1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
さあ語れ
人望ないっていわれてるけど
本当になかったの?
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 13:52:13 ID:Ova+mY3R
ほんとに人望ないのは竜造寺のクマみたいのだろ
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 14:51:11 ID:jupOda8x
黒田如水、加藤清正、福島正則に襲撃されたそーだが……。
如水はそんな暇なことしません。
如水が襲撃するとこ想像してワロタw
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 23:12:56 ID:V/McvADb
三成に過ぎたるものが二つあり島の左近とと佐和山の城
佐和山城ってそんなに凄い城だったのか?
破壊しつくされて、跡形も無いけどね…
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 09:58:01 ID:UpKhXJxK
19万石の大名の居城としては相当な城構えだったみたいだな。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 10:23:55 ID:A3c3XNBE
>>2 本当に人望が無かったら関ヶ原なんて実現してませんがな。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 12:00:51 ID:/xjrApJJ
好き嫌いがハッキリ分かれる人なんだろうね
武断派も秀吉の朝鮮征伐での裁定には文句言えないから、
全部三成が悪いことにしたかったのかも知れない
三成の悲劇は現代でいえば中間管理職の悲哀に似ていると思う
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 12:40:20 ID:tPO+CGqI
友人に求めるハードルが高い人だったんだなぁ〜とは思う。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 16:12:39 ID:zheVqE3t
なんで三成があんなに人から嫌われてたのかがよくわからん
普通に真面目な常識人じゃなかったのか?
むしろ武断派たちの方が筋が通ってないように思えてならない
極度のインテリってワケじゃなさそうだし…
例えば会社なら、現場のことを知りもしない、しかも実際の業績を大して上げたこともない社長室付きの奴が、
現場のやることなすことに社長の威を借りていちいち文句つけてたら殺したくなるだろ?それと一緒だよ。
>>15 秀吉子飼いの癖に輜重を軽視していたんでねーの、加藤や福島。
17 :
佐々木小次郎(・3・) ◆7rr.RgeJLc :2006/06/18(日) 18:44:59 ID:CQhSP0+u
三成は世に言われている謀略家等の悪いイメージとは裏腹に、
真面目で義理堅くなかなかの好人物だったといわれている。
わずか20万石で250万石の徳川家康と渡り合った三成は稀代の策略家ではないかと自分は思う
愛してるよ佐吉
>>17 でもいくら家康が上手かったからとはいえ、たった1日(!)の、1回だけの合戦で、全国に広がる全戦線を崩壊させるような
戦をするのは、戦下手と言われても仕方ないだろう。
結局組織を作るのはうまいのだろうけど、その組織を動かすことと致命的な欠陥なあった人としか思えない。
>>20 そもそも10万もの寄せ集めの大軍を本来総大将でも何でもない三成が指揮しろって話自体無理がある。
上杉謙信でさえ小田原攻めで8万の軍を統率しきれなかったというのに。
それをもって戦下手というなら当時の日本で戦上手など片手で数える程しかいなくなる。
輝元の代役だからね、あれは。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 23:20:13 ID:uU6oynlg
てか関が原に行ったのはなんで秀元なの?
三成さぁ…なんで伊達を懐柔しておかなかったん?
北から上杉・伊達連合、西から本体で挟みうちにしてたら、マジで西軍が勝ってたかも。
…よく空想戦記にありがちな設定だがw
>>21 いやそれなら、そんな軍勢を作ること自体無責任じゃないですか>三成
まあ正直、いろんな意味で、器以上の事をしようと無理をしすぎたって事なんでしょうなあ。
器以上の事をしなければ勝てない戦だったって事だろうなぁ。
こんなこと言ったら信者みたいに思われるかもしれんが…それだけ三成は豊臣家への忠義が厚かったということか?
だとしたら三成凄すぎるだろ…orz
>>26 夢を壊すかもしれんが、関ヶ原はただの政権闘争、もしくはクーデターだったと思うよ。
当時の状況として家康は既に実質的な日本国首相だったからね。家康の元では芽が出ないと踏んだ
勢力による軍事クーデター。
豊臣家への忠義と言うが、それならそれで、政権は引き渡すが豊臣の家は残す、と言った方向での忠義もあるわけで
(幕末の勝海舟の路線ですな)、忠義よりも、三成個人の野望の面が大きいと思う。
個人的にはむしろ忠義と言う枠にはめ込むと、三成自身の人物を小さく見せちゃう気もするな。
>>27 自分もそう思う。三成の挙兵はある意味で言えば、豊臣を弱体化させた一因
だし。決して忠義がなかったとは思わないんだけどね。豊臣の世で、自分を
中心に政治をやりたかった人なんじゃないかな
個人的に片桐なんか豊臣の忠臣だと思う。冷静に豊臣の力をみていて、形は
どうあれ豊臣を生き残らせようと頑張ってたし。最後は…だけど決して不忠な
人ではなかったはず
ところで当時は三成の挙兵ってどう思われてたのかな…。大阪では結構びっくり
してたらしいけど
でも一般の足軽は三成を「大阪方」と見ていて、
出来れば「内府」よりも「大阪」につきたいと願っていたそうだね。
>>30 そりゃあ大阪城を抑えてたわけだからねえ、西軍。
でもそんな一般足軽の不安を吹き飛ばす(あるいは無視させる)ほどに、家康の個人的統率力は
強かったって事なんでしょ。
家臣団は、相当三成を慕っていたみたいだけど、大谷にとっての平塚
みたいな与力とか付けられてたの?
兄貴とか父親は秀吉の家臣だけど一族衆になるんだよね…?
物欲のない人だったのかな。
20万石の一家臣が250万石の大名に
戦いを挑んだわけだけど、もし戦国時代に
2ちゃんねるがあったら絶対馬鹿にされてるなw
レイプされた三成と左近の絵が続々アップロードされます。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 21:58:16 ID:RRkh3DAO
光成の子供達は全員生き延びる事ができたようだね。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 00:04:09 ID:t557oZj0
三成信者の佐竹義宣が通ります。
忍城攻めは苦労しましたな・・。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 21:04:21 ID:UEXIYB+s
石田三成の嫡子の石田重家は関ヶ原の戦いの敗戦をきくと三成の父である
石田正継の命令で出家した
その後104歳まで生きたとか
長生きだな〜
>>39 知らなかった・・・
妙心寺寿聖院三代目か
これはこれで幸せそうだね
貞享三年ったら将軍は綱吉か
戦国の生き証人だね
>>27 >>29 いいえ、三成は野心は無く、忠義の人だったと思います。
このことは敵方の徳川光圀が認めているから信憑性がある。
>>41 光圀のは後世から見た妄想だからなあ。
実際は劉備みたいなもんかも知れない。
ところで何で秀頼様は関ヶ原で東西両方にいい顔してたの?
やっぱりこれってただの派閥争いで豊臣は蚊帳の外だったんじゃないか。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 16:58:19 ID:fSoAguT+
三成公には、悪い評判が数多く流布されたにも関わらず、
すがすがしいエピソードも少なからず残されている。
260年の幕府の歴史を、そのエピソードは消されることなく残ったという
事実を大切にしたい。
徳川家の中にも、三成公を高く評価した者は少なくない。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 17:52:28 ID:6WFFo+fs
下痢男
三成=海王みたいなもんか?
とわけの分からんことを言ってみる・・・
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 00:39:25 ID:UvDg9ciM
>>44 それは俺もだから1人くらい腹の弱いのがいたっていいだろうよ
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 22:09:11 ID:0vsNEQ9u
>>45 つまりツンd・・・いや、なんでもないよ。
三成って出っ歯だったの?
肖像画では出っ歯じゃないけど・・・
別人の遺体だったって事かね? 出っ歯の別人。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 07:16:47 ID:PGJioF/6
腹をこわさないように温かいお茶を
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 08:33:05 ID:IHxeLysb
反っ歯だったらしい
口閉じればわからない
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 13:06:27 ID:HPo1UOz5
三成の最後のエピソードが好きだな。
「大事を成そうとする者は最期の時まで諦めないものだ」
干し柿は痰の毒だね
アレだろ、
その当時の骨格というか頭蓋骨の形が上顎と下顎、歯と歯がガッチリ合うのがまだ一般的だった頃に、
三成の顎の噛みあわせが現代のに近かっただけじゃないか。上のが下のより前。
と何かの文章を見て思ったんだが。
いろんな有名な人とマブダチだね。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 08:25:50 ID:re23J6sa
三成です
なんかここでいろいろ言われてるけど、
三成は自分でも豊臣恩顧大名のことを考えてあげる気持ちが足りなかったなって反省してる
三成が誤解されるような行動したばっかりに、
三成を応援してくれてる文治派のひとたちや五大老・五奉行、
その他たくさんの大名に迷惑をかけてしまったこと、深くお詫びします。
あのときあの行動には、太閤殿下が身罷られたから全員で一体となって豊臣家を盛り上げたい、
秀頼様の後継問題もまだまだ終わらないんだよ?
朝鮮の役の不平不満を述べてていいの?不満述べてる暇なんてないよ、
三成と時間を共有できるのもあと少しなんだからがんばろうよ、
って思いがほんとうは込められてたの。
悪びれた行動でそれが伝わるはずない、それがわかんなかった三成はホントばかだよね。
三成は虎之助や市松を敵にする気は全然なかった。
しかもあんなに頭の悪い子達だったなんて三成自信もすごくショックで、言葉が出ない。
その子達に本当に心からあやまりたいです、
ごめんなさい。
そしてこんなバカな三成だけど、これからも応援してね。
みんなほんとにごめん。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 11:09:05 ID:HxU6wpvY
石田・うんこ・三成
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 09:38:37 ID:3TbhZmEu
昨日の功名が辻では七本槍とすでに険悪なムードだったけど、
同じ近江出身の片桐且元とも仲が悪かったのか?
流れをぶったぎるけど・・・
自分の三成のイメージって、頭はいいし義理にも厚い(上に対しての忠誠心も高い?)けど
理に走りすぎの・・・頭はいいし正義感もあるけど融通の利かない堅物のクラス委員っう感じかなw
いや、ホントに流れをぶったぎってすまんです・・・
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 20:03:14 ID:YUndu+wm
石田はスネオタイプ
スネオはあんな無茶な賭けは絶対にしない
長いものには巻かれろタイプ
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 22:55:49 ID:YUndu+wm
スネ夫はジャイアンの威を借りて悪知恵を発案。石田クリソツw
スネオはジャイアンに媚びるがなんだかんだで結局ジャイアンに殴られたりする。
福島正則あたりか?
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 09:06:38 ID:2l4WvIxQ
三成が主人公で大谷吉継が準主役てきな小説ない?
三成と正則清正らの仲が悪くなるのは朝鮮出兵くらいじゃないのかな
正則清正だって単に筋肉バカで大封を手にしたわけじゃないし
三成に武功がないわけでもない
三成主人公なら「関ヶ原」とか「大いなる企て」とかあるけど
どれも吉継は助演だな
>>64 清正・正則と三成って元々言われるほど仲が悪かったわけでもないし、かと言って親密だったわけでも
なかったのかもね。二人に比べて三成は出仕時期も遅いし。唯、天下統一した後は自分達より三成の
ような政治が出来る人材が台頭して秀吉の近くにいたのは面白くなかったのかも。それで朝鮮のごたご
たで亀裂が入ったって感じなのかな?
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 16:15:40 ID:M7O++EwX
>>32 豊臣家の七手組から数千が付けられていたと聞いたことがあります。
あぼーん
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 16:55:41 ID:2uOnfbpW
秀吉が対家康のために尾張、美濃などに前田利家を置こうとした
(尾張閥のトップの前田が再三その要請を秀吉にしてた)
しかしそれを三成が「前田は信用できない」と反対
それを聞いた前田は激怒、それ以降前田と三成は険悪な仲に
秀吉が死んだ後、家康が頭角を現してくる
それに危機感を感じた三成は前田に助けを求める
しかしもともと二人は仲が悪かったため前田は積極的に動かなかった
前田が東海道の主要を抑えている大大名なら豊臣家は滅亡しなかった
すべては三成が反対したせい
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 05:08:17 ID:zb2GuJkF
正室だけで8人も子供作ってるんだよねこの人
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 15:27:53 ID:qbmmhAek
石田三成の長男・石田重家が104歳まで生きたといわれていること。
びっくりしました。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 20:50:33 ID:U1tpl9hM
三成の子孫って今もいるのか?
日本史板より
532 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/07/07(金) 20:26:08
小説ないの扱いといえば、石田三成ってどの歴史小説でも「世に奸臣と思われがちだが実は違う」
というような書かれ方してるけど
実際に奸臣として描かれてる作品って見たことない
江戸時代の講談とかはそうだったのかもしれんが
俺も同様の疑問持ってる
大河ドラマなんかで三成役やる役者も「世間では悪く言われてるけど」みたいなコメント残すことが
多いし
話題ズレだが。
つい最近、わが母の三成認識が
「茶坊主から出世して大阪夏の陣で亡くなった」
だったことに少し驚いた。
関ヶ原で豊臣家が滅びたと思ってる人も多いし・・・
>>73 いますよ
議員になったり本を出したり・・・
三成の孫が津軽家の大名になりましたからね
>>74 奸臣といったって人間は人間。
小説でそう単純に書くわけにもいかないだろ。
高慢な態度で讒言を繰り返す、挙句勝手に秀頼の名を掲げて乱を起こし
豊臣家の滅亡を早めたみたいな書き方ならちらほらあると思う。
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1141536641/880 >880 :水先案名無い人 :2006/07/05(水) 16:07:42 ID:zicj6S0w0
>秀秋「私は西軍だ!」
>秀家「・・・」
>秀秋「早く関白にしたらどうなんですか」
>三成「いや、先に東軍を攻めろよ」
>秀秋「この軍勢は、最大限守ってあげたい」
>三成「東軍と密約してるんじゃねえの」
>秀秋「どのようにして、その先入観を打ち破る事が出来るのか。本当に悩ましい」
>吉継「西軍ってことは松尾山から降りてくるのか?俺、藤堂隊と戦ってるぞ」
>秀秋「この一方的な攻撃。この風景。こんなところに軍勢を投入したらかなわないと感じるのは当然」
>三成「だったら西軍だなんて言うなよ」
>秀秋「一言聞いただけでガセだと決め付ける、卑怯千番、もっとも恥ずべき行為」
>吉継「寝返りのほうが卑怯だよ。早く降りて来い」
>秀秋「どのような条件をクリアすれば、西軍だと認める事ができるのか、知恵を貸してください」
>三成「おまえが西軍だって言ってるんだろうが」
結局のところ、三成の責任といわれてることのほとんどは秀吉の
責任なんだけどな。誰だってあんだけ無茶した独裁者の後始末を
させられた上周囲は信用ならない奴ばっか、なんて状況におかれ
たら強引な手を使うだろうし失敗もするさ。
81 :
XTC:2006/08/05(土) 15:11:59 ID:YMaYvhXy
石田三成の子孫は確か徳川家にもいたような?
徳川家光だったっけ?
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:36:31 ID:Zr0RDfP5
>>69 そういう話聞いたことあるな。
あと関東もはじめ秀吉は秀政、三成など腹心で固めようとしてた。
が、秀政が死に、三成は忍城攻略に失敗してこの話は立ち消えに。
なんと実はそのあと上杉に白羽の矢が立ったという。
これは上杉氏が代々関東管領だったことにちなんでいる。
本来なら大出世なのだが、なぜか景勝が越後にこだわり
この話に乗り気でなかった。
直江が三成に相談を持ちかけ、三成が秀吉に、
関東は徳川殿に差し上げるのがよろしいでしょうと進言する。
これはよくいわれているように徳川が、領国経営に力をそがれ
弱体化するのを狙ったものであったが、逆に徳川を強大化させてしまった。
後年三成の挙兵を駆り立てたのは、このときの件で後ろめたさを感じていた
からだとも言われる。
>>83 ほとんど後世の想像だよね。実際にはロマンも何もないが、水面下で豊臣側と
徳川側の熾烈な折衝があった上で、双方の合意として関東移封が行われたんだと思うけどね
(じゃないとあんなにスムーズに行かない)
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 22:10:44 ID:qNANsfef
大一 大万 大吉
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 00:29:45 ID:NLNFrNxS
俺の親父が凄い好きな武将なんだよね。石田
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 23:46:13 ID:bYHpls02
橋の助はぴたりだな
俺の姉が凄い好きなんだよね。石田彰
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:02:04 ID:uHdNHuOk
家康が本多正信に語る。
「豊臣家子飼の大名達、ああも無節操に裏切れるものか。喜ぶ反面、心が、冷えたわ・・・せめて三成のような家臣がいて、太閤殿も初めてうかばれたであろう・・・これからは我が徳川家、三成のような家臣に恵まれれば良いが。義、忠義の家臣にのう」
後世、徳川幕府は、朱子学を取りいれ、武家の倫理を厳しく見るようになる。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:04:04 ID:uHdNHuOk
徳川幕府が朱子学を取り入れたのは、石田三成の義のおかげといっても
決して過言ではない。
泣いた
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 14:58:25 ID:Atq8iTcN
佐和山始めいくつ史跡回ってきた俺が来ましたよ
>>26 典型的徳川史観、黴付いてるな。
光秀の反乱が失敗し、徳川の反乱は成功しただけ。
>92
オススメ巡回コースを教えて
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 09:49:14 ID:WYbW9gkx
>>95 自分はまず朝一で佐和山に登り、長浜に行って
観音寺の水汲みの井戸と石田の出生地他に行って
京都の大徳寺の墓という風に回ったよ
佐和山は麓から本丸跡まで30分ぐらいだけど
道なんてないに等しいから気をつけないといかんよ
観音寺から石田までは徒歩15分ぐらいでバスは少ないから注意
それから墓は参拝謝絶だったorz
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 22:44:01 ID:3mlzKuVU
この中で、「オンライン三成会」の会員の人っている?
三成関係は、地元長浜の顕彰会の他に彦根にもあるらしい。横浜も有名だけど。
>96
トン。
佐和山って土塁しか残ってないんだよね。なんだか寂しい。
ウィキに「関ヶ原の戦いの後、小早川秀秋は石田正継の守る佐和山城を半日で落とした」って
あったけど、半日で落城って早すぎではないですか?それほど強かったのコバって・・?
>>98 本格的な戦闘はなかったという説もある。
佐和山城址の調査でも、炎上した形跡はみられなかったし。
降伏した、ということですか。
それもそうですね。西軍負けたんだし・・
東軍の将らの妻子を人質にとろうとして結局は失敗、って
この人「不正を憎む義の人」じゃなかったっけ?
矛盾してないだろうか。
戦が下手なのはともかく。
それを考えるにはまず「人質をとるのが不正にあたるのか」から始めなくてはならない
>>100 義を現代的な意味での正義と似たようなものと考えたら、
そもそも身分制度を採っている段階で義なんてどこにもないことになりますよ。
つまり、人質取るなんて当たり前で何の矛盾もしていない。
ですよね。人質なんてどこでもやってるし。
ウィキでは「いくら戦国時代でもこれは卑怯すぎ」だなんて書かれていたものだから。
ウィキを信用するななんて常識じゃあないか。
>>103 wiki信者発見!
最近、少ないんだよねwikiを信用する人って。
信者っつーか・・・
検索してはじめに見たのがウィキだったし・・・
え、何?そんなに信憑性薄いのウィキって?
Wikiがつうか基本的に「誰でも書き込める場所」に「史料名を明記せずに書いてある事」は
2chに名無しで適当書き込んでるのと何も変わらないと思うのだが。
>>106 参考にするのは別にいいと思うけど
>>107の言うとおりだから、
最低でも史料名を確認するとか、何らかの裏を取っておかないと、
ただウィキペディアで見たから・・・、というと馬鹿にされてしまう。
2ちゃんの何とかスレで名無しさんがそういっていたから・・・
というのと基本的に同じことだから。
気をつけます。
ウィキってそういうものだったのか。
俺もWikiで某ゲームに関する記事見たんだけど演出なんかの記述が全くの出鱈目だったしね。
人質を取るのは戦国時代の常套手段だが
現代人の価値観から見ると女子供を人質に取るって、
戦隊シリーズに登場する怪人みたいに見えるよなw
>>100 そもそも「人質をとる」の意味を現代的にとらえすぎている。
人質というのは力ずくで奪い取ったり拉致誘拐するものではなく、相手から
差し出されるもの。
三成が要求したのは人質ではなく、人質を差し出すことで、我々の政権に
従うことを誓約せよ、ということ。(この時期の三成を政権とよぶかどうかは
ともかく)
>>89 その台詞、森繁久彌の声でイメージしちゃんだよなー。
TBS「関ヶ原」の影響だな。
勝利したモノが歴史を作る訳だから、
三成が悪く書かれたり伝えられたりするのは
当然だとおもうんだが、
どうも真性の悪人のように描かれてないんだよね。
死に際を見てもそうだよ。
やはり根強い人気があった。
もしくは敵方も認めていたか・・・。
魅力的なお人だったのでしょう。
家臣団を見ても思うよ。
まじで生きるか死ぬかの時代で、人質取るの当たり前だろ。
おれたち現代人は平和ボケしているからしょうがないけどな。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 18:39:10 ID:DOgDURau
三成関連の小説や本でおすすめってあります?
基本は司馬の関が原だろうけど。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:06:30 ID:yiA5BbM5
「石田三成」桑田忠親(講談社文庫)
「石田三成のすべて」(新人物往来社)
共に80年代に買ったので、今あるか、どうか?
「石田三成」の著者の桑田忠親氏(故人)は、国学院大の教授。従来の三成についての陰険なイメージや、陰謀を否定してる
>>116 小説だけど岳 宏一郎の「群雲、関ヶ原へ」(新潮文庫)がお勧め。
司馬の「関ヶ原」より上だと思う。
これを読むと、嫌いな武将などいなくなるよ。
この本を書くのに、どのくらいの量の資料を漁ったのか、想像もつかない。
尾崎士郎の「石田三成」ってどんな感じ?
手元にあるんだけど、まだ読んでない。
堺屋太一の「大いなる企て」
>>117-
>>120 116じゃないけど参考にさせてもらいます
ようするにこの人はツンデレだったんでしょ?
>>73 徳川吉宗…加藤清正の曾孫
徳川宗春…三成の曾孫の孫
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 19:48:41 ID:Rym1Rzgj
>>117-118 さっそく注文しますた。ありがとうございます。
少しでも三成が復権してくれるといいなー。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:08:17 ID:PgIzKTYM
>>118 >岳 宏一郎の「群雲、関ヶ原へ」(新潮文庫)がお勧め。
司馬の「関ヶ原」より上だと思う。
とんでもない話だな。司馬の方が遙かに秀悦。
岳さんのこの作品のソースは、大半が講談本からで信用できんよ。
>>125 信用云々より、個人的にはこの本、読ませるポイントが漠然としてて面白くなかったのがアレだな。
確かに一本の小説として見ると無駄に人数並べてる感じはしたな。
逆にいえばオムニバス風が好きな人には良いんじゃないかね。
短編の連作だから好きな所から摘み読みできるし。
>>125 司馬遼の方が「関が原」ってのをドラマチックに一連の物語として
描いているので完成度が高いってのは同意だが、信用って点では
いわゆる歴史小説全てが講談本だよ。
司馬ファンは怖いな、色んな意味で。
>>129 司馬遼太郎の小説の台詞を、史実だと思っていた奴がいたのはビックリした。
「土方はここでこう言ったんだよ!」言ってねーよ。
>>130 司馬に限らず歴史小説を「実像」と捉える人は多いようですな。
有名どころでは「三国志演義」とか。
治部が死んでは麿の生き甲斐が無くなる
今川氏真
>>135 佐竹義宣が似たようなこと言ってた気がするが、出典は何だっけ?
小説の類かなあ・・・
敵対してた浅野長政も「治部が生きてればこんな不正は横行してねえだろうなあ」
みたいな事をなんかの資料で言い残してるな。
いつの時代でも、いなくなってから初めてその人の大切さを
知るんだよ。
当時も"三成が生きてれば"発言は多かったらしいし。
誰が書いたが忘れたが、日本軍の兵站軽視の考えは豊臣政権でそれを担当していた
官僚達が関ヶ原で負けたのが遠因、なんて説もあったナ。
>>139 司馬遼だな。
戦国時代の兵站と近代軍隊の兵站を一緒にするなよとw だいたい朝鮮出兵だって
食料は現地調達が基本なんだし。
司馬は自分が戦時中に一兵士として苦しい思いをしたのを根に持ってる
で、陸軍の原型の長州が嫌い、飯を食わせてくれる三成が好き
>>140 そういえば三成って朝鮮出兵には反対してたんだっけ?
>>137 不正もさることながら、殿中での武功派連中のお行儀の悪さもだな。
縁側から放尿だの酔って狼藉放題だの。
三成は豊臣家の風紀委員長でもあったわけだw
周りがDQNばかりだったのが三成の不運だよ
特に福島正則←アル厨の池沼
>>144 マジレスすると中途半端に大老連中(外様)を信用して豊臣政権
の運営を磐石にしておかなかった秀吉のだめっぷりが最大の不幸。
秀吉は大往生だろ、死んじゃえば後の事なんて解りゃしないよ
いずれにしても秀次亡き後は家康がトップなの
いいんちょ三成
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 17:59:55 ID:m7ZrCSZF
wikiに「石田三成はオーガスチンというクリスチャンネームを持つキリシタン
だったという説もある」と書いてあった。初耳なんだが・・・・。
出典は何なんだろう・・・・・?
石 田 軍 記 (笑)
石田軍記・・・信憑性低ッ
>>142 少なくとも講和派であることは確かだと思う。行長と同じスタンス。
「一、 大明国へ年内乱入事、先手へ申遣、跡々の衆可押詰之由令
相談候之処ニ、小西都(漢城)へ罷越、さきさき兵糧己下も之無、
其上赴寒天如何之由申候、又跡之路次無人にて通路不輙候付而(たやすからず)、
先被仰付国都へ入渡所務申付静可申通、各致相談、得、御掟候事、
一、 小西、小野木先手より罷越候て申ハ、唐人為加勢少々相越、
朝鮮人数加、小西、小野木陣所へ三万計にて取懸候之間、
及一戦追崩千計討捕候由候、小野木弟又六なとも討死仕候、
何□□何之国□□□人成敗仕候も、追崩数多討とり候ヘハ
敵五百も千もころし候ヘハ、此方の者も五十百つ、相果候、
又手負以下も候ヘハ、勝申候内ニ日本人は無人に罷成候間、
年内之儀如此先国難治、今年ハ如何候条、丈夫ニ申付候事」
三成が漢城から増田宛に出した書状とのこと。
状況を見て、このままでは勝ち進んでも補給のおぼつかない日本軍は
やがて無人になることでしょう、と。
関ヶ原で勝ったところで強大になる上杉・毛利を三成はどう抑えるつもりだったんだ?
戦後頼りになりそうなのなんて
九州:立花・小西・大友
中国:宇喜多
四国:
近畿:石田・豊臣・小早川(?)
関東:佐竹
北陸:前田・大谷
に加増される小大名だろ?
潰された大名家でも復活なりなんなりしないと直ぐに戦国にならね?
>>152 「俺なら上手く操れる」
秀才肌にはありがち。
先に不安があるからといって家康の専横を放置したら本末転倒だろうに
第二第三の家康がでてくるだけだな
適当な理由付けして結局戦後も征伐戦争続けるしかない
if話になるけど、
毛利、宇喜多、上杉、豊臣の連合政権だろうな。
宇喜多は信用できるけど毛利上杉はどうだろ。三成がちゃんと舵取りできれば
いいだろうけど、苦労しそうだ。
少なくとも鎖国はしなかっただろうな−。
三成の妻ってどんな人だったんだろう?
創作でもいいから何かエピソードある本無いかな。
関ヶ原の初芽は個人的にあまり馴染めない
>>156 もしかして「鎖国」の意味をわかってない人?
別に三成が関が原後に全て面倒見なくても家康さえ居なければ秀頼でもなんとか
なるんじゃーね 黒田とか福島も家康さえ居なければ普通に秀頼第一に考えると
淡い期待
いやあ三成はすごいですよ 関が原の後農民にかくまって貰ったという点がすごい
同じ農民思いの政治をしていた明智光秀ですら最後は落ち武者狩りですよ
>>159 ないない。当主がボンクラだろうが英明だろうが変わらず統治機構
を維持できるってのは江戸幕府の最大にして最高の特徴。
豊臣政権は秀吉自身の能力によるところの大きい典型的独裁政権
なので、彼の死後政治・統治機構を維持しようと思うなら抜本的
改革が必要となる。
残念ながら残された資料からは秀頼や豊臣家臣団がそれを出来る
とは思えない。
>>160 逆に言えば、豊臣政権がそんな欠陥だらけの機構だったからこそ、家康が「しかたなく」
天下を獲る事になった、ともいえる。
結局秀吉死後、誰かが政権機構を作り直さないと、どうにもならなかっただろうからね。
>>143 >三成は豊臣家の風紀委員長でもあったわけだw
やべっwwwますますツンd・・・・いや、なんでもありません。
腐女子出張乙
人望は無かったけど、組織には必要な人なんですよね・・・
逆に言えば
組織には必要な人だったけど、人望は無かったんですよね・・・・
>>79 たまに見かけるんだけどこれの元ネタは何?
