現代では明智や羽柴が織田家トップ2と言うキチガイども多し。
まあ慣れている。
それでも好きだ。
戦国時代板に勝家厨は自分以外存在しないと思っている。
勝家の越前支配が中断されずにそのまま確立されていれば、
相対的に鞍谷氏の地位も向上したでしょうに残念でなりません。
なにか
いや、開口一番が超ネガティブだとおもただけ…
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 19:57:13 ID:aiwFQE2Y
柴田が叩かれるのは佐久間を制御できなかった無能だからだろ
佐久間が戻っていれば前田たちは離反しなかったはず
柴田は大将の器にあらず
信長がいなければ何もできない男
滝川と同レベルの武将
こんな男が秀吉に勝てるわけなかった
そういえば柴田は対上杉戦でも負けてるよな
こいつが大将だと負けまくりだなw
負けって
>>8が言ってんのはなんら戦略上関係無い「手取川の戦い」だろ?どうせ。
お市getで勝ち組決定
1大岩山攻撃の疲労で動けない盛政軍
2美濃から長距離を大急ぎで引き返してきた秀吉軍
3秀吉軍の猛追、交戦しつつ権現坂まで撤退する盛政軍
4大返し後の追撃で疲労した秀吉軍
5利家軍が・・・加われば・・・反撃g・・・・・あれww撤退www?wwwww
あれ?Wwwwwwww
前田殿!はよう茂山を降り疲労している秀吉軍一緒に叩こうぜ!^^
あれ?前田殿?オーイどこへいくんだー?
勝政が死んだほど必死に反撃体制つくったのに^^
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 22:10:25 ID:8LH9HkZQ
前田以外にも金森やら多数の武将が逃亡したよね
勝家は無能な上に人望もないのかよw
佐久間には命令を無視され、甥だかも速攻で秀吉に降伏してたよなw
勝家悲惨すぎwwwwwwww
こんな奴にもヲタがいるんだから不思議だよなw
小さいころ大きな傷でも負ったのかねえ。
実際に戦闘で負けたせいで過小評価されすぎてるよな>勝家
冷静に資料を見れば、秀吉は実際に明智を撃って信長の敵討ちをしたというのに
清洲会議以降、勝家に政治的な主導権を握られ続けている。秀吉が勝家に対して
戦争を起こしたのも、政治的に追い詰められた状況を、そうしないと打破できなかったから、
と、考えた方が自然だ。
内外共にマジに恐れられていたと思うんだがなあ。
皆なめ過ぎよー。
>>14 優しいからこそ逃げた。っていう風にも考えられる。
ビビる大木も良いこと言ってたな。
さきほど日テレのノリタケの番組で、(大木は幕末オタ)
「皆は竜馬は最高!幕府いやだ。というが、幕府側の本も読んだのかと」
そういう物語の小説とかは少しを中途半端に読むより、多くを読まんといかんね。
まあ読まなければ良いんだけどね。
大木は吉田松陰ヲタじゃなかった?
勝先生!とか言ってた。
まあ、いろんな人物から学ぶのが良いからねえ。
幕末という時代が好きなんだね。
信盛のスレも立ったようで。
信盛とともに勝家評も上げなくては。
光栄が勝家を筋肉馬鹿にしてるのが悪い
確かに、政治ageの統率sageしたほうがリアルなんだろうが、
それだと印象に残りそうにないな。
ところで、佐久間スレの方が既にこっちのレス数を越えてる件について
前田利家の敵前逃亡を許したと言うが本当かね?
良い人というより馬鹿といわれそう
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 06:29:06 ID:NiLEVaH6
前田は実は結構したたかで頭のいい男だ
勝家と秀吉を両天秤にかけて戦っていたのは有名な話
勝家の使者として秀吉の元に行ったときに裏切りの約束をしたが
勝家が有利なら勝家につくつもりだったというのが定説だ
日本人は知略オタが多いような。
なぜか合戦の采配がうまい人はそこまで評価されてない。
よく猪突猛進なんて言われるが賤ヶ岳の戦いの布陣は見事なものだ。
盛政奇襲の作戦も良いですし。
ここで勝家が連携すればどうだった?
勝家は天神山も攻めずとにかく守りを固めてるようだねえ。
脅かすだけにし、持久の策に出たわけだ。
まあ近江進出の理由は伊勢の秀吉の大軍を引き寄せて、
天嶮によってこれを防御し、一益の負担を減らし積極的に暴れてもらう。
そして春がきます。
北国勢の動きが便利になり、岐阜と連携し秀吉を奔命に疲れさせる。
できれば高野山以下根来雑賀の紀伊衆及び四国の長宗我部元親の策応を得る。
さらにできることなら足利義昭・毛利輝元らの策応も得て、
戦局を有利に展開し、機を見て進撃しようとした。
早期に決戦を仕掛けても兵力で劣るので不利だからねえ。
>>28 知略オタかな?
地味・堅実・現実的・冷静な人間の評価が低いだけのような。
秀吉>>>家康
西郷>>>大久保
安倍晋三>>>その他w
安倍さんはまだ若いが、なかなかの人になってきたねえ。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 17:59:51 ID:nX8dgL6m
ガチで聞きたい
柴田のどこがいいの?
時勢を読めない古臭いおっさんというイメージしかないんだけど
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:00:26 ID:MzvCfoUv
柴田勝家と安倍晋三
サプライズ人事なし
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:24:01 ID:Ss+GIwnW
勝家の場合、傲慢といわれる以外に人格的欠陥も伝えられないしな。
ちゃんと、秀吉の織田家簒奪に最後まで抵抗して、裏切りかまして
自分を滅亡に導いた利家にも文句言ってないし。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:28:40 ID:Q2tFOron
頭が悪い
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:36:08 ID:Ss+GIwnW
>>41 そうでもないだろ。
実際には、賤ヶ岳で勝家が勝利していれば、信孝を中心とした
織田政権が発足したろうし、それを中心として安定した可能性
もある。
賤ヶ岳だって、絶対負けが決まった戦いでもない。事実、前田
の裏切りがなければどうなったかわからんよ。
世間で思われてるより優位でもなく危うい勢力バランスの中で
名将・柴田の必勝戦術を破った秀吉は矢張りさりとての者・・・って事にもなるな
さすが信長公に取り立てられた男秀吉だな。
勝家対秀吉
それは織田家の実力者同士のガチの戦い。
北ノ庄城についてくわしい方おられますでしょうか。
ノ
知識披露しちゃいなYO
もし信長が生きていたら、次に粛正されるのは権六だったと思う。
北ノ庄城の何が知りたい?
>>48 実際に信長が死に、勝家は粛清されなかった以上、妄想でしかないわな。
大河ドラマとかの影響ですかね。
というより、ほとんどの人が大河か歴史小説しか読まないだろ
だから賤ヶ岳の話題になると盛政の行動が、とか知ったかぶりする人が多い
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 11:10:24 ID:vLaGZlTt
そう感情的になるな、玄蕃
なんだかんだ言って俺も盛政の本読んだわけだが。
賤ヶ岳の敗因の多くは利家の裏切り。
秀吉の行動の速さに意表をつかれた感じはあるが、小部隊ごとに
攻めてくる部隊を個別にあしらっていれば、むしろ困ったのは
秀吉の方だったろう。最前線の部隊が戦っているときに、後方部隊
がいきなり退却し始めたら、そりゃ負けるわ。
北陸じゃなければなぁ…
秀吉に勝てたかも?
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:29:11 ID:JvAr9xW/
織田家の地位の順位を教えてくれよ。
明智>>柴田>>羽柴>>丹波>>滝川
こうじゃないの?
所有してる領地じゃなくて、重用され具合とかでよろ
59 :
:2006/09/08(金) 12:31:06 ID:TpLy+6f/
柴田>>丹羽>>滝川>>羽柴>>明智
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:36:13 ID:JvAr9xW/
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:37:47 ID:Anz6BnBq
地位でいったら
柴田>>羽柴>>明智>>滝川>>丹羽
じゃない。
柴田は、筆頭家老だから地位という意味なら家臣団一番。
ただ、重用のされ具合からいうと
明智>>羽柴>>柴田>>滝川>>丹羽
かな、
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:39:45 ID:JvAr9xW/
>>61 そんな感じでしょうねェ
秀吉ってやっぱ凄いんだな
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:49:03 ID:yDQX6TI3
権六様は北ノ庄に住むおれ達のことを考えてくださり、秀吉が足羽山に布陣して北ノ庄城を攻める際にも、足羽川に架る九十九橋を壊さずに残してくださった。権六様ありがとう。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:57:13 ID:Anz6BnBq
>>59 あ〜。古参の連中はそう思ってたかも。
>>56 前田が裏切ったのも、羽柴の財力、軍事力にびびったから。
その意味では、本能寺以降の出遅れと頭の堅さが一番響いた。
織田家の累臣であった勝家は、信長が死んでも織田家の家臣
であることに疑問を持たなかったし、まだ外隣に敵がいる状態で内紛
起こすのは気乗りしなかった。
まあ、普通の責任ある立場の人間ならそう思うし、
信長死んだらやりたい放題の秀吉が戦国とはいえ人間的におかしいw
勝家が秀吉の行動を、ちょww、おまっwwww
って見てた間に、圧倒的な優勢を作られて手遅れになってしまった。
>>65 古参の連中がそう思ってた訳じゃなくて、秀吉も自覚してたと思うよ。
清洲会議〜賤ヶ岳までの秀吉の書状には織田家筆頭としていちいち丹羽に署名してもらってる。
67 :
:2006/09/08(金) 13:06:04 ID:TpLy+6f/
>>61 明智の重要のされ方って・・?
前半だけじゃないの? 本能寺の直前とか、秀吉の与力扱いなのに
地位で言ったら丹羽は柴田に次ぐ、重臣ですよ
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:11:36 ID:Anz6BnBq
>>66 そうだね。地位という意味では丹羽は筆頭の柴田についで高かった。
そこを上手く羽柴が利用した。
明智は外様だし、地位という意味では
>>59が正しいか。
>>65 普通だったら、同じ織田家の同僚が主君の遺児や同僚を攻撃しはじめ
たり、自分の領土を略奪し始めるなんて考えないもんな。
まぁ、勝家が甘いといや甘いんだが、さすがに秀吉があそこまで忠義心
も倫理感もないとは思わなかったんだろう。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:33:29 ID:JvAr9xW/
利家とか蒲生とか佐々とかは丹波よりもさらに下なわけ?
勝家は秀吉に油断していた?
>>71 利家、蒲生あたりは、連隊長〜旅団長クラスだろ。
佐々は師団長クラス。
丹羽は小さいとはいえ、方面軍司令官だから、だいぶ上だな。
>>72 まぁ、油断ではあるけどな。
社長が死んだあと、他の重役が会社乗っ取りを考えているかって危惧はして
いた。でも、速攻で後ろから刺してくるとまでは考えなかった。
このくらいの油断だと思うが。
わかっていたんじゃないの?
それともいきなりで驚いていた、ということがなにかに載っていたのね。
>>73 四国方面軍の司令官は信孝で
下に信澄・丹羽・蜂屋がならんでる状態だよ
丹羽は信長直属の遊撃師団長とでも言った方が適切かと
>>74 清洲会議以降、織田家の主導権は完全に勝家側が握っていたからねえ。秀吉自信が
後世継ぎに押した吉法師まで勝家側に取られた。秀吉があのタイミングで動かなかったら
穏やかな織田連邦的体制に落ち着いたかもね。
清洲会議後、勝家は近江長浜に本拠を移した方が良かったのでは。
え?羽柴の色が濃く残った長浜に本拠地を移すのか?
冬になれば孤立するのに?
一益や信孝との連携を考えれば長浜の方が有利かと。
さすがに危険すぎる。
越前から近江進出で正解だった。
丹羽は軍事的には信長からあまり信任されていないが、安土城建設などからすれば
信長からの信用は高かった。
勝家が長浜で睨みを利かせていれば、秀吉は岐阜の信孝を攻められない。
美濃の諸将(大垣の氏家、清水の稲葉、今尾の高木、金山の森ら)の離反も防げたのでは。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:10:12 ID:TB5rRp8k
長浜駐屯が正解だったろうねえ。越前-近江-美濃-伊勢って
勝家派の連携の要になる位置だし。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:20:38 ID:nLeZcuSk
越前-近江間の雪をなめすぎ。長浜20万石に陣取っていざ攻められたらどうする?
越前50万石から兵を呼ぼうにも雪が邪魔して主力が呼べない
太平記や柴田退治記でも雪が邪魔して兵を動かせなかったらしいし
背水の陣で睨みを効かせるだけでは秀吉を抑えられないよ
長浜駐屯は愚策じゃないだろうか?
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:27:05 ID:vLaGZlTt
うん普通に愚策
ただ勝豊は止めたがよかったな
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:30:15 ID:yDQX6TI3
>>69福井市在住です。
個人的には、北ノ庄にとどまってくれた権六様が大好きです。当時の越前の人々からも愛されていたに違いないです。
年いってんのに厨房並みでご免。
>>86,87某マンガでピザデブとして描かれていた、
甥御殿を長浜に据えていたらどうなっていたんだろう?
勝家の加増は6万石かな。
長浜駐屯は無理ジャマイカ?
若狭の外に近江高島滋賀得た長秀と佐和山20万石の堀秀政がいてはる。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:43:56 ID:TB5rRp8k
>>86 普通に信孝・一益軍と連携して戦えばいいだけだと思うが。
それで勝てなきゃ、春になっても勝てないよ。
主力軍を長浜に置いて冬になる前に兵糧運び込めばいいだけだし。
いざ劣勢だったら、味方がくるまで篭城すればいいわな。
>>88 やはりそうでしたか。
私もいつか福井に行ってみたいものです。
福井での勝家の人気はどのような感じですか?
知らねえやつもいると思うが。
>>91 越前から近江に出ることの難しさは
・太平記の新田義貞の前例
・朝倉義景の前例
・賎が岳の柴田勝家の前例
・天狗党の前例もあるし
正直お奨めできない
おまいにこれら前例を破る策があるならきっとその進言は成功するだろうw
>越前から近江に出ることの難しさ
というより
>越前と近江間で兵を稼動させることも難しさ
だね。訂正
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:04:19 ID:yDQX6TI3
>>92福井で毎年行われる越前時代列行での主役は、朝倉氏一族や越前松平家を抑えて権六様が堂々の主役ですよ。
ちなみにおれは20代後半なんですが、周囲の人間に柴田勝家と名前を出してもほとんど通じないです。秀吉なら通じるのに…。
>>91 そもそも勝家は織田家内での戦争は望んでいないからねえ。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:08:00 ID:TB5rRp8k
>>93 いや、だから冬季に移動するから難しいんであって、
冬季になる前に移動しとけばいいでしょうに。
拠点の城もあるし、北・南・東と全部味方なんだから、
敵中に孤立するわけでもなし。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:10:30 ID:vLaGZlTt
ぼく ほんとは いくさなんか のぞんでなかったんだ
いっそのこと三法師を擁して勝家が安土に駐屯しちゃえば、秀吉は手も足も出まい。
>>97 そうなると柴田は冬季を外して戦略を練らなければならない
あそこの雪は11月から豪雪になるし春まで待たないと兵の移動はできないから
たっぷりと4、5ヶ月は下手に動くことができないわけだ
のこりの僅かな日数でケリを付けられたのだろうか
実際にそのように彼は行動したのだろうか
史実の柴田はまんまと冬場を突かれて秀吉に滅ぼされたわけだけど
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:17:54 ID:vLaGZlTt
ただの山に立て篭っても
>>97 織田家最期の家臣、柴田勝家は冬季に長浜城を包囲されるまで、
中川さんや高山さん筒井細川の工作に躍起にならず、
徳川と北条の対陣についてや周囲、四方の敵にあたることに力を尽くすべきと訴えてきた。
信長はすでにいないけれども、それが本筋である。と。
>>104 出来たかもしれない
いざ戦争となった時は味方がかなり不利になる極めて危険な条件を度外視すればw
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:32:21 ID:TB5rRp8k
>>101 そもそも、主力決戦だって、2日程度で終わったでしょ。
野戦で一決ならすぐだし、時間がかかるにしても、兵糧の手配なんかは
信孝・一益に応援うければいいだけだし。長浜や岐阜を拠点にしながら、
戦えば越前が冬だろうと、別に困らんわな。
越前から出てきて戦えないのは、近江に拠点がなく、出動した部隊と
本国との兵站が続かなくなるからで、勝家の場合は美濃・伊勢全体が
味方で長浜に拠点もあるんだから、その条件にあてはまらないでしょ。
むしろ、味方が分断されて各個撃破される方がよっぽどきつい。
そして秀吉に充電期間を与え冬になり
越前に引っ込んでいた柴田はやられると
>むしろ、味方が分断されて各個撃破される方がよっぽどきつい。
>>107 それを阻止するための柳ヶ瀬進出ジャマイカ
>>108 秀吉との決戦の覚悟を決め、外交の季節だったでしょう。
>>107 その策をどうして取らなかったんだろうね
常識的に考えてさっき出した新田や朝倉の苦い過去が柴田には教訓となったんだろう
柴田は当時の常識に従順な人だったんだよ
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:41:05 ID:TB5rRp8k
>>111 もし、相手が完全に敵国だったらここまですると思うよ。
でも、一応、相手は同じ織田家の同僚だからねぇ。
実際、ここまでしたら宣戦布告と同じだもんよ。
多少なりとも良識もってたらできないよ。
>>112 もし敵国なら長期を見越して必ず越前に引きこもると思う
近江には磐石な地盤もなければ兵を長期間滞在させるゆとりもないからね
問題は柴田が、目の前の相手に対し短期間で潰すさなければ自分がやられてしまうほどの
危機感をもって臨んでいたかどうかだと思う
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:50:38 ID:TB5rRp8k
>>113 臨戦態勢だったら、引きこもれないって。
味方がボコボコにされちゃうでしょ。それほど戦略眼がない人物とは
思えないよ。むしろ、冬が来る前に近江の拠点を確立させようとする。
>>114 柴田の能登・越中方面の経略をみても
短期間に足場のおぼつかない土地を拠点に周囲を切り取るだけの戦略を打ってないからね
近江に限って果たして大胆な布石を打てたのかどうか
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:59:51 ID:TB5rRp8k
>>115 状況が違うから。
無理に進出すると痛手受けるかもしれないから漸進しようってのと、
無理にでも進出しないと、友軍が壊滅しかねない状況とだからね。
派手な戦術というと、越中攻略は飛騨方面から斉藤新五郎が先に開始、
七尾城の仕置きは菅屋長頼が行いその後で利家に城を引き渡してる。
柴田軍団は堅実な領地経営が特色なのでは。他方面の作戦に寄騎が度々駆り出されているし。
それと越前の冬は現代よりも遙かに過酷。
>>116 無理にでも進出しなければ友軍が壊滅しかねない状況というのは
おまいさんの考える状況であって
柴田本人がその状況を認識したのはずっとあとだからねえ
あと状況が違うからと言うが
武将の行動を推測する場合、それまでの実績等に当てはめて推測してるんだけれど
それを無視すればいくらでも語れますわな
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:22:16 ID:/9mjAzfL
秀吉の出世もまぐれ。
光秀に勝ったのもまぐれ。
何もかもあいつの実力じゃない。
常識で考えてよ。ワシは織田家の筆頭家老だよ。
秀吉よりワシのほうが強いに決まってるじゃん。こんなの常識だよ。
それは俺も思うところ。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:37:06 ID:TB5rRp8k
>>118 山城に敵軍主力がいて、味方は越前・美濃・伊勢に戦力分散
している状況だぜ。普通の戦略感覚もってれば、やばいと思
うわな。
ちょっと、戦国武将を馬鹿にしすぎてないか?
>>122 もう一度いうけれども
その状況を危機的状況だと認識しなかったのは俺ではなく柴田だ
>>122 だから一益の負担を減らすための賤ヶ岳合戦ジャマイカ
>>123 危機的状況だと認識しなかったって?
しなかったらわざわざ冬に近江まで進まないわな。
柴田の本国が越前だという致命的な問題があるから
一番有効な手段があの多角的な包囲だったんではないかなと思っている
それでも最後は「致命的な問題」によって足元をすくわれたけれども
>>125 ID:TB5rRp8kが考える危機的状況を危機的状況として柴田は認識してないということ
×ID:TB5rRp8kが考える危機的状況を危機的状況として柴田は認識してないということ
○ID:TB5rRp8kが考える時点の危機的状況を危機的状況として柴田は認識してないということ
>>126 >それでも最後は「致命的な問題」によって足元をすくわれたけれども
ここ詳しく
敗戦の要因に直接的には関わりなかったよね。
前田がいれば状況は変っていたかな?
前田が柴田を貫いたとしても、戦況が長引くだけのような気も。
長引けば長引くほど織田家全体としても不利になるな。
ただ柴田が取ろうとしてた戦略の中でどうしてもネックになってくるのが冬季をどうするか
結果的に冬を恐れて先走った感がある。
>>133 やっぱ致命的な柴田の封地に尽きるのかな
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:11:32 ID:Ua3SVQFq
つか、賤ヶ岳だけ語ってもしょうがなくない?
秀吉は軍事、経済力で優位に立っていた上に、
毛利、上杉とも良好な関係を築いていた。
おまけに、包囲と言えば聞こえがいいが、本拠地分散してて
各個撃破の格好の餌食となりそうな地勢。
もう、この時点で勝負ありだよ。逆にだからこそ前田も裏切った。
秀吉止めるには、清洲会議あたりまでさかのぼらないと不可能だと思う。
毛利も上杉も秀吉の肩をもつ義理はないだろ。戦況次第で秀吉、即ち織田家を攻めるって。
秀吉陣営を磐石のように語るが、実際は相当危うい橋を渡ってる訳で。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:24:42 ID:f8Jq6SeY
>>136秀吉止めるには、権六様と秀吉の出生の違いから考えないと不可能だと思う。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:35:29 ID:Ua3SVQFq
>>137 毛利は基本的にやるきなく秀吉に好意的。
だから、秀吉はほぼ全ての戦力を織田家乗っ取りに集中できた。
逆に、上杉は柴田の領土を狙っていた。
だから、ただでさえ劣勢なのに佐々を守りに残すはめになった。
だが、一番やっかいなのは北条。
ここが毛利並みに空気読めてれば、滝川も健在で徳川も出張れた。
俺は、賤ヶ岳の時点では既に手遅れで、ノーチャンスだと思う。
実際どうやって打開するよ?
勝政隊の兵を収容しきって反撃の態勢のある盛政軍に
神明山の牽制をすて、茂山を降り列を乱して追ってくる秀吉軍を権現坂にて共に迎撃し、
秀吉軍を混乱させ
神明山の大金が砦を乗っ取り中ノ郷の小川を襲い、佐称山の堀は逃走し、
盛政に好意的な中立賤ヶ岳の桑山も完全に寝返り、勝家軍の勝利もあった。
勝家は布陣采配では優れていたが、
勝因は秀吉と勝家の政治力の差だった。
味方作りの工作の非常にうまかった秀吉が大兵力も得て、
前田をも離脱させたことが、盛政軍の大岩山奇襲の時点で勝利を確信した要因だった。
んじゃね?
>>139 毛利家文書が言うには吉川元春・小早川隆景・福原広俊が相談をして、
秀吉・勝家両方の強弱がわからない。
だから、どちらが勝ってもいいように、両方に賭けて見合うのがよいと決定した。
すなわち秀吉方にも勝家方にも援助をしない。
そして、どちらに対しても敵対行動を取らない。
しかも両方に好意を示す。
>>95 そういえば、全く知らない事に気がついたのだけど、
福井での勝家さんの評判はかなり高いんでしょうか?
刀さらえで集めた武具を農具にして配ったというような
話はどこぞで読んだ覚えがありやすが、全般的に善政
をしいたと思っていいんかな。
無理して悪政を敷いたと考えなくても良いね。
どう転んでも吉法師の利用以外に手はないよな
>>142 福井市のホームページからコピーしてきました。
九十九橋
古くは北ノ庄大橋や福井大橋などと呼ばれ、柴田勝家が北ノ庄城主となってから南側を石造り、
北側を木造で架け替えた。半石半木の奇橋として全国的に有名な橋であった。
江戸時代に何度も修理されているが、この半石半木の構造は明治42年に架け替えられるまで330年ほど存続していた。
船橋
舟橋とは、舟を48艘繋いで、その上に板を渡して造られた橋で、現在の九頭竜橋のところにあった天下三大舟橋の一つ。
柴田勝家によって天正6年(1578)に造られ、明治8年(1875)まで何度も架け替えられながら続いた。
舟と舟を繋いでいた鎖は、福井市郷土歴史博物館、柴田神社、毛矢の黒龍神社に残っている。
国道365号
滋賀県と福井県の国境となる国道365号・栃ノ木峠は,旧北国街道の中でも最高峰地点.
ここに設置される案内板「栃の木峠の由来」(今庄教育委員会)にも記されているように,
賤ヶ岳合戦の5年前の天正6(1578)年9月に柴田勝家が越前・北の庄(福井)を所領してからの後に,
福井と安土もしくは美濃の参勤路として機能させるべく幅三間の道幅へと改修した履歴があることから、
その柴田勝家がこの国道365号の開鑿者とも伝わるようになっている。
皮肉にも敗走路となってしまった。運命は定まっていた?
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:58:29 ID:Ua3SVQFq
>>141 つまり、模様眺めに徹して、秀吉が負けたら秀吉を攻めるってこと?
毛利は本能寺の変の後、秀吉の追撃はおろか旧領復帰の動き
すら起こしてないのだよ。
その文書は中央には関与せず、勝者と仲良くしていけばいいという
消極的な姿勢を裏づけてるだけじゃない?
最善の策でしょうね。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 02:05:05 ID:SDz/x2TF
北ノ庄城の方に足を向けて寝ては駄目だと親に伝えられた。
>>146 戦況次第で参戦するぞって事だよ。絶対に動かないなんて保障は何処にも無かった。
本戦で柴田が勝っていれば、関東の滝川状態になったかもしれんね。
あれ?蜂須賀を毛利の抑えとして残してなかったけ?
おまいらなにいってんの?
越前に帰らないとお市とや れ な い よ?
>>149 そうは思えんけどな。
家訓からして天下を狙うなだし、旧領復帰の動きすら見せない。
本能寺の変後の草刈り場状態の時に動かずして何時動くよ?
やる気がないとしか思えない。
そもそも、両者に好意的中立の時点で、間接的には羽柴に味方している
ようなもん。本音では、気心しれて領土安堵をしてくれた羽柴の勝利
ないしは、内紛の長期化を望み、柴田の勝利は一番望んでいないだろ。
やるきがある上杉とは、はっきりと危険度が違う。
それと、この状態での柴田の勝ち方がわからない。前田の裏切りが
なかったとしても、元の膠着状態に戻るだけで戦況は好転しない。
ぐずぐずしてると滝川が潰される。どうするよ?
