【今川】2万5千で上洛【義元】

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1名無しさん@お腹いっぱい。
武田では上洛は不可能ということになりました
では当時最強(こっちは本物)の今川義元では?
というスレ
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 10:54:51 ID:DAwPHjJ7
当時は三好や六角も力を持ってたし、難しいんじゃないかな。

もし信長を破り、尾張を制圧した場合は120万石ほどの大大名になるが。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 10:57:58 ID:02Q3GPmw
ちなみにこの時、美濃近江辺りには外交的になんかやってたの?よしくん。
そういうのってとんと聞かないけど。俺が無知なだけって可能性も大だけど。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 11:22:25 ID:WClm7kOt
伊勢を通るのか、近江を通るのか
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 12:09:01 ID:1PVKybx9
>>3
特にしてない
伊勢に対しては多少・・・長島の門徒に声かけたり伊勢湾の制海権掌握に努めたり
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 12:22:29 ID:WClm7kOt
三国同盟を堅持できれば必然的に美濃、伊勢と進攻するだろう。
戦力差が桁違いなので、よほどの事が無い限り問題なく制圧できる。
家柄がいいのもプラスに働く。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 13:50:59 ID:yc2KKZSJ
桶狭間がなければ、武田より遥かに可能性は高い
ただ一気に上洛は無理だろう
尾張を早々に制圧すれば東海道に巨大勢力の出来上がり
家柄もいいし、先陣は家康だ
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 14:16:45 ID:GUgiyw3Y
>>1
実際に殺されて無理だったんだから無理。
歴史をねじまげる事は出来ない。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 01:20:49 ID:V+tKZpzV
まず義元に上洛する気があったのかどうかだな。
尾張攻めだって長年続いた小競り合いの延長だし・・・。

ついでに織田に勝ったとしても即尾張を占領することは出来るのか。
まあ、斯波氏(もしくは織田宗家)を復権させて尾張を押さえるんだろうが、
織田(信長系列)の残党やら斎藤のちょっかいやら一向宗やらで領国経営まともに出来るんかい。
尾張に足場を固める頃には氏真の代になってるよ。義元は不摂生で寿命短そうだし。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 10:20:29 ID:EcUONuSB
上洛ってあいさつして贈り物して帰ってくるだけでしょ
大げさなこと言ってるなあ
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 10:25:36 ID:qOqsL5KO
斉藤と六角は今川に従うって書面を交換してただろ?
六角が今川方になると浅井が邪魔するだろうが、源流の朝倉さえなんとかすれば
すぐに上洛できると思うがな


上洛しても上杉謙信みたいにすぐ帰ってしまうとなにもならんが
義元は足利には目を置かなかったらしいから、そのまま三好・松永を討伐できれば
征夷大将軍だろうな
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 15:02:50 ID:i+beNE60
>>11
>斉藤と六角は今川に従うって書面を交換してただろ?
してないだろ
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 21:43:19 ID:iJncqkVN
>>11
その書面うp
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 21:44:58 ID:ZV58xkq1
今川上洛説は否定されてるでしょ。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 22:33:26 ID:JBzySAra
>>14
そんなこといったら信玄上洛説も・・
まぁ所詮ifだし
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 02:26:36 ID:twaPLV/G
>>9
尾張は今川家で直接統治するんじゃないかな。
三河でも吉良氏を立てた訳ではないし。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:52:00 ID:PO1TbmLd
信長と戦う前に病死したので、色々と妄想可能な信玄と違って、
義元は実際負けてるからなあ。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 22:01:46 ID:d6eOm4K7
>>17
あれはとりあえず運が悪かった

部下も信玄よりかはずっと優秀だしかなりいけそうだ
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 22:08:11 ID:tt7dlMWC
本陣つっつかれるようなミスしといて運が悪かったって
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 22:32:24 ID:EYz4kBm2
>>18
優秀な部下って誰のこと言ってるの?
太原雪斎以外に優秀な部下なんていたっけ?

家来ではなく部下って言い方がおかしい気もするがw
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 22:36:27 ID:psLLFSYh
松平元康以下の三河武士団のことじゃないか?
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 23:59:09 ID:gVw7f3iD
>>16
分裂状態の三河と違って、尾張は「織田一族」で一応まとまってるからな・・・。
今川直轄にしてしまえば今までいがみ合ってた織田一族が結束してしまう可能性が・・・。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 10:25:26 ID:5sZYVdlp
なぞの薬剤師
一宮随波斎
24あぼーん:あぼーん
あぼーん
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 21:33:08 ID:dmm2RAWm
最終的には徳川家康に領地も異名「東海一の弓取り」も、持ていかれたのを考えると、
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 16:34:59 ID:01y1QBvF
義元の立派さが分かるな。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 16:08:16 ID:NtLZAMum
義元の好物は敷島パン
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 16:17:15 ID:NtLZAMum
信長:「義元はどこまで来ている?」

家臣:「物見の知らせによりますと、浜名湖のパルパル辺りに…」

信長:「何ィ、既に遊園地パルパルにおるのか!?」
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:30:14 ID:70G7l/SR
25000人で遊園地か。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:40:10 ID:I766VseL
「殿、今川殿より物資が届きました」

「ウナギパイか!?」

「いえ、ウナギボーンに御座います」

「ウナギボーン…」
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 10:09:03 ID:0JL+Et5a
うじざね!うじざねはおらぬか
パパはこれから京見物に出掛けるぞ
そちも来るか
そうか、蹴鞠の稽古がしたいか なら、お留守番じゃの
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 10:28:38 ID:uvMt9y9n
>>21
>松平元康以下の三河武士団のことじゃないか?
 って、後の家康四天王の事? 井伊直政や本田忠勝が、今川のメイン戦力になってたわけ?
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 10:44:38 ID:MWzBVoz2
12歳の忠勝と産まれていない直政にどうしろと
3432:2006/08/10(木) 10:46:55 ID:uvMt9y9n
 サンクス。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 00:12:14 ID:rIWn3Ma4
松井氏、由比氏、井伊氏、朝比奈氏、蒲原氏、岡部氏

こんなところかな
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 01:30:37 ID:Iz0x+cbX
桶狭間の戦いというと、一番最初に読んだのが
小学館の学習雑誌の漫画で、義元が服部小平太を
一太刀で負傷させたシーンが印象に残ってる。
その印象が強くて、義元というとまず武勇の人というイメージが…。
実際、武術の方は得意だったのかね。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 01:45:31 ID:rYcDrZQd
息子の氏真もそれなりの剣術の腕だったらしいし足利義輝や北畠具教ほどではなくてもそこそこはできたんじゃないのか?
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 02:00:19 ID:VVdNE9+W
この時代の剣術は茶道や和歌のようなもので家柄がいい大名は
大抵剣は使えるみたい
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 02:58:26 ID:g7qHRWkb
1560年当時では今川家が戦国最大勢力?
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 03:36:39 ID:57nflqvL
毛利や大友のが石高はでかそうだな
畿内には三好もいるしな。
石高でみると北条のがでかそうだな
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 19:13:18 ID:Fel3yK7W
今川・駿河、遠江、三河、尾張南部の一部。太閤検地を参考にすると約70〜80万石。
北条・伊豆、相模、武蔵、上野の平井周辺、下総西部、約120から130万石。
武田・甲斐、信濃の最北部以外の大半。約60から70万石。
明らかに北条が強いと思うわけだが
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 23:46:54 ID:VVdNE9+W
でも信玄の時の信長みたいな明らかに格上の敵がいないんだよね
尾張さえ併合できたら間違いなく上洛もできるかな、と

余談だが今川氏自体は三好同様、堺阿波公方派だから義輝は怖いだろうな


経済的には武田と比べてどうなの?
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 00:05:39 ID:EEUBDJH9
湊(貿易港)があるかどうかで、経済力は格段に違ってくるよ。
沿海商業の研究が進んでる上杉の例でいえば、直轄地の直江津と柏崎だけで、
津料(関税)が年間4万貫(4000万文)だったとされてる。
石高に直せば、1貫=10石として40万石。今川も沿海が史料にみとめられる
から、慶長年間の検地分と併せて軽く100万石以上はあったはず。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 16:32:32 ID:NBoBqXCw
へー
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 17:52:42 ID:ymq1jkRG
上洛説が間違っているとは限らないんだよなぁ。
上洛の為の地盤固めとして尾張を攻めた可能性があると思う。

なにせ、補給線が敵国のまま上洛しても物資の孤立を起こすだけ
ってのは過去に上洛した事例であったはず。
そうした教訓を活かさないとは思わない。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 11:32:41 ID:+jZ3/i/S
>>43
湊なんて、織田領にも普通にあるよ
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:49:15 ID:m6neFQGC
織田家がもし守護代中心にまとまってた織田家だったら
100万石クラスの動員は余裕でできただろうね
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 18:46:43 ID:zYkrCSn/
今川領には安倍や麓の金山もあるね。
49駿河朝比奈氏:2006/08/21(月) 07:56:22 ID:g1PrgZgr
駿河朝比奈氏です。今川氏のスレを見つけたので記念レスしときます。


(´・ω・`)ゞ
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 01:57:28 ID:dy4u1H0t
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 05:11:42 ID:1lG/llCo
ぶっちゃけ単純な石高だけじゃ何もわからんよな。
武田は金山あるし織田は畿内の経済圏を支配してたし
毛利は銀山持ってたし上杉は直江津あったし。
…まあ、武田は微妙だなw
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 11:19:50 ID:H4fh1Oss
湊と金山を持つ今川の国力はすごいぞ!!
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 04:04:00 ID:BlgQ+kVP
江戸も貿易港じゃなかったっけ。
北条は懐に余裕がありそうだな。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 04:37:08 ID:sU42Z7+Y
江戸は大したことないぞ。
北条は石高以上の力は無いと思うね。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 08:34:58 ID:pdWyaLQ/
江戸品川は室町から有数の港町でしょ
というか地政学的に栄えないはずが無いんじゃ・・・
関東に何の産業も無いんじゃ栄えないかもしれんが
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 19:27:35 ID:dv8TKzLZ
実は桶狭間は上洛ではない説が90年代後半から有力
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 22:02:36 ID:UzKdflGk
>>56
新説だと尾張をただ単に併呑したかっただけなんだよな。
よく考えてみたら義元が上洛に踏み出したなら、武田や北条が黙ってられなかっただろうしな。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 00:04:10 ID:2OIYC7IH
尾張を完全に抑えて、氏真に権力移譲。
その後あたりかね?上洛を目指すとしたら。
その前に、やはり代替わりした武田とぶつかるかな。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 09:38:32 ID:JvAr9xW/
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 14:23:11 ID:XAOMSYbE
猟官の為に尾張を攻めようとしたのでは、という話も読んだことあるな。
駿河守、三河守と併せて尾張守になろうとしたってことなのかなあ。
でも、義元って実権はあっても名目上は隠居なんだから、そんな人が猟官
してもなあ。

