加賀百万石・前田家について語れ

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1名無しさん@お腹いっぱい。
加賀百万石・前田家について語るスレ。
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 18:04:03 ID:wDlJa6ne
前だけタキシード貧乏っちゃま
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 18:11:22 ID:cpY1VLoc
なぜ彼が100万石になったのか全く理解できません。
具体的な武功を知っている人は教えてください。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 18:57:32 ID:oOj1AbUr
前田利家で特筆すべきことは、人望とずる賢さでしょう
前田利家の人生を見れば彼がかなりの切れ者だということが
よくわかります、無能などと言ってる奴はアホスギです
無能な人間がアノ時代に浪人から100万石の大大名に
なれるわけないじゃないですか。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 18:59:27 ID:T8QwldbL
てか史版の埋まってないのに…

>>3
小身時の槍働きいろいろ
賎ヶ岳の敵前逃亡での秀吉勝利のキッカケ(異論あり)
末森城防衛で佐々勢撃退

まあ1番大きいのは親秀吉派で旧織田家の生き残りだったからじゃまいか?
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 19:06:25 ID:oOj1AbUr
武功だけが領地をもらえる手段じゃないの
頭使う仕事や、血縁、その存在感などで領地がもらえる場合もあるわけ
なんでも武功武功と考えるのは厨房の証ですよw

7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 19:09:03 ID:0gjKrTg/
前田利家を縮小コピーしたのが山内一豊だな。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 21:10:42 ID:Csfe3w0g
>>6
普通はそうだけど
利家に限っては武功以外のものって更に何もない気がするのですが…
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 21:28:39 ID:T8QwldbL
>>8
寺社の保護に力を注いだ統治
「俵」高で示す独特の検地とか

だいたい算盤が得意だったんだから武功だけなはずが無いのでは…
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 23:42:31 ID:mrS1/DHf
2行目まではいいが
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 01:04:55 ID:stwP3rr7
花の慶次かと
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 02:19:56 ID:HcAGeYjE
>>5
末森死守したけど鳥越パクられてさんざ痛い目にあってるのな
上手い事隠蔽できたけど
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 10:07:19 ID:dFNiygZh
前田利家は織田家の人材では中の上若しくは中の中ぐらいの人物では?
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 10:11:44 ID:OafYTcNC
>>13
まぁ・・・その程度でしょ
可もなく、不可もなく・・・w
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 10:42:29 ID:8EJb6VEs
あまり上だと消されるからな
ちょうど良い位置だったのだろう
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 10:42:47 ID:6uZykhp4

最終的には前田は織田閥尾張閥のトップに立つんだっけ?


17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 11:02:25 ID:WJVpvPKb
>>5の一番最後の文に尽きると思うけどなぁ。
人望があって旧織田家臣、更には親秀吉という事でのあの身代なんだろう。
利家には旧織田家臣まとめ役を期待していたんだろうなぁ。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 14:01:37 ID:p0ZuLmAb
以前本で、秀吉が越前の丹羽長秀に、
隣領の前田利家に注意を怠りなくするようにと連絡したと、
書いてあったのを読んでショックを受けた記憶がある。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 14:12:59 ID:xc26LwJr
穀潰し
前田家は無駄飯食ってウンコ大量生産してただけ
何の役にも立たない何の影響力も持たない
存在意義がわからない
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 17:13:36 ID:qOQCCytS
>>18
自分も読んだことあるが
事実なんでは?
やっぱり丹羽>前田だったんだろう。前田より先に懐柔しておいたことだし
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 17:18:12 ID:pZ0xHpdX
前田と丹羽が手を結ばないようにする秀吉の策略だろう
奴の言うことを真に受けてはいけない
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 17:20:18 ID:qOQCCytS
まあね…
てかここageてる人多くないか?
たまーにでいいんだが…
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 03:12:16 ID:3LZaSuWr
つーか、前田家が100万石になったのは江戸時代だな。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 10:37:32 ID:HkySixH7
森長可>前田利家 
森が小牧・長久手で死んでいなかったら前田の出る幕はなかったのでは?
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 11:00:20 ID:lgD/iXd4
ん?そうしたら、池田恒興は?
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 11:23:54 ID:WrrrJHE7
堀>前田
堀秀政が生きていたら前田の出る幕はなかった
27山内一豊 ◆Momosan9tk :2006/08/27(日) 11:34:52 ID:JU2RnkJv
浅井殿、某は羽柴筑前守の使者、山内一豊にござる。
この時期は稲が実り、農民たちも胸膨らませる季節。
いま戦にて田を荒らせば、その期待も恨みに変わりましょう。
ここは姫路に戻り、政に励んでは如何でござろうか?
兵農分離に成功しているのは我織田家のみ。
今の時期の兵力動員数はたかが知れておりましょうが、
こちらが攻めれば、攻められた側は無理にでも
農民を徴兵するでしょう。
御舘様は、民を大事にするお方。
農民が苦しめられれば、さぞやお嘆きとなられましょう。
また、我が方が自国の有利を傘に他国を力攻め致さば、
信用を失いかねません。
諸大名の信を失っては天下安寧など夢のまた夢。
某はいったん席を外します故、
御家中の方々とよく話し合ってみてくだされ。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 11:46:08 ID:JU2RnkJv
>>27は誤爆です。ごめんなさい。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 12:30:26 ID:AK8FnROz
素直な一豊だな
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 12:41:41 ID:EPLZTrzj
信長の評価は前田より森・河尻・佐々・佐久間の方が上のような気がするんだが

森・・・信州川中島
河尻・・・甲斐
佐々・・・富山
佐久間・・・金沢
前田・・・能登

31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 15:54:40 ID:v+NpGrSu
信長は自分の娘を前田利長に嫁がせてる
どうでもいいと思ってる家に自分の娘を出したりしないだろ
信長は将来的には前田家を出世させようと考えてたのは間違いない
信長時代が続いても前田家は安泰だった
信長秀吉家康から厚遇されたのは前田利家の人徳のおかげだろう
やはり前田利家は素晴らしい人間だ。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 18:47:31 ID:NxTk3NM7
でも佐々の男児は早死にしてるしな
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 18:24:44 ID:Ipvjhh8d
>>31
利家は戦はさほど上手くなかったけど、占領地行政などはとても上手かったらしい。
信長が期待していたとすれば、武官よりも文官としての能力だったんだろうね。

本能寺が起こらず、信長が天下統一を果たしたら、秀吉なんかは九州あたりの
遠国に飛ばされて、案外権力中枢に残ったのは利家だったりしたかもな。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 23:57:54 ID:8gOxXFPO
あの一向一揆の巣窟の北陸を治めたんだから利家は優秀に決まってるよ
ライバルの内蔵助はとうとう肥後を治められなかったからな。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 00:04:01 ID:Qc0VEQXf
佐々が無能だったら本能寺がヤバイと思われ
越中で上杉・一揆勢食い止めたからいいようなものの
あそこで佐々が破れてたら前田は川尻と同じ顛末を辿る可能性がある
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 01:06:03 ID:o5wwqQzb
府中三人衆では明らかに
佐々>前田>不破だな
何より最前線である越中を与えられた事からして信頼・実力とも上だったのは間違いない
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 01:39:58 ID:Oy6/9Yeo
>>35

本能寺の変時に上杉は動いてないぞwww

>>36

最前線=信頼・実力が上
頭おかしい?
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 02:17:08 ID:o5wwqQzb
こりゃまた頭悪そうなのが湧いたな


悪そうと言う辺りが俺の人の好さ
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 02:36:51 ID:Qc0VEQXf
世の中須田満親みたいなマイナー武将でもスレ立てる奴はいるんだから
あんまりアホなことはいわんほうがよさげ
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 11:26:42 ID:Oy6/9Yeo
>>38

日本語でおk

>>40

日本語でおk
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 11:57:06 ID:CGWsqOC2
最前線に実力や信頼が上のやつ置くのが普通じゃね?
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 12:42:37 ID:mCoKuLaS
実は利家は色男であった
足軽百姓の秀吉に女を世話していた・・
マブ達だったってのはダメ?
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 12:43:21 ID:mCoKuLaS
実は利家は色男であった
足軽百姓の秀吉に女を世話していた・・
マブ達だったってのはダメ?
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 14:03:59 ID:tJTg//ZK
普通にウマがあって奥さん同士仲良かったから家族ぐるみで釣るんでたでよくね
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 14:09:12 ID:ylq/Yz+W
信長と利家はホモ達だからもう少し出世してもよかったと思うけどなぁ
案外、使えなかったのかもしれないなぁ
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 16:10:04 ID:NaOdNlHs
一国の大名になってるんだから十分な出世ですよ
ホモだちでも大名になれない奴はたくさんいたでしょう。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 18:05:32 ID:hrRV0m8Z
蘭丸はあの年で5万石も貰ってるよ
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 20:03:52 ID:AabMrtDX
次々と織田の武将が没落していき、前田利家が残っただけでは?
豊臣秀吉政権末期で頼れるのが利家だけだったというのもある。
豊臣秀長が秀吉より先に亡くなったことが豊臣政権には痛かった。
499io:2006/08/29(火) 20:22:59 ID:LKxzObas
加賀藩に「亜相公御夜話」という文献が伝わっている。
この文献は、利家が晩年、家臣に語ったことが書きとめられているという。

それによると、利家が15歳を迎えてからというものの、信長は夜になると、利家
を片時も離さなかったと書いてある。

非常に面白いので、ちょっと意訳して引用してみよう。


□「利家」と「まつ」と「信長」
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

ある時、織田信長が、安土城に諸大名を招き、ご馳走を振舞った。
信長は一人一人、諸大名に声をかけていった。例えば柴田勝家にはこうである。

-------------------------------
信長「おい、勝家。お前をはじめ、みんながよく働いてくれたおかげで、
   私は天下を取ることができた。余は満足じゃ。」
-------------------------------

このように一人ずつ声をかけていき、とうとう、前田利家の番が来た。
信長は利家のヒゲをつかみ、こう言ったという。

-------------------------------
信長「利家が少年の頃、よくエッチをしたものだ。
   あの頃は、本当に秘蔵っ子だったなぁ(笑)」
-------------------------------

-------------------------------
信長「しかし、お前は本当によく頑張った。お前が手柄を立ててくれたため、
   私は今日の身分になれたのだ。」
-------------------------------

すると、その場にいた全員が「利家にあやかりたい」と、羨ましがったという。
信長に寵愛されていたという事実が、当時はステータスになったのである。

信長に褒められた利家は嬉しくなって、鶴の吸い物をたくさん食べた。
そして、調子に乗って、食べ過ぎてしまい、お腹を壊した。

彼はその後も、鶴の吸い物を食べると、その時のことを思い出して、お腹が痛く
なったそうである(笑) ウソのようなホントの話である。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 20:29:34 ID:/PfIf1VU
加賀藩は将軍家以外では
最大の大身であったにもかかわらず
租税の取立ても最高クラスであった。

そして城下町金沢は江戸、京都、大阪、名古屋と並ぶ
日本五大都市であったが、
藩が遊郭を禁止したため実に質素な町だったという。
名古屋から来た侍があまりの地味さ静かさに嘆いたという逸話あり。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 00:56:46 ID:6pgKO0jM
大身だったから取立もトップクラスだったんじゃないのか。。。
てか江戸の加賀藩って改作法とかで住民自治が行き届いてたんだっけ
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 09:52:04 ID:KnQf55/E
>>47

蘭丸が小姓の時代と利家が小姓の時代を考えろよw
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 13:03:50 ID:H+s3v94y
そのとき歴史は動いた〜前田利家100万石への道

  【賤ヶ岳の戦いの無断撤退(敵前逃亡)】
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:46:42 ID:yiEGLq3z
金沢城いい城だったよ
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:01:03 ID:tAIoWAW/
水戸黄門ミタ

黄門様の姉ちゃんって加賀藩に住んでたの?
そういえば金沢に菊姫って酒あったな(´・ω・`)
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:20:07 ID:HB072HsB
>>54
百間堀の水をどうやって引いたか?って解説されてた?
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 12:03:14 ID:opqMwGb/
たった一代で前田家を二千貫から百万石にした利家の手腕は凄いと言わざるを得ない
生涯、ほぼ無敗で貫き通した戦歴も流石だ(先見性の賜物)
小西幸長曰く「領地兵の数では内府どのに敵わないが、こと人望人気においては内府の何倍もあった」



58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 12:31:19 ID:IYig7TFp
人望ねぇ…この人の生き方って全然かっこよく無いね。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 13:08:52 ID:lkHjDQgh
>>57
>小西幸長
行長?ともあれ自信の政治的方向性もろくにコントロールできなかった
小西の言葉くらいじゃ…。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 15:36:37 ID:Rv7QB8Yt
他スレでは話題が出るのに本スレは伸びないね
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 17:26:06 ID:yMNzdA8T
だって本人自身は何の話題もないもん…
あくまで誰かの付属品だから
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 17:41:55 ID:opqMwGb/
おいおい、話題ありまくりじゃないか
浪人時代から100万石になるまでのサクセスストーリーを無視するなよ
信長秀吉家康といった偉人たち相手に互角に戦う利家のカッコよさといったらたまらんだろう

信長の言うことを聞かず、坊主を斬り殺し逆鱗に触れ浪人へ没落
そこから信長を無視して勝手に戦場で戦い、無理やり認めさせようとする利家はカッコいいやろ
秀吉をたぶらかし豊臣政権のトップに立つ話もまた面白いし
潔く天下を諦め家康に前田家を託すところなんて涙なくしては語れないよ
とまあ腐るほど話題ありまくりなんだけど
君たちは利家が嫌いなだけだろ?
戦で勝った負けただけが戦国時代じゃないんだよ
利家みたいな男の人生もよく知ると面白く感じるもんだぜ
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 17:54:28 ID:Rv7QB8Yt
話題だけなら国祖遺言から可観小説まで付属品の中でもかなり多い部類の人だと思うんだが…
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 17:58:20 ID:h9zfVK/Q
ショボいんだもん
このオッサン
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 17:58:24 ID:Rv7QB8Yt
あれ?なんで俺はこんな長文に遅れを取ってるんだ
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 18:24:58 ID:Rv7QB8Yt
>>65>>62のレス。。。

>>64
そんなショボに負けてる数多の武将たちは一体…(・ω・)
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 18:53:18 ID:UD1YgV/G
>>66
好きな武将に傾倒してる人ってのはそいつの忠実で盲目的な家臣と一緒で、自分の主君とその殿様以外はクソに見えたりするってだけ。
と、客観的なつもりで非常に主観的なことをいう俺は水鏡崇拝の隠者気取り厨
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 18:54:01 ID:IYig7TFp
年々評価の下がる利家。当然か。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 19:25:38 ID:Rv7QB8Yt
>>67
それが極論で…いいじゃない?自分は別にそこまで貶るほどじゃないとおもうけれど。

>>68
評価下がってたのか
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 20:42:44 ID:h9zfVK/Q
別に今は戦国時代じゃないし
俺の人生が左右されるわけじゃないから
どうせなら華やかな人物を好きになりたいよ
なんで利家みたいなショボクレた爺さん好きにならなきゃいけないのさw
俺に何の利点もないぞ
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 21:00:13 ID:CrBRO2YB
>潔く天下を諦め家康に前田家を託すところなんて涙なくしては語れないよ

勝手に人の天下を明け渡すなよ!大体、前田のものじゃないだろうがw
潔すぎるんだよ、特に2代目。前田家は家康にあっけなくへたれすぎ。
上杉が頑張った分、けっこうな恩知らずに映っても仕方ない。
太閤がしょぼい前田に異例の厚遇してやったのは、何のためか都合よく忘れるなよwww
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 21:44:33 ID:Rv7QB8Yt
>>71
てことはあの時やっぱ家康ぬっころせばヨカタということか?
しかしすぐ利家あぼんして2代目到来だしどうなるかな…

>>70
華やかな人物好きになったらなんかいいことあるのか…
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 22:32:18 ID:yMNzdA8T
実際利長の方が遥かに有能なわけだが
病床の利家が今更少し早く死んだ所で何の問題もない
ただ、利家より優秀てだけだから家康亡き後に上手く治められるかは疑問である
74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 07:34:42 ID:zbu/od7j
利長は最初にデッチ上げの家康暗殺計画を押し付けられた時に
激怒し戦う気満々だったがね
まつと重臣たちに諌められて屈従することになったという話が残ってる。
家康の人質になったのはまつ自身の意思だったわけだ。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 08:30:53 ID:JE/kG5Tf
利長が利家より優秀ってのはどういう解釈?
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 15:39:28 ID:DP1CH4uL
家康の子孫が本に書いてますよ
皆の一致した見解によると「利家が家康より長生きしてたら」天下は前田
が握ってただろうとね
人望が抜群だったらしい
77名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 15:46:04 ID:aJQwqqVm
そんなもんただのヨイショだろ
78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 15:59:11 ID:u8uySg7G
実際家康と利家が対立した時
有力大名はみんな利家無視して徳川屋敷に行っちゃったもんな
前田屋敷にも機嫌伺いには行ったが…
個人的な付き合いでは利家の方が好きだけど
どっちに運命を賭けるかとなると家康に傾いてしまったようだw
79名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:02:42 ID:J+YtadvM
まつ「これを着て下さい」
利家「何じゃこれは?」
まつ「あなた様は現世で人を殺し過ぎたから地獄に堕ちるに違いありません。だからこの経帷子を…」
利家「そんな物はいらぬわ!地獄に閻魔という者がいるのなら、
わしが先に逝った家臣を率いて虜にしてくれようぞ」



このエピソード好き
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:12:13 ID:FA2CxOw6
利家はすごいさ。
恩にまどわされずに、勝家にも秀吉にもこだわらない。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:07:53 ID:d7u6jZkO
はげどう
利家は何万という部下がいる責任のある立場の人間だ
利家の行動一つで全員死ぬ場合だってある
恩などに惑わされず、すべてを見定めて
冷静に行動する利家はやはりできる男だ
そこら辺のイノシシ武者とは違うね。

82名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:25:03 ID:p+fYwaJ8
たぶん>>79のまつが言ってた「あなたは人を殺しすぎ」ってのは
越前一向一揆のときの所業のことだろうな
83名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:27:55 ID:FA2CxOw6
大谷吉継こそ綺麗だが、利家もすばらしい。
嫌いじゃないが個人的感情では好きにはなれないかな。
豊臣は潰れてよかったと思う。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:47:58 ID:m5BbLlfI
好きになる要素も無い。てか嫌い。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 20:19:01 ID:gTlckm3u
>>79
痩せ我慢にしても立派な最期だよな。
もちろん閻魔大王と戦って勝てるとは利家自身も思っていないだろうが。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 20:23:21 ID:0Lxw3vvO
まつが仲間ゆきえレベルだったら利家嫌い。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 20:30:22 ID:YFkFaKdb
利家は臣下なんだから主家の為に戦う義務があるんだよ
多くの家臣を持たされているのは主家の為であって前田家の為じゃない
命を捨てて働くのが道理である
それが嫌なら武士を捨てて百姓にでもなればいい
みんなが自己保存に走ってしまったら世の中滅茶苦茶になってしまう
リスクを覚悟で権力を得たのだから都合の悪い所だけ無視するような振る舞いは人として許される事ではない
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 21:11:00 ID:u8uySg7G
まあ、利家は後世の名誉より俗世の栄華を選んだのだからそれはそれで良いと思うがね
名誉を汚すのを死ぬより恐れる人もいれば
何言われようとも今の生活を失いたくない人もいる
人それぞれ違うから本人にとって価値のある方を選ぶべきだね
善し悪しではないと思う
89名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 21:41:08 ID:uIqY2oly
前田家だってまともに徳川と戦をできるのならやったはず
しかし利家生存の時は、体が病魔に侵され死ぬ寸前で、とても戦に出れるような状態じゃないから勝ち目なし
そして利長の場合は、加賀征伐で全国の大名を相手にしなければいけないのでこれも勝ち目なし
さらに関ヶ原のときも、まつが人質になってる(加賀征伐回避のために人質になった)から徳川とは戦えん
このように前田家の場合、とてもまともに徳川と戦をできる状態ではなかったわけよ
これで戦ったら笑いもの間違いなし、まさに犬死だ、前田家は運がなかったわけよ
90名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 21:46:43 ID:J+YtadvM
関ヶ原戦前はせいぜい八十万石ぐらいだろ?

まあ無理だな
91名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 02:39:04 ID:3qodD+Bv
ガチで当たっても前田は勝てなさそう…だなー…
それを死ぬまで待つ家康はものっそい用心深さだ
92名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 02:44:48 ID:DDCyasDL
>>91
別に待ってなかっただろ。利家生前からガンガン政治的に動いていたわけで>家康
利家の方が勝手に折れて伏見会談に持っていったわけだし。あの時利家が戦争に動いたら、家康も
これ幸いと受けて立ったでしょ。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 06:54:19 ID:kdcAb2oH
>>92
前田から戦を仕掛けたら徳川からみればこれ幸い だろうな、そりゃ。
勝てる上に、「正当防衛」がなりたつんだから。
それがわかってるから前田もしかけなかったのだろうし。
94名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 08:45:28 ID:dJ+kVHhH
違うんだよなあ。
松平忠輝と伊達正宗の娘を婚約の件が問題になり、
家康以外の四大老がそれを糾弾し、さらに家康暗殺のうわさ流れた騒動の時に

大坂の前田利家の下に馳せ参じた武将
毛利輝元・上杉景勝・宇喜田秀家・細川忠興・加藤清正・加藤嘉明・浅野幸長・佐竹義宣・立花宗茂・小早川秀包・
小西行長・長宗我部盛親・浅野長政・前田玄以・増田長盛・長束正家・石田三成

伏見の家康の下に馳せ参じた武将
伊達政宗・福島正則・池田輝政・黒田長政・藤堂高虎・森忠政・織田有楽・
黒田如水・有馬則頼・金森素玄・新庄直頼

とこの時点では明らかに利家率いる西軍派のほうが
有利だったんだよね。
これがのちの三成の関が原抗争になったらしいが。
9594:2006/09/18(月) 08:46:38 ID:dJ+kVHhH
「抗争」は「構想」
9694:2006/09/18(月) 08:55:09 ID:dJ+kVHhH
この事件が起きたのは慶長四年一月ね。
この時点では大阪城に住まい秀頼の養育係をしていた利家側が有利だったという事ね。
なんせ大阪城と秀頼をきっちり抑えてるわけだし、
ここで利家は家康を倒すことは出来たと思う。
だからこそ家康は切り崩しによる多数派工作を行い、
先が短い利家には極力逆らわないようにしたという事だ。
97名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 09:05:16 ID:rxrEcDAG
利家が合戦に参加すれば、関ヶ原での小早川秀秋ばりの裏切りをかますでしょう。
自家保存の為ならなりふり構わぬのが利家では?
98名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 09:11:39 ID:eZ0zrIgd
>>94
 このメンツをよくよく比較すると、家康派の武将が遙かに老獪で強力だなあ。
 政略に長けた、いわゆる食えない武将がそろい踏みしている。
 家康が縁組みしたのは、伊達政宗、福島正則、蜂須賀家政。ついでに
 加藤忠広に水野忠重の娘を養女として縁組みさせた。完全に利家を舐めている。
 詰問使いの前田玄以は、今井宗薫を斬刑にすべしと詰め寄ったが、
 政宗と家康は、そろって以下のように返答した。

 「もし宗薫を刑戮するのなら、天下を二つに割りてもお相手いたす。」
 奉行は顔色を変えて、退出するしかなかった。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 09:29:00 ID:rdPXLJc6
前田を描いた小説は、おまつは良妻賢母か、
良妻賢母だけど不倫をしている小説にわかれるな、
10094:2006/09/18(月) 10:00:35 ID:dJ+kVHhH
>>98
そういう意見もあるだろうが、家康とてこの時点では
西軍派と事を構える気はほとんどなかっただろう。
あくまで西軍派の戦力を品定めし、いかに多数派工作と主将格の利家の死を待ち
確実に勝てる戦いをする準備期間が必要だった。
そのためには利家に頭を下げることくらい家康は屁でもなかった。

なんにせよ利家が死ぬまでは家康は手は出さなかったと思うよ。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 10:26:56 ID:rxrEcDAG
利家を持ち上げるのに必死な方がおりますな。
102名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 11:11:33 ID:d7r7mIG0
>>94
加藤清正は早々と兵を率いて徳川屋敷に駆け付けたじゃないか
あと細川幽斎・忠興親子、加藤嘉明、浅野長政・幸長親子も徳川屋敷を警護したよ
他にも大谷吉継、蜂須賀家政、京極高次、山内一豊、脇坂安治なども徳川屋敷に駆け付けた
10394:2006/09/18(月) 11:34:19 ID:dJ+kVHhH
俺はこのサイトの年表を参考にした。
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/seki-nen1.htm
104名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 11:44:34 ID:ETIjbALt
利家は秀頼の後見人で、利長は秀頼の取次ぎ人、利政は秀頼の親衛隊長
前田家は秀頼とずっぽりの仲、利家が家康とガチンコしても負けはないね
利家と戦う=秀頼と戦うってことだから、豊臣恩顧はすべて利家につく
まあ5大老のうち4人が利家派だからその時点で勝負ありだけどねw
105名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 12:10:41 ID:DDCyasDL
>>104
それだけ有利なら、家康相手に戦争始めればよかったのに。

君の言う通りなら、利家は状況判断が全く出来ない、戦国大名として落第点のつくような
愚将と言う事になるぞ?
106名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 12:32:21 ID:lPoC8Nr7
仮に織田信長が全国統一していたら、前田利家に100万石も任せただろうか?

107名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 12:52:17 ID:nnp8gX4W
まあ、前田に100万石はないだろうな
108名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 12:52:56 ID:rxrEcDAG
織田傘下では山内一豊以下の働きしかしていない利家。
一番の働きはやはり親父様を裏切っての戦線離脱ですな。
109名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:02:20 ID:ETIjbALt

病気もあったけど、利家はできるなら戦はしたくないと思ってたみたい
戦をしないで対話でなんとかしたかったらしい、それは家康にびびってるわけではなく
秀頼も幼く、戦をして日本を混乱させるのはよくないと思ってたみたい
さらに言うと、実は利家と家康は別に仲は悪くない
利家と三成の仲は最悪だったけどw
そーゆーのも関係してたかも
110名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:19:12 ID:aBe2hhUe
ほんと三成邪魔だよな。こいつ一人が張り切らなけりゃ
あとの文治派と武断派の対立なんて致命的でも何でもないのに

ただ利家も前田家も、当然家康にはびびったと思うし
その上で恩や名より実を取ったんだから、
格好つけなくても、それはそれでいいと思うがな
111名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:46:42 ID:x5HtGYJZ
蒲生氏郷が亡くなってなければ完全に家康は抑えられてた
家康を抑えるのに絶対の自信があった
秀吉亡き後は利家が天下人と公言してた豪傑だからね氏郷わ
112名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 15:58:51 ID:d7r7mIG0
氏郷は誰に対してもあの調子だから本心で言ってたわけじゃないよ
秀行の正室には家康の娘貰ってるし
氏郷ほどの人物が利家担いで家康と敵対なんてするわけない
氏郷をトップにして利家達が下につくなら喜んで戦うだろうけどw
113名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 17:52:15 ID:rdPXLJc6
世代が違うだろw
黒田長政が家康を推すときに自分は「次を狙う」と考えたように
利家を擁立して、次を狙う、つもりでやったかもしらん。
秀行の正室って、氏郷死亡後に話が進んだんじゃなかったっけ?
114名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 19:09:10 ID:P8I6wOKo
氏郷なんてそこまで大物でもないだろ
長生きしててもせいぜい藤堂高虎のポジションだな
115名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 20:07:56 ID:x4mIkbuR
それは無いだろ・・・
116名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 20:22:20 ID:rdPXLJc6
氏郷が生きていたら、大老は、

1 徳川家康   256万石
2 前田利家    83万石+21万石
3 宇喜多秀家  56万石
4 蒲生氏郷   91万石
5 毛利輝元   120万石
6 上杉景勝    90万石

か。
なんとなく、氏郷生前時代の土一揆が収まって
政宗が表面上恭順したら、
今度は国境のいさかいで蒲生と上杉の仲が悪くなるような予感。
兼続と氏郷って、なんとなくソリがあわなそう。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 23:34:58 ID:0DNj/DiM
氏郷は信長公以外の天下人を認めないかんじなイメージがある。
秀吉家康早く死ねみたいな。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 09:37:51 ID:LX2jHW1m
伊達政宗の娘五六八姫と、徳川忠輝との婚約は、4奉行+5大老には相当な
衝撃だったのだろう。裏で両家がつるんでいたのは、三成も熟知していて、
様々な邪魔を入れるが全て失敗。ここにきて、ついに伊達政宗+徳川家康の
軍事同盟を表沙汰にしたわけだ。二次大戦下でアメリカとイギリスが組んだも
同然だろう。家康を盟主として、政宗、長政、如水の謀略家が集結。これに
福島、加藤等の武闘派が加われば、西軍などひとたまりもない。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 09:38:38 ID:LX2jHW1m
(訂正)5奉行+4大老
120名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 10:13:43 ID:lwdE0LHR
つーか、自分たち以外の五大老を全部を敵に回せる徳川家の力というのは、ちょっと飛び抜けすぎだろう。
秀吉もパワーバランスを完全に間違えたとしか言いようがない。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 10:16:33 ID:h0ZH07l0
秀吉の家康の関東移封は失策だった…か?
122名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 11:36:19 ID:VQUhviys
あの時点では成功だと思われる。
ただ、小説で描かれるような、徳川家の力を削ぐ、という目的は秀吉にはなかったと思われる。
徳川は北条の行政基盤をそっくり引継ぎ、秀吉の小田原攻めが圧倒的で領地もさほど荒れていなかったから。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 12:28:13 ID:lwdE0LHR
>>122
北条旧家臣は暴れまわっているわ江戸は家臣団を入れることも出来ず一から作るしかなかったわ
領土の広さの割に農業生産高は低いわ農民の気質はむやみに荒いわ北条時代の商業基盤は
破壊されているわ、だったのに?
124名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 16:42:08 ID:yVjtOA6c
>>120
秀吉もバランスは考えてたよ。
石田と長束は関ヶ原で兵を集める段になって、
以前太閤からの五十万石ずつ与えるという申し出を断った事を悔やんだという話がある。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 16:58:37 ID:+XSngoen
秀吉は前田を金沢から尾張美濃近辺120万石に転封するつもりだった
東海道を前田に守らせ、家康を封じるつもりだった
しかしそれに三成が大反対、それを聞いた利家が激怒、三成との仲が最悪に
そのほか蒲生問題などで三成とは常に対立、家康とは対三成で手を組んでいた
その後、秀吉が死に、三成は前田に助けを求めるが、前田はこのことから積極的に動かず
126名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 17:16:56 ID:+XSngoen
大阪城にいた利長を追い出したのは家康と五奉行である
こいつらは利長と淀ができているなどと噂を流しどんどん追い詰めていった
五奉行どもは自分たちの味方である親豊臣の利長を大阪城から出して何をしたかったのか
家康からの難癖を利長と組んで撃退するのが五奉行の役目だろ
その後、関ヶ原では「利長どの、一緒に家康を倒しましょう」と手紙を書いたりしてて
わけわからん。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 17:31:02 ID:CoIUOJkO
この時期に五奉行の間に、意思疎通あったのかがわからん。
浅野長政は三成ともとから不仲で家康と親しかったけれど、利長が暗殺
容疑をかけられた時は、連座して甲斐に謹慎させられてる。
前田玄以は元々対朝廷外交や儀礼が担当だし、この頃歳だし病が篤いわで
実質的にはほとんど活動してない状態じゃないか。
もしあったとしても、増田長盛と石田三成の間くらいか?
128名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 00:51:06 ID:mVcRntNZ
>>110
びびっていたというか、
守る側と攻める側の意識の差じゃないか?
129名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 08:01:03 ID:gNMXNkoQ
びびったってのは国力の差と根回しの早さ?
130名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 09:04:21 ID:ncZWBxjX
>>110
邪魔も何も三成が家康と戦争しなければ豊臣方の大名の力は残ったままであり、
徳川三百年の平和は生まれなかったわけだが
131名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 09:09:19 ID:y0jWz7iP
>>130
そう都合よくもいかないだろ
132名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 09:51:52 ID:VDuv3ajs
>>130
そりゃ結果論だよ
ぶっちゃけ徳川260年の最後の60年くらいは幕藩体制も制度疲労で
もうグダグダの末期症状だったんだから、
豊臣政権が足利幕府式に脆弱ながらも150年か200年弱続いてたら、
近代に入ってからの結果はあんまり変わんなかったような気がする。
経済的にも政治的にも今よりずっと西高東低ではあっただろうし、
関東・東北が文化的も政治的にも独立性が強い地域になっただろうけど。
日本は島国だし言語の問題が深刻じゃないから、西欧みたいな
小国分裂状態にはならないし。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 13:04:09 ID:TntO16PJ
いまいちわからn
134名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 13:54:02 ID:ncZWBxjX
>>132
近代に入るまでも何も、そこまで保たないだろ。

