1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
さあ、語れ
前のスレじゃ焼きジャケの話題が出てたのを思い出す
3 :
公孫参:2006/06/15(木) 13:18:13 ID:torMnQMI
公孫参が参げつと
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/15(木) 19:31:28 ID:TbDd1Tm3
みそ汁が栄養食
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/15(木) 20:01:59 ID:pPwgkR1u
みそがスタミナ食
みそが尻から出て循環食
玄米と味噌、小魚、野菜、雑穀と少量ながらお肉
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 20:32:41 ID:xAddFkaI
肉は鳥肉か魚だな
猪とか鹿、少しだけど牛馬も食うよ
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 22:56:24 ID:Or5/Rlas
天婦羅も食べていたみたい。
天文五年六月ある日の本願寺証如の食事
汁二つ、菜八つ、果物五種
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 23:48:13 ID:Ri8WaKR9
その頃の日本食は不味かったらしいよ
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 17:44:07 ID:D0NaUdfd
すきやきの原型がこの頃あったらしいね。
足軽の間で浸透したとか。
汁物ってちゃんと出汁を取っていたのかな?
ただ味噌や醤油を溶かしただけ?
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 18:32:51 ID:jupOda8x
勝栗、打鮑、昆布
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 18:51:46 ID:S/tFSr70
信長の野望烈風伝武将FILE(ISBN4-87719-740-0)に
戦国食事事情と題したコラムがいろいろ乗ってて
面白かった(興味深かった)
燕王淵 ◆i6jwvBOktcははっきり言って嫌い
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 02:49:21 ID:gLwpVkEh
小説とかによく出てくる「湯づけ」って
ご飯に湯かけただけの物なの?
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 04:31:48 ID:KDoMzKZI
そうだよ
肉天おいしそお〜
ザリガニの塩辛っておいしいの?
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 22:17:39 ID:nlCxe46N
この頃の食事は塩分の量が凄まじかったらしい。
運動量が今と桁違いだから
鮫とかイルカとか
海豚って食うと食中毒起こすんじゃなかったっけ?
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 12:50:57 ID:0ydzMwqB
↑普通に食ったら死ぬ!
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 14:13:35 ID:yrD3dFDB
いるかは海筋
鮫は山筋の伝統的な食べ物
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 19:44:16 ID:eRisOneX
>>22 一日に平均50グラムだったらしい。
ちなみに現代では望ましい食塩の量は5グラム
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 21:12:13 ID:iRCiOGfB
海豚食べる地方あるじゃん
東駿伊豆あたりとか
伊豆はイルカ喰うよな
鮫は腐敗しにくいんだよね
だから山の方
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 21:24:16 ID:q9+OCprr
瓶詰めに入っているなめたけをご飯の上に乗せて、
お湯をかけて、「信長もこれを食って桶狭間にいったんだよなぁ」
と感慨深かった小6の冬。
本当は平茸だっけ?
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 21:49:04 ID:VgpCxXRy
昔読んだ本で荷物を縛る紐(茎)に味噌を漬け込んで
いざというときにそれを細かく切って湯沸かして味噌汁を作ったとかいう
記述を見たことあるなぁ。
とりあえず兵糧丸食ってみてぇ
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 21:59:21 ID:iRCiOGfB
そこでカレイイライスですよ
>>34 里芋の茎を味噌で煮しめて、縄状に編んだものらしい。
小和田哲男「戦国合戦事典」
白鳥とか鶴も食べちゃった
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 22:10:08 ID:RRkh3DAO
やっぱり人肉食いとかあったんだろうな
特に篭城戦で兵糧攻めされたりすると。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 22:54:23 ID:LA/C5aRA
飢饉が原因で人肉食ったりしないの?