本当に悩ましい民主党のガイドライン
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 09:40:16 ID:65T2Udaa
>>167 まずお前ごときが太閤様の右腕の三成の同僚という設定に
無理がありすぎるので却下
久々にワロタ
あなたがスポーツ界で現代版織田信長だと思う人
ジーコ 1%
これはウケルw
角川春樹に俺は笑ったww そうか信長は薬物を使っていたのか。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 12:25:07 ID:HjK8bEqn
三成に家康に頭が下げるだけの妥協性が有ればな。
秀吉が死んだ後に家康に頭下げて、何年か我慢するだけで歴史は
まるで違って居ただろう。
三成は戦国大名で無いので逆に理想に生きて家康に妥協できない
で暴発してしまったのだろう。
政宗あたりは噛みついてやろうとしつつも、結局家名を残した
家康も秀吉に頭を下げて天下を取ったのだからな。
頭下げるとといっても家康は後15年も生きるんだぜ?
15年の合間結局どこかで挑発されて挙兵しちまうだろ。
なんだかんだあの挙兵のタイミングはかなり良かったとは思うが。
七将に命を狙われている。そんな状況ではとても大阪にはいられない。まずはこの状況をどう覆す?
結局のところ石田には悪いけど七将襲撃で死んでもらうのが豊臣の一番の選択肢なのか?
そもそも石田に武功が無いのが痛いね。
小田原とかで戦下手って噂があっただろうし。
武功がないってのは味方の諸将に不安を与える一因にもなっただろうし。
後方支援ばっかりじゃなくもうちょいと前に出て戦う機会があれば…
あんまりイメージわかないけど。
立花でも関ヶ原に入れば大分変わるかもしれんが島津が居ることを考えるとどうかなとも思うが…。
まぁ長々と書いたが結論を言うと
三成の最大の失敗は毛利のヘタレっぷりを見抜けなかったことか。
当時三成が毛利にどういう見解をもってたか知りたい
暗黒寺の情報真に受けたとかじゃないよな
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 17:24:48 ID:XLLcTrzS
失敗した奴ってやれこれが駄目だったやれあれが駄目だったって言われてかわいそうだな
>>175 ただの失敗ならまだしも、三成の場合日本を二つに割るほどの大きなプロジェクトを、たった
一回の合戦で崩壊させるような事をしたわけで、大失敗と言って良い。
会社でも手持ちの資本をこつこつと増やす行為をしないで、才覚に任せて他人の資本を借りてきて
見た目を一気に大きくなろうとすると、必ず無理が出てきて、最後にはそれをつくろいきれなくなり
崩壊する。
まあもしかすると三成は、ホリエモンとか村上とか、ああ言うのによく似ていたかもしれないな。
一つ違うのは本人が(当時の基準でみて)不正嫌いだった点か。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 20:19:56 ID:vTzRheDd
まあ、まず秀吉死んだ直後に政治情勢の不安定さも理解せず
嫌いな奴を暗殺しようとする馬鹿が「豊臣家譜代格」の時点
でにんともかんとも。
秀吉は官僚や将軍は育てたが司令官や政治家は育てられなかった。
本人が超優秀な司令官であって優秀な政治家ではなかったから仕方
ないとはいえ。
>178
秀長が死んだのが痛かったな。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 22:51:44 ID:a31RXgp+
三成は利休の妻と子供を拷問にかけた男
秀次をぶっ殺したのもこいつが首謀者
蒲生問題でも、でっちあげで蒲生家を潰そうとして
(三成は蒲生家を92万石から近江2万石にしようとした)
家康&利家とガチンコでやりあっている、最後は負けたけどね
(家康利家の意見が通り、蒲生家は宇都宮18万石になる)
東国の領地安堵、相続は家康と利家の役目で権利だった
そこに首を突っ込んだから二人は激怒ですよ
ここから三成と家康利家の確執が明確になってくる
その後も秀吉の朱印状を使い好き放題やった三成
人望がないのは当然、すべては自業自得
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 00:00:05 ID:smoQACcM
>>180 それは江戸時代に、幕府御用学者や三成と敵対勢力につくられたガセじゃないの?
秀次はむしろ弁護してたじゃん
最も、最初は危険だと排除しようと思って秀吉に讒言したら
秀吉がやりすぎな採決だしたから、慌てて弁護に回ったのかも知れないが
またヒースローか
>>182 徳川の天下取りを正当化するためのガセだよ
>>185 三成は苛烈な権力闘争を戦ってきた男。聖人君主じゃないよん。
>>186 話がずれてないか?
人格論じゃなく、元史料の妥当性の問題だろ。
ただの阿呆なアンチだろ スルースルー
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 10:00:18 ID:G6hqai17
奉行って各大名家から収益があったみたいだけど
三成あたりは数万石あったんじゃないだろうか?
>>179 秀長が居たら三成は出番ないんじゃまいか?
よけいみんなにうざがられそうだが
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 17:07:00 ID:DYpCGJjE
Saterakko
功名(ry
ひどすぎてワロタ
佐竹・石田の友情演出シーンの出番に出てきたのは佐竹じゃなくて山内( ゚д゚)ウッウー
>>192 関ヶ原では東軍を率いて大奮闘するかもしれんな。w
>>192 関ヶ原全部忠実にやろうと思えば、役者どれだけ必要か解んないのか?
所詮ドラマだって事も理解出来ないんなら、見ない方がいいよ
一豊が主役だし、花を持たせてあげましょうよ。
何だかんだ言っても今回の大河の三成の描き方は良い。
それでも佐竹ヌルーはなんかなぁ…。
三成のエピソードで屈指のシーンじゃないのかっ
スレ違いだろうが一豊は毛利の抑えで主戦場後方に陣あったよな?
戦わず終るのでは?
まさか主戦場にでてきて名乗りあげてどっかの隊に突入したり
毛利陣に突っ込んだりしないよな?な?
>>197 家康本陣に突進してくる島津軍から家康を、身を挺してかばいます。多分。
忠吉を引き連れて抜け駆けの鉄砲を放つとみた。
それと、吉川・小早川の調略。
合戦の後、金吾を迎えに行くのも、
遅参した秀忠を上記戦功に替えて庇うのも一豊。
んで、囚われの三成に陣羽織を羽織らせる。
200 :
黒田N政:2006/10/12(木) 22:03:19 ID:9au2KI7i
>>199 >んで、囚われの三成に陣羽織を羽織らせる。
おいこらワレ、何スカタンぬかしとうのじゃこのダボが!!
ワシの立場無くなってまうやないけ!いてまうぞアホ!!
201 :
佐竹:2006/10/13(金) 10:41:53 ID:rJRYGmZY
202 :
細川忠O:2006/10/13(金) 10:44:54 ID:qGv4R/l2
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 18:43:55 ID:rJRYGmZY
山内「君はいい友人だったが秀吉様がいけないのだよ!ハッハッハッ」
石田「謀ったな!山内殿!」
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 20:39:16 ID:pu16WPR3
姫路では黒田如水より池田輝政の方が、熊本では甲斐宗運より加藤清正の方が
金沢では畠山義続より前田利家の方が人気あるけど、滋賀ではどうなん?
三成って浅井長政や井伊直政より人気あるの?
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 17:17:53 ID:scChQ63B
三成は中央集権派で、すべては大阪にいる秀吉と五奉行で決めればよいという考えの持ち主
逆に家康利家は地方分権派で、地方のことは地方に任せろという考えの持ち主
これで両者はぶつかっていたわけ、もちろん他の大名も地方分権賛成だから
関ヶ原のときに三成が人気なかったのも当然なわけ
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 20:09:42 ID:vTyU9wLf
>>204 畠山なんて100人にきいても5人もしらないと思う
>>204 やはり一番メジャーなのは井伊直政かな。
彦根城残ってるし。
三成は敗軍の将というイメージだから、人気出にくいのかも。
浅井は…影薄いような。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 20:22:44 ID:R89cCRXp
信長じゃないの?
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 21:12:20 ID:e+3CC6YV
六角だろ?
信長は数年しか安土にいなかったためか、
近江の殿様って感じがしないな。
六角氏にいたっては、名前くらい聞いたことあるけど、
よく知らんって人がほとんどじゃないかな。
近江で有名・人気なのは、
安土の織田信長、長浜の豊臣秀吉、坂本の明智光秀。
次いで、小谷の浅井長政、佐和山の石田三成、八幡の豊臣秀次。
彦根の井伊家は知っていても、直政個人はあまり知られていない。井伊といえば直弼。
六角や京極が忘れ去られているのに対して、浅井長政はお市効果で結構知られている。
あとは賤ヶ岳の七本槍とか、大河の影響で山内一豊とか。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 12:31:40 ID:HfmqiHlo
>>204 スレ違いだけど播磨では別所長治に同情的な人も多いよ。
>>212 三木市か?播磨に住んで居た事のある現摂津の人間だが、
別所なんて知ってる奴かなり少なかったが。黒田と池田は居たけど。
それよりも赤穂浪士の方が有名だしなぁ。
うちの地域ではやたら赤松円心が推されてる。
姫路城の関係で池田輝政、千姫も有名。
>>211 恥ずかしながら秀次が近江八幡にいたのは知らなかった。
近江は短期間なら色んな奴が通っていったからね。都まで移ってきたことがあるし。
俺んとこは甲賀なんで武将自体ピンと来ない感じだねー
関係ないが戦国武将占いで三成になったのでちょっと嬉しかった。
占い自体は設問が偏っている上に騙しリンクだらけなのでおすすめしない。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 19:14:03 ID:who7mBq1
ttp://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=home&NWID=2006110601000546 三成ら4奉行連名の文書 秀吉の命で石高報告求める
豊臣秀吉の命で石田三成ら4人の奉行が、鳥取城主に石高を記した「御前帳」を提出するよう命じた文書が
滋賀県愛荘町で見つかり、同町教委が6日、発表した。直筆とみられる4人の花押が記されていた。
御前帳は諸国の石高や絵図を記した帳簿で、秀吉が天下統一後に諸国へ命じて提出させたという。
同町教委は「実物が見つかったのは初めてではないか」と話している。
文書は和紙で縦31・2センチ、横約50センチ。1591(天正19)年5月3日付で、
因幡国(鳥取県)の城主宮部継潤にあてて「10月までに御前帳を出すように」と書かれていた。
継潤は浅井長政の家臣で近江国(滋賀県)出身。秀吉の天下統一に貢献したとされ、
文書は継潤の子孫の宮部家に伝わったものらしい。
文書は石田三成と長束正家、増田長盛、前田玄以の連名。
文章と三成らの名前は家臣が書き、奉行4人が後から花押を入れたとみられる。
10月中ごろ、愛荘町の公民館で住民が発見。
同県長浜市の長浜城歴史博物館などが花押の筆跡や紙の質などから実物と判断した。
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 19:10:48 ID:btKhKQ1f
三成さんの生涯を、小説的でなく、史実的(?)に書いた本って無いですかね。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 19:21:38 ID:/muvR37X
史実的に書いた小説を読んで史実だと思い込むパターン
朝鮮との和睦は、三成と小西がいろいろ工作して秀吉を
騙して実現したことからも分かるように相当程度、三成等
の文官が豊臣政権を牛耳っていたから、恨まれたり僻まれたりした
要素は十分にあったといえる。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 20:36:29 ID:1YzrBin3
近江といえば
佐々木道誉
京極バサラ
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 17:13:20 ID:5yB01goz
>>199、200
>んで、(山内一豊が)囚われの三成に陣羽織を羽織らせる。
やると思ってたらマジでやりやがったよ、大河の一豊w
黒田長政の立場がないつうか、何のために息子黒田をちょい役で出したんだ?
石田三成と茶々はできてたんだろ?w
そもそも三成は人望がないのはだめ
関ヶ原でも 結局西軍の多くは三成に従ってなかったしなw
ここ脱力スレじゃないんですが・・・
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 20:32:20 ID:e1s/1r6m
なあ、誰か>223にマジレスしてやろうぜ・・・。
やだよ、めんどくさい。
むむむ・・・
荘八ヲタ乙とか?
某スレで3244石もらえますね。
231 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 03:06:32 ID:UNcYRNjz
石田三成ってADHDっぽいイメージがある
232 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 23:19:54 ID:ELIt91dL
年末年始に滋賀県に観光に逝くんですけど、
石田三成に関連したお勧めスポットってありますか?
233 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 00:28:13 ID:SBGg0HPK
石田町。
三成の生誕地だし。
>関ヶ原の戦いのとき、東軍諸大名の人質を取ろうとした行為は明らかに心情を逆なでする行為、
>もしくは戦国期とはいえ卑劣な行為であり、これは三成の評価を低くさせる一因となっている。
↑これ書いたの誰だよ。あれで卑劣だったら家康がやった無実の罪を捏造して人質をふんだくった行為なんてどうなるんだ一体
>>234 三成の件については同意。
秀吉も九州あたりで和睦に見せかけて地元の領主を一族皆殺しにしたり評判取りの為に嫌いな大名を
傘下にしてから無実の罪を捏造して殺してなかっか?
>>234 前田の件なら本当に無実だったとはっきりしているわけじゃあないと思うよ。
237 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 10:10:34 ID:mh3QEq57
205様。それは逆だろ。
徳川の幕府みても、中央集権型
の政治だ。それにくらべて、
豊臣政権は、外様独立連合体制で
地方分権主義的政権である。
238 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 10:17:18 ID:mh3QEq57
石田三成はねえ、誠、立派な武将でこさるよ。
家康が『今のこのわれに向かって誰が勝てようぞ」
と言い放ったぐらい家康の勝ちは九割だった。
石田の郷土では、『誠、気の毒な武将、豊臣家を
信じ、豊臣政権を守ることが、秀吉様に見出され、
ここまで出世させてもらったご恩返しと信じる
あまりに家康とぶつかった」と書いてあるぞ。
>>234 大坂の人質は豊臣に差し出されたもので三成に差し出されたものではない
家康の場合は前田にしても自発的に別の人質を差し出すという体裁をとって
豊臣への人質はそのまま大坂に置かせている
そして家康は三成が豊臣の人質を自分のもののように取り扱ったと主張することで
東軍大名に三成奸臣説の証拠と思わせて士気を高められる
自分が経験しただけあって家康は人質の使い方が天才的に巧い
三成が人質に手を出しても利用されるだけ
三成カワイソス
241 :
大一大万 【大吉】 ◆JkbCdICzuU :2007/01/01(月) 16:32:43 ID:AN39DaAw
三成が関ヶ原で勝っても中央政権の力が相対的に弱くて
室町幕府の二の舞になったんじゃねーの
江戸初期の幕府は絶対権力を持っているように見えるが、
システムとして見れば徳川家は単なる盟主に過ぎない。
既得権を極力認めるような形で成立した豊臣政権は
行政の集権化によって政権を安定させようとした。のだが、
同時代人から見れば単に三成個人が勝手に牛耳っているように見えただろうね。
いきなりですが
「大一大万大吉」はなんと読むのでしょうか?
「ダイイツタイマンダイキチ」は違いますか?
なぜそんな小技を効かせた読み方をするか
司馬の関ヶ原最後に黒田かんべえが(司馬が言いたかったことだろうけど)
「豊臣政権が滅びるにあたって、三成のような秀吉寵臣までも家康になびいたら世の姿はみだれけじめを失う。
寵臣にそのようなふるまいをされたら秀吉のみじめさも救いがたい。だから石田三成の行動はその点では成功した。」
のような箇所にベタだがちと感動した。
246 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 15:31:19 ID:hFnMZ3Dd
>>236 無実かどうかの答弁の使いが加賀に必死こいて行っている最中に、
加賀攻めの評定を開く位に罪が確定していたわけだ。
ぶっちゃけ、風説レベルで前田・上杉討伐しようってんだから楽なもんです。
そもそも、伏見城ゲッチューも前田・上杉討伐も三成が中央からいなくなってから
という事なので、豊臣政権における重みってわかるもんです。
家康の横行に、多少なりとも横槍いれたのって三成位じゃね?
加藤や福島みたく家康に頭下げてるより、文治派の三成の方が男気あるとは思う
249 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 19:36:00 ID:y5Ai+cgz
やっぱり天下の権が欲しかったのでは、と。三成の権力権勢好きは当
時から有名な話だったから。曖昧な対象としての秀頼・淀殿のことな
んかは、そもそもあんまり考えてなかったと思う。北条義時・泰時の
ように、野心と同じくらい大きな人間の幅があれば、豊臣家の執権で
あり続けられたかもしれない。
>>249 司馬の「関ヶ原」
で石田が言ってたことと酷似してるね
勝てば石田幕府までとはいかぬが、北条のように執権にはなっていただろう
これ見た時は所詮石田も家康と同じかと思ったけど
>>246 人選がおかしい。
だいたい猿飛佐助が入ってることからして、まともじゃない。
一番下のタロとジロに関してはもう(ry
こんなアンケートに三成を入れる必要なし
252 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 23:12:09 ID:b9uZGju5
高校受験で尊敬する人物に石田三成を挙げるのは危険ですか?
僕は家康が嫌いなので家康の本質を見抜き豊臣家に忠誠を尽した三成を尊敬してるんです
家の母親は悪人のイメージがあるからやめなさいと言ってます
家康が嫌いとかそういうネガティブな話題に触れずにおけば大丈夫なんじゃないの。
>252
本当に尊敬しているんだから、卑屈になることはないと思うんだけどなぁ。
でも、試験監督も「石田三成=悪人」のイメージを持っていたらマズイか。
その誤解を解かないと・・・
三成をとことんまで知り尽くし、かつ他人に説明する弁舌の才が求められるね。
だいたい「それはどんな人物ですか」「どんな所を尊敬していますか」とか聞かれるだろうし。
とりあえず母君の誤解を解くことから始めてみる?シミュレーションのつもりで。
「尊敬する人物は?」と聞かれてストレートに「石田三成です」と答えるとつまらないから
「豊臣秀吉の家臣で最後まで義に殉じた忠臣、石田三成です」とか前置きをつけたらどうかな。
前置きで興味を引いてみるの。
地元の石田町でも博物館があることも盛り込んでみるとか。
あまり熱っぽく語られると試験監督が引いちゃうから程ほどに、だね。
>>252 「尊敬する人物は?」と聞かれてストレートに「江頭2:50です」と答えるよりは
共感が得られると思うよ。頑張りなさい。
>>252 そういう場合は両親が妥当じゃないのか?
歴史上の人物限定なら全然構わない。
有名どころなら善人や悪人でアウトになることはないだろう。
ただ、家康が嫌いだからは言うのはやめときや。
>>253 面接で嫌いな人の事は言うべきじゃないですよね。家康の事は言いません。
>>254 石田町の博物館は行った事ないですけど受かったら行ってみたいです。
佐和山城の内政の事とかももう少し調べてみます。色々教えてくれてありがとう。
>>255 江頭と比べるなんて・・・
とにかく頑張ります。
>>256 嘘でもいいから父と言ったら?と母親にも言われましたよ。
両親は好きですけど尊敬と言う感じではないので返って答えるのが難しいです。
もう少し調べて上手く答えられるようにします
高校の面接にそんなに神経質にならなくてもいい
両親って答えるのも無難すぎて印象に残らないだろうし
259 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 22:38:31 ID:Z1dKoNcR
一つ聞きたい。石田三成は側室がいたのか?子は6人とも8人ともゆうがいったいどっちなんだ?気になって髪の毛が抜け始めた。
260 :
末裔:2007/01/17(水) 10:22:13 ID:iZ+j612/
>>252気持ちはよくわかります。私の父方の祖母(京都)は、石田三成の末裔で嫁に出る時に、他人の養女になって石田姓を変えてから結婚しました。
それほど、まだ昭和の初期には石田三成は罪人扱いだったのです。ましてや、三成が斬首された京都でしたから。
私の父親は他界してるのですが、大人になって数年経ってから、私も母親も親戚から知らされたのです。
歴史は勝者によって作られる
三成が悪人として貶められてることに
怒りよりも失笑を禁じえない
今ごろ三成を悪人扱いしてるヤツは家康を貶めてる連中と同じレベルだろ。
関ヶ原の三成は一発逆転を狙って挙兵しただけだわな
武断派に追い詰められて家康にすがりついて生き延びて
「駒」として家康に利用されたというだけのこと
それでも8万人以上の兵を動員できたのは、三成の才覚ではあると思う
新井白石も時代が違ってたら三成みたいになってたのかな。あるいはその逆も。
分かってるよ、今じゃ石田三成悪人説がふっるい考えだってことは。
でもさ、三成はいまだに不当に悪い評価を受け続けていると思っていた方が、なんか燃えね?
燃えないよ。死人に鞭打つことはなんかイヤ。
前にテレビで三成のこと負け組m9(^Д^)プギャー
みたいに言ってる人はいたけど悪人と思ってる人は
流石にもういないんではないだろうか。
っていうか実際負けてるんだけど負け組のくせに〜みたいなこと言われると流石にかちんとくる。
カチンとくるとついつい武断派の悪口を書きにいってしまう
そうすると胸がスッとする
>>265 お前も一度
貶められる気分を味わうといい
ところでさ、石田三成の学習漫画とか伝記って見たことある?
千利休とか宮本武蔵とか伊達政宗とか明智光秀はあるんだけど・・・
児童書コーナーの歴史児童書は文字と漫画と絵が程よく配分してあってなかなかいいな。
でも漫画の絵が微妙なんだよなぁ。
関ヶ原での三成の顔が悪人顔で逆に笑えました。家康視点で書いてるからそれも已む無しか。
271 :
医師だ光成:2007/01/24(水) 14:45:27 ID:HXHut8RZ
石田三成 はまり役一番は中村橋之助さんだろう。
面立ちそっくりだ。
272 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 11:34:55 ID:DMdnXBh2
273 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 14:11:38 ID:lQsCv9yv
>>180 秀次の旧臣は石田家に登用されてるのに、讒言はないだろうw
その旧臣も死にものぐるいで関ヶ原で戦ってるし。
274 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 18:47:48 ID:xi2ppNar
275 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 15:20:00 ID:ClwUHgoe
治部少と畜生の響きが似てて悲しい。。。
276 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 21:52:27 ID:D8ZQ+JTM
>>251 亀で同意。
カテゴリもなんか変なような。
軍人にだれかかけてるような...。
277 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 13:05:49 ID:T1KVEqQs
最近、三成とか光秀とかにみょ〜な親近感を持ってしまうのだが…
彼等って生真面目な感じがしない?
又は純粋(?)な感じが…
とにかく個人的にはいいひとなんではないかと。
278 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 00:20:35 ID:ns7IuUna
なんで三成と光秀が似たもの同士と捕らえられることが多いのか
ホント何故だ
片方は忠臣のなかの忠臣、片方は野心家の謀反人なのに
光秀なんか宣教師に「人を騙す72の方法を身につけていた」とまで書かれてる究極の裏表人間なのに
三成は秀吉の機嫌なんか気にもとめずにガンガン諫言しまくる直情型の人間なのに
光秀は謀反後友人に見放されたけど、三成の友は、三成のために死んだよ
二人の共通項なんか、街づくりが得意だったの以外なんもないじゃないか
厨といわれようとも、光秀と一緒にされることだけは我慢できない
279 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 07:53:28 ID:/cKh1gTq
三成は敵多すぎです。
豊臣譜代に虫の様に嫌われたのは、欠点とかそれ以上に暴発型の人間だったから。
嫌いな人間を許せず悪と決めつけ、友も巻き込んで自爆的な戦争起こしたのだから、非難されて当然だ。
家康見習って少しは忍耐して、福島とか清正とかに形だけでも頭下げたり、詫びたりしてれば、歴史変っていたと思うよ。
この辺は能力以前の問題。
280 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 10:54:15 ID:SiuY/0QB
捏造された歴史を鵜呑みにしている
クズ乙
281 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 15:45:37 ID:5i0XFxQ3
>>277 真逆な人生を歩んでるのにどこか相通ずるものがあるよな
>>279 >形だけでも頭下げたり、詫びたりしてれば
いや、黒田とか藤堂みたいに最初から家康につく事決めてた椰子も多いんだし無駄なんじゃない?
282 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 15:55:21 ID:LdC3vhjW
形だけ頭下げてもなあ、見抜かれて余計侮られるだけだぞ。
そして家康嫌いだから関ヶ原って、んなアホな。
283 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 15:43:48 ID:GIzoGNLL
いくら腹に据えかねたからってあんな時期に襲撃事件起こした(あるいは「起こさせられた」)
奴ら相手に何をどう詫びれば済むのか分からんしな。
284 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 20:09:24 ID:ziE53hX+
三成は、母・瑞岳院と仲いいのだろうか?
祀って寺を建てたりしたそうだが。記述がない。
あと、妹いたっけ?
285 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 20:12:40 ID:6v0bZaxE
>>278 「みつなり」を変換すると光成になりやすいからじゃないか?
286 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 22:16:22 ID:18Z2a4z8
江戸時代は幕府を憚って、「岸田光成」。
287 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 22:53:40 ID:X/CrPHjh
288 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 23:22:00 ID:/+Foxfgd
289 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 18:58:00 ID:uAapteq4
秀吉死後じゃなく朝鮮討伐のときが最大の働き場。
連絡役を全力で果たしていれば勝ってた戦。
そうすれば日本は列強の仲間入り
290 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 14:04:09 ID:GL00ifgy
291 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 10:38:09 ID:9qOC9RKf
>>289 軍オタかどうかはともかく
朝鮮ごときに勝った程度で列強入りなど
眉唾物だなwww
292 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 21:25:11 ID:4t2yy4Bz
朝鮮役前ね
293 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 00:56:45 ID:JrtuSVCH
今日…正確には昨日か
娘が「関ヶ原行きたい」と言ってきた。
まあ無双三成の影響であることは分かってたんだけど、俺も三成好きだし
せっかくの春休みだからちょっと遠出してもいいかななんて思ってた。
そしたら妻が「そんな所行っても何もないでしょ。いい加減にしなさい」
色々あるじゃねぇか!何より歴史のロマンに溢れてるじゃねぇか!
それにお前もいい年こいてホモ漫画読むのいい加減にしなさい!
と久々に妻を殴りたくなったんだが、この場合は殴っておk?
あとさ、遺伝って怖いね。
294 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 02:09:53 ID:A8Ebux3K
>>293 先週嫁と愛犬と行ってきたw
嫁が同じ理由で三成好きで、ずるずると史実もそれなりに好きになって(腐女子だが…)
ウォーランド(笑)、松尾山、大谷、小西、島津各陣址とか決戦地とか回ってきた。
ところで、大谷陣址を少し下った所にある、
神社みたいなのって何か知ってる人いないかな?
何も表示されてなくて分からなかったし、すぐ近くを線路走ってて驚いた。
ここは殴らずに一緒に連れて行ってみては?
295 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 17:43:28 ID:3EmRdp+E
殴るな。ちょっとしたハイキングだと言えばいいじゃないか。
296 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 18:40:55 ID:sggjVM5q
私は来年から関ケ原に近い大学行く予定なので休みに関ケ原へ行こうと思います
297 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 23:31:23 ID:IP9fTc3L
ブコフで影武者徳川家康読んだら不覚にも目頭が熱くなった。
・・・アレ?「一部完」って、コレ打ち切り?嘘だろォォォ!
