1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
織田信長の妻。斎藤道三と明智光継の娘小見の方の娘。
明智光秀とは従兄妹同士という説がある。本能寺の変で薙刀を振るい戦死したという説があるが実際は不明。
「濃姫」という通称は「美濃出身の高貴な女性」という意味である。
道三が「信長侮れず」として政略結婚で妻とさせた女性で、
甘美な果実のようだが毒を含む、いわゆる毒苺的な役目も担ってたという説があります。
濃姫が道三の言う通り隙あらば信長を暗殺しようとする後世の作品・逸話もいくつか見受けられます。
このように濃姫は謎の人物で、史実云々を語るよりも時代小説・大河ドラマなどで
脚色された新たな濃姫像を語る方が多いかもしれません。
色々な作品の濃姫を語ってもらっても全然おkです。もちろん史実の濃姫も大歓迎!
関連(?)スレッド・
秀吉の妻・ねねのスレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150553367/l50
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 15:09:06 ID:hiDPsROF
奇蝶とも呼ばれるお方よな
結婚までは帰蝶(親元に帰ってきて欲しいという願い
結構したら濃姫、お濃
好きじゃなあ 濃姫
信長がウツケなら〜のエピはぐっと来たよ
山岡の小説に出てくる濃姫はいい
濃姫の関連スレを見ると、実は大人しい夫に従順な女性ではないかと思う今日この頃
濃姫は結婚する時と信忠養子にした時くらいしか記述がない
他はほとんど不明なので小説家や演出家にとって脚色し易い
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 13:22:20 ID:cZrCS7+n
公家衆の文献にも残ってるぞ。
信長と壷を巡ってけんかしたとかw
織田勝長スレと内容がかぶるんじゃないの?
最近の勝長スレの傾向が本格的になってるから、
ついていけないマンセーオンリーな香具師がたてたのと違うか。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 16:19:33 ID:cZrCS7+n
あっちは勝長の事だから、別に関係あるようでないかも。
こっちは濃姫の事だけ書いてればいいじゃん。
勝長の事絡めた事は、あっちでってことになるんじゃないの?
俺は、別スレで見たんだけど、濃姫が安土殿だとしたら、
秀吉に対抗して、秀吉とは別に信長の一周忌法要を主催してるのが好きだ。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 01:36:23 ID:qqPtbeT7
さすがに無理がある電波なんだが…
これについて何か知っている人いる?
337 :日本@名無史さん :2006/07/11(火) 18:09:28
香ばしいヤシハケーンwww
7:うすびぃ :2006/07/11(火) 17:40:58 ID:whXti2KM
ノウ姫は最近の学会の研究では22歳年上だったことが
判明しているよ
一体どこの学会かすご〜く気になるw
学問じゃなく宗教の某学会だったりしてね。
>本能寺の変で薙刀を振るい戦死したという説
嘘だろ
>>12 ありえんな
信長20歳なら濃は42歳くらい?
てか信長が結婚した時は道三50代前半だろうから
10歳くらいの時につくった子供か?w
学会って確か三人ぐらいの推薦があればどんな珍説でも発表出来るんじゃなかったっけ?
濃姫ではなく、ノウ姫という人の話なんでしょ
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 14:53:08 ID:uESITaqi
なるほどw
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 01:29:43 ID:419bfjxC
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 23:26:29 ID:Ug2qeGb/
聞いたことだけならある
んな説ない
説じゃなく小説の描写だな。
本能寺で死んだ「おのう」も侍女で、濃姫ではなかったと思う。
濃姫なら、当時なら「安土殿」じゃないとおかしい。
濃姫は本名ではないからね。
某サイトにのってた、本能寺で死んだ「お濃」の遺髪を納めた岐阜市の墓って言うのも
侍女の方じゃないのかね?
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 14:27:53 ID:7msfXeDm
>>22 そこのサイトの人に教えてやって。
岐阜市では不動にある墓についての説明書きでお濃は本能寺で死んだなどと
いう説明は一切していないのだから、岐阜市が誤解されるようなことは
勝手に書くなとね。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 15:17:39 ID:jHoWFV3Z
吉乃は既に亡くなっていたし普通に考えれば安土殿は濃姫の可能性は高いわな
ただ、信長の室は生没すら明確でないし人数もかなり多いから
推測の域を出る事はないが…
あぼーん
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 22:21:20 ID:Pdn2BSoO
なんで濃姫は小説や創造作品ではあんなに持ち上げられてるんだ?
何もしてないのに。
>>26 「蝮の道三の娘」ってブランドじゃね?
ある時期まで信長は、道三の後ろ盾で勢力を伸ばしてたのは確かだし。
道三の娘で信長の正室って事自体がすごいからだろう。
mixiの濃姫コミュ覗いてみたら、文献いっぱい出てて驚いた
濃姫の事を書いてると推理できる資料があんなにあるとは知らなかった。
近江國輿地志のその箇所も書いてあって、初めて読んだけど
そりゃ、ファンが色めき立つのも分かる気がするなと思ったよ。
父を兄に殺された悲劇のヒロインであり、父が認めた婿は小大名から天下人へ上り詰めてしまう
そして父の元配下(?)だった家系の者に、その夫は殺されてしまう。
書き方によって、シンデレラもロミオとジュリエットも風と友に去りぬもその人生の中に
組み込むことが出来る。
多少脚色するだけでこれだけドラマチックになる女性もちょっといないですわな。
濃姫視点での大河ドラマをやってくれたら、毎週欠かさず見ちゃうな。
>>31 すべての場面に視感だらけの大河になりそう。残念ながら。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 02:51:39 ID:5h9NOtTj
質問なのでageさせていただきます。
濃姫と明智光秀は一説には従兄弟同士と言われていて、今年の大河でもあったように
初恋の相手であったような描かれ方をしますが、実際の所この二人は美濃にいた時点で
面識があったのでしょうか?
濃姫と光秀の年齢差は7歳とも9歳とも言われていますが、それだけ年齢が違いますし
濃姫は既に国持大名とも言える立場になった道三の城の奥で育っていたと思いますが、
そういう場合、年上の従兄弟などと会う機会があったのでしょうか?
実際従兄弟かどうかははっきりしないというのはこの際置いておいて、従兄弟であった
場合はどうかという事でお答えいただけると嬉しいです。
江戸時代の大奥程男子禁制だったとは思いませんが、それほど頻繁に顔を合わせていたと
考えるのも不思議に感じるのですが?
個人的には顔を見知っていた程度であったかなぁとは思うのですが、親しくなる程では
ないような気がするのです。
>>33 光秀の経歴は、朝倉家に仕えるまでが全く不明。、苗字からして美濃になにか関係は
あったのだろうけど、道三の時代に美濃にいたかどうかも怪しい。
従兄弟ってのは江戸時代に歌舞伎で作られた設定じゃなかったかな?
>>34 いえ、それは分かってるんです。
そうじゃなくて、従兄弟であった場合、顔を見知っている可能性はあるのかと……。
濃姫じゃなくてもいいですが、当時の身分の高い女性が従兄弟とはいえ男性と、
それも片方は元服後の男性とそれほど親しくなる機会があるものなのでしょうか?
史実的に、それはありなのか、なしなのかという事を知りたいのです。
>>35 なんか建時代の女性というものを根本的に誤解していませんか?
いくら高位の女性でも、外界と全く遮断されて、閉じ込められて生きてたわけではないですよ?
高位だろうがなんだろうが、親戚付き合いは親戚付き合いだよ。普通に顔もあわせるし
親しくもなるに決まってるでしょ。「そうじゃない「と思う理由がわからん。
>>35 当時だってそこまで厳しくはないだろう。
平安時代みたいに扇で顔を隠さなくてはならないというわけでもなし。
話は変わるが、濃姫の逸話や活躍した話などなんでもいいから教えてくれ。
壺とかいろいろあるみたいだが、ぐぐってもあまりヒットしなくて困ってる。
>>36、37
ふむ、それほど厳しく分けられていた訳ではないのか。
では、もし本当に従兄弟であったとしたら、面識はあったと考える方がいいのかな?
濃姫の壷事件とか調べたかったら、今は「信長本妻」とか「言継卿記」とかでぐぐればいいんじゃないかな?
それ以外については、「信長御台」「安土殿」なんかで調べるといいかも。
>>38 本当に従兄妹なら面識はあるはず。
伊藤英明が信長役だった「国盗り物語」を思い出した。あのくらい会っていてもいいんじゃんないだろうか?
昔、大河でも「国盗り物語」があったんだよん。
信長役は高橋秀樹で濃姫は松坂慶子。
・・・なんてレスを今さらながら書いちゃうよなw
みんな若いんだー。
オレも本能寺の場面しか覚えてないす
ちいさかったから
「本能寺は焼き滅ぼされた〜」
これって何だろう?
俳優の名前も知らないす
うまれてなかったから
過疎
過疎なところ申し訳ないけど、実際濃姫は
信長に愛情を抱いていたんだろうか?
吉乃のことはどう思っていたんだ?
それは当時の当人達にしか分からないんじゃないかな?
ただ、信長は御台を連れていろんなところへ行ってるし、意外と仲は良かったのかもしれん。
濃姫にとって吉乃の事は、普通に正室から見た側室、子供を産む為の使用人と思ってたかもな。
吉乃は、武功夜話でこそ生駒屋敷にいて信長の最愛の人だけど、幕府の公式な家譜では
清洲城で信忠も信雄も生んでるし、真っ当に清洲の奥で側室の務めを果たしてただろうさ。
信忠は正室の養子で、斉藤家美濃衆にがっちり囲まれて育ってる事からしても、
別にそれほどどうという事もなかったのかも。
信長が生駒家の女を側室にした事自体、犬山城と生駒家の分断の為だろうしな。
もし、吉乃が最愛の人だったとしても、早くに亡くなってるし、濃姫が安土殿で
正室としての立場を全うし続けたんだったら、吉乃の実子である信雄が600貫文も
知行を与えてる事からして、尊重されてただろうし、特に気にしてなかったんじゃないか?
吉乃が側室だった期間より、いなかった期間の方が濃姫の人生の中では長いんだし。
>>45 >信長は御台を連れていろんなところに行ってるし
身元確かな同時代資料にそんな記述あるのかな?
津島天王祭の大祭勘例帳の信長と信長の簾中が一緒に見物とか
近衛前久の書状の京都での御台の警固とかあるね
これを敢えて濃姫ではないという事も出来るし
その後の日付として存在する言継卿記の
斎藤家親族の信長本妻から
濃姫の事と考える事も出来る。
その辺は個人の解釈次第かもしれないが。
そのとき、そのときに侍らせていた女性を
御台とか御簾中とか書き残すこともありえるだろうからね。
>>48 ただ侍らしてるだけの側室を御台だの簾中だのとは言わない。
2.ごくまれな反例をとりあげる
「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」
>>ごめん、わかんない
正室ではない側妾でも、近時するものが御台様ということはあるけどね。
また、一番の寵があると公認されてる場合もそう呼んだりするんじゃないの。
とくに相手が権力者だったら、側にいる女性にまで気をつかっ
なんか史実の濃姫を取り扱ったサイトない?
漫画とか小説とかさぁ
>>52 一番の寵があると公認されてる側室でも、御台が現存していると
第三者から呼ばれる事はない。
まして、近衛前久、今井宗久などの書状に御台という言葉が
散見される時代は、お鍋はまだ側室ではないし、生駒の方も
死んだ後だし、一次資料である言継卿記に濃姫と思われる
斎藤家親族の信長本妻が登場する直前。
1人が「たまたま側室を御台と呼んだ」様な事があったとしても、
複数の人間が「たまたま側室を御台と呼ぶ」偶然が重なるとは
とても思えないがな。
まして、書状の内容を見れば、側室に対しての処遇に対する様な
話ではない。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 09:46:49 ID:S044UvwR
信長初めて知ったのは小学校高学年で、その時読んだ児童向け歴史本では
濃姫とラブラブだったから、そうなのかなーって思ってた。
で、しばらくしてから生駒御前の存在を知り、信長がそっちに熱愛で、
濃姫とは疎遠だった。離婚していたと聞いてなんとなくがっかりしてたw(子供の夢が壊されたーみたいな感じw)
でも最近では生駒御前は側室の一人にすぎず、濃姫は正室として大切にされていた・・・と知って
なんとなく嬉しいw
その御台の現存についての決め手が無いわけでね。
盛り上がってるのは2ちゃんや個人サイトの中だけだしな。
なんか、ここ最近のレス見てると、濃姫が御台として生き延びてた事を
一生懸命否定しようとしている人がいるな。
信長御台について書かれてる史料はちらほら見受けられてるけど
濃姫が死んだとか離縁したとか、新しい御台を迎えたとかの史料は見つかってない。
となると、誰かわからない他の人が御台と称されてたと考えるより
濃姫がそのまま御台だったと考える方が自然なような気がするんだが。
御台って将軍の正室の呼び名じゃないの?
>>59 そりゃ、江戸幕府で大奥が出来て以降だわな。
それ以前は、大名などの正室は御台と呼ばれていた。
ここ何年かで濃姫は生きていたということを
何が何でも史実に昇格させたい人々が居ることもあるよな。
何が何でも史実に昇格させたい人々かぁ。
じゃぁ、反対に史実昇格(?)に反対する人の目的は?
通常、最近発見されたような文献や史跡や資料があれば
これまでよく分かっていなかったというだけの人物の場合
経歴として反映される。
全く違う経歴が史実として、資料等があって流布している
場合は、書き換えるか否かはもっと議論されるとは思うが。
全く違う経歴の史実はなく、単純に分かっていなかった場合
ある程度信憑性が高いものが出て来たら、こうなってしかるべきだろ?
結局のところ、別段大きく文献に残る程特殊な事件が起きなかった
女性などは資料が残る事は少ないという事実を踏まえれば
ごく普通に夫婦でいたんだろうと考えるのが、これまでの
女性史としてのありようなんじゃないの?
信長の御台だとか、疑問の残る武功夜話の吉乃の箇所とか
そういうものを大きく考えるから、濃姫が資料として
残っているものが少ないという事を、ことさら重大に
考え過ぎなんじゃないの?
なんで早死にしたという記録が残ってない人を
早死にしたことにしたいんだろう?
生駒の方のイメージが当時は大分強かったから
遠因のひとつに津本陽があるような気もしないでもない
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 22:18:10 ID:z3/0V5od
濃姫=御台と認めたくない人って、生駒御前マンセー主義なのかな・・・?
生駒御前ってよりも「吉乃」マンセーか・・・。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 22:21:38 ID:9jkt7sZD
清洲城の隅っこにぽつねんと佇むお姿が大層眩しゅうございました
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 22:28:03 ID:z3/0V5od
山岡作品の濃姫好きな人多いね。
これ原作で昔(10年くらい前・・・?)にお正月にやる12時間時代劇やってたよね?
覚えてる人いる??
信長が高橋英樹、濃姫が涼風真世、道三が津川さんだったんだけど・・・。
涼風マヨはどうも苦手だ・・・
高橋英樹の若作りに対応するには仕方なかろう。
>>66 吉乃マンセーしたくても無理があるんじゃないかな?
あっちは吉乃の記述そのものが創作といわれてる
武功夜話にしか詳しい様子が出て来ないし、
その武功夜話だって、信長に何年も放っておかれてる事が
書かれちゃってるんだしさ。
こんなとこ覗いてる吉乃マンセーはそのくらいもう知ってるでしょ?
むしろ、信長が利用価値が無くなったと思われる濃姫を、
離縁もしないで御台に据えたままにしていたような
普通の人間性の持ち主だって言う事が気に入らない
人なんじゃないの?
アンチ信長とか言われる人達だと思うな。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 03:48:50 ID:ChlSFGex
アンチもだがヲタもその可能性は高いよ。
ヲタとかアンチとか、人をくくること自体が不自然。
そんな言葉つかわないでも語れるだろうに・・・
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 14:58:05 ID:vDSl6KyE
今まで濃姫演じた女優で誰が1番よかった?
もしくは「この人に是非やって欲しい!」て人いますか?
濃姫に限らず、信長、吉乃(類)など希望・理想像ってどんな感じですか?
自分は、松雪泰子に濃姫を演じてほしい。
>>74 自分は女優をよく知らんのでなんともいえないが、
濃姫は気の強い女性だといいなと思う。
長刀振り回してたら理想。
でも武家の女としての教養とか、そういうのも備わってるといい。
……理想だな
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 21:35:58 ID:OF+gMA5h
濃姫は凛とした美しさと強さが演じられる女優がいいなと思う。
でも少女のような可愛らしさみたいなものがあって欲しい。
まぁ自分の単なる趣味になるけれど、
鶴田真由とか富田靖子とかがいいなぁと思う。
あと濃姫関係ないけど、過去お茶々を演じた女優で一番あってたなと
思ったのが松嶋奈々子でしたw
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 22:01:55 ID:tU4xJ1Md
古い話だが。
池上希美子の茶々は良かったぞ。
彼女は気品高い強気な姫がはまり役だったと思う。
もう少し若ければ彼女のお濃を見てみたい。
それとナベケンの時にお濃をやっていた名取も
結構合っていたと思う。何気に可愛らしかった。
おいらも池上希美子の茶々は良かったな。
あれ見て以来、茶々と言ったら池上希美子だw
佐久間良子の北の政所も芯の強いおっとり美人で良かった
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 06:00:04 ID:I/x6kUj5
質問なんですが、道三に帰蝶以外の娘いたのでしょうか?
また、小見の方にはひとりしか子供がいなかったのでしょうか?
教えてください。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 10:39:04 ID:phLMtvSX
姉小路頼綱の正室になった娘もいる。
他にいたかはわからない。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 19:07:11 ID:9sFsldaq
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 21:17:11 ID:EJMEXIuX
>>81 道三には娘は10人以上いたんじゃないの?
確か、信長の兄・信広に嫁いだ娘もいたような気がする。
誰かの小説で読んだ希ガス(w
言継日記の「信長の本妻の姉妹16人」
本妻が帰蝶なら、帰蝶を入れて17人の娘がいたはずだけどな?
>>84 「信長本妻兄弟女子十六人可為自害」だから、兄弟姉妹合わせて16人だろ
言継卿記読み返してて思ったんだが、壷事件の2日後?に
信長が姑のところに挨拶に歩いていってるんだが、この姑っていうのは
小見の方の事なんだろうか?
歩いていけるほど近い距離に、姑が住んでいるというのも不思議なんだが?
斎藤家が滅んで、岐阜に信長達が移ってきたからそうなったんだろうか?
美濃国諸旧記では、小見の方は早くに亡くなったと書かれているが、
信憑性という点では、言継卿記>美濃国諸旧記だよな。
不思議ではあるな。
言継卿記の壷事件から分かるのは、織田家における斉藤家美濃衆の勢力が、
後年思っている以上に大きかったって感じだと思うんだが、どうなんだろう?
>>85 その後ろのほうに、
「女子の男(夫)」が切腹を申し出る話が出てくるから、
「兄弟女子」=姉妹、だろ。
國衆大なる衆十七人、女子之男以上卅余人可切腹由也、
ほら、国衆(17人)+女子の夫=30余人
女子の夫=30余−17=15・6人くらい
夫が16人とするなら、妻も16人で、一致する、
故に、兄弟女子は全部女性、つまり本妻の姉妹
>>86 その姑のところへ「礼」に行ったのが、
この時の騒動を仲裁してくれたお礼だと、俺は思うのね。
で、姑は小見の方だろう。
道三の正室だった小見の方以外の女性だと、家来を抑える権威に欠けるしな。
日記の文章から、信長自身、山上の城ではなく麓の屋敷に住んでいたのがわかる。
姑は前国主の妻だし、近くに住んでいて不思議でないっしょ?
直接土地と百姓を支配しているのは、国衆だから、
隣国から来て大名の地位についた信長は、当初は軽く見られていたのかも
>>87 なるほど、そういわれてみれば、確かに30余人から17人引くと
丁度16人くらいだな。
そうすると、道三って男子より女子の方が子供が多かったのかな。
もっとも、男子は戦で死んだり、義竜に殺されたりしてるが。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 19:24:21 ID:vs2TR+sU
>>87 女子の夫の数は、14か15人かもしれんが・・・
その場合は、姉妹のうち2人か1人は独身だと考えれば計算は合うな
女子は系図でも名前がわからなかったり、省略されたりしてるからな。
道三の次男・三男は義竜に殺されて、
四男・五男は京都の寺にいて殺されなかったが、
後に信長に仕えて部将になったりしてるみたいだね。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 19:06:04 ID:x2ql4CbW
今井宗久の書状の信長御台所というのは、正室の女性という意味ではなく
信長の直轄領という意味なので、この年まで生きていたという証にはならない。
今井の書状は、信長御台所じゃなく信長御台御料所では
>>91 ほい原文
仍今度申入候前十河存知之塩合物過料銭之事
従去年公方様并「信長御台御料所」拙者被仰付候ニ付て
早々可申付候処
証にならなくても、同じ年の言継卿記に信長本妻の記述があるけどな
ちなみに、今井宗久の書状
仍今度申入候前十河存知之塩合物過料銭之事、
従去年公方様并信長御台御料所拙者被仰付候ニ付て、
早々可申付候処
96 :
93:2006/10/09(月) 21:27:45 ID:ouMCNPQV
そういうこともあるさ。ドンマイ
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 02:12:29 ID:5eAFfW1d
なんか、日本史板の濃姫スレがすごいことになってるな
スレッド進むの早すぎ〜
内容はこことあまり大差が無いかと。
やっぱり、ID無いほうが書き込み増えるのかね。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 13:41:22 ID:WyhaBYHS
>>濃姫が道三の言う通り隙あらば信長を暗殺しようとする後世の作品・逸話
本当にこんな話作り話もいいところ。
せっかく正室として織田家の中枢に娘を食い込ませることができたのだから、
「信長の子供をぼこぼこ産んでこい」と道三は命令したはず。
合法的に外戚として権力と発言権を持てるようになる。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:58:51 ID:syfZz+le
帰蝶に、
「この短刀で、父上を刺すかもしれませんね」
と、言い返されたんだろう?
えっその話作り話…まじでか
ショックだ
夢たっぷりだったのに
大徳寺(総見院)にお墓があるよね、この人。
特別公開中だから見てきたよ。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 10:18:58 ID:kt2c2U1A
>>101 誰が聞いてたんだそんなうちうちの親子の会話って思わなかったのか?
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 11:42:12 ID:Ldc5sPaH
>>103 閨で信長のおしり弄ってあげながら語ったんだろ
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 19:26:00 ID:Rd0aM6+B
ここが次スレになるのかな?
しかし、史板の濃姫スレの
>>998はかなり読解力がないか
史実を知らないのだろうか?
徳姫永禄2年誕生は史実だ
生駒女永禄9年没も史実だと思われる
短期間で死んでなんかいないんだけどな?
それを指摘しているのに史板濃姫スレ
>>996を読めというのは
意味分からん。
短期間で死んだと思われている理由も史板濃姫スレ
>>992には
書いておいたんだが、細かく言わなくては分からなかったのだろうか?
武功夜話では
吉乃は徳姫産褥後病に臥せっていた。
小牧御殿が完成したので、吉乃に座敷を与えるから来いと言った。
信長は吉乃の病を知らなかった。
吉乃は信長の計らいで輿で小牧にきた。
翌年ほぼ寝たきりのまま小牧で亡くなった。
となっている。
詳しい年代記述は亡くなった年だけなので、武功の情報を鵜呑みにすると
産褥後の病を知らなかった期間なんて、長くて数ヶ月だろという風に思われている
そのため、徳姫出産後すぐに亡くなったかのように言われているが、
じつは7年も経ってから亡くなってる。
すぐに亡くなった訳じゃないというのはそういう意味だ。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 19:57:42 ID:JS8ZRxZW
恐らく
>>998の言いたいことは、武功夜話は歴史小説だから
吉乃は徳姫産褥後病に臥せっていた。
小牧御殿が完成したので、吉乃に座敷を与えるから来いと言った。
信長は吉乃の病を知らなかった。
吉乃は信長の計らいで輿で小牧にきた。
翌年ほぼ寝たきりのまま小牧で亡くなった。
のような吉乃に関する記述も嘘だよと言いたいのでは?
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 20:05:45 ID:JS8ZRxZW
Wiki調べたらこういう記述があった。
「前野家文書」においてすら、吉乃が徳姫出産後の産褥で重症に陥っているのを、
信長が数年に渡り知らぬ程疎遠になっており、既に完成していた小牧城の御台御殿
(主は小牧殿と記載されている、正室濃姫の事と推測される)に座敷を与えられ
移り住んだ後になって、信長は足しげく見舞うようになったなどと記述されており
武功夜話の元になった「前野家文書」だから、これまた信憑性に乏しいけど
信長は数年吉乃を捨て置いたらしい。五徳を産んだ後産後の肥立ちが悪く
褥辞退のまま数年間放置され、その後小牧城に移って数ヵ月後に亡くなった
というなら話の辻褄はあうな。しかし数年間も信長が吉乃の病気を何年も
知らないというのが、二人の関係を物語っているのに、なんで武功夜話では
信長最愛の吉乃という話になるんだ?
じゃぁ、
>>998はなんですぐに亡くなったといったんだろうなぁ?
しかし、新スレ、松姫も入っているが、あっちに移動か?
>>108 いや、wikiはおそらく、史実はこうだよと言いたいんだと思うよ。
武功の中には数年捨て置かれた記述はない。
武功では産褥で臥せっていた事を信長は知らなかったという記述だけ。
そのWikiの記述は、武功でも数年に渡り捨て置かれた事がわかるのにねって話しが
出るようになってから付け足されたものだから。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 20:08:52 ID:JS8ZRxZW
えっ、どこ?
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 20:29:53 ID:JS8ZRxZW
_(L..._____
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/ _,.‐'´ `ヽ、ヽ
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{ N 、 _ ,. -‐ ´ Vムリ|
ヾ { ` 、 .,,,,、、ミ ∨/!
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. l⌒ヾ ィr≦ヲフl ``ー ___ |卞ー一-
_ \心. ヽ -'´ | レ、 | ||
/ ノ〉 ヾハ , ´ /_ ,r┘\ :.│ .|| アーーーーメーーーーンーーーー!!
. _厶 〃_| _, -‐'^ヽ |  ̄l! ,.-、 l .||
. r'´__ノ〃 /‐'´ \ ' r‐一'´__ `` / ||
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辷..ノ /_ └--‐'´ __ノ .l!| /\__||__/ || 〃
__,イ / _/ .|!| ./ ||rぅ ‖ 〃
ノ` / _,-‐'´ |!|│ || || 〃
ト、 ィ7 ̄ |!|│ ||rぅ || 〃
五徳出産、産後の肥立ちが悪く寝込む、信長が小牧に御殿を新築し吉乃を迎える
看病の甲斐なく死亡、信長大いに嘆き悲しむというエピソードを武功作者は描きたかったんだろうけど
五徳の生年や生駒氏の没年をそのままにするしかなかっただろうから、その間の数年間はスルー。
でもこのエピソードの断片的な情報だけ見ると、五徳を出産してすぐ亡くなったようにも
受け取れるから、991のような感想も出てくるということか。
>>116 おそらくそうだろうね。
ただ、991は武功そのものも熟読した事ないんじゃないかな?
すごく見逃しがちなところに、吉乃が死んだとき徳姫は5歳だったと書かれている
ここに気がつけば、少なくとも4年は捨て置かれた事は分かる筈なんだ。
史実上では数えで8歳なんだけどね。
史実より3年縮めても、あまり意味ないとは思うのだが。
結局史板はどっちが濃姫スレなんだ?
どっちも削除以来出てたが
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 00:39:16 ID:sZS9OxkG
どっちもイラネ。ここで十分だろ。そしてここにきてまでの
武功検証も完全にスレ違い。他所でやれ。
ここは濃のスレであって生駒女の検証スレじゃないんだぞ。
検証不足を正したいのだろうけど、
他板のスレのレス番指してまでってのは執拗な感じだ。
ここが次スレだと誘導していた人もいたから、仕方がないかも。
まだどっちが本スレかもよく分からないし、
濃姫スレそのもののアンチもいるみたいだな。
一部の濃姫好きな人がかなり暴走していたから
(あの進みぶりは史板なのにおかしい)
他の住民に嫌気をさされてしまったんだと思う。
今度はさすがにそれはいいすぎでしょみたいな感じで
松姫まで攻撃し出しているみたいだし。
何か三條ヲタと同じになってきてるよね。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 14:07:40 ID:uNYbW7HC
>>122 先にちょっかいだして侵略してきたのは松姫オタだから荒れるに決まってる。
しかしあちらはものすごい早い展開だな。
例のブログの主がはじめにレス立てたんじゃないか?
小説のネタ探しでもしてんのかもな。
>>123 そういう妄想で個人のブログ叩くのやめたほうがいいんじゃないかな?
>>123 そうかな?松姫好きな人より信忠好きな人が最初に
話題をふってきたように思ってたけど?。
それに松姫に関するレスってヲタというほどでもないと思うよ。
濃姫→その養子の信忠→その婚約者の松姫と話題が脱線していくのは
ままあることではあるけど、松姫の話題を変に叩くレスがついて
スレまで荒れちゃうんだよな。
スレ違いだから違う話題をふるとかにしてくれたらいいんだけど。
一人か二人、一生懸命濃姫の話題に軌道修正しようとしてた人が
いたけど、それ以上に松姫叩くレスがスレを荒らしてたよなぁ。
スルーできない人間は、同じ穴の狢だと思う。
大体、濃姫が正室を外されて吉乃が正室扱いになったという説に対する
反証をしている事さえもすれ違いと言い出したり、
信忠の養子の時期の考察さえもすれ違いというのは、
単純に濃姫スレを荒らしたいだけなんじゃないかと。
武功が偽書だから反証も必要ないというのは、現在の史学界を考えると
極論に過ぎると思うし、信忠の養子の時期は濃姫を考察するのに
かなりウェイトを占める話しだと思うのだがな。
というか、最初は別に良かったんだろうけど途中から変に勢いづいた上に
age進行だったりしたのがしゃくに障ったんじゃないかな。
あとは解釈の仕方が史板の人から見ればこっちの方が相応しいと
思えるような内容だったんじゃないの?
実際にそう指摘している人はいたから。
改めて読み返してみたけど、指摘されたとおり視野が局所的なかなとか
相関図とかを絡めてというのはあんまり無かったし…。
だから濃姫のことさえ語れればいいただのヲタ集まりと
反発されたんじゃないのかなと自分は反省もしている。
Mail欄に全角でsageと入れてた人の自作自演も酷かった。
それに、途中からムキになって感情的になってる人もいたね。
普通に意味が分かるレスに関して、まるでわざと別の解釈を
しているかのように正反対の反論をしている人もいた。
あれは、感情的になって、自分の都合のいいようにしか理解できなく
なっていたんじゃないかと思うんだ。
とはいえ、そう書き込んじゃったら、自分まで噛み付かれそうな雰囲気で
傍観するしかなかったなぁ。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 09:44:15 ID:ciAPxVOO
結局ここのスレでは濃姫の情報交換が一切されてない件について
史板の濃姫スレを生暖かく見守るスレになりました。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 10:00:13 ID:40tODklI
で、最近の濃姫スレはどうなってるの?
どっちもそれなりに機能しているようだが。
若干片方の方が荒れ気味で、妄想激しい脳内武田の落ち武者が
槍玉にあがっているみたいだな。
結果的に分けて正解だったっぽいよね。
本家というか、濃姫だけのスレは、荒れていないからねぇ。
荒れないように誘導してくれたのはもう一つの
スレ住民だったこともお忘れなく。
そして正解どうのと呑気に言っているけど史板の人たちに
かなり反感を持たれてしまったのは確かだから
己の所さえよければそれでいい思考は思っていても
書き込む内容じゃないでしょ。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 15:38:02 ID:ZxNVt28J
濃姫って何故か不思議な魅力がある希ガス
史板もプライドばっかり高くて、大人気ない奴が多いんだなw
>>134 専用スレの人間が+松姫スレに嫌がらせのようなことを
し続けているのはちょっと引く。
まっ、このスレがあるおかげで専用スレは平和でもあるんだが。
>>137 嫌がらせしてるのは、単に嫌がらせしたいだけの人間でしょ
専用スレでも、変な書き込みあるし。
単にスルースキルを試されてるだけだと思われ。
濃姫+松姫スレの方が、煽りに食いついちゃう人が多いって感じだな。
でもまぁ自演で食いついてる場合もあるし。
濃姫好きも松姫好きにも、木を見て森を見ず・・・や
我田引水・・・という言葉を差し上げたい。
姫好きなので濃姫も松姫も好き
>>122 既にあるサイトで三條ヲタばりにいろいろ書いている人がいたよ。
戦国系のサイトを開いている管理人何人か知っているけど
みんな自分の所に突撃してきたらどうしようと心配している。
西八王子に親戚がいたので、信松院には親しみがあり
子供の頃かた松姫が好きなんだけど。
劇的すぎる信忠との悲恋話とか、逢引して子供まで産んだとか
そういう話には疑問符ばかり浮かんで、賛同できない自分。
実際の松姫は、家の興亡による波乱以外は
淡々とした暮し向きだったような気がしてね。
でも、ドラマチックな松姫話に水をさすようなこと書き込むと
「どうしても松姫に子を産ませたくないヲタがいるんだなw」と、
ヲタからヲタ扱いされて辟易しました。
・・・すみません。昔話です。
きつい言い方だけど今さらなそんなスレチ話をここでされても…。
そのての話題が出ると必ずと言っていいほど荒れる傾向になるし。
賛同できないからと言って水をさすような(冷やかし?)発言だから
そういう扱いされたとかではなくて?
見方や解釈は人それぞれだし、通史に疑問持っていろいろ探る人もいる。
姫へのイメージも同じだから、自分はそう思っていてもそう思わない人も
いるから、自分はこう思っているとゴリ押しみたいにしてしまうと
そう思っていない人が多いスレでは反発されるのは仕方ないと思う。
史板の+松姫スレも今は落ち着いて来ているからあっちに参加してみたら?
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 22:47:32 ID:WNOy3XRn
分家は濃姫の「の」の字もでてこない。
だから?実はそれが本望だったんでしょw
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 11:31:22 ID:ZJdUqCBF
分家の家来衆は武田に関することしかしらんようだ。
スレタイのうち3人が織田家関係者だからまったく機能しないのは当然。
他スレ叩きなら他所でやれば?
分家スレの最初の方でさんざん嫌がらせみたいな
ことをしておいて今さらそんなこと言うのは
傍から見てると正直卑怯だと思うけど?
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 13:22:26 ID:ZJdUqCBF
>>149おや?ここはもはや本家に乗っ取られお家断絶した廃墟。
本家と分家を生暖かく見守るスレになったはず。
気に入らないならあなたこそ出ていけば?
いつからそうなんたんだっけ?
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 16:29:43 ID:ZJdUqCBF
>>149 最初の方に嫌がらせっぽいレスがあったのは分家スレだけじゃないだろう。
両方のスレともに煽りレスが付いてたよ。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 13:48:14 ID:nnb2rzyY
分家もちきんと機能してるじゃん。
松姫&信忠逢引の件は史料の考察から絶対ありえないそうだ。
あの時期信忠が尾張にいなかったらしいので、史料の記載に矛盾があるんだとさ。
本家はまったりと濃姫考察をやっている。
生駒氏の位置付けがたんなる側室の一人に格落ちし、信忠の生母かどうかも怪しいそうだ。
信忠生母と記載されている信憑性の高い史料がないんだとさ。
と現段階までを勝手に総括してみた。
信忠は信長と一緒に中国攻めに参加する予定だったから
しばらくは岐阜城には戻ってこないからね。
当の信忠長期不在じゃ危険が大きいし、わざわざ行く事もないか。
でも、女を隠すのは大勢の女の中が最適。
信忠が戻ってくるまで濃姫が安土城の奥で預かってあげればよかったんだよ。
侍女か何かに化けさせて。信長も不在だし松姫の顔なんて誰も知らないだろうし。
と、無理やり濃姫をからめてみるw
密かに来てたのか、ある程度奥に話しを通していたのかによって
信忠不在でも事情は変わるんじゃないの?
そもそも信忠不在を知り得る手段があったのだろうか?
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 14:57:55 ID:Q4JnD10N
>>157 それをいうなら、信忠が絶対安土にいると知りえる手段はあったのか?
分家松姫レスでの松姫に関するレスは相変わらず
〜〜だったら、○○かもしれない・・・の羅列で阿呆らしい。
松姫オタにも、アンチ松姫にもこの言葉を贈りたいね。
( ´゚,_」゚)ヒッシダナ
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 16:55:44 ID:Q4JnD10N
歴史で唯一断言できることは「女が子供を産んだことだけだ」ということさ。
信憑性100%の史料は皆無だ。
確認しようがないからな。
過去の事なんて現在ではわかりようがないよな。
新しい史料が発見されれば、それまでの通説もころっと変わるし。
特に人の気持ちなんて当事者以外わかりようがないから
史料やその時の状況とかを考えて妄想するしかない。
信忠がもう少し長く生きてたら正室問題もはっきりしてたんだろうけど
何か参考になる手紙とか発見されないかな。
何にしても、一人か複数か知らんが、分家のあのアンチ松姫みたいなのは
ちょっとキモイな。
オタもアンチも必死だと思ってたけど、なんか必死度と方向性が
違う感じだ。
オタの方は希望的観測を当時の情勢に当て嵌めて妄想書いて
満足してるんだろうけど、アンチの方は言い負かす事が大命題か?
本家の方は、まったり文献考察になってるけど、
なかなかおもしろいな。
アンチは確かにキモイな。
文献どうのと言う割には本人が一番読み込んでいそうにない。
そのうち、前の方にいた2万5千石住民と思われる連中に
こてんぱにやられると思う。国人や領国経営、家臣と客臣の違い
外交ルールー等など根本的にわかっていないようだからw
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 20:16:30 ID:Q4JnD10N
松姫が何か重大な転機で活躍したとか
史上に重要な役割を果たした訳でもないので、
アンチなんて大袈裟な奴、いるのかね。
松姫の行動や存在に対しての反感等ではなく、
無理やりな妄想やこじつけに対して
戦国史好きの観点から
「それは無いんじゃないの?」風な意見や質問が
出てるだけと思うけど。
うは〜、分家の方どんどんキモスになっていく
別に無理やりな妄想とかこじつけという程でもないんじゃないのかな〜。
言われてみればという感もあるのは確かなんだよね。
三條家だっけ?信忠世代のことを考えればいつまでも公家達と軋轢を
抱えて置く訳にもいかないしさ。
だからといって完全なる公家や朝廷というのもどうかなと。
まっ、これからと言う時に本能寺だから今さら真実なんて
わからんのだから、それを頭ごなしにあり得ないとしてしまうのは
如何なもんだろうな。歴史を動かすのは常に人間でそこには
感情もあるのだから、事実は小説より奇なりが一つぐらいあっても
別に不思議ではないんだけどな。
実際の戦国時代なんて誰もわからんのだから。
結局双方意地の張り合いになってきてるね
本家も分家も最初から煽りレスがついていたのに
どうしてこうも違う雰囲気になるのかね
松姫最中でも食べてまたーり汁。
・・・なんて言えない雰囲気。
うん、言えない
スレが立った経緯が経緯だから仕方がないのかな
信忠に正室がいるのに、それを押しのけて松姫が正室になったとかの妄想なら
いくらなんでもそれは有り得ないだろうとは思う。
でも信忠には正室がいなかったし、公家の姫にしろ誰にしろ
それらしき正室候補者も史料には出てきてないみたいだし。
元婚約者の松姫だって全く有り得ないとは言い切れないんじゃないの。
可能性は低いだろうけど。
>>172 すまん、その件なら史板の濃姫信忠松姫スレで
妄想憶測取り混ぜて、
まさにさーんざん書き込まれて沸騰してた話題なので、
そのスレを最初からロムってみて下さい。
途中からは信忠の正室の存在有り無しは全く無視しての話が
進んでいたみたいだけど?
あーいえばこういうのオレ様が一人相撲してるから、今は
書き込むだけバカ見るよ。下嶋家叩きをまだしたいみたいだし。
>>173 ここは本家と分家のヲチスレになってるからね、
分家で語られてる事なんて、全部読んでるよ。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 10:07:42 ID:pfbNRb2p
>>172 可能性はゼロ。当時は破談になった縁談は縁起が悪いとされ、
復縁は禁忌。武家社会だけでなく、公家や金持ち階級の庶民も。
信忠の正室は当時はいなかったようだけど、同盟を結ぶ必用がでてきた
有力大名の姫を娶るために意図的に嫡男正室のポストを空けておいたのではないかな?
政略結婚は血を見ずにあっさり同盟を結べるからな。
>>176 可能性が0の出来事なんてないだろ。
どんな奇想天外な話でも可能性は0じゃない。
事実は小説より奇なり、てか。
まぁ史実追ってるとたまに在り得ない事起こってたりするしな。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 13:27:53 ID:pfbNRb2p
信忠が亡くなって現実的に二人の復縁はなかった。
物理的に100%不可能になったんだから、妄想するだけ無駄さ。
>>174 叩きとか、アンチとか。
別にその歴史人物の存在を否定したり、
行動の批判をしているわけでもないのに
何でそういう言い方するかね。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:19:17 ID:1V17+Z5N
あ〜濃姫に顔を踏まれたい。
分家、キモス
いや、約一名キモスなんだな。
レスの書き方に特徴あるから、すぐに分かる。
ここにも出没しているが……。
何をあんなに必死になっているんだろう?
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 23:33:21 ID:ukONPKU5
分家に本物の○チガイが乱入してるぞ。
今、アクセス制限ひどいみたいだから
本家も分家もあまり書き込みないよね。
分家のあれは、もうちょっとまともの文章だったら
違う評価だったと思うんだけど、あれじゃね。
本家の本妻兄弟女子考察はなかなか面白いね。
ただ、言継卿記は一次史料だし、捏造はないだろうから
何か理由があるんだろうな。
土田弥平次については、武功夜話的には自爆かw
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 19:49:24 ID:Gs0Sz2CE
分家の370の話がなんとなく気になる。
松姫と信忠の婚約話は「同盟を破った裏切り者」として信長を悪者に仕立てようと
後年武田サイドが意図的に作ったエピソードかもとふと思った。
婚約という事実がなければ何年間も輿入れがなかったのもうなずける。
織田家系図に松姫が信忠室とあるのは、逆に武田は織田と同盟関係
にあったのに、織田の同盟国を侵略した悪者という印象をアピール
したいために後年ありもしない婚姻関係を捏造したのではないか?
と想像してみた。
こんなことを分家で書くとアンチとオタがバトルするのでここで
こそっと書いてみた。
>>185 松の妹の菊は、本願寺教如と婚約したんじゃないの?
松が婚約もしてないなら、順番からいえば、松を教如と婚約させると思うが
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:06:26 ID:Gs0Sz2CE
教如と菊姫との婚約話も根拠は甲陽軍鑑の中にのみしかないんだ。
本願寺側の記述もないし、事実と異なると思う。
それと松姫と菊姫は順番が逆という説もある。
実際菊姫の墓には「信玄の四女」と書いてある説明の立て札が立ってる。
>>185 根拠を明確にして語れることなら
分家松姫スレに堂々と書き込めばいいのに。
>>187 松姫と菊姫の姉妹順については
二説をあげて事実は不明と但し書きをつけている本が多いよ。
(そのうえで、松は末という意味もあるのでは?とか各研究者が
持論を述べていることがほとんど)
諸系図での記載が異なることもあるらしいけど、
菊姫の生年が確定しないことが原因の一つでもあるよう。
永禄「元」年か?「六」年か?
元と六の字の読み方の区別が研究者によって違うらしい。
(甲斐路37号)
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:38:03 ID:Gs0Sz2CE
>>188 新館の件も甲陽軍鑑が根拠にすぎず真偽はわからない。
>>189 松も菊も、実際の名前かどうかもわからない。
家系図では姫は全員「女子」としか書かれてないから。
帰蝶という名も同様らしいし、この時代は女性の名前は嫁ぐまでの
仮の名でしかないから、正式な史料には残されていないのが普通。
絶対言えることはこの姫のうちどちらかは上杉景勝の正室として嫁いでいて、
そっちが菊姫という名で後年伝わっているということだけかな。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:47:47 ID:Gs0Sz2CE
どっちが姉でも妹でも同腹だし、年もそんなに違わないだろうから、
もらうほうはどっちでもかまわないわな。器量もどっちも悪くはないだろうし。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:58:36 ID:Gs0Sz2CE
>>185 信長が遠山夫人死後どうしてもという求めに応じて結ばれた同盟だというのに、
信長が自分から反故にするような真似をするのは確かに解せないがな。
菊姫も教如との婚約が信長のせいで破談になったと記されているし、
事実でないにしても、どこか信長を悪役にしたてたいという
思惑は感じないではない。
松姫の事は分家に書いてきた方がいいと思うな。
ここが本家と分家のヲチスレにいつの間にか
なってたとはいえ、一応濃姫スレだからね。
分家も一応濃姫関連だから、ヲチスレとしては
分家の話題が出るのは変じゃないけど、
ここで松姫だけ話すというのはどうかな?
久しぶりにヤフーの掲示板見たら、濃姫スレの住人としか思えない書き込みがあったw
そりゃあってもおかしくないだろ。
自分も両方見てるし、書き込む事もある。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 06:51:56 ID:gQmBANYz
両スレとも最近はネタ切れ気味で
微妙に過疎ってきたな。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:30:33 ID:iSQy4jRP
松姫スレにまた変なのが湧いてるなw
>>185 武田側が捏造したものなら、
織田家の系図に、信忠正室と書き込まれるはずがない。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 21:05:32 ID:7uk+utpT
夫婦の実態がなかったのは両方の史料からも明らかなのだから
「信忠室」と家系図を捏造したのは織田家の方だと思うが?
甲陽軍艦の成立内容絡みで、信忠と松姫の婚約は軍艦の捏造だと
向こうの板では盛り上がってるよね。
織田家史の研究家や学者に見解を聞ければ良いのに、と思う。
で、寛政の家譜の「信忠室」の記載だけど、
あれはただの家系図の粉飾なのでは無かろうか?
結局、武田側と織田側の両方が、
婚約と結婚を認めた(捏造した)ってことかな?
