1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
なぜこの人のスレがないの?偉い人だったと思うけど
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 14:56:45 ID:IUJ0uM1z
偉くはないが名将ではある
三国志の賈詡と被らないか?
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 16:06:10 ID:g+RQ65Rf
裏切り者の名を受けて〜 総てを捨てて戦う大名〜
戦場寝返りなんのその 腹芸一つで領地拡張〜
7回主を変えた転職ぶりや、豊臣見限りの絶妙のタイミングより、
むしろ江戸期の徳川家康・秀忠を手玉に取ってみせた手腕の方が
スゲーと思う。
この人は、主君としても部下としても優れた人だと思うけど、
おれが横並びで外様大名だったら、そのあまりのスリ寄りっぷりに
やっぱりうんざりするだろうな、という気はする。
実は日本の築城史上、最も重要な人物の一人だったりもするな。
司馬遼太郎の小説のせいで悪役にされてるが、個人的には人格的にも、同時代の武将の中でも
傑出したものが有ると思ってる。
身長188aぐらいだっけ?
若い頃は槍働きで百姓とたいして変わらん身分から出世して
九州征伐でも命令無視して孤軍奮闘する宮部隊に独断で合流
夜明けまで激戦を演じて骨のある所を見せたり
根っからの武人って感じだったのに
晩年はかなりイメージが…
家康とあの世で会うために、改宗するのはちょっとやりすぎというか、な…
もっとも、豊臣恩顧の外様大名で生き延びるのは大変だったとは思うんだが
妻子を人質として江戸に住まわせるのも、藤堂が最初に率先してはじめたし
尻尾の振り方が、ちょっと潔すぎる感じはある
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 20:05:30 ID:kjuyS6JO
要領がいい。
おまけに幕末には子孫も要領がよかった。
なんで、江戸時代に藤堂は、福島正則や黒田長政と仲悪くなったんだ?
別に領地も隣国でもないし理由がよくわからん。
田村亮藤堂はかなり目立ってたな
父親の名前が虎高で、母親の名前がおとら
で、本人は高虎ってなにげに凄いネーミングではあるな
そんなに一家で虎がすきだったのか…
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:03:21 ID:lmXrtZCP
藤堂平助
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:07:06 ID:lmXrtZCP
高虎って肥満体だったらしいよ
馬鹿な
&35425;
詡
なんじゃこりゃーーー
俺は劉備とかぶると思う
寄生虫のプロフェッショナルという感じ
劉備とは全然別だろ。高虎は徹頭徹尾役に立つ人間だからな。多少政治力のあるテクノクラートって感じだ。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 17:29:08 ID:lmXrtZCP
藤堂高虎を評して、
「立場が違えば家康にもなった男」と言ったのは司馬遼太郎だけど、
彼の場合高虎を誉めるというより家康を貶してるように見える
「覇王の家」の一説だっけ?
まあ貶してるんだろうね
あの頃の司馬のアンチ家康観は、憎悪すらこもってるからな。
後々資料捏造したりムリムリに解釈変更したりしてるの知ったときには引いた。
まあ覇王の家自体は割と面白い小説だったと思うけど
巻末の司馬の家康観が物議を醸す出来w
雑賀孫一を暗殺したと伝わってるらしいけど、だれかこのことについて詳しく知ってる人いる?
司馬遼は、藤堂高虎は嫌いだったみたいだね。
主君を7回代えたといっても主家が潰れてるんだから仕方ないし、
徳川の顔色見て過したのは、豊臣恩顧の外様大名はみんなそうだから、
それを悪く言っても仕方ないと思うんだがな。
ただ、高虎の忠義立てって犬が腹を見せて媚びるみたいなやり方だから、
家のために、国もち大名の気概とかプライド捨てて擦り寄ったというより、
そういう余計なものが、悪い意味で元々なかったんだろうなという気はする。
高虎は同じように豊臣を見捨てて徳川に付いた武将(長政とか嘉明とか)にも滅茶苦茶嫌われてたらしいね
やってることは後世の立場から見て同じなんだが、当事者たちにはそれなりの拘りがあった模様
加藤(嘉)と藤堂の不仲は、朝鮮出兵のときの手柄争いで揉めたのが原因らしく、
藤堂家の公式文書にも公然と「不仲」と記されるくらい、昔から仲が悪かった。
黒田は、よくわからん。
ただ長政は、自分の娘を藤堂家にやる約束を急に反故にして揉めているから、
何か気にいらないことがあったのは確か。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 02:00:13 ID:nn6ATnH6
大和豊臣家が存続していたら、秀吉亡き後でも豊臣の為に動いたんだろうな。
>>29 大和豊臣家の滅び方は恣意的なものを感じるね。
本当に秀吉、あるいは三成が裏工作したのなら、そんな豊臣本家に
忠誠しろ、と言う方が無理だよな。
秀吉や三成に大和豊臣家が滅びて得るメリットなんて無いだろ
>>31 大和豊臣家が残っていれば、秀吉の死後その当主が秀頼の後見役となって執権を取っただろうね。
そういう意味では秀吉はともかく、三成には邪魔だったかも。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 03:32:40 ID:YsgqhdU0
この男、個人への帰属意識が強いんじゃないか?
現在裏切りとされる行為も、
ほとんどは主君死後のことだし。
ただ新たな主君への追随のし方があまりにも露骨で
不快感を与えやすいだけなのかもしれん。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 08:42:17 ID:vf73w2c/
ちょっと不思議なくらい徳川家に気に入られてるところを見ると、
家康や秀忠とは個人的に馬があったんだろうな
まあ、他の外様連中からしたら、おれたちは心ならずも追随してるのに、
お前は本気かよ!って感じだったんだろう
同じ外様という立場で、ひとりだけえらく忠実なやつがいると、バランス的に
あわせて忠義立て競争をする破目になるから、迷惑というか面倒というかな
>>34 でも外様の中でも毛利とか伊達とか前田とか、そういうところとは仲がいいような>高虎
仲がいい悪いはそれぞれだろ。
福島正則とも仲悪いな。
ものすごく大人げない嫌がらせを正則がして、笑ったりしてるw
このひと三成襲撃の七将にカウントされることもあるのに
武断派の連中と、もしかして仲悪いのかも??
正則が改易された後、ある旧臣を召抱えようとしたら、
旧主の正則は高虎とは不仲だったので仕えたくないと言って断った話がある。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 19:02:20 ID:bcvau+8h
ゲームの話になるが、「義理1」はどうかと思う。
松永と同じって・・・。
裏切る後と前は忠義一徹と言ってもいいしな。
多分主家筋でも、無能な奴には使える気のないタイプだったんだろうな。それをかつて仕えてた
家から言わせると「裏切り」になる、と。
会社で言えば、創業の社長が死んでその息子が新社長になり、前社長と苦楽をともにして会社を守り立てた取締役が退社して
別の会社に移り、同じ業種でめざましい業績を上げ、逆に元いた会社は業績を下げ、新社長はその責任を元の取締役の「裏切り」だと
転化して恨みつらみを投げかける。
こういう図式だと考えると解りやすい。
高虎は同じようにヘッドハンティングされた同僚達からも嫌われてたわけで、その例えは適切じゃない
ちょっとしたトリビア
藤堂高虎の「虎」の字は、武田信玄の父・信虎に由来する。
補足
高虎の父・虎高は、武田信虎に仕え軍功をあげてその偏諱を賜り、のちに近江の浅井氏に仕官したと「寛政重修諸家譜」にある。
かなり怪しい話ですが・・・
藤堂修羅
武将の能力という観点からは過大評価されてるように思う
高虎が優れていたのは時勢を見ることと、取り入るための弁舌
まあこれが戦国を生き抜くためにもっとも必要な能力だったりするんだけどね
高虎が評価されたのは、行政技術とインフラ整備の能力の高さだろ。
江戸初期の築城や街作りにかんしては、高虎の独壇場と言っていい。
個人的には逆に人に取り入ったり時勢を見るこ事は上手くない人間だったと考えているよ。
取り入る事が上手けりゃ、もっとキレイな経歴を歩くだろ。山内一豊みたいに。
基本的には家康が異常なほどその能力を評価しただけ、っていうのがホントのトコだと思うよ。
それで高虎も感動して家康に絶対の忠誠を誓った。
「士は士を知るもののために死す」ですよ。
それはいくらなんでも贔屓の引き倒しという気がするが・・・
築城と城下町づくりに非常に優秀な能力があったのは事実だが、
ふつうに人心懐柔術も世渡りの才覚も人並み以上にあった人でしょう。
個人的には、この人の評価は、幕末の津藩の絶妙すぎる裏切りのタイミングが
先祖にも波及効果を与えて、わりを食ってる部分はあるとは思う。
高虎の直系って5代くらいで途絶えたらしいね
むしろ直系だけで幕末まで続いた大名家のほうが稀なんでは?
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 23:59:35 ID:2GaDIdao
家康と同じ宗教に改宗する話はいかにも高虎っぽい。
あれ、家康って関ヶ原では「厭離穢土、欣求浄土」の馬印だけど
これって浄土宗に由来するんじゃなかったっけ?
でも、高虎は天台宗に改宗したって読んだ記憶があるんだけど、
思い違いだろうか??
ぐだぐだと言い訳を垂れながら豊臣家を見殺しにして
結局、改易されたどっかの馬鹿松よりよっぽど好感もてるな
家康に重用されたのも信長が松永を厚遇したのと同じように
飼い馴らしてる事が飼い主の器の大きさを示す武将だったからじゃないかな
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 06:02:24 ID:Ugrr2300
司馬遼はほんと高虎嫌いっぽいよな
「城塞」でも長宗我部と戦った時にまともなのは渡辺勘兵衛くらいだ
家康と秀忠のご機嫌取りに奔走する愚将のように書かれてるのは酷いと思ふ
フィクションの作品を一々持ち出すのは話の方向が迷走するから止めた方が良い。
司馬は贔屓〜だの、一般人は〜だの、ここには聞き飽きた人間ばかりだぞ。
>>54 スマソ
上で覇王の家関連のレスあったから、ついつい・・・
別にいいんじゃないかな?ここに書き込んでる人はそれなりに小説との区別はついてると思うよ。
ましてここは史学考証だけの板じゃないんだし。
〜のサイトではとかwikiではこうとかで史実を語るよりよほどましかと。
57 :
名無しさん:2006/09/09(土) 16:31:25 ID:blSu6Vp7
藤堂家をたてなおすために、主家をたびたびかえたが、臨機応変に方針を変える事により、家をどんどん繁栄させてきた。戦国時代の生き残りの武将としては、真田家と同じで巧みな外交戦略を駆使した生き残りだった。
>>57 大きな政治変動のたびに領地を縮小させた真田家のどこが巧みな外交戦略を…
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 11:42:20 ID:Bd1sD6c4
>>58 けど、あの勢力であれだけの敵に囲まれて生き残っただけでも評価には値すると思うよ
結局は信之が中堅大名として生き残ったわけだしさ
>>59 真田の外交って、目先の事ばかりなんだよね、目的が。
損して得取れと言うか、一時的に引いておいて、後で政治的に有利な状況を作る、といった
発想が全く無い。もしくはいつも自分本位で、全体の中の真田家といった視点が無い。
藤堂高虎はいつも全体状況の中で自分はどうあるべきか、を考えてた人だろう。そのへんが
行動の解り難さにつながり、解り易い真田に比べて人気は出ないがな。
普通に、引いたら潰されるレベルだったからじゃね?
少なくとも豊臣に臣従してきちんとした後ろ盾を得るまでふらふらしてる間は。
関ヶ原に関しては一発大博打、ただし信之は保険な、みたいな感じだが。
レベルって言い方はおかしいか、状況、だな。
63 :
59:2006/09/10(日) 19:56:18 ID:Bd1sD6c4
>>60 言わんとしていることはわかるよ
昌幸はその点、小物というか田舎大名らしい泥臭さがあるよね
個人の力量はおいといて高虎に比べて政治遊泳術は比べるべくもない
まぁ、俺は昌幸のそういうとこが好きなんだ
最近は昌幸を政戦両略に長けた名将とか思ってる奴が多くて困る
鳥羽伏見の戦いでは藩祖を習って幕府を裏切り政府軍についたりと
その考え方は徹底しているな
まあ高虎が家康に接近したのはやっぱり秀吉の後継者に不安があった
からではないかと思う
中央で勝ち馬に乗ってれば良かった高虎と、
地方で大勢力に囲まれた中生き残らなければならなかった
昌幸とは全然状況が違うわけだけど
#大きな政治変動のたびに領地を縮小させた真田家
そうか?
とりあえずその「領地」の基準はいつなんだろうか。
一応「縮小した」最終的な領地は松代十万石、
信之で区切るなら十三万五千石でいいんだよな?
畿内で織豊政権の庇護の下で暮らしてた高虎と、
上杉・徳川・北条の大大名に囲まれた小大名真田、
どちらが生き残るのが大変だったかって話でしょ
この人は結局家康に取り入るのが上手かっただけ
本当に「外交」能力を駆使したことなど一度も無い
もちろん彼の戦歴・治績を否定するわけじゃないが
>>69 庇護なんていつされたんだ?>高虎
基本的に自身の能力のみで大名にまでのし上がって行った人間なのに。
高虎がサラリーマンだったとでも思いたいのだろうか?
つーか、本当の「外交」能力って何の事を言おうとしているんだ?
武田家滅亡以降の真田の歩み方は、旗幟を鮮明にせず、だからといって独立を志向した
わけでもないという、非常に中途半端な態度を示し、そのため徳川からも北条からも上杉からも
不審の目で見られた。(少し酷い言い方をすれば、三者を手玉に取ろうとして、逆に三者
全てから信用されなくなった)これで苦労したのは自業自得だよ。
真田が評価されるべきは、そういう政治的なことではなく、その戦術と武士道的な精神によって
だと思うよ。何でもかんでも真田が凄かったと思うのは逆に贔屓の引き倒しになると思う。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:36:14 ID:SD8g9ioF
>>70 概ね同意だが、武士道的な精神がよくわからん
良くも悪くも田舎大名的な意地汚さだろう
真田もあの当時の一般的な領土欲旺盛な一大名にすぎん
>>71 「小なりといえども大に飲み込まれず」って”意地”の部分かな?
そういう精神は感じるよ、真田家には。まあ田舎大名的な意地汚さってのにも
同意はするがw
良い言い方をすれば「誇り高く」、悪い言い方をすれば「意固地」
江戸期において洗練される以前の、武士道的ではあるんじゃないかな?
実際問題当たらずとも遠からずといった感じなんじゃないの?>サラリーマン大名高虎
勿論仕事せずに年功序列で出世していく駄目リーマンじゃなくて有能な現場からの叩き上げだけど
織豊政権という大企業に就職した高虎には、本能寺の変後の昌幸のように自分の利権を守るために、
周囲の大勢力との間で明日をも知らぬ綱渡りをしたような経験はないだろう、ってこと
真田の外交方針が定まってないと批判するが、当時の真田に他にどのような選択肢があったというのか
結局中央政権に先祖代々の信濃領と自分で切り取った上野領(沼田城を除く)を安堵されてるわけだから、
その手腕は十分評価されて然るべきだと思うが>昌幸
少なくとも自分には高虎より見劣りするとは思えない
ちなみに真田の武士道精神なんてのは自分もそんなに評価してない
戦術もどちらかというと過大評価されてる方だろう
昌幸が評価されるべきなのは、秀吉に「表裏比興」と評されたフットワークの軽さだと思ってる
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:29:28 ID:aYBAQ37R
>>70 武田家滅亡後の関東・甲信越の政治状況は流動的で錯綜していたんだから、
むしろ真田は上手く生き延びた方だと思うけどね・・
健闘したと素直に褒めていいレベルだと、個人的には思う。
あと、外交っていうのは、例えば真田が徳川・上杉・北条相手に行った
ような大名間レベルで、主体的に大きな交渉をするってことでは?
主家を選ぶとか、東軍・西軍を選ぶとかいう一対一の選択とは、また別の。
豊臣政権下で秀長つきだった藤堂にはそもそも、そんな大きな決定を下す
立場にないのだから、これは初めから比較できないと思う。
石田三成や黒田親子のように、取次ぎの職に任命されて諸大名との外交を
担当するポストに就かない限り、恩顧の大名にそんな機会はないから
これは仕方ない。機会自体がなかったんだから。
で、この意味での「外交」に近いのは、藤堂の場合、関ヶ原での脇坂らの
寝返り工作なんじゃないかと思う。
黒田長政の吉川・小早川両家調略の大技で、いまいちパッとしない印象に
なってるけどね。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 15:59:17 ID:SD8g9ioF
>>74 概ね同意
高虎の外交・政治センスが評価されるべきは関ヶ原以降
真田の話をすると田舎臭くなるな
真田が田舎臭いも何も、藤堂自体が豊臣政権下では傍流の小物なんだが。
むしろ豊臣恩顧の傍流から、関ヶ原以降にコツコツ努力して
徳川の外様筆頭扱いにまで、成り上がったことが凄いわけで。
ただの土豪から秀長の家老にまでなったほうが凄いと思えるが
>藤堂の場合、関ヶ原での脇坂らの寝返り工作なんじゃないかと思う。
これが何だかみみっちい寝返りのわりには、
大谷形部に駄目押しダメージを与えたせいで妙にむかつくんだよなw
幕末でもそう
家康の遺言どおり、津藩に大切な天王山を任せたら戦の最中に寝返った
裏切りのやり方が、微妙に不愉快にさせるポイントを心得てるっていうか
形部×→刑部○
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:03:07 ID:LrTknajB
関ヶ原の後、捕らえられた三成は家康の居る大津城へ連行された。
しかし家康の前には上れず、城門の前に畳を敷いてその上に座らされて晒されていた。
次々に登場してくる東軍の大名は、縛された三成を見て罵倒したり唾を吐きかけたりしたが、
しかし、黒田長政と藤堂高虎だけは違った。
長政は三成の姿を認めるとすぐに馬を下り、
「勝敗は天運とはいえ、さぞ御無念でござったろう。」
と丁寧な慰めの言葉をかけた上、自らの羽織をぬいで三成に着せ掛けた。
高虎も馬を下りて、敗戦前の三成に接すると変わらず
「このたびの戦において貴公の部隊の戦い振りは、敵ながら誠に見事でござった。
もし貴公の目から見て我が部隊の至らぬ点があれば、ぜひ御教授願いたい。」
と、慇懃に語り掛けた。すると三成は少し黙した後に
「されば貴公の部隊には鉄砲隊に高い身分の指揮者がいなかったように思えた。改善すれば鉄砲隊の威力も大きく変わってこよう。」
と答えた。
高虎は大いにこれを謝し、実際にすぐに鉄砲隊の再編成をおこなった。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:28:19 ID:Vh3bPxWA
「細川家記」では、長政も「そんな姿になっても、まだ生きてるとはな」
と言って、嘲笑した話になってて面白い。
それで忠興だけが何も言わず、三成の前を通り過ぎたといういい役に。
どっちでもありえそうな気がするけど、慰める方が頭はいいなとは思う。
>>82 細川と黒田はめちゃめちゃ仲が悪いからなあw
一般には余り知られてないエピソードだよな>高虎の三成への接対
司馬の関ヶ原でも完全にスルーされてたし
もっとも後世の我々は大坂の陣での高虎の苦戦を知ってるだけに、
「実は大して意味無かったんじゃないの?」って思ってしまいがちだがw
何に書いてあった話か知らんから当て推量だが
それ、指摘されたけど苦戦したわけじゃなく
苦戦したから遡って三成に指摘させたんじゃね?
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:46:45 ID:sbQqKy+O
藤堂高虎は近江出身だから、尾張出身の福島正則より、
石田三成に親近感があったというのはありえると思う。
まぁ地元の津では近江出身というより伊予の大名だった
イメージが強いですけどね。
>>85 その発想はなかったわ!頭いいね。
それはそれで面白い解釈だと思う。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 09:13:20 ID:JhOwMlKn
>>78 土豪から家老くらいならざらにいるんじゃないか?
豊臣家に限っても、石田三成も中村一氏も蜂須賀正勝も
土豪出身から大名だし。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 09:34:27 ID:f0bIhSM9
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 09:44:56 ID:VPdJpIFq
むしろそんな状況でも、いちいちそんな質問の答えを考えて、
真面目に答える三成が、くそ真面目というかマイペースというかw
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 09:57:45 ID:Vt7dMbK/
関ヶ原の時、領国の伊予はどうだったんだ?
地理的に西軍の毛利が対岸だから、北九州の西軍を毛利が支援したように
伊予でもやっぱり小競り合いくらいはあったんだろうか。
誰か知ってるひといます?
伊予に村上水軍を送り込んだけどお隣の加藤家に撃退されたんじゃなかったか>関ヶ原時の毛利
武吉の嫡男の元吉もこの時に戦死してる
松山は災難だったが今治はわからないな
>>91 西軍は伊予くんだりまで兵を出す余裕なし。長曽我部だって四国内では
ピクリとも動かなかった。まあ、そんなに戦線広げた所で統率できる将がいないんだから
しょうがないが。
>>79 >家康の遺言どおり、津藩に大切な天王山を任せたら戦の最中に寝返った
>裏切りのやり方が、微妙に不愉快にさせるポイントを心得てるっていうか
鳥羽・伏見の戦いは裏切る時に、
「裏切り?うちはもともと豊臣恩顧ですから!当然倒幕です!」
ぐらい開き直って言ってたなら、津藩はむしろネ申扱いなんだがなw
微妙に不愉快というのは、かえってイメージ的に損してるかもな。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 16:12:06 ID:cAiwqKHQ
家康の遺言っていうのは、先鋒は井伊と藤堂の二家にせよとかいうやつ?
違うか。あれは大坂の陣の時だよな
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:30:35 ID:EJdqbZg0
遺言、それで合ってるんじゃないか。
・天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝
・西国大名が兵を挙げたら、津藩を先に立てて戦え
・藤堂家は末代まで津藩から転封してはならない
とかが藤堂関係だったと思う。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:38:18 ID:aeu9YD4l
藤堂高虎の墓は
上野動物園の象のオリの脇にある
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:48:19 ID:nMdSiCPu
家康と仲良く並んでいるよね、お墓が。
上野の地名は伊賀上野からきている(地形が似ているとかで藤堂が命名)
伊勢国は要衝、外様の最高峰でもあると言われる藤堂藩は、
徳川から『地味に振舞え』を家訓とされた。
城の普請では「縄張り」が上手かったって言うことをよく聞く。
藤堂高虎のなにがすごいかと言うと、鳥羽伏見の戦いで幕府軍の先鋒だったその子孫が
あっさり官軍に寝返った事。
あれで遡って高虎の評判まで悪くなった気がする
高虎に理解を示す奴はいても幕末の津藩を擁護する人はほとんどいない
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:17:17 ID:6eIescMT
官軍寝返りは他にもあるし(譜代も寝返ったところある)、
それ自体は現実的な判断だから別に責められるところはないんだけど、
ただ、津藩は寝返りのタイミングが上手すぎる。
要所任せたら戦いの最中でいきなりてw
これが鳥羽伏見の直前だったら、ここまで悪く言われなかっただろうし、
家康の遺言がなければ、さほど裏切り者呼ばわりもされなかっただろうにな。
あれはもう何か狙ったとしか思えないよなw
いくら実を取るったって、名を捨て過ぎると信用もなくすだろうに
何でもうちょっと空気読まないのかと小一時間問い詰めたい。
まぁ幕末はあんまり詳しくないので何か止むを得ない事情が
あったのかも知れないが。
>>102 しかし裏切ったからと言って別に官軍に重く用いられたわけでもないのにな>津藩
あのへんはもう、「時代の流れ」としか言いようのない何かがあった気はするよ。
ただ寝返ってなければ、三重の県庁所在地は津という名前じゃなかっただろうよ。
県庁所在地名や県名に旧藩名やその城下町名がついてるところは、倒幕藩だよ。
それは倒幕藩の特権で、旧藩と関係のない名前のところが旧佐幕藩です。
おれの地元は西国なのに、領国が徳川譜代で殿さまが老中だったから、
官軍に寝返りたくても、どう考えても寝返れない状態www
周囲はみんな倒幕に転換して、どう考えても先がないのに八方塞。
あやうく城を燃やされそうになったし、廃藩置県でも冷遇されて、
旧藩関係の名前は、県名にも県庁所在地にもわざと採用されなかった。
それ俗説だろ
>>106 1866年(慶応2年)5月に毛利敬親が山口に移った事で
山口藩が成立する。
これ以降、萩藩は(周防)山口藩と改名してるんで、
そのまま県名になったんだが。
幕末雄藩や官軍に協力的な藩が、廃藩置県で旧藩の政庁があった地名を
慣例的に県名にできたのは事実です。
県庁所在地名までどうだったかは知らないけど。
近世城郭築城名人
普請の加藤清正
作事の小堀遠州・中井正清
経始(縄張り)の黒田如水・藤堂高虎
黒田・加藤・藤堂で三大築城名人とも
スレ違いだけど如水が建てた城って具体的に何があるの?
大坂城の縄張りは如水です。
今でも残ってるのは中津城・長政と一緒に福岡城。
毛利の広島城・築城もお手伝い。
広島・秋月・名護屋城など廃城になって
残っていない城が多いのが残念。
つ高松城
堀の水を海から引いて、水量は水門で調節した水城
「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と唱われた名城。
というか、生駒親正が藤堂に協力を依頼したら、
藤堂が黒田に協力を頼んで、黒田が高松城の城地を決めた。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 03:44:15 ID:bgRzBt45
それでゲームでも黒田孝高は築城能力が抜群なのか
広島城は原爆で一度丸ごと消失してしまったからなぁ
戦前は国宝で、姫路城や熊本城並みの名城だったんだが・・・
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:42:12 ID:1/2wKL1Y
幕末に鳥羽・伏見の戦いが起こった際、当主藤堂高猷は真っ先に幕府方から官軍に寝返って
幕府方に砲撃を加えており、「津藩は藩祖の教えがよく受け継がれている」と
周りを呆れさせたと言われている。
>津藩は藩祖の教えがよく受け継がれている
それは、江戸時代をつうじて藩祖の高虎がすでに
イメージよくない人物だったということなのか?
つまり、戊辰戦争での津藩の裏切り以前から、
裏切り者のイメージがあったということなのか? わからん
>>117 幕府も前線に出させるくらいだから、当時から評判が悪かったわけではない。
イメージが悪くなったのは鳥羽伏見の戦いの寝返りから。そっから逆算されて
高虎のイメージまで悪くなった。
徳川の覚えはめでたかったんだろうが、別格譜代という地位で他の大名からは妬みを買っていただろうし
「あそこは取り入るだけが能の裏切り者」ぐらい普通に言われてたんじゃない?
