暗殺毒殺大好きな直家
八丈島で長生き秀家
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 12:01:11 ID:Zz4WAIWt
イケメンだよね
二人とも
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 12:08:28 ID:44fbUhZF
宇喜多久家
┃
能家
┃
興家
┣━━┳━━┓
直家 春家 忠家
┃ ┣━━━┓
秀家 基家 坂崎直盛
┣━━┓
秀高 秀継
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 16:32:52 ID:2uOnfbpW
坂崎直盛の馬鹿がいなければ秀家は関ヶ原で家康本隊とガチンコできたはず
坂崎直盛は本当に宇喜多家の恥さらし
家康に「宇喜多の名前は嫌いなので改名しろと」言われ
「ハイわかりました」と宇喜多の名前を捨てた一族の裏切り者
宇喜多家が52万石の大名になれたのは秀吉のおかげ
その秀吉の恩に報いようと戦った秀家は漢
家康に逃げた奴らはとんでもない恩知らずどもである
宇喜多家が家康に従っていても、小早川、加藤、福島の惨状を
見るに間違いなく潰されていただろう
秀家はそれを読み、秀吉の恩に報いるのと同時に
宇喜多家を守るため立ち上がったのだ
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 18:22:47 ID:XrDqkzEf
明禅寺合戦を見れば分かるとおり、戦も強い。
暗殺してばかりじゃないんですよ。
>>5 あの合戦って、数値を信じるなら奇跡的な勝利やね
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 04:55:57 ID:zb2GuJkF
赤松がつき浦上がこねし備前餅
すわりしままに食うは宇喜多
>>7 一理あるが、赤松や浦上では毛利、織田に対抗できないでしょ
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 15:45:25 ID:qbmmhAek
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 17:39:11 ID:k31I6Q9+
食うか食われるかだから
いいんじゃないの
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 21:00:07 ID:eEoVUw2W
弟忠家は兄と話すときは、鎖帷子を着け冷汗が止まらなかった
能家
興家
直家三代における壮絶なドラマ大河化けってい!
直家の華麗なる履歴
1559年 中山信正(義父)を謀殺
その居城と領地を奪う
直家の妻である中山氏はこれを受けて自害
この時祖父の仇である島村貫阿弥も誘い出し謀殺する
1561年 龍ノ口城の最所元常(妹婿)を謀殺し城を奪う
1566年 備前侵攻を狙う三村家親を鉄砲で暗殺
1568年 松田氏有力重臣である宇垣与右衛門を謀殺
金川城を攻め、松田元輝を鉄砲で射殺、松田氏を滅ぼす
1570年 浦上家臣金光宗高を暗殺、岡山城を奪う
年代がわかっているのだけでもこれだけある。
他にも年代不詳なもので谷川久隆(姉婿)の毒殺とか
後藤勝基(娘婿)みたいに討ち死にか暗殺か怪しいものがイッパイ。
中山信正と最所元常が特に問題なんだろうけど、
理由はあったよね?、確か
自分で書くのもなんだけど
中山信正・・・浦上宗景より謀反の疑いがあるから誅せよとの命
だよね確か
血も涙もないといえばそれまでだけど
直家くんのその後の行動を鑑みると
主君から命令されたので、仕方なくやりましたってのは
素直に信じる事はできないよね。
しっかし、直家くんの暗殺成功率はすさまじいなぁ。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 23:49:19 ID:NO4iaNkV
宇喜多で検索すると一番最初に出てくる
ファンのサイト?には秀家のことが書いてないんだけどなぜ?
宇喜多のメインは秀家だろ
直家なんか地味で誰も知らないだろ
宇喜多を語るなら秀家を抜きじゃ語れまい
地味・・・・・・ねぇ・・・・
直家カッコイイじゃん
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 11:17:05 ID:hqSD1AeB
>>17 そりゃ失敗した暗殺なんてあまり表にでないからな
こういう考えはできないかな
合戦より互いの消耗が少ない、と
宇喜多の国力では合戦なんかしてたら小豪族で終わってしまう。
推薦図書
「海将」白石一郎
ただいま読んでます、海将
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 09:10:37 ID:Zf9vRKON
そうだね。被害を最小限に抑える戦を常に心がけてたんだし、
そういう意味では領民思いなのかもね。
暗殺って怖いな
自分も暗殺されてもなんも言えない立場なんだから…
鎖帷子をいつも肌身離さず身につけることだな。
詮家は?
直盛の父忠家は関ヶ原時は、没してるのかな?
関ヶ原の前年に隠居したのは知ってる<忠家
詮家と行動はともにしなかったのかな?=安心
それとも直前に没してたりして
隠居後は江戸に在住。
関が原の役から十余年は生きてる。
仕送りは主に息子・出羽から。
ということは、宇喜多家からは完全に身を引いていた、との理解でよろしいんですね
出羽とその甥の揉め事に巻き込まれて仲裁に骨をおってる
そうですか、ありがとうございます
能家がいいよな
主家浦上を盛り立てて
島村にやられちゃうけどね
能家は確かに活躍したけど、暗殺後直家は殆どゼロから、のし上がったんだよね
岡山県立博物館蔵の宇喜多能家画像は、重要文化財だそうで
賛文もありこれが貴重な史料だとか
残念ながら今は判読不能らしいが、
江戸期に編纂された、和気絹や備前軍記に全文が収録されて、
史料として現在に伝わっているようです
海将がなかなか読み終わらない・・・
やっと本能寺
宇喜多は三宅氏の後裔
この三宅氏って本当は吉備王族なのかな?
秀家が功名が辻出るそうだね。
てっきりでないと思ってたよ。
やるのがonちゃんの中の人ってのもびっくりだけどね。
漏れは好きだけどさ。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 22:12:08 ID:kjuyS6JO
直家は乱世の申し子みたいな人物で大好きだ。
こんな人物は(日本史では)戦国時代以外いないしね。
兒
>>5 >>10 どうかね?
数少ない、戦の事例から判断するのもどうかと思う。
少なくとも国力の低さもあって、戦はなるべく避けてたと思う。
そうね
政略+謀略で生き残ったと思うよ
能家暗殺でなにもないところから出発して、あそこまでのし上がったわけだから
しかし、能家→興家→直家→秀家と似てない親子が続いてるような。
秀家は豊臣家での生活の影響が大きかったのだと思うけども。
いずれにせよ、魅力的な逸材揃いではあるね(興家はよくわからんが)。
興家が非常に重要
この間、乙子城跡に行ってきたよ
とても小さな城だったけど、此処から直家はのし上がっていったのかと感慨した
天神山城跡は本当に山城で、登るの死ぬかと思った
今度は沼城跡行ってみよう
浮田とかの苗字は庶流って認識でおk?
もともと 浮田なんじゃないかな
佳字を用いて、宇喜多、
庶流が宇喜田とか浮田とか喜田とかじゃなかったかな
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 18:35:54 ID:XAOMSYbE
明禅寺合戦は西の桶狭間だよな
「西の桶狭間」って色々あるな。
明禅寺の他にも、有田中井手合戦(元就初陣戦)もそう言われているし
ところで宇喜多の子孫て今なにしてんの?
ソニーかどっかの開発者でいた気がするけど
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 16:54:54 ID:ov76MQ1C
>>42 三宅氏の後裔で児島高徳の家系とか名乗ってたみたいだな。
三宅氏は、百済からの渡来人が祖となったという話があるようだ。
吉備王族とは別ということになるでも古い家系ほど伝説とか脚色・
潤色が入っているから、実はよく分からないってとこだろう。
宇喜多は「宇喜多五郎右衛門入道寳昌」っていう人物の消息が最古らしい。
これを紹介していたサイトでは「宗家の父か」となっているが、どうなんだろうな。
宗家の出自は藤原氏とも言われていて、その場合の実父は「信宗」というらしい。
この考え方が正しいのなら、
@「宇喜多五郎右衛門入道寳昌」は在地の領主、宗家がその養子になった
もしくは
A信宗自身が下向して「宇喜多五郎右衛門入道寳昌」を名乗った
という二つが考えられるが、気になるな。
@なら、宇喜多は藤原氏と関係の深い一族として備前に根を張っていただろう
ことが想像出来る。でも「宇喜多」の姓は、古い記録に出てこないことから、
ちょうど戦国時代が始まる頃に創始されたのかも。Aも、ちょうど応仁の乱の時期で、
下級貴族が地方に下向したことがあるから、考えられることだと思う。
宇喜多と児島高徳とのつながり、三宅氏と宇喜多のつながりは不明だけど、
もし三宅連→児島高徳→宇喜多となると、
新羅国王子天日鉾命の後裔ということになり、件の百済からの渡来に話と矛盾するね
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 19:42:39 ID:FaYY5iSp
宇喜多さんの子孫は徳川を恨んでいるかな、、、、
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 21:33:18 ID:UiFozsVO
八丈島の宇喜多一族は維新の時に前田家の手引きで全ては東京に移ってきたんだけど、
その2/3は東京よりも、もはや故郷となってしまった八丈島に自ら帰っていってしまったという。
>>60 そりゃ、無理ありすぎ。なにを今さらだ。
62 :
60:2006/10/01(日) 22:28:26 ID:FaYY5iSp
>>61 いや、260年くらい島に幽閉されていたなら恨みも持ちそうな。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 03:09:43 ID:byDs4cBg
ユダヤ人や朝鮮人みたいだな。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 04:18:11 ID:2nCmKKNh
>>62 幽閉?
実際はほとんどの期間、島の名家として良い身分だったんだが。
そういう暮らししてたからこそ、大部の宇喜多一族が
自らの意思で島に帰っていったんだよ。
そもそも初代の宇喜多秀家からして、あまりの高貴な血筋や官位の高さに
島の役人がかしこまってしまったという逸話がある。
それに「秀家殿には不自由はさせない」と20人くらいの家来が
ついていったという話しもあるしね。
車もなにもない時代なら八丈島も結構広い。
島の端から端まで25kmはある。
総面積は65kuで東京の区二つ分くらいはある。
それに当時の人はそんなもんだ。
一生、狭い土地にへばりついて生涯を終える。
あの黄門様ですら実際は生涯、水戸と江戸くらいしか行ったことないそうだし
66 :
60:2006/10/02(月) 20:50:00 ID:8YhWt3b2
>>64 ふーん、、、不自由していなかったとは、初耳。
前田の援助があったとかそう言うのもあるのかな?
確かに傍系の浮田、喜田とか?はまた島に帰ったらしいですね。
>>65 広いんですか。イメージでは山が殆どの島、なんだけど、、、違うのか。
なんで徳川を〜と思ったのかと言ったら、島流し(本土から離れた)は屈辱じゃなかったのかなって。
毛利は山口へ、上杉は会津へ言ったけど、宇喜多さんは島だもんなあ。
いくら徒歩では広くても。
毛利だの上杉だのはその後250年の間徳川の下に置かれたが、宇喜多は
敗者にしろ「徳川に膝を屈した」という認識が本人たちにも周囲の評価にも
なかったから、恨みつらみみたいなものは薄かったんじゃなかろうか。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:09:06 ID:2nCmKKNh
まあ屈辱とか多少の不自由を感じたのは島の外の世界を知る秀家だけだったろう。
二代目以降は島が全てなので不自由とか狭苦しいという概念そのものが欠如してたと思う。
少し話しはズレるがヨーロッパで不義の子が小さい時から地下の牢屋に
入れられて育つと、その状況から善意の人によって開放された場合、
その人物は「広い場所や明るい場所に出すと落ち着きなく怯える」
「暗くて狭い場所を好む」といった現象が起きるという。
これは悲しい適応例なんだろうけど、
人間なんてそんなもんだ。自分の状況に適応しきってしまう。
八丈島しか知らぬ宇喜多一族もそんなもんだろ。
逆に言うと広大なアメリカの人とかから見れば
ひょっとして島国の日本人そのものが奇異に映るかもしれんな。
俺も本州から出た事がないし。
外の世界を知る秀家は、小さな世界に適応していく子や孫たちを見て
どんな心境だったんだろう
宇喜多の家臣達のその後はどうだろう?
花房家は八丈島に援助をしていたようだが。
>>69 先に息子の秀高が亡くなってるのが可哀想。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:05:26 ID:kIXPl7E2
でもねえ。
我々とて生活範囲なんてせいぜい数キロ四方で済んでるし、
車で10キロも走れば遠出したなあと感じるし。
異戦国史って小説で八丈島へ流された秀家かその息子が
助けにきた明石全登に島の生活は楽しく帰りたくない、みたいな事
言ってたな。実際仕事もストレスもなく、名士や殿様扱いで楽しく生活できる
なら俺も帰らんわ
前田家が捨扶持10万石で親藩として召抱えようとしていたのも
豊臣の世なら1万石でも仕えるが、徳川の世であるから受ける気は無い
といって受けなかったんだっけ?
ストレスが無く地元で名士扱いとはいえ流刑地だからな
前田家とかの仕送りでやっていけたと言った感じの
自給自足ではギリギリな思ってるほど楽な生活じゃなかったと思うぞ
親の直家ではなく爺さんの興家タイプの人間だったのかもしれないな
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 19:23:12 ID:N0X9Uc0A
傍系は浮田と喜田だっけ。
喜田、は、喜多じゃだめなのかな。
電話帳に喜多が多く載っていた。
ロッテの選手に喜多ってのがいたな。
八丈島観光協会が宇喜多秀家秘宝伝説とかいってキャンペーンやってるぞ。
島流しに遭った奴がどんなお宝を持っていけるのかと。
有名なエピソードではあるが、
代官の家で「家人にも分け与えたいから」と白米のおにぎりを貰って帰った後、
哀れに思った代官から米俵を貰った際、
お礼にといって家宝を贈ったと伝えられているくらいだから、
多少はお宝らしきものも持っていたのではないかな?
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 18:45:20 ID:QSE/xIg9
いや、でも宇喜田秀家=元中央政府重役+関白家の親族って認識だった
んだから、正直秀家の服とか佩刀ならそれが量産品だとしても貰った方、
残された方からすれば一級のお宝だろう。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 02:12:07 ID:i46I0nKM
age
宇喜多春家=忠家なのかね?
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 12:40:53 ID:HKEiHqmw
忠家の兄か弟ともはっきりしないし、同一人物説もある
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 13:55:06 ID:2GcTnhcq
>>74 直系子孫が浮田で、傍系が喜田じゃないか?
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 09:16:42 ID:YT4U07yX
直家タソが関ヶ原まで生きていればなぁ・・。
東軍は片っ端から謎の死の連発で勝てただろうに。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 09:18:52 ID:elrOHo14
そもそも直家が生きてたら絶対に東軍につくだろうからそんなことは
ありえないよ
毛利との因縁も有るしなあ
東軍勝利の暁には家康を毒殺w
直家が生きていたら関ヶ原の前に家康暗殺してるとおも
西軍東軍とかそんなレベルにまでいかないだろー
直家って結局、何人ぐらい暗殺してるんだ……?
そりゃ、弟でも鎖帷子が手放せないわw
直家が死ぬ時、「殉死は自由」と言い残してたが結局誰一人として後を追うものは居なかったらしい・・・
中山備中、島村貫阿弥、撮所元常、三村家親など
直家に依頼したいことがたくさんあります。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 01:53:31 ID:97cG/pL8
タオパイパイとだとどっちがギャラ高いんだろうか?
この人いいね。好きだよ。
宇喜多直家・北条早雲・毛利元就・松永久秀・尼子経久を一緒の部屋に閉じ込めた。
食糧は4人分だけ。
果たして勝者は?
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 07:21:36 ID:m2yBwoTD
>>94 それの直家抜きのやつをどっかで見たけど閉じ込めたやつを割り出すのが先決とかになってた気がする
でも個人的にはそんなカオスな空間は見るに耐え難い、怖すぎ
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 09:00:14 ID:Z8b+Ltnr
戯れもあるんだろうけど、みんな直家、過大評価しすぎ。
毛利と織田をはかりにかけて仮病を使って旗色のいい方に
加勢しようとしたが毛利が態度を疑って先制攻撃してきたので、
慌てて秀吉に救援を頼んで、以降は秀吉のいいなり、
遺言もとにかく秀吉に頼るように言い残したような直家が
家康を暗殺するだの関が原で西軍勝たすだのスーパーマン評価しすぎ。
まぁそうは言っても直家の内儀が直家死後に秀吉に姦られちゃったから秀家が目をかけられたわけで。
直家が長生きしてりゃ秀家が西軍につくなんてありえなかったんじゃないか?
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 12:19:07 ID:zc1Mvfib
直家が長生きして育てられたら秀家の性格も違うものになりそう。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 12:43:57 ID:AaL9BQ2h
内府は当然毒殺
お家騒動起こした奴らも毒殺
最後は秀頼と淀毒殺して自ら関白
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 13:09:49 ID:GVOQv3Xh
お家騒動が起きる前に毒殺でしょ。・
直家タソはイケメン、お福は暗殺大好き直家タソを虜にした絶世の美女。
秀家は現代の基準でいったら誰くらいイケメンだったんだろうか。
宇喜多直家 統率77 武勇71 知略99 政治93 合計340
ちなみに知略は黒田孝高、真田幸隆と同じ。
>>97 ネタで書いてるだけで別に過大評価してるわけじゃないと思うけどなー
実際に長生きしてれば暗殺できたなんて心の底から信じてるやつなんぞいないだろ
>>86 直家が生きてたらそもそも秀吉の天下になってたかどうか?
本能寺知ったら、そのネタ手土産に毛利につくかもしれんしな。
明石カモーン
直家が生きてたら秀吉はお福を側室にすることなど
出来なかっただろうし、秀家はどーなったんだろうかね。
もっとしっかりしたビジョンを持った子になっていたのか。
>>105 そんな秀家は嫌だ、と泳 げ よ 宇 喜 多 秀 家 スレ住民の俺は思った。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 18:19:13 ID:jiTbtsd2
確か死ぬときは秀吉に「ただ秀家のこと頼みもうす」というような
弱気な発言をしてたと思うが。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 18:42:23 ID:oiG5hhl6
だって直家タソが長年の苦労で一国取って死ぬ間際には
毛利・織田に挟まれてたんだからしかたがないよ。
幼い秀家を毛利に託さないで秀吉に託したんだから時勢もしっかり読めてる。
だけど奥さんとられちゃったのかはかわいそす(゜∀゜)
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 18:54:03 ID:jiTbtsd2
言われてみれはのちに秀家は関が原で破滅するが、
秀吉に頼んでなければ直家の死後すぐに織田と毛利の餌食になって
破滅していた可能性が高いね。
宇喜多は直家の権限が高すぎて直家がいなければ機能しない。
だから秀吉が後見するしかない。
皮肉にも秀吉死後の豊臣家にそっくりな状況だ。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 19:16:13 ID:oiG5hhl6
経久・直家・久秀のオムニバス形式のドラマがみたいな。
直家タソの知名度が急上昇するでしょうし。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 19:23:49 ID:oiG5hhl6
直家タソは浪人から一国をダッシュしたんだからすごいよな。
経久・早雲とは肩を並べられないけどすごい。
この一族が不細工揃いだったらいつ滅んでたのやら
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 20:52:18 ID:rJslfytm
直家タソが死んだらあぼーん。
泳げよ秀家・・・
115 :
秀家:2006/12/01(金) 01:23:55 ID:r+cimv7Q
泳げねーんだよ!
うせーよ豚!
116 :
直家:2006/12/01(金) 01:36:03 ID:NBeB+bfe
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ソハ、 、
;;`ヽ、;;/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ソ川ヽ!',
;;;;;;;;;',;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ソソ川川リ!
;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/彡彡ソソリr.ニヽ
;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ ヾ彡ソ川川 ム ', !
;;;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;: ‐'´ `ヾ、ソ川リ .ハ ノ
ヾ、;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;;;;:-'" _,、-;ァ‐ ヾ川′/ /
. ', `'''ー― '´ ,、r彡‐' _. ヾリ| ` ´!,ヽ‐‐-
ヽ、.,,,,__、 : -"‐''z'弋フ'´ ヾiト、ノi:| ヽ.:
ヾ'‐モラ'、 : |',リ | |:| |
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ヽヽ 、.ノ'"~ _,,,、...、,,_ / .// .l
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>>115 ほう・・・良い度胸だ
117 :
秀家:2006/12/01(金) 01:38:20 ID:r+cimv7Q
黙れ陰険!
八郎さん反抗期なのん?
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 11:53:48 ID:H7ln8UxA
直家タソは日本史上まれにみる英傑。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 12:14:52 ID:H7ln8UxA
直家タソは最高のお方。
元就くらい長生きしてれば本能寺の後に日本中の大名を暗殺。
>>103 本能寺知ったら、絶対秀吉につくってw
秀吉に取り入って、十分出世した挙句、毒殺。
岡山ではよくあること。
お福に寝床で秀吉を殺してこいとか言いそうなところが怖い
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 19:57:26 ID:iU3b8YqO
直家について詳しくないんだけど、直家は暗殺や毒殺を自分でやってたの?
もしかして、直家直属の特殊部隊みたいなのがあったの?
124 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/01(金) 21:01:02 ID:H7ln8UxA
ターゲットの顔をしっている鉄砲の名手に暗殺させたりしてる。
125 :
遠藤兄弟:2006/12/01(金) 23:54:21 ID:NBeB+bfe
目立つところで居眠りしてた家親者が悪い。
スチャ ●
∧、 ● ∧))∧
/⌒ヽ\ ∧))∧ (´<_`; ) なんというか・・・流石だな兄者。
|( ● )| i\( ´_ゝ`) / ⌒i
\_ノ ^i |ハ \ | |
|_|,-''iつl/ / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
[__|_|/〉 ._/ 地図 / .| .|____
[ニニ〉\/____/ (u ⊃
└―'
『備前軍記』では
中山備中…酒宴や狩猟を頻繁に行う仲になり近づき油断したところを直家が直接殺害。
島村貫阿弥…中山備中殺害時に主君との謀計により誘き寄せ少人数で沼城に入ったところを殺害。
禾最所元常…男色の気がある元常のもとに岡剛介を送り込み仕えさせて暗殺。
三村家親…
>>125の狙撃。日本初の狙撃による暗殺といわれる。
宇垣与右衛門…直家も参加した鹿狩りの時に鹿と間違われて何者かに討ち殺された。
伊賀久隆…直家が饗応した時に毒を盛る。
他にも
松田元輝…直家に内応した家臣伊賀久隆の鉄砲隊に撃たれ討死。
家臣殺害を理由に金光宗高を切腹させる。
浦上宗景の嫡子与次郎を城に招待し毒を盛る。
対浦上宗景のため擁立した浦上久松丸も、後に直家に毒殺されたともいわれる。
などなど
初期は自ら、その後は刺客を用い晩年は宴の席で毒殺の傾向?
直家が急に親しくしてきたら要注意だな。
プーチンは直家の生まれ変わり。
130 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:48:48 ID:iSEglOss
直家タソに殺されてあの世に行った人はきっと幸せだったに違いない。
ってか直家タソが早逝じゃなきゃマジで秀吉殺しただろうな。
きっと今の日本は暗殺が合法な世界。
こわ。
>>129祖父が殺されたあと
親父と家なき子になったんじゃなかったっけ?
ところで遠藤兄弟の名前って又次郎と喜三郎だけど○一郎とか○太郎って兄はいなかったのか?
毒殺ってどんな毒使ったんだ?
ポロニウム
こないだ辰口八幡宮って岡山にある神社に行ったんだが、その近所に
辰口城跡って遺跡があって、そこの城主が城を攻めあぐねた宇喜田に
暗殺された、と説明してあった。
なんか今まで歩いてきた紅葉の道が血塗られた道に見えた瞬間w
3万人くらい殺ってるし。
宇喜多って備前軍記だと毛利と同盟したり
それを破って尼子に付いたり書かれてるけど
実際どこまで本当か分かんないや
近年の研究によると、織田と結んで浦上から独立したが、
失敗して浦上から一度許されてるって話しもあるし
>>127 津本陽の「宇喜多秀家」なんかだと、その辺の暗殺の殆どが描かれてた気がする
個人的には三村家親の狙撃の首尾を聞いて、
「そうか、首がのうなったか」
って直家がご満悦のシーンで吹いた
津本のはタイトルは名ばかりで、秀吉登場以降は全く備前臭がしないな。
秀家なんか宇喜多騒動のとき「阿呆の殿」とか言われてたし。
主役の筈の秀家に全く魅力ない。
津本だから仕方ないのか。
>岡山ではよくあること
よくあるってw
そねーよーけはねー。
ちばけたことばー書いたら、おえんよ。
>>142 またかよ!って流してたので詳しくは覚えてないけど
この間県知事が暗殺されてなかったか?
145 :
八郎:2006/12/12(火) 00:37:05 ID:ofBb9hpe
皆様方、今に見ておれでございますよ
146 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 20:43:16 ID:XcKr/OXr
147 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 21:42:58 ID:aZCCnN8S
細菌の研究らしい
148 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 21:46:51 ID:XcKr/OXr
チミ、面白いね。
150 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 07:41:31 ID:beT05fex
信州上田では学校の校歌に真田昌幸を讃えた歌詞が含まれて
おり、また、ジャージに六問銭が縫い付けられております
ことから明らかなように、
転封されたにもかかわらず現代まで統治した土地で英雄視されています。
宇喜多直家タソも英雄視されてたりしますか?
151 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 07:52:02 ID:v9KfiT2v
英雄視はぜんぜんされとらんなあ。
まあマニア的人気かな。
>>130 さすがに秀吉、暗殺したら、
信長を暗殺した光秀と同じく直家も只では済まない。
153 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 09:47:28 ID:beT05fex
英雄視されてないのですか・・。残念です。
>>153 岡山城に「宇喜多氏時代の石垣」というのが展示されてるけど、それの前に
人がいるところをみたことがない。
岡山人の俺の友達に岡山城案内してもらったときも「宇喜田? だれそれ」
って扱いだった。
155 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 10:59:35 ID:iJdNV6S6
岡山築城400周年で認知度上げようと色々と活動してたけど
大して効果も無く普通の岡山人はまず知らん存在だわな
岡山の殿様=池田という認識が圧倒的に強い
宇喜多が好きな岡山人って・・・信ヤボから戦国に関心持ち始めた人ぐらい??
156 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 11:04:36 ID:Yaf1CiO9
宇喜多家の領地と言える期間はそれほど多くないな。
池田以前は秀家が幼いこともあり、
秀吉の領地という感じ。
英雄視はあまりされていないんだが
岡山城の近くに「中納言」という地名があるんだが秀家が由来なんだろうか
それと「岡山の歴史」っていうローカルな学習歴史漫画があって
宇喜多直家、宇喜多秀家は、一話単独で一生が漫画化されてる
ページ数的には「日本の歴史」とかの普通の学習歴史漫画の豊臣秀吉くらいの扱い
なんだか悲しいですね。
ゼロから一国を手に入れる実績をあげた人なんて
片手で数えるくらいしかいないのに。
暗殺の実績だってプーチンくらいあるのに・・・。
>暗殺の実績だってプーチンくらいあるのに・・・。
暗殺ばかりしてのし上がったから負のイメージが強く悪く言われるんだよ。
暗殺くらい多くの武将がやってることだが、
それは「暗殺もした」という事で
直家の場合は暗殺が95%くらい占めてて「暗殺ばかり」で国とった奴だから。
160 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 18:29:42 ID:7r/eeQ7F
>>158 >なんだか悲しいですね。
>ゼロから一国を手に入れる実績をあげた人なんて
つーか、その理屈がわからん。
「ゼロから一国を手に入れた」とかいう実績だけで
英雄扱いしたり評価したりしなくてはいけないんだったら、
それこそ、ヒトラーやスターリンも評価しなくてはいけなくなってしまう。
下手すると麻原ショーコーとか池田大作を評価しなくければならないかもしれん。
彼らとてゼロからあれだけの大王国を作ったんだしね。
結局、宇喜多直家という人物が卑劣な手段ばかり連発して
誰も殉死しないほど嫌われてたから評価されんのだろうね。
現代人がゲームや戦国史からの視点で見ると面白い陣不ア゛つなんだろうけど。
英雄視ってのが引っ掛かるならそれは誤りなので謝罪します。
僕はそんな個人崇拝を強制したorさせようとした
信長グループの人と比較しようとしたのではなく
戦国期の斎藤道三とか比べてるのです。
同じ一国取りで道三は全国的に有名なのに
直家は無名。地元ではどうなのか気になりました。
申し訳ないです。
政治家としてのヒトラーの功績がわかっていない厨房乙。
知ったかぶりの無能は乱世記でもやってろ屑。
評価しなくてはいけないとは一言も言ってないんだけどもね。
変な電波文を付けずに最初から下の三行だけ送ればいいのに・・・
あと、送信する前に日本語に誤りは無いかちゃんと確認してくれ。
真田昌幸を引き合いに出したのがそもそもの間違いでした。
もともと真田が好きで、『その時』で英雄視されているのを知った
感動の反動でもともと気になってた
同じ謀略家の直家についてカキコしてしまいました。
来年中学受験が終わったら、一人で
信濃・備前に行こうとwktkしてたのも原因のひとつです。
申し訳ありませんでした。
おかげで直家氏に対する地元民の考え方がわかりました。
ありがとうございました。
162 :名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/13(水) 20:17:22 ID:MUQidnKn
政治家としてのヒトラーの功績がわかっていない厨房乙。
知ったかぶりの無能は乱世記でもやってろ屑。
必ずこういった自分が知識あるみたいな内容を飛躍させた
書き込みあるけど痛すぎww
実際、ヒトラーは凄い奴だけどな。
ドアに鍵がいらないくらい治安もよかったというし。
なすりつけられた冤罪が有名すぎるからかな?
ユダヤ人撲滅大作戦!!
こんなのは歴史上でナチスドイツが一番規模がでかいだけで
ヨーロッパのいたるところで行われていた。
ホロコーストが有名だけど、ポグロムとかいう
ユダヤ人の虐殺だけのための専門用語もあるし。
アウトバーン建設などの公共事業で壊滅状態のドイツ経済を復興させた。
ベルサイユ条約を破棄してどんどん領土を拡大し
ドイツ人の誇りを回復した。
社会不安の原因であるユダヤ人を撲滅することで
平和な社会にしてくれるヒトラー\(^-^)/
頭がよいと言われるドイツ人をここまで統制した
ヒトラー恐るべし。
まぁ為政者ってのは常に善悪両面あるもんだ、でいいんじゃね?
