●太閤史観を見直そう●

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1名無しさん@お腹いっぱい。
存分に
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 23:58:44 ID:Nn7Z8rby
江戸時代の御用学者よりもよっぽど偏ってる
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 00:06:29 ID:xq/lO9hs
金ヶ崎撤退戦が秀吉一人の功績になっているとか
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 00:20:33 ID:fbmPY9Oo
大河ドラマで秀吉の華麗な人生に酔いしれてる香具師が多すぎ
秀吉に負けた敗者の歴史を持ち上げる小説でも書くか
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 05:21:38 ID:DAwPHjJ7
アンチはよく徳川の捏造と言うが秀吉の
ほうがひどい、おまけに焚書をおこない
自分に都合のわるいことは隠蔽している。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 05:25:17 ID:DAwPHjJ7
竹中の過大評価は凄まじい
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 09:02:09 ID:K+3fLP97
とまぁ、以上が君達チョンの餌のメニューだ
残さず食べてくれよ
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 09:16:09 ID:cLL0pk6T
秀吉厨は秀吉を叩く人間をチョンと決め付ける。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 09:51:06 ID:39h60X4k
まず、太閤史観の問題点として織田家簒奪の過程のひどさが
やたらと誤魔化されているよな。秀吉がやったのは、

☆ 秀吉は、一介の浮浪者を大大名にまで抜擢してくれた恩ある織田家に、

・ 織田家の当主に無理矢理幼児(秀信)を据えて、織田家簒奪の
  道具とする
・ 秀信を預かって養育していた信長の子(信孝:秀信の叔父)を
  だまし討ちして、秀信を強奪する。
・ 自分に反抗したという理由だけで、信長の子(信孝)を殺害。
  さらには、その母(信長の側室)まで殺害。
・ これらの秀吉の主家に対する悪事に怒った織田家重臣(柴田勝家)を
  攻め、自害させる。
・ 他の信長の子供(信雄)の所領を没収し、追放。
・ 織田本家(秀信)については、その所領をほんのわずか(30万石)
  だけ残して他のすべて没収してしまう。
・ 秀吉の養子になっていた信長の子供(秀勝)が都合のいい時期に
  いつの間にか死んでいる。(暗殺の疑惑あり)

といったことをしました。


とまあ、なかなか香ばしいね。家康がかわいらしく見えてくるわ。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 11:12:23 ID:WClm7kOt
狡猾さは家康より遥かに上だ。
秀吉にそんなイメージが無いのは理解できない。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 11:52:52 ID:fbmPY9Oo
たしかに、農民上がりで陽気な人というイメージが固い

実妹の朝日に対しては夫と無理やり離別だもんな。





戦国時代だから仕方がないって言われるんだろうけど
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 13:42:05 ID:d6xPFRj3
天下取りたかったんでしょ
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 21:49:26 ID:GNV63mEE
秀吉はどう見てもただの簒奪者だろう。家康が簒奪者という前に秀吉が簒奪してるから。
大河ドラマとか見ていい人物だと真にうけてるバカ多すぎ。
明治政府によって
前政権の徳川が悪者にされ、豊臣が持ち上げられてるし、江戸幕府に対する
民衆からの不満もあったから、余計秀吉の人気がでただけだろ。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 23:53:42 ID:fbmPY9Oo
まあ、小身から天下を握るまでに至ったサクセスストーリーは教育に使える。

がしかし、光秀だの勝家だの家康だのを悪く見ないで欲しい。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 02:29:23 ID:twaPLV/G
秀吉は農民出身の割には農民に対しては冷たいよな。
秀吉政権時の年貢は相当重かったというし、偉くなると昔の境遇などは忘れてしまうんだろうか?
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 12:45:41 ID:26jxcnHO
>>15
つうか、秀吉の場合農民以下だったから、農民に恨みを持ってても
不思議じゃない。ちゃんと耕す田畑持ってれば、浮浪人にゃならな
いからな。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 12:49:43 ID:jkyHua6b
劉邦、朱元璋、秀吉など農民出身の人物は、逆に農民に対して酷い仕打ちをする場合が多いね。
コンプレックスでもあるのだろう。
やはり育ちが悪いと駄目か。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 12:55:57 ID:jkyHua6b
秀吉の政策が商人層に対しては比較的大らかであるのに対して、
身分制度の固定や厳しい検地による耕作面積の把握など農民層に対しては概して厳しいのを考えてると、
秀吉は自分の出自である農民層に負い目や軽蔑感があったのだろう。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 12:58:08 ID:26jxcnHO
>>17
秀吉は生まれは農民ではあるが奴隷や浮浪人の境遇。
今の日本人は意外と勘違いしているが、農民ってのは最下層ではないんだよ。
狭くっても、耕す田をもっているかいないかでは、雲泥の差がある。
たとえそれが小作だったとしてもな。
こういう、耕す田畑を手に入れられずにドロップアウトした連中の農民に
対する感情がいいはずはない。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 15:18:23 ID:b7GW1ncB
中世社会の感覚からすれば、ドロップアウトいわば共同体を離れた人物の末路は悲惨なんだよね
地位や財産を失うだけでなく命の危険にも晒される
秀吉がそういう境遇にいたかは疑問だが、仮にドロップアウトしたのが事実なら
無宿人の共同体の中にいたのかもしれない
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 15:25:34 ID:nucoYpjw
>>17

朱元璋閣下は比較的農民には優しかったぞ
官にはとことん厳しかったが
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 17:45:50 ID:vKjtT4WC
農民に対する個人的な感情をぶつけられても困るわな。
天下人として。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 02:36:47 ID:YIHSngnJ
秀吉の出自は貴人でもなければ賤民や貧農でもない。
尾張中村(現在の名古屋市中村区)の富農・庄屋であり足軽だ。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 17:48:53 ID:WGDC9Dxj
サクセスストーリーなんて織田家の重臣になるまでのお話は墨俣一夜城などほとんど創作だろ
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 18:05:04 ID:2KjhC3gl
創作でいいのよファンが増えれば。

俺は御免だが
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:33:45 ID:BadNHTza
少し、太閤史観でない視点から事例を整理してみるか。

● 柴田勝豊について
【太閤史観】
 秀吉は長浜城主であった柴田勝豊を味方に引き入れ、奪われていた
 長浜城を奪還した。
【勝家視点】
 同じ織田家の家臣である秀吉は、勝家親子の不仲を煽り、勝豊を勝家
 に敵対されただけでなく、勝家領である長浜城を略奪した。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:58:27 ID:fHmg/3R0
史観って言葉の意味知ってるか?
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 06:21:40 ID:HZxTg+Yh
結局秀吉アンチスレかよ
つまんね
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 08:11:02 ID:WAVaJhlo
>>28
秀吉マンセースレやアンチ家康スレもあるだろ
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 08:12:51 ID:WAVaJhlo
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 11:42:11 ID:uIbg4xAt
秀吉は人を殺すを嫌ったって言われているけど、実際どうだったんだろ。

晩年はボケたからって理屈を受け入れるにしても、それ以前でも人命優先と
は思えないんだよな。
清水宗治とか切腹させているし(信長のせいになっているけど)、北条氏政
も切腹させているし。佐々成政も切腹させられている。

秀吉が人を殺さないというけど、実際問題として降伏して配下大名になるん
なら普通は殺さないよな。苛烈といわれる信長だって別に降伏した大名を殺
してないわけで。
ことさら残酷だったわけじゃないが、特筆するほど人命を大切にしたとは思
えないな。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 12:44:13 ID:QsZe2sTW
>>31
うーん。俺もそれは前から感じてたな。
確かに降伏を許し、最上の責任者のみの切腹で許すのは後々の人心掌握や
謀反を防ぐ点ではなかなかいい策ではあると思う。だが別に人命優先とは言えない気もするな。
あと包囲→責任者のみ切腹で降伏許可って流れは秀吉の専売特許のように語られるが、これは一般的な気もする。

もし人命優先をそのままの意味で捉えるならば信長や家康もかなり優先するタイプな気もする
信長は足利将軍や本願寺顕如を講和という形で降伏させ、命を奪う真似はしてないし
家康も仇敵武田軍の武将や、一向一揆で寝返った旧臣の再登用を許してるし。

確かに秀吉が特筆して人命優先とは思えないな
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 15:46:37 ID:uIbg4xAt
あと、秀吉関連について言えば、どのくらい貿易がさかんだったのかな。
鎖国と対比して、戦国時代、特に秀吉治世下において活発な海外貿易が
行われていたようなイメージが出来上がっているけど、その割には秀吉
治世下の貿易の実態がはっきりしない。
家康だったら、朱印船貿易をかなり活発にやってたみたいなんだけど、
秀吉の海外貿易の政策っていったいなんだったんだろ?
「太閤は海外交易に熱心で」→「秀吉の治世下が続けば日本が貿易大国」
ってな感じの太閤伝説コンボって、どれだけの根拠があるのかな。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 18:17:39 ID:o2tefmXc
所詮
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 18:31:26 ID:poK1vRg2
>>33
結構国際的には孤立していたようなイメージがあるな。
なんせイスパニア、ポルトガルとは禁教令だしたり、しており
若干の交流とかあっても・・・
それに朝鮮出兵の際にタイと女真が対日宣戦布告すべく明の皇帝に
打診したというお話もある。
朝鮮と明はいうまでもなく・・
民間でそれなりの交流があっても、むしろ家康時代の朱印船貿易の
ほうが大々的だったんではないかと思う。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 19:40:22 ID:nIYBMlqU
鼻水垂らしながら「秀頼のことをよろしく頼みますジョ〜」なんて言われてもな
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 14:20:23 ID:wtFH6ZVm
しかしなんで武将に対してアンチになったりマンセーしたりするんだろうな。
やはり大河の影響か。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 16:32:52 ID:Qw7Ha2/6
俺は全武将すきだが。
やはり物語な小説と大河が大きい
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 00:37:15 ID:XmsMv43/
秀吉って6本指だったんでしょう。
40あぼーん:あぼーん
あぼーん
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 03:32:03 ID:gpjkV8T3
豊臣VS徳川、朝鮮出兵を語るスレは
今までも日本史、三戦で腐るほど立ってきて今ここ戦国板もそんなんばかりで
意外と秀吉の人生全体を語るスレって少ないんだよなぁ
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 16:31:29 ID:E++2pBxz
北条征伐までが華。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 18:48:27 ID:U9WN3UMI
面白い人物。
44狸伍長:2006/10/23(月) 19:18:59 ID:xzZ8JuFU
>31

秀吉の場合、
「無闇には人を殺すを嫌った」
のではなく、
「味方を出来るだけ殺さない戦に心掛けた」
が真相。

多分、勘違いしていると思うけど、一口に降伏といっても、幾つもパターンがある訳で。
北条や佐々は、敵対者で戦後の降伏だから、
「命の采配は任せた。
ただし、部下の助命嘆願をしたい。」
という傾向が強いんだ。
自身の完全な助命は、荒木村重のように、自分だけ逃げるしかなかったんだよ。

