1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
賤ヶ岳の戦いは、1583年(天正11年)、近江国伊香郡(現:滋賀県伊香郡)の賤ヶ岳附近で行われた羽柴秀吉と柴田勝家との戦いである。
織田勢力を二分する激しい戦いとなり、秀吉はこの戦いに勝利することによって、織田信長の作り上げた権力と体制の継承者となることを決定づけた。
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本当は9本槍らしいね。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 03:24:45 ID:huCJaQhm
2人死んだからな
毛受さんが、がんばりました
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 03:27:05 ID:huCJaQhm
盛政は生きていればもっと有名になれたかも。勇将だね
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 03:32:20 ID:U31NVd3m
石田佐吉が一番槍っぽかったのは本当?
盛政が中入りしたとき、勝家も攻勢に出るべきだったのでは?
>>7 マジ?それすごくね
石田すごいがんばったな
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 23:52:44 ID:2ILSm/Ah
なんで、徳川や毛利は動かなかったんだろう。
毛利がどう動くんだ?
徳川はどちらが勝っても敵対するだろうから、中立で良かったと思うけどな。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 00:32:10 ID:cd6aTO1d
>>7 >>9 確かに一番槍だったらしいけど、抜け駆け気味だった点、他に目覚しいことが無かったから、
他の家臣より評価を下げてしまった事になったらしい。
だが、石田佐吉が戦下手を印象付けたのは小田原攻めでの武州忍城水攻め失敗が原因。
それまではそこそこの評価だったらしい。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 00:45:26 ID:5hPVwHPO
>織田勢力を二分する激しい戦いとなり
2分じゃないぞ。織田家が滅んだ後に
信長の長男 信長の次男 秀吉 勝家 の勢力に分散された。
左から規模順。どこが2文なんだか。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 01:06:28 ID:cd6aTO1d
>>13 信長の長男信忠は本能寺直後に二条邸で死亡。嫡孫三法師は秀吉→三男信考の保護下で、
勢力とは言えん。
信長の次男信雄と三男信考の間違いじゃないかい?
信考って誰だよw 信孝だろ
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 01:30:26 ID:cd6aTO1d
スマン。
変換ミス
多分、次男と三男の間違いなんだろうけど…信孝>信雄>秀吉>勝家
という勢力順分けでいいのか?
秀吉は播磨、但馬、因幡、丹波、摂津だろ?信孝って美濃ぐらいじゃないのか?
>>16 重箱の隅を突いたみたいですまん
信孝と勝家を独立勢力と数えるのに滝川は数えないの?
秀吉側だと丹羽とか
13よりかは二分されたと言った方がよほどまし
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 12:13:33 ID:44fbUhZF
この戦での前田利家の行為は、小早川秀秋と同じ。
>>13は釣りなのか?そうじゃなければ知ったかぶりして自分の無知を曝け出していて
見てるこっちが恥ずかしくなる。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 13:39:53 ID:eBrY5UbR
確かに前田利家の裏切りは決定打。
何といっても、柴田勝家の両翼の一人が、裏切りをしたのだから。
しかし、柴田の油断も大きな要因。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 15:06:08 ID:44fbUhZF
近年、賤ヶ岳の戦いにおける佐久間盛政の突撃はあくまで成功していたので、
敗因はここで連動しなかった柴田勝家の方にあると言う話もあるよ。
最大の原因は前田利家だが。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 18:42:31 ID:XrDqkzEf
佐久間は奇襲で中川清秀を討ち取ったまでは良かったのだが、
そのまま命令どおり戻っていればいいものを何故か残ったんだよ佐久間は。
そして秀吉本体が猛スピードで戻ってきて佐久間は敗走。
それを見た前田は勝ち目なしと見て、戦線離脱。
敗戦の最大責任者は佐久間以外にありえない。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 18:44:23 ID:2uOnfbpW
前田勢は5000
秀吉勢は4万以上
佐久間は崩れ柴田は動かずでは前田も逃げるだろーよ
もともと戦意はあまりないしな
前田家の領地の能登の周りに柴田の息のかかった奴が多くいて
秀吉に味方するなんて言える状況じゃないから仕方なくついてきただけだもん
まあ柴田が戦況を優位に進めれば前田も柴田についていただろうが
佐久間の暴走ですべてが終わったね
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 18:46:49 ID:XrDqkzEf
>>8 それだと全面対決になる可能性があり危険。柴田率いる北陸軍は秀吉より兵力で劣っているわけだし。
柴田はあくまで山砦に篭り、持久戦で秀吉と戦いたかったはず
持久戦に持ち込み、柴田が秀吉本隊を賤ヶ岳に釘付けにしていれば、家康や滝川が動いたかもしれないのに。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 20:34:27 ID:oz3YwNrc
利家講論によると勝家がそのまま能登にいろと言ってたのでは?
勝家は負けると分かっていた?
戦う前から北陸だけ孤立してたし…
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 21:16:16 ID:t0jNbMsC
ぶっちゃけ柴田って勝ち目あったわけ?
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 21:23:31 ID:mj4TSt9y
秀吉に敵対せずに一緒になって三法師を盛り立てようとしたら秀吉もフェイント食らったろうね。
賤ヶ岳の桑山はあとで降伏しますって言ったんだっけ。
そして大岩山の中川討ち死に、岩崎山の高山が木ノ本の羽柴本陣まで避難と。
佐久間によって余呉湖の裏の防御が崩壊して、堂木山や神明山の中にいる、
勝家に心寄せているヤシらが寝返れば、たいした防御ではない最前線の天神山も崩れるな。
まあ、秀吉が帰ってこれなければの話だが。
>>10 小早川が羽柴で吉川が柴田だからな。輝元は勝ったほうに付きたいからね。
様子をみていたんだよ。
佐久間が崩れた後の、丹羽の後詰もさりげなく秀吉方の勝因になっているね。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 04:48:43 ID:zb2GuJkF
顕如が秀吉支持を表明した時点で北国軍の敗北は確定事項。
軍事機密情報は真宗門徒を介して羽柴軍に筒抜け。
もはや、北国軍内部の壊走・離反を抑えるだけで精一杯。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 16:06:13 ID:qbmmhAek
佐久間盛政の軍令無視が戦局の明暗を分けたように言うが
その戦局を分けるような人選を行った勝家がそもそも軽挙であった
とする吉川太閤記
>>33 どっちも挨拶してるよ。どっちが勝つかわからんから。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 16:28:26 ID:qbmmhAek
与力大名を入れての計算では、
柴田圏が越前・加賀・能登・越中の一部までで150万石くらい
秀吉圏(宇喜田含む)も北近江・播磨・但馬・因幡・淡路・備前・美作に、
備中の一部を入れて同じくらいになると思う。
盛政は権現坂まで撤退できた、そして前田が迎撃参加すれば、
秀吉本隊の苦戦は確実。
どっちにしても、大岩山を落とした後、勝家の言うとおりに引き返していればよかった。
大岩山陥落は、十分に羽柴軍に対して動揺をつくることができた。
それから伊勢を盛んにさせるという本来の出陣目的の長期戦を持ち込めば、
柴田軍の勝利はそうむずかしくなかった。
盛政の若さゆえの気持ちの驕りであった。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 16:57:03 ID:m3lU2k0n
盛政は秀吉からかなりの熱望入れらたけど、家臣にならなかったんだよな
やっぱり秀吉が嫌いだったからなのかな?
勝家の恩と責任があったからと言う。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 19:05:43 ID:eEoVUw2W
柴田は勝っても、年齢からしてすぐ死にそう
どっちも実子がなかったんだよね。
与力達が同輩に比較的大人しく従っているのもそのあたりから来る先行きの不透明さもあったのかな
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 22:22:01 ID:08lN5u2Y
この頃、上杉との関係はどうだったんですか?
