長篠・設楽原合戦の真実

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733人間七七四年:2008/10/03(金) 01:43:44 ID:oAu8s5no
武田の軍制って甲冑を赤くするとか?
734人間七七四年:2008/10/03(金) 01:48:01 ID:MmmQgDdP
とりあえず会話は甲州弁
735人間七七四年:2008/10/03(金) 01:48:06 ID:w75K/M4l
>>732
普通に数が多い方が勝っただけなのになw
736人間七七四年:2008/10/03(金) 01:58:36 ID:pFcz+0GQ
むしろ勝頼は、アレだけの大軍に囲まれた状況の中で、よく戦ったと言えるよ。
勿論、自軍をそう言う状況にいたらしめた戦略眼への批判はあってしかるべきだけど、戦術のレベルでは
充分優秀だったといって良いと思う。
737人間七七四年:2008/10/03(金) 02:01:46 ID:QnEVw2c2
戦術レベルでの有能さは元々認められてるんじゃないの
信長の野望でも結構強いしw
738人間七七四年:2008/10/03(金) 07:04:04 ID:SlUZf2gx
>>733
先鋒を二手とするとかかな
739人間七七四年:2008/10/04(土) 00:47:52 ID:eSMEcOJd
甲陽軍鑑で4人の駄目な大将の1人として勝頼が挙げられていたけど、
その理由がいかにもこじつけ臭くてなるほどと思えなかった。
740人間七七四年:2008/10/04(土) 00:50:55 ID:KMMByJPC
信長は勝頼の将器を認めていたようだけど、
家康はどうも、勝頼個人の能力より、武田軍の組織的な強さのほうを評価していたようだ。
741人間七七四年:2008/10/04(土) 21:17:49 ID:sv3x3Pci
>>739
俺は似た上司複数に仕えたので良くわかった(結構いると思う、本人からすれば強いリーダー演じてんだろうけど)
星野仙一タイプだったのかね、勝頼は
742人間七七四年:2008/10/04(土) 22:33:43 ID:GOoGUBlh
長篠では勝頼の焦りが裏目にでたのだと思う。父に代わり家臣団をまとめなくてはならないこと、
肥大する信長に対抗しなくてはならないこと。もともと四男ということで、家臣になめられてたの
ではないだろうか、勝頼が残した文章が妙に強気なのも勝頼中心に家臣がまとまってない証拠
だと思う。その状況を覆すには戦に勝つことが一番で長篠までのこのこ信長がやってきたことは
勝頼にとって千載一遇のチャンスだったと思う。
長篠でもし勝頼が勝てたなら…信長勢力は後退し家臣団も勝頼中心にまとまり、歴史は変わってたの
かな、と
勝頼が背水の陣で決戦を挑んだのも解らないでもないのだ…
743人間七七四年:2008/10/05(日) 06:01:21 ID:73E+CH3z
勝頼ってそんなに焦っていたんか?
明智城合戦や高天神城合戦では武田軍が勝利を収めているが。

伊勢長島一向一揆が壊滅したのは痛いけど。


744人間七七四年:2008/10/05(日) 09:04:08 ID:aRi+1Luj
高天神城は確かにすごいよね
745人間七七四年:2008/10/05(日) 09:35:13 ID:G9lT1SAO
それで全部力を使い切ってしまったんだろ
746人間七七四年:2008/10/05(日) 12:17:24 ID:SBpW96vj
ざんねん
747人間七七四年:2008/10/05(日) 12:55:37 ID:K3ZYuSmO
発掘された弾丸を検証した結果では殺傷能力はかなり低かったことがわかっている。
当時の弾は現在の⊃型と違って不完全な○型で空気抵抗が大きく照準も合わない。