よっぽど切羽詰った時だけだろうなあ
そもそも飢えて死んだ死体じゃ食える部分ほとんどないだろうしな。
飢饉のおりの食人なんて世界各地で聞くありふれた話だし
そもそも緊急避難的な物だから戦国の一般的逸話とは言えないだろう
まあ、そういった特殊な状況があったことは認めるが
人体の一部を医薬品にすることはよくあったよな
脳味噌は良質のタンパク源らしい
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 18:50:21 ID:gcErC60h
島津は戦で殺した敵兵から胆嚢切り取ってきて腹薬にしてたしな
伊達も一揆勢成敗して、生肝食ってるよな
政宗は、犬肉大好きだったらしいが。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 02:37:03 ID:cvVAlLFv
甘味料は容易に入手できたか
世界で最古の甘味料は蜂蜜らしい
日本では皇極朝で百済の太子余豊が養蜂をはじめたらしい
平安朝では国内各地から朝廷に蜂蜜の献上があった
江戸期には箱を使った養蜂が全国で盛んになった
その間の戦国期は・・・
江戸期ほどではないにしても、あるにはあったでしょ、蜂蜜
直接料理に使えるのかは置いといて、一番
お手軽な甘みだったのは果物系じゃないかな。
保存きいて甘みが強いなら干し柿とか。
>>50 なるほどそれはそうですね
柿も甘柿と渋柿があるけど、渋柿の方が断然歴史が古く、干し柿は平安朝からあったそうな
甘柿は一部鎌倉期に入ってきて、本格的に食べられるようになったのは江戸期らしい
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 15:14:29 ID:WSCWdes1
ステビア
味醂だろ
味醂は江戸時代からって説と、戦国からって説があるみたいで、微妙
病に伏せてからの武田信玄は食欲がなくやせ細る一方だったが、
飛騨の姉小路(だっけか?)から蜂蜜入りの栃餅を送られて
食欲が幾分回復したとか
>>55 新田次郎の武田信玄に出てくる話らしい
原典があるのかどうかはわからないけど
飛騨って栃餅有名なのね
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 23:28:18 ID:M4dBxHLD
信長の好物はイモ粥。
信玄はほうとう。
秀吉はイモの煮ころがし。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 00:08:44 ID:6c38jMB/
>>55 新田次郎の武田信玄4巻に出てくる話だな
奥飛騨の江間氏が出陣に際して差し入れている
縁起物の食べ物だと説明されてる
今確認したら、蜂蜜いりじゃなくて
栃餅を焼いたあと蜂蜜をつけて食べているらしい
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 00:24:03 ID:k+QE7e5u
戦国時代100の謎という本に書いてあったけど、具体的な史料名は分からんなあ。
10年以上前の本ね。
こんにちに伝わる日常的な食生活は軍記書の捏造が大半だから眉唾、
当時の贈答品の書付(一次史料)で挙げてみないか?
手元に上杉の史料があるんで、
北条氏宛に「昆布」「鱈」「干鮭」「樽肴」「馬」(食用じゃないな)
織田氏宛に「鷹」(鷹狩り用だな)
将軍家宛に「樽之鯛」「鳥目」(穴あき銭?)
貰った物に「干海鼠」「蜜柑」「江川」(酒)「白鳥」(酒?)
※海鼠の干したのって、食ったことあるか??
干海鼠を戻さないでそのまま食べたことはないなあ
うっ・・・、干海鼠そのものを知らん俺は・・・。
>>63 どんなのなんですか? 戻して、というと椎茸のように旨み成分が増して、
その後はどのように調理を?
> 椎茸のように旨み成分が増して、
まあそんな感じだよ
というか今「ナマコ 中華」でぐぐったらトップにきたのが
ナマコと椎茸の煮込みだった
>>65 おおっ、中華系煮込みか。明日にでもぐぐってみるよ。
夢に海鼠が出てきそうな気分だが・・・。サンクス!
海鼠は古代から食されていたようだね
干海鼠は保存しやすいように乾物にしたんじゃないかな?
海産物は内陸ではほとんど乾物だった
うん、遠路運ぶからにはそういう知恵だと思ってたが、
なるほど、古代からの歴史がある食材だったか・・・。サンクス
>>67さん
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 01:59:17 ID:ZCfZi4tc
>>62 は、確か上越市の観光協会だかが市の教育委員会とかと組んで作ったので、
一応、考証的裏付けがあったはず。
謙信が、そのメニューを食べたかは不明だけど。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 14:48:51 ID:aPE8sVjV
ドラマに出てくる湯漬けとか食ってみてー
なんか美味そうに見える☆
>>71 湯飯に塩とか味噌とか放り込んだだけの単純な食事だろ
新田の信玄で勘助が弁当代わりに食ったねぎと握り飯がやけに美味そうに見えた
池波正太郎が真田太平記で書いてる
清正が食べていた膳もやたら美味そうに見える。
蛸の刺身とか炙った鴨肉とかだったな
あるドイツ人が言った
「フランス人とイタリア人が戦争に弱いのは、
戦場まで豪華な食事を運ばなきゃいけないからだ。
その点、俺たちはジャガイモだけ、
イギリス人はフィッシュ&チップスだけ、
アメリカ人はハンバーガーだけ食ってればいいから戦争に強いんだ」
このジョークにもあるように
薩摩兵=芋食べてればいいから強い
越後兵=笹団子食べてればいいから強い
甲斐兵=ほうとう食べてればいいから強い
昨日、デパートの高級食材売り場で「このわた」(干し海鼠の腸)というのを発見した。
戦国大名の贈答品史料に、この「このわた」が記されているので、どんなものかと手にとってみたが・・・・。
・・・・中身がなかった。
つまり、55g3700円という高級食材なので、中身は売り場の倉庫に保管しているらしい。
しばらく迷ったがさすがに買えず、えぼ鯛の干物を買った。「このわた」食ったことある人、
感想を聞かせてくれ。俺は接待とかのときに、その時の店が高級割烹とかだったらだが、
思い切って注文してみる、というふうな考えでいる。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 00:51:05 ID:Zs4Zpq88
高級割烹で出てくるかなぁ?