298 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 21:05:51 ID:dD7p1lQa
299 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 21:14:52 ID:A6KA7JDb
石田三成は寺小姓として僧侶の男色相手を勤めた後、
秀吉に見初められて、その寵愛を受けるようになった。
定めし美男子であった筈ぢゃろうて。
300 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 21:36:37 ID:83Rr1V0r
300 石田三成公
301 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 03:39:44 ID:rD2OMg1B
三成=嫌われ者説は後の創作だろ。
実際には配下は誰も裏切らなかったし、7本槍にしたって
あまりの優秀さに嫉妬してたのと、時の情勢が家康に流れてたから
家康に取り入ろうとしただけだろうし。
忠義に扱ったことと、優秀な執政官であったわけだし
愛すべき人物だと思うけどな。
302 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 03:47:45 ID:rD2OMg1B
>>29 三成っていうか西軍を炊きつけたのはそもそも宇喜多秀家なんだよ。
真田真幸がなんでもっと早く知らせてくれなかったんだって言ってるし
宇喜多が焚きつけてそれを受けて、三成が急いで絵を書いたのが実情。
だからあまりに急だったもんだから佐竹や津軽は動けなかった。
303 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 14:31:44 ID:k5vAeAty
むしろ七本槍の方が
獅子身中の虫
304 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 14:34:57 ID:Cln3YdZ8
>>301 あえて言えば融通の利かない性格と真面目すぎる部分が欠点だろうな。
もう少し年を取れば丸くなってよかったのかも。
丸くならなかったかもw
305 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 12:47:25 ID:G+xjLPwO
改行uzeeeeeeeeeeeee
306 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 01:33:47 ID:BoqsiGV6
お縄にかかって
諸将に晒し者にされるところで
勃起します
307 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 20:55:33 ID:OJ4IiPA+
308 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 16:34:10 ID:aObJ6/nX
関ヶ原より司馬の小説で読んだ江藤新平のイメージが強ぴったり
309 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 07:51:29 ID:NavNWEMw
310 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 21:54:46 ID:bimebjF6
311 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 19:32:19 ID:Xxd2xZX6
再来年の大河は直江兼続か。
ハイライトはやっぱり関ヶ原になるんだろうか?
そうすると三成役は誰だろう。
俺も
>>271と同感なので中村橋之助を禿げしくキヴォンヌだが、
さすがにそれは無理か。
312 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 00:27:21 ID:E0i2+fi4
あーあ、また三成の大河が遠のいた。
NHKは何考えてんだ?
313 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 08:49:17 ID:87VGK7fx
大河ドラマはもう諦めたよorz
歌舞伎役者、むやみに声がでかいだけでウザ過ぎる
314 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 09:19:56 ID:9Az94Ruo
三成が大河ドラマ化されるまで家康アンチは続けるつもりです
ウンコー
315 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 21:55:45 ID:triklXlX
>>312 新潟と山形の受信料の回収率が悪いんじゃないか?
316 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 00:42:17 ID:ydL6mnVh
まあいいじゃん兼続なんだし。
少なくとも三成が小者として描かれる事はまずないだろう。
竹山脚本じゃない限りなw
317 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 23:47:43 ID:637D8Pnu
本多正純と石田三成ってどっちが謀略に優れてる?
318 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 22:07:49 ID:ubxEZbvL
そりゃー本多正純じゃないの?
319 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 23:55:00 ID:cokdkA7w
石田三成は捕縛された後、本多正純に詰問されたんだっけ。
年も近いし野心家の正純は、太閤殿下随一の行政官僚を一度言い負かしてやろうかいという気概はあっただろうな
320 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 08:47:43 ID:ElrERup/
でも両人とも主君あってこその存在なんだよな。
321 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 14:26:45 ID:iiX4jk4B
家光の代になってポイされたんだったか?
宇都宮の吊天井。
322 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 08:06:05 ID:HL2f00ot
家康が氏んだらすぐつまはじきにされる
正純ワロスwwww
323 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 12:46:11 ID:PI/x6qqI
徳川四天王もそうだけど、幕府創立に尽くした家は井伊や酒井以外、ろくな目にあってねえな
324 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 13:50:00 ID:A9klXPaj
井伊家も結構末路は悲惨。
つうか、徳川に味方した家って没落したりしてる家が多い気がする。
地元なので、彦根城にふらっと行ってきたが、場内になぜかしまさこにゃん(島左近)と石田三成がいたw
325 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 21:18:07 ID:1Bm4XA9M
彦根城は佐和山城の材料を使ってるからそのつながりで?
三成はいしだみつにゃんじゃないのか・・・
326 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 00:08:50 ID:+uljJ6nI
彦根城はリサイクル城だもんな
浅井の小谷城とかも使ってるし
でもしまさこにゃんはともかく何で三成がいたんだ?w
井伊、乗っ取りされてカワイソス
327 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 00:30:39 ID:rKGx1feS
リサイクル城つながりらしい>三成
しまさこにゃんについてはさこにゃんスレを見てくれ。
三成、甲冑姿でかっこよかったぞ。
一緒に船に乗ったのだが(普段は乗らないし、二人?揃うのも稀だと言ってた)、二人とも一回ずつ橋に角ぶつけてたw
328 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 09:34:24 ID:cqwKVd+y
>>302 宇喜多軍1万5千の当てが無ければ
三成自身も開戦は論外、
且元や長盛と共に政治手腕で豊家存続を図ったろうな
901 名前:お前名無しだろ[] 投稿日:2007/05/18(金) 19:53:57 ID:MWrIBt9yO
最近の研究では、家康にシュート仕掛けたのは三成ではなく宇喜多秀家で、三成は巻き添えくった的な見解もあるようですね。
徳川プロレスと上杉プロレスの団体対抗戦も、三成直々に、徳川方で参戦したいって言ったらしいしね。
そうだとすれば三成は哀れですなあ。
330 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 09:46:54 ID:1TeRae0a
三成が徳川方に付いたら
へそ曲がりの正則が宇喜多に与したかも知れん
331 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 19:37:54 ID:oPHEPgHr
三成は、有能ではあったにせよ、
ガチガチの「豊臣独裁主義者」でした。
つまり暴政秀吉の忠犬。
332 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 19:41:52 ID:RcfGC0lW
そういうこと
糞猿秀吉の手先の忠犬
その時点で同情の余地なし
333 :
項龍 ◆sD9G5rHPV2 :2007/05/19(土) 19:57:32 ID:Z4TpLPep
>>332
自演乙
334 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 20:42:53 ID:ib9V2ZOP
>330
それはそれで面白そうだな。
徳川VS福島の関ヶ原。
335 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 22:02:55 ID:7xZo3V8K
336 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 00:20:02 ID:4oTQwwua
337 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 19:08:18 ID:g85gvtHA
ヽ(*´∀`)ノ゙ そう。女達の関ケ原だ
すみません。
調子にのりすぎました。
338 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 00:00:05 ID:3IolzitZ
>>330 そんなことになったら史実以上に早く豊臣が滅びそうだw
339 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 01:12:43 ID:cYcw9R7q
前に誰かが質問してたけど
大一大万大吉
って何て読むの?
340 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 03:09:52 ID:JtiCk8Bi
だいいちだいまんだいきち
341 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 06:53:26 ID:EU/9erDM
342 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 07:43:27 ID:wcOUUcw9
漢の晁錯に似てる。
封建制から中央集権体制への移行を目指し
主君を説得して着々と大名の領地を削って直轄地を増やした。
そのため数多くの大名から憎まれる事になり
その反動で反乱が起きて王朝が滅びそうな憂き目に遭った。
結局は領地を削られた者たちの怨念によって殺害された。
共通点が山ほどあるな。
343 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 22:53:10 ID:cYcw9R7q
>340
ありがとう、意味は判りますか?
>>342 むしろ家康の方が中央集権思考だろ。三成は関ヶ原の大名の集め方見ればむしろ超分権的。
345 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 23:37:45 ID:ZtwKYUzO
そもそもは家康の力が強すぎた一方、豊臣が弱体化し過ぎていた。
小牧・長久手では家康軍優勢の中での講和だったし、
家康の関東移封で石高では徳川家 > 豊臣家になっちゃってたし。
一方豊臣方は秀次処刑・秀長が後継者を残さず没してお家取り潰し・・
しかも両者の持ってた領土の多くが後に寝返りまくった武断派に配分と来ては滅びて当然。
誰がやっても豊臣政権維持は不可能だったと思う、完全に豊臣の自爆だから。
346 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 00:32:01 ID:FgvLvLbN
秀吉自身、次の天下人狙いは黒田如水!と予想ミスしてるしな
347 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 05:28:28 ID:qr2skf4b
>>346 関ヶ原の時の動きを見ると予想ミスでは無いんじゃないか。
348 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 07:15:45 ID:k6j3EpyI
349 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 14:46:28 ID:HFl4aP9r
>>344 関ヶ原までの方便だから。
もし三成が勝ったら東軍領地は根こそぎ「公儀」なる直轄領に組み込んで
絶対に地方分権なんてしてないから。
三成が恨まれた理由は権力を秀吉・秀頼に集中するため
秀次と秀秋の追い落とし(秀秋も既に三成らの主張で移封が決定していた)
蒲生家や浅野家などを初めとする数々の家の減封(家康と利家の度重なる反対で秀吉が引っ込めざるえなかったが)
時には手段を選ばず難癖をつけたり文書を偽造してまで各大名家の領土を削り
その度に地方の大名は北政所、秀長、利休、秀次、家康、利家を頼り
秀吉の考えを何度も改めてもらい、時には命令撤回もした。
350 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 00:04:25 ID:aFhdPkhY
ところで秀頼って言うまでもないけど秀吉の実子じゃないよな。
沢山の側室がいたのに淀殿だけに2人も子供が生まれるとかあり得ないし。
淀殿がセコイ工作しなきゃ普通に秀次が後継者になって豊臣は存続してたろうに。
351 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 01:21:55 ID:kl2Moqr7
>>349 最近、それは家康の作り話というのが出てきている。
関ヶ原も三成というよりは宇喜多が主犯。
大名達に対しては不正を取り締まっていたら逆恨みされた。(特に清正・正則)
三成をかばうワケじゃないけど、家康の方がずる賢かっただけ。
ちなみに家康が源氏というのは嘘だし(金で天皇から貰った)、今川を見捨てて乗っ取り(人質時代に良くして貰ったのを後に偽造)、
地元民をくだらんことでアボーン。
352 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 01:35:07 ID:S8tFtshT
長浜城主時代に他の側室にも秀勝を産ませてるけど
http://shohyou.cool.ne.jp/toukou/toukou5.html 秀頼が秀吉の子かどうかは怪しいな。
秀吉はおそらく数百人の女と性交したけど
生まれた子は秀勝(石松丸)、鶴松、秀頼のたった3人だけだから
特に秀吉を憎み普段から小馬鹿にしてた淀殿がそのうち2名産んだのは非常に怪しい。
また鶴松が生まれるまでは特に淀殿だけを溺愛してたわけじゃなく
他の側室も同様に愛してた。むしろ秀吉の大のお気に入りだった松の丸に
子供が出来てたら淀殿はその他大勢の側室の一人で、松の丸が淀殿以上の権勢を誇った事は疑いがない。
秀次が政権を継いでたら天下を維持できたかって?
多分できたと思うけど三代も四代も続くような強固な権力組織ではなかったので
後期の足利将軍家のようなとても権力基盤の弱い政権として細々続くか
早々と群雄割拠の時代に戻ってしまっただろうと思う。
(でも、公家の一つとして豊臣家が生き残る事はおそらくできたんじゃないだろうか)
353 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 02:23:08 ID:jj+AguTe
彦根らぼらとりぃのいしだみつにゃん…
もうちょっと何とかならんか
354 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 18:57:16 ID:kl2Moqr7
修正した画像がうpされたよ>いしだみつにゃん
前よりはかわいい。
355 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 21:56:43 ID:7TI48Nc+
356 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 09:51:47 ID:pVYy7IhX
何のサイトだよww
357 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 17:28:34 ID:TyVrNrd3
>>355 人形はひでえwwと思ったけどこの絵なら可愛いなw
358 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 19:25:39 ID:Ao+dZYM7
ほぼ唯一の親族だった秀次を手打ちにした時点でどうしようもないよな。
その上豊臣の膨大な領地の殆どは家臣に分け与えるか、蔵入り地として分散してたし。
359 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 20:12:02 ID:SBnB6Lzl
>355
他のにゃんこと比べてなんか、アレ、あんま可愛くない。
にゃんこっぽくないよ。
360 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 20:19:19 ID:wd6CDyv2
『関ケ原』司馬遼太郎
読了。
泣いちゃったです。
361 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 22:12:08 ID:t3NUe8CP
みつにゃんきもすぎ...
362 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 08:38:31 ID:xrSSIZAu
>>360 大抵の歴史小説だと
三成が悪役にされるから嫌
363 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 14:09:15 ID:iq4+XRr6
>>349 >秀次と秀秋の追い落とし(秀秋も既に三成らの主張で移封が決定していた)
秀秋は知らんが、秀次には同情的だったはず。
364 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 03:32:12 ID:s2103F3r
>>363 そうなの?同情的だった根拠となる資料があったら読んでみたい。
365 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 05:14:34 ID:Z0p24RaK
秀次の名のある遺臣が石田家に登用されてるだろ。
三成が秀次切腹の原因と思われているなら、遺臣らは仕官したりしない。
366 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 08:53:29 ID:sBshyGQS
大一 大万 大吉ののぼりが格好良い
>>365 > 三成が秀次切腹の原因と思われているなら、遺臣らは仕官したりしない。
ねえよw 江戸時代だその感覚は。
戦国時代ってのは主家を攻め滅ぼした相手にその滅んだ家の家臣が使える時代だぞw
368 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 12:32:39 ID:Y+MQtQH7
369 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 12:38:58 ID:KmEQRcFK
逆に三成が秀次失脚に関わった事を考察できる同時代史料って何だろう。
双方状況証拠以外に聞いたこと無いから、結局「どっちか分からん」という
当たり障りない結論しか浮かばないんだよなぁ。
>>369 三成は当時権力中枢にいたわけだから、秀次失脚というような国政上の大事件(はっきり言うと
秀吉側のクーデターだわな)に、「係わらなかった」と言うほうが難しい。
371 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 13:16:26 ID:KmEQRcFK
いやそれは分かるんだけど関わるにもいろいろな関わり方があるわけで、今の流れで
話題になってるのは事務処理的な部分以外で政治的にどう立ち回ったか、だよな?
Yes,Noだけで言うならそりゃ俺も「関わったに決まってる」としか言えない。
>>371 秀次の処分後、その所領から三成に加増があったり、有能な秀次家臣を三成の配下にすることが許されたり
しているあたり、この件に関しての論功行賞と言っていいでしょ。
373 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 23:27:51 ID:rj7ZJpRe
374 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 06:11:48 ID:H/lS0Oba
三成厨は妄想強すぎ。過大評価しすぎ。
三成を奸臣とも断定できないが、基本的に
暗黒時代秀吉の忠犬であったことから、
その存在は押して知るべし。
375 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 07:11:41 ID:AtWe/aiC
>>360じゃないが関ヶ原読み終えた
いままで漠然としてた三成のイメージが読んでいるうちに
ドラマとかによくいる
融通の利かないガリ勉優等生タイプの学級委員
って感じに固まったよ
376 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 07:22:32 ID:bR8xzf1q
とりあえず三成厨とかいって断定している阿呆はどっかいってくれ
377 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 11:38:08 ID:pvxEPpQ+
誰が絶対的に悪で誰が絶対的に善とは決められないと思う。
家臣や領民に慕われたのだって別に三成だけというわけではないだろうし
378 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 12:07:58 ID:wdZJ5vT7
吉良上野介だって領民には大英雄だった
379 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 12:29:46 ID:RB6qIY0f
>>376 厨が嫌なら、ひいきでもファンでもいいよ。
とにかく三成を持ち上げすぎてる奴、その根拠
は一体何なんだ?
380 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 16:55:54 ID:f71Zm31i
>>379 三成を無条件で持ち上げる人の多くは司馬厨なんだろうね
あくまであれは小説で「司馬史観」に基づいた作り話だという事を理解してない人は少なくないんだよね。
>>380 俺も司馬は好きだし関ヶ原も高校のころ初見してとても楽しんだが、アレを読んで思ったのは
『家康ってすげえ』と、『三成の哀れなほどの小物っぷり』だったなあ。
そりゃあ本の読み方は人それぞれだろうけど、あの本を読んで終始小僧でしかない三成に
シンパシーを感じるって言うのはちょっとわからない。
382 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 18:08:41 ID:fuwP6Sqd
383 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 19:51:53 ID:H/lS0Oba
>>382 三成スレだから来てるのよ。
ここはマンセーしかダメなのか?
384 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 22:55:50 ID:k3pD0ZUl
オレ三成好きだよ。司馬読んでないけどねw
もう世論が徳川で傾いている中、敢然と異を唱え、崩壊してしまったが
拮抗しうる大軍を企画できたこと。
蒲生と左近のような忠臣の存在、大谷との友情とか、惹かれる要素は
ちゃんとある人物だと思う。
「なんでこんな奴のファンなんだ」と噛み付くのもよくわからん。
神経質で小物気質で融通利かないのわかってて好きなオレみたいなのも
いるんだし。
あと、「悪魔の証明」を求めるのもやめれ。
385 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 23:25:14 ID:mPe/J1gO
身の程知らずの小物というイメージしかないね。自分に都合のいい連中だけ贔屓する戦国時代の東條英機だな。
386 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 03:24:12 ID:5ALVfh1J
秀吉に対する謀反だよ石田の犯した行動はな。
また戦乱の世を蘇らせたいのかと思わせる関ヶ原の戦を引き起こした罪人。
大谷刑部の諭しに従っておけば、豊臣も縮小こそされど滅ぼされることは無かっただろう。
387 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 06:27:19 ID:Y7YYyzvP
>>384 堺屋太一ですか?
>もう世論が徳川で傾いている中、敢然と異を唱え、
それは三成の忠義心からなのか、権勢欲からなのか
今となってはよく分からないんで評価も分かれる
わけで…また忠義と言っても、暴政をやって傾いた
豊臣家に対するものなら、なんか違和感があるな。
大きな流れが見えていないというか…
とにかく三成というのはグレーゾーンに居る人物だ。
手離しで持ち上げる人間ではないと思う。
388 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 07:09:16 ID:vqDhsqKL
マンセーしか駄目なんてそりゃあ言わないけど
その喧嘩売る物言いで書き込むなよ・・
三成総合なんだから三成が好きな人のほうが多くいるんだからさ・・
389 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 07:10:11 ID:uVi7qqdV
忠義も権勢欲もどっちもあったんじゃないかね
忠義だけで動いたにしては色々アレだし権勢欲だけと見るには立派に過ぎる
まあ家康と同じ穴の狢ではあると思うけど
390 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 10:00:05 ID:Uq9JHFrF
だから三成自身は大野同様、家康の上杉征伐に賛成してた、
あくまでも関が原言い出しは宇喜多秀家、
三成はその絵図を描かされたってのが最近の有力説なんだよ>386
391 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 12:46:58 ID:uvb9xFnI
>>387 まあそういうことだろう。
三成に関しては変に持ち上げるのも貶すのもおかしいね。
392 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 13:11:44 ID:bmWXmAOX
三成が家康の上杉征伐の賛成してたってソースはあるの?始めて知ったんで…吉継が上杉征伐に加わろうとしてたのは知ってるけど
権力欲はあったにしろ豊臣を徳川の傀儡にしたくなかったと言うか危機感を一番持ってたんじゃない?
家康が秀吉の遺命を次々破ってあからさまに多数派工作を始めてたのは事実だし
三成の檄文より先に秀家が出陣の儀式をやってたらしいけど
佐和山城が落ちた時に城内には金目のものが何もなかったって話を聞くと家康より潔い感じがしてしまう
>>392 > 佐和山城が落ちた時に城内には金目のものが何もなかったって話
何故これほどの大戦の一方の首謀者が、そこまで窮乏していたのかを先ず考えるべきでは?
「金がない」ってのは組織を率いる人間にとって自慢でもなんでもないぞ。そこに第三者が
潔さを見るのはいいが、実際には手足となるべき家臣が困るだけの話。
394 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 14:05:20 ID:a4jnYLED
貶とすのは何も間違ってないだろう 褒めるとこが一つもないだろこいつは
395 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 15:33:37 ID:0VHapG49
つーか「佐和山城に金目のものが何も無かった」ってのは、どうせ後世の創作だが、もしこれが本当なら
関ヶ原がもし長期戦になったら三成はどうするつもりだったのか。もしくはこの話に感銘を受けている人間は
どうするつもりだったと思っているのだろうか?
戦国時代の兵なんて、金が無くなったらあっという間に将の元から逃げ出すぞ。
戦争する前に軍隊崩壊するはめになる。
397 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 17:59:12 ID:PZvMrcPl
山崎の合戦の前に秀吉は姫路城の倉を空けて
全ての財物を兵士に平等に分け与え兵糧も戦地へ運び
空城にしたそうじゃない。
どうせ光秀に負ければ姫路城一個残ってても羽柴家なんて消えて亡くなるなろうし
乾坤一擲の姿勢を兵士達にも見せつけ背水の陣で戦った方が良いと判断したんだろうな。
三成も女性達はさっさと、どっかの寺か大阪城方面に疎開させ
戦える一族は子供から老人まで全員戦地に連れてくべきだったでしょ
どうせ関ヶ原付近の一大決戦で負ければ三成の一族はほぼ根絶やしにする事が決定してたんだから。
398 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 19:44:21 ID:JJBla47o
「金目の物が何も無かった」じゃなくて佐和山の内装が非常に質素だったことが後世語れ継がれてるわけで・・・
有るところにはちゃんと金は有った筈
金が無ければ戦争が出来ないことくらい理財の達人三成は知ってただろう
399 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 21:40:57 ID:e4ulDDKu
400 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 21:57:46 ID:Nn5I7fzr
奉行の中で石田と一番近いのは長束か?
401 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 22:06:01 ID:PZvMrcPl
三成は一応高級官僚として茶道などを一応身に付けたかもしれないが
本来、彼は数奇者ではないし、わび・さびやファッションに気を配るより
根っからの行政官であり、戦の事を常に考えてたと思うよ。
比べるなら 各武将の脳内
高山右近 キリスト教 50% 数奇(ファッションを含む)30% 領国経営 10% 戦 10%
豊臣秀吉 秀頼 80% 朝鮮征伐 8% 数奇(茶・能・花見などを含む) 5% 貿易 3% 健康 2% 女 1% 猫 1%
石田三成 豊臣家の権力基盤の充実 50% 自分自身の権力闘争 30% 領国経営 10% その他(謎) 10%
402 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 22:49:26 ID:YfbylzJB
>>396 三成さんなら人徳で家臣を引き止めとくわよ!
403 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 01:36:07 ID:scZ7nUEM
地元の人間に言わせると、元々質素な人だったらしい。
秀吉が加増しようとしたらイラネって拒否。しかし関ヶ原の時はもらっとけば良かったと後悔した、と。
つか、彦根城やその他の城の跡地見ればわかるけど滋賀は質素な城が多い。
琵琶湖があるから作物には困らないし、一応京の守護を担った城だったから華美にするのはもったいない。
家康も豊臣家を追い込むつもりは無かったんだけど、(若き日の信長に似てて、自身が年だったこともあり)秀頼をみて決意したとか。
三成は確かに口が悪かったらしいが、関ヶ原に関しては宇喜多が主犯。
ちなみに三成憎しで徳川に付いた加藤は結局徳川方に毒殺されたというのが最近の説。
三成の一族も本来なら保護される形でそういう約定あったし、家康もそのつもりだったが城を囲んでいた武将達に連絡が行かず
攻め入ったせいで一族が自決の形になった。
404 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 01:42:23 ID:vdCLD1jI
石田三成は豊臣秀頼は悪人だと授業では習った。
石田と大谷は家康が創造する平和日本に立ちはだかる罪人として紹介。
俺もそう思うし実際そうだっただろうからね。
405 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 01:59:31 ID:scZ7nUEM
>>404 歴史は勝者が作るって言葉を知っているか?
とりあえずsageてから書き込め。
> 歴史は勝者が作る
勝者でなければその後の歴史は綴れないからな。
407 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 02:25:57 ID:Xw0eWAHV
>>404 その理屈なら真田幸村(信繁)は極悪人の筈だが、そうは教わらないんだよな
幸村の場合は兄の信之がいい歴史家になってくれたんで
三成よりも遥かに評価に恵まれてきた
408 :
仙台藩百姓:2007/06/08(金) 03:10:23 ID:0RZX3Csx
昔から幸村みたいな端っこの方は
貶しめる対象にはならないのだお( ^ω^)
下っ端はさほど政治的価値ないからそれなりに評価されるお
だが主要メンツは極力悪人や愚人に仕立てるのが常道
大坂の陣で言えば淀殿、秀頼、治長あたりだお
409 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 03:11:00 ID:3gEMjGYH
清正毒殺説なんて最近どころか清正が死んだ慶長年間からまことしやかに囁かれてた巷説だぞ
殆どの研究者は幕府による暗殺の可能性を否定しないまでも、
概ね脳出血に拠る急死だと見てる人が普通
410 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 04:08:07 ID:20Bf9xyq
411 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 13:13:18 ID:TJvnEOi8
>>410 別にそんな事ないだろ。
>>404 授業ではそう教るんだよな。未だに?
まさしく徳川の狙い通りたよね。
かつて自分もそういう先入観で関が原の資料館に行って、展示物を読んでいたら、また全然捉え方が変わったなー。
勝者である徳川は、自分たちに都合の悪い証拠は抹消して、三成等を悪者にする必要があった。
それは戦後直ぐではなく、時代の移り変わりと共になんだろうけど。
自分の中では、三成は天下人と言うより、その側近でいて実力がフルに発揮できる人ってイメージだけど。
自分がもし天下を治めるような立場の人間だったら、三成みたいな家臣が欲しいと思う。
未だにというよりそんな教え方をする歴史の授業は現実に存在はしない。
被害妄想癖のある人間の空想の中なら有るのかもしれないが。
413 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 18:13:30 ID:vdCLD1jI
世間のガキどもは「石田みたいな色白痩せ男が筋肉ムキムキの加藤や福島に歯向かって勝てるわけないだろプ」とか思ってるぞ
414 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 18:50:19 ID:20Bf9xyq
>>413 あなたの中の脳内世間ガキって・・・
世間のガキは間違いなく石田も加藤も福島も知らないよ。
逆に知ってるとすればKOEI【戦国無双2】で知ったはずだから
徹頭徹尾格好が良い英雄という印象しかないと思わ(r
415 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 19:11:40 ID:ATqn98Ox
週間司馬遼太郎2を立ち読みパラ見したけど
三成が考えた中央集権システムを家康が利用させてもらったって
あったような。
組織には必要な人物だけど徳川の世では扱いにくいから
関ヶ原があろうとなかろうと結局は徳川に抹殺されていたんじゃないかと
思うと何か悲しい。
416 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 19:32:47 ID:vdCLD1jI
武功は分かりやすい。だれだれを倒して、領地が増えたとか目で見て分かる。
内政は当時の武断派から見てもヘラヘラして国内にいるだけとかの印象なんでしょ。余計に分かりづらいところはあるんじゃない?
417 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 19:47:47 ID:hF4q+Yw2
ふつうの歴史の授業じゃ石田三成の名前は習わなかった
>>415 司馬遼太郎の創作を現実とごっちゃにするなよ…。
419 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 20:33:09 ID:20Bf9xyq
日本史の授業は信長も秀吉も家康もたった一行だもんな。
信長は本能寺のHEN、秀吉は朝鮮征伐と太閤検地、家康は関ヶ原と覚えさせられ
ほんの20〜30分で戦国時代は素通りする
420 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 21:01:35 ID:EOPudeYE
それで当たり前
戦国時代よりも平安や室町、江戸の方が何十倍も重要
文化的に考えて
421 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 21:19:50 ID:20Bf9xyq
戦国オタクからの人気は今一なのに日本史的に滅茶重要な大名といえば
長曾香部元親だよな、日本で初の「分国法」を作った事を暗記しなきゃいけなかったはず。
彼が四国を統一寸前までいったとか秀吉と戦った事なんか全然重要じゃなく試験にも出なかったはず。
(少なくとも授業ではカケラも触れない)
422 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 21:46:23 ID:vdCLD1jI
分国法なら伊達たね宗も覚えないと。あ、天文の大乱は試験に出ないけどね。
足利義教が暗殺された嘉吉の乱は教科書に出るのに、足利義輝の永禄の変はスルーなのは悲しい。
戦国オタ(つーか司馬信者)に嫌われているが、この時代本当に重要な大名は藤堂高虎だよ。
徳川幕府創設時に重要な部分で、外様として参画したのは高虎だけだ。
高虎が歴史に与えた影響から見れば三成ごときは使いっぱしり位のスケール。
424 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 23:47:53 ID:20Bf9xyq
ここの戦国オタが何を言っても、この時代で一番重要な人物は千利休と狩野永徳
425 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 23:53:17 ID:/3FdClyN
判官贔屓ならぬ治部贔屓なんだよね。
426 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 00:52:34 ID:P4S/fYLy
司馬ほど高虎のことを評価してる作家は稀ですが何か?