また、当時の火縄銃の分析でもバレル内に螺旋が刻まれてなく、弾に回転が加わらないので
弾の安定性、直進性もかなり低かったことが証明されている。

これらから推定される流体物理学上の有効射程距離は13m。
毎秒5mの速さで進軍されたとすると三段撃ちでも次弾発射まで7.8秒しか猶予時間がない。
敵がボルト並の速さだと猶予時間は4.1秒。柵だけじゃどうにもならんね。
やはり火縄銃以外のプラスアルファ部分が勝利に大きく貢献したと考えられる。
748人間七七四年:2008/10/05(日) 12:59:44 ID:vdhvkYCB
13mって矢より短そうなんだが
749人間七七四年:2008/10/05(日) 13:07:52 ID:K3ZYuSmO
飛距離じゃないからね。飛ぶだけならもっと飛ぶんだが13mを超えると正確に狙っても外れたり
当たったとしても「うぐっ!弾当たったじゃねえか!痛えーな、この野郎!」となる可能性が高い。
750人間七七四年:2008/10/05(日) 13:51:29 ID:73E+CH3z
礫の方が戦果がありそうだな。


751人間七七四年:2008/10/05(日) 15:58:46 ID:xcmTiCB/
>>747
毎秒5mは時速18km、無理じゃない?
752人間七七四年:2008/10/05(日) 18:31:09 ID:OCtGdIDq
ヨーロッパでは銃が出現すると、それまでの全身覆う甲冑が姿消し、兵士の装備は軽装化
され戦術も機動性に特化されるようになった、中世の銃でも厚さ2〜3ミリの鉄板は貫通
するパワーがあり重く動きにくい甲冑は防御の役にたたなくなったためだ、当時の銃の
命中精度の低さも軍隊の機動性重視に一役買った。
753人間七七四年:2008/10/05(日) 19:17:10 ID:AgitqBGo
>>747
その話がどこまで信用できるかわからん。つーか有効射程なんてどうやって算出するんだ?、
現代の火縄銃だと30メートルで止まった野球のボールに当てる程度の事はできる。
現代の火縄銃は江戸時代製だけどべつに構造に大差はない。

>>749
さすがに20メートルで当たれば鎧貫く。
50メートルでお貸し具足を軽く貫通する程度の威力がある。
ちなみに実験した人は50メートル先の具足に当てられる程度の腕があったわけだが。
754人間七七四年:2008/10/05(日) 21:11:23 ID:+GaLf3dz
運動場でもあるまいし50メートル走るのに58秒とかないだろう。
全力でも軽く20秒くらいかかるんちやうんいかいな。

つーか同時の戦場の地形てのは・・・。
ワーテルローやクルスクみたいな麦畑じゃないだろ。
泥田がせいぜいだと思うけど。
755人間七七四年:2008/10/05(日) 23:56:19 ID:gyow1aC5
>>527>>532>>535
そうなんだよ。教科書や大河ドラマなど、大勢の人が知る「長篠の戦い」ってそんなもんなんだよな。
教科書なんかでは、兵数の差については何も書いてないし、大河ドラマとかでは、
武田方がただ馬で突っ込んできて、鉄砲で馬鹿みたいに撃たれてるだけなんだよな。
でも、これらなんかは永久に変更されなそうだよな。
酷いのになると、長篠の戦いを信長対信玄なんて間違えてる本やテレビもあるんだよな。

>>526
しかも設楽ケ原は凸凹で、騎馬には不向きな場所って事もあるかな。
もちろん武田も全軍騎馬隊じゃないだろうがね。
756人間七七四年:2008/10/06(月) 03:31:16 ID:0E4ZZEJM
>>753
おいら 13mって距離はけっこう真実味あるかも、と思うよ。

当時の一丁あたりの携行弾薬数ってそう多くないと思うのよ。
もっと銃が主役だった朝鮮の役の金海城に用意された弾は銃一丁あたり23発なので、
二昔前の当時もそれ以上は持って行かなかったかと。まぁ硝石は輸入品だし高いものだしねぇ。

で、こういう前提条件では、種子島の有効射程云々よりも、
”鉄砲撃ちの勲功がわかる”距離で使われたと見る方が実情にあってるのじゃないかな。
この戦いじゃないけど、鉄砲の狙撃で武将を倒した功名の記録はあるしね。