>>27 後年、蒲生家断絶後の会津42万石に高虎が加藤嘉明を推挙したそーな。
なんでやねん、おまいら仲悪かったんちゃうんかと問うた秀忠に対して曰く
「私事と公事は別、重要拠点である会津には剛勇律儀な嘉明こそ適任」と高虎。 嘉明も感謝したとのこと。
一時は「拝志騒動」と呼ばれる戦争勃発寸前事態まで逝きかけてた両者の関係は、これで改善された……とか。
>>91 というか、関ヶ原の戦功に対する恩賞が伊予半国20万石、だったわけで。
伊予を治めていた大名は関ヶ原前は6人。
それが東軍西軍にばらばらに別れ、戦後の褒賞で藤堂高虎と加藤嘉明の二人が没落組の領土を接収して
伊予をモザイク状に半国分割して統治、となった。
その結果、これまで東予の重要拠点だった国分城が藤堂高虎の得た領土の中では偏った場所になってしまったため
国分城を廃城にしてより北方の芸予海峡に近いところに築いたのが、今治城と今治の町。
今治城は西国大名の監視および有事の際の海上交通路の遮断という役割を帯びていたため、
本丸から直に軍船の出撃が可能な構造であったのは有名だけど
他にも脆弱な砂質地盤に急いで城をつくるためさまざまな工夫を凝らしてある。
短期的な目的、長期的な視野、いずれもを満足させるために注ぎ込まれた最新の築城技術。
今治城の建築は高虎の築城・内政・軍略の才能が具現化した、彼のつくった城の最高傑作のひとつといっていいでしょう。
築城当時、高虎本人は膳所(ぜぜ)城の縄張りや伏見城改修で、
他の城の世話に忙しく、今治にいる暇がなかった。
今治城の縄張りは、その頃まだ仕えてた家老の渡辺勘兵衛が担当し、
普請奉行も兼ねて指揮に当たっている。
勘兵衛は大坂夏の陣の話が有名な武将ですが、実は彼自身が築城名人
だった。
のちに天下普請でも、勘兵衛が丹波篠山城の総縄張りを担当したように、
(この時も高虎が多忙だった)勘兵衛の担当して建てた城も多い。
>>121 >会津転封
あれにも諸説あるが、実はもうすぐ完成する松山城を
置いていかせようとした築城オタ的嫌がらせ説を押す。
嫌がらせのはずが感謝されちゃって、アレ?みたいなw
>会津転封
昔、子供向け松山の歴史本で、藤堂陰謀説や徳川陰謀説を読んだ記憶がある。
・加藤嘉明が25年もかけて、でかすぎる城(伊予松山城)を築城
→仲の悪かった隣の藤堂が幕府に密告、幕府も嘉明を警戒
→藤堂が治めるのが難しい会津へ飛ばすことを勧める
→加藤の殿は、内心嫌々ながら伊予松山をあとに
→やっぱり息子の代で失敗して加藤家は改易に とかだった
伊予松山城を25年もかけてこつこつ築城し(ちょっと偏執的ですが)
治水工事を行い、大規模な城下町も整備した加藤嘉明はいい殿様だったので、
今でも旧地元ではけっこう愛されています。
だから、子どもの本でも加藤贔屓に補正がかかっていたんだと思う。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 13:31:50 ID:mReXhvts
>>124 大阪ではどうしても太閤贔屓で、アンチ家康になるようなものかw
そういう説は、真偽は別としてお国柄がでていて面白い
まあ確かに会津は難治の土地ではあるけど、どうだろうね
でも築城に25年て、長すぎないか?
25年は長い
確か息子の明成も、会津で城の大改修が原因で改易されていたはず
大々的に城をつくられると、やっぱり目障りではあるんだろうが・・・
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 16:03:01 ID:/JXFV9UH
会津みたいな要衝に、加藤嘉明のような豊臣恩顧の外様を置く意図がわからない。
豊臣政権では会津に蒲生・上杉置いて徳川家の抑えにしたように、
あそこは江戸の後背地なんだから、んなとこにわざわざ外様を置きたがるわけないのに。
実際、上杉の後に入封した蒲生・加藤を速攻で改易して以降は、保科正之→松平容保まで
ずっと親藩で固めてるし。
なんで藤堂高虎が推薦したのかも、将軍家が了承したのかも、ちょっと理由がわからない。
大阪冬の陣の時も、加藤嘉明は黒田や福島と一緒に江戸に軟禁されてるから
外様の中でも特に信用がない方だったわけで。
関が原合戦時の上杉みりゃ解るように会津勢力は、
伊達+最上との三つ巴で、神経が磨り減ることになる。
仮に会津勢力が江戸を目指したとして、伊達+最上に
背後を突かれることになる。伊達と最上が叛逆した
場合も然りで、普通に会津が押さえになる。
要は外様同士食い合ってくれる間に体制を整えて
おこうという狙いだな。
最上が家光くらいんときになると改易されてしまっているので
要注意勢力は伊達くらいになり、抑えとして大した勢力は
必要なく、むしろ会津に外様を置いておくほうが同盟した場合
押さえの勢力がほとんどいなくなるので危険ということになる
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 03:42:10 ID:kdHw/mey
>>128 伊達を牽制する理由が徳川にはないから、それは考えられない
伊達は、豊臣政権期から東国では一番早い時期から徳川と親しかったし、
忠輝が娘婿であったこともあって、関ヶ原以前から徳川にとっては同盟相手だった
江戸期では、政宗は家光の後見役で外様の中では別格扱いの信頼だったし
むしろ伊達が徳川にとっては東北の抑えっていうかな
>>129 基本的に江戸期を通じて東北管領と言ってもいいくらいの扱いだよね>伊達
だから戊辰の時も徳川に味方して立ち上がったわけで。夜中で腰砕けたけどw
>>125 >でも築城に25年て、長すぎないか?
江戸初期の伊予松山は、石高こそ20万石だけど経済的には豊かな藩だから可能だったんだろう
あそこはもともと二毛作地帯だし、表高よりかなり恵まれた場所柄だから
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 12:40:52 ID:ZbqbUUpb
というか会津転封はもともと藤堂高虎に話があったのに、
高虎が固辞して加藤嘉明を代わりに推薦したんじゃなかったか?
加藤嘉明も固辞したけれど受け入れられず、やむなく会津に移ったはず。
藤堂は家康の遺言を理由に、秀忠に会津転封を断ったはず。
外様の転封は、江戸を中心に東→西へが基本原則だったから、
加藤嘉明の会津転封が奇妙な措置だったのは確かだと思う。
というか西→東へ転封された外様は、あとは藤堂くらいなもん。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 16:26:48 ID:Ccm7lBIC
>>133 >加藤嘉明の会津転封が奇妙な措置
幕府の相当な悪意と嫌がらせを感じるな。
西国大名にとって、徳川と伊達家に挟まれた会津は、実に息苦しい場所だ。
松山城は一回だけ行ったことあるけど、あの城は本当に大きいよ
優に50・60万石クラスの大大名の居城規模だった
タイプは姫路城と同じ平山城で、実戦向きで防衛力がめちゃ高いつくり
なかなかの名城です
のちに親藩・松平時代になって、幕府に遠慮して城の縮小工事をしたくらいだから、
嘉明の築城が警戒されて会津に転封されたとしてもおかしくない
>加藤嘉明が25年もかけて、でかすぎる城を築城
加藤もちょっと空気読んどけばいいのに…
豊臣恩顧で隣国は敵の藤堂なんだしさぁ
空気読んだ黒田長政は、でかい城(福岡城)建てても、わざと天守閣を
つくらなかったのに
でも加藤嘉明こそ、真の築城マニアだったんだと思うw
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 08:50:40 ID:qqIrJZYU
そんな風に空気が読めないから、体よく秀忠と藤堂に嵌められるんだよ・・
のほほんとしてるというか、危機意識が足りないっていうか
もっとも津への転封で、不要になった今治城の天守閣を徳川家に献上して
さらに覚えめでたくなった藤堂高虎に、処世術で敵う大名などそういない
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 17:21:10 ID:1EhcQyVQ
お前等センゴクに藤堂出てたぞ!
史実どうりでかかったが小物臭がプンプン・・・
当時の高虎はそれこそ腕力以外に取り柄ない小僧だったんだから仕方ない。
秀長と出会うのはまだまだ先の話で、そっから先は一気に逆転するんだから気にするな。
でも高虎より仙石秀久の方が上とかやられると、
(゜Д゜) ハア??って感じになるんだが・・・
仙石が主人公なんだから仕方ない
しかたないがここから、智将に変わって行くのが凄いな。
>今治城の天守閣を徳川家に献上
天守閣を献上??
あんな重いもの移動させるの難しくないか・・
当然解体して部品ごとに運んだんだろう
そんな感じで廃棄する城や寺の部品を流用するのは珍しくない
ん?ということは現存の今治城の天守閣はパチモンなのか?
というか、献上した天守閣はどこに行ったんだ?
今治の天守は亀山に移されたよ
今治は江戸期に天守はなかった
亀山の改修も高虎が縄張りを担当して転封で不要になっていた今治の天守を移築した
残念ながら明治になって新政府によって解体されてしまったが
ちなみに今の今治天守閣は昭和55年に復元されたもの
亀山天守の写真を元に再現した
……んだが、鉄筋コンクリ造りのうえに「一般的な天守閣のイメージ」を優先させた結果
本来の今治城の天守の特徴がまるでない変なシロモノができちゃって、その手のマニアには評判が悪い。
ちなみに中は資料館になってるのは定番だが、なぜか今治の地場産業資料やら自然科学系資料やらがあったりする。
天守復元当時の担当職員の手になると思われる色あせた手書きの説明札がなんか切ない。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 06:54:21 ID:7ElzlOFW
>>146、147
おお、情報サンキューです
やっと経緯がわかった
>>124 そもそも加藤嘉明が「松山」の生みの親なのよね。
元来道後平野の拠点だった湯築城を潰し、
もともと二つの丘しかなかったのを盛り土して一つの大きな山に作り変えそこに城を築き、
重信川の治水に成功して城下町を整備した。 加藤嘉明がここでこの新しい町につけた名が「松山」だったわけだ。
で、ほとんど同じような経緯で「今治」の生みの親になったのが藤堂高虎。
以後伊予第一・第二の都市の地位を争い続けて今に至る……と。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 13:04:51 ID:SO/Z1sKT
藤堂家の家訓
[勝馬に乗れ]
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 17:20:27 ID:bfboK+2B
スレを読んでるとわりといい奴そうで、逆にちょっとがっかりだ。
家康がうっかり信じてしまうくらいの忠誠心演技をしながら
心の中で「んなわけないだろうが。すべて処世術だよ」と
呟くぐらいの方が、かえって凄みがあるというか、
誇り高くてかっこいいじゃないか。所詮あんたとは利害関係だけだよというかな。
幕末の見事な寝返りっぷりも、むしろ凄いではないか。
譜代扱いの外様だと煽てられたぐらいで、それを真に受けて
崩壊寸前の徳川のために城も命も捨てたらアホだろ。
外様は外様。信用した徳川家が間抜けですよというクールっぷり。
そういう藤堂像はこのスレの住人はいやか?
>>151 古臭い俗説のまんまでつまんない、が正直なところ。
なんていうか、一回りしちゃってるんですよ、世間の感覚ってのが。 いろんな意味で。
幕末の藤堂藩の裏切りは、昔から持ち上げられた例がないから、
逆に持ち上げてみるのは面白いかもよw
200年前の遺言どおりに配置した、幕府の時代錯誤ぶりが終ってるんだし
藤堂はいいところがあっても、なんか中途半端な感じなのがネック
この人は忠誠心そこそこあったと思うけど、別に飛びぬけた美談もないし
そこを強調しても、あんまり面白くない気はする
徳川家との逸話にも、爽やかさだとか派手な話とかあれば、
随分印象が変わるんだろうけど、やっぱり普通に馴れ合いにしか見えないしさ
スレでもいいところ探しすればするほど、藤堂が気遣い上手なマメな
そこそこいいやつ、でも小物に逆に見えてくるっていうか・・・
むしろ、処世術とすっきりさっぱり割り切ったテクノクラートが
能力ひとつで成り上がったという解釈の方が、逆に今の感覚に受ける気もする
一番派手、というか印象良くなる高虎の話は何だろう?
もち代の出世払いあたりかな
俺の周りだと、何故か秀長の所に居た時代の話をすると印象が良くなる傾向にあるようだ。
秀長時代って何か目立つようなことしてたっけ?
賤ヶ岳の戦いとか、雑賀攻めとかか。
文禄・慶長の役の藤堂水軍の活躍は、もう秀保時代だし。
ああ、そういうレベルの話じゃなくて、この言い方は好きじゃないがいわゆる
「一般人」相手にする時の話。
秀吉にはちょっと地味だけど出来の良い弟が居て、元々猪武者だった高虎は
そこでいろいろ裏方の仕事覚えて、みたいな感じの話をすると結構イメージ
変わるらしくなぜかちょっと好かれるようだ。
豊臣家滅亡後秀長の墓を自分の寺に移した話とかちょっとグッと来る逸話だよね
実はいい人で部下や民衆に好かれてて・・・とか何とかかんとかって言われて
その武将を好きになるのって何かしっくり来ないんだよねぇ
まぁ福島正則タイプの武将が、実はものすごく頭がよかった的な逸話なら、
ギャップがあまりに大きいから好きになるかも知れんw
高虎は、元が頭よさそうだし常識人ぽいイメージだからなぁ。
逆に高虎が、正則系のDQNなことした話とか明るい馬鹿話系があれば
好感度が上がるかも。それか合戦での派手な武功系とか。
文禄・慶長の役での逸話とかはどうなの?
けっこう華やかな話とか軍功とかありそうだけど
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 20:07:32 ID:aQBGkHqs
実際の戦は秀長配下でのが多いだろ。
結構一番槍を立ててたらしい
まあ、良い苦労時代だろう
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 22:51:45 ID:iI1MLetC
文禄・慶長の役では溺死寸前っていうのは、本当ですか?
福島正則は頭いいぞ。優れた軍略家であることは言うまでもないが、
自分の末路も予見していた。
……その結末を回避できなかったけど
そんな脳内ソースで語られても
正則の逸話はあほな話が大半なのに
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 04:12:21 ID:ad5F6n2v
多分
>>165よりは頭はいいと思う
それなら納得する
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 04:08:08 ID:Mc/KruBK
「ところで、高虎の話だが」と、藤堂は再び自分に話をふった。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 04:10:07 ID:Mc/KruBK
「ぶっちゃけお前らおれのこと嫌いだろ?」
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 04:13:10 ID:OgFNRceB
「黙ってないで何とか言えよっ!」
「おれははっきり言ってお前が大嫌いだけどな!」
隣国の無神経な加藤嘉明がきっぱり断言した。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 05:35:08 ID:o5pZugA/
それを鼻で笑うブラックな藤堂
(秀忠さまに入れ知恵して、嘉明を会津に飛ばしてやる)と固く決意
誰か続き頼む
`¨ − 、 __ _,. -‐' ¨´
| `Tーて_,_` `ー<^ヽ
家康 | ! `ヽ ヽ ヽ高虎
r / ヽ ヽ _Lj
、 /´ \ \ \_j/ヽ
` ー ヽイ⌒r-、ヽ ヽ__j´ `¨´
 ̄ー┴'^´
「嫌われ者同士、仲良くしようぜ」と、家康にイマイチ嫌な理由で好かれる高虎。
藤堂平助と関係あるのかと思ってました><
藤堂家は幕末でも裏切るんですよね
子孫のことで身に覚えのないイチャモンをつけられ、
だんだんとこのスレが嫌いになっていく藤堂・・・
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 07:06:46 ID:E9aucNfu
「わたしと藤堂はわりと仲が良かった記憶がある」
そこで、狂妻家・細川忠興が気を利かせて藤堂をフォロー
高虎はちょっと立ち直ったようだ
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 11:21:29 ID:TvRkUYEm
>>177 なぜ藤堂平助知ってて鳥羽伏見の戦を知らないんだ・・・
平助主役の小説でもあるのか?
単に、正則あたりから流れがネタになってるだけではないだろうか?
「新撰組」=「京都で活躍した武装集団」って見方の人なんじゃね?
俺も興味持つまではそんな感じだったし。戊辰戦争にまで参加してた
なんて思わなかった。
活躍って池田屋オンリーな感じだけどな
京都の端っこで細々と市中見回りをしてた浪人上がり集団が
日本史における一大事件の主役になるのが歴史の面白いところだな
高虎と家康は無銭飲食友の会で意気投合した事実は意外と知られていない
殉死箱の話とかが本当なら、こいつ、
部下にも人気なかったんじゃないかとも思う。
生前に踏絵踏ませるなら追従でとりあえず入れとくか
って奴が増えるから札の数は増えるし、
それをネタに家康への媚びに使うなんて
付いてく側からすると俺たちはゴマすりの道具かと思われても仕方ない。
逆に殉死してくれる奴が一人もいなそうなんで先手打って言い訳つくっといた、
とかならある意味ネ申
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 22:04:05 ID:vv0y1vXj
61166
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 20:57:18 ID:FhAND6an
あげ
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 17:51:02 ID:8AwlG1No
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
伝えられてる話から推測すると、
秀長と家康(その子孫も含む)には誠心誠意をもって仕えてたんじゃないかな。
それにしても、近江の暴れん坊が親藩格にまでなったのは、やはり凄いことだよね。
好きかどうかと言われれば返事に詰まるけど、ソツのない多才な人物だと思う。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 00:17:49 ID:7szhBffk
藤堂高虎は津藩だからな伊勢は伊勢神宮が有って日本の神道のお膝元だ。
そこを任されたと言うことは、日本の根本の守護を家康に任されたほどの人物。
昨日は伊賀市にて鬼行列があったけど
鬼行列に使われた能面は高虎公の病気平癒の為、家宝である能面を町民に与え代わりに祈祷を申し込みに行くように頼んだという
言い伝えがある。民衆を大事にしていた高虎公の人柄が伺い知れる
秀次事件で高虎が危険な目に遭ったというのは有名だけど、
具体的に当時の高虎がどういう立場で、どんな状況に追い込まれたのか知ってる人いる?
検索しても良くわからなかった
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 09:56:19 ID:QEEEfTbs
エロ勘兵衛に馬鹿呼ばわりされた高虎殿であった
今更な話題だからちょっとアレだけど
司馬の高虎が好きってのは少数派なのか。
福島とか加藤とかその他もろもろの大名連中より
よっぽど目立ってるし活躍してるように感じるんだけど。
ただのおべっかの佞臣的な表現じゃなくてさ。
>>196 意図的に美談系のエピソードを削ってる司馬高虎はもう一つ好きになれんな
世間では評判の悪い司馬家康は大好きなんだがw
特に正信との「主従というより共犯者」みたいな関係が
山岡家康に代表される人畜無害の棚ボタ天下人みたいな人物造詣よりよっぽど魅力的だw
>>197 山岡の家康像は「聖人君主」と呼ぶべき。あの小説、歳をとるとともに、家康に
宗教的なカリスマが強くなっていくよね。高虎もそうだけど、周囲がどんどん家康に
「帰依」しちゃっていく。
あれは生の徳川家康というより「東照神君」なのかも。<山岡版家康
司馬の家康は書き手の嫌悪感バリバリなのがなぁ。
城塞の「犯罪的」連呼とか、他の人物描写には距離置けてるだけにちょっとひく。
同じ悪役家康でも荒山徹のは面白かった。
かつて人質にされた屈辱を全日本人に味あわせるのが目的で天下を取ったという屈折ぶりで、
ここまで悪だとすがすがしくさえあるw
ちなみに藤堂高虎も「謀略大名」扱いでアクが強い。
大坂の陣の家康の謀略に関しては日本人の殆どが嫌悪感を抱いてるから酷評も止むを得まい
他の小説ではそうでもないし>司馬の家康描写
高虎もあんまり司馬には好かれてなかったようだが
>日本人の殆どが嫌悪感を抱いてるから
根拠の無い決め付け乙。
俺は家康より淀に腹立つけどな
大坂の陣を舞台にしたドラマ・小説を見てみると良い
殆どが家康老獪、淀暗愚、大坂浪人カッコヨスで作られてるから
高虎は大坂浪人の良い引き立て役だな
>>203 それはそうしないと小説にならないからだよ。圧倒的武力を持ったほうがまともな人たちで、
取り囲まれているのが史実どおりに暗愚な世間知らずの上層部と食い詰めて行き場のない
失業者の群れとしてお話作ったら、面白くもなんともないだろ。
あと、団塊世代前後の作家は、あの大阪の陣の豊臣方に、東大安田講堂にたてこもった
学生たちを重ねて思い入れたっぷりに書いてることが多いので注意すべし。
若い作家だと豊臣方にかなり距離をとっている事が多いね。
age
個人的には、好きな武将。
大して仕事もできないくせに、ちょっと要領いいだけで出世した山内より
何度も主人を変えつつも、前線の武者働きから始まって
一軍の将、果ては準譜代格の大名までなった藤堂を大河にしろ。
司馬に嫌われた武将はイメージの面でだいぶ損してるよなぁ
司馬に嫌われる前から嫌われ者だっただろ
豊臣恩顧なのに譜代並の扱いを受ければ妬まれるのは当然だし
妬んだのは誰々なのさ?
いや、司馬小説のイメージが現代人に与える影響を言ったんであって、
当時の大名間の評価なんて一般人は知らんだろうに。
んで、誰々なのさ?
黒田長政・加藤嘉明・福島正則らとは仲が悪かったという逸話が伝わってる
司馬もそういう逸話や評価を元に小説を書いてるわけで、
別に嫌いだから貶してるわけじゃないと思われ
細川や織部、金森ら文化人仲間とは仲良くやってたそうだが、その辺は考慮されないのな
そりゃ○○と仲が良かった、というのは非常に結構なことだが小説のネタにはなりづらいでしょ
細川や織部と絡んだ面白い逸話なんてあったっけ>高虎
家康との間には来世の御奉公の話や「有事の際には藤堂家を先鋒にせよ」という遺言なんかが知られてるけど
逸話は特にないな、史料で確認できるだけ。
妬まれた嫌われてたってのも面白い逸話とは思えないけど、
ゴシップ的にウケたってところかね。
なんにせよ、やっぱり司馬は家康(とそれに与する高虎)が嫌いに見えるよ。
(好き嫌い有って当然だからそれが悪いとか言うつもりはない。まして小説だし)
取り合えず間違いの無いことを書こう。
高虎よりもぷらっとの方が嫌われている。
相手するのめんどいからここで最後な。
良かった。
ぷらっとが首吊るってw
高虎の身長だけは本当だな 多分
219 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 17:36:24 ID:rhy9umWD
あげ
220 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 20:45:58 ID:aDULUjRl
こいつの武力は90くらいあってもいいように思う。
数々の武勇伝を持ちながら政治屋扱いされてるのはどうかな。
こいつってのは悲しいねえ。
司馬の小説をすべて読んだわけではないが、高虎も家康も貶められてるとは思わないなあ。
むしろ二人とも魅力を感じるくらいだ。悪役じみてるのは否定できないがw
>>220 晩年は軍勢率いての失態繰り返してるからなぁ。
それでも純然たる「政治屋」扱いしてるゲームはほとんど無いぞ。大概は知勇兼備型の扱いだろ?
悪役でも行動が突き抜けてたり信念があったりするなら魅力感じるけど、
司馬の書く家康・高虎は狭量な俗物っぽいので余り好きじゃない。
>>223 下積みの槍働き時代は強かったらしいけど、晩年の用兵は確かに辛いものがあるね、
関ヶ原の時板島城の留守役に元大友家の佐伯惟定を残してたんだけど、
惟定が旧主の大友吉統の挙兵に応じてたら結構危なかったんじゃないかな?
高虎なんて司馬小説ではスルーされてるだろw
覇王の家でちょっと登場したくらいしか覚えてない(有名な「家康にもなった男」と評されたやつ)
それなら城塞にも出てきたな>高虎
一応出てきたが心理描写もなく司馬お得意の人物評もされてないから印象にはほとんど残ってないな
>>229 「今なお私達を魅了してやまない司馬文学ではあるが、当然のことながら、
そこで紡がれる人間群像はあくまでも「物語」であって、
実像とは一定の懸隔があるとみなければならないのである。」
こんなの言われつくされてもう当然のように思ってたんだけど、
評論の世界では未だにわざわざ「現実は違うよ」っていう文章を入れなければならないんだな。
司馬遼太郎すげぇw
231 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 02:09:02 ID:k/eg9tgU
既出かもしれんが高虎の三成に対した時の態度が何とも言えない…
ある意味、当たり障り無くだけど、一方では敗軍の将に対する賛辞であり
気遣いであり、敗軍の将に教えを乞うという彼の姿勢に男を感じる。
司馬小説で一番魅力的なのがむしろ家康や高虎みたいな人物の描かれ方。
城塞一つとっても例えば一回目読んだだけだと後藤又兵衛とか真田幸村とかカッコいいと言う感じだが、
二度目見ると、家康の緻密な行動の方に目が行く。
家康の事を人物評では散々に言いながら、物語の中では一つ一つの行動の描き方に
愛があって賛美がある。司馬の小説ってどれもそんな感じ。わかり易い人物評で隠しつつ、
贔屓の人物は物語の中で贔屓してるイメージ。
>>230 それだけ司馬小説の啓蒙的側面(読者に『歴史を教える』という形式)が、
多くの読者に虚構部分をも史実と思わせる力があるということだろう。確かにこれは凄い。
>>231 関ヶ原では見事にスルーされてましたな。残念。
>>232 「城塞」で、家康が五山の僧に聞いた論語為政篇の解釈が、家康に阿った答えだったので失望したという逸話を、
その阿りに満足するような小物に書き換えられてたのは個人的に頂けなかった。
よく見るとこういう矮小化が多いので特に愛は感じないなあ。悪役として大いに使いまわしてる感はあるけど。
>>233 俺はその阿りに失望するという逸話の方が後付臭くて嫌いなんだが。
いかにも小英雄っぽい江戸の創作の臭いがする。
っていうかこういうので小物に感じてるようだと、他にももっと気になるところあったでしょ。
統率77
戦闘75
智謀86
政治94
野望90
>>234 うん、いちいち書ききれんよ。
ただ、三成サイドの美談は比較的そのまま紹介してるのに、
家康関係となると筆を曲げたり無視したり、というのは意図的なものを感じたが。
まあ、結局は書き手読み手の好き嫌いに関することだから、俺には合わないってことだろうが。
>後付臭くて嫌い
家康(司馬作品のでなはなく)のキャラ的には大いにありそうなことなんで、
俺は司馬の小俗物っぽい書き換えの方が嫌いなんだ。
>>236 だと思うよ、感じ方の違いだからこればっかりは。
本来作家にとって、逸話を逸話のまま書くのなんて楽だし愛があるとは思わない。
わざわざ自分の設定を入れてるキャラがあるとしたら、そこに愛があると感じる。
何も修飾する言葉が綺麗なだけが作家の武将に対する愛とは思わない、
特に司馬のようなひねくれた人物を愛する作家はね。司馬が他で主人公にしてる人物見れば一目瞭然。
これは作家本人も気づいてるかどうか知らんけどね。
その中で家康は醜悪に見えるように見えるように意図的に書きながら、
人間的な凄さと魅力が表現されてる、だからこそ司馬の小説は家康の方が面白い。
大阪方の人物の描写とかは他の小説とさほど変わらんもの。
>>237 そういう見方もあるかね。
作家が自分設定を入れてる史上人物にある種の熱意はあることは認めるが、
それはマイナスの感情の場合もあるからなぁ。
鎖国を家康のせいにしたり、家康の貿易好きを逆に書いたりとかを
ひねくれた愛情の発露と見るのは俺には難しい。
>>238 まぁこれは俺も他の作家ならこんな見方はしないし、
もちろん初めっからそう見えたわけじゃないんだけどね。
何度か読んでるうちにそう感じたというもの。
逆に大阪方に対する愛情が感じられない文章だなと思うようになった。
カッコいいカッコいいと言い続けられても本当にそう思って書いてるのかな?っていうか
人物評とその後の行動が必ずしも一致してないしさせようともしてない文章。
そのギャップが不思議な客観性を持って、史実と混同してしまうような感覚を持たせるのだと思う。
>>239 言いたいことはわかるような気がする。
エッセイ読むと家康評に関して初期と後期では大分肯定的に変わってるようだし。
初めに悪役として調べたり書いたりしてるうちに、
司馬の中でも一種の裏返しな愛着が沸いたというのなら、ない話でもないかも。
そうそう、そういう事、本人は秀吉が好きだと思っていたと思うんだけどね。
でも、物語って書いてる本人でも思わぬ命を持つものだから、
そういう視点から読んでみるのも面白い。
大河でやって欲しい。NHK頼む。
243 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 22:18:39 ID:T/BF10NI
大坂の陣の時、裏切るという噂を流されて色々と苦労したらしいね。
高虎ならやりかねないって。
福島加藤なら兎も角、藤堂に限ってそれはないだろうと思うけどなぁ。
当時の人にはただの尻軽野郎に見えたんだろうか。
むしろ藤堂だからこそ裏切らないシチュなのにな
>245
同感だ
247 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 09:09:03 ID:g9W72RxG
今は高虎公の生き方が一番合っていると思うよ
ピンハネする会社はすぐに辞める
他人の才能に追い付こうとするよりも、他人が持っていない才能を身につける
248 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 14:34:07 ID:fVo3gjGA
藤堂は幕末の鳥羽、伏見ときも真っ先に裏切ってる。カスですな( ゚д゚)
>248
時流とダメな上司を見る目は確かってことだろ
その日の晩だか翌日には
将軍は自分だけ江戸に逃げてるし
行為としてはこっちの方が悪質
>>243 案外、その噂の出所は家康あたりだったかも
鳥羽伏見の時の津藩は高虎と違って裏切った後も官軍には全く評価されなかったけどな
どうせ官軍に寝返れば本領安堵、もしかしたら加増してくれるかもみたいな甘い考えだったんだろ
252 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 17:31:29 ID:PjVvgFj0
>>48 あのエピソードって高虎の変わり身の早さを皮肉ったものだと思ってた
253 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 20:58:06 ID:H6IFKeay
『ゴマをするなら藤堂高虎』 神坂次郎 中公文庫「戦国を駆ける」
『勝者こそわが主君』 神坂次郎 新潮文庫「勝者こそわが主君」
一応、主役の小説もあるな。
254 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 22:13:52 ID:N6PwCEbH
今、藤堂家の子孫はどういう職に就いてんの?転職上手な高虎の血を引くだけに興味があるんだけど。
256 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 03:42:55 ID:Ej5tSHg8
>>248 あの世の高虎にしてみれば、
「譜代筆頭の井伊すら寝返ってるじゃないか」
と旧幕府軍に一言言いたかった予感。
257 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 22:59:04 ID:ZwAp5Jwn
まー、二百年以上後の子孫の行動まで責任問われても困るよな
258 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 00:31:10 ID:Dhc16S3t
勢州津藩の藤堂和泉守は殿中で井伊大老をつかまえ、今回の荘内藩國替えは納得できない処置だと詰り、
259 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 09:07:29 ID:XJD5gycD
家康への取り入りが成功しすぎてしまったのが悪かったのかもしれん
あれがなかったら、「時流に乗るのが上手かった有能な官僚型武将」みたいな扱いに
260 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 13:45:41 ID:feSG3dfj
現代で言うと皆が定時で帰ろうとしてる中一人サービス残業しまくるイメージがある。
熱心だし仕事もできるから上には可愛がられるが、周りにとっては迷惑なタイプ。
261 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 03:05:55 ID:fhBy/HR7
頑張れ!!