婚約くらいはあったのかもなぁ。
ただ、それをお互いに粉飾したのかもね。
当事者の信忠と松姫が、最後まで正式な結婚をしなかったことも大きいだろうなぁ。
いろいろと憶測と幻想を引き起こす。
もしかしたら・・・でもなぁ・・・いや意外にありうるかも・・・
204 :
バロン曽志崎:2006/11/23(木) 20:19:23 ID:Cxkm8YSk
織田家と武田家の婚姻話は上杉謙信宛徳川家康書状にも出てくる。
もっとも、謙信も家康もこの婚姻話には反対(ある意味当然か)の立場で
家康は書状の中で信長に掛け合ってみると言っている。
結局、どうなったかは知らないが。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 12:29:20 ID:BOPwfMUw
織田家と武田家の縁談に他家が口をはさむことではないし、
徳川と織田の力関係をみても家康が阻止できるような間柄でもなかろう。
二人が婚約した年は直前に信長養女で勝頼正室だった遠山夫人が
亡くなり、その年の11月には信玄長男信義が自刃(病死?)している。
当時の慣習からして遠山夫人が亡くなって間もなく婚約などの慶事を
行うというのはあり得ないと思う。しかもその年の暮れには武田家にさらなる不幸があった
わけだしな。
婚約話は浮上したが、武田家の不幸が続いた事でなんとなく尻切れトンボの
ようになっていったのでは?もしかしたら信玄はさほど乗り気ではなかったので
喪中を理由に断ったのかもしれない。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 19:28:17 ID:ie872JZX
吉乃のエピソードは嘘だって言われているけど、
それが本当で他の資料が嘘って可能性はないんだろうか。
一次資料と言われてるものは何で信用されているの?
もしかしたらそれが嘘で、本当に信長に愛されたのは生駒御前かもしれないのに。
婚約が慶事というのはともかくとして、同盟維持を考えているなら
何らかの対応はするだろうと思うけどね。
それが立ち消えになったか、形として成立したかは分からないけど
不幸続きだったから、もし話として成立していても延期にはなるのは
当然の事だよな。
延期になっている間に、同盟維持が不要になったと考えるのが
一番自然じゃないかな?
婚約の事実もないのに、武田も織田も双方が、婚約話を捏造したと
考えるのは無理があるんじゃないだろうか。
どちらか片方だけが捏造しているなら、婚約の話もなかったのかもしれないけど。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:32:26 ID:ADg9Q4jz
>>205 上杉の存在は無視かよw
>>206 信長が本当に愛していたのは誰かなんて当時でも
信長本人しかわからねー話だよ。
傍から見れば寵愛深きと見えても実際の本心なんて
第三者にはわからんものだろ。
>>206 色々な史料を総合してほぼ確実と目されている事柄との
整合性が取れているなら、正確な史料と判断されるんじゃないかな。
生駒御前を信長最愛の人とした武功夜話は、原本が公開されていないのがまず厳しいかな
原本の「前野家文書」はあるけれど、1987年に編集・現代語訳して出版した「武功夜話」しか
見せられませんとか言われたら、「なんだ偽書かよ」って対応になってしまう
原本が公開されれば、紙質等からどの時代に書かれたものか大体解かるので
単に創作や年代等の記載ミスの多い物語風の伝記なのか
がっつり偽書なのかが確定するんだけどね。
それにしても、なんで原本が公開されて無いのに飛びついたんだろうね、当時の出版社・・・・・・。
それ以前に、武功夜話の中でさえ、同じ事件に関する年代が
記述箇所によって違うしな。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 10:01:51 ID:KH8Znvc+
生駒家の家系図でも「吉乃」なる女性は存在せず該当すると思われる女性は「類」。
信忠、信雄、五徳は清洲城内で産まれた記されているので、生駒屋敷に類がいて
信長がせっせと通ったこととも矛盾する。
濃姫公認の側室として清洲にあがり、奥で側室奉公をしていたという事実を歪曲
しているのは確か。
武功夜話の年代的な矛盾も甚だしく自分で調べてみるといいよ。
呆れるほどだから。
信長の寵愛が深かったという証拠となるのは武功夜話に書かれていることだけが
根拠。
一般史料からわかることは、類はその他大勢の側室となんら変わりない扱いを
受けていた。それどころか、生前出家していたことがわかっているので
五徳を産んでから信長のもとを去っているんだよ。
寵愛が深かったらそんなこと信長が許さないし、する必要もないでしょ?
年子で3人産むということは、さほど信長と交渉回数がなかったということの
裏返しでもある。何を根拠に信長の寵愛が深かったと信じられるのかな?
生前の出家については、濃姫が既に出家していた生駒氏を還俗させて
側室として召抱えた可能性も無いでは無いし
だから信長の寵愛がなかった云々は飛びすぎじゃないかな。
生駒氏の子をその死後濃姫が後見したのはほぼ間違いないので
信長の寵愛はともかく、生駒氏は濃姫には(臣下としての)寵愛を受けていただろうね。
出家した生駒氏を還俗させて、って言うのは、
信忠の出産時期を考えると有り得ないんじゃなかったっけ?
寵愛云々は当人しか分からないのだから、
正室の濃姫と併せても不明だろうね。
つか、年子だから寵愛がないって何?
年子の兄弟を産んだ夫婦は冷め切っているとでも?
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 12:21:32 ID:HL2UdTr4
信忠の生母すら、生駒女かどうかの確証って得られないんじゃないっけ?
生駒女についてわかっている事は
・信雄、五徳姫の出産時生きていた
これだけじゃない?
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:23:14 ID:KH8Znvc+
>>213年子だから寵愛がないって何?
年子の兄弟を産んだ夫婦は冷め切っているとでも?
年子の場合出産後2〜3月後には妊娠、出産を繰り返す。
産後最低一ヶ月は性交渉は無理。
その後すぐに妊娠したら、褥から遠ざけられ、
無事に出産することだけに重きをおかれる。
側室の仕事は性欲を満たすころではなく、正室の代わりに当主の子供を
産むことだから。
なので、年子を3人(信忠も一応いれたとして)産んだということは、
かなりいい確率で妊娠をしたというだけ。
寵愛が深いから年子を産んだと考えるより、生駒息女が妊娠しやすい体質で
出産後の回復が早い健康体だったということの証明にしかなってないというわけ。
なるほど。
生駒女が妊娠しやすいのは分かるけど、
それと寵愛の深さは別問題だね。
とは言っても寵愛のなかった証明にもならない。
性交渉の回数はそれこそ分からんよ。
体質によっては妊娠しても分かりにくい人もいるから。
寵愛については、それこそ他人が見て分かるものでもないし。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 14:27:35 ID:GOIcluwS
生駒マンセーもうざいがお濃マンセーもこの頃はウザイな。
さも当時を見てきたような言い切り文体でここでも史板でも
書き込んでいる奴がいるが実際のところなんてわからないだろうて。
江戸時代の大奥でもあるまいし。
良質な史料等の考察からお濃を正妻として立てていたことが
わかってきたのなら、ぶっちゃけ誰を寵愛したかなんて
下世話な話はどうでもいいことに思えるが。
それに寵愛どうのというとすぐに生駒がやりだまに上がるが
小倉の方の考察はなぜしないのかね。
お鍋の方は安土には入らず、小田町に住んでたからねぇ・・・・・・。
ぶっちゃけ寵愛されていたと妄想するには燃料が足りなさ過ぎる。
小田町、安土から2駅も離れてるよ・・・・・・。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 16:11:55 ID:Vjca1y6Z
もうすこしまともな言い訳すれば?
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 16:23:22 ID:HL2UdTr4
イメージ的に信長は秀吉なんかと違って
女に対して執着を持たなかったような気がする。
淡白な人間だったんじゃない?
で、手を出した人間見ると身近なところが多い。
ので何となくヤリたくなったら身近な女に手つけて、
でも別に好きだとか嫌いだとか、そういう感じじゃなさそうだ。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 17:30:13 ID:KH8Znvc+
お鍋の方を考察する必要性がまったくないから興味をそそられないんだよ。
信長の子を3人産んだが、信高も信吉もまったくぱっとせずに終わってるし、
娘の於振も五徳ほどドラマティックな事件もなく存在感がない。
存在の薄い子供達の生母がどういう女だったかなんてまったく興味ないし。
ちなみに信長の寵愛どうのこうのという根拠となる史料ってなんかあったっけか?
生駒息女同様3人子供をもうけたっていうのだけが根拠のようだが。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 18:43:19 ID:HL2UdTr4
信長の子供で一番どういう存在だったか気になるのは
武田に人質行っていた五男・信勝かなぁ。
この子の優遇ポジションは何故得られたのかが気になる。
信長が嫁の実家関係の圧力で優遇するような人物とも思えないし
そもそもあの当時信長が頭下げなきゃいけない相手なんてそうそういたとも
思えないし、そういう相手の息女が嫁になってるなら何か資料が残っててもいいし。
>>222 前からずっと信勝って間違えてるけど、「信房」だから。
または「勝長」
いい加減覚えてね
お鍋は秀吉の協力者だったから、名前が残っただけってイメージ
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:18:33 ID:Vjca1y6Z
>>217 というか・・・
武功を偽書と思っているなら生駒と信長の寵愛話についての
考察なんて普通ははなからしないものだろうて。
はっきり言って三條ヲタ=松姫ヲタ=お濃ヲタになってきてるな。
生駒本人がどうというより、武功や武功を元にした小説・ドラマを信じ込んで
この頃の信長が寵愛してたのは吉乃だよなとかのレスがあるのが、なんだかなと思っちゃう。
「信長の棺」の実況板でもあったんだけど、生駒氏はとっくに死んでるのに。
>>226 それは思うなぁ。
本とかでも信長の初恋は生駒御前だとか、
心の底から愛した女性とかで語られると何だかなぁと思う。
個人的には信長にとって女は子供を生み、性欲処理の道具だったと
思っているんじゃないかと感じる部分が結構ある・・・(言いすぎだけど)
濃姫は女だけど「正室」という存在だったので
奥向きを任せるに値する人間だったから重宝していたんじゃないかと。
能力主義な信長だから、多分そんな感じなんだろうと思う。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:51:16 ID:KH8Znvc+
女性観も影響あったと思うけど、正室の立場を尊重するのは愛情のためという
ことだけではなく、当時の厳しい身分社会、上下関係の秩序を守るという意味でも
当然のことだったのかも。
当主夫人の立場は当主の次に位置付けられていたし、嫡男の母という立場もあるから
当主自らがその秩序を乱すようなことはできなかったというだけなのではないかな。
女性に対する
>>227のような認識は信長に限ったことではないと思うよ。
ただ他の大名は側室に手紙を送ったり、子供の処遇などで明らかに特定の側室を
贔屓をしていると思えるようなケースもあるけど、信長はそのようなことが
見受けられないから、子作り目的以外には女には淡白だったのかなとは推測できるけど。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 16:24:39 ID:/od2U1T1
しょせん吉乃もお鍋もたんなる子産みマシーンだったのさ。
そしてお濃にいたっては満足な記録も残されないような
扱いがしょせんその程度の正妻だったというわけでつね。
正室も側室も役割をしっかり果たせば、信長は評価してくれただろう。
その代わりそれが出来ないタイプには女でも厳しかったかもしれないな。
出すぎた言動の側室とかは嫌いそうだし。
正室にしても、側室にしても、信長存命中の記録って
ほとんどないだろ?
むしろ、正室が一番多いんじゃね?
吉乃は武功夜話抜きにしたらほとんどないし、
お鍋も残ってる史料は、本能寺の変直後と秀吉の侍女時代だろ?
意外と秀勝の生母も信長没後の史料が残ってるな。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 23:55:38 ID:TJVzOOJ3
戦国の毒苺
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 10:03:39 ID:d08JPQY/
>>232 御台に関する記録は信長死後もあるからね。
御台のために信長が御料を賜るように願い出てことも記されているし、
夫婦一緒に上京していることもわかっている。
愛情問題は別問題としても、当主とその室としてきちんと
機能していた夫婦だったことは間違いないと思う。
生駒よりお鍋の方がまだちょこちょこ記録はあるな。
しかし、織田家一族の菩提にあるお鍋の墓が粗末なのが気になる。
側室だから?あるいは豊臣に味方したため徳川に配慮したのか?
ループネタがウザくて萎える。
お鍋の墓はひとつだけ形態が違うけど、全く別の場所にあったのを
後からそのまま総見院に移したのかも。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 18:57:45 ID:zozT2vqI
>>236 仮に移したとしたら彼女はそれだけ織田家にとって大事な女性だったんだろ。
お鍋の墓は江戸中期に子孫によって建立されている。
お鍋の墓のが建立される前、その場所は、配置から考えて
別の織田一族の墓だった可能性もあるかな。
一番可能性として高いのは、信長生母という説もあるが
その辺りどうなのかな。
お鍋の子供は信高が七男、信吉が八男といわれているが。
信吉が天正元年、信高が天正4年生まれだったら、
生まれた順は反対じゃないのか?
生年は没年と享年から計算しているんだろうけど、
実際のところはどうなんだろう?
>>235 うん・・・残念ながら、正室のあり方
お鍋の墓石、みな懇切丁寧に概出してるもんね。
語れるような史料が無さ過ぎる
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 08:29:25 ID:fu7of0fI
ループネタがうざいならここから去ればいいと思う。
新参者だっているのだから、あまりに自己中心的な書き込みだよ。
いちいちそんな感想書き込む必要もないし、スレの主旨に反する。
>>242 新たにここに参加してる人も、
過去レスを読むのはためになるし
理解の助けにはなると思うけどね。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 19:29:53 ID:GqjoyAvA
過去レスみたけど、どこがループなんだ?
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 10:18:21 ID:wpDk1g/3
>>244 気にするな。関連スレに粘着して張り付いているやつのぼやきなんか。
武将夫人や姫に興味があって関連スレをずっと見てる者だけど
粘着とか言われるのは嫌だな。
247 :
バロン曽志崎:2006/12/17(日) 00:55:30 ID:glPpYj/K
あっちに書くと怒られそうなんでこっちに書きます。
見づらいでしょうがお許し下さい。
>>636 系図資料が制作者の思惑が加わるというのは十分、理解できますし、重要な
事だと思いますが、後世、死者の生母を捏造する必要がどこまであるので
しょうか?
まして、扱いが難しいという事は重々承知していますが、二次、三次資料だ
からというだけで、否定資料が皆無だというのに全否定、そして否定された
事象は史実という姿勢は疑問をもたずには居られないのです。
また、「世間的に名を知られていなかった側室」という推測をお持ちのよう
ですが、側室出とはいえ元服前に夭逝したならまだしも、元服後、10年近く
も生存し、織田家を相続した人物の生母を誰も知らないという発想は、やは
り常識的に考えられないのではないのでしょうか?
>>643 最近、関連スレに「信忠の母親が生駒氏ではないよねー」と断定するに足りる
資料が見つかった訳でもないのに、必死に吹聴している姿が、気になったので
「そこまで言うなら資料があるのか?」と言ってるわけです。
私には逆に「信忠の母親が生駒氏」であるという事を必死に否定したいとしか
思えなにのですが。
>>247 >643の思考、自分は理解できますよ。
自分はよくいう「吉乃厨」でも「正室厨」でもありませんが、
「信忠の母は生駒氏では無い」という点に関しての
集中砲火的なレスには正直偏りを感じ始めています。
偏ってきたら、ぶれを直す人は必要だと思いますよ。
史板はIDが出ないので、書き込み易さもあるのか
乱暴な自説誘導も多い中、バロンさんはちゃんと名乗りをしていて
覚悟ができてるなぁ・・・と感じます。
あっちで嫌がられたのは、内容以前に文体が煽り口調だったからでは
生駒氏女が信忠の生母ではないという論は、
武功夜話に書かれている土田弥平次が前夫であるということに
根拠を持っている訳だから、武功夜話が創作だと考える自分などは
まだ信用おける系図の方が、正しいことを書いていると思いますね。
251 :
バロン曽志崎:2006/12/17(日) 19:24:00 ID:glPpYj/K
>>248 匿名掲示板で叩かれたところで痛くもありませんから。
主張したいことは主張するだけです。
>>249,250
普通の書き込みしは普通に答えます。
私は聖人ではないので、その他の輩にはそれ相応の対応しかできません。
結局、「資料が資料が」といいつつも「濃姫かわいし、生駒は憎し」という
姫スレ典型的な流れにしか行き着かないのが残念でなりません。
252 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 20:24:21 ID:3bN5k/kc
>>251 >> 匿名掲示板で叩かれたところで痛くもありませんから。
主張したいことは主張するだけです。
これはあまりに自己中心的な態度ではないですか?
自分は痛くもなくとも、当事者以外に貴方の煽り発言を不快に思っていた人は
たくさんいるし指摘されてもなお挑発するような書き込みを続けている態度には
自分も憤りを感じました。
他人に迷惑をかけないという前提でご自分の主張をしてください。
それから傍からみていると、 「信忠の母は生駒氏では無い」という主張に
固執している人たちと同じレベルで「信忠の母は生駒氏である」と
感情的に固執しているようにしか見えません。
生駒が信忠の生母でなないと主張する人の中には、
可能性の一つとして、生駒が生母ではないということも考えられる、
という意見もありましたが、
そのこともまっこう否定できるだけの確実な史料をお持ちならともかく、
そうではないのでしょ?信忠の生母の記載のない史料もあるのですから。
なんでそこまで双方が信忠の生母にこだわっているのか理解できませんけどね。
しょせん生駒は側室でしかないし、史実の表舞台には濃姫以上に出てこない人物
だから。
とにかく荒らし行為だと他人が感じるような書き込みはルール違反だと思いますよ。
253 :
バロン曽志崎:2006/12/17(日) 21:30:12 ID:HXeHx0Cw
>>252 >匿名掲示板で叩かれたところで痛くもありませんから。
中傷されて困る様な理由は無いから、偏見的な書き込みには臆せず異見する
と言っているまでです。
>しょせん生駒は側室でしかないし
「所詮」などという蔑視的な表現を歴史的人物にお使いになるような感情を
お持ちの方とは、健全的な意見交換は不可能でしょうから、不快なら敢えて
スレを上げたりせずにスルーして頂いたらどうでしょうか?
揉めたからってこっちに火を付けるのはどうなんだ。
255 :
バロン曽志崎:2006/12/17(日) 21:42:14 ID:HXeHx0Cw
いや、楽しい談義ならとことん見ますけどね。
NHK大河の「国盗り物語」が自分の初信長モノだったので
濃姫は好きなんだけど(松坂慶子、綺麗だったー)
史板のレスを読んでると、
最近は「生駒氏女」や「信忠生母」さんが気の毒になってきたw
身分・立場なら当の本人が一番わきまえていたことであろうし。
ただのつぶやきですんで、スルーして下さい。
土岐成頼─┬政房
├頼定(明智)
├頼尚(明智)┐
└元頼─頼連│
┌──────────┘
├明智光継┬光綱──────光秀
│ │ │┌妻木広忠 │└┐
│ │ │└妻木範熈─熙子..│
│ │┌妹 .│
│ │└武田義統 ...│
│ │ │ . │
│ │┌姉 . │
│ │└足利義昭 ...│
│ │ │
│ ├光信(山岸)─────千草
│ ├景行(遠山)(光安?)─秀満
│ ├光忠(小里)
│ ├頼房(原)
│ ├光廉(三宅)
│ └小見の方
│ ├──帰蝶
│ 斎藤道三 │
│ 織田信長
└土岐頼明─定明
├───定政
菅沼定広─娘
土岐成頼─┬政房
├頼定(明智)
├頼尚(明智)┐
└元頼─頼連│
┌──────────┘
│ 朝倉孝景
│ ├──────義景
│武田元信┬広徳院
│ │ ┌足利義昭
│ ├ └姉
│ ├元光┬信親 ├─元明
│ ├信豊┬義統
│ └信高├信方
│ └お牧の方
│ ┌─────┘
│ │喜多村保光─伏屋姫(光秀室)─喜多村弥平兵衛
│ │┌妻木広忠
│ │└妻木範熈─熙子
│ │ ├娘(秀満室)
│ │ ├娘(光忠室)
│ │ ├玉子(細川忠興室)
│ │ ├娘(津田信澄室)
│ │ ├光慶
│ │ ├定頼(筒井)
│ │ │
│ ├──────光秀
├明智光継┬光綱
│ ├光信(山岸)───千草(光秀室)─光重
│ ├景行(遠山)(光安?)─秀満
│ ├光忠(小里)
│ ├頼房(原)
│ ├光廉(三宅)
│ └小見の方(道三室)─帰蝶(信長室)
│
└土岐頼明─定明
├───定政
菅沼定広─娘
土岐成頼─┬政房
├頼定(明智)
├頼尚(明智)┐
└元頼─頼連│
┌──────────┘
│ 朝倉孝景
│ ├──────義景
│武田元信┬広徳院
│ │ ┌足利義昭
│ ├ └姉
│ ├元光┬信親 ├─元明
│ ├信豊┬義統
│ └信高├信方
│ └お牧の方
│ ┌─────┘
│ │喜多村保光─伏屋姫(光秀室)─喜多村弥平兵衛
│ │┌妻木広忠
│ │└妻木範熈─熙子
│ │ ├娘(秀満室)
│ │ ├娘(光忠室)
│ │ ├玉子(細川忠興室)
│ │ ├娘(津田信澄室)
│ │ ├光慶
│ │ ├定頼(筒井)
│ │ │
│ ├──────光秀
├明智光継┬光綱
│ ├光信(山岸)───千草(光秀室)─光重
│ ├景行(遠山)(光安?)─秀満
│ ├光忠(小里)
│ ├頼房(原)
│ ├光廉(三宅)
│ ├娘(斎藤利賢室)─斎藤利三
│ │ ├利宗
│ │ ├三存
│ │ ├福(春日局)
│ │ 稲葉一鉄─娘
│ │ (石谷光政室)┬石谷頼辰
│ │ └娘(長宗我部元親室)
│ └小見の方(道三室)─帰蝶(信長室)
│
└土岐頼明─定明
├───定政
菅沼定広─娘
261 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 18:05:54 ID:ryZAUsRi
バロン、あっちこっちで荒らしてんじゃねーよ。
少しは空気を読め。
>>247 まだ見てるかどうかしりませんが、一応答えると。
日本史学上、もっとも信憑性のない史料として「家伝の家系図」というものがあります。
この一言で察してください。母親の捏造どころか、もう死んでいるはずの人物が出て
きたり、存在しない創作上の人物を系図上に載せたりなんてザラですから。
263 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 10:36:19 ID:aJoYFfK9
塩河学長の家伝家系図には先祖が三法師を産んだと明記されているそうだ。
都合のいい家系図のみが家伝とされているんだろう。
え、塩川学長って、最初、信忠室「寿々」っていうのが、
三法師の生母の墓の「鈴」と一緒だって主張してたんだよ。
何で、いきなり生んだ記録が出てくるんだ?
あ、「寿々」ってのは、信忠の室って言う記載だけね。
266 :
バロン曽志崎:2006/12/19(火) 12:58:49 ID:mxH0PDCd
>>262 おっしゃる事は理解できますよ。
信忠の母親が別人という可能性も否定はしません。
ただ重々延べているように、信忠の母親に別人の名前が挙がっている資料が
あるならまだしも皆無の状態で「信忠の母親は生駒ではない」と史実として
断定するのは、史学という学問として認められるとは到底、思えません。
>>266 記録がなくても史実として認められる場合が、史学という学問でもあります。
それは自然法則を根拠とした推測が成立する場合。だいたい、歴史なんて記録
されていることよりもされていない事項の方がはるかに膨大なんですから、記録
の合間の不確定な部分を類推で補うことは普通に史学という学問で行われます。
というか、ぶっちゃけるとこの類推の部分にどれほど説得力を持たせられるかが
学説のキモなわけで。そのために史料、記録というものが活用されるのです。
逆にいうと、記録があっても自然法則からありえないと否定される歴史記録だって
たくさんあります。
この場合、信忠の母親の明確な記録はありません。しかし現存している記録から
自然法則に則って推測すると、生駒女の可能性はかなり厳しい。だったら、記録
に残っていない生母の存在が推測できるとなるわけで、根拠がないわけではない
のです。直接的な記録だけが史料ではないのですよ。
>>267 素朴な疑問なんだけど、「かなり厳しい」の?
武功夜話が偽書なら、「生母じゃない可能性もちょっとくらいはあるかな?」
って、程度だと思うんだけど?
269 :
バロン曽志崎:2006/12/19(火) 18:34:48 ID:mxH0PDCd
>>269 今、史板であがっている「自然法則」の論拠になっていると思われる資料は、
見ている限り「夜話」が元ネタのものや「土田家の記録」などばかりです。
正直、私には系図資料等と五十歩百歩の資料ばかりだと思うのですが?
270 :
バロン曽志崎:2006/12/19(火) 18:37:01 ID:mxH0PDCd
271 :
バロン曽志崎:2006/12/19(火) 18:38:42 ID:mxH0PDCd
272 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 21:05:14 ID:RDoJC4vr
いいかげんバロンうざい。
他スレで自分がなんでうざがられたかちょっと考えてみろ。
そんで二度と濃スレくんな
何もバロンだけが悪いわけじゃなかろうに・・・。
批判・指摘レスは全て荒らしとなってしまう風潮の
流れにもいささか問題ありだと思うがな。
濃姫のスレ。
土田だの生駒だの三法師さらに塩河まで持ち出して揉めてるのがおかしいわな。
史板の濃姫スレ、読んでるだけでちょっとうんざり。
信長の、正室側室関係全部ひっくるめて話したい人もいるんだろうけど、
だったらもう少し、建設的に話せばいいのに。
建設的とは例えばどんな?
例えば、武功夜話にでてきた土田弥平次の後家という事に仮定すると
妊娠期間の計算上、信忠生母として矛盾する。
また、濃姫の輿入れ前に信忠を生んでいたなどとするのは、
当時の奥の慣習からおかしい。
だから、武功夜話の吉乃の記述は創作。
というのはいい。
だが、そこから何故、武功夜話の創作だけでなく、
生駒が信忠の生母はかなりの確率で否定されたと短絡的になるのか?
否定されるには、その他の新たの証拠が必要で、今分かっている文献の
状況的には、信忠生母は、広く知られていなかった程度ではないか?
これは、濃姫の養子になって、濃姫勢力が側をかためていた為、
生駒生母すら、知られていなかったのか、
生母が知られる前に亡くなるなどして、知られていなかったのか、
という事までは、判断できないから、そこを考えるのならいいんだけどね。
278 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 08:46:30 ID:15V4P9s5
なんでこっちまで飛び火させてんだよ!
自分で好みのスレたてて思う存分勝手にやれよ!
えらそうなこと書いてもやってることが迷惑行為だから
説得力がまったくねぇよ。
いつも思ってたけど、あんたの書くこと論点からずれてるし。
ずれてるくせに一方的に断定口調で感じ悪く書き込んで、
痛いところをつかれると今回みたいに荒らして、最後は逃亡。
それと口調が独特だから、無記名で自作自演してるのもバレバレだよ。
279 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 08:54:55 ID:15V4P9s5
>>278はバロンのこと。
>>277 よく読めば?そんな考察何人もしてるじゃん。同じようなこと
書いてあるよ。生駒が一身に寵愛を受けていたことも嘘なら、
信忠の生母が即生駒と考える必要がなくなったってこと。
全否定派は第三者の立場で記した史料には生駒が信忠生母だと
記されていないのだから、そう解釈する人がいるのもある意味仕方がない。
生駒が寵愛を一身に受けてたという武功夜話以前から
信忠生母は生駒だったじゃない。
281 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 09:19:43 ID:15V4P9s5
武功夜話以前の庶民の認識をなぜそう断言できるの?
半信半疑だったけど、武功夜話のせいで生駒に当確、という
認識になったとは思わないの?
それは思わないな。
それこそ、信忠生母は各種系図、徳川家書簡などで確定と思われていて
武功夜話でも信忠の生母だという事が新たに確定した事なんて言われてない。
むしろ、単なる側室だと思われていたのに、正室格扱いなどの方(それも加来氏や
遠藤周作氏や小和田教授の意訳や独自解釈のせいだが)ばかりが、話題になってた。
今さら3子の母親だなんて当たり前の事、武功夜話が話題になった当初だって
誰も取り上げてもなかったさ。
>>282 >今さら3子の母親だなんて当たり前の事
今さら3子の母親だなんて当たり前の事と認識されていた事 の間違い。
284 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 10:32:52 ID:15V4P9s5
>>282-283 それは君個人の意見だろ?
可能性として半信半疑だったということを何を根拠に破棄できるんだい?
江戸時代に生きていたわけでもないくせに当たり前なんてよく言えるなw
信雄以外の庶流の織田家ではどうなんだ?
意見でも聞いた事があるのか?
濃姫の話しようぜ。
>>284 >江戸時代に生きてたわけでもないくせに当たり前なんてよく言えるなw
売り言葉に買い言葉なんだろうけど、
それをいったら学者や研究者までもがみな講釈師になっちゃうよ。
個人的意見じゃないというなら、武功夜話が発表された当時の記事に
生駒氏が3子の生母で確定!!なんて記事はあるのかどうか調べてきたらどう?
そんなの見かけた事すらないけどね。
3子の生母の側室が、実は正室扱いだった!!みたいな論調は
見た事あるけどね。
>>2871行目が抜けたな。
>>284 武功以前に、3子の母が生駒と認識されてない史学なんて個人的意見じゃないか?
濃姫の話しようぜ。
>>289 ごめん、もうやめるわ。
必要以上に生駒生母を否定する御仁に、ちょっと熱くなってしまった。
291 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 15:21:23 ID:4VAvLS5W
>>287 >個人的意見じゃないというなら、武功夜話が発表された当時の記事に
>生駒氏が3子の生母で確定!!なんて記事はあるのかどうか調べてきたらどう?
>そんなの見かけた事すらないけどね。
あんたが見たことないだけだろ?
歴史マニア本を全部目を通したのか?
そういう偏った意見が個人的見解というんだよ。
>3子の生母の側室が、実は正室扱いだった!!みたいな論調は
>見た事あるけどね。
正室扱いなら織田家の菩提寺に葬られ、信忠が喪主をつとめ、
もっと立派な戒名もらってるだろうさ。
そういう側面から真偽を考証してないのも困りもんだな。
>>291 他でスレ立ててやれ
単に荒らしだおまえら
293 :
バロン曽志崎:2006/12/20(水) 17:09:48 ID:9VtTxmUx
>>278 上にも書きましたが、匿名掲示板で攻撃されても痛くもありませんので、別に
名無しで荒らしたりしません。
いい加減、わざわざ出張してきてこちらの書き込みまでチェックしていただか
なくても結構ですよ。
文句は自治にでも言って下さい。IPでも調べてもらえばいいじゃないですか?
今まで信忠は生駒の子だと思い込んでて疑ったこともなかったけど
違う可能性も0ではないんだな。
確かに嫡男の生母の実家にしては生駒家は影が薄いし。
「濃姫には子供がいない」ってのも思い込みかもしれないし
何にしろ、色んな可能性を考えた方がいいってことだな。
295 :
バロン曽志崎:2006/12/20(水) 21:17:05 ID:2TIGHWZ8
ちょっと、スレ違いですが、某所で話題が出たので。
「信長公記」の古写本の一つ「安土日記」に「三州岡崎三郎(信康)殿逆心の
雑説申候、家康ならびに年寄衆上様(信長)へ対し申し勿体無く御心持然るべ
からざるの旨」の記載がある事が発表されてから、信長が信康の殺害を命じ
たという説は疑問視されています。
「家忠日記」によれば、信康が自害(天正7年9月15日)する一年も前の天正6年
9月の時点で家康は家臣らに信康の許へ出仕する事を注意しており(9月5日条
「岡崎在郷無用之由、被越仰候。」、22日条「吉田左衛門尉(酒井忠次)所よ
り、家康各国衆岡崎在郷之儀無用之由申来候。」)、徳姫が徳川家を離れる
のも、信康自害から半年も経っての事です(同書天正8年17日条「おハり(尾張)
御新造(徳姫)様、美濃江一円ニ御越候とて、浜松(家康)殿岡崎江御越候。」、
同月20日条「御新造様送りニ、尾州おけはさま(桶狭間)迄越候。」)。
信長や徳姫が主導したならば、自害後、早々に実家に戻った方が自然でしょう。
関ヶ原後、尾張に入封した松平忠吉が、生駒家の旧知を安堵し(慶長6年松平
忠吉朱印状)、生駒利豊(徳姫の従兄弟)を尾張衆として召し出した事からも、
信長・徳姫の策謀とは考えづらいでしょうか。
バロンさん、よろしかったら松姫スレの方に書き込んでくださいませ。
>>295 やっぱり、信忠無能説が幅を利かせていた為に、
それらの文献の検証が、進まなかったのが痛いですね。
歴史作家といわれてる人々も、ただの過去記事の踏襲で執筆するしね。
299 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 11:48:58 ID:tPGHfh43
>>295 表向きは武田との内通があったと思われる妻子を
家康の裏切り行為ということで処罰した、というあくまで徳川家の問題だから
五徳が早々に立ち去る理由もないし、正室として葬儀や
法要をすますまでは嫁先にいても不思議じゃないと思う。
実家に戻る際に家康のところに立ち寄ったり、徳川家で後年信雄を改易した後に、
信雄の世話になっていたであろう五徳のために所領を与えたりしてるから、
そのあたりからも五徳はこの件に関してはなんにも後ろめたいことはないと思う。
基本的に生駒家は家柄が低いんだよ。
吉乃が濃の実家の家来の嫁だった事で室に入れただけ。
濃の家来が代わりに生んだという意味合いしかない。
それぐらい織田家の奥を濃がきっちりコントロールしてたんだろう。
301 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 10:43:11 ID:9ZHwJBqY
>>300 そいうことを書くとまた感情的にいきりたつ人が約一名いるからさw
生駒家の家柄がたいしたことないのは誰でも知ってるし。
302 :
バロン曽志崎:2006/12/22(金) 12:41:38 ID:zWYEzev7
あいも変わらず粘着な連中ですね。
あんたらは濃姫が「未だ氏素性も解らない成り上がり者の小娘」とか書かれ
る事が荒らし行為に当たると思わないの?
だから姫スレの連中はウザがられるんだよ。
確かに道三は「未だ氏素性も解らない成り上がり者」だな。
子供の頃、明智の姫と呼ばれてたというのは、あながち創作でもないかもな。
成り上がり者とされるよりも、名門明智の方を強調した方がよいという事だな。
304 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 13:54:20 ID:9ZHwJBqY
未だ氏素性も解らない成り上がり者でも美濃国主の姫で信長正室
>>>越えられない壁>>>
素性はっきりだけど地方土豪あがりの娘でただの側室
どんなに濃姫を落としいれようとあがいてもしょせん側室だしね、残念だねw
>>304 もう、いい加減にしなよ。
そんな風に煽ってるのを見るのは、正直いい気分じゃない。
バロンさんが生駒家に執着してるというよりは、
あなたの方が生駒家排斥に執着してるように見える。
306 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 14:05:02 ID:9ZHwJBqY
自作自演って、自分に否定的意見だと、全部バロンさんなの?
308 :
バロン曽志崎:2006/12/22(金) 16:20:47 ID:zWYEzev7
図星だったからムキになって書き込んでいるんでしょう。
史板の方で好き勝手やってればいいのでは?
バロンみたいな煽り屋が来るとスレが荒れるんだよな。
面白がって怒らせようとわざと煽り返す奴も出てくるし。
どっちもいい加減にしてほしいよ。
310 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 18:33:51 ID:9ZHwJBqY
釣ってみたら、見事釣れたのが笑ったw
濃姫の話をしたら?
314 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 01:25:17 ID:yqRPwsBw
>>312 誰が見てもあっさり釣られて方が負けだろw
残念でしたw
史板で荒れてると言われてたが、なるほどね
史板の正室オタはこいつなのか
正室も側室も、みな動乱の世を懸命に生き抜いたであろうのに
317 :
バロン曽志崎:2006/12/23(土) 10:18:26 ID:IVbaki+u
「言経卿記」の記述はこれね。
天正10年1月25日条 ※[]は補書。
「白川(雅朝)女中ヘ、平家二巻カナ書之遣了。前右府[信長公、]妾[御ナヘ、]
ヨリ内々堂上少々被申云々。」
同年5月12日条にも同じく「御ナヘ」とある。
319 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 17:21:20 ID:ECcRPA/w
遠山家の娘を養女にして織田家に輿入れさせたらしいね。
津島港の管理で莫大な富を得たが、所詮は素性の知れぬ守護代の庶子。
土田家の土田城は、木曽川と飛騨川が合流する木曽川流通の上流の拠点。
その土田家と下流の荷受地津島港管理者の間で縁組を繰り返して生まれたのが信長。
血筋の悪い織田家が、ようやく名家を向かい入れたのが明智の娘の娘の濃。
これでも織田家では断トツで由緒ある家柄の娘で、清和系源氏の血筋。
しかし、子供が生まれず、結局土田家の後妻の生駒を向かい入れる事に。
元明智家の家臣の土田家の後妻と言う事で、明智の娘と呼ばれた濃も奥の管理上好都合だった。
ちなみに信長の母の土田御前は、弟の信行を跡取りにしようとして失敗し奥での力を失っている。
濃は家来に子供を生ませ、それを養子にする形で嫡男をゲット。
結局、信長はその後も武家の名門の血筋との婚姻が出来ず、
家督争いは信忠一人勝ち。
その信忠も、武家の名家の血筋とは婚姻できず、嫡男の秀信も土豪の娘の子供。
結局、親子2代で武家の棟梁の源氏の血筋を入れられなかった事が、
織田家が幕府を開けない大きな要因になった。
>>318 (言経が)白川の女中へ、仮名書きの平家物語二巻を持ってった。
前右府(信長)の妾御ナヘ(お鍋)より内々に堂上に対して申されてたことである。
ちなみに5月12日は
(言経は)白川妻より平家(物語)9巻の書写を依頼される。
先日書写した前右府(信長)妾御ナヘ(お鍋)のためだとのこと。
>>322 サンクス。よくわかりました。
山科家っていうのは、平家物語や源氏物語を保管・管理する仕事だったんですかね?
それで、依頼を受けて書写してやるのは、内職なのかな?と思いました。
なかなか甘くないツンデレ野郎であった。
>>323 公家の家格と職掌が確定するのは後白河院政期からと言われるが
山科家のそれが確定するのは教言の時代で、摂家に比較して新しい部類だな
最初に山科が家職として獲得したのは楽所別当といわれる宮廷雅楽を司る令外官
山科は特に後小松天皇から直接相伝された笙を継承してる。
次に獲得したのが内蔵頭とそれの兼帯官である御厨別当
御厨は帝に食事を饗応する令外官だが山科にとってはこれが一番大きかった。
これらの職が管掌する土地を完全に私有化ししかも禁裏に出入りする食材業者の専売権を
牛耳ったものだから室町を通じて中々裕福だったみたいだな
>>323 >山科家っていうのは、平家物語や源氏物語を保管・管理する仕事だったんですかね?
>それで、依頼を受けて書写してやるのは、内職なのかな?と思いました。
で、この辺なんだが朝廷側の武家との窓口は三条西・西園寺などの伝奏や故実家や
中原・壬生ら太政官外記局の地下ら実務官僚が思い浮かぶが山科はどれにも該当しない
言経がなぜ信長や家康と親交を深めパシリみたいなことが出来たかといえば
父言継の存在がかなりでかかったのだろうな。
言継は朝廷への寄付金集めに諸国を漫遊し、信秀信長親子や平手政秀・美濃蝮に今川義元・氏真
そして家康とも面識がある。この時期公家個人のつてやコネを生かして武家と交流を持つのは
そんなに珍しいことではないなあ
あと中野区には良い中野区と悪い中野区と中野に住んでない中野区がいるので注意wwwww
むしろ、コネを結んだ相手が京の支配者になった(だから重宝された)、ということじゃないかな
吉田兼見のように裏目に出る場合もあるから正直素人にはおすすめできない
しかし濃姫がポコポコ男の子を産んでいたらこの国はどうなっていたんだろうな?
>濃姫が道三の言う通り隙あらば信長を暗殺しようとする
こういうストーリーの小説かドラマってあるのかな?見てみたい。
信長とラブラブの良妻というストーリーの方が多いからね。
個人的には、マザコン信長は吉乃と仲良くしてもらって
蝮の娘で才女の濃姫とは反りが合わないという設定の方が好きなんだけど。
>>331 そりゃ無理だろ。
武功夜話の記述が嘘ばっかりなのはもうバレバレだし
吉乃が実質側室だったのは、どうやら3〜4年間だけの様だし、
信長の49年の人生の中じゃ、通り過ぎた側室の一人。
生んだ子供だって、濃姫の養子になったから嫡男なんで
養子じゃなかったら、後々まで跡目競争に巻き込まれてて
嫡男になったかどうかも怪しい。
あと、信長が正妻を大事にしていた文献は残ってるし
言継卿記の信長本妻の出てくる壷事件を見れば、
濃姫が信長に影響力大なのは見て取れるし、
ごく普通に、大名家の当主と正室の関係性を保っていると見るべき。
まして、御台出産の記事が事実だとしたら、結婚後20年近く経っても
SEXしてたってことになるんだから、気が合わないも何もないってことになるしな。
>>332 小説やドラマは創作の世界なんだから、あってもおかしくないだろ。
現に光秀と濃姫恋仲ストーリーは結構あるよ。
光秀と濃姫恋仲より、信長と濃姫不仲の方がよっぽど信憑性高いと思うけど。
このスレって、吉乃が出るとやたら攻撃的になるね。
自分は道三と濃姫は好きだけど、信長が生理的に嫌いなんだよね。吉乃はどうでもいい。
>>333 あってもおかしくないけど、大河ドラマで散々やって嫌がられたからね。
下天は夢かとかも、そういう設定だろ?
吉乃が出てくると攻撃的というより、壮大な創作武功夜話が既にあるじゃない?ってことさ。
吉乃と仲良くって話なら、武功夜話ベースになる訳だし、武功夜話のパロディなら
武功夜話読んどけって感じだろ?
武功夜話以外で吉乃の事が分かる文献なんてないんだしさ。
335 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:12:16 ID:k0xYgcdh
>>333 視聴者や読者は宿敵だったマムシの娘にてなづけられている信長像がよいのさ。
舅を助けるために軍をだしたり、舅から美濃を譲られるほど頼られたあたりがこれまた
興味深いところ。夫婦仲が悪かったらこのおいしい展開をスルーしなきゃ
ならんじゃないか。
側室なら吉乃よりもお鍋の方のほうが愛されていたかもよ。
連れ子も優遇して小姓に取り立てているし、出会いが濃姫経由でなく、
信長が気に入って側室にしたんだからさ。
信孝の生母もお気に入りかも。
出自が低い割に、信孝の事を信長は出世させてる。
>>335 お鍋の側室に入った経緯はよく分かってなかったはずでは?
信長から小倉と呼ばれていた事から考えると、
嫁ぎ先の小倉家経由で奥に上がったと考えられるが。
337 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 20:11:44 ID:6c1K9jvt
>>336 なんだ通説の信長の尾張へ帰る道案内をしたお鍋の夫だった小倉右近太夫が
佐々木義賢によって切腹させられ、それを知った信長が気の毒に思い、面倒をみる
うちにどうのこうのではなかったんだ。
お鍋の方は信長死後なんとなく濃姫の逆なでするようなことばかりしているから
敵対心を持ってたんだろうか?
339 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 22:20:21 ID:rl6aAppG
お鍋の方と関連した俺の話を聞いてくれ。
うちのウサギは♀なのに、
ウサギの人形を与えるとまるで♂が交尾してる時みたいな体勢になって
脚が震えているんだ。
これは何をしているんだい?
不覚にも吹いた。
341 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 21:27:47 ID:UbLozsL6
というか、信長ほど徹底した能力主義者だと
「この女が産んだ子が可愛いからちょっといい地位にしてやるか」とか
実際他家ではあったんだろうけど、寝所で側室に
「お殿様ぁ・・・うちの弟が仕官先を探しているのですけれどぉ・・・」
みたいなおねだりが一切通用しないような気がする。
信孝が織田家でいいポストにつけたのは単純に彼が優れていたからでは?
唯一例外というか、「嫡男」という特殊な地位につけなければならなかった
信忠に関しては、正室腹という体裁を整えているけれど・・・。
>>339 単純に盛ってる状態です。
雌同士でもそういう事しますよ。
そういえば、お鍋って、秀吉の手紙の宛名などでも
「小倉なへ」なんだよな。
普通、この時代の女性は実家の姓を名乗るのに
鍋はなんで婚家の姓を名乗ってるんだ?
343 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 17:44:18 ID:CTPEvuCN
344 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 22:46:44 ID:sD0FHqf+
お鍋の方は小倉三河守女説もあります。
お鍋の方は小倉の家臣が相談し信長に送ったと言われてます。
345 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 09:40:59 ID:rbGUDQ50
>>344 お鍋の連れ子が信長の小姓になっていたというのはガセなのか?
>>344 秀吉が書いた「小倉なへ」宛ての手紙があるという事は、
お鍋は小倉女だと考えた方が自然だな。
信長も、ねねへの書状の宛名は「杉原」ってねねの実家の姓だしな。
>>345 小姓かどうかは知らんが、家臣にはなってるね。
本能寺で一緒に討死しとる。
347 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 10:00:31 ID:rbGUDQ50
ということは、お鍋は小倉家が実家で、後家となって実家にいたところを
なんらかの事情で信長の側室になった、ということが考えられるということか?
これって生駒とまったく一緒の境遇なんだけど・・・
夫の小倉右近太夫が佐々木義賢によって切腹させられ〜という話はどっから
わいたんだろう?というか、なんでこの話が真実として語り継がれているんだ?
信長は、側室は子供を産ませるために必要と考えていただろうから
後家で子供を産んだ経験がある女性は、条件にかなっている。
家康も、天下を掌握するまでは、後家を側室にして子供を産ませているし。
持ち駒としての子供が必要な時代には、そういう風潮があったのかもしれないな。
また、経産婦なら、婚姻した事もなく側室に上がった女性よりも
子供を確実に産める可能性が高いし、だから史実に残りやすいという構図かもしれない。
処女のまま側室に上がって、子供を産んでいない女性などがいても、
歴史には残らないからな。
また、生駒もお鍋も、秀吉といくらか関わりがある。
生駒家そのものが秀吉の与力で譜代だし、関ヶ原で家康側に「も」ついて生き延びてる。
お鍋も秀吉の法要に出席して、信長の後継者という権威付けに貢献している。
秀吉が天下を取ったから、その2人が目立っていると考えると、
スタートラインをフラットにしてみたら、信長の側室としては、
それほど飛び抜けていた訳でもないのかもしれない。
複数の子供を産んでいる側室が、他にいたとしても、特定されていないから残っていないしな。
もし本当に、お鍋が信長の奥で力があったら、信雄が知行を与えていただろう。
秀吉の庇護下に入ったのは、織田家から捨て置かれていたからだ。
信雄の分限帳を見れば、織田家で重きを置かれて当然の女性には知行を与えているからな。
349 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 12:43:50 ID:FHFuLS0O
>>348 >>織田家から捨て置かれていたからだ
というより、最高権力者である秀吉になびいたんじゃないか?