となると、兜首を狙える状況ってのは、相手が突撃してきたとき、が一番だよね。
で、有効射程50mも先からバンザイ突撃する軍法は、銃装備もしていた武田軍では考えにくいんじゃないかな。
となると必然匍匐?前進で近寄ってから20m以内からの突撃、だったんじゃないかなぁ。
(これは旧陸軍のバンザイ突撃の距離だけど…)

となると、銃が使える距離もそれくらいに限定されてしまうと思う。
なので当時の銃術の本も至近距離での話しか書かれてないんだと思うよ。
757人間七七四年:2008/10/06(月) 05:21:22 ID:UoCZ5aZk
>>756
俺も携帯弾薬数ってのは精々30かと思う。
武田や北条の軍制では結構な弾薬数が義務づけられてるけど、それはそれなりの地位の武士に対してだ。
部下もいない鉄砲足軽がそれほどの数を持ち歩けはしないと思う。

ただ、20メートル以下だと一発しか放てない。
雑兵物語を読んでると単発なイメージはわかないなぁ。
鉄砲よりも劣る矢戦だってもっと遠くから行われる。
矢の携帯数だってそんなに多いものじゃないのに。矢もそれなりに高価だ。

それに銃の発展で兜首の死傷率が上がったってのは聞かないのが難点か。
匍匐前進っぽいのもあんまり聞かない。ぶっちゃけ、とんでもなく重い(20kg以上はあるはず)三間の槍をもって匍匐前進は辛い。
この辺事実ならもっと資料が残っててしかるべきだろうにね。
758人間七七四年:2008/10/06(月) 05:41:13 ID:KH8owlA6
>>726
短絡的なのは君のオツムだw
満足に論旨さえ纏められない落ちこぼれ君だから致し方無いといえばそれまでだが。
そんな論旨不明瞭な稚拙な文章、社会では即却下。
ま、毎日暇を持て余している君なら当然といえば当然だかなw

759人間七七四年:2008/10/06(月) 09:05:38 ID:IVM3/dhy
エアがンではBB弾というプラスチックの弾を飛ばすが、
弾が球形のため、銃身が曲がっていたり弾が歪んでいたりすると、
弾道が「変化球」になり、右や左への弓なり弾道となってしまう。

こうなると、遠方の時点でまだまだ弾玉の速度があって殺傷能力があっても、
有効射程は、手前の時点の弓なり弾道になる以前の直進弾道の時だけとなり、
狙って当たる有効射程は50mくらいか。

撃って飛んでいく弾が、射手から見えることがあるが(見えないことが多い)、
変化球となって弾道が曲がりだすと、50mで的に10センチ以内で収まっても、
100m先では100センチぐらいは散らばってしまう。

そもそも、目で狙うだけでも、10m先の直径1センチの黒点に
ずっと狙い続けるなんて、なかなかできることじゃないぞ。

しかも立ったままで、5キロぐらいある重たい銃をかまえて狙うとなるとな。
760人間七七四年:2008/10/06(月) 09:35:19 ID:IVM3/dhy
10m先の直径1センチは、
50m先で直径5センチ、
100m先で直径10センチ、になりますです。

