1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
佐久間信盛(1527-1581)
『退き佐久間』の異名を持つ、織田家の柱石・佐久間信盛を語ってみようか。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 01:34:52 ID:2GaDIdao
佐久間君の業績。
・信行謀反時に大多数の譜代が信行についた中、信長に味方した。
・無難に堺接収。
・三方が原に援軍として出向き、損耗を最小限に抑えて、退却。
・長篠の戦いでは武田家に偽りの謀反を打診。勝頼おびき出しに功有 り。
・石山包囲戦では指揮官として損害の大きい我攻めを避け、被害を最小 限に抑える。
・次第に電波化してきた信長に絶望し、故意に職務怠慢することで、
織田家放逐。諸将に警鐘を鳴らし、光秀謀反を引き出す。
「退き佐久間」って、すぐに「退けっ」って言うからこういうあだ名がついたような気がする
どう考えても勇将タイプじゃないし
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 01:47:43 ID:OM+wiq7r
※信長の折檻状の内容
一、佐久間信盛・信栄親子ともども天王寺に五年間在城しながら何ら功績もあげていない。
世間では不審に思っており、自分にも思い当たることがあり口惜しい思いをしている。
一、何ら功績もあげていない信盛らの気持ちを推し量るに石山本願寺を大敵と考え、戦もせず、調略もせず、ただ城の守りを堅めておれば、幾年かもすればゆくゆく信長の威光によって引き下がるであろうという見通しだったのか。
武者道というものはそういうものではない。
勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても本意なことであのに、一方的な思慮で持久戦に固辞し続けたことは分別もなく浅はかなことである。
一、明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこし、羽柴秀吉の功労も比類なし。 池田恒興は少禄の身であるが摂津花隈を時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。
これを以て奮起を発し一廉の働きをすべきであろう。
一、柴田勝家もこらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。
一、武力に不甲斐ない者は謀略などをこらし、相足らぬ所を報告し意見を聞きに来るのに、五年間それすらない。
一、信盛の与力・保田知宗の書状では本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城の一揆衆もおおかた退散するであろうろあり、信盛親子も連判している。
今まで一度もそうした報告もないのにこうした書状を送ってくるというのは、自分のくるしい立場をかわすためあれこれ理由を付け言い訳しているのではないか。
一、信盛は家中に於いては特別な待遇を受けている。
三河・尾張・近江・大和・河内・和泉に、根来衆を加えれば紀伊にもと七ヶ国から与力をあたえられている。
これに自身の配下を加えれば、どんな一戦を遂げようともこれほど落ち度を取ることはない。
一、水野信元死後の刈谷を与えておいたので家臣も増えたかと思えばそうではない。
水野の旧臣を追放しておきながら、跡目を新たに設けるでもなく。 結局、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄としてしまうのは言語道断。
一、山崎の地も同様で信長の声かかりの者まで追放してしまう有様。 これも先の刈谷と同じである。
一、譜代の家臣に知行を加増してやったり与力を与えたり、新規に召し抱えたりしているなら未だいいがそれも無い。
ただ自身の蓄えを肥やすのみであり、天下の面目を失ってしまった。 これは唐・高麗・南蛮の国まで隠れもないことである。
一、先年、朝倉をうち破ったとき、戦機の見通しが悪いとしかったところものともせず、結局自身の正当性を吹聴し、あまつさえその場を立ち破るに至って信長も面目を失った。
その口程もなくここに在陣し続けていまの働きの程は前代未聞である。
一、甚九郎(信栄)の罪状を書き並べればきりがない。
一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。 その上、いい加減な働きをすれば、行き着くところ親子共々武者の道を心得ていないからこのような事になる。
一、与力を専ら使役し、他への取り次ぎや戦事にはこの与力で軍役を済まし自身の家臣を使わない。 領地をただ遊ばせ無駄にしている。
一、信盛の与力や家臣たちまで信栄に遠慮している。
自身の思慮を自慢し穏やかなふりをしても綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。
一、信長の代になり30年間奉公し信盛の活躍は比類なしと言われるような働きは一度もない。
一、信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方が原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。
しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていればその甲斐あって運良く戦死を免れたと人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。
あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。
一、こうなればどこかの敵をたいらげ、汚名を濯いだ上帰参するか、どこかで討死するしかない。
一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 01:54:54 ID:tiSp+W7q
本願寺戦では織田家最大の7ヶ国からなる軍団を率いていました。
>>3 「引き戦に強い」って意味。攻める戦に強いのはいくらでもいるが、退却戦に強い
武将ってのは物凄く貴重だぞ。
退き佐久間
木綿藤吉
かかれ柴田
米五郎佐
織田家と対立してる勢力に再就職出来なかったのか?
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:03:41 ID:57M1t3Sa
佐久間改易後に八カ国のほとんどが
信長・信忠の領地になっていることも鑑みよう。
ここに真相がある気もする。
>>8 あの段階で、表立って織田家と対立しようって勢力がいたらそれはキチガイだ。
まあ、「何かあったときのため」の、捨扶持を密かに与えていた勢力はあったかもしれないけど。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:05:08 ID:2GaDIdao
しかし餓死とは・・・
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:06:31 ID:57M1t3Sa
>>4 この折檻状、半分以上は言い掛りだと思う・・・
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:08:24 ID:BoFzVnTk
信盛追放は譜代の者たちへの尻たたきだと妄想
織田家中に佐久間多すぎ。
誰が誰と繋がってるのかぜんぜんわからん。
尾張が本拠、徳川領と接するため三方ヶ原の合戦では三千を連れて応援にいくも
家康の出撃策と信盛の篭城策が反発し、ほとんど戦わずに兵を退く
織田家中にあっては明知、羽柴、丹羽、柴田、滝川、荒木と並ぶ軍団長、本願寺攻め
を任される。上洛戦の際から↑の将と同じく信長に重く用いられていたが
浅井攻めの際の失言や本願寺、武田戦の怠慢などを理由に追放される
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:19:41 ID:Wio2aYDm
信長は何を求めて追放したのかな?
自己満足?理想化?
効率化?再編成?
みせしめ?喧嘩?
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:21:07 ID:vsf8zjtk
前々から思っていたんだけど、「退き佐久間」って呼ばれる様な功績って佐久間信盛にあるの?
信長って敗戦自体そう多くはないし、信盛が殿を務めて活躍したって話も聞いた事ない、
信長公記にも載ってない、有名な金ヶ崎の撤退でも信盛の名前は無いし、
どうにも実体のない異名としか思えない。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:22:38 ID:2GaDIdao
退き、というのは逃げ弾正みたいなもんでしょ
撤退のことじゃなくて兵の進退の駆け引きの上手さを指したとか
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:24:14 ID:2GaDIdao
後は兵站なんかも佐久間が結構担当していたみたい。
要は後方支援だな。
>>16 東尾張の豪族をまとめてた一族で、大和や山城、摂津などの畿内の豪族を与力に従えてたのに
大坂方面になんら成果を出してないので、再編成でも効率化でも見せしめでもあると思う
>>20 信長自身が指揮を取っても大した成果を上げられていない戦いで
成果を上げろって方が無理だべや。
それはちと違うでしょ
信長自身がかかりっきりで、成果を上げてないなら兎も角
信長が仕事を任せたのに成果を上げられなかった訳だし
他にも失敗してる武将や、なかなか成果を上げられなかった武将はいたけど
それでも休みなしで色々工作したりしてる
その差と思うが
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:33:37 ID:3m4eJ7Or
「信長異聞」の佐久間はものすごい活躍。
「信長の野望」では凡将
もっと統率を上げても良いと思う。
平氏
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:38:56 ID:JaQw9S1k
朝倉軍追撃の時、激怒する信長に対して、唯一口答えした気骨溢れる武将です。
度胸があるのか、身の程知らずなのか・・・・
>>22 本願寺に工作?
武士に対する工作なら金と所領だが、一向門徒には?
結局兵糧攻めか力攻めしかねーべ。
で、力攻めは何度やっても失敗してる。
兵糧攻めしかねーだろ。
兵糧攻めでも海上封鎖などを指示したのは信長ですが
まあ海上封鎖は大して成果を上げていないわけだが。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:57:43 ID:CDWha4iP
信盛は私兵もってたから粛清された
>>25 良く言えば、皆が言えない事を言ってくれた。
責任感が強く、意外と気負ってる人かも。
海上封鎖で成果が上がってない?
本願寺は海上封鎖によって毛利に兵糧米の搬入を頼むようになりましたが
そして佐久間はそれ以降なんら行動を起してません
一般に言われてるような私財の貯蓄に走ってます
その他の将と比べてみましょう
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 03:01:16 ID:/5mlxZ+c
しかし本願寺相手とはこれまたきついよな
武田より強かったんじゃないのか
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 03:02:38 ID:2GaDIdao
最後は高野山追われて従者にも見放されて
逝き倒れ一歩手前な窮死でしょ?息子はまだ若いから
体力で助かったが・・・
なんか、会社のために必至に頑張ったのに…
定年間際になってリストラって感じだ
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 03:05:32 ID:m5fID2TE
信盛はやっぱり愚将じゃない?
もしも、信盛のポジションに秀吉がいれば
本願寺相手に5年間ボーっとして過ごすことは絶対無かった。
>>34 対上杉謙信を拒否したのに、それ以上に厄介な本願寺を相手にするかな?
むしろ全力で配置換えを画策するなり、必死に信長を引き出しそう。
はたしてこの人物がいなかったら、
尾張を統一できたか。
秀吉なら〜〜秀吉なら〜〜ってか。
秀吉の二文字は見飽きたな。
愚将を信長が何年もあんなに追い使うわけがないだろ。
信盛を愚将だと言うって事は、信長を愚将だと行っているのと変わらん。
期待して優遇したのに駄目だったって事は、やっぱり凡将だったって事だろ。
息子の正勝くんが中々の人物だからこいつのせいかも知れんが。
>これは唐・高麗・南蛮の国まで隠れもないことである。
かなり信長も大げさだよな
>>30 皆が言えないことを言ってくれたってのは違うと思うけどな
特に秀吉なんか「何言ってんだこの馬鹿」って内心苦々しかったと思うぞ
センゴクの信盛は実に気持ちの良い香具師だった
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 13:39:46 ID:pFGilTkk
明智光秀の讒言にやられた佐久間親子でした。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 13:41:00 ID:pFGilTkk
佐久間親子は戦場でも茶の湯三昧のアホ親子でした。
信長がつけた目付を勝手に追放した佐久間親子でした
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 15:58:31 ID:tiSp+W7q
本能寺の変の前年に死んでるのがなんとも・・・
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 16:48:21 ID:V9VsrRjX
佐久間カワイソス
佐久間は畿内の外交官だと思う。
たしか、柳生とも書簡のやりとりしてたらしいし・・・
ただ、佐久間以上の外交通の明智にポジションを奪われ、
仕方なく戦闘の方に回されたと思う。
>>41 そういう人が一人はいてくれないと。
信長には気づいてほしかったんだろうねえ。
手取川で勝手に戦線離脱した秀吉も信盛と同じ事をされてもおかしくないのだが
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:46:29 ID:GocQomEM
谷口克広氏あたりだと、佐久間信盛が追放されたのが
教如が退去して本願寺が焼失した直後であったことから
信長の狙いは大坂の町をそのまま手に入れることであったと推測しているが。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 19:55:54 ID:wDh9939j
寛政重修諸家譜の信栄(正勝)の項には
後明智光秀が讒により父信盛とともに高野山にのがる。信盛死するののち、右府其咎なきことを知て後悔し、正勝をゆるして城介信忠に附属せしむ。
とある。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 19:58:24 ID:KAi9NJNV
信長自身の本願寺戦でのヘッポコぶりからすれば
信盛への仕打ちは言い掛かりだよな。
信長は天王寺合戦で大いに成果を上げているが
もうちょい生きてたら許してもらえた可能性もあったんじゃね
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 22:30:13 ID:446Crj5e
>>31 本願寺には工作も力攻めも通じないんだから
糧道を断ち、ひたすら包囲に徹することが不備だとは言えませんよ。
ただし、信長の発案した海上封鎖はどうも有効に機能していなかった
とは言えるんですが。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 00:05:23 ID:G7nGAV3x
突然の環境変化と、何よりも追放の衝撃が若くない身にひびいたのでしょう。信長の許しも得られないまま、信盛は翌天正9年(1581)の7月24日、隠居地の十津川で湯治中に病没しました。
信長の古くからの家臣でありながら、その最期は失意のうちに迎えざるを得なかった信盛。ただ晩年を過ごした十津川一帯は、大変閑寂な土地であり、わびさびを愛した信盛にとって静かに余生を送ることができたのは、不幸中の幸いであったのかもしれません。
享年55歳。今も十津川には彼が眠る墓がひっそりと立っています。
>>本願寺には工作も力攻めも通じない
やりもしないで「どうせ通じないし〜」っつってボーッとしてるだけなら当然主君は激怒しますわな
高野山で助けてくれたお坊さん達に
織田家に帰ったらお礼するからねって言ってたんだよね(;ω;`)
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 01:30:06 ID:G7nGAV3x
同じように追放された林秀貞はどうなったんでしょう?
>>58 うまくいかないなら自分に聞けとか信長言ってるしな
>一、甚九郎(信栄)の罪状を書き並べればきりがない。
ちゃんとかけよ信長さんよ
ウィキの佐久間信盛の項を読んでみたけど俺は擁護意見の方に
説得力を感じるな。
あれは擁護意見を主張したいために批判意見は軽く流してるのが見え見えなんだが
擁護されたら困るのかな。
こんにちは福島正則さん
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 06:56:31 ID:Ugrr2300
信盛は殿軍の名手。 殿軍を務めるのがどれだけ大変か知っているだろ?
ま、現場指揮官として優秀であるのと軍団を統率するのは全く違うけどね。
でも殿軍を務めた経験がどれほどあった?
柴田羽柴林に信長自信は記録にあったと思うが
味方ヶ原の退陣のことを揶喩したんじゃね
>>66 ワロスw
本願寺勢に調略が通じないで、話が通ってるけど本当にやるだけ無駄だったのかな?
中には、利に転ぶ奴とかもいそうなもんだけど
確か、根来衆は途中で退去してなかったっけ?
詳しい方、ご教授お願いします
>>71 詳しい人ではないが・・・
当時の本願寺門徒なんて、今で言うオウム(アレフ)信者みたいなものでしょ。
本願寺のために戦死すれば極楽浄土に行ける って本当に信じてたみたいだし。
そんな基地外集団が聞く耳を持つわけがない。
根来衆は、根っからの信者じゃなかったんだろう。
>>71 同じ浄土真宗でも本願寺に協力しない寺社もあるから普通に調略は有効だろう。
また本願寺のトップにしても最終的に和睦している以上全く話しが通じないわけではないしさ。
さすがにオウムみたいな犯罪カルト集団と一緒にしたらいかんだろw
一向一揆の矛先はあくまで武家専制・封建体制。組織としてサリンばら撒きみたいな無差別殺人やってない。
俺が戦国時代の農民だったら、一向一揆に参加してたかもしれん。
本願寺を一枚岩だと思ったら間違い。加賀越前あたりだと
本願寺から派遣された坊官と国人・檀家が対立して命令系統がズタズタ
石山退去の折には教如を担いだ主戦派が徹底抗戦を唱えてる
ただその内部分裂に付け込む隙はあったと思うけどね
そういう隙をつきもせずに茶会三昧だったのが信盛
77 :
71:2006/09/06(水) 14:42:29 ID:GXAf8SFP
わざわざ、丁寧にありがとう
そりゃそうだわな
宗教とはいえ、所詮は人間の集まりだからね
やっぱり信盛は怠慢といわれても仕方がなかったのかねぇ
追放が功です。
>>76 内部崩壊しそうな組織を外部から攻撃するのは逆効果ってこともある
それに本願寺以上に織田家の足元も不安定だしな
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:58:45 ID:Y0dAbG3p
息子の佐久間信栄は1582年に放免されているんだよね。
信盛ももうすこし長生きしていたら許されていたかも。
逆じゃない?
信盛が死んだことがきっかけで、息子くらいは赦してやるかと思ったのかも。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:03:17 ID:DTZKiLGD
息子の信栄は、茶人として秀吉に召抱えられています。
あぼーん
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:55:05 ID:9jkt7sZD
>>79 あくまで「こともある」ってだけだろ
価値観の落とし穴にはまってるよ
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 05:45:23 ID:Ut6nIRpe
情報が大名以上に入手出来る現代人の俺達だって、宗教団体は暴力団よりヤバイっ
て認識したのは最近だろ?(オウムや統一教会等々最近は、宗教団体>>>暴力団)
きっとあれだよ当時でも直接やり合った謙信や家康なんかは解ってたんだろうけど
信長とか現代人並みの無神論者だろ?宗教団体の異常さが解らなかったんだよ。
「はぁ?坊主と素人が篭城して金に雇われた傭兵が守ってる処を5年も掛けてるの?」
「でっ戦果や被害状況はどうなのよ?」
「はっ今包囲中成れば合戦には及んで下りません」
「(#^ω^)ビキビキ」
ビキビキというより信長は発破をかけただけと思う。しかし佐久間はまさかの隠遁。
名は命より重いの間逆を貫くそのスタイル。
まあ信盛は信長に対して含む所があったんだろうね。当て付けっぽい感じというか。
信長は働きが悪い部下に対して叱って何か手柄を立てるまで帰ってくるなという例が
他にもあるから佐久間丹羽林のような負の部分だけ取り上げるのはどうかと思う。
この人、本能寺まで織田にいたら秀吉は天下とれたかね?
>>88 前田もそういった帰参組みだしね。
ただ利家は明らかに罪を犯しての出奔だから一緒にもできないか?
武功が無いとして馬周りを辞めさせられて秀吉と共に浅井朝倉を撃退して
馬周りに返り咲いた滝川彦右衛門とか
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 06:54:13 ID:LrTknajB
織田家の殆どが信行を押すなか、一貫して信長を押していた信盛、
俺が同じ立場だったら、功なくても裸一貫で高野山に送ることはできないな。
攻める真田幸隆逃げる佐久間
>>92 押していたのは信盛ではなく盛重なのでは・・・
信盛もでしょ
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:57:21 ID:aeu9YD4l
信盛は本来は次男。
大学助が桶狭間で戦死してから、彼が佐久間一族の代表(総領格)になった。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:36:21 ID:7vVSJCFk
信盛の死因って餓死?
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 02:39:54 ID:8LaHCsVh
本願寺相手にてこずるまでは普通に織田軍の
中心として活躍してたのに、彼の評価は低すぎる
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 12:10:59 ID:7vVSJCFk
最盛期は尾張、山城、大和、河内、和泉を束ねて本願寺攻めをしていたから
160万石くらいを支配してて、織田家臣団でもNO.1だったようですしね。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 12:23:14 ID:Mm9F3VrQ
>>96 コーエーゲーでは大学は登場すらしないね。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 12:24:48 ID:CSzml2wB
信盛の対本願寺攻めは、今の時代評価されても良いのでは?
比叡山と違って一向宗は民間信仰の規模も大きそうだし、末寺への影響力も強そうだよね。
米国のアルカイダ殲滅作戦の様に力押ししてたら、散り散りになって収拾着かなかったかもよ。
>>100 太閤1で出てくるぞ
3分も立たずに勝手に今川軍にやられて死ぬが
>>88 (確か)「織田信長 常識のウソ」っていう、説得力のほとんどを武功夜話に依存した本では
追放された後の信盛の奮起に期待したのだと主張してたな。あるいはそうだったのかもしれない。
>>103 あれ?追放されたくなければもっと奮起しろ、という名目だったが、
佐久間親子が震え上がって自ら高野山に逃げ込んだ為に信長が激怒したという話じゃなかった?
>>100 覇王伝に出てきた
>>101 本願寺に従うかどうかは寺・地域次第で影響力の強いところもあれば弱い所もある
むしろ殲滅作戦を採らなかったから長引いたのでは?
織田と本願寺は何度か和睦しているが本願寺はそのたびに和睦を破っている。
>>103 でも上記の滝川彦右衛門は信長公記の話だし
他にも三方ヶ原で戦死した人とかもある。
伊賀攻め失敗後の信雄もある意味奮起を促されたわけだし。
他に原田への叱責もあるが原田の場合は本当に戦死してるからなー
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:15:22 ID:ZiSD9u+l
>>100 覇王伝に出てるぞ。
戦闘76、采配78で顔グラもオリジナルと割と優遇されてる。
昔、キムタクが松平元康演じたドラマで佐久間大学出てきたな
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 19:40:24 ID:sX4bprys
この人が生きていれば勝家とタッグくんで秀吉に勝てたのに・・・
つうか光秀うって天下人になれた・・・
よね?
秀吉討ってたら天下人は織田家だな
うむ
ところで大学と信盛が兄弟ってソース何?
今まで色々佐久間関係のこと調べたことがあるが兄弟なんて見たことが無い
見つけたのはどこぞのDQN小説が物語上兄弟にしてみたって話だけ
>>111 山岡荘八の小説だっけか
濃姫が本能寺で死ぬ結末
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 17:39:29 ID:FfEfjftP
山岡荘八の小説では、演技で処罰したことにして、佐久間に武田に内通させたり
裏の仕事に利用してたね。
まあ歴史に現れない、策略の一環だった可能性はある、息子は許されてるようだし。
信長は短気だけれども、それ以上に生粋の戦略家だからな、処罰する事で何かに利用したのかな。
たんに短気起こしたとは思えん
本当に無能だったから、働きが薄いからって理由は短絡過ぎるよな
むしろ背後関係を疑って当然。
例えば多く畿内等重要領地を与えすぎた為にそれを一気に直轄にするために
佐久間にイチャモンつけたってのがもっともしっくりくる
佐久間が奮起してどっかを切り取ったらそこを与えれば済む話だし
あぼーん
wwwwヤバイ歴史ヲタ&焼き豚の俺にはめっちゃツボったw
特に仙台に隠遁w
コレ、巨人で仁志バージョンも作れそうだw
佐伯や中村紀洋、清原などでもなんとかなりそうだな。
ワロタ
どうせならガイドラインに載せられるぐらい頑張ってくれ
>一、頭をまるめ、仙台にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ 本部長 \
/ ヽ
l:::::::::. |
|:::::::::: (●) (●) |
|::::::::::::::::: \___/ | ……
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
最近になって知った19歳信盛の子孫です。家系図もあるし家紋も一緒で三引き?です。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 07:30:56 ID:VFoMzo16
良かったらうぷしますよ
この人何か哀愁があるよな
でも本願寺包囲だけじゃ信長が物足りないってこと悟らなかったあたりがちょっと
子孫様の前で恐縮ですが
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 12:42:28 ID:NlUh/33y
>>111 大河では親子との話みたいな。
ついでに盛政らの親父の
盛次も肉親としてくっつけてしまえ。
家紋はお墓まで行かなくてはいけないので家系図はうぷします
盛政も載せてみました
グロキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
本当に晒してるよ…。
一族の恥にならんようにな。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 13:53:09 ID:scTWOEIq
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 15:45:38 ID:zCCG+d8Z
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 16:11:17 ID:scTWOEIq
あぼーん
鬼げんばはスレ違いかな?かな?
佐久間四兄弟
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 17:15:32 ID:xb0q7bQh
よくいるじゃん。いらいらさせる性格のやつ。
ポジション与えたら増長して仕事いいかげんになるし、
かといって尻に火をつけたら萎縮して何もしなくなるみたいな。
そういう奴だったと思うよ信盛は!
高野山でのんびりするのがこの人の為だったんじゃないの。
>>137 ほんとにそうなら
信長は大した忍耐力だな。30年間もポスト与え続けて
んでそんなイライラさせる武将が綺羅星の如くの織田家の家臣団に
よく30年も居れたね。信長の人材登用はおかしくないから実は思った以上に
能力のある武将だったんだろうね
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 22:42:23 ID:xb0q7bQh
>>138 初期に信長に協力したのがでかかったんじゃないの?
ああみえて信長は情に厚い面もあるぞ。
それと、能力があっても、性格的に活かせない人間ているよね。
最初から無能だったらいくら信長が恩を感じてても厚遇されなかったと思うし。
だから余計いらいらさせたんだよ。
諫言する人も一人はいないとね。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 09:02:34 ID:0f9hLYPX
このおっさん追放されなかったら
本能寺の変以降、どういう歴史になっていった?
秀吉の折檻状出現
折檻状の内容が事実なら弁護の余地はない(もう一度戦って挽回する機会も放棄したし)
信盛としては、俺らはもうたくさん頑張ったんだから楽させてくれよ、みたいな感じで気力が切れてたんじゃなかろうか
尾張時代に比べれば信じられないほど領地も財産も得た、これ以上戦ってこれを失うより守りに入りたいと
で、結局「罪状を並べることさえ愚かだ」とまで酷評した息子は信盛没後に再度取り立てて、家は立つようにしてやってるあたりが信長の複雑な思いを感じさせるな
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 17:19:45 ID:7BgS0Wx+
部将の器であって大将の器じゃなかったんだろうよ
信長家督相続以来の臣は伸長とともに何だかんだでみんな城持ちになってるんだから中には実力に不釣り合いな奴も出てくるのは当然だろ
信盛は自由な裁量を与えられた時に自由の扱い方がわからなかったんだろうよ
現代社会にだってだっているだろ?おまえらにも心当たりの1人くらいいるだろ
スポーツ界でよく言われる、名選手、名監督にあらず
>>141 その前に死んじゃうの可能性があるから、なんとも言えない・・・・
そもそもなんでこんな折檻状が出来るまでほっといたんだろう?
何らかの問題があるなら、それこそ左遷するか、配置換えするか
早めに手をつけるべきなのに・・
やっぱり佐久間の本願寺対策には問題がなかったんじゃないかな
で、信長もそれを知ってたから特に咎めなかった
実際、信長の佐久間批判ってこれ以外にあるのかな
性格的な問題だと思う。
つまらない何かがきっかけで、
全てが許せなくなっちゃったんじゃないだろうか?
>>147 ないんだよねえ。
岐阜を信忠に譲ったときは、信盛の屋敷にはいったほど。
86が全くと言っていいほど歴史認識が甘い件についてw
宗教団体の力を信長が知らなかっただとw
普通に身内が宗教関係の戦いで殺されてるじゃねぇかw
「無闇に対峙中に指揮官を交代させたら戦闘に悪影響が出る」から不満が出ても対本願寺戦は信盛を変えなかったとか?
言われている折檻状の罪過は本願寺戦総指揮官になって大軍団長になってからの怠慢がほとんどだから、このあたりでオオポカ連発してただけかも
総合判断です
織田家最大の7カ国を率いてたのに折檻状をみるに
その兵はほとんど遊んでたっていわれれば
松永戦、雑賀攻め、荒木戦、で自ら?動いて遊軍的な働きをしているわけだしなぁ
実際佐久間がケチなのは本当だったの?
例えば明らかに兵力が少ないとか、名高い武将がいないとか
寛政重修諸家譜(江戸時代の幕府作成系譜図)だと、光秀の讒言で追放されたが後に信長が咎が無かった事に気付いて信勝(信栄)を復帰させたとある
けどこれって厳しい解釈だよな。なら讒言者が罰せられてないとおかしい
単に光秀悪人史観が根強かっただろってことにしかならんよな
信長が光秀を罰しようとしたので本能寺の変が起きたとか
だいたい折檻状の内容も異常だろ
本願寺攻めの際に怠慢だったとかはともかく
十年位前の朝倉攻めの時の遅れた自分達の弁護や
三方ヶ原で勇敢に戦わなかっただとか
30年重臣やってれば誰にでもあることだろうに
こんなのつきつけて追放なんて柴田も明智も羽柴も丹羽も正直震え上がっただろ
>>157 人を落としめる時ってのはそんなもんだろ
ブッシュがフセインに対して、北朝鮮の国営放送、ヤクザ…普通だよ
ただたとえ2、3割くらい的を得た内容であとは尾ヒレ背ビレっつってもあれだけ難癖つける要素があるのも問題だけどな
>>147 まぁ、こういうのはいずれにしろ情勢が落ち着いてからじゃないと動けないでしょ。
佐久間の非の有無はわからんけど。
>>153 なんか鬼玄蕃盛政からも身内なのにえらく嫌われてたけど、
実際どうなんだろね。
こんなショボイ武将にファンがこんなにいたことにビックリしてる
>>159 盛政からも嫌われてたみたいな話は初めて聞いた
よかったら詳しく
現在の佐久間の子孫を見てる限り、チキンな人だったと思うwww
子孫のひと居るの?しらなかった。
こないだ墓参り行ったんだが、自分ら子孫らしいってじっちゃんが言ってた
基本男はチキン・ヘタレっぽいとこがある
女はしたたかかな…
166 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 18:10:20 ID:CQ8daHHE
のぶー
167 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 09:12:59 ID:B+P9XkX2
この慮外者がー!!
うぬら両名の不甲斐無さ、勘弁ならん!!
丹波では日向、播磨では筑前、
その他の者も智将の働きを見せておるというに、
うぬら両名、この三十年、軍功らしき軍功をあげておるかー!!
二度と、その面、見とうない、即刻立ち去れい!!
さくちゃん。
170 :
保守:2007/01/10(水) 01:27:34 ID:xZN8+mz9
保守
171 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 01:37:08 ID:xZN8+mz9
最初らへんに書いてるやつら佐久間盛信と勘違いしてるっしょ?
>>160 センゴク読んでから好きになったとか…俺くらいか?