織田家についてもお鍋も子供達も厚遇はしてもらえないだろうからさ。
そのあたりにもしかしたら正室への対抗意識があったのかもしれないけど。
信高の母で、小倉の娘が信長死後近江の方の城で
不遇に暮らしているのを秀吉が偶然知り、引き取ったというのが
近江國輿地志にどこかの城史として載っているたから
(今手元にないから詳しくは書けないが)
とりあえず、信長の死後すぐは、捨てておかれたのだと思う。
351 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 18:50:42 ID:ROJyAwrn
秀吉主催の信長の葬儀に出たことで、織田家の人たちの怒りを買って放置されてたとか
それはないと思う。
土田御前も出席しているから。
353 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 20:30:07 ID:Z0CihqJM
史板の濃姫スレ、なんかヤバイことになりそうな感じがするのは自分だけ?
354 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 20:47:59 ID:IjNqVbK2
なんか日本史板って変な所だな。
普段あまり行かないから余計そう思うのかもしれないけど。
>>353 やばいというよりあのスレを何かオカシイと思っていた人間達の我慢が
限界に来た結果みたいだったな。
よくよく考えてみるとあのスレが存在すること自体がある意味わがままでも
あるんだがそんなことは気づきもせず、図々しく居座り続け史板にしては
異例の速さで3スレ目だからターゲットにされても仕方あるまい。
かといって意見されたこととかについて反省するとか考えようと
するわけでもなく、嫌なら来るなだのどう使おうが勝手だのだからね。
これで濃姫は信者がウザイ武将・姫に仲間入りを果たしてしまっただろうな…orz
356 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 13:25:15 ID:179lHS89
あちらには以前現れた基地外が再び降臨している模様
357 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 22:56:30 ID:k25BBCfx
>>353 っていうか、自作自演が多かったのが明らかだからだと思う。
質問者俺、回答者俺、で濃姫の認識を世間に広めたかっただけじゃないかと。
だから異様な書き込みが連続して続き、wikiやらヤフー掲示板やら
はたまた一般サイトのBBSでも同じ話題同じ内容を書き込まれているの見たことあるし、
ミクシィでも同じ内容がほぼ同時期に書き込まれている。
書いてある事は確かに一理あるし、濃姫を深く調べなおすのは賛成だけど
自作自演っぽいのが続いているなとは自分も思っていた。
あっちもこっちも自作自演ばかりだな。
あげてるのか、下げるの知らないのか、自作自演は專ブラ使ってると丸分かり。
自作自演は多いだろうけど、こんな誰が書いたかわからない匿名掲示板で
「新規さんは多分ほぼいないと見て間違いないと思う」とまで言い切るのも
電波だなと思った。
>>355 あのスレの奇妙さは何か独特だったよね。
好きな歴史人物ならばこそ冷静に検証すればいいのに
あれもこれもみーんな濃姫路線に偏っている人が多い。
戦国女性好きとして、平明に考えて疑問を投げると
すぐに他の側室厨とされてしまうので、
書き込むのを躊躇してしまうよ。
>>360 自分も新規さんってあまり居ないような印象があるけどね。
「新規があまりいない」と「新規がほぼいないと見て間違いない」は大違いじゃないか。
統計がとれるわけもないのに自分の印象根拠の決め付けは、それこそ偏ってると思っちゃう。
ふと思ったけど、自分の信じる説を広めたい為に
A「側室は当時の決まりでは絶対正室にはなれないよね」
B「じゃあ生駒も小倉も側室のままだったんだ!」
C「あの当時は正室と側室は雲泥の差があるから(以下略)」
D「じゃあ○○は側室がやったと言われていることだけど、ちがうのかな?」
E「それは側室では○○だから絶対有り得ない」
F「じゃあこんなのが出てきているけど、濃姫なんじゃ?」
G「側室やったなんて有り得ない。これは正室の仕事。これもあれも濃姫なんだよ」
という複数っぽく見せたやり取りを一人、もしくは二人か三人くらいで
出来レースにのっとってしたのではないかと。
新規さんがいるような気は私もしないし、この話題の時だけ住人が一気に増えるし。
364 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 16:42:42 ID:cd+AYmIq
>>363 異存、異論があるならどんどんぶつけていけばいいじゃないか?
側室でも正室代わりの立場で家の采配をふるっていたとか、
側室の立場なのに正室がやるようなことをしていた例とか、
戦国大名の中で正室の定義を覆すようなことをしていた女性を
みつけてどんどん書けよ。
過去において一つでもそういった例があれば
>>363の理論も
崩せるだろ?両者のそういったやり取りがあって、そこにまた新たな展開
があるかもしれないし。
偏っているように思えてもそれが事実であれば誤った認識が蔓延するよりも
正しい認識が広がる事は喜ばしいことではないかな。
仮にそれが自作自演の成果だったとしても、事実が認識されることに
なるのならばなんの支障もないだろうに。
それと自作自演の成果で広まっているとばかりいえないと思うよ。
それなりに信憑性が高く、今までの認識を覆すだけの説得力があるから
広がっていったのだと思うけどね。
365 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 16:56:21 ID:sPvX5Oc6
>>364 前、異論というか疑問?を投げかけたことはあったんだけど、
「生駒厨」「バ○ンまたきたのかwww」と言われて終わりましたよっと('A`)
ただあそこ読んでてトリビアだったのは
「側室は正室になることもない」っていう事だな〜。
「胎は借り物」とは知っていたけど、実質淀殿の例もあるし
実母が権力を握ってしまう事がよくある事だとも思っていたので、
「正室>>>超えられない壁>>>側室」であり、
正室を押しのけて側室が権力握ったりする事は有り得ない
とみんな知っていた事が驚きだったw
みんな戦国時代の奥なんてどこで調べるんだろう・・・。
366 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 16:59:38 ID:zrCPwteq
出張お疲れ様です
>>365 どんな内容の文章で生駒厨扱いだったの?
説得力のない内容だったら厨扱いされても仕方ないよ。
>>363 出来レースっぽいのかも知れないが、
戦国時代の常識から逸脱した論議はない様に思う。
だから、スレ消費も激しいし、荒しもいるけど、
根っこの部分の議論は、まっとうだと思う。
自分はとある史学関連の研究室にいるが、
学閥的に言ってはいけない制約があって(破ると食っていけなくなりそう)
そう意味で、在野の研究者、例えば岡田正人氏などの
濃姫研究をしている人に、スレ内容を見てもらって
しがらみから離れた所で発表してほしいと思う事もある。
発表したら、養華院殿の時や藤本、鈴木両氏の武功や和議諸説の
時のように、史学界から、一斉に否定のバッシングがあるんだろうが。
自分の様な立場の人間も、カキコしてるんじゃないかと思う。
平日の昼間にカキコ出来る様な人間は、同じ穴のムジn(略
369 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 17:13:44 ID:sPvX5Oc6
>>367 よく覚えていないけど・・・説得力あるないという問題じゃなくて
単なる「疑問」を書き込んだだけだった気がする。
その時流れていた話に対して「自分はこう読んだんだけど、違うの?」
みたいな感じで。
そしたら「また生駒厨か」とか言われて('A`)
どっちかって言うと、濃姫マンセー側の人間なのにな、自分は・・・w
>>369 色々学会もお約束があるんですねぇ。。。
誰か大々的にコレ発表して欲しいって気持ちは私もあるけど
難しい問題なのかな、やっぱり・・・。
そう考えると、光栄のゲームはいろんな武将に焦点を当てたことで、
風穴を破った感じがするな。
決戦3の帰蝶さんは凛として素敵ですなあ。
実際の帰蝶さんはどんなひとだったんだろう。
ここは冷静に質問できるようなので、知っている方がいたら
教えていただきたいのですが。
戦国時代に限らず女性の詳細はつかみにくい事ではあるのだけど
特に織田家は女性に関しての記録が少ないことを
家風としてそういう流れになっていた、的な発言(うろ覚えです)が
織田家の末裔の方からあった、とどこかのスレで読んだのだけど
どの位置の方がどんな場面で発言されたのでしょうか。
フリーライターの織田孝一氏(織田信雄の子供の高長の子孫)が
テレビの番組で言っていたように思うが、著書の中だったかもしれない。
>>372 ありがとうございます。旧子爵家の方ですね。
信長の閨閥関連についての、何か具体的な質問に対する
回答であったのだったら、その質問の内容にも興味があります。
謎の多い信長妻妾について、子孫筋の見解ということにもなろうし。
(その見解として「史料が少ないので何とも言えません」だったのかな?)
でも信長についての話題や謎は世間に大量に流布してるので
妻子の実際といえど、子孫筋にとっても重要事項でも無いのかも。
また、外部に出さないお家のことも無くはないでしょうしね。
375 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 17:05:47 ID:I9Au12Hz
そうか
376 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 22:14:47 ID:kLDyoGIc
一昔前の話かも知れないが
帰蝶の輿入れ後の消息が不明なことから
輿入れ後すぐに死去したとか果ては実は輿入れしてない
のではないかなんて説があるようだが、これは明らかに
違うよな。
なら信長と斉藤道三の会見は何だったのかということになるし
道三が死に臨んで美濃一国を婿の信長に譲ると言った話も
宙に浮く。
377 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 20:12:39 ID:66qy/3gR
>>376 それは偽書「武功夜話」だと吉乃が正妻もどきにおさまっているので
正妻の濃姫に消えていただかないと辻褄が合わなくなるため、
死んだ、あるいは離縁されたと勝手な臆測がなされていただけ。
「武功夜話」が偽書と断定した以上は濃姫が亡くなったという記録がないのだから
濃姫は信長死後まで生きて、同じ墓所に眠っているという現在の説に
なんの矛盾もない。
それに濃姫がわざわざ信忠を養子にしたのは、嫡男問題だけが理由ではなく、
美濃を統治するにさいしての正統性を持たせるためのものだし、
そうなると美濃攻略後まで濃姫は生きていた、ということになる。
378 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 20:29:04 ID:8dCWRnaX
>>376 それが全部武功のせいでもないんじゃないの?
自分は武功信者でも何でも無いけどさ、
ひと昔、ふた昔前は単に研究や史料の検討がされていなくて
作家なんかが昔ながらの説(説というより憶測)を踏襲して
疑問も持たずに書いてただけというような気がするけどね。
379 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 17:22:05 ID:eQD34D9X
>>378 70年代の頃までは「信長正室は濃姫」という事実だけしか問題にされていなかった。
その後いつ亡くなったとか、離縁されたとかいう論議や臆測すらされてなかったよ。
だから想像たくましく濃姫がなぎなたふるって本能寺の変で夫とともに討ち死にする、
なんていうストーリー展開も可能だったんだと思う。
武功以降は吉乃が正室におさまったかのようなことが史実と思われてしまったので、
濃姫が早々に亡くなった、離縁された、夫婦仲が冷め切って別居していた、という
突飛な説で辻褄合わせをする必要に迫られ、そんな説が主流になってしまった。
380 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 18:12:49 ID:W3DuzSXj
家のしきたりで代々生母に関してはあえて記録を残さない家もあるという。
側室の出自の問題とかいうより、家は男系で継続するから関係ない、という考えらしい。
西国の某大名家では側室が産んだ子供は早々に取り上げてしまい、
生母は奥から下がらせてしまったそうだ。
正室であっても、幕末まで続いたような名家の出身でもなければあえて
足跡を残す家のほうが少なかったのではないかな。
381 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 08:11:03 ID:awvYgQyD
道三の入れ知恵で、帰蝶が信長とのセクースを逐一書き送り、
それを読んだ道三が「こやつは只者ではない」と尾張侵攻を見合わせた
382 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 14:52:07 ID:u+aC/sQa
義龍に言った「お前たちは信長の門前に馬をつなぐことになるだろう」という台詞は、
何も本気で言ったわけではなく、信長の絶倫ぶりにひっかけたジョークだった。
ユーモアのセンスがなかったために、それを真に受けた義龍が謀反を決意。ひどい誤解
383 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 20:36:38 ID:yNOB/XQZ
>>382 親父のジョークも読めねえようじゃやっぱり駄目じゃねえか
384 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 22:06:29 ID:ia41n2WP
義龍は早死にしなけりゃ相当なもんだって
土岐氏からよくあれだけの大物が出たよな
本当はやっぱり道三の子だったんじゃないの?
385 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 02:46:47 ID:UBnlSPOc
義龍がもうちと長寿だったら信長の美濃攻めも
その分遅れただろうし
下手したら歴史は変わってたな
386 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 13:47:46 ID:spoQnlPp
新刊「織田信長総合事典」を読んだら
帰蝶は離縁ないし死亡していて生駒氏が
正室だったなどと書いてある。
「武功夜話」によるととか書いてあって偽書説も
知らないのかと呆れた。
新人物社の本ならさもありなんか。
387 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 22:54:13 ID:hB7sROKG
道三が死んで帰蝶との政略結婚の意味がなくなったので
離縁したとかいう意見もあるが、美濃一国を婿の信長に譲ると
いう道三の遺言を知らないのだろうか?
離縁したら美濃領有の根拠がなくなってしまう。
がそんなことがなくてもその後多くの国を平定した信長なので
そんな根拠はいらないとでも言うのか。
388 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 01:10:27 ID:RbXOzUyQ
>>384 >>義龍は早死にしなけりゃ相当なもんだって
そうか?
信長がてこずったのは事実だが、義龍が当主になってからは
美濃内外からボロボロだったぞ。
宗教がらみの争いが長引き、浅井に攻められ、家臣の離反が相次ぎ、
嫡男教育もちゃんとしてない。
元々斉藤家を良く思わない国人衆と土岐派とも反道三ということで
利害関係が一致しただけで、道三を討つところまではよかったが、
その後の美濃の統治はまったくいいところはない。
ところで義龍は稲葉良通の姉だか妹だかと道三との間にできた子供で
深芳野の子は早々に一色を名乗った三男喜平次ではないか、という説もある。
389 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 21:05:27 ID:SocKnqtX
取り合えず去年の大河のような
「本能寺で信長と共に討死」なんてフィクションは
これ以上広めるのは止めるべきだ。
死んだのがそれより前か後かははっきりしないが
これがウソなのは明白だからな。
390 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 19:32:38 ID:qZq9O0se
(((^_^;)
391 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 23:11:42 ID:CASKpZT+
濃姫がいつ死んだのかはわからんが
毒苺という言葉に俺の股間センサーが反応したのは間違いない
392 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 23:38:03 ID:XkoZ+ktU
>>389 濃姫が本能寺で信長とともに亡くなったというのは
歴史小説での定番スタイル。史実でないことは書いてる本人も知っているし
見ている方だって信じてないよ。
まむしの娘に生まれ、魔王の愛された女に相応しい最期だから
嘘だとわかっていながらやっぱりいいもんさ。
393 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 14:39:13 ID:3qQ3yHPj
武功夜話にも吉乃が正室になったなんてこと、一言も書かれてないのにな。
武功夜話の中でも、あくまで側室扱いなんだがな。
武功夜話は吉乃age、濃姫sageで書いてあることは間違いないけど。
武功夜話そのものよりも、加来耕三が書いた武功夜話現代語訳信長編の誤訳が
間違った説が蔓延した原因なんだと思う。
394 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 08:08:49 ID:DFIXWeXv
>>393 >>武功夜話の中でも、あくまで側室扱いなんだがな
誰も吉乃を「正室」と思っていない。
限りなく正室に近い立場の事実上の「正室格」と武功がやっきになっているだけ
なのもわかってる。
ただ「正室格の側室」というのが絶対ありえないと思っているだけさ。
395 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 05:06:17 ID:SVWRwOWy
そういえば最近のドラマや映画は本能寺で亡くなる濃姫ってでないよな
396 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 08:05:11 ID:eaiIPqKl
大河「功名が辻」では精神的に光秀に惹かれる濃姫のために不仲になりつつあった夫妻
だったのが、本能寺の変では濃姫がなぎなたで応戦して最期を一緒にするべたなオチでした。
本当は変の時に日野城に逃れ、平穏な余生を過ごして信長の側に葬られたみたいですね。
397 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 09:02:32 ID:9UjIBve6
>>394 武功夜話でも、別に「正室格」にもなってない。
読めば読むほど何年も放っておかれたのがわかる。
吉乃が嫡男を生んだって主張しているし、
信長に寵愛されたとは書いてある。
だが、非公式な愛妾から、ようやく御台御殿に座敷を
もらえる身分になれたと泣いて喜んでいる描写があったり
どちらかというと、かなり身分が低く軽視されていた
って事になる状況しか書かれていない。
生駒屋敷を登場させるために、寵愛されて信長が通って来た事にしたのはいいが、
感情論としてageになっているが、実際の描写がsageでしかない。
その著者の感情的なageに惑わされて、「正室格」なんてものを
勝手にねつ造したのが、加来耕三の武功夜話現代語訳信長編って
言いたかっただけ。
398 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 21:28:12 ID:ZmstWCb5
399 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 23:40:55 ID:s8cKXMnN
>>397 仕方ないよ、加来耕三は奈良大学卒業だから・・・
400 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 23:50:09 ID:K+ptMO6K
「久昌寺縁起」や「嫩桂山久昌寺縁由」には吉乃を「(信長)室」と書いてある。
歴史小説「武功夜話」より悪質だと思うのだが。
401 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 00:00:05 ID:fzXTx+yI
「室」は戦国期には側室の事も「室」というから
「信長室」と書かれていなければ
「室」だけなら悪質とまでは言えないのでは?
側室の事も「室」というようになったから
「正室」とあえて書くようになったのだし。
「嫩桂山久昌寺縁由」は「信長公の令妻」と
書いている事の方が悪質だと思うが。
402 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 00:46:29 ID:DApIa2zL
武功夜話に「信長公御内室吉乃女」と書いてある。
後内室は正室と同義語でしょ?
403 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 12:54:37 ID:fzXTx+yI
内室は確かに正室と同義扱いだな。
しかし、そのちょっと後に、
濃姫の事が御台として出てくるから
判断が難しいな。
404 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 17:53:40 ID:2OstGNKH
>>403 やっぱり武功は吉乃を正室格に扱っているということでは?
そのわりには内容にかなりの矛盾があるけど。
405 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 19:19:33 ID:fzXTx+yI
>>404 戦国期にしても、江戸初期にしても、
別に御台が出てくるのに正室格なんて概念はないからな。
もし、正室格扱いを示唆するための「内室」なら
武功は近年の創作だという反証になる。
もっとも、別のところでは、吉乃の事を御台と前野に呼ばせてみたり
さらに別の箇所では小牧殿という女主の存在を書いていたり、
矛盾だらけだし、史料の価値は全くないな。
406 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 19:35:09 ID:2OstGNKH
武功を創作した人が「内室」を「内縁の妻」と誤解してたとか?
407 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 09:15:22 ID:aS8+/8nK
>>406 そんなバナナと思いきや、あんな稚拙で矛盾だらけの武功夜話を堂々と
発表しちまう程度のオツムだからありえるかもね。
408 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 11:22:25 ID:QAJycVDz
>>406-407 その発想は想定外だった。
しかし、よく考えてみるとあり得そうだからこわい。
おそらく、永姫の事も、単純に「知らなかった」から
書かなかったってだけなんだろうな。
409 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 10:35:52 ID:mAuaRuzh
生駒家のものが前田家(確か利長?)に家臣としても仕えていたということが
載っていた文献を読んだことがある。
永姫輿入れ時に生母実家の一族ということで付き従った生駒家のものが
そのまま前田家に仕えるようになったのかもしれない。
前田家になんで生駒家が?とその時疑問に思ったけど、永姫が生駒腹なら納得できる。
でも生駒家の家系図等で生駒腹の永姫が前田利長室になったという
重大なセールスポイントをなんで記載していなかったんだ、
という素朴な疑問は残る。
生駒家なんて戦国期までは我々が思っている以上にしょぼい家柄で、
まともな家系図や史料残っていなかったとか?
410 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 15:23:45 ID:mAuaRuzh
生駒家と信長生母の土田家が親族関係というのも怪しい話。
信長生母の実家なのに、土田氏一族が織田家臣に見当たらないのも怪しい。
411 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 10:39:16 ID:9ONixRQn
信長生母が土田氏であるというソースは生駒家系図及び前田文書のなんかの
史料によるものだけ?土田殿は生駒同様側室にあがっただけで、
信長を産んだ正室は別にいたとか?
412 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 19:21:18 ID:6UIRvLef
土田氏の検証もどっかで読んだことあるけど、土田氏のことは謎だらけなんだ。
信長祖父の信正の時代はまだまだ地方の豪族の庶流の一つにすぎなくて
織田家内でもぱっとしない頃。ただ津島に目を付け経済力で基盤を固める
基礎固めのため信秀の正室をその方面からもらった可能性がある。
津島に土着していた土豪集団(津島七党等)と争いが絶えなかったというし、
政略結婚によって津島の反織田勢力を支配下においていったのではないかと推測できる。
土田氏と婚姻関係を結ぶよりも、直接的な利益につながることから
その線を押している専門家もいたよ。
土田氏とは婚姻関係を結ぶほどの必要性がない関係じゃないかって。
信長生母で正室だというのに、土田氏一族が織田家で重用されていた記録は全然ないし、
当時の婚姻制度だと正室の実家の家臣が婚姻の時に付き従って、嫁ぎ先でもそこそこ
重用されていくもんだから、そのへんは確かに変ではあるけど。
ちなみに信孝生母の坂氏は津島七党の一つ岡本家が母方実家筋にあたるそうで、
坂氏が信長の側室になったのも、政略的な意味合いからじゃないかと思ってる。
信孝の筆頭家老が岡本良勝で、信孝は良勝の屋敷で誕生したということだし、
関氏一党であった鹿伏兎氏の庶流坂氏が、早々に関氏に見切りをつけ、
織田家にくだり、人質として信長に信孝生母を差し出した、という説を
密かに信じてる。坂氏の身分が低いっていうけど、馬借侍の生駒家に
とやかくいわれる家柄じゃないよ。
413 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 21:00:04 ID:3NxLQbME
信長の祖父は信定(信貞)では?
414 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 14:46:25 ID:b2ozQUwC
もしかして、信長のお母さんが土田御前でない可能性があるってことかな?
今まではそう信じて全く疑わなかったけど、それにしてもソースが生駒家関係
の書簡にしかないって・・・
でも信長のお母さんが戸田氏でないなら一体誰だったのか気になるし
なぜ正式に婚姻した正室なら記録に残されなかったのだろう。
415 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 16:41:18 ID:lWFDfp7u
>>414 土田殿も少なくとも側室なりの立場で信秀の側にいたのは確かで、
信長生母がけっこう早く亡くなってしまったので実母と思われていたとか?
生駒のことも「(信長)室」と堂々と書いているような家系図だから
土田殿も同様のケースがありえるけど。
416 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 17:17:29 ID:b2ozQUwC
う〜ん。そうだとすると信長生母はいつ頃亡くなったのだろう?
以前聞いた話だと、信長が「うつけ」と言われていた頃、
信長生母はなぜか嫡男の信長よりも弟の信行の方を擁立していたとか。
自分は母親に愛されていないと信長が嘆いていたという。
でもこれって、母親の立場からするとどちらも可愛い息子の筈。なのに
どちらか一方を擁立して兄弟をあえて対立させるようなことするかな?
そうなると、信長が、謀叛を起こした信行と同腹というのもあやしい。
417 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 21:42:16 ID:d7Y8fHGu
信長は嫡男教育で両親と引き離されて育ったから、別に信勝と同腹でも変ではないと思うよ。
両親と引き離されて育った嫡男を廃そうとし、手元で育てた次男に肩入れする両親て
戦国ではありふれた問題では。
子供って、血縁関係以上に、幼い頃に手元で育てたかどうかが可愛く思える原動力だから。
信長は、2歳で名古屋城主となり親から離れて暮らした上に、「うつけ」と名高かった訳だし。
信長は信雄に最初「信勝」と名づけたりしているし、普通に同腹だったんじゃないかな。
また、正室の子じゃなかったら、いくら礼儀正しく、傍目から見て嫡男に相応しくても
稲生の戦いで、信長勢を上回る兵をかき集めることは出来なかったのでは。
信長と同腹の兄弟と目される存在には信包も居て、そっちを擁立する手もあるんだし。
まぁ、信包は清廉潔白すぎて謀反なんか考えもしないから担げない訳だが・・・・・・。
正室の兄弟が二人だけで一枚岩で団結していたのなら、家臣団にも付け入る隙がない
ような気がする。
418 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 23:34:22 ID:uyAzc8hd
ドラマなどでよく登場する
「信勝(俗に信行)を溺愛して信長を疎んじる母」というのは
3代将軍家光の話をモデルにして創作されたフィクションという
説もあるようだが。
419 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 07:56:28 ID:b+ShR3Kr
>>418 信長・政宗・家光
みんな生母に疎まれ、実弟を殺して嫡子の座を安定させたとされるけど。。。
信長&政宗の頃は下克上の戦国期で、家臣も自分の家に有利になるような
当主を渡りあるいていたし、寝返ったりするもんだから、正室長男であっても
嫡男の座は不安定なものであったことは事実。
生母の次男溺愛説は江戸期よりもむしろ現代人の感覚のような気もするから
長男派と次男派にわかれた家臣団の争いが根本にあるだけだと思う。
それもどちらが有能というのではなくて、自分を取立て、出世させてくれそうな方につく、
ってかんじかな。
家光幼少期は戦国期を引きずっていた頃でもあるから、その感覚のままに次男擁立派が
騒いでいただけで、正室の寵愛云々は関係ないと思う。春日局との対立という
話も、それ以前から嫡男なんて乳母や守役が両親から取りっきりで世話するもんだし、
大名家に生まれた江与がそんな当たり前の慣習に不満を感じるわけもないし。
420 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 19:54:37 ID:UCANWwEz
信長の生母について話を戻したいのだけど、
土田御前が信秀の側室で、信長生母は別にいたとすると、
なぜ名前が残っていないのだろう。早く亡くなったのかも知れないが、
信長の死後、なぜか織田一族主催の葬儀に出席せず、秀吉主催の葬儀に、
信長生母らしき人が出席しているというスレをどこかで見たけど、
信長生母としてはちょっとおかしくないか?
なぜ織田一族主催の方に出なかったのだろう。
信長生母が土田御前でないとすると、信長と同腹だと言われている
兄弟も土田御前が生んだことではないことになるよな。
だとすると、土田御前は信秀の側室で、子供は別にいたことになる。
生んだとすれば一体誰なんだろう?
421 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 20:08:26 ID:UCANWwEz
信長の生母について話を戻したいけど・・・
信長の生母は土田御前でないかもという話が出てきた。
しかし、信長の生母でしかも信秀の正室でもあるのに
なぜ名前が残らなかったのだろう。
しかも信長生母は、信長の死後、
なぜか織田一族主催の葬儀には出席せず、
秀吉主催の葬儀に出席していると
どこかのスレで見たが、これって信長生母としては
おかしくないか?
あと信長生母 = 土田御前 ではないとして、
信長と同腹だった兄弟は土田御前が生んだのではないことになるし、
この土田御前って人は別に信秀の子供を生んでることになる。
だとすると、なぜそっちの方が記録に残らずに
土田御前=信長生母 という記録だけが残ったのだろう?
ややこしくてごめん。
422 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 20:35:53 ID:86JAbteT
秀吉主催の葬儀に出たのって、信長の生母らしい土田御前と
信長にものすごく寵愛されてたらしい側室のお鍋だっけ。
単なる信長の父親の側室だった女性や、数多くいた信長の側室の一人が出席するより
生母や寵妾が出席する方が葬儀の格が上がって主催者は嬉しいのかも。
423 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 20:50:38 ID:3f0dPSgM
信長御台主催の一周忌法要は「妙心寺史」に載っているのだが、
あの「妙心寺史」って怪しくない?
光秀が亡くなったのが本能寺の変の翌年の6月となっているし、光秀風呂のこととかさ。
秀吉主催の一周忌法要に鍋の方がでたのは息子が秀吉の世話になっているから
納得できるとしても、信長生母までがでていたということは、後世いわれているほど
秀吉はひんしゅくをかっていなかったのでは?とも思えてくる。
土田殿が信長生母であるといわれてきたのは生駒家関連以外のものでも
何かあったからじゃないの?
424 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 20:54:17 ID:4XPqGU6Q
戦国史の桑田忠親が「信長の女性関係は
秀吉や家康と違って詳しいことがさっぱり分からない」
と書いていたがまさにその通りだな。
信忠生母が生駒氏くらいは確定と思ってたがここの議論を
見てるとそうでもないようだし信長の母も同じ。
妹として有名なお市さえ妹ではなく従姉妹という説もある
くらいだし。
はっきりしてるのはお鍋くらいか。
425 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 21:11:22 ID:3f0dPSgM
桑田氏は元々が「秀吉の消息文」の研究が専門だからね。
信長の女性がらみのことは「『武功夜話』によると」と武功を引用
しているあたりで、基本的に興味がないんだよ。
桑田氏の道三、義龍の考察は見事だし、かなり詳しい検証をしているのに
濃姫に関してはあっさりしたものだしさ。
お鍋の方がある程度特定できたのは、秀吉の消息のおかげでもある。
鍋の方に「小椋鍋殿」と手紙をだしているから、鍋の方は
「実家が小倉家」で名は「なべ」とはっきりしたから。
426 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 21:27:37 ID:tWZOvzFo
信秀の妻についてですが
歴史読本1992年3月号『特集 織田信長一族の女性たち』 の
阿井景子氏著の「土田氏」の中に以下の記述がありました。
『ところで、ここに面白い記述がある。
「信秀雄才にして大略あり、その主大和守の女を娶とりしが、勢ついに
大和守を凌ぎて相争い、大和守と和し、二年七月、はじめて
その族与二郎を大和守方に遣わしたりという」(『名古屋市史』)』
続けて『言継卿記』での裏付記事(天文二年七月十一日の条 大和守との和談
および与二郎(信秀弟・信康)の派遣の記事)が記述されてます。
阿井景子氏自身は、信秀は大和守(織田達勝)の女とは離縁し
土田氏と再婚、天文三年に信長を出産と推測されております。
妙心寺は光秀の子が絡むだけに怪しいと言えば疑える余地はあるね。
428 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 01:08:16 ID:fun0wHUV
6月に信長が死んで、10月に秀吉主催の葬儀(土田御前・お鍋は出席するが、信雄・信孝らは出席せず)
翌年4月に秀吉反対派の柴田勝家・お市、信孝が死亡
6月に秀吉主催の1周忌法要(総見院)、信長夫人主催の1周忌法要(妙心寺)?
こんな流れだったっけ。
お市が喪主になった信長葬儀があったような話も聞いたことがあるけど
いつのことなんだろう。
429 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 01:27:52 ID:Vlum2BN/
阿井景子って小説家なんだよな。
430 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 01:42:53 ID:/veW4buH
妙心寺では、8月に養徳院(信長乳母で池田恒興の母)が、
9月にお市が、百箇日法会を開いている。
431 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 07:46:40 ID:kOCmYhQf
>>426 大和守女が先妻であったことは当時の信秀の立場ならなんの不自然さは無いな。
また大和守を凌ぐ勢力になっていったことも事実だから、なにかしらの
争いがおきて妻を離婚して、対抗するために同盟をむすびたい一族から正室を娶ったとしても
としても不自然さはない。
問題は、その一族が土田氏だったかどうかだな。
土田氏が当時の信秀にとってそこまで重要視される立場にいたかどうか。
本当に文献に土田氏が信秀正室と明記されているものはないの?
(前田文書、生駒家がらみ、武功以外で)
432 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 12:40:46 ID:S34J+302
加賀百万石の前田家の話のスレで、永姫の生母が晩年に加賀に招かれている
そうなんだが、そうなると永姫の生母は生駒女ではないことになるよな。
それとも生駒女の没年がちがっているのか?
433 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 14:33:39 ID:ymp0obrr
>>432 それどこのスレ?
生駒の没年が違う可能性よりも、嫁いだ時の年齢を考えたら
永姫の誕生年が違う可能性の方が高いと思う。
敵対関係にあったものとの政略結婚でもないのに、
8才と20才の組み合わせはありえん。
永姫が当時の適齢期である15歳前後で利長に嫁いだとしたら
生駒が亡くなる直前に出産したということになり矛盾がなくなると思う。
434 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 15:28:23 ID:S34J+302
そうなんだが、それだと、生駒がなくなった後に、永姫が前田家に嫁いで
いるのに、加賀に生駒が招かれるのはおかしいと思うのだが・・・
435 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 15:56:42 ID:IN4v90eB
永姫の母の生駒氏と信雄の母の生駒氏は
同一人物と考えるには矛盾も多いんだよな。
436 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 17:37:59 ID:QBx4ASWc
永姫の生母といわれているのは、一緒についてった乳母?という話しもどこかで見た。
437 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 19:59:20 ID:ymp0obrr
>>加賀に生駒が招かれるのはおかしいと思うのだが
生駒が生きていたとしても生駒家が秀吉の代になって信長の時代よりも
台頭してきているのに、実家の生駒家に戻らず、わざわざ永姫を頼って前田家の
世話になるというほうがおかしいよ。
頼る実家がないなら娘の嫁ぎ先の庇護を受けるのもわかるけど。
生駒が永姫生母なら、生駒は亡くなって久昌寺に葬られ、
その菩提を弔うこともあって永姫が金沢久昌寺を開山した、
という話につながると思うけど。
438 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 11:07:04 ID:8ex4oPRB
最近では斉藤長龍と斉藤利治は同一人物であったとする説が有力らしいけど、
何か違和感を感じるなあ。
439 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 21:37:40 ID:nngzn2JI
嫡男信忠、次男信雄、長女五徳の母は
武功が出る前から生駒氏とはされてたとは
思うんだが出典は何?
織田氏系図か?
440 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 23:04:44 ID:SivWjPe7
生駒家系図じゃないの?
どう考えても信忠と信雄の生母は別人。
もし織田家系図だとしたら、信雄が主流になった段階で
都合の良い家系図を書き換えたことになる。
前田家に嫁いだ永姫を載せなかったことに、そのいいかげんさを
感じる。
441 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 23:28:54 ID:SivWjPe7
確かにおかしいよね。生駒家系図のとおりだと、
五徳が信忠姉であるという記載がある「織田家雑録」や、
信忠が岐阜の崇福寺に位牌所を設置したり、7回忌法要を行ったり
生駒は信雄が喪主を務めたことを考えると矛盾する。
442 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 00:15:28 ID:bst7kYBI
だが馬揃の時は信雄30騎、信孝10騎。
これは生駒氏出生とその他の庶子を区別していたためと
説明されてる。
また徳川家から戻った五徳が信雄の元にいたことから
2人は同腹と考えられる。
信雄と信孝の処遇の差はやはり信忠と信雄が同腹である
ことを示しているのではないか。
443 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 01:16:06 ID:TtD18Iz2
>439
明治初頭に書かれたと思われる「生駒家譜」で三人の母親は生駒家宗の娘になっている。
444 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 11:45:54 ID:OPKtuark
五徳は信忠の元にいたはずだし、本能寺以降は秀吉がその処遇を決めていた。
信雄の元にいたのは、秀吉の交渉の都合で一時的にやられていただけと考えられる
書状が残っているので、必要以上に信雄と結びつける必要はない。
信雄がその当時の織田家の筆頭だったのだから、秀吉との交渉をするのが信雄だっただけ。
信雄側の持ち駒ではなく、秀吉側の持ち駒だったのだし、
五徳は最終的には京都に住んでいたので、信雄とはあまり関係ない。
生駒腹だからなどという妄想が始まったのは、武功以降の生駒氏正室格説以降なので、
実際は、参考にはならない。
武功以前は、単純に二男三男と、当時養子にいっていた家の格の差と言われていた。
武功が偽書となった今、こっちが結局正しいんじゃないか?
馬揃えの時点でも、信雄と信孝は官位は一緒。
二男三男の間に、親族の代表として信包が入りこれも10騎。
四国征伐のあと、信孝は三好康長の養子になる事になっていたし
そうなっていたら、武将として見限られていた信雄と信孝の、
地位は入れ替わっていただろう。
445 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 13:40:29 ID:FGOIJXOX
生駒家にとって信長嫡男信忠、織田家筆頭になった信雄、
徳川将軍家の嫁の五徳、のワンセットが
一族の血を引くということにしたかったので
寛政期の武家の家系図ブームに便乗してそうしちまったんだろう。
寛政重修諸家譜はその名の通り寛政期(1789年〜1804年)に
各家で編纂したものだから、信長死後200年は経ってからの話。
言い出したもの勝ちみたいな風潮はあったのだろう。
446 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 18:03:22 ID:us+Nl1M6
>>444 >当時養子にいっていた家の格の差と言われていた
それは、北畠の方が神戸よりも格が上ということ?
もしすでに三好の養子になっていたら、信孝も30騎だったんだろうか?
447 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 21:37:32 ID:n/uhiuSY
北畠が神戸に命令して寺を造ってるし、その寺が後の神戸の菩提寺。
神戸は北畠の二男を養子にもらって家を存続させているようなことからも
北畠の方が格上になるだろうな。
三好と北畠となると、三好は従四位下の位階をもらっているから、
三好の方が上と言えば上と言えなくはないのだが。
448 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 21:46:12 ID:n/uhiuSY
おっと、途中で送信してしまったぜ。
北畠が神戸に命令して寺を造ってるし、その寺が後の神戸の菩提寺。
神戸は北畠の二男を養子にもらって家を存続させているようなことからも
北畠の方が格上になるだろうな。
三好と北畠となると、三好は従四位下の位階をもらっているから、
三好の方が上と言えば上と言えなくはないのだが。
北畠の方は、一つ前の当主が正三位までなっているんで、
比べ様がないとも言える。
同格辺りじゃないのかな?
あとは、信雄と信孝の武将としての比較になっていくんだろう。
449 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 22:58:27 ID:FGOIJXOX
北畠家は国司の家柄だから正三位の公卿クラスまで出世できたけど、
神戸家は北伊勢最大勢力だった関家を宗家とする一族の一つに
すぎない家柄。その差歴然だよ。
三男の信孝が兄の信雄より先に神戸家に養子になったのは、母親の坂氏と神戸氏が
一族関係にあったことと、兄の信雄との兄弟間の序列を養子先の家格で
つけたということもあったと思う。
馬揃えに関しては嫡男とその他の差、その他は長幼と位の差に応じたもので
信忠、信雄、信包、信孝の順と馬の数は妥当なものと言えると思う。
武将としての器量の差があの兄弟にそんなに露骨にあったかは疑問。
勢州軍記の信雄愚将エピはかなりうそ臭いし、信孝優秀説って何かあったか?
450 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 23:12:21 ID:6GqJlfwK
幻に終わったが信孝は四国方面軍司令官として
長宗我部攻めを担当することになってた。
少なくとも信雄より資質があると見なされてたと思う。
ある本には「文武に優れていたため父に認められ・・・」
とあった。
またイエズス会からも信孝は賞賛されてるのに対し
信雄は狂ってるとか散々。
451 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 23:19:47 ID:n/uhiuSY
兄なのに清洲会議で信雄がすんなり後継として決まらなかった時点で・・・
信孝は方面軍司令になって、出陣直前だったし、武勇は認められてたんだろう。
神戸氏の養子から、三好氏の養子にステップアップを信長が決めていた事を見ると
信雄よりも信頼されていたと推測できる。
信孝は信長が死んでから地位が上がっただけじゃないんかいな。
453 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 19:57:39 ID:HGRzNdRa
2ちゃんで信忠の生母さえ生駒氏でないという
意見が出てる一方・・・
某社から先頃出た信長の事典では帰蝶(濃)は
離縁ないし死亡していて生駒氏が正室だったと
書いている。
武功を未だに信じてる時点で終わってるのは勿論だが
そのズレっぷりには呆れるばかりだ。
454 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 20:54:49 ID:RloWyvZZ
>453
それどこの出版社?
間違っている情報を載せるなと意見すればいいかも。
知らないでただ乗せているだけのことも多いのでは。
よく調べもせず、以前からの説を鵜呑みにして事典など作るなんて、
終わってるよ。でもまあ、信長の事典を買う人なんてよほど
信長好きな人しかいないだろうし、信長好きな人はここ(2ちゃん)も
覗いてるだろうし、自分でも色々な文献見たり調べたりしてるだろうし、
そんな捏造文書の生駒説なんて信じる人いないと思うよ。
しかも武功は偽書だと判明してるのだし。史学会でも相手にされてないの
だし。
455 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 21:42:28 ID:MAuQx3DS
>453
『織田信長事典 コンパクト版』か?
コンパクトじゃない版が出たのは1989年だから、内容が古いのは仕方ない。
456 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 22:02:02 ID:r2vGF6Fn
コンパクト版を出すにあたって、改訂もしていないのか?
怠慢だな。
457 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 22:11:01 ID:MAuQx3DS
>456
編者4人のうち3人亡くなってるから、コンパクト版にする際、改訂ができなかったんだろう。
武田や上杉の事典みたいに最新の研究を盛り込んだ本を出してくれればなぁ。
458 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 22:23:38 ID:r2vGF6Fn
>>457 アマゾンで確認してきたが、生きているのが小和田だけか。
奥関係改訂される訳もないな。
459 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 22:28:26 ID:1xn+TwlX
そう、その本。
だがそういう問題のある記述をそのままにして
復刊するのはなあ。
おれはその記述を見て買う気なくしたし、
買った人はそれを信じかねない。
460 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 00:09:55 ID:Rw87yYF1
生駒が正室になったなんて、どこの文献にも書いてないのだが?
しかも濃姫が離縁されたとか死亡したなんてのもどこの文献にも
書かれてない。なぜ憶測だけでそんな矛盾だらけの内容を事典に
載せるのだろう?
なんでその小和田とかいう人は生駒正室説を信じてるの?
生駒関係者からお金でももらってるの?
ちょっと信じられない。まともな歴史家のすることなの?
こんな嘘を平気で書いて、信長や濃姫を冒涜する行為だと思わないの?
461 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 00:13:44 ID:Wg2zkqvW
読んでもいない又聞きの内容で批判する方がどうかと。
462 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 02:52:09 ID:kBDTL1s7
>>460 単に>457が言うような理由なんじゃないの?
それと、出版社が信長閨閥事情を重視していないのだろう。
463 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 08:04:58 ID:ddSpFm+4
一応武功夜話には生駒氏の事を「内室」と書いている箇所があるからな。
ただ、そのちょっとあとに、濃姫の事を「御台」と書いているので
武功夜話を創作した人間は、内室=正室と知らず、
内室を内縁の妻というような意味合いで書いたのかもと、
どこかでからかい半分に書かれてたが。
どちらにしろ、武功夜話に整合性を求める事自体無理がある。
生駒と前野が大活躍できれば、信長や秀吉だって、どうでもいいって書物だ。
小和田は、武功夜話をきっかけに有名人になったから、今更否定派にはなれないだろう。
464 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 20:15:05 ID:yfgU8g0x
>>460 その項を書いたのは小和田じゃなかったよ。
編者としての責任はあるだろうが。
465 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 22:51:37 ID:7jGu6S5S
嫡男信忠の生母が生駒で、一方正室のはずの帰蝶は消息不明。
よって生駒が実は正室で、帰蝶は美濃へ帰されたか死亡したという
推測が幅を利かせてたんだろう。
事実、信頼できる研究者と思われる谷口克広や桐野作人も、
「事実上の正室といわれる生駒氏」などと書いている。
そこから生駒腹の信雄が生母の身分が低い信孝より優遇されてた
と見なされたりもしているし。
466 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 22:56:44 ID:Rw87yYF1
>465
でもその説が間違っていたとわかった今、やはり書き直すべき。
それを改定しないで売り出すなんて横着すぎ。
467 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 10:22:05 ID:j17ZfVaO
>>465 生駒が正室で、信雄が信長の嫡腹の子であったら、
そもそも異母弟信孝との地位の格差は明白で、
それぞれ秀吉と家康に擁立されて戦おうなんて思わなかっただろうね。
両方とも庶子だったから、こんなことになった。
468 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 11:46:59 ID:UE/4zWmD
>>463 >小和田は武功夜話をきっかけに有名人になったから
へっ、そうかぁ?
他にもいろいろ著書はあったと思うけどな。
戦国大名家臣団事典や、他の大名家研究で良い仕事もしてるのに
2ちゃんは武功の件だけで叩く奴が多いからな。極端
>>466 自分が納得できない理由を文章化して
出版社に意見してみたら?
上手くいけば、出す側の事情も聞けるかもしれないしね。
469 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 20:45:02 ID:ozZ9qgTa
小和田さんは自ら前野文書の検証してなかったっけ?
