西軍が兵力を分散させなければ・・・・

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1名無しさん@お腹いっぱい。
田辺城の戦略価値なんてゼロだし、大津城も無理攻めで落とすほどの
価値はない。
大坂城の守備兵も多すぎる。
これらを整理すれば四万近い軍勢を本戦に投入できたのではないだろうか。
そうなれば戦局にも変化が表れたかも知れない。
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 21:24:35 ID:xCYbItCg
むむむ
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 21:26:40 ID:/6NKyiT6
ギギギ
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 21:37:16 ID:mkv041EB
>>1
飯はどうする。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 21:47:35 ID:p9TxwJb2
食べる。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 21:58:34 ID:Yh9c6KwY
立花宗茂が関が原にいれば・・・・・・
7朝倉渦中feat.パストマスターズ ◆0Uj4ASAQRA :2006/08/08(火) 22:17:46 ID:jbPyX77k
朝倉英林が東軍に寝返らなければ…。
8奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/08(火) 22:31:39 ID:79mf19zj
東軍二郎
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 23:14:09 ID:Yh9c6KwY
>>7
義政さん
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 00:23:16 ID:klhxEVjk
ナポレオンが砲兵を率いていれば・・・
11鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/08/09(水) 00:24:38 ID:lpYsUm4m
>>1結果論ですな。

家康本隊がくるまで、白か黒かはっきりしない近隣勢力どもを駆逐して、後顧の憂いを断っておくのが戦の常道。
そしてなによりも、天下分け目の戦で重要なのは、『先勝』することだ。
西軍が次々と城を落とせば、『西軍強し』と他の抵抗大名らをなびかせる事もできるし、自軍の士気も大いに上がろうというものだ。

行儀よく、敵の襲来を待ちつづけるなんて愚の骨頂。

三成じゃなくても他の司令官でも、そうしただろう。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 00:26:59 ID:RqCPbudJ
まさかあんな一日で決戦みたいな一大野戦に持ち込まれるとわ
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 00:51:51 ID:MODnKsDW
持ち込まれたわけじゃないだろ
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 00:55:06 ID:RqCPbudJ
持ち込まれたんじゃないのか
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 00:55:39 ID:0PRDaLWz
三成が大垣城を出なければ、どうなっていただろうか?
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 00:59:27 ID:w9sNHY+I
俺がイケメンだったらどうなっていただろうか?
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 01:05:33 ID:0PRDaLWz
>>16
新宿2丁目で立派に(ry
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 01:18:48 ID:0PRDaLWz
というか>>15のこともけっこう重要だから
考えてくれない?
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 01:20:17 ID:8BmBl6mO
>>11
たかだか500やそこらの城にかかずらわるのは無駄でしかないだろ
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 08:37:41 ID:m/LOAREW
あんまり言いたくないが
>>1の文章は主語が欠けてる。
それなのにその後のレスも何事もなかったように
話が進んでるな。
21鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/08/09(水) 08:46:34 ID:lpYsUm4m
>>19
小城は『情報の中継地点』とも言える。落とせばそれを遮断する事ができる。

小城は敵の『補給地点』になりうる。

小城は敵の敗残兵を収容する可能性がある。

とにかく、家康がくるまで周辺の敵勢力を制圧し降伏させ、ひとりでも多く味方に抱き込む必要がある。

上の誰かもいってたが、>>1は一大決戦という結果から判断して主張したに過ぎない。
三成があのように短期で終結しないで長期戦を想定したのならば、小城といえど、早めに落とすの当たり前だよね。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 09:55:42 ID:0PRDaLWz
小城の田辺、大津の攻略に手間取った西軍。
堅城の岐阜城の攻略をあっという間に完遂させた東軍。
ああ、もう・・・・・・
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 13:05:33 ID:m/LOAREW
ちゃんと「関が原で西軍が兵力を分散させなければ・・・・」って書けよ。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 13:30:31 ID:Cf+4Gbkq
そんなこと言ったら東軍主力3万6千は分散させられてるけどね
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 14:40:12 ID:0GgED5qX
大将が三成と言う時点で西軍の負け決定してたと思われる。