173 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 23:27:10 ID:bYN022Ie
信長に追放されなければ確実に織田第一の功臣だったろう。
所領は近畿を摂津和泉を中心に百万石以上
174 :
退き佐久間:2007/01/19(金) 00:19:09 ID:YwLwuB/l
右府さまにリストラされますた…
かわいそうな人だね
目立つ逸話は全部悪い方向なのばっかりで最後は追放だからイメージが悪い
調べて見れば結構優秀な武将。十分織田家の五本の指には入る功臣
>>172 ノシ
それ以前から「退き佐久間」はかっこいいと思ってたが、
本格的に好きになったのはセンゴクに因るところが大きい。
「信長の野望」シリーズだと
信盛よりも山内一豊の方が弱いことが多いな・・・
常識的に考えて佐久間と山内では格が違いすぎるだろう。
179 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 23:07:58 ID:fQQR5nB0
家を潰した佐久間と大名として幕末まで残った山内じゃそりゃ圧倒的に山内の方が上だな
信長時代の一時期だけ見れば佐久間の方が上だがw
180 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 23:15:12 ID:fQQR5nB0
181 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 02:27:11 ID:o3+srBiu
信盛を擁護するかどうかについては、答えは出せない。
でも擁護説(ウィキ)の三方が原の点については一つ文句がある。
例え大将が間違った選択をしようとも一度ことが決したらグダグダ言わずに全力で戦うのが武士であろう。
彼の役目は援軍だったわけだから家康の作戦に不満を持っても、一度決まったからには全力で徳川軍と共に戦うべきだったと思う。
182 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 09:46:02 ID:7k3O/GBf
183 :
にゃんこ:2007/01/21(日) 09:50:08 ID:RCh4eaFX
戦国大名家とは、国人・地侍(中小領主)の連合組織。
佐久間や柴田は、中小領主。
一方、急成長組織は、有能な小身者も抜擢させる。光秀・秀吉のような。
株式会社に例えたら、光秀・秀吉は最初はサラリーマンだが、佐久間・柴田は
最初から手勢を多く率いる大手株主でもある。
君主は、中央集権をめざす。そのためには、報酬の安いサラリーマンを抜擢
したいが、その結果、出資者の反感が募れば、大名家が崩壊する。
中央集権を進めるためには、出資者の持つ株券(土地・兵)を取り上げたい。
もちろん、下手に取り上げようとすれば、出資者の反乱だが、この時の
信長には、チャンス到来が見えたのだろう。
184 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 10:24:16 ID:HvRwi6S8
本人も家臣も、謀反のムの字も思わないってのが変。佐久間の「7ヶ国を
率いていた」てのは本当に信長からのレンタルで、佐久間家としての領地
は微々たるものだった、ということだろうか。7ヶ国に何らかの領主的権
力を及ぼしているのなら、そこに利害を持つ家臣から、謀反の勧めくらい
でても良いのでは。
185 :
にゃんこ:2007/01/21(日) 10:46:57 ID:RCh4eaFX
初期からの有力領主で、まあまあ有能なので、レンタル軍団の長になれたが、
レンタル軍団と強固な主従関係を結んだり、本願寺を制圧したりするほどの
有能さは無かったから、粛正されたんだな。たぶん。
大株主だが、中有能なので、粛正の標的になりやすかったじゃないかな。
小有能なら、階級が一クラス下なので安心だし。大有能だったら、粛正は
困難だしなあ。
186 :
にゃんこ:2007/01/21(日) 11:02:09 ID:RCh4eaFX
と、なると、レンタル軍団を山崎で負けるまでは、指導できた明智光秀は
大有能だったんだな。
羽柴秀吉は手取り川の戦いの後、信長に怒られたと聞くが、
佐久間信盛はなんか怒られたのかな。
レンタル軍団=与力の筒井や細川は結局見殺ししたから、
最期に頼れるのは直参の連中だけだね。
柴田の与力だった前田も逃げたなー。
189 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 15:47:08 ID:NWA6hLJS
前田は信長の勘気にふてれ浪人になったが武勲で出戻った漢
佐久間は信長に「汚名を濯いだ上帰参するか」と復帰のチャンスを与えられてるのに逃げた屁たれ
佐久間は前田以下のダメダメ武将
190 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 17:36:07 ID:6eTi9RZN
>>188 尾張時代の話だったら、信長の怒りを買って浪人になったけどその後頑張って帰参した。
秀吉vs勝家の時の話だったら、参陣することで上司勝家に誠意を見せ、撤退することで親友秀吉に誠意を見せたというエピソード。
まあ、それが勝家軍崩壊の決定打になったわけだがな。
こいつからは小物臭しかしないんだけど・・・・
あぼーん
>>181 信盛の主君は信長。信長の命令は篭城。その援軍として派遣された。
それと信盛はべつだん手を抜いたりサボタージュしたりなぞしていない。ちゃんと
出陣して戦っている。
195 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 17:45:02 ID:1awy8Jns
臨機応変に対応できない能無し武将は信長のもっとも嫌うタイプの武将である
言われたことを守るだけなら誰でもできるよな
196 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 18:04:42 ID:Aykhpb1w
>>181 そんな後世に作られた武士の掟みたいなの語ってまで貶めなくても…
>>182 俺もそう思う。そして信盛の次は権六だったとも思う
198 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 18:31:13 ID:1awy8Jns
信長は過去の実績にあぐらをかいてろくに働かない古参の信盛にイライラしてた
「新参者の秀吉、光秀、池田などはよく働くのに佐久間は何をしているんだ」とな
でも信長は優しいから信盛に「汚名を濯いだ上帰参するか」と言って復帰のチャンスを与えてやった
しかし信盛はさっさと逃亡w、普通なら「信長公に認めさせてやる!」とやっきなって働くものだが・・・
これには信長も唖然としただろうw
たしかにな…能力はともかくあの根性はあかんw
「根性論で戦国の世を語る」かよw
201 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 08:44:51 ID:Rmeojb6p
>>198 齢54のやる気無くしてる人間に根性求めるんか?
信盛は過去に十分実績を残してるし翌年に死去するくらい
体力気力に限界を感じてたんだろ?
信長の折檻状で引き際を感じて地位も何もかもを自ら捨てた人に逃亡は酷くない?
>>201 逃亡は逃亡だわな
家康や元就の爪の垢でも飲んでればもうすこしやれたろうw
普通の家中なら理不尽だってんで謀反起こしてるよな
信長はなぜか謀反されまくりってイメージがあるけど、比較的大身で謀反したのは三人程度
旧敵と成り上がりの連合体であるのに、織田家臣団の構造はつくづく特異だ
大身で三人もいりゃあ…
荒木・松永・明智はいずれも外様
尾張美濃は譜代(つっても最古参の柴田ですら先代から程度だが)だからかも
お寺では織田家に復帰したらお礼するからねって言ってたんだよね
譴責状のエピソードを除いて事跡を追えば、
信長にかなり信頼されていたことがわかるんだがなあ
やはり
>>173が追放された一番の理由
208 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 17:27:15 ID:vHSeMtkB
なんか信長と信盛となんらかつるんだ、猿芝居っぽくも見えなくもないし。
その後、立て続けに二人ともよくワカラン死を迎えてるし
なぜ光秀は本能寺の変を起こしたのか?というくらい真相は闇の中。
追放後、信盛と信長で取り交わされた書状かなんか見つかれば
なんかわかるかもしれんが・・。
209 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 18:24:58 ID:ClwUHgoe
>>207 息子がすぐに再登用されてるのも不自然だね。
210 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 14:38:34 ID:ijVEwGvm
主観的で憶測のレベルだけど信長に一番信頼されてた武将かもね
伊達に三十年以上も筆頭家臣やってないよ彼は
特に城離れてなんでわざわざ佐久間信盛の屋敷に行ったかが分からない
普通なら家臣の屋敷なんて怖くて長期滞在できないよ
211 :
竜田:2007/02/17(土) 11:24:30 ID:zjapPQYp
(;´д`)
212 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 16:53:34 ID:T6DfJtQ3
光秀の陰謀で追放されたってのが結局一番しっくりくる
213 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 17:36:58 ID:aiH7/ND1
資料あさってるがホント江戸時代や明治時代の創作資料ばっかだな・・。
214 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 23:32:17 ID:UtR/Kwcz
>>213 大身の武将の割には本能寺以前に死んでいるから地味な話や中途半端な資料ばかりなんだよね
佐久間信盛に限らず坂井とか森とか原田とかの織田軍70年代の中核武将の
資料は中途半端で困る
215 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 11:15:57 ID:Hq//Padu
ぜんぜん本筋と関係ないが、
>>214の「70年代」という表現にウケた。
1570年代も70年代に違いないが……。
16世紀と20世紀とを絡めてなんかうまいこと言おうとしたが、
何も思い浮かばなかったのでスルー。
216 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 13:41:19 ID:91fviHza
織田家の重鎮の割りには、
三方ヶ原に平手と共にわずか3000の兵で派遣されてるあたり
扱いが軽いような気がする。
信盛はろくに戦わず帰ってきちゃったけど、
本来は浜松城で家康と共に篭城して、織田本軍を待つつもりだったんだろうか。
217 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 17:17:53 ID:Cg2h2ESA
>>216 あのころの織田家の状況から考えると
主戦線以外に増援として派遣するなら3千人は少なくない
218 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 20:27:31 ID:zIVcldYb
二万五千〜三万に対応して一万一千で臨むのは十分だしな
信盛と共に送られた平手は信長のお気に入りだったらしいし
もし捨石とかに使うつもりなら平手も一緒におくらないでしょうし
219 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 09:52:00 ID:Z7Bz+x7K
そもそも籠城してくれと要請しにいったわけだしね。
色々調べてると佐久間氏は元々名古屋御器所あたり(現在の荒畑駅に菩提寺がある)
が本拠地で三河との橋渡し役、調整役も担ってたようで三河のことをよく知る集団
だったらしいね。たしか信康への嫁がせるとき姫の同伴してるの信盛みたいだし。
邪魔になった水野家を織田、徳川両家で謀殺していったん潰したものの佐久間氏
追放後わざわざ水野家復活させてるし、三河勢との深い繋がりが何かしらあったんでしょうな。
それよか佐久間信盛って信長公記には必ずといっていいほど名前が
出てくるのに肖像画一枚、挿し絵の一つも見つからないし退き佐久間
としての殿軍の様子を伝えた書物もみつからないし、名前先行で
実像が非常につかみにくい人ではある。調べれば調べるほど、信長もイメージ
変わってくるし、ほんと不思議な人だ。
220 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 21:42:20 ID:mkTxpVhu
関係ないけど以前佐久間氏のなんとかって本を立ち読みしたら大学盛重の
ことを詳しく書いてた。
なんか生年も分からない人なのに武勇伝が豊富だった。
二人の刺客をその場で殺して顔を斬られたとか色々。
ただ信盛と共に信長黎明期の最重臣の一人としては間違いないようだね。
キャラ的には柴田と被るし、彼が生きていたら信盛や柴田並みの扱いを受けていただろうし
佐久間氏の位置付けももう少し分かっただろうにね。惜しい人だよ
221 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 08:31:53 ID:MqTDRl2M
僕は佐久間信盛ちゃん!
222 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 15:28:22 ID:cTGdeMqC
折檻状の問題点は信長が、信盛に悪い点を逐一指摘した上で
お前も功績あげるなりどこかの国を平らげるなり
なんかしたらどうよって、むしろ信長が励ましたと解釈できるけど
そしたら信盛が勝手に頭丸めて高野山にいっちゃったもんで信長の方が狼狽したんじゃないか
多分、あの後、返事をしていれば
四国攻めの総大将命じられていたと思うが
223 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 15:53:11 ID:QTmE3slR
再度戦う気があるか、と聞かれるまでもなく追放された林らの例もあるからな
224 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 18:47:19 ID:fVPm0UqE
225 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 20:12:41 ID:pEc2+eLt
佐久間と林では貢献度も違うしね
226 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 20:50:26 ID:cTGdeMqC
もしあのまま追放されなかったら
畿内110万石の力だし本能寺に対応できたかもな
仮に秀吉に丸め込まれて手柄を横取りされたとしても
清洲会議には間違いなく出席できたし
豊臣政権の中枢に入り込めているのはガチだろうな
もったいないなあ。あと二年凌げば天下をとれる人物だったのに
227 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 21:44:42 ID:GxW4CiWM
>>222 信長流の発破の掛け方だろうね
秀吉や明智、勝家の名をあげるなど競争心煽ろうとしている
信長はツンデレすぎる。
でも、いなくなったらいなくなったで好都合の面もあるから、
信長としてはどっちに転んでもよかったんじゃないだろうか
228 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 21:58:00 ID:qCR8uJM/
このまま残ってられたら秀吉の天下はあったのかだぜ?
229 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 04:41:00 ID:wmEgGutV
年齢的と能力を考えると佐久間自身に秀吉の天下を阻止する力は無いと思う
信行との戦いでは劣勢な信長に付いた辺り時代の流れを読む力はあっただろうから
秀吉に付くと思う。逆に秀吉の天下統一事業は楽になりそうだな
天下統一後は家槍の代わりに五大老筆頭になっていたかもしれん
230 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 05:15:52 ID:ok2z1vKW
息子の信栄は茶坊主とかわらんし、名のある譜代家臣がいたわけでもないから
丹羽みたいに捨てられるのがオチ
231 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 10:27:46 ID:7ZCtGdXs
本能寺の際に信盛が畿内に以前あれだけの勢力があればそもそも
明智は謀反なんか怖くて起こせないと思うが
仮に起きたとしても戦後秀吉にやりたい放題されたりはしないだろうね
ただしその時の信盛のモチベーションが問題だが
232 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 02:55:16 ID:sSW/18Nn
そのネタ使えるな
233 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 02:22:22 ID:GH2hs+H3
>>231 だからだろうね。信盛追放の影に光秀ありといわれるの。
折檻状と信盛の行動いいやっぱ「?」って思ってしまう。あまり注目
されてないが折檻状の内容でひっかかるのが「おまいは家臣を雇ってない」
って点と対本願寺作戦中西三河の人間が兵糧を本願寺へ輸送したのをあっと
いうまに情報とって水野家を謀殺して潰した点。茶器をそろえるだけの財力。
信長や秀吉など中世、戦国時代の統治の様子ってほとんどわからないが
(北条氏だけ例外)信長からみても信盛の統治や組織ってちょっと異質
だったのかもしれない。茶器へのこだわりからも堺の人間とのつながり
など独自の情報網とかあったのかもな。(このあたりはかなり妄想の領域だが)
妄想の範囲だが信盛って三河とのつながりも考えCIA長官のような立場
だったのかなぁ?・・って思ったりする。
234 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 10:07:26 ID:nYIVuwCK
過小評価の反動で過大評価する人が多いな
235 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 17:59:05 ID:brtNLCIi
ご先祖さんが泣いとるわ・・。
236 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 18:56:37 ID:vkVy5rMX
追放されたときに、誰か取りなしてくれる人はいなかったのか?
237 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 13:50:10 ID:il4hcC5b
そういう誰かが取りなしたが信長公は「うんぬんかんぬん」といって〜
という記述ってそういや見ないな。秀吉の時代でも触れるのはタブーだったのかな。
238 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 13:42:34 ID:ecXlbJZJ
北条家との取次役もやってたのに、追放とは惨いな。
239 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 23:43:25 ID:4ITrjVgu
北条は滝川一益だろ
確かに信盛も取り次いだことあるけど
240 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 22:22:26 ID:MgujSOSn
ts
241 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 21:25:56 ID:2KrO610e
子孫は徳川幕府の旗本になったんだっけ?
242 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 15:41:45 ID:EFb0co8k
243 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 16:04:14 ID:r+yNHbQ3
244 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 21:54:34 ID:hNMo2cfl
>>195 言われたことすらできない人間は意外と多い。
245 :
◆LeD1MMOS.k :2007/06/18(月) 13:23:17 ID:YGgUDgAN
信盛ではないが佐久間氏の子孫のオレが来ましたよ。
それなりにいろいろ詳しいよ。
何か質問があればどーぞ。
246 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 13:34:24 ID:CcuZi71F
>>245 どうして盛信はノブヤボで雑魚扱いなのでしょうか?
痛々しくて見て居られません
(´・ω・`)
247 :
◆LeD1MMOS.k :2007/06/18(月) 13:44:36 ID:YGgUDgAN
いきなり難しいですな。
やはり対本願寺で目立った実績を挙げられなかったことが大きく影響している
のではないかと。
それに、織田家中でもあまり評判はよくなかったらしい、と言われてますな。
少し傲岸不遜なきらいがあったとか。どういう史料に出てた話かは忘れたけど。
少し補足すると、当時の戦国大名家というのは、中世的な御恩奉公の関係の
ように、利害関係で結びついたゆるやかな関係(同盟関係、盟主と盟友の関係)
がメインだったわけで、信盛などは織田家とは古くからの付き合いだけに、
その意識が強かったと思われる。
いっぽうで信長はそういう古い体質から、中央集権的な絶対権力志向に
なっていたわけで、秀吉などはそれにうまく乗った形になるわけだけど、
そういう流れからすると、信盛の態度はなれなれしい、主を敬わぬ、
といったように信長からは見えただろうことは想像できますな。
信長以前と信長以後でそのへんの時代の変化が起きていたのだけど、
それを読めてなかった、という面があるのかも知れない。
249 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 14:08:21 ID:CcuZi71F
そんなに危険視される人物に、一時期は織田家中最大の領地を与えるとは思えませぬな
250 :
◆LeD1MMOS.k :2007/06/18(月) 14:40:24 ID:YGgUDgAN
危険視ってわけじゃなくて、単に「うっとおしい、うざい」と思われ
たんでしょ。
「じい」と「若」みたいな関係だから、目の上のたんこぶというか、
他の家臣の手前、示しがつかないというか。
その点は折檻状にも例の朝倉攻めのときの口答えがけしからん、って
書いてあるけど、あのへんにホンネがあるんじゃないかなぁ?
ちなみに領地はさほどもらっとらんのですよ。実は。
「与力」をつけられた、とあるでしょ?あれは信長の直臣をつけてもらった、
ということで、自分で召抱えたわけじゃないんだよ。
七ヶ国の与力、ということは、つまり七ヶ国に散らばるいろんな領主を
与力としてつけてもらった、ということで、信盛自身の領地としてもらった
わけではないんだね、これが。
252 :
◆LeD1MMOS.k :2007/06/19(火) 08:40:44 ID:ceuMVh52
明智光秀の話で、「我らも骨折りの甲斐がござった」と言ったら、信長が
「うぬが何の骨折りをしたか」と激怒した、という話がありますな。
信長様は家臣が功を誇ったり、大きな顔をすることをかなり嫌ったと思う。
「お前らの今日あるは、この信長様のおかげだろうが。思い上がるな!」と
いう感じではないかな。
信長あってこその家臣で、そのことを忘れるな、という気持ちが強かったのかと。
253 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 13:59:02 ID:rzxZJKNc
尾張で佐久間姓が結構多いのは名古屋市の東南部に結構集中
してるようですな。うちの叔父も伝馬町らしいし。
254 :
◆LeD1MMOS.k :2007/06/20(水) 16:04:24 ID:3VCuuRxN
盛次系は御器所、信盛系は山崎が本拠地らしいけど。
御器所は昭和区ですな。今は巨大なパチンコ屋が並んでるね。
山崎ってどのへんなんだろう?
255 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 16:38:38 ID:rzxZJKNc
256 :
◆LeD1MMOS.k :2007/06/20(水) 18:02:21 ID:3VCuuRxN
>>255 おおお、ありがとう。
なるほど、南区なのか。
257 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 18:21:11 ID:BnMIrGPS
258 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 22:37:30 ID:lq9VmcvY
織田と佐久間の関係って毛利と井上みたいなものだったのかな?
259 :
◆LeD1MMOS.k :2007/06/24(日) 00:21:24 ID:fR8qHKK+
>>258 うん、まあ、似た部分はあるかもね。
傘連判状のレベルまではいかないけれど。
260 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 01:20:57 ID:ty2phnS4
盛重、信盛、盛政兄弟ってどう系譜が繋がってるの?
ググってもいまいち分からん。
261 :
◆LeD1MMOS.k :2007/06/24(日) 17:19:55 ID:Y5AjfFU+
262 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 13:05:00 ID:PgVR7jzv
263 :
◆LeD1MMOS.k :2007/06/26(火) 13:52:01 ID:Nr7mh9qT
>>262 その説だといくつか問題があってね。
まずこれだと信盛・信辰は盛重の孫になってしまうけれど、
桶狭間のとき信盛は33歳。その祖父であるなら若くても70歳
くらいということになってしまうので、ちょっと無理がある。
それから寛政譜では信晴は盛通の子となっているし。
Wikipediaのほうの系図は寛政譜を基にした系図だね。
武家家伝のほうは、何か別の系譜集か個人所有の系図か何かが
典拠なのかな?
264 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 21:05:42 ID:qdFPbIMI
265 :
◆LeD1MMOS.k :2007/06/30(土) 12:58:12 ID:/3QBOUa8
まあ、諸説いろいろあるのは確かなんだけど、おそらく、「盛重」が二人いたことが
混乱の元になったのではないかと推測してるよ。
266 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 02:04:21 ID:/ujlsJ59
※岡田の折檻状の内容
一、桧山進次郎はタイガースに十五年間在籍しながら何ら功績もあげていない。
ファンは不審に思っており、自分にも思い当たることがあり口惜しい思いをしている。
一、何ら功績もあげていない進次郎の気持ちを推し量るに打席で四球を取れればいいと考え、バットを振らず
ただ打席に立っておれば、何球かもすればゆくゆく進次郎の威光によって四球を出すであろうという見通しだったのか。
野球というものはそういうものではない。
ストライクを見極め一振りをすれば、岡田にとっても桧山進次郎にとっても本意なことであるのに、一方的な思慮で
四球狙いに固辞し続けたことは分別もなく浅はかなことである。
一、金本知憲の働きはめざましく天下に面目をほどこし、今岡誠の功労も比類なし。林威助は少禄の身であるが濱中治の穴
を時間も掛けず埋め天下に名誉を施した。 これを以て奮起を発し一廉の働きをすべきであろう。
一、鳥谷敬もこらの働きを聞いて、ショートのポジションをあたえられながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、
勝負強い打撃でチームに貢献した。
一、打撃に不甲斐ない者は特打などをし、相足らぬ所を報告し意見を聞きに来るのに、四年間それすらない。
一、進次郎はタイガースに於いては特別な待遇を受けている。
出来高払いを加えると一億以上の年俸をあたえられている。
これにタニマチの援助を加えれば、どんなことがあろうとも生活に困ることはない。
一、先年、FA権を獲得したとき、宣言したところで連絡がなかったものにもかかわらず、結局自身の正当性を吹聴し、
あまつさえタイガースに舞いもどるに至ってタイガースも面目を失った。その口程もなくタイガースに在籍し続けて
いまの働きの程は前代未聞である。
一、チャンスでの勝負弱さを書き並べればきりがない。
一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い野球をしようともしない。その上、いい加減な働きをすれば、
行き着くところ桧山進次郎は野球人の道を心得ていないからこのような事になる。
一、試合後は専らタニマチと飲み歩き、飲み台にはタニマチの金で済まし自身の金を使わない。時間をただ遊び無駄にしている。
一、タイガースの若手選手たちまで進次郎に遠慮している。
自身の打撃を自慢し穏やかなふりをしても綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。
一、岡田の代になり四年間プレイし進次郎の活躍は比類なしと言われるような働きは一度もない。
一、こうなれば代打で打ちまくり、汚名を濯いだ上帰参するか、引退するしかない。
267 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 02:10:10 ID:/ujlsJ59
前作った片岡のが消えてる・・
268 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 09:41:54 ID:eN6gY5uy
>>266 ぶっちゃけ一番折檻されなきゃいけないのは岡田だがなw
269 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 07:39:40 ID:62HXYd4g
保守
270 :
ガンダムのEDテーマで:2007/07/18(水) 12:25:30 ID:2tz6WTx9
信盛〜(信盛〜)振り向かないで〜
安土の天守にまします方は〜
信盛〜(信盛〜)おまえの仕えた上様だ〜
覚えているかい青年の日のことを〜
織田軍の先陣で戦った日々を〜
信盛〜振り向くな信盛〜
男は涙を見せぬもの見せぬもの〜
ただ高野へと〜熊野へと〜永遠に〜
271 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 19:11:02 ID:7zQgMoqL
佐久間家の通字「信」の字は、どこに由来するんだろ?
272 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 20:22:19 ID:8jqEYU9j
どう見ても通字は『盛』ですが。
273 :
◆LeD1MMOS.k :2007/08/15(水) 21:01:31 ID:UaSzuLAV
>>271 信盛の父、信晴からだけど、おそらくは織田家(信秀?)から偏緯を
もらったのではないかと。
>>272 盛道、盛重、盛次、盛政あたりまではそうだけど。
信盛系の子孫は「信」を継いでるし、安政の家は「安」、勝之の家は「勝」を
継いでるよ。
あ、字間違ってた。「偏【諱】」だね。
「へんき」って一発変換できない・・・。
275 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 20:48:59 ID:zRoScEgv
うちの地元に「佐久間玄播太閤本陣強襲の場」と言う彫刻があるんだけど、その場面は有名な話なんでしょうか?
276 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 10:17:29 ID:RkNiKzba
277 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 19:19:40 ID:O7c+GX8a
実力主義が裏目に出て信長は焦ったんだろうか
それとも最初からいい働きを引き出す為だけの主義で、計画通りの追放だったんだろうか
278 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 19:24:09 ID:LMzOZf42
信盛の旧領に入ったのって誰だっけ?
279 :
◆LeD1MMOS.k :2007/09/04(火) 20:13:19 ID:CHZy8v+N
280 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 20:43:30 ID:1bZCWNLn
光秀が謀反を起こしたのは、信盛を陰謀で陥れたことが発覚するのを恐れたからでは?
信盛の息子・信栄が戻ってきたのも、ちょうど本能寺の変と同じ年だし。
281 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:29:48 ID:LMzOZf42
282 :
◆LeD1MMOS.k :2007/09/05(水) 14:20:59 ID:bppYwPhg
>>280 時系列では
・信盛・信栄追放(寛政譜では「光秀の讒言により」とある)
↓信盛死去、信栄帰参(寛政譜では「誤りを認めて」とある)
↓本能寺の変
という流れなので、その方向でシナリオを書くとすると、
信盛死去のとき、何らかの理由で誤解が解けたか何かで
信栄は赦された。
そのことで光秀の立場が悪くなり、織田家中に居辛くなった
ため、本能寺の変に至った。
みたいに考えたほうがすっきり筋は通るかもね。
ただ、寛政譜の記述は信盛の子孫が書いて提出した内容で、しかも
江戸幕府の時代に書かれているので、丸々信じることはできない
という面もあるけどね。
283 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 13:45:17 ID:bfqBwiYC
>>282さんも書いている通り丸々信じる事は出来ないね。
あまりにもダメで発破をかけられ、奮起するでもなく逃げ出したなんて
ことは格好悪すぎるから、誰かのせいにしたいんだなと思った
284 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 17:27:07 ID:Vi2GfXL0
>>280 どうしても明智光秀が追放後、畿内総司令みたいになったので背後に明智が・・
ってなるけど個人的には結果的にそうなっただけであくまで信盛がいなく
なってから人事変更したと思うけどね。
折檻状=ハッパ掛け って言うのは比較的最近よくいわれる罠。
信盛自身のモチベーションの低下など要因があって信盛自身が自ら降りた可能性は
ないかと探ってるけどね。むしろそっちの方がしっくりくるような。
285 :
◆LeD1MMOS.k :2007/09/07(金) 18:25:22 ID:Jkx0tAPM
>>284 「佐久間軍記」に「役不足ニテ内心勇マズ」みたいな記述があったね。
286 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 22:45:36 ID:A69yKUpS
北国も丹波も中国も諸将が切り取り次第のお墨付き
なのに自分は畿内の掃討
そりゃ役不足だと嘆いてモチベーション下がっても仕方がない
287 :
◆LeD1MMOS.k :2007/09/08(土) 00:38:28 ID:f6h1akDo
288 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 18:46:06 ID:cbtzkeTl
石山攻めでは与力は多いが寄せ集めで、思い通り動いてくれなかったろうな。
289 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 12:55:18 ID:lfB128VT
age
290 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 19:25:36 ID:5VxLjNXH
>>288 しかもそれなりに地位の高い同僚達が寄騎に来るんだもんな
切り取り勝手と言われても心躍るような地域じゃないし
291 :
◆LeD1MMOS.k :2007/09/26(水) 08:18:47 ID:2sdjthFs
基本的には領地拡大のための戦じゃなかったしね。
「押え」と書かれているように、当時の考えでは包囲による持久戦だったわけで。
それが失敗したのは、毛利が村上水軍の力を借りて海上から包囲を突破して、
本願寺に兵糧を運びこんだからでね。
信盛の怠慢というより信長の戦略ミスのほうが要因としては大きいのではないかと。
292 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 07:53:28 ID:7uNYg4az
だいたい石山攻めの軍隊は、信長が必要に応じてガンガン引き抜いて他の戦線に持って行ったりしていたので、常に兵数が
一定しない不安定な軍隊だった。どんな司令官でもアレで結果を出せすぐ出せさあ出せ、と言われても困るってものだ。
293 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 15:40:40 ID:LCrEHB7M
でも信長が佐久間を嫌ってた、軽視してたってことは無いと思うんだがどうか
294 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 16:09:38 ID:ppzTSM4W
>>292 明智が丹波を攻めあぐねた理由と似てるな。
295 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 18:03:37 ID:hSossQSJ
>>293 信用がおける人間だからこそ石山攻めの総司令に置いたわけだし。
あと現状での大阪城、古地図など見るとよくわかるが当時は陸地の軍艦島のような
要塞だったんだな。水軍での包囲も必要とよくわかる。
補給、交代要因、慰労など体勢構築するの結構大変だったと想像できるが
個人的には4年間もよく包囲したと思うよ。佐久間氏に関してこれほど
の大物だったのに史料がほとんどないっていうのが残念だな。
禅による負の部分かな。
296 :
1111111111111111:2007/09/27(木) 20:39:12 ID:Qi8AnjSe
>>・信行謀反時に大多数の譜代が信行についた中、信長に味方した。
これは大きいよな
オレなら生涯大事にするけど自分が裏切られるリスクを過小評価している
信長ってちょっとアレだよな
297 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 20:50:57 ID:7uNYg4az
>>296 信長
・昔裏切った人間→あの恨み忘れまいぞ。許さん!
・昔味方した人間→昔の事で恩着せがましい顔をしおって!許さん!
マジでこうだからなあ。仕える人間は大変だったと思うよ。どうすりゃいいのよ('A`)、と。
298 :
◆LeD1MMOS.k :2007/09/27(木) 21:50:29 ID:NZTiPJm+
>>295 かろうじて「佐久間軍記」があるくらいかな。
299 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 23:31:16 ID:QLMOzMcc
>>297 え?そうか?ドラマとかの信長ならそんな印象かな
300 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 00:02:05 ID:+Iv1sOSp
信長は佐久間を信頼しきっていたと思うんだがなあ
安土築城のときに佐久間の屋敷に転がりこんだりしてるし
佐久間に本願寺攻めの大任を与えて、所領も家臣随一
だからますます折檻状の理由が理解できん
信長が発破かけただけって見るべきなのか
ひょっとしたら信盛は鬱病になってたとかかな
男でも更年期障害あるしな
301 :
◆LeD1MMOS.k :2007/09/28(金) 14:49:38 ID:PrM9AzBS
古今東西、政権や王朝の草創期に活躍した忠臣、功臣が、安定期に入って
から追放されたり粛清される、というパターンはよくあると思う。
前漢の韓信もそうだし、ナポレオン政権でも軍人出身の貴族はかなり
没落したし、秀吉の政権でも武断派はだんだん遠ざけられた。
「狡兎死して走狗煮らる」という言葉もある。
信長の政権では信盛と、林、明智などがそうだったのかな、とも思える。
302 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 16:16:39 ID:Lx9EwIFe
秀吉もさっさと秀勝に家督譲らされて隠居させられただろうな。
303 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 16:40:16 ID:WyQeOXDP
>>301 明智が冷遇されてたか?滝川は愚痴をこぼしていたようだが。
304 :
◆LeD1MMOS.k :2007/09/28(金) 18:10:15 ID:PrM9AzBS
>>303 謀反の背景には、何かしら「次は俺か」という危機感を覚える何かがあったのでは
ないだろうか、と考えているんだけどね。
謀反の理由に挙げられるエピソードは虚実がよくわからないものが多いから、
あまりはっきりしたことは言えないけど。
国替えの話がもし事実なら、明智がガクブルしたのかな、と見ることもできるかと。
305 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 22:40:13 ID:WyQeOXDP
>>304 明智の謀反は、信長の四国(長宗我部)政策の転換が主原因では?
306 :
◆LeD1MMOS.k :2007/09/28(金) 23:43:53 ID:FDdAM1UY
>>305 それも一つの仮説だろうけど、それだけで全部説明がつくとは、ちょっと
考えにくいんじゃないかなぁ。
307 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 00:17:01 ID:TeBKbQV2
>国替えの話がもし事実なら、明智がガクブルしたのかな、と見ることもできるかと。
丹波と坂本召し上げて、山陰切り取り次第は後世の創作だろう。
柴田とかは、新領の経営が安定するまで近江の旧領は安堵されてたし。
308 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 02:22:27 ID:yR+S8LHy
ていうかノブヤボのコイツの評価低すぎ
勝家に近づけろや!