佐々が越中に釘付けになったまんまだから良くはなかったでしょう
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 02:11:16 ID:UOCD8s1c
政治力の差だな
秀吉は毛利と和平を結ぶのに成功して後方の憂いを無くしたが
柴田は上杉と
滝川は北条と臨戦体制で身動きがとれずに出遅れた
まあ、滝川は相手も悪かった
当時地方大名では最大勢力である北条が
5万を超える兵でもって攻め立ててきては勝つのは難しい
結局大敗して関東の領国を全て失い伊勢に逃げ帰った
おまけに秀吉に付け込まれて清洲会議に出席できなかった
この時点で滝川は完全に脱落した
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 02:17:08 ID:UOCD8s1c
長浜には佐久間盛政を入れて、全滅するまで粘ってもらう。
毛利・長曾我部・高野山・根来雑賀なども「勝家の大人の魅力」で味方に引きずり込む。
上杉とも根性で和睦し、佐々勢も賤ケ岳に投入。
これで勝てる。
かもしれない。
>>45 ワラタww なんだ「勝家の大人の魅力」というのはwwww
おティムティムの力だろ?>「勝家の大人の魅力」
源静香・伊集院静・荒川静香・工藤静香・亀井静香・静御前らが争った
しずかだけの戦いを分析する
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 16:06:26 ID:AjfjmkY7
秀吉には黒田や三成がいた
柴田にはこーゆー奴らがいなかった
その差かな
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 16:21:46 ID:a46TZ1Pw
>>52 たしかにそんな気がする。
イメージ的にも、柴田家って俺たち脳みそまで筋肉で出来てますっ感じの
連中の集まりみたいなw
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 16:45:34 ID:YMmgDnxS
秀吉との関係の深い前田を越中に配して上杉の抑え
秀吉嫌いで歴戦の佐々を佐久間の替わりに先鋒へ
佐久間は前田の配置へ
こんな配置だと多少変わってきていたのかもしれない
まあ佐久間はともかく前田、佐々の国替えなんてのをを勝家が自由に行えたかは微妙な所だが
微妙どころか100%不可能だろ。前田も佐々も勝家の家来でも何でもねえ。
それは秀吉も同じでしょう
柴田家に優秀な武将がいなかったというのは、なんなんだ。
もし秀吉が負ければ三成なんか敗者の無名小姓で終わってたわけで。
ちゃんと公平に勝家秀吉を分析できる人を見たことがない。
勝家も十分局地戦で勝利することができたわけで。
まあさすがに戦国時代板の人は秀吉が
簡単に大勝したとは思ってる人が、多くないからいいね。
44とかは違うが
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:50:20 ID:QDs2Rtfw
柴田と滝川が手を組んだら秀吉を倒せそうなんだけどなぁ
('A`)
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:56:16 ID:ygIAVeXZ
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 23:17:05 ID:/W8146eV
勝家の部下に猛将タイプはいても、智将タイプがいなかったのは事実だと思う。
勝家に味方した滝川なんかがそういうタイプだといえるケド・・・(部下ではないが)
当時は秀吉の策謀で伊勢から身動きがとれなかったからなぁ。
勝家としては滝川・信孝らと三方向から秀吉を包囲したつもりが秀吉の、信長並みの行軍スピードによって各個撃破されてしまった。
勝家が勝者なら勝家側の誰かが竹中半兵衛や黒田如水のような評価を後世つけられたとおもうよ。
負けたからそういう講談ができなかっただけで。
知将がどうこういうのは全く無意味。
織田を乗っ取るつもりで動いてたものと、
織田を盛り立てようとしていたものの差が
戦う前に出たからね。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 00:09:23 ID:PQ9nmddW
>>64 全く無意味、というのなら柴田勝家に有能な智将(知将)が配下にいた可能性のある人物名を挙げて欲しい。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 01:42:27 ID:M9OaonVu
柴田家の家臣とすると毛受勝照(勝介)と拝郷家嘉、
それに佐久間兄弟くらいしか思い浮かばない(前田・佐々は除く)。
この内信長から寄騎された拝郷を除くと、一族とか譜代しかいない。
おそらく、秀吉のように積極的に人材を登用した事はないのでは?
その為、家臣に有能な人物がいたとしても竹中半兵衛や黒田如水のように
出世した(発言力をもった)事はないと思われる。
身近(上司?)に人材を有為に使う名人(信長)がいたのに、
それを学べなかったのが勝家と秀吉の差。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 01:50:11 ID:04rd0jc/
滝川は勢力を失っているから組んでも影響は少なかったのだろう
小瀬厨は、おアホな方々が多いようです。
高柳氏の賤ヶ岳の戦いはガチ
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 18:35:34 ID:m+ZOVcds
詳しく
それにしても北の庄は割と簡単に落とされてしまいましたね。
野戦で敗れたとしても篭城すれば、そう簡単には落ちないと思うんですが。
それがなにか
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 22:15:31 ID:PQ9nmddW
>>73 賤ヶ岳で大敗して大半の兵が逃げてしまったからだよ。
北の庄にはわずか数千の兵力しか残らなかったし、篭城してもどこからも援軍は
こないのが勝家には分かっていたんだろう。
最後は猛将・勝家らしい実に見事な散り際だった。
最後まで見苦しかった勝頼と比べたら・・・。
数千も残ったっけか?
>>75勝家もいいが、俺は勝頼も名将だと思うんだけどね。
しかし毛受兄弟も、勝家が勝てば何万の兵を率いる名将になってただろうな。
>>76秀吉の小早川隆景宛の書には篭城する兵は200人ほどだったらしい。
ちなみにその書の秀吉による状況説明
修理も日ごろ武篇をしつけたる武士にて候条、七度まで切って出で候といへども、
相ふせぐことかなはず、天主の九重目の上に罷り上り、惣人数に詞をかけ、
修理が腹の切様見申して後学に仕り候へと申すについて、心もある侍は涙をこぼし、
鎧の袖をひたし候によって、東西ひつそりと静まり候へば、修理妻子こどもそのほか一類刺殺し、
八十余身替りせざるもの切腹、猿の下刻に相果て候事
午前四時から午後五時にかけての戦いだったとのこと
どれだけ勝家をさげすめば、満足するのやら。
かなしくてたまらんよ。
>>75 勝頼と勝家は立場の違いだと思う。
勝頼は大名で家の存続を考えたが、勝家は武将で潔い死にかたを選んだ。
仮に信長だったら、前田や佐々の所に退却して再起を図ったかもしれない。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 17:52:59 ID:s6lNRL8x
前田や佐々は出てくるが金森はスルー?
戦国史上かなりおもしろい局地戦だと思う
こいつの死体はどうなったんだ?首が敵の手に渡ったんではないんだろ?
>>84 勝家のこと?
切腹してから天守閣爆破させたから首どころか死体自体見つかってない
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 09:55:10 ID:1EhFKzp+
山崎・賤ヶ岳・小牧長久手が秀吉の
天下分け目三部作とされているが
この後秀吉在世中は、もう地方大名に
望みはなかったのかな
こいつ って
脳内では完全悪役だよな
秀吉と勝家によるブック説を提案してみる
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 16:44:53 ID:qk0C9YVA
↑詳しく
勝家とお市の死体は未確認という前提から。
その後の浅井三姉妹の厚遇ぶりは不自然すぎる。
両親亡く政治的な利用価値が低い(せいぜい京極の一門程度)はずなのに。
あと勝家には、脱出したのち男児を二人もうけたという伝説があるね。
また府中衆らはほとんどお咎めなしで豊臣大名になっていたりする。
織田家筆頭の宿老としては秀吉への対抗馬に担がれやすいのだろうが、勝家本人はどうだろう。
秀吉に敵意剥き出しというよりは周囲に振り回されている感じが否めないし。
織田家守るために立ち上がったんじゃね
戦死しても死体が見つからない武将っているけど、死亡確認はどうしてるんだろうか?
晒し首はしないだけで実際は死体を見つけてる場合ってあるのかな。
現代でも火災が起きても焼死体が見つからないってまれだし
身元不明の死体も沢山ある
>>93 よっぽど死体が見つからないような状況や、死亡が明らかな場合以外は
大抵それっぽい死体を拾ってきて、それを斬首して晒したりする事もある。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 11:14:14 ID:l1jSanr1
中国大返しといい、賤ヶ岳の一騎駈けといい、秀吉の行軍の速さは異常。
神だな。なんか知恵がある。
まあ、あれがなければ勝てなかったけどね。
秀吉と違って62でもボケないのがすごい。
信長の政治力、人材発掘力、人材育成力、魅力 を全て受け継ぎ更に外交の上手さも加わったからな
その分信長の戦争の強さは無いが・・ まぁ1段劣るとしてもこいつに勝てるのは当時ではいなかっただろう(家康や光秀ですら勝てなかったわけだから)
ただその後ボケはじめた それがまずかった
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 21:32:39 ID:2FMgl9Ur
戦績も信長より秀吉の方が上じゃねえか
城攻めは言うに及ばず 野戦でも負けたの小牧ぐらいだろ
信長のほうが上
勝豊寝返らせる工作したの大谷だっけ?
城攻めは秀吉、野戦は家康とよく言われるが実際には家康よりも野戦が得意だな、秀吉は。
ネタつきてきたか
家康は難攻不落な大坂城を落城させた城攻めの名手?
