880 :
人間七七四年:2011/06/04(土) 13:47:32.80 ID:L6EbnhCi
>>871 信長の従姉妹説は「渓心院文」に掲載されているよ。
宮本義己『誰も知らなかった江』(毎日コミュニケーションズ、2010年発行)に
詳しいです。
881 :
人間七七四年:2011/06/11(土) 15:09:52.81 ID:D44+Iiag
882 :
人間七七四年:2011/06/11(土) 19:56:29.93 ID:qstE1RfO
>>880 つまり、その文章が消滅しているのです。
883 :
人間七七四年:2011/06/19(日) 04:20:49.87 ID:0KZ1ShjI
2010年発行なのに・・・・
884 :
人間七七四年:2011/06/19(日) 08:53:51.25 ID:RVSEuPe2
>>883 すまん、お前本物の馬鹿だろ?
元の古文書の現物が消滅してるって話に決まってるだろうが、このド低脳
885 :
人間七七四年:2011/06/19(日) 11:52:06.11 ID:Upxy2W0e
886 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 09:30:15.54 ID:Mb3U5Mz8
池禅尼と淀君、どっちが罪深いのかなぁ?
887 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 16:54:11.66 ID:PCrITybI
昨日、関口さんとオセロの白い方が司会してる番組みたが淀殿の性格最悪だな。
千姫のこと、結構いじめたらしいじゃないか。
後どっかで読んだけど淀殿の策略で秀頼とは月に2.3回しか一緒に食事させてもらわなかったり子供がなかなか出来ない千姫に嫌みいったりしてたって書いてあった。
淀殿が秀頼と千姫が仲いいの妬いてたってな。
千姫は淀殿にとって妹の子供つまり姪なのに可愛くなかったのかな。
888 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 13:44:07.93 ID:Lhy8LVSB
>>887 知らなかったの?
女さかしくして家滅ぶ
とか
どっかの男と浮気して作った不義の子をお家の後継ぎにしようとした
とか
誹謗中傷が凄まじいのは、そういうことが書かれた資料が多いから
今更、淀君の悪口くらいで驚くもんじゃない。
889 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 02:07:20.15 ID:Fks1OrxF
>866 本当になりました。お墓もわからないようになっています。予知すげ
890 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 16:18:22.43 ID:0aZZChGb
>>888 顔は市に似て美貌を持ってたけど性格は最悪ってやつだな。
891 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 19:10:18.38 ID:jrs6SZey
>>880 その女房の書簡くらいの解説なら、
大河「信長」放送のころの歴史読本程度にも出てることだけど。
>>890 ほんとのところ三姉妹のなかで誰が一番お市に似てたかなんて
わかるはずの無いことだ。妄想の範囲でしか無い。
とくに第一子の長女は父親に似ることが多いんだぞ
892 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 20:52:21.51 ID:dMESWg1n
>>891 とくに歴史に名を残した女性の場合、ことさらゴシップレベルの話ばかりが
先行しちゃうからなあ。
893 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 14:25:45.80 ID:OwsQ6+N/
淀の方は
・姉妹や親戚は勿論、高台院や秀吉の側室たちとも仲が良かった
・豊臣秀次とも仲は悪くなかった。互いの子供を婚姻させる相談したり、秀吉を心配する手紙を遣り取りをしてる
秀次が亡くなった後、淀の方は豊臣家の先行きを心配する文書を残している
・千姫とも仲が良かった。秀頼と妾の間に子供が生まれると、淀の方は孫を千姫の子として育てさせた
・面倒見が良く侍女に慕われていた。大坂冬の陣が終わると、侍女や家臣の妻子の避難先・再就職先を世話した
淀の方の人望は、大坂落城後の豊臣賛美が憚られた時代でも侍女たちが毎年集まって供養したほど
さらに淀の方は各地の寺社でも祀られた
・息子を甘やかさなかった。武道でも当代屈指の使い手を集めてスパルタ教育させた
・石田三成とはほとんど交流がなかった。逆に三成は高台院を崇敬し、手紙をたくさん残している
三成と加藤清正たちの仲が悪化するのは大陸出兵の後で、その前は仲が良かった
・大野治長は乳母の息子。密通の噂はゴシップレベル
治長は君臣の別を弁えた忠義者で、そのことは秀吉も家康も三成も片桐且元も細川忠興も賞賛している
また治長は織田家時代から智勇兼備の士として知られていた。妻は信長の娘説あり
・豊臣家の権威を削ぐことに躍起になっていた徳川方でさえ、密通の噂を広めたりはしなかった
・淀の方は終始徳川家に対して恭順派だった。淀の方に対する徳川方の評価は「優柔不断」「弱腰」
・真田信繁を足蹴にしたことなどない
大坂方の軍略は秀頼の信任を受けた大野治長と後藤又兵衛、さらに二人が選んだ武将が中心になっていた
そして秀頼・治長・又兵衛は信繁を優遇した
・徳川実紀にすら、淀の方を貶める記述はない
・淀の方の評判が悪くなったのは18世紀以降、芝居や物語で悪役にされてから
894 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 15:10:06.54 ID:Sy0jzI8I
手前にはそうすを提示していただきたい。
895 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 00:25:41.83 ID:BF4LfMN2
>>893 >淀の方は 各地の神社でも祀られた
祀ったということは、祭神として神格を持つということになるんだけど
具体的に何処にあるお社なの?