当時の感覚からして、
○まともな攻城兵器が無く、あっても山城が多くて使い道が少なかった
○農民兵が主力で、補給も貧弱なため、長期に渡る包囲戦が行いにくい
という欠点があるから、最終的には強襲しかなかったんだ。
(ただし、兵力・士気に圧倒的な差がある場合は別)

当時の感覚なら、部下を殺さない戦に心掛ける秀吉が、特に下から慕われたのは、当然だと思うよ。
なんせ、生き残った者が勝者だったんだからね。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 20:57:15 ID:4t0KOn8O
>>44
これ、秀吉だけでなく戦国大名・武将の当然のこころがけなんだが。
どうして?と疑問に思うのなら、当時の兵がどういう層だったかを考えてくれ。
もっといえば、兵・農民というのは大名にとっては私有財産だった。

「兵卒を何人死なすことになろうとも、戦争目的のために全軍強襲突撃!」
なんてのは中世の軍隊には無理、それは近代の国民国家から。
(あるいは、中国やロシアのように兵卒の命に価値が認められない社会)
ちなみに後年の秀吉は、損害も顧ずに突撃ってのを結構多様している。
46名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 12:33:41 ID:vJSDrkNm
秀吉時代の書物は江戸時代に抹消されたのでは?
47名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 02:28:23 ID:PNhNYsBK
アンチは責任者の切腹や、農民に重税を課したこととかまで文句言い出したか。
こういう連中って、秀吉がなぜ本能寺の変後、わずか8年で天下統一できたか、考えたこともないんだろうね。
秀吉の天下統一の過程は天才的で文句のつけようがないでしょ。
48名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 22:26:05 ID:BVPM/Eba
太閤史観って言うけど、いわゆる左翼による戦後史観の方を見直したほうがいい。
朝鮮出兵や秀次事件の背景を無視して、問答無用に悪一色で塗りつぶすのはどうかと。
特に晩年の秀吉に関しての印象操作はひどい。
49名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 23:18:19 ID:LjdqLlM5
朝鮮出兵はともかく、秀次虐殺に関してはむしろ殺生関白に仕立て上げた
秀吉贔屓の印象操作だろ。
50名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 01:29:05 ID:QLZZXZbt
戦後史観は見直した方がいいけど左翼がどんなに印象操作しようと日本人の多くは太閤贔屓
色々なアンケート調査でも信長が秀吉より人気あっても家康が秀吉より人気なのは見た事ない
51名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 02:51:21 ID:wE0+Q/iw
朝鮮出兵はむしろよくやったと言うところだが、秀次事件はいろんな意味で擁護のしようがない。
52名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 22:16:45 ID:90XHXykP
秀次が明らかに秀頼を敵視してる状況では普通に殺すしかないでしょ。
しかも外征に反対していた天皇朝廷に莫大な献金を送ってたわけだし。
聚楽第ごと潰すのは当然だった。
むしろ殺生を理由に殺したのがまずかった。
普通に反逆者とだけ言っとけばよかった。

53名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 02:06:22 ID:/OBglc3p
>>52
そこがポイントだろ、本当に反逆者なら反逆者として普通に討伐すればよかっただけ、
何故殺生やら何やらの無理矢理な理由が出てきたのか。

別に秀頼敵視していた記録など無いし、
関白が天皇とつながりがあるなんて当たり前。
秀頼が出来る前からそれはあったしむしろ秀吉が勧めていたことだ。

結局、秀頼可愛さのあまり周りが見えなくなった秀吉の暴走に過ぎない。
54名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 04:27:10 ID:WhxP0g0M
朝鮮出兵に反対し朝廷との結びつきを強めるだけでなく
蒲生家に対して秀吉の意思を無視する差配をするとか、
各大名への誓詞の提出を求めたりとか
秀頼誕生後は明らかに自分の権力固めに動いてる。

放っておけば天下が二分してしまう。
秀次は殺すしかなかった。

秀頼可愛さのあまりというのは、上の方にもあるが
晩年の秀吉のイメージを悪くする印象操作だろう。
55名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 14:39:46 ID:ISNxxL6y
>>54
同意
56名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 04:11:24 ID:N6cVGplp
秀次処分するにしても諸大名を巻き込みすぎだろ
これで「家康恩顧」が増えたんだから結果論として失政としか思えんが
57名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 07:22:50 ID:HiEYjSEf
秀頼が生まれなかったらどうなってたんだろうなあ
58名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 16:59:03 ID:rxWJNDZ0
>>朝鮮出兵に反対し朝廷との結びつきを強めるだけでなく
>>蒲生家に対して秀吉の意思を無視する差配をするとか、
>>各大名への誓詞の提出を求めたりとか

この程度で反逆とか言ってるなら所詮、秀吉は秀次を欠片も信用していなかっただけに過ぎない。
関白の地位に着いたら普通はこのぐらいは自分でしないと政治が成り立たない。
これは別に秀頼が生まれた時期に関係なく動いてる、そもそも関白引き受けてから
1年ちょいで秀頼は生まれてるし妊娠発覚から言えばもっと短い、
だから丁度時期が重なる関白として動き始めた事を全部反逆の要素にしてるに過ぎない。
普通の後継者なら当たり前すぎる事をしていたに過ぎない。

印象操作云々はそれこそ勝手な妄想だろ、事実として秀頼一人に振り回されてる現実があるのに
勝手な推論だけで秀次を殺生関白に仕立てて殺すしかなかったとか言ってる方が印象操作に他ならない。

>>56
同意、特に最上義光は哀れ過ぎる、その怒りが関ヶ原で爆発して、
自分の可愛がってた直江兼継にぶつけられる結果になったのは失敗以外の何物でもない。

また天下が二分されるから〜とか大層なこと言ってる割に、
諸大名に対する影響を何一つ考えてない事の模範例とも言える。
59名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 23:06:39 ID:2eWTUAxM
>>58
関白が対外戦争中に反対すること自体ありえないのに、朝廷と一緒に権力固めしてるようじゃどうしようもない。
この程度のこと、で済まされる問題ではない。

それに諸大名に対する影響というが、秀次の影響力に比べたら微々たるものだし
この時点で朝鮮出兵に失敗し、さらに関が原が起こることを予知しとけとでも言うのか?
超能力者じゃあるまいしな。

そもそも、論点をずらそうと必死なようだが、あなたの言うように結果的に秀次粛清が失敗だったとしても
それで秀次粛清の理由が「秀頼可愛さのあまり」とするのは全く意味不明。
だいたいそうだとしても戦国時代、他にいくらでもある「後継者の一本化」を
秀吉の場合だけに「可愛さのあまり感情的に殺した」と言うのはどうかと思うんだがね。
60名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 01:37:24 ID:4QG8ABG6
>>59
秀次は関白になった時点で正当に豊臣家を後継していた。

後継者の一本化をはかるのであれば秀頼こそ外さなければならない存在。
61人間七七四年:2007/02/18(日) 23:11:10 ID:7aP5o8Mc
>この時点で朝鮮出兵に失敗し、さらに関が原が起こることを予知しとけとでも言うのか?

しとけよこれくらい
大陸進出が100%成功すると考えるほうがおかしいし
自分の死後に家康が政権簒奪を企まないとか
自分が何やったか既に憶えてないとしか言いようがない
62人間七七四年:2007/02/19(月) 22:19:15 ID:sxlyh/y6
メガトン級大爆笑!!!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!

お前らがよってたかって秀吉のこと羨ましく思うがあまり、秀吉の天下
統一を強引に悪事と決め付けても無駄なことだね。
秀吉は悪行が多いって?一 般 民 衆 を 虐 殺 し た こ と 
と か あ る ん で す か 秀 吉 は ?

小田原攻め??見事な最初から最後までの内部工作による落城でしたよねえ
家康なんて結局最後まで大坂城を落とせずに力攻めに入った悪逆者、あんな
巨大な城を炎にまみれて落城させるだけでも十分な悪行だね。

織田家の人間をことごとく葬ってきたって?なら織田家の中に秀吉に後見人
になってもらって天下統一出来る人間がいたの?信孝は柴田についたしねえ
柴田や丹羽では到底できっこない、秀吉のどこが悪行なの?
備中高松城攻め??水攻めで落城させたのがどこが悪行なの?お前らの頭で
は炎にまみれて力攻めをするというのが正当なのかなあ?
63人間七七四年:2007/02/19(月) 22:27:17 ID:sxlyh/y6
クソ漏らし家康と比較して秀吉のこととやかく言う連中は、本能寺の変後
まずか8年で天下統一という偉業が羨ましいだけでしょ、クソ漏らしなん
て中央の権力潰しただけの天下だもんな。

関ヶ原後の毛利や上杉などの改易、豊臣一族をことごとく冷遇などクソ漏
らしの悪行は悪行じゃないわけ?
天下太平の為に、他大名の力を削いできたのは秀吉よりクソ漏らしの方が
多いんだよなあ。
64人間七七四年:2007/02/20(火) 06:34:29 ID:DNO8J/5Y
どうして秀吉厨は↑みたいなのが多いの?
65人間七七四年:2007/02/20(火) 06:48:36 ID:eRV26dWw
いくらなんでもこの馬鹿を混ぜては秀吉厨に失礼。
66人間七七四年:2007/02/20(火) 07:02:54 ID:OcqSL3Hj
メガトンは武田厨でアンチ家康なだけだろ。秀吉厨にしてもこんな奴に擁護されるのは
迷惑なだけだろうな
67人間七七四年:2007/02/20(火) 14:26:30 ID:Xr6RyoFI
↑ ↑ ↑  と、精一杯の反論しか出来ないクソ漏らし厨でしたwww
68人間七七四年:2007/02/20(火) 14:53:47 ID:Xr6RyoFI
>>13300年に及ぶ江戸幕府の間、豊臣がどれだけ一方的に悪者
にされてきたかを全く知らないんだねえ、豊臣は過大評価では無
く明らかなイメージ改善

>>15クソ漏らしのそれと比較してるわけ?秀吉は天下統一に忙し
かったし、刀狩を忘れてもらっちゃ困るね、農民を冷遇している
とは限らないよ。
69人間七七四年:2007/02/20(火) 16:52:41 ID:RLIrYM5L
どう考えても徳川史観のほうが問題だよなw
70人間七七四年:2007/02/20(火) 19:22:26 ID:97q7bW7W
つーか秀吉自身が織田の天下を乗っ取ったことを
忘れてないか?
自刃に追いこんだり領地を取り上げたり。
亡君の遺子も何もあったもんじゃない。
71人間七七四年:2007/02/21(水) 00:03:39 ID:/u9eCiWc
似たようなことやってて責められないのは秀吉の人徳だろうな
秀吉はその豪放なキャラ(半分以上は演出だと思うが)で色々得してる
72人間七七四年:2007/02/21(水) 00:50:20 ID:IE1wbwUV
結果滅んだからだろ
73人間七七四年:2007/02/21(水) 03:36:11 ID:U8QIianl
>>70
そこが最大の違いだろ
明智倒し清洲会議からの流れで正統的に乗っ取るか
「国家安康」などという幼稚な言いがかりをつけて乗っ取るか
74人間七七四年:2007/02/22(木) 03:41:50 ID:cTkkX8CQ
>>72が清洲会議での秀吉の主張も強引という意味では全然変わらんよ。
何でそこまで美化できるのか本気でわからん。
75人間七七四年:2007/02/22(木) 03:43:39 ID:cTkkX8CQ
>>72
それが真理なんだがね、わからん人もいる。