100m先で人間の上半身タテヨコ50センチを狙うとなると、
銃の性能の都合もあって、当たるか当たらないか半信半疑の気分で撃つだろうな。
761人間七七四年:2008/10/06(月) 12:11:23 ID:t0OTtd2R
島津あたりの鉄砲の打ち方は相手の目がはっきりと見えるぐらいまで近づいたら撃てじゃなかった?
762人間七七四年:2008/10/06(月) 13:13:28 ID:7x9W24i9
>>747
なるほど、野球のフォークボールと同じ原理ですね。
回転がないと空気抵抗の影響である地点を境に速度が極端に落ち弾も落ちる、と。
現在の素材と違って砲身内に撃つ度にわずかなひずみが生じるからカーブやシュートする軌道もありえますね。
弾も現在のように完全に規格化されてないから一発一発微妙に大きさや形が違うだろうし、
撃つ度に少しズレが出るのが当然だと思います。
763人間七七四年:2008/10/06(月) 13:39:15 ID:qbFElcfi
狙って「ある一点」を撃つ、というよりも「面」を撃つ兵器だったんじゃないかな
最低でも10人単位くらいがまとまって上級指揮者の示す方向におよそで筒先を合わせる
で、撃つ
狙って撃つわけじゃないので照準合わせもない
これなら実質的な有効射程距離は伸びる
たまたまその方向にいた撃たれる側にしてみれば被弾しようがしまいが轟音ともに弾が
殺到してくるイメージになる
764人間七七四年:2008/10/06(月) 14:46:11 ID:IVM3/dhy
10人単位くらいがまとまって撃つとするなら、
各自がバラバラに発射でき次第うつよりも、
一斉に同時に撃った方が命中させやすくなる。

なぜなのか説明するのはやや難しいな。
こう言い出すと、3段うち説が虚構に思えなくなってくるので困る。
765人間七七四年:2008/10/06(月) 18:54:21 ID:YNxqUHCg
多段撃ち自体は当時のごくありふれた戦術の一つだろ。
766人間七七四年:2008/10/06(月) 19:40:55 ID:PvN8JYKe
つーか、銃の癖もつかめないまま撃つほどの初めて撃つ銃の話なのか?
そりゃ、銃身もゆがんでるさ。その歪みも何度か練習するうちにうちにつかめてくるものだよ。

でも100mはさすがに確信をもって撃てる人はいないだろうなぁ。
鎧を貫く意味からいっても50mが有効射程だとは思う。
殺傷能力自体はあるだろうけどね。

ttp://www.日本の武器兵器.jp/hinawajyu/iryoku/index.htm

>>763
西洋の使い方はそれで正解なんだが、日本にはその記録がない。
記録にあるのは個々人の狙撃だね。
雑兵物語の弓足軽の話なんだが、「鉄砲と同時ではなく鉄砲が弾薬を込めている合間に放ちなさい」
という記述があるから、間断なく放たれているのが当時の人の理想的な状況だったのかね?
767人間七七四年:2008/10/06(月) 19:44:51 ID:nO+MGHGo
たったいまキンジパでやってたぞナガシノの。
接近してから打ってたぞ
柵につっこんできても柵が二重で突破できないと
馬場が嘆いていた
768人間七七四年:2008/10/06(月) 19:57:27 ID:nO+MGHGo
さらに柵があるって知っていながら突撃してった
理由はカツヨリ曰く武田騎馬軍団は最強じゃ!逃げたら名折れじゃ!だから。
馬場や他は逃げようって進言したけど聞かなかったカツヨリ。
で、結局馬場もやけっぱちで信玄さんのためにどうのこうのいって突撃してしんじゃった。

見るまではどうして突撃したのか、バカなやつだなーと思ってたけど
当時の武士の心理を考えればそうなるのもやむなしと思う。
哀れというかむなしさの残る話だった
769人間七七四年:2008/10/06(月) 20:20:37 ID:IVM3/dhy
ttp://www.日本の武器兵器.jp/hinawajyu/iryoku/
オイラのPCではうまくアクセスできなかったので、ぐぐってみたら下記URL

ttp://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/hinawajyu/iryoku/
770人間七七四年:2008/10/06(月) 20:45:25 ID:IVM3/dhy
>>766
初めて撃つ銃の話じゃないよ。
銃身が曲がっていて弾道が一定の方向に曲がるというなら、まだわかりやすい。

エアガンでは機関銃のように連射できるものがあって、銃を三脚に固定して撃っても、
弾幕がまさに「ラッパ状」に末広がりで弾道が散らばるものがある。

銃身内部がまっすぐでも、球形の弾丸にヘンな回転がかかっているため、
変化球になっている証拠であり、弾と銃身のすき間がきついとなりやすい。
(ふつうの銃は、ライフリングのため弾と銃身のすき間はきつい)
ゆるいと、銃口からコロコロと弾丸が転がってしまうけどな。