きっと人望も地位もある毛利や上杉が大将だったら勝ってたよ・・・。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 14:54:34 ID:bayNw6aF
>>25

大将は毛利輝元とマジレス
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 15:14:57 ID:KG8p9h4C
現場にいない総大将は総大将と言えるのかな
西軍は総大将不在と言っていいのでは
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 15:31:58 ID:r0YoZCRt
輝元を現場の総大将にすればよかったんだよな。
逆に三成を大坂城の守備にあたればよかった。
三成じゃ戦を指揮するにも無理があったんだよね。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 16:58:40 ID:bayNw6aF
>>27

そんなこと言ったって総大将なんだから仕方ないでしょ
不在だろうが、輝元が総大将でしょ?
頭、悪いの?
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 18:11:35 ID:sPHJlxgc
無い物ねだりの揚げ足取り。後ろ向きの予言者
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 19:05:39 ID:ws+iTILG
一応
現場の総大将は宇喜多秀家であるのを忘れてないか? 
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 19:33:03 ID:zjCl8nmd
毛利秀元も宇喜田に匹敵する大兵力を持ってたし、
士気もすこぶる高かった。
また、毛利輝元の”代理”とでもいうべき重要な立場にあった。
彼ももっと前面に出すべきだった
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 20:12:35 ID:2u29PeLk
というか、重複では?
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ10【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152870727/
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 22:16:20 ID:bayNw6aF
>>32

ヒント:吉川広家
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 02:42:55 ID:mpjndbi8

宇喜多秀家「秀家じゃ。おう、なんなら」

毛利秀元「同じ中国筋じゃけん教えちゃるがよ。いまワシとこの重臣どもがよ、
関ヶ原は東軍に味方する言うて話がまとまったとこじゃ。」

宇喜多秀家「この馬鹿たれ。 なんでワレは動かんのじゃい」

毛利秀元「動け言うてなんで、ワシが動かにゃあならんの? 前方には吉川広家の陣があるんで。
のう、ほいで、もし西軍が勝ったらよ、毛利家に100万石ほど安堵せえ言うて、三成に頼んでみてくれや」

宇喜多秀家「裏切った奴に領地くれてやる馬鹿が、どこにおるか、このボケがっ」
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 09:48:59 ID:esvMOK5M
実際に大坂城の毛利勢ら3万が関が原に布陣して、
前田利長が大坂城番になっていたらおもしろそうだけどな

なんかそんな小説あったなw
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 10:18:20 ID:XJYdhrKR
そうだよ。秀秋さんを総大将にすれば良かったんだよ。
総大将自ら寝返りは(ry
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 19:04:17 ID:esvMOK5M
>>37

「西方総大将、小早川秀秋殿が寝返りました!!」

して、石田軍と大谷軍以外は東軍となり、1万vs14万の圧倒的な戦力となった
石田三成は処刑、大谷吉継は戦死した
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 19:22:56 ID:ZLrtjjO/
宇喜多は?小西は?戸田は?平塚は?以下略
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 19:34:05 ID:esvMOK5M
>>39

宇喜田も小西もとりあえず寝返りw
戸田と平塚は大谷軍に属してるので、吉継と同じように戦死
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 19:55:12 ID:ZLrtjjO/
そんなことしたら福島が困るではないか。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 09:31:49 ID:NsOZcDNG
>>40
そんなことになったら、維新斎さんが
敵中突破できなくなるじゃん!!
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 09:53:53 ID:E1y5gpQ9
>>40
そんなのひどいや!
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 17:53:41 ID:78fJctsY
石田三成が東軍に寝返ればベストだよ。

ついでに大谷も浮田も小西も願えればいい。
あとは島津が敵中突破して関が原終了。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 19:04:43 ID:aJH/K0cc
笑えねー。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 23:43:20 ID:z1T0jkAi

