人取橋の戦いは政宗の敗北

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301人間七七四年
圧勝してるのに奪われるってどんな気持ち?
302人間七七四年:2008/01/17(木) 11:10:53 ID:2dbodO6g
別に二本松は佐竹の領地でも何でもない
友好国の従属大名という関係以外のなにものでもない
無論、佐竹が勝ったというのも間違い
葦名の要請で小野崎義昌を援軍に差し向けたと言う事以外に記録はない
この頃の葦名と佐竹はただの友好国でしかなく主導できるような立場にはない
後に書かれた書物では義広が葦名勢を率いて義重の主導も元戦ったことになっているが
実際に義広が葦名家に入嗣するのは人取橋の戦いの2年後であり明らかにデタラメ
佐竹が主導して活躍したと言うのは戸部一憨斎が主家を持ち上げる為に創作してねじ込んだものである
人取橋の戦いは葦名と伊達が仙道の覇権を争った戦いであり
伊達と佐竹の戦いとして捉えるのは完全に間違い
303人間七七四年:2008/02/12(火) 01:17:30 ID:U/cfFuEC

松川の戦いは本当にあったのか? その4
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1198253856/1-100

政宗厨脂肪www
304人間七七四年:2008/02/13(水) 15:08:41 ID:ZJhlFNes
>>301
肉を切らして骨を断つって感じだな。これが戦国合戦の妙味だ。
305人間七七四年:2008/02/15(金) 15:30:04 ID:xk7PH7JT
葦名支援で助けにきて
包囲された二本松城に兵糧を運び込み
伊達に一撃を加え鬼庭討ち死・伊達本陣強襲。
やるべき事を一通り行なった後は追い討ちも受けずにさっさと退陣。
当初の目的を迅速かつ効率よく達成した佐竹の行動に非のうちどころが無い。

伊達の包囲が徒労に終わりこれ以上包囲しても食料豊富な二本松城への包囲効果がまったくなく
輝宗が危惧したように二本松城の堅固ぶりに撤退するしかなかった。

二本松城は結局攻城戦では落ちず、一年後に二本松重臣が弱気になり自ら開城してるので佐竹の負けを主張するのは意味不明。
306人間七七四年:2008/02/16(土) 10:03:05 ID:+OdUj//D
この戦いもそうだけど戦国時代の合戦って有名なわりに実際はどうだったのかとか勝ち負けなどがあやふやな戦いって多いね。
307人間七七四年:2008/02/16(土) 13:50:15 ID:mqFKdxoB
このスレを読んで、人取橋の戦いが政宗の敗北だってよくわかった。
次は「摺上原の戦いは政宗の敗北」ってのが読みたいな。
308人間七七四年:2008/02/17(日) 02:41:26 ID:vZibDhYr
伊達は1万以上の兵力差で圧勝が予想されたが実際に戦い始めたら
摺上原では芦名の先方たる富田隆実軍に押されまくられた片倉・原田・猪苗代の伊達隊は敗走し早くも陣形が崩壊し始めた。
この好機を逃さず若干14歳の芦名義広と旗本700騎が突撃。
なぜ当主自ら突撃したのかと言えば芦名軍はすでに戦う前から瓦解してて富田美作も佐瀬河内らも両翼は戦わず傍観。
それでも富田隆美は政宗本陣に切り込む活躍を見せて義広も突撃を敢行。
この時に風向きが変わらなければ政宗は討ち死にし芦名勝利確実だった。
政宗生涯のうち唯一の勝利となったこの戦いも風向きの変化によって芦名軍兵の目に砂ぼこりが入って目が開けられなかったから辛勝しただけ。
よって東北最弱が伊達と決定。


309人間七七四年:2008/02/17(日) 02:54:36 ID:vZibDhYr
初陣の相馬戦では相馬が偽って兵を引くと低能政宗は血気に逸り家臣の諫めも聞かず追撃し包囲され
家臣が我が政宗なり〜と身代わりになってる隙に敗走。
家督を継ぐなり友好的だった葦名を奇襲し関柴の戦いで葦名に大敗。
大内攻めに大苦戦し逆切れして民衆撫で切りの愚行。
父親を謀殺したあげく二本松城を真冬に攻めて大失敗。
さらに狭い隘路の要害に野戦陣地を築き鉄砲隊を揃えておきながら
わずか半日の戦いで伊達軍半壊したので佐竹は撤退。もちろん追撃なんてできるわけがない。
崩壊した伊達軍も二本松攻めせずに退却し佐竹の二本松救援成功。
大崎に超大敗。窪田の戦いでもビビッて要害に立てこもり同盟してる北条の動きに一縷の望みをかけ撤退するのを待つばかり。
政治外交でも佐竹義重に敗退し葦名の養子が佐竹次男に決まる。続いて岩城への養子縁組まで佐竹の三男に決まるセンスの無さ。
惣無事令が発令され中央政治外交の情勢分析ができてる諸将は武装を緩め秀吉との外交に集中してるのにDQN政宗は御家改易への想像力が欠如し
これ幸いと火事場泥棒をし三代続けて早世し弱体化した葦名に大苦戦。結果、空中分解し葦名自爆。
葦名亀王丸2歳・二本松畠山国王丸11歳・葦名義広14歳を滅亡に追い込む姑息な弱いものイジメでガキハンター。
北条に都合がよい情報のタレ流しを盲信し続けギリギリになって事の重大性に気づくマヌケぶり。
自分が奥州の代表とか言いながら自分の命乞いに終始し他の田村ら奥州諸将の弁護をせずに秀吉に改易されるのを見て見ぬフリの卑怯者。
浅はかな謀略で大崎・葛西の乱や南部領で謀反を起こし見事にバレる低能。
スペイン・神聖ローマ帝国に日本を売り渡そうとした売国奴・・・だがローマ側コメントは「だが断る!」と言われたがw
政宗が役に立たない趣味放蕩に走り、政宗の死の翌年にさっそく幕府に頭を下げて借金の申し込み飛ぶ鳥後を濁しまり死後も迷惑。
もうあまりのDQNすぎてあきれるな。


