関ヶ原、西軍勝利

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妄想垂れ流しスレです。
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 23:21:17 ID:7dTZSyNe
関ヶ原で東軍が勝ったからこそ決着がついたのであって、
西軍が関ヶ原で「だけ」勝っても決着はつかず、
ずるずると膠着状態が続くか、悪くすれば戦国時代に
逆戻りしていたかも。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 23:32:04 ID:NTScda9v
西 も 東 も 小早川次第。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 23:51:33 ID:Z0GaLM+x
この板は小早川が大人気だな(笑)。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 11:57:09 ID:Dfjyp9jT
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 20:33:03 ID:nlCxe46N
関ヶ原で西軍が勝ったとしても
秀忠が率いてた徳川本体は無傷に近いんじゃないの
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 22:08:07 ID:RRkh3DAO
家康の天下は変わらないと
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 22:58:37 ID:yee3Fcts
戦場に秀頼が総大将として出陣してたら
戦況は変わってたかもね。
本陣に幼い秀頼と淀殿、それと千成瓢箪の旗印があれば
東軍の豊臣恩顧の武将達は誰も弓は引かないでしょう。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 14:16:37 ID:xDHBbg52
佐倉広夢を称えよ!!
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 07:11:52 ID:DTSdoVrv
朱印船貿易は愈々活溌化し、南洋に本朝が一大帝国を築いていた。
そして日本帝国圈の公用語は日本語となり、後進国からの労働力や移民の受入がスムースに行つてゐた。
うみゅ、ばら色の本朝近世近代史である。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 00:26:07 ID:TZEDRmmb
>>8
大坂の陣じゃ秀頼にみんな弓引いてますが
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 00:56:13 ID:OayrD9/e
>>11
それこそ関が原で西軍が負けたからだろ
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 01:49:55 ID:Epwp3DtJ
>>12
仮に西軍が勝ったとしても豊臣が安泰とは
限らないよ、もっと早い段階で乗っ取られるか
潰されるかしたかもしれない。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 02:38:45 ID:WWaj/Cje
問題は誰が実権を握るかだな
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 02:43:20 ID:Be6zJq+6
そりゃ、三成の権力が大きくなるんじゃない。

もし、毛利が動いて西軍が勝ったとしたら、毛利の天下?
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 02:49:26 ID:yYzNNmfK
どうせ妄想なら
清正が生きていたら起きたであろう戦国最終決戦
熊本城攻防戦『熊本の陣』の方が面白いかも

恐らく軍事的な要素だけなら大阪城を遥かに凌ぐ日本屈指の要塞だし
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 15:24:29 ID:4XJBbBTr
西暦1600年 慶長五年七月徳川家康の罪科十三ヶ条を揚げ豊臣家の名の元に石田三
成が諸大名に挙兵をせよとの伝令を走らせたのでございます 時同じくしてこの戦乱
の時代を終わらせ千年の王国を築こうとするモノ達が 千年の眠りから覚めようとし
ていたのです そんな中同年九月十五日関ヶ原で東軍徳川家康軍と西軍豊臣軍石田三
成軍とが激突小早川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\軍豊臣軍石田三成軍が大勝利を納め 三百
年に渡る大平の世が|  うるさい黙れ   |あなたがたはよくご存知のはず・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \_______/ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                   ∨      (゚д゚ )
                  <⌒/ヽ-、__ノヽノ |
                /<_/____/ < <
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 18:56:52 ID:JdmimQgT
うおっまぶしっ
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 20:42:45 ID:gxIWDcWj
関ヶ原、西軍勝利⇒MUSASHIワールド
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 21:03:09 ID:M4dBxHLD
江戸の陣になれば、当時の江戸城では防御面では弱いですね。

攻めるには余りにもろい城だから明治維新のように
無血開城になってるかも。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 00:18:11 ID:dYO2280L
>>20
アニメKYOは江戸の陣開始で終わったな。
なぜか秀忠が伊達や幸村に囲まれてて結構面白そうだった。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 00:26:44 ID:UdNdLUVh
>>19
その前提には大明征伐大成功という設定が必要になる。
>>20
実際だと西軍が勝ってりゃ
伊達=西軍側として参陣して領地安堵、南部攻めを西軍になってる根拠と主張
幸村=甲信上を治める大大名に伸し上がった真田の家督を継ぐのは彼になってる
だろうがな
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 00:58:13 ID:sqAFcfzz
三成は秀吉が死んで、奉行を解任された時点
ですでに過去のひとなんだよ、関ケ原は彼が政権の中枢に返り咲くため
に起こした日本中を巻き込んだ日本史上最大
の悪あがき。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 01:35:07 ID:ZCfZi4tc
地位に固執するなら危険を冒してまで家康とやりあわないだろ
強い方へと游いでいりゃいいわけだし
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 01:45:27 ID:1me6Y7ZS
悪あがきで日本を巻き込める石田さんはすごいと思う
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 05:46:07 ID:jxhBKopb
悪あがきで日本を二分できる石田さんは神。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 06:35:03 ID:sqAFcfzz
>>24
そんなこと三成ができると思う?
というかそんな三成に魅力を感じますか?
仮にも国政の一翼を担っていた程の人物で
まだ隠居するには若く、相当な自信家である
彼がもう一花咲かそうと思っても不思議では
ないと思う。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 08:53:05 ID:UdNdLUVh
 西軍が勝っていたらどんな政権になったのだろう?
やはり豊臣秀頼を関白太政大臣にする?
関が原後の混乱を早急に静めるために秀頼を早急になんらかの官位は必要
だろうが
武家関白は秀次失脚でけっこうダーディーイメージになってるし
ここは秀頼を征夷大将軍に任じるってのがだとうかもな。

西軍勝利⇒天下の情勢西軍有利となれば豊臣家も全面的な西軍参加を
決めるであろうし、そうなれば
秀頼の名による東国征伐&東国仕置きを遂行するのは当然だと思う。

となれば秀頼を将軍にして幕府解説
秀秋には京都で関白にして棚上げしている間にちゃっかり
幕府による武家政権、全国統治体制を仕上げてしまうかもな。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 11:32:14 ID:hgPJIoAM
>>28
関白から征夷大将軍に格下げすんの?
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 12:42:35 ID:sqAFcfzz
実際将軍より関白が格上というわけでもない。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 13:00:44 ID:CXr3OGvv
西軍が勝ってたら・・・・
秀頼がマザコンの馬鹿殿様として君臨じゃない。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 13:00:53 ID:NFXqINeC
上杉・直江が江戸を突ければよかったのに。
伊達を味方につけられれば出来たかな?
33 :2006/07/01(土) 13:02:25 ID:lAGAHnWe
・石田三成
戦後、五奉行筆頭に復帰するも加増は受けず、豊臣家のために忠誠を捧げ続けた。
戦勝後権力を肥大化させた毛利家、上杉家と豊臣家の勢力均衡に意を用い、五年後に
死去。

・宇喜多秀家
長命する。五大老の一人として政務に参加するが、その性格もあってあまり政治的な
活動は行わなかった。しかし、豊臣家の柱石の一人として存在感を示す。

・小早川秀秋
関白に就任するも、三年後に脳病で死去。嗣子無きをもってお家断絶。

・結城秀康
家康、秀忠の処刑後、松平性に復帰。三河の地で二十万石を領する。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 13:51:43 ID:leMW0wcC
おまいら、西軍勝利だと江戸は発展せんだろうし、東京は生まれなかったぞ。
つまり、アキバも鉄道博物館もないってこったw
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 13:55:46 ID:mnG7qPiH
それが何か問題でも?
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 15:09:08 ID:sqAFcfzz
日本橋があるから大丈夫。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 16:15:32 ID:4F2ufDo3
         -―- 、__,
        '叨¨ヽ   `ー-、
         ` ー    /叨¨)
             ヽ,
         `ヽ.___´,
            `ニ
38右京太夫 ◆riQy7en7pA :2006/07/01(土) 16:23:28 ID:ponLR3FQ
うおっ まぶしっ
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 19:22:47 ID:hgPJIoAM
>>30
いや豊臣なんて大層なもん貰っておいて、関白捨てて将軍就任では
格下げにしか見えないかな、と。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 19:49:43 ID:1cHVi6bF
西軍勝利の功労者大谷吉継、暗黒寺AKはどうなるの??
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 20:43:18 ID:sqAFcfzz
関白は五摂家で持ち回りでなったと思ったら
すぐに次になりたい人に降りろとせっつかれる、
大体、秀吉だって一年しかやっていない。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 21:26:12 ID:ynnMngKG
なんかこう、将軍至上主義自体東軍勝利の賜物な気がするんだよねえ。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 21:51:55 ID:sqAFcfzz
将軍至上主義って?
豊臣厨が官位や官職にこだわりすぎな気が
するが
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 22:26:34 ID:mnG7qPiH
征夷大将軍なんて鎌倉・室町で価値大暴落の官位だろ
三代で絶えた源幕府
大名に翻弄されつづけた足利幕府
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 22:47:39 ID:sqAFcfzz
それを言うなら関白は院政時代前に終わってる。
それに将軍の価値は暴落していない。
信長の義昭擁立、信長包囲網や謙信のことと
かどう説明するつもり、
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 22:57:45 ID:ZfxBmnLY
西軍が勝っていたら、日本語の標準語は関西弁でっせ。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 23:02:06 ID:mnG7qPiH
信長の義昭擁立、信長包囲網や謙信

の後に全部信長にコテンパンにされてるわけですがw
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 23:03:13 ID:RyFqYYny
将軍の「価値」と「実力」が乖離してたのが原因では?
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 23:07:56 ID:UdNdLUVh
実際官位は必要だと思う。
秀頼ってまだガキだしいちおう、そのガキが秀頼の子供ってだけなのが
政権の根拠になってしまっているのもねー、ましてそのガキに
政権の頂点たる箔として官位でもないとなおさら政権が薄弱になってしまう。
まして秀吉の実子かどうかも怪しいってのにww
 で関白就任するには年齢的に無理がある。
公家官位であり他の折檻毛があるわけだし
が征夷大将軍なら秀頼の年齢での就任でも支障は無い。
徳川という東国の夷を征伐するという意味合いで
秀頼を征夷大将軍とし
豊臣家として純然たる武家政権を成立させ
約束した秀秋は関白として公家に棚上げしてしまえばいいわけで。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 23:16:40 ID:sqAFcfzz
官位や官職が必ずしもその人の実力と比例して
いるわけでもないのに、どっちが上とか議論する
のもバカらしい、
それに>>47全然、説明になってないよ。
また関ケ原スレみたいにあらしたいの、みんな
あなたのこと気がついているよ。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 23:37:44 ID:MxqDMhMb
>>47
>>50
のやり取りをすると結論出ないよ
卵が先かヒヨコが先かの論理になるからね

とりあえず関ヶ原の戦いってターニングポイントになりえないんだと思われる
只豊臣方の戦後処理が後手にまわっただけ
あの段階で例え西軍が勝っても体制に影響無し
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 23:40:41 ID:mnG7qPiH
関ヶ原スレなんざ知らんw
何防衛過剰になってんだw
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 23:59:52 ID:tg0hcli8
東北はどうなるんでしょう?

伊達、最上は改易か?
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 00:41:15 ID:W/LIhH04
東北まで手が回らないから放置。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 01:07:37 ID:IiJdHSkY
伊達はなんだかんだで言い抜けそう。
56御宅男:2006/07/02(日) 01:17:08 ID:txXpu6fe
伊達政宗最強!!!!!!!!!!!!!
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 07:03:47 ID:W/LIhH04
西軍が勝っても、三成の命はないかもしれない。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 17:44:24 ID:fSoAguT+
関ヶ原で家康の首を上げることが出来れば、秀頼を御輿にした豊臣政権が続いただろう。
しかし、失敗すれば面倒なことになりそうだ。
福島たち、関ヶ原で寝返ったグループは、家康と運命を共にするしかない。
徳川250万石にこれらの勢力を加えると、簡単に滅ぼすことは出来ない。
また家康が老衰で死ぬまで待っても、この状況では秀康が後を継ぐだろう。
そして、そのまま東西朝時代が来るのでは…
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 17:03:44 ID:g+aGKJb6
犬HKの巧妙が辻の放送はない
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 17:30:06 ID:yR7qR729
西軍勝ったら九州に如水政権が生まれる
七本槍の生き残りを率いて三成・島津と対峙するだろう
関東は徳川残党が依然強い影響力を持つだろうし
東北は戦国に舞い戻るだろうね

結局三成の天下は無いでしょ
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 17:38:38 ID:4JztXyfl
テキトー妄想戦記!

1600年、関が原の戦いにて西軍勝利。
1605年、大野治長、大和を中心に50万石を与えられる。このころから、
    淀殿側近と石田三成の反目が本格化する。
1610年、石田の乱。豊臣家内での大野・石田の反目から、石田家が大野治長を
    攻撃し、大阪を占拠。大野治長は秀頼と共に大和に退去。秀頼の名で、
    石田家討伐を命ずるも、参加する大名は少数に留まる。
1611年、石田家の奇襲により、洞ヶ峠の戦いで大野家惨敗。治長自刃。秀頼は、
    どのともなく落去。
1612年、石田三成、征夷大将軍となり、各国の大名に上洛を命ずるも、大大名は
    ほとんど動かず。
1613年、宇喜多秀家の下に秀頼一行が保護される。毛利家と共に、石田家追討を
    宣言。島津は中立を宣言。上杉は三成追討のため上洛を試みるが、関東の
    徳川残党の蜂起のため上洛できず。
1614年、播州の戦いにて、三成大敗。石田家滅亡。毛利家・宇喜多連合軍、上洛。
1616年、大阪の乱。宇喜多家、毛利家に滅ぼされる。同年、豊臣秀頼急遽追放される。
1618年、上杉・島津・徳川を中心に反毛利同盟結成。
(中略)
1625年、島津家の家臣、加藤家の元に豊臣秀頼を名乗る落剥した男が現れ、
    加藤家で100石で召抱えられる。


62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 18:10:10 ID:t0AN7IGK
チラシ(ry
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 18:15:43 ID:mXfwH3KE
>>61
東軍の大野治長にどうやったら50万石なんて与えられるんだ。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 19:46:10 ID:P0KFsBco
淀に取り入ったと考えるしかない
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 19:49:45 ID:zhvnzy3x
いぶし銀大谷吉継はどうした?
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 20:11:17 ID:mx6rp6yh
大谷は病気の進行で、例え関ヶ原で西軍が勝ってもそう長い間は生存してないだろうな。
67 :2006/07/03(月) 22:08:26 ID:8fxzPNf+
福島、黒田、細川あたりは改易だろうな。

加藤清正って関ヶ原の時に「肥後一国くれるなら西軍につきます」って言ったのは
本当? あいつだけ関ヶ原には参加してないし。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 22:44:22 ID:UE/lKZL8
豊臣恩顧はお咎めなしだと思う、そんなことを
したら混乱も収まらないし豊臣家が弱体化する。
そもそも関ケ原は三成が勝手に起こしたもの、
三成が罰せられることはあっても罰することは
できないはず。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 01:01:13 ID:Q+Gh0get
ここで福島たち処罰したら本当に政争だったんだということになり
三成の人望はますます低下しちゃうからな。
でも清正ほっといたら小西は黙っていないんじゃ?
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 01:04:56 ID:ZMVbtPIs
つか西軍はどう勝っても東軍参加諸侯を処罰できんよ。
論功行賞で確実に揉めて内部分裂、元の木阿弥。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 01:06:56 ID:JE9ocWYS
明確に敵対行動した相手には減封なり現当主の隠居要求なりはするんじゃない?
さすがに負けた方にペナルティなしってのは西軍内の反感もあろうし。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 01:14:18 ID:P3Qf5yt9
小西に転封でおれてもらうしかないでしょう。
小西も武断派に恨まれていることは重々承知だ
ろうし、そうしなければ命も危ない。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 13:57:17 ID:MF+0sbgz
関ケ原以前に三成ぶっ殺そうと
明確に敵対行為をやっても大して責められなかった七本槍の方々もいるしな
74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 17:25:34 ID:WxE9VJ+L
 将軍:豊臣秀頼
 摂政:石田三成
五奉行:前田玄以、小西行長、増田長盛、、長束正家、大谷吉継
五大老:上杉景勝、宇喜多秀家、毛利輝元、立花宗茂、島津義弘
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 17:42:28 ID:nEAZHw7a
後々内紛→崩壊するのが目に見える布陣な訳だが…
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 17:48:46 ID:MF+0sbgz
東では伊達政宗と徳川秀忠が同盟
上杉家、真田家と全面戦争

黒田家と加藤家と福島家が同盟
島津家、毛利家と全面戦争

畿内では淀君と三成の対立が激化
豊臣家の威信はジョジョに低下




スペイン艦隊がやってくる
77名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 20:00:24 ID:Q+Gh0get
大谷は先が短いからな
相談役程度にはなるかもしれんが
表の役職は辞退すると思うぞ
78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 20:09:46 ID:YIjNh+D5
>>74
七本槍の面々が抜けると
ただでさえ弱い豊臣基盤がさらに弱くなるので
室町幕府の二の舞になる気がする。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 21:35:16 ID:sC0zfp9s
大谷吉継が居なくなると軍事の天才が居ないな・・
せいぜい 立花宗茂 小早川秀包 島左近 あと毛利に脅された加藤嘉明 
その他の将としては 蜂須賀至鎮 生駒一正 長曾我部盛親ら四国勢くらいか?
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 21:47:47 ID:JE9ocWYS
真田の名が上がらないのは何か理由があるのかな?
豊臣姓も持ってるし、将としては問題ないと思うんだけど。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 21:54:03 ID:Q+Gh0get
幸村はともかく表裏比興の親父が・・・。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 01:32:00 ID:AVByqhGc
>>79
それで充分ジャン
宇喜多と立花、小早川(秀)は信頼出来るし
83名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 02:24:11 ID:JOLiFaa6
安心できるのは西国だけか
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 06:49:21 ID:AVByqhGc
転封すればいい
宇喜多辺りを関東管領にして
元々宇喜多は家臣団のゴタゴタがあるので、ここいらで転封があると
家中の刷新と近代化を図れるだろう。有能な能吏がいれば(三成が直接手を貸すのもありか)

ただ、この場合、空いた備前備中に誰を入れるかという問題がある
宇喜多って領土の多さの他に大坂に近いっていうアドバンテージを持っていたからね
いざというときの秀頼の保護者であった筈だ
だから大坂の近くに大封をを持つ秀頼の忠臣が宇喜多の代わりに欲しい
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 08:13:13 ID:8Krnidnn
小早川は播磨に関白領をやる約束だからな
大谷吉継かやっぱ
息子も食い詰めてたとはいえ
大坂に入った男だしな
8679:2006/07/05(水) 09:47:47 ID:5dAn1GY0

>84
黒田如水はどうかな?
岡山の辺り欲しがっていたらしいが・・
いっその事加藤清正を・・てのは駄目かな?
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 09:56:06 ID:OvEiFc8G
加藤は蒲生と同じ扱いで会津辺りにでも
加増と言う名の左遷をさせればいい
上杉が旧領のほかに今の領土もほしいって言うんなら
空いた旧最上領でも
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 09:56:34 ID:A8g4b7sg
西軍誘引にどこまで空手形乱発してたってのが気になる。
8979:2006/07/05(水) 10:10:01 ID:5dAn1GY0
上のは冗談と思って見てくれ 尚下の括弧書きは追記
(加藤清正が秀頼に真っ向から対立するとは思えんし如水取引でどーにでもなると思う)
>80
幸村は徳川との戦闘で手一杯じゃないかな? 
俺が上げた人って一方の将ではあるけど大軍勢の大将としてどうか・・
全軍を率いて戦略を描けるか・・となると疑問が残る
90名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 10:13:37 ID:A8g4b7sg
この時は信繁なんかより、昌幸でしょうが。
上杉、北条、徳川相手に立ちまわった猛者でしょ。
9179:2006/07/05(水) 10:21:28 ID:5dAn1GY0
>90
つっても、もう五十代 跡継ぎは居た方がいい  もっとも俺は昌幸の方が好きだけど・・
92名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 10:34:08 ID:rPGWSi10
昌幸も死んでるわけじゃないからアドバイスぐらいするだろうし、
受ける側も幸村なら見劣りはするような事態にはならんだろう。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 10:36:14 ID:A8g4b7sg
50代なら当面の抑えとしては丁度良いぐらいでない?史実(蟄居で失意のまま)で10年は生きた訳だし
それに関が原での功績献を考慮すると、大加増は確実。質、量ともに備えれば、豊臣重鎮の一人として何の問題もなさげだが。
つーかこれはあくまで個人的にだが、当時如水と真っ向腹黒勝負w出来そうなのって昌幸ぐらいしか思い浮かばない。

真田後継はその後の現実の進退を見ると、信幸の方が重鎮としての存在ならよさげだけどさすがに無理かもねえ。
義父の元に行きそうだし。
94名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 11:00:00 ID:OvEiFc8G
むしろ、義理の父関係で信幸の方が良いと言える
いくら西軍が勝利しても徳川200万石をポンと消すわけにはいかない
家康の隠居→減封→秀康と秀忠の分割
という手順を踏む筈
信幸なら間を取り持つのにちょうど良いだろう
真田は兄弟どちらかを分家として独立させて置きたいどころ
勝利者と血縁関係なら信繁だが
当時の評判なら信幸の方が高いなぁ……
95名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 11:09:26 ID:rPGWSi10
信繁は大谷の娘婿だし、大阪近くに大谷を封ずるとするなら
その一部を削って分家した信繁に、でどうだろう?
規模は小さめ、でも大阪の間近だから名誉、てな感じで。
96名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 11:21:46 ID:A8g4b7sg
>>94-95
いいね、それ。徳川懐柔の功を持って、信幸の処罰をむしろ本家後継に任ずるウルトラCだ。
信幸がそれを諾とするかは、平八さん次第な気もするが。
たしかに、信繁は真田分家ってより大谷の与力大名にした方が領地得られ易いかも。
当時無名の信繁へ新たに領地与えるなら、その方がスムーズだ。

ところで秀信タンの事、忘れないであげて下さい。
97名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 11:52:10 ID:2BHSHbGC
昌幸は甲斐・信濃の二国約束されてたから
それ以上真田に領地やる理由も必要性もないでしょ
98名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 11:57:12 ID:OvEiFc8G
信幸の名義上の岳父は家康なんだから家康がイエスと言えば忠勝もイエスだよ
もともと忠勝は政治向きのことは我関せずの武辺だからこそ、秀吉も東国無双と称賛したし、徳川四天王でも一番人気な訳で
信幸に対徳川対策をさせると減封で浪人化する徳川集団の内、
徳川最強の本多家を真田家預かりに出来る事か

秀忠と秀康に分割した場合、秀康側の取り次ぎは付き人だった経緯もあって石川に任されると思う

秀信か…筆頭家老の木造は北畠だっけ?伊勢に飛び地で加増とかどうだろう?
要衝の岐阜美濃に巨大な領土を持つ大名は危険だ
99名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 12:15:48 ID:rPGWSi10
>>97
真田に領地をやるというよりも、分家させて周囲も納得する方法で
信繁を本家から引き剥がし、大谷の傍に置いてもしもの時に備える
意味があってもいいかな、と。

当時信繁は確かに無名だけど、西軍が勝った状況で先見の明が
あれば「真田家がまとまって強固になる」のは何かまずいと感じる
人間もいるだろうなと思って。
100名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 12:24:17 ID:ualkx5pH
とてつもなく妄想スレになってきたな。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 12:55:56 ID:btNfj9RM
別に豊臣方で無名じゃないだろ
秀吉から豊臣性もらって無かったか?
102名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 13:12:34 ID:rPGWSi10
史実だと信繁が主体的に指揮を取った戦は大阪の陣だけと言われてるし
この時点では実績がない、世間に名が知れていない=無名、てことで。
103名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 16:31:55 ID:niVInBi4
秀信は岐阜取り上げて備前でいいんでね?
東より西のほうが安全だべ。
濃尾は任せるのはムリ。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 17:58:05 ID:HKlmluag
摂津、和泉、河内=豊臣秀頼
山城、近江、丹波、丹後、播磨、但馬、淡路=石田三成
大和、紀伊、伊勢、志摩、伊賀=大谷吉継
備前、備中、備後、美作、出雲、伯耆、因幡、隠岐=宇喜多秀家
安芸、石見、周防、長門=毛利輝元
讃岐、阿波=安国寺恵瓊
土佐、伊予=長曾我部盛親
豊前、豊後、筑前、筑後、対馬、壱岐、肥前=立花宗茂
薩摩、大隅、肥後、日向、琉球=島津義弘
越後、越中、越前、加賀、能登、若狭、佐渡=上杉景勝
尾張、美濃、飛騨=増田長盛
三河、遠江、駿河=小西行長
甲斐、信濃=真田昌幸
武蔵、相模、伊豆=前田玄以
常陸、下総、上総、安房=佐竹義宣
上野、下野、会津若松、米沢=小早川秀包
陸奥仙台=織田秀信
出羽=吉川広家
陸奥北、蝦夷=小早川秀秋







105 :2006/07/05(水) 20:28:05 ID:OXFTxlK3
三成は自分に加増したりするまい。相変わらず五奉行筆頭で領地より権勢に執着
するのでは?
106名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 21:52:45 ID:/BJ3udMI
これは釣りだろ。
10779:2006/07/05(水) 22:28:02 ID:5dAn1GY0
>104
毛利輝元のが少なすぎ 一応豊臣家の重鎮だし・・
せめて輝元が 安芸 備後 備中 石見 出雲 伯耆 隠岐
分家の秀元に 周防 長門
あと秀包を東北に行かせるなよ・・豊前 豊後でいいと思う
10879:2006/07/05(水) 22:33:33 ID:5dAn1GY0
間違えた秀抱では無く秀秋だった
尚最後の所は秀抱でいい
10979:2006/07/05(水) 22:37:12 ID:5dAn1GY0
ご免やっぱ107取り消し 手数かけてすいません
11079:2006/07/05(水) 22:38:39 ID:5dAn1GY0
また押し間違えた108でした あ〜混乱してきた
111名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 23:03:34 ID:8Krnidnn
両築と播磨は秀秋のもんて約束の筈
112名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 02:22:48 ID:zgKJxbho
>>107
じゃあ宇喜多はどうすんの?
113名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 08:19:45 ID:IHxeLysb
>>84の言うように関東管領っていうのがいいと思う
114名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 13:59:23 ID:HPo1UOz5
石田や宇喜多が石高を欲張るのは問題かもしれないが、やはり結構な
石高加増はガチだらう。
 関が原での状況を見るに逆に宇喜多秀家、石田三成、大谷吉継、真田昌幸
は大幅加増になったとしても、みなやむをえないと思うだろう。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 19:25:06 ID:VSW3xtsL
宇喜多秀家は自分から関東行きを希望してたと思う。
ついでに吉川広家を宇喜多付きとして関東にやるのも手かも。
なんせ宇喜多秀家と吉川広家は一応兄弟だしな。
 徳川領のうち半分を宇喜多に
残り半分を秀康と秀忠に分割するのがいいかも。

小早川秀秋は播磨じゃなくて備前美作をくれてやって播磨は
豊臣直轄がいいとおもう。
>>114
安国寺エケイも加増しないといかんだろ。彼が毛利参加の立役者。
直江兼続の功績も大だと思う。が、これ以上加増しては陪臣の枠じゃないわな。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 20:02:50 ID:JJBkLOBN
>>114
小早川が裏切らなかった場合、例の大谷の獅子奮迅はないことに
なるけど、この場合どんな働きを理由にするんだ?
加増自体に否はないがそこで名前が上がるほどの成果、戦果は
何だろうと思って。

しかし大谷の場合、本人余命いくばくもなさそうなのは明らかだし、
大一番乗り越えたら家督譲って隠居しそうだな。
三成の個人的な顧問みたいなことは死ぬまでやりそうだが。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 20:13:52 ID:IHxeLysb
>>116
最大の功績は真っ先に三成の計画への協力を表明した事(最初は反対だが)、毛利輝元
前田利長軍の南下を阻止、小早川隊への牽制、あと京極高知を敗走させ
藤堂高虎隊相手にも善戦したなど大幅加増の理由は山ほどある。

まあたしかに彼自身が表舞台に立つのはやはり戦後処理までで
あとは隠居だろうな。三成への助言や諫言は死の床から這い起きてでもやりそうだが。
11879:2006/07/06(木) 21:00:43 ID:X0y1hXT6
佐竹は本領安堵及び加増か?
119名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 21:07:38 ID:VSW3xtsL
佐竹は与党にしておきたいしな。
西軍勝ったとはいえ東国の安定の為には上杉だけじゃ役不足で
真田では不安がぬぐえない。佐竹は三成派でもある。
ちょっとの間の日和見は勘弁するしかないだろう。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 21:11:15 ID:IHxeLysb
房総と相馬を潰して加増かな
12179:2006/07/09(日) 20:34:39 ID:+Xa1BA3k
相馬は西軍だったと思う。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 10:16:39 ID:lGEqOKJD
>>119
「力不足」では?
12379:2006/07/12(水) 21:42:04 ID:vHgEkSBz
>122
佐竹義重なら大丈夫だと思う坂東太郎(←字はこれでいいかな?)って言う異名もあるし・・
124名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 21:54:57 ID:A2I/xCzZ
>>122は日本語を正しく使いましょうって言ってるんだよ、>>123よ……
125名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 22:57:54 ID:TOfKt/Mw
西軍が勝ってたら、ひぃこら木曾路を越えてきた秀忠の部隊は悲惨だな
126名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:14:55 ID:oMe6NIGF
むしろ無傷で良かったんでない?
お疲れの所悪いが、家康が生きてれば守って帰る仕事が待ってる。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 18:55:11 ID:o2tefmXc
みんな、なんていうゲームの戦略練ってるの?
128名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 19:35:38 ID:WjuJauhO
皮肉のつもりかもしれんけど、こういう妄想を真剣に話し合うってのは楽しいもんだよ。
斜に構える前に、一回やってみ?
129島左近:2006/07/14(金) 21:05:05 ID:etf5VZke
というか………
この戦いは、小早川秀秋が裏切らなければ西軍は、絶対に勝った!
130名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 21:12:06 ID:2u10HzBm



真田幸村と言う人物は存在しません

名乗り名は滋野信繁または豊臣信繁


131名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 21:16:52 ID:etf5VZke
130
嘘つけぇ〜
132名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 21:44:38 ID:ETTcn2d4
別に真田信繁でええやん。姓にこだわらんでも。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 21:54:38 ID:4e+7x8sm
こだわらんでも・・・と言いつつ
自分の意見を押し通そうとする>>132
134名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 23:32:19 ID:yR1x++s5
思ったんだけどさ幸村って呼び名だれが作ったんですか?
135名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 05:07:35 ID:LBjs8UKe
>>134

江戸時代の人かな?
信繁に関する資料や手紙で「幸村」と確証できるものがないというか存在してない。
確か、幸隆や昌幸の「幸」と母方のなんかの「村」を合わせたっていうけど
真田家(滋野)家は「信」が代々伝わるものだからね
136名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 09:07:39 ID:fytpLt6P
信繁の講談が得意な人の名前が幸村だったって聞いた事ある。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 09:16:04 ID:PefMvyIc
真田の子孫が仙台藩にいるから、その人たちに取材した時
藩主綱村の名前から一文字もらった説もあるな。
ただこれは綱村の改名時期と合わないらしいが。

結局は今の所「未詳」が正しい。

まぁ別に論文書いてるわけでなし、ここで雑談してるだけならその
名称がどの個人を指し示すか分かれば別に問題ないんじゃない?
まさか幸村が信繁のことだと分からない奴はこのスレにいないだろ。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 09:59:40 ID:qBrGtxCQ
139島左近:2006/07/15(土) 21:19:31 ID:tfPmXzZE
小早川秀秋が最悪
140名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 16:17:49 ID:ZCpkOp7j
宇都宮国綱も復興させて上げて下さい。

彼も三成派でしたし、10万石くらいで。
上野が空いてればうれしいですが、
あるいは東海道沿いで関東とのつなぎします。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 16:43:49 ID:2uOnfbpW
関ヶ原で西軍が勝ったら宇喜多秀家は関東に転封される予定だった
北陸の前田を取り込み、日本は実質宇喜多秀家の指揮の下におかれるだろう
142名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 20:32:11 ID:oz3YwNrc


平 塚 為 広 

143名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 20:32:52 ID:oz3YwNrc
>>141

前田家は利政が西軍方だから取り込みはないでしょ?
もっと勉強しなw
14479:2006/07/17(月) 22:21:33 ID:OUY+mzJ9
小野寺氏も加増だよな・・
145名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 22:41:22 ID:nbx5SaZO
>>143
前田と宇喜多は縁戚関係あるのだから取り込むというのは
そういう意味合いで内科?
146名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 00:05:50 ID:K2BTnuPh
143の無知ぶりにワロス
147あぼーん:あぼーん
あぼーん
148名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:34:53 ID:KZojkU/z
西軍が勝ったのも、我ら佐竹が小山で即座に徳川を奇襲したからだ。
あの時、惜しくも家康の首は獲れなかったが、
ほうほうの態で江戸に帰った徳川に、味方するのを躊躇した大名もあったようだ。
勇気のいる決断だったが、迷ってはおれぬ。
149島左近:2006/07/21(金) 21:43:13 ID:mwQcOlVo
筒井家家臣島左近義をもって、秀吉殿に味方する。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 05:21:51 ID:rocfoBuc
むむむ
151名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 06:14:54 ID:Ncr7aBtf
あの鶴翼最強
152島左近:2006/07/22(土) 17:22:51 ID:FpKm3Lcy
けっこうやるじゃないですか?
153名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 21:08:06 ID:3rrrfwgH
前田家って八丈島で暮らす宇喜多秀家にずーと支援してたらしい。
ちなみに浮田という名前は宇喜多の血筋だよ。
154奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/22(土) 21:42:46 ID:L2QzC76R
浮田同族会の会長さんは理由があって高山さんだけどね。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 22:01:36 ID:v4IczaWP
>>149
読みづらいからどっかで区切ってくれ・・
156名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:07:45 ID:bD57Qtbu
ムサシが大暴れする
157あぼーん:あぼーん
あぼーん
158島左近:2006/07/31(月) 21:10:24 ID:BORjkV1B
>>>155
すいません。
では………
筒井家 家臣島左近 義をもって、秀吉殿に味方する。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 16:54:19 ID:344P8Gw7
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1141536641/880
>880 :水先案名無い人 :2006/07/05(水) 16:07:42 ID:zicj6S0w0
>秀秋「私は西軍だ!」
>秀家「・・・」
>秀秋「早く関白にしたらどうなんですか」
>三成「いや、先に東軍を攻めろよ」
>秀秋「この軍勢は、最大限守ってあげたい」
>三成「東軍と密約してるんじゃねえの」
>秀秋「どのようにして、その先入観を打ち破る事が出来るのか。本当に悩ましい」
>吉継「西軍ってことは松尾山から降りてくるのか?俺、藤堂隊と戦ってるぞ」
>秀秋「この一方的な攻撃。この風景。こんなところに軍勢を投入したらかなわないと感じるのは当然」
>三成「だったら西軍だなんて言うなよ」
>秀秋「一言聞いただけでガセだと決め付ける、卑怯千番、もっとも恥ずべき行為」
>吉継「寝返りのほうが卑怯だよ。早く降りて来い」
>秀秋「どのような条件をクリアすれば、西軍だと認める事ができるのか、知恵を貸してください」
>三成「おまえが西軍だって言ってるんだろうが」
160名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 20:34:44 ID:kwgrjBYz
前田家はどうするんだ?
161島左近:2006/08/14(月) 14:38:54 ID:X48lPwOa
関ケ原脱出
162島津義弘:2006/08/16(水) 07:18:58 ID:eLIsGjyY
決死 敵中突破
163名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 17:00:28 ID:3NVrOOqP
では、
・小早川秀秋、東軍を攻撃
から始めようか。
164名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 18:41:23 ID:bWJM8SCe
ではつられて長束、長宗我部、安国寺、吉川、毛利なども攻撃してみようか。
165名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 19:44:14 ID:CBHI1TLU
吉川も去就に困るよ。
家康が勝てば豊臣家における毛利家の小早川隆景のようになろうという
野心が・・結局家康が勝ち目薄くなっては・・
 このまんま傍観したりしたらやばい。
とりあえず西軍として行動し・・・秀元か広家が家康か四天王クラスの
首をあげとかないと、後々やばい。
 関東征伐は大阪から輝元をひっぱりだして総大将になっていただくことを
強引に主張すればいい。
166島津義弘:2006/08/19(土) 22:30:30 ID:hpkq60ui
敵はいず方が猛勢か
東の敵最も優勢
167小早川秀秋:2006/08/19(土) 22:36:14 ID:hpkq60ui
これより我らは、徳川殿に味方する
168小早川秀秋:2006/08/19(土) 23:10:45 ID:CBHI1TLU
てーのは冗談でやっぱ西軍、全軍福島を攻撃しる。
169名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 00:37:18 ID:4mkNgDfx
>>84-85
>ただ、この場合、空いた備前備中に誰を入れるかという問題がある