中を詳しくは見せてはもらえなかったがぱっと見た目に江戸後期編纂だと思った
とどっかの本に書いてあったが。
470 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 20:51:01 ID:oL2GC/8L
後北条氏や今川関連では結構業績もあるんだけどねえ
浅井もね。
472 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 21:03:51 ID:+E+g7atF
信忠・信雄同腹に固執するわけではないが・・・
信雄が嫡男信忠の同母弟の割には優遇(?)されてない
ことについては、信長が信忠を後継者として他の一門衆とは
隔絶した地位に置こうとした、という説明でいいのでは。
同母弟と言っても跡目争いの元になることは信長自身が
同母弟信勝を殺さればならなかったことで十分認識している。
また、信雄が伊賀攻めを行って失敗した時の譴責状に、
「兄城介大切」なる一節がある。
これは信雄が信忠の同母弟であればこその表現ではないか。
そして信長死後の信孝との争いについては、信孝の方が
武勇に優れてたと周囲から見られてたから信雄に対抗できた
と思う。
473 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 21:10:42 ID:w6VuEPxW
十分固執しているように見えるが。
信忠は正室の養子に入っているので、生駒の喪主は茶筅丸がおこなったとされているにも関わらず、
久庵慶珠の喪主を奇妙のままおこなっていると推測できる当時の一次史料である制札の文書が
残っている事を考えると、後年作り出された史料よりは信用できるだろうな。
もしも、久庵慶珠が生駒の事で、奇妙が喪主をおこなったのなら、生駒では自信満々でそれを記載すると思うよ。
474 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 21:34:50 ID:ozZ9qgTa
>>472 それは完全な読み違いだよ。
信長の叱責文は「信長の作戦に従え、それは天下のため、父への奉公
兄を大切にすることであり、それが信雄自身のためなのだ云々」
と書いてあって、要するに信雄は父や兄には従え、次男以下は嫡男の家臣
だから立場をわきまえろと諭している。
仮に同腹であっても次男であれば嫡男の家来扱いされたのは当時の慣習。
それに信雄はその時北畠家に養子にだされて織田家の人間ではないのだから
同腹であったとしても扱いは他の庶子と一緒。
475 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 00:10:23 ID:wlB2zjdX
実際に同腹か異腹かは別にして、信忠と信雄は妙覚寺に一緒に宿泊してたりで
殺伐とした戦国の時代に仲の良い兄弟だな〜という印象はある(信長公記)
フロイスの手紙でも、セットで登場していて微笑ましい。
476 :
親馬鹿:2007/05/10(木) 04:48:36 ID:qy49Lrr1
「信長は公家に、信雄は将軍になるのでは」と噂されたこともあるんだけどね。
信雄は信長に甘やかされていて、兄を軽んじるところがあったんだよ。
じゃなかったら、伊賀攻めの失敗でもっとキツイ処分が下されていたハズだよ。
477 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 07:46:10 ID:EFxGcyj2
某国のやんごとなきお立場のご兄弟もそうですね。
嫡男である兄君は2才の頃から専門の養育係が帝王教育をたたきこみ、
御両親も遠慮なさるほどご立派に成人あそばされた。
一方次男は自由奔放に育ち、車を乗り回し、学友(悪友)と遊びほうけて
自由恋愛で結婚。兄弟仲が良いが、親や国からの兄弟の扱いは歴然とある。
次男はしょせん他家を継ぐものだから親は甘やかすというより、
次男には関心が薄いということなのではないか?
478 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 08:05:22 ID:HUzHUXBs
>>475 フロイスの日本史にセットで出てくるのは、そのとき信孝は既に神戸に行っていたから。
別に3人の中からピックアップされた訳ではない。
479 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 08:12:12 ID:EFxGcyj2
>>476 連投すまんが>>伊賀攻めの失敗でもっとキツイ処分が下されていたハズだよ。
これは真逆だと思う。
しょせん次男なのであの程度の叱責で済んだんだよ。
あの粗相を嫡男である信忠がしたら廃嫡されたかもしれないぐらい
信長の逆鱗に触れたと思う。嫡男の粗相は織田家を左右する一大事。
基本的に信雄の粗相は北畠家の問題となるので、信雄の粗相には
そんな重要視されなかったんだと思うよ。その後信雄を総大将にして
伊賀攻撃で名誉挽回したけど、そこでゲットした伊賀領は信雄の領地
つまり北畠領になったわけで、信雄の立場は織田家一門の北畠当主にすぎない
ということがはっきりしてる。信忠に男子が産まれた時点で、織田家の
家督相続継承の可能性はなくなったわけだし、嫡男との超えられない壁は
さらに強固なものとなっていっただろうな。
480 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 10:01:20 ID:b89ta8OS
道三の娘のスレで信雄信孝はスレ違いだと何度言えば
481 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 19:34:02 ID:DGjlFb3w
史板の濃姫スレ、どんどんおかしくなっていて
怖いよ(´・ω・`)
482 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 20:04:26 ID:tMZkQR1f
>>481 史料の検証をしている時はいいんだが、
チャチャを入れる人間が来ると、とたんに荒れるな。
煽り耐性がなさ過ぎるんだな。
483 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 20:14:42 ID:DGjlFb3w
荒れてるのが怖いんじゃなくて
まともな意見すら叩くあの雰囲気が怖い(´・ω・`)
だからウィキの意見は同意なんだけど
怖くてレスできないよ(´・ω・`)
484 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 20:24:09 ID:tMZkQR1f
まともな意見を叩いてるのは、荒らしてるのの自作自演じゃないの?
史板の濃姫スレの荒らしは、いつもそういう自作自演の仕方するよ。
485 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 22:02:51 ID:+TziVLQa
そしてここに愚痴が書き込まれるのも、毎回のパターンだw
486 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 23:21:41 ID:3WRJHpFv
史板は反論意見は全てバロンだからな・・・
487 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 23:43:06 ID:6u7g6rgi
488 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 23:43:30 ID:mHyM6dm+
信長の閨閥関連に書いてる人のなかに、
平明さを欠いて、視野の狭いのがいるのは事実。
489 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 23:49:32 ID:tMZkQR1f
それは言える。
武功夜話が偽書だからといって、徳姫まで信雄と異腹であるというのはどうだろう?
信忠は確かに、他の何よりも有力な、奇妙自身の制札があるけど
それ以外も、何でもかんでも、違うというのは疑問だね。
永姫の生駒腹説は、永姫の輿入れの年齢を考えると、生年はもっと前と考えられるので
十分あり得る話しだと思うけど。
490 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 00:00:13 ID:DZM1VvV2
>>488 平明さを欠いてる意見ってなんだ?
ちゃんと資料を基に考察されたものだし
それに正当な反論があるならそれを書き込めばいい。
それが出来ない奴はただの生駒厨。つまりバロンの確立が高いってわけだ。
>>489 有り得るのなら、十分説としてまかり通ると思うぞ
491 :
バロン曽志崎:2007/05/11(金) 00:07:27 ID:yu63Pe6P
あんまり個人サイトにまで出向いて迷惑かけるなよ。
管理人、困ってたぞ。
492 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 00:21:43 ID:gO7A0tkp
>>489 ○○という史料にはこう書かれてるから、五徳は生駒腹の可能性が高いのでは等書き込んで見たら。
脊髄反射で反発する人もいるだろうけど、史料に裏打ちされた説得力のある意見なら
納得してくれる人も多いんじゃないかな。
個人的には五徳は生駒腹かな?と思ってるけど、通説の刷り込みが強いだけかもしれないので
いろんな意見を聞いてみたいし。
493 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 01:33:07 ID:DgmyE8zv
>>490 >平明さを欠いている意見って何だ?
ほら、すぐそういう風に突っかかってくる。
489氏も指摘しているけど、
「何でもかんでも違う」
の出発点が、考察をもとにした意見なら聞き易いのだが
単に自分の好む人物以外の事跡を否定しようという、
出発点からの偏りを感じさせるレスが見受けられるんだ。
>ただの生駒厨
否定の意見や疑問を投げると、即生駒厨のレッテル貼りか?
そういう大人気ない発言はいい加減やめたらどうか。
494 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 07:13:50 ID:DZM1VvV2
>>493 じゃあ五徳が生駒腹じゃなく、永姫が生駒腹と証明付けられる
資料を否定してみろよ。
それが間違っていると思うならきちんと資料出して議論すればいい。
出来ないでいちゃもんだけつけてるから、生駒マンセーな流れ否定な生駒厨かと思うだけだ。
495 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 08:12:28 ID:IQNXDmSi
>>494 永姫が生駒腹(信雄と同母かは不明)なのはガチだと思うけど、
だからといって、永姫が生駒腹だから徳姫が生駒腹じゃないとは言えないんじゃ?
信雄、徳姫、永姫が生駒腹なのかも知れないし
一人一人検証するべきだと思うな。
496 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 12:48:30 ID:9TUik2zd
>>永姫が生駒腹だから徳姫が生駒腹じゃないとは言えないんじゃ?
そうじゃなくて、元々信忠・信雄・五徳が同腹だという説があって、
でも信忠は久庵慶珠が生母である可能性が濃厚になったので、
そうなると、通説が覆るから、後の二人はどうなんだ、という話になった。
しかも永姫が生駒腹という説も浮上したので、ますますいままでの通説の
信憑性が怪しくなった。
信雄は生駒家との関わりから生駒腹は間違いないとなるが、五徳が生駒腹である
ということを示す根拠が薄いので、五徳の生母は?となった。
497 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 17:43:03 ID:sTCHj0Xl
>>496 いや、その流れは分かってるよ。
あっちもずっとROMってるから。
>五徳が生駒腹じゃなく、永姫が生駒腹と証明付けられる
>資料を否定してみろよ。
という書き方だと、永姫が生駒腹なら徳姫は違うと読めるんだよ。
一人一人検証しようと言うのは、
・徳姫が生駒腹ではないと検証するという事
・永姫が生駒腹だと検証するという事、また、生駒腹なら信雄と同腹か異腹か検証する事
の別の話しだと言う事だよ。
>>496の書き方だと、
>>496は分かっていると思うけど。
498 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 17:44:19 ID:sTCHj0Xl
499 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 18:09:58 ID:fYH+Onxx
だから、信忠、信雄、五徳は同腹であるという説は揺らいでるんだから
いったん先入観なしの素に戻して考えてみようってことでしょ。
それで偏りがあるレスが気になるというなら、自分でこの辺りが偏ってるんじゃないかと
書き込んでもらうしかないな。
その際には史料を出してもらう方が他の人も判断しやすいね。
500 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 18:30:30 ID:sTCHj0Xl
>>499 その通りだよ。
だから、一人一人検証すればいい。
永姫が生駒腹なら徳姫は生駒腹ではないと読める書き方だから
そう思っているのかと思って指摘しただけ。
「永姫は生駒腹の可能性が高い、徳姫は生駒腹ではない可能性が出てきた」
という書き方ならいいと思うよ。
「永姫が生駒腹だから、徳姫は違う」と読める書き方は、変だねという事だけ。
501 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 18:35:16 ID:sTCHj0Xl
徳姫存命時の徳川方の史料では、徳姫は生駒腹と書かれているんだろうか?
それとも、信忠、または信雄と同腹と書かれているんだろうか?
信忠と同腹と書かれているのであれば、信雄が信忠と同腹とされていた時に
自動的に徳姫も同腹という事になってしまった可能性が出てくる。
家忠日記などの一次史料では、生母にまで言及されていなかった気がするが。
502 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 21:53:19 ID:wbmtQOzo
どうでもいいけど、
・五徳
・徳姫
後者は小説やドラマでの名前だと思うから
前者に統一しようよ。
503 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 22:16:45 ID:9TUik2zd
>>502 信康室の名は「徳(姫)」と記す史料に「武徳編年修成」「徳世系譜」
「朝野旧聞褒藁」があり、「五徳」と記す史料は「織田家雑録」「源流綜貫」がある。
「織田家雑録」では「信忠・信雄・五徳」が鼎の足となって織田家を支えるように
「五徳」と名付けたなどと、胡散臭い伝承を記していることからむしろ
「徳」が信康室の名前ではないかと思う。
信長の他の姫が二文字名で(二文字名は当時の女性名の主流)あることを考えても
「五徳」説には疑問がある。
504 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 09:30:41 ID:SvWMtLnP
徳川家の史料と織田家の史料が食い違ってるなんて、一体どっちが正しい
のだろう?娘の名前すら史料によって違いが見られるのだし、まして嫁いだ
年齢や生年などが史料によって違っているのは必然なのかな?
徳姫が信康と同い年というのもどこからきてるのだろう?
「織田家雑録」では徳姫は信忠の姉と記されているそうだけど、そうだと
信康よりも年上になるのではないか?その辺りの信憑性はどうなのかな?
徳姫の生年によっても生母が誰か推測するには大事な情報だと思うし。
505 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 10:33:41 ID:S+GwsyOB
多分、徳川方の方が正しいと思う。
徳川では、徳姫の事だけ記録が残っているだろうが、
織田では、徳姫だけじゃなく、早世したり、その後の文献に出てこないような姫の出産記録も残っている。
そういう、実際にあった出産記録と、生き延びた子供を照らし合わせて考えるので、
年代がバラバラになる事はよくあること。
姉としているのに、信忠、信雄が既に生まれていなければおかしい逸話など最たる物。
506 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 11:31:03 ID:SvWMtLnP
>織田では、徳姫だけじゃなく、早世したり、その後の文献に出てこないような姫の出産記録も残っている。
その出産記録って生母が誰とか詳しく書かれてないの?
今わかっている子供以外にもかなり生まれているってことだよね。
濃姫にも生まれていたのだろうか?
なんか気になる。
507 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 11:47:52 ID:dr5bBElN
当時の乳幼児死亡率からしたら夭逝した子供が何人かいてもおかしくないよね。
508 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 13:28:55 ID:aaRhKqAP
徳川家斉の子供は57人生まれて、そのうち32人が5歳未満で亡くなってるそうだ。
死亡率56%!信長は諸説あるけど仮に20人実子がいたとしたら35人ぐらいは
生まれていたかもしれないとなる。名前や生年月日にばらつきがでてくるのは
当然かもしれない。
509 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 18:48:25 ID:Oc666iqH
信忠の姉にあたる女児(早世?)がいたのかもしれないな。
510 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 20:26:53 ID:xrDOrDrx
徳川に嫁いだ姫の名が「徳」って、できすぎじゃないか?
幼名は別にあって、信康との結婚が決まってから改名したんじゃないだろうか?
511 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 20:42:53 ID:9RBdhnOk
徳姫が嫁いだのは松平姓の頃だよ。
512 :
人間七七四年:2007/05/13(日) 22:17:04 ID:BUKK5n9z
確かに当時の女性の名前は二文字名が多いな。
接頭語の「お」をつけて三文字。
茶茶という名も二文字ではないけど、けっこう多かったという。
五徳というのは信長の子供につける名前の傾向からしてちょっと違うかな。
513 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 09:18:19 ID:YTKTKLsW
息子に「奇妙」とか付ける感覚の信長だから、
娘に変わった名前つけても不思議ではないが。
信長の子供も、後に産まれた子ほど、信長自身、
珍しくもなくなったのか意外と普通の名前だが、
初期に産まれたと思われる奇妙、五徳(徳姫)の場合、
信長独自の世界感満載の名前だったかもしれぬ。
まあ、茶々の末の妹が、
お江(おごう)→お江与→達子などと改名しているのを見ると、
信長のもとで五徳と呼ばれていた娘が、婚家の松平家で徳姫と呼ばれる事も
ありえないわけではない。
514 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 09:19:58 ID:ng939ZbB
515 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 21:04:04 ID:5xyzlJLh
>>513 崇源院の数種の名だけど、改名といわないと思うが。
信長の独特な命名感覚も過去に色んな意見が出てたし・・・
516 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 22:42:54 ID:5jeJf2G0
独特な名前の付け方(奇妙、茶筅など)を信長流の愛情という人もいれば
あの時代の普通の名前(坊など)を愛情という人もいたね。
あと「大して深く考えずに思いつきで決めてるんじゃないか?」って意見もあった。
信長の「これこれこういう理由でこの名前にしました(*>ω<)=3」みたいな
日記でも出てこない限り、どういう意図で名づけたかなんて一生わかんない問題だろうね。
あの時代ですら奇特な人だったんだから、現代の人間に胸中が理解出来るわけもない。
517 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 01:15:35 ID:c5NVfHX5
やはりこの板の伸び具合は異常杉だ罠
一方戦国板の濃スレは伸びないな。
極少人数による自演ξで晒し上げをしといてあげよう
518 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 02:54:11 ID:0sDRBid3
ほれほれ、ここが伸びない戦国板の濃姫スレだってばw
519 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 08:37:32 ID:rzid5FrH
安土城が燃えてしまっているからなぁ。
信長や濃姫が、仮に日記を付けていたとしても、城と共に燃えてしまったんだろうな。
燃えていなければ、もう少し濃姫の事も分かったかも知れないな。
520 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 11:01:30 ID:H18pS1MD
安土城は全焼じゃないんだよ。
一部焼けてその後修復して三法師の居城となってる。
521 :
人間七七四年:2007/05/21(月) 15:34:02 ID:f9hmJjTF
居住空間として利用していたと言われる、天主が焼け落ちているから
ピンポイントでもかなりの書類が焼けたかもな。
522 :
人間七七四年:2007/05/22(火) 07:55:37 ID:fsHDnah2
仮に秀信の代まで残っていたとしても、彼で断絶し
そういうものを維持、保持していったものがいなかったからな。
523 :
人間七七四年:2007/05/23(水) 21:57:45 ID:PMpuTOmZ
安土城が焼ける前に大事な書類はどこかへ非難?できていればな。
しかし、秀信が断絶したが、織田家の大事な書簡や書類などが
ゆかりの寺にでも保管されていないのだろうか。
やはり嫡流が滅びると、たとへ庶流が残っても肝心の資料は
乏しいのだろう。
524 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 23:47:16 ID:8Gp1/siR
信長のファーストレディー ヒラリークリントンでーす
525 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 21:52:06 ID:Mr/Z+MIN
俗に濃姫と呼ばれる織田信長正室(斎藤道三の娘)についての
史料は少なく、消息ましてや個人的資質についてはほとんどわからない。
とりあえず信長の正室についてのことだと思われる史料を挙げておきます。
「さて、平手中務才覚にて、織田三郎信長を斎藤道三婿に取り結び、
道三が息女尾州へ呼び取り候ひき」(改訂信長公記・新人物往来社)
この道三息女の名前は信長公記には載ってません。『美濃国諸旧記』という
江戸時代に書かれた史料では、「天文十八年二月廿四日、尾州古渡の城主
織田上総介信長に嫁す。帰蝶の方といふ。又鷺山殿ともいふ。」となってます。
それから公家の山科言継が美濃に下向したときに見聞した事件として、
彼の日記『言継卿記』の永禄12年7月27日の記録に、
「故一色義龍後家壷可為所持、可被出之由信長連連被申、一乱之刻被失云々、
尚於責乞者可自害云々、然者信長本妻兄弟女子十六人可為自害、國衆大なる衆十七人、
女子之男以上卅余人可切腹由也、仍中分失弗に治定、今日無事に成了、」
というのがあります。簡単に説明すると信長が故・一色(斎藤)義龍の未亡人所有の壷を
欲しがったが、未亡人は無くしたといいこれ以上責められたら自害すると言った。
これに対して信長の本妻とその兄弟や主だった国人衆などが、
(未亡人が自害するようなことになれば)自分たちも自害・切腹するといって、
信長に反抗、結局信長が無くしたという未亡人の言い分を認めて無事解決、
という事件です。
ここでいう信長本妻はどう考えても信長の正室で斎藤家に深い関係のある女性なので、
俗にいう濃姫のことかと思われます。彼女の性格がわかるような史料はこれぐらいしか
知りません。
526 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 22:37:56 ID:+YWtUUIa
だから何?
527 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 00:49:38 ID:629LRpAg
史板の濃姫スレが尋常でないのは事実だな。
いったい、何人で回しているのやら・・・
528 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 01:44:05 ID:gS2Ob9KF
濃姫スレはすごい量のコピペで埋められてるなw
自分が以前書いたレスもコピペされてたよ。
529 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 09:18:25 ID:Y4KfAU2x
どなたかがまた発狂なさったようで・・・
530 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 09:32:19 ID:8rzCX1Sz
\
\ r‐─-n=ニコ
\.{ 〈 ̄ /`ヽ、_}`>
く ``フ′ ヽ\ト、
/.Y´ | l__,=ヘ
{.ニ|二ニ|ニ二_|二ミ} そんな餌で雛苺がなの――!!
ヾ大=三}ー=ヲ^ーイ
{wv _ ,.-、lvへ、
/ 〈__ノl\_)`ヽ、`ヽ、 ====
/ l! | \ \ j| |ヨ =====
/‐-、 l!. | _,. -‐┬-ヾノ
仁>、 ∨ァ‐T ̄[_,.ィ又_人{、
ヽ __ソ〈ァ、」フー大′ rュァ‐'′ =====
ヽ}〉L__)〈ノ=L{_r<.V> ====
くr'K_>| V^∧
K_>| V^∧
├‐┤ V ,ニ! ==== (´⌒
|⌒ | |/ | (´⌒;;(´⌒;;
ヽ_,ノ (´;;⌒ ヽ_ノ (´;;⌒ (´⌒;;
531 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 12:18:39 ID:goUzqYGs
なんか、史板の濃姫スレ、書き込めないんだけど。
これってなんだろ?
いやがらせ?
532 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 13:27:48 ID:5vcHvXKt
連続コピペで規制入ったのかもな。
( ゚д゚)ハッ!これがコピペの目的か!!
533 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 13:45:15 ID:goUzqYGs
せっかく検証が進んでいたのにな〜
534 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 13:59:17 ID:5vcHvXKt
吉乃に続き、土田御前まで捏造か?って検証されるに足る文献が登場したためかな?
535 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 14:07:57 ID:goUzqYGs
いいかげん事実は事実と認めればいいのに・・・
536 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 14:32:55 ID:W+iWttl6
まぁ連続コピペをされたのもそれによって
容量規制が入ったのも自業自得ですな
検証ならこのスレでも十分できるのだから
ここで続きをやるがよろしかろうて
史板より戦国時代に特化した人間が集まる板だけに
それなりのツッコミも入るかも
しれないでしょうが逆に言えばそれだけ
有意義な論議に展開するでしょうな
いやはや楽しみですな
537 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 18:56:21 ID:n91KWFzH
信孝スレに張ってあった系図、元は史板の濃姫スレに
あった物みたいだけど
どんな文献とか系図を元に作ったんだろう?
津島四家七党と信孝があそこまで絡んでいたのに、
何で信孝生母は熱田にとどまっていたんだろう?
正式な側室にするのに、不足はない出自だと思うのだが。
538 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 19:13:26 ID:adCTPr5O
>>536 あのコピペで埋め立てした人の目的は何か知らないけど
厨房と認定されても仕方ない行為だな。
539 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 19:47:57 ID:07AqoLrH
信忠は信長の子なんで秀吉の場合は参考にならないかと
近いのは伊達家かな
政宗の側室の生んだ第一子は、分家になってる
でも秀宗は正室の養子にはなってないから単純に比較は出来ないよね
というか、正室がまだ23才なのに養子をとっているのが異例な気がする
養子にするまでも無く、側室にしか子供が出来なかったら
側室の子を側室の子のまま世継ぎにすることが多いし
側室の子が継いだら、濃姫が尊重されないかもしれないこと気にして養子という流れなら
もう数年、濃姫が30超えてもう子作りは無理と諦めがつくまで待つんじゃないかと
美濃が欲しいだけで濃姫についてはどうでも良いっつんなら別だけど……
後は濃姫本人が諦めていて養子でも良いから早く子供が欲しいと思っていたとか
信房について、もし濃姫の実子で、だから養子の信忠は美濃支配に留めて
織田を継ぐのは源三郎信房というプランがあったとしたら
信忠は即効で信房を殺したと思うんだよね
与力だから、戦でちょっと危険な所を任せて、うっかり指揮を取り間違えたように見せかければ
簡単に殺せる
殺したところで誰も信忠を罰することが出来ない
信房が居なくなってしまったら、信忠しか織田を継ぐ人が居ないからね
「源三郎」が、いずれ織田の跡取りにいう意味なら、戦国の常識に従うと同母の兄弟でも殺すし
信長も伊達に弟に謀反起こされた訳じゃないから
信忠が嫡男というのが揺るがないことが内外に明白なのでなければ
信房を信忠の与力にはしないと思う
源三郎については、後で周囲に誤解招くかと反省したんじゃないかと思うけど
だから半年後、信忠に「天下の儀も御与奪」とわざわざ言ったのかも
つーことで、信房が濃姫の子なら、信忠も濃姫の子と、セットで考えてる
逆に言うと、信忠が濃姫の実子でないなら、信房も違うと思う
信忠に関してはやはり側室腹と考えるのが自然だと思う。
それも
>>342のような流れであればなんら不思議はない。
濃姫の認めた人柄の女性を側室に差し出し、自分の代わりに
子供を産んでもらったというだけの側室。
立て続けに子供を3人も産んだから寵愛が深かったという
誤解を与えたけど、逆に年子3人ということは、褥の数は最小3回でも可能。
妊娠中は褥をすることもなかったろうから、信長との関係は
側室と当主のそれを超えるものはなかったと思う。
第3子出産後はぱったり子供が産まれてないのが寵愛がその程度であった
証拠。
勝長は実子である可能性は大いにあるけど、信長が目の黒いうちは
嫡男を退けてまで勝長をという考えはなかったと思う。
その気持ちがあれば養子にだしたりはしないはず。
嫡男として育てておきながら当主の怒りをかい、廃嫡されるというケースは
あるので(細川家、ガラシャの長男は廃嫡)、家督争いのためというのではなく、
信忠に嫡男としてあるまじき粗相があったら廃嫡して、勝信が嫡男に
ということはありえるだろう。
いろいろ考察すると、濃姫は世間が思うほど影の薄い正室ではなく、織田家に根を
はって、正室として実権を握っていたというのが本当のところではないかと思う。
それには信長の理解あってのことだから、夫婦関係は良好だったんだろうとも
思える。信長が道三のかたきをとってくれた、濃姫のおかげで念願の美濃を手に入れた、
というお互いの利害関係も一致していたしね。
540 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 19:48:57 ID:07AqoLrH
武功夜話に関しては、実際に読んでみたら分かる事だけど、
信長と生駒屋敷が絡んで出てくる辺りは本当にめちゃくちゃ。
吉乃の夫が弘治2年に亡くなったと書いてあるのに、
同じ人間が、吉乃は濃姫が嫁ぐ前の天文20年頃には信忠を身籠っていたとか
弘治元年の正月に信忠が生まれたので祝いに踊り興行を生駒屋敷でやったとか
証言していたりする。
信忠の生年は弘治3年というのはほぼ間違いないので、まずそこからして違う。
もちろん、濃姫の輿入れは弘治以降って事にしたいらしい記述。
墨俣の一夜城に関する記述がおかしいというのはよく言われるけど、それは説明
しやすい箇所だからピックアップされているだけで、そこだけじゃなく
桶狭間の戦いの記述とかもおかしい。
最近じゃ、桶狭間は正面衝突のガチンコで、上洛戦じゃなく鳴海城などの
救援に今川が出てきたと分かってきているから分かる事だけど、
小六が村人に化けて画策してたり、まぁ、所謂昔から講談なんかで書かれている
奇襲戦を更に色付けしてある感じ。
あと、信長は、財力的には最近では熱田湊や津島湊をおさえていて豊かだったと
考えられているけれど、お金がなくて生駒に援助してもらってる事になってる。
ちなみに、昭和以降の市町村合併による合成地名が出てきたり、戦国期に実際に
生きていた人間だったら知っている筈の、当時の河の流れが、後世変わってしまった後の
河の流れで記述されていたりもする。
他には、閏月のあった年の記述など、閏月があったのを知らない状態で書いたのか
閏月が無視されていたりする。
戦国期、特に織田を専門にしている史学者などは、はなから相手にもしてないし
偽文書と言われている。
発表された頃、本当だとお墨付きを与えたのは、織田を専門にしていなかった
小和田氏とかだね。
あと、遠藤周作などの小説家とマスコミ。
結局、ある程度信憑性を有していると考えられているのは、織田とは関係のない
朝鮮戦役の記述の辺りだけというのが最近の見解。
普通、偽文書を歴史捏造目的ではなく、各家の記念的顕彰作品として作る場合
作者は専門家が見ればすぐに偽文書だと分かるようにしておくものという。
武功夜話などは、専門家からすると、このパターンに当てはまるらしい。
「門外不出」
「当本貸出しの儀平に断るべし」
などの一文は、常套句である(武功夜話にもしっかりこの一文がある)。
だが、
>自分の家にあった古物を津田応助に売ったら、いつの間にか吉田家に
>代々伝わるものとして吉田家で見せられたなんて話も聞くし。
というのが、本当の事だとすると、吉田龍雲という人は
自己顕示欲と名誉欲が強いと思われる。
しかしながら、元の持ち主に誇ったりする程度に粗忽者とも言える。
武功夜話の中身がそういうパターンに当てはまると気がつかないまま、
津田応助死後に本物だというふれこみで出版してしまったと考えられるのではないか?
541 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 19:49:43 ID:07AqoLrH
なるほど、信忠と信雄が同腹なら「次男信雄モ生駒ノ息女之腹也、」ってなりそうだよな。
ところで勢州軍記っていつ頃成立で著者は誰なんだっけ?
「勢州軍記」は神戸良政が書いたもので、基本は伊勢の戦国史だね。
寛永15年(1638)に「勢州軍記」の抄録の「兵乱之記」を書いてるから
「勢州軍記」そのものの成立はそれ以前。
17〜18歳くらいから、蒲生氏郷に仕えた父親の政房の記録をまとめる形で
「勢州軍記」を書き始めたと言われているから、1609年生まれだから
1626〜1627年にかけて書き始め、その後伊勢に戻ってから更に
伊勢の人に聞き取りながら加筆したと言われている。
まぁ、神戸氏なので、信孝の事がよく出てくる文献ではあるけど、
だからと言って、信忠や信雄を貶めたりしているような記述は
特にはないと思うけど、これは私見なので信雄贔屓の人から見たら
どのように見えるかはちょっと不明。
信長死後40年位してから書き始めたものではあるけど、信長公記の
成立直後くらいだから、信長公記にあまり影響されてないように
自分には思えるかな。
生駒が信忠の母親なら「嫡子信忠卿モ亦妾人ノ腹也」と書かずに、
信雄同様に「駒ノ息女之腹也」と書いてあるはず。
お濃が信忠を養子にしたのは23歳の時だから、彼女の子であっても不思議はないけど
「妾ノ腹」と書かれるのはもっと不自然だな。
嫡男になるほどの実母なら、生駒よりも身分が高いと推測されるんだけど、
それなら生母についてきちんとした資料が残っていてもよさそうなものだ。
考えれば考えるほど謎。
普通、偽文書を歴史捏造目的ではなく、各家の記念的顕彰作品として作る場合
作者は専門家が見ればすぐに偽文書だと分かるようにしておくものという。
武功夜話などは、専門家からすると、このパターンに当てはまるらしい。
「門外不出」
「当本貸出しの儀平に断るべし」
などの一文は、常套句である(武功夜話にもしっかりこの一文がある)。
だが、
濃姫が中心とは言えないまでも、当事者になった事件は
永禄12年の壷事件だろうな。
武功夜話って、地元の逸話や伝承や系図に詳しくて、大久地古事記って偽書の
制作も疑われている津田応助が作って、所有者である吉田龍雲が清書したって
話をよく聞くよね。
元の原書自体は、朝鮮戦役の辺りくらいだけで、その他の信長と関わるような
辺りの話は、津田応助が地元に伝わる逸話とかを取り入れて作ったって。
土田弥平次なんかも、江南市に伝わってる逸話を利用したと考えると
結構納得いくんだけど。
でも、津田応助って江南市では地元に貢献した立派な人物って評価だけど、
生きてた当時って、古物の転売してたんでしょ?
特に、吉田家に売ってたらしいね。
自分の家にあった古物を津田応助に売ったら、いつの間にか吉田家に
代々伝わるものとして吉田家で見せられたなんて話も聞くし。
津田応助は死んじゃってるけど、吉田龍雲は生きてるんだし、その辺弁明はないのかね?
542 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 19:51:30 ID:07AqoLrH
お鍋の方も諸説あるんだけど、こういう説もあるよ。
小倉左近大夫良親の息女で、本能寺の変後に実家の小倉に帰って親元にいたそうだ。
「近江輿地志略」「淡海温故録」参照。
ちなみに小倉賢治の室で切腹後どうのこうのは後年の創作話と考えた方がいい。
小倉家出身だったので、小倉なべ、と名乗っていたのだろう。
本能寺の変の時お鍋の長子である信高は大垣城主の氏家氏のもとで養育されていたこと、
安土城内の信長の親、妻妾、子供たちは蒲生家の保護のもと近くの日野城に
避難しているのに、お鍋が日野城に避難せずに実家にいたことから、
お鍋は安土城の奥で公認されていた側室ではなかったのではないかと考えられる。
坂氏同様に城内におかれず、安土城下もしくは、居館を与えられていたのではないだろうか。
ただ実家のある小倉は滋賀県で安土とは遠いので緊急時の避難先にはちょっとリスクが
高いので不自然さは残るが、とりあえず日野城に避難して落ち着いてから
実家に逃れたとすれば不思議はない。
お鍋は濃姫たちと行動を伴にした様子はなく、信雄に庇護されていた痕跡もない。
秀吉の取立てによってお鍋が表舞台にでてきた経緯から、
正室の息のかかっていないことから、信長の男子をもうけた側室を
秀吉が利用したのだろう。
お鍋が正室格といわれてきたのは崇福寺への書状が根拠だったんだ。
あたかも正室クラスのがだす命令書だし、家臣の丹羽にもあのような指令を出せる
立場なのは安土城内でも相当権力のある女性であるはず→お鍋は正室格、
となっていただけ。
もしお鍋の書状でないと判明したら、たんなる側室以外の何ものでも
なかったことになる。
信忠の養子の時期は7才以降だと思う。
当時の乳幼児の高い死亡率から子供は7才ぐらいまで神様の預かり物
という認識だったので、乳児の頃養子にすることはしないと思う。
7才過ぎたあたりで早い子は元服を迎えたりしたので、
峠を越え、無事に成長をしたことを見届けたあたりで
養子にしたと思う。
正室の子でなければ嫡男になれなかったわけではないし、
養子にしたのは美濃支配のため信忠に正嫡性をつけたかったからだと思う。
543 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 19:53:56 ID:07AqoLrH
生駒家の家系図でも「吉乃」なる女性は存在せず該当すると思われる女性は「類」。
信忠、信雄、五徳は清洲城内で産まれた記されているので、生駒屋敷に類がいて
信長がせっせと通ったこととも矛盾する。
濃姫公認の側室として清洲にあがり、奥で側室奉公をしていたという事実を歪曲
しているのは確か。
武功夜話の年代的な矛盾も甚だしく自分で調べてみるといいよ。
呆れるほどだから。
信長の寵愛が深かったという証拠となるのは武功夜話に書かれていることだけが
根拠。
一般史料からわかることは、類はその他大勢の側室となんら変わりない扱いを
受けていた。それどころか、生前出家していたことがわかっているので
五徳を産んでから信長のもとを去っているんだよ。
寵愛が深かったらそんなこと信長が許さないし、する必要もないでしょ?
年子で3人産むということは、さほど信長と交渉回数がなかったということの
裏返しでもある。何を根拠に信長の寵愛が深かったと信じられるのかな?
544 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 19:59:34 ID:W+iWttl6
なんでこっちのスレにまでコピペしまくるんだよw
545 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 21:32:03 ID:goUzqYGs
こっちでやると自作自演バレバレだよ。
生駒厨さん。
546 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 22:03:58 ID:W+iWttl6
すぐに生駒厨を持ち出すおまいさんも
かなりウザイんだがな。
生駒や武功叩き路線でやりたいなら
偽書スレにいけよ。
547 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 22:43:03 ID:adCTPr5O
これまで何かというと生駒厨がどうとか言う奴がウザいと思ってきたけど
そういうのにすぐ反応して煽る奴の方がはるかにウザく思えてきた。
548 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 22:50:50 ID:9XwFUIsC
549 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 23:08:48 ID:goUzqYGs
>>537 確かに信孝生母は津島七党のひとつ、岡本家の縁者だし出目としては
全然悪くない。
信孝が生まれたのが、熱田で岡本家の屋敷だそうだけど、このとき
何か用事があって信孝生母が岡本家にいたのじゃないかな。
普通は清洲で生まれてもおかしくなかったのに、たまたまその日に岡本家
の屋敷にいた時に産気づいたとか。
そして清洲へ知らせに行く者がちょうどその時いなくて、報告が遅れたとか
なのかなと。
550 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:05:19 ID:ohHipPhb
お鍋の方も安土から馬でも小半時かかる所に住んでいたし
信長が側室を城に上げない主義だった可能性もあると思う。
生駒も武功に長期間城に上げてもらえなかった描写あるけど、
生駒に不利な部分については、案外史実に基づいているのでは。
信雄と信孝だと3男扱いの信孝が先にしょぼい目のとこに養子に出されていたりと
信雄の方が優遇されているが、これも信孝が城に住んだことがないからじゃないかと。
信雄はお袋さんが早くに亡くなったので、特例でその後城に住んでいたんじゃないかな?
一緒に住むと情が移るし、信雄と信孝の扱いの差ってそこから来ている気がする。
551 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 07:03:41 ID:N4VCpwb1
>>539 子供産めない年齢になる前に何かあって
不妊か、子供を作らない方が良いと医者に言われたんで
諦めたってケースを妄想した。
552 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 08:03:29 ID:aGWWF1Af
>>550 お鍋が安土城にいなかったのは小説の創作だよ。
553 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 10:11:32 ID:mYhheC18
信孝と信雄の差ってそんなにあるかな?
はっきりいって嫡男信忠以外は他家に養子に出されて、織田の名乗りは出来なかった
のだから。信孝は神戸家の養子に先に行っていたけど、これは諜略目的のため。
本能寺がなかったらいずれは三好家へ養子にいくはずだったわけで、そうなったら
信孝>信雄になっていた。武将の能力からしてもともと、信孝>信雄だったわけだし。
一緒に住んでいたからとかってのは特に関係ない気がする。
554 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 11:29:18 ID:sheYXT56
伊勢国司家を継いだ信雄
一土豪家を継いだ信包と信孝
どう見ても大差があるんだが。
555 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 11:47:29 ID:mTaa0cpw
信孝が神戸の養子になったのは坂氏がらみでしょ。
その後、三好の養子になる事も決まってたし。
556 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 17:52:13 ID:qdEVcOXj
ある織田家研究者がとても冷静に信長妻妾に関しての文を
書いているのだが、明瞭簡潔に述べていて好感が持てる。
濃姫についての解釈も平明で腑に落ちる部分が多いのだが、
この人の公平な文章でも、一部の過剰濃姫派から見たら、
生駒厨の類に入れられてしまうのだろうな。
もう、何にも言えない雰囲気だ。
557 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 18:14:07 ID:poqdoqUv
558 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 18:15:53 ID:qdEVcOXj
559 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 18:19:58 ID:poqdoqUv
○○という研究家が○○の史料を元にこういう説を書いてるよという情報なら大歓迎だけど、
556のようなグダグダした愚痴を読んでも不愉快になるだけ。
何も言えない雰囲気だと思うなら、どうでもいい愚痴なんて書きこむなよ。
560 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 18:45:59 ID:6CsDZTrh
禿同。
空気嫁よ。
561 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 19:05:11 ID:maDikRos
>>559-600 556さんの文章をもう一度よーく読んでみたら?
冷静に公平な視点の意見すら生駒厨にされる
今の雰囲気では書き込みたくても
書き込みにくいと言っていると思うんだけど?
それと多少の愚痴は言いんじゃないの?
あっちのスレはまともじゃないんだし。
>>556さんもこっちなら大丈夫だと思うから
その話を書いてみたらどう?
私は何て書いてあるか知りたい。
562 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 19:17:15 ID:Lt+ccwNI
>>561 > 冷静に公平な視点の意見すら生駒厨にされる
そうはいっても
>>556のは根拠のない思い込みだし。
> この人の公平な文章でも、一部の過剰濃姫派から見たら、
> 生駒厨の類に入れられてしまうのだろうな。
↑の部分ね。
563 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 19:45:35 ID:mTaa0cpw
>>561 その、冷静で公平な意見を出典付きで書けばいいんじゃね?
それを書かないで、思い込みだけ書いてればいやがられて当然。
564 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 19:59:14 ID:xcmYaFln
>>556 自分もどういう意見を書いているのか知りたい。
きちんと史料や根拠のある検証などを基に出された内容なら公平だと思うし。
565 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 19:59:39 ID:maDikRos
根拠のない思い込みかな?
多分史板を見てそう思っているんじゃなくて?
それにどうみても反論しているようには
捉えられないんだけど。
566 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 20:10:15 ID:poqdoqUv
>>561 その織田家研究者の冷静な意見をこんな説もあると紹介しただけなのに
生駒厨扱いされたとかの愚痴ならまだ気の毒にと思えるけど
自分の意見が受け入れられない愚痴を、自分が好きじゃない意見の人を貶める形で
書き込んでるだけの文章だし。
567 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 20:34:15 ID:mTaa0cpw
例えば、
http://www.kanda-zatsugaku.com/060825/0825.htm にあるように、養華院殿要津妙玄大姉の解釈を総見寺と総見院の両方の記録を
併せて紹介しているのは評価できる訳だ。
だが、それより前に書いている生駒家宗の娘に関しては、大して文献の考察もしてないで
美人だとか武功夜話をそのまま言っている訳。
こんな風に、一見公平に見えても、信じている説が如実に出てしまう事もある。
読み手も、その書いている人間の信じてる説を、同じように信じていると、
その辺り冷静に書いていて公平だ、と感じてしまう。
それをその説に疑問を感じてる者からすると、粗が見えてしまう事になり、指摘される。
もちろん、上記サイトに書かれている内容は、史学会の公式な研究としては、とてもまともな事だよ。
今、例えばここでこれを書けば、久庵慶珠のことは?とか、妊娠期間の計算の合わなさは?とか
突っ込まれる事は必至だとは思うけどね。
568 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 20:39:08 ID:xcmYaFln
>>567 この系図研究家の文章だけど、以前のスレに紹介されていたよ。
はっきり言って根拠のない思い込みが多い説だと思う。
569 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 21:26:36 ID:mTaa0cpw
>>568 論文じゃなく、講演だから、ある程度差し引かないとね。
それに、養華院殿要津妙玄大姉についていろんな説を紹介していて
一見公平に見えるけど、生駒のくだりを見るとそうではないと
でも、生駒を信じている人からはまともなことを言っているように見える
という事を言いたかったから引用した。
ただ、これが史学会でおおっぴらに言われている説でもあるから、
文献研究など、もっと突っ込んでやる人が出てきてくれればなとは思う。
570 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 02:19:31 ID:x/GknBZq
やはり「寵妾」のひと言が気になる。
571 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 18:49:27 ID:FhILZBgN
織田家研究者のとても冷静な信長妻妾に関しての文とやらを読みたいんですが
572 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 22:07:22 ID:vt2CK1Dl
573 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 23:38:20 ID:IN91BOnM
>>567の講演の文章の中に「信用できる尾張徳川藩に残っている文書によりますと、そのときあの剛毅な信長が生駒屋敷に向かって涙をながしていたと言います」
とあるけど、その信用できる文書って何なんだろう?
574 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 23:50:42 ID:Pdt0SDCG
浅学でそのエピソードは武功くらいしかしらないんだが。
もし本当に尾張藩に残された文書にそのエピが記載されているのなら、武功の
信憑性にもそれなりの一石を投じることになるよな。
是非とも、その「信用できる文書」をみてみたいところ。
575 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 00:01:20 ID:C2weYgD0
ほんと、なんていう文献なんだろう。ぜひともその文献をみたいもんだね。
576 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 07:59:18 ID:ZRRT4x/7
尾張徳川藩って、徳川家に残ってる文書?
それとも、尾張徳川藩の地域に残ってる文書?
是非とも読んでみたいものだ。
577 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 08:02:06 ID:ZRRT4x/7
>>574 そのエピソードは武功には書かれてないよ。
久昌寺縁起に書かれてたはず。
578 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 09:06:49 ID:G2/3fr77
でも
>信用できる尾張徳川藩に残っている文書によりますと・・・
って曖昧な書き方をしないで、ずばり文献名を書いてくれればいいのにね。
まさか久昌寺縁起のこと言ってるんじゃないよね。
579 :
人間七七四年:2007/06/14(木) 22:21:32 ID:QJyPO3D4
今、話題になってるのは>567で紹介された内容なのか?
だったら、どれほどの歴史知識のある人向けの講演か不明だし
初心者向けの講座だったら、詳細はしょってわかり易くするし
余計な混乱させないために、詳しい史料名とかは
あえて出さないこともあるんじゃないのかな。
↑
そういう省略は良くない・・・という意見もあるだろうけど
講座みたいなもの段階を踏んで知識を深くしていくもんだからね。
580 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 07:58:10 ID:7wumX9GP
>>567 家系図の専門家の意見だからこそこれだけは信用できるのではないか?
「家系図は信用してはいけない!」
寛政期幕府編纂の家系図は信用できないということになると、
今検証されている生駒家や織田家の家系図からの考察は
信憑性が乏しいソースからということになり、
無意味なのかもしれない。
581 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 09:14:11 ID:gvYk5k0L
当時の日記や、軍記物なども、系図よりは信憑性があったりして。
成菩提院の記録を調べてみたいな。
582 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 19:45:10 ID:6eYtXPn5
>だから系図ははっきり言って一級の資料ではございません。あくまでも2級の資料です。
>正史に対してあくまでも補助的な役割をする資料、それが系図でしょうね。
言い伝えとかの方が信用度は高いんだろうか。
583 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 20:07:35 ID:+DkgoW3B
「織田信長の謎」という本に、吉乃が正室になり濃姫とは別居していた。
濃姫は岐阜にいた。などと嘘書いてある。
理由が信長貴公記に濃姫が年中行事に参加したと書かれてないから、などと
書いてある。じゃあ、正室になったとされる吉乃は信長公記に書かれてるのかよ。
また濃姫が安土殿と呼ばれて信雄より化粧料をもらっていた。
なんて書かれてる。なんで安土城に入らないのに濃姫が安土殿と呼ばれるんだよ。
ばかかよ。こいつ。
しかも、養華院は安土総見寺の過去帳では「信長御台」と書かれている。と
紹介したあとに、小○田が、「信長御台」=濃姫ではない。
などの意見まで載せてある。
なんで、小○田は、信長御台=吉乃という説を唱えているの?
矛盾だらけなのがわからないのか。
あー、それにしても真実が本に載るのは一体いつになるんだろう。
誰かが大学の卒論ででも書いたヤツを出版するくらいでひっくり返せるな。
585 :
人間七七四年:2007/06/16(土) 23:16:53 ID:jCkVc5iQ
>>583 それって川口某が書いたPHPから出た本?
