品をケナすなよ。
精神的幼児性が垣間見える。
>>425 己の無知を棚に上げ、自己責任問題を他人に押し付けないでもらいたい。
駄文を書き込む暇があるなら、ネット検索でもして調べてみたら?
落ち着けよ。論点ズレまくってんやん。
430 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 21:04:09 ID:mvCvtCyB
>>429 ID:7JUjXQzv&ID:bnCi/GG/に諭してもらいたい
431 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 21:12:26 ID:bnCi/GG/
論点は
>>378の論拠があるのかどうかその一点に尽きる
432 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 21:24:22 ID:DPO+XD2M
ID:mvCvtCyBに聞きたいのはさ
逆に俺が、「秀長は秀吉の戦功全てを己のモノとしていた」と発言して
君が知らなかったとする。賢い君は必死に調べ上げたとする
それでも、その事実を見出せなかったとして、質問を俺にする
すると、俺は君に対してこう言い放った
「初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
このレベルは、他人に尋ねるのではなく自分で確認すべき問題。
今時の小学生でもできる事だがな。」
この場合は俺の「秀長は秀吉の戦功全てを己のモノとしていた」という発言は認めてくれるの?
松永久秀と内藤宗勝の関係に似ている。
434 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 21:48:41 ID:mvCvtCyB
>>432 「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外したのは何故か?
故意にこちらの趣旨を歪曲しようとしたのでは?
姑息なマネはやめてもらいたい。
>その事実を見出せなかった
有り得ない。ちゃんと史実を把握すれば、こちらの主張を否定できるわけが無い。
435 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 21:51:39 ID:DPO+XD2M
>>434 いや、だから、俺が例えば
「秀吉自身が己の戦功を弟に提供していたといったほうが正確だが」
と付け加えたとしてさ
俺が、その理由を一向に話そうとしなくても
君は、この俺の意見を認めてくれるのか?って聞いてんだよ
どうなの?
436 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:04:15 ID:mvCvtCyB
>>435 >秀吉自身が己の戦功を弟に提供していたといったほうが正確だが
秀吉は主君で、秀長はその家来。
手柄をたてなければならないのは家来であり、主君が家来に自らの手柄を提供する必要は無い。
主君は家来の手柄を評価し、恩賞を与える立場。
例えがナンセンス。
小学生でさえ、こんな意見は認めてはくれない。
437 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:09:34 ID:0zvXpHqt
>>243 23ではないが
>「降伏後に暗殺された例は結構ある
伊予の例だが、河野通直が、秀吉によってl降伏後に暗殺ではないが、処断されたとおぼしき節があり、
西園寺公広も戸田某に暗殺されたのでなかったか、と。
これは、瀬戸内の海運を重視した秀吉が、毛利を服従せしめた以上、伊予に秀吉の息のかかっていない
土着の大名が存在することを許容できなかった豊臣政権が四国征伐で降伏した河野氏、西園寺氏を暗殺という手段で排除することで、
秀吉系の大名領にすることを狙ったといえなくはない。同様に、豊後水道の一方に、島津の勢力がいることを良しとしなかった、豊臣政権が、単独講和した家久の存在が事後に疎ましくなり暗殺という手段で消し去った可能性が全くないわけではないだろう。
438 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:15:55 ID:bnCi/GG/
せっかく奇矯屋が論点がズレてると忠告してくれたのになw
結局自説の論拠は提示しないのか?わざと?
439 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:25:32 ID:1/PUKq4X
初レスで申し訳ないが見るに見かねて言っておきます。
その人、いつもそんな感じの荒らしだよ。
論拠はいつも出さず自分以外の者は全て否定しています。
完全スルーをお勧めします。
スレの流れを見ると支離滅裂でもう充分でしょう。
440 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:27:08 ID:mvCvtCyB
>>438 >論点がズレてる
>自説の論拠は提示しないのか?わざと?
まさに君の事じゃないのか?
具体例として下記の貴殿の意見参照。
>あんた本能寺スレでも無知さらけ出して逃げ出したくせに懲りないなw
>「小説家はきちんと歴史考証してるから云々」
441 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:28:10 ID:bnCi/GG/
442 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:34:12 ID:bnCi/GG/
443 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:34:16 ID:mvCvtCyB
>>439 >その人、いつもそんな感じの荒らしだよ
>スレの流れを見ると支離滅裂
物事の本質も見えない愚か者らしい。
>論拠はいつも出さず自分以外の者は全て否定
では、君が支持する連中は、何か一つでも論拠を出したのか?
こちらを一方的に否定しておきながら、もう一方は無条件で庇い立てする情実ぶりは幼稚だな。
低能すぎる。
444 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:34:38 ID:DPO+XD2M
>>436 え〜と、君の言い分を適用するとね
秀長は家来で、秀吉はその主君。
恩賞を与えなければならないのは主君であり、家来が主君に自らの手柄を提供する必要は無い。
家来は主君に手柄を評価され、恩賞を与えられる立場。
こう当てはまるんだけどさ、君の考えだけが一方的に適用されるわけではなさそうだよね
主従お互いの立場で、相手に自らの手柄を与える必要はなさそうだけど、どうかな?
445 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:39:48 ID:DPO+XD2M
>>439 だよね
俺も、このID:mvCvtCyBが実は三好厨なんじゃないかと思えてきた
一向に根拠を示さないもん
なのに、同じ主張ばかり繰り返して
根拠もないのに、結論だけありきでさ・・
446 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:46:23 ID:mvCvtCyB
>>442 >秀長の評価は秀吉あってのものだと思うんだ
>世間一般が概ね認識している事柄
私見は私見。
世間の共通認識とは別個のモノ。
現に「思う」と延べ、私見であると明示しているではないか。
秀長無くして秀吉の天下取りは有り得なかったのは否定できまい。
秀長は自らの戦功を兄秀吉と同化させたが、秀吉はそうではない。
447 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:53:41 ID:mvCvtCyB
>>444 >家来が主君に自らの手柄を提供する必要は無い
>こう当てはまるんだけどさ
>主従お互いの立場で、相手に自らの手柄を与える必要はなさそうだけど
頭大丈夫か?意味不明。
>君の考えだけが一方的に適用されるわけではなさそうだよね
君の考えこそ世間の誰にも理解不能だよwww
君が支持している連中は知らんがwww
448 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 22:57:50 ID:mvCvtCyB
>>445 >一向に根拠を示さないもん
>根拠もないのに、結論だけありきでさ
無知な人間に手とリ足とリレクチャーする義務はない。
初歩的な知識くらい頭に入れて反論しろって話だ。
君も同類なら基礎的な知識くらい頭に入れたらどうだ。
そんな事まで他人に依存するお子チャマ君は、甘ったれと言われても仕方あるまい。
449 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:03:57 ID:DPO+XD2M
>>447 結局さ、君の言ってることも同じってことだよ
君は主人が自分の手柄を家来にやる必要ないと言い
俺は家来が自分の手柄を主人にやる必要ないと言い
そこには鎌倉以来続く武士の御恩奉公の関係があるんだからさ
どっちも手柄を相手にやる必要ないと言えば当然っちゃ当然だよね
でも問題はさ
君が
>>378で >秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
この発言をしたことから始まってるんだから
発言者の君自身が、その根拠を示さずに誰が示すの?
450 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:14:04 ID:mvCvtCyB
>>449 >家来が自分の手柄を主人にやる必要ない
なら、その主君に仕えずに自立しろって話になる。
君にも分かるように易しい例えを挙げてあげよう。
今日、サラリーマンが自分の手柄を会社に帰属させないことが可能か?
無理だ。
そうしたければ、独立して自ら起業しろって話になる。
本質は全く同じ。
>君が
>>378で >秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
この発言をしたことから始まってるんだから
>>434でも述べたが、最度繰り返す。
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外したのは何故か?
故意にこちらの趣旨を歪曲しようとしたのでは?
姑息なマネはやめてもらいたい。
451 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:15:19 ID:bnCi/GG/
>>376が「思う」と付け加えたからって一般認識であるという点に変わりはない
>>378の自説の論拠は無しでいいのかな?
452 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:16:45 ID:DPO+XD2M
>>448 >無知な人間に手とリ足とリレクチャーする義務はない。
>初歩的な知識くらい頭に入れて反論しろって話だ。
初歩的な知識を手取り足取りレクチャーしてもらいたいと思ってないけどさ
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
この発言は、初歩的な知識のない人へのレクチャーじゃなくて
具体的な戦功を挙げることは知識のない人へのレクチャーになる
この違いが未だに分からないんだよ
見解と具体的な根拠。これは普通一くくりで説明するものだよね?
453 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:20:03 ID:mvCvtCyB
>>451 >「思う」と付け加えたからって一般認識であるという点に変わりはない
「思う」=「一般認識」ではない。
小学生でも分かる論理だが・・・
おいおいって感じだ。
>自説の論拠は無しでいいのかな?
繰り返す。
無知な人間に手とリ足とリレクチャーする義務はない。
初歩的な知識くらい頭に入れて反論しろって話だ。
そんな事まで他人に依存するお子チャマ君は、甘ったれと言われても仕方あるまい。
454 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:26:09 ID:mvCvtCyB
>>452 >初歩的な知識を手取り足取りレクチャーしてもらいたいと思ってないけどさ
なら初歩的な事を尋ねるなって話だ。
>この発言は、初歩的な知識のない人へのレクチャーじゃなくて
具体的な戦功を挙げることは知識のない人へのレクチャーになる
この違いが未だに分からないんだよ
君の主張こそ何を言わんとしているのか意味不明なんだが。
小学生でも、こんな訳の分からない日本語使わないぞ。
基本的な日本語構築能力さえ無いんだから論外だ。
455 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:27:59 ID:DPO+XD2M
>>450 >今日、サラリーマンが自分の手柄を会社に帰属させないことが可能か?
社員の成績が企業の業績として帰属されるのは分かるんだって
でも君の言ってるのは、社員の個人成績を社長の個人成績として譲渡するってことだろ?
営業社員Aの取った契約を複数件、社長が自分の取った契約にカウントした
それが君の言う
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
これだろ?
話を誤魔化しちゃいけないよ。どうせ、みんな分かってるんだからさ
456 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:39:11 ID:mvCvtCyB
>>455 >君の言ってるのは、社員の個人成績を社長の個人成績として譲渡するってことだろ?
営業社員Aの取った契約を複数件、社長が自分の取った契約にカウントした
会社の業績=社長の手腕・能力に他ならない。
よって成果を挙げた社員には、報酬や昇進の形で称される。
羽柴家(豊臣家)の当主は秀吉、よって秀長の戦功は全て秀吉のモノとされた。
秀長は、信長在世時の秀吉のように、自らの手柄・戦功を誇示したりはしていない。
457 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:45:21 ID:DPO+XD2M
>>454 何か君と話してるとこちらが手取り足取りレクチャーしてる気分になってきたよw
@主張=A(根拠+具体例+証拠理由など)
この@主張に当たる部分が
>>378の>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
だろ?
で、Aのその(根拠+具体例+証拠理由など)は?って聞かれてるんだから
そこで突然、Aを説明するのは初歩的な知識もない人へのレクチャーになる
と言うのはおかしいでしょ? ってことだけじゃん
当然@を言うからには、その根拠、具体例等があって初めて成立するんだからさ。
そのAを示せないんなら、
それは先に結論だけありきで、中身がないって言われても反論できないでしょ?
458 :
名無しの権瓶:2008/04/29(火) 23:48:32 ID:rcgD8WoJ
どんな家臣でも、秀長ほどの評価であれば充分高いと思う。
秀吉も充分、評価していたし、秀吉の配下である以上、それで充分だったのでは。
逆に秀吉よりも目立ちたがる武将であれば、ライバルだし。
頼朝、義経のような悲劇を生んでいたかもしれない。
459 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:51:45 ID:mvCvtCyB
<<457
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから
繰り返す。
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外したのは何故か?
故意にこちらの趣旨を歪曲しようとしたのでは?
姑息なマネはやめてもらいたい。
>初歩的な知識もない人へのレクチャーになると言うのはおかしいでしょ?
そんな事は全く述べていない。
それは君の日本語構築能力の未熟さによる、あくまで君の私見。
>根拠、具体例等があって初めて成立するんだからさ。
そのAを示せないんなら、
それは先に結論だけありきで、中身がないって言われても反論できないでしょ?
君に反論するだけの知識自体がないのだから、反論できないのは当たり前。
460 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 23:57:51 ID:bnCi/GG/
>>453 >>376が「思う」と付け加えたとて発言内容そのものは一般認識に沿ってるだろ
枝葉末節に話を逸らすのはやめて
>>378の論拠を提示してくれないかな
せめてID変わる前にさ
461 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:01:00 ID:aKI5Uhog
しかしこの板で佐伯さんに遭遇するとは思わなかったw
エロゲーだけやっとけよ
462 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:02:01 ID:LT5dstow
>>460 >「思う」と付け加えたとて発言内容そのものは一般認識に沿ってるだろ
沿ってない。小学生でも分かる論理だ。
一般認識に沿ってるとの主張は、あくまで君の個人的見解にすぎない。
>
>>378の論拠を提示してくれないかな
繰り返す。
無知な人間に手とリ足とリレクチャーする義務はない。
初歩的な知識くらい頭に入れて反論しろって話だ。
そんな事まで他人に依存するお子チャマ君は、甘ったれと言われても仕方あるまい。
463 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:02:04 ID:0YAkChcK
>>456 >会社の業績=社長の手腕・能力に他ならない。
>よって成果を挙げた社員には、報酬や昇進の形で称される。
あのね、例え挙げるから考えてね
去年、ヤクルトスワローズで古田敦也が選手兼監督してたよね?
上記の君の言ってる企業における社長の成績とは
古田が各選手を指示し、采配を奮ってチームを優勝させた場合に適応されるのね
でも君のいう『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
という主張はこのケースと同一じゃないでしょ?
君のいう『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』は
古田敦也がヤクルトの一選手として、
青木やラミレスの打ったホームランのうち、数本を自分の成績にした。
っていう意味合いで語ってるの。それを君は指摘されてるんだよ。理解できた?
だから監督としての秀吉じゃなくて、選手としての秀吉が、秀長から奪った戦功を具体的に提示して
464 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:11:24 ID:LT5dstow
>>463 >君のいう『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』という主張
何度でも繰り返す。
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外したのは何故か?
故意にこちらの趣旨を歪曲しようとしたのでは?
姑息なマネはやめてもらいたい。
>古田敦也がヤクルトの一選手として、青木やラミレスの打ったホームランのうち、数本を自分の成績にした。
っていう意味合いで語ってるの
例えがナンセンス。
そんな趣旨の所見など述べていない。
繰り返すが、秀長は、信長在世時の秀吉のように、自らの手柄・戦功を誇示したりはしていない。
これこそが、
「秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の趣旨だ。
肝心の箇所を故意に削除して、こちらの意図を歪曲する姑息さは、悪いが通用しない。
ちなみに。
>>458の
>逆に秀吉よりも目立ちたがる武将であれば、ライバルだし。
頼朝、義経のような悲劇を生んでいたかもしれない
も参照してもらいたい。
己の才知を誇る黒田孝高が、側近から遠ざけられた史実も知らないのか?
465 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:15:49 ID:0YAkChcK
>>459 分かったよw瑣末なことにしつこいな〜
じゃ、君のいう
秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だけど
それにより秀吉が秀長の戦功全てを己のモノとしていた具体的なその戦功をご提示戴けるかな?
> 君に反論するだけの知識自体がないのだから、反論できないのは当たり前。
だから、みんなその反論をできるかどうか知りたいから、その具体的な戦功を教えてと言ってるんだよw
その具体例提示の後で反論できないんなら知識がないと言う君の意見は正しかったことになるからさ
466 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:17:05 ID:aKI5Uhog
「秀吉あっての秀長」が一般認識ではない?
佐伯さん苦し紛れでもそれは無理があるよw
467 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:21:23 ID:LT5dstow
>>465 >具体的なその戦功をご提示戴けるかな
>具体的な戦功を教えて
そんな事さえ知らないとは呆れ果てる。
自分で関連する文献でも読んで確認したらどうだ。
ネットでも簡単に検索できるだろうに。
何でもかんでも他人に頼ろうとする見苦しさを少しは恥じたらどうだ?
468 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:26:43 ID:IW7v11d1
質問なんですが、秀長の生年は確定してるんですか?
469 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:27:01 ID:LT5dstow
>>466 >「秀吉あっての秀長」が一般認識ではない?
分かった。
「秀吉あっての秀長」であり「秀長あっての秀吉」としよう。
羽柴家(豊臣家)はこの兄弟の二人三脚で成長した組織なのだから。
だが、天正十九年早々世を去ったのが秀長ではなく秀吉だったら、
史実のように豊臣家が斜陽したか疑問の余地がある。
470 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:40:18 ID:0YAkChcK
>>467 頼んでもいない無関係なご高説は散々してくれるのに
本質となるべき具体例提示の件になると、自分で調べろってなるわけ〜w?
だから言ったじゃん
秀長は秀吉の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
と、俺が言ったとしたら
それも君は納得するんだね?
納得しないんなら、自分で関連する文献やネットで調べろ
この返答でおkなんだね?
471 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 01:04:42 ID:aKI5Uhog
>>469 そこがわかったんならもういい
そこから先はif話だから結論は出ないしな
推論を積み重ねる話し合いの場では
あまり自説に拘らない方が有益な時間を過ごせると思う
では、また
次回は煽り合いなく話せたらいいな
472 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 01:20:39 ID:0YAkChcK
結局、
具体的根拠もないのに偉そうに結論だけ主張するな
説明を訊かれても答えられないなら
言い訳せずに素直に自身の非を認める賢さを身につけろ
ってことだな
>ID:LT5dstowは今回いい勉強になったな
素直に感謝の言葉を述べても罰は当たらないと思うぞ
473 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 08:25:13 ID:2zd+GYpM
やはりコイツ(ID:LT5dstow)の出現で予想通りの不毛な展開だったね。
>>471 >次回は煽り合いなく話せたらいいな
それは無理だよ。
コイツから煽り文句奪ったらレスできません・・・それはいい方法だ!
>>472 >素直に感謝の言葉を述べても罰は当たらないと思うぞ
感謝の言葉ならいいが返ってくる言葉は必ず毒電波の自慰行為!
ID:LT5dstow
とりあえずオマエは人間としての礼節を学べ!
474 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 10:50:11 ID:8+kMxta+
礼節というか、ひっこみがつかなくなった時の切り替え方を学ぶべきだな。
あと簡単にボロが出る書き込みをする前に、一応推敲してから送信すること。
475 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 18:03:22 ID:eG2P9cW+
急に伸びてると思ったら粘着を構ってたのか
スレタイに羽柴入れて次スレ立てたいからもっとやってくれ
全然関係ないがセンゴクの小一郎とへうげものの秀長どっちが好き?
どっちも良い味のキャラクターになってるね
476 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 23:48:29 ID:Iz4eF+3Z
>>470 >秀長は秀吉の戦功全てを己のモノとしていたんだから。と、俺が言ったとしたら
それも君は納得するんだね?
納得する。君が低能だということをだ。
低能でなければ、こんな意見は出てこない。
加えて、
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外して、こちらの真意を敢えて歪曲する姑息さは小者と言うしかない。
>自分で関連する文献やネットで調べろ
君がやる事だろ。お門違いだ。
>>472 >具体的根拠もないのに偉そうに結論だけ主張するな
説明を訊かれても答えられないなら言い訳せずに素直に自身の非を認める賢さを身につけろ
君自身が書き込んだ一文を返答とする。
「自分で関連する文献やネットで調べろ」
>>ID:LT5dstowは今回いい勉強になったな
無知で、ネット検索すらやる気の無い怠惰な君には、「勉強」という言葉は一生無縁だwww
ところで、何が勉強になったのか意味不明。
愚か者は、必ずピントのボケた主張をする。
>素直に感謝の言葉を述べても罰は当たらないと思うぞ
何に感謝せなならんのか意味不明。
どうにも頭が不自由らしいwww
>>473 自演か?
でなければ、どこにでも転がってる愚か者の一人か・・・
無条件で、論旨不明、論点ハズレの書き込みを連発している輩の肩を持つ愚行は,低能丸出しだwww
477 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 00:00:46 ID:A9XceT1H
『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
という名文(迷文w?)と、共に無知を曝け出し
歴史的根拠の説明を一切答えられないままに逃亡した
ID:mvCvtCyB=ID:LT5dstow=ID:Iz4eF+3Z が
只今、発狂中につき
このスレへの書き込みは禁止と致します。
スレ利用者、閲覧者の皆さんには大変、ご迷惑をおかけ致します。
478 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 00:04:42 ID:DeiYTzmH
479 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 00:05:17 ID:ufQl6196
>>477 >『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』という名文(迷文w?)
繰り返す。
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外して、こちらの真意を敢えて歪曲する姑息さは小者と言うしかない。
>無知を曝け出し歴史的根拠の説明を一切答えられないままに逃亡した
誰かさんが書き込んだ一文を返答とする。「自分で関連する文献やネットで調べろ」
480 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 00:09:05 ID:ufQl6196
>>478 >本能寺の方にも帰ってきましたよw
だから?
文句があるなら、書き込んだ論旨に対してやったらどうだ?
書き込んだ行為にいちゃもんつけても、己の愚かさ幼稚さを晒してるだけw
君には誰かさんが書き込んだ一文を送ろう。
「コイツから煽り文句奪ったらレスできません」
481 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 00:24:00 ID:A9XceT1H
>>480 >文句があるなら、書き込んだ論旨に対してやったらどうだ?
あの・・
だから再三に渡り、このスレでは
『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
この戦功についての具体的な説明を求めてるんですけど・・
一向に説明戴けないのが、あなたなのであって
他のスレでも似たようなことをされて叩かれていらっしゃるんなら
どーぞ、そのスレの質問くらいは、せめて答えてやって下さい
勿論、こちらのスレの質問にも
具体的な回答をして戴けるなら、それに越したことはないのですが・・
482 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 00:36:14 ID:ufQl6196
>>481 >『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
だから再三に渡り、
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外して、こちらの真意を敢えて歪曲する姑息さは小者と言うしかない。
>他のスレでも似たようなことをされて叩かれていらっしゃる
どこで?
明示してもらいたい。
>どーぞ、そのスレの質問くらいは、せめて答えてやって下さい
誰かさんが書き込んだ一文を返答とする。「自分で関連する文献やネットで調べろ」
483 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 00:45:59 ID:A9XceT1H
>>480で
>文句があるなら、書き込んだ論旨に対してやったらどうだ?
と仰ってるのはアナタ自身で
その言葉通りに真に受けて私は
『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
このスレでアナタが語られた↑の論旨について訊ねようとしているだけで・・
なのに >「自分で関連する文献やネットで調べろ」
こんな問答、他に聞いたことありませんw
もう支離滅裂、論理破綻の極みとしか・・w
484 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 00:57:56 ID:ufQl6196
>>483 >『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
このスレでアナタが語られた↑の論旨について訊ねようとしているだけで・・
直後に続く
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外する姑息さを少しは恥じたらどうだ?
この一文については尋ねないのか?
>「自分で関連する文献やネットで調べろ」
無知だから、根拠無くこちらを否定する。
だったら、さくっとネット検索でもしたらって助言してるだけ。
知識がある上で反論されるのは肯定できるが、
基本的知識がない輩が、自助努力までこちらにまる投げしても、それに応じるほどお目出度くは無い。
485 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 01:09:22 ID:DeiYTzmH
>>483 もう相手にしなさんな。
完全スルーがスレのため。
486 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 01:19:29 ID:ufQl6196
>>485 だったら最初に、無知にも関わらず人の意見を否定するなって話だ。低能クン。
全てはそこから始まった。
結局ちゃんとした知識を得れば、こちらを否定できなくなるだけ。
それを分かった上での逃げ口上か・・・
相手にならない未熟者の分際で、こちらを反論する愚かさを恥じろ。
487 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 16:39:07 ID:hNrzq9eD
>>327 俺は「銘酒 大和大なんご」とかのほうが良いなあ
大納言の誤植と思う人がたくさんいるんだろうなw
488 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 23:46:58 ID:lCBoA/+6
わしゃーかんぱく
おみゃだいなんご
と書くとほのぼの兄弟っぽい
489 :
人間七七四年:2008/05/03(土) 00:18:15 ID:DinopotY
秀吉に弟がいたらしい事は知っていても、大河ドラマの「秀吉」を見るまでは
自分の中では存在感薄かったっけ
490 :
人間七七四年:2008/05/04(日) 22:31:44 ID:LRmvn+TY
>>489 俺なんか本当につい最近まで知らなかった
織田家の家臣として12万石ももらってたってマジ?
兄貴から分譲されたのならともかく信長から12万石も与えられたってすごい気がする
織田の家中でもかなり上位の武将だったってこと?
12万石は領地じゃなくて、占領地の管理だろ。
492 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 11:15:22 ID:nY8aFgKw
家臣は皆そうだろ
493 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 11:33:22 ID:094UfJeG
占領地の管理という扱いで秀長による知行宛がいなどの発給ができるもんなのか。
494 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 16:48:40 ID:nY8aFgKw
495 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 17:16:22 ID:2nUFvqbT
496 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 21:28:56 ID:LSmkvAaN
>>495 但馬一国で12万石だと何かで読んだんだけど
違ったかな
ところで根白坂の戦いって武辺咄聞書っていうのを見ると
秀長はさっぱり活躍してないどころか
藤堂高虎や黒田・小早川が独断で兵を出して勝利したように見えるんだけどどうなの?
497 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 09:02:54 ID:XhfbSJxc
美濃守もらったのも織田家時代だよね
498 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 13:52:59 ID:YOst38vi
>>497 美濃守は織田家とはいえ信長死後じゃなかった?
山崎の戦いの後もらったんじゃなかったっけ
499 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 14:20:18 ID:GgYs/HtR
>>496 wikiにも
>但馬7郡10万5000石を治める大名となる(これは秀吉の領主代役ではなく、秀長個人の戦功である)。
とあるけど、信長公記とかでは信長から朱印状が出ているようには思えない。
wikiは、特に戦国武将のものなんて歴史家気取りの妄想の垂れ流しばかり。
501 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 15:42:39 ID:73Hlf2BQ
蜂須賀や前野という与力連と同じく知行宛がいは秀吉からされてるということなんだろうが
秀吉の配下の中では大身だから信長直臣与力格となっているのではという推察も十分首肯できるけど。
503 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 20:38:07 ID:h0WvKmFm
陪臣で10万石超ってのはよくある事例なの?
504 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 20:47:03 ID:5SCiHWzD
但馬一国小国なれど、秀長の武功は大したものじゃ。
と信長が言いそうじゃね?
信長なら「わしの兵卒と金を使って、この程度の事しか出来んのか!」って言う
506 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 21:37:23 ID:2Znxg32h
507 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 23:43:07 ID:tQ7wtOyh
>>506 なるほど
じゃあ直臣・陪臣どっちも可能性があるんだね
俺の中では信長は
陪臣だったら
>>504 直臣だったら
>>505 って言いそうなイメージだよ
508 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 00:45:54 ID:7OaJxVg3
>>504 但馬征伐は
金はともかく兵卒は少なかったはず
509 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 01:10:37 ID:1IPa6Kjm
但馬攻略は四千くらいの兵で平定したんだっけ?
510 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 01:31:12 ID:1IPa6Kjm
信長時代の大名クラス
前田利家
佐々成政
佐久間盛政
柴田勝家
金森長近
織田信忠
森長可
滝川一益
川尻秀隆
木曾義昌
織田信雄
明智光秀
朽木元綱
細川藤孝
池田恒興
筒井順慶
羽柴秀吉
亀井滋?
羽柴秀長
511 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 01:45:41 ID:1IPa6Kjm
但馬は元々の秀吉軍三千と、秀長の所領南但馬竹田城千の兵、合計四千で攻略した
512 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 13:41:11 ID:7q23fkNj
秀吉軍、山陽方面忙しく、山陰の但馬には、人数僅かした回せないのでは?
513 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 01:13:04 ID:I61N24a7
但馬攻略は半年かかったが、大体は秀長を慕って城を開城したんだと。
514 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 02:02:20 ID:I61N24a7
信長時代の大名クラス
前田利家・佐々成政・不破光治(三人で府中)
佐久間盛政 (加賀)
柴田勝家 (越前)
金森長近 (越前大野)
織田信忠 (美濃)
森長可 (信濃)
滝川一益 (上野・信濃)
川尻秀隆 (甲斐)
木曾義昌 (木曾郡/安曇・筑摩)
織田信雄 (伊勢)
明智光秀 (南南近江・丹波)
細川藤孝 (山城の一部・丹後)
池田恒興 (摂津)
筒井順慶 (大和)
羽柴秀吉 (北近江・播州方面)
羽柴秀長 (但馬7郡)10万5千石だそうです。
515 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 06:43:14 ID:HCIOLzem
荒木・高山・中川の三人衆は?
稲葉・安藤・氏家の三人衆も
村井・九鬼・丹羽長秀も気になる
516 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 13:00:10 ID:WSVI1T3I
秀保じゃなくて藤堂高吉をそのまま跡継ぎにしてたら
豊臣政権が滅びても、大和豊臣家は江戸まで存続した可能性があるよな
少なくとも当主の寿命はかなりあるわけだしw
横槍を入れられたらそれまでだけど
517 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 14:25:04 ID:gK4SLjSd
荒木は裏切ったからその後らへんじゃね?
518 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 02:38:00 ID:ItopbrAw
淡河定範に牝馬の計で負けてなかったか?>秀長
519 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 16:00:42 ID:KN8rNYM5
520 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 17:19:22 ID:8j1gvnxZ
>
>>11 >火牛の計はかなり胡散臭いけど淡河城を攻めあぐねてたのは事実だろう
>自分も一次資料が何かは知らないけど、
>とりあえず「神戸市淡河町の歴史」「三木史談」なんかを読んでみたら?
>淡河城で淡河定範に逆撃くらったのは事実ではあるが
>ああいう小規模戦の敗北なんて信長家康とかだってざらにあるわけだから
>評価は下がらんよ。
521 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 21:29:10 ID:50Ffewvx
別に評価は下がらなくても、スレタイが誇張表現であることは事実なようだ
522 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 10:01:35 ID:Y2I3jo9I
>>522 こだわってるのは無敗って事にしたい人達だろ。
524 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 15:43:53 ID:RQMAyaHx
嵐の予感
↑無駄に荒らしたい馬鹿
526 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 18:43:27 ID:Dm1ciiLX
俺もこのスレタイは嫌だ
もっと萌えるスレタイはないか
527 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 13:00:28 ID:IsJcNx4j
今、『乱』戦国漫画雑誌で淡河定範と秀長の作品が掲載されてるな
528 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 21:31:47 ID:wZ2YAdsg
サカイヤ太一のヒデナガはフィクション多いよね
530 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 00:01:23 ID:h6Bi0Tpm
某犯罪半島の工作員??
531 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 03:51:07 ID:m3r41plk
>>528 歴史物でノンフィクションなんて物理的に不可能だからな
532 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 22:16:53 ID:hBvTgipH
歴史群像読んだ?
まあまあ面白かった
金融家・秀長か〜
533 :
人間七七四年:2008/08/13(水) 07:05:55 ID:iFwbgy2U
凄い銭ゲバ・守銭奴のイメージしかないな。
534 :
人間七七四年:2008/08/13(水) 14:34:45 ID:uVuiifRj
どこのキムチ???
535 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 22:37:18 ID:te0jXq2P
秀長の財産は増田長盛のもとに渡り関ヶ原のあと没収された。
秀長の役割は兄の名代でもあると同時に裏社会ネットワークの総元締め的な感じだったんだと思うんよ。
ホントは実弟なのに竹「阿弥」の子供ってことにしてるし、資料少ねえし、
千利休と仲良かったり、藤堂高虎みたいな出自が超胡散臭いのが配下にいるってだけで…
小渕が秀吉、野中が秀長、古賀まこっちゃんが藤堂ってわけよ。ガハハ。
536 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 23:04:48 ID:+ofReQw2
これはなんかコメントするべきなの?
538 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 15:50:22 ID:GmHxhd6v
539 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 18:59:13 ID:ZMoPGQrJ
でも秀長の銭ゲバはマシな方だよ。
俺が大好きな石田三成は、米の売買でも相当印象悪いし…
540 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 21:27:52 ID:mOZDhLLv
【無敗対決】
羽柴秀長 対 吉川元春
ああ、嫌味抜きで局地戦の雄は忘れちゃいかんね。
542 :
いのっぷ ◆EW4r9yZWwk :2008/10/29(水) 02:46:07 ID:+2YaKa5J BE:984020696-2BP(171)
少数逆転も難儀なものだが大軍を統率するというのも卓抜した能力が必要となるものだよ
543 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 07:38:03 ID:7uHGwJ8B
人望なくして一軍の将をこなせない
544 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 12:51:51 ID:qmXqLqFZ
>>514 あれ?利家って信長時代に能登21万石貰ってたよな
545 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 05:21:28 ID:eeqeC1JL
信長が死ぬ前年に利家はようやく一国。
546 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 06:29:03 ID:54oBnNac
秀長が朝鮮で指揮を取ったらかなり有利な講和条件を引き出せたかもな
547 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 06:53:37 ID:54oBnNac
小牧長久手の時、秀長は何してたんだ?秀次じゃなくて秀長が軍を率いていればよかったんじゃね?