正信「殿・・・小早川殿が寝返りました」
家康「そうか!あの小僧め!遅いわっ!」
正信「・・・」
家康「どうした?暗いぞ」
正信「それが・・・毛利勢もこちらに寝返りまして・・・」
家康「上々ではないか」
正信「それにともない、長宗我部も味方に」
家康「ふむ・・・後ろには敵はいなくなったわけだな」
正信「それが・・・前にもいなくなりました」
家康「!?」
正信「宇喜田、小西らも寝返りました」
家康「え?マジデスカ」
正信「マジデス・・・それで石田も寝返りました」
家康「は?敵がおらんではないか」
正信「さなり・・・関が原の合戦は終了です」
家康「・・・」

兵「島津軍がこちらに突撃してきます!!!」
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 23:51:45 ID:3I7nFUft
島津軍「泳 い で 参 る!」
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 17:01:06 ID:8yYsWztJ
裏切りがなければ西軍の布陣は完璧だよ
だって東軍囲んじゃってるんだもんw

四方八方に攻撃できる
そう・・裏切りがなければ・・・ね
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 22:24:14 ID:6g2yPakT
いまとなってはなにもかもがむなしい。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 21:03:44 ID:QCfUMiqj
>>46
不覚にもワロタ
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 22:19:46 ID:cIup/sWa
政略勝ち
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 18:13:42 ID:Ed94P9n1
当初の予定どおり、清洲城落として三河との国境まで
進めたら、西軍の勝率あがるとおもう
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 08:55:40 ID:HRgGH9E0
大阪城にろうじょうしてしまえば 加藤・福島・浅野手が出せないから 如何様にも勝つ方法があったろうに 胡麻擂り山ノ内は放置プレー
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 09:00:41 ID:gpw+7sLt
>>47
違う!
島津軍「泳 い で 帰 る!!」
     だろ。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 12:02:47 ID:Nlfhu/uv
篭城しても豊臣が徳川に従うかもしれないから駄目だろう
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 14:03:18 ID:HRgGH9E0
毛利輝元も入城してるだろ何の為ですか あと淀殿と三成の関係は盤石
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 15:29:31 ID:yAoFplu7
毛利輝元に豊臣家を動かす力なんてないし、
この頃の淀殿は実権持ってないし。

三成が豊臣家に兵糧を提供するよう頼んで断られたけど、
そのことを考えれば西軍と豊臣家がどういう関係だったかが見えてくるってもんだ。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 15:53:16 ID:nLdVkZMs
秀秋始末しちゃうって考えなかったのかな
当時でもアイツはヤバイって気づいてたんだろうし
悪影響として、西軍が動揺するよりも引き締る方が強い気がする

けどやっぱ主筋だからそこまで思い切れないのかなぁ
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 16:19:25 ID:jENDWBGp
秀秋だってそれ相応の兵力抱えてるから倒すのは骨、東軍にも対応しなきゃ
ならんのに何処から兵力を集めるかが問題だあね。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 18:12:33 ID:nLdVkZMs
あー書き方悪かったです、申し訳ない
軍議に事寄せて誘い出すとか、そもそも関ヶ原以前、大阪周辺にいる時だっていいんだ
ようは暗殺ってやつ、できないかな

しかし秀秋ほどじゃなくても日和見だらけか・・・キリないな
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 23:04:16 ID:v9YN8767
正直、輝元に董卓ばりの野心があれば…


家臣「大変です!毛利勢三万が入城せず、大坂城外に野陣を組み始めました!」

淀「うはwwwヤバスwwwwwwwwwwwwwww」
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 23:16:44 ID:bYHpls02
いや大坂に篭るのも手かと思うよ
各地の情勢は東軍不利になるかもよ
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 23:17:03 ID:HRgGH9E0
関ヶ原の後豊臣70万石に減封 豊臣イコール石田 西軍と豊臣の関係解るってもんだ
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 23:18:22 ID:9NlzJnTG
>>63
豊臣家は減封されてませんが?釣りですか?
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 23:23:17 ID:U1tEM49T
豊臣家は減封そのものはされていない。関ヶ原直後にそんな無茶やったら家康の目論みは泡となって消える
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:10:17 ID:uHdNHuOk
89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:02:04 ID:uHdNHuOk
家康が本多正信に語る。
「豊臣家子飼の大名達、ああも無節操に裏切れるものか。喜ぶ反面、心が、冷えたわ・・・せめて三成のような家臣がいて、太閤殿も初めてうかばれたであろう・・・これからは我が徳川家、三成のような家臣に恵まれれば良いが。義、忠義の家臣にのう」
後世、徳川幕府は、朱子学を取りいれ、武家の倫理を厳しく見るようになる。