309 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 05:50:01 ID:DJWWycKa
信長に謀反した人間は、本能寺の後妙に世間的評価を高めてたりする。
あの荒木村重すら秀吉の覇権確立してから京に出てくるが、後ろ指を差されるでもなく、むしろ人気者。
おそらく織田家内部には、表立っては言わないものの、信長に対して「謀反されて当然だよなあ」って
空気は確実にあったと思われる。
310 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 06:21:19 ID:H8w4qm1r
>>309 明智や松永が評価を高めたとは聞かないが?
311 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 07:05:04 ID:EEwZRncg
荒木は織田配下時代は出世頭と呼べるほどの人物だし
312 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 14:49:49 ID:owuz7ABr
>>309 勝家は?評価上がるどころか時流に見放されてアボンじゃね?
林や信行に至っては思い出されもしない
313 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 16:25:49 ID:P1N1i+cP
何を言いたいのか分からん
道糞が例に挙がっているんだからこの場合の本能寺の後ってのは現代じゃなくて同時代のことだぞ?
勝家が信行方についたのなんて遙か過去の話だしそのころになっても世間から反逆者と見なされていたとは
ちょっと思えないが
314 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 17:05:59 ID:B9gtEUes
>>307 >丹波と坂本召し上げて、山陰切り取り次第は後世の創作だろう。
これがもし本当なら、待遇よくね?普通なら毛利を滅ぼしてから行う事を先にしている辺り。
しかも、石見銀山があるし。
315 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 19:01:18 ID:vF2amcwF
明治維新後子孫が大出世してるね。
大臣に2人、陸軍大将に3人、市長が2人。
316 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 01:21:14 ID:bhcYdmay
>>314 だよな。山陰切り取りってことは、四国を神戸丹羽に廻す代わりに安定した秀長(羽柴)領も手に入るかもしれないんだし
317 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 04:20:50 ID:IObXkhbk
>>316 俗説でも、出雲と石見だけのようですな。
318 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 11:30:33 ID:GPg9qrCP
どうなんだろうね、信長自体合理主義的なところをいわれる反面
ねね宛の書状にみられるような部下を気遣う繊細なところも見つかってるし。
大名をイメージ化してそれを固定して物事みるとなんか見落としているのでは
と思ってしまう。
信盛がどうして高野山へ行ったのかって真相がわからないとどうにも判断しかねるね。
粛正とそれと違うのではずいぶん諸将にへの影響かわるだろし。信長公記の折檻状
だけしかないっていうのがどうしても判断しかねるんだよな。
信長ほか家臣たちの回顧録みたいなものが与力となった部将や牛一さん以外にもなんらか
残してくれたらわかりやすかったんだがなぁ・・。
319 :
◆LeD1MMOS.k :2007/10/03(水) 18:37:48 ID:vYh0/8mv
「佐久間軍記」と「寛政重修諸家譜」にも記述があるよ。
320 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 23:21:46 ID:NuBRNDAH
息子を呼び戻しているからには、なんらかの誤解があったんでしょう。
信盛と信長の信頼関係なら、多分抗弁すれば受け入れられたのにね。
信長に謀反した人が人気なのは解るかも。
なんせ、信長が全て決めて、会議もなんもないんだもんね。
信長が間違っていると思った場合には、抗弁してOKだったらしいけど
抗弁が受け入れられることは殆どなかったらしい。
家臣としては、武田みたいに、家臣団の合議を当主が了承するって形が理想なんだろうね。
好き勝手しておいて、責任は当主に取らすシステム。家臣最強。
でもそうすると、外交とか長期戦略とかぐちゃぐちゃになるよね。
321 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 15:28:05 ID:C2no7C+L
>>318 どうしても、江戸幕府ができて太平の時代になってからの後書き史料
なもので(これは織田家にかかわらず全体にいえますが)やはり実際に
戦に参加した人や側近、当人に当てた書状がほしいですね。
佐久間軍記ですら後世に当時を知る人に聞いてまわったものですし・・。
322 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 15:28:36 ID:C2no7C+L
323 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 19:31:12 ID:qc+xaAXn
324 :
◆LeD1MMOS.k :2007/10/12(金) 17:08:36 ID:JYIkudHC
一、何らポイントもあげていない大樹らの気持ちを推し量るに内藤大助を大敵と考え、
ジャブも出さず、ボディも打たず、ただ顔のガードを堅めておれば、何ラウンドかも
すればゆくゆく目尻の出血によってTKOになるであろうという見通しだったのか。
ボクシングというものはそういうものではない。勝敗の機を見極め一発を打ち込めば、
TBSにとっても亀田親子にとっても本意なことであったのに、一方的な思慮で持久戦に
固執し続けたことは分別もなく浅はかなことである。
一、プロになり10戦し大樹の活躍は比類なしと言われるような対戦は一度もない。
一、こうなればどこかの実力者を倒し、汚名を濯いだ上帰参するか、約束どおり切腹
するしかない。
一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。
325 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 08:50:33 ID:I85Vc/tZ
326 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 21:29:15 ID:sj8XkPqE
生きてて処分されていない状態だと、秀吉が大返しするまでもないな
327 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 21:41:14 ID:o7aQZvWf
処分されてなかったら本能寺起こらないとおもうよ
光秀に成算がまったくなくなっちゃう
328 :
◆LeD1MMOS.k :2007/10/22(月) 18:14:41 ID:gri5JdYE
信盛が本能寺起こしたりして。
んで秀吉も返り討ちにして、天下人になり、佐久間幕府を(ry
329 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 18:39:55 ID:sUvtb4hZ
そんなに精力的だったらクビにならないかと…
330 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 23:26:56 ID:8b18FGw9
信盛は公務員感覚で仕事してた団塊世代じゃないの。リストラされても仕方ないよ。
中堅のやつらに自分の厳しさを見せしめたいから、
信長が信盛と相談して、引退してくれんかと言ったのかな
332 :
◆LeD1MMOS.k :2007/10/23(火) 00:04:06 ID:3DbFokKN
>>330 信長の前半(美濃、近江、畿内攻略のころ)ではいつも先陣で
がんばってたんで、それは当たらないと思うなぁ。
333 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 00:09:19 ID:2k0ou7k5
脂の乗り切った中年時代と
枯れたおじいちゃんでは変わっちまっても仕方あるまい
334 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 00:51:41 ID:pEhN2S8N
追放の瞬間まで、自分が一番の功臣で信頼されてるって思ってたんだろうね
譜代中の譜代で、最も信長に近く、裏切りなんて考えたことも無いくらい
だからがっくり来て、高野山へ引退→衰弱死ってなった
追放されてなかったら本能寺の変も全然違った展開だったろう
信長も信盛の畿内領地なら安心して逃げ込めるし、
清洲会議でも勝家と組んで織田家第一の立場を貫いたに違いない
335 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 09:07:18 ID:VgTutwJ+
まあ本能寺が起こらず中国関東が一段落すれば、秀吉も勝家も、勿論光秀も、似たような形で
追放されていただろうな。
336 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 12:10:24 ID:T7VcBSrF
佐久間の領地は各地に点在しているが本拠地と言える本領は尾張東部にある。
佐久間は、三河、信濃に隣接した大きな直轄地を持つ織田家の重臣だからこそ、
信玄が挙兵した際、徳川救援の指揮を任されたのである。
佐久間本人の所領から兵を動員する場合、東への出兵なら後顧の憂いは一切ない。
やろうと思えば万余の大軍動員も可能である。(武田家に大敗さえしなければ、引き分けでも大手柄)
無論、出し惜しむことも可能である。
佐久間の率いた将兵の数は、多くの史料から約三千と伝わっている。
出し惜しんだ上、無為無策のまま大敗を喫し、本人だけが命からがら逃げ帰った。
その際、平手の嫡男が追撃する敵に討ち取られた。
佐久間を逃がすため犠牲になった。と考えるのが妥当だろう。
この佐久間の援軍の少なさと不甲斐なさが、織田と徳川の信頼関係を少なからず危うくした。
武田信玄挙兵の衝撃と動揺は、マクロ的な問題より、ミクロ的な問題だった一因である。
337 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 13:48:19 ID:HT5/N5HT
元亀の時点で、佐久間が自分の領地だけで万余の軍勢………………?
338 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 15:17:09 ID:T7VcBSrF
三方ヶ原は元亀三年の冬の出来事であるが、
その手前の元亀三年の夏に浅井・朝倉勢を抑え込むための要害、虎御前山の砦が
完成し、その守りに秀吉(この頃から羽柴を名乗り出す)だけを配備している。
元亀三年の秋にはもっぱら道の改修等を行っており、この頃の織田軍は総体的に見ると、
暇である。特に美濃衆、尾張衆あたりは、いつでも戦が出来る状態と言って良い。
そして重要なのが、三方ヶ原の戦いは元亀三年の冬であるということ。
美濃・尾張の百姓たちが秋の収穫を終えており、槍働き可能な百姓兵が大勢いた。
こんな状況下で織田家の筆頭家老が兵一万も動員できないとは到底思えない。
できるけどしなかったが真相だと思うんです。
339 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 16:25:47 ID:Eh0rD9xy
小説から戦国時代好きになった素人質問なんだが
尾張って百姓動員してんの?永禄年間ならまだしも、元亀頃には完全に兵農分離されてるってイメージがあるんだが
340 :
◆LeD1MMOS.k :2007/10/25(木) 17:45:59 ID:m63qS7SQ
自分が死ぬかも知れない戦場、しかも相手は手ごわい信玄とわかっていて、
あえて少ない兵で臨む、というのは考えにくいと思うなぁ。
現代的な考え方というか、創作的な想像のように思える。
>>339 確かにそうだね。足軽もみんな城下に定住させた時代だね。
341 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 18:23:10 ID:jLf+lU2D
佐久間としてはは浜松へ篭城しに行ったのだから
三方原へと討って出た家康の方に責任があるだろう
342 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 19:32:48 ID:T7VcBSrF
佐久間が他国の城に篭城しに行く。という考え方は再考の余地あり。
それは信長の戦略を現代の解釈で、推測したに過ぎないと思う。
信長は救援、援軍に向かわせたが、「浜松城に家康と仲良く篭城しろ」
とは言ってない。言いそうにない。篭城の救援に向かった援軍が、そのまま城に篭城する意味が分からない。
8000も11000も同じ城に篭城してしまえば、多少の防御力は高まるであろうが、
城を責めるほうにしてみれば、大した問題ではない。
むしろ城を囲んだ自軍の背後を援軍に攻撃されるほうがよっぽど怖いと思うが。
343 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 20:23:05 ID:SkJHvIpW
佐久間や林は追放時どこに何万石領してたの?
344 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 20:53:10 ID:V/yoNthF
どこってのは正確には分からない
記録が残ってないから
林はほぼ活躍がないから(形式的なことは別として)所領も増えていないと思う
佐久間は折檻状に三河にも与力〜等7カ国の国名が上げられているが佐久間自身の領地となると難しい
345 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 23:44:36 ID:MQa+Z/F/
織田家の軍団長は何万人も兵を動かしていたけど、
自分の直属の兵はどのくらいいたんだろう?
指揮権だけ与えられて、自分の兵数はの部将よりも少し多い程度な気もする
346 :
◆LeD1MMOS.k :2007/10/26(金) 08:22:11 ID:OitnCoJ3
一般的に動員兵力は知行の石高にほぼ比例すると思う。
織田家の場合、ほとんどは与力の軍勢だったから、直属はそれほど多くなかっただろうね。
347 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 14:03:45 ID:9637/DGo
「部下の発奮」でも良いし「子供の躾け」でも良いが、
時に人は真剣になる。ただの脅しと侮るなかれ、我は本気である。と、心を鬼にする。
でも、甘えた人間ほど、この本気・本心がなかなか伝わらない。人と言うものは。
総理大臣が「解散するぞ」と言ってるのに信用しない。
愛妻が「離婚します」と言ってるのに信用しない。
管理人が「アク禁にする」と言ってるのに信用しない。
社長が「首にする」と言ってるのに信用しない。
思うに、佐久間信盛も最初は信用しなかった。と推測する。
348 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 14:28:51 ID:/0D2Hv7U
信長は佐久間に死んでもらいたかったんじゃないの
349 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 00:28:48 ID:f6OJGcGs
>>339 おそらく。領民が具体的にどのような体制の下生活していたか資料が
ほとんどないのよ。戦国時代全国共通として。実は領民の生活の史料の
元は全部といっていいくらい後北条氏が詳しく史料が残しているので
それを分析し、北条氏の史料や江戸時代の史料を元に他国、当時の領民
の管理体制というか兵役とか推察しているというのが現状です。
「兵農分離」とよくいわれるがおそらく信長の場合、馬廻り衆、小姓衆
その選抜エリート部隊の赤母衣衆、黒母衣衆という部隊と呼ばれる側近
組織を整備していた(といっても信長ですら数千レベルです)ので
そのことを総称していわれてるんじゃないでしょうかねぇ。
350 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 19:46:04 ID:ZhU+wa6k
>>343 当時は検地できるような状況じゃなかったから石高はわからん。
尾張東南部一帯はもともと佐久間一族のもので、南近江永原城
あたり一帯、比叡山焼き討ちの際の所領、水野家を謀殺したとき
の所領は佐久間信盛に分け与えられてるのはわかる。
河内、和泉、摂津、大和に関しては俺はわからん。松永や荒木
351 :
◆LeD1MMOS.k :2007/11/19(月) 16:37:11 ID:Xc3iUq67
保守ついでに。
佐久間軍記には「まず最初に国持ち大名になるべきは信盛だったのに」
という記述があることから、信盛は国持ちではなかったことがわかる
(勝家は越前一国もらってるから国持ち)。
また、その記述から、秀吉や光秀よりも待遇は低かったのではないか、と
推測することもできると思う。
352 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 20:07:53 ID:c+YKr+9v
国持ちっていう表現も曖昧だよな
353 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 02:02:56 ID:hTNBid0I
佐久間軍記ってどの程度信用出来るの?
354 :
◆LeD1MMOS.k :2007/11/20(火) 08:14:36 ID:d82z5/4P
史料単位で信用できる、できないというのも大雑把すぎる気はするけど、
一般に言われているほど、でたらめということはないよ。
信長公記なんかと対照して読んでいくと、細かい部分に誤りがあったりはするけど、
大筋の事実関係で嘘は書いてない。
355 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 13:34:10 ID:Vc2D7ieR
>>353 佐久間氏のちょっと後の人が当時を知る人を聞いて回ってまとめた
ものじゃなかったっけか。だから講談ものではないのでそれなりに。
ただ、他家の家譜同様身びいきだとは思うのでその辺は冷静に検証
しながら読む必要はあるかな。
>>351 国持ちといっても1580年に当時にまるっと分け与えられるような国
あったんかな。素朴な疑問で・・。本願寺攻略後の摂津か河内くらい
は分け与えられてもよさそうな功臣ではあるな。
ただ、信長としては信盛には常に先陣を切ってもらいたかったような
長篠、天王寺とかみんな先鋒つとめてるような武将だし。
356 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 13:38:29 ID:Vc2D7ieR
>本願寺攻略後の摂津か河内くらい
と言ってるのは俺自身は追放とは一般的に言われてはいるが
信盛が自ら出奔した可能性も捨てきれないのでこういう表現
使いますた。
357 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 14:20:54 ID:u6gOY5YH
358 :
◆LeD1MMOS.k :2007/11/20(火) 14:59:23 ID:d82z5/4P
>>355 勝家のほかは佐久間盛政が加賀一国、前田利家が能登一国、明智光秀が
丹波一国、羽柴秀吉が播磨一国、であってるかな?
こうして並べてみると、なんで信盛が入ってないんだ、という疑問は
わからぬこともないかな。
359 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 17:20:35 ID:B0QpIFRv
本能寺の変辺りは眉唾だろ
第一、小早川があの時点で次の天下人は秀吉などと断定出来るはずがない
明らかに後世の後知恵が入っている
360 :
◆LeD1MMOS.k :2007/11/20(火) 17:34:00 ID:d82z5/4P
>>359 ここで自分たちが講和して、秀吉がすぐに京に戻れば、秀吉が光秀を討つ
可能性が高い、という意味では、別におかしな話ではないと思うよ。
他の部将たちはそれぞれの戦線にしばりつけられていて動けそうにない
わけだから。
自分たちが講和すれば秀吉にアドバンテージを与えられる、という判断は
あり得るんじゃないのかな?
361 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 17:50:05 ID:At93Nyuy
信長が家督相続してから重臣クラスでただ一人(他にもいたっけ?)一貫して信長支持を貫いていた事は、
それだけでも国持ち大名にしてやってもいいくらいの比類ない功績だと思うんだけどな。
362 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 18:32:05 ID:6DHPsrAW
>>361 > 信長が家督相続してから重臣クラスでただ一人(他にもいたっけ?)一貫して信長支持を貫いていた事
「それだけに鬱陶しい」って事もあるぜ。
363 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 18:40:40 ID:0PkwIxf8
もう老害だったんだろ、信盛リストラして他の家臣が身を引き締めるのなら
安いものだろう
364 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 18:51:23 ID:DaCOOBdw
功績あり過ぎるから邪魔なんだよな
秀吉や勝家ならもっと酷使も出来るだろうけど
>>358 幽斎は丹後一国まではいかないんだっけ?
>>364 > 幽斎は丹後一国まではいかないんだっけ?
ああ、そういえばそうだね。もう一人国持ちがいたか。
366 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 22:10:48 ID:s0UeSNzp
丹羽さんの若狭は小国過ぎて無視ですか、そうですか。
あれ?家臣団みんな国持ちばっかり?
なんで信盛だけ・・・
368 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 00:01:07 ID:FE/vFzHr
本願寺攻めが順当にいけば大和か河内辺りが信盛の領地になったんじゃないの?
それに国持ちになった奴って、与力や他の軍団からの合力もあったけど自力で
斬り獲った領地が殆どじゃね?
369 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 08:42:35 ID:jbsy6b/Z
同じ一族の佐久間盛政が戦功華々しくなってきたってのもあるよな。
若いし使いやすいし。
370 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 12:03:37 ID:fR8dGdRK
そもそも佐久間氏は大学死後受け継いでいるので尾張の東南部
山崎(現名古屋市南区)〜御器所(現瑞穂区、昭和区)一帯を支配してた
からそれだけでもかなりの石高になったんじゃないかな?
(大学系が御器所、信盛系は山崎にわかれていたともいわれるけど)
さらに信長だの家康だのが言われてるが実行役は信盛で水野家を謀殺して
いったん潰して知多〜刈谷あたりの所領は信盛がもってたと思った。
永原城に延暦寺焼き討ち、確定してるだけでも相当なもんにならんかな。しかも
信盛は上記の箇所を押さえていたとなれば東海道の人、物の流れの首根っこを
押さえていたことにはなるんじゃないかな?
石高以上に莫大な資金を獲得する手段があったんじゃないかな?しかも信長は津島を
払って小牧山に丸ごと移らせたみたいだからより信盛の所領の重要性は増す。
さらに近畿か北陸のどっか一国あたえるとなると・・抜きんでて莫大の所領を
もつことにならんかな?まぁ、ようは元から一国にも匹敵する所領もってたんじゃないかと。
371 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 12:24:07 ID:fR8dGdRK
当時の商取引の帳簿とか人の流れを調べた史料ないのかなとつくづく思う。
372 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 15:58:01 ID:KHVAvPxx
>>362 信忠に家督を譲ってから安土城完成までの間、
信長の寄宿先は信盛の屋敷だったんだから個人的な軋轢はなかったんじゃないか?
わざわざ鬱陶しいと思ってる奴の屋敷に転がり込んだりしないと思うんだが。
373 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 16:06:26 ID:bHJcYCYr
安土の頃はまだ使えるからな
374 :
◆LeD1MMOS.k :2007/11/21(水) 16:26:14 ID:6A3sDLKc
>>369にちょっと関連するんだけど。
信長時代の初期って、信盛が佐久間家の棟梁みたいな感じがあったけど、
盛次が勝家の姉(か妹)を娶ってから、その子供たちがみんな勝家
グループになった観があって(盛政は勝家の与力だし、勝政と勝之は
養子。しかも偏緯までもらってる)。
安政だけ信盛の与力になってるけど。
それでいわば佐久間家は二流に分かれたようになっていて、しかも
それぞれが適度に功績を挙げて成長してきたから、そのまま行くと
危険だと信長が感じた可能性もある。
それで、信盛グループを切り捨てて、勝家グループを残したんじゃ
ないか、という説があるらしい。
要するに佐久間家は一つ、棟梁は盛政、ということを暗に示したん
じゃないか、っていうことだね。
それについては、前田利久に命じて家督を弟の利家に譲らせたことも
あるから、信長だったらやりそうなこと、と思えないこともないな。
ああ、また字を間違えた・・・「偏諱」だよね。IMEの馬鹿馬鹿。
376 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 19:06:24 ID:sMBKPKK6
>>372 上司に転がり込まれたら鬱陶しいことこの上ないw
378 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 01:20:30 ID:krGrCNOz
>>377 信盛の死に様も気になったが、鴨氏=斉藤利三のラインと
本願寺=堺>雑賀>長島>水野>松平>武田の物流、本願寺の帳簿というのは気になる話だね。
どこまで信憑性の有る話なのだろう?
379 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 01:43:21 ID:krGrCNOz
騙された、つーか妄想じゃねぇか…orz
>>379 そうなんよ。
この内容をそのままWikipediaに書き込んだ馬鹿がいてさ・・・。
381 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 22:53:25 ID:Q7x388Dc
(ノ∀`)アチャー
382 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 00:24:26 ID:SyFk8iBB
そもそも信盛は本願寺と和睦成立後消息や行動の死を確認した
織田家の人間存在しないと思ったけど・・。
なんか高野山に関する記述でお寺の又聞き程度しか死亡の記述
はないようで。キーマンの信栄家臣の、山口重政は追放後も面倒
見たような噂はちらほら聞くが、この人死については謎。
383 :
◆LeD1MMOS.k :2007/11/26(月) 08:03:00 ID:7UTczsfP
>>382 「信長公記」だと、信盛の死は信長に知らされていたよ?
384 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 10:13:07 ID:81HDiwWj
>>383 巻十五の
正月十六日、佐久間右衛門父子〜病死仕り候〜子息甚九郎事、国の安堵、御赦免の〜
ってまぁ、信栄が戻った記述だけどね。
8月19日 多聞院英俊、佐久間信盛(「佐久間」)が大和国十津川の「湯ニテ死」亡したので、
紀伊国高野山の倉に保管されていた佐久間信盛所有物を織田信長(「信長」)が収公することに
なり「上使」が派遣されたが、悉く殺害されてしまったので、報復措置として諸国の「高野聖」
が捕らえられ、近日中に紀伊国高野山に軍事行動が実行されることになったこと、来8月23日に
「陣フレ」が発せられることを知る。多聞院英俊は「高野滅亡時刻到来」との感慨を記す。
〔『多聞院日記』三〕
ttp://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho15.htm 七月末に亡くなって使者が使わされ、殺され、軍事行動が決定それが多門院の僧侶の耳にはいる
まで一ヶ月かかってないってことはやっぱ監視はされていたのかな?
385 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 13:19:43 ID:81HDiwWj
>>382 なんだが
信長公記の記述が追放から死亡まで又聞き記述ばかりだから「もしかして
誰も佐久間父子の動向は確認してないのかな」と思ってたので調べてたら、
多門院日記見る限りでは動向は逐一報告言ってたか、死後すぐに信長に
知らされたんだね。
386 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 19:16:11 ID:idmdDhqm
>>384 上使を斬るって、高野山も無着してるなw
387 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 22:46:40 ID:SyFk8iBB
>>386 案外断られただけかもしれないけど「斬られた」って
ことにして言いがかりをつけたのかも、ってあくまで妄想ですがw
388 :
人間七七四年:2007/12/08(土) 13:32:38 ID:UxDXa4TX
保守右衛門尉
389 :
人間七七四年:2007/12/11(火) 21:07:22 ID:zs+5QXBl
見直すと信盛で東海道の入り口を押さえて西は本願寺の河内、
摂津といった畿内の入り口といった重要箇所の番人を。
北陸は柴田が越前を抑えていたので佐久間、柴田両名一族
で織田家の物流の根幹を握っていたことになるのか。
折檻状には蓄財に関しての叱責が出てたが物流をおさえたことによる
利益はどんなもんだったんかな。とにかくすごい額になりそうだ・・。
390 :
人間七七四年:2007/12/11(火) 21:08:15 ID:zs+5QXBl
織田家のじゃねぇな。織田家領内のだ。
391 :
◆LeD1MMOS.k :2007/12/15(土) 14:08:25 ID:LL8+QnPx
旗本になった子孫の法名を見ると、どうやら日蓮宗になってるようだけど、
どういう経緯があったんだろう。
392 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 12:52:55 ID:1P6mV1nn
やれやれ・・やっとocn全面規制解除・・。
経緯はわからんが基本的に武士は禅宗や浄土宗が多いが、分家などお寺やお墓の都合で
改宗ってあるんじゃないかな?江戸期は檀家制度の確立とかあったし。
母方の祖父が尾張伝馬町の出身の佐久間さんらしい(ちなみに明治生まれで昔に他界)
が浄土真宗だったしあんまたいした理由はないんでないかな?
393 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 15:30:03 ID:Rq9jvarD
保守であるか
394 :
◆LeD1MMOS.k :2008/01/10(木) 07:50:33 ID:sWWh+KyA
なんかWikipediaの信盛の項目が編集されまくってるね。しかも批判と擁護の部分を集中的に。
395 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 17:31:36 ID:24YeNWBh
なんか編集合戦になってるな。
396 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 08:34:10 ID:xhMOFb0Q
とうとう独自研究貼られたな
397 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 14:41:29 ID:G+cJ5Bj3
保守
398 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 17:34:01 ID:a37XKOii
退き佐久間の異名はいつ頃に成立したんでしょ?
399 :
◆LeD1MMOS.k :2008/01/28(月) 08:29:47 ID:3tPZ0ZLF
そもそも何に載ってた話か、というのがわからないけど、佐久間軍記や信長公記には
書いてなかったと思うなあ。
なんだろう、名将言行録とかかしらん。
400 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 01:35:35 ID:IreBtLMY
余談だが信長公記の原文読み直しているが木下秀吉って義昭上洛時に
初めて出てくるんだな。六角家臣説が出てくるのもうなづける。
401 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 03:19:16 ID:0HqRFrIu
>>400 まあ何らかの、京都周辺に人脈を持っていた人間だと考えたほうがその後の展開考えても
自然かもな。
>>400 それまではまだ将校クラスになってない、下士官クラスだからね。
そりゃ戦記物に下士官の名前なんか出てこないよね。
403 :
◆LeD1MMOS.k :2008/01/31(木) 08:51:01 ID:/GNX8nMd
しかしそう言われてみると、確かに佐久間軍記でも羽柴秀吉は対美濃や対六角の
戦いのころは出てこないね。
墨俣一夜城の話もまったく触れられてない。
404 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 09:36:45 ID:Z9s4Z+Om
羽柴秀吉の墨俣一夜城は眉唾物ですから仕方が無いかな。
柴田勝家ですら美濃攻めで活躍する姿を見ることはできない。
正直、美濃攻めは謎の部分が多いよね。
405 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 10:24:27 ID:W9Mwt22m
>>404 ありゃあ西美濃衆を取り込んだ時点で詰んだような物だからね。信長の調略勝ち。
その後の戦闘はオマケみたいなものだ。
406 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 10:49:18 ID:Z9s4Z+Om
407 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 13:01:00 ID:wD3sjtSk
もう、小倉女は権力者の肉便器でその程度の女だったってことでいいじゃんW
408 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 23:14:23 ID:eUC6BkPW
>>403 巻1の上洛の際、佐々木(六角)氏の観音寺城近くの箕作山の城
攻める際に初めて名前が出てくる。まぁ、どっちにしろそれ以前に
関しては良質な史料がない限り不明ってことで。
409 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 06:11:22 ID:RlaC3K8d
秀吉に京都との繋がりがあったのか、六角の家臣だったのか、結局躍進のバックボーンはなんなのか、
といったことは歴史の闇に埋もれてる事項なんだろうが、
同時代人の記述家、例えば太田牛一なんかは、秀吉の出自の現代で不鮮明な部分を知っていて、
知ったうえであえて書いてない(書かなかったか、書けなかった)
ということに、権力、政治の凄みみたいなのを感じる。
410 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/01(金) 08:20:16 ID:fHvFJguf
そう考えると、桶狭間あたりからすでに一軍の将だった信盛から見たら、秀吉は
「ところでこの人だれ?」みたいな、いつの間にかそこにいた、みたいな感じだったかもね。
411 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 20:14:46 ID:GL7NetgB
>>409 > 知ったうえであえて書いてない(書かなかったか、書けなかった)
牛一が「書けなかった」とすれば、秀吉の出自に関しては自らの属した織田家にとっても、
よほど表に出したくない何かがあったのかもね。
412 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 01:49:36 ID:KBsupToY
天皇の娯楽員説来たか。
413 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 02:06:43 ID:gGkxM6a/
ご落胤ならむしろ記録に残すだろw 一休さんみたいに。
まあ現実的なのは、上洛の際の、表に出せない裏面工作を、秀吉とその一派が担当した、
って感じかね?
414 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 18:28:52 ID:MarQYOI9
信盛から見れば、秀吉はゴミクズ同然の賤民出身だったのでは?
415 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/06(水) 08:14:10 ID:KyP3hd8o
不思議と、信盛が秀吉の悪口を言ってるシーンって出てこないね。
柴田勝家とか、盛政四兄弟は「猿面冠者」とか言ってる場面があるけど。
416 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 18:43:22 ID:RFqYqq+9
丹羽氏、森氏、堀氏、中川氏など乱世でいなくなった人は
生き残らないのでなかなか講談に登場はしないですよ。
同人でもいいから作ってみようかな・・。
417 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 19:18:22 ID:TyFDgfKx
佐久間配下の山口家の記録だと「佐久間親子の追放は光秀の讒言」て書いてあるんだけど
ありえるかな?
418 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 19:22:58 ID:P2/JMFtJ
糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ
糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ
死死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね
中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね
中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね
中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね
419 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 19:38:19 ID:ynMgaej+
>>417 死人に口無しの妄想かと。
ただ、信栄が早々に帰参してるのは少し気になる。
やっぱり、追放はやり過ぎと反省したかな?