どうするよ? → → → 市と色んな体位でセクース。
>>65 >本能寺以降の出遅れ
勝家は即座に撤退し明智を討とうとしたが
前田利家の強固な反対にあい断念
江戸時代の前田家の記録では利家は即座に撤退し明智を討とうとしたが
勝家は上杉や一揆を恐れてなかなか動けなかったことに
>>97 1582年
6月末清洲会議
7月領地の引渡し検地
8月信雄信孝尾張美濃国境の件で争う、秀吉信孝につく
9月信長100ヶ日忌
9月秀吉信雄の要請により伊賀伊勢の一揆平定
10月6日勝家は秀吉に5か条の覚書を出して非難
10月17日信長葬儀
10月18日秀吉は信孝に24か条の手紙を書いて信孝勝家を非難
11月勝家、前田らを派遣して和平公作
12月に北近江を攻め
勝家秀吉の対立が表面化してきたのが10月で
決定的になってきたのは11月か12月
そして11月には雪が降ってくる
柴田が危機的状況と認識した時点から急いで軍備整えても
冬季になる前に移動は難しいんじゃ
かといってちょっと対立した程度でいきなり兵を挙げるんじゃ
準備不足だし大義名分が微妙、秀吉側は正当防衛と主張できる。
>>107 南伊勢は信雄だから伊勢全体は言いすぎ
長野も信雄についているから中部伊勢の一部も秀吉側
また長浜があろうとも佐和山に堀がいる以上美濃近江間は分断の危機にあるんじゃ
>>152 毛利は財政難でもあったし、国人海賊の離反があって態勢を整えないことには動きにくかったのでは
それに秀吉も宇喜多残している。
70年代後半から宇喜多に阻まれて播磨へ進出できなかったのだから
羽柴が大敗して宇喜多が羽柴から離反して毛利につくとかでもない限り
積極的に動くことは無いと思う。
上杉もやる気が無いが・・・
佐々には逆に攻められて魚津城を奪われて越中を失い、
北条真田とも敵対、新発田も頑張っている
勝家が滅んだ後に秀吉に何故兵を出さなかったのかと責められている。
滝川は柴田信孝が滅んだ後も抵抗続け7月に開城
簡単には潰れないと思う、そもそも秀吉の主力が来るまでは
峰城亀山城などを奪って勢力を広げていたぐらい、
美濃の秀吉方を攻めたりもしている。
ただ全体としては秀吉が有利だろうな。
秀吉は筒井を国許に帰す余裕(逆に与力に無理をさせられないとも見れるが)もあるし、
海津を押さえている丹羽の兵力を前線に投入したりもできるだろうし
細川に越前沿岸を攻撃させたりもしている。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 12:40:19 ID:GhTrEorr
>>154 賤ヶ岳で勝家が布陣した砦など見ると準備不足とは思えないですよ。あとこの戦は、和親条約を無視しまくった秀吉の挑発行為も問題なわけで、秀吉が正当防衛を主張するのはおかしくないですか?
当時の書状を見る限りでは執拗に挑発してる秀吉に対して勝家は「戦いたくねー」って感じに見えるが。
秀吉が信孝を非難してる文面なんか戦う気満々じゃんw
>>156 >賤ヶ岳で勝家が布陣した砦など見ると準備不足とは思えないですよ。
それは年明けの話し
準備不足と言うのは上の方にあった勝家が秋に開戦するIFの場合
単純に軍備兵糧だけでなく諸大名への書状も勝家は11月くらいからじゃ。
そして秋の段階では秀吉も明確に敵対していないから
柴田から攻撃すれば正当防衛と言う論理も成り立つかもと言う話。
秀吉が明らかに兆発しだしたのは10月ぐらいからでは
>>157 そう、でそれが大体10月
それ以前に勝家が戦争準備始めたら秀吉を非難できなくなる。
つい先程、勝家公の菩提寺西光寺に行ってきました。勝家の馬印や位牌等も隣の資料館に展示してあって勝家ファンにはたまらないと思います。
先程ですかw
うらやましいね。
>>154 >勝家は即座に撤退し明智を討とうとしたが前田の反対で〜
マジすか
>>159 福井に泊まってくの?
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 21:01:30 ID:U7auju7l
>>154 前田は何考えてたんですかね?無能にも程がある。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 22:31:53 ID:AaGW18Wu
>>158 勝家が秋に開戦っていうのは、最初から秀吉を敵として戦う場合の
想定だからね。勝家も相手が敵だったら、そうしただろうし。
ようするに、秀吉を同じ織田家の同僚だと認識していたのが、勝家の
最大のミスだろうね。主筋だろうが同僚だろうが、平気で攻撃する
人間を相手にしているってのがわからなかったんだろう。
>>163 堀秀政に覚書で外の敵と戦うべきだと訴えてるのにですか?
和睦する前までは織田家の内部での戦争は望んでないということでしょうね。
秀吉が工作に躍起になっていても、それを最期まで訴えてきた。
しかし秀吉が仕掛けてきたと。
というか冬場の戦闘を避けたかっただけだろ。
>>154 ググってもヒットしないのでソースちょうだい
>>166 勝家は本気で織田家の分裂を危惧していたと思うよ。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:06:37 ID:GhShHO5c
織田家存続の為に動く勝家と、天下取りを目指す秀吉って構図ですよな。
忠臣ですよ。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:30:22 ID:09rBywvy
柴田が明智を討つなんて無理
北陸各地で一揆が起こっちゃって動ける状態じゃないだろ
それに柴田も秀吉との戦いに勝てば織田家を乗っ取ったかもしれんぞ
一回信長を裏切ってる裏切り者だし
それで信長に信用されず前田と佐々をつけられてるし
柴田を全面的に信用はできません
なんでそう毛嫌いするかな。
勝家は信長のこと裏切ったことないぞ?
勝家が裏切ったのは信勝でしょう。
信用されず前田佐々というのも相手が上杉謙信だからだと思う。
忠犬柴公が乗っ取るわけない。
そして『柴田』と『秀吉』ってなに?
贔屓が見える。
>>171 ちょっと考えれば分かる事ですが、織田家を裏切ったわけではないでしょう?
まあ結局、織田家を守ろうとしたのが柴田勝家で、織田家を簒奪しようとしたのが秀吉だったんだけどね。
それを見抜けず勝家を信頼していなかったのなら、信長も目の無い男ですなあwwwww
と、言う事になるけど、いい?
>>171
秀吉の行動した時期が絶妙だったんじゃ
あと数ヶ月早く秀吉が行動していれば冬がくる前に
勝家も近江に出兵出来たかもしれない。
あと数ヶ月遅ければ勝豊や信孝も粘れたかもしれない。
そういった時期を見計らって秀吉が行動したのだから仕方が無いんじゃ。
勝家関連で良かった本教えてくれないか?
小説でも良いんだけど
羽柴と柴田の争い元はその頃の勢力争いともいうし、お市御料人のためという話もある。
本能寺後の1582年に柴田が岐阜へ行き織田信孝と話をつけ、お市を自分の妻としてしまった。
羽柴はこれを聞いて柴田を越前に帰すまいと近州長浜へ出陣したが、丹羽・池田の仲介でにより柴田はお市を同道して帰国。
こじ付けっぽい説でもあるけどねw
関係ないが高杉晋作は秀吉が大嫌いで、一番好みの武将は勝家だったそうな。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/10(日) 17:57:24 ID:3RSf9Co1
勝家「おらおら、長政より感じるだろ、市、ぐへへっ」
秀吉「茶々の乳首は小さくてかわいいのぉ、ぐへへっ」
尾張衆は偉くて、エロくて、どえらい、のがデフォ。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 18:22:54 ID:+K7tW4Np
戦国時代の30後半はおばあちゃんと言って差し支えない年なんだが。
単純に織田家の立場を強めるための道具の奪いあいじゃね。男尊女卑の強い時代だからそんなもん。
勝家って別に忠臣でもないだろう、
市を妻にして、勢力的に信長の子息を上回ってる時点で野心見え見え。
だいたい清洲会議でも自分に近しい信孝を推してるし、秀吉とそんなに変わらん。
後継者が三法師に決まった後も信孝と同盟を結んで後押ししてるし、
織田家の内紛を嫌った訳もなさげだし。
なにより織田家から独立してないもんね。
>>184 現実に秀吉が織田権力を簒奪し、柴田勝家が簒奪しなかった以上勝家のほうが忠臣。
なんで三成が、豊臣権力の簒奪を計った可能性もあるのに、忠臣呼ばわりされているのかを
考えてみるといい。
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 20:01:27 ID:+K7tW4Np
そこまで理解してるなら柴田勝家が忠臣って訳じゃないのも理解しよう。
三法師が後継ぎでいけない話しは無いのにたったのは権力争いのため。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 20:21:11 ID:jB+oj+st
まぁ、勝家が織田家内でどういう位置を占めようしていたか。
それが、いわゆる「忠臣」の範囲に収まるものだったかはわからない。
でも、清洲会議から最初の冬で勝家・信孝連合を不意打ちした秀吉が
織田の忠臣でないことは確かだな。
本来の構図は、逆賊秀吉を忠臣勝家が討とうとしたってことで、その
部分は間違いのない事実。
つまり、秀吉の悪逆を隠すために勝家は無能だとされているわけだな。
さすがに、引き際の綺麗さとかから、それ以上の悪罵はつけられなかっ
たが。
(´・ω・`)
>>185 >柴田勝家が簒奪しなかった以上勝家のほうが忠臣。
だからそりゃ単に勝家が敗れただけだ、しかも現実には三成は主家を越える勢力を持つ事も、
豊臣と血縁関係を結んでの権力向上を図っていないので、
勝家と比較にならんよ。
>>187 >でも、清洲会議から最初の冬で勝家・信孝連合を不意打ちした秀吉が
>織田の忠臣でないことは確かだな。
そうでもない、勝家・信孝連合には信孝が清洲会議の決定を無視して、
三法師を不当に拘束して岐阜城に拘留し続けたっていう弱みがあるんで、
これではとても↓みたいな一方的な構図にはならん。
>本来の構図は、逆賊秀吉を忠臣勝家が討とうとしたってことで、その
>部分は間違いのない事実。
上の構図はせいぜい勝家側の大義っていう程度のもんだな、
秀吉側から見れば三法師に逆らう逆賊信孝に、それを支援する逆賊勝家って構図になるようなもんだ。
>秀吉側から見れば三法師に逆らう逆賊信孝に、それを支援する逆賊勝家って構図になるようなもんだ。
実績からすれば秀吉は堂々と主家越えをやってのけてるからなあ。
>>190 そりゃまた後の話だからな。
ただ実質を見れば清洲会談なる重臣だけの会談で織田家の後継者や
織田家の領土の差配(しかも家臣連中の加増)が行われてる時点で
重臣連中は主家越えは行ってるも同然。
しかもこの会談後の秀吉・勝家の両名の勢力が織田家を超越してる時点で、
どのみち織田家が天下に返り咲く事は無いでしょう。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 22:00:55 ID:jB+oj+st
>>189 まぁ、秀吉視点から見ればそうなるんだろうけどね。
よく考えてみな。
同じ家中において、幼少の主君の養育権を争っていた。
で、会議で秀吉が養育すると決定して(これも本当かどうか微妙だが)
しかし、実際はそうはならず、主君の叔父が親類代表として秀吉に
渡さなかった。
で、この状況でいきなり攻め込むか?
これで攻め込むなら、ヤクザと変わらんぞ。
普通なら、信孝の行動は正しくないと非難して、もう一度会議を開
こうとするだろ。
しかも、時間が経過したことじゃない。清洲会議から半年のことだ。
もう、秀吉が冬を待って強引に簒奪に動いたとした思えないわな。
>>192 つーか、その通りでしょ
>秀吉が冬を待って強引に簒奪に動いた
政治的には織田宗家を完全に抑えられて、秀吉は八方塞だったんだから。
体制が固まらないうちに動いて主導権を奪い返さないと、織田圏内の大大名、程度の存在で
止まってしまうわけだからね。
京都でやった信長の葬式を称えてる人もいるが、アレなんて切羽詰った秀吉の、やけくその
デモンストレーションでしかないからな。もし天下が取れなかったら、後世、この事だけでも
大笑いされてただろ。
>>180 33歳の厄年で、まあそういった方面からは辞退するってのが
通例だったっけ?しかし、勝家に輿入れしなければ、どうなってた
かな、お市の方。
羽柴秀吉の権威は自然に高まっていったが、それを快く思わない柴田勝家は
「今に見ておれ。わしが武威をもって打ち倒す事など、卵を石に投げつけるより訳の無いことだ」と言いながら
積雪を見てため息をついていたとか。
滝川一益の助言もあって年内は秀吉と和を結ぶ事になり、前田利家・不破勝光・金森長近・柴田勝豊を和議の使者として富田将監を介して秀吉の元へ。
秀吉は和議の件を快諾し、「丹羽・池田などと相談し、宿老共残らず同意を得たいと思います。それを一つの書状にまとめて誓紙としましょう。その由を柴田殿へお伝えください」と返す。
それの報告を聞いた勝家は「寒中ご足労をかけ申した」とねぎらいつつ、心中では「春になれば時候がよくなり、出陣しようものを」と秀吉を上手く欺いた事を喜ぶ。
が、秀吉は蜂須賀彦右衛門と木村隼人に向かい、「柴田から和議の使者をよこしたが、察するに冬の間は出陣でき難いゆえ、和議を唱えた。雪消える春ともなれば、大波の如く攻め上がるつもりであろう。柴田などの愚策をもって謀ろうとは、蟷螂の斧というものである」と。
太閤記の記述だから柴田は馬鹿殿っぽくなってるが、実際大差ないんだろうな。
>>195 太閤記を信頼するのは、「三国志演義」を信用するのとなんら変わりはないぞ。
あれはあくまで「読み物」だ。
太閤記の何を知っているのか知らんけど195の内容は史実と相違無いだろ。
>>197 三国志演義の内容も、流れとしては史実とほぼ相違ない。
だから劉備は聖人君子で曹操はどうしようもない悪逆な人物であることも史実だと?
さあ?
>>199 自分の発言に責任を持てよ。史実だというなら他資料で君の主張を補完出来てから言うものだ。
君がやっているのは、その辺の週刊誌に出てる「実録!自民党総裁選!」とかを信じて
政治を語ってるのとなんら変わらん。
お前ら教わるばっかで調べようとする気も無いだけじゃん。
なんでそんなのに教えてあげなきゃならないんだろう。おれ先生なの?
太閣記って前田家の者が書いたんでしょ?前田にも都合良く書いてあるはず…
>>201 誰も教えてくれなんて行っていない。君が言った事に対してみんなは反証を提示しているだけだ。
君が自説に拘るなら、それを保管する資料を明示する義務がある。
議論スリかえちゃダメだよ?
素直に教えてくださいって言ったらどうだw そうすりゃ教えてやらんでもない。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:51:22 ID:RnXBU1AN
>201
反証を提示って・・まったく関係ない三国演議が信頼できないって奴?
何を根拠に195が問題としているのかそっちの方が知りたいな。
太閤記の記述でもそこは虚飾も何もない箇所じゃん。
言い掛かりで荒らすなって。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:52:28 ID:RnXBU1AN
アンカーみすったw
まあ予想だがID:7L82QsQQ彼は太閤記を読んだ事すらない。
話ぶったぎって悪いが賤ヶ岳でなんで勝家本体は戦ってないの?
>>192 >主君の叔父が親類代表として秀吉に渡さなかった。
信孝は親類代表じゃない、なぜなら信孝の行動をもう1人の後見人である
信雄の賛同も得られていない行為で、完全なスタンドプレー。
>で、この状況でいきなり攻め込むか?
そりゃ攻めるでしょう、なんで躊躇する必要があるのやら。
清洲会談の方針を無視してみせたのは信孝なのに、秀吉が遠慮する意味が分からない。
また秀吉は信孝に非難する文書を送ってたり、丹羽・池田の清洲会談に出席した重臣や、
傅役である堀まで味方につけており、わざわざ会談を開くまでも無い状況を作り上げてきてる。
>これで攻め込むなら、ヤクザと変わらんぞ。
戦国武将なんてヤクザ以上の存在ですが?
大義名分が得られれば攻め込むなんて当たり前すぎる行為。
むざむざ機会を与えた信孝・勝家が馬鹿だった。
>>208 賤ヶ岳での勝家の布陣は山を利用して長期戦に持ち込んで敵の戦意を揺さぶる作戦
↓
盛政の大岩山砦強襲で敵の戦意を大きく揺さぶる
↓
大岩山砦を落とした盛政は敵方の反応から、今なら勝家が前進して正面の敵を破れると進言
↓
勝家側から見ると、正面の敵は堅く見えるし、しかも東野山の堀秀政陣営に動揺が見られない
↓
結局動けず
>>192 会議では信孝信雄が後見になって三法師を安土で養育する
政治は宿老が京都に奉行を出し合って行うだったのでは。
信孝がいつまでも三法師を渡さないことに関しては勝家も非難していることだし
また秀吉が独断で政治を行ったこともいつまでも奉行を送らない勝家にも責任があるとも言える。
まああくまで秀吉サイトの見方、というか実際にそう主張していたと思うが。
清洲会議後の勝家の行動が遅かった理由の一つに前田利家が一揆に苦戦していて
そっちに気を取られていたことがあるかもしれない。
秀吉は逆に信雄の要請を受けて伊勢伊賀一揆を攻めた再に
大和南近江の諸勢力を動員して彼等から人質とったりして勢力を広げている。
大義名分で考えるのは意味ないと思うけどな。
三法師を守り立てることなく天下を取った秀吉も死ぬ間際に、
家康に「秀頼のことよろしく頼み申す。」なんてトンチンカンこと言って、
家康が秀頼を守り立てるはずもなく結局豊臣家は惨めに滅亡。戦国時代なんてそんなもん。
>>212 大義名分では圧倒的に秀吉の方が悪質な簒奪者なんだよ。
太閤記なんかでそれを糊塗するために、勝家はかなり悪く書かれている。
上の「春になったら逆に攻めてくるつもりだった(秀吉の正当防衛だ)」
なんて、実際にはどこにも根拠がないわけだし。
雪には勝てないのよね
>>213 >上の「春になったら逆に攻めてくるつもりだった(秀吉の正当防衛だ)」
どこの話?
>>213 でも勝家も秀吉ほどあからさまではないとしても、織田家での自分の地位を維持したかった訳だし。
あと、真面目に太閤記を資料として持ち出す人はいないでしょ。笑い者だよ。
>>210 それだと戦犯と言われている佐久間盛政が悪いのか、出撃しなかった柴田勝家が悪いのか微妙な所なんだな。
調べてみたら筒井が裏切る予定になっていたとか何とかで、これを待って居たのかも知れないけど。
>217
>195は太閤記の記述だから云々と書いてあるよ。
ID:7L8QsQQが文盲なだけだろ。
>>218 勝家の布陣もさすが鬼柴田というか、少なくとも非難されるようなものではないし、
一方で勝家前進が千載一遇のチャンスだったとか言われてるね。
結局答えを出そうと思ったら秀吉との政治力の差が云々〜って話に持ち込まざるを得ないんだろうな。
事実そうだし。
>>217 織田家筆頭重臣の地位をキープしようとするのと、主家簒奪して主筋の人間を
殺したり追放したりするのじゃ、随分と差があるように思うが。
>>221 柴田は外戚になることで政権を簒奪しようとはしてなかったのかな?
秀吉も勝家も纂奪しようとしてたが政略に負けただけだろう
忠とか義を論拠として相手を非難することは自分の首をしめることになりはしないか
>>222 成人の信孝を当主にしようとしていたところを見ると、織田家乗っ取りは
考えてなかったと思うが。他にもそういう様子はないしな。
>>223 誰でも簒奪するだろうって考えの方が変だよ。
当初は三七を擁立してたかもしれないが、結果的に三法師が家督を継ぎ一門の所領が極端に減ったんだから
他の武将同様勝家にも野心があったと見られても仕方ないかと
またいくら優秀だからといっても、順位的に優位な信雄を差し置いて三七を持ち出すのは
忠義というよりもより安定した織田家を目指しその中で優位に立とうと保身を狙ったのではないかと
単に忠義だけの犬公だったわけではなかったんだろう
信雄は信長の息子の中でも特に阿呆だと思われていたのかと思う。
宣教師評以外も信孝の評判は良さげで、無難だと思ったんじゃないかな。
>>213 長宗我部や雑賀と組んだりしてる時点で敵対する気満々じゃん、
だいたい冬前に和平を結ぶこと自体が今まで諍いがあった証明なんだから、
そのまま平和裏に進むと考えるほうがおかしい。
利家諸将が停戦和議に出掛けたのは小川忠ざえもん(前田方)の覚書だったよ。
つかこんなの捏造する意味なくない?
>>227 当時の文なんか見る限りは開戦一辺倒の秀吉と違って、勝家は戦を避けようとしてるよ
信孝の三法師抑留を非難したりしてるし。
そりゃ単に冬がきたからたろう、信孝も非難はしても依然同盟だし。
勝家は纂奪者というよりもちろん忠犬と呼べる物でもなく己の保身のみ追い掛けた只の爺さんだったんだよ
初めて聞く視点だ。気づかんかった。
つまり信長というのはそのほうけた爺さんをありがたく北方司令官に任命するような武将であったと。
なるほど、信長公は実力より奇妙を求めたのですな。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 23:50:07 ID:hSCq4KNz
信忠パパが死んだら土地は息子の物
だけど ちっちゃいからおじちゃんが面倒みてあげる って事になるんが普通だろうに と、思ったけど よく考えると 岐阜&尾張は織田さんの土地で 残りは株式会社織田 の土地だと思えば 重役の誰かが社長になるのはおかしくないかも
で、 柴田と羽柴が次期社長候補だったみたいな だから まだまだ仕事の出来ない息子たちが社長にはならないみたいな これで 息子だからって偉そうにされたら やってらんなくない? だめですかねこの考え方
いや、それで合ってるんじゃないかな。
専務取締役が中堅の取締役支社長に足許掬われたと思えばよろしかろう。
>>228 その和議で例の3人が調略されたとか聞くけど、真実はどうなんだろな。
通説じゃ3人が退却したのは、佐久間盛政が柴田勝家の指示を無視したからやむなく、という尤もらしい話だが。
>>167 村井重頼覚書で利家は出陣しようとしたが盛政の反対にあった
と書いている。
>>233 保身を追い求める事自体が即ちほうけているとはかぎらんよ
始皇帝に対する王翦と言う事もある
>>238 いや。それはまあ前田方の史料だよね。
個人的には
>>145の勝家が明智討伐をしようとして利家の反対にあい…云々
の史料が聞きたかったのだが(´・ω・`)
>>236 で、その後、社長に納まった中堅の取締役支社長が、会社の株を勝手に
自分宛てに増資して会社を乗っ取り、同じく取締役を務めていた先代
社長の息子二人も会社から追放してしまった。幼少の嫡孫については、
もう価値が激減した株しか残らなかったと。
>>231 只の爺さんが当時日本最大勢力の筆頭家臣だったのか
日本ショボ杉
だってさ家督順位から行けば三法師か茶筅なのに信孝を推して、仮に信孝が一番まともだからという理由だ
としても簡単に引っ込めて三法師擁立に同意しただろ、その後信孝と通じたかといえば少なくとも信孝が秀
吉と敵対するまでは一定のを保ってるし事なかれ主義丸出し。織田家を強固な組織にするつもりがあったな
ら会議ときの織田一門の領地配分や家督にも異を唱えただろうし、勝家の頭には結局織田の存続は必要だっ
たかも知れないけれど国姓爺のような忠義はなかったと思う。市を嫁に取ったのも保身の表われだよ
マジレスすると勝家が真の忠臣なら信長の御台か三法師の母を後見として立てる
>>243 市に再嫁を勧めたのは信孝。
あと、三法師の後見役は形式的とはいえ、織田家の家政を取り仕切ることだから
>信長の御台か三法師の母
こいつらには無理。あと改行よろ。
一連の流れからすると勝家は忠臣か纂奪者かという意見に別れていると思うが君はどっち?
>>245 >忠臣か纂奪者か
何か両極端じゃね?
とりあえず、成人済みの信孝を推してる時点で簒奪する気はないだろ。
どっちかというと鎌倉幕府の執権的立場かな>勝家の目標。
とすると北条政子=織田市か?
信長厨の俺としては勝家は神だったと思う。
>>240 >勝家が明智討伐をしようとして利家の反対にあい
それって通説じゃないの?
お前見たいのが居ると足手纏いだな
当時の勝家の織田家中や他大名や民衆からの評価ってどんなかんじだったの。
家中の評価は、賤ヶ岳で分かれた勢力図のまんまじゃない?
あまり人望はなかったようだな。
それは各将の護身のためでしょ。
京の民衆は勝家贔屓が多かったらしい。
前田、金森レベルなら保身と言えるけど、丹羽、池田は明らかに対立姿勢とっていた。
勝家についた大身の奴って滝川くらいでしょ。
>>255 それも秀吉が勝家陣営に追いやった感じ。
ただ秀吉は滝川にかなり手間をかけさせられたが。
賤ヶ岳合戦記だか江州余呉庄合戦覚書だかで、北ノ庄包囲中に秀吉陣営の武将達から
勝家助命の進言があったが、秀吉が却下したっていう記述があるし、
人望はあったと思う。
秀吉の小早川隆景宛ての書状でも、
心あるもののふは、なみだをこぼし〜〜〜ってのがあったけ。
>>255 >丹羽、池田は明らかに対立姿勢とっていた。
無知ですまん、くわしく教えてもらえないだろうか。
>>258 ♪ ∧,_∧
(´;ω;`) ))
(( ( つ ヽ、 ♪
〉 とノ )))
(__ノ^(_)
>>257 俺も賤ヶ岳の本でその話読んだことあるな
諸将が「柴田殿は大功ある武将なので命だけでも助けてはどうですか?」って聞いたら
秀吉が「柴田を助命するということは庭に虎を放つようなものだ」っつって断ったとか
信長が根切りにしたとはいえ、一向一揆の巣だった越前他の北陸地方を大過なく
治めたんだから行政家としてはもっと評価されるべきだと思うんだ。
勝家は宗徒を高田派、三門派に改宗させて非武装化に成功してるしな。
前田利家なんかは千人余り釜茹でにしてるが。
>>261 高柳さんの本かな。
俺もそれ読むまでは勝家のイメージ悪かったな。
高柳の本は時代を越えても色褪せないよな。光秀の本にしてもそう。
学説なんて時代とともに次々と後から新説が出てきて塗り替えられるものだが
高柳のはそれがない。基本的な部分に忠実なのと、よく史料を読み込んでいる証拠だな
静大の教授も見習えw
231 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/11(月) 22:33:22 ID:zDrdQc1C
勝家は纂奪者というよりもちろん忠犬と呼べる物でもなく己の保身のみ追い掛けた只の爺さんだったんだよ
>>1 夏の夜の夢路はかなきあとの名を 雲井にあげよ、山ほととぎす
勝家も悲しんでいるわな。
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 07:16:45 ID:mycQ6mdE
あげ
後裔の話題はでてたっけな?