薩長といった外様の力を削りきれなかったのが幕府崩壊の原因。

ましてや、西軍の大名が残ったままなら徳川の天下は何十年も保たずに崩壊したと思われる。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 16:12:38 ID:lui6DPB8
>>134
持たないと思えば一つずつ潰していくだけだろ、常識的に考えて。
西軍大名が残ったまま歴史が進むとは限らんし、その可能性の方が少ない。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 19:25:16 ID:ncZWBxjX
関ヶ原の戦いにより家康自身の直轄領は250万石から400万石に増えて、
幕府は「旗本八万騎」という強力な軍事力を擁するようになった。
更には江戸から近い要所に親藩・譜代を、
参勤交代で金が多く掛かる遠国に外様を配置する巧みな領地換えを行った。
外様は従いたくなくても幕府の圧倒的軍事力と参勤交代による金欠により従わざるを得なかった。
この状況が幕末まで続くわけだろ?(それでも結局は外様に潰されるわけだが)

でも徳川家が江戸周辺250万石の一大名で残りは全部他大名という状況のままだったら、
恐らく誰も参勤交代など従わなかっただろう。
それどころか他大名が結託したら幕府など一発で潰れたんじゃないか。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 19:38:33 ID:KmqTgFa5
>>134
薩長が飛躍したのはほぼ100%商人への大量の借金を踏み倒したから。
ただそれだけの話し。実は薩長もそんなに経済改革は成功してない。
確か薩摩は150年分割払い、長州は37年据え置きだったか。
そんなインチキをして強引に商人からの超高額の借金を踏み倒した。
そんなのは幕府にとっても予想できない出来事だ。
えらそうに「何故、薩長は倒幕に成功しえる力をつけたのか」とか
ご高説を垂れる奴がいるがそんなのは単なる勘違いでしかない。
それと幕府の外様統制も本来は完璧だったが、そんなインチキな裏技には
対応できなかっただけ。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 19:43:13 ID:KmqTgFa5
あと江戸幕府がニ百六十年程度で倒れたのは日本人にとってもラッキーだった。
もしもそれからも続いてたら日本は列強の植民地になってただろう。
大政奉還で徳川家はじめ幕府側の人間が殺されることもほとんとなく、
極めてご機嫌な政権交代だった。

ただ、面白いのは身分の高い人間は助かり
新撰組とか赤報隊とか下賎の人間が責任を押し付けられ
殺されるのはいかにも談合社会の日本らしい。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 19:49:11 ID:hVQb28dy
>>137
薩摩は250年無利子分割払いだった気がする
本来なら今でも払い続けてるはずだw
結局明治維新のどさくさに無効にしちゃったが…
140名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 19:53:31 ID:TntO16PJ
芝さんハケーン
141名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 20:08:08 ID:7ysCvlSh
明治維新や革命など大規模な政変で政治体制が変わったら、
どこの国でも債権や借金は回収不可能でパーになるもんだよ。
142名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 17:54:20 ID:BTpgYizb
>>139
無効ではない。
廃藩置県で債務をすべて新政府が引き継いだ。
これは薩摩だけじゃなく、すべての藩に対してやった。
あと薩摩は倹約の家老が密貿易、黒砂糖、偽銭鋳造(これについては他藩もやってるが)で絞り出した百万両が倒幕に使われた。
けど倹約家老は失脚させられたけどな。250年分割もこの家老の施策の一つ。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 22:31:10 ID:7FhEmFGH
>>142
で、失脚させたら、「あれはあいつの独断でやったことで我々には関係ないです」
というのが田舎クオリティ。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 21:05:43 ID:RVIor5Xn
今更だが>>94>>102
意見ちがくない?どっちなのよ
145名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 01:27:04 ID:0U2HrpXa
利家は勝家を裏切ったから秀吉じゃなく信長が相手なら
あの時に切腹させられていたのだ 
生前本気で家康から秀頼を守る気があったのかどうか
はなはだ怪しくもし負けると思えば秀頼なんて簡単に
見捨てるよ
146名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 05:39:34 ID:ho6G5g4C
>>143
踏み倒したのは新政府。
そこまで諸藩を追い詰めた幕府が続くとも思えんが。
逆にその債権を英仏などに買われてたら、第二のインドになってたな。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 06:34:10 ID:HrDgm6qI
利家が脇役の小説はおまつの不倫が萌えるね。
一夢庵風流記とか、加賀芳春記とか。
148名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 07:35:59 ID:DAvJ5YCv
>>144
>>94の方は少なくともソースになる
URLが書いてあるから、
そっちの方が優勢だと思うけど。

>>146
でも、薩摩・長州も実質、踏み倒しも同然の方法にしてるぞ。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 09:53:33 ID:/RQTpPaQ
>>142-143
どっちも微妙に違う。
新政府は旧藩の債務は『原則』は引継ぎを行ってちゃんと返済はしたけれど、天保以前の債務は「証拠としての信頼性がが欠ける」として却下とした。
しかも旧藩債務は基本的に天保以前の債務の繰り延べだったから結果的にほとんど踏み倒し。
それでも新政府の財政を一時傾かせるほどの莫大な債務が圧し掛かった訳だが。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 13:38:38 ID:4NCLfbiC
>>149
それで各大名は大喜びで版籍奉還したんだよな。
「これでもう貧乏しなくてすむ!」ってw
151名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 19:16:04 ID:DAvJ5YCv
>>150
ただし、島津久光は廃藩置県に怒ったという逸話があるが。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 19:40:17 ID:4NCLfbiC
>>151
久光は 権力>>>>>財力 の、大名の中では珍しいタイプだからね。
一所懸命の武士の心を最後まで持ち続けていたと言うか。
逆に言えば久光くらいしか怒らなかったほど、大名は領主権に拘らなかった。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 03:09:16 ID:MzgvdafT
それを読み切って、財を成し、藩の会社を買い取って大坂に打って出た、
のが岩崎弥太郎であり。
三菱誕生の礎は、暴落した藩債権、藩札の買い占め。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 03:16:33 ID:MzgvdafT
>>152
たしか幕末動乱期以前に、
「もうやだ!!!」
って領地返上しようとした小大名が出てきてた位だしな。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 22:56:07 ID:1U7P20mh
>147
ああ、まつが慶次にヤられちゃう話ね。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 03:14:39 ID:gsfnTnGI
>>155
どっちかっつーと、まつが慶次をやっちまう側の不倫だが。
157名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 18:09:46 ID:Y/65FAVp
加賀芳春記ってのも慶次がお相手なのか
158名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 18:34:09 ID:gsfnTnGI
>>157
いや、利家病死の前後に家康の暗殺を計画したといわれるタカ派家臣、片山伊賀守延高を
ほとんどオリキャラに仕立て上げて、なんだかわからない平和のための戦いやらなんやらのために
前田家とまつは頑張りました、というストーリーにしたオナニー小説。

まつとは精神的な不倫。
だけど、病気の利家の好戦的な態度に愛想をつかして、
平和主義の延高に会うために花をたもとにしこんで、
利家が気付いて皮肉を言ったり、最後は嫉妬した利家が、
自分の死の際に延高に褒美として殉死を命じてまつが逆切れしたり
浮気・プチ修羅場小説としては面白いかもw

歴史小説としてははてしなくどうでもいい出来。
「一万石で二千人の兵が養えるとして、徳川と前田家では三十四万人の兵力差がある」
などぶっとびの記述が満載。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 22:37:25 ID:AQGggsuz
>「一万石で二千人の兵が養えるとして、徳川と前田家では三十四万人の兵力差がある」
すげーw
160名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 00:26:05 ID:v9iCUALq
兵力ではなく人口としても一万石=二千人はおかしいよな。
どこからその数字持ってきたんだろう…?
161名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:08:10 ID:BMh1R9vN
がんばって一万石=七百人がせいぜいだろうに。
鉄砲とか大砲とか高額な兵器が主力になっていくと、動員可能兵力も激減してくけどな。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 14:38:57 ID:9Xu/1Zd2
動員可能兵力も激減するが、必要兵力も減るからな。
槍足軽なら1万必要だ、という戦況で鉄砲隊が1万も必要なわけではないし
163名無し募集中。。。:2006/11/05(日) 12:53:31 ID:yZ1yejLP
>>50
はははは都会だった頃からそうやったんか
164名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 22:06:09 ID:MFRR0W8E
徳川宗家 400万石
伊達家  200万石
前田家  100万石

実高な

前田家は参勤交代で浪費
165名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 00:15:32 ID:2DxpHq6q
伊達厨って本当に痛いなぁ
前田家約150万石
伊達家約110万石
毛利家約100万石
大体当時の米は現代の米とは違って、寒い地方じゃそんなに採れない。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 02:49:01 ID:DFgBkcQg
金沢もかなり寒い上に積雪量は仙台どころではないのだが。
167名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 14:35:43 ID:2DxpHq6q
ほう。
冬の気温と年平均気温をみてみたら?
168名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 23:51:50 ID:8s3sBvIY
>>166
積雪の時期に米は植えてないだろw
169名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 21:19:38 ID:rfGbqc7a
金沢はぶっちゃけ夏は暑いし冬は寒くて極端だよな。
金沢城は公園になってて人々がマターリしてたw
170名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 04:50:10 ID:s2341zdN
取れ高は米だけでは無いのでは?
171名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 02:10:45 ID:0+aBCJH+
>>170
まさかw
172名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:01:56 ID:BdCCR+s9
>>49
けっこう洒落のセンスのある人だったんだな 利家
173名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:05:54 ID:BdCCR+s9
>>62
サクセスストーリーなら
尾張中村の百姓から天下人になった人が
すぐ隣にいるんですが?


自分は好きだけどね 利家
174名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:12:35 ID:c9mg8A0p
能力的には毛利輝元と近い武将だな。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:15:14 ID:9Bxf0Cap
>>171
>>164は実高だって言ってるんだから米だけじゃないだろう。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:30:06 ID:BdCCR+s9
>>134
薩長というと なんか板違いに聞こえるけど
ようするに島津と毛利の勢力なんだよな
177名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:44:10 ID:BdCCR+s9
>>168
むしろ
越後みたいに積雪の多い地域のほうが
水が豊富で米がうまいんじゃないのか?
178名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 09:51:37 ID:+U8WKcHh
>>174
おまえはゲームのしすぎ。
毛利を衰退させた輝本と一代で100万石の基礎を作った利家を一緒にすんな。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 10:05:03 ID:f4lQJqcS
利家と一緒にされたんじゃ輝元がかわいそうだ!
180名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 22:04:07 ID:s/cB3R0M
はいはい。
181名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 02:06:45 ID:prVrAEiR
さすがに輝元じゃな・・・。
政治的に輝元が頑張ったのは事実だが、
それだって利家より上回るようなものじゃない。

比較対象がそれこそ上の政宗とかならともかく。
182名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:06:49 ID:vh5kzky+
上杉景勝は?
183名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:09:13 ID:12fY1oJo
利家はヘタレ
184名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:26:56 ID:prVrAEiR
政治面では利家だけど、景勝は一応合戦の方ではそこそこ頑張ってるから
軍事面では景勝の方が上かも。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:37:36 ID:12fY1oJo
まぁ政治っつても賤ヶ岳のどさくさで裏切って秀吉に取り立てられただけで、
やったことは小早川秀秋と大して違わないんだけどな。
比較対象が景勝だからレベルが低すぎる
186名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:50:13 ID:O/47Mx8y
まぁ利家も柴田方の兵隊を殺しまくったって事なら非難されてただろうが。
187名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:55:51 ID:12fY1oJo
まぁ家臣が必死に言い訳してるとこ見ると当時でも褒められた行動じゃなかったみたいだけど
188名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:56:35 ID:U+KXfpHL
>>164
>>165
そういうのよく目にするが
それだと関ヶ原以前からの譜代大名や親藩大名は徳川家来といっていいだろ

大名家のは家来の俸禄も合わせて入れるが、徳川はごく近い家来でも
大身だとあわせ無いって成ってるが、これはおかしくないか?
189石 ◆wfGsWQJm.U :2006/11/13(月) 00:10:40 ID:KVIrBY2O
そう
190名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:11:57 ID:OrUW5Y81
実際利家のときは70万石くらいだったんだろ?利長の時に100万石になったと思うのだが・・
191名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 10:13:42 ID:AH0R2d16
誤解してる奴が多いな
利家が隠居したときすでに100万石は超えてた(102万石)
長男に81万石、次男に21万石と振り分けてたの
最近は長男の81万石を前田家の全石高だと思ってる奴多すぎだね
関ヶ原で豊臣派の次男の21万石は召し上げられて長男の恩賞になり
さらに家康との約束どおり前田が攻め取った分の領地20万石も加増
これで122万石の大藩になったわけだ
192名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 13:42:20 ID:CkPF7L88
>>186
寝返った直後に秀吉に忠誠示す為
必死に北ノ庄に攻めかかったが。
まあ、寝返った奴を先鋒にするのは常識だけどさ
193名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 15:16:56 ID:aDR0hGvN
利家は恩義ある柴田を裏切って秀吉に尻尾を振り。
ついでに賤ヶ岳の敗因をすべて佐久間盛政に押し付けた。
秀吉が死んで後、重要な局面であるにも関わらずあっけなく死亡。
それで後世の評価は「律義者」。皮肉以外の何物でもないな。
その上、子の利長は大恩ある豊臣をさっさと見捨てて家康に尻尾を振ってるし。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 15:26:24 ID:FZ9/A5xK
最近無知が増えたね
戦国板だからニワカが多いのか?
195名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 15:31:27 ID:4Md2OhsR
知識のない者が書き込んではいけないのか
すげー掲示板だなw
196名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 15:51:06 ID:+Yb+ArKH
前田利家の武功である「春日堤の一本槍」は史実なんだろうか?
あれで一万石の褒賞が信長から出たというけど、信長公記には記録が無い…
197名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 15:54:06 ID:glnOCdma
知識が無くても書き込んではいいとは思うが知識が無いくせに物事を決め付けてる書き込みをする輩が最近多いんだよ、このスレ以外でも。
逸話と史実とが混同しちまってる。
それはまだマシな方で酷いのになると己個人の勝手な想像による書き込み。
己個人の勝手な想像のくせして書き込みは「〜だと思う。」ではなくて「〜だった。」と断定してんのな。
戦国時代板に書き込みに来る前に最低ウィキペディアで確認してから来い、と。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 15:58:49 ID:aDR0hGvN
>ウィキペディア

 ( ゚д゚)
__(__っ/ ̄ ̄ ̄/_
   \/   /

  ( ゚д゚ )
__(__っ/ ̄ ̄ ̄/_
   \/   /
199196:2006/11/13(月) 16:03:46 ID:+Yb+ArKH
×春日堤→○春日井堤
200:2006/11/13(月) 18:41:40 ID:PPURyQnu
金沢いきてーーー

201:2006/11/13(月) 18:45:22 ID:PPURyQnu
前田家って意外とジミー金沢とか橋ジャンおもんねーなー

202:2006/11/13(月) 18:51:06 ID:PPURyQnu
ヤッホー金沢最高100万石って意外と少ないけどジミーな前田家にはちょうどいいんじゃねえか
武将少ないしあまりだらけだな。いいなあーうらやましいよー

203TAB ◆wfGsWQJm.U :2006/11/13(月) 18:54:10 ID:FrG1oMGR
んhんh
204名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 19:17:13 ID:gG8TSdYc
>>194無知とはどこを指して言ってるんだ?
205名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 22:00:28 ID:5lBvTfzs
花の慶次読んでるけどマジでオモシロス
いつもソロバン持ち歩く利家がいい
俺は一度も愛された事ないのに!
と慶次に泣き付くシーンに感動した
是非大河でやって欲しい
206名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 22:22:49 ID:ILSiLwQm
慶次の利家は酷すぎるという書き込みが多いが
私はあのへたれの利家に萌えた。
利家が死んだと知らされた時は泣いた。
207名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 23:28:41 ID:t700VdQz
花の慶次のやりすぎたアレンジをマイルドにすると戦国BASARA

BASARAの前田家最高
208名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:50:59 ID:PVdyzPBr
前田利家という史実の人物としてどうか?ってのだとまぁ色々あるだろうが、
あの漫画における利家というキャラクターは羨ましいほどにおいしいキャラだったw
主馬とのタッグでさらに最高w
209名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 12:18:44 ID:d0T+W5NW
どの漫画や小説でも利家は地味と言うかほとんど出番がないが
花の慶次はキャラが立ってたな
210名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 22:56:20 ID:En5g+GAF
今まで知名度が低かったからな。
信長&秀吉との関係や織田家臣団時代の武勇伝などを考えると
美味しいポジションだよな。
年表を飾る華々しさは無いけど、利家をからめると信長&秀吉らの今までになかった人間臭さが
分かってくる感じがする。
211名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:34:51 ID:HL8Z7sCN
慶次って男色?
212名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 17:35:18 ID:nabZ995B
利家の武勇伝てたいしたの無くね?ただの優柔不断な金魚のフンだよ。百万石おめでとう。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 18:47:44 ID:6xoIh/jY
優柔不断は間違ってるな
214名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 19:14:53 ID:ZetBSv8N
優柔不断なわけではなくて、
上からの命令ではなくて自分で考え、責任を取る生後とに対して
徹頭徹尾やる気がない、ホントもうすがすがしいくらいに責任ある立場に立たない人間。
サラリーマンの鏡。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 19:43:32 ID:b/AlnTJE
>>211
当時の武士は全員そうだが。
216名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 20:12:55 ID:seaFtnuA
個人の武勇伝なら稲生合戦以来、多数ある
しかし指揮官としてはちょっと目立った合戦がないな
賎ヶ岳の無断撤退は裏切りとしても徹底を欠いていたし
末森の後巻きは史実としては別に特筆するものではない(直後に別の城落とされてるし)
217名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 22:19:48 ID:cBh0hcWk
まぁ、北陸に勝家の余力として派遣されるまでは、
かなり長い間、信長の馬廻り&親衛隊長として一緒に戦場にいたからな。
初めから立場が違う。
利家もそういう立場でこそ適職だったんだろ。信長は良く分かってた。
司令官うんぬんも別に失態もしてないし、命令された仕事は確実にこなしてた。
218名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 22:27:45 ID:6xoIh/jY
対北条戦で利家は北陸軍総大将として城を落としていったが、
城主を切腹させなかったことで秀吉からお咎めを受けてなかったけ?

大事じゃないからいいけど
219名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 22:49:07 ID:H3SZnw0B
短気な秀吉は相手を殺さなきゃ気がすまなかったらしいね。
利家は殺さずに済めばそれでいい、と思ってたんだろうね。
利家の立場だからこそできる判断だったな。
そのおかげで命を落とさずに済んだ武将が一体どれだけいる事か。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 02:42:00 ID:bR8i3fA2
賤ヶ岳で味方をメチャクチャにしたやつが、敵の武将を殺さなかったとかいうエピソード聞いても共感出来ないよ。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 18:37:40 ID:HMrYg98l
まあ、できることはやる。できないならやらない
自分の器を知っての采配じゃないでしょうか。

本人も共感や敬愛されることなんて二の次だろうし。
222名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 21:29:40 ID:du6zQPna
利長は家康が豊臣家を潰そうとした場合
豊臣家につくつもりだったらしいね
当主利常は徳川派として戦わせ家を残させ
自分は隠居領から兵4000を連れ大阪城に入るつもりだったとか
関ヶ原後も利長は羽柴を名乗り家康はそれを憎らしく思ってて
利長を呼ぶときは羽柴と呼ばず越中中納言殿と呼んでいたらしい
まあ利長は大阪の陣のちょっと前に死ぬが
これをやっていれば前田家のイメージも少し違っていたんじゃないかな
223名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:40:31 ID:2EBwybNy
>>220
お前の信用にたる(好きな)武将って誰?
戦国時代に裏切りも虐殺もしないでのしあがった奴がいたら教えてくれ。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 08:45:11 ID:O5OoEF75
>>223戦の最中の裏切りは数える程でしょ。一言で言えば最低です。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 09:12:58 ID:Cbz1WeRa
最低じゃないよう。
小早川秀秋くらいだよう。
大恩ある相手を一番大事な戦いの最中に裏切っただけじゃないか。
226いぬちよ:2006/11/21(火) 09:14:54 ID:AVeCqIRh
裏切ったんじゃない。表返ったんだよ!
227名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 09:29:53 ID:OuH//4hL
前田は信長の命令で柴田についていただけで、柴田の手下ではない
お互い独立した大名だからね、信長が死んだらあとはどう動こうと前田の自由なんだよ

賤ヶ岳も裏切りというか柴田が秀吉にびびり砦から出ないことに失望し
これ以上柴田についていては破滅すると思い離脱しただけ、味方を攻撃はしてない
もともと柴田につくつもりはなかったが能登の周りを柴田勢に固められ恫喝され
仕方なくの出陣だし、佐久間の突出も秀吉軍にびびりまくり
引きこもっている柴田を前線にもってこようとする佐久間の策だしね
賤ヶ岳のことではよく前田や佐久間が戦犯扱いされるが
真の戦犯は柴田本人だよ、その後の秀吉との戦で柴田軍がろくに抵抗せず
蜘蛛の子を散らすように逃げたのを見れば、いかに柴田が秀吉にびびってたか
わかるだろw

228名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 09:51:51 ID:t3XozyBm
秀吉厨は一番頭いいな。
229名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 11:51:14 ID:pWqUc39q
エピソードが一番あるから楽しいだろうからな
230名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 13:23:22 ID:bTakoG5s
>>227
それだと初めから裏切るつもりで勝家を騙していた事になるが…
231名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 15:48:05 ID:D/C/F1Cj
>>230
>>227じゃないけど、そうじゃないか?て思ってる。

利家含め停戦和議を結びに行った三人とも賎ヶ岳で離脱してるし。その割に加増も多い気がする。

裏で内通でもしてたんじゃないかな。
内通とはいかなくても秀吉は情でほだしてみたり、恩賞をちらつかせたりしてただろうな。

ああ全部妄想だけどさ。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 21:28:54 ID:AopmimgO
利家が秀吉と戦わなきゃいけない理由がもともと無いからな。
233名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 22:00:16 ID:bf9crYGB
>>227
とりあえず利家が丹羽らのように初めっから秀吉についていたのであれば、
誰に文句言われる筋でもないんじゃない?
ただ合戦始まってからしかも、危機に陥ってから裏切るのは良い事では無いな。
正直言って、これについて言えば小早川秀秋より酷い。

だから俺は前田利家に関して言えば律儀と言う点に関しては微塵も信用しちゃいないが、
現実的な計算のできる男と言う点では評価してる。
234名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 23:33:29 ID:whMrw1lP
>>233
位置的に最初から旗幟を鮮明にするのは無理だろ。
235名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 00:14:47 ID:WP0caE+h
丹羽160万余石のお隣に前田85万石
があってしかも対上杉の最前線な上
一向一揆の本場
そして丹羽には前田は最前線で使い捨ての駒
だから信用するなって意味合いの手紙を出してるな秀吉。
最初の頃は信用してない様子がありありと窺える。 
236名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 00:16:27 ID:+JCv/V8C
>>234
そうか?この時期の利家って能登にいたはずだから、
本気で中立なら篭ってりゃそれこそ手は出せないと思うが。

下手に攻めあぐねれば秀吉にそれこそ実権を奪われてしまうし、
上杉景勝も信長亡き後、果敢に勢力を伸ばしてる中だし。

そういう意味でも上で言ってるようにお互い独立した大名と言えるよ。
その中ではっきりと柴田軍として出陣しておきながらその言い訳は通じないと思う。
237名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 00:26:31 ID:ZUpW4Bz4
逆説の日本史でも読んでアホになったのか。
238名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 07:14:27 ID:aB3dia0K
>>237誰に言ってんのか分からん。
239名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 11:11:16 ID:gYGP+lKC
どっちにつくのが悪いだのは別として、小早川秀秋のアレより重い動きだったな。
240名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 17:05:06 ID:B8jrbCY5
俺は秀吉勝利のための台本通りの裏切り、のほうがしたたかでかっこいいと思うけどな。

もちろん利家は後ろめたくて最後に勝家に詫びを入れるんだけど
241名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 18:19:11 ID:vnOSy2sL
柴田勝家は利家に感謝の言葉をいい、人質(マア姫)も無傷で返してる現実を無視するな
この二人には俺たちにはわからない何かがあったんだよ
そうでなきゃ裏切り逃げた利家に感謝の言葉なんか言うわけない
人質を無傷で返すわけない
その後、利家がこの裏切りについて誰かに罵倒されたという話も聞かないし
のちに律義者と呼ばれるなどやはり摩訶不思議な展開だ
この前田の離脱劇には何か裏があるんだよ、俺たちには理解できない何かがね
242名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 18:42:32 ID:gYGP+lKC
あと時はもう勝ちだとか負けだとか頭になかったんでしょうね。
243名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 19:06:34 ID:aB3dia0K
>>241勝家が人質に手を出せば勝家の名は地に落ちる。利家の事を考えてではないと思う。あと、府中城での勝家と利家のやりとりは話半分に受けとめておくべきだろう。
244名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 19:21:33 ID:W3tzBrVy
勝家は利家の裏切りを知らなかったんだよ
利家に何食わぬ顔で迎え入れられて無惨なほどお人よしの勝家は
最後まで尽くしてくれて有難う、と涙ながらに礼まで言って去って行った
その裏では利家と家臣らが
勝家の首取って差し出せば秀吉の覚えがいいのではないか?
いや、それでは世間体が悪いだろ
とか話し合っていたとも知らず
245名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 19:22:55 ID:lFtL/tVq
そこまで勝家が嫌いなのかw
別に手を出しても名落ちねえw

まあ昔の話なんてどうとでもとれるけどw
246名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 19:26:02 ID:gYGP+lKC
前田家譜だっけ?そのお話。
247名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 19:28:12 ID:vnOSy2sL
戦場で「前田殿裏切り〜」と大勢の人間が声を上げていたはずだが
それを勝家が知らないわけないだろう。
248名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 19:50:55 ID:W3tzBrVy
>>246
うん、家譜にはそう書いてある

>>247
そんなの言うわけないじゃんw
別に利家は寝返って柴田勢を攻撃したわけじゃない
勝手に戦線離脱しただけ
豊臣勢の追撃受けながら逃げたわけだし
柴田勢からみれば逃げたとしか思えない
寝返ったの知ってれば僅かな供廻りと裏切り者の城に入る馬鹿もおるまい
249名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:11:42 ID:OOUfhHFO
>>217
親衛隊長といえば

史実の趙雲(劉備の親衛隊長)って大したことやってないだよね
(優秀ではあったらしいけど(優秀じゃないなら親衛隊長なんかなれないだろうし))
250名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:15:23 ID:GN8jCCIq
あの戦いは地の利を利用して、半分脅されて味方にされたんだろ。
「柴田+滝川+信孝」と「秀吉+信雄+その他」の争いに無理矢理巻き込まれた感がある。
府中へやってきた勝家が、戦線離脱した利家に「付き合ってくれてありがとう」くらいの礼を言ったとしてもおかしくない。
既に老いていた昔馴染みで人のいい勝家なら、それぐらい言いそうだ。
251名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:17:34 ID:OOUfhHFO
>>233
>現実的な計算のできる男と言う点では評価してる。

こういう人達がいなくなったおかげで
第二次大戦のときの日米戦争はひどいことになったよ

硫黄島玉砕 戦艦大和出撃 沖縄地上戦 神風特攻
252名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:24:01 ID:OOUfhHFO
詐欺は犯罪だけど
せっかく出資してもらってがんばってやってみたけど 事業は失敗しちゃった
は違法ではない

利家は後者だったんだろ
出資した(期待した)勝家があほ
253名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:01:33 ID:5A+iPrKI
>>235
秀吉体制での丹羽家の所領は越前一国と加賀半国しか確認されていず、
実際は60万石だったらしいよ。
254名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:03:42 ID:LH2e7CxV
利家と勝家は浪人時代からの長い付き合い
さらに秀吉とも若いころからの長い付き合いで娘を養女に出している親密関係
どちらも大切な友だったのは間違いない
いろいろあったが勝家も秀吉も最後の最後まで利家と仲が良かった
それでいいじゃないか。
255名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:08:53 ID:rc81dgN0
>>251
それは例としておかしいな。
むしろそれらは財界の保身の為の犠牲なわけだし。
計算してる方だろ。
256名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 01:00:54 ID:VqbDHD0t
この人が律儀者など言われるようになったのはなぜですか?
257名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 06:12:47 ID:a3lECUde
律儀者だったから
258名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 06:45:34 ID:04rwrkmS
秀吉にとっては律義者だったからだろう。
家康も1599年で死んでれば律義者だったと思うよw
259名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 12:30:34 ID:QlceUBUD
>>252
期待するもなにも、味方でしょうがw
裏切ると分かっていたらどうすれば良いんだ?w
260名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 16:44:07 ID:VqbDHD0t
サッカーの試合でいうなら、柴田チームが劣勢を盛り返し同点に追い付いたと思った瞬間、選手の一人(利家)が勝手に帰っちゃった感じ?
261名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 17:59:49 ID:QlceUBUD
さすがに秀吉の本体も疲れてる。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 18:41:43 ID:0NE/xu99
>>260
足痛めた とか言って負傷退場になった感じ
263名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 19:27:16 ID:8634HGUU
後半ロスタイムで0-0
柴田チームは盛政と勝政の2TOPで猛攻激
そこでこぼれ玉を羽柴チームがカウンター
羽柴チームFW3人が上がり柴田チームのDFは前田、不破、金森の3人