310人間七七四年:2008/02/17(日) 11:42:37 ID:p66fRj0G
>もうあまりの巨QNすぎてあきれるな。
311人間七七四年:2008/02/23(土) 12:36:02 ID:PcHu3JgN
日本語でおk
312人間七七四年:2008/03/09(日) 21:08:17 ID:Q+4bgsH8
伊達さいじゃく
313人間七七四年:2008/03/10(月) 00:39:13 ID:UTW7Q01u
伊達政宗公と北の将軍様って俺の中ですごくイメージが被るんだよねwww
314人間七七四年:2008/03/10(月) 15:45:00 ID:kmB1N2CY
人取橋だけじゃなく、郡山対陣も摺上原も敗北だろ。
葛西大崎一揆も結果として領地を減らしているから明らかに負けだ。
あと、清正に邪魔だから後ろにすっこんでろと言われた晋州の戦いも一人負けと言える。
で、松川で負け、道明寺でも真田に負け・・・・・圧倒的に負けの方が多いな。

どんなに勝ち続けても一度の負けで全てを失うことの方が一般的なのにむしろこれだけ負け続けて身上が残った、って言うこと
の方が奇跡的だ。異常とさえ言える。
仙台人は、捏造で強さを誇るよりもむしろこのことを誇るべきなんじゃね?w
315人間七七四年:2008/03/17(月) 12:34:11 ID:qtEAXWpp
はいはい
316人間七七四年:2008/03/19(水) 10:47:58 ID:nAMOW8vg
>>179
片倉相変わらず弱っw
317人間七七四年:2008/03/19(水) 11:48:08 ID:SHfg04Xq
伊達日本最弱の兵。同じ数なら姉小路にも負ける。
318人間七七四年:2008/03/28(金) 15:01:08 ID:lgoR4C+P
>>314
罵倒するにしても、もうちょっと論理的になw
319人間七七四年:2008/03/30(日) 06:17:42 ID:qf6AkRO+
>>318
どこか間違ってるか? 少しも間違ってないじゃん。
320ももも:2008/04/29(火) 16:07:36 ID:Yzf8LdG5
摺上原の戦いは最初は風向きが芦名有利に吹いていたが、後半風向きが変わったのでは?
佐竹氏が人取橋の戦いで勝利を確信していたのであれば何故夜中に慌て撤退しなければならなかったのだろうか?
また、この戦いが佐竹氏主導でないのならば、どうして佐竹氏撤退に呼応し全軍退却したのだろうか?
夜中撤退したという事は伊達軍に追撃する余力がありと認識していたのでは?



321人間七七四年:2008/04/29(火) 16:37:24 ID:c73P7qJP
>>320
何言ってんのアホ?
322ももも:2008/04/29(火) 18:16:32 ID:Yzf8LdG5
連合軍の北上を察知した時点で伊達軍の戦略は見直されていたと思います。
自軍を上回る連合軍に仮に勝利しても、その後すぐの二本松攻めは難しくなることは予想でき
たはずです。恐らく伊達軍は仙道の覇権をかけ南下したのだと思います。その軍事行動は当然
連合軍の北上を阻止する事が目的でした。圧倒した連合軍ですが理由は別とし夜中に撤退を選択
するほどの危機感を持って退却しました。確かに連合軍は二本松を一時的に救い目的を達成しました
が、仙道の覇権をかけこの戦いのぞんだ伊達軍も同じく目的を達成したといえます。伊達兵の強弱は別として
人取り橋の戦いは、引き分けだと思います。しかし、ここで伊達氏にトドメをさせなかったことが、
後々大きな禍根となったのも事実なのではないでしょうか。


323人間七七四年:2008/04/29(火) 18:20:53 ID:jXFQy07n
>>314
お前さ、叩く事が目的で歴史を学ぼうとしてないだろ?
伊達を貶められればそれでいい、という魂胆がみえみえ。
醜悪な文章から人間性が分かろうというものだ。
324人間七七四年:2008/04/29(火) 20:09:10 ID:c73P7qJP
おまえ撤退戦略を勘違いしてるだろ?勝ってる軍が戦場離脱する時でも追撃に気を使うのは当たり前だ。
追撃する余力って意味がわからんがやっぱりアホなんかな?
325人間七七四年:2008/04/29(火) 23:37:06 ID:WHDsa9+p
佐竹は鼻から伊達を潰す気なかっただろ。
禍根になったのは事実だがね。
326人間七七四年:2008/04/30(水) 02:16:38 ID:3Nj26D/O
今から帰りますね
って断ってからじゃないと不利になるらしい
327人間七七四年:2008/04/30(水) 03:27:04 ID:ZkJgMpGZ
川中島でも和睦する時に双方の撤退の手順を打ち合わせし合意の上で撤退してるしな。
三国志廚やゲーム厨は妄想戦闘しか知らんからこういうクダラン事を言い始める。
見事な撤退ができる武将こそ評価されるんだ。
328人間七七四年:2008/04/30(水) 12:25:20 ID:AjXp42fQ
>>323
じゃ、どこか間違ってるかい?
連戦連敗なのもその割に滅びずに比較的大きな身代が残ったのもその通りじゃないか。
信者は物事を客観的に見られないから信者って言うんだねw
329人間七七四年:2008/04/30(水) 17:39:07 ID:G2KeZTKb
>>328
レベルが低過ぎてお話にならないな。
まあ、郡山合戦を例に挙げてみようか。
これは伊達軍と連合軍の戦であるが、この戦いを伊達軍の敗北とした史料を見た事が無いんだが、
何の史料に敗北したと書いてあるのか教えてくれよ。
少なくとも、『政宗記』や『奥羽永慶軍記』ではないだろうけど。
330人間七七四年:2008/05/01(木) 03:48:57 ID:/eYfDBkF
短期的に見れば引き分け
長期的に見れば政宗の勝ち