エアーソフトガンメーカーの一例
ttp://www.tokyo-marui.co.jp/products/
771人間七七四年:2008/10/08(水) 19:57:54 ID:WxqACmyq
火縄銃の射程よりも、さらに集弾率を高めようとするなら、
大砲による大口径化でなく、銃でいえば、
弾を球形でなく、いわゆる砲弾型にして、銃身にライフリングをきざんで
強制的に回転運動させなければならない。
(てるてる坊主型の弾という案もあるが、さほど命中率がよくない。)

当時の日本の工作技術では難問。なにしろネジ1本でさえも、大まかに
形をととのえた後、ネジの回転溝はヤスリでいちいち仕上げたそうだから。
772人間七七四年:2008/10/08(水) 20:37:34 ID:SY3Gov73
>>770
まあ、狙って当たる射程50mってのは同意だからいいんだ。
でも、遠くからも撃ってるのは撃ってるようだ。威嚇程度だろうが。

13mってのがどうだろう?って話なだけ。
間近くおつつめたらば、左右へ分て、鑓の勝負を始むべしとあるから、
あんまり近くで撃つと槍を取る暇がないっていう事情もある。
773人間七七四年:2008/10/08(水) 20:53:46 ID:lualHdoh
鉄砲足軽が槍もって勝負ではなく、槍隊に道を明けるじゃ?
774人間七七四年:2008/10/08(水) 21:06:35 ID:EjhBBVNL
>>773
ごめん。読み間違えた。
775人間七七四年:2008/10/08(水) 21:34:55 ID:WxqACmyq
遠くからも確かに撃ってる。威嚇だろうね。

東大寺の金剛力士像に、火縄銃の弾が当たっていたことが、
分解修理のときに判明して、数年前、新聞記事になったことがある。

本体の木への鉛玉の突き刺さり具合と、穴の角度では、ななめ上方から当たっていることから、
数百メートル先から撃たれたと判明。

金剛力士像は大型とはいえ、威嚇用として寺院内に撃ち込んだのだろう。

13mってのは、何かの誤りだろう。近すぎるな。
776人間七七四年:2008/10/08(水) 21:45:02 ID:WxqACmyq
13m説は>>747から。
777人間七七四年:2008/10/08(水) 21:59:12 ID:XQ3UKTGB
鉄炮の条件や具足の条件で効果が変わるから今ひとつ不明ですが、
最低30メートル射撃でも充分に効果があると思います。


778人間七七四年:2008/10/10(金) 21:06:20 ID:KH4KTkRx
「弓道」でググってきた。

近的場
射位(射手)から的までの距離が28m、通常は直径が一尺二寸(36cm)の的を
置く。的場には矢が痛まないよう土が斜めに盛ってあり、これを安土(あづち)
という。中学校〜大学、公設道場から私設道場まで殆どの弓道場がこれで、
通常の稽古は近的道場で行う。

弓の「近的場」でさえ28mなのだから、鉄砲はそれよりも有効射程が長いだろうから、
30メートルということはないだろう。動く対象なら、30メートルでも当たらないかもしれないが。
779人間七七四年:2008/10/10(金) 23:10:20 ID:50368HPF
>>775
いちお13m以内(4、5歩)くらいで射撃→切り込みは、関ヶ原の島津軍がやってる(>>630
数十年後のことだけど、”敵の突撃の勢いを銃撃で止めて切り込む”戦況だから、
武田軍が守備体制の織田徳川軍に突撃した長篠と状況は似てるんじゃないかと。

ただ、兜首は武田軍突撃時よりも、その後の追撃戦(銃が使われにくい)であげられてるから、
有効射程(50m程度)の銃撃で突撃を撃ち挫だいた可能性も大きいとは思う。
ただこれは、武田軍の突撃がどうだか、で決まると思うし、そういうのは軍法の問題だと思うけど、
それを引き継いだはずの徳川軍には敵の柵から100m以上もの離れたところからバンザイ突撃した例がないので…