420 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/08(金) 19:52:23 ID:SN7xdUY3
寛政譜の信栄(正勝)の項目にも書いてあるよ。
421 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/09(土) 14:39:12 ID:aNq87pRT
佐久間軍記
「世云。信長公十六歳ノ御時ヨリ。信盛先陣ヲ勤メ。近年ハ信勝大坂ヲ雖守。
強敵ニ向給フ時ハ。信盛有先鋒。信長。臣下ノ功ヲソネミ給フ┐アリ。■上諫言。
國持ニナランハマツ信盛ナルニ。此大坂ノ押ハ不足ニテ。心中イサマス。
時イカナルサンケンモ有ケルヤ。數年ノ忠功ヲステヽ。口惜次第ナリト云々。」
『如何なる讒言も有りけるや』
寛政重修諸家譜 [佐久間信盛]
「(天正)八年明智光秀が讒によりて右府の勘気をかうぶり、紀伊国高野山にのがれ、
のち病を療せむがため同国十津川の温泉に浴し、十年正月二十四日彼地にをいて死す。」
『明智光秀が讒によりて』
寛政重修諸家譜 [佐久間正勝]
「後明智光秀が讒により父信盛とゝもに高野山にのがる。信盛死するのゝち、右府
其咎なきことを知て後悔し、正勝をゆるして城介信忠に附属せしむ。」
『明智光秀が讒により』
『其咎ないきことを知て後悔し』
422 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 14:45:27 ID:Jff7NhoL
そうやって何でも明智のせいにしていればいいニダというレベルだな。
423 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/09(土) 14:58:39 ID:aNq87pRT
>>422 しかし寛政譜は江戸中期以後に幕府に提出したものだから、
佐久間家の子孫が、信盛父子が信長から追放された理由を
江戸幕府に対してあえて独自説で虚飾する必要はないと思う。
そう考えると、寛政譜編纂当時、それなりに流布していた見解
なんじゃないかとも思える。
424 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 15:18:35 ID:lD+8fHqH
つーか「明智光秀は謹厳実直な武将」ってイメージの方を疑ったほうがいいよな。
光秀も秀吉と変わらないくらいの成り上がりの海千山千なんだから。
個人的には山田風太郎の書く、出世欲に満ち溢れたいやらしい管理職そのもの、って光秀像が
一番真に迫ってると思う。
425 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 17:52:13 ID:QCD0h5Rq
>>423 先祖はいかに偉かったかを捏造するのも家譜の役目。
罪無くして追われる方が、無能で追放より格好が付くではないか。
>>424 それはルイス・フロイスも語ってることだね。
426 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 19:06:25 ID:R7pS0KkL
「僧侶の嘘は方便、武士の嘘は武略。民百姓なぞかわゆきもの。」 『武将言行録』
江戸時代の書物であり、光秀が本当にこんな発言をしたのかは不明だが、「光秀
ならこんな発言はしそう」と認識されていたということでもあるな。
427 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 06:10:50 ID:fF/n6ci8
三国志の孫権と張昭の喧嘩みたいなイメージか
信長と信盛との関係ってなんか子供じみててほほえましいんだよね
そりゃもってる権力がでかすぎるからあんな結果になっちゃったけど
428 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 07:27:36 ID:bAtWIUUJ
注進!
佐久間家好きなのは構\わないけど、わざわざ明智スレに来て、追放されたのは光秀が讒言したからだって言いに来なくて良いから。
仮にそれが事実だとしても、佐久間信盛より明智光秀の方が100%間違いないから!
429 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 07:33:58 ID:3xrnDy5Y
気違いが現れた
430 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 10:22:22 ID:bAtWIUUJ
佐久間などに肩入れする君も立派にクレイジー。
431 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 10:25:09 ID:bAtWIUUJ
佐久間などに肩入れする君も立派にクレイジーだから安心しな。
432 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/12(火) 08:39:17 ID:o4r8LfUt
>>425 しかし他の先祖の罪については偽りなく書いてあるよ。
勝親のところとか、勝種のところとか。
433 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 10:03:51 ID:5r8yS5Xd
秀吉=成り上がり、ライバル光秀=これも成り上がり
という絵本太閤記や甫安信長記や甫安太閤記の構図がいかに
江戸時代浸透してたかよくわかるような。
信長の人事ってどっちかというと現地人やコネのあるものを
上手につかっていく感じだけどな。両者とも畿内各人、幕府に
コネというか顔がしれてて使いやすかったからのように思える
んだけど。佐久間=三河方面、丹羽=美濃って感じで。
結果謀反を起こした→謀反には信盛が絶対に邪魔→光秀の諫言
という単純な思考だと思えるわけだが、あくまで信盛がいなくなって
から光秀は畿内総司令になり結果理由はわからんが謀反を起こした
という単純な流れを踏襲すればよいかと。
434 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 21:20:56 ID:WeJqz0f9
佐久間信盛の主な武功ってなに?
435 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 22:02:55 ID:VUxr19la
>>434 天正元年八月十三日の織田信長に抗弁したこと。
436 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 22:15:55 ID:WeJqz0f9
なるほど抗弁した事が彼の最大の武功か。納得。
437 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/12(火) 22:58:26 ID:gNpO98wY
>>434 佐久間軍記によれば・・・
・名塚城の合戦
・美濃攻め
・箕作城攻め(先鋒)
・京での戦(対三好氏)
・伊勢攻略
・野洲河原の合戦
・姉川の合戦
・天王寺合戦
・新村城攻め
・三方ヶ原の戦
・槙島合戦
・浅井朝倉攻め
・鯰江城・若江城攻め
・河内合戦(遊佐の反乱)
・阿倍野合戦
・松永久秀の反乱
まあ、こうして見ると、信長の創業のほとんどすべての合戦に
参加してるんだな。
438 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 23:02:59 ID:WeJqz0f9
佐久間軍記ねぇ・・。
439 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/12(火) 23:26:11 ID:gNpO98wY
信長公記と対照しても、ほとんど同じだよ。
440 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 06:42:47 ID:MMSZ147X
それ武功じゃなく、ただの戦いの記録じゃね?
441 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 06:45:09 ID:4dEKWabl
>>440 信長の有力な武将だった事に間違いはない。
442 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 06:57:37 ID:5r81OO4a
そもそも織田家でそう簡単に武功が挙がるとも思えん
443 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 13:37:30 ID:WhxltM16
信長の重臣だった事は間違いないと思いますが、
>>437の戦いの記録も
参戦はしてるでしょうが、めざましい活躍をしてる分けじゃない。
秀吉・光秀・勝家・長秀・一益の方面軍団長とは比較にはならないと思います。
だから、最終的には追放になったんじゃないかな。信長は徹底したリアリスト
だから、古参というだけで重臣となっている信盛は鼻についてしかたがなかったのかなぁ?
444 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 13:44:26 ID:7/VnFOK3
>>443 失礼ながら、丹羽殿は佐久間殿よりかなり格下だと思いますぞ。
彼が方面軍を率いて戦ったことなど無かったかと。
445 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 14:09:39 ID:ehAYYdlL
・1568 足利義昭上洛の際の六角箕作山の城攻めの先鋒、
・1570 6月 柴田勝家とともに六角軍を打ち破る+姉川の合戦
・1571 9月 延暦寺焼き討ち(佐久間、中川、柴田、丹羽の四名だけ名前があがっている)
・1572 5月 松永謀反 7月小谷
12月 三方原の戦、動員されたのが
平手汎秀、水野信元、佐久間信盛の三名だが全員共通してるのが三河をよく知る家
の連中平手汎秀は政秀の孫と言われてる、若干20前後ということもあり土地勘が
なかったのが命取りになったと言われている。
・1573 7月7日 近江鯰江城攻め(落城) 7月16日真木島城落城(将軍追放)8月朝倉攻め&例の諫言
9月北伊勢で一揆勢、反抗勢力を打ち破る 12月若江城の戦い
・1574 4月 六角伊賀退散 6月長島一向一揆(西口より、このころから父子とあるので信栄も参戦)
・1575 4月三好笑岩の高屋設攻め、5月設楽が原(長篠)は左翼織田軍先鋒として馬場と当たっている。
8月越前攻め、11月信長が屋敷に転がり込んでくる
・1576 5月、本願寺方面軍の塙直正討死。信栄が天王寺城で明智光秀とともに一揆勢をくいとめる。
天王寺合戦木津まで押し返す(佐久間、松永、細川が先陣)
7月毛利の兵糧入りを防ぐため天王寺城から出兵本願寺軍と戦う。
水軍の方が破れ兵糧入れられる。
・1577 2月雑賀攻め 8月松永謀反、信貴城攻め、10月落城
・1578 5月播磨攻め、6月神吉城攻め、7月落城、9月荒木謀反、11月高槻城、高山勧誘
・1579 記述なし
・1580 三月に近衛のお目付役、北条の使者対応 7月石山本願寺から顕如ら退散、8月追放
公記原文から抜粋してみた1568年以前にもそれなりに記述があるがとりあえず割愛
まぁ、よう働いたわこの人。
446 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 14:46:15 ID:WhxltM16
>>444 そうですね格上ではないですね。同格位かと。
長秀は実質上の四国伐の軍団長だと思うんですけど。
>>445 信盛は確かに歴戦の士であり、織田家中でも指折りの重臣だと思いますが、
方面軍団長のよりは格下になってしまうのが残念ですね。
447 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 15:04:10 ID:D9rMf44K
本能寺から二年前追放方直前の某書物には信盛長秀共に方面軍指揮官と同じ八角将に名前を見る事が出来ます
格下などではないと思いますが
書かれてる順番が格の上下と言う意味だとすると上のほうでは無くなるけど
448 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 16:08:42 ID:ehAYYdlL
>>446 一応対本願寺軍団長だったという意見が圧倒的に多いわけですが・・。
449 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/13(水) 16:23:26 ID:RQZCl4T3
一つ一つの合戦の記録を見ると、信盛が先鋒(先陣)とか、派遣軍の
将(総司令)を勤めている場合が多い。
まだ信長の勢力が小さいうちに中心となって働いていたから、軍の規模も
小さいし、あまり派手に目立つことはないけど、創業の功臣ということは
間違いない。
たとえばいまや一部上場企業となった会社が、まだ小さな町工場だった
ころに、人事も経理も技術も全部一人でやっていた専務、みたいな感じ。
大企業に成り上がったところでクビになったけどね。
450 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 19:42:22 ID:MMSZ147X
でも最終的に追放なんだから、上記武将より重要視されてなかったって事でしょ。
451 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 20:11:03 ID:NiPVj4aC
信盛の最大の功績は信長が家督相続してからずっと献身的に信長を支持していたことじゃね?
勝家は最初信勝の付け家老だったし、林は信長の付け家老なのに信勝を支持していた。
特に信勝との争いで有力家臣がこぞって信勝支持をしていた中で信盛が信長を支持してくれたのはかなり功績大だと思う。
信盛が信長を見限っていたら信勝との争いに敗れていたといっても過言ではないと思う。
452 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 20:51:42 ID:MMSZ147X
だから忠臣だし。良臣だと思います。でも比べる相手が戦国屈指の武将達だから、信盛も陰が薄くなっちゃうんだよね。
453 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 21:58:06 ID:lMv5yswd
本能寺以前に離脱した信長家臣はほとんど陰が薄いと思う
森可成だけは乱丸の父親ということで知名度はある
信長家臣は本能寺直後の混乱期にいかに立ち回れたかが、
初めて信長の影響を脱した上での彼らの評価になるから、
そこに加われなかったのもある意味佐久間信盛の不幸といえる
454 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 22:13:20 ID:VOIwE6Sn
>>446 いいえとんでもない、佐久間の方が圧倒的に上です。佐久間は軍団長にまで出世(というのか?信盛は
信長上洛の時点からすでに柴田とならぶ一方面の司令官格。長島や槙島の時の軍容を見ると判るんだが、
織田の全軍が集結したとき、大抵三軍に分けられ、その司令官は信長、柴田、佐久間の三人。)した後で
追放。
一方丹羽は本能寺まで遊撃軍隊長。軍の領域は若狭一国で、その下に寄騎がつけられたことも無い。
むしろ寄騎としてつけられる側。
最後の四国遠征時も同じで、丹羽は蜂谷や津田など信孝につけられた他の寄騎達と同格扱い。
もちろん、彼を他の同僚とは一段上の副将格だの実質的な司令官だのとする記録もない。
455 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 22:41:40 ID:MMSZ147X
何度も言うが、佐久間は良臣だと思います。
でも讒言があったにせよ、なかったにせよ、追放になった事実は変わらない。
また佐久間がいなくなった事により織田軍が弱体化したかと言えば、それは一切ない。
456 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/13(水) 23:57:07 ID:kCZCH6Bv
要するに
「結果として追放されたのだから、その影響力や実力は
たいしたことなかったのだ」
ということを言いたいのだろうということはわかるんだけど、
それは必ずしもそうとは言い切れないように思うなぁ。
457 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 00:19:03 ID:qkrHDVGP
458 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 00:40:25 ID:a+u7tknB
結論的には456の言う通りかな。456は佐久間の立場をどの様に考えてるのかな?
459 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 00:56:33 ID:ybc86ikV
折檻状にあれほどずらりと並べ立てられるからには、
相当信長のストレスがたまっていたんだろう。一貫して
信長支持を続けていたことで逆に俺が支えてやったから
今のお前があるんだという態度が透けて見えていたのかもね。
460 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 01:01:54 ID:VTCYi/H/
「人体通信」実用化へ ドアノブ触ればカギがオープン
NTTは12日、人の皮膚の表面などに交流電気信号を流してデータ通信を行う
「人体表面電界通信システム」(人体通信)を4月にも商用化する方針を明らかにした。
同システムの実用化は世界でも初めてという。個人認識用のICカードをポケットなどに入れたまま
ドアノブを触るだけでセキュリティー認証でき、オフィス業務や日常生活の利便性向上が期待できる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080213-00000092-san-bus_all サイトがいない間に地球はどんどん近未来化していってるな。
地球に生還するのが遅くなればなるほど、カルチャーショックを受けそうだなw
461 :
460:2008/02/14(木) 01:02:25 ID:VTCYi/H/
スマン、誤爆した・・・
462 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 01:23:39 ID:qkrHDVGP
なんの電波受信したかとオモタw
463 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/14(木) 08:14:29 ID:PpGojh4I
>>458 結果を元に「この結果が当然といえるような状況があったはず」という推論を
するのは、あまり歴史学的ではないなあ、と思うだけ。
実際のところどうだったかは簡単には決められないんじゃないかと。
信長公記などの同時代の史料は、信盛の追放を「当然の結果」という描き方は
しておらず、どちらかというと意外性や驚きが見られる。
また、人々が不思議に思ったということを書いているものもある。
なにより折檻状じたいにも「重く遇してやった」と書かれているので、信長が
信盛を「小物」と思っていたということはないだろうね。
464 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 08:25:16 ID:pF9JCnfg
>>450 危険視されるほど織田家内で強い影響力を持っていた、とも言える。
465 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 09:41:10 ID:Om6/6GED
>>463 そうだよね。公記原文をずーっと見ていくと折檻状が唐突に出てくる感じ。
1581年を見ると目立つ記述はお披露目とかものが届いたとかという記述。
信盛も戦はもうおわり、という考えになりモチベーション大幅低下したものの
信長はそう考えておらず「信盛まだするべき仕事は多く残っているぞ」と奮起を
うながしたものだったのかもという思考もできるし。
折檻状も細かく見るとおもろいですな。真綿のなかに針が仕込んである
ような人物という人当たりはよく、人々の不満などを吸収するような
懐の深さが表だっての顔かもしれないがも中身は謀略と冷徹さが垣間
見える非常に恐ろしい人だったのかもね。
そういや焼き討ちの際延暦寺から高野山に逃れたとされる現国宝の阿弥陀来迎図
に関して考察してるページがあるのでぐぐってみるといいかと。あくまで可能性
の追求ですがこういうエピソードが信盛に残っているものの400年以上経つと
推論しか成り立たないもんなんですねぇ・・。
466 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 13:01:14 ID:YIU4vgj3
影響力はあろのに思ったほど働かない
これにつきる
織田家中の政治には熱心でも軍団長としての働きは乏しい
・・・他の軍団長ほか放置するだけで周りに悪影響
おまけに人・物・金を貯め込むだけため込んで仕事に使わない
・・・これある意味謀反の準備ととられても不思議ないぞ
派閥政治に熱心なやつが、一番多く、かつ様々な国から与力をつけられてる
これは人を使う側からしたら大問題
467 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 14:04:02 ID:Om6/6GED
>>458 >>463に近い考え。当時の命令書のようなものは一切残っておらず
太平の時代、太田牛一がかろうじて残してくれた信長一代記とか
ちょっと合っただけの人が又聞き日記のようなもの、こんなことしました
というわずかな記録から推測しかできないから決めつけはできない。
史学ってそういう世界だと思う。だからこそ終わりなく考察できる
からまた楽しいわけで。
逆に決めつけられるのは、書状がちゃんと残っているものだけ、
秀吉にはねねという奥さんがちゃんといて信長が気を使っていたとか。
恋文がもろ残っているため晴信&源太郎はやはり恋仲だったのね・・ということとか。
468 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 14:07:35 ID:Om6/6GED
469 :
サイコメトリー:2008/02/14(木) 14:24:33 ID:5bdD9KBn
信長を幼少時から知っている人物だけに、信長の覇業が成就して行くにつれ、
神格化していきたい信長にとって信盛の存在は非常に疎ましかったに違いないと
思われる。
その為、半ば強引な形で追放をしたと思うがどうだろう? 佐久間信盛自体の武将
としての評価は信長の追放命令や光秀の讒言などは関係が無いと思いますよ。個人的
には光秀の方が上だと思う・・。
470 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 19:22:58 ID:VTCYi/H/
>>469 信栄の帰参を許してるんだから神格化云々は関係ないでしょ。
471 :
サイコメトリー:2008/02/14(木) 20:39:28 ID:5bdD9KBn
>>470 信長神格化と信栄の帰参にどの様な関係が・・?
472 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 21:05:25 ID:ZuMqmjoE
滝川一益とか村井貞勝とか松井夕閑とか佐々成政とか、信盛以上に信長に若い頃から
傍近くにいたものたちはなんで追放とか受けなかったんだ神格化云々の場合。
それから、現代人が考える「神格化」と、当時の人間の神仏への距離とその感覚は別。
473 :
サイコメトリー:2008/02/14(木) 21:30:04 ID:a+u7tknB
信栄が絡んだ答えになってないけど・・。じゃあ信盛はただ単に信長に疎まれてただけじゃん。
それと信長の神格化だけど、神格化に過去も現代もないんじゃない? それに現代で自分は神だ何て言ってんのは、クレイジーなどこかの教祖か八神月くらいでしょ。信長のそれとは比べる事すら、おかしいと思うよ。
474 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 21:39:22 ID:qkrHDVGP
475 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 21:55:49 ID:pF9JCnfg
>>474 それは「死後」だ。
秀吉も家康も、生きてる間に神様になろうなんて頓狂な考えは持ってなかった。
476 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 21:57:48 ID:bSqX5COk
神として祭るようにって遺言していたような気もするが
まあ現代の宗教の神と当時における神は結構差がありそうだけどな
477 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 22:01:53 ID:qkrHDVGP
八百万の神々の国だから、絶対権力者が神格化されるのってそんなにおかしくないだろう。
天皇家も神格化されてたし、信長がそれを目指しただけだろう。
478 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 22:11:24 ID:pF9JCnfg
つーか、武田信玄も上杉謙信も毛利元就も伊達政宗も、当然のように死後神様になっているわけで。
秀吉や家康は天下人だからその影響する範囲が広くて目立つが、この時代は「英雄」と認識された人間は
神として祭られるのが普通。
479 :
サイコメトリー:2008/02/14(木) 22:47:52 ID:a+u7tknB
生きてる信長の神格化の話じゃなかったの?
宗教論語りたいなら、ここはスレが違いますよ。
何を語りたいか再考する方が宜しいかと。
480 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 22:52:25 ID:ZuMqmjoE
生きているうちに自分を神仏の化身とみなしている武将もいますけど。謙信も信玄も。
そもそも神格化ってのは宗教の話でしょうに。
481 :
サイコメトリー:2008/02/14(木) 23:05:53 ID:a+u7tknB
信長の神格化の話じゃん始めから。彼自身の話。謙信やらの宗教感の話しは誰もしてませんよ。
482 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 23:13:53 ID:qkrHDVGP
だから謙信も自分を神格化してるってことじゃん
483 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 23:36:59 ID:wEq95FMs
で、神格化と追放の因果関係は?
484 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 01:48:23 ID:yKcxZlmN
ぶっちゃけ何の関連も無いだろうな。
基本的には古参で影響力の強い佐久間を追い出して武将の再編成をする事が目的だったのだろうし。
485 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 04:11:27 ID:L/bcfq7Z
しかし息子まで追い出す必要があったかね?
486 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/15(金) 08:14:30 ID:sFeUZVob
父子ともども追放ということは、個人の問題というより家を潰す意図だった、
という考え方もできるかも。
あるいは、後に伜は赦したところから、信長としてもやりすぎたと思っていた
可能性も考えられるね。
487 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 09:19:38 ID:yKcxZlmN
つーか、親に罪があれば子も、ましてや成年男子ならなおさら、連座させるのがこの時代の常識だろ。
488 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 09:39:39 ID:ZfylEHMV
息子はかなりの問題児なんだろ?
追放の理由の一つに成ってるくらいだし、残す理由も無いということかな
一族全てが追放されたわけでもないし
489 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 09:46:12 ID:yKcxZlmN
構図としては、家康がその天下を固める課程で排除された、大久保忠隣と同じでしょ。
490 :
サイコメトリー:2008/02/15(金) 09:57:02 ID:UJZj7JFQ
すべて了解しました。
結論として佐久間信盛は自然淘汰って事でいいですか?
491 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 10:03:46 ID:yKcxZlmN
全然自然じゃ無いだろ。政治的淘汰。比較的近い事例なら、小泉総理の時、中曽根の永久比例一位の
権利を剥奪してその影響力を排除したのと一緒。
492 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 10:07:33 ID:eZUYxGXC
やっぱり朝倉追撃時の空気読めなかった言い訳が原因かな・・・
493 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/15(金) 10:33:21 ID:sFeUZVob
>>492 あえて穿った見方をすると、そのときに怒った信長よりも、諫めた信盛の
ほうに家臣団の同情や支持が集まったことに危険を感じた、という仮説を
立てることができるかも。
494 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 10:33:40 ID:SU3GWP9V
佐久間一族を追い出せば、かなりの所領を収公出来るな。
495 :
◆gYZxqHKVVk :2008/02/15(金) 10:46:48 ID:QP1z9SIW
親父は隠居させて息子は左遷や格下げとかできなかったかな?
496 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/15(金) 10:50:11 ID:sFeUZVob
あと、折檻状での本音は、実はこの一文かも知れない。
「抑も天下を申しつくる信長に口答申す輩、前代に始り候条」
オレは天下人なんだぞ、口答えしやがるんじゃねぇ、と。
497 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 10:55:48 ID:yKcxZlmN
>>496 これ、典型的な1代でのし上がったオーナー社長が、駄目になる時のパターンだよなあ。
498 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 11:12:20 ID:eZUYxGXC
>>493 あの信盛いい訳の一文は絶対笑いを取ろうとして滑ったんだよ。俺は笑ってしまったけど
ただ出陣に遅刻し信長が激怒している前であのノー天気発言つー事は普段の会話も結構乱雑と想像します
大人物かテンネンのどちらかでしょう
499 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 21:00:53 ID:M42NcfMU
信長が過大評価されすぎなんだよ
あの信長が追放したんだからその程度の武将に違いない、という風に
500 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 21:27:16 ID:rhPrZryS
信長が過大評価されすぎって他スレもあるが、皆も知っての通り、人間的には欠陥だらけでしょ。でもそれを上回る統一への道程、評価せずにはいられないと思う人が多いから、人気も高いと思う。ちなみに本能寺がなく、天下人になってたら、今ほど人気が高くないとも思う。
501 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 21:30:37 ID:PUu5g40A
でも信盛は追放されなかったらもっと人気あったよね
502 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 21:41:46 ID:rhPrZryS
う、うん・・。
503 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 21:43:16 ID:cy7wL8aW
>>501 その分アンチも増えただろうな。
今は完全に空気だもん。
504 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 23:30:11 ID:ZfylEHMV
>>499 このスレをみてると、あの信長が追放したんだから
信盛には何かあるに違いないって人も多いように見えるw
505 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 00:51:45 ID:RcM1PeQ3
実際に、史実の信盛って失敗らしい失敗ってほとんどないからな。
朝倉攻めの時の遅滞くらいだが、これは信盛一人の失態ではないし、三方ヶ原を
信盛の責任にするのはそりゃ無茶だろ。
506 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 01:07:46 ID:UY130qFL
>>504 我々マニアならともかく、一般の人達に佐久間信盛知ってる?って聞いても
100人中10人がいいとこでしょ。それを鑑みても、そうゆう見方をされても
いたしかたない気もするよ。
507 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 07:29:57 ID:bb7I05YH
一割知ってたらそこそこの知名度だろう
信盛の影の薄さはそんなものじゃない
508 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 07:51:15 ID:/fG9pZKr
実績を知らない人間が信長が無能といってるから無能なんだろうとしてるというふうにみえるが
このスレ見てると。
509 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 15:02:17 ID:wM7n/W1Y
>>505 彼の戦履歴みたらほんと傷がない。細かい指摘はあるかもしれんが
播磨出兵の諫言はあたってるし戦上手だったんだなとは思う。
510 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 15:13:56 ID:ASkxBpex
退き佐久間だしな。
511 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 15:16:09 ID:qRr/t5c6
失敗とかキズも無い代わりに秀吉や光秀のような突出した武勲も無いよね。
家中最大の動員能力を宛がわれた以上、天下に面目を施すような成果を
出せないようでは「使えない」ということなのか。
512 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 15:18:13 ID:wM7n/W1Y
>>508 各々講談で持ち上がる、落とされる以上その講談を疑えば
逆の評価になるのはしょうがないかと。必要以上に逆の
評価する必要ないけど。
513 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 15:33:01 ID:KQXsJcgJ
>>511 本願寺の包囲戦の事を言うなら、アレは信長が自分の都合で本願寺戦線から
何度も部隊を引き抜いてて、安定した戦力を維持できなかった。
そんな状況でも戦線を維持し本願寺側の攻勢を防いだってのは、きちんと評価してしかるべきの
戦績だと思うぞ?
514 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 16:29:54 ID:RcM1PeQ3
松永謀反や荒木謀反でなんども兵力を抽出されているからね。
それから佐久間の突出した武勲としては、自分は天王寺を上げる。このとき先陣を
務めたのは佐久間だ。
信長が普段無能だと考えていたというのなら、この大事な局面で先陣を任せるか?
515 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 17:11:47 ID:EDGR4kKO
>>514 佐久間信栄が天王寺砦にいたんだから、信盛が先陣なのは当然じゃないの?
516 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 17:14:41 ID:KQXsJcgJ
517 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 17:32:18 ID:EDGR4kKO
原田直政が本願寺攻略の首将だった、という谷口説よりも
佐久間信盛が最初から本願寺担当だった、と考える方がすっきりするんだよね。
518 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 18:22:57 ID:EbMY3trh
仮に本願寺に他の羽柴や明智、柴田、滝川といった武将が
あたっていたらどんな展開になってたか?
519 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 18:29:53 ID:+WbgfgRA
そいつらが先に追放。
520 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 19:33:53 ID:YSW77RxN
>原田直政が本願寺攻略の首将だった、という谷口説
だとしたら信長の人選に疑問を感じる
原田直政って武功もあるにはあるけど吏僚肌の人物だと思うんだけど…
521 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 19:41:35 ID:GJw62MhX
>>518 そもそも柴田以外はそこに派遣される可能性も薄い
佐久間は肥沃で安全な尾張に大きな領土を持っていたので
シビアな両国経営を考えなくて良く、
それが長期の包囲戦に向いていただけ
522 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 19:46:38 ID:5xA7jhgk
>>518 羽柴、信長を持ち上げて出馬を促す
明智、外交力を駆使して講和に持ち込むが信長にぶっ壊される
柴田、進展は佐久間と同じくらいだが忠勤振りは認められる
滝川、力攻めで大損害を出し追放
523 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 21:27:17 ID:bb7I05YH
滝川を軍団長クラスに抜擢するのは何かが間違っている
524 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 22:53:13 ID:D1PaEV4k
信盛より軍団長にふさわしいよ。
525 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 23:24:08 ID:bb7I05YH
いや、滝川は丹羽と同じで寄騎ポジションにあってこそ最も力を発揮できている
佐久間がその逆なのは事績を見れば自明のことだと思うが
526 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 01:16:50 ID:jxacW/wG
そうかなぁ・・。前にも誰かが言ったが、信盛が追放になっても織田軍にさしたる影響がなかった事は事実。
527 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 01:26:27 ID:G84Su6Kt
信長を過大評価って言う人もいるけど
少ない資料から評価しようとする現代人よりも
同じ時代を共に生きた信長の方が正しい人物像知っているんじゃないかね
528 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 04:19:56 ID:8jqc7LUC
正しい人物像を見抜く能力が欠けてたからキンカ頭に寺で殺されたんだろう
529 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 08:01:44 ID:PibmjCVg
>>526 有能な奴が一人欠けるくらいで多大な影響が出るなんて
あれだけの勢力としてどうなのよ
あの規模の軍団なんだから代えは利いて当たり前
530 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 09:39:54 ID:eXzcTIxq
>>526 大久保忠隣は徳川家の中で強い影響力を持っていたが、彼が失脚しても
徳川体制にさしたる同様はなかった。何故なら、動揺の起きないようにしてから失脚させたからだ。
佐久間も同じ事。信長も、馬鹿じゃ無いんだから。
531 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 15:30:15 ID:6Pi80+CB
>>529>>530 その通りだとは思うけど、秀吉・光秀をもし追放させたら、影響あるでしょ。
言いたい事は、信盛個人的影響が少ないって事。組織として変わりがいる事
は当然だと認識はしてる。俺もそこまで馬鹿ではないよ。
532 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 15:32:54 ID:eXzcTIxq
>>531 > 秀吉・光秀をもし追放させたら、影響あるでしょ。
これははっきりと確信を持っていえるが
「無い」
533 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 16:25:29 ID:6Pi80+CB
>>532 なぜ確信を持って断言できるの?強い自信の根拠を教えて下され。
534 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 16:34:55 ID:KS1CFgRe
>>533 同じことだから。
ついでに指摘すると、信盛が追放された1580年という時期をみれば、織田家中でもっとも
影響力をもっていた重臣ナンバーワンが佐久間信盛。明智も羽柴もその時点でみれば佐久間
の下風。しいて並ぶものは柴田あたりかってくらい。この二人が柴田と並んで織田家の
最高幹部にまで上り詰めるのは佐久間追放後。
ナンバーワンの佐久間を追放しても影響がさしてなかったのに、それよりも低い明智や
羽柴を追放すると影響がでかいってどんな理屈だよ。
535 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 17:43:40 ID:jxacW/wG
なるほど、何の根拠もない事が良く分かった。あなたの考えは家柄や譜代だって形だけにこだわっているだけねの事じゃん。生え抜きってだけで信盛がナンバーワンだって!?
じゃあ、光秀や秀吉の活躍なくして、信盛と柴田とその他で本能寺までの織田家の勢力拡大が可能だったとでも言うつもりか?
536 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 17:59:20 ID:787UMvzM
>>光秀や秀吉の活躍なくして、信盛と柴田とその他で本能寺までの織田家の勢力拡大が可能だった
これの方が何の根拠もないと思うけど
537 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 18:03:50 ID:787UMvzM
スマン引用ミス
>>535 >光秀や秀吉の活躍なくして、信盛と柴田とその他で本能寺までの織田家の勢力拡大が可能だったとでも言うつもりか?