でてましたぜ。
わからないけどね。
>>161 >勝家は即座に撤退し明智を討とうとしたが前田の反対で〜
高柳氏の著書で見たことある。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:29:53 ID:RtwdYPQy
669 日本@名無史さん sage 2006/10/01(日) 11:13:44
賎ヶ岳に至るまでに、秀吉は毛利と和睦し、上杉景勝と同盟し、
丹羽・池田・筒井・細川などの織田系大名を完全に配下に入れ、
織田信孝・柴田勝豊を屈服させ、滝川一益を撃破し、柴田勢を孤立させる
ことに完全に成功している。秀吉が柴田包囲網を着々と築いている中で、
外交戦でやられっぱなしの柴田勢の与騎大名が不安に感じるのはむしろ当然。
そんな中で賎ヶ岳の戦いが始まり、柴田軍の指揮系統にまで乱れが
生じてしまえば、利家もやる気もなくなるだろ。
それと勝家が陣を構えた内中尾山が戦線から5kmも後方にあり
与騎大名達が、勝家のやる気や指揮能力を疑っていたのは、
多くの史家が指摘している。
外交戦で秀吉に負けっぱなしで、養子の勝豊にまで寝返ってしまい、
勝家も弱気になっていたのかもしれない。
総大将が弱気になっていたらそれがすぐに全軍に伝わるからなあ。
佐久間盛政の突出は常識では考えられない話で、色々な説があるが、
勝家が弱気になっているために、勝家を奮い立たせ、勝家を最前線に
出させるために、あえて突出したと考えるべきじゃないかな。
それぐらい盛政も追い詰められていたんだろ。
柴田は糞
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:33:23 ID:wHhbTZDs
いつも思うんだが辞世の句って前から考えてんのか?
それとも間際で思いつくんだろうか
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:52:39 ID:wXT3iJ4d
>>274 基本的に用意してるんじゃね?
戦場で働く武将はいつ死ぬかわからんのだし
273はあえてスルーですか?
だれか
>>273の相手してあげてください。
私は怖いのでパス。
オレもパス
↓君やって。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 02:22:49 ID:v2wApyVi
えんがちょ、バーリア
あれ、日本史のナンバー4前田利家スレに書き込んであったやつかと
しかしクソ評価悪いなあ
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 19:04:37 ID:Z7WeMu3a
>>273を読んでやっと納得
いや、秀吉に攻められたとき、前田や佐久間があぼんしても
勝家軍だけでも数万いたんでしょ?、それならもう少し抵抗できただろと思ってたんだよ
(関ヶ原の三成とか最後の最後まで抵抗してるじゃん、柴田軍はあっけないなあと思ってたんだよ)
なるほど最初からやる気がなくびびってて、崩壊寸前だったわけね
これで柴田軍の淡白な敗北の理由がわかったよ。
い
勝
(
よ
な
こ
どこを縦読み?
>>283 >勝家軍だけでも数万いたんでしょ?
まじで?
>それならもう少し抵抗できただろと思ってたんだよ
(関ヶ原の三成とか最後の最後まで抵抗してるじゃん、柴田軍はあっけないなあと思ってたんだよ)
まじで?
内中尾山?
まじでずっといたの?
毛受勝助と共に、賤ヶ岳に残って最期まで闘った人達ってもっと評価されてもいいよね。
兄ちゃんか勝助が母親のことを気づかうエピソードがあったな。
あぼーん
>>283 全軍で数万はいただろうけど
勝家の本隊は1万程度なんじゃ
それに撤退したのは前田隊だけでなく金森などもだし
その撤退を見て勝家本隊からも脱走者が続出したんじゃ
勝家は旗本数騎に守られて退却、毛受勝助の旗本数千が残って時間を稼いだと言うから
大半が逃げ散っていたんじゃ。
>>290 勝家と盛政で1万5000くらい
主力は盛政に預けてるから、勝家本陣は数千くらいだろ
柴田兵は逃げるの早すぎ
よっぽど秀吉が怖かったんだろうね
時間を稼いだ毛受勝助とやらは評価されてもいい漢だね
後世で柴田の評価が低いのはこの最後の戦いで
ろくに抵抗もせず逃げ帰ったからじゃないかね
ここで秀吉軍と獅子奮迅の戦いをすれば評価は違ってたと思う世。
>>292 それはあるかもね。
賤ヶ岳は秀吉の圧勝、大勝利とされた反動で勝家があっさり負けたようなイメージがある。
>後世で柴田の評価が低いのは
具体的に誰のどの評価か分からん。
自分の評価?
それから柴田に関係なく、小者、夫丸みたいな駆り出された兵士は旗色悪くなったら逃げ出す
毛受等みたいな旗本は違うが
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 16:16:39 ID:4EmEopoX
主力が崩壊して逃げ出すのは、めずらしくない。
羽柴もギリギリの勝利。
柴田って城に戻ってから命乞いしてるよね
それで断られて自害と
惨めな最後ですね
最近はそこまで酷い漫画があるのか。
多分脳内資料だろw
朝鮮人かよ
びびり勝家w
他スレ見て思ったことだが
勝家は75年に越前に入ってからは
手取川の時に丹羽や滝川羽柴美濃3人衆等の協力を仰いだくらいで
それ以外はほとんど自分の与力とだけで行動している。
それに対し秀吉は紀伊攻めで北陸軍団以外の武将と共に行動したり
播磨攻めで滝川丹羽明智の協力を受けたり
荒木攻め別所攻めでは主だった武将のほか佐々前田も参加している
四国遠征軍も淡路瀬戸内を秀吉が押さえてる関係から秀吉とある程度縁を
持っている
山崎の戦いでも畿内の織田勢力をほぼ協力させている
清洲会議前の段階で勝家は他の信長の軍団と関係が希薄になっていて
秀吉は他の軍団といろいろ関係を持っていたことも大きいのでは。
なるほど。
事実だから仕方ない。
勝家が本来優秀な大将だと言うことに異を唱えるつもりは無いけど、
佐久間盛政がいかにも敗因を作った猪武者みたいに言われて、責を負わされてるのは非常に疑問。
そもそも兵力数で言っても賤ヶ岳合戦は秀吉の本隊が戻ってきてしまったら
いくら勇猛で誇る勝家軍と言えど、まるっきり勝ち目の無い合戦だった。
だからこそ先制攻撃が必要だったのであり、素早く成果を出して速やかに撤収する必要があったわけだ。
では佐久間盛政はそれが出来なかったのかと言えばそんな事は無い、
中入り自体は奇跡的に成功している、見事に羽柴軍の隙を衝けていて、成果も出せている。
その後後詰をしっかりしてあげれば、もっとハッキリと成果を出せていたかもしれない。
そして秀吉本軍が到着する前に、全軍で整然と引いて守ってしまえば、
秀吉もさすがに容易に手は出せず、その後の秀吉との交渉も相当優位に進められたろう。
というよりそれしか手は無いぐらいギリギリな状況なわけで。
なのにそこまで成功させているにもかかわらず勝負に出れなかった勝家には
やはり老いというか、そういったものを感じる。あそこで引くぐらいなら初めから戦うべきでなかった。
盛政がそこまで先が見えていたとは到底思えないし、そこで勝負したって負ける可能性の方が
結局高かった事はやはり否定できない。
だけど少なくともその若さと勢いで、突破口を切り開く一つのきっかけは作れていた、
勝家が動かないとわかれば、ちゃんと引いていたし、羽柴本軍が到着してしまえば守るため最後まで抗戦した。
それを褒められこそすれど非難されるべき点が盛政にあったとは思えない。
佐久間政盛は秀吉からの甘い誘いも断って勝家に殉じてるし、賤ヶ岳での行動も非難されるばかりじゃおかしいよね。退却にも成功してるし。
やっぱり決定的なのは前田の戦場離脱じゃないの?
佐久間盛政が酷評されるのは前田が大大名として生き残ったからじゃまいか。
しかし前田の世渡り上手ぶりはすさまじいな。
本来なら小早川秀秋と同類なのにな。
>>306 勝家の状況判断が正しかったか、盛政の状況判断が正しかったかは、高柳も微妙な所で分からないと書いてる。
仮に勝家、盛政どちらかの主張が通っていれば、秀吉もこれを打ち破るのは困難だっただろうとの事。
その上で勝家の直接的な敗因は利家の撤退であり、関が原の小早川秀秋の裏切りに匹敵するものだと言ってる。
(一方で当時の常識からいえば、非難されるものではないと擁護してるけど)
盛政の策が間違ってなかったことは明らかだけど、イコール勝家の策が間違ってたっていうのも誤り。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 16:18:08 ID:DXTLVnVT
ようするに、まともに状況判断も出来ず、秀吉軍にビビりまくって引きこもっていた
年老いた勝家が賤ヶ岳最大の敗因なわけだ
秀吉の外交戦略で外堀を埋められ弱気になってたという説がビンゴなわけだね
佐久間は逃げるとき泣いただろうな、自分の大将のあまりの屁たれぶりによ
トップがびびりで動かないんだから、与力大名の前田たちが見限るのも当然だよな
晩年の柴田勝家の弱気ビビり屁垂れっぷりはガチ!ってことで終了w
当時の見方は柴田勝家の指示に従わず、独断で動いた佐久間盛政が悪いのであって
機を見て撤退した前田等はぜんぜん悪くないという感じ。
結果をすべて知ってる後世からみれば戦犯は前田等になるわけだが、TOPの軍令を守らずに動ける軍隊なんてあるのかな?
過去レス見る限り、毎日涌いてるな
よっぽど勝家がお気に入りなんだねw
>>311 慣習からして珍しくないだけで、当時も倫理的には褒められた行動じゃないよ>利家
だからこそ秀吉は前田家を必死に擁護した訳だし、利家の家臣も「うちも2、3人死んだから裏切りじゃないよ」とか苦しい言い訳をしてる。
戦の責任はすべて大将にあり!
戦の責任は、勝っても負けてもすべて大将にあるのは誰もが認めることである
佐久間の暴走や前田の離反も、人心を掌握、
もしくは管理できなかった大将柴田の責任である
それを棚に上げ、敗戦の責任を全部部下になすりつけようとする柴田ヲタは
基地外のレベルである、こんな非常識は許されないはずだ
アンチ勝家は高柳嫁。
安置じゃなくてただの荒らし
ID:DXTLVnVTが特にひどい。
はずかしくないのだろうか。
柴田ヲタといっても俺しかいないわけだ。
柴田の失敗をあげたらきりがない
墨俣築けなかったり、石山合戦で負傷したり、手取&しずがたけの敗戦
実は桶狭間に出陣してない柴田勝家、織田信勝を裏切ってもいる
吉川新書太閤記では命令無視をした佐久間を人選した柴田に敗戦の全責任があると書いてある
>>318 柴田神社って行った事ある?
一度行ってみたいと思ってんだが、結構新しいし、しょぼそうで
権六を不当に蔑める必要はないと思うけどな。逆に忠臣だと褒め讃える必要も皆無
俺は信長の命令として前田と佐々(+秀吉もあるかも)に「柴田暗殺指令」が出ていたのではと思ってる
信長は心配性で神経質で昔のことを根に持つ男だ
信長が一度織田家を裏切ったことのある勝家が大きくなることに不安を感じていたとしたら・・・
信長は信用の置ける、自分の子飼いの前田と佐々を勝家の与力につけて勝家を警戒している事実もある
前田と佐々(+秀吉もあるかも)に「俺になにかあったら勝家を殺せ」と命令が出ていたとしても不思議ではない
だから前田は途中で離脱し、佐々は理由をつけて賤ヶ岳に参戦しなかったのだ
ヤバイこれビンゴだろ、賤ヶ岳の真実が今明らかに!
>>322 その妄想は半分は当たりで半分ははずれだろう
理由は、信長が生きてた場合、林・佐久間の前例を見れば次の粛正対象リスト
の中に柴田が入るのは確実。はずれと言ったのは暗殺よりも追放の可能性が高いこと
柴田に限らないが晩年の信長を見る限り、信長が生きてら家臣粛正のペースは加速度的に進むだろう
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 18:11:51 ID:i2spNGPB
>>322 まず、勝家が織田家を裏切ったってとこから間違ってるけど?
当時、信行の家老だった勝家の状況考えると信行につくのは当然じゃない?
吉川新書太閤記って辺りに二重の釣り針が・・・。
>>324 322は置いといて、柴田はあくまで付け家老であり、
また信行は信長の家臣で、柴田も織田家家臣の身分であるから、
信長を裏切る信行に着いて行くことは連帯的に織田家を裏切ってることになるでしょ。
普通に考えたら謀反人の部下だから謀反人だろうな
ただ、本家から派遣された立場で尚且つ末森衆の中核だったから、かなり難しい立場だったんじゃないの?
実際に信勝(の家臣達)に疎まれて陰に追い遣られてから信長側に走ってるし
謀反と裏切り。
わかるか?
勝家は謀反人について行った
つまり勝家も謀反人。
しかし信長からの裏切りではない。
>>323 おまいさんのも妄想だよね?
>の中に柴田が入るのは確実。
これとか。
勝家はあくまで主君に従ったともいえるからな。その点で、明らかに信長付であり
ながら裏切った林とは立場が異なる。
それから>322 裏切った、というのなら佐々成政も裏切っているのだが。尾張時代に。
信長公記によれば成政は信長暗殺を企んでいる。ただ信長がそのことを認識して
いたかどうか不明だが。
粛清リストを仮想するなら、期間を区切らないといかんと思うんだが。
期間か。期間てなんだ。
柴田ってなんで勝政、勝豊みたいなカスを養子にしたの?
335 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 09:21:56 ID:pWqbuTx3
勝家の持久戦も微妙だよな
長浜と岐阜は落とされ、滝川も動かず、チョウソ壁も動かず、家康も動かず
もうあの時点で万事休すくさいし、あのまま北陸を空けてたら上杉が攻めてきたんじゃねーの?
佐々では上杉軍を抑えられんだろう。佐久間が行った時に全軍で勝負かけたほうが絶対に良かったよな。
秀吉が戻る前なら全面対決で秀吉軍を蹴散らせられる可能性があっただけに惜しいよな。
>>335 佐々成政は守るどころかむしろ攻めて、魚津城落としたんじゃなかったっけ?
337 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 14:16:11 ID:M2zGIbLH
北陸がカラなのにわざわざ上杉を攻めたのかよ
逆襲されたらどうするつもりだったんだろ
柴田の持久戦も水泡に帰すぞ
昨日のショボ太閤記のせいで腹壊した
339 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 15:03:17 ID:uDnYPoho
スレ違いだろ
>>337 当時の上杉は徳川北条と敵対して国内では新発田の反乱
越中の大半を制している佐々からすればそれほど怖い相手じゃないだろ
勝家って史実でもロリコンなの?
なかなか早い釣り乙。
343 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 20:33:09 ID:F0nTCAV9
柴田って本能寺の時点で60代だから、秀吉に勝ってもすぐ死にそうだなあ
しかし市と勝家ってかなりの熟年結婚だね
市は勝家に道連れにされたのか、自分から死んだのか疑問だ。
自ら望んで死にました。
346 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 22:24:38 ID:5Y2Kt6rS
しかし全ての妾を殺してから自分も自害したらしいし、
市も道連れにされただけでは。
347 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 20:39:54 ID:kIf4DtMe
本能寺で織田信長を殺した明智光秀が、弔い合戦を挑む羽柴秀吉らの軍勢を山崎に迎え撃った時。
その明智方に柴田源左衛門尉勝定という男が混じっていた。
名前のとおり北陸方面指令官にして織田宿老ナンバーワン柴田勝家の家臣だった。
柴田姓を与えられているところからも譜代か非常に重用された人物であったろうと察せられる。
本能寺の変には光秀の背後に黒幕がいたかどうか。いたとしたらそれは誰か、
ということで朝廷、公家、堺衆、伊賀者、秀吉、家康、長宗我部元親といろいろあげられる。
もちろん、勝家の場合は越中において上杉勢と対峙していたことは確かであるから、
実行犯という説は成立しない。しかし、明智光秀と結んで間接的な協力者であったか、
あるいは黒幕的存在であったか、については論じられることもほとんどない。
光秀の謀反とその後の秀吉の躍進によって、いちばん貧乏籤をひいたのは彼だからだ。
しかし、光秀と勝家をむすぶ線は意外に太い。
まず、信長の弟信行(信勝)の遺児をひきとったのが勝家。
その後、日根野法印の手を経て、光秀の娘婿となり、その与力となった。
すなわち津田信澄だ。次に信長の上洛にともない畿内管領ともいうべき地位に勝家がつき、
続いて光秀に引き継がれたこと。そして、光秀第二の故郷ともいうべき越前を勝家が領したこと。
越前攻略には光秀も合力している。統治について何らかの「引き継ぎ」もあったのではないだろうか。
だが、きわめつきは、勝家の重臣柴田源左衛門尉勝定である。
彼の妻は光秀の家老斎藤利三の姉妹。しかも最初に妻となった姉が早世した後、
その妹が源左衛門の後妻に入るという結びつきの強さだ。この後室は六十五歳で没した。
法名寿院といい、蜷川家文書(『史籍雑纂』)の中に「じゆいん」として登場する。
もっとも源左衛門がこうした閨閥を利用して、反りのあわない勝家のもとを出奔し、
光秀の家臣になったのだという説明も可能だ。だが、他家の侍が主人と諍い、光秀のもとに仕えるというのは、
ほかにも斎藤利三などの事例がある。新参者の光秀の配下は当然、外人部隊のようで実力本位だったずだ。
武功者には居心地がよかったのかもしれない。
が、源左衛門尉勝定の場合は斎藤利三の話の焼きなおしと考えられなくもない。
だが、事はそれだけでは済まない。
本能寺の変勃発直後、織田氏に圧迫されていた毛利家や上杉家がキャッチした情報は
「光秀や津田信澄、柴田勝家らがしめしあわせて挙兵した」(『萩藩閥閲録』)、
「津田信澄・明智光秀ら七人の主だったものが謀反した」(「六月十九日付直江兼続宛湯原国信書状」)というものだった。
勝家の動機というのも無視できないであろう。
前年、旧悪を罪状とされて林佐渡守と佐久間信盛が追放されている。
最初の主君織田信行の遺児・津田信澄をたてると知ったら、勝家の心は激しくゆさぶられるのではないだろうか。
柴田源左衛門は、光秀滅亡後、掘秀政に仕え、その子秀治について越後へ移った。
この時に青木山城主となっている。関ヶ原の合戦直前に、上杉景勝の後援による一揆が越後国中におこった。
源左衛門はこれと戦った。関ヶ原戦後は福島正則に仕官したといわれている。
時期はわからないが、「福島正則家中分限帳」には、三千石を知行したとある。
また、賤ヶ岳合戦の時、前田利家の家臣村井長頼が堀秀政の隊に先手として働いていた源左衛門に
助けられて危地を脱したという。村井と源左衛門とは以前から音信をかわす仲であった。
戦後、源左衛門は自分の息子を村井の斡旋で小姓として利家に仕えさせている。
これは柴田久太夫といい、五百石の知行をとり、金沢で没したという(「村井重頼覚書」)。
久太夫は斎藤利三の孫にあたるのであろうか。
そうだとすれば、加賀百万石の家中にも光秀遺臣の末裔がいたことになる。
348 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 22:47:25 ID:Retjey3L
349 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 13:52:42 ID:tSD6k2IY
>>346 市は城を落ち延びるの断ってんじゃん
それに道連れにするなら市の娘も逃がさないだろ
350 :
バロン曽志崎:2007/03/14(水) 17:00:26 ID:s91wUJop
まあ、明智遺臣の山崎長徳や津田重久も後に加賀前田家に仕え、子孫も普通に
同藩士になってる訳だが。
351 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 22:11:33 ID:Ft81AWG3
主人換えなんて戦国では生きていく上で当たり前だったからね。
むしろ全く敵の武将につくより幸せなんじゃないか。
352 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 00:39:34 ID:W4P9XR5h
それゆえにブック
353 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 18:57:11 ID:G/TmFquT
浮上
354 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 16:00:35 ID:phKSOfs2
お市以前に妻とかっていたのかな?聞いたことないんだけど。
かといって男色の話も聞いたことない。
355 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 23:23:42 ID:+IQBJ8cC
>354
ゴロゴロいた訳だが。
356 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 23:54:32 ID:EHt5vKqN
勝家に子孫で検索であったんだがこのスレ
357 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 23:55:09 ID:EHt5vKqN
356 訂正 勝家の
358 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 10:34:00 ID:OA+0idzh
関係ないが高杉晋作が柴田勝家をお気に入りだと世に棲む日々で司馬が書いてたが、あれは創作なのかな?
そういう資料は見当たらないし。
359 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 21:23:57 ID:B4AyHd+4
>>354 信長に衆道遊びも大概にしろ、と怒られたと言う話は本当か。
お前が言うな、と言う感じだが。
360 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 11:54:21 ID:AicXt/Kn
>>359 越前統治の9か条の掟書のこと?
あれは怒られたってのとニュアンスが違うと思うけど
361 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 12:26:50 ID:T9BFBMoB
佐々、前田、佐久間以外の拝郷とか毛受とかの与力や家臣に詳しい人いる?
362 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 23:37:39 ID:eSYf5oK4
363 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 20:19:55 ID:t2vXM5tq
364 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 20:56:04 ID:IIWtDxA1
仮に、柴田勝家が明智光秀を破り、さらには秀吉を破ったとしよう。
Q1.勝家は、
・織田信孝や織田信雄らの織田一族
・味方であり、同時にライバルとも言える滝川一益・佐々成政ら
織田家の家老たち
・旧織田家の同盟者でありライバルである徳川家康
を懐柔または滅ぼして、織田家の後継者になることができただろうか?
Q2.Q1がOKだったとして、勝家は、直面する戦国大名たち
・旧織田家の同盟者でありライバルである徳川家康
・上杉景勝
・毛利輝元
を懐柔または滅ぼして、天下を握ることができただろうか?
Q3.勝家は天下をとったとして
・太政大臣
・関白
・征夷大将軍
・その他(管領など)
のいずれになったのだろうか?
365 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 22:33:42 ID:9tB1pGOu
勝家は秀吉のように自分が天下人になろうなんて
考えは持ってなかったろう。
あく までも死んだ織田家当主、信忠の代わりに
誰かを立てて織田家を主家としていったろう。
366 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 06:49:13 ID:zswnCKYg
それはあの時点ではわからんよ。
367 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 22:04:00 ID:uT8LI14L
裏切った利家をまったく責めず人質まで返還。
これに対し秀吉は主君信長の側室を磔にして処刑。
秀吉に比べたらはるかに立派。
むしろ秀吉にすべてを譲って消えて行くというブック。
369 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 21:51:27 ID:ThPI42AJ
>>367 その前に人質とるなよ。返すくらいならw
370 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 02:35:02 ID:HlojFWyt
勝家はせいぜい筆頭家老として織田家内でその他の家臣から
一目置かれるくらいで満足してそうだな。
371 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 17:11:27 ID:tFZRaW8t
勝家は、仮に秀吉を倒したとしても
すぐにポックリ逝きそう。
372 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 17:14:43 ID:PN4fVxrD
家臣の毛受勝照、格好良いぞ!
373 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 14:12:09 ID:yWfSf89/
柴田勝定や柴田勝全って何者ですか?
374 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 00:07:36 ID:Q02LpDpf
仮に勝家が天下と取ったとしても、市と一緒になった勝家が織田家をないがし
ろにするとは思えない。信孝を立てると言った以上、信孝を立てて織田家の再
興を思い描いていたと思う。織田家に尽くすのが勝家の誇りだったんだよ。
375 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 00:28:06 ID:u/dlxy+T
しかし市との間に子がもし生まれれば、その子に継がせるかもしれないな。
376 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 01:22:13 ID:rrzV/n6g
毛利とか尼子とか長曽我部みたいに世継ぎが早死にしないと無理だろ
377 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 07:00:28 ID:u/dlxy+T
市との子だったら、織田家をたてて、かつ自分の天下を示すのにも矛盾がないからね。
信長の甥が継ぐわけだから。
そもそも織田家の後継者は三法師に一度決まっているんだから、正式な後継者でもない信孝は
主筋の一大名として残しておけば十分かと。
378 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 08:14:43 ID:UiJxGI1O
子供が成人するまで寿命が保つか?
379 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 09:42:16 ID:NShm3r1s
>>377 三法師が後継者に決まったと言っても天下人は秀吉が
簒奪してるじゃん。
信孝、勝家が生きてれば信孝になっててもおかしくない。
380 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 01:29:23 ID:j6d6fUtT
近所の図書館にある秀吉?の小説では柴田勝家の扱われ方がひどいなんてもんじゃない
「大した武功が無いくせに権六はいつも威張ってるのだ」「いつも失敗してばかり」「ほれみろ、上杉に負けた」
こんな文章があちこちに出てくる小説。読む気失せた。
381 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 11:51:37 ID:RBPbd0n9
お市が勝家と再婚したのは数え36ぐらいだから、子供は十分産める年なんだね
382 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 22:41:59 ID:MXwnxX5z
>>381 当時の常識としては30代になれば、子供を生ませる役割は終わるのだそうだが、
30半ばの妻に子供を産ませてる大名もいるからね。
383 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 15:10:04 ID:gtK/5ywi
妻妾の生年がわからない場合が多いから、正確なところはわからないけど
>>382 の仰るとおり三十路での出産はちょっと聞かないな
384 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 15:26:10 ID:2adUrY1u
しかしもし男児が産まれていたら、その存在はかなり重いな。
カエサリオン(カエサルとクレオパトラの子)のように、秀吉側からしたら絶対に生かしておけない存在になりそうだ。
385 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 23:28:02 ID:2Y2Tmd/f
>>382 前田利家の正室まつが、最後の子を産んだのは30代半ばじゃなかったっけ?
386 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 15:27:03 ID:9cQb6w1e
まつの末子は千代姫かな?であれば数え三十四歳
387 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 23:15:57 ID:TkTxa71N
12歳から34歳まで22年間で11人の子供か。
388 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 21:01:57 ID:85+/zL94
賤ヶ岳で秀吉に勝ったら家康との関係はどうなっただろうか?
小牧・長久手みたいにぶつかりあったのだろうか?