良い事(他人の利益になる事)だけでも悪い事(他人の害になる事)
だけでもそんな上の地位にはつけないよ。
斉藤道三とて、司馬遼の名作「国取り物語」がなかったら今ほど
人気も評価もされてないと思うけど。美濃国人の大部分は義龍に
付く形で謀反起こされたわけだし。
結局は優秀な宣伝版があると人気出るんだよ。
>下手すると麻原ショーコーとか池田大作を評価しなくければならないかもしれん。
戦国時代だったら評価されて当然だろ。
戦国なんて、ヤのシマ争いでしかないんだし、
現実に本願寺は評価されてるし。
>>162 厨房のガイドライン通りですねwwwwwwwwww
反論できなくなったんなら素直に認めればいいのに。
屁理屈でも反論できなくった厨房は、自分の痛さをわざわざさらけ出して降参するから困るw
おっと
>>165だったか。
笑いで手が震えてタイプミスなんて始めてよw
スレ違い。
小説化もでかいけど、大河なんかでも
信長関連で道三ってよく出てくるからな。
子孫は浮田っていうのか・・・
宇喜多の方がいいなぁ。
浮田小学校ってのもあるな
裸祭会場の近くに浮田医院もあるな
180 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 07:47:10 ID:lg90jXzm
ちょっと思ったんだが、
直家は本当に実利だけで暗殺をしてたんだろうか?
こういうのってクセになるもんだし、
案外、直家は快楽のために暗殺ばかりしてたのかもね。
>>167 ユダヤ人虐殺王は赤軍。
>>180 意味の無い暗殺してたっけ?
快楽の追求なら、国取りの後もやるんじゃね?
このスレ、現地人少ない?
>>176 祖母宅の近所にある学校だw
生前の祖母は「うきた」じゃなくて、「うきだ」と濁って発音してたな。
183 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 23:25:27 ID:qF8XNn8N
一応岡山県人です。
宇喜多直家いいですねえ。サイコーです。
184 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 01:05:42 ID:Pqezy5Ls
岡山県民だが宇喜多より浦上、三村が好きな俺は少数派か
185 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 01:18:28 ID:EGRxUekl
いや、浦上・三村ほどでは無いにしても
宇喜多も大して人気無いから少数派に属してるし
大河ドラマ化でもして全国区で宇喜多がメジャーになって
初めて大半の岡山人は宇喜多に目を向けだすだろう
最近流行りの嫁が有名な奴じゃねーけーおえまー。
池田の閨閥出世のほうがまだ可能性があろう。
水戸黄門や暴れん坊将軍みたいな感じの毎週1話完結で
「殺りまくろう直家」
麻生太郎も見ている「直家13」
190 :
遠藤兄弟:2006/12/19(火) 01:56:09 ID:iYFpMTLt
戦国のゴルゴ13とは俺の事。
スチャ ●
∧、 ● ∧))∧
/⌒ヽ\ ∧))∧ (´<_` ) 信長の狙撃も兄者に依頼すれば大成功だったのにな。
|( ● )| i\( ´_ゝ`) / ⌒i
\_ノ ^i |ハ \ | |
|_|,-''iつl/ / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
[__|_|/〉 ._/ 地図 / .| .|____
[ニニ〉\/____/ (u ⊃
└―'
直家が長生きした場合ってどーなったんだろう?
まず、お福の方が秀吉にとられることはなかったでしょ?
旦那が死んで周りは敵だらけで
お福の方は仕方なく体まで捧げて
秀吉を頼ったと思うんだけど・・。
そーなると秀家が寵愛されることもなかった気がするのだけど。
192 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 17:52:08 ID:SFACBWZX
あげ
>>191 あっさり本能寺で秀吉裏切って光秀に通じるか、秀吉に恩を売って
黒田みたいに功業の臣扱いされるかのどっちか。
花房正幸
花房正成
花房職秀
岡家利−岡利勝
長船貞親−長船綱直
戸川秀安−戸川達安
明石景親−明石全登
馬場職家
創業時の家臣はほとんど外れがおらず、優秀な連中ばかり。
毛利家より人材の質では勝っていたような気がする。
経ている時間が違いすぎる
ので比較対象外。
明石は創業時の家臣に入るのか?
明石は浦上家臣だが宇喜多に従って合戦に出たりしてるね。
まあ正式に宇喜多家臣になったのは天神山合戦の時からだ罠
198 :
sage:2007/01/09(火) 19:44:11 ID:pHJJq7kd
明石氏は慶長5年頃まで客分扱いですが、何か?。
客分扱いだろうが家臣には変わりはないし
備中高松城攻めとか参加してる
201 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 00:12:38 ID:OvdFee1H
浦上時代からの所領
客分になる前にも明禅寺合戦の他各地で直家に加勢したらしい。
明石一族の居城のあった?磐梨・和気郡南部の吉井川沿いは沼城にも割と近いし、同じ浦上家臣のなかでも直家と仲が良い方だったのかな。
赤松→浦上→宇喜多と同僚の重臣の地位になるのが好きな一族だ。
豪姫付きで前田家から来た家臣って誰だっけ?
御家騒動の遠因にもなったと聞くが。
204 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 09:28:00 ID:ajP2nArc
中村次郎兵衛尉。
彼の革新的な政策に保守派の重臣は不満をもったんだす
207 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 23:20:37 ID:rIZmXHvL
戸川達安・花房正成・岡利季・直盛(詮家派&日蓮宗&裏切り者)vs長船綱直・中村次郎兵衛・明石全登(秀家派&キリシタン&忠義者)
208 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 06:24:14 ID:9k2tGsTT
>206
播磨。豪姫の輿入れにあたって地域事情に明るい
人物を前田氏側で雇用したっぽい。出自は
どうも赤松氏の有力家臣中村氏みたいだね。
209 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 18:53:54 ID:cjpK3C3s
>>208 前田家の直参でもないから、完全に能力本位&豪姫の威光による専横だったのかな?
210 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 23:04:12 ID:PdkX04Id
211 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 13:56:28 ID:lQsCv9yv
岡山はよそ者にはちょっと厳しい土地柄だからね。
212 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 21:01:13 ID:hgXwk/3x
京都のようなものか
213 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 21:09:01 ID:70zxIF5g
そんな崇高なものではないかとw
214 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 23:24:41 ID:qsomAM1H
別に京都も崇高じゃないが、
岡山の人は黍団子あげると仲良しになってくれる。
215 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 22:39:32 ID:O9ntWpwm
中村次郎兵衛尉は岡山弁が話せなかったのが疎まれた一因かもな。
今だと他県出身者でも岡山弁を話せれば、割と仲間に扱ってくれるが。
216 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:12:13 ID:SnTgF4FU
>>215 俺は気持ち悪いから標準語で話せと言われた。
217 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 17:01:12 ID:2am9gGbU
イントネーションは標準語に近いからな、岡山は。
218 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 09:16:43 ID:05ReYQnN
信長の野望覇王伝プレイ記録
浦上宗景でスタートし、直たんを軍師に任命しつつ、娘を与えて親戚に。
三村氏らを滅ぼして地盤を固めると、四国討伐のため家督譲渡し直たんを当主に。宗景は尼子・毛利対策でお留守番。
四国を統一したところで赤松氏が従属。一気に畿内に踏み込む。
畠山・三好・鈴木を滅ぼすが、六角氏が足利義輝を奉じて抵抗。
落ち着いて北畠氏を従属させつつ義輝を拭殺し、勢いに乗って伊賀・近江を平定。
斉藤・朝倉が手強いので東進をあきらめ、一色・波多野・山名の順に滅ぼして地元に戻る(かなり苦労)。
尼子を討った時点で大内義隆は健在、毛利を属国にして対抗してくる。
219 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 09:34:29 ID:05ReYQnN
山陰で大内の支城を撃破している最中、土佐で長宗我部元親が士官したため、即時に姫を 与えて一門衆に加える。
大内本家を北九州に追いやって義隆を討ち取るかたわら、元親の別動隊で毛利氏を滅ぼす。隆元・隆景兄弟や陶晴賢を捕らえ、感状などを与えて家臣団に組み入れる。
元親と合流して立花氏を破った時点で、大友氏、ついで日向の伊東氏まで従属。龍造寺は反抗したので、隆信を討ち取ってから降伏させる。
あとは順に相良、島津と滅ぼし、肝付氏を破って従属させたところで、大友宗隣が日向に侵攻。
諸戦で勝利したあと翻意を促すが、首肯しないので武力討伐し九州も平定。
220 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 09:47:32 ID:05ReYQnN
ここまでの戦果で、鍋島直茂や、島津義久・義弘などの名軍師陣が配下に。六角義賢、赤井直正、荒木氏綱、尼子国久・誠久、江里口信常などの猛将らには、活躍に報いて下一字に「直」を名乗らせるなど、人身掌握と家臣団形成に心を砕く。
現在、日本の半分が宇喜多領で、中部・北陸以東はまだ抜け出す勢力もなく、統一は容易であると思われる。
221 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 13:12:46 ID:VtFWGy3F
赤井直正にも「直」の一字を与えたってことは
もしや直直になったのか?
222 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 16:02:36 ID:05ReYQnN
直正に一字与えた時は変わらないままだった。しかし本人は喜んでたし勲功も消費されてた。偶然持ってた同じ一字を追認して名誉を与えたといったところか。
あと島津義弘に一字与えて義直になった時は、義久じゃないのを顔で確認するしかなかった。
直家たんは、厨房時代に必死にやってた風雲録の時は軍師まで行かない能力値だったのだが、今回は評価が上がって良かった。
覇王伝の一字拝領は大名の名の頭の一字が配下の名の下に来るから萎えるよな
諱の下の文字への一字拝領は古くは宗尊親王→北条時宗や
足利義満→足利氏満などの例にあるように
鎌倉後期〜室町前期までは普通にあったが、足利義満の晩年、公家衆に乱発しまくって以降は
偏諱として与える字をほとんど諱の頭に持ってきている。ちなみに戦国後期になると大名の通字を与えて
より強い擬似血縁関係を表す方法も見られるようになるな。
224 :
仙台藩百姓:2007/02/26(月) 17:23:46 ID:bfGRKqt9
ゲームかよっ
そんな事実があったのかと感心してしまったではないか
226 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 10:34:44 ID:hw8stCjF
>>223 同感だな
例えば細川晴元が、もともと細川元義だとちょっと
227 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 20:28:37 ID:BPXv4s+H
宇喜多氏を学ぶのに、最良の本って何でしょ?
amazonとかで購入できる程度で結構ですので。
228 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 21:04:56 ID:m8tqoWYW
『備前軍記』って奴が入門編として良さそうなんで、買おうかと思ってる。
史料価値はそれほど高くは無いらしいが、他にあてが無いんで何かいいのがあったら教えてよ。
229 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 10:16:46 ID:3M2YgcDU
備前軍記でいいと思う。
まあ「戦国宇喜多一族」って本はどの書籍よりも宇喜多氏について詳しく
書かれてると思うが、絶版中で入手するのは超困難。
岡山に住んでるなら図書館に行けばもしかしたらあるかも。
230 :
長門 ◆q8GdomS4XA :2007/04/23(月) 14:04:32 ID:ZxBeNZEg
関ヶ原での宇喜多明石隊てかなり強いな!
西軍1、2の活躍じゃないか?もう少しで福島打ち取れたのに。
関ヶ原からの逃亡のエピソードを見ても秀家ってかなり
大名としての風格ってものがあったんだろうね
231 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 18:53:02 ID:CVktDL4f
>>230 御家騒動で離脱した連中が残ってれば、もっと強かったはず。
232 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 22:13:19 ID:4pcYeOdD
一番強かったのは桁違いの数を相手にし続けた石田隊できまりだと思うが
233 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 00:38:43 ID:VumqemXe
中国地方は毛利、尼子、三村、浦上、宇喜多が絡みに絡んでおもしろいね
234 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 01:16:03 ID:nK0Ql5W6
慶長3年頃の知行1万石以上の家臣7名の内前年の騒動で4名が抜け、重臣長船綱直は病死。
関ヶ原に参加できたのは関ヶ原で討死した宇喜多源三兵衛、綱直の跡を継いだばかりの長船定行、慶長3年頃にはまだ与力が少なかった明石全登だけ。
総大将経験の豊富な宇喜多忠家ももし騒動で隠居せず参戦してたら老将のイメージで有名になれていたかもしれない。戦歴はなかなか凄いのに影が薄すぎ。
>>233 宇喜多関係では山陽山陰の戦国前期の大大名、赤松と山名もお忘れなく。
235 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 03:52:22 ID:yWfSf89/
>>234 客分の本多政重は大したことなかったの?
236 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 18:57:57 ID:fNUxxRu5
古参の家臣が残っていれば福島の小勢なんて一瞬で木っ端微塵だったかもな
宗教は恐ろしい
237 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 00:17:34 ID:MDlu0vg1
でも、相手は福島隊だけじゃないでしょ。
譜代家臣が居ようが結局は関ヶ原で負けて滅んでたと思う
238 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 09:54:15 ID:CBsMCIT0
備前侍って強かったの?
江戸時代には、すぐ畏まって文弱だと言われたそうだが。
>>236 朝鮮での損耗も結構痛かった。
239 :
人間七七四年:2007/05/13(日) 02:16:50 ID:NppBx2pi
>>237 天下に名が轟いている福島隊、それも東軍の先鋒を蹴散らせば、東軍は瓦解するだろうね
おまけに布陣図を見てもわかるように、小西や小谷を真横から援護する形になるし
不戦状態の毛利組を動かすこともできただろうね
240 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 12:48:07 ID:WkLexmqM
宇喜多は普通に強くて福島が雑魚と見るのが正解じゃないか?
そもそも福島が猛将なんてソースがないじゃん?
なのになぜか福島=猛将ってイメージになってない?
いい例だが関ヶ原で真っ先に石田を討つって叫んだ知略の部分を猛将とみるのはおかしい
関ヶ原ではまず福島正則は近臣・旗本までもが前線にでなくてはならないまで宇喜多に苦戦して4〜6度退き壊滅寸前
藤堂が援軍にきて討ち死にだけは避けるもそれでも大苦戦
しかし予想外に小西隊が弱く開戦から小西急に押し込まれ後退
小西を破った寺沢(?)等が宇喜多に横から攻撃を仕掛ける
それにより敗走しかけの藤堂・福島などを追撃殲滅するのが難しくなり戦線が膠着してしまう。
お家騒動さえなければ各方面の部隊がよりよい判断を下して
藤堂、福島を破り西軍に勢いをつける原動力になるのは想像に難しくないだろう。
宇喜多の戦力は対家康要とも考えられてたこともあるから右翼を突破して家康との対決も考えられるか
242 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 15:41:04 ID:/brK9xQG
俺は宇喜多も三村も浦上も松田も最所も中山も伊賀も後藤も荘も好きだ
ちなみに岡山(備中)在住、近所の図書館には宇喜多関連の本が山のように
ある。「備前軍記」「戦国宇喜多一族」あと「悲運の将」三村家親、
「龍口の美少年」とか。
243 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 17:29:57 ID:2ChHdb3j
羨ましくなんかないんだからね!
絶版してるやつ読みたいよ
244 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 21:42:23 ID:2chH1Gin
新しくなった県立図書館は大変重宝してる。帰岡の度に行ってるけど幾らでも暇がつぶせそう。
宇喜多関係はもちろん立石氏とか日笠氏のようなマイナーどころの本まであったりするし。
図書館が最新式で全国有数の規模なのはうれしいね。
245 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 20:14:10 ID:AXQ/16We
県立の司書さん、格好で態度違い過ぎよー?
スーツで行くとぼっけー好待遇。私服じゃったら…
あと、冷房がよー効いとらんけーあちー。
246 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 20:18:13 ID:sGU3bntj
901 名前:お前名無しだろ[] 投稿日:2007/05/18(金) 19:53:57 ID:MWrIBt9yO
最近の研究では、家康にシュート仕掛けたのは三成ではなく宇喜多秀家で、三成は巻き添えくった的な見解もあるようですね。
徳川プロレスと上杉プロレスの団体対抗戦も、三成直々に、徳川方で参戦したいって言ったらしいしね。
そうだとしたら三成は悲惨だなあ・
247 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 22:38:55 ID:YEFGbesf
秀家ならばさもあるべし
248 :
人間七七四年:2007/05/21(月) 07:22:35 ID:LrUETH0S
249 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 11:15:49 ID:OvIxR1cw
誰かなんか書けよ。
250 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 14:01:21 ID:xAXrSJZA
まあ、殺しが好きなのは岡山だからしょうがない。
津山三十人殺しも岡山だし。
251 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 14:05:51 ID:Rq9k5yB+
むしろ直家は戦国武将としては殺してない方なんだが
252 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 14:12:26 ID:/CkXTGV0
岡山県では人を罵倒する「あんごぅが」という言葉があります
あんごぅがの起源は韓国の「アイゴー」から来ていると言われています。
253 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 15:31:03 ID:JMwfdBVy
>帰岡
変な日本語作んなよwwwww
254 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 06:38:49 ID:M0zRQJpU
255 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 10:20:35 ID:RgkT+yiP
直家には確かに暗殺スキルがある。
しかし、秀家には泳ぐスキルがあるから戦国時代も大丈夫。
256 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 16:24:35 ID:c3XHc8Z9
燃えろ岡山とか晴れの国おかやまなんて言う前に、
人間教育をするべき。
余りにも酷い人間が多すぎる。
自分さえよければいいのか…
257 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 16:29:29 ID:M0zRQJpU
うん。いいのだ。それが岡山人。
258 :
256:2007/05/27(日) 22:56:45 ID:seTIc0qw
東京よりはましだろ。
俺は岡山人だが、確かに直家は謀略が過ぎる。
一種の快楽的殺人主義者ではなかっただろうか。
259 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 00:22:25 ID:WippmjNB
味方の損害を押さえる為に相手の頭を潰すのは有効な手段だろうよ。
特に直家は始まりが始まりだからな。
260 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 02:12:22 ID:7Srf+ZuD
直家の謀略は手間と時間のかけかたが尋常ではないね。
数年後に謀殺する事を念頭にお友達になったりするし。
こういうパターンでたくさん殺されてるけど
俺だけは大丈夫。直家くんは裏切らないって
思わせる何かが直家にはあったんだろうなぁ。
こわすぎるぜ。
261 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 07:32:58 ID:OM3op9Fs
合計何人やったんだ?
262 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 07:39:17 ID:rLCE18jY
岡山と愛知は人間性で共通するところが多い(利己的、閉鎖的、裏表が激しい)と
言われているけど、凶悪犯罪という点とまで共通してしまうのは悲しい。
263 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 11:30:49 ID:bNL+glOm
我等、埼玉県立Kレボリューション
サイスタ・環状仕切ってるんで夜露死苦!
(ラーメン好きも歓迎)
18〜28くらいまでの走り屋募集。
番長は麒麟(HN)、夜露死苦
パンダとかパトカーとかぶっちぎりで
GTRとかマーク2とかシルビアとかスカイラインとかFDとかMRSとかアルテッツアとか歓迎
264 :
262:2007/05/28(月) 16:03:47 ID:9FPpW0rX
愛知よりははるかにマシ。
名古屋アベック殺人事件(コンクリートより前に起きたすさまじい少年犯罪)
妊婦腹裂き事件(時効になったよな)
その他かなり
特に西区とか中区とかは昔から異常犯罪が多い。
それに比べれば岡山なんてかなり平和だ
俺は田舎だが鍵なんてみんな開けてる。
愛知と一緒にするな。八墓村と宇喜多直家のイメージがあるのかも知れんが
凶悪犯罪の数は宮崎以上愛知未満。ただ裏表が激しいというのは認める。
利己的、閉鎖的はそんなない。
俺は田舎に住んでるが、田舎のほうが都心部より県民性がでるだろ。
だから俺のイメージだと岡山人は理屈っぽいところがある。
それぐらいだ。俺も岡山人だがw
265 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 16:40:31 ID:l85Cfsxi
>>252 志摩でも「あんご」と言うけど伊勢では言わない
なんでだろ?
266 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 23:05:16 ID:1z8M6zDz
>>262 それ山陰の特徴…。岡山県民は「えーえー」ゆーて
持ってけえ→利他的
ちょーけえ→開放的
ゆーとけえ→裏表なし
267 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 00:50:20 ID:w2roR2cw
どげんしたんなら! また岡山じゃ! おーじょうするが!!
____
|\ ,. ‐''":::::::::::::;::::`'-、
|ヘ| /::::::::::::::;;:::::/ ヽ:::::::::ヽ
|ヘ| /:::::::::::::/// `、::r、:::゛,
(∃⊂ ,'::::::::::::i゛ \ /`' i::::i こねーにえれー県はねえでー!
\ \ !::::::::::::| ┃ ┃ l::::| / ) でーれーめにおーたでー!
゛/ \!::::::::::::! ,.._ !:::!/\/ ぼっこう おこったどー!
ヽ/ \::::::::! ! ``''7 !::| \/ 岡山はきょうてー とこじゃなー!!
ヽ |::::::| l, / ノ::i / おめー、新聞みーみー
`、 i:::::l、ヽ.,_ `''''" _,..イ:::::i/ つるの玉子本舗のきびだんご くうなー!
゛、 ヽ;i \ヽ,.二l ̄_,l |::://
゛、 ヽ`、 | / レ'/
268 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 13:56:15 ID:3a+FzHvE
謀将宇喜多直家
妻の父中山信正を暗殺
祖父の仇島村盛実をだまし討ち
最所元常が男色を好むことを聞き、岡清三郎を
送り込み、小姓にして気を許させてから暗殺
娘の夫金光宗高に難癖をつけ切腹させ岡山城を奪う
269 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 14:07:28 ID:3a+FzHvE
謀将宇喜多直家
松田氏重臣宇垣兄弟を狩りの獲物と間違ったと
言い訳し、鉄砲で暗殺
三村家親を鉄砲で暗殺
娘の夫松田元賢を伊賀久隆を寝返らさせ滅ぼす
娘の夫伊賀久隆を、毛利氏と内通していると
言いがかりをつけ岡山城で毒殺
娘の夫後藤勝元を、毛利氏に内通していると
言いがかりをつけ 暗殺
この伊賀久隆と後藤勝元は元松田氏で、松田氏討伐の
とき多大な貢献をしたが、もういらぬとばかりに暗殺した。
270 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 14:16:55 ID:3a+FzHvE
謀将宇喜多直家
ついには主君浦上宗景の子で娘の夫でもある宗次を
岡山城で毒殺
さらには浦上宗景の兄政宗の孫久松丸を擁立し
天神山城の浦上宗景を追放し、ついに浦上家を乗っ取る
宗景追放に利用した久松丸をもういらぬとばかりに
その母ともに岡山城で毒殺
病気と称し漁夫の利を得んとすること3回
妹の夫や娘の夫を次々に滅ぼしているが、
妹や娘は直家を恨みに思い、皆自害した。
271 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 15:17:30 ID:SW25QBe5
昔々のことじゃ。
岡山は貝尾の村に都井睦夫という引きこもり男がおってな、毎晩毎晩村のおなご衆に夜這いを仕掛けては、
村の衆の顰蹙を買っていたそうな。
睦夫はお婆ヤンに溺愛されて村に閉じ込められ、何の楽しみも無いうちに夜這いに走っておったんじゃが
肺病もちがばれてからというものは一層村の嫌われ者、八分扱いじゃ。
そんな睦夫はついに気がふれてな、昭和十三年五月終わりのある晩に、光る角2本生やした鬼に変身してしもうた。
そして「こらえてつかあさい!」と言いながらお婆ヤンの首を刎ね飛ばして家を飛び出し、
あとは「こらえてつかあさい!」と泣き叫ぶ村の衆を次々と斬り殺し撃ち殺して行ったそうな。
夜が明ける頃には村は血の海、死体の山だったと言うことじゃ。怖いのう・・・
|| ::::::::::::::::::::::::::::::
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∧_∧ || ∧ ∧ :::::::::::
( ´Д`) i (・д・) ∧∧::::::::::
/::: Y i ,-C- 、( y (゚Д゚ ) ::::::::
/:::: > | /____ヽ (___、|_y∩∩ ::::
|::::: " ゝ ヽ__ノ (__(Д` ) ::
\:::::__ )// // っ⊂L∧ ∧
∧ ∧ ( ;;;;;;)
こんな昔話は子供の教育に悪いのお・・・きょうてえのぉ・・・
こらえてつかあさい
272 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 15:19:05 ID:SW25QBe5
273 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 16:14:44 ID:3a+FzHvE
その話やめろ
現場が俺の家の近所なんだ
274 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 14:18:04 ID:hs2kCS8O
275 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 14:22:59 ID:hs2kCS8O
ちなみに、「あんごう」はアンコウ=山椒魚からきているとか。
cf全国あほバカ分布考
あと、岡山と京都を比較するレスがあったけど、この2つは裁判官が赴任
したくない土地ワースト2と言われている。
どちらも、非常に和解が成立しづらいかららしい。
276 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 20:45:45 ID:N9MeMwJt
池田動物園はショボイです。
277 :
276:2007/05/31(木) 20:50:00 ID:KHi9RF1L
お前に言われんでも分かっとるわッ
278 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 13:12:56 ID:0CyY6gj5
>>274 富山も、なんちゃらせられえ言うんじゃって。
京都からの距離が同じぐれーじゃけーかな?
279 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 14:22:17 ID:C+RZk3yy
280 :
宇喜多直家信者:2007/06/10(日) 00:50:33 ID:nmPnQpqi
宇喜多四郎についても語るか、
あと興家スレが立ってるぞ
281 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 01:44:34 ID:GkIGCtjR
>>245 そうだよ!カッコつけた箱ばっかりつくりやがって。あそこらへんはお巡りウロウロしてるし、
2度と行くか。市立図書館で十分だ。
282 :
遠藤兄弟:2007/06/10(日) 03:57:40 ID:enJairP2
鉄砲の扱いが上手いお陰で知行1000万石ゲット!
スチャ ●
∧、 ● ∧))∧
/⌒ヽ\ ∧))∧ (´<_` ) 上手く仕事をこなせばかなり気前のいい殿だよな、直家公。
|( ● )| i\( ´_ゝ`) / ⌒i 失敗してたらどうなってたは知らんが。
\_ノ ^i |ハ \ | |
|_|,-''iつl/ / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
[__|_|/〉 ._/ 地図 / .| .|____
[ニニ〉\/____/ (u ⊃
└―'
283 :
遠藤兄弟:2007/06/10(日) 04:06:53 ID:enJairP2
つまらんタイプミスをした・・・
●
● ∧))∧
( ) ∧))∧ (´<_` ) 1000万石とは徳川など目じゃないな兄者。
( ) ( ;´_ゝ`)/ ⌒i
┗―∩‐ \ | |
| ./ // ̄ ̄ ̄ ̄/ |
___ゝ_/./ 地図 / .| .|___
\/____/ (u ⊃
.::;;;:..
┗━┛
284 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 18:53:50 ID:iaPZJpt/
「河内守様、大殿の御掛声に御座ります。」
「御独りで御登城下さるやうにとの由御伝へに参りました。」
285 :
遠藤兄弟:2007/06/11(月) 02:15:55 ID:SarQM5jE
>>284 一人で来いとは・・・まさかアッー!
●
● ∧))∧
( ) ∧))∧ (´<_` ) ・・・それはない
( ) ( *´_ゝ`)/ ⌒i とりあえず飲み物には口を付けないことをおすすめするぞ兄者。
┗―∩‐ \ | |
| ./ // ̄ ̄ ̄ ̄/ |
___ゝ_/./ 地図 / .| .|___
\/____/ (u ⊃
.::;;;:..
┗━┛
286 :
宇喜多直家信者:2007/06/12(火) 05:21:12 ID:ZAisVUtu
宇喜多直家が神であることは間違いない、
明善寺合戦以外戦らしい戦はしとらんが岡山統一
287 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 10:29:07 ID:j5yZcOpY
ぜひ「風林火山」の制作陣で宇喜多主役の大河をやって欲しいものだ
お隣の「毛利元就」がショボすぎたから
こっちは正面から戦国乱世に渦巻く非情な謀略劇を描いて欲しいなと
288 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 14:38:48 ID:4kffrj/q
宇喜多主役だと明善寺以降がグダグダだろ
289 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 14:59:32 ID:ZAisVUtu
角南隼人入道の話題が出てこんのはなぜだ
290 :
宇喜多直家信者:2007/06/12(火) 15:02:09 ID:ZAisVUtu
角南隼人入道は宇喜多の使者として活躍した
毛利の安国寺、長宗我部の比叡
291 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 15:08:25 ID:4kffrj/q
普請奉行としてしか知らないな
どんな人なの?
292 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 20:05:56 ID:6QVx+zTR
美作太平記によると、
角南如慶入道は蓮華寺(角南の地名のある旧作東町の蓮花寺?)の住職で、
三星落城後、後藤旧臣難波利介が親族や後藤久基他五百余人で居城明見山に立て籠もったときに和談を整え降参させた。
同時期に弟の角南角右(左?)衛門が後藤旧臣安東一族の比丘尼城攻めの宇喜多勢千余人の将のひとりとして三百人を率い、
加えて降参した難波氏の加勢もあり、攻め落として角南角右衛門が安東入道の首をあげた。
その後安東の旧領(旧美作町東部)の押さえとして角南角右衛門が大畑城に置かれていたが、その所業が宜しくなく兄の如慶入道が代わって仁政を行っていた。
後に播磨にいた安東氏の親族が家を再興して角南氏は河合(旧英田町)に移った、
という感じらしい。兄弟のどっちかが角南隼人入道と思われる。
ちなみに後の福山藩主水野勝成が浪人時代にこの安東氏の婿養子となったが、養父国貞を斬って出奔したらしい。
備前軍記では永禄十年の宇喜多直家の備中攻略に角南隼人が加わっている。
その後は外交能力を評価されたらしく毛利氏や織田氏への使者になったりしているらしい。
秀家の頃は本丸御番。戸川達安の妹婿。
関ヶ原の時は宇喜多忠家と共に大阪にいて参戦せず。
293 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 22:35:49 ID:NzmEFZVo
>>287 直家ってただの梟雄とは違う何かがあるから
演じられる役者がいるかどうかが問題だなー。
294 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 13:28:51 ID:5U5AyCxk
秀家は偉いよ、家をつぶしたけど義の漢だよ
もっと評価されてもいいと思うんだがねえ
三成ばっかり評価されて納得遺憾わい
295 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 15:56:54 ID:j4P31xNU
秀家の評価悪くないっしょ
秀家は評価されてる方じゃないか?