西軍勝利で三成の勢力が増大するとしたら、兄重家や娘婿の福原長尭の線
もありでは。毛利もお家第一で状況次第でどう転ぶか分からん(黒田如水あたり
と連合する可能性もあるのでは)ので監視兼押さえとして、ただ彼らは小大名
なので大谷の傘下大名であろうが
170名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 02:30:13 ID:n2rhRm/j
171毛利輝元:2006/08/20(日) 15:14:14 ID:ZfTKMHuj
どうやら間に合ったようじゃな。よし、手始めに裏切り者の金吾めの手勢に横槍を入れよ!刑部殿を援護するのじゃ

小早川裏切りから10分後、毛利勢4万着陣
172島左近:2006/08/20(日) 21:29:12 ID:4tnwYK6Z
さぁてどっから攻めっかなぁ………
173島津義弘:2006/08/20(日) 21:31:12 ID:4tnwYK6Z
敵は、本多忠勝にあり
174名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:05:45 ID:C/9wh//x
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]


【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。

1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。

上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。

謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである

本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
175島左近:2006/08/22(火) 10:28:14 ID:9zeZOCgD
ここから怒濤のように徳川の首を取るのだ
176名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 12:19:35 ID:7ruMh/ED
そして小早川幕府誕生
177名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 13:28:42 ID:1+T5WJ2g
>>176
何が
178名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 17:07:32 ID:b+xm3c0E
一応無難に豊臣姓を名乗ってから幕府にすると思うな。
そうすりゃ関白太政大臣と征夷大将軍 朝廷と幕府の極官を豊臣家
179名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 12:28:27 ID:JYTAFCMn
>>169
>娘婿の福原長尭
大垣城の攻防戦の後なら長尭も一国を任されてもおかしくないけど。
あれは西軍の会戦での敗北があってはじめて発生した戦闘だからな
西軍大勝の後ではいくら三成が長尭の能力を評価して封じたとしても
政の壟断ととられるだろうな。

関係ないが長尭は三成の娘婿なのか妹婿なのか資料によって全部
違うな
180名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 00:25:39 ID:mJq2g95f
関ケ原 キタ━(゚∀゚)━
181名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 00:32:32 ID:mJq2g95f
キタ━(゚∀゚)━キタ━(゚∀゚)━キタ━(゚∀゚)━キタ━(゚∀゚)━キタ━(゚∀゚)━キタ━(゚∀゚)━
182名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 19:47:22 ID:xKZZs4qY
福島正則・加藤清正とか秀頼が出陣すれば寝返るとかよく言われるけど、
秀頼が来たところで、「三成に操られてる」と思われるだけで正直意味ないと
思われ。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 20:01:14 ID:JcOf7RM/
寝返りはないが、意味がなくもないだろう。明らかに戦局に影響が出る。

少なくとも大義名分の関係から例え操られてると吹聴しても東軍は
秀頼本隊への攻撃をするわけにいかないし、明確に「西軍」として
参加されたらやっかいな事になるのは確かだと思うぞ。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 21:44:05 ID:Mrigmy8K
関ケ原決戦
(武田対上杉)
185名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 00:35:28 ID:qaX1m+5L
>>183
賤ヶ岳の戦いでとった利家の撤退のように
戦わずになんとか済まそうとするかもね
186名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 18:30:48 ID:dQuO1WJV
>>184
ばかたれ
187名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 11:47:38 ID:Oy6/9Yeo


  `¨ − 、     __      _,. -‐' ¨´
      | `Tーて_,_` `ー<^ヽ
 秀秋   |  !      `ヽ   ヽ ヽ家康
      r /      ヽ  ヽ  _Lj
 、    /´ \     \ \_j/ヽ
  ` ー   ヽイ⌒r-、ヽ ヽ__j´   `¨´
           ̄ー┴'^´
188名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 14:24:35 ID:FISpITGk
  `¨ − 、     __      _,. -‐' ¨´
      | `Tーて_,_` `ー<^ヽ
 三成   |  !      `ヽ   ヽ ヽ正則
      r /      ヽ  ヽ  _Lj
 、    /´ \     \ \_j/ヽ
  ` ー   ヽイ⌒r-、ヽ ヽ__j´   `¨´
           ̄ー┴'^´
189名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 22:38:02 ID:S28Mf3sQ
上杉、戦意の低い最上と伊達に備えだけ残して、南下

南下した上杉に呼応して、佐竹も動く

宇都宮で結城・蒲生VS上杉・佐竹睨み合い

次の方、続き頼みます
190名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 21:15:43 ID:kJRMZ5/5
江戸で家康動けず、福島正則、黒田長政ら豊家恩顧の大名たちで西上開始
191名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 23:10:09 ID:Q8MRZM6K
伊達最上が上杉領に進行開始
192名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 06:59:44 ID:45ofvjJe
  `¨ − 、     __      _,. -‐' ¨´
      | `Tーて_,_` `ー<^ヽ
 直江   |  !      `ヽ   ヽ ヽ家康
      r /      ヽ  ヽ  _Lj
 、    /´ \     \ \_j/ヽ
  ` ー   ヽイ⌒r-、ヽ ヽ__j´   `¨´
           ̄ー┴'^´

そこで家康と直江が単独講和ですよwww
193名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 00:27:17 ID:fKjB9P8m
京都あたりで激戦すりゃ勝つんだよ。ははは。品川さんはスゲースゲー。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 00:45:45 ID:mg/hSkod
`¨ − 、     __      _,. -‐' ¨´
      | `Tーて_,_` `ー<^ヽ
 三成   |  !      `ヽ   ヽ ヽ家康
      r /      ヽ  ヽ  _Lj
 、    /´ \     \ \_j/ヽ
  ` ー   ヽイ⌒r-、ヽ ヽ__j´   `¨´
           ̄ー┴'^´
が最強だろw
195名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:48:01 ID:kX7AGA/k
上杉、毛利が戦闘に加わわらないと厳しいよな
196名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 23:00:15 ID:0LB/Ii5C
逆にそれで勝っても
上杉、毛利が第二の徳川になるだけ。
197大友義統:2006/10/16(月) 19:31:45 ID:OzEMTUZ6
俺の事、忘れてない?
豊後府内2万石でいいからくれよ。
ほら、宗茂もOKって行ってるからさ〜。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 19:34:12 ID:NagY7UqK
>>196
なるかよ

何でもかんでも、政権が潰れるみたいな思い込みやめろよ
199名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 22:58:30 ID:1dSIGTQ8
>>198
>>政権が潰れるみたいな
そんなことはいっていない。
普通に前田が失脚して徳川が失脚すれば
三大老の位置付けが上昇するだろ?

前田と徳川で受け持っていた豊臣後見と天下政務代行を
徳川打倒に功労した毛利や上杉が、ある程度の範囲で
担う形はありえるんでないの?
200丹波:2006/10/16(月) 23:13:05 ID:BBWQu9WV
卜部←なんて読むでしょう!?(^σω^)
201名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 13:59:41 ID:xsH39luR
近江  石田三成
伊勢  大谷吉継
備前・備中・備後・美作  宇喜多秀家
播磨・但馬・淡路  小早川秀秋
豊前・豊後  小西行長
肥後  加藤清正
筑前  黒田如水
筑後・筑前一部  立花宗茂
肥前  鍋島勝茂
肥前唐津  龍造寺隆房
薩摩・大隈・日向一部・琉球  島津義弘
伊予半国  小早川秀包
土佐・伊予半国  長曾我部盛親
紀伊  長束正家
大和  増田長盛
丹波  前田玄以
丹後  小野木重勝
美濃半国・尾張  織田秀信
美濃半国  伊藤盛正
飛騨  戸田重政
三河  平塚為広
信濃  真田昌幸
越前  福原長尭
安芸・周防・長門・石見・出雲・隠岐  毛利輝元
越後・会津・出羽米沢  上杉景勝

こんなところでしょ・・・



  





202名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 14:20:48 ID:xsH39luR
志摩    九鬼嘉隆
遠江掛川  田丸忠昌
遠江浜松  岸田忠氏
駿河    毛利勝永
甲斐    浅野長政
伊豆・相模・武蔵  徳川秀忠
上総・下総・安房  結城秀康
常陸    佐竹義宣
陸奥白河  熊谷直盛
陸奥仙台  伊達政宗
陸奥相馬  相馬利胤
陸奥盛岡  南部利直
陸奥弘前  津軽為広
出羽山形  最上義秋
出羽秋田  秋田実季
蝦夷松前  松前慶廣

東国はこんなもんでは・・・



203名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 16:31:46 ID:LZc/Iziz
とりあえず君が加藤清正とか伊達政宗とか結城秀康とかが大好きで、小野寺義道が嫌いなことがわかった
204名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 19:23:09 ID:ttewcv7x
なんかお子様臭が漂いますね
205名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 12:23:35 ID:nBB++daS
それっ
206名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 14:11:30 ID:/PBIL3CL
もう一回鎌倉時代に逆もどり。

えた、ひにんはできてたかな?
207名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 11:06:43 ID:4KO6A5Oj
>>201
かなりいい線とは思うけど、加藤や黒田に加増する理由がないと思いますが…。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 11:58:48 ID:41MS43P0
統率できない
209名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 02:49:00 ID:I2ci29Yy
>>208
詳しく
210名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:59:48 ID:EO5PClaV
西軍勝利後、西軍の主力として活躍した宇喜多秀家の名声が急速に高まる。
三成の後押しで太政大臣に就任、政治の実権を握る。豊臣秀家と名乗る。
(三成に近い上杉、佐竹、親戚関係にある前田、宇喜多と親しい島津、
政治の安定を望む毛利ら有力大名がこれを支持ですんなり決定)
宇喜多、岡山周辺100万石に加増+飛び地に100万石
5大老制の復活。
毛利、前田、上杉に加え、島津、毛利秀元(または佐竹、直江)
が新たに就任。
(上杉、佐竹は徳川の残党狩りの功労が認められ大幅加増、
直江は独立、100万石大名クラスに)
宇喜多と豊臣(羽柴)は対立せず、豊臣に50万石加増で懐柔。
小早川は100万石に加増。
宇喜多、羽柴、小早川は御三家のような関係に。
で安定政権が続く。

211名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 19:51:33 ID:K44RKr4b
>>201
亀だが
なんで毛利は減封されてるんだw
212名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 19:46:44 ID:8g7fBWNY
西軍の圧倒的な完全勝利の場合、例え天下が安定しても
 西の毛利と東の上杉が、秀吉没後の徳川の如く巨大化してしまう。
特に徳川を破るのに毛利の名と権威を用いて動員したのと
東国で孤塁を守りつつ西軍として旗幟を鮮明にしていた上杉の存在感
東国西国で諸侯を動員する大義名分と先例を手にしてしまった以上
 関が原前の徳川よりも危険な存在になるだろう。
が徳川を排除した以上もはや上杉毛利を排除する手立ても無く
むしろ天下を無事に治め全国支配体制を確立するのに、毛利と上杉という
東西の二大巨頭の協力を仰ぐしかなくなる。

 そして中央では宇喜多が幅を利かせるが、軽量級過ぎる。
「西は毛利、東は上杉」という構図の中で埋没していってしまうだろう。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 21:40:16 ID:yX5PtwVG
その上杉を抑えるために、
戦功抜群の宇喜多を150万石程度に加増し、関東に転封するのです。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 17:41:14 ID:6HwntEfp
>>210
維新勢力は逆に関東・東海諸藩から生まれるのか

ただ豊臣政権は外向きだから
史実のような激しいウエスタンインパクトは無いだろうが
215名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 19:52:01 ID:9Jl1EQ4O
伊達や前田はどうなるんだよ
216名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 19:54:17 ID:n1JykYME
取り潰しです

三成は、その辺容赦ないからね
217名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 13:37:15 ID:1p40+ild
秀宗や利政が縁も所縁も無い土地で家名存続出来れば御の字かな?
関ケ原後の立ち回り方次第だけど
218名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 19:50:44 ID:vguS13Th
利政は途中から西軍より中立に転じたから減封程度で済むかもね
秀家の縁戚として前田家を残す場合、利長の本家を改易する事で前田家への処分は終わらせて
能登一国を安堵されるかもしれん
219名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 18:25:20 ID:6WPSxryU
黒田如水が両軍が戦闘している隙に天下を取ろうとしていたってのはデマですよね?
あの状況じゃどう考えても無理でしょう?
220名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 20:38:09 ID:QvSpxuEp
>>219
本当に狙っていたという説はある。物証は無いけど。
221名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 23:16:56 ID:JpnEbRjE
関白秀秋か・・・これもまた火種になりそうだな
222名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 05:06:29 ID:iGixxJwg
如水は
「大丈夫、俺が説得してくるよ〜」→監禁される
というヤツだ。本気で天下狙う馬鹿でもなんら不思議ではない
223朝廷使者:2007/02/08(木) 08:30:42 ID:oSnr80/k
東軍二百万の軍勢がこちらに向かっております(^O^)/
224名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 18:13:08 ID:5GR1EwE/
関ヶ原が一日で終わらず、再び乱世になってたら
如水はもっと長生きしてたろうな
225人間七七四年:2007/02/13(火) 09:48:16 ID:8pl3G7jy
幽斎を失うのは朝家の嘆きである−−−
源平以来、ひたすら政治から目を逸らしてきた朝廷が、いにしえの国家権力のような毅然とした態度をとったのはなぜだろうか
226モグタロー:2007/02/14(水) 06:27:51 ID:IBFhX6wu
伊達政宗、最上義光、徳川家康、前田利長、浅野幸長、池田輝政、福島正則
細川忠興、藤堂高虎、加藤清正は改易ね
227人間七七四年:2007/03/04(日) 18:44:13 ID:rCL89Aew
西軍が勝ってほしかった。三成好きの俺には
228人間七七四年:2007/03/04(日) 20:58:30 ID:YrmTahZV
そんなおまいに
つ【小説 反関ケ原】
229人間七七四年:2007/03/05(月) 02:20:30 ID:iG1rg548
三成が勝つって事は、本来豊臣家の正規軍であった東軍が壊滅するという事だから
豊臣家自身の戦力がごっそり消えちゃうわけで、三成の意図に反して豊臣権力は、権威だけの
末期足利政権状態になって戦国時代に逆戻りするだろうね、日本は。
230人間七七四年:2007/03/05(月) 06:52:39 ID:k/zI1p0D
上杉毛利宇喜多島津が参加してない軍を正規と言われてもなぁ
231人間七七四年:2007/03/05(月) 17:20:15 ID:uAapteq4
家康や秀忠・秀康は江戸に逃げ帰る。子飼いの猛将はほとんど討死。
内大臣なので切腹・改易はない気がする。江戸と周辺の70万石程度に減らされる。

豊臣恩顧は前田以外は軒並み改易。但し、やり手の伊達・黒田・最上は安堵を勝ち取る。100万石以上になるのは上杉、毛利、島津、織田秀信、長宗我部の五家。
50万石以上では小早川、宇喜多、真田、小西、伊達、佐竹。

小早川・宇喜多・石田の血縁&猶子組で秀頼の豊臣宗家を支える形。豊臣姓や関白職の持ち回りもありうる。
232人間七七四年:2007/03/21(水) 23:56:07 ID:/LyBZ7Ml
>>201 三河 平塚為広泣ける。
233人間七七四年:2007/03/22(木) 00:06:02 ID:zGtSfLOe
真田昌幸、信繁親子が江戸に侵攻して関東を平定し、新たに天下獲り
の名乗りを上げ、三成を討ち果たすだろう。
234人間七七四年:2007/03/22(木) 07:39:44 ID:ckdMI72B
島津本格参戦なら半日で西軍勝利ノーサイド

家康、三方が原以来の脱糞
235人間七七四年:2007/03/22(木) 13:58:59 ID:hti+hVZK
関が原西軍勝利でも家康討ち死がないかぎり
決着はつかないでしょ
東海道ー関東で(秀忠軍と合流後)もう一度大会戦になるか
長期膠着になるかどちらか


236人間七七四年:2007/03/22(木) 20:19:40 ID:qx5/PzDQ
石田光成が結構人気あるんは

関が原で清く散ったからだろ
あの清さと一途なところが人気なんじゃねーの??


と光成派の俺は思うw
237人間七七四年:2007/03/22(木) 20:23:05 ID:6BjX8d+h
ヒント:茶
238人間七七四年:2007/03/22(木) 20:28:40 ID:qx5/PzDQ
>>237

大谷のゲロ飲んだってやつ??
あれガチなんかwww
239人間七七四年:2007/03/22(木) 23:37:17 ID:XvN8Yih4
三 成 で す よ YO ! !
240人間七七四年:2007/03/24(土) 16:23:38 ID:lOYSxbPn
で、400年後にはどうなる?
241人間七七四年:2007/03/24(土) 21:45:32 ID:g96IjLRp
>>231は石高認識力すげーな。確かにそうなる思う。何にせよ隆景、利家が会戦前に亡くなったのは西軍不利の一因。
242人間七七四年:2007/03/25(日) 06:14:13 ID:FRQj6aqt
今酷いじえ(ry
243人間七七四年:2007/03/26(月) 23:16:01 ID:YDLXjdQF
どう見ても毛利家のあほ過ぎが敗因だな
江戸時代を切り開いたのが毛利家なら終わらせたのも毛利家とはコント以外の何者でもない
244人間七七四年:2007/03/30(金) 19:21:15 ID:XJVch5+i
吉  川  が  一  番  ア  フ  ォ
245人間七七四年:2007/03/30(金) 19:29:26 ID:zZv7NS8Q
西軍が勝ったら、江戸時代のような260年の泰平はまずないだろうな
1700年頃に第二次戦国時代スタート
246人間七七四年:2007/03/30(金) 20:35:53 ID:NWT0zh8q
豊臣秀頼関白就任で戦国時代終了だよ、糞ボケ
247人間七七四年:2007/03/30(金) 20:56:47 ID:lA3X9IfO
>>231
>100万石以上になるのは上杉、毛利、島津、織田秀信、長宗我部の五家。
>50万石以上では小早川、宇喜多、真田、小西、伊達、佐竹。
開戦時に既に50万前後の石高持って主力を成した小早川宇喜多は現状維持で
島津と長宗我部百万てありえんだろ。
248人間七七四年:2007/04/01(日) 14:43:20 ID:4GtKq+fL
247に同意。
島津は脅威の対象だし、四国は京に近いから、外様には与えないだろうな。
織田秀信が100万石ってのは面白いな。岐阜城落ちても、
もらえるかは不安だが。
249人間七七四年:2007/04/02(月) 17:29:09 ID:Y5jimeng
脇坂安治・朽木元綱・赤座吉家・小川祐忠らも微加増しそうね。
気に食わんけど。
250人間七七四年:2007/04/02(月) 17:39:09 ID:Y5jimeng
織田信秀13万石
長宗我部盛親22万石

これら小大名が一気に100万とかありえん。
家康の首挙げてもムリだろ。
251人間七七四年:2007/04/02(月) 17:43:03 ID:Y5jimeng
とりあえずwikiから拾ってきた関ヶ原時の西軍諸将の石高
毛利輝元 120.5
上杉景勝 120
宇喜多秀家 57
島津義弘 56
小早川秀秋 35.7
石田三成 19.4
小西行長 20
増田長盛 20
小川祐忠 7
大谷吉継 5
脇坂安治 3.3
安国寺恵瓊 6
佐竹義宣 54.4
織田秀信 13.5
長宗我部盛親 22
朽木元綱 1
赤座直保 2
吉川広家 14.2
長束正家 5
毛利秀元 20
戸田勝成 1

これがどういうふうに加増されるか予想しね?
252人間七七四年:2007/04/02(月) 21:06:47 ID:ITYp9NHh
活躍と兵数次第だろうなー
253人間七七四年:2007/04/04(水) 10:19:05 ID:cnskW1bv
三成、吉継はそのまま、上杉は越後復帰
あいた会津はどうしようか…。直江山城と真田で折半くらい?
254人間七七四年:2007/04/04(水) 10:55:28 ID:HPYLtC5N
どうだろ?
石田三成と小西行長は、関ヶ原前に、自身の兵力が少ない事で
「太閤様が生前50万石の加増をして下さるときにお断りしなければよかった」
と後悔した
って逸話もあるから、今後敵対勢力に対抗するためにある程度の石高は
有するんじゃなかろうか?

石田三成→南近江・山城 60万石  
小西行長→筑前・筑後 60万石

255人間七七四年:2007/04/05(木) 18:22:28 ID:ASevOEzA
>>254
小西行長は、加藤清正をどっかへ動かして肥後一国加増で充分じゃね?
福島正則、黒田長政は改易。加藤清正と藤堂高虎は転封。
256人間七七四年:2007/04/06(金) 17:18:55 ID:BGWtZMUq
加藤清正は小西行長が必死に嘆願した結果斬首と相成りました。
257人間七七四年:2007/04/06(金) 20:53:18 ID:hfXAz3Se
ワロタw
258人間七七四年:2007/04/15(日) 23:44:48 ID:NdKvsO2/
伊達政宗は佐竹・上杉が打ち合わせたとおり、あっさり斬首と相なりました。
259人間七七四年:2007/05/08(火) 16:32:03 ID:9WCjM4LD
黒田長政は如水が見捨てたのであっさり斬首となりました。
260人間七七四年:2007/05/08(火) 20:19:02 ID:nAdmTTBs
安国寺の坊様に大加増するべきだろ〜毛利一族を西軍に加担させた功労はでかい。
外交に長けて存在価値は大きい。決戦では笑いが止まらんほど弱かったけどな。
261人間七七四年:2007/05/09(水) 02:42:37 ID:KyVi/2Xy
毛利輝元 120.5→分家領を宗家領に
吉川広家(14.2)→豊前小倉35へ加増移封
毛利秀元(20)→備中岡山40へ加増移封

安国寺恵瓊 6→伊予宇和島8を加増
上杉景勝 120→越後一国を加増、ただし形式上は分家
宇喜多秀家 57→駿河、相模、伊豆、武蔵四国へ加増移封
島津義弘 56→日向一国加増+琉球貿易権
石田三成 19.4→越前、近江二国+堺の支配権
小西行長 20→肥後一国+長崎の支配権
増田長盛 20→伊賀半国を加増
大谷吉継 5→加賀一国へ加増移封
佐竹義宣 54.4→下総一国加増
織田秀信 13.5→美濃一国+尾張半国加増
長宗我部盛親 22→伊予松前10、阿波半国を加増
長束正家 5→伊勢上四群+伊賀半国へ加増移封
戸田勝成 1→若狭一国へ加増移封
小早川秀秋 35.7→上野、下野二国へ移封+関白就任
小川祐忠 7→伊勢下四群へ移封
脇坂安治 3.3→能登のうち8
朽木元綱 1→紀伊のうち3
赤座直保 2→飛弾のうち5

徳川→家康隠居+安房上総二国へ減封
前田→利長隠居+越中一国へ減封
真田→信濃半国に加増
黒田→現状維持

大友→豊後半国に復帰
立花→豊後、筑後の一部を加増
鍋島→筑前半国を加増
丹羽→三河一国へ加増移封
加藤清正→減封移封
伊達、最上、津軽など東北の東軍諸藩→領地の1/3を天領に
生駒、蜂須賀、九鬼など親族で東西に別れた藩→石高維持で移封
他、東軍主力→改易
262人間七七四年:2007/05/09(水) 18:43:00 ID:SdEDggL1
>毛利輝元 120.5→分家領を宗家領に
>吉川広家(14.2)→豊前小倉35へ加増移封
>毛利秀元(20)→備中岡山40へ加増移封

毛利輝元 120.5→分家領を宗家領に
吉川広家(14.2)→能登七尾城へ転封
毛利秀元(20)→斗南へ転封

領土増やすにしても隣接地へは与えないとおもう。
263長門 ◆q8GdomS4XA :2007/05/10(木) 04:47:16 ID:UXIJNbuE
>>261
優しすぎる。
斬首
清正、正則、一豊、家康と井伊・松平
徳川は結城にやればよい。
追放・減封
最上・伊達・南部・津軽・藤堂・細川・前田・黒田
北陸に穴が空くから安国寺、吉川広家あたりを配置すればいいんじゃね?
ただ津軽領や南部領なんかどうでもよさそうで許しそうなきもするなぁ
っか西軍は外様西日本大名多いから配置代えが難しいな
それと佐竹は現状維持でいいのか?どうみても東軍よりの行動してたんだが。

合戦後の裏切りなんかも少し仮定しないと安堵とか決めれないしねぇ
伊達辺りは上杉と和睦してることを生かしてなんとかしそうだし
佐竹は関東で手柄たてそうだし
264人間七七四年:2007/05/10(木) 06:21:29 ID:ootF4Pdg
信長は底辺からの成り上がり者で弱者の希望。王座の位に就いても歴を問わない無差別実力主義者。更に国際派であり他国との交流も盛んであった。

それに比べ豊臣秀吉は最低のアホ。鎖国、検地刀狩り、キリスト禁止令、更には朝鮮出兵等ろくな事してない。
265人間七七四年:2007/05/11(金) 12:48:12 ID:9PM+/Bma
馬鹿晒しあげ
266人間七七四年:2007/05/13(日) 02:02:58 ID:e74tGc4W
関東

伊達軍への牽制
相馬 6→10 仙台
岩城12→20 白石

結城・蒲生軍を一揆扇動で釘付け
宇都宮再興 10 宇都宮

徳川軍への奇襲
多賀谷6→20 下野小山
267人間七七四年:2007/05/15(火) 19:57:06 ID:KguElkEQ
関ヶ原で勝つなら
関東で少しは東軍にヒヤリとさせてやらないと
一番良いのは革籠原で上杉佐竹が東軍を敗走させることだが、
そうすると三成の出番なくなっちゃうね
268人間七七四年:2007/06/18(月) 16:17:49 ID:qAjWI6Ej
宇喜多には伊豆七島をあげればいい
269人間七七四年:2007/06/27(水) 16:32:24 ID:6gDbUbfJ
宇喜多は備前などに加え、八丈島を加増。ただし、当主は八丈島在住を命じられる
270人間七七四年:2007/06/27(水) 16:59:44 ID:A9L5KGpY
宇喜多秀家には全水軍を率いて唐入り
日本の全船団を背後に従え先頭を泳ぐ秀家公
271人間七七四年:2007/06/27(水) 22:35:32 ID:acTLLvO8
豊臣秀頼の加増は?
272人間七七四年:2007/06/29(金) 23:49:29 ID:AIZD0S8q
毛利の領地がすごいことになりそう
273人間七七四年:2007/07/07(土) 00:21:49 ID:jegOOXNt
どーせ西軍が勝ったところで、
三成は宇喜多秀家を関白に立て、
のちに秀頼を攻め滅ぼしたと思うよ。
274人間七七四年:2007/07/07(土) 01:23:45 ID:ikXHk8au
なにその電波妄想
275山形義光:2007/07/07(土) 10:01:15 ID:Ro92IP82
歴史語る時点で妄想入ってるから
276人間七七四年:2007/07/08(日) 11:33:08 ID:jedNwk0h
関が原の西軍に最盛期の山名一族がいて山名宗全(持豊)や宗詮(祐豊)が
大将だったら?
徳川勢は島津や大阪の陣の真田のように直線的に攻められるともろい面がある
山名勢は赤松討伐戦でみせたとおり、攻めだしたら直線的な猛攻が得意。
関が原では島津のわずか1000名ほどの軍勢に崩されそうになった徳川軍だが、
六分の一殿の山名であれば少なくとも1万5千、多ければ4〜6万ほどの軍勢が
家康の本陣に猛攻をかける。そうすればワンサイドで終わったかもしれない。
えっ、その前に家康は謀略を使うだろうって?・・・大丈夫!田舎者の山名勢には
謀略は通じない。
最盛期の山名勢は野戦では徳川勢に負けないと思う。
277人間七七四年:2007/07/08(日) 14:29:59 ID:JXmzdE7Z
>>272
毛利こそ加増したら豊臣家に恐れられる存在になってしまうからだめだろ。
278人間七七四年:2007/07/08(日) 15:01:15 ID:YGbku0cf
>>276
マジレスすると宗全の時代の山名家は都会人。
279人間七七四年:2007/07/13(金) 14:26:18 ID:7JrICAmJ
せっかくケヒョケヒョ笑ってたのに〜
教えちゃダメぜよ
280人間七七四年:2007/07/27(金) 17:37:45 ID:sV3wJ3G5
>>261
宇喜多秀家を真っ先に探してしまう自分がいる
本当好きなんだな
281人間七七四年:2007/08/18(土) 20:39:38 ID:6DG004ZT
毛利輝元 120.5 →分家領を宗家領に
毛利秀元 20→豊前小倉32に加増
吉川広家 14.2→因幡鳥取26加増
安国寺恵慶 6→伊予宇和島12に加増
上杉景勝 120→旧会津領に加え、旧最上領、越後加増
宇喜多秀家 57→武蔵、相模、伊豆110に加増
島津義弘 56→薩摩、大隈、日向、肥後半国86に加増
小早川秀秋 35.7→播磨、但馬、備前、美作、淡路120に加増
石田三成 19.4→近江一国83に加増
小西行長 20→筑前一国52に加増
増田長盛 20→紀伊一国39に加増
大谷吉継 5→伊勢半国28に加増
佐竹義宣 54.4→下総、上総を加えて120に加増
織田秀信 13.5→美濃一国58に加増
長宗我部盛親 22→阿波を加えて40に
長束正家 5→丹波一国28に加増
真田昌幸→信濃半国、甲斐一国50に加増

南部は当主隠居で本領安堵
津軽は当主隠居で本領安堵
伊達は所領安堵
最上は改易
相馬は所領安堵
岩城は所領安堵
秋田は所領安堵
徳川は家康隠居で三河、遠江63に減封
結城は所領安堵
福島など豊臣恩顧で関ヶ原参加の大名は改易
前田は利政が能登一国安堵、利長が越中一国に減封
蜂須賀は越前に移封
生駒は所領安堵
立花は筑後一国、肥後半国に加増
鍋島は肥前一国に加増

五大老は毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、佐竹義宣、島津義弘
五奉行は石田三成、小西行長、大谷吉継、増田長盛、長束正家

関白には小早川秀秋が就任するが、後に秀頼との間で亀裂が生じ天下を二分する戦いに
豊臣方…石田、上杉、佐竹、真田、大谷、織田、長宗我部、立花………
小早川方…毛利、小西、宇喜多、島津、徳川、前田、伊達………

東西を二分する戦いになる
東北では上杉が伊達と睨み合う
関東では上杉と佐竹と組んで宇喜多に戦いを挑む
北陸では前田が上杉に警戒しながら南下
真田は東軍に味方をしながら黙々と信濃、上野を切り取る
東海では徳川が駿河に進攻
上方では大坂城を乗っ取った小早川が籠城、豊臣5万の軍勢と戦いを繰り広げる
中国では毛利が小早川救援に大坂へ出発
四国では長宗我部が四国制圧に乗り出す
九州では小西、立花の連合軍が島津に戦いを挑む
282人間七七四年:2007/08/23(木) 14:06:12 ID:ER+Vrhld
カナリかけ離れた妄想についていけない・・・
283人間七七四年:2007/08/23(木) 14:42:33 ID:G/FYYfXO
天下は豊臣・毛利・上杉の三大勢力によって治められる

東北では上杉陣営上杉家VS無所属伊達家
関東では上杉陣営上杉家・佐竹家VS豊臣陣営宇喜多家
北陸では上杉陣営前田家VS豊臣陣営大谷家
甲信では無所属真田家がやりたい放題
東海では無所属徳川家VS豊臣陣営連合軍
近畿では伏見の豊臣陣営VS大坂の毛利陣営
中国では毛利陣営毛利家VS豊臣陣営小西家
四国では無所属長宗我部家がやりたい放題
九州では毛利陣営立花家・鍋島家VS無所属島津家
284人間七七四年:2007/08/23(木) 15:34:03 ID:wu+bs+wl
もうずっと前に勝ったんだからいいだろ。
285人間七七四年:2007/08/23(木) 19:56:56 ID:iLKtb3T3
琉球、台湾、ルソン、ミンダナオ、東南アジアに豊臣家の五七桐と千成瓢箪を立てるぞ!。
南に行こう。
286人間七七四年:2007/09/02(日) 22:20:09 ID:3/Kgfiow
とりあえず毛利が徳川の代わりとなって大老筆頭。
次席が「関が原首謀者」の宇喜多か会津で頑張った上杉か。
五奉行の筆頭が三成になって以下略。
287人間七七四年:2007/09/04(火) 16:14:01 ID:LbDdckrU
毛利は大老筆頭を辞退すると思う。あるいは大老の上に名誉職を設けて
合意の上で棚上げ
でないと警戒されすぎだろう。
 それか積極的に関東征伐のイニシアティブをとって
戦後の論功行賞と大名配置による再編成は大毛利の名と大老筆頭の権威で
行って毛利幕府の地ならしするとか・・(ま無理か・・)

 あと
吉川広家、毛利秀元、毛利元康の3名と小うるさい重臣をどっかの大名にやって
分家領を宗家領に家中統制を強めるだけでも毛利は豊臣の脅威だ。


288人間七七四年:2007/09/04(火) 23:15:13 ID:sJlOZddp
その前に、豊臣に忠誠尽くしてる秀元と内戦になるだろ
289人間七七四年:2007/09/05(水) 02:30:15 ID:WQnl1sd9
両川の小早川秀包と吉川広家が豊臣の天下か毛利の天下かで争いそうだね。
290人間七七四年:2007/09/14(金) 18:02:33 ID:9rr6kg0y
関ヶ原での戦闘が終了してもその後東征どうなんの?
清洲あたりで睨み合い?
家康だと寝技で毛利取り込んで
所領安堵はさすがに無理でも
割と穏便にすましてもらえるかも
で石田と戦後処理で対立しそう

東は上杉が最上倒して
佐竹はじっとしてるかな?
江戸よりも結城攻めそう
291人間七七四年:2007/09/14(金) 19:34:42 ID:bSuuT1AC
>>290
毛利と小早川が山を駆け下りれば、家康は退路を断たれる。
壮絶な包囲殲滅戦で東軍は壊滅するだろう。
尾張で戦線を維持するだけの兵力は残っていないと思う。
292人間七七四年:2007/09/21(金) 20:38:43 ID:rj0lplrP
皆さん楽しそうですね。
293人間七七四年:2007/09/24(月) 12:39:39 ID:lwHVDMXI
>>287
まあ西軍が勝つ場合は秀元が広家の制止を無視して参戦する、または元康の別働隊が関が原に
間に合ってる可能性が高いから、元康・秀元あたりは独立大名に取り立てられそうだな
後は半ば独立している秀包も正式に独立
んで毛利本家の加増は元康・秀元に分知されてた所領(場合によっては広家が改易されてその分も)
の収公のみと
それが毛利の力を削ぐ事になるのか、逆に求心力を高めることになるのかはわからんが

島津家に対しても参戦した義弘と豊久だけに加増、特に豊久あたりは四国か北九州あたりの島津本領
とは離れた場所に独立大名として配置されるかもな。
当主代理のような微妙な立場だった義弘を完全に別家として扱って島津を割ってしまうとか。
294人間七七四年:2007/10/21(日) 05:28:28 ID:Gfs4Q8lX
関ヶ原だぞえ!いしみちゃん
295人間七七四年:2007/10/21(日) 06:36:34 ID:W0lfVMn9
全部、如水に攻められて終わりだな
296人間七七四年:2007/10/21(日) 14:34:42 ID:4J5m+t6K
三成の計画通りに動けば東軍が勝てる確率は0
どれだけ優秀な指揮官が指揮しても東軍の勝率は0

包囲殲滅で家康は運さえ良ければなんとか生き延びれるかもしれないけど
福島あたり敵陣に突っ込んでた連中は確実に討ち死に

福島や東海道の大名が悉く討ち死にしようものなら東軍参加大名も西軍に寝返らないとまずいだろうしさ
徳川だけで戦うなんて事になれば逆賊扱いされるだろうし

てな訳で、関ヶ原でさえ勝ってしまえばなんとかなると思う


極端な話、安国寺恵慶は単身でも構わないから敵に突っ込むべきだった
さすがに見殺しに出来るはずもないから、毛利も動かざるを得ないしさ

長宗我部も晩年になって後悔するぐらいなら最初から突っ込めばよかったのにね
誰か一人でも動いたら連鎖的に動いたと思うんだ
297人間七七四年:2007/10/21(日) 17:22:13 ID:KJ1tPEeN
南宮山の部隊からは関ヶ原の戦況が見えないって話らしいけど…
吉川広家や毛利秀元に催促の伝令は行ってたけど長曽我部盛親にも行ってたのかな