548 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 09:09:27 ID:auOdLMuj
>>547 大阪を裏手から脅かす紀伊・大和の雑賀軍を殲滅していました。
後から名前だけ聞くと秀長投入はもったいなさすぎるような相手ですが、
当時の状況では羽柴政権にとって「戦力×地理的条件=」で言うと
まちがいなく家康&織田連合に次ぐ敵。
秀吉が家康に当たるなら雑賀には秀長投入以外に方法はない。
対家康戦は、本来もっと早く秀吉が戦線に到達して諸将をまとめていなければならず、
その役目はこの時点の秀長では代行できなかった。
秀吉が早く動けない政情があった、もしくは家康が作らせたことが最大の勝因と見ていい。
いずれにせよ秀長を雑賀戦から引き剥がして家康戦先鋒に投入は
そのマスから外れれば王手がかかる場面で「この飛車をこの筋に動かせていれば勝ちだった」
というような都合のいい結果論に過ぎない。
549 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 17:10:58 ID:hhmlm4Q6
>>548 紀伊は藤堂高虎を軍目付にし、秀次にやらせればよかったんじゃないの?
秀吉に言え
551 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 19:20:56 ID:auOdLMuj
>>549 ムリ。
家康より弱いといっても、京大阪に近い戦場で絶対に勝たなきゃならない相手。
そして、こいつらに絶対に勝てる大将は、羽柴家には秀吉か秀長しかいない。
このときの紀伊大和はそういう相手。
秀吉は、どうあっても自分以外で「最強の身内の指揮官」をここに投入して勝たなければならなかった。
藤堂高虎がこの時点より30年後、政治軍事両面で内外に認められ、成長して
32万石の大大名として兵力1万を自由に動かせる立場で副将として補佐するのなら
(大坂の陣前後で秀忠をフォローしまくった経験&能力+大坂の陣後の領地/兵力)
秀次でもなんとかなったかもしれないが、
この磁気の藤堂高虎はせいぜい一万石、三百人の兵士を扱うの一陪臣に過ぎない。
経験的にも格的にも秀次をフォローするなんてとてもムリ。
552 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 20:43:21 ID:zR/Zma3f
小牧長久手は家康の勝ちと言われるけど、名分上は秀吉対信雄なんだし、戦略的に大きく見た場合
大和紀伊を殲滅して信雄をうまくいなして無力化させた秀吉の勝ちだと思うんだけどな。
うるさい池田が死んだ局地戦には負けても、戦闘に負けて戦争に勝ったってところだろうよ。
事実その後の家康はじり貧で、いくら自分を高く売りつけるためにねばったとはいえ
秀吉に屈服するしかなくなってるし。家康が(寿命以外で)秀吉に勝つ唯一のチャンスだったんだが。
まあスレチなんだが。
両面作戦が必要なら、秀長は間違いなく2だという例だな。
554 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 23:35:15 ID:VrZOagX3
つまり当時の戦略的に見れば秀吉の勝ち。関ヶ原や江戸幕府につながる伏線と見れば家康の勝ち…
確かに秀長がいないと羽柴軍はつらいな。一族というより、一家に近いから人が不足するのは仕方がないところか
555 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 11:55:52 ID:QfmLpUlk
そもそもが遠路の三河攻めは池田たちの暴走を秀吉が抑えきれずに許可しようなものだからな。
成功した場合の池田らの功が大きくなりすぎないように、一応一族から秀次を出して混成軍にしたが
そもそもが作戦として杜撰なもの。まだこの頃の秀吉ではそこまで威令が効いていなかった。
秀吉でさえ遠慮して抑えきれなかった織田の旧重臣たちを、秀長がいたとしてもはたしてどうなって
いたか。
>>555 > そもそもが遠路の三河攻めは池田たちの暴走を秀吉が抑えきれずに許可しようなものだからな。
> 成功した場合の池田らの功が大きくなりすぎないように、一応一族から秀次を出して混成軍にしたが
> そもそもが作戦として杜撰なもの。まだこの頃の秀吉ではそこまで威令が効いていなかった。
それは秀吉が作戦の失敗を池田に押し付けただけの「太閤史観」
実際は秀吉の方がノリノリで企画立案している。
557 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:46:48 ID:Lu00n4Do
秀次が、ありえない場所で休憩してっからダメなんだろ。秀長なら、細かい配慮
が出来たはずだ。
558 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:11:34 ID:s3lgWDij
>>556 >それは秀吉が作戦の失敗を池田に押し付けただけの「太閤史観」
>実際は秀吉の方がノリノリで企画立案している。
それは家康とその周囲が作戦の失敗を秀吉に押し付けただけの「徳川史観」
実際はやはり秀次による諸将の統制ミス。
>>558 > それは家康とその周囲が作戦の失敗を秀吉に押し付けただけの「徳川史観」
…正気か?太閤記って、知ってる?w
560 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 01:47:22 ID:9jZIwU6U
秀次の失敗だろ。
池田を見殺しにして逃げて帰ってくるだけだったし。
せめて蜂須賀級の武将を軍目で付けておくべきだった。(秀次と同列以上のものね)
それを秀吉の失敗と言う
562 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 03:36:30 ID:pW9HuYWQ
諸将のイケイケ状態を押さられる程の優位性がまだなくて仕方なく+出せる一門が秀次しかいなかっただけだろ
秀吉「個人」の失敗というより、譜代・一門の不足という「家」の問題点でしかない
そんなに秀吉が完全無欠じゃ無いと困るのか。
564 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 05:53:13 ID:7+pU4kyp
秀長を完全無欠にしたいんだろ。
だから秀吉のミス=秀長をやっておけば家康勝利はなかった
ともっていきたい。
あれは秀長でも大局は変わらんだろ。生涯無敗というこのスレは生まれなかったかもしれないが。
565 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 02:53:40 ID:+JTB21yR
なんにしろ秀吉にとっては結果オーライだったんじゃね。
長秀没後の丹羽家を削りまくったみたいに、池田もそのうち改易するつもりだったと思うよ。
大きくなりすぎちゃった元同僚ってのは扱いにくい。というか、あの時の名文上の格は織田家宿老として同等だから。
清洲会議の時に柴田を出し向く方便とはいえ、丹羽と池田の影響力を大きくしすぎちゃったし。
その元興が死んだし大局に影響のない局地戦だったから結果オーライ。
秀次にハクつけるチャンスでもあったけど、まあ後継者として必要なのは政治的実績で武功だけじゃないし。
あと秀長が代わりにやったら、少なくとも池田みたいに無駄な城攻めして時間潰したりはしなかったと思う。
あと功にはやる森を抑えたりもできただろう。
ただそれで結果がどうなったかはわからないけど。
一応現場に名人Q太郎はいたんだけどね。
で、雪崩れ込んできた徳川軍の先鋒を叩き潰してさっさと撤退。そこいらへんの戦闘指揮はうまかった。
池田・森も一緒になって撤退してれば被害も抑えられたはずなのにね。
まあ堀は秀吉に近いからはなっから池田なんてほっとけって思ってたかな、なんて妄想してみる。
> 少なくとも池田みたいに無駄な城攻めして時間潰したり
それが「太閤記史観」なんだよ。
あの城攻めは無駄ではなく、徳川の防御網に引っかかった以上やら無ければ成らないものだった。
秀長であってもあのルートを使う限りは、ああせざるを得なかった。
池田も森も、秀長以上の戦場たたき上げだぜ?
567 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 08:05:40 ID:ptDFu7ZO
丹羽の書状等を基にしている新説も池田らの進軍上での暴走に関しては否定なものではない。
それにその新説そのものも書状解釈に重点を置きすぎてるゆえに必ずしも通説を覆すほどには
支持されてない。
568 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 00:03:54 ID:PBLM8EnV
日本人って、こういうトップに立たないけど重要な人物とか好きだよね。
ヨーロッパアメリカでは人気でないタイプ。
569 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 00:20:56 ID:qj+IPTw3
日本人が好きと言えるほど秀長に人気・知名度があるのか?
日本でもさほど人気はないな
571 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 00:53:17 ID:EhNnejZW
さっさとおっ死んだから亡国の忠臣ってわけでもないから日本式の人気は出ないな
572 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 06:44:26 ID:BRN2f/Pg
秀長が生きてたら秀頼が死ぬことはなかったろうなぁ
東海道を小大名に任せるのでなく秀長に与えても良かったと思うし
てゆーか、秀吉の失敗は家康の押さえとなるべき大老家が豊臣本拠の大坂より以西か以北にあったことだと思う
前田なら美濃尾張三河に移しても良かっただろ
573 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 17:47:11 ID:6vFUqtWf
さんざん酷使された秀長をあの家康より長生きさせるなんて、どんだけ鉄人になれば気が済むのかと
確かに秀長在命中は家康も手を出せなかったろうが、
それなら豊臣家のまとめ役として堀か蒲生が成長して長生きしたifの方が現実味ある。(二人ともまだ伸び白あるだろうし)
あるいは黒田か蜂須賀をどんどんひきたてて、倅をその位置につけるとか。(器量的には長政と家政はやれると思う)
やっぱり前田の犬っころじゃ無理だよ。
というか、関ヶ原の後豊臣家が意地張り続けなければ秀頼は高家として生き残ったと思うよ。
574 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 23:04:06 ID:xjSVz2BB
>>572 晩年はもう利家すら信用できなくなってたんだろう
利家に美濃尾張やったら家康よりも利家に天下取られると思ってたはず
家康と利家を対等にして両者拮抗で牽制させようとした
575 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 23:35:51 ID:AdkXy954
利家すら信用できないというより
利家が信用できる証拠なんて何もないというのが正しいだろ
一回柴田を裏切ってるしな。もう一回裏切らない保証なんて何処にもない。
577 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 09:44:38 ID:fjfUgy7W
>>564 あの老衰し石高も徳川の半分にも満たない利家でさえ、
生きている間は家康の抑止力になっていた。
なら必然的に秀長長命なら、家格・実力において利家を凌駕する秀長に、
家康は手も足も出ないってわけだ。
秀長がいれば、豊臣家は史実とはかけ離れた強大さを誇り、
豊臣恩顧の諸大名も秀長にはまったく頭が上がらず、
家康の付け入る隙はまったく無い。
579 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 19:24:55 ID:xEZ0nGun
まぁ家康が動けば秀長軍単独で充分な訳だ
580 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 22:54:07 ID:JLQwvsdz
動員数の差で叩き潰されるだけだが。>秀長単独
581 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 18:38:58 ID:xltDil/C
それを覆したのが小牧長久手じゃないか。
意味わかんね
583 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 15:49:54 ID:W1WkUVV1
山田有信には勝てなかったけどな>秀長w
584 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 21:20:48 ID:a0pWvVNW
四国征伐も九州征伐も秀長の才能で成功したなんていうのもどうかと思うけどね。
四国なんて同時に3方向から長宗我部より大軍が押し寄せてきたし
九州にいたっては島津は完全に疲れきっており豊臣軍が来る前に撤退してるし立花にボコられてる。
官兵守、隆景の調略で竜造寺他ほとんどの勢力が裏切るわでこんなもん秀長じゃなくたって誰でも勝てる。
牟田口クラスの無能でも無い限り負ける奴なんていないよ。
そもそもこの二つはあらかじめ勝てるようにお膳立てしてあった状態。
甲斐の武田と同じようなもん。
別に秀長が凄かったわけじゃない。
585 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 21:36:52 ID:VW/6YWQN
すぐ能力論にいくのが実に厨くさいな
つーか秀長の軍事能力に対しては、秀吉がたびたび不満を表明してるし。
それを「肉親だからそう言っただけで本当は信頼してるし凄いんだよ!」みたいな脳内変換で
軍事能力があったことにしているのは、それこそ変だろ。
587 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 21:46:43 ID:an2aaCMq
秀吉という太陽のごとき兄の威光があるからこその活躍だろうに。
588 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 21:56:32 ID:efxRWMMh
黒田や小早川の調略?竜造寺等の北部九州の諸勢力は黒田が秀吉の先方軍として北九州に
進出した毛利の監察として派遣された時期以前に秀吉によしみを通じていたはずだが?
589 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 22:42:45 ID:mySVIEjn
>>584 10万クラスの混合軍団を失敗せずに運営できる大将ならば、
その原動力が自分自身の能力値(笑)でなくて、
血筋や、総大将の威光、家内での格といった要素だけで成り立っていたとしても
ものすごいレアな存在。
ちなみに、家康には関ヶ原の直前までその力は備わっていなかった。
(秀長が易々と行って見せた「傘下大名に言う事を聞かせる」ことができていなかったのは
福島正則の件を見ても明らか。家康が大名に対して絶対的な威厳を持つようになったのは
関ヶ原の戦後処理が終わった数ヵ月後の頃。
さらに言えば、秀吉も小牧長久手の時代まではこの力を持っていなかった)
秀長の能力はともかくとして、彼の「存在」そのものが四国・九州平定の成功要因であり、
そして、もし関ヶ原の時代まで生き延びていれば、このときの「実績」が
あらたな「味方集め」の種になる。
混乱期においては、過去の実績は人々の判断に大きく物を言う。
家康の味方を増やしたのは、過去の実績という財産だが、
秀長が生きて入れば、それに匹敵する実績となる。
西日本諸将に対してはまちがいなく家康以上のネームバリュー。
誰も名前出してないのに突然家康と比較し始める不思議
591 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 23:01:03 ID:efxRWMMh
老人雑話の秀吉の叱責以外の話ってなんかあったかな?>不満にかんして
592 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 10:17:22 ID:AvPB4mI7
中川清秀を見殺しにしてる
593 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 15:10:44 ID:jHp+maUI
それが老人雑話にのってるのww
594 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 12:09:11 ID:wvwHAWC0
中川を見殺しにしたのは事実
595 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 17:00:23 ID:wvwHAWC0
利家はどう考えても、最後のギリギリの部分では信用できないだろ。
597 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:04:31 ID:m4wdV3E6
598 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 07:21:19 ID:YjPPdWYk
利家を信じたら滅ぶ これ戦国の常識
秀吉も三成も家康も決戦の主戦場で前田を使うのを躊躇ったんだろう
599 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 13:55:34 ID:KPjOpQK2
だから利家なめすぎ
人望なら秀長もしくは秀吉より上
清正や正則も利家が長生きしてたら暴走しなかった。
利家の人望(笑)
601 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 13:59:45 ID:3tMCsBwd
>>598 柴田もそうだね
けどそうなると利家は他が損害出してる時に常に自分のとこの軍勢は温存してたわけで
なんて狡猾な奴なんだ
602 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 16:22:10 ID:KPjOpQK2
前田家も損害出してるぞ
603 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 03:20:22 ID:nkolSwR9
>>602 アリバイ作りの申し訳程度。
あの裏切りで損害ゼロだった日には
後々までの評判にかかわる。
利家はその辺はよく考えて、
必要最低限の部下を殺してから逃げてます。
604 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:17:45 ID:/8s3+0yZ
見殺しにはしてないだろ。
605 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 02:50:13 ID:O/VqxvmO
>>604 だから「見殺しにしてませんよ、戦って負けたから退却したんです」と
言い訳が立たなくもない最低限のことをやって(部下を殺させて)逃げている。
まったく言い訳が立たなければ、後で秀吉がいくらプッシュしても
「あいつには武士道(そういう概念はまだ固まってないけど、要するに武家としての素養ね)がない」と言われる。
利家の最大の長所は、こういう評判を損なわないで姑息なことができること。
606 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 15:28:34 ID:KP1m8UtZ
どこが姑息なんだ?
秀吉と勝家の間に挟まれて苦渋の決断だったんだよ。
>>606 苦渋のあまりあんな決定的な場面で裏切ったわけですねわかります。
608 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 17:13:45 ID:KP1m8UtZ
裏切りなんて戦国時代ならよくある事だよ
利家だけを責めるなんて筋違い。
豊臣家にとって利家の死が一番痛かった
609 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 17:19:18 ID:KP1m8UtZ
>>600 清正はなんか利家のこと尊敬して慕ってるぞ
他にも福島、浅野、池田、細川、蜂須賀、藤堂なんかも
家康も利家の武勇には一目置いてる。
610 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 17:30:12 ID:bAJ/Frgg
苦渋の決断が率先して北の庄攻めの先方をこなし、柴田佐久間部隊の落ち武者を散々に討ちまくり
好意にしていた街や寺で皆殺しを行ったわけか
更に関係無い佐々まで討とうと発言し秀吉に窘められてる始末
そんな光景みたら秀吉でなくても人間不信になる
611 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 18:19:48 ID:KP1m8UtZ
成政は秀吉に逆らったんだから自業自得
612 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 19:41:28 ID:cvW3KQ3e
その時の羽柴ー佐々は対立も同盟も何も無いお
冷戦と言うべきかな
秀吉も対立の意思がない確認に留めているのよね
しかし柴田の残兵を救い見事に匿った佐々成政は漏れに言わせればネ申
残兵の身柄に拘らないこの頃の秀吉も器がでかい
613 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 06:45:29 ID:uLv3lp5P
スレタイの秀長の話題が久しく出ていないな。
やはり地味なのかね。
そんなエピソードのある人じゃ無いしね。
その空白部分を推測と妄想で埋めていくから、人によってとんでもなく有能な人間にもなるし、
無残なまでの無能にもなる。
615 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 15:18:41 ID:mbt48Fhg
別に無能ではないだろう。
冷静に分析したら有能なのはわかる
>>615 言いたい事が伝わらなかったことだけは良くわかった。
617 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 15:59:22 ID:nQwrBz/U
個人的には、無残なまでの無能呼ばわりしている意見はほとんど見かけないかな。
程度の差こそあれ、それなりには有能だという声が多数派かと。
片や有能評価となると、秀吉家康をはるかに凌ぐとんでもないものをしばしば見かけるが。
618 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 18:32:45 ID:aUdfPtrI
まあ、秀吉も秀長がいたから天下取れたんだとは思う
619 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 21:47:07 ID:9kKAqhnh
もう少し野心のあるエピソでもあれば計れるんだけどねぇ
まじめな人の能力は計り辛いわ
620 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:03:36 ID:9aAgT8bh
島津軍の奇襲を見破ったのは評価してもいいんじゃないか?
621 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:42:29 ID:eQOD+O5S
見破ってないというかそんな史実はない
622 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:39:21 ID:wgaqW20O
ぶっちゃけ寡兵で島津を撃破した宮部継潤のほうがすごい。
623 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:55:59 ID:y2ncR5+y
確か高虎が援護した話か
624 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:06:17 ID:Y3yzyIfU
秀長が長生きしていたら秀次の謹慎自害や朝鮮出兵もなかったろうな
本当貴重な人を豊臣家は失った
>>624 秀次はともかく朝鮮出兵は間違いなくあった。秀吉は九州征伐の時点ですでに
大陸出兵の前線基地を造り始めている。
大陸への進出は豊臣政権の既定路線だよ。
626 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 07:54:50 ID:6QZW2W4f
秀次にしても、秀頼の障害にならないように秀次を存命させるのはかなり難しい。
秀長さえいればなんでも問題解決ってわけじゃない。
627 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 07:55:51 ID:1BLj2vTW
>>625 名護屋城築城開始は天正十九年の秀長死後からなんだがな
628 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 08:24:17 ID:1BLj2vTW
>>625-626 秀長長命なら史実と同じになるわけがないだろうに
秀長の存在感と影響力を過小に考える愚劣
歴史の前提条件が変わっても、史実は変わらないとする発想がお目出たい
629 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 08:37:21 ID:gFOR7rgc
秀長長命なら、史実と同じになることが決してないと。
ふ〜ん。
630 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 09:08:37 ID:1BLj2vTW
秀長長命でも、千利休は失脚して切腹して果てたと?
ふ〜ん
秀長長命でも、秀次は関白になり、一族もろとも処断されたと?
ふ〜ん
秀長長命でも、秀吉死後家康の無法がまかり通り、関ヶ原の役が起きたと?
ふ〜ん
631 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 09:13:20 ID:FxlTQHHK
>>629 秀長長命なら、すでに史実と違うじゃねーかw
632 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 09:25:06 ID:gFOR7rgc
秀長長命だと、千利休は失脚しないんだ?
ふ〜ん
秀長長命だと、秀次は関白にならないんだ?
ふ〜ん
秀長長命だと、家康は天下を狙わないんだ?
ふ〜ん
633 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 09:26:29 ID:gFOR7rgc
>秀長長命なら史実と同じになるわけがない
つまり、秀頼は生まれないか、生まれても夭折か女児ということになるわけね。
秀長長命だと。面白いSFだ。
634 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 09:40:05 ID:jtmAX30e
朝鮮出兵のための予備的な動員令は小田原戦役後に出されたが、その後の奥羽征伐によって延期。
船舶建築、兵糧確保備蓄ともに九州征伐と並行して西国大名に命じられている。
秀長は政権において西国大名を指導する取次指南の重職に任じられていたから内心はどうあれ
政権システムの中で出兵を推進していたというのは十分に推測できる。
635 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 10:25:30 ID:1BLj2vTW
>>633 秀長長命なら秀頼が誕生しないなんて、お前発の戯れ言
それをこっちの意見に仕立て上げるペテン
636 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 10:38:29 ID:gFOR7rgc
じゃぁ>史実と同じになるわけがない
秀頼公をどうぞ。
自分発の戯れ言には責任もとうぜみっともない。
637 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 10:49:04 ID:f2o9p0O7
結局、豊臣政権を潰されて悔しい人間と晩年の秀吉の愚行を悔しがる人間によって
秀長さえ生きていれば全て解決という妄想が膨らみ
秀長が実態以上のスーパーマンになってしまっただけなんだよ
638 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 11:03:47 ID:6n87No4+
秀次追いやった後、すぐ秀頼死んでしまった場合、秀吉は跡継ぎ誰選ぶの?
鶴松とかの例もあるしちょっと気になった
640 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 11:28:56 ID:MSpYetEL
641 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 11:46:49 ID:1BLj2vTW
>>636 論点は豊臣政権の政策と人事の推移だろうに
>>641 秀長に秀吉の考えた事を反対して押し切れるほどの権力は無いよ。
643 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 12:54:31 ID:1BLj2vTW
>>642 秀長が指揮した四国征伐の最中、秀吉が出張ろうとしたのを秀長が押し留め、
秀吉がそれを容認したのも知らん無知
>>643 信長過大評価スレでファビョッてた馬鹿発見
645 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 13:02:03 ID:1BLj2vTW
>>642 >はじめのうちはまだしも、論破されそうになるとレスが無意味なレッテルはりや罵詈雑言
だらけになります。すでにその気配があるでしょ。
兵農分離にしたって半年も前に論破されているのに相変わらず。
この人と議論しても無駄です。
こちらから論拠を求めても逃げるだけだし、相手の求めに応じて論拠を出しても、恣意的な
曲解ばかりして、無駄なレスが大量に蓄積するばかりです。
それはそのまんまお前さんの事だろうに
都合が悪くなると、根拠無しのレッテル貼り虚言を弄してはぐらかしにかかるペテン手法は進歩無し
流石は簡単な字義さえ知らない文盲君だ
己のチンケな嘘を他人の著作のタイトルで目くらますペテンのメッキをはがされ大恥をかいたのに、
また敵わない相手に挑んでくる学習能力の無さ
「書体」の意味を覚えたか?文盲君
646 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 13:05:10 ID:1BLj2vTW
>>644 まさに
>はじめのうちはまだしも、論破されそうになるとレスが無意味なレッテルはりや罵詈雑言
だらけになります。すでにその気配があるでしょ。
兵農分離にしたって半年も前に論破されているのに相変わらず。
この人と議論しても無駄です。
こちらから論拠を求めても逃げるだけだし、相手の求めに応じて論拠を出しても、恣意的な
曲解ばかりして、無駄なレスが大量に蓄積するばかりです。
がぴったりの駄文だ。
自分のペテン手法を人様になすりつけんな
加藤智大2号君
647 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 13:11:18 ID:VL7Z9Vdq
>>645 >>646 あなた誰ですか?
>>642の人のレスにはそんな事書いてないみたいですが。
他所のスレのいさかいならここに持ち込まないでください。
迷惑です。
648 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 13:22:49 ID:1BLj2vTW
>>647 痛い所をつつかれると、他人を装う見え透いた自演
これも使い古しのペテンの手法
いつまでたっても進歩のない文盲君
649 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 13:26:03 ID:VL7Z9Vdq
>>648 知りませんよ。
誰の事を言ってるんですか。
あなた口が悪いですよ。
スレタイ通りの事を話す気がないなら他所にいってください。
650 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 13:37:57 ID:1BLj2vTW
>>649 「書体」を変え他人に成りすます涙ぐましい努力
今更正体バラしちまったら、恥の上塗りだかんな
だが、すっとぼけても無駄無駄
お前さんの正体は割れている
みっともないぞ
651 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 13:45:55 ID:VL7Z9Vdq
>>650 だからどこの誰を言ってるんですか。
>>645みたいな事をあなた他所でいわれたんですか?
今まさにそのとおりになってるじゃないですか。
御自分の行いを正されたらどうですか?
652 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 13:57:58 ID:1BLj2vTW
653 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 17:57:15 ID:jtmAX30e
島津に対する仕置で秀吉に対して自分の決定を押し通したことがあったような。
654 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 10:36:25 ID:FAlVzBZX
秀吉がそれでもなお強く押し通そうとしたなら秀長の方が退いてただろ。
秀次事件や唐入りを歴史的に変えてしまうには、それこそ九州征伐や四国征伐そのものを
取り止めさせられるくらいの発言力が必要。
せいぜい微修正がいいとこじゃないの。
655 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 15:11:54 ID:4afjANqO
そうかもしれんが、やり方によるだろう
656 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 17:08:58 ID:g896COOg
秀吉から大量物資をもらって戦えたから負けるはずがない
正面激突戦さえしなければ兵糧尽きて相手は降伏するからね
657 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 17:33:57 ID:m4WgLCZX
負けるはずがない
今川義元
>>657 義元の負けるはずない度を1とすると、
秀長のそれは50くらいあるけどな。
659 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 21:27:27 ID:CXUV/Or8
最高権力者である秀吉が、朝鮮や明の事情(どころか対馬と朝鮮の関係すらも
660 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 21:28:28 ID:CXUV/Or8
しまった、変なところで送信してしまった・・・・
つづき・すらも)ろくに把握してなかったのだから、遠征の失敗はどうにも
ならんよ。
661 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:23:11 ID:it3WlQhn
>>654 秀長の要請を却下できないという事実は、秀吉にとって秀長の存在と発言力と信頼感がそれだけ大きかったという証左だ。
そもそも秀吉の提言に異議を唱えられる事自体、秀長は豊臣政権内で別格の存在だった証しである。
国内統一戦と唐入りは同列に論じられない。
天下統一事業は豊臣政権にとって万人納得の規定路線だが、
天下統一後の外征は政権にとって必須の政策でも何でも無い。
ましてや秀次粛清など何の関係も無い。
そもそも秀長長命なら秀次失脚は有り得ない。
何故なら関白に就任していないからだ。
信者って怖いな
663 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:48:14 ID:it3WlQhn
>>662 有効な反論ができないと、論点から外れた戯れ言を吠えて憂さ晴らしという幼稚さは相変わらず。
665 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:52:37 ID:it3WlQhn
>>664 お前が簡単な漢字さえ読めないアソー首相と同類の文盲君だって事ははなから承知。
小学生レベルの漢字の読み書きは克服したのか?
666 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:14:43 ID:chklXMnR
なんか変なのいるな。
667 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:23:09 ID:it3WlQhn
668 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:49:22 ID:8Ocisfch
また周囲すべてを一人の敵に見立てる変な荒らしが来てるのか。
669 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:01:25 ID:PkdU9/gW
なあ、信者信者って言うけどさ、好きな武将のイフを考えるって面白いじゃん。
全否定する人って何だろうね。否定するなら、自分でスレ立てて、そこで論議すれば?
>>669 むしろイフを語りたい人間こそ、そう言うスレを立てるべきだろ。
671 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:31:11 ID:PkdU9/gW
>>621 ソース厨がウルサイから…。お寺のHPから。
島津の敗戦を決定づけたのは日向高城・根白坂の戦いであった。
島津は数々の特殊戦法を繰り出す軍隊であったが、ここでも夜襲戦法が起用され、
駐屯する秀長軍の陣に構えられた防御用の堀の規模を測定し、夜間の総攻撃に備えていた。
ところが、未然に察知していた秀長軍は、堀をさらに深くし、逆トラップを張っていたのである。
それを知らずに総攻撃に入った島津軍は大敗となった。これで秀長は、島津本領の要でもある高城を手中に収めたのである。
672 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:42:18 ID:PkdU9/gW
あ、すまん。秀長の手柄ではなかった。以下に詳しい戦況を。
宮部善祥坊は、島津の使者の様子を見て今夕夜討をかけてくることを見破り、人足を千人近くの山々へ出向かせ竹木を伐りたおし、
寄陣の前に深さ3.6メートル幅4.5メートルの空堀を掘り、其岸に切って来た竹木にて柵を振り、自身も士卒も武装して夜討ちを待ち構えていた。
外に、物見を其々出していた。
673 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:42:59 ID:PkdU9/gW
案の定、亥の刻に島津義弘壱万六千にて根白の陣へ押し寄せてきた。兼て準備していたので、善祥坊兵たちに先達て木戸口へ走り向一番鑓を合
「宮部善祥坊継潤一番鑓」と名乗った。配下の兵田中九助、其子彦六(後に勘兵衛又玄蕃と号。紀州大納 言殿に相勤る)国友半右衛門・三村太郎右衛門二番鑓を合わせて防戦し。垣谷隠岐守・南條勘兵衛・木下・亀井・福原の諸大将も自ら鑓を合わせて命を捨て防戦した。
嶋島津は元来剛将で、薙刀を提げて、真先に進て攻懸る。椛山・平田・伊集院・石口等の兵達も、わき目も振らずに柵に付いて時の声をあげて攻め戦う。
674 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:43:31 ID:PkdU9/gW
砦の宮部他のの人々柵を阻て鑓を取って防戦した。
双方手負の人、死人、将棋倒に戦が美味く出来ない。
島津が兵達が柵に取り付いて蟻のようだ。
空堀にも透間もなく人が入って攻めかかってくる。。
宮部は「時分は能きそ」と柵を結んだ綱を切って柵を堀の上へ押倒す。
柵に付たる兵も堀の中の兵も皆柵の下押付ら れ、死者八百余人也。宮部一組の兵達柵を倒して内の柵へ引籠った。
675 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:44:13 ID:PkdU9/gW
島津の兵達柵は、を渡り味方の死人の上を走り渡り、内の柵を攻破り、十七日夜寅の刻に三の丸二の丸も打ち破り、 宮部一党を本丸へ引籠らせた、命を惜しまず防ぎ戦い。
夜已に明て十八日の朝には、。義弘は攻め詰めて困っていた。大和大納言秀長卿は五十町計り離れて居たが、三万計りの兵を連れて耳川のはたまで惜しい出て見渡せは、
根白の砦は島津の軍兵雲霞のことく取囲んで、鉄砲矢叫ひの音声相交って天地も響くばかりであった。秀長この姿を見て「このまま見捨てれば宮部一党討ち死にする、耳川を渡って後詰しよう。」と馬を川へ打入れられた。
尾藤左衛門尉知宣馬より飛下り、秀長卿の馬の口にすかり「今義弘の軍勢を見るに、武田勝頼が長篠のから設楽原へ出て行ったときと違いが無い、此強みの鑓先には関白様も恐らくは適わないであろう。川を渡ってはいけません」と諌め申し上げた。
676 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:44:56 ID:PkdU9/gW
藤堂佐渡守高虎計は手勢を引連川を越えて搦手より 根白の砦へ駆入。
宮部に力を合せ高虎も自ら数人突倒し、義弘此れにも攻掛り、宮部一党も防あぐねているように見へた。
黒田如水・同甲斐長政は秀長卿の進まないのを見て、手勢を率いて進み入り。先村上彦右衛門を先方に根白砦へ駆け付け
「唯今大和大納言殿六万にて助けにこられるぞ」
と呼ばさせた、砦の内より競ひ出ける。如水父子共に耳川を渡った。栗山備後利安先陣して真先に渡す。後藤又兵衛政次・毛利但馬・衣笠因幡・
竹の森石見・井上周防、其々川を渡って攻めかかった、義弘の陣へ切てかかり、秀長卿の内羽田長門守千余騎、 同耳川を渡って黒田に負けまいと鑓を入れた。根白の砦は、これに利を得て、本丸より打ち出手戦った。
677 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:46:54 ID:PkdU9/gW
此時小早川隆景は二里隔て陣取っていたが、根白の急を聞て三千余にて耳川の端迄きていた。
秀長卿これを見て「今川を渡って島津を攻めようと思うが、諸大将は同思われるか、」と談合が有った。
隆景笑って答えずに。隆景の家老井上伯耆就遠・浦兵部宗勝背破り具足の古物具にて秀長卿の馬の前へ出て
「島津は今日の珍客にであるが、此方のていしゅは如何に出迎えられるか、ご相談に出向きました」と申し上げたが、
秀長卿尾藤をはじめ皆進み出ないので、伯耆も兵部も則馬に打乗て川を乗渡し島津を討取らんと進んだ。
義弘の甥島津三郎次郎忠親踏留まって討死した。
其外七八百余り屈強の者とも討れ、義弘も根白の囲を解て、火をかけて猪の猛る様にして引き上げた。
隆景・如水は、秀長卿へ使を遣して「義弘はたかだか一万六千、味方は八万に鉄砲二三千挺にて左右の峰から打ち掛けて。
大軍を以て追討し義弘を討取って、直に鹿児嶋へ押し入るべきとき」と頻に申越したが、尾藤が固く諌て留めたの出で、義弘はついに逃げ。よって高城・財部も落城しないので、義弘は鹿児嶋目指して逃げ。
島津義久は惣大将なので、肥後の八代に陣取っていたが。日向口の事を聞いて鹿児嶋へ逃げ帰った。隆景はそれより大隅豊後へ打入った。
678 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:48:07 ID:PkdU9/gW
島津降参して筑紫治ったので、六月十八日 筑前博多にて秀吉公、秀長卿を召し出して
「根白表にてどうして義弘を打ちもらしたのか。退路を断たずに、義弘の首を見ないとは情けない」
と御腹立はおいへんなもので、秀長卿迷惑して「軍監尾藤蜂須賀が言った通りにした」と云われ「尾藤の指図にてこうなったと」
と申し立てられたので、尾藤左衛門は領国讃岐を召し上げられ、御改易と成った。宮部善祥坊には御感状を下され、その他御証文御褒美と様々さまざまいただいた。
(亀井茲矩物語にて)
679 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 18:30:11 ID:rI/uIIPp
>>672-678 まあ、宮部善祥坊の手柄としても
普通なら上司の手柄となる所をそうしないところが
秀長の良い所だな。
680 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 17:50:53 ID:hnaVl/Yw
四国でも、秀吉が出馬したら、今まで部下に任せてた仕事が否定されるから、
固辞したんでしょ?