仮に、義元が守護だとか国守の肩書きゲットに燃えていたんだとすれば、
今川氏は完全な戦国大名とは言い難いな。まだ守護大名っぽい体質という
ことになるんじゃないかね
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 05:01:18 ID:p5h/hh67
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 12:26:53 ID:8eUqgQ+W
ヘタレ義元
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 21:09:25 ID:rm9568G7
はっきり言って信長さえいなければ間違いなく義元は天下取れたよ。
信玄なんぞ比較にならない
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 18:08:45 ID:YpwFshi/
実際、桶狭間の義元本陣は高台みたいなとこにあるんだよなたしか
雨の中、尾張勢が駆け下って突撃してくるイメージがあるがさ
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 18:57:25 ID:pHI8DzQD
>>63 返す返すも太原雪斎の逝去が悔やまれる
彼があと10年ボケずに生きていれば上洛も夢物語ではなかったのだが
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:01:00 ID:ZyM0MAyd
豊臣家による秀長と今川家の雪斎死去は似ているのか。
一人の人間で終わるとは、
両家ともその程度なんでしょうが。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:16:33 ID:vN+Pue2z
近代になる前ってのは、基本的に「教育」の概念が無い。
個人の有能が非常に幅を利かせていた時代。
だから天才、異才、奇才が現れやすかった。
これは西洋東洋を問わず。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 21:09:00 ID:LtqXpocM
今川家には、天才、異才、奇才が現れ、それに任す土壌はあったが
氏親の時の早雲(他国)・氏輝の時の寿慶尼(女性)・義元の時の
雪斎(僧侶)
氏真にはいなかったんだね。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 21:11:21 ID:oifAJYM9
>>66
 戦国において制度や法による基盤整備は限界があるかと思う。
将や部下の器量との両輪とバランスが大事で、その辺のさじ加減が
難しい。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 21:13:22 ID:Ny/qE6Tv
まぁ確かに一時的に厳しい状態にあったのは確かだがなかなか優秀な人間がいる時は他が育たないのは仕方ない
これから育つ芽はいくらでもあった
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 03:26:39 ID:p+GHGC8v
>>68
義元としては、「そこで元康くんですよ」って感じだったんだろうか
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:25:57 ID:QzsRlMhD
家康が、氏真に代って軍を率いていたら、今川は伸びるだろうね。
北条家みたいに、後中国地方は任せたよ、みたいになったりして。
早雲のように、下克上の代名詞みたいな男が今川家を乗っ取らな
かったのは、させない何かが今川家にあったのかもしれない。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:29:05 ID:CJKEx7mc
>>72
時代が早かったから
というのもあると思うけど
74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:27:18 ID:nMlzCx0J
>>72
 地方豪族程度の伊豆公方と違って、一拠点をのっとっても勢力が残ってしまうからではないだろうか。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 22:28:05 ID:DbIz9eum
てか、義元に天下統一の野望があったのかが、そもそも疑問。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 12:33:13 ID:hX976guf
石高は、人間が生きていくための食料だから
高ければ、それだけ、その領国の人口は多いわけで
動員兵力も多くなる。

ただ、金銀とか関税に場合、人口にプラスされるかな?というのがある。

石高だけが国力ではないのは分かるが...
農耕社会というのは、全般的にみれば
石高と国力はほぼ比例するものだと思う。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 12:41:50 ID:eGYMiKKr
楽市楽座。

これ、織田よりも先に
六角や今川が導入してたんだよね。

78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 21:58:54 ID:hNlPgL9U
人間、米だけじゃ生きて行けないよ。
薪もいるし、蝋燭、油、塩・・・いろいろ必要だし。
その流通をスムーズにする為に金は必要、それに携わる人達を養う農産物生産力も必要だけどね。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:25:20 ID:n28mU1QP
一番の問題は、天下統一なんて考えないってことだな。
信玄は信長を見たからその後釜を狙っただろうが、義元に関してはそんなこと考えるはずも無く。
上洛=天下でもないし。

でも有能な武将であったことは間違いない。
俺の中では、あの三国の中では義元>信玄=氏康だな。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 11:38:33 ID:dMoY6eWQ
戦国最強の戦略家としては

尼子恒久と毛利元就と徳川家康を評価しているよ。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 17:18:42 ID:7LIg9cPb
戦略のでかさと実現に関しては信長が一番。
ま、戦略ってのは目標を達成するか否かだから、その点を踏まえれば有力大名はみんなそれなりに優秀。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 18:32:55 ID:pajD3B1Q
桶狭間に関しては、信長は今川軍の前線の攻め疲れた兵に奇襲かけようとしたら、
今川の兵が既に移動してて周囲を探してたらたまたま義元の本体にぶち当たったとか、
降伏するって使いをやって、義元が進軍を停止してるところにだまし討ちをかけたとか、
いろいろ説があるよね。
馬で逃げるところを馬に流れ矢が当たって逃げられなかったとかいうことも聞くし。
ありがちなイメージの桶狭間を否定する意見は結構多い。
なにはともあれ、義元は不運だなって気はするよ。
そして、不運なヤツは天下には届かないだろうなぁとも思う。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 22:17:30 ID:SWD2FsM6
当時、桶狭間で義元死すのニュースはどのくらいの驚きをもって
迎えられたんだろう?その手の記述に触れた覚えがないんだけど、
結構衝撃的だったのかね。

今現在の一般の人の印象としては、、
白塗りお歯黒で輿に乗ってるような武将は討ち取られて当然!
ぐらいなんだろうか。こないだのドラマ「太閤記」が放映された
ばっかりだし…。いくら娯楽作品とはいえ、あれじゃバカ殿…。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 16:53:39 ID:sEWPYzFH
>>82
疲れた兵に攻撃をしかれるつもりだった、というのは信長の発言からだな。
兵士に対して、「相手は疲れてるから云々」。
これは信長が勘違いしてたか、兵士にやる気出させるためか、どちらかだろうが、
前者をとるなら、そういうことだな。ちなみに奇襲ではなく、強襲ね。

「降伏するという使い」を出して、という説はありえんね。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 12:12:01 ID:Zy0VL35/
>>72
早雲が下克上の代名詞なんて説を今でもいってる人っているの?
86名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 11:56:25 ID:HN1cBzPk
>>80
尼子恒久じゃなくて尼子経久。
経久の「経」は元の主君である京極政経の偏諱。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 09:47:57 ID:58/dVxp+
>>84 最大の不運は雪斎禅師の逝去かな
禅師自身が指揮した小豆坂の戦いを敵の息子に再現されたようなものだからシャレにならんな
後10年長生きして従軍していれば桶狭間の狭さにビビって進路方向を変えていたかもしれん
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 19:53:11 ID:pfOOJrvY
>>87
桶狭間の地形は、今川も知っていた。
織田軍に包囲されていた2砦を救援するためには、桶狭間に入って行かざるを得ない。
89名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 21:25:54 ID:A1hegTf4
ここ今川義元本スレでいいよな
90名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 00:21:10 ID:sL9bU1vc
とりあえず、来年の大河で義元のイメージは変わる。
91名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 00:39:41 ID:pDk8ZE+i
そうだな。
晴信にとっては、怖い兄貴だったからにゃ。
92名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 13:57:38 ID:hhoJN3/v
晴信のお母さんは今川義元の何でしたっけ?
93名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 14:32:15 ID:tLWpTLbm
桶狭間(笑)
田楽狭間だろw
94名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 18:07:06 ID:ERzbPfOu
はい、その通り。
95名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 23:41:51 ID:C/YrlLsQ
今回の義元でようやく太源雪斎の畢生の大作義元がデビューする気がするよ
96名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 23:58:34 ID:OjU+EqZv
ハニホー
97名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 05:41:38 ID:hRLuL5q1
勝ってたら鈴鹿越えをして、近江と伊勢を治めることは
簡単なことだったのかね。京に上洛した後の青写真はどんな
ものになってたんだろ。
98名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:16:46 ID:Zm01aNfh
自分が将軍になるんだろ。
管領でがまんしたかもしれんが。
99名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 01:38:18 ID:6GsZ/rXV
大河の義元いいね。
いつも端役だっただけに、どう活躍してくれるのか期待。


100名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 20:55:57 ID:n2hJ+SlP
イケメンでびっくりしたよw
義元の名誉復活なるか。
101名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 21:01:21 ID:FQLrl4Eu
>>98
足利家の誰かを擁立して、自分は管領で将軍を傀儡にして政治の実権を
握るんじゃないか?

書いて気付いたけど、信長と同じじゃないか
102名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 12:10:17 ID:oL8PdFVb
尾張制圧したら、本拠地西の方に移した方がいいのかな
103名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 15:02:02 ID:ppc/i+yr
>>82
そうそう、理解不能な勝敗結果の辻褄を合わせるためにトンデモ仮説が頻出したけど、
その最たるものが明治時代に何の脈絡も無く妄想された
「桶狭間じゃなくて田楽狭間で合戦が行われた」説なんだよな。
104名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 18:49:26 ID:XXt/iEWW
>>98
今川は足利一門なので、氏真を義輝か義昭の養子にして、次期将軍にすると思う。
そうすると義教がやった、幕府直轄軍(駿河・遠江・三河・尾張)を持つ将軍
が現れる。
105名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 20:01:12 ID:0+ithyRG
でも京都に拘るのなら、地元が疎かになってしまった大内氏あたりの二の舞にならない?
信長みたいに岐阜を本拠地にして、基本的に何かあれば出撃というやや離れた体制が一番効率的なような
少なくとも駿河からじゃ遠すぎる
106名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 20:52:48 ID:XXt/iEWW
家康の大御所政治のようにはいかないかな。
駿河に義元がいて、京に氏真みたいな。
107名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 22:05:42 ID:kRPJhQXj
といっても衰退した幕府を立て直すのは無理だろ
108名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 00:30:54 ID:s0ZLUgIu
沓掛城で宴会しながら勝利の報を待っていれば良かったのに・・・。
109名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 15:12:07 ID:dQ7aiFaQ
この頃の今川家って江戸時代に例えるとどこのポジションなんだろう。
尾張徳川家かな?
110名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 01:22:28 ID:L/Evl2cg
足利家の傍系吉良家のそのまた傍系が今川家だろ。
となると、江戸時代に例えると、どこだろ。
111名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 02:00:07 ID:L/Evl2cg
今川家が将軍家になるとしたら
今川家から義輝に嫁を出して
その生まれた子供を将軍候補にするってのもある。
でも説得にかなり時間くいそう
112名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 03:55:09 ID:3KK038sG
そういや義元が縁組に使える手駒って何人ぐらいいたんだろう
113名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 20:09:34 ID:8pGmaYIj
義元と義輝って相性はどんなんだろう。
114名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 20:15:07 ID:FIulHnZr
最初は幕府に仕えてるふりをして後から乗っ取るだろ。
武田とかも協力するだろ。あの同盟の時点で長尾サンとドンパチやってたし
115名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 05:15:02 ID:uyLqdogB
ま、足利一門っていっても遠い傍系だからね。上洛しても
やることは三好長慶と同じようなことする感じだろうね。
副将軍みたいな特別職を作ってさ。
ただ問題は、大兵を率いて上洛するとなると理由が必要になる。
上杉謙真が大兵を率いて上洛した時は義輝からの要請。
信長の時は義昭から要請をうけたもの。
義元はどんな大儀名文で上洛するのか。
116名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 11:44:12 ID:QEfLULzE
君側の奸三好を討つとでも言えば良いじゃん。
117名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 14:23:33 ID:A4CFY3jw
でもあの1560年の時点ではそれだけの理じゃ
上洛する理由とするにはちと足りないかと。
松永と三好らが義輝を討った時に義元が生きていれば
足利一門として将軍殺害の悪党松永らを
討伐するという理由で上洛敢行出来たかもしれんけど。
あいにくその頃には義元はこの世にはいないし。
118名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 09:10:47 ID:jZURBE8Z
信長を倒した後、斎藤・浅井・六角を降して、上洛するん?
本当に上洛するのなら、織田家以外の勢力とも外交交渉をしているはずなのに、
それが無いってことはただの尾張攻めとしか。
119名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 19:23:50 ID:WhfzvRa8
尾張攻めの意図があったかどうか・・・
鳴海城の付城を潰すついでに那古野城奪回くらいまでは望んでいたかもしれないが。
120名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/27(土) 03:34:09 ID:bwYIUhFq
>>119
鳴海城も那古野城も尾張だから、尾張攻めだよ。
121名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/27(土) 10:52:56 ID:5bxkR4vH
大河板で、家臣の書状から上洛説が復活していると書いてあったんですが本当ですか?
122名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 12:16:05 ID:/KfoTRUT
信玄は助平なバカ殿だったから家督継げた、とかその時歴史が動いたヒドズだったな
軍師・勘介とかやっちゃったり上田原敗戦を家臣のせいにしたり無茶苦茶
あるある並とは言わないが、結論ありきの酷い出来
123名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 13:11:24 ID:Uw2VtCNq
解説していた大学講師の先生に言いな
先生も台本に沿ってしゃべっただけだろ
125名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 13:43:43 ID:HTZHSsgd
>>122
「軍師・山本勘助とやっちゃったり」
に見えたw
126名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 14:31:49 ID:VL9nSLSt
あ?その時歴史が動いたヒドズは日本人なら誰でも知ってる常識だろ?
俺の常識世界の常識俺に反対するヤシは無茶苦茶?
テレビなんて全て台本で動いてるんだぞ?六カ国協議なんて実際にやってるわけねえだろ台本に沿ってるだけだろ?
イラクで爆弾テロなんてあるわけねえだろ全部台本に沿ってるんだぞ?
まわりを見てみろ平和だろ?どこにも事件なんてねえんだよテレビは全て台本に沿ってるんだぞ?
わかったら二度と俺に逆らうなよ?
127ぼくらはトイ名無しキッズ:2007/02/10(土) 15:00:48 ID:MlGKbLCL
>122
勘助の介入以外は大体事実だろ?
晴信はスタート時は愚鈍だし実際武田は烏合の衆じゃん。
128名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 15:09:38 ID:OQMQZRJG
>>125
アッー!
129名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 23:31:20 ID:L0GIDl8W
>>122からの流れを見て武田のスレを開いたのかと一瞬思った
130メガトン ◆xfEWihaR6w :2007/02/15(木) 21:55:24 ID:fpWLOJKL
メガトン級大爆笑!!!!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ

