■■■徹底史料分析!上杉謙信女性説4■■■

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44名無しさん@お腹いっぱい。
前スレより。江戸期の上杉謙信をめぐる軍記物語(宇佐美系文書)の虚像性について。

> 867 :日本@名無史さん :2006/05/15(月) 14:03:34
>謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
> 武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
> 上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
> 臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

> ※謙信自身が敗北を認めている書状↓
>  晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
> 併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
> 取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
> 房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
> とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
> 早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
> たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
> のひ候てきうしくちおしく候(中略)
>  かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
> いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
> 心ほそく候、
> 永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]

> 詳しく訳すまでもなく、武田方の上州和田城を攻めきれていない戦況を、
> 金津・吉江・本庄美乃といった老臣に相談がてら報告している書状です。
> 「心ぼそい」「窮屈難儀」「いつもより帰りたい」と、江戸時代の軍記書には
> 絶対に書かれなかった女々しい人物像がわかる。