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 12:36:47 ID:jl/zr6Tt
勝家が自ら長浜に入ればよかったんじゃね?
敗因の一つに勝豊があるんだし
>>106 冬の間、孤立無援で攻められたら勝負決まるぞ。
長浜城の防御力は知らんが、勝手知ったる羽柴勢にとっては落としやすかろう。
かといって、秀吉に対抗できる軍勢を常駐させる余裕もなかろう。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 21:48:03 ID:XqRPXcTt
結局あんな飛び地領はもらうだけ損だったってことか
勝家「近江と若狭そっくりよこせや猿!!!」
長浜引き取りは、秀吉の世間の評判があがった。
勝家としては、してやられたわけだ。
あぼーん
そのコピペ、全く意味がわからんのだが
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 20:37:40 ID:mhKPca5v
勝家が最強
勝家をろくに知ってない香具師ってだめだめが多い
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:13:21 ID:eRL+udP+
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:20:21 ID:aeu9YD4l
117 :
名無しさん:2006/12/16(土) 04:38:38 ID:1rGh7Iqi
司馬遼太郎の本で見た事があったが勝家の動員能力は4万3千とか
だがこの戦では2万強しか連れてなかったんだろう
勝家側の兵力がしょぼすぎないか
上杉とも喧嘩していたんで置いて来たのだろうがこれだけしか連れて
行けないのなら戦争したのが失敗としか思えないのだが
戦自体は、数で劣る勝家は秀吉勢に攻める隙を与えないくらい、防御面はしっかりしてますよね。戦自体は五分五分だと思います。
ただ、戦に至るまでの経緯がさすが秀吉だと思います。本能寺の変辺りから勝家を滅ぼす辺りまで考えていたんじゃないかと思う位。
個人的には、賤ヶ岳での勝家の奮闘が見たかったです。
両軍の数はどれくらいだったか。
勝家軍約二万、秀吉軍約三万ですよね?違ったらごめんなさい。
121 :
名無しさん:2006/12/22(金) 00:11:25 ID:vpICNrDC
>>120 秀吉軍はもっとすごかったんじゃなかったか?
122 :
名無しさん:2006/12/22(金) 00:18:07 ID:vpICNrDC
勝家軍は秀吉の大軍にのみこまれてなすすべもなかったからな
総大将が1万も連れていないのは寂しい限り
甥っ子の別働隊も8000足らずだったと思うし分断作戦が
自殺行為に見えてしまうよ
更に前田や金森ら7000ぐらいが敵前逃亡
お手上げだわな
対する秀吉軍は秀吉が合流すると総勢7万。
ほとんど虐殺。
勝家の思惑通りの展開が見たかった。
むしろ盛政とともに勝家も攻勢に出るべきだったと思う。
127 :
名無しさん:2006/12/22(金) 20:53:15 ID:MZR9tTbD
>>124 確か秀吉側はそれ位はいたよな
7万相手に2万足らずじゃ死にに行くに等しくないのか?
128 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 21:06:49 ID:tsuouBuM
信長包囲網がやったみたいに、
勝家があそこで食い止めて、(雪を利用したりして)
家康、信孝、滝川、(+北条からの援軍)で背後を突けばよかったんだよ。
そうすれば総勢8万弱は動員できたんだろうし、勝ち目は十分にある。
この局地戦で戦争を決めるつもりではなかったんでしょうね。
雪をどう利用しろと。朝倉がやったことを考えたら雪を利用してなんて無理。
信孝もどうしようもなかったしな。
131 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 22:48:05 ID:p7flAZcP
俺も、見た時は爆笑したもんだが
ただ反応が一切無かったから浮きすぎで何もコメントできなかった
133 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 09:05:52 ID:298tp/Ug
雪を利用した戦術は、当世でさえ、木曾がやっているわけだが
武田軍はそれに大敗を喫している。
鬼玄蕃の攻勢とともに駐留部隊を撃滅すべきだったな
135 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 17:38:54 ID:298tp/Ug
何も知識がない阿呆が爆笑!
その現象とおまえのあほ顔が大爆笑!
せめて佐久間盛政の奇襲に連動して、北国街道の脇を固める堀秀政の陣を
勝家の本隊で攻め崩しておくべきだったとは思う
137 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 20:44:54 ID:JZ8IQvbE
雪を利用って 雪合戦で決めるって事か
>>136 それは勝家本隊ではなく、本来は二番手の前田勢の役目だよな。
勝家は持久戦に持ち込み、秀吉方の兵力をできるだけ多く賤ヶ岳に留めさせておく作戦じゃないんですか?そしたら織田信孝と滝川一益の状況も変わる可能性もあるし。
勝家もまさかこんな負け方をするとは考えてもいなかったろうな。
>>139 外線戦術は交通輸送手段の未発達なこの時代では有効だっただろうからな
内線戦術を確率したのがナポレオン
>>138 そうなんだけど、勝家陣営の与力だった連中はいまいち信用がおけなくて
勝家としても微妙だったろうね
だから本当は
>>139の言うように勝家自身は動かなければ勝てないまでも
負ける事はないって公算はあったんだろうね
142 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 20:32:17 ID:VKPBLBl+
又佐が先鋒だったら・・・
143 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 20:36:05 ID:VKPBLBl+
↑又左だった
やっぱり敵前逃亡だな。
145 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 19:03:08 ID:hBBpao/+
七本槍の糟谷についてなんでもいいから教えてください<m(__)m>
146 :
項龍:2007/01/04(木) 19:05:50 ID:CTXaLfLd
147 :
バナナマン:2007/01/04(木) 19:32:35 ID:APWlaba+
可児才蔵いなかったの?
148 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 21:14:00 ID:ElAZm5Lz
そもそも勝家は何を呼号して戦を始めたのだったっけ?
織田家の防衛か、自分の天下取りか、それとも純粋に防衛行動だったか。
秀吉と勝家の対立が余りに根深いので、かえって詳細が知られていのでは?
勝家は何故秀吉を打倒しようとしたのか。
149 :
名無しさん:2007/01/04(木) 21:55:53 ID:tRI+tIO2
結果は2万で秀吉軍7万に袋叩きだ
やっぱり勝家は秀吉の相手じゃなかったと思う
謎の多い戦なので面白い。
151 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 17:22:53 ID:hnGnaqED
柴田はいったん北ノ庄から退くべきだったのではないか。
現代で言うところの戦略的後退だ。
152 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 23:17:12 ID:QQbHDHQQ
まあ、秀吉がモノにしたかったお市は勝家がゲットしたんだから男の戦いでは
勝ってたよな柴田。浅井長政が死んだ時は自害しなかったお市が勝家が死んだ時
は一緒に自害してんのはなんでかね。
>>152 長政の時は秀吉が来てかなり強引に連れ出した→結果夫と息子死亡
今度は敵がその秀吉なんだぜ?
154 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 23:35:09 ID:xTiYCSE6
>>153 余談だがあの救出劇の真の功労者は竹中半兵衛ですよ。
>>148>>149 織田家重臣としての意地の戦いだったんじゃないの。
勝てる勝てないの問題じゃなかったんだよ。
と、信じている。
155 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 00:05:10 ID:MztSvw+X
>>148 俺もそう思う。いきなり秀吉を敵視したらそりゃ生き死にの戦いになるわな。まあ、
俺が清洲会議について通り一遍の知識しか無いせいかも知れないが。
156 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 00:21:04 ID:K0m9XR80
>>155 ていうより秀吉が最初に織田家をのっとろうとしたんじゃないの?
それで重臣として織田家を守ろうとした。
と、信じている。
秀吉が織田家をめちゃくちゃにしたんだ。
と信じてる。
だからブックだっつの
159 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 23:33:29 ID:EP2XKsOs
勝家が勝って羽柴家が解体されたら、
室町幕府みたいな織田宗家を中心とする脆弱な連合政権が出来てた?
160 :
マフティーって学がありすぎんですよ ◆CASVAL9Zfw :2007/02/26(月) 01:56:07 ID:Q2lRiGtC
あげや
161 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 19:41:04 ID:U+uTaqKM
まあ信孝なんかを担ぎ出して、信雄と対立でも真似かねない状況に
なると考えたことはあるのかね柴田は?