前田「用事できたから帰るわ」
不破&金森「じゃあ俺らも…」
勝家(GK)「ちょwww」

て感じかと
264名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 19:49:54 ID:BfIqACMV
勝家は前田の参戦について「いるだけでいいんでついてきてほしい」と言ったらしいね
前田は秀吉との戦を嫌い断ろうとしたが、「秀吉軍を威嚇するだけでいいんで」と何度も頼み込まれたらしい
普段は前田と柴田に上下関係はなく、戦のときは前田が柴田の配下になるのが織田家の決まりだったらしい
そして砦から出ず、突出した佐久間を戻そうとしてたのは、全面戦争になったら前田たちが逃げてしまうとの思いがあったようだ
だから敗戦後、柴田は前田に自分の力が至らなかったといい前田に感謝の言葉を言ったんだってよ
なるほどこれならすべて納得だね。
265名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 20:57:03 ID:7mRV7bO/
どのみちもう老いていて野心とかも無かったんだよ勝家は。
秀吉との意地の張り合いみたいなもんだろ。
それより佐々って何で戦に参加してないの?
266名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 21:04:32 ID:8634HGUU
上杉と交戦中だから動けないよ
佐々が国空けたら柴田勢は秀吉と戦してる場合じゃなくなる
267名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 21:17:12 ID:SKOwiYGQ
>>264
それ前田家だけが自分で言っているウソwwwww
268名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 21:25:21 ID:7mRV7bO/
>>267
嘘かどうかは闇の中。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 21:53:06 ID:QlceUBUD
しかし、多くの功績を残しながら、滅ぼされた者たちの言葉を採取するのは難しかった。
一例をあげれば、柴田勝家である。
織田家の宿老として、豪快な戦ぶりが賞賛されるが、秀吉に攻められて自刃したため、残った言葉は実に少ない。
北ノ庄城に滅びる際の言葉をやっと見出したのは、キリシタン史料からだった。

楠戸義昭
270名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 22:03:36 ID:MwFcnSHL
>>263
勝家は監督じゃないの?
271名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 08:47:35 ID:tQBHzZ2C
>>270
監督兼GK

市の三姫を保護したのは誰だっけ?
272名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 11:33:39 ID:Swh3zmqX
加賀藩初代藩主はどう考えても利長でしょ
273名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 21:09:16 ID:XH69Ubts
江戸時代初期も安土桃山時代も、加賀藩なんて言葉は無い。
中期になって一部の人たちは「藩」を使っていたようだが一般的では無い。
当時普通は「〜大名家」もしくは「〜家中」と言っていた。自分の国のことは「家中」「お国」と言っていた。
だから「加賀藩主」なんて言葉は無く「前田家」で言い訳で、初代当主は前田利家。
274名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 21:15:02 ID:qvrwgYDt
一般的にないだけなのか、言葉が存在しないのか。
どっちなんだろう。
275名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 21:50:43 ID:XH69Ubts
藩とは一部の儒教学者だけが使ってた言葉。
一般人は殆ど知らなかった。
家士が身元を名乗る場合、例えば「前田加賀守家来なに某」と言います。
あくまで前田家の家臣ですから、「加賀藩士なに某」とは言いません。
276名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:39:50 ID:YTZSV7Xa
>>256
物書き小瀬甫庵を雇い入れたからだよ
池田大作先生が諸外国で勲章貰ってくるのと一緒
277名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 00:03:13 ID:smfOe8LZ
池田犬作先生と一緒と言うことは
利家も腐れ気狂いなのか?
278名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:10:03 ID:qNWtVwAC
>>275
「藩」という呼び方はは江戸中期から一般的に使われはじめ、
幕末あたりはかなり普及してた。

とはいえ皮肉な事に「藩」が正式名称になったのは
大政奉還と廃藩置県は間の4年程度の出来事。
279名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 19:08:44 ID:55p1md79
>>276-277
何が悔しいのか知らんが、歴史なんて全て勝者の理屈だろ。
例えば佐々なんて負け犬代表。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 19:22:32 ID:ltsv3ALn
「佐々なんて負け犬」

なるほど、そう言わすために勝者は歴史を創ったのですよね。
281名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:56:04 ID:9N9bX7Hn
>280
>279さん釣れましたよ。
282名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 07:36:23 ID:Ig2B9LO5
>>279じゃないけど歴史をそういう風に曲解するのは有り無しなら有りじゃないか?
ってか成政に関しては曲解ってほどか?
283名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 21:10:00 ID:lrak9Xvn
前田に絡んでくるのは佐々オタって事だと。
284名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 00:38:08 ID:5Pbr/LsS
>>282
太閤記に関していえば前田家よりに書かれてたと見てもらっていい
末森戦あたりは最初から前田が官職の筑前守、佐々が通称の内蔵助で書かれてる
実際は逆で末森戦当時は佐々が官職持ち、前田は当時無位無官。

作者本人は信長髑髏酒にわざわざ佐々をフィクションお諌め役に使うくらいなんだから
悪感情事態はないと思う
285名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 20:55:03 ID:r6Iz+3N7
昔の史書なんだから変遷はあって当たり前。
信長公記の一部だって信憑性があると言われてたのがずっと前田家所蔵のものだってあったんだし。
286名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 23:50:53 ID:tlM2OHOg
信長髑髏酒ってフィクションなのか、知らなかった
287名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 00:18:29 ID:xC8alqh2
前田利長は婿とは言え何で信長の字を利の下に置いてるんだろう
288名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 00:45:48 ID:nhgMj76J
>>286
その部分に関しては関係ないんじゃない?

公記の中でも信用に足る部分と微妙な部分があるというだけ。
289名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 11:20:18 ID:JwY4QCCB
金色髑髏の酒宴のあと、成政が信長を諌めた話って太閤記だったか。
中国の論語を引用して説いたって話だけど何だったっけなあ…。
290名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 00:04:37 ID:4/0Kc2CS
>289
成政が言ったってのも嘘っぽいな。
291名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 01:12:01 ID:Ua+7eCbR
金色髑髏が行われたかどうかという点では公記にもあるけど、
成政が〜ってのは知らない。太閤記だけかも。

怪しい・・・。しかも論語で?
292名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 13:25:58 ID:/pgiy7+I
適当なレス付けてすまない。
調べ直したら「金色髑髏での酒宴を成政が中国の故事を引いて諌めたため、喜んだ信長は成政を別室に招いて夜通し政治を論じあった」
(甫庵信長記)

だった。まあ、甫庵に関しては貶てない。
293名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 22:23:07 ID:3UFB8isT
信長は、中国の故事に詳しくないと思う。
岐阜だって入れ知恵だろ?

佐々はさらに知らなそうだけど。
294名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 22:26:57 ID:LLqMI+Tx
佐々どうでもいいです。
295名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 23:49:43 ID:lP6D5bJp
>>276-277
利家の側室 利常の母 千代母が日蓮狂いで有名
息子の三代目藩主は加賀に文化人を招き芸術文化の発展を促進し金沢ルネサンスを起こした
利常の妻である徳川秀忠の娘も熱心な日蓮宗信者で
肖像画には南無妙法蓮華経と書いてある
296名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 23:53:47 ID:oUdRCJxr
家康に毒殺されたの?
297名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 23:55:34 ID:lP6D5bJp
>>296
家康=プーチン
歴代服部半蔵=歴代KGB(FSB)長官

あの頃って 不信な病死とかが多いね
298名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 00:45:21 ID:BjUwa/7f
間者を使って毒殺なんて当たり前だったのかな?伊達政宗なんかは凄い警備をしてたのかもな。
299名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 11:15:14 ID:N8xsAuMo
前田にも加賀忍軍がいるじゃない。
詳しく知りたいけどどんな史料があるかわからない。
いや、詳しく残ってたら駄目なんだけど
300名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 11:36:38 ID:uUhnLGtq
主馬たんキター?
301名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 17:49:45 ID:LsmnxRqJ
加賀忍軍って
結局は滝川の残党だろ
302名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 19:01:04 ID:RhHiRYyV
>>299
そんなのいるのか?
「花の慶次」に出てきただけだと思うが?
303名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 22:50:50 ID:kLVhb4tG
利家は秀吉存命時から既に病気の兆候があったらしい記述がなかったっけ?
だとしたらいくら家康でも、秀吉が死ぬ前から利家に手を回すとかあり得ないだろ。
304名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 23:18:43 ID:WOnBj3wS
確か本能寺の変のあったとき、甲賀の忍者を使って、能登一円の寺を焼かせまくってたな。
305名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 08:50:39 ID:doH9WbA/
陪臣あがりの外様大名って少ないよね?
それで最大石高なんだから、よっぽど世渡り上手だったのだろう
当然それ相応の実力も持ち合わせていたのだろうが大河の題材にするにはネタ不足に思われた
徳川三代ならぬ信長→秀吉→家康の天下取り三代みたいだった
306名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 16:57:37 ID:ZovWSKdx
利家は信長から勝家につけられた与力だろ
陪臣とは違う
307名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:40:26 ID:vX4t131b
>>303
利家が死ぬ前年四月から、内蔵疾患と思われる症状が出てたらしい。

秀吉が存命中に利家に自ら料理し、持て成そうとしたが利家は「虫持ち病に候」と断った。という話もあるし。
308名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 22:07:56 ID:sZiJo2eM
それは毒殺を避けたためだったりいて・・・
309名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 23:44:12 ID:ZpH6ObWv
たれか、利家が武生城主だった頃に詳しいひといませんか?
310名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 02:08:24 ID:Ctk0cr2l
>>308
果てしなくありうるが、実際すぐ死んでるのを見る限り、調子が悪いのも嘘ではなかったっぽい。
311名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 19:03:27 ID:Tkc1EYiB
利家が無能なら
棚ぼた金メダルの荒川も無能ということになる
312名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 20:24:03 ID:DNV9HK/t
荒川は試合に対して真っ向から勝負している。
利家を筆頭に前田家はと言うと…。なんだかんだと理由をつけて逃げてばっかりじゃん。自家保存に関しては前田家は優れてるよ。
313名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 21:13:11 ID:3qLzL8hr
まあ当時の戦国大名にとって一番大事なのは自家を残すことだからな

314名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 22:22:04 ID:vTtjKLus
確かに優勝候補の選手がミスしたのが、
荒川優勝の一因ではあるが、
そんなのはスポーツの世界では当たり前だろう。
荒川は正々堂々とした勝負で融資用したので、なんら恥じる必要はない。
315名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 23:09:43 ID:vTtjKLus
「ミスしたから負けた」
「ミスしなかったら負けなかった」って
だから勝った側が無能って
そんなアホな理屈がどこにあるんだろう・・・・
細かいミスはプロレベルのスポーツやゲームでも当たり前ではないか。

316名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 23:40:35 ID:ts0z3o/t
なんでもケチ付けるってのは
馬鹿の証だと思う。
317名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 02:39:01 ID:y0LJdFXB
人間だもの
ケチつけるのはあるよ。理由を明記してるやつはまだマシ…。
318名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 00:17:51 ID:CMwf+sS0
うだうだケチ付けるだけで、
自分では何もできないやつが多すぎ。
つーか、何もできないヤツほどケチ付けたがる。
単なるアホ。
319名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 01:35:59 ID:CpkKvpHU
Q 各地の登記簿取得したい
 私は、現在、金沢市に住んでいますが、
県内各地の土地の登記事項証明書が必要になることがあります。
どのようにすれば取得できるのか教えてください。
タイトル
A 法務局では、登記事務がコンピューター化された登記所間において、
土地・建物および会社・法人に関する登記事項証明書または印鑑証明書の交付を
相互に可能とする「登記情報交換サービス」を展開しています。
 このサービスを利用することで、最寄りの登記所でその登記所管轄外の土地・建物
および会社・法人の登記事項証明書等を受け取れるようになりました。
例えば、輪島市の土地の登記事項証明書を金沢市内にある
金沢地方法務局金沢西出張所で受け取れます。
〒920−0024 石川県金沢市西念3丁目4番1号 (金沢駅西合同庁舎3階)
http://houmukyoku.moj.go.jp/kanazawa/table/shikyokutou/all/kanazawanishi.html
 交付申請書は、法務局の窓口に備え付けています。
 請求する場合の注意点は、次のとおりです。
 〈1〉登記事項証明書の必要な土地・建物の所在(○○市○○町)と地番
または家屋番号、会社・法人の名称と本店所在地をあらかじめ調べてください。
 なお、土地の地番・建物の家屋番号は、いわゆる住居表示番号と異なりますので、
正しい地番・家屋番号を登記済証(いわゆる権利証)などで確認してください。
 〈2〉このサービスは、本年9月1日現在、全国523の登記所でご利用できます。
具体的な内容については、金沢地方法務局金沢西出張所の職員にお尋ねください。
 なお県内では、金沢地方法務局珠洲出張所の会社・法人登記を除き、
このサービスが利用できます。
 〈3〉料金は、登記事項証明書1通について、1000円です。
(2005年10月12日 読売新聞)
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub7/seikatu/ho_s7_05101201.htm

320富山県民:2007/01/10(水) 21:17:58 ID:LWL/XAZp
金沢城に天守閣があったなんて知らんかった、富山は無かったのに模擬天守を作ったが、是非、再建してもらいたい、石川県民の力にて。
321名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 21:57:10 ID:IGxVE+qt
>>314の言うとおり、荒川は堂々と融資用している点は異論の余地が無い
322名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 19:07:01 ID:0u4m7qZK
>>320
記憶違いだったらスマンが、金沢城の天守閣は江戸初期から既に火事で焼失してて、
二代目利長が「この先、天守閣を使うような戦は起こらないだろう」と言い再建しなかったらしいが

利長も心の底では再建を望んでいたなら実現してほしいね、石川県民の力で。
323名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 19:13:36 ID:r3vhsQr/
本当は天守閣が欲しかったが
金が無いのと、徳川に因縁をつけられるおそれがあったので
作るのをやめていた。
324名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 21:48:49 ID:3HFXkj+i
>>320
>>322

もとの天守閣だって富山県民(越中)の力なくして立てられなかったんだから
石川県で単独なんてムリムリw
325名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 23:43:15 ID:bbWVIggF
天守閣なんて役に立たないと悟ったのかも。
326名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 23:53:06 ID:rQbKiScH
江戸時代に入ってから国同士の戦がなくなった時点で天守閣など意味が無い。
シンボル的な意味しかないからな。
327名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 19:36:40 ID:oFHw/IuJ
昨日(時間的には今日)の深夜にフジで加賀参勤交代やってたぜ
参勤交代の道を辿るってやつ
328名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 20:10:30 ID:WdK2cV7Z
>>326
仮想敵国はあったがな。
329名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 20:45:38 ID:wwu6CzqU
>>322
天守閣は落雷による火災で消失した。
ちなみに石川県の雷発生率は全国一。
避雷針のように落雷を受けやすい天守閣がないのは
金沢という土地では道理だったと思うが。
330名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 20:49:18 ID:wwu6CzqU
金沢は全国一、落雷の多い都市。
http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/kaganoto/hontokaine/31.shtml

日本最初の避雷針は金沢の尾山神社にあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BF%E9%9B%B7%E9%87%9D
331名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 21:04:22 ID:QmC+Y9I0
762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 21:14:43 ID:AWkOWXk50
ホテルニューオータニ○岡、洗い場パートの○池死ね。
ほんと死ね。いい加減にしろよ!てめぇのせいで精神おかしくなった。
医療費払って責任取れよバーカ。

2月で辞めてやるけどなw
バイト4人一致団結してまとめてwwお前は知らんと思うが、みんな憎んでるぞ?w
一人でせいぜい頑張れよバーカ。


600人分もの皿を1人で洗えるのかな?(プギャー
332名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 21:39:16 ID:DWLasLzh
>>327
見たいなあ!
でも新聞見てもやりそうな番組がないんだが…。

>>329-330
なるほど、納得した。
明快な理由ですな。
333人間七七四年:2007/02/13(火) 20:20:59 ID:O9ntWpwm
家臣団の構成は以下のような感じ?

・前田家譜代
・織田家/柴田家の旧臣
・北陸の国人(神保/畠山旧臣含)
・その他浪人
334人間七七四年:2007/02/18(日) 11:08:38 ID:F4BAKSSJ
前田利家は大河でファンになた。
その後本とかも読んだ。
コーエーの信長の野望も好きだ。

柴田>前田という認識が一般だが、総合的に見れば実は前田>柴田であることは明白。
信行について信長にぼこられた柴田。
信孝について秀吉にぼこられた柴田。

誰にもぼこられてない前田。
その結果が100万石。

トップを走るのではない。トップのちょっと後ろを走る。
トップが崩れていきトップになると又少し後退して安全な位置を確保する。
俺が俺がという織田家臣団の中で利家は重宝されるのは当然。
一番使いやすい部類に入る家臣だた。信長の時も秀吉の時も。

家康にとってはつぶす名分を失ってしまった、ある意味で手ごわかった相手。
結局大身のまま残すハメに。

織田がついて秀吉がコネたモチを食ったのが家康というが、そのモチ家康に振舞わせたのが前田。
なんとも幼稚なレスですまぬみません。
335人間七七四年:2007/02/18(日) 12:07:33 ID:PCqi09cj
ぼこられるという表現が合うのかは分からないが、信長の怒りを買って一度追放はされてるが・・・
まぁ秀吉死後に、五大老ナンバー2として睨みを利かせていた利家頑張ったと思う。
336人間七七四年:2007/02/18(日) 13:58:33 ID:drJpxngH
うん、利家は感情に動かずに頑張った。

だが、俺も利家ファンだが勝家を貶るのはややいただけないな…。
勝家は実力はあったけど相手が悪かっただけ、という見方が出来るし、なにより利家が「親父殿」と呼んで慕ったその人だし。
ただなんとなくね。
337人間七七四年:2007/02/18(日) 16:25:53 ID:F4BAKSSJ
>>335
>信長の怒りを買って一度追放はされてるが・・・
そこなんだよね。
柴田は個人の時と大名の時とであまり差がなかったんじゃないのかな。
だから信長の下は嫌だといった尾張時代と同じ事を大身になってから繰り返したのかも。

利家はそこらへんわきまえてたよね。まつもそうだけどさ。
本当ならあの流れで前田が徳川を認めるってのは結構無理があった。
柴田なら多分滅ぼされてた。
前田が徳川を認めてしまったが故に徳川が乗ってしまったともいえる。
まあ西軍は団結すべき柱を失ったわけだからどちらにしてもしょうがないけどさ。

>>336
m(__)m
権六様は好きなんだけどさ。相手が悪くても自分の立場を忘れて気持ちでつっぱしってしまうところが、
権六と利家間における少ない利家が勝る要素だから。どうしても権六の悪い部分を書いてしまいました。

っていうかマツケンの権六最高だた。初めのころは上様が頭を下げてるよ!?なんて違和感もあり、
でもその大御所感が権六を単なる脇役に感じなかった一因だったとも思ってる。
あのドラマは正直ハマリ役多いよ。秀吉・信長・家康も最高だったし。
ポイズンはいいよ。本当。
338人間七七四年:2007/02/18(日) 17:20:12 ID:ftYuDewr
むしろ裏切った過去があるのに
終始家臣筆頭的立場だったのが勝家の有能さを示している
利家は個人的に信長のお気に入りだったが
手元に置くわけでもなく一手を任せるわけでもなく
勝家の一与力として付けた点からして
能力はさほど期待されてなかったのだろう
339人間七七四年:2007/02/18(日) 17:38:40 ID:TZGqR6iB
利長に自分の娘を嫁がせてるから一応前田を評価はしてたと思う
前田家は織田の天下でも間違いなく優遇されてただろう
そういう意味では運の強い大名だなあと。

340人間七七四年:2007/02/18(日) 18:13:30 ID:F4BAKSSJ
>>338
能力は残念ながらその通りだろうなぁ。
だって大河ですら、小さいことを拾って拾って何とかって感じだたからね。
まあ処世術においては一流なのは確実。

>>339
能力を評価されていたのかなぁ。
人間としての評価だと思うよ。
もちろん能力も評価されてたろうけど、実際秀吉なんかは信長が「こいつすげえ」って恐怖心を抱く瞬間もあったでしょうが、
利家に対してはそうではなかったとオモ。

誰の天下になってもきっと優遇されるのが前田利家かと。
能力評価については小姓時代が長かったってのもあると思うけどね。
まあ秀吉みたいに戦国においても1,2を争う功績でなりあがっていった人間とは違うから。
比べるのもある意味違うのかもね。若い頃は戦以外ではあまり使いどこなかったろうし。
341人間七七四年:2007/02/18(日) 19:43:02 ID:rtWGS+7L
利家て影薄いよね
342人間七七四年:2007/02/18(日) 20:20:14 ID:TZGqR6iB
以前はもっと影が薄かったんだぜ
大河で一気にブレイクした
343人間七七四年:2007/02/18(日) 20:39:12 ID:F4BAKSSJ
>>342
そうそう。五大老筆頭格であったのに、なぜか影の薄さも筆頭格だった・・・
344前田 ◆MAEDAxMYTY :2007/02/18(日) 22:16:17 ID:hw3qpbna
一時は浪人であったと聞く。
345人間七七四年:2007/02/18(日) 22:52:50 ID:51yfKkd0
勝家は裏切ったと言っても、織田家を裏切った事は一度もないから。
要するに、利家は信長の家臣で、勝家は織田家の家臣なんだよ。
346人間七七四年:2007/02/19(月) 20:43:17 ID:WaE+hLi+
>>345
利家=柴田の目付?
347人間七七四年:2007/02/19(月) 22:38:55 ID:KxdtCbpF
勝家公とよべ!
348人間七七四年:2007/02/19(月) 22:55:27 ID:R7f47qsC

勝家は従五位下修理亮

勝家に公なんてつける必要ないし、つけたら逆におかしいと思いますよ。
349人間七七四年:2007/02/20(火) 08:33:09 ID:MSlJl1PM
空気悪くしないように名称くらい平等に扱ったほうがいいと思うけど。
贔屓な武将は「公」付けたくなるよね。
350人間七七四年:2007/02/20(火) 09:53:26 ID:dOI2OGFt
勝家でいいです。感情的になってしまい
すみませんでした。許して。
351人間七七四年:2007/02/21(水) 11:52:08 ID:98Olmabv
感情的になるのは熱心な証拠でいいじゃない。
なりすぎても敵作るだけだけど。

ぶつかり合いになりそうな人達がいたら、皆が積極的に仲介役に回ってくれたら良いんだけどね。
352人間七七四年:2007/02/21(水) 18:34:43 ID:FuAntdgP
信長の娘婿って
前田、丹羽、蒲生と
割と戦働きは堅実で、政治もそつなくこなせる武将という傾向があるわな
悪く言っちゃうと起用貧乏なんだけど、信長の好みってこういう小才が効く人間のように思える
森兄弟だって猛将の長可は信忠に付けて、蘭丸みたいなのは手元に置いてるしな
353人間七七四年:2007/02/21(水) 20:58:15 ID:MI5GTkQ/
>>352
自分の手足になれる器量があればOKということか。
354人間七七四年:2007/02/21(水) 21:32:22 ID:hB1he1XA
小粒でピリリと辛い
ってトコだね、信長子煩悩だしそれくらいがちょうどいいな
355人間七七四年:2007/02/27(火) 23:09:45 ID:earUzuYu
利家はキリシタン大名の高山右近や内藤ジュアンをかくまっていたらしい。
また娘の豪姫もキリシタン。あまり知られていないけど、利長は洗礼を望んだらしいが。
あまり知られていていないけど、加賀藩はキリシタンにはおだやかだったとか。
356人間七七四年:2007/03/04(日) 12:34:29 ID:A0ndiNtv
>>355
反一向宗だからな
千代母と息子の利常は日蓮宗

>>346
実は監視役の裏任務もあったかもな
357人間七七四年:2007/03/08(木) 00:00:15 ID:lT7Jk1FS
利常が亡くなったあと、寺町ができたという研究が今日地元紙に出ていた。
いまの前田家は日蓮ではないよね?確か....
キリシタンに寛容だったのは、かつて一向宗で酷い弾圧を受けた土地柄もあった
と思うけど。隠れ念仏とかの類もあるからね。
358人間七七四年:2007/03/15(木) 00:05:57 ID:n/EDyEzf
無難

色々な意味で
359人間七七四年:2007/03/15(木) 00:25:24 ID:kn+1qVUI
利家の生き方は見てて美しくない。
所詮、尻でとった家か
360人間七七四年:2007/03/15(木) 12:07:27 ID:xTWb0jfn
狂人にはまともな世の中が狂って見える

狂った戦国の世の中で
まともな普通の人を貫き通すのはすごいことだと思うよ
361人間七七四年:2007/03/15(木) 12:40:44 ID:9eMd1xAI
完全に欲に狂ってるだろ
恩人を裏切り主家を見捨て
せこく小銭ため込んで芳春院に怒られたり
362人間七七四年:2007/03/15(木) 16:17:42 ID:2YiBOzQ6
成功した人物であるけど、立派な人とは思わんな。
諸将に金貸して蓄財するわ。それをここぞいう時に使わないでまつに叱責されるし。
敗戦理由を盛政に押し付け、勝家に返してもらった人質は自分で取り返したことにしてるし。
五大老の中で影薄いのは当たり前。だって他の面々と比べて余りにも小人物。
363人間七七四年:2007/03/15(木) 16:55:44 ID:hfICyQlo

もっと新しい情報みたいなのないの?

364人間七七四年:2007/03/15(木) 20:58:18 ID:xTWb0jfn
利家は 勝家が余計なことしないように って信長の命令で監視役で来てるんだから
別に秀吉との戦いに参加する義務は無いし

それを義理人情は無いのかとか言われてもな
文句あるなら信長に言ってよ
365人間七七四年:2007/03/15(木) 21:06:33 ID:Fleu1waE
>>364
裏切った時信長生きてたか?
離れようと思えば離れる機会があったのに誓書まで書いて勝家に忠誠を誓ったあげく
最後の最後に裏切るとは、裏切りの中でも外道のやることだ。
テレビばかり見てないでもっと勉強しろ馬鹿^^
366人間七七四年:2007/03/15(木) 21:40:12 ID:om4E9+Pl
もう語りつくされててつまんねーなぶっちゃけ
367人間七七四年:2007/03/15(木) 21:55:24 ID:H1LZFVZ9
>>362
私は利家偉いと思うよ。
当時は領地を広げよう、国を強くしようと兵を雇いすぎたり、借金で国を潰す武将が多かったんだよ。
そんな今と感覚が全く違う時代に、ソロバンで計算することが得意で
人に貸すほど金を蓄えていたって異常なことだったんだよ。
利家のそんな家風が明治まで加賀藩には残ってて明治維新のあと日本海軍が
力をつけてきたときその屋台骨を支えていたのは数学を尊いとする加賀藩出身者だったって知ってた?
368人間七七四年:2007/03/15(木) 22:38:59 ID:36f0yg8V
で、取り返した娘を妾に送り込んで、マンコの力で御家安泰だったんだよな。
369人間七七四年:2007/03/15(木) 23:35:36 ID:C1nCLDXI
秀吉の側室になったといっても殆ど前田家にいたし、形だけのもので養女のような扱いだったとか。
家族ぐるみの付き合いの秀吉につかずに、そのまま与していた勝家に付いたのは「義」の為だったろう。
勝家に付いた以上、秀吉に殺されてもしょうがない、将来も諦めたと同じ意味だろう。
だから勝家は帰りに利家の城によって今まで自分に付いてきてくれた事を感謝したんだろう。
秀吉が利家を許した?のは長年の利家の付き合い方と秀吉のやり方であっただけで
そのまま利家の城に来た時に殺されてもしょうがない心積もりもしてたと思う。
裏切りって後から簡単に言うけど、当時の人はしょうがない、と思ったから責めなかったんだと思う。
370人間七七四年:2007/03/16(金) 00:07:06 ID:qeLS3GZB
前田利家は「織田信長の後継」を強く意識した戦国武将だった、そう思わせるいくつかの事例がある。
 1つは、安土城を造った大工集団が信長亡き後、利家とともに加賀にやってきて、金沢の街と城を築いていること。
さらにその大工の末裔(まつえい)が、安土城天主閣の絵図面を残している事実。
 2つには、信長の一代記を書き残した日本文学史上に名を残す2人の軍記作家、太田牛一(ぎういち)(1527―1610?)と小瀬甫庵(おぜほあん)
(1564―1640)がともに、加賀の国に足跡を残していること。
たとえば信長に仕えて「信長公記(しんちょうこうき)」を書いた牛一は本能寺の変の後、松任(当時は丹羽長秀の領地)に数年間隠世(いんせい)。
孫が利常に仕えている。また「太閤記(たいこうき)」と「信長記」の作者で知られる甫庵になると、晩年を金沢で過ごし卯辰山ろくに墓があるほどだ。
 3つ目は、人的つながりだ。前田利長の妻となったのは信長の娘・玉泉院(ぎょくせんいん)である。
その母、つまり信長の側室も、晩年には加賀に招かれているという。
高岡の瑞龍寺(ずいりゅうじ)に信長廟(びょう)があり、金沢城に玉泉院丸と名付けられた曲輪(くるわ)があるほど、前田家は主君織田家を大切にしている。
 むろん、信長の人的遺産といえば、前田利家本人が間違いなくその1人だった。
さらにいえば、高山右近や、右近に誘われて金沢に来た内藤如安(じょあん)、宇喜多久閑(きゅうかん)ら加賀藩で禄をはんだキリシタン武将らの存在こそが、伴天連(ばてれん)を保護した信長の「遺産」の1つと言ってもいいだろう。

これマジ?
371人間七七四年:2007/03/16(金) 00:44:00 ID:yxfU8RFb
赤母衣衆だしな

ようするに信長様の うほ アッー! な仲だった訳だし
親衛隊長(劉備の趙雲)みたいなもんだったのだろう
372人間七七四年:2007/03/16(金) 02:50:04 ID:9nCAmyPJ
蒲生なんかは利家に天下取って欲しかったみたいだしな
373人間七七四年:2007/03/16(金) 11:33:44 ID:BYpEEgs2
賤ヶ岳の戦いはブック(かなりマシで
374人間七七四年:2007/03/16(金) 11:41:01 ID:sN9gdAAU
>>369
大河やら漫画では賤ヶ岳の陣中で離反の決心したみたいに描写されてるけど、
利家が秀吉側に内応したのは勝家の使者として秀吉の下を訪れた時だと言われてる
怠戦や最悪のタイミングでの撤退を見る限り、やはり後者の見方が妥当。
一部の資料で利家が府中城で「私がここで戦いますから〜」とか「死を覚悟で勝家助命を嘆願」っていうのは我が身可愛さの大嘘。
375人間七七四年:2007/03/16(金) 12:04:09 ID:2Ily4j8p
柴田スレに真実があるね。
376人間七七四年:2007/03/16(金) 12:40:36 ID:sN9gdAAU
>>367
>>361>>362が言ってるのは個人的な蓄財であって、いざという時に使おうとしなかったことじゃね?
あと、加賀の学問奨励は利家じゃなくて綱紀だと思う
377人間七七四年:2007/03/16(金) 15:38:35 ID:VY77vrE6
>>373
あれ、このレス前にも見たことあるんだが。何だっけ?
378人間七七四年:2007/03/16(金) 15:52:23 ID:VY77vrE6
>>376
利家自身論語かじってるし、遺言に重用するなら文武両道の者、って言ってるから奨励派でしょう。
大きく行動したのは綱紀。