哀しきおじゃるオタの悪ふざけスレだと思ってみて見れば、本気で
公家のおじゃる>>>>>>>武田とか想像してる連中はマジ爆笑

桶狭間での出来事が不運だとか、わけの分からん屁理屈をこねて強
引に(凡将から知名度回復!)みたいなことやってても意味ないっ
て。
なら信玄や信長秀吉、元就といった名将達がどうして戦国の世をま
っとう出来たかっていう理由を考え抜かなければ駄目だね。
公家のおじゃるは織田領に隣接しておきながら、信長の政治、部隊
編成、戦闘の仕方などを軽視してきたせいでの自業自得なんだよ、
分かる?情報戦略に長けてなかった証拠だね、ついでに公家大名な
ので頭も鈍感そのものだい!^^
雪斎の死が悔やまれるって?関係ないね、信玄のように大名として
常に周囲に敏感でないと勝ち残っていけないんですよ、ニャハ^^
131あぼーん:あぼーん
あぼーん
132人間七七四年:2007/02/15(木) 21:58:52 ID:TawBrTLU
最近品の無い人が増えたね
133人間七七四年:2007/02/15(木) 22:46:05 ID:H4fkMdPx
くだらん上につまらんMADをわざわざ戦国板に張らんでもいいのにと思える・・・
そこまでして再生数増やしたいのかね
っとチラシの裏
134人間七七四年:2007/02/16(金) 00:19:13 ID:gzJ65i9U
おちんぽがほしいでおじゃる
135人間七七四年:2007/02/18(日) 02:30:07 ID:Reqw/4KW
>>85
革命児信長が…と今でも言ってるのもいるし、いるんでないかな。
136人間七七四年:2007/02/18(日) 02:35:37 ID:Cg8OydVg
この板に来る人の方が少数派。
多くのちょっとした歴史好き程度なら、
信長=戦国の革命児
信玄=風林火山と騎馬軍団
謙信=天才的軍才を持つ義将
って思ってるはず。
137人間七七四年:2007/02/19(月) 02:33:37 ID:LjRJNaCF
北条早雲は戦国大名のパイオニアで、
斉藤道三が下克上の代名詞、だろ

豊臣秀吉はサルで、
徳川家康はタヌキ
138人間七七四年:2007/02/19(月) 03:27:14 ID:mQ82HXF8
>>136
世間一般ならそれもうなづけるんだが、
戦国板でもそんな事言ってるのがいるからな。
139人間七七四年:2007/02/19(月) 13:18:02 ID:Y6eP/aCc
じゃ戦国板らしく言いなさい
140人間七七四年:2007/02/19(月) 13:33:37 ID:M62SHDo8
およそ軍勝、五分をもって上となし、七分をもって中となし、十分をもって下と為す。
その故は五分は励を生じ、七分は怠を生じ、十分は驕を生じるが故。
たとへ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。
すべて戦に限らず、世の中の事この心掛け肝要なり。
141人間七七四年:2007/02/19(月) 18:03:41 ID:qTN8KbaQ
それって、要するに10勝てなかっただけだよな

普通に考えて一乗谷みたいにボロ勝ちしておいたほうがいいに決まってる
142人間七七四年:2007/02/19(月) 19:35:43 ID:cJ01UXsA
10勝しようと無理すんな、という事だったら
同意できるな。

義元さんの勝率、どのくらいなんだろうか?
143人間七七四年:2007/02/20(火) 12:35:01 ID:HL0ih5WY
>>140
五分だったら、どっちが勝ったのか、
勝ったのか負けたのか、わからんがな(笑
144人間七七四年:2007/02/20(火) 18:23:08 ID:hIUZIF2T
組織として考えると、十分の勝ちが驕りを生じるというのは
ありそうな話だな。うちの会社、とてもそこまでの勝ちを
おさめたことはないが、今期の営業目標クリアは確実なんて状態になると
何ともいえないゆるい空気が醸し出されてくる。そうなると管理者も人の子、
嫌な話をして嫌われるのは好まないようで、ネジの巻き方も緩くなるし。

しかし、五分の軍勝で、こちらの戦略的目標を果たす事を目指すべしと言うことかね。
落としてはいけない所で絶対勝ち、それ以外ではなるべく損害の少ないようにして
無理に勝ちに行くことは避ける…これもまた難しい話だな。
145人間七七四年:2007/02/20(火) 22:10:13 ID:5D5RzXHI
勝利による慢心を諌めるものであって、実際に五部の勝利で良いとかそういうもんじゃないからな。
勝って兜の緒を締めよが実際に戦の後に紐を結びなおせってこといってるんじゃないのと同じだ。
146人間七七四年:2007/02/21(水) 01:23:38 ID:4+yFYoUT
桶狭間で義元以外に戦死した重臣・有力武将や家臣って誰かいる?
147人間七七四年:2007/02/21(水) 05:29:24 ID:C8TlPrv6
たくさんいる
148人間七七四年:2007/03/07(水) 00:36:47 ID:/JW/FPdG
蒲原氏徳、三浦義就、松井宗信などが討ち取られている。一説では
庵原元政(大河ドラマの武者震いの人)も討たれたと言われている。
149人間七七四年:2007/03/21(水) 20:53:20 ID:RGPB2T81
浮上
150人間七七四年:2007/04/06(金) 15:37:21 ID:PVq4ykOD
義元って今川焼の食べ過ぎで当時すでに歯が黒くなってたんだろ
151人間七七四年:2007/04/22(日) 21:23:11 ID:1EK6PyC5
桶狭間がなかったら、市姫がエロくて数奇な運命を辿っていた
152人間七七四年:2007/04/22(日) 22:59:35 ID:TDXKxmZs
桶狭間がなければ毛利が天下をとっていた。
153人間七七四年:2007/04/22(日) 23:00:44 ID:TDXKxmZs
あるいは武田か
154人間七七四年:2007/04/23(月) 13:57:22 ID:atHo8byu
今川が強大なままなら武田は天下を取ることは到底ありえん武田と今川の関係は徳川と織田の関係に似てると思うんだが・・・
155人間七七四年:2007/04/24(火) 18:14:42 ID:iBS4m9qY
もし義元公が織田に討たれていたら、北条氏康が天下を狙って駿府に攻め込んできたかもしれないよな
156人間七七四年:2007/04/29(日) 15:15:25 ID:+X7lPqnT
まあ氏康ごときなら、駿府を守ってた氏真公に奇襲されて箱根の東側まで押し返されてただろうなw
157人間七七四年:2007/04/30(月) 03:09:28 ID:5xdZQG89
上洛の洛は中国の洛陽の洛だぞ、貴様ら知らんかったやろー
158人間七七四年:2007/04/30(月) 18:58:27 ID:X54rEAQq
そして中国大陸も征伏する今川軍
159人間七七四年:2007/05/07(月) 00:01:22 ID:wOK+p8cH
>>154
徳川は天下取ったけどな!
160人間七七四年:2007/05/08(火) 16:04:52 ID:9WCjM4LD
>>159
そして狸汁になる家康
161人間七七四年:2007/06/30(土) 14:31:06 ID:HIm7yauz
上杉謙信は何万で上洛したの?
162人間七七四年:2007/06/30(土) 15:05:43 ID:Fyti0yal
今川って超の付く名門でしょ?足利が絶えれば将軍が回ってくるくらいの。
もし尾張を併呑して大勢力になれば、わざわざ上洛を邪魔する勢力居るのか。
せいぜい三好くらいじゃね?
163人間七七四年:2007/06/30(土) 20:21:40 ID:w2DxMCdW
古くから守護職を補任されてる名家ではあるが、将軍の継承権なんぞない
164人間七七四年:2007/06/30(土) 21:48:06 ID:zkGyKqgD
大雨の中 斎藤道三に奇襲食らって戦場の露と消えるのがオチだな
165人間七七四年:2007/07/01(日) 00:40:01 ID:uSwEOrLQ
>>163
御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ
166人間七七四年:2007/07/01(日) 02:09:58 ID:WOEkT+Mu
165
単なる俗説だろ?
167人間七七四年:2007/07/01(日) 07:15:44 ID:Rv/3RBR9
氏真『おみやげ買ってきてね、パパン』
168人間七七四年:2007/07/01(日) 10:56:18 ID:8dGSIpLd
>>166
というより今川のはったりじゃないか
ちょうど徳川が源氏じゃないと将軍になれないとしたような
169人間七七四年:2007/07/01(日) 12:43:41 ID:eeo2hZz0
そんなこと今川が、かってに口に出来るかな?
例えば関東公方持氏が、言ったとしたら、本当の事だろうけど
即、義教に討伐されるような危険な言葉じゃないか。
170人間七七四年:2007/07/01(日) 23:07:47 ID:8dGSIpLd
>>169
ハッタリって意味わかってるか?
171人間七七四年:2007/07/02(月) 00:18:59 ID:WlcGl0ly
どれだけの範囲に伝わるハッタリだか分からん。
今川家当主の周り一部だけに伝わる、世間が知らなかった話なら分かるが。
今川が、世間に向かって公表していたら、危険な言葉だと言っている。
徳川の、尾張・紀州の話も、大御所の時の実力者家康だから言えた話で、
他の人間が、将軍に進言できる言葉じゃない。
172人間七七四年:2007/07/02(月) 05:16:45 ID:i6EH6EgQ
ハッタリをいった時期にもよるんじゃね。
173人間七七四年:2007/07/02(月) 22:40:46 ID:Xf6C2Dk9
>>171
ハッタリっていうのはな、事実である必要は無い
それで自分を大きくみせるという事が目的であって、嘘か真かは重要ではない
今川のそれも同じ
将軍にもなれるという血統の正当性を示すことで国人なりへの影響力を強めようとした
伊勢が北条を名乗って関東管領に擬したように
174人間七七四年:2007/07/18(水) 03:14:02 ID:xMfQefFE
しっかしNHKの歴史ドキュメンタリーってなんで、ああも詰めが甘いんだあ。
この間も、暇つぶしに見てたが、織田は今川と切磋琢磨して強くなった。
とか言ってたけど、信長の単純な心理戦に負けただけだろ。