681 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 19:44:53 ID:dCmaes2V
秀長が長命で秀次が後継にならなかったとしたら誰が後継になるんだ?
微妙だよな
鶴松(八幡太郎)を長命にすればいいのではないでしょうか?
683 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 02:18:14 ID:ueYSMcO7
ここは秀吉の実親が長生きだったら?
684 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 04:15:46 ID:ARd4tozG
>>682 秀長長命との因果関係が無いものは無理だろう
685 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 14:06:18 ID:W1Cz9Q9C
>秀長が長命で秀次が後継にならなかったとしたら
この仮定がまず成り立たないよ。
それこそ鶴松が長命してたでもないと。
686 :
681:2008/12/25(木) 15:18:45 ID:ARd4tozG
>>685 だよねぇ
結局秀次が後継→秀頼誕生→秀次が家督移譲を渋る→秀次処刑
だと思うんだが
秀次が渋った一因に大野の件が関係するなら親族の秀長もどう反応するかわかったもんじゃないし
秀次が関白にならないと言ってる人はどういう理由でそう思うのか聞きたいな
687 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 16:16:33 ID:Tzi1N9Kq
出兵に際しておこなわれるであろう関白職委譲を彼は後継人事とは捉えずに
政策人事になると考えてるのでは。
688 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 18:44:48 ID:18WCswDM
政策人事で関白を動かすとしても、後継人事は絶対に必要だろう。それも即座に。
唯一の後継者である鶴松が他界したのだから、速やかに後継者を指名しないと
「信長公と同じく、秀吉公の天下も一代限りか。さて次の天下人は誰になるやら」と
周囲が勝手に動き出すようになれば政権も危ない。
将来性のない政権とみなされれば、求心力も急速に失うからね。
689 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 19:45:43 ID:2jx+DEG0
秀吉死亡→秀長が秀頼が元服まで関白→秀次は大和大納言を継ぐ→秀頼関白
これで安泰
690 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 22:36:25 ID:k3y0d6Jw
元服まで期間限定関白なんて上手くいくわけないよ
人間というのは地位と権力を手にしたら中継ぎというポジションを拒否して手放したがらなくなる生き物だから
秀頼が元服しても関白禅譲を拒否→家康に秀頼を担がれて打倒される→徳川政権誕生
甘い夢なんて見ないほうがいい
691 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 17:06:01 ID:NauZ8tGh
信者って、こわいな。
693 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 16:14:54 ID:mwaKdzAR
694 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 01:18:03 ID:QygWbyoJ
695 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 01:21:57 ID:b05hJSaa
>>688 政権の後継者が年端も行かぬ幼児でも、
秀吉存命中は豊臣政権は磐石だった史実も知らん与太話。
696 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 05:09:53 ID:24bbvoJg
史実では後継者空白の時期がなかったことも知らないのかこいつ。
697 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 12:40:20 ID:w9Q2XW7s
>>695 後継者が年端も行かぬ幼児でも
実際の政務は家康が取るから無政府状態にならないという意味で磐石だっただけ
内外に問題が山積している状態で幼児になんか誰も期待していないだろ
内外ともに秀吉の残した不の遺産があまりに大きすぎて、実力のあるものが
主導権をとってそれを解決していかないと、どうにもならない状況だったのは間違いない。
699 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 23:59:45 ID:Gus2IwBH
不の遺産
700 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 05:15:33 ID:CK5nFmfA
しかし秀長に子がいたらなあ… 秀吉の家系は種無しばっかか
701 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 08:26:50 ID:xUhF7pG3
娘はいたらしいけどね。
仮に息子が、多少出来がいいのがいたとしても、鶴松死亡→秀頼誕生の間に秀次ポジションになってそうだから
果たして生き残れていたかどうか。
702 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 11:56:25 ID:65UPucgl
秀長が長生きするより利家が長生きするほうが重要
703 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 17:26:52 ID:CK5nFmfA
利家が生きてたとしても徳川を抑えられたか…
704 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 01:42:47 ID:b7ZvwZgp
>>700 秀吉は勿論のこと秀長も女なんかやりたい放題
子作りし放題の御身分なのに子宝に恵まれないのは
兄弟揃って種無しとしか思えんな
705 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 09:31:38 ID:RUvYDJ9U
>>704 秀長に側室は少ないことは記録から明らかだが
706 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 11:04:05 ID:LMzTIA0n
秀長は側室にもせず一夜限りで終わる愛が多すぎるのか
エロい奴だ
つーか、秀長の日常めちゃめちゃ忙しいぞ。
戦争のないときは朝から晩まで、上洛してくる大名への対応や豊臣家の行事の仕切り
やらされてるし、自分の領地も見なきゃいけない。
子作りしてるヒマなんて殆どないよ。
708 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 20:23:55 ID:Ln+kErwe
秀長が表舞台に登場してる大河ドラマ秀吉だけレンタル屋に置いてない
アマゾンにも売ってない、つか秀吉だけDVD販売してなくね?なんでだろ
709 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 21:16:29 ID:eW64FJnb
710 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 03:55:35 ID:lK+Je9Cz
>>697 論点は秀吉存命時なのに、秀吉死後にすり替えるペテン
もしくは馬鹿だから、論点自体を把握できないってか
贈大納言秀保の評価が低いのはどうしてでしょうかね?
712 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 00:18:42 ID:HMzduUFj
>>710 秀吉存命時から秀頼に代わって政務を執るのは家康であることが確定しているから
政治の空白が起きないという意味で磐石なんだよ
これも理解できないのか?
秀頼が立派な政治をしてくれるから磐石だなんて考えてる人間は一人もいないのは馬鹿でもわかる
713 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 00:43:15 ID:wQAtG/So
714 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 16:40:04 ID:InItgPAZ
>>712 秀吉が家康に後事を託したのは、病に倒れ寝たきりになってからだ。
また出たよ、虚言癖。
715 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 23:01:56 ID:LHBuBqqN
>>714 秀吉存命中は磐石なんだろ?
秀吉が病に倒れ寝たきりになろうが死ぬまでは
>>695の主張する存命中だろ
磐石なのにどうして家康に後事を託す羽目になったわけ?
716 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 23:34:20 ID:a0Zz2YTb
君の才秀頼に十倍し、必ず能く国を安んじ、終に大事を定めん。
もし嗣子たすくべくんば、之をたすけよ。しかしそれ不才ならば、君自ら取るべし。
こういって秀吉は家康に後事を託したに違いないよ。
717 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 23:55:28 ID:fZVUw2Yh
後事を託したのは家康じゃなくて、家康・利家を中心とした二頭五奉行体制。
718 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:17:36 ID:SWyi5VvV
元は百姓なんでしょ?
彼以外に農相に適任な方居ないでしょう
719 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 07:30:49 ID:83A4TiMk
ん
720 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 15:36:25 ID:UDVM8fPN
無理をしないのとビビルのは違う事象だということが分からないらしい
722 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 18:35:58 ID:uoF9amts
大納言家は存続して欲しかった。
存続してたら、関が原、大阪の陣と変わっていたかもしれん
723 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 00:03:48 ID:7dYUoFV9
男子がいないんだから存続しようがないし
他所の養子を入れて名前だけ残したところで何の影響力もないから
戦を変えることなどありえない
724 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 21:00:52 ID:txwVdZup
豊臣の名は残るかも
豊臣っつーか。羽柴だな。
726 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 03:20:12 ID:KqCzxNYH
はしは
727 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 06:31:47 ID:VCORJUUp
728 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 07:50:22 ID:InfTofNP
秀長と秀吉が合体すりゃいい秀長吉として
729 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 00:44:17 ID:ACu78WIw
大和家は天下人のバックアップ枠だったんだろうな。
秀吉の時は弟の秀長。
秀次の時は弟の秀保(又は秀勝)。
秀勝、秀保が死去したので弟切れで取り潰しと。
うーん、上にあるようにもしかしたら秀吉は
秀頼を豊家当主にして秀次を大和に入れるつもりだったのかも知れない。
それを秀次がお断りして揉めると。
730 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 17:37:11 ID:0UZUmP5i
竹阿弥の出自が水野氏という説もあるそうなので、秀長から男系で続くなら将軍になるという手も使えたのではないか。
731 :
人間七七四年:2009/05/03(日) 11:11:58 ID:w43h32Pf
>>730 あの人、実弟が定説らしいけど。
何せこだわってないから
732 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 08:33:37 ID:IMw4P/A/
秀長が家康と船遊びに行き
秀長が家康に抱きついて沈めて殺す
733 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 10:03:07 ID:idtIRMUM
残念。家康は体術も水泳も達人だった。
734 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 22:38:05 ID:9g9MLMzE
残念。船底に半蔵と忠勝が潜んでた。
735 :
人間七七四年:2009/06/06(土) 08:18:04 ID:FVXc1nRy
家康は秀頼に助命条件として大和国替えを提案したんだな。秀長の領地だったから?
736 :
人間七七四年:2009/06/06(土) 12:07:09 ID:fTsTYJpd
そう考えると、淀が悪かったんだな
めんどりが鳴けば、国が滅ぶ
737 :
人間七七四年:2009/06/06(土) 12:38:50 ID:lnoZYjUa
秀吉、秀長を生んだオヤジって何気にスゲーよな。
738 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 02:24:10 ID:jyR5oEvH
秀長は暇らしい
739 :
人間七七四年:2009/06/08(月) 21:25:08 ID:qaPxB4b9
>>736 淀はもともと徳川恭順派で、徹底抗戦したのは城の中に入れた浪人達の圧力があったからという説もあるぞ
豊臣が滅んだ原因としてはこっちの方が間抜けだけどなw
740 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 06:33:21 ID:BF9X5nMQ
秀長さえ長命を保ってたなら、家康の天下はありえないに異論はなかろう
741 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 12:36:33 ID:o784Fl9E
典型的な秀長過剰評価論者
742 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 21:10:15 ID:wNPAA63g
秀長が家康との楽しい食事をして
交際して
秀長と家康が婚姻すれば家康は豊臣の家の為に粉骨砕身働く
743 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 05:28:28 ID:Al3ue+Gp
それは新しいな
744 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 11:21:15 ID:D3ezTW8d
秀長が生きていたら、家康とも上手く折り合いをつけて、西の豊臣と東の徳川で役割分担して国を治めるだろうに。
745 :
人間七七四年:2009/06/16(火) 04:36:11 ID:PvFuK3Cf
家康が難癖つけてきても秀長存命なら誰も家康には付かないだろ。
茶々と秀長は仲良かったのかな?仲悪かったら茶々は家康と手を組んで大和潰すか?
まぁそれでも西国の大名は秀長に付くだろうし、仮に関ヶ原になったとしても裏切る奴はいないだろう。
746 :
人間七七四年:2009/06/16(火) 07:33:25 ID:poRLm0Wr
秀頼と家康に組まれたら完全にアウトだろ。
どう考えても裏切り者になるのは秀長なんだし。
747 :
人間七七四年:2009/06/16(火) 08:28:52 ID:i8Q6AAzP
>>745 茶々、秀長敵にしたら
あとで家康に潰されるだろ。
748 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 09:39:13 ID:0JRVLGrU
>>741 典型的な秀長過小評価論者
根拠なしの上っ面なハッタリ
749 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 15:28:17 ID:ZqC/F5b9
秀長は秀吉の半身に近いからな
利家とのダブル構造による強固政権で家康涙目だったこと間違いなし
750 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 15:33:10 ID:N+yhG/QS
利家は秀長の代理という側面が強いから、
秀長生きてたらそんなに出番はないんじゃないの
秀長死後における利家の官位昇叙見ても、
秀吉が意図的に家康に対抗できる人間に仕立て上げたという感じ
751 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 23:55:28 ID:7cOJ2Ypr
家康と戦うより家康と戦う前に死ぬ方が得だからな
秀長も利家も空気を呼んでいいタイミングに死んだことは凄いよ
おかげで「〜が生きていれば」グループにう巧く入って評価を高めることができた
752 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 07:31:37 ID:LviW1NFF
生前の評価が高いから当然
753 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 08:18:36 ID:9aVNAA6G
その二人よりさらに評価の高かった秀吉が、晩年評価を落としまくっていますが。
秀長死亡の時期にもし秀吉の方が死んでいたなら、と考えてみればわかりやすい。
754 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 09:19:00 ID:E1V9rRmq
レベルが低い
755 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 11:38:11 ID:drjnsmdF
秀長さんってけっこう良い奴?
756 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 13:42:49 ID:svQv/dUr
生前の評価と言うと守銭奴で搾取しまくった事ですねわかります。
757 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 15:19:39 ID:OO8OSzXF
>>756 大和郡山で寺社が領土で文句言ってきたこと??
758 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 05:26:27 ID:FRWZ55mZ
部分的に見るしかできないアンチなんですよ。大きく見なさい。
759 :
人間七七四年:2009/06/23(火) 21:19:03 ID:ikQOiIjC
優秀な男ではあったが、秀吉以上ではない。
秀吉に出来なかったことは、秀長にも難しかったとみるべきだろう。
760 :
人間七七四年:2009/06/23(火) 23:19:24 ID:xQGhS1fC
>>759 フォローはかなりのもので、秀吉の手に負えない部分を支え続けた。
761 :
人間七七四年:2009/06/23(火) 23:26:30 ID:7L2Mo3m7
762 :
人間七七四年:2009/06/24(水) 00:08:09 ID:qQ9ysKnJ
秀長が大名間の調停を行った事例の一つ。天正16年における大友黒田氏間の境目相論。
763 :
人間七七四年:2009/06/24(水) 00:21:49 ID:tF5aaT40
>>762 それのどこが秀吉の手に負えないものなのか?
764 :
762:2009/06/24(水) 17:06:10 ID:qQ9ysKnJ
>>763 760じゃないからこちらに言われても・・・。紛らわしかったかなw
765 :
760:2009/06/24(水) 22:33:23 ID:8UdAfnBq
>>763 まあ、比喩だが、派手な部分は秀吉、地味な裏方は秀長。
これがパターン
766 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 06:57:59 ID:mPhfP+0Z
優秀な補佐役ってのは、単体では実力を発揮できないからな。
やはり優秀な補佐され役があってこそ。
秀吉という不世出の英雄が、全面的に信頼してくれてたというのは大きかった。
767 :
人間七七四年:2009/07/03(金) 09:11:04 ID:gUiz38UE
ソースって言ってる奴って
「自分が馬鹿でーす」
って言ってるのと変わらないよね。自分でも調べりゃいいのに
768 :
人間七七四年:2009/07/03(金) 09:13:39 ID:gUiz38UE
秀長だから出来たことは、秀吉の名代で参陣した長島の戦い?だっけ?
769 :
人間七七四年:2009/07/03(金) 21:23:29 ID:QSYBDZE6
>>768 四国もそうだし、九州も滅ぼさず配下においてる。
内政や居留守は目立たぬが他には出来ない、正月など秀吉達が信長に年賀に行って小数で毛利と対してる。
770 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 17:40:02 ID:2Jt84GBV
何より有能で全面的に信頼できてを指揮権任せられる兄弟が居たってのは大きいよな。
当時は一門でドロドロの闘争を勝ち抜いて家督を継いだとか、
いても空気みたいで大した役には立ってないのとかばっかりだし。
秀長以外だと有名なのは武田のテンQさん(でも早死に)とか北条兄弟、島津兄弟とか、
他に誰が居たっけ。
771 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 17:57:55 ID:7klS+D+A
三好家も知らんのか。
772 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 18:10:56 ID:oUCfRxXZ
有能な一門が次々と暗殺されちゃった家か
773 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 18:19:48 ID:Z3unnId3
>>770 マジで言ってるつもりか?間違ってるぞ、バカ よく調べてから書き込みなw
お前どんだけ頭悪いんだ?今のご時世そんな事考えてる奴なんていないぞ?これだから情弱はw
お前がマジレスするのは勝手かもしれないがお前にマジレスを求めてるやつなんていないんだよ
ほんと最悪・・これが今の戦国板ですか
もう一度言うぞ
頭湧いてるの?
774 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 18:29:08 ID:hEkjztj5
775 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 18:48:46 ID:nQ5sf1k3
ああああああああ
776 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 18:50:01 ID:nQ5sf1k3
>>775だが
ごめんwwwwwww規制解けてたwwwwww
777 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 18:50:27 ID:kMYRyPiS
マ
お
お
ほ
も
魔王ホモ
信長は利家と衆道の関係だったということですね、わかります
778 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 18:59:31 ID:weMheFd3
>>774 ちょwwwマジレスっすかwwww
これだからゆとりは困るんだよwwww情弱がwwww
どうせニコ厨なんだろうけど(プッ
だいたいここで馴れ合いとかお前頭湧いてんのか?
お前がマジレスするのは勝手かもしれないがお前にマジレスを求めてるやつなんていないんだよ
死ね、氏ねじゃなくて死ね
779 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 19:02:21 ID:zMoIGuh9
>>774 うわー出たよマジレスwwwおまえ天皇とか韓国とか処女とかDQNとかマジレス厨がツボるネタがあるだろ?
ふんだんに取り入れていけよw
クソつまんねーんだよ今すぐ電源きってレスついてんじゃんwwwwwwwwwwwwwwwwwとでも言っとけやカスwww
おまえみたいなバカがいるからvipがえっちになってんだろバカが
まぬけ過ぎなんだよおまえwマジレスしたあと鏡見てみww満面の笑みが映ってんだろww笑えるwwww
その満面の笑みを見て気付かないか?おまえはまるでタモリの居ない世にも奇妙な物語なんだよwクソワロスwwww
良いか、最後にこれだけは言っておく。お前は今すぐ人助けしろ、その後に泣き顔でスマイルでもしとけよカスwww
780 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 22:14:31 ID:Mc2e05J0
【消臭中】 シュッ ∴∴∴∴∴
∠ ̄P∴∴∴∴∴∴∴
| |\ シュッ∴∴∴∴∴
―――――――、 / \ ∴∴∴∴∴
. /.  ̄ ̄ ̄//  ̄ ̄| | | | ∴∴∴∴∴
/ (^ω^ ).// | || | ( ^ω^) ∴∴∴∴∴∴
[/_.(___//[ ] | || |(ノ | ∴∴∴∴∴∴
|| 巡回_|_| ̄ ̄ ̄ |.|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|. ≡ ∴∴∴∴∴∴
lO|――|O゜.|____|.|| ―――――――┘ ≡
|_∈口∋ ̄_l__l⌒l | | コ□ニ//l⌒lソ ≡
 ̄ ̄`ー' ̄ `ー' ̄ `ー' `ー' ブロロ・・
781 :
人間七七四年:2009/07/16(木) 22:46:05 ID:46E5PvVC
織田でいえば信忠
豊臣でいえば秀長
徳川でいえば信康
782 :
五百石:2009/07/30(木) 02:38:13 ID:yz5N6+qj
藤堂高虎が秀長に仕え没後、養子の秀保に仕えるが早世。
そこで秀吉に仕えず出家したということは、秀吉自体には、魅力を感じていなかったということか。
復帰後も秀吉が亡くなる直前に家康に急接近したことでも、秀吉より秀長のほうに信奉していたことが、よくわかります。
でも、ひとがいいということは、天下人にはなれないかな。
783 :
人間七七四年:2009/07/30(木) 03:21:57 ID:VIQJFOj2
むしろ全盛期ですら、秀吉という人間を信用していたような人間がどれほどいたことやら。
784 :
人間七七四年:2009/07/30(木) 09:43:42 ID:uk9iV3EZ
秀吉はミニ織田信長。信長はおそらく海外に出ただろうが国内はやっぱり
がたがたになるだろう。天下統一の時点で秀吉はミニ信長をやめればよかった。
秀長が先に死ぬとは思ってもいなかったから大誤算。結局信長の考えは突飛で
現実とのすり合わせは無理。秀吉は大ぼら吹きと思われていても結局信長を
下敷きにしているだけ。現実とのすり合わせが出来ない秀吉が生き残っても
豊臣政権は無理。徳川に移るのも現実派から見れば当然。現実とのすり合わせは
石田ではとても秀長の代わりにならない。秀吉のブレーキ役は秀長しかできない。
逆に秀長が残り秀吉が先に死んだらうまく徳川と合流しただろう。藤堂高虎がその後の
秀長を継承している気がする。現実主義者は考える事が同じだから。
785 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 06:35:58 ID:gqaSiq85
>秀長が先に死ぬとは思ってもいなかったから大誤算。
おいおい秀長は早世でもなんでもないぞ。秀吉や家康が長命なだけで、秀長があのへんの年齢で
死ぬのは意外でもなんでもない。
>逆に秀長が残り秀吉が先に死んだらうまく徳川と合流しただろう。
どうやって?
藤堂家を豊臣家臣から徳川家臣へ乗り換えさせるのと、豊臣政権を徳川政権と合流させる(?)のは
まったくわけが違うぞ。
786 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 08:28:14 ID:L1m3uXcY
しかし組織力の問題から見ても、豊臣政権は永続化しようとすれば、何らかの形で
家康の影響下に入らざるをえなかったとも思う。
徳川家の体制が、当時でも最も先進的な近世的組織を作りつつあったのに対し、豊臣政権は
あまりに組織と仕組みがなさ過ぎる。内政も外交も、ほぼすべてを慣習で片付けていた。
これは秀長個人がいくら優秀であっても、どうにもならない問題だ。
787 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 09:41:48 ID:m08WzwcB
その辺、信長時代のいかにも封建制らしい封建制を引き継いだ秀吉政権と、
先進的な北条氏の体制を引き継いだ徳川家の体制との差だろうね。
788 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 10:00:55 ID:SbW9K6WD
合流と言うか、徳川も豊臣一門だしなぁ。
危機感を抱いて家康を閉め出さなかったら、徳川幕府はなかったかも?ね。
789 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 11:59:07 ID:L1m3uXcY
秀忠だって「豊臣秀忠」だしねえ。
秀吉が死んだ時点で既に、「徳川執権体制」という形になっていたように見える。
関が原は鎌倉幕府における、和田合戦みたいなものだと位置づけていいのではなかろうか。
790 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 17:47:19 ID:Rz1HuSc9
北条どの先進的だのってなんという史家の史論なの?
791 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 18:45:48 ID:L1m3uXcY
なんという史家も何も、もはや一般論だろ。
792 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 20:02:20 ID:Rz1HuSc9
一般論?
793 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 21:35:36 ID:m08WzwcB
ID:Rz1HuSc9=北条系のスレによく湧いて出てくる荒らし。放置推奨。
794 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 19:45:20 ID:qg9qDnMW
秀長がいたからまとまってたんだろ?
北条なんて血縁一族の集まりなんだから豊臣に当てはめるのは無理。
秀長がしっかり豊臣政権の基盤を作ればよかったが、その矢先に亡くなってしまった。
相談役の秀長がいないせいで武断派と官僚派は行動を見失ってしまったから崩壊したんでは?
福島正則「あいつムカツクんですよ」
秀長「まぁまぁ、落ち着け。俺から言っておくから」
が、秀長がいないと相談・調整役できる人間がいない。だから同じ意志を持った人間に相談しに行って徒党を君でしまうのだ。
福島正則「あいつムカツクよな」
清正「だよな」
みたいなイジメの原理。
木下家定とか浅野長政をもっと頑張らせるべきだったという暴論。
796 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 11:48:22 ID:/Er+7Lu1
長政は明らかに親家康派だった。
秀長の立ち位置も、長政に近いものだったのではないだろうか。
797 :
人間七七四年:2009/09/21(月) 19:52:03 ID:zSvoS+kw
この人の一番の謎は嫁だ。
側室の有無も不明だし。
娘の旦那がどちらも1579生まれだから、それ前後にはいたと思うが。
798 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 03:04:31 ID:Sn72DBw5
出陣
799 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 08:32:01 ID:LvD9Do7R
>5
朝鮮出兵を止めさせるために、家康と組んだかも。
800 :
800:2009/10/22(木) 08:34:07 ID:LvD9Do7R
800Get
>794
秀次もいたら良かったのに。
801 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 08:46:13 ID:ThKTXQPj
>>795 何の知識もないゲーム脳のお前がビクビク怯えながら予防線張って意見垂れてるだけで全て暴論。
という暴論・・(ていうか正論なんだけどね)
802 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 16:03:10 ID:PxfDNCpi
秀長も秀吉と一緒でガチホモだからなかなか子供ができなかったの?
803 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 19:37:09 ID:1GLUYBm4
なぜかキルヒアイスのイメージがある
804 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 15:57:42 ID:oICP9TT8
そう言う気持ち悪い事を言うから腐と言われる
805 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 23:25:54 ID:QrrNv+Iq
兄ちゃんより長生きしてたら・・・と言う副将的弟は他には
武田信繁
三好義賢
吉良親貞
あたりかな
806 :
人間七七四年:2009/12/18(金) 09:27:25 ID:CGLSzacr
惜しまれる、非常によいタイミングで歴史から退場したよな。
807 :
人間七七四年:2009/12/25(金) 18:47:54 ID:6LcAy4E+
へうげもので秀長も良かったけど秀次格好良すぎて吹いた
808 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 16:19:37 ID:Wb5Keon9
うむ。秀次こそ美味しい。
809 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 11:54:31 ID:9m5Yr/hO
存命していたら渡海して、現地でやっぱり病没ってことになってそうだ。
810 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 00:11:53 ID:TaZUObWP
早死にが悔やまれます
811 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 19:38:27 ID:Fwx9/m5e
そんなに早死にってわけでもないけどね
812 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 15:38:51 ID:+Jv5geJ/
up
813 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 21:02:10 ID:WlSYogW1
あげ
814 :
だぅ:2010/06/07(月) 12:28:48 ID:i8e3EG5o
52歳じゃなぁ、まぁしょうがないよな
関が原まで生きろというのは無理な話では
815 :
人間七七四年:2010/06/23(水) 07:15:39 ID:BYfFk6Ms
秀吉あってこその秀長だから
816 :
人間七七四年:2010/08/15(日) 07:48:03 ID:Q+q96Poq
残念だね
817 :
人間七七四年:2010/09/04(土) 09:22:46 ID:HRRRPuTB
子供が居たらなあ・・・
818 :
人間七七四年:2010/09/14(火) 22:14:49 ID:uHjhua1K
豊臣小一郎が大和紀伊百万石の大封を継ぐべき跡継ぎがいなかった
819 :
人間七七四年:2010/10/03(日) 19:58:16 ID:g3hBDHlg
秀保が死ななかったら豊臣と徳川の間で大和大納言家はどうなっていたか?
秀吉亡き後の危うすぎるパワーバランスの中で高虎がどう舵取りしてたかは気になる。
820 :
人間七七四年:2010/12/25(土) 17:11:20 ID:nwUvI6ng
秀長が出てくる面白い小説ないかな?
堺屋さんのは読んだ。あと学研M文庫のと家来の藤堂高虎が主人公の
「虎の城」と「下天を謀る」も読んだ。
マンガ「へうげもの」の秀長もかなりよかったんだが。
他にないかね?
821 :
人間七七四年:2010/12/25(土) 18:44:17 ID:MJMsS5p5
ベタだけど司馬遼太郎の「豊臣家の人々」は?
マンガならセンゴクにもたまに出る位かな
822 :
人間七七四年:2010/12/27(月) 12:47:17 ID:+mK9SeOH
あ、「豊臣家の人々」も読んだんだ。
センゴクも。
今山岡荘八の「豊臣秀吉」読んでんだけど、ぜんぜん出ないのな…
823 :
人間七七四年:2010/12/28(火) 10:29:33 ID:vxRMSjKE
仮想戦記だと進退窮まった秀吉がやむなく毛利に降って秀長がやむなく羽柴家当主になる話しが最近あったな
824 :
人間七七四年:2010/12/28(火) 13:55:06 ID:YXdoDOBT
>>823 兄弟で争うことになるのか……それとも上様にお手打ち?
825 :
人間七七四年:2010/12/28(火) 18:31:32 ID:vxRMSjKE
秀吉降伏で死にかけの半兵衛は秀吉サイドに残り、与力に加わったばかりの官兵衛はやっとられんわで織田に帰順
官兵衛が秀長を担ぎ上げて羽柴家安泰を信長に掛け合ったところ「んじゃお前らで秀吉ぶっ殺してこい」って話に
一方秀吉は秀吉で毛利家の中でまた這い上がろうと宇喜多と手を組んで暗闘を開始
かくて中国路を舞台に兄弟相克の争いがって話だった
あ〜結構最近読んだのに本の名前が思い出せんなあ…
826 :
人間七七四年:2010/12/28(火) 18:41:27 ID:vxRMSjKE
827 :
人間七七四年:2010/12/28(火) 23:54:12 ID:YXdoDOBT
>>825-826 半兵衛が残り少ない命を燃やし尽くすわけだ。
しかし秀長様はどんな気持ちなんだろう…いくら敵に降ったとはいえ、兄の首を取れと言われて。
828 :
人間七七四年:2010/12/30(木) 13:45:23 ID:k1zsukp2
絶対無理だろ。そんなん決意する秀長は秀長じゃない。
敵対するかっこうしつつ、どっかでまた兄者と一緒になれるよう
手を尽くしてんだよ、たぶん。
吉川の太閤記にも出番ほぼなしだっけな…
829 :
人間七七四年:2011/01/02(日) 07:19:16 ID:ptrtcE1L
兄者がいてこその秀長だしな
830 :
人間七七四年:2011/01/03(月) 14:01:03 ID:zAgnwAYK
昨日のドラマで出てたな
831 :
人間七七四年:2011/01/21(金) 08:28:26 ID:BJcQma4f
タイコウリキシデンってゲームでさ、秀長を選んでゲーム進めてたんだ。
んで、秀吉が長浜城主になって数ヵ月後に秀吉に謀反を持ちかけるんだ。
そんで秀長に説得されて秀吉は信長に謀反を起こす。その直後、秀吉に
「あなたの元を去ります」って言って羽柴家をおさらばして毛利家の家臣になった。
当然秀吉は攻め込まれて死亡。
832 :
人間七七四年:2011/01/21(金) 22:26:26 ID:6maSi1G4
秀長を補佐役に持って配下の武将に韓信あたり持ってきたら
俺も天下統一できると思うんだ。
833 :
人間七七四年:2011/01/22(土) 09:59:32 ID:PJ3Xuhpj
秀長が補佐役なら(竹中半兵衛から兵法を吸収した後のね)よっぽどザコじゃなかったら
天下取れるんじゃね?
834 :
人間七七四年:2011/01/24(月) 22:43:47 ID:iTXWxZvj
まず秀長から全幅の信頼を受けるに値するだけの器量を見せないとな。
秀長って結構シビアだぞ。
835 :
人間七七四年:2011/04/23(土) 11:54:49.37 ID:zl7CqT96
元農民とはホント思えない
文字の読み書きはいつごろから出来るようになったんだろうか?
836 :
人間七七四年:2011/04/26(火) 08:01:52.56 ID:qvrmh1pL
>>835 木下弥右衛門って村役人じゃなかったっけ。
農民は農民でも豪農だから、その子弟も読み書きできたんじゃないかな。
837 :
人間七七四年:2011/04/26(火) 14:31:27.12 ID:dS8ECi69
お寺に預けられたけどいたずらして帰ってきちゃった逸話があったのは秀吉だっけ?
秀長もそれぐらいの教育は受けていたのかねえ
それでも兄貴に連れてこられた頃は大変だっただろうなあ
838 :
人間七七四年:2011/06/03(金) 20:31:34.75 ID:FEWb8sd4
秀吉と秀長
現代だと星野仙一と島野育夫のような関係ではなかったかと思う
839 :
人間七七四年:2011/06/10(金) 12:12:11.15 ID:SD9LVj8V
星野は知ってるが島野ってのは初耳。
840 :
人間七七四年:2011/06/11(土) 20:22:26.67 ID:B2ptcZAS
島野なくして星野の闘将としての実績はなかっただろう
でもその島野が終生星野の部下であり続けたのは間違いなく星野の力
星野が阪神監督となったときも中日を抜けその下でヘッドコーチを勤めたが
北京五輪のときはすでに惜しくも死去していた
というような紹介の仕方はちょっと誘導的かな
841 :
人間七七四年:2011/06/12(日) 11:23:47.24 ID:pOEGlpWd
その島野ってのは知らないが、秀長の場合、彼に助けられた部分は多かったろうが、
彼がいなかったら秀吉の成功はなかったかというと、それはなかったんじゃないか。
逆に秀吉がいなければ秀長の出世はまず絶対になかったろうが。
842 :
人間七七四年:2011/08/11(木) 19:41:14.16 ID:CPaL9VQN
最近色々調べだしたんだけど
明智の丹波攻略戦にも参加してたの?
