1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
奥州〜薩摩まで兵卒が同じ装備だとは考え付かない
もし詳しい方がいたなら教えてください
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 03:37:38 ID:6FylmzCD
日本史板から誘導されてきました。
よろしくお願いします。
四国征伐の時は、装備の差が歴然だったらしい
薩摩は歩兵主体
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 09:30:01 ID:Bs+kHsdA
日本刀はぶつけ合うと割りと簡単に折れてしまうと、虎眼先生が言ってました
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 09:39:32 ID:ls0A68wH
知ってる!知ってる!
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 13:55:03 ID:jx/SPyC0
戦争のときは使い捨て刀を10本ほど持っていったらしいね
新田新刀
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 18:54:01 ID:S9tykyFK
若、武器・防具は装備しなきゃ意味ありませぬぞ!
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 16:24:18 ID:Tx0cj5gO
四国勢だけでなく、中国・九州勢も上方(秀吉)と対戦
したとき「兵・馬ともに体格で劣り、装備は比較にならず
太刀打ちできない」という自軍との格差を思い知らされたそうだ。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 18:15:53 ID:kjuyS6JO
足軽クラスに鉄製の具足なんて出回ってたのかね?
皮や紙の装備もあったが
鉄製の装備の方が一般的だったんじゃないか?
しかし、中国といえば、室町には山名・大内といった有力大名がいて
しばしば畿内に出て戦闘を行っていたわけでもあるし、それほど劣って
いたとは思われないな。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 21:22:56 ID:GgDz9B+/
槍の達人が胴をまともに突いたら破れる?
弓が胴に命中した時、至近距離でもダメージを与えられる?
>>14 名人は鎧の無いところを突くんじゃないか?
戦国時代の弓は、どうやって射ってたんだろうね?
弓道みたいに水平に近く射って命中率稼いでいたのかな?
それとも西洋みたいに集団で斜め上に射って、投射量で
面を制圧してたのかな?
状況次第
20 :
戦国好き コメントレベル1:2006/10/20(金) 23:31:26 ID:XT0RD/0X
基本弓ばっかり。楯突く戦というし…
どっちかというと投射量かな?
次に槍。防具は刀には非常に丈夫だが槍には、やや弱い
基本、具足の隙間や脆い部分を狙うと効果的
戦国時代の刀は、江戸時代の刀より反りがあるため斬れ味が落ちるが
非常に丈夫で折れにくくなって
斬るというよりは叩く。強引に叩き切る感じ。
まあ刀はサブウェポン見たいなもの。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 00:24:40 ID:uNEZQwXt
>>10 まあ秀吉の軍勢は選りすぐりの傭兵だからな
半農の兵卒とは比べ物にならんよ
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 00:37:42 ID:4fh2522s
なんだかんだ言っても、戦争は飛び道具が肝だもんねぇ。
中国にもあった弩が何故日本に伝わらなかったのかちょと不思議。
弩があるとないとじゃまるで違ったろうにな。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 00:45:30 ID:i/eDYB7f BE:373658483-2BP(2)
地形
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 10:32:47 ID:fVhWUekQ
>>22 あったよ。使われてもいた。
廃れた理由については謎。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 11:10:17 ID:3KC14gkz
日本の弓は弓道だからね、平素の武士の鍛錬の一つとして弓が有ったから。
弩も弥生時代には日本に入ってきてるようだが、武士向きでないと流行らなかったようだね。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 11:45:25 ID:fVhWUekQ
平安時代にも一時期使われていたんだけど何故か廃れた。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 13:29:17 ID:i/eDYB7f BE:373659438-2BP(2)
熟練した兵士で,和弓で分速12発に対してクロスボウは分速1発の
速射製の無さ、あとは和弓の発達によって廃れていったんじゃないの?
後は地形?
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 14:46:11 ID:kdBYCkmC
弩より弓のほうが量産がきいたためでは?(根拠はないです。)
弩は守備兵器として使われていた模様。
武士階級の台頭によって野戦での実用性のなさから廃れたのでは?
鎌倉室町では武士の強弓が問われ
戦国期の集団戦争では斜め上に撃つ弓だったので
投射量が物をいうからだろうね。
その他地形、量産性が弓に劣るからだろう
弩はコストがかかりすぎて結局使わなくなったというのもあるでしょうな
たしか平安あたりだと鎧(大鎧?)とほぼ同じ金額だったとどこかで読んだ記憶が
スリングはなかったのか
…と思ってぐぐったら,投弾帯ってのがあったんだな。
まあ素手で投げるよりも効率的だからな。
あとはふりずんばい(スタッフスリング)もあったりする。
34 :
名無しさん:2006/10/28(土) 04:07:23 ID:VB+rObzE
木の少ない中国には遮蔽物が少ないので有効でも木がたくさん茂る
日本では固定されていると使いにくいと思うのだが
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 04:19:17 ID:UBt51K6M
騎乗射的に向かないから…関係ないか…
モンゴルの騎兵は長距離用の石弓と近接射撃用の半弓を両方持っていたと聞くけど、
これって騎乗射撃じゃないの?