その場合家康にボコボコにされそうだがw
389 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 22:03:02 ID:7mUcC6DJ
意外と力押しで攻めきる。 敵の本拠地を別働隊で攻撃なんてしない。
ガチで殺し合い。
390 :
人間七七四年:2007/06/16(土) 18:57:13 ID:/KKm62/0
そうかな
勝家は律儀だから必ず信孝を主家として立てるだろう
家康とて織田家とは真っ向から戦わないと思うね
思慮深い考えがあるなら
家臣だってかつての同盟相手である織田家に刃を向けるなら家康に対する忠誠心
は揺らぐだろう
391 :
人間七七四年:2007/06/16(土) 19:01:46 ID:d8OiOz6s
勝家はおそらく信孝を廃してまで柴田の天下を獲ろうとはしないだろうが、
家康は違うだろうな。秀吉同様、それができる(やろうとする)方が少数派だが。
直接の家臣であった秀吉より、同盟者にすぎなかった家康の方が、織田家を乗っ取る場合にハードルは低いかと。
392 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 14:46:05 ID:ueg63fv6
実際自分が権力を持てば柴田家の天下を目指したかもしれない。
律義者と言うのも信孝を擁立したまま死んだからそう評価されてるだけで実際のところはどうだか分からん。
逆に秀吉が負けていれば秀吉=忠臣、勝家=簒奪者という構図も十分有り得る。
393 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 17:18:52 ID:wy4nCHvs
それはないな
だったら信行謀反失敗時点で他家に逃亡するだろうし
もし天下を望むならそれ以前に信長に頼まれ養育した信行の子信澄を駒に使うだ
ろう
まあ、いずれにせよ、天下を望むには歳を取りすぎている
394 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 11:48:11 ID:HU2qBS/G
>>393 それはないって言う根拠は?勝家忠臣説は信孝を立てて死んだからそう言われるだけで、秀吉を破って権力を握ればどう動いたかわからない。
信長生前に信澄を立てたところでは家督を継ぐ正当性がないから誰も賛同しないから無意味だし、清洲会議で立てるにしても本能寺直後に死んでるからこれも無理。
天下を狙うには歳を取りすぎていると言うが、一般的に勝家の享年は60ちょいくらい。家康が関ヶ原時に59だからそんな無理な歳でもない。
395 :
394:2007/06/18(月) 12:35:30 ID:HU2qBS/G
勝家野心家説を散々書いといてなんだが成人の信孝を立てるあたり清洲会議時点では秀吉ほど野心はなさそう。
もし秀吉を倒した後、野心が鎌首を擡げてくる可能性はあるが。
396 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 02:49:11 ID:hKYj4Np6
清洲会議後の対応からして織田家筆頭家老の座で
十分満足してそうだが?
397 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 05:54:16 ID:PWELIrVW
勝家が主家を乗っ取った所でどうやって政権を運営していくの?
実子はいないし、養子同士仲悪いわで政権の展望が全く見えない。
秀吉が天下を取ったのは秀吉がちょっと異常なだけで、織田家重臣である勝家が全てを失う
リスクを負って天下を狙うという考えに至るとは思えない。
398 :
人間七七四年:2007/06/21(木) 07:25:13 ID:KtfaPC/q
筆頭重臣で満足しそうってのは現在伝わる勝家のイメージだろ?
秀吉も実子がいないのに天下を取ったわけだが。養子同士が不仲とはいえ勝豊は間もなく病死するから問題なし。
展望が見えないってのも勝家が敗れたからその先が未知なだけで実際やってみなけりゃ分からない。
秀吉がちょっと異常というのも後に天下を取ったという事実からくるイメージであって、
勝家が勝っていれば同様にリスクを負ってでも天下を狙った可能性は0ではない。
399 :
人間七七四年:2007/06/21(木) 21:40:58 ID:8C3UirPu
俺の妄想だと勝家は自分の織田家内での高い地位を守るため秀吉と対立してしまったんじゃないかと思う
筆頭幹部でいられるなら当主はどうでもいい感じ
400 :
人間七七四年:2007/06/21(木) 21:42:33 ID:8C3UirPu
だから幼い三法師を擁立しようとする秀吉が危険
401 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 09:30:02 ID:HSYvfEK8
>>398 そりゃ可能性は0ではないだろうが、限りなく低いだろう
そもそもどうやって秀吉に勝利した後、信孝から権力を奪取するのか?
お市の方を迎えた時に、諸武将に対して織田を盛り立てる意を明確に表したと思う。
後、別に秀吉が天下を取るまでの軌跡はイメージでもなんでもなく十分異常だと思う。
織田家そのものに叛いた過去もないし、結局織田家の枠から抜け出せない人だと思う。
402 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 15:21:15 ID:eWqy9FJl
現代で評価低いとか言ってるけどゲームとかだと秀吉より評価されてるよね
403 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 21:05:42 ID:r8lMBCPJ
自分もそう思うな。>秀吉が異常
主家の簒奪というのは本当に難しい。
当然ながら、力で奪い取ってOKなら、そいつの天下も力で奪いとってOKになるから、周囲を納得させる正当性をもたせるのに
秀吉もそうとう苦労している。
その点で秀吉ほどアイデア豊富とも思えない勝家では、仮に野心があっても天下簒奪までは難しいだろう。
404 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 00:13:53 ID:dk5Q4al9
>>402 まぁ、晩年耄碌したこと差し引いたらあんなもんじゃね?>秀吉
勝家は太閤立志伝だと他のゲームより高めに設定されてるな
405 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 00:21:00 ID:dk5Q4al9
>>392 仮に勝家が勝って、さらにもしも織田家乗っ取ることがあっても秀吉=忠臣にはならんだろw
そうなったら
秀吉=幼君担いで主家乗っ取ろうとして失敗した人
になるだけ
406 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 14:08:38 ID:wTQ5Hps+
>>405 勝家が織田家乗っ取りを行えば実態はどうあれ、それと敵対した秀吉が持ち上げられるってことだろ。
現実で勝家が忠臣扱いされてるようにさ。
407 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 16:26:03 ID:9IPZat8L
秀吉忠臣はあり得ん
幼児担ぎ出した時点で説得力なし
老齢の勝家の跡目どうすんだろ。
409 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 12:20:05 ID:LQLzLo7y
勝家や佐々成政は信長に謀反した事があるから(成政は未遂)
織田家臣の大半は清洲会議や賤ヶ岳の時点では秀吉のほうが忠臣と思っていたはず
丹羽や池田、蒲生、森、堀だけでなく
織田一門の信雄や信包、有楽まで秀吉支持だったからね
410 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 17:58:15 ID:bsG2QP2L
山崎の合戦で多少戦功が有ったとはいえ、
次男で織田家内の序列も高かった信雄じゃなくて信孝推した勝家もかなり説得力ない
つうか他家を継いだ子供よりも織田家当主だった信忠の息子である三法師を推す方がまだ筋が通ってる
秀吉が織田家の忠臣でないのはその後の歴史が証明したとおりだが、勝家も人のことは言えない
411 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 21:33:35 ID:9+ryOpoW
勝家って昔から推す人間間違えてるような気がしてならない。
ちょっと小利口だからといって本来の順列をみだらに乱していいという話じゃないだろう。
412 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 21:45:39 ID:EdEs+w5q
当時の価値観として、長子/嫡流相続が絶対なの?
413 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 21:51:19 ID:htdeUSHR
絶対
414 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 22:20:52 ID:/fNn/UUX
絶対とまでは言わないが、優先順位は高い。
415 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 22:42:47 ID:+wLOqDMg
摘庶の順を考えないで相続させる家は大概とんでもない事になる罠。
416 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 00:56:33 ID:FOxYOllG
信雄と信孝が吉川・小早川になっていたなら織田の天下になっただろうか
417 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 12:38:50 ID:LcKAVFWc
信長が元就くらいまで長生きしてればね。
418 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 13:05:06 ID:R3VbqZ7C
豊臣も家康に潰されるんだから因果応報だなw
秀吉ざまあw
419 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 13:05:12 ID:iD8G5XK0
信雄と信孝なら両川は両川でも
小早川秀秋と吉川広家になって織田家潰しそう
420 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 13:08:12 ID:R3VbqZ7C
421 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 19:33:31 ID:AZ3RaJl/
>>418ほど極端じゃないが、因果応報だとは思う
豊臣側は期待してたのにあっさりと信雄・長益に見捨てられたあたり
つーか柴田と全然関係ない話だけど
422 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 06:16:32 ID:N0qHStph
良くも悪くも織田家という枠から飛び出せなかった武将だろ、勝家って。
仮に賎ヶ岳で勝ったところで、自分が天下を取ろうなんて発想自体浮かんできなさそう。
423 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 08:05:15 ID:gNgtGeib
どこぞのゲームのようなゴリラじゃないんだから
424 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 13:32:10 ID:1w4hQSvs
大河ドラマと小説とゲームの枠から飛び出せなかった発想だろ、
>>422って。
425 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 19:34:23 ID:Dni84Vcx
じゃあ勝家が勝ったとして
織田家の家臣という枠から飛び出し天下を狙うであろう推論を聞かせてもらいたいな。
罵倒するだけなら馬鹿でも出来る。
426 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 20:54:12 ID:1w4hQSvs
それってただのIFだろw
しかし、もし勝家が○○してたら忠臣じゃなかった〜とか、甚だしくは秀吉が忠臣だとか。
幼稚なたられば話しかねぇな、このスレw
427 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 22:00:05 ID:Dni84Vcx
もし〜だったらを想像するのは当たり前だろ。
史実だけ語ってて話が膨らむか。
それよりも勝家が自分の天下を狙うであろう推論を早く聞きたいな〜
428 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 22:27:51 ID:1w4hQSvs
何で当たり前なんだ?IFやら架空戦記でシコシコすんのが当たり前なのはお前くらいだよw
もし、盛政の進言通りに勝家が狐塚から前進して堀秀政らの防衛線を打ち破れていたら〜
もし、その後信孝に嫡子でも出来て圧し込め隠居にでも追い込めれば〜
と無駄なIFを積み重なればなんとでも推論出切る訳だが。
ただ、勝家の年齢、政治的状況、戦力差からいって現実的に無理。よってこの仮想は全くの無駄です、ゆとり君。
429 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 22:52:44 ID:ZX7hmSNA
大河ドラマと小説とゲームの枠から飛び出した発想を持つ
ゆとりじゃない人の勝家論を聞きたいもんだな
430 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 23:01:52 ID:1w4hQSvs
勝家論って何ですか?w
どちらにしても、○○最強だとかで罵り合うことしか出来ないここの住人には無理な話
431 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 01:07:27 ID:OxPNlnfN
結局は他人のレスを
罵ることしか出来ない奴だったな
432 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 07:12:26 ID:AE6MMoIv
問題は勝家が織田家を越えた物の見方が出来ていたかどうかなんだけどな。
433 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 08:12:02 ID:Z6VPUqXq
勝家が織田家中心に物を考えてたこと自体は別に悪いことではないと思うが。
エテ公みたいに織田家乗っ取って天下を、てのだけが評価の対象か
434 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 21:08:53 ID:P8doPyRd
善い悪いで歴史を論じてもな
435 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 01:15:37 ID:YL9nIBhE
ウッキッキ
436 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 06:23:18 ID:SOq1xCYE
勝家は織田家への忠誠はあるが信長への忠誠はない
秀吉は信長への忠誠はあるが織田家への忠誠はない
もっともこの時代後者タイプのほうが多いのだろうが
つーか清洲会議や賤ヶ岳で信孝以外の織田一族がほとんど秀吉支持に回ってるあたり
信長に謀反を起こした経歴は痛かったな
437 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 07:22:01 ID:p4myyRqD
清洲会議で重臣や織田一族が秀吉支持にまわったのは
連中が勝家のことを信用できない不忠者だと思ってたからじゃなくて、
秀吉側に理と力が有ったからでねーの
信行を見限って信長に転んでからは信長一筋だし
438 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 07:26:09 ID:rdY7zOlR
信孝もいくら明智の縁戚だからといっても、織田一族の信澄ぶっ殺してるあたり
印象は悪いだろうな。
439 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 11:16:28 ID:YL9nIBhE
秀吉厨が正当化に必死w
秀吉って秀吉厨が大嫌いな狸大名の家臣に乗っ取りと非難されてキレてたなw
440 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 11:30:12 ID:p4myyRqD
アンチ秀吉は本当にどこでも沸くな
勝家と関係ないことなら書き込みするなよ
441 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 11:37:34 ID:YL9nIBhE
秀吉信者ファッビョーン
早く柴田と信孝貶めて秀吉=忠臣の脳内補完しようぜwwwwwww
442 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 12:10:18 ID:mgxxt+/h
>ID:YL9nIBhE
お前本当は勝家のことなんてどうでもよくて秀吉叩きたいだけだろ
アンチスレ一杯有るんだからそっちに逝けよ
443 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 12:31:52 ID:YL9nIBhE
秀吉アンチとは無礼な
なんでも正当化する秀吉厨がキモくて嫌いなだけだよwwwwwwwwwww
444 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 16:22:11 ID:shPdfgxX
>ID:YL9nIBhE
こいつはただのアンチ厨なので
ほっとくが吉。
445 :
一氏おぼえ書きより:2007/07/14(土) 16:51:03 ID:XAdkHx2F
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446 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 11:09:30 ID:750/Fc6/
秀吉信者が痛いのは今に始まったことじゃないし
勝家の話してやれよ
447 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 15:21:29 ID:8pEMKtRY
まずお前が勝家の話をしろよ
448 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 22:00:54 ID:NVbUeLzX
秀吉との関連ばっかりで織田勃興期の奮闘ぶりに対するレスが無いな
449 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 13:31:17 ID:zyJq5ClG
最後があまりに酷いからね
ろくに戦わず逃亡で自害で終了だもん
語れば語るほど惨めになる
上杉にも負けたという話もあるし
450 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 19:35:18 ID:pe2Qb8/Q
また秀吉儲か
こいつらだけでスレ進んでるなw
451 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 00:58:22 ID:zCYnl+mY
死に様かー。しかし
勝家が死んだ時とほぼ同じ年齢なのに痴呆症で人前で小便ちびってた秀吉の方が惨めと言えば惨め
452 :
人間七七四年:2007/07/21(土) 21:48:35 ID:v5F4wymY
秀吉の方がひどいなw栄華を極めて畳の上で死ねたんだから幸せだったろうけど
まぁ戦国武将の死に方をどう感じるかなんて人それぞれだから話題に向かない
ところであるサイトで見たんだが
勝家の越前攻め総大将と越前入封に柴田氏-斯波氏の関係が政治利用されたという仮説があったが
どうなんだろう
453 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 10:12:26 ID:TMu4K/o7
柴田氏は斯波氏の傍流って説があるけどどうなんだろうか。
本家が健在なのに分家が守護代の家臣になることってあるのかね?
454 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 13:42:24 ID:hQatSfC5
455 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 15:33:56 ID:QeqY1skm
456 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 03:37:16 ID:REoNu51s
age
457 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 13:24:54 ID:6cT6Qi/W
あげ
458 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 09:11:01 ID:h8LUAxrw
柴田を世に示す為には、単身で勝てなければ意味無かったんだろうけど
仮に慎重期して
徳川・滝川・信雄・長宗我部・雑賀と共に包囲網展開してたら、
秀吉に突破できてたとは思えんな。
柴田徳川の連合政権かも
459 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 16:26:18 ID:9JZyBD1S
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460 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 17:20:36 ID:AL1UWxis
461 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:50:14 ID:d1KeEsCN
>>458 >徳川・滝川・信雄・長宗我部・雑賀と共に包囲網展開してたら、
信雄は信孝の間違いか?
とりあえずそのパターンでも、年齢的に勝家が先に死ぬだろうから結局徳川政権だな。
自分のイメージでは、宿老合議制の織田政権(一応信孝が主体・勝家が家宰)が誕生、徳川は面従腹背。
→勝家死去後に瓦解
→徳川orその他勢力に吸収
462 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 19:53:04 ID:YsbHH1P3
柴田って織田家臣団の筆頭ってよく言われるけど佐久間失脚までは佐久間が筆頭で、それからは信忠だよな…
463 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:49:55 ID:7h3z/WUM
信忠は家臣じゃないから。後継者だから。
464 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 02:40:56 ID:ppzTSM4W
柴田家の出自って謎に包まれてるよな。
>>462 家格的にはそうでも、一国を最初に与えられたのは勝家が最初では?
465 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 02:55:51 ID:7uNYg4az
466 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 04:23:41 ID:IObXkhbk
>>465 荒木は自分で切り取った感じかな? 統治を委任って感じとは違う。
467 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 10:26:31 ID:TficrWra
織田家中で国持ち守護に最初になったのは天正元年九月に朝倉氏を滅ぼした後に
旧朝倉家臣の桂田長俊(旧姓:前波)を越前守護代とし、旧朝倉家臣を支配
しかし朝倉家中では桂田より身分の上だった安居景健(旧姓:朝倉)、朝倉景胤や野心の強い富田長繁の謀
反により討たれ、さらに実権を掌握しようとした富田は一向衆を引き入れ、越前
は混沌とする
次いで国持ち守護になったのは馬廻だった塙直政を抜擢
天正二年五月山城守護
天正三年三月大和守護兼任
柴田勝家の越前守護受任は天正三年九月
同時期の織田家臣の所領は佐久間信盛が近江二郡他尾張の所領
滝川一益が北伊勢四郡
羽柴秀吉が北近江三郡
明智光秀が近江一郡
従って塙直政は大抜擢と言っていい
天正四年五月直政は光秀、細川藤孝、荒木村重とともに本願寺・雑賀衆を攻める
が直政は数千挺の鉄砲を有する雑賀衆に討たれ、光秀らは反撃され天王寺砦で包
囲される
信長は直ちにわずか三千の兵で電光石火、数万の本願寺・雑賀衆に包囲された天
王寺砦を負傷しながらも解囲救出
その後、塙一族は粛清された
468 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 11:33:10 ID:s2nPq02z
>>467 山城は少なくとも明智・細川が支配権を認められている。塙はたしかに山城守護
とされたが、その領域は南山城の一部であり、一国一職支配には程遠い。
彼が国持ち守護となったのは翌年、大和守護を兼ねるようになってからかと。
469 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 12:44:41 ID:cTSdHst/
でもそれだと柴田も府中の3人に敦賀の武藤、大野の金森でってことにならないか?
佐々金森は柴田の与力としても武藤は・・・
470 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 13:45:06 ID:TficrWra
確かに直政の山城守護は言い過ぎかもしれないが、前年(元亀四年―天正元年)
の義昭との衝突前後の京都近辺の行政を仕切っていたのは直政と佐久間信盛、滝
川一益。天正三年には光秀、丹羽長秀とともに賜姓され原田姓を名乗った
直政は宇治川以南の国衆にも指示していたから山城の一部は直政治下と見ていい
のだろう
光秀は本願寺・雑賀衆攻めの際は直政の指揮下に編入され、他に三好、根来衆も
配下に入れていた
柴田勝家は越前の内、八郡を支配下に置いているから事実上、国持ち守護として
見ていいのでは?
後の前田利家も能登国主となるが、領内には信長から受封された長連龍がいたし
471 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 16:19:35 ID:cTSdHst/
なるほど
472 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 11:54:01 ID:yK2a5oZU
前田利家と佐々成政の居城を逆にして
賤ヶ岳の合戦で佐々が前田の代わりに参加してたら
もう少し良い勝負が出来たかな…
473 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 12:45:55 ID:ab/BBh89
同意
474 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 21:59:29 ID:lfNcxo6h
その時歴史が動いた
475 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 22:45:59 ID:UCL34xg2
ありえない番組構成だったな
佐久間の奇襲を勝家が指示したとか言ってるしw
476 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 23:00:17 ID:ab/BBh89
しかし驚いたのは
勝家が北ノ庄で自決する際に“息子”に肖像画を託して逃がしたこと
その子孫がいるのも驚きだが
“息子”って実子?
昔、勝敏という実子がいたとか怪しげな本見たことあったけど
なんの本か思い出せないが
477 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 23:11:07 ID:FKdbBoMz
福井県民は石川県人が嫌いなのかな。
478 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 23:13:40 ID:I/gEg+wW
ヒント:その時歴史が動いた
479 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 00:16:19 ID:jldLk/if
NHKの歴史番組
・そのとき歴史が動いた:バラエティ
・高校講座日本史:ガチ歴史番組
480 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 01:38:20 ID:HzmBeWdw
義理人情になけたけどさ、実子いたら勝豊を嫡子にしてんだ?
あの子孫さんは、兄弟かなんかの系統じゃないの?
481 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 03:04:06 ID:HQj+EhU+
明智家の家臣で、柴田姓の者がいたが縁者?
>>480 甥の子孫の筈。
482 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 10:05:33 ID:R+maTo0m
>>481 勝家の家臣と丹波の豪族の両方の説有り。
483 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 13:11:59 ID:uP1Zb1sV
明智の家臣の子孫がなぜ勝家の画像を所持している?
484 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 13:49:59 ID:mRsjuWXP
けつろん:無断で戦線離脱した前田利家が悪い
485 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 14:16:19 ID:4hDT8U5q
唯一のチャンスで動かなかった勝家の責任だろ
もう外交でメタ糞にやられてんだから
直接対決で決めなアカンよ
秀吉のいないときが唯一のチャンスやった
秀吉がいなければ向こうは烏合の衆で
おそらく勝てただろうに・・・・
こういうとこで決断できないとこがイマイチ
評価が上がらない原因だろうね
486 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 14:17:35 ID:2aoRvhiy
大雪で道つくってたんでちゅよ
487 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 16:01:44 ID:DHflo02H
そうでちゅよ
488 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 16:25:47 ID:uP1Zb1sV
勝家は前田の背信をある程度予期していたから積極的に出られなかったのでは
盛政の戦術眼は過小評価され易いが、敵の背後に進出したから素早く勝家本隊と
挟撃するのは戦術上当然で盛政の意見具申は正しい
迅速に行動しなければ盛政のせっかくの奇襲効果を打ち消し盛政自身が孤立して
しまう
前のレスに書いてあったみたいに前田でなく、佐々なら勝家は攻撃に出ただろう
盛政は勝政のように容易には潰されず、何度も追撃してきた秀吉軍に手痛い損害
を与えつつ後退し、隊を再編成し、反撃を加えようとした時に前田が撤収したた
め盛政隊は裏崩れを起こし瓦解した
秀吉軍の第一の戦功はどう見ても前田利家だろう
489 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 17:31:37 ID:4hDT8U5q
佐久間盛政・柴田勝政軍は、20日早朝1万5千の軍勢で余呉湖西岸より賤ヶ岳の砦を破り、
東に廻って中川清秀軍1千の大岩山を占拠、その後なぜか「兵を休める」などと言いそこに留まる事に
それを聞いた勝家は再三にわたり、盛政に引き上げ命令を出しますが、盛政は余呉湖の周囲に兵を置いて動かなかった
その後、秀吉が戻ってきて佐久間、柴田勝政軍はあっけなく敗走
前田軍は敗走する佐久間軍を1キロ東の茂山砦から見ていた
そして考えた、今更、行市山の陣城に戻っても到底秀吉軍の勢いはとめられないだろうと
ここは一旦引いて再起を期すのが賢明な判断だと
そこで塩津から越前府中に退くことに決定した、周りの武将もみんな同意し従った
柴田軍は狐塚まで前進していたが、佐久間、柴田勝政勢の敗走を知ると
兵が脱走して最後は3千名のみであり、勝家は留まって決戦行動を主張したが
側近が北庄に帰っての再起を懇願したので、北庄に引き揚げることになる
490 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 18:43:40 ID:pBR6Gkfb
おまいら佐々成政を小さく見すぎ
491 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 22:46:09 ID:uP1Zb1sV
・盛政後衛長原彦次郎は湖畔に沿い退きながらも取って返し敵を防ぎ、宿屋七左
衛門は尾屋路山、庭戸浜でよく敵を防いでいた(渡辺勘兵衛記、浄信寺文書)
・盛政は隊を整頓し南方切通付近で賎ヶ岳からの敵を防ぎながら勝政に合流する
よう求めた(賎ヶ嶽合戦記、渡辺勘兵衛記)
・盛政後衛は鉄砲でよく防ぎながら朝四ツ時分(午前十時)、盛政は峰筋へ引き
上げ、湖畔の全兵を権権原坂に収容した(賎ヶ嶽合戦記、渡辺勘兵衛記)
・柴田勝政は討たれが、盛政は勝政の兵を収容しつつ、列を乱しながら追ってく
る敵を邀撃した。峰筋の高みにある盛政は多数の敵に対しても備えを崩さなかっ
た(江州余呉庄合戦覚書、一柳家記、渡辺勘兵衛記)
・盛政左側背背を援護していた前田利家は突如陣地を放棄、敵の猛攻を防いでい
る盛政隊の背後の塩津谷を遮断するように移動し、敦賀へ向かった。敵に一撃加
えようとした盛政隊のみならず、前田隊より前方にいた柴田側の軍勢にもそれが
裏崩れに見え、脱走する者も少なくなかった(江州余呉庄合戦覚書、賎ヶ嶽合戦
記)
・盛政隊はそれでも奮戦し、佐久間安政、原彦次郎らが気をはいたが、力及ばず
濆乱した(江州余呉庄合戦覚記、賎ヶ嶽合戦記)
492 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 23:47:15 ID:s/A0q6WF
>476
立派な家だけど相続税たいへんだろうな
493 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 01:30:01 ID:Cl6IW2cD
>>485 最大の敗因は言うまでもなく利家の離脱だよ。
勿論勝家が狐塚から前進することが唯一の勝機だった。
しかし高柳氏は堀隊を撃破することが困難であるという勝家の判断に一定の理解を示しているし、
その上でその堀秀政を確実に自陣営に引き込んだ秀吉の政治力と勝家の政治力との差。
そして小早川秀秋に匹敵する裏切りとして、前田利家が決定的な敗因を作ったと見なしてる。
494 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 02:02:43 ID:WOH1MU30
利家が裏切ったと、戦前から秀吉と通じていたというのは嘘
実際、利家軍が離脱したときに堂木の木村重茲、蜂須賀家政が攻めてきて合戦してる
この戦で利家軍の武将が何人も死んでいる
府中城に帰った後も秀吉軍の出方次第で戦があると考え
戦の準備してるしね
495 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 02:24:33 ID:Cl6IW2cD
退却中の混乱で数人討ち死した事実でもって、「こちらも被害が出たから裏切りではない」とかいう強弁は前田方がしてたな。
前田家譜では利家は敗戦を謝す勝家を責めず、府中で防ぐから落ち延びるようにと述べたとか。
これは矛盾が生じる逸話だし、御家を守る、前田家の体面を保つ為とは言え、みっともないことこの上ない。
496 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 02:36:18 ID:HZ9yZwxb
勝家は利家に裏切られたにも関わらず人質の利家の娘摩阿を利家に籠城戦前に返した
勝家の人間的にすばらしいとこだが
それに反し秀吉はその摩阿を側室にした
秀吉の養女豪姫の“実姉”を側室にだ
しかもこの時、摩阿はまだ11歳
秀吉はロリコン変態野郎か
497 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 10:32:00 ID:IbBdzkqO
勝家は離脱した前田を責める気にはならなかった
なぜなら最初から負けるのがわかってたから
負け戦に協力してくれた前田にはただただ感謝するのみだったという
いい話だな〜
498 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 10:54:52 ID:8EyFPD+j
前田関係の歴史捏造は異常
武勇伝少ないから仕方が無いのかもしれんが元戦友を踏み台にしすぎだろ
499 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 17:58:18 ID:kmTDvqyW
500 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 19:38:42 ID:zhIzlAsn
前田は歴代こすい手を使って生き残ろうとするな。
まあ大名としては当然そうあるべきだが。
501 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 01:17:38 ID:kSbzOA3L
めざとい藤堂高虎よりマシだと思うが
502 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 01:33:55 ID:DGqxHfzW
>>501 藤堂高虎は別に目ざとくないだろ。自分の能力と技術で堂々と生き残ったテクノクラート。
つーか前田のは「誰々と比べてマシだからどうこう」って言うような話か?浅ましいのう。
503 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 01:36:31 ID:j92jit/A
藤堂厨うぜぇ
504 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 03:25:12 ID:XkrKXT+D
高虎が「自分の能力と技術で堂々と生き残ったテクノクラート」つう意見には失笑してしまうがw、
先に関係ない高虎と比較して前田を擁護しようとした
>>501さんも良くないと思いまーす
505 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 17:09:57 ID:UvIBb97c
とはいえ、織田北国部隊の柴田佐々信盛が忠臣だったのは事実
信長もそれがわかってて領地的に東西両サイド固めたんじゃなかろうか
506 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 18:57:13 ID:EFXJ3Vr9
信長が一番信用してたのはホモダチ&娘婿の前田だろ
507 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 21:09:50 ID:DGqxHfzW
>>506 ホントに信頼してれば近習にしてるわな。
相互監視させる形で地方で使ってる理由を考えろ。
508 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 22:52:53 ID:i+xiwkIx
509 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 23:22:54 ID:dyH19Kv6
どっちも能力はちっとも信用されとらんな
510 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 00:12:41 ID:aScLInib
されてるだろ
511 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 00:30:29 ID:G8SPs/ND
>>510 一軍を率いる将としては、丹羽も前田も評価は低かった。
512 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 00:46:37 ID:gPSXc6lf
>>511 軍を率いる将としての能力なんて、天下統一後は必要の無い才能だわな。
実際信長が天下取ったら、つーか中国と関東が片付いたら、勝家や秀吉なんてのはさっさと閑職に追いやられて
丹羽みたいに実務能力のある人間が権勢を握っただろうね。
513 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 01:21:58 ID:29fTyeq8
丹羽より実務能力のある人間は他にもっといたと思うが。
菅屋長頼ら五奉行あたり。
514 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 12:48:15 ID:uQHlJ+aB
なにかの本に信長の明国攻めの会合は譜代の家臣のみで話されており
秀吉光秀滝川らは噂しか聞けなかったと書いてあったな
結局信用してたのは先祖代々って事かね
515 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 17:43:17 ID:gPSXc6lf
516 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 12:45:51 ID:gypdQ0lw
>>505 勝家は信長に謀反をしたし
佐々成政にいたっては信長を暗殺しようとしたんだがな
517 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 12:57:30 ID:PvTy+/Mc
信長は中堅どころでは娘を嫁に出した前田、丹羽、蒲生を信用してるぽい
518 :
たられば君:2007/10/16(火) 13:18:13 ID:B/7g80td
信用うんぬんならなぜ明智の名が出ないのだろう
519 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 14:10:25 ID:qUE5kgkr
丹羽長秀の東美濃攻めでの攻城戦や調略は高く評価できるし
信長上洛後の京都での政務もそつなくこなしている
安土城築城も大任であったし
520 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 14:14:27 ID:7RyX4CON
信用してる相手に娘を出すわけがなかろうて
521 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 17:19:29 ID:/NQnYLcY
出すだろ
よく働いた部下の家に自分の娘を嫁がせるとかさ
522 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 19:15:00 ID:1Og3E+II
523 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 23:50:03 ID:amXrRAJu
>>522 前田は信長には絶対服従。信長公のされたことは正しいので真似ろが遺言だが何か。
524 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 23:52:07 ID:eK2V3GFn
>>523 遺言がそうだから絶対服従ってめでてえ頭だな。
525 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 00:43:25 ID:i+BO1Owq
放逐時に勝家・可成・その他小姓だけが前と同じように訪ねてくれた事から
「落ちぶれている時に手を差し伸べてくれるのが真の友人」と言いつつ、賤ヶ岳であれだからな。
美談だけでは判断できない。
526 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 11:24:00 ID:9qXLg6uI
柴田、前田、森は若いころからの大親友
だから柴田も自分の破滅に付き合う必要ないと言って前田を秀吉に下らせたんだよ
人質を返したのも自分の器量うんぬんじゃなく親友の娘だったから
前田と柴田は最後まで良い友だった。
527 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 11:25:15 ID:+xoUJXce
『友情』という倫理観が日本に入ってきたのは明治以降。
528 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 11:53:10 ID:8ykc884V
前田厨の友情観念はハイエナにも劣る
織田厨的に言うと光秀秀吉前田の3人だけは許せない
529 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 13:46:04 ID:5oQ0qo/u
友と呼ぶにはちょっと年齢離れてないか
530 :
たられば君:2007/10/17(水) 15:00:20 ID:Ofc2Cws1
賤ヶ岳はヤオ
531 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 22:16:22 ID:nlEpfssq
賎ヶ岳の前田利家の裏切りで直接とばっちりを受けたのは佐久間盛政もそう
賎ヶ岳では利家は秀吉の追撃をよく迎撃していた盛政をいち早く援護しなければ
ならなかった
実は利家は盛政に恩義があった
本能寺の変後、能登石動山にかつて上杉に内通して国を追われた旧畠山家臣温井
景隆、三宅長盛らが上杉勢、一向衆の支援を受けた4300が石動山と荒山城へ上陸
占拠
利家は盛政に救援を依頼
盛政は直ちに2500の兵で来援し、偵察により荒山城に温井、三宅のいることを確
認し、電撃的に奇襲し、温井、三宅を討った
これにより利家は危機を回避できた
しかし盛政は加賀尾山城攻略時や賎ヶ岳でもそうだが、事前偵察し敵状がわかる
と直ちに電撃奇襲が得意
割りと盛政は戦術能力が高い方みたいだ
秀吉も殺したくなかったようだし
532 :
関連スレ:2007/10/17(水) 23:08:12 ID:BCrPQdLz
お、スレ立て報告乙。
そして賤が岳はヤオに同意。
534 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 22:19:17 ID:6MdjFXR8
>>531 勝家は勝政、勝豊じゃなくて盛政を養子にすればよかったな
535 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 00:45:41 ID:aWs4ZKPb
盛政は佐久間の家継がないといけないしな。
嫡男を養子にすんのは無理なんじゃね?