ついでに上のレスでアンカーが混ざってしまったスマソ。
76人間七七四年:2007/02/22(木) 05:07:32 ID:hF59YGSB
>>74信長直系の三法師を擁立したんだから、十分に秀吉の
方が正当に決まってるだろ、それに柴田や丹羽や滝川に天
下を統一することが出来るの?
77人間七七四年:2007/02/22(木) 06:49:37 ID:0lbcgz1V
家康も関ヶ原までは良かったんじゃないかな
五大老筆頭という秀吉から正式に政権執行を依頼された立場で、
筋目で言えば三成よりもしっかりしてる
戦後もしっかり秀頼の顔を立ててるしな
大坂の陣はちょっと・・・ねw
78人間七七四年:2007/02/22(木) 09:27:17 ID:uHeDr+7m
信忠が生きていて、信忠から権力を奪って殺したら後世の評価は悪かっただろうね。
後見として実権を握れる三法師だったからこそ今の評価だったのかも。
79人間七七四年:2007/02/22(木) 17:48:44 ID:1hdsoNZ2
秀吉の遺族よりも、信長の遺族のほうがマシだった…
としか思えない。

織田家に淀や秀頼みたいなのがいなくてよかった
80人間七七四年:2007/02/22(木) 18:56:55 ID:uHeDr+7m
淀の方はある意味信長の血を引いてますが。
81人間七七四年:2007/02/22(木) 19:55:00 ID:hF59YGSB
信雄・・・・・安土城を燃やすwwww
信孝・・・・・強引な戦馬鹿の柴田を後見人にwwww
信忠・・・・・こいつの頼りなさのせいでクソ漏らし長男はwwww
82人間七七四年:2007/02/22(木) 20:14:53 ID:2hAU1lVP
ID:hF59YGSBの人よ 少し落ち着いてくれないか。
罵りあいは、いつでも出来るのだから。
83人間七七四年:2007/02/22(木) 22:17:01 ID:y7/3kdMg
って言うか信長が、信康が信忠より優れてるのを悲観して
難癖つけて殺させたなんて俗説をまだ信じてるのかこいつは。
84人間七七四年:2007/02/22(木) 23:05:23 ID:cTkkX8CQ
>>82
コイツはメガ豚って言ってスルーが肝心の人物。
85人間七七四年:2007/02/22(木) 23:41:51 ID:0lbcgz1V
信孝は最初に反抗した時は許されてるのに二度も歯向かってアホ過ぎ
中途半端に小利口なだけに信雄より性質が悪い
86人間七七四年:2007/02/23(金) 04:29:46 ID:FfMwOb5Z
>>74
どこが強引なんだよ。
普通に重臣会議の結果なんだが。
次男がいるのに三男をおす勝家のが意味不明だし。

家康厨に言わせれば、話し合いの結果決まったことと
国家安康の幼稚な言いがかりが、同レベルになるらしいなw
87人間七七四年:2007/02/23(金) 09:10:30 ID:mzo+PzCe
竹中重門の「豊鑑」はどの程度偏向してるんだろ?
88人間七七四年:2007/02/23(金) 09:26:29 ID:msvXIcHn
なぜ次男がいれば三男を推すのが意味不明なんだ?
信長自身長男ではないし、そもそも織田本家でもないのだが。
89人間七七四年:2007/02/23(金) 12:05:47 ID:ijeoSWKZ
嫡男が死んだ以上、誰をプッシュしても構わないわけで
90人間七七四年:2007/02/23(金) 12:19:15 ID:1uD1cqfV
そもそも三法師がまだ三歳なのと秀吉が後見役をやるっていうから柴田が怒ったんでしょ
少なくともこの段階で秀吉の黒い意図が見え隠れしてるよ
91仙台藩百姓:2007/02/23(金) 12:32:27 ID:OYjSnyeQ
よく信孝が有能だったような事言ってる人いるけど
たいした実績もないし信雄あたりと大差あるようには思えない
92人間七七四年:2007/02/23(金) 12:43:09 ID:tzhz60+p
>>90
いや、まあ柴田も三男の後見として実権握ろうって魂胆だろうから同類だけどね。
93人間七七四年:2007/02/23(金) 12:45:27 ID:tzhz60+p
ん、それでもまだ柴田には
「柴田政権」みたいな考えは無かったのかな?
どうもそこらへんはよく知らない。
織田政権の中で権臣となろうとしたのか主家乗っ取りを既に計っていたのか。
94人間七七四年:2007/02/23(金) 12:54:47 ID:Iet1f3it
そんなの後世の我々からはわかるはずもない
95人間七七四年:2007/02/23(金) 14:31:56 ID:1uD1cqfV
>>92
いやいや三歳児の後見人と一応成人してる三男の後見人とは大分違うでしょ
三歳児の後見役なんか事実上後見役が全て実権握れるんだから
96人間七七四年:2007/02/23(金) 19:59:14 ID:4sEyVZTw
>>90 だ か ら あの時点で秀吉以外に織田家と天下を統一出来る
人材がいたのかよ、何でそれに答えられないのかなあ?
戦国の動乱で国中がようやく収まりかけつつある中、また凡将のせい
で群雄割拠でもなったら民衆はたまったもんじゃない、秀吉の行為は
正当そのもの
97人間七七四年:2007/02/23(金) 20:00:33 ID:4sEyVZTw
>>90  筆頭家臣が後見をやらなければいけないなんて理屈は無い
んだよ、柴田は自身の身勝手から一方的に怒っただけ
98人間七七四年:2007/02/23(金) 21:52:31 ID:Iet1f3it
当主が幼児であろうが成人であろうがあの時代、
本人に器量と後ろ盾が無い限り家臣の傀儡になることは珍しくなかった
それに勝家はとりあえず措いとくとして信孝は織田家を牛耳る気満々だったろう
清洲会議で後継者争いに敗れた後、秀信を擁立して秀吉に宣戦布告してるわけだから
99人間七七四年:2007/02/23(金) 23:24:45 ID:iCv1DPfk
>>96
秀吉は動乱を収めようなんて考えていないだろ
国内で動乱を起こせなくなったら海外で起こしてでも死ぬまで戦がやりたかっただけ
別に秀吉がいなくても勝家でも家康でも最終的には統一されているよ
100人間七七四年:2007/02/24(土) 00:24:56 ID:kxvtvBWC
>>99 ほ〜〜らこれだ、お前気は確かか?
秀吉はたった8年で統一したんだよ、無駄に血を流さずにね、で?
戦下手の柴田がどうやって天下を治めるの?ボクちゃんwwwww
能登加賀越中での強引な力攻めをなんとも思わないのかなあ?
そして当時力の弱かったクソ漏らしがどうやって天下を取るわけ?
教えてねボクちゃんwww
まさか
101人間七七四年:2007/02/24(土) 00:32:09 ID:kxvtvBWC
柴田では毛利を抑えることは出来ません、四国九州の諸大名が信長
のいない今こそ!!と思うのは当然だったでしょうね、おまけに雑
賀衆や一向宗の残党なんかも抑えなきゃならない、何より東の真田
クソ漏らし、伊達北条に対してはどうするのだろうか?
102人間七七四年:2007/02/24(土) 00:45:46 ID:5TQWMDPM
さすが太閤史観スレ
103人間七七四年:2007/02/24(土) 00:57:48 ID:Qy7ZPDgG
勝家は清洲会議の時点で既に60歳超え、
あの時代でいえばもう何時死んでもおかしくない年齢
後を継ぐ優秀な一門も居ないし、
秀吉がいなかったとしても存命中の天下統一は難しいだろう
次は家康だが、この人も本能寺の変のドサクサに紛れて
主の居ない甲信を接収したのは立派だが、そこで足踏みしてるもんなあ
既に成立してる中央政権を巧みに簒奪することはできても、
信長・秀吉みたいに自ら日本全国を駆け巡って覇権を確立するようなタマじゃないだろう
やっぱあの時代には秀吉しか居なかったと思われ
104人間七七四年:2007/02/24(土) 05:46:49 ID:RVjoJ8iW
家康は、織田・豊臣まで通して「外様大名」だったことを重視すべきだと思う
105人間七七四年:2007/02/24(土) 13:01:20 ID:GrxFBygx
>>96
全く同じ事が大阪の陣の家康にも言えるわな。
一向に頭下げない反乱分子など潰されて当然。
106人間七七四年:2007/02/24(土) 13:13:02 ID:Kh/pe1cr
しかしあれだ、柴田が戦下手なんていう奴は一体どういう基準で考えてるんだろうね
107人間七七四年:2007/02/24(土) 18:13:58 ID:kxvtvBWC
>>105 タコ助はこれだから困るんだよねえ、クソ漏らしは散々内部工作
しておきながら、何で最後に力攻めをするんだろうか?何で最後まで調略
で大坂城を落とさなかったんだろうか?勝てたから良かったものを負けた
りしてたらその後のこと考えたりしなかったのだろうか?
108人間七七四年:2007/02/24(土) 20:51:46 ID:azXSaUBi
>>107
いくら注意しても聞かない子を、ひっぱたいたまでのこと。織田さんちの子は、ちゃんと言うこと聞いたのにね。
109人間七七四年:2007/02/24(土) 22:33:54 ID:TkeClEnf
負けた場合のことなんてなにも考えず朝鮮で自爆したのが秀吉だろw
110人間七七四年:2007/02/24(土) 22:47:08 ID:QCHBA5Ma
勝家は世間一般の評価でも猛将だろ
むしろそのイメージが強すぎて治績が評価されないのが哀れ
比較対象が秀吉だから分が悪いだけ
111人間七七四年:2007/02/25(日) 02:15:26 ID:LVHPQUrg
>>107
お前さんを相手にするのと同じ事だよ、