それに柴田が織田家の実権を握っていけば、秀吉が自分が干される
かも知れないと危惧するのは当然のことですね、犬猿の仲であった
分。
162 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 20:03:08 ID:LFWfOa6t
秀吉と勝家は同じ危機感を持っていたわけだ
163 :
◆CASVAL9Zfw :2007/03/05(月) 01:39:58 ID:Iyj1LUaY
権六は立派な大人物やでぇ
猿みたような欲だけで生きとる輩とは わけがちがうでぇ
164 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 03:21:14 ID:wKYTBHrI
論拠がない
死ねカス
2点
165 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 08:43:35 ID:uxUhZDyF
お市のせいだろ
166 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 08:44:01 ID:PAkCrZo3
秀吉がお市を奪うために勝家を攻めた?
腐女子の妄想だな。
167 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 08:55:39 ID:cPEhmUN6
柴田勝家と徳川家康が手を組めば、羽柴秀吉に勝てそうなのに。
168 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 10:55:52 ID:Edm1f0nR
徳川は甲斐信濃攻めでそ、連携は無理
織田家の内紛にゃ傍観姿勢だろ
169 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 14:51:32 ID:pHt/f6QL
って言うか一応組んでたような・・・
170 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 21:50:35 ID:1ScYyIyy
上月城の戦いでも惨敗しているだろ
毛利軍六万vs羽柴軍一万五千
だからしかたないけど
171 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 21:59:08 ID:1ScYyIyy
柴田は反羽柴包囲網の一角で
徳川と柴田は一応組んでた
だから柴田は持久戦に持ち込んでいた訳で
持久戦に持ち込めば
義昭が柴田派だったから
毛利も動いてたかもしれない
だから
柴田の山に陣取っての
持久戦論は戦略として正しい
第一次羽柴包囲網
羽柴(上杉)
vs
柴田、徳川、足利、根来衆、信孝、滝川、長宗我部、北条
でむしろ柴田有利なくらいの展開だったんだよ
すべて佐久間があれで…
佐久間が悪い
172 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 22:04:26 ID:Q0riV45I
>>171 北条と長宗我部は積極的に動いてないし
そっから左全部合わせても羽柴一つに及ばない。
多数決じゃないのよ。
173 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 22:09:23 ID:8gDCcLaP
柴田と徳川=羽柴くらいでしょう
毛利が動けば一瞬で形勢は逆転するよ
174 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 01:30:41 ID:q9dfB8nm
あくまでも織田家の内紛だから、徳川も毛利も余程の大義が無ければ実際軍は動かさないだろ
柴田がいくら粘ったところで、他家の基本は様子見か消極的支援
結局はどこまでいっても羽柴対柴田なんじゃね?
175 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 12:42:04 ID:0f+dvGfF
丹羽が秀吉をさっさと見限ればよかった。っとは誰もいわないのか?
丹羽ってほんと過小評価されすぎ。死に際の台詞とかがださすぎるからか?
176 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 01:41:05 ID:sWomYeRQ
>>175 あの時点での織田家武将の力関係って、想像するだけで面白いね
丹羽や池田がどういう気持ち・計算で秀吉についたのか?
案外、「柴田のじじいよりもやりやすい」程度の読みだったりして
177 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 01:49:25 ID:Qb1rapEa
そういえば恒興は、賤ヶ岳の戦いのとき、摂津の留守番してて
出陣してないな。
178 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 02:56:08 ID:7rqpDe0r
素人の妄想ばっかり
レベル低いな
武将達も浮かばれないわ
179 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 03:22:53 ID:HH0Me/hp
>>178 それを言われると、戦国板も成立たない。
180 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 05:05:36 ID:ODhz5xqM
お前の先祖のほうが浮かばれないわ
181 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 16:18:24 ID:tGPhcwn+
>>177 池田家って何か不思議な存在だな
信長には乳兄弟だからか一族扱いで別格だし
秀吉にも大事にされたのに、恒興犬死にしてるし
息子輝政は秀吉武断派と仲良しで、親父と兄の仇・家康の娘めとって徳川家にも大事にされたし・・
要所要所での逸話が多い細川家より、よっぽど面白い家系だと思うけどなあ
182 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 16:51:27 ID:LCKeIlXI
賤ヶ岳は、天下分け目にも関わらず何故不明な点が多いのか?
柴田も羽柴も結局滅んだからか?
183 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 22:06:46 ID:/utgNdbg
「天下分け目」ってほど大した戦じゃない
羽柴が柴田を一方的に虐殺しただけのイベントだよ
184 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 22:20:36 ID:34zlVq8r
185 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 22:22:48 ID:/utgNdbg
もちろん。
もっとも、専門(?)は鎌倉〜室町中期だが。
186 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 17:51:15 ID:ASY6ZRTh
187 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 02:58:12 ID:YJNTFzys
188 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 05:53:20 ID:w8mT7eUa
仙石権兵衛じゃああああ
189 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 07:26:53 ID:PdqutnKw
よかったね
190 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 09:35:50 ID:F3UKm7VI
>>178 同意
大体、猛将、智将、勇将てなんだよ
ガキでゲーム脳が妄想で語るな
キメェ
191 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 11:32:34 ID:4I8sf466
前田じゃなくて佐々だったら裏崩れなぞしなかった
ならば勝家も盛政の案に従い、全力で突破口を拡大しただろう
突破口を啓開したなら直ちに予備兵力を投入し突破口を拡大するのは軍事的鉄則
しかしその予備兵力がいつ裏切るかわからない前田らでは勝家は動けなかったの
だろう
信孝の時間尚早の挙兵で裏切るかも知れん人間を使わざるを得なかった
勝家の駒不足と信孝の早期の挙兵をせざるを得ない状況下に追い込んだ秀吉の策
謀が合戦結果に至る第一の要因だろう
192 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 14:58:56 ID:0/t2cZiE
長浜城が、関ヶ原の伏見城の様に時間稼ぎ出来てれば、どうだったかな?
193 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 22:12:22 ID:13qk5cjN
賎ヶ岳に行ってきました。気分的にヒンヤリしていました。今は慰霊碑と草ばかりで、当時戦いがあったなんて嘘みたいに平和でした。
194 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 19:06:03 ID:7zQgMoqL
195 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 16:10:29 ID:O2Vqot9h
佐々が能登、前田が越中を領してたら、佐々が前線に出ていたろうな。
196 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 04:54:27 ID:YJZJlOGM
>>195 能登に下げられてたら腐って裏切っちゃうんじゃない?
197 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 01:30:25 ID:HzmBeWdw
今日のその時歴史が動いたでやってたね。
198 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 18:35:00 ID:NE6OjvbU
見れなかった。
199 :
関連スレ:2007/10/17(水) 23:13:14 ID:BCrPQdLz
200 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 02:23:35 ID:s3iRDINl
柴田スレに前田利家でなく佐々成政が参陣したときの仮想レス書いてあって少し
面白かった
201 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 11:29:20 ID:MkXd4hYE
妄想の垂れ流しキモくね?
202 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 19:25:51 ID:Z9rj/CdA
成政直系子孫が浅間山荘突撃した佐々さんだから猛将といったイメージじゃないのかもしれん
スケートしてる織田や野球で二軍にいる真田よりは期待できるね
203 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 10:20:42 ID:4heTfK6z
佐久間が早々に撤退してたら勝てたのか?
無意味になるだけじゃないの?
結局利家がトンズラこいたのが主たる敗因じゃないの?