織田家時代からけっこう活躍してんだね
843 :
人間七七四年:2011/12/21(水) 07:15:19.22 ID:1OkVJq9h
小牧長久手の戦いで指揮をとればよかた
844 :
人間七七四年:2011/12/21(水) 13:00:19.55 ID:FZWgj4es
はい
845 :
人間七七四年:2012/02/27(月) 19:31:17.61 ID:QcYZ3Bm7
846 :
人間七七四年:2012/02/29(水) 10:35:20.93 ID:2vzr75GV
age
847 :
人間七七四年:2012/03/17(土) 20:58:24.54 ID:GWxNmzWX
あげ
848 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 07:24:22.48 ID:53CGEP4D
家康が見舞いにきたと史書には書いてあるが家康とは仲がよかったんだね
849 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 07:26:54.69 ID:LYC4+IFH
三河一向一揆以来の家康と本願寺の対立に、和解の仲介をしたのが秀長
850 :
人間七七四年:2012/09/13(木) 23:22:35.93 ID:ZOt53JIr
秀吉が天下人へと駆け上がれたのは、99%この実弟のお陰。
秀長在世時までは何もかも上手く進行していたが、彼が没した後は、豊臣家に何一つ慶事は無かったからな。
851 :
人間七七四年:2013/05/27(月) 06:03:31.26 ID:w6CgFrwD
家康と仲良かったってことだけど、秀吉より長生きしてたら家康は秀長とどう付き合うのかね。
秀長に喧嘩売ったら西国の大名はみんな秀長につくだろうし…
852 :
人間七七四年:2013/05/27(月) 06:17:49.14 ID:PqjcO/n8
そもそも家康が最初から天下狙っていたとか考えるほうが間違い
家康が本気で自分の政権を考えたのは、関ヶ原の結果からだ。
関ヶ原前はあくまで豊臣政権の第一人者だよ
853 :
人間七七四年:2013/05/27(月) 07:24:37.60 ID:RMEg73bW
>>852 いやどう見ても秀吉死後の家康は天下取りに動いてるじゃんw
854 :
人間七七四年:2013/05/27(月) 07:32:49.37 ID:PqjcO/n8
>>853 豊臣政権の中での主導権争いと独自性権の形成を一緒にするな
855 :
人間七七四年:2013/05/27(月) 07:38:45.63 ID:RMEg73bW
>>854 独自政権樹立に向けての行動が天下取りだろw
856 :
人間七七四年:2013/05/27(月) 07:45:04.76 ID:PqjcO/n8
>>855 関ヶ原の勝利がないと独自政権の条件が成り立たない。
関ヶ原がなければせいぜい豊臣家執政で終わる。天下人ではない。
家康は関ヶ原で大勝して初めて、政権を形成するだけの権威と権力を得た。
857 :
人間七七四年:2013/05/27(月) 10:15:51.36 ID:nl2rZoYj
>>1 マジレスすると
生涯たった一敗しかしてない秀頼とあまり変わらないレベルだよ
858 :
人間七七四年:2013/05/28(火) 22:34:09.21 ID:UEUoADe9
一度も戦場に出なかった秀頼と比べるのはちょっと可哀相
織田信忠の経歴みたいなもんじゃないの
赫々たる戦果だし人望もあったと見えて、その実は兄(父)というシステムあっての賜物という
859 :
人間七七四年:2013/05/28(火) 22:59:25.77 ID:8vHxMveL
山名氏政や祐豊や淡河に負けてる上にろくにたいした敵とも戦ってない雑魚が名将とか片腹痛いわw
860 :
人間七七四年:2013/05/28(火) 23:02:47.21 ID:ClLN6lXp
織田信忠こそ雑魚としか戦ってないしろくに戦績もないじゃん
武田征伐なんて武田が北条徳川戦の疲弊・甲江和与の影響で防衛体制解除・勝頼の失政自爆・タイミング悪くおきた浅間山噴火
と棚ボタ的に武田の不運の状況が重なって離反の連鎖になったのを火事場ドロしただけだし唯一抗戦した仁科1000以下に一門はじめ
多く討ち取られ最低でも4時間も戦われる醜態晒してるし岩村攻囲戦でも3万〜5万の大軍で半年使って自力で勝てず騙まし討ちしただけだし
861 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 01:26:21.62 ID:fWAsr49Y
秀長は4000そこそこで但馬を平定。
つうか戦国武将の中でも数少ない10万単位で兵を動かしたのは評価出来るよ。
862 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 01:49:54.16 ID:DdiaRcYv
10万単位の兵動かしたってでかい国力持ってたりでかい国力の勢力に兵貸し与えられてた武将なら大軍動かせねえアホなんていねぇわw
上杉憲政だろうが豊臣秀頼だろうが毛利アホ元だろうが徳川秀忠だろうが同じ。
863 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 01:50:54.25 ID:1mcjtaRR
但馬平定って天正7年・八年の連年で撃退されて中国口から毛利がヘタレ退却した後
勝ち目なしと悟った太田垣ら国人がやむなしと降っただけで自力でなんか落としてないわなぁ
山名氏政や祐豊や淡河に負けてる上にろくにたいした敵とも戦ってない雑魚が名将とか片腹痛いわ
864 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 01:52:07.19 ID:1mcjtaRR
九州征伐も島津が勝手に大友残党の立花や高橋に撃退されて自壊しただけだしなぁ
865 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 02:24:24.54 ID:DdiaRcYv
国力持ってる武将で大軍率いられなかった武将なんかいるのか?
普通に誰でも大軍集めるくらいできてると思うが。
秀頼や大野や秀忠みたいな凡クラでもできてるし上杉憲政だって率いてるし
866 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 02:50:02.81 ID:WX0aCQ4k
劉邦は韓信に、1万を指揮するのがせいぜいと評価されているが。
867 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 03:10:05.07 ID:1mcjtaRR
そんな三国志のどうでもいい本当かどうかもわからん逸話じゃなくて日本の戦国時代の武将で国力に恵まれながら
大軍率いられなかった雑魚武将あげてみてよ
868 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 07:41:20.85 ID:xV+IC7RE
ID使い分けの自演?
869 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 08:33:40.58 ID:sCh0o0ks
いつもの織田豊臣アンチだよ
たまーにアンチ豊臣の織田信者と
アンチ織田の豊臣信者で自演してる
870 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 10:35:05.12 ID:qZJSlien
>>862 >国力持ってたりでかい国力の勢力に兵貸し与えられてた武将なら大軍動かせねえアホなんていねぇわw
いねーなw
金吾ですら朝鮮征伐で総大将になってた時期があったw
871 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 19:13:53.37 ID:fWAsr49Y
なにを否定してんのかわからないんだが。
10万単位を指揮した数少ない武将っていうのは本当な訳で、そこ否定するとこか?アンチって話の論点ズラすの本当好きね。
872 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 19:46:50.38 ID:1mcjtaRR
10万単位の兵動かしたってでかい国力持ってたりでかい国力の勢力に兵貸し与えられてた武将なら大軍動かせねえアホなんていねぇわw
上杉憲政だろうが豊臣秀頼だろうが毛利アホ元だろうが徳川秀忠だろうが同じ。
873 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 19:48:48.58 ID:DdiaRcYv
国力持ってる武将で大軍率いられなかった武将なんかいるのか?
普通に誰でも大軍集めるくらいできてると思うが。
秀頼や大野や秀忠みたいな凡クラでもできてるし上杉憲政だって率いてるし
874 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 22:41:55.21 ID:Y/EB1XF/
>>867 漢の高祖劉邦の話なのに何で三国志だよ。400年ほど時代が違うわ。
875 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 23:12:38.80 ID:1mcjtaRR
どっちにしても日本の戦国期とは全く関係ない時代・国の戦史の本当かどうかもわからん講談逸話じゃん
876 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 23:19:24.38 ID:DdiaRcYv
>>865 実際問題そんな奴はいない。仮にいたとしてもその武将が雑魚だったというだけの話で
ほとんどの武将はそんな事鑓を持って走るくら当たり前にやってるんだから評価基準にするとか馬鹿にも程がある
877 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 23:22:19.86 ID:Y/EB1XF/
>>875 講談逸話じゃんて言われても史記に書いてある事だが。
まぁ、史記も書いてある事の全てが史実ではないが。
878 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 23:31:32.74 ID:1mcjtaRR
>>877 史記とか資料的価値ないだろ
そもそも劉邦でも国力など基盤があれば大軍動員できないわけがない
普通の頭で考えればわかる。今川氏真だろうが毛利アホ元だろうが石田三成だろうが
毛利輝元だろうが豊臣秀頼だろうが徳川秀忠だろうが一緒
879 :
人間七七四年:2013/05/29(水) 23:34:03.72 ID:DdiaRcYv
国力やら基盤があって大軍動員できないのはよっぽど国に内的要因(反乱・貧困・統制上や領国統治の問題)
があるかそういう特殊なケースだけだろ
んで日本の戦国時代の戦でそういうのは超稀な事例でしかなく雑魚だろうがクズだろうが同じ国力なら同じ動員数が動員できてる
880 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 00:18:45.40 ID:qJMj0Wr9
次はここが焦土と化すのね ゆるぎないな
881 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 00:27:15.27 ID:pjt3+vRz
882 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 00:31:43.33 ID:yVzcYX12
>>881 動員であろうが指揮だろうが同じ。国力や基盤があって大軍を指揮できなかった武将なんぞいない。
今川氏真だろうが毛利アホ元だろうが石田三成だろうが
毛利輝元だろうが豊臣秀頼だろうが徳川秀忠だろうが一緒
883 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 00:33:36.98 ID:vnNeaJis
但馬平定って天正6・7年の連年で撃退されて中国口から毛利がヘタレ退却した後
勝ち目なしと悟った太田垣ら国人がやむなしと降っただけで自力でなんか落としてないわなぁ
山名氏政や祐豊や淡河に負けてる上にろくにたいした敵とも戦ってない雑魚が名将とか片腹痛いわ
九州征伐も島津が勝手に大友残党の立花や高橋に撃退されて自壊しただけだし根城坂では宮部ら先遣隊が堅固に陣地を守備してたから
島津はヘタレ敗走しただけだし別に秀長の功責でもないだろ
884 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 00:47:18.48 ID:pjt3+vRz
それは違うぞ。動員は国力次第だが指揮は指揮官の能力次第だ。
指揮官の能力を超えた大軍は統率が取れない。
885 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 00:54:32.49 ID:yVzcYX12
指揮官の能力を超えた大軍とか意味不明
指揮官の能力があろうがなかろうが大軍の統率とは関係ない
無能な指揮官なら寡兵だろうが大軍だろうがうまく統率できないし
有能なら寡兵だろうが大軍だろうが統率する
886 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 00:56:15.30 ID:vnNeaJis
具体的に指揮官の指揮能力不足で軍の数が多過ぎて統率が取れず負けた例なんてあるのか?
大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるものだと思うが
887 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 01:05:16.28 ID:yVzcYX12
大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
888 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 04:14:30.68 ID:nf1JyY86
秀次は大軍率いて大失態。
889 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 04:36:37.48 ID:jFUXwDYU
>>888 それ以前に上杉憲政が8万の軍勢率いて10分の1の北条氏康にボッコボコにされてるし
関ヶ原でも石田三成が10万近くの展開した大軍の統率取れずに家康にわずか1日で大敗北してるな
どこまで率いていたか怪しいものがあるが大坂の陣の豊臣秀頼も5万〜10万の大軍率いて最終的に敗れて死んでいる。
秀頼はまあ20万と号する徳川幕府軍相手だから仕方のないところはあるが、石田三成や上杉憲政は典型的な「大軍率いることができずに敗れた武将」に当てはまるよ
890 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 05:37:04.19 ID:yGUUf3kb
三成が率いていたのは数千だが
891 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 06:44:45.86 ID:cky7+9TF
>>889 大軍は崩れだすと存外脆いよなあ
関ヶ原の戦いは東軍不利のはずなのに、勇猛果敢な東軍に押しまくられて
西軍は軍の過半が中立or寝返りを決め込んでしまうわ、その勇猛果敢な東軍を率いていた家康ですら、
大坂の陣では本多や小笠原が討死してあわや崩壊まで追い込まれるわで。
所詮大軍だって言っても大半は部下や協力関係にある領主達に懇願して味方になってくれた兵力だから
「俺様はこんなに味方いるんだぞ、どうだ凄いだろう」という威圧目的以外ではかなり博打な用兵だよな。
寝返られたら逆に即終了だし戦う気力ないけど惰性で付き従っている味方もいるしな
892 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 07:05:05.54 ID:jFUXwDYU
>>890 いやさすがにそれはかなり無理があると思うぞ
確かに西軍の総大将は毛利輝元だし指揮権は輝元にあるが
中核の毛利軍はてんでバラバラな動きをしているし輝元はもちろん秀元も結構酷い。
そしてこの大軍勢を擁する大勢力毛利輝元に総大将を預けたのは三成だが、前後の流れからして実質の主導者は宇喜多と三成も入ってる。
つまり宇喜多や三成も指揮権の一角を担っている。まあこのあやふやな指揮系統が関ヶ原の西軍の壊乱状態の一因とも言えるけど。
>>891 近代以降の体系が統一された画一軍隊と違って中世の軍事力なんて
所詮領主の連合体だからね。この問題はついぞ戦国時代では解決されず
大坂の陣ですら家康の采配に逆らって独自に動く大名家がいたりと不安定な軍勢だった。
もちろん家康や秀吉といった英雄は不安定ながら形に纏めてそれで勝利をもぎ取っているが
上杉憲政や石田三成などのように纏まりを欠いて瓦解することも珍しくなかった。
まあこれは普通の軍勢にも同様のことが言えるけど。
893 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 09:51:09.37 ID:yVzcYX12
>>888 長久手の戦いのこと言ってるならあれは秀吉の中入り戦術が糞すぎただけ。
秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに
すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
あの中入り作戦は秀吉が立案したもの
敗戦前日の丹羽長秀宛書状見りゃあの中入り作戦は家康本国への陸海両面攻撃の中の
一部として位置づけられ、中入りの過程でも途中で篠木柏井大草等に砦を普請する等あの作戦の計画性が読み取れ、池田の献策により急ごしらえで作られたといった事は全く読み取れない。
森の暴走等同時代資料に一切存在せず全く読み取れない。
仮に池田が献策してたとしても当時の力関係では秀吉とは比較にならず
否定しようと思えばいつでもできる。清洲会議の時点で丹羽や池田と秀吉では歴然と力の差が読み取れる。
丹羽は若狭の城主となって後出世が
頭打ちになり支配領域もそれ以上広がらず
さして大きくもない遊撃軍の一人の地位から抜け出せなかった。本能寺直前の四国征伐でも
信孝の補佐として蜂谷、津田信澄と並ぶ副将にすぎず本能寺の変当時も
京都から近い大阪近辺にいたものの軍勢が少なくて動けなかった。
清洲会議の1か月半後の8月11日付けで秀吉が長秀に宛てた
5か条からなる長文の手紙(専光寺所蔵文書)で次のことがわかる。
執政官の一人であるだけに滝川や信孝から長秀に訴えがあった。
しかしとても彼の力では裁定できない。それで秀吉にお伺いを立てて裁定を仰いでいる
安土城普請が遅れているので三法師が安土城に移る事ができず、
これは長秀の責任であると秀吉は詰っている。
秀吉自身も直接普請のため安土に行く覚悟である。
安土の普請の遅れについて言葉は柔らかいものの『(長秀の)御油断と存じ候』
という明らかな叱責な言葉が使われており二人の間が同格であるとは言えない。
池田はずっと小身のまま止められ一時は信忠軍団の一員にされ、
ようやく摂津の大部分の支配を委ねられ遊撃軍の地位に昇ったが
実績で言えば秀吉や勝家はおろか、丹羽にすら及ばない程度であった。
天正十年十月付けで恒興が摂津塚口神家に下した禁制と
同年十月十八日付けで同所に秀吉が下した禁制(興正寺文書)から
恒興と秀吉の権力の差が推し計れる。摂津塚口とは恒興が清洲会議で得た新領であり、
恒興の領分にまで秀吉が介入している有様がわかる。
二人は信長生前にして秀吉とは身上面で大きな差が生じ、
光秀謀反に際しても秀吉の東上を待つしか手立てがなく弔い合戦に際し
秀吉の指揮下に属する事により秀吉と二人の間にはっきりと縦の関係が生じた
のではなかろうか。秀吉は二人の執政官を実質上配下にしたが表面上は三人の合意の形をとり
己の野望を隠す事ができた(『尾張織田一族』谷口克弘)まして長久手時では清洲会議後
柴田・信孝・滝川を倒しますます権力関係に差がついているだろう。
894 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 09:57:43.96 ID:yVzcYX12
>>889 上杉憲政の場合は単純に自軍と敵軍の大将の指揮能力の差が大きいしそもそも一緒に攻めてた扇谷上杉
や古河公方が自分の部下でもなんでもなく同盟軍にすぎないというのが大きい
石田三成の例は統率というより小早川の離反や総大将の毛利のアホ行動のせいで負けただけでこれも統率の問題ではない
両将とも大軍自体は率いる事は成功しているが、単純に武将の指揮官の能力と自軍の武将が離反したり自軍総大将がアホだったり
自軍で一緒に戦ってた武将が部下ではなく単なる同盟軍だったり自軍と敵軍の指揮能力の差だったりするため
「兵が多いことによる統率不足による敗北」ではなく「軍勢内部の結束力のなさ、指揮能力の差」によるもので、兵が多いことによるものではない
現に兵が多いことによる問題だったというなら
>>887のように初めから寡兵で出撃すりゃよかっただけ
895 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 10:09:12.29 ID:yVzcYX12
>>891 それは「大軍だからもろい」のではなく、「敵も大軍であり、味方の大軍の中でろくに戦わなかった連中がいたからもろかった」だけ
大阪の陣は大阪方が大規模巨大城郭に大軍で篭もってたため多少苦戦してもおかしくないしそれ以上に大阪方は戦死しまくってる
>>所詮大軍だって言っても大半は部下や協力関係にある領主達に懇願して味方になってくれた兵力だから
同盟軍というならともかく部下や自領地域での家臣や兵なら「寡兵である敵」も同じ事なので言い訳にはならない
>>「俺様はこんなに味方いるんだぞ、どうだ凄いだろう」という威圧目的以外ではかなり博打な用兵だよな。
ばくちというわりに織田も豊臣も徳川も
>>887のように大量の資金物資人件費労力さいてまで毎回大軍そろえまくってる
そんなに大軍がメリットないなら毎回寡兵で出撃すりゃいいだけ
>>寝返られたら逆に即終了だし戦う気力ないけど惰性で付き従っている味方もいるしな
んな事敵だって同じだしそんな事いちいち気にしてたら合戦なんてできんわw
896 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 10:18:38.53 ID:yVzcYX12
>>892 関が原の敗因は毛利一族がクズすぎた点だな
○毛利輝元が家康打倒を考えておらず自領域の拡大のみを見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事
○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する
こんな馬鹿が西軍総大将なのが三成の運のつき
関が原の輝元の目標が自領域拡大であった場合→西軍総大将で本戦に負ければ自領域拡大も糞もなく逆に本戦に勝てば最大限に自領域は拡大
するのにそんな事もわからず援軍要請無視、大阪篭城、伊勢湾やら四国やらに兵分散させまくり18万もいる西軍を見事崩壊させた馬鹿
輝元の目標が西軍の大勝・家康妥当であった場合(関が原に大軍送ったり自分も総大将になった事からこちらの可能性のが高い)
→伊勢湾や四国に兵分散させまくり伊勢方面軍を編成しながら実際には伊勢には中途半端な兵を残したのみで攻められないなど無意味な戦略行動をし
美濃口が攻められた時も三成らからの援軍要請を無視しまくって美濃を突破され
関が原本戦だというのに総大将の自分はなぜか大阪に居座り秀元らに命令出せず見事毛利軍は役に立たず大敗
どちらにしても毛利がクズなのは間違いないな
>>近代以降の体系が統一された画一軍隊と違って中世の軍事力なんて 所詮領主の連合体だからね。
それは秀吉以前の織田政権や毛利上杉武田などの豪族大名な。秀吉期以降は軍閥化・軍隊の直轄化・指令の明細化に成功してる
(小牧長久手の時とか一々家臣に事細かに書状で指示送ってるし戦況報告もかなり明細になされてるし軍隊の統制化や直轄化が終わってないとできない陣立書という形式が導入されてる)
>>大坂の陣ですら家康の采配に逆らって独自に動く大名家がいたりと不安定な軍勢だった。
は?ソースよろ。
>>もちろん家康や秀吉といった英雄は不安定ながら形に纏めてそれで勝利をもぎ取っているが
秀吉の場合は単に敵の敵が味方だから棚ボタ的に火事場ドロできただけ
>>上杉憲政や石田三成などのように纏まりを欠いて瓦解することも珍しくなかった。
上杉憲政の場合は単純に自軍と敵軍の大将の指揮能力の差が大きいしそもそも一緒に攻めてた扇谷上杉
や古河公方が自分の部下でもなんでもなく同盟軍にすぎないというのが大きい
石田三成の例は統率というより小早川の離反や総大将の毛利のアホ行動のせいで負けただけでこれも統率の問題ではない
両将とも大軍自体は率いる事は成功しているが、単純に武将の指揮官の能力と自軍の武将が離反したり自軍総大将がアホだったり
自軍で一緒に戦ってた武将が部下ではなく単なる同盟軍だったり自軍と敵軍の指揮能力の差だったりするため
「兵が多いことによる統率不足による敗北」ではなく「軍勢内部の結束力のなさ、指揮能力の差」によるもので、兵が多いことによるものではない
現に兵が多いことによる問題だったというなら
>>887のように初めから寡兵で出撃すりゃよかっただけ
897 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 10:26:31.63 ID:vnNeaJis
秀吉が天下取れたのは単に棚ボタでしょ。そもそも天下など取っておらずあっけなく徳川に秒殺されるわけだが。
織田家臣だから当主の能力&恵まれた運や状況で織田家が膨張して大きく勢力拡張。山名&荒木&尼子残党&毛利の中途半端な介入で
ぐちゃぐちゃになってた播磨に運よく派遣されて戦わずして味方が多く集まって信長が光秀に殺されて光秀が主殺しの汚名負ったから味方が多く
あつまっただけ。毛利宇喜多上杉大友佐竹なども味方で対柴田戦でも勝家が雪に閉ざされて動けず佐々も対上杉で動けず
勝豊と勝家が不仲で信雄と信孝が不仲で稲葉が味方で前田や金森不破が戦の途中で兵を引いたから勝てただけ
秀吉の対戦相手なんて皆豪族国人連合の寄せ集め烏合の衆部隊の上に寡兵だもんなぁ
謀略・暗殺・家中の内紛による火事場泥棒ばかりで拡張し宇喜多南条始め寝返りばかりで
戦いのたびにドミノゲームのように勢力図の入れ替わるハリボテ西国大名毛利
前田・金森・不破が勝手に退却し稲葉らも美濃遠征で裏切りまくり結束力が0露呈した柴田
戦い当初から尾張では毛利、伊勢では神戸関信包田丸など離反の連鎖だった領国基盤ガタガタの信雄
徳政の連発・駿河も甲斐も南信濃も平定から時間がない上に領土安堵状を出すなど国人の自立統治を後押しする間接統治を行っただけで
譜代の石川ですら籠絡され木曽も離反し翌年小笠原も石川も水野も真田も離反するなど烏合の衆もいいところの徳川
まともな迎撃体勢すら整わずはなから離反の連鎖の応酬だった島津
わずか34500しかいない、戦意0で抗戦・主戦で割れていた北条
徳川に至っては北条氏政がたくらみが深い武将で家康留守中に背信して徳川領に侵攻するとのうわさが垂れ流されていた上
上杉も信濃方面へ侵入の構えを見せていたためかなりの兵力を本国に残したままだった。
家康が対秀吉時に四天王の他は大須賀康高、本多広孝、そしてその頃から秀吉に通じつつあり翌年に寝返った石川数正くらいで
数は8000程度。残りは信雄の軍に依存してた。しずヶ岳時も信雄味方で雪で勝家が出られない間美濃や伊勢で暴れ周り
勝家が出てきたら圧倒的兵力で襲えばよかっただけ(それでも柴田勝政らの撤退中を大軍で襲撃して持ち堪えられる始末)
山崎も兵力差圧倒的なのに光秀軍より多い被害だした。ただの雑魚
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)
佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、
松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
898 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 10:32:33.47 ID:yVzcYX12
> 池上裕子著「織豊政権と江戸幕府」より
>
> 「(佐久間盛信への)折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、
> 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは
> 各自に任されていた。
> これは鎌倉・室町期の武士たちの有り方と類似で、北条・武田らが所領貫高に比例して
> 軍役数を決定した方法といちじるしい対照を成す。
> 従って武篇道と戦果が問題となる。
>
> (中略)
>
> 信長は信盛親子に続いて、家老の林通勝(秀貞)、安藤守就親子、丹羽右近も追放した。
> それは信長の権力強化の表れのようにも見える。これをもって中世の武家権力と違って、
> 信長が家臣の所領に対し干渉しているとか、領域統治能力を問うているとかと評価して、
> 信長の権力は新しいとみる見方もあるがいかがであろうか。
>
> 信長は家臣を大名に任じて分国を統治させ、各方面ごとの総大将を任命して統一戦争を
> 戦っていかなければならない。
> 拡大する家臣団と支配領域に対応した家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成が
> なされていないからこそ生じた問題であろう。
> それを武篇道の督励で対応しようとしたのが追放策であろう。
> それは、信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに
> 原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。
>
> この問題の解決は秀吉の課題となる。
信玄が旗本を対象に陣立書を作成していたのは
軍事関係者の間では高く評価されているが
中央で言えば、小牧長久手での秀吉が一番最初。
陣立書は今までのような一揆的秩序の貫徹する軍隊内部に
命令系統と上下秩序を持ち込む戦争史の画期といえるもので
これを以って中世の軍隊との決別する新たなる公儀的軍隊編成となったとされている。
これにより、特定の戦争を想定し、自己の軍勢を最も効率的に配置し布陣することが徹底されることになる軍事革命である。
これが可能になる条件は徹底した検地を通じて軍役や普請役の統一的賦課基準を確立しなければならない。
いい加減丸投げ統治の信長には最後まで考えつくことはできなかった。
899 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 10:36:12.52 ID:vnNeaJis
最も格の高い丹羽や池田ですらさっさと秀吉に完全臣従してるしな
丹羽はさっさと秀吉に従属。長久手でも長重派遣&後から自身も尾張出兵
丹羽は若狭の城主となって後出世が頭打ちになり支配領域もそれ以上広がらず
さして大きくもない遊撃軍の一人の地位から抜け出せなかった。本能寺直前の四国征伐でも
信孝の補佐として蜂谷、津田信澄と並ぶ副将にすぎず本能寺の変当時も京都から近い大阪近辺にいたものの軍勢が少なくて動けなかった。
清洲会議の1か月半後の8月11日付けで秀吉が長秀に宛てた5か条からなる長文の手紙(専光寺所蔵文書)で次のことがわかる。
執政官の一人であるだけに滝川や信孝から長秀に訴えがあった。
しかしとても彼の力では裁定できない。それで秀吉にお伺いを立てて裁定を仰いでいる
安土城普請が遅れているので三法師が安土城に移る事ができず、これは長秀の責任であると秀吉は詰っている。
秀吉自身も直接普請のため安土に行く覚悟である。
安土の普請の遅れについて言葉は柔らかいものの『(長秀の)御油断と存じ候』
という明らかな叱責な言葉が使われており二人の間が同格であるとは言えない。
池田はずっと小身のまま止められ一時は信忠軍団の一員にされ、ようやく摂津の大部分の支配を委ねられ遊撃軍の地位に昇ったが
実績で言えば秀吉や勝家はおろか、丹羽にすら及ばない程度であった。天正十年十月付けで恒興が摂津塚口神家に下した禁制と
同年十月十八日付けで同所に秀吉が下した禁制(興正寺文書)から
恒興と秀吉の権力の差が推し計れる。摂津塚口とは恒興が清洲会議で得た新領であり、
恒興の領分にまで秀吉が介入している有様がわかる。
二人は信長生前にして秀吉とは身上面で大きな差が生じ、光秀謀反に際しても秀吉の東上を待つしか手立てがなく弔い合戦に際し
秀吉の指揮下に属する事により秀吉と二人の間にはっきりと縦の関係が生じた
のではなかろうか。秀吉は二人の執政官を実質上配下にしたが表面上は三人の合意の形をとり
己の野望を隠す事ができた(『尾張織田一族』谷口克弘)まして長久手時では清洲会議後
柴田・信孝・滝川を倒しますます権力関係に差がついているだろう。
池田・森も秀吉が伊勢に侵攻するや否やさっさと秀吉に従属
追記するとして三月20日秀吉書状で秀吉は池田を池勝入と呼び捨てにして其の方と完全に上から目線で書いている
また犬山へ留守居を堅固に申し付け森を同行して池尻に来るように指示をだし「置目」のごとく
城城へいれる留守居は秀吉の方から申し付ける事を指示を出すというように完全に縦の関係が読み取れる
また森の3月26日付け書状で茶壷を秀吉様に進上をして母上は手当てを秀吉様からおもらいになって
森家の後継ぎは忠政ではなく「長可の地位を継ぐ事は大変困るので、兼山の城は要衝なのでもっとしっかりした者を配置なさいませ」
と秀吉様にいいなさい。母上は必ず必ず京都にお住まいになってください。忠政がこの城の後継ぎになるのは困ります。
万一今回の戦が全面敗北になる場合はみんな城に火をかけて死になさい。
というように森は秀吉に対し様をつけ、また進上と完全に目上の人への言葉を使っている
さらに宇喜多も援軍を秀吉の要請に応えて尾張に派遣し上杉・木曽・河野・十河、
信包・神戸ら南伊勢諸将も従属。石川もこの頃から秀吉に離反しかけているのが徳川方史料でわかる
小牧長久手では尾張転進時の兵力10万に加え、伊勢方面軍2万4千に岐阜後詰6千で総勢13万もの圧倒的大軍を動因している
900 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 10:37:28.40 ID:vnNeaJis
清洲会議の時点で丹羽や池田と秀吉では歴然と力の差が読み取れる。
丹羽は若狭の城主となって後出世が頭打ちになり支配領域もそれ以上広がらず
さして大きくもない遊撃軍の一人の地位から抜け出せなかった。本能寺直前の四国征伐でも
信孝の補佐として蜂谷、津田信澄と並ぶ副将にすぎず本能寺の変当時も京都から近い大阪近辺にいたものの軍勢が少なくて動けなかった。
清洲会議の1か月半後の8月11日付けで秀吉が長秀に宛てた5か条からなる長文の手紙(専光寺所蔵文書)で次のことがわかる。
執政官の一人であるだけに滝川や信孝から長秀に訴えがあった。
しかしとても彼の力では裁定できない。それで秀吉にお伺いを立てて裁定を仰いでいる
安土城普請が遅れているので三法師が安土城に移る事ができず、これは長秀の責任であると秀吉は詰っている。
秀吉自身も直接普請のため安土に行く覚悟である。
安土の普請の遅れについて言葉は柔らかいものの『(長秀の)御油断と存じ候』
という明らかな叱責な言葉が使われており二人の間が同格であるとは言えない。
池田はずっと小身のまま止められ一時は信忠軍団の一員にされ、ようやく摂津の大部分の支配を委ねられ遊撃軍の地位に昇ったが
実績で言えば秀吉や勝家はおろか、丹羽にすら及ばない程度であった。天正十年十月付けで恒興が摂津塚口神家に下した禁制と
同年十月十八日付けで同所に秀吉が下した禁制(興正寺文書)から
恒興と秀吉の権力の差が推し計れる。摂津塚口とは恒興が清洲会議で得た新領であり、
恒興の領分にまで秀吉が介入している有様がわかる。
二人は信長生前にして秀吉とは身上面で大きな差が生じ、光秀謀反に際しても秀吉の東上を待つしか手立てがなく弔い合戦に際し
秀吉の指揮下に属する事により秀吉と二人の間にはっきりと縦の関係が生じた
のではなかろうか。秀吉は二人の執政官を実質上配下にしたが表面上は三人の合意の形をとり
己の野望を隠す事ができた(『尾張織田一族』谷口克弘)まして長久手時では清洲会議後
柴田・信孝・滝川を倒しますます権力関係に差がついているだろう。
あの戦闘の後秀吉は楽田の防衛力強化を命じていたりと持久戦の構えに変わる。
その内家康に北伊勢一揆や甲賀、丹波の土豪を蜂起させられその対処に追われ家康の勝利により
厄介な事態が生まれる契機になっている。敗報は十三日に京へ伝わり京では秀吉敗戦により織田・徳川連合軍
が上洛してくると思われたようで騒乱が数日続いた(『兼見卿記』)
長久手の秀吉軍の敗戦は単なる局地戦の敗戦ではなくまさに日本の中心である京までも騒乱に陥れる
一大事だった(長久手町史本文編)結局講和を持ち出したのも秀吉。
正直大将が秀吉じゃ誰が別働隊でも勝てないと思う。
秀吉の、宇喜多家臣長船、木曽義昌、あて先不明の三通の書状から
遅くとも敗戦翌々日の11日には秀長や蒲生など伊勢方面の攻略にあたっていた軍勢が到着した事がわかる
織田厨はわずか20町ほどの距離の敵に対してとった戦術を秀吉のせいとは考えず
池田森秀次に押し付ける馬鹿 そんなら秀吉が総大将として戦った戦なんて戦場から
ある程度はなれた場所にいたのがほとんどだから秀吉の手柄といえる戦なんて存在しないっつーの。
秀次の補佐役の木下兄弟も戦死し堀・長谷川は一旦的を退けたものの結果として味方見捨てて退却
池田・森はずっと南に移動し岩崎城陥落させていたが秀吉が丹羽、あるいは敗戦後の木曽や長船、その他あて先不明の書状に書いた内容だと
これらの行動を賞賛している。これは決して秀吉の命を無視した行軍ではなく完全に秀吉の命通りという事だ。
別働隊の暴走ではなく完全にその命を発した秀吉の戦術的敗北とわかる
秀吉が奇襲をやすやすと許してしまうような戦術を立ててしまったのがすべての要因
当時を記した日記などや合戦参加者が書いた合戦記などの記録類によると夏も春も砦間の小競り合い自体はあったため、
ただ単純に手出し云々というより秀吉が弱すぎて攻められなかっただけだと思われる
901 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 13:42:11.42 ID:Bq4u4zoP
うざ
902 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 16:18:16.62 ID:i3bI42/k
こんな過疎スレにも出没すんのか
暇人よなw
903 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 17:25:47.04 ID:jFUXwDYU
秀吉憎しが高じてこんなスレを荒らすだがw
わざわざIDも変えて信長叩きにも固執したがるだがw
そういえば上杉憲政と石田三成だけかと思っていたが
だが理論だと武田勝頼も当てはまるんだっけかw
確か信玄時代には6万の兵力がいて織田の滅亡など余裕とほざいていたが
勝頼時代には兵の大半が逃亡して1万人率いるのも苦しい状況だったらしいなだが理論では。
これも「大軍を統括できずに自壊した」例に含めていいかもしれんな
904 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 17:33:59.60 ID:vnNeaJis
指揮官の指揮能力不足で軍の数が多過ぎて統率が取れず負けた例なんてない
大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるというだけで
「軍の数」に起因するものではない(関が原の戦いが6000対7000の戦いだろうが、史実のように裏切り・日和見があれば間違いなく負けてた)
大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
905 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 17:38:03.50 ID:yVzcYX12
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。
信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
906 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 17:42:15.97 ID:ynzUa9QS
末期の武田は勝頼の失政自爆・対北条徳川戦の疲弊・甲江和与による防衛体勢解除など
国力に根ざす複合的要因があって織田・徳川・北条の侵攻に対して身内が離反だらけになって兵が集まらなかっただけでしょ
普通に上記の要因がなきゃ国力に見合った大軍動員してるだろうし指揮官の能力とか全く関係ない
907 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 22:22:48.20 ID:Qr+2//VB
指揮官の指揮能力不足で軍の数が多過ぎて統率が取れず負けた例なんてない
大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるというだけで
↑
【純粋に指揮官の戦術能力や采配能力が…】
これを統率が取れないと言うんだが。頭悪いのかな。
908 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 22:41:35.53 ID:yVzcYX12
>>907 いやよく読んでくれ。「軍の数が多過ぎて」「大軍のために」って書いてるんだが。
純粋に相手も大軍だったか寝返り・日和見(指揮能力以外の要因に起因する)が主要因だったか
「兵の数と関係なく」指揮官の指揮・采配・戦術・戦略面に問題があっただけじゃんって言ってるだけなんだが。
(関が原の戦いが6000対7000の戦いだろうが、史実のように裏切り・日和見があれば間違いなく負けてた)
909 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 22:56:09.19 ID:pjt3+vRz
>>908 >「兵の数と関係なく」指揮官の指揮・采配・戦術・戦略面に問題があっただけじゃんって言ってるだけなんだが。
それが兵の数が増えるとより難しくなるんだよ。10人くらいなら全員の顔が見えるけど100人になると無理だろ。
910 :
人間七七四年:2013/05/30(木) 22:58:55.42 ID:yVzcYX12
>>それが兵の数が増えるとより難しくなるんだよ。10人くらいなら全員の顔が見えるけど100人になると無理だろ
お前の妄想だろ指揮官の指揮能力不足で軍の数が多過ぎて統率が取れず負けた例なんてない
大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるというだけで
「軍の数」に起因するものではない(関が原の戦いが6000対7000の戦いだろうが、史実のように裏切り・日和見があれば間違いなく負けてた)
大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。
信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
911 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 06:34:41.25 ID:p8eAgVmv
妄想だろって、あんたも武将に直接聞いたのかよ。
912 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 07:23:10.74 ID:zRdkgRz9
普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
って、こいつは一の谷の戦いも知らんのか。
一次史料の「玉葉」では源氏軍2千〜3千、平氏軍は2万から数万とまで言われ、
しかも軍記物(平家物語など)にあるような「逆落とし」「奇襲」の類が一切使われず、
源義経、多田行綱、源範頼が悉く展開していた平氏軍に正面から激突してそれを撃退し
最終的に平氏軍は算を乱して撤退準備を行うも撤退用の船にすら乗れずに壊滅的な被害を受けたとある。
「最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃した」源氏方が
「大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃した」平氏方を破った好例じゃんw
913 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 09:41:48.89 ID:XbXv6lwO
>>911 お前が論拠も具体的に出さずに毎回
>>909みたいな妄想書いてるから反論しただけだよ
指揮官の指揮能力不足で軍の数が多過ぎて統率が取れず負けた例なんてない
大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるというだけで
「軍の数」に起因するものではない(関が原の戦いが6000対7000の戦いだろうが、史実のように裏切り・日和見があれば間違いなく負けてた)
大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。
信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
>>912 >>しかも軍記物(平家物語など)にあるような「逆落とし」「奇襲」の類が一切使われず
一の谷の戦いは一次資料だけじゃ合戦経過も詳細も何もわからないので奇襲や逆落とししてない根拠にはならない
大体そんな特殊なケースだけ上げてもらわれても困る。
普通の戦国期の武将は物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいにもかかわらず
毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
914 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 09:46:46.47 ID:TAbmuxXQ
>>911 どうみても妄想だろ。そんな事書いてる戦国武将も日記もないし現代の戦国史研究家もいないし
皆むしろ軍の数は戦争を大きく左右し、物資や兵数で戦争は決まるとされてる(ランチェスター法則)
お前の言うとおりなら皆戦国期の武将は位攻めや大軍を集結して寡兵の敵を叩くなんて戦法使うわけないし
毎回毎回
>>912のいうような一の谷の戦いみたいにわざわざ大国が寡兵で大軍の敵に正面衝突で戦い挑んで勝たなきゃいけなくなるな
915 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 09:53:10.86 ID:fwpW2LtW
普通の頭で考えれば地形に関係なく普通に正面からガチンコで戦えば大軍側が勝つに決まってるじゃん
20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
916 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 10:16:02.93 ID:p8eAgVmv
指揮能力で負けたことはない事にしているだけだよね(笑)
指揮能力の都合いい解釈にして(笑)
917 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 10:18:40.39 ID:TAbmuxXQ
疲弊した末期の武田でも無理矢理兵質に関係なく兵の頭数そろえようとしてたし
朝鮮出兵のときとか1万石あたり450人や500人という普通の動員数より遥かに多い人数そろえて
出撃しようとしてた家もあるし関が原の戦いや大阪の陣でも徳川や豊臣はフルに兵力頭数そろえようとしてたのに
寡兵の方が統率しやすいだの強いだの大軍は瓦解しやすいだの言って相当馬鹿だな
918 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 10:20:56.88 ID:fwpW2LtW
919 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 10:35:24.42 ID:w4julVdj
いつもの基地外さん元気だなぁ
920 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 19:30:50.90 ID:zRdkgRz9
>>913 「一の谷の戦いは一次資料だけじゃ合戦経過も詳細も何もわからないので奇襲や逆落とししてない根拠にはならない」とか意味不明すぎる。
どうせ逆落としだの講談要素を残しておきたいWikiの丸写しでもしてるんだろうが
一次史料の玉葉ではわざわざ藤原定能の報告と源頼朝の家臣梶原景時の出した使者の話を詳細に掲載していて、
それによればまず源義経が丹波、一の谷で平氏方の軍を撃退し
次に源範頼が福原にいる平氏方の軍と交戦してこれを撃退、
最後に多田源氏の源行綱が山手から平氏軍を撃退、いずれも平氏の防衛線を突破して
こいつらの神懸り的な強さにビビった残存の平氏軍が壊乱状態に陥り「1人も残らず」と記されるほど
算を乱して撤退した、とわざわざ事細かに書かれている。一次史料でここまできっちり書かれている戦いなんてほとんどないと言っていい。
つうか「玉葉」の寿永三年2月4日の記録では
福原に集まった平氏軍数万に対し、官軍と言える源氏軍はたった2千しか集まらず
「天下の大事」とまで書かれているほど厭戦気分が朝廷で高まってるし、
要するに文官や公卿といった「戦の素人」が「大軍じゃないと勝てないんじゃないか」って
不安がるから数を多く率いる例が多くなっただけだろ。
いくら戦巧者が率いて寡兵で勝っても後ろで寝返りや造反を起こされたら面倒なだけ
921 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 19:42:39.34 ID:XbXv6lwO
>>いくら戦巧者が率いて寡兵で勝っても後ろで寝返りや造反を起こされたら面倒なだけ
常に味方の造反なんて気にしてたら一々合戦なんてやってられないし戦国期の武将でそんなの気にして動員を寡兵で選りすぐった者のみにしてる例なんて
皆無
造反されて困るのは合戦の最中でも同じで大勢連れて合戦の最中造反されるほうが遥かにリスク大きい
>>要するに文官や公卿といった「戦の素人」が「大軍じゃないと勝てないんじゃないか」って不安がるから数を多く率いる例が多くなっただけだろ
んで戦国期の圧倒的に多い国力分フルに使った動員の例でもそれと同じといいたいのか?