吉川、毛利の後方にいては恵瓊も盛親も動けないか…
無理に出ようとしたら下手したら吉川隊に銃撃されたかもね
298人間七七四年:2007/10/21(日) 17:45:11 ID:wsrEnbgz
407年前の今日が決戦日だね
この時間だと既に西軍潰走してるけど(ノД`)
299人間七七四年:2007/10/21(日) 20:09:28 ID:PrZEZoPp
そもそも前の晩に突然大垣撤退と関が原迎撃を決めて僅か3,4万程の部隊で出撃って・・・
普通に大阪の毛利輝元率いる6万と立花・毛利を合わせた8万(小早川除外)で挟み撃ちすれば楽勝の筈。

無論西軍は四分五裂の状態だから家康が近づけば裏切り続出だったろうけど。
だからこそ三成も無謀な迎撃した訳で負けるべくして負けたとしか言えないよね。
300人間七七四年:2007/10/22(月) 12:38:37 ID:7LE7vAhP
もし家康を近江に入れてたらどうなっただろう

●輝元  ●立花  ○家康  ●石田  ○秀忠
  大坂    大津    近江    大垣  中仙道
301人間七七四年:2007/11/04(日) 20:43:00 ID:lQkKLLke
>>299
それだと大谷見殺し&小早川寝返りで、せっかく上がった士気がまた下がる。
関が原の出口に蓋をし、入口を閉じて包囲殲滅を狙った西軍の動きは必勝の策だった筈。


毛利さえ動けばね…
302人間七七四年:2007/11/06(火) 21:21:59 ID:ymyikXzY
毛利が活躍した場合
確かに勝てるけどさ。
徳川に代わって毛利の天下になるだけだろう。
徳川幕府にはならなかったけど
毛利幕府になりましたじゃ話にもならん。

 まあ、とはいっても
どっちにしても豊臣主導で動くことは不可能な事は
歴然としてるから豊臣は空中分解してしまうのは
遅かれ早かれ変わらないから
選択肢としては毛利幕府か上杉幕府もしくは宇喜多政権を執権として
その傀儡として生き延びるしかないのかもな。
303人間七七四年:2007/11/06(火) 21:53:49 ID:BdscE70Q
>>302
毛利幕府にはいかんだろう
徳川主力は残ってるし
九州では黒田も暴れてる
事態の早期解決には至らないんじゃ
304人間七七四年:2007/11/07(水) 19:03:10 ID:or+oqU7g
輝元は主体性がないし
朝廷動かしたり出来なさそうだし
幕府は無理でしょ
305人間七七四年:2007/11/17(土) 17:28:17 ID:uptcqtUN
西軍が勝利したら再び戦国時代に舞い戻ってゆくゆくは植民地だろう
306人間七七四年:2007/11/20(火) 08:06:32 ID:UwmbVUhk
豊臣対石田になったりして
307人間七七四年:2007/12/29(土) 14:02:44 ID:F4Qrf1v1
妄想
308人間七七四年:2008/01/02(水) 01:56:51 ID:EZj2E9SL
保守
309本多上野介正純:2008/01/03(木) 20:56:20 ID:HhmUl+Fp
そんなに欲しいのであれば、呉れてやればよいのです。東海道筋の東軍の城は全て手に入りました。美濃や伊勢に戦略的な価値など何も残ってません。石田治部も詰まらぬいくさを仕掛けたものです。上様
310:2008/02/16(土) 04:44:37 ID:fAOXo9hO
秀忠の別働隊、結城秀康の本国守備隊。

徳川家康の旗本が、無傷なのに、西軍が勝てるわけない。
311人間七七四年:2008/02/16(土) 06:57:07 ID:zbNffCon
毛利幕府になるかどうかはともかく

毛利家は海運を握って儲けていた御家だから徳川のような鎖国はしなかったんじゃなかろうか

312人間七七四年:2008/02/23(土) 09:49:37 ID:7BM3Rktr
植民地などありえん
313人間七七四年:2008/02/24(日) 20:51:04 ID:wG5BUSkn
関ヶ原の戦いに西軍が勝利してたら最終的に西軍が江戸城を攻囲して江戸の陣
とかありえたんだろうか。
314人間七七四年:2008/02/25(月) 07:57:05 ID:vZMICnzS
江戸では合戦にならないような
てゆうかその前になんやかやと赦されてそう
315人間七七四年:2008/04/13(日) 18:57:47 ID:w6zl87ly
11時からBS11で「もしも、関ヶ原の戦いで徳川家康が負けていたら」という番組をやるらしい
316人間七七四年:2008/04/22(火) 09:44:50 ID:UaHkwENx
三成が旗揚げしないで徳川が上杉に攻めかかってたら上杉勝てたかな?
317人間七七四年:2008/04/22(火) 09:48:15 ID:POrkIRG8
江戸で籠城するなら小田原で籠城した方がマシだろ
318人間七七四年:2008/06/20(金) 07:53:30 ID:gr28ffy9
関ヶ原時は未完だったか江戸城
319人間七七四年:2008/06/28(土) 13:31:04 ID:Ge6kJfaF
島津を滅ぼさなかったのは、詰めが甘かったな>家康
320人間七七四年:2008/06/28(土) 13:53:39 ID:BqWRxAuj
>>319
元気な島津厨がいるな

始めは東軍に付くつもりが、あんまり重要視されてなくて連絡が行き届いておらずに東軍に迎えてもらえず、
しかたなく西軍に付くがそこでも重要視してもらえず、
ふて腐れて関ヶ原では動かず、けっきょく邪魔しただけで何もしない内に家臣犠牲にして逃げかえるわ、
井伊の執成しで家康に許してもらえたのに、その恩まで忘れるわ
321人間七七四年:2008/06/28(土) 18:59:30 ID:E55sJBhs
その割に、本領全安堵のチキン徳川w
322人間七七四年:2008/06/28(土) 19:27:00 ID:BqWRxAuj
>>321
僻地にある土人の国には土人の領主がお似合いなんだよ
323奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/06/28(土) 20:24:13 ID:xkHPtt4J
煽りあいをネタにするのはアレなんだが、島津氏を懲罰的に移封するなら
たぶん川中島4万石だったと思う。
324人間七七四年:2008/06/28(土) 20:45:54 ID:EdeHQuS9
>>323
そこまでは減らんだろ、いくらか徳川とは交流あったわけだし。
あと、江戸に近すぎる。九州か四国のどこかだろう、せいぜい。
325奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/06/28(土) 21:03:28 ID:xkHPtt4J
んじゃ真田移して17万石かな。
326人間七七四年:2008/06/28(土) 21:44:45 ID:BqWRxAuj
まぁ島津に関しては義久は動かなかったし
義弘は徳川の援軍要請に応えて伏見まできてくれたのに徳川方の連絡不行届きで鳥居が追っ払っちゃって、それで怒って西軍に付いちゃったわけだし
関ヶ原でも特に積極的に何かしたわけでもないから、酌量の余地は充分あるし
追撃して負傷したはずの井伊までが「島津許してやって」ってうるさいし
薩摩遠いし
政治的にも島津はそのままが一番なんだよ

それを勘違いしてる島津厨がいるのが…
327奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/06/28(土) 21:52:17 ID:xkHPtt4J
そう言ってしまうと毛利の減俸が問題になるわけで。
328人間七七四年:2008/06/28(土) 21:55:16 ID:BqWRxAuj
>>327
毛利は名目上西軍の総大将だし、ケジメだわな
領土もちょっと多過ぎるし
329奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/06/28(土) 22:00:16 ID:xkHPtt4J
南国の70万は採るに足らなかっただろうか。
330人間七七四年:2008/06/28(土) 22:08:25 ID:BqWRxAuj
>>329
いいんじゃね?
元々中立&援軍だったんだし
331人間七七四年:2008/06/28(土) 22:10:50 ID:lSQOmIyo
中立どころか関ヶ原で寝返ったにもかかわらず取り潰された大名もいるわけだが
332人間七七四年:2008/06/28(土) 22:14:10 ID:BqWRxAuj
>>331
だから薩摩は遠いし
それと井伊が執り成したって簡単に書いたけど、これ散々揉めたからね
井伊に感謝しろよ
333人間七七四年:2008/06/28(土) 23:13:16 ID:EdeHQuS9
まぁ、解明困難なとこだから、ここまでにしようか、他スレでも散々話題になったし。

はい、西軍勝利の話の続きをどうぞ。
334人間七七四年:2008/07/02(水) 21:25:00 ID:embA24eg
>>332
薩摩国境まで詰めた黒田・加藤軍がいたんだけどな
335人間七七四年:2008/07/02(水) 23:24:50 ID:CO4ufCYP
チェストー!
チェストで関ヶ原大勝利!ちぇぇいすとぉぉん!
336人間七七四年:2008/07/15(火) 17:53:35 ID:DZE9e96f
会津革籠原決戦が実現したら上杉佐竹勝てたか?
上杉の予定どおりだと必勝の作戦に思えるが

確か徳川の先鋒て福島池田秀忠とかだよな
士気とか高くなさそうだ
337人間七七四年:2008/07/29(火) 18:29:38 ID:J72eeLtz
なあ
>>319は結果として300年後に薩長が中心になって倒幕されたということを
言いたいんじゃねーの?
どこから島津厨とかいう話になるんだ
338人間七七四年:2008/08/07(木) 12:10:25 ID:wTHN/tkd
>>336
勝てたかどうかはともかく徳川もさして志気は高くないだろうからチャンスはある
ただ上杉の後背も安泰ではなし難しいところではあるだろうけど
339人間七七四年:2008/08/12(火) 09:21:19 ID:wucn7toZ
最上伊達も何もしないでしょ
340人間七七四年:2008/09/13(土) 09:50:39 ID:x0z3t6xs
俺としては三成家臣の渡辺勘兵衛が10万石もらえるのがうれしい
341人間七七四年:2008/11/11(火) 17:07:55 ID:hLSA/2LP
でも石田家の勘兵衛こと渡辺新乃丞は関ヶ原の早い段階で討ち死にだからな
多少の改変じゃ生き延びれない
342人間七七四年:2008/11/27(木) 11:21:12 ID:Bb8VjXp9
>>336
まずはそこで開戦して徳川側にもある程度被害がでてから
三成挙兵だったら西軍有利になるかな?
343人間七七四年:2008/12/03(水) 18:05:12 ID:tVknFmVl
徳川の先鋒で、史実で奮闘した豊家武断派か
あるいは実は徳川本体と言われる秀忠軍が潰れようものなら
俄然西軍が勢いづくだろ
北の最上伊達も動かない、佐竹も参戦してるし、これでは徳川も容易に西上反転出来ないだろ
征伐失敗だと江戸で上杉と和議して、三成も兵を帰さざる終えなくなりそうな

344人間七七四年:2008/12/04(木) 01:25:16 ID:9bbFRi8L
>>336
>会津革籠原決戦が実現したら上杉佐竹勝てたか?
会津陣物語を指してると思うが、ありゃ妄想なんで
佐竹と共闘とあるが、佐竹とそういう接触図ったのは7月以降なんで、まずない

そもそも会津征伐行われてたなら、毛利勢や長宗我部、九州勢も会津へご出立
そんな状態で佐竹が上杉に味方するわけも無く、三成挙兵してもナニソレ?状態
345人間七七四年:2008/12/05(金) 17:15:57 ID:v8Zn32oy
>>343
>>征伐失敗
この段階で西軍を決起する必然性がなくなる。
家康の失脚を誘発しうる政治的条件になる。

が諸侯の目的は豊臣だの上杉家だのではなく
朝鮮出兵ではまかなえなかった恩賞の確保である側面はあるから
何らかの形で大規模な諸侯の再編成は必要になった労から
やはり戦はあったかも名・・
ただ相当に東軍の戦意が低い(つまり史実の西軍とは逆)戦いになったろうけど名。
346人間七七四年:2008/12/06(土) 00:01:54 ID:3NvIXEBy
とすると、上杉と徳川の開戦を待たずに挙兵した三成のタイミングは、これ以上ないくらい最高だったってこと?
347人間七七四年:2008/12/06(土) 07:45:06 ID:TVybqlU+
石田三成が反転して、突然西軍に襲いかかかったらどうなるかな?
348人間七七四年:2008/12/08(月) 08:23:57 ID:RVr4gX7F
349人間七七四年:2008/12/12(金) 08:50:15 ID:hnT+MAXh
大谷と島は号泣するだろな
350人間七七四年:2008/12/12(金) 09:23:20 ID:+ZJ0LABF
勝っても家康を捕らえるか否かによって大分変わるだろうな。
逃したとしたら、下手すれば戦国時代に逆戻りするかと。
351人間七七四年:2008/12/14(日) 21:34:48 ID:roni3+ez
仕事で大阪など関西以西で6年間暮らしたが、関ヶ原の敗因が何となく解った気がした。
352人間七七四年:2008/12/15(月) 12:26:00 ID:nExDvd//
西軍の大名の半分は西日本に封じられて十年程度の中部出身の旧秀吉家臣だし
逆に東軍にも西日本出身者はいたのに何がわかるんだろう
353人間七七四年:2008/12/15(月) 19:33:40 ID:jqVRNqEe
西軍勝利でも毛利はそれほど厚遇されないんじゃないかと思う。
毛利秀元&吉川ら南宮山勢がもし金吾西軍参加後の合戦開始なら更に冷遇。
関ヶ原で狼煙にも督促にも空弁当までして、合戦の旗色みて慌てて行動開始ってのを
東西両軍の目の前でやってたんだから、史実の金吾と同じで石田か宇喜多の本陣で行う
であろう戦勝後の軍議にも、他の有力大名の執り成しがないと遠慮して入れないくらい
の状況かと。
表向きの副大将で、五大老に任じており、合戦でも率先して奮戦した宇喜多が軍功第一。
それに次ぐのが、元五奉行で戦場でも細川・黒田らを一手に引き受け善戦し、実質の某主で
仕切ってた石治少。これは先ず動かんだろう。
毛利本家は良くて本領安堵の上、微増くらいか。南宮山勢の長曽我部らが毛利の日和見の非をせめれて
政治問題化すれば、安堵のみかも。
この状況で家康存命とは考えにくいし、秀忠は一目散に江戸へ。東海道筋の諸大名は
あらかた東軍加勢で壊滅状態か行方不明だろう。たとえ関ヶ原から生還しても戦勝で意気上がる
西軍の大軍に対し、徳川に義理立てなぞ不可能。速やかに西軍に降伏が妥当な判断。
家康がもし生存なら箱根の険に拠って西軍東上を阻み、関東・東北をしばらく堅持出来れば、
当面、西日本と東日本で睨みあいになるかな。
354人間七七四年:2008/12/15(月) 19:51:41 ID:ITrEHr3X
西軍でまともに毛利を責める奴など皆無だと思う
理由は西軍の中で力は毛利一族がずば抜けてるから。

毛利が総大将だからあれだけ集まったのであって
苦々しく思っても強くは誰も言えんと思う
355人間七七四年:2008/12/15(月) 22:20:10 ID:kYCiqPcY
戦功第一
宇喜多秀家
働きに文句のつけようがない。毛利の押さえにするためにも近領で大幅加増。

上杉景勝
働きに文句のつけようがない。
景勝を越後に戻して直江が北の抑えとか?上杉家の望み次第。
石田三成
開戦時領地が少なかったのがネックになった経験有。岐阜辺りで大幅加増か?
356人間七七四年:2008/12/15(月) 22:49:09 ID:jqVRNqEe
毛利は確かに西軍有数の大大名で、豊臣政権内での地位も五大老ではあるが、衆人環視の中で
日和見は如何に大老の身とて、衆人環視の事実があっては戦国の世では言い逃れできんのでは?
まして西軍勝利なら金吾西軍加勢は前提事実として考えるなら、毛利秀元・吉川広家の同勢は
形勢決定後の加勢とみるとしたら、史実の金吾中納言の世評よりも更に卑怯千番の振る舞いとして
見られたはず。
山崎合戦の筒井氏同様、良くて本領安堵、ではないだろうか。
仮に西軍勝利で日本統一或いは西軍中心の世となれば、関ヶ原以前よりも勢威・知行・発言力を増した
他の大老職たる上杉氏・宇喜多氏が毛利氏への疑惑を政局材料としないとは思えないし、
彼ら以上に以前にまして勢威上がる奉行職復帰なった石田氏をはじめとして旧五奉行の面々が
豊臣政権の執権として、上杉・宇喜多の後ろ盾で毛利氏に何らかの掣肘を加えることは
むしろ当然のような気もするが。
石田なら、恐らく関ヶ原での疑惑を犬猿の仲の安国寺を急先鋒として、まず吉川氏を糾弾し、
処罰を与え、2大老の決議を奉行衆の行政措置として、分家監督の不行き届きとして毛利本家に
行政処分を下すくらいのことはやってのけると思う。
357人間七七四年:2008/12/16(火) 00:22:12 ID:DXO0JY9B
毛利の協力なしに西軍が勝てるとは思えない
またこんな風に毛利を貶めようとしている三成たちに協力するのか
何で三成に都合のいい様に政権が運営されなければならない
結局三成はただ自分の権力を高めるために戦を起こしただけじゃないか
358人間七七四年:2008/12/16(火) 08:25:07 ID:j+fBFKQj
毛利を貶める?
命の取り合いの戦場で、勝敗が見えてくるまで日和見してたら普通に軽蔑されるだろう。
小早川でさえ、400年たっても卑怯者って思われてるのに?
その小早川が形勢西軍に有利と見て寝返った後で、毛利が南宮山からノコノコ降りてきた
ら、狼煙や使い番無視して、これも現代まで笑いの種の「空弁当」までやらかしてるんだぞ。
三成じゃなくても怒るだろw
関ヶ原で西軍勝利がこのスレの前提だし、毛利がこの有様じゃあ、毛利の協力なしには云々
なんて成り立たん論理だろ。
逆に毛利は関ヶ原勝利の後は、疑惑払拭の為に西軍先陣を徳川追撃戦で名乗りでて
損害を省みず戦果を上げる必要性に迫られる。
史実の小早川もそうだっただろ?
それを実行して相当の戦果をあげれば政治的に初めて安全に近づいたと言える。
もし、関ヶ原で日和見して、その後も大将気取りだったら遠方の上杉はともかく
現場にいて自らは獅子奮迅に働き、毛利日和見を実見していてやきもきしてた
宇喜多・石田や島津等の諸将が黙ってはおるまい。
それでも平然としてるようじゃあ、東軍壊滅や関東立て篭もり状態になれば、
政治的に制裁受けて当然だよ。
359人間七七四年:2008/12/16(火) 10:20:26 ID:6BXh+aWc
>宇喜多・石田や島津等の諸将が黙ってはおるまい。

頭下げて総大将に担ぎ上げといて言えるわけがない。
せいぜい愚痴か嫌味の一つでもこぼすくらいだろ
島津は論外

勝利後の軍議も大老であり総大将の毛利を抜きにはきめられまい
輝元の名で糾合した西軍だぞ?
それとも石田に諸大名に対して何か出来るだけの権力でもあるのか?
今後とも協力を毛利に仰ぐ事しかできまい
360人間七七四年:2008/12/16(火) 14:42:27 ID:ycJRsbTd
石田になくても宇喜多にはある
361人間七七四年:2008/12/16(火) 15:20:53 ID:6BXh+aWc
家康の行動を止められないのに家康に次ぐ実力者の毛利に文句いえんだろ
362人間七七四年:2008/12/16(火) 15:55:22 ID:ycJRsbTd
>>361
関ヶ原で西軍勝利後の話だぞ?
363人間七七四年:2008/12/16(火) 17:32:28 ID:6BXh+aWc
>>362そうだよ
まともに止める力がないから小物どうし陰でコソコソ策をろうしたり
毛利の力を頼って兵上げたんだろ
364人間七七四年:2008/12/16(火) 18:31:06 ID:6BXh+aWc
>>363の続き
だから秀家や石田では求引力がないから毛利の名と力に頼ったわけだ
そんな奴らが毛利に対し論功云々出来るのかね?
もししたら確執がおこり最悪、内部分裂
下手したら第二の関ヶ原にならないか?
論功は総大将の名の元でやらないとおかしいだろ(建前でも)
毛利は伊予方面や九州(大友)
小早川秀包や末次元康はキッチリ頑張ってる
毛利一族はどれだけ西軍の為に兵を動員してると思ってるんだ?
関ヶ原だけでイチャモンつけられ功無しにされたらたまったもんじゃないだろ
毛利一族は激怒すると思うよ
毛利秀元はやる気はあったが広家が邪魔しただけ
(後に立花宗茂と大阪城で徹底抗戦を主張してる)
吉川広家個人は非難されてもしょうがないとは思う

「毛利のおかげで糾合できた西軍」
これだけでも充分功じゃなかろうか?
365人間七七四年:2008/12/16(火) 18:46:59 ID:DXO0JY9B
>>358
小早川八千が東軍に攻撃しても西軍が勝つとは思えないけど
家康の動いていない3万の兵を使えばどうとでもなるだろう
未だに小早川が動けば勝てるとでも思っているの
あれは小早川の兵が八千しかないの一万五千と信じられてきたのと
だいたい同じ兵力で戦っていたのに西軍が倍以上の兵と互角に戦っているように
思われていたこと原因だと思う
やはり毛利が動くか家康が死ぬしか西軍が勝つ方法はない
366人間七七四年:2008/12/16(火) 19:11:20 ID:j+fBFKQj
毛利輝元は元々、渋々の挙兵応諾。毛利家は当主が積極指揮の家柄じゃなく、血族と
有力家臣の合議制みたな家柄だが、吉川・福原・安国寺などは本家の戦略を巡って、合戦まで
ついに揉めたままで毛利氏120万石の去就はまったく読めない現実の上に、東軍は老齢の家康が
前線指揮してるのに西軍総大将のはずの輝元がなんやかんやと理由をつけて大阪城に隠れて
腰を上げなかったし、史実では何の戦略的眼目もなく、易々と降伏大阪退去では、
誰の目から見ても名目大将という存在。
重ねて申し上げれば、挙兵時こそ毛利中納言120万石は必要な看板だが、関ヶ原合戦に
本隊と当主は参加せず、戦場にあった毛利勢・吉川勢は日和見の上に日和見を重ね、
史実に「空弁当」と嘲られるほどの卑怯な進退とあって決戦勝利に貢献できてないと
すると「関ヶ原勝利後」に毛利一門の勢威は地に落ちてるはずだよ。
しかも関ヶ原に勝って東軍敗退後は加賀前田や去就不明の諸将や東軍離脱の
大名も西軍参加してくるのに、挙兵前と違って毛利の利用価値と必然性は相当薄くなってる
はず。
信長・秀吉・家康クラスの名将なら、実績と器量で挽回できるかもしれんが、
もともと輝元は120万石の当主という以外になんの高い声望も器量も武勇も実績もない。
総大将に担がれても安全な大阪城に引きこもってたのが、勝ったとたんに、宇喜多・上杉らが
毛利を崇めるというのは・・・。むしろ戦後の政治的イニシアティヴをとる為に
宇喜多・上杉・石田らは相当積極的に叩きにかかると考えるのが普通。

小牧・長久手の後、懐柔して講和した織田信雄を秀吉はいつまでも厚遇しなかったのと
同じ。信雄に巨大な所領を与えたままで戦力として組み入れる必要よりも、信長の子息
という家康にとっては挙兵する大義名分を奪えば利用価値なし。
毛利が東軍内通の疑い(総大将戦場不在・毛利秀元・吉川の同勢の戦場でのサボタージュ疑惑)が
あり、既に決戦勝利で兵力的にも余裕のある西軍が特に毛利を厚遇する必要が
ないだろう。
加えて戦勝により、宇喜多・上杉・石田らには大幅な加増があるだろうし、ますます
毛利の立場は悪化するだろう。
ただ改易とか大幅な減封はない。叩きすぎて挙兵されたら厄介だけどね。
ただ合議制の毛利家が挙兵はなしだろう。それ故に戦後の政治的立場を悪くしないように
他家に先んじて先陣に出て「毛利に疑いなし」を証明しなくてはならないが。
367人間七七四年:2008/12/16(火) 20:22:00 ID:KLw2ifvj
南宮山の毛利勢が東軍の背後を突かない限り西軍の大勝利はないから、
「毛利は勝利に貢献しなかった」という前提そのものが成立しない。
368人間七七四年:2008/12/16(火) 20:29:47 ID:6BXh+aWc
>宇喜多・上杉・石田らは相当積極的に叩きにかかると考えるのが普通。

まず何故総大将を叩くのかがわからん
毛利は関ヶ原以外にも兵出してるんだぜ?
関ヶ原だけで決まるのか?

それに「空弁当」の話は別に嘲られるほどの卑怯な事じゃないだろ?
本当に話を知ってるの?
まさか盛親に広家が邪魔して動けない、なんて言える訳ないでしょ?

それになんか貴方の話聞いてると宇喜多、石田の政権みたいだな
総大将ないがしろにして秀家や石田が中心に動いたら逆に諸将に反感買いそうだが?
364をもう一度読め
関ヶ原の毛利は誉められたもんじゃないが陥れるほどの非難には値しない
毛利のおかげで西軍が糾合出来たのだから
利用価値が無くなったらってさ…宇喜多、石田は何様だよww
369人間七七四年:2008/12/16(火) 20:41:34 ID:6BXh+aWc
>>367
ですね。
無意味な議論でした。
370人間七七四年:2008/12/26(金) 07:13:16 ID:p/HVWxIT
久しぶりに盛り上がったな
よかったな
371人間七七四年:2009/01/13(火) 10:34:34 ID:wMC9zPdD
小早川秀秋って毛利一族の自覚あるのか?

南宮山の連中が怠慢でも、秀秋が積極参戦すれば、勝てるんではないの?
372人間七七四年:2009/01/13(火) 10:43:26 ID:g+LsHZox
前線は潰せても徳川本体三万とか山内、池田、浅野等の温存組も居るから微妙だな
秀秋だけ頑張っても
373人間七七四年:2009/01/13(火) 13:34:34 ID:rFK24vec
家康にとっては外様は池田と浅野さえいればいいからな
前線の福島や黒田らは最悪すてごまにしてもいい
374人間七七四年:2009/01/13(火) 14:05:23 ID:FWU5J3vE
その

池田、浅野>>>>>福島、黒田

という論拠は何?
375人間七七四年:2009/01/13(火) 14:38:47 ID:jQX2NVP3
>>371
その毛利自体がばらばらでしたが、なにか
376人間七七四年:2009/01/13(火) 15:23:50 ID:rFK24vec
家康の重用度
万が一逃げる時にはちゃんと味方してくれる大名を温存して置いておくもんだろ
後は外様は基本的に僻地にやられたけど池田と浅野は畿内に近い要所に置かれた
377人間七七四年:2009/01/14(水) 13:25:20 ID:6MJcRyJG
家康は福島を相当うざく思ってたらしいから、畿内に置かなかったんじゃね
黒田は知らん
378人間七七四年:2009/01/14(水) 18:17:39 ID:R97Tr/Tw
大津城攻めの毛利元康と小早川秀包は戦功ありなんじゃね
379人間七七四年:2009/01/14(水) 23:35:51 ID:9Snwa/5L
>>376
池田は心の中では
「父殺しの男が・・・」
とか思ってたんじゃないの?
380人間七七四年:2009/01/15(木) 00:02:00 ID:rx6kG2S8
どこのキシリアだよw
381人間七七四年:2009/01/16(金) 09:24:18 ID:q/yv0yrZ
いつも爺ちゃんが三成本体から少し兵を裂いて秀頼の旗と鎧借りて
影武者を立てて乱入させたら勝てたとかいってたんだけど
いくらなんでも東軍の諜報活動範囲でもばれそうな気がした

けど影武者であれ槍を向けるのは正則とか躊躇うかな?
偽者と割り切らなければ後ろから火縄きそうだね

382人間七七四年:2009/01/20(火) 00:19:47 ID:k98V8Rkh
大津城、田辺城に押さえだけ残し2万程の援軍が合戦に間に合ってれば勝てたかな…
383人間七七四年:2009/01/20(火) 01:58:59 ID:zjuAcXFe
あと2万西軍に加わっていれば負けなかった。
人馬密集で移動もままならずさながら朝の総武快速状態に持ち込めれば家康もかなりてこずったはず。
384人間七七四年:2009/01/21(水) 17:20:38 ID:v6el2TTX
加賀100万石大名大谷吉継
385人間七七四年:2009/01/25(日) 08:34:09 ID:6bZw10yJ
秀元、広家は無理でも長曽我部と長束が加わるだけでも面白くなりそうだ
386人間七七四年:2009/01/26(月) 03:38:55 ID:wXx1LHU5
長曽我部と長束と安国寺が加わっても

池田、浅野、有馬で抑えられる
387人間七七四年:2009/01/26(月) 03:45:53 ID:nmgFbEGq
>>384
加賀は利長隠居、前田の西軍付いた方が当主就任で動かさないのでは
 大谷は史実の越前宰相の感じになるのでは
388人間七七四年:2009/01/26(月) 08:16:54 ID:c3ofpn9P
>>387
越前一国丹羽だろ。
大谷は東海道に入るんじゃない?
389人間七七四年:2009/01/26(月) 20:59:09 ID:odykNM5r
島津軍が通ったあとにはペンペン草も残りません
本当にありがとうございました
390人間七七四年:2009/01/26(月) 22:59:04 ID:Pwn7uvD/
西軍戦功第一
宇喜多秀家
石田三成

戦功第二
毛利輝元・上杉景勝

戦功第三
大谷吉継・安国寺・真田昌幸

戦功第四
毛利秀包・立花宗茂・織田秀信・小西行長


戦犯第一
徳川家康 福島正則

戦犯第二
藤堂高虎 黒田長政 吉川広家
戦犯第三
加藤清正 細川親子 最上義光 伊達政宗
391人間七七四年:2009/01/27(火) 21:03:31 ID:osdMH0rc
西軍が勝っていたらと言うよりも 小早川が丘から藤堂京極隊へ突っ込んでいれば西軍が勝利していただろう
そして島津隊が家康の首を捕る
その家康の首は三条河原に晒した後に鹿児島まで持って行き桜島で焼く、桜島のふもとには家康首塚が・・
392人間七七四年:2009/01/27(火) 21:07:00 ID:osdMH0rc
>西軍が勝っていたら江戸も東京もないぞ

西軍が勝っていたら上杉に江戸を負かしていただろうな 関東の江戸は 東の野蛮人国で 「東蛮国」と名ずけられていたかも
393人間七七四年:2009/01/28(水) 11:13:34 ID:TmDLVUWM
>>390
輝元が戦功第二なのが果てしなく気に食わねえw
394人間七七四年:2009/01/28(水) 18:55:37 ID:/p41muI1
輝元は戦功第一だろ一番兵をだしているんだから
390は西軍ではなく関ヶ原での戦功じゃないか
あと戦犯て戦争で負ける原因を作った仲間の事を言うから家康とかちがうんじゃないか
395人間七七四年:2009/02/10(火) 03:36:26 ID:SoPzVbDU
>>390
なぜ戦功に小早川秀包をいれて毛利元康を入れないのかわからん
元康は大津城攻めの大将だろ?
396人間七七四年:2009/02/17(火) 13:48:33 ID:9tI5HlOy
>>394
戦犯て、世間を戦争で混乱させた人たちを勝者が決めるものなんじゃね?
東京裁判で東條はA級戦犯て勝者が決めた
397人間七七四年:2009/04/25(土) 03:02:45 ID:/oU747se
>>390
基準がわからん
398人間七七四年:2009/06/01(月) 00:25:01 ID:ozXoVB78
俺もわからん
399人間七七四年:2009/07/19(日) 16:44:51 ID:v3bIJ5od
論功恩賞は駆け引きと妥協の産物になるんだろうな。
400人間七七四年:2009/08/29(土) 21:59:51 ID:m+5jmuS2
>>392
もともと上杉家は関東に縁のある家だから有り得るな
401人間七七四年:2009/09/24(木) 17:01:34 ID:Uh/uKuej
関八州を上杉が領有して上杉が天下統一に乗り出しても、軍事や調略が苦手な景勝や直江ではすぐに挫折するなろな。
402人間七七四年:2009/09/24(木) 18:00:20 ID:SyUNuMjD
>>401
上杉相手では直ぐに一揆がおきて、佐々の二の舞の気が
403人間七七四年:2009/09/24(木) 18:49:58 ID:OtWzCXWF
秀元があほキッカーを幽閉し関ヶ原参戦、、、小早川もしぶしぶ参戦、脇坂らもこの状態ではと仕方なく参戦、、、さらに徳川に恩義などない田中や織田らも裏切り、、、徳川家康逃げだすもかこまれて自害
影武者家康は事のいきさつをばらし助命される
福島、黒田らは捕らわれ打ち首
秀忠は再起を図ろうという勇気も無く本領安堵の条件を突きつけられてあっさり江戸開城、、、、
伊達は本領安堵の条件を得た東北諸将に攻められ滅亡、、、、黒田親父あっさり降伏、
戦後、裏切りを攻められキッカー隠居
しかし石田の怒りおさまらずお取り潰し
秀元、江戸50万石を与えられて毛利から独立
石田の兄貴、川越20万石を与えられ周囲の妬みを買う
上杉、旧領越後を取り戻し(堀はお取り潰し)満足、前田は石田の怒りを買い20万石に格下げ
宇喜多は義父譲りの姫路城ももらい満足、さらに関白に就任
石田、朝廷工作をして将軍に豊臣を任命
初代将軍に秀頼を就任させる
尚、秀頼の嫁さんに毛利の親族から迎える、
上杉、毛利、石田、宇喜多の永久4大老制度を導入
島津には琉球をやる事で同意、、、
ちなみに徳川は約束を反故(こんな字だっけ?)され岡崎8万石に格下げ
それ以外として
加藤、脇坂ら豊臣恩顧の裏切り大名はお取り潰しまたは豊臣旗本に格下げ
加藤、石田に請われて石田の家臣に、、、加藤、自分は勘違いしてた事に号泣、、初めて友情が芽生える
石田は約60万石で留める
尚、豊臣は関東はじめ100万石を加え320万石で天下に留める
尚、石田お気に入りの秀康は結城という条件で30万石をうけたまる
当面、豊臣上杉毛利石田宇喜多の連立政権状態

260年後、豊臣王朝の元、近代化、、、、豊臣はほとんどお飾り状態
日本王国は無理をしないやり方で経済大国の道を突き進む
石田三成は5万円札に抜擢される
経済の神として国民の人気ものになる
地元長浜では石田記念館がたてられ人気スポットに
404人間七七四年:2009/09/24(木) 18:59:31 ID:OtWzCXWF
尚、豊臣王朝は反朝鮮政権なので朝鮮には指ひとつださず朝鮮からの亡命者もすべて追い返すというやり方で朝鮮という悪性の腫瘍を受けずにすむ
これは石田様の遺言である
405人間七七四年:2009/09/24(木) 20:55:59 ID:WQDRuU+N
アードディンクの関が原っっていうゲームがもう一回したいなぁ
西軍で勝利して参加武将に加増減封するのがとても楽しかった
406人間七七四年:2009/09/25(金) 13:00:43 ID:00KgZ+Vq
 プロジェクトeggっていうレトロゲームサイトで、
 ダウンロード販売をしていなかったっけ? > アートディンクの関ヶ原
407人間七七四年:2009/09/28(月) 15:04:10 ID:G6ghyjvM
>>406
ありがとう!!!!
無いだろうと思って初めて探してみたら
eggでみつけれなかったけどADのHPで売ってた
408人間七七四年:2009/09/28(月) 15:08:51 ID:G6ghyjvM
>>406
スマソ eggで見つけた!
思い出のあるゲームだったので本当にうれしい
本当にありがとう