536 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 00:58:06 ID:+7kfrQ82
前田が佐久間勢に加わってても多勢に無勢で間違いなく秀吉に潰されてた
これは誰もが認めることだ、柴田はせいぜい2〜3万、秀吉7万以上だからな
そう考えると、戦犯はやはり命令無視した佐久間と、それを御せなかった勝家にあると思うのだが
佐久間は敵のど真ん中で居座って何がしたかったのかを考える
おそらく柴田に出てきてもらい秀吉勢の前線部隊を攻めてほしかったのだろう
それが唯一の勝機だったと俺も思う、勝家が本気で出てくれば大将のいない秀吉軍は
雲の子を散らすように逃げたであろう。
537 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 01:44:35 ID:mu4zcJJ9
538 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 02:02:41 ID:TP/ar4A/
539 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 02:14:10 ID:TP/ar4A/
>>536 →
>>491 史料では盛政は退却時に何度も踏み止まり、敵に損害を与えつつ退却している
利家は少なくとも援護すべきであっただろう勝家側に組している以上
例えそれが勝つ見込みがないにしろ
盛政が再度逆襲するため隊を再編しているタイミングで裏崩れ起こしているよう
に利家が撤退したため盛政の隊が瓦解したのは明らか
もし利家が援護したなら勝てないにしろ秀吉軍は手痛い損害を被り、越前攻撃は
遅れたかも知れない
540 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 10:14:41 ID:aWs4ZKPb
>>536 嫌になるほど指摘されてるけど、敗因は利家だよ。
っつーか戦犯の使い方がおかしいだろ。スレ違い・板違いだけどw
541 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 10:47:53 ID:WTSm7Gi/
>>539 勝つ見込みが無いのに「援護すべき」ってのは無理な話でしょう。
元々主君でもない人間の負け戦に、家の存亡を賭けてまで付き合う必要は無いし
裏切った方が利益になるのなら裏切るのは当たり前だろう。
542 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 10:56:55 ID:nMW1B5wC
利益w
543 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 12:12:28 ID:B1GUbICI
客観的に見て敗因は佐久間だし、柴田であろう
前田が逃亡しようが参戦しようが、もうあの時点では勢いのある羽柴軍には勝てないからね
どう動いても負けるであろう不利な状勢を作ってしまった佐久間と
大将なのに部下を御せなかった柴田が戦犯だろ
しづがたけの戦いで負けたのは、基本はこいつらの責任だよ
544 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 12:29:56 ID:TP/ar4A/
確かに勝家本隊が迅速に攻撃にでなかったのが直接の敗因だろう
しかし盛政がせっかく突破口を開き、直ちにその突破口を拡大するよう勝家を促
したのは間違っていない
突破口を啓開したら迅速にその突破口を拡大するのは戦術の基本だ
特に戦国の日本では前線が四散すると周囲の部隊まで裏崩れし易い
勝家が出なかったのは利家の裏切りを恐れたからだろう
それは勝家側の武将の頭数が少なかったことに帰結するのだが
利家は息子のように可愛がっていた分信じたいのが半分、秀吉とのじっこんであ
ることに対する不信半分であっただろう
利家も勝家方に対する直接攻撃による裏切りを避け、撤退という消極的裏切りを
選択したため、まだ救いはあるが
だからこそ利家でなく反秀吉で戦闘的な佐々成政が参陣したなら戦いはどうなっ
たかわからないと言われるのだろう
545 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 16:44:51 ID:AN5HH2lk
この頃の佐々は柴田軍の参謀的存在だったし
さらに戦歴抜群な鉄砲隊が来れないなんて痛恨の一撃だよ
たぶん佐々なら逃げる前田の横から発砲してでも止めるだろ
戦う前に勝負あったのか
546 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 17:01:16 ID:aWs4ZKPb
要は前田はいらねーから佐々来てくれと。
でも所領の地理的に難しいだろうけどな。
547 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 17:04:27 ID:B1GUbICI
まあ佐々も結局秀吉の軍門に下るんだけどね。
548 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 17:06:07 ID:aWs4ZKPb
>>543 盛政は逆に追撃隊に損害を与えるくらいの撤退劇を見せた。
盛政は勝政隊に助勢に向かってからも奮戦してたし。
利家には逃げる選択肢しかなかったという状況だった訳じゃない。
明らかに事実誤認。
549 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 17:09:53 ID:AN5HH2lk
まあ佐々も結局秀吉にヌッコロされるんだけど
ヌッコロした後に秀吉もかなり後悔してた様なので佐々厨は大人しいのだろね
550 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 22:25:34 ID:TP/ar4A/
もし利家でなく成政が参陣したとすると
盛政が大岩山、岩崎山両砦を陥れた時点で勝家、成政が天神山、堂木山の前線を
全力で攻めただろう
東野山に堀秀政がいたが、体制は柴田側に有利に動いただろう
なぜなら堂木山砦において木下一元と同陣していた勝豊家臣の“山路将監と大金
藤八郎”が勝家の調略を受け、勝家に“内通”していたためである
勝家が本格的攻撃を行うと同時に寝返る手はずだった
もし攻撃が成功し、堂木山砦が直ぐに勝家側に寝返ると東野山の堀政秀と堂木山
砦西隣の神明山砦の木村隼人、堀尾吉晴、木下昌利は分断され孤立
勝家、盛政、成政に包囲されることになる神明山砦は容易く落ちるだろう
丹羽長秀が飯浦に上陸する前に勝家軍は田上山砦の秀長軍に攻撃をできたのでは
ないだろうか
551 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 23:43:46 ID:Snf5kpXt
552 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 00:50:35 ID:IaPy/tYb
つーかこのスレでさんざん話題になってんのに、毎回同じような切り口でレスつくし>賤ヶ岳
まず高柳氏の著書くらい読んでこいよと。
知識がなければ書き込んではいけないと
>>552が仰せのようだ。
554 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 01:55:02 ID:IaPy/tYb
知識を要求してんじゃないよ。俺だって知識なんてねーし。
ただ、流れを見る限り、賤ヶ岳関係のレスに対しては高柳の説明で返されてるのがほとんど。
それなら氏の著書読んだ方が早いじゃん。
賤ヶ岳やお説は問題外だけどなw
555 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 11:33:08 ID:MkXd4hYE
柴田軍は北陸軍をすべて決戦に持って来れない時点で負け決定だった
上杉と和睦できない外交下手勝家
やはりここでも外交能力のなさが足を引っ張った・・・
秀吉だったらどんな手を使っても上杉と和睦しただろう。
556 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 14:35:51 ID:IaPy/tYb
秀吉厨ktkr
557 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 15:13:36 ID:5Zz6JGDY
「秀吉ならできた」じゃなくて、具体的にどう解決できたのか論拠を明示しないと単なるマンセー
558 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 15:44:23 ID:7fA3Pnbs
本能寺以前に既に講和交渉が始まってた中国戦線と、まだ交渉にも入っていなかった北陸戦線じゃ
条件がまるで違うわな。
559 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 17:22:09 ID:cM1co62R
秀吉だって宇喜多南条などに毛利の抑えを
仙石三好十河に長宗我部の抑えを
筒井などに紀伊大和の抑えをさせているのだが
それは外交能力のなさなのか?
560 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 10:34:57 ID:eAFUgdq1
だいたい秀吉は別所が謀反したとき、ただでさえ兵力の欲しい一向宗に対する対
ゲリラ戦を展開している勝家軍から佐々、前田を借りていたくせに後に加賀派兵
を信長に命じられたにも関わらず、無断撤収した恩知らず
別所謀反のときは秀吉は佐々、前田以外にも信忠、信孝、滝川、光秀などにも援
軍をもらっているが
そのほとんどの武将に対しても恩を仇で返している
561 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 15:16:28 ID:RJaZDpv+
秀吉は優秀な鉄砲隊を持たなかったと言うか使い方知らなかったんじゃないか?
別所の時は信忠鉄砲隊に助けられ、朝倉撤退の時は佐々鉄砲隊に助けられてる
本能寺後は敗残兵の滝川鉄砲隊に苦しめられ、佐々討伐には30倍の兵力動員
562 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 15:45:58 ID:sEzW6EOi
城攻めの大規模工事に軍資金注ぎ込んで、鉄砲の配備率が他の軍団よりも遅れたって事はないの?
563 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 16:32:11 ID:sUvtb4hZ
織田(っていうか羽柴軍)は攻めてばっかりだったから鉄砲の重要性は減ってたんじゃね
564 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 17:09:09 ID:qZCVSuV8
>>560 >だいたい秀吉は別所が謀反したとき、ただでさえ兵力の欲しい一向宗に対する対
>ゲリラ戦を展開している勝家軍から佐々、前田を借りていたくせに後に加賀派兵
>を信長に命じられたにも関わらず、無断撤収した恩知らず
ここ時系列が逆になってる
565 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 19:09:16 ID:i8TvfFAB
>>481-483 検索すると、柴田勝全と柴田勝定の二人の名前が出てくるが、
これって同一人物?
566 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 23:09:49 ID:+R4hbjuE
勝家は秀吉に対抗したが、もし勝っていても
秀吉のように自分が天下人になる気はなかっただろう。
足利義昭を擁立するつもりだったようだが、そうなると
京で室町幕府再興となる。
それでは信孝の扱いはどうなるか微妙だが、案外信孝も
自分が父の跡を継いで天下人になるというより、
織田家が秀吉に乗っ取られるのを防ぎたかったのでは
なかろうか。
それと重役のポジションを死守したかったのかもしれない。
それに秀吉が天下を取ったとしても、自分を生かしておくか分からん、と
勝家も秀吉の配下になりたくないかもわからんし、
秀吉もまた勝家を扱いづらい、危険と思い配下としたくないかもわからんね。
568 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 00:45:30 ID:Yfuc1L34
それはあるだろな。
『秀吉事記』によると、秀吉は近臣達からの勝家の助命進言に対して
”池辺に毒蛇を放ち、庭前に虎を養うが如し”と返したらしい。
基本的に敗将に寛大な秀吉には珍しい言葉。勝家を危険分子と考えていたみたいだ。
569 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 05:24:53 ID:Kojjpg3l
結局軍団長を含め、秀吉政権下で存続した信長の重臣は
ほとんどいないのな。強いて挙げれば利家くらい。
佐々なんかも途中で消されるし。
秀吉としては、自分より上だった者は生かしておきたく
なかったというのが本音なのだろう。
直接関係ないが「秀吉は人を殺すのが嫌い」と言われ、
自分でもそう言ったとされてるがこれが大嘘であることは
研究者も指摘してる。
570 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 08:11:34 ID:Yfuc1L34
利家は重臣と言えるか微妙なとこだな。
中堅幹部ぐらいか
571 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 11:25:59 ID:egXZ3kiM
利家キャリアのどしょっぱつで躓いてるしなぁ
秀吉より上だった時なんて一瞬もないんじゃないだろうか
572 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 13:03:45 ID:/x0Z6FrA
>>569 丹羽長秀、滝川一益、そして毛利家中で反秀吉的な吉川元春がなぜか同時期に没
している
単なる偶然か?
佐々成政の場合は完全にハメられただろう
第一、あの陰湿な秀吉が降将を肥後一国に封ずるなんて考えられんしな
573 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 13:10:42 ID:bo++sy86
丹羽と元春は病気で臥せった末死んでるわけだが
佐々に関してはハメられた印象が強いな
574 :
たられば君:2007/10/23(火) 14:43:52 ID:aKYJQo3/
本能寺のあと武将単位で見たら確かに死亡者は多いけれど
家単位で滅亡した織田重臣は柴田家だけという見方もできるよ
575 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 13:41:14 ID:p0UNDR8l
あと勝家が秀吉を成り上がりとして妬んでいたというのも疑わしいな
もともとこの話は太閤記とか秀吉擁護の書物にしか書かれてないし
第一、勝家自身、父親が名も殆んど知られておらず、大身でなかったことが明白
で勝家自身が槍1本で成り上がったのだろう
それに勝家は秀吉と同じ成り上がりの滝川一益とはじっこんである
恐らく勝家が秀吉を警戒し始めたのはやはり越前での秀吉の無断撤収からだろう
576 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 17:48:14 ID:ioNg20vx
つーか勝家自体、織田家の出世レースを勝ち抜いて序列第一位になった訳だしな
577 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 19:37:07 ID:E6V9b+Na
共に信勝(通称信行)を立てて信長に謀反した林秀貞は
変の2年前に追放。
一方勝家は秀吉に敗れて死ぬ。
林と一緒に追放されてた方が良かったかも?
578 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 19:41:49 ID:PyFIAXyM
信長の部下だったけど裏切った林と信勝の部下だった柴田では
ムカつき具合も違ったんじゃないかな
直臣が他の王子擁立するのはさすがに問題だよね。
580 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:23:19 ID:ioNg20vx
581 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:36:06 ID:VZwBG9A2
佐久間は餓死したはずだけど林は京かどっかで悠々隠居生活を楽しんだんじゃなかったか?
582 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:48:31 ID:ioNg20vx
いやそういう問題じゃなくて、林の立場ならともかく当時の勝家の地位(越前49万石)からの追放は本人からすれば酷だろ。
勝家も追放後悠々自適で暮らせるとは限らないし。
583 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 21:53:45 ID:re0ymR3y
>>581 谷口克広著「信長と消えた家臣たち」によれば
林は追放されてわずか2ヶ月後に死去したという。
その史料が正しければだが。
584 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 23:54:52 ID:p0UNDR8l
もし本能寺の変が起きなければ
勝家はそのまま上杉を追撃
信濃口からの信忠軍
上野口からの一益軍
上杉に謀反した新発田重家と合流
揚北衆の本庄繁長と大宝寺領を争って上杉と対立していた最上義光とも呼応して
容易く上杉を滅ぼしただろう
その後は勝家は越後国主として栄転?して対出羽・陸奥方面軍の旗頭?
585 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 21:43:41 ID:RVmyjKGh
ヒステリー持ちの信長の事だから
「20数年前に俺を裏切っただろ」といきなりキレて
勝家を追放する可能性は高かったと思う
586 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 22:46:01 ID:I5nBfCc1
追放されるのは秀吉が先だろ
勝手に宇喜多を誘降、播磨以外与えてないのに他国を自分の領国化、越前での敵
前逃亡、許可なしの毛利との和議交渉
だから信長自身が親征しようとしたのだろう
毛利攻めは光秀と交代
587 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 23:04:40 ID:RH+gp+bd
秀吉が死ねば、秀勝が後を継ぐのだろうし、信長が秀吉を追放する理由もないんじゃない
秀吉に養子あげたり、おねに対する手紙といい、秀吉に対する印象は良さそう
588 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 23:34:08 ID:W5px4wNJ
>>585 信長がヒステリー持ちとか、絵本太閤記の尾田春永とかその他講談物の影響大だろ
589 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 08:37:09 ID:PWXpZXlC
>>587 秀勝が養子にいるからこそ、信長は安心して秀カラ軍勢ヲ取り上げて隠居させ追放するだろうね。
伊勢で畠山や神戸にやったのと同じように。その上でまだ目障りなら誅殺させるでしょ
590 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 09:50:30 ID:2/eutY78
>>589 一理ある
養子はかえって体よく追放・隠居させる口実になるかも
591 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 09:56:11 ID:2J5kGrfO
やはりしずがたけの敗因は佐久間だったな
佐久間が撤退する前に秀吉が戻ってきたら
負けは必定と勝家は思っていたらしいじゃん
でも佐久間を責めたくないね
あの戦いで唯一の勝機はここだったからね
佐久間の言うとおり勝家が全軍で攻めてれば
相手はみんなびびって勝ち戦になってた可能性が高い
592 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 11:10:43 ID:dfhYizBz
酔っ払いのように同じ話を繰り返す奴は
同一人物か?
593 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 14:13:43 ID:hgErR7L5
まあその通りだし
594 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 14:16:14 ID:4gVrYkXT
必死な前田厨が一人いるだけキニスルナ
595 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 16:53:52 ID:E8xARFhi
全軍で攻めるにせよ、佐久間をさっさともとの位置に戻すにせよ
どっちかをしていれば、その時点で負けることはなかったんだよな
あと秀吉が戻って来て勝政は討たれても佐久間本隊は撤退に成功しつつあったから
前田が裏切らなければ、また五分の状態に戻すことも出来ただろうけど
596 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 17:16:22 ID:GyIffARu
前田の裏切り(に近い行為)は羽柴を勝利に導いてるんだから
恥じる必要なんてないと思うんだけどね
597 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 18:16:37 ID:w+rklVhF
前田家譜や太閤記で多少歪曲してまで利家を持ち上げてるから、
恥とまで考えたかはともかく、外聞を気にしなきゃいけない位の行動ではあったかも
598 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 19:07:01 ID:c93T+5Sz
利家も3英傑の変遷に翻弄されただけ。
599 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 05:45:30 ID:EvEyENwE
本能寺の時点で勝家はかなりの年齢
結局、勝家は勝豊、勝政どっちに家督継がせる気だったんだろう
勝政だったら実質北陸方面の旗頭は佐久間盛政か佐々成政だな
利家は軍才はいまいちだからな
利家は本能寺後、盛政に助けてもらってるし
600 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 20:53:48 ID:sKBlDj10
盛政が増長して〜てのはどこまで本当なんだろうか
一向一揆平定で活躍した盛政に対する利家の嫉妬?
601 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 17:45:51 ID:V3hxh7ev
>>575 >>588 秀吉自体かなり自分で持ち上げてるし、江戸期も判官贔屓で庶民に
持ち上げられ、明治期も徳川史観否定のため持ち上がってるから
評判だけ何重にも肥大化してると思う。
昔のマンガ日本の歴史なんてひどかったもんな。
桶狭間まで秀吉が今川義元を見つけ通報しただの描かれてるし・・。
602 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 23:38:21 ID:H3kAhn3z
つーか未だに墨俣築城が事実として流布してること自体が信じられん。
プレハブ工法を用いて短期間で築城しました、とかアホかと。
これだけ悪弊をもたらした武功夜話なんか焚書もんだろ。
603 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 18:15:08 ID:DxgyaDdl
中には武功を偽書認定してるのに
墨俣城は史実扱いしてる者すらいるものな。
一体何を考えてるのかと。
604 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 20:13:00 ID:97bxhp0Q
ゲームでも墨俣は事実扱いにされてるけど、
NHKとか歴史小説とか、結構固いところでも事実として扱ってるしな。
そういうので墨俣の逸話が出てくるたびに萎える。
605 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 21:07:37 ID:t2sm6Ogn
この人、悪者扱いされがちだよね。俺の読んだ歴史小説で勝家は無能なくせに威張るとか描かれてたし。あんな本が図書館にあってびっくりしたけど。
606 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 21:17:57 ID:fUSQ8RPF
威張ってたかはわからんが人望はあまりないかもな
古参の勝家じゃなく新参者の秀吉にみんなついちまった
前田は「親父どの」と呼んで親しかったらしいが
他の武将がそういう風に親愛をこめて○○どのと呼んでるのを知らんしなあ
607 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 21:18:10 ID:iSAM0nJm
失敗した者はボロクソに言われるのが常だからな。
勝家のほか、明智光秀、石田三成などが昔から
よく言われないのはこのため。
勝家がボロクソに言われるのは秀吉マンセーのせいだろう。
608 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 21:41:59 ID:97bxhp0Q
>>606 秀吉方の武将からも助命の進言があった訳だし、人望が無かったとは思わんけどな。
秀吉に人が流れたのは非主流派よりも主流派っていう当然の動きだし、
勝ち馬に乗ろうとするのは今の政治の世界でも同じ。
609 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 21:48:09 ID:6elPS1iy
>>607 失敗したと言っても光秀、三成は責められるべき点があるけど、勝家
は秀吉に負けたというだけだからな。ボロクソに言われる筋ではないね。
秀吉・・・こいつだけは許せん。
610 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 22:05:29 ID:iSAM0nJm
光秀の失敗は秀吉の「中国大返し」のため。
これを予期できた者は1人もいなかったはず。
もし光秀の立場にいたのが秀吉だったとしても
対応のしようがなかっただろう。
これを光秀が予期できなかったと責めるのは酷な話。
結果だけを見て、ないものねだりをしてるようなもので
光秀は責められないよ。
611 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 22:15:34 ID:iSAM0nJm
またまたスレ違いの話だが、大返しがうまく行ったからと
言って、秀吉が余裕しゃくしゃくだったわけではない。
中川清秀を味方につなぎとめておくために「信長父子は無事」
などというガセ情報を流すくらいだ。
光秀が負けたのはツキ、運がなかったからとしか言うほかあるまい。
612 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 00:39:15 ID:pkZJBV1e
秀吉の大返しを予測できなかったのがしかたないのもわかる
秀吉が余裕だったわけでもないのも同意する
しかしだからってツキのせいにしてどうするよ。ガセ情報を流したのだって、
秀吉の勝つための努力の一環であり、光秀との宣伝戦に勝ったということ
だろう。
613 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 00:49:37 ID:NeAVG4Jb
秀吉物の小説だと柴田との戦いが天下への決定打っつーかラスボスみたいなもんだから
そんなに悪く書かれてないことが多いと思うんだがなぁ
モノによるか
614 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 01:07:35 ID:0OQi5X4C
司馬遼あたりだと、気位ばかり高い門閥派、って書き方をしているな。>勝家
親の名も明確じゃない門閥って凄いな。
616 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 01:53:23 ID:9hQWddXa
>>612 秀吉は光秀の謀反を事前に知っていたのは当然だと思うが
まず変があった翌日には秀吉はそれを知っていた
京から秀吉のいる高松城まで直線距離で230キロ以上だ
密使はF1でも乗っていたのか?