蓄財は狡っ辛いからだろうね。
いざってとき使う、というか、いざってときのために救援行けるほどの兵を雇うための金は使っとけってことで。(まつさま談
379人間七七四年:2007/03/16(金) 16:48:49 ID:sN9gdAAU
利家に学がないとは言ってないよ
ただ藩内での学問が盛んになるように整備したのは綱紀の功績


個人的に利家の評価は?が多いんだけど、当時世間の受けは悪くなかったみたいだし、人付き合いは上手かったみたいだな
人たらし だけ においては秀吉に匹敵するんじゃないかと
380人間七七四年:2007/03/16(金) 17:55:31 ID:VY77vrE6
>>379
まあ、綱紀しても利家や利常が及第点まで、前田家ならそれ以上まで持っていってくれたから色々自由が利いたところもあるんだからそこの評価も忘れちゃいけないと思うんだ。(忘れてるとは思ってないけどね)

大河では天性の愛され屋みたいになってたが、もっと強かだと思うねえ。青年期はそこそこ暴れても憎めないやつ、と思われてたかも。
抱く人物像は人それぞれだけどね。
381人間七七四年:2007/03/17(土) 03:41:06 ID:E5mShpS0
白い巨塔の財前教授に 利家とまつの利家を足したようなイメージで
実写化して欲しい
382人間七七四年:2007/03/17(土) 18:41:04 ID:2PKGuTxU
>>377
以前にあるコテが唱えた説
383人間七七四年:2007/03/19(月) 08:07:30 ID:4y0oz/d9
関ヶ原や幕末って前田家は何してたの?名前すら出てこないよね。
384人間七七四年:2007/03/19(月) 12:52:30 ID:xD4xLXqs
ちょっと調べれば誰でもわかる時代だよね〜
385人間七七四年:2007/03/19(月) 23:02:40 ID:dVOAaZCL
戦国武将としてどうか?と言うのはあるものの、
逆にもしも現代に来ても成功しそうな武将の一人だと思う。
現実的というか個人の感情とは別に自分を客観視出来てる人物と言うイメージ。
386人間七七四年:2007/03/20(火) 12:03:01 ID:YCKiuSMp
一選手時代の若き日はバリバリの点取り屋(10〜30代前半)

選手を引退しコーチ、監督になるがしばらくの間たいした功績を残せず。(30〜40代後半)

しかし着実にチームを育て、攻めのサッカーではなく守りのサッカーを極め
組み合わせなどにも恵まれ、なんだかんだでW杯準優勝(晩年)



387人間七七四年:2007/03/20(火) 20:40:28 ID:HNrDU+4J
>>386
子供のいなかった協会会長に娘を養女に出し、もう一人の娘を協会会長の愛人にする。
388人間七七四年:2007/03/21(水) 20:48:30 ID:sEvlePpf
>>387
側室が本当だったとしても、前田利家の立場ならあんまり意味ないと思う。
ゴマするような立場でもないし。
むしろ秀吉側が望んで頼み込んでの間柄だったと思う。
まつとねねは親友だし、気を使ったと思う。
389人間七七四年:2007/03/22(木) 00:00:04 ID:vObN+J60
>>388
太河厨乙
390人間七七四年:2007/03/22(木) 01:28:33 ID:lv1L9sy5
他の大名からも人質取ってるのに
前田家だけ無いと示しがつかないから
妥協の産物が麻阿(加賀殿)だと思う
391人間七七四年:2007/03/22(木) 21:48:29 ID:uVgp+qnC
あんなもんに感化されてるからたいしたことないとか言ってるんだろ。>>389
392人間七七四年:2007/03/24(土) 16:46:33 ID:hCnuvLhg
白い巨塔の制作チームで大河作って欲しかったな
393人間七七四年:2007/03/24(土) 16:50:36 ID:sRn3kZY0
394人間七七四年:2007/03/24(土) 21:31:28 ID:sDv/bZmd
>>393が見えない
395人間七七四年:2007/03/25(日) 12:09:00 ID:3jxxOvDn
百万石崩壊
396人間七七四年:2007/03/25(日) 16:10:31 ID:ZaOXA1MQ
秀吉も自分の養女(豪姫)の実の姉を妾にするなんて
変態ロリコン野郎だね
397人間七七四年:2007/03/25(日) 21:03:48 ID:8GnPAUAB
>396
同じ社宅に住んでいて小さいときから知ってる同僚の娘を妾にするほうが変態だと思う。
398人間七七四年:2007/03/25(日) 23:37:35 ID:+aR5acO5
>>397
そんなのおれでも出来るよ。てかしたい。
399人間七七四年:2007/03/27(火) 14:28:36 ID:JezXPL4+
美女だったら顔なじみかどうかとかか関係ないんじゃねーの。

それにしてもニュースみてると能登の人って気丈だね。
400人間七七四年:2007/03/27(火) 17:29:52 ID:fTa5D1Gl
>>399
関係あるよ。普通の人は。
401人間七七四年:2007/03/27(火) 22:17:43 ID:+IQBJ8cC
今の価値観と昔の価値観なんて全然違うんだから。
敵の首切り取って持ってきたら給料上がるなんて考えられないだろ。w
402人間七七四年:2007/03/29(木) 01:50:26 ID:YWr+fXVZ
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ  ←金沢キムヲ              ____
      川川::::::::ー◎-◎-)              /:::::::::::::::::::::::\
      川(6|::::::::  ( 。。))            /:::::::::::::キム子::::::::::ヽ
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ            |:::::::::人人人人人人人)
  /;;;:::::::::::::::\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ             |::::::/ ┏━┓┏━┓)ノ
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(;;;;;;;;;;;__っ)))つ))   r':: イ:::::i゙            |  |   i   |
              |:: | ヽ '-.,         ヽ 〈    ヽ ヽ.,
              i, , '-, ゙'ー'ー'          ヽ、`,ー、  `'ー'ー'
403人間七七四年:2007/03/31(土) 01:49:08 ID:w6oFnXy7
俺用リンク

戦国BASARAの前田家は沢庵カワイイ 二膳目
http://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamechara/1163149591/l50
404人間七七四年:2007/04/06(金) 10:10:59 ID:0qvUFLfk
誰か教えてください。 >>55 のかたと同じ質問ですが
水戸黄門で、加賀前田家でお家相続の争いがあったとき、水戸光圀ご老公様をお呼びしたのは藩主のおばだったか祖母だったかとにかく
"すいこういん様"でした。
佐野黄門と里見黄門に同じエピソードがありましたが、前者は他人ですが、後者のほうは"すいこういん様"は光圀公の姉になっていました。
自分でぐぐったのですが、歴史的に2人が兄弟だという記述が見つかりませんでした。
詳しい方、教えてくださいませ
405人間七七四年:2007/04/06(金) 11:45:40 ID:oel83nfQ
>>404 くわしくはありませんが、調べたら該当者ありました

頼房と側室谷氏(頼重、光圀の生母)の娘、清泰院 大姫
光圀より一歳年長

加賀藩 前田光高の室 義父が将軍家光になっていますので、一度養女に入ってから嫁いでいるようです
寛永四年(1627)生まれ、明暦二年(1656)没
上記生没年ですので、ご老公が漫遊した(あくまでドラマ内で)年齢とはあいそうにありませんが

光高との間に綱紀と万菊丸が生まれています
406人間七七四年:2007/04/06(金) 11:52:46 ID:cXHMYZ2P
>>404

あぁ水戸黄門

ttp://iwa.pekori.to/mito/
407404:2007/04/06(金) 12:32:15 ID:0qvUFLfk
ありがとうございます。いちおう本当に姉が加賀に とついでたのですね!
事実をうまくアレンジしてドラマ作りしてるんですね
408人間七七四年:2007/04/08(日) 03:20:51 ID:CSrlmpFF
豪姫と宇喜多秀家の関係って何?
409人間七七四年:2007/04/08(日) 20:25:14 ID:EZ4b7PZl
>>408
妾の妹と別の妾の息子
410人間七七四年:2007/04/15(日) 20:26:37 ID:JjMWQlzp
>>407
あなたよく調べたね。こっちが勉強になったよ。
綱紀の生母なのかあ。
411人間七七四年:2007/04/17(火) 22:00:28 ID:SxjXYmXQ
なんか産業とかあるの? この国
412人間七七四年:2007/04/18(水) 21:49:03 ID:ThPI42AJ
>>411
戦国時代?それとも今か?
413人間七七四年:2007/04/19(木) 11:26:22 ID:VoBpYnj4
>412
もちろん戦国〜江戸期にかけて
414人間七七四年:2007/04/19(木) 22:14:40 ID:M8SLvEeV
戦国時代から江戸時代では甲冑は聞いたことあるな。
加賀甲冑って最高級のブランドだったとか。
銀山もいっぱいあったし、焼物織物なんでも碁ざれだろ。
415人間七七四年:2007/04/20(金) 00:06:08 ID:WAUES5FW
大名家NO1だからなんでもあったんですねぇ!
416人間七七四年:2007/04/20(金) 16:14:29 ID:7JoQpDlV
明日、名古屋の荒子駅前で利家公の銅像除幕式あります
加賀前田家第十八代当主前田利祐さんのご挨拶は10:35の予定
製作会社が富山の織田幸銅器なんだが、尾張の織田家の縁者かな?
417人間七七四年:2007/04/20(金) 20:27:56 ID:ywTxY+xH
スケーターのノブナリの親戚?
418人間七七四年:2007/04/20(金) 22:34:43 ID:gwlljSMe
前田家の家臣になった人の子孫かな。富山なら
419人間七七四年:2007/04/26(木) 20:31:02 ID:B4Pkzd4B
しばらく来てない間にそんなイベントがあったか。
GWに見に行くかな。
420人間七七四年:2007/04/28(土) 21:45:46 ID:vmrSGA97
>>411
戦国末期から五箇山での硝石の製造技術は全国一
自国内で硫黄が取れるから自前で火薬が調達できる
421人間七七四年:2007/05/01(火) 13:14:38 ID:SjmR04wt
当時、日本全体でも硝石の生産量自体限定されていたからその地での生産量は日
本一なんなんですか?
もし日本一なら戦略物資として使えますね
422人間七七四年:2007/05/13(日) 10:10:23 ID:iqrKDYJK
前田利家を過小評価していたけれど、最近、結構すごい人かなって思うよう
になった。金沢では、利家とまつを祀っている神社があって、初詣などで、
すごい人気があります。家康の日光東照宮は、信仰の対象としては今はどう
なのでしょうか?観光では、すごい人気あるみたいけれど・・・

利家がもう10年くらい健在だったら、日本の歴史はどうなっていたのだろう
利長や利政という優秀な息子もいたし・・・
けれど家康には敵わないかな?秀吉死後の混乱を前田家が収めるのはしんど
そうだ。。仮に利家が長生きして、家康との権力闘争に勝っていたとしても
その後の日本の将来像が見えないorz
考えられる人いませんか?
423人間七七四年:2007/05/13(日) 11:16:00 ID:A7Ef6Jka
>>422
凡人がたとえ10年長生きしても何も変わらない。
利家が政治的に事実上「死んだ」のは、徳川との決戦時に
日和って和睦の道を探したとき。
そのときはまだ病気も寝たっきりと言うわけでもなく、状況は圧倒的に有利。
それでも利家は責任回避の逃げに走った。
病気とか外的要因ではなく、すべては利家の人間的限界。

それは、羽柴、柴田間の決戦時のときに逃げ出した心理と酷似している。
要するに、利家は片方の総大将になる器をもっていない人間。
タッグパートナーとしては優秀だけど、チームリーダーにはなれない。
利長と利政の「優秀さ」も、はっきり言ってあやしい。
最大限譲歩しても、「江戸初期に100万石の跡取りとして渡りきることができた」優秀さで、
関ヶ原のような大異変の状況でなにかできる英雄的な要素をまったく持たなかったことは証明されている。

神社については日本と中国は誰でも神様になれる国で、信仰とはあまり関係ない。
日光東照宮は明治時代に睨まれて徳川信仰から観光中心に切り替わったので
としまつしか売り物がない金沢の神社と比べることがおこがましい。
424人間七七四年:2007/05/13(日) 13:27:11 ID:BSR/QO+r
まあ利家を慕う目線から見ても「徳川を倒して前田が実権を握る〜」はありえないかな。
秀吉生前から病の兆候は出てたし、そこまでの権力を取るに伴う責任は利家自身重いと思ってそうだ。
でも「(おそらく今現在の)利長に器量があれば前田の天下を取るつもりだった」と言っているから、条件が揃っていればもしや…。ということもあったかな。
425人間七七四年:2007/05/13(日) 15:12:55 ID:/GnUXQFr
利家本人の能力は家康に劣るだろうが
利家には家康にない人望があるからな、普通100万と250万だったら
誰だって250万の方につくだろ、でもほとんどの有力大名は100万についた
家康はマジで焦ったらしいし、利家の言うことを聞き伏見から向島に移った
おもしろい話だよね〜
426名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 01:38:02 ID:ukebZgto
>>425
> 利家には家康にない人望があるからな、
人望無いから家康にひれ伏したんだが。
427人間七七四年:2007/05/14(月) 08:13:33 ID:OGXfeqhy
>>426
一言で人望がない、では誤解を招くな。
人望だけじゃ戦は出来ないでしょ。
428人間七七四年:2007/05/14(月) 23:30:25 ID:gfj2S1pK
利家を慕っていた蒲生やらがさっさと死んでしまったのが痛かった。
それに一番は本人が「自分は天下を獲れる器ではない」と自覚してたからだろうな。
家康と刺し違える事は出来ただろうが、それでは再び天下が乱れ、前田家は滅びるから
そんなことは出来なかっただろうな。
利家も家を守るのが一番と死んでいったし、まつもそれを守って江戸に人質になって行ったし、
利長も結局母の言い付けを守って死んでいった。
賢い生き方だと思うよ。
429人間七七四年:2007/05/14(月) 23:48:20 ID:77RxM8IC
ドラマ基準すか
430人間七七四年:2007/05/15(火) 14:33:22 ID:ViwTeHpQ
蒲生氏郷
加藤清正
細川忠興
浅野長政
宇喜多秀家
など親利家派の武将は多いな
431人間七七四年:2007/05/15(火) 16:16:40 ID:VKXR6/ly
細かいことだがageる頻度多くないか?
432仙台藩百姓:2007/05/15(火) 18:13:14 ID:fsaiJJ+5
いざ、徳川と対峙してみたら
加藤清正も細川親子も浅野親子も
徳川邸に駆け付けたけどね( ^ω^)
清正などは真っ先に兵を連れて駆け付け
前田側に備えて家康を警護したお
結局利家も徳川方に諭されて謝りに出向いたお( ^ω^)
やる気になってた三成や上杉宇喜多佐竹あたりは
なんじゃそらΣ(゚∀゚;)って驚いたおうね
433人間七七四年:2007/05/15(火) 22:07:34 ID:rAtAjvaW
利家が死んだ後だろ。
434人間七七四年:2007/05/16(水) 02:11:08 ID:MkWT/wSH
利家が犬養首相とかで
家康が東条たち もしくは会津若松で官軍に抵抗した旧幕府軍 みたいなものか

恥やプライドを捨てて平和を守ろうとするのも 大切なものだよ
パッと見はかっこ悪いけどな
かっこよさのために何万人もの命が失われるのは民にはやってらんない
435人間七七四年:2007/05/16(水) 11:12:14 ID:o0ZQIBVS
>>432
加藤らが徳川側に詰めたのは利家死後のエピソードだよ
436人間七七四年:2007/05/16(水) 11:25:20 ID:ehkdzvJZ
百姓たん、噛み付く武将の幅が広がったね…。
437仙台藩百姓:2007/05/16(水) 12:14:34 ID:UXPM/YMX
>>435
利家らが戦仕度して騒ぎになった時じゃないお?
利家死後って利長が何かやったのかお?
438人間七七四年:2007/05/16(水) 12:31:04 ID:mz5wqNWM
でっち上げ暗殺計画じゃね?
439人間七七四年:2007/05/16(水) 12:42:11 ID:oe4T5mfX
徳川家康と伊達政宗の軍事同盟は、保守主義者の前田利家の体面を傷つけ、
失禁するほどにびびらせたのだろう。
440人間七七四年:2007/05/16(水) 12:46:47 ID:8+Ponw/m
利家は秀吉を慕っていたっていうけどさ
遺言状見ると「信長様は〜してたから〜しなさい」って事書いてあって秀吉の名は一つも出てこないんだよね
441人間七七四年:2007/05/16(水) 17:51:39 ID:ehkdzvJZ
百姓たんはいつのこと言ってるの?
あと>>435は三成襲撃事件のことも考えられる
442仙台藩百姓:2007/05/16(水) 19:02:08 ID:UXPM/YMX
家康の婚姻政策を糾弾した時の話しだお
家康の勝手な婚姻は違法であると利家や三成らが怒り
家康や政宗公などに三中老らを送って詰問したところ
家康に逆ギレされて追い出された為
利家もキレて戦仕度を命じた
上杉、宇喜多、毛利、佐竹辺りも
大坂城に集結して騒ぎになったお
その時真っ先に家康の伏見屋敷に駆け付けたのが清正
続いて福島正則や黒田親子、浅野親子、細川親子や
加藤嘉明、藤堂高虎、大谷吉継など
当然政宗公も徳川屋敷へ向かったお( ^ω^)
その後、周囲の説得もあって利家も冷静になったのか
徳川屋敷に出向いて和解
しばらくして利家が死去した
そして三成襲撃事件と繋がるお
443人間七七四年:2007/05/16(水) 19:13:23 ID:T8kGRvYg
>>440
秀吉の息子である秀頼のことは随分気に掛けてたようだが
444人間七七四年:2007/05/16(水) 19:41:59 ID:o0ZQIBVS
>>442
〇その時、大坂城の前田利家の許へ駆け付けた主な大名
毛利輝元(120万石)
上杉景勝(120万石)
宇喜多秀家(57万石)
佐竹義宣(55万石)
加藤清正(25万石)
浅野長政・幸長(22万石)
長曽我部盛親(22万石)
増田長盛(20万石)
小西行長(20万石)
石田三成(19万石)
細川忠興(18万石)
小早川秀包(13万石)
立花宗茂(13万石)
岩城貞隆(12万石)
前田玄以(5万石)
長束正家(5万石)
など前田家76万石含み、親前田派662万石
〇伏見の家康の許へ駆け付けた主な大名
福島正則(24万石)
池田輝政(15万石)
森忠政(13万石)
黒田如水(12万石)
藤堂高虎(7万石)
金森長近(4万石)
新庄直頼(3万石)
有馬則頼(1万石)
織田友楽斎(0.2万石)
など徳川家250万石含み、親徳川派329.2万石
445人間七七四年:2007/05/16(水) 19:49:08 ID:sEPa8UH3
徳川方の方が凄みがあるな。利家派は、石高は多くてもヘタレ大名だらけ。
上杉景勝(120万石) など最上(24万石)に一蹴されていることからもわかるが。
446人間七七四年:2007/05/16(水) 20:06:17 ID:T8kGRvYg
特に織田有楽の冷酷さは京の子供も怖れるほどだったからな
447人間七七四年:2007/05/16(水) 20:15:12 ID:o0ZQIBVS
スマン
親前田派に+
加藤嘉明(10万石)

九州の如水と四国の高虎は完全に孤立状態になるね
448人間七七四年:2007/05/16(水) 20:23:43 ID:987Vu1WO
猿にやられたくないって仮病で逃げてきた麻阿を引き取ったくらいだから
449仙台藩百姓:2007/05/16(水) 20:43:10 ID:UXPM/YMX
>>444
それはおかしいお
伊達、加藤、蜂須賀、福島、黒田は
いわば騒動の張本人だお
利家が伏見の徳川邸を訪れた時に
利家を迎えに行ったのが混同されているんだお
加藤、細川、浅野あたりは衝突を防ぐ為に利家を説得
利家もそれを聞き入れて忠興の仲介を経て伏見へ向かったお
450人間七七四年:2007/05/16(水) 21:23:48 ID:o0ZQIBVS
参考文献は
『寛政重修諸家譜』
『藩史大辞典』(雄山閣)
『前田利家』(吉川弘文館)
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)
ってあるな
大野信長氏の文献から引用したんだが
451仙台藩百姓:2007/05/16(水) 22:21:59 ID:UXPM/YMX
徳川支援の最有力者である政宗公を書いてないなんて
その著者はどういう了見だお(#^ω^)ピキピキ
452人間七七四年:2007/05/16(水) 23:03:29 ID:4K63fCwZ
政宗なんて、結局何考えてるのか分からん。
江戸幕府になってからも、反徳川の急先鋒だったじゃん。
453人間七七四年:2007/05/16(水) 23:10:34 ID:o0ZQIBVS
伊達とか島津とかは様子見じゃなかったんじゃないかなあ
中央の権力闘争に積極的に関与するより地勢的に体勢が決まるまで一線引くとい
うことが出来るし
454人間七七四年:2007/05/16(水) 23:16:42 ID:T8kGRvYg
伊達は松平忠輝と五郎八姫との婚姻が有ったからまあ徳川寄りだろうが、
前田とも小田原征伐以降の付き合いが有るから困っただろうな
455人間七七四年:2007/05/16(水) 23:25:23 ID:VyAbDZdW
石川県立美術館 5月25日(木)〜6月18日(日)で
百万石祭りにあわせて、前田育徳会展示室で【甲冑と陣羽織展】やるよ。

http://100mangoku.net/100-man/sai/kyousan.html
456人間七七四年:2007/05/17(木) 01:34:27 ID:zGYDmYCm
最上は秀次事件の時、利家に助けてもらった
利家は北条氏邦など旧北条家家臣も保護している
徳川が関東に移るのを見越して関東に影響のある旧北条家家臣を保護したという
したたかさがあったのかも知れない
457人間七七四年:2007/05/17(木) 04:51:41 ID:AqfY6bbH
名将言行録にはモロにそういう逸話が書かれてるな
458人間七七四年:2007/05/17(木) 15:20:26 ID:YBIeuPRK
伊達には結構金を貸してただろw
459人間七七四年:2007/05/17(木) 21:04:40 ID:kdyMRhXN
>>454
ようするに
当時の伊達=賤ヶ岳の利家
460仙台藩百姓:2007/05/17(木) 21:30:15 ID:dM7GNAY/
利家=秀秋
見限りや叛旗を翻すは武略であるが
合戦中の寝返りは恥ずべき卑怯行為であるお( ^ω^)
藤堂高虎などは何故か裏切り者みたいに言われるが
全て見限りや主家が潰れた事による退転であり
たった一度も土壇場の寝返りなどした事はないお
利家の方が余程卑怯者だお( ^ω^)
461人間七七四年:2007/05/17(木) 21:44:59 ID:ef+peOV0
>>460 子孫は土壇場で寝返ったけどね
462人間七七四年:2007/05/17(木) 22:18:38 ID:X7yqTnGt
寝返ったというか、金森・不破達も同時に見限って一緒に退却したんだろ。
463奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/17(木) 22:21:25 ID:gJFvbj9q
賤ヶ岳はブック。
464仙台藩百姓:2007/05/17(木) 22:48:09 ID:dM7GNAY/
>>461
うん
先祖の面汚しだおね( ^ω^)
高虎は名将だけど子孫は利家並だお( ´ω`)
でも勅命を承っての事だから
離反する大義名分がない事はないけど
土壇場だから感心できないお( ´ω`)

でも面白いのは加賀藩だお
加賀藩も幕軍として参加したけど
ちんたらしてて結局途中で逃げてしまったお
で、幕府が負けたの見てアッサリ新政府にくら替えしたお
賎ヶ岳の利家と全く同じだお(;^ω^)
先祖が先祖なら子孫も子孫だお( ´ω`)ヤレヤレ
465人間七七四年:2007/05/18(金) 05:00:40 ID:rUFZjc3G
>>464
一族まとめられずにボロボロだった伊達が言うな。
官軍=宇和島 賊軍=吉田、仙台、一関
吉田は途中で寝返り。
466人間七七四年:2007/05/18(金) 12:16:33 ID:mkr3jByP
伊達政宗なんか北条の助けがなかったら佐竹義重に確実に討たれたじゃん
葛西・大崎の乱も自分でアオりながら保身を図る汚さは小早川秀秋以上
467人間七七四年:2007/05/18(金) 13:05:01 ID:QkWuPF1S
佐竹は、大崎義隆以下だろ。人取橋で敵前逃亡しているしw
468人間七七四年:2007/05/18(金) 13:11:31 ID:mkr3jByP
北条が攻撃してきたから戻しただけ、伊達なんか屁とも思ってないな
実際、佐竹側が押しまくっていたし
469仙台藩百姓:2007/05/18(金) 16:10:27 ID:HScwW8cJ
北条は佐竹連合に敗れた事あれど
政宗公はたった一度も負けた事ないお( ^ω^)
しかも多方面作戦とってるから一部の兵だけでね
更にたった4年で佐竹側の南奥州勢力は
相馬を除き全滅だお(≧ω≦)プッ
謙信信玄の死と政宗公の猛攻によって佐竹は奥州対策に忙殺され
北条もやっと北関東攻略で優勢に立つ事が出来たお
北条は伊達に愛想振り撒き盟友になったつもりかもしれんが
政宗公は関東進攻策に着手し
既に北関東勢力の懐柔を始めていたと言うのに
北条はおめでたいお(≧ω≦)プピッ
470人間七七四年:2007/05/18(金) 17:22:57 ID:wIhqK/dl
途中から夢と理想を混ぜられても肯定できんだろ
471人間七七四年:2007/05/18(金) 19:24:13 ID:XJrJjdAm
仙台藩百姓とか名前に入れている人間は、こうやって煽ることしか出来ませんが
これも荒らしではありません。この板のレベルにふさわしいだけです。

前田?裏切ったのは事実。
472人間七七四年:2007/05/18(金) 19:32:57 ID:XJrJjdAm
前田家は、
柴田を裏切り、
豊臣を裏切り、
徳川を裏切りました。

裏切り家を崇拝している馬鹿は松永と同等の評価をするべきじゃないでしょうか?

福井県はマジで、自衛隊で制圧して福井人を皆殺しにするべきだと思います。
裏切るから多分、次の戦争で外国に。
473人間七七四年:2007/05/18(金) 19:56:10 ID:mkr3jByP
巣に帰れ
仙台の非人
人様のスレ荒らすしか能のない愚民
ラッキーなだけで大したことしてねぇマサムネ公と
上杉景勝とまともに戦ったのも最上じゃねえかよ
474人間七七四年:2007/05/18(金) 20:46:20 ID:XJrJjdAm
前田って、存在自体が恥ずかしいよな。
だって、一向一揆を殺しまくって、追撃したら重症負わされ(槍の又左w)柴田を裏切りった上に
北の庄の攻めの先鋒を志願。

織田家を裏切った佐々との争いでは、
秀吉がいなかったら勝てず、
末森の戦いでは撃退するが鳥越を落とされ
その後の戦役も前田家では有利に展開できず。

あとはただ只管、秀吉に尻尾を振る。
元同僚の息子を守れとか遺言してたのに息子や元妻にすら破られる(大爆笑)

ここまでが初代藩主
同格であるはずの家康に屈服してお世話になった
豊臣を嬉々として攻めて4000のクビをとったとほざく。
結局最終的には徳川をも裏切る。
それが「律儀者」前田利家と、前田家の歴史です。
475人間七七四年:2007/05/18(金) 21:29:18 ID:X/nUgkmq
松永なんかは例え裏切り者と罵られようと
最後まで生き方を貫いたから
人を惹き付けるものがあるよね
だから意外と人気がある
利家は卑怯者の悪人のくせに
薄っぺらい偽善の皮を被り
律義者だとでっち上げて取り繕う様が
なんとも薄汚く虫酸が走る
こういうのを人間のクズと言うのだ
本当に下らない奴だよ
476人間七七四年:2007/05/18(金) 21:34:40 ID:v9zu1ojh
利家は運がいい

・森と池田がくたばる
・堀も死ぬ
・丹羽が失脚
・滝川も失脚して憤死

あら不思議なことに気がついたら旧織田系で大大名として残ったのは利家だけでした。

チャンチャン!
藤堂とか蜂須とかはもうちょっと下だしな。
477人間七七四年:2007/05/18(金) 21:43:52 ID:UG7JVwZq
あの時代に生き残った奴らはみんな運がいいだろ
どう考えても。
478奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/18(金) 21:51:00 ID:GklwkEhW
池田は織田系の大大名と認めてもらえないんだな。
479人間七七四年:2007/05/18(金) 22:17:28 ID:J65MQKxy
池田は世代が違うじゃん
480人間七七四年:2007/05/18(金) 22:37:20 ID:anGeI4FI
>>474
その利家を騙して裏切った挙句、戦に負けて恥を晒した佐々に言われたくないな。
481人間七七四年:2007/05/19(土) 00:10:35 ID:fy70eRTT
>>464
でも 大久保殺してしまったせいで
金沢県ではなく 懲罰的に石川県に

仙台のほうも宮城になったけどねw
482人間七七四年:2007/05/19(土) 00:19:48 ID:fy70eRTT
なんだかんだで治世の能臣だったんだな

この板住人的には
乱世の奸雄か 関羽みたいに義理がたいやつが好まれるだろうけど
483人間七七四年:2007/05/19(土) 00:25:37 ID:Un4Dmdnp
お前馬鹿だろ?
利家の特技と言えば槍働きぐらい
字も読めない利家が治世の能臣なわけない
戦国時代が終わってこいつが何やったって言うんだ
484人間七七四年:2007/05/19(土) 00:29:11 ID:u8DZsv5d
算盤好きで蓄財家だったって話ジャン
夫のケチを松が窘めたらしいが
485人間七七四年:2007/05/19(土) 00:44:02 ID:YEb86Qxu
ああっ、もうダメッ!
ぁあ…キム出るっ、キムサワ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!キッ、キムッ、キムゥゥッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!キムッ!!キッ、キムゥ、キムゥゥ!!!キムサワ見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいキムサワ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…キム出るっ、キムサワ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!キッ、キムッ、キムゥゥゥゥゥゥ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!キムッ!!キッ、キムゥ、キムゥゥゥ!!!キム見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいキムサワ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…キム出るっ、キムサワ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!キッ、キムッ、キムゥゥゥゥゥゥゥゥ!