もうちょっと利口な奴ならまともに話してある程度は理解の出来るところまで話を持っていくことも出来るが
想像以上のバカが相手ならNG登録して消すしかないんだよ、
わかったらコテ名乗れメガ豚。
112人間七七四年:2007/02/25(日) 02:21:08 ID:Lk3hI7WB
>>108
どうでもいいが子供を虐待する親は全員
「言うことを聞かない子を叱りつけただけ、これは正当な教育です!」
って主張するそうなw
まあそんな理屈は通用しないわけだが
113人間七七四年:2007/02/25(日) 03:40:55 ID:KKNcTzOR
>>111
結局最後まで内部工作出来ないクソ漏らしの戦下手とみてOK?
114人間七七四年:2007/02/25(日) 03:44:19 ID:9ukBmrnX
おk
115人間七七四年:2007/02/25(日) 05:02:13 ID:LVHPQUrg
早漏だな・・・こんな過疎スレで真夜中に3分でレスすんなよ・・・。
116人間七七四年:2007/02/25(日) 06:12:40 ID:rbphurWR
メガ豚がんばってるなあ。。。
117人間七七四年:2007/02/25(日) 12:54:06 ID:SVMT1AsA
>>113
唐入りで一つの内部工作もできずに終わった秀吉の立場はどうなるんですか?
118人間七七四年:2007/02/25(日) 13:19:29 ID:aJ1xR+uk
>>113
>最後まで内部工作出来ない
ここまではおk
でもそれが戦下手なのか謀略下手なのかはわがんねえ
そこは君の好きな豊臣側の結束が固かったって妄想もいいんじゃね
119人間七七四年:2007/02/25(日) 16:59:08 ID:IytxncNw
豊臣家が滅んだのは秀吉の自業自得。
不意に暗殺された信長と違って、ちゃんと時間はあったはずなのに何やってたんだか…
120人間七七四年:2007/02/25(日) 17:08:30 ID:CnMbqS22
つか、そもそも譜代の家臣のいない豊臣政権なんて秀吉以後に存続できるわけ
ないじゃん。関が原で西軍が勝ってても遠からず瓦解だよ。
豊臣「恩顧」の大名なんて殆どいないから。
121人間七七四年:2007/02/25(日) 17:18:41 ID:Z+nSRrPs
自業自得て言えば自業自得だけど存命中に謀反を起こされた信長と死後に
裏切られた秀吉を比較するのは可哀想な気がする。正直家康より利家が
長命だったら豊臣政権が続いていたかもしれないし
122人間七七四年:2007/02/25(日) 18:02:13 ID:KKNcTzOR
>>120 

関ヶ原で負けたらクソ漏らし率いる東軍の方が改易されたりしていくんだよ、
武断派は崩れ、三成や小西などが先頭にたって、統治していくのは目に見え
ている、そもそも家康と対立したくないが為に止む無く東軍についた諸将は
多いわけでね。

中央の武断派がいなくなれば、必然的に内政に力を注いでいくのは目に見え
ている。
123人間七七四年:2007/02/25(日) 18:07:05 ID:9ukBmrnX
秀吉配下のうち病死した秀長、秀次、秀勝、秀保、利家、長秀、隆景、氏郷、秀政の
誰か一人でも長生きなら家康の天下は無かった
秀吉、信長もたいがい運がいいが家康ほど幸運な奴なんてそうそう居ないだろ
124人間七七四年:2007/02/25(日) 18:12:17 ID:Z+nSRrPs
>>123
運も良いけど好機までずっと辛抱できたつうのも大きいかも、ただ秀吉
全盛期は天下への野心は持ってただろうけど、信長の全盛期はゴールを
どのあたりに想定してたんだろう、家康って
125人間七七四年:2007/02/25(日) 19:49:49 ID:LVHPQUrg
>>121
その利家だってどこまで信用できるというのか、
コイツこそ裏切りで名を上げた人物なわけで。

自分の政治的な立場の主張はしていたものの、あっさり家康となあなあになってるあたり
本気で豊臣を守るために先陣切ろうとしていたようにはどう考えても思えない。
126人間七七四年:2007/02/25(日) 21:22:52 ID:IytxncNw
誰が滅ぼしたわけではなく、自滅したんだろ。
仮に家康がいなくても同じような道たどったと思うよ。

似たような状況でも織田家や維新後の徳川家は、ちゃんと生き残れたんだから、やられる側に落ち度があったとしか思えない。
127人間七七四年:2007/02/25(日) 21:27:28 ID:iZxLhMkT
>>125
周知のことだが前田こそ与力だった柴田を見捨てて
保身を図った人物だしな。
誉められたもんじゃない。
128人間七七四年:2007/02/25(日) 21:40:17 ID:Z+nSRrPs
>>125
そうは言っても利家存命中は家康も行動には出なかった事を考慮するとやはり
家康より利家が長命であった方が豊臣家存続の確率が高かったと思う。家康
よりも利家の方が平和的に簒奪しそうだし
129人間七七四年:2007/02/25(日) 21:41:19 ID:Cj2s+qH1
>>128
そうかな?
利家はけっこうえぐいぞ。
130人間七七四年:2007/02/25(日) 21:57:29 ID:LVHPQUrg
>>128
え?目茶目茶行動に出てるよ、家康、婚姻外交結びまくってる。

だから利家が詰問したんだが・・・まぁ何故かなぁなぁで終わってしまったけど。
131人間七七四年:2007/02/25(日) 22:06:44 ID:Z+nSRrPs
>>130
詰問できただけでも意味はあると思う、利家死後だと誰もそんなこと出来ない
状況だし。
132人間七七四年:2007/02/25(日) 22:31:09 ID:Lk3hI7WB
利家は利長に自分の死後三年は軍勢を率いて大坂に残り、
秀頼に叛意を抱く者(勿論状況から考えて家康だろう)を牽制すべしと言い残してる
家康=利家のトップ会談でどのような会話が行われたかは定かではないが、
少なくとも利家自身は最後まで家康への対抗姿勢を崩さなかった
彼が生きてれば家康の簒奪を防げたかどうかはわからないが、
三成を相手にするよりはよほど厄介だったというのは衆目の一致するところだろう
山岡荘八の徳川家康では泣きながら家康に前田家の行く末を頼んでるけどなw
133人間七七四年:2007/02/25(日) 23:03:08 ID:cXUEhOdW
どうだろうな。
関ヶ原で西軍の総大将の役割を演じてもらうには、毛利よりさらに適役だった気もするな。
没収する所領も多い上に中央寄りだし。
134人間七七四年:2007/02/25(日) 23:26:39 ID:Z+nSRrPs
つうか利家が西軍の総大将なら西軍が勝ってるよ。三成と利家が協同するって
のは想像つかないけど
135人間七七四年:2007/02/25(日) 23:31:11 ID:SVMT1AsA
利家総大将就任→即効で病死→戦う前に西軍崩壊
136人間七七四年:2007/02/25(日) 23:32:57 ID:LVHPQUrg
>>133
同意、またもともと上杉より先に前田を攻めようとしてたしね、
もしも利家が本当に関ヶ原の大将になるというのであれば、あえて上杉を敵に仕立てる必要性も無いし。

だけど俺は利家はそこまで先が見えない男だとは逆に思えないな、
賤ヶ岳でもそうだけど、死ぬ直前の立ち回り見ても客観的な情勢を見抜く能力は長けてるよ、
現代の政治にも繋がる事だけど、こういう立場の人間は本当に矢面に立っちゃたら意味が無い。

>>134
そうかな、三成もそうだけど上杉だって毛利だってどうだか。
こいつらが揃って徳川につく代わりに福島辺りの尾張閥が西軍につく形の
関ヶ原になる可能性もある。

この形で勝ったほうが家康としては手っ取り早いな。
137人間七七四年:2007/02/25(日) 23:50:35 ID:Lk3hI7WB
利家が生きてても上杉も毛利もそしてもちろん三成も反徳川だということは変わらんよw
実際に秀吉死後の家康の専横に対し利家が異議を唱え、
家康と利家の屋敷にそれぞれの支持大名が集まり一触即発になったことが有るが、
利家の屋敷に集結したメンバーの中には毛利上杉宇喜多の三大老、
浅野前田増田長束石田の五奉行、両加藤浅野細川といった武断派連中が居たわけだからね
まあ実際に戦になって西軍が勝った後仲良くやってけるかどうかは疑問だが、
家康という巨大な敵と利家という軸が有る限り結束が崩れることは無いと思われ
138人間七七四年:2007/02/26(月) 00:05:01 ID:Jr6uS+Bv
史実であれだけ西軍の足並みが乱れたことを思えば、利家がいるだけで固い結束になるとは思えないのだが。
139人間七七四年:2007/02/26(月) 00:11:31 ID:kdQGf7Xy
さあねえ
所詮はifだからね、「思えないんだが」と言われても「自分は思うよ」としか返せないわけだがw
まあ君はこのスレよりもどちらかというと姉妹スレの東照大権現史観スレ向けの人材だということはわかる
140人間七七四年:2007/02/26(月) 00:16:59 ID:XrBo4JPi
毛利も上杉も家康に対する政治的な存在感を主張する必要はあるという利害関係から
詰問するというレベルの事であれば意見も一致したが、
実際にそこで利家を立てて豊臣を守る事にどこまで利を感じてたかはかなり疑問、
実際それで動くくらいなら史実でももっと積極的に動いてるだろうし。

政治的な主張のレベルならともかく軍事的な行動にいたるところまで
上杉や毛利が利家を立てる理由があるようには思えんよ。

また福島らにしても史実ほど積極的には家康につかないものの、婚姻の時点で
家康も立ててしまってるだけに単に消極的になるだけになる可能性も高い、
三成は利家も信用してない。

関ヶ原より酷い事になる可能性もありうる。

何より利家という人物がこんな情勢で博打に出れる人物ならむしろ前田家が天下とるよ。
そうじゃないからこそ大藩が残った訳で。
141人間七七四年:2007/02/26(月) 00:18:53 ID:Jr6uS+Bv
思うならその根拠は?
毛利が総大将でも、小早川は裏切っているのに、前田が総大将で固い結束になるというならその理由を聞こう。
142人間七七四年:2007/02/26(月) 00:23:38 ID:kdQGf7Xy
あのねえw
戦争の前に利家という反徳川派の旗頭が死んでるのに全然影響が出ないわけ無いだろ
毛利にしろ本来は自分で起つつもりはなく、三成に推されてしょうがなく大将になっただけなんだから
「関ヶ原の前に家康が死んでも徳川が天下を獲ったと思うよ」くらいアホな意見
143人間七七四年:2007/02/26(月) 00:29:30 ID:Jr6uS+Bv
利家が生きていたら、西軍が固い結束になるという根拠を聞いているのだが。
影響が皆無かどうか、なんて誰も聞いていない。すりかえないように。
144人間七七四年:2007/02/26(月) 00:31:05 ID:jzL0SeDR
利家はなんだかんだ言っても尾張からの古参だから利家が総大将なら福島や
加藤は利家に着く可能性が高い、上杉が動く可能性は低くなるかもしれんが
功名に出てた連中もあんなに簡単に家康に寝返ったかも微妙、何より関が原
の決戦にもっていくのが難しく時間をかければ利家なら秀頼を担ぎ出せたか
もしれんので。まあ毛利と同じく三成に担がれる様な経緯なら史実と結果は
同じかもしれんが
145人間七七四年:2007/02/26(月) 00:39:46 ID:kdQGf7Xy
利家が居るか居ないかで影響が有ることは認める(もちろんそれは認めるよね?)のに、
利家生存ifの西軍の方が史実の西軍より結束が固くなることは認めないの?
関ヶ原本戦(利家生存ifだと戦の経緯そのものが大きく変わるだろうから、
史実みたいに「関ヶ原の戦い」が起こらなくなる可能性は有るが、
ここでは家康と反家康派の決戦だという意味で想定して欲しい)
に前田100万石の大軍と桶狭間以来の歴戦の武将である利家が居るだけで
西軍の安心感と東軍に与える威圧感は全然違うと思うが?
まあ少なくとも史実の輝元のように大坂城に籠りっぱなしということは有るまい
146人間七七四年:2007/02/26(月) 00:53:49 ID:kdQGf7Xy
>>144
加藤はともかく福島はそれでもやはり家康に付く可能性が高いと見る
既に指摘が有ったように利家生存時でも家康と婚姻を結んでるし、
家康と利家が一触即発の危機に有った時も利家ではなく家康を支持してる
既に福島は引き返せない位置まで逝っていた
147人間七七四年:2007/02/26(月) 01:11:08 ID:jzL0SeDR
>>146
その割には関が原戦後の立ち振る舞いが福島は微妙すぎる。そういう曖昧な
点を考慮すれば、利家の場合毛利と違って大坂に籠ることはないので対家康
の場合尾張を拠点にしそうだから福島は利家に着くと思う。
148人間七七四年:2007/02/26(月) 01:14:00 ID:XrBo4JPi
>>145
影響は良い方向にだけいくとは限らない。