そうなら史料か論文くれ。豊臣も徳川も他の大名も重要合戦やら大体の合戦でも
国力に応じて無理なく動員可能な兵力はかき集めようとしており、兵力の数ではなく質を重視してるケースはほとんど見られない
この事から「大軍である」というだけで圧倒的アドバンテージで下記の寡兵のメリットを大きく上回る優位性があるとみるべき
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
922 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 19:44:47.91 ID:zRdkgRz9
そもそも平家物語などにある「一の谷の逆落とし」なんてどう見てもデタラメで
戦国板でも嫌われる「講談で虚飾した捏造記述」なのによくそんなのを信奉する気になるなあ
しかも奇襲箇所は「鵯越」という全く別の場所で行われたと書かれているし
平家物語では勝手に一の谷に平家全軍が結集していて上から降りてきた義経軍70騎だけのために
平氏方は敗走したという与太話でももっとうまく作るレベルで大嘘こいている。
もちろん一次史料の「玉葉」にあるような源範頼、源行綱の功績は全くなし。つうか戦闘は起こっていないかのように扱われてる。
いくら自分の都合が悪いからって、こんな一次史料にもない与太話を信用するのはよくないぞw
923 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 19:51:02.81 ID:zRdkgRz9
>>常に味方の造反なんて気にしてたら一々合戦なんてやってられないし
だから皆戦場に連れて行くんだろ、一箇所に集めるために
>>造反されて困るのは合戦の最中でも同じで大勢連れて合戦の最中造反されるほうが遥かにリスク大きい
戦闘中に離反されてもそいつ叩けば済むことだしなあ
領土に残留中に寝返られて本拠地乗っ取りとかされたら洒落にならんしな
>>んで戦国期の圧倒的に多い国力分フルに使った動員の例でもそれと同じといいたいのか?
天下を手中に収めんとする人間が一の谷の例知らんわけないしなあ
>>国力に応じて無理なく動員可能な兵力はかき集めようとしており、兵力の数ではなく質を重視してるケースはほとんど見られない
>>この事から「大軍である」というだけで圧倒的アドバンテージ
その「圧倒的アドバンテージ」は直接戦闘にほとんど関係がないって話なんだけどなあ
要するに「寝返りを生んでもすぐ叩ける」「敵と味方に対しても数で威圧する」という
政治的、外交的な側面でのアドバンテージであって、こんなの戦闘の指揮能力に該当すると言う方が頭おかしい
924 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 19:56:48.79 ID:zRdkgRz9
戦闘の指揮能力に該当する→戦闘の指揮能力に影響する
925 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 00:44:34.58 ID:vzul2TaB
多々良浜の戦いはどう説明すんの?ガチンコ勝負で兵力差なんか関係なかったけど。
926 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 00:51:30.80 ID:PiY4wlBT
あれは毛利軍が指揮官が無能すぎただけだろ
毛利なんて正面衝突で宇喜多や大友や蹴散らされまくり
南条数万石にも撃退されてるし雑魚すぎる
927 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 00:56:15.68 ID:vzul2TaB
多々良浜の戦いは毛利じゃないよ?
それと松平長親の今川勢迎撃戦は?指揮官能力が大きいと思うんだが。
兵力差が全てじゃないよ。指揮官能力は大きく影響する。持っている兵力を
どのように動かすかは指揮官にかかっているからね。
秀長優秀決定。アンチ乙。
928 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 00:57:53.98 ID:PjoJTSxO
>>927 はあ?毛利じゃなきゃ誰なんだ?
普通の頭で考えれば地形に関係なく普通に正面からガチンコで戦えば大軍側が勝つに決まってるじゃん
20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
929 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 00:58:55.70 ID:PiY4wlBT
>>927 お前の妄想だろ指揮官の指揮能力不足で軍の数が多過ぎて統率が取れず負けた例なんてない
大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるというだけで
「軍の数」に起因するものではない(関が原の戦いが6000対7000の戦いだろうが、史実のように裏切り・日和見があれば間違いなく負けてた)
大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。
信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
930 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 01:00:37.79 ID:PjoJTSxO
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。
信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
931 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 01:11:25.01 ID:PjoJTSxO
>>だから皆戦場に連れて行くんだろ、一箇所に集めるために
アホかお前。戦場で離反されたら一度に敵と味方両方相手にしなきゃならんから殺される危険性が圧倒的に高くなるだろタコ
>>戦闘中に離反されてもそいつ叩けば済むことだしなあ
戦闘中に離反されたら士気が崩壊してそのまま軍が瓦解する。
戦闘中じゃなく単体で離反してくれたほうがまだ助かる。領国で離反されても単体での離反ならかえって殺せばいいだけ
>>領土に残留中に寝返られて本拠地乗っ取りとかされたら洒落にならんしな
そんな簡単に本拠地を無防備にして乗っ取りされるようなアホな大名はいない
>>天下を手中に収めんとする人間が一の谷の例知らんわけないしなあ
一の谷の例なんて超レアケースで、正面衝突で大勝するのが普通とか語られても困る
大体「本拠地で離反される場合の危険」を考えて兵力を総力借り出してる論拠も史料も論文もなくただの妄想
朝鮮出兵のときとかわざわざ大軍借り出しながら家康や伊達など東国大名は残されたりしてる
お前のいってるのが本当ならまず先に外様連中を借り出して疲弊させ、譜代連中を残しておいて最後に外様が疲れた所で譜代の頼りになる連中を繰り出せばいいだけ
>>その「圧倒的アドバンテージ」は直接戦闘にほとんど関係がないって話なんだけどなあ
なんでほとんど関係ないんだよアホ
わざわざ兵糧物資人件費恩賞と大量のリスク犯しながら手間かけて毎回毎回アホみたいに大軍動員するんだよアホ
お前は軍事学の基本から学べ。兵力比の2乗が戦力になり、戦争においては物量や兵力が圧倒的に物をいうのは軍事の基本だし普通の脳味噌で考えればわかるだろ
>>要するに「寝返りを生んでもすぐ叩ける」「敵と味方に対しても数で威圧する」という 政治的、外交的な側面でのアドバンテージ
そんな事を書いてる論文もなきゃ史料もなきゃ論拠もない。お前の完全な妄想。
離反されるようなのがわかってるような武将は真っ先に先遣隊で派遣させて死の危険に直結するような軍事指令出してなきゃいけない事になるし
戦争中に離反されたら敵と味方一度に敵に回す事になり、挟撃されて殺される危険まで生まれるだろうがw
932 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 01:19:59.87 ID:1yVobUkH
指揮官の能力を超えた大軍とか意味不明
指揮官の能力があろうがなかろうが大軍の統率とは関係ない
無能な指揮官なら寡兵だろうが大軍だろうがうまく統率できないし
有能なら寡兵だろうが大軍だろうが統率する
>>927 論点がずれてるな
兵力比はすべてではないがかなり大きく戦局を決定し、渓谷だろうが平野だろうが山地だろうが正面衝突でガチンコで
同装備でやりあえば100%大軍が勝つ
これを覆す事ができるのが指揮官の能力で、うまい戦術であり、優れた采配、あるいは偶発的条件・運
圧倒的兵力で寡兵の敵を潰すというのは圧倒的に物量による影響が大きい戦争においてはごく普通のことなので指揮官の能力とは関係ない
(ロボットが率いようが、寡兵の敵に正面から大軍で挑めば100%勝てる)
よほど相手が強い武将とか不運な状況があったときは別だがな
933 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 01:25:21.21 ID:PiY4wlBT
大体領国内の離反気にしていながら他国への戦争ふっかけて攻め込んでる馬鹿はいないよ
領国内の情勢も抜き差しならないのに他国への侵攻とか普通に考えれるわけねーだろ
領国内部の統治と反逆者離反の疑いの者への対策が第一で外征は二の次だろ
毛利でも国内で離反されてから外征なんてしばらく滞ってるし
領国内に残しとくと離反されるかもしれないから戦争に連れて行っただけとか糞妄想にも程がある
934 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 02:08:56.46 ID:vzul2TaB
>>932 だから松平長親の今川勢迎撃戦は?って聞いてるの。
多々良浜の戦いは毛利だって言ってる時点でおかしいぞ。
935 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 02:20:38.42 ID:PiY4wlBT
>>934 おかしいのはお前の頭。
決定的に元春はじめ雑魚毛利は立花道雪の猛追撃に付け狙われ大敗走してる。
西国盛衰記
毛利軍が立花から降雪の深夜に小倉へ向かって長躯敗走描写において
凍えて脱落していく兵すら見捨てて逃避行してる。
子が親を捨て、家臣が主を捨てて大敗走のあとに
「我一にと逃げ行くを小倉の津まで追討にせし程に、
其の行程十余里が間は、死人算を乱せるが如し・・・」と続く
その結果、永禄12年11/15の夜に3491の首を討たれ毛利軍崩壊。
この時の殿に大失敗したのが元春の殿の指揮。
その裏づけ史料として有名なのが吉弘文書で、これにも辛10/15のこととして
紹運の兄の鎮信だけでも100人以上を討ち取ってる。
辛10/27に吉弘家中の者たちの分捕高名の着到状を見た宗麟が激賞してる。
936 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 02:25:47.14 ID:PjoJTSxO
多々良浜では立花城をとられた後はに道雪が小早川隆景隊を破ったり
大友が優勢な戦いが多いからな。それで援軍送ろうとした毛利の隙を突いて大内輝弘送って、
撤退に追い込み、吉弘鎮信隊(弟の紹運も所属)が中心に追撃して3491人を討ったとされてる。
937 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 02:57:13.44 ID:Du3OPM+H
多々良浜の戦い(たたらはまのたたかい)は、南北朝時代の1336年(建武3年)に行われた合戦である。
938 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 02:58:23.86 ID:Du3OPM+H
戦国時代の多々良浜の戦い(たたらはまのたたかい)は1569年(永禄12年)5月に発生した、
立花山城の帰属を巡る大友宗麟と毛利元就の戦いである。
なお、実質的な戦場は多々良浜よりやや東の多々良川両岸であったため、
多々良川の戦いと呼ばれることもある。
939 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 08:22:11.67 ID:XEtv0HXF
だがはほんと話全く聞かないな
第一次の多々良が浜の戦いのこと話してるのに
毛利アンチがしたいために第二次の話をするし
しかも信憑性のない史料はおろか捏造しまくりだし
940 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 09:19:14.95 ID:1yVobUkH
多々良浜を毛利のものと勘違いしてたのは認めるが信憑性がないとか捏造しまくりとかはないな
多々良浜では立花城をとられた後はに道雪が小早川隆景隊を破ったり
大友が優勢な戦いが多いからな。それで援軍送ろうとした毛利の隙を突いて大内輝弘送って、
撤退に追い込み、吉弘鎮信隊(弟の紹運も所属)が中心に追撃して3491人を討ったとされてる。
941 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 09:27:11.80 ID:0j8KJv3O
コピペ貼らないのかwww
942 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 12:06:06.32 ID:O41vkYsT
>>931 >>アホかお前。戦場で離反されたら一度に敵と味方両方相手にしなきゃならんから殺される危険性が圧倒的に高くなるだろタコ
おまえは味方をどこに布陣させる気だよw
味方を後方に布陣させるなんてそれこそレアケースだろ
基本味方も敵も総大将の前方にいるんだから味方が寝返ったところで殺される危険性など皆無。
>>戦闘中に離反されたら士気が崩壊してそのまま軍が瓦解する。
そら軍の大半が寝返ってしまったような関ヶ原の事例ではそうなってしまうな。
自軍の大半が寝返るとかならまだしも自軍が大軍なのに寝返り生んだところで
戦局に与える影響なぞたかが知れてるしなあ。仮に関ヶ原で東軍の誰かが西軍に寝返ったところで
大局がかわって西軍が勝つなんてまずありえねーしw
>>朝鮮出兵のときとかわざわざ大軍借り出しながら家康や伊達など東国大名は残されたりしてる
>>お前のいってるのが本当ならまず先に外様連中を借り出して疲弊させ、譜代連中を残しておいて最後に外様が疲れた所で譜代の頼りになる連中を繰り出せばいいだけ
豊臣政権の話をしたいのなら家康はむしろ親藩大名にあたるんだが
家康の嫁は秀吉の妹だし、家康の子供は秀吉の養子。ここまで親族関係の厚い大名家は他にいないよ?
そもそもその家康や伊達も最前線の名護屋まで連れて行かれ、跡継ぎにしていた豊臣秀次は
日本国内で悠々と国内統治してるんだが?宮部、中村、堀尾といった豊臣譜代衆でも参戦許可されなかった武将も多いぞ?
都合の悪い事実は無視か?w
>>一の谷の例なんて超レアケースで、正面衝突で大勝するのが普通とか語られても困る
そう思い込みたいだけでしょw
2倍くらいの兵力比なら跳ね返している連中も多いしなあ。
>>お前は軍事学の基本から学べ。
軍事学が大成したのは1900年代のそれもヨーロッパ中心に根付いたものなんだが
おまえは1900年以降の近代ヨーロッパの法則を中世の日本社会に当てはめるのか?w
戦う武器も違えば戦闘スタイルも支配体制も社会構造も全然違うぞ?
>>そんな事を書いてる論文もなきゃ史料もなきゃ論拠もない。お前の完全な妄想。
中国の孫子では
「凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。
軍を全うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ。是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。
戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。 」と書かれているんだけどなあ。
大軍で威圧して敵をビビらせ、そのまま降伏させるのが最も良い方法だとされているし
ヨーロッパで根付いた軍事学よりよっぽど参考に出来る話だよなあ。
最初の部分でも「主 孰れか賢なる、将 孰れか能なる、天地 孰れか得たる、
法令 孰れか行なわる、兵衆 孰れか強き、士卒 孰れか練いたる、賞罰 孰れか明らかなる」で
あまり兵力数なんて重視されていないし、「故に勝を知るに五あり。
戦うべきと戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。」と寡兵でも普通に勝てると明言されているが・・・
943 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 12:12:36.41 ID:O41vkYsT
そもそも、戦争なんて大半は雑兵の心理に優先されるしなあ。
大軍で寡兵に挑もうとする軍の大半なんて、ただ勝ち馬に乗って恩賞に預かりたい連中ばかりだし
逆に寡兵で大軍に挑もうとする軍の雑兵は、普通に考えれば敗北戦死の可能性高いのにそれを無視するイカれた奴らばかりだし
そんなイカれた連中が獅子奮迅の働きをしちゃえば、自分の命惜しさに戦意喪失なんてザラにある話だしなあ。
一の谷の戦いなんてこれの典型だし、大軍だろうが寡兵だろうが雑兵のモチベーションが変わらないのは信長の野望くらいでしょw
944 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 12:42:50.01 ID:PjoJTSxO
>>おまえは味方をどこに布陣させる気だよw 味方を後方に布陣させるなんてそれこそレアケースだろ
前方に布陣→敵と寝返った味方が結託して押し寄せてきて崩壊
後方に布陣→敵と寝返った味方に挟撃されて崩壊
>>基本味方も敵も総大将の前方にいるんだから味方が寝返ったところで殺される危険性など皆無。
前方にいる味方と敵とが一緒に押し寄せてきて軍の壊滅は必至
>>そら軍の大半が寝返ってしまったような関ヶ原の事例ではそうなってしまうな。
たとえ寡兵でも合戦の最中に寝返りが起きたら大いに士気に影響する
勝手に味方の退却により軍が崩壊した耳川やしずヶ岳の例みりゃわかる
>>自軍の大半が寝返るとかならまだしも自軍が大軍なのに寝返り生んだところで
そんな寡兵しか寝返らない状況なら合戦の最中で寝返った所でたかがしれてる
総大将しかが殺されさえしなきゃ総大将が率いる大軍が領国に戻って反逆者を討伐して終り
大友隊対毛利でそれぞれの領国で寝返った連中は、結局敵地のど真中での反乱は補給物資も連携する味方もなく孤立無援でことごとく討伐されてる
>>戦局に与える影響なぞたかが知れてるしなあ。仮に関ヶ原で東軍の誰かが西軍に寝返ったところで
>>大局がかわって西軍が勝つなんてまずありえねーしw
そんな寡兵しか寝返らない状況なら領国に残しておいても全く問題ない。頼りになる小数の部下だけ連れて寡兵で出撃するほうが
物資・兵糧・機敏性・行軍スピード・戦後の恩賞などありとあらゆる点で有利
>>豊臣政権の話をしたいのなら家康はむしろ親藩大名にあたるんだが家康の嫁は秀吉の妹だし、家康の子供は秀吉の養子。ここまで親族関係の厚い
親藩だろうがなんだろうがその後の豊臣政権を崩壊させて天下を乗っ取るような武将を領国に残す必要はないし
上杉伊達佐竹とか東国の外様連中で動員が課されなかった・課されたが総軍率いた西国とは違って大部分を領内に残してた連中も同じで
わざわざ反乱のおそれがある外様大名を国外侵攻戦において残す必要なく、朝鮮出兵の先勢として使うべきなのがお前の論理
945 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 12:43:08.84 ID:PjoJTSxO
>>そもそもその家康や伊達も最前線の名護屋まで連れて行かれ、跡継ぎにしていた豊臣秀次は日本国内で悠々と国内統治してるんだが?
家康も伊達も反乱起こされたらきわめて厄介になるであろう土地に残されてる上に領国にも兵が多数いると考えられるから
お前の主張「寝返りや造反を恐れて外様連中含めて大勢で出撃しようとした」は全く筋が通らない
つうかそんなアホな主張歴史家も論文も資料でも全くなくお前のアホ妄想としかいいようがない
>>宮部、中村、堀尾といった豊臣譜代衆でも参戦許可されなかった武将も多いぞ?
福島加藤黒田とか叩き上げ系の連中やら宇喜多とか外様とはいえ大藩であり、当主が若い・共闘期間が長い譜代に近いような連中は悉く朝鮮出兵させられてる
>>そう思い込みたいだけでしょw 2倍くらいの兵力比なら跳ね返している連中も多いしなあ。
跳ね返してるのは相手の油断・指揮官の戦術、指揮官の采配、有能無能・偶発的条件、幸運・城攻めや野戦陣地、地形の恩恵などの影響で
跳ね返してるだけで正面衝突で同じ条件で同じ装備でガチンコで遣り合えば100%大軍側が勝つのが当時の戦争
寡兵で勝つなんて上記の条件がないと普通には無理
>>軍事学が大成したのは1900年代のそれもヨーロッパ中心に根付いたものなんだが
>>おまえは1900年以降の近代ヨーロッパの法則を中世の日本社会に当てはめるのか?w
>> 戦う武器も違えば戦闘スタイルも支配体制も社会構造も全然違うぞ?