川中島みたいなもんだ
331人間七七四年:2008/05/01(木) 11:06:38 ID:y54LqNzA
>>330
長期的に見たらこの戦線で一応のキリがついた秀吉の奥州仕置きで領土を巻き上げられた伊達の一人負けなんだが。
短期的にみたら伊達の負けだしな。
なんせ葦名が自爆しただけだから。
332人間七七四年:2008/05/01(木) 12:17:30 ID:y54LqNzA
あれだろ、郡山合戦って連合軍が新国貞通を囮として伊達の砦の近くをゆったり進軍させたら
伊達成実と片倉景綱がバカみたいに脊髄反射して片倉重継に襲撃させたら
佐竹側の二つの砦からわんさか兵が繰り出され包囲され
ヤベェと思った伊達成実と片倉景綱が兵を率いて救援に向かったら
佐竹全軍が一挙に逢瀬川を渡河しまくってフルボッコされ脱出不能になり
政宗も必死に前線まで出てきて救援せざる負えなくなり
二階堂の矢田野義正が伊達の伊東重信を討ち取ったりで伊達100人以上が討ち取られ惨敗して山王館へ逃げていったんだろ。
そんで山上に大量の銃を構えて籠もったままビビリまくり挑発しても一切出てこなくなり伯父の岩城・石川に和議斡旋を哀願したってのが郡山合戦。
ビビリ症の伊達は退却中に追撃されるのを恐れて佐竹が完全に危険ラインから消えるまで見届けてから退却したんだよなw
(その頃北方では母の義姫に政宗が泣きついて最上義光との和睦を願ってた)
333人間七七四年:2008/05/01(木) 12:29:04 ID:y54LqNzA
しかしあれだなわざわざ『政宗記』や『奥羽永慶軍記』を持ち出して牽制してるところが伊達厨のアホなところだな。
334人間七七四年:2008/05/01(木) 20:28:37 ID:ZCXi4Bi8
あんまり語られていないが、一番の負けは芦名家だよなあ。

奥州仕置でも領地が返ってくることもなく、
家臣も伊達家や佐竹家、他にも行ったんだろうがとにかくばらばらになったわけだし。
秋田芦名家も3代で潰れ、悲しいものがある。
335ももも:2008/05/01(木) 22:56:38 ID:Z88/dWNU
間違っているかもしれませんが、夜中の戦略的撤退というのは一般的に、戦闘が不利な場合か、戦闘が膠着状態に陥った場合に実行される事
が多いのではないでしょうか?不利な伊達軍が正面から戦いを挑み押されながらも戦場に留まっている状況で、例え戦略であったとしても
夜中の撤退が、伊達軍にどのように受け取られるのか、連合軍の誰も考えなかったのでしょうか?伊達を潰す気がないのであれば、連合軍も
この軍事行動で大切な兵力を失いたくなかったはずです。なんといっても圧倒できる兵力を持っていたのですから、両軍が睨み合ったまま連合軍の
意にそう条件での和睦を検討をするのがベストだったのではないでしょうか。
両軍入り乱れて戦ってしまった場合でも、有利に戦いを進めていた連合軍であれば意にかなった調停もできたはずです。理由はあるにせよ
戦略的撤退といってもその戦略を見出せないところが連合軍の大きな失敗であったようなきがします。