上杉も前田も毛利もおたくが思ってるほどこの時点では反徳川じゃない、
だからこそ史実でもあの流れになった訳で。
149人間七七四年:2007/02/26(月) 01:34:44 ID:jzL0SeDR
>>148
この時点てどの時点のことよ、関が原戦前夜なら毛利はともかく上杉は完全に
反徳川だけど
150人間七七四年:2007/02/26(月) 01:41:59 ID:kdQGf7Xy
>>148
関ヶ原の合戦は豊臣政権の継続を望むものと徳川政権の創始を望むものの対決、
所謂文吏派と武断派の豊臣政権での主導権を巡る内訌、
朝鮮出兵で骨折り損のくだびれ儲けだった諸大名のための領土再分割という側面の他に
強力な中央集権体制を欲する勢力と地方分権を維持したい勢力との対立が有ったと近年指摘されてる
前田も利家個人としてはともかく前田家としてそこまで豊臣政権に義理立てする理由も無いし、
毛利や上杉が家康個人が憎くて、豊臣やまして前田に望んで天下を任せたいと思ってたわけでもない
これは確かにその通り
ただ家康が名実共に天下の覇者となり豊臣政権とは別の政権を構築した場合、
秀頼という幼君の下五大老という名の緩やかな大大名の合議制で
政権を保持していく形と比べて相対的な地位低下は明らか>毛利&上杉
だからこそ利家死後に軟化して徹底的に徳川に臣従した前田家を除いて五大老全員反徳川に回ったんだよ
結局のところ家康が豊臣政権簒奪の意志を露にする限り
「家康とそれ以外の大大名連合」の対決は結局避けれなかったと思う
長文失礼
151人間七七四年:2007/02/26(月) 01:51:51 ID:DtD5dQTM
>>150
正解
152人間七七四年:2007/02/26(月) 02:09:45 ID:9UuRlyB5
ここ最近の家康厨は、ほんと病気だろ
秀吉がいなくても家康が天下取ってたとか
前田が生きてても家康が天下取ってたとか
153人間七七四年:2007/02/26(月) 02:12:00 ID:TyUjNtnI
加藤や福島は三成がいる限り西軍には行かないだろ。
154人間七七四年:2007/02/26(月) 02:16:17 ID:jzL0SeDR
>>152
家康厨は確かにおかしい、人の寿命なんてわからんのだから自分が先に死ぬ
可能性もある、利家が生きてても家康が天下取れるのなら存命中に動いてる
はずなのにしなかった事から類推できないのだろうか
155人間七七四年:2007/02/26(月) 02:39:06 ID:XrBo4JPi
>>150
じゃあ何故徳川が上杉を潰そうとした時に反論できなかったの?

関ヶ原で敵に回ったのは三成が決起した結果であってそれがなければ
上杉はなぶり殺しにされてたわけだが。
156人間七七四年:2007/02/26(月) 02:45:24 ID:XrBo4JPi
>>jzL0SeDR
俺にレスしないでくれ、
返す気が無い。
157人間七七四年:2007/02/26(月) 02:57:24 ID:kdQGf7Xy
反論するも何も家康が上杉を討つと騒いでた頃には
既に三成や秀家、恵瓊や行長といった西軍首脳たちは打倒家康の計画を練って実行に移してたでしょ
家康が軍勢を率いて上杉征伐に出かけてる間に畿内で決起し、
秀頼と朝廷、各大名の人質を抑えて孤立した家康を叩くという計画だったはず
もし利長があっさり屈服せずに家康が前田征伐の軍勢を起こしてれば
上記の面子に上杉を加えて決起してただろうね
ちなみに上杉自身は家康の難癖に対して根拠が無いとして反論してた
まあ当たり前だが
158人間七七四年:2007/02/26(月) 03:38:19 ID:XrBo4JPi
>>157
>>結局のところ家康が豊臣政権簒奪の意志を露にする限り
>>「家康とそれ以外の大大名連合」の対決は結局避けれなかったと思う

本当にこうなるなら毛利も上杉も何も関ヶ原のような賭けに出ずとも、
豊臣政権の中でしっかり反論すればよかった訳で、
家康は無理矢理上杉を討つ為に言いがかりをつけたのに、反論が長束らの声のみだったため、
結局豊臣からも天皇からも支持される形での上杉討伐になってしまった、コレが後々まで尾を引くことになる。
所詮は反徳川なんてものがそうそう上手く機能していたわけではないということは史実が証明してるかと。

上杉にしても自分に矛先が向けられた史実ですらまともに徳川を追撃せずに自分の領土拡張に励もうとしてる訳で
一緒になって前田から旧領を奪おうとしようとしてもおかしかない、
更には加賀征伐の密告は五奉行が動いているし、利長が豊臣に助けを求めても豊臣は動かなかった、
さらには史実であの通りだった毛利でしょ、まとまる訳が無いと思う訳だが。
159人間七七四年:2007/02/26(月) 04:28:53 ID:U+uTaqKM
まあ全ては、クソ漏らしの野心さえなければ、五奉行や五大老がなんとか
内政にいそしんだわけであり、武断派のマヌケな連中は抑えられる形だけに
終わったわけであり。
160人間七七四年:2007/02/26(月) 23:11:13 ID:kdQGf7Xy
四大老・五奉行が連名で家康を弾劾しても
利家が単身家康邸に詰問に逝っても
奉行衆が「内府ちかひの条々」で家康を告発しても
前田や上杉が家康の難癖に理路整然と反論しても、
当の家康本人は全然聞く耳持たなかったじゃんw
「豊臣政権内でしっかり反論を・・・」と言っても
既にこの時点で豊臣政権は完全なカオス、
五大老筆頭として秀吉に政権を託され、
本来なら秀頼成人まで諸大名を厳しく統率すべき立場の人間が
主君が幼君なのをいいことに進んで約定違反をしてるんだから政権が混乱するのは当たり前
こういう状況で家康に反感を抱く立場の人間に出来ることは武力を以って家康を除くことだけだし、
また家康も来るべき自分の政権で巨大な野党に成り得る豊臣政権の大大名をそのまま看過する気は毛頭無かった
既に両者の決戦は避けれない状況なのに律儀に「反論」する馬鹿がどこに居るのよ
161人間七七四年:2007/02/26(月) 23:19:10 ID:4oI2l9LT
五奉行・五大老といっても家康と三成以外はとても天下の内政をつかさどる力量などありはしない
利家なんかも政治力を買われて入れられたわけではないしね
結局どうあがいても家康対三成でその他は蚊帳の外の状況になる
162人間七七四年:2007/02/26(月) 23:30:25 ID:kdQGf7Xy
そりゃ結果論でしょ
利家死後に家康と三成がそれぞれ古今未曾有の大軍を率いて関ヶ原で激突して、
家康が勝利し最終的に江戸幕府を築き上げたからそう思えるだけ
関ヶ原の決戦前では家康は
「ちょっと戦が上手いだけの人の良い(その化けの皮も剥がれつつあったが)親父」
三成は「殿下の威光を笠に専横する小役人」でしかなかった
秀吉が生きてる時に諸大名が戯れに秀吉死後誰が天下を獲るかで議論した時
一番名が多く挙がったのが利家だと言われてるし
(秀吉本人が如水が一番恐ろしい、と逝ってオチが付く)、
蒲生氏郷は生前家康のことをケチ臭い奴で天下の大権を任せるには足らない男だと
実際の歴史を知る我々から見れば噴飯ものの感想を残してる
ま、長くなったが利家が実際に天下を獲ったらどうなるかなんてのは所詮は妄想だけど、
生きてるうちの評判は悪くなかったどころか下手したら家康を凌ぐくらい良かったってことで
163人間七七四年:2007/02/26(月) 23:34:07 ID:Jr6uS+Bv
>生きてるうちの評判は悪くなかったどころか下手したら家康を凌ぐくらい良かったってことで

それはあくまで、秀吉が「生きているうちの」評判な。
秀吉が死んで、本気で天下獲りに動き始めた家康の前には、たいした活躍できなかったという史実が残るだけ。
164人間七七四年:2007/02/26(月) 23:57:04 ID:jzL0SeDR
>>163
とは言え決定的な蜂起を家康にさせなかったと言うのも事実、もし利家の方が
長命だったら徳川幕府はなかった可能性は高いのだからやはり凄い男だよ。
165人間七七四年:2007/02/27(火) 01:51:14 ID:BHEWw3+H
利家が家康より長生きしたとしても、
利家の家康化はなかったということか
166人間七七四年:2007/02/27(火) 02:37:04 ID:cZjEPxU5
利家が生きてる間は家康も「たいしたこと」は出来なかったけどなw
精々「別に若い連中の結婚の斡旋くらいしてもいいですやん、北政所様もOKしてるんやし」くらいのこと
家康が長政・三成を失脚させて前田や上杉に喧嘩を売るのは利家死後のこと、
慎重な家康だから利家に自分から仕掛けたら負けると冷静に値踏みしてたに違いない
167人間七七四年:2007/02/27(火) 03:04:53 ID:Q2Bpusco
家康が利家がいようと天下簒奪に向かって動いていたという記録は残ってても、
家康が利家との戦を避けたというのは状況証拠すら定かではないと思うのだが。