「生まれる場所さえ違えば家康にさえなった男」なんて高虎が聞いたら恐れ多くて平伏してしまうだろうw
まあ司馬の場合高虎を過大評価してるというよりも家康のことを過小評価してるんだろうけどね
司馬の「関ヶ原」ではスルーされたが、高虎は戦後東軍に捕まり晒し者にされてる三成を蔑むことなく、
逆に藤堂隊の改善点について教えを乞いたというエピソードが伝わってる
同じ近江の出身だし、意外と戦前から付き合いが有ったのかも知れない
>>426 司馬がどうこう言ってない。「司馬信者」と言っている。
428 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 01:05:11 ID:RbrZvu19
俺の小学校の頃の先生は元々日本史専攻で、
戦国時代や幕末については授業を逸脱してかなり熱く語ってくれたが、
「歴史で片方の陣営を好きになるあまり敵対陣営を貶める連中は馬鹿だ!」と主張してた
子供の頃はこのオヤジうぜーと思ってたが、今は意味がよくわかるな
429 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 08:53:37 ID:5BO61mFQ
>>423 まあ確かに藤堂高虎の子孫は先祖を見習い、
鳥羽伏見の戦いで真っ先に裏切り、幕府を
終焉に導いた。
奴の日和見の行動は確かに後々まで歴史を動かしている。
430 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 10:01:35 ID:xKjYBF4p
あの分だと
中国と尖閣紛争になったら真っ先に日本裏切るんだろうな藤堂家
恥知らずの家系
>>429 アホか。藤堂藩の裏切りはその前に周辺諸藩が全部寝返ったからだっつーの。
藤堂藩が先導して裏切ったのではない。そんなことはもう資料が証明してる。
勤皇方もつかなきゃあっという間に藤堂藩が消滅する状況だった。
これだから司馬小説しか読んでない癖に解った様な気になっている奴は困る。
432 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 16:19:32 ID:5BO61mFQ
>>431 そう? あそこで寝返らずに新政府軍を撃退すれば、
戦局は大いに変わって寝返った周辺諸藩も恭順しなおす
可能性が高かったんじゃね? 何しろ幕府軍は新政府軍の
3倍もいたんだから。
433 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 16:24:18 ID:DBATxJD8
こんな奴は評価にも値しない。猿の悪いとこだけを受け継いだ愚物。日本を再び戦国時代に戻そうとした愚か者。人望もないくせに出張りたがって自滅。キリシタンでもないのに負けたくせに自害もしない。北政所にも淀殿にも嫌われていた。
434 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 16:34:53 ID:P4S/fYLy
つうか高虎は司馬小説が世に出る前から嫌われてる
別に司馬の小説でも扱いは悪くない、なのに高虎を嫌う人間を司馬信者と決め付ける理由は何なのかね
435 :
仙台藩百姓:2007/06/09(土) 16:47:13 ID:3hnLZ469
高虎は寝返りなどした事はないお( ^ω^)
>>434 藤堂高虎と乃木大将を喜々として悪く言うのは、俺の経験上100%司馬の小説読んで偏った創作を
あたかも真実だと信じ込んだ連中だからさ。
ちょっと調べれば司馬の著述は間違っている(資料の恣意的解釈や捏造、他人の記録との入れ替え)と
直ぐわかるのに、そんなこともせず、司馬の著作だけをソースにしてそれを疑わない態度は信者と言って
間違いではない。
言っておくが、司馬の小説を俺は否定しないしアレは面白いと思っているよ。
ただ、創作と現実を一緒くたにして頓珍漢な批評をする人間を否定しているだけで。
437 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 17:22:19 ID:P4S/fYLy
結局確たる根拠はない、自分の経験から来る思い込みってわけですか
わざわざ三成スレにまで来て高虎マンセーするんじゃなくて
自分の身の回りの「司馬信者」相手に高虎の凄さ力説してればいいんでね?
スレ違いウザス
じゃあ食いついてきたお前も同類だわなw
439 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 17:32:37 ID:FWMFIv0o
秀次を殺した悪人だろ
440 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 17:34:14 ID:XpDJ92MD
ID:nw/vEirHみたいなゴミって何で生きてるの?
441 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 18:28:54 ID:qj8HKdt6
千利休や秀次を死に追いやった悪党
秀次の妻子皆殺しを実行したのもこいつ
加藤光泰や蒲生氏郷を毒殺し
難癖つけて蒲生家を改易
さあ信者はこれをどう擁護するのかな
442 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 20:51:57 ID:bbC6r46R
>>441 三成は黥布(皇帝殺し、20万人生き埋めの実行犯)だったんだよ・・・
秀吉は項羽・・・・・
443 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 21:15:46 ID:5BO61mFQ
>>436 関が原で裏切った小早川のように、
鳥羽伏見において絶妙なタイミングで裏切った藤堂に
誰が好意的印象を持つというのだろうか?
それとも津藩は史実では布陣前に旗幟を鮮明にしていたとでも言うのか?
444 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 22:49:27 ID:ugeRyge/
日本の歴史はいつも裏切りで動く、正々堂々の戦いで決する事が少ない。
445 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 23:45:58 ID:FWMFIv0o
鬼の島津義弘を軽視した時点で駄将だろこいつは
446 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 23:56:53 ID:G0R0RNiZ
とりあえずageて書いてる奴はみんな馬鹿だということはわかった。
447 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 00:17:17 ID:u1LByJd5
スレ違いの煽り合いが続く中、光成をけなす荒らしが、
実は一番このスレに対して誠実なのかもしれない
448 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 01:23:48 ID:MkfjMmX7
歴史群像シリーズ一冊で論破できちゃうレベルだけどねw>煽り
449 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 09:04:40 ID:8wHblHf7
>>404 いつの、どの地域での授業の話なのだかすごく興味があるんだが。
その先生からものすごいイデオロギー臭もしくは「山岡家康」信者臭を感じるんだが・・・。
「山岡家康」の「家康の天下に仇為す者をまとめて始末するために挙兵する三成」って何だよ?w
司馬史観もアレだが、これは相当酷い。
でも、司馬世代の一つ前世代の経営者には嗜みとして読まれてたっていうのがまた凄い。
450 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 17:32:24 ID:BA6V1a49
大谷吉継・・・性格面において石田に進言するも、己自身が与力の脇坂らにあっさり裏切られる池沼(笑)
451 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 22:51:53 ID:9itlrDfV
>>433 はいはいゆとり教育
前田を脅迫し、上杉を煽り、日本を戦に叩き落したのは家康の側。
452 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 23:15:46 ID:xs0a8XWA
家康が居なくとも豊臣の世は三代は続かなかったろうな。
根絶やしにするような残酷な真似は家康じゃなかったらしなかったろうけど
遅かれ早かれ、また乱世には戻ってたよ。
> 根絶やしにするような残酷な真似
これがゆとり教育ってやつか。
454 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 23:41:07 ID:BA6V1a49
ゆとり世代以前だろ。そういう教育受けてるのは。
おまえのほうがゆとりだ
家康の豊臣家の滅ぼし方なんて戦国の慣習以上のものは何もしていない。極めて常識的。
むしろ戦国の基準から行っても残虐極まりなかった秀吉の作った家への対処としては
寛大と言う言葉を使ってもいいくらいだ。
456 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 23:56:37 ID:QznYuyYG
何を根拠に家康を常識的だと逝ったり秀吉を残酷極まりないと逝ってるのかわからんな
まあ自分の好き嫌いだけで勝手な判断してるだけだろうが
457 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 23:58:45 ID:xs0a8XWA
あくまで家康は豊臣家の大老、代官、官位や莫大な土地をくれた旧主という事を忘れてないか?
>>457 じゃあ秀吉は織田政権を存続しべきだったし信長は斯波氏の家老の座にとどまるべきでしたね。
家康は征夷大将軍になった時点で豊臣体制から法的にも離脱しておる。
459 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:08:14 ID:49ZuPlkz
その理屈だと征夷大将軍になった後はともかく、
就任以前に大老筆頭という立場を利用して豊臣家の財産を私物化したり権力を濫用したのはNGだろw
歴史上様々な簒奪があったが関ヶ原の時の家康くらい厚かましいのはなかなか無い
460 :
仙台藩百姓:2007/06/11(月) 00:10:12 ID:pkqxo99+
信長は残虐非道の様に言われていても
とうとう義昭を殺さなかったおね( ^ω^)
秀吉も秀信を殺さなかったおね( ^ω^)
家康は…( ^ω^)
>>459 家康は征夷大将軍就任以前に豊美家は滅ぼしておらんわな。
豊臣家の政治は秀吉によって五大老筆頭である家康に委任されていた訳だし、もし
家康の豊臣家家政に文句があるなら、その文句は家康に委任した秀吉に言うべきだ。
>>460 > 信長は残虐非道の様に言われていても
> とうとう義昭を殺さなかったおね( ^ω^)
殺してその後の混乱を収拾できるほどの権力を当時の信長は持っていなかったからな。
> 秀吉も秀信を殺さなかったおね( ^ω^)
秀信は秀吉に向かって反乱を起こさなかったからな。
463 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:18:27 ID:cA9ZWAyT
家康の場合は秀吉と色々約束してたのを反故にしちゃったのが反感買う理由だろうな
約束破りに関しちゃ秀吉も同じ穴の狢なんだけど、家康の場合最終的な勝者だからね
464 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:19:18 ID:49ZuPlkz
家康みたいな輩を信じて全権を委任した秀吉の責任が重いのは当然(まあ他に頼れる人間が居なかったんだが)、
だが秀吉に何度も秀頼を奉じて豊臣家を守ると誓紙を出したのに、秀吉が死んだら速攻で
秀吉が決めた様々なルールを政権執行者の身でありながら平気で破った家康もこれまた非難されて当然つうかこっちの方が罪が重い
アホかと
>>464 アホか。信長も秀吉も誓紙なんぞ全部と言っていいほど破っておるわ。
「人にものを守らせるには自分に守らせるだけの実力がなければならない。」
これが戦国のルールだ。
家康に約束を破らせてても足も出せない豊臣家が100%悪い
466 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:27:10 ID:49ZuPlkz
念のために聞いとくが信長や秀吉が守らなかった誓紙って具体的に何?
それ現存してるのw
467 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:35:55 ID:2fI6+yjI
家康一人に委任したわけじゃないしな
しかも家康のみが率先して遺法を破っている
それを糾弾されれば逆ギレ
滅茶苦茶な爺さんだ
普通は筋を通したまま上手く抜け道をついたりするのだけど
家康の場合は完全に開き直り
例を見ないふてぶてしさだ
まるで居直り強盗
この辺りの下手さが家康の不人気の要因だろうね
>>466 え?まさか君は信長が足利義昭や信玄、謙信、元就、元親ら、数限りない大名に、
本能寺後の秀吉が勝家、信雄、信孝、そして未だ敵対していた大名に出した空証文の数々を
知らないの?
そう言えば本能寺後の織田家の正式な意思決定会議であった清洲会議の決定事項を、
勝家が北陸に引っ込んだとたん喜々として破ったのは秀吉でしたなあ。
469 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:44:22 ID:49ZuPlkz
え?義昭や信玄、謙信や元親は全員向こうから信長との盟約破って攻めてきたんですが?
知らないの?
清洲会議は成立した時から双方お互いの家臣に調略掛けたりと秀吉一方に罪が有るわけじゃない
勝家・信孝側は雑賀衆を取り込み彼らに秀吉の和泉岸和田城を攻略させたりしてる
本来なら堀秀政が後見するはずの三法師を手元に留めて勝手に扱ったのは信孝なんだけど?
470 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:45:53 ID:/86lt/mw
つーかさ、信長とか秀吉は敵だろ。家康は豊臣臣下のくせに暴れてるんだから状況が違う。
>>469 > え?義昭や信玄、謙信や元親は全員向こうから信長との盟約破って攻めてきたんですが?
>
>
> 知らないの?
ホントにそんなこと信じてるの>
君の言う通りなら信長も秀吉もお目出度い人間だねーw
> 本来なら堀秀政が後見するはずの三法師を手元に留めて勝手に扱ったのは信孝なんだけど?
『堀秀政が三法師を後見』と言うのは清洲会議の決定事項ではなく
会議後における秀吉側の要求でしかなかった。
その証拠に他の織田家臣群は(秀吉派と目される者さえも)「信孝が三法師を手元に置くことに一切の抗議
を行っていない、どころか信孝の下の三法師へ伺候すら積極的に行っている。
>>470 信長は足利義昭の家臣ですよ、法的に言っても。
その証拠に機内の重要な地の支配権を「義昭から与えられて」おる。
秀吉は織田家家臣ですよ。法的にも実態としても。
秀吉の家臣兵卒の殆どは織田家より貸し与えられたものだ。
473 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:00:44 ID:49ZuPlkz
清洲会議の結果堀秀政が三法師の傅役になった、というのが会議後の秀吉の要求によるもの、ってそれ何がソース?
少なくとも堀氏の史料や太閤記ではそんなことは書かれて無いけど?
>>473 > 堀氏の史料や太閤記
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \ / \
475 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:04:32 ID:49ZuPlkz
ソース出せないんだなあ
>>475 ソースは清洲会議参加者のうち秀吉以外の誰からも三法師を信孝の元に置くことに
批判が無かったと言う『事実』
秀吉自体も勝家が北陸に引っ込んでから突然言い出している。
家康の「君臣豊楽」とかわらんねじ食らわせ方ですよ?
あ、そう言えば、家康の「国家安康、君臣豊楽」の鐘銘時事件、当時の資料は
貴族から武家から、家康のこの件に対する怒りを「当然」と受け止めているね。
一つとて現代の人間のように「豊臣家への無理難題」などと言っていないのが面白い。
違う時代の人間を現代の価値感覚で評価する事の難しさですなw
477 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:19:30 ID:49ZuPlkz
秀吉以外に勝家・信孝連合の違約に口出しできた奴が当時居たのかよw
家康が堂々と秀吉の遺法を破ったのに一部の大老と奉行衆しか騒がなかったから問題なし、みたいな理論だな
478 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:21:31 ID:8+d0IDik
家康厨って仮定の話をしたり
ありもしない話を作るのが得意だよね。
479 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:23:47 ID:49ZuPlkz
まあ「国家安康、君臣豊楽」の文字に対する家康の怒りは難癖ではなくて
当時の人間が見た場合怪しからんものだったとする主張は自分も見たことが有る
けど肝心の誰がそう主張したのかはその本には書いてなかったけどね
480 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:25:03 ID:8+d0IDik
>>477 > 一部の大老と奉行衆しか騒がなかったから問題なし、
その通りそれで問題ないんだよ、この時代は。
482 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:26:09 ID:8+d0IDik
前田利家を筆頭として家康以外の4大老が連盟で家康を糾明したように記憶してるが
違うのか?
483 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:32:53 ID:8+d0IDik
一応事実関係だけを確認しときたいが
信長→義昭を殺害しなかった
秀吉→信秀を殺害しなかった
家康→秀頼を殺害した
これは家康厨も認めるという前提で話してもいいんだよな?
484 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:38:03 ID:49ZuPlkz
利家生存の時は利家を筆頭に他の三大老、五奉行が挙って家康を糾弾したが、
利家が死んじゃって利長が家康に屈服、上杉景勝が会津に帰国、浅野長政が失脚した後の
「内府違いの条々」では二大老四奉行にパワーダウンしてる
>>483 信長→伊勢長嶋高野山加賀越前伊賀その他ありとあらゆる所で非戦闘員を大虐殺
秀吉→信長の将として各地で非戦闘員を大虐殺、本能寺後も雑賀や朝鮮で大虐殺
家康→非戦闘員への虐殺経験無し。
これも認めてもらえますよね?w
486 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:46:41 ID:49ZuPlkz
家康も三河一向一揆なんかでは門徒側に過酷な処置で対応してるけどそれはOKなの?
あと大坂の陣の後の浪人狩りなんかを交戦資格を持つ戦闘員に対する正規戦闘だという理屈は多分通用しない
普通これは現代では虐殺だと認識される
487 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 02:36:45 ID:8+d0IDik
>>485 >>家康→非戦闘員への虐殺経験無し。
家康厨ってありもしない話を作るのが得意だよね。
488 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 03:01:16 ID:/86lt/mw
>>486 家康厨には、将軍秀忠が起こした仕置となります
489 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 03:53:31 ID:8+d0IDik
秀頼が前田家に出した使いや勝頼との抗争中に小笠原かどこかの家中の人を
十指を全て切り落として首をのこぎり引きをするなんて事を家康は好んでしてるわけだが・・・
信長が好んで行なった方法だから、それを真似しただけと言い返されればその通り。
490 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 07:49:47 ID:AqFXFhHF
家康厨うざすぎ・・
どっか行ってやっていただけませんか?
491 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 12:34:25 ID:P+VN5ZXi
家康厨帰れ
焼き味噌でも食ってろw
これだから叩かれるんだっつの
492 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 15:22:40 ID:3MgvJNn5
493 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 17:37:57 ID:8+d0IDik
茶坊主っていう単語は石田三成から生まれたの?
それとも千利休?もしくは前田玄以?
前々から気になってる。
494 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 23:56:11 ID:PbX3cG/h
家康厨帰れ
鯛の天ぷらでも食ってろw
495 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 01:08:27 ID:lxNUsc0s
史実で家康が三成の動向を探ったように三成スレをヲチする家康厨かw
496 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 06:54:06 ID:DBNMuWAP
497 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 07:09:05 ID:DVakT7eu
家康厨帰れ
アテントでも当ててろw
498 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 20:34:23 ID:j8thF4oF
ここ三成のスレだよね?
499 :
人間七七四年:2007/06/14(木) 10:55:19 ID:cciUjC74
俺が三成なら、天皇の許しを得てから家康は討つ。
「徳川は天皇家を滅ぼそうとする謀反人ですから、始末しないといけません」というわけだ。
500 :
人間七七四年:2007/06/14(木) 15:43:10 ID:SqtLci33
ここでたまに出てる真の首謀者は宇喜多って実際どうなんだ?
本当だったら良くも悪くもお坊ちゃんな大名から
首謀者なのに島津に泣きついて処断免れた無責任人間に
がらっとイメージが変わるんだが。
501 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 02:45:17 ID:p1gimrem
>>500 それ言ってるの一人だけだから
全然通説じゃないし一学者が出した新説に対する信者が連呼してるだけでしょ。
502 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 06:55:29 ID:4+VvvkX6
真の首謀者は暗黒寺、の方がまだ小説のネタとしては面白いな
誰も三成の話をしていない…
504 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 08:22:33 ID:QIM0aVL9
>>500 宇喜多秀家はな、谷原章介に似てるんだよ
>>503 だって歴史観の古いおじいちゃんとか美化しすぎなゆとりとか
そんなんばっかりだし
505 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 12:29:55 ID:dS8lflW0
506 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 19:03:55 ID:LRGnXKlU
逆に三成って秀吉の元で何であんなに出世したんだろ?
今に残っている治世の記録を見ても、例えば他の4奉行に比べて
特段行政能力的に優れていたようには思えない。
秀吉に取り入るのが上手かったと言われれば、そうなのだろうけど。
三成が五奉行筆頭格のように扱われた理由も、秀吉の後ろ盾の他に
何があるのでしょうな?
507 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 23:27:31 ID:zSS9gGgC
実直誠実
508 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 02:59:30 ID:+QEwMkaL
浅野長政(ねねの義弟、文武両道の良将)
前田玄以(三法師・公家・寺社と秀吉の仲介役、政治指南係)
長束正家(丹羽長秀家臣からの引き抜き組、経済官僚として図抜けた能力)
増田長盛(古参の一人、三成とともに太閤検地などで活躍)
石田三成(秀吉の子飼い、天下統一期に大物大名と秀吉の会見斡旋など勤める)
三法師や朝廷との仲介役として政治能力を買われた前田玄以
豊臣政権の経済力強化に著しい貢献をした長束正家は別として
他の3人は秀吉じゃなかったら、これほど重用しなかったかもね。
「特に高い能力も無く」「人望も少なく」「絶対的な権力も無く」
それなのに日本を真っ二つに割った大乱の、一方の首謀者に担がれる、ってのは
考えてみれば物凄く残酷な喜劇だな。
510 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 03:32:46 ID:+QEwMkaL
家康も相手が三成だから与し易いと思って喜んで関ヶ原だったんだろうね。
利家相手の時は「ちょwやばwwあいつの寿命待てばいいや」で回避したし
秀頼相手の時も「ぐえ、こんなはずでは!停戦して騙すしかないや」と一旦回避したし
決して家康は相手を舐めなかったけど三成相手にはフルボッコだもんな。
511 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 08:08:41 ID:ljPgv+Sv
512 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 08:46:03 ID:FLWWZy8g
家康が嫌われるのは天下が一度豊臣に決まった
そのあと秀吉が死んだら自分が天下人となりたいがために戦をして天下人となった事
別に戦をしなくても家臣として秀頼を支えればよかったのではという見方
ただ秀頼よりも自分が天下人となった方が上手く天下がまとまると考えていた場合
確かに天下が200何十年と太平になったがその理由が明確でない事とあくまでも
乗っとたかたち又はごり押しそのやり方が反感の理由だろ
あくまでも戦国時代関が原が最後の戦だがこの戦は周りが敵だらけの戦国時代の戦ではなく
豊臣に反旗をひるがえした私欲に見える戦だからだろう
テンカタイヘイ戦国時代の目標はこれではなかったのか
家康の目標がそのように見えず天下人のように思えるのは自分だけだろうか
男として生まれたからにはそれは解るが・・・
513 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 08:56:58 ID:+QEwMkaL
家康が批判されないようにするには曹操のように秀頼の権力、財力を徐々に奪い取り
天下に反乱の目が出るたびに自ら前線に立ち自ら摘み取り
自らの死後、秀忠の代に天下簒奪させておけば
それほどの悪名を得なかったのにね。
そこまでしなくとも大阪城夏の陣さえ起こさなければ
いや、起きても秀頼の一名だけでも救っとけば後世の評価は全く違ってたのにね。
514 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 09:42:20 ID:FLWWZy8g
三成が決起した訳秀頼をTOPとした時代
それはない自分がTOPの家康
家<そんなことはない自分が上だ三成 三<お前は秀吉様に誓ったではないか家康
家<それとこれとは別だ三成 三<汚いぞ家康 家<ならおまえがどけ三成
三<それはできない私は秀吉様の引かれた政権を守るぞ家康
家<えーいうるさい茶坊主めが叩き潰すぞ三成
淀<わらわの息子が一番じゃ家康三成なんとかしろ 三<ははぁー
家<えーい秀頼など年端もいかぬ童ではないか何ができる三成
三<私と淀殿がいるではないか家康 淀<そうだ何の不服があるお前もではないか家康
家<えーいそんな事忘れたは今一番力がある私に勝てると思ってるのか
三<お前は秀吉公との約束を反故にして自分が天下人になりたいのか
家<(ギク)そんなことではない(あせあせ)
三<ではなんだ
家<無言(それは口にだすのではなく行動あるのみ)
淀<わらわの息子が一番じゃほうっほほ
家<(口実見つけて潰してくれるは約束など糞食らえ見てろよ三成、淀メラメラ)
三<(家康はこのままでまってるはずがない)
515 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 10:28:37 ID:EDa3ss3t
秀吉存命中は近江佐和山の領国経営(一族に手伝ってもらってたようだが)・
豊臣家蔵入地の管理・諸大名の取次ぎ・秀吉の外征の準備・遠征軍の軍監と
八面六臂の大活躍だけど、豊臣政権の奉行衆の中で特別な位置に有ったわけじゃなさそう>三成
関ヶ原を引き起こしたことから遡って奉行衆の筆頭みたいに扱われてるだけじゃね
516 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 15:01:39 ID:KgBqFC5P
>>516 新書一冊の主張が『最新の研究』で、『わかっている』かよw
おめでたいにもほどがw
518 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 00:12:58 ID:0/t2cZiE
読まずにレスしても相手にされませんよ。
519 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 01:06:13 ID:SnaYTUi9
どうせ秀家が関ヶ原を起こしたとか言ってる馬鹿だろ
スルーしとけ
かわいそうな人なんだから
520 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 02:19:34 ID:SnaYTUi9
もし家康が大阪城落城後の秀頼を孫婿待遇で江戸城内で飼うなりしとけば
北宋の趙匡胤みたいに、ほぼ全ての国民から慕われるキャラクターになりえたのにね。
あの一時だけで義帝を暗殺した項羽みたいなイメージを一方で植え付けられる結果となった。
521 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 02:29:42 ID:1DV27ZR1
秀頼は自爆だから仕方ないにしても
秀頼の男児を殺して女児を寺に入れちゃったからね
大陸とかだと当たり前な方法だけど、日本人はこういうの嫌うよね
大陸どころか日本でも当たり前じゃ。
他の戦国大名も一緒だろうに。
523 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 02:35:41 ID:9DkRDVZv
清盛が折角男児に情けを見せたのに
恩知らずの頼朝義経兄弟がそれを裏切った故事から
日本の武人も警戒する事になった訳よ
524 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 03:17:49 ID:SnaYTUi9
日本は皇子、公家に対してはせいぜい島流しくらいで
滅多に処刑しないからな。秀頼もある意味、マロなわけだし・・・
マロは大阪城みたいな要塞に住まん。
526 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 05:55:49 ID:vN5uLQnl
マロが要塞に住んじゃ駄目なのか?
527 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 09:54:51 ID:TJQHt/EJ
マロだもの
528 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 14:03:53 ID:eVvKvh+I
単純な話、何で秀頼にもっと領地を与えておかなかったんだ?
各武将の所領に分散した蔵入り地以外は数十万石の一大名扱いって・・
家康に250万石与えといて秀頼にその1/4以下じゃ、
秀頼ころしてOKって言ってるようなもんだろ。
529 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 22:37:32 ID:xiBWV7hx
秀次まで殺す割にそういう肝心な所、息子への愛情足りてないよな
530 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 00:46:10 ID:k+IPQF2D
確かにそうやね。
もしかして四大老と五奉行や子飼いの武将を信頼してたんやろか?
531 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 00:57:45 ID:SPG1QEO7
秀頼に所領与えてもどうせ他の大老や奉行衆に面倒見てもらうんだから一緒だろ
532 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 05:38:00 ID:BHHLPYHi
所領与えたら与えたで切り分けの格好の餌食になりそうな気がするし
だったら最初から秀頼を少なめにすることで諸大名に恩義売っとこうとしたんじゃね?
もちろん逆効果だったけど
533 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 06:58:38 ID:SBfeyyMX
秀頼の領地って最初から60万石くらいだった?
代官の家康が秀頼の土地を勝手に諸大名に配って少なくなったんじゃないの?