336人間七七四年:2008/05/01(木) 23:29:03 ID:bfViJPib
一撃を加えて牽制し、「明日も攻撃を受けるのか」と思わせて備えさせておいて完璧な撤退を成功させるのが虚実を駆使して相手の予想の範疇から外れる縦横無尽な用兵を行う名将と言えるでしょう。
佐竹は北条の大軍相手に虚実をもって巧みな用兵を得意としてます。
そしてしばしば大軍の北条の撤退を勝機に変える猛追で大勝を得ております。
だから一撃を加えて伊達に明日も早朝から襲撃を受ける危機感を抱かせておいてあっという間に素早い用兵で見事な撤退をしたのです。
伊達軍は前日の大敗を挽回する追撃の絶好の機会をみすみす逃してしまい翌日は唖然としたでしょう。
そもそも佐竹は伊達に勝ったところで伊達領まで攻め入る侵略戦争をする余力はなく義理で来援してただけなので一撃を加え懲らしめるだけで良かったのです。
337ももも:2008/05/02(金) 00:01:34 ID:9u2z4rt+
親切な説明ありがとうございました。摺上原の戦い直前の佐竹軍の動きくらいしか知らず、佐竹軍の事を
てっきり慎重で、どちらかというと主力同士の短期決戦で雌雄を決する事を望んでいたのかと誤解しておりました。
ただ北条氏と戦うために、東北方面に侵攻し国力を養いたかった為に、伊達氏の影響力を排除したかった
ということはないのでしょうか?
338人間七七四年:2008/05/02(金) 00:30:21 ID:aEM5WS0f
ただ伊達軍が撤退を知りつつ追撃できなかった可能性があります。この場合は伊達軍が組織行動が不可能なほど半壊していたと思われます。
気づいていなかったとしたら伊達軍は相当に追い詰められて明日早朝の亡軍を思い敵軍の調査すらする余裕がなかったと言える。
また佐竹の戦略目標は要害の二本松城に食料を運び込む事と思われ、それに成功した以上は長居する必要はなく
葦名の援軍要請を受けてのものなので伊達領を奪ったところで飛び地になり維持が困難なので国力拡大にはあまり意味がないでしょう。
339ももも:2008/05/02(金) 18:47:09 ID:hfoyJODB
なるほど、確かに佐竹軍は二本松城に対する援軍に成功し、目的達成後は速やかに撤退しました。伊達軍はそれに気付いていた
可能性があったが追撃する気力はななかった、そう考えるとこの戦いに伊達は負けていたと言って良いと思います。しかしこの戦は
そもそも伊達軍の南下に手を焼いた芦名氏が佐竹氏の援軍を得て南東北の諸氏と連合しておこした戦いです。目的を達成した佐竹軍が退却した
後、芦名軍は伊達軍の力を弱める絶好の機会であるにもかかわらず、連合諸軍の盟主たりえず全軍撤退してしまいました。この事
が何を意味するかと言えば、佐竹軍が中心にいなければ伊達軍と真っ向から戦いを挑む勢力は居ないという証明になってしまった
のではないでしょうか。また例え数で圧倒しても進軍して立ち向かった伊達氏と、佐竹軍がいなければ及び腰な芦名氏という構図が
浮き彫りになってしまいました。逆に伊達氏からすれば、めったに来ることのない佐竹軍にさえ気をつければ、二本松城どころか
他の芦名の勢力をも侵食できる可能性が見出せた戦いだったのではないでしょうか。
340人間七七四年:2008/05/02(金) 19:31:39 ID:nFoxv5mk
正論だな
341人間七七四年:2008/05/02(金) 19:36:47 ID:e6usFBDt
亀王丸・国王丸がリーダーシップが取れるわけないじゃん。
少しは頭で考えろアホ伊達厨。
おまえホントにバカだろ?
342人間七七四年:2008/05/02(金) 20:02:18 ID:zX5PaOPX
>>334
どこでだって生き延びてりゃいいじゃん
343人間七七四年:2008/05/02(金) 20:42:47 ID:hbKxbw3I
>>331
本当に本当にレベルが低くて嫌になるよ。
何で郡山合戦で豊臣が出てくるんだか。
大体、長期的に見れば家が断絶した豊臣が負けと言えるだろう。
短期的に見ても、大軍をやり過ごした伊達側の戦略的勝利だ。

>>332
まず、彼我の戦力差で見てみようか。
伊達側の兵力は六百余り、それに対し連合軍側は八千余りである。
孫子の兵法を持ち出すまでもなく、連合軍側が圧勝できそうな戦力差だ。
ところが、連合軍側は伊達勢の伊東重信は討ち取れたものの、他の主だった武将はまったく討ち取る事ができなかった。
損害を比べてみると、伊達勢の損害は130余りで連合軍は100余り。
伊達側が惨敗とはとても言えなく、むしろ連合軍側の情けなさが際立つ。
まあ、寄せ集めの軍勢だから、士気が高くないのは当然かも知れないがな。
政宗は慎重な男なんだよ、泰平の世の中になっても猶、宿敵である相馬氏の義胤を警戒していたのだから。
344人間七七四年:2008/05/02(金) 21:17:38 ID:aEM5WS0f
>>343
惣無事令の発令と全国統一され奥羽で戦乱が止み秩序が樹立し安定をみた豊臣政権下で一応の区切りが着いたんだから豊臣が出るのは当たり前。
それと佐竹や伊達の被害や兵力の裏付けはどこから持ってきた?意味わからねー兵力とか出してくんな。
345人間七七四年:2008/05/02(金) 22:37:10 ID:if752TRP
連合組まれちまってんだから孫子の兵法を持ち出したら伊達の負けだもんな
346全板トナメ戦国板の投票日は5/3!:2008/05/02(金) 22:39:19 ID:NFfon+AX
【第3回2ちゃんねる全板人気トーナメント】
明日5/3日は戦国板の投票日だよー