896 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 04:27:43.99 ID:/e6wCewl
>>890 そもそも、市が美人だったと書かれた当時の一次資料は皆無
秀吉の憧れの人というのも嘘
柴田に嫁がせてるし、秀吉は市に執着なんてない
淀が側室になったことから後付で言われだしただけ
897 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 01:10:07.20 ID:BFVu2fir
「史実の織田家は美男美女の家系で、お市は絶世の美女」
だいたい女性の容貌容姿についての確実な史料なんて無いんだしな。
高野山にあるお市の肖像画にしても、絵画的な美女様式であるだけに
あの絵をみて「お市が美女の証拠」というのは難しい・・・という研究者もいる。
乱世に翻弄された悲運な女ってのは、美人というひいき目で見られるし
劇的な人生をたどった三姉妹の母ともなれば、余計に美女設定で伝承されやすい。
898 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 17:47:57.29 ID:qUMLJwEt
再読した日本史探訪で杉本苑子さんが擁護してた
以下抜粋すると
彼女の欠点は凡人がだれでも持っている程度のもの
徳川方が後世の批判をかわすために利用
豊臣滅亡の半分の責任を押し付けた
私達は徳川政権の悪評を払い落とし
ありのままに戻す必要がある
家康に互角に渡り合えと言うのは酷
彼女だからこそ踏みこたえられた
北政所が被害者顔をして豊臣家に対し
許しがたい加害者「江戸の敵を長崎で」
いがみ合いを徳川は上手に利用
福島 加藤は愚か
亡き太閤が執着した対象は秀頼
憎悪を二の次にして秀頼中心に考えるべき
夫が築いた栄光等滅べばさばさばする
本心を心配顔の中に隠す
徳川政権下で悪人扱いされた人たちこそ
豊臣家の忠臣
秀頼が大人しくしても温存させない
滅ぶなら華麗に悲壮にピリオドを打つのが
天下人の遺族に相応しい
秀吉があの世で会った時
淀殿と北政所 どちらの手を握るだろう
このころのNHKって今と別の組織に見える
899 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 17:50:13.18 ID:n09TjbWT
>>898 しかししょうがないけど、もはや古臭くてカビの生えた史観としか言い用がないなw
900 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 20:25:13.88 ID:/s2xxt+w
宮沢りえはよかったね
最初のほう評判悪いんで見てなかったのが悔やまれる
まあ再放送やるだろうけど
気になるのは30代?で10代の娘を演じたのかということ
901 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 21:11:54.45 ID:YG7NxEgN
>>898 寧々と淀は不仲ではないよ
こういうイメージもいわゆる講談の、淀は豊臣を滅ぼした悪女と同じレベル
徳川方には淀を悪しく言った資料はない、逆に
淀は和睦派で江戸に人質にいくのも了承していたが
周囲が反対したり、主戦派の牢人衆が和睦を妨害してるのでは?という位
徳川史観で悪女にというのがまず間違いで
江戸時代の庶民が、一番盛り上がる大坂の陣という大舞台で
大坂方の為に戦った牢人衆を悪く言うことは出来ず
もちろん秀頼を悪く言うことも出来ないので
淀の人格を180度変え悪女として豊臣滅亡の責任を負わせたに過ぎない
淀の話から離れるが、倒幕した薩長の明治史観で
家康が貶められた〜というのも間違いで、家康が狸とかボロクソに言われだすのは
戦後の昭和の小説が出所だったりするw
こういうのを見て分かるように、庶民が勝手にああだこうだと話を作り
それが、真実の如く世に定着するのは現代でもあるんだから
江戸の庶民が講談を楽しんだ時代に、淀も好き勝手書かれて世に広まったってこと
902 :
898:2011/11/09(水) 16:50:35.99 ID:urDYSTA6
その前に八幡和郎氏の本に
北政所は関が原で西軍に
淀殿より積極的に援助したという説を
読んだので何が何だか訳わかめ状態(T_T)
>>899 まあ70年代に出た本だから仕方ないね
最も杉本さんはぶれてないみたいだが
903 :
人間七七四年:2011/11/09(水) 18:19:32.02 ID:PULC1EsF
ふうむ おいらは北政所おね様は淀を憎んでたと思うな いや違う、蔑んでいた
軽蔑していた まず秀頼が秀吉の子と認めてたかどうか 現代人でもおかしいと思うところ