家康の計画にあまりよどみが生じてない辺りからも、家康は利家がいようと実行はしてたと思うが。

まぁ最もそうなったところで利家は総大将に引きずり出されるようなちゃちな奴じゃないと思うが。
うまくかわして情勢を見守るという方が余程利家らしい。
168人間七七四年:2007/02/27(火) 03:14:35 ID:cZjEPxU5
「思うのだが」と言われても自分は「思わないよ」としか(以下略
結局は利家生存というifの上での話しなんだから幾ら話しても結論が出るわけがないわなw
169人間七七四年:2007/02/27(火) 03:16:08 ID:9FWjB3dB
利家ごときにボコられる家康が目に浮かぶわw
170人間七七四年:2007/02/27(火) 06:55:47 ID:OvNG8TFj
>>168
あんた、都合が悪くなるといつもそういって逃げてるなw
171人間七七四年:2007/02/27(火) 07:18:21 ID:11jSNJMj
利家が家康に掣肘を加えたというのも史実ではあるんだよな
172人間七七四年:2007/02/27(火) 08:55:28 ID:6xZbzItV
逃げてるのはどう考えても利家を過小評価してる人たちだろw
173人間七七四年:2007/02/27(火) 20:27:23 ID:WvoUZoKa
利家は命を賭けて家康と戦をする気があったのか
利家は指揮官としてどれ程の能力を持っていたのか
人によってこの認識が異なるので議論が噛み合わないんじゃないか?
174人間七七四年:2007/02/27(火) 21:47:51 ID:zY9su6f2
赤母衣衆筆頭、前田利家の輝かしき業績(一部)
賎ヶ岳の合戦において、柴田勝家を見捨てる(勝手に撤退)
前田慶次により、水風呂に放り込まれる
(前田慶次は出奔、上杉に仕える)
175人間七七四年:2007/02/27(火) 22:15:13 ID:UpprsSqR
>>173
つうか史実として家康が利家存命中は蜂起しなかったのだから、利家が
の実力は家康も警戒していたのは明らかなのに何故そうややこしい方向
の考えるのか理解できない。
176人間七七四年:2007/02/27(火) 22:22:25 ID:OvNG8TFj
たんに蜂起する前に利家が死んだだけ、ともいえる。
秀吉死後、半年かそこらで死んでいるのだから、家康にとってもまだ準備段階だったろうに。
177人間七七四年:2007/02/27(火) 23:05:24 ID:EP59lX/f
家康の下準備が一年かかることを見抜いて病死して逃げ勝ち
利家の戦略的勝利といえるだろう
178人間七七四年:2007/02/28(水) 03:11:46 ID:lMR4mYk6
家康に対抗しうる可能性があった人物を全て過小評価するのは東照大権現史観の特徴だな
利家だけじゃなく秀長スレや秀次スレでも同じようなこと逝ってみんなに反論されてた
太閤史観を見直すスレなのに自分が別の極端な史観に捕らわれてるのは問題じゃないの
179人間七七四年:2007/02/28(水) 03:33:05 ID:uY5Oragj
ここでやってもいない議論の責任までを無理矢理追求されても困るんだが。

両方とも秀吉の血縁で、
関白をついでまがりなりにも二代目豊臣家を継ぐ正当な立場だった秀次と
秀吉のもとで数え切れないほどの武勲を挙げて、天下統一の立役者といっても過言じゃない秀長
彼らと所詮は家康と同じ立場でしかない、実績的にも軍事的な能力は大した事無い利家を
同列で考えるわけがわからん。

彼らがいたなら家康が天下を取る隙はなかったというのはわかる。
特に秀長と利家なんかケタが違うだろ。
180人間七七四年:2007/02/28(水) 06:41:34 ID:4SDMUpOa
秀頼が産まれた時点で、すでに秀次は正当な立場でもなんでもなくなっているのだが。
単なる豊臣一族の一員。
秀長を天下統一の立役者というのは、秀吉の過小評価。
秀長がいなければ秀吉の天下はなかったとでもいいたいのか?
181人間七七四年:2007/02/28(水) 07:17:19 ID:25br44AV
>>178
ならばおまいは前時代を貶める明治政府史観に
毒されてるんじゃあるまいか?
182人間七七四年:2007/02/28(水) 07:30:11 ID:9dhW285N
>>178のいうようなのもいるだろうな。でもソノ手の厨はどの武将にもいるわけだしな。
特別に家康好きだけということもない。
183人間七七四年:2007/02/28(水) 22:46:23 ID:uY5Oragj
>>180
関白就任と共に正式に豊臣家を継いでますが。

むしろ秀頼は先代の妾腹というだけで、本来で言うなら正当な継承者ではない。
無理矢理秀次を殺したからこそ継承者になっただけ。

>>181
なぜ?特に軍事的な面で利家のなにがたよりになるというのか
ということなんだが間違ってるか?
184人間七七四年:2007/03/01(木) 05:20:10 ID:Gde+6haX
秀次って豊臣家の家督継いでたか?
関白の位こそ譲ったものの豊臣家の家督も氏長者も権力も
全部秀吉が保持してたはずだが
軍事面での利家の実績についてはここでは改めて言わない
秀吉死後に利家ほど戦の経験を積んだ武将が家康以外に何人居たかって話だな
185人間七七四年:2007/03/02(金) 12:37:42 ID:BmqLbPCS
秀吉は串刺しという残酷な処刑を好んだという。
浅井長政の5歳の嫡男も秀吉によって串刺しにされている。
串刺し刑の残酷さは筆舌に尽くしがたい。
まさに人面ならぬ、猿面の悪鬼・秀吉!
また秀次事件では残忍な婦女子の殺戮を行う。
朝鮮出兵では罪もない老若男女を殺害し、耳鼻をそぐ
などの非道ぶり。黄金の茶室など悪趣味極まりなく
利休を自害に追い込む。などなど暴挙に暇がない。
極悪、非道、鬼畜、それが秀吉の世界だ!
分かったか!秀吉厨ども
186人間七七四年:2007/03/02(金) 13:14:52 ID:Za6Q86vv
堺屋団塊@勘違いの影響けっこう強いよな。
187人間七七四年:2007/03/03(土) 04:29:55 ID:OtzLpCna
>>184
家康ならともかく利家程度ならいっぱいいるがな、ほとんど自分大将で合戦して無いじゃん。

戦歴で言ってもむしろ息子の方が上な可能性すらあるくらい。
188人間七七四年:2007/03/03(土) 04:50:35 ID:ouRK7vih
小牧・長久手の戦いでは北陸で佐々成政の越中勢を打ち破ってるし、
小田原の陣では息子の利長、上杉景勝、真田昌幸らを率いて松井田城、厩橋城、箕輪城を陥落させてる>利家
信長や秀吉みたいな総司令官みたいな立場には一度も立つことは無かったが、
各地の方面軍司令官としては十分過ぎる戦歴だと思うぞ
一武将としての優秀さなら信長配下の遊撃隊として各地を転戦したこと、
勝家配下の北陸方面軍で一揆衆と激闘を繰り広げたことは言うまでもない
利長の方が上な可能性が有るってのは理解しがたいな
言ったら悪いが利長の戦歴なんて利家生前は全て利家のおまけ、
利家死後の関ヶ原では大谷吉継の謀略に踊らされて東北でうろうろしてただけじゃん
何か変な本に騙されてるんじゃないか?
189人間七七四年:2007/03/03(土) 20:29:20 ID:BsoaCxUY
>>187
それにとにもかくにも利家生前は家康が蜂起しなかったと言う事は後世の
イメージよりも同時代の人からは歴戦の兵のイメージだったはず、本当に
そこらにいる程度なら秀吉死後直ちに没落したはずだが、そうではないの
だから
190人間七七四年:2007/03/03(土) 22:40:52 ID:j+OCL3aQ
秀吉が死んでから利家が死ぬまで半年くらいだろ
朝鮮から兵を撤収する仕事だって残っているんだし誰であれ半年で蜂起なんてありえない
むしろ半年で婚姻政策の段階まで進めているんだから利家の抑止力も疑わしいのでは?
191人間七七四年:2007/03/04(日) 02:17:31 ID:biVQ9SKQ
利家過小評価派は碌な知識も無いんだから黙ってれば?
これ以上は既に荒らし
何回同じことを繰り返すのか
正直うんざりだ
いくら趣味板とはいえレベルが低すぎる
192人間七七四年:2007/03/04(日) 03:02:07 ID:MXHTeUoq
>>191
同意
もっと勉強しろといいたい
193人間七七四年:2007/03/04(日) 04:22:57 ID:9GS7tFcF
利家に実力がないとは言わんし、家康が利家を軽視していたとは思えないが、
自家保存の日和見主義的な側面がなかったとはいいがたいと思うのだが

あと、利家が生きている間から婚姻政策に見られるような家康の専横が始まってるのは事実だよ
194人間七七四年:2007/03/04(日) 13:00:32 ID:a0JK1b6h
1598年8月18日 秀吉死亡→朝鮮からの撤収が始まる
同年11月 露梁海戦で小西の撤退成功により撤収に目途が付く
同年12月には各大名が領国に帰還
1599年1月 家康が婚姻政策を開始
1599年2月2日 利家と和解→利家が病に倒れて危篤状態
1599年3月3日 利家死亡

天下を取るには武断派を日本に戻して利用することが絶対条件であることから
利家が病に倒れる前に挙兵することが不可能なのは確実だろう
過大評価派はそれを利家の能力と人望で抑えたと主張するし
過小評価派はそれを時間が短すぎるだけで下準備はためらいなく行われていると主張する
実際のところは利家が早く死にすぎなため評価不能だろう
秀吉の死後から約200日、武断派の帰国からだと約100日では判断のしようがない
195人間七七四年:2007/03/04(日) 13:09:03 ID:GKUPVIh6
ただ仮に、利家が長命していたとしても家康は勝負に出ていただろうな。
結果はわからんが、秀吉死去という最後のチャンスを見逃すとは思えない。年齢的にも。
196人間七七四年:2007/03/04(日) 16:38:38 ID:hh8GjlM0
>>194
妥当だね、だから利家の評価はその件以外の業績から判断すべき。
家康が利家に遠慮してる様子は欠片も見受けられない。

で、利家のそれまでの業績を見ても、
どう見ても関ヶ原で大将として一戦できるほどの実力があるとは思えないといってるのがこっち側の主張。
景勝や輝元のほうがまだ見込みはある。
197人間七七四年:2007/03/04(日) 17:31:01 ID:biVQ9SKQ
利長の方が利家より戦歴が上って宣まった後は景勝や輝元ですか・・・
この二人と比べるなら文句無しで利家の方が経験・能力共に上だろう
幾らなんでも利家のこと馬鹿にしすぎ
198人間七七四年:2007/03/04(日) 19:08:08 ID:XaZgvEu1
>>196
>家康が利家に遠慮してる様子は欠片も見受けられない。
まあその結果、利家に家康は詰問された訳だが。
しかも両者の下に揃った面子は圧倒的に利家派が多く、武断派も加藤・細川と多くの武断派が利家の下に集った。
頼みの武断派さえも利家支持が多いのだから論ずるまでも無いな。
199人間七七四年:2007/03/04(日) 19:54:12 ID:ybFkB+Qc
細川の場合前田派というより、徳川との板挟みがいやだから両者の和解希望派という感じじゃない?
200人間七七四年:2007/03/04(日) 22:01:07 ID:2m5MxGCb
まあ、輝元は領国がデカイというアドバンテージはあるかもしれんが景勝は
明らかに戦績からいっても格下でしょ?三成みたいな馬鹿じゃないから利家
は徳川との全面対決は避けたかもしれんが、もし対決を選べば輝元と違って
大阪城に引きこもりってことはないから徳川幕府はなかった可能性が高いね
それでも殲滅されることはないだろうから結局は長生きした方が勝つと思う。
201人間七七四年:2007/03/04(日) 22:38:38 ID:hh8GjlM0
>>200
景勝が特別凄いというわけでもないが、戦績で言うなら利家よりははるかに上だよ、
御館の乱から天正壬午の乱まで潜り抜けてるわけで。