大群率いて上洛したから、超油断して、
陣中に入り込んでも、誰もたいして気に留めなかったらしいけど、
ようするにこれは、「殿に織田家の信長が挨拶に来たぞ」
とか家来の兵士はのんきに思ってたんだろ。
で、気づいたころには既に遅しで、織田にバッサリ切られたと。
175人間七七四年:2007/07/30(月) 20:26:34 ID:UB01/5J/
176人間七七四年:2007/08/16(木) 13:04:30 ID:DjigD2ry
tst
.                 ///////////////////          / /   /
. ┌──┐  .ノ ̄--┐    ////////////////ノ         / /   /
. └┐__/ ノ ノ ̄/ /    ////////////////''"        /  /  /    /
. ,-、    \'" ノ /    "/ /  //////////         /  / /    /
. ( "---┐ ,--'" /     "  /////////|ノ         /   //   /    ./
. "-----" ヽ-''" _       //////////         /   /   /     /
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.  ,r" ___| |  |  | ..|     ////////ノ      /|  /     /        /
. / r'"   └┘ ノ .ノ    ///////r''"      / |  /   /         /
. (_二二] ┌-''"/     ///////        / | /   ,/         /
.  _    ヽ--"_    ///////        ./ |/   /
. _| |__ '\ | ̄|  | |   "'/////        /  /  ./
..|_ __ ヾ-" | .|  | |    //"-"        / /  /     __
. / / | |  └┘ノ /   |./          /  "  // _,r--'''""^'--、      /
. くノ[二ノ   [__ノ    |/          j   ,r" ̄  ,r-、 /  v// /
  ┃   ,、       |/           |  /   /"_(  (   .ヾ_,-''"
  ┃   く ヽ  ノヽ,    ̄"/         |/  / / ||  ノ    |
  ┃   ヽ/ / /    /         j"、 ,, .//   ノ      ,,>      ___,r
  ┃   ___ノ /    z _____「ゝヽj-< 0,,,,/'"     <"
  ┃  丶___/    /        ┌┴'''"、二-_ """"     ミ、 r''''''''-、
  ┃    ,r---、   /         ./\"  ,r'" ̄"\        | 》-",r、  |
  ┃   / r7 ,、\  |         / ,二''""__,r--___,|         | /  l  l
  ┃  | | ノ ノ | |  |         |  |  ,r'"     |     | し  く--  l  |
  ┃  \__//__/  |         |  ト、ノ)、     .|        | "”"]  .ノ  /
  ┃           |        ヽ  .| \彡>     |       / j"  ノ /
  ┃           \        \ |  '''  ,ノ ̄"|      / "-'' ̄/
  ┃           \        \ .|  ,r7 ̄  j'''7     / し,,,,,,/ミ、
  ┃            __\       \ |r"-/ ,,r-''" /     / /     \   "
 ┃┃┃┃        r"         \.l "''''''"  ノ      / //   |  ヾ
 ・ ・ ・ ・        |           \."'----'''""    / ,,//   ノ |  /
               z.   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\      ,/ '//    /  >'''"
              /             \_____/''" //    // /
        / ̄ ̄\>              / "'--''" /  /   /  ,,r-
177人間七七四年:2007/09/21(金) 20:42:16 ID:GZrLhe1s
保守
178人間七七四年:2007/11/23(金) 04:07:46 ID:JVwKxBAa
179人間七七四年:2007/11/23(金) 13:05:59 ID:i1Q53zbx
2万5千ってのも怪しいな
いくら三国同盟があるといっても5千やそこらは残していくだろう
石高からいって1万5千がいいところと思うがな
180人間七七四年:2007/11/24(土) 20:29:38 ID:PAmiaBQV
良く考えたら義元も弱くね?
駿東に進出した北条に歯が立たず、領国の規模で言ったら瞬殺出来るはず織田領切り取りもトロ過ぎる。
おまけに典型的な本陣強襲で討たれる始末・・・
評価出来るのは内政だけだろ。
181人間七七四年:2007/11/25(日) 11:16:44 ID:Yq60CTi4
雪斎がなぁ、義元に期待していたのがよくわからん
182人間七七四年:2007/11/27(火) 05:37:12 ID:6vsuDuTl
瞬殺出来るほど差はないだろう
今川家は体力的に限界がきていた説もあるぐらいだし
そもそもまともに大部隊を指揮して戦ったことないから、義元は明らかに経験不足でやられたのも当然じゃないのか
183人間七七四年:2007/12/19(水) 15:53:56 ID:kWDFs4zA
>>179
一万五千と五千で合計二万の兵か、最大となると五人役(百石あたり五人)、…とすると四十万石でそれ位だな。
今川の石高少なく見積もりすぎだと思う。
184人間七七四年:2007/12/24(月) 21:36:23 ID:HWTvUutv
尾張は、狭いけど石高が多いし、親父の信秀は武運に優れ、基礎的な動員力
以外はきっこうしてたでしょ。信長を見くびったのが命取りになるんだが。
信秀死去ご同属争いしてたし、攻めるなら国力弱ってたあのタイミングだわ
な。
185人間七七四年:2007/12/26(水) 22:36:15 ID:iPbzDDqN
見くびってないだろ
ガチで勝負にいって負けただけ
というか信秀死亡直後にちょっかいかけられる余裕あったのか?
186:2008/02/08(金) 04:57:27 ID:6r1Z2Fjc
小和田哲男 今川贔屓のキチガイ静岡人。

義元、実はすげえ、言い出したキチガイ学者。

静岡のイメージ向上が目的だろ。
187人間七七四年:2008/04/21(月) 19:59:31 ID:R7/Mq/p+
義元(*´д`*)ハァハァ
http://jp.youtube.com/watch?v=ZRjaCKgvrkM
188_:2008/04/21(月) 22:31:42 ID:HPpcuJBv
今川義元討ち取ったのに直接的に関わった織田の連中って最期結構悲劇的だったりする…

服部小平太:豊臣秀次の責任問題で死罪(切腹)。
毛利新介 :本能寺の変直後、織田信忠と明智軍に立ち向かい奮闘するも戦死
織田信長 :本能寺の変で自殺(自刃)。
189人間七七四年:2008/04/21(月) 23:36:52 ID:MWj6174r
本能寺の黒幕は氏真か
190人間七七四年:2008/04/22(火) 00:48:51 ID:hQZ0DNAk
桶狭間くらいで打たれるような奴が上洛できるとは思えない
191人間七七四年:2008/04/30(水) 12:37:50 ID:FAWxxhLj
>>179
上洛目的説は論外として、尾張攻略目的だとしても無理に兵をかき集めてて不思議ではない。

ていうか、上洛するだけなら別に織田攻める必要ないんだよな。
大内義興然り、浦上村宗然り、上杉謙信然りだけど「将軍家を助けるため」の上洛は
たとえ敵対勢力がルート上にいても阻止された例がないし(もちろん討伐対象は妨害に来てるが)。
192人間七七四年:2008/04/30(水) 15:55:35 ID:aff19qTe
>>191
しかしそれは織田が将軍を抑えた時点で事実上織田への従属という事になる
193人間七七四年:2008/04/30(水) 15:56:16 ID:aff19qTe
ああ、武田スレと普通に間違えた
ごめん
今川だと関係ないな
194人間七七四年:2008/05/01(木) 15:51:50 ID:rGLQ6zJ2
>>188
上の2人は義元の攻撃を受けて一生に残る傷を負ってる
だからちゃんとした戦働きができなかった 3人同時に襲われて2人を潰したんだから義元はたいしたもんだ
195人間七七四年:2008/05/01(木) 15:53:05 ID:rGLQ6zJ2
>>179
今川は尾張の一部を持っていた(山口とかは今川についていた)し、金山と港の両方を持っていたから資金力が凄かった
限界ギリギリまで集めたら25000ぐらいにはなりそう
196人間七七四年:2008/05/27(火) 16:39:35 ID:Vdlec9EW
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三

197人間七七四年:2008/05/31(土) 08:07:01 ID:qMAfMdS7
>東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。

↑ つまり、自称東海道一番の弓取りが東照宮様(家康)ということだな。
198人間七七四年:2008/05/31(土) 15:34:42 ID:9TF12dOu

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三


199人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 04:40:03 ID:VtpwoFN/
=→×
⊃→〇
200人間七七四年:2008/06/01(日) 19:19:05 ID:ICGITpwY
(‖)まんこ
(∪)ちんこ
201人間七七四年:2008/06/10(火) 06:47:02 ID:LuMBeC5q
秀吉は家康よりも、その配下の本多忠勝を高く評価して東国一と言っている。
武田家でも、忠勝を家康に過ぎたるものと言っている。
当時の家康自身の評価は案外低い。
家康自身を高く評価するのは家康が天下を取ってから書かれたねつ造の可能性がある。
202人間七七四年:2008/06/10(火) 07:00:25 ID:OCiKoo9u
>>201
秀吉の場合、他家家臣を引き抜こうという意図もあったりして
203人間七七四年:2008/06/11(水) 05:47:06 ID:1DZdwBvi
>202
「西の立花、東の本多」 って言葉は結構有名で、立花の方は家臣にする事が出来たんだよね?
>201
本多が東国一と言っている以上、(東)海道一の弓取は、秀吉によると本多忠勝ってこと?>198は家康のねつ造?
204人間七七四年:2008/06/11(水) 18:58:24 ID:8qLvbh0x
>>203
本来槍働きは下っ端の仕事w
205人間七七四年:2008/06/12(木) 07:56:33 ID:0ixOjcvT
>>203
たぶん、正解だと思う。
ただし、家康自身では無く徳川の御用学者の仕業だろう。

>>204
戦後の文民統治の感覚か、それとも平安以前の公家優先の感覚か。
いずれにせよ、家康や義元を下っ端とは…。

戦国時代の武将にそんな感覚を当てはめない方が、有名な武将で武勇伝のない武将の方が少ないと思うぞ。
206人間七七四年:2008/06/12(木) 18:36:34 ID:qpOVgHns
>>205
>いずれにせよ、家康や義元を下っ端とは…。
本多忠勝のことをいってるんだがw
弓取を下っ端とは言ってない
207人間七七四年:2008/06/14(土) 06:00:02 ID:0UGRzHuJ
>>206
弓を取って戦うのも本来下っ端の仕事。
弓取りが武将と言う意味を持つように、槍働きは武将としての働きの意味を持つ。
謙信や忠勝のように陣頭で太刀や槍を使い采配を揮う武将も居るが、後方で采配を振る武将より劣っているとは言えず、むしろ天才タイプの武将には陣頭指揮が多い。
忠勝は東国一と言われた武将、ただの槍の使い手と勘違いしているのでは?
208人間七七四年:2008/06/16(月) 19:02:46 ID:+mqKctHs
流れ玉に当たったら場所によっては死ぬからな。
少し違うが井伊直政みたいにさ。
銃火器が増えた戦国後期に前に出るのは指揮官としては誉められん。
209人間七七四年:2008/06/17(火) 09:03:51 ID:/JRf5B0u
流れ玉となると戦国末期になるけど、流れ矢まで考えたら、それ以前から言われたことです。
でも、無線機の無い時代伝令を走らさないといけない場所に指揮官が居るのと声が届く場所に居るのとの違いはとっさの時大きいそうです。
又、後方指揮と言っても最低戦況の見える位置(敵からも見える位置)に居なければならないので安全とはかぎらず、さらに戦に負けたらもともこも有りません。
全てを考え最も良い場所に居るのが良い指揮官でしょう。

ちなみに、謙信も忠勝も大きな怪我の記録はなく、戦場で傷を受けたことが無いと言う話すら有ります。
それに比べて、桶狭間山と言う後方で指揮を取っていた方は…
210人間七七四年:2008/06/18(水) 00:52:18 ID:vr1v2Vkv
桶狭間の戦い自体は、義元はとっても大事に見てただろう。油断なんてほとんどなかったんじゃないかな。
尾張の本来の国力・経済力を考えれば、あのタイミングしかないってほど絶妙なタイミングだぞ桶狭間は。
信長にしては、まさか後詰であそこまで義元が大軍つれてくるとは思ってなかったろう。
211人間七七四年:2008/06/19(木) 21:32:26 ID:s5+MwPdp
信秀も一度勝ってるよな?
この時は北条氏綱のおかげかもしれんが。
212人間七七四年:2008/07/01(火) 22:48:48 ID:7OVx1TGx
ところで結局桶狭間のときの今川の兵力ってどうなの 25000で確定なのか?
領土的には70万石+尾張南部 同盟結んでいたし、金山や港もあったからいつもより多少多く兵を出せたかもしれないがそれでも25000に届くのか?
213人間七七四年:2008/07/01(火) 23:29:39 ID:j9bdqrgy
2.5人役では無理。
でも戦国時代が2.5人役という根拠は無い。