486人間七七四年:2007/05/19(土) 01:49:46 ID:rsCOQhpk
>>483
南部の相続問題を解決したとか聞いてるけど
そんなに力バカでもないような
487人間七七四年:2007/05/19(土) 11:23:53 ID:DCDmzMu9

信長秀吉家康という偉人全員をたぶらかし
100万石を維持させた手腕は当時でも随一の切れ者の証拠である

さらには東国の支配を家康と一緒に行い数々の功績を挙げている
(蒲生家問題などいろいろ)

戦場でも常に算盤を使い、なんでも計算して行動するという几帳面ぶり
これだけ見ても利家の頭が良いことは明白であろう

だからこそみんなから慕われたのです
強いうえに金持ちで頭がよく容姿も渋いときてる
利家は最高の漢だったのです。

488人間七七四年:2007/05/19(土) 13:30:58 ID:XEgLVvMv
自筆の書状がたくさん残ってる利家が文盲わけがないだろw
489人間七七四年:2007/05/19(土) 16:59:34 ID:zz6LL2ui
前田家と鍋島家だけは支藩の石高が妙にデカいんだけど、
なぜですか?
490人間七七四年:2007/05/19(土) 17:29:36 ID:Un4Dmdnp
ひたすら媚売っただけだろw
信長にはケツを差し出し
秀吉には娘を差し出し
家康には惨めに拝み倒して哀れみを乞う
でも無視され、利長は母親差し出して助かる
なんても薄汚い家である
491仙台藩百姓:2007/05/19(土) 17:51:12 ID:CVV5iyud
>>487
ほほう、それは知らなかったお( ^ω^)
花の慶次で利家が戦場で必死に算盤弾くシーンに爆笑したけど
てっきり算盤が得意な利家への当て付けかと思っていたお
あながち作者の創作でもなかったと言う事かお( ^ω^)
492人間七七四年:2007/05/19(土) 18:43:07 ID:Z4OYJOCA
>>486
歴史上の人物をバカ呼ばわりしてれば
自分がそれらより偉くなったような気分にでもなる痛い人なんだろ

2ちゃんねらーの最低人種よりは全ての歴史上の人物のほうが優れてるよ
493人間七七四年:2007/05/19(土) 18:45:27 ID:Z4OYJOCA
>>491
コンピュータは電子計算機だしな
計算機の元祖はソロバンだしな

今でいえば常にコンピュータを扱う武将みたいなもんだしな
494人間七七四年:2007/05/19(土) 19:21:32 ID:BwbmoeWy

暇さえあれば算盤を弾いて金儲けのことを考えてた利家公
嫁さんには「お金儲けのことばかり考えて情けない」なんて言われちゃったりしてます
財テク大名利家公最高です!
495人間七七四年:2007/05/19(土) 19:29:28 ID:Un4Dmdnp
ケチと節約は全く別物
無駄を省くのが節約だが
ケチは必要な物にも金を惜しみ
ひたすら私腹を肥やす者を言う
もちろん利家はケチの方である
496人間七七四年:2007/05/19(土) 19:46:45 ID:Fo9foAZq
秀吉さまさまでしょ
497人間七七四年:2007/05/19(土) 23:23:52 ID:OlpBD33s
>>495
いやー当時はろくに計算も出来ず、領地を増やそうと家来を雇いすぎて
国を潰す武将が多かった時代に、領地をまとめてさらに他国の大名に
金を貸せるほど財力のあった大名の方が珍しかった。
ケチなら金を貸す訳無いだろ。返ってこないような金を。
(返してこない典型が政宗だったんだし、ケチとか言われたくねー)
498人間七七四年:2007/05/20(日) 18:20:36 ID:6yD09m7k
劉邦がなんでショウカを評価したのか
理解出来ないバカが多いんだろうな

武将ってのはいっぱい人を殺したほうが偉いんだよ
金儲けとかサムライのすることじゃねえ

みたいな無双厨とか
499人間七七四年:2007/05/20(日) 18:29:59 ID:NTEjYn7D
>>498
つまり利家さんは一向宗徒を大虐殺したので、偉くないわけですね?
侍の風上にも置けないですなあw

ちなみに利家はショウカとは全然違うポジションと働きをした人間です。
500人間七七四年:2007/05/21(月) 04:17:01 ID:jDzMQplk
殺したから偉いと言ってるバカを否定したからって
殺した人は偉くない にはなりませんよ?

そんなこともわからないのですか?
501人間七七四年:2007/05/21(月) 06:49:59 ID:8wTw6m2P
財テクあるのは良し、いっぱい殺すのはダメってのも極端だな。
502人間七七四年:2007/05/21(月) 22:20:58 ID:P+BvuN78
>>498
金儲け?が馬鹿にされてたなんて真っ赤な嘘。
武将だってやりくり上手なやつの方が大成してる。
特に金は貯めないと、何も出来ないだろ。
503人間七七四年:2007/05/21(月) 22:53:42 ID:2ZmMV319
その大成した大名やらが自分達のしてきた事を正当化してるから、武士とし
てのプライドを一番に考えて死んでいった武将達が能無し呼ばわりされてる
わけだ。
504人間七七四年:2007/05/21(月) 23:09:51 ID:Z6t1FluC
勝てば官軍はどの時代も一緒です。
505人間七七四年:2007/05/22(火) 01:35:40 ID:M70iLPYl
最大の勝者は徳川家康だけど
二番目は加賀前田家かもしれんな

織田も秀吉も最後があれじゃ
506人間七七四年:2007/05/22(火) 06:28:47 ID:PrBAWCqK
そりゃ生き残ったものの勝ちでしょ。
でも1番の勝ち組は幸村や慶次などの創作で大活躍したやつだと思うw
507人間七七四年:2007/05/22(火) 13:58:48 ID:201TrJPX
慶次郎は米沢言っても好き勝手自由奔放にやってたから良いとして

死後に創作で英雄になっても何の意味も無い
ゴッホの人生を幸せな人生だった って言えるやついるか?
508人間七七四年:2007/05/22(火) 16:39:09 ID:P8CHYWU6
なら利家は、秀頼後見役として幼少の秀頼を抱いて上座に座り、
諸大名から参賀の礼を受けた最絶頂期があるから満足してるかな。
御家も結局存続したし。

利家の遺言通りにしてたら改易されてた可能性高いから利家の功績というよりは
まつや利長の機転のおかげだろうけど。
509人間七七四年:2007/05/22(火) 18:37:08 ID:4Z81a6pl
まつを嫁にして利長を育て教育したのは利家だから
利家の功績とも言えるな
510奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/22(火) 21:18:19 ID:KNhJ3ObA
どうでもいいが、江戸時代を生き抜いたのはまつや利長の子孫じゃないぞ。
511人間七七四年:2007/05/22(火) 22:20:50 ID:DG8u8+my
子供がいなくても墓は利家よりでかいんだよな。>永姫
512人間七七四年:2007/05/22(火) 23:33:04 ID:i91w0FXj
>>510
そんなこと言い出したら信州松代藩なんか真田信之の子孫じゃないんだが。

そんな例はどこにだってあるよ。
江戸将軍家だって直系では無いし。
513奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/22(火) 23:36:24 ID:KNhJ3ObA
>>512
加賀百万石は利常の守成によるもの。>>509だけが気に入らなかっただけだよ。
514人間七七四年:2007/05/23(水) 00:17:52 ID:IfWRR2+S
なら、前田家100万石の礎を築いたのは利長じゃなく利常

と言えば良いのになんでわかりにくい言葉でレスするかな
515奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/23(水) 00:18:40 ID:Dly3I9pi
あとが膨らまないから。
516人間七七四年:2007/05/23(水) 00:19:08 ID:IfWRR2+S
さらに言えば

江戸幕府が250年存続したのは秀忠家光の手腕によるもの

とも言えるな
517人間七七四年:2007/05/23(水) 16:52:56 ID:+P4jRbAz
マズゴミと同じで 何かあったら逆を突いて叩くのはいくらでも出来るな
(犯人を射殺しなければそんな臆病でどうする 殺せばこの人殺し)

>>511
利長の奥さんになった信長の娘だっけ?
518人間七七四年:2007/05/23(水) 17:53:39 ID:KE98KMkp
>>515
単に語彙が無いだけだろ
「生き抜く」、「子孫」の単語でどうやって
加賀百万石は利常の守成によるもの
とレスを読む人に解釈させられると思うのがおかしい。 

>>508-510
の流れを見れば>>512のようなレスされるのは当然。
519人間七七四年:2007/05/23(水) 22:25:02 ID:IfWRR2+S
喧嘩すんなw
520奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/23(水) 22:26:39 ID:Dly3I9pi
いや。
語彙について突っ込まれるのが5年ぶりくらいなんで、正直驚いてる。
521人間七七四年:2007/05/24(木) 06:46:29 ID:l3IKDrul
世には色んな解釈するやつがわかっていい経験になったじゃないの。


>>511>>517
主君が死んでもその姫の影響力って大きかったんだろうか。
利長は女は抱いていたけど永姫に気い遣って側室は置かなかったって話もあるし。
522人間七七四年:2007/05/24(木) 15:23:18 ID:MD8k4lj9
影響力が無いなら秀吉は吉法師を大事にしない
523人間七七四年:2007/05/25(金) 15:45:01 ID:gtK/5ywi
それを言うなら三法師かな?
524人間七七四年:2007/06/05(火) 21:25:35 ID:03vPHJb9
つうか普通に利政の系譜が土佐守家として生き残ってるような
525人間七七四年:2007/06/07(木) 19:57:05 ID:5kwa5s29
(´・ω・`)うむ…。
前田土佐守史料館で「芳春院と前田直之(利政の息子)」っていう企画展示やってるよ。
526人間七七四年:2007/06/08(金) 00:20:25 ID:QfO/AE2F
まつは孫の直之を相当可愛がってたみたいだね。
秀吉や信長からの手紙やなんやらあって面白かった。
527人間七七四年:2007/06/08(金) 14:10:37 ID:hFBW7FXF
加賀藩初代藩主って利家じゃなくて利長なのでは?

っていうツッコミはタブーなの?
幕藩体制が始まったのは利家の死後だなんて皆さんご存知の通り
利家が金沢に入ったから初代藩主だなんて言ったら
薩摩藩の初代藩主は何時代の当主になるんだって事になるんだよね
528人間七七四年:2007/06/08(金) 14:26:05 ID:3gEMjGYH
別にタブーでも何でもないし
初代藩主は利長、利家は「藩祖」と呼ばれる立場
529人間七七四年:2007/06/08(金) 15:52:50 ID:hFBW7FXF
でも金沢では利家が初代藩主って言ってないか?
藩祖だなんて言ってるのは聞いた事ないけど
530人間七七四年:2007/06/08(金) 19:33:33 ID:QhFMZFzm
前田直之って八家の一人だよね
元服してから親元から加賀へ引き取られたのかな
それとも元服前?
531人間七七四年:2007/06/08(金) 20:19:26 ID:hFBW7FXF
加賀騒動の黒幕は土佐守家だとか
それでも石高は下だけど八家筆頭、かつ家格も藩主以上とまで呼ばれた直之系前田氏が結構好き
532人間七七四年:2007/06/08(金) 20:40:45 ID:eJVV6Jgy
>>539
金沢では、っていうか一般人は地元の殿様がどうのってそんなに詳しくないでしょ。現代人だと特に。
533人間七七四年:2007/06/08(金) 21:33:24 ID:85uaCOeO
一般人は
軍艦は全部戦艦
軍用機は全部戦闘機
でいいんだよ
534奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/08(金) 21:43:07 ID:0YxFTYHP
岐阜県民はおのれの殿様が何者なのか知らない。
535項龍 ◆Sw15bzOP8. :2007/06/08(金) 21:47:30 ID:veDupw3m
>>524
大体こんなもんじゃないの?
土岐氏>>斉藤氏>>織田氏>>羽柴氏>>織田氏
536人間七七四年:2007/06/08(金) 21:49:05 ID:EBitsTTz
まつの産んだ子供って、利長も利政もどっか一枚ダメだよね。
結局、藩を安定させたのは、妾腹の子という皮肉。
537人間七七四年:2007/06/08(金) 23:11:13 ID:joER4wxZ
>>536
身分の低い側室の子供が名君になるは、歴史上良くある事。
538人間七七四年:2007/06/08(金) 23:45:40 ID:85uaCOeO
名君を仕立てあげるために泥被ったんだがな
小泉の人気アップのために バカ演じた森とかみたいに

利長兄さんのやったことを真似して
晩年は 利常もヒゲをはやしてバカ殿を演じてました
539奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/08(金) 23:58:27 ID:0YxFTYHP
嫁が大奥を見ていて気になったセリフ。

「徳川は三代家光公のほかに、正室所生の将軍は一人足りとおりませぬ」
540人間七七四年:2007/06/09(土) 00:27:01 ID:Eo8SFqZl
>>538
いや、森は普通に馬鹿だろw
541名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 00:42:12 ID:nw/vEirH
>>540
ほら術中に落とされてる。
542人間七七四年:2007/06/09(土) 15:02:41 ID:svo3W6Iu
陸軍中将前田利為候
543人間七七四年:2007/06/09(土) 17:54:48 ID:XZGsbGSy
>>539
その人はさ 江戸幕府がいずれ滅ぶのを予言したんだよ
あの時点では 天皇家みたいに千年から八千年も江戸幕府が続くもの って考えてないとおかしいけどな

>>541
固いチーズ食わされた にのときは
ホワイトハウス以下の茶番だと思ったな
544人間七七四年:2007/06/09(土) 18:23:34 ID:P4S/fYLy
同じ金沢の政治家でも森はNGです
545人間七七四年:2007/06/09(土) 21:40:28 ID:6MQkdKjk
加賀藩主は偽りのバカ藩主を演じるのが伝統か?
546人間七七四年:2007/06/10(日) 00:20:14 ID:JTBxP0cq
藩風です。
547奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/10(日) 00:27:09 ID:oNo3qiLe
ネタです。
548人間七七四年:2007/06/10(日) 01:35:36 ID:iY6OaMFs
あの「森」の弟分って事が小泉の最も大きなマイナスファクター

比較対照はそれまでの「誰がやっても同じ」な歴代総理で十分。
森が馬鹿を演じる必要性は全くない。
549人間七七四年:2007/06/10(日) 03:43:19 ID:NHM9+Qto
森がバカを演じたおかげで 小泉が革命戦士に見えたよ
俺もあの当時はすっかり騙されたぜ

当時の大名も 利家にコロっと騙されたんだろうな
550人間七七四年:2007/06/10(日) 04:35:29 ID:QznYuyYG
森の馬鹿さ加減は当時のマスコミに過剰に批判されて同情できる点も有ると思うが、
ぶっちゃけ言動自体は演技じゃなくて森の素ですからw
鼻毛の殿様みたいに狂態は見せ掛けで実は凄い、と思わせるような実績でもあれば別だけどね
551人間七七四年:2007/06/10(日) 23:19:26 ID:tcreH+5z
森はマスコミには馬鹿にされてたけど、
実際政界で馬鹿にされてる訳じゃない。
今でも充分裏政治の中心にいるし。
552人間七七四年:2007/06/11(月) 19:26:24 ID:DY/x1rzq
こうやって当時の前田利家は無能 と洗脳された人が生まれたんだろうね

反抗勢力追い出し選挙のときは
こうやって小田原合戦になったんだな と つくづく思った

なんで秀吉に北条は喧嘩なんか売っちゃったんだろう? と思ってたけど
553虎之助:2007/06/14(木) 14:02:09 ID:f/aQ8/Gw
わしらには謙信も信玄も落とせなかった小田原城
があるんや!秀吉が何人来ようと負けんわい!
↑が理由やろ。
554人間七七四年:2007/06/14(木) 18:57:15 ID:NgDHGFiG
まさか小泉 こんな夏休みに解散なんかせんだろ はっはっはw
と思ってたら 解散(&刺客)

離党組も北条氏も「マジかよ?」と思ったことだろう
555人間七七四年:2007/06/16(土) 05:48:11 ID:Hr9ijrmN
信長とタヌ吉がお話してる時に、利家が信長の傍に居て
タヌ吉に服部君とトンボが居て
タヌ吉が二人に「斬れるか?(利家を)」
と聞いた所二人が
「我々の命と引き換えならば」
と答えた


ってな話をどっかで聞いた気がするんだけどよ、お前ら知らないか?
多分なんかの小説だった気も
556人間七七四年:2007/06/19(火) 11:17:47 ID:8SuDq5gq
芸人で言うと関根勤とか今田耕司とからへん
557人間七七四年:2007/06/19(火) 12:54:20 ID:oE230kud
清水圭だな。
558人間七七四年:2007/06/19(火) 17:34:01 ID:g3xg7GhR
芸人仲間で言うと今田 というのは言い得て妙w
559人間七七四年:2007/06/19(火) 23:10:57 ID:C9NQ3EiA
利家は変態じゃないやい。
560人間七七四年:2007/06/30(土) 21:18:27 ID:aKVmg3hI
日本では 算盤(そろばん)武将といえば利家だけど
中国は 関羽(三国志)だそうだ
561人間七七四年:2007/07/01(日) 00:40:59 ID:GAe3Z6/M
でもやっぱ百万石は凄いです。
562仙台藩百姓:2007/07/01(日) 02:00:15 ID:CMdmr2dB
うむ
結局信玄だ元就だと言っても利家と大差ない
563人間七七四年:2007/07/01(日) 12:53:47 ID:gzmNU0Gv
>>562
おまえは偽物だな。
いや、キャラ変えたのか?
564人間七七四年:2007/07/01(日) 13:02:38 ID:ubcuJCmF
ってか、百姓って鳥つけないから偽者出てても分かんねーんだよな。
565人間七七四年:2007/07/01(日) 19:48:07 ID:4UyrD01j
真の荒らしは トリをつけない
そのほうがスレが荒れるから(自作自演で喧嘩もやりたい放題)
都合の悪い発言に関しては あれは偽物です で逃げられるし
566仙台藩百姓:2007/07/01(日) 20:44:00 ID:CMdmr2dB
前田のトッスィーってば超ゴイスだおねー( ^ω^)
織田とか結局小大名だしー
豊臣も滅亡(≧ω≦)プッ
徳川も70万石まで落ちぶれたしー
100万石保った前田に比べたらウンコ※だおねンコー
(※家康は元からウンコ君ですが)
田舎で細々やってた元就やら氏康やら知らんけど
トッスィーは全国支配した政権の大老ですお
格が違いますお格がっ( ^ω^)
567人間七七四年:2007/07/06(金) 23:41:30 ID:T2KYrjJ4
信長公の天下布武を最もよく理解して最期まで実践してたから家康を斬らなかったということにしてくれ
568人間七七四年:2007/07/06(金) 23:47:35 ID:6SvRYOlm
                     _,,..-──‐- .、.._
                 ,. ‐''"´  加賀      ``'‐.、
                ,.‐´           o     `‐.、.
               ,/               / ̄ヽ.    \
.            .,/         チョー大都会   ヽ___/  .   ヽ、
            ,|::                          ヽ
           .,|:::::   ―――  ―――  ―――.      ヽ
          .|:::::::::  ―――  二二二  ―――  ○. . ;;;;;;;|
          ;|;;;;;|          金  沢           |;;;;;;;;|
          |;;;;;;;|     ___ ノ   \ ____    . |;;;;;;;|
          |;;;;;;/ ノ  ̄ ̄   ::::::ヽ   /::::     ̄ ̄ ̄ヽ .ヽ;,-、
         ,-、;/  .       :::::::|  |             ヽ |
         | |:::.::::::  / ● \:::::|  |  / ● \      | |
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          ヽ|::::::::    払  /:/   \  ヽ     汚   |
           .l::::::::::::.    / ::ヽ 能 登 ノ   ヽ        |
           |:::::::::::. ___                    |
             |::::::::/`ー---‐^ヽ          |       :|
            .|:::::::l:::      l ________ノ        /
         _   ,--、l::::.      ノ:::: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄        /

569人間七七四年:2007/07/07(土) 01:34:49 ID:jIVDutU2
わろたw
570人間七七四年:2007/07/12(木) 20:00:44 ID:H+M/Uq3S
加賀100万石を幕末まで維持したのは凄いとは思うが・・・
幕末から明治かけての加賀藩の影の薄さは異常・・・
加賀100万石にもかかわらず日和見しかしなかった
というか藩主がボンクラしかいなかったからかwww
そのためか明治の華族制度での前田家の爵位は侯爵(弟2位)にすぎないw
ちなみに島津家と毛利家は公爵(弟1位)
これは明治維新の立役者としての功績があるからで
島津家にいたっては分家の久光家まで公爵になっている
つまり 島津分家>>>超えられない壁>>>加賀100万石前田本家www
明治の華族制度においては加賀100万石前田は島津分家にすら敵わないwww
m9(^Д^)プギャギャギャギャーーー
571人間七七四年:2007/07/13(金) 11:53:57 ID:ixbltQIb
何を言いたいのか意味不明
明治以降に活躍した華族なぞほとんどいないし
572人間七七四年:2007/07/13(金) 19:14:28 ID:CR18SkWB
むしろ 島津と毛利が(結果的に戦後まで)日本の癌になるわけだが
573人間七七四年:2007/07/14(土) 10:56:53 ID:eMvBnuEm
百姓みたいなこと言うな
コテハンやめたのか
574人間七七四年:2007/07/15(日) 05:53:41 ID:/3dsuECW
>>566
おまえうざい。
575人間七七四年:2007/07/22(日) 21:33:35 ID:ubFrF2za
まつはえらいな
576人間七七四年:2007/07/24(火) 08:36:11 ID:JtcpPdvl
あんまりスレの話題に上がらないけど、戦国時代の女性なら1番好きだな。
577人間七七四年:2007/07/24(火) 16:25:37 ID:P1Vv0M+c
利家よりまつだな
578人間七七四年:2007/07/26(木) 02:57:14 ID:rF6jPwb9
俺は千代母(利常の母)のほうが好きだな
579人間七七四年:2007/07/26(木) 03:39:05 ID:sQQb8kmI
お、俺は珠姫様(利常の嫁)をプッシュするぜ
580人間七七四年:2007/07/26(木) 07:26:46 ID:TlucX/D6
俺は金沢の者だが、地元でも加賀藩の悪い部分はよく言われるね。
まず租税が非常に高い。全国でもトップレベルというくらいに。
金沢という町は江戸時代は江戸、京都、大阪、名古屋と並ぶ日本五都だったのに
非常に閑静だった。
藩が風俗業を禁止したからだという。
名古屋から来た侍が金沢の町を見てあまりの閑静さに驚いたという話がある。
武士には文化的な意味での奢侈を奨励したが収入が高くないので、
衣食を切り詰めてまで美術工芸品で家を飾ったという。

あと、所領の加賀、能登、越中のうち金沢近辺のみを贔屓し
他の地域には重税などを行いつらくあたった。
特に佐々成正の領地だった越中にはかなりの酷政を行い、
その鎮静効果か知らないがたくさんの被差別部落を作った。
おかけで富山県は今も部落問題が深刻。
581人間七七四年:2007/07/26(木) 07:34:35 ID:TlucX/D6
>>570
>加賀100万石を幕末まで維持したのは凄いとは思うが・・・

別に凄くないだろ。
三国志の劉禅と同じで無能だったから放置されただけ。
582人間七七四年:2007/07/26(木) 08:02:59 ID:TlucX/D6
>>570
それと薩摩藩はまだしも長州藩は
藩主はボンクラで藩士が頑張っただけだ。
というか藩主はほとんど国政にタッチしてなかった。

薩摩藩も斉彬はともかく
久光は「いつ征夷大将軍に任命されるのか?」とか言ってて
廃藩置県の時に「西郷、大久保にしてやられた」と怒り狂った
逸話から言ってDQNぽいが。
583人間七七四年:2007/07/26(木) 14:58:11 ID:Ol0w+Vt6
>>581
徳川幕府に無能と信じ込ませることに成功した 髭の殿様は優秀だなw
584人間七七四年:2007/07/26(木) 14:59:53 ID:TlucX/D6
>>583
うん、利常だけは優秀と言えるね。
でも、それからあとがね・・・・
585人間七七四年:2007/07/26(木) 15:04:26 ID:Ol0w+Vt6
>>579
玉姫(後の細川ガラシャ 明智光秀の娘)かと思ったw
586人間七七四年:2007/07/27(金) 16:57:32 ID:DNRxRjkH
織田家のバカ息子が飲酒運転で逮捕

利家「おやかたさま〜!!!」
587名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 17:24:26 ID:TbrJDgP5
>>582
つーか長州藩には江戸中期くらいから明かに保守派と改革派の2大政党制みたいなのが出来ていた
(特筆すべきはおのおのの党派を構成するものたちが、自分達の属するものを「党」と認識していた)
588人間七七四年:2007/07/28(土) 20:02:52 ID:49ZL3jvf
あれ?金沢って別に税は高くないだろ
以前NHK教育で加賀藩の武士の話をやっていたが
税は結構軽かったという話だったぞ
589人間七七四年:2007/07/28(土) 20:26:49 ID:SrdC18ze
幕末の最初期に前田家は改革派の勢い強くて、藩主も割とそっちよりだったのと、
近江に飛び地有った利点生かして京都でそれなりにリーダーシップとれていたけど、
国元で保守派が派閥争いに勝利して改革派一斉処分、同志全滅した藩主発言権無くして、
以降は保守派の傀儡にされちまったって話だねぇ。
590人間七七四年:2007/07/28(土) 22:53:21 ID:xxvA7k3l
>>588
高いよ。地元の北國新聞にも高いと書いてあった。
NHK教育の方が間違いなんだろう。
それともう一つは地域による税率格差ね。
591名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 19:40:54 ID:Vxqr/50Q
加賀はほどほど。能登はよく知らん。
越中は戦争で獲得した植民地だから、がっぽり搾り取る。
こんな感じだっけ。

で、食うに困った越中人が薬の行商に出かけたと。
592名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 20:02:26 ID:HKtyUd8g
越中(特に新川郡)は日本有数の暴れ川が多数存在していて農耕に不向きな土地柄だったんだよ。
明治に入って外国から治水技術を導入するまでひどい土地だったんだ。
(この治水事業をするのと交通事業を進めるのとでもめて石川県と富山県に分裂することになる)

売薬業はあまり農耕向きではない土地から収入を得るための地場産業として
越中藩主の前田正甫が積極的に基礎作りをしたんだよ。
あと、製鉄業を始めとする産業奨励もやっている。
このおかげかどうかは判らないけど、富山は軽金属産業では日本海側でトップだよ。
593名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 20:17:29 ID:Vxqr/50Q
なるほど。年貢とか関係なく、薬売りの基礎があったってことか。
594人間七七四年:2007/07/29(日) 20:35:54 ID:HKtyUd8g
>588
前田藩の税率は確かに高い。
資料を見てみると60〜70%というのがごろごろ出てくる。
六公四民じゃな。
ただ、改作法には貧農の救済として、借金の帳消しや農業資金や食料の貸付
勤勉な農民に農地の配分などを行っている。

ただ、この税率、農民が限界まで働くことを前提とした税率なので
ひどいといえばひどい代物。
まぁ、何かといえば幕府に色々要求されていたから、財政火の車だったし。
595人間七七四年:2007/07/30(月) 22:01:47 ID:dirA4HBn
>>592
越中が農耕に向いてない?
はあ?

越中の石高は加賀と能登をあわせたより多いんだけどな。
596人間七七四年:2007/07/30(月) 22:04:29 ID:dirA4HBn
597人間七七四年:2007/07/30(月) 23:39:07 ID:BshA/VYS
前田の墓(?)って結局なんなの?
中学の体育ですぐそばを走ってるけど
夕方はちょっと怖い
598人間七七四年:2007/07/31(火) 02:12:35 ID:knb92pXC
>>597
普通の墓だよ。
別に怨念を持って死んでいったとかでは全然ないから、
別に怖がる必要はない。
599人間七七四年:2007/07/31(火) 03:28:13 ID:aTlKaq5j
>>dirA4HBn
もう少し調べてごらん。
この石高、米の出来高とはイコールじゃない。
600人間七七四年:2007/07/31(火) 07:05:29 ID:knb92pXC
その「調べてごらん」とかいうのは2chでよく聞く詭弁だな。
そうやって人を見下ろした程度で自分を知識人のようにふるまって誤魔化す奴が多いよね。
匿名掲示板2chなんて小学生が書いてるのか大学教授が書いてるのかわからんところだしさ。
つーか、そういうものの言い方は「質問を質問で返す」のと変わらんのじゃない?