やはり秀吉は種なし、子供ができぬカラダで、秀頼は淀が天下をとるためにどっかの
男の種で孕んだ子とおね様は思っていたんじゃなかろうか そんな淀・秀頼政権などいらぬ、ほろべ
あとは徳川どのに天下をお任せします って説が好き
904 :
人間七七四年:2011/11/09(水) 20:24:38.39 ID:G0Gdab2D
905 :
人間七七四年:2011/11/16(水) 13:08:30.27 ID:dgrWxPDm
>>896 いまだに秀吉は市に恋焦がれてた、なんてデタラメを鵜呑みにしてる人が多くて驚く
一般人ならともかく、研究者まで…
勝家との再婚を仲介してる時点で分かりそうなものなのに
>>897 お市の肖像画はかなり理想化が強いみたいだね
浅井家をとりこむために送った女性だから、それなりに美人だったとは思うけど
茶々は父親似だったかもしれないが、長政の死後すぐの肖像画も顔立ち整ってて綺麗という印象
906 :
人間七七四年:2011/11/16(水) 18:40:43.89 ID:bOBHpJBA
>>905 お市の肖像は、娘たちが描かせたという伝承も根強いので
「実の娘が依頼主なのだから、似せて描いてるに決まってる」
という理屈が2ちゃんねるでは多いけどw
没後供養のためではあるし、「理想化した様式美の美人画」
と、いう意見も世間の研究家さんが多いのもうなづける。
自分的にもお市の肖像は「まるで能面」
マトモな研究者さんやちゃんと調べて物を書く作家さんは
歴史女性についての容姿の断言をさけるけれど(そりゃそうだ。)
茶々は長女なので父親似の容貌なのでは?と書く人は多いと思う
907 :
人間七七四年:2011/11/16(水) 23:57:39.10 ID:dgrWxPDm
>>906 能面か…納得。
確かに表情に乏しいし、いきいきとした雰囲気はないよね。
供養画に美化はつきものだし、絵によってまったく容姿の異なる武将も多い。
市は美しい女性だったはずだが、あの肖像画に似てたとは断言できない気がする。
そもそも茶々は母親似か父親似か、という議論自体が不毛な気がするなー
どっちにも似てなかったかもしれないし
908 :
人間七七四年:2011/11/21(月) 23:10:14.23 ID:6FrZuB0v
伝淀殿像は江戸中期頃のものじゃないかといわれてて信憑性には乏しそうだが
南蛮図屏風に茶々と推定される女性が描かれてるらしいね
細面で切れ長の眼差し、鼻筋の通った綺麗で優しい顔立ちの女性。
909 :
人間七七四年:2011/12/23(金) 16:13:13.13 ID:INgzJTsj
肖像画の限りで言うのならお市の方の妹(姉?)であるお犬の方
が美人だなと思う。
現代人が見ても十分に美人と思える肖像画。
910 :
人間七七四年:2011/12/23(金) 19:58:24.22 ID:iR/0fe7K
お市さまは信長公のイトコで、元恋人だったという説もあるね
911 :
人間七七四年:2011/12/24(土) 02:29:31.49 ID:5aNYNabj
説じゃねえ、妄想だ。それも気持ちの悪い。
912 :
人間七七四年:2011/12/25(日) 15:25:10.78 ID:lalpBdA4
>>893の言う通り、淀の方のイメージは後世創り上げられたものが多いってわかってきているのに
未だに俗説で語るなよ
913 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 07:05:01.85 ID:fvxs281x
一応、生存説がある
914 :
人間七七四年:2012/06/14(木) 01:36:47.57 ID:BQ1uAtf3
生存説は人気、支持のバロメーター
915 :
人間七七四年:2012/12/23(日) 03:15:06.39 ID:K9sMRsXY
>>893 >また治長は織田家時代から智勇兼備の士として知られていた。妻は信長の娘説あり
茶々達が織田家に世話になっていたのは10代前半、治長は元服すらしてるかしてないかの時だろ。
身分的にもあり得ないし、信長の娘娶れるなら茶々娶ってるって。
ソースは三名幅からって事だろうけど現実的じゃない。その肖像画こそ実は信長姪ry って方がしっくりくる。
916 :
人間七七四年:2012/12/24(月) 19:14:42.45 ID:NFJgQj8O
信長の姪ならピンキリだからなw
917 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 08:42:43.72 ID:wnnlDHL7
淀が母はわかるが父(長政)の敵として秀吉を憎むのは筋違い。