262 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 04:41:37 ID:CdlyUxZ9
俺の先祖は藤堂藩士で山岡ナニガシというのだが、殿様から家紋入りの拳銃だか鉄砲だかを賜ったらしい。
が、太平洋戦争後に警察がやってきて銃刀法違反か何かで持っていってしまい、今では母の実家に箱だけが残っているとか。
拳銃もらえるってどうなんだ、偉かったのか俺の先祖山岡何某!?
>>262 戦国時代で言えば、殿様の刀を頂くのと一緒だろ。偉かったかどうかはともかく、一角の者として
見られていたんじゃない?君のご先祖様。
264 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 02:21:31 ID:U/bGSB7B
ふわふわなめらか高虎プリン…
265 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 18:34:55 ID:dqp6Q/ZR
あげ
266 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 19:28:07 ID:QhFMZFzm
いいなあ、何回転職しようと出世する人は
たとえ世間から蔑視されようとも出世すれば勝ちだからな
267 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 19:42:27 ID:u+Bt78vj
>>262 山岡って藤堂家中でもそこそこじゃなかったっけ?
確か大坂陣で長宗我部勢と戦って討死した母衣衆だかに山岡某っていた希ガス
268 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 22:58:01 ID:rK1hIGJD
>>242 三年ぐらい前に伊賀上野城に行った時お城の前で
藤堂高虎を大河ドラマで!て地元の人がチラシを配ってたよ
地元の人は頑張ってるみたいだけど
>>268 藤堂高虎の人生面白いのにね。
信長秀吉家康全部かかわるし、秀忠家光まで出せるし、主要な戦争には殆ど参加してるし。
秀長没後の豊臣家を必然的に悪くかかなきゃいけないのがネックなのか?
少なくとも直江山城なんて小物に比べて、よほど日本史の本道に影響を与えた人物なのだがなあ。
270 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 23:59:08 ID:u+Bt78vj
高虎公の人物像改悪されるくらいなら大河は俺達の心の中で充分
271 :
仙台藩百姓:2007/06/09(土) 04:01:02 ID:3hnLZ469
槍一本から身を興し
若年は武骨な武人として
晩年は老獪な政治家として活躍
文武に長け、栄進を続けた高虎の人生は
この上ないサクセスストーリーだおね
逸話の多い人でもあるし
なぜ大河化しないのか謎だお( ^ω^)
山内とか山本とか直江とかやるぐらいなら
高虎やりゃいいのにね
272 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 11:25:28 ID:aKQqyOCk
華がないからダメ。
山内一豊はその点で得した。
273 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 12:41:16 ID:e2M5dfnt
つ虎の城
一応華というかまああるっちゃある
274 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 04:42:32 ID:WSM1tEyw
>>269 一般的に思い浮かべられる今の裏切り&家康の犬って姿の方が改悪じゃない?
275 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 13:09:18 ID:bF0pKGPM
>>274 司馬の小説描写が嫌いであんま司馬作品読んでないから一般的なイメージはわからんが
どの武将とも色の違う恰好良さが、ありきたりな人物像に描き変えられるのが怖い
276 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 19:14:25 ID:RhyCvK/r
277 :
人間七七四年:2007/06/14(木) 01:49:48 ID:4/87w6n3
>>268 今治市でもそういう運動はなくはないんだけど、
県都・松山市が司馬遼ヲタクの市長の号令一下でそっち系の商売ぜんぶ持っていっちゃったからなぁ……
278 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 13:54:36 ID:oAjAXezP
就活の面接で、この人の名前や名言を挙げたら印象悪いよね?
自分の尊敬する歴史上の人物だけど。
279 :
仙台藩百姓:2007/06/18(月) 17:03:51 ID:HdN4uDrn
遠慮せず言えばいいお( ^ω^)
280 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 18:00:19 ID:R0zdsVrt
自分じゃないからって、簡単に軽くいいきってんじゃねーよwww>百姓
尊敬する戦国武将や人物を聞かれたなら答えるのもありだけど、高虎のイメージは現代で言うとヘッドハンティングに乗っかったイメージある上に基本的に知名度低いよね。
だから限られた時間内に何故好きかを説明できるか、人物像を適切な理解をさせることが出来るかをまず考えた方が良いよ。
281 :
仙台藩百姓:2007/06/18(月) 18:38:43 ID:HdN4uDrn
高虎の名前だけで印象悪く思うような人は
人を上辺だけで判断してるか
虚像を盲信するような大した人間ではないお
そんな人間が管理職やってるような企業じゃ
入社しても将来性ないお( ^ω^)
と、言う事を要約したら上のレスになったお
もっとも言うからには
>>280の言うように
何故尊敬してるか尋ねられた時は
ちゃんと答えられなくてはいけないお
一部だけ見て盲信してるのでは話しにならんお
下手な信者っぷり晒すぐらいなら言わない方がいいお
人物を理解して尊敬しているのなら
松永でも道三でも直家でも遠慮せず言うがいいお( ^ω^)
282 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 23:11:10 ID:QfgT/i/c
高虎を築城のプロフェッショナルのイメージで見ていた俺は少数派なのか
>>282 最近は多くなってきたんじゃない?築城、城下町整備、街道整備、
インフラストラクチャー構築のプロフェッショナル藤堂高虎。
284 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 20:44:48 ID:8MYUH6y1
築城をはじめ土木建築は得意
水軍だって率いることはできる
馬も槍も上手
謀略も内政も合戦もお任せ
ただちょっと家臣に気を遣い過ぎた
285 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 04:35:00 ID:/exLMFg4
こうしてみるとマルチな男だったんだなあ
286 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 21:54:03 ID:uKbA9HHg
カリスマ性が無い。
戦国乱世はカリスマ性が大事だよ。
287 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 21:56:41 ID:1v+uA9T0
殉死を願い出た家臣の数を知ってての釣りか?
家康やら秀吉やらと比べての話だったら、そこまでのカリスマが高虎のポジションには不要
まあ高虎はほぼ十全の成功者だからな。「志し半ば」じゃないとifが生まれない。
ifの無い武将は後世に与える神秘性がどうしても薄くなる。
289 :
人間七七四年:2007/06/21(木) 07:59:07 ID:3wKOZAol
小説とか漫画の題材にするなら秀長の早死にが「志半ば」にあたらなくもないんだけどな
仕えた七人って浅井長政、阿閉貞征、磯野丹波、津田信澄、羽柴兄弟、家康でいいんだっけ?
290 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 03:38:56 ID:zRzs5VVt
>>287 >殉死を願い出た家臣の数
で、実際には結局一人も殉死しなかったw
因みに、仙台の伊達政宗の死亡時は20人が実際に殉死。
熊本の細川忠利の時は19人が実際に殉死。
291 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 04:14:24 ID:C6d4/9+w
そりゃ神君家康公の命令で禁止されてたからね
292 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 08:02:44 ID:oLLB4OPi
禁じられた殉死をすれば家がつぶれるかもしれないのに
>>290は何を言っているのか
293 :
バロン曽志崎:2007/06/22(金) 12:03:20 ID:yDhyrs/4
幕府が殉死を禁じたのは1663年じゃなかったっけ?
伊達政宗の死去は1636年、細川忠利は1641年、
藤堂高虎はそれに先立つ1630年だったと思うけど・・・
294 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 14:58:41 ID:f8yemUs2
>>293 家康に殉死希望者の名前の入った箱を差し出して
家康の命で殉死を止めさせてもらえるように頼んだ逸話がある
295 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 15:48:29 ID:ZI6u8t2B
結局単なる逸話だろ?<殉死を願い出た家臣を〜
誰も死ななかったから体裁悪くてでっち上げた、とかいくらでも反論できちゃうし
あんまり意味がないんじゃないかと思うけど。
296 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 19:11:27 ID:vJxysIDB
297 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 19:46:42 ID:ZI6u8t2B
穿つも何も「史料に殉死者が見えない」という話に「殉死を願い出た家臣の
逸話がある」と返しても無意味じゃない?と言ってるだけなわけで。
本人も逸話だって明記してるんだから眉唾って事分かってて書いてるでしょ。
298 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 20:25:46 ID:oLLB4OPi
逸話の意味がどうにも最近履き違えられがちに思えるのは気のせいか
299 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 20:44:50 ID:ZI6u8t2B
会話の流れ上「史料的裏付けのない話」と解釈したけど本義でとった方が良かったの?
じゃあごめん、それなりに信頼性あるネタだったのか、寡聞にして知らないので教えて
くれると嬉しい。
300 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 22:19:48 ID:+M6Dhtob
出典は知らないが(恐らく『高山公実録』辺りだと思うが未確認)
「幕命で殉死を禁止させた」なんて話が捏造であれば、
勝手に捏造の出汁に使われた幕府が放っておくとは思われないので、
ある程度の信憑性はあるんじゃないか。
301 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 10:35:59 ID:lt1sZy5c
高虎寄進の南禅寺の山門はデカいな。
和子入内では朝廷と折衝する政治力、築城術や半島や関が原など
の戦歴、完璧な気がする。すげえよ、高虎。
302 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 19:03:42 ID:QioRwISC
その非凡さに加えて家臣に気を遣いすぎて長宗我部に大苦戦した夏の陣での人間味もまたいいな
それを突いて指揮能力がないなんて言う奴もいるかもしれんが、恩を重んじる高虎らしくて俺は好きだ
303 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 05:54:18 ID:R34AQx6q
大河ドラマ希望
戦国武将にしては数少ないハッピーエンドに終わるし
304 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 09:18:22 ID:COHTzyaK
おれも希望する。
朝鮮出兵、関が原から大坂の陣、築城、外様大名で最も家康に信頼された
政治手腕、見所いっぱいだよ。
主君替えも現代の転職じゃないか。高く評価してくれる主の元で働いただけ。
直江よりははるかにいいと思う。
大河にすれば関ヶ原や大阪の陣の後をピックアップできる稀有な武将だな。
家康、秀忠の信頼の元、自分の領地に殆ど帰れないほど新しい日本のインフラ整備に邁進する、破壊ではなく
創造していく武将の姿、というものを描けるな。
306 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 20:53:11 ID:AfUUFA1c
朝鮮出兵でそこそこの働きしてるから大河は無理だな
でも大河化キボンヌ
307 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 22:08:40 ID:5WJtv5Ub
働きの割りに石高が少ないよなあ。
伊勢は場所はいいけどさ。
鍋島とか有馬とか、どれだけ徳川に貢献したんだ?
>>307 江戸と上方を結ぶ要地を領して、最終的には32万石なんだから十二分だと思うぞ。しかも譜代待遇。
それに津は国内貿易に関しても要地の一つで、しかも伊勢参りの宿場町なのもあいまって相当に栄えた場所だった訳だし。
309 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 23:01:36 ID:AfUUFA1c
三家や会津越前などの有力親藩除く譜代の中で、扱い上の話とはいえ30万石超えは法外に高禄
高虎公なんかは特に禄高の高低のみで待遇のよさを計りはしないだろうし、多すぎるくらい
いや高吉と高次のアレもあるから丁度よかったのかな
310 :
仙台藩百姓:2007/06/30(土) 01:51:15 ID:wNejzw3E
藤堂は徳川時代に石高で言えば実に4倍だからね
ちなみに当初水戸は25万石、会津は23万石だお
三百諸侯と言うけれど32万石を超える藩は
外様だと10もないお( ^ω^)
親藩譜代入れても10そこそこ
311 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 09:11:37 ID:MLsdKnTK
この人は内政・外交・軍事・大局観総て一流なんだけど
超一流な分野と天運に恵まれずソツなくこなせる器用貧乏って印象がある
幕末越えても家を残した男を貧乏呼ばわりはおかしいが
人望があれば天下も伺えたんぢゃね?
312 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 09:40:56 ID:LkRdYT6z
>>311 器用貧乏といわれてる奴に限っていなかったら一番困るものだ
人望だってなかったわけじゃない
高虎自身が言ってるように主君とは人の目を見る力が肝要で
その人とは自分自身も含まれているはず
だから他の武将とは毛色が違った高虎らしいかっこよさがそこにはある
同じ器用貧乏の丹羽にはないかっこよさだと思うよ
313 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 10:34:47 ID:o/OaEBNK
器用貧乏と言う点においては
>>311と同意だな
ただし高虎はああ見えて意外と情に脆い所がある
家臣に対しても主君に対しても
信長が意外と優しいみたいなもんではあるんだがな
だから天下を伺う事はできなかったろうな
能力ではなく性格の面で
314 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 14:00:45 ID:Yz4RfCew
その前に天下を狙える位置に立ったことがあるか?
315 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 14:08:35 ID:LkRdYT6z
好きな武将が天下をとったらだの最強だのと愛のない話だな
316 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 14:13:33 ID:+HpIZU4B
主君を乗り越えるようなタイプじゃ無いから難しいかもね
317 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 15:00:50 ID:8hboAGxG
大河ドラマ「豊臣秀長」をやれば最後の一クールくらいは準主役級かもな
318 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 16:11:46 ID:MLsdKnTK
天下を狙うには遅すぎたかもな
転向組では昇りあげた方だが
319 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 16:30:55 ID:c7/xTyp2
南禅寺の山門、デカッ!
今の大河の山本勘助を、全日本規模にスケールアップさせると高虎になるという気がしないでもない。
321 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 09:15:52 ID:kkk1mArA
糞スレ立てるな
322 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 09:23:31 ID:ceUMhqhu
高虎は意識的に一番手柄はゆずって常に二番を狙ってたから、
同僚・上司人気があったとか聞いた
323 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 14:39:45 ID:ggI98zip
徳川親子には大人気だもんな
324 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 15:36:52 ID:kkk1mArA
秀吉親子は一番憎んだろうな
>>324 秀吉は高虎の主家だった浅井家と大和豊臣家を滅ぼしたんだから、憎まれる言われは無いわな。
326 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 16:05:15 ID:kkk1mArA
>>325 それならそれで秀吉に仕えるべきではなかったのだが。
>>326 何で秀吉の話を高虎に添加してるんだ?突然話をすり替えなさんな。
328 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 17:36:17 ID:us3GLTfp
秀吉親子が恨むとしたら高虎なんぞよりもその主君の家康だろう
家康の腰巾着に過ぎない高虎を憎む理由なんて無い
>>328 秀吉は其の天下統一やその後の政治的安定に、家康の力に十二分に頼ったんだから、それもお門違いだわ。
つーか、秀頼は知らんが、恨んでいる恨んでいるって言っている人間は、そんなに秀吉を
スケールの小さな人間だと捉えているのか?
まあ秀吉自身は晩年、信長の怨霊に恐れをなしていたようだがw
330 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 17:47:53 ID:us3GLTfp
自分の妻や子供、更に孫まで殺されて一族根絶やしにされたら普通恨むと思うぞ
スケール小さいとか何逝ってるんだ
331 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 20:19:47 ID:/WbWbjEy
一族根絶やしっていう話は初めて聞いたな
高台院は勿論のこと遠縁の木下家も大名として残ってるだろうに
で、死んだ人間がどうやって恨むんだ?
332 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 23:01:01 ID:Zb4UaRtH
秀雄や秀信がサルを恨んでるだろ。
333 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 23:09:16 ID:/WbWbjEy
岐阜中納言が秀吉を恨んでるってのも初耳だな
信孝ならまだしも
334 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 03:24:49 ID:tMXD1Aeo
秀吉一族ってのは普通羽柴豊臣家だけのことを指すだろ
高台院の実家である木下家が秀吉の一族なら織田家・浅井家・前田家・京極家も秀吉の一族になってしまうわな
>>334 > 高台院の実家である木下家
高台院の実家は浅野家だぞ。
336 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 04:28:07 ID:tMXD1Aeo
?
高台院は木下家から浅野家に養女に入ったわけで浅野家の生まれというわけじゃないよ
337 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 05:58:09 ID:hNiKuT2d
ねー、そろそろ高虎の話したくない?
338 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 08:07:57 ID:fXW+E9V1
>>334 じゃあ高台院本人は?
正室生き残ってるけど豊臣家って皆殺しにされたんじゃないの?
小早川秀秋や藤堂高吉も一度豊臣家の養子になってるけどこれもやっぱ一族じゃないのかな
高虎って将軍家から女子を入内させたけど前例なかったんだっけ?
340 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 08:08:06 ID:WxQanFGK
作家にも好きな人物と嫌いな人物がいるんだよ
341 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 09:48:07 ID:g35hbxpZ
家康の腰巾着が一番むかつく
家康に腰巾着なんて不要裸の王様がお似合いだったんだ。
342 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 12:42:38 ID:JG0MwgDg
調略・戦闘・築城・天領代官と実力をもって好待遇をえた高虎をまるで
おべっか使って出世したがごとく「腰巾着」と言うのはどうかね
三成を秀吉の腰巾着と言うに等しい
343 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 12:42:41 ID:7XfaapR4
344 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 15:58:36 ID:WxQanFGK
>>342 高虎については同意だが
三成も高虎と似たようなものだぞ
能力は非凡。おべっかを使ったわけでもない。主君にも気に入られた
高虎に圧倒的に劣るのは土木建築と人や人の心を見る目
345 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 20:21:45 ID:YmokPPz/
346 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 20:43:25 ID:WxQanFGK
>>345 すまんかった
正直流し読みで「しい」だけ見て相応しいだと早とちりしてた
今は反省している
347 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 10:40:25 ID:rWQfz/Fb
裏切り王の高虎はわが県の面汚しですね。
同じ裏切り王でもせめて呂布くらいの戦闘力があれば自慢になるのだが。
348 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 11:28:14 ID:R3xa1Q5I
戦闘力あるぞ
349 :
仙台藩百姓:2007/07/05(木) 13:14:14 ID:67pKf6XC
高虎がいつ裏切ったのだお( ^ω^)
350 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 15:46:19 ID:bBchnlBJ
バカはスルーするべし。
351 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 15:54:43 ID:TdFGFGc8
高虎を除いて三重に誇れる武将がどれだけいるのか
北畠とか桑名松平?本多忠勝を三重と言い張ったり?
352 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 20:18:29 ID:zlhL9Do3
高虎を三重と言い張るのも忠勝を三重と言い張るのもどっちも似たようなものじゃね?
どっちも徳川による鉢植え大名で土着の人間じゃない
353 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 20:36:55 ID:jkql4cMR
そんなこと言ったら仙台市や熊本市が怒るお
354 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 22:47:33 ID:n5y1A2MP
>>354 蒲生なんぞ殆ど何の実績も残していないじゃ無いか。
356 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 23:44:25 ID:0y8Xzk1h
357 :
仙台藩百姓:2007/07/07(土) 01:40:13 ID:h0+Vab1u
氏郷はどこかと言うなら近江の人だおね( ^ω^)
伊勢も会津も僅か数年しかいなかったお
それでも氏郷の与えた影響は少なくないようだけど
そういや高虎も近江出身だね
滋賀県なんて今じゃマイナーだけど
戦国時代にはかなり人物を出したおね( ^ω^)
伊勢には剣豪大名北畠具教がいるがな。
359 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 09:41:28 ID:tuhCxFrv
上野にある高虎殿のお墓に行ったことのある人いますか?
360 :
仙台藩百姓:2007/07/07(土) 14:31:49 ID:h0+Vab1u
江戸上野と伊賀上野に墓あると思うお( ^ω^)
361 :
バカ殿:2007/07/07(土) 22:40:50 ID:Oh205kBS
>>350 無礼者。
バカバカ言うとる奴が一のバカナンヤ。
362 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 23:44:29 ID:yWMLpe5f
伊勢は伊勢神宮や長島一向一揆があるんだからそれで我慢すべし。
363 :
仙台藩百姓:2007/07/08(日) 01:12:05 ID:j/VObuog
伊勢は武家政権の走りとも言うべき平氏政権を築いた
平清盛を生んだ土地ですお( ^ω^)
364 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 11:39:43 ID:fjcukAVg
>>358 「北畠家の御本所を殺すと祟りがある」と言われてたおかげで、捕らえられてもすぐには
首を切られず、逃げないよう手足切断の上で放置され、悶死した後首級挙げられたという
稀に見る悲惨な最期の人か。
現代の感覚ではむしろそんなことした方が祟られそうなんだがw
365 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 19:00:04 ID:Z8mXdaJe
仙台藩百姓は、宮城県民?
366 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 21:32:20 ID:j1U1AVsS
三重には織田水軍の九鬼嘉隆がおるではないか。
367 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 23:58:16 ID:XNAeG5P2
服部半蔵もいる
368 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 00:05:02 ID:o9HZ6ijs
志摩とか伊賀だけか
369 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 00:10:31 ID:f1VZJs0P
伊勢最高の部将?
北 畠 信 雄 公
を置いて他に誰がいる!
370 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 10:04:10 ID:w/nJ/zMA
藤堂って2代目以降は影が薄いよなあ。
幕末に裏切るまで誰も知らないひとが多いんじゃないか?
371 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 12:52:25 ID:TuGLRLPs
あれ?もしかして藤堂家の嫡男て全部実子じゃね?
騒動の原因が少ないから道理で影が薄くなるわけだ
372 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 12:59:06 ID:TuGLRLPs
実子って何書いてんだ俺
他家からの養子じゃなくて一門ってこと言いたかったのに
373 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 17:24:43 ID:zmrEccu8
高虎直系はたしか3代で途絶えてたハズ
その後は親戚スジの人間が継いでるね
374 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 11:21:58 ID:nnm4LK/0
藤堂高虎は大河ドラマに出たことある?
375 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 11:56:29 ID:Vtfj2CC8
葵 徳川三代には出てた記憶がある
376 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 14:01:25 ID:xd8Jqobf
真田太平記・・・は大河ちゃうか
>>373 挙句高虎本人は晩年失明してるw
祟りじゃw
378 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 18:42:46 ID:Vxgw7FcR
年取って目悪くなるのは現代でもありふれた話だけどな
>>377は世間知らずで老人と接したことがあまりないのかな
379 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 08:47:34 ID:ooQrH3xK
当時の75才はいまなら90才とか100才レベルだろう。
すっかり健康な方がおかしい。
380 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 14:17:08 ID:/1F8anBV
失明が一般的と考えるほうが稀だと思うけどw
>>380 お前は日本語の読解力が果てしなく低い人間だな。国語を勉強しなおせ。
382 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 21:28:37 ID:TAOhWmVD
先祖が藤堂藩の武将で、城(上野城かな)の建築の監督とか伊賀入国時にソウ奉行?とかしていた者らしい。
ググってもよくわからないんだが、いったい何者?
383 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 21:34:44 ID:IiLL5qA7
日本語に不自由しているバカがageちゃいましたね。
384 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 08:56:03 ID:rNa/sPt4
>>381 ブハハ!
じゃあどう読めばお前贔屓な解釈になるんだよw
百歩譲って白内障や緑内障で目に障害が出ないとは
縦読みしても述べたつもりはないんだがね
俺が果てしなく低いならお前は赤子かw
385 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 09:09:29 ID:0hlCI1SK
386 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 09:36:58 ID:wwPYYHUp
>>385 馬鹿と関わると疲れるから止めた方がいい。
387 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 09:42:04 ID:4gD7TcN1
>>384がだれよりも知的ということでいいんじゃない。
阿呆くさ。
388 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 10:11:54 ID:rNa/sPt4
わかればいいんだよw
389 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 08:12:20 ID:xpX+cqRA
とりあえず
>>377がアホだと言うことだけは紛れも無い事実
390 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 09:28:32 ID:sj2BTn8o
藤堂高虎は平家?源氏?
391 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 09:33:00 ID:PrO++nwZ
藤原氏
392 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 22:57:25 ID:Vb0XdfCR
よく考えたら文禄の役のときは藤堂高虎は独立大名でなく豊臣秀保の家臣だな。
393 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 23:10:01 ID:Uu0Xisym
そうだな
394 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 08:24:36 ID:fGO8Rr8z
もともと伊勢は清盛の先祖の領地だからなぁ・・・・・。
395 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 01:03:53 ID:4InL+lwG
藤堂高虎のように主君は名護屋残留で、家臣が朝鮮に渡って戦った例は他にある?
397 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 10:52:42 ID:BoecrVWo
ああ、裏切りとおべっか使いで出世した奴ね>高虎
とにかく裏切りと内通の繰り返しじゃん。
同じ人間とはとても思えない腐れ外道ぶりだよね。家康とは馬があっただろ。
定期的にこう言う釣りが来るな。
399 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 13:25:08 ID:nYrGI/4j
無知で才覚のない下衆は他人を蔑むことでしか自分を肯定できないんだよな。
400 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 14:37:37 ID:4InL+lwG
>>396 秀吉の家臣じゃなかったのは高虎だけってこと?
>>400 毛利も小早川や吉川が、輝元の代理として行ってなかったっけ?
402 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 18:14:35 ID:YWgUDr1b
足利義昭ですら名護屋城まで行ったのに
403 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 20:02:18 ID:HmdUOTY1
藤堂高虎の男色相手のなかでは誰が有名ですか?