光秀や秀吉がいなければ織田家が勢力拡大できないって、小説じゃないんだから・・・
538 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 18:15:03 ID:eXzcTIxq
>>535 少し冷静になれ。
光秀や秀吉がどれだけ有能だろうが、佐久間を追放したあたりで織田家の環境としては、
「誰が司令官をやっても天下を取れる」所まで行っている。それほど織田家の勢力は圧倒的になっている。
だから信長も安心して佐久間を追放したと言っていい。
むしろ下手に大軍を動かす能力に長けたような人物は既に「邪魔」
何故なら織田家の天下にとって危険になりうるからだ。
本能寺の変がなければ、秀吉も光秀も中国戦線が一段落付いたらそう遅くない段階で、
方面軍司令官からの解任なり追放なりされたと思われる。
なぜならそれこそ君の言う通り、譜代でもなければ家柄も無いので「いつ追い出してもあとくされが無い」
からだ。
539 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 18:57:40 ID:PibmjCVg
誰でも出来ることをどうやって自分がするかが一番骨を折るところ
540 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 19:01:37 ID:C5zCKm7m
名門血筋の重要性をわかってないとは・・・
信長は謹慎した盛政を皮切りに次々復活させておりますよ
つうか信長の武将配置を見ればどれだけ血筋に拘っていたのか理解出来るはず
成り上がり武将に夢を見たくなる気持ちは分からないでもないけど
541 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 19:06:22 ID:eXzcTIxq
だな。混乱期はともかく世の中が落ち着けば、地縁や血縁で広い人脈を持つ名門名族が
重要になってくる。信長もそれをよく意識した施策を行っている。
そう言う意味で信長は「適材適所主義」ではあったが、信長を好きな人がよく言うような「実力主義」では
決してなかった。
542 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 23:41:11 ID:5ZV0RaaT
要するに派閥が大きくなって危ないから切っただけだろう。
柴田との違いは信長に従順かどうかだけ。
でも普通は理由付けて左遷とかで対処するのに、いきなり追放は神経質の信長らしい。
543 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 09:41:57 ID:MyrgNGKc
血筋かー
譜代の源氏筋って柴田佐久間佐々森?
強力だな・・・
544 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 09:50:42 ID:csW1sLCt
各々活躍した人間見てると活躍してる場所というのがあっておのずとその地域の
有力なコネなり、地盤があったことを伺わせる。軍の派遣みてるとある一定距離
以上はいってないし。
勢力が拡大すると心臓部は混乱がないよう譜代、直轄で固めて、攻略の時は地盤なり
コネのある現地の人間を上手につかって謀で味方にし、相手を弱らせ、最終的に戦で
決着をつけ拡大していく王道的な拡大方法。
>>541 「適材適所」であるが「実力主義」ではない。はげ上がるほど同意。確かに羽柴、
明智の出世物語に夢をみたい気はわかるが残念ながら後世の創作小説しかソースがない。
545 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 10:07:52 ID:csW1sLCt
>>543 佐久間氏は平家三浦氏これはかなりはっきりしてる。
佐々氏は宇田源氏佐々木氏、森は平家秩父氏、柴田は清和源氏斯波氏。
森は森可成以前、柴田も親以前はいまいちよくわからんというのが一般的。
546 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 10:15:13 ID:MyrgNGKc
547 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 19:02:39 ID:EHL0/esl
血筋だの血統だの清和源氏など気にする輩は『俺の祖先は武士で殿様の片腕だった
らしい』ってのたまう奴と一緒!戦国を語るなよ!血統を気にするのは秀吉の様に
天下に覇を唱える様になった人物がすれば良いんじゃないかな? 血統で天下取れ
るなら、室町幕府も滅びはしないよ。
548 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 19:12:09 ID:u919jZC1
血統だけで天下は獲れないが、獲った天下を保ち支配を周囲に納得させるには、
血統というのは大きな武器なんだよ。血筋以外にも官位とかその他にもね。
三河守とか信濃守とか関東管領とか、有名無実な位官をなぜ戦国大名が求めたか。
549 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 19:22:11 ID:EHL0/esl
550 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 19:59:21 ID:7ACfpxeD
保つも何もこの時代、一端平和がもたらされれば、その安定のために権威ある血筋、血脈が
支配上必要なのは当然のこと。どこの馬の骨ともわからないような人間に支配されたくないのは
今も昔も一緒だ。
人間の「能力」ってものの中には、『生まれ』『血筋』『育ち』ってものも厳然としてあるんだぜ。
551 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 20:12:33 ID:D7hzpi2b
俺の祖先は武士で殿様の片腕だったらしい
552 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 20:21:40 ID:EHL0/esl
>>550 しつこいなぁ。あなたの血統は相当良いらしいね。血統だけだろうけど・・。
あなたは支配層に従順な良き臣民なのは良くわかった。誰も平和がもたされて
からの話してないから!
>>551 ご立派です。
553 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 20:25:05 ID:7ACfpxeD
なんかID:EHL0/eslが、かなり訳のわからない状況になってきたなw
釣りにしては下手すぎるし、本気なのなら哀れすぎるし…。
554 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 20:33:22 ID:OiWLwkr3
まあでも血筋はいくらでも偽装できるし
無いなら無いでどうにでもできるでしょ
555 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 20:53:23 ID:uTAMqZ+v
554さん、あなたの言う通りだと自分も思います。
553さん、あなたは足利義昭だと自分は思います。
556 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 21:21:28 ID:NaOeWzhU
557 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 21:35:38 ID:QzhqaNS5
>>556 血筋の所為で譜代が不足。そのせいで短期政権に終わった。
558 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 22:04:30 ID:uTAMqZ+v
じゃあ家康の血統は賎しくなく、譜代その他も血筋が良い者だけだったわけ?
そんな筈あるまい。殆どが後付けだよ。
何度も言うが、天下に確固たる地位を築き、家柄も後付けで確立する。秀吉が短命政権で終わったのは、その後付けする時間が無かった為。後五年延命したら、家康が天下とれたか怪しいよ。
559 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 22:40:12 ID:CioJqjZX
松平も大した血統じゃないが徳阿弥以降は武家。
秀吉は先祖がそもそも武家じゃないから譜代がいないという話。
何代にも渡って君臣関係を培った譜代の臣が居れば秀吉が死んでもどうにかなっただろ。
560 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 23:25:43 ID:rbQaHXOs
戦国ではみんな信長みたく割り切れるなら血筋はそんなに重視されないかもしれないが、
残念ながらそうではない。
だから家康が系図を改ざんしたし、ほかの大名も名門の出を自称したりしてる。
血筋がなくても実力だけでのし上がれるのなら系図を改ざんする武将が居なかったはず。
561 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 01:53:39 ID:3vrE1MR+
秀吉はそれなりに公記などで名前がのっているので活躍したことは
認めるし、彼の武功を否定するつもりはないが、
それ以上の物語的な部分は出自があいまいなのと短期政権、豊臣氏が
滅亡し詳しく知る人が非常に少ないため格好の小説の題材となり
後年色々付加され脚色されてしまった以上その部分はしょっぴかないと
実像から大きくかけ離れてしまう。
562 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/19(火) 08:07:34 ID:OMHRQhRc
秀吉も、1月1日に生まれたとか、母が日輪を飲み込む夢を見て懐妊したとか、
天皇の御落胤だとか、なんとか出自を飾ろうと必死だった。
将軍になりたくて足利義昭に養子入りを頼んで断られ、結局摂関家に養子入りして
関白になったけど、「出自なんて関係ねー」というわけにはいかなかったんだろうね。
563 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 08:56:34 ID:OsuzWWZG
そうしないと、貴族連中に馬鹿にするやついたからかな?
564 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 10:13:47 ID:IEGpU5WK
当時はそれ以外に民衆を束ねて政治をする方法がない罠。
憲法や議会という考えが入ってくるのはうんと後のことだし。
確かに中世の時代としては平氏→源氏→南北朝→北朝→
の次がだから、それ以前の価値観からしたら身分はみんなかなり下がるし
成り上がり者になる罠。
だからかしれんが信秀も朝廷に多額の献金をしてたし、詳しくは忘れたが
家臣らは一斉に官位を授かってるし。(柴田勝家、佐久間信盛はすでに授かってるので記述なし)
当時の民衆は戦を勝手におっぱじめるほどだったから力だけでなく、
権威も必要だったんだろうね。
565 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 11:00:05 ID:2TS1AXbB
まだ血筋のレス続いてるのかよ
平家でも源氏でもない人には貰えたり発行に関わったり出来ない官位があるのさ
その官位=正当な統治者となるわけで偽装、養子、縁組、色々な手段でごまかす
逆に名門血筋がはっきりしてる人は官位が無くともそれなりの影響力を持っていたと思われる
現代で言うと東大卒とか学歴みたいなものでしょ
566 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 12:14:19 ID:DV/tsfub
それは違う
その人の努力でどうにかなるのが学歴
今なら議院の子供とか自分でどうしようもないところ
567 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 12:19:00 ID:Tjg27N70
568 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 13:34:06 ID:s2dD6kQD
>>562 秀吉が義昭に養子頼んで断られたとか、将軍になれないので仕方なく関白になった
とかは否定されてますよ。
秀吉が統治の正統性を求めて藤原の養子として関白に付いたのはたしかですが。
569 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/19(火) 13:51:52 ID:OMHRQhRc
>>568 > 否定されてますよ。
あれっ、そうなの?ホント?
わし、知識が古いもので、スマンカッタ。
何かそのあたりで参考になるような資料とか情報があったら教えて
いただけるとありがたい。
570 :
サイコメトリー:2008/02/19(火) 19:17:58 ID:pqs/1PKT
最近、信盛の名すら出て来ないね。イーけどね。
信盛語るより盛り上がるなり。
571 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 21:03:01 ID:+CNuAHcx
ちょっと妄想してみた
・信長は頑強な石山本願寺をそのまま城として使いたかった。だから兵糧攻めをさせた
・信盛は加賀二郡の顕如への返還に反対であり、教如の仕業に見せかけて寺院に火をかけた
この齟齬を受けて、信長が刀禰坂の件とか思い出してかっとなって折檻状送った、とか
572 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:03:10 ID:2TS1AXbB
1平手政秀の死。身内が持っていた名馬を信長に譲る譲らないで嫌気が差し切腹
2武功夜話にある鷹狩りで捕らえた鳥を裂いて政秀食えと投げ捨て涙を浮かべる話
3三河への援軍三将の内、平手の孫だけが壮絶な戦死+信盛無傷
4その出陣前に平手の孫に名馬を譲った信長、手柄を立てる前に褒美を出してる不思議さ
俺の妄想ではこれらが真実で繋がっていて、中でも(3)が信盛追放の理由なのだ
573 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:04:08 ID:3T3UXQ0E
↑それで小説かけそうだね。
574 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:11:26 ID:k83qyll4
>>571 >信長は頑強な石山本願寺をそのまま城として使いたかった。だから兵糧攻めをさせた
あの信長がそんなことで時間をかけるようなことを考えるのかな?
ここは素直に石山本願寺が難攻不落の堅牢さを誇っていたから籠城戦になり、
波多野、松永、別所、荒木らの討伐の方が優先されてしまったと思います。
575 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:17:52 ID:+CNuAHcx
>>574 でも、本願寺との手切れの発端は本願寺に対する寺院の徴発なんだよな
元々の方針じゃなくって、結果的に長引いて、とか
美濃攻めとかでも信長の予測は案外外れてるしね。信長は挽回力が半端ないけど
予想外に時間かかってようやくそっくり手に入れたと思ったら全焼じゃあイラっときてもおかしくはないんじゃない?
576 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:19:12 ID:+CNuAHcx
紛らわしい言い方した。すまん
「寺院の徴発」じゃなくて「寺院の徴発を要求したこと」な
577 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:36:58 ID:k83qyll4
憶測ですが当初の信長は長島一向一揆や越前一向一揆と同様に、
石山本願寺も皆殺しにするつもりだったんじゃないでしょうか?
ただ、石山本願寺が予想以上に難攻不落であったため、
『籠城戦&屈服すればよし』に戦略が変更され、
更に『真宗存続&石山本願寺明渡し』と流れていったかと思います。
その最終段階で石山本願寺が灰燼に帰したとあっては、
怒りの鉾先は身内の佐久間信盛に向けられちゃったってかんじかな。
578 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:48:45 ID:+CNuAHcx
>>577 長島も越前(というか加賀)も、石山と事を構えるまでは目だった対立はなかったと思う
皆殺しは鬱憤晴らしとかじゃなくて単なる見せしめと考えていいと思う
対立がエスカレートして
「屈服すればよし」→「皆殺し」
という路線変更はあっても、その逆はないんじゃないかな
予想外に難攻不落だから和睦して騙し討ちっていうのは長島でやってるけど
石山では騙し討ちしなかったし、やっぱり石山は元々欲しかったと考えた方がいいと思う
579 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 00:15:24 ID:vc9HElhc
>>576 信長が石山の地を要求してそれが原因となったとする説は、現在かなり疑問視されてます。
なによりもまずその形跡がない。現代の本願寺ですら「顕如はそういっているが、信長が
本当にその要求したのかどうかは不明」なんて言っている。
>>577 信長は別に信仰いかんで本願寺を攻めたわけでもないし、それが交渉の材料になったことも
ない。実際に石山退去までにそんなことが俎上に上げられたことはないし、信長が家中に
真宗禁止令なんて出したこともない。
そもそも、真宗は別に本願寺だけではないしな。
>>578 長島とは以前から対立があった。桶狭間のとき、長島の服部党が今川について熱田を攻撃
したりしている。撃退されたようだが。
おそらく津島を支配する弾正忠家とは、過去から経済的な確執があったのだろうとされている。
あと一つ言うと、長島で先に約束を破ったのは一揆側が先なんだけどね。
580 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 00:37:27 ID:bllpbftl
581 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 00:46:31 ID:VgfZSdyK
>>578 >予想外に難攻不落だから和睦して騙し討ちっていうのは長島でやってるけど
逆ですよ
一度和睦して騙まし討ち食らったから皆殺しにしたのです
しかしやっぱり佐久間さんの話題にならないのね
とことん影の薄い人
582 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 09:42:49 ID:eJ/eZaQy
それでは佐久間信盛の合戦を検証してみますか。
上洛以前の合戦では桶狭間合戦での善照寺砦の守備くらいしかわかりません。
尾張統一戦ではそれなりに兵力を有しながらもあまり目立てなかったようですね。
美濃攻めでも合戦には出ていたかと思いますがあまり目立った行動はしていません。
この辺りからみても佐久間信盛は積極的に討って出るタイプではなかったかと思います。
上洛戦での箕作城攻城戦では攻め手が佐久間・木下・丹羽・浅井。
ここで佐久間信盛が選ばれた理由は兵数の多さからかと思います。
ここまではこんな感じでいいかな?
583 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 10:00:34 ID:dBBILLpt
>>582 美濃攻めに関して言えば最近の研究じゃ清洲から小牧山に
移転した一大移転調略事業だったことがわかってますな。
信長公記には巻頭の 御こしあるべぎの事 に
山中・高山、二の宮山へ〜と引っ越すと信長が最初そういってあまりに
大変な場所だもんで大ブーイング。「じゃ、小牧山に引っ越す」と後から言って
「小牧山なら引っ越しも楽」と移転をスムーズに行った知恵物をのぞかせる
エピソードがあるな。
古地図にも鍛冶町とかそういう名前もあったが「ほんまかいな」と半信半疑
で語られていたが最近発掘で裏付けがされ、ほぼ確定。
584 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 10:43:30 ID:NxZBvaLn
>>583 そのエピソードは中国の故事の丸パクリだからともかく
国持大名の本拠地移転は並大抵のことではないわな
585 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/20(水) 10:57:13 ID:R2vfRKtc
> 尾張統一戦ではそれなりに兵力を有しながらもあまり目立てなかったようですね。
名塚城攻防戦では救援部隊の筆頭に名前が挙がってるね。
名塚城:佐久間盛重(大学)
救援隊:信長、佐久間信盛、佐久間盛次(久六)、森可成、池田信輝
敵方:柴田勝家、林通具(美作守)
稲生原合戦でも兵数不利な中、がんばったみたい。
戦力で不利なうえ、勝家が敵方にいたのに勝てたのだから、ある意味
すごいと思う。
586 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 16:44:52 ID:C56yjf+s
佐久間信盛って誰よ?
587 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 16:48:02 ID:eJ/eZaQy
582です。
>>582の続き…。
上洛戦は箕作城攻城戦の後、柴田・森・蜂屋・坂井が活躍することになります。
一方、佐久間信盛は松永久秀の大和平定の応援に出陣することになります。
この時は細川・和田と共に出陣していますが、兵数が多い佐久間隊が中心かと思います。
その後は京に戻って村井・丹羽・明院・木下と共に行政に携わっています。
それと伊勢攻めについても確認します。
永禄十年と永禄十一年の伊勢侵攻には佐久間信盛も出陣していたと思います。
永禄十二年の第三次伊勢侵攻では大河内城攻城戦で木下・西美濃三人衆と行動を共にしています。
ちなみに柴田と森は織田信長と行動を共にしています。
この頃から佐久間信盛は織田軍の中でも特別な動きをするようになっていきますね。
ここまではこんな感じでいいかな?
588 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 19:15:51 ID:vc9HElhc
美濃に関して一つ言うと、佐久間だけでなく柴田も名前が出てこない。(柴田については桶狭間でも出てこないが)
史料上、美濃攻めでもっとも活躍したと思われるのが丹羽長秀。それから推測で木下秀吉。
記録上秀吉が出てくるのはこの後の上洛戦からで、それまでは名前がいっさい出てこない。
それが突然織田軍を代表する武将の一人として出てくるのだから、美濃攻めの経緯でそれ
なりに立身出世する武功を立てたんだろうと想像されている(ただし、史料上で確認は出来ない)
柴田や佐久間も、まったく活動がなかったわけでもないんだろうけどね。両家とも家としては
潰れてしまっているので、後世子孫によって家譜の類が編纂されなかったのが痛い。
589 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 19:43:02 ID:nBObk75Z
前に誰かも言ってたが、信盛の武功を語るとすると桶狭間前が1番なんでしょうな。信盛が信長に加担しなかったら・・って。
でもそんな事言い出したら、キリないべよ。
590 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 20:40:26 ID:jjvQgUXU
史料における秀吉の名前の初出といわれてる坪内文書の日付は永禄8年だったような。
591 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/21(木) 07:53:03 ID:whaM0vrI
592 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 09:44:36 ID:CdlCH4uy
582です。
>>587の続き…。
本國時の変&桂川合戦自体は織田軍が参加することがありませんでしたが、
政治的に安定しない京で織田軍が行政に参加することになります。
柴田・森・蜂屋・坂井と佐久間信盛の五人。
選ばれた理由はやはり兵数の多さと永禄十一年の上洛戦と畿内平定戦での実績かな?
次が第一次越前侵攻。
この時、佐久間信盛が出陣したかどうかはわかりませんが、
これまでの経緯を考えますと出陣していたかと思います。
さらに上洛戦での箕作城攻城戦で実績がある佐久間信盛は、
天筒山城攻城戦か金ヶ崎城攻城戦のどちらかには参加していたと推測します。
浅井家の離反&六角家との守山合戦で近江の支配に不安を覚えた織田信長は、
佐久間・柴田・森・中川たちを江南に配置し京から岐阜までの通路を確保します。
ここで私的に疑問があります。
坂井や蜂屋ではなく中川が配置されたこと。
佐久間・柴田・森が選ばれた理由は兵数と実績かと思うのですが中川はわかりません。
まあ、何はともあれ佐久間信盛と柴田勝家、森可成は、
織田家臣の中でも活躍していた方かと思います。
特に佐久間・柴田は乙窪合戦で六角家を打ち破っていますし。
ここまではこんな感じでいいかな?
593 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 13:13:29 ID:06Zmaxgv
>>592 個人的な推測ですが、中川は織田一族の遠縁として、目付・軍監のような立場で
抜擢されたのでは?と考えます。配置された場所を見ても、対六角や浅井の最
前線ではなくそこから一歩引いた安土ですし。
594 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 14:37:27 ID:Kn9NSbHh
森可成は最初どこに配置されてたのでしょうな。
佐久間信盛=永原城、滋賀県野洲市野洲北中学校近くの竹林
柴田勝家=長光寺城、滋賀県瓶割山
中川重政=安土城詳しくはわかりませんが信長の安土城とほぼ同様の位置と仮定
となると結構美濃〜近江あたりに織田家、美濃衆の名前が少なく、がらんとした
印象をうけますけど浅井、朝倉軍相手に森可成が奮戦した宇佐山城は現在の大津市、
坂本城の近くで亡くなっていることはわかっていますが
1568-1570年ころの美濃〜近江のルートや構図がいまいちつかみにくいですね。
595 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 16:16:42 ID:06Zmaxgv
>>594 金ヶ崎から帰ったあと、信長は稲葉良通を守山に派遣。稲葉は六角方について
守山を襲撃にきた土豪たちを撃退して西美濃から湖東あたりを押さえるのに成功。
これを受けて信長はまず京から岐阜へ帰還。その途中の帰路で柴田佐久間中川を
湖南に配置。ちなみに森が宇佐山に配されたのは70年三月以前。つまり越前遠征の
開始前で、おそらく最初は留守の京を守るためだったのでは。その後姉川を経て
横山城が六月に開城すると秀吉を入れてまず西美濃−湖東を固める。さらに翌年
二月に佐和山に丹羽を入れて江南回廊の守備を固める。
596 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 17:53:44 ID:Kn9NSbHh
597 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 21:58:47 ID:CdlCH4uy
582です。
>>592の続き…。
姉川・横山合戦では織田・徳川連合軍が勝利します。
合戦の内容は兎も角、佐久間信盛は柴田・森・坂井たちと共に活躍しています。
この結果、横山城に木下秀吉を配置し浅井家を牽制し、
さらに佐和山城包囲戦で敵兵を城に閉じ込めることで、
京から岐阜までの通路の確保に成功します。
危険が多い千草峠ルートの使用は回避されることになります。
ここまではこんな感じでいいかな?
(今回は佐久間信盛の話題が薄い…)
>>593 ここで坂井や蜂屋を起用しないことに不思議さを感じます。
この頃から蜂屋が肥田城にでもいたとかなら納得しますが…。
598 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 00:17:59 ID:k61n6XTQ
>>569 何故秀吉は将軍にならずのスレいけばわかる
簡単に言えば
秀吉が義昭に養子頼んで断られたとか、将軍になれないので仕方なく関白になったという
ことが書かれているのは江戸時代に入ってから
599 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 00:26:42 ID:ecYn0Kx8
>>597 坂井は推測になりますが、おそらく東美濃の明智城に入れられたのではと考えられてます。
後の話になりますが、勝頼が明智城を落とした時に城内に坂井一族が多くいて、皆殺しに
あったとか。
明智城も信濃と三河を睨む要衝。そうほいほいと変えるわけにもいかなかったのでは。
601 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 09:45:21 ID:j8WKQ/Lz
>>598 「江戸時代に入ってようやく真実の公表が出来るようになった」とも言える。
602 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 10:52:32 ID:b79251aH
582です。
>>597の続き…。
野田・福島合戦について確認します。
この合戦での織田軍の軍勢は多いのですが参加した武将は意外に少なく、
確実に参加した武将は柴田勝家と明智光秀の二人だけかな?
木下秀吉は横山城で浅井家の動向を監視。
丹羽長秀は佐和山城を包囲中。
森可成は宇佐山城で京を警備。
佐久間信盛も永原城で六角残党に備えていたみたいです。
蜂屋と坂井はよくわかりません。(多分、野田・福島合戦に参加かな?)
馬廻衆の活躍が目立つ合戦となってしまったのはそのためでしょうか?
他に幕府軍や和田、三好、松永らの畿内の軍勢も参加していますから大軍ではありますが…。
それはさておき佐久間信盛の方は柴田勝家の分まで江南を守備することになります。
しかし六角残党は守山合戦と乙窪合戦の影響が大きく軍事行動にまで到らなかったようです。
(乙窪合戦では三雲定持と高野瀬秀澄が討死とのこと)
他方、森可成の方は朝倉・浅井連合軍に攻め込まれ坂本合戦で討死します。
この時、宇佐山城に一番近かったのは佐久間信盛ですが、
六角残党に対しての備えを放棄してまで救援することはできなかったでしょうし、
また、救援に向かっても焼け石に水ですので仕方がなかったと思います。
ここまではこんな感じでいいかな?
>>599 坂井には明智城があるからというなら、
森には兼山城と宇佐山城の二城を受け持っているような気が…。
別に坂井が明智城と安土城の二城を受け持ってもいいと思うのですが。
そんな感じの疑問なんですよ〜。
603 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 01:25:02 ID:XD+kHtnA
信盛の戦いの記録をスレってる方、いつもご苦労様です。一つ聞きたいのですが、信盛のどのあたりに惹かれてるんですか?
604 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 10:04:35 ID:rYYn2ydk
582です。
>>602の続き…。
九月二十日の森可成の戦死と宇佐山城包囲で事態は急変します。
織田信長は柴田と明智を京に派兵しますが、
山科に侵攻した朝倉・浅井連合の大軍に戦闘を挑むことができません。
二十三日に織田軍は摂津から撤退し野田・福島合戦での敗北が決定します。
翌二十四日には織田軍は近江に出陣します。
この時の佐久間信盛の行動は不明ですが、
二十三日、または二十四日には勢田方面に出陣していたかと思います。
織田軍が近江に入るとこれに合流し、
これ以降は織田信長の指揮下に入ったかと思われます。
朝倉義景と浅井長政という総大将クラスが坂本近辺に出陣したため、
横山城の木下や佐和山城包囲中の丹羽も相次いで織田軍に合流します。
余談ではありますが、
織田軍は強行軍を押し切って近江に出陣し疲れきっていたので、
この時なら朝倉・浅井連合軍にも勝機があったかもしれませんね。
(ただ佐久間・柴田・明智の三隊は近辺にいたので体力消耗はしていませんが。)
志賀・堅田合戦は堅田合戦で坂井政尚が討死しますが全体の流れは長期対陣で終始します。
佐久間信盛も他の武将同様に活躍の場は無かったかと思います。
ここまではこんな感じでいいかな?
>>603 私は基本的に戦国大名なら織田信長と北条氏康に興味があります。
でも信長にしても氏康にしても家臣あっての信長であり氏康だと思っています。
佐久間信盛の場合は…、
柴田の加賀攻めでの殺戮の風景と佐久間の本願寺包囲戦での静寂の風景、
この対照的な戦の展開が特に興味があるところでしょうか。
あとは折檻十九ヵ条の意味(脳内妄想ですが)にも興味がありますね。
数多くの合戦に参加し武功を重ね信長に信頼されていたはずなのにまさかの転落。
追放の際も素直に従っているようですし信盛自身は解っていたのかもしれません。
信長と信盛の間での本当の確執はわかりませんが興味はありますね。
信盛追放後、二年も経たずに本能寺の変というのも興味深く思います。
長文失礼。
605 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 13:08:43 ID:RLsxaJS1
>>602 そうなるともう想像するしかありませんね〜。信長がどうして誰を抜擢して誰をしなかったのか、
なんてわざわざ理由の書き残してある方が少ないというか皆無に近い。
もう一つあげれば、当時の安土は横山や宇佐山や永原のように、敵との最前線というポイントでは
ない。だったら、そんなところに主要武将を配置するよりは、中堅から抜擢して任せてみるという
のも一つの登用法じゃないでしょうか。いつまでも重臣だけではいつか駒が足りなくなる。抜擢に
応えて武功を立てればそいつも次からは主要な武将の一人として他の重要な場所を任せられるように
なる。
606 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 16:45:16 ID:rYYn2ydk
582です。
>>604の続き…。
元亀二年に入りますと二月に包囲戦を継続していた佐和山城が開城し、
五月には箕浦合戦で木下が浅井勢の反撃を撃退します。
江北方面での織田側の優勢が徐々に見えてきますが、
これらに佐久間信盛が参加している可能性は低いのでそのまま無視します。
同じ五月の第一次長島合戦の方を考察します。
参加武将は佐久間・柴田・滝川・西美濃衆たち。
織田本隊は津島、佐久間隊は小木江、柴田隊は太田川河口にそれぞれ着陣。
合戦自体は織田軍が退却する際、一向一揆側からの追撃戦を受け氏家が討死します。
さて佐久間信盛ですが一向一揆が奪取した小木江城に進軍しますが、
地の利が無く特に目立った行動はありません。(正直よく分かっていないだけですが)
これは佐久間隊に限らず柴田隊も同様のことであり、
織田本隊も攻め口が見つからず長期戦を警戒してすぐに撤収という有様になります。
佐久間隊は尾張に近い東側に着陣していたため難なく退却に成功します。
この戦だけに限りませんが無理な行動を起こさず冷静に大局を見据える信盛の姿が見えます。
ここまではこんな感じでいいかな?
>>605 確かに安土城は大敵に面しているとは言いがたいから武将育成の地には適していたのかも。
姉川・横山合戦や野田・福島合戦、志賀・堅田合戦、
抜擢後の中川が参加していたかどうかは分かりません。
もしかしたら佐久間・柴田が出払っている間、江南の留守を任されていたかもしれません。
その中川が比叡山焼討に参加したことで本当に抜擢されたのかもしれませんね。
その背景は森・坂井・氏家たちが討死したことによる人員不足という方向で。
607 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 17:17:08 ID:BnwSJIvq
雪の中、奈良県十津川村武蔵まで墓参に行って参りました。
このような所で・・・さぞやご無念でしたでしょうね・・・。
しばし合掌・・・。
608 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 23:22:11 ID:hVmkQPrh
本能寺前逝ってしまうなんて憐れ過ぎる。
609 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 13:24:09 ID:eYBOCuiZ
誅殺で水野家、水野信元ばかり結構目がいきがちですが、坂部城、久松信俊。
この人も本願寺攻めの時与力として参加してましたが本願寺に通じていると
疑いをかけられ自害した悲運の将ですな。
子供も殺されたが、胎児がかろうじて生き残ったとか。
水野家の人が本願寺攻めの際自害したとばっかり勘違いしてた。
もし、興味ある人はググってくだせえ。
610 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 15:32:52 ID:YGkEL8Gz
本当に餓死したんですか?