409人間七七四年:2009/10/04(日) 20:08:24 ID:8fCYL07d
毛利・島津・小早川が本気で家康軍強襲!
徳川軍壊滅!内府家康は明に逃亡!
豊臣秀頼石高462万石太政大臣!関白秀秋 左大臣輝元 内大臣秀家
征夷大将軍上杉景勝! 豊臣摂関の下に
上杉・毛利・宇喜多の将軍御三家体制の幕府
石田・直江・真田・大谷・小西の五管領・五参議体制
島津・長曾我部は大納言 織田信雄は右大臣
上杉家越後を増加
410人間七七四年:2009/10/05(月) 21:07:53 ID:cn5EdQM1
後に上杉親藩に足利武田徳川の御三家と長尾北条ができる。
上杉定勝は帝の皇女を正室に迎えその間に生まれた姫を
足利徳川武田に嫁がせ
その間に生まれた男子を一度定勝の養子にして源氏の三名家を相続
上杉御三家は左右近衛の大将を武田と徳川 足利は中納言指定席を
兼継の孫は管領筆頭を勤めた後に中納言に
老後は日本各地を周り義と愛を説く「米沢黄門」
豊臣は秀頼系統と秀秋系統と織田系統が交互に
関白太政大臣に就任「筆頭は秀頼系統」
三家摂関 三家将軍 五管領・三位制度でバランスを保つ。
411人間七七四年:2009/10/18(日) 14:04:58 ID:rT358fFp
次のライダーはライダー同士のジョグレス進化や
クウガやファイズなどの能力を手に入れるアーマー進化
幼年期から究極体までのライダーが登場!!
新仮面ライダー「デジタル」
最強フォーム インペリアルパラディーンフォーム!!
第1話 「優しさのクウガのライダーメンタル」
第2話 「覚醒!アギトのライダーメンタル」
第3話 「二体の王者ブレイドとキバ」
第4話 「知識と精神のカブト」
第5話 「マシーン対マシーン!アクセル全開ブラスター発動」
第15話 「世界の破壊者ディケイド」
第21話 「合成魔獣キメラライダー」
第25話 「ありがとうディケイド」
第30話 「ジョグレス進化!パイルドラゴンフォーム!!」
412人間七七四年:2009/10/18(日) 14:16:09 ID:rT358fFp
仮面ライダー軍団登場!!
カブトかファイズ「アクセル」が家康の首を採る。
クウガアルティメット自然発火。
龍騎サバイブドラグレーダー召喚させて徳川軍付近で暴れさせる。
響鬼小早川を脅す。
ブレイド吉川広家殺害。
ディケイドとW上杉軍に加勢。
アギトとキバ島津の家臣に。
電王真田の家臣に。
後にライダー無双伝説
413人間七七四年:2009/10/18(日) 22:40:33 ID:xOFDDgdr
関ヶ原で史実の真逆のように西軍勝利→家康斬首パターンだった場合
毛利家が1600年以前の徳川家以上の家になってしまうよな
まあ、その場合でも豊家一族がしっかりしてればなんとかなるだろうけど
政権は長持ちはしないな
414人間七七四年:2009/11/09(月) 12:13:42 ID:54V9v8vV
毛利がそんなタマかよ
415人間七七四年:2009/11/17(火) 04:27:18 ID:vBZOskIZ
逆?の場合、吉川は何してると?
416人間七七四年:2009/12/05(土) 08:09:45 ID:xsVVDGSS
家康と三成のつごうで始まったから家康が勝ったけど、逆に家康隊だけを敗走させればよかった。
417人間七七四年:2010/01/30(土) 21:28:19 ID:8GzTZiCg
毛利や上杉は徳川が気に入らんから西軍ついただけで
元より豊臣に義理を尽くす理由がない。
島津とかチョウソカベとかむしろ豊臣に恨みありまくりだし。
西軍勝ったら将来的に三成VSアンチ三成の第2次大戦が勃発すると思われ。
418人間七七四年:2010/01/31(日) 10:30:54 ID:mTE91C21
上杉は関東で半独立して実質、関東公方のように振舞うだろうし
毛利は家康亡き後の大老筆頭として幅をきかす。
山名と細川が毛利と石田に変わったような構図の不安定な
政権になることは想像に難くない。
419人間七七四年:2010/02/26(金) 17:12:14 ID:toMSUyDB
秀次が腹切った時点で豊臣家は詰んでたんだよ
420人間七七四年:2010/03/12(金) 08:10:04 ID:hj2VcYWt

関ヶ原とワーテルローの戦いの類似点

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/266.html

その類似点とは、八百長という点だった。
421月孔雀:2010/03/12(金) 18:26:30 ID:zIgOYudi
負けるが勝ちって、そのまんま、なのかな?
422人間七七四年:2010/03/15(月) 15:17:47 ID:FIg+yYXl
宮崎県知事?
423人間七七四年:2010/03/17(水) 01:40:17 ID:rqEohKPK
光成が欲を出さずに秀頼の補佐と教育に務めたら豊臣家が史実での徳川家みたいになってたかもね。
家康は秀頼から発せられる圧倒的カリスマ性に恐怖してたらしいし、秀頼も実は結構インテリだったらしいから、良い将軍になったろう。
少なくとも徳川のように鎖国して250年後無茶苦茶苦労する事は無かったんじゃないか。
424す@死:2010/03/29(月) 01:13:13 ID:Coqzn5MZ
しかし恐ろしいなぁ
宇喜多と石田隊しかまともに戦ってねぇw
島津も知らん振りだし
これじゃ勝てんだろw
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/0/05/Sekigahara.png
425人間七七四年:2010/03/29(月) 10:11:40 ID:NnyX+ugK
島津は3000が1000(撤退開始時)になるほどに戦っているし、
大谷らも戦っている
426人間七七四年:2010/04/11(日) 11:35:35 ID:Rfy0Xg77
関が原の時の小田原城ってどんな感じだったの?
豊臣の小田原征伐の時の城規模だったの?
なんか縮小とかされてた?
江戸城より小田原城のが篭城適してない?
427人間七七四年:2010/04/18(日) 08:38:06 ID:FJIVyXk6
三成・毛利の傀儡政権になりそうだな
そして毛利派と三成派に分裂してあぽ〜んって感じか
秀頼はどこまでもカヤの外
428人間七七四年:2010/05/01(土) 00:41:49 ID:QL3hrYA8
毛利輝元は関ヶ原に勝って豊臣を乗っ取ってやろうという気概はないのかよ
300年後は何度失敗しても果敢に徳川に挑んで政権奪取したというのに
429人間七七四年:2010/05/01(土) 11:28:03 ID:qoOJd6yd
気概がなかったからこそ300年後までお家を保ったとは考えないか
430人間七七四年:2010/05/02(日) 14:55:21 ID:6YumrtyM
>>423
豊臣政権なら鎖国しないってどういう根拠で言ってるんだ
431人間七七四年:2010/05/03(月) 00:30:32 ID:49+JLYB/
それが輝元クオリティー
432人間七七四年:2010/05/05(水) 21:43:36 ID:gxe545L8
輝元出陣すれば見事家康を討ち取り毛利幕府開闢
300年の統治の後 こしゃくにも反乱を起こしてくる賊軍薩土肥を
鳥羽伏見で返り討ちにし大政奉還
明治維新を自力でやりとげ長州閥による完全な藩閥政治も夢ではなかった
433人間七七四年:2010/06/19(土) 11:40:09 ID:HTdfY5Hf
史実以上にWW2の日本軍がgdgdになりそうだなそれは
434人間七七四年:2010/09/05(日) 10:28:25 ID:nkKL5LwD
良スレ
435人間七七四年:2010/09/12(日) 00:10:45 ID:JrzoFWhh
駄スレ
436人間七七四年:2010/12/28(火) 14:59:16 ID:0ppxe2NY
増田長盛はどうなる?
あの保身に走った行動は改易ものだぞ
437人間七七四年:2010/12/28(火) 15:48:41 ID:UL/EbLb7
斬首
438人間七七四年:2010/12/29(水) 09:22:21 ID:sHvJmSw9
>>432
毛利家は大江広元を祖とする純粋の公家、幕府は開けない。
439人間七七四年:2010/12/29(水) 09:32:40 ID:XPh1yEHX
渡邊大門『宇喜多直家・秀家』ミネルヴァ書房(2011年1月10日刊行予定/定価3,000円・税別)
440人間七七四年:2010/12/29(水) 11:24:06 ID:p/F18Z1W
まだ幕府を開くには〜、とか言ってる奴いたんだ
441人間七七四年:2010/12/29(水) 12:10:54 ID:6rX9Kk2H
誰でも幕府は開けるのに
442人間七七四年:2010/12/29(水) 13:15:33 ID:vfXzhBpK
幕布なら開ける。
443人間七七四年:2010/12/29(水) 16:28:29 ID:fOhKXRFT
>>423
>鎖国して250年後無茶苦茶苦労する

は?苦労なんてしてないぞ。
あんたのいう「鎖国して無茶苦茶苦労」って具体的に言うとなんだ?
言ってみろ。
江戸時代は無茶苦茶楽で平和な時代だったんだが。

そもそも鎖国=悪みたいな意見や考え方が一般的にあるが、
鎖国して日本が不幸になったという証拠はないなあ。
江戸時代の租税は農民でも実質三割程度、町人の仕事も原則的に午前いっぱいで終わり。
「江戸時代の農民が悲惨だった」という説も半ば否定されてる。
飢饉も盛岡藩を除けば希少な現象にすぎなかった。

むしろ開国してから無茶苦茶苦労したんだけどな。
開国してから、富国強兵やら、脱亜入欧やらで
朝から晩までめちゃくちゃに働かされ、
しょっちゅう、戦争に行かされて民衆レベルでは不幸になったんだが。
日本が獲得した海外領土も貧しい朝鮮をはじめ大赤字の金食い虫ばかり。
黒字だったのは台湾くらい、その台湾すら、ものになるまで滅茶苦茶、投資させられたのだが。
その挙句、太平洋戦争で全てオジャン。
444443:2010/12/29(水) 16:30:59 ID:fOhKXRFT
あ、よく見ると九ヶ月も前の書き込みにレスつけてしまった。
本人が見てくれる可能性は低そうだなあ。
445人間七七四年:2010/12/29(水) 18:35:55 ID:sHvJmSw9
>>443
http://jiyodan.exblog.jp/11380573/
豊臣政権と徳川政権では能力が違いすぎる。秀吉は九州、関東、朝鮮に遠征し兵站も維持できている。
徳川政権は日本中央部で自らの支配が充分に及んでいる近畿への遠征でさえ兵站が維持できなくなっている。
インフラという概念が全くなく、商業資本を敵視さえしている。家康のおかげで日本は世界の一流国となりえる
機会を永遠に失ったといえる。この理由で家康は毛嫌いされている。太閤記が庶民にもてはやされているのは
日本人が本能的に豊臣政権に能力があり、それを潰して愚劣な幕藩体制を築いた家康なるものが
禍々しい存在であると悟ったからだろう。
446人間七七四年:2010/12/29(水) 18:54:27 ID:sHvJmSw9
>>441
幕府を開けるのは源氏のみ、現に秀吉は義昭に養子縁組を断られ幕府を開けず公家の養子になって関白に就任している。
毛利は大江広元を祖にいただいている筋目正しい公家の系統なので、今更源氏は名乗れず幕府は開けない。
447人間七七四年:2010/12/29(水) 20:05:33 ID:nNDssmfu
えーと・・・。
448人間七七四年:2010/12/29(水) 22:01:34 ID:6rX9Kk2H
>>445
凄い秀吉マンセーだなw
449人間七七四年:2010/12/30(木) 07:51:11 ID:jqimg3n8
>>446
一応は反論しとくが、それは古臭い否定された説。
そんな事言ってたら、頼朝以前の将軍はどうなるんだ?
そもそも、源家将軍が三代で絶えたあとに
執権北条市に京都から呼び寄せられた藤原義経をはじめとした公家将軍はどうなるわけ?
将軍が原始なのは足利尊氏以来でしかない。
450人間七七四年:2010/12/30(木) 08:10:32 ID:jqimg3n8
日本史板のあった。とあるスレッドに書いてあったことをまとめるが。

秀吉は征夷大将軍になれなかったのでなく、ならなかった。
関白なんてのはまさに最高位であり、それ以上の権威は必要なかった。
形の上では地位が低い征夷大将軍よりも関白は正一位に相当するまさに極位。
朝廷が征夷大将軍授与の条件にはこだわっても、
関白就任授与にはこだわらないなんてことはありえない話し。
少なくとも関白は征夷大将軍よりはるかに与えたくなかった地位の筈。

そもそも秀吉は征夷大将軍の地位をそれほど欲していたわけではない。
「征夷大将軍」とか「幕府」は江戸幕府を知る我々にしてみれば堅固ななものに思えるだろうけど、
当時としては「古腐い劣った権威」でしかなかった。
鎌倉幕府は三代にして根絶やしにされて執権北条に乗っ取られ、
室町幕府は三代義満以外はロクな権力も持てず、六代目は殺され、十一代目からは流浪が始まった。
意外にも征夷大将軍による幕府政権というのがうまくいったのは江戸幕府が最初だったりする。
そんなものを秀吉がありがたがってちょうだいするわけがない。

秀吉は関白による新しい堅固な政権構想を模索したんだよ。
その結果、あんたが>>445で書いたような強固な政権ができたんだが、
残念ながら秀頼が幼すぎて豊臣政権はつぶれた。
451人間七七四年:2010/12/30(木) 09:29:57 ID:NlwO81jY
強固な豊臣政権?
秀吉生存時はそのカリスマに頼りきりの独裁制。
死後は大諸侯による連合政権じゃん。
君が言う関白による強固な政権構想というのも、
秀次粛清事件という暴挙で自分で壊す始末。
452人間七七四年:2010/12/30(木) 10:01:09 ID:jqimg3n8
>>451
秀次が後継者になってればなあ。

秀次は「劣った人物」と言われてるいるが
実際は失態があったのは豊臣敗北の小牧長久手のみ。
453人間七七四年:2010/12/30(木) 10:56:02 ID:NlwO81jY
秀吉は秀次を後継者にしたでしょ。
我が子かわいさのあまり譜代となるべき家臣もろともに殺したけど。
454人間七七四年:2010/12/30(木) 12:37:26 ID:jqimg3n8
>>453
それが豊臣滅亡の主因になったねえ。
455人間七七四年:2011/01/01(土) 03:08:43 ID:+bnz9465
>>454
一番の原因は秀長が死んだ事。
456人間七七四年:2011/01/01(土) 07:31:28 ID:LElZayVh
ヒデナガってそんなに大物?
457人間七七四年:2011/01/01(土) 10:29:51 ID:NQPyavNp
>>456
大物って言えば大物だろうな。
もちろん、家康とどちらが上と言えば家康が上だろうけど、

別に豊臣政権を存続させるために
秀長が家康と同等もしくはそれ以上である必要はない。
458人間七七四年:2011/01/01(土) 15:01:48 ID:Y9p2VUbQ
屋台骨にも抵抗勢力にもなる覇者の弟
459人間七七四年:2011/01/01(土) 19:36:22 ID:sYfL17m1
>>458
秀長には娘はいたが息子はいないので、抵抗しても意味なし。
460人間七七四年:2011/01/01(土) 22:18:36 ID:UCxpbQMy
ところでお前ら秀長と利家どっちか長生きさせてやるって言われたらどっち選ぶよ?
461人間七七四年:2011/01/02(日) 01:41:22 ID:P9jMsi0w
小早川め…
462人間七七四年:2011/01/02(日) 19:40:10 ID:GJ4vE0d+
秀長が生きていたからといって、晩年の秀吉の暴走を
止められたとは思えないけどねえ。
利休みたいに諫言した挙句に切腹させられるんじゃない?
463人間七七四年:2011/01/03(月) 01:40:32 ID:TN0FsKYW
出来が悪い、といってつぶすことは
結局、一族の崩壊につながることは
豊家をみてもわかる。
世の中、かしこばかりではだめなのだ。
あほも必要なのだ。
秀次が、生きてたら、秀吉亡き後、
みなが秀次をかばうようになれば、
家康はきっと困ったであろうな。
464人間七七四年:2011/01/03(月) 01:43:40 ID:TN0FsKYW
関が原の戦いで西軍が岡山に夜襲をかけて、びっくり
させた上で関が原に回りこめば、きっと小早川、毛利は
山を降りて、家康に攻めかかったのではないだろうか。
つまり、石田では到底、家康に勝てない。
と思ってたから高見の見物をしてたと思うんだ。
あれ、関が原の家康の戦い、三方が原の戦い、
また、上杉攻めは、明智討伐のときの秀吉、
これらを見本にして、教訓にしていたと思うよ。
石田が本当にかしこかったら、もっと勘を

磨き、勝機をさぐるにあたって、いいかっこう
をせず、ひたすら家康の首を取るために
謀略をすればよかつた。
あのときでも秀頼が出馬の偽情報ぐらい
東軍に流す器量がなかったものか。
石田はまじめすぎた。また、
小西、浮田、島ズらの意見を積極的に
採用して、豊臣のため,自゛分の我を
すてるべきだった。
結局、徳川が勝った為、鎖国を250年して
閉まって、その間、列国は世界を侵略して
自らの土地を拡大,完成してしまった。
日本が海外に乗り出したときは、すでに
民族自決主義の時代でその時点゛で
無理があり、いずれ、敗北が予感された。
徳川家康が唯一、罪があるとすれば
鎖国を長くしすぎたことだ。
これは豊臣を根絶やしにしてしまった
せいだ。日本はもう二度と景気はよくならない。
今、本当の意味で、戦後65年たつて
敗北したことが゜よくわかる。
要するに米国は、 日本人が敗北の恐ろしさで
米国に仕返しをすることを恐れた。
そのため、日本の脆弱な経済を米国が
一ドル、360円に固定して、支え、
日本人に敗北感を悟られまい。とした。
今、ようやく、「戦争を負けた国が
どうなるか」を思い知っているのである。
若い人たちがかわいそうだ。
政治もすべてがだめだ。
ぬくとい湯をかぶっている人が
残酷な目にあっている人を避けて
これから日本は進んでいく。
日本南無阿弥陀仏。

465人間七七四年:2011/01/03(月) 08:07:07 ID:0Xai2CSM
信長、秀吉、家康の中で、最も貿易を盛んに行ったのは家康です。
466人間七七四年:2011/01/03(月) 15:08:05 ID:M/QSLLEE
そもそも鎖国は家康が始めたもんじゃないだろう。
家光が始めたものだ。
家康はイギリス人三浦アンジンらを家臣にしたり、
むしろ外交的だった筈だが。
467人間七七四年:2011/01/03(月) 18:18:03 ID:TN0FsKYW
豊臣が生き残っておれば、
豊臣が政権を奪還して、
日本の海外進出が早く
なり、海外の植民地を
早く獲得して、
あとで、民族自決の時代に
時代しゃくごして侵略という
汚名をうけずに資源を獲得でた。
したがって日本の領土は今より
大きかったのだ。
ばかだな。米国はすでに
鎖国をしていた日本を笑っていた。
468人間七七四年:2011/01/03(月) 18:20:59 ID:TN0FsKYW
物事は、単純に見てはいけない。
色々と絡み合ってなりたっている。
当然、日本の敗北は、
徳川家康の関が原勝利から
はじまっている。
鎖国をしてたのに貿易がさかん。
というのは笑止千万でござるぞ。
469人間七七四年:2011/01/03(月) 20:12:38 ID:Kr7ortjg
 
関ヶ原の戦いは「やらせ」だった。

http://s1.shard.jp/deer/0203/39/266_1.html

この「やらせ」の戦いは、源平合戦にさかのぼる。

いや、まださらに古代にさかのぼるのかもしれない。

ここに、日本の発展の「秘密」がある。
470人間七七四年:2011/01/04(火) 01:53:18 ID:rBM3QPQ/
469様、そうすると石田三成は、
徳川のわなにはまったのではなくて、
最初から、徳川に政権を渡すために
戦をしたってわけか。
戦をして、徳川が勝たないと
磐石な政府「幕府」にならないから
あえて、石田が犠牲になったというわけか。
そうすると、ヒトラーもユダヤの走狗、
マリオネット、ピノキオに見えてきたぞ。
471人間七七四年:2011/01/04(火) 08:37:39 ID:stxUlVHA
>>468
いや、だから鎖国は家康が始めたのではなく、
秀忠と家光(特に家光)がはじめたんだってば。

それでも「家康が天下を取ったから日本が鎖国した」と強弁するかもしれないが、
豊臣政権が存続しても二代目以降によって鎖国は行われてたと思うよ。
そもそも鎖国の原因は家康や秀吉の人間性とは別のとこにある。
472人間七七四年:2011/01/04(火) 08:58:09 ID:rBM3QPQ/
471様、歴史はそういうものじゃない。
豊臣が政権を存続してれば、
鎖国はしてないよ。
秀頼が鎖国をしたって言う根拠はないでしょう。

鎖国は徳川の所産。
473人間七七四年:2011/01/04(火) 13:25:59 ID:stxUlVHA
>>472
いや、秀頼や秀頼以降の後継者が鎖国してないと断言できる100%の証拠もないだろ?

そもそも、そんな仮定の話しをしていたら、
「もし鎖国してなかったら日本は外国の植民地になっていた」という可能性だってあるわけじゃないか?
そして、今頃は天皇家もなく日本の公用語がスペイン語でかつての日本人とスペイン人の混血が国を作っているような状態になってたかもしれんぞ。
確かに当時の日本は軍事大国だが、
欧米人の手口はキリスト教を布教させて彼らを扇動させて国を乗っ取るわけだから、やりようによっては可能だろ。
伊達政宗もスペインと同盟しての天下鳥を狙ってたという説もあるしな。
474人間七七四年:2011/01/04(火) 17:37:30 ID:Z9gzVNfK
>>473
根拠もなく断定している人間を諭すのは、無駄な気が。
この人、確か他でも同じこと言ってましたよ。
自分の持論持ち込んで熱弁をふるってましたが、無視されてたっけ。
475人間七七四年:2011/01/05(水) 13:02:13 ID:9mvpGm6K
>>472-474
http://21-307.at.webry.info/200703/article_25.html
家康嫌いは司馬史観、家康びいきは山岡史観になるようですね。どちらが正しい
とは決め付けられませんが、明治の志士は司馬史観でしょうね、活動的な傾向
の人は司馬史観、保身的傾向の人は山岡史観でしょうか。
476人間七七四年:2011/01/05(水) 18:02:46 ID:R3SDbOUY
日本が鎖国してなければ南北アメリカ大陸やオーストラリアを領土にしてたとか言ってた人がいたなあ。
ありえないです。
北海道すら、ロシアに脅かされるほどですし。
まず日本人は基本的に米の取れない土地に入植しません。
北海道も南端を支配してただけですし。
477人間七七四年:2011/01/05(水) 18:16:21 ID:+8Efp6oM
秀吉のときに朝鮮すら倒せなかったのに鎖国してなかったら世界進出とかワロスwwww
478人間七七四年:2011/01/05(水) 18:51:24 ID:9mvpGm6K
>>477
http://talkiyanhoninjai.wordpress.com/2006/08/05/%E6%B8%85%E5%88%9D%E3%81%
AE%E7%81%AB%E5%99%A8%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E9%81%8B%E
7%94%A8-%E7%81%AB%E5%99%A8%E5%96%B6%E5%89%8D%E5%8F%B2-%EF%BC%91/

如何でしょうか、明末清初の混乱期なら朝鮮半島占領は充分可能。
日本の精鋭部隊がやわか後金軍に破れるとは思えない。
初期の清軍」はまともな火器存在せず、日本の鉄砲隊に惨敗でしょう。
台湾、海南島占領も容易に行えた。
479人間七七四年:2011/01/05(水) 19:34:03 ID:+pMKnenQ
占領しても補給が続かず撤退だろうな
金と時間の無駄づかい
480人間七七四年:2011/01/05(水) 19:55:45 ID:R3SDbOUY
>>478
いや、朝鮮出兵で日本は朝鮮を支配できなかったのは事実。

理由は正直わからないのだが、
とにかく戦国時代の日本は確かに戦闘ではメチャ強いのは認めるが、
外国の領土を治めるとか領地化するというノウハウがなかったのだと思う。

日本国内なら、どこでも、そこを治める大名や武将を倒せば
自動的に領地を取得できる仕組みなのだが、
外国ではそう簡単にはいかないということなのだね。
481人間七七四年:2011/01/05(水) 20:04:10 ID:9mvpGm6K
>>479-480
貴方方は山岡史観賛同者ですね、日本人の主流じゃないですね、
太閤記や司馬遼太郎の小説は日本人好み、日本民族は活動的な事の
証左。
482人間七七四年:2011/01/05(水) 21:10:41 ID:R3SDbOUY
>>481
山岡史観もなにも現に朝鮮は支配できなかったし、
北海道もロクに活用できなかったのは事実ですから。
483人間七七四年:2011/01/05(水) 23:25:48 ID:udeoMC5a
>>481
気が狂うってどういう気分?
484石田三成:2011/04/28(木) 23:39:35.49 ID:oX7CfBgR
またやるか?10年ぶりに
485人間七七四年:2011/04/30(土) 00:11:11.63 ID:vXHk5IPu
一、大砲がない。
二、火薬の原料、硝石を南蛮からの輸入に頼っている。
三、補給能力が低い。兵站線が伸びれば、即アウト(実は対島津も対北条も破綻寸前だった)
四、外洋航海能力が、全くない。東南アジアまでの遠征能力もない。
五、異民族支配のノウハウもない。
六、本格的な騎兵部隊を持たない。騎兵戦術がないに等しい。
七、島国故、大陸固有の疫病に対する抵抗力がない(インカ、マヤみたいなもの)
これだけのハンデがあって北米、東シベリア、中国にまたがる大日本戦国帝国を作ることは
不・・・・・可・・・・・能です。
486人間七七四年:2011/05/24(火) 17:16:24.42 ID:x2B+igSv
【関ヶ原町】陣幕に床几スタイルでお茶が飲める「武将カフェ」。期間限定でオープン ★3
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1306046832/
487人間七七四年:2011/08/05(金) 00:11:21.36 ID:zBsN80wk
関ヶ原総合スレはどっかいったの?
488人間七七四年:2011/08/05(金) 20:57:06.41 ID:Z12Y5YUK
無くても困らんしなぁ、どっかに寄生すればいいだけだから
489:2011/09/16(金) 18:14:18.76 ID:lzDj94iE
小早川なんぞに頼ったのが運のツキ
大阪城の蔵を開いて金で浪人集めて3万人の即興軍を作るべきだったね
その指揮は大谷吉継に任せるw
大谷の部隊が500人って負け戦でしょう
490:2011/09/16(金) 18:27:20.63 ID:lzDj94iE
宇喜田はよく戦った!
立花宗重もあの場にいたら奮戦してくれただろうね!
真田親子はあっぱれなり!
島津はへタレ過ぎて泣けたわ、
どうせ死ぬなら戦って死ねよと、逃亡戦で死んでも何の意味も無いね
大谷吉継に3万の兵を預けて戦えば局面は変わったね
鶴翼の陣の一翼は大谷に任せるべきだったのさ
491人間七七四年:2011/09/16(金) 18:47:57.34 ID:Ui9kiPCO
重やなく、茂な
後、大谷は輿からの指揮故、三万は預け過ぎ
492人間七七四年:2011/09/17(土) 01:24:35.87 ID:MgqqsxKT
まぁ俺が小大名で当時の状況になったら、確実にどっちつかずになり東軍勝利の報を聞いてから西軍の大名家に喧嘩しかけそう…

良くてお家はそのまま、悪くて減封&配置換え、最悪お家断絶か…
493人間七七四年:2011/09/17(土) 17:49:02.32 ID:f2eDULMp
>>490
島津は逃亡戦で死んだって自分で書いてるじゃん
逃げる為に敵中突破して座禅陣で死んだって事は戦って死んだって事じゃないのか?
退却戦も立派な戦いだぞwそう、おまえの頭くらい立派なw
494人間七七四年:2011/09/19(月) 21:05:02.98 ID:w66G5gD/
>>492
佐竹義宣www
495人間七七四年:2011/09/20(火) 17:03:30.69 ID:++kN2fpb
俺が大名なら多分、家康に組したと思う
毛利に恩はないだろうし、豊臣には一時期の暴君ぶりから距離を起きたいと思ってそう
496人間七七四年:2011/09/20(火) 19:21:43.59 ID:mSRy6u8S
家康が勝つべくして勝ったと言えるな
三成が勝ったとしてもまだまだ荒れただろうし
でも俺は西軍が好き
497人間七七四年:2011/09/20(火) 19:44:44.18 ID:LKpJF2kn
宇喜多秀家が父親譲りの謀略マシーンだったら何か変わってたのかなぁ
例えば不穏な動きの小早川秀秋を毒でryして軍団だけ西側に与させるとか
498人間七七四年:2011/09/20(火) 22:35:39.20 ID:AdDOj8+/
>>497
そんな大名は怖くて怖くて、大坂からわずか50里弱の岡山などに置けまへん。
(by太閤殿下)
499人間七七四年:2011/09/20(火) 22:45:32.87 ID:DZ4bee+B
>>498
かといって遠方に置いても泳いでくるだろ
500人間七七四年:2011/09/21(水) 06:46:26.21 ID:bjFPxHvk
>>497
そんなチッポケな謀するわけがない。
やるなら直接当人を狙うだろうし、
そもそもあの年代の人達なら関ヶ原の戦いが発生するわけもない。
501:2011/09/21(水) 06:51:34.47 ID:J/dWWioE
宇喜田直家以上の謀略マシーン、黒田官兵衛でさえ関ヶ原では九州の方でちょこっと暴れただけで終わったんだぜ
直家が生きてても何も出来ないだろ
502人間七七四年:2011/09/21(水) 06:54:14.06 ID:U0rJNnhw
そりゃカンベさんはかやの外ですしおすし
勝負を決めたのはその息子の長政だよ
503人間七七四年:2011/09/21(水) 07:18:23.19 ID:bjFPxHvk
>>501
黒田さんは、本気でラウンド2狙ったんじゃなかろうか。
当時の黒田さんは家もデカいし、豊臣と心中する義理もない。
おおっぴらに東軍について、関ヶ原で消耗するはずの毛利くらいを、とりあえず呑み込もうと思ってたら

まさかのTEL引きこもり。

まあ、逸話でも家康を刺さなかった息子を叱ったともいうし、
大きな家のある連中は、危ない橋を避けて色々考えたろうと思う。

そういや島津は東軍に付く気で伏見に行ったら断られて
そのはらいせ?で西軍に付いたなんて噂もあるんだろ?
豊臣恩顧以外でマトモな奴はみんな東軍について
ラウンド2を狙ったんじゃね?
504人間七七四年:2011/09/21(水) 10:27:27.87 ID:SgI/4ufg
断られたって逸話は江戸時代に捏造されたって説もある
三成は島津にとって恩人だし
義久はともかく義弘は西軍だろう
505人間七七四年:2011/09/21(水) 14:38:08.56 ID:08ES5Q/k
司馬遼太郎か何かだったと思うけど。
明治時代に陸軍に招かれた外国の将校が、関ヶ原の古戦場を見て
西軍が買ったに違い無いとおもったとか。
それくらい地の利というか陣の撮り方は西軍優位だったらしい。
506人間七七四年:2011/09/21(水) 15:22:12.18 ID:/TWLy6f6
>>505
それ作り話
507人間七七四年:2011/09/21(水) 17:16:58.87 ID:5Knw8THA
>>504
じゃなんで島津は動かなかったんだよ
508人間七七四年:2011/09/21(水) 17:33:01.75 ID:U0rJNnhw
西軍も東軍も様子見だったんだろうなぁ
全力出してたのは皮肉にも秀吉子飼い連中だけだったんじゃないか
509人間七七四年:2011/09/21(水) 19:29:21.94 ID:SLdyBix8
>>507
島津は参戦するだけの兵がいなく陣を維持するだけで精一杯だった
510人間七七四年:2011/09/21(水) 19:51:13.82 ID:lGVmzaXa
島津は合戦当初から井伊本隊や松平忠吉と戦っていましたが
511人間七七四年:2011/09/21(水) 20:40:55.81 ID:bjFPxHvk
>>510
鎌倉以来の武門の家としては
その程度、児戯にも等しい。
って気じゃね?

母方の先祖の遠縁が島津に屈服した身としては、それくらいには島津を買い被りたいw
512人間七七四年:2011/09/21(水) 23:08:30.76 ID:lGVmzaXa
>>511
外聞が悪いからなかった事にしたんでしょ
513人間七七四年:2011/09/22(木) 08:22:20.06 ID:JLocZhL1
>>503
それは司馬さんの買い被りだよ。
確かに太閤はんを恐れさせた官さんの器量は抜きんでているが、12万石では・・
514人間七七四年:2011/09/22(木) 08:38:51.40 ID:CAHdGDsM
第二ラウンド狙ってないのに他国に攻め入ったって言うのはどう解釈するんだ
515人間七七四年:2011/09/22(木) 11:01:07.70 ID:Eveqjyjp
>>513
近代以降の日本人は、人間なんかほっときゃゴキブリのように増えるって思ったようだが
(百年経たない間に日清・日露そして大東亜の戦争三昧が実績)
本来、一回戦争やったら金も人も相当な欠損がでる。
関ヶ原のラウンド2は、年代的には大阪夏の陣の頃を狙うんじゃね?
その為にも如水さんは毛利の所領が欲しかったろうと思う。
516人間七七四年:2011/09/22(木) 11:33:35.94 ID:CAHdGDsM
そもそも大体の大名が1日で終わるとは思ってなかった=乱世再びktkr

黒田さんは石高を少なめに申告して脱税してたから、その分の貯金をばら撒いて勝負にでた
517人間七七四年:2011/09/22(木) 12:31:11.08 ID:JLocZhL1
>>515
逆に広島に逃げ帰った毛利や北肥後の加藤を籠絡して上方に攻め上るとか。
518人間七七四年:2011/09/22(木) 13:16:11.41 ID:Xkn8lzke
石田三成が一時期は天下を取るけど人間性が悪いから毛利や島津に謀反され彼等に取って代わられる
519人間七七四年:2011/09/22(木) 13:54:21.73 ID:d0+3Qm+q
島津は薩摩大隅日向しか興味ないし
毛利も中国地方しか興味はない
520人間七七四年:2011/09/22(木) 14:05:11.87 ID:Eveqjyjp
>>517
そんな覇気があるなら豊臣方にはTEL君はつかないかとw
あそこで東軍につけば、一気に奸臣豊臣からスメラオをお救い申し上げるとか言って
京まで兵を動かせる。
最悪宇喜多で足が止まっても今で言う岡山までは来れるんだから、
国穫りジャパンカップ決勝進出みたいなもん。

TELは、凡人にとって慮外の生き物
521人間七七四年:2011/09/22(木) 19:23:22.77 ID:W7BuwZFa
>>517
毛利・上杉・島津・長宗我部らが皆地元で徹底抗戦すれば家康の構想は瓦解しただろうね
彼らは兵力を温存してたし、どれもかってはその地方で覇を唱えた家
522人間七七四年:2011/09/23(金) 16:59:24.71 ID:V0lwclk3

関ヶ原の敵中突破は、家康と島津義弘の陰謀

http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0203/39/266_1.html

島津の武士団は、関ヶ原で敵陣に向かって中央突破を試みた。
だが、家康の戦法に不可思議なものが露見する。
敵の大将島津義弘を討ち取るために、包囲して全滅させるべきところを、
わざわざ逃げ道を開けて、その逃げる島津の列を、長時間にわたって、
最後の兵士・足軽から順に取り囲んで殺していった。
もちろん、義弘と主要な武士団は逃げおおせ、堺の港にたどり着くが、
そこでは、家康の用意した船が迎えに来て、義弘らの生き残りを、
鹿児島まで丁寧に送り届けた。
これは、家康と義弘の「八百長」を証明するもので、
島津氏は鹿児島に任命される最初から、鹿児島を「ほめ殺し」することが、使命だった。
このような、気の遠くなるような長期の民族浄化が出来るのだろうかと思うかもしれない。
だが、日本の天皇家は、古代エジプト王朝であり、すでに6000年以上の歴史を刻んだ一族にとって、
1000年や2000年など、何とも思わない。目標は、「一万年」だ。そこに、「万歳」の意味がある。
(仮説を含む)
523人間七七四年:2011/09/23(金) 17:44:27.23 ID:ahtIKB5c
内容以前に、日本語になってないよ・・・w
524人間七七四年:2011/10/05(水) 23:29:29.02 ID:ojzL6RjW
すご
525人間七七四年:2011/10/05(水) 23:51:15.19 ID:CsYc3uge
東北→上杉景勝vs伊達政宗
九州→黒田如水vs島津義弘

黒田は単独でも勝てるけど伊達は無理だねぇ
526人間七七四年:2011/10/06(木) 08:12:11.49 ID:JvHu0lPc
>>525
スゲェ黒田贔屓だなw

って思ったら、息子に家を放り出された方か
そりゃ戦争にもならん。

義弘公に兵隊を削られてるうちに、3歳さんに、首を落とされんじゃね?
527人間七七四年:2011/10/07(金) 01:15:35.09 ID:LwpyLMV1
「3歳」とか、書いてて自分で恥ずかしくない?
528人間七七四年:2011/10/07(金) 01:43:57.26 ID:bsrGHk5+
島津家の中も複雑だからな。龍伯さんの存在無視して
九州→黒田如水vs島津義弘(キリッ
なんて書く奴がわかってるとは思えんが
529人間七七四年:2011/10/07(金) 09:23:18.92 ID:hefBT473
そして無視される最上、南部
530人間七七四年:2011/10/07(金) 10:47:33.81 ID:SqwTR2aV
>>529
南部はまだ国境を面してないから、
忘れられても仕方ないんじゃね?