404 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 21:27:56 ID:TX6qbZdK
>>400 高虎も陪臣という意味で秀吉の家臣
>>401 小早川はほとんど一個の大名扱いじゃね?米沢受領後の直江家みたいに
吉川は毛利主力じゃなくて別働隊の指揮だった希ガス
輝元自身も出てなかった?毛利についてあんま詳しく知らんが
405 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 22:31:07 ID:4InL+lwG
>>401 毛利は輝元本人が3万を率いて出陣した。小早川隆景は別に独立大名として出陣。
>>404 家臣の家臣(陪臣)は、家臣じゃないよ。
文禄の役の場合だと、藤堂高虎は豊臣秀保の家臣だから、秀吉の家臣ではない。
高虎が秀吉の家臣になったのは秀保が死んで大和豊臣家が断絶した後。
406 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 23:30:19 ID:IHOHqPpc
輝元は途中で体調崩したから代わりに秀元と元清が大将だったような
全くの不発弾…これが彼の人生なのか
407 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 08:05:34 ID:tlTDPcR4
人を下衆だの無知だの愚鈍だのというと某極左雑誌みたいだぜ
408 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 15:26:02 ID:K7lcaJd/
>>407 気にしてたのなら謝るがそんなにむきになるなよ。
まあ不発弾なのは回りのせいもあるだろうがな。
関ヶ原の吉川とか。
410 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 23:17:23 ID:aAC1msxw
お前ら三重といったら九鬼のことを忘れないでください(´・ω・`)
411 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 23:18:30 ID:xWz4Oj7x
まあ三重といっても伊勢国だからな
結局摂津に飛ばされる
413 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 12:35:11 ID:ga+3Dqw7
本家が摂津三田で
分家が丹波綾部
御家騒動で志摩を取り上げられて同じ石高を分割して与えられた
まあ同じなのは石高だけで実収は大幅に落ちたろうけどあの時期なら
取り潰されなかっただけだもマシだろうな
414 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 16:46:48 ID:IIdFokax
でも昔気質の人から見れば現代人的処世術の高虎は
忌み嫌われるの常。
昔気質って言うより、端的に負け組みだわな。嫉妬嫉妬。
416 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 09:11:51 ID:HaG6jEnh
この過疎っぷりを見れば、そんなに
魅力的な武将でない事が良く解ると思うのだが。。。
417 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 11:02:16 ID:yqpIMjj8
君は佐々成政スレを見てから…orz
高虎信者だけど信やぼや太閤ではもう少し統率下げて欲しい
418 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 15:21:00 ID:ZZJ3D7Qv
仕えていた主家が取り潰されたから高野山に上ったり
旧主の法要を生涯続けてた人間のどこが「現代的処世術」なんだろうかw
419 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 15:24:26 ID:ZZJ3D7Qv
>>417 高虎は個人的武芸は一騎駆けの一番槍武者として名を馳せた事から
相当なものだが
軍勢の指揮に関してはさして功績残してないからな
420 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 18:30:55 ID:oYP1pUru
現代人って豪く醒めてるんだな
高虎の場合
最初に使えたところ→滅亡
次→主君に嫌われる
次→取り潰し
難儀な人生やな。
422 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 06:09:11 ID:X+hVSHEs
家康の信頼を得、准譜代になるのだって大変なんだぞ
423 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 09:21:52 ID:G9Bv56uB
大変なんてレベルかよ
たとえ松平姓を貰っても外様は外様でしかない大名だって多い中で
「虎の城」の文庫版出たね。実に面白かった。天地人なんかより、よっぽどこっちを大河にしたほうが面白そうなんだが。
425 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 23:05:57 ID:tOzBR1NZ
お、文庫出たのか
前ハードカバーで読んだが、大工関連のやり取りがぐっと来たなあれは
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 00:37:26 ID:leE2I6La
427 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 14:12:37 ID:Voeikuzn
お前は虎だ 虎になるんだ!
428 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 23:25:30 ID:TA5WZ/z+
久々に良い本に出会った >424
同じ作者でアレがアレになったのは…何かあったのかね
430 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 23:41:34 ID:Gjgsrvi7
431 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 03:00:46 ID:GOwmvdFn
しかし去年とかあたりから始まった市内周遊観光バス「高虎号」がガラガラで市内走り回ってるのを見ると
大河にしても誰も……って気もしないでもない今治市民
松山が大河ドラマで一山当てよう計画に全市挙げて特攻中だからなあ……
432 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 03:47:23 ID:op5zA5C+
長宗我部盛親にボコされた奴じゃんw
正直こいつは戦の才は微妙だな
高虎がボコられて戦の才が無いのなら、その後ほどなく全滅している長宗我部の戦の才って一体なんなんだろうなw
434 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 11:27:32 ID:0kM9yKer
こんな武士の風上にも置けない自分至上主義な男なんかの
どこに魅力があるのかわからねーよ。
一々アンチに目くじらたてる藤堂ファンも同じキチガイなんだなw
ジメジメしたやつらだww
435 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 12:36:37 ID:f8rMWuor
嫉妬って醜いねぇ
藤堂高虎くらいジメジメしたところの無い武将もいないな。
437 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 18:48:49 ID:TgV/2sJK
俺は高虎は戦の才が平凡だから面白いと思う
剛勇無双で槍働きでのし上がって人の上の立場になると
合戦での業績は平凡(秀長配下時代はよく知らないですが)で
築城技術者を大量に召抱えることや政略で活躍するキャラクター
はユニークだと思うんだ
438 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 19:23:21 ID:5VxLjNXH
どっかダメだったら好きになれないなんて可哀相な子だな
得手不得手が魅力にどう関係するかなんて、その人物の生き様と我々の受け取り方で全然違う
好きなら好き、嫌いなら嫌いでいいから、とりあえず死んだ人を悪く言うだけじゃなくてちゃんと生き様について意見しろ
悪罵しかできないならこのスレに構わなければいいだろうに
439 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 20:26:28 ID:DVeXlWaH
>>431 今治(兼宇和島)の高虎と松山の加藤嘉明は同じ豊臣水軍の将同士相当仲悪かったみたいだね。
当時は家康の信任を得た高虎の方が地位としては勝ちだが、
四百年後の今は松山の後塵を拝すことになろうとは。
>>439 でも高虎は後に幕府に、嘉明を会津の太守として推薦してるんだよね。幕府高官がびっくりして
「高虎殿は加藤殿とはお仲が…」 高虎「個人的な感情はあっても、客観的に見て会津を治められる人材は
嘉明殿をおいて如かず」
この話を聞いた嘉明は長年の不仲を謝り、二人は友として水魚の交わりもかくや、と言われたとか。
441 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:40:41 ID:GOwmvdFn
上のほうでも上がっている話だが、松山的史観によれば
「築城暦の最後を華麗に彩る傑作の完成……直前に転封」という高虎の嫌がらせ、と穿った解釈をされることもあるw
20万石から40万石への大栄転なのに、酷い穿ち方だw
443 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 22:12:50 ID:DVeXlWaH
温暖な海国の伊予から寒冷な山国の会津への引越し、と考えると穿ちたくもなるかも試練
当の高虎は伊勢伊賀と京に近い要地の主で、奥州移転なんざ「何の罰ゲーム?」だろうし
それを言ったら会津なんて、後に秀忠御落胤の保科正之を置いたところからも解るように東北の要。
国政レベルで最重要拠点のひとつだぞ。
つーか奥州馬鹿にしすぎじゃw
445 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 22:53:50 ID:DVeXlWaH
いや、当時の人の感覚を慮ってよ
近畿が長らく日本の中心で、江戸すら新興都市に過ぎない当時の奥州はド田舎以外の何物でもない
446 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 00:13:20 ID:jnIGyJPE
国政レベルの最重要拠点に移されて譜代や親藩でもないのに墓を代々埋めれるかと言えば
ノーだろう。美味しそうな話に見えて、囂々と燃える炎の上に座らされたんじゃないのか>加藤
447 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 14:44:51 ID:ND/84Ge4
まるで「生活全般」板のような住人ばかりかw
448 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 19:58:34 ID:OpVbUQpp
東北人で田舎という言葉に過剰反応する人が一人居ることはわかった
449 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 15:43:50 ID:N+vheIs0
高虎=スネ夫
450 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 20:37:43 ID:2wRtPiJ9
築城技術者=ラジコンやらなんやら作るスネオの親戚?
関ヶ原が彼にとっての大勝負(家康以上に)。
452 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 12:42:13 ID:TN9hrLqQ
453 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 18:28:49 ID:0DrYSKbD
高虎は汚いっつても黒田の二代目とか、細川のDV野郎とか、同類たくさんいるじゃねーか。
454 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 18:34:45 ID:+pEUwtme
あそこまでいくとある意味ネタに困らんからなw
高虎は良く言えば卒がない、悪くいうと隙がなくていじり難いタイプ。
高虎はこの時代でも江戸時代のど真ん中でも、明治でも大正でも現代でも成功するタイプの人。
逆に切り取り次第の戦国ど真ん中だと上手く行かなかっただろう。
456 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 16:18:02 ID:itqjuoDM
藤堂って朝鮮で李舜臣の水軍をブチ破って追撃した人でしょ?
457 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 23:03:15 ID:RnKKkbbw
>>433 高虎を追撃しようとして横槍を入れられたら崩れもする
逆を言えば井伊直考が勝てたのは事前に高虎が負けていたから
(長宗我部がいくばくか消耗していたから)と言える
458 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 00:33:01 ID:9KNl0M4v
横槍を入れられる時点で迂闊にもほどがある
戦上手が各々突っ走って敗北を呼ぶなんて、大坂勢は調子に乗った高虎の家臣団と変わらないよな
459 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 07:05:36 ID:QbWskOih
長曾我部と高虎の関係(関ヶ原以降の部下の推移)を調べると、
大阪の陣のあの戦いはかなり熱く燃えるものがあるんだぞ。
お互い引くに引けない男の意地的なものが!
460 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 09:35:03 ID:n3h3cCL1
大坂の陣のときすでに還暦。
つらいなあ。
461 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 18:35:39 ID:9KNl0M4v
>>459 高虎が長宗我部の遺臣を拾ってやったんだっけか
槍を合わせた時に旧知の者だったりして、やりづらかったろうな
渡辺の主君も確か大坂に入ってたよな
462 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 23:53:44 ID:X1ezJzyi
>>458 状況を考えろ。
木村を退け、その後すぐに
長宗我部隊に向かっていった
井伊直考がほめられてしかるべき
463 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 00:02:52 ID:7KgzTWc3
長宗我部に伏兵でやられ
毛利に軽くぼこられ
真田に家康のついでに討ち取られそうになり
李舜臣に手も足も出なかったへぼ将
それが藤堂。
城でも作って引っ込んでいろ。
464 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 00:04:16 ID:F88pgJAp
釣れますか
465 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 00:27:25 ID:tlVRJfk/
事実だけどな
466 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 23:29:02 ID:cYQ66EiV
人畜無害なだけじゃないの??
伊達は世話になったハズ
467 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 02:59:22 ID:KhUdDm7Q
468 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 03:33:07 ID:7vVqHx9N
ディアゴスティーニの「日本の100人」シリーズに
まさかの高虎起用で驚いたし、嬉しかったぜ。
469 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 05:06:59 ID:SmI6ZMMA
転職を繰り返している自分
現在有給消化中で暇だったので2ちゃんを覗き
ご先祖さまの主君のスレを見つけて1から読んで苦笑。
うちは家来だけど、これも血なのかな?
死んだじいさんは昔今治まで何か探しに行ったそうだが…何を探しに行ったのだろうか。
虎の城読みます。
上野にお墓参りに行ってみます。
このスレ、すごく勉強になりました。ありがとうございました。
お邪魔しました。
470 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 23:43:05 ID:g/w2K0rp
>>469 爺さん、お城の隠し財宝を探しに行ったんだよ。
なにか面白いモノでも見つけてきてくれ。
471 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 03:55:16 ID:WkBYT9yG
472 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 16:41:43 ID:56RWTwlX
>>459 俺元々長宗我部ファンで高虎を憎んで(w)たんだが、高虎の事を詳しく知る内に好きになったなあ。
お陰で自分の見方が狭いというのを自覚する事もできたし。
井伊に長宗我部、木村。八尾方面の戦いには燃える物がある。ドラマチックだよ。
473 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 20:36:34 ID:a6CY6OYV
>>472 >長宗我部ファンで高虎を憎んで(w)たんだが
そりゃ逆恨みもいいところだろw
兄貴と高虎の親密さからあらぬ妄想をして勝手に自滅改易されたのは盛親なんだから
恨むなら久武親直でも恨めよw
474 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 00:12:02 ID:PJgyM01J
>>473 だから(w)つけてるじゃないかw
本当に馬鹿だったと思うよ
475 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 12:55:11 ID:Tir4q9DS
>>474 どういう思考経路で高虎を憎んでいたのか参考までに聞きたいな
大阪の陣に豊臣方として参加した武将はやたら美化される傾向があるから
盛親の改易が高虎のせいとかいう話でもあるのか?
476 :
人間七七四年:2007/12/03(月) 11:55:51 ID:oe8rZf49
>>110 亀レスだが、天守閣造りの元祖松永久秀も忘れられないところ。
477 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 09:29:49 ID:vxsDActr
あげ
478 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 10:32:54 ID:lxbq/V9q
息子の高次と養子の高吉についての逸話は何かないのか?
479 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 19:46:46 ID:k+iZcmeD
何かあった気がするけど忘れた
480 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 23:19:55 ID:X2ML5QlE
この男は最低だよ、よく秀頼を攻め滅ぼすことができたね。
481 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 23:38:21 ID:C5Jh91po
自分が使えて盛り上げた家を潰した相手の息子に尽くす義理がどこに
482 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 08:54:03 ID:isn9yHpi
>>481 ただ、裏切りを続けてきただけでしょ。この人。
この人に共感してるって、あんたも裏切り癖が
あるんだね。
高虎は一度も裏切っていない。
主家が勝手に潰れただけだ。
高虎嫌いな人って思い込みだけで何でも判断する癖があるんだよねえ。
484 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 10:33:38 ID:lGs335yA
485 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 10:53:43 ID:/8zp8r5H
裏切り、裏切りって言われるけど、主家に準じるより、自分の家門を残す方が当たり前だった時代だったんじゃないの?
自分の親兄弟、手下やその妻子の生活が掛かってるわけだから。
486 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 15:25:14 ID:nIRTubYn
高給で雇ってくれるひとに仕えただけ。
転職が一般化した現代で高虎を批判してるやつは価値観が団塊世代
みたいな終身雇用当たり前世代か?
つーか、無能な人間には「他人が高い価値を認め必要としてくれる人間」というものを想像も出来ないからな、
488 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 20:23:39 ID:NMw41Noq
高虎が評判悪いのって妬みのようなものだろ。
別に高虎自身は目立った裏切り行為などはしてないからね。
今まで仕えてきた主君は高虎の関与しない所で滅んだり
落ちぶれたりしているから。
489 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 21:39:05 ID:bMwMwe3H
築城という特技もあったわけだ。
槍働きだけが能じゃない。
490 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 22:30:50 ID:vLwfNAJ5
というか槍働きはそこまでよくなかっただろう
少人数の指揮なんかの本人の武勇が及ぶ範囲はなかなかだけど
491 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 00:20:31 ID:FbFOT1Xt
しかし、なぜ現存してる豊臣家を裏切ったのか
不思議だ。
492 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 00:28:03 ID:l3Mc0NFS
>>490 当時で190センチ級の巨漢で、若い頃は槍働きも良かった。
秀長に使えるまでは主君が負け組ばかりだったので
あまり個人的な武功が映えなかった。
>>491 裏切ってはないでしょ。
493 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 03:13:43 ID:qj7gMxq7
秀吉から秀頼のことを頼まれて、秀吉死後諸大名と共に秀頼に忠誠を誓う
誓紙を提出してるんだから裏切りは裏切りじゃね>高虎
まあそれを言えば江戸時代の外様大名
(要するに豊臣政権で秀吉の直臣だった大名)全員裏切り者だけどな
だいたい「御恩と奉公」の武士の論理から考えれば、関ヶ原以降の徳川家からの「新恩」で、それまでの豊臣家からの「旧恩」は
チャラになったんだから(つまり雇用主が豊臣から徳川に代わったんだから)徳川幕府に忠誠を尽くすのが当然。
そして秀頼豊臣家には徳川を上回る「新恩」を発行する力は無いのだから、旧家臣といえどはせ参じる訳が無い。
たとえば君の勤めている会社が他の会社に買収されて雇用主が新しくなったとする。
それに対して旧経営陣の一族が、資本も今後の展望もないのに「やっぱ独立した会社に戻すから旧社員戻って来い
給料の当ては無いけど」とか言い出す。君には既に新会社で地位も立場もあり、そして養う家族もいる。さあどうする?
って話だわな豊臣家のやった事ってのは。
495 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 09:10:17 ID:FbFOT1Xt
>>494 いや、今までの御恩があるんだから
あそこまで激しく滅ぼす必要ないでしょ。
たとえば、両者の間に立って仲を取り持つとか。
まあ、どうしたって裏切りの論理は覆らないよ。。。
496 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 09:22:53 ID:kFpHHoDo
やから、裏切り裏切りと言うけど、生き残る為にゃ仕方ないと思うよ。
いくら旧雇主でも、生きてく為にゃね。
大体、豊臣方だった経歴もあるから、両者の仲を取り持ってちゃ怪しまれないかな?自らの家門を残す為には、率先して滅すしかないと思う。
義理や忠義などのある種のロマンチズムに陶酔し、共に滅びるのは無駄死に思える。個人的意見だけど。
497 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 14:08:54 ID:kGoniMec
>>495 徳川政権下で秀長の菩提寺を復興させてる。 ちゃんと御恩には応えてるよ。
秀吉? 何の恩が?
498 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 16:25:55 ID:e30VRWS+
自分の家族だけではなく家臣やその家族の生活もかかっていた
のだから現実的な選択をして当たり前。真田幸村みたいなのは
変人。
499 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 19:01:39 ID:qc3hop1V
一族や家臣のために御家保全の現実的な選択肢をしたことを非難する気は全くないが、
盲目信者が裏切りではないとか秀吉に恩が無いとか強弁するのは見るに堪えないな
高虎本人はそんな見苦しい言い訳めいたことはただの一度も言わなかった
子孫の津藩が鳥羽伏見で官軍に寝返った時は「藤堂家は本来豊臣恩顧だから徳川に尽くす義理など無い」
なんて笑止千万の戯言を抜かして失笑を買ったと伝わってるけど
また司馬遼あたりの妄言を真に受けてるバカが…
501 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 20:17:37 ID:J0TbKJ14
>>499 だから、それを言うなら秀吉時代に大名だった家で関が原や大阪城で取り潰されてない
家は全部裏切り者だろ
そういう風に一律に裏切ったと言われるのならまだわかるが
なんで秀吉子飼いでもない高虎が殊更に酷い裏切り者呼ばわりされるんだってことだろ
502 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 00:24:51 ID:lKjqmgIV
信者ってわけじゃないが、「裏切り者」で片付けては可哀相かな。
503 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 08:02:55 ID:Pek8/Tzq
そもそも高虎は秀長には恩義はあるが秀吉には恩義を感じてなかったんじゃないか
むしろ秀吉には大和豊臣家を取り潰された恨みがある。
505 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 10:19:36 ID:4QO/YFSH
>>504 正統な後継者がいない家は現実的に存続させようがない。
506 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 10:53:14 ID:+vweXjK1
御家改易で失職し高野山に出家したところを直臣として再雇用、
更に加増までしたんだから高虎に秀吉を恨む理由なんてないわな
つうかちょっとありえないくらいの厚遇と言っていい
まあ恩義を感じたかどうかは当人の気持ち次第だから何とも言えないが
>>505 秀長が最初に養子にしていた丹羽長秀の3男仙丸がいた。>正当な後継者
秀長は最初これに自分のあとを継がせるつもりだったのに秀吉の都合で
秀保を跡継ぎに迎えることになった。それでしかたなく仙丸は高虎の養子となったのだが
これを立てて大和豊臣家を存続させることは出来たし実際家臣たちはそういう運動もしている。
実際正当な後継者は仙丸だったわけだからな。
しかし秀吉は握りつぶした。
あと、幕末どうこう言ってるのがいるが、この高虎の時代から藤堂家は朝廷と非常に縁の深い家だ。
和子入内問題で高虎が朝廷と幕府の間をどれだけ周旋したか知っているのか?
長年の朝廷との深い関係ゆえ、藤堂家は幕府と朝廷が対立した場合、おいそれと幕府につけるような家ではなかった。
あまつさえ朝敵の汚名なんぞ考えも出来ない。
そういう事もちゃんと知った上で批判するなら批判しなさい。
508 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 23:06:36 ID:+vweXjK1
他家から養子に入った人間がその家を継いだり、
他家に養子に出た人間が本家の嫡流断絶後に本家の家督を継ぐことは珍しくないだろうが、
仙丸みたいにこの両方の条件を兼ね備えた人間の家督継承が認められた例なんてそうはないだろ
江戸時代でも普通改易になるパターンじゃねーの
509 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 23:49:26 ID:BMfUo72d
>>508 外様ならいざ知らず、仮にも二人三脚で天下を取った弟の家なんだから、そのぐらいの融通利かせてくれても
いいだろうと高虎や桑山重晴ら家臣団が思っていても無理はないわな
510 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 01:23:57 ID:Ox7Z2ccW
そういう形でも秀吉は大和系を残しておくべきだったとは思うがな
ただでさえ支える一門が少ないんだから
511 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 09:35:13 ID:/sppzxT5
>>509 弟の家ではあるが血縁関係のない相続者では厳しかろう。
後の小早川秀秋を見よ。血縁関係があってもダメだった。
512 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 19:44:07 ID:fIMC573A
>>507 普通に考えて、そんな危険分子に大和紀伊の要地百万石も任せられんだろ?
>>512 普通に考えて、謀反を起こしたこともなく義父の跡継ぎからの降格に表立った文句すら言わなかった仙丸のどこが危険分子?
514 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 20:15:24 ID:I2Mojq4C
秀長は優秀だが大和紀伊は治めるのが難しい地だったから死去してのちの状況が悪化したか何かで危惧したんじゃないか?
515 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 23:34:25 ID:kCkHCLlW
人物像なんて、小説家の分析判断や気分次第
司馬遼太郎の作品はそれが顕著なのら
516 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 23:37:32 ID:ln9Dpbcj
司馬遼はロマンチストだからなあ
517 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 02:17:14 ID:x/zZU4pw
池波正太郎なら評価したかもしれない。
最近の小説家は、高虎を評価しない人間の方が珍しい。
519 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 15:20:50 ID:lxbEwxJG
火葬だと無能な胡麻摺りみたいに描かれることもあるぞw
520 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 08:36:53 ID:BVfJZro/
>>515 現代では評価されるキャラだと思うのだが。
521 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 09:20:46 ID:20uDbZEK
作家の評価なんてどうでもいいことだ。
522 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 13:28:11 ID:Z50FU8r3
>>507 高虎の養子が大和家に復帰して家督を継いだら、高虎と他の家臣たちと
のパワーバランスが崩れる。丹羽長秀の懐柔策で養子にもらっただけで、
血縁関係の無い者に大納言の家を継がせる方が不可解。
523 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 11:27:10 ID:AXF0cUsz
大和豊臣家改易後路頭に迷った高虎に対してちゃんとそれなりのフォローはしてるのに、
恩など無し恨み持たれて当然、みたいにまで言われちゃうのか秀吉は
こりゃまた司馬遼とは逆ベクトルにバランス感覚に欠けた見方じゃないかね
2chではリアルとは逆に秀吉に厳しく家康とかに甘い人ってたまにいるよね
>>523 自分から高野山に隠遁したのを秀吉の都合で引っ張り出した事が、「フォロ〜」?
高虎は路頭になんて迷ってねえよ。たくさんの大名から仕官の申し入れがあったがそれを断って
「秀保と秀長の霊を弔う」って事で引っ込んだんだ。
いつのまに路頭に迷ったことになってるんだよ!?
秀吉厨の自己中さも史実の本人に負けず大概なものだな。
525 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 19:11:42 ID:G6WZR3FL
霊をい弔うとか額通りに受け取らないだろ、普通
どう考えても自分の値を引き上げてるに決まってるジャン
そんで秀吉が召し抱えたんだから、むしろ予定調和すら感じるが
>>525 どうしても納得したくない人間は何を言っても納得しない、の典型だな。
527 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 20:33:59 ID:CaFm7dar
いろんな可能性が考えられるとだけ思っとけよどっちも
そんなんだから戦国板は無限ループしかしないんだ
528 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 13:01:11 ID:iMgFt/ki
>>525 妄想じゃないなら根拠を示せ。
予定調和とか意味を知らない言葉は背伸びして使わないほうがいいよ。
529 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 23:10:02 ID:zxzmkgmu
>>525的な見方は、司馬遼太郎とか岳宏一郎とかが小説の中で出しているな。
二人とも(特に司馬)高虎が好きでない作家だ。
530 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 00:56:35 ID:6xOIxzDU
しかし忠義に厚い高虎というのも違和感がw
いや律儀ではあると思うけど
>>529 まあ司馬は好き嫌いでその描き方が極端だからな。所詮小説だからそれでかまわないけど。
532 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 13:25:56 ID:L31cgOkb
そもそも当時は忠義という概念すらなかったし
朱子学を徳川に都合よくアレンジしたものだしな
533 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 13:44:46 ID:ZF8BOqos
偶に小説を史実の様に扱う痛い人もいますよw
>>532 いやあ、忠義と言う概念は普通にあったぞ。
ただ、一族でも無い限り、ご恩と奉公の相互契約を超越してまでの忠義は求められなかっただけで。
535 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 12:57:00 ID:G15bfVwe
高虎に関するよい読み物を教えてください。
小説はもちろん除外で。創作台詞があるだけで猛烈にしらけます。
536 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 13:55:41 ID:YPrHRexa
高山公実録
三重県史
538 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 20:19:21 ID:OAKcUtko
藤堂高虎家臣辞典
539 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 03:40:33 ID:Vs6Ov91U
高山公実録は漢文読めんと1/3も意味わからんぞ
540 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 18:58:18 ID:Nqyrc5xM
三重県で藤堂高虎のマスコットキャラクター募集してるぞ
541 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:04:52 ID:6UjCWfmC
虎猫の虎にゃんとか(笑)
542 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 06:39:54 ID:zZKVXJTb
同じくご当地戦国マスコットのひこにゃんと絡んだりするんだろうかねえw>虎にゃん
ただ可愛らしいだけじゃなくて、高虎の曲者っぷりや
波乱万丈の人生みたいなものを感じさせるものになってほしいな
まあ人事だけど
543 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 08:46:58 ID:9NszNUNo
>>535 藤田達生 「江戸時代の設計者」
講談社現代新書
544 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 11:01:41 ID:VlnMNOUW
もし関ヶ原で金吾ちゃんが家康隊に突撃していたらその場で寝返ったような
希ガス
藤堂高虎家訓200箇条ではこの二つが好きだ。
第1条 寝屋を出るより其日を死番と可得心かやうに覚悟極る ゆへに物に動する事なし 是可為本意
寝室を出る時から、今日は死ぬ番だと心に決めること。そういう覚悟があれば、物に動じない。
本来、こうあるべきだ。
第40条 数年昼夜奉公をつくしても気も不附主人ならは譜代なり共隙を可取うつらうつらと暮し候
事詮なし情深く理非正しくハ肩をすそにむすひても譜代の主人といひ情に思ひかへとどまるへし
数年、昼夜奉公をつくしても気のつかないあるじであれば、譜代であっても暇をとるべきだ。
うつらうつらと暮らすのは意味がない。情け深く理非正しいあるじであれば、肩を裾に結んでも、
譜代の主人であるからと情をもって思い直し、とどまるべきだ。
546 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 20:00:28 ID:AfPB9c6q
家訓って高虎の人生を辿ると、「あぁ、らしいなあ」って思うよな
547 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 20:36:45 ID:L2bIHn3v
藤田いい仕事してんなあ。
548 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 22:51:33 ID:o9rgM6Mu
549 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 03:23:42 ID:JZawC6Ip
>>548 そう考えると、小島よしおって凄いんだな。
>>548 いかにも戦国生き残りの古強者の言葉だな。
551 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 10:04:30 ID:50IvpA5V
552 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 21:30:04 ID:cfUhheX3
村上元三の藤堂高虎は高虎を美化しすぎ
553 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 20:16:47 ID:JHusjFJK
戦国時代生き残りで、大坂の陣に参戦できたのは藤堂高虎、伊達政宗、上杉景勝ら、ごくわずかである
554 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 01:44:09 ID:pcm1VXZU
意外なところで三好三人衆の一人、三好政康とか。
555 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 07:39:50 ID:b1rpA+VK
大名で、ってことじゃね?