それをいうなら孫子やら史記やらの時代とは戦国期は支配体制社会構造武器が全然違うし
お前のあげてる一の谷やら多々良浜は時代が違いすぎるから例には上がらない(封建制社会の戦国期と違って
御家人や地頭の権限が非常に強く縦の関係が弱い)から例としては不適
軍事学の基本戦争においては物量や兵力が圧倒的に物をいうのは常識だし普通の脳味噌で考えればわかる
>>「凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ 軍を全うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ。是の故に百戦百勝は善の
>>善なる者に非ざるなり戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。 」と書かれているんだけどなあ。
それは「兵の数の多さ」による圧倒的な戦争への影響を否定するものではないから論拠として不適
>>大軍で威圧して敵をビビらせ、そのまま降伏させるのが最も良い方法だとされているし
同上。兵数の多さが戦局を決定し、戦争は数で決まるという主張を否定するものではない
>>ヨーロッパで根付いた軍事学よりよっぽど参考に出来る話だよなあ
昔のアホな先人の残したものより近代合理主義の元で論理的に研究された学問である軍事学の方が遥かに信用できるのは当たり前
昔の学問なんて今の学問に比べりゃハナクソみたいなもんだし現代人から見て大して価値もない。自然科学でも人文科学でも社会科学でもこれは同じ
>>最初の部分でも「主 孰れか賢なる、将 孰れか能なる、天地 孰れか得たる法令 孰れか行なわる、兵衆 孰れか強き、士卒 孰れか練いたる、賞罰 孰れか明らかなる」で
勝ちやすきを勝つは最善の策なりとか書いてるだろ。大軍で寡兵を押し潰すのが最も勝ちやすく、これをするのが非常にローリスクで確実性が高いと孫子もわかってる
>> 「故に勝を知るに五あり。戦うべきと戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。」と寡兵でも普通に勝てると明言されているが・・・
寡兵でも勝てるなんて一言も言ってないし軍の数の戦争に与える影響の大きさを否定する言葉でもない
軍の数「だけでは」決まらず、他の要素も影響するといってるだけで、軍の数が戦争に圧倒的に大きな影響度を持つということはかわらない
946 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 12:50:28.20 ID:PjoJTSxO
>>そもそも、戦争なんて大半は雑兵の心理に優先されるしなあ。
雑兵を率いるのは大名の軍の指揮官なので雑兵の心理だけでは影響されない。影響されたからといって兵の数の影響度が低くなるわけではない
>>大軍で寡兵に挑もうとする軍の大半なんて、ただ勝ち馬に乗って恩賞に預かりたい連中ばかりだし
勝てば恩賞に預かれ、手柄を立てれば出世も見込めるのだから大軍側は圧倒的に士気が上がりやすい
>>逆に寡兵で大軍に挑もうとする軍の雑兵は、普通に考えれば敗北戦死の可能性高いのにそれを無視するイカれた奴らばかりだし
負ければ死の危険が待ち、勝っても領地が広がるわけでもないので恩賞がなくメリットがないので、
士気が非常に下がりやすく、結束力が弱いのが寡兵。現に戦国期において大軍で攻められた寡兵側のが圧倒的に離反・逃亡・戦わずして降伏の連中が
多いので、それだけ圧倒的大軍であるというだけで味方の士気・敵軍の瓦解などアドバンテージが大きいと見るべき。
>>そんなイカれた連中が獅子奮迅の働きをしちゃえば、自分の命惜しさに戦意喪失なんてザラにある話だしなあ。
そんな例日本の戦国期にはまず見られず、単純に兵力比がひっくり返ったのは両将の指揮官の能力や偶発的条件や地勢の優劣などで決してるだけ。
>> 一の谷の戦いなんてこれの典型だし、大軍だろうが寡兵だろうが雑兵のモチベーションが変わらないのは信長の野望くらいでしょ
一の谷の戦いは戦国期と時代が違い過ぎるし戦国期の合戦からみたら例外中の例外なので日本の戦国期の合戦の典型例として当たり前のように上げるのは不適
947 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 14:59:50.62 ID:XEtv0HXF
>>940 >多々良浜を毛利のものと勘違いしてた
松平長親の今川勢迎撃戦は?と聞いてるのに人を頭おかしい扱いして今更勘違いとかないな
悪意100%の故意犯であることは見え見え
>道雪が小早川隆景隊を破ったり
不意を突いて少しばかり戦線を押し込んだだけでまたすぐ膠着状態に戻っている
破ると表現するまでには全く至っていない
>3491人を討ったとされてる。
これ捏造
毛利側が夜間に撤退したのを気づかなかったため大友側の追撃の成果はほとんどなかったというのが北肥戦誌や宗像記にある
そもそも3千人討ち取られるとか大崩れレベルなので確実に他の史料に残らないとおかしい
大友の史料は誇張捏造多いからこういう戦果は他の史料と照らし合わせなければ信憑性皆無
948 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 16:45:49.82 ID:1yVobUkH
軍事的常識として
戦死者数の5倍以上の戦傷者や戦闘不能者が発生すると言われている。
1/10の戦死者ということは軍隊として崩壊してる。
しかもこの戦死者は吉川の軍であり、
それの前の戦いで小早川軍が道雪に破れて大被害を出している。
大内や尼子の残党を毛利側が都合が良い言い訳にしてるが
実際は小早川の敗北が決定打になってるのは間違いない。
>>不意を突いて少しばかり戦線を押し込んだだけでまたすぐ膠着状態に戻っている
>>破ると表現するまでには全く至っていない
全体でみても下記のように毛利は押されまくっており、大友は圧勝してる
大友との盟約を破り毛利2万が怒留湯主水がわずかな兵で守る門司城を奇襲する。
大友1万5000で出陣し10月13日に開戦。
大友が終始優勢で、ついに15日に至り毛利が総崩れで山口へ敗走。
門司合戦に敗北した毛利は大友の侵攻を恐れ、筑紫や秋月に支援を約束して謀反を唆す。
弘治3年7月、大友軍が謀反した秋月を滅亡させる。驚いた筑紫も毛利の支援が絶望的なので自ら城に火を放ち亡命。
永禄元年、毛利2万が再度、早鞆の瀬を渡河し門司城を奇襲。宗麟が戦略外交で幕府の仲介で時間稼ぎをしつつ、尼子と同盟を結び包囲網を構築。
永禄7年、元就は豊前の要衝松山城などを大友に明け渡すことに同意し撤退。毛利輝元に娘を娶せて毛利との和平が結ばれた。
ちなみにこの宗麟の娘は毛利の再度の裏切り行為のために送られることはなかった。。
大友絶頂期が到来。
949 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 16:47:57.85 ID:1yVobUkH
永禄9年7月、尼子を滅亡させた元就は、また和平を破り宝満城督の高橋鑑種に謀反を唆し、それに伴い毛利3000とともに秋月や筑紫の復帰を後援。
この動きに麻生、宗像、城井、長野、千寿、後藤ら国人が同調。
大友は肥前や筑後の国人が龍造寺の動きを恐れて動員が進まなかったが、筑紫を降伏させる。
秋月&高橋救援のたまに毛利来るの噂により、宗像が立花城を襲撃しようとしたのを撃退。
永禄10年9月大友の撤退を秋月が1万2000で襲撃するも大友側が反撃し痛撃を与え撃退する。
夜になり風雨となり秋月が再度襲撃し、油断していた臼杵、吉弘が混乱敗走するも道雪が混乱を沈静化させ撃退。
永禄11年4月、立花鑑載が謀反し、これに同調し原田も挙兵。
これを受けて毛利は清水左近将監を将として立花救援に大規模出兵し立花城は1万以上に膨れ上がる。
筑前博多は大内、少弐の争奪争い以来の最重要拠点。ここを巡り毛利と大友の攻防が始まる。
永禄11年7月4日、道雪の調略で立花城落城。立花鑑載討ち死に。高橋城からからくも脱出した原田、衛藤らは清水とともに中国へ大敗走。
8月、原田、衛藤が立花城奪還を図り、再度、やってきた毛利の将たる清水と5000を集めて襲撃するも撃破される。
清水もなんとか新宮の浜から長門へ落ちた。
道雪との前回の戦いのダメージで軍隊崩壊状態から回復していない秋月は毛利の援軍敗北を知り戦わず大友に降伏。
秋月に続き、城井、長野、千手、麻生、宗像らも大友に降伏。
宝満城の高橋鑑種が孤立化。
永禄12年2月、大友全軍をあげて龍造寺討伐を開始し隆信を佐賀城へ押し込む。神代、馬場、八戸、横岳、犬塚、小田、姉川、高木が大友に降伏。
3月毛利4万で門司城奇襲し小倉城に着陣し長野氏の三岳城を落城させる(毛利の味方なのにキチガイ毛利に濡れ衣を着せられ血祭りにされた)
佐賀包囲で隆信はもはや風前の灯火だったが、毛利の侵攻を聞き、隆信と和議を結び大友全軍は博多へ急行。
(実質的に龍造寺の降伏で、毛利支援を行わない誓詞まで取られた)
竜造寺の援軍がこない&宝満城の高橋と合流に失敗した毛利がやむなく立花城攻め開始。
備蓄食料が少ない立花城では宗麟への使いを出し、食糧が尽きた立花城は宗麟の命令で開城。
950 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 16:51:05.85 ID:1yVobUkH
さてその宗麟は密かに豊後府内に帰って吉岡宗歓の秘策を実行に移していた。
それは制海権を握る村上武吉を買収し、9月に大内輝弘を無事に毛利領へ送り込むことと、若林鎮興に軍船を指揮させ毛利の補給路を断つと言う知略。
見事に村上武吉が見て見ぬフリをしたために大成功し、大友との戦線の見通しも暗いことから元就は九州からの完全撤退指令。
ちなみに合戦でも5月18日毛利4万と大友3万5000が立花を巡って決戦をし、道雪が小早川隆景隊左翼に突撃をかけて敗走させたために毛利全軍も敗走していた。
永禄12年11月15日雨天にみぞれが混じり降る寒風の夜に吉川元春を殿に撤退開始。
「士卒大いに凍え疲れ、親を捨て主を跡に置きて、我一にと逃げ行くを小倉の津まで追討。行程十余里が間、死人算を乱せるが如し、今日大友方へ討取る首数3491級」
そして置き去りにされた立花城の毛利軍も降伏。
毛利を待ち続けた高橋鑑種が11月下旬に、ついに大友に降伏し肥前、筑前、豊前の再制圧が完了し立花城には道雪が配置された。
毛利マンセー安西軍策でさえ、
毛利軍九州撤退の際に道雪が元春や隆景の使いに「そちらの陣が御敗軍の由」と発言し、
宗麟が立花城開城勧告で「今度中国勢敗軍のところ」と発言し、毛利側からはそれらになんら反論すらしてないのに毛利勝利ってw
毛利厨はほんと無知だな。
大内再興軍を輸送した若林鎮興はこのあとも大友水軍を育てて、国東半島封鎖戦で、ついに毛利水軍を撃破してますよ。
さらに島津侵攻軍には臼杵城防衛に活躍し、朝鮮役にも出陣。
しかも制海権の痛感した大友側は努力して1580年あたりには大友水軍を毛利水軍と同等かそれ以上になっちゃってますw
田北紹鉄の謀反が鎮圧された頃、田原親貫が城井鎮房と秋月種実に支援されて叛乱。
毛利が支援で派遣した毛利水軍は大友の名将若林鎮興が大友水軍を率い瞬殺し周防灘まで追撃掃討戦。
毛利の大敗を知り、田原側の城が次々に開城し田原滅亡。
951 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 16:53:00.68 ID:1yVobUkH
ちなみに大友は毛利と対陣してる中で
国東半島の田原本家(義鑑の遺言でも言及してるが、大友最大勢力で代々の田原本家は大友宗家に謀反をたくらんできた)の動向を常に恐れていたという不安要因を抱えていた。
永禄11年には大友側が北九州での毛利の策動に再上陸を予想し
四国の土佐一条氏や伊予宇都宮氏を煽り、河野氏に対して挙兵させて小早川軍の伊予への派兵に成功している。
このために毛利側は清水左近将監が北九州へ派兵され小早川や吉川らが派遣されないという
大友側の筋書き通りの兵力分散の愚をおかしており毛利派国人たちの中心人物の立花鑑載への更なる毛利の増派も避けられ、
毛利派国人たちの各個撃破に成功し、来るべき毛利大軍の上陸に備える時間稼ぎができた。
大内が豊前筑前を支配しており大友は筑前の立花周辺の飛び地くらいしか直轄地はないし大内滅亡でやむなく従った諸将といっても統治実績なんてない。
>>秋月は一応大友に従属するという形式にせよ旧領復帰
「一応」ってなんだw完全に土下座状態だ。
>> 高橋鑑種は豊前に移されてそこで大友に従属するにせよ半独立
半独立状態ってなんだw完全に大友隷属下に入ってる。その状況が壊れたのは耳川の戦いが原因であって毛利は関係ない。
毛利は大敗であり、大友の勝利。
952 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 16:55:35.95 ID:1yVobUkH
>>宗像は所領の半分を没収
お前wikiしか読んでないだろ。 宗像は毛利と手を切る蔦ヶ城を明け渡す宗像の知行地半分を譲り渡す 西郷党の領袖の袖河津隆家の誅殺
大友家臣の臼杵鑑速の娘を当主氏貞の質に迎える 道雪59歳の側室に当主氏貞の妹25歳をいれ化粧代として立花に 西郷庄300町の贈与と西郷党の強制移住。
ものすごい理不尽な要求に宗像は屈してんだよ。
>>大友と毛利の痛み分けであり
はぁ?なに寝言言ってんだ?耳川での大友の敗戦の影響まで毛利の功績になるのか?
>>軍記物で信憑性低い
西国盛衰記 子が親を捨て、家臣が主を捨てて大敗走のあとに 「我一にと逃げ行くを小倉の津まで追討にせし程に 其の行程十余里が間は、死人算を乱せるが如し・・・」と続く
その結果、永禄12年11/15の夜に3491の首を討たれ崩壊。その裏づけ史料として有名なのが吉弘文書で、これにも辛10/15のこととして
紹運の兄の鎮信だけでも100人以上を討ち取ってる。 辛10/27に吉弘家中の者たちの分捕高名の着到状を見た宗麟が激賞してる。
>>大分福岡などの県史はこれに否定的
へぇ、どう記述して否定の論拠にしてるのか書き出してね。 最近は書籍名を書いて内容を一切書かずに逃げる輩もいるからね
953 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 16:59:11.35 ID:PiY4wlBT
大内再興軍を輸送した若林鎮興はこのあとも大友水軍を育てて、国東半島封鎖戦で、ついに毛利水軍を撃破してますよ。
さらに島津侵攻軍には臼杵城防衛に活躍し、朝鮮役にも出陣。
瀬戸内海の制海権を握ってた分、毛利がチートだったわりにボロボロに負けまくったアホ元就。
しかも制海権の痛感した大友側は努力して1580年あたりには大友水軍を毛利水軍と同等かそれ以上になっちゃってますw
田北紹鉄の謀反が鎮圧された頃、田原親貫が城井鎮房と秋月種実に支援されて叛乱。
毛利が支援で派遣した毛利水軍は大友の名将若林鎮興が大友水軍を率い瞬殺し周防灘まで追撃掃討戦。
毛利の大敗を知り、田原側の城が次々に開城し田原滅亡。
秀吉も大友の手法を学んだのか、来島水軍も1582年には秀吉の調略で織田に寝返る始末。
大友三老(臼杵鑑速や高橋紹運の父である吉弘鑑理)の吉岡宗歓(吉岡長増)や大友水軍育成の若林鎮興は大友の隠れた名将ですね。
ビビり臆した元就が陶と戦うのを嫌がったが、ホモ変態兄の義隆を殺されて激怒していた隆元が強硬に陶に謀反するのを主張したからやむなく。
さらに厳島合戦は因島村上と来島村上の水軍が主力であり、
地理的に因島は小早川と親しく、能島は陶と親しく
来島水軍が去就をハッキリしない時に、元就が来島水軍が味方しなければ、
我々は破滅と泣きの言葉を書いている。
陶が拒否した瀬戸内海水運において元就は大幅譲歩して来島を必死に味方にしたから陶に勝てたにすぎん。
北九州攻防戦では大友の吉岡宗歓にこの点を見事に喝破されて、陶に付いて負けた側の能島の村上武吉の買収に成功させられ、
954 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 21:26:36.08 ID:CL8+f7yc
捏造指摘されると大量の捏造で応酬とかこいつ論外だな。
955 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 21:59:52.58 ID:PiY4wlBT
村上武吉が見て見ぬフリをしてもらってる間に、毛利の船舶による補給ルートの破壊と大内再興軍の無事な中国地方上陸を成功させられ
水軍に頼りきる元就が他力本願で勝った厳島合戦は、
結果として大友が正確に毛利の弱点を認識し周到に謀られ毛利大敗敗走する原因を作っている。
筑前方面の通行税を取る権限を武吉にちらつかせ村上武吉を買収した吉岡は最初、
元就に謀られているのか確認で、筑豊方面の毛利軍へ送る周防の食料貯蔵地を奇襲してみたが、
武吉が動かなかったために元就は大したヤツじゃないと知り計略の成功を予見した。
大友三老が相次いで逝き、自らも余命幾許もない老将の道雪の孤軍奮闘と嘆き「吉岡宗歓、臼杵鑑速の死後、大友の政治は無道である」
大友は毛利撃破で大友黄金期を迎えたが、それを支えた人材が相次いで逝くという悲運に見舞われた。
>>952 鼻くそヘタレ毛利に勝っても自慢にならんのがなんとも。
なんせヘタレ小早川隆景が明軍に恐れおののいて、
「た…たちばな3000は我ら他家の1万(自分基準で言ってるから要するに毛利精鋭1万)に相当する!先陣をお願い致します」と敵に臆して発言したことからもわかる。
吉川元春に至っては九州から中国地方への大敗走の殿をつとめてボロクソにされたヘッポコぶり。
殿をまともに勤められる武将すらいないのが弱毛利。
>>954 裏づけ史料も提示されてるし
>>950のように他にも撤退が「敗走」である論拠が提示されてるわけで、
捏造とする方が論外
956 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 23:35:59.65 ID:vzul2TaB
とりあえず松平長親の戦いじついて触れてくれよ。
指揮能力が高い軍団長だからこそです。
また、指揮能力が高いというのは、戦いをする上での布陣、戦略的行動の指針
を立てるなどを行なう。
よってこの能力に欠ける軍団長の軍団は雑魚。
布陣っていうのはすなわち陣形も合わさることだから戦術面イコール能力
にも直結する訳で。
秀長さんってすごい武将だったんですね。アンチさん乙。
957 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 00:09:30.47 ID:9370kLom
>>944 >>前方に布陣→敵と寝返った味方が結託して押し寄せてきて崩壊
>>前方にいる味方と敵とが一緒に押し寄せてきて軍の壊滅は必至
その程度で押されて瓦解するくらいならその戦はハナから勝てないもんだなあ
元々負け戦だったのがさらに負ける確率が高くなっただけでw
>>勝手に味方の退却により軍が崩壊した耳川やしずヶ岳の例みりゃわかる
賤ヶ岳や耳川なんて元々負け戦で勝てた、なんて言えるもんじゃねーからなあ
おまえの言い方を真似て言うなら「論拠として不適」だなw
「どう考えても勝てたのに、突然の味方の寝返りで勝てる戦を取りこぼした」例を教えてくれないかなあ
そんな戦いはあったかなあ?
>>そんな寡兵しか寝返らない状況なら領国に残しておいても全く問題ない。
それをやってあわや文官や朝廷の面々が「天下の大事」と混乱するほどだったのが一の谷の戦いなんだけどなあ
>>豊臣政権を崩壊させて天下を乗っ取るような武将を領国に残す必要はないし
>>家康も伊達も反乱起こされたらきわめて厄介になるであろう土地に残されてる上に領国にも兵が多数いると考えられるから
家康も伊達も日本の最前線基地の名護屋に連れて行かれてるんだけどなあ
朝鮮出兵時に領国で着々と勢力を整えて悠々としていたのは豊臣秀次くらいだよ?
家康が天下とったなんて典型的な結果論乙だしそれは秀頼に向かっていう言葉だなあ
秀吉存命期の家康なんて九州の名護屋にいるのにどうやって反乱起こすんだ?w
都合の悪い事実は悉く無視するんだなあ君ってww
958 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 00:11:35.39 ID:0udoxHiv
松平長親の戦いの兵数や戦況など軍記物に頼る部分が大きいし内実はよくわからないし
布陣、戦略的行動の指針が重要というのは当たっているが、それがすなわち兵数の多さの戦闘に与える圧倒的に大きな影響度を
否定するものではない。(兵数を集中して相手の弱い部分を叩くというのは兵法の基本で孫子もいってるし軍事学でも常識
であり、それだけ兵数が圧倒的に戦局を決定するような影響度を与えるということがわかる)
秀長の優れた戦略的指針や布陣っていつの事だ?
将の指揮能力とは全く関係なしでロボットでもできそうな位攻めしかやってこなかった印象なんだが
959 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 00:26:28.69 ID:0udoxHiv
>>その程度で押されて瓦解するくらいならその戦はハナから勝てないもんだなあ
なぜそうなるのか不明。例えば元々5対3くらいで優勢だったのが、まさか寝返ると思ってないタイミングで敵と一致結託して
味方の10分の3くらいが寝返ったら一気に戦局は劣勢になり、急な寝返りを受けて崩壊は必至
>>元々負け戦だったのがさらに負ける確率が高くなっただけでw
戦闘の最中での離反がいかに戦局に及ぼす影響度が大きいかもわからんアホ乙だな
多勢の味方や戦局が膠着してた状況で寝返りによって一挙に崩れたケースは耳川・関が原・しずヶ岳・摺上原などいろいろある
>>賤ヶ岳や耳川なんて元々負け戦で勝てた、なんて言えるもんじゃねーからなあ
前田や不破や金森が戦線離脱するまで佐久間や柴田勝政は撤退中を背後から秀吉の大軍の襲撃を受けて逆に反撃して跳ね返し戦線を膠着させているし
耳川も味方の勝手な退却で崩れただけで元々負け戦などというのは明らかに誤り
>> 「どう考えても勝てたのに、突然の味方の寝返りで勝てる戦を取りこぼした」例を教えてくれないかなあ
関が原耳川摺上原しずヶ岳あとは信長の金ヶ崎侵攻とか佐竹と葦名の白川領争奪、赤館合戦とかか。
>>それをやってあわや文官や朝廷の面々が「天下の大事」と混乱するほどだったのが一の谷の戦いなんだけどなあ
それをやってない例のが圧倒的に多いのが実情で一の谷は単なる例外
>>家康も伊達も日本の最前線基地の名護屋に連れて行かれてるんだけどなあ
一番離反されたら厄介な所においてるな。そこで離反されたら策源地がなくなるも同然で豊臣軍は総勢崩壊必至だな
>>朝鮮出兵時に領国で着々と勢力を整えて悠々としていたのは豊臣秀次くらいだよ?
東国の諸勢は大方動員されてない(陣立書でわかる)
>> 家康が天下とったなんて典型的な結果論乙だしそれは秀頼に向かっていう言葉だなあ
意味がわからん。外様中の外様である家康をわざわざ日本に残す必要なし。
>>秀吉存命期の家康なんて九州の名護屋にいるのにどうやって反乱起こすんだ?w
味方が渡海した後で反乱おこしゃいいだけだろ
960 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 00:27:40.54 ID:9370kLom
>>福島加藤黒田とか叩き上げ系の連中やら宇喜多とか外様とはいえ大藩であり、当主が若い・共闘期間が長い譜代に近いような連中は悉く朝鮮出兵させられてる
黒田はどう考えても叩き上げじゃないしそれは君の妄想乙だなあ
宮部中村堀尾といった昔からの付き合いのある譜代家臣でも出兵してない連中は多いんだよ
都合の悪い事実は本当に無視するねw
>>跳ね返してるのは相手の油断・指揮官の戦術、指揮官の采配、有能無能・偶発的条件、幸運・城攻めや野戦陣地、地形の恩恵などの影響で
都合の悪いケースは特例にして除外しようとする典型だなあ。
そんな条件つけたら『大軍で寡兵に勝つのは相手の油断・指揮官の戦術、指揮官の采配、有能無能・偶発的条件、幸運・城攻めや野戦陣地、地形の恩恵』とも言えるわなあw
自分の妄想を箔塗するためには論点をズラして絶対に引こうとしない、ネット無敵君の典型だなあ
>>軍事学の基本戦争においては物量や兵力が圧倒的に物をいうのは常識だし普通の脳味噌で考えればわかる
俺が言っているのは中世はまだまだ非現実的な話が信じられるような迷信的、呪術的要素が
まだまだ雑兵足軽連中が信じていた時代で、軍事学が根付いた迷信などほぼ否定された近代とはまるで
違うと言うことなんだけどなあ。そもそも軍事学というのは帝国主義や国防が背景にあるから
戦国時代や中世の勢力争いとは全く異なるんだが君は軍事学の基礎を本当に理解しているのかなあ?w
961 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 00:36:57.45 ID:9370kLom
>>同上。兵数の多さが戦局を決定し、戦争は数で決まるという主張を否定するものではない
書いてないことはいくらでもいえる典型だなあ。
>>勝ちやすきを勝つは最善の策なりとか書いてるだろ。大軍で寡兵を押し潰すのが最も勝ちやすく、これをするのが非常にローリスクで確実性が高いと孫子もわかってる
ここまでくるとすがすがしいくらい捏造乙だなあ
「勝ち易きに勝つ者なり」は、相手の好機を見逃さずに勝つことであって、事実
「故に善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わざるなり。」と書かれており
『大軍で寡兵を押し潰すのが最も勝ちやすく、これをするのが非常にローリスクで確実性が高い』
なんて孫子は一言も言ってないんだよなあ。
その証拠に孫子は「則ち我れは衆にして敵は寡なり。能く衆を以て寡を撃てば、則ち吾が与[とも]に戦う所の者は約なり。」と
わざわざ「寡兵で大軍に勝つ方法」を自著に載せてるんだよなあ。
君の理屈が正しければ、こんな理屈載せる必要全くないんだけどどうして載せているのかなあ?本当に孫子読んだことある?w
>>軍の数「だけでは」決まらず、他の要素も影響するといってるだけで、軍の数が戦争に圧倒的に大きな影響度を持つということはかわらない
その「他の要素の方が大きい」って話なんだけどなあ。
そもそも孫子では「兵の多寡」なんて下から数えた方が早いレベルの重要度だし
将や指揮官、実際の戦闘行為での判断力の方がよほど重要だと言われているなあ
>>勝てば恩賞に預かれ、手柄を立てれば出世も見込めるのだから大軍側は圧倒的に士気が上がりやすい
手柄にあずかるのは生きている連中だけだし寡兵を率いる連中の領地なんて大したことないからなあ
そんなやる気のない状態で負けそうになったらそりゃあ我先に逃げるわなあ
あと長々と反論しているのは結構だけど多々良浜の事例は出してないのでそれは別の人に言ってね
反論しているのは何も自分だけじゃないよ?w
962 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 00:39:53.06 ID:0udoxHiv
>>黒田はどう考えても叩き上げじゃないしそれは君の妄想乙だなあ
参謀格であり分国の自立大名じゃないんだからどうみても叩き上げ。
>>宮部中村堀尾といった昔からの付き合いのある譜代家臣でも出兵してない連中は多いんだよ
生駒も蜂須賀も秀家も因幡衆も但馬衆も垣谷も太田垣も戸田も秀勝も出兵してる
>>都合の悪いケースは特例にして除外しようとする典型だなあ。
どこがそうなのか不明、普通の脳味噌で考えりゃ100人と200人が同じ条件で戦えば100%200人が勝つなんて算数が理解できる程度の脳があればわかる
>>そんな条件つけたら『大軍で寡兵に勝つのは相手の油断・指揮官の戦術、指揮官の采配、有能無能・偶発的条件、幸運・城攻めや野戦陣地、地形の恩恵』とも言えるわなあw
なんでそうなるのか不明。戦力の集中化と相手の戦力の弱い部分を集中してつくのは軍事学の基本であり孫子も書いてるし
それだけ兵力が戦局にもたらす影響度が圧倒的に高い証拠
>>俺が言っているのは中世はまだまだ非現実的な話が信じられるような迷信的、呪術的要素が
>>まだまだ雑兵足軽連中が信じていた時代で、軍事学が根付いた迷信などほぼ否定された近代とはまるで
信じている事と、将と兵の指揮系統や権力関係とはまた別であり、根拠として薄弱。
>>違うと言うことなんだけどなあ。そもそも軍事学というのは帝国主義や国防が背景にあるから
>>戦国時代や中世の勢力争いとは全く異なるんだが君は軍事学の基礎を本当に理解しているのかなあ
軍事学の中の基本公式は、戦争を最も単純化し偶発条件など諸要素を無視したものであるため、装備や戦術、権力関係がシンプルであればあるほど
当てはまる。よってそれらが複雑である近代戦よりより単純な中世の合戦のがわかりやすく当てはまるし
そもそも孫子の時代と中世でも南北朝や鎌倉と中世でもかなり時代がずれてるが、それでも兵力の集中化と敵戦力の弱点を殲滅という基本公式は変化していない
963 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 00:45:36.56 ID:9370kLom
>>なぜそうなるのか不明。例えば元々5対3くらいで優勢だったのが、まさか寝返ると思ってないタイミングで敵と一致結託して
>>味方の10分の3くらいが寝返ったら一気に戦局は劣勢になり、急な寝返りを受けて崩壊は必至
そんなに寝返ったらどんだけ自軍が優勢でも勝てないもんなあ
単純な計算で10万の兵がいても3万は寝返っていくわけだしその時点で
自軍残った7万VS寝返った3万+敵軍いくらかなわけだから全然勝算ないんだよなあ。
>>多勢の味方や戦局が膠着してた状況で寝返りによって一挙に崩れたケースは
賤ヶ岳や関ヶ原なんてもともと最初から攻め手の織田、徳川軍が絶対的優勢だったしなあ
負けそうになった敵軍から離反者が出ただけで、そんなもんが出ずともどっちが勝つかなんて明白だった。
万全で正面から戦って勝てる戦にちょっとケチがついたレベルなんだよなあ。
>>それをやってない例のが圧倒的に多いのが実情で一の谷は単なる例外
例外が出た時点で100%ではないわけだけど、当初の主張(
>>915 )はどこへ行ったの?w
>>一番離反されたら厄介な所においてるな。そこで離反されたら策源地がなくなるも同然で豊臣軍は総勢崩壊必至だな
九州で離反して挙兵したところでどうやって勢力伸ばすんですかね?ww
もたついている間に中央から大兵力送られて終了ですけど。
まさか自領でもない他人の土地で兵糧や勢力基盤を確保できるとでも?w
>>意味がわからん。外様中の外様である家康をわざわざ日本に残す必要なし。
家康の息子の松平秀康は秀吉の養子、家康の息子の徳川秀忠の正室と秀吉の側室が姉妹、家康の嫁に秀吉の妹
戦国の基礎知識レベルでも家康は豊臣親藩なんだけど外様認定する理由は何?w妄想?ww
>>味方が渡海した後で反乱おこしゃいいだけだろ
日本に残っている豊臣軍はどう片づけるんですか?自領から遠く離れた九州でw
964 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 00:50:19.33 ID:9370kLom
とりあえず必死になってるのはわかるんだけど本当に孫子や軍事学を理解しているのかねえ
>>962でも「兵力の集中化と敵戦力の弱点を殲滅という基本公式は変化していない 」って言うけど
そもそもそれは兵数の多寡には全く関係ないんだけどなあ。孫子自ら
「故に善く将たる者は人を形せしめて我れに形無ければ、則ち我れは専まりて敵は分かる。
我れは専まりて一と為り敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。則ち我れは衆にして敵は寡なり。」
と数なんていくらでも采配で覆せるとまで言ってるのにそれを自分の妄想のために捏造していりゃ世話ないんだよなあ
あと
>>915の「100%勝てる」発言はいつになったら撤回するのかなあw
965 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 00:50:21.58 ID:0udoxHiv
>>961 >>書いてないことはいくらでもいえる典型だなあ。
意味がわからん。兵数の多さの戦局への影響度の大きさは以下のようにちゃんと説明されてる
故に〔善く将たる者は、〕人を形せしめて我れに形無ければ、則ち我れは専[あつ]まりて敵は分かる。我れは専まりて
一と為り敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。則ち我れは衆にして敵は寡なり。能く衆を以て
寡を撃てば、則ち吾が与[とも]に戦う所の者は約なり。
吾が与に戦う所の地は知るべからず、吾が与に戦う所の地は知るべからざれば、則ち敵の備うる所の者多し。敵の備う
る所の者多ければ、則ち吾が与に戦う所の者は寡[すく]なし。故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なく、
左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なく、備えざる所なければ則ち寡なからざる所なし。寡なき者は人に備うる
者なればなり。衆[おお]き者は人をして己れに備えしむる者なればなり。故に戦いの地を知り戦いの日を知れば、則ち千里にして会戦すべし。
戦いの地をしらず戦いの日を知らざれば、則ち左は右を救うこと能わず、右は左を救うこと能わず、前は後を救うこと能わず、後は前を救うこと能わず。
>>君の理屈が正しければ、こんな理屈載せる必要全くないんだけどどうして載せているのかなあ?本当に孫子読んだことある
むしろ寡兵が不利でなく、大軍が有利でなければこんな事書く必要は全くない。寡兵が不利だからこそわざわざ勝つ方法を書く必要がある
>>その「他の要素の方が大きい」って話なんだけどなあ。
なんでそうなるのか不明。戦力の集中は上記のようにちゃんと書いてある
>>そもそも孫子では「兵の多寡」なんて下から数えた方が早いレベルの重要度だし
>>将や指揮官、実際の戦闘行為での判断力の方がよほど重要だと言われているなあ
そんな事どこにも書いてない
>>手柄にあずかるのは生きている連中だけだし寡兵を率いる連中の領地なんて大したことないからなあ
生きる可能性が圧倒的に高いのは 大軍側。寡兵側は負ければ死の危険が待ち、勝っても領地が広がるわけでもないので恩賞がなくメリットがないので、
士気が非常に下がりやすく、結束力が弱いのが寡兵。現に戦国期において大軍で攻められた寡兵側のが圧倒的に離反・逃亡・戦わずして降伏の連中が
多いので、それだけ圧倒的大軍であるというだけで味方の士気・敵軍の瓦解などアドバンテージが大きいと見るべき。
>>そんなやる気のない状態で負けそうになったらそりゃあ我先に逃げるわなあ
それが圧倒的に寡兵側に起こりやすい現象だな
966 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 00:59:26.66 ID:0udoxHiv
>>そんなに寝返ったらどんだけ自軍が優勢でも勝てない単純な計算で10万の兵がいても3万は寝返っていくわけだしその時点で
>>自軍残った7万VS寝返った3万+敵軍いくらかなわけだから全然勝算ないんだよなあ。
だからこそお前のアホ論理「寝返りそうな連中を総じて連れて行くのは領国内での反乱を恐れての事」というアホ理論はおかしいといってるわけで。
>>賤ヶ岳や関ヶ原なんてもともと最初から攻め手の織田、徳川軍が絶対的優勢だったしなあ
>>負けそうになった敵軍から離反者が出ただけで、そんなもんが出ずともどっちが勝つかなんて明白だった。
相変わらず馬鹿だな。末森記前編利家武功覚書には利家・不破・金森の退却によって膠着が崩れたとキッチリ書いてるし
緒戦で中川清秀(秀吉と「兄弟の契りをしてる程重要人物)が戦死し、秀吉の大軍での襲撃を背後から食らった柴田勝政や佐久間勢は逆に反撃して秀吉方を跳ね返している
関が原のそれは島津が自分が戦わず静観してた言い訳を見苦しくしてるにすぎん
>>九州で離反して挙兵したところでどうやって勢力伸ばすんですかね?ww
そんなにあっさり単純で片がつく前提で語るならどこにいても同じ。むしろ兵站基地で使ってる九州のが朝鮮軍への兵站管理など
に重要にかかわるであろうから厄介
>>まさか自領でもない他人の土地で兵糧や勢力基盤を確保できるとでも?w
現地調達すりゃいいだけだろ。そこ占領して使えばいいだけ。つうかお前「領土内で反乱されたら厄介だから
連れてく」ってアホ主張しながら他人の土地で兵糧や勢力基盤確保できないとか矛盾しまくりのアホ主張とか頭おかしいだろ
967 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 01:00:49.09 ID:9370kLom
>>意味がわからん。兵数の多さの戦局への影響度の大きさは以下のようにちゃんと説明されてる
それは戦局への影響度が高いんじゃなくて兵数の多寡より判断力が重視されてるって話なんだけどなあw
>>むしろ寡兵が不利でなく、大軍が有利でなければこんな事書く必要は全くない。寡兵が不利だからこそわざわざ勝つ方法を書く必要がある
そもそも孫子は
「凡そ衆を治むること寡を治むるが如くなるは、分数是れなり。
衆を闘わしむること寡を闘わしむるが如くなるは、形名是れなり。」
「三軍の衆、必らず敵に受えて敗なからしむべき者は、奇正是れなり。
兵の加うるところ、石段を以て卵に投ずるが如くなる者は、虚実是れなり。」
と大軍で寡兵に勝つ方法も書いてるんだよなあ。しかも運用法が最も大事であるとまで。
やっぱり君孫子読んでないよね?w
>>そんな事どこにも書いてない
「曰わく、主 孰れか賢なる、将 孰れか能なる、天地 孰れか得たる、法令 孰れか行なわる、兵衆 孰れか強き、士卒 孰れか練いたる、賞罰 孰れか明らかなる。」
下から数えて3番目だねえw また単純に
「其の無備を攻め、その不意に出ず。此れ兵家の勝にして、先きには伝うべからざるなり。」
「凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。」