534 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 15:02:27 ID:SPG1QEO7
日本全国に分散して諸大名が代官として管理してた蔵入地を恩賞として分け与えたわけで、
さすがの家康も摂津和泉河内の秀頼領60万石は削れなかった
蔵入地と直轄領の区別を敢えて付けない人も居るけど
535 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 18:06:15 ID:uOEXq80l
秀吉は途中で講和したのが多いから所領の分散は止む無しとしても、
配下の武将を分散しといて、豊臣家はまとまった所領を持っとくべきだったんじゃ。
信長も信忠に美濃・尾張の織田領の中核を与えていたし。
豊臣も摂津和泉河内に大和・紀州・近江の一部くらいは十分確保出来たろうに。
>>535 >豊臣も摂津和泉河内に大和・紀州・近江の一部くらいは十分確保出来たろうに。
その辺押さえてた秀次も大和豊臣家も、秀吉自身が潰したからなあ。晩年の秀吉は豊臣家親族を、
明かに秀頼の邪魔者としか見ていなかった感じだね。
かといって領土を広大化して代官を置こうにも、それまで作り上げた『豊臣家高級行政官』が、秀吉自ら秀次事件や
大和豊臣家取り潰しで解体された。いまさら外様を高官として豊臣家内部に取り込む状況でもない。なつかせるまでの
時間が秀吉自身に無い。
信頼できる代官の人材がいない以上、迂闊に領地を広大化できない。
現実問題として八方塞の状況だったと思うよ。
537 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 07:35:49 ID:mcwZXgX6
ヘタな奴を代官にしちゃうと
社保庁の職員みたいに横領しまくちゃうしな。
よく考えれば平安時代も鎌倉時代も室町時代も地頭やら地侍やら守護やら豪族が
横領して下克上始まっちゃってるし
もうこれは人間の特性(というか日本人の特性か?)としか考えられん。
現在の官僚どもの汚職、横領などの犯罪抑止には
「HARAKIRI制度」と「連座制」の復活しかないな。
538 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 07:41:38 ID:mcwZXgX6
三成が挙兵しなきゃ家康は天下を取れなかったという説をたまに唱える人が世間には居るけど
居なきゃ居ないで堂々と豊臣家の筆頭代官として気持ちよく秀頼の領地を
自分の息のかかった外様大名は自分の直属の部下に「秀頼様からの褒美」だと称して配りまくり
容易に天下を取っただろうね。
中国の諸政権を見ても日本の源平を見ても大体同じ様な方法で
宦官なり、ジョウショウなり、将軍なり、執権なりが権力を奪っちゃってるしね。
でも宦官に全権力を奪われた皇帝や執権に全権力を奪われた将軍みたいに
細々と豊臣家が存続できた可能性は多分に残っただろうね、
539 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 19:06:40 ID:Bn7Mez1j
でっていう
/ニYニヽ
/( ゚ )( ゚ )ヽ
/::::⌒`´⌒::::\ でっていう
| ,-)___(-、|
| l |-┬-| l |
\ `ー'´ /
541 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 23:01:29 ID:yvu6l6B+
>>明かに秀頼の邪魔者としか見ていなかった感じだね。
日本では身内の争いで家が滅ぶ・傾くなんてのはそうなかったのにね。
上杉や武田とかは特別にこじれた事情があった訳で。
秀次の処遇は難しかったろうけど、大和豊臣家を潰したのはマヌケ過ぎるよね。
わざわざ大封を後に裏切る配下に配っちゃう訳だし。
>>541 > 日本では身内の争いで家が滅ぶ・傾くなんてのはそうなかったのにね。
> 上杉や武田とかは特別にこじれた事情があった訳で。
秀吉の中では
秀頼>>>>>>>>>>>>>>豊臣家
だったわけでしょ。豊臣家というものには、秀吉が創設した時から滅びるまで
一度たりとも「一門」って雰囲気が感じられない。
元が尾張の百姓一族なだけに
武家の結束とかけ離れた精神性しか持てなかったんだろ。
そんな百姓一家に付いて成った平民出の豊臣恩顧も、次々と廃止・改易を受け
最後は生来武家の徳川に地均しされ徒花のように消えていったのは因果な話
544 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 00:25:44 ID:vLoKtyTP
農民出身で身寄りが秀次と秀長の2人しかいなかった事も最後にひびいたね。
秀次は手討ち、秀長は没後にお家取り潰しと自分で駄目にしちゃうのがアレだけど。
農民から成り上がったのに、血縁社会の日本で最後にそれがハンデになったというのは・・・
少しさびしい気もする。
545 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 02:29:28 ID:aevXZHM0
大和豊臣家改易は後継者である秀保が死んじゃった以上しょうがないと思うんだが
だって他に羽柴豊臣家に男子居ないしな
546 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 22:27:26 ID:acTLLvO8
三成が九州での五十万石の加増を断ったていうのは逸話?
547 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 18:59:54 ID:I4lW0FYF
この狐と猿のおかげで日本の暗黒時代が訪れたんだぞ
548 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 19:20:01 ID:iD8G5XK0
江戸時代の事実上の創始者だもんな>秀吉&三成
549 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 21:25:05 ID:joBMHY6P
徳川の重農体制より
豊臣の重商体制の方が明るいと思うがな>547
本拠地の畿内ですら、重税のせいで飢饉の発生した豊臣時代のどこが明るいんだか。
551 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 22:31:00 ID:iD8G5XK0
重税といっても豊臣政権の二公一民は初期江戸幕府と変わらんけどなw
豊臣政権の頃はまだ身分制度が完全に固定されてないから良かった
農村で食えなくなったら都市圏に出ればとりあえず何とかなったからな
(農村の荒廃、棄民の流入による都市圏の治安悪化と豊臣政権にとって頭の痛い問題だったが、
逆に都市圏に安価な労働力が流入したことで経済成長を促進したという側面もある)
豊臣政権の後を継いだ江戸時代もかなり酷い
米本位制の所為で本来なら米作に向かないような土地でも無理に米作って、
その挙句ちょっとの天候不良ですぐ飢饉→逃げ出すことも出来ない農民たちが決死の一揆
近世の農民なんて搾取されまくりで見てられない
552 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 22:48:54 ID:wPSGanAh
アホですか?
豊臣政権は朝鮮出兵の軍役を補うのために農民を徴兵しまくりで耕作人が足りなくなった
しかも兵糧は全て日本側からの輸送であるためそれを賄うため税とは別に兵糧分を搾取したため
渡海させられた連中の農地はボロボロに荒れ果てた
これに諸大名が不満を抱いても三成などは逆恨みとしか考えず責任感の欠片もない
挙句は秀吉から恩を受けたんだから返せとあっけらかんと言い放つほどの認識不足
豊臣が滅ぶのは必然の結果であり特に驚くことは何もない
553 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 22:57:30 ID:uBSQSexP
>>546 金吾を取り潰そうとしたときにその領地をあげようとしたら、そば近くで仕えたいって理由で断ったやつだな
ほんとじゃないのか?
>>551 > 豊臣政権の頃はまだ身分制度が完全に固定されてないから良かった
徳川時代も完全に固定なんぞされていない
> 農村で食えなくなったら都市圏に出ればとりあえず何とかなったからな
それは都市の規模、経済力の発展した江戸時代の話。
> 逆に都市圏に安価な労働力が流入したことで経済成長を促進したという側面もある)
そんな「失業者」を吸収できるような「工業力」は豊臣時代の日本には無い。ついでに豊臣時代の生産力は戦国期よりも
下がっている。
> 米本位制の所為で本来なら米作に向かないような土地でも無理に米作って、
> その挙句ちょっとの天候不良ですぐ飢饉→逃げ出すことも出来ない農民たちが決死の一揆
米本位体制を幕府は強制していないし、ムリムリ米作したのも東北の一部の藩だけ。
そして江戸期には死者が出るほどの飢饉はそれ以前の時代よりずっと少なくなっている。
更に君は江戸期の農民一揆の事を完全に勘違いしている。江戸期の一揆は労働争議の条件闘争だ。
決死の一揆というのは豊臣時代に頻発したがな。
> 近世の農民なんて搾取されまくりで見てられない
近世の資本の蓄積のおかげで日本はスムーズに産業革命に移行できたのだが。
日本の農村は少なくとも東アジア地域で最も豊かだった。
君は全体的に考え方が古く偏っている。
どうも司馬遼太郎の小説のみがソースっぽいのだが?
555 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 23:15:39 ID:aeVJtmrS
豊臣時代の生産力(って何を指してるのかも良くわからんが)が戦国時代よりも下がってた、
豊臣時代に農民の武力蜂起が多発したってソースは何なのやら
556 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 01:12:30 ID:NrS0u26C
家康厨にソース求めるだけ無駄
557 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 01:33:42 ID:h/Bn+1qf
>>554の勤めてる会社の労働争議では指導者が牢に入れられたり、下手したら斬首されるんだな
凄いとこに務めてるんだなw
558 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 02:11:40 ID:QnrsI2pm
山岡宗八著の徳川家康と伊達政宗を読んでるが
石田三成と淀を悪役にしすぎ、家康と政宗を偉人化しすぎw
559 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 07:14:04 ID:9oEU10Ya
まあ家康偉人化はともかく、政宗はなあ・・・
560 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 14:48:15 ID:QnrsI2pm
山岡の原作を横山光輝が漫画化したものを読んでるが
何でもかんでも政宗がまるで預言者のように完璧に予想してて
その読み通りに秀吉、家康が動く様とかいくら小説と分ってても
醒めてしまうよね。
家康は徹頭徹尾天下国家の事を考え秀頼をとても大事に思い
仁愛にあふれる人徳者であり大人物のように描かれてるが
まるで金正日を個人崇拝するような気味悪さを覚えた。
多分、同じように感じた読者は少なくないはず。
ちなみに「徳川家康」は世界最長の小説で日本のみならず
むしろ韓国での方がはるかに有名で韓国の大ベストセラーになっている
(タイトルは「大望」という名前で売られている)
561 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 17:09:01 ID:+01zTGUL
江宮隆之の小説、石田三成は面白い。まだ途中だけど。
562 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 19:27:23 ID:4A0ubM5I
結局嫌いな相手のことを語らずにいられないんだなwここは徳川スレではない
563 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 19:36:36 ID:MjxK76cQ
家康も好きだよ。聖人家康は嫌いだけど。
564 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 20:51:58 ID:QnrsI2pm
家康を偉人化するために三成が徹底して奸物、小人物、悪党として描かれてるのだから仕方がない。
逆に言えば家康が天下を取れなければ三成や淀はここまで悪人、無法者として描かれなかったわけだし
松永久秀が天下を獲ってれば彼に抵抗した三好やら信長やら将軍こそが悪役になって
久秀は乱世の世を救った大英雄として描かれた事も間違いないだろうし。
565 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 21:27:59 ID:s7qw5KsR
両雄並び立たず、と言うか
あっち立てればこっち立たず、と言うか
難しいよな。
566 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 23:11:38 ID:QnrsI2pm
逆に司馬遼太郎だと大阪方(秀吉、淀、三成など)をエコヒイキしすぎて平等さを欠いてるしな。
堺屋太一も大阪人だけあって大阪方に贔屓目に書かれてる(でも割合平等な方だけど)
567 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 00:44:10 ID:0HW62pbz
司馬遼太郎って全然淀殿贔屓してないじゃん
城塞とか淀殿&大野治長さえ居なければ大坂方勝ってたんじゃねーの、つうくらいの描写
568 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 06:49:54 ID:odb6oDqi
>>565 岳宏一郎は家康と三成、それ以外の武将も等しく公平に描いている
稀有な作家だと思う。
569 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 11:11:17 ID:UusqLOyz
>>568 「群雲、関が原に」ってプレミアついてんだよな
eブックオフで買おうとしたら上巻1680円、下巻1360円だった
でも商品に傷があったとかで無料にしてくれた
ラッキー
570 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 19:43:42 ID:BHLv/rka
世に言う小山会議で山内一豊と福島正則が徳川方に付くと明言した事が東軍の勝った理由の一つとして挙げられてるけど
もし、あの場で二人が西軍に付くと明言してたら結果は変わったのかな?
案外、その二人以外はやっぱり家康方について東軍が勝ってたような気もする。
571 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 20:31:50 ID:/mary66k
その場でぶっ殺されるだろ。
572 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 21:01:06 ID:e7Fufb1r
最近の定説では毛利こそが西軍の主役で石田はその配下に過ぎないとの
見方が主流だろ。江戸時代に無理やり石田事実上総大将説、毛利傀儡総大将説
が流布されただけで。徳川にとって対毛利の全面戦争より事態を矮小化した方が都合が良かったから
573 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 22:08:56 ID:T1guQNnj
悪人だったかはともかく、小物だったのには違いない<石田三成
574 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 23:09:53 ID:YRhKBFwg
首謀者だとすると毛利は空前絶後のヘタレになってしまう。
三成首謀者説なら皆幸せ。
575 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 23:24:46 ID:Fzqscf9B
毛利が首謀者だったら輝元は日本史上最悪の馬鹿殿ということだな
輝元は生きていて恥ずかしくなかったのかな?
576 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 23:27:56 ID:UKYk1YU0
形ばかりとはいえ出家して帳尻合わせたつもりだったんじゃない?
元就も輝元の不甲斐なさには嘆かされてたって言うし
577 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 15:12:56 ID:8/Hb+q3s
石田は小物のチンカス。身のほど知らずのバカ。
戦国時代のジェリドメサ。
578 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 16:01:02 ID:QUTh+qvu
三成が一生懸命反徳川勢力を築き上げたわけじゃなく
既に世論的に親徳川派と反徳川派があり
その導火線の一本として三成も尽力したという方が正しい見方かもな。
逆に反三成勢力(三成急襲七武将とか)も居たから三成が居ない方が西軍の勢力は増えたかもしれない。
579 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 18:53:49 ID:h2QlWtpA
西軍の敗因は石田でなく毛利の体質にあると見るべきだ
徳川と比べると領内の国人勢力が強すぎ、中央集権が図られていない
とはいえ絶対的なものではなく、経済力ではむしろ有利な点もあったの
だから輝元が家康と比べるとだが力不足だったのだろう
580 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 22:12:47 ID:ifofh9dp
こうやって毛利輝元再評価派と石田三成再評価派で揉めるのか。
西軍は何時まで経っても内輪揉めだな。
581 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 23:28:44 ID:j8eqQtXm
だれうま
まあ関ヶ原の最近の説では石田でも毛利でもなく宇喜田主導説なんてものもありまして。
色々見て行くと、どうも西軍と言うのは3〜4つくらいの目的の分かれるグループが、とりあえず反徳川でかたまった、
って捉え方が一番実情に近いようにも。
今の政治も、おのおの主義主張の違う野党がとりあえず反自民で固まるみたいなもので。
583 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 01:00:24 ID:3CsLHhoA
まあ三成さんはよく頑張ったほうだと思うよ。
584 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 01:49:08 ID:bBqygOLf
まあ既に小田原征伐に於いて
大将としての無能さを証明してたけどね
585 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 15:14:57 ID:6lZbxuyT
>>582 つまりは最終的な敗北は運命付けられていたものだったんだな
586 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 15:44:47 ID:F0ALtyDl
>>582 最終的敗北の時点が2ヶ月で起こるのか11年かかるのかはその後
の歴史がえらい違ってくる。
家康の真の偉大なところは短期決戦で終わらせた人間力
587 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 18:51:32 ID:h/8cVAZE
関ヶ原が半年間続いたら
東北は伊達が北陸を上杉に譲るのとバーターで押さえ東北を押さえると同時に
(最上は伊達の親類だし懐柔可能)
軍の一部を上杉に割いてあげて北陸侵攻を助け、佐竹と手を結んで結城軍を叩く
さらに関東侵入して江戸八百夜町を放火し家康の帰るべき城を消滅させる。
その頃、九州では官兵衛と清正の連合軍が九州の緒勢を糾合して中国地方を圧し渡り
姫路城を根拠地において西日本の制圧に乗り出す。
>>587 架空戦記でありそうなストーリーだなw
よっぽどキャラ造形をしっかりしないと徹底的に馬鹿にされるタイプの。
589 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 03:22:25 ID:0ZdScEKh
590 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 14:37:58 ID:sRGY8isd
591 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 21:44:55 ID:pV9rBPAT
大河に一石を投じても河の流れが変わるわけでもなし。
石田三成とはそういうものだったのだと思ったら何か悲しくなった。
>>591 良かれと思って堤防を作ったら逆に決壊して、堤防を作る前よりも酷い事になったって感じだな。
593 :
忠勝大好き:2007/07/16(月) 11:28:44 ID:Nnarycud
よく「三成が家康に天下を取らせた」とか言う馬鹿がいるけど。
話が完全に逆だよね。
あの時、あの瞬間だけ三成は家康を倒す力を得ることができた。石高、人望、
軍才すべてで劣る家康を最後まで追い詰めたのが三成。
秀吉死後、人間とは思えないような下劣な所業を繰り返す家康を倒そうとした
のは三成だけです。もし三成が立たなければ家康は別の方法で豊臣家を潰して
ましたよ。
歴史にもしもは禁句だそうだけど、三成が家康を倒した後、どんな統治を
行ったかは興味がある。少なくとも江戸時代のようなひねこびた収容所国家に
だけはしなかっただろうとは思いますけどね。
そこらへんを考えないで三成批判するゴミ虫は、一体どうなのかな、と思います。
595 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 14:11:47 ID:3TlcSkcp
>>593 こういう幼稚な釣りをする奴って
三成厨にも迷惑だなw
596 :
忠勝大好き:2007/07/16(月) 18:31:06 ID:Nnarycud
釣りじゃねえって。馬鹿。市ね
597 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 22:08:27 ID:Eh2gy+0p
秀吉や三成が人間とは思えないような下劣な所業を繰り返し
秀吉の死後も全く止めようとしなかったため豊臣家は滅びたんだけどな
598 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 22:48:32 ID:DmuslosR
鸚鵡返しは同レベルですぜ、家康厨のダンナ!
599 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 10:10:33 ID:AJbGyY0Q
最近あっちこっちで
>>626みたいなレス見かけるけど流行ってるの?
ていうかこの板って民度低いね。
600 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 10:15:14 ID:UabDlwNm
601 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 17:34:58 ID:5zU6gjbt
三成批判=家康厨って認定するのは浅はか
602 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 19:01:39 ID:/SSsYpdH
三成好き=アンチ家康と認定するのも同じく浅はか
603 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 23:47:04 ID:AJbGyY0Q
俺は三成好きだけど、家康は偉大な武将だったと思ってるよ。
だからこそ、そんな家康に正面から喧嘩売った三成が好きなわけで。
むしろ時勢を読んで家康につくなんて事やってたら好きになってなかった。
604 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 15:31:45 ID:RmPTfNhy
>>603 同意。
自分も三成好きだけどアンチ家康という訳ではない。家康からも学ぶ所は沢山あるし。
三成の男気に惚れた。最後まで忠義を尽くした三成が好きだ。
寝返る事は出来てもここまで義を貫く事は、自分には出来ないだろうなぁ。
605 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 15:35:20 ID:RmPTfNhy
sageるの忘れたスマソ
606 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 16:28:09 ID:IFNCYVBJ
三成ファンがみんなこう冷静に考えられる人だといいんだけどね
607 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 16:37:43 ID:BttblxEt
三成ファン、家康ファンに限らず、特定の武将や大名家に入れ込んじゃってる人みんなね
>>607 > 特定の武将や大名家に入れ込んじゃってる人
考えてみればこういうタイプって、身内や縁の有る土地の人間ならともかく、そうでないのなら相当気持ちが悪いな。
609 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 20:10:29 ID:LCw3bWbR
大一大万大吉の旗印がかっこいい。
610 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 20:56:05 ID:fb7sRtDH
あの家紋って戦場で確認、報告する時も「だいいちだいまんだいきち・・・石田の旗です!」って言うのかな。
長いよ。
轡十字とか六文銭とか武田菱とか水色桔梗とかは喋っても短いのに。
611 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 22:21:11 ID:p6B7mEJ/
大一大万大吉の旗印の文字を、士気を上げたい時に書いてみるけど
バランスとるのが中々難しいw
612 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 22:35:37 ID:5WwZYqbZ
神君家康公は、戦いの日々にうんざりしていたのだ。頭の中には平和な国づくりしかなかった。
にもかかわらずだ、石田や大谷、上杉らキチガイはまた戦を始めようとした。家康からしてみたら「またバカどもが暴れ始めた。。」
正義が悪を打ちのめし、そして江戸時代という静穏な世の中へと移っていった。
摂津河内和泉の豊臣家も石田と同じく、また戦いを始めようとした。おとなしくしていればいいのにまた殺しあう機会を作ろうとした。
正義の使者である神君家康公によって秀頼や淀といった奸人は滅せられたが、これも至極当たり前のことなのだ。
石田は義の人かもしれんが、それは乱世好きからしてみれば義の人だろう。平和を侵すキチガイというレッテルを貼られるのが本当は正しい。
本当に平和な世の中を維持したいなら、家康公にはむかうなんて愚かなことはしまい。たくさんの命が失われるだけなのだ。
定期的にこう言う釣りが来るのな。
614 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 11:25:54 ID:VipnyVfX
615 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 13:27:44 ID:qlx1bXhf
わざわざ嫌いな武将のスレに来て、来るだけならまだしも
悪口言ってく奴って愚かだな。
616 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 16:49:41 ID:3cQDQF7V
>>616 あ、俺がいる…
大一がでかいほうを書くと下のバランス崩れるし
大吉がでかいほうを書くと左側が大天万に見えるし
どうにもうまくいかない
転載
> 戦国時代を舞台にした歴史小説
>
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150112700/779 >
> 779 名前:776[sage] 投稿日:2007/07/22(日) 11:12:55 ID:41+0O5uu
> ありがとうございます、探しているのは
>
> ・石田正継あるいは石田正澄(石田三成の父兄)が主役かその近辺として出てくるもの、
> できれば関ヶ原後佐和山城攻めまで書かれているもの
> ・佐和山城攻めを、短編でも長編の一端でもいいのでそれなりにストーリーを持って
> 書かれているもの
>
> の2つです。挙げてもらったのは「真田太平記7巻」。
誰か心当たりの小説知っている人は答えてあげて。
618 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 19:15:19 ID:Mj8CfyXW
陸軍参謀本部編「日本戦史 関ヶ原役」で充分だろ。
619 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 01:53:11 ID:D96xu4Os
きょう、司馬の関ヶ原買ってきたんだけど三成かっこいいわ。
黒装束で家康達が宴会してるとこに乗り込むところとか。
ここの部分は創作ですよね?やっぱり。
って読んでたらこんな時間になっててびびった。明日も仕事なのに。
高いだけのことはある。本一冊に4Kとか初めて出した。
620 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 11:05:02 ID:gsgZXEtv
史実ではないと思うが、同様の話は江戸期の逸話集に見られるから
司馬が創作したって訳ではなさそうです>黒装束の三成
621 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 11:06:21 ID:zkS+V+nP
622 :
619:2007/07/23(月) 19:02:15 ID:D96xu4Os
623 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 20:06:22 ID:zkS+V+nP
>>622 いや、俺の勘違いならいいんだが
司馬関ヶ原4Kって・・?
624 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 21:03:53 ID:D96xu4Os
>>623 まじですよ。
新潮社から出てるやつで、辞典並の厚さのある本。
これ以外にも出てるんですかね?
>>620 どうもです。できれば史実、もしくは
それに近い出来事はあってほしかったな。
これを読んでると家康がどんどん嫌いになっていく・・・。
625 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 05:44:20 ID:xXB1HXDy
>>624 いや・・・ブックオフなら上下巻あわせて200円かと・・・
文庫版なら上中下巻定価で買っても2500円ほどだぞ…>関ヶ原
あと司馬の小説はあくまで『創作物』として優秀なだけで、史実性なんかをあれに求めると
回りから痛い人として理解されるので気をつけよう。あの小説の家康は、江戸期の講談で曹操や足利尊氏が
赤ら顔の悪役であることと一緒。
627 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 18:49:01 ID:lB9GEsQ0
>>625-626 もう買っちゃったから何も言わないでくれorz
文庫版も探したんだけど、地元で一番大きい本屋で無かったから諦めた。
あと「小説」ってのは理解して読んでるつもり。
徳川方から見た関ヶ原を読めば家康も好きになるだろうし。
628 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 19:39:42 ID:/fjhfRQ+
うん。でもねブックオフで本を買うと
「いつでも読める」と思いツンドクになってしまい
結局、安物買いの銭失いになるから、きちんと新品のハードブックカバー版で
買うのも意義深い。結局きちんと読みこなせば本ほど安いものはない。
629 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 20:30:13 ID:kRj6u8rZ
>>627 読み終えたら次は「城塞」をオススメしますよ。関ヶ原の続編です。
大坂の陣が舞台です。
630 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 14:14:11 ID:humf0rk+
>>627 少し位高かろうと、ハードカバー良いじゃないか。
>>629 城塞って今Amazo〇で見てみたけど、面白そうだね。
631 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 16:27:49 ID:mxdZLOrU
城塞の秀頼君はアホ素直カワイイ
城塞の秀頼と淀君は、最初のほうは主人公も司馬さんも「どうにか活躍させよう」って感じなのだが
後半になると作品上も作家的にも完全にさじを投げちゃってるのがちょっと面白い。「駄目だこいつら」って感じで
完全に空気になっちゃうな。
633 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 21:34:30 ID:5lL23uaZ
司馬さん、女性を書くのは苦手なのか
それがオリキャラだと出したはいいものの
うまく動かせなくてフェードアウトもしばしば・・・。
634 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 23:55:34 ID:1/GzPJoB
初芽は好きだった
最後の如水との会話とか
635 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 23:56:06 ID:27+3l7IS
636 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 06:27:03 ID:Z/sKBiN7
司馬作品は書いた時期によって(司馬先生の考え自体が変わるために)
内容が変わる場合があるね。
覇王の家とかいくつかの徳川作品を見比べると
史料で確認できない部分はその場の思いつきで書いてると思われる部分が多い
旭姫だっけかな、家康に嫁いだ後、大切な人質として指一本触れない作品もあれば
律儀に家康が初夜の勤めを果たした作品もある。
司馬遼太郎も晩年は家康をえらく評価していたように思う。
街道を行くの最後となった濃尾三紀行なんかを読むとそう思う。
638 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 12:19:12 ID:wuG6I6d0
歴史小説家は女性描くの下手な人多いけど、司馬遼はそんなに苦手だと言うわけでも無いと思う
勿論上手なんて口が裂けても言えないけど
関ヶ原の初芽は司馬のオリジナルキャラじゃなくて実は他に元ネタ有ったらしいね
けど「家康が三成に放ったくのいちが三成に寝返った」程度の挿話から
あそこまで膨らましたんだというから大したものだと思う
639 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 14:31:23 ID:bFuVQCtU
この流れを見ていて、城塞と関ヶ原が読みたくなり、古本をネットで検索したけど
上、中、下巻、必ずどれか欠けていて、一カ所で揃わない。ちょっとイラっとしたw
640 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 15:53:11 ID:X2ulZbDi
小さい図書館でも司馬の「関ヶ原」や「城塞」はまず間違いなく置いてるはずだから借りて読めばいいんじゃね?
ただ司馬作品は人気があるからな。貸し出し中も多かろう。
最近はネットで予約できるんだっけ?
642 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 17:15:16 ID:bFuVQCtU
図書館て手もあるか…。
何気にさっき、Amaz〇nで関ヶ原見てたら「この商品を買った人はこんな商品も買ってます」という所に、城塞があった。
趣味が一緒で嬉しい。このスレの人かな。てか新品羨ましい。
643 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 17:19:49 ID:bFuVQCtU
アー、上げてしまったスマソ。
いや、司馬の関が原買うような人間なら、城塞も買うのは普通の事だぞw
つーか司馬に一旦ハマると、主な作品は大体読む羽目になるよ。
645 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 17:43:38 ID:bFuVQCtU
普通の事だったかww
戦国武将がタイトルの小説は結構読んだけど、司馬はまだ読んだ事がないんだよね。
とりあえず関ヶ原からいってみるよ。楽しみ。
646 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 23:03:55 ID:oAOUJTpp
>>638 尾崎士郎も「初芽の局」という女性を出しているよ。
三成の側室で、三成の子供を産んで、
三成に会うために、男装して、関ヶ原の方までのこのこ出て来て、
主人公が彼女の手助けをして、逃がしてやるの。
司馬遼太郎の「関ヶ原」よりより尾崎の方が書いたのは先だと思うけど。
647 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 01:13:20 ID:QVohhmMK
三成は平成になってから人気が上がってるイメージ
648 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 10:35:00 ID:gSqWtqW4
滋賀方面とか地元の人はどうなんだろ?まああの辺りは有名武将たくさんいるからアレだけど、
戦国マニアからしたら家康か三成かだったら、どちら派が多いんだろ?
自分は関東だけど、戦国の話が出来る数少ない知人(茨城出身)は家康信者です。やはり馴染みが深いらしい。
649 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 13:22:03 ID:ssLRptPC
どちら派というより知名度が10倍以上違うから比較できないのでは?