あれなら足利義昭が将軍位を剥奪され・・・なんて
嘘書いてる本だからその程度のものだよ。
586 :
人間七七四年:2007/06/16(土) 23:56:38 ID:OcRNVvuq
>>582 織田信行とか林通勝とかの誤った名前が流布したのも
系図が元凶だからな。
余り知られてないが森乱の実名、成利も系図では「長定」と
誤って記されている。兄に長可がいたことも関係してるんだろうが。
587 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 05:37:49 ID:sQb5IO4D
緒形直人の大河「信長」を見ていたので帰蝶という名に
愛着があるのだがこんなのは少数派なのかな?
そもそも「濃姫」とは名前も通称も分からないから
「美濃から来た姫さま」ということで後世の学者などが
そう呼んだまでらしい。
これに対して「帰蝶」は江戸時代にできた「美濃国諸旧記」
というものにでてくる名前だが、「名前が分からない」から
濃姫と呼ばれたことを考えればこれも確かな名前ではないのだろう。
が、やはり「帰蝶」と呼びたいな。
588 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 08:31:40 ID:3uPbcnan
>>587 身分の高い女性は本名で呼ばない事が礼儀であり、武家の慣習だったの。
だから実家の姓や住んでいた城の名や地名に殿とかをつけて呼ぶことが一般的。
周囲も高貴な奥方を名前で呼ぶなんて無作法な事はしなかった。
なので本名すら不明のお姫様は多い。
本人の残した手紙の署名ぐらいしか特定しようがないから。
帰蝶という名だって信憑性は低いと思うよ。
589 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 18:30:07 ID:OCB3ExBN
>>588 うん。
濃姫が帰蝶と出てくるのは、「美濃国諸旧記」だったような。
この「美濃国諸旧記」は江戸時代に編集された地誌だそうだし、
うわさや俗説なども特に検証せずにそのまま載せたようだし、
あちこち史実と違う箇所なども目立つそうだし、あまり信憑性の
高い書籍ではないそうな。
なので、濃姫の名前も本当かどうかわからない。
590 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 10:29:59 ID:IZYiGIRL
日本史板の濃姫スレはどうしてあんなに香ばしいのだろう。
591 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 20:23:50 ID:viY3FJaZ
とうとう生駒は本能寺後も生存していたとまで
言い出している椰子も出没してきてるしな…
592 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 22:08:08 ID:Xu3uuNnc
>>591 生駒なんかはどうでもいいけど、全ての人物事柄を濃姫に絡める思考回路どうにかならんのかね。
これもあれもそれも濃姫の可能性がある。可能性がないって資料がないから、全て可能性があるんだし、
つまりこれもあれもそれも濃姫かもしれない!
という思考回路なのに、その他の場合だとそういう「考察」を一切せず「この時代それは有り得ないから」
で済ませるのがなんとも・・・・・。
濃姫の場合は「でも家々で違うんだし、もしかしたらその可能性ある」ってアンタ。。。('A`)
593 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 22:52:35 ID:PzrmrrIt
史料から丁寧に読み解きをする冷静な人のレスは
読んでてふむふむと思うけど、
何でもかんでも「それは濃姫なんじゃないの?」人が困る。
594 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 22:53:11 ID:P0qlPHhk
そりゃ濃姫スレなんだから、あれもそれも濃姫かも?になるのは仕方ないだろ。
その際に裏づけになる史料は出して欲しいけど。
595 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 06:45:57 ID:xxoK8I24
こちらが本家からの負け犬の巣窟になっている件w
596 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 08:45:08 ID:vYKm+w+X
煽るならもう少しうまくやれば?
597 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 22:53:58 ID:+8cN2TqL
そろそろ一人逃げ込んでくる頃だからよろしく頼むね
598 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 23:16:08 ID:vpNlJn5B
え〜、悪いけど、ねねの手紙の原文の内容が分かってないような人間、ここでもいらない。
599 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 00:12:39 ID:OgN/W04v
>>597-598 前者の奴はpgrだったが、後半の奴は
内容は間違った事は言ってなかったと思う俺がきましたよ。
けんか腰な発言多かったからスレ荒れたことはふざけんなって感じだが。
俺も何でも濃姫につなげりゃ満足みたいな今のあのスレはあんま好きじゃないから
感情論の話題(資料から読み取れない個々の感情など)はレスしてない。
墓の話題とかは面白かったけど夫婦間の仲睦まじさとかは全部憶測にすぎんからどうでもいいわ。
600 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 00:37:00 ID:cKJEGPv2
でも、あの最初から煽りまくりの文章じゃ内容も説得力を欠くって。
けんか腰レスが多くなると、電波濃姫ヲタ風レスで大漁を狙う釣り師が現れたりして
荒れるだけなんだよな。
淡々と史料を語ってる時はいいんだけど。
601 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 01:06:17 ID:qeLyCnSB
なんか反論ができなくなってきたんで、開き直ってきたって感じだな。
602 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 02:22:49 ID:W94yYKny
>>600 >淡々と史料を語ってるときはいいんだけど。
同感です。
「それは濃姫なんじゃない?」「きっと濃姫だよ!」
「生駒厨はでていけ」
「そんなに正室が大事にされてたことが気にいらないわけ?」
・・・の?とwが好きで、タメ話口調でやってるのが来ると
話がいらぬ方向にとびまくる
603 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 06:25:08 ID:qeLyCnSB
>>602 史料の裏づけがあるなら別に「それは濃姫かも」でもいいんじゃないか。
全くなんの根拠もない話なら、それはまだ可能性としては低いからといえば
いいし。
濃姫好きの中には行き過ぎる人もいるのはわかるが、違う意見をいうときも
もう少し言葉をつつしんでもらいたいのも事実。
濃姫好きを興奮させるような煽るような書き方せんでもいいんでは。
だから、
>「生駒厨はでていけ」
「そんなに正室が大事にされてたことが気にいらないわけ?」
のように感情むき出しのスレが出てくるわけで。
604 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 07:06:44 ID:Op+1NfjJ
それは濃姫好きにも言える。
要はどっちもどっちなんだがきつい口調に
なってしまうのもわからんではないよ。
あのスレではね…
605 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 07:20:12 ID:OgN/W04v
こっちのスレはまともな意見が多くて驚いたw
みんなあっちが感情論の話題の時はスルーしてる人か?(俺はそうw)
個人的に今回の手紙にしても信長が理想の正室像をねねに諭したとは判断されるけど
それも茶化すような文章(きれいになったねとか)もあるからどこまでが本気でどこまでが真面目なんだかと思うんだよな。
それを濃姫と夫婦円満だったから言えた事だとか発展して考える奴の想像力には恐れ入ったがw
606 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 07:42:33 ID:1b52iFLT
>>603 >>「生駒厨はでていけ」
>「そんなに正室が大事にされてたことが気にいらないわけ?」
意外と、自作自演の香りがする書き逃げの場合が多いけどな。
普段の住人より、反論できなくなった方の。
あと、煽り厨が常駐しているのもあるだろうな。
>>605 きれいになったねの部分と、正室に関しての部分が、
明らかに、現代風にいえば段落的に分かれているからな。
原文で書かれているから、そこが全く解釈できていないみたいだったが。
自分は、どこまであの書状の内容が分からないまま突っ走るのか
生暖かくヲチしてたよ。
史板は、資料を読み慣れてて、原文もその時代背景を合わせて
解釈きちんとできる人と、
現代語訳になっていても文意が読み取れない文盲が混在している。
本来は、後者は出入りするなと言いたいな。
本当かどうか知らんが、途中で別人になったという人間は、前半の人間も
後半の人間も、少なくとも、原文じゃ分からなかったんだろう。
同一人物だと思われる理由は、原文の間違った内容理解が一緒だからだしな。
607 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 08:35:44 ID:U656fk6c
こちらでいくら息巻いても、しょせん庶家のこちらは負け犬の巣窟ですから。
負け犬の遠吠えすら本家には聞こえないでしょうねw
608 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 09:16:20 ID:6nDnHXdC
>>606 自分は後の人は言ってる内容は正しかったと思うよ。
最初の人の意見否定してたし。言い方が熱狂的濃姫ファンをいらつかせる喧嘩口調だったから大事になっただけの話なきがする。
最初の奴は正室側室の違いもわからず反論に反論する感じだったが後の奴は感情論を語るなと言ってただけな気がする。
自分は少なくとも濃姫と夫婦円満だったからねねにあの手紙を書けたとか言ってる
夢見がちな恋愛価値観大好きちゃんの意見が香ばしいと感じたよw
必要以上に濃姫持ち上げる評価する奴は真実を歪曲して理想で語るからちょい迷惑だな。
ま、どっちにしても好いた惚れたの感情論話題はお腹いっぱいだw
609 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 09:23:27 ID:1b52iFLT
>>608 だったら、二人とも同じところで解釈が間違っている理由が分からんな。
ヒントを与えたくないから、どこが間違っているかはいわないよ。
原文が読めて、現代語に訳せるなら、分かる部分だしな。
610 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 09:37:37 ID:6nDnHXdC
自分は濃姫を熱狂的に持ち上げる人間がそんなにいるとも思えなかったw
自分は今回あっちにレスしてないんだけど、2人で言い合いしてんのかなぁと感じたんだがw
少なくとも、信長の行動を濃姫基準に考える香ばしい奴の書き込みはお腹いっぱいなんだよ。
濃姫は正室だった。
その地位は側室に脅かされるものではなく本能寺の変までその地位にいた可能性が高い。
これだけを柱に文献検証して濃姫の軌跡を調べるだけでいいと思う。
大切とか愛とか円満とかいらんw
611 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 10:27:45 ID:SdR+72jL
濃姫は信長が美濃を統一してくれたことは
すごく意気に感じていたと思う…。
612 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 12:08:00 ID:KkHX3lQV
なんだか、あっちは、一人で自作自演しているようにしか見えなくなって来てるな
613 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 15:07:40 ID:dpo5BGie
IDは欲しいなあ
あのスレだけではなく日本史板全体に
邪馬台国のスレとかも酷いし
614 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 17:42:35 ID:PuNy1Izp
気持ちはわかるがおまいら、ここを日本史板のヲチスレに使うのはやめようZE。
俺は知識がないから全然話題振れられんけどな。
615 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 20:44:26 ID:ySVfxVcq
あっちのスレに書き込むにしろロムだけにしろ何人ほど住人がいるのかは不明だけど
大半の人はあんな感情論の対立にはうんざりしてるんじゃないの。
感情論も感情論はやめろの人も、結局双方とも感情論なんだし
普通に史料の解釈等を楽しみに見てる者にとっては、荒れるだけで迷惑。
616 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 20:59:37 ID:QgHdhz3N
>>615 かなり同意。
元々隙あらば荒らそうとしている奴がいるのは
過去のスレッドでも分かっている事なのに、
どうしてスルーを覚えないのかね?
夕べ史料を出してくれた人もいたのに、反応したの2人だぜ。
正室の解釈が違うって、反応したときのレス見れば、
もっといそうに思うのにな。
検証したい史料があるんだが、こっちだと
趣味板だから、出すのは躊躇するよ。
617 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 21:02:14 ID:OgN/W04v
濃姫は大切にされてたに違いない。
こういう事からも愛されていないなんて考えられない。
こういう書き込みをする奴は、恐らく史料解釈はどうでもいいんだろうなーと思う。
単純に濃姫マンセー出来りゃ満足って気がするよ。
高台院への手紙を濃姫につなげて考える奴らは、多分他のどんな史料でも
濃姫につなげて考えられる奴らだと思う。
618 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 21:16:53 ID:ySVfxVcq
>>617 そういう感情論に対する批判レス?も、あっちでは結構あるけど
そんな個人批判どうでもいいし、そんなレスの応酬でけんか腰になって
スレが荒れても意味ないと思うんだよね。
一部には616のいうように、わざと荒らそうとしてる輩がいるんだろうけど。
619 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 21:17:13 ID:OgN/W04v
>>616 反応したうちの一人、俺ですw
あれだけ人いたっぽかったから、もっと食いついてくるかと思ったけど
高台院の手紙にある理想の正室は濃姫がモデルだ、いやそうじゃないって話題に
結局戻っていって・・・何だかなあとw
個人的にはあの手紙からは何もわからんと思うんだが。
単純に信長がねねに、この時代のそれなりに地位ある大名や武将の正室は
こうあるべきだという形を諭しているというものしか俺には読み取れないんだけど、
あの手紙からもっと深い意味合いのこと読み取れたりする?
単純にエピソードを見て、創作するとすれば信長が濃姫を模範にしたという
おいしいネタになりそうだなぁとは思うんだけど、それってすでに小説家の仕事な気がするw
620 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 21:34:21 ID:PuNy1Izp
戒名の話面白かったな。
ああいう話題キボンヌ。
621 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 22:02:04 ID:QgHdhz3N
そういえば、家康は信長をどう思っていたのかってスレで
築山殿の話題で、やっぱり戒名の話しになってて、
濃姫スレで書かれてた、宗派の違いによる戒名の話しと
似たような事が書き込まれてたな。
やっぱり、日本の歴史を検証する為には、
仏教の知識は絶対必要なんだと、改めて思ったよ。
>>619 あの書状はさ、朱印が押してあるんだよ。
で、あの内容だろ?
一般的な正室像だけじゃなく、
信長の個人的な女性観まで書かれてある。
かなり特殊だよね。
622 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 22:07:04 ID:OgN/W04v
>>619 朱印は押されてた事は、前半部のせいじゃないかなぁ。
そもそも信長への献上品の礼としての手紙だったわけだし。
そういう手紙に、さらに個人的な内容が書かれていた事はすごい意外だったんだけど、
前半部を考えるなら“当主”から“部下の奥方”への正式な手紙として
朱印が押されていても不思議はない気がするんだけど。
その辺よくわからんのだけど、俺個人としては礼状としてのものなら
朱印があってもおかしくないんじゃないのかなーと思ってる。
623 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 22:12:57 ID:QgHdhz3N
>>622 そりゃ、前半部分があるから朱印があるという解釈は当たり前なんだが
朱印があるってことは、単なる代筆じゃなく、祐筆の手による物なんだよな。
だから、形式的な文書だったら、別に誰も疑問を持ったりしないんだが、
祐筆に書かせているのに、個人的な感情を書いている部分がな。
ま、どうでもいい事だが。
自分的には、言継卿記の事で話したい事があるんで、
早くあっちが落ち着いて、話せるようになって欲しい物だ。
624 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 22:28:04 ID:OgN/W04v
>>623 はやく聞きたいな、それ。
もういい加減恋愛小説の続きみたいな展開は胃もたれする。
625 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 01:12:10 ID:AC5dhOrF
やれやれと思うのは、「正室嫌い」という言葉を用いる人。
「何でもかんでも濃姫」説に意見を投げると「生駒厨」だし。
(家中での正室という位置はじゅうぶんわかってる上で、)
疑問を述べると「正室嫌い」と書かれる。
好きな戦国女性の中には正室側室、両方いるってば。
正室だから、側室だから、で好き嫌いを感じてるわけじゃないのに。
626 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 02:00:17 ID:jodH91dK
これまでの傾向からして、「生駒厨」とかの言葉をすぐに使う人は
それにすぐ反応するレスがつくのを面白がってる愉快犯じゃないの。
まぁ、これまで散々そのパターンの繰り返しなのに、スルーもせずに延々と相手をしてるから
自分で煽って、自分でその反論レスする自作自演荒らしの可能性もあるけど。
627 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 07:14:54 ID:HX9pcKgz
「何でもかんでも濃姫」の説って実際みんなどう思ってるの?
今回の手紙の件にしても、御局だ安土殿だって件もそうだけど。
御局とかの件はまだ史料的にも納得できる部分も多かったし
「可能性はありそうだな」と自分でも思ったんだけど、
今回の手紙、個人的には有り得ないと思うんだけど。
あっちのスレでは「信長は濃姫を理想の正室として考えながら、あの手紙を書いた」
という意見に同意してる人が多かったけど、自分としてはそりゃないだろーと
思っていたんだが・・・。
自分の方が少数派なんだろか。
628 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 07:24:04 ID:09E1WaR+
>>627 全くありえないとも言えないんでないの。
誰をイメージして書いたかどうかは信長当人でしかわからないわけだから。
実際はどっちの意見が正しいかはわからないから、あまりこういう話題で
対立して揉めるのもちょっとね・・
629 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 07:40:07 ID:Mxn8qBXn
>>627 あり得ないってほどの事でもないし、絶対そうだと言える物でもないって事じゃね?
あの書状って、ねねの懊悩(とまで大袈裟じゃないにせよ)という
「奥関係への感情」に対する返答な訳だからね。
そういう場合、普通は一般論でおさめるのは逆効果だし、
実際信長は、形式的な言葉だけじゃなく、自分の女性観も書いてる。
正室側室の関わる、奥についての女性自身の思いなんて、
他家の場合、表面的な物は分かっても、
感情込みの実情なんて分からないんだから、
それに対して信長が意見を言うとしたら、
自分ところの奥を念頭に置いたと
解釈するのは無理がないからね。
でも、もちろん念頭に置いてないんだとするのもありだと思う。
大体が、信長クラスの家なら、他家の男性にそんな感情を漏らす女性が
ぶっ飛んだ存在だろうしな。
出身階層の差というのがあるから、無視しないで教え諭したんだろう。
630 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 10:46:44 ID:4uR/cmmB
まあ、信長が自分の個人的な感情を書いているということで、
濃姫に結びつけたくなる人がいるのは仕方ないのでは?
まあ、自分の奥ことというよりも、一般的な大名家の正室像を
ただ話しただけということも考えられるし。
でも、どういう心情をもってこの手紙の内容になったかは、本人に
インタビューでもしないとわからないわけで。
だからどっちの可能性もあるということでいいんでないの。
ことさらどっちかの意見に決めないといけないわけでもないし。
史料ひとつとっても受け取り方って人それぞれだし。
もう不毛の争いはやめようよ。
631 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 16:52:43 ID:5vW/fp4f
子供がいなかったから存在感薄いわね。道三が生きていた頃までは色々な書物に出てくるが、それ以降は想像枠だわね。生駒の吉乃が子供を産んでいる為存在感はあるが、信長が一番愛していたのは誰なんだろ?
実質正室の生駒の方が死んだ後、信長は毎夜泣いていたそうな。
なんかの本(小説ではない)で読んだぞ。
あの信長が、信忠信雄徳姫と3人立て続けに生ませてる事自体珍しい事。
633 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 18:01:06 ID:ec9eDimy
>>627 こういう史料にこう書いてあるから、その説はないんじゃないかなって意見ならともかく
個人的には有り得ないと思うって意見じゃ、個人的に有り得ると思ってる意見と
感情的に対立してずっと平行線。
実際にどういうつもりの手紙だったのかは、信長本人に聞くしかないことで
そんな答えのでない話題で対立して煽り合ってもスレを無駄に消費するだけ。
634 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 18:02:08 ID:/Kl/k1Hy
「武功夜話」にある話だね。
例の、日本史板では否定されてたがな。
信長の長男信忠の母は久庵慶珠という人で、
生駒ではないとかいうことだ。
生駒が愛されてなかったとは言わんが、
信長も側室が多かったからな。
20人ぐらいいる信長の子供の母親に加え、
子供を産まなかった側室、正室もいるから、
まあ、結構な数の女性と交渉があったということだな。
635 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 18:59:58 ID:09E1WaR+
>>634 信雄は生駒が生母で確定だけど、一次資料に出てくるし。でも信忠に関しては
生母は生駒ではなく久庵慶珠という人ではないかとあったね。
実際に信忠が位牌所を設置してるんだったっけ。
没年も生駒とは違うので、信雄生母の生駒とは別人と判断してたね。
信長が誰を一番愛していたかは、本人の日記でも出てこないわからない訳だし。
まあ、それぞれ自分の思い入れのある女性が一番だと思えばいいのではないかな。
信長の奥がみだれていなかったのは確かだし、ねねの手紙から察すると信長は決して
女性に淡白だったわけではないと思う。女性は妬くものだと理解していたと思う。
だとすると数多くいた側室たちが揉めたり争ったりしないように気を配ってそれぞれ
の女性達に接していたとは思うな。
636 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 07:38:45 ID:3pJH3vRT
久々に信長の閨閥関連に萌え再燃でネットまわってみたら新説続々でびっくり
浦島太郎な気分だ
久庵慶珠については以前、歴読で吉乃の久庵桂昌の誤字か別称のように書かれていて
(誤字ってのも凄いが)さらに高野山悉地院の過去帳には、
また別の非常によく似た戒名が残されてるらしいことも某所で読んだよ
武功以後、生駒氏正室格上げ説と斉藤氏没説が蔓延して辟易してたもんで
嫡男の生母が別人であると反証できるなら正直晴れやかな気分なんだけどどうなんだろ
過去ログで久昌寺と崇福寺の宗派の違いをあげてる人がいたが
宗派を超えての複数戒名ってないもんなのかね?
あるいはどっちかが本来の戒名で、あとのは写しの際に誤字発生とか
信忠側から生駒家・永姫側に正しい戒名が伝わらなかったとか・・・
慶珠の没年が元亀2年ってのも果たしてFAなのかなぁ
ただ、慶珠が生駒氏だとするならば、
どうして嫡男が位牌所設定を天正5年まで引っ張る必要があったのか?という疑問が。
濃姫が信長について安土城へ去ったあと岐阜の主になって晴れて遠慮なく?
などなど、疑問は尽きん
637 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 13:03:57 ID:GCWKqCJ0
久庵慶珠の位牌所設置は天正5年じゃない。
天正5年の制札では、既に設置してある事を前提に書かれている。
元亀2年の制札は奇妙の名前で出ている。
元服前の奇妙では、通常は制札を出す事はない。
出すとしたら、当時の慣習通り、側室だった生母の喪主になった時くらいだ。
宗派どころか、宗派が一緒でも寺が違えば、法名は変わる事は多い。
信長自身でも、複数法名を持っている。
だが、宗派は違うが同じ禅宗なので、法名をつける方法はにたようなもの。
久庵慶珠と久庵桂昌はどちらも信長の側室なので、
同じような立場の女性に、同じような法名をつける事はあるかもな。
どちらにせよ、久庵慶珠が生駒氏なら、後々生き延びた信雄が
久庵慶珠の菩提を弔っていない事が、不思議なんだがな。
638 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 14:08:26 ID:evI1NJrl
信雄は桂昌の菩提にすら無関心だったからな。
葬儀の喪主をしたとはあるが、その後の法要をしたという記録はない。
生駒家の菩提寺なので、生駒家の方で法事なりをしていたらしいが。
久庵慶珠は桂と慶の字が異なるのは異字体ということは大いにありえるんだけど、
昌と珠の違いは誤記、あるいは元々違う戒名だったという以外
説明がつかない。ただ書状を出したのが奇妙なんだから誤記はありえんだろう思う。
639 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 18:10:28 ID:x4aqw0gg
だけど久庵桂昌と久庵慶珠同一人物で生駒なら、久庵桂昌の方は信雄が元服
前に制札を出し、その後何年も後に信忠が奇妙の名で久庵慶珠の方に制札を
出すのはおかしくないか。最初から久庵桂昌の方も信忠がやればいいのに、
なぜこちらは信雄が喪主をしているんだ?二人の母親が別人と考えた方が
すっきりするんだがな。
信忠は濃姫の養子になっているから、生駒の喪主を務めるのを遠慮して、信雄
が務めたと考えられてきたが、信忠は崇福寺に制札を出しているし、通説の生駒
の没年と久庵慶珠の没年が違うので二人の母親は別人と判断できる。
また、久庵慶珠が崇福寺に葬られていることからも、嫡男生母として気をつかわれ
ていると判断できる。
まあ、生駒の久庵桂昌説も正しいかどうかはわからないがな。
武功や久昌寺関係の資料は捏造が多いから。しかし今の段階では生駒の没年は
永禄9年であるとされている。だとすると信忠が制札を設置した久庵慶珠とはやはり
別人であると考える方が自然だな。
640 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 18:59:53 ID:thGq+SAP
久庵桂昌の誤記が久庵慶珠だったとしたら
信忠が間違えた事になって、おかしくなるんじゃないか?
生母の法名を間違えて、公的な制札出すとは思えん。
そして、久昌寺なんだから、本当に生駒の法名からとったのなら、
「久」庵桂「昌」の「久」と「昌」は正しい事になる。
久昌寺や武功夜話は捏造が多いから、何とも言えないが、
それぞれの法名が正しいと仮定すると、別人という事になるな。
怪しげな久庵桂昌の方が間違っていれば、
久庵桂昌は信長の側室ではない別人、または捏造の法名で、
茶筅は喪主もしておらず、久昌寺は茶筅経由で知行ももらっていないという事になる。
それらすべてが捏造であるならば、久庵慶珠が信忠信雄両人の生母で、
実際の没年は元亀2年という可能性が出てくる。
もちろん、久庵桂昌が間違っていても、久庵慶珠が信雄の生母である事を
裏付ける文献は一切ないがな。
信忠の生母である可能性は、制札を見る限り、かなり高いが。
641 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 11:38:23 ID:as9zqLHK
でも不思議なのは、信忠は嫡流が滅んだんで生母?の墓がそのままなのは
わかるんだが、生駒は信雄の系統が現在も続いているのに、なぜか生駒の
墓は全く手を加えられていないところ。
ホントなら自分たちの系統の基になった生母なのに、織田家の菩提寺にも
入れられず、法名などもグレードアップしているわけでもない。
久昌寺にあるという生駒の墓にしても、信雄が喪主をした記録はあるらしいが、
その後の供養などをしているということもない。信雄の子孫が供養に訪れたという
こともない。
信雄は生母に対して関心が薄かったんだろうか。
642 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 14:13:11 ID:BDBNaRMu
>>641 信雄系統にしてみたら藩祖の生母よりも、藩祖の正室のほうが
敬い大切にする気持ちが強いんじゃないかい?
北畠氏の墓などは今どうなってるの?
643 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 07:32:40 ID:VBYUn2Et
>>642 そんなに気になるなら、自分で調べればいいんではないか。
644 :
織田信長:2007/08/16(木) 08:59:38 ID:X7nq2q7j
本能寺で死んどけばよかったのに この女
645 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 17:55:07 ID:owUj7dO5
『寛政譜』には順慶の室が斉藤道三の娘であったと記されていますが、
『諸家系図纂』には畠山昭高の室が道三の娘で信長養女であったと記されています。
畠山昭高は天正元年に亡くなっているのでその後家の再稼とすれば、
信長(室の)の妹もしくは娘(養女)として
英俊(多聞院)のもとに伝わったと考えるにも無理はありませんね。
646 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 11:22:39 ID:TEZG6B3Y
>>644 負け犬が何をいまさらほざいてるのか・・
信長という人は、身内を大事にする人だったんだよ。
そのことは残された史料を見てもわかる。
斉藤家美濃衆が織田政権下で重用されたのは事実なのだから。
いくら斉藤家及び濃姫を落としいれようったって無駄だよ。
残念だったな。信長はお前の妄想するような人物ではなかったんだよ。
647 :
織田信長:2007/08/20(月) 03:52:46 ID:67aQYSQJ
僕斉藤氏嫌い
648 :
織田信長:2007/08/20(月) 04:05:19 ID:67aQYSQJ
即追い出しとけばよかったと思うがね
こいつ
649 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 06:28:40 ID:yFrUyGuG
>>647 >>648 また荒しに来たのか?
よっぽど暇人なんだな。
お前がいくら煽っても無駄だがな。
真実はひとつしかないからな。
650 :
織田信長:2007/08/21(火) 02:35:09 ID:++cWCtHV
信長 こんな糞女と縁を結んで可哀想だ
651 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 08:31:47 ID:rUe1Aj1M
652 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 13:22:21 ID:XswC36qK
>>650 お前みたいなやつに、事実と全く違う妄想されている信長が非常に気の毒だ。
一生、そうやって妄想してろよ。
653 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 17:05:38 ID:ttvFUUN8
生駒厨〜きもーいw
武功夜話が偽書だったのがそんなに気に入らなかったのかねえ〜
そんなに正室になれなかったのがくやしいのかね。
しかし、捏造文書武功夜話でも生駒が正室になったなんて一言も書かれてないのだけど。
なのに勝手に都合のいい妄想して〜ぷっっっ笑えるw
654 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 17:25:06 ID:XC2OIw0z
正室になったとは書かれていないけど、
武功夜話では生駒のことを内室と書いているからな。
そこから正室になったと解釈したんだろ。
ただ、それと並行して斉藤氏のことを御台と書いている。
御台がいて、さらに内室と書かれているから、
正室格なんてことになったんじゃないか?
でも、創作した人間は、
内室=内縁の妻って解釈で書いたんじゃないかと
個人的には思っているけどな。
それなら、武功夜話の記述って、辻褄が合っちゃうんだよな。
655 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 17:36:19 ID:ttvFUUN8
だけど、内室=内縁の妻って解釈って当時の時代にあったのかな?
656 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 17:43:17 ID:XC2OIw0z
>>655 当時にはないよ。
だから、武功夜話を創作した人間が無知だっただけじゃないかといいたい訳。
657 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 17:47:04 ID:XC2OIw0z
捕捉
武功夜話が創作されたと思われる時代は
「内妻」=「愛人」「内縁の妻」
というのが、今よりももっと普通に使われてた時代。
内室を内妻と同じようなものだと思ってたんじゃないのかな?
658 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 20:39:51 ID:lJvASDEH
それもそうだね。
武功夜話って信長と生駒の話だけでなく、他の話でもあきらかに創作とわかる
書き方をしているからねえ〜
作者がよほど無知だったのか、当時の事を調べて書いたつもりが全く検討ちがい
の史料ばかり参考にしてしまったため、こうなってしまったのか。
しかし、生駒ファンだか武功ファンだか知らないが、生駒が側室として織田家を支えたのは
事実なんだし、正室でなかったからといって悲観する必要もないと思うが。
当時は今の婚姻制度とは全く違うのだし、当時だって権力者の側室になるだけでも
名誉なことだろうし。
信長にしてもあれだけ大勢の側室がいたのだから、たとえお気に入りがいたとしても
特定の女を贔屓したりは出来なかったというのはあると思う。当主自ら奥のみだれに
つながるような行動はとれなかったのではないかな。
またねねに宛てた手紙を見ても、信長は正室と側室との立場の違いっていうのは明確にしていたと思う。
それはどっちが偉いとかって事ではなく、役割の違いだから。
当時と全く価値観が違う現代の我々には、理解しにくい事だろうけどね。
659 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 15:46:06 ID:flYWUZ80
武功夜話のメインは生駒がどうのこうのではなく、「あの秀吉は生駒屋敷から誕生
した!」というところがいいたいがために生駒を登場させたようなもの。
そのための辻褄あわせに生駒に清洲城ではなく、生駒屋敷にいてもらわなくては
ならなくなったので、通い婚みたいな創造話が生まれ、三人の子供は生駒屋敷
で産まれた、なんていうことになってしまった。
生駒つながりで秀吉や蜂須賀が登場しているので、生駒なくしてあの物語は
あの展開にはなりえないから。
武功を創作した人物だって生駒はつなぎ程度のもんだったはず。
だからずさんな創作話で矛盾ばかり書いてもかまわないとおもったんだろ。
ところが後年信長の人気とともに妻子の研究が進んで、つっこみどころ
満載の武功夜話が槍玉にあがってしまった。
そこんところが嘘デタラメだったために、一応そこそこ信用してもよいという
点もあると言われても、武功=偽書の認定がされてしまったので
誰も史料価値を認めることがなくなった。
吉乃をさもありがちな側室として書いておけばよいものを、浅はかなことを
したもんだな。
660 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 17:14:13 ID:i7t2H2zt
台風被害を受けた我が家の蔵から、
こういう面白戦国草子が見つかりました。
小説として読んでください、なら良かったのにね。
661 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 17:32:17 ID:zZVYosFz
ホントだよね。
武功夜話がなかったら、生駒もここまで叩かれることもなかったろうし、
信忠生母の件やら永姫のことやら、あれこれ検証されることもなかったん
だろうしね。
武功夜話のせいで、生駒家の史料の信憑性が疑われてもいるわけだし。
墓穴を掘ってしまったってことかな。
662 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 17:44:34 ID:AMHvgHS6
信秀スレを覗いたら、土田御前の出身が小折土田家だとされたのも
武功夜話以降だと書かれていた。
確かに、そういわれてみれば、昔は土田御前の出自も不明だったなと思い出したよ。
六角氏息女という話も、昔は一つの可能性として普通に話されていたように覚えている。
秀吉が生駒つながりで出世したことを書くには、吉乃を出す必要があり、
吉乃が生駒屋敷にいたまま信長の寵愛を受けるには、信長生母の実家なので信長が
生駒屋敷に出入りしていたという設定が必要だったんだな。
663 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 18:14:36 ID:OSYcOlAA
とりあえず濃姫の話をしようぜ。
664 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 23:07:27 ID:SJ39fWz/
なんか、史板での濃姫スレだけど、最近過疎ってたのにまた復活してる。
言継卿記の信長本妻〜の頃に濃姫が生存していた、いや死んでたと
意見が分かれてる。
もし、永禄12年頃の段階で濃姫がすでに亡くなっていたなら、それらしい
記述が言継卿記に書かれていてもいいと思うんだけど。
665 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 23:28:23 ID:AMHvgHS6
今更、濃姫を死んだことにしたかったために、
岡田氏の言継卿記の解釈以降
引っ張りだされた馬場殿のことが
話題に上るとは思わなかったな。
666 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 23:41:49 ID:SJ39fWz/
だけど、あの記述だけで濃姫が早世しているとはちょっとね・・
それならなぜ当時の文献に濃姫が亡くなった記述がないのか。
斉藤家の史料にもあってもいいと思うんだけどな。
また、その後に登場する御台は誰ってことになるし。
当時の信長が継室を娶ったならそれらしい記録があってもいいのに、それもない。
しかも濃姫が他界した後でも信忠は濃姫の養子という立場のままだし。
早世説を唱える人は、濃姫の没年や墓はどこにあるのか、また法名は何なのか
とか、裏付ける証拠を見つけてきて欲しいね。
667 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 23:55:08 ID:i7t2H2zt
揶揄するわけじゃ無いけどさ。
今日の午前中に見て、沈んでるなと思ってたら
その夕方からあの盛況ぶりはwww、いやはや何ともだな。
早世説を投下してくれた人のおかげじゃん。
668 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 01:11:32 ID:gHbouOv0
>>664 でも、言継卿記に出てくる「信長本妻」は濃姫と見るのが
妥当なんじゃないのか?
斎藤義竜未亡人の持っていた茶器?を信長が無理に所望したところ、
「信長本妻」とその縁者、”国衆の大なるもの”が結束して
それに反発し、結局信長が所望を諦めたという顛末からみても、
「信長本妻」が美濃衆に影響力を持って、義龍の後家とも関わりが
あった人物であったと見るのが妥当。
馬場殿の件については、その後娶ったならば何かしらの形で
書状や記事、過去帳などの記録があって良いはずだし、件の
エピソードにのみ登場するあたり、実在しても信長に嫁いでは
いないと思う。
そして、『勢州軍記』は蒲生氏郷の旧臣の息子が、父の残した記録や
人々から話を聞いて、寛永年間にはすでに完成していた。その中に、
「織田信忠を正室の斎藤道三娘の養子とした」という記事があり、
少なくとも勢州軍記が執筆されたころには「信長正室=道三息女で、
織田信忠の養母」という認識があったということだと思う。また、
ベースが信長の娘婿でもある蒲生家臣の記録であるところから考え
ても、濃姫が正室の地位にあったとみていいと思うんだが。
長文失礼しました
669 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 07:11:19 ID:TfsYoywd
>>668 それは、そうなんだけど・・信長正室は濃姫だけで間違いないと思う。
けど、その肝心の濃姫がいつ頃まで生存していたかという話に、史板
では意見が分かれてる。
自分としては、安土城から逃げる人の中に「御台所」「北の方」があれほど
見られるし、実際に氏郷の父親が北の方を説得していることをみても
正室不在だったら、御台所を説得するという表現を使うだろうかというのが
自分の疑問。丹羽長秀に宛てた手紙も同様。
しかし、早世説をかたくなに信じている人は、濃姫が記録に登場していない
ので既に他界していると主張している。
しかし、信長正室が早世なら、蒲生氏が説得した北の方は一体誰かということになる。
その謎に対して納得のいく答えが見つからない以上、濃姫早世説は自分としては
無理があると思っている。
670 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 09:47:57 ID:cRH7uhCC
濃姫早世説も生存説もどちらにも揺れてしまう。
どちらの説にしろ、死亡時の記録、葬儀録、位牌、過去帳などの
「死」に関する物証が発見されていないところが辛い感じ。
至極単純で乱暴な感覚で申し訳ないんだけど、
決め手にかけるのだから仕方ない。
>>666 >早世説を唱える人は濃姫の没年や墓はどこにあるのか、
また法名は何なのかとか・・・・証拠を見つけてきて欲しいね。
早世して「いない」派から早世派へ、言及したい点の一つがそれですね。
でも、総見院の墓や法名についての検証をロムっていると
アレもほんとに濃姫のものなのだろうか?という疑問もわく。
生存・長寿説にしても、明確な死亡状況を説くのは実は難しいのでは?
ここはIDも出て、文章も過激な人がいないのでぼそっと言ってしまったけど
議論をふっかけているわけでは無いので、気にさわったらゴメンなさい。
671 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 12:08:25 ID:pYbjzxbL
どちらの説も、自分に都合のいい箇所を都合のいいように解釈をして
自分の信じている説の主張をしているだけだから、
仕方がないことでしょうね。
また、武功夜話で濃姫早世説が主流にならなければ、
これまでの一般的な歴史上の解釈では、濃姫とすんなり解釈されただろう説だったものが
否定される情勢にあるというのも、大きいのかもしれないね。
誰かが書いていたが、濃姫長寿説側が、長寿の証拠を出してこいと
一方的に突きつけられている感じはあるよ。
早世説側は、死んでいて史料に残っていないのだから出す必要はないと
ある意味開き直ってるようなもので、確定的な史料はなくて出せないから、
濃姫が生きていると考えられる史料も、死んでいると解釈しているものもあるし。
馬場殿の史料、武功以前の解釈が載っている古い本を探しているんだけど、
見つからない。
大学の頃の図書館にあったのかな?
女性についての史料など、残っている方が珍しい時代ですし、どちらの説も確定的なことは結局わからないでしょうね。
史料として残っているのは室町前期までと、江戸中期以降が多く、
戦国時代に関しては、男性に関する史料も、他の時代に比べれば少ない時期だし、難しいでしょう。
672 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 12:45:06 ID:KJ+C0Ixf
>>馬場殿の史料、武功以前の解釈が載っている古い本
手元にある桑田忠親の本では「その夫人はすでに死去したが」とあります。
すでに死去してるが、信長は道三の女婿なのでいまさら差し出せぬ、と
解釈してますね。桑田氏は武功に関係なく解釈してますよ。
桑田氏以前の歴史家はほとんど濃姫早死説です。
生駒を後室(事実上のと表記のある場合もありますが)
と考えているようです。彼女の長生きを証明する史料がないからみたいですが。
武功が生まれたのはこういう背景もあったかもしれません。
673 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 13:03:16 ID:2VrbmCN5
だけど、生駒が後室になったとする確たる史料もないんだよね。
生駒に関しては資料がないのに、後室になったとしてるのは疑問。
生駒が信忠生母である証拠もないしね。
嫡男生母でもない人物が、第三者からみて「御台」や「北の方」と
呼ばれるのは不自然。
濃姫が長生きした証拠がないからというなら、生駒が本能寺の段階まで
生きていたとする証拠もないし。
本能寺後の「北の方」は誰を指すのか。また、生駒が本能寺の段階まで
生きていたとすると、信雄の史料に登場しないのは?
色々と疑問が出てくる。
674 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 13:34:38 ID:pYbjzxbL
>>672 桑田氏の解釈だけを信じるとそうなるのですが、
馬場殿の逸話が収められた背景も一緒に考察した論の載っている本を
30年くらい前(おそらく大学時代)に読んだので、それを探しています。
そこには、濃姫の生存がどうこうなどという話は軽く書かれていて、
信長と義興の関係と、美濃におけるそれら二人の評価についてのことが主でした。
675 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 14:13:34 ID:KJ+C0Ixf
>>674 桑田氏の師匠筋にあたる高柳氏なども濃姫早世説をとっているから
たぶん同じような解釈だと思います。
濃姫長寿説は例の総見寺の「泰巌相公縁会名簿」の「養華院殿要津妙玄大姉
信長公御台」という記載が発見されてからだと思います。
それ以降、それを裏付ける話があれこれ出始めたと記憶しております。
676 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 14:20:21 ID:pYbjzxbL
武功以前は、濃姫の早世説そのものも、ほとんどありませんでした。
高柳氏の早世説も、そこまで古いものではないです。
普通に、正室を全うしたという説も多々ありましたよ。
それ以前に、濃姫の動向を気にした説がほとんどなかったんですけどね。
武功以降、早世説が一気に世を席巻し、
養華院殿要津妙玄大姉で揺り戻しが起きたというのが、
自分の印象ですね。
677 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 14:52:39 ID:cRH7uhCC
>>676 >武功以前は濃姫の早世説そのものも、ほとんどありませんでした。
うーん、早世とまで言い切らずとも、
「斎藤家凋落の後の濃姫の消息は不明」とか
「その後、濃姫の名は記録から消え、没年も墓所も不明」
みたいな論調だったと思うのですが。
>濃姫の動向を気にした説がほとんどなかったんですけどね。
これは言えますね。
取材や資料の発掘が足らない時期でもあったろうし、
文献に登場しない→消息不明としか言えない
→そして、それ以上の探求もしないし興味もない、、、
こんな感じでしょうかね。
678 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 15:30:14 ID:pYbjzxbL
>>677 「斎藤家凋落の後の濃姫の消息は不明」も、多かったですね。
「婚姻後の動向は不明」も多かったです。
でも、「死んだ」と確定的に言われだしたのは、武功以降ですね。
高柳氏も、早世したとはっきり言い切っているものは自分は読んだことがないんですよね。
消息不明とか、政治的には全く無縁というような形のものは書かれていたと覚えていますが。
どちらにしろ、信長の奥に光が当たったのも、武功以降なので、
早世説も長寿説も、それほど歴史ある論じゃありませんね。
個人的には、児島の斉藤家あたりから、何か史料が出てこないかと期待しているのですが。
679 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 15:47:20 ID:2VrbmCN5
あと、濃姫のお兄さんが妙覚寺にいたから妙覚寺にも何か
史料がないかなと思っています。
妙覚寺は信長も信忠も利用していましたし、手紙の類などあるかなと
思っているのですが。
680 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 08:57:21 ID:EglgOuLy
武功以前の古〜い歴読なんかを読むとだいたいが
生駒登場以前に病死あるいは斉藤家との戦が始った頃離縁、
その後消息不明なので恐らく離縁後まもなく亡くなったのでは?
というかんじの物が多いかな。
681 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 09:16:30 ID:cbbc/wfF
濃姫早世って言ってる人ははやく濃姫がいつどこでどう死んだのかを示す史料を提示してくださいw
682 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 10:08:31 ID:HkFOFg6v
坂口安吾の「信長」は古今東西の信長小説の中で最高傑作だと個人的には思っているが、
濃姫早死説をとっているのだけが不満だった(実際に死ぬまでは話進まないんだけどさ)
683 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 10:15:56 ID:doUvZCH5
濃姫が早世している確たる史料なんてないんだよ。
あったら、とっくに出してるしもっと話題になってるさ。
濃姫早世の根拠にしても全く弱いし、妄想が多すぎるし、笑える。
>>680 濃姫が美濃攻略時に不明というが、言継卿記に濃姫が出てくるし、
道三の娘が道三死後に濃姫の養女となって元助に嫁いでる。
あとイエズス会の史料にも濃姫と思われる記述があるというし、
まだまだ未発見の史料がある可能性はあると思うな。
684 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 12:03:17 ID:cbbc/wfF
>>683 ねw 早世派って何でそこまで必死なのかが理解不能w
685 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 14:59:50 ID:jbd5o5d9
まぁ、あんなに有名な道三の娘で、信長の正室にもかかわらず、
史料上ほとんど消息不明だから、いろんな説が出てくることになるんだよな。
濃姫早世説を唱える人間だって、有名な濃姫で妄想しているんだし、
長寿説派だって妄想。
みんな濃姫が潜在意識下で大好きなのさ。
でもさ、高台院や淀のようにさんざん政治の表舞台に出てきて、
あの時代の女性にしては珍しいほど史料が残っていた女性なら、
今色々と言い合っている人達も、最初からほとんど興味を持たなかっただろう。
686 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 17:27:59 ID:LhMnJaAJ
>>683 言継日記の書き方だと明らかに生存しているとはいいがたいです。
どっちともとれる。その他も同様。その時点で亡くなっていても文脈が
通じるし、死後であっても問題がないから、早世派がそう簡単に
納得するわけないですよ。
本能寺の変前後まで生きていたならあれだけの有名人の妻となってからの足跡が
あまりにないのも過去の研究家たちが早世と決め付けていた理由だと思います。
寺社への祈願、参拝、寄進等の記録も足跡をたどるにはけっこう有力な手段
なのですが、濃姫に関してはまったくありませんしね。
687 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 17:56:21 ID:OVuDXmib
本能寺以後も出来れば生きていて欲しいって願望があるだけに
現時点でわかってる史料では、早世説に賛成できないな。
どこかの寺から葬儀の史料とかが出てきたら流石に納得するしかないけど。
688 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 18:24:30 ID:jbd5o5d9
言継は死んでいる女性などは亡妻なんて書き方をしている箇所があるから
本妻で出てきていると、生きているんじゃないかと考えうることはできるんだけどね。
689 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:07:13 ID:k8WcNky1
桑田忠親ってさ、古文書の崩し文字の解読には長けているけど、
その解釈がおかしかったり、当時の常識を知らなかったりするよな。
一番有名なのは、女性の署名が頭文字一文字の場合が普通にあるのを全然知らなくて
寧々のことを「ね」一文字が名前だって、大々的に発表しちゃったことだろ。
桑田忠親の古文書の現代語訳には信頼を寄せているが、解釈の方は
それほど信頼できないってのが、普通の歴史やってる人間の認識だと思ってたけど。
690 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:10:04 ID:k8WcNky1
>>689 >古文書の現代語訳
間違えた
古文書の崩し文字を崩してない文字にする事だ。
691 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 00:09:37 ID:y428bVAS
なんか早世説の連中、早世の証拠を提示しろと言ったら
久庵慶珠が濃姫だと主張してやがるw
以前もこの話題が出ていたが、美濃国主の娘だった濃姫が院殿号もついていない
久庵慶珠の法名の筈がないから、それは絶対違うと言ってたのにな。
今更濃姫だと主張されてもな。それに大体が久庵慶珠が正体不明の人物なのに
信忠が位牌を設置していることから、信忠生母に違いないという意見だったのにな。
崇福寺に久庵慶珠の位牌や墓があるのか、どこの誰と記録にはなっているのか
とか、もっときちんと裏づけを取ってからにして欲しいな。
しかも、濃姫が天正年間に入る頃に亡くなってるんなら、その後に登場する
北の方や御台は誰を差しているのかという質問にもまるではぐらかしてる。
しかも、それほど濃姫に対して興味が無くなったって・・
ってか、最初からさほど濃姫に対して興味なんてないんじゃないか。
ほんと、笑える。
692 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 03:12:27 ID:KXtEzMZa
>>681 681他の早世派でない方々も、
相手方に求めるばかりではなく、あちらのスレに戻って
負けずに、総見院の農姫墓の信憑性を示す事跡や
濃姫がいつどこでどう死んだのかを示す、
覚たる史料を探ったらどうでしょうかね。
693 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 07:30:05 ID:d/tfrRdF
>>691 そう思うならあっちに参戦して、持論を披露すればいいだけのこと。
影でこそこそ言ってるほうが負け犬っぽいよ
694 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 08:18:19 ID:2I93kFSs
>>691 久庵慶珠が濃姫じゃないかと言っている人は、早世説派じゃないだろ?