それに光秀の毛利への密使がわざわざ秀吉軍のいる備中に行くなぞ
それに大軍を迅速に京へ送るには途中何箇所かで糧食や恐らく身軽にするため京
近くで武器甲冑を用意して武器甲冑を備中に置いていったはず
これらはかなり前に準備をしていなければ到底無理である
結局、秀吉が光秀を謀反するようそそのかし、光秀に合力するようなそぶりを見
せ、光秀が謀反→密使は毛利にでなく秀吉に送ったのだろう
そして秀吉は光秀を裏切る
光秀の変後の行動を見ても東への防備を固めているのに反し、友好的な長宗我部
と接し、大和の筒井順慶に圧力をかけるのに重要な摂津、河内、和泉を制しなか
った
明らかに西方から来る“援軍”を待ち制圧しに行くのだろう
援軍とは秀吉であることは間違いない
しかし秀吉は裏切った
なにそのへうげもの的な展開w
あと備中にいったのは毛利の輝元元春隆景といった重要人物が高松城挟んで秀吉と対峙していたから
毛利の重要人物は全員備中にいるんだし、安芸とかに密使がいっても誰もいないぞw
618 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 02:48:34 ID:d3oWi1go
>それに大軍を迅速に京へ送るには途中何箇所かで糧食
糧食などは信長の援軍を備中に迎えるために予め用意してあっただろうな
619 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 03:44:05 ID:WkBYT9yG
620 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 05:17:10 ID:lOVOSPRs
まぁ秀吉は自分が天下人だと世間にアピールするためには徹底してたからねぇ
新聞記事に載ってたけど、秀吉は信長が大事にしてたでっかい岩(現在まで残ってる)を自分のものにして、織田家の後継者だと認識させようとしたらしいからw
621 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 07:52:12 ID:5s5zHwSE
本能寺スレでやれよ
622 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 12:47:26 ID:0OQi5X4C
堺に宿泊する予定だった信忠が、予定を変更して京に宿泊先を変更したのが乱発生の1日前なんだから、
備中にいる秀吉と連絡を取りあうような時間的余裕は無いっつーの。
それにそれ以前から大返し画策してたら、信長からつけられた目付けや与力がおかしいって気がつくわいw
623 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 08:09:38 ID:6+cYx9dK
つー事は毛利と秀吉の講和って実はないと言いたいのか?
624 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 08:11:06 ID:K7HDCdlE
だから本能寺スレで(ry
625 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 14:02:34 ID:stoF7dQo
まぁ、明治期に身分制度撤廃のため「貧農でも天下をとれる!」という妄想を
庶民に広めるため秀吉は格好の題材だったからな。必要以上に脚色され
その段階で柴田、佐久間ほか織田家重心は無能扱いになり明智はライバルになり
出世の秀吉をねたむ・・
って構図になっていったんだろうけど、正直書く人間がやりすぎたわな。
たしかにヒーローや軍師って存在は非常に魅力はあるがそういう人物が登場
するには必ず条件がいる。その条件満たすためほかの人間が犠牲キャラとなるって
毎度おなじみの構図だなぁ。
626 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 17:26:09 ID:lFgXT2Ky
信長が生きてる頃百姓秀吉の出世は光秀を追い抜いては無い
その光秀も勝家には及ばず
627 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 18:23:31 ID:uHlJBHO8
出世で言えば関東管領と言ってもいい位の権限与えられてた滝川が一番なんじゃ無いか?
本能寺直前なら。
628 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 20:25:48 ID:d7Om1y+f
>>625 実際は脚色がモロわかりで、成り上がり者の嫌らしさが際立つだけ。
629 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 13:47:10 ID:Irgy1zLf
滝川も織田四天王の一人だからね
織田家自慢の家臣なのは当然
630 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 13:50:42 ID:rEitScD3
勝家も滝川も信長がいてこその武将だった
自分がトップに立つと何も出来ないタイプの武将
631 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 14:20:01 ID:Irgy1zLf
寝首かいたり主家追い込む下克上当たり前の野心家よりは絶対的に好感もてない?
主観的だけどね
632 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 15:00:46 ID:rPJ3u8Wv
>>630 絶対的不利な状況でよくやってた方だと思うが。
特に滝川は純粋に北条にボロ負けしたからあそこまで立場が失墜した訳で、
自分がトップになってからの不手際以前の問題。
633 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 19:14:57 ID:z2w8gvf/
色んな奴がいるから面白いんだろ
634 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 20:53:57 ID:x5lCmCv0
滝川は関東をまかせられてた事と、軍司令官の中では一番信忠に近かったという事を考えれば、
本能寺がなければ織田家家臣団の中で筆頭格になったかもね。
635 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 13:52:53 ID:4uLsM/3K
本能寺がなくても滝川のポジションは危険だよな
北条一国ならまだしも背後から上杉に襲われる可能性もある
方面軍としては一番つらい場所だわ
636 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 15:23:43 ID:ZfKdMH5u
でも、あのまま行けば上杉は近い内に北陸方面軍に滅ぼされてたな。
揚北衆あたりが織田に寝返って、朝倉みたいな滅び方しそう。
637 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 21:46:30 ID:VJE0Q53R
背後の上杉なんてまったく気にする必要もなかったと思うが。
638 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 19:35:18 ID:1SvEhpy1
本能寺アーッの時、滝川本体は春日山の景勝を牽制中
この背後を北条に襲われる事になる
639 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 20:53:55 ID:qY9SyEGc
>>636の言う通り本能寺が起こらなきゃ北陸方面軍の手で
上杉は滅亡していたろうな。
信濃からは森長可が侵入していたし。
こう多方面から攻められたら上杉氏は滅亡に追いこまれたろう。
640 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 00:42:42 ID:NkyfrBos
本能寺の変は、周辺にとって良いタイミングだったからな。
上杉は滅亡直前、毛利は攻め込まれている最中、長宗我部は攻め込まれる直前
3大名ともその他勢力から見れば強力な大名なのに、同時に攻める織田の力は恐ろしい。
641 :
人間七七四年:2007/12/05(水) 15:54:31 ID:KcEr+NkU
勝家がいなくなって 上杉が得をしたという見方はどうだろか?
642 :
人間七七四年:2007/12/05(水) 18:37:55 ID:2NT7l6ec
>>641 得をした勢力多すぎるw
大きめの所だけでも上杉、北条、毛利、長宗我部、一向宗、細かい所を入れれば信長に独立性を否定された
各地の国人、地侍層。
つーか信長はやっぱり、無駄に敵が多すぎるな。天下取っても短かっただろうな。
643 :
人間七七四年:2007/12/05(水) 21:15:18 ID:h5nBWHIc
信長は壊し屋としては一流だったというだけ
まあそれでも十分評価に値はするが
644 :
人間七七四年:2007/12/05(水) 21:26:10 ID:+JNEtizC
個人的には秀吉よりは評価できるな。>信長
秀吉は長久手で底が見えたし。豊臣家の長期政権は無理だと。
645 :
人間七七四年:2007/12/05(水) 21:34:03 ID:h5nBWHIc
才覚でいえば信長も秀吉も家康をはるかに越えていたが、
一人間として信長、晩年の秀吉には重大な欠陥があったという感じ
餅の逸話でこの三人は例えられるが、
信長と晩年の秀吉に天下餅を食す資格はなかったと思う
646 :
人間七七四年:2007/12/05(水) 21:52:00 ID:Sck2Af+k
信長の欠陥って具体的に何?
まさか後の権力者が作り出した偶像を信じてる訳じゃないよな?
647 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 14:02:24 ID:qbMIehIZ
逆だよ。信長と秀吉が十分に壊しておいてくれたから、家康が壊す部分が少なくその分恨みも少なくてすんだ。
このあたりは個人的な問題ではなく、それぞれが担った役割の違い。
別の見方をすれば、家康に餅をつく、こねる資格(能力)があったのか?
秀吉は結果をだしてしまっているからともかく、信長は資格無しとするのは強引すぎる。
648 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 18:26:34 ID:Wrn8Dro5
>>647 > 逆だよ。信長と秀吉が十分に壊しておいてくれたから、家康が壊す部分が少なくその分恨みも少なくてすんだ。
家康の幕藩体制は信長、秀吉のものとはまったく別の路線だと思うが。
649 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 20:05:44 ID:Dvcq+7k+
信長に数百年の体制を築くのは無理
夢幻のごとく一代(かろうじで二代)で消え去るような政権しか作れないだろう
650 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 20:14:53 ID:7G6SrhwN
それは秀吉じゃんwww
651 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 20:25:14 ID:Dvcq+7k+
ボケた秀吉と素の信長は同等だって事よ
明晰な頃の秀吉なら当然信長より上
652 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 20:49:15 ID:TbqPSzCG
653 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 21:10:06 ID:Wrn8Dro5
>>652 新しい発想のスレだなとちょっと感心してしまったw
まあ有能無能はともかく、信長は天下統一しても大小さまざまな反乱に最後まで苦しめられる事になったとは思うな。
信長の施策から安定した社会の建設、と言うものはあまり見えてこない。
654 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 22:03:30 ID:7G6SrhwN
>>651 秀吉が呆けたから豊臣体制が続かなかったんじゃなくて、家康を潰せなかった時点で短命政権確定だっただろ
655 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 23:41:44 ID:YzTMq7Cc
勝家と無関係な話題はスレ違い
656 :
人間七七四年:2007/12/09(日) 15:52:30 ID:pau+YiKm
要するにに勝家ってのは太刀なのよ
羽柴は火縄よ
又左はふんどし
こういうわけ
657 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 14:18:21 ID:OLTndvUp
658 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 11:58:57 ID:EHTOig4C
又左のふんどしの意味が気になるw
659 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 12:24:27 ID:U2oW8So7
三国志で言ったら誰にあたるんだろ
660 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 12:32:49 ID:owXYXhJ5
661 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 14:19:46 ID:RVsJUihA
三国志でいえば志だろ。
662 :
人間七七四年:2007/12/30(日) 12:04:02 ID:s8lJEOym
いやいや、三の真ん中の一だろ
663 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 12:22:03 ID:90wbU6pb
ミスター髭
664 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 13:48:27 ID:Y4gDSmcz
捏造手取川で負けたことにさせられるわ、武功夜話で秀吉撤退に捏造話作られるわ、
負け組の中でもより一層かわいそ
665 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 23:31:48 ID:idp3RKIL
>664
kwsk
666 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 23:59:56 ID:dl5DDX6V
手取川の戦の規模はともかく、背水の陣を敷いて上杉の急襲を受けた。。
とか全く史料にない解説つけられて語られてるからじゃね?
667 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 00:00:24 ID:dl5DDX6V
武功夜話については語るに落ちる
668 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 06:05:47 ID:2PH5EjLW
勝家が秀吉に勝ってたらって仮定が度々でるけど
勝家もいい加減年だし結局体制整える前に死んでそうだよな
その後はキリスト教の宣教師が押し寄せてきてそのまま欧州の植民地コースじゃないだろうか
669 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 09:53:26 ID:DDacaNWO
植民地コースはさておき、勝家が死んでから織田体制が崩壊するのは間違いないと思う。
信孝には織田重臣をぬっころすか、左遷・引退させて自分の地位を固めるような行動はできなさそう。
670 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 11:33:52 ID:FbDPmQ8K
信孝はけっこう優秀なんだけどな。
柴田が勝ってたら秀吉に付いた勢力も信孝の下に付くだろうし、毛利、長宗我部、上杉は間違いなく滅ぼされるだろうな。
徳川は当面同盟続ける事になるんじゃね?徳川の天下統一は秀吉死後の豊臣があまりにもガタガタだったから取れた訳だし、三成クラスの人間が居なかったら関ヶ原すら起こらずマトモな戦もせずに豊臣乗っ取りもできただろうしな。
671 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 13:03:00 ID:DDacaNWO
確かに信孝は未知数ではあるね。少なくとも無能ではない。
秀吉事記では勝家は反秀吉の動きに消極的で、信孝が主導権をとっていた書いてるし、
実際に三法師を留め置いたり、強硬な態度で臨んでるのは信孝。
672 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 13:25:41 ID:CWSvYdIR
勝家が消極的と言うより上杉との和平交渉失敗が全て
全軍で秀吉に当たれない時点で勝家カワイソス
673 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 15:59:55 ID:DDacaNWO
秀吉は和平交渉中に本能寺が起こったからな。
勝家は状況を見透かされてる分、和平交渉なんて成立するわけが無い。
674 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 16:14:15 ID:hvLoQ/1K
んだ。秀吉側は既に上杉に柴田を牽制するよう要求している。
675 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 16:23:42 ID:DDacaNWO
秀吉の働きかけ以前に北陸勢が上杉攻略の際に調略した国人と景勝との対立構図があったから、
元々和平が成立する望み薄。
676 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 19:37:36 ID:CWSvYdIR
上杉との和平交渉は越中引渡しが条件だったようですな
金蔵越中は上杉三代で必死に狙い続けた優良地だからなのだろうけど
一国割譲は無理にも程がある
677 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 01:17:38 ID:0MEidQR7
加賀藩の資料では越中の鉱山は50万石相当ちゅう話やな
前田の裏切りも案外金に目が眩んだだけとか
678 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 22:55:34 ID:rog2VpQv
金ヶ崎で秀吉に与力を貸してやったいうのはどこから出てきた話なの?
679 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 00:55:38 ID:jTeANmCz
そのとき歴史が動いたで勝家特集やってたぞ。
この人はかわいそうな人だったんだね・・・
見てて同情しちゃった・・・
680 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 01:00:16 ID:M6X+tEOL
681 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 09:15:00 ID:Wlz0oY6h
別所攻めでしょ
682 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 15:05:27 ID:vOyX1TXz
>>679 可哀想なのは佐久間だろ
唯一の勝機を作ったのに
勝家の?な采配のせいで戦犯扱いだからな
683 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 15:14:46 ID:M6X+tEOL
関係ないが高杉晋作の一番好きな戦国武将が柴田勝家だったそうだな。
684 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 17:00:19 ID:QeB5v4yV
>>682 佐久間が責任を押し付けられたのは利家のせいだろ。
秀吉側が「柴田退治記」その他で前田家に世間体に配慮する記述をしたし、
太閤記でも元前田家臣の小瀬甫庵が佐久間を原因とするような描写をしたし。
あと「戦犯」の使い方が気に食わん
685 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 17:17:53 ID:vOyX1TXz
世間では柴田の言うことを聞かなかった佐久間が悪いみたいになってるよな
真実は逆で佐久間の言うことを聞かなかった柴田が悪いのにね
佐久間の言うとおりにしていれば勝ち、もしくは引き分けに持ち込めたのに
柴田の言うとおり戻ったとして、その後どうやって羽柴軍に勝とうとしてたのかねえ
柴田軍は完全孤立でもうジリ貧全開なのに・・・わけわからんわ
何度も言うけど佐久間は全然悪くない、むしろ有能、秀吉が部下にしたいと考えるのも当然だ。
686 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 17:29:05 ID:HTtIhNBg
独り言キモ
なんか自分に都合の悪いことは聞えなさそう
687 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 17:36:48 ID:QeB5v4yV
>>685 高柳氏の著作に依拠するところ
勝家は間道を通って左祢山の堀秀政、さらに羽柴秀長を打ち破るのは至難と判断した訳だが。
高柳氏は従来の盛政敗戦論を否定した一方で上述の通り勝家の行動にも理解を示している。
つーか散々このスレで俺より詳しい人らがレスしてるし、それを読むか高柳氏の本嫁。
とりあえずどちらか一方に敗戦の責任を見出すことは誤り。
決定的敗因は佐久間隊が余呉湖西岸が戦ってる時に前田利家が撤退したことだし。
688 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 20:41:12 ID:gCELQmHb
利家の逃亡よりも佐々の不参加が痛恨の一撃
689 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 00:25:26 ID:jl+SUU6R
佐々の不参加よりも滝川の不参加が痛恨の一撃
690 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 00:33:18 ID:RxRyqjkX
そこまで言い出したらそもそも本能寺の変そのものが痛恨の一撃だしw
賤ヶ岳の戦いとしてみればやはり前田の裏切りが敗因
691 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 09:25:42 ID:sKqycMxt
器的に秀吉に及ばなかったのは否めない
信長がずっと生きてりゃずっと筆頭家老でいれたのにね
まあ林や丹羽みたいに数十年前のこと持ちだされて追放される可能性もかなりあったが
692 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 09:45:36 ID:RxRyqjkX
丹羽は追放されてないだろ
693 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 10:09:10 ID:PYTcudU+
信盛も林も用済みになったから放逐されたんであって、同じ理由で放逐、左遷される可能性は秀吉含む軍団長全員にあっただろ
694 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 12:57:48 ID:9jqEwisR
695 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 13:13:46 ID:RxRyqjkX
あっちの丹羽か
696 :
人間七七四年:2008/01/14(月) 21:47:36 ID:TxDmy9lY
実際器的には勝家、秀吉、家康は互角くらい
信長>>>>家康≧勝家=秀吉≧光秀>>信玄≧謙信≧=元親=>>一益>>長秀>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>利家≧成政
697 :
人間七七四年:2008/01/14(月) 22:23:37 ID:Sm7Ni85E
あ″っ〜
見づらい
698 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 09:27:45 ID:Bj5Cxqw2
何の比較かわからんw信野暮は巣に帰れ
699 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 21:12:51 ID:ed+zJfis
尾張の兵は弱いって言われてるんだけど、勝家が率いてた軍団もやっぱり兵質は良くないのか?
700 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 21:27:20 ID:yn7NN5lq
関係ないとこ誤爆しちゃったよworz
尾州兵が弱兵という根拠自体よく知らないからなんとも言えんが、
尾張・美濃出身の武将が寄親でも、越前の国人衆が寄子な訳だから一概には比較できないのでは?
701 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 21:47:37 ID:ed+zJfis
それもそうだよな、ありがと。
702 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 22:32:29 ID:nmBgZaR6
尾張の気候の良さを指摘されて弱兵扱いも受けてるそうな。
北国の越後などは過酷な環境で暮らし続けてきたが故に強兵になる・・・
とかイマイチ説得力のない説を聞いた事がある。
でも、三河武士1人に対して、尾張兵は3人で互角なんて言われてるみたいだな。
703 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 10:31:58 ID:2heLcL6a
越後は豊かで兵の体格がでかく持ち歩く武具が他より重装備って話なら聞いた事あるが
三河兵が弱いなんて言える筈も無く・・・強いって事にしておかないとね
704 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 12:05:47 ID:jvQK+MY/
>>703 まあ三河衆が強かったのは確かだろ。
時代は遡るが北条早雲こと伊勢新九郎が駿河兵を率いて三河出兵した時、
2回ほど松平勢に阻まれた事もある。
705 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 14:20:21 ID:2heLcL6a
いやそれで強いとは言え(ry
姉川の合戦調べても徳川勢の強さは誇張甚だしい 織田釣り戦術の一翼を任されてるだけじゃない
その他合戦も武将の采配が良かっただけで兵が強いと言える逸話でもあったら聞かせて欲しい
706 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 14:37:19 ID:jvQK+MY/
>>705 「最終的に天下を取ったのが三河衆擁する徳川家康」
これ以上の説得力は無いと思うが。三河衆が弱けりゃ家康は伸びる芽すら出せない。
あと「○○が最強」とかなんとかの議論にかかわる気は無いから。
そんなものはゲームでもやってろ。
707 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 14:38:49 ID:xdbRP7B6
○○最強!はノブヤボ厨か上杉信者にやらせとけばいい。
708 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 15:04:45 ID:2heLcL6a
逸話あればと聞いただけなんだが、なんで噛み付いてくるかな・・・
勝家スレと関係ある話でも出てくるのかと思った俺が間違ってたよ
709 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 15:06:51 ID:xdbRP7B6
姉川に関しては俺も誇張だと思う
710 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 15:16:47 ID:jvQK+MY/
何でもかんでも「江戸期の資料は徳川史観で〜」って否定する人間は
逆に胡散臭いとしか言いようが無い。自分の頭で判断していない。
711 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 15:25:14 ID:xdbRP7B6
○○史観批判の程度が低いことは否定しないが、
一次史料に比べて江戸期に編纂された史料の価値が疑われるのは当然のこと。
史料的価値に無批判で、自分の頭で考えるのは小説家だけでいい。
712 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 15:34:40 ID:jvQK+MY/
あと「江戸期の資料にいうほど強くは無い」を、一足飛びに「弱い」と結論する人間の
頭の中身を一度見て見たい。
713 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 15:43:17 ID:xdbRP7B6
三河兵が弱いというレスが見あたらないんだが、それも自分の頭で考えたんだろうか。
それとも独り言かな。
714 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 15:48:33 ID:jvQK+MY/
715 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 15:50:24 ID:xdbRP7B6
あ、ごめん
716 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 17:12:03 ID:2heLcL6a
弱いとは言って無いよ強いとも思わないけど
自分が好きなのは織田北国方面軍と様々な陣形中心だからそれ以外先入観がないとは言えないけどね
ただ事実無視でも賞賛必要な人、お世辞書く必要も無いのに賞賛される人、事実捏造してでも批判される人、など
個人で判断するしかない
まあ今現在の新聞記事ですら賛否両論でタゲ逸らし、捏造、洗脳記事が横行してるのに文献の判断くらい割れて当然だ罠
717 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 18:55:16 ID:oit6ufyj
スレ違いウザス
718 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 21:53:48 ID:DlRN0wpr
三河兵が強かったと言うのは戦時中の逃亡率の低さから来ている。
尾張兵が弱いと言うのは逃亡率が高かった事から来ている。
まあこのスレにいる方達ならご存知だと思うが
719 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 22:04:22 ID:oVA5DAm0
逃亡率ねぇ・・。そりゃ状況によるでしょうな。
守備側は自分の城が落とされた場合どうなるかわからんから
必死だろうし、侵略側はそういうのないわけだし、
与力なのか、直属なのか、逃げたあと食っていけるのか、
雑兵なのか、逃亡兵の逃亡時の様子を詳しく調べるほうが
重要かと。
720 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 22:21:37 ID:Wj2urTOm
納得したくない人間は何を言っても納得しない、の典型ですな。
721 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 22:26:49 ID:7APKrutV
この板はそういう人で出来てるから
722 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 22:56:47 ID:VF26X+9b
まあ武田滅亡時の状況だけで
甲斐信濃の兵の逃亡率の高さは異常とか言うわけにもいかんしなー
723 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 18:42:50 ID:6CAoib6p
>>719 賤ヶ岳で逃亡した与力は120万石持って行ったけどね
そんな意味では勝家の逃亡率タカス
話が違うだろw
724 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 19:11:43 ID:nwtyS0UZ
レスの意味が分からん
725 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 04:41:00 ID:UcU1Z/Yj
要は前田利家と小早川秀秋は同レベル
726 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 07:22:47 ID:jjraCoEN
柴田は裏で明智と繋がってた。
本能寺の変はは明智・羽柴・柴田・徳川・公家それぞれの思惑か絡み合った複合的なもの
727 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 08:13:32 ID:m034XzZr
柴田勝定はなぜ明智の家臣になったの?
勝定は1579年に北ノ庄城代も努め、名前から見ても柴田家の重臣だったらしいけ
ど
明智の得意の引き抜き(稲葉家の斎藤利三の件とか)?
728 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 09:34:37 ID:o9EcUqN7
729 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 11:09:23 ID:BkdKUiSL
前田の出世の踏み台に使われた武将
730 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 11:28:50 ID:04O8SEpp
無双だと超かっこいい
731 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 11:31:58 ID:o9EcUqN7
秀吉(太閤記)準拠だと嫌な奴だけど、それ以外だとそんなに酷くない気がする。
無双のはどんなか知らんが、昔やった太閤立志伝3の柴田は格好よかったな。
ゲーム自体は面白くなかったけど。
732 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 16:17:03 ID:a37XKOii
>>727 勝定の嫁が斉藤利三の姉or妹だから、頼って移籍したのでは?
733 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 17:53:14 ID:DEhU2shg
734 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 12:43:29 ID:07j+Wc3c
ネットで見る限り総見公武鑑での織田家内身分差は
七副将-織田信忠・織田信雄・徳川家康・
八角将-羽柴秀吉・柴田勝家・佐々成政・明智光秀・蒲生賦秀・佐久間信盛・丹羽長秀・滝川一益
九爪将-村井貞勝・前田利家・前田利長・丹羽長重・筒井??
と書いてあるのもあったが、よくわからぬ
735 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 12:47:07 ID:07j+Wc3c
ごめんなさい誤爆;;
736 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 12:58:33 ID:wD3sjtSk
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737 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 00:16:01 ID:cbLSQCW/
馬揃えの後、フロイスが北ノ庄を訪問し、勝家はフロ
イスから中国やインドの状況を詳しく聞いたらしいね
勝家は地理学に興味があったのか?
あとフロイスが土産に持ってきたオリーブの木を小刀で切り、さっそく家臣たち
に分け与えたという
この時代オリーブも日本に伝わっていたのか
738 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 00:23:54 ID:r2FSNErW
洗礼のお誘いには「ほら、もうワシ年だし。」とか言って断ったらしいな。
フロイスに好印象だったのは秀吉と対照的。
739 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 17:03:46 ID:QQoFmhHK
勝家は真言宗か?瀧谷寺の山門を寄進しているが。
740 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 19:25:29 ID:TS6XGEiN
勝家は信勝から信長に帰属してから上洛戦で武将として文献上で現れるまで暫く
文献上から姿を消すね
桶狭間や美濃戦時、勝家は何してたんだろう?
もっとも佐久間信盛も美濃戦時は文献に現れないが
美濃戦で丹羽長秀、河尻秀隆、木下藤吉郎、北伊勢戦で滝川一益が活躍してたの
に
741 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 22:01:11 ID:E2TqCHom
>>740 > 美濃戦で丹羽長秀、河尻秀隆、木下藤吉郎
> 木下藤吉郎
_, ._
( ゚ Д゚)ハァ?
742 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 22:41:36 ID:lBrNb/86
木下藤吉郎も、講談以外のきちんとした文献資料で始めて名前が出てくるのは六角攻めの時だし。
743 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 06:51:40 ID:3cf+185l
何言ってんだ???