塩辛だから酒のつまみだしなぁ。
いや、酒のつまみにするだけじゃないけど……。
う〜ん、自分は好きだけど、臭いに癖あるんで、嫌いな人は嫌いだと思うよ。
磯臭さが全然気にならないとか、イカの塩辛や酒盗が平気なら平気だとは思うけど。
>>77 ありがとう。そうか、塩辛系なのか・・・。
目撃したのは広島県産だったが、ちょっと高すぎないかなぁ?
俺は塩辛やホヤは好きなんで、ふつうに食べれるな。
なまこの内蔵の塩辛だっけ?
くちこは干したやつ?
日本3大珍味・・・もちろん食べたことはございませんです。。。
>49
日本で最古の甘味料は水飴らしい。
朝鮮出兵のおり、兵糧として作られた朝鮮飴の原料の一つでもある
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 10:30:14 ID:Zs4Zpq88
>>78 広島産か、それはおいしそうだね。
前に、家族が広島に旅行した時に、ナマコの内蔵を生のまま食べた事があるって言ってたよ。
口に入れるまでは気持ち悪かったけど、食べたらすっごくおいしかったって。
でも、とったその場じゃないと食べられないから、よそでは出回ってないんだって。
私が食べた「このわた」は、その時のお土産です。
薩南示現流という漫画で読んだけど
薩摩では腹の中に米を詰め込んだ犬を黒焦げになるほど焼いてから
中の赤やら黄色やらに染まった飯を出して汁をかけて食う「えのころ飯」があるのね
>>80 書紀の神武天皇の話ですね、水無飴
原料は米だとか
奈良時代以前に水飴があった証拠といわれますね
>>82 宣教師の記述によると、当時の日本人は犬はよく食ったらしく、美味とある。。
狐や猫も食ったらしいが、感想までは書いてないようだ。
示現流そのものは江戸時代になってからだけどね。
まぁ今とは生きるか死ぬかの生活してる人間の数が違うからな。
文化としての「食物」の範囲が広いのは当たり前といえば当たり前か。
奈良時代に所謂肉食禁止令が出されても、鹿やイノシシ、鳥なんかは食べてたみたいですね
件の光秀が出した家康向けの料理には、鳥肉が多かったそうな
牛は宣教師経由だよね
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 13:56:10 ID:HPo1UOz5
内陸と海寄りでは食事のメニューに雲泥の差があったようだ。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 02:26:23 ID:9XIDLWuD
昭和の半ばに至るまで雪国だと冬場の野菜は漬物しか食えなかった
魚介類は塩漬け、酢漬け、干物の類が一般的で新鮮な刺身は沿岸地域の特権だった
戦後高度成長期以降の急速な道路事情の改善、冷凍技術の発達
温室栽培の普及、海外からの輸入が大きく日本人の食卓を変えた
どうも煮貝は江戸時代からのようなので、信玄は食べなかったろうが
中国地方ではサメなんかを食べたんじゃないかな
国守レベルと一般庶民レベルでも当然違うわな
だが海に近い土地では、案外庶民の方が活きのいい魚食ってたりする
目黒のさんまじゃないけど
薩摩兵は芋しか食べてない印象がある
さつま芋伝来は江戸時代以降でつよ
青木昆陽だよね、確かサツマイモは
関東では醤油も清酒も普及してなかったんでしょ?
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 13:17:21 ID:ZV58xkq1
このスレ見てたら腹減ってきた。
なんか買ってこよう
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 12:03:15 ID:jkyHua6b
干飯はインスタント食品の元祖
アクション連載中の飯盛り侍
面白いからミテね!
干飯は昔からあるよね、伊勢物語に出てくるし
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 22:53:26 ID:bi65QXpa
この時代火って石油?