選対スレ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205796433/
投票方法
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205796433/477
347人間七七四年:2008/05/03(土) 08:15:58 ID:G/mWJ0Zz
相馬が律儀に伊達との同盟を守ってたのに、田村に行った時に伊達勢に銃撃されまくり重臣殺戮され自身も殺されそうになり相馬軍首脳がボロボロにされたら怨まれるだろう。
極悪人政宗が自身の裏切り行為を認識しててビビッて警戒してたんだろうが。
相馬がこの卑怯な行為で弱体化してなければ伊達に負ける事は有り得ないからな。
関ケ原後だって政宗は恩賞に相馬領を望んでたしな。
まー対北条戦用の精強佐竹一軍と違い佐竹二軍相手に大苦戦しまくる伊達じゃあな。
なんせ伊達はヘタレだから要害に陣を構えて鉄砲揃えての防衛しかしないで、いくら侮辱しても討って出てこないビビり集団だからな。
348人間七七四年:2008/05/03(土) 12:25:29 ID:/uAaA/hR
>>343
天下統一した豊臣の負けってどんだけ歪曲すんだwww
アホだろwww
しかも二次に渡る朝鮮出兵や秀吉死後だぜw
黒川城で奥州仕置を命じてから25年後を持ち出して豊臣の負けで伊達が豊臣に勝ったとかwwwwどんだけ俺ルールだよwww
もう基地害すぎてワロタよ伊達厨クンwww
>>345
そうそう伊達流の孫子の兵法ってのが母に泣いて頼んで伯父の最上義光に和睦を頼むことだからwww
349人間七七四年:2008/05/04(日) 11:38:09 ID:lGNQsTg4
>>344
政宗はそもそも惣無事令なんて大して気にもしていない。
豊臣が強大だから一時的に臣従しただけで、それで敗北だと言うなら全国の大名が敗北している訳だ。
で、人に文句をつける前に君は何の史料で語っているのか教えてもらおうか?

>>347
はいはい、間違いが多過ぎてお話になりません。
伊達と相馬は同盟などしていないし、銃撃したのは田村方の伊達派であって政宗が指示した訳でもない。
そもそもが和睦しただけで何の提携もしていないし、裏切りと言われる筋合いもない。
田村方の銃撃は、田村が伊達に靡いた結果であり、相馬は戦略的にどんどん押されている為、
その後の経緯から勘案するに、中央の介入が無ければ伊達に呑み込まれていただろう。
政宗が恩賞に相馬領を望んだというのは、何に記録されているのかな?
連合軍の御輿は佐竹であるが、軍勢は諸勢力のものが多数であって、佐竹そのものに苦戦したのではない。
そして、あれだけ兵力で圧倒しているのに、伊達を攻め切れない連合軍側の不甲斐無さが際立つ。
350人間七七四年:2008/05/04(日) 13:13:28 ID:0LYTJHM/
>>349
全編を通じて言い訳屁理屈乙
351人間七七四年:2008/05/04(日) 16:05:25 ID:DshEx+TA
>>347
金持ち喧嘩せずを守ってるんだろう
352人間七七四年:2008/05/04(日) 16:33:51 ID:DshEx+TA
ここんところの政宗叩きは常軌を逸してると思うぞ
353人間七七四年:2008/05/04(日) 19:14:49 ID:CCEeTq1i
政宗は秀吉の惣無事令に逆らい続けたのに本領を安堵されたり、関ヶ原ではこっそり家康への
裏切り行為をしてたのにお咎めがなかったりばかりかその後幕府から厚遇されてる。大物に好か
れるその性格と才覚は、一般人には叩き甲斐があるのかも。
354人間七七四年:2008/05/04(日) 19:31:43 ID:WEp1F7Q+
直江と同じだよ
同盟者を血祭りにあげて自分だけ助かる。そういう糞野郎が過大評価されてるとムカつくんだ
355人間七七四年:2008/05/04(日) 19:53:06 ID:CCEeTq1i
ではそういうスレたてて思う存分どうぞ。
人取り橋の戦い、対畠山なら負け。対芦名なら勝ち。対連合軍では勝ちに等しい引き分け。
356人間七七四年:2008/05/04(日) 21:21:01 ID:0LYTJHM/
【戦術上の要地を占めての迎撃戦における類似性ある戦い】
沖田畷の戦い
陣を固めて敵を鉄砲で迎撃側が島津→圧勝
攻め手は龍造寺→敗死大敗

長篠合戦
陣を固めて敵を鉄砲で迎撃側が織田→圧勝
攻め手は武田騎馬隊→首脳陣大量討ち死に大敗
人取橋の戦い
陣を固めて敵を鉄砲で迎撃側が伊達→政宗まで銃撃され大敗
攻め手は佐竹連合軍→鬼庭を討ち死にさせ政宗本陣まで襲撃し圧勝
357人間七七四年:2008/05/04(日) 22:16:03 ID:CCEeTq1i
七家の連合軍と政宗が戦って、連合軍の死者961名、伊達軍426名。前半は伊達が有利で、後半伊達が疲れ連合軍の新手が参戦し
た時に伊達側に死傷者が多かっただけ。討ち死に数からも分かるけど、連合軍の凄かったのは最後だけ。
358人間七七四年:2008/05/04(日) 22:22:06 ID:CCEeTq1i
↑死傷者の数、失礼。
359人間七七四年:2008/05/05(月) 00:07:53 ID:wcNL7STl
>>357
それと佐竹や伊達の被害や兵力の裏付けはどこから持ってきた?意味わからねー兵力とか出してくんな。
360人間七七四年:2008/05/05(月) 00:12:43 ID:wcNL7STl
【鉄砲頼み】何かと天嶮に籠もる弱武将【消極的】
http://c.2ch.net/test/-/warhis/1209792197/i
361人間七七四年:2008/05/05(月) 01:34:53 ID:1h0hcArh
>>351
日本語でおk
362人間七七四年:2008/05/05(月) 04:22:14 ID:WDAyC/Qw
有名どころを叩いて通ぶるのが戦国厨
363人間七七四年:2008/05/05(月) 04:43:28 ID:uvxxJgBh
米沢30万石ってのは信夫郡・伊達郡を含んでいる。つまり伊達との防衛戦で勝ち守ったからこそ信夫郡・伊達郡は安堵されたわけだ。
最上も上杉に勝ち庄内地方を奪い取った地のみ安堵された。
家康は確保した地のみ安堵してる。
つまり伊達は一連の福島表の戦いは敗退し軍費や食料や人的損害がまったくの無駄になり敗北した。
逆に上杉は伊達に勝ったからこそ徳川にケンカを売ったが米沢30万石を安堵されたと言える。
逆に勝ち守りきった地ではない会津や中通り中部は召し上げられ蒲生に渡された。
伊達は秀吉にメンツを潰され巻き上げられ蒲生氏郷に渡された土地を今度は家康により再び蒲生の息子に渡され愚弄侮辱されたのである。
しかも蒲生家はほとんど何も働いていないにも関わらず大加増だ。
この一連の流れは秀吉の奥州征伐による伊達の大敗北に続き家康の奥州征伐による伊達の2度目の大敗北と言っていい。
364人間七七四年:2008/05/05(月) 06:17:23 ID:GLB52cZL
>363
>逆に上杉は伊達に勝ったからこそ徳川にケンカを売ったが米沢30万石を安堵されたと言える。