>>34 戦国時代はけっこう木を伐採したはずだがなあ
38 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 22:51:39 ID:W/OKarjB
やはり東北や九州は中央に比べると、装備が貧弱なのか?
装備には(地方差ではなく)貧富の差が歴然。
小田原北条氏に従属した東金酒井氏の足軽たちは、「竹槍を担ぎ、竹製の鎧を身に纏っている」ために北条氏からクレームを付けられている。
美濃斎藤氏、尾張織田氏はその経済力を背景に、鉄砲、長柄槍を十分に揃えることができた。
戦国末期の井伊直政の部隊は赤備、つまり足軽に至るまで鉄製の御貸胴を装備していた。
島津家は、貧しい割には鉄砲の普及が比較的早かった。
紀州の国人は、大名からの軍役が滅多に課されなかったために比較的裕福であり、このため独立自衛農民が増えて鉄砲が普及したものと思われる。
雑賀鉢兜など、独自の軍事文化が花開いていたのを見ても、その豊かさが分かる。
40 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 01:44:54 ID:iAvFtvKS
紀州の場合そもそも戦国大名といえる存在がいなかったのでは?
豊かさの理由の一つに貿易があるけど。富豪農民というわけではない。
貧富でパッと思いついたのですが、
薙刀から槍になったのは…経費の問題でしょうか?
>>40 紀州の場合、国人一揆のせいで守護の畠山家も国人の顔色を伺わなければいけないぐらいでしたからね。
>>41 高い・重い・金属製鎧の出現で役に立たない、が原因かと。
>>39 つーかそれ、足軽じゃないべ。
比較対象が公平じゃないし。
槍の長さに経済力は関係ないな。
45 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 01:22:28 ID:FdegA9Vz
>戦国時代の刀は、江戸時代の刀より反りがあるため斬れ味が落ちるが
刀の反りと切れ味はあまり関係ない
太刀か打刀かの違いだ
太刀は佩くから反りが大きいほうが抜きやすい
打刀は差すから反りはあまり必要ない
実際に刀を差して(もしくは佩いて)みるとよくわかる
あと刀の切れ味はわからんが、江戸時代の刀より、
それ以前の刀のほうが名刀が多い
46 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 21:00:58 ID:DrZeNKSn
それ以前、ってのはアバウトすぎやしないか?
戦国時代に限って言えば、数打ち全盛期だから粗悪品の方が多いかと
47 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 22:43:37 ID:xfKuTeNF
48 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 03:57:40 ID:PiBdEHnI
馬上で使うには反りがあったほうが使いやすい
だから太刀はあんなに反っている
安土桃山以前は刀身も蛤刃のように厚みがあった
鎧兜で全身を覆った相手には、「斬る」動作はあまり意味が無く
刀の重みで叩く方が適していたからだ
そもそも刀より槍が好んで使われていたし
打刀も江戸期になると実用性が無意味になり細身・軽量化が進んだ
49 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 04:07:32 ID:PiBdEHnI
北条の軍役帳に金箔貼りの馬鎧を着けた者が見られる
関ヶ原の島津軍の騎馬はほぼ全員が馬上筒を装備していた
関ヶ原時、最上領に出陣する伊達軍は全軍の4割が鉄砲を装備していた
50 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 17:42:51 ID:/t6ELL1y
>安土桃山以前は刀身も蛤刃のように厚みがあった
ずいぶんアバウトだな
蛤刃は元寇以降から減っていき…南北朝のころにはすでに生産されなくなっていったはずだが
(かわりに平肉でも頑丈な相州伝がうまれてるけど)
>太刀は佩くから反りが大きいほうが抜きやすい
いや反りの大きさの話じゃなくて腰反りか京反りかって話でしょ
>そもそも刀より槍が好んで使われていたし
戦国時代の話がしたいのかそれ以前のいつごろの話をしてるのか不明
51 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 18:18:19 ID:QZHOuQm+
そういや、古刀と言えば。。。
以前テレビの検証で野炉だか風炉で敢えて不純物混ぜるって事やってたな。
温度が上がらないから、中々融解しなくて大変そうだった。
効率性で言うと下の下なのかな?
でもかなり古刀に近似成分の玉鋼ができたとか言ってたが。。。
それを刀に鍛える段で次週持ち越しになって、結局次週は見忘れたんだがどうなったんだろう?
52 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 04:05:54 ID:ZosG4XZa
>>50 幕末の土佐志士は長大な蛤刃の刀を使ってたぜ
53 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 04:18:39 ID:O5+kg/Xd
戦国期は野太刀が再び流行しだして、大男を雇い戦場でぶん回していた。
54 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 08:42:48 ID:OzV3sgmN
新陰流の定寸も三尺三寸の野太刀だね。
というか、幕府に定寸決められるまでは三尺以上が多かったようだけど。
55 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 21:33:00 ID:aTVRh6O9
装備したまま小便ってそのまましてたの?