90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:04:04 ID:uHdNHuOk
徳川幕府が朱子学を取り入れたのは、石田三成の義のおかげといっても
決して過言ではない。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 09:24:04 ID:TY5ovRI4
西軍篭城すれば 消極的だが家康には一番嫌な展開だそうなれば豊富減封される事もなかった
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 09:38:28 ID:gyLJXSkI
豊富?
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 11:39:24 ID:AsbWeIBE
豊富秀吉
豊富秀頼
豊富秀次
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 15:09:46 ID:gu4ympC5
豊臣家は減封されましたよ。
全国200万石の直轄領から摂河泉65万石になりました。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 16:05:47 ID:gyLJXSkI
豊臣家が豊臣家のために働いた東軍諸将のために領地を与えた結果、65万石になっただけで
減封なんてされてませんが?第一、天下の豊臣家をどこのだれが減封なんて出来るんだよw
実質、天下人同然だった家康ですら豊臣家の家宰同然、つまり豊臣家の家臣なのに
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 16:44:08 ID:TY5ovRI4
以前にも減封と書いて 反論されたが 関ヶ原後家康が減封と言えば皆従うんです せめて司馬さんの(関ヶ原)読んで反論してね
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 17:04:44 ID:R68SaYqn
ってか、小説かよ!
74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 17:31:27 ID:AsbWeIBE
>>72の半角スペースに何かの手がかりがあると感じた俺は勝ち組み
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 23:43:14 ID:Wwhka+tj
まあ何だ、結局は家康なんぞにお家の裁量を任せたのが間違いの元だったと。
でも石田は恨まれ過ぎてるし加藤や福島じゃ頼りないし。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 02:51:43 ID:VJUdg9V1
そこで長束正家ですよ。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 15:11:33 ID:wMw6BsGO
加藤清正150そこそこの小男着用の鎧から推測
イメージがかなり狂った
78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 15:33:47 ID:ZlnTbXR1
清正ちっちぇ
79名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 15:37:33 ID:OifucH8c
今の大河ドラマでは、清正が大男で、
正則が小男だったな。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 16:13:32 ID:t1cyCVk3
加藤清正は6尺3寸の大男で(190センチぐらい
これまた体高6尺を超える愛馬大釈栗毛に跨ると化け物じみたデカさ
江戸でも清正が来ると見物人が群がるほど人気があった

という話だが
清正が大釈栗毛の上に立つと…約4メートル!
怖いって…
81名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 16:19:47 ID:ZlnTbXR1
逸話だったのかよ(´・ω・`)
82名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 10:11:24 ID:ptLnurmK
戦国時代140から150が平均骨力はそうとう有りそうだが
83名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 12:34:15 ID:Ot7o2jwv
関ヶ原時豊富秀頼が出陣すれば 小加藤と福島は戦闘に参戦しなかった公算大
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 12:42:18 ID:RbymBnti
加藤清正公は潔癖症でトイレに入る時、高下駄を履いていたそうな。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 13:48:29 ID:oN9cjMQ4
すっ転んで糞まみれになればよかったのに
86名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 17:26:59 ID:NJTuuKy+
>>76
むしろ浅野長政のほうがよくね?秀吉 在命中に長政を一門衆筆頭とかにして
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 20:06:54 ID:3HrTSUHI
しかし長政は家康シンパ
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 12:48:23 ID:A8GiwmM7
大河主人公一豊に大阪城任せたら無血開城
89m9(^Д^)プギャー大使 ◆Nv9Ntu9EFU :2007/01/20(土) 16:17:57 ID:VhdYwkKJ
>植芝先生の振りは個人的にはあんまり剣術長くやってる感じにはみえなかったな。
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1166515755/41

m9(^Д^)プギャー
植芝翁は柳生を学んでる
岩間でも剣の研究をした
90名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 02:34:38 ID:9G+zziWQ
age