つーか利家の戦績で何を根拠にそこまで褒めるのか理解できない。
ここって太閤史観を見直すスレでしょ?だったらまず初めに疑わないといかんのが
その元となった太閤記と自分と秀吉マンセーの加筆をした信長記を作らせた
こいつの一族だと思うんだが。
202人間七七四年:2007/03/04(日) 23:14:25 ID:rpD2cP3C
利家は内大臣家康に次ぐ大納言の地位にあって、
豊臣政権のナンバー3であることはれっきとした事実で、
しかも5大老5奉行というよりも、
実際は家康と利家の2大老を頂点とした集団指導体制も模索されていた、というような説もあるほどだから、
豊臣政権の実力者であった事は疑いようがない。

もし彼が生き続けたならば、家康の政権簒奪もどうなったかはわからない。
この点は俺は「利家評価派」の主張どおりだと思う。
少なくとも芳春院人質・事実上の徳川臣従という事態はなかったろう。
あったとしてもあんなに簡単に起こったとは思わない。

ただし、じゃあ家康が利家をどのように評価していたか、
というと残念ながら秀吉よりは格下としてみていたんだろうな、と思う。
家康という人は経歴を見てきたらわかるけど基本的に
「自分より強いものとは戦わないが、
勝てそうな相手と見ると途端に攻勢に出てきっちり利益を得る」
という傾向があって、このことは家康の織田家、及び豊臣臣従後の態度や、
逆に義元亡き後の今川家や信玄亡き後、
特に長篠合戦後の積極的な武田家への攻勢を見るとはっきりわかると思う。

その傾向から見ると、家康は利家を実力者と認めてはいるけれど、
秀吉に対するほどの恐れを抱いていたとは思えないんだよね。
外交を駆使して自分の側に振り向かせようとしたのか、
それとも敵対してでも勝利できると考えていたのかそこはわからないけれど。
203人間七七四年:2007/03/04(日) 23:27:09 ID:rpD2cP3C
あと利家の態度だなあ。

利家は確かに家康の婚姻政策に異議申し立てをして家康と対立状況に陥ったけれど、
結局両者の和解を図る細川忠興や嫡男利長の説得もあってか、
病気の身にある利家が、誓紙無視の遺法を冒した家康の元にわざわざ出向く形で和解してる。
(このとき>>198のいうように加藤とかも利家の付き添いとして参加してるよね)

そして臨終間際、今度は利家の見舞いに来た家康に、
「利長のことを頼みます」と遺言して死んでいる。
(異説として家康を暗殺しようとしていた、という説もあるけれど)

なんていうかなあ、病気のせいもあるんだろうけど、
露骨に政権簒奪にむけて動き出した家康に対しそれほど積極的な動きがないんだよね。
動いているけれど、あまり効果がない、というか。家康に舐められてるよね。

あと、
「利家が生きていたら家康に味方した武断派もどうなったかわからない」
というのはそのとおりと思うんだけど、
ここで大事なのは武断派の連中は何で家康に味方したのか、ということで、
連中は「太閤殿下の御側にあって勝手な戦指図をした三成の事が許せない」
と三成ら秀吉側近集に猛反発して、ここに家康がつけこんで、
彼らを味方にすることに成功してるんだよね。

利家は人望という意味では家康に対して有利なんだけれど、
最重要な問題である「三成への反発」をいかに鎮められたかが、
彼らを完全に味方に引き入れる為には重要じゃないのか、と思うのですよ。

果たして家康のような政略を駆使して彼らを鎮め味方に引き込む事が出来たのか。
少なくとも生前、利家は彼ら武断派を静めるためどうしていたのか、と思うね。

利家って「軍人」として優れているのは確かだと思うんだけど、
こういう「政略」についてどれほど活躍できたんだろう、と思う。

もっとも利家の人望と三成の智謀が重なり合えば、
家康に対してもまったく引けを取らないと思うんだけどね。
204人間七七四年:2007/03/04(日) 23:29:06 ID:rpD2cP3C
ただ、利家の活動に疑問を呈したけれど、
利家も何も心臓発作で急死したわけじゃなく、
秀吉が亡くなるころから体調はよろしくなかった様だから、
「もう先は長くないだろう」と見込んで家康が動き始めていた、と見ることも出来るんだけどね。


長々とごめん。

利家を過剰評価するでも貶めるでもない中途半端な意見で申し分けない。
205人間七七四年:2007/03/05(月) 01:01:14 ID:8QKXKio5
>>201
御館の乱から天正壬午の乱も大して評価できる実績ではない
景勝のことあんまり知らないから適当に知ってる戦挙げただけでしょ?
まだ景勝の事跡では佐渡征伐かなんかの方が評価できるだろ
いずれにしても桶狭間の頃から戦場を駈けてた利家とは比べるべくも無い

>>203
>そして臨終間際、今度は利家の見舞いに来た家康に、
>「利長のことを頼みます」と遺言して死んでいる。
>(異説として家康を暗殺しようとしていた、という説もあるけれど)

それは嘘
利家自身は最後まで家康との対決姿勢を崩さなかった
利長に残された遺言からはっきりしてる
徳川史観の最たるものだろう
206人間七七四年:2007/03/05(月) 01:40:13 ID:v4VOJ/R0
>>205
前田家の「加賀藩史料」より、
「陳善録」「関屋政春古兵談」「新山田畔書」の各書では、
最期の家康と利家の対面について、
「利長のことを頼む」という意味のことを利家が家康に言ったとされてるんだけど、
これは嘘なわけだね?
207人間七七四年:2007/03/05(月) 01:48:50 ID:v4VOJ/R0
>>206を書いたが、何も、
「利家は家康に遺言で弱々しいことをいった。
だからもともと利家は家康と戦うつもりはない。だから利家は家康の敵ではない」
というように利家を過小評価するつもりじゃないからね
そこは誤解しないでくれよ

ただ生前の利家は専横を極めていく家康に対して、
具体的にどう対決しようとしていたのかがよくわからんのよ
少なくとも細川達からの願いもあったとは言え、
病気の身を押してまで、明らかに非のあった相手と和解するために、
伏見にわざわざ出向くのがなんだったのか、と思うんだ
病気で気弱になってたのかもしれないんだけど、
ここで和解する必要ないだろ、と思うんだけどね

少なくとも和解の席に家康を出向かせろよ、と思うんだけど、
ここが255万石の副社長と80万石の筆頭専務との哀しき差だったのかねえ…。
208人間七七四年:2007/03/05(月) 02:59:37 ID:8QKXKio5
嘘だろう
実際に利家は利長に自分の死後三年は兵を連れて大坂に留まり、
秀頼に謀反する者を牽制し、更に家中で家康に内通してると思われる者を
追放するように言い残してる
この利家の遺言の写しは複数現存してる
更に利家と和解し、前田家の行く末を託されたはずの家康は
利家死後即座に利長を失脚させ、加賀討伐の兵を起こそうとしている
当時の家康と前田家の間に和睦がなってなかった証拠だろう
利家が臨終の際に家康に利長のことを頼んだというのは如何にも後付臭い

>>207の内容に関しては大体同意

209人間七七四年:2007/03/05(月) 03:16:58 ID:RzBaucX8
>>205
御館の乱や天正壬午の乱は曲がりなりにも景勝が大将として采配を振るい
城を攻め取ってる合戦。それが大した事無いというなら前田利家の戦績など皆無に等しくなる。
そもそも大将としての資質を問うてるのに信長に若い頃から引っ付いてたからなんだというのか。

大将として自分で采配を振るってる合戦がほとんど無い時点で
少なくとも軍事的な面で大将としての実績が少ないと言われても致し方ないだろう。
大軍勢を率いた合戦数も非常に少ない。

一侍大将としての槍働きならともかく
まとまりの無い10万近い兵力を統率して家康とぶつかると言う大役がこなせる人物とはとても思えない。

政治的なまとめ役としては意味のある人物だとは思うが。
210人間七七四年:2007/03/05(月) 04:17:36 ID:8QKXKio5
利家の大将としての戦歴は上の方で一度書かれているからここでは繰り返さない
御館の乱は最初から謙信死後に即座に春日山城を押さえた景勝の方が軍事的に優位、
天正壬午の乱は北条と直接対決する前に北条が後方の徳川を憂慮して、交戦する前に景勝と和睦した戦い
どちらも景勝の知略を誉めこそすれ部隊指揮能力を改めて評価するようなものではない
更に言えば当時の上杉家は織田や蘆名に絶え間なく浸食され、
領内では新発田のように景勝体制に不満を持つ勢力が割拠、
越後一国すらまともに治められていない状況
この状況で景勝に率いることの出来た人数など織田家の軍団長以下なのはもちろん、
柴田付きの与力だった頃の利家や成政と大して変わらない
地方の一勢力の長であることが中央で戦い続けた武将よりも凄いことだとは思わない
「鶏頭なれども牛後になるなかれ」って奴ですか?
別に利家は牛の尻尾じゃなかったけどね

あと家康も関ヶ原以前では十万の大軍を率いたことなんてないし、
お世辞にも関ヶ原本戦での家康の指揮は誉められたものではない
「政治的なまとめ役」として利家がちゃんと機能してればイーブンだろう
211人間七七四年:2007/03/05(月) 04:56:14 ID:RzBaucX8
>>209
おまいが利家信者なのはわかったが
ここはその前田家が創った太閤史観を見直すスレなんだ
それが嫌なら他所行け。

はじめっからその太閤史観を基準にしてる時点で取り付くシマも無い。
212人間七七四年:2007/03/05(月) 05:12:32 ID:RzBaucX8
>>210
アンカー間違えた、

>>地方の一勢力の長であることが中央で戦い続けた武将よりも凄いことだとは思わない
別に凄いこととは言ってない、ただ上に立って采配を振るうのと従軍して戦うのとでは
根本的に違うのよ、その経験で利家は家康はもちろん、景勝や輝元に比べても
著しく劣っているといってる。
そしてこの場合、その大将としての経験の方が重要だといってるの。