297 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 23:06:29 ID:s8nDzfme
親父のスレが伸びている事に驚いてる。(内容は野球関連になってるが・・)
298 :
人間七七四年:2007/06/16(土) 01:57:50 ID:yL7SFrKM
興家の単独スレいらないだろ
299 :
宇喜多直家信者:2007/06/25(月) 03:30:02 ID:HFV8834+
家臣団番付
宇喜多忠家 横綱 宇喜多春家
岡家利 大関 戸川秀安
長船貞親 関脇 馬場職家
花房職之 小結 河本光利
角南如慶 前頭 江原親次
岡元重 前頭 国富貞次…
あーもう分からん、やはり粒揃いだな、
300 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 20:20:07 ID:Zc2vUGmJ
301 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 21:23:48 ID:Lhm4SrBX
>>299 明石が入ってないのは、客分だから?
あと、花房正幸とか。
302 :
宇喜多直家信者:2007/06/25(月) 21:57:23 ID:HFV8834+
>>300 また言うが、じゃあ何か書いてくれよ、
>>301 明石は元浦上家臣なので外した、花房正幸はすまぬ、忘れてた、
苦労してた頃からの家臣だというのに…
303 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 22:04:54 ID:YVGU5cdw
宇喜多直家信者サン、忘れる事は誰だってあるさ。気にせんでええ。
304 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 22:39:16 ID:1cWf7aOI
>>299 江原氏も宇喜多・明石と同様に浦上宗景(または尼子)に属する豪族でない?直家の娘を貰ってからは浮田と名乗ったりするほど近づいてるけど。
305 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 22:26:43 ID:01zCqDso
このスレの住人だと詳しそう
岡氏について質問です。
信長の野望や一般的な通説では、
岡利勝(親)→岡家利(子)となっていますが
wikiでは逆に岡家利(親)→岡利勝(子)となっています。
備前軍記や地侍帖などを読むと
岡平内、岡豊前守、岡越前守の項目を見つけることはできますが
利勝、家利の関係を見ることができません。
何か良い資料はありますか?
306 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 08:26:40 ID:Bx9Ox+fU
>>294-296 秀家の評価?
異常なほどに浪費癖があり京都や大阪で毎日、遊興三昧。
それで家が傾いたために豪姫と共にやってきた中村半次郎を
重用し無理な検地を強要させまくるが、うまく行かず、譜代の家臣の離反を招く。
お家騒動を自分で治められずに家康につけこまれて家臣を多量に奪われる。
戦場においても朝鮮の役では宇喜多の譜代家臣、関が原では明石にまかせっきり。
豊臣に義理立てした以外は内政、統率、外征、軍事全てにおいていいところがないんだが。
307 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 08:36:46 ID:Bx9Ox+fU
あと、秀家に限った事ではないが、
西軍とか豊臣に組する人物に好意的に評価するのも一面的な考えだろう。
家が潰れれば一族郎党や家臣領民や腰元など多くの人間が死傷し、あるいは路頭に迷う。
個人的には斜陽の豊臣に心があったとしても、勝ち馬の徳川についたほうが
自分の配下の生命と生活を守り、将来を繁栄させるわけで、
それが多数の人間を預かる城主・大名としての勤めであり、真の意味で義理がたいと言える。
自分が若い頃、秀吉の世話になったからという個人的理由で
何千人もの配下の将来を滅茶苦茶にすることこそ、最高にエゴい考え方とも言える。
308 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 08:39:51 ID:TbrJDgP5
>>307 大名家を個人のものと考えるか、法人として考えるかの違いだね。
そう言う意味で関ヶ原は、中世と近世の最後のせめぎ合いのようにも見えるな。
309 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 08:50:03 ID:Bx9Ox+fU
>>308 そだね。
でも、多くの武将が家臣領民のことを考えて
個人的恩義を捨てて家を守ったと思うよ。
ただ、確かに宇喜多は立場的に難しかったかもしれんね。
せめて、中立という事は出来なかったのかな。
で、俺が西軍や豊臣についた武将の行動に疑問を持つようになったのは
後藤又兵衛や長宗我部盛親が豊臣についたがために
その子孫が次々と殺されたという話しを聞いてからだ。
後藤のある娘などすでに嫁いでいたため夫と子供ともども成敗されたという。
後藤や盛親は戦場で名を残して華々しく散る事が出来たのだろうが、
裏では彼らの行動のせいで子孫らがこんなに酷い目にあっていたわけだ。
そういう意味で自分本位で身勝手な行動だったといえる。
310 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 09:23:28 ID:E3IXgTNk
戦国板では珍しくまともなレスがあると聞いて飛んできますた
>>305 岡家利が父とされたのは、書状類などに見られる記述からです。
備前軍記附録には、父岡利勝子越前守と書いてあるので混同したのだろうか。
なお、最近では岡家利の別名が利勝で、子は越中守某である、と推定する説もあります。
312 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 14:05:16 ID:i4J96hzC
>>305 「家利」の家は、直家からの偏諱だろう。
息子はあまり目立ってないので、その栄誉に預かっていない。
313 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 14:32:18 ID:2sSxsD1J
>>309 法人として考えるなら「西軍や豊臣についた武将の行動」には、家臣団側の
意見や行動も反映されていると見るべきなんじゃないか…?
最終決定権を持った人間が組織全体の失策の責任を負うのは当たり前だが
組織としての選択=決定者個人の意志・意見、ではないだろ。
314 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/07/27(金) 14:46:45 ID:eqmZ7Cr9
直家は政治的センスもあるよ
信長のように居城を転々としてるし、岡山に対する先見的な明
恐らく小早川隆景も彼を警戒していたんじゃないの?
315 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 16:06:29 ID:TbrJDgP5
>>313 関ヶ原はともかく。大阪の陣はほぼ100%一旗組みの塊だからなあ…。
あっちは言い訳のしようも無いよ。
>>314 そりゃあいやでも警戒するでしょ。あんな謀略と暗殺が着物着て歩いているような男w
316 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 16:13:21 ID:2sSxsD1J
>>315 一旗組といったってやっぱり個人で行動してるわけじゃないわけで。
それなりに旧家臣と繋がりを持った上で動かせる「兵」を持ってるからこそ、
一方の将として認められるんであって、本当に身一つとかそれこそ講談の
世界じゃないんだし。
317 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 16:42:01 ID:TbrJDgP5
>>316 それはアレだな、同じ集団に見えても「家」の観念と「法人」の観念が、また別のものだと言う
話になるかな?血縁地縁集団と、公的な組織との行動原理の違いと言うか。
まあこの時代そう言うものが明確に分離している訳じゃ無いから解りにくいと思うけど、大阪の陣に関しては
豊臣方は、上から下まで「家観念」が強いと思うよ。
318 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 16:51:09 ID:2sSxsD1J
何か2chらしく無駄に話ずれそうだからストレートに言っちゃうとようするに、
組織・集団としての行動とその結果を個人に帰して「自分本位で身勝手」だの
「エゴ」だの言うのは、同じように勝手に美化して「忠」だの「恩」だの言うのと
何が違うの?という話。
319 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 17:04:25 ID:TbrJDgP5
>>318 少なくとも大阪の陣の豊臣方のような、誰がどうみてもハイリスク極まる所に、ある程度の
自由選択が出来る状況にもかかわらず、多くの人間を巻き込んでしまうと言うのはやはり指導者のエゴなのでは?
320 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 21:04:43 ID:LGQUaI8W
ミートホープの自主廃業はエゴに入るのだろうか
「浮田家分限帳」に記されてる名前の上に○がある人物は、御家騒動の際、
宇喜多家を去った者達という。
322 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 08:47:44 ID:tuVlse9K
俺は冷酷非情な直家だからこそ好きなんだが、
もし直家を物語化して「いいもん」扱いするとしたら、
領地を取るのに最も人数を殺さないで済む方法を選び続けた戦国大名ってところかなぁ
凡将なら長〜い年月かけて仲良くなって暗殺、謀殺を完成させるなんて選択せずに、
戦を選択して名も無き備前地域の人間を相当数死なせまくってたと思う。
後世に名前が残る武将を殺しまくってるから残忍扱いされるんだが、
後世に名前が残らない人間含めて殺した数考えると、もしかしたら直家はそこらの大名よりはるかに罪は軽いかもね
323 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 09:03:54 ID:LvCeIiX2
しかし直家は陰謀に手足がついたような人間なのに、その息子の秀家は
性格の良さで関ヶ原で敗戦してもなお助命された、ってのは面白い話だな。
324 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 09:09:02 ID:LvCeIiX2
>>322 直家は冷酷非常というより陰惨だね。自分の謀略のため家族を利用するのは、そりゃあ
戦国時代だから少なくはないが、それでも当時にしても利用しすぎだろう。しかも直家は主に
女を使う。そして利用した嫁さん、妹、娘、みんな自殺しているってのはちょっと尋常じゃ無いな。
325 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 11:26:25 ID:RmOb/7cr
特に何の功績も無かったのに、家康や利家と並んで五大老に列せられた秀家。
秀吉のひいき以外何物でもない。
八丈島に流されたからこそ、あそこまで長生きしたという説もありますが…
326 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 15:58:42 ID:RgIvLgqx
>>325 山崎の戦いから四国征伐まで毛利も含めて中国地方の大名何してたんだろう
327 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 16:14:59 ID:LvCeIiX2
>>326 宇喜田は秀吉が幼い秀家を後見していて勢力圏に入ってたし、毛利は東からの脅威がなくなった事で
西方に目を向け、博多および北九州の支配権を握ろうと策動していた、って感じかな?
328 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 16:17:22 ID:R7E4pm/a
>>324 全くその通りだなあ。
勝つためなら犬畜生になってもいいという人も越前にいたけれど、
この人の場合犬畜生も逃げ出すような下劣なやり方が多い気がする。
やっぱりさ、人間大事を成し遂げるためにはいくばくかの悪事が必要だけど、
それにも限度ってのがあるよね。量ではなく、やり方に。
こいつ秀吉に尻尾振って御家を残せなかったら、
本当にただの鬼畜だよな。
>>328 犬畜生も逃げ出すような下劣なやり方、というのを具体的に頼む。
別に批判する気ではないが、意見を聞いてみたい。
330 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 16:32:56 ID:l1Pbe4BY
>>326 備前軍記に以下の記述があるよ(一部抜粋)
宇喜多秀家が諸国に従軍し、朝鮮出兵に総大将を勤める事
まず、天正十年(1582)の山崎の合戦に加勢の兵を出し、
翌十一年の春から夏にかけては、賤ヶ嶽の合戦に加勢し、
その六月に帰陣した。しかし同十二年春には、尾張国
小牧の合戦に岡・長船・花房の諸将が1万5千の兵を率いて
出陣し、冬に至って帰陣した。
同十五年の九州島津退治の時は、宇喜多八郎秀家の
初陣で、その武装も美々しく、1万3千の軍勢を率い、
2月1日岡山を発し、征戦の後、島津が降参し、
六月中旬岡山へ帰陣した。
同十八年関東小田原攻め、続く奥州攻めにも、
秀家は参戦し、四月に出陣し九月に帰国の途についた。
>>330 これ見て思い出したが、宇喜多秀家と北条氏房の逸話の真偽の程はどうなのだろうか。
「備前軍記」には、疑わしいと書いてあるのだが…
332 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 18:25:23 ID:RgIvLgqx
>>330 思ったより出陣してたんだ
多分後詰だろうけど
333 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 18:27:16 ID:RgIvLgqx
>>327 毛利がお粗末だな
ここでも大友の外交が上回ってたのか
>>318 それは家にもよる。
大名の独断専行の家もあるし、
大名と家臣が合議制のとこもあれば
大名がほとんどノケモノにされている家もある。
>>333 でも九州征伐の後、小早川に筑前・筑後・肥前1郡があたえられているわけで、毛利としてはほぼ望みを果たしているじゃん。
336 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:46:13 ID:9W9r+cKn
>>318 だいたい、家の方針が大名と家臣の合議制の場合でも
中級、下級の武士とか城の女や使用人とか合議に加われない連中なんて
ごまんと居るんだからさ。
やっぱ上の方の意志だけで敗北の可能性の高い豊臣方につくのはエゴいと思うよ。
一応お約束だからつっこんどくな? ID変え忘れ乙
338 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/07/31(火) 13:36:35 ID:KI3TyWOd
天文十三年(1544) 八郎は、元服して直家と名乗り、主君浦上宗景より、乙子三百貫を賜る
339 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/07/31(火) 13:42:51 ID:KI3TyWOd
乙子は福岡の市がある吉井川の河口付近にあり、
備中の細川、松田がこの地を虎視眈々と狙っていた。
加えて、犬島付近の海賊衆も来襲する危険地域であった。
宗景は、乙子城を築いたが、重臣たちは誰もこの地を守りたがらず、
そこで、直家に貧乏くじを引かせたらしい。
340 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/07/31(火) 13:57:47 ID:KI3TyWOd
直家以下、宇喜多勢は敵と戦いつつ、普段は耕作に従事し、(屯田兵みたいだね)
兵糧を蓄えるために、近隣で食料を盗んだり、時には断食まで行ったらしい。
で、この時期からのちに重臣となる
戸川秀安(確か直家の義理の弟だったような?)、長船貞親、岡利勝らが、
直家に仕える
341 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/07/31(火) 14:12:55 ID:KI3TyWOd
なのにバカ息子は、家臣団を統制できず、お家を滅亡させた。
>>340 戸川秀安が直家の義弟はないぞ。
能家の子という説はあるが…
343 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 14:33:44 ID:smmh870R
>>341 秀吉が現場で追い使うんじゃなくて、御曹司然として育てた人間はみんな家臣団の統制が出来ないのばっかりだな。
秀吉は貴種の育て方は解らないんだろうな。
344 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 14:41:10 ID:t62HyF9y
直家は謀略の限りを尽くしたけれど
嫡子の秀家のことを秀吉に頼んで。
8歳で元服してるからね。
345 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/07/31(火) 15:18:17 ID:KI3TyWOd
>>340 3年前ぐらいに『歴史群像No.67』の記事を読んで、
直家って「カッコいい」じゃんを思い、
『備前宇喜多一族』『備前軍記』
を図書館から借りて読んだのをうろ覚えで
>>338〜
>>340 を書いてみました。
戸川氏は直家の親戚かなんかだったのは覚えているんだけど…
346 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/07/31(火) 15:21:46 ID:KI3TyWOd
347 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/07/31(火) 16:03:58 ID:KI3TyWOd
長船貞親は「野望」だと、
他の2人の重臣に比べ戦闘力が低いんだけど
なんでだろう?
開発スタッフは中村の子孫なのかな?…なんて勘ぐってしまう
348 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/07/31(火) 16:07:29 ID:KI3TyWOd
あ、間違った!!
中村は、長船の仲間だった…
代わりに、戸川と岡の子孫にしといて下さい
349 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 17:57:46 ID:I+j36rH9
宇喜多忠家と春家
直家と異母兄弟のこの2人、春家は、忠家の別名で
同一人物では、ないか?と言う説もある。史実は、
さておき「実は、双子」という厨設定を考えたのだ
がどうか?
350 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 18:59:15 ID:8Kygm6c0
宇喜田の一族って、今でも岡山には残っているのかな?
351 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 19:18:54 ID:2RkovXWL
352 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 19:19:37 ID:I+j36rH9
>>349 なかなか面白いね。
阿部善定に厄介になってから2年後に病死してるのに子が2人(春家・忠家)誕生
というのも微妙だしな。
354 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 14:43:29 ID:gwl4pVMO
>>340 そういや、秀安の秀って、秀吉からの偏諱?
355 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 15:10:21 ID:ThMsCqbq
>>354 そうだね。
徳川秀忠、結城秀康、小早川秀秋、織田秀信、この辺はみんなそうだな。
356 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/08/03(金) 13:47:44 ID:oTPktiza
>>349、
>>353 私もその説に賛成です。私が調べたところ
1.1579年8月 小早川隆景勢15000が備前に侵入す。
これに呼応して伊賀与三郎(伊賀久隆の嫡男。父暗殺ののち毛利に亡命していた)が、虎倉城下を通って
金川城を襲うも、同城主宇喜多春家がこれを撃退す。
富山城主宇喜多忠家は、備前・備中国境の辛川(からかわ)で小早川勢を撃退す。
となっています。2人が1人説だと、ほぼ同じ頃に違う場所に現れることになります。
のでムリじゃないかと…
357 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/08/03(金) 14:00:03 ID:oTPktiza
出典元『戦国宇喜多一族』
ちなみに
>>345の
×『備前宇喜多一族』→○『戦国宇喜多一族』
です。
358 :
:宇喜多忠家ってどお?:2007/08/03(金) 14:53:29 ID:oTPktiza
一つ質問があるのですが…宜しいでしょうか?
直家は、1581年死亡説と1582年死亡説があるのですが…どっちが正しいんですか?
359 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 19:27:44 ID:3BTNVHNX
秘匿されるべき死とでも言えばよいか。要は信玄と同じ。
お隣には強豪・毛利が控えてるわけだし
360 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 23:36:03 ID:nggFyefk
すみません質問です。
直家がまだ乙子城主だったときに攻めている
浮田大和守とは宇喜多氏の血縁なのでしょうか?
>>360 浮田大和守は、本名浮田国定で直家の祖父能家の弟。
島村盛実と手を結んで兄能家を討ったため砥石山城城主となるも、
三村方への内通を疑われ、浦上宗景が差し向けた宇喜多直家の手勢によって討たれた。
ちなみに、七本槍の馬場職家は元はこの浮田国定の小姓。
362 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 00:48:25 ID:+p+9U7OK
時期的にまだ三村と浦上はそれ程接点が無いような気がするから
実際は元々浦上家宗家に忠実(政宗派)で浦上宗景が宗家と対立したため攻撃を受けた内の一つだったとか
あるいは備前西部の松田への内通だったとかいう感じだと思うけどね。
そもそも、浦上宗景の策謀だったと言う説もあるからな。
能家の弟だから、結構な歳で討ち死にしたのか。
364 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/08/10(金) 13:29:10 ID:+WiWvVWn
365 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/08/10(金) 13:30:46 ID:+WiWvVWn
366 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 18:36:46 ID:lueGNmBb
直家と三好長慶って境遇や人物が似てる気がする。
息子を溺愛したり大叔父と争ったり。
宇喜多氏の出自各説について。
@百済王子説 『和気絹』「抑も能家の先祖は元百済国の王子、兄弟三人船にのり、
當國兒島郡宇藤木村に着船すといへり」『宇喜多能家像』『備前軍記』
A天日槍説 『三河三宅氏系図』『備前軍記』
B頼仁親王説 『五流尊龍院系図』
C伊予皇子説 『吉備國史』
D宇多源氏佐々木氏 『備前佐々木氏系図』
備前軍記は百済王子・天日槍両説を採っている。『宇喜多一族』に詳しい。
368 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 13:55:33 ID:w8ljfXA5
>>367 そこらへんの系図ってやっぱり児島高徳の出自に関係してる。
実際当人が居たか知らんが、@ABDは児島高徳の出自の説から取ってるのは明白だな。
詳しくはwiki参照のこと
369 :
一応評価職人?:2007/08/11(土) 16:50:50 ID:6nDnm3aR
>>368も言ってるけど児島高徳って実在したのかな
370 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 18:38:59 ID:w8ljfXA5
実在しない人物にしては、色々と整合性持たせ過ぎてるというか、造り込み過ぎてる気がしないでもない。
大概の架空人物って、どこかしらに矛盾というか「こりゃねーよw」な部分が結構あるもんなんだが、殆ど見当たらない。
まぁ強いて言えば、その活躍地域が有りえない位にほぼ日本全土なのと、かなり人間臭いスーパーマンな所かw
>>369 メモ帳に書いてあったんだが、明治43年の田中義成氏の『児島高徳』によると、
「太平記中に、その月日などについて誤りの多いことは事実であるが、
情報が不十分であった南北朝時代に、これだけの事実が捏造されて出来るものでは
ないし、読物として多少事実が誇張された点があったとしても、その事実や人物の
存在は正確と見て差し支えない。
また、かつて法勝寺の恵鎮上人が足利直義の前で太平記を読んだところ、直義は
訂正したいところがあると言ったが、そのまま続けさせているところから見れば、
誤植はあっても大体その記事の真実性を認めたと思われる。
南朝方に好意ある見方をした文章にもかかわらず、敵対した足利直義・今川了俊らが
この程度であったことは、史学に益する本書の益を認めて差し支えない…」とあるそうだ。
372 :
369:2007/08/11(土) 21:06:03 ID:6nDnm3aR
当人(児島高徳)が実在したのか369で質問したものです
370さん宇喜多さんくわしい説明ありがとうございます
どうも実在したようですね
373 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 14:02:41 ID:VWL0kAbi
直家の母はどんな人だったのだろうか
出自さえ不評だからなあ。
備前軍記にはエピソードみたいな感じで少し出て来るが。
375 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 19:22:25 ID:ConQWXid
age
376 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 23:58:03 ID:xv7TzqjX
秀家は 備前宰相
378 :
takeda:2007/08/24(金) 21:47:57 ID:R9uRonG7
宇喜多の勇士ってだれ?
異論はあると思うが、馬場職家かなあ。
宇喜多七本槍の1人でもあるし。
380 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 01:02:13 ID:UtfxcyfW
戸川秀安とかでもいいが、やっぱり馬場職家だろう。
武で見ればな
381 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 02:52:45 ID:RCVqWmRm
戸川平介・・・文武共にすぐれ、リーダー
長船又三郎・・・狡賢い、キレモノ、裏方、インテリタイプ
岡平内・・・剛の者
馬場重介・・・剛の者、この中で一番年下?
382 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 03:04:34 ID:UtfxcyfW
岡か馬場だろうな
ただ八浜とかでも七本槍に数えられてるから
俺は重介にしたけど
383 :
宇喜多忠家ってどお?:2007/08/27(月) 10:14:03 ID:5/JO3vwj
花房助兵衛じゃない?
384 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 22:24:04 ID:R8BSSDA6
最近思うのだが秀家が関が原合戦の首謀者じゃないか、と思っている。
従来じゃ三成が首謀者格となってたけど三成が挙兵するより前に秀家は
豊国神社の前で「ゴージャス」な出陣式をやってるし。
んで三成は慌てて工作活動を開始。だから西軍が思うように動けなかったの
だと思うのだけど。
385 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 07:18:07 ID:7635gLbU
386 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:54:42 ID:iIX26ELq
宇喜多詮家について何かないか
387 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 22:12:21 ID:KWSoUpQU
>>384 >>385 今は関ヶ原の原因は、「秀家の暴走に反徳川陣営が引っ張られた」ってのが主流だね。
388 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 14:50:40 ID:FhDpB+Op
まぁ確かに引退した元官僚よりは現役五大老の一人の方が真実味はあるわな。
389 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 11:47:33 ID:XrgofNxL
で、豊家一門扱いで家格や官位で秀家が赦されて三成や恵瓊が身代わりで処分なのかね
390 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 17:29:16 ID:leE2I6La
>>389 秀家は超天然系の凄くいい奴だったらしいから、幕府も「ごめんね?」っていわれたら、つい
許しちゃう気になったんだろ。
391 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 21:56:06 ID:A8hK4Z0w
あの直家の息子がそういうキャラってのも面白いな
やっぱ人は育ちなのかな
392 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 23:48:25 ID:Nziakw/g
>>391 直家は秀家に小さい頃から「嘘はつくな、まっすぐに生きろ」と教育したそうでw
393 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 01:05:04 ID:GJE5i9ou
他家にお預けになってた元宇喜多勢は関ヶ原でどんな活躍をしたんだろ?
>>389 三成も主(豊臣)家には無関係で、自分の独断と主張したらしいからね。
394 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 03:17:03 ID:wu1+UHG1
395 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 18:24:18 ID:HzybqAzL
秀家を赦してもらえるよう、前田島津両家も口添えしたんでしょ?
早く威勢を安定させたい家康が、両家の懐柔も含んで受け入れたのでは。
396 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 22:29:09 ID:H8Av8FCT
>>395 そりゃそうだけど、許してもらえる為には人間性ってものも必要でしょ。
例えば秀家が親父と同じ性格だったらいくら両家の口ぞえがあっても…w
397 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 23:59:29 ID:HzybqAzL
秀家はお坊っちゃん育ちだからというわけではないが、陰湿さや老獪さが無く真正直な武将だったんじゃないかな?
お家騒動を上手く収められなかったり、まだまだ若さを露呈したが、
関ヶ原では宇喜多隊が随一の戦いぶりだった。
戦国の生き証人家康なら、やっぱり秀家の義侠心とかも感じられて、
敵ながら憎からず思ったのかも。
398 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 01:03:26 ID:Ly81rfJH
>>397 よく言えばそうかもしれないけど、悪く言えば「生かしておいても大したことは出来ないだろ」って話ではあるがな。
399 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 01:27:45 ID:YBgQaEQn
いや、侮っていたら八丈島までは流さないと思うな。
なにしろあの若さであり、五大老に列席した秀吉の養子。
秀頼と並び、旗印に掲げられてもおかしくない。
自分にとっては敵じゃなくても、秀忠には障害になると見ていたと思う。
やっぱり前田家の必死の頼みに折れたんじゃないかな。
400 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 02:27:32 ID:Duuc+zdp
少なくとも、豊家一門としての大権と五大老としての権限は、幾ら秀頼ないし豊家が落ちぶれ様とも健在だからなぁ。
仮に侮ってただ幽閉するのみだとすると、被羊皮の狼を群羊の中に野飼いにしておくような物だしね。
秀頼擁して挙兵しでもすれば、最盛期を過ぎた奴らとは言え、毛利・前田・上杉の強豪は半ば強制的に左袒。
関ヶ原時の様に結構事は重大になってくるのみか、下手打つと関ヶ原の時以上の大問題だな。
例えば家康自身、自分が思ったより早く死に、幕府基盤の形成を秀忠のみに委ねざるを得なくなった場合の筆頭障害には挙げられただろうな<秀家
401 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 06:55:11 ID:njI6kSub
泳 い で 参 っ た
402 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 01:45:35 ID:VVACMLsH
あにきはおっかねえんだろうて。
403 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 10:38:40 ID:CLpf1xeg
松永久秀 爆死(笑)
斉藤道三 息子に殺される(笑)
宇喜多直家 病死。息子は大大名
404 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 13:30:08 ID:PPZ4oQjT
勝ち組なわけですか
405 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 00:00:25 ID:H2CGdhRI
ワロタ
406 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 15:08:55 ID:CPpbWl3n
プチ毛利元就
407 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 00:33:13 ID:2355x2zH
宇喜多直家といったら、とある戦国の小話を収録したサイトにもあった死に際のエピソードが好き。
死の床についた直家、しかし誰も殉死してくれそうにないので「誰か殉死してくれないかな〜」と家臣たちを見回す。
もちろん家臣たちは目をそむける。
「さっさと死んでくれ(一人で)」といった気持ちだろう。
そこで家老の花房が率直に言う。
「我ら家臣一同は幼い秀家様をしっかり盛り立てていきますので、どうぞ安心して浄土に行ってください」
「しかし俺は浄土への行き方を知らん。道案内がほしいのだが」
「我々も殿と同じく浄土への道は知りません。何人ついていっても皆で迷子になるだけです」
「……」
「なんなら、殿の死に際に何人か坊主を斬って道案内でもさせることにしましょうか?」
「いや、もういい……」
生前の不道徳が原因とはいえ、なんだか哀れではある。
>>407 それは収録されてる備前軍記によると、家臣達の殉死を防ぐため、
直家と戸川助七郎が仕組んだ策謀だったと書かれてるぞ。
事実かどうかも分からんし。
409 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 02:58:26 ID:iaNOL81i
>>407 重箱の隅を突くようで悪いが、当時秀家はまだ八郎。
>>409 確かに、毛利織田の間にある中で、さらに家臣らが殉死したら後々大変だ。
411 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 10:25:34 ID:NZk4sBXo
聞きたいんだが、詳しい人いるかな?美作や備中で尼子の将として活躍した
三好安芸守の詳しい事が、尼子の事を調べても余りでていない。尼子に属した
赤穴氏が本性三善と載っていたぐらい。だから三好安芸守は赤穴氏のことで
備中兵乱記、美作太平記に出てくるのは誤記(当て字)なのかな。ガキのころ
阿波三好一族なら面白いと思っていたのだだ。
412 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 11:11:17 ID:CdAnO96R
三吉致高かその一族じゃね?
致高は天文初期頃は尼子氏に所属してたはず。
413 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 14:10:00 ID:CdlnM86e
宇喜多秀家は神
414 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 06:06:19 ID:Snf5kpXt
wikiには馬場職家が戸川家の家臣と書かれているのですが、本当ですかな?
415 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 11:58:01 ID:eULQa+IT
来週のそのとき歴史は動いたは毛利か・・・
宇喜多は無理だろうな、マイナーすぎて・・・
416 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 12:00:57 ID:lTUQjVtz
5大老(奉行)がマイナーすぎとかアリエネエ
417 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 12:11:08 ID:eULQa+IT
>>416 言われてみればその通りじゃ
でも、直家は無理そう・・・基盤を築いたのに。
418 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 16:54:26 ID:TDSQ8VVN
「そのとき歴史は動いた、今日のそのときは、羽柴秀吉がお福を手込めにしたときです」
宇喜多秀家や坂崎直盛ならあるかも知れない。
420 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 22:48:24 ID:ImJphEAM
直家って劣化版毛利元就って所ですかね
この日とは暗殺がすごいのはわかったけど合戦とかは強かったの?