91名無し:2007/02/10(土) 20:38:06 ID:J5lRtZwR
仮に参加できてもその4万の働きにもよるが家康相手には光成じゃあ役不足だ
92竜田:2007/02/17(土) 11:21:22 ID:zjapPQYp
(;´д`)
93人間七七四年:2007/04/12(木) 01:44:48 ID:E68cnm9N
お決まり、狡猾な徳川の謀略だね
三成君が西軍の代表格になっちゃった時点で、徳川の勝ち

そもそも秀頼じゃダメ。第一首位継承権者の「秀次」がきっちり継いで
強力な西国大名を「綺麗に」まとめて、徳川を駆逐しないと無理だったね

あ、徳川は狡猾君だから、豊臣家が団結してる時は「牙」は剥かないかw w w

(宇喜多)秀家も、秀吉の養子だけど、三成君同様、若いしダメダメ
毛利もダメダメ 輝元君じゃダメダメ  上杉もせっかく強いのに景勝君じゃダメダメ

歴戦を潜り抜けてきた(運でw)狡猾な徳川君には勝てません。
94人間七七四年:2007/04/12(木) 01:52:07 ID:E68cnm9N
仮に歴史上通り、三成中心で結成した西軍が勝っても
敗走する東軍を徹底的に駆逐して、徳川を根絶しない限り、ダメね

秀頼を持ち上げる西国大名がどれほどいるか?
元はといえば、織田豊臣徳川の三派から徹底的に攻撃を受けた「中国四国九州勢」が

豊臣秀吉の血を継ぐ秀頼に従うか?

徳川に天下を取られるのは、そもそもまず癪だが、かといって秀頼では納得がいかない
もちろん
(小早川)秀秋
(宇喜多)秀家
でもダメ 全然ダメ

また再び戦国時代の到来、になっていた可能性もあるか…。
95人間七七四年:2007/04/12(木) 01:56:13 ID:E68cnm9N
となると、関が原で東軍が大敗して
「徳川」→没 となると

「上杉」「毛利」を代表する大型勢力と、その他諸大名、残党での勝負になる

豊臣家家臣団(特に中国四国九州)が団結していれば、上杉は台頭してこないだろうが

ま、そうはいかないだろう
96人間七七四年:2007/05/23(水) 17:06:07 ID:C9FVZ7i2
97人間七七四年:2007/05/26(土) 08:06:32 ID:OeoSTuNR
結果西軍は負けたが家康との決戦に向けて三成も事前に布石を打っている。
まずは上杉との連携で東西から家康を挟撃する作戦(これは上杉が領内から
出れなかったから失敗)、真田昌幸に中仙道から進軍する東軍(徳川秀忠)
3万の軍勢を足止めさせたといったように彼なりの計算でいけば西軍勝利を
疑わなかったのであろう。机上の算式は天才的才能を発揮したが、将の腹の
中までは読めなかった。
98人間七七四年:2007/05/26(土) 10:43:14 ID:EMFcVeW7
むしろ最後の関が原であそこまで裏切り続出したのが訳がわからない。
西軍は大半の兵力が裏切りか、静観。

でどっちつかずな静観連中は大減封、マヌケとしか言いようがない。
99人間七七四年:2007/05/26(土) 22:36:29 ID:OeoSTuNR
西軍がなぜ負けたか?それは西軍には大将が三人いた事だ。どの社会でも云える事だか組織には親分は一人でよい。東軍は家康という絶大なる柱があった。19万石の大名が西軍を纏める事自体無理があった。最前線に秀頼を出しておれば裏切りもなかったと考えるのは私だけだろうか。
100人間七七四年:2007/05/26(土) 23:06:28 ID:1J/z0hpf
立花を置いてきたのはアホすぎる
101人間七七四年:2007/05/26(土) 23:25:48 ID:KSAAd4yy
>>99
裏切りは出るだろうね。