社会に興味なかったら最上なんか知らんのもあるだろうけど
531人間七七四年:2011/10/12(水) 12:59:03.48 ID:7+FQJB9X
旧暦 9/15
昨日でした。
関ヶ原
411年前
532人間七七四年:2011/10/13(木) 20:05:04.70 ID:DcDgwHyh
佐竹さんも 軽くスルー
533人間七七四年:2011/10/14(金) 01:13:52.74 ID:QiEnb+OL
西軍が買っても徳川本隊がまだ残っているから、
下手したら、応仁の乱みたいに何年か続くかもしれない。
そうなれば、西軍と東軍をあちこちする武将が居るんだろうな。
こういう一種の味方集めみたいな勝負になると、
資金も乏しく、人気のない三成ではやっぱり無理だな。

書いていて思ったけど、ミッドウェーで勝っても、アメリカの物量には勝てない。
と同じような結論になってしまった。
534人間七七四年:2011/10/14(金) 18:13:34.11 ID:+EJEYTky
あの状況で家康を失って大丈夫なほど関東経営は安定してたのかな?
535人間七七四年:2011/10/15(土) 06:04:20.51 ID:N7gKuVB4
別に三成名義で勧誘する必要が全くないわけで

家康死んだら一大事件だけど豊臣が残っている以上反乱起こす馬鹿はおらんだろ
536人間七七四年:2011/10/15(土) 11:19:21.28 ID:zZnr8UcZ
>>535
仮定として関東平定して東軍完全敗退させたとして(ココに至るプロセスはしらん)、
マトモに西軍が統治できるとは思えんのだけどね・・・

関ヶ原参加武将と毛利あたりで内紛始めそうだしw。次は三成あたりが
「大阪城で秀頼様をたぶらかす奸臣毛利を撃つべし!」なんて始まりそう。

秀頼がその辺なにかきちんと対応できるかといえばノーだし。豊臣がちゃんと
コントロールできているならそもそも関ヶ原なんか起きない。
537人間七七四年:2011/10/15(土) 18:21:51.63 ID:scj1m6nM
>>535
いや家康が死んでも徳川家に関東の統治は可能かって話ね
秀忠の徳川本隊が残ってるって言う人が多いからさ
538人間七七四年:2011/10/15(土) 21:18:46.15 ID:N7gKuVB4
すまん、理解力が足りんかったわ
確実に減封は食らうから徳川が統治ってのは無理だろね
539人間七七四年:2011/10/16(日) 16:55:39.75 ID:60PBfN0V
>>537
統治もへったくれもなくて、家康死亡なら内紛状態になるでしょうな。
結城秀康 VS 徳川秀忠でね・・・。遅参を敗退の理由にされそうだしw

秀忠3万8千は関東にそもそも帰ってこれること出来るか?
540人間七七四年:2011/10/16(日) 22:44:47.39 ID:mxzIjG/G
政宗ってあのとき上杉・佐竹と共謀して関東に攻め入ってたら天下取れたのにな
先見の明がないと思う
541人間七七四年:2011/10/16(日) 22:47:14.02 ID:KCrH9Ffb
伊達が佐竹、上杉と仲良くなるイメージが浮かばない
542人間七七四年:2011/10/17(月) 04:53:54.38 ID:JOJZrQd7
そもそも上杉と佐竹が共謀してないし
543人間七七四年:2011/10/17(月) 20:03:01.12 ID:ZXKyjuTp
関ヶ原の戦いに参戦した武将を昆虫に例えるとどれに当てはまりますか(東軍西軍両方とも)?
544人間七七四年:2011/10/18(火) 19:43:03.80 ID:Hg/6di4H
真田・・・さなだ虫
545人間七七四年:2011/10/19(水) 18:46:11.44 ID:RLtHooLA
>>539
さすがに秀忠は帰還するだろうが、外様や三河譜代以外の徳川家臣は離脱しそう
秀康の宇都宮軍も同様で、こちらのほうが帰還は危ういやも
546人間七七四年:2011/10/19(水) 21:12:22.65 ID:U0ZmBSED
秀康は仮にも秀頼の兄貴だしむしろ秀康が家継ぐ事を条件に安堵されそう
547人間七七四年:2011/10/19(水) 22:19:32.53 ID:zmHOYsRq
>>542
共謀するはずだったけど義宣は親父に反対されたんだろ
548人間七七四年:2011/10/19(水) 22:53:29.12 ID:VDxAzlyF
12月14日は防災に注意だ!
告げまくれ!
549人間七七四年:2011/10/20(木) 17:39:48.13 ID:iRKHCF9Z
>>546
秀康家督で三遠駿あたりが妥当かな
負け方とその後の過程で何か国かは変動
西軍が勝った場合に関東・東海に誰を置くかはわからんねえ
まあ史実でも福島が安芸、山内が土佐など縁もゆかりもない土地に飛ばされてるから、表に出てる恩賞約束以上の予想はできるわけないけど
550人間七七四年:2011/10/21(金) 20:23:39.22 ID:TkWjBRnY
>>543
西軍
石田三成・ミドリシジミorウラゴマダラシジミ
毛利輝元・ショウリョウバッタ
宇喜多秀家・タマムシ
小西行長・マツムシ
大谷吉継・スミナガシorコノハチョウ
安国寺恵瓊・ガムシ
真田昌幸・幸村・ミツバチ
小早川秀秋・イトトンボ
長宗我部盛親・クワガタ
吉川広家・ショウリョウバッタ(輝元と同じ)
上杉景勝・ゴマダラカミキリ
佐竹義宣・ギンヤンマ

東軍
徳川家康・カナブン
徳川秀忠・カナブン(父と同じ)
前田利長・サナエトンボ
伊達政宗・キリギリス
福島正則・ノコギリクワガタ
細川忠興・ヤブキリ
浅野幸長・スズメバチ
池田輝政・ジガバチ
加藤清正・シロスジカミキリ
藤堂高虎・ダイコクコガネ
山内一豊・アブラゼミorミンミンゼミ
本多忠勝・カブトムシ
井伊直正・クツワムシ
551人間七七四年:2011/10/22(土) 12:21:24.12 ID:X4oJiVZp
>>1
妄想と言うほどの事ではなく実際は紙一重。
明治時代初頭にプロイセンから招聘した陸軍顧問団を
関ヶ原に連れて行き、東西両軍の布陣図を見せながら
基本的なレクチャーをしたところ、顧問団の全員が
西軍が勝った筈だ、と答えた。
最大の要因として、これまた全員が西軍の完璧な布陣を
挙げたという。
日本側が史実では東軍が勝ったと説明しても信じてもらえなかった。
552人間七七四年:2011/10/22(土) 12:32:20.11 ID:KLRNH7Z0
>>551
へぇー、そーなんだー。
知らなかったなー。
553人間七七四年:2011/10/22(土) 15:22:55.07 ID:2SR1RsEC
>>551その話うそだから
554人間七七四年:2011/10/22(土) 16:03:17.90 ID:5+vNKTv4
真偽はともかく
ここの板の人間なら誰でも知ってるような逸話を超遅レスでされても
555人間七七四年:2011/10/22(土) 16:11:56.75 ID:zKYWjkge
プロイセンっていうだけでなんかかっこいいな
556人間七七四年:2011/10/24(月) 22:32:53.54 ID:KqRnud7D
>>554
ホント
そんなアホでも知ってるような話をシタリ顔でされてもな。
557人間七七四年:2011/10/24(月) 23:00:35.55 ID:ChAx+XyT
いやいや コイツあほーとかあいつバカーとかしか言わないやつらよりよっぽど役に立つ
これからもどんどん書きこめばいいじゃん>>551
558人間七七四年:2011/10/25(火) 00:28:56.82 ID:4CQsKrNF
そもそも会戦で総大将が死ぬなんてまずないと思うんだが・・。
関ヶ原でも三成は当然逃げてるし、宇喜多、島津、小西という大名でさえも落ち延びてる。

ということで、西軍勝利で、総大将を打ち取り、尚且つ、
豊臣方の内紛はなく、(そもそも、黒田にしろ、加藤にしろ東軍に参加しているが・・・)
徳川だけに内紛が起こるという、
それだけのミラクルが続いたとしても、豊臣の天下は訪れそうにないな。
559人間七七四年:2011/10/25(火) 12:42:21.68 ID:yyDYJWrC
パッと出るのが龍造寺、大浦くらいだな
島津は大将首とりすぎ
560人間七七四年:2011/10/25(火) 16:38:07.35 ID:HW413JwD
>>558
三成が佐和山にすらたどり着けずに捕まったのだから、家康もどこかで捕まったら同じことじゃないの?
問題は東軍が負けた場合、史実の西軍のように瓦解するかどうかだが
561人間七七四年:2011/10/25(火) 22:54:43.12 ID:yyDYJWrC
家康が捕まって処刑されたとしてうまく江戸に籠ることができても長期化したら
秀康、秀忠、忠吉で分裂して結局瓦解しそう
あと東軍諸将を改易する力が毛利にあるとは思わんしせいぜい当主交代あたりで済まされそう
562人間七七四年:2011/10/27(木) 08:31:18.43 ID:oWQS4lsD
元就の人格が輝元に乗り移れば可能
563人間七七四年:2011/10/27(木) 20:51:46.58 ID:G0XwRtYf
>>560
当然瓦解するだろう。
一度浮き足立った部隊の侍大将以下の連中など真っ先に逃げ出すだろうな。
ただ東海の諸城は難なく陥落させても問題はその後。
564人間七七四年:2011/10/28(金) 18:09:11.73 ID:hn5r5xQN
>>563
当然とまではいえないのではないか?
両軍の実質的な総大将の10倍の石高格差、比べるまでもない合戦での実績の差
西軍の名目的総大将毛利の身内の裏切り
西軍諸将と東軍諸将の合戦参加の動機・意欲の差

あと西軍諸将は小早川の裏切りと毛利の傍観で気力がなえたってところもあるから、仮にこいつらが奮戦して西軍が勝ったところで東軍にしてみれば普通に負けただけってのもある

565人間七七四年:2011/10/29(土) 15:09:27.71 ID:z5feW5ln
>>560
本当に会戦で総大将が死ぬ例はないんですよ。
長篠の戦いでも、勝頼は逃げて、その後10年は放置されてます。
姉川の戦いでも、浅井は逃げて、その後10年は戦いを続けてます。

三成の場合は捕まるよりも先に、佐和山城が落ちてしまったこと。
それゆえ、逃げる手助けをする家臣が皆無になってしまったこと。
これらのことが重なったから、捕まったのであり、
家康の城がことごとく落ちて、家臣が皆無になるなんてことが数日でおきますか?

こういう点でも250万五石の大名と、20万石の三成とでは大きく差がでてくるわけです。
566人間七七四年:2011/10/29(土) 17:45:59.46 ID:0rB2rK/k
>>565
劣勢による軍勢を保った戦略的撤退ならともかく、西軍みたいに崩壊した場合は江戸は遠いよw
総大将が死ぬ例がない(実際は結構あるが)っていうのも、戦国時代の隣接した領土の取り合いでのこと
567人間七七四年:2011/10/29(土) 17:47:44.23 ID:Lhy8LVSB
>>565
>家臣が皆無
秀康、秀忠、忠吉?に熱く期待。

なくはないと思う。
そもそも、たった20万石にも満たない小身の石田が画策したとか、
ズタボロ状態の毛利が総大将とか
それだけって戦力じゃ関ヶ原は起こせない。
兵数で互角ったって、まさに多国籍軍状態の西軍に対して
参戦してる連合軍の約半分の自軍を持ってる家康。
戦争になったらやるだけ無駄な兵力差。

実は、結城(秀康)の一本釣りに自信があったのかも
568人間七七四年:2011/10/29(土) 18:32:13.53 ID:wQijyAR6
>>560
秀忠ならともかく、三河遠州の住民は家康を売らないだろ
で、三成を憎んでる福島は城に篭って討ち死にするまで抵抗するだろうし
細川も嫁の恨みで清洲で討ち死にするんじゃね
他はだらだら江戸目指して逃げるだろうし秀忠もそのまま逃げ帰る

勝敗は東北の武将次第になりそうだが第二ラウンドは江戸決戦だろ
569人間七七四年:2011/10/29(土) 18:40:02.76 ID:0rB2rK/k
>>568
三河の前に美濃・尾張を抜けねばならんし、東海道筋の大名が裏切らない保証は無い
福島と娘婿の池田は裏切らないとしても、山内・堀尾・中村あたりの秀吉恩顧の老将は不明
徳川譜代以外が己の領地を捨ててだらだら江戸まで付き合う義理は無い
清州で軍勢を再集結させて再起できなければ終わりじゃないの
570人間七七四年:2011/10/29(土) 19:34:24.09 ID:dyeKmwdM
聞く処によると、西軍勝利の暁には
毛利輝元…豊前一国加増で150万石
上杉景勝…旧領越後を回復(加増)
宇喜多秀家…旧徳川領関八州280万石
真田昌幸…信濃一国48万石
石田三成…近江一国78万石
大谷吉継…越前半国42万石
長宗我部盛親…土佐、阿波50万石
小西行長…肥後一国55万石
小早川秀包…筑後一国32万石
前田利政…能登、加賀57万石
伊達政宗…陸奥岩手山55万石
織田秀信…美濃、尾張100万石
小早川秀秋…筑前36万石に加え、関白料として播磨34万石

関白 小早川秀秋
五大老 上杉景勝(筆頭)
毛利輝元、宇喜多秀家、織田秀信、小早川秀包
五奉行 石田三成(筆頭)
増田長盛、長束正家、大谷刑部、前田玄以
なお、豊臣秀頼は政治機構から切り離され、オーナーとして奥に退いている
571人間七七四年:2011/10/29(土) 19:36:01.70 ID:vghIRTHT
>>568
>東北の諸将・江戸決戦
まず最上は上杉に降伏、伊達は狡猾。
南部領の一揆煽動やほとんど上杉と交戦していないし、東軍敗亡の報を聞けば
忽ち西軍に転じる。
他の奥羽の東軍は小勢力で忽ち瓦解、越後の堀も越中攻撃に転じる他、佐竹も
下野,下総に乱入する。
572人間七七四年:2011/10/29(土) 20:04:53.68 ID:0rB2rK/k
>>571
堀さんは東西どちらの立場で前田さんに喧嘩売るわけ?
前田家自体が利政を立てて西軍に転びそうだけど
573人間七七四年:2011/10/29(土) 20:07:37.00 ID:vghIRTHT
>>571
むちゃくちゃだな。
宇喜多に関八州与えたら佐竹にはどこを宛がうんだよ?
宇喜多は播磨を加増されて100万石強、織田は美濃40万石、小早川は
在京料大和一国加増、増田や長束は東海に移封
といった辺りが妥当だろう。
574人間七七四年:2011/10/29(土) 20:10:07.08 ID:fIYk2p65
宇喜多を関東に飛ばすって・・・目障りなのかw
575人間七七四年:2011/10/29(土) 20:14:38.51 ID:vghIRTHT
>>572
利長を隠居させるのか?
576人間七七四年:2011/10/29(土) 20:18:44.17 ID:0rB2rK/k
>>573
適当な約束なら織田には美濃尾張、真田には甲信、小早川には上方に領地と稲葉・平岡に近江10万石じゃなかったっけ

>>575
妥当な線じゃない? 妾腹の利常にやるよりは抵抗ないだろうし
577人間七七四年:2011/10/29(土) 20:31:24.18 ID:vghIRTHT
>>576
なるほど、そうなると村上・溝口・堀の三将は庄内会津越中三方面から攻められて
ボコボコだなww
578人間七七四年:2011/10/29(土) 20:56:10.28 ID:wQijyAR6
>>571
西軍に転じても即攻撃は無いんじゃないかな
上杉単独では結城率いる残存部隊にも勝てるか分からんし
最上や伊達は西軍に下っても上杉の下にはつかないんじゃ
佐竹も単独では江戸に攻めあがらないだろうし後方の伊達を信用しないだろ

で、西軍は関が原の論功行賞で揉めに揉めて時間ばかり無駄に過ぎてくと予想
579人間七七四年:2011/10/29(土) 21:49:30.95 ID:vghIRTHT
>>578
伊達は南部領に攻め入って火事場泥棒w
580人間七七四年:2011/10/29(土) 22:29:45.76 ID:NVqMJD/S
>>577
下手したら信濃から真田と秀忠軍を離脱して寝返った諸将が侵攻w
まあ堀がバカじゃなければ上杉相手に越後防衛なんて愚行はしないで降伏だろ
581人間七七四年:2011/10/30(日) 00:38:13.12 ID:0JdvfeNw
むちゃくちゃかもしれんが、学研の書籍では西軍勝利のシミュレーションとしてなぜか宇喜多が関東に転封になっていたのだ
582人間七七四年:2011/10/30(日) 01:13:53.10 ID:ecSsVjYK
最大の謎は論功行賞を誰が仕切るかというところだと・・・
揉めて戦国時代逆行だと思うけどねw

>>570
> なお、豊臣秀頼は政治機構から切り離され、オーナーとして奥に退いている

ひっでーw。小早川秀秋関白にしたってすぐ死んじゃうだろwww
健康問題だけはどうにもならん。
583人間七七四年:2011/10/30(日) 06:34:23.47 ID:NSt4KPy8
>>581
史実の大名転封も充分むちゃくちゃだから気にすんな 無難なのは肥後一国を加藤か小西かってくらいだ
実際問題、徳川潰した後の関東は小大名を割拠させるか大老クラスを入れるしかないだろう
徳川含めた東軍大名を隠居謹慎減封の上で関東に放り込むって策もあるが
584人間七七四年:2011/10/30(日) 12:26:59.60 ID:0JdvfeNw
たしかにガバッと加増して次の代でガバッと減封って多かったねえ。丹羽とか蒲生
585人間七七四年:2011/10/31(月) 07:38:20.51 ID:qxKhCCVh
なんで毛利より宇喜田のが加増されてるんだよ・・・
586人間七七四年:2011/10/31(月) 23:06:37.40 ID:KVYnrnYP
黒田も伊達もまさか関ヶ原がわずか半日で終わるとは思わなかったんだよな
587人間七七四年:2011/10/31(月) 23:17:55.65 ID:TpdA8jme
普通はあんな規模が半日で終わるとか思わんわな
588人間七七四年:2011/11/01(火) 01:01:29.80 ID:iD0+xVrc
毛利は西軍勝利がほぼ確定してから南宮山を降りて池田輝政、浅野幸長に攻めかかったに過ぎず、しかも輝元が大坂勢を率いて関ヶ原に参着したのは9月17日でしたから、なにも手柄無し。よって豊前一国のみ。
それに引き換え備前黄門豊臣秀家は、はじめから西軍の為に働いていたから280万石は至極
589人間七七四年:2011/11/01(火) 02:22:47.28 ID:5fqx51HS
あくまで展開次第だが、宇喜多が関東移封なら迷惑料込で加増高が毛利以上ってのはありえる
でも徳川でこりたから、大名の所領は上限200万石以内に抑えるはず
宇喜多が小田原や江戸を貰ったところで150万石くらいだろ
豊家関東探題として預かる関東蔵入れ領を含めれば支配石高は200万石を超えるやもしれんが
590人間七七四年:2011/11/01(火) 05:29:55.01 ID:45LxNZAK
宇喜多は秀家本人の意向はどうであれ、宇喜多家の方針としては転封がなければ播磨が欲しいだろう。
播磨は三郡が宇喜多領だったのもあるが、赤松、浦上、宇喜多の系譜があるわけだから、旧赤松領の
播磨全土は是非とも欲しいところ。
591人間七七四年:2011/11/01(火) 06:16:02.77 ID:snFwtTr8
>>590
それこそ、第二の家康どころか
第二の三好長慶じゃね?
大和・河内・紀州なんてのを取らせるよりはマシだろうけど

縁も無さそうな関東に入って、あれだけ強大化出来た家康が化け物なだけで、
問題が有りそうな地方にやっとくのが政権の安定には吉だと思う。
592人間七七四年:2011/11/01(火) 07:53:59.69 ID:PGC/Sn7h
手柄なんて政治力でいくらでも評価がかわる
西軍の総大将は毛利でありいくらでも加増できる立場になる
宇喜多は其の点で手柄を立てても政治力が無い
石田は元がショボイしでしゃばると西軍が割れる
593人間七七四年:2011/11/01(火) 08:10:10.57 ID:NKDKzYdU
素人の質問ですが、なぜ安国寺恵瓊は斬首になったの?
石田、小西はバリバリ主力で戦ってたから当然だけど
同じく主力の宇喜多は助命され流刑
戦わなかったとはいえ総大将の毛利は減封されたが大名家として残る
594人間七七四年:2011/11/01(火) 08:58:26.59 ID:iD0+xVrc
戦場での槍働きは誰でもできる。毛利一族を西軍に流した政略、謀略のプラン・メーカーの息の根を止めないと危険だと解されたのであろう。
このように見ると本戦戦場での功績がなかった山内一豊が土佐24万石の国司になれた理由も判るというものだ
595人間七七四年:2011/11/01(火) 14:19:02.16 ID:AqnAY2O1
>>593安国寺が毛利をそそのかして参戦させたから
要するに責任取らされただけ
宇喜多は前田と島津が助命嘆願したから、あと秀吉の子供という建前もあった
あと毛利は改易される予定だったけど吉川の与えられた領地をそっくり毛利に与える形になってる
596人間七七四年:2011/11/01(火) 19:04:13.41 ID:s8530BkD
>>595
宇喜多は逃亡生活を送って時間を稼いだのも大きいと思う
関ヶ原直後に捕まってたなら死罪は免れなかったかも(秀吉養子や現役大老ってことで斬首ではなく切腹になるやも)
597人間七七四年:2011/11/01(火) 19:25:36.05 ID:snFwtTr8
>>593
安国寺は毛利方からのスケープゴート。

島津が手付かずであったり、上杉が生き残ったり、宇喜多秀家が断絶にならなかったのは、
徳川方が、しばらく戦争したくなかったからじゃね?
598人間七七四年:2011/11/01(火) 19:43:14.95 ID:xTdn+QM+
岡山城に籠城して所領安堵してくれないと籠城しちゃう!って言えば
10万石ぐらいで生き残ったんじゃね?
599人間七七四年:2011/11/01(火) 20:08:52.15 ID:snFwtTr8
>>598
いっそ本領安堵とか持ち出してみるとかw
最後の一兵まで戦う所存って構えられたら、意外に腰が引けたりしてね(爆)
600人間七七四年:2011/11/01(火) 20:10:06.26 ID:grmSH492
>>598
岡山城は敗戦後、もぬけの殻になっていた。
601人間七七四年:2011/11/01(火) 20:19:11.83 ID:5fqx51HS
>>599
上杉・毛利あたりがそれやってたらどうなってたことやら
602人間七七四年:2011/11/01(火) 23:19:36.72 ID:AqnAY2O1
>>601西軍についてた他の大名達が喜ぶ


あと島津は貿易のためとか遠征するのがめんどい位置にあったっていう説がある
603人間七七四年:2011/11/01(火) 23:34:41.99 ID:5fqx51HS
家康の戦略は決戦で治部を叩けば後の連中は勝手に下るだからなあ
毛利が大阪退去しなければあっさり破綻するレベル
島津以外の西軍大名が改易・減封をすんなり飲んだのは家康の政治力か太閤の大名統制に飼い慣らされた賜物か
604人間七七四年:2011/11/02(水) 08:06:51.34 ID:AhHBGTWp
>>601
お互いに常識があるから、余分な恫喝も無しで
減封で妥協したんじゃね?
改易なんて話を出したり、本領安堵なんて話を出したりしたら
お互いにメリットの無い殲滅戦になると
605人間七七四年:2011/11/02(水) 13:41:39.49 ID:9idwuryP
>>604本来毛利は本領安堵が条件だったんだよ
606人間七七四年:2011/11/02(水) 18:31:34.30 ID:AhHBGTWp
>>605
てるもとの花押付きの書状がぁ!出てきてごわさんになった話か?

ふぅぅん
607人間七七四年:2011/11/02(水) 19:12:42.51 ID:DbltmN8R
内府ちがひの条々の事か。
608人間七七四年:2011/11/02(水) 19:24:20.56 ID:9idwuryP
>>606日本語でおk?
609人間七七四年:2011/11/02(水) 19:28:24.63 ID:zQVzwRyl
何れにせよ石治少、佐竹右京大夫、上杉
610人間七七四年:2011/11/02(水) 20:49:27.16 ID:t3/4u4b8
秀家の親父なら、関ヶ原の合戦後、大坂城に入城して、毛利輝元、豊臣秀頼以下全員の首を刎ねて、
家康に、公然とご命令通り、秀頼と輝元の首を刎ねました。後はご随意に、と申し述べただろうに。
秀家は、親父に似無かったのが不幸だったな。
関ヶ原の合戦直後に秀頼の首を刎ねていたら、福島正則とかはどうしたかな。
611人間七七四年:2011/11/02(水) 21:00:19.67 ID:9idwuryP
釣りかはわからんがそもそも豊臣家のための戦だぞ
612人間七七四年:2011/11/02(水) 21:14:55.69 ID:t3/4u4b8
>>611
その後、ほんの15年で徳川家康は、豊臣家を完全に攻め滅ぼしたがな。
分かる人は皆、関ヶ原の時点で、この戦は、豊臣家を滅ぼすための戦だと分かっていた。
613人間七七四年:2011/11/02(水) 21:22:23.70 ID:s+dcQMi9
西軍が勝ってても三成が家康みたいになってただけじゃないの〜〜〜?
614人間七七四年:2011/11/02(水) 21:41:07.28 ID:fzOpcAYE
三成にそんな力も権限も人望もない
615人間七七四年:2011/11/02(水) 22:13:49.63 ID:RAU/QnqT
>>614
それらはすべて実力と実績が作るもの
616人間七七四年:2011/11/02(水) 22:33:51.95 ID:fzOpcAYE
三成には実力と実績もない
617人間七七四年:2011/11/03(木) 10:04:08.21 ID:R2oR7S0z
実力がなければ関ヶ原で決戦に持ってく事自体が不可能だったし、実績は関ヶ原で勝ったなら奉行としてのそれと合わせて充分
618人間七七四年:2011/11/03(木) 12:53:09.44 ID:Rdzs4wKN
最近三成の評価がうなぎのぼりで超人気俳優が演じるようになったけど、
三成はそんなにすさまじい忠臣だったかどうか・・・ 勝ってたらどうなってたかわからん
619人間七七四年:2011/11/03(木) 12:53:21.06 ID:lhAA6i2x
>>616
あのgtgtの状況下で10万人を関ヶ原の戦場に展開した力量は凄いでしょ。
ただしgtgtの状況の原因を作っている一人は三成本人なので・・・

もし三成が徳川政権の旗本だったら大成しただろうな。
620人間七七四年:2011/11/03(木) 14:47:11.37 ID:mvzowQ0R
>>619
徳川方の旗本だったら
手の早い旧今川方に斬られる
気の短い三河衆に斬られる
底意地の悪い武田遺臣に斬られる
の三択だろ。
尾張の桶屋や鍛冶屋ほど温厚でも辛抱強くもない
621人間七七四年:2011/11/03(木) 16:56:14.79 ID:lFHyALjx
>>619
大成しても末路は本多正純と同じじゃない?
三成が本当に無欲な忠臣だったなら正信同様自分の代は安泰かもしれんが
622人間七七四年:2011/11/03(木) 18:15:43.72 ID:l509/r8c
>>617
西軍の総大将は毛利
三成は根回しをしただけ
勝ったときの論功も良くて毛利、宇喜多、小早川の次くらいで四番目
ヘタすれば六番以下になる可能性もある程度だぞ
623人間七七四年:2011/11/03(木) 20:26:18.83 ID:HuNTiRKR
大谷吉継が病に侵されてなかったらなぁ
624人間七七四年:2011/11/03(木) 20:42:16.13 ID:9PGS4rbS
>>621
石川数正みたいに才走って出奔か放逐。
625付家老平岡石見守頼勝:2011/11/03(木) 20:44:57.96 ID:uyauSAPo
それより小早川秀秋の処遇ですよ。秀秋を関白太政大臣にした挙げ句上方に大封を与えればきちがいに刃物の沙汰になり申す

626人間七七四年:2011/11/03(木) 22:05:27.94 ID:lhAA6i2x
>>625
すぐ死ぬっていう運命は変えられないから、死んだあとにまた
揉めるだろうなw>小早川秀秋
627人間七七四年:2011/11/03(木) 22:31:10.01 ID:R2oR7S0z
死んだ原因が関ヶ原の裏切りにあるなら、史実と違えば死ぬとは限らん
628人間七七四年:2011/11/03(木) 22:36:19.65 ID:tibl/pdb
心労あっただろうが病死だしそこは病死でいいんじゃないのか
629人間七七四年:2011/11/03(木) 23:04:16.81 ID:R2oR7S0z
癌や朝鮮で貰った梅毒が原因ってならともかく、岡山にいても大阪にいても風邪をひくってことはない
織田秀信や北条氏直は仮にお家安泰でも史実と同年に死ぬってゲームみたいなこと言ってるようなもの
630人間七七四年:2011/11/03(木) 23:06:20.29 ID:R2oR7S0z
もちろん関白のプレッシャーで史実と同時期・さらに早い時期にお陀仏になる可能性はゼロではないw
631人間七七四年:2011/11/04(金) 07:15:22.05 ID:rJTmG3R3
史実だと、大名連中だけでなく家臣からも陰口言われてたって状況での怪死だし
西軍が勝ってたらチヤホヤされることがあっても苛めは無いだろ

淀君に苛められそうだけどなw
632人間七七四年:2011/11/04(金) 08:38:17.66 ID:wHydXBFR
なら何歳くらいまで生きれる事にして話をするんだ?
天寿以外の寿命なんかアレさえなければとか言いはじめたら語りようがないと思うんだがな
633人間七七四年:2011/11/04(金) 13:20:36.70 ID:xIZmPAzF
>>631
根っからの愚鈍説に実は名君説とかいろいろあってわかんないけど・・・
もし早世が体力的なもの精神的なタフさがなくて死んじゃったんだったら
豊臣政権でもその辺変わらんだろw

関白になったら常に秀頼にいつ譲位するかという問題が延々と付きまとうしw
そこで譲位なんかしないで・・・とかいう囁きをする大名がゴマンといるぞw
本人にその気がないのにあらぬ疑いかけられたり・・・うーんストレスフルな環境だw
634人間七七四年:2011/11/04(金) 19:14:04.86 ID:JIax82af
豊臣秀家だって八丈島の暮らしが足腰を鍛え、コレステロールが溜まらない体質になっていたからこそ84まで生きたわけで、本土にいたら若死にしていた可能性に5000貫
635人間七七四年:2011/11/05(土) 00:49:00.52 ID:a/CMas8J
秀吉は大盤振る舞いをしすぎたんだよ
636人間七七四年:2011/11/05(土) 07:29:07.74 ID:Tn1CHQJ4
>>632
そもそも西軍勝利の後の政治状況なんて半年後でも一月後でも想像になるんだし
直近の状況で妄想すればいいだけ
637人間七七四年:2011/11/05(土) 08:35:03.71 ID:aW3dAspf
>>631
史実?
手討ちにしようとした百姓に股間を握りつぶされたって史実を見た記憶があるが?

真面目な話、史実として明らかなのは病死ってことで死んだだけだろ
虐めだなんだって、逆に武門の家の人間なら、そんな回りくどいことしなくても脇差し一本あれば精算できる。
平和ボケした元禄武士で江戸城で抜刀したんだぜ。
秀秋公なら虐められたとしたら、アッサリ切りかかる。
隆景が養い親なんだから刀の使い方くらいは教えてるだろうから、ちょっとした有名どころでも命は無いんじゃね
638人間七七四年:2011/11/05(土) 10:56:49.43 ID:9IOifo+R
秀秋を関白にしたら秀次Againにしかならないと思うけど。
ましては期限付き関白なんて・・・

つーか西軍勝利しても空手形なんじゃないの?アレ?
参戦が遅れたとかいろんな難癖付けられて。
639人間七七四年:2011/11/05(土) 11:29:33.18 ID:Gjb7Gau9
いくら功績があろうと、秀秋が関白では床の間に肥え桶を置くようなもの
640人間七七四年:2011/11/05(土) 13:28:10.73 ID:Tn1CHQJ4
脇差で片付いた事例があるなら例としてだしてごらん
出来なきゃ2ちゃんじゃなくてチラシの裏にでも書いてた方がいいよ
641人間七七四年:2011/11/05(土) 19:14:45.09 ID:6omYO/eZ
>>638
でも一応総大将の一門かつ豊臣の血につながる者だし・・・
関白でなくともそれ相応の地位にはなるんじゃね
642人間七七四年:2011/11/05(土) 22:32:45.19 ID:DIaAfWj0
便所に落書きもチラシの裏もあんまかわらん
刃傷沙汰なら古今東西腐るほどある
ただしあの時代でも捜査とか行われたし斬って終わりはまずない
あと年齢なんて推測要素が当時の平均寿命くらいなんだから50くらいまでは最低生きるって考えればいいんじゃないか

勝手な妄想だが小早川は関白の地位を貰ってもそのあと信雄みたいに誰かと共謀するか祭り上げられて謀反おこしそう
643人間七七四年:2011/11/05(土) 23:19:51.66 ID:9IOifo+R
>>641
なったところで空手形というのは一緒だからw

それで、約束が履行されずに不満に思っているとかウワサを立てられて・・・
モンペ淀君と対立して秀次化するとw
644人間七七四年:2011/11/06(日) 00:13:25.37 ID:kHU62HKC
言えるのは、大大名が増えすぎて豊臣政府の手綱が効かなくなり、室町幕府みたいににっちもさっちもいかなくなるでしょう。

豊臣秀頼は統治機構から切り離され、オーナーとして奥に退くでしょう。

徳川家は滅ぼすが、結城左近衞権中将をして松平家を再興せしめ、僅かな食祿を食むことになるでしょう。
645人間七七四年:2011/11/06(日) 07:07:07.56 ID:RDOQCo3n
関白なんて宮中でこそ意味があるけど特に実権があるもんでもないし
秀吉だって早々に返上してる
公家の好きな慣例に照らせば五摂家とのローテーションになるんじゃね
秀頼と金吾のあいだに一つか二つくらい入りそう
646人間七七四年:2011/11/06(日) 14:52:52.85 ID:A8+WFCbn
秀吉の場合は征夷大将軍が空いてなかったから関白取っただけだし
秀次が関白に固執するなら秀頼は征夷大将軍を名乗らせればいいんじゃないの
647人間七七四年:2011/11/06(日) 15:48:13.03 ID:MD4xHskV
>>645
武家関白制により豊臣家が政権を維持していくという発想だから
そんなに無意味とは思っていないでしょ。

小早川秀秋だけ名目上で、その後の秀頼になったら名目じゃなくなる?
流石にそれはムリだと思う。

秀吉が早々に返上しているのは豊臣家による世襲を宣言するための
ものだし(家康だって将軍位を早々に譲っているでしょ)。
その後誰も任じられなかったのは・・・それは別問題でしょ。
648人間七七四年:2011/11/06(日) 21:30:53.34 ID:l3ghH3Ix
とりあえず、秀次様が御存命で豊臣家二代目が関白秀次
様だったら、豊臣政権が安泰だったろうに。
拙者、秀次様の命さえたすければ関ヶ原は阻止でき。
早期に琉球から台湾、そこから呂宋に植民地作れたろうに。
南蛮東南亜細亜横取りなら朝鮮、明征伐より。
船さえあれば容易だろに。

しかし秀頼様は太閤殿下と全然似てないし。
秀次様の方が秀頼様より賢かったと思うが。
誰か時空移動してあの時秀次様をおすくいなされい。
649人間七七四年:2011/11/08(火) 00:01:52.55 ID:GEbDbn1s
学研がむかしやってたシミュレーションによると家康は大老免官のうえ、武蔵、相模2ヶ国に減封のうえ、隠居、永蟄居。
650人間七七四年:2011/11/08(火) 00:16:07.53 ID:IPrgBN1X
秀吉を早急に殺す
651人間七七四年:2011/11/08(火) 07:03:01.44 ID:tzQLKzBE
>>647
無意味なら関白なんて取らないだろ?
関白が無意味なら、天皇も不用だし、その天皇から宣下される征夷大将軍はゴミ。

征夷大将軍は武門の頭領だろうが
関白は天皇の代行者。
武家の出で、征夷大将軍に憧れがある人なら別だろうが、
どっちでも取れる(てか本来、天皇の縁続きでも無いのに関白か?って思うが)なら、関白が権威までついてくるぶんデカい。
652人間七七四年:2011/11/08(火) 08:14:10.16 ID:Y6H+biis
関白は武家が世襲する慣例がないから、政権を存続させる大義名分にならないよ
653人間七七四年:2011/11/08(火) 13:18:30.95 ID:IyGlbQeb
ところで俺の宗茂が論功行賞から抜けているんだが。
肥後一国ぐらいはもらえるのか?
鍋島には讃岐か出雲でもあてがえばよかろう。
654人間七七四年:2011/11/08(火) 13:40:04.69 ID:57pTolPd
>>652
それを先例として作ったのが秀次でしょ。
655人間七七四年:2011/11/08(火) 19:53:41.53 ID:3EVrHMfE
>>653
筑後一国で十分でしょ、秀包には代わりにもっといい領土をあげてあげればいい
そういえば西軍勝利の場合の徳川以外の東軍諸将の処分ってどうなるんだろうか
ほぼ死罪or改易だろうけどなんとなく伊達辺りは厳封で済みそう
656人間七七四年:2011/11/08(火) 20:40:05.54 ID:/s2xxt+w
>>634
たしかに五大老で毎日豪勢な食事してたら
塩分取りすぎで胃がんで早死にしたたかもな
粗食が大切
657人間七七四年:2011/11/08(火) 21:11:37.04 ID:SrPYTyE7
なぜほぼ改易で伊達が残るかわからん

少なくとも西軍みたいに大半潰すのは無理
せいぜい大半は減封か当主交代が限界
毛利にそこまでの力があるとは思えない
あと斬首されるのも西軍ですら三人しかされてないのに大半斬るなんて無理
658人間七七四年:2011/11/09(水) 06:32:33.36 ID:qQr4IaYq
>>657
俺も一瞬そう思った。

だけど、そんな現実に固執した頑迷な発想じゃ
広義の関ヶ原の戦いでの西軍勝利なんて想像もつかないだろ?