それ「東国太平記」の作者(上杉の国枝清軒w)が勝手に言ってるだけだよ。いわゆる「負け惜しみ」。
伊達に負けたため、徳川家康と伊達による挟撃の危険が恐ろしく高まった(慶長5年10月中旬時点)。
上杉が、徳川との和睦交渉を焦って進め始めたのもこの時期で、11月には結城秀康が政宗に「和睦
交渉を進めているから、ともかく上杉への武力侵攻は控えてくれ」と頼み込んでいるほど。
上杉が滅亡せず、30万石で落ち着いたのは結城秀康の尽力があってこそ。
でなければ、伊達と徳川に殲滅されていた。
365人間七七四年:2008/05/05(月) 08:43:00 ID:/7KKK8co
>>364
> 伊達に負けたため、徳川家康と伊達による挟撃の危険が恐ろしく高まった(慶長5年10月中旬時点)。

関ヶ原が家康の勝利で終わった以上、福島表の戦いで上杉が勝とうが負けようが「挟撃の危険が恐ろしく高まった」のに変わりないんじゃないか?
「東国太平記」の作者の言い分と同じく偏った見方だと思うぞ。
366人間七七四年:2008/05/05(月) 10:37:44 ID:8T8MKjgi
なんか戦国版全体にいえるんだけど、上杉がからむと荒れるんだよね
上杉ファンってマナー悪いね
無関係なスレに入ってきて自慢始めたり
367人間七七四年:2008/05/05(月) 10:43:41 ID:W/L+d3jn
それは織田厨のほうがひどいと思うが。
368人間七七四年:2008/05/05(月) 11:15:15 ID:uvxxJgBh
何かと東国太平記を持ち出せば否定できると執拗に持ち出すアホがいるが軍事的戦略視点で見れば自然と出てくる結論でしかない。
東国太平記がどうこうとかまったく関係ないし東国太平記なんて読んだ事すらない。
伊達厨の独りよがりの持論の裏付けに東国太平記を持ち出して否定しようとしてるだけだw
なぜか東国太平記という言葉を持ち出せばすこい否定力があると勘違いしてるようで笑えるがそろそろ東国太平記の呪いから卒業してはどうか?
369人間七七四年:2008/05/05(月) 21:17:40 ID:1h0hcArh
恣意的だな
370人間七七四年:2008/05/05(月) 22:24:54 ID:ahnm4juz
結城秀康に言われたから戦いやめたじゃ 結局天下は取れるような
人では無いということですね。例え負け続けても命令無視して戦い
続け領土拡張を狙うほうが覇気を感じる。
371人間七七四年:2008/05/05(月) 23:00:25 ID:uvxxJgBh
秀康に11月に言われたから止めたと伊達は主張→実際には1月に相馬と一緒に月夜畑で上杉に大敗→その後にも上杉領でなんとか火をかけたとの報告を家康にしてる
明らかに伊達側の言い訳は矛盾してるんだがw
372人間七七四年:2008/05/06(火) 03:06:52 ID:HpoZsbG9
373人間七七四年:2008/05/06(火) 05:23:09 ID:xwAaovj+
>>372
http://www7.plala.or.jp/oygd/atagoyama.html

>伊達政宗が本陣を置いたといわれる愛宕山(黒沼神社近辺)から
 福島城までの距離は約1.7kmぐらいです。福島市史2、を見てみますと黒沼神社近辺に
 本陣を張ったことが記載されており、また一統志には愛宕山にあった大仏堂について、
 「関が原記記に伊達政宗卿と上杉家の臣岡佐内と太刀撃せし所又は本庄の家士小嶋左近
 が討死にせし所も批辺に近かるべし」と正宗卿がいた場所をこの近くと記しております。