611 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 16:55:59 ID:f1Ig8HXL
十津川邑武蔵で隠棲して病死とも聞くけど。
612 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 17:13:17 ID:eYBOCuiZ
>>610 高野山に使者が遣わされ、高野山への軍事行動が開始されてるの見ると
監視もしくは死後すぐに訃報が信長にもたらされた感じは現在の史料
からはその可能性が強い。
信長公記では信栄が翌年復帰が許されたこと、
>>384の多門院日記
にあるように多門院の僧が軍事行動を知ったということくらい
しか史料では見かけないかな。
本願寺司令を下りたあとの行動、死因、見取った人、お墓などは一応
信盛のものとされるお墓が十津川にあるようだけど史料では不明。
613 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/25(月) 17:24:12 ID:9N86SMxi
後世になるけど、寛政譜では十津川で湯治中に死去、となってた。
高野山から熊野へ移って、最後は十津川、ということらしい。
614 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 18:39:19 ID:f1Ig8HXL
十津川村武蔵に行ってきました。
教育資料館の裏手に信盛のものといわれる墓はありました。
楠木正成の孫・正勝のものという墓碑の後方に2基並んだ墓塔、そのうちの1基とのこと。
「高野春秋編年輯録」(1719)によれば、天正9年7月24日に当地にて卒とあります。
当地では程近い湯泉地温泉にて湯治中に没したのが天正9年とも10年とも伝わっています。
教育資料館の建つ地は江戸中期頃まで寺があったといわれ、上記史料からも、少なくとも
江戸中期には信盛の墓として成立していたものと思われます。
では、傍らのもう1基は誰の墓なのでしょうか。
一説では信盛の子・信栄の墓ともいわれています。信栄の諱は正勝ですし、それならば、
父子の墓が並んでいても不思議ではありません。
ただ、612さんもおっしゃるように「信長公記」では信栄は許されて軍門に復帰しています。
織田信忠、信雄に仕え、豊臣秀吉の茶人として、のちには徳川秀忠の御伽衆として仕え、
正墓は京の大徳寺にありますよね。
もし十津川村武蔵の父の墓に並んで墓を作らせたとしても、あまりに簡素すぎる墓です。
本来、私は南朝期の遺蹟を訪ねて当地に行きました。
当地にあったという寺は長慶天皇と楠木氏を祀っていたといいます。
楠木正勝には正元という弟があり、当地に二人並んで葬られたとの文献もあります。
ここからは私見です。
2基並んだ墓は楠木正勝・正元兄弟のものであり、その前方の墓こそ信盛のものではないかと
推察します。十津川といえば勤皇の地としても著名ですよね。勤皇運動の高まりと共に、本来の
墓の位置も入れ替わって伝えられたのではないでしょうか。
もちろん、信盛が当地で亡くなったという確証もありませんので、あくまでも想像の域を出ませんが。
615 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 10:27:56 ID:vYF08ih7
582です。
>>606の続き…。
元亀二年は反織田連合が猛威を振るった年であります。
特に本願寺は織田信長に対して京と岐阜城を分断するように一向一揆を蜂起します。
湖北十ヶ寺が浅井軍と結んで箕浦合戦を演じ、
湖南の金森城を中心に一向一揆が決起し、
伊勢長島一向一揆も前年に引き続き織田軍に打撃を与えています。
他方、摂津・和泉・河内・大和でも三好党を中心に各地へ侵攻を繰り返します。
三好義継と松永久秀の織田信長からの離反と篠原長房の畿内出陣は、
親織田派(親幕府派)の和田惟政や畠山昭高たちを苦戦に陥れます。
ここからはかなり妄想になりますが、
織田信長は八月に近江湖北方面に侵攻し浅井軍を牽制します。
ところが郡山合戦で和田惟政が討死してしまい親織田派が窮地に追い込まれます。
これを見て織田信長は九月に近江湖南方面に転進し金森一向一揆を下します。
本来なら京を守備するためにも三好・松永・篠原たちに反撃する必要があるわけですが、
織田信長が取った行動は比叡山焼討。
焼討の理由は四つ。
@朝倉・浅井連合軍の擁護支援を行ったこと。
A畿内の三好党と本願寺の勢いが大きく手がつけられないこと。
B比叡山焼討で敵軍(三好・松永・篠原・本願寺)を威嚇・牽制すること。
C佐久間・柴田・丹羽・中川・明智たちの軍事力を強化すること。
この比叡山焼討で佐久間信盛は織田信長に『焼討反対』を意見したとのことですが、
織田信長にしてみれば『家臣たちの強化のためでもあることが分からないのか?』と心の底で思ったことでしょう。
比叡山焼討は合戦とは言い難いので特には触れませんが、
これにより佐久間・柴田・丹羽・中川・明智たちは軍事力が強化され、
特に佐久間・柴田・明智は翌年の軍事行動で派遣討伐をこなしていくことになります。
ここまではこんな感じでいいかな?
ところで今回の元亀二年では朝倉義景の動きがありません。
浅井長政は織田側に攻め込んでいるのに…。
朝倉家と浅井家ではかなり温度差がありますよね。
616 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 14:18:16 ID:eyheg1Hn
>>614 詳しいレポートありがとうございます。
信栄に関してもかなりの茶人だったことはわかってますが謎多き
人物ですね。
検索するたびにこの父子は各々ディープ考察がされてて読んでいると
混乱して楽しいw
617 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 16:08:28 ID:eFw1C5tN
>>615 叡山焼き討ちは立派な合戦の一つだと思いますが。
それから焼き討ち後に叡山の所領を諸将に分配して強化しているのは事実ですが、
佐久間の諫言はかなり信憑性がないと思います。
理由は二つ。
一つはこの話の出典が『甫庵信長記』だけ。ここでは佐久間と武井夕庵が二人揃って
諫言したとありますが。
もう一つは、この件が後の折檻状に無いこと。刀根坂の時の発言はわざわざ一条を
割いて記している。叡山滅亡時の諫言も事実なら取り上げているんじゃないですかね。
618 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 18:20:55 ID:xoe0O4s3
>>617 それで信憑性がないって言うのも、ちょっと極論なのでは?
619 :
◆LeD1MMOS.k :2008/02/26(火) 20:18:22 ID:Q5Rpx9r9
620 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 09:37:24 ID:N9HWE3qN
582です。
>>615の続き…。
比叡山焼討で織田信長に恐怖を感じてでしょうか?
細川信元や石成友通が織田信長と和睦します。
このあたりから畿内の三好党に陰りが生じます。
元亀三年に入りますと織田信長は佐久間・柴田に湖南の金森一向一揆と六角残党を討伐させます。
さらに信長自身も三月に近江に侵攻し浅井長政を挑発します。
しかし、この挑発は失敗し浅井攻めをあきらめ信長は京に向けて進発します。
途中、明智・丹羽・中川に木戸城や田中城を討伐させます。
さらに上洛後は佐久間・柴田・明智・細川・三淵・池田・伊丹・和田を交野城へ派遣させ、
三好・松永連合軍に打撃を与えます。
さて、この連続する戦に信長自身は参加していないみたいです。
基本的に佐久間や柴田、明智たちに派遣討伐させるという形を取っています。
比叡山焼討の効果がしっかり現れていますね。
ここまではこんな感じでいいかな?
次回の三方ヶ原合戦はよくわからないのでスルーしていい?
>>617 御意見thanks!
>叡山焼き討ちは立派な合戦の一つだと思いますが。
人の心は十人十色。人それぞれでいいと思いますよ。
私的には『比叡山焼討』を『比叡山合戦』と言い換えることに違和感がありますから合戦とはしません。
>佐久間の諫言はかなり信憑性がないと思います。
こればかりは実際に見たわけではありませから。
>もう一つは、この件が後の折檻状に無いこと。刀根坂の時の発言はわざわざ一条を
>割いて記している。叡山滅亡時の諫言も事実なら取り上げているんじゃないですかね。
比叡山焼討の際、反対した家臣が佐久間だけではなく何人もいたかもしれませんし、
その場合、折檻状にそのことを記すと顔色が青くなる家臣が続出するかもしれません。
それを考慮して信長自身が遠慮したとも考えられますね。
あと、刀根坂合戦の時は佐久間信盛一人だけが意見したのかもね。
長文失礼。
621 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 09:28:58 ID:oYqkQ3km
582です。
>>620の続き…。
元亀三年七月、織田信長は近江に侵攻します。
この戦は信長の嫡男の信忠が初陣するという華々しい戦でもあります。
織田家の家臣、佐久間・柴田・明智・木下・丹羽・蜂屋らも顔を揃えています。
そのため(?)今回は朝倉義景も重い腰を上げて小谷城の後詰に向かいます。
しかし、朝倉・浅井連合軍にとって悪い知らせが届きます。
『篠原長房、上桜城にて主君三好長治に討伐される。』
反織田連合の有力者の最期であります。
その影響もあるのでしょうか?
八月に入ると朝倉家武将の前波・魚住たちが織田信長に投降します。
朝倉・浅井連合軍にとってこの戦は厳しい展開に陥ります。
さて佐久間信盛は柴田・丹羽・木下たちと共に城攻めの準備のため小谷城周辺を放火します。
他方、朝倉・浅井連合軍は籠城策を取り城から打って出ることは無かったようです。
このため佐久間・柴田たちの華々しい活躍はお預けとなります。
佐久間のお話とはあまり関係ありませんが畿内方面で細川藤孝が活躍しています。
この頃、三好・松永連合軍との戦いを一任されていたのは彼であり京を守りきっています。
石成友通は足利義昭に近づいたためでしょうか。あまり活躍が見られません。
荒木村重は元亀二年の時の活躍が見られませんが、
織田信長に近づくために水面下で誼を通じていたのかもしれません。
細川昭元も中嶋城で三好・松永連合軍の攻撃をひたすら耐えています。
ここまではこんな感じでいいかな?
622 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 09:56:51 ID:k1VxH/6x
582です。
>>621の続き…。
第一次将軍蜂起について…。
元亀四年二月、足利義昭は織田信長に対して敵対行動をとります。
信長は十七ヶ条の異見書の通達で自身の正当性を誇示します。
また荒木村重が織田派に転身する約束をするのもこの頃。
そして織田信長は足利義昭の蜂起に圧力をかけるべく、
近江の石山城を攻略し、今堅田城を開城に追い込みます。
攻め手は柴田・明智・丹羽・蜂屋たちとのこと。
他方、幕府派も負けていません。
三好・松永連合がついに細川昭元が守る摂津中嶋城を手中に収めることに成功します。
これで三好・松永連合は上洛することができるはずでしたが、
三月に上洛したの織田信長の方でした。
これは本願寺が朝倉家に近江への出陣要請の書状を送ったことで隙が生じたためと思われます。
四月に入ると信長は情容赦無く上京を放火し足利義昭にさらなる圧力をかけます。
ここで足利義昭は織田信長と(嫌々)和睦することになります。
この時の誓詞のやりとりで佐久間信盛・塙直政・滝川一益の名が記されています。
(滝川一益も上洛していたのかな? いない場合、この件は佐久間が中心に進めていたのかも?)
佐久間信盛も柴田・明智・丹羽・蜂屋たちと共に上洛していますが、
ここでは特に活躍はしていないみたいです。
佐久間信盛の出番は岐阜城への岐路の途中の鯰江合戦になります。
六角残党と一向一揆を柴田と共に撃破することに成功します。
百済寺焼討は百済寺が六角残党に味方したためと言われています。(水の庭園が素的な所ですよ)
ここまではこんな感じでいいかな?
623 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 07:25:43 ID:ygzLjeKi
582です。
>>622の続き…。
第二次将軍蜂起について…。
七月、足利義昭は織田信長に対して再び敵対行動をとります。
高屋城で謀反が発生し遊佐信教が畠山昭高を討ち果たしたことが影響していたのかもしれません。
織田信長はこの状況を見て再度上洛し妙覚寺に着陣します。
佐久間、柴田、丹羽、蜂屋、羽柴、明智、荒木、細川、西美濃三人衆など、
織田家の武将の大半が動員されています。(羽柴は朝倉・浅井連合軍が行動しないと見たからかな?)
織田軍は二条御所の三淵藤英を降伏させ、さらに槙島城の足利義昭を包囲し降伏に追い込みます。
そして信長は足利義昭に追放処分を下します。(この後、足利義昭は追剥に遭うとのこと)
信長自身は京を発ち岐阜城に向かいますが、細川藤孝・三淵藤英に石成友通を討ち取らせます。
これにより淀城に細川藤孝、伏見城に三淵藤英、槙島城に細川昭元を入れ置き、
摂津や河内、大和の反織田勢力に圧力をかけていきます。
今回の織田軍の軍事行動は足利義昭と世間に対し圧倒的な軍事力を見せつけることが目的であります。
後に槙島城は塙直政が居城に使用するくらいですからしっかりした城かと思います。
そんな城を一日で勝敗を決めてしまうわけですから大規模な軍事行動だったのでしょう。
その大軍の中での佐久間信盛の地位は柴田や明智と共に中心的存在であったかと思われます。
この頃の織田家武将の主な役割
畿内・南近江─→佐久間・柴田・明智(織田軍の主力)
北近江────→羽柴(浅井家に対しての抑え)
北伊勢────→滝川(長島一向一揆に対しての抑え)
東美濃────→河尻・池田(武田家に対しての抑え)
その他────→丹羽・蜂屋・水野・西美濃三人衆
ここまではこんな感じでいいかな?
624 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 14:04:57 ID:kHi67st9
明智はそこまで成長はしてないんじゃあないかと思うが。軍事編成をみても、柴田と佐久間は
やはり別格扱い。叡山焼き討ちや荒木細川調略などで、明智がそれに次ぐナンバー3くらいまで
出世はしていたとみていいだろうが。
この後、浅井を滅ぼして旧領を得ることで羽柴が急成長して
佐久間・柴田>>明智・羽柴
くらいになるのかな。ただ、外様だが摂津一職の荒木や、直領ではないが、南山城、大和、河内
三国を任される原田直政がどういう扱いになるのかわからんが。
625 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 15:23:41 ID:aLzI/u2J
>>543 修正、尾張の森氏は清和源氏を名乗ってたらしいので
平家秩父氏は間違い。
626 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 06:38:57 ID:tVrlinNi
582です。
>>624 >明智はそこまで成長はしてないんじゃあないかと思うが。軍事編成をみても、柴田と佐久間はやはり別格扱い。
私も賛成です。(北山城衆は幕府側に加担していますし)
そもそも私の書き方が悪かったですね。
畿内・南近江─→佐久間・柴田・明智(織田軍の主力)
この書き方だと同格扱いに見えますね。
部隊の規模というより地域と役割という方向で。
明智光秀の軍事行動を考えますと、
第一次越前遠征
野田・福島合戦
志賀・堅田合戦
比叡山焼討
高槻城救援(明智が出陣)
木戸城・田中城合戦(明智・丹羽・中川が出陣)
交野城救援(佐久間・柴田・明智が出陣)
元亀三年小谷城合戦
石山城・今堅田城合戦(柴田・明智・丹羽・蜂屋が出陣)
二条御所合戦・槙島城合戦
信長にとって重要な一戦に多々参加していますし、
信長にとって重要な地域である京洛近辺と南近江を活躍の場にしています。
佐久間・柴田と共に織田軍の主力と考えました。
627 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 07:49:36 ID:2YakwjDr
582です。
>>623の続き…。
朝倉家と浅井家の滅亡。
この辺りはみなさんもご存知かと思いますので特に触れません。
第二次長島合戦。
佐久間・柴田・蜂屋・丹羽・羽柴・滝川たちが参加しますが敗退。
明智は静原山合戦で幕府派残党を討伐。
若江城合戦と多聞山城包囲。
佐久間・明智・丹羽たちが参加。
三好義継は討死。
松永久秀は降伏。
佐久間信盛は河内・大和の軍事行動で中心的な役割を果たします。
北河内と大和のその後については、
若江城は若江三人衆が治める(佐久間が監督かな?)ことになり、
多聞山城の管理は翌年すぐに明智へ移されます。
佐久間信盛と若江三人衆や松永久秀との係わりはこの後も続くことになり、
佐久間が畿内での旗頭へと成長する伏線にもなっていきます。
佐久間信盛の合戦についてはこれでお仕舞とします。
つづきは何方かにお願いします。(そんな奇特な人がいると嬉しいのですが)
628 :
◆LeD1MMOS.k :2008/03/07(金) 00:40:10 ID:udUygw0J
629 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 01:55:14 ID:PnZB0tVH
佐久間軍記公開してよ
630 :
◆LeD1MMOS.k :2008/03/07(金) 08:18:28 ID:BNhC9H6P
632 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 16:39:33 ID:PnZB0tVH
ありがとう
WIKIに騙された過去あって避けてた
参考にします
633 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 17:23:24 ID:GfBDAYlS
織田家臣団で肖像や兜残っている人少ないよね。長篠合戦の屏風
にちらっと姿は出てるみたいだがあれはあくまで江戸期のものだし。
柴田勝家ですら兜残ってないし。信盛の場合茶人のような頭巾を
かぶっていた、三河の影響考えると変わり兜の一つでもかぶっていた
案外地味な具足、兜をつけていた。
あくまでみな推察しかできそうもないですな。
634 :
◆LeD1MMOS.k :2008/03/07(金) 19:00:13 ID:BNhC9H6P
>>633 肖像は建勲神社に「三十六功臣画像」というのがあるよ。
635 :
人間七七四年:2008/03/10(月) 17:48:48 ID:jev3LKO1
佐久間信盛が実際どんな人物であったとしても別に〜って感じ・・。
636 :
人間七七四年:2008/03/10(月) 20:19:15 ID:TU/7Qs0C
で?
637 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 18:27:47 ID:mhB5vQ5R
どうでもいい存在なら追放なんてしない
宿老8名の影響力はでかいよ
とりあえず保守しときます
639 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 19:36:32 ID:8H+ZkeoE
>>637 過大評価し過ぎ、どうでも良いから追放したんでしょ。
彼の影響力があった状況が、追放後に何かあった?
決して信長がやる事だから間違っていないって言う輩と自分は違うのだが、
安易に信盛が長命になると彼の影響力を恐れた信長がって・・考えるも・・。
数多の戦に携り、信長に昔から仕えた苦労人のはずの信盛を
とって付けた様な理由で追放にした信長は、およそ人の所業とも思えんが、
現実主義者の信長が描く未来予想図には信盛は邪魔だったという事なのだろうか。
640 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 19:45:40 ID:oNr/ajT/
>>639 家臣も付けずに放逐したようだし、大部分の家臣はすぐ他の武将の
組下になってるから、影響力が薄れるのも仕方ないかと思う。
強敵本願寺を大敗北無しに包囲し続けたのは確か。
641 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 02:11:41 ID:Lpif89pE
>>639 権力持ちすぎた奴のほうが追放されやすいが
目障りだし
殺さなかったのは信長の甘さか
642 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 02:43:31 ID:uYGtUq7a
>>641 秀吉もそう思ったのか、彼はきっちり自分の宿老格の前野に腹を切らせましたなあ。
643 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 03:38:32 ID:dPBvNkzi
甘さと言うより信長の本質的な部分だよ
敵には厳しく味方には優しい
644 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 18:46:33 ID:KOrsF6fg
味方に優しい?
身内に優しい?の間違いじゃ??
645 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 22:06:42 ID:cdOKVoMG
信盛殿、落ち着いてくだされ
646 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 04:56:39 ID:mauH2L89
>>644 身内もちょっと疑念が出ればポコポコ殺しているが、信長。
647 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 08:40:05 ID:DU9a/3Lk
648 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 16:06:22 ID:kvlj/J5S
軍団も大所帯になってきたし綱紀引き締めの為の見せしめにされたとか・・・
649 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 14:18:39 ID:/Varp/QE
家臣の裏切りは三度までゆるす
一族の場合は一度許すか全く許さないかのどちらか
信長流
650 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 14:35:46 ID:jij2PKiT
>>649 一度の裏切りで許されなかった親族って?
岩村城の件かな?
651 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 22:39:35 ID:/Varp/QE
そうだね、あれだけは一撃の磔
信忠の裁決かもしれないけど
652 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 05:54:50 ID:HI0OJ5E+
つーか信長は裏切ってなくても「疑いがある」レベルでガンガン殺しているわけだが。
信長流も何も、いつ誰をどう殺すかなんてケースバイケースだよ。
653 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 12:57:52 ID:XnYJzLc2
疑っただけで家臣の誰を殺したんだよ?秀吉と勘違いしてないか?
654 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 00:54:59 ID:HeF8aELb
とりあえず何人か挙げてくれ、ガンガン殺しとは俺も初耳だ
655 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 01:37:56 ID:TXw2b145
秀吉は部下殺しすぎ
しかも罪無いのに腹切らせたは秀吉一生の不覚と死に際に回想するありさま
656 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 14:01:53 ID:LfyL7uRM
>>648 一つの可能性として関所を取っ払ったという信長の経済政策も要因の
一つではないかと可能性は考えてるけどね。信盛追放すると
京→南近江→美濃→尾張と東海道の大動脈が親族直轄になり、まったく
関所がない自由経済圏ができあがると思うけどそういう構想で配置転換
する所領がなく対処に困ったためあのような折檻状のような行動になった
のではと考えてるけど。
657 :
人間七七四年:2008/04/16(水) 00:14:22 ID:Sv8axuNZ
信長は安土や京への関所は廃止してないような気が
658 :
人間七七四年:2008/04/16(水) 01:33:28 ID:DtKFf5+5
>>656 そういう「革命家信長神話」みたいなのは、もうとっくに否定されてるぞ。
信長は秀吉家康と比べても、室町的な体質が濃厚だよ。
保守
660 :
◆LeD1MMOS.k :2008/05/30(金) 09:29:37 ID:wptr8Ec9
信盛の子孫が戊辰戦争で幕府軍の部隊指揮官になって戦死したらしいけど、
だれか詳しいこと知らない?
661 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 10:35:49 ID:OEGntKrB
>こうなればどこかの敵をたいらげ、汚名を濯いだ上帰参するか、どこかで討死するしかない
信長はアマちゃんだからどこかで城の一つも奪えば帰参できたのに
叱られたんでパニックおこして死んだのが運のつき
662 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 12:08:03 ID:P8ijbAlp
後の天海であった
663 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 21:18:48 ID:7qKsE5tO
>>660 幕府陸軍士官・佐久間近江守信久のことでしょうか。
他人の空似?と思ってたが、確かに佐久間だし、「信」もついてるな…
鳥羽伏見でかなりの奮戦をしているから、優れた指揮官だったことは確か。
結局は戦死してしまうのだけど、従者に化けたスパイに殺されたという噂がある。
生き残れば、実績からして明治陸軍の高官にもなれただろうに。不幸な最後は信盛譲りか。
664 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 21:25:42 ID:kGzk4vk1
>>662 最近みた「これが天海の正体だ!」
明智光秀
佐々成政
佐久間盛政
佐久間信盛 ←NEW
665 :
◆LeD1MMOS.k :2008/05/30(金) 22:08:11 ID:wptr8Ec9
>>663 そう、それっす。
ググってもあまり詳しい情報がなくて。サンクス。
666 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 01:42:17 ID:/1WYuxgG
光秀の首は偽物だとか
盛政はひっそり孤独に餓死?
成政は死後2年後に子供生まれる?
一益なんかは茶人として余生を過ごした?
織田の家老って一体なんなんだ
わけわかめ
667 :
◆LeD1MMOS.k :2008/05/31(土) 13:21:18 ID:RqDAwnn0
盛政は刑死だよ。
668 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 08:16:24 ID:hca4Nwb0
保守
669 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 13:52:25 ID:3J3+fNcV
所詮二流武将だな
追放もやむなし
670 :
◆LeD1MMOS.k :2008/07/20(日) 16:29:48 ID:b+ytTSnL
織田家中の筆頭格で、常に先陣を務めた腹心だよ。
評価が低いのは追放されたことと、秀吉が天下を取ったことに原因がある。
671 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 21:08:07 ID:d1kNgyvA
>>658 >そういう「革命家信長神話」みたいなのは、もうとっくに否定されてるぞ。
>信長は秀吉家康と比べても、室町的な体質が濃厚だよ。
三段撃ちなんて効果が怪しいのでは?→三段撃ちなど無かった!→信長は鉄砲なんて好きじゃない→とか、
上杉謙信も戦で負けたことが度々あった→実は謙信は戦がそれほど強くない?→謙信は戦下手!
とかのような、ちょっと歴史かじった奴が陥りやすい極端な反動を658がしてるように見える。
通説に異論が投げ込まれ、それがちょっと認められるとそれまでの前提を全否定するっていうやり方ね。
これってその場で積み上げられてきた議論や推論を全部崩すだけで、どうにも良くないと思うんだ。
672 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 19:28:42 ID:TXU5yyyk
別に鉄砲隊の構えが何段でも何も変なこと無いよな
ただ昭和の陸軍なら全員で一斉射撃したほうが効果甚大と評する事間違いない
673 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 13:27:46 ID:HPOjLDMd
>>671 君は、通説が否定されてもむきになってそれを認めないタイプだな。
674 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 19:07:27 ID:X6qTcTCQ
革命家だと見るか見ないかは個人の評価のレベルの話だから、通説どうこうという話ではないと思うけどな。
675 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 20:19:10 ID:Qx02w24s
676 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 22:39:57 ID:NglwUT1x
>>673 失礼な
通説にしろ新説にしろ100%肯定するのが駄目って言ってるだけだよ
677 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 00:07:10 ID:as4QLRaL
佐久間は空気読めないからなぁ。
678 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 00:07:46 ID:as4QLRaL
佐久間は空気読めないからなぁ。
679 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 08:36:22 ID:2Wl6dBCM
まぁ簡単に言えば、創業当初から生え抜き社員で、常に会社発展の為に尽力してきた。
しかし、内情としては、永続勤労なのに大きな業績なく、大きな失敗もない。功労者ではあるが、組織を引っ張る器ではないと判断された。
追記して言うならば、生え抜きの為、社中への影響力はあったほう。
680 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 15:16:06 ID:UQMmszME
業績がない、ということはないんだけどなぁ
681 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 15:52:09 ID:2Wl6dBCM
大きな業績がない。
682 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 01:05:31 ID:74QoXQlX
まぁ功績の割には高いポジションにいたかもね
譜代じゃなかったら池田とか丹羽みたいな副将クラスじゃね?
683 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 01:21:12 ID:4raNBEUR
「譜代」というものの価値をきちんと評価できなかったのが信長の限界。
684 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 06:46:46 ID:kUr/aQph
書類みても30年間の間、常に家臣団の中で佐久間の名前が最上位(柴田よりも)の最前列
弱小から天下布武に至るまで筆頭でずっと率なく支えることは無能に勤まるか?
大勢が決まった後に、各方面を制圧する軍団長よりも創業期を支え続けたことは功労大と言うしかない
民政家として評価される割に、実際戦争では常に柴田よりやや多い兵力率いてたらしいし、失点ないし
信長の無茶な要求に応え続けるには平時から与力の同僚武将とかこき使って蓄財しておくしかないだろ
「退き佐久間」ってのも敗戦が多い訳じゃなく、一番難しい退却戦すらこなすっていう揶揄だし
この人、年いってから呆けたのは事実らしいけど無能とは違うとおもうなぁ・・
将来の利用価値について考えていた現実主義者ノブナガ君は、年老いて呆けた信盛を対価に合わなくなったと切り捨てたと考えるべきじゃないかな
685 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 07:28:55 ID:kUr/aQph
永禄末年頃(1569、1570年)時点の署名順は、<佐久間信盛・坂井政尚・森可成・蜂屋頼隆・柴田勝家>(『多田院文書』『本興寺文書』
元亀三年(1572)に織田家の軍事的主力であったの四人の署名順による序列は<佐久間信盛・柴田勝家・丹羽長秀・木下秀吉>
天正二年(1574)では、<佐久間信盛・細川藤孝・柴田勝家・丹羽長秀・羽柴秀吉・蜂屋頼隆・塙重友・明智光秀>
※例外として、林や旧幕臣派は序列では信盛より高かったが、実態として領地や兵力の権限が低かった
686 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 18:01:41 ID:jDUY7wx6
別に織田家筆頭を名乗りたきゃ、名乗ればいいんじゃないの。
信盛好きは、こだわりたい所だろうからね。
687 :
◆LeD1MMOS.k :2008/07/26(土) 20:25:10 ID:uwvkeCjQ
筆頭を名乗りたいとかそういう話じゃないような気がするが・・・
688 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 20:55:50 ID:4raNBEUR
>>687 馬鹿は見えない敵と戦う事意外知らないから
689 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 14:32:30 ID:42AnXubK
まあ蓄財は武士らしからぬ行いと言われていたのは確か
蓄財=有能な家臣を召抱えない=私利私欲が強い=公私混同って感じ?
690 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 15:34:13 ID:qK6BraY+
佐久間で蓄財なら、前田なんて守銭奴だな。
691 :
◆LeD1MMOS.k :2008/08/01(金) 01:07:40 ID:rWNyIrTo
蓄財って信長の折檻状に出てくるだけで、ほかにそれを裏付けるような
記録は特にないんだよね。
692 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 01:32:04 ID:R/HRy/la
蓄財してたんなら、もうちょっとましな晩年すごすわな。
693 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 09:51:28 ID:gWLSWnhf
息子の信栄は茶会三昧してるけどな
694 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 20:16:29 ID:grhtPisA
つまり親の脛をかじり尽くした放蕩息子だったと?
それはそうと、坂井政尚って半ばで死ななかったらどんな位置にいたんだろう
原田直政と森可成のふたりをあわせて思う疑問
695 :
◆LeD1MMOS.k :2008/08/02(土) 22:29:40 ID:lyEabV9h
でも信栄は江戸幕府の旗本としてちゃんと勤め上げたけどね。
696 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 19:47:51 ID:bHn5MFCp
里見義尭の母方の祖父は佐久間盛氏というらしいが、織田家の佐久間氏とは同族?
697 :
◆LeD1MMOS.k :2008/08/17(日) 20:36:08 ID:L976iGXT
>>696 遠く遡れば同族らしい。
もともと佐久間氏は安房の狭隈郷の出身なので。
698 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 22:27:52 ID:bHn5MFCp
>>697 なるほど、意外なところでつながりがあるんだな。
ありがとう。
699 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 08:23:33 ID:2Oc4zd6X
700 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 18:18:28 ID:UmHD6dcn
その場合だと宿老から池田が外されるだろうから
佐久間が三法師担いで三つ巴になる可能性があるな
701 :
◆LeD1MMOS.k :2008/08/18(月) 18:51:23 ID:1OH03+DG
どうかな。佐久間と柴田は仲がよかったから、反秀吉で結束したかも。
702 :
人間七七四年:2008/08/20(水) 19:22:10 ID:9Q2vp2wW
となると秀吉が簒奪するのは史実よりも大変そうだな
まぁ佐久間相手なら秀吉も何とかできそうだけど
佐久間健在で4人なら、秀吉は会議に参加できてないだろうに。
704 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 15:13:53 ID:EQZP0z8E
705 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 15:05:08 ID:3xkTxxgC
別スレで、佐久間父子追放の話で論議してます。
ここに出入りする方々の見解を聞きたいのですが、ご意見をお願いします。
○ 追放理由や信盛の状況などを教えて下さい。
706 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 15:29:45 ID:4U0rCkl+
秀吉が入らないとかありえんだろ
4人以上参加できないってわけでもないし
707 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 16:29:24 ID:4E0mhZwq
佐久間がありなら林も現在
滝川も出てくる
秀吉ムリじゃね?
708 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 17:42:26 ID:OeEJs6bN
>>705 >>582氏の書き込みがわかりやすいと思います。通り一遍でよければそちらを参照するとよろしいかと
709 :
人間七七四年:2008/08/23(土) 13:33:18 ID:ThUL496v
>>708 ありがとう。詳細な情報だね。ただ、肝心な追放の件がないね。
佐久間父子追放に付いて、ご意見、情報下さい。
710 :
人間七七四年:2008/08/23(土) 17:44:25 ID:9PYBk6em
追放の折檻状読んだなら公の理由はわかってるよね?
明智の諌言も含めて追放に踏み切った信長の真意などは妄想するしかないよ
711 :
人間七七四年:2008/08/23(土) 18:51:28 ID:T03Qfh3c
582です。
久しぶりカキコ。
>>709 スマソ。
織田家臣団粛清の件まで書けていませんね。
私見でよろしければ簡単に・・・。
追放の理由や信盛の状況について(私見)
@佐久間父子追放のきっかけ
石山本願寺炎上。(佐久間の失策)
A要因
織田家臣団の再編。
信長の近江とその周辺の直轄化計画。
来るべき武田掃討の準備。
B信長と信盛の確執
言われたことしかできない保身的な信盛?