そこら歩いてるOLやコギャルでも家康の名前を知らない人は少ないと思うが
三成の名前を知ってたら逆に驚く。知ってても「信長殺した人でしょ?」とか平気で言いそう。
「関ヶ原は家康と秀吉が戦った」って本気で信じているのいるからなあw
651 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 23:50:32 ID:HylgpIuB
世間じゃそんな程度の認識よ。
まさか上杉謙信と織田信長が、たった4歳しか違わないなんて思わないだろうし。
652 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 23:55:51 ID:HmlLRqm6
光秀は信長より年上というのも世間では意外と知られていない
長篠合戦も信長VS信玄だと思ってる奴も普通に多そうだしな。
654 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 00:02:07 ID:wRTWOu1K
朝鮮征伐でも李瞬臣が日本軍を撃退して日本側が大敗北したと勘違いしてる人が多いし
(いや、実際教科書もそのように誤解させる記述をしてるし教師も勘違いしてる場合あるしね)
655 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 00:38:41 ID:gaZECwAw
現場を知らない官僚、石田三成に興味はない
656 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 00:42:08 ID:HoA0jbAI
朝鮮に渡ってるじゃん
657 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 01:21:05 ID:wRTWOu1K
三成は軍監・奉行・輜重・兵站などの管理部門だもんな。
もちろん軍功も挙げた事はあるが総大将として采配をふるった経験が無いのが痛い。
658 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 01:25:45 ID:wRTWOu1K
大将として采配をふるった経験を持つ真田昌幸や
戦場での指揮経験の豊富な前田利家や
軍師として実質大軍を動かした経験を持つ黒田如水や
朝鮮の役で軍司令官の経験を持つ加藤清正や小西行長が
東軍の実質的な総司令官として指揮すれば「半日で東軍壊滅」という情けない状態には
ならなかったと思うな。
どうしようこの釣り針
660 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 08:47:41 ID:XEJle7gg
小西はいたよね。彼自身の軍事的才能はあると思うが・・・
661 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 15:38:08 ID:wRTWOu1K
三成の敷いた鶴翼の陣は生兵法だったな。
裏切る可能性の高い奴等が一翼を担ってたら最悪の陣形だもんな。
662 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 20:22:08 ID:Po4C8yTd
裏切りに備えた陣形なんかあんのかよ
663 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 20:43:54 ID:wRTWOu1K
大阪の陣では伊達政宗と浅野長晟が裏切れない布陣に家康がしてたとか
怪しい動きを見せたら後ろから鉄砲撃ちまくるぞと
664 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 20:46:16 ID:wRTWOu1K
関ヶ原でも、よく考えて見たら家康の大軍団は後詰っぽいよね
東軍諸将に裏切りが出たら後ろから銃のつるべ打ちしてもよし
中仙道側から撤退して秀忠軍と合流してもよし
665 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 21:35:50 ID:Po4C8yTd
毛利に背後を突かれて敗走してもよし
666 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 04:27:18 ID:Wpl66OZM
一番まずいのは負けた時の退路になる要所を秀秋なんかに最初から扼されてた時点で終わっとる
本来は最悪のケースの撤退戦まで含めて戦略を練るのが総大将の役目だ。
一か八かなんて端武者のする事だろう。
松尾山は元々他の武将が入る予定だったんだがそれを無理に蹴散らして小早川が布陣したわけで
既にこの時点で不穏分子丸出しだけど三成ら西軍首脳は小早川の兵力を恐れて処断できなかった
668 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 07:18:20 ID:Wpl66OZM
小早川が松尾山を占拠した時点で見切りをつけて関ヶ原決戦は止めとくべきだったな。
その場合どうやって徳川と和解しようか。
670 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:49:05 ID:Wpl66OZM
東軍は大垣城を横目に関ヶ原を素通りして京へ向かう事になるけど
家康は慎重だから徳川恩顧の東軍大名には大阪行を命じ
自らは関ヶ原付近で秀忠の到着を待ってからゆっくり西進するだろうね。
その時、西軍が完全な数的優位を築けるからより良い勝負になったかも。
それか東軍の将たちには京へ行くフリをしてゆっくり進軍しろと命じて
途中で引き返すよう言い含めるかもしれない。
しかし、いつまでも間道で大軍が居座るわけにもいかないし
ここらで西軍が駆け引きをする余地が生じると思う。
671 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 00:10:33 ID:xg5CX3cr
司馬の関ヶ原では島左近が「佐和山城など打ち捨てておけ」とか
「あてにならない戦力(小早川、毛利など)は計算に入れるべきではないと
心の中で煩悶してるけど。あれは左近の口を通して発した司馬遼太郎自身の感想なんだろうね。
でも関ヶ原の直近、すぐ西にある佐和山城を三成は絶対に見捨てる事ができないと
家康は読みきってて、あえて「大垣城を無視して西進する素振り」をする事で
見事に強引に西軍を関ヶ原での短期決戦モードに引きずり込んだ。
相手の性格まで読みきった見事な策としかいい様がない。
672 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 19:48:28 ID:rBx97rde
なんだ、レスが伸びてると思ったらまたゲーム厨が紛れ込んでたのか。
ま、後からなら俺ら素人でめ何とでも言えるからね
既に起きた事を、その事後に「ああすればよかった、こうすればよかった」と言う人間は頭の悪い人、
その事後「これからどうするか」を考えられる人が頭のいい人。
674 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 21:30:50 ID:xg5CX3cr
>>673 歴史板に来るなよ。
科学板かSF板にでも逝け
675 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 04:43:27 ID:wD7nUHB7
毛利に操られてた糞バカ石田w
戦国ゲームだと知力は5ぐらいか?
676 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 07:52:33 ID:hFrLEEXz
ゲームw
677 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 09:58:48 ID:sWS7UrxJ
津軽信義は三成の孫だが
幕府はそのことを知っていたのだろうか?
678 :
takeda:2007/07/31(火) 10:23:53 ID:hBDOTbq3
義に生き義に散った男石田三成
679 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 10:25:40 ID:nsdGfwDB
>>677 知ってただろ
家康は養女の満天姫を津軽家に嫁がせて辰姫から正室の地位を奪ってる
680 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 11:42:32 ID:sWS7UrxJ
三成の息子と津軽信義も
お咎めなしで済んでよかったと思う。
681 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 12:03:02 ID:X/usUK1W
何でこの頃わかりやすい釣り針ばかり投下するの?
682 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 18:20:07 ID:/yxJeOED
TBSのドラマ関が原で秀秋の所へ化けて出てくるシーンで
両手を広げて迫ってくるシーンや秀秋に手で顔を押しのけられるシーンとか楽しい
683 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 20:32:41 ID:1wHSFGg5
>>681 最近は武双とかの影響で歴ヲタのレベルが下がったから
684 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 22:06:09 ID:CGEfL1Du
みつにゃんのピンバッチ買ってきた
どうみても無双のry
685 :
人間七七四年:2007/08/07(火) 11:00:09 ID:3rS6tsrB
みつにゃんの目つきの悪さは異常
686 :
人間七七四年:2007/08/07(火) 21:00:47 ID:dh0LxCZZ
みつにゃんはにゃんこっぽくない。
にゃんこならネコ耳を出さんと。
687 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 14:01:18 ID:EO7tKefi
三成が加藤光泰毒殺の主犯説っていうのは信憑性としてはどうなの?
688 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 14:21:35 ID:XtSYU4Ch
先日、江宮隆之の石田三成を読み終わった。
ちょうどクライマックスを読んでたのが昼休みで、涙で鼻水がorz
左近の「殿、さらばでござる」とか吉継の「佐吉、さらばじゃ」とか…
この勢いで今関ヶ原を読んでいる。
江宮の三成は、短所も含めて完璧に近いような人間に書いてる印象だけど、
司馬の三成は長所、短所とも両極端で、もうちょっと身近にいそうな人間くさい感じがするなぁ。
どちらも魅力的に書いてあるけど、本物の三成に会ってみたいものだ。
689 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 21:22:16 ID:CFv2Mwap
昨日の彦根の祭りで、三成(の甲冑着た人)がいるチームが出てたよ。
なぜか巨大な輿に乗って・・・wwwww
佐和山一夜城のPRを兼ねてたらしい。
けど、400年祭なのに三成のチームが優勝とは彦根も心が広いね。
690 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 20:57:58 ID:9YhI3CQk
ひこにゃん人気なのに何故か井伊直孝の影が薄いような気がする。
691 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 00:48:56 ID:p3zvgpXo
まあ元々は余所から来た人だからね。
近江の場合は、三成や浅井長政はじめ
地元出身のメジャーな武将多いし。
692 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 17:38:12 ID:7CYK3PNJ
しかもあまりまともな領主じゃなかったってのが地元の人間に聞いた感想。
地元民に聞いたら、 彦根城>>>>>>>>>織田信長>>>>>>>>>>石田三成>井伊家 の順だったw
なんだよ、城が一番ってw
693 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 20:51:08 ID:DKc9uW2T
俺兵庫県民だからそれちょっとわかるw
うちでも、姫路城>>>>>>>>>>その他
で池田輝政って誰ですか?って感じだ。
黒田如水が姫路の人だって事は、一般人はまず知らないし
ましてや、別所に至っては・・・。
694 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 23:26:04 ID:Gh7RJwzo
そりゃあ、観光地として現存してるお城の方が知名度が高いに決まってる。
一般人からすれば、戦国時代の人物なんて戦国三英傑や武田上杉レベルじゃなきゃいないも同然だからな。
>>694 殿様が今も地元のシンボル的なものになっているのって、そのほかには
仙台の伊達、会津松平、山口県の毛利、熊本県の清正、鹿児島県の島津、こんなものか?
696 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 12:48:30 ID:plf1fxaC
熊本県って細川護煕もじゃない?
697 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 14:36:35 ID:NJ04ElIz
>>696 ないない
熊本では城と清正と阿蘇(あくまで山の方。阿蘇氏は地元でもほぼ無名) がメイン
やっぱ清正は秋の例大祭の主役だし加藤神社はでかいしで年配者のヒーローだな
細川家は空気以外の何ものでもない…元首相も若い人らは知らんよ
698 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 23:07:09 ID:PE+NaVJf
ある意味、細川家は小倉から動かなかった方が良いのでは。
小倉では意外と細川家メジャーだった。
699 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 03:31:52 ID:v2zDDj0V
>>697 甲斐宗運なんて普通の人はまず知らないよなw
700 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 08:20:13 ID:7/tiBxr5
>>653 というか
猪武者の武田勝頼が、馬防柵から銃撃されて死んだってのが大方の世間の認識。
三方が原での武田信玄vs徳川家康も一般人には意外
戦国時代の象徴に、江戸時代の象徴が破れる話だし
701 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 22:35:09 ID:v8NLPiql
山梨での信玄の地位は凄まじいものがあるみたい。
彼等の食う米は‘信玄米(ブランド)’だし
信玄堤なんて何の変哲もない堤防のようなもん誇ってるし
こないだの参院選でも米長晴信(将棋の米長棋聖の甥、信玄の名と同名)が当選してたし
地元の名士である金丸元副総理や米長邦男や中田英寿なんかよりはるか雲の上みたい。
702 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 23:19:15 ID:v2zDDj0V
山梨で信玄公の悪口言うとフルボッコにされるらしいね
703 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 01:48:59 ID:g5wkbWOB
実際問題山梨から信玄を抜いたら搾りかすのようなもんだしな
704 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 14:28:39 ID:a4ObQrld
三成の故郷の滋賀だって、彦根城取ったら
鳥人間コンテストぐらいしか残らないじゃんw
706 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 14:59:32 ID:r59JwJvx
滋賀で鳥人間コンテストの悪口を言うと、プロペラや翼型持った人たちにフルボッコにされるらしいね。
707 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 15:25:36 ID:BdYYYsOB
いや、米や農作物、住宅地も忘れんなw
農作物は地下水が多いせいか安定して取れる。(実際米が不作の時でも普通に食えた)
住宅地は京都・大阪は地価が高くて家賃が高いので、滋賀に住んで通勤している人が多い。
あと、ガソリンが安いw
708 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 16:05:40 ID:zvWwZ09U
名古屋では三傑祭りとかあるけど、特に誰を誇るという事はないな。
家康は三河や岡崎の人だから、はっきり言えば余所者だし(徳川美術館はまあまあ人気あるけど)
秀吉も名古屋駅に太閤通りがあったり中村公園に秀吉・清正記念館があるけど
特に地元民が誇るという事もない。
信長も清洲の人ってイメージがあって、なんだかなあという感じがする。
やはり「名古屋城」が最も地元のシンボルになってる。
>>708 徳川宗春がある意味名古屋の象徴かもな。
710 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 20:02:06 ID:zLA8f/+8
711 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:18:21 ID:GvrWVHRV
風林火山の大河ドラマは見てないんだが三成は出ないよね?
712 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:35:30 ID:qQOFVWLk
年代的に出ないと思うよ。
山本勘助の物語だから。
713 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 22:59:14 ID:+N1IV5SX
石田光成は何で家康の西進を遮り関ヶ原へ布陣したんだろう?
家康が大阪を攻めれば完璧な反旗で豊臣は黙らんし、京都にしても
豊臣は黙らないだろう。一応関ヶ原を想定して砦を築いたりしてるが
他の大阪寄りの有利な場所で関ヶ原で戦う必要がない気がする
714 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 23:05:11 ID:GvrWVHRV
>>713 理由は簡単
家康が関ヶ原のすぐ西にある佐和山城を攻めよと東軍に下知したから。
確かに佐和山城の三成の一族郎党の命を全て犠牲にして、その上で
大阪城と西軍で東軍を挟めば西軍は勝てただろうけど
三成は自分の家族たちの命を捨てるほどの器量すら持ってなかった。
つーか、東軍は「徳川軍」ではなく、元々正式な「豊臣家政府軍」なんだから、大阪城を攻めても
それは豊臣家への反旗ではなく「人質の奪回と大阪城を不法に占領した逆臣の輝元を撃つ」って
大義名分があるんだから、それで三成が勝てるとは思えないな。大阪城内は全く一枚岩じゃ無いんだし。
東軍が大阪に入った瞬間、それに呼応した大阪城内の勢力が輝元を追い出しておしまいでしょ。
そうなったら西軍は完全な逆賊として存在意義も何もなくなってしまう。
三成は(つーか西軍は)関ヶ原で戦うしかなかった、と、思うよ?
716 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 23:50:53 ID:VaWe3IRL
>>713 秀頼や毛利が出馬できる距離的にも関ヶ原が限界。
717 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 09:10:05 ID:7ibHKvkH
>>714 佐和山城は難攻不落だから、佐和山城と西軍ではさみうちは無理かな?
718 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 12:21:48 ID:Pd6xtW1w
>>717 人数的に無理だと思う。とてもじゃないが数日も持たないんじゃないか?
それに西軍が東軍をはさみうちと言っても街道が狭すぎて東軍の後詰と西軍の先鋒がゴチャゴチャするだけで
その間にあっさり城は落ちると思う。
719 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 12:29:50 ID:Pd6xtW1w
たとえが適当かどうか分からないが
三国志で呂布が善戦してるのに、そこで釘付けにされて長安が落ちたり
姜維が善戦中に成都が落ちたりという例もあるし。
ただし、大阪城はスケールが桁違いな上に毛利軍など残留部隊の数も質も申し分ないので
徳川軍と分断された東軍だけだと、とてもじゃないが一戦即決で城を落とすのは無理。
さらに命令系統の家康と東軍が西軍によって分離されれば東軍の命令系統が失われ
東軍諸将内の団結も失われると思う(秀頼の居る大阪城に攻めてよいか悪いかだけでも意思統一に時間がかかりそう)
やはり佐和山城は救援などせず相手に手渡して家康が西進しようとする間際に関ヶ原の出口を閉ざして
他の東軍の殿を西軍の精鋭部隊に追わせるのが筋だろうと思う。
>>719 あまりにも西軍に都合がよすぎる。
だいたい大阪城西の丸にいた毛利に対して、本丸が東軍に呼応して反乱を起こしたら
もはや東軍相手の戦どころではなくなるだろ。
関ヶ原のあと輝元が大阪城を退去したのは、大阪城内が必ずしも一枚岩じゃ無い事も大きな要因だし。
721 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 15:01:19 ID:T/fhSEzg
ただ、人選誤ったってのはあるわな。
大阪城の守りなんか、役に立ちそうにない安国寺あたりに任せて輝元を
戦場に引きずり出せばよかったのに。常にそばに居れば吉川広家の馬鹿
が裏切ることもできなかっただろうし。
ほんと、関ヶ原はほんの少しの工夫で勝てる戦だったんだけどなー
722 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 15:03:14 ID:T/fhSEzg
本スレにも書いておく。三成の逸話で一番好きなのは、
関ヶ原直前。
家康と利家が関係修復のための宴を催していたところ、全身黒ずくめの
服装で現れ「なにやらお集まりのようですが、ご挨拶のみでも」と言った
というエピソード。
いかにも三成らしい、不正やごまかしが許せない逸話だな、と。
「おれは騙されないぞ」という清清しささえ感じる勇気ある行動。
もう一つ、三成の悪い面が出た話。
毛利輝元が季節外れに桃を秀吉に献上した時の話。三成は、
「献上品は殿下もお喜びになるだろうが、季節外れの物を食べて殿下が
腹を壊しでもしたら、貴殿もお困りになるだろう」
と言ってつっかえした、という・・・
三成、気持ちは分かるがそれじゃ敵作るよ・・・そういうところがいいんだけどな。
723 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 17:30:34 ID:7ibHKvkH
じゃあ、関ヶ原は西軍が勝つにはどうしたらいいのだろう?
秀頼出馬、小早川裏切らずの二つがどちらかでも起きたら西軍の勝ちの
気がする
でも。戦いに勝っても家康の首は遠いよね?
西軍は江戸までいけたろうか?
724 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 17:36:11 ID:lnJHoMLq
>>721 >ほんと、関ヶ原はほんの少しの工夫で勝てる戦だったんだけどなー
圧倒的な戦力差がない限り戦なんてそんなもんだろ
725 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 17:43:47 ID:cYlWS0g1
輝元を動かすのは危険な以上
・立花を西軍総予備に
・毛・安・束・長が吉川を無視し迂回北上
・石田采配で島津を最前線に置く
・大谷が小早川に加え部下離反対策も採る
・・・・etc、etc
逆に、東軍は史実の調略全てを成功させないと勝てない。
ここはやはり家康の凄い所
726 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 17:49:58 ID:cYlWS0g1
逆に西軍はどれか一つでもあれば惨敗を避けられたって事な
惨敗するのは惨敗するなりの理由が大量にあるから惨敗するんだよ。
728 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 19:17:23 ID:Pd6xtW1w
>>727 そうだよね。
しかも関ヶ原決戦を主導した三成自身に起因する理由も多くあるのが残念。
西軍の大きな欠陥は
・軍指揮権の不統一
・命令系統の不徹底
・資金不足
・豊臣家を掌握できなかった
・西軍各勢力の戦略目標が異なる
ともあれ「総帥」が存在しないのが一番の欠陥だな。
なんとかして秀頼を引っ張り出すため総帥の席を空けておいたのだろうけど
それが仇になってしまったんだろうな。
730 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 20:07:57 ID:Pd6xtW1w
三成は関ヶ原の前段階で兵力を伊勢やら大津やら分散させ
岐阜城を見殺しにしてしまって何がしたかったんだろう。
その時点で将器が無いというか味方の多くも三成を見限ったと思う。
関ヶ原まで三成が間違いのない戦略で確実に最善手を打ち続けてれば
その行為自体が三成に対する信頼とカリスマ性を作りあげただろうにね。
たとえとしてよいか分からないが長州の大村益次郎みたいな感じで。
731 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 20:32:18 ID:hONkKmMm
岐阜城には三成自身の配下から援軍送ってるよ。あそこが落ちたのは城方の作戦ミス。
篭城しりゃいいのに外に出てった。
分散させたのも、押さえなきゃならんとこ押さえるためじゃなかったっけ?
だいたい確実な最善手ってなんだよ。
732 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 20:45:35 ID:o/ghBG3l
秀信は関ヶ原合戦の戦犯の一人。
あの予想外に早い落城からすべてが狂ってしまった。
でもあの後秀信もいろいろ波乱含みだったからちょっと責めづらい。
733 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 21:17:38 ID:7ibHKvkH
でも、表向きの戦力は光成が圧倒的なんだよね。
もし、毛利とかちゃんと計画通りに動けば絶対勝てたのにな
>>733 当時の武将達は三成が絶対勝つとは思ってなかったから家康に内通してたんだけどな。
それに戦争が計画通りに進む事なんて不可能だよ。東軍だって計画通りに進んだ訳じゃ無い。
それをその場その場で修正して行った訳だし。
735 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 22:39:37 ID:3b/C1Gpw
つーか、まともに篭城していれば実は岐阜城を中心として美濃で運動戦を展開できたかもな。
落ちなければ、日和見の幾人かは西軍になったと思うけどな。
736 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 22:53:41 ID:1GCCWoeJ
>>735 美濃で運動会を展開できたかもな
と読んでしまった。
失礼だな。美濃だって運動会くらいはやるぞ。
738 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 07:15:45 ID:OIVC8bZz
>>730 反乱者が籠る城を攻撃するのは至極当たり前の戦法なのだが。
結果論だけで述べるのは愚。
739 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 07:46:17 ID:DmtXHAMn
ついでに、普通に時間が味方と思って畿内の制圧したのは当然と言える。
強いて言えば、自分の手元に握る兵力が少なかったのみが失点。
まあ、これも三成っつーよりも毛利が悪いんだが。
740 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 09:01:36 ID:5OpH6YYS
関ヶ原の発端って元々宇喜多かどっかの勇み足で後手後手に回った展開じゃなかったっけ?
三成自体戦下手って程でもないし諸将を纏め挙げる力は乏しかったとしても、本戦序盤は五分だった訳だし
741 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 10:10:07 ID:MWFRVfBC
>>729 石田、宇喜多…専横者徳川を潰して主人(義父)の家を守る
小西…福島との対立
島津…鳥居に加勢拒否されたもつれ
大谷…石田個人への義理
長束…同僚の指示
長宗我部…成り行き
毛利一門…毛利既得の維持と拡大
小西は家康の狙い知ってたんだっけ?
742 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 10:26:01 ID:6J2K+PR4
結果論でモノを言う奴にはホント禄な奴がいねえな。
って三成さんが言ってた。
743 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 11:24:50 ID:itI5QBWe
小西が対立してたのは加藤な
あと宇喜多・石田との繋がりも大きい
家康からもちかけられた子供の婚姻話は結局蹴ってるのか?
島津は、義弘はもともと三成派・豊臣派
義久が中立派で、弟か息子で誰か家康派がいた
744 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 13:25:08 ID:ptHtcLhw
>>725 >・毛・安・束・長が吉川を無視し迂回北上
布陣した南宮山は防御に特化した高地。大軍が迂回移動など不可能。
>・石田采配で島津を最前線に置く
基礎兵力が少なすぎ。
>・大谷が小早川に加え部下離反対策も採る
朽木らが内応してたのは、分からなかったわけで。
小早川は最初から怪しいと言われてたけど。
745 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 17:30:49 ID:gzEtuG5z
そもそも何で石田は大津とかに戦力分散したんだろう?
長期戦になるからかな?
>>745 敵がいたから、と、家康の動きがこんなに早いとは考えていなかったから。ザ・想定外。
747 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 17:51:26 ID:3QOZORl0
不思議なのが三成は東海道に隠密をばらまいて無かったんだろうか?
家康が美濃に来るまで気づかないなんて普通ありえないと思うんだけど。
家康の動きが最重要情報なわけだから誰が大将でも東海道から江戸まで
スパイをばらまきまくると思うのだが。
>>747 あの時代の場合スパイだって徒歩なわけで(馬になんか乗ると目立ちすぎるし)
例えば家康の出立を江戸で察知して、大急ぎで大阪の三成に届けようとしても
そのスパイが警戒網を潜り抜け大阪に着くのは家康の美濃到着のせいぜい2,3日前でしかない。
2,3日じゃ既に展開している軍を大きく移動させる事は不可能。
つまり西軍は最初に家康の行動を読み違えた事が最後に大きく響いてしまった訳だ。
749 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 18:12:11 ID:3QOZORl0
関羽の烽火台じゃないけど
「家康江戸を発つ」の第一報を烽火リレーで
スパイ同士が送れば即日中に美濃まで情報が届く気がしないでもないけど。
また潜入する時は馬は駄目だけど逆に情報持って逃げて帰る時は
馬なり船なり買って帰国のスピードだけ考えればいいから早く帰れるような気がするのは素人だからだろうか。
750 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 18:17:32 ID:ec65Azvk
>>745 伏見・大津の東海道筋は特に兵站確保の最重要地点だから仕方ない。
確かに短期決戦を考えると兵力分散は失策だが、作戦当初としては
畿内周辺の敵方拠点を掌握することは当然の戦略で、ご指摘どうり
長期戦を想定していたと思われる。
> 「家康江戸を発つ」の第一報を烽火リレーで
> スパイ同士が送れば即日中に美濃まで情報が届く気がしないでもないけど。
50キロ100キロの範囲なら可能かもしれないけど、江戸から東海道を丸々めぐるのろしリレーなんて
恐ろしく大規模な諜報組織が存在しないと無理だよ。戦時で強度の警戒がしかれている中、現実的には不可能かと。
あと、船や馬は、関が原のときは軍の移動以外で使う事を禁止されていたようにも。
752 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 18:29:13 ID:LH+AqjM+
結果論だけで言えば
ほぼ徳川以外全員負けの状態なのに家康に味方するなんて馬鹿
753 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 20:24:27 ID:gzEtuG5z
光成と利家と家康の三人なら。
たぶん、利家と光成で手を組んだのに。家康の伊達との結婚を利家が激怒した時
とか何で家康討伐にならなっかたんだろう?
754 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 20:30:13 ID:3QOZORl0
755 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 20:50:23 ID:3QOZORl0
関ヶ原時点で在国武将を除き分散してた西軍勢力を調べたら
田辺城(細川忠興の居城;京都府舞鶴市)に1万5千人派遣。
落城したが九日後の関ヶ原の戦いに間に合わず。
大津城(京極高次の居城;滋賀県大津市)に1万5千人派遣。
落城したが翌日の関ヶ原の戦いに間に合わず。
美濃・尾張守備隊(大垣城、犬山城、駒野城、郡上八幡城他多数)の守備隊。人数は分からないが大勢。
関ヶ原の戦いには当日参加せず。
伊勢地方に3万人派遣。安濃津城の戦いで西軍が勝利。
二十日後の関ヶ原の戦いに主力隊の参戦が間に合った。
しかし多数の守備隊を置いたため、彼等は参陣せず。
他、北国口守備隊、佐和山城守備隊、大坂城留守居・守備隊 と兵を分ける。
関ヶ原の戦いにおいて西軍は8万2千人だったとされるが
少なくともあと3万人程度は集めようと思えば集められた。
長期戦になると読んだ三成の失態と言われても仕方ない。
756 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:03:14 ID:5OpH6YYS
ただでさえ本戦で序盤は西軍有利だったからここに真田と津軽と佐竹がいれば家康危ないよな
757 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:59:17 ID:gzEtuG5z
ああああ。小早川が有利な時に決断すれば、毛利が予定通り動けば。
ちなみに、小早川が東軍についたのは。家康の鉄砲は本当かな?
オレなら逆に攻撃してきた方攻めるが
758 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:18:22 ID:MWFRVfBC
時が来れば、鉄砲威嚇伝説も虚構だったと証明されるさ。
講談によっては大砲撃ち掛けたって話にすらなってるが
759 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:34:44 ID:OIVC8bZz
>>759 結果あれほどの大惨敗をしたのだから、作戦指揮者は非難されて当然だろ。
761 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:54:37 ID:sEI+QYTE
戦場で鉄砲の音なんて
762 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:58:31 ID:ptHtcLhw
>>757 長距離かつ合戦でバンバン撃ってるから、狼煙(のろし)じゃないと合図にならない。
763 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 23:01:49 ID:3QOZORl0
西軍の主力部隊である三成隊、秀家隊、行長隊は急遽夜を徹して布陣したから寝不足だったという説があるね。
夜から動いてたから午前中はちょうど体がほぐれて良い動きをしてたが
正午頃には睡魔と空腹が襲い根気も体力も尽きて面白いようにバタバタ倒れたとか。
764 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 23:20:49 ID:OIVC8bZz
>>760 それを結果論というんだよ。
神君は名将、三成は奸臣でもいいけど、現在進行形の視点で
とらえて評価しないと。
>>764 …
君は「結果論」の意味解ってこの言葉使ってる?
766 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 23:44:30 ID:REIWwAvS
三成ファンは他の武将に責任を擦り付けまくってて醜いわ
三成もこういう奴だったんだろうな。
>>744 >迂回
不可能では無いが、時間が膨大・・・
あの時点で大軍迂回しててとても間に合うかって地理状況
ただ万が一実行されたらと吉川自身も冷や冷やしてたろうし、
家康同様、短時間決着に望みを繋いでた可能性はあるな
三成の狼煙は秀元や長束も当然気付いてただろうから
いよいよもって迂回するか、吉川を退かすかで
小田原評定してる内に戦が終わってしまった、とも考えられる。
768 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 01:52:29 ID:fFieGp0j
三成が大将として「無能」とは言っても平均武将レベルから見たら段違いに大将の器はあったと思う。
とてもじゃないが正則あたりが三成の位置に居ても西軍をまとめあげるのはできなかったし
清正や行長や幸長や長政あたりでも全然論外だったろうとは思う。
家康や利家や正宗などよりは格下だと思うが凡百の大名よりは器として格上だったろう。
769 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 02:01:30 ID:fFieGp0j
関ヶ原で西軍が急遽に柵・砦でも作って積極的に討って出ず
粘ってれば西軍には大津から1万5千の軍勢が応援に駆けつけ
東軍には中仙道から3万8千の軍勢が駆けつけ
さらに、今しばらく持ちこたえれば田辺城からも1万5千の軍勢が駆けつけ
東軍には北陸勢の応援部隊が、さらに西軍には大阪からの応援部隊が駆けつけ
小牧・長久手の戦いや官渡の戦いのように大軍における持久戦模様となって、それはそれで面白かったかも。
東軍も西軍も補給は困難だが東軍の方が本拠地から遠く輸送路に真田や九鬼が居るのでしんどかったかもしれない。
770 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 02:12:32 ID:iRhG9FPG
>>769 >急遽に柵・砦でも作って
着陣そのものは急でも、関ヶ原に於ける築城は以前から準備してたよ。
771 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 08:06:52 ID:q5glgMg5
長浜城博物館に売ってた三成の本に、「三成は仏教を信仰していた」って書いてあったんだけど…これ本当?