旗本級だったら戦国の生き残りなんて腐るほどいるしな
真田隠岐守とか三枝土佐守とかだって普通に永禄期からの歴戦の者だ
556 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 09:14:37 ID:gpnsOB27
長宗我部旧臣とかの大坂方浪人衆だってほとんど戦国時代の
生き残りだ。初陣のわけがなかろう。
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 19:20:05 ID:fBtdMKN6
三重 高虎キャラクターに名前を 津まつり「時代行列」に登場
津藩の初代藩主、藤堂高虎(1556−1630年)の入府400年を盛り上げようと、津市民有志が
高虎キャラクターの着ぐるみを作った。
高虎の名前や逸話からトラや白いもちにちなんでデザインした。市民に親しんでもらおうと、名前を募っている。
キャラクター作りを企画したのは、手作り甲冑(かっちゅう)を製作している「三重ドリームクラブ」の
メンバーら約10人で結成する「高虎時代行列盛り上げ隊」。
メンバーの知人の女性がデザインした。
高虎が若いころ放浪していた際、お金がないのに白もちをたくさん平らげた逸話にちなみ、白の体で、
パッチリした大きな目が特徴。左右に“角”のあるかぶとをかぶっている。着ぐるみは2月末に完成。
背丈約1・8メートルで、16日に開かれる「美(うま)し国三重市町対抗駅伝」で津市チームを応援
するため、スタート地点の県庁に駆け付けるという。このほか、10月の津まつり大パレードの時代行列
「高虎時代絵巻」にも一緒に登場させる計画だ。
同隊の加藤久さん(37)=津市久居二ノ町=は「親しみやすいキャラクターで入府400年の盛り上げに
役立てばうれしい」と話している。
名前の応募は、津市東丸之内の津松菱1、6階のサービスカウンター前に設置した応募箱に所定の
用紙で。受け付けは24日まで。29日午後2時半から同店でキャラクターのお披露目と名前の発表がある。
問い合わせは、三重ドリームクラブ事務局=電059(271)9978=へ。
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20080315/CK2008031502095415.html ■画像
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20080315/images/PK2008031502195695_size0.jpg
558 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 20:48:57 ID:1Un4QhH2
ひこにゃんの何番目の泥鰌だ
だが奈良と違って親しみやすさを考慮しているあたりまだましか
559 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 13:45:24 ID:yUpLQlxA
藤堂高にゃん
・・・・猫なのか虎なのかはっきりしろ。同じ猫科だけど
560 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 11:12:26 ID:1sPWunc+
猫科を元にしたキャラでここまでカワイくないってのもスゴイ
ネタになる分奈良のがマシだ
561 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 12:15:46 ID:g64aWE6J
虎も一応マタタビやると
ゴロゴロフニャフニャになるからヌコ科
562 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 22:47:25 ID:ziRydpuU
ひこにゃん繋がりでこのスレの猛者にひとつお聞きしたい
高虎が彦根城のすぐ近く磯山城の城主だったという話を
地元の昔話の本で見た覚えがあるのだが、事実だろうか?
563 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 14:13:43 ID:ab8LH9Nh
>>557 まあ可愛くなくもないが
しまさこにゃんとちょっと似てるし
しまさこにゃんのほうが可愛いのが・・・
もっとにんまりした顔にしたほうが良かったのに。
多少腹黒っぽい顔にしてもネコ科だから可愛いと思うな
564 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 11:05:04 ID:zys9VRJM
この人、秀吉嫌いだったよね。多分。
秀長や家康とは、ケチ同士で気があったんだと思うw
565 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 00:28:05 ID:IaH1pCeG
>>564 高虎も秀長もケチではないだろう
公金と私金の認識がきちんとできてただけで
命令=身銭を切る、
の世界だから贅沢してた人はみんな没落しちゃってるし
でも秀吉嫌いは同意。
秀吉は正直誇大妄想が酷いな。「日輪の子」とか自分でも信じちゃってるふしが有る。
ヒトラーがあれよあれよと言う間に政権につけちゃったので、自分で自分を「神に護られた存在」と信じちゃったのに
近いものを感じるよ。
567 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 04:32:51 ID:6SSr7lyz
>>565 ケチというのは言葉が足りなかったかな。
質素倹約を旨とし華美を好まず、という奴。
家康についたのも、将来性云々以前に
気の合う者同士だったからじゃなかったのかな。
568 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 20:20:30 ID:IaH1pCeG
>>565 なるほど。
そういう意味なら、全面的に同意するな。
569 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 23:47:00 ID:6SSr7lyz
最近虎の城読んで知ったんだが、島左近も秀長秀保配下だったんだな。
何かその当時の逸話とか残ってないんだろうか?
>>569 > 島左近も秀長秀保配下だったんだな。
諸説あったような。
571 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 14:31:57 ID:335UafWx
>>570 あれ、そうなの?
虎の城で読んで他の本見たら、
順慶死んでから跡取りと合わなくて大和へ帰って、
秀長親子に仕えたって読んだんだけど。
572 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 13:31:54 ID:hwP77BSD
ゴマスリだの風見鶏だの有難くない異名は多いけど、
190センチ近い巨漢の猛将としての異名はないのかねえ?
高吉が朝鮮で戦功あげて小藤堂と呼ばれたくらいだから、
一定の評価はあったと思うんだけど。
573 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 17:39:05 ID:/yhh8is3
最初の就職先……同僚一人斬ってトンズラ
二件目……二人斬ってトンズラ
若い時は相当なDQN
DQNっつーか、この当時の武士からしたらこのくらいごく普通の経歴だと思うが。
575 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 14:25:26 ID:CR9/Mm12
羽織を裏返しに着て追っ手の目を欺いたあたり、
後年の知恵者の片鱗が伺える。
学は無くとも頭は回る感じかな。
しかし、羽織裏返しただけであの大男を見つけられなかった
浅井家臣の連中って一体……
576 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 18:02:29 ID:kxq2gmdK
まぁ羽織の話は講談だしぃ
でも出世の白餅といい
高虎が出てくる講談は世に言う
「裏切り者」とはちと違う
人情味に溢れてる気はするね
577 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 18:56:02 ID:OijgS1JI
高虎の悪評では珍しく史実である渡辺勘兵衛への奉公構いの話も
「藤堂家に帰ってきてくれ」という切々とした話に見えるw
まあ黒田長政と後藤又兵衛も実際はそういう側面が強かったらしいが
(又兵衛が如水の子飼いというのは俗説で実際には長政と懇意だった)
578 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 12:59:14 ID:MrUf35Bk
藩内の空気が相当悪かったみたいだからなあ。
高虎自身は同じ渡り奉公人だったから、勘兵衛の気持ちも理解できたんだろうね。
だから、ほとぼり冷めてから帰そうとした。
しかし、勘兵衛は独立する気満々だったw
579 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 20:16:35 ID:LV/RJ7M9
もし仮に、高吉の大和豊臣家相続が認められていたら、
一体どういう人生になってたんだろうね?
一門衆として、豊臣家に殉じて滅んでたのかな。
580 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 22:03:40 ID:g0RspVRy
>579
個人的にはその可能性は高いと思う
かなりの秀長LOVEっぷりだし
亡き殿のため奮闘するんじゃなかろか
581 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 00:06:15 ID:TJftRksF
大和豊臣家を徳川に寝返らせて大名として存続させる
582 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 00:42:14 ID:bHC3ZAHQ
それもアリっぽいよなー
583 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 01:12:14 ID:djjHCuZx
けどそれって大和豊臣家が豊臣である意味が無いというか
なんか違うと思うんだが。
584 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 01:52:11 ID:bHC3ZAHQ
言われてみれば確かにー
豊臣性は名乗れないね
豊臣を返上して羽柴るしかないねー
つか IFのIF過ぎてなんでもアリで想像追いつかないね−
585 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 08:44:44 ID:wHOVy3AJ
関ヶ原が全然違う事になりそうだな。
大和豊臣家は中立守って動かず。
途中までは史実モードとして、
ストッパー高虎のいない先発陣の福島黒田が家康待たずに進軍。
家康出陣するタイミング逃して、決戦起きずに東西対立長期化。
西では如水と清正が暴れ放題。
なんか、グチャグチャになりそうだw
586 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 12:05:30 ID:bHC3ZAHQ
高虎いないと寝返り工作も難航するしね
587 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 13:58:01 ID:vv380aId
そもそも、秀吉死後の大和豊臣家がどういう位置づけになるのやら。
高吉二十歳前だから五大老は無理として、秀頼守り役くらいにはなるのか?
豊臣と徳川の間に立って、高虎めっちゃ大変そうだなw
明治維新のとき徳川御三家が結局官軍についたのと、あまり変わらない顛末になると思うぞ>大和豊臣家
家老の仕事はお家を護ること。
589 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 04:04:31 ID:Sq+yTf+W
いや、流石に分家後二百数十年の所とは一緒にならんと思うぞw
まあ、高虎は徳川につきたいだろうけど。
石田辺りが反家康の旗頭に担ぎ出しそうなんだよなあ。
590 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 13:38:23 ID:aUG1jDIu
>>589 毛利を御輿に乗せておかないと
東西からの挟み撃ちになりかねない罠
591 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 22:46:57 ID:yxPavu2v
結局「はっきりしない奴」と後ろ指さされることになりそうだなw
にしても戦略ゲームとかで武力80は欲しいよな。義理もせめて10は…
その代わり統率低めでいいからさ。どうにかしてよコーエーさん
592 :
人間七七四年:2008/07/06(日) 13:26:42 ID:pX7tuXJ3
ゲームやらんから知らんけど、
高虎の義理ってそんなに低い設定なのか。
終生秀長の菩提弔ったり、滅びた旧主の子を召し抱えたり、
義理に厚い話はいくらでもあるんだがなあ。
593 :
人間七七四年:2008/07/06(日) 20:34:27 ID:ZQnrW0Xg
義理というより個人的に秀長とは水魚の交わりだったんだろ
594 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 12:13:46 ID:xU5BDr6w
>>592 1560年になると自動で桶狭間の【奇襲】が始まるゲームだからな
史実より講談物や漫画ネタばかり出てくる
595 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 16:43:08 ID:W0TpfM/i
>>593 ちょいとトピずれするけど、秀長って、
最初は長秀って名乗っていたんだな。
秀吉はかなり早い時期から親丹羽の姿勢だったのかねえ?
596 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:52:00 ID:Z4fkfd5X
>>592 革新では宇喜多パパや松永に匹敵する義理堅さらしいけどまだ積みゲー状態なので
確認はしてない。渡辺勘兵衛とかの渡り武士系は義理が低い扱いらしい。
597 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 16:39:39 ID:wH6FmF9T
>宇喜多パパや松永
全然義理堅くねー!w
つーか、渡辺勘兵衛いるのか!?
598 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 21:10:51 ID:b+UASLd/
某信ヤボの情報サイトのデータによれば渡辺勘兵衛は結構な古参のようだ。能力は大抵猪。
599 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 18:32:17 ID:8EeFrjNd
高虎が幕末に生きてたらやっぱり官軍についたと思うよ
600 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 01:00:28 ID:b8sNpyf9
高虎個人がけっこう朝廷といい間柄だしな
601 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 09:52:22 ID:EcgLUtaY
ファイターでネゴシエイターでテクノクラート。
全部兼ね揃えている人物はなかなか珍しいと思う。
602 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 14:39:42 ID:cptt9eNf
人の管理や運用が上手かったんだろうね
話をちゃんと聞く人みたいだったし
プロデューサーとしての能力が高かったのかな
603 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 16:48:56 ID:EcgLUtaY
若い時は
「どうしてどいつもこいつも俺様の力を認めねえんだ!」
な人だったのになw
やっぱり秀長が出来た人だったんだろうか。
604 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 21:28:43 ID:Qbeea8za
身長スレ見ててふと思ったんだが、高虎は巨体から来る威圧感で、
交渉事の時にも有利だったという事はないのかねえ?
>>604 それは想像しか出来ないからねえ。
でかい人間にむやみに反感を覚えるのもいるだろうし
606 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 09:23:58 ID:zjy7Ol3X
秀長の命日に弔ったり、南禅寺に山門を寄進したり。
でも家康に迎合して改宗したり。
607 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 13:35:02 ID:AIMlqqS7
観音様とお地蔵様を信仰していたそうだ。
宗派に囚われない所を見ると見ると、その辺は割りと現代的な気質だったのかも。
608 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 20:18:12 ID:LrF2l7Tp
昔は嫌いだったけど、最近好意的に思えるようになってきた>高虎
司馬遼太郎が大嫌いだった影響なんだけど、よく調べると別に誰かを裏切ったり
とか汚いまねをやったわけでもないんだよね。
とにかく有能で世渡り上手で、最後まで自分の地位を守りきった。別段批判されるような
ことはしてないし、認められる主君には忠誠を尽くしてるし。
まあ、「センゴク」の影響もあるわけですがw
609 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:13:35 ID:9c/VRQaw
秀長に使えるまではむしろ世渡り下手だったんだよな。
人斬って脱走する事繰り返したりしてw
「センゴク」の影響で高虎のイメージが少しでも好転する事を願うよ。
610 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 23:12:01 ID:K+rGSBiO
>>608 俺も含めて、司馬遼太郎に一回ころがされた人間が、
センゴクに同じようにもう一回ころがされるというパターンが増えてきてるなw
50年後には案外センゴク史観という言葉が出来てたりしてな。
611 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 09:56:45 ID:PmS+NcLd
北海道に旅行いってローカル新聞読んだら
高虎の小説が連載されてたw
612 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 13:18:39 ID:EE9CGB7a
>>611 中日新聞の夕刊に安部龍太郎が「下天を謀る」を連載してるけど、同じものかな?
こちらはちょうど秀長が亡くなって利休が切腹したところ。
>>612 「天下を謀る」は、北海道新聞の夕刊にも載っているようだね。
614 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 18:33:56 ID:fSmUadRI
藤堂隊って大きな合戦では支えきれずに壊滅ばかりしてるイメージがある
なぜだろう?
616 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 05:42:49 ID:FWsBL5Hv
ヤバかったのは大坂の陣ぐらいかな?
関が原だって大谷が予想以上に頑張っただけで別に負けたり
福島みたいに崩れたわけじゃない
617 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:19:31 ID:4kXuAMFt
それは関ヶ原でも他の戦いでも
基本、圧倒的有利な状況だったから^^
大阪夏の陣だけ、日頃から権勢の強い大名に直ぐ裏切る藤堂というイメージを利用されて
真田隊の「藤堂返り忠」の偽報で
家康の信用を勝ち得る為に死に物狂いで戦わざる終えなかっただけ^^
本来なら藤堂隊は戦なんて、からっきし弱い
ただ、有利な状況で後ろから望んでるだけ^^
618 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:21:54 ID:4kXuAMFt
そんな藤堂高虎の評価
采配70
統率65
智謀85
外交93
政治92
統制90
619 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:24:24 ID:4kXuAMFt
黒田長政
采配75
統率70
智謀93
外交92
政治86
統制91
620 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:25:46 ID:4kXuAMFt
福島正則
采配70
統率91
智謀45
外交45
政治70
統制80
621 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:27:17 ID:4kXuAMFt
加藤清正
采配80
統率97
智謀40
外交70
政治85
統制93
622 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:28:35 ID:4kXuAMFt
細川忠興
采配65
統率70
智謀85
外交85
政治90
統制85
623 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:29:43 ID:4kXuAMFt
池田輝政
采配60
統率60
智謀85
外交93
政治91
統制93
624 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:31:17 ID:4kXuAMFt
伊達政宗
采配92
統率92
智謀93
外交97
政治97
統制97
625 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:32:45 ID:4kXuAMFt
真田幸村
采配93
統率98
智謀87
外交60
政治35
統制91
626 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:57:04 ID:4kXuAMFt
石田三成
采配45
統率10
智謀85
外交85
政治98
統制30
627 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 07:01:15 ID:4kXuAMFt
小西行長
采配75
統率35
智謀80
外交91
政治91
統制50
628 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 07:01:54 ID:PyXX3KTz
統率も統制も同じだろ?石田は低過ぎ!どこまで書くつもり?実在した千人以上書いたらお前は神
629 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 09:04:25 ID:xRkYApxv
難民板へ逝け
あぽ〜んがいっぱい
631 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 13:22:18 ID:dFRc3Zfy
高虎は、石田三成に関してはどう思っていたんだろうか?
同じ近江出身で4歳年下、採用時期も近かったんだっけ?
片や秀吉直臣でエリート街道まっしぐら、片や大和豊臣家廃絶後の中途採用。
武功派能吏派の対立関係なのか、大和豊臣家廃絶で恨みがあったのか。
それにしては、関が原後の問答では素直に意見を求めているんだよな。
632 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 18:54:19 ID:kJoOCHTi
>大和豊臣家廃絶で恨みがあったのか
なんで?
634 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 19:27:19 ID:kJoOCHTi
いや、それはわかりますが、大和豊臣家廃絶でなぜ恨みが
三成にむくのかという疑問です
635 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 19:28:44 ID:2ijsvzwu
主家が没落すればあちこち主君変えなきゃならなかったり、かと思えば謀殺されたり、
勝ち組かと思いきや筆頭家老って意外と大変だな。
>>634 三成は当時の行政執行の、筆頭責任者と呼んでもいい人間だから、恨みも向くでしょ。
それに朝鮮の役でも関係はかなり悪かったわけだし。
637 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 20:59:25 ID:dFRc3Zfy
>>635 主が刃傷沙汰起こして切腹したら、討ち入りに行かなきゃならんしなw
638 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 21:19:46 ID:kJoOCHTi
>>636 うーん、でも廃絶は秀吉の決定だと思うんですが
跡継ぎの秀保が死んだわけだし、まさか当時高虎の養子になっていた
藤堂高吉に大和100万石?を継がせるというのも考えにくいです
朝鮮に関してはかなり悪かったかは知りませんが、
関係の悪化はありえない話ではないと思います
>>638 100万石は無くても、廃絶は無いだろう、って話でしょ。
それに秀吉に直接の批判が出来ない状況である以上、執行官である三成に恨みが行くのは当然だし。
つーか、なんでそんなに、三成が恨まれていたってことを否定したいの?
640 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 21:39:17 ID:kJoOCHTi
否定したいというか大和豊臣家廃絶に関して恨みがあったのか
という疑問ですが、高虎がそれに関して恨んでいたという証言が
あるとかなら特に言うことはないです。
641 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 21:40:24 ID:kJoOCHTi
ごめんなさい、あげてしまったorz
642 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 21:43:37 ID:2edlmm87
関ヶ原の戦いの後三成を丁重に扱ったという逸話から、
高虎に三成に対する個人的恨みがあったとはどうしても思えないんだが
朝鮮出兵の時仲が悪かったというなら根拠が見たいな
秀吉死後三成らと協力して迅速な撤兵を実現してるくらいだしな
643 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 21:56:00 ID:0E2YUIrq
武功派ではない高虎が三成を恨むとかないだろ。
基本的に海上にいる方が多いし
高虎は家康の時代が来るって先見の明があったって事だと思う。
644 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 23:06:28 ID:OXeq484h
藤堂高虎の小説・・虎の城?だっけ?
旭屋で座り読みして
あぁ・・今頃の書き手らしいな・・全体的に書き方が薄いな・・と思いつつも
これが現代作家の精一杯の「感じ、ニュアンス」なんだろうな・・と思いつつ
イチイチ否定してても仕方ない、こうやって時代は変遷するもんだ・・
と、思い買おうと思ったけど・・値段を見て唖然
900円近くするだろ?一巻だけで?
おい。これは、チョットおかしいだろw 悪いが、司馬や海音寺でも、ここまでしないぞ?
これはアカンやろ・・w
オッサン何歳やねん?俺は青少年の頃から小説を読み耽っていて、オッサンの遥か年下やけど
この市場原理は頂けない。原油高等とか関係ない。
小説とは内容に比例して対価を要求するもんやw
こんな薄い内容で一巻900円近くは有り得ない・・・
645 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 23:29:41 ID:OXeq484h
ほんと悪いが
あの作品の対価として相応しいのは
ページ厚さから考えて700円以下
内容から見て600円以下や
まじで読書家舐めたらアカン。ブックオフとか図書館待ちや
646 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 13:40:05 ID:pYL7+Q1T
>>642 加藤嘉明推挙にもあるように、高虎は公務と私情は別にできる人間だからなあ。
腹に一物あっても、粛々と撤兵作業に従事する事くらいはすると思う。
そもそも後年の秀吉の事をあまり好きではなかったと思う。
大和豊臣家廃絶もそうだし、派手好きな秀吉とは趣味合わなかっただろうな。
三成に関しては、嫌いな体制側筆頭の人物だが、個人的には含むところがなかったのかな?
しかし、三成も嫌われ者だからなあw
647 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 15:34:27 ID:K/mYnOud
自分が陸奥へ転封するのが嫌で、巧みに嘉明に押し付けた話?
>>647 人格がゆがんでいる人には、そう見えるんだろうね。
649 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 15:36:23 ID:dSN+sX7Y
>>648 会津の重要性も分からないような人は相手にしないほうがいいですよ
時々いるんですよね、自分の無知を棚上げして勝手な曲解でものを言う手合いが
650 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 16:56:58 ID:MTLud/y2
司馬遼太郎の小説に高虎が登場すると大抵「余談だが…」って
鳥羽伏見での津藩の逸話が書かれる。
そんな一々書かなくてもいいだろう。
651 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 17:13:32 ID:K/mYnOud
伊勢から陸奥なんざと飛ばされて蒲生氏郷も嘆いたからなー。
しかも伊予松山城と言う名城が完成間近になってた嘉明を陸奥送りなんてヒデェよ。
江戸から近い場所に大藩なんて幕府から警戒され改易確率が高いのを高虎は知ってたんだよ。
652 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 02:06:49 ID:X7mQFbEK
>>651 まあ、そういうふうに見たけりゃそうすりゃいいさとしか、ね。
ただ、会津のような場所にわざわざ信用の置けぬやつを置くと思うかね?
後年だって保科正之が置かれているし、それ以前の蒲生氏だって家康の外孫だし・・・
嘉明は家光の鎧親を勤めたほどの人物だし、まあ妥当なセンじゃないかと思うが。
加藤嘉明のせがれについては「40万石を返上してでも・・・」などと
散々我を張った挙句の改易だ。これについては明成のせいだとしか言いようが無い。
653 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 02:55:01 ID:qqjI1iWR
だって事実じゃん。なんでそんなに必死に高虎をかばうのか理解不能。
654 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 03:05:48 ID:X7mQFbEK
>>653 どこらへんがどう事実なんだねと。
所領の整備途上で転封なんてそんなに珍しい例でもあるまいに(気の毒といえばそうではあるが)。
逸話をどう解釈しようが勝手だが、事実じゃんとまでいうなら、
>>647を納得させうるだけのソースを
示してほしいものだね。
655 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 05:03:47 ID:L5VUqqVJ
主を変えるごとに出世した喰わせ者を擁護するヤツがいるとは…やっぱり自演?
実際、伊勢から会津なんて冗談じゃない!他人に押し付けようと策謀を巡らす事もこの人の徹底的にドライな悪の魅力でいいじゃん。
家康に仕えて豊臣を裏切り情報垂れ流した高虎のこと。秀長の息子の入水自殺だって、この人が絡んでるかもしれんよ。
656 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 09:50:40 ID:sgm8M4cQ
難癖付けたいだけにしか見えない。
結論ありき。
657 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 11:32:38 ID:ELEj20W7
こういうときは夏休み乙で済ませようよ
658 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 15:39:37 ID:ioQR5/PV
>主を変えるごとに出世した喰わせ者
司馬遼太郎乙w
>秀長の息子の入水自殺だって、この人が絡んでるかもしれんよ。
八切止夫乙w
夏だからってイタコにならないで自分の頭で考えようなw
659 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 16:24:17 ID:qqjI1iWR
高虎擁護www
あいつ主を7回くらい変えてるだろ。
対立者の情報漏えい目的で人材ハントを受けて
より高い地位をもらってる。
>>659 どうした?おとうさんおかあさんに成績が悪くて叱られたか?
661 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 19:46:42 ID:cinshbXO
ちょっとひいきの引き倒し気味に擁護してみるが、7回のうち浅井や阿閉や磯野あたりの時期は一介の
槍働きの武士なので非難には当たらないんじゃないか?可児才蔵とか御宿勘兵衛を世渡り上手という
人間は少数派だろう。
身分の高くなってからは秀長→秀吉と秀吉→家康の二回以外は代替わりによって引き続き仕えただけ。
前者は世の中天下人に勧誘されても浪々の身を貫ける人間ばかりじゃないわな。
秀吉死後の動きが露骨過ぎて非難されるだけだと思う。あと幕末の子孫に関しては
藩祖高虎公なら合戦が始まる前に勝つほうについたりしてそう。
つーか、高虎についても幕末の藤堂藩についても、司馬の書いた「小説」を、鵜呑みにしてるだけじゃんこの馬鹿は。
663 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 19:57:30 ID:BRp0iZ1I
幕末津藩の寝返りを高虎に絡めて世人が嘲ったって司馬の話、そもそも本当なんだろうか。
出典知ってる人いる?
664 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 20:37:23 ID:L5VUqqVJ
なんでこの人だけは裏切り行為を正当化してるんだよワロタw
裏切りの連続じゃんかw
秀長のあれほどの過度な恩顧を忘れて豊臣滅亡させる為に家康に情報売ってるし。
秀吉にだって厚遇されまくってるし、武断派みたいに三成を恨んでたわけでもねーし。
豊臣滅亡後に家康に対抗馬がいたら家康の情報も売って内通して、さらに巨大化していっただろうな。
666 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 20:56:59 ID:ioQR5/PV
>>661 いや、そもそも秀長から秀吉に乗り換えてなんていないんだが
秀長死去→秀保死去→出家→秀吉に呼ばれる
そんな基本的なことも理解してないやつに「ひいきの引き倒し」なんて言われてもw
>>664 >秀長のあれほどの過度な恩顧を忘れて豊臣滅亡させる為に家康に情報売ってるし。
あれほど厚遇してくれた秀長の大和大納言家を無理な養子縁組した挙句に取り潰した
のは秀吉ですけど?
つーか、現在残ってる数少ない秀長の遺物とかを誰が後世に残したのか知ってるw
>豊臣滅亡後に家康に対抗馬がいたら家康の情報も売って内通して、さらに巨大化していっただろうな
コイツの頭の中では家康は油断したら自分も裏切るやつに要地と大封を与える
おめでたいバカなんだなw
667 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 21:05:01 ID:L5VUqqVJ
別に大和大納言家は同じ豊臣なんだから無くなって逆恨みするとか意味わかんねーし。
家康が伊勢から会津へ転封して将来、改易しようとしたら藤堂が加藤に押し付けたんだろ。
669 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 21:54:15 ID:ioQR5/PV
>>667 >別に大和大納言家は同じ豊臣なんだから無くなって逆恨みするとか意味わかんねーし
無知を晒して楽しいかい?
670 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 22:04:15 ID:L5VUqqVJ
出家したとか言いながらヌケヌケと秀吉に仕え、死後は今度こそ本格的に出家かと思ったら家康について豊臣潰し活動ってどんだけDQNだよ。
秀吉から高く自分を買い取ってもらう為に演技出家とか糞ワロタw
この人は基本的にズル賢いよな。
671 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 22:18:59 ID:cinshbXO
>>666 ついでだから秀吉死去→秀頼→家康だろとも突っ込んでもらいたかったぜ!
672 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 22:32:33 ID:ioQR5/PV
ひとつ突っ込み忘れてたぜ
>>667 取り潰すつもりなら転封受けようが断ろうが潰せるだろw
幕府には外様大名は会津に移してから改易しなきゃならんという内部規約でもあったのか池沼w
673 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 22:57:34 ID:L5VUqqVJ
江戸に近い外様大名が悲惨な目に合う法則が偶然だとでも?