このサイトはまさしく「東国太平記」をベースに曲解されていることが丸見えだな。
笑いどころ満載だが、「伊達政宗卿と上杉家の臣岡佐内と太刀撃せし所」等と真剣に
書いている時点でアウトw。また須田系譜の箇所では何故か「慶長6年」という年号が
削除されているのも、矛盾を突かれるのを恐れたものだろう。
374人間七七四年:2008/05/06(火) 08:13:19 ID:X1DctyrY
捏造・脚色なんて上杉の特技だからな
上杉二十五将だっけ?(ゴロが悪すぎw)
375人間七七四年:2008/05/06(火) 09:25:27 ID:R74hu2aH
結局上杉が負けて家康に土下座して30万石ばかりお情けで貰った事は紛れも無い事実ですからねぇ^^
376人間七七四年:2008/05/06(火) 09:54:28 ID:v4XAW1Qc
>>373
>東国太平記大好き
まで読んだ
377人間七七四年:2008/05/06(火) 10:03:54 ID:xoEdx7Ec
車丹波、岡左内など名のある武将達に次々と一騎打ちを挑まれて無傷で生きて帰る政宗は凄いね
378人間七七四年:2008/05/06(火) 11:05:33 ID:kmFWRC0a
まっ結局は伊達が大敗北してこの福島表の戦線は終結したわけだがw
聖地の信夫郡や伊達郡すら奪回できずに、そこに住む伊達派の人間達まで火をかけられて殺戮され命からがら伊達軍とともに逃走w
伊達軍は人的損害や食料を浪費したあげく徒労に終わる虚しさを噛み締める伊達主従w
上杉側は最上に負けた事は素直に認めてるし理解力はあるが伊達厨は池沼ぶりを発揮し続けているw
379人間七七四年:2008/05/06(火) 14:40:10 ID:R74hu2aH
最上に負けたの認めてるって当たり前じゃんw
あれだけボロ負けしてるのに負け以外の何があるんですかw
380人間七七四年:2008/05/06(火) 15:32:42 ID:kmFWRC0a
>>379
何が言いたいのかまったくわからないんだが池沼か?
最上義光はわずか山形館からスタートし日の出の勢いで拡大した才覚溢れる人物だぞ。
政宗みたいな戦略ゼロとは違う。
381人間七七四年:2008/05/06(火) 15:40:47 ID:R74hu2aH
伊達や最上が優秀なのはよく分かってますよ^^
上杉が誇大妄想馬鹿の捏造大国だと言っているだけですよぉ
382人間七七四年:2008/05/06(火) 16:23:58 ID:tnRWzVoB
なんかスレの前半と話が違うなぁ
>>93とか>>100とか
383人間七七四年:2008/05/06(火) 16:37:25 ID:HpoZsbG9
>>381
いろんなスレを荒らすなボケ。
>>382
伊達厨の妄想には毎回笑わせてくれるね!
384人間七七四年:2008/05/06(火) 17:07:02 ID:HpoZsbG9
伊達厨ってみっともねぇw
385人間七七四年:2008/05/06(火) 17:53:14 ID:MUvHLDfo
勝ったのならなんで実効支配して、そこを徳川に自分達の領土だと認めさせなかった
のかな?認めさせれば”家康が恐れた男”と言うのも納得できるのだが
もしくは その辺のやり取りがあったのらな教えてください。
386人間七七四年:2008/05/06(火) 18:08:00 ID:HpoZsbG9
まぁ福島城あたりをうろついたのは実質わずか1日くらいの話で片倉家臣が2人も討ち死に大敗して
高速の速さで逃げ帰ったから実効支配なんて不可能だよねw
387人間七七四年:2008/05/06(火) 18:18:58 ID:9o5RJdvw
何だか伊達軍叩きになってません?そもそも人取り橋の戦いを畠山救援軍と完全に決定している
このスレの冒頭が怪しい。1584年以降、大内氏が小浜城を捨てた頃から芦名、佐竹、その他
南奥が連合して政宗を討とうという気運はあった。1585年10月15日に伊達軍は二本松城
を包囲したが落ちず、11月初旬に連合軍の北上を知り小浜城に撤退。連合軍は11月16日に
安積郡に布陣。伊達軍は16日に南下、夜に本宮城到着。もしも連合軍の目的が畠山氏救援軍で
あるならば、この野戦で伊達軍を後退させその勢いで拠点である小浜城を手に入れるか、せめて
宮森城を落とし大改修し大軍を常駐させるなどの方法をとるしかないのでは?最善は政宗を殺し
弟の小次郎に家督を継がすか。南奥の諸軍は伊達にやられるのは次は自分達という思いでこの際
立ち上がった訳だし、佐竹、芦名は輝宗が死んで伊達家中が揺らいでいるうちに叩きのめそうと
行動に出た訳だからその位の気概は持ってのぞんだと思う。二本松城の攻囲を解くだけならこの
時点で完了のはず。案の定、翌17日に戦いを始めると佐竹1万と芦名1万はまっしぐらに伊達
本陣に向かった。二本松救援が目的ならば主力で観音堂山を牽制しつつ別働隊で高倉城と
瀬戸川館攻略が定石では?一気に主力戦に持ち込んだ事でこの戦いが最初から殲滅戦として進め
られていたことがわかるだろう。結果は周知の通り。
南奥諸軍は佐竹が長く本国を空けられない事実と芦名の腑甲斐なさを知ることになり、二本松は
完全に孤立した。もう伊達は焦る必要もないのだが、翌年4月から7月までかかって二本松城を
攻略。当然本国を留守にできない佐竹は来ないし、これ以上伊達軍殲滅戦に関わったら後で政宗
に何をされるか判らない南奥諸軍はこれ以降連合に消極的になってしまった。この戦いの目的が
伊達軍殲滅戦であるからには、結果伊達軍の勝ち以外のなにものでもない。
人取り橋の戦い、主力決戦が4千対2万で政宗は後退したが観音堂山の陣は保たれたのだから弱い
伊達軍かも知れないががんばったと言って良い。そもそもこの数字で戦闘内容だけの勝ち負を
談じても意味がないと思う。