例えば北条の軍役は大体七貫に一人、一貫が四石ほどとした場合、
28石に一人、つまり100石でおよそ四人。
しかもこれらは戦闘員・準戦闘員で非戦闘員は入っていない。
戦闘員と非戦闘員(+準戦闘員)の比は1:2くらいらしいので、
軍役の二倍ほどの人数は動いていたと推察できる。

よって25000の軍隊は動員できたと思われる。
ただし25000を全て戦闘員で、となるとそれは無理。
214人間七七四年:2008/07/05(土) 20:47:45 ID:Z9yiwCQ6
いつも「1万石あたり250人」て決まり文句みたいに言うけどおかしいよね。
これって江戸時代か何かの兵役じゃないの?
正史「三国志」によると人口、兵力は
263年の蜀が「人口94万人、兵力10万4千人」
280年の呉が「人口230万人、兵力23万人」
ていうから人口10人につき1人の兵士がいたわけだ。もちろん常備軍ではなく
兵役を課された市民も含めてだろうが。
戦国時代の日本人でも人口あたりの兵役適格者人数がそんなに違うとは思えない。
1万石あたり250人ていうのは最大兵力としては小さすぎると思う。
土地の肥え具合は各地で違うから石高と人口の比率は各大名で一定ではないと思う。
それに頻繁に戦をする大名は戦死者、負傷者を多数出すだろうし。
ともかく一律に「1万石あたり250人」とするのは無理があると思う。
武田信玄が上洛作戦で動員した人数が3万というのもこれが武田の総兵力ではない
と思う。だって徳川以外の隣国に対する備えだって必要だろうし。
215人間七七四年:2008/07/05(土) 20:55:44 ID:2oIztn+T
>>214
> いつも「1万石あたり250人」て決まり文句みたいに言うけどおかしいよね。
> これって江戸時代か何かの兵役じゃないの?

そう。だから「一応の目安」に過ぎない。
信長、秀吉の時代でも石高による兵制をとっていない。「都合がつくなら何人でも」って適当な体制。
216人間七七四年:2008/07/05(土) 21:12:28 ID:sJ5lZLQx
明智軍記だと100石六人。怪しいけどこれがマックスでよくね?
217人間七七四年:2008/07/06(日) 01:00:19 ID:K5CrtqJ/
>>216
つーか、一両具足って連中がいる(一領具足は土佐オリジナルの兵制ではない)から、
そう言う民兵的な連中集めればもっと動員できる。
218人間七七四年:2008/07/17(木) 18:46:19 ID:+/qwXbRM
武田上洛スレの方では2.5人役は領土防衛用に余裕を残した動員としてるし、
後背に(一応)敵のいなかった今川家にはそれぐらいの動員が
可能だったということでいいんじゃない?
219人間七七四年:2008/09/19(金) 16:30:28 ID:SLO0sQJV
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三

220人間七七四年:2008/09/19(金) 17:10:17 ID:OFx11GNo
100石六人これがマックス説に賛成。
1万石あたり500人というのも戦国時代にはあったらしい。
でもこれは城にこもる防衛戦だろうから、
尾張領への遠征軍となると半分くらいか。
221人間七七四年:2008/09/20(土) 00:31:19 ID:mBsGkCu0
北条の軍役では3.5人役前後、ただし戦闘要員・準戦闘要員は入っているが、非戦闘要員は入れられていない。
明智の軍役では216の指摘どおり六人役、とうぜん非戦闘要員は含まれていない。

井伊家の編成を参考にすると、
軍勢における戦闘要員の割合は三割強なので、
軍勢の準戦闘要員+非戦闘要員は七割弱と推測される。

つまり25000のうち、7000ほどが戦闘要員。
仮に準戦闘要員が戦闘要員と同数として14000人、一段目よりこれが軍役に相当する。

今川領が七十万として、2.5人役で17500人、3.5人役で24500人、5人役だと35000人。
2.5人役でも3500、3.5人役だと一万人ほど留守部隊が居る事になるわけだ。
222人間七七四年:2008/09/22(月) 21:02:28 ID:eqgTdBmZ
んはにしに
223人間七七四年:2008/11/25(火) 21:16:18 ID:sbIvh4sc
age
224人間七七四年:2008/11/26(水) 00:40:56 ID:Dw24Q4t3
狭い日本なのに、大軍でもっての上洛がいかに大変かは分かる
225人間七七四年:2009/01/02(金) 05:10:19 ID:p6pZ4jRi
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
226人間七七四年:2009/01/25(日) 10:39:39 ID:J7v4alym
今川義元を姓名判断してみました
天格7  名門で家訓を守る、規律を重んじる家系
人格16 プライドが高く野心家で努力家 人を見る目は冷酷
地格17 芸事の名人 親子関係は争いが多い
総格24 おだやかな性格
外格8  話術が巧みで人懐っこい性格
227人間七七四年:2009/02/05(木) 18:47:49 ID:LdWOSiTU
81 名前: 人間七七四年 投稿日: 2009/02/05(木) 13:54:30 ID:5aNh3mVt
>>80
今川も義光も家を滅ぼした点は同じだな。高家な点も。

やっぱり世間一般だとこういう意見なの?
228人間七七四年:2009/02/05(木) 19:01:07 ID:33x2bLgY
世間一般ではそういう評価だろう。

実際どうかはともかくとして。
229人間七七四年:2009/03/19(木) 03:21:12 ID:9xxnK9r0
sage
230人間七七四年:2009/05/10(日) 19:21:04 ID:vf5z9son
ポイントゲッター朝比奈
231人間七七四年:2009/08/11(火) 22:01:50 ID:IZxJQj8c
地震で城の石垣とか大丈夫だった?
232人間七七四年:2009/08/27(木) 00:00:20 ID:g26+K7/e
>>207
いやいや弓が使えるのは代々の上級武士だよ
足軽は簡単な訓練で使えるようになる槍か鉄砲を使うけど
試しにどこかへ行って実際使ってみれば判るけど
日本の弓は熟練しなきゃ的に当てる以前に遠くに飛ばすこともできないから
それを使いこなすのは余裕がある人

今川義元を公家かぶれというのは泰平の時代の発想
「葉隠」(この作者も泰平時代の人だけどよく調べているから可)には
昔の武士は首となっても相手に侮られないように
あるいは雑兵と間違えられて討ち棄てられぬように
戦に出るときは化粧をしていたのに
最近の武士はそれがわからなくて
化粧を女々しいと思って身づくろいもしないと言って怒っている
義元はどんなに有利な局面でも死を思って戦に臨んでいたから
化粧していたんだよ
233_:2009/08/29(土) 17:04:17 ID:l3FE5qBY
>>232
木村重成なんかもそうだね。
大阪の陣では、首を取られても良いように
用意はしてたと思う。家康もそれ褒めてたしな……。
234人間七七四年:2009/10/05(月) 00:31:32 ID:/kv32cEV
伊勢長島だけでなく、小さな国人である丹羽氏勝が大量の最新式の鉄砲をもっていることを、信長も知っていました。
伊勢長島は、買った鉄砲を今川に売って、つねに商品を回転していたので、在庫としての鉄砲は常に最新式のものでした。
これはわかります。
しかし、丹羽氏勝ら小身の国人はどうしていたのでしょうか。
私は、これは丹羽らも鉄砲の販売で巨額な利益を得ていたと考えていました。
しかし、岩室の話によると丹羽ら、主要な物流ルートから外れた国人たちには販売ルートがなく、今川に安く買いたたかれることが多かったようです。
つまり、販路が今川しかないのですね。
せっかく、最新式の鉄砲を大量購入しても、すぐに新しい新製品が発売され、型落ちになった製品の値段は下落してしまう。
在庫が残れば赤字になります。
こんなうまくない商売なのに、なぜ、今川に接している国人領主たちは、このリスクの高い商売にこぞって手を出したのでしょうか?
そこには今川義元の最先端のマーケティグ戦略がありました。
今川義元は村山衆という富士の修験道の行者集団を、伊賀衆などを使って教育し、密偵として育成していました。
そして、先ほど織田信勝が宣言していた発想。
「最新式の鉄砲を大量に買い込み、新しい鉄砲が発売されれば、古い鉄砲は中古で今川に売って、その資金を最新式の鉄砲の購入にあてればいい、俺って頭良い!!!!」
という発想です。
実は、これって今川義元が村山衆を使って近隣地域の国人に触れまわったもので、織田信勝も、この情報戦略にひっかかったものでした。
「教養のないものや、知識のない小物などが賢げなことを言いだしたときは、まず、疑ったほうがよい。
それは、他国の宣伝工作を刷り込まれたものだからだ。
よって、彼ら踊らされている者どもは、自分は賢いと思いながら、異口同音に同じことを言う。」
信長はこう言ったので、岩室は非常に納得し。
「まさしく、そのとおりでございます。」と言ったようです。
これら、中小の国人には販売ルートが今川しかなく、今川は常に最新兵器をもっているので、
「中古の型落ち?うちはもう、最新兵器をもっているから中古はいらないなあ。」
「え?そんなこと言わずに買って?しょうがないなあ、おたくとは、長い付き合いだから、こっちも使い道ないけど、安くしてくれるなら、買ってあげるよ、やれやれ、損しちゃったな。」
などと言いながら今川の御用商人が型落ちの鉄砲を安く買い叩くわけです。
結果として、今川は、安い値段で大量の鉄砲が購入できる。
235人間七七四年:2009/10/05(月) 00:33:36 ID:/kv32cEV
しかも、本来なら、鉄砲を伊勢中島の一向宗から購入した国人たちは、今川まで鉄砲を運んだ運搬料金を今川に請求すべきところなのですが、
中古のいらなくなった古い鉄砲を買ってもらうという立場ですので、今川方は運送料も支払う必要がない。
そんな中古の型落ちを今川はどうするのか?
今川の領土は縦に長く、その国境は武田、北条と隣接している。
今川は安く買った型落ちの鉄砲を少し高い値段で、北条や武田に売る。
それを武田や北条はさらに東国に少し高値で売る。
東国に行くほど、鉄砲の入手は困難で、情報も遅れているので、少しくらい型落ちの鉄砲であっても、喜んで高値で買ってくれるのです。
よって武田も北条も今川が売る少し高値の鉄砲を喜んで買うのです。
この独占的販売ルートによって、今川、武田、北条は飛躍的に肥大化しました。
しかし、このような構造を内包しているため、世間一般には武器販売について、いずれの国も公表していなかったのです。
このような戦略に乗せられるのを嫌った信長は、最新式の鉄砲を少しずつ買い増し、旧式のものも今川には流さなかったようです。


今川の
「常に最新式の鉄砲を大量購入して、最新式が出たら、古い鉄砲は今川に売って、常に回転させればいいじゃないか!俺って頭いい!」というキャッチコピー、流行、トレンドの開発、
「俺って最先端でイケてる?」という人々の優越感をくすぐる情報戦略に、おおくの国人が乗せられ、熱心に鉄砲購入にいそしんでいたようです。
結局、このシステムは胴元の伊勢長島の一向宗と今川義元しか儲からないようになっているシステムなんですね。
しかし、一部の大成功者である伊勢長島一向宗の情報を意図的に村山衆を使って、「みんなで金持ちになろう!」と煽るわけです。
鉄砲の弾と火薬をシャカシャカ振って、「現実を直視しようよ!伊勢長島の一向宗があんなに大儲けしてるんだぜ。」と吹き込んで人々を先導する。
(実は現実を直視していないのは、夢見る国人たちなのですが)
国人たちは、ネズミ講のようにそのシステムの中に埋没していきます。
そして、胴元である今川義元が桶狭間で討たれたあと、その胴元の位置を得たのが徳川家でした。
そして、長島一向宗が滅びたあとの、その胴元の地位を狙っていたのが、水野信元だったのです。
しかし、そんなことを信長が許すはずがなかったのです。

水野信元の殺害に関しては徳川家康も積極的に協力したようです。
武器を武田に横流しする謀反人として水野を討てば、長島、今川義元がもっていた両方の利権が手に入る。
まさか、後に自分が同じ論法で謀反の疑いをかけられるとはしらずに。
236人間七七四年:2009/10/05(月) 01:56:38 ID:6N7JyzNC