「故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仭の山に転ずるが如くなる者は、勢なり。 」と
孫子は指揮官の度量と戦場での判断力が重要だと何度も繰り返し記しているのだが、
その事実はいつまで無視するのかな?w
968 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 01:04:47.64 ID:0udoxHiv
>>
>>962でも「兵力の集中化と敵戦力の弱点を殲滅という基本公式は変化していない 」って言うけど
>> そもそもそれは兵数の多寡には全く関係ないんだけどなあ。孫子自ら
なんで関係ないんだよアホ。兵力の集中化って事は戦争でそれだけ自軍が兵数が多い状況で敵の少ない所を狙って叩けって意味だろうがw
>>「故に善く将たる者は人を形せしめて我れに形無ければ、則ち我れは専まりて敵は分かる。
>> 我れは専まりて一と為り敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。則ち我れは衆にして敵は寡なり。」と数なんていくらでも采配で覆せるとまで言ってる
それの訳はそこで巧みに軍を率いる者は、敵軍には態勢をあらわにさせておきながら、自軍の側は態勢を隠したまま(無形)
にするから、自軍は兵力を集中するが、敵軍はすべての可能性に備えようとして兵力を分散する。
自軍は集中して全兵力が一つの部隊となり、敵軍は分散して十の部隊になれば、それは敵の十倍の兵力で、味方の十分の一の敵を攻撃することを意味する。
自軍の兵力が全体としては寡少で、敵軍の兵力が全体としては強大であっても、その小兵力で敵の大軍を撃破できるのは、個々の戦闘において合同して戦う自軍の兵力が
一つに結集しているからである。
だから要はナポレオンの使ったランチェスター法則に基づいた戦術と同じで、個々の合戦で自軍の有利な戦力・兵力を集中して
敵の寡兵の部分を個々に殲滅していけといってるだけで、兵力が圧倒的に戦争に大きく影響するということがわかるだけ。
969 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 01:15:42.86 ID:0udoxHiv
>>それは戦局への影響度が高いんじゃなくて兵数の多寡より判断力が重視されてるって話なんだけどなあw
なんでそうなるんだよアホ。兵力の多さが戦局に重要に決定するからこそ戦力の集中化の重要性を言ってるだけでもし
兵数の多寡の戦局への影響度が少ないならこのこと(戦力の集中化)は全く無意味
>>そもそも孫子は 「凡そ衆を治むること寡を治むるが如くなるは、分数是れなり。衆を闘わしむること寡を闘わしむるが如くなるは、形名是れなり。」
>> 「三軍の衆、必らず敵に受えて敗なからしむべき者は、奇正是れなり。 兵の加うるところ、石段を以て卵に投ずるが如くなる者は、虚実是れなり。」
>>と大軍で寡兵に勝つ方法も書いてるんだよなあ。しかも運用法が最も大事であるとまで。
普通にやりあって勝てないからこそわざわざ勝つ方法を書いてる。普通にやりあって勝てるならこんな事書く必要ないし
で大軍に勝つためには」運用法が重要と書いてるだけで運用法が軍の数の多さに勝るとはどこにも書いていない
>>下から数えて3番目だねえw また単純に
重要な順にならんでる論拠がない
>>孫子は指揮官の度量と戦場での判断力が重要だと何度も繰り返し記しているのだが
それが重要だとは書いていても兵数の多さの戦局への影響度の高さを否定するものでなく、むしろ逆だとわかる
(わざわざ寡兵で大軍を破る方法を書いてるし、兵力の集中化なども書いてる)
そもそも兵法書とは敵の兵を破る、勝つ方法論を解いたものといえるわけで、そんな本が「ただ兵数を多く集めろ」
などと国力のない者にとって無理難題を押し付けても意味がない。むしろ寡兵や国力のない者にとっていかに効率よく勝ち、勢力を伸ばす方法論を解いたもの
と考えるべき。
970 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 01:16:14.70 ID:9370kLom
>>だからこそお前のアホ論理「寝返りそうな連中を総じて連れて行くのは領国内での反乱を恐れての事」というアホ理論はおかしいといってるわけで。
都合が悪くなったら、人の主張にかこつける悪い例だなあ。
10万のうち3万が寝返ったとして、そいつらが全員領国で残っていたら一瞬で国が崩壊するもんなあ。
なんせ味方の指揮官はほとんど戦場にいていないし、そのまま残りの7万人まで取り込まれてしまうかもしれんしなあ。
実際に関ヶ原の戦いでは総大将の毛利輝元が不在だったせいでハナから統率体系が取れず、寝返りが出てもバラバラの動きなのが敗因に直結しているし
要するに政治外交要素のために大軍連れ出してるのであって戦闘では不利になるのは当然だからなあ。
どのみち寝返りだの裏切りだのする連中っていずれ寝返っていくのがオチだし
>>秀吉の大軍での襲撃を背後から食らった柴田勝政や佐久間勢は逆に反撃して秀吉方を跳ね返している
柴田勝政は賤ヶ岳で討死していたはずだけど記憶違いかなあ?w
あと前田や不破が勝手に撤退したなんて言われてもそもそも利家と不破は柴田の家臣じゃないからなあ
政治的、外交的な要素から軍を引いただけの事例になんの意味もないよなあ
主君の織田家に直接弓引くのが怖かったんだろう。
>>そんなにあっさり単純で片がつく前提で語るならどこにいても同じ。むしろ兵站基地で使ってる九州のが朝鮮軍への兵站管理など
朝鮮派遣軍が引き返して来たら国内残留軍と朝鮮派遣軍に挟み撃ちされるだけなんだよなあ
関東地方なら自領で挟撃なんてされにくいから反乱起こしやすいわなあ
971 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 01:26:44.07 ID:9370kLom
>>なんで関係ないんだよアホ。兵力の集中化って事は戦争でそれだけ自軍が兵数が多い状況で敵の少ない所を狙って叩けって意味だろうがw
>>だから要はナポレオンの使ったランチェスター法則に基づいた戦術と同じで、個々の合戦で自軍の有利な戦力・兵力を集中して
>>敵の寡兵の部分を個々に殲滅していけといってるだけで、兵力が圧倒的に戦争に大きく影響するということがわかるだけ。
無形の陣は敵に探られないようにするのが本分だってちゃんと書かれているんだけどなあw
「故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。」とまで書いてあるし挙句の果てには
「吾れを以てこれを度るに、越人の兵は多しと雖も、亦た奚ぞ勝に益せんや。敵は衆しと雖も、闘い無からしむべし」とまであり、
大軍をもっている越を引き合いに出して、兵の強大さなど勝利を確信するには全く至らない根拠であるとまで断言されている。
兵の多寡が重要じゃないことくらい、この一文を見ればすぐにわかることなんだがなあw
972 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 01:34:10.46 ID:0udoxHiv
>>10万のうち3万が寝返ったとして、そいつらが全員領国で残っていたら一瞬で国が崩壊するもんなあ。
戦場にいたら戦死する危険性があり戦死免れても敵+寝返った味方が一挙に領国に押し寄せてきて終り
領国内だったら即全地域占領とか難しいだろうし占領されても「自分の物でもない土地(笑)で兵糧物資兵など集まるはずもなく、味方が領内に戻ってきて殺されて
終了」
>>なんせ味方の指揮官はほとんど戦場にいていないし、そのまま残りの7万人まで取り込まれてしまうかもしれんしなあ。
なんで反乱する連中だけを領国に残す前提なんだ?頼りになる小数の味方以外の、寝返らなかった連中に討伐なり防戦なりさせればいいだけ
残りの7万が取り込まれる危険性は普通に寝返り連中が戦場にいた方が可能性高い(味方が戦闘中に寝返ったとしって連鎖的に戦闘中に寝返る
関が原みたいなもん)
>> 実際に関ヶ原の戦いでは総大将の毛利輝元が不在だったせいでハナから統率体系が取れず、寝返りが出てもバラバラの動きなのが敗因に直結しているし
>>要するに政治外交要素のために大軍連れ出してるのであって戦闘では不利になるのは当然だからなあ。
関が原の戦いは「戦闘中に味方が多く寝返って西軍が崩壊した例」であって「領国に残しておいたら離反されて崩壊した例」ではなく、
お前の主張「兵の数を集めようとするのは戦闘に及ぼす影響度ではなく、領内に残した場合の反乱を恐れての物」という主張は明らかに誤りなのがこれで証明されただけ
>>どのみち寝返りだの裏切りだのする連中っていずれ寝返っていくのがオチだし
だからこそ戦場に連れてくなんて馬鹿な判断をした武将はいないし論文でも史料でも歴史家でも全く主張していないお前の妄想なわけで。
>>柴田勝政は賤ヶ岳で討死していたはずだけど記憶違いかなあ?w
江戸期の史料だけだな。前田の史料とかだとちゃんと生きてる
>>あと前田や不破が勝手に撤退したなんて言われてもそもそも利家と不破は柴田の家臣じゃないからなあ
論点ずらし乙「戦場で離反された場合自軍が崩壊する危険性の例」の話なのもう忘れたのか
>>政治的、外交的な要素から軍を引いただけの事例になんの意味もないよなあ
>>主君の織田家に直接弓引くのが怖かったんだろう。
なにがいいたいのかわからん。だからなにとしか。
>>朝鮮派遣軍が引き返して来たら国内残留軍と朝鮮派遣軍に挟み撃ちされるだけなんだよなあ
それまでに北九州を占領して徳川の兵站基地にすりゃいいだけ。そんな簡単に討伐可能なら「領内に残した反逆者」も簡単に討伐可能
>>関東地方なら自領で挟撃なんてされにくいから反乱起こしやすいわなあ
でも朝鮮出兵を計画とする豊臣軍にとっては北九州が崩壊し、兵站基地が機能しなくなるのは大きな問題
なんにしろお前の主張なら家康を朝鮮まで引っ張り出して無理矢理戦わせて疲弊させるのが最善策
973 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 01:41:37.72 ID:0udoxHiv
>> 無形の陣は敵に探られないようにするのが本分だってちゃんと書かれているんだけどなあw
>> 「故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。」とまで書いてあるし挙句の果てには
それは全く戦争における兵数の多さの影響度を否定する文章ではない
>>「吾れを以てこれを度るに、越人の兵は多しと雖も、亦た奚ぞ勝に益せんや。敵は衆しと雖も、闘い無からしむべし」とまであり、
>>大軍をもっている越を引き合いに出して、兵の強大さなど勝利を確信するには全く至らない根拠であるとまで断言されている。
それは全く兵の強大さの戦争に与える影響度の大きさを否定する言葉ではなく、ただ兵が多くても油断してると負けるぞといってるだけ。
兵の多さの戦争への影響度の大きさは下記の文章でもわかる
故に用兵の法は、十なれば則ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻め、倍すれば則ちこれを分かち、敵すれば則能[すなわ]ち
これと戦い少なければ則能ちよくこれを逃れ、しからざれば則能ちこれを避く。故に小敵の堅は、大敵の擒なり。
>> 兵の多寡が重要じゃないことくらい、この一文を見ればすぐにわかることなんだがなあw
故に〔善く将たる者は、〕人を形せしめて我れに形無ければ、則ち我れは専[あつ]まりて敵は分かる。
我れは専まりて一と為り敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。則ち我れは衆にして敵は寡なり。
能く衆を以て寡を撃てば、則ち吾が与[とも]に戦う所の者は約なり。
吾が与に戦う所の地は知るべからず、吾が与に戦う所の地は知るべからざれば、則ち敵の備うる所の者多し。敵の備うる
所の者多ければ、則ち吾が与に戦う所の者は寡[すく]なし。故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なく、
左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なく、備えざる所なければ則ち寡なからざる所なし。寡なき者は人に備うる者なればなり。
衆[おお]き者は人をして己れに備えしむる者なればなり。故に戦いの地を知り戦いの日を知れば、則ち千里にして会戦すべし。
戦いの地をしらず戦いの日を知らざれば、則ち左は右を救うこと能わず、右は左を救うこと能わず、前は後を救うこと能わず、後は前を救うこと能わず。
と兵力の多さの重要性をちゃんと書いてる
974 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 02:12:50.13 ID:9370kLom
いくら論拠がないからって適当に引用しちゃいかんぞ・・・
夫れ兵の形は水に象[かたど]る。水の行は高きを避けて下[ひく]きに趨[おもむ]く。
兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵に常勢なく、水に常形なし。
能く敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。
と後に続くし、そもそも「吾が与に戦う所の地は知るべからず、吾が与に戦う所の地は知るべからざれば、則ち敵の備うる所の者多し。敵の備うる
所の者多ければ、則ち吾が与に戦う所の者は寡[すく]なし。」は兵を展開する判断力の話だ。
兵力の多さの重要性などほとんど書かれていない。
また
「故に用兵の法は、十なれば則ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻め、倍すれば則ちこれを分かち、敵すれば則能[すなわ]ち
これと戦い少なければ則能ちよくこれを逃れ、しからざれば則能ちこれを避く。故に小敵の堅は、大敵の擒なり。 」
これもまた、戦争でどの程度の兵を率いた場合、どの戦法を取ることが原則なのかが明記されているだけであって
「大軍なら寡兵に絶対有利、100%勝てる」と言う話ですらない。それを示すかのように「故に小敵の堅は、大敵の擒なり」とあり、
勢いだけでろくすっぽ戦術を考えず、徒に小勢が息巻いても、大軍の餌食になるだけとしている。
「多寡のどちらが有利不利であるか」ではなく、「徒な強襲は何の意味もなさない」という
前述されている謀攻、計が重要であると言う話なんだがなあ・・・
975 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 02:26:35.06 ID:9370kLom
>>領国内だったら即全地域占領とか難しいだろうし占領されても「自分の物でもない土地(笑)で兵糧物資兵など集まるはずもなく、味方が領内に戻ってきて殺されて終了」
言ってる論拠が滅茶苦茶だぞ?
その事例では領国内で寝返った味方の話なんだから、当然寝返った連中の領国も本土にあるし、
そこから領土を拡大すれば、味方が領土に戻る前に自分の領土を拡大するなんて当然できることだぞ?
当然至極のことだが、兵糧なんて言うのは元々自分が治めていた土地から接収すればいいわけで。
朝鮮出兵時の家康は領国の関東から遠く離れた九州名護屋にいるわけで、
当然飛行機もないこの時世では関東の自領から兵糧接収なんて不可能でそ
だから反乱なんぞ起こしたところで物資兵站がないんだから軍が勝手に自壊して
挟み撃ちされる頃にはもうズタボロの状態であると言ってるんだがなあw
>>なんで反乱する連中だけを領国に残す前提なんだ?頼りになる小数の味方以外の、寝返らなかった連中に討伐なり防戦なりさせればいいだけ
寝返らなかった連中が防衛や討伐のアテになるなんて、それこそ現実味のない話だからなあ。
関ヶ原でも石田三成ら関ヶ原布陣組の内部で起きた寝返りにビビったせいで、大坂の毛利輝元や
京都伊勢に展開していた西軍まで雪崩打って家康と戦うことをやめちゃったしなあ。
自分が少数しか率いてないのに、寝返った連中の方が数多かったら、寝返らなかった奴まで寝返り組についちゃうもんなあ。
>>論点ずらし乙「戦場で離反された場合自軍が崩壊する危険性の例」の話なのもう忘れたのか
もともと負けそうだった戦争で、寝返りを生んで決定的な敗北になってしまった、じゃあ何の意味もないよなあ。
それは別に「寝返りがなければ勝てたか?」という理屈に全く当てはまっていないし、別に前田金森が逃げなかったところで
倍以上を誇る織田、羽柴軍に勝てるわけないもんなあ。別に賤ヶ岳に布陣していた連中が織田羽柴軍の全ての兵力じゃないしなあ。
俺が言ってるのは「このままいけば勝てた」と言う戦争で「寝返りのために負けてしまった」という事例を出せって話なんだけどなあ。
賤ヶ岳の例ではハナから柴田軍が詰んでいただけのもんだし。
>>それまでに北九州を占領して徳川の兵站基地にすりゃいいだけ。そんな簡単に討伐可能なら「領内に残した反逆者」も簡単に討伐可能
兵糧がないのにどこに兵站基地を築くんだよって話なんだけどなあw
ゲームじゃないんだから戦争中の残存領国にロクな兵糧が残ってるわけないんだけどなあw
どこまで言っても信長の野望の発想しかないんだなあw
>>でも朝鮮出兵を計画とする豊臣軍にとっては北九州が崩壊し、兵站基地が機能しなくなるのは大きな問題
だから北九州の兵糧は大半が現地で戦争に赴く豊臣軍が持って行った後だから
北九州を占領しても徳川軍があずかれる兵糧はないんだよって話なんだけどなあw
976 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 02:41:55.45 ID:9370kLom
そもそも俺は最初から
>>923で
「戦場に連れて行くのは1か所に集め監視威圧しやすいため」と述べて
それの反対意見として
>>931で「戦場での離反は負けに直結する」と挙がり、
それの反対意見として俺が
>>957で「ちょっと軍が離反したくらいで負けるならどのみち負ける」と反論したから
反対意見側は最低でも「そのまま行けば勝ち戦だったものを、戦場での寝返りにあって負けた(だから戦場に連れて行くと寝返られて負けるから危険だ)」
という論拠が必要なのに、あげた戦いはといえば賤ヶ岳や関ヶ原だもんなあw
賤ヶ岳の戦いなんて総大将は遠く伊勢にいる織田信雄で羽柴秀吉なんぞたかが一武将にすぎんし
秀吉が仮にもし、どんなに暗愚で戦下手で討死でもしたところで、所詮織田一武将の死だから
主軸たる織田信雄が戦場に出てきて死ぬか、ビビって和議でも結ぶかでもないと話にもならんからなあ。
しかも小牧の時と違って徳川家康、丹羽長秀、毛利輝元など柴田軍を鼻糞レベルで笑えるくらい味方が多いし。
関ヶ原も所詮纏まりの欠いた西軍連中が相手だしどっちにしろ柴田、石田の賤ヶ岳、関ヶ原の事例は
ただ負けるべくして負けた戦いでしかないんだよなあ
977 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 02:56:03.45 ID:0udoxHiv
>>974 それはそもそも「寡兵で大軍を破る方法」の項で「戦力を集中せよ」の趣旨の項目の中で言われてる言葉なので
全体の要約としては戦力を集中化して敵軍の手薄な所つけ、つまり結局の所個々の戦争において圧倒的に兵力比が圧倒的に
戦局を決めるといってるにすぎない。前半部分を和訳すると
そこで巧みに軍を率いる者は、敵軍には態勢をあらわにさせておきながら、
自軍の側は態勢を隠したまま(無形)にするから、
自軍は兵力を集中するが、敵軍はすべての可能性に備えようとして兵力を分散する。
自軍は集中して全兵力が一つの部隊となり、敵軍は分散して十の部隊になれば、
それは敵の十倍の兵力で、味方の十分の一の敵を攻撃することを意味する。自軍の兵力が全体としては寡少で、
敵軍の兵力が全体としては強大であっても、その小兵力で敵の大軍を撃破できるのは、個々の戦闘において
合同して戦う自軍の兵力が一つに結集しているからである。
自軍が全兵力を集結して戦おうとする地点を予知できないから、敵が兵力を配備する地点は多くなる。
敵が兵力を配置する地点が増えれば、それぞれの地点で自軍と戦う兵力は手薄になる。
全面に備える者は後方が手薄になり、左翼に備える者は右翼が手薄になり、すべての方面に備えようと
する者は、あらゆる地点が手薄になる。
それぞれの地点の兵力が手薄になるのは、相手の出現に備える受け身の立場だからである。常に会戦地点での兵力が優勢になるのは、
相手を自軍の出現に備えさせる主体的な立場だからである。
と、兵力の集中化と敵戦力の手薄な部分を付くということが強調されてるだけであり、大前提として個々の戦闘において兵力比が
圧倒的に戦局を決定するということがないとこの戦法は成り立たない
後半部分の和訳は
そこで、戦争の原則としては、味方が十倍であれば敵軍を包囲し、五倍であれば敵軍を攻撃し、倍であれば敵軍を分裂させ、等しければ戦い、少なければ退却し、力が及ばなければ隠れる。
だから小勢なのに強気ばかりでいるのは、大部隊の捕虜になるだけである。
と、大軍の場合と寡兵の場合とで圧倒的に取るべき戦法が違っていることからも、戦闘における戦力の大きさの圧倒的な影響度の大きさがわかる
978 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 03:10:26.24 ID:9370kLom
>>977 おまえその「戦力を集中せよ」の項目は
訳文を載せたHPの管理人だかが勝手に書いてあるだけで
孫子の言っている一部分を載せただけにすぎないでそ
孫子の言い分はその部分が「虚実篇」とされていることや
「ゆえに兵を形すの極は、無形に至る」「兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。」
「故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。能く敵人をして自ら至らしむる者はこれを利すればなり。」と
将の判断力、兵の動かし方などがメインで語られているんだよなあ
979 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 03:37:28.09 ID:0udoxHiv
>>その事例では領国内で寝返った味方の話なんだから、当然寝返った連中の領国も本土にあるしそこから領土を拡大すれば
自分の領土から遠い地域にいようが近い地域にいようが、敵領地や敵策源地を乗っ取ってしまえば全く問題ない
家康の例でいうと豊臣方兵站基地の北九州は物資兵糧弾薬など圧倒的に集中してる事が予想されるため、それを全て奪って使えば問題ない
>>味方が領土に戻る前に自分の領土を拡大するなんて当然できることだぞ?
そんなら朝鮮から戦いの最中疲れた状態で遠路はるばる戻ってくる前に自分の領土を拡大する事なんて「当然できること(笑)」
>> 当然至極のことだが、兵糧なんて言うのは元々自分が治めていた土地から接収すればいいわけで。
至極当然のことだが、兵糧なんていうのは秀吉が朝鮮出兵のために用意している北九州の土地から接収したり、略奪や現地調達でまかなえばいいわけで。
>> 朝鮮出兵時の家康は領国の関東から遠く離れた九州名護屋にいるわけで、
>> 当然飛行機もないこの時世では関東の自領から兵糧接収なんて不可能でそ
朝鮮出兵時の豊臣軍は、それぞれの日本の領国から遠く離れた朝鮮や、関東など遠方にいるわけで、
当然飛行機もないこの時世では朝鮮や東国の自領から遠く離れた家康討伐なんて不可能だぞ
>>だから反乱なんぞ起こしたところで物資兵站がないんだから軍が勝手に自壊して
だから討伐なんてしようとしたところで兵站基地の九州が乗っ取られているんだから徳川より遥かに多くの軍勢をもち
兵糧物資が多く必要な豊臣軍は物資兵站がないんだから軍が勝手に自壊して
>>挟み撃ちされる頃にはもうズタボロの状態であると言ってるんだがなあw
家康討伐に到着する頃にはもうズタボロの状態であるといってるんだがなあ
>>寝返らなかった連中が防衛や討伐のアテになるなんて、それこそ現実味のない話だから関ヶ原でも石田三成ら関ヶ原布陣組の内部で起きた寝返りに
そんなら味方を領国に残さず全軍連れ出した場合も家康の寝返りにビビッて総勢雪崩打って連鎖的に寝返る危険性高いので論外
>>自分が少数しか率いてないのに、寝返った連中の方が数多かったら、寝返らなかった奴まで寝返り組についちゃうもんなあ。
つまり戦場でそういった味方の一人が寝返りをしたら寝返りしないはずの味方まで連鎖的に寝返り軍は崩壊するといいたいわけね
>> もともと負けそうだった戦争で、寝返りを生んで決定的な敗北になってしまった、じゃあ何の意味もないよなあ。
負けそうだったなんて根拠はない。むしろ秀吉と強大の契りしてる中川が戦死したり関が原でも通説では西軍有利とされてるほどで、
金ヶ崎の撤退戦も優勢なところに浅井の離反が来て敗走したんだからかなり戦局が動いている
>>それは別に「寝返りがなければ勝てたか?」という理屈に全く当てはまっていないし、別に前田金森が逃げなかったところで
>>倍以上を誇る織田、羽柴軍に勝てるわけないもんなあ。別に賤ヶ岳に布陣していた連中が織田羽柴軍の全ての兵力じゃないしなあ。
勝政や盛政は大軍を背後から急襲された状態で一度は撃退してる程なんだから戦線膠着状態から寝返りで軍が崩壊した事例は、
「寝返るかもしれない連中を領国ではなく合戦場につれてきて軍を崩壊させた」事例として十分証明可能
>> 俺が言ってるのは「このままいけば勝てた」と言う戦争で「寝返りのために負けてしまった」という事例を出せって話なんだけどなあ。
>>賤ヶ岳の例ではハナから柴田軍が詰んでいただけのもんだし
関が原でも寝返りさえなきゃ間違いなく勝てる兵力布陣状況で寝返りで負けたし金ヶ崎の撤退戦も同じ。あと摺上原も葦名軍の優勢のところを
風向き変化と寝返りで戦局が変わったとされてる。後柴田がつんでたなんて根拠はない。前田不破金森らが撤退せずにあのまま戦ってたら普通に戦線膠着が続くとしかいいようがない
>>兵糧がないのにどこに兵站基地を築くんだよって話なんだけどなあw
豊臣方兵站基地奪えばいいだろ。朝鮮出兵のための兵站網が手厚く用意されてるだろうし。何せそこは
豊臣方の朝鮮出兵の上の主要策源地だからな
980 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 03:41:27.66 ID:0udoxHiv
>>ゲームじゃないんだから戦争中の残存領国にロクな兵糧が残ってるわけないんだけどなあw
まだ領国に軍残してる状態で兵糧物資全部持って言ってるわけねーだろwその間領国内部にいる兵士の兵糧はどうやってまかなうんだよアホw
>>だから北九州の兵糧は大半が現地で戦争に赴く豊臣軍が持って行った後だから
妄想乙だな。兵糧物資は一度に全部運ばず、「面々兵糧の儀その主切手次第に相渡すべき」等と書いてるし
朝鮮では兵糧問題が起きて後から運ばせたりしてる
>>北九州を占領しても徳川軍があずかれる兵糧はないんだよって話なんだけどなあw
お前の妄想乙だな
>>976 そもそもお前の最初の部分の主張はどうみても単なる妄言にすぎずそんなアホな事かいてる歴史家も資料も論文もなく
むしろそんな味方の離反がある程度予測できる状況なら外征どころではなく国内の統治、反逆容疑者の抑え付けが先。
お前の妄言に合わせてそれにあう反論を出したまでで一々細かい部分まで論証する必要がないが仕方なくしてるだけ。
>>それの反対意見として俺が
>>957で「ちょっと軍が離反したくらいで負けるならどのみち負ける」と反論したから
そもそもこの部分の反論趣旨が間違い。ちょっとの離反かどうかなんてひとこともいってないし大軍勢であれば戦場にいれば命の危機だし
領国にいればそれこそ領国瓦解につながる。つうか普通の脳味噌で関が原で西軍諸将離反や、金ヶ崎の浅井軍離反が
戦場で行われていた場合と領国で行われていた場合どっちが危険かといったら間違いなく戦場だろ
>>主軸たる織田信雄が戦場に出てきて死ぬか、ビビって和議でも結ぶかでもないと話にもならんからなあ。
>>しかも小牧の時と違って徳川家康、丹羽長秀、毛利輝元など柴田軍を鼻糞レベルで笑えるくらい味方が多いし。
「しずヶ岳の戦い」の状況における金森前田不破軍離反による柴田軍への影響度の大きさの話なのに長期的にみりゃ味方が多いし信雄が総大将だし
負けるわけないとか論点ずらし乙だな
>>関ヶ原も所詮纏まりの欠いた西軍連中が相手だしどっちにしろ柴田、石田の賤ヶ岳、関ヶ原の事例は
そんなもんは結果を知ってる人間だからこそいえる後世の人間の後付理屈にすぎず、実際に敵になった者が味方であり続けたら戦局は大きく変わるのは当たり前
10人対10人の戦いで、そのうち2人が寝返ったため、連鎖的に 寝返りだして味方が崩壊した戦でも、
最初の2人の裏切りさえなければ連鎖的な崩壊も起こらないから絶対負けるわけないし結果はかわるのが合戦
981 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 03:54:24.73 ID:0udoxHiv
千里もの長距離を遠征しながら危険な目にあわないのは、敵兵がいない地域を進軍するからである。
攻撃すれば決まって奪取するのは、そもそも敵が守備していない地点を攻撃するからである。
守備すれば決まって堅固なのは、そもそも敵が攻撃してこない地点を守るからである。
このようにするから、攻撃の巧みな者にかかると、敵はどこを守ればよいのか判断できず、首尾の巧みな者にかかると、
敵はどこを攻めればよいのか判断できない。微妙、微妙、最高は無形にまで到達する。神業、神業、最高は無音にまで
到達する。だからこそ、敵の死命を制進撃路が敵の兵力配備の隙を衝くからである。
する主催者となれるのである。
また続いて兵力の集中化と敵兵力の手薄な部分を付く重要性が語られており
兵の動かし方が語られているのは事実だが、大前提として兵力が圧倒的に戦局を決定するという戦争の基本原則がなければ
上記の原則(戦力の集中化、敵勢の兵分配における弱点の攻撃、守備していない地点の攻撃奪取など)は成り立たないので
基本的には何も考えず兵をガチンコで繰り出せば圧倒的に兵数の多さで勝敗は決まるという事がアホでもよみとれる
つうかこんなん当たり前だろ。たとえば10対5で同じ強さの人がガチで殴り合ったら100%10が勝つし
戦争でもこれが大きくなっただけなんだから算数ができる人間なら誰でも理解できるしああだこうだいって否定してんのお前だけだよ
982 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 04:03:59.72 ID:9370kLom
>>家康の例でいうと豊臣方兵站基地の北九州は物資兵糧弾薬など圧倒的に集中してる事が予想されるため、それを全て奪って使えば問題ない
ソースはないのかよw
そもそも遠く離れた戦場に赴く豊臣軍が北九州に物資だけ大量に置いておくのかw
朝鮮に派遣された兵士たちは何を頼りに戦うんや?wわざわざ物資尽きたら北九州から送ってとか言うんか?w
>>そんなら朝鮮から戦いの最中疲れた状態で遠路はるばる戻ってくる前に自分の領土を拡大する事なんて
>>だから討伐なんてしようとしたところで兵站基地の九州が乗っ取られているんだから徳川より遥かに多くの軍勢をもち
>>兵糧物資が多く必要な豊臣軍は物資兵站がないんだから軍が勝手に自壊して
>>家康討伐に到着する頃にはもうズタボロの状態であるといってるんだがなあ
なんで豊臣軍が朝鮮にしかおらん前提なんや?豊臣秀次以下、中村宮部堀尾、畿内に大量の豊臣軍がいるだろ?w
最低でも家康は朝鮮に派遣された豊臣軍と国内残留する豊臣軍の2つを撃退しなきゃならん。それも敵地で。
何都合が悪いからって「豊臣軍は全部朝鮮に派遣された」と俺ルール設けてるんw
>>負けそうだったなんて根拠はない。むしろ秀吉と強大の契りしてる中川が戦死したり関が原でも通説では西軍有利とされてるほどで、
>>金ヶ崎の撤退戦も優勢なところに浅井の離反が来て敗走したんだからかなり戦局が動いている
賤ヶ岳の戦いの背後にあるんは織田信雄なんやから秀吉とどんな関係だろうが一部の軍がどうなろうが全く関係ないわな。
関ヶ原に至っては論外すぎて話にもならん。徳川家康率いる3万の主軸部隊が何もせず終わった時点で
東軍の圧倒的快勝だし小早川が西軍について戦っても兵力比でようやく同等レベル。
指揮官の能力差も甚大に差があるし西軍が勝つとか奇跡でも起こって家康が突然死しないと無理。
>>急襲された状態で一度は撃退してる程なんだから戦線膠着状態から寝返りで軍が崩壊した事例は
味方勢力や共闘兵力が柴田軍の倍以上ある織田羽柴軍を、一度少し撃退したから勝てるなんて言われてもな
おまけに指揮官としての能力も結果的にはさほど変わらんし総大将の信雄は戦場にいないから総大将奇襲もできん。
もともと合戦経緯からして織田家で孤立した柴田が挙兵しだしたのが始まりなんだから基盤の点でも柴田は不利。
最も、少し奮戦したくらいで勝ち目ある、勝てたとか言うなら三方が原の家康だって勝利宣言してもいいレベルだが
>>関が原でも寝返りさえなきゃ間違いなく勝てる兵力布陣状況で寝返りで負けたし金ヶ崎の撤退戦も同じ。
>>あと摺上原も葦名軍の優勢のところを 風向き変化と寝返りで戦局が変わったとされてる。
摺上原で風がどうだの軍記物の記述しかないのは論外だし、金ヶ崎の浅井はそもそも織田家臣じゃねーし
しかも金ヶ崎撤退戦で織田の主要人物が誰か死んだわけでもねーしその後の戦いでも負けばかり。
どっちみち戦場で寝返ろうが領国で寝返ろうが浅井が勝てるわけがなかっただけのこと。
柴田もそれと同じ。
>>撤退せずにあのまま戦ってたら普通に戦線膠着が続くとしかいいようがない
柴田はもともと織田家内で孤立一直線だし指揮官、基盤を考えても柴田が完全に不利
おまけに兵力も不利なのに相手総大将の織田信雄が戦場にいないから謀攻もできない。潰しまくって潰走させるしかない。
兵法のどの面においても不利だった柴田が織田羽柴軍に勝てる道理なんてない。
>>豊臣方兵站基地奪えばいいだろ。朝鮮出兵のための兵站網が手厚く用意されてるだろうし。何せそこは豊臣方の朝鮮出兵の上の主要策源地だからな
信長の野望のやりすぎ乙。ゲームじゃあるまいし敵地に行く兵力の兵糧が後方はるかかなたにたくさん置かれているわけがない。
名護屋北九州を占領してもせいぜい予備の兵糧くらいで雀の涙にしかならん。
983 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 04:20:00.19 ID:9370kLom
>>まだ領国に軍残してる状態で兵糧物資全部持って言ってるわけねーだろwその間領国内部にいる兵士の兵糧はどうやってまかなうんだよアホw
領国で各自賄うに決まってるだろ。九州から遠い遠い畿内から持ってくるんだよ
>>妄想乙だな。兵糧物資は一度に全部運ばず、「面々兵糧の儀その主切手次第に相渡すべき」等と書いてるし
何言ってるんだおまえw九州名護屋に莫大な兵糧があるとでも思ってるのかw
だから信長の野望脳乙って言ってるんだよw
「其の方案内者を相副え、浦々を相改め、船数、兵糧員数付け立て相越すべく候。 」と秀吉は書状を出して
順次兵糧を名護屋に運ぶよう要求している。当然朝鮮の兵糧が足りなくなれば、そこに補充される。
だから名護屋が策源地などと考えているおまえに対してアホだなと言ってんだw
名護屋はあくまで経由地なだけで、名護屋に徳川軍を賄えて防衛体制を整えられるほどの兵糧はない。
逐一他の大名からの兵糧が名護屋にいって、そこから朝鮮の現地軍に渡されるだけ。
家康が謀叛を起こして名護屋を乗っ取っても、なんの効果もない。なんせ、名護屋はただの中継地点だもんなあw
>>むしろそんな味方の離反がある程度予測できる状況なら外征どころではなく国内の統治、反逆容疑者の抑え付けが先。
>>お前の妄言に合わせてそれにあう反論を出したまでで一々細かい部分まで論証する必要がないが仕方なくしてるだけ。
反逆者がすぐに露見するようなザルすぎる計画を作るなんてそれこそ非現実的。
結局反論できないから妄想で否定するしかできないだけじゃんw
>>そもそもこの部分の反論趣旨が間違い。ちょっとの離反かどうかなんてひとこともいってないし大軍勢であれば戦場にいれば命の危機だし
それはどっちにせよ負けるべくして負けるだけのこと。
そもそも対処できないくらいの大軍を部下に預けるなんてまずしないし、普通は味方総大将や一門衆の方が兵力多いのが当然。
あの本能寺の変ですら、信長信忠が死んでも明智軍より他の織田一門の動員兵力が敢然と多い。
>>「しずヶ岳の戦い」の状況における金森前田不破軍離反による柴田軍への影響度の大きさの
兵法全ての法則にあわせても柴田軍は織田羽柴軍に不利だから
あそこで前田不破金森が寝返らずとも最終的に柴田は負ける。だから意味もない。
>>10人対10人の戦いで、そのうち2人が寝返ったため、連鎖的に 寝返りだして味方が崩壊した戦でも、
>>最初の2人の裏切りさえなければ連鎖的な崩壊も起こらないから絶対負けるわけないし結果はかわるのが合戦
合戦は数の多寡だけで決まらないから別に寝返りを生んだところで連鎖的な寝返りが出るかどうかも分からんし、
それでも勝つ場合は勝つ。おまえの理屈で言うなら一の谷の戦いなんて100%起こらない
源義経ら源氏方が10倍近く勝っている平氏方の兵力に虐殺されて終了
984 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 04:32:44.20 ID:0udoxHiv
>>ソースはないのかよw
お前の主張には元々ソースの一つすらかかれていない
>>そもそも遠く離れた戦場に赴く豊臣軍が北九州に物資だけ大量に置いておくのかw
遠く離れた戦場に赴く兵士達が物資枯渇して兵糧物資を後からとどけさせてるのは戸田あて朱印状でもわかるし
一度に物資を全部運ばず順次届けさせるのは小田原合戦の時とかも同じ
>> 朝鮮に派遣された兵士たちは何を頼りに戦うんや?wわざわざ物資尽きたら北九州から送ってとか言うんか?