東軍の豊臣恩顧の大名から・・・
102人間七七四年:2007/05/26(土) 23:44:32 ID:4pmkASHj
大坂城に残るのが吉川広家、小早川秀秋だったら
代わりに関ヶ原に出向くのは毛利輝元、立花宗茂になる

そして関ヶ原合戦時の布陣に
大谷軍の横に立花軍を配置して裏切りに備えられる形にする
史実で小早川秀秋の布陣してた山に毛利輝元を布陣させる

これで合戦自体は持ち堪えられるだろう
家康は輝元陣に威嚇射撃なんか出来ないだろうし
石田、大谷、宇喜多、立花だけの軍でも東軍には充分対応できる

問題は九州平定した如水軍だが
103人間七七四年:2007/05/27(日) 03:41:41 ID:YcgeHGdD

スゴイ洞察力に感服仕る。
貴殿が将なら天下統一も容易かったであろう。
如水など恐るるに足らず。であったハズ。
104人間七七四年:2007/05/27(日) 11:23:27 ID:7kS0K9pM
今孔明が降臨してるスレはここですか?
105人間七七四年:2007/05/27(日) 16:04:20 ID:EUaYeyMR
大阪城で小早川&吉川が挙兵したら?
106人間七七四年:2007/05/27(日) 16:47:06 ID:m5j3xm0s
そうなれば一大事だが
毛利家の総大将でもある輝元が関ヶ原に出陣してる状態で
広家が、いきなり挙兵する可能性は低いと思われる
少なくとも暫くは様子を見て、輝元に意思の疎通を計る時間を要すると思う
しかし現場の輝元には安国寺が付いているので、なかなか思い通りには行かない

そして小早川秀秋も三成にこそ私怨はあるが
直接、秀頼・淀君に対して弓を引く行動を取れるとも思わない
史実の裏切りも、家康に威嚇射撃という恫喝までされ
やっと決行できたほどなのだから
大坂城にいる間に自ら行動を起こせるとは思えない

やはり、そういった側面から見ても
輝元自身を合戦現場に赴かせるという事は
毛利家の反乱分子の抑止力にもなる意味に繋がる訳です

それと、一つ訂正として
史実で吉川軍が布陣してた場所に立花軍を配置する
戦が始り、立花軍が東軍の側面を突くと
後ろに布陣してる毛利秀元も続く可能性が高い

毛利家の秀元が動くという事は、
やはり総大将の輝元の心境にも相当な影響を与え
戦局は一気に西軍に勢いづく事に成るでしょう
107人間七七四年:2007/05/27(日) 17:06:07 ID:EUaYeyMR
なるほど 流石だ!
108人間七七四年:2007/05/27(日) 17:06:39 ID:IGlY4M/p
毛利に戦う気があれば、勝敗はわからないよ
でもこの戦
109仙台藩百姓:2007/05/27(日) 17:51:07 ID:kpVgFoFp
家中の統率もできないような輝元が
総大将になってる時点で終わってるお
でも毛利を差し置いて総大将になれる人物もいない
要するに負けるべくして負けたわけだお
いっそ毛利や小早川は別の場へ向かわせて
参加させない方がマシだったお
疑心暗鬼の大軍より覚悟を決めた寡兵の方が強いお
110人間七七四年:2007/05/27(日) 21:32:20 ID:JLcaRjqj
小早川や吉川を大坂におくのか?