風林火山の義元はかっこよかったな。
237人間七七四年:2009/10/07(水) 11:31:06 ID:UlOiyDJe
西進したら周囲の城に目もくれず清洲を囲む→信長何も出来ず死亡
そのあと適当に斉藤六角討ってクリア
238人間七七四年:2009/10/21(水) 23:35:38 ID:+tz37Fqh
軍事的動員を行うためには、その背景に経済力がなければならない。
明智光秀のように瞬間的に謀反を起こすことはできても、その背景に財政基盤がなければ、すぐに家来は離反し、滅亡することになる。
今川義元は半農反武の農民兵団が財政的余裕をもたないよう、農民たちの居住する土地に段銭という固定資産税を課税した。
これとともに、建物に対して、棟別銭という税金を課税した。
これには、防衛施設になりうるような巨大な屋敷の建設を抑止する意味もあったようだ。
このように、農民勢力に対しては厳しく管理し、反抗すれば専業軍人で厳しく圧迫したようである。
専業軍人である寄親は、今川家の軍事行動すべてを網羅するだけの兵数は保有しておらず、あくまでも指揮権と警察権の行使を主な役職としていた。
つまり、大多数の農民兵を束ね統率する立場であり、今川家においても兵卒まですべて専業軍人による軍事組織を形成することはできていなかった。
これは、今川義元が農民勢力を管理、監視し、軍事力によって服従させることが目的であるためで、織田信長が農民の生産性向上と民兵徴兵制から志願兵専業制に機構を転換し、よりより専業スキルの向上と民衆の安堵を願ったのとは、目的の方向性がまったく違っていた。

その反面、商人は優遇し、甲斐から友野二郎兵衛尉ら甲州商人を大量に呼び寄せ、甲斐への武器輸出などの商業活動を奨励したようである。
自由経済によって商業復興する反面、段銭、棟別銭などの不動産保有税固定資産税を商人たちからも徴収し、商人たちからも税金を吸い上げる仕組みを作り上げていた。
また物流業者に対しては、楽市楽座による物流の増大による収益の増加に伴い、公的通信の無料化を使役として課税した。
つまり今川家の使いによる通信、配達事業は無料で行うことを義務づけたのである。
これは、当初は軽い使役であったが、織田家との抗争が激化していくなら、物流業者の財政を圧迫していくことになったようである。
このように、今川義元は、一般に大名が農業生産物の年貢を収益としていたこととは別に、商業従事者などへの固定資産税の課税などによって商業利益からの収益の徴収、これに港湾使用料、関所の通行料など併用して、楽市楽座による物流の増大をフルに利用していった。


また、積極的に国内の鉱山調査を行い、金山開発を行ったようである。
そして、灰吹法という最新式の精錬法を導入し、積極的に金を採掘した。
皮肉なことに、鉱山開発を行うさいには、大量の燈明を必要とし、明かりとしての油を大量に消費した。
油の入手は油座を独占している隣国尾張の織田家に頼らねばならず、尾張攻略の軍事費のねん出のために金山開発を行い、金山開発を行うために大量の油を尾張から購入せねばならず、結果的に尾張を肥え太らせる結果になることを今川義元は非常に嫌悪していたようだ。
そして、油の専売のような古来の既得権益を激しく嫌悪した。
ここに、今川義元が積極的に楽市楽座を導入した精神的素地がある。

今川義元は、尾張の織田家を神道を盾に商業行為を独占する守旧派勢力と考え、嫌悪していたが、織田家、とくに織田信秀は駿河の今川義元を軍事独裁の圧政であると考えていたようである。
今川統治下の行政機構が極めてシステマティックな徴税機構によって形成されていたのにくらべて、尾張はずいぶんと、牧歌的であり、よくいえば融通がきく、悪くいえば、なあなあ主義で物事が進められていたようである。
239人間七七四年:2009/10/22(木) 01:18:33 ID:1rYhN/2K
信玄の呼びかけに応じて朝倉浅井本願寺三好六角足利北畠が動く。
徳川はコテンパンにしており最早風前の灯火(笑)
糞弱兵の織田軍なんぞ美濃で軽く一蹴する予定なんでよろしこ♪

もちろん上洛したら諸勢力全員臣従してもらうけど(笑)
240人間七七四年:2009/10/22(木) 01:31:04 ID:asa8b8aJ
信玄?
241人間七七四年:2010/02/20(土) 00:17:51 ID:MKZwSFND
>>239
        ___|二ニー-、、;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:|;::;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:l
        /rヽ三三三三三─‐-- 、;:;:;:;:;:;:;:|;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l
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         /:l lミミ     ::::.. 二フ´   l ヽ、.ノ ,'     
      ,.-‐フ:::::| |,ミ             l      /       
     /r‐'":::::::::| |ヾ        /__.   l    /      
 _,. -‐"i .|::::::::::::::::::',.',. \        ⌒ヽ、,ノ   /ヽ,_             
"    l ヽ:::::::::::::::::ヽヽ. \   _,_,.、〃  /l |    ___,. -、
     ',\\:::::::::::::::ヽ\  \  、. ̄⌒" ̄/:::::| |    ( ヽ-ゝ _i,.>-t--、
     \\\;::::::::::::\\  `、.__  ̄´ ̄/::::::::::l |   
242人間七七四年:2010/06/15(火) 19:40:17 ID:vs9XTnF/
970 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/15(火) 09:15:10 ID:mj1RjUyt
「武田騎馬軍団の音響兵器」(民明書房)によると
武田軍は三方が原で、投石とブブゼラを使ったのが勝因らしい。
243人間七七四年:2010/08/14(土) 20:42:40 ID:QTA19biq
三国同盟で後顧の憂いもないし、国力差ありすぎて斉藤は戦わずして道を開けるだろう
上洛の為の戦いかと言えば疑問だけど、結果的に上洛はしてたんじゃないかなぁ
244人間七七四年:2010/10/02(土) 05:43:52 ID:/idoEyzT
永禄3年の尾張侵攻でそのまま上洛は流石に無理だけど
京へ至る途中の国は美濃・近江
義元は美濃の斉藤と同盟結んでたから上洛は可能
でも桶狭間の相手が悪すぎた
245人間七七四年:2010/10/02(土) 21:28:55 ID:Qx0zMj/g
上洛は可能だろうけど、果たして維持できるか?
246人間七七四年:2010/10/04(月) 16:56:01 ID:+MbPEfNR
上洛だけなら謙信でもしてるしな
247人間七七四年:2010/10/06(水) 07:25:40 ID:51x/AD1m
>>242
攪音波催眠か。
248人間七七四年:2010/10/13(水) 07:03:23 ID:7GB28xaj
もし今川が本気で上洛を望むならば、できるだけ戦わずに上洛する方法を考えたはず。
ということは、まず織田と話をつける必要がある。今川はそれをせずにいきなり西進して桶狭間で討たれたんだろうか。
織田との話し合いはあらかじめ出来ていた、と考えるべき状況証拠が多々ある。義元討ち死には、信長がその約束を反故にしたため。
249人間七七四年:2010/10/30(土) 08:51:01 ID:UfPxtwqg
1つ思うのは太閤検地ベースで当時の今川家の国力が75万石。織田が
50万石。まあ義元は三国同盟のおかげで周囲に織田以外敵はいないが
織田には斎藤がいるとしてもそこまで一般でイメージされる程織田家と
今川家に国力差があったわけではない。しかも信長の美濃攻略は信長側
からいつも仕掛けており、逆に斎藤家は尾張より近江に興味があった節が
あるため、美濃攻略の手を緩めつつ今川に向き合えば膠着状態が続いて
義元寿命であぼんの図式が思い浮かぶんだが・・・。
250人間七七四年:2010/12/29(水) 19:49:10 ID:8BG/Bz7u
氏康を河東一乱で破った義元はまさに海道一の弓取り

それに比べれば氏康は辺境の原始人
251人間七七四年:2011/01/20(木) 00:09:24 ID:QNGteHY0
今川義元は天才だということは間違いない。
京を押えて日本全国に命令を発するという事は、当時信長しか考えていない
毛利元就でさえ領土は広げたが、京の事は何も考えていなかった。

252人間七七四年:2011/02/17(木) 21:18:43 ID:Gfn2xLLS
海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三
253人間七七四年:2011/02/19(土) 09:57:35 ID:GvQkrVem
雪齋亡き後の指揮官は居なかったのか
254人間七七四年:2011/02/25(金) 00:45:27.68 ID:Oluh4EWQ
一個人の器量に頼らざるを得ない組織なんて先が見えてる。
太原 崇孚は「突出した極めて」優秀な人材だったが、それ故に今川は興隆し、没落したのだろう。
255人間七七四年:2011/03/21(月) 03:55:03.71 ID:kbdc6v99
>>248
和議を信じて討たれたじゃあ情けなさすぎだろJK…
256人間七七四年:2011/04/01(金) 08:27:15.54 ID:BxBeT5Np
>>249
当時の信長はまだ尾張の半分くらいしか支配できてない。
国力差は明確にある。
257人間七七四年:2011/04/25(月) 14:43:07.52 ID:D8KcdpcQ
>>256 んなこたあない。
258人間七七四年:2011/05/05(木) 10:03:55.48 ID:/6yZPRCa
>>256
尾張で今川の勢力圏だった部分は湿地帯でほとんど稲作の収入が乏しい地域。
農業・商業の所要な部分は信長はキッチリ抑えている。
つうか尾張商人が信長のスポンサーになって今川と戦わせたようなもんだからな。
自分たちの市場を奪われないために。
259人間七七四年:2011/06/05(日) 01:34:12.67 ID:OojDeerQ
桶狭間の戦いは信長が仕掛けた戦でしょ?
自分から鳴海城と大高城包囲してんだから。
義元の出陣は上洛とか尾張支配と考えるよりも鳴海と大高の後詰めによる支配地の安定化じゃないかな。
もし包囲を見過ごせば西三河と尾張の在地領主の信頼を失って盟主としての地位を失うからね。
260人間七七四年:2011/06/05(日) 08:10:45.62 ID:GLE2aYWI
あげてみる
261人間七七四年:2011/06/05(日) 11:59:01.31 ID:SLmvIwP2
駿河15万石
遠江20万石
三河20万石
今川総石高55万石
55×300人=16,500人
2万5000もいないだろが、武田・北条への備えは0として
実質15000位で尾張制圧が真実だろ

262人間七七四年:2011/06/05(日) 12:21:16.60 ID:Tu0mYYwU
尾張制圧だったらもっと反信長勢力とか知多半島以北の調略とかしてると思うんだ。
263人間七七四年:2011/06/05(日) 17:03:24.97 ID:aMgNeCxq
今川が調略で奪った土地を、信長が砦で囲んだんだぞ。
だから兵を出しただけ。
上洛な歴史小説と大河ドラマのねつ造にすぎん。
264人間七七四年:2011/06/05(日) 21:10:51.25 ID:ZLNMNZG4
 いくら信長の実質石高(港収益含む)が高いとは言え,やはり三国結んでた義元
の方がかなり有利なんじゃねえのぉ? オジキの道三も敵意むき出しの息子に殺され
ちゃってた時点で息子は上洛途中に命狙う程忌み嫌っていたから美濃の押さえは
どうしても忘れられない.織田5000VS今川15000位で調度いい様な。
265人間七七四年:2011/06/05(日) 21:22:48.45 ID:OojDeerQ
その義元有利と思われる中、桶狭間の戦いに繋がる直接的な仕掛けをしたのは信長なんだよなぁ。
ちなみに道三と義龍の争いも信虎と晴信の争いも家臣(在地領主)の支持の問題なんだよ。
266人間七七四年:2011/06/16(木) 23:36:28.45 ID:Lg99HgG8
太閤検地の石高を持ち出して、数字合わせをするのがゲーム厨の特徴。
戦国期に領国の生産力をすべて収奪できる支配者などいない。
敵を排除しても半分も搾取できないのが現実。
戦に勝つと支配地から自動的に税収が入るなど恐ろしい妄想。
「信長の野望」が多くのアフォを生んだな。
267人間七七四年:2011/06/17(金) 09:10:47.09 ID:uE7cCzsw
と、講談の小説の知識をかかげてる者が申しております
268人間七七四年:2011/06/17(金) 12:02:16.08 ID:/zKn+BvT
でも、〜万石あるから〜人の兵力を捻出できたはず。
という根拠も無い意見をよく見かけるが…、不思議で仕方ないw
269人間七七四年:2011/06/17(金) 18:14:52.57 ID:NrUa4VW7
でも信長と信行が争っていたのは対今川の方針でしょ