C佐久間と柴田の対比
柴田は加賀合戦より越前経営の実績が認められているかな?
佐久間は石山合戦の他に周辺の合戦にも出陣しているため中途半端かな?
意外に信貴山の乱が影響していそうな気もしますが・・・。
D佐久間信盛の使い道。
本願寺戦線終結以降・・・。
柴田は対上杉戦線。
羽柴は対毛利戦線。
明智は京・近江周辺の鎮撫。(細川・池田と協力?)
信忠(滝川・河尻が補佐)が対武田戦線。(徳川・北条と協力)
信孝(丹羽・蜂屋が補佐)が対長曾我部戦線。
軍事面での信盛の活躍の場は無し。
政治面でも村井貞勝・松井友閑・武井夕庵、さらに信長周辺には馬廻衆ら活躍。
大規模な軍事力を持つ佐久間は使い道どころか邪魔な存在。
簡単に書いてなくて申し訳ありません。
ついでに
>>592の件について訂正。
>次が第一次越前侵攻。
>この時、佐久間信盛が出陣したかどうかはわかりませんが、
>これまでの経緯を考えますと出陣していたかと思います。
>さらに上洛戦での箕作城攻城戦で実績がある佐久間信盛は、
>天筒山城攻城戦か金ヶ崎城攻城戦のどちらかには参加していたと推測します。
これは参加していないと訂正させて頂きます。
柴田と佐久間の織田家双璧が共に京や近江周辺を空けるというのは軍事的にどうかと思いますので。
712 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 16:15:21 ID:S0gIuwh1
>>711 佐久間家は元々御器所が本拠地で主に陸上交易で発達した家で
三河方面、太平洋岸東方方面担当と言った方がいいかも。
徳川家との同盟のため各地に転戦可能となったと思われる。
全国的には非常に無名ですが結構充実してるので尾張の南、知多方面や
西三河の歴史色々見てみたらどうでしょうか。久松氏の一件なんか見ると
以外と無能でやる気のない平役員というイメージとは違った一面が
のぞけると思います。
713 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 22:12:37 ID:eRqFpnmt
>>712 >佐久間家は元々御器所が本拠地で主に陸上交易で発達した家で
>三河方面、太平洋岸東方方面担当と言った方がいいかも。
桶狭間合戦以前だと織田の勢力圏が狭くなりますからね。
どちらかというと水野信元の存在の方が目立つように感じます。
>全国的には非常に無名ですが結構充実してるので尾張の南、知多方面や
>西三河の歴史色々見てみたらどうでしょうか。
具体的に書いて頂ければ嬉しいですね。
>久松氏の一件なんか見ると
>以外と無能でやる気のない平役員というイメージとは違った一面が
>のぞけると思います。
レスを読んで頂ければわかると思いますが無能でやる気のない平役員というイメージは全く無いよ?
714 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 16:09:48 ID:cDTiHoY4
はいはーい、質問デス。
佐久間追放は、後に言う改易に当たるんでせうか?
その領地はそっくりそのまま織田直轄地になったのか、
そしてなぜ佐久間が軍事的にこれに抗しなかったのかが疑問です。
主君の権力基盤が強固だったとの説明もありそうですが、
権力基盤は一大名の組織や体制のみで作られるものではなく、
いくら天下人を気取る織田でも江戸時代のような太平の時代と違って、
四方に敵を持つ以上、ちょっとありえないように思えてなりません。
織田は戦乱の時代でも改易が実行可能な特別な大名だったのでせうか?
そして佐久間旧領はどう処理されたのか?
どなかたご説明願えませんか。
715 :
人間七七四年:2008/09/19(金) 08:31:14 ID:M6rBXoy+
保守
716 :
人間七七四年:2008/09/19(金) 09:58:52 ID:ASFK3S76
717 :
人間七七四年:2008/09/19(金) 22:58:57 ID:GssgrVk0
佐久間が軍事的抵抗を考えなかったってのがむしろかなり異例ではある
718 :
◆LeD1MMOS.k :2008/09/20(土) 14:28:05 ID:b0Jtywwp
そうかな?
信長に逆らおうと考えるほうがムチャだと思う。
719 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 14:41:13 ID:gWDeD0M0
抵抗考える前に拘束されていると思われ
720 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 14:42:17 ID:xYIlr4zw
折檻状の時点で自分の家臣団と引き離されているから無理>軍事的抵抗
721 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 19:25:12 ID:8WFMLd26
信長の折檻状は言外に「他の武将は活躍している、与える知行が足りないぐらい。
織田の一族の領地および地侍を取られて困るから、
お前のを寄越せ」と言ってる気がする。
722 :
人間七七四年:2008/09/21(日) 01:27:58 ID:VMR+lnER
基本的なことで申し訳ない。佐久間信盛と盛政ってどういう関係なの?
息子って年じゃないし、信盛追放後も盛政は北陸軍団の中核だし…
723 :
人間七七四年:2008/09/21(日) 04:19:23 ID:SNfr/VzX
誰の子かまでは知らんが甥だったと思う
724 :
◆LeD1MMOS.k :2008/09/21(日) 16:30:35 ID:bY61Q+w9
>>722 信盛の父が信晴、その兄が(久六)盛重、その子が盛次、その子が盛政。
つまり、「従兄弟の子」にあたる。
725 :
人間七七四年:2008/09/21(日) 16:33:44 ID:dSsjJXoU
失脚するまでこの人が筆頭家老ですか?
726 :
人間七七四年:2008/09/21(日) 16:46:35 ID:E1gUi3Gw
筆頭家老じゃありません。最古参だってだけで、利用されるだけ、利用され、追放となった哀れな武将です。
727 :
人間七七四年:2008/09/21(日) 18:53:19 ID:mNQErOGK
728 :
◆LeD1MMOS.k :2008/09/21(日) 23:55:15 ID:DpJqcXWZ
729 :
たられば君:2008/09/22(月) 00:23:10 ID:AhOV9LJH
林佐渡は織田家筆頭でも信長配下としては蚊帳の外な感じ
730 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 02:22:13 ID:huDockXr
安土城完成に一足はやく呼ばれたりしてるのに正治関連では蔑ろというかあんまり重宝されていないというか
731 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 04:37:06 ID:c+WycZs6
林佐渡と権六が出会ったら権六が頭をさげるの?
よくわからん
本能寺の時点では権六が筆頭家老とは聞くが
佐久間追放の時点で一番えらいのは誰?
732 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 20:11:01 ID:yPtykFHc
信長の下が織田信忠であることだけは確かだが
清州会議の席次で考えればやっぱり柴田でいいんじゃないかな
733 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 20:42:03 ID:LevyPCD3
たぶんだが織田家の家老と言うのは世襲していて
平手佐久間林柴田佐々丹羽なんかがその家の筆頭で尚且つ実績ある
と家老になれるのではないかな?
順位は置いておいて基本家老になる家は決まっているんだと思う
信盛は大学亡き後佐久間家の筆頭となり追放後に大学の血を引く盛政が
筆頭へとなったんじゃなかろうか
羽柴明智滝川がこれに加わって来たので一見判断し難いだけのような
734 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 22:09:29 ID:yPtykFHc
信定 ⇒ 信秀 ⇒ 信長 ⇒ 信忠 それぞれの代で
勢力の規模や統治の形態が変わりすぎてるからなんともいえないというか
735 :
◆LeD1MMOS.k :2008/09/23(火) 01:40:02 ID:JP/01BB4
736 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 02:14:55 ID:PVmbkiBX
つーか信長の織田家に家老って職分自体存在しないだろ。信長の独裁なんだから。
737 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 03:39:35 ID:FWgkhv+i
ちっとも独裁じゃないでしょ
738 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 14:36:01 ID:Ex0Qz2+5
>>735盛政はなっていないけど将来有望でしょ
20代前半で城持ちなんだし
739 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 17:23:07 ID:qODJ4DKw
>>731 林、武井、松井、長岡、佐久間、柴田という感じじゃない?
740 :
◆LeD1MMOS.k :2008/09/23(火) 19:02:17 ID:Dd145mLg
>>738 いや、柴田勝家の与力についてるわけで、格としてはあまり高いほうでは
なかったよ。
少なくとも信盛クラスとは比較にならないって。
信盛や勝家は重臣クラス(数カ国を束ねる)、盛政はその他大勢レベル
(重臣の配下)でしょ。
741 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 20:51:12 ID:Jd9FuI+S
>>731 あくまで主観と言うか妄想入った見方だが。
林家:
織田弾正忠家の冢宰・執事的ポジション(信長付→信忠付)。
戦がどうとか内政がどうとかより、家内をまとめるのが仕事。
秘書室長や総務部長な感じ。
管理部門の責任者なので席次は高いが、功績は地味。
柴田家:
勝家の能力が信秀の拡大路線とマッチしたため頭角を現した。
ただし実力でポジションをもぎとったため、家格はあまり高くない。
実戦部隊の最高位として、信頼と実績は○。
(主に軍事面での)実績や実力としては 勝家 >> 秀貞 だが、家格としては 秀貞 >> 勝家 。
なので、勝家がはっきりと上位とわかるような役職にでも付かない限りは、
廊下ですれ違ったときに頭を下げるのは勝家の方になると思われる。
742 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 01:01:37 ID:xEgV5pkC
>>739 武井、松井、長岡
だれ・・・?
有名?
743 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 01:21:29 ID:wYqBp9gF
松井武井は有名な側近
しかし寄騎の1ランク下だとおも
744 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 08:08:19 ID:BGM/wUHy
与力を一区切りにするのは無理ぽ
745 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 20:10:07 ID:mzw/U1OD
官僚と軍団長
どっちが偉いかってのも難しいしなあ
746 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 20:25:36 ID:IJLOAFHP
ザ・無能
747 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 21:12:23 ID:cj9BndOk
よほどの分権組織でなければ中央の官僚の方が上でしょう
748 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 10:01:51 ID:08v3xvih
官僚は役目のような物だから家老や軍団長のような立場や家柄を表わす物と比較のしようがない
織田の中では家老、譜代、縁者が身分が上だが公では○○守で判断してみたり微妙な差がある
ま この時代○○守で身分は計れないけど
家柄の身分と違い個人の上下ならやはり感状の数で決まると思う=実態不明ですな
749 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 10:05:23 ID:SO+/iL5q
感状って領地・金銭やるのもったいないから安上がりって意味であんま意味ないと思ってた
信やぼ 覇王伝の影響で(w
750 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 10:55:03 ID:08v3xvih
織田の場合順番で揉め事起きた例が私の知る限り無いので掴めないけど
他家には枚数で席順競って喧嘩した話とかあるんですよね
ただ直臣同士の上下と言う関係ではなく同格の中での順位と言う位置付けなので
基本的に家柄同格ならば身分は同列かと
信盛の場合も勝家その他と基本は同じでしょう、羽柴明智滝川の3人だけはよくわからない
751 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 13:34:09 ID:c6fFV7bO
軍団制みたいな言い方は好きじゃないけれど、追放前は
佐久間柴田>丹羽稲葉>滝川池田羽柴明智>その他
こんな印象
752 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 19:19:49 ID:rNRns3kJ
稲葉は微妙なポジションだろ
753 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 19:33:37 ID:c6WNI0bK
信盛は直臣なのかね?
佐久間氏は織田弾正忠家を支援した有力な尾張国人で、
その立場&功績から、別格扱いで厚遇を受けてたみたいに思うんだが。
松平家康や水野信元に近い感じ。
754 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 20:13:06 ID:0l/hyLKH
755 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 20:21:35 ID:p21IMNAW
弾正忠家を代表とした一揆の構成員ってわけか。>佐久間
756 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 21:53:36 ID:c6WNI0bK
>>754,755
そうそう。
佐久間や美濃三人衆なんかは小さくても織田グループ内企業の"社長"。
柴田・丹羽・池田・羽柴・滝川・明智は"社員"。
織田グループの拡大にともなって、
柴田・羽柴・滝川・明智は子会社に出向して社長やってますみたいな感じ。
757 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 23:10:34 ID:TWqLnGMI
>>753 佐久間氏は鎌倉時代にすでに御器所に所領を持っていた。
文書でも13世紀にすでに名前が見られるらしいよ。
759 :
人間七七四年:2008/09/26(金) 00:09:15 ID:ZMEvFOip
佐久間、林のような譜代をを使い捨てにした時点で信長の運命は窮まった
760 :
人間七七四年:2008/09/26(金) 00:24:58 ID:vTWTgyIo
追放は明智が仕組んだ罠
761 :
人間七七四年:2008/09/26(金) 11:23:35 ID:79k/tnmY
本能寺までいきてればかわりに明智うって天下を・・・
無理か
762 :
人間七七四年:2008/09/26(金) 12:37:03 ID:tfyYMlnq
>>761 京に近い地域に基盤を持つ佐久間が顕在なら
そもそも明智が乱に踏み込まない。
763 :
人間七七四年:2008/09/26(金) 15:22:23 ID:+jRR+wSy
>>760 江戸時代成立の佐久間軍記にはそう書いてあるんだっけ?
764 :
人間七七四年:2008/09/26(金) 15:57:04 ID:yd3THtZI
佐久間軍記ってどの程度信用できるんだ?
765 :
◆LeD1MMOS.k :2008/09/26(金) 20:48:23 ID:RFfVTydt
>>763 はっきり明智と名指しで書いてあるのは寛政重修諸家譜。
軍記はほのめかすだけ。
766 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 22:44:46 ID:GajPU2PW
前の方のレスでもあったけど、
2つにわかれた佐久間家(畿内周辺で活動の信盛系と北陸周辺の盛政系)
が大きくなって佐久間家が膨大な所領を手にする事を
危惧したんじゃないかと思う。
で、老いてる方の信盛を追放して、
若くて将来有望な(使いやすい)盛政を佐久間家の中心とする、と。
767 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 00:07:58 ID:M1sWyjNN
明智の罠の信憑性はともかく
信盛の息子を復帰させたということは、信長は自分のミスを認めた事になる
哀れに思ったからと評してる資料もあるが、結構重大な事実だよね
768 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 00:19:42 ID:N4IOjbb5
769 :
◆LeD1MMOS.k :2008/09/29(月) 09:13:16 ID:xTSzvr7R
>>766 ところが、信盛の傘下にいた安政(盛政の次弟)はそのまま大坂方面の担当に留まってるんだよね。
770 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 11:07:50 ID:Hah5fjo6
戦功をあげるか隠遁するかの二択で、黙って追放されるあたりがこの人の限界だと思うけど。
まあ歳もあるけど、だったら「せめて息子には機会を!」くらい言えばよかったのに。
それとも、そうは言えない裏事情があったのか。
771 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 14:40:24 ID:dCESim0j
たまげたなあ
772 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 16:41:07 ID:/Gpkm3t1
息子に何か残したきゃ信盛が切腹するしかないな
まあ、切腹してたらもっとひどい目にあってたかもしらんが
773 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 20:54:36 ID:lk6r2zPV
>>766 御器所でほそぼそとやってた頃ならいざ知らず、
追放の頃にはもう盛政系とは別の家扱いのはず。
「足したら大変」じゃなくて、信盛系単独でやばいと思ったんじゃなかろうか。
信長が生きてる間は押さえられても、信忠じゃ難しい。
色んな意味で他の奴らより頭一つ抜けてるとね。
オーベルシュタインのNo.2不要論を思い出すな。
774 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 21:26:58 ID:M1sWyjNN
別の家なら盛政が自主謹慎する必要ないな
てか一族お家単位な時代だから名を捨て養子にでも入らならない限り
別々になることはないよ
775 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 21:47:18 ID:RmKcFtuA
なるほど、そうだよね。
776 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 22:19:57 ID:8M1xB2hk
過小評価の反動の過大評価
777 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 22:46:11 ID:lk6r2zPV
一門とか一族とかいうのは血の問題だから、確かに切れない。
そういう意味では語弊を生じさせる書き方だったかもしれんね。
ただ、一族=家じゃない。
同じ名字だろうと親類縁者だろうと、主家は主家、分家は分家でそれぞれ独立した「家」なわけで。
盛政系が信長の下に入ってる以上、主従関係も切れてるし。
もちろん同族なわけだから他の家にくらべりゃ色々つながりもあるだろうし、
何かことが起きたら協力とかしちゃう可能性は高いだろうけど、
統制上はまったくの別カウントだよ。
ならなんで盛政は自主謹慎した?と言われると明確な回答はできんが、
同族の誰かが問題起こして追放されても他の家は普通に活躍してるとかよくあるし、
むしろ盛政の方がレアケースな気がするね。
778 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 06:28:45 ID:yNIfpMWg
どうしても信盛追放劇はツンデレヒロイン信長がフラグを立て損なって失恋したようにしか見えない。
信長 「つ、追放されたくなかったらもっと頑張りなさいよ!」
信盛 「面倒くせえな、もう。追放されるからもうオレのことはほっとけ」
こんな感じ。
779 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 13:08:06 ID:PJF738B2
フラグクラッシャー信盛
780 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 14:27:09 ID:RM9heqsr
主従関係切れていても本家分家といった関係は続くんじゃない?
ただそうなるとどっちが本家よって話しになるね
腹切った平手思い出して涙流す信長だから佐久間大学へのイメージも大きいかも
死んだ家臣は良き家臣てな感じで
781 :
◆LeD1MMOS.k :2008/09/30(火) 18:14:34 ID:njpHmbSV
大学盛重の子孫は奥山氏で、あまり活躍も優遇もされてないよ。
782 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 19:30:31 ID:49WTIGak
盛重自体は優遇されてたんじゃない?とりあえずキーマンだし
783 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 17:20:10 ID:qRxxBIpJ
そういえば大学の娘は盛政の妻だね。
784 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 19:04:45 ID:zQmVJ4GV
鬼玄馬も語ろうよ(´・ω・)
785 :
◆LeD1MMOS.k :2008/10/05(日) 15:42:26 ID:HgWj7fZ3
鬼玄【蕃】だよ。
ちなみに、盛政の娘が再興した佐久間家の子孫が大分にいる、って知ってた?
786 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:54:01 ID:mv5lA7+Q
中川家のことじゃないの?中川清秀の息子と、盛政の娘の子孫。
787 :
◆LeD1MMOS.k :2008/10/06(月) 00:11:58 ID:+lwhDFfi
788 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 10:14:31 ID:ZKfJ8yZq
盛政が磔になる直前に娘を清秀の子に嫁がせたいと頼んだんだよね
この時に身分の上下浅野(勝者)<<<佐久間(敗者)の話がありますね
敵将の身柄を任されただけなのに結果盛政のパシリとなっている長政は少し不憫ですがw
789 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 21:21:20 ID:sZ+mZnac
790 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 09:24:09 ID:jekBeP0U
織田家筆頭って柴田と丹羽じゃないのか
791 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 10:44:38 ID:RcoW+Acv
少なくとも丹羽は違う
792 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 13:09:02 ID:f7XkcZCA
史料から窺える席次なんかから推測すると、
実質的な筆頭は柴田と佐久間
格式的な部分も含めれば林も
ってとこじゃないの?
793 :
◆LeD1MMOS.k :2008/10/07(火) 18:14:26 ID:kZFAmjvU
やはり世間では誤解されてるんだね。
794 :
たられば君:2008/10/07(火) 18:38:35 ID:muw1gJ5Q
なぜ秀吉は羽柴を名乗ったのだろう
795 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 18:49:16 ID:caQyWuTM
>>794 秀吉の実家の在地が「橋場」もしくは「端場」だったと言う説がある。
796 :
◆LeD1MMOS.k :2008/10/16(木) 08:28:22 ID:rDL7bLj/
日本史サスペンス劇場で「佐久間信盛追放の謎」とかやってくれないかなぁ。
797 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 09:54:12 ID:JgakjRIp
本願寺を傍観して笛の練習してたからでしょ。
798 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 10:26:16 ID:wluymRmr
信盛では数字が取れない
「信長苦渋の追放命令」とか「光秀の陰謀」って知名度高いタイトルが必要になると思われ
799 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 13:17:03 ID:DfKyCCss
出ても数分程度だろうな
800 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 21:43:43 ID:zhQmm4j8
安土城の織田家臣の屋敷の研究を進めて頂ければ嬉しいな。
佐久間・柴田・明智の三人の屋敷は明らかにして欲しい。
801 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 09:16:23 ID:+TESDPOI
現存する絵図でも形や配置が捏造との話があり位置確定は無理ぽ
802 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 02:47:52 ID:GI9BbDXE
樋口晴彦の「信長の家臣団」て本だと、荒木村重の謀反は、美濃・尾張のいわゆる譜代閥と、それ以外の外様との確執で追い詰められたのが原因と位置づけてるんだよね。
佐久間の追放に関して表向きは譴責状の通りとしても、実は出身閥の争いで尾張閥の筆頭だったから、ってのはナシかね?
派閥争いの抑制の為に追放。
林もそれに併せて、尾張閥でうるさかったから一緒に、とか。
本願寺攻めとか出身閥が入り乱れてて、確執が溜まってそうだし、十分あり得ると思うんだけど。
803 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 14:09:38 ID:oQzS2v1c
>>778 一説ではそういう可能性言われてるよね。信長は秀吉の嫁さんに対する
書状が発見されてるように、気配りの人という面があるし、信盛は佐久間軍紀
にあるようだが、本願寺との戦も終わりそうな頃モチベーションががっくり
落ちたという記述もあるように、気を使った信長の一種のハッパがけを行った
もののそのまま「もう疲れマスタ」と高野山に行ってしまった可能性も指摘されてる。
804 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 18:37:21 ID:8otsF4EK
信長って天正4年以降は、部将としてはリタイアしちゃってるんだよな。
戦に出てきても戦わないで鷹狩りとか観光とかばっかりやってる。
805 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 06:42:05 ID:zEGu+8Px
リタイアって言うとなんか不能になったみたいじゃないか。
次代を見据えて徐々に嫡子に実権を移すのは当然のことだろ。
合戦での総大将の役割もその一つ。
同年に家督を譲ってるんだし、死の間際まで大将やってたら
いらん家督争いや家中不和の元だって、自分の代で弁えてた証左だろう。
806 :
◆LeD1MMOS.k :2008/11/02(日) 13:50:43 ID:G5b1Jon1
信長はいつも説明不足で、それがトラブルの元になっているという見方がある。
佐久間軍記では信盛の心境として「常に先陣を務めてきたのに、大坂の
押さえなどという役を与えられたことに不足を感じていた」とある。
おそらく信長は信盛をその役に充てるほど、対大坂戦を(戦略的に)重視
していたに違いない。
信盛は戦場で槍を奮って戦うのこそが文字通り「槍働き」だと思っていたと
すると、大坂の押さえでは働く場がない、ということになり、自分が軽視されて
いるように見えたのかも知れない。
信長と信盛の間にそのような意識の食い違いが生じていたなら、折檻状
という結末になったのも無理はない。
もう少し信長が自分の考えを丁寧に説明していたら、ということは確かに
いえるのかも知れない。
807 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 13:54:06 ID:O1uOsHhC
>>805 しかし、実戦から遠のいて徐々に、自分の軍の変質やその実態を、把握出来なくなっていったように
見えるな>信長
808 :
◆LeD1MMOS.k :2008/11/02(日) 14:18:03 ID:G5b1Jon1
たとえば秀吉を対大坂(本願寺)に充てて、信盛に中国地方の攻略を
担当させておけば、ということも考えられるな。
秀吉は調略が得意だから、対本願寺でも信長の期待する成果を
出せたかも知れない。
なにより秀吉はそういう調略の戦略的重要性をよく理解していたから、
その役目を与えられても不服に思うことはなかっただろうしね。
809 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 14:49:49 ID:E7Hu1bbo
>>808 それで上手くいっちゃうと、やっぱり信盛が大きくなりすぎちゃうんじゃないかなぁ
810 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 13:09:29 ID:5VDUgKJg
>>807 播磨での戦いで信長は援軍の派遣を実施したが、信盛を筆頭に家臣が
「この援軍では事態は好転しない」と諫言してるがそのとおりの結果
になったこと考えると京都に引きこもった信長の実戦感覚は確実に
ずれていったのかもね。
あと、急激に巨大化する織田軍を把握しきれなくなっていったという
意見も同意ですね、こういう急激な拡大する組織って張り子の虎のように
中身からみるといつ崩壊するかわからないくらい案外脆かったりする
ものですし。
811 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 13:36:39 ID:pWH0hv8B
そんなに脆ければ織田家中の武将達や一族がもっと謀反ありきの下準備なりしてると思うのだが
それをさし置いても敵対国が織田脆い事すら気が付かない無能な烏合の衆と言うことになる
追放成功してしてやったりと考えれるのは状況的に光秀と信忠と他国大名くらい
信長ではない
812 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 15:59:07 ID:Iz0ZnmJ+
813 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 19:59:36 ID:4L5LcCpC
むしろそうやって拡大した内部を整理統制するために、信長は前線から離れたんだと思うが。
トップがいつまでも最前線で指揮を執り続けるほうがよほど組織的にはマズい。
814 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 20:02:17 ID:JUL2/4z8
まだ天下統一がなったわけじゃなく、巨大な暴力装置である軍隊がいくつも動いているんだから
そう言う時期に前線から離れるのは不味い。
815 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 00:55:42 ID:FWdWJ5Cw
信盛も本願寺も敵でなくなり、上杉も滅亡寸前、北条は敵対する意思
当時はなかったし、あとは大きいところといったら毛利くらいか。
遅かれ、早かれ天下統一が見えたので生まれてから延々戦してきた
信盛も余生くらいは・・と安らぎをもとめたのかもな・・。
816 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 01:59:39 ID:eVbAQ5Jg
むしろ安らぎを求め始めたのは信長だけどな。長篠のあとはろくに戦争してないし。
817 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 03:30:44 ID:pF8p6tXI
別に戦争だけが仕事じゃなかろ。信長は自分(君主)にしか出来ない仕事に重心を
移すようになっていっただけ。
818 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 13:51:49 ID:dhZI8xUC
あんだけ領土広くなっちゃうと、やることだらけで大変だろうな。
特に信長って他の大名より細かい指示出してたから。
戦は確かに大事だけど、あれぐらいになっちゃったらもう戦はある程度ほっといても大丈夫だろ。
819 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 17:16:14 ID:eVbAQ5Jg
対外的には大丈夫だろうが、対内的にまずいんだよ。
820 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 17:28:35 ID:qxarkU20
結果論
821 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 00:23:25 ID:2HjFtZuv
>>819 どうマズイのか具体的にお願いします。
最前線で直接の指揮は執らなくなったってだけで、軍旅は普通に行って、
直轄軍だって強化して軍事力を手放してもいないのに。
822 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 00:28:01 ID:odNMfpkz
重要なところでは自身で兵を率いているしな
武田攻めは信長が行く前に終わってしまったが
823 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 14:05:37 ID:/3I/Q+/d
824 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 14:27:24 ID:kk5WKUU7
つーか、今の時代の軍隊もそうだが、現場とデスクワークにはどうしたって感覚のズレが生じる。
現代のように法や組織の整備された時代ですらそうなんだから、殆ど信長の個人的力量によって
統帥されていた織田家軍隊なんて、なおさらだろ。
「現場を知らない」信長から出される命令が、現場的にはトンチンカンな物だった、そんな事例が
おそらくあったと思うよ。
825 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 16:35:34 ID:lNp46nIJ
>>824 だからさ、「信長が戦場に出なくなった」この認識がそもそも間違いなの。
「最前線での直接部隊指揮」からは離れるようになったというだけで、戦場に
司令官としてはいくらでも出ているの。
長篠以降を見ても越前一向一揆殲滅、天王寺、雑賀討伐、荒木謀反に対する
有岡出陣。伊賀征伐も作戦指導をしたのは信長本人だし、武田討伐では本来は
信忠はあくまで先遣で自分で戦う気だった。
>「現場を知らない」信長から出される命令が、現場的にはトンチンカンな物だった、そんな事例が
>おそらくあったと思うよ
具体的にお願いします。諸将は信長の指令に従って実際に勝利を挙げているのだが。
826 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:36:40 ID:VtKByN3h
>>825 824とは別人だし、「信長が戦場に出なくなった」とは思っていないが、
敢えて言うなら、梁田の加賀派遣と原田の大坂攻め
信長が思っている以上に一向宗は強かった・・・のかもしれない
827 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 02:05:32 ID:DMTbL/Nj
つか信長は指揮官として問題ないだろ
一向衆が予想以上に強かったってのは確かにあるかも
長年自分の元にいて信頼してる佐久間の戦果に苛立ち感じてたんだろな
828 :
人間七七四年:2008/12/10(水) 10:25:31 ID:t51VycDe
保守
829 :
◆LeD1MMOS.k :2008/12/24(水) 08:34:11 ID:wKdC2PkT
大坂は毛利の支援もあったしね。戦略的に難敵だったと思うよ。
830 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 00:07:04 ID:8JBcoVWE
包囲中に堺衆と茶会三昧と聞いたがマジ?
831 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 01:16:32 ID:VjSkslDx
まじ
832 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 01:34:40 ID:y7f0mt/T
保守
833 :
◆LeD1MMOS.k :2009/01/15(木) 09:23:27 ID:ZwCgy7gc
折檻状に指摘されたことがすべて事実なのかどうか、疑う説もあるみたいだけどね。
834 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 13:16:12 ID:hcQQ8+Zf
茶会っていってもそこでどういう話があったのかが
一番気になりますね。
もともとかなりの情報屋っぽい面影を窺わせる一面が
みられる武将だけに。単なる名物披露会の娯楽のような
もんだったとはなかなか断定しにくいな。
835 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 02:26:26 ID:fmWvjfFB
ちなみに、折檻状は本物?
偽作ではなく?