西軍勝利って時点でなんでもあり。
659人間七七四年:2011/11/09(水) 08:17:48.99 ID:FK9SGTiv
>>657
伊達は南部領にちょっかい出したり、上杉との戦闘にもさして積極的でなく
両面持して戦っていたと思う。
東軍敗亡の報を聞いたらたちまち豹変、南部領と最上領に攻め入っていた筈。
>>653
後の田中吉政の取り分そのまま、秀包は駿河一国と遠州半分。
660人間七七四年:2011/11/09(水) 09:00:26.68 ID:PULC1EsF
伊達政宗は根性あったよな ってか運が良かった ほんとになんど切腹のピンチがあったか
生き残ったのは読みじゃなくて運 ただ運がよかっただけ
関ヶ原(会津戦線)の働きはタダ働きになっちゃったけど
661人間七七四年:2011/11/09(水) 09:21:23.74 ID:qQr4IaYq
>>660
会津戦線の働きって、最上と南部と秋田を牽制したってやつか?
662人間七七四年:2011/11/09(水) 12:20:20.32 ID:ZWE0uHU+
>>506
作り話じゃない。
嘘吐くんじゃねーよ。
663人間七七四年:2011/11/09(水) 13:36:01.75 ID:Vu5g4vdl
>>662
今更の事に突っ込んでもアレだがそれ有名な創作だぞ
664人間七七四年:2011/11/09(水) 14:06:16.98 ID:sxH9Qd+A
だれが作り話と主張してんの?
それ実際に関ヶ原に来て話した内容で
参加した人の日記にもちゃんと書いてあった話でしょ。
665人間七七四年:2011/11/09(水) 14:33:47.57 ID:Vu5g4vdl
関ヶ原に来て?
資料でこの話を確認したことないからよければその日記教えてくれ
逸話としてでしかこの話を聞いたことがないのと以前調べてみても確信を持てる資料が見つからなかったから後世の創作だと思ってた

666人間七七四年:2011/11/09(水) 18:54:20.67 ID:7oDi95vT
>>655
東軍諸将の中でも処分がややこしそうなのは黒田かなあ。
オヤジさんが九州でアレだし、いろいろ言い訳できそうなアリバイ工作をしてるだろう。
息子が切腹でも家としては伊豆一国ぐらいでは残りそうだ。

藤堂、細川は潰せても、秀吉直臣組のW加藤や福島は
淀殿に直談判とか持ち込まれたらめんどくさそうだな。
有楽斎は秀信の守役断って、淀にこずかい貰って京都か堺で好き勝手に遊んでそうだな。
667人間七七四年:2011/11/09(水) 19:53:08.84 ID:8mn80UId
メッケルの参謀旅行の話をウソとか言ってるやつって
海音寺潮五郎がメッケルの断言した三成が勝つ根拠を批判して
私は陣形云々で勝ち負けが決まるのではなく
関が原は三成がまけるべくして負けた。
関が原以前の段階ですでに負けてると書いてるのを歪曲して
主張してた毛利厨の妄言でしょ。
668人間七七四年:2011/11/09(水) 21:20:30.41 ID:Vu5g4vdl
別に三成が負けた理由云々なんていってないしそこはどうでもいい
まともな資料出してくれたらこっちが間違ってた事を認める
669人間七七四年:2011/11/09(水) 21:51:03.01 ID:5kKiDeuG
メッケルの話で司馬がウソ書いたと言ってる著名人なんて聞いた事ないぞ。
670人間七七四年:2011/11/09(水) 22:12:41.33 ID:Vu5g4vdl
公式の資料にはそういう発言をしたと一切かかれてない
というか見つけられなかった
司馬が出所なのは知っているがそれ以外では聞いたことがない
671人間七七四年:2011/11/10(木) 03:16:58.87 ID:CVrfvPAa
3年次には図上演習ではなく、
古戦場を回り実地研修した参謀演習旅行で
日本最大の決戦地の関が原に行かないとする方が信用できんが。
しかも関が原に行った時は東条英教も一緒だったはずだし。
672人間七七四年:2011/11/10(木) 04:08:25.46 ID:2Vl/n+C/
行ったかどうかじゃなくてそこで議論した内容が西軍が勝った云々の話だという内容が一切見つからない
行った事までは否定しないがそういう話があったっていう根拠が全くない
673人間七七四年:2011/11/10(木) 07:13:26.18 ID:KEWEV5Xt
数多く世に蔓延る逸話の一つや二つが嘘だろうが事実だろうが関係ない。
陣立てに興味があるなら、自分で絵を書いてシミュレーションすりゃ良いんじゃね?

別に、陣立てが良けりゃ必勝ってわけじゃないんだし。
(小藩が固まってる所が寝返ったから、指揮命令系統の乱れが目に付かなかったんだろうが脇坂だの朽木だのが機能するとは思えないし)
674人間七七四年:2011/11/10(木) 11:07:04.73 ID:0H81N0o2
>>670
公式の史料ってどこで読めるの?
ドイツに行かなきゃ読めないの?
つかドイツ語わからんなあ。
日本だとどこで公式発言が保管されてんの?
調べるにしても戦国時代の史料はだいたい出典から調査方法まで知ってるが、
明治の外国人の発言集のノウハウが俺には無い。
ぜひご教授願いたい。
675人間七七四年:2011/11/10(木) 16:22:04.62 ID:2Vl/n+C/
なぜドイツにいく必要があるの?メッケル本人の日記に書いてあるんならそれは認めるが
というかドイツ側がそんな事を記録する必要があるの?
日本で起きた事なんだから日本側の資料だけでいいんじゃないの?
別に戦争紛争の類いでもないのに
俺の場合は学校や図書館とあと取った講義で調べた程度
発言内容なんてのは記録されてるかどうかでしかわからない
日本軍の事を調べたければ一次資料とかでググれば多分出てくる
あとは研究者の本を読むとか
それと教授に聞いたら見たことはないけどあるのかもしれないっと言われたのと
これは全く信憑性ないから無視しても構わないがネットで質問した時にメッケルがそういう発言をした一次資料は見つかっていないっとかえってきた

だいたい嘘つき呼ばわりするんならそちらの確証たる証拠ってのを出してよ
676人間七七四年:2011/11/10(木) 17:51:54.72 ID:3Do+iBVj
広く流布した通説を否定するなら、言った証拠じゃなくて言ってない証拠を出すべきではないだろうか
677人間七七四年:2011/11/11(金) 16:52:59.46 ID:I4cZsoDz
言ってない証拠なんて出せるかばかwwww
678人間七七四年:2011/11/11(金) 19:44:25.94 ID:5jcif8qC
>>675
妄想を書かないで
具体的実例を挙げて書いてください。
その程度の妄想は私でも書けます。
679人間七七四年:2011/11/11(金) 22:47:09.98 ID:fcGnT50V
>>678
なら別に妄想扱いでもいいよ
ただそういう扱いするなら司馬以外の証拠を出してから言って

てかそろそろスレ違いだし平行線のまま話終わらないからこの話は終わりにしとく
680人間七七四年:2011/11/11(金) 23:17:39.27 ID:kJJ94BGm
なら妄想扱いするから、今後さも従来の説がひっくり返ってるかのように語るのはやめろよ
681人間七七四年:2011/11/11(金) 23:43:28.87 ID:fcGnT50V
だから妄想扱いするんなら確かな証拠だせよ
通説扱いするんなら証拠あるんだろ
出せないんならグレーゾーンくらいの認識はしろ
682人間七七四年:2011/11/12(土) 08:13:49.88 ID:kqjNZxtH
著名人で否定してる人なんていないじゃないか。
お前1人が戦国板なんて
専門外の板で妄想脳内調査で否定してるだけだアホ。
683人間七七四年:2011/11/12(土) 18:49:35.11 ID:vgVOMt29
歴史のIFとしては殆ど話題に上った所を見た事がなんいだが
もし小早川秀秋が小早川や毛利本家養子に行かなかったらどうなってたと思う?

この場合年齢と実績を考慮すると毛利秀包が隆景死後最悪でも37万石の大名になり
両川体制は吉川と小早川で維持される。
しかも秀包には秀吉から個人的にもらった領土が10万石以上あるため
しめて50万石の大勢力が出来る。
更に秀吉は秀包を評価していた節があったから上手くいけば隆景の死後五大老に
食い込める可能性があるし、吉川広家より権勢はあるだろうから
実質毛利の実権を握っている可能性もある。
しかも本人が親豊臣だし、前田利家長生きよりもよっぽど家康にとっては
やり辛いと思うよ。何故か議論されないけど
684人間七七四年:2011/11/12(土) 19:26:55.61 ID:TQVd6Mmm
関ヶ原前まで遡っていいなら三成が殉死してたらとか淀が失脚したらとか、いくらでも仮定はある
逆に毛利秀秋の関ヶ原を見てみたいくらいだw
685人間七七四年:2011/11/12(土) 19:44:40.63 ID:vgVOMt29
>>684 毛利秀秋は無いだろ。輝はまだ隠居してないだろうから。
むしろそんな事になったら秀就の為に毛利本家は東軍についたんじゃね?
686人間七七四年:2011/11/12(土) 20:07:42.37 ID:Nbz2G9kg
>>683
面白いな、それ
ただ関ヶ原自体が内紛だし親豊臣ってのが生きてくるかわからん
秀秋と違って吉川と相談きちんとしてくるだろうからどう動くかはさっぱり読めないが
687人間七七四年:2011/11/12(土) 20:08:28.28 ID:GA5EbMzB
>>682
でも、講義の際に言った、と司馬氏は言っているんだけど、誰の記録か、書いていないんだよな。
メッケルの講義を受講したのが、何万人もいたわけもないし。
誰が書いているのか、司馬氏や海音寺氏には書いていて欲しかった。
歴史群像の確か78号だったと思うけど、メッケルの発言については否定説が書かれていたな。
688人間七七四年:2011/11/12(土) 20:50:15.52 ID:vgVOMt29
>>686というか自身が仮定通り50万石の大名だったらあんな弱気な密約はせんだろ
ただ輝元の性格があの通りだし大人しく一門の言う事を聞く性格ではないので
毛利本家の動きが鈍かったのは史実通りかもしれんけど。
でも上手く秀包秀元安国寺の3人が連携できれば歴史が変わった可能性はある
689人間七七四年:2011/11/12(土) 21:08:56.24 ID:TQVd6Mmm
秀秋がいなかったとして、秀包が小早川分家領と本家領の両方をすんなり継げたか
隆景領を相続して、自分の旧領は毛利本家か秀吉に返上になりそうだが
690人間七七四年:2011/11/12(土) 21:27:43.81 ID:Nbz2G9kg
>>687
結局明確な物は見つかってないんだよね


小早川分領のほうは確かにどっちに転ぶかわからんが本家が接収はいいのか?
抗戦派になりそうだから主戦場を変えたりする変化はあったかもしれないな
691人間七七四年:2011/11/12(土) 21:51:35.01 ID:vgVOMt29
>>689 毛利本家の接収はないだろ。
あるなら秀吉への返還だけど丸っと全部返還ってのは無いと思うね。
ただ返還する事になるか、またどの程度歴史に影響及ぼせるかは
秀包が隆景死後秀秋のように放置されるか利長のように大老職を世襲できるかに
よって全然違う気がする。大老職に就かせるくらいなら秀吉も返還しろとか言わんだろうし
この辺皆思う?
692人間七七四年:2011/11/12(土) 22:22:51.12 ID:oSYtw48R
隆景が死んだ時点で30歳だからいきなり大老はないと思う
秀家のほうが若いが、彼は太閤養子で別格
693人間七七四年:2011/11/12(土) 22:34:48.05 ID:vgVOMt29
>>692 養子だっけ?ゆう子じゃなかったっけ?
694人間七七四年:2011/11/12(土) 23:09:48.06 ID:Nbz2G9kg
ふと秀包ありなら広家もなれる気がしたけれど広家はなれなかったし
大老入りは不可能な気がしてきた
695人間七七四年:2011/11/12(土) 23:23:51.71 ID:vgVOMt29
>>694 別に自分の意見押し通したいわけじゃないけど吉川と小早川では
色々立場が違い過ぎる。多分元春が隆景や秀吉より長生きでも
大老にはなってなかったと思うよ
696人間七七四年:2011/11/12(土) 23:27:18.34 ID:oSYtw48R
>>693
正確に言うとそう 猶子

>>695
秀吉と近かったのは隆景〜安国寺ラインで吉川は反秀吉だったからな
697人間七七四年:2011/11/12(土) 23:30:27.59 ID:Nbz2G9kg
言い方悪くてすまん
単純に気に入られるという話なら広家も気に入られてたとかいう話があったからそれだけの理由なら広家も大差ないと思っただけ

確かに親の立場を考えたら小早川>吉川は間違いないな
698人間七七四年:2011/11/12(土) 23:45:07.80 ID:vgVOMt29
>>697 それに気に入られ方が違う。広家は吉川家を相続して14万石。
秀包は何も相続してないのに秀吉から個人的に13万石貰って独立大名の扱いを
受けてる。

ただ自分で書いといてなんだが秀吉って蒲生が良い例で家ではなくて
個人に所領を与えるって感覚が強い人だから与えた本人が死ぬと結構大幅な
減封をする。よって自分が秀包に与えた13万石を取り上げる事はしないと思うが
小早川の本領37万石を全部相続ってなるとやっぱり大老も襲名って事にならないと
厳しいような気がする。秀秋も37万石中相続できたのは30万石で
残り5万石は隆景で2万石はどっか行っちゃったし。
699人間七七四年:2011/11/15(火) 03:23:12.72 ID:X9u2dSFi
秀包が本家継いでも石高的に大老はどうなんだろ
隆景→上杉になったことで五大老はほぼ石高ベスト5(唯一の例外が伊達家58万石)
毛利から2人もってのもあるし、隆景なら輝元と同格扱いでいいが秀包では毛利の与力大名視されるだろう
700人間七七四年:2011/11/15(火) 13:35:29.90 ID:E7btXw0E
毛利本家に秀秋が入るから
秀包は隆景領相続?
すると秀元を養子にする話も無しだから、
廃嫡の際にもらうことになる分領…
秀元は領地もほとんど無い可能性が出てくるな。
秀秋が小早川相続することになり、
廃嫡された堪忍分で秀包が新たに領地もらっただけで、
別に秀吉に特別気にいられてはいないだろ。
すると関ヶ原での毛利は
輝元の奉行らは排除され、
山口宗永が秀秋を指導し、
その元で安国寺、広家、秀包が軍議を開くことになるだろう。
701人間七七四年:2011/11/15(火) 17:41:33.76 ID:ZO+NY5lf
>>700
秀包の領地は四国・九州・朝鮮での戦功で貰った廃嫡前からのもの
702人間七七四年:2011/11/15(火) 21:47:29.95 ID:8tTguVq+
>>699 小早川は元々独立勢力扱いだったし、秀包は元々13万石の大名
小早川領が37万石だから合算すれば50万石。
第7位くらいの大大名だし、功績もあるから大老になる資格はある。
但し隆景死んだ時点で30ちょっとだから若過ぎるのがたしかに大老への
欠点ではある。
703人間七七四年:2011/11/15(火) 21:50:16.90 ID:8tTguVq+
功績もある→九州四国朝鮮で実績あるし、毛利の中でもかなりの親豊臣
704人間七七四年:2011/11/21(月) 19:33:09.98 ID:nKuVCNvJ
関東管領上杉景勝という電波を受信した
まあ景勝なら越後を欲しがるだろうけど
705人間七七四年:2011/11/28(月) 15:54:24.94 ID:Patwj14G
ところで三成が上杉徳川開戦まで自重してたらどうなってたのよ?
家康にしてもいつまでも豊臣シンパの連中を押さえておけなかっただろうし
706人間七七四年:2011/11/28(月) 16:19:25.58 ID:Z6ykgTvz
>>705
上方に兵がいなくなる
707人間七七四年:2011/11/28(月) 23:04:15.68 ID:uk7SejwN
>>705
家康は上杉攻めりゃいいだけじゃん?
120万石もあったわけだから論功行賞のネタはソコソコあったわけだしw

あと邪魔なのは毛利ぐらいだけど、関ヶ原の体たらくみると陥れるのは簡単そうw
708人間七七四年:2011/11/29(火) 10:10:44.05 ID://jBDkCP
開戦前だから容易に上方に反転できたわけで、開戦してから西軍挙兵だったらどうなってたかって話だろ
東軍が総勢15万近いとはいえ、上杉も5万くらいはいたわけで無傷で瞬殺とはいかんし
709人間七七四年:2011/11/29(火) 20:19:04.21 ID:qE2QGbTO
>>708
120万石で5万もどうやって動員する?
会津本城の守備隊の他、最上(米沢)村上・溝口(酒田)棚倉(佐竹)白石(
伊達)と要地には東軍大名への備えをせねばならず、白河表まで繰り出せる
のはせいぜい1万前後だろう。
潰走して会津本城に迫った頃に挙兵するにしても、長宗我部や小早川らは
上方にはおらず、とても東軍に対抗できないような・・・・
710人間七七四年:2011/11/29(火) 22:47:59.21 ID:0diowoPI
>>708
あの頃の情勢だと時間が経つとあっちこっちでドンパチ始まるわけで
そんな時間的余裕はないだろ。

黒田が胡散臭い動きを始めるだろうからw、毛利は本国に戻るまで行くか
どうかはわからんが兵力をそちらに向けるだろうし。
711人間七七四年:2011/11/30(水) 17:54:50.15 ID:Uy93bFNw
>>709
最上攻めで2万超を動員したらしいから決戦兵力がそれ以下ってことは無いかと
家康本隊的には各方面から徐々に圧迫していけばいいわけで決戦なんてしてやる必要はないわけだけどw
712人間七七四年:2011/12/01(木) 12:16:27.40 ID:87aJCOlG
>>711
仮に3万人でも5万人でも良いが、
伊達政宗が家康が近くにいる時に何もせずに傍観してくれるか?
最上勢のドサクサに上杉を攻めるに決まってる。

関ヶ原でやった時には佐竹、上杉に備えた軍抜き+秀忠軍抜きで野戦で勝ったのに、
今度は上杉を潰すまでの間、小田原他で籠城するだけで良い。

上杉を見頃しにしてまで取る戦略でも無いだろ
713人間七七四年:2011/12/01(木) 18:26:42.76 ID:iVHTlG/Q
当初の戦略って上杉攻めで家康が帰ってこないうちに畿内・東海を抑えるつもりだったのじゃないの?
家康がそれを読んでノロノロ進軍したのと宇喜多秀家が先走ったせいであの展開になったけど
714人間七七四年:2011/12/01(木) 18:57:27.49 ID:wyrqus6I
>>713
上にも書いて有るが西軍もグズグズしていたら、脇坂,小早川,長宗我部らは
上杉攻めに参加していただろうから、挙兵の時期はぎりぎりのところだった
と思う。
715人間七七四年:2011/12/02(金) 10:53:21.11 ID:OgTbxb5I
長宗我部は西軍挙兵時にまだ大阪に着いてすらいなかったはずだが
上杉攻めに参陣予定だったという話も聞いたことない
716人間七七四年:2011/12/02(金) 23:30:42.55 ID:EE6QWhpP
上杉攻めの軍に合流しようとしたんだよ?
その時に、三成らが挙兵して大阪に足止めを食らって
何処へ行くんですか?と言われて、まさか家康の所へ・・・とも言えずに
西軍に味方した。
717人間七七四年:2011/12/02(金) 23:35:36.05 ID:EE6QWhpP
ちなみに蜂須賀家政なんかは、大阪に参陣しろと西軍に催促されたが
それをのらりくらりとかわして、それを咎められて高野山へ蟄居となった。
が、子供が関が原で功を立てたため、家康に本領を安堵されてる。
718人間七七四年:2011/12/05(月) 16:17:51.33 ID:x5NzpFVt
>>711
最上攻めの時は家康ら征伐軍本隊が反転し越後側は一揆で動けずと包囲が瓦解したおかげで兵力の集中が出来ただけだろ
719人間七七四年:2011/12/05(月) 17:49:57.00 ID:RJ3kwSLn
越後側の状況はさほど変わってないし、宇都宮に秀康軍がいるから景勝本隊も相応の人数がいるだろ
景勝を置き去りにして直江が大半の軍勢を連れてったのかw
720人間七七四年:2011/12/15(木) 01:27:08.26 ID:RE/xcCG3
もう初めから西軍負けてるな
721人間七七四年:2011/12/15(木) 06:02:34.02 ID:Swn8yyyq
>>720
それでも、関ヶ原で家康の軍を全滅+家康死亡させてたら勝てたかもしれない。
小早川・吉川が東軍になだれ込んでたら
毛利輝元が関ヶ原に突っ込んでたら
島津だって突っ込んだろう。
それで史実通り、秀忠が来なければ。

そんなデタラメな奇跡に頼るような作戦が無茶ではあったにしても
722人間七七四年:2011/12/15(木) 09:36:34.63 ID:yS0RjIeR
吉川が味方で戦ってたら関が原では勝てたぞ。
金吾も裏切りは出来なかっただろうしな。
723人間七七四年:2011/12/15(木) 10:48:03.74 ID:mgKgcIXM
長曽我部は使者を出したが、石田正継が愛知川に設けた関所に引っ掛かって家康へ通款できなかったと聞く
724人間七七四年:2011/12/15(木) 17:25:50.21 ID:+h6spkbr
>>723
その時盛親は大阪にいたの土佐にいたの?
元親が健在だったら土佐に引き籠ったり四国の西軍大名を攻めたりしたのかな
725人間七七四年:2011/12/15(木) 19:11:09.34 ID:yS0RjIeR
しないだろう、元親は長男が九州で戦死してから
気落ちして痴呆症になった。
726人間七七四年:2011/12/15(木) 19:54:53.99 ID:0J3/Sfht
所詮は四国の田舎大名
727人間七七四年:2011/12/17(土) 11:11:08.56 ID:bTX/X0fJ
>>726
やはり愛知県最強か
腹黒いだけの播州人江州人じゃ天下は望めないし、田舎者ではそれ以前の問題か
728人間七七四年:2011/12/17(土) 13:51:57.57 ID:aQ6wDwzb
兵の強さだけなら島津の薩摩が群を抜いてる。
他は似たり寄ったりだな。
729人間七七四年:2011/12/18(日) 14:59:24.96 ID:bT3iUGAS
島津ってもなぁ
大友が暴れまわって、みんながボロボロになって、
その後、大内大友氏が更にボロボロにして、更に龍造寺にまでボロボロにされた九州で、
田舎過ぎて相手にされなかった薩摩大隅から同じく陸の孤島人吉を降伏させて、
荒れ地に突き進んだのを喧伝されてもなw
島津攻めの時は、片側は騙し討ち専門の大将でもう片側は烏合の衆だろ?

半島での撫で斬りなら小早川秀秋も頑張ってたし

島津って過大評価だろ
武田と比べると田舎過ぎて助かっただけじゃ?
730人間七七四年:2011/12/18(日) 16:23:20.14 ID:EclP2d0a
勝っちゃったらどうなるのだろうね。
上杉は東国担当で毛利は西国担当?
秀秋の関白は反故にされるのか。
三成や宇喜多も100万石級の大名になって国政に関与してくるだろうし、
誰が主導権を取れるのかわかりにくいな。
みんな若いし、そう遠くないうちに第2ラウンドが始まりそうだ。
731人間七七四年:2011/12/19(月) 05:17:13.58 ID:aVvXGo5B
>>730
第2ラウンドまでが大変そうだな
徳川の残存兵力の掃討がまた一苦労だろ。
伊達あたりは、また東北占領を画策するだろうし、
黒田・加藤は、さっさと島津に下って九州連合を組みかねないし。
恩賞を出すに出せない状態で、無政府化すんじゃね?
仮に、大阪城内に金が余ってたとして、それを吐き出したとしても、とんでもないインフレが起こるだけだし。
732人間七七四年:2011/12/19(月) 14:46:05.92 ID:Ac7kwe1k
主だった東軍で
徳川は秀忠さえ生きていれば、北政所を通じてなるだけ勢力の温存を図るだろうな。
前田も、上杉と毛利に抜かれれば面白くないだろうし、徳川擁護に回るのでは。
福島、浅野、池田らも北政所−徳川−前田のラインに乗ってなんとか生き残りを図るか?
それでも福島、蜂須賀あたりは取り潰しかな。細川も父子とも文化人として、氏真様のように生きるかな。
黒田…黒田は父が子を見捨ててでも勢力を築きそうで怖い。
政宗はお惚けで、現有勢力の維持を通して来そう。
田中、山内、中村、生駒らの中小東軍勢力が一番割りを食いそう(取り潰し&流罪)。

あとは一気に30万石を越えてきそうな、真田、立花といったところが石田、長束らの首脳部と摩擦を起しそう。
多分気苦労で45万石もらった大谷が早死にすると思う。
733人間七七四年:2011/12/20(火) 19:00:30.92 ID:SkHkSw1z
>>732
政宗って西軍が勝って最上が滅亡したらどうするつもりだったんだろう
上杉による徳川征伐にただ働きさせられたりするんだろうなぁ
徳川も防衛戦なら粘るだろし
734人間七七四年:2011/12/20(火) 21:15:35.32 ID:FarnVqdQ
上杉は越後や関東が欲しいし、伊達は会津や最上領が欲しい
上杉との交渉次第じゃね? でも政宗と上杉は相性悪そうだw
735人間七七四年:2011/12/21(水) 05:38:24.78 ID:+7BWcOiQ
>>733
西軍勝利と最上の滅亡?
そんな簡単に滅亡出来るんなら、後一押ししてるだろ?
頭のおかしい伊達政宗が、「俺がごめんなさい言えば、伊達家安泰」って思ってたら、
最上くらいなら時間をかければ上杉に蹂躙されるだろうが、
東軍の負けが決まれば流石の伊達政宗も、でっち上げしてでも
「東北の一揆を画策したのは裏切り者最上と上杉、挙げ句最上は上杉に騙し討ち食らって潰された」って煽って会津だけは落とすんじゃね?
関ヶ原で西軍が勝ったとしたら徳川と伊達は改易しないと、福島でさえ尾張の一部しか持たせてないのに恩賞の確保が出来ない。
西軍勝利のシナリオには毛利方の参戦が不可欠だから、あの大軍団+小早川が黙るくらいの恩賞と、
宇喜多、大谷への恩賞を考えれば、前田も潰さないと足らないだろ。
最上一つに足留めされた上杉じゃ、伊達に滅ぼされて終わりだろ
736人間七七四年:2011/12/21(水) 10:34:58.60 ID:U62Erqz2
詭弁を言えば上杉を攻めただけでは秀頼様に逆らったことにはならないよね
上杉は正式に西軍ってわけじゃないし、史実でも東軍を追撃もして無ければ、独自に最上攻めてるし
関ヶ原で勝てば上杉は西軍と同調するってのは思い込みで、第三勢力になるってこともなくはない
737人間七七四年:2011/12/21(水) 10:52:06.66 ID:jOxH4umK
>>736
その詭弁を間違いなく伊達は使っただろうな。
領地なんて切り取ってしまえば、どうとでもなる。
738人間七七四年:2012/01/19(木) 08:42:54.42 ID:iLO/dx24
>>732
北政所「あたしに言われても知らんがね」
739人間七七四年:2012/01/20(金) 22:03:58.17 ID:VFFO8ts9
>>738
頼むよかーちゃん!
740人間七七四年:2012/01/21(土) 13:39:07.46 ID:dBk6EBPw
西軍が勝ったらまた戦国時代に逆戻りやん

家康は逃げて本隊と合流し必死に最後まで抵抗するだろうし 福島加藤ごときすらおさえられない石田じゃ豊臣政権安定しない

みんなやりたい放題になるだけ


裏切りした武将の判断は正しかったね

741人間七七四年:2012/01/21(土) 15:12:18.21 ID:Hn26mPRE
桐野作人『戦国シミュレーション 激闘五大合戦』(勁文社)だと小早川秀秋が
去就を決めかねているところで、松野重元が強硬に西軍での参戦を主導して、
小早川軍に攻めかかられた東軍は敗走。殿の福島正則は清州城で敗死。家康は
東海道を江戸へひたすら逃げて、秀忠軍も美濃岩村に放火したくらいで撤退。

東北や常陸からは上杉と佐竹が秀康軍などを破って南進、北信越からは西軍に
寝返った前田が堀、真田勢などを吸収しながら進撃。

最後は江戸城を包囲した西軍が家康と重臣の切腹で家臣を助命する条件で開城
要求。招かれた秀頼が陣中で「内府のじいは嫌いじゃ」と言う場面もある(笑)。

発端はともかく、家康が福島正則や本多忠勝を東海道で逐次投入により防戦に
当たらせて、自らは野戦を指揮せず江戸へ敗走するのはあり得ないと思うが。
742人間七七四年:2012/01/23(月) 18:08:31.33 ID:wfOGIxNc
>>741のような泥沼展開になればなるほど、
九州で官兵衛無双がはじまっている気がする。
743人間七七四年:2012/01/23(月) 18:17:18.75 ID:wq7Z1zzs
>>741
西軍があっさり崩壊したように東軍もならないとは限らんけどな
744人間七七四年:2012/01/23(月) 18:21:13.97 ID:+zaogZR4
>>742
小早川が戻ってくるだろうし
史実通りにしかならないと思われ
それとも西軍に付いても寝返り組扱いで
清洲攻め先鋒とかやらされるかな>金吾様
745人間七七四年:2012/01/23(月) 18:44:23.40 ID:wq7Z1zzs
>>744
官兵衛に金吾ごときが勝てるとは思えんがなあ
大友と同じ末路かと
746人間七七四年:2012/02/29(水) 13:55:26.41 ID:vdSi+hnY
金吾と官兵衛じゃ勝負にはならんな
だが、九州には戦力丸々残った島津と清正が居る

幾ら官兵衛でも、人数出払った状態で彼等と渡り合えるかは
疑問が残りまくる

つまり、官兵衛無双にはならないと思われ
むしろまた島津が九州取っちゃうだろうよ
747人間七七四年:2012/04/17(火) 21:37:23.09 ID:O6I9z5Af
沼田城攻防戦に敗れた真田信幸は手勢500と共に江戸城に籠るが討ち死に。
748人間七七四年:2012/04/17(火) 22:14:42.45 ID:O6I9z5Af
真田昌幸には信濃一国が与えられた
749人間七七四年:2012/04/17(火) 22:35:56.08 ID:O6I9z5Af
福島正則は高台院の必死の助命嘆願により、九度山蟄居
750人間七七四年:2012/04/17(火) 23:14:41.20 ID:O6I9z5Af
家康が関ヶ原で討ち死にの場合は秀忠軍(徳川本軍)は江戸に戻る?