信長は六角と同盟して内乱で弱った斉藤義龍を叩きたい
斉藤家は元道三派の残党や反乱分子が多くいた、ここと結んで内と外から叩く。そして今川軽視

信行派は慎重派で、道三が義龍に敗れて織田との同盟が破綻、
父信秀が勝ち取った斉藤家との同盟の存続、対今川に備える派

ここで織田家の方針が分裂していたと
問題は、斉藤家は巨大だが斉藤の親子争いで弱って動けなかった、この斉藤家なら潰せるし
潰せないまでも、攻めてくる体力ないから、今川斉藤両方を敵に回したいという信長
結果的に、信行効果で斉藤家の対織田をけん制できていた
そりゃ、織田家内で争っている時に、攻められたいたら織田家は滅亡していたよ
道三=信長、義龍=信行、今川は放置状態だったw
270人間七七四年:2011/06/17(金) 22:55:19.56 ID:B3ncYHqb
最近テレビとかでも上洛とは言わなくなったね。
271人間七七四年:2011/07/29(金) 00:29:53.79 ID:kOaw8BG2
今川って東国じゃ有名だけど、西国に今川の縁者は居たのだろうか?
272人間七七四年:2011/07/29(金) 08:38:57.16 ID:tHFz5gYi
今川仲秋の家系が佐賀にある
273人間七七四年:2011/07/30(土) 01:43:33.52 ID:RGgnt6yn
上洛のたしにはならなさそう。
274人間七七四年:2011/08/14(日) 14:28:22.70 ID:ksAF1Dig
テレビだとわざとすぎるくらいマヌケキャラにされる義元
歴史ヒストリー(笑)
275人間七七四年:2011/08/31(水) 23:47:50.04 ID:chfrL4Dq
尾張を制圧すれば、駿府、遠江合わせて3カ国。
圧倒的じゃん。上洛なんて余裕。
276人間七七四年:2011/09/01(木) 11:57:05.89 ID:PXxVIFdM
まあ上洛なんて意識もしてなかったんだけどな
277人間七七四年:2011/09/02(金) 03:10:50.72 ID:L2O1CS5q
2万5千総て戦闘部隊ってのはあり得ないだろうけど、
2万5千人の動員は可能だったんじゃない?

後方支援なんて農民だろうが町人だろうがあまり関係ないし…。
武田北条に備え置かないで総動員すれば割と25Kくらい動員出来そう

60万石の朝倉でさえ一揆勢に兵力割かない場合総動員で2万動員出来るみたいだし
無論これもあてになる戦闘員数は1万越えないんだろうけどさw
278人間七七四年:2011/09/02(金) 09:47:02.56 ID:R5kAqKzS
むしろ武田・北条から援軍得られそうだがね
武田の西上作戦時にも北条が援軍送ってたし
279人間七七四年:2011/09/02(金) 10:27:41.84 ID:Y5sC0jWl
>>275
雪だるま式だもんな 相手の領土を奪いとってブクブク膨れ上がった大名が天下統一するんだし
弱小勢力も雪崩式に傘下に組み込めるわけだ
280人間七七四年:2011/09/02(金) 23:14:51.90 ID:9iCEckHS
>>276
尾張を制圧したら次は普通に上洛だろ。絶対。
281人間七七四年:2011/09/02(金) 23:42:24.91 ID:zC+2xKW0
敵の領土制圧=戦力増強ってわけでもなし
制圧した国の人はホイホイと従ったりしないから根回ししないといけないし
合戦後の国は荒れてるから統治も大変
周りには斉藤、六角、浅井、三好と多くの大名がいるから事前に工作も必須
簡単に上洛なんざできません
普通に考えりゃ海路を確保して富国って感じかね
282人間七七四年:2011/09/03(土) 00:43:10.63 ID:WyN3OTtZ
>>280
何が普通なのか全然わからない。
信長以前の戦国時代に将軍を廃して自分が天下人になるという発想自体がないのだから。
283人間七七四年:2011/09/03(土) 01:25:42.48 ID:tMFmL00q
信長も当初から将軍を滅ぼしてなんて考えてないだろうな
284人間七七四年:2011/09/03(土) 03:18:23.14 ID:t2uUOq+Q
そもそも義昭が近畿から追放された=足利幕府滅亡でもないからな
義昭追放した後も信長から京に戻るようにと一応は提案されてるし
285人間七七四年:2011/09/03(土) 10:32:34.23 ID:Kmg1P4dm
鞆幕府として継続してるしな。
大樹公義尋を奉ずる信長政権より長持ちしてるわな。
286人間七七四年:2011/09/03(土) 11:28:32.09 ID:APsTrRyG
できたんじゃないかな?
287人間七七四年:2011/09/03(土) 12:29:12.39 ID:qrZ7rRxM
>284
将軍がいても京の支配を失えば幕府滅亡だよ
尊氏なんかは何回も幕府を再興してるw
288人間七七四年:2011/09/03(土) 14:51:42.01 ID:iQaaJVWc
おいおい、足利の将軍が何度京都の支配失ってさらに取り返したと思ってるんだ?
289人間七七四年:2011/09/03(土) 15:30:51.46 ID:qrZ7rRxM
>288
そのたびに幕府を再興しているw
290人間七七四年:2011/09/03(土) 18:47:09.93 ID:jB3Zk5sQ
室町幕府は南北朝統一と同時に正式成立したと考えるのが正しい
それ以前のはあくまで北朝の一勢力。
291人間七七四年:2011/09/03(土) 22:55:05.56 ID:kiO5SCQ6
残念だけど南朝勢力にそこまでの持続力は無かったような。
292人間七七四年:2011/09/07(水) 18:30:56.65 ID:36ZpWsaF
>>283
最初は、傀儡政権を目指してたんだよな。
上手くいかなくて挫折したけど。
293人間七七四年:2011/09/11(日) 03:41:13.01 ID:7C4iNWQL
今川では・・・天下は取れないよ
294人間七七四年:2011/09/11(日) 09:56:59.49 ID:IDKKTBaC
駿河、遠江、尾張を手に入れれば、上洛なぞ余裕だろう。
295人間七七四年:2011/09/11(日) 14:03:41.54 ID:3Q2jyITa
余裕なわけなかろう。織田信長ごときに首を掻き切られるヤツは京都につく前に逝っちゃうってw
296人間七七四年:2011/09/11(日) 17:03:41.12 ID:IDKKTBaC
>>295
詳しくヨロ。
いつ、どこで、誰が?
297人間七七四年:2011/09/11(日) 20:02:02.83 ID:FjPLgZLR
家康を先鋒としていたら中国四国まで攻め込めた
298人間七七四年:2011/09/11(日) 22:55:42.65 ID:7pwoj9MT
何時の間にゲームの話をするスレになったんだ?
299人間七七四年:2011/09/12(月) 23:20:05.24 ID:WoeXjWJl
名門中の名門だから義輝もさぞかし上洛を期待してただろうに。
300人間七七四年:2011/09/13(火) 00:39:54.43 ID:nEx6Fc5v
義元「義輝を討ち取って、麿が将軍になるでおじゃる!」
301人間七七四年:2011/09/14(水) 01:38:42.15 ID:7U4CrCIm
そして義輝に真っ二つにされる義元
302人間七七四年:2011/09/14(水) 18:41:28.91 ID:8oArfRfE
と思ったら、それは烏帽子だった。
義元は義輝を返り討ちにし、駿府に幕府を開いたのであった。
303 忍法帖【Lv=17,xxxPT】 :2011/09/16(金) 11:35:49.04 ID:Ji2ZrEFS
松平家が管領筆頭になって二代将軍氏真の時に乗っ取られ、松平元康が将軍に…あれ、史実とたいして変わらなくね?
304人間七七四年:2011/09/16(金) 12:21:37.54 ID:2Kb3SFX6
いい国作ろう松平幕府
305人間七七四年:2011/10/02(日) 09:32:44.46 ID:s1icoc09
尾張を制圧したら次は北伊勢の長野氏と近江の六角を潰して、
上洛完了かな?
306人間七七四年:2011/11/13(日) 12:04:02.53 ID:cp4SE/+O
謙信上洛スレが無くなった。
307人間七七四年:2011/11/13(日) 12:08:40.83 ID:PDcj3Kvo
>>303
首都は静岡になってたな
308人間七七四年:2011/11/18(金) 11:09:04.45 ID:dHnch67E
>>283>>292
滅ぼすかどうかはともかく、上に立とうとは考えてるだろうな
そうでなかったら副将軍なり管領なりになっている。
少なくとも五箇条の意見書を出した時点では、その内容を見る限り、義昭と自分が並び立たない事は完全に覚悟していただろう。
309人間七七四年:2011/11/18(金) 23:32:36.50 ID:N/S0dQuR
大内義興も将軍を擁して上洛してるし、
当時の有力大名ならあわよくば上洛して天下に号令しようくらいの野心はあったんじゃないの
310人間七七四年:2011/11/19(土) 11:22:01.06 ID:Ql/248R9
天下に号令とは何を指すのか
311人間七七四年:2011/12/04(日) 05:40:52.11 ID:YNDCYVdn
朝鮮出兵とかシベリア出征とか。
312人間七七四年:2012/01/21(土) 14:36:20.43 ID:aJCnz10G
てか信長以外にはほとんど負けてないのよね義元は
313人間七七四年:2012/02/28(火) 18:32:14.20 ID:H5IW6Tej
義元の上洛した1560年なら可能だったと言い切れます。
そもそも信長に討たれただって本当に運のいい不意打ちだからね
本当なら尾張の信長を自害させ美濃の斎藤や伊勢の豪族に懐柔し
近江を通り京の都へ行く道筋はできていた。
まさか、尾張の織田信長で躓くとは思いもよらなかったであろう…
314人間七七四年:2012/02/29(水) 21:26:01.10 ID:p26YMeMi
まず義元上洛が今では少数派なんだけどな。
315人間七七四年:2012/03/02(金) 17:07:18.78 ID:g9z5Sedr
そもそも味方の城の後詰めに駆り出されただけだからなあ。
316人間七七四年:2012/03/07(水) 08:30:08.45 ID:oOqwJsRR
太原雪斎
彼が居ない時点で無理ぽ
秀吉の竹中まではいかないが、
317人間七七四年:2012/03/17(土) 21:01:27.70 ID:GWxNmzWX
おまえら節穴さんかよw
318人間七七四年:2012/03/17(土) 23:40:30.87 ID:pRLwnihg
斎藤に対する書状とかも全く確認されていないしな。
本当に京に行くつもりなら出立前に懐柔か従属勧告かどちらかの書状送達があって然るべき。
319人間七七四年:2012/03/18(日) 00:27:05.54 ID:M45RIgxK
>>258
それは愛知郡を含めた東尾張だろう。那古野付近もそうだが所謂、原野台地。
尾張織田一族は西尾張(下津、勝幡城、津島港、)が原点地。
320人間七七四年:2012/03/21(水) 12:59:45.75 ID:+au8id+V