675 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 23:15:39 ID:ioQR5/PV
江戸から遠い肥後加藤家や安芸福島家も平然と改易されてる
それよりずっと近い伊勢からわざわざ移す必要がどこにあるんだよ池沼w
676 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 23:42:47 ID:ioQR5/PV
馬鹿は寝たのか?
会津の場合は蒲生家は無嗣断絶するところを無理やり親族を立てて転封で済んでるし
加藤家は当主の不始末と改易されてもおかしくないところを小大名への転落で済んでる
大した落ち度もないのに完全改易されたり、不始末で切腹になった大名の方がよっぽど悲惨だっつーのw
677 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 00:27:56 ID:ezV9ADek
清正や正則は秀頼擁護してたから改易は仕方ないだろう。
西国はほとんど改易転封なしで外様大藩ばっかりだぞ。
関東周辺は譜代の本多や大久保までやられたからなぁ。
最上も蒲生も加藤も里見も佐竹も上杉も…無傷だったのは政宗死の翌年に幕府にさっそく借金を申し込んだ財政破綻した伊達くらい。
678 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 00:56:02 ID:p+TC9f8N
>>677 関ヶ原以前については、佐竹氏や上杉氏の存在は脅威でしかなく、ああなったのもやむを得まい
大久保や本多正純については、幕府内での権力闘争、世代交代という観点で見るべき。
関東にいたからとかそういう問題でとらえるべきではない。里見氏についても、大久保事件に連座
したという面が強い(連座しなくても、その後関東以外へ転封された可能性は十分あるが)。
ちなみに大久保事件に際しては、関東から近い遠い関係なくかなりの大名が連座している。
これを考慮しても、関東だから改易ではなく、政争の上での事件と捉えられる。
最上氏については、家臣同士が散々もめた挙句、一度は幕府が仲介し、若年の最上義俊を
補佐するよう裁定したにもかかわらず、内紛に明け暮れた結果だからな。
蒲生氏や上杉氏も無嗣断絶になるところをそれぞれ忠知、綱憲が半知またはそれ以下ながら
相続を許されている。無嗣断絶については、譜代・外様とかはあんまり関係ない。
679 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 01:52:38 ID:0FtNJ4y4
里見氏の連座は大久保事件関係ないよ。家康が狩りに近くまで来てたのに里見忠義が挨拶に来ないとは何事だ!で言い掛かり改易だよ。
それに江戸から離れれば安全度が非常に高いのも事実。
徳川幕府は西国の統治はザルだったから密貿易とかガンガン出来てたしな。
島津80万石細川60万石黒田60万石鍋島50万石毛利50万石浅野50万石(支藩込み)でハッキリいって独立王国だぜ。
他にも豊臣恩顧系の池田や蜂須賀や山内とか外様大藩ばっかり事実上放置されている。
それら大藩が思いっきり江戸幕府滅亡原因になってるし。
>>679 おまえ江戸と室町のスレで暴れてるキチガイか
681 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 02:09:05 ID:p+TC9f8N
>>679 里見忠義の妻は大久保忠隣の孫だぞ。その「言いがかり」も何に起因するかを
考えてもごらんよ。
682 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 02:27:40 ID:0FtNJ4y4
当時の家康は大坂城攻略を控えていたから
江戸に近接し10代・170年にわたり武威を誇った名族里見氏の存在を危険視してた。
大久保の件はただの口実で、大久保の件があろうが、なかろうが確実に里見潰しは実行されていたと言うのが史家の間では一般常識だけどな。
>>682 どこの史家だよ。何人か具体的個人名を出してくれ。出せるものなら。
684 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 02:40:49 ID:p+TC9f8N
まあ、里見氏が改易にならないまでも、関東を追われる可能性については
否定はしない。ただ、里見忠義が倉吉へ飛ばされた件は、大久保事件の流れの中で捉えた
ほうがより妥当ではないかなと。
しかし、だからといって関東近辺のみならず東国全体が外様・譜代を問わず危険地帯というのは論が飛躍しすぎ。
最上義俊や加藤明成のケースなんて、自業自得のようなものだもの。西国だって田中忠政が改易されている。
685 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 04:21:33 ID:ezV9ADek
まぁ大久保関係なく家康が死ぬまでに、里見は関東からいなくなってたろうな。
大坂城攻略を前に江戸から至近の里見消去は妥当な考え。
高虎は紀州と尾張の間の緩衝地帯から移封しなければ、お家安泰だってよくわかってるよな。
686 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 06:39:54 ID:QkKVaSnZ
>>682 すげぇ新説だな、初耳だわ
>江戸に近接し10代・170年にわたり武威を誇った名族里見氏の存在を危険視してた。
こんな切り口で歴史を見るなんて、どこの厨房だよ
687 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 12:00:48 ID:uoWZr/0v
>>666 そういや最近高虎が出家したのは秀保生前のことって説を見た気がするんだが
誰か詳しく知らないか?
図書館でたまたま読んだ本だったので本の名前も挙げてた史料も忘れてしまった
688 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 12:11:39 ID:1aDFha5K
>>687 秀長の菩提寺には終生関与してたのに
秀保に関しては放置してるあたりありえない話ではないなw
689 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 12:20:34 ID:o+8ndK4E
>>687 その説は知らんが、『大木長右衛門由緒書』で「大納言様がお亡くなりになられた以後、
しばらくの間高野山へお出遊ばれた際〜」て書かれてた事が根拠なのかな?
その後で「秀吉公から『伊予国へお供して所々の浪人も召抱えよ』」云々と続くから
大納言(秀長)じゃなくて中納言(秀保)の間違いだと思われるんだが。
690 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 00:03:51 ID:ZXNz8rxX
高虎の裏切りはキレイな裏切り。他の武将の裏切りは悪。
そもそも裏切ってないし>高虎
692 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 01:22:37 ID:MOSzr6G5
あんなの裏切りだろ・・・裏切られた側はちゃんと覚えてるぞ!
693 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 01:46:13 ID:vXnWcQJe
>>692 その程度で裏切り呼ばわりじゃ、ほとんどの大名が当てはまっちまう。
そもそもが高虎の場合、土壇場で寝返るようなことはしてない。
694 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 02:18:20 ID:MOSzr6G5
そりゃそうだ。土壇場の思いつきではなく
長期にわたりスパイの役割をしてゆっくり首を絞めるように主を家康に売ったんだから。
696 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 03:01:04 ID:MOSzr6G5
東金御成街道を探る
本保弘文著とか読んでみれば?
>>696 > 本保弘文
…この、歴史学会に何のかかわりも無い素人さんが言う事が、「一般常識」かよ
アホなの?
698 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 06:20:54 ID:iI2sK1nr
なんだよ歴史学会ってw
その会員にならないとダメとか厨房臭が香ってきましたねw
699 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 07:59:17 ID:5D4QJaRv
なんか福島・加藤は最低の裏切り者スレからでも流れてきているのか?
まったく関係ない話だが太閤立志伝5でも信長の野望革新でも高虎の統率が武力より高いのは個人的に
違和感がある。
701 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 12:52:00 ID:PfsXrsAb
家臣をつなぎとめられない主君にも問題があるとは思わないのかね?
ケチとか戦が下手とか民政がなってないとかさ。
奴隷じゃないんだよ。自分を高く評価してくれる才能ある主君に仕える。
アリだろ。
702 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 13:04:04 ID:vXnWcQJe
そもそも当時の価値観は「主君が、主君としての役目を果たさないまたは祖君に値しない場合は、
家臣もまた家臣たらず」という感じ。江戸時代の儒教的なものと、根本的に武士の倫理観が異なる。
(もちろん妻鹿田新介などのような明らかに卑怯なケースは嫌われるが)
あと、譜代と一代取立てとでは、社会から求められる忠誠義務が全然違う。
704 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 14:14:05 ID:iI2sK1nr
>>700 そこまで言うなら説明してみろよバァカ
705 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 14:42:11 ID:iI2sK1nr
高虎が悪いんでなく、主君が暴君だったってこと?
高虎の主君たちが悪かった実例を教えて。
江戸期の尊皇攘夷的な名義論からくる朱子学に基づく忠義はない時代だけど、
論語などは一般的知識だったから道義的な裏切りは非難された時代だし。
道義的に高虎の主君が基地外だから高虎は領民の為に涙ながらにやむなく裏切ったってストーリーを主張するわけだ?
706 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 14:45:54 ID:srCM3dRy
待遇に不満で退職して就職活動して再就職したことが裏切り行為とは
707 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 14:47:48 ID:iI2sK1nr
待遇に不満?具体的に実例を列挙して教えて
708 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 14:53:24 ID:kSOSk0QY
単純に不満だったんだろ…
仕えるに足らないとか給料安いとか休憩所しょぼいとかなんかダセエとか…
なんで譜代でもないのにそんなもんに仕えなきゃいかんと思うのかの方が不思議だわ
709 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 15:35:54 ID:CQB2KyQa
>>705 だから高虎が誰か裏切った?
もしかして関が原で家康についたことが裏切り?
それだったら東軍についた大名で徳川譜代以外は全部裏切りだし
そもそもあの時点で家康は豊臣家奉行衆筆頭だw
710 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 15:44:25 ID:iI2sK1nr
>>708 具体的実例はなしですねw
>>709 主家を7回も変えた背反常ない変節漢と関ヶ原での他の大名は比較になりませんが…しかも武断派は朝鮮での三成との確執という正当な理由ありますし。
711 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 15:47:47 ID:CQB2KyQa
>>710 おいおい、だからなんで主家を変えることが変節感になるんだ?
江戸自体の朱子学思想で戦国時代を語るのは、現代の価値観で「武士は人殺しだ」と言うのと
大差ないぞど低脳w
>武断派は朝鮮での三成との確執という正当な理由ありますし。
秀吉に直接文句言えないから三成にやつあたりするのが「正当な理由」かw
712 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 15:49:44 ID:CQB2KyQa
こんな頭の悪い人間が実在するというのも不自然なんでこいつは釣り氏の可能性も高い
俺のような暇人以外は時間の無駄になるんでスルー推奨ねw
713 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 15:56:09 ID:pknMCE2d
とうどうは悪いやつで裏切りものに決まってるんだ!
714 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 17:15:52 ID:5D4QJaRv
足利→織田→豊臣→徳川な細川
武田→織田→北条徳川上杉(順番忘れた)→豊臣な真田の三男
浅井→織田→明智→柴田→豊臣→徳川な京極(義弟は将軍)
関が原の篭城組みから三人。下二人は当時でもあまり評判がよくなかったけどね。
京極はゲームでもうちょっと戦上手扱いされてもいいと思うんだ……
715 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 18:06:34 ID:fX4SDDRb
・渡辺勘兵衛
阿閉貞征→羽柴秀吉→羽柴秀勝→中村一氏→増田長盛→藤堂高虎
・塙団右衛門
大須賀忠政→加藤嘉明→小早川秀秋→松平忠吉→福島正則→豊臣秀頼
・安田作兵衛
明智光秀→羽柴秀勝→羽柴秀長→蒲生氏郷→森長可→立花宗茂→寺沢広高
・可児才蔵
斎藤龍興→柴田勝家→明智光秀→前田利家→織田信孝→豊臣秀次→佐々成政→福島正則
皆当時から一廉の武辺者として知られていたようだが、変節漢と罵られてるのは見たことがない。
司馬ですら安田以外は小説の題材にして好意的に描いてる始末。
高虎は偉くなりすぎたからやっかまれたんだろうなあ。
716 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 19:02:13 ID:iI2sK1nr
>>715 不遇だった彼らに比べて、主家を売って巧みに権力者に媚びて確実に出世した藤堂の出世ぶりがかなり際立つな。
普代からも外様からも裏切り藤堂の評判は当時から悪かったから道義的に非難されたんだろうね。
家康はスパイ藤堂を高く評価したけどな。
717 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 20:21:52 ID:PSQjr6Uu
2008/08/10(日) 06:20:54 ID:iI2sK1nr
2008/08/10(日) 15:44:25 ID:iI2sK1nr
暇で粘着で結論ありきで浅学で論理破たんか。
718 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 22:21:09 ID:fX4SDDRb
高虎の言葉「己の立場を明確にできない者こそ、いざというときに一番頼りにならない」
秀吉死後いち早く家康に鞍替えした開き直りと取れるが、
同時に鞍替えした加藤・福島は内心では秀頼に心を寄せ
中途半端な態度をとっていたため幕府に警戒され、終には断絶させられた。
戦国時代は何に代えても家を残し、栄えさせてなんぼである。
道義的な裏切り(笑)を建前に嫉妬に燃えて批難する輩を高虎は鼻で哂っていたことだろう。
719 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 22:29:40 ID:CQB2KyQa
>>718 >同時に鞍替えした加藤・福島は内心では秀頼に心を寄せ
それもどこまで信じていいのかわからん話だけどな
清正が家康と秀頼の会談を斡旋した話も「家康に対する点数稼ぎ」だったかもしれん
無論、それはそれで何も問題はないけどな
築城やら民生やらに能力のある清正は高虎同様「どこに行っても使える駒」なんだから
忠臣豪傑という清正像が後世の創作のようなもんなんだから、現実の清正がそいつらの希望通りに
行動しなきゃならん筋合いはないw
720 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 22:40:45 ID:fX4SDDRb
>>719 確かに、清正も戦国を生きた一家の長である以上、打算で動いたとて何の不思議も無い。
だが昭君の間の話や、豊家に尽くすのは自分の代で最後だなどと言った話から、
理性では世が徳川の物になりつつあるのは理解していても、
感情で秀頼を立てたい気持ちはあっただろうと自分は推測した。
721 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 04:18:05 ID:lkDb7TPo
清正は点数稼ぎにしては昭君の間など豊臣よりの行動逸話がありすぎる
本気で豊臣存続を考えていたとしてもおかしくない
福島は義理のかけらもない野望の人だから勝ち馬に乗っただけだろう
戦国武将のしたたかさを持っているのは福島のほうだな
722 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 04:50:08 ID:pZsYpMcx
清正って論語を熱心に読んでたらしいしな。
でも関ヶ原で東軍についたのは純粋に三成が嫌いだったからって気もしなくもない。
723 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 04:55:31 ID:5TOZsEjU
他人を貶して必死にマンセーする高虎基地害・・・
高虎の開き直り発言まで褒め称えるから精神が病んでる。
しょせんこの人は無銭飲食した心根の悪い手癖の持ち主。
しかも親孝行しなさいと説教され路銀までもらう鉄面皮ぶりw
724 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 08:42:38 ID:lnTJwhUL
悪いことしたけど後で反省して行いを改めた系エピソードをぶつ切りにして
悪いところだけ抜き出すのは問題だろ。
ところで以前このスレで話題に出た虎の城くらいしか高虎主人公の小説おぼえてないので、
高虎のキャラクター造詣が面白かったと思う小説紹介してほしいです。
歴史小説じゃなくて火葬戦記でもかまいません。
725 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 08:50:49 ID:5TOZsEjU
はぁ?いつ
反省して行いを改めた
んだよ。ウソつくなよ。
726 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 09:31:53 ID:zrnO+VLI
ID:5TOZsEjU ←今日の必死クン、行きついたのは人格攻撃
以下スルー願います。
727 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 09:55:16 ID:Rnt54N+/
>>724 つまらないのが多いんだよねぇ
高虎の小説書いてる人たちに共通してるのが
青年期と壮年期で いきなりキャラが変わってるてとこ。
キャラクターを掘り下げてるって言えるのは読んだことないな。
虎の城はオリジナルエピソード多すぎて、高虎である必要がないと思った。
とりあえず村上元三のはものすごくつまらなかったからやめとけ
728 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 11:47:32 ID:uPZSnWKe
>>722 しかし清正は三成の立場が理解できない阿呆とは思えんのだがw
内政やらせてもそつなくこなせる人材だからな
729 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 11:49:46 ID:uPZSnWKe
>>726 まあこの手のバカはスルーしても無駄でしょw
戦国武将としてあたりまえの行動について「貶す」などと解釈する低脳ですからねw
730 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 12:29:44 ID:oYvAzR3F
>>727 書く事多すぎて事績並べる事に終始しちゃうんだよね。
中国攻めあたりから家康死後までいろんなエピソード書ける人物だから。
虎の城は、あれはあれでエンタメしてて大好きだw
村上元三がつまらなかったのは同意。
商人絡みの視点は面白いかと思ったが、オリキャラ女房はないわ。
>城は長浜、主君は秀吉−これが藤堂高虎の二本の背骨である。
高野澄のこのあとがきには、吹くと言うより失笑した。
731 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 13:10:13 ID:Rnt54N+/
高虎が好きで書いたって人は少なそうだよねえ
「江戸時代の設計者」や「二番手を生きる哲学」なんかの方が
高虎愛を感じたよ
732 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 14:08:18 ID:Pal4yfOd
戦国武将の当たり前の行為なら同時代人にあれだけ裏切り藤堂なんて非難されないだろ…道義的に狂ってる人物をそこまで持ち上げるとかどんだけ北朝鮮だよ。ここの住人って頭おかしいだろ。
733 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 14:27:44 ID:lkUFOEuw
「虎の城」以外で読んだことあるのは、
>>730の学研M文庫から出ている高野澄が書いたやつと、
PHP文庫から出ている羽生道英が書いたやつくらいかな。2つともイマイチだった気がする。
734 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 19:14:11 ID:RT8kebeS
>>732 誰がどんな風に裏切り藤堂なんて批難の声上げたと記録されてる?
「同時代人にあれだけ」なんて、さも見てきたかのように語るからには知ってるんだろ?
二件以上具体例を教えてくれたまえよ。
735 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 20:16:27 ID:Pal4yfOd
>>734 非難されまくって逆切れして開き直り発言した高虎に信者もそっくりだな。
この後、高虎は非難した連中の事を家康に讒言しますた。その功績でまたまた出世(笑)お〜恐っ
736 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 20:34:35 ID:B4GHiFaI
>>732=
>>735 ここの住人は頭がおかしいから、
君のような聡明な人格者は二度と立ち入らない方がいいよw
バイバイ
737 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 21:25:19 ID:oYvAzR3F
>>735 具体的実例はなしですねw
ちなみに
>>707の実例は、織田信澄からの出奔だ。
丹波小山城&籾井城攻めでの戦功を認められて母衣隊に抜擢されたが、
知行が八十石のまんまだったので「これでは馬が飼えない」として辞去。
一説には、籾井城攻めで甲首二つ取ったが、その行賞が甲首一つの者と同じだったので、
それが面白くなくて辞去したとか言われてもいる。
浅井家では一人斬ってトンズラ。阿閉家も二人斬ってトンズラ。
磯野家は主君の方がトンズラw
秀長に仕えるまではむしろ世渡り下手。
738 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 21:39:05 ID:oYvAzR3F
>>731 地元の郷土史家の著作を現代語訳して自費出版された「実伝藤堂高虎」と言う本があるんだが、
これは読み応えがある。
特に「宗国史」「イッ(「津」のサンズイを抜いた漢字)修録」「高山公実録」の間違いを
バッサバッサとなぎ倒していく様は感動すら覚えるw
739 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 21:47:02 ID:oYvAzR3F
>>733 PHP文庫なら、まだ徳永真一郎の方が内容詰まってる。
まあ、これも読み物として面白いというよりは事績の羅列なんだがw
地元史家の横山高治の作は、地元出身の於奈津が絡んでいるところが面白かった。
小松哲史の「主を七人替え候」は「藤堂高虎の復権」を謳った割にはイマイチ。
740 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 00:13:01 ID:rvKeKRiD
本当の苦労人。
741 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 00:42:32 ID:FjgBmt+p
一人騒いでる奴…
検索かけたら上杉関連スレに大抵
出没してる迷惑な人みたいだな…。
こんなところまで出張してるなよ
742 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 02:07:13 ID:uxnuT1zV
とうどうはわるいやつなんだ!
マンセーするおまえらはあたまがおかしいんだ!
by たかし5さい
743 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 03:53:06 ID:IlubVznw
>>737 織田信澄の話はウソくせぇな。出典のソースよろしく。
744 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 05:05:32 ID:BGmE6pE3
>>743 「高山公実録」
おそらく入手可能な資料としては第一級
他の史書と照らし合わせても信憑性は高いとされている。
ただ織田信澄とのエピソードは若い自分のころのものであり
後期に比べると記述自体あっさりしているのは気になるところ。
個人的に
>>738の教えてくれた「実伝藤堂高虎」も気になる
安いし取り寄せが可能なら読んでみようと思う。
>>738に感謝。
745 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 08:02:09 ID:0FTOK+hx
伊勢安土桃山文化村で藤堂高虎が出てくる劇をやっていたのだが
敵がいるところへ一人でのこのこやって来て
返り討ちに会うと言う間抜けな役になっていた。
746 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 13:47:58 ID:P8y7BnTO
>>744 いや、高虎好きな人に興味持って貰えれば何より。
自費出版本だから、本屋で見かける地元民以外は、存在すら知られないだろうからなw
あと、
>>737のフォローさんくす
747 :
人間七七四年:2008/08/13(水) 18:17:53 ID:w4M9DQAO
>>745 ひでぇ、捏造もいいところだなw
つーか、三重県にゆかりのある有名人をそんな扱いでいいのかよ?w
748 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 04:40:49 ID:0xOulKaa
>>745 血塗られた裏切りもん悪党高虎らしいなw
749 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 11:49:08 ID:/GrYz1Mr
750 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 12:30:25 ID:wP9sOyo6
751 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 12:47:02 ID:MPA/fwTy
虎高はなにも功績ないの?
752 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 23:22:24 ID:jrFeAvYt
高虎を生ませた
753 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 23:51:42 ID:f9wcFud+
死んだ秀長も高虎をかなり恨んでいたろうな。
754 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 00:24:31 ID:iG5JwlaV
もういいから寝ろw
>>753 いい事思いついた。お前あの世に行って秀長が恨んでるかどうか聞いて来い。
756 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 06:09:04 ID:vdgi9apb
直江乙
757 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 13:06:55 ID:1VaEKmP8
>>751 16歳の時に甲斐に行って武田信虎に三年間仕えた。
しばしば戦功があったので、信虎の一字を賜って「虎高」と命名された。
その後、母衣20騎に充てたが、他の面子が虎高が年少である事を軽視して
しきりに不満を訴えたので、やむを得ず故郷に帰した。
その際、騎馬一頭、左文字、国行の両刀を餞別として与えた。
高虎が出世してからは、遠征続きの息子に代わって領内の政務を見てたみたいだね。
758 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 14:31:45 ID:IaN1nIRB
>>757 もう数年ほど後なら信虎の旦那は自分の新参家臣抜擢に文句言う古参家臣は
容赦なく粛清したから虎高パパも武田に残れたかも知れんなw
759 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 17:54:43 ID:U8lZ2uXh
>>758 そしたら「藤堂高虎」は生まれなかったんだろうね。
そもそもあそこはお母さんが養女でお父さんが入り婿だけど。
色んな偶然が重なって歴史は紡がれているんだろうねぇ。
760 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 22:10:40 ID:o2WH6yAZ
武田家武将・高虎というifも見てみたい気はするな
大方長篠で討ち死にってところだろうけど(個人的に歴史の流れを大きく変えられるような人ではないと思う)
761 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 04:48:40 ID:dPZHwAy+
秀長のところに行くまでは本人も自分は槍一筋の武辺ものだと思ってたかもしれんから
武田にいたら武辺者で終わりだろうな
763 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 11:35:21 ID:dPZHwAy+
>>762 別に武田がどうこうって話でないんだが
先駆け侍大将として仕官したやつに何でもやらせたのは、中国方面専従かと思えば多方面にも
狩り出されて人手不足の羽柴軍団の中で、さらに山陰別働隊やりながら山陽方面や瀬戸内絡み
で何かと奔走させられてひときわ多忙だった秀長勢ならではって話
764 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 14:13:42 ID:cwUdVAT8
高虎の一番面白い所はそこだと思うんだ。
槍働き自慢の傲岸不遜な大男が、建築官僚&寝業師に変貌したというw
秀長配下時代が藤堂高虎を作ったようなもんだからねえ。
765 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 17:14:06 ID:wRQodL/Y
「下天を謀る」が秀保死去と大和豊臣家廃絶まで来た。
高虎と高吉の意見の相違があるんだけど、
将来的に高吉との確執まで書くのかな?
この辺に踏み込んでいる小説は見た事ないので楽しみだ。
766 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 21:43:42 ID:4mgj0qoN
767 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 00:52:17 ID:rJYOVU1Z
>>765 確執とはいっても、一時的に蟄居を命じられたくらいで結局高虎が死ぬときまで
高吉は血縁の親族を差し置いて親族衆の筆頭として厚遇されてるからなぁ
むしろ高次との確執はガチw
768 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 13:42:24 ID:/bjEFM0J
>>767 いや、高次生誕後の高虎と高吉の関係は実にビミョー。
その蟄居を家康の鶴の一声で解かれた時、
高虎とは別個の大名として取り立てたのを高虎が握り潰した節がある。
その後も何かと理由をつけて江戸には上げず、公儀との連絡を絶っていた。
晩年にも「公儀にバレるとやばいから、別家に取り立てようか?」とか言ってた。
こと高吉に関しては、高虎はかなり黒い。
高次とはガチだが、ほとんど高虎の遺産だしねえ。
高次にしてみれば、高吉が怖かったから高圧的な態度に出たんだと思う。
相手は父くらいの年齢で名家出身で経験豊富で武名もある。
そりゃあ恐れるなと言う方が無理だよw
769 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 14:49:25 ID:rJYOVU1Z
>>768 トン
高次と高吉の関係ってまんま毛利秀就と毛利秀元のそれだよね
ただ秀就と秀元の場合は血縁あるけど
父親の養子ではないものの、血縁でもないのに自分より人望のある一門衆ということで
煙たがってたという点では黒田忠之と黒田一成も同じパターン
島原では家臣がみんな一成の指示を仰いで忠之涙目w
770 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 15:56:42 ID:BjnVHzCw
高吉については
藤堂家を守るために少しの杞憂も残したくなかったのでは?と愚考。
丹羽家の実子で豊臣の養子でもあった高吉が跡目を継ぐのは
幕府にどんな因縁付けられるかわからんし。
高虎は自分が死んだあと、
藤堂家がつぶされる可能性があると踏んでいた気がするよ。
771 :
人間七七四年:2008/08/23(土) 13:50:06 ID:FuymDXtR
>>770 高吉の兄の丹羽長重は改易組には珍しく大名に帰り咲いてるから
出自が丹羽家ってことよりも豊家の養子だったってのが理由かもしれんねぇ。
真実はどうであれ、不憫な人生を送った人だよなぁ。
772 :
人間七七四年:2008/08/23(土) 18:01:00 ID:0iT/WC95
ifが重なれば、豊臣政権No.2の大和大納言として、
文武に辣腕を振るっていた訳だからなあ。
それが大名家の一家臣か……思えば数奇な人生だな。
信長の弟で、最終的に本田忠勝の家老、なんて人もいたしね(しかも忠勝の死後殉死までした)
いろんな人生があるさ。
774 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 01:28:43 ID:ij2RNm5j
秀吉が秀頼の誕生で邪魔になった秀次を粛清したように
加藤家との不祥事の時に切腹でもさせれば後腐れなかったはずだが
高虎がそこまではしなかったのは義理とはいえ高吉と親子だったという情からか
あるいは一時は主君の養子として主筋だったという遠慮なのか
775 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 01:39:29 ID:ij2RNm5j
>>771 まあ長重は秀忠と懇意だったのも幸いしたけどね
その上軍才があったし
776 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 13:18:27 ID:jiL4SBtk
>>774 その、秀次を粛清した家の末路はどうだったね?