836 :
◆LeD1MMOS.k :2009/02/20(金) 23:48:25 ID:PYFR8mvX
まあ、本物じゃないかな。
複数の史料に載ってるからね。
でも、詳しい内容、細かい部分までそのままなのかどうかは
今となってはわからないかもね。
837 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 19:48:58 ID:mpPT7Z1M
大河ドラマ「徳川家康」(83年)の三方ヶ原の回を見てたら
佐久間盛政のクレジットがあった。
どうやら人違いされたようだ。
家康が主人公で古い作品とはいえ、信盛の知名度ってこの
程度だったのか・・・
838 :
◆LeD1MMOS.k :2009/02/22(日) 20:47:54 ID:rZZTsQWm
信盛が、というより、佐久間氏じたいの知名度がね・・・。
名族っぽいんだけどなあ。
840 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 11:48:52 ID:Ozy0/SvG
佐久間信盛・佐久間信栄は頭を丸めて死ぬべきである。
ただ出家して終わるものではない。
第六天魔王・織田前右府が紀州の山の中に投げ込むものである。
841 :
◆LeD1MMOS.k :2009/04/26(日) 20:25:41 ID:UltiIrmP
「天地人」を見てたらさ
「柴田には佐々、前田らの猛将が」
って、やっぱり佐久間は忘れられてるんだよねー・・・orz
柴田に付いてた佐久間は一門みたいなもので信盛系じゃないからじゃないの。
843 :
人間七七四年:2009/04/30(木) 21:40:54 ID:PazdaTeK
信盛は信重亡き後佐久間家の筆頭となり
信盛亡き後は盛政となるのではないでしょうか
844 :
◆LeD1MMOS.k :2009/04/30(木) 22:25:15 ID:nMthTjQI
>>842 んー、でも北陸攻略戦で信長から感状をもらった「鬼玄蕃」を
上杉が知らないとは思えないんだよなー。
845 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 00:29:06 ID:lPyjcjgE
平手政秀は織田家の重臣だったことは間違いないけれど、
だからって汎秀が平手家の嫡流として織田家の重臣になったかと言えばそうじゃないからなあ
大膨張した信長時代は序列に織田家譜代の家出身かどうかは重要性が相対的に落ちているとおもう
盛政が佐久間一族の筆頭になってもあくまで小会社内の話で織田家中での序列は別の話
846 :
◆LeD1MMOS.k :2009/05/01(金) 00:33:32 ID:LzAYRvDu
信長公記でも北陸戦での活躍は詳述されているし、金沢城を与えられた
ことから見ても、決して軽視はされてないと思うよ。
それはともかく、
>>841で言いたかったのはさ、ドラマ制作陣が佐久間という
名前を知らんのじゃないのかなぁ、ということなんだよね。
847 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 01:34:23 ID:uV4ghbW1
平手汎秀だって死んだとき信長がどれほど悔やんだか記録が残るくらいだし
出陣前に名馬をあげるくらい期待されている
こっちも軽視はされてないね
信盛が八つ当たり気味に怒られている感じもするけどww
盛政はまだ若いし経験も少ないからと良心的に解釈しましょうよ
前田や佐々は遊撃部隊の代表的武将だし
特に佐々程多くの戦に名前が出てくる武将も少ない
百戦錬磨の知名度から見れば流石にということで
勝家が自然に亡くなれば、柴田家は甥の誰かが名跡を継いでいただろうと考える。
それが勝政なのか勝之なのかはいいとして。
そのとき鬼玄蕃や後に江戸幕府の大名・旗本になった兄弟は大人しく仕えただろうか。
849 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 06:46:34 ID:uceMcyLQ
つうか勝家は本能寺の前に家督譲って(ry
もし信盛の追放なく光秀が謀反出来ないIFのが面白いぞ
越前も越中も将来佐久間閥になるんだぜ?合計200万石ずら
850 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 07:26:02 ID:YafMd8XC
だよなあ。近畿に信盛の軍団が居れば光秀の謀反は不可能だったんだよな。
その場合、
1.本能寺での明智の看板が佐久間に替わるだけ
2.佐久間信盛流が江戸時代の井伊氏のような家宰扱いに
3.2になる前にやっぱり粛清
こんな感じかな。
852 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 14:14:50 ID:1J706TEf
そっか勝家や成政の跡継はみんな佐久間一族になってしまうのか
追放は織田家より巨大化する佐久間に先手を打ったって事も考えられる?
それだと信盛を追放しても意味ないよね。
854 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 22:48:21 ID:YafMd8XC
>>853 いや、信盛の追放により、「佐久間グループ」の求心力が、いくつかに分裂したと考えられるでしょ。
855 :
◆LeD1MMOS.k :2009/05/01(金) 23:07:13 ID:ICxTgOIh
>>854 んー、信盛系と盛次系って、あんまり接点がないっていうか、別の家
みたいなもんだよ、ほとんど。
「佐久間一族」みたいな結束があったわけではないと思う。
まあ、信長の目から見てどうか、っていう意味ではその指摘も一理あるかもね。
856 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 23:13:36 ID:uceMcyLQ
別の家なんてありえない
信盛追放の際に盛政やその兄弟一族助命に奔走した勝家も台無しだなw
>>856 うん、だからそれは信長の側から見て、だよね。
盛次の子供たちは柴田家との関わりは強いけど、信盛とはあまり
関わってないんだよ。たとえば婚姻とか養子とか、そういうつながりも
ぜんぜんないしね。柴田家とはそういうつながりが強い。
唯一、安政が近畿方面に所属しているけど、これは養家の保田の
関係だし。
858 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 00:06:04 ID:kTp+pY8h
まあ信盛が謀反だったりしたら盛政も同族で確実死罪だけど
その辺りが折檻状の謎なわけで色々想像してしまう
859 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 00:27:57 ID:SCHixyT7
信長は色々変な誤解を受けている人物だけど、信盛の件も、君主独裁権の確立とか、
そう言うのとからめるのは間違いだろうな。
単純に感情のすれ違いと考えるのが一番すっきりすると思う。
むしろ別家だけに信盛謀反が失敗しても盛政以下の柴田系はお咎めなしになりそう。
861 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 12:26:40 ID:dSdiDu6c
>信盛追放の際に盛政やその兄弟一族助命に奔走した勝家
寡聞浅学にして初めて聞いた
どなたか、詳しく教えていただけんものか
862 :
◆LeD1MMOS.k :2009/05/02(土) 13:16:41 ID:QLrbBYCG
盛次が若くして亡くなったので、母方叔父の勝家が父親代わりみたいな感じだったんだろうね。
信盛追放のとき、盛政は自ら謹慎したんだったっけ?
863 :
◆LeD1MMOS.k :2009/05/05(火) 13:59:06 ID:BQnRjeai
Wikipediaの「魚津城の戦い」にはちゃんと盛政の名があるなぁ。
864 :
人間七七四年:2009/05/05(火) 15:08:05 ID:5A0ad2dF
「信長の野望 戦国群雄伝」のシナリオ2をやって、「おお!佐久間信盛が歩兵から騎馬に成長してる!!」と思ったのは良い思い出。
信長の野望といえば、盛政、安政、(柴田)勝政までは登場するように
なったのに、いまだに勝之は登場しないんだよね。チョトくやしい。
866 :
人間七七四年:2009/05/05(火) 19:47:47 ID:5A0ad2dF
ちなみに
> 「おお!佐久間信盛が歩兵から騎馬に成長してる!!」
ってじつは佐久間盛政だったってオチね。
867 :
人間七七四年:2009/05/05(火) 19:51:49 ID:DvzBtacz
コーエーの中の信盛って騎馬に乗れない武将なの?
868 :
人間七七四年:2009/05/05(火) 21:58:49 ID:hxTMcEdz
信盛って、桶狭間も参戦してる可能性が高いよな。
他も主要会戦はほとんど参加してるし、前任者
が討死した本願寺包囲を引き継いで降伏まで
もっていったわけだし。
徳川家の酒井よりはウェートでかいんじゃね?
>>868 徳川家の酒井と石川でほぼ半国ずつ治めていた時期があるから比率では較べられんでしょ。
そこいらの国持ち大名よりも大きい支配力のあった一老臣、という当時の佐久間の立場を褒めよう。
871 :
◆LeD1MMOS.k :2009/05/11(月) 21:04:14 ID:lcRq9K5b
佐久間家って、鎌倉時代の家盛から盛通までの通称が「与六(与六郎)」で、
久六盛重、久六盛次、久六安政、源六勝之と、「○六」を通称にする伝統が
あるみたい。
で、柴田勝家も「権六」なんだよね。
なんか関係があるのかな?
織田家中全体の伝統みたいなものだったりして?
「三」続きの織田家を輔弼するには相応しい数ではあるね。
873 :
人間七七四年:2009/05/30(土) 13:23:28 ID:xa6W0BeK
こないだ金沢の人たちと話す機会があったので、金沢といえば佐久間盛政、と
話を振ったんだけど、だれも知らなかった。
小学校の郷土の歴史でもほとんど教えないそうな。
広島じゃ毛利元就、輝元、福島正則、浅野家とすべて学んだ記憶があるんだけどなぁ。
一向一揆と前田家百万石に偏り過ぎてるのかもね。
875 :
人間七七四年:2009/05/30(土) 14:50:07 ID:ttZTCKW2
この人は堅実に仕事してたのに
かわいそすぎ
876 :
人間七七四年:2009/07/06(月) 09:51:40 ID:f75NWsib
保守
877 :
人間七七四年:2009/07/06(月) 11:18:29 ID:tzqXcMS0
>>875 佐久間さんと林さんはコツコツ頑張ってたのにな
いきなりのリストラだもんな
878 :
人間七七四年:2009/07/06(月) 17:07:52 ID:2mny+Q8A
林、安藤、丹羽はリストラだが、佐久間は自主退職だろ。
879 :
人間七七四年:2009/07/06(月) 17:24:04 ID:tZVq8J4u
原田直政が生き残っていたら佐久間ではなく直政が追放されていたんじゃないのかな。
880 :
人間七七四年:2009/07/06(月) 18:13:14 ID:RbosyKvp
どうだろう。原田はあくまで大和や河内の豪族たちの指揮権を与えられたのであって、
柴田のように国を領地として支配したわけじゃあないからなあ。
881 :
人間七七四年:2009/07/07(火) 21:18:50 ID:BqPYLnQs
>>877 林は身分の割りには、なんもやってないじゃん。
前科も酷いし。
882 :
人間七七四年:2009/07/08(水) 00:01:30 ID:14yd76W4
>>880 領地など関係ないのでは?結果がすべて。営業マンは数字がすべてと同じ様な・・・
883 :
人間七七四年:2009/07/16(木) 22:50:54 ID:1Pk18fVM
>>878 佐久間があんなに精神的に弱いとは、信長様にとっても予想外だったと思う。
884 :
人間七七四年:2009/07/16(木) 22:54:36 ID:1Pk18fVM
林秀貞は追放されても名前変えて、堂々と京都に居座ってたとかw
胆力の差かなあ。
885 :
◆LeD1MMOS.k :2009/07/17(金) 00:27:16 ID:fP4AtTYW
どうかな?
家臣団の中で堂々と正面から信長に否やを言えたのは信盛
だけだったんじゃないかと思う。
そんなに信長を恐れてなかったように見えるんだよね。
だから、逆にそれが「かわいげがない」というふうに信長からは
見られたのかも知れないよ。
特に秀吉あたりと比べたら対照的だもんね。
自分は折檻状の解釈として「頑張って名誉挽回しろ」と言ってる
ような読み方には疑問を持ってる。
あれは明確に「出て行け」と言ってると思うよ。
886 :
人間七七四年:2009/07/17(金) 10:06:00 ID:Ga4Q0ibr
……あれは正面からっていえるのだろうか。
信長が本拠を転々とするのが戦国の常識になってしまっているような。
信長の家の祖廟が尾張にあり本貫が尾張であると示し続けるために老臣で居たのが林。
ともに転戦した配下のうち一番の大身だったのが佐久間。
同時の追放には別の理由があるのかも説。
888 :
人間七七四年:2009/07/18(土) 09:09:43 ID:0R1Wqd24
889 :
人間七七四年:2009/07/18(土) 20:38:47 ID:KsX5BZBN
>>887 同時じゃなくて佐久間追放後、後日林追放なわけで。
佐久間弁護の可能性アリとか無しとか、樋口先生が・・・
890 :
人間七七四年:2009/07/18(土) 20:52:18 ID:eAn6Mybs
ただ信盛死後、ともに追放された信栄は赦免されて信忠付けにされてるからなあ。
891 :
◆LeD1MMOS.k :2009/07/18(土) 21:40:31 ID:pGHQTxM0
>>890 寛政譜の記述では「信長は冤罪だったことを知って後悔し、
信忠付けにした」とあるんだよね。
「赦免した」ではなくて「間違いだったと認めた」ということになってる。
このへん、もうちょっと詳しいことが何かわからないかなぁ、と
思ってるんだけどねー。
892 :
人間七七四年:2009/07/25(土) 15:36:21 ID:A/ST0wEZ
信盛は確かに老いてきたのだろうが
息子が使いものになればあの改易はなかった。
893 :
人間七七四年:2009/07/28(火) 10:11:40 ID:MPGPfvX6
信栄は、滝川一益に蟹江城奪われてるね。
894 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 10:26:51 ID:MSbAG4qV
織田家ってブラック企業だよね。
895 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 00:21:32 ID:KNYhTnJW
佐久間信盛が健在ならば、織田家はずっと安泰だったよな。
896 :
◆LeD1MMOS.k :2009/08/19(水) 04:08:05 ID:WA5NyzMQ
もし織田政権がそのまま続いたら、柴田と佐久間は徳川家でいう井伊家や
酒井家みたいな扱いになったんだろうね。
897 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 00:41:44 ID:cIT7Fm58
もっと力を持ってたんじゃないかな?
だからこそ粛清されたんだろうけど
898 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 01:05:32 ID:MDJUCWHd
平謝りして態度を改めて功績たてれば赦されたと思うんだけどなぁ……。
899 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 01:56:23 ID:Npt8WalG
あそこまで言われたら無理だと思う
900 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 01:16:38 ID:kfL+6IHO
並の大名家なら一戦した上で条件闘争して当然のところ
信長相手にそれやると潰すまでやるからな
901 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 00:27:36 ID:8lDpwHeZ
>>899 そんなことないよ
汚名を濯いで帰参するかどこかで討死するしかないと書いてあるので許す気はあった
902 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 00:34:25 ID:XNSSNhkU
一応許されているんだけどね
死んだ後だけど
903 :
◆LeD1MMOS.k :2009/08/27(木) 01:01:32 ID:L1miEqLc
>>901 その次にこう書いてある。
一、父子かしらをこそげ、高野の栖を遂げ、連々を以て、赦免然るべきやの事。
解釈としては、その前の項の「雪辱云々」は「本来ならこのようにすべきではない
のか?」という詰問で、この「かしらをこそげ」は「であるから今からこのようにせよ」と
いう命令だと思う。
904 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 01:47:28 ID:GA6cJJv5
統率75武勇50知略65政治70
905 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 02:35:00 ID:XQo9f4lA
林秀貞のほうが有能
徳川家にとっての井伊家を織田家に置換すると、それは森家だと思う。
907 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 07:27:39 ID:XwWjT4eV
佐久間は大久保あたりだな。
出羽庄内でもいいような気はするけどな。筆頭から滑り落ちたイメージでさ。
909 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 15:52:52 ID:zO/T3V+M
>>905 天下統一秒読み段階の織田政権においての問題点
有能な家臣の増加
褒美の所領の枯渇
直轄領の拡張問題
これを解決するため忠誠心の薄い大身の部将を切り始めたんじゃないかな?
910 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 15:57:00 ID:zO/T3V+M
それと柴田勝家と羽柴秀吉の二人は後継者問題があるからどうにでもなるけど
佐久間信盛は嫡男がいたしな
911 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 20:25:08 ID:dRqFptAZ
912 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 12:32:26 ID:DR6doDvn
明智が讒言したことで佐久間が追放され、
近江の佐久間領や与力が明智旗下に加わったとか目にすることあるけど、
全然そんなことないじゃん。
913 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 19:10:51 ID:CUDG+kG5
一行目は皆知ってるだろうけど二行目はなに?
なぜ今更このスレが。
915 :
人間七七四年:2009/12/20(日) 14:55:32 ID:NQXQWG5k
>>913 どこかのスレでそういう主張をしている人はいた。
反論されたら再反論せずに逃げたけど。
916 :
人間七七四年:2009/12/20(日) 15:43:08 ID:QZpEkQUJ
>>915 つ佐久間軍記
信じる人もいれば信じたくない人も存在する
しかし真相は別としてもこれに変わる一級の資料が存在しない現実
>>916 いや、佐久間軍記にはそんなことは書いてないぞ。
「だれかの讒言でもあったんじゃねーの」とは書いてあるが。
名前を出して明智の讒言だと書いてあるのは寛政譜の信盛の項。
近江の領地とか与力の話はどちらにもない。
918 :
人間七七四年:2009/12/31(木) 05:34:22 ID:R13qHuFH
>>696に出て来る佐久間盛氏について知りたいのですが。
私は安房佐久間氏の当主与六家盛の嫡孫佐久間兵庫頭重貞公の子孫にあたります。
尾張佐久間氏でわなく上総佐久間氏です。
佐久間盛氏は上総佐久間氏の出身と言うのはわかるのですが、
一つ分からないことがあります。
1470年頃真里谷信興の子信勝或は信清の長臣に佐久間藤内左衛門と言う方が居た。
彼は智謀兼備と言われ、結構強い人だったようです。
でこの佐久間盛氏は三浦とも名乗ったとあるので、佐久間の本家に近い人間、或はそれを継ぐ者と考えられます。
佐久間盛氏と佐久間藤内左衛門は同時期の人。住んでいる地域もそお遠くはない。
そして佐久間盛氏は通称が分からず、佐久間藤内左衛門は諱が分かりません。
同一人物説みたいなものは無いでしょうか。
何か知っている方が居たら教えてください。
919 :
人間七七四年:2009/12/31(木) 13:14:00 ID:IpEDqgK7
最新の研究によると、
主君の織田家に危険を及ぼしかねない勢力と財力を有し、官位でもその年には朝廷から内大臣が与えられる予定になっていた信盛を畏れた放逐劇
920 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 00:52:41 ID:rvzwTlsP
■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/ ? 有名人が主張する家系 ?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1244790413/ あれ?なんで織田家の末裔がいるの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1072618541/ 、-‐'" __ ヽー- 、}ヽ
,/´/ / , _,. _/ ノ レi
_,// / /{ i ー' ノ
/ // / / .i l l! ー<
/ / //!/ ヽ ヾ l 〉ヾ,
!/! イ === ==ヾ、 }
|」l ! ,:==:、 , ,:==:、 l /
f r| !| ´ ' ヽ ` | l/
.l ヾハ ( ,-、_,-、) l/l!
\ _j _,, -―-ー-、_ l /
l l ヽ =エエエ=7 /´ 先祖の声が聞こえた
`l丶 `ー---‐'´ イ┐
l \ / 」、 _ ,,.
「ヾ、__,>ー‐- ′_/ r―-- `ゝ
l イ /  ̄ ̄ ヽ
!_ _,.. i | / ヽ
/ !.| ,/
921 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 02:37:35 ID:loCI5IIz
久々のレスかと思ったら・・・
922 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 21:42:09 ID:tcZElVhz
もうとっくにあぽ〜んしか見えないぜ
923 :
人間七七四年:2010/01/13(水) 22:53:52 ID:YzPo1pV/
信長「あれ?ドッキリだったのに。真に受けちゃった?」
924 :
人間七七四年:2010/01/13(水) 23:53:30 ID:aA87PY4w
まあ、信盛系はなんだかんだ言って幕臣になってそこそこの家になってるから、
それほど不幸な家系でもないんだよな。
分家も多くてそれぞれそれなりの家格だしね。
ところで「坂の上の雲」に出てくる旧旗本佐久間正節って、この家系なのか
どうか、って気になったんだけど、調べても情報が出てこないんだよな。
926 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 14:29:50 ID:YUHIXsip
>>925 諱の正節を見るに、通字が「正」の家系か。
927 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 14:54:52 ID:6X64NUid
織田家臣団の中で一番駄目な人でしょ?w
928 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 15:01:33 ID:6X64NUid
>>4 いつ読んでも笑えるこの折檻状
でもこの文章読むと信長の思考回路が読み取れて面白いね
どんな口調で話す人なのかとかよく伝わってくる
やはり理髪な人だったと思う
929 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 15:44:28 ID:Jl8IeKJ7
930 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 21:02:44 ID:+4shuA25
信盛の子は「信栄」なのに
むかしは「正勝」としてるものが多かった。
江戸時代の家譜の誤伝のようだが
父が信盛なのに息子が「正勝」っておかしいだろうに。
>>926 ところがそういう家系はないんだよね、これが。
>>930 佐久間軍記では「信勝」になってるよ。
なんか間を取ったような感じw
933 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 15:08:01 ID:ziPNMD5j
織田家家臣団の面汚し・佐久間信盛
934 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 15:22:40 ID:gDtxanJw
「さ様に仰せられ候共、我々程の内の者はもたれ間敷」
935 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 15:28:30 ID:9JmNQ0N6
肝っ玉の大きさと笑いのセンスがあった事だけはわかる
なんで急にアンチがぼこぼこ湧いてきたの?w
937 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 17:32:56 ID:9JmNQ0N6
アンチじゃないよ
怒り狂ってる信長を笑わせた話術に脱帽しているのだ
「面汚し」という罵倒がアンチでない、脱帽だ、というのは無理があるな
939 :
人間七七四年:2010/02/02(火) 14:03:26 ID:iIgJX6Gn
古参の柴田、林に愛想尽かされ
新参の羽柴、明智に虚仮にされ
格下の丹羽、池田に鼻で笑われる
織田家家臣団の怖いもの知らず・佐久間信盛
940 :
人間七七四年:2010/02/02(火) 23:55:08 ID:TAUvmNDa
運だけで、能力に相応しくない出世をした人が妬まれて攻撃される、というの
ならわかるけど、信盛みたいな悲惨な末路をたどった人物を叩いて何が
面白いんだかよくわからん。
どこかの国では「溝に落ちた犬を叩く」という言葉があるらしいが、そういう類?
942 :
人間七七四年:2010/02/06(土) 17:49:10 ID:sagTvjer
>>941 被害妄想が強すぎるw
叩きと言うのはこんなものじゃない
信長や謙信スレをみれば少しだけ幸せになれるお
被害妄想、って、自分が叩かれてるわけじゃないから「被害」なんてないよw
944 :
人間七七四年:2010/03/21(日) 13:48:40 ID:1RlUKi69
和泉はいつから支配したんだろ。
ずっと織田家と敵対してたのに。
945 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 10:35:19 ID:QuE2OYaK
あげ
946 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 13:39:54 ID:Lw9V+/1q
信盛にとって不幸だったのは
良くも悪くも織田家に仕えていた事だと思う
これが他所の地方の家の家臣だったら、もっと活躍の場があったかもしれない
たぶん2chでも「○○家のイブシ銀、佐久間信盛を忘れちゃ困るよ」位に
なっていたかもしれない(多分w)
だが織田家である石を投げれば濃いキャラに当たる織田家である
目立てない・・・どう頑張っても目立てない
たぶん信長にも「こいつキャラ薄いしイラネ」くらいで捨てられたんだと思う
947 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 01:38:24 ID:ZFG7tOwp
けっこうキャラ濃いよw
948 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 20:06:28 ID:DwCAn0M7
うむ 信盛のキャラは濃すぎるくらい濃いなww
歴史的には薄いかも知れんけど個性という意味では際立ってる
949 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 21:53:31 ID:yhY4dG6F
色々な事跡見ると恐ろしくあくどい男だよなw
950 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 06:19:36 ID:Nm9dI8o8
家臣もそうだけど
織田家の関係者ってみんな濃いよね
家康とか久秀とか義昭など数え上げたらキリが無い
後、父信秀が腹上死だっけ?濃すぎるわw
951 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 23:21:53 ID:rp1WAmTr
952 :
だ:2010/09/21(火) 23:50:40 ID:BgOswAnc
日本の歴史上でも珍しいんじゃないのか?
個人の名前を挙げてあれだけ細かくかく個人を糾弾してる折檻状とか
あれはあれで恥だよ佐久間くん、あそこまで言わせるには相当不満がたまってるしw
953 :
だ:2010/09/21(火) 23:53:32 ID:BgOswAnc
ノブをあそこまで怒らせたのは佐久間だけ
954 :
人間七七四年:2010/09/23(木) 13:31:45 ID:WT6SzD0G
>>953 そういう言い方をされると凄い大物のような気もしてくる
955 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 17:45:05 ID:HDVFqHoe
信盛より信長の性格の異常性を考えるべきだわな。
956 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 15:33:18 ID:9a2L6l/X
現代的にいうと社長からメールで「お前は営業が下手すぎる。ゲームとか買う暇あったらお得意様回り
でもしろ。ていうかお前の息子できが悪いな、馬鹿だろ、あれ」みたいなことを送られてきたような感じ
957 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 06:24:16 ID:QV+1183X
「さ様に仰せられ候共、我々程の内の者はもたれ間敷」
958 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 15:31:52 ID:1jD+g8+u
まあ実際問題として畿内の佐久間軍団を解体したおかげで本能寺だしな。
959 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 15:38:20 ID:1jD+g8+u
しかし最重要地域である畿内を担当していた佐久間軍団を解体するなら解体するで、
その後の軍団を織田家直轄にするなり再編成して旗本化するなり、組織として構造を改革すべきだし
その絶好のチャンスだったのに、特に後先も考えず光秀に丸投げするあたりは、
いかにも信長らしい組織や体制への理解の欠落と後進性がよく現れているな。
960 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 16:08:29 ID:fccGf3Is
>>959 別に光秀に丸投げしたわけではあるまい
つーか光秀も他の武将同様に所領は収公される予定だろ?
近江が一段落着いたら畿内も着手するだろう
961 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 16:58:20 ID:1jD+g8+u
>>960 > つーか光秀も他の武将同様に所領は収公される予定だろ?
何を根拠にそんなアホなことをw
よほどファンタジックな歴史を勉強したらしいな。
962 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 17:05:52 ID:fccGf3Is
963 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 23:54:18 ID:fccGf3Is
>>961 ID:1jD+g8+uは自身の無知さ加減に恥ずかしくて逃亡したか
ファンタジックな歴史を勉強していたのは君の方だったね
964 :
人間七七四年:2010/10/09(土) 14:39:15 ID:Iy0DuczW
明日、全国佐久間会の会合があるよ
965 :
だ:2010/10/09(土) 21:11:06 ID:qVAjM+ps
姉川の戦いでも布陣図見てみるとノブの直ぐ前守ってるんだよな
当初は家臣として重要視されてた証拠だね
966 :
人間七七四年:2010/10/10(日) 18:03:37 ID:PbaFKOpU
全国佐久間会の会合、無事終わりました
967 :
人間七七四年:2010/10/13(水) 01:19:46 ID:XLNTa7WG
>>962 長浜城は本能寺まで羽柴の領土だったはずでは?
これは本能寺後に柴田に渡されたような
収公とはなんぞや?
968 :
人間七七四年:2010/10/13(水) 15:38:54 ID:NA+fOxuo
天正九年に長浜が堀久に与えられたとかいう件じゃないの
系譜類に書かれてるだけでその他史料では確認できないけど
969 :
人間七七四年:2010/10/13(水) 20:02:14 ID:02fx74We
天正九年の時点で長浜が秀吉から取り上げられて堀久に与えられてたら
光秀の移封どころじゃない混乱が起こってただろうな。
長浜には城下町も形成されていたわけで、同時代の記録が全く残らないとは考えられないし。
970 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 21:16:53 ID:06Z83zZR
佐久間信盛 騎馬B 戦闘力?90 兵数55位 で
突撃するのがオツだな。 by天翔記
騎馬S 戦闘力最大キャラで蹂躙はオツではない。
こちらも消耗するのがいい。訓練度も80位がいい。
信長の鉄砲Sは大して強くないところが素敵だけどな。
天翔記やりてーな〜
まあ、中途半端な佐久間信盛が僕は好きですってことで
971 :
人間七七四年:2010/10/20(水) 20:45:27 ID:CnFNgVAV
4年かけてようやくスレが終わりそうだというのに勢いが無いなお前ら。
972 :
人間七七四年:2010/10/20(水) 23:11:11 ID:ARl7BIYg
973 :
人間七七四年:2010/11/05(金) 23:57:06 ID:vOuYtT40
高野山すら在住を許されずにさらに南に移動、佐久間家の郎党も次々に
信盛父子を見捨てて去っていった。高野山に落ちる時はつき従う者は
2、3名、熊野に落ちる時は1名きりだったという。
なお、この最後まで付き従った者は、後に信栄が赦されて帰参が叶った時、
その忠誠心を賞されて小物の身分から士分に抜擢されたという。
しかしなんつーか何で最後まで付き従ったのやら・・・
忠誠心以上に萌えを感じる
974 :
人間七七四年:2010/11/06(土) 01:12:01 ID:6Dfm35oK
それを命令した信長の孫は高野山から追い出されてどこで死んだかもわからんような野垂れ死に。
因果応報だねえ。
975 :
人間七七四年:2010/11/19(金) 17:56:05 ID:qdJPrqLT
976 :
人間七七四年:2010/12/18(土) 14:01:00 ID:PWI39fsd
信盛の直径子孫です、いきてますよ。資料も墓も有ります。
977 :
人間七七四年:2010/12/19(日) 03:26:37 ID:ZFe4HlSh
>>976 信盛の子孫は日本中に山ほどいるよ。旗本だけでも5家くらいあったんだし
978 :
人間七七四年:2010/12/20(月) 23:47:51 ID:QapIHrFr
今年は十津川の墓参に行ってなかったな・・・・・。
979 :
人間七七四年:2010/12/31(金) 01:52:50 ID:7pZt2WOJ
980 :
人間七七四年:2011/01/28(金) 01:05:13 ID:Wgw4IhrU
次スレは信盛に加えて、佐久間一族(盛重や盛政や安政etc)スレにしたいのですが如何?
981 :
人間七七四年:2011/01/28(金) 19:59:56 ID:9bzUTSmW
そのほうが助かるな。信盛系と盛次系って全然たどった歴史が違うから
信盛オンリーだとどうしても盛次系の話は書きづらい
982 :
テンプレ改:2011/01/28(金) 23:42:52 ID:Wgw4IhrU
983 :
テンプレ改:2011/01/28(金) 23:43:36 ID:Wgw4IhrU
984 :
テンプレ改:2011/01/28(金) 23:45:37 ID:Wgw4IhrU
スレタイ
【信盛・正勝】佐久間一族を語る2【盛政・盛重】
って感じでしょうか?
>>981
985 :
人間七七四年:2011/01/29(土) 11:19:59 ID:QIrkgF1Z
986 :
人間七七四年:2011/01/29(土) 11:44:25 ID:QIrkgF1Z
あ、あとWikipediaの「佐久間氏」のリンクもあるといいかも
987 :
テンプレ改:2011/01/29(土) 12:54:08 ID:+KWodtDv
988 :
人間七七四年:2011/01/30(日) 09:09:11 ID:4dXHFJUm
988
989 :
人間七七四年:2011/01/30(日) 17:40:19 ID:4dXHFJUm
990 :
人間七七四年:2011/01/30(日) 23:23:19 ID:ZI1DLJkS
991 :
人間七七四年:2011/01/31(月) 00:22:59 ID:N0af7T6A
さて、1000取り合戦だぞ
992 :
人間七七四年:2011/01/31(月) 11:56:10 ID:yqXNp8ah
1000取ったら高野山に追放
993 :
人間七七四年:2011/01/31(月) 19:47:03 ID:N0af7T6A
994 :
人間七七四年:2011/02/01(火) 01:00:17 ID:/zkHBZj+
信長「佐久間と林のスレを戦国板から追放いたす」
995 :
人間七七四年:2011/02/01(火) 02:55:54 ID:kWuhK6XL
>>994 m(__)m 日向スレが讒言致しましたかw!?
996 :
人間七七四年:2011/02/01(火) 10:48:59 ID:luVJuYGu
今年の大河ドラマ、流れ的には本能寺から賤ヶ岳に至るまでの間、
柴田勝家を中心に描く流れになるはずで、そうなると佐久間盛政や
兄弟たちも出番がそれなりにあるはずなんだけど、脚本家が
アレだからそれは期待しないようにしている
現時点でも柴田勝家の存在感薄いもんね
997 :
人間七七四年:2011/02/01(火) 12:17:53 ID:42YM02at
あ
998 :
人間七七四年:2011/02/01(火) 12:50:53 ID:5csuRUBQ
地味な策略家、謀将としてだいぶ貢献してたと思う
失脚したのはたぶん給料が上がりすぎてリストラ対象になっちゃったんだろうな
999 :
人間七七四年:2011/02/01(火) 13:15:35 ID:a1NdshK/
あ
1000 :
人間七七四年:2011/02/01(火) 13:17:12 ID:a1NdshK/
1000なら、佐久間は本能寺後、信長に殉死。実際1582年没やし。
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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