尾張の覇王、織田信長を演じた役者

渡辺 謙、佐藤浩一、豊川悦司、舘ひろし、渡 哲也、反町隆史、木村拓也、

織田祐二、的場公司、緒方直人、城田優


321人間七七四年:2012/05/28(月) 15:33:43.12 ID:AEvps/0T
出会って2.5秒で上洛
322人間七七四年:2012/07/04(水) 00:36:51.72 ID:3CUNgUOD
駿河、遠江、三河、尾張で100万石軽く超えるな
桶狭間で勝ったら、誰も義元の勢いを止めらないだろ
しかも武田、北条とは強固な同盟で結ばれてるから後方は完全に安泰だし
323人間七七四年:2012/07/04(水) 01:19:52.79 ID:r3I5a0d3
信長公でなければ、普通は城を枕に討ち死にしてただろうけど
よもや討って出るとは誰も想像すらしてなかったろうな
義元にしたらドラクエでレベル20くらいでいきなりラスボスと対戦
するみたいなもんだからなぁ、そりゃー死ぬわ
324降参:2012/07/04(水) 22:57:13.10 ID:3CUNgUOD
>>323
おぬし、なかなかのゲーム脳であるな
拙者に勝ち目は無いと見たorz
325人間七七四年:2012/07/16(月) 10:22:38.74 ID:J1lerIz2
>>322
上洛は難しくなさそうだ
326人間七七四年:2012/07/16(月) 15:38:13.73 ID:e8vV/zQJ
今川の目的は尾張だったという人もいるが、それだったら何故もっとやりやすい時にやっておかなかった?
信長は、桶狭間の前年に岩倉の織田伊勢守家を滅ぼして尾張を統一したばかり。まだ岩倉が頑張っている時ならば、信長は2正面で戦わなければならず苦戦しただろうに。
さらにその前1556年11月、信長の同盟者だった斎藤道三が失脚した時が信長最大の危機。その少し前に清洲城を手に入れたが、織田大和守の家臣を十分に掌握できていないところでの美濃との手切れ。
わずか700人の家臣で清洲城に孤立していた、と信長公記にも記される。この時攻められていたら信長としても打つ手がなかったはず。
義元の側にも事情があった、とは言わせない。実は1557年の春、信長が孤立していたまさにその時、義元が三河まで来ていたことが確認できる。


327人間七七四年:2012/07/16(月) 19:29:24.73 ID:p6t2iN/r
大大名だからって急に動員なんて掛けられないべ
慌てて動員掛け終わった頃には全部終わってましたなんて状態になったら
権威が下がるだけだし
328人間七七四年:2012/07/17(火) 16:18:27.65 ID:mHUYNhdE
織田氏は信長の父信秀時代、三河に対して攻勢をかけ矢作川以西をほぼ支配下に入れる勢いだったが、今川方の大原雪斎の安祥城攻略成功で、それまでの流れが変わった。
この状態での信秀の死、さらには鳴海城の山口父子の裏切りで、織田氏が長年かけて築き上げた三河方面への影響力は殆ど失われた。
鳴海城は尾張平野の東の端にあり、三河方面への出撃拠点であったから、信長はこの方面への出兵がいちじるしく困難になった。義元にとってすでに信長は脅威ではない。
義元が、もし尾張に領土的野心をもっていた。16世紀前半において、今川氏は那古野城にあって尾張を支配していたから、義元が失地回復を狙うことは十分に考えられる。
だが、義元にとって尾張を手に入れるということは大軍を率いて攻め込むことだろうか?うまく信長を滅ぼしたとしても、そのあとはどうする。息子は氏真しかいないし、あまり優秀でないことはすでに分かっていた。
このとき義元が取ることが出来る最良の策は、尾張をその支配者ごと手に入れること。すなわち信長を指揮下にいれることである。
信秀の死後、信長の力は低下していたから、今川の申し出を受ける可能性は十分にあるのである。信長が義元に下るはずがない、というのはその後の歴史からの結果論に過ぎない。
織田信秀は前半生で激しく敵対した斎藤道三と和解し、信長はその娘婿となっている。
織田と今川が同盟と結ぶということは十分ありうるのである。
329人間七七四年:2012/07/19(木) 00:28:35.42 ID:EAseXDIL
>>323
ある程度レベルが上がって油断が生じた頃に遭遇するキラーマジンガみたいなもんだろ。
330人間七七四年:2012/07/19(木) 01:22:12.79 ID:IKDw6uvN
今川は室町幕府の秩序維持装置の一機関なんだけどね。
北条早雲は室町幕府の高級官僚で、だからこそ今川の後ろ盾を得れた。
まずそこのところを知ろうよ。
331人間七七四年:2012/07/19(木) 15:16:48.39 ID:USX5Yvk0
↑一見関係があるようで、実は全く関係ない話を始めるバカ
332人間七七四年:2012/07/19(木) 20:19:03.39 ID:K/v48lQt
今川が油断したから信長に負けた、というのは説得力に欠ける。戦いは個人戦ではない。義元がいくら油断したとしても、部下がそれに付き合う必要はない。
桶狭間の戦いでは、まず織田方の丸根、鷲津砦が陥落、残る織田方の砦は中島、善照寺の二つのみ。このうち善照寺は台地の上であるのに対し、中島は川の合流点。
中島さえ落とせば鳴海城の包囲は解け、物資の輸送も可能になる。つまり、誰が攻めても中島砦が次のターゲット。もし、真面目に戦おうというなら、中島砦の周囲に兵を集める以外にやることがないだろう。
中島砦の付近に兵力が展開していれば、織田軍はそこから出撃するのが困難になる。砦の外へ出ても待ち構えている今川軍の餌食になるのは目に見えている。
ところが、信長は中島砦から出撃して、先へ進み、桶狭間の義元軍までさしたる抵抗を受けずに進軍している。
今川軍は油断するにもほどがある。こんな油断など常識では考えられない。義元が油断したからと言って、それに付き合ってやるべきことを何一つやらない軍隊など考えられない。
333人間七七四年:2012/07/20(金) 20:35:50.23 ID:GmKvdZTA
>>332
義元が命令してない事を勝手にやるわけにいかんだろが。
処刑すらされかねんのだからな。
334人間七七四年:2012/09/25(火) 21:02:57.46 ID:XPWTb6fg
斉藤はあの時動かなかったのはなぜ?桶狭間に乗じて
大軍を尾張に繰り出せばよかったのではと

それとも国内で何かイザコザ抱えてたのかな?
335人間七七四年:2012/09/25(火) 21:06:53.78 ID:XPWTb6fg
ちなみに織田軍破ったあと上洛するなら中山道と東海道のいずれのルートを取ったんだろ?
336人間七七四年:2013/10/03(木) 22:54:47.70 ID:056BX4c4
今のように正確な情報が瞬時に伝わる時代なら動けただろうけどな
337人間七七四年:2014/05/28(水) 17:02:07.30 ID:RfvmP1Wa
>>335
整備されてたのかな?
338人間七七四年:2014/08/05(火) 22:49:03.26 ID:hfZAqfY8
>>335
当時は熱田から桑名のあたりは泥の海で、東海道は大軍の往来には向いていなかったそうだ
だから中山道じゃなかろうか

まあ、桶狭間の戦いが上洛を目指したものであったかどうかは別として、
義元が健在だったら、今川、武田、北条の三国同盟が主軸となって天下が動いていただろうなとは思う
339人間七七四年:2014/08/07(木) 15:00:21.99 ID:RkzM1N5M
しかし2万5千は誇張ではないだろうか。
三河35万石+遠江28万石+駿河19万石=82万石
尾張領内の兵は城の守備で動かせないだろうし、
三国同盟があるといってもまったく守備兵を置かない程信用してはいないだろう。
石高にしても世の中が落ち着いてきた戦国後期から江戸時代の石高なので、
当時はもう少し低かったと思う。

それとも300〜400人役という結構無理目な動員をかけていたので戦を急ぎ
その虚を突かれたのだろうか。
340人間七七四年:2014/08/07(木) 20:24:01.88 ID:+ZEE0PSn
戦力動員は石高だけで語っても正確性に欠ける
駿河なら塩とか海産物とか商業も盛んでそういった経済力が入ってない

それだけでなく今川領内に居た小豪族がどれほど居たのか?も問題になってくる
これらの小豪族達は日頃は自分達の領内で畑を耕し生活して戦になれば
恩賞目的に大名に従う どれぐらい加わってたのかで軍勢の数は変わる
341人間七七四年:2014/08/07(木) 20:28:29.14 ID:Awd4WhdT
米の生産量だけで国力を推し量ってよいものかどうかだが
非稲作物、素材用作物、鉱山、etc
342人間七七四年:2014/08/07(木) 20:37:47.33 ID:+ZEE0PSn
ちなみに、当時は甲斐と駿河は全国でも屈指の金の産出国だったみたいだな
だから石高が低く貧しいと言われてた武田が甲斐国から信濃を征服出来たのは
そういった経済力を持ってたから

三国同盟前はその金山を目的に北条が何度も駿河に攻めてきている
関東一円に勢力を広げた北条だがその土地を支配するにあたって
年貢を低く設定していてそれが為に金欠だった 

駿河は米は獲れないが金山がいくつもあり塩、海産物が豊富に獲れて
非常に豊かな国であった 自然と人々が集まり今川は大軍勢を整えれた
343人間七七四年:2014/08/08(金) 12:48:59.59 ID:waIXO2je
>>339

無理な動員はありえる。

近年では桶狭間の合戦は正面衝突だとする説が有力。
今川の国力の限界レベルの動員だとすると早期決着が望ましい。
そこに信長自身がのこのこ出てきたわけだ。
これを討ち取ってしまえば合戦終了、清洲城とかの城攻めもしなくて済む。
兵数も義元本隊の半数ぐらいとなればそのまま戦闘を開始してもおかしくない。

結果は最悪になってしまっったけどね。
344人間七七四年:2014/08/08(金) 20:14:12.82 ID:waIXO2je
>>339

太閤検地だと

三河29万石
遠江25万石
駿河15万石
計 69万石

金山も確かにあったみたいだけど産出量が劇的に増えたのは
慶長年間からであって義元の時代にどれだけあったかは不明。
345人間七七四年:2014/08/09(土) 01:06:58.34 ID:gEI1H3pL
今川と織田の国力差は多めに見積もっも2:1ぐらいじゃないかな。
今川も三河を完全には掌握しきってないし。
346人間七七四年:2014/08/09(土) 09:21:28.77 ID:Ml37W0f9
義元が桶狭間で倒れなかったとしても結局は2代目が無能なんでお家騒動
それを利用して宿老筆頭であろう家康が天下取っちゃうんだろうなあ
ドラえもんが言うのび太がジャイ子と結婚しようがしずかちゃんと結婚しようが
結局はセワシ君が生まれるってやつ
347人間七七四年:2014/08/09(土) 16:26:35.14 ID:IWibUMXw
上洛戦ともなれば、武田と北条から合わせて2万くらいの援軍が得られそうだし、
総勢5万くらいにはなるんじゃないかな
今川対織田という見方じゃなくて、三国同盟対織田という見方をした方が良いと思う
348人間七七四年:2014/08/09(土) 17:06:38.12 ID:gEI1H3pL
いまだに上洛戦なんて言ってる馬鹿いるのか?
単に大高城が織田方の砦に包囲されたから後詰めで出てきただけなのに。
349人間七七四年:2014/08/09(土) 19:07:36.65 ID:IWibUMXw
桶狭間の戦いについてだけ話してるわけじゃないだろ
上洛の可能性も含めて、今川の西進について広く話してるんじゃないのか
スレタイ的に
350人間七七四年:2014/08/09(土) 20:43:07.90 ID:gkLXpw3l
桶狭間の頃の武田北条は対上杉戦で手一杯
今川上落戦の支援どころではない
351人間七七四年:2014/08/09(土) 20:43:43.01 ID:BOYKAALy
>>345
それを言うなら織田も完全に尾張を掌握してないよ
あと今川は背後を三個同盟で安定させてるが
織田は斎藤と敵対してるからそっちにも兵力を割く必要がある
352人間七七四年:2014/08/10(日) 11:16:40.04 ID:RN5Awu+f
>>332
雪斎さえ生きていれば・・・
353人間七七四年:2014/08/13(水) 22:26:53.99 ID:UjnyqMdK
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  |…. |:: |2万5千で上洛| ::|   | よし、決まったな!風呂にでも入るか
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354人間七七四年
>>353

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