信長を憎むべきだろ。
信長は目上の人だから憎みづらく、
一方秀吉はしょせん下賤の身で家来だからか。
918 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 11:36:19.77 ID:a00vkumG
そもそも勝家に嫁いだ時点で市は36か37。今なら50過ぎの感覚だろ。
若い女好きの秀吉が食指を動かすかねえ。
919 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 12:10:52.04 ID:hXr43LMq
だから娘の茶々を狙ったんじゃない? でも秀吉って幼女から後家までなんでもござれじゃなかったっけ。名家の美人なら。
あと、茶々は長政の敵として秀吉を恨んではいないと思うけど。市と柴田を滅ぼした敵ではある。
けれど当時の感覚で仇として恨むってのあったかね?戦ばっかりの世だし、そんなこと言ったら仇だらけだよ。
茶々は小谷で信長に攻められ、北ノ庄で秀吉に攻められ、大坂で家康に攻められ。
三度の戦でそれぞれ三傑に攻められ落城した人ってなかなかいないわ。人生がドラマチックだから絵になる〜。
920 :
人間七七四年:2013/02/09(土) 20:44:35.01 ID:mL+d8evo
三度の戦で三傑に攻められたのは初も一緒だったりするww
921 :
人間七七四年:2013/03/07(木) 21:11:12.86 ID:sBcD3Q8V
やる夫関ヶ原の淀殿のキャラ付けが好きだった。
タフな現実主義者っていう今までにない人物像。
「8歳の子供に天下を治められるはずないのよ」って
言い放ってしまえる淀殿に惚れた。
女性の中では圧倒的に戦慣れしてるんだからさもありなん。
922 :
人間七七四年:2013/10/24(木) 04:24:24.76 ID:9tcfns1G
男性の皆様!!このシーン、女性の手や腕を舐めれるとしたらしたいですか?
しゃぶりたいですか?こういう行為をどう思いますか?
大河ドラマ「独眼竜政宗」で、石田三成役の奥田瑛二さんが、
淀君役の樋口可南子さんの手や腕を舐める、しゃぶるシーンです。
徳川家康が、上杉を征伐しに留守にしているのを好機と、
京都で石田三成が挙兵する前に、淀君様にお墨付きをもらいに行きました。
淀君様は、迷っていましたが、家康の首を取ったら何でもかなえてやると
言い、三成の手を自分の乳に近づけ三成を興奮させ、淀様の手から
肘あたりを、舐めます。凄いシーンでした。
※第36回1987年9月6日天下分け目
「こんなにもエロイ淀殿」で検索するとこのシーンを見れます。
923 :
人間七七四年:2014/03/10(月) 21:44:19.37 ID:iA4vqSZl
実権は浪人衆が握ってて碌に発言権はなかったんだっけ?
924 :
人間七七四年:2014/03/10(月) 22:12:51.03 ID:S4iA8xTd
夏の陣に関しては、浪人衆と結んだ大野道犬あたりの過激派だよなあ
925 :
人間七七四年:2014/03/15(土) 19:05:08.49 ID:IM+HjVei
後年常高院が我が三姉妹は
結局秀吉家康には散々に利用されただけだと嘆いている…
浅井三姉妹は父の浅井長政が長生きしていれば
ずいぶんと運命が変わったはず
家康は気の強いお嬢様だった築山御前で苦労しており
気の強いお嬢様の浅井三姉妹をあまり好かず
常に要注意人物だった
それ自体が悲劇そのものだと思う…
崇源院は家康の一周忌が済んで1ヶ月後には
大坂の陣で戦没者の追善供養を強行している
心ならずも大坂の陣で姉の淀殿と甥の秀頼が自害してしまい
悲嘆に暮れていた…
家族を天下人にみんな殺されるのは本当に惨いこと…
926 :
人間七七四年:2014/04/05(土) 13:40:34.42 ID:Nl8bORwy
>>30 歴史人物の名前使って
反日オナニーすんなよバカサヨバカチョンバカシナ
バカサヨバカチョンバカシナに友好的な奴「バカサヨバカチョンバカシナこそ(凡人のデヴ)なりw」
927 :
人間七七四年:2014/04/21(月) 12:49:15.14 ID:wKRmKL7G
ところでこのスレの住人で『河原ノ者・非人・秀吉』をもう読んだ香具師はいるかな?
928 :
人間七七四年:2014/06/06(金) 23:42:30.13 ID:/a89y8Gr
>>925 最終的に天下人との妻になれたし、戦国時代の女性なら実家が滅びるのも珍しくないことなのに
利用されただけという言い草はどうなんだ
929 :
人間七七四年:
>>918 実際問題、勝家と市の結婚を進めたのは秀吉だしな。
清州会議の時点では市に対する性的興味は完全に無くなってただろうね。