でも普及してない地域はどうしてたんだろ
新潟に石油が出た記録はあるけど使われてたわけじゃないよ
菜種油で照明とってた
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 00:39:48 ID:v7aDHc1O
鶴や白鳥の焼き鳥って、今基準から言えば犯罪的だな。
く...喰いたい...
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 00:53:47 ID:bogTaat+
鶴はお吸い物用に使われたらしいね。
白鳥や雉の丸焼きを食べて見たい。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 01:05:50 ID:GF0G53Ds
実は今より良い物食ってたんだね。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 01:39:07 ID:YIHSngnJ
まあ素材は今より豊富だろうね
国中至る所に食べ物が存在していた。
当時は白米が高級品だった事を前提に考えれば
湯漬けなんかがどーして?
という疑問は解決する
>103
当時は植物油が照明用の燃料として使われてたけど、高いんで。
夜が明けると起きて、日が沈むと寝る。
お日様が照明。
夜なべする時は囲炉裏の火を使うくらいかな?
でも、薪いろいろ大変だしね。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 11:07:26 ID:F8F9xY4q
>>109 菜種油による弱い照明が普及しだすのが江戸後期(それも都市部と豪農クラス)
だけどな。
昔の女性は炊事洗濯水汲み風呂焚き服のあつらえ、全部自分で必死になってやってたし
頭が下がる・・・
今の女? ふざけんな
海外の原住民見るとひたすら毎日同じものばかり食ってるが
日本も昔はそうだったよ
その時期に採れるものひたすら毎日食う
色々なものを食べるようになったのは戦後になってから
都会や支配階級は別だけど
確か、鰯から油を搾って、搾った鰯は肥料として使っていたり
そうそう、それで化け猫が油を舐めるんだった。
猫か・・・面白いね
室町時代には木蝋と呼ばれるロウソクが、櫨の実からつくられたらしいがこれは高価
菜種油は安土桃山以降、魚油はいわしなどだったらしいが、悪臭で頭が痛くなったとか
>110
基本は変わらないよ。衣服は昔ほど高くはないし(それでも
アイロンとのりづけはかかさずやってくれて妻には感謝)
炊事、掃除、風呂炊きも電化になったから昔ほど手間は掛からないだけで。
とまぁスレ違いスマソ。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 20:24:00 ID:H4t+0Ln2
男は命がけで戦場で戦ったりしてた訳で、それを考えると今は楽だねぇ。
だが、それがいい
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 02:42:30 ID:9zhSfgFi
湯漬けは汁を飲まないで、米だけ食うのがマナーだったらしい。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 11:55:40 ID:YvDWCL/1
∩___∩
| ノ _, ヽ
/ ● ● |
| ////( _●_)//ミ <食っていい?
彡、 |∪| ノヽ
/ヽ /⌒つ⊂⌒ヽ |
| / / l | l
ヽ、_ノ ヽ,,ノ
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 22:22:17 ID:2h069oPp
湯漬けって、白米のみだったの?
源氏物語とかにでてくる湯漬は干飯をお湯で戻したもの。
あとは、冷や飯にお湯をかけたもの。
下のはお茶漬けの元祖ですね。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 21:50:17 ID:FLYp3Vo1
【上杉家の特徴】
・武田に北信濃を奪われ、頼りにしてきた豪族を裏切った上杉は論外
・関東を散々荒らしまくりながら、結局土地を取れなかった上杉は論外
・一時の感情で味方に暴行し、離反された上杉は論外
・小学生でも見抜けるような捏造武勇伝ばかりの上杉は論外
・下野の小豪族佐野家の城を10度攻め、一度も落とせなかった上杉は論外
・関東豪族を裏切ってまで北条と同盟したのに、その後北条にも同盟破棄された上杉は論外
・家臣に反乱を起こされまくった統率力が無い上杉は論外
・後継者の事を何も考えず便所で死亡し、勝手に自滅した上杉は論外
・勢力的に明らかに格下の神保に苦戦しまくった上杉は論外
・織田家に嫉妬し、手取川の戦いを捏造した上杉は論外
・伊達家に対するコンプレックスで松川の戦いを捏造した上杉は論外
・自ら起こした関ヶ原で負け組みになった上杉は論外
・幕末、何も見せ場がなかった上杉は論外
・容姿がキモ過ぎる上杉は論外
http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg ・肖像画まで捏造した上杉は論外
・大量の基地外信者を生んでしまった上杉は論外
【vsスレ荒らし・上杉信者の特徴】
・根拠もなしに上杉謙信最強と言う
・歴史初心者に上杉家最強と吹き込む
・紛れも無い捏造の松川を事実と言い張る