388人間七七四年:2008/05/06(火) 18:33:34 ID:HpoZsbG9
>>387
4千対2万
この裏づけになる資料の提出を求む。
あと伊達の親類ばかりなので最初から伊達の小せがれを懲らしめる目的だけなので伊達を追い詰めるつもりは最初からなかった。

伊達からもらった妻を持つ佐竹義重も伊達に対して本格的に敵対するつもりはこの時点ではまだない。
389人間七七四年:2008/05/06(火) 18:44:00 ID:9o5RJdvw
388>>
390人間七七四年:2008/05/06(火) 19:10:58 ID:9o5RJdvw
失礼。388さん、馴れてないもので。数は歴史群像に工藤章興という人が示していたもの。また佐竹義重
が本格的に敵対していたと言ってるのではなく、芦名と特に南奥諸氏にとっては佐竹氏とは違った戦いだった。
だから佐竹氏が撤退してしまった意義は大きい。また血の繋がりで殺し合いを論じるのもどうかと思う。
本陣めがけて進軍しているからには、大将が討ち取られる可能性は大きい。それともあのまま乱戦になっても
政宗一人は誰も殺さなかったとでも?


391人間七七四年:2008/05/06(火) 19:41:21 ID:HpoZsbG9
婚姻親戚関係ばかりの奥羽は伝統的に最後まで色黒の決着をつけるまでトコトン戦わない。
石川や岩城がなんだかんだで和議斡旋を毎回してるのもそれをあらわしている。
392人間七七四年:2008/05/06(火) 19:43:04 ID:HpoZsbG9
訂正
×色
○白

あと軍勢の数の裏づけが取れてないなら数は書かない方がいい。
393人間七七四年:2008/05/06(火) 20:46:53 ID:kmFWRC0a
奥羽は秩序が守られ下克上も発生せずに、わりかし名門が戦国末期まで生き残ってるくらいのぬるま湯で甘ちゃんな地域だったからね。
すごいのは伊達輝宗の時代には従属してた山形館の最上義光の急速な拡大くらいなもん。石高の小さい出羽でありながら最終で伊達とほぼ互角まで拡大したのは異常。
394人間七七四年:2008/05/06(火) 21:10:54 ID:9o5RJdvw
了解。伝統的になで斬りなどしない奥羽で政宗がしてしまった事が南奥諸国の血類にとって
脅威だった。また奥羽で伝統的に決着を着けたがらないのはわかるが、それは家を潰さないという
ことで、誰の血にも誰かの血が入っているため、都合のいい人物を当主の座につけ実質自家に取
り込む事の方が簡単だったというだけの事では?
政宗が人取り橋で崩壊し小浜に押し込まれるような事があった場合、家中はかなり揺れ、政宗は
南下するどころではなくなっていたと思う。それこそが芦名、石川、白河、岩城、二階堂、畠山の
望んだ結果だろう。仮に政宗が死んだら、弟か、伊達の血を持つ者が跡を継げばいい。誤算は
佐竹氏が引き上げを決めたことだ。決して連合軍が一枚岩でない事をお互いが知るはめとなった。
その後郡山頼祐や大内定綱が帰服したのも、それを知っての事なのでは?

395人間七七四年:2008/05/06(火) 21:15:44 ID:MYlEZQSm
そりゃあまあ、義重の甥っ子だしな。

こまったなあー。梵天ちゃんを攻めたら後でかみさんに
こっぴどく怒られそうだしなあ。ヤダヨーモー・・・なんて内心思っていたんだろう。

義重も思慮深い人だからね。
396人間七七四年:2008/05/06(火) 21:32:00 ID:9o5RJdvw
佐竹義重については、良く知らない。何か有名な戦いが?
397人間七七四年:2008/05/06(火) 21:45:04 ID:kmFWRC0a
みんなにとって伊達は本家筋だったり実家だったりするんだから伊達を尊重する意向はふつうにあるだろ。
撫で切りだって叔父や叔母から見れば伊達の小倅が困ったちゃんだからお灸を据えないとと思ってたくらいなもんだろ。
葦名にしたって当主が幼児で実権握ってた正室だった未亡人が伊達家の人間なんだから。
398人間七七四年:2008/05/06(火) 22:13:42 ID:ZivCafn2
なるほど、しかし政宗は叔父叔母に反抗して本気で戦い、叔父叔母も後半は協力せざるおえなく
なった。結局政宗も後半叔父叔母を尊重し我が道を進んだということだ。
399人間七七四年:2008/05/06(火) 22:15:00 ID:MYlEZQSm
>>395
大きい戦いというなら北条との競り合いぐらいだな。
これもまあ、結果的には小競り合いだが。

戦いも、外交を使って周りを固めてから攻める武将というイメージがあるな。
あまり単独ではやらない。宇都宮と組んで北条と戦い、それでも厳しいので
豊臣と仲良くなって挟み撃ちというね。その後は、豊臣の力をうまく借りて常陸統一だとかね。
織田家ともやり取りしてみるだとかさ。外交を使って少しでも相手より優位に付いて攻める、か。
そういう意味では正面突破力よりも揺さぶって倒す感じだね。
400人間七七四年:2008/05/06(火) 22:15:46 ID:MYlEZQSm
ごめん>>396