それに、幕府裁定で高吉は無罪確定してる。
喧嘩両成敗を名目に高虎が蟄居させたのも世間体を慮っての事だったが、
それすらも家康に知られた日にゃ「可哀そうだろjk」の一言。
家康の覚えもめでたい高吉を切ってた日にゃ、何されるかわからん。
家康は秀長とも懇意だったから、高吉の出自も養子の経緯も知ってるわけだから。
それに、十年以上も我が子として育てていたんだ。情もわくさ。
777 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 23:21:39 ID:p6SGRcTP
高虎って側室一人しかいないんだよな
いつまでたっても男子が生まれないからいやいや設けたって感じがするぜ
ところでもし大和大納言家が存続してたとしても家康についたんだろうか
同僚に島左近もいることだし豊臣よりについてたとしたら家康にとってかなり脅威だろうな
778 :
人間七七四年:2008/08/26(火) 13:58:43 ID:Pzf7P1lx
>>777 確変オメ
松寿院は、九州戦役で助けた宮部継潤の側室だったんだよな。
継潤の死後に高虎の元に行くわけだが、
子供も出来ず側室も取らない恩人高虎を案じて、継潤が言い含めたのかも知れん。
高虎自身は、性方面に関しては淡白というか、ほとんど逸話を聞かんな。
隠し子は一人いたけどw
常に仕事第一な現場人間だった感じがする。
とうに隠居してもいい年齢で未だ築城関係で働いてたりするし。
大和大納言家が存続してたら、どうだったんだろうね?
秀保横死が無かったか、高吉による相続が認められるか、
はたまた秀保が来ずに高吉が秀長養子のまま相続するか(これが一番良かったと思う)
高虎は秀長・家康と同じく地方分権派で、三成の中央集権主義には反対な立場だが、
豊臣一門としては、宗家に弓引くことは躊躇われるだろうしなあ……
島左近は、正直いたのかいなかったのか分からん。
順慶死後に隠居という本もあるし、秀長死後とか秀保死後とか諸説ある。
(朝鮮出兵でも功があったという本もあるけど、あんまり聞かんよな?)
779 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 10:52:52 ID:MONqvGuB
津城跡行ってきた記念age
780 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 11:36:16 ID:Rr3cPi3f
裏切り者高虎の人格と手腕が悪いから大和大納言家は廃絶された。
781 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 13:02:54 ID:UFheZz5L
ガキの頃津城の石垣よじ登って、中ほどで進退窮まって涙目になった俺参上
782 :
たられば君:2008/08/27(水) 13:09:52 ID:VJwMhWPG
腹を決めて跳ぶとか石垣を下向きに全力疾走とか?
783 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 14:11:16 ID:UFheZz5L
>>782 いや、恐る恐る何とか上までよじ登った。
見知らぬオバちゃんにえらく心配されたw
現城跡と最近発掘された内堀跡の位置関係を考えると、
当時はえらく巨大な代物だった事が実感できた。
今残っているのは本当にほんの一部なんだな。
784 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 15:07:00 ID:d0NoXLQ7
最近、池波正太郎の戦国幻想曲読んだんだが
個人的にはかなり的確に高虎を捉えてると感じた。
もし、池波が高虎が主役の小説書いてたら面白かっただろうなぁ。
司馬の偏見はホント酷すぎるw
785 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 19:19:22 ID:0TjxQYwf
おべんちゃら大名な書かれかたでも、もう浪人生活はいやじゃ〜という感じで余裕のない
高虎像の作品ってあるのかな?
786 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 21:46:09 ID:UFheZz5L
>>784 本屋で見てきた。
渡辺勘兵衛一代記なんだな。
出番が後期だけあって、戦国大名高虎の凄みが出てたと思う。
堺屋太一の豊臣秀長読んだけど、高虎の出番少ねーw
一応、秀長配下では一番利発となっていたけど。
司馬史観は、高虎を評価する上で一番のネックだよなぁ……
787 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 22:34:08 ID:IbBlTyvj
呑んでいたとき たまたま高虎の話題をする機会があったが
戦国好きな人ほど眉をひそめる傾向があるな
特に司馬遼から入った人間は酷いものだからな。
789 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 23:16:09 ID:JoWAL/C9
呑んだ時、松永弾正と藤堂高虎と
普通だけど家康が好き
って言ったら、松永と徳川の時は「普通だね」
と言われ高虎は「よく知らない」って
いわた。
松永好きって普通なのか。
今まで大きな声でいわんかったが。
ゲームかなんかで
メジャーなのか…?高虎はあんまわからんとさ。やっぱぜひ大河か何かに…
790 :
人間七七四年:2008/08/28(木) 02:28:53 ID:/OBrWx+N
まあ、秀長のために生きてきた男が秀長供養のため、大和大納言家を切盛りしてたんだろうが
あっさりと潰されたから、恩義もなくなるわな。
791 :
人間七七四年:2008/08/28(木) 12:25:10 ID:pbENwUTw
>>790 その視点が完全に欠落してる人が多いよね。
秀吉が高虎を破格の待遇で召し抱えたのも
その辺の火消し的な意味も含まれてるだろうし。
秀吉に恩は感じつつも、主君の家を潰されたという想いは消えなかったはず。
792 :
人間七七四年:2008/08/28(木) 13:26:20 ID:OgHsnPDQ
高虎も最初は秀吉を尊敬してたと思うんだ。
おそらく秀保&高吉の養子の件くらいから「あれ?」と。
(賤ヶ岳での身贔屓恩賞でも不満だったろうし)
秀長死後の利休切腹、朝鮮出兵、秀保横死に伴う大和豊臣家廃絶、秀次の悲劇……
そりゃあ、天下人だから乞われれば仕えるけど、腹に一物も持つよ。
793 :
人間七七四年:2008/08/28(木) 13:51:17 ID:OgHsnPDQ
>>789 いや、松永好きはメジャーじゃないと思うぞw
きっとお前さんの呑んだ相手はへうげもの読者だったんだよ。
794 :
人間七七四年:2008/08/28(木) 14:22:28 ID:7QNp+MCH
大和豊臣家は存続させたところで秀吉とは血縁関係が途絶えている。
家康だって実子の信吉に子がないために武田家を絶家にしている。
血縁は重要だよ。
795 :
人間七七四年:2008/08/28(木) 15:47:11 ID:Kb6/XqYR
『駒井日記』によれば、秀保の死後、秀次から北政所ねねに
「自分には隠し子がいるのでそれに大和豊臣家を継がせる
のはどうだろうか」という申し出があり、ねねも賛成したが
秀吉ががんとして譲らず大和豊臣家はつぶされた。
というのは本当?
796 :
人間七七四年:2008/08/28(木) 17:20:21 ID:RpwoTvSb
俺が競馬やってるからだろうが、血縁となると、
「織田信長の子孫って何世代か下ったあたりで先祖の血が爆発して、
大天才(ただ江戸時代零細大名には用なし)が生まれたり、みたいなことがあったんだろうか」
という視点を持ってしまうんだけど、昔の人も、
「高貴な血の人の血筋からはいつか英雄が生まれる」
みたいな発想あったんだろうか。
797 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 10:59:39 ID:wvQJ3GJ9
秀長の娘がいるわけだしその気になれば
いくらでも大和大納言家は存続できたよね。
家中を散々、引っかき回された揚句に廃絶とか
恨むなって言うほうが無理でしょw
仮に存続してたら高虎は時勢を的確に読みつつ
例え豊臣本家に弓を引くことになろうとも家を守りきったと思う。
798 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 12:01:00 ID:h1DDoprR
秀吉は
秀長無き大和大納言家は不要と考えてたのかもね
秀頼の治世を脅かす存在としてとして捕らえていたのかも
799 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 13:02:56 ID:65U3rZ6U
800 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 13:35:35 ID:6lKhaqcj
>>796 実力主義第一の戦国時代なら、家門は大事にしたが血統に関する信仰は無いと思う。
高虎自身が藤堂家の血筋は一滴たりとも流れていない。
母親が藤堂家の養女で、父親はその入り婿だから。
あくまで「実力のある個人」に連なる、という意味しかなかったんじゃないかな。
>>800 > 実力主義第一の戦国時代
先ずここが間違いなわけだが
802 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 06:45:50 ID:v5llyoOT
案外、大和大納言家が残ってれば、豊臣は滅びなかったかな?例え高虎が家康に付いても、織田信雄みたいに豊臣は生き残ったかもね。
秀長は果たして大和大納言家をどうしたかったんだろうか。
亡くなる時に秀吉に、何か言わなかったのかな?よく秀長が亡くなった後に、銀が大量に貯蓄されてたってあるが、実は秀吉のため、豊臣のためじゃなく、大和大納言家のために残したのでは?
>>802 > 実は秀吉のため、豊臣のためじゃなく、大和大納言家のために残したのでは?
で、それを見た秀吉が、案の定、大和豊臣家への不信を強める、と。
804 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 11:42:56 ID:ituBLs4A
>>802 結局「豊臣家」が秀頼一人の下に一枚岩となっていた(実質ではなく形式的に)のが家康からは目障り
だったんだろうからな
三法師の本家のほかに信雄・信包・長益らの家系があった織田家みたいに分家があってそれぞれを
上手く操れる状況だったら豊臣政権における織田家のように生き残れたかもしれん
805 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 16:56:17 ID:mQJ43Ss2
>>804 まあ難しいかもしれんが、高虎が無理にでも乗っ取って、家康と結べばよかったんだね。
806 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 14:07:41 ID:hiAMHs1P
部下のハチベエも治水で有名だよな
某うどん県の溜め池なんかはこの人が作った
807 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 14:13:23 ID:avvvsqcB
>>802 遺産に関しては歴史群像の8月号の秀長伝に面白い話があった。
補佐役として秀吉の軍資金や軍需物資を確保する為に、
秀長は堺商人に代表される商業資本と深く結びついていった。
しかしその金融人脈が、封建主義を崩壊させる新たな価値観を生む危険があった。
明征服の話でも分かるように、秀吉はあくまで土地を軸とする封建制の人なんだよな。
あの金賦も、「こんなもんいくらでもやるから、おまいらちゃんと働け」だったとか。
秀次粛清も、秀次が朝鮮出兵で財政難にあえぐ大名たちに金貸したのが原因だったと。
関白自ら金融を行う事が封建制を否定し、大名たちの指向が土地から金銭に移る事を肯定する。
秀吉たち体制側はそれを危惧したと。
高虎も町作りにおいて商業の重要性は重視してるんだよな。
808 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 14:15:42 ID:avvvsqcB
>>806 西島八兵衛作の雲出井はうちのご近所だw
809 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 14:23:48 ID:EuEvkVtB
はやくセンゴクに再登場しないかな、あの高虎は愛嬌があって好き
デカブツでいかめしい外見に似合わず下戸でツンデレなところとかw
センゴクといえば戸次川での仙石と根白坂での高虎は対照的だな
どちらも独断専行なのは変わらないのに結果は正反対でその後の処遇も…
810 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 14:51:55 ID:avvvsqcB
>>809 その辺は対照的に描かれるかも知れんね。
楽しみだが、それが描かれるのは本能寺後の第3部か……ずいぶん先だなw
高虎は酒は好まなかったが、部下にはよく酒を与えたらしい。
宇和島時代に雨の夜に酒盛りをしていた時、庭に忍び込んだ間者を叩き切って
「酒の肴を作ったよ」といいながら止めをさしたそうだw
811 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 15:03:54 ID:EuEvkVtB
>>810 高虎さんマジパネェっすとしか言いようがない逸話だな…
上に立つ人間でありながら自ら動くというのも彼らしい
夏の陣での敗因は珍しく部下任せにしたことかな
もう結構な年だから陣頭指揮はつらかっただろうが…
812 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 13:18:19 ID:BbE22IlG
夏の陣の時は御年60歳だからなあ。
人生五十年を考えると、無理しすぎだよな。
ま、御大将はさらに年上だったわけだがw
813 :
人間七七四年:2008/09/04(木) 00:24:56 ID:BlTD+wS7
814 :
人間七七四年:2008/09/04(木) 13:21:14 ID:1ROS0tdO
高虎人気を上げる方法を思いついた。
原哲夫に虎の城を漫画化してもらおう。
高虎ラオウに賀古黒王号w
815 :
人間七七四年:2008/09/04(木) 13:35:03 ID:Jxj4y1Vp
人気なんかいらない。
俗物化したら嫌だ。
816 :
人間七七四年:2008/09/04(木) 15:23:42 ID:5UBCIv0R
どうせ漫画化されるならダークな部分も避けずに描写してもらいたいよな
ただの卑怯者として描かれるのはごめんだけど
817 :
人間七七四年:2008/09/04(木) 18:04:58 ID:20B525Hg
ファイター
↓
水軍キャプテン
↓
調略担当ネゴシエイター
↓
ニンジャマスター
↓
建設大臣
↓
政治顧問
↓
お爺ちゃんの知恵袋
我は職業を七度替え候
818 :
人間七七四年:2008/09/05(金) 13:01:25 ID:8e1mxW/P
漫画化w
いいねえ・・・ころころ主君を変える卑怯者のイメージが消えるか増幅するか。
819 :
人間七七四年:2008/09/05(金) 19:44:19 ID:YiBIJthd
実際の所を知って貰えれば卑怯者呼ばわりはされないと思う。
司馬史観の風評被害が大きすぎるんだよ。
かく言う俺も地元なのに最初は
「高虎?ああ、風見鶏だったらしいねw」
とか思ってたもん。
820 :
人間七七四年:2008/09/05(金) 20:51:35 ID:Wko3JRtd
大体、高虎を卑怯呼ばわりする奴に限って
仕えた主君全員の名前すら言えた試しがないw
821 :
人間七七四年:2008/09/05(金) 22:41:13 ID:nHlMu4Y5
もしかして
小池百合子って現代の藤堂高虎?
>>821 日本中のインフラを一変させるほどの実力つけてから言ってくれ。
823 :
人間七七四年:2008/09/05(金) 23:50:00 ID:MWT8Ua75
実際のところ司馬以前から裏切り者扱いだったじゃん>高虎
司馬が小説でそのイメージを拡大再生産した罪は大きいが、
司馬だけのせいにするのはどうかと
824 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 05:26:52 ID:uIDKYpvm
>>821 高虎は小池のように寝返りもしないし
小池のように世渡りも上手くない
825 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 08:59:06 ID:BxxuVjUu
豊臣陣営から徳川陣営に移ったことは
>>823についても
>>824についても
無関係ではなくはないのではないかと
826 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 10:44:27 ID:O2YNTdf2
豊臣陣営から徳川陣営に移った大名はほかにもたくさんいる。
高虎だけが特別悪人扱いされる理由にはならない。
親戚筋の浅野は最悪などという話も聞かない。
827 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 14:19:39 ID:vIWaV1q3
付け加えるなら高虎は秀吉に恩もあったが
主家を理不尽に潰されたという過去もある。
828 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 16:05:56 ID:MtihRakB
加えて、晩年の太閤は老害以外の何者でもないしな。
829 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 19:54:23 ID:/rp14adS
自分で「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と言っちゃってるからな>高虎
如何にも実力主義者の高虎らしい言葉だが、江戸時代朱子学と結びついて
体制への絶対的忠義を尊ぶようになった武士道的には少し問題の有る言葉だろうw
他の豊臣から徳川に乗り移った大名は高虎のように
自分を正当化したりしない分、高虎が目立っちゃって叩かれてるということは有ると思う
830 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 20:20:47 ID:t15MZQwT
和子入内の調停工作までやってんだからすごいよ。
831 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 23:24:27 ID:Rl0IAcoA
裏切り者のイメージは当時の彼へのやっかみももちろんだろうけど、
鳥羽伏見の戦いでの藤堂藩が採った行動の影響も大きいのかなと思う
本人の預かり知らぬ出来事ではあるけれどw
832 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 00:44:19 ID:6R5hVmz7
七度主君を変えねばと言うのはなんかちがうにょな
高虎の場合やむをえない事情で主君が変わってしまっただけだよなぁ
かっこつけに言っただけに思える
833 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 03:24:27 ID:0ax+wwRz
山中鹿之助の対極にある人物だな。
834 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 10:16:33 ID:m/oD707M
主君といえる、奉公しがいがあるのは秀長だけだったんだな。
言葉悪いが、好きな事させてくれ、評価してくれた秀長、または大納言家がなくなって、義理もなくなっちまったんだろな
835 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 12:15:10 ID:pxtzvBAK
>>832 いや、自分の経験を踏まえて考えて
「いろいろ見て回って自分に合う所選べ。ただし、手抜きしちゃダメだぞ」
て事だったんじゃないかな。
何が何でも上に絶対忠誠と言うよりは遥かに合理的だと思う。
しかし、こういう合理的な思考はどこから生まれてきたんだろうな?
あの戦国有数の巨体で若い時からの武功を考えれば
「俺様サイキョー!」の脳筋武士で終わっても全然不思議じゃないのに。
836 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 13:19:21 ID:Y4rAArO9
>>831 >鳥羽伏見の戦いでの藤堂藩が採った行動の影響
まさに司馬が使ってたレトリックだね
他にも進取の気風に富んでた家康を、後の江戸幕府の保守性を投影して保守的な
人間として描いたり
司馬は時間軸を無視した記述をしますw
>>835 「俺様サイキョー」のはずがいつまでたっても一武者扱いで自分の郎党以外の組下を
指揮する立場や城持ちに出世できなかったからじゃないの?
俺様サイキョーじゃ、せいぜい足軽大将止まりだからね。
838 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 13:50:28 ID:pxtzvBAK
その辺を諭したのが秀長だったのかねえ?
信澄配下時までは、槍働き一辺倒で最後も恩賞でごねて辞めてるんだよな。
腕っぷしに自信があって、事実武功も上げてて、上昇志向が強くて、恩賞にうるさい。
腕っぷしはからっきしなのに自分より出世している秀吉兄弟は良き見本だったのかも。
まあ逆に、今のサラリーマンでもそうだけど、ある程度責任ある役職に付いたら、嫌でもいろんな事しないといけないから、
家臣層の薄かった秀長のもとでは、そう言う戦以外の能力を磨かざるを得なかった、と言うこともあるだろうな。
840 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 14:52:47 ID:pxtzvBAK
秀長も秀長で、元農民とは思えん成長っぷりだからなあ。
主従共に学んで成長していったのかも。
高虎が秀長に仕えたのが21歳。
奇しくも、秀長が秀吉に仕えたのと同じ年齢だったんだよな。
841 :
人間七七四年:2008/09/09(火) 14:25:58 ID:lSBRBlLG
>>833 でもやっぱり忠義を通すには、
それに見合うだけの実力がないといけないと思うんだ。
842 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 15:49:15 ID:wleuSRBw
自己正当化が行き過ぎて後代の人間に嫌われたのだろう
843 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 19:50:09 ID:D878YbNU
終身雇用が崩壊しつつあり忠誠心などいくらあっても
何の保証にも飯の種にもならぬ便壺にこびりついたカスのようなものになりつつある
今なら高虎の生き方は受けるし尊敬されるはずだ
下手に「実は結構いい人」とか描かずに話作ってくれれば
そっちのほうがいい気がするね
844 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 21:28:46 ID:8JMVQSMk
上昇志向は強いよな。
でなかったら、あれだけ多彩な能力は身につかなかったと思う。
秀吉直臣に対する対抗心も強かったんだろうな。
朝鮮でのアレも七本槍の加藤嘉明出し抜いて舌出してたのかも。
845 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 21:49:35 ID:BQeER118
賤ヶ岳で本当に先陣切った秀長側近の桜井家一の功績が無視されたことに
同じ秀長家中として含むところがあったのかねw
846 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 22:19:09 ID:HXJgRq87
七本槍は、実は追撃戦での功績であって、
譜代の臣のいない秀吉の身贔屓って話らしいからな。
恩賞に不満で主を見限った事もある高虎にしてみれば、
憤懣やるかたない所だったんじゃないかな?
まあその話に限らず、秀長の所は色々冷や飯食わされてるからな。
実務担当していた高虎にしたら、たまったもんじゃ無いことは幾らでもあっただろ。
848 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 14:18:41 ID:ql3TM5OP
七本槍の件については、そのときの話をされると加藤清正も嫌な顔をしたっていうな
秀吉の誇大広告的意味が大きいと思う
849 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 16:26:42 ID:0jp9g9eU
その辺は情報戦に巧みな秀吉の上手さだわな。
例え実力がなくて名ばかりでも、
秀吉の威勢があれば十分通用したんだろう。
そして、本当に実力のある清正は横並びにされるのを嫌がったと。
小者から口八丁手八丁でのし上がった秀吉は、
噂話や情報の力を身を以て知っていたんだろうね。
さて、後年の高虎は謀臣として名高いが、
若い時は決して話上手なイメージじゃないんだよなあ。
850 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 17:08:15 ID:4PxE3uuG
60歳で大坂の陣で闘ってますが。
851 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 21:04:17 ID:IdexJjVe
>>850 別に年食ってから戦ってた事を否定してないよ。
若い時は謀の欠片も無い猪武者だったのに、凄く変わったって事。
体中傷だらけで指も何本か欠損してる巨漢の爺さん。
交渉してる朝廷の連中は怖かっただろうなあw
852 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 22:30:59 ID:McQj6Epj
足の指も欠けてたっていうから、いつ怪我を負ったかにもよるけど夏の陣当時はまともに歩けなかったのでは…
根白坂での独断突撃といい戦場では無茶ばっかやってるからなあ
記録に残ってない下っ端時代もかなりやらかしてそうだ
853 :
人間七七四年:2008/09/12(金) 02:26:13 ID:F+LtIKJh
>>851 >若い時は謀の欠片も無い猪武者だったのに、凄く変わったって事。
進化した戦国武将って点で家康と似てるんだよな
奇しくも二人とも食い逃げエピソードがあるしw
家康が、信長以上に短気で無鉄砲で直情径行なのって、戦国好きには常識だけど、
世間的にはまだまだ知られてないねえ。
855 :
↑:2008/09/12(金) 09:08:10 ID:vEilhgwB
スレタイも読めないバカ
ハリとエサつけなきゃ釣れないし
856 :
人間七七四年:2008/09/12(金) 13:22:55 ID:3Nd2WIRj
>>852 「我は小さい時身分が卑しく、意気込んで功名を喜び、
進めば必ず先頭に立ち、退く時は必ず最後となった。
つまり死を見ることはまるで鴻毛に等しかった。」
なんて後に言ってるんだよね。
諸侯の列に並んでからは「これは匹夫の勇で、今後はこれに頼ってはいけない」
として「勇士を多く養ってはかりごとを働かす」ことを自分の任務にしたとか。
858 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 00:45:06 ID:aomwe4tw
高虎が造った津城の跡地に地元の百五銀行が新しい本店を建てています。
その工事中に城の内堀が発掘されました。
三重大学の藤田教授も指摘していますが、この発見で津城が当時有数の水城であり伊勢街道にも偉容を誇っていた実像があきらかになりました。
しかし、市民のうちからは内堀の保存を望む声は上がっていません。
地元ではNHKの大河ドラマに高虎をという運動もあるのに、有力企業である百五に配慮して、内堀については沈黙しています。
かつて日本三津の安濃津港や城跡など文化財の破壊をしてきた実績のある津市は、この内堀を別の場所に移設する計画ですが、それでは意味がないような気がします。
地元の記者も百五の提灯記事しか書かず、民放テレビは「NHK大河ドラマに」というのに反発して取り上げません。
こんなところに書いても仕方ありませんが、地盤沈下はげしい津市にとっては過去の遺跡より今の企業が大事なのかと思うと悲しいです。
859 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 02:33:03 ID:+x0g9tkM
これは切ないな…
個人的には今後の研究のためにも
津市の歴史のためにも発掘調査して残して欲しい
860 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 14:38:19 ID:Q4ax0QNl
こういうのってどうしたらいいんだろう・・・
普通に考えて残しておくべき
861 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 20:02:29 ID:r38uAzzX
高虎は評価されていいと思うが
「下天を謀る」は本格的につまらなくなってきた
862 :
人間七七四年:2008/09/21(日) 05:18:13 ID:pvDyD8N3
>>860 「内堀」だけでは難しいだろうなぁ。
自らの名前の由来である「安濃津」でさえ潰したんなら、なおさらだな。
ただ、安濃津港って地震で壊滅したんじゃなかったっけ?江戸時代に復活したの?
863 :
人間七七四年:2008/09/21(日) 11:22:30 ID:7anyDMYS
藤堂家の子孫っていったら
上司同僚に警戒されるだけだろ。
いつ裏切られるか分からないw
864 :
人間七七四年:2008/09/21(日) 16:16:20 ID:+n8mri5c
かなり大規模な堀だったみたいだね。
高松とか海まで続いているような感じを想像すればいいのかな?
今の津城ってただの小城だもんね。
僕が頭取なら、建物の中には内堀を取り込んで、文化への貢献度の高さをアピールするけどな。
866 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 13:27:49 ID:K6HKZBkK
地元民として言わせて貰えば、内堀の保存は無理。
場所が津市の大動脈たる国道23号線沿いで、津市の中心街のど真ん中なんだよ。
いくら空洞化が加速中とは言え、市の一等地にあれは残しては置けんよ。
せめて銀行内に当時の城の再現模型ぐらいおいて往時を偲ばせて欲しいもんだが。
867 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 16:48:34 ID:CIJtqhqi
そこで発想の転換ですよ。
他の城下町と比べたら、残してもいいとおもうけど。
あのへんの商店街の城側なんて移転してもいい。
もちろん商工会議所も
868 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 16:51:50 ID:A4VnuuWY
出てきた堀を見られるようにして建てる案も出てるらしいよ。
建物として付加価値付くし、前向きに検討してるそうな。
869 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 17:23:07 ID:We2fgm1v
>>868 mjdk
そいつは楽しみだ!
どこまでリップサービスか分からんが、
市長が9月議会の答弁で「津城復元に向け意欲」とか言ってるしな。
870 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 22:09:41 ID:ZASYsn4c
>>865 西軍側視点だからだろうけど、系とか言わず完璧に悪役キャラですね。
とうとう、影で暗躍する忍者になっちゃった・・・。
871 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 08:48:09 ID:5rMwvL8x
>>863 無知と浅知恵
バカ丸出しのレス、ハズカシイ
872 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 10:27:25 ID:I4uEliKl
>>870 まあ、ニンジャマスターも高虎を構成する一要素ではあるからな。
戦国随一の巨人キャラは捨てないで欲しいんだけど。
873 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 02:40:15 ID:CcBXCDU4
そのゲームは買わないが、まぁ取り上げられるなら…。
しかし酷い扱いだったらキツイな。
取り上げられるにしても心配になるw
大河になれば良いとかも思ったが来年の戦国物大河の
発表内容見ると…なんかもうな…。
874 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 13:16:44 ID:yN4HX8X9
>>873 去年の大河は個人的におkだったから、NHKもやれば出来る子だと思う。
来年には期待の欠片もないのは同意w
交渉とか城作りとか、高虎って勘助の全国版なのかもw
875 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 21:23:30 ID:CcBXCDU4
去年は確かに良かった。
高虎はちゃんと目に見える実績がある
から内容は濃いものになるだろうな。
成長はみてとれるしw
いつかやって欲しいもんだ。
876 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 23:55:46 ID:I5G5qZo9
番組最後の史跡紹介には事欠かないだろうなw
第一話は、親父たちの後をつけて、賊を叩き斬る所までか?