現代も水害だらけのバングラデッシュが大食料生産地帯なのと同じく
山がちな加賀、能登とは比較にならないくらいに恐ろしく広大な富山平野が穀倉地帯だったのもは事実だ。
そもそも水害の多い土地は土地が肥沃だ。水害の難と肥沃な土地ってのは裏返しだよ。
601人間七七四年:2007/07/31(火) 07:11:36 ID:knb92pXC
ちなみに尾張も木曽川,長良川,揖斐川と
暴れ川がたくさんあって水害が多いが、
大農業地帯だしさ。
602人間七七四年:2007/07/31(火) 07:29:19 ID:6LVRaUTV
>596
>592が言っているのは越中藩の婦負郡と新川郡、今で言う呉東の事では?
呉西は古くからの穀倉地帯だし。
元々売薬の話の流れだから越中藩の話と見るべきだと
603人間七七四年:2007/07/31(火) 08:04:23 ID:6LVRaUTV
>600
おちつけ。
越中藩は常願寺川と神通川流域の富山平野をほぼ含む婦負郡と新川郡の一部で10万石だ。
(新川郡は新川平野、呉西は射水平野と砺波平野)
内、米による収入は2万石、小物成などの現金収入が1万石相当。
本来なら4万石+α相当の収入がなくてはならないのに3万石でやりくりせねばならず、常に火の車だった。

あまりにも水害が多いので佐々成政が治水事業を行い、また歴代の越中藩主も治水事業を行ってはいるけども。
富山平野が穀倉地帯なら、これほどひどい収入にはならないよ。
地元なら博物館とか行けば資料が見れると思うんだけど、洪水が起こると水だけではなくて大量の土砂も流れてくるんだよ
標高3000メートルクラスの日本アルプスから。川の長さは56kmしかない。(常願寺川)
田畑も家も埋まってしまうんだよ。
明治期からずっと今でも砂防工事が続いてるよ。国の直轄事業になってる(1926年〜)

ほかにも早月川とか黒部川とか札付きの河川があるしなぁ

富山平野が穀倉地帯になるのは、明治以降。
呉西は昔から穀倉地帯だよ。税率が6割超えるのは呉西に多い。
604人間七七四年:2007/08/01(水) 07:47:32 ID:lstlucms
 富山藩が最初、加賀国能美郡の一部2万石の飛び領を持っていたのは、婦負郡と新川郡の水害がひどくて
収入がままならないので能美郡からの収入で何とかせよ、といった意味もあった。
 婦負郡百塚に城を造ろうとしたけど、資金難で頓挫。加賀藩の富山城を借り受けることになった。
領地の外に城があるのはあまりにも不便なので富山城と付近の領地を能美郡と交換することになる。

 でも富山城の別名が浮城というくらいで、あのへん頻繁に水に漬かったんだこれがww
 こちらも神通川の流れを変えることでようやく好転する。明治になってからの話。
605人間七七四年:2007/08/01(水) 09:00:13 ID:tUo++c7+
>>604
そんな能美郡を流れる手取川も中々の暴れ川で
とある村では草高が15%も低下したのが記録に残っている。
洪水で荒地になって耕作不可能になっとるんだね。
606人間七七四年:2007/08/02(木) 20:25:56 ID:8Kb34DeD
>>600
だから、もう少し調べてごらんといったのに…
ちょっとググれば判る事なのに。
地元の人間なら小学校の社会科や課外学習で学ぶから、ほぼ常識だし。
最近は知らんが。

>>604
交換した領地には富山城付近の舟橋の他に水橋岩瀬がある。
岩瀬は三津七湊のひとつで北前船交易で栄えた港町。
江戸末期には売薬と交易で年間20万石の売り上げを誇っていた。
水橋の廻船問屋は水害で困窮していた農民支援ちょくちょくを行ったりしている。

富山の人間が前田家に愛憎入り混じった感情を持っているのは、前の領主の佐々が治水などに力を注いだので
前田の代になっても慕っていたことと、それに対して過度の警戒をしたこと。
収入を得るために稲作に不向きな土地で無理やり稲作をやらせたこと。税が高かったこと。

 まぁ、そのせいというかお陰で、稲作にこだわりを持つようになって
明治以降、大規模な灌漑と土地改良で扇状地でも稲作が行えるようにしたので
今でも稲の作付け面積割合は日本一だよ。
607人間七七四年:2007/08/07(火) 17:28:11 ID:mvVIgSie
晩年の利家はすごいよなー。
豊臣政権内では家康と並ぶ最高格だったし。
他大名からの評価も抜群。武断派官僚派どっちも利家には頭上がらず。
大坂城で秀頼の守役だし。家康が手を出せなかったのもうなずける。
利家と戦う=豊臣全てを敵に回すだからな。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 17:42:53 ID:e6txtD+g
>>607
それでもいざ家康と対立すると、あっさり頭を下げに行ったけどな。
609人間七七四年:2007/08/07(火) 18:55:57 ID:io/b4NB1
良くも悪くもリアリストだったんだろうな。
戦えば勝つか負けるかは半々として、仮に勝ったとしても、徳川相手だと大打撃。
その後の日本を取り仕切るだけの力を維持できない可能性が高い。
なにより、家康の子供や家臣は粒ぞろいで磐石だが、利家側はといえば、ちと見劣りする。
自分が死んだ後考えると、ガチでやるより頭下げたほうが家名残せると。
610人間七七四年:2007/08/09(木) 23:35:43 ID:A8E/9Gz5
>>608
頭下げたのは家康だろ。
611人間七七四年:2007/08/10(金) 02:46:10 ID:XKeJiBse
秀吉が北条制圧、東北仕置を終えたあたりで急死したら面白かっただろう
利家もまだ健康だったし

まあ蒲生、宇喜多、浅野、加藤、細川、立花、森は確実に利家側だろう
毛利、小早川、上杉、島津、佐竹、最上、鍋島あたりも利家健在なら家康側には
つかないだろう
612人間七七四年:2007/08/10(金) 06:07:39 ID:Eq2KVA0S
>>611
秀次がいただろう。大義名分が秀次だから前田は動けない。
613人間七七四年:2007/08/10(金) 08:18:56 ID:hJ3Ja3n5
世話好きで如才ない人柄だったんだろうな。
家康も苦労人だが、極悪な顔がちらつく。
614名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 11:56:21 ID:vd8XtLhR
> 世話好きで如才ない人柄だったんだろうな。
> 家康も苦労人だが、極悪な顔がちらつく。

まるで利家が極悪で無いかのようなw
つーか、「いい人」が戦国時代を生き延びれるとでも思っているのか?
615人間七七四年:2007/08/10(金) 11:59:56 ID:TgNpBs4m
てか、利家ってどこの生まれですか?
616人間七七四年:2007/08/10(金) 12:09:29 ID:sm66Unf5
荒子川緑地のあたり
617人間七七四年:2007/08/10(金) 12:37:25 ID:ZZ2NqiD1
信長、秀吉、利家、ビッグな人がいっぱいいるけど
今や名古屋はドキュン産出主要国。

あ、でも信長さまってドキュンぽい。
618人間七七四年:2007/08/12(日) 17:29:09 ID:KQlcoEqQ
利家も若いころはチンピラのようなもんだったしな
619名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 20:43:33 ID:an45i2gr
清洲あたりの武家の2男3男坊のチンピラ集めて自分の親衛隊作ったのが
若き日の信長。
620人間七七四年:2007/08/15(水) 05:07:26 ID:ZIZp2qSU
武士という存在そのものがry
621人間七七四年:2007/08/16(木) 19:53:35 ID:iyiXbuXx
利長が利常に早く代替わりしたのは
豊臣家とのつながりを警戒されていたのも一因らしいが
秀忠に媚びへつらうのも嫌だったのも理由みたいだな。
豊臣時代は自分の方が格上だったとの認識があった…。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 22:40:16 ID:lso+8U1C
>>621
> 秀忠に媚びへつらうのも嫌だったのも理由みたいだな。
> 豊臣時代は自分の方が格上だったとの認識があった…。

「そんなだから駄目なんだ」と言う感想しか出て来ない。
623人間七七四年:2007/08/17(金) 04:32:51 ID:i4IbyxAI
利長は気に食わないことや面白くないことが起こると、仕事を投げ出す悪い癖がww
利常と珠姫との婚礼のお礼に秀忠の所へ挨拶に行った折、
思い切り持ち上げたと思ったら、思い切り突き落とすという真似をされたからなぁ。

ただ、利常へ代替わりするときは「仕事を投げ出す」にしては準備を入念にやってるし、
代替わり後は内政や外交面で利常のサポートを行っている。
利長もそれほど単純ではないと思われ。
624人間七七四年:2007/08/19(日) 09:30:14 ID:rES8ipeQ
     |:::::::/ ,,;;;;;;;;;;;;;;,     ,,;;;;;;;;;;;;;;,  |:::::::::|
     |:::::┏━━━━┓  ┏━━━━┓:::::|
     |::=ロ   -=払=- ┣━┫ -=払=-   ロ=::| ピキピキッ・・・!
     /|:::/ヽ      /ノ  ヽ      / ヽ|ヽ
    .| |/  ` ̄ ̄ ̄´/    ` ̄ ̄ ̄´   | |
    ヽ|         (. o⌒o .)●       .|ノ
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       |\    ::::--┬┬┬--::::   /|    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       |. \.     └┴┘    ./ .|  < 金沢をけなす奴は金沢から出て行け!
       \                 /    \______________
        \     ´ ̄ ̄ ̄`    ./ ハァハァ・・・・
          \           /
     ___/|.\______/|\___
   /;;;;;;;;;;;;;;; \\         //;;;;;;;;;;;;;;;;;\

625人間七七四年:2007/08/19(日) 12:58:00 ID:y0A9MMVk
実質的に加賀藩が富山藩、大聖寺藩、七日市藩のパトロン?

七日市藩祖前田利孝は大坂の陣で活躍したというが、どんな活躍したか詳細を書
いてある史料ってありますか?
626人間七七四年:2007/08/24(金) 16:49:16 ID:9GrK1hNJ
前田利孝は秀忠の陣にいたはず
627人間七七四年:2007/09/01(土) 15:04:42 ID:hMxiXNBh
利孝は秀忠の陣で知行を貰える程、卓越な戦功を挙げたの?
628人間七七四年:2007/09/03(月) 02:03:13 ID:2Rat6pGW
>>615 >>616
荒子観音辺りが正解だよ
629人間七七四年:2007/10/05(金) 00:18:45 ID:tLUJWAlz
福田って絶対トップをやるキャラじゃねええw


利家もこんな感じだったんだろうな
630人間七七四年:2007/10/10(水) 15:41:35 ID:oGz26LwK
まわりから持ち上げられるのは似てるな。
631人間七七四年:2007/10/11(木) 01:00:51 ID:HzmBeWdw
計算ってか算術に長けてたから、処世術にもたけてたんじゃないかな?
632人間七七四年:2007/10/29(月) 21:58:43 ID:KSpFcBW4
もちろん
633人間七七四年:2007/10/30(火) 21:19:41 ID:Tx+Ihoj8
IT企業の社長みたいな感じ

ホリエモンみたいな若造とかじゃなくて
業界の重鎮の大御所(フロッピーと穴あきテープの頃からプログラマーだぜみたいな)
のイメージだな
634人間七七四年:2007/10/30(火) 23:13:08 ID:tWxQi8TA
利家が愛用したソロバンが前田家の家宝として現代まで残っていて、
これが現存する日本最古のソロバンといわれている

ソロバンは1570年頃中国から伝来したがこれによる計算力の飛躍的な向上が
検地の集計や朝鮮出兵の大軍派遣の必要経費算出にどれほど役に立ったか想像に余りある。

>>633氏の言い分はまったく納得がいく
635人間七七四年:2007/10/31(水) 10:37:06 ID:lDB3g2BZ
前田利常の内政は極めて高く評価できるが
利家はなあ・・
636人間七七四年:2007/10/31(水) 12:45:48 ID:zcixXOO2
というか前田家は初代から5代目までは一応有能だろ
それ以降がイマイチぽ
637人間七七四年:2007/10/31(水) 14:10:52 ID:a8vVdIo3
母方の実家が佐々改易後前田家に仕えてた家系らしく色々聞いたが
同じ前田家でも加賀と越中はかなーり仲悪かったらしいね
本家の加賀100万石を守り抜く為の演出だったかもしれないらしいが
越中の前田家も江戸-明治初期までは国内の情報集合基地なんだしどっちが優れてたとは
一言で言い切れないけど両方ともたいしたものだよ
歴史捏造を除いてはね(笑)
638人間七七四年:2007/11/01(木) 13:36:11 ID:+rr6GDur
>>636
でも改作法とか十村制度とかの改革政策や新田開発は利常が考えたことでしょ
639人間七七四年:2007/11/01(木) 19:32:59 ID:zM4MOKJV
>>638
さて問題です。利常は加賀前田藩何代目の藩主でしょう?
640人間七七四年:2007/11/03(土) 20:02:51 ID:LoNM0p6s
藩祖 利家

初代藩主 利長
2代藩主 利常

利家は藩制度が成立する前に死んでます
641人間七七四年:2007/11/03(土) 22:44:38 ID:yZXzt5O2
利家がもっと野心家だったら秀吉の後を継いでたのかねえ
642名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 01:05:29 ID:0OQi5X4C
>>641
利家は野心満々だったぞ。大名居並べて秀頼を膝の上において一同に平伏させるって言う、秀吉が三法師で
やったアレと全く同じ事やってるし。豊臣の天下を簒奪する気は満々だったと思われる。ただ寿命が付いて
こなかっただけ。
643人間七七四年:2007/11/04(日) 05:17:51 ID:A+BQzPFt
馬鹿
644人間七七四年:2007/11/20(火) 01:19:14 ID:P7wPsSR/
そこまで飛びぬけた実績があるわけじゃないのに何だかんだで大藩を築いちゃった前田利家は凄すぎる。
織田家筆頭の柴田・丹羽・佐久間・滝川・明智(・羽柴)あたりは子孫にほとんど何も残せてないってのに。
645人間七七四年:2007/11/20(火) 14:21:27 ID:yyuSTTiB
利家は計算高く切れ者だからな
646人間七七四年:2007/11/20(火) 22:32:58 ID:JVeh3Lhs
五大老、五奉行、三中老の中でも家康に次ぐ石高を残したしなぁ
差はあるけど。
647人間七七四年:2007/11/21(水) 17:12:07 ID:SgIROnTN
官位も家康の次ですね
648名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 21:31:59 ID:VG8lX5Dd
某読んだ本スレより転載

> 磯田道史「武士の家計簿」
>
> 去年NHKでチョットだけ見て、本を買ったがマジおすすめ。
> 金沢藩御算用方・猪山家文書、家計簿による武家三代の記録。武士の家計の三分の一が
> 身分費用比(交際費)で占めて、常に困窮し武士より、その草履取りの方が収入が多かった。
> 武家の三分の一が離婚するため、武士とその妻との財産が別立てになっていた。
> 本家、分家の関係よりも娘姉妹、養子縁組による婚姻関係で出来た横の家の結びつきが
> 重視された。自分の知行地がどこにあるかも知らない武士がほとんどで、ヨーロッパ的
> 封建制とは、とても同一視出来ない。それゆえ大規模な農民反乱もおきず、明治維新の改革も
> スムーズにいった。そして、またヨーロッパのように中小貴族が土地所有者、財産家として
> 近現代まで生き残れたのに日本はそうならなかった、など世界史との比較も出てくる。
> それと磯田さんは文章が上手いというか面白くて読みやすいわ。
649人間七七四年:2007/11/30(金) 14:26:32 ID:R8opHuHl
ほう
650名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 15:59:24 ID:xl9/WS1u
徳川時代もずっと一門格で、なんのかんのでいい思いをしていたな。
651人間七七四年:2007/11/30(金) 17:22:20 ID:Ftvh2IZk
利家の政治力って戦国時代トップクラスだと思う
時勢を読むのが神がかってる
652人間七七四年:2007/11/30(金) 18:08:34 ID:yXEE45Sb
信長、秀吉、家康、偉人たちが認めたわけだから
間違いなく優秀だったはず。
653人間七七四年:2007/12/01(土) 23:24:21 ID:xd7IA+rc
でも野村や落合タイプだから
ファンのウケは悪いだろうな
654人間七七四年:2007/12/01(土) 23:54:07 ID:ynMbTXTn
信長の評価的には
滝川一益>利家≒佐々成政

こんなもんなんじゃないの?
655名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 01:52:07 ID:tDkbYHhH
>>654
まかされてた領地や権限を考慮すれば

滝川>>佐々>前田

こんなもんだろ。
656人間七七四年:2007/12/02(日) 13:49:10 ID:IgF9BQpe
プロ野球で言えば中村勝広
なぜか重要視されて出世していく
657人間七七四年:2007/12/02(日) 15:21:12 ID:YiaZHeLM
>>655
1567年の時点では一益は秀吉ら新参者の中では出世頭だろ
北伊勢二郡既に貰ってるんだから
658人間七七四年:2007/12/03(月) 12:06:25 ID:lm67nlQQ
武功の質や数で言うと滝川や佐々には遠く及ばない
しかし特技そろばんな利家と上記2名を比較する事自体不毛
659人間七七四年:2007/12/03(月) 16:47:00 ID:D3e1M/yJ
>>657
655は滝川を一番評価してんだから合ってんじゃないの・・・?
660人間七七四年:2007/12/04(火) 01:19:41 ID:RfHQcK/u
逆に
クリステルのじいちゃんって
本能寺以降 急激に没落していったけど
なんで?
661人間七七四年:2007/12/04(火) 07:33:57 ID:bpvJh/Nh
有能なリーマンが独立したとたんダメになるのは今でもよくある話
662人間七七四年:2007/12/04(火) 07:47:39 ID:bpvJh/Nh
逆に事業起こして大成功したやつが、
務め人の適正に関しては全然ないというのもよくある話

秀吉なんかどっちも大成功したからほんとの天才だな
晩年はボケちまったが
663人間七七四年:2007/12/04(火) 07:50:47 ID:bpvJh/Nh
ちなみに>>662で言うと信長はこのタイプだと思う
務め人としてはさえない一生を送っていたと思う
最悪主君から殺されてあぼーん
664人間七七四年:2007/12/04(火) 12:48:00 ID:ewWmpbZM
利家は秀吉と個人的つながりにおいて立身出世した向きが強いだけだろ。
こいつが才覚を試されたのは秀吉死後の徳川との対立くらい。
あとは基本的には地味。
もちろん堅実だとは思うが。
665たられば君:2007/12/04(火) 13:23:54 ID:BmT72pzK
利家は秀長没後の大名豊臣家の家宰だったと思えばよいかと。

織田家をのみこんだ秀吉にとって旧主筋を政権参与にはできず、信雄は改易・秀信は高家扱い。
政権成立時に旧織田家臣で最上位格だったのが前田と蒲生。
丹羽は長秀死亡、滝川は雄利に継がせて家格低下、佐々は改易。
信長の婿は遠方へ追いやり前田以下を自家に取り込んだ。

秀吉の思考を消去法で考えてみた。
666人間七七四年:2007/12/04(火) 15:16:57 ID:lwLzC7fh

利家は、外国から入ってきたばかりの算盤を使い金を貯め
秀吉政権では、どんどん金を貸して相手を取り込むことに成功
そして最終的には、圧倒的な人望を得て圧倒的な武力を誇る家康ですら相手にならない状態に
力で従わせるのではなく、金で従わせるという頭脳戦略
結局は自らの病気ですべての計画がパーになったが、利家のセンスは素晴らしいものがあった
667奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2007/12/04(火) 23:09:51 ID:Rkmav0s+
そういえば秀長も蓄財癖があったな。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 23:13:21 ID:siCgqp5h
豊臣末期は日本で金持ちと言えば家康か輝元、と言うのが世間の常識だったそうだぞ。
まあ輝元は実際には朝鮮役で財政的には汲々だったようだが。
669人間七七四年:2007/12/06(木) 21:05:26 ID:l+j/aA74
利家の誕生日っていつだろ?
670人間七七四年:2007/12/08(土) 21:39:43 ID:1PVLZH2e
208 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/12/06(木) 15:09:56 ID:rjovMP8i
若いころは傾奇者で鳴らして、でも一族の長としてはそれではやってけなくて
努力して人格者と呼ばれるようになり大大名もなった利家からしてみれば
若いころの自分がそのまま歳食ったような慶次には一言も二言も言いたいだろ

お前いい年してなにやってんだよって、俺の苦労もわかれってw
同系統の人間だからこその確執もあっただろうと思う
671人間七七四年:2007/12/08(土) 21:40:25 ID:1PVLZH2e
211 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/12/06(木) 17:09:45 ID:TZR84Eg+
>>208
若い頃はそこそこいい家の4男坊で地元じゃ女にモテるわ喧嘩は強いわで好き勝手やってたが
兄貴分の先輩が自分んちの親会社である会社を継ぐとそのままそこに就職

しばらくは若さに任せて無茶やってもそれが褒められていたが
ある時先輩の逆鱗に触れて会社クビ
結婚したばかりの妻と生まれたばかりの娘を抱えて2年間のフリーター生活

復帰してからは以前とは別人のようにマジメのコツコツと働き順調に出世
実家には自分と年の変わらない義理の甥のオッサンがいたが
そんな奴に子会社は任せられないと社長の命令で自分が引き継ぎ、兄貴とオッサン激怒して蒸発
その後もコツコツ働き出世していき十年が経った頃に兄貴とオッサン帰ってくる
それなりの地位と給料与えて仲直り

しかし社長の急死で会社は分解
長年お世話になってる上司の元を去り昇り調子の同期の友人の下へ
その後はとんとんと地位が上がって気がつけば5本の指に数えられるくらいの大社長に
しかしオッサンはいつまでも若い頃の自分のように好き勝手やっている
いい加減しっかりやってくれよと言ったら水風呂入れられたと・・・

そして後世では優秀な甥っこをいじめる嫌な爺として定着
涙が出るような話だ
672人間七七四年:2007/12/09(日) 09:09:14 ID:llXYMZE5
利家は武人としてはどれくらい強かったんだろう。
673名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 09:14:50 ID:qvLXB+k/
>>672
戦闘員としては相当強かった
武将としては並くらい
674人間七七四年:2007/12/09(日) 12:53:34 ID:xpVyt1ND

槍の又左とあだながつくくらいだからタイマンならそこそこ強かったんじゃね?

本多忠勝が「前田利家には勝てない」と言ったわけだし
675人間七七四年:2007/12/09(日) 13:20:22 ID:9ykTCI+b
七尾藩30万石七尾御所旧侯爵足利義寧
676人間七七四年:2007/12/09(日) 18:39:49 ID:IT3Z8a+q
慶次が 家康がいたから
走って近づいてきて よお家ちゃ〜ん と背中を叩いたら
それを見た用心棒の タダカツだったか服部半蔵が 咄嗟に斬ろうとして
家康が慌てて羽交い締めにして いいんじゃ 別にいいんじゃと制止したエピソードは

何度見ても笑えるw
677人間七七四年:2007/12/09(日) 19:16:31 ID:+s12w3Jv
当時182cmの大柄で6mの槍
稲生の合戦で顔面に弓受けたまま敵の首取ったり
信長のも日本無双の槍、比類なき槍とか褒められてるくらいだし
武人としては相当なもんなんじゃない?
ただ一軍を率いる将として微妙だよなあ
678人間七七四年:2007/12/09(日) 23:24:07 ID:IT3Z8a+q
名選手名監督あらず

ましてや 日本(スポーツ名)協会の会長に相応しいかどうかなんて
言わずもがな
679人間七七四年:2007/12/10(月) 13:03:38 ID:lZ2papey

利家は武将としても有能だろ
しずがたけでは負け戦と見るや即行で退いたり
部下から見ればこれほど頼もしい上司はいない
退いたりするのを潔しとせずに、名誉のために突撃して全滅するイノシシ武将の部下はマジ可哀想
生きてれば名誉なんていくらでも他の事で得られるのに
680人間七七四年:2007/12/10(月) 13:20:25 ID:e6TIisTF
>>679
藻前のアンチ前田振りだけは格別に陰湿なり
681人間七七四年:2007/12/10(月) 14:44:23 ID:3AdugUL+
陰湿
タチ悪いな本当に
682人間七七四年:2007/12/11(火) 07:29:01 ID:7CQC/276
越前での諸業やあっさり親父殿裏切って秀吉方の先鋒願い出るあたり、
宇喜多や松永に通じるものがあるな
683名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 07:38:27 ID:DMF9BnS+
>>682
アホか。寝返り者は追撃戦の先鋒をつとめるのが戦国の習いだ。
684人間七七四年:2007/12/12(水) 12:49:45 ID:Wi2ughbX
つまり卑怯な裏切り者の利家は通例どおり先鋒を買って出たと
685人間七七四年:2007/12/12(水) 14:08:03 ID:BQFKn6DS
わかったわかった
お前が利家嫌いなのはもう十分わかりました
686人間七七四年:2007/12/12(水) 16:02:51 ID:GKCpiE1e

あの時代は家を残すのが一番の仕事
負け組に組して家をつぶすなど最低のこと
自分のプライドや相手への恩や義理をスッパリ切り捨てられる人間こそ
本当に強い人間なんだよ

687人間七七四年:2007/12/12(水) 16:28:55 ID:Osy+2jmT
前田ヲタになりきってるチョンを誰か引き取ってくれ
688人間七七四年:2007/12/13(木) 01:12:16 ID:ailu59iy
別に利家は勝家の家臣じゃない罠
689人間七七四年:2007/12/14(金) 13:51:48 ID:20a9Xb4U
後ろめたい事なければ捏造文献残さなくてもよい罠
690人間七七四年:2007/12/14(金) 19:24:05 ID:sDmeP28W
別に俺も利家が善人とは思ってないけど、この常に張り付いてる粘着アンチクンはキメエ

しかし利長と信長の娘に子が出来なかったのは可哀想だったな
利常は文句なしの名君だが利家と信長の血の繋がった3代目ってのも気になる
691人間七七四年:2007/12/14(金) 20:55:11 ID:vl1b+R/G
いや幕府に対して信長の血は命取りにもなりかねんよ
それよりも松の血が途切れたほうが問題だったんじゃないだろか
692人間七七四年:2007/12/14(金) 21:30:11 ID:6Rjsu6t1
ここで利常の本当の両親は
利長と信長の娘 という説を提唱してみる
693奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2007/12/14(金) 22:17:57 ID:ttwJXLhj
おちょぼさんの立場をどうすんの。
694人間七七四年:2007/12/15(土) 20:58:48 ID:yvka7iBn
>>691
信長の血を引く小笠原家や本多家の連中も幕府に重用されていたと思うが
695名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 04:06:32 ID:83NN4gQQ
水野なんて織田家の縁戚もいいところだしな。
696名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 04:11:17 ID:83NN4gQQ
つーか秀忠の息子の忠長の嫁さんなんて信長直系のひ孫だし。
697人間七七四年:2007/12/16(日) 16:42:03 ID:4nxX9IX4
>>693
前田家の春日局
698人間七七四年:2007/12/25(火) 19:19:58 ID:9HYgceu7
699人間七七四年:2007/12/25(火) 21:40:41 ID:7KagYAav
松とおちょぼは不仲だったそうだけど
具体的なエピソードとかあるの?
700人間七七四年:2007/12/25(火) 23:39:23 ID:4Y82067W
お美代には前田斉泰を次期将軍にする野望があったらしい
701人間七七四年:2007/12/26(水) 07:11:49 ID:esK4iDhV
>>699
利長の死後、入れ替えに江戸に上った千代保とまつは
フンッ!!ってかんじで口もきかなかったって話をどこかで読んだ。
702人間七七四年:2007/12/26(水) 09:55:36 ID:YUR6eCIc
加賀100万石の当主は私の息子よみたいな感じで
松を馬鹿にしたのか?恐ろしいな〜
703人間七七四年:2007/12/27(木) 19:18:10 ID:KaHipBcz
利常の本当の両親は
利長と信長の娘で ちょぼはその養育係(兼護衛係)

と考えると
常に真実を隠してすっトボけた人生を送ってきたから
わざとボケじじいやった髭の殿様の行動も理解出来る
704名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 19:20:04 ID:gSNpiqwm
>>703
理解も何も出来ない。
705人間七七四年:2007/12/27(木) 22:03:00 ID:KkV+Tiny
>>702
土佐家は最後まで、松の子孫???
あと、麻亜の子孫の前田もあったよね。
706人間七七四年:2007/12/28(金) 11:24:48 ID:PAJm5uaE
ちよぼはかなり気が強かったそうだね
松がイジメたっていうより
ちよぼが身の程を弁えず当主生母を笠に着て松を見下したんだろう
707人間七七四年:2007/12/28(金) 18:39:47 ID:ufro1NqB
利常の残酷性は母から受け継いだのかな
708人間七七四年:2007/12/28(金) 19:02:02 ID:8GwoTYGH
利常って残虐なんだっけ?
709人間七七四年:2007/12/29(土) 13:28:07 ID:0BLA7m5r
不作の年に派手な着物を着てた女性を木に縛り生きたまま......して見せしめにしたとか。
参勤の行列に最低人数を大幅に超えた量を連れて行くのもこの人から始めたんだよね?
飢餓で人が大量死してるのに無駄金を・・・利家利長公が生きてればこんな事にはならなかったと嘆いたそうです
幕府に対しての意味はあったのだろうけどね
明らかに政治能力は高いのだがモタイナイ 綱吉とかぶる
710名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 14:00:40 ID:owXYXhJ5
>>709
まあ利常の時代は武断主義と文治主義のはざかい期だから、そんなかんじの大名はけっこう多いよ。
711人間七七四年:2007/12/29(土) 14:52:50 ID:zf1Rb7k4
でも金玉見せたんだよね、利常
712人間七七四年:2007/12/29(土) 14:53:20 ID:zf1Rb7k4
また上げちゃった><
713人間七七四年:2007/12/29(土) 14:53:43 ID:nyh7aGnm
鼻毛じゃなくて??
714人間七七四年:2007/12/29(土) 15:11:40 ID:2uzLt/nb
>>709
そうなんだ、利常って若くして家督継いでバカ殿の真似しながら前田家守った
超名君のイメージしかなかったわ
利家については多少知識はあるんだが利長・利常はよく知らなかったんでそういうエピはサンクス
715人間七七四年:2008/01/01(火) 23:01:14 ID:q6RR+cFe
前田利常もよく本多重政を筆頭家老にしたものだ
本多重政がそれまで仕官した大名は全て取り潰され、旧来の家臣から徳川のスパ
イと疑われていたし
まあ兵法家の富田重政を除けば村井長頼、長連龍、高山重友ら歴戦の家臣がいな
くなっていたから仕方ないか
716人間七七四年:2008/01/01(火) 23:25:55 ID:q6RR+cFe
>>715
スマソ
本多重政じゃなくて本多政重だった
717名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 03:35:45 ID:vTDv8b6S
>>715
> 本多重政がそれまで仕官した大名は全て取り潰され、旧来の家臣から徳川のスパ
> イと疑われていたし

ザ・後付の知識ご苦労。
718奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/02(水) 12:22:01 ID:ivGTq5x1
ザ・なんとかってダイソーのコーナーみたいだな。
719人間七七四年:2008/01/04(金) 16:16:37 ID:p0TqPxYP
>>714
だから それらが江戸の幕府に
利常はバカ殿です ってアピールした活動の一環だろうが
720人間七七四年:2008/01/06(日) 01:37:07 ID:/+iNLTFS
    統率 武勇 知略 政治 義理
利家  71 87 90 81 64
利長  64 60 72 75 70
利政  57 68 66 68 98  
利常  70 69 88 88 75

個人的には前田家の面々はこんなイメージでみてる 
721人間七七四年:2008/01/06(日) 05:09:51 ID:tsKTbf/C
KOEI厨きめぇw
722人間七七四年:2008/01/06(日) 18:23:34 ID:dhJ8W/ld
すぐ数値化するアホはどうにかならんもんかな
723奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/06(日) 19:13:58 ID:bnEUtUvT
叩き台としてもらっておこう。
724人間七七四年:2008/01/06(日) 20:33:55 ID:25wafVug
         統率 武勇 知略 政治 義理
>>721-722    2   1   0   3   5 
725人間七七四年:2008/01/06(日) 21:04:10 ID:tP5ygyts
裏切り者の前田なぞどうでもいいわい。
by柴田ファン
726奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/06(日) 21:18:00 ID:bnEUtUvT
賤ヶ岳はブック。
727人間七七四年:2008/01/08(火) 01:52:23 ID:Hyr+IQGw
利家はカリスマ性があったんだろう。
728人間七七四年:2008/01/08(火) 17:46:44 ID:08Jl3PsM
>>727
人望はあったろうがカリスマ性とは違うと思う
まあその当時生きてたわけじゃないからわからんけど
何十石ってとこから数万石以上の大名などに出世して行ったような人間は
やはり武士としてはかなり優秀だったとは思うが。
729人間七七四年:2008/01/08(火) 18:18:54 ID:qIU2y5OZ
当時の100万石を今の価値に換算すると1000億だそうです
(米一石=金一両と計算し、百万石=百万両になり、一両を十万円と考えると一千億になる)
で、年貢は4割だから単純に利家の手元には毎年400億が入ってきた計算になります
730名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 18:28:56 ID:hvLoQ/1K
>>729
ちなみに石川県の平成18年度の予算規模が5983億円。
731人間七七四年:2008/01/08(火) 20:28:15 ID:CWSvYdIR
マテ 一石=一両てなんだよw
732人間七七四年:2008/01/08(火) 20:49:05 ID:Fo8vSG+R
>>731
江戸期には1石あたり銀60匁あたりで推移していたから
1石=1両ってーのはまぁ普通だ。
実際は手数料やら何やらで一石、1両弱ってところだけど

中世だと1石、1貫文位。

それはともかく、加賀藩藩主の手元に入ってくるのは40万石ではないよ。
半分強は家臣の知行分だし、この100万石ってーのは寺社領も含めてのものなので
藩主の手元に入ってくるのは20万石以下だよ。
733名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 21:05:26 ID:hvLoQ/1K
>>732
> 半分強は家臣の知行分だし、
それは藩収入からの人件費として換算すべきものじゃね?この当時武士は、自分の領地とはいえ
直接統治も直の徴税もしていないんだから。
734人間七七四年:2008/01/08(火) 21:25:09 ID:Fo8vSG+R
>>733
あいやいや。
>729が利家って書いてたから。
十村制の導入以降だとそうだけど、そりゃ綱紀の代からだし。(実指揮は利常)

 まぁ加賀藩は早くから地方知行制から蔵米知行制へ移行した藩だけどさ。
でも八家の抵抗強くて、完全移行に20年近くかかっている。
(最後の抵抗は長家3万石。元は能登の地侍なので自分の土地を奪われるのに等しい政策に最後まで抵抗)
735人間七七四年:2008/01/09(水) 03:54:27 ID:vNiUJ4/k
>>725
裏切り者? ははは何をおかしなことを申す
信長様直属の 勝家に不穏な動きがあったときには首を打つために派遣された御目付役である利家が
その場の判断で勝家を見限って何が悪い?
部下でも無いのに守る義務も無い
736人間七七四年:2008/01/09(水) 10:02:18 ID:2NWYEEbt
>>732
うちの先祖は600石で雇われていた訳だが
一年に600両も貰っていたとは思えんのだがw
能登は一町を360歩から300歩に変更した時から反発の連続だったと聞いていたけど?どうなんだろ
富山が廃藩まで360歩らしいので納得出来なかったのかな