・上杉を擁護するために平気で捏造をする
・自作自演での印象操作が得意
・たいして知識が無いのに、歴史に詳しいフリをする
・なぜか伊達家の話題を振ってくる
・突っ込んだ質問をされると即逃走
・人格攻撃、コピペが得意
・どこ行っても嫌われ者
・上杉は○○だからダメと言われる→そんなことは無い、とただ単に全否定するだけ
・一度書き込み出すと連続で書き込む(でも時間は絶対に被らない)
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 22:52:20 ID:08lN5u2Y
里芋の茎を長く編み、味噌に煮しめたものがあった。
ふだんは荷縄として使うが、
必要な分だけ刻んで熱湯をかければ、茎に染み込んでいた味噌が溶け出して、アッという間に陣中味噌汁のできあがり。
「インスタント味噌汁」の元祖だ。ちなみに鍋は銅製の陣笠を使った。
戦国足軽のアイディアには恐れ入る。
>124
それにさらに干飯を入れると、雑炊が。ウマー
石田三成は田中吉政に語って聞かせている。
携帯用の焼き味噌を多く食えば、味噌汁を煮なくても平気でござる、と。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 23:18:04 ID:PQ9nmddW
鮨は江戸時代から始まったケド、戦国の世には似たような献立はなかったのかな?
初期の寿司ってなれ寿司だぞ
鱒寿司の風味をきつくした様なやつ
酢漬けで醗酵させたやつだね、酢漬けしただけでも5日は持つ。
醗酵させたなれ寿司は1年ほど寝かせてから、長期保存(陣中?)料理だ。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 13:13:51 ID:2ZFF2Zar
奈良時代からあるらしい、なれ寿司
これは数ヶ月漬け込んで、完全に発酵させるもの
室町、戦国期には生なれ寿司が登場
これは数週間の漬け込みで、完全には発酵していないものだそうだ
陣中には向かないかな?
戦場での食中毒はマジで命取りだから大変だなw
戦国時代の戦場で喰う飯って、なんかすげえ旨そうなイメージがある。
たいした物は喰ってなかったんだろうけど、握り飯とか味噌とかでも十分旨そう。
三方ヶ原で焼き味噌喰うのだけは御免だがw
キャンプのカレーがうまいのと同じ原理
いや、実際上手かったと思うよ
貧困層には白米と味噌なんて普段は絶対口に出来ない高級品だったし
しかも食べ放題に近かったからね
高級品なのに食べ放題だったのか?
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 00:36:29 ID:VzcsltwL
戦の前は、戦意高揚の為と体力つける為に食べ放題に近かったのだ
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 01:26:51 ID:eJLedeIe
軍から支給された高価な「白米」が食い放題、戦も悪くないのう
米軍の兵卒の待遇がえらく良いのと同じ理屈だな
白米や味噌が絶対食べられない貧困層ばかりなんて幻想だと聞いた事がある
日本の伝統料理と呼ばれるモノの多くは江戸時代に入ってから完成した
戦国期に南蛮貿易でもたらされた食材の本格的な普及も江戸時代以降
関東ではまだ醤油すら普及していなかった
>>139 そりゃ絶対って事はないのかもしれないが、高級品は高級品だろ
でなきゃ稗や粟なんか誰も食わないって
サラリーマンで例えると「こんなもの接待じゃないと喰えねぇぜ」って感じかな?
よっぽどの都会じゃない限り人口密度は圧倒的に低くて、コンクリートも無い訳だから
山の幸川の幸などの自分で取れるようなものは当時は採り放題なイメージ。
雀やカラスなら今でも獲ろうと思ったら獲れるし。
山菜・きのこ・木の実・山芋・うなぎ・ドジョウ・はまぐり(゚д゚)ウマー
地方じゃ飢饉になっても餓死者は出なかったらしい。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 23:43:10 ID:7zKdeA/e
だけどその食材を味付けする調味料があってこそ美味いんでしょ?当時の調味料は塩とか味噌くらいじゃないの?しかも塩なんて山の方の人には高級で手がでないのでわないかなぁ〜。 ウナギの塩焼きとか食いたくないし(*_*)
県史呼んだ限りじゃロクなもん食ってなかったみたいだぞ
江戸時代の話しだが
おれの地方じゃ米をオカズに雑穀食っていたとか…
めでたい時には米3割にするとか…
蕎麦に大根を細く切ったものを入れて量増やすとか
かなり悲惨(T∀T)
飢饉の時には食える物を求めて山に人が溢れたらしい
木の実や草木を何ヶ月も食って生き延びたんだってさ('A`)
ウナギは江戸時代の中期ごろにようやく蒲焼が考案されて美味しく食べれるように
なったらしいような事を「剣客商売」に書いてあったな
>>144 調味料と言えば、戦国期は醤醢(ひしお)と醤油の端境期。当時の
『多聞院日記』でも醤醢の記述が随所に見られるから、醤油はまだ
高嶺の花だったかも。醤油が一般化するのは江戸時代以降だから、
京都や奈良を除く地方では塩・味噌と酢が主流だったと思われ。
ちなみに当時、塩は米のざっと四分の一くらいの価格。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 06:01:38 ID:NvXUGeYP
つまり庶民からしたら高いと(^^ゞ?