421 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 23:25:59 ID:qD6ZC+YZ
明善寺合戦があるけど、正面切っての合戦ってこれだけだからなぁ。
元就みたいに合戦もしまくったというわけではない。
422 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 00:18:44 ID:KsxR3O8g
生涯戦績20勝1敗ぐらいだよな
423 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 00:28:20 ID:FI7bT2N5
424 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 01:18:31 ID:2wByl8Lx
直家は事跡を追っていけば、相当に危険な人物ってわかるのに
みんなほいほい釣られてぬっ殺されるんだよね。
悪のカリスマというか、現実歪曲空間でも持ってたんじゃないの
と思わせる凄みがある。
425 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 19:00:48 ID:Q0UNLscR
俺のお友達の浮田君に宇喜多氏の子孫って聞いたら
違う祖先は琵琶湖で湖賊(海賊)をやっていたとこたえた。
427 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 20:45:35 ID:Fm0ZC0ka
高校の化学の先生が塩飽水軍の末裔だったなー。
>>426 宇喜多家の水軍は誰が仕切ってたか、ご存じですか?
428 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 21:26:22 ID:AAWNGsOV
>>422 勝率だと元就や元春以上じゃん
元就と直家の対決が見たかったなー
直家が買った可能性が高いな
>>427 宇喜多の船奉行は岡平内じゃなかったか
あと地元だけど笠岡城村上氏の一族も宇喜多氏に仕えてるはず
塩飽水軍は確か朝鮮にも出兵してましたね
430 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 23:01:06 ID:KsxR3O8g
笠岡城ってかなり小さくない?
431 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 23:10:38 ID:Fm0ZC0ka
432 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 23:28:13 ID:EJDlEXtU
>>430 広さだけなら来島とも大して違わんだろう
433 :
備中守:2007/11/01(木) 20:31:51 ID:MOnsNDAN
笠岡弾正か村上氏の中では地位が高いみたいだっだが
三島が完全に纏まって行動していれば、少しは変わって
いたかも・来島は河野に首を突っ込み 因島は小早川に
べったり 能島は、毛利に着いたりはなれたりで
それと宇喜多は細川道薫を攻めていたんだ。高梁川
渡っていたんだな〜
434 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 08:43:28 ID:kCDjNPYd
上杉討伐の宇喜多先遣隊で5千を率いて黒田隊に
合流したのは詮家なの?
435 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 17:43:29 ID:NZNzOnrK
宇喜多本家は西軍だからそうだろ
436 :
末裔は医者:2007/11/16(金) 19:47:03 ID:A71DGWrs
剣道めちゃくちゃ強いですよ。
437 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 02:50:07 ID:Y/1oSj2P
この前mixiで、宇喜多の子孫って奴がいた
ふーん、と思ってみてたんだけど、なんか
「秀家公が八丈島に流罪が決まった時に、まだ世間に認知されてなかった側室の子供を、縁のある寺に預けました。その子孫が私です」
とか書いてて、うろ覚えなんだけど家宝の刀とかあるとか言ってて、釣りかなと思いつつ不覚にも感動しました
438 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 03:53:58 ID:JVwKxBAa
439 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 09:03:15 ID:HVCUt0LE
wikiで岡利勝と岡家利の通説について揉めてるけど、
いつ頃家利が親で、利勝が子と判明したの?
440 :
sage:2007/12/03(月) 12:25:12 ID:qE7Hdm53
かなり前でしょ。
戦前からちゃんとした人は親の方を岡家利と書いてる。
本人の署名がある手紙も何通かあるしね。
441 :
人間七七四:2007/12/03(月) 12:27:18 ID:qE7Hdm53
あららsage失敗。
442 :
人間七七四年:2007/12/03(月) 14:15:05 ID:ogBpUdXO
443 :
人間七七四:2007/12/03(月) 17:22:31 ID:qE7Hdm53
とりあえず、挙げるとすれば
難波家文書(『岡山県史』家わけ史料 所収)
かなあ。永禄末のものだったと思う。
その他、写のものなら「作陽誌」や『美作古簡集註解』と
いった本に何本か載っている。全部「家利」。
444 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 13:19:39 ID:zYMHvnjE
戸川秀安って能家の孫なの?
445 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 00:52:13 ID:3TiZzZ78
そういえばそんなのも在ったなw
446 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 16:01:42 ID:K/gsgARw
>444
「寛政重修諸家譜」にそんなこと書いてるけど、
完全に後付け設定でしょ。
447 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 20:08:59 ID:SiqUrmxQ
直家って年端もいかない頃から暗愚なフリをして浦上の目を誤魔化したりしてたらしいね。
興家も暗愚を装っていたという説を聞きますね
449 :
関連スレ:2007/12/23(日) 01:09:00 ID:aSsGSqWO
450 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 00:59:42 ID:odhHEsKR
秀家時代の「浮田家分限帳」には家臣たちの名前の上に○がついているが、
これは慶長四年(1599)の宇喜多騒動で主家を退転してしまった者に印をつけてあるらしい・・・
一体なんの為に?
そりゃあ・・・うわなにをするやめくぁw背drftgyふじこlp;@:「」
「但朱書之○印分慶長五春迄立退候分」
452 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 21:24:57 ID:Qin6Fnwr
一つ疑問。
立退いた方々の領地は召上げになったわけ?
453 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 10:53:17 ID:10QY1njV
おそらく、後に集まる牢人軍団に与えたかと
大吉が出たら今年こそ岡山方面に史跡巡り行く!
455 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 04:23:35 ID:DkO1E1Us
……orz
456 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 11:18:08 ID:wSs7Wihd
457 :
忠家:2008/01/04(金) 19:45:19 ID:rkWK3zq9
ボクは宇喜多詮家(坂崎成正)の子孫です。
家系図は昭和につくり直したものが本家にあります
458 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 10:38:36 ID:BuqqGpas
だから?
459 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 23:38:43 ID:xWjI44MD
直家が関ヶ原で17000の軍勢を率いていたらと思うと。。。
きっと小早川秀秋よりも華麗な裏切りをしただろう
460 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 00:06:19 ID:3JXCfskj
>>459西軍として出ていたなら禿同
しかし直家なら最初から東軍もしくは黒官と同じく、どさくさに紛れて中国を切り取り、西軍東軍宇喜多軍黒田軍の四つ巴の天下分け目の決戦に…ウハ モエテキタ
461 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 13:06:51 ID:onsXOnQx
直家だったら。。。
毛利小早川を説得してむしろ西軍勝利に
462 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 14:14:19 ID:6aMQFaVL
>>461 直家と面会後に、秀秋が頓死した件についてw
463 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 02:50:20 ID:N2mZwBLM
直家が死ぬとき「殉死してもおk」って言ったのに誰も後を追ってくれませんでした・・・
464 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 21:42:15 ID:zdO3v3mJ
そんなん、おえんで
465 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 22:22:04 ID:kmlFSQG4
でも岡山では宇喜多より小早川秀秋のほうが知名度低いで
466 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 10:06:06 ID:CPAAmJWs
重臣に片っ端から殉死頼んだ逸話はワロタ
鬼の暗殺魔も意外と寂しんぼ
467 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 00:37:36 ID:qFdNaC7e
かの生き埋めリンチ殺人はまさに直家のスピリットを受け継いでるな。
しかし現代では謀殺成功、やったね♪、とはいかないわけで・・・
あれは自衛行為でもあると思うのだが。彼らは気の毒。
468 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 00:49:48 ID:qFdNaC7e
人物としては相当なリアリストなのかな。
親族見殺しが度々あるように冷酷なところは育ちの影響だろうか。
確かに大規模な戦をするより、
敵のトップを潰してしまうほうが損失ははるかに少ないし、
周囲に与える損害も小さい。
自分たちが小さい勢力なら戦は不利。
家のことを考えれば、
殉死の逸話も仕組んだ策謀のほうだというのが妥当な気がする。
家臣団は意外とまとまってるね。
家臣にとっては人望が厚いのか、それとも恐怖によるのか。
>>392 それ本当ならワラタ
469 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 13:29:32 ID:L31cgOkb
あんなに暗殺しまくってるのに
呼ばれたらホイホイ行くからなぁ
信用されやすかったのかも
470 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 01:33:22 ID:QP4YSNp1
直家はもうちょっと娘達に優しくしてあげるべきだろ・・・
晩年へ向かうにつれだんだん増えていく娘達の霊が枕元に立って怨み事を
言いに来てたにに違いない・・・
471 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 21:53:35 ID:7KIWrjhs
宇喜多広維って影薄いね。
472 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 04:43:40 ID:BpJEe7Ce
>>466 重臣に殉死を頼むのが普通じゃないってのが解ってるなら答えは簡単。
絶対に後を追うなって遠回しに言ったって事よ。そこを察してやらんと。
秀家が幼いから一人でも多くの家臣が残っていなければならなかった。ってのが現実。
しかしその家臣も関ヶ原で(ry
473 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 05:33:53 ID:UeS7TaHh
とりあえず3年くらい月見の宴を年中行事にして繰り返せば、
凡人だとまあ安心しちゃうんだろ。
人物的にもなんか信用させる凄みがあったのかも。
松田氏の件にしても直家の謀殺はセッティングが込んでるし、
仕込みの期間がやたら長い。
474 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 10:14:17 ID:zZ7t93bA
地元じゃ梟雄梟雄と言われているが妊婦の腹を割き云々と言った悪い噂も聞いたことがない
あんがい民衆にとってはそう悪くない殿様だったのかも知れないとも思うんだが
475 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 16:15:06 ID:YT/8GZaW
圧政も暗殺もやるときたら、とんだ暴君だぜw
476 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 17:46:47 ID:I8iSDgcV
直家って意外と人気あるよね
477 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 17:52:05 ID:bd17BdC0
この前キャバクラに言ったところ、エリ○と言う子がいて、八丈島出身らしく本名宇喜多!島では英雄らしい。
478 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 19:59:45 ID:DMIaJM3m
>>473 さらに直家が暗殺した人間の殆どは予め直家の娘やら姉妹を輿入れさせてるんだよな。
そして輿入れした女もろともに滅ぼす・・・と。
479 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 20:06:14 ID:YT/8GZaW
480 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 16:54:26 ID:jG8IzI+h
江戸期を通して前田から八丈島へ仕送り送って貰ったから英雄なのか
前田の方でも優しい殿様の美談として伝わっている
しかしその中身は馬鹿殿振りに付け込んだ徳川による前田資金浪費目的の幕命
困ったもんだ
481 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 12:41:41 ID:iHn99Sex
宇喜多 広維 直家の義弟 赤松政範の妹婿
播磨上月城に援軍として赴き天正5年12月に死んでいるな。
宇喜多一族とか備前軍記とかには、名前が出てないから
はとんど知られていないと思う。
そういえば、3〜4年前に呼んだ歴史群像の宇喜多戦記に載っていたぐらい。
あと作用軍記とかにも出てると思うが読んだこと無い。
482 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 10:26:25 ID:WyIoPMrn
宇喜多 久閑て誰?
関ヶ原の後、加賀前田家を頼って移り
元宇喜多家重臣でキリスト信者以外で
知ってる人いる?
483 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 17:38:03 ID:v054F/AB
484 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 19:24:55 ID:WyIoPMrn
候補としては、宇喜多 能家の次男で四朗(義家?)って呼ばれていたのが
浦上村宗の播磨攻めの先陣として攻め込み討ち死にしている。弟と書かれて
有るのもあるから血縁的には近いと思う。
485 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 20:24:03 ID:WyIoPMrn
能家と義家、親子で同じ読みはないよな。
486 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 22:10:36 ID:cRjebTCn
四郎って元服してたかどうかも怪しいよな。
487 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 07:27:04 ID:gmsoQBfj
四郎が武勇に優れていたので出陣した。
興家が愚で憶病だから四郎が出陣した。
理由は、どっちだろう。
後者っぽい気がする
興家は出陣した記録すらないし(中国兵乱記にはあるけど恐らく能家の誤記)
四郎自身も計略に引っ掛かって討死な訳だし。
しかし能家が隠居するぐらいだから…、とも考えると分かんなくなった…
489 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 11:20:26 ID:z5VYVfRB
490 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 11:26:13 ID:gmsoQBfj
愚で憶病でも優秀な子はできる。
491 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 11:46:12 ID:z5VYVfRB
優秀でも愚で臆病な子ができる…
492 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 17:17:23 ID:mTwZ3BZc
>>482 浮田四兵衛が浪人して村田と改姓し、子の村田吉左衛門が加賀藩士になってるけど禁教令の後も加賀藩に残ってるから別人かな。
宇喜多重臣江原親次の子であり直家の孫もである浮田内記(十兵衛)が加賀に落ち延びてるらしくこの人の可能性はあるかも。
493 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 18:29:05 ID:4PUghb4J
四郎を討った「浦上村国」って何者?
系図とか見ても見当たらないんだが・・・
494 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 01:27:50 ID:wO2869Mm
お味方だろ
495 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 14:08:19 ID:aHT5C73m
浦上村国 浦上氏庶流 因幡守
赤松左京太夫晴政(政祐)重臣
居城 兵庫県 旧新宮町 山中城
赤松義村が浦上村宗に暗殺されると幼主才松丸を擁し、栗作十郎範高
小寺藤兵衛職高、伊豆孫次郎則定らと淡路に落ち延びる。
その後、才松丸が元服し左京大夫政祐と名乗り、播磨に戻り浦上村宗
の領域に攻めかかる。(この時、四郎は討たれる。)
赤松・浦上両者が争っている間に但馬の山名政豊が播磨を切り従えよ
うと軍を進める。それを知って両者が和睦する。
という様に、晴政の主力であったり和睦の間を採ったり活躍していた
みたいだ。
496 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 16:02:18 ID:aHT5C73m
>>492 あんがとう
直家 家臣に浮田を与えていたから分からん。
あ・・・ 孫か
これを打っていて思ったんだが、遠藤兄に浮田の姓を与えたのは、信長が生きていた頃
この頃は、将軍足利家は各地の大名に自分の名前の一字を与えていた(売っていた)
姓は与えていないとおもう。信長は将軍義昭にもらった桐紋を秀吉に与えたり、光秀や幽斎に
九州の古族の姓を侵攻のために名乗らせているが、褒美として織田の姓は与えていな
いと思う。
秀吉が羽柴や豊臣を配下の大名、武将に与えたのは、もしかしたら直家の パクリ
なのか。
それとも昔からあったのか?
497 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 17:35:47 ID:qImicM4H
宇喜多氏関係のwiki項目が多少増えてるが「宇喜多宗因」って何やった人?
能家と国定の間の兄弟だという事だけ理解した。
498 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 07:52:14 ID:XuNO8dcX
宇喜多宗因って出家後の名前で「そういん」って読むの
それとも、浦上宗村あたりから一字破貰領して「むねより」
とよむのだろうか?
499 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 11:28:14 ID:d91geAJd
直家信者なら・・・直家信者ならきっと知っているはず・・・!
500 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 13:22:03 ID:nexvSe79
500!
501 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 13:26:10 ID:nexvSe79
>>498 読みは、そういんだけど系図のみの人物でしょ
502 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 16:56:25 ID:E4YYH2oA
>>496 宇喜多家は一度滅んで一族が少ないから、
新しい一門衆を増やしたかったのでは?
503 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 22:10:06 ID:PJmrZrZO
蒲生氏郷もやたらと家臣に姓を与えてるよね
504 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 07:53:57 ID:ZmMc+pUQ
宇喜多にとって上月城は鬼門だな。
四郎と広維は戦死・自害、秀吉とは
泥沼状態になって・・・・・・
505 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 08:01:56 ID:gQCxz98r
宇喜多氏って播磨まで進出してるよね
506 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 09:53:39 ID:xAJXR4JO
永禄元年(1558)備前国の宇喜多直家に攻撃され
備中鴨山城主細川通政は城を捨てた。
嫡子(養子)細川董は、毛利氏の援助で天正三年
(1575)鴨山城に復活した。
とあるので備後近くまで軍を進めたことが有るみ
たいだ。
507 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 14:19:38 ID:PU0yg4+r
直家すごいな
508 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 16:52:31 ID:xAJXR4JO
あ、、、、ごめん
細川通董と打ったつもりが、細川董になっていた。
509 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 13:39:37 ID:juK2748z
昔、小説に黒田孝高「如水」のことを「あの福岡の薬屋の子倅か」と書いて
あった。(子倅は親父の方だが)そんな感じかなあと思っていたら、学研の
歴史群像「黒田如水」に出ている系図で明石正風を通じて関係がでていた。
連れに、見せたら「葬式に行ったら顔見知りが来ていて話したら親戚だった
ような関係だな」と系図を見て感想を言った。笑ろうた。
510 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 09:45:09 ID:qjRscM95
前の話だけど、浮田宗勝(秀家の又従兄弟)の祖父が宇喜多宗因なら
「むねより」の様な気がする。・・・・・・想像だ
「戦国宇喜多一族」に能家以前の出典(古文書)が出ていたとおもう。
511 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 17:54:51 ID:+X52uTPX
明石家と宇喜多家はガチ
ついに宇喜多宗因もWikiに登場
513 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 18:35:45 ID:Rm7/SD6e
秀家さんて藩主じゃないよな
いま地元ニュースで初代藩主の・・って言ってたけど
514 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 18:42:22 ID:EF2T3KE/
>>513 小早川秀秋が、利に敏い岡山人の代表扱いされるよりマシ。
県民性本とかに書くなら、宇喜多直家を例に出せよ!
515 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 19:24:51 ID:VKn7FmpE
ある意味更に悪くなってんだろそれw
まぁ小悪党よりは大悪党(っぽい)方が面白いけどさ。
516 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 20:12:58 ID:l/KS6Ohr
小早川秀秋が岡山いたのって最後の二年ほどのことじゃなかった?
517 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 01:35:50 ID:X/dQVQy1
うん
518 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 03:39:42 ID:MsULWNbk
秀家を紹介するときは岡山城主てなるのか。
519 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 14:58:55 ID:ZJhlFNes
>>398-399 家康にとっては生かしておいてもたいしたことができないけど、家康後見なしの秀忠の手には余りそうなので間を取って島流しとかw
520 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 15:03:28 ID:hk0oX1n7
秀秋を岡山人扱いされるのはなんか違和感あるなあ
521 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 15:31:44 ID:7/VnFOK3
>>515 岡山出身の直家なら悪人上等w
関ヶ原で裏切った後に岡山に来た縁もゆかりもない秀秋に、岡山人面されるのは耐え難い。
直家信者氏とか、同意してくれるよね?
個人的には秀秋とかよりは当然直家ですねw
関係ないですけど岡山の県民性で言われる理屈っぽいが自分には当てはまるかも・・・
523 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 23:14:42 ID:EKT73e/o
やっぱりなw
524 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 10:55:52 ID:nZ3Py0jN
人から物を奪うと泥棒、国を奪うと英雄と云うらしい。
525 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 17:47:23 ID:+FUKGe/+
526 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 18:27:13 ID:4wxUJ3FM
宗雲に捕まった泥棒を思い出した
527 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 18:33:28 ID:VTWYuJvO
宇喜多一族を大河にしろ!
絶対面白い
528 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 18:43:28 ID:pF9JCnfg
>>527 直家編と秀家編、2時間ドラマ2本で充分だろ。
529 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 18:58:11 ID:4wxUJ3FM
坂崎直盛も頼む
530 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 09:17:04 ID:G/CDtWiT
坂崎直盛は要らん!でもその妹は出してほしい。
531 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 00:14:22 ID:IFufq1IM
宇喜田家重臣で今でも家系が続いてるのは何家かなぁ〜?
532 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 01:08:37 ID:EHbHtPt4
宇喜多って備前美作だけでしょ
今の岡山県の半分にも満たない勢力だし大したことないと思うけどなあ
しかも悪業の限りを尽くしてだし
533 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 03:37:55 ID:by8mTI/y
西大寺会陽は、室町時代から続いているそうだが、
戦国時代もあったのだろうか・・・
幼少のころ西大寺周辺で暮らしたとされる宇喜多氏
家臣とか関係者で参加とかしたのだろうか・・・
534 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 10:02:42 ID:rXQnq7lt
535 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 12:50:14 ID:VNwrepoQ
534さん同感です。
536 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 12:57:57 ID:m7FJd599
537 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 14:59:42 ID:3mWswi6Q
>>532 播磨と備中の一部も。
敵対人物の暗殺は戦国時代ではよくあること。回数は普通で無いけど。
538 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 00:48:57 ID:whl/aoOu
直家って子供何人いてうち何人が娘?
539 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 14:08:45 ID:RyBo5ZNb
織田信長から直家の遣領安堵によって認められたのは、
美前国・美作国・播磨の内(兵庫県南西部の佐用郡・
赤穂郡・宍粟郡の三郡)後に毛利家との領土線の確定
により、備中国に流れる高梁川より東部が与えられる。
実際には、上月城を毛利が奪還したあと織田に付くの
だが、美作西部を毛利が押えており、東部でも後藤勝
基(直家娘婿)や管家党有元佐綱と戦っている。
備前も国境近い備中忍山城を落とされているので、危
ない状態だった(岡山城が備前の西拠りに建てられて
いるため)。しかし、直家が決断をしなければ、小寺・
別所・荒木・松永・波多野・一色等と同じ運命か1〜2
万石の大名もしくは毛利家の家臣扱いか没落になって
いたと思う。そう考えるとすごいと思う。
540 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 09:45:45 ID:9ZJskWdi
浮田温泉←ういたおんせん読む知ってた?
541 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 21:17:49 ID:71SkSn91
このスレの住人はほとんど岡山人だよな
542 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 20:16:28 ID:p8Hxai+t
wikiで宗家まで追加されてるが宗家は公家でマスオさんなんだな。
でもマスオさんって言っても児島が三条より家格が上な訳がないから頭下げて婿に来てもらったって感じがするが。
「娘しか居ないから跡を継いでくれませんか?お願いします。」って感じで。
そう考えるとやっぱ久家は宗家の実子なんじゃないかなと思う。
543 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 22:48:15 ID:bOcvMAFJ
どこから、三条説が出てきたんだ?
出典とか資料は、なに?
544 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 23:46:46 ID:p8Hxai+t
実親[1195(建久6)年〜1263(弘長3)年10月4日]
│
公泰[ 1231(寛喜3)年 〜 1305(嘉元3)年8月 ] 実親二男
│
公雅[ 1264(文永元)年 〜 1340(暦応3)年8月 ] 公泰三男
│
実古[ ? 〜 1365(貞治4)年 ] 公雅男
│
(ここから経歴不明)
│
公頼 (戦国時代の三条公頼とは当然、別人。)
│
実宗
│
信宗
│
宗家[ ? 〜 1470年よりは後 ]
とりあえず確認出来るだけの経歴。
公頼あたりから胡散臭いっちゃあ胡散臭い。
545 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 02:58:01 ID:Y/A9I59x
>>541 八丈島の人もけっこういるのでは?
俺は岡山県民だけど
546 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 03:10:57 ID:7iwBvS3s
俺は岡山とは縁もゆかりも無い愛知県民。
>>544 その系図載せてる「日本の苗字7000傑」によると久家には「親家」っていう弟が居るらしいな。
547 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 04:22:40 ID:99OaQYtn
俺鳥取県民。
尼子スレとの掛持ち
548 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 13:45:15 ID:PhFhwAYo
もしも…仮によ
宇喜田直家を大河ドラマにしたら、暗殺ブームが流行るのだろうか?
岡山観光ポスターでキャッチフレーズが
「ようこそ暗殺と悪行の里、岡山へ」になるのだろうか…
本なんかで
「こうして他者を陥れる100の方法」等と刊行されたりするのかなぁ
などと下らない事を考えてみる…
549 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 17:16:51 ID:4EKXQYXD
550 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 18:32:39 ID:c+5de4Z8
>>549 直家は木像(空襲で焼けた・・・)の方が印象的かな。
写真の肖像画は、元就っぽいw
551 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 19:01:06 ID:7iwBvS3s
552 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 21:33:14 ID:/Rr1oU/T
>>548 暗殺ブームktkr
>>549 秀家の画像を見ていて、何故だかきれいなジャイアンを思い出した。
553 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 23:04:58 ID:Y/A9I59x
>>548 反面教師的な感じで周りの善人がクローズアップされ
やはり、「愛」とか「命が大切」とか「戦国時代の諸行無常の
感じ」とかがテーマになるような予感
個人的には、直家・秀家二代構成でもいいかな
直家編30話・秀家編10話・朝鮮編10話ぐらいな感じ
554 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 01:09:20 ID:GJ8e2Z+o
>>538 「和気絹」に・・・金光をはじめ松田・後藤其外我手に余る者には、さまざま
の追従して、我骨肉の女わ以て嫁娶を調へ、或は其の親類の者を養女と號て是
を遣し、親類の体を表し、時節を見合毒害し、闇討寝首をかく。と書いてある
ので養女もいるとおもうが、一応
興家の姉妹 浜口淡路守家職 直家伯母婿(美作城合戦記)
直家の姉妹 (砥石城で能家が自害した後下笠加村大楽院という尼寺にいた伯
母に保護されていた説をとる。)
伊賀左衛門尉久隆室 津高郡虎倉城主又子息與三郎は、明石掃部姉婿
浮田忠家室 久隆妹 (虎倉物語)
牧藤左衛門国信室 三浦氏滅亡後、直家家臣へ、「作陽誌」によ
と直家は妹を国信の妻として与え諱を家信と
改めさせ岡山城本丸におらしめたとある。
(久隆室と同一女性の可能性有り)
河本対馬守久隆室 乙子城以来直家の側近を勤めた老臣。子の源
三郎は許されて宇喜多名乗る。
直家の娘(母中山備中守正信娘) 永禄五年(1562)、宇喜多直家は浦上宗景の
命により、三星の後藤氏、金川の松田氏と婚
姻関係を結んだ。「備前畧史」
松田孫次郎元賢室 津高郡金川城主松田元輝子息、又浮田春家の
妻として元輝の長女をもらいうけるとある。
後藤摂津守勝元室 美作三星城主
※上記の直家の娘は、双子と後藤勝元室が養女説がある。
直家の娘 吉川蔵人広家室 吉川元春嗣子、豊臣秀吉が宇喜多秀家の姉を
養女として嫁がせる。妻となった秀家の姉は、
天正十九年四月病没。
赤松左衛門督広秀室 播磨龍野城赤松政秀子息(斎村政広)
江原兵庫助親次室 宇喜多家臣、美作久米郡中山城主江原佐次の
子、天正十年大庭郡篠向城で知行一万石をう
ける。「備前軍記」
直家の娘(?) 金光宗高室 岡山城主(宗高が自党刃した後に宗高の子文右
衛門に直家は禄を与え家名を継がせている。)
浦上宗次室 浦上宗景の子
宮本伝太夫室 塩飽水軍頭
忠家の娘 富田信高室
高橋元種室
555 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 19:18:24 ID:NO0DwcAm
556 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 17:49:02 ID:JDi1XSjy
直家はなんとも不思議な人物
557 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 21:53:23 ID:dj4KM9B1
>>528 たしか昭和の頃に直家の妻ふく?が主人公の二時間ドラマがTBS
であった。脚本が橋田すがこでふく役が三田佳子…と言っても「渡る世間〜」
見たいなのでなく「おんな太閤記」っぽい作りだったよ。秀吉が西田敏行だったし
558 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 01:37:13 ID:4VXeh29b
>>544 中山正信 暗殺(直家妻、悲観して自害)
伊賀久隆 毒殺
松田元賢 宇喜多との戦に敗れ行方不明
金光宗高 切腹強要される
浦上宗次 毒殺
559 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 14:20:29 ID:f2fRfMY/
>>509 (仙意)(元和)
(衣笠家良の孫) (備前守正風)|―貞行―貞則(左近将監)
明石尚行…………景行――宗和 |
|――――|―女子 梶原景則(高砂城主)
宇喜多能家娘 | | |
|―(――女子
妻鹿氏娘 |―――――――――――小寺稿孝高(黒田如水)
|――――――――――――小寺職隆(美濃守宗円)|―利高
黒田重隆 |(増井山地蔵院主) | | |―女子
|―小寺休夢 |――(―長基 |(三木氏室)
| 神吉氏娘 |―――直之
|―井出友氏 尼子氏娘 |
|(慕妙円寺) |―女子
|
|―松井重孝
(慕円応寺)
560 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 14:33:49 ID:f2fRfMY/
↑系図を失敗したが、
本山一城著「黒田如水と二十五騎」の系図だと
明石正風に能家の娘(興家の姉妹)が嫁ぎ、その娘が
小寺職隆に嫁ぎ如水を生んだことになっている。
という事は、直家と従兄弟?似ているような気がするが、
信者さんどうですか?