>>735 やめい
737名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 10:21:36 ID:a4xbzgej
>>736
江戸時代の武家は交際費などで支出がとにかく多くて、どこも家計は大変だったらしいぞ。
それに武士には石高に応じた義務もたくさんあるし。
738人間七七四年:2008/01/09(水) 11:44:19 ID:xuPsjMpC
>>736
武士が全部巻き上げたら百姓死んじゃうよ
加賀藩の年貢率知らんが、600石取りで4公6民なら収入は240石と言う事になる
年間の米代は一人1石(おかず含まず)
家族が10人+奉公人が5人としても、食費だけで数十両
あとは家族の衣類と奉公人の衣類(奉公人の衣食住は主人持ち)と給金
更に600石取りだと400坪ぐらいの屋敷に住み、馬1頭と11人以上の家来を雇わなくてはいけなかったらしい
これら家族の衣食住や家来の給金と屋敷や馬の維持費など生活費だけで半分は飛んでしまう
そして一番の出費である交際費を差し引くともういっぱいいっぱいになってしまうみたいだ
739たられば君:2008/01/09(水) 11:45:01 ID:nwn8PAZe
禄高即人件費だしね
740人間七七四年:2008/01/09(水) 15:26:44 ID:2NWYEEbt
接待交際費に一番金がかかるとは知らなかった、家臣とか婆や経費だけじゃないのね
うちは城内女衆の生活費も任されてたらしく、その冠婚葬祭費で生活苦しかったとは聞いてます
仕事は代々剣術や行儀作法を教える役目なのに昔から数名の大工が一緒に住んでいたり・・・
今の公務員と比較するとワケワカランな(汗
741人間七七四年:2008/01/10(木) 04:37:50 ID:i68DQ/jz
ちょっと>738ので600石取りの家計を出してみよう。
600石取りの場合、扶持米だと600俵=240石ということになる。
加賀俵は5斗だけど面倒なので4斗=1俵ということで。

 まず食費。
 家族が10人で奉公人が5人の場合。
 >738は一人1石計算だけど、江戸期までは一人扶持(5合)食べるのが当たり前だったので
1人扶持で計算。
 一人扶持は1.8石*15人で25石。
 部下のほうは、幕府が旗本や御家人に出した軍役(1649)を元に
 足軽3人、中間10人。
 1.8石*13人で23.4石。
 計、48.4石

 野菜などの副菜や、味噌などの調味料、薪などの燃料代等、大体60両くらいは使うから
 これで60石

 馬は騎乗用が1頭、小荷駄用が2頭。
 飼料代が1頭に付き9両
 よって馬の維持費が27両
 (戦国期だと代馬も用意するから4頭で36両になる)
 これで27石。

 次に給金。
 足軽3人に3両、中間や奉公人に2両として
 足軽9両、中間+奉公人30両
 これで39石。

 衣服代や武具の維持費、交際費が60両ほど
 これで60石。

 合計、234.4石
 残     5.6石

 実際は換金すると札差に手数料を取られるので手元には5両ほどしか……
 現代にすると、利益が2400万の会社で従業員が20人ほどの会社の経営はどんなかなということでひとつ。

//
 江戸中期以降になると、財政の圧迫で扶持米がちゃんと配給されなかったりするのでさらにひどいことに。

 参考
 tp://www.0105.jp/~mizuki/gunekikitei.html
 tp://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J004.htm
742人間七七四年:2008/01/10(木) 15:37:42 ID:1TbjSJ/B
加賀藩は総じて恵まれていただろ
743人間七七四年:2008/01/10(木) 18:22:40 ID:xKs7M4Fu
ない
744人間七七四年:2008/01/10(木) 21:10:05 ID:ABneySeT
民主党前田雄吉って前田家の末裔らしいね。
マルチ商法とパチ業界の守護者だけど…
745人間七七四年:2008/01/10(木) 22:21:34 ID:lMzM58d+
>>735貴様!儂がどれだけ目をかけてやったか…………いや構わん、これからは羽柴をたよるがよい、まあそれよりも茶漬けを所望する。
746人間七七四年:2008/01/10(木) 23:26:58 ID:gmxz1UhA
>>745
柴田が前田に特別に目をかけたエピソードはないよね。
747人間七七四年:2008/01/11(金) 00:11:57 ID:rnSP5ND9
>>744
違うだろ
本家なら名前に利をつけているはずだ
748名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 00:18:59 ID:M6X+tEOL
戦国武将の末裔(本家分家かかわらず)で政治家になったのってそれなりにいるよな。
丹羽さんとか甘利さんとか、二階堂さんも二階堂氏の末裔なのかね?
749奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/11(金) 00:36:20 ID:Wm9P7f6D
丹羽さんは相当な大族。
750人間七七四年:2008/01/11(金) 00:39:58 ID:fCq5GPCx
>>744
明治のどさくさで買ったりしたんじゃね?あるいは前田の中でも一番端っことか。
751奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/11(金) 00:45:56 ID:Wm9P7f6D
前田雄吉は小牧だな。系譜以前の問題かと。
752人間七七四年:2008/01/11(金) 01:50:02 ID:kXZe3B+1
細川は殿様総理大臣って有名だったから名前挙げとくか
753人間七七四年:2008/01/11(金) 03:10:01 ID:vWSL4qQZ
ウィキペディアより抜粋・・・前田雄吉
趣味は甲冑の制作・蒐集で、尾張国清洲藩主松平忠吉を中心に尾張の安土桃山時代から江戸時代にかけての歴史研究を行っている。
(前田は加賀百万石の旧前田藩〔石川県〕の子孫でもある。)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E9%9B%84%E5%90%89

【マルチ商法奨励】前田雄吉議員【民主党】
ttp://society6.2ch.net/test/read.cgi/giin/1196347256/l50

754名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 03:15:08 ID:M6X+tEOL
>>753
> 旧前田藩〔石川県〕の子孫でもある。

ものすごい変な日本語だな。
755人間七七四年:2008/01/11(金) 09:22:08 ID:Wlz0oY6h
パチ業界の守護者で下手糞な日本語使ってるようじゃバッタものか
756人間七七四年:2008/01/11(金) 17:44:06 ID:kXZe3B+1
ファンが日本語不自由なんじゃないの
757人間七七四年:2008/01/11(金) 20:12:05 ID:Nhl5VRTt
支持者が朝鮮語を母国語としてるからだろ
758人間七七四年:2008/01/11(金) 22:54:34 ID:dhNmfHg6
算盤侍には尾に間。
759人間七七四年:2008/01/13(日) 20:44:53 ID:GbPWOlse
>>754
恐らく本家や八家の前田氏と関係ないだろう
加賀と言ってるなら大聖寺藩、富山藩、七日市藩とも関係ないだろうし
760奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/13(日) 21:26:38 ID:nC59o7BB
選挙のときのアレっぽいな。
761人間七七四年:2008/01/19(土) 19:19:53 ID:6CAoib6p
美濃攻めで物置を佐々と共同で討ち取った時に手柄譲りあったって話は利家の話なのかな?
池田恒興と佐々の話とされてる資料も数点あるみたいだが
762人間七七四年:2008/01/20(日) 04:14:53 ID:H7zXVxNr
で、結局手柄はおやじ殿が持ってっちゃった、というアレ?
763人間七七四年:2008/01/20(日) 19:56:06 ID:2ieeDyzm
物置・・・
信長公記には佐々成政と池田信輝の美談になっております
勝家や利家は出てきません
764人間七七四年:2008/01/22(火) 13:05:05 ID:68EQV7SY
なるほどやっぱり池田と佐々か
俺のイメージ的にも反論の余地が無い・・・・・
765人間七七四年:2008/01/30(水) 04:12:20 ID:S8Mcx2yY
前田の犬コロは最低の裏切り者
766人間七七四年:2008/01/30(水) 16:44:40 ID:2hRDRZwk
>>753
最悪だな。
しかし擁護必死だなw
767人間七七四年:2008/01/31(木) 13:02:41 ID:wD3sjtSk
もう、小倉女は権力者の肉便器でその程度の女だったってことでいいじゃんW
768人間七七四年:2008/02/01(金) 02:54:25 ID:AbYra94Y
俺の読む小説ではまつは不倫ばっかしている……。
769人間七七四年:2008/02/01(金) 10:01:21 ID:7rPdWnTk
>768  エロ小説とは違う本も、たまには読んであげて下さい
770人間七七四年:2008/02/01(金) 21:20:47 ID:AbYra94Y
>>769

いや、エロじゃないんだけどな。
隆慶と祖父江。
771人間七七四年:2008/02/01(金) 21:44:44 ID:Aafv0wQ9
>>79
自分も好き。
772人間七七四年:2008/02/02(土) 18:06:51 ID:0U5emoo8
773人間七七四年:2008/02/09(土) 12:15:26 ID:gRGWjKCA
前田マエダ利リ常ツネ
ナンデ利ガトシデナク、リナンダ?
ナンデカタカナナンダ?
774人間七七四年:2008/02/23(土) 13:29:45 ID:SRlkY81p
利昌以前は不明なんだね?
775人間七七四年:2008/02/24(日) 20:02:52 ID:AOJ+2PFJ
利長と永姫の間に男子が欲しかった
776人間七七四年:2008/02/24(日) 23:20:08 ID:XzAfXQx5
漫才師のまえだまえだって親戚?
777人間七七四年:2008/02/25(月) 01:05:45 ID:G6DgrcE+
前田利長毒殺説ってほんとか?
778人間七七四年:2008/02/25(月) 17:10:29 ID:hM269Z8R
質問ばっかりだな!
779人間七七四年:2008/02/26(火) 23:44:18 ID:RXAMWI2k
>>775
その二人の子が利常だって説もある。
ちょぼの子ってことにしただけで。
780人間七七四年:2008/02/27(水) 18:35:36 ID:2/TPzWMi
説をふやすなよw
オチョボの子とするメリットがなにかある?
781人間七七四年:2008/02/27(水) 23:22:40 ID:5XTEFudW
・家康に対して都合がいい
・秀吉に対して都合がいい
782人間七七四年:2008/02/28(木) 15:48:17 ID:wwyr8Ipb
都合か、そうなるとオチヨボはトンデモな勘違い女
でいいの?
783人間七七四年:2008/02/28(木) 18:32:38 ID:1NiXyh9X
勘違いじゃなくて、秘密を守るためにすっトボケ演義を続けてたんだろ。
鼻毛のお殿様の養母だし。
784人間七七四年:2008/03/03(月) 20:33:11 ID:a6Lfkf8X
薩摩に暗君なし!

加賀に名君なし!

これ現実

島津公爵家>>>>>絶対に越えられない壁>>>>>前田侯爵家(プ)
785たられば君:2008/03/03(月) 22:05:14 ID:XPAHzVXc
っ【斉興】
っ【日新斎は庶家からの成り上がり】

つか未だに対決ネタやってる人って何か取り残されてるみたいでかわいそう。
786人間七七四年:2008/03/12(水) 21:24:56 ID:jZb67fzU
ほう
787人間七七四年:2008/03/16(日) 00:17:02 ID:7vIUpsT6
>768 花と慶次とかな
788人間七七四年:2008/03/16(日) 02:07:27 ID:uuSS/7Gm
>>784
> 加賀に名君なし!

それは仙台の間違いだ。
789人間七七四年:2008/03/16(日) 02:50:23 ID:7sHthIvb
最強の武人設定の慶次と恋仲にさせたくなるくらいまつ様は素晴らしい女性だったってことだよ

まあまつ様は利家のものだけどな
790人間七七四年:2008/03/18(火) 13:16:19 ID:m2PINviq
ほとんどフィクションである一夢庵や花の慶次を大河化しろとか、利家とまつでもミッチーと菜々子を不倫させれば良かったとか言ってるやつって、ゲームやって政宗様〜とか騒いで仙台などに現れる腐女子といっしょじゃね?
791人間七七四年:2008/03/18(火) 13:19:03 ID:g/Ig3vmB
どこにいんの?
792人間七七四年:2008/03/18(火) 16:19:13 ID:bHXJKUbL
いるかいないかよくわからん山本間助もあれだけ勝手に作れるんだから
花の慶次の大河もありだろう
阿部主役で頼むわ
793人間七七四年:2008/03/20(木) 00:23:05 ID:0UNhygA3
風林火山と花の慶次では史実壊しの幅が全然違う気がする
794名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 14:54:29 ID:fCye7lGP
正直、花の慶次の何が面白いのかさっぱりわからん。
795人間七七四年:2008/03/23(日) 13:49:24 ID:YBcXT8KN
結構面白いし
796人間七七四年:2008/03/23(日) 14:05:48 ID:tiNRVrb2
前田慶次郎って利家より6歳年上、又は2歳下だろ?
何で阿部寛やねん、せめて50歳以上の俳優じゃないとキツイ
つーか花の慶次はおもしろいし、慶次も嫌いじゃないし、漫画とかゲームなら最強でも何でもいいけど
大河で慶次郎なんて絶対にやって欲しくない
797人間七七四年:2008/03/23(日) 14:29:02 ID:kb7HWG4Q
>>796
同意
慶次郎は漫画や小説では最強設定だが、史実ではただの変なオッサンだからな。
強かったのは確かだろうが。
利家の方がはるかに立派。
798人間七七四年:2008/03/23(日) 16:48:02 ID:QtTUfMvA
ケツと幼女献上しただけの利家が立派とはw
慶次も薄汚い利家にいい加減うんざりして武勇誉れ高い上杉家に退転したんだろうね
799人間七七四年:2008/03/23(日) 17:31:48 ID:jSwcvDxn
>>798
> ケツと幼女献上しただけの利家が立派とはw

比較対象が低レベルだから利家でも立派に見えちゃうんだろw
実際諸大名で利家よりレベル低いのって奥州に住んでる片目の基地外だけだから。
800人間七七四年:2008/03/23(日) 17:37:40 ID:tiNRVrb2
やっぱり来るんだな
801人間七七四年:2008/03/23(日) 19:54:27 ID:kb7HWG4Q
>>799
誰も利家と政宗の比較なんかしてねーよ、ばーか

あ、お前はしてたのか
802人間七七四年:2008/03/23(日) 21:32:41 ID:jSwcvDxn
>>801
前半読めない?
比較対象(前田慶次)が低レベルだから(相対的にケツと幼女献上しただけの)利家でも立派に見えちゃうんだよ。
それほど慶次なんてのはたいしたこと無いんだ。ケツと幼女献上しただけのやつより小物なんだ。
政宗が大河のせいで過大評価されてるのと同様に、慶次は劇画のせいで過大評価されてるんだよ。どっちも虚像だけが一人
歩きしてると言う点ではいい仲間じゃないですかw
803人間七七四年:2008/03/23(日) 21:46:59 ID:kb7HWG4Q
>>802
前半読み間違えて暴言吐いたことは謝る
804人間七七四年:2008/03/25(火) 00:12:02 ID:LupXsZ7+
低レベルのやつと喧嘩すると自分まで低レベルになるぞ


山本モナが
ヘキサゴンのバカどもと食事したら
言ってることすら訳わからなくて会話自体が成立しなかったそうだ
805人間七七四年:2008/03/25(火) 19:55:23 ID:uV5s77dQ
それは馬鹿同士が話し噛み合わない例えだろw
806人間七七四年:2008/04/02(水) 00:03:05 ID:tUWv166S
age
807人間七七四年:2008/04/13(日) 10:37:10 ID:gyD4D7aZ
金沢人必死
808人間七七四年:2008/04/30(水) 04:38:26 ID:5NwvPSRh
しょせん前田の犬は小早川秀秋と同じ裏切り者さw
809人間七七四年:2008/04/30(水) 12:35:14 ID:UbEwAzFL
毎回ageるのな お前
810名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 12:42:44 ID:4eOxGvEH
>>809
誰かにかまって欲しいだけなんだから、相手するなよ。
811人間七七四年:2008/04/30(水) 15:07:01 ID:5NwvPSRh
とキモヲタ雑魚童貞がもうしておりますw
812人間七七四年:2008/04/30(水) 21:16:21 ID:60ZZE6Uw
利長殿は慧眼だ・・・なんせこのわしを後嗣に据えたのだからなと妾腹が
ほざいております。
813人間七七四年:2008/05/19(月) 15:00:30 ID:58MwdcDB
利家の遺志はどんなだったん?
814人間七七四年:2008/05/20(火) 19:54:20 ID:tLV7H44L
利常は利長と永姫の息子をチョボ(千代母)がかくまった子
815人間七七四年:2008/05/20(火) 21:08:02 ID:dkNUy1dT
>>787
加賀芳春記とかな。
816人間七七四年:2008/05/22(木) 11:39:52 ID:j8zG9ysK
>814またそれかよw
817人間七七四年:2008/05/24(土) 02:09:29 ID:iDj8KdOo
今年の百万石まつりは来月だっけ?…利家公は誰かな?

お松の方は石野真子みたいでなんかイメージ違う様な
‥松嶋菜々子のイメージ強くてどちらかというと石野
真子は年だし侍女って感じが否めない‥柔らかすぎるし
818人間七七四年:2008/05/24(土) 18:38:00 ID:eir8UeaE
少女献上されてえなあ
819人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:45:47 ID:YztfUN77
どっかの祭で、信長役にスケートの織田くん呼ばねえかな〜
820人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 10:48:11 ID:W5BAocAa
直系でもないチンカス野郎なんかイラネ
821人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 12:11:04 ID:YTo/nr9h
花の慶次効果じゃないけどまつは夏目雅子のイメージ
822名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 12:29:52 ID:RrlJ7zlL
まつは土豪の嫁さんらしい、煮ても焼いても食えないイメージだな。
823人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 12:05:56 ID:+3mC+GXK
>>819

間違っても百万石まつりには呼ばないっしょ…呼ばれる訳がない。ましてや利家は手下だし

武士姿系のパレードなんて無理っしょwもしも・・織田信長祭りなんてのがあれば別だけど
824名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 12:46:04 ID:r7dgkvXf
>>823
信雄の失脚後はもうずっと前田家の格下ですが>織田家
825人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 23:47:21 ID:89zNd1v2
利長くんの日記更新されないかな〜。
826人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 00:54:27 ID:zSyfrONc
利家の肖像画って谷村新司に似てる…
827人間七七四年:2008/06/09(月) 01:49:04 ID:0zt0lHnS


競輪のトップ選手のブログにも「百万石」のことが
http://www.kojimakeiji.net/diary/index.html
828人間七七四年:2008/06/09(月) 04:38:42 ID:67cHx5K2
>>824
織田信雄の子信良は上野小幡藩二万石の小大名に過ぎないが、家柄が考慮されて
待遇は加賀藩前田氏と同格にされていたよ
ただ子孫の時代に家臣吉田玄蕃の起こした事件に連座して大藩と同等の格式は以
後取り消されたんだよ
829名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 10:59:53 ID:h1YinmG+
>>828
なるほど。勉強になったよ、ありがとう。
830人間七七四年:2008/06/10(火) 11:29:23 ID:eSCtX3LO
前田利長ってのは、有能なのか。簡単に
徳川家康に屈服したが
831人間七七四年:2008/06/10(火) 12:50:17 ID:Ltq71lim
利家が主役の小説ってあんまりないのかな。
本屋を巡って探してみても今は絶版している小説ばかりだったし。
やっと見つけた童門冬二の著書は利家が亡くなる直前の話で、期待した程じゃなかったんだ。
信長に仕えてた若い頃から描いた利家が主役の小説があれば教えて頂きたいです。
832名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 13:04:18 ID:ScW7tn8m
>>831

前田利家 (光文社時代小説文庫) 戸部 新十郎

前田利家(講談社文庫) 津本 陽

前田利家―秀吉が最も頼りにした男 (PHP文庫) 花村 奨

この辺は普通に買えると思うが。本屋になけりゃ注文するかネット通販って手もあるし。
後マンガだけど

前田利家 
SPコミックス 戦国武将列伝シリーズ
著者/訳者名 永井 豪 著 ダイナミックプロ 著
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/07179737/pg_from/rcmd_detail_2
833人間七七四年:2008/06/10(火) 13:36:54 ID:bdchlUeu
>>830
武将として見たら屁垂れと見られても仕方がないかと。
時代の流れを読み家を残すといった家長として見れば有能。
領内の産業を興す等の経営者としての視点でも有能だと思う。
総合的には中の上クラスでは。
ただ、戦国時代板では武勇が優れた者が人気だから武勇のイメージが少ない武将の評価が低くなるのは仕方がない。
834人間七七四年:2008/06/10(火) 15:06:19 ID:DvVLosDD
永井豪の利家はトンデモすぎてオススメできないなぁ
織田家の主要な作戦全てに重要な役割で出演しとる

まぁ漫画と割り切れるならいいけど、利家の事が知りたいって人には向かない
835人間七七四年:2008/06/10(火) 15:08:29 ID:eSCtX3LO
>>833
性格は温厚やったらしいが
836人間七七四年:2008/06/10(火) 18:02:46 ID:Ltq71lim
>>832
どうもありがとう、助かります!!今日にでも探してみます。
>>834
永井豪の漫画は実は購入済みで読んでみたんだけど利家が桶狭間で今川義元を討ち取ったり、三方ヶ原で佐脇良之が武田信玄に致命傷を負わせたのは度胆を抜きましたね(笑)。
でも、展開が楽しみなんですよね。今はどの辺りまで話が進んでますか?
837人間七七四年:2008/06/10(火) 18:13:15 ID:DvVLosDD
>>836
本能寺直前です
今秀吉の中国攻めの与力に来てますw
838人間七七四年:2008/06/10(火) 18:34:05 ID:Ltq71lim
>>837
中国攻めですか(笑)!!
何故秀吉の与力になってるんでしょうね。
もしかして永井豪って柴田勝家の事が嫌いなのかと疑いたくなります。
本能寺の変直前に中国攻めをしているなら秀吉と共に光秀を討ちかねませんね。ゲームの戦国無双2猛将伝では本能寺の変直前に四国にて長宗我部元親と戦ってから、大返しして光秀を討った事になってましたが、それと同じぐらい凄い事になってますね(笑)。
839人間七七四年:2008/06/10(火) 18:38:31 ID:DvVLosDD
勝家と秀吉も今のところ仲悪くは無いんだよ。
お市と結婚できるように秀吉と利家で小谷城からお市を救って勝家に感謝されてるし。

まぁいろんな意味で面白いよw

同じ雑誌で岡村賢二が色んな武将視点の短編を書いてるけど、
先月の徳川家康では、信康の才能を恐れて信長が切腹を命じたって説を取り上げてるし。
840人間七七四年:2008/06/10(火) 18:46:24 ID:dwWuKDh6
>>838
いや秀吉の与力だったかどうかは別にして
別所攻めに越前衆は動員されてるよ
佐々や金森や原と一緒に
秀吉というより信忠の与力っぽいけど
北陸方面軍を中国戦線に使わなければならないくらい
当時の織田軍は切羽詰まっていた
841人間七七四年:2008/06/10(火) 18:56:57 ID:DvVLosDD
今読み返したけど、秀吉の与力で参戦後、能登の大名になった所で終わってる。
最終ページでは、信長は本能寺で光秀の軍勢を待つ!って宣言したところで終了。
今月27日発売のコミック乱ツインズ増刊戦国武将列伝で本能寺の変が起きるな。

予想では、上杉ににらまれて動けない勝家が利家に本能寺へ行くように要請して
秀吉と合流、山崎で光秀を討ち取ると思われますw
842人間七七四年:2008/06/10(火) 20:37:52 ID:Ltq71lim
>>839>>841
単行本読み直してみたんですが、確かにこの漫画では秀吉と勝家って仲が悪いようには描かれてないですよね。
今までドラマや小説ではこの二人が仲が悪いのが当たり前のように描かれていたので新鮮ですよね。確か史実でもそこまで険悪な仲ではなかったという事を何かの本で読んだ気がします。
どういう経緯で対立し始めるのか楽しみです。 
そして、光秀討伐までの流れは本当に有り得そうですよね(笑)。この漫画の利家はまさに神出鬼没ですからね。
それから、信康切腹に至までの話を描いた漫画は読んでみたかったです。今まで信康って暴れ者で、武田に通じてたから切腹を命じられた説のほうが取り上げられてましたからね。
色んな武将の視点って毎回扱われる武将が違うんでしょうか。次は誰が扱われるんでしょうか?

>>840
そうだったんですか!!
無知を露呈してしまいました。


843人間七七四年:2008/06/10(火) 21:10:07 ID:O6QCG0NH
>>840
岡村賢二の増刊の連載は毎回1話〜2話で纏められてるから
見かけたときに買うだけでも読めるのがGOOD
発行部数が少ないのかなかなか見かけないけどねw
単行本も出ててコンビニで良く見かけるからさがしてみるのもいいかも。
844人間七七四年:2008/06/11(水) 01:49:30 ID:eeFRanKf
>>840
そんなに切羽つまってたか?とも思うが。信忠軍のやったことって、天正六年の五月から
七月にかけて三木城周辺の焼き討ち、枝城の神吉城攻略、三木城周辺に包囲のための付城を
築いたあとは秀吉軍にまかせて帰国。

前田は柴田配下ではなく、越前に封じられた後もしばらくは信長直属の身分だったようで、
信忠につけられて播磨に摂津で戦っている。ただ当時の前田の所領を考えるとそれほどの
軍勢も持っていなかっただろうが。
845人間七七四年:2008/06/11(水) 02:00:31 ID:EUPtpAdY
府中10万石を3人で分割統治だからなぁ3万3千石かぁ。
846人間七七四年:2008/06/11(水) 02:37:19 ID:3ift60qf
>>845
のこり1000石のゆくえは?
847人間七七四年:2008/06/11(水) 03:21:12 ID:EUPtpAdY
3万3千3百3十3石3斗3升3合とちょこっと
848人間七七四年:2008/06/11(水) 07:57:37 ID:SFlYBjG3
>>844
長家家譜だと謙信に七尾城を落とされ、
その戦いで父や兄を殺された長連竜が、仇討ちの決心を秀吉に打ち明ける
それを耳にした信長が感心しつつも
今謙信へ手向かうと、その隙に上方では騒動が起きるかもしれないので、難しい
それに今は中国征伐の時でも有るから、兵を分け難い
と話している(どれくらい信憑性が有るか分からないけど)

実際、この頃の播磨には信忠・信雄・信包・信孝らが率いる尾・濃・勢軍
それに丹羽・滝川・明智・細川・堀・越前衆(不破・前田・佐々・原・金森ら)そして秀吉など
信長は各方面の織田軍を結集させて、別所攻め&荒木攻めを行っている
というのも、播磨上月まで毛利・小早川・吉川が迫ってきたので、
その大軍を牽制する意図が有ったのかも

>天正六年の五月から七月にかけて
信忠ら織田主力軍が神吉城を落としたり、姫路で戦ったり、付け城を築くなどして戦った期間は
天正六年の五月〜
天正七年四月二十八日までだよ
三木城、有岡城攻めは殆ど信忠が中心になって攻略している
849人間七七四年:2008/06/11(水) 10:04:17 ID:eeFRanKf
>>848
播磨と摂津を一緒くたにしてごまかしてませんかね。

>播磨上月まで毛利・小早川・吉川が迫ってきたので
せまってきたのは事実だが、その信忠軍が播磨から消えて秀吉軍だけになっても、
毛利は上月城から東へはすすみませんでした。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 11:01:24 ID:0xVOOJrr
>>849
> せまってきたのは事実だが、その信忠軍が播磨から消えて秀吉軍だけになっても、
> 毛利は上月城から東へはすすみませんでした。

上月城の戦いの年の11月に、例の甲鉄船の摂津木津川口の海戦があって、毛利が東瀬戸内から大阪湾の
制海権を織田に取られた。このため毛利は進むに進めなくなった。
851人間七七四年:2008/06/11(水) 13:43:01 ID:QJVwnHHc
>>87
じゃあその主家はだれの臣下なんだ?
中学生みたいな発想だよお前
852人間七七四年:2008/06/11(水) 13:53:38 ID:QJVwnHHc
>>105
戦争に勝てばそれでいいのか?
総理大臣は誰でもいいのか?
853人間七七四年:2008/06/11(水) 15:34:12 ID:3ift60qf
>>844
緊急時や大戦の時に武将の直属兵力が少ない場合、他国衆で増援することは珍し
くないですよ
例えば長篠の場合は平穏な地域に所領のある細川藤孝や筒井順慶の鉄砲衆を引き
抜いて前田、佐々、福富ら鉄砲組指揮官に配属したし

四国遠征時の信孝は北伊勢二郡の所領しかないため、伊賀衆、甲賀衆、雑賀衆の
兵で増援され、糧食・矢弾などは丹波から補給されていましたよ

勿論、信長の意向により増援するのですけれども
854人間七七四年:2008/06/11(水) 16:33:40 ID:nA88JeLI
>>834
>>836
同志発見!俺も乱の利家を毎回楽しみに読んでます 
色々トンデモなとこはあるけど花の慶次の利家版と思えばすぐに慣れました
永井豪の描く戦国時代、織田家の快進撃、槍の又左は画面から躍動感と爽快感が溢れてて読んでてとても楽しいです
最近は誠実な美男として描かれる事の多い光秀がこの作品では一昔前のフロイスの記述通りの光秀として描かれてるのも個人的にはたまりませんw
855人間七七四年:2008/06/11(水) 18:38:32 ID:nMSf9oQM
利家何年か生きてたらまた歴史は変わったろ
856名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 18:55:06 ID:0xVOOJrr
そりゃあ死ぬはずの人間が長く生きればその時点で歴史はかわっとる。
857人間七七四年:2008/06/11(水) 21:43:56 ID:hAC69t0O
1599年までに丹羽が生きていたら、堀が生きていたら、蒲生が生きていたら、
まあなんとでも言えますよね。
858人間七七四年:2008/06/12(木) 03:01:40 ID:4sPfVVN7
シズガタケの裏切りに関して言えばどうなんだろうな
あの時代は友達でも場合によっては殺さないといけないような時代だから
そんな時代だからこそ柴田は前田をうらまなかっただけなんじゃない?
859人間七七四年:2008/06/12(木) 04:44:48 ID:f+n3n2FI
裏切りは恥などの道徳観を持っていないだけと思う
領地広げる為には常に勝ち馬に乗り続ける事が何よりも重要でしょう
860人間七七四年:2008/06/12(木) 05:04:33 ID:vI0hOydH
忠義も重要視されてたけどそれ以上に家名存続の方が重要だからなぁ。

忠義のために死ぬのは一武将としては誉れだけどね
861人間七七四年:2008/06/12(木) 10:00:26 ID:8tUYDi8O
その点、最後まで戦った柴田勢こそ武士の鏡です。
862名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 10:12:15 ID:ogzvB5/t

「武士の嘘は武略」
863人間七七四年:2008/06/12(木) 13:42:18 ID:Kga432+f
小早川秀秋は関ヶ原後に病んだけどな
864人間七七四年:2008/06/12(木) 14:02:07 ID:upYRRqFu
というか当時の外人(有名な宣教師?)が
「日本では裏切りは当たり前で普通のこと」と本に書いたんじゃなかったっけ?
当時の価値観は今とだいぶ違うらしいじゃん
865人間七七四年:2008/06/12(木) 14:07:07 ID:NJLTuH7V
まあまあそんな事言ったら
細川藤孝、筒井順慶は光秀を切ったし
丹羽長秀は秀吉が織田家をないがしろにしようとしているのを承知で清須で秀吉
の味方をした
それに秀吉陣営にも蒲生賦秀(氏郷)、稲葉一鉄のように真に秀吉に臣従してい
ないものも少なくなかったと思えるが

もし柴田側が外交で優位をとっていたなら彼等の動向に強い影響を与えただろう
ことは予測できるのでは?
866名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 14:11:19 ID:ogzvB5/t
それに秀秋は、関ヶ原の裏切りを気に病んで死んだわけじゃないだろ。
そう思いたい人間の気持ちはわかるが。
867人間七七四年:2008/06/12(木) 14:26:48 ID:Kga432+f
裏切りあたり前というのも事情を知らない宣教師だからだろ
どちらが主家を滅ぼした光秀に正義はなかったし
丹羽だって清洲会議の時は秀吉が将来主家をどうするかわからなかったし一説に秀吉に抗議して割腹してる。
蒲生や堀らが心服してたか心服してないかどうかなんてまったくわからない。
小早川は功労者なのに他の裏切り連中と佐和山城攻めまで家康に命じられてる。
朱小学の影響はないとは言え儒学的な道徳観はあったろう。
868名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 14:31:11 ID:ogzvB5/t
>>867
> 小早川は功労者なのに他の裏切り連中と佐和山城攻めまで家康に命じられてる。

少しは武士の歴史を勉強しようよ。「返り忠」をしたものは次の合戦で先鋒を務めるのが古来からの武家の習い。
小早川らの佐和山攻めはそれに従ったに過ぎない。
869人間七七四年:2008/06/12(木) 15:03:09 ID:gwnABJG+
返り忠した利家は北ノ庄では先鋒だったの?
870名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 15:07:00 ID:ogzvB5/t
>>869
そうだよ。
871人間七七四年:2008/06/12(木) 15:19:07 ID:f+n3n2FI
心の中で飛騨か越中へ逃げていてくれって思ったかな?
それとも秀吉が勝家の命まで奪うと思ってなかった?
872人間七七四年:2008/06/12(木) 15:38:50 ID:gwnABJG+
>>870
利家ってロクでなしだな。。
873人間七七四年:2008/06/12(木) 16:16:13 ID:AFQVvYnR
またおまえか
874人間七七四年:2008/06/12(木) 19:04:18 ID:Kga432+f
30万石の大領の秀秋を小物みたいに返り忠なんて表現するバカを初めてみた。
別に秀秋は三成の臣下じゃねーし。
秀秋が返り忠なんて書かれてる本とかあるんか?なら吉川も返り忠か?w
秀秋は戦局を家康側にする決定的役割を果たしてる。他の裏切り連中とは質が違う。
875名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 20:32:38 ID:ogzvB5/t
>>874
それが君の頭で一生懸命考えた捨て台詞なわけね。
876人間七七四年:2008/06/12(木) 21:42:15 ID:vI0hOydH
>>874
伏見への助成を断られて、仕方なく西軍に与して伏見攻撃に参加してる。

まぁその後西軍方の松尾山守兵を追い出して占拠した時点で西軍でもないけど、
すくなくとも東軍(家康)とは対立した関係だったから返り忠でいいんじゃね?
877人間七七四年:2008/06/13(金) 01:19:08 ID:VlOWMpY4
秀秋の行為は返り忠とは言わんだろ・・・豊臣政権内の主導権争いだし。
秀秋が返り忠なら正則や長政も家康も返り忠だろ。。。
つか万石大名を返り忠なんて呼称しないだろ。。。
878名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 01:41:09 ID:Z2Xx4Yxj
>>877
君は日本語が不自由な人間だな。
879人間七七四年:2008/06/13(金) 05:11:53 ID:YK8Hg/lo
返り忠とは違う気がする。
その言い方だと関ヶ原の戦いがひどく矮小化してしまう。
明らかに大した事ない目下の身分の相手…国人や配下のものに使うのであって大名レベル相手に使う言葉じゃないと思われ…
例えば上杉が「佐竹が返り忠した」とか言ったらおかしいだろ。
880名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 13:47:21 ID:Z2Xx4Yxj
言葉遣いはどうあれ実態は返り忠以外の何者でもない。
881人間七七四年:2008/06/13(金) 17:52:23 ID:R9PLaTm6
>>880
必死だなw
882人間七七四年:2008/06/13(金) 19:09:57 ID:qx0rQ0lO
>>351
仲介?仲裁だろ?www
883人間七七四年:2008/06/13(金) 19:35:19 ID:fc2jxtVq
前田家内で1500石って小身?