772 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 08:36:29 ID:aTbUXz+Q
そりゃ何らかの宗教団体には与してるだろ金にも後ろ盾にもなるし
秀吉はキリシタン禁止令出してるのにその一番上の幹部がキリシタンなんて洒落にもならん
773 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 09:07:17 ID:amKK6dlj
毛利輝元は関ヶ原になんで来ないのだろう?
大阪警護は大野とかでよども三成派だからそんなに問題はない気が
するのだが
>>773 大野は東軍に参加してるし、淀は中立派だ。
775 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 13:03:23 ID:fFieGp0j
>>773 結論から言えば、それに尽きるんだよな。
家康が輝元を大阪城から出ないようにありとあらゆる政治工作をしてた成果とはいえ
もし輝元が関ヶ原に行ったら西軍が勝ってた
というより家康は輝元が大阪を発った時点で関ヶ原を決戦の地には選ばなかったはず。
776 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 14:58:22 ID:pd40OWns
>>773 どうやって関ヶ原に行くんだ?
結果的に関ヶ原で大敗を喫したから”関ヶ原の戦い”なんて名前がついてるが
それこそ正に結果論で、誰もそんなこと予期してない(前のほうで誰かがレスしてたが三成すら直前まで長期戦を想定してた)し
また関ヶ原で迎え撃とうと事前に打ち合わせてあったわけでもない
関ヶ原で東軍を迎撃しようと決定したのが14日夜
大垣城を出て関ヶ原に布陣したのが14日深夜
開戦したのが15日早朝
そして15日正午には早くも敗走
全部あわせても正味半日しかない、この時系列がわかって言ってるなら
それは瞬間移動のワープをして戦場に駆けつけろ か
三成が急遽14日夜に関ヶ原での迎撃を決定することを数日前に予知能力で察知してあらかじめ移動しておけ の
どっちかを要求してるようなもの
そもそも前日の大垣城の軍議での三成の意図も、関ヶ原には強固な陣地があるから、これを利用して東軍を食い止めれば
そのうち大坂の輝元軍や大津城攻撃軍もやってくるだろうっていう方針だったはずだが
それが早朝に開戦して正午に早くも潰走じゃ、比較的近くにいた大津城攻撃軍ですら間に合わんタイミングだぜ
あと当然ながら14日夜の軍議に参加してたのは大垣城にいた石田・宇喜多・大谷・小西・島津らのみ
南宮山の連中すら知らんこと(裏切り者の吉川も最初から後続部隊を邪魔しようという方針があったわけではなく、当日早朝までは大垣城攻城戦になると思ってたくらい)
大きくわけて味方に4つ軍があって(大坂の輝元・美濃攻略軍・大津城攻略軍・大垣城にいて関ヶ原に移動した軍)
そのうち1つの軍が独自の判断で突然敵軍の前に立ちふさがり、あっという間に壊滅したとしたら
その敗因を他の3つの軍のせいにするのは無茶苦茶な理屈だろう?
三成スレだから三成中心に考えるとしても、だ
最低でも大津城の立花あたりが間に合うまで東軍を食い止めることが出来たとして、それで初めて敗因を他の3つの軍に求めることができるくらいだろう
777 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 15:07:53 ID:fFieGp0j
>>776 何度、考えても関ヶ原の戦いはおかしいんだよね。
大津城攻略が済んでないなら東軍の西進を止めるために
三成らが‘盾’となって関ヶ原で待ち受けるというのは全然アリなんだが
大津城が落ちた以上は東軍が西進すれば大津隊と大垣隊ではさみうちにすれば西軍が「勝つ」と思うんだよね。
それとも大津城が落ちたのが関ヶ原決戦の直前だから
その情報を三成が得てなくて、そういう判断を下してしまったのだろうか?
>>777 > 何度、考えても関ヶ原の戦いはおかしいんだよね。
それは君が三成中心に考えすぎて、ものが見えなくなっているだけだと思うぞ。
779 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 16:36:24 ID:fFieGp0j
>>778 俺が三成中心に考えてるって?
おまえは人を叩く事に夢中になりすぎて、ものが見えなくなっているだけだと思うぞ。
「負けに不思議の負けなし」って、真実なんだけどな。
781 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 16:49:05 ID:fFieGp0j
しかし10万近い軍隊が半日で壊滅って、どれほど屑なんだよ。
世に名高い赤壁の戦いだって新しく加わったケイシュウ軍は見殺しにしたけど
曹操軍25万の多くは逃げ切り、その後1年間にも渡って呉の北進を防ぎ続けたわけだし
カントの戦いもエンショウが病死するまで均衡状態が中々崩れなかった。
(その後もエンショウの息子たちが仲間割れしても曹操軍が掃討するのに長期間が必要だった)
782 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 17:39:30 ID:fFieGp0j
三成を見ると太平洋戦争時に作戦立案してた将校のイメージが思い浮かぶ。
突然の思いつきで移動させられる兵士の体力まで、きちんと勘案してたとは思えない。
逆に謙信なんかは現場の士気と味方兵士の体力温存を常に考え
数倍の敵に取り囲まれそうになった時も敵軍が渡河して手足が凍えるのを待って
一気に叩いたりしてた。真田親子も似たような所がある。
783 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 17:48:04 ID:amKK6dlj
でも、大返しとかの兵糧や馬は光成の立案でしょう?
三成は大阪まで馬か生き残りでにげきれなっかたのかな?宇喜多見たいに
784 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 20:08:57 ID:VVLDL77g
このスレざっと見たけど、なんと子供が多いことやら。
もちろん議論が子供と言ってるのではなく、すぐ厨だの氏ねだの実にくだらない。
特に物事を決め付けて人を馬鹿にするなんてもう、人格疑うわ。
第一級史料が絶対正しいとはこの際誰も判定出来ないだろ。
それならおのおのが信じる通説でいいじゃないか。
人を傷つける前にまず人間としての礼儀を弁えろと言いたい
785 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 20:35:51 ID:amKK6dlj
本に書いてあるのだが、はたして石田は関ヶ原は正しいのか。本当の忠臣なら
大阪まで待つべしとあるが、確かに関ヶ原で戦わず(関ヶ原が起きない)なら
大阪の戦いで豊臣有利になったんじゃない?
787 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 20:41:51 ID:fFieGp0j
三成の意図が知りたい。
関ヶ原が半日で終わった点から
「三成は秀忠到着前に短期決戦を望んだ」と強弁する事もできるが
本当に三成の意図は一か八かの短期決戦だったのだろうか?
788 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 23:13:46 ID:hJUBIfEa
>>777 結局三成の戦略に一貫性が無かったのが敗因だな。
6万以上の戦力を各地に分散し、長期戦の構えを取りながら
大津大垣での持久戦を取らず、家康の十八番である野戦決戦に応じてしまった。
家康の側は3万を別働にしたのみ、
一貫して短期決戦で動いてたのが最大限の功を奏した。
単なる調略勝ちではない。
789 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 23:50:37 ID:fFieGp0j
一貫性がないといえば島津義弘に要請して長良川の墨俣に島津豊久し進駐させ
あっさり豊久を見捨てて大垣城へ撤退したなんて事もあったよね。
こんな馬鹿な事をしてなければ関ヶ原において義弘も戦力として使えたかもしれないのにね。
790 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 23:54:19 ID:fFieGp0j
長期戦になれば畿内に残した西軍7万人も居るし
大阪に近づくほど東軍諸将の足並みが乱れるのは必死だし
どんどん西軍に有利に傾くのにね。
あくまで東軍諸将の戦意は三成に対してであって秀頼やら毛利に対してじゃないわけだから。
791 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 02:43:36 ID:vKXZA9b0
とりあえず下げようよ
792 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 12:05:15 ID:+c7K2mQX
お前ら、家康が関が原に進出したら、お前ら大谷・小早川・毛利と
大垣城が分断されるという当たり前の事実に気がついていませんね。
可愛いです。
793 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 13:53:26 ID:KiIYetit
まあ、西軍に不利な事実は見ない聞こえないがこのスレの姿勢。
795 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 14:33:08 ID:/PZgZYt/
佐和山を衝くという家康のデマにまんまとおびきよせられたわけだ。
家康も三方ケ原で学習したんだね。エライゾw
796 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 14:40:44 ID:+c7K2mQX
>>795 全然違う(w。
佐和山行って困るのだれ?
大津城の部隊とぶち当たる可能性があるぞ。
他に圧力減った、大谷他の部隊が行動の自由を取り戻す。
大津、大垣、大谷以下の部隊に包囲される危険性すらある。
城攻めする余裕は多分ないですね。
すばらしい下策です。
797 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 16:32:36 ID:bc9R+3nB
夏休みもあと2日だね〜。
798 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 17:38:55 ID:KiIYetit
,. -─────────‐- .、
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/ | |. ┃ .| | ::::;;;;;;;;;;;;;::::| |. ┃ .| | \
/ \ \_// :::::::::::::::::: \\_// \ 夏休みの宿題は終わったかお?
/ ../ ̄ ̄\ / ::|:: \ / ̄ ̄\.. \
/ ::::: | | | ::::: ヽ.
| | | | |.
| \__/\__/ |
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| |r─‐┬──、| |
ヽ |/ | | /
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\  ̄ ̄ ̄ ̄ /
800 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 19:58:28 ID:KiIYetit
801 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 21:14:35 ID:ItLKrsdz
毛利は中国10ヶ国+石見銀山あっても秀吉軍2万に領国を切り取り放題されてた。
一方家康は柴田を倒して事実上の天下人になった秀吉軍12万と対峙。
この時家康は5ヶ国、しかもうち3ヶ国は制圧から数年しか立っていない足元がおぼつかない状態。
この状況で秀吉軍12万を相手に優勢に戦いを展開した家康は毛利とでは全く器が違う。
関が原での寝返り続出は必然で誰が大将でも同じこと。
秀吉12万の軍勢で倒せないものが、寄せ集めの西軍に勝てるはずが無い。
802 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 21:53:59 ID:IaoEYEbv
織田包囲網を完全に粉砕した信長ならまだしも
包囲網の一つだった武田にすらフルボッコだった奴だぞ
>>802 織田包囲網を完全に粉砕した信長>包囲網の一つだった武田にすらフルボッコだった奴=秀吉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>(なんだかよく解らない絶望の壁)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>石田ミツなんとか
804 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 22:48:21 ID:KiIYetit
信長厨はゲーム板に帰れ
805 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 23:46:17 ID:mmX45HAj
>>792 小早川・毛利w
関が原の結果から見れば、こいつら必要ないじゃん。分断大いに結構w
大谷と離れるのは不安だが
それより家康の苦手な篭城ができる事が大きい
806 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 23:59:02 ID:KiIYetit
小早川が味方の西軍を追っ払って遮二無二西軍の退路を押さえた時点で
三成以外の西軍の全員が小早川は既に裏切ってると気づいてたはず。
秀秋が裏切ってる可能性が高い以上は大垣城で待機しながら様子を見る以外の選択肢など無かった。
807 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 00:04:12 ID:gK/rTOIr
裏切ってるのはミエミエなのに
山降りたらすぐのところに自分から飛び出していくんだからなw
808 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 01:06:29 ID:Ik7Mc18q
島津がやる気満々だった夜襲をしたら結果はどうなったんだろう?
もし夜襲が上手くきまって家康陣営を緒戦でボロボロにしたら
秀秋だけじゃなく広家ですら心変わりしたかもしれないし。
もし夜襲が失敗しても島津勢が全滅するだけで他の軍勢は悠々と大垣城に戻れば良いだけだし。
>>808 夜襲の話は明治になって広まった島津の口伝だ。信憑性は薄い。
不可解なのは秀忠の行動。
真田との闘いに釘付けになって関が原へ遅参してしまったんだけど、なぜ彼は徳川から見れば
小勢力にすぎない真田相手にそれほどムキになってしまったんだろうか。
後に二代将軍になったくらいだから秀忠が凡庸だったとは思えない。
家康は敢えて秀忠遅参を演出することで自軍の力を温存して福島をはじめとする秀吉子飼いの
武将たちで戦を行った。いわゆる「他人の褌で相撲をとった」とも言えるだろうが
それにしても一歩間違えれば彼らが再度寝返る危険性さえあったわけだから、この関が原の戦いは
家康にとってはかなりリスクの高い戦いであったわけだな。
811 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 02:22:58 ID:QDTwk99i
812 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 03:11:00 ID:Ik7Mc18q
しかし実際、長期戦になったら東軍の兵糧はどうなってたんだろうね
10万以上の兵士を雇うために莫大な兵糧が必要だけど
中仙道は真田が邪魔するし、東海道は九鬼に邪魔されるだろうし
現地調達も山国の美濃じゃたいして調達できないしね。
813 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 03:36:31 ID:S2fOeiBT
>>785 主・秀頼の間近で戦いは出来ないだろ?
>>808 広家のやる気の無さは鉄板。
風見鶏の秀秋の方が、まだ可能性があった。
814 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 05:05:31 ID:Ik7Mc18q
広家の戦意がないのは認めるけど
ほんの二十日前まで伊勢に居て東軍の富田信高を討ち破ってるよ。
彼が本格的にサボタージュをしようと思えば安濃津城攻めをもっと極限まで遅らせて
なおかつ美濃への進軍を出来る限るゆっくりとしてれば関ヶ原に到着すらしてなかった。
あまり戦意が無いとはいえ秀元の手前、あからさまなサボタージュをしたり
最後まで指をしゃぶって何もしないというのは困難だったと思う。
仮に関ヶ原の戦いは半日で終わらずに1週間も続けば広家の独断だけで毛利軍を全部抑えるわけにもいかずに
有利な方について戦うしかなかったと思える。
815 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 07:41:20 ID:hGO77HTW
>>812 美濃は濃尾平野の北部を構成する国だよ? 石高も50数万石を構成する大国。
福島正則が治める隣国尾張も豊かな国だし、その隣の三河は家康の地元で東軍に協力的。
調達が難しいということはないだろう。
少々難儀だが陸路東海道で送るという手もあるし。
逆に石田三成が戦費提供を豊臣家に断られるなど、なぜか西軍の方が窮乏していた。
816 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 09:42:15 ID:HmfvJPTu
淀殿がこの頃から実権握ってれば莫大な金銭援助もあったろうけど
大老に睨まれてる当時の豊家としては
揮下2千を石田に貸しただけで手一杯。
817 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 10:37:37 ID:Vg3M96Od
東軍は実は鍋島が用意した兵糧で戦ったとさ。
818 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 13:19:57 ID:esOX6uV5
>>815 そんな単純な思考では、歴史の解釈を誤るぞ。
819 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 14:34:12 ID:csZwqGTZ
>>818 反論するなら根拠を出さないとなあ。
西軍の兵站は〜〜で、東軍の兵站は〜〜で、ってさ。
>>818 なにがどう単純なんだか。まあ、世の中物事を無理に複雑に見たがる人間も多いがな。
たいてい自分の結論に事象を合わせるためにそうしているがw
821 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 15:13:06 ID:Ik7Mc18q
尾張は豊かだけど海岸線から九鬼がしばしば上陸して農村から兵糧強奪などの海賊行為をして
さっさと逃げちゃうし。
美濃の城の多くはいまだ西軍が押さえてるわけだし
東軍は、あまり徴発は期待できないよ。
もちろん西軍も関ヶ原-大津間を東軍に封じられたらたちまち兵糧の調達に困る。
822 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 15:30:46 ID:QDTwk99i
豊臣恩顧の大名は全員家康側。
毛利輝元は大坂城西の丸を占拠しただけで豊臣家は西軍への協力をほぼ拒否。
三成は五奉行を罷免された身、家康は五大老筆頭。
この状況では当時は誰が見ても三成や毛利による豊臣政権への反乱でしかなかった。
時間が経過するにつれ動揺するのは史実通り西軍の側。
823 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 16:04:21 ID:Vg3M96Od
それに、確か清洲城に太閤から家康の反乱時の為に
20万石だかの兵糧が与えられていたし。
824 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 16:45:08 ID:vzf66ZE3
>>822 三成も大谷も小西も豊臣恩顧
家康を糾弾する公文書である内府ちがひの条々には大老の毛利、宇喜多と
奉行の増田、長束、前田の署名があり、同時に奉行でない三成の署名は無い
825 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 16:54:37 ID:mf8Y9NMU
持久戦で家康有利なら家康がその戦法を取ってると思うぞ
>>825 持久戦の方針でも、戦期が来たと思えば決戦に出るだろ。
家康はそう言うのを見逃す武将でもあるまいに。
827 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 17:03:00 ID:mf8Y9NMU
それで関が原か?裏切るかどうかも分からん奴で
勝利の確信はしないだろ
本隊の到着も待たずほとんど自分の手駒以外で戦うのは危うすぎる
>>827 危うすぎるっつーても、実際にそれで戦って圧勝したがな。
829 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 18:01:36 ID:Ik7Mc18q
家康側は最初から短期戦を目論んでたよ。
830 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 22:40:09 ID:cQOSKQ/2
だよな。秀忠がいないから本来、短期圧勝の予定が狂っただけだよね。
831 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 23:12:51 ID:Vg3M96Od
短期戦もくろんでいたとしても一戦でケリがつくとまでは
思っていなかっただろ。
832 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 23:42:35 ID:HmfvJPTu
>>822 >>824 見た限り、やはり豊臣政権側は三成だな。
家康が筆頭大老の身でありながら、秀吉のルールを破ったのはそれこそ謀反であり
これを正当化できるのは家康の圧倒的な力だけと来ている
今で言えば米単独戦争に抗して国連軍有志(仏露中+反米諸国烏合)発足
どちらが正当かは分かっても、やはり米に付いて行く他無いってのが東軍小家諸将
833 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 00:49:24 ID:b7ur8A6P
太閤秀吉を平気で明の臣下である日本国王に貶め
太閤に後事を託された大老筆頭が畿内を留守にした隙を付いて反乱を起こし
豊臣家が所有する人質を我が物のように扱おうとして死人も出し
太閤が息を引き取った伏見城を廃墟にした
そして最後は市中引き回しのうえ反逆罪で斬首された
834 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 02:18:16 ID:ZwbjnoHR
秀吉は伏見や大阪をどうこうせいとは遺言でも言ってない。
秀吉の遺言及び望みは秀頼の身の保全を保証し
天下を継がせてあげて欲しいという事だけだ。
さらに、その目的のために御法度を作ったが
結局家康は遺命の全てを破った。
鬼畜としか表現しようがない。
835 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 03:49:39 ID:RFJSzt2S
主家を乗っ取った禿鼠の手下ども誅するのは当然だろ
836 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 10:07:12 ID:CW0u7zeD
謀反人のウンコタレを誅するのも当然である。
> 秀吉の遺言及び望みは秀頼の身の保全を保証し
> 天下を継がせてあげて欲しいという事だけだ。
厚かましいにもほどがある。
838 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 13:28:34 ID:ZwbjnoHR
せめて家康が秀頼を殺害せずに大阪65万石の太守&公家として残してあげたら
秀吉が秀信や秀家に対して行った処遇と対して変わらないから
家康が叩かれる事もなかっただろうにね。
839 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 13:29:31 ID:j+14B1ms
やっぱりみんな石田なんか大嫌いだよな。
こんなやつ好きになれるわけない。
841 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 16:04:50 ID:ZUSo4x7O
家康も豊臣を一介の大名として残す気は全く無い訳では無かったのに
現実を見ずに天下人気取りして生き残る可能性を0にしたのは
豊臣サイドが悪い。
842 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 16:18:49 ID:CW0u7zeD
家康の目的は豊臣家を滅ぼすこと。
843 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 16:20:14 ID:ZwbjnoHR
そうか?
清正と幸長が先に病死した時点で
秀頼を一介の大名として残す気が全く無くなったと見る方が自然だろ。
彼等が死ぬ前だったら最悪の場合、西国大名の
何人かは大阪方につきかねないから秀頼を殺す気は完全に0だったろうと思うが。
844 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 16:47:32 ID:ZUSo4x7O
>>843実際のところ、そうだったかもしれん。
家康が完全に滅ぼす気だったのか違うのかは本当の所は分からない。
でも家康の考えがどっちにしろ豊臣家の選んだ選択肢は悉く意味不明。
滅びるべくして滅んだって感じだな。
>>843 あほか。家康は乱の前からもうずっと豊臣家に、大阪城を退去すれば好きなところに領地与えるって言うとる。
既に幕府を発足させた徳川家にとって、大阪の戦略的価値>>>>>>>>>>>>>>豊臣家だ。
信長があれほど本願寺と戦ったのも、大阪の戦略的価値>>>>>>>>>>>>>>本願寺だったわけだし。
信長は顕如たちが大阪本願寺を退去したあと、彼ら大谷一族を滅ぼさなかった。
家康も同じようにしたと考えた方が自然だろ。
同じように、もし大谷一族が、大阪本願寺を退去せずに篭っていたら、信長は躊躇無く彼らを
滅ぼしただろ。戦略上の要地としての大阪を確保するためにな。
この時期の「豊臣家」の価値を過大視するのはどうかと思うぞ。
846 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 17:14:43 ID:ZwbjnoHR
>>845 言い訳にしても酷すぎるな。
まるで女子高生コンクリ詰め事件の犯人と全く同じ言い様だわw
>>846 言い訳って、誰に対してw
答えに窮したらそうやって相手にレッテルを貼れば逃げられる、と思っているのならそれは
考え直した方がいいぞ。通用しないよ、世間じゃ。
848 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 17:43:15 ID:CW0u7zeD
違うね。
豊臣秀頼という御輿にこそ意味があるのだよ。
反徳川の旗頭として祭り上げられる可能性を何より
家康は恐れたのだよ。だから自分の目の黒いうちに
火種は取り除いておきたかった。
後の島原の乱などが良い例だよ。
849 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 19:22:43 ID:amZ/X/RE
>>845 大坂城退去の要求って法広寺での言い掛かりの上での要求だろ
豊臣家を潰すために、拒否される事を前提とした要求にしか思えんよ。
豊臣家からすれば仮に転封したところで再び法広寺みたいな事がされないとも言えないんだし
従順に従う事はまず出来ないだろうね。
一方で徳川方も片桐の申し開きを受けてる最中にも各地の大名に誓詞を要求して
軍勢を集めようとしてるし
また、同年に徳川内部で大きな政争が起きてゴタゴタしてた時期だから
家康がかつての豊臣家と徳川家をダブらせて、危機感を持ってもおかしくない。
実際大阪の陣には10万も兵が集った訳だから、神輿としても相当なもんだよ。
850 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 19:42:47 ID:0xlMQlo7
権力や権威が一つの国に二つあるのはありえないな
幕末でさえ幕府を完全に解体させてる
851 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 20:18:42 ID:b/tM41Pm
家康の真意は今となってはわからないけれど、
最終的には豊臣家を軍事的に無力化する方向だったのは間違いないだろう。
その選択肢の中には武力で抹殺するという手もあったろうし、
国替えやら何やらを繰り返して最終的には数千〜数万石程度にするという手も考えていたと思う。
豊臣家の愚かな所は、そういう風に延命処置をする手立てがあったにもかかわらず。
自ら滅亡への道を突き進んだことだな。
生き残ろうと努力した上で「滅ぼされた」というなら同情もしようが、
自ら「滅んだ」のだから救いようがない。
852 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 21:02:07 ID:mDzW7hzB
このへんの話は大坂の陣や秀頼、家康関連のスレでも良く見る
とりあえず三成絡めようや
三成が秀吉の帷幕に入ってきたのっていつごろ位からなんでしょうな?
賤ヶ岳前後くらいにはもう秀吉付きの秘書官みたいなことしてたみたいだけど。
854 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 21:43:59 ID:+wU663tm
>>680 信義って二代藩主だっけ?
あいつは天海のお気に入りだったから
その辺で勘案されたんじゃないかな。
855 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 22:49:26 ID:ZwbjnoHR
秀吉は「閣僚組織」と「官僚組織」の両方を作ったところが不味かったな。
徳川幕府は大領を持った人達は外様として政権中枢にはいれないし政策にタッチさせてない。
豊臣家は秀吉が生きてる間は閣僚も官僚も一手に率いる事が出来たが
秀吉が死んだら閣僚たち(家康、利家、景勝)と官僚たち(三成、玄以他)とギクシャクするし
永続的に続く組織のわけがないじゃないか。
>>855 > 秀吉は「閣僚組織」と「官僚組織」の両方
それ室町幕府と全く同じつくりなんだよな。
室町幕府の歴史も大諸侯と幕府官僚(将軍側近)の抗争の歴史。
857 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 22:53:51 ID:rNdFqjz5
推参なり黒田長政、不忠者細川忠興。いまこそ天ちゅうを加えん!
858 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 22:56:04 ID:ZwbjnoHR
あと秀頼に対して、土下座して大阪城を出れば命を助けられたかも
なんて言ってる奴はどこまでゆとりなんだよ。
レイプされそうな女性に被害を最小限にするためにコンドームを犯人に手渡せとか
機嫌を損ねないように積極的にレイプに応じろと言ってるのと完全に等しい。
何をやっても生殺与奪の権利はレイプ魔側にあるんだから全く無意味だろw
>>858 全国の大名公家が見ている中「公儀」として行政的な処分をすることを犯罪と一緒にするってどこまでアホなんだ。
860 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 23:23:15 ID:ZwbjnoHR
秀吉が夫から奪った朝日姫だけど
旦那は抵抗して自分の家を城に畳を盾にして戦ってるんだよな。
無駄な抵抗と呼びたきゃ呼べ。
一寸の虫にも五分の魂。武家の意地というものがあるんだ。
俺は秀頼の最後の抵抗は少しも無駄だったなんて思わないぞ。
861 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 23:32:03 ID:mDzW7hzB
>>860 個人が切腹なら他にそう迷惑はかからないが、秀頼はその五分の魂やらのために、客観的に見て絶対に勝てる
見込みのない戦争を始め、堺や大阪の町を焼き、多くの民間人、将兵を殺し、そして当時の武家なら何よりも
大切なはずの、自分の家の社稷を滅ぼしてしまったわけだが。
乱を起こすなら起こすで、当時の武家なら事あるときには誰でもやる、家を二派に分けて一方を敵側に所属させ、
何があってもお家の存続を図る、という事すらやっていない。この知恵のなさは一寸の虫以下だ。
秀頼に五分の魂があるなら、豊臣家にも徳川家にも関係ないのに無駄にこの乱に巻き込まれ殺された
多くの人々にも、五分の魂があると言う事を考えるべき。
863 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 23:56:56 ID:ZwbjnoHR
客観的に見て勝てないから土下座してレイ〜プされて惨殺されなさいですか
あ〜あ。 ゆとりとは話せんわ
864 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 00:01:25 ID:CO3puiP/
夏休み終わったっつーのになんだよこの荒れ様はwwww
865 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 00:08:24 ID:jQ5zg6hv
あれだけ無茶苦茶な言いがかりつけた上に、和議も即座に破る徳川と
話し合いの余地何てあるわけない。
最大の失策は偽りの和議に乗った事。
そして家康たちが内堀を埋め出したとき、即座に開戦しなかった事。
そこで開戦してれば東軍は一旦は撃退され、
和議を破った上に大阪城を落とせなかったという大失態。
各大名の動揺は必至。
866 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 07:03:12 ID:60NYCVmQ
>>865 >あれだけ無茶苦茶な言いがかりつけた上に、和議も即座に破る徳川と
>話し合いの余地何てあるわけない。
それは君の主観でしかない。
不利な戦争の前には開戦を避けるための最大限の外交努力をするのが当たり前の国家の姿。
日米開戦の前の日本だって米英によって結構無茶苦茶な状況に追い込まれていたけど(自業自得の部分もあり)、
東郷外相を筆頭に真珠湾の直前まで開戦回避のための外交交渉を行っていた。
豊臣方がそれをしたかね?
867 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 07:10:33 ID:7635gLbU
___ ━┓
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/ノ (●)\ ・
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868 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 08:16:38 ID:TRpmvIpt
秀頼と劉禅って叩かれ方が真逆で面白いね
869 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 08:39:41 ID:5n1jcFTT
大坂方に外交能力を持っていた人物が皆無だったってことじゃないのかな。
片桐且元じゃね・・・。外交能力も三流だし、豊臣家をなんとしても残そうっていう
気概があったかどうかも怪しいし。
あと、秀頼にリーダーシップ能力が皆無だったことも大きいわな。
870 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 09:08:24 ID:O7sBjlVz
>あれだけ無茶苦茶な言いがかりつけた上に、和議も即座に破る徳川と
>話し合いの余地何てあるわけない。
えーと、家康が実質的な天下人になってから大阪の陣まで
どのくらいの月日があったと思うんですか?