早世説派が出してきた史料の矛盾点を指摘しているし、
長寿派に有利な解釈も示してくれているじゃないか。
それに、院殿号がついてないから違うってのは、
久庵桂昌の方はついてないのがはっきりしているけど
久庵慶珠の方は、ついていないと判断できないってことで収まっていただろ。
位号がついてない臨済宗の法名なんてないんだから、
省略されていると解釈する方が、当然じゃないか。
それに、元亀2年に亡くなったんなら、早世じゃ全くないだろ。
まして、生駒女が正室格になった説も覆せる。
嫡男がきちんと2度も判物を出している、
それも最初のは信長の判形を使って出しているんだぞ。
織田家で重きを置かれていることの傍証になる。
早世説派の、無理矢理な解釈よりは、まだ信憑性が高いと思えるね。
もちろん、天正年間の北の方や御台に関しての問題はあるだろうが、
久庵慶珠派の人は、生駒女が正室格になんてなってないということが、
はっきりすれば何でもいいとまで、言っているところを見ても、
天正年間の北の方が濃姫だと考えられる高い精度の史料が見つかれば、
それでいいと思うんじゃないか?
専門家でも、天正年間の北の方=斉藤女と確定して判断はしにくいという意見があるから
早世説派がいいように言っていることもあるが、長寿派にしても北の方=斉藤女を
証明できる史料を探してくる必要はあるんだよ。
そこはきちんと押さえて史料探しをしているぞ、自分は。
695 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 08:21:30 ID:ONc+FpPj
主張するなら主張するだけの裏づけを取ってからにすべきでは。
何もかもかも知れない、可能性がある。
だけじゃなあ。
可能性だけなら、どんな可能性もゼロではないんだし。
持論を展開ったって、史料の裏づけも取れていない今の状況では
単なる妄想大会になるだけ。
きちんとした寺なりの調査をしてから言うべきでは。
696 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 09:13:23 ID:H3fGfQLq
信長正室の位牌所であるから、ということであれば省略した戒名などではなく
はっきり「信長公正室の位牌所、お方様の位牌所」なりという表現に
なるんじゃないか?
お鍋がだした崇福寺の手紙では「上の位牌所」となってるし
信孝は「上様の位牌所」として、戒名なんかでは書いてない。
それから崇福寺だって信長親子の廟を現在まで継承しているのだから
もし濃姫の位牌所であったなら同じく濃姫の廟なり墓なりを親子の近くに
残しているのでは?崇福寺に現在濃姫がらみのものがまったくないのは
ありえない話だよ。
697 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 14:23:26 ID:DgqLVhVF
道号+戒名だけで記載することが、超絶イレギュラーで
当時の、どんな史料や書状にも出てこない書き方ならともかく、
普通に出てくる書き方なんだから、色んな解釈ができるんじゃない?
698 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 11:44:11 ID:ez1kOvF+
でも、濃姫の位牌所というなら、その後信長親子の墓が建てられたなら
当然彼女の墓も近くに建てられるか、もともと墓があったとしたら
そのまま親子同様現在まで供養を続けるんじゃ?
現在濃姫の位牌や墓どころかなんの足跡も残されていないのは、
どう解釈してもありえないぞ。
699 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 10:45:39 ID:hqkoHbp3
自分も、久庵慶珠は濃姫ではないような気がする。
もし、久庵慶珠が濃姫で崇福寺に墓も位牌もあるんだったら
総見院にある養華院と混同なんてしないと思うし。
それに、濃姫の寺への寄進や供養などが全くないという話ですが
対象とされる全ての寺の調査などは行われていないのでは。
濃姫と関係が深いとされる妙心寺や妙覚寺や常在寺などに
何か記録がある可能性もありますし。
妙心寺の法要の記録にしても、お市などが法会を開いているような記録が
あるらしいけど、それ以降の三回忌や七回忌などの節目節目の法要の記録
とかも本当に全然ないのかな。
700 :
織田信長:2007/09/04(火) 19:03:27 ID:XwJSaBVb
濃姫早世って言ってる人ははやく濃姫がいつどこでどう死んだのかを示す史料を提示してくださいw
まるで
僕が殺したみたいに受け取られているようでイヤ
です!僕自身も斉藤家がらみの確執にはうんざりしているのです。
本当に
明智光秀のような馬鹿には勘弁してもらいたいです。
701 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 19:59:41 ID:0RmbVdqS
濃姫長生き説って言ってる人ははやく濃姫がいつどこでどう死んだのかを
示す史料を提示してくださいw
702 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 23:37:34 ID:APzbAflo
>>701 誰も長生き説なんて唱えている人なんていないんだけど?
>>700 またまた、例の妄想始まったか?史板では濃姫が早世の場合の見解が
色々出てるがな。誰もお前のせいだなんていってるやついないんだが。
明智光秀がどうのとかいってるが、奴は朝倉家に仕える前は全く不肖の
人物だぞ。秀吉級の成り上がり者だという説もあるぐらいだしな。
斉藤家との関わりなんてあるかどうかも不明だし。
703 :
織田信長:2007/09/05(水) 00:07:52 ID:KVJJ2MNc
光秀自体道三の部下だったとウィキに書いてあるけど
704 :
織田信長:2007/09/05(水) 00:17:06 ID:KVJJ2MNc
>>702 光秀と斉藤氏は密接な関係が絶対あるに決まってる
道三自体正室に光秀の母親いれてるぐらい明智との関係性は深い
705 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 00:36:51 ID:Sh63bL5U
道三の正室が光秀の母親?
小見の方の子供に、光秀がいたなんて話し、初めて聞いたぞ。
小見の方の兄の養子という説がこれまであっただけだろ、光秀は。
それも、最近じゃ、光秀は光秀の正室だけじゃなく、光秀自身も妻木氏出身で、
明智家の長山の明智城じゃなく、城山の明智城に住んだから妻木から
明智氏になったって説も注目されてるんだぞ。
光秀自身の姉妹が、妻木氏を名乗っている。
妻木姓の武将が実父と推測できる状態で史料に登場するなどな。
まだまだわからない事だらけだぞ。
道三が明智を重視したのは確かだが、光秀が明智とは断定できてないんだよ。
706 :
織田信長:2007/09/05(水) 01:15:05 ID:KVJJ2MNc
どう考えても明智の血縁だろ
そういった謎めいた説を議論するのが戦国板の楽しみの一つ
かもしれんが光秀=明智はほぼ90%間違いない
戦国の謎なんて
家康影武者説だの変の真犯人だの秀吉の出自など
いっぱいありすぎてわからん
濃姫自体もかなり謎めいているしな
あと子見の方は伯母だ すまん
707 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 06:49:29 ID:fXos7IEV
光秀に関しては明智といってもかなり没落した庶家程度だろう。
あるいは下級武士出身で、土岐妻木に養子に入ったとかだな。
妻木氏の姉妹がいたのは、自身が土岐妻木氏出身という説も成り立つけど
光秀が土岐妻木氏に養子に入ったから、という解釈も成り立つ。
少なくとも信長正室の従兄妹説だけは絶対にない。
それならフロイスが卑しい身分だった、なんて書くわけがない。
708 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 08:27:24 ID:27xEeRDI
>>706 お前全然知識もないくせに光秀がとか言ってんじゃないよ。
恥ずかしいぞ。
ドラマや小説の設定を信じたり、
濃姫が早世だとかって勝手に妄想してるみたいだが
死亡時期が特定されているわけではないんだよ。
信長が斉藤家美濃衆を優遇していたのは事実だし。
濃姫がいてくれたおかげで美濃一国は誰にも遠慮することなく
ゲットできた、影響力は大だな。
なんか、つまらん妄想を以前からしているようだが
きちんと調べてからした方がいいんじゃないか。
709 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 08:34:55 ID:l16jx4hF
光秀は、越前朝倉に行って仕え、公家の作法にも精通していた。
子供の頃から、相応の教育を受けることが出来る環境にいた人じゃないかな。
秀吉のように、学問ではなく話術で成り上がったという感じの人ではない。
仮に、光秀が信長正室の従兄妹だったとしても問題ないがな。
フロイスの件、戦国大名の正室の母方が話題になるのは稀。
母親が分からない人も多いし。
濃姫は、あくまでも父親の斎藤道三によって信長正室に納まったのであって、
フロイスが濃姫の母方にまで言及していたとは思えんし。
710 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 08:44:32 ID:tK5V1UaX
フロイスは光秀をキリスト教の敵みたいな目で見て
貶めて書いてる部分があるからなぁ
711 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 08:49:51 ID:Sh63bL5U
光秀は、指南役もかねた鉄砲商人という説もあるな。
それなら、当然大名との交渉などの都合から、
作法にも精通するようになるぞ。
712 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 18:27:51 ID:KVJJ2MNc
710光秀キリシタン説のが有力だろ
ガラシャがキリシタンだし家紋も怪しい 少なくとも
キリスト教を嫌っていたようには思えん 信長、道三が優遇してる以上
土岐氏の中でかなりの地位にあった大名だと思うが
713 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 18:43:56 ID:KVJJ2MNc
明智軍記自体利三の娘春日局ら斉藤勢によって書かれている事から出自については
明智軍記をある程度信じていいのでは?
春日局自身かなり光秀のことを知っているだろうし
714 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 18:47:12 ID:7akWN9GU
>>713 そういう人間が書いているから、虚飾に彩られているとも言えるな。
715 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 19:08:35 ID:KVJJ2MNc
斉藤利三が711の言うような名もない商人ふぜいの成り上がりに仕えるとは思えん
ある程度斉藤家で地位がなければ
利三程の人物に慕われるわけがない
光秀自身
道三や義龍のいない斉藤家の代理武将みたいなポジションにあったのだと思うが
716 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 19:10:25 ID:KVJJ2MNc
明らかにそこそこ(光秀の)家柄は優れていたと俺は考えるが
どうかな?
717 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 19:45:25 ID:fXos7IEV
明智軍記は明らかな年代的な矛盾や誤記が大変多い。
ゆえに専門家の間では史料としての価値はかなり低いとされている。
もともと軍記ものはあまり重きを置かれていないそうだが。
謀反人のレッテルをはられた明智一族にとって
もともと織田家などより名家の出、信長の横暴、耐え切れずやもを得ず謀反、
というストーリーにしたかったんじゃないか?
あるいは江戸時代の庶民の光秀贔屓の風潮から生まれたことかもしれんな。
少なくとも光秀妻の糟糠伝説はまったくの創作らしいし。
718 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 19:59:42 ID:7akWN9GU
妻木氏出身と、推測できる記述がある史料は
一級史料、一次史料だから、着目しているんだが、
妻木氏出身なら、明智と同じ土岐氏の血筋だし、
桔梗紋だし、別におかしくはないと思うんだ。
妻木氏の次男三男などの分家あたりなら、
住んだ土地によって姓を変える事は
特におかしくもないからな。
妻木氏なら家柄は劣ってもいないし、
桔梗紋なのも納得できる。
明智軍記は、信憑性の高い部分もあるんだが、
こと土岐明智氏の動向について、特に矛盾が多いので、
元々妻木氏の分家あたりだったのを、土岐明智の宗家筋と書き換えたあたりで
おかしくなったと考えると、辻褄が合う訳だな。
719 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 23:18:55 ID:KVJJ2MNc
仮に名もなき(一応土岐氏)光秀が美濃を強引に乗っ取ろうとしたら
斎藤家は黙ってないだろう。
明智軍記だって光秀を含めて明智氏がある程度斎藤家に
大切にされていないといい風に捏造してくれないと思うけど
720 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 08:01:41 ID:YVLJsWIG
先祖の捏造は当たり前でやってたことだよ。
信長や家康も怪しい事この上ない。
道三に至ってはいまだに父親のことすら不詳だらけ。
どいつもこいつも子孫がいいように家系図を書き換えているので
光秀の出自がいい、ということを信じろといわれても抵抗がある。
公家の作法に通じていた、とかいうのもどの程度だったのか詳細は不明。
和歌や茶道に通じていたといってもあの秀吉ですらできたこと。
一般的な武家の教養として地位の高低関係無く学んだことだしな。
だいたい本当に出自がよければ、母方や他の親族の記録など、
多方面から証明できるので諸説でるわけもない。
当時の細川家とて、元々細川宗家の庶流の末端にすぎないぱっとしない
家格だったし、名家にガラシャを嫁がせてなんのというのも、
光秀の出自のよさを証明するものにはなってないしな。
別に光秀の出自なんて低くて構わないと思うのだけどなんでこだわってるの?
むしろ出自の低いものが台頭してきた時代なんだから。
そのことと光秀の検証にどう影響するんだろう?
濃姫とはほとんど赤の他人同然の関係だった、というのと
従兄妹同士というのとでは立場や織田に仕官した経緯の検証が変わってくるが、
従兄妹同士というわりには光秀と濃姫の親族として関わっていたような
記録がまったくないしさ。
721 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 12:06:02 ID:ghDp2URq
逆に、必死になって明智の身分は低かったといっている君もおかしいw
光秀の出自に関する明らかな史料の提示もなしに、どうこう言ったって説得力がない。
岐阜に、明智庄を基盤とする明智氏という土豪が居たことは事実で、
明智光秀はその出身だと称していた、というだけのことだろう。
道三が美濃統一のために、美濃の有力者から妻を迎えたのは想像にかたくない。
濃姫の母方が明智氏だったというのはそれほど不思議ではない。
明智光秀が、岐阜の明智氏と関係あるのかというところが問題になるのだろうが、
そもそも、斎藤氏も、明智氏も、織田氏も、新興勢力といってしまえばそれまでで、
何を持って身分が高い、低いを判断するかがわからんのだが。
722 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 12:26:10 ID:YVLJsWIG
明智といってもピンキリで、宗家と離れれば離れるほど身分が低い。
明智の末子の庶流などわんさかいたろうし、明智を名乗れば身分が
高い、出自が確かだとはいえないってこと。
主筋である守護土岐とどの程度近い関係か、が問題なのであって
光秀が明智を名乗っていた事になんの異議も唱えてないぞ。
光秀に関しては明智は明智でもどの明智で、主筋、宗家とはどういう関係なのかが
謎なんだろ?まったく血をひかなくても、婿養子にでもなれば
明智は名乗れるし、明智荘に住んで明智を名乗ることもできる。
そこらへんを明確に示すものがなく、出自に諸説あるのは
すなわちどこの馬の骨かもわからん明智さんだからだうと
思われても仕方がないってこと。
戦国大名なんて父親が誰かわかっているだけましなほうだが、
逆にいえば父親や祖父が不詳なのは、はっきりさせたくないためだよ。
出自が確定することを避けるため。
いっとくけど、これは自分の個人的な見解じゃなく、桑田さんや高柳さんあたりの
大御所たちが昔から言ってることだから。
723 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 15:04:57 ID:obfJCf2I
>桑田さんとか高柳さん
君の知り合いだったらどうか知らないが、仮にその二人が忠親さんと光寿さんだとするなら
光秀の出自については思いっきり対立しているはずだが。
724 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 15:31:20 ID:YVLJsWIG
光秀に限らず戦国大名は大抵そんな胡散臭い出自だってこと。
だから大御所同士の桑田さんと高柳さんの意見だって対立してるだろ?
史料検証の第一人者同士でさえ見解がわかれるほど光秀の出自は
怪しいんだよ。ちなみに二人が対立しているのは、出自というより
本能寺の変の理由付けの方じゃなかったか?
本当に守護大名の近い縁続きで濃姫と従兄妹関係にあったら
半生がそこまで不詳だらけなわけないだろ?
大抵の大名家ではそういう胡散臭いご先祖のことをさらに
子孫が家系図書換えをしてるもんでますます複雑にされ、
諸説でてしまい特定にいたることができない。
光秀の出自に関しては勝手に子孫を自称しているものらが
都合いいように改ざんしてしまっているようだが、それも
完全に否定するだけの根拠もないので、それも諸説の一つと
なってるわけ。
725 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 17:15:39 ID:YXqebqI5
自称子孫って本当害でしかないよな
光秀だけじゃなく全ての歴史上の人物たちの自称子孫達
726 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 18:55:41 ID:o8t32LmE
斎藤って大奥のイメージが強い
武将としての斎藤氏って織田や武田に遠く及ばない
末端の分家が本家と同じ苗字を名乗るのはなんとなく奇妙。
728 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 07:17:01 ID:pWSaUPeN
>>727 ガラシャの嫁ぎ先の細川家は途中から改名して名乗っていたぞ。
729 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 11:37:49 ID:W4p7bf50
>>724 そもそも濃姫の人生が謎だらけ。
斎藤道三が滅ぼされたとき、濃姫生母はどうなったかもさっぱり分からんし。
光秀が濃姫の本当の従兄妹だったとしても、その半生はほとんどわからんだろうよ。
道三の正室だったとされる、明智夫人の生涯すらさっぱりわからんのだから。
730 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 12:33:19 ID:kHdATfNJ
小見の方の没年ていつなのかな。
美濃国諸旧記に書かれてるのは違うよね。
その後に例の壷事件に出てくるから。
でも何で小見の方の亡くなったことは書かれていて
濃姫については、まったくスルーされているんだろうね。
濃姫が美濃に入った頃に亡くなっているなら何か記録が書かれていても
いいと思うんだけどな。
731 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 18:59:19 ID:tlqZ1/wr
>>718 兼見卿記に光秀関連で出てくる妻木藤右衛門広忠が光秀の実父と言う説だっけ?
他に、妹と姉が出てくるんだよな。
多聞院日記にも、妹の妻木が出てくるな。
732 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 20:19:19 ID:GlA6Ei06
妻木氏出身で、明智に婿入りしたんじゃないか?
遠い親戚関係にある家とかに。
武家の次男以下は大抵は婿養子にだされてたもんな。
土地をわけてもらって分家にしてもらえるほど、
相当の資産家でもあれば別だろうが。
733 :
織田信長:2007/09/12(水) 03:52:31 ID:mVCeuYL0
変の黒幕は濃姫じゃねーの?もしかして
734 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 08:49:32 ID:qtits7RH
はいはいはいはい 妄想〜
735 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 08:54:55 ID:afcLTCq6
光秀と和泉元弥がかぶるな。
怪しげな宗家認定状を盾に「和泉流宗家」を自称する一人宗家の元弥。
明智という苗字を盾に「土岐明智本流の庶家当主」を自称する光秀。
736 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 20:11:03 ID:tb6W8Tda
>>735 和泉元弥はそもそも父ちゃんが随分と我侭言って
他家と喧嘩していたからな。
それが尾を引いているらしい。
元弥は出自が分からないということではないので、
光秀とは違うだろうが。
737 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 08:00:59 ID:mEKSV2eK
光秀の場合も当人が生きていた頃はありのままの出自で勝負していた
と思うぞ。その結果織田家でNO.3に入るだけの実績を残したわけで
その結果はけして出自に関係はなかったろう。
直系の子孫があらかた亡くなり、それをいいことに極めて怪しい
「先祖は光秀庶子」と言い張る子孫たちが
勝手に先祖をご立派なものにすり替えていったのだろうから
元弥親子の方が悪質だと思う。
738 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 09:28:45 ID:vo0cNWvc
和泉元彌はスレ違いだと思います。
光秀と妻木氏との関わりは、気になるな。
正室が妻木氏出身といわれているが、3番目の妻だし、
1〜2番目の妻が明智出身で、養子に入った可能性はあるのかな?
739 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 10:45:57 ID:CQjY1uIy
光秀が主君を転々と変えたのは先祖から受け継いだ土地がないからに
他ならない。出自はどうあれ、次男以下であった可能性が高いと思うな。
妻木氏が姉妹なら、光秀は妻木出身で、明智家に婿養子に入り、
明智姓を名乗っていたということだろう。
ただ明智家といってもどこの明智家かは結局のところ不詳のままだろうけど。
毎年光秀の産井戸に参ってたりする。
741 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 09:49:29 ID:F2hvPlPs
濃姫からだんだん光秀が遠ざかっていくのは確かだな。
742 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 22:44:16 ID:8SWbXtAN
>>739 主君が戦に負ければ、たとえ先祖代々の土地があっても、
勝利した新しい領主に奪われる。
明智光秀はもともと美濃の土岐氏、ついで斎藤氏に仕えていたが、
斎藤氏が滅んだので放浪したということになっているんだろう?
戦国武将が領地拡大を進めてどんどん部下に土地を与えていくのに、
負けた旧主方の武将が土地を奪われないはずがない。
743 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:13:45 ID:au6lpkKK
>>742 光秀が放浪した時期は別に斉藤氏は滅んでいないんだが。
本領安堵という手もあるしなあ。
745 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 18:56:01 ID:EU8Ex8+W
史板濃姫スレで正妻の立場は凄かったんだぞと力説してたと
思われる人が今度は大河板の三条夫人スレにご迷惑を
おかけしたみたいで具体的な例を出されて反発されてた。
正直この頃は三条好きさんだけじゃなく濃姫好きさんも
かなりうざったくなってきたよ。
746 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 23:11:42 ID:vvjtQbUQ
>>745 ならわざわざ来るなよ。
うざったいのはお前の方だろ。
747 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 23:57:47 ID:SIn4R2No
>>745 「側室間のトラブルを調停するのは正室の役目」を力説してましたね。
側室訪問する正室なんていないのになw
側室間の争いを、正室じきじきに意見や調停することを、
それが定説みたいに思い込んでるから始末の悪い。
んじゃ、なんで醍醐の花見の盃争い(信憑性はおいといて)を
北政所がいさめなかったのかなーと言ってやりたかったのだが、
(あれは芳春院サマのお手柄話で胡散臭くもあるんだけど)
やめときました。
748 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 08:58:58 ID:z736vf2i
>>747 >醍醐の花見の盃争い
は創作だということですよ。
側室同士のいざこざなんてあったかどうかも定かでないので、
ドラマはドラマとして楽しむといった方向にいった方がいいと思うんですが・・
史実だ、いや史実でないとかあまり頑なに反応しても仕方ないですしね。
確かに
>「側室間のトラブルを調停するのは正室の役目」を力説〜
は基本的にはそうかも知れないですが、必ずしもそうであったとも言えないので
目くじら立てるのもどうかなとは思いますね。
749 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 13:13:00 ID:BhfITUM8
>>748 すまん、醍醐の花見については
>信憑性はおいといて、とちゃんと書いてるのだよ。
あの事件は前田家にしか伝わらない記事だからね。
>史実だ、いや史実ではないとか頑なに
あの大河板で正室についての自論を語ってた人にこそ、
それを言ってやって下さい。
750 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 17:45:42 ID:SNNVujdz
>>749 何にしろ関係ないスレに迷惑かけるのはやめなよ。
751 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 23:06:55 ID:DRV+biFu
日本史板はもうスレ立てないのかお?
752 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 01:12:19 ID:iAoFWXo+
少し頭冷やすために、スレ立てない方がいいんでね?
変なのがやり合ってたし。
753 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 07:09:48 ID:RXOIeFDv
スレの消費も異常だったしなぁ。
あの消費は正直自演がいるとしか思えなかったよ・・・
754 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 07:22:14 ID:iBkaXnjE
言い負かされた人たちの溜まり場としてしか機能してないのか、ここは。
755 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 08:37:24 ID:3tdRu8PE
というか、ネタ切れでは。延々同じ話の繰り返しで濃姫のことが
少しでも解明できるならいいけど、結局今ある説以上のことが全く判明できずだし。
しかも史板なのに全く一次史料すら読んでいない連中が
自作自演でスレ消費しているだけだし。
何か新しい情報でもあるなら披露して欲しいけど。
756 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 17:42:36 ID:pGPDGRog
新スレ立てようかと思ったけど、今立ててもまた例の煽り合いでスレ消化するだけだしな。
大河板でまで煽り合ってるみたいだし。
スレの最後でネタがあるって言ってた人はこっちに書き込んでみれば。
757 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 18:29:07 ID:XOWdkxou
大河板なんか、日本史板常駐の人間で見てるなんて
ちょっとびっくりだな。
大河と日本史なんか、むしろ、反目し合う仲だろうに。
758 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 21:32:44 ID:RXOIeFDv
>>757 自分は大河も好きだから、結構常駐しているよ。
あそこはドラマを楽しむためのものだし、別に史実がどうとか気にした事ないやw
結構気にする人っているんだね。ドラマ設定と史実の違いについて。
759 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 23:11:07 ID:IkCwO1Fs
早世説、長寿説ともに各論者の希望願望がかなり入ってるし
煽り気味のレスの応酬が続くことがあるものの
異なる説を全力で排除するようなことがなくなってよかった。
ねねの手紙は最愛の濃姫を思い浮かべて書いたというレスが
堂々と載ってたときに比べれば。
760 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 00:27:28 ID:avcmWY/x
でも、ねねへの手紙なんてググれば現代語訳だって出てくるのに
信長とねねは実際に会ってない、二人が会うのは不自然だからとか
手紙の内容すら全然わかってないレスにはそんな妄想より萎えた。
761 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 08:04:30 ID:6UXiNVq+
信長の死後も生きていたという説にこだわりたいのは構わないが
何が何でも養華院や正覚院にしたてあげようと必死なのは同意しかねる。
あげくに両者は同一人物だとまで言い出す始末。
そういうやからに矛盾を指摘すると、早世した証拠もないのに、
と勝手に決め付けて逆切れされるし。早世と養華院や正覚院を否定することは
別問題ということも理解できてない。
スレッド名を変えてそのうちリニューアルオープンするよ。
最初にあれこれ規定を決めてね。
IDがでないことに不満のある人もいるようだけど、ID攻撃を始めて
その人の他スレでの書き込みまで持ってくるやつもでてくるから
IDはでない方がまだましだと思う。どうせ言い合いや荒らしは避けられない
テーマだしな。
762 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 03:52:40 ID:5tloB5Uz
763 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 21:31:29 ID:Gjgsrvi7
764 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 22:56:11 ID:a9zGZ7lh
濃姫って自己主張強そう
だしこれ程謎に包めれているのはなんかおかしい
淀君や政子はとても逸話を残しているのになぁ
765 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 22:59:00 ID:DLGM9xiL
またおまえか
766 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 23:07:35 ID:79odGDSb
>>764 道三の娘だし、
名前からしてキャラ濃そうなんだけどね。
自己主張強かったら強烈な逸話が残っていてもよさそうなんだが。
濃姫の母親が土岐頼尚の孫だという主張なら認めてもいいけどな。
768 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 18:56:39 ID:507SguSx
濃姫は美濃攻略前に離縁されたか、もしくは自主的に離縁し
美濃に戻っていたのではないかな。
義龍、龍興の治世下での美濃では、血縁とはいえ濃姫が
厚遇されたとは考え難いから、記録にも残らないほどの
扱いだったということだろう。
信長が建立した総見寺に妻の位牌や供養搭を設置することが
なかったあたりで、信長と婚姻関係にあった状態で亡くなったということも
考えられんし、信長より長生きしていたなら信長の葬儀や法要を
他人任せにしているのがおかしい。
美濃のどこかの寺によくよく探せば濃姫の位牌ぐらいあるんじゃないかな。
769 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 21:16:46 ID:sRAO4Ypx
でもそれなら、濃姫は実家に戻ったということだし
斉藤家の菩提にも墓や位牌がないのはおかしい。
また、それなら言継卿記に「信長本妻」などと書かれるのはおかしい。
しかもその壷事件の後に信長が小見の方の所にわざわざ出向いているのもね。
二人が婚姻関係を解消したとしたら、小見の方のことを「しうとめ」という
表現をするのも?
また、信忠が濃姫の養子になったまま亡くなっていることの説明がつかない。
濃姫がいなくなった後の北の方や御台所とされる人物の特定もまるで出来ないし
あと、天正年間に入ってから元助の嫁に濃姫の妹が嫁いでいるのだが
わざわざ濃姫の養女になって嫁がせる意味は?
自分は濃姫の墓や位牌は岐阜市には無い気がする。
もしあるなら、もっと話題になっている筈だし例の「おのうの墓」という
ホームページにある墓を濃姫の墓として岐阜市が認めているのがおかしい。
もし本当に岐阜市に濃姫の墓や位牌があるなら、どこかの寺が名乗り出るはず。
なのに未だに岐阜市でそれがないのは、濃姫の葬儀の行なった寺が岐阜市でないこと
を意味していないだろうか。
770 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 00:08:45 ID:PUpGELtJ
自分も濃姫は本能寺前に織田家を出たんじゃないかと。
本能寺の原因が、四国討伐が有力とされているよね。
それがもし本当なら、光秀に謀叛をけしかけたとされている斉藤利三だけど
濃姫の姉妹と結婚してるんだよね。
だとすると、長宗我部討伐が決定した時に利三はもちろん光秀にも
信長に四国討伐を中止してもらうように哀願したと思われるけど、濃姫にも
同じように義理の兄弟姉妹という縁を利用して働きかけたと考えられないかな。
信長は光秀が頼んでも駄目で、もちろん濃姫が頼んだとしても信長は聞き入れない。
それが原因で濃姫が家を出たとは考えられないかな。
尾張の頃は二人の仲は良かったと思っているんだよね。道三が信長に対して国譲状を書いているし。
二人で力を合わせて美濃を治めて欲しいと書き残してあったんじゃないかな。
その後、濃姫に男子が生まれなくても信忠を濃姫の養子にしたりして、美濃国主としての正当性を
持たせているし。でも最初はうまくいっていても年月が経つうちに気持ちが変化していくことって
あったんじゃないかな。
「自分は信長様のおかげで〜」と言っていた光秀でさえ最後は裏切っているんだし、佐久間信盛や林秀貞達が追放さ
れたりとか、天下人になってから天狗になってきたので、信長のやり方に濃姫がだんだんとついていけなくなってし
まったとも考えられるんじゃ。
だから本能寺時の安土城には濃姫はいなかったんではないかな。
信長と口論になった後、弟の所に身を寄せたか美濃に戻っていたかはわからないけど。
本能寺から逃げる人の中に北の方や御台所が書かれているのは、安土にいたかわからないけどいたと解釈されて
書かれたとも思えるんだよね。若君や親族等はあちこちに散らばって非難したと思われるし。
濃姫は本能寺の原因を知っていたんじゃないかな。別に濃姫が黒幕だとは思っていないけど
自分が信長を説得出来なかったせいでこんなことになってしまいショックだったんではないかと。
また、謀叛を起こされた信長を自業自得だと思っていた面もあったんではないかな。
その後の三法師の後見のことや織田家の家督のことに濃姫が出てこないのも、信長の法要を行なった形跡がないのも
こう考えると納得いくんじゃないかな。
濃姫がいつごろ亡くなったかは定かでないけど、おそらく織田家に葬られるのを嫌がった可能性もあるかなと。
夫婦といっても所詮は他人なんだし、濃姫としても妹とか兄弟への情の方が強かったとも考えられるし。
ああいう死に方をした夫と共に祀られるのを望まなかった可能性もあると思う。
もしかしたら、尊敬していた父道三の娘として死にたいと願ったとか。
だとすると、美濃辺りに特定できていない道三の娘の墓とかないのかな。
信長の娘の墓が小田原にあるらしいけど、それも特定できていないんだよね。小田原といえば北条だけど?
北条家には信長の娘は嫁がなかったと思うんだけど、一説では信忠室ではないかとも言われているし・・
信長娘と信忠室では全然ちがうじゃんかー。
信長娘だけでは、どの娘かわからないしね。○○室とか書かれていれば特定できるけど。
同じことが道三の娘にも言えるんだよね。道三の娘も全員がどうなったか判明していないし、
なので墓があっても特定出来なくなってしまったということはないのかな。
771 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 00:47:13 ID:JgPHYNk/
ものすごい長文の妄想だ
772 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 09:22:17 ID:tCpT1lfb
義経の正妻も謎だよね
何の記録もない
773 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 09:28:49 ID:tCpT1lfb
変で斎藤利治も森蘭丸も死んでいる
明智光秀は同胞までころしてる
774 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 09:31:36 ID:i4YBTSzp
利三の継室は稲葉一鉄の娘で、確か天正6年頃には嫁いでた。
濃姫の姉妹はそれ以前に亡くなっていたと考えられるし、
四国討伐にこじつけるのは無理があるよ。
775 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 10:36:45 ID:C93fPQ25
だいたい光秀の出自は特定されてないぞ。
明智といっても広範囲にいたはずだから、どこの明智さんか不詳。
濃姫の輿入れに一緒に付いてきたというのでもあれば濃姫と近い親族の
明智さんという可能性もなくはないだろうが違うしな。
俺は前から思っていたんだが、例の「しうとめ」への信長の訪問は
何の用事があったんだろうな?
本来なら迎えの輿でもやって参城させればいいわけで、
わざわざ出向いていったのはどうしてなんだろう。
離縁したと仮定したら、実母の元に身を寄せていた元嫁にでも
会いに行ったのかな、とも思ったのだが。
776 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 11:09:36 ID:P3vXAjJV
だけど、元嫁に会いにいったんならそう書かれているんでは?
しうとめに会いに行ったという書き方をしないと思うな。
しかも言継の日記によると濃姫のことを「元嫁」とは書かれていないしな。
「本妻」という記述になってるから、まだこの段階では別れていないんでは
ないか。
わざわざ信長が出向いているのは、例の壷事件のことがあったからとも
考えられるし。しかも壷事件の2日後?に信長が小見の方のところへ出かけている
と書かれている。関連性を考えるのは自然だと思うが。
自分は四国討伐のことがなくても、濃姫が信長に愛想をつかして家を出てしまった
ということも考えられると思うな。正式に離縁という形をとらなくても別居という形を
とっていたということも考えられるし。
小見の方や兄弟姉妹が美濃にいたのなら、濃姫も一緒にいた可能性はあるんじゃないか。
しかし、それだと斉藤家の菩提寺にも濃姫らしき墓や位牌がないのは不自然だけどな。
道三親子の墓はあるらしいから、そこにそれらしき墓はないのだろうか。
あと、小見の方はいつ頃亡くなったんだろうな。濃姫がまだ生存していたなら
供養の記録などが何か残っていないんだろうか。
どっちにしても断定するだけの史料不足に欠けるね。
今のままだと推測の域を出ていないと思う。
777 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 11:44:38 ID:C93fPQ25
>>776 言継自身はそこまで事情を知らず、信長が言ったそのままのことを
書いただけかも。元嫁に会いに行くとは言いにくいだろうし。
あくまでこれは離縁したという仮定のもとの俺の推測だけどな。
それから「本妻」は濃姫に間違いないだろうが、生きていなくても、
側にいなくても濃姫は本妻であることは変わらない事実だったのだから、
「本妻の」という現在形も、「本妻だった」という過去形での解釈も可能だな。
斉藤家の菩提寺には位牌も墓もない、というのは現段階での情報で
本気で斉藤家の菩提寺に濃姫の足跡を求めて調べた人はいないのではないかと思う。
それに斉藤家も没落したのだから、斉藤家の菩提ではない寺に
埋葬されている可能性もあると思うよ。
いつ亡くなったのかは定かではないが、信長の権威が低い頃に亡くなると
必然的に濃姫の足跡を示すものが少ないのは当然のように思うので
比較的早い段階か、もしくは本能寺の変後織田家の権威が失墜した後に
亡くなったのではないかと思うな。
778 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 12:17:34 ID:P3vXAjJV
でも壷事件の詳細は信長から聞いたというより、家臣の佐藤から聞いた話
ではなかったか。
その時点で亡くなっていたか離縁していたかの話ぐらいは聞いていたと思うが。
というか、そのどちらの記録もないのはおかしいと思っている。
美濃を攻略した頃は美濃衆が正式に信長の傘下に入った頃だし、その前国主の娘である
濃姫に変わった出来事があるなら斉藤家や美濃国関係の史料に書かれてもいいと思うん
だが、全くスルーされている。特に特筆すべき事件もなかったので書かれなかったとも
解釈できる。
自分は濃姫の墓や位牌は美濃にはないと思うよ。
あればもっと話題になっているはずだし、現在の岐阜にしても道三関係の祭りや
イベントも行われているし、その道三の娘でこれだけの有名人なんだから、あれば必ず
名乗り出る寺が必ずある筈。なのにそれがないのは濃姫の墓や位牌どころか
葬儀の行った寺が美濃ではなく別の場所にあるんじゃないか。
自分もこれだけ濃姫が亡くなったという情報が不詳なのはおかしい。
信長が尾張の田舎大名の頃か、あるいは織田家没後の死亡かどちらかだと思うな。
尾張の頃ならまだそれほど信長の地位や評判は高くないし、大体が信長が若い頃の
資料自体がほとんどないから不明なのもわかる。
織田家没後なら、三法師の史料さえ満足に残らなかったぐらいだから
濃姫のことが記録から漏れてしまうのも仕方ないのかと思う。
斉藤家も宗家は滅んだけど、道三の子孫の末裔は今でもいるわけだし、斉藤家の菩提寺も
存在している。濃姫の葬儀や墓などがそこにあったというなら、寺の言い伝えの類も全く
美濃にはないというのはどう考えてもおかしい。
779 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 05:12:05 ID:8Sic9ysb
信長は生駒
義経は静御前が有名
郷御前や濃姫は謎に包まれている
両方とも千と千尋の神隠しにあっちまったwwwwww
780 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 07:53:15 ID:8Sic9ysb
765
何故俺がわかる?
お前こそ何者だ?
781 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 08:29:01 ID:exwp21ON
生駒が有名たって信憑性のある史料はひとつもないじゃんw
ぷっ。
あるのは、あやしーい捏造文書だけなんだし。
そんな後年に捏造された文書しかないんだったら
何もない方がよっぽどましだよ。
782 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 10:05:59 ID:AkqEdx9e
>>777 離縁していれば、「信長本妻」とは書かないよ。
もう本妻じゃないのだから。
あの時点で、信長本妻は斉藤氏(濃姫)で、
生きていたとしか読み取れないがな。
>>778 これから先、出てくる可能性もあるけどな。
武家貴婦人の場合、たとえ正室であっても、夫の菩提寺に葬られるのは稀。
実家の菩提寺に葬られる例はあるが、全く別の寺である場合も多い。
783 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 11:37:35 ID:exwp21ON
養華院を見つけてきた岡田氏だけど、
斉藤家の菩提寺は調べなかったのかな?
濃姫がいつ頃亡くなったかわかるような記録なりあったかも知れないのに。
尾張時代に亡くなったなら斉藤家の菩提寺にも位牌ぐらいは置いてあった可能性も
あるんだし。
784 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 11:59:06 ID:W8gN2jrW
>>782 >>夫の菩提寺に葬られるのは稀。
稀か??
大徳寺だけをみてもガラシャ夫妻や前田夫妻は一緒にあるが?
徳川将軍家も全員ではないが御台と同じ墓所に埋葬されてる将軍はいるぞ。
「本妻」に関しては、その後に何かしらの史料に明らかに
濃姫が生きていたと思わせる記載が見つかれば
あの時点で生きていたとしか読み取れない、という結論になるわけで
それがないのだから、両方の可能性からアプローチして検証していく
べきだと思うがな。すでに死別していたら「本妻」と書かれても
なんの不思議もないしな。
785 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 12:13:39 ID:W8gN2jrW
>>783 肝心の総見寺に信長御台とする養華院の位牌がないのだから
岡田氏も養華院が濃姫だと決めつけたのは問題があったかもな。
総見寺の過去帳は二次史料なわけだし。
寺ではなく庶流織田家には信長の御台の位牌が伝わっていなかったのだろうか?
大名家には先祖の位牌を奉る仏間があるのだから、もしあるのなら
信長夫妻の位牌も奉っていただろうと思う。
もし伝わっていなかったのだとすると、早い段階で濃姫は織田家とは縁を
切っているか、長生きしたけど各織田家とはすでに疎遠になって
亡くなったことすら伝わらなかったということになるな。
786 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 12:16:07 ID:qvZsLzRa
信長晩年の身台所と呼ばれた人はお鍋の方じゃ?
濃姫に子供がいなかったのも、
信長が斉藤家の血が子孫に反映するのを嫌ったとかさ、
美濃攻略後に戻されたとかさ。
787 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 13:31:41 ID:exwp21ON
だけど、嫡男生母でもない側室が御台と呼ばれることはないんじゃない。
しかもお鍋なんて稲葉氏が生んだ子供よりも
順番が後にまわされてんじゃんw
総見院にある墓石だってずいぶん粗末なもんだしね・・
織田家でそれほど御台と呼ばれていたにしてはあまりにも
一族扱いを受けていないような扱いだけど?
濃姫を美濃に帰すったって誰が受け取るんだよw
父親は亡くなってんじゃん。しかも父を殺した敵の所にのこのこ帰る馬鹿いるかよ。
しかも濃姫を帰したんなら信忠を養子に迎える理由はないけど?
788 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 15:03:31 ID:OBCO/ndU
>濃姫に子供がいなかったのも、
>信長が斉藤家の血が子孫に反映するのを嫌ったとかさ
逆に美濃攻略の大義名分のためにも、濃姫の子は欲しかっただろう。
そうでなきゃわざわざ信忠を濃姫の養子にする必要はなかったのでは?
789 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 18:12:16 ID:t3ctMfz7
仮に信長正室のものと伝わってる位牌があるのに、それを表に出さないケースがあるとしたら
ホントに濃姫(斎藤道三の娘)であると確証がもてない場合とかなのかな。
総見院のように寵妾になってるとか、子供がいないはずなのに5人ぐらいいることになってるとか
道三の娘じゃないように書いてあるとか。
790 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 18:58:42 ID:Jkc1sSiA
位牌の主が信長の妻だったと誰もがすぐにわかる書き方をされていないからかも。
「織田上総介室」とか「織田尾張守室」とか、あるいは
信長死後なら「総見院室」みたいな書き方で、信長のことに詳しくないと
信長と直結しないので寺の住職も誰のだか特定できないまま置いてあるとか。
道三の娘であるかどうかも「斎藤山城守女」という書き方だと
ぴんとこないしな。
791 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 21:29:44 ID:yEko6NdP
>>790 それはそうだね。
寺の関係者も歴史に詳しい人間ばかりでないだろうし、あまり歴史に興味の無い
人が管理しているとわからないのかも。
ネット社会だというけど、検索機能を知らなかったりとか家にパソコンがないとか
メールも携帯でしかしたことないとか、大体が2ch見てる人間がそんなにいないし。
濃姫の墓などが話題になっていることすら知らない人大勢いるしね。
というか、それほど信長や戦国時代に興味のある人が少ないということだろうけど。
ある番組で小説家?の人が歴史クイズに答えてて、今川義元を知らなかったのは驚いた。
今川義元なんて学校の歴史の教科書にも載ってる人物なのにね。歴史に全く興味のない人
からしたら、今川義元も毛利元就も山本勘助も同じに見えるんだろうね。
世間の興味がそれほどないから、濃姫の位牌があっても表に出てこないのかも。
792 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 08:57:25 ID:NW2Yw3Fd
「濃姫」と書かれていないからだよね。たぶん。
道三の娘=濃姫=信長の妻
としか知らないからでは。
濃姫というのは本名ではないんだけど、本名だと思っている人が多いんじゃないのかな。
もしくは「お濃」とか。
信長が濃姫のことを「お濃」と呼んでいたというのも、秀吉が「猿」と呼ばれていた
というのと同じくらい信憑性のない話なんだけどね。
793 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 21:45:18 ID:+bmipUxR
岐阜の濃姫の墓といわれているものも、「濃」が本名だと思った末の勘違いなんだろうな。
794 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 05:38:32 ID:ixoWvQWt
この人の死因
@信長が美濃平定後龍興共々自害または離縁
A変で光秀や利三らによって追い詰められ自害
B生き抜いて寿命で死ぬ
信長が直接的に殺害した可能性はほぼない
もしそうだとしたら醜聞がでないわけないし
後に家康や
幕府に取り入った春日局や明智家の子孫(天海やら)によって
そういった信長の悪事が暴かれることは間違いないはずである
家康自身信長の命令かまたは自身の命令で築山を殺害している(後者の説のほうが有力)
家康側からしてみたら築山殺害は信長のせいにしたいわけだから
信長の正妻殺しを喜んで噂にしたがるはずである
家康は信長がいかに女に冷たいか世間の方々に知らしめておいたほうが
自身の正妻殺しををより信長の責任にしやすい
しかしそういった事実が
ない以上家康の築山殺しは事実でありまた信長の濃姫殺しもありえるわけがない
795 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 06:41:16 ID:ixoWvQWt
この人が歴史上から抹殺された理由って
別に織田家の工作ってわけでもないだろうに
どっちかと言うと信長公記書かせた秀吉やら明智軍記記した
春日局らによる歴史上からの抹殺工作であるとする可能性のほうが
有力だと思われ
織田家や斎藤家って単に書かれるだけの存在だに
豊臣は織田家を書くし徳川家は全て武家について書けるわけで
796 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 06:59:51 ID:ixoWvQWt
濃姫の記録は濃姫が歴史上でどういった生涯だったか知られては
まずい何者かによって闇に葬りさられたわけだ
信長の女性関係っていまいち不明な部分が多いわけで
そういったものもこの人の謎めいた生涯に拍車をかけている要因の一つだろう
797 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 07:20:02 ID:ixoWvQWt
逆に信長殺しを変で光秀や利三に協力して
行ったのが濃姫であり後世に「信長殺しの正妻濃姫」で語られることを
怖れた春日局らによる隠蔽工作ともとれるよな
798 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 10:39:42 ID:HIS+iaSW
濃姫が歴史から隠蔽されるほど重要なポジションなわけないじゃんw
濃姫が光秀に協力することのメリットってなに?