先祖が家臣だったらしいんだけども
884名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 19:36:50 ID:Z2Xx4Yxj
>>883
上の下、くらい。身代で言えばかなり大身のほう。
885人間七七四年:2008/06/13(金) 19:43:56 ID:fc2jxtVq
>>884
成程、即レスありがとう!
886名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 19:44:38 ID:ZytEp8uh
家来だけで10人くらい、馬も三頭程もっていそう
887名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 19:53:15 ID:Z2Xx4Yxj
つーか、加賀藩で1500石なら人持組だな。藩の要職はもちろん家老にすらなれる家だ。
888人間七七四年:2008/06/14(土) 00:26:06 ID:BLhv7tX4
返り忠って言葉の意味も知らないでなにをぐだぐだと
889名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 00:30:35 ID:xYR/8ti/
>>888
どうぞその真の意味を逐一著述してくださいな。
890人間七七四年:2008/06/14(土) 01:07:27 ID:SgqH0yE7
加賀って本当に100万石もあったのか?
利家は秀吉に騙されたんじゃないか?
891名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 01:19:43 ID:xYR/8ti/
>>890
利家のときは約80万石。息子の利長の分と合わせて100万石
徳川時代に入って本藩だけで100万石
892人間七七四年:2008/06/14(土) 13:24:08 ID:BLhv7tX4
>>889
寝返り、裏切りの意味。

ただ、あからさまにそういうのは外聞的にもなあということで、「元の部下が帰ってきた」
というタテマエにして「返り忠」といった。

元は部下でもないのだから返り忠ではない、なんて間の抜けた言い分だな。
893人間七七四年:2008/06/14(土) 16:35:38 ID:Sk7lfZn8
>>892
答え
おまえが論破されて悔しいだけw
894人間七七四年:2008/06/14(土) 18:39:52 ID:WH3CPMji
>>887
加賀八家でさえ1万石以上
1万石しかない前田利孝の七日市藩の重臣はどれくらいの“扶持”を貰ってたん
だろう
895人間七七四年:2008/06/14(土) 19:04:42 ID:PovQcwij
えーと、家臣の数は
家老1名、御用人6名、御番頭6名、御給人18名
無足之分18名、御中小姓25名、御徒士17名
小役人26名、御坊主27名、御出入扶持5名
計139名(時期により人数変動)

家老は170石+30石(斎藤善兵衛)
御用人は150石
御番頭は80石
御給人は100石
無足之分は7両2人扶持
御中小姓は6両3人扶持
御徒士は4両3人扶持
小役人は3両2分2人扶持
御坊主は2両2人扶持、
御出入扶持は2人扶持

足軽その他の人数と扶持は不明

初期の七日市藩の重臣は加賀藩からの出向者が多く
給金は加賀藩から出てた模様
困った時は加賀藩から度々お金借りてたみたいだし
896人間七七四年:2008/06/15(日) 01:11:52 ID:YByyIH1l
>>423
>>424
いくら大河を見て利家ファンが増えたといっても、前田天下が薄さはみんな察してるよな
戦争で勝つとかまけるとかじゃなくて、天下人としてのびじょんがなさそうなんだy
信長→秀吉とそれぞれ自分はこの国をこうしたいっていうビジョンがあったわけだ
徳川も秀吉死後から完全に天下を意識して、あーしたいこーしたいは頭の中にあったろうね

ノブとヒデの政権の欠点をうまく補う徳川幕府を構想していたというか。
で、前田にそれがあったなら、天下の目もあるかもしれないけど。

どうもなさそう。
それはもう。
野心があるようでないんだよな。
でもビビッテるとかそういうことはなさそう。
何しろずっと人殺しの現場でやってきてるわけで肝の座り方は現代人とは比べ物にならない。
その当時の人たちの中でも勇敢なる人という評価なわけだから。

勇敢だけど、無鉄砲のいのししではない。
自分や息子に天下をどうこうできると思っていなかったってのが実のところだと思うよ。
だから徳川が天下取りに動く事自体にそこまで反対する気持ちはなくてさ。

ま石田より徳川との方がいい人間関係だった可能性は十分に考えられるし。
897894:2008/06/15(日) 18:58:16 ID:Ct67Imd6
>>895
サンクス
七日市藩の家老は加賀藩では下級家臣の部類ですね
898人間七七四年:2008/06/15(日) 20:19:29 ID:84fE0H6A
>>897
いやいや、一応御給人までは録で見れば平士、つまり中級。
下級となると与力、御歩、御歩並。

身分については家老は一応「人持」クラス。
ただ、加賀本家に対しては七日市藩家老は陪臣ということになるので
本家の人持と比べると家格は下になるかも心内
899人間七七四年:2008/06/15(日) 20:53:40 ID:/APqH3s2

信長=銀河帝国皇帝
柴田勝家=偉大なモフターキン提督
利家=ダースベイダー卿
900人間七七四年:2008/06/15(日) 22:03:38 ID:snqfAHyk
秀吉→ヨーダ
901894:2008/06/15(日) 23:25:46 ID:Ct67Imd6
>>895
七日市藩家中が140名前後だとすると参勤交代で家臣の一部が江戸表に出張す
ると在番だけで藩政を担うとなるとキツイですね
思い違いがなければ七日市藩は駿府の警備も担当していたのでは?
加賀藩同様に十村制度が確立されていたなら家臣の負担は減るでしょうが
加賀の旧一向衆のように上意下逹が徹底していたならともかく、単なる上野の農
民に変に帯刀させ年貢徴集任せたら危険かな
902名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 23:37:33 ID:Pg57t0XR
>>901
つーか、1万石程度の管理なら、2〜30人も入れば足りるよ。
基本的に各村落は庄屋を中心とした自治で秩序保っているし、年貢の徴収も地元から抜擢された手代がやるし。
幕府領なんて、10万石くらいの範囲を地元選出の手代10人で運営していた所もあるくらいw
903人間七七四年:2008/06/16(月) 00:43:16 ID:RMcNOHWt
藩によっては百姓にも格差が
いつの時代になっても変わらんなあ
904人間七七四年:2008/06/16(月) 02:25:35 ID:F+c0M+wT
>>902
足りる足りないじゃなくて、石高に応じた使用人を雇わなければいけなかったの。

三十俵二人扶持の御家人ですら小者と女中の2人を召抱えなければならなかった。
905人間七七四年:2008/06/16(月) 03:49:36 ID:XmNNHQz2
武家諸法度によると1万石の大名行列は
騎馬:3〜4騎
足軽20人、中間人足30人

>>895には足軽や中間の数が無いので、あまり気にしないほうが吉
家臣にも家来が付くので七日市藩の武士やその関係者の数はもっと多いと考えるのが良いかと。
906人間七七四年:2008/06/25(水) 09:27:10 ID:a8/uVbV/
age
907人間七七四年:2008/06/27(金) 05:59:15 ID:GzlT8Syf
>>905
あまりに寂しい大名行列だな

しかし七日市藩は加賀藩の参勤交代の中継地でしょ
七日市藩はその接待だけで借金するほど重かったのではという感じがする
利常とか綱紀は思いやりがありそうだが、その後の歴代はかなり贅沢な要求した
のでは
908名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 13:01:29 ID:slnpkwQm
>>907
> あまりに寂しい大名行列だな

それでも財政負担は大変なのですよー。
足軽や人足に臨時の日雇いを雇って、行列の体裁だけ整えてコスト削減したり涙ぐましい努力を。
909人間七七四年:2008/06/28(土) 04:56:55 ID:vsfo2OaG
>七日市藩はその接待だけで借金するほど重かったのではという感じがする
いやー本家は必要なものは持込してるんじゃないかなー
あそこたびたび本家から経済支援受けてるし。

人口8千人ほどのところに4千人の大名行列が来て、おもてなしなんかしたらそれだけで終わってしまう。
910人間七七四年:2008/06/29(日) 18:26:44 ID:SLy1z1l2
>>507
ゴッホの人生を幸せな人生だった

言ったよ?
911名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 18:36:11 ID:KNZvB1x3
2ちゃんって、小学生以下の脳みその人でも書き込めるもんなんだな。
912人間七七四年:2008/06/29(日) 22:32:26 ID:WhOdopQM
うんうんそうだね
913人間七七四年:2008/07/01(火) 21:23:40 ID:sSYlnXaj
>>909
この前、朝鮮通信使の本読んでたら通過地点の広島藩では三汁十五菜の豪華料理
で歓待したという
再現した写真も載っていたけど
これと同じような物を加賀藩の参勤交代で七日市藩が出していたとすると
たとえ援助とはいえ
加賀藩の負担は半端ではないですね

戦国の話題から外れて申し訳ないですけど
914人間七七四年:2008/07/03(木) 00:09:46 ID:g9xIz69h
>>871
北ノ庄攻めの際、勝家の助命を嘆願したものが何人かいる。
しかし秀吉は「庭で虎を飼うようなものだ」と言ったらしい。
どのみち勝家自身、秀吉に頭下げるより死を選ぶだろうけど。
915人間七七四年:2008/07/06(日) 15:13:37 ID:XLtd3UB/
>>548-550あたり

森はばかだろう。
あれの馬鹿を見抜けないなんてお前馬鹿すぎるな。
マスコミが本気になれば森くらいは簡単に政界追放できるよ。
それくらい浅はかなバカ。
例えば小泉の下に誰もいなくなったとき、森の下に誰もいなくなった時、
小泉の評価はそこまで落ちない。
だが森の評価はガックリと落ちる。お前らでさえ、ああ森ダメなんだなと気付くだろう。
916人間七七四年:2008/07/06(日) 15:16:34 ID:XLtd3UB/
>>555
利家ってそういえば個人の武力で言えば相当なものがあったんだよな
徳川の猛将といわれるやつらはあくまで統率采配力もあってこそだけど、
個人としては利家と同等、もしく以下ということも過大評価ではないといえるわけか。

なかなか凄いな利家。ファンだから嬉しいぞ。
917名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 15:17:08 ID:K5CrtqJ/
>>915
誰にも相手してもらえなかったからって自作自演は見苦しいよ?
918人間七七四年:2008/07/06(日) 16:06:25 ID:XLtd3UB/
>>570
日和見なのに侯爵ってのは十分だろ。
前田家の処世術は完璧。
919人間七七四年:2008/07/06(日) 16:16:14 ID:orWwRp/O
華族になるのが偉いんじゃなくて、華族になった後何をするかが大事だと思うが
島津も毛利も前田も、蜂須賀や滋野や青山らの位に相応の精神や実績をもった華族に比べれば十把一絡げだ
920人間七七四年:2008/07/07(月) 09:25:57 ID:h7/teuyD
確か前田の現当主さんが、オーケストラコンサートをプロデュースしてたよ。
相談役に越前松平の方が絡んでおりました。
921人間七七四年:2008/07/09(水) 21:02:15 ID:5HeFdD7Y
対北条戦の松井田城攻めで活躍した利家の甥前田又次郎というのは
前田慶次郎利益と同一人物?
922人間七七四年:2008/07/10(木) 03:43:14 ID:G9tqIB5g
>>921
うんにゃ
前田利秀の事
前田秀継の子。秀継は利家の弟。

小説、一夢庵風流記の慶次郎のモデルの1人ではないかと推察する人もいる

923921:2008/07/11(金) 02:49:13 ID:YhNqO7qo
>>922
サンクス
又次郎は出丸に忍び込み火をかけ落とし、郭も打ち破り、本丸を攻撃
なかなか大胆な攻撃だね
924人間七七四年:2008/07/29(火) 14:38:49 ID:56asEDng
秀継って人も目立たないけど活躍してるんだね。
925人間七七四年:2008/08/10(日) 17:26:04 ID:ca4IavcC
華麗なる裏切りで100万石!
華麗なる裏切りで100万石!
華麗なる裏切りで100万石!

裏切りの城 キム沢を世界遺産にしよう!
www
926人間七七四年:2008/08/11(月) 18:05:58 ID:NSG42tAh
>>916
戦国の時代に身長が170cm以上ある男は少なかったのに
利家は180cmあった
それで長い槍を振り回して戦地を駆け巡って数々の武将の首を取ってきたんじゃなかった?
しかもかなりのイケ面だったらしい
927名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/11(月) 18:12:49 ID:ewA72rmA
すごい守銭奴だったらしいな
928人間七七四年:2008/08/11(月) 18:28:49 ID:Eze/Jh6P
>>927
お前も見習え。無職なんだろ?。
929人間七七四年:2008/08/12(火) 02:02:36 ID:gk027rSH
wikiからだけど利家について

容姿については、男性の平均身長が157cm程度の時代に6尺(約182cm)
を誇る類稀なる恵まれた体格の持ち主で、顔も端整であった事から
非常に見栄えのいい武将であったと言われている。
また同時代には利家の性格を「律義者」であったと評されている。
利家は三間半柄(約6m30cm)の長く派手な造りの槍を持ち歩き、
喧嘩っ早い武辺者であったため、「槍の又左」の異名で称えられた。
利家の槍の腕前はたしかなもので、姉川の浅井攻めでは信長から
「今にはじまらず比類なき槍」と賞賛され、大坂本願寺攻めでは、
春日井堤を退却する味方の中でひとり踏みとどまって敵を倒し、
「日本無双の槍」「堤の上の槍」と称えられている。
930人間七七四年:2008/08/12(火) 05:09:27 ID:G3lNqWp+
藤堂高虎の裏切りはキレイな裏切り
利家の裏切りは悪魔の裏切り
931名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 10:37:26 ID:MAB6wsLa
>>930
利家の裏切りは高虎的なものじゃなくて、小早川秀秋のそれと同じだから。
932人間七七四年:2008/08/12(火) 11:18:48 ID:tm8KW648
秀秋の行為を裏切りとか言う程度の知識じゃねぇ
933名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 13:07:37 ID:Q+LpEt4z
>>931○柳の評価では秀秋以上の決定的裏切りとされてるけどね
934人間七七四年:2008/08/12(火) 13:27:14 ID:G3lNqWp+
藤堂型裏切り利家なら
秀吉に柴田情報を垂れ流しまくり、秀吉が勝てる状況作りしたのちに、いきなり秀吉側に付いて先鋒になって攻めてくるからタチが悪すぎるがなw
しかも柴田がケチで自分は不遇だったから裏切ったけどオレ正義(笑)だからな。
935人間七七四年:2008/08/12(火) 13:38:03 ID:tm8KW648
寝返った将が先陣を受けるってのは至極当然のことなんだが
936名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 13:45:36 ID:MAB6wsLa
>>934
「返り忠」って言葉、知ってるか?
937人間七七四年:2008/08/12(火) 14:10:42 ID:E+6D5+5e
利家の裏切りが高虎的なものだろうが秀秋的なものだろうがどうでもいい
戦国武将は誰も裏切った事がなくクリーンでいなきゃいけないなんて魅力は求めてないんで
938人間七七四年:2008/08/12(火) 14:42:44 ID:G3lNqWp+
先陣を受けるのは別に常識じゃねーし。
だから返り忠は道義的に嫌われる。
ただ返り忠の中には庶流や嫡流や主流派などの勢力変化が起きてる場合に限っては相手側もやむを得ないと思ってる。
その場合は撃破後にまた自派の多数派工作して帰属させるし。
悪辣な高虎の裏切りの場合とは違うわ。
939人間七七四年:2008/08/12(火) 14:54:09 ID:tm8KW648
>先陣を受けるのは別に常識じゃねーし。
どこの常識?
940人間七七四年:2008/08/12(火) 15:50:06 ID:Q+LpEt4z
戦場で裏切るくらいなら最初から出陣しなければ良いと会津の大名に言われてるくらいなので
当時の常識からも逸脱した裏切りだったんだとおもうお
ただ利家の場合出陣前に裏切れば柴田佐々佐久間にフルボッコで滅亡とおもわれます
盛政一人にも勝てないよ
941人間七七四年:2008/08/12(火) 18:12:02 ID:UnY3FZaJ
大坂本願寺攻めでは、
春日井堤を退却する味方の中で退却する味方の中でひとり踏みとどまって敵を倒し
「日本無双の槍」「堤の上の槍」と称えられている

この事実だけでも俺は利家が好きだけどな
一人で命を張って味方を退却させることは相当な精神力と戦慣れしてないと
無理なんじゃないの?
人望があったのも戦国の戦で数々の武功があったからだと思う。

その辺が信長、秀吉、家康とは違うところではないかな?

942名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 18:17:16 ID:MAB6wsLa
まあ人望があったって話も、想像でしかないんだけどな。
943人間七七四年:2008/08/12(火) 22:11:36 ID:gk027rSH
利家は傾奇者だったし。農家出身で身分が低く
誰も相手にしなかった秀吉を家族同然のように扱い槍の名手で
見た目もカッコよかった。これだけで十分カリスマ性はあるだろう。

944名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 22:41:22 ID:MAB6wsLa
> 農家出身で身分が低く
> 誰も相手にしなかった秀吉を家族同然のように扱い

そんな小説のストーリー信じているのかw
945人間七七四年:2008/08/13(水) 00:09:11 ID:jqFIej1e
それがあったから最後まで秀吉は利家を信じていたんじゃないのか?
946人間七七四年:2008/08/13(水) 05:57:55 ID:Go2UrylN
イケメン?農家?
熱中症に間違いない
病院行ってこい
947人間七七四年:2008/08/13(水) 13:58:47 ID:hQSJ6dcX
アフアフ利長くん見てこよう
948人間七七四年:2008/08/13(水) 22:01:40 ID:jqFIej1e
息子の利長もそこそこだったんだよな。
949人間七七四年:2008/08/14(木) 09:19:47 ID:Onvon21U
>>当時男性の平均身長が157cm程度の時代に6尺(約182cm)
を誇る類稀なる恵まれた体格の持ち主で、

ちなみに現代の平均身長
13歳159.8cm
12歳152.5cm

つまり現代のの12〜13歳の身長が戦国時代の平均身長だったわけで
そのなかで182cmの大男で三間半柄(約6m30cm)の槍を使いこなせれば
相当武力は凄かっただろうね。
秀吉なんて150cmもなかったんだよな?
950名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/14(木) 10:28:17 ID:n/CYgwtO
あんまり、組織的統計の無い時代の「平均身長」なんてものを信じないほうがいいぞ。
951人間七七四年:2008/08/14(木) 10:31:51 ID:nmGEBwSh
>>949
まぁ身長はある程度誇張するだろうなぁ。


>>950
出土した当時の遺骨等から科学的に証明されたデータですが?
952名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/14(木) 10:46:36 ID:n/CYgwtO
>>951
その「科学的」にも相当問題があるんだが…
953人間七七四年:2008/08/14(木) 10:51:17 ID:nmGEBwSh
ほう、その問題点を教えてくれよ。
954人間七七四年:2008/08/14(木) 11:14:36 ID:S0/IF8iU
残ってる服の大きさからも利家の大きさはガチだったはずだが
955人間七七四年:2008/08/14(木) 11:56:14 ID:KtLl8ndq
体は大きかったのだろうけど疑問なのは長槍だよ
他の槍使いが皆短い槍を使い、長いと使い物にならないとまで言う人もいる
相手に踏み込まれたら槍捨てて刀抜くしかないような・・・
956人間七七四年:2008/08/14(木) 13:43:26 ID:PcAOyXKf
姉川の時だか本願寺攻めの時だかどっちかで最初槍で応戦したけど
押し寄せる敵に踏み込まれたか槍が折れたかして、その時刀を抜いて戦って討ち取ったって話があって
槍だけじゃなく剣も強かったって話をどっかで読んだことがある
ソースは出せないけど大河とか小説ではない
957人間七七四年:2008/08/14(木) 16:16:16 ID:32GXRwyh
>>952は逃走したんかね?

出土した当時の骨から科学的に証明されて、現代の統計学的にも十分なサンプル数もあるから
当時の平均身長は限りなく真実に近いんじゃね?

大体文字の無い時代の古代の原人なんかの平均身長なんかも明らかにされてるのに・・・・・。
958人間七七四年:2008/08/14(木) 16:20:57 ID:Iz197W9k
原人とかの場合はサンプル数が少ないからDNAとか食生活からある程度推測されてる部分もあるんじゃね?


スレチはこの辺で


家康が秀吉が禁じた大名同士の勝手な縁組を糾弾したときに利家と一触即発になったけど
利家側には随分多くの大名がついたよね。
秀頼後見人って立場もあるんだろうけど、人望はかなり高かったんじゃないかね?
家康も利家が死んでから活発に動き出したし。
959人間七七四年:2008/08/14(木) 18:31:21 ID:Onvon21U
人望がないと人をまとめられないよ。恐怖や地位を利用してるわけじゃないんだから。
利家の性格を「律義者」評されているわけだし。
そして秀吉亡きあと利家がいる間は戦もなく共存状態が続いた事実は評価してもいいんじゃないか?
960人間七七四年:2008/08/15(金) 18:46:07 ID:btgqbRsy
もう少し史実に忠実な大河ドラマをつくってほしよな。
生臭さ満載で。
961人間七七四年:2008/08/15(金) 23:42:00 ID:HrS89PP+
槍働きでは結構な戦歴誇ってんだからもう少し武辺者として描写が見たかった
利家は若い頃は爽やかで律儀者の武辺者として
晩年は表面的には人望のある穏やかな大御所っぽくしつつも奥底の部分では計算高く食えない爺さんとして描いて欲しかった
962人間七七四年:2008/08/16(土) 11:50:01 ID:p0EvGuOX
>>949
思うんだが、当時の「六尺」って、身長をさす場合、
実寸の182cmをさす以外に、「背が高い」の代名詞にもなってるんじゃねーかな。

現代で言うところの、「2m級の大男」(実際は190cm後半から2m前後)って感じで。
963人間七七四年:2008/08/16(土) 12:10:36 ID:wnn5m3g/
>>961
同意、大河はホームドラマ補正で潔癖すぎた。
秀吉死後の家康との攻防をもっと描いて欲しかったなぁ。

>>962
>>949ではないし、当時の六尺は背が高いの代名詞でもあると思うけど利家の六尺に関してはガチだろう。
史料に六尺と記述してあり、現存する甲冑や着物のサイズも180cmぐらいの身長の人間のものになってる。
今どこで見れるかはわからないけど、かなりでかいらしいよ
964人間七七四年:2008/08/16(土) 15:38:44 ID:hksI3REW
たしかによく城なので展示されてる甲冑はなんか小さいなと思ってたな。
たしか利家の甲冑はすべて金箔覆われていたんだったよな。カッコイイな利家。
965人間七七四年:2008/08/17(日) 02:17:16 ID:UdH4HdtK
派手好きは好みだから人それぞれなんだろうけど
ちゃらいの大嫌いな信長が生きてる頃に金箔鎧着たら
それだけで追放されそうだな
966人間七七四年:2008/08/17(日) 08:46:30 ID:41Sv3y9F
信長自身がチャラいだろ
秀吉の派手好きは勿論として、家康も関が原ではカブいていたようだが
967人間七七四年:2008/08/17(日) 22:01:49 ID:K+vEux5C
http://www.rakuten.co.jp/yoroi/117803/147426/

利家の甲冑派手だよな。体もでかくて兜がこんな大きかったら戦場で目立ちすぎだろ。
968人間七七四年:2008/08/23(土) 22:27:01 ID:CyfVqI1X
つーかそのコピーの甲冑
価格200万円って誰が買うんだよ(笑)
969人間七七四年:2008/08/25(月) 12:01:05 ID:RBgtv5ng
次スレ
970人間七七四年:2008/08/25(月) 13:18:19 ID:2EhXlxtq
>>967
大友宗麟の具足のコピーも売ってたな。
そんなん子供の節句につかったらどんな大人になるんだw
971人間七七四年:2008/08/26(火) 20:17:11 ID:RXAVtaNu
次スレはどこ?
972人間七七四年:2008/08/26(火) 21:22:09 ID:BTrOiQh7
>>971
とりあえず、自分の親を恨む子供になりますw
973人間七七四年:2008/08/26(火) 23:42:36 ID:+FUUATiB
>>968
利まつ大河時にNHKが受注した
974人間七七四年:2008/08/27(水) 04:28:27 ID:R340ftAh
NHKって鎧売るんだ
975武蔵関:2008/08/27(水) 15:23:49 ID:JmHlPLow
うんこ見えたよね。
976人間七七四年:2008/08/28(木) 10:54:15 ID:XPYTqErY
その細い長い兜だったら風の強い日はつらいだろww
長時間つけてると首に掛けるヒモがくいこんで痛いと思うんだが
977人間七七四年:2008/09/05(金) 16:22:45 ID:5Y9g6XIU
使い勝手が悪かったら褒美とか理由つけて家臣にあげちゃったんだろうね
おそらくその甲冑は末森でしか付けてない
978人間七七四年:2008/09/12(金) 14:53:17 ID:/tRw9B3A
979人間七七四年:2008/09/12(金) 14:57:37 ID:/tRw9B3A
980人間七七四年:2008/09/12(金) 15:13:31 ID:/tRw9B3A
981人間七七四年:2008/09/12(金) 15:14:26 ID:/tRw9B3A
982人間七七四年:2008/09/12(金) 15:15:46 ID:/tRw9B3A
983人間七七四年:2008/09/12(金) 15:16:37 ID:/tRw9B3A
984人間七七四年:2008/09/12(金) 15:17:34 ID:/tRw9B3A
985人間七七四年:2008/09/12(金) 15:19:22 ID:/tRw9B3A
986人間七七四年:2008/09/12(金) 15:20:35 ID:/tRw9B3A
987人間七七四年:2008/09/12(金) 15:21:55 ID:/tRw9B3A
988人間七七四年:2008/09/12(金) 15:24:29 ID:/tRw9B3A
989名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 15:24:43 ID:gXeMNN/I
何で埋めてるんだ?
990人間七七四年:2008/09/12(金) 15:27:01 ID:/tRw9B3A
991人間七七四年:2008/09/12(金) 16:10:59 ID:/tRw9B3A
992人間七七四年:2008/09/12(金) 16:12:16 ID:/tRw9B3A
993人間七七四年:2008/09/12(金) 16:13:44 ID:/tRw9B3A
994人間七七四年:2008/09/12(金) 16:14:36 ID:/tRw9B3A
995人間七七四年:2008/09/12(金) 16:15:40 ID:/tRw9B3A
996人間七七四年:2008/09/12(金) 16:16:41 ID:/tRw9B3A
997人間七七四年:2008/09/12(金) 16:17:40 ID:/tRw9B3A
998人間七七四年:2008/09/12(金) 16:18:43 ID:/tRw9B3A
999人間七七四年:2008/09/12(金) 16:19:33 ID:u1w9zhFx
前田利家を呼べ!
1000人間七七四年:2008/09/12(金) 16:19:37 ID:/tRw9B3A

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   ';=二、=、`     ノ |     `ー‐-┘
___',. --  ゙   ,.r '"  ヾゝi--.、_ <加賀百万石始祖、前田利家だが何か?
   / lゝ、,_,,,、 :'"  ,r''"´ノ、 丿
 /! ヽ、ヽ    / ,、-'´  >
'"  ヽ、 `┴---‐'‐'"  ,、 -'"/
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    _/     ,、r'" _」
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   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
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