何か根拠でもあるのか?
天正壬午での先制進出や御館の乱での手際をそこまで貶しておいて
まさか末森の後詰だけで褒めてる訳じゃないだろう?
小田原での従軍なんて論外
213人間七七四年:2007/03/05(月) 12:29:14 ID:UdE9Xdt/
でも利家の戦歴見れば生きてたとしてもどこかで徳川に寝返っただろうな。
214人間七七四年:2007/03/05(月) 16:07:19 ID:AM3YV+gi
>>208
陳善録なんかは利家の言葉を書きとめたものだから、
史料価値は高いと思う
床にあった利家が家康に「利長のことを頼む」意味のことをいったのは確かなんだろう

ただし形の上では和解をしているから家康に社交辞令の意味でいったのであって、
本音では利長への遺言通り、
「家康に対して油断するな」と考えていたのだろうね

一方の家康がどう思っていたかは、
その後の前田家への措置を見ればよくわかるとおり
215人間七七四年:2007/03/05(月) 16:13:48 ID:uAapteq4
朝鮮に挑戦して負けたのはいただけない

織田幕府で明智の寄騎として貢献する程度の器だよ羽柴は
216人間七七四年:2007/03/05(月) 21:58:11 ID:XCvFwDV8
小早川隆景が死んだために格上げされた、五大老の中では末席の景勝が西軍総大将として立ち上がったところで
みながついてくるとは思えないがね。
217人間七七四年:2007/03/05(月) 22:26:41 ID:RzBaucX8
>>213
そうだろうな、むしろ賤ヶ岳を見る限りそういう手腕は長けてるから、
ここで裏切ったら豊臣にとって一番都合が悪いという絶妙のタイミングで寝返って、
家康に対して存在感をアピールしそう。
218人間七七四年:2007/03/05(月) 23:08:41 ID:9zgPnV5f
>>217
豊臣にとってとか言ってる時点でオマエはダメ
要学習
219人間七七四年:2007/03/05(月) 23:23:25 ID:uAapteq4
秀吉では半島征服はやはり無理だっとすれば、
やはり信長の指揮で攻め込むifしかない。
その場合、家康と共に一方面軍を任されていただろうが、
見慣れない朝鮮行って女たらしの秀吉が戦に集中できたか疑問w
謀略に遭って寝首を掻かれてたかも知れん。切腹。
220人間七七四年:2007/03/05(月) 23:28:02 ID:RzBaucX8
>>218
自分の意見を言って無いお前が一番どうしようもない。
221人間七七四年:2007/03/05(月) 23:35:01 ID:ZcTNzXm3
もし生きてたら>>217の言うように関ヶ原の金吾的な役割をサクッと利家ならやっただろう。
222人間七七四年:2007/03/05(月) 23:41:00 ID:JWLetLfe
>>221
史実どおりの陣構えになってたら金吾的役割をやると見せて更にその裏を
返すかも、千載一遇のチャンスだし。
223人間七七四年:2007/03/05(月) 23:46:59 ID:8QKXKio5
おいおい、能登一国の太守となってからは利家も十分大将でしょ
もしかしてゲームで独立勢力として登場しないから駄目だと逝ってるんじゃないだろうね?
中央政権に所属せず地方で独立勢力して王様やってれば
「大将」(多分君と自分では定義が違うんだろう)として優秀なのか?
だとしたら早くから織田に従属してた家康より津軽為信あたりの方がよっぽど「大将」としての経験が有るといえる
自分が利家の事跡で評価してるのは末森よりもむしろ小田原の役の方
所詮は前田vs佐々の小競り合いに過ぎない末森と違い、小田原では上杉・真田・依田といった同僚の大名と共に、
秀吉本隊とは別の北陸方面軍として三万以上の大軍を率いて上野の諸城を落としてる>利家
戦争自体は大して苦労するようなものでは無かっただろうが、少なくとも指揮系統の異なる複数の部隊を指揮し、
一定の戦績を挙げて大過が無かったというのは利家にとって大きなプラス評価だろう
このような経験は関ヶ原以前は景勝はおろか家康にも無い
利家が信長・秀吉のように大軍を手足の如く操る古今無双の名将だったとは主張する積もりは無い
ただきちんと状況が整ってれば大将として十分やってける器量は有ったと考えるのが妥当
利家が長命で家康と軍事衝突するならおそらく豊臣家の名代としての挙兵だろうしね

まあスレ違いだと言われたら仕方ないなw
そもそも利家の話からしてスレ違いなんだけどね
嫌なら新しく話題振ればいい
自分も「何故太閤記といった一連の秀吉関係の書物では秀長の事跡が過小評価されてるのか?」
「秀吉が貧農の出身だというのは出自の卑しさを強調することで秀吉の偉大さ(卑賤の者から最終的には天下人へ)
を強調するための創作、実際はそこそこ裕福な武士階級の出身だった」
「いやいや、貧農どころかもっと卑しい、今で言うサンカであった可能性すらある」とかさ
224人間七七四年:2007/03/06(火) 00:18:56 ID:2Ob9BpYO
>>222
それはさすがにリスクが高すぎるだろう、
高確率で両陣営の不信感を得てしまうわけで、ただでさえリスクの高い裏切り行為を
余計にリスクを高めてしまう。

それより金吾とは違ってもっとスマートに裏切って、なおかつその背景も
はっきりさせて、裏切っても仕方ないという背景も完璧にそろえた上で
綺麗に裏切ってくれそう。

実際史実でも加賀征伐の話が出た際に豊臣は率先して助けてはくれなかったという経緯もあったし、
巧くそのへんを利用して裏切った上に周囲も認めざるを得ないような状況をしっかり作りそう。
225人間七七四年:2007/03/06(火) 00:21:42 ID:7hZCQN2W
利家が生きてれば加賀征伐なんて無かっただろ
つまんない書き込みはするなよ
226人間七七四年:2007/03/06(火) 00:48:39 ID:2Ob9BpYO
>>225
家康は利家がいることで天下取りを躊躇してる様子は欠片も無い。
>>194さんが綺麗にまとめてくれてるな。

それで史実では加賀征伐があったんだから少なくとも無かったと断言できる根拠は無い。
227人間七七四年:2007/03/06(火) 00:57:23 ID:7hZCQN2W
「史実ではあった」つうか史実でも未遂だけどな
利家が生存してたという仮定の話なんだから有ったと断言できる根拠も無い
>>194さんもこんなのにアンカー付けられて可愛そう
228人間七七四年:2007/03/06(火) 01:15:26 ID:2Ob9BpYO
だからその未遂事件があったわけで、
Ifなんだから無かったと断言できないものは史実どおりに仮定して何が悪いのか。
229人間七七四年:2007/03/06(火) 01:24:00 ID:O6SyXPV1
ていうか>>194自身は利家が早く死に過ぎたために「評価不能」と言ってるんだが、
それを無視して勝ち誇ってどうすんの、って思う。
>>194の表には家康と利家が一触即発の事態に陥ったとき、
利家の下に多くの大名が集結して家康がびびったことが抜けている。
わずか1月に諸大名が朝鮮から引き上げてから松平忠輝&伊達政宗、
松平康元&福島正則、小笠原秀政&蜂須賀至鎮、水野忠重&加藤清正、保科正直&黒田長政と
週刊婚姻同盟やってた家康も利家に詰問されて和解してから大坂城を出て向島に移り、
少なくとも利家が死ぬまでの一ヶ月間おとなしくしてたわけで。
まあ利家がすぐ死ぬと見切っておとなしくしてただけかもしれんけどね。
230人間七七四年:2007/03/06(火) 02:01:34 ID:g5Zo4kOD
ID:2Ob9BpYO
231人間七七四年:2007/03/06(火) 02:14:53 ID:dRhZxdrs
秀次を殺したりしてないですぐに朝鮮出兵すべきだった
232人間七七四年:2007/03/08(木) 21:54:52 ID:7nISJwH8
秀吉は明らかに信長の家臣だが
家康が秀吉の家臣というのがどうもしっくりこない。
そりゃ秀吉は天下を統一して全国の諸大名の上に立ったんだから
全ての諸大名は秀吉の家臣と言えるかも知れないが・・・
だから秀吉が織田家の信孝を死に追いやったことと
家康が豊臣家を滅ぼしたことは同列には比べられない。
前者の方が悪い。
・・・こんなことを書くとまた秀吉厨が顔を真っ赤に
して反論してくるんだろうが。
233人間七七四年:2007/03/09(金) 00:17:39 ID:ANqoz006
要するに、こうゆう事なんじゃないかな?

         トーゼンダヨネ
         ∧_∧   
         (*@∀@) 豊臣の簒奪は綺麗な簒奪 
       ._φ  ⊂)  
     /旦/三/ /|  
     | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|
     | 秀吉マンセー |/

         チクショーメ 
         ∧_∧   
         (@Д@#) 徳川の簒奪は汚い簒奪
       ._φ  ⊂)  
     /旦/三/ /|  
     | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|
     | 秀吉マンセー |/
234人間七七四年:2007/03/09(金) 01:16:47 ID:Z4KvXpGf
秀頼に関してはその通りだと思うが、
信孝を殺したのもそこまで言うほどのもんでもないと思う。

所詮は両方とも天下を受け継ぐ器じゃなかった。
世の流れもそうだった。
235人間七七四年:2007/03/09(金) 01:54:31 ID:3x8i5wzv
太閤史観を見直すスレのはずなのにやってることは頭悪そうな秀吉叩きなのなw
悪者スレよりレベル低いな
236人間七七四年:2007/03/09(金) 03:00:12 ID:Z4KvXpGf
そう思うならあっさり釣られてんなよ・・・。
237人間七七四年:2007/03/22(木) 20:41:23 ID:yNOB/XQZ
朝鮮滅ぼせなかったへタレ秀吉
238人間七七四年:2007/03/26(月) 11:09:55 ID:IGh2y+JC
まぁ>>235みたいな豊臣厨に関しては>>233が真理だろ。
239人間七七四年:2007/03/26(月) 13:40:32 ID:eEtPOVBO
レス数200にもなって何一つ太閤史観を見直せないアホな秀吉アンチは恥ずかしいな
240人間七七四年:2007/04/06(金) 08:04:40 ID:l15auMsx
>>234
そうだな。
加害者が秀吉や家康じゃなくても
結果的には同じだろう
241人間七七四年:2007/05/06(日) 18:46:14 ID:ASY6ZRTh
 
242人間七七四年:2007/06/26(火) 04:55:03 ID:yFMrQBud
243人間七七四年:2007/07/04(水) 00:37:51 ID:QBFNCqdv
甫庵太閤記は嘘ばかり。
244人間七七四年:2007/07/04(水) 09:45:54 ID:6CLTvG8X
>>232
禿同だなぁ…
245人間七七四年:2007/07/04(水) 10:42:51 ID:hFNxq1qt
つーか、いいか悪いかで言うのであれば、別にどっちも悪くないと思うんだよな・・・
246人間七七四年:2007/09/02(日) 23:00:54 ID:xN6jMmWT
247人間七七四年:2007/09/08(土) 16:04:53 ID:O2Vqot9h
太閤史観=司馬史観でおk?
248人間七七四年
全然違う