56 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 22:53:14 ID:4Pj2AlBb
鎧って役に立ったのかな? 弓は完全に防げないし、鉄砲で撃たれたら貫通しない分、重症になりかねないし。
57 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 23:44:20 ID:GNOZKr8o
>>56 着ないよりはマシという感覚だったのかもね
例えば刃先がちょっとカスッたり、威力の弱まった矢が飛んできたときに、
着てるのと着てないのとではやっぱり違うし
58 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 14:59:35 ID:ZQ7jsh7/
(^o^)ノ<最下層だぞくずどもー
いいよ。この雰囲気
あげる必要ある?
誰か来い
62 :
名無的発言者:2007/09/20(木) 20:58:36 ID:10YrXahj
戦国時代にもっとも使われた武器はヤリだ。4〜6メートルの長ヤリを持った
歩兵部隊の密集方陣。これは敵から見るとでっかいハリネズミの様で非常にお
っかない。これに攻められると騎兵も歩兵も串刺しにされるだけで歯が立たな
い。これに弓隊、騎馬隊、鉄砲隊を組み合わせるのがもっとも一般的だった。
またヤリ隊のもうひとつの利点は非常に安上がりだと言うことだ。なんせ短い
刃物を木の棒の先にくくり付ければいいだけだから作りが単純で金属の部分が
少ない。その上操作方法が簡単で農民兵などでもすぐ使いこなせる。実際世界
史でも火器の発達以前・歩兵の集団戦法が発達するとその最終段階はほとんど
長ヤリ隊の密集方陣になった。
63 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 23:37:52 ID:15sGpK9z
組頭クラスが刀の様な高価な武器を持って戦っていた。
一般兵卒は、竹を鋭角に切り落とした竹槍で戦い
叩き、突き殺した兵士の鼻や耳は鉈でちょん切って腰蓑袋に入れて持ち歩く。
ドラマや映画の合戦シーンとは全くかけ離れた光景。
屏風絵も脚色し過ぎ。
64 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 23:46:58 ID:JyFWvbx1
>>62 勢力によって長槍主体じゃなかったりバリエーションあるところは、注意な
65 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 03:48:26 ID:tLEq1Dxh
戦国時代の関東では馬鎧が案外普及していた
北条は軍役状にも馬鎧の持参を義務付けたものがある
鉄砲の装備率は戦闘員の10%くらい
上杉謙信の軍隊は、歩卒の槍と長槍の割合が実に戦闘員全体の77%にのぼる
鉄砲の装備率は戦闘員の5.7%
66 :
名無的発言者:2007/09/22(土) 22:59:24 ID:jmiDJ+wn
ちなみにドラマなどでは時々弓の名手が現れ百発百中の腕を見せるが、あのよう
なことは現実にはほとんどない。そもそも弓は狙いをさだめて討つのではなく
斜め上方45°に向けて討つ、それも一分間に6〜10本立て続けに討つ
つまり弾幕を張るのだ。ちなみに弓の最大飛距離は300メートル
これを出すために斜め上方45°で討つ必要がある。
67 :
名無的発言者:2007/09/22(土) 23:11:00 ID:jmiDJ+wn
>>66 失礼! これ間違いヨーロッパの例だったわ。
68 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 23:25:28 ID:D8hyeBX0
まあ弾幕を張る事もあったろうが、
スナイプする用法もあった。
まあ組頭の下知に従えってこった。
69 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 08:08:11 ID:qNVtfSS/
鎧を着た相手には、弓は100mより離れるとあまり効果がなかったらしい
70 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 23:11:16 ID:4Pgf4B2/
薩摩島津じゃ、鉄砲を義務づける下知があったよな。
将クラスでも小さい口径の持ってこいと
71 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 00:38:15 ID:OXWsbbwq
>>70 島津の場合は、武田と同様士分の割合が高く、士分でも鉄砲を
使っていたのが特徴だったんだよな。島津家久や新納忠元あた
りも鉄砲の効率的な撃ち方を研究していた。
同じ九州の大友氏でも立花道雪が輿の上から鉄砲を撃っていた
ぐらいだから、東国よりも士分の鉄砲使用に抵抗感が、無かっ
たんだろう。
ちなみに土佐の長曽我部氏も一領具足に鉄砲の射撃訓練を義務
として課していた。
72 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 01:43:32 ID:lxESnH9q
大河で鎧に簡単に槍や刀が刺さるのは嘘だろう?
何の為に重い鎧を着てるかわからない。
戦国武将は肉屋さんみたく、死臭が凄かったのかな?
肉屋でバイトしたとき、生肉扱っていたので匂いが凄くて。
慣れて平気かもしれないけど。
73 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 16:26:27 ID:yPVtdR2J
嘘。
槍はともかく、刀は厚手の服を一枚来ているだけで、斬る難易度が跳ね上がる。
基本的に鎧の隙間を狙って突く。
74 :
人間七七四年:
>>71 東国でも騎馬にすら鉄砲の装備を義務付けているよ。
徒歩の侍は大口径の侍筒なんかを使ってたらしい。