おいら的には、他の戦のようにススキや小山に隠れて柵に接近して、30mくらいから歓声を上げて突撃したんじゃないかなぁ、と勝手に思ってる。
これなら↑の、13mくらいで指揮官狙撃→傷ついた指揮官を担いで退却で、
守備側は一回くらいしか射撃の機会はないけど、一日に20発も使わずに種子島の威力は十分発揮されたと思う。


あと近代でいう”弱装弾”の問題もあって、種子島の威力が今の均一に生産されたガンパウダーほどなかったと思う。
ナポレオン戦争の時代でも、英仏両方で配給される火薬の質は一定でなかったし、
米墨戦争ではメキシコ側の火薬の質が悪くて射程がのびなかったし、
昔の黒色火薬の質はあまり当てにならないのよ。
当時の日本では補給品に硝石硫黄などがあるので、現地調合だとしたら質はもっとひどかったと思うな。

大阪の役では、小田切所左衛門の額に弾が当たったけど、すぐ取り出し、
「この鎧は信玄公のお手にあったもの」といった(常山紀談)なんて普通の鎧兜で銃弾防げた話もあるから、
実際にはかなり威力が低い射撃も多かった、と思えるし。
780人間七七四年:2008/10/10(金) 23:22:02 ID:KH4KTkRx
関ヶ原の島津軍は、退却しながらの戦闘で、引き付けて撃ったんだろう。

姉川の戦い直前で、浅井軍の追撃を、秀吉は鉄砲隊を順繰りに退却させて
殿をつとめている。
(一隊が射撃したら味方を追いこして退却し弾ごめして待ち、
前線の隊が帰ってきたら、また味方を追いこして、かわりばんこに繰り返す)

でも、こんな走りながらの退却戦は、へとへとに疲れそうだ。

長篠の千挺ずつ入れ代わりながらの3段撃ちは、
実際にやると疲れてしまって実現できないという説(実験結果?)があるそうだが、
退却戦で射撃しているのだから、実際にはできるんじゃねえの?
781人間七七四年:2008/10/11(土) 00:04:18 ID:4V5Rfh5p
三段撃ちというのはゴロのよい喩えではないかな?
とにかく間断なく撃っていたというのが真相だと思う。
ガダルカナルの一木支隊みたいに、想像を絶する連続攻撃で武田が兵力を
すり減らし、弱体化したところを柵からでて追撃したのではないか。
782人間七七四年
>>799
そういや最上義光の兜は銃撃うけてベコってなってたな。当然戦死しなかったし。
鎧はともかく兜はなかなか貫けるもんじゃない。
ただ、実際狙って兜にあてるより体に当てるほうがたやすいから
ケースとしては鎧の方が多いだろうね。

別に100メートル先からバンザイ突撃をしてたと主張するつもりはないさ。
ただ100メートル先から敵に狙われずに身を隠して行軍することができるのか?と思っただけだ。
鉄砲側も100メートル先の敵が近づいてくるのに指をくわえてみているのはありえない。
威力で言えば100メートル程度でも装甲が薄いところや生身なら十分殺傷能力を持つ。
一人の人間相手ならなかなか当たらないだろうが一応敵は大勢だ。命中率は多少ましになる。
(とは言っても低いだろうが)効果はあると思う。

あの重い鎧を着て重い槍をもつ。前に言ってた匍匐前進は無理だ。重すぎてまともに動けない。
今度は行軍が遅くなりすぎて何発も弾を撃たれる。控えめに言っても50メートルでも止まっている的の場合は
それなりの命中率を持つ。何発も撃たれれば当たる者も多いだろう。少し身をかがめるのが精々か。
遮蔽物があればそれを利用するのは当たり前かと思う。武田も利用できたのなら30メートルと言わず、
柵のすぐそこまで利用したかっただろう。だが、戦場の地形がそんなに身を隠すのに適していたのだろうか。
寡聞にしてきかない。陣地も小高い見晴らしのいいところに作るものだし。
竹束を盾にするとかならありかな。