877 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 00:33:48 ID:R2IpmhKb
大河なら餅ただ食いのエピソードはやるだろうなw
878 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 01:40:14 ID:MEE2xOHi
ウホッ いい大河w
879 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 09:25:05 ID:ZCFIdxpY
時間配分が難しいだろうな。
大和家に仕えるまではある程度端折らないと、朝鮮出兵や関ヶ原や
大坂の陣、その後15年間の幕府ブレーンまで全て描ききれない。
スイーツな視聴者がついてこれないくらい濃くなるから却下かも。
880 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 09:56:03 ID:tAmb6Bmx
宇和島の馬上像を作った、中村氏のインタビューを読んだんだけど、
制作に入る前に、高虎についてあれこれ調べた結果、威風堂々ステレオタイプの姿ではなく、
愛馬に乗って庶民に声をかけるような構図にしたらしい。
881 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 18:47:45 ID:u4qOctVp
>>879 槍働き時代15話・秀長秀保時代15話・関ヶ原前後5話・大名時代10話(大阪の陣が3話くらい?)くらいかね
朝鮮出兵はかなり省かれるだろうね。
あるいは、最近の大河の傾向考えると、
中止するよう秀吉に注進するも(秀長様なら!とか言いながら)拒絶。(何にでも口出す主人公)
それをきっかけに徐々に豊家から家康側へとかの演出されるくらいかな。
それで一話使って、次の回で、(出国場面とか無しで)帰国→秀保死去→出家→宇和島みたいな。
次の回も朝鮮出兵は描かれず、秀吉死去→家康に急接近→関ヶ原前夜。
882 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 12:59:39 ID:vusakik1
槍働き15話は長くね?
兄貴戦死で自分が藤堂家の後取りになって一話。
姉川の合戦が二話。
浅井家出奔して三話。
阿閉家あれこれで四話。
磯野家で五話。
信澄で六話。
丹波攻めで七話。
出奔して八話。
途中で放浪話(他の国に行って来るとか)入れても
秀長には十話くらいで仕えないと。後の話も詰まってるし。
>秀長様なら!
すっげー言いそうだw
883 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 13:20:36 ID:NbSSLSCR
豊臣家臣団とか徳川家臣団なんかの本だと漏れてる事多いよな。
豊臣の方では元々秀長家臣だから、最初から秀吉直臣の加藤福島石田たちが優先されるし。
徳川の方ではもちろん外様だから、一門や譜代の家臣が優先されるし。
働きの割りに扱い悪い希ガス。
884 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 13:17:33 ID:+z4UC80k
885 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 18:16:08 ID:mGMpaR4p
886 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 09:46:45 ID:NWPxHlvt
ゲームバカは散れ!
887 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 11:54:03 ID:/12xUBn/
大河になったら最後のシーンは家康に
「俺の息子ばかちんだから俺が死んだらとり潰して」っていって家康に
「伊勢伊賀は永世に藤堂のもの」って言わせるシーンでいいよ
それで退出して画面奥に去っていく
ラストにアップで口元がニヤって笑っておしまい
その後「おーおー」という男性コーラ―スとナレーションとともに高虎映像紀行最終
藤堂高虎好きな人にはいろいろ文句も出るだろうが
世間的なイメージ優先だとたぶんこうなるのが無難
彼のイメージとは別の魅力は50話近いそれまでの流れで思う存分語ればいい
888 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 11:56:46 ID:/12xUBn/
あとそういう頭いい面も彼の魅力の一つだと思うのよ
889 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 14:23:36 ID:rakfahQi
>>887 和子入内の工作は絶対にはずせないよ
武功だけでない高虎のすごさ
890 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 18:44:31 ID:vs1fruGv
天皇から直々にねぎらいの手紙が届くって凄いよな
891 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 00:07:43 ID:1C7Lc88d
自分が作った城の横で、あんな下品な祭をされて、高虎さんも泣くで
気にもしないだろ。
893 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 03:23:48 ID:ZzQ+QR9S
こいつは嫌いじゃないけど幕末時の子孫は大嫌い
894 :
人間七七四年:2008/10/13(月) 06:06:48 ID:snmYvtb2
>>887 それだと家康退去してほっとする顔のほうがしっくりくるが
最後の最後まで家康に潰されることを恐れていたんだし
895 :
人間七七四年:2008/10/13(月) 11:53:30 ID:dtG4U+E9
好き嫌いって女子高生みたいだなww
896 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 09:14:52 ID:xLE9qqoM
>>738が教えてくれた「実伝藤堂高虎」、先日津まつりに行った際に購入。
値段の割にこのボリュームはすごい。これが自費出版なのか…。
897 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 13:54:15 ID:WF7sAXwW
>>896 おお、買われたか。
本編240p+別冊36pで1100円は格安だと思う。
内容も充実してるし。
もっとたくさんの人に手にとって欲しいところなんだがな……
898 :
744:2008/10/21(火) 18:55:38 ID:jXxXuM6Z
私もお取り寄せで購入しましたよ。
普通の本屋さんなのに
通販に応じて下さって助かりました。
千部しか刷ってないらしいのに
余裕で手に入って複雑な気分。
899 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 02:20:56 ID:YdcpmfoB
取り寄せできるのか。それは欲しいな…。
900 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 08:59:39 ID:+krWubfU
>>899 可能ならば是非手に入れてやってくれ。
ウチの近所の本屋で二冊ばかり守護神と化しているのが居るからw
901 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 13:28:39 ID:9WSjQkri
連絡先が著者宅ってのは気が引ける。
¥1100×1000部=1.1百万円
儲からない。
902 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 02:20:49 ID:FRSN0Opp
また大河話で悪いが高虎は大河にした場合
一年じゃ足りんくらい濃いな。
高虎なら戦国好きが楽しめる大河になりそうなのになぁ…。
まぁキモくいじられたら嫌だけど。
ぼやいてスマソ
903 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 13:11:51 ID:IRVmy4ac
まあ、やる事がありすぎる人だからな。
下手に前半で諸国放浪なオリ展開入れたら、1年では間に合わない事必定w
ただ、家庭的な部分が余り垣間見えないから、その辺は作りにくいかもな。
単身赴任な仕事バリバリサラリーマンの家庭崩壊なオチになりかねんw
正室の久芳夫人とは子供が出来ず、晩年の夫人は心の病ともキリスト教入信とも言われてるし。
904 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 12:11:14 ID:RLccjPl4
ゲームに出たから人気出るかもね
905 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 21:43:33 ID:4om3J+F6
906 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 22:04:15 ID:oIXgodTA
ゲームかぁ。築城ゲームとかあったら確実に高虎は
主要キャラかとwそんなマニアックなゲームがあるわけないが。
西軍側は友情や義理を大事にする人物が多く、
東軍側は強欲で我の強い人物ばかりとかいうレスを
見たんだが、こういう人って釣りか単に煽ってるのか、
ゲームの印象と妄想で言ってんのか、本当にわからん…。
907 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 22:22:46 ID:GSaYUIkd
俺のゲームでの印象と妄想で言ったらそれは西軍側は友情や義理を大事にする人物
以外関が原本戦ではろくに戦ってないからじゃ(ry
伏見で玉砕した連中や自害した大谷の首を取れたのに湯浅(だっけ?)との男の約束を守って
首の所在を黙秘した人とかのことも(ry
908 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 11:48:02 ID:Nec1PR7E
>>907 藤堂高刑だっけ?
高虎も、ちまたのイメージから一歩離れて、実像を見ると
結構魅力のある人物だと思うんだがね。
大谷吉継の墓をつくったのは高虎だし
909 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 18:11:05 ID:Y07tCmnr
>>907 立花宗茂を忘れるな!
義理堅さで言えば西軍屈指だろ。
910 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 18:19:51 ID:Y07tCmnr
参戦してる奴以外、と読み違えた(´・ω・`)
関ヶ原に参戦してた奴の中でって意味か。
スマソ。
個人的に島は大谷と違って義理だけじゃなく権勢欲的な部分を感じるわ。
911 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 20:23:16 ID:J1EDJFy1
そいや石田と禄半分この話は時期があわないとか言われてるな>島
西=義理堅い
東=強欲
とかわけわからん式は知らんが、
大谷は確かに権勢欲とかなさそう。
912 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 03:09:15 ID:CYRNpuug
島のそれは秀吉が一万石以上で召し抱えようとした渡辺とかいう人を
当時の石田が自分の知行(400石)全部あげて召し抱えて
そいつの家で暮らしてた逸話と混同されてるらしいよ
913 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 07:41:59 ID:Px4qUOAc
全部あげのほうが逸話としてはすごくないか
914 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 09:54:52 ID:PykrZWga
>>912 渡辺新乃丞召抱えのことだね。
三成が小姓時代に、柴田勝家が1万石、秀吉が2万石出すと言っても召抱えられなかった渡辺を、
自分の知行の500石全部出して召抱えたって奴。
「居候」って言うのはたとえ話で言っただけで、実際に渡辺の家に住んだわけじゃ無いけどねw
916 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 18:39:09 ID:26uE3Any
そういや島左近と高虎って大和大納言家でどういう関係だったんだろ?
917 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 18:57:24 ID:3CeK694s
島左近はホントに大和大納言家にいたのかねぇ。
記録は何か残っていたの?
918 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 21:57:51 ID:CYRNpuug
>>915 それに感銘したのか渡辺さんは生涯最初に貰った500石(400石じゃなかったんだorz)で
結構ですって加増も断って過ごしたらしいけど
さすがにスレチガイかな
919 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 22:50:15 ID:26uE3Any
>>917 武家事紀にのってたけど・・・江戸時代に書かれたものだし今考えるとちょっと怪しいかな
920 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 22:51:33 ID:BTVVLHMv
筒井家の島と石田家臣の島がもしかしたら違う人物かもしれない
という書物が発見されたとかされてないとか聞いたんだけど
ソース分かんないわごめん。
さらにスレチだゴメソ
大和郡山時代に高虎と出会ってるなら面白いよなと考えはする
921 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 11:31:47 ID:4hGzAlrm
面白いんだけど、それだったら朝鮮へも一緒に行ってるはずなんだよな。
筒井家について大和を去る左近と秀長について大和に入った高虎を会わせて、
お互いに「こやつ只者ではない」と認識。
秀保暗殺の実行犯を三成の為に動いた左近の配下にして、
宿敵フラグ立てた方が史実はともかく物語としては面白いと思うw
関が原でも、大谷隊にいた左近の息子に高虎の一族が討ち取られているんだよね。
922 :
魁:2008/11/03(月) 14:28:38 ID:CqE+PMIz
藤堂高虎が阿閉貞征や磯野員昌に仕えていた頃にどういう活躍をしたのか知りたいのですが、御存知の方いますか?
923 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 18:02:58 ID:hc1xMFfF
@藤堂家=A常に勝ちそうな方に付く
A常に勝ちそうな方に付く=B旧主が弱い場合、自分が出世するには恩を仇で返しても仕方ない
B旧主が弱い場合、自分が出世するには恩を仇で返しても仕方ない=@藤堂家
というループイメージしか私にはありません。
だから「人」として嫌いです。
>>923 > A常に勝ちそうな方に付く=B旧主が弱い場合、自分が出世するには恩を仇で返しても仕方ない
>
> B旧主が弱い場合、自分が出世するには恩を仇で返しても仕方ない
そうじゃ無い戦国大名がいたら教えてほしいものだが。
925 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 18:28:40 ID:hc1xMFfF
>>924 〔そうじゃ無い戦国大名〕
大谷吉継、真田信繁、立花宗茂、上杉(長尾)家(謙信と景勝・直江主従)、明智光秀、松永久秀、浅井長政、チョット離れて島津義弘あたりがパッと思いつく所。
〔藤堂と同類項〕
福島正則、朽木元綱、山内一豊、加藤(嘉)、前田利長が第一次で思いつく所です。
>>925 > 大谷吉継、真田信繁、立花宗茂、上杉(長尾)家(謙信と景勝・直江主従)、明智光秀、松永久秀、浅井長政、チョット離れて島津義弘あたりがパッと思いつく所。
大谷:浅井を見捨てて織田に走った一族ですね
真田:関東管領上杉を見捨てて武田に走り武田を見捨てて徳川につきそうかと思えば豊臣に
長尾:主君の越後上杉氏を弱ったと見るや滅ぼした一族ですね
直江:豊臣に忠義とか言って大阪の陣では徳川に忠義の大ハッスル
明智:もともとの主君朝倉や将軍家を
松永:もともとの主家三好を
浅井:もともとの主家京極が弱ったと見るや朝倉と共謀し
島津:所領を安堵され松平姓を得るほど優遇されたのに明治維新で裏側から大裏切り
つーか、冗談で言ってるのか?
927 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 18:49:20 ID:XQfHoXNt
>>926 人名で言ってるだろうが。
明智と松永の反論以外は、そもそも話が噛み合ってない。
>>927 お前、自分で最初に「藤堂家」って言ってるじゃん。
929 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 18:52:41 ID:XQfHoXNt
ID見ろ。
930 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 22:30:03 ID:9JKLVA0b
運よく?大阪の陣の前に病没したのに藤堂と同類項扱いされた前田さんカワイソス
というか弾正の位置に激しく違和感が……三好さんの死因は将軍による暗殺説も根強いから、
そっちの説を採ってるんだろうけど織田家に移籍してからは明らかに武田についたり上杉についたりしてね?
931 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 00:57:01 ID:ILbos3T8
松永なんもしてないだろw
こいつほど過大に評価されている人も珍しいな
ただの文化人なのに
933 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 13:34:21 ID:i2P/yeIB
>>922 阿閉家には数ヶ月いたがさしたる武功は上げてない。
正式な禄も貰ってないくらいだし。
最後は中間二人を斬殺して逃亡。
諸書の中には「阿閉に頼まれて二人を殺した」と書かれている物もあるが、
本人が後年「二人斬り殺して、またこの場所を立ち退くにつき浪人した」と言ってるから、
阿閉に頼まれたと言うのはちょっと信じがたい。
磯野配下時は分からん。
天正二年に信澄が入ってからは信澄配下と言っていいと思うし。
小谷城攻めの時には磯野はどうしてたんだっけ?
934 :
魁:2008/11/04(火) 21:24:12 ID:S/XwujJD
>>933 そうだったのですか。お教え頂き有難う御座いますm(__)m
磯野は浅井の家臣でしたが小谷城攻めでは阿閉より先に織田に寝返ったみたいですね。
935 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 21:00:47 ID:LU3LghbO
>>934 織田の浅井攻めのきっかけが阿閉寝返りだったからね。
その頃の高虎は磯野配下のはずだけど、
その磯野が浅井攻めに加わっていたかどうか。
返り忠を求められるなら最前線のはずだが。
「センゴク」だと高虎も小谷城攻めで頑張ってたなw
936 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 06:00:54 ID:Plj2b5at
山内は関ヶ原で6万石→22万石でただそれだけな存在なのに小説にも他伊賀にもなっとるというのに
同じように関ヶ原で宇和島8万石→今治20万石の高虎は
加増高も大して変わらんのに主役ドラマにもならん・・・
なんか納得いかん
山内は主役になってないだろ。その嫁さんが主役になっただけの話で。
938 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 13:15:04 ID:zjanPDQj
>>936 つ司馬史観
あと昨今の風潮から「嫁さんと二人三脚」というイメージが
ドラマ作りやすかったんだろうな。
高虎は有名な夫婦の逸話みたいなものは無いからなあ。
側室一人だし「夫婦仲良くせよ」みたいな遺訓も残しているんだけど。
939 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 15:36:33 ID:QPNKc/5i
山内が長曽我部の旧臣を弾圧したのに対し
高虎は積極的に登用してる所とからしさが出てて良い。
940 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 18:25:30 ID:I7DxxNpY
>>938 何でもかんでも司馬遼太郎のせいにするのはどうかと思うぞ
世間一般の高虎に対するイメージが悪いのなんて別に司馬遼が言い始めたことでもないし
そもそも司馬小説で高虎が大々的に取り上げられたことすらない
941 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 18:42:11 ID:4+Y/csvw
>>940 いや、山内を持ち上げたという意味で言ったんだがな。
けど、関ヶ原でも大坂の陣でも高虎はロクな描写されてないんだぜ。
942 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 19:08:08 ID:I7DxxNpY
持ち上げたって・・・
多少の主人公補正はあるけど、持ち上げたとまで言われる内容じゃないと思うが
覇王の城では高虎を褒めてる
家康を貶めてると言う見方も出来るが
あれは両方貶めてるだけ
944 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 19:21:04 ID:I7DxxNpY
945 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:47:58 ID:VYkLkzEJ
>>936 つーか本来の加増額は高虎のほうが多いはずだった
土佐は豊臣政権時代は公称9万石で、実質はもっとあるだろうけど特例として
公称の分の役しかつけられてなかった(信親の件への詫びか?)
実高は12〜15万石くらいだろうと想定して一豊に与えて検地したら20万石も
あったという落ち
946 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 00:13:51 ID:QjkffWuA
>>945 太閤検地では、9.8万石くらいだったんだっけ?
でも、関ヶ原直前の段階では20万石くらいはあると見られていると思う。
島津義弘書状で「長宗我部殿は2000人の軍役のところを、5000人
召し連れ云々」と出てくる。同じ書状に出てくる立花宗茂の動員した
兵数からみても、100石につき一人の軍役だったとみていいので、
20万石くらいには見られてたんじゃないか?
947 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 09:43:16 ID:d5S4IwpC
クソと味噌はなりは似てても中身は違うって清正にいわせてるのはヒドいよね。たとえも。
まぁ何の作品のどこのシーンかわからん人はわからないままのほうが幸せですよw
いや小説としてはあの人の作品はおもしろいけどね
なかったら歴史に興味はもたなかったし
948 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 11:05:28 ID:/h4uAh+q
関ヶ原の合戦後、高虎が三成に頭を下げて
自軍の欠点を指摘してもらう話とか好きだ。
こういう常に謙虚な姿勢が高虎の栄光を支えていたんだろうね。
949 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 12:45:58 ID:1ppbt2j/
三成に対する諸大名の対応が様々ある中で、高虎の姿勢は特異なんだよな。
若い時は腕っ節自慢の大男だったのに、何がここまで人間を変えたんだろうね?
950 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 13:47:29 ID:33M7n2az
>>946 以前に山内家に関するサイトでその記述見たけど
そもそも各大名ごとに軍役が違うのよ
元々各大名へかけられた動員は上杉征伐用で
立花家のような慶長の役で最後まで朝鮮にいた西国大名には一人役
従軍はしたが一足先に戻ってたり名護屋詰めだった長宗我部家のような大名は二人役
東国の朝鮮未従軍大名は三人役、みたいな感じ(より細かい違いはあるが)
しかも長宗我部は元々は家康よりで、本来は上杉征伐に従軍するつもりだったから自発的
に課された軍役に倍する兵を動員したはず。
だから仕方なく西軍に属した形になった関が原ではやる気がなかった
951 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 06:45:25 ID:54oBnNac
秀長「高虎、ワシが死んだらお主が大和を守って欲しい。無論秀次もな」
高虎「はは!」
・
・
・
秀吉「秀次イラネ、大納言家イラネ」
高虎「豊臣に義理はない。秀長様に義理があったのみ」
家康「こっちに来れば?」
って流れかな?
952 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 08:53:30 ID:sA4+v3z1
>>950 というか配置見ると土佐勢は山を越えないと
敵にも味方にも接してないような気がする・・・
上に毛利以前に動いたところでいみない所にいない?
953 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 08:56:14 ID:K0M5BBDj
>>923 > A常に勝ちそうな方に付く=B旧主が弱い場合、自分が出世するには恩を仇で返しても仕方ない
>
> B旧主が弱い場合、自分が出世するには恩を仇で返しても仕方ない
結果を知っている我々の視点から見るとそうだが、彼らの決断の時点では勝敗は全く見えていない。
高虎にしろ細川藤孝にしろ、「味方についたほうが勝った」としか言いようが無い。
そして彼らは勝ち馬に乗るだけでなく、確実に勝利に貢献している。
勝利に何の貢献もしていないのに勝った後に味方面するような奴には、家康は非常に厳しい。
954 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 10:31:12 ID:UmaonqJS
>>951 高虎にとって秀長が特別な存在だったのは確か。
秀吉の死後、すぐに荒れ果てた秀長の菩提寺を整備してたよね。
主家を潰した主犯格の三成に恨み言一つ言うことなく、
丁重に教えを請う高虎の姿は本当に清々しい。
955 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 10:43:39 ID:1pEXHRp7
三成が主犯格で大和豊臣家潰されたの?
普通に秀吉の意思だと思ってたんだが。
956 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 12:07:20 ID:LDpIYUII
957 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 12:17:11 ID:uYeIMX4s
>>952 「逃げやすい」場所にいたんだろw
徳川に味方したかったなら多少の損害は覚悟で西軍の検問を突破して東軍と合流してれば
四国にもう一国くらい加増もありえたのにな
んで、それがなくても盛親が高虎の取り成しを待って軽挙妄動を避けてれば減封か、うまく
いけば本領安堵も夢ではなかったのに
958 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 12:19:28 ID:uYeIMX4s
>>951 まあ俺もそうだと思うが、実際のところはわからん
ところがそれを判断する材料としての
「秀長に対しては徳川家に仕えて以降も敬意を隠さなかった」事実を意図的に
書かない人間には悪意を感じるね
959 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 12:21:52 ID:uYeIMX4s
>>955 蒲生家、大和大納言家、秀次関白家の減封や取り潰しにはいずれも三成陰謀説があるけど
どの家も遺臣が大量に石田家に仕えているから信憑性低いような
>>959 潰したからこそ、あとくされの無い様引き取った、と考えることも出来る。
だいたいその辺の家はどこも、代々の譜代家臣が殆どいない家だし。
961 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 13:55:35 ID:uYeIMX4s
>代々の譜代家臣が殆どいない家だし。
そーいや蒲生家って蒲生姓の武将はほとんど一門衆ではなく伊勢・会津時代に出仕した外様なんだよなw
豊臣と違って一応国人だから譜代はいたろうけど、90万石の大身の中では微々たるもんだったろう
962 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 17:14:18 ID:hhmlm4Q6
>>958 たぶん、秀長の墓を直してるときに、秀長に豊臣から離れる事を報告したんじゃないか?
963 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 20:39:31 ID:sA4+v3z1
まぁ三成も三成で400年たっても
全部三成がやったことにしとけよ的な扱いで
ちょっとかわいそうではある
本人は「ハイハイ全部俺が悪いんですよワロスワロス」とか
あの世で思ってるかもしれんが
964 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 21:34:39 ID:+/QvDXKp
もーそろそろスレ完走するな
965 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 22:16:17 ID:NEXb2c+y
>>953 関が原で寝返ったのに改易された赤座さんとかですか。
>>961 蒲生さんって土地も苗字も名前の一字も与えちゃって家に招いて手ずからもてなす以外
部下に報いる方法がなくなったんだっけ?彼の死後実績が見劣りしてしまう息子はどうやって
部下の忠誠心をつなぎとめようとしたんだろうか。
966 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 03:55:10 ID:1VhHngWF
>958
あえて隠す必要もなかったのかも。
早くに無くなり、しかもお家は断絶
徳川の時代に移っても秀長恩顧の武将は多く、家康もその一人
恩はあっても恨みはなく、
多くの武将にとっても、敬うべ豊臣は秀吉直系でなく秀長であったのかも
「見立て」と考えると面白いかもね。
滅ぶべき秀吉の豊臣は滅んだので、秀長に非はない
そう考えると、高虎の行動をあえて避難しないことで
他大名にとっても義に外れた人間ではありませんよという格好つけにはなったのかもしれない。
時期的にも高虎に意見できる人間が少なかったのもあるだろうねー
なーんて飲みながら思ってみたり。
967 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 12:33:52 ID:0L5OvAE+
秀長の娘って結局、毛利に嫁いでるんだっけ。
高吉と同じく歴史に翻弄された人だよねぇ。
968 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 19:02:41 ID:MvlWbimU
秀長の娘の一人は豊臣政権時代に宰相秀元に嫁いで数年で死んでるから
家門の没落を見ることはなかったな
969 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 19:04:15 ID:MvlWbimU
>>966 だから
そのような考察をするためにはまず前段階としてそういうことがあった事実を
伝えなきゃいけないだろって話なんだわ
970 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:51:27 ID:Lu00n4Do
家康も秀長家臣団を上手く利用したんだな。
あんたらは秀長好きだろ?俺も同じだ。
みたいに。秀長の家に泊まりに行くくらいだから、家康も秀長には心を開いてるよな。
つーか秀長は上洛上坂する大名の接待を担当してるから、小田原陣以前に臣従したほぼ全ての大名は
秀長の屋敷に招待されてる。
972 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 14:20:54 ID:BIYELvdO
秀長って絶対に過労死だなw
974 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 21:09:23 ID:uYFJKRzV
975 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 22:54:04 ID:kMRWu/bo
>>973 もちっと大きい画像だったら壁紙にしてたな
青空がすごい綺麗
976 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 02:45:08 ID:kbXyhHxK
メール送信の画像にしてしまったw
978 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 10:41:14 ID:Ftr4hUWp
現在の今治城は高虎と関係あるのかい?
特にコンクリート天守閣
979 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 12:28:36 ID:HjF45CJj
すごくいいんだけど電線が写ってるとなぁ
地中に埋めるとか出来なかったのかな?
それを望むのは贅沢だとは思うけど
980 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 14:51:52 ID:kbXyhHxK
川越なんかも何年か前に電線全部地中に埋めてた。
やって欲しいねぇ。
画像サンクス、全部データフォルダに保存したw
送信が藤堂受信が伊達待ち受けが徳川のミーハーな
携帯になり申した…
981 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 16:00:18 ID:ncE0zEcB
高虎で1000いくかあ
982 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 17:45:47 ID:kbXyhHxK
先日NHKに出てた建築デザインの方は
藤堂家の子孫かなと思う名前だったんだけど…
藤堂高○さん。違うかな。
983 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 23:58:17 ID:jSYOTszb
いまだに命名は高の一字をつけるとかいう決まりはあるんだろうか
984 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 01:29:44 ID:lOaVZuCJ
本家筋は今でも続いているのではと思う>通字
NHKの人は見ていないので判らない
が、しかし建築デザイナーとはw
高虎について何か言ってたのか?
985 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 02:20:32 ID:CRxpjMR2
藤堂家って高虎の血流れてるの?
大名家は養子多いからな
養子も半分くらいは分家や縁戚とかからだけど
赤の他人も結構多い
986 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 03:27:42 ID:lOaVZuCJ
>>985 いや、在所って意味での本家ね
直系は残ってないんじゃ
987 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 07:28:46 ID:rgvpCNvO
直系は3代で途絶えてるんじゃなかったっけか?
で何度か途絶えたんで、支藩から藩主を迎えてていたと記憶している。
988 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 08:53:37 ID:ZH8QnQrw
>>984 15代藤堂宗家の甥っ子さんだね。
こないだ津であったイベントに来てたよ。
989 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 10:25:39 ID:b7Xj5tCt
>>985 まあ、そもそも高虎からして藤堂家の血は一滴も(ry
990 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 19:26:41 ID:bVK9Q5td
>>988 わ〜…、やはり藤堂家の方でしたか。
建築士とは素敵、高虎並みの建築を期待してみたり…w
教えてくれてどうもサンクスです。すっきり。
991 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 19:39:37 ID:33E+m3wv
次いる?
ヨロ
993 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 19:48:11 ID:bVK9Q5td
よろしくです
994 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 20:42:32 ID:1I6R/g73
>>953 確かに大名として@「常に勝ちそうな方につく」のは当然としても、藤堂の場合は成り上がり者のくせにB「旧主が弱い場合、自分が出世するには恩を仇で返しても仕方ない 」
と言う部分が目立ち過ぎる。元々の名家であれば「家」を残すため、と言うことで理解できる面もあるが...。
そこが、実績の割合にメジャーな存在に成りきれない理由ですね。
995 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 21:46:37 ID:uiVq/oQG
3に当てはまるのは豊臣家だけじゃないか?同僚切って出奔とかは若いころやったし
仕官の恩を仇で返す行為といえなくもないけど。
>元々の名家であれば「家」を残すため、と言うことで理解できる面もあるが
卑賤から成り上がった人があんな苦しい思いはもういやだって保身に走ってもいいじゃないにんげんだもの
996 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 01:08:27 ID:s1Sv9OxN
998 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 02:02:22 ID:SkKwbIbg
999 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 10:08:30 ID:/AwA6usn
埋まっちゃうぞお
1000なら親知らず抜くのがうまくいく
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
/ | |iゝr;ァ--‐''" 〃/./ l | 戦国時代(仮)@2ch掲示板
./ | | ',ヾ゙ / / / / l
http://hobby9.2ch.net/sengoku/