561 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 19:20:40 ID:efXPHTI5
>>534 互角と言っても・・・一時的に毛利の攻撃を退けただけな様な。。。
あのまま毛利が侵攻を続けていたら、じわりじわり追い詰められて
終わっていたと思う。
562 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 06:20:14 ID:FrI9WOgv
>>560 ちょっとでも考えたらすぐ有り得ない話しだという事が判らないのか
563 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 16:29:26 ID:L9vD1maZ
ウィキwに明石景親は1513年生、明石全登は1566年生とあるけど
何か根拠はあるのかな。
564 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 19:51:47 ID:hB5gKNT6
↑もちろん「信長の野望」 ウソすいません。
>>510 備陽國誌では
(隆トモ)
古城 濱村。 城主宇喜多宗院。 何人と云事を不レ知
と有り、濱城主で宗因(院)または宗隆と呼ばれ、事跡は分からんらしい。
また墳墓で
宇喜多順哥墓。邑久郷にあり。墓印に松一本有り。此人詳ならず。直家の一族なるべし。
ついでに、金陵山西大寺 古人判物に宇喜多宗家、直家、秀家以外に
一、宇喜多延家在判下知状一通八月四日
が有った。
565 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 23:25:10 ID:hB5gKNT6
>>562 悪かった、559の系図だと小寺職隆の娘に浦上政宗の嫡男清宗出ないし、播磨鑑に、
宇喜多和泉前司娘・・・同じ赤松の・・。一方は自称百済・・・一方は明石郡司の
子孫で、一方は管領高国に・・一方は近衛親子の和歌の師でちょっと考えれば
判るんでしたすみません。
え〜と東備郡村志に
【濱邑】
▲城址。浮田宗因が城址なり。同人の墓も此村にありとぞ。
宗因は宇喜多能家の曾祖父なるべし。
【邑久郷村】
▲城址。浦上宗景の家臣、浮田五郎座左衛門が古壘址なり。
▲成願寺。廃して今なし。
▲古塚二つ。各々塚上に松植う。一塚は土人浮田順歌の墓と云う。
何人と云ことをしらず。接に浮田五朗左衛門の墳ならんか。
▲宇喜多の庄園。寛永の頃破却して、奇石等を土中に埋み棄て田畑と
せり。其處を今松江と云う。時として土中より奇石
など堀だすこともありとぞ。
▲紅岸寺。宇喜多能家の菩提寺なり。寛文年中廢せり。其遺址今尚ほ顕
然として在り、古慕礎石等残れり。此墓は宇喜多修理進宗家、
或いは宇喜多蔵人久家なるべし。宗家は能家の父、久家は能
家の祖父なるべし。共に上道郡西大寺に在る古文書に延徳四
年久家の名、文明二年宗家の名みえたり。
と記述がありました。
566 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 20:57:46 ID:51jLo/Me
吉備温故秘録
熊山城 香登本村。元弘建武の此城ありしと見ゆ。
(抜粋)この後誰人が居たるや委しく知れず。はるか世を經て後に、
三宅大炊助居城(宇喜多直家の伯父なり)。天神山の麾下なりしが、
直家宗景を弑する日、明石源三朗と大炊助、心合て二心をいだき、
直家に先達て城内より火を揚げ、宗景を亡したり。子二子あり。
長男を河本家本といふ。邑久郡井田村の枝大土居に居城せしが、
夭折して跡絶ふ。二男河本對馬守、大炊助が跡を繼で當城に居れり。
此對馬守にも子二人あり。河本源十郎といふ。八濱合戦の時討死せり。
(兒島郡大崎村に、河本與五兵衛といふ墓あり。若同人か。)
二男の源三兵衛對馬が跡を繼で、宇喜多源三兵衛と名乗りて祿二萬二
千四百石を領して當城に主たり。
>>559のズレを直したいんだが、女系がよくわからんので足踏みしてます。
568 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 21:50:08 ID:51jLo/Me
砥石城 大ヶ島村の西山。
(抜粋)
長男熾興家に家をゆづり、其身隠居して當城にありけり。
宇喜多興家父のゆづりを受て、當城を守る(大永三四年の内なるべし)。
興家の俗名しれず(按ずるに、邑久郡千手山更弘法寺所蔵する三郎左衛門
tぴふ寄進状あり。これ興家を三郎左え門といひしか、直家幼名八朗とい
ひか、成人の後三左衛門といふも、父の名なりたるなからんか、又同寺に
天文九年三月十八日宇喜多但馬守の寄進状あり。此花押を見るに、前に記
す三左衛門寄進状の花押と同じ。されば三朗左衛門但馬守同人にて、三朗
左衛門後但馬守に成しや、後の人是を正せ)。かくて興家も繼ぎたれども、
愚味にして用に立ず。
(抜粋)
然るに上道郡西大寺の古文書に、文明二年宇喜多修理進宗家の下知状と、
延徳四年宇喜多蔵人久家の寄進状とあり。若此修理を能家の祖にして、
蔵人久家は能家の父なるべきにや、合せ考ふぶき所なしと。備前軍記に
見へたり。(按ずるに赤坂伊田村民家に、宇喜多八朗久家・宇喜多三河
守久家とある。二通の古舘簡あり。上に記せる宇喜多蔵人久家と、皆同
人にて、久家は八朗といひ、中蔵人と改め、後三河守となりしものなざ
れども、花押は皆不同なり。)
569 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 22:28:54 ID:51jLo/Me
郷岸寺城 邑久郷村に在り。
宇喜多五朗左衛門居城。後筑前守と改む(馬場が家書に有)。直家と同姓なれども不和になり、馬場重介へ色々逆心の事をすゝめけれども、重介は従はず。其後當城にて病死レ一に切腹す。當村に墓も今在せり。
應仁文明の頃に、宇喜多五朗右衛門といふ者あり。此五朗右衛門が先祖ならん(西大寺圓満院に五右衛門が寄進状あり。
古墳
宇喜多順歌墓 邑久郷村に有り。墓印に松一本あり。
按ずるに、當むら江岸寺の城主宇喜多五左衛門が墓也。順歌は法名なるべし。
古墳 同村にあり。一本松といふ。何の故といふことを知らず。小さな塚也。
宇喜多宗因墓 濱村に有り。當村の城主也。
570 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 08:54:33 ID:Y3kkkMdD
>>567 もう書込むつもりは、無かったのですがよくお名前を拝見するので、
系図を分けて記載します。ちょっと考えたら有り得ない話だそうなので参考ていどにしてください。
(衣笠家良の孫)(丹後守)(備前守正風)(仙意)(元和)
明石久行……………景行―――宗和 |―貞行―貞則(左近将監)
|――――-|
宇喜多能家娘 |――女子
| |――――――小寺孝高(黒田如水)
| 小寺職隆美濃守宗円
|――女子
|―景次
梶原景則(高砂城主)
571 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 10:25:40 ID:Y3kkkMdD
すいません、系図うまくできません。
うまく書き込む方法教えてください。
572 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 12:16:00 ID:lDWhEOCM
>>571 行間調整に半角スペースを2つ以上連続させるのはタブーだよ。
573 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 12:28:27 ID:beEi9ouy
2chブラウザのプレビュー機能ぐらい使おうよ。
574 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 16:18:43 ID:Y3kkkMdD
ありがとうございます。(プレビュー機能で失敗しました。)
明石宗和(明石城主・備前守正風)父景行(丹後守)妻宇喜多能家娘
子 貞行(仙意)娘(小寺職隆室) 娘(梶原景則室・高砂城主)
※明石貞行 子貞則(元和・左近将監)
※梶原景則 子景次
575 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 16:55:05 ID:Y3kkkMdD
小寺職隆(美濃守・兵庫助宗円)父母 父黒田重隆(下野守)
母妻鹿氏娘
兄弟 小寺休夢(僧位山地蔵院主・千太夫高友)
井手友氏(勘右ェ門・墓妙円寺)
松井重孝(墓円応寺)
妻 明石氏娘(小寺政職養女) 神吉氏娘 尼子氏娘
子 (母明石氏) 小寺孝高(黒田如水) 利高 女子(三木氏 室) 女子(尾上武則室 旧岸和田城主)
(母神吉氏) 長基
(母尼子氏) 直之 女子(一柳直末室)
※尼子氏娘、母里小兵衛との間に子(雅楽)有り
576 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 17:26:20 ID:Y3kkkMdD
小寺孝高(管兵衛・黒田如水)
父母 父小寺職隆 母明石氏(小寺政職養女)
妻 櫛橋氏娘(幸圓 小寺政職の姪)
子 黒田長政 熊之助(早世)
櫛橋政伊(左京亮) 父櫛橋伊定(則伊・豊後守)志方(加古
川)城主 母小寺氏
兄弟 女子(上月景貞室)
女子(小寺孝高室)
子 藤九朗定重(筑前で二千石)
上月景貞(十郎) 妻櫛橋氏
子 女子(平岡石見室)
黒田二郎兵衛政好(中津で二千八百四十五石)
577 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 21:48:45 ID:LPgdoWnh
>>492 主家が家臣に姓を与えるのは、一門並みに信頼している(だから裏切るな)。
と他の大名などへ使者として赴く時、便利(得体の知れない名より信頼される)
等の理由があり与えた。まあ、褒美として与えたのは先見の明が直家のは、有
ったと思うけど。
578 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 21:49:13 ID:LPgdoWnh
>>492 主家が家臣に姓を与えるのは、一門並みに信頼している(だから裏切るな)。
と他の大名などへ使者として赴く時、便利(得体の知れない名より信頼される)
等の理由があり与えた。まあ、褒美として与えたのは先見の明が直家のは、有
ったと思うけど。
579 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 00:50:11 ID:jW0ODd8Z
宇喜多とは関係ないが
小野小町 増補吉備物語(他の古書にも記述あり)
謡に云う、小町は出羽の郡司小野良實が娘とうたへり、或は小野富澄が姫共云り、
つれずれ草に小野小町が事極てさだかならずとぞ侍り、世伝に云う、人皇五十二代
嵯峨天皇の御宇かとよ、小野當澄と云人当国の守護として窪屋郡黒田村に居住すと
なん、或は郡司共云り、其末孫とて小野氏の名主庄官等今に数多数当国に有、其當
澄一人の娘をもてり、名を小町といへり、此時代吉備公の名残遠からず二三十年の
内なれば国に文学盛也、小町器用にて博く和漢の書物を読三史文選白氏文集をそら
んじ老子の言葉南花篇学び残せる文もなし、其頃湯川寺に玄賓僧都おはしまし、仏
道執行の隙なきにも折にふれ事によそへて和歌を詠し給へば賤山賤まで是を翫びけ
れば、朝暮小町を読上手に成其名隠れなかりしかば、采女に召され上洛し小野小町
と申侍るとなん、
窪屋郡黒田村 現総社市清音黒田
580 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 15:09:15 ID:kUy6utFH
あげる
581 :
人間七七四年:2008/03/14(金) 17:01:44 ID:v4yW+LUI
立花宗茂と秀家の仲が悪かったってのをみたがなんか意外だ
ちょっと前に出てる宇喜多能家次男四郎の件ですが、
『備前宇喜多氏の系図』に収録されてる宇喜多氏の系図では、
能家の次男として義家が記されており、その注釈には
「四郎 大永三年播州の合戦で討死 十八才」
と、唯一四郎の名が見られる備前軍記にも記述が無い享年まで書かれています。
この系図は、
「高山不二雄氏・八瀬孝氏による」もの (『戦国宇喜多一族』に
掲載されている系図と同)
ですが、しかしソースまでは分かりませんでした。
583 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 13:25:13 ID:WePclhHk
系図類じゃないかな?
584 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 16:11:15 ID:H8gON5HV
どの?
585 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 18:46:46 ID:PxsBgH0o
>>581 俺も気になっ知べたり立花氏の掲示板で質問してみたが、
要領を得かったい、大阪かどこかで宇喜多の兵と立花の兵が、いざこざが
おこしりて、宇喜多は豊臣一門、立花は武功派だから問題がこじれた
みたいなようなことが記入されていた。
(これにも、宇喜多詮家がからんでいたりして ただたんに偏見です。)
間違っていたら訂正お願いします。
586 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 19:03:04 ID:lbMMgEts
うーん?
秀家が「立花はたかだか数千の兵の将だから見捨ててもよいだろ」って発言して立花は怒ったが
「殴りに行ってやろうとも思ったが向こうも若気の至りの発言だろうから気にしない事にする」
ってな感じで穏便に事ついたんじゃないかな?それ以前から対立あったならそれは知らんけど
587 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 22:39:14 ID:QDaztMpA
>>586 史料によっては金吾の発言になってるらしいよ
588 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 00:10:33 ID:SEkLyuq0
ちょw どっちなんだ
589 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 00:13:05 ID:qp8dMjE9
「上層部の判断」がそうだったって事でいいんでない?
590 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 02:45:54 ID:X0R3g9vU
文禄・慶長の役のときに、宗茂は小早川勢と同じ組のことが多いけど、
文禄のときは隆景と秀包だろうから(秀包とは大津攻めでも同陣)、秀秋だとしたら
慶長の役のときのことじゃないかな?
591 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 09:34:42 ID:WW+CEw/z
立花宗茂と小早川秀包は義兄弟の契りを結んでいたよ。金吾秀秋は関ヶ原の後、可児才蔵を迎え様とした時福島正則に文句を言われて「主家(豊臣家)に家臣の分際で文句をいう」と怒っていたが
592 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 11:54:01 ID:X0R3g9vU
秀家が「立花なんぞ小勢だし」といった話もたしか朝鮮出兵のときだっけ?
蔚山城での戦いの後で、戦線を縮小することを検討しているんだが、このときに
行長・宗茂・宗義智らがその場におらず、軍議に参加していないまま、軍の再編が
秀吉に伝えられているので、あるいはこのときかと思う。
まあ、個人的には秀秋に言ってほしいせりふではあるがw
593 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 14:22:33 ID:gMrAYZ6e
秀家って意外と性格悪いのかな…
それとも父を早くに亡くしてるから、
父と養父に溺愛されて名将になるように育てられた宗茂に嫉妬してたのかな?
いずれにせよ二人とも好きな武将なだけに仲悪いのはちょっと残念w
594 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 15:01:48 ID:/7vkqP+V
>>593 お坊ちゃまなので、素直に思ったことを口にしただけで悪意はないかと。
595 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:42:30 ID:Hu6LkEWs
>>563 明石景親・全登について調べて観たが、
おいらの調べたものは全て、正没不詳でした。
ただ、信長の野望蒼天禄には、
明石景親(1520〜1589病死)
明石全登(1551〜1615戦死)となっていました。
明石繋がりで播磨明石郡司系の明石氏の話をしますと、
最初に明石尚行が出てきます。この人物には、衣笠家良の孫という注が
付きます。衣笠家良は近衛家から衣笠家に養子入った人物で自身正二位
大納言になってます。尚行の何代か後に明石宗和(正風)が登場します。
この人物は和歌に秀で都まで名が通っていたようです。また正風の娘は、
小寺職隆に嫁ぎ黒田如水を生んでます。正風の後、貞行(仙意)貞則(元和)
と通ずくのですが、貞則の代で取り潰しになります。
あかしもととも 明石元知 ?〜1595(?〜文禄四)
黒田孝高の従弟で豊臣秀吉の家人。仙恵の男。天正十二年(1584)の小牧
合戦に従軍、翌年の四国征伐では各地に転戦して功があり、但馬国豊岡亀
城主(一万石)、ついで播磨国明石城主となる。同十五年の九州征伐、同十
八年の小田原攻めに従軍した。文禄元年(1592)の朝鮮派兵に際しては京城
に出陣した。同四年、関白秀次事件に連座して除封、小早川隆景に預けられ
たが自殺。 (明石元知は戦国人名事典を引用しました。)
長文になり申し訳ございません。名前が違うのは原文をそのまま使用しました。
596 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 00:27:13 ID:OxMu7wmS
明石スレにも天才してね
597 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 08:14:41 ID:jiRdA9dP
>>563 備前明石氏
戦国末期に活躍した備前国和気郡の土豪武士。
明石氏の祖は、赤松則村の子赤松範資。その5世
の孫周防守宗安が天文年間(1532〜1555)播磨国
明石郡に封じられ、初めて明石姓を称した。その子
清景が備前に移り和気郡坂根城(現備前市坂根)に
拠る。清景の孫源三朗景憲は1581年(天正9)宇喜
多、毛利の合戦とき児島郡麦飯山城で討ち死にし
た。景憲の長男が飛騨守景親、二男が三左衛門尉
景季でともに最初天神山城主浦上宗景に使える。
1577年(天正5)宇喜多直家が宗景を天神山の攻
めると景親、景季も直家に従い、景親は宇喜多直
家の客分として4万石を領す。景親の子が掃部頭
全登、その子が久兵衛景行で景季の養子となった。
景行の養子(実は弟)が右近で、直家に仕え4500石
を領したが1593年(文禄2)正月朝鮮出兵に従軍し
て戦場死した。全登は直家、秀家に仕えて知行2万
石を領し、関ヶ原の合戦の時は宇喜多勢の将となり
大阪方に属して奮戦、敗れて岡山城に拠って再起
を企てたが果たさず備中足守に潜伏。1615年(元和
元)大阪の陣に景行の子久蔵宣行ら一族を率いて
参戦したが破れ、潜伏3年の後に赦され、後に病死
した。景行は宣行が大阪の陣で討ち死にしたため、
和気郡吉永の土豪武元正高を女婿に迎え、徳川を
はばかって江戸時代は武元姓を称した。武元登々
庵・君立の祖で代々名主または大庄屋をつとめた。
維新後は明石姓に復した。
(岡山県大百貨辞典より)
598 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 10:04:28 ID:jiRdA9dP
宇喜多次郎九朗・・・・・・・・・・知ってる?
宇喜多次郎九朗 うきたじろうくろう ?〜一五八六(?〜天正十四)
秀吉の馬廻。秀家の一族らしいが、詳細はわからない。天正十四年
(一五八六)、大阪で千人切りと称して殺人を犯したこたが発覚。
豊臣秀吉が即日捕え、同年三月三日、自殺を命じた。
599 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 11:46:22 ID:qvqR3Ufj
>>598 千人切りって、大谷紀之介が病気治すためにやってるんではないかと噂になってしまったあれですか?
600 :
人間七七四年:2008/03/19(水) 15:57:04 ID:6ouqosFY
正直者 宇喜多詮家
宇喜多詮家は正直者である。幼少の頃、父忠家が宇喜多家の代理として
政・軍務に多忙で父と接する機会が少なく、正直に八朗(秀家)に嫉妬した。
そして朝鮮の役では主君より自分に正直に出陣し武勇をもって知られる。
あまりに、正直なので父忠家は秀家と詮家が対立するのではないかと、
心配し、詮家が自分に正直に行動し問題を起こす前に家督相続を申し
出る。秀家は長年自分を補佐してくれた忠家に報いるために、、家督
相続を許す。忠家は安心し剃髪隠居し安心と号した。家督相続を認め
られ、一門筆頭になった詮家は自分に正直に派閥を造り、秀家と対立し
要求が受け入れなかったので大阪で市街戦寸前までに持ち込む。
困った秀家は大谷吉継と徳川家康の臣榊原康政に仲裁を頼むが
条件が気に入らないと詮家は正直に断る。仕方なく秀家は徳川家康に
頭を下げ仲裁を頼む。実力者家康の仲裁とあって正直に受け入れる。
その後、詮家は宇喜多家に帰参し、上杉討伐の宇喜多先発隊として、
五千の兵を率いて出陣、その後石田三成ら西軍の挙兵の報を聞くが、
自分に正直に黒田隊に合流し東軍として戦う。徳川家康に宇喜多の
姓は聞きたくないと言われると、正直に姓を坂崎に改めた。そして、
詮家の甥(宇喜多左門)が家臣を殺し詮家の姉の嫁ぎ先の富田信高
に匿われ居ると知ると正直に数年に渡り富田家を訴え続け富田家は
改易される。大阪夏の陣で落ち延びた千姫一行に偶然出会い正直に
家康の元へとどけた。家康の死で千姫の件を全て無効とされた詮家は
自分に正直に江戸に兵を呼び寄せ要とした。それを知った幕府は
詮家の隠居及び長子へ領土相続という妥協案を示した。その案を
知った詮家は自分に正直に行動した(自ら子を殺害)しかし、あまり
にも詮家が自分に正直すぎるので、家臣によって寝首を斬られた。
601 :
人間七七四年:2008/03/19(水) 17:31:40 ID:VKAgbZXN
無能だな。結局自分の欲望に正直なんだから。
602 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 20:07:10 ID:aS/9anbv
603 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 19:46:11 ID:I2pMIFet
604 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 21:40:10 ID:GdmunYx3
1573年
長府毛利家文書
輝元が穂田元清に当てた手紙。
信長には強気な態度をとることが寛容である。
次は宇喜多直家に注意せよ。信長が敵となれば直家を先鋒として戦わせれば問題ないだろう。
浦上はほっとけ、兎に角毛利が織田を気にかけていることは絶対に直家には知られないように。
605 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 08:33:27 ID:nbx6xcew
606 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 12:49:28 ID:amybXFRb
先鋒なら寝返っても致命的なことにはならないものなぁ。
後詰が寝返ったら最悪。
607 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 20:49:59 ID:DNXP+q0j
関ヶ原前に起きた御家騒動について色々語れる人いる?
608 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 20:53:41 ID:k619nvTz
609 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 00:28:45 ID:k7e0p3F6
>>607 豪姫と秀家の豪奢な生活により財政が圧迫し
建直しをはかる為、領内の検地を実施し
国許の武将が反発し、連動するようにキリスタンと
日蓮宗の対立も表面化
610 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 17:07:37 ID:AkHYdST3
我々は岡山人が何故このような犯罪を繰り返したのかという
疑問を解決するため、岡山人の故郷である岡山に向かった。
「まだ世界にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、
そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
プロ野球だの、Jリーグだの、球界再編だので浮かれていた
我々は改めて岡山の現状を噛み締めていた。
ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、火病をおこしながら
「賠償しる!謝罪しる!反省しる!」と我々に何度も土下座するように要求した。
我々はこの時初めて岡山人を許すまいと思った。
誰が悪い訳ではない、岡山人の根性の汚さが全て悪かったのだ。
我々は岡山人の母親から無理矢理売りつけられたマスカットきびだんごとママカリを手に、
打ちひしがれながら東京へと帰路についた。
611 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 17:19:20 ID:nWzJGPkg
死ねよな
612 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 17:21:22 ID:RFlG53Ou
宇喜多秀家は大河にでもなれば一気に人気者だぜ
美形で忠義者
613 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 17:21:48 ID:nWzJGPkg
あと犯罪を繰り返したとは?
思い付いたのは岡山駅のだけどあれは大阪人だよな
614 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 22:06:38 ID:4AtT2wLB
615 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 23:13:12 ID:k7e0p3F6
豪姫はオスカープロでお願いします。
616 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 09:16:24 ID:Q4kscf0Y
宇喜多広維について
岡山城主宇喜多和泉守直家は芸州毛利氏の同盟者で、
備前、美作、播磨三ヶ国の旗頭。
先般、幕下の上月城主赤松政範より急使があり、
心に一物があるが、援助することになり、家老長船
久右衛門並びに岡剛介を目付けとし、舎弟宇喜多
掃部助広維(沼城主、政範の妹婿)を大将に総勢
三千騎を派遣することになった。
兵庫県史 史料編中世三
上月城主赤松蔵人大輔政範(佐用、赤穂、揖東、
揖西、宍栗の五郡を領して、禄高十六万石、俗に
西播磨殿とよばれていたという)
天正五年、羽柴秀吉上月城攻時、岡山側の史料で
沼城主は宇喜多春家
617 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 22:00:39 ID:Q4kscf0Y
上月城史
大永二年(1522) 上月城山名誠豊に攻略される。
享禄二年(1529) 上月城はこのころ出城四ヵ城を築く。
天文七年(1538) 上月城尼子詮久に降る。
天文十年(1541) 上月城大内義澄の攻撃をうける。
天文十二年(1543) 上月城浦上宗景に攻略される。
天文二十二年(1554) 二月 陶晴賢上月城を攻める。
弘治三年(1557) 上月城主に置塩城主赤松左京太夫義村の子右京太夫政元が移り、
七条家上月城主となる。
永禄二年(1558) 宇喜多直家上月城を犯す。
永禄三年(1560) 毛利元就の兵美作より入り上月城を侵す。
永禄五年(1562) 宇喜多直家上月城を攻める。
永禄十二年(1569) 宇喜多直家上月城を攻めるが追い返される。
元亀二年(1571) 宇喜多直家上月城の搦手を襲い政元苦境に入る。
元亀三年(1572) 上月城主赤松政元宇喜多直家と盟を結ぶ。
天正一年(1573) 赤松政範兄政満の死亡により家督を継ぐ。
天正三年(1575) 六月 上月城主政範宇喜多を通じて毛利と盟を結ぶ。
天正四年(1576) 吉川元春に但馬を追われた尼子勝久、山中鹿之助介は、
四月上月城を攻めるが、政範は宇喜多広維の助力を得て、
防御に成功す。
天正五年(1577) 七月 上月城に秀吉の使者木村源蔵、山中鹿之介が来て
政範に信長の教書と秀吉の添状を与える。
十月 政範は籠城して秀吉と戦うことに決定する。
十一月 赤松義則、別所定道、政範を裏切る。政範は秀吉を
迎え撃つが包囲され水の手を断たれる。岡山より宇喜多の
援軍(広維)が来るが、秋里口に待ちかけた秀吉軍と激突して
引き分けとなり、宇喜多軍夜中に上月城に入る。
十二月 上月城支城の福原城が落とされ、城主藤馬允は福円寺
で自害する。
上月城は秀吉の総攻撃を再度うけてたまらず、政範は自ら火を
かけて自害(広維もこの時自害する)して、上月城は秀吉の
手に入る。
618 :
人間七七四年:2008/04/21(月) 09:28:13 ID:OkaZLgmK
「わしが相手を裏切ることがあっても、相手の裏切りは絶対に許さん」
「わしは、自分が天下の人にそむこうと、天下の人にそむかれるのは我慢ならんのだ」
誰の言葉でしょう?
By 曹操
619 :
人間七七四年:2008/04/22(火) 00:52:50 ID:N7HBDjXa
直家は少年時代、鷹狩りや競犬にうつつをぬかし、遊びほうけていた。それを見た叔父が、
折にふれて父親の興家に告げ口する。それが直家にはうっとうしくてたまらない。
ある日、道で叔父とでくわしたとき、わざと顔をひきつらせ、口をゆがめてみせた。
「なんだ、どうかしたのかね」
「急に顔がしびれまして」
叔父がさっそく興家に知らせる。興家はびっくりして、直家を呼んだ。
顔のどこにも異常がない。
「叔父さんの話では、顔がしびれているそうじゃが、もうなおったのかね」
「でたらめですよ。叔父さんに嫌われていますから、ありもしないことをいわれてんでしょ」
興家はわけがわからなくなった。それからというもの、叔父が何をいってきても信じようとしない。
直家はますますやりたい放題ふるまった。
んなことしてる前に父ちゃん落ちぶれてるやん。
621 :
人間七七四年:2008/04/22(火) 11:42:21 ID:798236FX
なぜいきなり曹操ネタ
622 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 00:35:49 ID:h6apq/uY
直家に主・宗景を追放された家臣は、直家に仕えることになった。直家の昔を知る宗景の
旧臣達は直家の存在が面白いはずがない。旧臣達のなかには、
「直家を亡き者にして、宗景様に復活してもらおう」
と、密議をこらす者も出てくる。
ある晩、彼ら不満分子は反乱の兵を挙げ、城に火を放った。しかし、反乱はあっけなく鎮圧
された。それでも直家の怒りはおさまらない。やがて宗景の旧臣達がひきすえられる。直家は、
「事件の夜、火を消しに駆けつけた者は左、そうでない者は右に並べ」
と命じた。
旧臣達は、火を消しに駆けつけたことにすれば無罪になると思い、全員が左に並んだ。
ところが、それを見た直家は
「火消しに駆けつけた者こそ、反乱者である」
と言って、皆殺しにしてしまった。
623 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 12:38:36 ID:NCGh0ZWT
乙子城を与えられた直家は領地も少なく十分に家臣を養えない。そこで直家は度々盗賊行為をしていた。
ある時、海賊の屋敷に盗みに入り発見されてしまった。逃げる途中、家臣の一人が足を挫き倒れてしまった。
その時、直家は、海賊に向かい、
「ここに、盗賊が倒れているぞ」とさけんだ。
それを聞いた直家の家臣は足の痛みを忘れ立ち上がり再び逃げはじめ、無事に直家と家臣は逃げ帰ることができた。
624 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 13:13:28 ID:XEiyQRtr
もろ曹操のパクリじゃん
実話?
625 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 17:25:45 ID:aa9P/gLY
微妙に史実ともあってるから素人は混乱しそうだな
626 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 17:26:45 ID:QzuK6TEk
皇紀2668年4月26日(土) エクストリーム聖火リレー 勢力構成
◇赤軍
シナ人 約2000〜3000名
シナ工作員 推定1000名くらい
青装束軍団(特殊工作員) 2〜6名
売国マスゴミ 推定200名くらい
売国左翼・売国日本人 推定数百名
朝鮮人 推定数百名
邪火ランナー(星野、有森、萩本等)
機動隊・警察・公安 2000〜3000名
◇我が軍
ネット連合(2ch、mixi、ブログ等)
穏健派・撮影部隊・通信部隊等 推定200〜300名
ネット連合 過激派(消火班、武装派、ウンコ・ギョーザ投てき) 推定100名
チベット・ウイグル・モンゴル・台湾人 数百名
国境無き記者団 約50名+ボス
新風 約50名
街宣右翼 約50名
仏教徒・仏教関係者・善光寺 推定数百名
反中日本人 推定数100名
欧米人・欧米マスコミ 推定数百名
一般マスコミ(産経・関西のテレビ等) 数十名
宇喜多勢 1名
◇中立勢力
一般日本人 数千〜数万名 (←ここを味方につける必要あり!)
http://nullpo.vip2ch.com/ga18628.jpg http://jp.youtube.com/watch?v=FdVLoI9jhAo
627 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 22:12:16 ID:NCGh0ZWT
ようこその、御運び厚く御礼申し上げます。
ご指摘のとおり、619・622・623は曹操の逸話を元に書き込みました。
でも、解かり易いように618で予防線を張っていたのですが?