744 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 11:14:00 ID:dDoxb0yo
>>742は信長が正式の官位を朝廷に申請して許可されるまでは「木下藤吉郎のまま」とおもっている
比較的痛いほうの人間なのだろう。
きにするな。
745 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 11:34:57 ID:+0/RKLSl
賎ヶ岳の際の玄蕃尾城はかなりレベルが高い城砦だったし、
勝家は北庄の築城といい、築城のセンスは良かったんだろうな。
偏見のせいであまりそういうイメージ持たれてないけど。
746 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 14:52:58 ID:AcglY0a5
賎ヶ岳の勝家は長期戦を想定していたのか短期決戦目指したのかいまいちわかりにくいが
佐久間の砦や防御柵造りの陣立ては秀吉軍を一歩も二歩もリードしていたのは間違いない
タイムマシーンがあれば二番目に見てみたい合戦だな
一番見たいのは川中島だけど
747 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 12:16:05 ID:KrGGRPLU
勝家の不運は身分制の壁を破って天下人になった秀吉と相対化される形になったことだと思う。
実際の出自もよく分からない上に、自身も出世コースを走ってきたのに
現代では保守的・頑固者なイメージに。
748 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 13:46:28 ID:IevzwlAa
フロイスによれば、越前国内で「大殿」は勝家。
「殿」は勝家の子息(養子)だったそうな。
749 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 08:24:58 ID:T/n5fQey
う〜ん北陸方面の統率力は凄い
手取川、謙信の前に秀吉が無断撤退(全軍退却)
加賀攻め、勝家の指示を無視して盛政突撃(敵敗走)
越中、成政留守中に勝家謀略を用い帰ってきた成政と斬り合い寸前(利家仲裁)
上杉攻め、成政の攻略案を断固反対したのに拒否される(敵城奪取)
賎ヶ岳、盛政の先駆けに反対したが逆に説得される(敵一部隊壊滅)
賎ヶ岳、即刻自陣に戻れと命令したが盛政に「明日戻るね」と拒否される(翌日遅れた一武将討死)
賎ヶ岳、秀吉の総攻撃に対し決戦するタイミングで利家「僕帰る」(敗北)
これが織田信長最強部隊と言われる北陸方面軍の本質
その後これら武将に仕えた家臣たちが他家へ移り数多くの暴走逸話を残す
誰の言葉も聞かぬ。誰も俺達を止められない。こんな人達を使いこなしていた勝家は神
750 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 10:34:04 ID:Ah4wPnu6
>>748 この時期は勝家も信長の真似して代替わりを画策していたのかね?
751 :
人間七七四年:2008/04/06(日) 12:51:05 ID:O+7MITNK
手取川は秀吉が退却したから、全軍退却した訳じゃねーだろwアホかww
752 :
人間七七四年:2008/04/06(日) 13:04:08 ID:3NUtkAmy
細かい失点は勝家に限らず、秀吉・信長にも挙げればキリがないほどあるだろ。
柴田が特に統率力があったとは言わんが、加賀一向一揆を平定し、上杉をあそこまで追いつめたことを勘案すれば
軍団長としては及第点以上の統率力はあったと思うが。(上杉家がお間抜けだったこともあるけど)
そもそも手取川の秀吉の無断退却は勝家の統率云々以前に秀吉に問題がある。
信長公記には諸将は驚いて、甚だ迷惑したとまで書かれてる訳だし。
(まさか武功夜話に書かれてるように、柴田が秀吉が武功を挙げないように後続に回したから・・・とか信じてる訳じゃないだろ?w)
753 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 15:51:37 ID:dHH6iehR
一次史料による実証が全くない手取川の合戦があったかどうかかなり疑わしいが
秀吉が信長の命に背き北陸から離脱したのは事実
勝家が秀吉に不審を抱き始めるのはこの頃からではないかと思う
俗説では一般に勝家は成り上がりである秀吉を嫌っていたという説がかなり言わ
れているが、勝家は同じ成り上がりの滝川一益とは昵懇
勝家自身も父親の名すらはっきりしない、信長の父、信秀時代に槍一本でのし上
がったのではないかと言われている
第一、それまで以前に秀吉を嫌っていたなら羽柴の名に柴の字を贈らんだろう
754 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 16:51:52 ID:1ZsIjn8n
出世する秀吉に才覚に嫉妬して云々〜が典型的な勝家の描かれ方だからな。
実際は勝家自身も出世コースをひた走って筆頭家老になったんだが
755 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 18:10:01 ID:gavwrITD
秀吉が信長の命に背いて撤退つー身長工器もどこまで信憑性あるのやら
756 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 22:31:08 ID:1ZsIjn8n
武功夜話よりはよっぽどあるがなw
757 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 11:56:08 ID:MLnCM0nM
武功は秀吉絶賛本ではあるが前野の記録がなければ北陸方面軍の動きなんて
半分以上想像すら出来なくなる罠
前田史は本能寺以降ばっかりだし本願寺は僅かにあるが
信長関連朝倉史上杉史の極一部?織田家筆頭家老があまりにも寂しい
758 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 13:55:26 ID:DkjeNTBU
武功夜話は一考に値しない。
武功夜話がないと北陸方面軍の動きが想像できない、とか困るのは歴史小説家くらいだろ。
759 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 14:01:45 ID:DkjeNTBU
賤ヶ岳に関わる史料だと豊富にあるけどな。
しかし、そもそも誰と比較して寂しいんだ?
秀吉は勝者、それも天下人だからこそ、顕彰モノとして太閤記他があるわけで
敗者の柴田がそれと比べて寂しいのは当たり前じゃね?
760 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 14:38:57 ID:MLnCM0nM
いや生き残ってないから江戸期に入っても語られる事ないのはよくわかってるが
勝家調べても酷評されてる史料ばかりで寂しいのさ
世の中では刀狩だって秀吉が最初に始めたことになってるし
武功前野の一人は勝家存命中佐々家臣だから悪く書かれていない客観的ではあるが。
賤ヶ岳以降他家へ移った家臣も武功で確認できたから完全な偽所と思ってないよ
逸話的な話は軽視してるが いい加減な文献書き写した部分あるから仕方ないでしょ
761 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 14:48:58 ID:DkjeNTBU
つーか酷評されてる史料ってあるか?
あるとしたら太閤記を始めとする秀吉関係の史料じゃね?
信長公記ではわざわざ柴田一人に記述を割いている(太田牛一が当時柴田配下だったこともあるが)
フロイスは柴田に好意的な記述を残している。
利家夜話では利家の逸話集だが、柴田に関わる話も多い。
ちなみに赤ら顔で武略一辺倒な勝家像ってのは歌舞伎から来ている。(演目名は忘れた)
面白いことに冷徹で癇癪持ちな信長と人懐っこい秀吉のイメージってのも歌舞伎(大功記)から来てる。
762 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 16:12:26 ID:uUbJbeQj
勝家のイメージは秀吉や前田に近い人物の残した史料で決められたかんじだな
猛将でありながら慎重で少し頭が弱く古いタイプの潔い武士・・・わけわからん
中途半端に江戸時代の美徳に当てはまったんだろ
だがこのスレに来る勝家ファンはそんなイメージないから安心汁
763 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 16:45:13 ID:sTw2UVSc
実際、賎ヶ岳の戦いを見てると
>猛将でありながら慎重で少し頭が弱く古いタイプの潔い武士
こんなイメージもあながち間違いではないような
764 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 18:00:47 ID:8RK8od0+
はぁ?
玄蕃尾城なんか当時最新の城郭技術の結晶だし、
盛政の案をいれず、堀隊への攻撃を避けたのも一理あるわけだが。
賤ヶ岳で分かるのは「慎重」な性格くらいだろ。
765 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 18:01:37 ID:2khohiqk
策略計略が使えない蜂須賀なイメージ。指揮能力は二割増しで
雰囲気も似てる気がする
766 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 18:09:46 ID:DkjeNTBU
一向衆を高田派に改宗させたり、加賀一向一揆の首謀者を招きよせて殺害したり、
それなりに計略・悪知恵も働くタイプなはずだが。
767 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 13:57:29 ID:b9OgE0ee
安彦弥五衛門の子孫の俺が通りますよ〜
768 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 17:05:51 ID:0x/v80tJ
お?賤ヶ岳で暴れた勇者じゃな
柴田切腹後どこへ流れたの?
769 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 17:31:50 ID:6tN3zh6M
それと、秀吉に追い立てられて撤退していくとき
秀吉隊に決死の猛攻を加えて時間稼いだ勇者だれだっけ?
ある程度有名な武将だったと思うのだが。
覚えのある方、教えて下さい。
770 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 18:01:34 ID:1eG1rAxQ
毛受兄弟か?
771 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 18:36:00 ID:b9OgE0ee
>>768 山形と伊豆らしい
昨日親に初めて聞いてぶったまげた
先祖は柴田勝家の家臣で戦争に負けて流れてきたらしい
親父が本家の人から聞いたんだって
772 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 18:38:01 ID:0x/v80tJ
たぶん毛受勝助の事だろう
773 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 18:42:16 ID:PdgocyDu
柴田家臣は賤ヶ岳敗北後
蒲生、前田、金森とかに仕えてる
柴田家臣も前田や金森は悪くないと見てる現実がある
柴田ファンは認めたくないだろうがw
774 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 19:03:58 ID:zoHpP4pY
それは勝家の器の広さを示すものだな。
過ぎたことは是非に及ばず。
それはそれとして勝家の家臣はマイナーだけど良いエピソード持ってるヤツも多いよな。
上で出てる毛受とか拝郷とか。
775 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 19:14:54 ID:0x/v80tJ
>>771 伊豆は北条へ入ったんだな 佐久間氏一緒に行ったのか気骨あるなぁ
山形はわかりませんが
>>773 我が家は君の言う中に当てはまってるけどちょっと違うかな
主家崩壊後直接それら大名に仕えてる侍は内通者以外皆無と聞いてます
巡り巡ってるはず
776 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 19:31:41 ID:ICDyHkDn
つーか、戦国時代敗れた家の家臣が、戦った敵方に臣従することなんて普通だろ。
今川の家臣で武田や徳川に仕えたのはいくらでもいるし、浅井の家臣で織田についたのもいくらでもいる。
777 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 20:04:49 ID:0x/v80tJ
長くなるので書かないけどケチとか卑怯者小心者色々あったみたいです
基準はわかりませんです
浅井家来程丸ごとがっつり織田家臣の元へ移籍するような事は異例ですよ
内通者も相当な数でしょうし漆頭蓋骨の話もありますしねぇ
778 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 21:38:32 ID:ICDyHkDn
>>777 武士はご恩と奉公の相互契約。
主家の側がご恩を提供できなくなれば、家臣も契約の不履行を理由として主家を離れるというのが自然。
779 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 06:48:59 ID:uqF7A2fZ
今だって、会社が潰れたから同業他社に就職してはいけないなんてことは
ないのと一緒だろ。
どの時代もみんな生きるのに必死なんだよ。
780 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 07:01:19 ID:l0E7IqPS
>>773 つーか柴田の家臣なんて譜代なんて物がほとんどいないんだから、柴田が滅びた後どこに付こうが
誰からも文句言われる話じゃ無いわな。これは秀吉も光秀も一緒。
781 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 11:40:59 ID:W6qrdwCq
まー、前田の賤ヶ岳での行動が小早川秀秋レベルだったということは変わりないけどな。
782 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 16:22:11 ID:PkfX4Xq1
武士の仕官なんて買い手市場だし一族親戚縁者の関係あるからそんな自由じゃにゃいぉ
しかしそれ以前に勝家切腹後越前〜金沢付近まで激しく落ち武者狩りが行われて
飛騨や越中国境まで決死の脱出やってるずら
兵数だけで数千名、一族や商人までいたらしいから当時としてはたぶん凄い数だにゃ
捕まって家族が炙り釜に入れられたひにゃ〜目も当てられにゃいょ
783 :
人間七七四年:2008/04/16(水) 09:18:40 ID:Sv8axuNZ
悪名高い残党狩りやな
勝家は前田が根こそぎ殺しに来ると読めてない
784 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 02:33:41 ID:6wZ9zpRY
滅び方がかっこいい
785 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 15:02:24 ID:mg5SlpKX
勝家って正式に筆頭家老の地位にあったの?
佐久間信盛は一時期筆頭家老にあったって文献が残ってるみたいだが、
勝家にそういう文献って残ってる?残ってるとしたら佐久間追放後の事かな?
786 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 16:04:05 ID:e8yMLWP6
筆頭になったのはそれくらいだろう
一応、佐久間信盛は対本願寺戦では八ヵ国から動員できたらしいから
各々南近江の城将として浅井と対立関係に入った頃は横並びと言っていいのでは
気になるのは信勝に加担して敗れ、信長に臣従して上洛戦で勝家が出陣するまで
勝家の動きが一次史料では消えることだ
謀反以前に尾張統一戦で活躍していた勝家が桶狭間や美濃戦ではその名が全く見
られないのは何故だろう?
787 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 16:27:56 ID:rSfJGHgY
>785ハ見寺史料
788 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 22:52:15 ID:8Q7gymC2
上洛戦で出世ルートに戻ったことは確かなんだけど、
それ以前に空白期間があるね。
若くして家老職、失脚後出世レースに勝ち残ってるあたり、
ただの保守的なおっさんじゃないっていういい証左。
789 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 07:01:30 ID:hWCdIFvS
>>787 ありがとう、今度参考に調べてみるよ。
信長晩年期、北陸でかなりの石高持ってたみたいだから重用されてた事は
間違いないんだろうけど、筆頭家老っていうのは正直疑問に思ってた。
小説やドラマなんかだと、桶狭間の時点で既に筆頭家老とか
ありえない描写が多かったから、何かの脚色なんじゃないかなと・・・。
790 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 11:53:25 ID:m0lDkZdk
信秀の代から織田家に仕えていたってだけで
勝家も前半生に謎の部分が多い武将だよね
出身は尾張なんだろうが、若い時に何をしていたかは不明、父親も不明ときている
時期が早いだけで、一益や秀吉と同じ様な処遇から成り上がってきた流れ者だったのかもね
791 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 13:01:28 ID:aLG+8eOz
小豆坂7本槍では無いんだっけ?
792 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 15:50:07 ID:F7zSa8Ka
>>790 それなのに、小説やらドラマやらで秀吉に「成り上がり者」とか言っちゃうキャラにされてるからな。
これだけ実体がマイナス方向に歪曲されてる武将も珍しい。信玄や謙信とは逆のパターン。
793 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 15:52:39 ID:F7zSa8Ka
>>789 よく分からんけど、筆頭家老って役職はないでしょ。
勝家の石高と与えられた裁量権が抜きん出てるからそういう位置づけをされてるだけで。
794 :
人間七七四年:2008/05/03(土) 16:38:33 ID:1v5eUFRA
名称が違うけど家老と言える8枠はある
石高は当時それ程意識されて無いと思うから区別するとすれば大国かどうかだろう
しかし佐久間や秀吉見てると関係ないような・・・
795 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 17:55:33 ID:vq5K63VZ
正式な資料じゃないからでたらめかもしれないが、
柴田勝重→柴田勝良→柴田勝家という系図で、
勝家の祖父にあたる勝重が斯波氏の庶流だって見たことある。
記憶が曖昧だから祖父と父の名前は間違ってるかもしれないが。
796 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 18:25:33 ID:wpjEHeId
朝倉と人質交換した時に織田側から出した勝家の子って実子?
797 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 00:24:15 ID:1VRzDCHx
>>790 なかなか面白い考察ですね
流れ者かつ成り上がりの後輩である秀吉を同類として嫌っていたという訳ですか
しかし、上にもあるとおり父子共に斯波氏からの乗り換え組なのでは?という説もあるので
流れものという訳ではないかも知れませんね
いずれにせよ、成り上がりものには間違いなさそうなので
秀吉との険悪の原因を同類ゆえと見るのは斬新で面白いですね
798 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 00:30:15 ID:XcbkUhOP
むしろ心情的に無骨者が世渡りがうまい奴を嫌う感じなんじゃないだろうか?
799 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 00:33:39 ID:IBsuAvbe
そもそも嫌ってないだろう
800 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 01:19:06 ID:0k9dgbPU
>>797 そもそも史実として個人的に嫌っていたという事実はあんの?
清洲会議以降の対立を抜きにして。
801 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 01:48:54 ID:1VRzDCHx
>>800 絵本太閤記n…ではなく
フロイスの報告の中にそんな不和の記述があった様な…
申し訳ない。現在事実として証明できないので妄想扱いして下さい
802 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 07:10:33 ID:0k9dgbPU
いや、大多数の人は不和だったと思ってるだろうから妄想だとは思わないw
ただ絵本太閤記や武功夜話が根拠になっちゃうと怪しいなぁ、と。
803 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 07:56:32 ID:XcbkUhOP
北陸からの秀吉の無断撤退は?
804 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 16:27:01 ID:0k9dgbPU
あれは実質不明
信長公記の記述によれば「諸将甚だ迷惑した」らしく完全に秀吉の勝手な行動だった。
「勝家が秀吉を活躍させないために後詰に回したから」とか「松永久秀の挙兵を聞いて機転を利かして軍を退いた」
というのは武功夜話と太閤記が出典になってるもので、信憑性のほどはかなり怪しい。
805 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 16:59:27 ID:XcbkUhOP
と言う事は何らかの確執らしきものはあったと見て良いんじゃないかな
806 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 17:31:39 ID:0k9dgbPU
なんで?
807 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 17:40:47 ID:XcbkUhOP
804を普通に読んで秀吉が勝家の指揮下にありながら勝手な行動をしたと言うことは確実
そしてその理由として秀吉にとって何らかの弁解になりうるような事情を記したものは信憑性が薄い
と理解したんだが。
808 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 17:46:46 ID:0k9dgbPU
そういうことですか。
俺の読解力の問題だった。
809 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:15:53 ID:Ltq71lim
賤ヶ岳の合戦の際に秀吉に勝家の助命嘆願をした武将が多かったけど、秀吉がそれを却下したのは史実?
この話を何かの本で読んで益々秀吉を嫌いになった。
810 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 13:46:51 ID:NJLTuH7V
勝家が秀吉を毛嫌いし始めたのはやはり秀吉の無断撤収からだと思うな
以前より仲違いしてたなら羽柴の名字に柴の字は譲らんと思うし
勝家が秀吉を嫌った理由は出自より自分勝手な行動や振る舞いに対してだろう
出自に関しては同じように出自の怪しい一益と昵墾だった上に勝家自身も大身の
家の出でなく、自らが武功を上げのし上がったのだから
811 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 21:04:15 ID:ixiO8ebD
羽柴姓を名乗りだした当時、勝家と長秀にはだいぶ格の違いがあったからホントに両者が由来なのかはちょっと怪しい。
812 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 19:17:55 ID:aR1awwIk
813 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 11:31:47 ID:CfLFaMLy
>>812 そりゃ、ゴロじゃないの
柴羽、柴丹じゃ、あんまりゴロとしてよくないじゃん
814 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 15:50:10 ID:VTKWE0TP
しばたん、いいじゃないw
815 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 16:09:00 ID:htQFnRGs
「橋場」と言う地名姓に当て字をした、と言う説もある>羽柴
816 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 23:53:11 ID:mmS48+Tk
羽柴姓が信長から下賜されたなら、羽と柴の順序は気にならなくなるね。
817 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 00:08:20 ID:apSw2Tfr
名前でなら上下がどうこうってよく聞くけど
苗字で秀吉以外に同じような例ってあるんかな
818 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 00:36:03 ID:uSgiFN/H
>>817 松前=松平+前田。この順番なら、角が立たない。
819 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 14:11:49 ID:tbTEzT+u
前松だと読みにくいな
820 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 01:36:10 ID:FeRiJy0A
>>811 ポジション的に開きはあったろうが、家中を代表する古参のおとな、という意味で
二人から貰ったんじゃね?
821 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 07:38:48 ID:VROtoK1z
しかし長秀はともかく、勝家のご機嫌をとるような形跡はそれ以前以後にもみられないんだよな。
なんかここで勝家から一字もらったってのが不自然な感じ。
822 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 15:53:53 ID:XaVSc/e7
古参の「おとな」・・・・・って、おい(笑)
823 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 21:35:43 ID:qz9RarBM
大人衆だろ?
824 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 05:26:54 ID:9wYr9Y+q
おとなの意味もわからんガキは去れ!
825 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 13:58:41 ID:cTTReRPI
お決まりの「お・と・な」ネタでマジレス返されてもこま(ry
826 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 10:53:33 ID:MUQTQd1N
アダルティ勝家
827 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 16:05:26 ID:BlDrkq1D
大人衆か。
828 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 16:17:41 ID:qBCakaSw
柴田勝義が親父なのか?
829 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 17:47:39 ID:eMyUUJ81
賤ヶ岳の敗因が、勝家や盛政の戦略ミスじゃなく、前田の敵前逃亡のせいだ、って言うのは、
だいぶ世間に定着したな。
830 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 19:07:36 ID:WESAKuEa
利家が逃げなければ勝ってたとも思えないので、
現実問題としてその三つの複合なんじゃないか>賤ヶ岳の敗因
831 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 19:48:49 ID:dAhTkYqP
それを言い出したら、秀吉の勢力と勝家の勢力を考えればもともと勝ち目が少ない戦だったし。
盛政が撤退を開始してから余呉の西岸で善戦してる間は一進一退だった。
そこから利家が逃亡→佐久間隊が壊滅したと思い込んだ諸将が逃亡した訳だから
賎ヶ岳の戦闘に限定して言えば直接的な敗因はやっぱり利家の逃亡。
832 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 20:02:45 ID:X0QJtx3Z
原因は柴田のびびりにもある
前田の逃亡よりも勝利を逃した決断力の無さが大きな敗因だろう
秀吉不在時に佐久間と同調して全面戦争を仕掛けるべきだった
ここが唯一の勝機だった
長期戦やって有利になるとはとても思えない
むしろ秀吉の引き抜き工作やらなんやらでジリ貧になる確率のほうが大きいし
833 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 20:08:51 ID:dAhTkYqP
それについては隘路を通って山上の大軍に攻撃を仕掛けるのは
無理だと勝家が判断したからだろ。高柳氏の受け売りだけど。
そんな暴挙は決断力じゃないだろ。
834 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 20:13:41 ID:eMyUUJ81
無謀を勇気と勘違いする馬鹿ほど始末に悪いものは無い。
835 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 20:58:25 ID:GAVdX3sa
しかしそのままではジリ貧であるならば、リスクは高くても逆転できる可能性に賭けるのが決断力というものだろう。
あるいは勝機なしとみれば早めに降参するのも1つの決断力。
836 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 21:05:15 ID:dAhTkYqP
賎ヶ岳っていう戦闘に限っての話だから事前の降参云々はナンセンス
837 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 16:58:58 ID:lNNL2Hyn
では活路は?
838 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 17:16:55 ID:3+XUQJ6k
>>837 越前に本拠をおいている時点で、自力での活路はない
839 :
人間七七四年:2008/08/19(火) 15:40:36 ID:aoW456mH
その昔府中には除雪が三度の飯より大好きな前田利長って武将がいてだな
越前の冬くらいなら自由に動けたんだよ
840 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 14:52:46 ID:aFilDKBj
若狭の原発を先に押さえた者が勝つ
841 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 19:20:12 ID:Ttg9AFiX
若狭、若狭って何だ
842 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 21:33:52 ID:zRWk0DRd
甕割らない事さ〜
843 :
人間七七四年:2008/09/01(月) 00:16:28 ID:FRGnkpcE
俺が柴田だったら大雪でもすぐに動ける様に新幹線をとおすね
新幹線で兵馬を休め
駅弁を喰わせれば士気UP羽柴にも負けない
844 :
人間七七四年:2008/09/01(月) 00:44:52 ID:HG9aCgxh
( ´,_ゝ`)プッ
845 :
人間七七四年:2008/09/01(月) 01:16:05 ID:sfkr+BM2
佐久間が撤退しなかったのが悪かったのか、柴田が前進しなかったのが悪かったのか
どちらでせうか?
846 :
人間七七四年:2008/09/01(月) 01:18:20 ID:OqZOmtq7
前田が裏切ったのが悪い
847 :
人間七七四年:2008/09/01(月) 01:19:35 ID:LdHV5j7n
過去レス嫁よ
848 :
人間七七四年:2008/09/01(月) 13:56:19 ID:Q+sx6mhl
前田が裏切らなければ勝家が勝ったろうね
佐久間は帰陣に成功してるからナイスな判断力してるよ
849 :
人間七七四年:2008/09/17(水) 14:42:43 ID:bymrUMpl
局地戦だけの問題じゃないような気もする
850 :
人間七七四年:2008/09/17(水) 15:18:44 ID:U49kr7lW
この時期の政治状況は、局地戦次第でころっと変わるだろ。
851 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 14:43:06 ID:3lDHh/Xi
それはそうだな。
852 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 19:51:28 ID:C/mSVBoi
天下分け目の戦いだったのれす
853 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 20:58:47 ID:+WXa9/c/
前田が小早川秀秋ほど叩かれなかったのは
盛政に全部押し付けたこと。
秀吉側が配慮したこと。
明治維新までお家が残ったこと。
が大きいんだろうな。やったことは大差ないのに。
854 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 09:58:20 ID:VR/tVqAS
ただ単に前田が秀吉と昵懇だっただけの話でしょう
しかし前田の賤ヶ岳での“陣払い”は鮮やかと言わざるを得ない
盛政が態勢を取り直し逆襲しようとするところを見計らっての撤収だからね
盛政の兵から見て裏崩れ起こしたと見えるのは無理もない
だから戦後、秀吉が敗将にも関わらず前田に加増し、第一の功将のように扱ったのでしょう
855 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 10:01:24 ID:KQ32uPK3
丹羽も死んで、織田系武将筆頭の地位も確保したしな>利家
856 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 10:15:07 ID:1ujhnVml
信孝にも信雄にも協力しなかった前田が織田系武将とは
笑うポイントですか?
857 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 13:50:07 ID:VR/tVqAS
>>856 賤ヶ岳の時点で既に前田は織田系でなく羽柴系武将
後に重病となった丹羽長秀はないがしろにされる織田家を見て腹を裂いたというし
やはり丹羽は後ろめたいものがあったのでしょうね
その点、前田は藤堂高虎ほどでないにしろ、古いしがらみに固執せずに先見の明とやらがあったのだろうう
858 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 16:02:58 ID:F/SnSVXh
秀吉はどうみても野心によって織田家をのっとったわけだけど
勝つ家や滝川あたりはどうだったのかな?
仮に家康を倒したら織田家の家臣でありつづけたと思う?
859 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 16:03:37 ID:F/SnSVXh
↑家康でなくて秀吉でした。
860 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 17:32:56 ID:VR/tVqAS
>>858 勝家は野心はないんじゃないか
既に老齢であるし、秀吉のように与力を家臣化したり、信長に相談なく宇喜多と和睦したりしない
一益も実直だし秀吉と同じ成り上がりではあれ、勝家とは昵懇
もし勝家にしろ、一益にしろ謀反を起こすには歳を取りすぎているし
謀反を起こそうと思っていたならそれまで何回もチャンスは有ったはず
これは別な話だが、対一向衆は別として勝家も一益も秀吉の持つ残虐性はなかった
秀吉は例えば福原城を陥落させた後も婦女子も許さず子供は串刺しにして
女ははりつけにして皆殺している
お市の子息を串刺しにしたのも秀吉だったな、宇喜多直家の寡婦を手籠めにしたのも有名な話
ともかく秀吉の残虐性は異常
861 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 17:44:52 ID:MExU9Dqr
>対一向衆は別として
何で別にするの?