言い切れる訳じゃないけど、富裕層以外では醤油はまだ一般的では
なかったんじゃないかな。だから田舎の農民だと、米と雑穀・山菜
とかに塩というのが普通かなと思う。
言い切れると思
醤油が一般的じゃない頃って、うどんとか蕎麦はどうやって味付けしてたんだろう?
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:04:23 ID:2xjLJ7+U
そもそも、麺の形のうどんや蕎麦って江戸中期以降だし。
つまり「ほうとう」な訳です。
麦粉などを練ったりしたのかな
推し麦の粥ぐらいがせいぜいなのではないか
麺状のそばに切り海苔を載せて醤油味のだしにつけて食うなんてのは
江戸ならではだもんな
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:24:46 ID:j/UhXV6J
贅沢は出来ないが、庶民もたまには美味しい物を喰っていたと思う。
地方の郷土料理は、田舎でも旨い物が存在する以上、
豊かになった最近に開発した物で無ければ、江戸時代には
存在したはず。戦国時代でも起源となる料理が存在しても
おかしくない。
一年に数回(盆暮れ正月)は、倉から醤油と味噌を
取り出してきて、ご馳走を楽しんだんだろうね。
仙石タソとこの数少ない業績とっちゃヤダw
蕎麦絡みなかったらタダの大逃げ城主になっちゃう
蕎麦っていうのは信州のような平地の少ない寒冷地で
米も麦も取れなくて仕方がなく栽培する穀物で
「五穀」の中にも含まれていないほどの貧乏な雑穀だった。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 19:51:10 ID:LTGoB9TV
じゃあここらで郷土料理紹介しようぜ
美濃限定かはわからないが
つ「ごへいもち」
元は木の棒に潰した米を何回も巻いてそこにみそ塗って食ったものらしい、、今はただの棒付き餅になって売られてるわけだが
ごへいもちはどこにでもありすぎて
もはやどこの名物かはわからない
いやもともと広域だったのかな
五平餅と御幣餅があるね
えごまの味噌がうまいのは飛騨だったかな
>>143 江戸時代までは米=貨幣だったために
米作りに適さない東北地方でも必死で米を作った。
中でも南部藩では無理やり米作りをしたために冷夏で不作で大飢饉。
幕府は東北地方に大量に米を貸し付けたがそれでも間に合わず餓死者が続出。
岐阜が出たなら黙っちゃいねえ。
ネイティブ東濃人は五平餅・御幣餅と書いて「ごへだ」と読む。
しもつかれ。あと干瓢を甘く煮た奴。
正直まずいとは思うのだが食べると無意味に懐かしくなって困る。
>>156 どっちにしろ仙石が出石に蕎麦をもたらしたのは
秀久から100年ぐらい経ってからだろ
そばなら出雲も蕎麦やっとります。
あとなんだろうなぁ・・・鉄と勾玉しかねぇよorz
ご当地郷土名物スレになってるし。スレタイ見れ見れ。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 22:43:33 ID:iai35JRf
長野はすごいぞ
蚕とかザザムシとかイナゴとか
>>166 案外戦国時代の人が「気持ち悪いっ!そんなの食えるか!!」とか言ったら笑う。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 23:25:18 ID:NvXUGeYP
おじいちゃんがスイカの皮を一夜漬けにしてる。なかなか美味いよ!郷土ってわけではないと思うけど。 地元じゃ播磨焼きというお菓子がなかなかいけますよー
169 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/07/23(日) 23:34:08 ID:y2L/RdOY
蜂の子とかもあるよな
虫系は現代こそ食べる意味はないけど
農作物が駄目になることもありがちな時代の人間からしてみれば栄養のある貴重な食べ物だったんだろうな
なんか食べたくなってきた('A`)
蛆虫は怪我の治療にも利用でき
大事なタンパク源にもなるので重宝されたらしい
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 05:49:56 ID:xDQwa78D
ひと昔の田舎の人は蜂の子好きな人多いよ、甘くておいしいらしい。昔のオヤツだと言っていた。少し食いたい気もする今日この頃・・
甘味といえば甘葛はどうなの?枕草子あたりから出てるけど
戦国時代でもまだ食されていたのかな?