では、あと2話ほど、これは解かるとおもいます。
628 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 22:34:53 ID:NCGh0ZWT
あるとき、敵と交戦中、敵は兵を引き篭城してしまった。そこで直家は兵糧攻めに切り替え城を包囲した。
しかし、他の勢力が敵に味方し糧道が途絶えぎみになった。直家はひそかに兵糧担当の家臣を呼んで対策を計った。
すると家臣は進言した。
「升を小さいのに代えて食いのばしをはかりましょう」「よし、それでいこう」
そう言って、直家はすぐに実行した。しかし、その処置が兵達に知られてしまい、
「直家さまは、われわれを騙した」
と噂が飛び、士気も落ち不穏な空気がみなぎった。すると直家は、兵糧担当の家臣呼び出し、
「この場をうまくおさめるために、おまえに死んでもらうしかなくなった」
と言い、むりやり切腹させてしまった。その後ふれを廻し騒ぎは収まった。
629 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 22:53:25 ID:NCGh0ZWT
ある時、叔母の尼が「愚弄曹司とか眠り狐」と直家が呼ばれているのを心配して、
宇喜多家縁の寺の和尚に学問教授の依頼をした。直家はしばらく寺に通い学問を習っていた。
その和尚は人物鑑定に定評が有り、よく遠国からでも人が訪ねて来ていた。
あるとき、直家は和尚にたずねた。
「わたしはどんな人間でしょうか」
和尚は黙ったまま答えようはしない。「ぜひに」と直家が迫ると、ようやく口を開いた。
「太平の世であれば有能の能臣、乱世ともなれば腹黒い英雄であろう」
直家は声をはりあげて笑った。
630 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 22:55:51 ID:aa9P/gLY
うまいなあ
>>629を見て思ったのは、
直家の幼少時代の逸話って『備前軍記』の有名な
あのエピソードと、『浦上・宇喜多両家記』収録の
忠家との比較ぐらいしかないような
632 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 23:23:37 ID:4IaNQrlk
「わしは、和泉守様が御病気の時は代理として、亡くなられた後は秀家様の代理として、
宇喜多家を看なければならなかったので、子供等を寺に預け学問をさせた。出来れば兄
(詮家)の方の気性が直ればと思っておった。直らなければそのまま僧侶にして弟の方
に家督を継がそうと思っておった。しかし兄の方は寺を嫌がり、逆に弟の方は兄の気性
の激しさを恐れ出家して僧侶(後年、感応院大ヶ島住職)なってしまった」
633 :
人間七七四年:2008/04/25(金) 00:01:44 ID:McRmqwMw
「詮家はこの頃、助兵衛(花房職秀)と付き合い、まねをしておる。助兵衛は武勇に優れた剛直の士であるので、
付き合うのは良いことだ。しかし真似は困る、助兵衛は先陣を切る。しかし、これは水が布に染み渡るが如く、
敵に対して勝ちが決まったような状態で先陣を切る、だからいっそうあざやかに見える。決して無理はせぬし、
無謀ではない。しかし詮家は違う華やかさばかりを気にして先陣を切る。
助兵衛は、かぶく、近隣に名が知られており、太閤殿下にも愛されておる、だから、都や浪速でも
「あのかぶき者はだれだ」と聞かれれば、
「宇喜多家の花房助兵衛殿よ」と言われ宇喜多家の武名まで上がる。詮家がかぶいても、只のかぶき者で終わって
しまう。本質が解っていないのだ」
634 :
人間七七四年:2008/04/25(金) 00:40:35 ID:McRmqwMw
「わしは、和泉守様が恐ろしかった。他の者もそうであったと思う。しかし和泉守様は、
信頼されておった。遠藤兄弟を見た時は無骨で荒々しく、いくつもの家を渡り歩き使い
こなせる者では無いと思ったが、今ではすっかり忠誠尽くしているではないか。
弥九朗(魚屋・小西行長)もそうじゃ。和泉守様が信頼し羽柴殿との交渉を任されたの
で、家臣と成り宇喜多家の為に武器・兵糧の手当てに走り回った。太閤殿下の家臣に成
った後も宇喜多家の為に便宜を計ってくれておる。しかし詮家は和泉守様の甥、わしの
嫡子という立場で同僚や家臣に威張り、わしの付けた老臣も遠避けておる。これでは、
恐れられているだけである。」
635 :
人間七七四年:2008/04/25(金) 00:43:11 ID:McRmqwMw
以上、勝手に書いた「宇喜多忠家の憂鬱」でした。
636 :
人間七七四年:2008/04/25(金) 20:16:22 ID:JLS8eXkC
荒らしだな
637 :
人間七七四年:2008/04/25(金) 21:24:21 ID:v8wwskxj
いや〜、ただの坂崎出羽守嫌いですよ。
638 :
人間七七四年:2008/04/26(土) 16:04:46 ID:GXk8ZiUy
宇喜多四朗・広維・基家・桃寿丸 早くに惜しい人物を亡くした。
でも、大局には影響ないような気がする。
639 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 22:49:38 ID:Dxs9TL3N
豊臣秀吉と宇喜多秀家のエピソードって色々ありそうだね。
相当可愛がってたみたいですし。
640 :
庭瀬藩主:2008/05/07(水) 12:25:26 ID:gyo4xw5r
突然ですが、宇喜多家の重臣戸川秀安の父定安は、宇喜多能家の妾腹の子と言われている。
岡元忠(豊前守利勝)と秀安は異父兄弟と記録があり、母親は宇喜多直家の弟忠家の乳母であった女。
一子平介(秀安)を連れて岡惣兵衛元重に嫁いだとある。元重は明禅寺合戦に功があったようで、
藤原、宇喜多の姓を称していた。
岡利勝の息子は岡九郎右衛門家利で、妻は明石掃部頭全登の妹。その子平内(妻は明石掃部正娘)が
大阪の陣で篭城し後に幕府に自首して自害。父家利、弟忠兵衛も切腹。弟平四郎は津山城主森忠政に、
喜代丸は庭瀬城主戸川逵安に仕えた。岡の家は家利の弟元春(家重)が後を継ぎ、その次男静隠壽元は
日本で最初の小児科医となったと医学史にある。
戸川秀安の娘は宇喜多詮家と角南隼人にそれぞれ嫁いでいる。
その後、岡一族は代々徳川家の専属医師として最後まで仕えたようだ。
641 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 15:41:15 ID:VYOTrBtX
>>640 詳しいね。
でも利勝と家利の親子順が逆だと思うよ。
642 :
庭瀬藩主:2008/05/07(水) 22:10:50 ID:gyo4xw5r
岡利勝が父で九郎右衛門家利(越前守)が息子です。
岡元忠 豊前守 利勝 通称平内 従五位下
備前国出生浮田中納言秀家之臣也知行二万五千石領
文禄二年八月九日於朝鮮病死
(加筆)乙子城以来直家ノ功臣 武芸優レ出軍四十余回
天正十年光秀トノ合戦上洛ノ秀吉二加勢、秀吉の寵愛ヲ得権勢を振ル
岡九郎右衛門家利 越前守 或家俊 従五位下
備前国出生浮田秀家之長臣也 父元忠遺跡ヲ續
朝鮮千石領 朝鮮渡海ス浮田家退去之後花房志磨守ト同属家康之幕下暫南都居
(加筆)関ヶ原役後家康召シ出サレ旗本二列ス(略)
元和元年七月三日於妙顕寺切腹跡絶
これらは、不鮮明ではあるが、駿河国(静岡県)士族 岡某氏が所有する古い系図の一部を書き写したものによる。
本能寺の変の際、秀吉が短期間のうちに京に戻れたのは岡利勝、戸川秀安など宇喜田の重臣が先行し、
宿場宿場に馬と食料を準備していたからという説もある。
利勝は秀吉が一番恐れた武将で、宇喜田秀家の居城を訪ねた秀吉は、脇差しも持たずに利勝に
自分を背負わせて籠まで運ばせたそうだ。信頼している証を見せたかったからだと言われている。
又、酒宴の場に居並ぶ武将の前に利勝を召され、裸になるように命じ、その刀傷だらけの体を見
ながら「戦ではこれくらい戦え」と言わんばかりに褒美を下した。それを知っている家康は宇喜田家の
騒動の中で徳川側に取り込んだと言われている。
643 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 10:08:50 ID:VuBIf13G
644 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 12:59:10 ID:hA9mjLqq
645 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 19:13:16 ID:ghyEC1Dw
へタレ武将宇喜多秀家(笑)www
八丈島で野垂れ死にwww
646 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 19:19:09 ID:W31Knuyk
野垂れ死にかどうかは…
意外と健康な生活送れたんじゃね?
647 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 19:42:37 ID:EnSE1/ji
支援は前田家や旧家臣からそこそこ送ってもらってた。
たまに事欠いて督促しなきゃらならんときもあったらしいが。
宇喜多三老ってたぶん江戸時代に選定されてるよな。
649 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 00:44:41 ID:0y8tt7/P
明石の存在の解釈!
651 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 18:32:13 ID:ksu79BhY
福島正則>>>>>>越えられない壁>>>>>>>宇喜多秀家(笑)
652 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 22:15:48 ID:5NhxhiNF
>>651 そりゃ、秀吉から見れば血縁だからな。
越えられない壁だろ。
だから福島はここで微妙に叩かれている理由の一つだなー。
653 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 14:06:16 ID:ugesq+Sy
へタレ宇喜多wwww
語りもできんくせにいちいち貶める低俗なネタ、そろそろ何とかならんのか。
今更ながら、安富氏と浦上氏は近親だったんだな。
656 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 12:28:24 ID:uRTmTFFl
へタレ宇喜多wwww
657 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 21:52:31 ID:d9NzG4Nx
>>642 通説通りなら、豊前守=利勝=父、越前守=家利=子なんだけど
wikipediaでは、逆だよという
658 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 11:49:46 ID:Wip+0Q1K
>>655 瀬戸内海挟んでの付き合いか。
>>657 主君から偏諱を受けるほど活躍したのは親父の方だろうな。
よって、家利が親父説に一票。
問題は、いつ諱が入れ替わったのか。
岡家の家譜でも発見されればねー。
659 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 16:03:17 ID:jaLyFaAa
バカ大名宇喜多wwwwwww
660 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 17:06:29 ID:V5Rmugj5
宇喜田 NOW YEAH
661 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 17:46:53 ID:Fp0PEORD
Wikipediaは具体的な出典の書状が書かれて無いのは措いといて豊前守=平内丞=家利は良いとしても、
越前守=利勝とする根拠に全く触れてないような。
利勝が直家の出世後に偏諱を賜わって家利に改名した可能性とか考えられないんだろうか。
豊前守=利勝を広めたと思われる『備前軍記』にも豊前守利勝や肥後守逵安、志摩守正成などはあるが
確か越前守は諱が書かれて無いんだよね。
662 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 17:51:40 ID:Fp0PEORD
663 :
人間七七四年:2008/05/22(木) 17:16:29 ID:fXmrId+f
糞宇喜多
664 :
人間七七四年:2008/05/22(木) 23:01:35 ID:giLgkyJ5
思えば兄者は弟のわしでさえ、片時も油断のならぬ方であった・・・。
兄者の前に出るときはいつ中田しされてもいいよう、常にコンドーム持参で
あったわ。
665 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 00:00:26 ID:kBsloWJI
>>661 そうなんだよね
備前軍記より
父=岡平内利勝=豊前守
(→直家の時代に活躍、朝鮮で病死)
子=(?)=岡越前守
(→秀家の時代に筆頭家老になる、地侍帳にも記述あり)
子=岡信濃(清三郎→剛介→信濃)
(→龍口城攻略)
備前軍記附記より
豊前守→→越前守→→平内(大阪の陣:豊臣方、キリシタン)
「豊前守の子が越前守で〜・・・。越前守の嫡子平内〜・・・。」
※つまり豊前守(平内)と平内は、祖父と孫の関係?
666 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 09:22:49 ID:6YQffD2I
林羅山が岡越前守の名を「家俊」って書いてたらしいから
かなり早い段階で勘違いがあったんだろうな
成田親泰とかの件もあるけど、かなり昔の人間がやらかした勘違いは見つけにくい
667 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 14:07:01 ID:6OKyuhru
同年代w
668 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 17:10:45 ID:XcbkUhOP
>>667 と言う事は越前守=家利(家俊)なのかね?
669 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 10:58:26 ID:w9KfnQQx
『駿府政事録』 によると原主水佐と親しい岡平内は慶長4年 (1599) 頃、
父岡越前守家俊(おかえちぜんのかみいえとし)と共に宇喜多家を追われて
江戸で徳川家康に召し抱えられた。
そして慶長12年 (1607) 頃から駿府に扈従(こしょう)してきていた。
そこで原主水佐は岡平内の父と関係のあった安倍川の上流にある牧ケ谷村の耕雲寺 (静岡市牧ケ谷281番地) の住職によって匿われたわけである。
やがて原主水佐は傷も癒えて江戸へ行くのであったが、 江尻の湊から船に乗ったのであろうか、 そこには駿府からペトロ宗休が頻繁と往来していたのである。
元和元年 (1615) 5月、 大坂の陣が終わると幕府はキリシタンの取り締まりを一層強め、
元和2年 (1616) 8月8日の禁令では、 キリシタン本人の体を不自由にして放逐するのはもとより、 匿った者も死罪とした。
そのため岡平内兄弟はもちろんのこと父親である岡家俊も死罪となり、 耕雲寺の住職も自害させられてしまった。
その上、 耕雲寺は慈悲尾村の曹洞宗増善寺の末寺であったが、 臨済宗に替えられてしまった。
(高木一雄 キリスト教史研究家)
670 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 10:59:57 ID:w9KfnQQx
でも『駿府政事録』の記載がどうかまでは分からんからなんともいえんな
671 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 10:06:32 ID:PchPJiIU
672 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 11:19:21 ID:yG1zg9Tw
直家の両川暗殺計画が成功していたら毛利なんて即滅亡していただろうなぁ。
戦らしい戦を明善寺合戦だけであの位置まで上り詰めるなんて、民には有難い殿様だよな。
673 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 14:48:09 ID:Bo7oUSTZ
宇喜多氏について、関ヶ原直前には譜代の家臣団がごっそり
引き抜かれたために、数だけの軍勢で福島隊とやっとこさ互角
みたいな書かれ方しているけど実際はどうなんだ?
福島勢以外にも宇喜多隊と戦っていた軍勢は多かったはずなんだが
674 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 15:02:35 ID:Mzpviq8R
675 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 15:40:11 ID:IMjjatQy
>>673 たしか、大谷+宇喜多=17600VS福島+藤堂+田中+京極+井伊+忠吉=15000
まあ兵数的に見れば、そりゃあ互角になるだろうって数字だな
宇喜多は精鋭引き抜かれてるから、むしろ善戦した方かもね
×宇喜多は精鋭引き抜かれてるから、むしろ善戦した方かもね
○宇喜多は精鋭が選び抜かれてるから、むしろ善戦した方かもね
677 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 23:04:25 ID:GjJqVWOA BE:1705682096-2BP(0)
いろいろ調べてるんですが
岡家利(親)→利勝(子)という説は確定できる
根拠(資料や学説)があるんですかね?
いろんな説や見方がある、という段階であって
利勝→家利とする説も、
家利→利勝とする説もあり「ハッキリしない」
とかするのが現状なんじゃないの?
親子の名乗りが混同されたり、資料でごっちゃになるのは
よくある話だし・・・
当時の資料では親の豊前守が家利ってとこまでは明らかだけど
子の越前守の方ははっきりしない、てのが妥当じゃないかな
事蹟がもっと残ってそうな長船紀伊守の名だってはっきり分からないぐらいだから
679 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 22:49:59 ID:CQboSxW2
>>678 時期によって親の方が、「家利」も「利勝」も使ってたとか
もしくは書き記す方が混同してたって線はないの?
全て親時代の記録は「家利」で確定?
同一人物でも、時代によって名前変えるパターンって多分にあるじゃない
681 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 02:28:56 ID:/b1Cg7qk
あんまり話題に上らないけど
秀家とその子孫が過ごした八丈島にも行って見るといいよ。
伊豆諸島の中でも大島程開発されてないし、
海とトロピカルな風景以外なーんにもないけど
すげえ透明度の海で最高だよ。
秀家のお墓参りついでに1度は行ってみてくれ。お勧めだ。
八丈島観光協会の人ではないけどね。よく遊びに行くんだ八丈島。
関東に住んでる人間なら沖縄とかに行く金と時間があったら伊豆諸島の方が断然いいよ。
すみません。質問です。
1・宇喜多家の水軍についての話が載ってる本とかサイトって
どんなのがありますか?
岡氏が船奉行だったという話とか。
2・虎倉城が伊賀氏から長船氏の拠点になったのはいつ頃ですか?
また、それが裏づけできる資料などはありますか?
3・児島地方侵攻の拠点として毛利氏が築いた城・砦などの
軍事拠点にはどのようなものがありますか?
わかる部分でいいので教えて下さい。
684 :
683:2008/06/09(月) 11:38:46 ID:Lu/etr5Z
>>683 他でも聞いてみようと思っているのでマルチポストになる可能性がありますので
質問一時保留とさせていただきます。
もし、他で判明したら、ここで報告し
そうでなければ、また再度ここでも聞いてみたいと思います。
情報がわかりましたら協力お願いします。
685 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 02:24:50 ID:CZxtOC6f
直家信者氏なら答えられそうだな>683
686 :
683:2008/06/10(火) 09:15:18 ID:NyVkEdK1
687 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 10:23:53 ID:v6h/l/1K
2.虎倉城主(伊賀氏→長船氏)
備前軍記によると「虎倉の城主伊賀久隆を
直家毒殺する事」の中に関連記述が見れます。
天正6年9月 宇喜多直家、伊賀左衛門尉(久隆)を毒殺
虎倉城 嫡子与二郎 しばらく篭城 その後 退城 毛利方へ
正月下旬 長船越中へ
688 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:01:26 ID:bIQydaKK
>>686 『萩藩閥閲録』に秀吉が中国方面の蜂須賀と官兵衛に宛てた(1584年)正月二日付の書簡があって
・虎倉城(備前)、桝形城(美作)を請けとるのは当然だ
・伊賀家久と草刈重継(美作矢筈城)の城は十分気をつけろ
・城々を渡さない場合には干殺しにしろ
・高田(美作)、松山(備中)、児島(備前)、八橋(因幡)等は毛利の元に留めたいと恵瓊から何度も言ってきてるが、
この様では毛利からの最初の和議条件に従い五カ国取り上げてしまえば良いのだから反って都合がいい
・長々の逗留ご苦労、戻ったら茶を振舞う、さぞ寒いことだろうから小袖を遣る
のような感じの内容。この書状は色々な本に引用されてると思う。
当時秀吉自らが宇喜多に恨みのある?伊賀と和議後も数回交戦した草苅とを特に警戒していたのが分かる。
抵抗を続けた岩屋城はこの書簡の指示通り周囲に10以上の陣城郡を築いて同年3月〜年末まで完全包囲した。
1月11日付の安国寺恵瓊の書簡では
・美作は高田を除き引き渡す ・高田・松山・児島は再度交渉
・備中内郡(中北部)を残し引き渡す ・伯耆は八橋・三頭を除いて引き渡す
とあり、その後9月9日付の文書で伊賀与三郎が備後に移ることを了承している。
翌年(1585年)正月17日付の蜂須賀・官兵衛から井上春忠宛の書状(『小早川家文書』)では
備中内郡と八橋は譲るが備前の児島は引き渡せ、四国征伐後は伊予土佐を与える、とあって
3月に官兵衛が児島を受け取りに行っている。
『備前軍記』では久隆の急死と退城の後、伊賀家久は忍山合戦に参加、虎倉を出て(再び城にいたとも読める?)
備後三原へ、とあるけど備後へ移った時期は書かれてないから矛盾はしない。
ということで虎倉城が確実に長船氏の拠点になったといえるのは1584年9月以降のことでしょう。
689 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:08:49 ID:bIQydaKK
続き
児島の毛利拠点としては村上水軍の使った本太城が有名。
他には元亀年間に児島北西部に鼻高山城を築城、八浜合戦前頃には常山の東の麦飯山城を奪い、
備中との海峡にある天城を普請し、常山にも普請を命じている。
これらは本太を除き全て児島北側の中海沿い。
児島東部の高畠氏(小串城・高畠城など)は毛利氏に属していた時期もある。
八浜合戦後はよく分からないが児島全土が宇喜多のものになったのは
>>688の通り1585年。
以上長々と主に『備前児島と常山城』からでした
美作国人の抵抗については草苅重継が後に記した身上書(『閥閲録』)によると美作の福田・中村・楢崎に加え
備中の多治部景治も味方したらしい。割譲の対象になっていた高梁川以東にいたためかな。
多治部氏は元々は備中北部の有力国人の一つだったけど落ちぶれて、景治の代で毛利家臣として功あって再興。
結局多治部氏のいる備中北部は安堵され、慶長期の分限帳では五百石未満の弱小国人で1595年没らしい。
690 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:29:19 ID:bIQydaKK
あと戸川秀安の水軍の件は当時の注進状があって村上水軍関係の本で見た気がするが史料名は忘れた。
武将の一覧はWikipediaにもあって、宇喜多家からは戸川秀安だけが参戦。
ただこの注進状は参戦した武将全員の署名があるわけではないとか書かれてた記憶があるから
他にも宇喜多家の武将がいた可能性は0ではない。
691 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:00:25 ID:NyVkEdK1
>>687-689 大変詳しくありがとうございました。
参考にします。本当に感謝です。
>>689 本太城は能島村上氏の拠点でよいのですか?
なんかどこかのサイトで1570年代は能勢頼吉の居城で、
宇喜多方として毛利方との戦闘が何度かあって撃退した、みたいな話があったのですが。
後に村上勢に奪われたとか、そういう事なのでしょうか?
>>690 一応、「水軍を率いて合戦に出た」という明確な資料があるのは
宇喜多では戸川氏だけ、という事でいいのでしょうか?
当然、資料に残らない海戦に出た人はたくさんいたのでしょうけど。
692 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 16:10:21 ID:IfPEZdes
幸村の兄と並んで秀家公は戦国最寿命やな
693 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 16:59:03 ID:QEVJPpqZ
694 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 20:00:39 ID:NEUkIJNY
相馬家臣の木幡氏は三代続けて80〜90代まで生きてたような
695 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 00:25:06 ID:yazz+lvT
>>694 相馬盛胤からしてけっこうな長寿だったような
696 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 01:05:51 ID:lfWvJZbY
697 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 23:10:10 ID:QjFwCd4Y
関が原では実働部隊は東軍10万に対し西軍3万7千で、宇喜多勢は福島勢を
深追いできなかったそうですね。
押しながら他の武将が参戦するのを待っていたようですね。
698 :
人間七七四年:2008/06/16(月) 22:30:51 ID:djhSQQJR
むかしどっかのスレで、
先手の明石が押し捲ってたけど、明石のほかに一軍を操れる武将がいなくて
二番手(本多政重?)との連動がうまくいかなくて押し切れなかった
ってのをどっかで読んだ気がする。
あと、福島勢が崩れたってたのを、加藤勢だったかが援護して持ちこたえたとか。
ソースは2ちゃんの戦国板だから、どこまで正しいかは知らん。
699 :
人間七七四年:2008/06/16(月) 22:35:33 ID:Q6CSZCTg
>>695 松平忠輝って改易されなければ晩年は畏敬の目で見られてそうだなw
もはや伝説化した神君家康公の男子なわけで。
700 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 15:27:35 ID:31nNfoXg
なんかちょっといい話ってない?
701 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 15:36:43 ID:cV50AbuO
こないだ宇喜多直家が、雨に濡れた子犬を懐に入れて
抱きながら城に連れて帰ったとこ見たよ
702 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 15:49:44 ID:foD2SB8v
暗殺犬に育てるんだな
703 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 23:11:22 ID:nGwuOCeh
火薬背負わせるのか・・・。
704 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 09:09:56 ID:BADOASFa
暗殺ターゲットに遊びに来ない?って誘うだけでホイホイやって来るのだから、
魅力が相当高かったんだろうか。
705 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 11:35:30 ID:VjXf7yy9
そうなんだそれが不思議なんだよ
706 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 21:50:55 ID:uVjvLguC
ぜんぜん時代が違うけど、斉藤一は実際はボケッとした顔の結構だらしない奴で
だからスパイの標的になった奴も油断してて全然気づかなかったらしいじゃん。
宇喜多直家も実際もボケッとしたおっさんだったのかもね。
黎明期の頃は兵士を養うため自分達は一月に何日か食を抜いてたって逸話も伝わってるし
直家は意外と人当たりのいいおっさんだったのかもしれない。
だいたいゴルゴみたいに見るからに暗殺者のオーラはなってる奴だったら
相手も相当警戒するだろうし、そんなにがんがん引っ掛からないだろう。
そんな人の良さそうなおっさんが見かけに似合わずにバッシバッシ暗殺かましていくから
傍で見ていた忠家は、かえって兄貴が裏で何考えてんのかわかんなくってブルってたんじゃない?
707 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 23:58:33 ID:9inr3Rma
いざ暗殺って時に、周りが納得するような雰囲気に持っていくのも
恐ろしく上手かったんじゃないかなぁ。
708 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 22:23:49 ID:ifI6f9D6
娘や自分の姉妹をここまで暗殺の為の布石に利用した男は戦国でも直家ぐらいだろう。
709 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 22:43:50 ID:cA0x6aWy
>>708 暗殺ではないが、信長は自分の妹や娘の嫁いだ相手がことごとく非業の死を。
710 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 05:19:55 ID:/iXRhvGH
>>708 ということはかなりのキチガイだったということだな
711 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 16:31:04 ID:zFukd5NP
龍ノ口も微妙になってきてる
713 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 18:39:50 ID:zTioGuOz
明善寺合戦について調べるには何を読めばいいんでしょうか?
714 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 04:01:50 ID:XEL6J0EQ
備前軍記は時代考証ズレ過ぎの上にフィクション要素も多分にあるかもしれない困ったちゃん。
でも完成したの安永4年(1774)だししょうがない。
直家の部下の誰かがちゃんと誰か記録係やれば良かったのに。
後から軍記の記述が覆る記述が出るわ出るわでもうね。
715 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 08:46:26 ID:tf7GhFAB
宇喜多信者きもい
716 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 00:32:14 ID:Uhi7ySHc
地味に宇喜多忠家ってすごかったような気がする今日この頃
717 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 11:53:02 ID:MBY91XP8
>>716 小早川隆景と戦って勝ってるし
直家死後の宇喜多を事実上支えたのは彼だしなあ
御家騒動の後にすぐに隠居しちゃったのが悔やまれる。
この時にうまいこと家中を統制できてればなあ・・・
718 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 01:03:58 ID:FnA/Z03s
>>716 息子がアレなのが忠家の最大の弱点だろうなぁ
719 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 15:02:15 ID:m8sVus/z
直盛さんにも少しはいい所がありそうなもんだが。
720 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 14:37:42 ID:eDuSYAmA
721 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 11:42:44 ID:pknMCE2d
毛利との戦で金星挙げたりと地味にいい働きの伊賀久隆を少々強引に消したのは
やはり自分の死期が近いのを悟ったからだろうか?
722 :
人間七七四年:2008/08/19(火) 19:31:29 ID:Pe1Xyw2d
備前軍記はいくら軍記物とはいえ年代考証が適当杉て困る
僕が好きなのは陰謀
妻はダメよとすがるけど
舅も構わずアサシン!
手の込んだ陰謀が好き
貫阿弥も暗殺
ヤバい匂いがする
ナ・オ・イ・エ!
僕は三郎
ナ・オ・イ・エ!
僕は危ないお兄さん
寺まで狙撃に行くよ
明禅寺で遊ぼうよ僕と
元常服を脱ぎなよ
岡はハニートラップなのさ
ほら触れてごらんよ
ピクピク動いてる(ハハハハハハ)
ナ・オ・イ・エ!
僕は三郎
ナ・オ・イ・エ!
戦国の梟雄
パパママごめんなさい(ah-han)
許して悪い子だよね
だけど…陰謀が好き
ナ・オ・イ・エ!
僕は三郎
ナ・オ・イ・エ!
僕は大悪人かもね
ナ・オ・イ・エ!
僕は三郎
ナ・オ・イ・エ!
戦国の梟雄(カモン!)
724 :
人間七七四年:2008/09/19(金) 14:16:45 ID:DrIc1NML
725 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 17:57:34 ID:s+6DwWJH
>>724 虎倉合戦の時期とか忍山合戦の時期とか
色々な伝承の寄せ集めで出来てるから鵜呑みにせずに
どれが真実でどれが嘘を伝えた部分か一次資料との突き合わせが必須。
浦上宗久の下りみたいにちゃんと史料読んでるっぽいのに読み違え起こしてたりとかミスも多い。
726 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 15:28:00 ID:Bw/zrYbk
そうなんだ。詳しいね。
727 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 01:38:33 ID:X2DhJ7/c
728 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 16:44:59 ID:qDHtFifK
たしか江戸中期
729 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 11:33:37 ID:kAoJ5ZTi
宇喜多氏の女子の嫁ぎ先は結構あると思うけど、
将軍の祖母とか天皇の祖母とかあるの?
有名所としては吉川広家くらいしか知らない
730 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 14:36:25 ID:goZScmxR
秀家の娘って伏見宮貞清親王の妃?
貞清親王の正妃は小納言局?
731 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 23:39:31 ID:oYnfnf0J
富田信高の奥方(武装して安濃津城合戦で活躍した人)が坂崎
出羽守の姉妹だったよ確か
732 :
人間七七四年:2008/12/08(月) 15:29:39 ID:JuLabz7O
富田って近江の方ですよね
733 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 15:24:25 ID:V1ld2bTH
出雲じゃ。
734 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 08:37:17 ID:E1xvZklx
岡山合戦戦国史・谷淵陽一
って本で、直家の死因が「癌」だったって書いてあるんですが
これを裏付ける資料、もしくは他の方の見解ってあるんでしょうか?
735 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 00:22:30 ID:Bq2bxSM6
発掘調査で遺骨に癌に侵された跡があったからほぼ間違いないよ。
736 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 02:35:17 ID:hBGUSP3h
>>735 ありがとうございます。何癌だったんでしょうね
737 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 13:17:32 ID:no7ncHXf
まて!
いつ直家の墓や遺骨が見つかったんだよ!!
このスレ的には大発見じゃないか!!!
738 :
人間七七四年:2009/01/26(月) 20:37:15 ID:59hs+iX5
どこにあったの?
739 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 15:05:51 ID:lY1q/Y6N
>>672 確かに直家って戦争で正々堂々と戦って名を残した人物より、
ある意味民草にとってはありがたい君主だったのかもなぁって最近思うな。
暗殺で領地奪うのと戦で領地奪うのじゃ前者の方が死者の数も圧倒的に少ない訳だし
そこんとこ踏まえて実は民草のことを考えて敢えて暗殺を選択した好人物説を…無いか
740 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 06:37:31 ID:gxEEOasj
>>734 備前軍記には、直家の死因は腫物で「一説には直家の腫物というのは『尻はす』という病気で、大量の血膿が出た。」とあるね
741 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 11:16:25 ID:XH8qogI/
>>739 暗殺って諸刃の剣だと思うけどなあ・・・
そりゃ家中をまとめる支柱を失って瓦解する場合もあるし
弔い合戦だ〜って相手が死兵になって却って損害が増す場合もあるし
当主を殺せば終わり、って話でもなく
最終的には殲滅にしろ降伏に持ち込むにしろ合戦はやらなきゃいけないわけだし。
暗殺や陰謀だけでのし上がった人って結果、長続きしないでしょ。
742 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 21:55:56 ID:f1dz5p9l
まあ実際、直家の暗殺も
戦いに勝つための事前準備なのもあるし
民草を救おうとかそういう感じじゃないでしょ
勝つための謀略として選択した1つに暗殺があるだけで
寝返り工作とかも同時にやってるしね
陰謀でのし上がった人が長続きするかどうかは状況によると思うけどな
宇喜多家がなくなったのは直家とは直接関係ないし、
直家はギリギリ成功したんじゃない?