家康が脱出できた場合は恐らく尾張でもう一度決戦

東軍には徳川精鋭の秀忠軍が加わる
VS
西軍には大津城攻撃部隊や毛利輝元本隊が加わる


どちらが勝っても生き残るのは細川幽斎ではなかろうか?←朝廷からの懇願で
751人間七七四年:2012/04/18(水) 18:09:44.13 ID:30pPzZ4z
>>750
死んだ場合は江戸撤退しかないのでは?
4万弱の士気の低い軍勢で、少なくとも西軍8万の待ち構えてる美濃へ討ち入る愚策は犯さないだろ
となると>>741と同じ経緯で敗走になるうえに、家康死去で東海はがら空き・落伍者続出で戦にならんかもな
諸悪の根源の家康が死んでるのを幸いとして小江経由で淀に泣きつけば三河一国くらいは残せるやもしれんが
752人間七七四年:2012/04/18(水) 22:06:08.48 ID:JlKXKrEu
岐阜城から逃れた織田秀信(岐阜中納言)は関ヶ原大坂方勝利の報を聞くや西軍に合流。西軍の大群のお蔭で岐阜城主に復帰。
その後、東国攻めに功あり美濃一国に加増。
戦前の尾張・美濃二か国加増を裏切られた織田秀信は福島・池田・浅野・山内などの旧織田系大名の家臣を多く登用し、ひそかに打倒三成の策を練ったという。
753月孔雀:2012/04/19(木) 05:29:07.97 ID:z1hAUU+G
前田利政に、加賀百万石が与えられたかな??
754月孔雀:2012/04/19(木) 05:30:42.48 ID:z1hAUU+G
利長と丹羽はガチで加賀で戦ったから、能登一国で終り?
755人間七七四年:2012/04/19(木) 17:58:30.37 ID:iGu30lhC
>>754
あいつら東西関係なくお互いの利害で戦ってるから、そんなに罪を問われないのじゃないかね
史実の丹羽は10万石越えの大名に復帰してるし
756人間七七四年:2012/04/20(金) 00:28:53.19 ID:DwTYt4wN
浅野長政は天然の要塞、岩殿城に拠って抵抗する。家康も補給品を送って援助するが、家康の希望も虚しく、岩殿城は落城。甲斐、信濃は、逆に江戸攻めの拠点と化してしまう。

真田昌幸には甲斐、信濃、上野三ヶ国加増の密約もあるが、信濃一国48万石に止めおかれる。
甲斐23万石には小早川秀包が筑後久留米から移封。

越後の堀秀治は、領内一揆に悩まされ、西方に
757人間七七四年:2012/04/22(日) 22:23:35.23 ID:TGUgTTaX
東軍諸将はどうなるかな
家康・秀忠→斬首
福島正則・加藤清正もとり潰し
前田家は30万石
政宗は20万石くらいで生き残るかな
758人間七七四年:2012/04/22(日) 23:25:58.80 ID:i66ZuDDY
福島、加藤、池田、細川は改易。浅野は食禄半地、黒田は現状維持。
結城秀康は松平秀康と名を改め、常陸國内に10万石。
空いた関東には宇喜多秀家が255万石に加増
上杉は越後一国を加増
毛利は豊前一国を加増

これにより、毛利、宇喜多、上杉による三大派閥から○○を○○することが、確定
759人間七七四年:2012/04/23(月) 02:19:40.02 ID:Tpzkhm3g
沼田5万石の真田信幸は徳川と運命を共にするのかな?
それとも正室を離縁して西軍加担か?
760人間七七四年:2012/04/24(火) 23:07:29.16 ID:GNQzMTIL
お兄ちゃんは一回決めたら変えなさそう
761人間七七四年:2012/04/24(火) 23:58:01.60 ID:Ul5KwhEO
まあ親父と弟は西についてるから家は残るしな
東について史実での信繁ポジになったりしてなw
762人間七七四年:2012/04/25(水) 14:08:18.21 ID:RK5KGkEr
江戸城の日比谷入江付近に真田丸を築いて石田方を翻弄する豆州と角
763人間七七四年:2012/04/25(水) 20:14:20.95 ID:kpgwFVvw
関白:豊臣秀秋
執権:石田三成
五奉行:前田玄以、小西行長、増田長盛、長束正家、大谷吉継
五大老:上杉景勝、宇喜多秀家、毛利輝元、島津義弘、佐竹義宣
なお、豊臣秀頼は政治機構から切り離され、オーナーとして奥に退いている。

764人間七七四年:2012/04/25(水) 22:13:35.15 ID:EsdwlRDl
関白:豊臣秀秋も据え置きじゃなくたったの数年間。
765人間七七四年:2012/05/01(火) 01:33:08.77 ID:aoZOa069
黒田官兵衛は素早く西軍に寝返り所領安堵
766人間七七四年:2012/05/01(火) 03:23:22.31 ID:aoZOa069
黒田長政の立場を全く考えていなかった・・・>>765

黒田家は二派に分裂した、ということで。
767人間七七四年:2012/05/01(火) 13:22:34.76 ID:b3xGxeLJ
>>758

宇喜多の加増がハンパないんだが…。厚遇はされると思うのは同じだが、なんせ若いし、お家騒動あったばかりだし、関東をまとめられるかなあ
768人間七七四年:2012/05/01(火) 16:05:08.76 ID:OGQkvelx
淀君が生きている限り西軍が勝っても豊臣家は安定しないと思う
769人間七七四年:2012/05/01(火) 18:38:46.30 ID:KrnvwXM4
加増をされた宇喜多家では、家来たちの知行を巡って再び家中騒動する可能性もありうる
770人間七七四年:2012/05/01(火) 19:28:58.20 ID:1z6bF3rs
本家の加増に加え秀元、元康、広家、秀包ら一門の加増により今山名と呼ばれる毛利家

>>758>>797
上杉に関東あげても面白いかも
でもそうなると東北をまとめて伊達とか抑えられる人がいないか
771人間七七四年:2012/05/01(火) 21:29:31.64 ID:deRcD3F8
上杉的には同じ石高で越後・会津か関東の選択だったらどちらを選ぶだろうか
772人間七七四年:2012/05/02(水) 03:51:02.13 ID:huYjcM3T
雪深い越後に拘わるべきではない。平野の開けた関東を
773人間七七四年:2012/05/02(水) 05:43:10.92 ID:E8ibH3fQ
>>772
関東って利権あるのかな
秩父セメントくらい?
774人間七七四年:2012/05/05(土) 07:27:34.12 ID:J0nhidvp
ワーテルローの戦いと関ヶ原の戦いとの酷似

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/39/266_1.html

双方とも、戦いの状況が八百長であったことだ。
775人間七七四年:2012/05/05(土) 23:38:34.29 ID:xCSMAjZY
>>774
お医者さんの言う通りちゃんと薬飲んでる?
776人間七七四年:2012/05/18(金) 00:07:24.40 ID:g/Iew0kj
>>762
真田太平記は人気あるなー
777人間七七四年:2012/05/22(火) 21:16:56.91 ID:Lp8LVFph
宇喜多は100万石に加増され家臣の内紛も収まった
778人間七七四年:2012/05/23(水) 12:59:34.27 ID:8Y86/A2F
宇喜多秀家:播磨・備前・美作・備中東部
毛利輝元:因幡・伯耆・備後・安芸・出雲・石見・隠岐・長門・周防・備中西部
779人間七七四年:2012/05/23(水) 13:19:58.65 ID:N7JA5Eu2
秀家は大封がもらえれば地元備前は失ってもいいっていうようなあっさりタイプに思えるな
毛利輝元に秀家の領土をあたえるか、逆に九州の福岡県部分を与えるか・・・
あ、でも秀家は京、大阪といった大都市に住みたがるタイプだったか
780人間七七四年:2012/05/23(水) 17:42:59.11 ID:l0AKbgaH
>>779
旧大和大納言家領でも貰えれば大喜びするだろうな
781人間七七四年:2012/05/24(木) 10:38:59.33 ID:dOrf+8BW
>>780
それは金吾様の所領になりそう。
紀伊・大和に南伊勢か伊賀と伊勢の一部を加えてで100万石だな
782人間七七四年:2012/05/26(土) 13:59:10.02 ID:pGmam564
>>741と別の戦国架空戦記短編集の新書で、桐野作人氏が書いていた展開だと

島左近が一隊を率いて福島勢だったか黒田勢だったかを銃撃した後に南宮山に
逃げ込む。これは恵瓊との共謀で、追撃してきた東軍と、吉川広家の内応など
知らない毛利兵がガチで戦闘を始めてしまう。

一方で三成は関ヶ原の西側をがら空きにしておき、功に逸った東軍の一部が、
佐和山城まで進撃する。手薄な東軍本陣は島津勢などに蹂躙され、家康は生死
不明に。佐和山城を囲んだものの遊兵化した三成嫌いの東軍諸将は敗戦責任と
今後を巡って言い争いになり、四分五裂。

但し、東軍の西方誘出作戦を知らされず、捨て石にされた大谷遺臣が「治部め
我らを捨て殺しにしたのなら許さん」と戦いが終わった関ヶ原を彷徨うという
戦後の一波乱を予感させるオチになっている。
783人間七七四年:2012/05/26(土) 18:16:10.43 ID:W/Suhdem
島津に蹂躙される家康軍ってどんだけ弱いんだよw
まあ本当に弱い可能性も否定は出来ないけど
784人間七七四年:2012/05/26(土) 23:12:21.52 ID:ERQG6mGI
>>782
そのセリフは大谷遺臣っていうか嫡男の吉治だな
785人間七七四年:2012/05/31(木) 18:29:48.11 ID:k/Epx6tF
そもそも内乱が起こってる時点で、もう豊臣政権は終わってる。
それは信長死後の織田家も同じ。
だが、もし信忠が迅速に京を脱出していたなら、清須会議もないし賤ヶ岳という内乱もない。

豊臣家は全国的統一政権なのに、残された後継者が幼君なのに加え、外征の大失敗による豊臣恩顧大名間の深刻な確執が、そのまんま内乱に繋がった。
国内統一戦のビジネスモデルから抜け出せなかった秀吉の底の浅さと能力の限界が露呈した結果だ。
地滑り的天下統一で自己の能力を過信し、外地に実情に全く無知で、国内の手法や常識をそのまま彼の地に持ち込んだ愚かさは、無能と言う外ない。

もし関ヶ原で西軍が勝ってたなら、第一等の戦功者が政権を担うのは当たり前。
よって秀頼は実権を失いお飾りに成り下がる。

つまり、新政権は基盤が脆弱な足利幕府の二の舞となり、新たな乱の萌芽を内包したまま、
運が避ければ、ペリーの黒船が浦賀に来航するまで、ダメダメ政権がだらだら継続。
786人間七七四年:2012/05/31(木) 18:43:01.92 ID:k/Epx6tF
>>743
東軍も西軍も暫定的な寄せ集めの軍であるのは一緒。
よって西軍があっさり崩壊したように、小早川の矛先が東軍に向かったならば、東軍もあっさり崩壊は自明。

「家康敗れる」の報は、史実の東軍勝利より世間が受ける衝撃度は大きいので、勝った西軍の権威は格段に↑。
よって関ヶ原以外での局地戦も矛を収めざるを得ない。

尤も、それが新政権の安定に繋がるわけではなく、新たな主導権争いの始まりとなるにすぎないと思うが。
787人間七七四年:2012/05/31(木) 19:07:05.56 ID:G2kbsDLn
輝元来るまで持久戦でよかったんじゃ、関が原に誘き寄せられた光成
788人間七七四年:2012/05/31(木) 23:31:17.70 ID:oE90gteo
小早川が西軍なら東軍があっさり崩壊する、っていうIFに
全く同意出来ないわけだが。
789人間七七四年:2012/05/31(木) 23:48:08.48 ID:cvZbSkV+
実際問題わからんよな
黒田如水や真田昌幸でもたった一日で西軍が崩壊するとは読めなかったのだから、逆の展開もありえなくはない
790人間七七四年:2012/06/01(金) 00:48:24.40 ID:JPfWoKKH
その例えは意味ないでしょ。
如水・昌幸の想定が変動しただけの話で、
東西両軍の位置は、依然として『東軍>西軍』で不動。

本戦に立花がいたら、とか
島津に5000いれば、とかの方がまだマシ。
791人間七七四年:2012/06/01(金) 00:59:21.22 ID:m6oCHiWX
なら家康の想定が変動して小早川が西軍で戦ったらどうなるかわからなくね?
奇跡的に金吾が徳川の銃撃で死亡しちゃうとかw(実際は届かないどころか小早川陣から銃撃を認識できたかも微妙らしいけど)
792人間七七四年:2012/06/01(金) 01:12:09.49 ID:/dGaT31O
小早川だけなら家康本隊なり南宮山の抑え部隊なりで対応できそうだし勝敗は五分五分位だろ?
南宮山の部隊が動いたらほぼ東軍詰むけど
793人間七七四年:2012/06/01(金) 01:23:20.67 ID:JQxVoZpF
結局毛利三家の動向次第で戦いそのものは変わったってことか?

吉川、小早川に関しては戦前から家康が引き込みなり、静観なりするよう働きかけていたようだが本家輝元には何かしてたの?
794人間七七四年:2012/06/01(金) 02:47:29.83 ID:CLe3/55X
毛利は豊前加増153万石
上杉は越後加増175万石
石田は近江一国78万石
織田は美濃一国65万石
真田は信濃一国48万石
佐竹は常陸、磐城77万石
小早川は筑前、播磨70万石
宇喜多は関東250万石
なお、豊臣秀頼は統治機構から切り離され、オーナーとして奥に退いている。

と、学研の歴史群像シリーズ<関ヶ原の戦>でシミュレーションがなされていた。
795人間七七四年:2012/06/01(金) 14:26:12.22 ID:G6vgO28I
>>794
島左近「殿、今こそ所領の半分をくださいませ」

しかし、秀家はいきなり五大老(家康out/金吾in)筆頭になるのか。
796人間七七四年:2012/06/01(金) 16:57:16.62 ID:tl5jY0FG
>>786
西軍があっさり崩壊したのは
小早川の寝返りだけじゃなく脇坂たち四将の寝返りと家康本隊3万の参加によって
東軍が実際に戦闘している西軍3万に対して3倍近くなったから
西軍が同じようになるためには小早川や脇坂たちが東軍に攻撃し
尚且つ東軍総大将の家康が東軍に攻撃しなければならないというおかしな事をしなければならない

>>794
豊前は大友さんが貰えるんじゃない
それにしても西軍総大将である毛利がそんな適度しかもらえないとかおかしいだろ
797人間七七四年:2012/06/01(金) 17:31:47.54 ID:tAhVbibo
>>796
吉川・秀元・秀包あたりが個別に貰うとか
秀信や大友みたいな負けて降伏した連中に恩賞がいくかねえ まあ史実の京極の例もあるが
798人間七七四年:2012/06/01(金) 21:27:57.08 ID:edwgooE3
>>795
五大老候補はこのあたりか
島津義弘:薩摩鹿児島56万石
佐竹義宣:常陸水戸54万石
鍋島直茂:肥前佐賀36万石
小早川秀秋:筑前名島36万石
長宗我部盛親:土佐浦戸22万石
前田利政:能登七尾22万石

前田家が大老を維持できるか否か

>>797
毛利家についてのコピペ、一部修正
★関ヶ原の戦い時(1600年)
【毛利氏一族の支配地域:12カ国】
(周防・長門・安芸・石見・出雲・隠岐・備後・備中・伊予・筑後・筑前・肥前)
・安芸国広島120万5000石:毛利輝元(二宮就辰・天野元政の1万石を含む)
・出雲国富田14万2000石:吉川広家
・筑前国名島37万1300石:小早川秀秋
・周防国山口20万石:毛利秀元
・筑後国久留米13万石:毛利秀包
・備後国王子山1万5000石:末次元康
・伊予国和気6万石:安国寺恵瓊
◎合計:212万3300石
799人間七七四年:2012/06/01(金) 21:32:00.15 ID:m6oCHiWX
>>798
秀秋・秀包・安国寺以外は毛利120万石に内包されてるのじゃないの?
800人間七七四年:2012/06/01(金) 21:33:33.25 ID:edwgooE3
>>799
コピペしてから気が付いた、今は反省している
西軍が勝ったらみんな独立扱いになるんだろうな
801人間七七四年:2012/06/01(金) 23:28:05.68 ID:Z1SGJ6JF
>>796
小早川軍と赤座小川朽木脇坂等が東軍左翼に突入したら、西軍に押され劣勢の東軍前線はあっという間に崩壊。
そうなれば南宮山の毛利勢は動かざるを得ないから、徳川勢が東軍攻撃しなくても、当の徳川勢が勢いに乗る西軍に東西から挟撃され、崩壊。
西軍の大勝利。
家康は討死か運良く戦場から離脱できても、敗軍の将となった身では、前途には没落滅亡が待ってるだけ。
こうなれば、落ち目の徳川に味方するお人好しの大名は、どこを探してもいない。
802人間七七四年:2012/06/02(土) 00:48:49.69 ID:hU70NXcP
小早川が戦場に突入したタイミングは、
既に福島等が宇喜多を天満山に押し込んでる状態。
相対するとすれば、藤堂等と後詰めで桃配山から下山の家康本隊。
東軍横撃の態勢には全くならない。

小早川が最初から西軍で、松尾山に布陣しないというIFが
もう一つ必要。
803人間七七四年:2012/06/02(土) 00:54:31.35 ID:LoUbJr1o
劣勢どころか宇喜多とガチンコしてて消耗してる福島を除けば良いところ東軍優位の膠着状態でしかないぞ?
西軍は開戦から戦線押し上げる事が遂に出来なかったし
804人間七七四年:2012/06/02(土) 05:39:27.37 ID:Pep6Cm7l
家康が松尾山の小早川軍に敢えて鉄砲を撃ちかける博打を打ったのは、東軍が数に劣る西軍に押し込まれ劣勢だったから。
戦局打開の為には小早川軍を西軍右翼に突撃させるしかなかった訳だ。

このまま手をこまねいて傍観していれば、西軍優位と見た秀秋が東軍目掛けて突撃しかねない。
そうなれば家康は奈落の底へと落ちる。

元来小心者の家康は秀秋がこちらに突っ込んでくる最悪の事態に身を震わせ、
半ばヤケクソで秀秋に鉄砲を撃ちかけたにすぎない。
805人間七七四年:2012/06/02(土) 06:10:10.01 ID:rIvd7kCG
東軍が押し込まれたなんて史実はないよ。
福島について言えば、福島隊の前衛が元の布陣位置位まで押し戻された、という程度。
壊滅的なダメージ、とか言うのは西軍視点小説のお話。
福島配下で名のある武将が討たれた記録は全くないし、
関ヶ原本戦終了後、福島は黒田とともに大坂城進軍の先鋒を任されている。
806人間七七四年:2012/06/02(土) 06:19:47.44 ID:Pep6Cm7l
東軍劣勢に焦れた家康が手の爪を咬んで苛立ち、
小早川裏切りの確認の為、奮戦中の黒田長政の元に使者を派遣するも冷たく追い返された史実もしらんらしい。
807人間七七四年:2012/06/02(土) 06:49:38.98 ID:/nZ19j6W
それらの史実性については置いといてあげるね。
別に、家康が爪を噛もうが、黒田に使者を出そうが、
その程度で東軍不利の証明が成立しちゃうの?
808人間七七四年:2012/06/02(土) 06:55:37.80 ID:Pep6Cm7l
東軍が西軍が押し込んで戦局が東軍優勢なら、
家康が爪を噛んで苛立ったり、戦の真っ最中で忙しい黒田に向けて、慌てて裏切り確認の使者を使わす必要もないわな。
初歩的人間心理なんだが。
809人間七七四年:2012/06/02(土) 07:01:09.93 ID:/nZ19j6W
第三者が後年記した推測の域を出ない初歩的人間心理とやらで、
史実を確定させちゃうの?
810人間七七四年:2012/06/02(土) 07:08:21.76 ID:Pep6Cm7l
徳川御用史観でさえ、家康の爪噛み苛立ちも黒田への裏切り確認も、改竄も抹消もされてないのだから事実だろうに。
普通なら大権現様は余裕しゃくしゃくで奸人・石田三成をあっさりと打ち破りました、と大本営発表するわな。
811人間七七四年:2012/06/02(土) 07:14:39.95 ID:/nZ19j6W
仮にそれらが事実だとしても、それを基に第三者が家康の心理を推測したに過ぎないでしょ?
そんな薄弱な根拠で史実を確定していいわけがないでしょ。
812人間七七四年:2012/06/02(土) 07:19:05.04 ID:Pep6Cm7l
人間心理は外部状況に影響を受ける。
これ常識。
近所の騒音がうるさかったら苛立って怒るし、戦が自軍に劣勢で不安に苛まれたら、爪も噛むし無意味な確認作業もしたくなる。
813人間七七四年:2012/06/02(土) 07:30:08.77 ID:/nZ19j6W
有利でも爪を噛むかもしれないし、確認作業を行うかもしれないでしょ。
総大将の立場なら、小早川裏切りの確認作業は無意味ではない。

そうではなくて、両軍の戦死者数比較、本戦所用時間とか、戦場の変遷とかね。
具体的に多角的な要因で確定させるべきじゃないの?
814人間七七四年:2012/06/02(土) 07:38:09.25 ID:Pep6Cm7l
自軍優勢なら爪は噛まんな。
爪を噛むのは、苛立ちや不安心理の発露の所作。

自軍優勢なら、戦の真っ最中の味方に向けて、戦の邪魔になる使者など使わす筈もない。
こんなの誰だって普通に理解できる初歩的心理分析。

両軍の戦死者数比較、本戦所用時間、戦場の変遷なんぞ、
小早川裏切り前までの東軍優勢の立証には何の関係もない。

こんな的外な例示を出すくらいだから、初歩的人間心理も読めんのは道理か。
815人間七七四年:2012/06/02(土) 07:49:45.59 ID:/nZ19j6W
いや、冷静に考えてさ。
家康が爪を噛む噛まないで、関ヶ原本戦の状況が確定される事に違和感を持たないかな?
仮に、黒田に対する確認作業の結果、『小早川の調略は失敗した。』
という事実が判明したら、家康の戦場での舵取りは大きく変わるよ。
繰り返すけど、総大将の立場なら決して無駄な作業ではない。
キミは管理する側のジョブがわかっていない。

>両軍の戦死者数比較、本戦所用時間、戦場の変遷なんぞ、
>小早川裏切り前までの東軍優勢の立証には何の関係もない。
爪噛みで立証するよりは、余程信憑性があると思けど。
816人間七七四年:2012/06/02(土) 08:05:14.11 ID:Pep6Cm7l
小早川裏切り前までは東軍劣勢の証明を、家康の爪噛みや黒田への使者派遣という具体的事例で示しただけ。
ついでに付け加えると、家康は自軍鼓舞の為、本陣を前進させてもいる。
東軍優勢なら、後方で高みの見物してりゃ済む話。

家康は対小早川調略が成功したと黒田から報告を受けてたからこそ、不利な陣形を受け入れて開戦したんだろうに。
なのに戦の真っ最中の使者派遣で、調略が失敗したなんて返答を受け取る筈もあるまい。
総大将の立場では、明らかな無駄な作業だ。
戦の最中、今さらそんな確認したって何の意味もない。
これも常識。

キミは管理する側のジョブがわかっていない。

では、両軍の戦死者数比較、本戦所用時間、戦場の変遷による、
小早川裏切り前までの東軍優勢を証明したまえ。


817人間七七四年:2012/06/02(土) 08:42:15.19 ID:/nZ19j6W
爪噛みや、黒田への使者派遣は具体的事例ではないよ。
『爪を噛んだ』『使者を派遣した』という事実だけ。
ここから東軍不利を推測しただけの話。

途中経過でどう変化するかわからないでしょ。
事実、キミのいう『調略が成功』したはずの小早川が寝返っていない。
だから爪を噛んだんでしょ?キミの話は矛盾している。
管理する側は、途中で変更がないか何度も確認をする。社会人ならわかるぞ。
ましてや小早川は想定の動きをしていない。なので、決して無駄な作業ではない。

>では、両軍の戦死者数比較、本戦所用時間、戦場の変遷による、
>小早川裏切り前までの東軍優勢を証明したまえ。
これは、『爪噛み』などという極めて薄弱な根拠を示す事しか出来ないキミに
材料を提案したんだよ。
こちらの意見については、>>805で述べているね。
818人間七七四年:2012/06/02(土) 08:54:47.29 ID:LoUbJr1o
家康が爪を噛んだり黒田に使者をだしたりした所から解るのって家康"が"焦れてる事だけであって東軍が苦戦してるかどうかなんて解らん
焦れてる理由だって南宮山の動きが怖いだとか何時までも自分を天秤にかける連中が気に食わんとかかもしれんし
819人間七七四年:2012/06/02(土) 08:56:06.53 ID:Pep6Cm7l
調略が成功したはずの小早川が、いつまで経っても寝返らず、戦局は自軍劣勢だから、
家康は「あの小僧に謀られたか」とわめきちらし、頭に血が上って黒田の戦の邪魔になる無駄な使者派遣までやっちまったんだな、これが。
どこにも矛盾はない。

既に確認済の調略結果を、戦の真っ最中に再度確認したって何の意味もない。
社会人ならわかるぞ。
小学生にでも分かるな、この程度は。

黒田の戦の邪魔をして再度小早川裏切り実行の確認しても、事態は何も変わらない。
明かな無駄な愚行。

ちなみに、小早川裏切り前までは、西軍の名のある武将が討たれた記録は全くない。
820人間七七四年:2012/06/02(土) 09:03:04.34 ID:Pep6Cm7l
>>818
家康は開戦当初から南宮山の毛利勢の動向を恐れ、気にしていたのも知らんか。
東軍が苦戦してもいないのに家康が焦れる理由って何だ。
説明頼むよ。

自軍優勢なのに総大将が人目も省みず見苦しく焦れたり動揺するなんて、有り得んな。

821人間七七四年:2012/06/02(土) 09:05:56.18 ID:/nZ19j6W
『確認済みの調略結果』が予定通り進んでいない以上、再確認には意味がある。
これすらわからないかな?

小早川裏切り前と裏切り後の戦死をどうやって見分けてるんだ?


822人間七七四年:2012/06/02(土) 09:12:47.09 ID:LoUbJr1o
>>820
文字どおり南宮山の動静だよ吉川は調略してあるとは言え絶対に動かないとの保証が無い以上、側背に動静の分からない部隊を抱え続ける事は大きなストレスになる
例え自軍優位でもそれが敵に回れば一転不利になる可能性があるんだからな
823人間七七四年:2012/06/02(土) 09:15:53.69 ID:Pep6Cm7l
確認済みの調略結果が予定通り進んでいない時、再確認したら予定通り小早川が裏切るのかね。
裏切らんな、絶対。
裏切ったのは、家康がヤケクソで一斉射撃したから。
これすらわからないかな?

小早川裏切り前までに、西軍の名のある武将が討たれてれば、西軍の戦力は低下するので東軍優勢になるのは自明。
家康が焦って苛立ったりわめきちらしたりする必要とてない。

824人間七七四年:2012/06/02(土) 09:19:53.84 ID:z0rdoP93
>>804
単純に西軍を攻撃しないと敵とみなして攻撃するぞと威嚇しただけだろ
だいたい小早川の攻撃だけで東軍が負けるわけないだろう
小早川が攻撃しようとしたらその脇を家康本隊で蹴散らせばいい話
毎回思うけど家康本隊の動向を考えずただ小早川が東軍を攻撃したら
西軍大勝利とか言われても説得力がない
825人間七七四年:2012/06/02(土) 09:20:36.38 ID:Pep6Cm7l
>>822
確かにその通りだが、
それが小早川裏切り前までの東軍優勢の立証と何の関係があるんだ。
関ヶ原合戦は1600年に起こりました、みたいな説明しても意味はない。
826人間七七四年:2012/06/02(土) 09:23:42.22 ID:d3ltU6wH
sub相手にしてもしょうがないwww

827人間七七四年:2012/06/02(土) 09:24:26.39 ID:/nZ19j6W
>>823
再確認の結果、小早川の動向が不透明感を増したなら、退路の確保を検討するなり、
家康本隊参戦による早期終結を図るなり、方針変更の可能性はいくらでも有り得る。
問い鉄砲は、その選択の一つと言える。(問い鉄砲の史実性は置いとくが)

東軍は最初から最後まで優勢なんだけど。何を言ってるの?
唯一、序盤福島隊が押し戻された事象があるので、それについては>>805って話。
828人間七七四年:2012/06/02(土) 09:25:31.44 ID:LoUbJr1o
黒田が小早川調略担当なんだから黒田に確認するのは当たり前だろ?まだ動静不明な小早川に直接確認に行ける訳もない
お前さんが認める通り戦ってる西軍の数は少ないんだから武将が討たれなくても時間経過で消耗していき東軍は優位に立てるし実際にそうだった
829人間七七四年:2012/06/02(土) 09:28:33.89 ID:LoUbJr1o
>>825
お前さんが東軍優位でも家康が焦れる理由を求めたからそれに答えだけ
830人間七七四年:2012/06/02(土) 09:29:47.15 ID:Pep6Cm7l
>>824
小早川が東軍突撃を敢行したら、西軍壊滅と全く同じ現象が東軍に起こるだけ。
小早川の攻撃だけで東軍は惨敗だ。

小早川が攻撃しようとしたらその脇を家康本隊で蹴散らすには、
家康本隊が東軍左翼に陣取ってなければ絶対無理。

だが家康は西軍左翼に張り付けになってる自軍前線の真後ろに張り付いて督戦中。
自軍の左翼は何の手当ても警戒もしておらず、無防備そのもの。

毎回思うけど家康本隊の動向を考えず、小早川が東軍を攻撃しても、
東軍が負けるわけないとか言われても説得力がない。


831人間七七四年:2012/06/02(土) 09:33:18.89 ID:/nZ19j6W
>>830
起こらないよ。(>>802)
832人間七七四年:2012/06/02(土) 09:35:16.66 ID:5HMcYdQ8
合戦配置を「日本戦史」のみに頼るのは危険だよ
833人間七七四年:2012/06/02(土) 09:55:01.00 ID:Pep6Cm7l
>>827
戦の真っ最中、戦局の分かれ目の大事な局面で、退路の確保の検討も糞もなかろう。
総大将の弱気弱腰な姿勢は全軍の士気に影響する。
そんな愚行を犯せば、一世一代の戦は負け。

それに自軍後方で督戦している徳川本軍が、どうやったら戦に参戦できるんだろうな。
参戦するには、前方の味方を蹴散らすしかない。
それでは東軍の負け。

方針変更の可能性は、小早川への一斉射撃だけ。
他にない。

東軍が開戦当初からずっと優勢なら、家康が無様にわめきちらすなんて有り得ないし、
本陣を前進させないし、黒田の戦の邪魔になる裏切り確認もしない。

何を言ってるの?



>>828
既に確認済の了解事項を、戦の真っ最中に再度確認しても無駄無意味。
西軍の総数は東軍より多い。
戦闘中の数が東軍より少ないという意。
そんな基本知識もないか。

東軍は劣勢なんだから、消耗度は東軍のほうが大。
あと一歩追い詰めれば東軍は崩れると踏んだ西軍の士気のほうが上で、時間を経過したら更に東軍が劣勢になるだけ。
そうなれば傍観していた小早川や毛利勢も参戦すれば、東軍は瞬殺。



>>829
事前に毛利傍観は規定路線なのだから、東軍優位なら家康は焦れる必要はない。
劣勢だから、毛利勢や小早川の去就が不安になり、無様にわめきちらしたんだが。

834人間七七四年:2012/06/02(土) 10:06:03.80 ID:Pep6Cm7l
>>831
小早川が裏切る前、福島は宇喜多を押し込んでおらず、逆に押し込まれてたのは福島の方。
なんせ数では宇喜多の方が多いし、東軍の士気は西軍より低く劣勢なのだから。

小早川が最初から西軍で、松尾山に布陣しないというIFがもう一つ必要って、全く意味不明。
支離滅裂な散文書き込みはやめてくれないか。
835人間七七四年:2012/06/02(土) 10:10:40.13 ID:/nZ19j6W
>>833
『退路の確保の検討』は選択肢の一つとして挙げたものだ。(>>827)
キミは、小早川が西軍なら東軍が壊滅すると言ってるよね。
それほどの重大事なら、退路の確保を検討する必要は当然にある。
即退却するわけではない。徳川本隊の参戦も例示の一つ。
重要なのは、『再確認には意味がある』ということ。
小早川への問い鉄砲一択なのは、キミの勝手な決めつけ。

家康の動揺については、>>822をお借りする。
東軍が劣勢だという証明にはならない。
836人間七七四年:2012/06/02(土) 10:27:32.47 ID:Pep6Cm7l
>>835
戦の大事な切所で、退路の確保の検討も糞もないのは、ついさっき書き込んだ通り。
負けを前提とした戦略を、奮戦中の味方を尻目にやれる筈もない。
常識以前の問題。

この程度の常識もないから、初歩的人間心理さえ理解できない訳だ。
教育云々というより知能の問題。

徳川本隊の参戦の条件は、前方で戦ってる味方の豊臣系大名が蹴散らされた場合のみ。
つまり東軍の負けが決定した時だ。

再確認に全く意味がないのは、再確認後も小早川が微動だにしない事実で明白。

>>822の布陣は、開戦前からの所与条件なので、開戦後動揺しても意味はない。
それで動揺するくらいなら、関ヶ原の戦場に出張ってくんなってこった。

東軍劣勢の証明は、既に散々書き込んだので、勝手に確認するよう。
ちなみに福島隊vs宇喜多隊云々なんて、東軍優勢の証明にはちっともなってない。
それは総大将たる家康の無様な動揺と焦り、うろたえが如実に証明している。
837人間七七四年:2012/06/02(土) 10:55:17.77 ID:vKDYtNF/
>>834
小早川参戦のタイミングでは、宇喜多は天満山に押し込まれている。
でなければ、藤堂・京極が当初布陣位置から大谷と交戦することは出来ない。
加えて、そのタイミングで、前衛責任者の明石は宇喜多の側にいる。

繰り返すが、『退路確保の検討』は選択肢の一つ。そこに拘られても困るな。
話の核は、本戦で臨機応変に対応する為には『再確認』の意義はあるという事。
問い鉄砲一択しかない、硬直化した発想しかないキミには意味がないだけ。

小早川の参戦を確認するのと同時に、家康は旗本に進撃を指示し、全軍総攻撃に
移行している。東軍の負けは決定していないが?

キミの東軍劣勢の証明とやらは、『爪噛み』と『黒田への確認作業』だよね?
これは単なる事実に過ぎず、ここから東軍劣勢を推測しているに過ぎない。
史実として確定するには余りにお粗末。
838人間七七四年:2012/06/02(土) 10:55:36.77 ID:LoUbJr1o
勝つ為に戦うのは当然だが万が一負けた時の事も考えるのも総大将として当然の義務だろ?今現在優位だとかそうじゃないとか関係無く
839人間七七四年:2012/06/02(土) 11:01:11.25 ID:vKDYtNF/
>>836
東軍が唯一押されていたとされるのが、序盤の福島vs宇喜多。
実は然程でもない事を>>805で述べただけ。
西軍は、東軍の攻勢に持ちこたえていただけであり攻勢に転じていない。
故に、本戦全体を通して東軍が圧倒していたと言う事。
840人間七七四年:2012/06/02(土) 11:23:40.20 ID:Pep6Cm7l
>>837
宇喜多隊は福島隊に押し込まれてなどおらず、せいぜい一進一退。
それに大谷隊vs藤堂・京極隊は、宇喜多隊vs福島隊の戦闘とは全くの無関係。
大谷隊が前進して来ただけの話。

激戦の真っ最中、勝敗がどっちに転ぶか分からない大事な局面で、
敗戦を前提とした逃げ支度を考える武将なんぞ、どこを探してもいない。
ここでも当時の常識も戦国武将の実態も知らない無知を露呈。

激戦の最中、戦局に何の好転ももたらさない再確認なんぞ、愚の骨頂。
臨機応変に対応どころか、実際にやれた一手は、小早川隊に向けた一か八かのヤケクソ射撃だけ。

総大将の動揺、うろたえ、わめきちらし、意味のない戦妨害の再確認 = 東軍の劣勢。
自軍が優勢なのに、総大将が狼狽するなんて珍現象は、日本史は勿論世界史を見ても皆無。
ま、君が総大将なら充分ありえるが、君が大軍の総大将になるなんて、太陽が西から昇り東に沈むくらい有り得んな。



>>838
関ヶ原に参集した武将は勿論一兵卒に至るまで、開戦前や激戦中、戦に負けたらどうしようなんて考えてるキチガイは一人もいない。
無論総大将も同じ。
総大将が激戦の最中、自軍の勝利を信じて勝つ為の最善策を講じず、逃げ支度を始めたら、最前線で必死に戦ってる武将や兵はアホらしくてやってられない。
これ常識以前の常識。

君の麻原彰晃並みの常軌を逸脱した非常識ぶりは、驚嘆に値する。
全くお話にもならんな。

841人間七七四年:2012/06/02(土) 11:38:20.26 ID:Pep6Cm7l
>>839
戦闘中の西軍のほぼ倍の数で攻めかかってる東軍は、一進一退の膠着状態を打開できないのだから、
どうみても西軍の優勢。

ここで勝敗の帰趨を決めるのは、小早川隊のみ。
これ、専門家も素人も誰もが認める絶対常識。
家康も他に打開策がないから、松尾山に向けてヤケクソ射撃をした訳だ。

ちなみに秀秋が裏切るまでは、家康は勿論三成も逃げ支度を画策していた形跡は全くない。
三成が戦場離脱を考えたのは、敗戦が決定した後。
君のあまりの常識の無さは、ある意味芸術的。
842人間七七四年:2012/06/02(土) 11:46:53.74 ID:vKDYtNF/
>>840
そのタイミングで、一進一退していた根拠は何?
既に、筒井・井伊等と半包囲している段階だよ。
前衛責任者として奮闘していた明石も、既に秀家の側にいる。

大谷ー藤堂・京極のライン上には、福島が布陣している。
福島が押し込まれていれば、動線を遮断する事になる。

大谷が前進したとか初耳なんだが。
出来れば史料提示は求めないつもりだったが、それは教えてもらいたい。

『再確認』で戦局が好転するわけないじゃないか。
変化する状況に対応するために再確認が必要なんだよ。
事実、小早川の動きは想定外だ。
総論で優勢でも、各論の計算外で激怒する指導者は普通にいるよ。
世界史を探す必要など全くない。
この場合、小早川の動きは各論。
843人間七七四年:2012/06/02(土) 12:12:51.12 ID:vKDYtNF/
>>841
絶対常識じゃないからw
別に支持はしていないが、笠谷和比古に言わせると。
小早川寝返り前の西軍は、宇喜多を除いて、『ほとんどが受け身の状態で踏ん張っている有様。』
とか、『東軍は終始攻勢の形をとって西軍を圧迫しているわけである。』
家康が恐れていたのは、南宮山諸勢力による挟撃を受ける事としている。
このリスクを回避するために、小早川に問い鉄砲を放ち早期終結を図ろうとしただけの話。

844人間七七四年:2012/06/02(土) 17:45:56.88 ID:z0rdoP93
>>840
>激戦の最中、戦局に何の好転ももたらさない再確認なんぞ、愚の骨頂。
小早川がこちらに味方するかどうか最終確認したんだろ
それで黒田の対応を見て自分で小早川を威嚇するしかないと思って威嚇射撃をしたんだろ
その結果小早川が西軍を攻撃したんだから好転をもたらしてるじゃん

>総大将の動揺、うろたえ、わめきちらし、意味のない戦妨害の再確認 = 東軍の劣勢。
爪を噛んでると表記されてるだけなのに
動揺、うろたえ、わめきちらし、とかしたなんて書かれてないだろ
戦局が膠着状態で苛立っていただけの話

>>841
そもそも小早川の寝返りまでは東軍も西軍もほぼ同じくらいの戦力で戦っているんだが
東軍が西軍のほぼ倍の数で攻めかかってるなんてのを信じている方が
よっぽど常識が無いわな
845人間七七四年:2012/06/02(土) 18:08:35.65 ID:hU70NXcP
西軍優勢だったという結論を導きたいだけのお子様論理。
846人間七七四年:2012/06/02(土) 18:38:27.70 ID:4ynoTn2B
西軍優勢だった
847人間七七四年:2012/06/02(土) 18:58:26.97 ID:Tfi76izv
小早川は日和見だろう
もし松尾山に陣取った時点から東軍に寝返ったならもう早くに参戦してるはず
つまり山の上から戦況を見おろして確実に勝ちそうな方に付こうっていう安全牌狙い
その小早川が結局東軍に付いたってことは東軍が押してたってことだ
ギリギリまで曖昧な態度でいてわざわざ負けそうな側に付くわけがない

倍の数の東軍と一進一退といってもね
ヤル気ある部隊が少ない西軍とはいえそれでも3万くらいは戦ってるんだから
これだけの規模の戦いで、いくらなんでも2-3時間で攻撃側が突破できるわけがない
その間には何度か押し返されるくらいは普通にあって当然だし
それをもって西軍が逆に優勢なんてのは、単に感情的に西軍に肩入れしてしたい人の願望だろうね
848人間七七四年:2012/06/02(土) 19:17:37.18 ID:Tfi76izv
あと東軍側大名の記録で講談のように語られる西軍の奮戦の記録もね
あの時の島左近の声が頭にこびりついて離れないw とかの話とかさ
勝った側ってのは「相手は凄く強かった」って言うのよ

戦う前は相手は弱いとか小勢だと言うんだけどね(味方兵士の士気を萎えさせないため)
でも一旦勝ってしまった後はそれが逆になる
これは別に相手を立てるためじゃなくて自分の自慢のため
敵はこんなに強かった、でも俺はそんな強い相手を倒したんだ!、と

釣り人が、「俺の釣った魚はこんなに大物だった!、海に引きずり込まれそうだった!」
(でも最後には俺はそんな獲物を見事釣り上げたんだ!)
というのと似てる。
相手は弱かったとか少数だったとか言っても
その程度の相手に勝ったって話じゃなんの武勇伝にもならんからね。

だから余計は脚色は排して事実だけを見ればいい
あれだけの大軍勢同士が一堂に会した日本史史上でも稀な合戦がわずか6時間弱で一方の完勝に終わったこと
これに尽きるよ
これの事実が実際の関ヶ原がどんな合戦だったかを一番物語っている
849人間七七四年:2012/06/02(土) 22:49:57.16 ID:4ynoTn2B
毛利は豊前加増153万石
上杉は越後加増175万石
石田は近江一国78万石
織田は美濃一国65万石
真田は信濃一国48万石
佐竹は常陸、磐城77万石
小早川は筑前、播磨70万石
宇喜多は関東250万石
なお、豊臣秀頼は統治機構から切り離され、オーナーとして奥に退いている。
850人間七七四年:2012/06/03(日) 11:35:21.36 ID:CSydW4sB
宇喜多が関東に転封なら、毛利と小早川で岡山領を分ければいいのじゃない
851人間七七四年:2012/06/03(日) 13:16:06.91 ID:ChZejYCw
旧徳川領への転封って建前加増の半ば罰ゲームなんだけど・・・・小早川あたりが適任じゃんw?
852人間七七四年:2012/06/04(月) 11:46:29.07 ID:KxIUPmhc
関ヶ原をまじめに考証するスレならともかく、
「三成△」妄想ネタスレで延々爪の丈夫さについて議論する奴らななんなの…?
そんなじガジガジしたら、そろそろ人差し指から血が流れ出すよ。

>>851 広い関東を統治するには譜代が多い大名じゃないとつらいだろう。
宇喜多、上杉は石高に比して人材層が厚い印象なので、関東でもなんとかなるかも知れないが、
隆景養子入→秀秋養子入で石高倍々ゲームの小早川では、関東入部しても
毛利本家の付家老と、豊臣政権からの派遣奉行だらけになりそうだ。

それなら江戸40万石で小西、川越15万石で片桐あたりを押さえに、
東軍についた豊臣恩顧大名(山内、中村など)を1〜2万石で散らした方が旨く収まるかも。

関ヶ原西軍勝利の立役者の1人である秀忠くんにも伊豆大島〜八丈島1万石を上げよう。
853人間七七四年:2012/06/04(月) 15:10:25.12 ID:GUBIcY2/
旧徳川量だから駿遠三甲信の五カ国だろ
854人間七七四年:2012/06/04(月) 17:39:51.89 ID:KcdA8FjB
>>852
宇喜多は関が原前の宇喜多騒動でボロボロなのに…
855人間七七四年:2012/06/04(月) 19:28:40.48 ID:UuypISmR
>>852
「江戸中納言徳川秀忠、八丈島から泳いで参った!」
こうですかわかりません

宇喜多、上杉、小早川の中で関東を一番安定して治められそうなのは上杉だと思う
そうなると会津は誰に与えられるんだろうか
856人間七七四年:2012/06/04(月) 22:10:57.98 ID:1oIffmoj
>>855
越後を返せって言うでしょ・・・・とオモタがよく考えれば「関東管領」だから関東でいいのかw
857人間七七四年:2012/06/04(月) 22:21:37.32 ID:fqf1OOzY
上杉的にベストは越後(長尾上杉家本領)・上野(山内上杉家本領)・武蔵(関東最大石高)だろう
まあ徳川旧領全部っていえば越後は諦めるやもしれんが、西の毛利とのバランスもある
豊臣政権的には一大名に与える石高は200万石に抑えたいところ
858人間七七四年:2012/06/05(火) 00:00:00.78 ID:aWsCmlg1
>>857
でも、関ヶ原でまずは山形城へGo!していることを考えれば、
山形を取り上げるわけにはいかんでそ。この時点で24万石の加増。
それに越後45万石加増したら、これ以上関東方面での加増はありえないんじゃない?