甘い樹液から作ってるらしいけど、今食べてもあんまり甘くなさそう・・・
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 07:09:43 ID:xDQwa78D
その時代人たちは甘さとかの免疫がなさそう、果実も今ほど甘くないだろうしねー、現代の食事を与えるとマズイと言っちゃうかもワラ
甘い物が苦手で食べれない、とかいう現代人はこの時代の人間からみれば
完全な贅沢病だよな
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 12:11:11 ID:d9Qt0dBv
こんぺいとうは高価で庶民には手が届かなかったらしい
やはり砂糖なんてものはまだなかったのかな?
このころの砂糖は全部輸入品だから高級品だったでしょうね
平安時代は風邪薬だった>砂糖
砂糖が国産になるのは江戸時代も中期以降
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 19:05:33 ID:l1jSanr1
加藤清正は、家臣への触れのなかで「食事は黒米たるべし」と断言している。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 19:16:00 ID:xDQwa78D
黒米ってなんですか?無知ですまそ。玄米のたぐい?
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 19:29:04 ID:6XY0Io6D
そうだよ」
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 19:33:41 ID:C8O7Kz6l
お米には赤米だの黒米だの、色のついたお米が古来からあったんだよ。
白米が一番おいしいとされて残ったけど、黒米や赤米もまずい訳じゃないよ
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 23:07:28 ID:xDQwa78D
へ〜、そうだったんだ〜。確かに白米はうまいね!個人的には麦飯も好きだが その黒米は今でもどこかで売ってたりしないよね?少し食べたい今日この頃
>>151 麺類は基本的に冷麦の事だと思うな
ところてんみたく何もつけずに食べるんだよ
江戸っ子はザル蕎麦もほとんどそのままで食べるしその名残だろうね
>>181 検索すれば通販であったと思うぞ
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 23:29:55 ID:5baSV1ar
砂糖は超貴重品で滅多に手に入らず
果物も品種改良が進んだ今のものと違って酸味がキツく余り甘くは無かった
そんな時代に身近で最も甘い食材が干し柿。
昭和に至るまで庶民にとって最高のオヤツだった
秀吉の好物はかきもちだったとか言われているけど
食べ物に絡んだ武将のエピソードって案外少ないな
天麩羅と家康とか
餅と藤堂高虎とか
2ちゃんの夏
三戦の夏
島津義弘は粽の一種「灰汁巻き」を陣中食として初めて採用したと
言われてるけど、それに砂糖は入っていたんだろうか・・・
島津は秀吉の命で朝鮮役の直前から琉球に接触してるし、むろん
一般に生産され始めるのはもう少し後だけど、一時的な疲労回復に
効果のある砂糖を真っ先に陣中食に利用できたから兵が強かった、
なんていう説が成り立つと面白いね。
信長と瓜
信長と湯漬け
信長と鮒寿司
鯛と黒田官兵衛
芋汁と大久保忠世
鰯と鍋島直茂
もやしと楠木正成
栗と北条早雲
>もやしと楠木正成
>栗と北条早雲
戦国時代を外れてるが
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 04:52:35 ID:r3uyghue
たしか何かの本で武将同士が何が美味いか?と言う雑談でみんなが スズキだのアワビだのいろいろ言い合っていた中、一人がこの世で一番美味いのは 塩 だと言っていた。その時は皆に馬鹿にされたが後日、皆の好物を塩抜きで出していた。不味〜
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 12:34:31 ID:2Rm72bL4
鮭と佐竹義昭。
那珂川の鮭ならぬ、久慈川の鮭だね、それ
上杉謙信と酒、肴に梅干
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:34:01 ID:JQFqJZwG
佐竹配下の額田氏と石神氏は同じ小野崎という家なのだが、仲が悪かったのだ。
久慈川の下流にいるのが石神氏、上流のほうにいるのが小野崎氏。
鮭の遡上の時期、石神は条約を破って遡上する鮭を根こそぎ捕ってしまった。
双方は毎年佐竹の殿様に捕った鮭を納めていたのだが、その年は額田は何故か鮭が捕れない。
何でかと思って調査すると、上記のような次第。
怒った額田は「畜生ブチ殺す!」と石神にいくさをふっかけて城を落としてしまったという。
この伝説は本当かどうかはわからないが、水利権からの争いがあったというのは間違いないようだ。
ちなみに実際に佐竹義昭が献上された秋鮭の礼として出した石神越前守への書状が残っている。
>>196 原作にはそんな話はないよ
マンガの話?