光秀が信長のポジションについたところで、得をするのは光秀の
親族ばかりで、濃姫なんて厚遇されるどころか
それこそ没落した織田家の後家として表舞台から消えて
ひっそり暮らすしかなくなるじゃん。
それなら信長の正室、信忠の義母として君臨していた方がはるかに得だろうに。
799 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 02:10:26 ID:LUydQFRk
本能寺の変の首謀者って、ありとあらゆる人たちの名が上ってるので
その一貫で濃姫も名があがってる・・・程度にしか思えないけどねw
800 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 08:54:42 ID:poqCpdDT
濃姫が龍興とともに自害はないと思うな。
龍興は信長に美濃に攻められて、降るように勧められながらも
最後まで抵抗して、結局信長は斉藤道三の孫だということで、龍興を助命して美濃から追放している。
その後龍興は朝倉家へ頼り、信長を討とうと朝倉軍に加わっている。
龍興は濃姫の甥だけど、父を殺した男の息子でもあるしね。そういう龍興に濃姫が故郷の美濃を捨ててまで
付いていったとは思えない。
また、そういったことがあったなら濃姫の死亡に関して記録が一切ないのは絶対におかしい。
本能寺の変の原因自体がはっきりしていないから
濃姫が協力者だったとしてもおかしくはない。
濃姫の隠蔽工作をしたのが、春日局らの明智側なら、
濃姫が明智側についたとする足跡が残っていると困る
人物によって葬られたと考えられる。
明智軍記などでも、光秀が信長を討ったことを正当化する為の
でっちあげ事件(領地召し上げ事件や接待役などの不祥事やせっかんを受けていた)
等を記しているぐらいだし、濃姫が信長を見限って明智側についた等の変の協力者
であったならそれをアピールするはずである。信長は正妻にも愛想をつかされるほどの
人物であったという風に。でもそういう記録が一切残されていないことを見ても
濃姫が光秀に協力したということをむしろ隠さなくてはならなかった理由があったか
(光秀の行為を正当化出来ない等)あるいは、濃姫は全く変に無関係かのどちらかではないか。
光秀の協力者だったとしたら、濃姫は変後も織田家となんらかかわりなく過ごしたため、
後継者争いにも一切名前を残さず、織田家庶家の信雄側などにも情報がほとんど伝わらなかったのも
信長の供養を行った形跡がないのも納得がいく。
死後も織田家の菩提などに葬られることもなく(斉藤家の菩提か、ひっそりと斉藤家の親族などによって)
全く別の寺に葬られたということは十分考えられる。
織田家宗家は三法師で絶えているし、三法師の情報さえ満足に記録にない為その養祖母にあたる濃姫の情報なども
庶家にもほとんど伝わらなかった事を見ても、信雄はじめ織田家庶家は信長死後瀕死の状態であり、
改易などの処分を秀吉や家康から受けていたりと、彼ら自身が大変な状態だったため、
宗家うんぬんどころではなかったということだと思う。
斉藤利三の最初の妻は濃姫の姉妹であり、二人の間には男子も生まれている。
利三が後妻を稲葉家から迎えたとしても、利三の息子は濃姫にとっては甥に当たる。
織田家の人間よりかは血がつながっている分、関係も思い入れも深いともいえる。
光秀の出自ははっきりしないが、もし濃姫と血縁関係があるのがホントなら織田家の人間よりも
光秀に協力する気持ちがあったとしてもおかしくはない。
それにいくら父の国譲状があったとしても、信長が美濃を支配するのは濃姫としては複雑な思いがあったんでは
ないかな。養子に迎えたという信忠にしても濃姫からすると血がつながっているわけでもないし。
信忠の生母が生駒でなかったとしても、諸説あって誰かはっきりとはしていないからなんとも言えないが、
社会的な立場として、信忠の美濃の後継者としての正当性をもたせるための形式的なものだったということも考えられる。
濃姫としては、斉藤家と血がつながっていない人物に美濃を支配されるのは、快く思っていなかったということも考えられる。
801 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 11:07:50 ID:fH3ZhPEO
変に濃が関連して出てくるのか〜。
朝廷黒幕説でもそうなんだけどそういう陰謀に長けた人物がいた、濃が政治的策略的な人物だった、そういう傍証はあるのかな。
それならそれで公記あたりに濃のことが出てきそうだし。
まったく当時の出来事に関与せずにいきなり本能寺に関与するというのも理解しがたい。
ただ牛一はどうして書かなかったのだろう。シンプルにそこが不思議だ。
802 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 11:27:02 ID:NvyNFB7R
>>800 濃姫が龍興と一緒に自害がないにしても、織田家中で旧齋藤家一族のものが
冷遇されるのを見て信長に愛想を尽かし、自分の意思で織田家を出た可能性はあると思う。
壷事件の経緯を見ても、濃姫は、齋藤家を庇い続けただろうから。
だからといって、濃姫が当初から夫信長に不信感を持っていたとも思えない。
濃姫が、信長に美濃国を支配してほしくないという確固たる意思があったのならば、
そもそも父道三が信長宛てに美濃一国の譲り状を書く意味がない。
この頃は女性の守護も認められていたのだから、
道三が実娘濃姫を譲り状の宛て主としも良かったはず。
道三が譲り状を書いたのは、道三は信長を息子同様かわいがっていたこと、
濃姫も当時、これに同意していたからとみるべきだろう。
齋藤氏滅亡のあたりから、夫のやり方に不満が募って織田家を出た・・・・
というのならばありえそうだが。以降、濃姫の記載がないことの理由にもなる。
しかし、濃姫が光秀に加担したとは妄想が行き過ぎてる気が。
濃姫が光秀の協力者なら、本能寺の変の後で当然、処分されただろうし、
信長正室が光秀内通となれば、いくら武家が隠しても、公家が日記に書きたてただろう。
本能寺の前後に濃姫が登場しないのは、濃姫が無関係かつ、
なくなっていた可能性すらあるということだろう。
803 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 11:50:30 ID:poqCpdDT
>>802 濃姫が信長に愛想を尽かして家を出たならなおさら
光秀に協力した可能性も出てくるんじゃないか。
協力といっても何も策略的な知恵を出すだけではないぞ。
黙って黙認しているだけでも十分だしな。
斉藤家親族を大事に思っているならなおさら
利三の息子辺りの情にほだされてということも考えられる。
濃姫が信長のやり方に反発していたというなら
当然裏切ることもありえるんではないか。
変の原因がいまだはっきりしていないから
なんとも言えないんだが、濃姫が無関係とはっきりとはわからん。
光秀謀反に実際にはどのくらいの人間がかかわっていたかも
はっきりせんのだし。
濃姫が信長生前に亡くなっていたとはっきりわかっているなら
変には濃姫は無関係だといえるんだがな。
804 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 13:13:18 ID:th+ASZgv
旧斉藤家親族が織田家中で冷遇されたなんて、どこからそんな意見が出てくるのやら。
805 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 22:50:26 ID:sVMUfrXE
自分の意思で家を出る、って今時の夫婦ケンカじゃあるまいし
そんな簡単に出られるの?
不信感ってのも当時の政略結婚の当事者がそんな自由意志を持つ、それによって行動
できるわけもないと思うけど。
本能寺の変に濃姫が関わってると言うのからしてトなんだけど、最近は普通なの?
806 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 00:32:56 ID:WS3x/lAx
今も昔もトンデモです
807 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 01:11:00 ID:765CGxpk
昔のトはもう少し風情があったよな。
信長と家康がにゃ古屋で手に手を取り合い共に天下を狙おうぞ、と誓ったとか。
808 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 14:37:36 ID:wyikRu/B
濃姫に関してなんだけど・・
あるスレで・・
>奥ばかりでなく、情報分析や作戦アドバイスしたとか
>お濃が男だったらと信長に言わしめたらしい。
>しかし、一方では寝首をかかれるからと遠ざけれれた。
>それで子宝がなかったと
↑これ本当?
809 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 10:26:28 ID:qHTcVMSy
濃姫が政治や戦にアドバイスしたなんて話・・聞いたことないがな。
おおかたどっかの小説の類じゃないのか。
また濃姫がそれほどまで信長から恐れられるほどの人物だったらもっと記録が
残ってもいい筈だ。
濃姫に寝首をかかれるほど用心していたというなら、それ以上の光秀に謀反されて
あんなまぬけな死に方するわけないだろ。
ったく、言ってることがまるで矛盾してるな。
810 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 12:15:20 ID:SgiaFo4n
茶々と信長ってタイトルの小説だったかなぁ。
とにかく茶々が主役(なんだけど前半は生まれてないw)の小説で
濃姫が安土殿として出ていた。
これからもどんどんメディアに濃姫=長生きという事を広めて欲しいな。
もう偽りの史実=生駒マンセーの風潮はいらないよ。
ちょっとわがままを言えば、その小説では濃姫と信長は
戦国の敵国の者同士という事で心の底から愛し合っては居なかった。
というか、わざと愛さないようにしていた感じ。
それを乗り越えて愛し合い支えあった夫婦として描いて欲しかったなー!
811 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 17:27:48 ID:DbY4ePr2
濃姫の小説なら、最近出版されたやつは濃姫主役で長寿説だったな。
養華院=安土殿=濃姫としているのはいいんだけど
尾張に嫁ぐ前になぜか光秀といい感じだったのはちょっとなあ・・
しかも、織田家に嫁いでからは信長とラブラブだったのはいいけど
濃姫と光秀が仲いいので信長がジェラシーを感じていたりというのは
いまいちなあ・・
あと、壷事件や地誌の御台出産の話が入っていなかったのは寂しいなあ。
濃姫主役ならぜひともはずせない出来事なんだけど。
それをクリアーしていたら満点だったのに残念。
自分ならもっとこう書くなあ・・と思ったシーンも結構あった。
だけど、最近は濃姫の長寿説の小説が増えてきているみたいなので嬉しい。
812 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 17:30:53 ID:bc4GJMD1
濃姫が信長の参謀役で、というのはどこかの小説でみたことある。
ところで信長が斎藤氏を冷遇したってどこから?道三の子と言われる、つまり
美濃斎藤氏道三流の最後の嫡流(?)ともいえる斎藤新五郎は織田家継承者信忠に
つけられて別段冷遇もされていない。むしろ越中派遣に見られるのように目を
掛けられていたともいえる。
ちなみによく出てくる斎藤利三はたしかに美濃斎藤氏の出身だが、道三流ではない。
(婚姻関係でつながりはあったが)
813 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 17:38:34 ID:uK00UivE
そんな濃姫小説があるのか、ほとんどオカルトだな。
濃姫スレってあるから一度見てみ。
どえりゃぁ濃い内容で語ってるから。
814 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 21:38:25 ID:dCdGlhvi
濃姫は信長に殺されたかも
815 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 21:48:08 ID:dCdGlhvi
こいつについて考えてもしょうがないって
こいつについては何もわからんでいいだろ
816 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 22:18:46 ID:DbY4ePr2
しかし〜アンチも必死なんだなw
ぷっ、笑える
>>814>>815 考えてもしようがないならここに書き込むことないぞ。
てか、ここに出入りする必要ないんじゃないか。
今日、名古屋まつりだったんだね。
濃姫役の人、いいなあ〜
でも、織田家、豊臣家、徳川家でそれぞれ当主とセットで姫が登場するけど
信長には濃姫で、秀吉にはねねなのに、なぜに家康には築山殿でも亀姫でもなく
千姫なんだ?やはり知名度が高いからなのか。
817 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 01:47:33 ID:T1rcqucH
>>810 「茶々と信長」は、その後「茶々と秀吉」「茶々と家康」と続く
三部作の一つ。力作ではあるけれど・・・
作者は幕末新選組オタというか、
同人臭のする土方歳三小説で脚光をあびた人。
818 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 06:08:35 ID:IIO+O64f
面白いんだけど、ラスト近くで急に
「秀頼や淀は現在言われてるような無能じゃなかった!」
とか作中の地の文で力説しはじめたのには閉口
それさえなければ文庫落ちを条件にオススメしたい作品
ハードカバーで全巻そろえる必要はない
819 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 06:23:48 ID:gNX2kNcy
濃姫小説、もっともっと増えればいいね。
生駒マンセーなんてやっつけてやれ!!
820 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 07:21:28 ID:unPCZziN
生駒にそこまでライバル心燃やさなくても…
濃姫オタにとってはそんなに許しがたい存在なのかな
ライト層には生駒の存在自体知らない人の方が多いのに
821 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 07:54:55 ID:5LpmgzDt
>>816 同意wアンチってどうしてあんなに必死なんだろ?w
必死すぎて見てて痛々しいwwww
あともともと秀吉のお相手役は数年前まで淀って聞いたなー。
大河ドラマの影響でねねになったらしいけど・・・。
湖衣姫祭りも今年は大河の影響で由布姫祭りになってるらしいね。
大河の影響って大きいんだなぁと思う。
今度信長を大河でやる時は、マニアックに濃姫を頂点とした奥事情を描いて欲しいなぁ。
生駒とか出てくるけど所詮一側室に過ぎない、みたいな描写希望!
822 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 14:05:41 ID:CdlnM86e
来年の大河も奥事情だしな
823 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 15:14:33 ID:gNX2kNcy
生駒なんて出なくていいよ。邪魔なだけだしw
濃姫が信長を影で支えたという設定がいいなあ。
清洲にある濃姫の銅像はとっても可憐なお姫様という感じだけど、
実際は賢くてしっかり者だったような気がするなあ。
824 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 15:59:02 ID:Zy9M1YZZ
>>820 なんというか、痛々しい濃姫ファンの書き込みに引くことも多いんだが、
武功夜話が出た当時、信長の若き日の姿が解明された、
信長は生駒氏に対してだけは深い愛をもった男だった、みたいな煽りがすごくて、
自分もすっかり騙されて、生駒氏の存在感の大きさに感じ入ったクチだけに、
それが、実は前野家の同人誌みたいなもんでした、と知った今となっては、
以前は別になんとも思ってなかった生駒氏に(濃姫オタというよりは信長オタなので)
かえって妙な反発心が湧いてくるようになってしまった、というか・・・
ド素人の自分には、武功流布からしばらくの期間、信長初期の歴史が、
あのネタ本で世間的にいっきに塗り替えられそうな勢いに見えたよ
(秀吉は生駒氏との繋がりで仕官できたとか、諸々ね)
だから今、鼻白んでる感が強いのかも知れない。こういう人、他にもいるんじゃないかな
825 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 16:17:34 ID:lkUt6sHd
>>824 自分もその口だな。
武功夜話は、出版された当初に読んだので、武功の中では生駒氏持ち上げているけど、
濃姫全否定ってこともないってのは分かっていたんだが、
武功を元ネタにした小説や、まして、濃姫全否定の解説本にはびっくりして
教授のところに武功の解釈聞きに行ってしまったくらいだ。
教授には、「そんなの単なる先祖憲章小説だ」と言われて再度驚いたし。
で、教授(織豊期が専門)みたいな人がスルーしているのに、
世の中がどんどん生駒マンセーになっていって、ヤバくないか?って思ってたら
偽書説が、当然なんだが出てきてくれて、胸を撫で下ろした覚えがある。
だから、濃姫がどうだとかよりも、いまだに武功夜話かよ、いまだに生駒かよ
って思いが強い。
826 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 16:29:13 ID:ZR0TnU/m
昔の小説や大河は信長といえば濃姫だったんだよな。
その頃の印象が強くて濃姫好きだったから、武功夜話が史実のように語られるのは
正直えーーーーーって感じだったけど、それが史実なら仕方ないかって諦めもあった。
信憑性が高くないってことが明らかになるうちに、振り回されただけかよって脱力感が。
あんなにえらい先生や有名な小説家やNHKの大河ドラマで取り上げて
世の中に広まっちゃうと、それがホントのように定着しちゃってなかなか消えないよ。
827 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 16:52:22 ID:unPCZziN
>>824-826 なるほど。
メディアはとかく人が食いつくようなネタを確証もなしに取り上げるし
それで反響がよければ嘘でも真実のように広げていく傾向もあるからね
嘘だったとなればそれだけ落胆も大きいし、反動で拒否反応起こすのも仕方ないか
子供が出来なくても正室としての面子は大事にされて
濃姫の実家とも良好な関係を持とうと気配りしてた風に感じるから
信長じゃないけど、正室ファンならどんと構えてればいいと思うが
828 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 17:15:26 ID:5LpmgzDt
未だに民放でやってる「歴史裏話」みたいな番組では
「信長の最愛の側室が、織田家を裏で支えていた」みたいな展開多い品。
自分の友人なんてそういう番組みて、信じているし。
自分たちみたいな歴史に造詣高い人間は、あぁまた馬鹿なことやってるよって
感覚だけど、一般的にそうじゃないライト層が多いわけだし
いい加減嘘の歴史を広めるのはやめてほしいよ。
そのたびに友人知人家族に「これ嘘だからw」って説明するのがだるくってしょうがない。
大学の講義前にライト層が理解出来るように説明するのって難しいんだよなぁ
829 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 19:38:11 ID:gNX2kNcy
しかし、武功が世間で認識っていうほどそんなに広まってるかなあ〜
自分のまわりは信長アンチというか、戦国時代の人にそれほど
興味の無い人やどっちかというと嫌いな人が多いので、
大河ドラマ観てる人もほとんどいない。
生駒がとか話をしても「それ誰?」って感じだし。
ある程度興味ある人が歴史関連のテレビなんかを見るんだろうし
史料など見ないでドラマや小説しか見ないようなライトな人は信じやすいんだろうけど、
世間一般の人はそれほど信長の奥関係なんか興味ないのでは。
830 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 20:09:51 ID:unPCZziN
>>829 自分がまさにそれだ
戦国時代に興味持つ数ヶ月前までは
信長・秀吉・家康の名は知ってても、彼らの妻のことなんて全く知らなかったし
かろうじて、ねねと淀の名前を見聞きした程度で
それもメディアでよく言われる正室vs側室の対立云々と言う
戦国板の住人には鼻で笑われそうなデタラメ知識w
戦国時代=血生臭い時代だと思って避けてた戦国初心者な自分は
濃姫はおろか、生駒の存在すら本格的に調べ始めてから知った位だし
信長の妻にしては濃姫(と生駒やその他側室)は世間で知名度はないと思う
ねねや淀のようにトンでもない説で有名になるよりいいと思うが
831 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 20:42:03 ID:gNX2kNcy
自分は昔から濃姫好きなので、濃姫全否定の生駒説には断固戦うよ!!
周りは興味ない人ばかりで、議論もできないのは寂しいけど
ここのスレ荒しにくる香具師がいることを見ても
生駒マンセーがいるのは事実らしいし。
もっともっと濃姫の知名度が高くなって欲しいな。
やはりネットで書き込みしたり、小説を書いて広めるしかないのか。
832 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 21:49:50 ID:hvHIXj6i
濃姫を貶めたうえでの生駒マンセーと戦うのは別にかまわないが
一部の三条ヲタみたいに鼻息荒すぎて
濃姫自身が他の戦国ヲタから悪印象与えるような
行為は控えてくれよ。
すでに今でも変なのいるんだから。
833 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 22:38:43 ID:ZR0TnU/m
別に生駒マンセーと戦う気なんてないな。
ある意味武功夜話のおかげで、織田家の奥関係が調べられるようにもなったわけだし
何か濃姫に関して新たな発見があればと望むだけ。
濃姫が早世したって意見も、信憑性の高い史料が出てきたら納得できると思う。
ただそんな確かな史料もないのに早世だ離縁だと決め付けられるのは嫌だけどね。
834 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 00:40:55 ID:jI8j/eJC
戦国女性全般に興味があるので、濃姫でも生駒氏でもお鍋でも、
わかることがあるのなら知りたいし、聞いてもみたい。
が、武功での諸逸話「吉乃の墓のほうを眺めて涙を流した」
・・・なんてのを読んだときは、
(誰が見てたんだよ、そんな場面w あまりに芝居じみてて
作りもん臭いじゃん)と直感しました。
835 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 09:04:53 ID:c/5kyedm
濃姫や三条夫人に限らずどこの戦国ヲタも似たりよったりだよ。
信玄スレも秀吉スレもひどいもんだし、信長スレも痛いヲタが必死で持論を展開してるし・・
好きな人物が自分の中でかなりの過大評価なのは仕方ないよ。
記録や資料から読み取れるものだけがその人物の全ての面ではないしね。
信長の泣いた場面は生駒はもちろん嘘くさいけど、平手政秀の死に信長が
号泣したというのもかなりの創作らしいね。
実際にその場面を誰が見ていたんだ〜という感じだし。
信長公記にしても、首巻は牛一が実際に見聞きしたものでないため
かなりの創作や話が誇張されているといわれているしね。
またそれほどに生駒が信長にとって重大な人物だったら、一行でも
公記に書かれてもいいんだけどねえー。
836 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 10:48:48 ID:2pEw2gxQ
信長公記には濃姫も最初のほうにしか(嫁取りの部分)
出てこないね
837 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 11:26:40 ID:c/5kyedm
>>836 そうなんだよねえ。
濃姫に関しては織田家に嫁いで来たことしか記録がない。
もし、美濃攻略前後に亡くなったなら書かれていてもよさそうなのに。
壷事件なんかも書かれてないし、牛一としてはそれほど記憶に残る出来事
でもない限り書かなかった可能性は高いけどね。
信長と共に戦った合戦の記録や政治的な記録等は、牛一がメモを日頃から
とっていたので信長の記録を書くときにまとめて参考に出来たんだろうけど、
それ以外の部分はどうかな?かなりの部分は記憶がおぼろげだったんじゃないかな。
年代のミスなどがあるのもそうだしね。
信長公記を書いたのも信長死後かなり経ってからだから。
濃姫や側室達の話がないのは、信長の奥関係に牛一が全く興味がなかったか
いくら側近だといっても当主の奥の内情にまで首をつっこむことがなかったからだろうね。
信長が後継者に信忠だけを指名しているため、他の兄弟達は全く争うこともなかったし、
争いが起こっていたらはっきりと記録に残ったかも知れないけど。
だけど、勝長に関しては詳細に記録を残しているんだよね。かなりページを割いてるし。
よほど安土での信長との対面というか、信長の勝長に対する行動などが
印象的だったんだろうね。
838 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 12:32:21 ID:HNI3LltC
つうかなぜ急にここで生駒と生駒マンセーの
ネガティブキャンペーンが始まったかな……。
戦うのも叩くのも結構だがやるなら他所でやってくれ。
特に戦うとか歴史の造詣が高いなんて平気で言う
おバカは来ないでくれ。
839 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 12:52:15 ID:Pb58WTs+
ブコウヤワは完全に偽書というか創作なんでしょう。
これとか大河のイメージで信長ちゅうか歴史を語るのはどうかな〜。
公記に関してなんだけど、濃姫に関しては本当に不思議だよね。
ただ興味が無かった、というのも牛一のメモ魔性格からみてどうだろう。
書きたくても書けない事情があった、みたいな井沢流のほうの可能性もあるような。
特に首巻の創作っぽい点を考慮すると内情まである程度知ってて書けなかったのじゃないか
そんな気もする。
840 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 13:06:51 ID:c/5kyedm
>>839 書きたくても書けない内情って何だろう?
それとも秀吉の意向が反映されてってことなのかな。
公記も内容は秀吉に逐一チェックされていたんだよね。
濃姫のこと意外でもほとんど女性に関しての記録は少ないしね。
気になっているのは、wikiの信長の欄に、道三の国譲状が信長公記にしか記載がないため
牛一の創作ではないかと書かれていたけど・・?
でも、内容はわからないけど道三が死の直前に信長に書状を出したのは間違いないんでしょ。
公記にしか書かれていないから、創作だとするにはちょっと根拠がない気もするんだけど。
841 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 15:15:10 ID:/z8PjG8c
妙覚寺で仏門に入っていた息子宛の道三の書状に、譲り状をやったと書かれているからな。
原本かどうか分からないが、花押のある書状が一つと、
その写しと思われる花押のない書状が一つ現存している。
花押のある方は、大阪城に展示されていたように思う。
842 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 18:37:28 ID:jZzNgMH7
そだね、譲り状は面白い問題だけどここは牛一を信用してそういう事実はあったと思いたいよね。
それで特におかしな点もおきないし。
>>840 内情ってのはあくまで織田家内の問題でね。
これ仮説があるのだけど面白いもので。
例えば信長がうつけなのに信行は「折りめ高なる〜あるべきごとく」だもんね。
信長に謀反おこしたのならそんな風に書かなくてもいいのに。
ちなみに喜六郎も「容姿美麗人〜」だからね。
この兄弟は似ていてしっかり者のイケメンだったんだろうね。
牛一を信用してのことだけど。
843 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 18:37:51 ID:4gNbCqgi
単に牛一が織田家の奥とはかかわりが薄かったというだけの話では?
太田牛一って昔は信長の祐筆とか言われていたけど、今はそれも否定されて
精々親衛隊の一員だったくらいにおちついている。これじゃあそうそう奥の
話は聞けないでしょう。乱丸のような、信長の私生活にも関わる小姓・坊主
ならともかく。
奥の方から表向き(政治)に関わってきたというのなら記録も残るだろうけど。
(壷事件なんかがそうなんだろうな)
844 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 12:03:59 ID:OKm1jhxG
>単に牛一が織田家の奥とはかかわりが薄かったというだけの話では?
それはそうかも。
風林火山でも大井夫人の勘助に会った事ない発言もあったし。
あれは笑っちゃったけど・・
当主の母親や奥方に会える身分の人ってかなりの重臣だけなんじゃないの。
武田家でも板垣や甘利などの重臣達だけだよね、大井夫人や三条夫人と
会ったりするのは。
織田家で重臣だと丹羽長秀とか柴田勝家ぐらいなのかな?
信忠の世話役の家臣とか。
あと濃姫と義理の兄弟姉妹に当たる元助や斉藤利三とか金森長近とか・・
牛一はどう見ても、信長の奥方に会って会話する身分ではないでしょう。
845 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 11:28:07 ID:Fc1X1WUt
「信長公記」の性質によるのでは?
信長公記はあくまでも、信長の政治的な成功を主眼に置かれて書かれた書物だったために、
奥のことなど枝葉のことは切り捨てられたのだと思う。
面会せずとも織田家中に仕えていれば、それなりに伝聞することもあっただろうが
(殿様はあの女とできているらしい・・・的な噂話)
そういう話は一切切り捨てて、信長の政治的な動きに限定したのだと思う。
秀吉だって、晩年の側室たちは良家の子女たちだったから、それなりに記録が残ったが、
ねねが嫉妬したという長浜時代の側室(愛人?)のことなど、公式な記録には一切残っていない。
成り上がりの秀吉の妻だったねねは、尾張時代、後に大名となる加藤清正や福島正則など、
同じく成り上がりの秀吉の子分たちに対して食事の世話から破れた着物を縫ってやることまで世話をしてやり、
そのために逸話も多く残るが、大名育ちの濃姫と立場が違うことは言うまでもないし。
846 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 12:11:55 ID:gYPZnOWB
というより、秀吉の場合は天下統一後に統治期間かかなりあったから
なんじゃないかな。だから子孫が絶えてしまったといってもかなりの
消息文などが残されている。ねねにしてもしかり。
だけど、中途半端でああいう死に方をした信長の場合はほとんど残ってない。
せめて安土城でも当時のまま残されていたならもっと史料などが残った可能性は高いと思うけど。
早く濃姫の没年や葬儀をおこなった寺が確定されるといいね。
自分は妙覚寺あたりに何か記録がないのか期待してる。
道三の書状が残っているらしいし、他にも信長・信忠関連や濃姫の実兄関連で
史料などがある可能性はあるんだけどな。
847 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 13:57:42 ID:tJo4uunb
むしろ池田関連の方が何かしら残っていそうに思うな。
輝政先妻の位牌が見つかって実は死別ではなかったことが
判明したらしいし斎藤末裔も池田の元藩士で位もそこそこ、
藩主の目通りが許されてもいたというそれなりの家だから
残っていても不思議ではない。
案外と違う方面にはきちんと残っているのかもしれんな。
表に出ないか出せないだけでね。
848 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 15:01:15 ID:hDsSdlej
公記が信長の公的立場の側面から書かれたというのは同意なんだけど
もし普通に亡くなっていたらその葬儀の様子とかはさすがに書かれたのじゃないかな。
だから変までは生きていた、方が可能性は高いとは思うのだけど。
849 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 17:21:34 ID:gYPZnOWB
あと、養華院の管轄だったという高洞院には「妾」とは記載されてないようだし、
養華院の事について何か詳しく書かれた記録なり史料なりないのかな。
葬儀の記録や位牌のありかについてもわかるかも知れないんだけど、
高洞院で養華院について調べた人いるんだろうか。
850 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 17:26:19 ID:IzeNMquD
児島の斉藤家でも史料残ってないかな?
道三からの直系にあたる訳だしさ。
851 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 16:10:16 ID:paubv4F4
>>848 公記には濃姫の嫁取り以降、信長の女の話など一切出てこないからな。
隣国美濃から嫁を娶ったということは美濃譲り状にもつながる信長の政治的立場の
重要な伏線になるから外せなかったのだと思うが、
もともと、信長の女たちのことを書くつもりはなかったのだと思う。
公記が、日記の形式ではなくて、あとから自分で記した記録を元に編纂された書物だという点からも、
はっきりした編纂意図があり、不必要なものは省いていった可能性が高いから。
正室の死によって信長の政治的地位に大きな変革を及ぼしたのならばともかく、
そうでなければ省かれていてもおかしくない。
公記は明らかに編纂意図をもって書かれているから。
852 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 23:23:45 ID:4IAuvpKs
公記が不必要な話は書かなかったというのはそうかも知れないけど・・
信長が、自分の留守中に勝手に持ち場を離れていた侍女達を成敗した
というエピが載っているんだけど、なんでここに濃姫が登場しないのか
以前から不思議だったんだけど。
信長が外出中は濃姫が代わりに城を管理する筈だよね。すると勝手に侍女達が
外出したのは濃姫の管理がなってないと、濃姫が真っ先に怒られる筈なんだけど
公記には、信長が濃姫に怒ったという記述はない。
ここに濃姫が登場しないのは、この時既に濃姫は安土にいなかったのではないかと
感じるんだけど。すでに別居していたか、亡くなっていたかはわからないけど。
もしくは、たまたまこの時に濃姫も別の場所に外出していたか。
まあ、侍女達も濃姫がいたなら、鬼の居ぬ間にという感じで勝手に桑実寺に行ったり
しなかったんではないかな。
また、このエピをわざわざ牛一が書いているのは何がねらいだったんだろう。
信長の性格を表す為?信長の政治的な地位に関係ない話は、たとえ濃姫の死亡であっても
書かなかったというなら、この話は何で書かれたんだろ?濃姫の生死の事より重要な出来事とは
思えないんだけど。
853 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 00:34:30 ID:a5TPHAgr
>>852 それ、竹生島への参詣の時の話でしょ。参詣だったら濃姫も一緒に行った
かも知れないよ。
854 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 01:20:57 ID:+m14obWp
政治の、というよりは(奥に対する)表向きのエピソードを集めたってことじゃね。
実際、公記には政治に関わらない話も少数だが載っている。老婆を保護した話とか。
855 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 03:20:18 ID:a46A6pmJ
信長が侍女を罰した話のいきさつは長々と語られて
○○年の何月に正室が亡くなり○○寺で葬儀が行われたなんて1行ですむ話は書いてない。
編集意図に合わないネタだったのか、まだ死んでなかったのか。
856 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 10:53:59 ID:tKooAPdv
侍女の話も、実際には殺されていないらしいのが近年分かってきたけど
ずっと惨殺されたって逸話で語られてきた箇所だろ?
その辺りからして、不自然に挟み込まれている気はするよな。
857 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 12:02:44 ID:Tf8Rz1Lp
しかも、「成敗」なんていかにも信長が怒りに任せて侍女たちを殺した
というエピをのせて、こんなに暴君だったんだよといわんばかりの話だよな。
公記に不自然に載せられたエピがあったとしたら、巧妙に削除された話も
あるよね。信康の件とか・・江戸時代になってから削られたみたいだし。
とにかく、信長関連に関しては江戸時代からかなり捏造されて、徳川のフィルター
がかかっていることは間違いない。
858 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 13:44:23 ID:tKooAPdv
「成敗」という言葉そのものには、惨殺したという意味はないし、
罰を与えたという意味でしかないがな。
信康に関しては、牛一直筆版にもないし、徳川フィルターとばかりも言えないような。
859 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 13:59:36 ID:UBG6tXPf
侍女の一件は、信長が身内の統制にも心を砕いていたというエピソードであって、
たとえ登場するのが女であっても、表向きの出来事だったんじゃない?
勝手な行動をする奴は侍女であっても許さない、ましてや家臣は・・・
という話じゃない?
信長がどこぞの娘を連れ出してとか、侍女に手をつけて、と言う話じゃないし、
十分、表向きの話だと思う。
860 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 18:03:42 ID:a46A6pmJ
正室の葬儀だって表向きの話じゃないか。
盛大な葬儀、多数の出席者などは権勢を表すものだし。
861 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 10:01:24 ID:OSlC6qpE
盛大な葬儀が行われていなかったらどうする?
信長の出兵中、濃姫が死去、信長の意向で
身内だけで細やかな葬儀が行われていたとしたら?
やはり奥向きの事として公記には取り上げられないんじゃないか?
信長の大勢いた姉妹たちの葬儀だって特に取り上げられていないのだから。
862 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 11:39:28 ID:Qa7IMHLe
密葬とまでいうとなんだが、正室の死が政治上のことにならなかったというのはあると思う。
ただ、仮にひっそりにやったのだとしても、普通養子の信忠が参加しないというのはまずあり
えない話だろう。他にも血縁者(姉妹の配偶者)なども、参加しなかったとしても身内の死
なら記録には残すのでは?関係者でなくとも、織田家とつきあいのある公家なら葬儀に参加
しなくとも記録にさらっとでも残すこともあるだろうし、そもそも葬儀を執り行う寺院の記録
に残らない方がおかしい。(天下人信長の正室の葬儀なら、きちんとそのことを記録するだろ)
普通に、信長の生存中(織田家が権力者だった時期)には死んでいなかったでいいと思うが。
863 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 14:31:07 ID:r5OIkCNd
やっぱり、
本能寺で死んだんじゃなかろうか?
義理の息子信忠、弟斉藤新五も死んだから、
その後の織田家の混乱の中、葬儀もおこなわれなかったとか?
864 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 16:02:46 ID:OSlC6qpE
>862
信長が都人と親しく交わり、安土城を築いてからその正室が死んだのなら
当然、たとえ公記が書かなくても誰かが書いたかもしれないが、
京都進出前に正室が死んでも、さまざまな人が書き記した事はないだろう。
ましてや、密葬だったりしたら。
天下第一の人の正室だった人の消息を本能寺後誰一人書いていない方が不自然で、
それくらいならば信長が有名人になる前に正室は没しており、
ゆえに記録されなかったと解釈した方が釈然とする、
865 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 16:18:50 ID:Te2E6bns
やっぱり信長が名を馳せる前、
もしくは織田家没落後の二択かな。
866 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 16:46:40 ID:V8+VRd42
普通に考えたら、正室が死んで密葬ってことはないんじゃないの。
正室とは家と家との関係なんだし、正室の家の家臣に対しての体面もあるし。
仮に美濃攻略後の死亡だったら、美濃衆に対して自分の立場を見せるためにも
葬儀は密葬にはしないんじゃないか。
867 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 17:01:50 ID:V8+VRd42
尾張時代に亡くなってたとしたら、織田家としては美濃攻略は道三、正室の弔い合戦となるだろうし
斎藤家としては正室が死んだら信長に美濃とのかかわりはないって方向にもっていくんじゃないか。
何にしろ尾張と美濃をつないでた政略の対象だった正室の死がうやむやになったりはしないんじゃ。
868 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 21:31:38 ID:JmPz3uc3
>>858 信康事件に関してはもし本当に信長の命令だったとしたら
公記にもその旨記されたと思う。
少し別の話だが、「信長公記」にはいくつもの写本があり、
内容が少しずつ異なっている。その中でも最も古いと言われる
「安土日記」には、信康に逆心の雑説があった、つまり謀反を
企んでいたと書かれている。
ところが新しいものになるとこの事件そのものの記述が消えてしまう。
これは天下を取った徳川家に遠慮して、太田牛一が筆を曲げたと
考えられている。
だから徳川幕府の手が入っていない、というか影響がなかったとは
言えないだろう。
869 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 21:59:02 ID:JmPz3uc3
>>863 本能寺で死亡はまずない。
ドラマ・小説に影響されてるのかも知れんが、
信長の上洛は茶会などではなく西国出陣のため。
出陣のために上洛したのに妻妾を連れていたとは
考えられない。
新鮮だった頃の論調に戻っていてうれしい
871 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 00:40:43 ID:2X7Yyp/A
>>869 西国出陣が主目的だけど、
ついでに、
京都で公家や商人と交際し、茶会、あるいは珍しい茶器を見せる会をやったのは事実ですよね。
ならば、
そこに正室を連れて行っても不思議でないのでは?
872 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 00:57:39 ID:nk2A5hI0
>>871 それは現代的感覚すぎる。
ごめんね、他の茶席で正室を同伴したかどうかを調べてからカキコしたほうがいいと思う。
公記の書かれた時期とか牛一の研究とか見れば、濃姫がなぜでてこないか二つしかない。
早くに死んだか、変後に死んだか。
早くに死んだ、というのなら美濃征服前後の諸問題の解決が必要なんだけどそういう論証はなされてないような。
ならば、変後のどさくさ、牛一でも知りえなかった時に死んでる、としか思えない。
当時の女の葬儀の研究なんてどっかにあるのかな。
873 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 02:19:28 ID:zow8KY+1
「おもてなし」に妻同伴?論争、史板でもあったよなw
874 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 08:31:10 ID:9FdH0Cvm
濃姫が美濃攻略前後の死亡だったら、斉藤家関係の記録などにも
書かれていてもいいんだけど、何でスルーされてんのか不思議。
実際は違うみたいだけど、一応小見の方の没年は記されてんのに。
自分は織田家没後の死亡の可能性が高いと思うな。
875 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 09:30:44 ID:CJuzJajw
本能寺後、あの有名人信長の正室の動向がどの文献にもあらわれないほうが変。
安土城入城前に死んだのならば、公家の日記には残らなかったと思う。
公記は、妻妾の話は枝葉のこととして徹底的に排除したということで。
本能寺後生きていた濃姫の動向が何の記録にも現れないのと、
安土城入城前に死んでいた濃姫の葬儀の様子が描かれないのとどちらが不自然かと言えば、
本能寺後、正室の消息誰も記録せずのほうがありえない。
876 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 17:02:38 ID:STkFAEMr
濃姫の政治的な利用価値は、信長がまだ権力者でなかった頃の方が大きいよね。
道三の娘婿である自分が美濃の正統な後継者であるって立場だし。
尾張、美濃はしっかり押さえて大きな権力を信長が持ち始めれば
道三や道三の娘の利用価値は終わっただろうけど。
美濃攻略前後の頃の方が、濃姫自体の存在感は大きかったんじゃないか。
織田家没落後だとただの後家だけど。
877 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 21:35:38 ID:9FdH0Cvm
濃姫の本能寺後の記録がないのは確かに解せないけど
でも、織田家宗家を継いだ三法師の記録さえ満足に残っていないので
信長死後の織田家について興味が無くなったので記録されなかったんではないか。
せめて三法師で絶えずに後何代か織田家宗家が続いていたら
何らかの記録は残った可能性が高いけど、三法師で宗家は無くなり
織田家庶家の信雄は、秀吉などから改易になったり散々な目にあっている。
信孝は秀吉によって滅ぼされるし、秀勝は早死だしね。
記録をきちんと残すほど安定した立場だった子供たちはほとんどいなかったから
宗家の三法師の情報すら庶家に伝わらなかったんではないか。
もちろん濃姫の情報もしかりだと思うね。
なので、自分は織田家没後の死亡の可能性の方が高いと思うね。
878 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 23:10:48 ID:ZALt1V1d
そもそも信長の子たちの母親でさえ実証されているのは
稀だからな。
生駒腹とされている信忠でさえ異論が出る始末。
こうした中いくら正室でも子がなければ記録には
残りにくかったのではなかろうか。
徳川の大奥に共通する要素があるな。正室の子が家光だけってヤツ。
880 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 00:04:27 ID:9FdH0Cvm
>>879 それはそうだね。
いかに側室制度が大事だっかわかるね。
当時の大名家で、正室の子供が後を継ぐよりも側室の子供が後を継いだ家が
圧倒的に多かったんじゃないか。
今の皇室存続の問題も側室制度を復活させれば、解決する話なんだろうけどね。
でも、日本も国際社会の仲間入りしたから、側室制度の復活は今後ないだろうけど。
あと正室はそれなりの勢力を持った家から迎えるため、外戚権力を避けたという側面もあるでよ。
882 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 01:44:56 ID:bP/PGSqS
今側室制度を復活させたら
金持ってる男ばっかり女集めてハーレム作っちゃうから
貧乏な男は結婚できなくなるな
万が一出来ても不細工女しか残ってない悲惨だ
883 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 01:56:24 ID:TagQBBLf
>>880 戦国時代までは、割と(というか殆ど)正室の子が後継いでるが、
江戸の安定してきたころから、側室腹の子が跡継ぎになる
パターンが増えてきている感がある。
小五月蝿いしきたりや、環境の変化による武家の
上流層の弱体化がもろに出るようになり、大奥制度の
比重が増したような。
884 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 02:08:21 ID:bP/PGSqS
昔は母親の身分で息子の身分が決まったから(娘は父親の身分で)
正室はちゃんとした家柄の娘を貰って
正室から生まれた男児を嫡男としたけど
江戸時代になってからは、本格的に女はただの産む道具になっちゃったからなぁ
885 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 08:52:38 ID:WIeaRs0t
>>882 今どきそんな不細工女なんてほとんどいないでそ。
男はひどいけどな。
まあ整形すりゃいいじゃん。
芸能人なんてほとんど整形男、整形女ばっかしだしな。
886 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 09:25:23 ID:A1RAhTTQ
>>880 戦国時代は、まだまだ一夫一妻制が戦国大名の中に色濃く残っていたせいだと思うよ
大大名に出世すれば多くの側室を養えたが、1代限りで上がってきた成り上がり者にはそれができない。
信長本人は城主の子供だし、父親にも多くの側室がいたからその例ではないけどね。
天皇家や公家ではそれ以前から、当主の多くは妾腹に代わっていたし、
成りあがりだった戦国大名も、江戸時代に身分が安定すると妾腹が多くなる。
それだけ側室を多く持ったと言う事。
戦国時代には、妻の数が少なかった為、正室に子がなければ甥や弟に継がせる例がまだまだ多くあった。
(柴田勝家、山内一豊等。正室がいなかったという稀有な例では上杉謙信も甥に家督を譲った)
887 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 13:40:39 ID:HKQFCfuJ
>>886 ええっ?
>戦国時代は、まだまだ一夫一婦制が戦国大名の中の色濃く残って
えええ〜www
ウッドベキア・・・の書き込み?じゃないよね?
888 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 15:22:52 ID:nWzmBibp
一夫一婦制というより、成り上がりものは妻以外の女性を養う程の財力がなかった。
戦に追われていて、子作りする暇がなかったっていうのが大きいだけだろ。
889 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 21:54:19 ID:H/psnQc4
山内一豊は生殖不能者だったのではないか、という説があるらしいね。
正室・見性院との間に娘が一人生まれたのみで
あの当時の家制度を考えれば、足軽大将だった頃はともかくとして
城持ちになった頃は跡継ぎを作らなければならないのにそれをしなかったのは
明け暮れる戦のストレスが原因で性不能だったのではないかという説を見た事がある。
890 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 23:48:12 ID:HKQFCfuJ
見当違いの思い込みと妄想、偏った知識、>886はウッドベキア。
891 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 04:33:09 ID:Bpn14y2M
>883
それって鉛入りの白粉のせいなんでしょ
天皇家でも後水尾天皇くらい
までは多くの子供が育っているし
892 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 10:11:23 ID:I6DnPibt
>887.890
ID:HKQFCfuJ
ウィキのどこにそんな記述が?
頭おかしい人?
893 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 10:37:37 ID:l9gRMtgl
>>891 鉛毒についてはよく言われるけど、
おしろいの成分的に大きな違いが生じていったのだろうか?
あと将軍家に関しては、公家や宮家の出である御台所の子が
将軍職を継ぐことの政治的弊害という理由もあるのだろうけど、
旗本や御家人の娘で健康体である側室に比べ、
公家や宮家の女性たちの線の細さやひ弱さから、
健康な子が生まれにくかった・・・と説かれることも多いよね。
で、少しは濃姫の話題に戻らなければ。
894 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 11:37:44 ID:FdAcpmLy
信長本みたいなの見てもブコウヤワとかNHKドラマの引用って多いのだね。
濃姫の墓がなべの横にある、なんて書いてるのもあるな。
895 :
891:2007/10/23(火) 12:32:43 ID:pFQW9E/m
>893
スレ違いですが当時の上流階級が愛用していた中国からの輸入品の白粉は鉛入り
その白粉を赤ちゃんに授乳するときも乳房にまで塗っていたものだから…
明治になってから無鉛の白粉が使われるようになって多くの子が育つようになったとか
896 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 14:36:49 ID:852derpn
昔から中国産は危険だったのか
897 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 16:33:41 ID:tbr0Gbt7
>>894 特に作家に多い>武功信奉者
藤本正行らの偽書説本を読めばとても
史料として使えないことは分かるはずなんだが。
このスレに関することでは、帰蝶(濃)の輿入れが
吉乃(武功による名)の懐妊と同時期とされてたり。
それでは信長と斉藤道三の会見はどこに入るのやら。
898 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 21:38:36 ID:3XV+3oBF
>>897 津本あたりは何か言ってるのかね、ブコウを信じてたことを。
信長の母とされる土田御前なんかの話もブコウからかなり取ってるから実際
今はかなりグタグタになってそうでこわい。
そういえば道三会見の日付なんかは公記でも明確にはなってないけど
あれ、ちゃんと史実で鉄砲500なんてのはどこまで信用できるのだろうね。
なんか疑い深くなってしまって困るな。
899 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 22:15:53 ID:QWsSn++U
>>898 「公記」には弓鉄砲500挺とある。
従って極端に言えば弓499、鉄砲1でもこういう
表現になる。
900 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 22:36:17 ID:QWsSn++U
連投だが、信長上洛以前の話は公記の「首巻」に
記されてるが、まとめられたのは上洛以降の話より
後らしく、そのため筆者の太田牛一の記憶違いによる
間違いなどもある。
また誤りでなくても月日は書いてあって年の記載の
ない場合も多い。
稲葉山城落城、美濃平定も年の記載がないため
いつのことか明治まで論争が続いていたし。
901 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 22:41:53 ID:IGWdK+Dc
でもこいつが変の黒幕だとしても
斎藤利治は殺させまいと思うんじゃないかな
902 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 23:25:49 ID:3XV+3oBF
>>900 わかるよ。
鉄砲と弓、それぞれ500とだって読めるしね。
ただ首巻が単に記憶違いなのかなって。
結構なメモ魔だし、かなり創作とか意図まで入ってそうでね。
スレチだからまぁいいが。
903 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 10:57:39 ID:Wbwfjp3E
「濃姫のひざまくら」って本読んだことある人いる?