204 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 10:53:14 ID:2J5kGrfO
利家が参戦しようがあの時点ではもう秀吉軍数万の勢いは止められない
(よく前田勢が加勢すれば秀吉軍に勝てたと言ってる奴がいるがアホかと思う)
(勝家も佐久間が戻る前に秀吉が帰ってきたら我が軍の負けだと嘆いている)
佐久間が秀吉の来る前に戻れば中川を討ち取ってる柴田勢の士気は上がってたはず
逆に秀吉軍の士気は落ちたはず・・・・でも長期戦じゃ勝ち目は薄いかも・・・
勝つには秀吉のいないときに勝家本隊が動いて敵を蹴散らすしかないねえ
佐久間が敵の真ん中にいたときに勝家が動いていればねえ
205 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 11:57:16 ID:kmAOQWg8
そのセリフが書いてある史料はなんですか
206 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 12:16:13 ID:4heTfK6z
207 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 15:01:38 ID:hgErR7L5
せっかく佐久間隊がリスクをかけて大岩山まで行ったんだから
柴田隊もそれに乗るべきだったよな
それなのに戻って来いだろ?じゃあなんのために行かせたんだって話だよ
佐久間隊は途中で見つかればヤバイというリスクを背負って大岩山を攻略したんだろ
秀吉もおらず、佐久間は相手の防衛ラインを崩してるわけでここで勝負しないで
どうすんだってカンジ
佐久間隊を戻しても、信孝、滝川はもう力なく、チョウソ壁や毛利が動くという保証もない
持久戦になった場合不利になるのは柴田軍のほうだろ
雪が降って補給路が大変になるとかさあ色々不利あるし
さらには数で有利の秀吉の謀でどんどん味方が落とされていくだろうしね
208 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 15:21:59 ID:gVm07ZDM
佐久間に奇襲を許可したのは戦意高揚のため。
あくまで奇襲なので敵の第一防衛ラインじゃなくて
その一つ奥の大岩山を攻撃した。
したがって大岩山を攻略したといっても秀吉陣営の防衛ラインは崩れていない。
むしろ、相手に取り囲まれてる状態だから
長居をすると逆にボコボコにされる危険性が高い。
だから勝家は「奇襲が成功したんならさっさと撤退せんかい、糞ガキが!」
と何度も使者を送ってるが佐久間は無視。
結局、敵中に深く入り込んだ佐久間が集中攻撃を受けて崩壊、
それを見た前田隊が戦線離脱→勝家本隊からも脱走者続出という
勝家の不安が的中した形で勝敗が決した。
209 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 15:28:51 ID:gVm07ZDM
>>208 正確に言うと勝家の撤退命令を無視したんじゃなくて
「夜明け前から戦って兵が疲労してるから、飯食って休息してから撤退するよ」
と悠長なことを言ってたら、
秀吉が予想外に早く戻ってきてフルボッコされた、って感じじゃなかろうか。
まー奇襲のセオリーとして、成功したらさっさと引き上げるってのがあるから
セオリー無視と言えばそれまでだけど。
210 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 16:02:09 ID:4heTfK6z
柴田が籠城でもしてるならともかく正に野外で対峙してるわけだから
やっぱ佐久間に呼応して押し出すべきだったと思う
仮に無事撤退出来ても兵力差がやや埋まるだけだしね
211 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 16:14:20 ID:gVm07ZDM
>>210 いや、そもそも圧倒的な兵力差がある以上、
単純に野戦に持ち込んだらやっぱ柴田側が不利でしょ。
持久戦に持ち込んで、その間に徳川やら毛利やら長曽我部やら北条やらを
巻き込んで秀吉包囲網を形成する、ってのが勝家の作戦だったんじゃないの?
野戦で決着をつけるのが目的じゃなくて
秀吉を北近江に貼り付けて、信孝を支援するために出兵したんだし。
212 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 16:38:56 ID:hgErR7L5
近年、砦の作りがわかってきて専門家が
「柴田勢は短期決戦を狙っていたふしがある」
「逆に秀吉勢は長期戦を狙っていた」と言ってた
213 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 16:50:19 ID:E8xARFhi
渡辺辺りの覚書だと
佐久間隊が秀吉本隊を上手くあしらって、秀吉は攻めあぐねていたら、
佐久間隊が突然後方から崩れたため、打ち破ることが出来ただからなー
214 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 17:39:56 ID:4heTfK6z
やっぱりいぬちよっ!のせいじゃねーか
215 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 17:44:24 ID:K2svufSG
216 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 17:50:07 ID:9637/DGo
柴田勝家は朝倉義景が何故滅んだか、
良く理解していなかったような気がする。
もしくは老いたか。臆したか。
敗因は佐久間盛政と柴田勝家の意見の不一致ですか
動かざること〜、な柴田勝家と
電撃的戦法を好む佐久間盛政と
218 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 20:20:33 ID:KZ3TsjNe
つか、賤ヶ岳の戦いの時点で外交戦略で秀吉にめたくそにやられて
もう直接対決しかないから柴田は決起したんだろ
・秀吉不在
・佐久間が山砦を2つ落とし、相手の前線部隊は浮き足立ってる
ここで動かないでどうすんだよ、長期戦って無理だろ
柴田が動いて前線の堀隊を潰せば平野に出れて
そこで秀長が出てきても丹羽隊は前田隊(勝家有利と見れば強力するはず)にまかせ
山(佐久間)と平野(勝家)から秀長隊を挟み撃ちできたのに
まあどうころんでも現実にあったような惨めな展開にはならなかっただろうよ。
219 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 22:16:03 ID:4heTfK6z
大体勝家って戦上手なのか?
謙信にボロ負けしたことしか知らん
220 :
↑:2007/10/27(土) 01:54:51 ID:VmbVjkHQ
ベンキョウシテコイ
ワラワレルゾ
221 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 15:26:23 ID:SffYnw6J
222 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 16:08:25 ID:808KmIjE
>>221 何か会心の戦いを教えてくれるだけでいいんです
223 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 16:47:29 ID:SffYnw6J
そうだな まず勝家総大将で攻め立てた魚津城攻め辺り調べるといいかも
勝家の采配と佐々の軍師振り、突撃の佐久間前田がわかり易かろう
謙信や景勝は登場しないが上杉も本気で抵抗してた事がわかる筈
224 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 18:24:35 ID:yPiHcSnl
>>223 > 勝家総大将で攻め立てた魚津城攻め
ドラマとかでも北陸方面はあまり描写されないよなあ……
225 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 18:52:55 ID:808KmIjE
城攻めじゃなぁ……
226 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 19:02:30 ID:SffYnw6J
もっとわかり易く言うと柴田隊は信長軍の本体と言ってもよい存在で秀吉や光秀なんかとは役目も立場も違う
と言えばわかってもらえる?
227 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 19:55:02 ID:Sk8uDqmF
そこまでいくと
妄 想 乙
228 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 20:04:05 ID:808KmIjE
もっとこう野戦でスカッと大勝したとかはないの?
勿論兵力は互角か不利かで
229 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 20:30:57 ID:Sk8uDqmF
講談なら兎も角野戦自体そうそうないから難しいね
講談話でいいなら甕割柴田でググってくれ
逆に兵力優勢でスカッと負けたことならあるんだけどね(稲生)
230 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 20:39:49 ID:l3+GkNV5
あとは萱津の戦い安食の戦いかな
兵力は五分で清洲家との争いを決定付けた戦い
勝家単独じゃないけど
231 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 20:52:49 ID:2ekJ8y+Y
信長に完敗した現実を、心から認めた武将。
防備守備に最適の人物。
信長に献策できるような才ある者とは、剃りが合わないのが難点。
232 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 01:20:57 ID:xRGWRERq
後世云われるような仲の悪さなんかは絵本太閤記の悪影響
柴田と秀吉が険悪だったのも清洲会議の一時期だけ
ゲーム脳は帰れよな
233 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 01:31:32 ID:wvElPfP3
秀吉の北陸戦線の無断撤退はどう見る。史料は「信長公記」諸々。
帰るのは君の方かも知れんぞ。帰らんでも良いが。
234 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 02:44:55 ID:3GkwWNKE
結局勝家は大したことないみたい
235 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 10:28:05 ID:kna3qdzt
へーっ、たいしたことない奴に家中一の禄の越前一国やるのかねぇ?
その後も召し上げられてないし
大和一国を封じられた塙(原田)直政は本願寺・雑賀衆に惨敗戦死後、領地は一
族から召し上げられ粛清されたがねぇ
236 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 16:15:23 ID:UzPJqK7F
政治家としてはそれなりのものだと思うけどね
一向宗がくすぶる越前一国を大過無く治めたわけだし
治績もいろいろと見るべきものが多いと思う
237 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 16:39:54 ID:sSIWY6DF
信長の力もあるだろ
織田軍だから従うみたいな
238 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 10:14:44 ID:phzFZdxY
>>235 勝家も死んでたら召しあげられたかもよ?
239 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 14:51:35 ID:i80VaRT8
勝家も越前貰った直後は上杉へ積極的に攻める事は控えて各地戦場の助っ人として働いてる。
これは信長の命令とも考えられる 謙信が死ぬのを待ってたとしか思えないし
ちなみに中期以降信長自ら出陣してる合戦の本軍は柴田隊中心であることは間違いない
長篠は信忠の傘下となってるようだけど遊撃隊みたいな物だったのでしょう
有名な話では浅井の頭蓋骨を杯にした信長を諌めたのは佐々成政と言われてるが
これも本軍の将だから信長に意見しても逆鱗に触れなかったのだろうと個人的には思う
その佐々のいる部隊長の勝家(しかも筆頭家老)が信長が生きてる時に秀吉などと同格にあるはずがない
とりあえずサル厨乙
240 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 15:25:15 ID:phzFZdxY
サル厨て誰かいたか?
241 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 18:54:03 ID:CnFqT1JI
柴田が越前入国後に他戦線行ったことあったか?