すげー都合の良い理屈だな
862 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 17:49:03 ID:KQ32uPK3
もし秀吉滅ぼしたあとどうなるかなんて、流れ次第だよ。勝家が織田家滅ぼしたく無いと思っていたって
敵対関係になればそうも言っていられなくなる。
863 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 17:54:02 ID:MExU9Dqr
勝家が織田家に忠義尽くす気でも織田家がどうとるかはわからないな
信孝とか本能寺の変後の津田信澄粛清を見てもかなり猜疑心の強いタイプだしな
864 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 17:57:18 ID:T9ZbZm3h
一向宗含め皆殺しはあるが残酷処刑趣味あったとされる北陸方面軍は利家だけだろ(史料は落書き)
その利家よりも秀吉光秀はさらに残酷だとおもうよ
>>862勝家が織田家と敵対するシナリオが思いつかない
865 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 18:04:04 ID:KQ32uPK3
>>864 勝家どうのこうのより、勝家についた人間達がそれを強いることもある。
建武の新政の時の足利尊氏だってそんな感じだよ。
866 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 20:25:50 ID:VR/tVqAS
>>862 そうかなぁ
もし勝家がそういうことを想起していたなら
それ以前に賤ヶ岳の戦い前の信孝の挙兵に呼応しないで見捨てるだろうなぁ
あの時期はまだ外交、調略により有利な態勢に持ち込む最中だったし
長宗我部との同盟、できれば家康の好意的中立は欲しかったはずで
また美濃や近江の武将たちはまだ秀吉に心から臣従していたわけでない
だが北国衆が召集進軍に不利な季節に信孝は焦りから挙兵してしまった
しかし圧倒的不利な態勢にも関わらず勝家は信孝に応じた、一益も
これは自家を犠牲にすることも省みずに織田家に対する忠心がなければできないんじゃないか
867 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 20:32:40 ID:VR/tVqAS
>>861 カルト集団の狂信者相手の対ゲリラ戦と通常の武将相手の戦いは別物でしょう
マスコミ報道が早く、全国民に詳細が報じられる現在は別として
古来古今東西で対ゲリラ戦は敵対集団を根絶やしにする戦略はよく取られていたし
868 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 20:39:00 ID:KQ32uPK3
>>867 > カルト集団の狂信者相手の対ゲリラ戦
何年前の認識だよ。本願寺は室町末期から、加賀の「大名」として認識されている存在で、兵の動員も
基本的には他の大名と変わらない、宗派にかかわらず国人を動員する形だよ?
いわば、信長と本願寺の戦いは、戦国大名同士の戦いだったわけだが。
信長自身がそう考えていた証拠に、本願寺が大阪を撤去する時の講和の形式は、戦国大名のそれと
全く同じなわけで。
869 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 21:38:48 ID:VR/tVqAS
>>868 そのゲーム的発想には同意しかねるな
織田だけでなく、朝倉や上杉など一向衆に敵対した時は一向衆に対しては容赦しなかった
なぜなら一向門徒は武士ではない
また召集された半士半農でない専業農民ならすぐに瓦解する
一向門徒の狂信さは武士の忠節とは全く別物だ
禁欲的宗教であるはずの仏僧の教主の色欲狂いのためには自らの妻や娘を汚らわしい教主の褥に送る
大坂の本願寺の教主の贅沢三昧のためには搾り取れぬまで加賀の一向衆以外の農民からも搾取する
狂信的でなかったらここまではしない
織田家の専業武士団同様、一向門徒は教主の鶴の一声で繁農期であっても武器を手にし
仏法では禁じられるはずの殺生に手を染める
通常の武士なら上位の武将が討たれたなら矛を納めるが
一向門徒は戦いをやめない
教主の指令がないかぎり
従って一向門徒と一般武将は同一視できない
870 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 21:41:14 ID:KQ32uPK3
>>869 本願寺に信長に負けない、むしろ上回るほどの資金力があったことを考えてないでしょ。
871 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 23:19:23 ID:MExU9Dqr
井上鋭夫の一向一揆の研究とか読んだことあれば
北陸一向一揆を単なるカルト集団の武装蜂起だとは認識しないだろうな
何つうか物事の見方が偏りすぎ
872 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 23:47:23 ID:v+4j4ZZt
873 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 13:14:34 ID:xWJg1bXW
>>869 根本的に全て認識が違う
北陸の一向門徒は専業農民でもないしお坊さん集団でもない
織田並に戦慣れした統率されている兵達で無論武士も多数いる
上杉朝倉との戦いもゲリラ戦主体ではない
柴田佐々佐久間等が彼等を殺さず味方に引き入れる為にどれだけの事をしているのかと。
彼等は叡山へ焼き討ちかけた光秀秀吉などには従った書物がないだけで北陸の織田勢とは協調性ある人もいる
本能寺前の戦では織田兵として普通に参加しているし
甲斐乱入のどこかの城攻めで一番首の手柄上げて信長に褒められてる話まであった希ガス
ただ組織としては然程封建的ではなく市民主義的な所が多いかも
874 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 13:20:30 ID:SN2/BJQ+
だいたい信長の戦術って、鉄砲の集団運用から石垣を使った築城まで、本願寺のやりかたを真似したもの
ばっかりなんだよな。
875 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 21:24:23 ID:Yq0hEbjK
利家が残虐だったのは敵に対して。
身内を虐殺した上に畜生塚とか立て札建てた馬鹿は猿だけ。
876 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 22:31:31 ID:qGBGqF78
府中で利家が処刑しようと生け捕りにした敵が小丸城の佐々のもとへ逃げこんだら
築城の人夫として雇われたとか今の常識じゃありえんよな
柴田配下は性格も様々で面白い
877 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 23:15:59 ID:gZzkwvn+
さっきTVでかついえとオイチの話があったよ
秀吉は糞だなあ
ぶち殺したい
878 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 23:34:43 ID:FvYOfEeA
あれ見ると信長が実は人間らしい人だったのかなって思えてくる
879 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 23:35:32 ID:qGBGqF78
もちつけ、秀吉はとっくの昔に死んでいる
880 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 23:37:01 ID:1BaP1Nn0
秀吉は養女の豪姫の実姉を妾にしたぐらい変態だからな
881 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 08:31:41 ID:vGHyubKz
勝家は過小評価されすぎだな。
882 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 12:25:45 ID:d7eW2a3F
>>881 確かにそれはそうなんだが
しかし少なくとも昨日の日テレの番組で勝家は実直で根は優しい、織田家の忠臣
というイメージが全国に広がったではないか
883 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 23:25:15 ID:kM+eEaTv
でも基本形はステレオタイプの勝家なんだよな。正当評価にはまだまだか。
全然関係ない話だが、ああいう番組って浅井長政は意味もなくイケメンだよな
体格は良かったらしいけど、現代的に見ればどうみてもデブの部類だろ。
孫の秀頼も相当のデブだったけど貴公子然とした俳優が宛がわれる場合が多いし。
判官びいきか。
884 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 00:09:47 ID:nTNjyVAR
>>883 お市の方が美人だったってことだから、美男美女カップルにしたいんでしょ絵的に。
885 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 01:08:02 ID:ATO0Haxz
内山くん風長政と美女でもいいじゃん
シャイなおっさん柴田と市の方でも絵的に成立するわけだから
変に美化すると安っぽい
886 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 19:33:59 ID:XkXMx0NQ
>>881 でも小説やゲームなんかは太閤記の影響が未だに強いし、
ずっと人たらしの秀吉VS頑固者で門閥的な勝家っていう不利な構図があったからな。
客観的に評価されるまではまだまだな気がする。
887 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 13:49:45 ID:mAIzTyXp
頑固で門閥的か。
888 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 17:41:26 ID:MeTNNdrQ
当時の美女って
今ならブスもいいとこだと思うけど…?
889 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 17:38:54 ID:pWH0hv8B
人間の美的感覚はそう変わらない
すれていない3-4歳の男子の判断力に脱帽する事多し
890 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 14:46:23 ID:9x6LI7SM
平安朝はどうでも お市は現代でも美人なんじゃないかな。
891 :
人間七七四年:2008/12/11(木) 14:56:22 ID:3UPmBVZ+
切れ長で江戸時代の美人に近いかな。
892 :
人間七七四年:2008/12/11(木) 19:57:41 ID:HIajrCIQ
そういえば娘の淀殿には、実は美人だったと言う伝承は存在しないな。
父親に似たか。
893 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 15:32:04 ID:cESaCuLm
若くして秀吉に汚されたからだよ
894 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:48:02 ID:H7cXXKCS
勝家の与力武将(特に拝郷とか毛受とかマイナー系)や、
賤ヶ岳の戦いを学べる書物でお勧めはありますか?
895 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 14:46:21 ID:lRx+EhHj
この人の本以外とないんだよね。
896 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 17:36:53 ID:TcxQFuxE
>>894 前田と佐々ならともかく、
勝家関連本は少ないから、マイナーな与力に関する書籍となるとほとんどないよ。
賤ヶ岳の合戦に関してはとりあえずこれは必読。
高柳 光寿『戦史ドキュメント 賤ヶ岳の戦い』
897 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 14:46:42 ID:EeYTauSU
勝家の領国経営はどんな?
898 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 19:23:19 ID:UUC2TEgL
そもそも、賤ヶ岳で秀吉本隊が現れるってそんなに予想外だったのか?
中国大返しを研究してれば予想は可能だったし、街道沿いに偵察要員くらい
置いてるだろう
899 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 19:39:34 ID:XCTiKzOt
そもそも中国大返しが現代では疑問視されてないか?
900 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 12:16:58 ID:Sr8gtWbf
親父殿、900getでござるよ
901 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 01:37:42 ID:DwkJo24Q
楽市楽座は柴田勝家が初なり
902 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 17:44:06 ID:FPO8fAcL
903 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 20:54:15 ID:DhSji46r
904 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 10:18:09 ID:TumkwowM
楽市はともかく
史料上楽座は勝家が最初みたいお
905 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 16:04:19 ID:YgeL1jlK
そうなんだ。
906 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 00:31:24 ID:MQz0+6Ye
柴田勝家のオールナイトニッポンスレどこへきえた?
907 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 05:37:22 ID:IuRjdWck
勝家は
織田家のマッスル義太夫だな
908 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 05:53:44 ID:lxF6b5An
2年半でやっと900越えか
それでも一益、長秀には勝っているなフッフッフッ
今年中には終われるやろ
909 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 05:58:34 ID:hw/ya+HA
秀吉が羽柴を名乗った時は柴田や丹羽は林や佐久間に比べてまだ格下だったんだよな?
てことはその段階では友好関係というかまあ良い方だったんだろうな。
浅井の裏切りの時も秀吉が殿をすると聞くとかなり感激して激励したみたいだし、手取川も逆に歯に着せぬ仲だったから秀吉と言い争いになったのかもしれないな。
つうか手取川の撤退行為ももしかしたら親父殿が信長にとりなしたのかもしれん…それくらいじゃないとありえん……と妄想している今日この頃
親父殿ならあり得るしな
910 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 06:13:22 ID:fxhjWZJw
>>909 羽柴が丹羽+柴田と言うのは俗説らしいぞ。
実際は丹羽とも柴田とも関係ないらしい。
911 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 07:07:58 ID:hw/ya+HA
むむむ
912 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 21:35:37 ID:wwUMs0Q1
913 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 08:25:32 ID:ATlqi9lu
914 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 09:46:59 ID:FJI+tSWe
>>912 秀吉の実家が河川沿いにあったとしたら、それも考えられるね。
915 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 11:06:08 ID:/mzVo15y
>>914明治時代じゃないからそんな理由で名前を付けない
と思うんだな
916 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 16:01:03 ID:1wRciNKC
>>915 この時代地名由来は普通だと思うんだが。
917 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 15:05:13 ID:NEo69Bip
地名というか場所柄にちなんで だな。明治に在りがちだが 当時もあったんじゃ。
918 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 16:17:18 ID:mHNPpkNb
愛知県だけ見ても、橋場という地名は今でもいくつかあるな。
919 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 15:08:08 ID:My8y8C65
有名所ではどこら?愛知の橋場。
920 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 18:17:26 ID:s/OTVB63
橋場説を唱えている人は、
橋場→木下→羽柴と変えたと考えているのか?
ありえんな。
921 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 00:53:41 ID:nJTzn6uE
922 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 15:39:24 ID:VH1jw2A4
歴史のない地方だと地名より名字のほうが重いからね
領主次第で地名が変わる事もざらだしなんとも胃炎
923 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 02:17:29 ID:Y8TTEIVG
勝家ってお市の方と結婚するまで、女性関係の記録がないのが不思議なんだが
謙信みたいに男好きだったの?
924 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 23:24:27 ID:WV6ahTMA
>>923 謙信や現代を基準に語るなよw
世継ぎを残した室がいた記録が残っていないだけ。
925 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 23:56:37 ID:WYZWSmC+
勝家は小説類が少なすぎ。
926 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 23:08:48 ID:DUHq86Mp
かつあげ
927 :
人間七七四年:2009/03/28(土) 01:20:14 ID:KVXgclTi
勝家大好き
928 :
人間七七四年:2009/03/28(土) 13:46:58 ID:FH3H4irR
コーエーのおかげで筋肉バカのイメージが…
929 :
人間七七四年:2009/03/29(日) 21:47:13 ID:a1P3iPr9
たぶん本当は織田1、2を争う策謀家
930 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 00:28:38 ID:97RaIx+8
謙信最強やら武田最強
とか言ってる馬鹿どもを生み出したのもコーエーの責任
931 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 23:56:28 ID:K0IghfMu
なかなか1000までいかないなぁ
932 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 21:27:27 ID:FWarjo/B
これが戦国板の作法にござる
致し方なし
933 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 22:48:49 ID:qOe4IsX/
勝家と利家は死ぬ前に再会して和解できたが
もう一人の盟友の佐久間とはどうだったんだろ
命令無視を恨んでたのかどうなのか
敗走以降会ってないよね?
934 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 00:00:30 ID:Yt9CPgbt
和解とか冗談もほどほどに
>>933 北ノ庄にいた盛政の妻子を、落城の際に、妻の母方の実家に落ち延びさせる手筈をするなどしている。
恨んでいたような様子はないし、そもそも寝返ったわけでもないし。
936 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 08:58:15 ID:ECGhpMP7
実際には戦術眼のあった佐久間盛政の現在のネガティブな評価を見直す方がいいと思うが
盛政の単独スレ建ててもすぐ過疎りそうだからなぁ
937 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 09:52:04 ID:Yt9CPgbt
何百年前田のイメージ工作やってんだ
938 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 10:59:48 ID:G/1qVhLe
>>935 女は別としても城外で落武者狩りを楽に行う為だよ
脱出した家臣の多くも直接越中を目指せず飛騨経由が多かった
939 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 12:35:53 ID:rgmiJtxw
勝家と仲の良かった武将って前田と佐久間だけ?佐々は?
940 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 14:25:33 ID:G/1qVhLe
仲が良いとか小学生的表現はやめて
佐久間信盛や村井高山なんかは関係が深い
佐久間盛政や毛受は言うまでもない
前田のは前田家が作成に関係した資料でのみそんな逸話があるだけ
佐々に仲が良い逸話とか無いが手紙の文面は敬語←命令調ではない所が味噌
佐々前田は寺町から取った税金を織田家へ送らずに着服し信長から
お叱りを受けた事がある。ちくったのは勝家ww
対上杉戦で勝家の出した作戦案をヌルイと反対するのはいつも成政か盛政
そして実行される戦術は毎回成政案か盛政案が採用されている現実
成政留守の越中で勝家が国人を騙まし討ちし帰国した佐々と斬り合い寸前の
大喧嘩をした。盛政あまりの事に傍観、止めに入ったのは利家
柴田ー佐久間ー佐々ー村井ー柴田「これ親戚」
こんな感じから自分なりに仲不仲を読み解いてくれ
941 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 15:35:58 ID:ECGhpMP7
そうだね。盛政兄弟はみんな勝家の甥(姉か妹の子)だし、三男勝政は勝家の養子、四男勝之は成政の婿養子。
みんな親類みたいなもんだ。
943 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 18:03:22 ID:FZnxQ3Yu
勝家の家老の山中はなんで敵対してた丹羽家や秀吉に仕えたの?
944 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 22:31:58 ID:Yt9CPgbt
山中は家老じゃなく与力じゃね
六角家出身だからコネいっぱいあんだろな
945 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 00:13:55 ID:/g0Ogurz
尾張統一戦や上洛戦以降の活躍した史料は多いが
桶狭間〜美濃制圧戦は勝家のミッシングリング
この間は何やってたの?
946 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 12:19:50 ID:eZp2CEy8
清州会議で織田の重臣たちがみんな秀吉についたのは痛いね
勝家の方が古参で格上だったのに
なんでみんな秀吉についたんだろ
親父殿と慕っていた前田も結局秀吉につくしよう
947 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 16:13:19 ID:ODNXM1aa
そりゃ清洲会議の参加者が山崎の合戦の参加者で構成されてんだから当たり前だろ。
清洲会議で秀吉についたんじゃなくてそれ以前から決まっていたこと。
948 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 16:14:48 ID:ODNXM1aa
そりゃ清洲会議の参加者が山崎の合戦の参加者で構成されてんだから当たり前だろ。
清洲会議で秀吉についたんじゃなくてそれ以前から決まっていたこと。
前田は両者を秤にかけた結果裏切っただけ。戦国時代の慣わし。
949 :
人間七七四年:2009/04/12(日) 13:24:08 ID:T1i/ztm1
最近清洲の対立は講談扱いなんだが
あとここで前田擁護するな
きもい
950 :
人間七七四年:2009/04/12(日) 18:38:36 ID:6yWe1vte
きもい
951 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 17:13:16 ID:R64YJWbs
清州の対立がなかったってこと?
ならなんで秀吉と対立して戦ったの?
952 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 21:48:40 ID:mdoLAmCE
清洲会議でのやりとりがってことじゃねーの?
953 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 22:28:18 ID:SQeaTAGn
秀吉と戦った柴田は織田家臣としての出陣
あくまで秀吉vs信孝
清洲会議の頃はまだ秀吉も本性出していない
故に柴田も反論せずといった考え方だそうな
対立するような会議なら重臣でもない池田の参加や他の重臣の不参加は許されないだろうと
残る重臣は滝川と佐々で柴田側だしな
954 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 17:09:16 ID:2MUvE4a2
織田八の将ってやつかな さらに第一の四天王
勝家が筆頭で間違いないね
955 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 00:48:13 ID:Sf9a/uiV
そりゃ対立してたらあの所領の分配で納得するわけがない
956 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 00:55:32 ID:Jk70JTgM
勝家が織田領の一部を勝手に徳川に渡したってマジネタ?
そんなことできるの?
957 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 20:52:03 ID:1+z/6iWX
どの史料か言わなきゃ誰もわからん
958 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 12:27:55 ID:exDt84vj
顕如が秀吉を支持したの?それで北陸軍の軍事機密が筒抜けだったの?
959 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 01:47:59 ID:1U+YIjaH
チャヤンピンで柴田勝家は鬼が島出身の鬼であったことが判明。
960 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 08:45:28 ID:Oh+RJUii
大乳母様の子の池田が清洲会議時点で重臣でないとは何の寝言だ?
961 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 08:48:01 ID:ngoedT8X
>958 どんな小説よんでる?
962 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 11:23:25 ID:11yMmGUO
>>960 親しいだけじゃ重臣とはいえない・・・
他の参加者と比べるとどうしても小ぶり
963 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 11:46:09 ID:dGAHdIWy
964 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 23:41:54 ID:ct3Up9I0
池田が重臣かwwやれやれ
滝川に比べたら丹羽や池田が格下なのは分かるさ
信長が存命だったら個人では老臣クラスになれないレベル
ただ池田丹羽が同じ意見で出席しているのは注目すべき点で
方面軍の代表(柴田羽柴)に対する信長直臣代表としての立場を
表しているだけという見方もできる
966 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 04:58:35 ID:8zKpxAUQ
池田は別として丹羽は重臣の一人だろう
ま、重臣=家老ならばの話だけど
でも信長の場合家老や老中といった名称使わないようだね
江戸の呼称?
967 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 12:14:22 ID:506NwZbT
秀吉の外交とかとても勝家の勝てるとこではないな
勝家も滝川みたく秀吉に降参してれば命だけは助けてもらえたかもしれない
外堀を埋められての戦じゃ士気が上がらないし
968 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 23:06:57 ID:1wvR51Wx
外交も何も元々毛利と講和中だった秀吉と
上杉と交戦中だった勝家じゃはなから状況が違うしな。
諸将からの助命嘆願も秀吉は却下してるし。
太閤記やら歴史小説の読みすぎ。
969 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 10:07:58 ID:PCkHj3a1
秀吉を嫌ってた滝川も信孝も佐々も結局秀吉に降伏するんです
勝家は反秀吉の連中にいいように利用された感じがする
佐久間は意地を見せたが現代ではあまり知られていない
佐久間も意地を張らずに秀吉の部下になっていれば
数十万石の大名として生きられただろうに惜しいことです。
>>969 まあ、弟たちが大名になったからいいんじゃまいか。
ていうか弟たちの秀吉憎しもすさまじいものがあったね。
そこに目を付けた家康にはけっこう大事にされた。
山内とか藤堂のような計算づくの打算で生き残ったんじゃなく、
意地を通したことが偶然、結果を残したという、稀有な例かもね。
971 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 23:07:58 ID:MDtcmXiJ
>>969 たしかに秀吉事記の記述でも反秀吉を主導してるのは信孝だし、
三法師を岐阜城にとどめ置いた件も信孝が先走ってる感はある。
ただ清洲会議後に秀吉がとった勝家への敵意むき出しの行動を見れば
勝家とすれば対応せざるをえなかったんだろ。
つーか今でさえ過少評価されてんのに、あそこで意地見せなかったら
それこそ後世の評価はけちょんけちょんだろ。
972 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 03:08:26 ID:g1rIpQoV
>>971 清洲会議の勝家と秀吉の対立って後世の創作だよ。
実際は勝家秀吉を初めとした、重臣達の協調でシャンシャン会議だった模様。
973 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 00:43:06 ID:FZ4+0vs8
清洲会議「後」って書いてんだろ
974 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 16:12:49 ID:yICPP0AV
2009年にして次スレの扉が
975 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 14:14:10 ID:y0Zq8pXs
太閤立志伝Uやって勝家嫌いになったって人結構いそうだな。
つーか猪突猛進とか変なイメージ作ったのって明らかにKOEIに責任がある。
976 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 11:24:18 ID:i+8UkPpU
977 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 20:53:17 ID:78R35D3q
社会の底辺が秀吉マンセーしたもんでその煽りを受けた
そして手取川では謙信マンセーの煽りを受けた
978 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 00:10:21 ID:/TMZt03q
勝家と秀吉の対立が決定的になったのはいつ頃
何が原因だったの
清州会議は平穏に終わったんだよね?
979 :
◆LeD1MMOS.k :2009/05/16(土) 00:14:32 ID:ejt2OAx6
信長の葬儀を秀吉が仕切ったあたりからじゃないかな?
980 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 00:22:34 ID:LrzJ8vOo
>>978 勝家と秀吉はむしろ、信孝と信雄の、美濃と尾張の間の領地争いからの関係悪化に
巻き込まれた節がある。まあ、秀吉のほうは信孝排除の為、信雄を煽ってた感じではあるが。
んで、信孝方の勝家と、信雄のバックにいる秀吉が対立。
981 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 11:10:17 ID:Sy503fJg
秀吉の場合は自らの権力掌握のため信雄を利用してるに過ぎないと思うね
勝家は信孝の烏帽子親になっているなど信孝と関係が深いが
秀吉は信長の生前時代に信雄と関係が密接だったわけでないし
清須会議でも三法師を擁して論戦に勝ったわけで信雄の後ろ盾であったわけでもない
982 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 11:19:47 ID:idtIRMUM
>>981 > 清須会議でも三法師を擁して論戦に勝ったわけで
だからその論戦自体が存在しなかった
983 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 17:16:22 ID:+v4SD9w/
しなかった、って断言できるもんなの?
984 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 19:02:11 ID:idtIRMUM
勝家滅亡はナレーションだけ…
65 名前:衛星放送名無しさん[sage] 投稿日:2009/05/17(日) 18:06:02.33 ID:666Iqnp7
山崎の合戦から関白就任まで2分って
史上最速の大河だな
985 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 19:08:41 ID:onG0FLv4
秀吉って対上杉のときに勝家とケンカして戦場放棄してるよな
そのころから普通に不仲だったんだろう
986 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 22:57:48 ID:Sy503fJg
>>985 そうかなあ?
後世の創作じゃないの?
勝家は秀吉と同じ成り上がりの一益と昵懇
それ以前に勝家自身も父親が誰なのか確証あるものがまだ定まっていない槍一本で成り上がってきた武将
秀吉を嫌う要素がないでしょう
秀吉を嫌うようになったのはやはり無断撤収事件からでしょう
それまで一向門徒との戦いでただでさえ兵力のいるときに
直接指揮下にない与力とはいえ佐々、前田を秀吉の三木氏攻めのために派遣させているのに
恩を仇で返す所業には勝家でなくても怒るでしょう
987 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 03:39:17 ID:aGxTIWvm
988 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 04:07:59 ID:X/n9ccLb
知らんけど義理人情に厚かったら
もう少し味方が多かったんじゃないかの
989 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 07:29:09 ID:8iMN558J
義理人情"だけ"で味方してくれる奴なんてそうそう居ない
990 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 08:07:40 ID:92ChANXO
秀吉はお市を狙ってたのに勝家に取られたからだろうな。まー勝家だっていまさら秀吉の下につくわけにもいかんだろーし。
991 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 20:32:06 ID:rMXSloqz
>>988 個人的に慕われるかどうかと、政治的に味方するかどうかは別。
>>986 同じ成り上がりものだからこそ、ライバル心を抱いたって可能性もあるけどね。
勝家が秀吉個人を嫌うようになったのは、やはり無断退却以降だろうが。
992 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 02:46:28 ID:ZFlRnKp1
993 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 06:02:44 ID:XyuAQepr
>>989 義理人情で味方してくれるのはまさに勝家盛政成政
994 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 16:14:19 ID:mfW+QaxI
乱世に向いてない性格だったのかねえ
995 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 06:32:06 ID:6FpyY26s
大殿
あと5レスでまもなくこの権六、大殿のもとへ参りますぞ
996 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 10:14:34 ID:Vlc2uO4V
殿は毛受が!
997 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 14:09:44 ID:NTfLTMth
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i.F‐'゙ `'ー‐',. l
!| `‐、 ,.、 ',
||,,,,_ , _,,,,,, | |7}. ',
||. ̄ ,' ´ ̄ リ!|/ ',
!.', i,_っ l!| ヽ
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| ヽ `゙´ , ヽヽ もはやこれまで・・・
ヽ. ヽ、 ,.ィ ヽ,
/,、ri个`,゙゙゙゙´ //ヽ ,、
// | ||| | ',',\ / / // /\
998 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 20:34:27 ID:A1E5/smO
つうか毛受は小勢で抵抗してないで佐々の所まで退いて立て直せよ
999 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 21:13:00 ID:9AdZH15d
毛受さんが足止めしなきゃ逃げる事すらままならない
炎上
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
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'、 `'ー‐''" / lzュ、__
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