あとは伊達領50万石ほど割譲して、伊達は南部・津軽を改易したところに北上と、
葛西大崎一揆に続く北上をさせるぐらいかな。
859人間七七四年:2012/06/05(火) 00:07:50.10 ID:jLX55CWS
>>858
関東云々は当然奥羽領返上の上の話でしょ
もちろん働き次第だが会津は佐竹にやればいい 葦名の正統後継者もいるし
上杉が奥羽領維持を望むなら、さらに加増されても越後or下野だろう
860人間七七四年:2012/06/05(火) 00:39:05.01 ID:8fVI/TFs
>>842
東軍は西軍より多い数で攻めてるのに、一進一退の戦局を打開できず = 小早川へのヤケクソ射撃。
これが根拠。
君の細部的泡沫妄想は書き込まなくて結構。

無駄な再確認しても何一つ戦局は打開できず。
だから、小早川へのヤケクソ射撃。
「変化する状況に対応」も糞もない。



>>843
東軍は殆ど全軍で攻めかかってるが、西軍は約半数の軍勢で対応し、戦局は一進一退。
その激戦を松尾山で見下ろす小早川軍。

西軍は新手の戦力を投入する余地はあるが、東軍はもはや打つ手無し。
唯一の頼みの綱は小早川軍の西軍攻撃決行のみ。

このままグズグズと膠着状態が続けば、松尾山の小早川や南宮山の毛利勢は、
家康の軍略に不審を抱いて参戦しかねない。

で、ヤケクソで小早川に射撃したら、惰弱秀秋は西軍へと突撃した訳だ。
秀秋レベルの知能の君では、この程度の簡単な真理さえ分からないのは道理。



>>844
何度も繰り返すが、小早川内応の報告は既に黒田から受けている。
なのに激戦の最中、再度黒田の戦妨害にすぎない再確認なんぞ、全く意味はなく愚の愚の骨頂。
小早川射撃で戦局を打開したいのら、黒田への無駄な再確認使者なんぞ送らずに、とっとと射撃すればいい話。

しかも、家康の戦術には、小早川射撃なんぞ当初から念頭にない。
焦ってヤケクソで射撃したら、君と同レベルの知能しかない秀秋が怖気づいて血迷い、
西軍を攻撃しちまって、後世に汚名を残す愚行を犯した訳だ。

つまり東軍勝利は単なる偶然。



>>847
小早川が東軍優位と見て西軍攻撃したのなら、それは家康が威嚇射撃する前だったらの架空の仮定。
実際、家康から鉄砲を撃ちかけられたのが秀秋裏切りの引き金になったのだから、それまでは東軍優位という見解は全くの筋違い。

事実、西軍には新手の戦力(=松尾山の小早川、南宮山も毛利)が温存されてはいるが、東軍にはそんな戦力は存在しない。
毛利の押さえとして布陣させてる池田や浅野等は寡勢で、毛利勢が雪崩の如く駆け降りてきたなら、あっけなく一蹴され蹴散らされるのみ。
どっからどー見ても西軍優勢。

家康にはこのシナリオが見えていたから、焦りまくった挙句、秀秋に威嚇射撃した訳。
分かる?
君にはこの程度のシナリオも見えんか。可愛そうに。

ここまで丁寧に説明して理解できないのなら、君は秀秋の生まれ変わりとして、病院行ったほうがいい。
861人間七七四年:2012/06/05(火) 00:41:00.60 ID:jLX55CWS
>>860
そういうのは関が原本戦メインのスレでやれよ
862人間七七四年:2012/06/05(火) 00:43:22.44 ID:8fVI/TFs
つまり論戦に破れた事実を認める訳か
で、自演で論旨とは無関係のすり替えってか
とことん可愛そうな御方だな
863人間七七四年:2012/06/05(火) 00:47:26.35 ID:jLX55CWS
>>862
話題変わってんのに空気読めって言ってるのw
864人間七七四年:2012/06/05(火) 00:50:07.81 ID:8fVI/TFs
論戦に完全敗北した負け犬の遠吠え
865人間七七四年:2012/06/05(火) 00:54:47.62 ID:jLX55CWS
空気読まずに話を蒸し返しといて、関係ない俺相手に勝利宣言とかw
心配せずともお前の長文なんかスルーしてたから
866人間七七四年:2012/06/05(火) 00:57:17.55 ID:UKhj1yIl
>>864
はいはいあなたの勝ちでいいよ、よかったね
867人間七七四年:2012/06/05(火) 01:00:07.73 ID:8fVI/TFs
論理的に反論できない言い訳が「空気読まずに話を蒸し返しといて」か・・・
はいはい。そんなキャンキャン吠えなくても貴方が秀秋レベルの知能しかない負け犬君だというのは、
既に良く分かってるから安心したまえ。
868人間七七四年:2012/06/05(火) 01:05:06.25 ID:YEAUZU7X
論戦とやらに負けたのが誰なのか、本人が一番わかってそうな長文レスだなw
悔しさに満ち溢れてるぞw
869人間七七四年:2012/06/05(火) 01:30:50.56 ID:qGs5+FUg
これだけ遅レスならそりゃ相手もいないわ
即答出来ない時点で負けだよ
870人間七七四年:2012/06/05(火) 02:50:57.04 ID:AqglSjzp
羽州会津若松には文武両道の平塚為広
871人間七七四年:2012/06/05(火) 12:53:21.05 ID:WjDqOcVi
ID:8fVI/TFs がイライラで顔を赤くしながらして爪をかみ始めました
872人間七七四年:2012/06/06(水) 01:47:02.98 ID:th4ouwFa
関ヶ原で東軍敗北を聞くや真田信幸は正室を離縁し、
また、徳川の息のかかった家臣を追い出し、
沼田城にこもり東西の形勢を静観したという。
873人間七七四年:2012/06/06(水) 04:39:30.66 ID:52WacWWk
しかし西軍首脳の怒りは収まらず、幸村の弁護もむなしく領地没収のうえ、岩殿山に追放。
のち山を脱出し、江戸の陣では新橋付近に真田丸なる出城を築き、豊臣方を苦しめた。
874人間七七四年:2012/06/06(水) 08:45:28.58 ID:sXkDg/Uf
これがクソスレか
875人間七七四年:2012/06/06(水) 10:49:42.65 ID:cPOvFn21
『東軍劣勢で間違いない。』
『なぜ?』
『家康が爪を噛んでたから。』
『・・・・・』
『論理的で反論できまい?w』
『・・・・・』
876人間七七四年:2012/06/07(木) 02:17:18.73 ID:dTtC55KD
8fVI/TFs はさー
結果論でしかないんだよね
877人間七七四年:2012/06/07(木) 18:23:45.17 ID:OO1uiFtl
>>849
一気に250万石は多すぎでは?
878人間七七四年:2012/06/08(金) 09:30:03.78 ID:V5lEnTVG
家康の例があるから200万石超えの大名は作らないんじゃなかろうか?
宇喜多騒動とか見ると秀家の能力は微妙だし
879人間七七四年:2012/06/08(金) 16:52:31.23 ID:ZLCUbx2F
長宗我部盛親・土佐,阿波,伊予宇和島、51万石
小西行長・肥後一国50万国
長束正家・伊勢安濃津10万石
増田長盛・尾張清州52万石
前田玄以・丹後宮津12万石
880人間七七四年:2012/06/08(金) 17:31:26.13 ID:HRCoE68G
増田だけ厚待遇なのはなぜ?
881人間七七四年:2012/06/08(金) 17:40:48.56 ID:k9ne9dEL
>>880 家康の首を挙げたからだよ
882人間七七四年:2012/06/08(金) 20:09:19.89 ID:Q/yDF8M7
五奉行の中で石田の次に加増割合が大きいのは本戦に参加した長束だと思う
5万石から20〜30万石(4〜6倍)ぐらい?
増田(伏見攻め参加、大津攻めに軍勢を派遣)は22万石から30〜35万石
前田(息子が田辺城攻めに参加)は5万石から10万石ぐらい?

浅野が抜けた後に入るのは小西行長か大谷吉継だと思うが大谷は病を理由に辞退しそう
そうなると小西が入るけどその場合肥後から政務の取りやすい上方のどこかに移ると思う
883人間七七四年:2012/06/09(土) 19:11:16.49 ID:2C140d2b
加賀の前田の領地が減るわけないじゃん
宇喜多が許さないよ
前田が協力すれば毛利や上杉とも互角にやれる
そういう意味でも絶対に宇喜多は前田をそのまま残しておきたいんだ
そして石田も毛利が怖いからその案に必ず乗ってくるだろう

884人間七七四年:2012/06/09(土) 19:42:18.88 ID:u58JB0I5
前田家は宇喜多の除命工作により加賀、能登84万石の大名として存続
885人間七七四年:2012/06/09(土) 22:22:44.16 ID:h7p4H2Du
戦後は毛利以上に上杉が大きくなりすぎて中央からの制御不能になりそうな。
戦後の加増という形ではなく、奥州切取り放題という形で巨大化しそうなので。
886人間七七四年:2012/06/10(日) 07:02:12.98 ID:MJ7ImzP+
>>884
利政に加賀,能登二国(後に利常に能登一国分与)東軍に組した利長は切腹が
取りざたされるも利政および義弟宇喜多秀家のとりなしにより助命、加賀国
内で隠居領一万石を与えられる。

まあこんな所だろう。

887人間七七四年:2012/06/10(日) 11:49:30.89 ID:1O8O+lo/
>>885
それは無いだろ?直接交戦した最上、伊達はともかく他の奥州大名は開戦前に領地に戻ってしまった訳で切り取り放題する大義名分は無いし旧領越後と関東管領復帰が悲願な上杉に理由が無い
888人間七七四年:2012/06/10(日) 19:42:15.97 ID:1mkJiirX
>>887
最上・伊達とは交戦している以上、基本的には切り取り放題。
そして、それらを制しちゃうとあとは南部・津軽・秋田みたいな
弱小大名しかおらんわけで。
889人間七七四年:2012/06/10(日) 20:02:17.69 ID:MJ7ImzP+
伊達は東軍敗亡の報を聞くや、西軍に豹変。
南部領や最上領に押し入りそうな気がする。
890人間七七四年:2012/06/11(月) 01:33:14.48 ID:4CXY5hiA
>>888
まず最上と伊達を攻め潰すのにどれだけの時間がかかるか不明また占領地統治の形をある程度整えて移行させてくのにも時間がかかる
ゲームみたいに攻め取った先から侵略なんて出来る訳もない
そうこうしてる内に江戸攻めなり上坂なり何がしかの命令が伝わるだろうから奥州平定の時間なんて無い
最後にもう一度言うが越後と関東管領への返り咲きが悲願な上杉に東北平定をする理由が無い
891人間七七四年:2012/06/11(月) 02:06:10.19 ID:hBOxttqo
上杉は勝手に戦ってるだけで、そもそも西軍なのか?
892人間七七四年:2012/06/11(月) 03:45:29.11 ID:fvxs281x
>>891
三成挙兵後も結城秀康が上杉に備えていたことから
西軍とみなしてよいかと
893人間七七四年:2012/06/11(月) 13:56:25.22 ID:TYPpXry8
>>886
それで丹羽と山口はどこに移封するんだ?
894やまぐちりく:2012/06/11(月) 17:21:24.54 ID:IxJGO6NY
やまぐち宗永は越前飛騨68万石に嘉蔵
895人間七七四年:2012/06/11(月) 17:43:59.35 ID:lMmLrrtd
>>892
上杉は征伐軍(東軍)の本来の敵だから、家康が備えを残すのは当然
896人間七七四年:2012/06/11(月) 18:53:16.74 ID:gn1W2n66
>>893
丹羽は越中一国か東海道辺りに40万石前後、山口は生き残った次男弘定が家督相続して5〜10万石ぐらいだと思う
丹羽は加増しすぎかもしれんが数少ない外様じゃない大名として優遇されるかもしれん
897人間七七四年:2012/06/12(火) 15:20:02.36 ID:NyrByXq0
IFなんだから山口宗永には幸せになってもらいたいと言うのはあるな
秀秋と2人合わせて100万石でお願いします
898人間七七四年:2012/06/12(火) 18:59:44.48 ID:fAJ/LRQg
>>897
宗永の子孫にはすごい人がゴロゴロいる。
泉下で子孫の活躍と繁栄を喜んでいるだろう。
899人間七七四年:2012/06/12(火) 21:16:33.90 ID:5wHma7rH
西軍が出した恩賞(という名の空手形)って
真田昌幸:信濃・甲斐・上野三国
九鬼義隆:伊賀・伊勢・紀伊三国
小早川秀秋:播磨一国+豊臣秀頼元服までの関白の座
のほかに何かあったっけ

>>898
山口軍兵衛礼行の息子の代から確変入りすぎだな
ここにもチート一族がいたか
900人間七七四年:2012/06/12(火) 21:28:10.27 ID:aiM+kaLT
>>899
上杉:越後加増
901人間七七四年:2012/06/13(水) 00:34:33.04 ID:Lu9Nx+QA
>>899
秀秋 >>899に加えて稲葉・平岡に近江国内で各10万石
織田秀信 濃尾二カ国

ちなみに家康が反故にした恩賞約束で主なのは
伊達 奥羽100万石
毛利 所領安堵
秀秋 上方二カ国が宇喜多旧領と微妙


西軍が勝利して恩賞約束が実現したカオスな世界も見てみたいきもするが>>899の連中は息子の東軍参加などを理由に恩賞が減らされるだろう
902人間七七四年:2012/06/13(水) 15:59:46.06 ID:vQpNanRp
真田昌幸:嫡男信之の東軍参加を咎められ、30万石加増に据え置く
903人間七七四年:2012/06/13(水) 17:27:17.39 ID:TMkcr3/K
上野領を召し上げられたとしても甲信もらえたら信玄信者の昌幸は大喜びだろうな
904人間七七四年:2012/06/13(水) 22:23:09.32 ID:vQpNanRp
東軍が敗れたために前田利長は加賀の所領を没収され、その所領は弟・利政に与えられた
905人間七七四年:2012/06/14(木) 02:39:17.82 ID:CL3ZYrMX
絶妙なタイミングで寝返るからどうなろうと所領は増えると思う
906人間七七四年:2012/06/18(月) 06:06:34.21 ID:9Qkf/4hc
史実の関ヶ原のイメージですぱっと西が勝つパターン想定してるけど
応仁の乱的なぐだぐだになるとどうだろうか
907人間七七四年:2012/06/18(月) 17:55:57.45 ID:TIxAybt+
>>906
応仁の乱ほど、特に西軍にはグダグダになるほど戦い続ける動機が無いと思う
東軍諸将とて勝ち馬に乗る以外の最大の動機は「三成憎し」でしかない
諸将家中の家督争いや利権争いで一族が東西に分かれて引くに引けないってわけじゃないから
908人間七七四年:2012/06/19(火) 20:46:31.78 ID:nw8iZtPl
真田信之九度山蟄居
909人間七七四年:2012/06/19(火) 23:50:12.49 ID:w3Zq7Alz
九度山を脱出して江戸城に立て籠る真田信幸、ならびに内記信政、信吉
910人間七七四年:2012/06/20(水) 17:57:04.66 ID:dDPLyKp0
本多忠政らとともに江戸夏の陣で西軍本陣に突撃か
911人間七七四年:2012/06/20(水) 23:58:50.15 ID:Eeo+I1gA
そしてテレビ東京が作成するのは「風雲!真田信之」になる。
912人間七七四年:2012/06/21(木) 14:02:03.72 ID:aZbpHWtc
後の世に伝わる江戸の陣の七将

真田信之(信濃侍従・信繁の兄、九度山蟄居)
後藤基次(通称・又兵衛、黒田如水家臣、浪人)
山内忠義(旧掛川城主・一豊養子、伊豆配流)
藤堂 高刑(斬首された藤堂高虎の甥、大谷吉継預り)
片倉重長(秋田12万石伊達家旧臣、片倉景綱の子)
松井康之(喜界島に流された細川忠興の重臣、出家より還俗)
初鹿野信昌(旧武田→徳川家臣、浪人)

真田、後藤らが箱根での奇襲を進言するも、本多正純やお江により退けられる。
関ヶ原後に井伊直政や本多忠勝などが斬首された後、
大須賀、阿部など徳川を支え続けた譜代もいたが、
江戸の陣においては多くが配所などでただ気をもむか、大阪方として出陣した。
913ナレーター(小松方正):2012/06/21(木) 17:43:03.57 ID:NhQ22eFN
秀頼の死は、それから一年豊臣政権安泰に至るまで伏せられ、翌元和二年四月、初めて頓死として公表された。
914人間七七四年:2012/06/21(木) 17:50:35.61 ID:EEEIXSCa
>>912
後藤は黒田家改易なら、どこぞに仕官できるのじゃないの
黒田家が生き残ってても史実みたいに仕官妨害できる力はないだろうし

伊達が秋田で生き残ってるという設定で何故重長がw まだ成実ならわかるが
915人間七七四年:2012/06/21(木) 22:07:01.06 ID:1vn9nlw4
史実の島津家久が島津秀久となって家久(悪)と呼ばれなくなる
916人間七七四年:2012/06/22(金) 08:26:52.36 ID:TNoYNlKe
真田信幸は兵千と共に沼田城に籠城。
なお、沼田城落城後、小松殿は「乱捕り」されるという憂き目を見た。
917人間七七四年:2012/06/22(金) 08:32:36.46 ID:TNoYNlKe
「乱捕り」により小松殿から生まれた男子は僧になった。
918人間七七四年:2012/06/24(日) 11:16:05.43 ID:LEkt7/gK
素人の自分がゲーム脳風に考えてみた

勝利条件
・東軍の関ヶ原からの撤退
・東軍諸将にこれ以上の戦闘は不利であるという損害を与える
・東軍諸将数名の戦死

大勝利条件
・東軍の関ヶ原からの撤退、もしくは壊乱
・東軍諸将にこれ以上の戦闘が不能になるという決定的な損害を与える
・徳川家康及び東軍主要将(福島正則、池田輝政、黒田長政、藤堂高虎辺り?)の戦死もしくは捕縛

後今後の地方情勢は
・伊達、最上ら東軍側奥羽諸将の動き
・金沢に戻ってから大きな動きをしていない前田の動き(芳春院が江戸で人質に)
・関東で上杉に備えている結城秀康隊の動き
・中山道から関ヶ原に向かっている徳川秀忠隊の動き
・毛利、増田ら大阪城の動き
・加藤嘉明、藤堂高虎ら四国の所領の留守を預かる東軍在国組の動き
・黒田官兵衛、加藤清正ら東軍側と島津義久ら西軍側の九州大名の動き

後所領に戻れる可能性がある東軍東海道組と戻ることが事実上不可能な東軍西国組の分裂とかw
919人間七七四年:2012/06/25(月) 18:38:34.19 ID:V6sdbVHb
しかし東西両軍とも負けた場合はここに集結とか打ち合わせは無かったのだろうか?
西軍が佐和山あたりに集結しなかったように、東軍も清州あたりに集結とはいかないかもな
920人間七七四年:2012/06/25(月) 21:39:20.59 ID:BLW+WvRK
東軍は菩提寺山城と言われる
921人間七七四年:2012/07/01(日) 03:02:45.08 ID:SVlSyARz
>>917
当時の医療技術では中絶できないからなw
922人間七七四年:2012/07/06(金) 15:11:09.79 ID:pVFDWKHL
真田信之改易
923人間七七四年:2012/07/06(金) 19:13:11.72 ID:kpP/osID
〜関ヶ原、午後14時〜
激しい雨の中、散々に散っていく大阪方、そしてそれを追い散らす関東方。
福原郷国分寺の境内で向かい合う2人の若武者がいた。
924人間七七四年:2012/07/06(金) 19:29:00.59 ID:kpP/osID
大谷刑部の足軽十人頭に抜擢されたばかりの篠原伊右衛門という男と徳川家康本陣の警護役として若干三十にして大抜擢された武田勘三郎という男である。
925人間七七四年:2012/07/19(木) 22:01:16.31 ID:7bzLAfxs
中学生の頃は司馬遼太郎の影響で心情的に西軍贔屓だったが、西軍が勝って、
上杉・佐竹・毛利など100万〜200万石の大大名がゴロゴロ+弱体な豊臣中央
政府という状態で西欧勢力のアジア本格侵略を迎えたらどうなっていたかね。

軍事技術や造船・航海術は史実より発達しただろうけど、諸藩が疲弊していた
江戸幕末と違って統一国家づくりは大変そうだ。
926人間七七四年:2012/07/20(金) 06:00:42.26 ID:St3Vl8na
関ヶ原の西軍勝利により日本は西欧の科学技術を取り入れ
アジアの奇跡と言われた
927人間七七四年:2012/07/28(土) 12:41:25.37 ID:iPBN34/l
家康、シネ。
鎖国なぞ、余計なことを…
928人間七七四年:2012/07/28(土) 14:43:03.92 ID:8XAefghf
家康は海外貿易に積極的だったのにカワイソス
船もイギリス人に作らせてメキシコだかどっかの国の遭難者がその船で帰国させてあげてたのに
929人間七七四年:2012/07/28(土) 19:55:54.36 ID:v5l5XiQT
西軍が勝ったら3度目の朝鮮出兵が行われた。そして明を滅ぼした秀頼が清朝の皇帝となった。
930人間七七四年:2012/07/29(日) 00:07:16.55 ID:HPAIArQc
>>925
タイムスリップものの小説に、改変の結果か忘れたけど、
豊臣幕府が、北朝鮮ばりの弾圧政治してる「五三の桐のメロディー」ってのがあったな
その世界の日本の国家は、五三の桐よ永遠なれっていうらしい

豊臣家の家紋は天皇から授けられた桐紋だけど、五七の桐かもしれんがうろ覚えだす
931人間七七四年:2012/08/11(土) 19:29:34.43 ID:zRvksA+P
勝っていたら、黒田・加藤とはどうなっていたんだろうな。
932人間七七四年:2012/08/12(日) 09:58:51.05 ID:UTzLSYM+
両方とも良くて改易、下手したら死罪じゃね
黒田は長政が東軍の中心人物の一人、如水も九州で大暴れ
加藤も関ヶ原の勝敗を聞いた時には小西領宇土城を攻めてる

ひたすら平身低頭して謝って命乞いするか一発逆転をかけて西軍の目が九州に行く前に平らげて逆転にかけるか
個人的には関ヶ原で敗れるもけってき的な負けにはならず反撃を開始した東軍が
北陸の前田と九州の黒田・加藤を焚き付けて西軍に多方面作戦を強いらせるとかいう展開になったら面白い
933人間七七四年:2012/08/12(日) 19:27:23.74 ID:lVqUoDzK
小西が健在なら小早川、立花、島津で征伐軍結成だろうけど
史実通りの小西軍崩壊で西軍小早川大活躍なら黒田、加藤征伐で
小早川が100万石級になっちゃうから
ナアナアで済ませるように毛利が動くのでは?
934人間七七四年:2012/08/15(水) 23:24:28.05 ID:GfqD89WE
島津軍は薩摩で健在だから毛利と九州大名で構成された征伐軍が南下したら、北上した薩軍と挟み撃ちで終わるな
935人間七七四年:2012/08/19(日) 10:08:18.31 ID:pO0PJ/tY
朝鮮出兵と庄内の乱で疲弊した島津がどこまで兵を出せるかがポイントだな
936人間七七四年:2012/09/02(日) 17:26:28.45 ID:00V6e6o0
まず最新の研究だと三成は大垣城籠城戦を考えていたらしい。

結果的に引きずり出されてしまったが…。
短期決戦だと家康、長期決戦だと三成が有利なんだから西軍が勝利するには
三成としては東軍の別動隊が佐和山を落城させるの覚悟の上で大垣城に
籠城を続けるしかない。(佐和山が落城するのを恐れて三成は不利を承知で関ヶ原に
出陣したわけでこれが三成の武将としての限界だったわけだが。)
この場合どうなるかだが西軍8万5千で東軍7万5千。
ただし小早川は調略済みなので長期戦になるまえに小早川は西軍から離反する可能性が
高いので実質西軍7万、東軍9万。
そこに西軍は丹後田辺城と大津城攻略軍が加わって10万。
東軍は秀忠の徳川本体が加わって12万8千。
更に西軍は吉川隊3千と脇坂隊千の計4千がいつ裏切るかわからない。
ただ籠城なのでこう着状態には十分なる。
この場合完全に鍵を握るのが輝元で大阪城にいる毛利本隊4万5千が後詰にくれば
この時点で西軍の勝利は堅い。逆に来ない場合だがこの場合だと
恐らく3か月から半年ほど睨みあったあと大阪城を抑えてる輝元が秀頼の
名前で西軍にやや有利な条件で和睦の斡旋をして一旦仕切り直しになると思う。
その後は知らん。ただ半年とか続く西国を如水が平定してしまう可能性がある。
937人間七七四年:2012/09/20(木) 09:34:18.53 ID:h/MbtMfK
「第3回関ケ原陣跡制覇ウォーキング」
◆期日 2012年9月23日(日)雨天決行
◆参加費 1,000円(当日受付の際お支払いください)
http://www.kanko-sekigahara.jp/event/walking3/index.html
938人間七七四年:2012/10/19(金) 12:34:03.96 ID:gJhMSPVM
和睦となれば、筆頭大老たる家康に断然有利だな
三成は隠居で発言権ないから、家康が自身の権限を強化、豊臣弱体化に動くに違いない
上杉も懐柔される
939人間七七四年:2012/11/26(月) 05:13:54.50 ID:/WLB3HxU
東軍壊滅
940人間七七四年:2012/12/26(水) 11:16:43.15 ID:2WxWYcF3
昔の武将は移動にも一苦労だっただろう。
家康公なんて江戸から関ヶ原まで駕籠に乗って移動だろ。しかも10日くらい要する。
鈍行乗り継いでそれだけの距離移動するのだってへとへとになるというのに
昔の60の爺さんなら移動だけで命がけと思うわ。
俺が家康公の立場だったら三成を適当になだめて戦いは回避するね
もちろん上杉氏も不問。
941人間七七四年:2012/12/26(水) 11:41:27.21 ID:UdXvIUMn
秀忠と秀康に任せればいいのにね
942人間七七四年:2012/12/26(水) 17:49:37.94 ID:MAMg1AAq
息子がおれば、こんな苦労をせずともよかったのに
943人間七七四年:2013/01/03(木) 23:04:30.69 ID:CBD6kRKl
>>941
その息子ではないわ!
944人間七七四年:2013/04/11(木) 02:43:07.73 ID:VgTSyGRN
論功
毛利輝元…安芸、長門周防、石見、出雲、因幡、備後に加え、豊前一国36万石を加増し、都合156万石

上杉景勝…会津若松に旧領越後55万石を加増し、都合175万石

石田三成…近江一国78万石

小西行長→肥後54万石

島津義弘…薩摩大隅に加え、日向4郡10万石を加え、68万石

鍋島勝茂…肥前本領安堵

小早川秀包…筑後本領安堵
小早川秀秋…筑前本領に加え、関白料として播磨36万石

大谷吉継…越前一国42万石
織田秀信…美濃尾張100万石

徳川家康…美作藩森家に永預け

結城秀康―上野50万石
徳川秀忠…駿河遠江78万石
佐竹義宣…常陸、下総、上総、磐城、下野100万石

宇喜多秀家…武蔵、相模、伊豆110万石

増田長森…大和一国40万石
前田玄以…丹波一国28万石
長束正家…伊賀、北伊勢四郡35万石

浅野長政…領地没収のうえ、江州蒲生郡にて隠居

池田輝政、加藤清正、福島正則…黄母衣衆寄合席
945人間七七四年:2013/04/18(木) 16:23:51.56 ID:QmNEcyP0
>>944
近江に石田、播磨に小早川ってラウンドU必至じゃん。
946人間七七四年:2013/04/18(木) 17:50:28.37 ID:++OWPYPX
俗説では秀秋に上方三カ国、稲葉・平岡に近江で10万石とかだったから、治部の近江全土領有は無いだろ
947人間七七四年:2013/04/18(木) 17:52:33.83 ID:++OWPYPX
あと秀秋関白就任なら、小早川家は隆景時代くらいの領地で秀包に返してやるべきだな
948人間七七四年:2013/05/16(木) 20:09:41.16 ID:qC3CClkJ
領土分配よりも政権体制どうするかの方が問題なような。秀頼まだガキなんだから。
秀吉の構想は利家を大阪に(秀頼の傅役・羽柴家の家宰)家康を伏見に(豊臣政権の執政)だったけど崩壊。
政権の外部にいた秀秋をいきなり関白にして伏見に置くには統治機構の整備が必要だし
秀秋から秀頼への移行体制はどうするの?(10年後も秀秋はそれに従う気のままでいるのかな?)とか
大阪はどうするの?とか(史実通り片桐だったら豊臣家の威信が史実通り地に落ちるわけで)
あやしい動きしてた外様連中の今後の抑えどうするの?とか課題山積み、人材足りな過ぎ。
特に毛利一党はこれ以上領土やると抑え効かなくなると思うんだが。
949人間七七四年:2013/05/16(木) 23:17:46.13 ID:ZFECVDrH
>>948
北政所を呼び戻すとか。
950人間七七四年:2013/05/16(木) 23:21:24.16 ID:5aTvE+Vr
関が原の前に淀君急死ifで誰か書いてくれんかな
なんなら秀頼出産の産後が悪くて太閤在世時死亡でもいいから
951人間七七四年:2013/05/17(金) 01:35:47.17 ID:Xq9h24Bo
>>950
とにかく、北政所が大坂城に入ることは確かだな。
952人間七七四年:2013/05/17(金) 10:00:37.67 ID:bcyrTh93
隆元のところから子供が産まれず、元就の子を養子にしていればまた違った展開に
953人間七七四年:2013/05/17(金) 22:38:09.52 ID:qHfomAM1
>>952
元就存命中に決めるなら正室LOVEゆえに吉川元春の子が養子になると思うが
長男は吉川後継、次男は病弱となれば史実の広家が毛利の後を継ぐ可能性は低くない
954人間七七四年:2013/05/22(水) 16:36:45.95 ID:IwybBgWR
>>944
近江一国で78万石は無いだろw
50万石も無いんじゃね?
955人間七七四年:2013/05/22(水) 18:06:13.83 ID:7Ar3rva5
>>954
慶長年代で検地高77.5万石だし
出羽(31.8)や土佐(9.8)のように江戸初期の大名配置を考えたら少なすぎる国はあるけど、近江が過剰ってことはないかと
956人間七七四年:2013/05/23(木) 02:47:50.34 ID:MHsFR8rT
そんな年代の石高って何処で調べられるの?
957人間七七四年:2013/05/23(木) 06:11:39.04 ID:CtFpKARN
昔この手のすれあったな。懐かしい
958人間七七四年:2013/09/17(火) 07:49:51.14 ID:QF1uYFXQ
test
959人間七七四年:2013/09/24(火) 14:34:50.89 ID:8dbN+3cJ
age
960人間七七四年:2013/09/24(火) 14:39:40.27 ID:fjHanr+T
age
961人間七七四年:2013/09/24(火) 16:38:29.84 ID:mUNwOPYl
age
962人間七七四年:2013/09/27(金) 09:45:23.69 ID:y49nFnN4
963人間七七四年:2013/09/27(金) 14:33:08.09 ID:y49nFnN4
test
964人間七七四年:2013/09/27(金) 14:34:46.77 ID:y49nFnN4
test
965人間七七四年:2013/09/27(金) 14:35:23.66 ID:y49nFnN4
test
966人間七七四年:2013/09/27(金) 14:36:02.57 ID:y49nFnN4
test
967人間七七四年:2013/09/27(金) 14:36:40.46 ID:y49nFnN4
test
968人間七七四年:2013/09/27(金) 14:37:45.26 ID:y49nFnN4
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980超え
982人間七七四年:2013/09/28(土) 11:32:44.45 ID:VWIQFsV0
【外配信】関ヶ原 笹尾山から戦場を眺める枠
http://live.nicovideo.jp/watch/lv154146102
2013/09/28(土) 開場:11:57 開演:12:00
開場時間になりますと入場可能になります。
この番組はケータイでもご視聴いただけます!

米原駅で井筒屋さんの"湖北のおはなし"購入しましたw
983人間七七四年:2013/09/28(土) 16:14:06.91 ID:lNar8uwT
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1000人間七七四年:2013/09/28(土) 19:59:48.30 ID:lNar8uwT
千鳥
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/