242 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 20:05:19 ID:i80VaRT8
少しくらい自分で(ry
信長本人が動いた合戦には勝家本人も向かってる
信長が動いてない援軍要請には与力以下を派遣してますな
243 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 20:32:04 ID:CnFqT1JI
>>242 具体的には?
調べた結果見つからないから聞いているんだが
244 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 21:22:53 ID:3Xa9vvfo
私も簡単に調べてみたが、見つからなかった。>勝家の他方面援軍派遣
ちなみに、当初信長が北陸方面軍と考えていたのは加賀南二郡を宛がわれた
梁田。しかし梁田ではあまりに成果が見られなかったため尾張に召喚され、
代わって越前に封じられていた柴田とその与力によって加賀平定の任務が
下された。
245 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 22:00:27 ID:CnFqT1JI
上杉との戦いを避けたと言うよりは一向宗が手強かっただけだろうな
一向宗には柴田ら越前の兵でもなかなか成果が上がらなかったが
上杉相手には柴田よりはかなり小身の斉藤が簡単に戦果あげてたし
246 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 23:54:10 ID:phzFZdxY
247 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 09:00:36 ID:pU4KS2Ph
柴田勝家は直接の血縁が江戸期まで残っていない。
姻戚のつながりもあまりない。
つまり江戸期に家系自慢してた連中と縁がない。
だからその記録もあまり残ってない。
とことん不運な武将なのである。
しかし尾張時代には信長と敵対する側の家老だったにもかかわらず
信長に重宝されて織田家の主力部隊としてあらゆる戦場に出陣し
同様の古参の佐久間や林のように追放されることもなく
北陸方面軍司令官として織田家家老筆頭としての待遇を受け続けたあたり
どう考えても尋常ではない力量の持ち主だろう。
248 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 00:22:03 ID:JbEPUI35
249 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 14:36:41 ID:V+AuPHls
250 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 21:01:50 ID:/AMqK2+F
賤ヶ岳で勝家が敗れた直後、身内や家臣の子女を逃がしたわけだが、その足跡は残っていないのだろうか?
251 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 02:42:21 ID:o8LkozF6
挟撃作戦とか包囲網とかこの時代は
無理があったのかな
結局各個撃破されてるし
252 :
人間七七四年:2007/12/08(土) 19:46:34 ID:ygU8oifw
>>251 通信の方法が無いに等しいから、戦力が互角の場合連携が取れる分だけ外より内の方が有利になるんだろうね
253 :
人間七七四年:2007/12/10(月) 15:50:30 ID:e6TIisTF
ん? 鳩は飼って無いのか?
254 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 20:03:56 ID:SiqUrmxQ
織田家が大きくなってからは部隊の指揮権が無くなって「信長傘下の遊撃部隊の隊長」的ポジションで
むしろ内政よりの仕事を多く任せられてた丹羽長秀が実に何十年ぶりかに直接、部隊を指揮した戦。
しかし、ブランクがあっても銃声だけで部下の反対を制して予定とは違う場所に船で上陸を強行して
陥落寸前の賤ヶ岳砦にギリギリで援軍に駆けつけたりとそこそこ働けるあたり流石ユーティリティ武将。
255 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 16:46:31 ID:RJ82Hnyu
前田勢は全軍静かに退いたのかと思ってたら違うんだね
退く直前秀吉本陣へ突撃してる前田部隊がいる
256 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 15:52:50 ID:uoLkI7Dc
結構な数死んどるよ
引くとき秀吉本軍の追撃あったからな
前田の殿部隊は全滅らしい
257 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 05:18:06 ID:Tu3JQgXA
天下分け目
258 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 09:58:22 ID:2N1Jcdfb
>>254 前年の山崎や前々年の伊賀でも直接部隊を指揮しているぞ
259 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 20:34:05 ID:H2curAwX
260 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 07:24:30 ID:bmvr5/b7
あげてみるか
261 :
人間七七四年:2008/09/14(日) 23:45:26 ID:J9vR69Of
NAMUSHINNYOICHINYODAIHATUNEHANKYOU
262 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 13:16:35 ID:Q7Sy7O2I
過疎だな。
263 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 00:52:20 ID:r+a08kPa
◎賤ヶ岳での佐久間盛政の撤退戦を分析再評価する
★20日1600:秀吉、大垣を進発。前田、金森、不破に内応の密使放つ(秀吉事記)
★同2000:秀吉、木ノ本着→
☆同:偵察のため予め出されていた盛政の斥候、秀吉着陣察知、盛政に報ず→
☆盛政、秀吉の攻撃開始より早く退陣することを即断
原彦次郎に後衛命じ、撤収開始を月の出の21日0000とする
(太閤記、賤ヶ岳合戦記、一柳家記)
★21日0200:秀吉、茶臼山着陣。盛政軍攻撃を命ず
(秀吉事記、太閤記、賤ヶ岳合戦記)→
☆盛政後衛原彦次郎、宿屋七左衛門、秀吉軍をよく迎撃、時には逆襲し秀吉軍を遅滞
その間に盛政はよく兵をまとめ整然と権現坂へ撤収
(太閤記、渡辺勘兵衛記、浄信寺文書)
☆0500:盛政後衛撤収完了(一柳家記)→
★秀吉、盛政追撃に苦戦、速やかに撤収され捕捉に失敗したため、盛政攻撃を断念し
柴田勝政隊への攻撃に転換
☆0600:盛政、部隊を再編し南方切通しの制高地で敵に備えつつ、勝政に早急に自隊と合流するよう求めた
盛政は二手に別れ撤収するより一団となって撤収する方が敵に撃破されにくいと判断していた
(太閤記、賤ヶ岳合戦記、渡辺勘兵衛記、新撰豊臣実録)
〔続く〕
264 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 01:47:39 ID:r+a08kPa
>>263の続き
★21日0800:秀吉、勝政隊の矢種が尽きたことを知る→
★1000〜1400:秀吉軍、勝政隊へ総攻撃し、勝政討死→
☆盛政軍、鉄砲衆を巧みに使い堅守(渡辺勘兵衛記)
☆盛政、勝政隊の敗残兵を収容しつつ追撃してくる秀吉軍を迎撃、時には逆襲した
(江州余呉庄合戦覚書、一柳家記)
☆盛政軍は峰筋で備えを崩さなかった(渡辺勘兵衛記)
☆盛政は四、五度拒戦し人数を散らさず撤収させ、合戦を快くやると
盛政の戦いますぶりを見る者上下とも目を驚かせた
(江州余呉庄合戦覚書)→
☆盛政軍が奮戦し秀吉軍に逆襲しようとしたときに茂山の前田利家隊が突如撤収開始→
この際、前田隊が秀吉軍と交戦し死傷者が多少生じたが
それは利家の行動に不審を抱いた柴田勝家隊から前田隊に配属された与力衆が独力で秀吉軍と戦った為
(江州余呉庄合戦記)→
☆盛政隊には前田隊の撤収を裏崩れと見て動揺
謀反人が出たと隊内で騒ぎが起きる→
★秀吉軍、丹羽長秀隊と合流し盛政隊を総攻撃
☆盛政、原彦次郎、佐久間安政ら奮戦するも疲れ果てついに柳ヶ瀬へ壊乱
(江州余呉庄合戦覚書、賤ヶ岳合戦記)
盛政の戦評
・盛政は前年の石動山の戦い同様偵察を重視しよく敵情の収集に努めている
・戦況の判断、行動が迅速であり、適確である
・前田隊の予期せぬ撤退という外的要因を除外すれば一度も隊を乱さぬほどの統率力がある
・撤退戦が巧みである
・前田らの裏切りがなければ勝てないにせよ北ノ庄まで攻め込まれるほどの被害を受けずにより秀吉側に
損失を強いたと思われる
265 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 09:40:00 ID:+oh/i5Xs
266 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 17:18:28 ID:CT/QCd1H
前田が裏切る瞬間迄勝家が有利に戦を進めていた証明か
このスレは秀吉の大垣からのUターンが勝因としている話しが無い所が素晴らしい
盛政たんハァハァ
267 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 17:26:05 ID:7l5IqVQc
>>266 秀吉側からすれば勝因の一つではあるけど、勝家の側から見ればそれは敗因ではないわな。
268 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 17:32:21 ID:TgDVPCIv
佐久間の猛攻に対して二度も余呉湖まで押し返した中川清秀だけどなんで逃げなかったのかな?高山は逃げてるのに
269 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 22:42:12 ID:CT/QCd1H
某鬼神の本書いた人によると高山は羽柴軍を裏切るつもりだった
のではないか、と理由を書いていたが
可能性はあるね
270 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 02:01:59 ID:QN9d0IGT
>>268退却をよしとしない清秀の意地だろ
それにしても勇ましい最後だな
271 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 03:26:48 ID:4K2j8ryb
>>269 父親の高山友照は賤ヶ岳の時柴田家の客将だったしね
272 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 03:26:54 ID:0RP8goiN
佐久間盛政は天正八年の御山御坊の戦いでは
小立野台地の蓮池から奇襲して落城させ
天正九年に柴田勝家が馬揃えで留守中に一向門徒が蜂起して鳥越、二曲両城を奪うと
盛政は電撃的に兵を進め、一向衆を撃滅して両城奪回し鬼玄蕃の異名を得て信長公記で讃えられた
天正十年本能寺の変直後に能登の石動山を上杉の支援受けた畠山旧臣や一向門徒が占拠
前田から救援依頼があったときに本来は清洲に出向いた勝家の許可が必要であったが
又左衛門殿の難儀見過ごせぬと独断でやはり電撃的に能登に進軍し
敵の篭る荒山城を事前に斥候出し偵察させ、これも奇襲して一気に陥れている
盛政の真骨頂は電撃的進軍、事前偵察、奇襲ですね
あと利家に裏切られて負けて腹を斬る時も利家には恨み言一つも言わずに召したことも再評価してもいいのでは?