それは危険すぎるだろぉ

まず大坂からの援軍は期待できまい
秀頼の出馬も
111人間七七四年:2007/05/27(日) 23:11:18 ID:quIHgqE4
>>46
不覚にも笑ってしまったw
112人間七七四年:2007/05/27(日) 23:20:49 ID:quIHgqE4
吉川広家が毛利輝元の進路を塞ぐ形で布陣しなければ勝ってたでしょ。
毛利秀元は参戦するつもりだったし、安国寺、長束などの士気も高かった
なにより陣形が必勝の形だしさ


113人間七七四年:2007/05/27(日) 23:30:23 ID:2SkI/S2k
>>112 毛利輝元× 毛利秀元○
それはともかく、必勝の陣形なのは家康が西軍の切り崩しに絶対の自信があればこそ。
でなきゃ3万8千の旗本を待たずに出陣した上、わざわざ包囲される陣形なんて取らない。

家康の自信は秀元の押さえに少数の兵しか配しなかった事でも分かる。
自らの調略を信じ、大胆不敵な「必敗の陣」をあえて敷いた細心かつ豪胆な家康。
一方、総大将のくせに大阪城に引きこもり家臣の吉川広家に内通されるバカ殿輝元。

両者の器の違いがそのまま結果となって現れたとしか言いようがない。
114人間七七四年:2007/05/28(月) 21:57:07 ID:OodNxgXe
それはどうだろう。石橋を叩いても渡らない程の用心深さを持つ家康が裏切り
の確約を取っていたとしてもこの戦を楽観視していたとは到底思えないが。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/28(月) 22:31:37 ID:qrX+BcbL
南宮山の上にいるのなら大して脅威ではないと判断した。
山を降りて体勢整えて、警戒している舞台を排除する頃には戦闘は終わってる。
それ以前に南宮山からは関ヶ原で何が起こってるのかはよくわからない。
116人間七七四年:2007/05/29(火) 16:04:41 ID:8F1eQrc7
短期決戦で終わるなんて、結果を知っているから言えることじゃまいか。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 07:40:18 ID:Dr6iPEbz
>>116
半日で終わらなければ、双方後退するのが基本。
118人間七七四年:2007/05/30(水) 07:47:39 ID:MNgjRUB2
>>115
どーみても後方遮断の部隊が直に付くような
位置にあるのはおかしいわけだが。

それに、有名すぎる狼煙の話は?
119人間七七四年:2007/05/30(水) 14:42:34 ID:I4hsrJZN
>>118
赤坂対陣時からあそこにいて、関ヶ原へ進軍する東軍も見逃しているのだから端からやる気はない。
当日の関ヶ原は霧と小雨、あれだけ離れれば現場では見えるはずもない。
諜者からの通報がなければ何が起きてるかなんて解るはずもない。
それでは大した判断はできるはずもない。
120人間七七四年:2007/05/30(水) 22:37:21 ID:MNgjRUB2
>>119
>当日の関ヶ原は霧と小雨、あれだけ離れれば現場では見えるはずもない。
>諜者からの通報がなければ何が起きてるかなんて解るはずもない。
>それでは大した判断はできるはずもない。

直接見れない位置でドンパチ始まったら古今東西の軍勢は
普通に偵察部隊を放ちます。
無論判断する情報が少ないけど。軍押し出すか引くか位の判断は付くよ。

所で、"はずもない"って何回もいってるけど、自分で気が付いてる?
121人間七七四年:2007/05/30(水) 23:42:35 ID:UbKpsudE
三成が事を起こさずに、高齢の家康が老齢で死去するのを待っていたらどうなっていただろうね。
無理に勝てる見込みの無い賭けをするよりも、秀頼がもうちょっと歳をとるまで辛抱するとか?
そうすればまだ旗色はいいと思うが・・・・・
122名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 08:21:26 ID:iGMb0HOr
>>120
物見程度は送れるでしょうが、それ以上は・・・
それに行って帰ってくる時間を考えると、情報が着いた頃には状況も変わってると考え、
結果として雪隠詰めに・・・

桃配山の家康ですら同様の状況に陥り、本陣を前進させましたから
123人間七七四年:2007/05/31(木) 21:58:36 ID:OL8sWBBz
>>122
伝令は馬乗ってます。
家康が陣場野に行ったのは正午ちょっと前。
ちなみに、陣場野って三成本陣の500m前。
124名無しさん@お腹いっぱい。
>>123
東軍別働隊が封鎖しているのをお忘れなく。
警戒している中をそう簡単に突破できるわけがないですから、山腹沿いに徒歩で行くしかないでしょう。