743 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 03:18:04 ID:V9Aprjoo
陰謀でのし上がるといえば、その筆頭は毛利元就だものね。
744 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 21:03:43 ID:9PqMrJ98
745 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 22:03:03 ID:T5PPMBKm
>>742 俺が言ったのは宇喜多家の話じゃなくて
そういう謀略「だけ」で成功した人は少ないよね、っていう話。
わかりにくくてすまん。
当然、直家は「だけ」の人じゃなかったから
成功したって事。
746 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 15:46:43 ID:1mqbI8un
謀略以外のよい点はどんなとこだろ?
747 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 19:08:42 ID:H8zil4rl
嫁が美人。
748 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:38:12 ID:CthiD62e
美作を毛利とガチで取り合って五分と五分の勝負をしてたな
749 :
人間七七四年:2009/03/05(木) 13:22:40 ID:MsT7qA4E
高橋直樹の「宇喜多直家」を買ったんだけど、面白すぎて一晩で読み終えてしまった。
ただ、これって史実とは色んなところで違う気がするけどどうなの?
750 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 22:56:39 ID:0pYRdymf
>>749 小説だもの。キャラの性格付けなど
黒部亨の本よりこっちのほうが好きだ
751 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 23:55:47 ID:lBaXjWHC
直家だけでなく宇喜多三老+忠家+戸川母が揃いも揃っていい味出してるよね
752 :
人間七七四年:2009/03/17(火) 09:06:09 ID:VIMWGDsQ
三老のひとつ、戸川・富川ってどちらが正しいかってあるの?
753 :
人間七七四年:2009/03/17(火) 22:12:37 ID:tp4G50UA
>>752 どちらも正しい。もともと富川で途中から戸川へなったらしい。
備前軍記では、富川と戸川の両表記があるよ
754 :
人間七七四年:2009/03/18(水) 09:41:40 ID:YEDl1vwk
755 :
人間七七四年:2009/03/21(土) 02:50:29 ID:QH6RrNqw
>>748 卑怯な手を使っただけだろ
毛利がガチで戦ったら宇喜多なんてフルボッコ
756 :
人間七七四年:2009/03/21(土) 18:43:17 ID:L9qgQJw4
確かにサシでまともに毛利とやりあったら宇喜多は完全に負けるな
757 :
人間七七四年:2009/03/21(土) 18:53:26 ID:QH6RrNqw
元春も宇喜多は信用できないて
元春が本気出したら宇喜多なんて瞬殺だしな。
758 :
人間七七四年:2009/03/21(土) 19:42:25 ID:UgnfBf+D
虎の威を借るのは、常套手段
759 :
人間七七四年:2009/03/22(日) 12:15:13 ID:WXRmVJm5
最上・伊達スレで相手になれないからってここまで出張ってこなくても・・・
760 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 14:17:42 ID:ZoJLQfxQ
宇喜多嫌いなんだもん
761 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 08:31:21 ID:kyc1fU40
三老って明確な序列ってある?
宇喜多騒動直前あたりの知行地が各々どれくらいかとか、知ってる人はいないかな
762 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 21:37:50 ID:t09NU7PJ
岡山県立図書館のサイトとかでみれる。
慶長3年頃の知行一万石以上の家臣
戸川肥後守_ 知行25600石 与力22460石 児島郡常山城主
宇喜多源三郎 知行22400石 与力*7670石
岡越前守__ 知行23330石 与力19172石 赤坂郡白石城主
宇喜多左京亮 知行24079石 与力*2459石 御野郡富山城主
長船吉兵衛尉 知行24084石 与力11130石 邑久郡長船城主
明石掃部頭_ 知行33110石 与力*1800石 岩梨郡熊野保木城主
花房志摩守_ 知行14860石 与力*1230石
三老の子の代の三人の知行は殆ど差が無い。与力も加えると戸川達安>岡越前守>長船定行
宇喜多騒動では上の七人中四人が去った。
763 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 22:31:58 ID:W/QNbpR3
戸川すげえな
並みの小大名クラスの知行じゃないか
単独で3万石超えてる明石も
764 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 23:49:12 ID:yxHzKezY
>>755 宇喜多から卑怯を取ったら何も残らないwww
765 :
人間七七四年:2009/03/25(水) 03:40:20 ID:w2+XpMgr
766 :
人間七七四年:2009/03/25(水) 15:12:23 ID:0Wied2ad
>>762>>765 どちらもご丁寧なレスに感謝
朧気に、三老では戸川がやや抜きん出てて、明石が唯一の三万石超えって
記憶してたけど、明石は騒動後の知行なのかな
妹婿ってのも影響してるのだろうか
ともかくも今度は自分でも調べてみたくなりましたわ
767 :
人間七七四年:2009/03/25(水) 16:37:50 ID:m66s3NWm
宇喜多騒動の時系列や顛末を詳しく知りたいのですが
長船綱直は病死説と暗殺説どちらが有力なのか
徳川家康による調停はどんなものであったかなどを詳しい方教えてくれませんでしょうか。
他にも上杉征伐に秀家の名代として宇喜多詮家などが派遣されていたようなのですが
宇喜多騒動の調停後、宇喜多家に戻った者と蟄居させられていた者や他家に仕えた者など居たと思いますが
関ヶ原直前は宇喜多家有力武将はどんな状況であったか解ればお教えください。
768 :
人間七七四年:2009/03/26(木) 20:32:55 ID:G0IHGJXj
>>767 >>宇喜多騒動の時系列や顛末を詳しく知りたいのですが
自分なりに時系列にまとめみた
【ポイント1:世代交代】
1582年(天正10) 戸川平兵衛門秀安、隠居
1588年(天正16) 長船越中守、虎倉城にて石原新太郎に殺される
1592年(文禄元) 文禄の役。岡豊前守、朝鮮在陣中に病没
※宇喜多三老が表舞台より退陣し、その嫡男達の時代へ。筆頭家老は、戸川肥後守逵安だが果たして・・・
【ポイント2:えこひいき問題】
1594年(文禄3)〜 (※この頃から徐々に)
・長船紀伊守、伏見の城普請で普請奉行でGJ
・中村次郎兵衛・浮田太郎右衛門らも国政へ参加
・中村次郎兵衛は、豪姫付きで前田家から来た新参者
・長船紀伊守・中村次郎兵衛・浮田太郎右衛門らは、みな悪知恵あるモノばかり
※筆頭戸川涙目。長船・中村の重用・専横が増え、譜代家臣の不満が溜まる
【ポイント3:改宗問題】
1595年(文禄4)〜 (※たぶん?)
・豪姫、病気
・秀家、病気平癒の祈祷を日蓮宗の僧侶へ命令するが、験なし
・秀家、日蓮宗を別の宗教(キリスト教)へ改宗するよう命令
・花房志摩守、これを諫言
・花房助兵衛門職之出奔。佐竹義宣に預け常陸国へ
※日蓮宗派(戸川・浮田・岡・花房)vsキリシタン派(長船・中村・浮田)
【ポイント4:我慢の限界】
1596年(慶長元) 宇喜多秀家、五大老 ※大坂の執政が増え、岡山の執政がおろそかに
1598年(慶長3) 慶長の役。関白秀吉の死亡 ※二派の不和・対立が再熱
1599年(慶長4) 戸川肥後守・浮田左京亮・花房志摩守らが、長船紀伊守を毒殺する
※中村次郎兵衛・浮田太郎右衛門の重用は、継続
【ポイント5:騒動勃発】
1599年の冬 (※たぶん?)
・戸川肥後守・浮田左京亮・花房志摩守・岡越前守・楢村監物・中吉与兵衛が大坂へ上る
・老臣達、秀家に謁し中村次郎兵衛の成敗を訴える
・豪姫、中村次郎兵衛を加賀国へ逃がす
・秀家、老臣達の訴えに激怒し、主犯の戸川肥後守を暗殺する目的で大谷刑部の屋敷へ呼び出す
・浮田左京亮、密某を知り、戸川肥後守を助けに行き、大坂玉造の自邸に楯て篭もる
・戸川肥後守・浮田左京亮のほか岡越前守・花房志摩守・戸川玄蕃・角南隼人・楢村監物・中吉与兵衛ら250人が楯て篭もる
・大谷刑部・榊原式部大輔康政が仲裁に入る
【ポイント6:騒動終結】
1600年(慶長5)
・明けて正月 徳川家康、命令を下し、宇喜多騒動終結。内容は、下記参照。
・家康、上杉討伐へ出陣(関ケ原始動)
769 :
人間七七四年:2009/03/26(木) 20:51:19 ID:G0IHGJXj
(続き)
>>長船綱直は病死説と暗殺説どちらが有力なのか
どちらの説が有力は、わからんが、備前軍記の毒殺を支持。
>>徳川家康による調停はどんなものであったかなどを詳しい方教えてくれませんでしょうか。
1.戸川肥後守・花房志摩守・中吉与兵衛 →とりあえず家康が預かり
2.戸川肥後守 →常陸へ蟄居。花房志摩守 →増田右衛門尉長盛預かり、大和国郡山へ蟄居。(※中吉もどっかへ蟄居?)
3.浮田左京亮・岡越前守・戸川玄蕃・角南隼人・楢村監物 →備前国帰国
4.国元の政治は、明石掃部介へ ※漁夫の利おいすぃー(^q^)です
>>他にも上杉征伐に秀家の名代として宇喜多詮家などが派遣されていたようなのですが
>>宇喜多騒動の調停後、宇喜多家に戻った者と蟄居させられていた者や他家に仕えた者など居たと思いますが
>>関ヶ原直前は宇喜多家有力武将はどんな状況であったか解ればお教えください。
戸川肥後守父子・花房志摩守・花房助兵衛・中吉与兵衛 →諸大名預かり
浮田左京亮 →徳川家康に従って関東に従軍(東軍)
明石掃部介全登ほか →出陣(西軍)
岡越前守・戸川玄蕃・角南隼人・楢村監物 →留守部隊だったが、騒動の件もあり岡山を退去し、奈良に蟄居
浮田官兵衛・宍甘太郎兵衛・同太郎右衛門・富松多兵衛 →残った留守部隊
【参照したモノ】
「宇喜多騒動」でググった上位3件
・宇喜多秀家 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/宇喜多秀家
・名将の間:あB www5e.biglobe.ne.jp/~mugen-s/meisyou/1b.html
・Untitled Document homepage1.nifty.com/tosyo/sekigahara15.html
「新釈 備前軍記」内の各項目
・「岡山城の改築の事」
・「秀家の家老並びに家中騒動の事」
・「関ケ原合戦で宇喜多秀家敗北の事」
・「秀家父子の遠流並びに岡山侍分散の事」
・付録の花房氏の項目
770 :
767:2009/03/26(木) 23:19:33 ID:6qwM7MJ8
親切にどうもありがとうございました。
騒動の後浮田左京亮などは出奔したと書いてある場合が多いのですが
上杉征伐に秀家の名代として参陣したようなので秀家との仲は冷え切っていたが出奔はしておらず
秀家が自分に相談なしに三成と西軍として決起したためそれにより秀家を完全に見限ったのでしょうかね。
長船綱直の死はやはりはっきりとは解らないようですね。
長船綱直の死亡時期も1597〜99の間でどうもはっきりしないようなので
私は戸川等が長船を毒殺したのであれば一挙に中村次郎兵衛も排除しようとするのが自然であると思うので
長船の死からすぐ騒動が起きたならば長船は毒殺
長船の死からしばらく立ってから騒動が起きたのであれば病死かなと思ってます。
771 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 00:26:19 ID:2m3aFUPk
宇喜多(河本)源三兵衛って知行でみれば三家老に次ぐ重臣なのに全然知名度無いね。宇喜多騒動にも全く名前が挙がらない。
騒動前の重臣では数少ない、関が原で戦死したことが分かっている武将なのに。
やっぱ関が原で死んだか戦後も生き残ったかの差かな?
772 :
768:2009/03/28(土) 09:17:02 ID:+LcKOsPC
参考にしてる新釈備前軍記なのだが著者意見や俺の誤解釈や
人物名の誤記や不統一があったので付記する
中村次郎兵衛・・・中村・中村二郎兵衛・次郎兵衛の表記
花房志摩守・・・花房弥左衛門正成と花房助兵衛門職之の混同
1.花房弥左衛門正成が志摩守
2.改宗問題で志摩守の諫言に怒った秀家が切腹の命令を考えたが、
関白秀吉預かりになったのだが、なぜか花房助兵衛門職之が出奔
※わけわからん??
3.大坂玉造の楯て篭もるシーンで「花房志摩守・同弥左衛門・」の表記
※3について自己解決しました。正成の子の弥左衛門幸次ですね。
付録の花房志摩守正成の項目を見てわかりました。ややこしい。
花房助兵衛門職之・・・
付録の項に「文禄3年(慶長3年の誤り)に岡山を退去し、常陸に蟄居した」とある。
※志摩守との混同??
浮田左京亮・・・浮田忠家と詮家の混同
1.浮田七郎兵衛忠家が出羽守。注釈で左京亮と安心の記述。
2.備前軍記の本文には、浮田左京亮もしくは左京亮の表記のみ。
3.付録の浮田左京亮忠家の項目内に浮田左京亮詮家の記述。
※「詮家」って本文に出てこないからミスリードされそう
岡越前守・・・徳川調停のシ−ンで岡豊前守の記述。
※これは、完全に誤記と思うので岡越前守とした
改めて親と子で同じ名前付けすぎを感じた。
773 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 12:59:46 ID:is3Gjh2E
宇喜輪
宇喜多秀家が大坂の陣に際し八丈島から大坂まで泳いでわたった故事は余りにも有名であるが
実は八丈島で捕れた鯨の腸をつなぎ合わせた浮き袋を考案して
泳ぐ際の負担を軽くしていたことはほとんど知られていない
江戸中期、八丈島を飢饉が襲った際
試みにこの浮き袋をつくり江戸で売ったところ泳げない武士の間でたちまち大人気となり
その儲けで島民全員を糊して余りある米を買う事ができたと言う
そのとき島民が考案者である秀家に感謝を示す意味でこれを「宇喜輪」と名づけたことは
賢明な読者諸氏には既にお分かりのことであろう
なお八丈島宇喜多氏が「浮田」と改姓したのもこの頃であるが
これは宇喜輪の利益で軍備を整えた宇喜多の子孫が幕府に弓をひくのではないかと
危ぶむ幕閣の視線をそらすためであったという
さらに余談であるが、ドイツ起源の料理として今日著名な「ソーセージ」も宇喜輪に端を発する
遠州灘で宇喜輪を使って泳いでいる秀家にオランダ東インド会社の帆船が食料を売ったと言う記録があり
このときにオランダ人が腸をつなぎ合わせる料理の発想を得それをドイツ人が実用化したという
その証拠に「ソーセージ」を表す「腸詰」と言う単語は
オランダ人から体調を聞かれた秀家の「超つれえ」という日本語から来ているという話が
ドイツの限られたソーセージ・マイスターの間で口伝として残っている
中津川大観著 時現出版 「浮き輪で人生ウキウキ!楽しい島ライフ」から引用
774 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 13:28:16 ID:rbqLzMV5
氏ぬあるよろし
775 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 21:02:29 ID:JToD2yyY
776 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 09:52:06 ID:y6qT+lxL
まあただし秀家を大名に取り立てて育成した秀吉の目は確かだったよな
関ヶ原も秀家軍の奮闘が無ければあそこまでの勝負にすらならなかったろう
もう少し三成に周りを生かす器量があればね
777 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 12:37:37 ID:gnsVooaC
@秀吉の眼力
A直家の最期に心打たれる
B中国侵略における備前美作の重要性から厚遇するが、
そのまま差したる改易理由もなくずるずると全国統一
C気まぐれ
俺はBな希ガス
778 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 15:04:03 ID:8DOHfyCY
779 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 13:18:00 ID:CTMzxXjf
改易はしないよ。
780 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 20:41:38 ID:MveRmEBP
Qさまの人名答える問題で
五大老の一人
妻は豪姫というヒントと
肖像画が示されて
( )家
として、最難問の10問目に秀家がだされた
8人目までは10問目を避け続け
9人目の宮崎美子が「漢字が・・・」と自信なさげに正解した
781 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 00:08:03 ID:zuJOPOxB
>>780 見た見た、そのあとで秀家の解説ちょっとされてたね。
妻が有名ってお題で、直江とか細川とか出るんじゃないかと思ったけど。
信長の妻は「濃姫っていうんだあ」と言われてたけど、豪姫に付いては誰も触れなかった。
782 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 17:42:45 ID:wnXC51jy
チョンごときに負ける宇喜多w
783 :
角南シヅの孫:2009/05/07(木) 09:42:25 ID:x7wt3AsN
角南氏の子孫かもしれません。近世以後の角南氏の足取り、どなたか、わかれば教えてください。
784 :
人間七七四年:2009/05/08(金) 18:52:17 ID:S8vnWRFP
GWに親父の故郷である岡山に初めて行って知ったが、
明治以前からの我が家の先祖代々の土地が、邑久郷城跡の近所だった。
親父は生まれてから20歳までそこで暮らしていたが、
邑久郷城のことも砥石城や宇喜多直家のことも全く知らなかった
・・・戦に破れ家が滅びるというのはそういうことか、と感慨にふけってしまった。
785 :
宇喜多直家:2009/05/17(日) 00:27:57 ID:mdkz3P5n
渡邊大門の『戦国武将はイケメンがお好き?』(ベスト新書)を読んでいたら、宇喜多氏の婚姻関係について書いてあった。なかなかおもしろい本だったよ。
786 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 14:38:53 ID:CstEEnke
え?なんて本?
787 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 23:59:10 ID:/ENVKvCi
788 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 22:15:33 ID:tdMDg3Of
>>785 大門さん本なんて出してたんだ・・・題名がアレだがw
畑さんあたりも本出さんかな。
789 :
人間七七四年:2009/06/10(水) 00:49:16 ID:JC37eiaH
>>781 映画にもなったのに(その映画の評価はさておき)
790 :
人間七七四年:2009/06/15(月) 22:19:30 ID:EkxmKKo7
三浦友和秀家「三成殿、戦は料理の配膳とは違う!」
791 :
人間七七四年:2009/06/17(水) 02:29:29 ID:PCZLDIT7
792 :
人間七七四年:2009/06/17(水) 18:30:09 ID:MAWK+fuL
↑うっきーくんは、ゆるキャラとしての定義が曖昧だよなぁ〜
せんとくんぐらい飛び抜けていれば・・・
793 :
人間七七四年:2009/06/17(水) 21:49:26 ID:yHCQ4A6P
宇喜多秀家と小早川秀秋、同じ秀吉の養子でありながら対照的な生涯だな。
片や孤島で50年もの余生を送り、片や加増されるも2年後に変死。
秀家の旧領が秀秋の所領になったのも皮肉な話。
794 :
人間七七四年:2009/06/17(水) 23:10:12 ID:KYiR+I7T
朝鮮
秀家「立花?たかが一部隊の将が!」
秀秋「手柄たてるよっ(キリッ」
関ヶ原
秀家=太閤の御恩に報いるぞ!出陣式だ!
秀秋=どうすればいいんだ…
秀家「夜襲をするなら我に任せよ!」
秀秋「私は病です」
秀家=四方が敵に囲まれた!持ちこたえろ!
秀秋=どうすればいいんだ…
秀家=負け戦か…再起ははかれるのか…
秀秋=ひゃっはーっ
秀家=薩摩まで泳いで参った!
秀秋=佐和山までかりだされるとは
795 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 19:48:25 ID:AFtH6QnB
幸福実現党の大川きょう子のポスターがあちこちで貼られているが、秀家の肖像画となぜかダブってしまって困る
796 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 23:02:41 ID:MIipnjrV
797 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 23:05:54 ID:lUaiOUWv
798 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 12:04:44 ID:wo6v/wEY
秀家自身の野戦指揮能力ってどんくらいだったのかね?
直家以来の宿将に乗っかっていたってだけ?
799 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 14:39:16 ID:nP22O4VU
さあ?
普通に考えて、今となっては評価不能なんじゃね?
信長は野戦指揮能力が高かったのか、秀吉柴田丹羽明智家康らに乗っかかっていただけか?
秀吉は野戦指揮能力が高かったのか、両兵衛や与力らに乗っかかっていただけか?
家康は野戦指揮能力が高かったのか、四天王、数正らに乗っかかっていただけなのか?
イメージや思い込み、
勝者の意図や著者の主観が強くこもっていることを否定できない資料でなら
評価できるかもしれんが・・・
いまとなってはねぇ
800 :
人間七七四年:2009/07/06(月) 15:58:28 ID:GBzVtYqO
まあそれはそうなのだが。
801 :
人間七七四年:2009/07/21(火) 15:16:17 ID:4R4AGFCp
弱くはないだろうけど
802 :
人間七七四年:2009/07/22(水) 00:43:29 ID:SbOw/tZ6
秀家卿が今週フラッシュの戦国愚将ベスト20で第9位に輝きました
ちなみに6位か7位あたりに謙信、10位に信長
第1位には秀頼でした
お市はで兄信長、夫長政、甥信雄、信孝、孫秀頼、家光が入る大車輪っぷり
803 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 14:18:19 ID:J9sTFM7H
よくわからないメンバーだね。
804 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 12:28:13 ID:SNjkYzOf
まぁ智将やったら直家がトップなのは目に見えるからスイーツでも分かりやすくするには愚将でやるしかないんだろう
805 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 12:59:47 ID:lbumMWtk
ヒデヨリ一番ということは
さすが豊臣の後とりだな
二番じゃだめだ
一番じゃないとな
806 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 17:26:54 ID:sr8D+jqP
地元での宇喜多の影の薄さは異常
807 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 05:12:19 ID:tjekuE0C
そりゃ池田支配が長いからな
彦根藩のように前の支配者の痕跡を破壊しまくるよりはましだが
808 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 08:29:02 ID:u+H7oBi0
三成厨の自意識過剰さは異常
809 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 11:32:00 ID:S64ivuT4
岡山県に宇喜多の歴史博物館ないの?
810 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 16:24:44 ID:W7VLZ0sR
展示できるほどの情報が残ってたら備前軍記なんてアテにしません><
811 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 00:32:31 ID:iSl9/2zy
宇喜多って、三宅氏の一族なの?
812 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 11:02:04 ID:CxqxuBI3
長年地元紙を読んでいるが宇喜多の名が出てきたことはそれこそ数えるほどしかない。
それも「戦国時代に岡山地方にいた領主の一人で」くらいのどうでもいい扱い。
池田の話題はしょっちゅう出てくるのにこの扱いの差はなんなんだ。
813 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 19:27:30 ID:Qti5lV6m
>812
直家は”郷土の英雄”って呼ぶにはアレな人だし
秀家はほとんど岡山にいなかったからじゃない?
814 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 00:25:27 ID:1CHpbDLI
>>811 三条氏の庶流家の公家が三宅の娘を娶って名跡継いだ
・・・という事になってる。もちろん偽系図の可能性も有るのでなんとも言えない。
815 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 10:50:42 ID:kE4/Rrcu
>>811 百済の王子が児島に着て三宅姓になり宇喜多の祖と
なったというような趣旨の文書が宇喜多能家画像に
書いてある
816 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 11:42:30 ID:/iPMQklQ
そういえば三宅氏って備中守護家細川の被官だよね。
例の琉球遠征の三宅国秀とかもある意味一族なのか。
817 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 23:01:58 ID:FvzvezLb
9月から新潟日報で秀家(と景勝と元春)の小説連載決定して俺歓喜
818 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 23:03:11 ID:FvzvezLb
(輝元だった)
819 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 23:12:22 ID:OSArHVoa
関ヶ原負け組大名sの小説か
820 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 12:35:54 ID:jHOFVybQ
友達に苗字が喜多ってやつがいるんだけど関係あるかな?
ちなみにそいつは兵庫県加古川に住んでる。
821 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 12:39:40 ID:XwWjT4eV
822 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 15:27:23 ID:sitp6zXf
>>820 ご先祖が宇喜多を憚って、喜多に改めたのかもね。
823 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 20:17:58 ID:QnlUF+Nj
喜多は兵庫には多いというほどでもないがちょくちょくは居る名前
824 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 12:12:19 ID:zY1/75H0
>>817 うちの地元紙でもそれやるらしいんだがああいうのは複数新聞社に配信してんのかね
825 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 12:23:09 ID:dRqFptAZ
>>824 地方紙ってのは、県外記事も連載も、けっこう連携してるからね。
826 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 01:27:01 ID:0Ch5V8qd
直家の単独スレは
殺 せ よ 宇 喜 多 直 家
に成るんだろうか?
827 :
人間七七四年:2009/09/07(月) 14:52:40 ID:dn/RW5wO
>>817 堺屋太一は「巨いなる企て」でも、わりと秀家を好意的に書いてたから
この30年間くらいで観方が変わってなければ、それなりの書かれ方するんじゃね?
大河秀吉ではさらっと流してたけど、今回は秀家にスポット当ててるわけだし。
828 :
人間七七四年:2009/09/13(日) 13:21:02 ID:SU6ntGUQ
>>827 つかあの本は西軍マンセー三成マンセー(&豊臣政権の官僚マンセー)
という目的で書いたから当たり前
つか堺屋本人が元通産官僚だしw
829 :
人間七七四年:2009/09/14(月) 22:46:44 ID:NR1WBO/F
ショタショタの八郎きゅん可愛いよぉ〜
尿が近くて八郎に甘い直家さまかっこいいよぉ〜
830 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 19:20:44 ID:yKTaAVuH
みんな判っていると思うけど岡山城所蔵の秀家の肖像画は、当時に描かれた物ではなく
昭和になってから描かれているので、他の肖像画と比べて違和感があるのは当然。
あの肖像画は、直家が築城してからの岡山城四百年記念祭に際して描かれたので、
現代の作風になっている。
企画の際、秀家の肖像画が無かったため制作されたらしい。感覚的には史蹟などに
銅像を建てるのと同じかな。
古い書物に秀家の肖像画が掲載されてないのは、このため。
必要な方は岡山城事務所にでも問い合わせて下さい。
※平成に行われた岡山城完成四百年祭とは別なので注意のこと。
831 :
人間七七四年:2009/10/16(金) 23:18:37 ID:xnj/8494
宇喜多詮家ってキリシタンだったんですか?
832 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 10:57:10 ID:Wr4anhyM
備前軍記だと秀家の日蓮宗改宗命令のとき
改宗しなかった人の一人に挙げられていて
反キリスト教側の人間とされているが・・・
いい話スレの話だと立場が真逆になるな
つかあのエピソードで亡くなった詮家の妻が
wikiのいう法鮮尼なのか
833 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 11:58:25 ID:OVNDaO+n
秀家自身は熱心なキリシタンという訳でもないみたいだし
宗教対立より長船が行ったという領内検地やそれに伴う
重税なんかの不満が騒動の主因だったんじゃね
834 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 13:03:00 ID:ML71zIgV
詮家は相手が秀家だろうが徳川だろうが揉め事上等のDQNなんだから
宗教がなんだろうが、勢が重かろうが軽かろうが
祭りになればそれでよしって奴だから
揉め事の理由に深い意味なんてハナから求めてないよ。
835 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 13:57:23 ID:GxBgWBWc
堺屋太一の三人の二代目がなかなかいい感じだぞ
836 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 19:06:45 ID:OOt0RkOX
宇喜多関連の今後の予定です。
宇喜多家慰霊法要
日時:11月20日(金)11:00〜12:00
場所:光珍寺
宇喜多秀家☆フェス
日時:11月21日(土)13:00〜16:00
場所:岡山城天守閣広場
NHK歴史秘話ヒストリア
「秀家と豪姫」
放送予定日:2010年1月20日(水)
岡山県立博物館
企画展「岡山の戦国時代」
期間:2010年2月11日(木)〜3月14日(日)
※宇喜多家ゆかりの品の展示
名刀太鼓コンサート「金烏城 岡山城物語」
日時:2010年2月28日(日)
場所:岡山市民会館
※宇喜多秀家の生涯をテーマにした物語
837 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 19:28:59 ID:j1lwXHnW
>>835 読んでるが、直家が稀代の謀将と思えないほど弱弱しくて困る。
そのかわりお福はやたら強いけど。
838 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 01:51:41 ID:7FiLlgLs
839 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 03:31:34 ID:O8xpWgq8
アゲ
840 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 14:48:45 ID:xj0o4hKQ
宇喜多黄門
全国を遠泳で漫遊した中納言。各地で悪代官を懲らしめたり、各地のグルメを楽しんだりと伝えられている。
841 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 17:34:42 ID:zLb88RC5
備前中納言ってのはよく聞くな。
842 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 20:06:50 ID:UA1IuoOo
漁師「わたしは見たんです、中納言様がイルカと水泳対決しながら大坂に向かっていくのを」
843 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 20:07:49 ID:UA1IuoOo
見たら泳いで参ったのスレじゃなかったスマン
844 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 23:05:42 ID:2dxMhXZT
イイニョ
845 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 15:01:02 ID:ov2azObB
人生楽ありゃ 苦もあるさ 戦のあとには 島流し 泳いでゆくんだ しっかりと 自分の腕で かきわけて
846 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 21:14:29 ID:MtR+4c6A
話題変わるが、直家時代の最大石高はどのくらいなんだろうな。
備前一国と備中・美作・播磨の一部で50万後半くらいあったか?
前に見た小早川隆景の小説では63万石ってなってた。
847 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 21:22:55 ID:ySsqWXbz
>>846 そんなもんじゃないかな?
太閤蔵入地が領国にあったかどうかとか検証すれば、もっと細かく分かると思うけど。
848 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 21:13:43 ID:Jsud6R0G
乙子300貫からたった一代で50万石か。
そりゃすげえわ。
849 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 19:29:37 ID:CFNqVmp7
譜代の一族や家臣も砥石城落城時に死んだのか、浮田大和に仕えたのか少なそうだしね。
850 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 20:30:00 ID:hjHTzJBv
一番下克上らしい下克上をやった、って感じだな。
851 :
人間七七四年:2009/12/12(土) 21:20:30 ID:XqvEEQRT
ウキ「ダ」って、濁るのが正しいの?