利家の方が本来ならば石動山での盛政の恩を返せねばならないはずだが
あと賤ヶ岳では盛政は堂木山砦の山路将監の調略にも成功している
もっとも将監は功を焦り、露見してしまい残忍な秀吉により
将監が見えるところで将監の母や妻子を逆さ吊りにして槍を雑兵に突かせる処刑されたが
それはともかくもし茂山砦の利家が裏切らずに盛政奇襲時に神明山砦を攻撃すれば
東隣にあった堂木山砦の柴田勝豊の旧臣たちは動揺して寝返る可能性が強く
勝家側の懐にある位置の天神山砦は完全に孤立したはずである
そこへ金森、不破、徳山の軍を直ちに投入すれば例え秀吉が戻ろうとも態勢は柴田側が優位であったはずだである
273 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 18:40:30 ID:tDYzBXxz
このスレは盛り上がっている時と過疎る時の落差が激しいな
274 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 18:42:00 ID:VRa4pw0W
275 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 18:46:40 ID:qKtEyBPN
これぶっちゃけ柴田勝つ見込みあったわけ?
276 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 01:28:06 ID:Fte/PYZO
関が原の戦いを明治近代軍制の父クレメンス・メッケルが評して
10回戦えば10回西軍が勝つと言ったのは有名だが、
賤ヶ岳の戦いについての論評も世間ではあまり知られていないが残っている。
それによれば何回戦っても柴田軍が勝つとされている。
前田らの裏切りがあって羽柴軍が勝ったことを告げても
それでも柴田軍が優位であることに変わりないと述べたと記録されている。
それから考えると柴田軍の勝算は十分にあったことがわかる。
277 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 01:29:51 ID:2+5A9/D8
> 関が原の戦いを明治近代軍制の父クレメンス・メッケルが評して
> 10回戦えば10回西軍が勝つと言ったのは有名だが、
それ都市伝説。日本でのメッケルのありとあらゆる記録にも生徒の回顧にも、
そんな話は出てこない。
278 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 01:41:46 ID:X2DhJ7/c
279 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 12:33:12 ID:Y8m2vSAT
280 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 18:55:01 ID:eyNI/DmU
ウラ取れるような話なら秀吉が黙っていない
281 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 19:01:44 ID:2+5A9/D8
結果的に高山に対しては黙らなかったけどな>秀吉
282 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 11:34:53 ID:uK0CzgWo
今の感覚なら老後は温かい南国で余生を過ごすのもありだな
283 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 18:55:09 ID:Xor14pi+
せめて畳の上で死にたいと思うが
284 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 21:19:49 ID:WjeNJT48
男なら戦場で死ぬべき
285 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 20:16:43 ID:CcgvZRB6
さっき本屋で戦国武将常識のウソ(だったかな?)っていうムック本見たけど
>>263-264の人
佐久間盛政の章の著者の方ですか?
あまりに内容と出典が似ていたもので
間違っていたらごめんなさい
286 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 13:22:08 ID:qkaFbgTf
俺もスゲー似てると思ってた
287 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 13:49:03 ID:/WuGRFXq
>>286 うーむ、意外にここは割と著名?な人が身分を隠して書き込んでいるのか
288 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 14:48:07 ID:QnuLxsLq
賤ヶ岳の戦いって調べれば調べるほど実は秀吉敗北寸前だったんじゃねって感じもするから
玄人好みで面白いんだと思う 両方共ギリギリの状態だし
その分兵数が少ない柴田側で特に佐久間の動きが光る
この合戦で北陸方面軍こそ信長の最強部隊だったのだと確信持つようになった
289 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 16:06:05 ID:/WuGRFXq
勝家の復権運動の次は盛政の復権運動ということですな
290 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 16:47:50 ID:QnuLxsLq
そうですね勝家ファンとしてはもっと昔が真髄な部分なのですが誰も興味ない見たいなので
盛政との死に様で真骨頂を探ろうかとw
でもこの戦い主役が勝家じゃなく盛政じゃないかと思ったりするorz
291 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 21:05:42 ID:/WuGRFXq
ただ盛政敗因説は根強いからなあ
利家を裏切り者として描かれないように後世の豊臣方の人間が盛政に敗因があるように記していると思うんだけどね
292 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 23:21:52 ID:wL41E1L5
前田家は江戸時代も残ってるしな。滅びていれば、佐々なみの評価をされたかもw
293 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 23:35:17 ID:w+XFgYBi
太閤記書いたのが前田家の祐筆だしなあ。
294 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 23:50:03 ID:/WuGRFXq
まあ復権までの道は険しい
万民を啓蒙するサイトが出来れば
って他力本願なんですがw
295 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 20:10:32 ID:7QgDPFY/
柴田の落人の行方が気になるっす。
296 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 20:26:06 ID:HzThiWRV
この戦いの名分って確か協約違反築城の山崎城の破却だよね。
297 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 20:31:53 ID:tDu/KjL4
>>295 大半は越中、一部飛騨
秀吉の越中征伐の後日本中に拡散
298 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 21:42:31 ID:SWyi5VvV
佐久間が釣り出されたでけどオワタ件
>>38 弟二人(安政、勝之)はその後ずっと秀吉にたてついたね。
今年の大河は直江兼続だけど、今まで取り上げられることがなかった
上杉景勝VS織田家北陸軍団(柴田・佐久間)も見られるかも。
戦国最強とも言われた上杉軍を相手にした盛政の戦いぶりは
すさまじいものがあるのだが、これがあまり知られてないんだよね。
301 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 12:51:44 ID:pjRO/kmo
つか勝家と佐久間の間で「砦を落としたらすぐに戻る」という約束があったんだろ
それなのにすぐに戻らず秀吉が来るまでダラダラしてて
追撃受けて味方を危機に陥れたのは佐久間のミスだろ
それなのに前田が加勢してくれないから負けた、全部前田のせいだってのは
おかしな話だよな、だいたい前田が加勢しても数万いる秀吉軍を抑えられたとはかぎらんし
やはりそういう不利な状況を作ってしまったことがそもそも失敗なわけで
この戦いの1番の敗因は佐久間が約束守らなかったから、これに尽きるだろ。
302 :
◆LeD1MMOS.k :2009/01/16(金) 15:13:58 ID:Ctl6G7fY
>>301 そうとも言い切れないと思うよ。
戦場にあっては臨機応変の判断が必要で「将、外に在れば、君命も受け
ざる所有り」という言葉もある。
砦を落としたことで戦況が変わって、そのまま攻勢を続けたほうがよい、
と判断したのであれば、勝家もそこで再度状況判断をしなおすのが合理的。
結果的にそこで両者の意見が合わなかった、ということだね。
最初に約束したのだから、何があってもそれを守らないといけない、
守らないのが悪い、という単純な話ではないでしょ。
303 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 15:20:13 ID:b2wSmdWh
304 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 13:08:43 ID:ZaBKtEwN
事前に前田が静観だか退却したのが出来レースの始まり
305 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 15:28:06 ID:YIjpXDSk
この戦いの一番の功労者は柴田勝家を動けなくさせた堀秀政だと思うんだがなあ
306 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 16:01:55 ID:YIjpXDSk
>>303 なら余計に佐久間が砦を落としたときになぜ勝家は動かなかったのか
秀吉本隊のいない時こそ勝機であろうに
数でも劣り、長浜は落とされ、滝川信孝もやられ
長期戦やっても勝ち目薄いだろうし
(毛利&徳川などが動く大義名分ないし、中立を貫くでしょう)
307 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 16:24:27 ID:YIjpXDSk
前田と小早川の裏切りについてだが
小早川の場合は裏切らなければ西軍が勝った可能性がある
だからいろいろ言われたりする
逆に前田の場合は裏切らなくても勝家は負けていたと見る人が多く
どっちでもいっしょだろみたいなとこがあるように感じる
>>306 そうだね。
自分としては勝家が呼応して動いていれば勝てたかも知れない、
と思ってるよ。
309 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 02:39:46 ID:IIVbzOSB
>>307 そう思わせるように前田家が全力で世論工作したからな。
310 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 19:37:57 ID:LYYsvhIz
勝家が動くタイミングは秀吉が間合いに入った時のみ
どう考えても前田が退く瞬間
秀吉を釣り出した盛政は予定通りだろ
秀吉が戻る前に勝機なんてない
311 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 21:15:02 ID:SCg/2A4L
勝家は動きたくても動けなかったんだろ
堀のせいでな
勝家軍は堀一人に大苦戦してたんだよ
これに秀吉が加わったら万事休すだよ
312 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 03:28:52 ID:uezG7WRH
なにいってんだ?