どんな内容かちょっと気になる
904 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 13:42:42 ID:e/1ATLuz
>>877 >信長死後の織田家について興味が無くなったので記録されなかった
本能寺後、信長正室の消息がつかめないことに対し、
これはさすがに乱暴じゃないかな
信長の母土田御前の没年が分かっているのに
妻は消息不明
信長が有名になる前に死んだんじゃないのか
905 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 14:40:39 ID:cWVHs7PK
>>904 そういうけど、濃姫には実子がなかったんだからしょうがないんじゃないの。
信長の生母は他にも息子がいたから墓やその他もキチンと記録に残ったんだろうけど。
でも没年がわかってるっていっても、信長生母は土田氏だと確定に至る史料は皆無。
信長生母については複数の名前が挙がっているわけだし。
それほど重要視されていたんだったらこれほど諸説でるわけないじゃん。
それに信長死後の織田家宗家に興味がなかったから、三法師の記録なんかもろくに
残ってないんだしさ。信忠のあとを継いだ息子に興味がないのに、その信忠の養母だった
濃姫が生きていたとしても、よほどの出来事でもない限りは書かれなかったんじゃないの。
逆に信長生前に亡くなってんだったら、必ず何らかの形で記録は残るはずだよ。
小見の方などの没年などは記録されてんのに、濃姫がスルーされるのはおかしいと思うな。
なので、自分は織田家没後の死亡の可能性が高いと思ってるけど。
906 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 15:04:38 ID:N6rhAjHW
本能寺後に信雄が安土殿に600貫文の知行を受け取ってるから
信雄の元で大人しく暮らしてたんじゃないかな
世も世だし、織田家が急速に豊臣に飲み込まれていく状態で
正室には表立った行動はしないで欲しかっただろうし
生母ではないから、それほど信雄も気を使わなかっただろうし
下手なことされたら自身も危なくなるから
正室として知行を与えられて行動制限されてくうちに
歴史から姿を消して行ったんじゃないかな
907 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 15:06:04 ID:N6rhAjHW
×本能寺後に信雄が安土殿に600貫文の知行を受け取ってるから
○本能寺後に信雄が安土殿に600貫文の知行を与えてるから。でした
908 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 19:24:01 ID:SRPMMavf
そういえば、信長生母の出自って、本当のところ、どうなんだろうな。
生駒の親戚の土田氏出身ってことになったのも、確か武功からだろ?
909 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:27:01 ID:iVmWOjQQ
>>904 有名になる前ってのがわからん。
全国レベルでいけば無名でも、尾張一帯というローカルレベルでは超有名人。
さらに妻当人だって美濃一国の支配者というローカルレベルでも超有名人な
斎藤道三の娘。
ローカルレベルでも死亡の記録がないのなら、それは死んでいなかったと見る
べきでは?
910 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:52:11 ID:+LjjxZ4T
あの『言継卿記』に出てくる壺の一件は証明にはならんの?
911 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 21:05:57 ID:LecgAIK8
>>908 そうそう、それが気になってる。
公記ではどうなってるか詳しい人いないかな。
わしは信長の出自にはかなり疑問を持ってる方だもんで。
912 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 21:10:49 ID:SRPMMavf
公記に信長生母についての記述はないよ。
913 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 23:29:40 ID:LecgAIK8
>>912 でしたか。
同腹云々というのがあったぐらいだったかな。
とすると濃姫に限らず今流布してる信長の常識はかなり危ない感じだな。
914 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 23:29:59 ID:iVmWOjQQ
公記の記述をあげると
まず稲生合戦のくだりに「信長の御袋様」が弟信勝と末森いたこと、和議の仲介を
取り持ったこと。
もう一つ、信勝生害の記事で信長が病臥したことについて「御袋様」が見舞いを
信勝に勧めたとある。
この「御袋様」が具体的にどのような出自の人物なのかは公記には記述されていない。
915 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 00:20:26 ID:q+HYt7Jc
っうか・・
信長って本当に信秀正室の子供だったのか?
まずその辺りからかなりあやしい。
「信長御袋様」って表現もなんかな〜
「秀頼御袋様」って意味と同じにも思えるし。
916 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 00:27:46 ID:FoOKbG4V
つまり側室腹って意味だよな
お袋様って
917 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 01:18:51 ID:3vzLwZtW
あくまでも生母という意味での御袋様じゃないかとは思うけど
正室ではなかったとも考えられるよね。
918 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 03:52:37 ID:svjTVKlo
織田氏徳川氏=高潔で清貧なる騎士団 神の騎士
美濃斎藤氏=金津園と吉原の生みの親であり高潔で清貧なる天才織田信長を殺し
江戸260年の大平を築いた徳川幕府にソープランド(大奥)みたいな下品な施設を
設置して財政を食い物にし倒幕に導いた天下を嫉む卑しい連中wwwwwwwww
美濃斎藤氏なんて天下人に迷惑かけてるだけのクソ畜生共なんだよ
919 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 07:29:17 ID:svjTVKlo
斎藤家なんか華のある人間を嫉み嫌がらせする
卑しい連中じゃねーか
920 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 08:26:45 ID:5OXKuUVE
ID:svjTVKlo=生駒厨
921 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 10:18:50 ID:jRP6ka3T
「津島大橋記」「干城録」によれば、信秀正室、信長生母は小嶋日向守信房息女とされているって
本当?
また、父信秀には子供が多く、庶兄もあったにもかかわらず
信長が後継者に指名されたのは、信長の母親が正室だったからだと思うのだけれども。
922 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 11:59:44 ID:6eJkhbaz
>>921 津嶋大橋記
「信長母 号御大母 美濃国藪田小嶋日向守信房女也」
923 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 21:54:39 ID:q6sf/GIX
>>917 そう思ってる。
>>921 信長が後継者に指名されたならあんな織田家内紛が起きるのもおかしい。
信行と一緒に住んでだから信行の母ではあったろうけど、信長とは違ったのではないか。
権六あたりが信行についたのも嫡統は信行であり、庶子信長が本家に謀反を起こしたのではないか
そういう可能性を強く感じる。
喜六郎が殺害された時もすぐに守山城に向かったのは信行であり、信長はぐずぐずしてる。
このあたりも信行が本家というのを示唆してる。
スレチで悪いのだけど、このあたり牛一は案外内部のことを詳しく知っていたようにも思う。
924 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 23:20:09 ID:pKCVENd8
今更だけど信行じゃなくて信勝な。
本人が発給した文書には信勝とあり、
信行は系図にしか登場しない名。
925 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 23:58:00 ID:HT5/N5HT
>>923 織田家というか、正確には織田弾正忠家が内紛を始めたのは美濃の道三死亡以降で、
信秀死亡の時点ではまだ一族兄弟は信長に従っている。清洲織田家との合戦でも、
信勝は信長の命令あるいは要請に従って軍を出している。
なお柴田勝家が信勝についたのは信秀生前からの主君の命で、本人の意思で誰につく
かを決定したのではない。というか、その手の決断で信長についたのだが。
ついた背いたなら、例えば信長からは林一族が離反して信勝についているが、逆に
信勝付からは佐久間一族が本来は信秀から付けられていたが稲生の頃までには背いて
信長についている。また叔父たち(信光や信次)の対応、守護斯波一族の行動なども
「信長ではなく信勝こそが織田家の本嫡(信秀の継承者)」とは言えない。
926 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:48:35 ID:w+NNjj12
父親は信長が後継者だからこそ斎藤道三の娘と縁組させたんだろ。
どうでもいいけど当時の尾張なら信行の訓みは「のぶつら」かも。
928 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 01:10:35 ID:iUHfDbDh
>>926 嫁取りからして違うわな。
信長の嫁は隣国美濃一国の太守斎藤氏の娘。信勝の嫁は尾張の土豪荒尾氏の娘で、
信勝生害の後に信長はその妻を信勝を刺した者に与えたという。このぞんざいな
扱いからして、程度が知れる。
信澄の母親どうすんの。
930 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 10:45:23 ID:6nn4ie58
>>928 だが信長は信澄は自分の息子並みに扱ってるんだよな。
普通自分に逆らった者の遺児は生かしておかないものだが。
豊臣秀頼の子が殺されてるように。
信澄も結局本能寺のあおりで殺されてしまうが。
931 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 11:40:29 ID:kOjsZwfe
>>930 その辺りが、身内には甘いって言われる所以なのかもな。
932 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 21:11:01 ID:FlUans3B
>>925 よくわかるのだけど、信勝嫡統というのは正室の子、という意味ね。ちと大胆だけど
その前のスレの流れで、信長庶子、信勝本嫡、という意味なのですよ。
権六が生前信秀からそういう命を受けていたのなら、信勝こそ本嫡という傍証にこそなると思うし
一族の行動はあくまで付帯的なものでそれを元に、信勝本嫡、を導き出したのではないので
念のために。
あと、うつけ信長に対して信勝を「折り目正しき〜」とか牛一が対比させて記述してるのも、別腹の傍証には
なる。
喜六郎もね、イケメンに記述してる。
だから信勝と喜六郎は同腹であり、事件で殺された時に信勝はすぐに行動し信長はぐずぐずしてた、
というのも素直に理解できる。
ま、他人の説で受け売りなんだけど首巻はいろんな解釈が出来るから興味のあるところで。
933 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 22:38:00 ID:8gPEO2Je
>>930 本能寺の変当時において、一門の5の地位にあるんだよね。信澄。
徹底的な能力マンセーな信長だったから、いくら謀反を起こした弟の息子といえども
優秀なら可愛がるというのは不思議ではないけど・・・。
幼い頃から賢い子だったんだろうか。
934 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 23:37:21 ID:iUHfDbDh
>>932 >権六が生前信秀からそういう命を受けていたのなら、信勝こそ本嫡という傍証にこそなると思うし
意味不明。それだったら、信秀の命令で信長に付けられた家老たちをもって、信長こそ
本嫡とみなすことだってできるだろうに。
それと、信長と信勝が別腹という可能性は自分も同意ですが、だからって信長が庶子
ということにはならない。なぜならすででにでているが、信秀正室が複数名確認される
ので。仮に信長が庶子だとしたら、すでにでているがその他の兄弟との待遇の差が説明
できない。それと喜六郎の件については、公記の記述では信長は事情を知って、はっきり
と「弟の方に落ち度がある」と決断している。これは別腹からくる兄弟愛の差かもしれ
ないが、少なくとも「ぐずぐずしてた」なんていわれる程のものでもない。
(これについては、言葉尻の問題かもしれないが)
935 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 02:05:59 ID:H+x/eZf0
信長の生母は継室だった可能性もあるのかな
936 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 08:53:04 ID:jD66h4vc
生母が信秀正室なら、継室だった事は間違いないでしょ。
信秀の一番最初の正妻は織田大和守達勝息女で
天文の始めに離婚している事は、史料に残っているんだから。
937 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 12:07:00 ID:k1npIoDD
>>934 なるほどね、よくわかりますよ。
で、喜六郎事件も信長の仕組んだこと、とまで言うとオカルトですがそういう説もありましてね。
他の兄弟との待遇の話ですが、当時はやっぱり強いものに家督をつがせたいわけでしょう。
複数の自分の子供を信秀がどうやって処していたか、これはまた別に検証すべきでしょうね。
つまり、結論言うとさらにオカルトで申し訳ないけど信長は自分が嫡統でないことを知ってて
織田家乗っ取りをはかった、これは1577の広信殺害から始まる、最後が信勝だましうち、
叔父も兄弟も全部信長にやられた、という説で。
ちなみに前にも書いたけど信秀葬儀でどうして信長があんな無礼な行動を取ったか、それは
葬儀によばれてなかったからではないだろうか、実際庶長子信広の記述もない、
これもよばれてなかったのではないだろうか、それに怒った信長が、なんていうといかにも
現代劇ですがうつけだったら十分にそういう行動取ったのも理解できそうで。
さらに平手自害も信長のした非道な行動を知ってたのではないか、そういう風に続きます。
受け売りなので反論というか詳しい人に聞いてみたいところ、というわけで。
スレチで申し訳ないが。
938 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 12:37:14 ID:w192PaAz
信長公記の「稲生合戦」の「御袋様」と書かれている前後の原文を知りたいな。
この時代なら御袋様とあると「側室の生母」という意味で使われていたから
信長の生母は側室=土田御前は側室、という可能性もでてくる。
信雄分限帳にある「大方殿様」は信秀の正室であって、信長の生母ではないと
いうことになるかもな。
正室腹に男子がいれば文句なく嫡長子が家督相続する。
でも側室腹にしか男子がいない場合は、長子優先に納得できないやからもでて
私利私欲に走る側近の意向でお家騒動が起きて来るんだと思うんだ。
家光や政宗みたいに正室同腹でもおきるぐらいだから。
そう考えると信長は側室腹の長子であったために、当初は庶子として
自由に育てられ(うつけと呼ばれるような自由奔放な言動)、
途中から正式な嫡子となったので、反対勢力が内部からでてきたのかもしれない。
939 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 13:25:27 ID:5QChId4D
>>938 すると、信長は当初は庶子として織田家を継ぐ予定がなかったが、
途中で嫡子となったというわけか
その場合でも父の正室の養子になる手続きがいるわな
それでは公記が、信長に養母と実母がいると書かなかったのはなぜだろう?
少なくとも濃姫が嫁いだ時点では織田家の跡取りは信長
正統な後継者でもない若造に、道三も嫡腹の姫を嫁がせたりはしない
信秀葬儀の喪主は後継者信長だろう、
そこまで否定したら、当時の史料も公記も嘘っぱちになる。
940 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 14:24:54 ID:w192PaAz
>>父の正室の養子になる手続きがいるわな
普通はそんなことしないよ。
側室腹のまま家督を相続するケースの方が圧倒的に多い。
正室と養子縁組しなきゃその資格を得られないというのは
信忠が濃姫の養子になったので、それが一般的と誤解している人が多い
だけで、実際は嫡子になるために養子縁組をしたのではなく
別の意図からだと思う。濃姫の養子にしなくても決定権は信長にあるわけだから。
それに世継ぎがいなくて親族の子供を養子にする時は
奥方ではなく当主の養子にするだけでOKだったよ。
信長と濃姫が婚姻した時はすでに家督は信長に譲られたのだろうということは
もちろんそう思ってるよ。信秀葬儀の喪主は信長だと思ってるよ。
他に該当するような喪主はいたの?
自分もあくまで臆測を述べただけ。
「御袋様」と表記してあるとどうしても当主の正室をさす言葉じゃないから。
うちうちでそう言うことはあっても、信長公記は公の文書なので
そのような表記をするかとても違和感があったので。
戦国大名なんて実両親さえも不詳のものも多く、父親だけでもはっきりしている
信長はましなほうなんだよね。実母が土田御前じゃない、もしくは正室の子じゃ
なかった、としてもなんの不思議もないけど。
941 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 15:25:40 ID:k1npIoDD
信長が庶子としても、その年上に信広がいるのではなかったっけ。
ほんで信秀葬儀の喪主は信長なの?
疑うようで悪いがそうではないような。
信長庶子とするならそうなる可能性が高い。
では誰かというと信勝ではなかったのかな。
庶子から正式な嫡子になったのではなくて、単に嫡統信勝を殺して織田家を乗っ取った、
そういう理解が妥当にも思う。
ちなみにいったんは許した信勝をどうしてあんなだまし討ちしたかと言うと、同じ年に
かわいいかわいい長男信忠が生まれたから、という説明がある。
つまり分家である自分が本家を乗っ取っても、自分がその織田家を継いでいける、そういう
立場になったから、というのね。
公記は嘘なのではなく、牛一はそのあたりの事情を知ってて書きたくても書けない、
なので首巻でいろいろ日付まちがいやあやふやな表現、創作的表現をしたというように感じる。
そしてそれは濃姫の記述がないことにも応用できると思うんだな。
やっとスレにつながった。
942 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 16:56:16 ID:w192PaAz
>>941 濃姫との婚姻時に信長が織田家当主あるいは嫡子でなければ
濃姫は信長に嫁がなかったと思うよ。信勝が嫡子だというなら道三は
信勝に嫁がせたはず。道三としては織田家とただの姻戚になるために
濃姫を嫁にだしたのではなく、織田家の家督相続者に嫁がせることに
意味があったはずだから。
なので信長が信秀葬儀の喪主であったことはまず間違いない。
信長が庶子であったのなら諸兄である信広に出自において何か問題があって
スルーされたか、信広は信正同様に信秀の庶子認定すらしてもらえない
立場だったのかもしれない。
それから信長公記は牛一が信長に仕える前のことは関係者から聞いた話や
噂話をまとめたものなので、幼少期の信長のうつけぶりや
葬儀でのエピはそんなに信憑性が高いとは言えないと思うし、
その頃の織田家の詳細なことは知らなかったと解釈したほうが自然。
濃姫の記述がないのは、意図的に書かなかったとかじゃなく
書く必要がなかったからじゃないの。濃姫が政治に介入してきて
織田家にとって欠かさぬ人物なら登場してきたかもしれないけど
普通に奥方の奥向きの仕事しかしていなかったら、
信長公記の史料としての性格上書かなきゃならないほどの重要性はない。
信長の戦略や戦歴、業績、信長のエピソードがメインの史料だし、
それ以外の織田家の女性に関する足跡だってないに等しい史料だし。
943 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 17:03:49 ID:aOK0qBpl
脳姫
944 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 17:34:51 ID:RQ+880Mp
>>942 信長公記自体、信長の表向きのことがメインだしね。
蒲生氏郷の家臣の子が書いた「勢州軍記」には信忠を
濃姫の養子にしたという記述もあるし、「言継卿記」の
壺の一件もあるから、少なくとも信長が美濃を平らげて、
義昭を奉戴しようとした時期までは存命だったと見ていい
んじゃないか?
945 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 17:40:32 ID:z6u33u05
道三には娘も大勢いただろうけど、土岐の血を引く正室の産んだ娘なら
政略結婚の駒としては大事な存在だっただろう。
それを家督も継げない庶子に嫁がせても道三としては意味ないよな。
946 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 18:39:52 ID:zGIIuEjr
>>944 いつまで存命だったかは本当に謎だよね。
諸説あって、それぞれ納得がいく部分と矛盾を感じる部分がある。
ただ信雄分限帳の「安土殿」は濃姫と考えるのが一番自然じゃないないかと
思うんだ。当時の女性にとって住んでいた場所で呼ばれていたのは
ステータスシンボルで、城の名なら城主夫人となって
女性にとって最高のステータスだったんだ。そうなると
安土殿と呼ばれるのに該当していた女性は濃姫以外考えられない。
信長や信雄の未婚の姫に知行が与えられることはないし、
安土城に一時期居住したという信雄の夫人は御内様で別にいるし、
知行の高さと名称から信長の正室だった女性以外
考えられないんだよな。
ただその後の安土殿の消息がぷつっと消えてる。
すぐに出家して、自ら俗世間から離れてひっそり余生を過ごしたのか?
ということになるんだけど、それもどこかひっかかるね。
947 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 19:22:26 ID:MM5Q7BwI
>>941 信秀の後継者が信勝で、信長が本来庶子だったというほうが様々な問題が発生します。
それは「なぜ尾張の他の勢力は、信長と戦って信勝と戦わなかったのか」ということです。
信秀死後背いた鳴海の山口親子と戦った(懲罰戦争)のは信長です。清洲や岩倉と戦った
のは信長です。三河における有力な味方である水野氏が今川に攻められたとき、救援に
かけつけて村木を攻めたのは信長です(道三から援軍をもらってまで)。信秀の財力の
源とされる津島や熱田を押えていたのも信長です。これらの点は、単に公記だけでなく
一次史料から確認されることもたくさんあります。
で、信勝が信秀の本嫡で後継者だったというのなら、これらの織田弾正忠家の危機の
間、なにをやっていたんですか?
それから、あなたは牛一が書きたくても書けない事情があって筆を曲げたと主張して
ますが、一体その事情とは?ちなみに牛一がそれまでの記録をまとめて公記という
書物に編纂したとき、すでに織田家は権力者の座が滑り落ちて、まったく無力な一
小名が数家存続しているという状況で、信長本嫡の家すらのこっていませんでした。
もう一度聞きます。牛一は何にはばかって、信長の過去を改竄する必要に迫られたと
いうのですか?
948 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 19:57:26 ID:RQ+880Mp
>>941 そもそも斎藤道三がわざわざ娘を庶子になぞ嫁がせるかということ。
信勝が嫡男ならば、信勝のほうにこそ、道三も信秀も濃姫との縁談を
まとめるだろうし。そこについて納得のいく説明を賜りたい。
949 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 20:10:36 ID:Oz3uuYo4
ただでさえ評判の悪い信長が庶子だったら濃姫が嫁ぐわけないだろ。
950 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 22:51:42 ID:D86xBBB6
まぁ信長が庶子にしても、嫡男扱いであったという事には違いないと思う。
じゃなきゃ濃姫は信長には嫁がないで、織田家跡目の誰かに嫁いだだろうから。
951 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 00:52:56 ID:PhOdFKIp
お袋様=側室の生母というのはどうだろうか?
正室であっても、子供を基準に記述する場合、生母という意味合いだけで
お袋様と書く事は当時でもあった。
お袋様が、側室にしか使われない訳ではない。
信長から見て生母である場合、公記に関していえば、
正室か側室かは問題ない箇所であると思うが。
952 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 01:04:07 ID:PhOdFKIp
>>938 信長公記の「御袋様」の箇所
「信長の御袋様、末盛の城に御舎弟勘十朗殿と御一所に御座候によって、
村井長門・島田所之助両人を、清洲より末盛へ召寄せられ、御袋様の御使として、
色々様々御詫言にて御赦免なされ、勘十朗殿、柴田権六、津々木蔵人、墨衣にて、
御袋様御同道にて、清洲において、御礼これあり。」
つまり、信長の御袋様が側室か正室かはこの際置くが、
勘十朗信勝と同腹であった事は、この一文から推測できる。
953 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 01:34:12 ID:6Nsxelc5
いつからか信長生母=土田御前が当たり前のように言われるようになってたけど
信秀の正室や信長の生母もよくわからないんだよな。
954 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 07:01:07 ID:xRGWRERq
ここは本編よりカットオフ好きな荒らしが多いスレだな
955 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 13:07:07 ID:pmgh9eg+
ところで質問です。信秀の正室あるいは信長の生母として「土田御前」の名前が
でてくる史料ってなんですか?少なくとも公記には御袋様とはあっても名前は
ないようで。
956 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 16:52:55 ID:avzfEA3F
武功夜話
957 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 18:59:54 ID:KKklJvKa
よく考えたら信長が正室の長男である、と明確に示す史料ってないのか?
信長公記の「御袋様」だと正室腹、側室腹、両方とれるな。
信雄分限帳の大方殿様は信秀正室に間違いないだろうが、信長生母では
ないかも?ということになる。もしかしたら
みょーに知行の多かった御局が信長生母なんじゃない?
信雄の実祖母にあたるわけだし、信長の生母ということで奥で
丁重に扱われていたのかも。
958 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 19:19:54 ID:pmgh9eg+
>>957 公記には「嫡男織田吉法師殿」とある。さすがに側室腹で嫡男はないと思うが
959 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 19:33:42 ID:KKklJvKa
庶子であっても嫡子がいない時で、後継者と認められれば、
嫡男と称されたよ。信忠だって庶子だけど、嫡男として
家督を継いでる。
信長の生母がどこそこの○○氏で、と明言されているものもないし、
濃姫が嫁いだ15才頃には嫡男であったことは確実だけど、
正室腹であったかどうかは確定するだけの材料に乏しいな。
960 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 21:40:53 ID:vUjOnRsC
叔父信光と謀って清洲城を乗っ取ったのも信長。
信勝が嫡男なら清洲に入城するのも信勝のはずだが。
ところで自分も信長が叔父や兄弟を殺しつくしたと
する本を読んだことがある。
それによれば秀孝の死、浅井朝倉と戦って死んだ
とされる信治、長島の一揆攻めで死んだ叔父信次、
同じく庶兄信広などはすべて信長による暗殺だという。
確かに公記にも長島の戦死者は名前を挙げず
「御一門歴々討死」とあるだけでこの書き様は不審と
言えば不審だ。
一般には信長が殺した近親は兄弟では信勝のみ、あとは
叔父信光が怪しいとされてるが。
961 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 22:35:21 ID:vUjOnRsC
連投だが、自分が殺した信勝の遺児を大事に育てさせて
有力な一門武将にしているくらいだから、この説は自分も
信じていないが。
信澄への厚遇を見ても、信長が信勝を殺したのは本意では
なかったとも考えられるし。
別の話だが、谷口克広は普通信長の弟とされる信時は庶兄の
秀俊と同一人物で、その死に信長がかかわっていたのではと
している。これは肯定できるかもと思う。
962 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 09:02:38 ID:eQ0a9G+5
>>952 信長の御袋様が信秀正室だった場合とそうでない場合でまた
信勝と同腹かどうかは解釈が違ってくるかも。
正室なら騒動を最小限に治めようと仲裁に入っただけということも考えられる。
後家の権限で織田家のために兄弟、家臣間の諍いを好まず、穏便に治めようと
信長を説得したのかもしれない。同腹の可能性も高いけど
この場合信勝が自腹の子でなくても立場上そうしたんじゃないかな。
信長の生母が側室ならやはり同腹ゆえに血の縁で信勝の命乞いをしたという
解釈が自然だと思う。いくら信長生母であっても側室の立場で
家のためにお家騒動に介入して、自分の子供でもない
信勝の命乞いをするというのは不自然だ。
963 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 12:23:51 ID:Vp6yesI1
>>960 信長が、信光、信時を殺したという根拠は?
964 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 12:37:57 ID:kus/rXR8
>>947 自分の説ではなくあくまで他人の説なので聞かれて答えるのも変ですけど
織田家危機の時はまだ信勝は子供で実戦経験が少なかったからではないですかね。
信長は戦国武将としての片鱗を見せて庶子ではあっても多くの兄弟の中でも
年上の方ですし、自分が織田家の中での地位を築くためにもそういう行動を
取ったのは十分理解できる気がします。
もう1つ、牛一が何にはばかって、というのはまさに、信長は嫡統ではなかった、という事実を
秀吉に対してはばかった、というように説明されてました。
分家信長が本家に謀反簒奪しかも調略だましうちなんでもありのひどいやりかた、
これでは秀吉の主君としてはさすがにそのまま記述は出来ない、つまりそのくらい
他にもひどいことがあったのでしょうか。
例えば平手の自害をも説明しています、つまりあれは信長を諌めるためではなく
庶子なのに嫡統を主張し始めた信長を説得できなかった、そういう織田家全体への
面目と言うか責任のため、というようにね。
長男だったかが馬を譲らなかったのも信長が正嫡ではなかったから、というようにうまいこと
話をつなげてます。
オカルトなのでうまく反論してもらえるとこちらも助かります。
スレチで申し訳ないので、どうして道三が濃姫を信長に嫁がせたか、こちらにも
行きたいですね。
965 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 14:25:21 ID:6vFByQzH
>>どうして道三が濃姫を信長に嫁がせたか、
当時の美濃国守と尾張の織田家庶流の織田家との
力関係を比較しても、縁組として成立させるには
信秀の嫡子が婿でなきゃ成立しないよ。
仮に信秀>道三という力関係での婚姻なら、濃姫が人質みたいな
立場での輿入れとなるだろうから、その場合は嫡子ではなく
他の庶子の信長の弟たちになってもおかしくないだろうけど。
信秀が生前中に家督相続はされているだろうし、庶子であろうが嫡子であろうが
信秀の意向で家督を相続したのだから、もし家督問題がおこるとしたら
信秀生前中におこっていたんじゃないか?
家臣の反対が多く家臣団が分裂するほど反対があれば無理に信長を
嫡男にすることもなかったろうし、いくら年少とはいえ嫡子がいたのなら
年長の庶子よりも家督相続権は優先される、普通はね。
側近がきちんとしていれば、年齢より正嫡性を優先させることに問題はないはず。
すでに家臣も承諾の上、信秀から家督を相続していたのに、
親族を暗殺してその地位を維持したというのは不自然に思える。
牛一が秀吉にはばかったという点も不自然かな。
どちらかというと、秀吉に気を使ったのなら、信長の欠点
を強調していたと思う。
現に比叡山の焼き討ちや虐殺の規模などはかなり大げさに書かれていることが
後年の調査で指摘されてるしね。
そうすることで秀吉政権を正当化することにもなるから。
もし正嫡性がなく、力ずくで家督を奪ったというのが事実なら
牛一は秀吉のご機嫌取り?もあってそれを書いたと思うよ。
966 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 19:23:34 ID:GtoAHFja
>>963 まず谷口氏の著書を読め・・・と言いたいところだが、
信光の死は以前から他の研究者の間でも言われてきたことで、
その死が信長にとって都合が良すぎるので信長の関与が
疑われている。公記にも「上総介殿御果報」とあるし。
信時(秀俊)についてはその犯人が罪を問われることもなく
織田家に居残っているのが怪しいとしている。
普通なら処刑されるはずではないか。
967 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 20:28:08 ID:3Xa9vvfo
>>966 信光についてはそんなに都合がいいか?という疑問がある。当時の信長の状況では、
信光は一族の有力者にして信長の強力な味方。清洲織田は片付けたが犬山も岩倉も
まだ健在。東は今川が鳴海まで手を伸ばし、西は今川と組んだ長島服部党が蠢動。
こんな状況で信光を消すことに何のメリットがある?たしかに将来的なことを考え
ればわからなくもない。もし信光が長生きした場合、信長と対立することになった
可能性は私も否定しない。そういった未来の観点からすれば、信光が早死にした事は
信長にとって「果報」だったろう。しかし天文二十三年の時点では、信光の死は
信長にとってはメリットよりもデメリットの方が大きいのではないかと思う。
信時(秀俊)についてはたしかに怪しい。が、根拠は下手人が処刑されていないことと、
信時が「利口な人」と公記で評価されていたからというだけというのは、可能性は否定
できないというレベルで、説得力には少々欠ける。さらに処刑についても、当時の信長
には角田を処分する力がなかったという説もある(角田が守山衆の有力豪族だったことは
公記にも確認される)。無理に処分を下そうとして謀反を起こされたらどうなるかという
不安。また一説には信時が同じ守山衆の坂井に肩入れして、その結果角田のクーデターが
勃発したという事情を鑑みてのやむをえない措置だったという可能性もある。
ちなみに谷口氏の著作を読むと、角田がその後も織田家中に仕え続けたかのような
印象を受けるが、実際には角田は信勝謀反の際に信勝に加わり、稲生で戦死したとする
記述もある。別段、信長がその後角田を使い続けたというわけでもない。
968 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 21:07:13 ID:qweHJ3xr
>>967 主旨にはおおむね納得だが、
犬山の信清と対立したのは岩倉を落とした後だよ。
岩倉攻めには信清は軍勢を出して信長に協力している。
969 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 21:30:03 ID:3Xa9vvfo
>>968 そうでした。あと親信長の親父と反対派の息子が対立して、結果親父が城を
出奔して実権を握った息子が信長と対立したんでしたっけ。
>967に付け足すと、信時死亡後に守山城主に据えられたのは、前城主だった信次。
稲生合戦の時に信次は信長派か、せいぜい中立。にもかかわらず守山衆の一員
である角田新五が信勝についたのは、両者の関係を物語っているといえまいか?
970 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 21:38:17 ID:naNOBH5L
そういや信光の死因については痴情のもつれという説も見た事が・・・。
971 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 21:49:50 ID:Vp6yesI1
>>966 信時が殺害されたのに、犯人の角田が家臣の有力者であるために処罰できない。
つまりこの時期の信長はまだまだ国人領主の盟主であり、後の独裁者にはなれていない。
一族の協力は不可欠な状態。
だからこそ、信行の謀反も一度だけは許した。
信時は、「利口な人」と評価されていたという。
信長も仲がよく、期待していたかもしれない。
守山城は、前城主の信次が秀孝死亡の関連で逐電したために動揺している。
そこへ庶弟の信時を城主にすえたばかりだ。
この段階で、信長が信時を殺すという理由がない。
信光については、牛一が、信長に疑惑をかけていたために、あんな書き方(御果報)になったと思う。
実際には、領土分割の密約などあったことが真実とは考えられない。
信光は、信長にとっては父の死後、有力な支持者で協力者。
その死は痛手だったはず。好都合ではない。
また、信長が庶子で、織田家を乗っ取ったというが、
一族である信光、信次、信時、みな信長を総領として従っている。
名前は忘れたが、信長の大叔父に当たる人物も、信長を心配している手紙を残している、とどこかのスレで見た。
972 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 21:59:01 ID:Ej5tSE46
信長庶子説の一番の根拠って、信秀正室が土田氏なのに
土田氏以外の小嶋氏や六角氏が信長生母として史料に残されているから
出てきた説だと聞いた事がある。
信長生母として土田氏が記されたものが、当時の史料にないからな。
しかし、土田氏が正室であったとする根拠である武功夜話があのざまじゃ
本当は庶子説をひねり出す必要は無くなったともいえる。
だが、一度庶子説が出てしまうと、生母からという部分を無視して
庶子説が一人歩きし始めたというのが、真相だと思う。
だが、武功夜話には信長生母も信秀正室も土田氏であるのに、
信秀正室だけ残されて、信長生母の方をスルーしたのは
信秀の正室織田大和守達勝息女が離縁された以降の継室が不明だからなんだろうか?
973 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 22:06:52 ID:nYA9Ba7j
>>965 最後のとこだけちょっと質問したいけど、やっぱり信長の部下だった秀吉の手前は
その主君をよりよく表現するほうが普通ではないですかね。
その素晴らしい主君を討った逆臣光秀を討った、忠臣いうことにもつながるしね。
ところで秀吉が信長の下についたのはいつぐらいでいいのかな。
もし1554前後というのなら秀吉自体が信長の叔父兄弟皆殺しに加担してることにもなる。
なのであくまで推測だけど、牛一が首巻ではそのあたりをぼかしている、というのも広義の意味で
成立するようにも思える。
974 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 22:30:07 ID:nYA9Ba7j
>>972 信長庶子説は自分の知ってる限りはブコウヤワとかはあまり関係ないです。
公記にも明確になってないし、要は信長は誰の子かもはっきりしないですよ、ぐらいが出発点で。
>>971 その信時を殺す理由がない、なんですけど、信次逐電は信長と気脈を通じていた、というのはどうでしょう。
つまり信長は信時をワンポイントで守山城主にすえたわけで最初から信次をほとぼりがさめたら
呼び戻すつもりだった、と。
そして呼び戻した1月後に信勝が兵を起こす、これは信長が季考、信時を殺したことに気付いた、
そのようにも解釈できるように思います。
ちなみに、信次逐電の理由は信次が信勝の報復を恐れたためではないか、信長信勝は別腹で信勝と季考は
同腹、さらに信勝が嫡統とするならばこれも十分考えられるような。
個々の死の理由はいろいろ考えられるでしょうが、そのすべてに信長がからんでいる、又は利用した
というのも最終的に信長が信勝を殺すことによって織田家を実力で把握した、ことにつなげると案外
成立しそうな説だとは思いましたね。
そしてその根本にあるのが、信長庶子、男の兄弟はない一人っ子、そこからすべてははじまった、とまるで
小説なんですけどね。
975 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 00:46:19 ID:INW7ppfp
>>974 小説としても、ひねりも何もないつまらない話になりそう。
短期間におじと弟が何人か死んでる~、全部信長が殺した、、なんて、単純すぎる。
そんなに簡単に身内を殺して、家臣や国人衆が付いて来るのか?
この時期の信長の苦労をないがしろにする暴論だ、許せん(w
信光と信時、秀孝の死因は、前に別スレに書いたから省略。
976 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 00:56:52 ID:Mf1KABKm
でもなんで、信長ってやたらとすぐ人を殺したとか言われるんだろね。
これも徳川の捏造が原因か?
濃姫だって、信長が殺した説唱えている人いまだいるし・・
977 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 02:51:39 ID:cKCj+XNF
徳川以前に既に秀吉が織田家乗っ取ったあとに
信長を狂人扱いしてますがな
そして光秀寄りの側近が多かった徳川時代に
明智軍記なるものをこしらえて
光秀の母親見殺しetcといった極悪人像も定着していった
978 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 03:14:04 ID:v3FSyl6a
>>974 で、なんで信時殺しの下手人である角田新五が、稲生合戦で信勝側についていたの
ですかね?これも信長の差し金で、信勝を内部から裏切って敗北に追い込むための
間諜、埋伏の毒だったんだよ!すべては信長の陰謀だったんだ!とでも主張しますか?
(それだと、なんで信長の陰謀を察知して挙兵した信勝が信長の手先を悟っている
角田を受け入れたやら)
あなたが想像で説を展開するのは勝手ですが、はっきりいって
信長は庶子 信長はそのため一族を殺しまくった
という結論ありきで、その結論に導くために想像を加えまくって論を展開している
だけです。それでは自分以外の誰一人も納得させる力はありません。
だいたい陰謀論を展開するのなら、信長に強力している一族の有力者(信光は信長と
示し合わせた上で清洲の陰謀を実行、信時も信長の差し金で守山城主へ)が次々と
死んでいるのは反信長勢力の陰謀、つまり弟信勝の差し金だったんだよ!くらいも
成立するでしょう。むしろ、この方が勝手な根拠のない想像を加えて考察するより
はるかに通りがいいと思いますが?
979 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 08:05:06 ID:eoFWwYMq
>>973 秀吉には織田宗家を事実上滅亡させたという負い目があるでしょ。
三法師を早々になおざりにして、信長の息子達を支配下においての
秀吉政権だったから、信長そのものを否定したいという暗黙の
空気はあったと思う。
正嫡性もなく、下克上で成り上がった残虐の限りをつくした暴君信長、
という庶民へのイメージ定着に信長公記が利用された、という印象もなくはない。
信長への敬意が秀吉にもあったのなら、残虐シーンは最小限にカットさせたり
名君と思われるように編集させたと思う。
光秀や一族の処遇は徹底してたけど、騒動がおさまってからは
関係者の末裔が不遇だったということもないので、秀吉や家康は
内心光秀に感謝してるという解釈してる専門家もいる。
でも信長が悪人と思われれば思われるほど光秀に庶民の同情が集まって
人気があったから、残りの関係者一族を優遇してあげただけ
じゃないだろうかとも思えるけど。
信長が庶子であったかどうかは生母の出自がきちんと判明しない限り
確定は難しいけど、どっちにしても嫡男として信秀から家督を譲られた
ことは事実なのだし、庶子であったところで正嫡性は立派にあったと
解釈すべきだろうな。その後の身内のごたごたは織田家に限らず
どこの家でもある話なので、そのごたごたの原因が全て家督のからむ
問題ばかりではないと思う。
戦国期なんて、はしかや肺炎ぐらいであっさり死んでたわけで、
そういう急死が「暗殺」「一服もられた…」と伝わって、犯人は信長だろう、
となっていったという根拠薄のものもあると思うけど。
980 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 08:07:36 ID:cKCj+XNF
吾妻鏡で頼朝が悪人にされてるのと同じだな
981 :
たられば君:2007/10/30(火) 09:30:55 ID:gCGPK1FG
いつになったら帰蝶の話題が出てくるのかな
982 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 11:45:31 ID:yj+ooUId
>>978 そうなんですよね。
自分の説ではなくてそういう説があって、詳しい方がどのように否定するのかぜひ
教えて頂きたかったわけなのですよ。
元から井沢ではないですが学会等からは無視されているわけなのでとても勉強になります。
もしよろしければ、定説ではない、根拠がない、想像でしょ、というのを承知の上で
いろいろお聞きしたいと思いますがどうでしょう。
例えば信光、信時、季考の個々の死因は十分に理解できます。
ただこんな短期間にある程度関連づいてまとまって死んでる、その結果信長が織田家を把握
そして天下をも手中に収めようとする。
その手法は戦争が強い、というよりかは調略、謀略、そういった戦国特有の戦術を駆使したことは
このスレの皆様なら十分ご承知のこと。
なので陰謀論と言いますか信長の出自、さらにうつけとしての振る舞い、そういったかなり遡るところから
信長の人生と言うか人間性というか教えていただくことにとても関心がありまして。
織田家内紛は確かに時代的にはよくあることなのですが、その後の行動を見ていても
個々の内紛をバックにうまく立ち回って織田家を把握した、それは事実ですがその一歩先まで
推測することはどこまで可能なのだろう。
そのあたりが出発点となっています。
どうかご理解のほど頂けたら、と思います。
983 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 12:06:55 ID:yj+ooUId
>>979 ふむふむ。
信長を否定したいという暗黙の了解、ですか。
どちらかといえば宗家を滅亡させた負い目から元主君を名君と表現する、そんな感じを
想定してました。
叡山攻めの誇大表現にしても、当時としてはそれは悪ではなく反逆の徒をより多く殺した
みたいに逆に良い方向で表現したのかな、みたいに。
当時としては下克上で成り上がる、残虐の限りをつくす、そういうのは100%マイナスイメージ
だったのでしょうかね。天下統一した秀吉を褒めるのならそういう成り上がり信長は
逆に評価されてたぐらい、なんてのはいいすぎですか。
でも秀吉はその後継者でしょうし実際にその信長の命に従ってたわけですからね。
話戻して当時の庶民は信長を悪人とか思ってたのでしょうかね。
それより光秀を三日天下なんて評価してなかったぐらいではないのかな。
秀吉、家康が光秀に感謝してる、からおかしな黒幕説が広まってますが、やっぱり秀吉、家康
からみると一生部下だったかもしれないのに、天下取りのチャンスを与えてくれたのは直接間接
光秀だったので、感謝、というかラッキ、ぐらいには思ってたでしょうね。
で、はしかや肺炎で死んだのも信長のせいにされてる、ですけど、事実はどうあれそう思われている
ということが重要である、なんて言ったら井沢100%ですね。
半分冗談ですけど、父親の葬儀であんな振舞したら「あいつは危ねぇ、いつかなんかやらかす」
と絶対に思われてたでしょうね。
親類の葬儀であるんだ、見たこと・・・お寺の人に文句言われた・・わし・・
984 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 13:32:00 ID:FHMYxlsV
江戸時代の光秀の人気は絶大でしたよ。
江戸歌舞伎の影響だけど。
光秀を苦労人、糟糠の妻だけを愛し、耐え難きを耐え、しのび難きをしのび、
最後に爆発、あえない最期…
という脚色で上演されていたそうです。
江戸庶民の人気有名人が一位が家康、二位が秀吉、三位に光秀、という
説もあるそうで、信長はかなり悪役だったようです。
信長公記は牛一が秀吉に仕え秀吉の命で書き上げたという背景を考えると、
秀吉が読んで不快にならない程度の上げ下げの
手が加えられていることは想像できるので、全部が全部事実である、
という前提での考察は難しいだろうけど、率直に書きにくいところは
牛一なりに含みのある書き方をしているとも思われるので、
あれこれ推測していくのも楽しみの一つだとは思ってる。
985 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 14:08:13 ID:v3FSyl6a
>>984 描きにくいところってなに?
仮に信長が側室腹で本嫡を排して下克上で家をのっとったのだとして、それが
秀吉にとって都合が悪いことってなに?
むしろ信長がそういった悪人なら、その悪人の家を排して(息子や孫に対する扱い)
自身が代わって天下人となる大義名分になると思うのだが?
>あれこれ推測していくのも楽しみの一つだとは思ってる
楽しみは人それぞれだが、根拠がなければ個人の妄想でしかない。
それと公記の記述のみをもって牛一がどうこう言うが、信長を正室腹とする
史料は公記以外にもあるし、残されている一次史料をみても信長でなく信勝を
正嫡とするような記述は見当たらない。このような現状を無視して公記のみを
取り上げて、しかも公記にすらはっきりと記述されていないようなことを想像
で導いて結論を出しても、なんの説得力もない。
こういうとき陰謀論者は「権力者が都合の悪い史料を廃棄させたんだよ!」と主張する。
しかし例えば徳川は二世紀半におよび天下人の座にあり、その間都合の悪い文書を
処分するような動きもあっただろうが、それでも家康やその後の歴代将軍の都合の
悪い文書はけっして少なくない量が今に残されて歴史学の材料にされている。
なのに、織田信長だけは都合の悪い史料を完璧に抹殺したとでも言うんですか?
986 :
人間七七四年:
>>それと公記の記述のみをもって牛一がどうこう言うが、信長を正室腹とする
史料は公記以外にもあるし、残されている一次史料をみても信長でなく信勝を
正嫡とするような記述は見当たらない。このような現状を無視して公記のみを
取り上げて、しかも公記にすらはっきりと記述されていないようなことを想像
で導いて結論を出しても、なんの説得力もない。
私は↑のようなことは考えたこともないので、これこそ貴方の妄想。
私が主張してもないことを勝手に決めつけ、思い込みで責められても迷惑。
歴史の楽しみ方は人それぞれで、それについても文句をつける筋合のことでも
ないだろうと思うけどね。第一「戦国時代」スレのカテゴリーは趣味でしょ?