852 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 12:32:40 ID:dYi1TM2W
ウキ「タ」っていつも読んでるが違うのかな?
信長の野望の宇喜多家の顔グラフィック見れるとこどこかない?
853 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 14:52:32 ID:iO2b2qHY
>>852 岡山に住んでたばっちゃは「ウキダ」と濁って言ってたんよ。
浅井が「アザイ」だったみたいに、宇喜多も濁るのかな?と。
854 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 19:12:46 ID:HddKIcXf
>>852 今出回ってる奴じゃなく、過去のシリーズの顔グラってことか?
それなら以前は顔グラ集めたサイトがあったが、
コーエイから削除要請が来てなくなったそうな
今後もアップは国内では期待できないと思われ
海外のノブヤボファンサイトならあるかもしれん
855 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 01:38:57 ID:MC/MnkY6
>>854 レスありがとう。
色々探してみたけど、コーエイから削除依頼あったから見つからないのか。
過去のシリーズじゃなくても、最新作の天道の顔グラが見れたらよいのよ。
856 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 20:37:30 ID:eTQeTQ1n
ニコニコのID持ってるならニコ動の宇喜多家プレイを見るといいんじゃね?
色んな方法でぐぐってみたが、直家と秀家ぐらいしか出てこんな
岡とか花房とか馬場とか出てこねえ
やっぱ本元のコーエーがネットうp禁止したからかね
blogやBBSのコメントとかに使われる顔グラはどれが宇喜多家の連中なのかわからんしなw
857 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 22:14:56 ID:MC/MnkY6
だよねーありがとう。
宇喜多家の紹介動画みたいなの作りたかったから顔グラ欲しかったんだけど。
ニコニコのでも取り込んでみようかな。
858 :
人間七七四年:2009/12/19(土) 00:23:07 ID:JG2o4udK
白石一郎の「海将」は前半が特におもしろかった。あと直家が善人扱いされてたのがウケた。
「孤島物語」にも宇喜多秀家の短編があったけど、いつもの「泳いで参った」とは
全然違う救いようのない人物として描かれていて逆に新鮮だった。
南条範夫の「奸悪無限の武将」は短編なので、事実の羅列が多くあまり面白くない。
「やる夫が奸悪無限の武将宇喜多直家に仕えるようです」は初期の猟奇テイストが薄れて
まるで卒業論文のような状態に陥ってる。でも説明の細かさではピカ一。
他に何かおもしろい作品ありますか?
859 :
人間七七四年:2009/12/19(土) 01:49:30 ID:028OKbYf
中里恒子「閉ざされた海」
八丈島での生活が淡々と描かれているよ
860 :
人間七七四年:2009/12/20(日) 14:40:12 ID:fIvDN6VI
861 :
人間七七四年:2010/01/05(火) 19:55:40 ID:5M6M6SD/
862 :
人間七七四年:2010/01/06(水) 03:21:31 ID:BRm6ItoT
よく浦上宗景が宇喜多に関して無警戒だったと勘違いされがちだがそりゃ違うとおもうんだよね。
むしろ常に前線に立たされて消耗してる上に領地の港とか福岡とかの商業拠点が浦上の直轄地だったり
代官所が必ずあったりで相当窮屈な扱いを受けてる。
863 :
人間七七四年:2010/01/06(水) 19:24:41 ID:enn5nEs/
*毛利と大友との西国での主導権争いの中で浦上がどのようなポジションであったのかが知られていない
*織田と毛利のパワーバランスが、秀吉の奮闘以前にはかなり毛利優勢で有った点が知られていない
864 :
人間七七四年:2010/01/20(水) 22:42:10 ID:Cb89+pa4
現在の御当主は「宇喜多秀臣さん」なんだな。
865 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 00:21:37 ID:8PA504r3
あんな甲冑初めて見たな。いつ出たんだ?
866 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 00:54:22 ID:toV4vEZT
残ってる資料が少ないとは言え、戸川記の受け売りは勘弁してほしかったな。
あんなもん、勝ち馬に乗った裏切り者の自己正当化が主題なのに・・・。
話し半分がいいとこだわ。
少なくとも秀家側視点の番組にはふさわしくはない。
夫婦愛が主題とは言え、
関ヶ原に臨む思い入れとか逃亡に至るまでの葛藤とかもしっかり伝えてほしかった。
不満はいろいろあるが、取り上げられただけまあ可しとするか。
867 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 01:25:51 ID:3R/32ZkT
>>864 なぜか、もう一人、秀臣さんがいらっしゃるんだよね・・・
正統を争ってるのかは知らないが。
868 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 10:58:56 ID:J0qz5NzJ
通字が「家」から「秀」に変わってるのだな。
869 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 12:45:32 ID:lXCNwiB7
NHKに取り上げられただけでもいい
大河の目が出てきたし
できたら明石とか武蔵も出してほしかったが
870 :
宇喜多直家:2010/01/21(木) 12:50:25 ID:Kx89nTXw
渡邊大門が角川SSC新書から『戦国大名の婚姻戦略』という本を出している。宇喜多氏も出てるぜ。おもしろかったよ。
871 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 21:03:58 ID:0ic0+LR3
戦国の貴公子 宇喜多秀家
872 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 22:39:32 ID:I8MygHGm
秀家さま、イケメンすぎw
873 :
人間七七四年:2010/01/25(月) 19:40:50 ID:uQ7Us+0r
ヒストリアの甲冑ってどこからでてきたの?
海外流出とかしてた?
874 :
人間七七四年:2010/01/26(火) 09:26:24 ID:SWI/4ofZ
堺屋太一の連載小説みんな読んでるー?
宇喜多家がこれほどクローズアップされる作品は久しく無いし
秀吉や織田、毛利、上杉陣営の描写もかなりよさげですが
875 :
人間七七四年:2010/01/27(水) 20:24:13 ID:n4SWmTuH
宇喜多騒動は松田の怨念と思えなくもない今日この頃
備前法華は伊達じゃない
876 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 02:40:50 ID:52F5drBN
堺屋太一といえば「豊臣秀長」でも秀家のことに触れていたね。
「三人の二代目」でも秀長との結びつきが出てくるのかな。
877 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 22:10:00 ID:n+bLpKv4
そろそろ養子縁組がらみで秀長も動くかもね
878 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 18:53:11 ID:yBTG59Eu
879 :
人間七七四年:2010/02/13(土) 18:34:57 ID:L6q5ugTM
>>878 柴田一氏の講演と本物の鎧と鉄砲・・・
宇喜☆宇喜フェスと被ってるな
880 :
人間七七四年:2010/02/19(金) 00:06:23 ID:7J6voSL2
三人の二代目おもしろいな
一部地域の地元新聞購読者しか読めないのが勿体ない
881 :
人間七七四年:2010/02/19(金) 02:38:03 ID:nK0jgMaY
三人の二代目では宇喜多親子はもちろん、荒木村重なども
いい味だしているよね
882 :
人間七七四年:2010/02/20(土) 19:12:40 ID:4wuLxnMs
宇喜多VS毛利の戦いをここまで詳細に描く作品も少ないし新鮮だよな
信長のターンで出てきた碁打ちや坊主の乱闘やらも描写が面白いw
今のとこメインは宇喜多直家と秀吉で噛ませ犬が毛利輝元。
信長はいつも通りで上杉景勝&直江景綱は主戦場から離れてるせいで空気な感じ。
883 :
宇喜多直家:2010/02/20(土) 20:00:45 ID:jyz0KYl/
渡邊大門が「宇喜多直家・秀家」をミネルヴァ書房から出すみたいだな。楽しみだよ。一応第一人者だからな。
884 :
人間七七四年:2010/02/20(土) 20:43:42 ID:2JYk2hU9
今日は西大寺のはだかまつりage
885 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 21:52:34 ID:6UufJC46
「岡山の戦国時代」展はどうだったのかな
お福様の持ち物とかはまさか残っていないだろうかね
886 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 00:26:12 ID:St4eAk8Q
まだ、見に行けてないが、個人的に気になるのは・・・
宇喜多能家畠地沽券
紙本版摺 宇喜多直家版 妙法蓮華経
浮田河内守所用鐙
花房助兵衛職秀書状
あたりかな
残念ながら、於福はない模様
887 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 03:31:15 ID:Uk2UTSWM
>>886 ありがとうございます
十分に貴重だけど残念
888 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 01:52:08 ID:1ALypxwU
宇喜多秀家はマギー審司そっくり
889 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 21:24:05 ID:oeTKTRxH
砥石城と高取山城に登ってきた。
高取から砥石が丸見えでした・・・。
890 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 19:22:34 ID:Ll+B/YwK
>>889 吉備人から城巡り本でたね。城巡り、良いですね!
登山道の下草などは処理されてますか?それとも
そのまま獣道を登る感じになりますか?
長船のマルナカのある辺りかなぁ、
踏み切り横に長船親子の屋敷跡があるよ。普通の畑に大根が生えてる
だけだけど木製の案内板があったと思う。オハヨーの近くに
郷土資料館がある。そこもオススメ。
891 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 09:54:07 ID:AzBuuJhp
>>890 登山口には小さいながら案内板があります。
登山道は、なかなか快適な遊歩道でした。
>オハヨーの近くに 郷土資料館がある。そこもオススメ。
↑
岡山市中区神下の本社第一工場のことですか?
892 :
人間七七四年:2010/03/21(日) 23:59:16 ID:BI837eX/
893 :
人間七七四年:2010/03/22(月) 01:37:24 ID:+roS5aWI
894 :
人間七七四年:2010/03/22(月) 03:09:49 ID:PfUeodqx
こうしてまた歴史ファン出入り禁止のイベントが増えるのであった
895 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 17:09:53 ID:QXe7ahBm
新庄山城跡に登ってきました。
ヤマツツジが満開で綺麗でした。
896 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 21:25:06 ID:GP1gkbP6
大坂夏の陣で、家康が千姫を救い出したやつに彼女を嫁にくれてやるとか
言ったが、実際に救い出したもののあまりにブサイクすぎて千姫に拒絶
された坂崎って男は、宇喜多秀家のいとこじゃなかったっけ?
897 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 09:27:20 ID:1E7YE0fA
そゆこというなや
898 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 09:38:31 ID:50sPPaAt
ワロタ
899 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 17:26:40 ID:r8s12RWo
堪えてつかぁさい!!
900 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 13:09:07 ID:lHNfIc+h
>>892 イケメン小野寺義道「それがしは坂崎直盛殿が優しさあふれた人格者だと存じておるぞ!取り急ぎイケメン顔の肖像画を早く書くんだ!」
901 :
人間七七四年:2010/05/01(土) 09:45:30 ID:AdaggQpI
坂崎直盛って、お調子者の詮家だろ・・
902 :
人間七七四年:2010/05/01(土) 10:16:17 ID:+xOMg7iJ
903 :
人間七七四年:2010/05/01(土) 23:16:15 ID:tEbnswA7
>>902 新説:百済王→児島漂着→宇喜多氏(浮田氏)→三宅氏
通説:百済王→児島漂着→三宅氏→宇喜多氏(浮田氏)
通説と真逆の異説・新説は、とりあず保留な気持ち
史料・ソースがほしいところ
904 :
人間七七四年:2010/05/01(土) 23:26:20 ID:3R/k0SpO
どちらにしても裏付けになるようなもんがないっていうねぇ・・・
正直、どこの馬の骨とも知れん。
905 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 04:33:03 ID:CkynKwX8
通説・新説どちらだろうが決定づける様な資料は永遠に出ないだろうしな・・・
双方とも極限られた資料で好き勝手に推理するだけだ。
どこの馬の骨とも分からんのが成り上がって
パッと咲いてパッと散るのもまた戦国のアダ花らしくていいじゃないか。
906 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 17:05:59 ID:vVsQUn5Y
宇喜多(浮田)氏自体は、児島を中心とした備前、備中の古くからの大族だけどな。
907 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 20:07:47 ID:SintDPow
児島に王子ヶ岳なる名所あり。
百済から王子が逃れ移り住んだとの言い伝えあります。
908 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 23:44:07 ID:2Xo0SYB7
>>906 宇喜多は備前の苗字だよ
つーか、普通は浮田だけどな
大族ってのもよー分からん
浮田自身マイナーな苗字だよ
浮田も宇喜多も鎌倉時代の文献にも出てこないみたいだし
そもそも児島半島に多い苗字でもない
夜郎自大の妄想がネットの中で定説化するのが怖いのよ
韓国みちゃいになってもろうたら困るww
909 :
人間七七四年::2010/05/04(火) 00:30:58 ID:iwwnPk8h
大西泰正著『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』
(岩田選書◎地域の中世F)岩田書院
2010年4月刊行・A5判・218頁・並製本・カバー装・2800円(税別)
<目次>
序 論 宇喜多氏研究の現状と課題
第1部 宇喜多秀家と豊臣期宇喜多氏権力
第1章 宇喜多秀家論
第2章 宇喜多氏家臣の叙位任官
第2部 秀吉死後の宇喜多氏
第1章 宇喜多騒動の経緯
第2章 宇喜多騒動の展開と結果
第3章 宇喜多秀家の関ヶ原合戦
第3部 宇喜多氏をめぐる群像
第1章 宇喜多忠家
第2章 浮田左京亮
第3章 長船紀伊守と中村次郎兵衛
終 論 宇喜多氏研究のこれから
910 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 05:17:17 ID:kht3Q0uz
こんな本があったのか
面白そう
911 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 08:31:45 ID:YZCiAKdB
直家時代にもっと踏み込んだ本は有りませんかね?
912 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 15:22:27 ID:fMHBhJ1+
>>909 これ面白そうね。
でも『関ヶ原前夜』を読んでる人もいないっぽいスレには無駄かもしれないw
913 :
人間七七四年:2010/05/07(金) 22:10:50 ID:1hmuQg37
宇喜多研究を地道にしてる方がいらっしゃるんですね
この本には古代氏族宇喜多氏は載ってるかしら?
Wikiの件だが、正直今まで全く知られていなかった新説がなぜ今登場するのかね?
宇喜多バンザイの架空説は宇喜多個人研究家としては辛いわな
914 :
人間七七四年:2010/05/07(金) 23:52:42 ID:p8hnO5dJ
915 :
人間七七四年:2010/05/08(土) 10:49:19 ID:vFdx3C53
916 :
人間七七四年:2010/05/08(土) 12:47:59 ID:ZPhxM5vF
古代氏族宇喜多氏の話題なんて出てませんが?
917 :
人間七七四年:2010/05/08(土) 19:23:44 ID:7n3ShvT0
宇喜多秀家の男色相手って誰だった?
918 :
人間七七四年:2010/05/09(日) 12:42:07 ID:NtRub3Wd
>>916 宇喜多氏の家格を上げたい浮田氏子孫の方がWikiに自作捏造説を書き込んでるのでは?
まあ戦国大名の家系図なんてどこも捏造だけどさ
平成になっての捏造ってのは必死な感じで痛すぎる気もしますな…
919 :
人間七七四年:2010/05/09(日) 13:10:57 ID:GUUNR0Gd
さすがにそれは無いだろ
単にwikiによくあるパターンである
小説やゲーム、ドラマを鵜呑み・妄想する連中が書いたんじゃねーの
920 :
人間七七四年:2010/05/09(日) 13:16:08 ID:nidw/DUZ
>>918 君はそういう想像をする自分の病的さを心配した方がいい。
921 :
人間七七四年:2010/05/09(日) 22:22:36 ID:NtRub3Wd
>>920 キミねえ、珍説?新説?を鵜呑みにする病的な幼稚さに気付きなって
922 :
人間七七四年:2010/05/09(日) 23:03:17 ID:d/i8JsIX
>918
いちおう出典も書いてあるし、あくまでも新説と但し書きもあるし、
安易に「自作捏造説」と言うのはどうかと思うぞ。
923 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 00:08:44 ID:C0tL/iSs
>>922 履歴見たら、kybunoって人がwikiに書き込んでるのを他の人がたしなめてる感じ。
新説云々も他の人が書き足したみたいだね。
参考文献も古代宇喜多氏なんて明記してないみたいだし、捏造じゃないの?
普通に考えて戦国から今まで宇喜多氏自身も唱えていなかったような、
見栄っ張りな出自が平成になって新たに判明する訳もないでしょ?
村上水軍末裔のおっさんが「実は最近になって分かったのだが信濃源氏村上氏の子孫」
って言ってるのと同じくらい空しいものを感じてな。
924 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 15:41:16 ID:v1uOiI9b
925 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 19:41:51 ID:rxTAmt9G
>>923 真偽は別にしても瀬戸内の村上氏は江戸の初期から信濃を本国と言ってるんだけれども。
926 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 22:57:06 ID:C0tL/iSs
>>925 確かに村上水軍は諸説ある
ただ「最近になって分かったのだが」ってのに引っかかったわな
村上氏は河野氏ともども紀氏子孫って唱えている人もいるしね
古代氏族宇喜多氏云々については、
姓・氏・部というものを理解して唱えられたものではないでしょう
仮冒ですらない珍説と断じざるを得ない
まっ、オジサンのぼやきですわ
927 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 20:49:10 ID:KXhgPQ4x
>>924 2〜3日前に届きました。今日これから読みます。
928 :
戦国野郎:2010/05/24(月) 14:37:33 ID:QdDaJSBn
次の本には、宇喜多の論文が載っているぜ。
『戦国期赤松氏の研究』岩田書院(2010年5月刊行/定価 7,900円・税別)
<目次>
序 章 赤松氏研究の現状と課題
第一部 赤松氏と守護代・国人層
第一章 西播守護代赤松政秀の権力形成過程
第二章 東播守護代別所則治の権力形成過程
第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏
第四章 赤松春日部家の基礎的研究
第五章 美作地域における奉公衆の研究
付論1 戦国初期の宇喜多氏について
付論2 中近世移行期における宇喜多氏の権力構造
第二部 戦国期赤松氏の領国支配構造と展開
第一章 戦国期赤松氏の領国支配の構造
第二章 戦国期赤松氏の領国支配の展開
終 章
あとがき
929 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 21:35:02 ID:8wMByYmL
宇喜多能家ももっと評価されてよい
930 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 23:02:33 ID:MDcS8lNK
では、ついでに宇喜多詮家も評価しちゃえ
931 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 21:08:07 ID:uFkD5JmF
詮家はダメ! 尼子でいえば、誠久みたいな感じ。
932 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 03:17:30 ID:Y2MV6bDC
誠久なんて例えが良過ぎ
詮家は朝倉でいう景鏡みたいなもんだろ、末路的にも
933 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 05:11:54 ID:iNVo7DDy
(*゜◇゜)
934 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 09:50:05 ID:H33fW5De
宇喜多能家は、宇喜多中興の祖。
935 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 21:40:38 ID:H33fW5De
岡山の戦国時代展!
八浜合戦で毛利軍と対決して討ち死にした基家の甲冑がいきなり
展示されてました。
毛利軍の鉄砲にかぶとが打ち抜かれた跡もありました。
全盛期の宇喜多直家伝説
・3日で3人暗殺は当たり前、3日で8人暗殺も
・闇討ちを頻発
・直家にとっての家臣登用は暗殺のしそこない
・狙撃も日常茶飯事
・備中成羽城主三村氏の攻撃に対して、三村軍3万、味方全員出陣せずの状況をスナイパー2人できりのけた
・豊臣秀吉も暗殺しようと思えば簡単だった
・織田信長も(ry
・織田側についただけで秀吉が泣いて喜んだ。心臓発作を起こす明智光秀もも
・戦に勝っても納得いかなければ勝鬨上げないで暗殺して帰ってきてた
・戦の無い平日でも暗殺
・備中・美作衆のヤジに流暢な岡山弁で反論しながら狙撃
・サッと暗殺しただけで士気が5くらい上がった
・本能寺の変のきっかけは直家の信長暗殺失敗
・身内まで暗殺しようというファンサービス
・秀家は合戦で戦ったことがない
・暗殺だけで大大名になれたのは直家ぐらい
・直家は、いつも自分の刀を物欲しそうに眺める小姓に毒殺を教えてあげたことがある
・フルパワーで暗殺すると周囲に人がいなくなるために力をセーブしてた
・直家の暗殺に毛利の間者が反応してしまうので暗殺工作中は警戒されていた
937 :
人間七七四年:2010/08/09(月) 15:50:56 ID:N1uPomm2
>・直家の暗殺に毛利の間者が反応してしまうので暗殺工作中は警戒されていた
ここ、意味不明。
何かのコピペ改変なら、無理に載せないほうがよかった。
938 :
人間七七四年:2010/09/03(金) 11:11:39 ID:y008qv+E
最近の研究じゃ、宇喜多直家が浦上の家臣だったという話は、ほぼ否定されたらしいな。
宇喜多氏はもともと、備前西大寺を本拠とした独立国人で、門前町の商工座、川港を擁する
相当裕福な勢力だったようだ。
なので当然、直家が食うに困って強盗したとか、浦上家中で暗殺を繰り返してのし上がったとか下克上とか、
その辺の逸話は全部後世の作り話。デタラメ。
これらから宇喜多直家像、そして備前、備中の戦国史は、根本的な変更を求められているそうな。
939 :
人間七七四年:2010/09/03(金) 17:54:38 ID:6c86V6Xi
宇喜多は関ヶ原では敢闘したけど、これは秀家ではなく明石の采配によるものと考えていいの?
940 :
人間七七四年:2010/09/03(金) 18:43:10 ID:M3bhL2Hc
それまで宇喜多の中核だったであろう重臣がごっそりいなくなった宇喜多軍で
予想外に敢闘したし、杭瀬川の戦いもあるから明石の名が高まったんだろうね
941 :
人間七七四年:2010/09/03(金) 19:56:17 ID:H9vlYKre
>>939 宇喜多は毛利との戦いでも神輿の現場司令官が死んだのに崩れずに戦ってるから
割と個々の判断で戦う分権的な軍政だったのでは?
それから重臣が去っても地縁がある国人衆は去ろうにも去れないし。
942 :
人間七七四年:2010/09/04(土) 16:50:39 ID:Ade8UFQb
専門板はヤッパリ違うなw
>>941みたいな的を射たレスがゴロゴロしてる
毎日、「三人の二代目」が楽しみでしゃーねーよ
943 :
人間七七四年:2010/09/04(土) 23:09:26 ID:lbW8w78A
直家が西大寺・福岡から商人を招き岡山に城下町をつくったのは
信長が安土城をつくる3年前、宇喜多家中ってある程度は兵農分離出来てたと思う?
944 :
人間七七四年:2010/09/05(日) 00:15:52 ID:8PYj9kDD
>>943 最近の戦国研究の主流は「兵農分離は、無かった」
945 :
人間七七四年:2010/09/05(日) 17:22:25 ID:PpTkN/gG
つーか、小田原攻めの時の北条や中富川の時の長宗我部とかの
誰でも彼でも動員て時でもなけりゃ基本は常備兵での合戦だろう。
946 :
人間七七四年:2010/09/05(日) 19:02:16 ID:EfhoRVq5
宇喜多時代は宇喜多領内に幾つも城があったんだろ、
それを重臣で管理させ、小領主として任せる形で。
秀吉が全国各地の大名や人質を中央に集めてたけど、
岡山城と宇喜多領内の諸城とも似たようにフラクタル
構造になってたんじゃないの。
重臣は国事もあるから中央に行ってることが多いとは
思うけどね。
947 :
人間七七四年:2010/09/05(日) 22:35:57 ID:c7c6w4U8
大坂の陣が終わって
一国一城令が出るまでは
それが普通なんだが……
948 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 16:28:03 ID:L1gprMDK
大河ドラマとまでは言わないけど
高橋克彦あたりが直家の長編を書いてくれないかな・・・
949 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 16:39:51 ID:WsT76kAQ
宇喜多家は序盤から終盤まで見せ場ばかりの大名だろw
これほどドラマ向きの家もねえと思うが
950 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 16:46:49 ID:W/njTj6N
宇喜多秀家役=マギー審司で
951 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 16:53:29 ID:zoLLXSrF
直家は渡辺謙に限る
952 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 17:10:30 ID:zOBhwTQV
953 :
人間七七四年:2010/09/12(日) 19:19:26 ID:20jQvvCc
個人的には直家役は北村一輝で。
みんなの前ではにこやかだが、一人で部屋に篭っている時には・・・・。
954 :
人間七七四年:2010/09/12(日) 21:21:47 ID:ixdwBIHr
北村一輝ではとても大事は成せそうにないな。
あいつは3流の人間の役どころが似合ってる。
955 :
人間七七四年:2010/09/12(日) 21:23:30 ID:lZ8deTYX
伊賀久隆辺りがはまると思うお>北村一輝
956 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 10:52:36 ID:KqXP2HT9
当主を謀殺された島村、中山、金光の一族のその後が知りたい・・・
957 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 13:46:48 ID:stkZsBqk
大西泰正「宇喜多騒動をめぐって―光成準治著『関ヶ原前夜』第五章への反論―」(『日本史研究』573号、2010年5月20日発行)
958 :
人間七七四年:2010/10/03(日) 14:04:36 ID:WwZn6Gjx
宇喜多秀家を秀吉の娘婿と呼ぶのって正しいの?
共に養子なのに
秀勝.秀頼とは成長期がずれてて丁度よい時期だけど
959 :
人間七七四年:2010/10/03(日) 19:42:29 ID:RRtioNep
>>958 時系列では婚姻より猶子入りの方が早いから、確かにおかしな表現だわな
960 :
人間七七四年:2010/10/03(日) 19:52:02 ID:RRtioNep
>>959自己レススマソ
ただし豪姫は純粋に養女であるのに対し、秀家は猶子(宇喜多家を出ていない)だから、狭義の意味では娘婿といえるかも…
961 :
人間七七四年:2010/10/03(日) 19:55:46 ID:XQfDDVgG
秀吉が後見人になると言う意味での猶子であって
秀家は豊臣家に入ったわけじゃないからね
豪姫の方は養女として豊臣家に入っているから
豊臣との関係は娘婿であってる
962 :
人間七七四年:2010/10/05(火) 09:29:22 ID:fxs58962
涼しくなってきたので乙子、高取山、砥石、新庄山、沼と回ってみた。
今度は天神山を征服だ!。
963 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 14:25:35 ID:oPhJDHwc
言われてみて思ったけど
豊臣姓を与えられ、羽柴備前宰相を名乗っているのに猶子ってのも変な話だね
964 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 15:09:54 ID:nNmD5JA8
豊臣と羽柴は濫用されてるじゃん
965 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 19:13:50 ID:/47BrKA9
秀家の場合、豪姫が嫁に来たのが大きいな。
966 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 21:33:28 ID:Nx+QWJwF
嫁に来たと言うより婿入りでは?
967 :
人間七七四年:2010/10/12(火) 01:04:49 ID:aJTx79/+
豪姫は秀吉ねね夫妻の愛情を最も受けた娘だからね。
秀頼とは世代が重ならず、秀勝程薄くも無いし
実質的には豊臣家長女の娘婿って扱いじゃね
968 :
人間七七四年:2010/10/12(火) 11:24:34 ID:/SbQ0Rdv
そら「一歩も退かぬ」ポジションだわな
969 :
人間七七四年:2010/10/12(火) 22:15:25 ID:kFxP0vLP
感覚的に、宇喜多秀家が豊臣家のために、と関ヶ原で奮闘した理由がよくわかりました。
970 :
人間七七四年:2010/10/12(火) 22:50:02 ID:T1Vrtphw
豊臣家のためとは言えないけどな。どちらかというと宇喜多騒動がらみの恨みつらみ。
971 :
人間七七四年:2010/10/13(水) 07:32:20 ID:XVzGFPJf
豊家のためにというのなら、八丈島から泳いでいかないとね。
972 :
人間七七四年:2010/10/16(土) 18:37:24 ID:HAiAOB+o
なんで秀家さんは評価低いの?
973 :
人間七七四年:2010/10/16(土) 20:54:15 ID:b5PNnxoc
974 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 03:43:32 ID:HwupjI3+
>>973 関ヶ原での敗戦以上に宇喜多騒動が致命的かと
975 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 05:53:55 ID:yTaf7d4G
>>598 これ新人物往来社の戦国人名辞典からの転載だよね?
何の史料を典拠にしてるんだろう?誰か知ってる?
976 :
人間七七四年:2010/10/21(木) 16:08:22 ID:Q6X8CS9A
立場上、関ヶ原で東軍にはつけないだろ
そして関ヶ原開戦までは西軍有利だったわけで
見る目もあった
家が潰れたのは秀家の能力うんぬんではなく、他の結果でだからね。
977 :
人間七七四年:2010/10/28(木) 00:20:41 ID:kdq/HjdO
評価が低いというよりは、勝者により作られた歴史の一面が事実であるかのように誤認されているだけだろう。
しかも史実を証明する資料が少ないうえに、勝者サイドの視点によるものに偏っているのだから致し方ない。
宇喜多騒動にしても実際のところ不確かな点が多いわけで。
ともあれ、類稀なる美貌を誇ったといわれる『戦国の貴公子』秀家は、文武に秀で、詩歌文芸を好み、情に厚かった。
三浦貞勝、宇喜多直家、豊臣秀吉らに愛された円融院の美貌を受け継いだか、色白で瞳が大きく、鼻筋の通った美男子であり、
当時の平均身長を十数センチ上回る長身であったことも、鎧の大きさから明らかになっている。
978 :
人間七七四年:2010/10/28(木) 21:35:40 ID:jMdOby3K
>>977 お前にとっての事実ってなんだよw
自分の思い込みのことか?
あと後段のは予想、予断ばかりじゃないかw
979 :
人間七七四年:2010/10/29(金) 09:56:07 ID:39Rc5OAF
うーん・・・この人どうしちゃったんだろ?
君だって何百年も生きてきたわけじゃないんでしょ?
肖像画や鎧からルックスは推測されてんだよね、秀家に限んないけど。
980 :
人間七七四年:2010/10/29(金) 10:26:45 ID:39Rc5OAF
>>952 まさに同じ感覚の人がいて、何だか嬉しい。
秀家は色白で目がぱっちりだったから、いっそウェンツ瑛士がいいと思う。
981 :
人間七七四年:
普通歴史ものがゲーム化されたりすると武将は必要以上に美化される気がするが
むしろ元ネタのほうがイケメンなのは秀家ぐらいだろう。ゲッテンカ。