秀吉は出たが撤退中の盛政に追い返されたろ
313 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 15:40:24 ID:fHwJTwGZ
堀秀政は東野山で勝家軍の大軍の南下を完璧に抑え込み
秀吉勝利に大いに貢献したわけだが(秀吉も大いに喜び大いに評価してる)
なぜかいまいち現代では評価されてない
もし秀吉不在時に勝家軍に北国街道を南下されてたら秀吉方はピンチになったはずだが
314 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 16:00:33 ID:fHwJTwGZ
秀吉帰還直後の戦い(数は適当)
1、北国街道の戦い
柴田勝家7000vs羽柴秀長&堀秀政連合軍20000
2賤ヶ岳の戦い
佐久間盛政&勝政連合軍10000vs羽柴秀吉軍35000
315 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 16:07:34 ID:fHwJTwGZ
柴田勝家は実は死んでいなかったという説がある
前田利家が手引きをして津軽まで落ち延びさせたというのだ
本当だったら面白い
316 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 17:07:12 ID:uezG7WRH
勝家は長期戦を望み
秀吉は短期決戦を望んだ
堀など物の数ではない
潰すより陣形が乱れる方が問題
秀吉の戻りは予定より早かったが勝敗の決め手ではない
勝家が動くタイミングは敵本体に隙が出来たとき以外にはない
それは即ち秀吉が陣へ戻る盛政追撃に失敗し戻り始めた瞬間だけなのよ
勝家が動かず前田が寝返り打たなければ再び睨み合いが続くだけ
317 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 23:10:49 ID:dXUfsoEo
Q太郎は上杉への使者を何度もこなしているし
本来秀吉よりも勝家側と入魂にしていた武将じゃない?
家族が長浜じゃ丸ごと人質同然で身動き取れないだろうけど
318 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 12:21:12 ID:Sr8gtWbf
前田でなく佐々が着陣していればかなり戦況が変わった可能性は大
319 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 12:57:00 ID:xLG59xbs
佐々佐久間の先陣争いが再燃だなwどうなるかわからんが
少なくても兵5000は増えそう
しかし誰も佐々の鉄砲隊には近づきたくないだろね
320 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 16:17:36 ID:JQWh/6BE
スレ止まっているじゃないか
もうネタ無しかよ
321 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 20:11:25 ID:B7ww1LE9
秀吉はタネ無しだよ
322 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 05:03:05 ID:OSPQ/hLG
堀に北国街道を完全に封鎖されて柴田は動けなかったんだよな
佐久間が突入しても連携不可能だからな、佐久間はすぐに帰るべきだったね
323 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 09:58:56 ID:6FpyY26s
>>322 封鎖なんかされてないし
堀の部隊は柴田本陣の兵より少ない
盛政が突入してすぐ戻す?
逆でしょ
盛政が促したように予備兵力、つまり前田らの兵を投入すべきでしょう
そうすれば戦国の世の常として本隊近くまで突破されれば視野が良い高地にいる堀の部隊の足軽は浮足立つ
堀はそれまで賤ヶ岳の時のような大兵を預けられた経験がない
盛政が秀吉帰陣反撃後も前田裏切りまでよく兵をまとめていたようなことが堀に出来たかどうかかなり怪しい
恐らく裏崩れ起こして柴田方に追撃され瓦解するのがオチだろう
突破口を啓開したら直ちに予備兵力を投入し、戦果を拡大する
これは戦術の基本の基本
が勝家は前田の裏切りを恐れて盛政に帰陣を命じた
従って盛政は戦術の鉄則を守り主張は正しいし
勝家の主張は部隊組織の統括という点で正しい
324 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 10:52:38 ID:+FJkcxjb
堀がなにか過大評価されてるし
325 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 14:10:34 ID:TXAoj9z2
冬で動けない間に、滝川や信孝が攻められて、あせって出てきた。
全体的に余裕が無いから、佐久間みたいな暴走があったのかな。
326 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 15:03:25 ID:Dx721VtV
327 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 00:53:45 ID:wyINvqk4
関係ないけど賤ヶ岳古戦場にある武者像と2ショットで写真とったわ。
329 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 15:50:21 ID:kJrBA/z1
雪で動けない間に養子や盟友を次々潰されて焦るがどうしようもできず
徳川など地方の巨大勢力に加勢を頼むもスルーされ
もうにっちもさっちもいかず自ら打倒秀吉に動くも
佐久間は秀吉を甘く見てるし
前田は全然やる気ねーし
堀は強いし
厳しい戦いでした
330 :
人間七七四年:2009/05/30(土) 20:31:12 ID:7a+bT/MR
>>323 佐久間の主張通りに攻めるか
柴田の主張通りに守るか
せめてどちらかでも実行出来ていればいろいろと違ったかもしれないのに、
史実はどちらも行えずグダグダになっておしまいだからな。
331 :
人間七七四年:2009/06/06(土) 14:59:45 ID:K2Jy3tgK
>>328 暴走だろうが。総大将の命令無視してる。
332 :
人間七七四年:2009/06/06(土) 15:00:16 ID:K2Jy3tgK
>>326 何だとテメー。泣かしたろうか? ああ?
333 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 10:21:13 ID:BXqSboNF
>>326 平日の真っ昼間に書き込んでるようなニートにどんな根性あんねん
まともに仕事もできんぐらい世間に出ることできんのやろ
ハナっからイモ引いてる奴に勝ち目あるんかい
>>331 近代以後の軍事組織の考え方(上官の命令は絶対、反論や
反問は禁止)をあてはめて見るからそう思うんじゃないかな?
盛政の場合、勝家の許可を得て中川の砦を落としたあと、
戦況を判断した結果、さらに攻勢を続けるべき、と考えて
勝家に進言した。
勝家は撤退するように言った。ここでは伝令が行き来していて、
いわば「協議」しているような状態だった。
議論中だった、ってことだね。
この当時の軍勢はある程度独立性があって、たとえば盛政の軍勢は
盛政の領土である加賀の兵であり、盛政の家来たちなわけだよね。
むしろ違約という点では前田のほうがひどい(参戦すらしない=故意の
利敵行為=反逆)と思うよ。
335 :
人間七七四年:2009/06/17(水) 01:41:16 ID:8sOYe/nv
普通に考えて盛政の突出は秀吉本体をつり出す囮だろ
実際に深追いしなかったが秀吉本体は盛政追撃に失敗しているわけだし
盛政の行動は勝家の敗因でもなければ秀吉の勝因にも繋がらない
336 :
人間七七四年:2009/09/14(月) 16:57:28 ID:OIg1fzWF
勝家が積極的に出ないから伊勢の滝川や美濃の信孝が弱弱になった。
337 :
人間七七四年:
結局のところ
前田の所領が越中、佐々の所領が能登なら柴田軍は賤ヶ岳で勝つ可能性が強くなる
なぜなら上記の所領配分なら賤ヶ岳に参陣したのは佐々で秀吉に内通している前田でなくなる
盛政が初戦を勝利し盛政の言うよう間伐入れずに直ちに戦果拡大すると言うなら
佐々は喜んで盛政に合力するのは明らかだ