事実物資は枯渇気味であとから急いで届けさせてるし小田原合戦のときも同じ事やってる
>>なんで豊臣軍が朝鮮にしかおらん前提なんや?豊臣秀次以下、中村宮部堀尾、畿内に大量の豊臣軍がいるだろ?w
秀次中村堀尾宮部らが遠路はるばる家康を殺しに来る前に北九州を占領すればいいだけ
>> 最低でも家康は朝鮮に派遣された豊臣軍と国内残留する豊臣軍の2つを撃退しなきゃならん。それも敵地で。
敵地ではない。自分が占領して使えばそこは自領土。それが敵地というならお前の出した領国内部で反乱された場合の反逆者にとっての自領域周辺
も敵地でありつづけることになる
>>何都合が悪いからって「豊臣軍は全部朝鮮に派遣された」と俺ルール設けてるんw
お前意味不明日本語でよろ
>>賤ヶ岳の戦いの背後にあるんは織田信雄なんやから秀吉とどんな関係だろうが一部の軍がどうなろうが全く関係ないわな。
論点ずらし乙。戦場における離反の戦局への影響度の大きさの話なのに話すりかえて相当馬鹿だな
>> 関ヶ原に至っては論外すぎて話にもならん。徳川家康率いる3万の主軸部隊が何もせず終わった時点で
>>東軍の圧倒的快勝だし小早川が西軍について戦っても兵力比でようやく同等レベル。
アホだな。大谷隊や宇喜多隊石田隊らは寡兵でも奮戦したとされてるし史実では島津隊毛利隊も未投入で朽木小川らと小早川が西軍だったら
普通に戦局はひっくり返るだろ
>> 指揮官の能力差も甚大に差があるし西軍が勝つとか奇跡でも起こって家康が突然死しないと無理。
意味がわからん。指揮官の能力差に差があっても布陣と兵力比で西軍優勢であり、寝返りがなきゃ西軍優勢と考えるのが普通。
>>味方勢力や共闘兵力が柴田軍の倍以上ある織田羽柴軍を、一度少し撃退したから勝てるなんて言われてもな
勝てるとはいってない。戦線膠着くらいにはもっていける
>> おまけに指揮官としての能力も結果的にはさほど変わらんし総大将の信雄は戦場にいないから総大将奇襲もできん。
どっちにせよ戦場での離反が大きく左右したことにかわりない
>>もともと合戦経緯からして織田家で孤立した柴田が挙兵しだしたのが始まりなんだから基盤の点でも柴田は不利。
戦場での離反の影響度の大きさなのに論点ずらし乙
>> 最も、少し奮戦したくらいで勝ち目ある、勝てたとか言うなら三方が原の家康だって勝利宣言してもいいレベルだが
意味がわからん。主力部隊壊滅重臣悉く戦死のどこが勝てる戦なのか不明。論点もずれすぎてるし頭悪過ぎだな
>>摺上原で風がどうだの軍記物の記述しかないのは論外だし、金ヶ崎の浅井はそもそも織田家臣じゃねーし
>>しかも金ヶ崎撤退戦で織田の主要人物が誰か死んだわけでもねーしその後の戦いでも負けばかり。
織田家臣だろうがなかろうが浅井の離反で大きく戦局がピンチに変わったことにかわりない
急いで退却したから助かったがきづかず前進してたら全滅してたのが織田軍。
しかも結果からみりゃ優勢なはずの侵攻戦が一挙に命からがら敗走にかわったのだから裏切りによって大きく戦局変わってる
その後も浅井は織田を押し捲ってる(滋賀の陣やら姉川)
985 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 04:42:00.45 ID:0udoxHiv
>>柴田はもともと織田家内で孤立一直線だし指揮官、基盤を考えても柴田が完全に不利
>>おまけに兵力も不利なのに相手総大将の織田信雄が戦場にいないから謀攻もできない。潰しまくって潰走させるしかない。
不利とか有利の話をしてるわけじゃない論点ずらし乙
>>兵法のどの面においても不利だった柴田が織田羽柴軍に勝てる道理なんてない。
意味がわからん。論点ずらし乙
>>信長の野望のやりすぎ乙。ゲームじゃあるまいし敵地に行く兵力の兵糧が後方はるかかなたにたくさん置かれているわけがない。
いや置かれてる。後から兵糧届けさせてるのが戸田宛書状でわかる。ちなみに小田原合戦のときもおなじで位攻めのとき、兵糧物資は一度に全部運ばず
少しづつ調達するような方法が取られてる
>>名護屋北九州を占領してもせいぜい予備の兵糧くらいで雀の涙にしかならん
そこには大量に物資が置かれてるので家康がそこを占拠すれば確実に豊臣軍は崩壊する
>>領国で各自賄うに決まってるだろ。九州から遠い遠い畿内から持ってくるんだよ
九州在番組はどうなるんだアホ。
>>何言ってるんだおまえw九州名護屋に莫大な兵糧があるとでも思ってるのかw
あるに決まってるだろアホ
>> 「其の方案内者を相副え、浦々を相改め、船数、兵糧員数付け立て相越すべく候。 」と秀吉は書状を出して
>>順次兵糧を名護屋に運ぶよう要求している。当然朝鮮の兵糧が足りなくなれば、そこに補充される。
だから名護屋に大量にたまってるんだろ
>>だから名護屋が策源地などと考えているおまえに対してアホだなと言ってんだw
名護屋に兵糧物資が集められてるのになんで策源地じゃないんだよタコ
>> 名護屋はあくまで経由地なだけで、名護屋に徳川軍を賄えて防衛体制を整えられるほどの兵糧はない。
経由地なんだから必ず物資が大量に来るわけでそこを襲撃して奪えばいいだけ
>> 逐一他の大名からの兵糧が名護屋にいって、そこから朝鮮の現地軍に渡されるだけ。
だからそこを狙って奪い取れっていってんだろうが
>> 家康が謀叛を起こして名護屋を乗っ取っても、なんの効果もない。なんせ、名護屋はただの中継地点だもんなあw
それを奪い取れば経由中の物資兵糧などが大量に手に入るのでそこをタイミングよく奇襲すればいいだけ
986 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 04:52:05.48 ID:0udoxHiv
>>反逆者がすぐに露見するようなザルすぎる計画を作るなんてそれこそ非現実的。
>>結局反論できないから妄想で否定するしかできないだけじゃんw
反逆者がいるかわからんのなら疑ってたらキリがない。反逆者がいるのがわかれば国内問題優先。
いないかいない可能性高いなら外征すりゃいいだけ。結局お前の妄想「大軍を一々苦労してかき集めるのは
反逆者への対抗措置」という馬鹿げた妄言は史料も学説も論文もなくお前の妄想であることが証明されるわけだw
>>それはどっちにせよ負けるべくして負けるだけのこと。
なんでそうなるんだよアホ
>>そもそも対処できないくらいの大軍を部下に預けるなんてまずしないし、普通は味方総大将や一門衆の方が兵力多いのが当然。
そんなら対処できないくらいの状況で留守居兵として大軍を部下に預けて残すなんてまずしないし
普通は味方総大将や一門衆のが遥かに多いのが当然
>>あの本能寺の変ですら、信長信忠が死んでも明智軍より他の織田一門の動員兵力が敢然と多い。
信忠ははなくそみたいな寡兵しかもってなかったし信孝信雄ってそんな大軍もってたか?
>>兵法全ての法則にあわせても柴田軍は織田羽柴軍に不利だから
>>あそこで前田不破金森が寝返らずとも最終的に柴田は負ける。だから意味もない。
「戦場での」戦局影響度の大きさの例なのに論点ずらし乙
>>合戦は数の多寡だけで決まらないから別に寝返りを生んだところで連鎖的な寝返りが出るかどうかも分からんし、
>>それでも勝つ場合は勝つ。おまえの理屈で言うなら一の谷の戦いなんて100%起こらない
他の条件(装備・地勢・指揮官の能力など)が同じで正面からガチンコでやり合えば100%大軍が勝つのが戦闘。
試しに同じくらいの強さの人間を5人集めて3人と決闘させてみりゃわかる
10対6人ではじめ10人が優勢でも3人寝返れば一気に戦局がかわるのが合戦。
987 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 05:12:21.52 ID:uS9NJdH4
いい加減めんどいしウザイから
大量の物資兵糧費用行軍速度機敏性恩賞人件費と大きなデメリットがあるにもかかわらず大軍を毎回集めようとするのは
後ろでの寝返りや造反を気にしての事という馬鹿げた妄想の論文なり学説なり史料出せよタコ
988 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 08:44:22.84 ID:U41PI1yp
>>987 だがは史料を自分の都合のいいように捏造、改変、歪曲、誇張するとんでもない輩なんだから何言っても無駄ですよ
989 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 11:04:34.09 ID:uS9NJdH4
お前馬鹿だな
大量の物資兵糧費用行軍速度機敏性恩賞人件費と大きなデメリットがあるにもかかわらず大軍を毎回集めようとするのは
後ろでの寝返りや造反を気にしての事という馬鹿げた妄想
これを主張してるのは明らかに織田厨のアホだわw
990 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 11:54:53.43 ID:9370kLom
寡兵で勝負を挑んで勝ったのに後ろの混乱が生じた事例に一の谷がソースだと何回も言ってるじゃんw
玉葉第3巻 寿永3年2月4日
平氏主上具率、福原着累、九國付未、四國紀伊國等勢数萬云々、來十三日入洛可云々、
官軍等手之間分、一方僅一二千騎過不云々、天下大事、大略明分云々
(宇治川の戦いで源義仲を討ったばかりなのに、続けざまに平氏討伐の任を下された源氏軍が
少数精鋭で平氏に立ち向かおうとするも、平氏軍の大軍ぶりにビビる朝廷)
同史料同巻、同年2月6日
或人云、平氏一谷(一の谷)引、伊南野赴、云々、但其勢二萬騎云々、官軍僅二三千騎云々、
仍加勢被可之由申上、權右中辯、光長朝臣(藤原光長)來、簾前召、雑事仰、
又聞、平氏引退事謬説云々、其勢幾千萬知不云々。
(平氏が一の谷を撤退し伊南野に赴いたと聞いたある人が、平氏軍2万、官軍(源氏軍)が2、3千だと聞き
あまりにも少ないので加勢されるべきではないかと申上げてくる。また藤原光長から雑事を聞き、
平氏が撤退したのはデマであり、数は幾千万であると言う。明らかに源氏方が平氏方より少ないのにビビっている朝廷公卿)
この後、同史料同巻同年2月8日の記録にて一の谷の合戦があり、「平氏皆悉伐取了云々」とある。
991 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 12:07:14.96 ID:9370kLom
>>遠く離れた戦場に赴く兵士達が物資枯渇して兵糧物資を後からとどけさせてるのは戸田あて朱印状でもわかるし
>>一度に物資を全部運ばず順次届けさせるのは小田原合戦の時とかも同じ
>>事実物資は枯渇気味であとから急いで届けさせてるし小田原合戦のときも同じ事やってる
それって北九州の名護屋が策源地ではなく物資が枯渇しかねないただの拠点だってことだよなw
兵糧がいくらあるかもわからんのに遠く名護屋で謀叛起こして何とかなると思い込んでるのか?w
>>秀次中村堀尾宮部らが遠路はるばる家康を殺しに来る前に北九州を占領すればいいだけ
秀次中村堀尾宮部ら国内残留軍の他に、朝鮮派遣軍や名護屋残留軍がいることもお忘れなくw
家康が謀叛したからといって名護屋にいる連中が同調する保証は全くないし、最悪家康に襲い掛かってくるかもなw
上杉景勝や伊達政宗といったデカイ大名が名護屋にいるし豊臣と敵対するなら、こいつらをまずぶち破らないとw
>>お前意味不明日本語でよろ
論点ずらし乙、妄想を正確化するために都合の悪い事実を伏せるアホ乙って言いたいんだよw
何勝手に秀次堀尾宮部中村だけに仮想敵を絞ってるんだw秀吉と敵対する以上
豊臣に従う大名悉くが敵になると考えるのが当然の発想だろうがw当然上杉も伊達も、朝鮮に行ってる奴らも家康の敵。
秀吉本隊や前田も当然倒すべき敵に入るぞw
>>論点ずらし乙。戦場における離反の戦局への影響度の大きさの話なのに話すりかえて相当馬鹿だな
おまえの出した賤ヶ岳や関ヶ原は離反の影響など全く感じられないから根拠として不適格
>>アホだな。大谷隊や宇喜多隊石田隊らは寡兵でも奮戦したとされてるし史実では島津隊毛利隊も未投入で朽木小川らと小早川が西軍だったら
軍記物をアテにしたソースなんて検証に値しないわなw
そもそも東軍は中核を占める徳川家康率いる数万の軍勢と、それと同等クラスの浅野幸長、池田輝政が
未参戦のまま終わっているし島津や毛利がそのまま攻めてきたところで東軍でも未参戦の奴が戦えば五分以上に戦えるし
それこそ膠着状態になって家康が信じる徳川秀忠ら徳川本隊がやってきたら目も当てられん。
>>勝てるとはいってない。戦線膠着くらいにはもっていける
>>どっちにせよ戦場での離反が大きく左右したことにかわりない
>>戦場での離反の影響度の大きさなのに論点ずらし乙
戦線膠着させたところで兵力以外の要素でも負けている柴田軍や西軍はどっちにしろ負ける。
寝返りなんて負けが少し早くなっただけだから何の意味もない。結果は全く同じだから影響なんてない
992 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 12:31:09.20 ID:9370kLom
>>意味がわからん。主力部隊壊滅重臣悉く戦死のどこが勝てる戦なのか不明。論点もずれすぎてるし頭悪過ぎだな
賤ヶ岳では佐久間柴田ら柴田軍主力部隊が壊滅、関ヶ原では宇喜多大谷小西石田らこちらも主力部隊壊滅。
戦況結果は三方が原と全く同じなのだから、おまえの理屈で言えばこれらも勝利宣言できると言うだけ。
自分の言い分も忘れるようじゃまともな知能も持ってるとは思えんがw
>>織田家臣だろうがなかろうが浅井の離反で大きく戦局がピンチに変わったことにかわりない
>>急いで退却したから助かったがきづかず前進してたら全滅してたのが織田軍。
>>しかも結果からみりゃ優勢なはずの侵攻戦が一挙に命からがら敗走にかわったのだから裏切りによって大きく戦局変わってる
>>その後も浅井は織田を押し捲ってる(滋賀の陣やら姉川)
これまた軍記物基準のソース乙w
織田軍は浅井の侵攻ルートとは別ルート使って逃げて行ってるし当時は足利義昭が味方だから
湖西方面からの退却が容易だし撤退戦は朝倉軍との戦いが主目的だから何の意味もなさん。
それとて朝倉軍は撤退する寡兵の織田軍しんがり相手に大した犠牲も出せなかったんだからハナから勝ち目などない。
結局浅井は姉川でも稲葉一鉄に横やりをぶっ刺されてボコボコにされた挙句横山城手放してるし
志賀の陣でも城を奪還できずに比叡山に引きこもって別方面で戦ってくれる反織田勢力頼みだしアテにならねw
>>不利とか有利の話をしてるわけじゃない論点ずらし乙
>>意味がわからん。論点ずらし乙
どの面においても不利な柴田軍、西軍は相手総大将の突然死レベルでも起こらないと勝てない。
つまり寝返りが起ころうが起こるまいが結局は負けるので寝返りの影響なんて大したことない。
寝返った勢力がそのまま領地安堵されて生き残るくらいの影響度でしかない。
>>いや置かれてる。後から兵糧届けさせてるのが戸田宛書状でわかる。
後から順次調達されているだけなんだから名護屋にキープされている兵糧なんてたかが知れている。
そもそも兵糧の管轄は豊臣家家臣がやっているんだから家康が知りようはずもないw
いくらあるかわからん兵糧をアテにして謀叛を起こして勝てると思っているとかそんな非現実的な采配は誰もとらないw
>>そこには大量に物資が置かれてるので家康がそこを占拠すれば確実に豊臣軍は崩壊する
自分で少しずつ調達するって書いてるじゃねーかwどんだけ認めたくないんだw
大体どれだけあるかも家康が認知してない兵糧をアテにして謀叛なんか起こせるかw
>>九州在番組はどうなるんだアホ
九州在番組の兵糧まで入れてるわけないだろw
朝鮮派遣組のための兵糧を自国残留組で消費してどうするんだw
>>だから名護屋に大量にたまってるんだろ
>>名護屋に兵糧物資が集められてるのになんで策源地じゃないんだよタコ
>>経由地なんだから必ず物資が大量に来るわけでそこを襲撃して奪えばいいだけ
どれだけ残ってるかもわからん兵糧をアテにして謀叛なんかできるわけがないw
そもそも名護屋在番組は家康以外にも上杉景勝、伊達政宗らがいるのに
豊臣に謀叛するとなれば当然こいつらを討ち果たす必要もある。
最悪兵糧も取れずにボロボロのまま北九州で反乱宣言するハメになるのに何言ってんだw
>>反逆者がいるかわからんのなら疑ってたらキリがない。反逆者がいるのがわかれば国内問題優先。
戦場に連れ出せば反逆者も自軍の数の多さにビビって未然に防げるし
いざとなったらそのまま残った大軍で打ち果せばいいだけだからなw
大坂の陣でも家康は互いが互いに監視できるように大軍を布陣させて、自分は後方の安全地帯にいるし。
最悪豊臣に義理立てしようとする奴がいてもすぐ討ち果たせるような布陣敷いてるし
993 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 12:33:04.88 ID:9370kLom
>>なんでそうなるんだよアホ
どうやっても負ける戦争なんてただ相手が詰んでるだけで寝返りなんて関係ない。
寝返りがあろうがなかろうが負けは負けだしそんな事例出しても寝返りの有用性なんて語れるわけがない。
せいぜい寝返った連中が領地安堵されて生き残るくらいのメリットしかない。戦闘指揮に全く関係ない。
>>信忠ははなくそみたいな寡兵しかもってなかったし信孝信雄ってそんな大軍もってたか?
尾張美濃は信忠直轄だし織田一門は織田信雄、織田信孝、織田秀勝、織田信包、織田長益、織田信張と
パッと上がるだけでもこれだけいるからな。池田や丹羽も織田と直接血縁関係を持つ準一門だし
普通に明智程度では話にもならん。柴田あたりが一緒に寝返ってくれても劣勢のまま。
>>「戦場での」戦局影響度の大きさの例なのに論点ずらし乙
どのみち負ける戦で影響も糞もない。負けるべくして負けただけ。
あえて影響があったといえば寝返った前田金森が秀吉に許されて領地安堵されたことだけ。
戦闘には全く関係のない話で取沙汰する必要もない。
>>他の条件(装備・地勢・指揮官の能力など)が同じで正面からガチンコでやり合えば100%大軍が勝つのが戦闘。
>>試しに同じくらいの強さの人間を5人集めて3人と決闘させてみりゃわかる
>>10対6人ではじめ10人が優勢でも3人寝返れば一気に戦局がかわるのが合戦。
意味不明かつ非現実的。
2ケタの人数で合戦に及ぶなんてまずしないし大半は百以上から十万越えクラス。
当然顔もあやふやな雑兵足軽を大量に動員する必要があるわけで、そんな心理状態の脆い足軽相手にどう転ぶかなどわからん。
1000人と1000人で戦って50人がどっちかに寝返ったところで、950人と1050人で1050が絶対勝つ保証はどこにもない。
994 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 13:20:12.60 ID:0udoxHiv
>>990 だからそんなんは特例で戦国期の大名が大量の物資兵糧費用行軍速度機敏性恩賞人件費と大きなデメリットがあるにもかかわらず大軍を毎回集めようとするのは
後ろでの寝返りや造反を気にしての事という馬鹿げた妄想の論文なり学説なり史料なんてねーわクズ
>>それって北九州の名護屋が策源地ではなく物資が枯渇しかねないただの拠点だってことだよなw
>>兵糧がいくらあるかもわからんのに遠く名護屋で謀叛起こして何とかなると思い込んでるのか?w
アホかお前。物資が運ばれていく所をねらって襲撃して奪えばいいだけだろうがw[
>>秀次中村堀尾宮部ら国内残留軍の他に、朝鮮派遣軍や名護屋残留軍がいることもお忘れなくw
>>家康が謀叛したからといって名護屋にいる連中が同調する保証は全くないし、最悪家康に襲い掛かってくるかもなw
はあ?お前国元で反乱おこされても他の大名が討伐軍に参加するとは限らんから安心できんとか
>>975で書いてるのに都合のいい妄想乙
つうか徳川のが大軍だから兵站基地の北九州を奇襲で奪い取って普通に使えばいいだけ
>>上杉景勝や伊達政宗といったデカイ大名が名護屋にいるし豊臣と敵対するなら、こいつらをまずぶち破らないとw
伊達は徳川シンパだろ。上杉も徳川の味方するかもしれねーだろ
>>975と矛盾した主張乙
論点ずらし乙、妄想を正確化するために都合の悪い事実を伏せるアホ乙って言いたいんだよw
>>何勝手に秀次堀尾宮部中村だけに仮想敵を絞ってるんだw秀吉と敵対する以上
外様系がすんなり秀吉方につくわけねーだろアホ。それこそ名護屋の秀吉を奇襲なり騙まし討ちすればいいだけ。
>>豊臣に従う大名悉くが敵になると考えるのが当然の発想だろうがw当然上杉も伊達も、朝鮮に行ってる奴らも家康の敵。
関が原では家康につくものも多かった事実があるので、秀吉さえ消せば簡単に瓦解が予測される
>>秀吉本隊や前田も当然倒すべき敵に入るぞw
前田なんて史実で徳川に歯向かうどころかちょっといちゃもんつけられたらビビッて人質出したヘタレなのであっさり徳川の犬になるのは目に見えてる
>>おまえの出した賤ヶ岳や関ヶ原は離反の影響など全く感じられないから根拠として不適格
関が原→寝返りさえなきゃ西軍が優勢か少なくとも五分、寝返りがあったため連鎖的に西軍は崩壊、戦局決定
しずヶ岳→寝返りさえなきゃ史実で秀吉の兄弟の契りをした中川戦死&寡兵の佐久間や勝政は秀吉の大軍に背後から強襲されて逆に撃退
と五分にもっていけるのがアホでもわかる
>>軍記物をアテにしたソースなんて検証に値しないわなw
各大名家の家記とかでも大体この戦闘状況が書かれてる(島津とか一部は例外だが)
>>そもそも東軍は中核を占める徳川家康率いる数万の軍勢と、それと同等クラスの浅野幸長、池田輝政が
>>未参戦のまま終わっているし島津や毛利がそのまま攻めてきたところで東軍でも未参戦の奴が戦えば五分以上に戦えるし
>> それこそ膠着状態になって家康が信じる徳川秀忠ら徳川本隊がやってきたら目も当てられん。
史実で秀忠は真田に足止めされた上に島津も毛利不参戦、小早川離反と小川赤座など離反と条件がそろって東軍勝利だったわけで
それがなきゃ布陣も兵力も優勢の西軍が勝つに決まってる
>>戦線膠着させたところで兵力以外の要素でも負けている柴田軍や西軍はどっちにしろ負ける。
>>寝返りなんて負けが少し早くなっただけだから何の意味もない。結果は全く同じだから影響なんてない
長期的な戦闘ではなくしずヶ岳合戦限定で考えるならば寝返りがなきゃ戦線膠着、寝返りがあってこそ決着があったと考えるのが普通
>>賤ヶ岳では佐久間柴田ら柴田軍主力部隊が壊滅、関ヶ原では宇喜多大谷小西石田らこちらも主力部隊壊滅。 戦況結果は三方が原と全く同
馬鹿かお前。三方が原の戦いで誰が武田方に寝返ったんだよアホ
995 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 13:20:37.58 ID:0udoxHiv
>> 織田軍は浅井の侵攻ルートとは別ルート使って逃げて行ってるし当時は足利義昭が味方だから
>>湖西方面からの退却が容易だし撤退戦は朝倉軍との戦いが主目的だから何の意味もなさん。
意味がわからん。信長公記によれば織田軍はこの時大ピンチであやうく殺される所だったのがわかるし
そもそも優勢な侵攻戦が浅井の離反で命からがらの敗走に変貌したのだから寝返りで戦局が一気に変わった格好の例
>>それとて朝倉軍は撤退する寡兵の織田軍しんがり相手に大した犠牲も出せなかったんだからハナから勝ち目などない。
普通に考えりゃ大軍での優勢な戦いがヘタレ敗走に変貌したのだから大きく裏切りの影響は左右したといえる
>> 結局浅井は姉川でも稲葉一鉄に横やりをぶっ刺されてボコボコにされた挙句横山城手放してるし
浅井は姉川で織田軍をボコボコにしてるのが松平記、三河物語、浅井三代記、甲陽軍艦など各資料でわかるし地元郷土史家も
遠藤の討死場所から浅井軍は織田方をかなり圧倒していた様子が読み取れると書いてる
>>志賀の陣でも城を奪還できずに比叡山に引きこもって別方面で戦ってくれる反織田勢力頼みだし
滋賀の陣では織田方諸将当時の4天王のうち森と坂井の二人が戦死してるくらい圧倒的に追い詰めらてるのが織田軍
>>どの面においても不利な柴田軍、西軍は相手総大将の突然死レベルでも起こらないと勝てないつまり寝返りが起ころうが起こるまいが結局は負けるので寝返りの影響なんて大したことない。
関が原に関しては完全に妄想乙だな兵力において圧倒的に勝ってるし毛利や小早川のアホさ加減でたまたま西軍が負けただけでそりゃがなきゃ西軍が勝つと考えるのが普通
兵力でも布陣でも完全に西軍優勢だしな。しずヶ岳も少なくとも五分くらいにもっていけると考えるのが普通
>>後から順次調達されているだけなんだから名護屋にキープされている兵糧なんてたかが知れている。
だから調達されていく所を襲撃して奪えばいいだけだろ。
>>そもそも兵糧の管轄は豊臣家家臣がやっているんだから家康が知りようはずもないw
なぜ名護屋にいえる家康が名護屋を通る物資の状況を把握できないのは不明
>>いくらあるかわからん兵糧をアテにして謀叛を起こして勝てると思っているとかそんな非現実的な采配は誰もとらないw
そこまるごと奪ってついでに他の周辺地域も奪って兵站基地をそのまま徳川のものにぬりかえればいいだけ
>>戦場に連れ出せば反逆者も自軍の数の多さにビビって未然に防げるし
妄想乙。自軍の兵の多さにビビルどころか思いっきり寝返って崩壊させた小早川や総大将格のアホ毛利の例がある
>>いざとなったらそのまま残った大軍で打ち果せばいいだけだからなw
相当馬鹿だな。そんな簡単に討ち果たせるならどこで反逆しようと同じだわw普通に考えて戦場にいる敵と寝返った味方両方相手にする戦場での離反のが怖い
996 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 13:21:04.08 ID:0udoxHiv
>> 大坂の陣でも家康は互いが互いに監視できるように大軍を布陣させて、自分は後方の安全地帯にいるし。
ソースは?そんなら領国に残して互いに互いを監視できるように大軍を婦人させて、自分が後方の安全地帯にいて、
頼りになる寡兵だけ連れて出撃すりゃよかっただけ
>> 最悪豊臣に義理立てしようとする奴がいてもすぐ討ち果たせるような布陣敷いてるし
そんなもんは寝返りするものがいない戦いだったからこそいえる結果論なわけで、普通に寝返りする兵力が多けりゃ混乱壊滅するくらい
関が原の戦いしってりゃわかる
>>どうやっても負ける戦争なんてただ相手が詰んでるだけで寝返りなんて関係ない。
相変わらず馬鹿だな。三万対1万でも三万の方から1万五千がねがえりゃ一万が優勢になるくらい算数でもわかる
>>寝返りがあろうがなかろうが負けは負けだしそんな事例出しても寝返りの有用性なんて語れるわけがない。
寝返りがなきゃ確実に負けるかせいぜいひきわけの事例→関が原・摺上腹。寝返りで戦線が崩壊した事例→金ヶ崎・耳川・しずヶ岳
>>せいぜい寝返った連中が領地安堵されて生き残るくらいのメリットしかない。戦闘指揮に全く関係ない。
馬鹿かお前。一体誰がそんなアホな学説書いてるんだよ。算数の計算くらいできるようになってからこい
>> 尾張美濃は信忠直轄だし織田一門は織田信雄、織田信孝、織田秀勝、織田信包、織田長益、織田信張と
なんで光秀は単体での計算なのに織田一門は全員まとめて合算なのか不明
>> パッと上がるだけでもこれだけいるからな。池田や丹羽も織田と直接血縁関係を持つ準一門だし
>>普通に明智程度では話にもならん。柴田あたりが一緒に寝返ってくれても劣勢のまま。
普通に明知と細川筒井ら与力と畿内で奪い取った土地の諸将と元々の与力で4〜5万いくんじゃね
史実では兵力の分散と与力の離反で逆に討伐されただけ。つうか明智の事例って「国元で反乱おこされても対処できる事例」
であってお前の主張を真っ向から否定するもんじゃん
>>どのみち負ける戦で影響も糞もない。負けるべくして負けただけ。
妄想乙。前田不破金森らが寝返るまで戦線は崩れていないのだから単に秀吉は寝返りで救われただけ
>>2ケタの人数で合戦に及ぶなんてまずしないし大半は百以上から十万越えクラス。
一番わかりやすく単純化しただけだよ。それを拡張して考えればいいだけ
>>当然顔もあやふやな雑兵足軽を大量に動員する必要があるわけで、そんな心理状態の脆い足軽相手にどう転ぶかなどわからん。
足軽が勝手に行動してもたかが単体なので知れてる。足軽単体の判断で戦局が動くなんてそれこそ妄想。指揮官の寝返りで戦局が大きく動くのが合戦
>>1000人と1000人で戦って50人がどっちかに寝返ったところで、950人と1050人で1050が絶対勝つ保証はどこにもない。
アホだな。その例なら200人寝返るくらいじゃないと戦局動かすのに十分な人数じゃないというだけ。
いい加減お前は算数の計算ができない糞頭とりかえてからこい
997 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 13:21:57.46 ID:uS9NJdH4
いい加減めんどいしウザイから
大量の物資兵糧費用行軍速度機敏性恩賞人件費と大きなデメリットがあるにもかかわらず大軍を毎回集めようとするのは
後ろでの寝返りや造反を気にしての事という馬鹿げた妄想の論文なり学説なり史料出せよタコ
998 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 13:23:14.31 ID:aPq7v9qw
普通の頭で考えれば地形に関係なく普通に正面からガチンコで戦えば大軍側が勝つに決まってるじゃん
20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
999 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 13:23:58.03 ID:uS9NJdH4
指揮官の指揮能力不足で軍の数が多過ぎて統率が取れず負けた例なんてない
大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるというだけで
「軍の数」に起因するものではない(関が原の戦いが6000対7000の戦いだろうが、史実のように裏切り・日和見があれば間違いなく負けてた)
大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。
信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
1000 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 13:24:20.02 ID:0udoxHiv
秀長は雑魚
1001 :
1001:
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゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
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