871 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 09:14:35 ID:kiNNQOUi
秀頼が成人するまで待った感じもするな
872 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 09:19:27 ID:hxwcAbSi
>>871 むしろ清正、幸長らが死んだ事を貴貨にしただけな気もする。
家康より彼等が長生きしてれば普通に秀頼の件はスルーしたんじゃないかね。
873 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 14:34:47 ID:hxwcAbSi
片桐且元が裏切り者である事は疑いを持たないんだけど
彼が大阪の陣の二十日後に急死したのは秀頼に対する殉死だったのかな?
それとも家康に一服盛られたのだろうか。
彼の死後、且元の家も取り潰されてなかった?
弟は大名になってたけど。
874 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 15:18:44 ID:9t0ul6IG
伊達を恐れていた。
伊達を恐れていた。
信長を凌ぐ天才政宗が秀頼と同盟して江戸を挟み撃ちにする予定だった。
それを察知した家康は直ちに大坂へ出陣。
政宗にも動員令を下し、監視下においていたのだ。
875 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 16:20:20 ID:Qt3XrHoq
伊達は噛み付くことに関しては一流の馬鹿犬だからな
後年になってからはかなりおとなしくはなったが…人間そんなに変わらんし
実力さもわきまえず噛み付くからわずらわしいことこの上なかったんだろ
三成が死んだ時点で唯一の味方側だった三成に非協力的だった豊臣はごみ同然だろ
助けに来たやつの手を払うようなやからは家康も嫌いだろうしな
三成は別に豊臣家のために挙兵した訳じゃ無いしなあ。
877 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 18:52:29 ID:Qt3XrHoq
太閤の約束を破りまくってこの戦いに勝てばおそらく誰も文句が言う人がいなくなる家康と
ろくにろくもないくせに毛利家を旗頭に対抗勢力として奮走してくれてて別に勝っても除こうと思えば除けそうな奴
どっちが後々の憂いになると思ってるんだ?
本心はどうあれ自分の不利益を除こうとしてる奴に協力をしないのはゴミだろ
878 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 19:09:27 ID:793qh1c+
みんな戦乱の世が終わるのを望んでたんだよ
879 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 19:41:41 ID:oQEoRps3
約束破りって勝手に結婚の話進めたとかその程度だろ
馬鹿馬鹿しい
政敵を糾弾したい者はストレートに俺の邪魔だからとかこいつを蹴落としたいからとは勿論言わない
やれ○○に違反しただのと相手の粗を探してそれを利用して表向きの理由にするもんだ
よくある話
400年後の俺たちまで感情的に一方に肩入れしたあげくその表向きの口実にノル必要はないだろう
ああ、あと勝手に加増したとかいう話もあるか
それだったら石田三成だって西軍に引き入れようとする諸将に勝手に加増の約束してるな
対小早川なんて上方二カ国の加増まで条件にしてるし
つまり政争に勝つため、自分の味方を増やすために餌をちらつかせるのは当然のことで
そのためには遺命破りなんて言ってられないわけだ
つまりどっちもどっち
880 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:46:44 ID:os7TlJEq
>>872 微妙だな。家康は大坂に危機を感じたら結局大坂攻めはやるだろう。
牢人、大坂城、秀頼、キリシタン、福島、伊達、島津等々、それらが結び付くと秀忠じゃ捌けぬ不安因子は多い。
それは清正等がいたとしても大差ないし、むしろさらなる負担になりかねない。
なんにせよ、大坂方の反応も急すぎるから反徳川思想があり不安要素だったと言われても否定しにくい。
ただ、清正は生きていたら必死で両者の間を取り成そうとする気がするから、俺は清正が死んだのは豊臣家にとって不幸だったと思う。
>>873 単に過労死じゃね? 自殺説もあるらしいが。
家康に片桐殺すメリットもないだろ。息子が死んだ時、末期養子で減封されてるがそこまでいくと疑いすぎ。
あと、俺的には片桐は裏切り者というより淀の要望にも家康の要望にも答えられずきりきり舞いさせられた感じだと思うが。
>>879 豊臣政権の三成からすれば制度の崩壊だから許せなかったんじゃないかな。
まあ、どうせ三成にとって許せない話でも、豊臣政権なんて文治派、武断派の争いで内部分裂の傾向だし、家康が実力で天下を治めるうえでは秀吉の遺命に拘る必要なんてないんだがな。
それに石田軍記辺りに八月十九日に三成は家康襲撃を企んでいたという記述があるらしいし、私婚問題も家康が反対勢力炙り出しのためにわざと責め具を作ってやったようなもんか。
ところで、秀吉の遺命を詳しくまとめた本とかだれか知らない? 秀吉の遺命の重要性を知りたい。
881 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 00:02:21 ID:2EA3hQbp
旭姫は俺の嫁
まで読んだ
882 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 00:31:55 ID:RE6dbfRL
やはり、豊臣は三成派が関ヶ原で壊滅した時点で滅亡は確定かな?
あの時代家康と戦えたのは伊達、黒田はとうすぎるし、豊臣で重臣
になれなかったから。光成しかいないし
>>882 もっと早い。実質的に政権としての豊臣家は秀次を滅ぼした時にほぼ解体してる。
その後は豊臣家、ではなく、秀吉の個人権力だけが存在したに過ぎない。
884 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 00:43:09 ID:rOSimAHU
大坂攻めは大久保と本多の政争もでかいと思う。
アレだけ腐心して後継者対策をとって、織田や豊臣政権の二の舞にはしないようにしてきたのに
気がつけば自分の腹心と秀忠の腹心が政争を始めるとか、まんま豊臣政権みたいな現象が起きたんだから
家康も気が気ではなかったと思うよ。
そして結局は自分の腹心を保護せざるを得ないから大久保忠隣を失脚させて
大久保長安と関連する人間の多くを連座、秀忠の側近連中には自分への忠誠を誓わせる誓詞を提出させる等、
ここらへんの流れも秀次事件に近いものがある。
最終的には秀忠が従順だったから何事も起きなかったが(起きる前に大坂の陣を誘発させたのかも?)
実際は秀忠側近は大いに不満だったんで、一食触発の危うい事態だった。
これだけの背景を考えれば、家康は豊臣家の再逆転を恐れたかもしれないという事は十分ありうる。
885 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 00:44:50 ID:rOSimAHU
うわ、変な漢字間違いしてるし。
一食触発→一触即発ね。
886 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 03:55:08 ID:G9+vdOVR
887 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 10:53:27 ID:9Gnh9CBO
三成が責められるべき点は能力不足だった点で
道義上責められるべき点は少ないと思う。
負ければ賊軍だから叩かれるのは仕方ないが・・・
888 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 11:46:28 ID:nQu1Mmmm
正直な話、家康の有能さでも、三成の無能さでもなく、
東軍諸将の無節操さと西軍諸将の無責任さを主題にした方が
意味があるし、面白いと思う。
889 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 12:06:31 ID:9Gnh9CBO
加藤清正は微妙な動きをしてたようですね。
関ヶ原勃発当初は中立を守り状況を静観してたが
如水が北九州を制圧するや合流。一緒になって西軍の城を攻め始めた。
彼の胸中はどうだったのか知りたいね。
また如水&清正が島津攻めをする直前で関ヶ原が終わり
家康から攻撃停止命令が出たが、実際問題関ヶ原がなかったら如水たちは勝てただろうか?
ほとんどの兵士及び将は在国してたので簡単には島津も負けなかったんじゃないかと思う。
890 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 01:40:20 ID:UrDpeeqv
三成のオレの最大の疑問だが三成隊は関ヶ原で踏み止まらずに親衛隊
だけで大阪城に逃げることはできないのかな?
百人とか少数で逃げれば大阪の毛利とかに助命し宇喜多にはなれたん
じゃない?縁者もさわやまから大阪につれていき再起。または頑固だから
突撃とかするおそれがあるが、どうだろう?
891 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 02:16:18 ID:v7j5j6b2
>>890 三成は普通に逃げようとして捕まったじゃん。
それに佐和山城サイドは東軍に包囲されるまで西軍壊滅を知らない。
それほど西軍の崩壊は急激だったからね。
892 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 23:08:22 ID:yMJQv9ym
なんで村の中なんかに篭ってたんだ?
切腹まで控えて西上した三成の使命は
一刻も早く大坂に帰り付いて輝元や立花と再起する事だろう。
あれじゃぁ単に治部が
我が命惜しさでコソコソ隠れてたように思われても仕方ない
893 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 23:50:12 ID:Y7X52qJX
いや、めちゃくちゃ体調崩してたんだよ
つーか、関ヶ原の一戦だけで西軍は文字通り「壊滅」したからなあ。
あの規模の軍隊ではちょっと例が無いくらい。
家康は戦後の秩序回復も異常なくらいすばやくやってて、それやこれやで三成も動きが取れなくて
村に篭らざるを得なかった、って事でしょ。
895 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 11:48:00 ID:EiDT/N7v
そんなことよりみつにゃんについて語ろうぜ
896 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 12:14:46 ID:kqqyc9gX
もう一度聞くが三成が逃げたのは知ってる。騎馬とかに乗り継いで大坂まで
逃げれなかったのかな?
わざわざ樵になり歩かずに大坂に逃げれると思うのだが・・・
>>896 1:馬の通れる街道なんぞ走ったら見つけてくれと言っているようなもの。
2:そもそも当時の日本には騎馬で高速で移動できる道路は整備されていない。
馬を乗り継いで、と言うが、西軍による秩序が崩壊した以上、もしそんな駅伝を整備していたとしても
馬の乗り継ぎ先で裏切られて捕まっても文句の言えない状況。
898 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 07:13:33 ID:n2AgKOb3
普通領国に帰ろうとするのが当然だろ
大坂は佐和山以上に危なすぎる
西軍もヤル気なくしてるから関ヶ原前までの味方はもう味方じゃない
三成が一人でノコノコ自分のトコにやって来ようもんなら首取られておしまい
でもってその首を家康に差し出して自らの立場を有利にしようとするだろうな
西軍どころか豊臣家も危ないな敗北後の三成にとっちゃ
それまで旗色を鮮明にしなかった豊臣も三成の首を取って東軍支持の立場を示すだろう
負けた者にはとことん冷たいもんだ
899 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 08:16:41 ID:cFDZU/BB
旗色か
豊臣は直属兵2000を三成に貸与してるから一応西軍支持だがね
900 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 10:55:51 ID:UYnXZSlD
薩摩島津まで落ちて再起を図ろうとしてたって逸話もあったよな
>>898 西軍やる気なくしてると言うが、立花とか毛利秀元とか
むしろやる気まんまんだったぞ
>>900 > 薩摩島津まで落ちて再起を図ろうとしてたって逸話もあったよな
んで、最終的には秀家と一緒に囚人籠で家康の元に送られて終了、と。
902 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 14:47:29 ID:1nAokFxb
そういや
長束は自害に追い込まれたけど
増田は追放ですんでるな
この違いはなんなんだろうな
903 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 14:51:23 ID:O2Vqot9h
>>902 治部スレに書くことかは分からんが、増田は家康に情報を流してた功有り。
904 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 16:46:03 ID:UYnXZSlD
増田は息子の行動の方がよっぽど興味ある
前半徳川方で戦った大阪の陣、どうして後半は大阪方に寝返ったんだろう
討ち取ったのが元石田家臣(大阪の陣の時は藤堂家臣)というのは
なんか因果だな
905 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 10:16:10 ID:vsUmCa16
豊臣の淀は光成と仲が良かったらしいが何で三成をもっと支援
しなかったのだろう?
次に自分が(大坂)が攻められるのは想像できたんじゃ?
906 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 11:37:36 ID:PjHD1M+Q
三成は淀とさほど仲良しさんでもなかった説もあるからどうなんでしょうね。
907 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 11:45:43 ID:LEk9Tzd9
肉体関係にあったはずだが
908 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 12:11:37 ID:8Fmi9q9A
ソースは?
909 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 13:15:27 ID:wCZW3u6p
>>905-906 権力という意味では、淀や大野にとっては三成は疎ましい存在だったのかも?
功臣VS一族・側近というのは、よくあることですが。
>>907 徳川史観、乙w
910 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 13:43:55 ID:ErT+8thG
>>909 淀が誰かと密通していたかなんて、そんなもん徳川史観でもなんでもないぞ。
大体三成と淀の肉体関係説なんて下世話なもの、明治以降の小説とかで広まったようなものだわなw
912 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 00:38:15 ID:zKGxvSCu
秀吉には譜代の臣も親族も全然いないもんな。
そりゃ秀吉がいなくなったら崩壊するのは当たり前、みな自分の保身だけ。
淀殿から見ても三成なんて秀頼そっちのけで権力闘争してる連中の1人と
しか見えなかったんだろ。
913 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 02:10:56 ID:IjGXgdb0
従来の淀&三成VSねね&武断派って説はあんま根拠無いらしいね。
事態はそんな単純なもんじゃ無かったとか。
最近ではねねは三成派に肩入れしていた、とされているな。んで、淀の方は中立派。
915 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 16:43:52 ID:83dJzsMt
一応福島は譜代みたいなもんだが
真っ先に家康に走ったからな
916 :
人間七七四年 :2007/09/11(火) 20:25:19 ID:rp03cmSN
晩年に、いきなり領地没収されて
「家康に騙された。三成の言うことを聞いていたら良かった」とようやく後悔してるし
本当に世の中の構図を読めてなかったんだな
917 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 20:47:08 ID:ZQws2VfA
>>916 >「家康に騙された。三成の言うことを聞いていたら良かった」とようやく後悔してるし
どの資料に残ってる言葉ですか?
918 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 05:06:11 ID:blMiUzVD
つうか正則は騙されるも何も最初から豊臣の天下を見限って家康に付いたわけでしょ
秀吉が死んだ直後、まだ利家とか健在で豊臣恩顧の武断派文治派が一応協力して
家康を弾劾してた頃にも既に家康と婚姻関係結んでるし
誰よりも秀吉の恩を受けながら家康に奔ったという点で不義理者だと非難されるのはある意味当然だが、
猪武者のイメージで時勢読めない奴扱いされるのは気の毒だな
919 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 07:41:57 ID:vOoPIzjR
利家健在時に家康に奔ったのは、不遇な連中ばかりだが、
まあ、森とか大谷とかは不遇とはいえないが、厚遇されているわけじゃない。
福島は対家康戦の要として厚遇されたわけ。
ぶっちゃけ、空気読んでないな。
920 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 08:01:48 ID:WqmEu03Q
大谷は秀吉生前から家康と交流あったろホームパーティーに招いたりとか
921 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 13:10:40 ID:ZqOyFSOI
正則に比べればまだ清正や幸長の方が豊臣の存続を考えてたな。二人とも早く亡くなったが。
922 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 16:31:55 ID:+8FCp1GO
大谷って秀吉生前は前田のおさえ的役割もあったから、前田に走らないのは
不思議じゃないと思う
923 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 16:44:11 ID:VwWEpviq
豊臣恩顧っていうのがよくわからない
924 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 17:47:47 ID:UmOjw/pP
秀吉が死んだときに追い腹を切った人はいないの?
925 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 11:25:58 ID:M5EXNZel
一代で成り上がった上に秀吉は天下統一のたった8年前まで織田の一家臣。
豊臣に忠誠つくさないとか当たり前すぎると思う。
926 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 18:37:42 ID:hAWuSyIG
織田秀信の一家臣にすぎないからね秀吉は
927 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 09:00:48 ID:KdPxnk/U
その秀吉の腰巾着である三成をどんなに他を貶めて
相対的に地位を高めようとしても無駄と言う物だ
928 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 22:12:46 ID:KtCj6uvP
蜂須賀小六とか竹中半兵衛とか、羽柴秀長とか・・・
もっと長生きしてたら良かったのにな。
してたらこの歴々の中ではどういう評価を得ていただろう。
929 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 22:33:07 ID:IkCwO1Fs
小六ちゃんは歴ヲタにはそれなりに評価されてるでしょう。
歴史に興味ないひとにとってはどマイナーなだけで。
半兵衛は武勇伝が眉唾だし
秀長は小説の影響が大きいだけで
二人とも実績はぼやけている。
930 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 18:09:52 ID:9hWFOQw1
931 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 21:08:36 ID:Ls15n63I
アンチはもうアンチスレたててやってくれないか?
感情的な批判ばっかり
そうか?三成シンパの方がよほど感情的な書き込みをしているように見えるが。
933 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 21:54:40 ID:qKJNXaDJ
>>476 超遅レスだが
三法師を信孝の元に置くことに対しては勝家すら批判していたが
935 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 04:21:47 ID:FRXd1SP+
936 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 10:46:01 ID:08rbjUdU
937 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 15:04:36 ID:9C3U2j9R
豊臣家のことを考えるなら関が原なんかやらずに時間稼ぎすればよかったのにと思うんだが…
豊臣家としては家康は老い先短いが秀頼はこれから成長していくんだから。
938 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 16:35:07 ID:ppzTSM4W
>>937 上杉が取りつぶされたら、頼れるのは毛利と宇喜多だけになる。
939 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 17:17:58 ID:P00LgHVk
家康には優れた跡継ぎと某臣本多正信がいるぞ。
940 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 21:30:05 ID:xdB79Q6L
伊達政宗が変な野心を抱けば戦下手の秀忠は危うい
941 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 02:02:48 ID:nE5T4EoL
せやけどそれはただのifや
942 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 06:29:31 ID:VssKf6Ti
高知県民は闘犬や闘鶏でもやっちょれって事だ
943 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 10:19:04 ID:sGAnidW/
秀吉の真の忠君って三成しかいないんだよ
前田利家も最終的には秀吉を
裏切ったわけだし
晩年の利家は豊臣家に内緒で家康と和議結んで
領地増やしてもらったり
結局利家ってその場の雰囲気読んで勢いがあるほうにつく奴なんだよ
加賀藩の藩主になって徳川とイチャイチャしたりね
越前松平家と一緒になって大久保利通を暗殺したり
俺は三成なんて興味ないけど信長の家臣の勝家みたいな奴だな
秀吉にはいっぱい迷惑かけられただろ 三成
944 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 11:19:45 ID:iVTQmtjS
迷惑だなんて思っていないだろ
945 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 17:35:09 ID:FvoyrXs3
The結果論者
〜するべきだった
>>943 忠君って何だよ?それを言うなら「忠臣」だろ?w
だいたい三成も権力拡大の大義名分に豊臣家への中世を利用したまでで(しきれなかったけど)
忠臣とか言うような人間ではないよ。
だいたい三成のような豊臣家と血縁があるわけでもなく、先祖代々の家臣でもない人間が、主家への
絶対的忠誠を捧げるというのは、当時の武士の意識からして非常識だ。
戦国をまだ抜け切っていない当時の武士は、もっとドライだよ。
947 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 20:23:34 ID:vTbzh9Qv
>>946 三成が変人だったで、説明が付くだろ?
19万石で家康と戦おうなど、変人じゃなければ出来ないよ。
948 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 21:13:26 ID:ne+Flqwh
だがそれがいい
主君が変人なら家臣も変人、か。
949 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 12:27:22 ID:Im/+sUuM
偉人は多少変人じゃないとな
>>947 心底変人ならあんな大戦できねーよ。三成一人が変人でも回りは常識人だw
951 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 12:54:23 ID:E7WYXsqQ
>>950 小泉純一郎が変人で、周りは常識凡人だった結果が今の世。
時流ってのもはそんなもんだ。
あと三成も、以前から色々と準備もしてたしな。
952 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 17:32:28 ID:KwdZcCXO
>>951 小泉は変人というよりは変質者だけどな。
石田三成公と比べんなよ
953 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 21:49:41 ID:O9G2Z4gK
>>934 『南行雑録』勝家の堀宛書状 10月6日
954 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 01:16:49 ID:dZPcMjrZ
955 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 14:58:30 ID:TA67Z9Ep
>>954 なにレイプ魔チョン一郎を擁護してんだよ。マジキメー
久しぶりに「低脳」という言葉を思い出させてくれる書き込みを見た。
957 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 01:20:05 ID:yQAf76Sd
>>946 お前の前段の主張の根拠は何だかあげてから言えよ。
まさか「だっておれがそう思うんだもん」じゃねえんだろ?w
>>957 >>946ではないが、豊臣家譜代の融和を図らず、外様諸侯を大量に大阪に引き入れて徳川勢力と
決戦するような人間が「豊臣家の忠臣」とはとても思えないが。
959 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 06:15:13 ID:fNlrGaZx
それは三成が失敗したことを知ってるからでる結果論であって公平な意見とはいえない
960 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 09:44:15 ID:yQAf76Sd
融和がなんちゃらは論点ずれてるよ。
主体(この場合豊臣家)を思うために、獅子身中の虫(非常に分かりやすいから意も載せた:組織などの内部にいながら害をなす者や、恩をあだで返す者)
を除くなんていくらでもある事だ。
関が原の事も、以前から家康は自分の基盤のみ強めようと、秀吉の遺言まで無視して専横してた。
そして後には秀頼殺して政権簒奪するような奴なわけで、そういう奴を除くため助力仰ぐ時に外様も譜代もあるかって。
そもそも豊臣政権なんて譜代ってのが存在しないじゃん。
三成貶めるためならなんでもあり、ってのはどうかと思うよ。
論理的にね。
961 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 17:54:16 ID:/J9/hRLp
あ、そうだった。豊臣には譜代が存在しなかったんだ。
962 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 09:36:33 ID:LaDgJcef
加藤清正らによる三成襲撃事件で三成が家康に保護を求めた
というのは徳富蘇峰の誤りで、それが以後すっかり定着してしまった
ものだそうだ。
ドラマ・映画・小説などでも抜かりなく演じられてるので
史実と信じられてるが。
963 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 13:09:38 ID:mxrcYcRU
>>962 当時の資料では見当たらない話なんだ?
佐竹義宣が佐和山まで護衛して行ったってのも、作り話??
964 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 15:08:46 ID:Pbc/RkrH
当時の史料では三成が家康の屋敷に匿われたなどと記すものは
存在しておらず、三成が逃げこんだのは伏見城内の「治部少曲輪」
とされており、伏見城外の向島に屋敷を構えていた家康の下では
ないとか。
ただその詳細を記した本を読んでないので、三成がその後佐和山へ
どうやって送り届けられ、通説では政務から引退させたという
話の真偽は分からないのだが。
965 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 20:37:52 ID:4cpGXZVv
こんな奴に道連れにされた人達が哀れでならない
東條と並ぶ日本史の大悪人
966 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 22:24:52 ID:m9nvzI3M
決して天下の英雄ではないが、山岡の小説での小物、ねい臣ぶりが有名で
いつまでも評価が低かったなあ。
兵站の才、着眼点は日本史上特筆すべきと思うけど。
> 兵站の才、着眼点
三成は兵站みたいな実務は担当して無いだろ。
実態は秀吉の政治秘書みたいなもの。
968 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 23:18:44 ID:tMyMKe2a
兵站の功績は長束さんじゃないの?
969 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 19:57:10 ID:hoQavxh3
兵站なら石田も長束も大谷も小西も正則も担当してた。
一口に兵站といっても需要の計算から数量の確保、輸送、状況に
応じて追加や行動の変更etcいろいろあるわけで。
三成が特筆される理由は「兵站の重要性を理解していた」ことが
わかっているから。
(詳しくは朝鮮出兵で渡海してから碧蹄館の戦いまでの三成の
行動を調べてくれ)
それに加え、日本人が伝統的に兵站を軽視しがちなので
(大阪の陣の時の徳川方はもちろん、昭和の軍人もな)重視した点が
褒められることになる。
>>967 三成のような「子飼い」がしょっぱなから実務経験無しで政治秘書
してるとは思えないが…
>>969 > 三成が特筆される理由は「兵站の重要性を理解していた」ことが
> わかっているから。
> (詳しくは朝鮮出兵で渡海してから碧蹄館の戦いまでの三成の
> 行動を調べてくれ)
> それに加え、日本人が伝統的に兵站を軽視しがちなので
> (大阪の陣の時の徳川方はもちろん、昭和の軍人もな)重視した点が
> 褒められることになる。
うはwwwwww司馬史観wwwwwwwwwwいまさらwwwwwwwwwww
安心しろ、それは創作だ。つまり「嘘」だ。
ついでに言うと大阪の陣の徳川方は強力な兵站を確保し豊富な物量で戦っている。
そして朝鮮出兵は兵站が貧弱で日本軍は餓え苦しんでる。せっかく確保した地域も兵站の貧弱さで放棄したところも多い。
昭和の陸軍と並べるなら朝鮮征伐時の兵站こそ相応しい。
972 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 23:41:54 ID:BCrPQdLz
>>967 朝鮮で一軍を率いて戦ったことを知らないバカw
974 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 08:52:55 ID:aYkEDqjS
>>971 司馬史観は司馬を読んだことがないのでよく知らないが、言ってるのは朝鮮出兵で
豊富な兵站が準備できたかどうかということではなく、むしろ、三成が渡海直後から
無闇な前線拡大と伸びきった兵站線について憂慮していることや、実際に制海権を
奪われてゲリラ義兵に兵站線もずたずたにされている上で明の大軍が来たときに、
各城の物資が不足していて補給も困難なことを説明して諸将を説得・前線の要所を
放棄・ソウルまで撤退させたことで各個撃破を免れて軍団再編成と碧蹄館の戦いで
勝利に持ち込めた、ということだと思うんだが。
975 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 16:39:24 ID:rzHq6vHb
司馬史観も糞も実際に本人が手紙に書いてる
976 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 23:26:46 ID:XeDOxuSh
の割には西軍は補給もおぼつかないようなしょっぱい状態だったのは何でだろう?
977 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 00:16:59 ID:IXNoYzlh
今日、本屋で立ち読みしてたら
「三成も上杉征伐に従軍しようと家康に申し出たが、隠居の身なのを理由に断られた」って書いてあったんだけど、これは有名な話なんでしょうか?
978 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 14:38:59 ID:Rwuo2Uf4
>>976 西軍自体がそもそもしょっぱい軍勢だったからさ
979 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 22:18:50 ID:HCfk4LvH
秀吉肝煎りで豊臣軍に豊臣の物資を自由に差配できた朝鮮の役と関が原を同等に考えられる奴w
>>979 つまり豊臣家がなけりゃ反乱一つまともに出来ない程度の才能だったって事だ。
981 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 04:35:29 ID:B8pzmjdK
家康に対しての兵を起こした関が原を反乱と呼ぶなら立派に起こしてるじゃん
勝つとこまでは行かなかったけど
982 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 09:05:51 ID:Y2BLSIOj
次スレどうするよ
983 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 16:38:27 ID:UPel9AXk
984 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 23:24:21 ID:RpXFGGDJ
東条と同じく一人で戦争責任を背負いまた周りもこいつ一人に背負わせた。
985 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 04:22:05 ID:6PBfw8+u
>>984 普通なら、毛利や上杉はただでは済まないよな。
実際ただじゃすまなかったがな。領土3分の1。
987 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 11:31:48 ID:ZXMFbd/Q
毛利だの島津だのを残したおかげで徳川も潰れるんだからざまないね
988 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 16:14:03 ID:AUEBpz3L
毛利や島津が残ってなかったら幕末の激動期を乗り切れたかどうか怪しいものだけど。
幕末で人材使い切ったような気もする。
989 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 16:19:59 ID:ZXMFbd/Q
乗り切るも何も薩長が連合して倒幕したんだけどw
大体幕末の幕府に人材がなかったって、初期明治新政府の実務を担当していたのは、旧幕府の官僚達ばかりだぞ。
991 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 03:40:01 ID:oKk/FIlI
992 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 10:05:56 ID:IbL+Z3OI
こんなカスに次スレなんてイラネ。あ、儲の隔離スレとして必要かwwww
993 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 10:39:38 ID:h2SyePE9
お前のスレなんて誰もたてないわけだが
994 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 16:01:19 ID:rqUwuIug
なんだこのスレw三成スレかと思って開いたらクマー釣りスレかよw
995 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 02:08:06 ID:kMyMPPLg
ここは拙者が支えますゆえ、殿は落ち延び下されー!
996 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 09:48:35 ID:xv3A+Y+Q
997 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 10:06:40 ID:9HcBso4f
998 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 10:21:24 ID:nLJJX9wj
三成はすげえよ
999 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 10:23:13 ID:nLJJX9wj
誰でもその姿を知れば(か…漢だ)と思わずにいられない
1000 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 10:23:55 ID:B8u3TuHq
1000なら石橋貴明死去
1001 :
1001:
/ `ヽ、
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_/ ,、r'" _」
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゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
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i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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