塩の話なら、
側室の大田氏(の養女。名はお八、お梶、お勝)の英勝院の逸話。
この世で一番美味いものは?の問いに「塩」と答え、
ではこの世で一番不味いものは?の問いに「それも塩」と答えた。
果たして事実かは定かでは無いが、
英勝院の聡明さを現す逸話として頻繁に紹介される話だ。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 03:20:36 ID:e/ZwGLAL
戦国時代に蜂蜜は食されてたの?
203 :
斉藤龍興:2006/07/26(水) 03:25:11 ID:2FMgl9Ur
蜂蜜が舐めたい
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 05:27:25 ID:2Jr7qrFz
そうそう影武者だった!!漫画の方!あの漫画好きだったけど終わり方が不満!
>>200 あるっつうのw ちゃんと上巻にあるよ。
>>204 そんなあなたに「SAKON-戦国風雲録-」
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 14:14:40 ID:2Jr7qrFz
左近は少しだけみたが強すぎだろ。影家康はただのオッサンになってるし、あの下手すれば裸王以上の強さがありえない!
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 14:24:53 ID:p/P2Hwrq
あの作者の歴史モノって全部無双スタイルだよな。つまらん
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 14:50:24 ID:+g0qMLKB
織田と光秀と魚
塩と上杉と武田
部屋とワイシャツと私
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 20:08:14 ID:IEEDdM5n
秀吉が前田利家邸を尋ねた時に出された料理が、
鯉や鯛にアワビ、白鳥の肉など超豪華料理だったみたい
まつのアワビを食ったんですね
たぶん
>>201で正解
俺が小学生の頃に母親に教えてもらった話や
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 05:34:05 ID:H6HRUlND
アワビと梅干しを利家と二人で・・・
白鳥の汁とかよく出てくるが、今でいう白鳥なんだろうか?
それとも別の白い鳥?
白鳥長久
おあむたんに
「兄さま、最近は鉄砲射ちにいかないのですか?
握り飯なら私が作って差し上げますよ」
とか控えめにおねだりされてぇ。
いつも塩気の薄い雑炊がゆじゃ発育も悪くなるよなあ。
白鳥だろうがヒクイドリだろうが捕りに行くよ。
くぐいは鵠と書くのね
サンクス
醤油普及以前の蕎麦は蒸してから味噌だれで食べた
今でも味噌だれで出す店はいくつかある
蕎麦を打つ時に木の芽などを混ぜるときもあった
庶民はそば粉を挽いて焼き団子のようにしていた地方もある
食事ではないけど煙草?キセル?はいつから使われてたんだろう・・
ヤンマガの秀吉がいつも吹かしてるんだが
戦国時代、豆味噌はまだ少なくぬかみそで味噌汁をつくってたと聞いたことがあるのですが
実際はどうだったのだろうか?
合戦が長引くと味噌ではなく味噌の原料だけ配られてたという記録があるらしいですな。
あと米は大体一日6合ぐらい支給されてたらしいけど、すこし米を残して濁酒を造ったりした
ものがいて次から米の量を減らされたという話を聞いたことがある。
篭城戦とかでにらみ合いが続くと気晴らしに酒がほしくなるのは今も昔も変わらんようですな
歴史小説に出てくる酒の肴がやたらと旨そう。「美味そう」じゃなくて「旨そう」
焼き味噌とか葱焼きとか……、なんか腹減ってきたな。
>>222 兵糧を渡しすぎると酒を造る奴が現れるって話は聞いた事ある
だから腰兵糧は3日分までなんだそうだ
何にせよそこまでして酒飲むとはかなりのツワモノだ 笑
>>221 そういえば
流行ったのが江戸時代初期なのに
1609年に禁煙令が出てるんだけどどうゆうことなんでしょうか?
>>221 たばこが売れるからってことで農民の中で米じゃなくて
たばこ栽培する人が増えてきて困った幕府と藩が禁制を出した。
まあ経済上の理由だわな。あと禁煙令は実質的には機能しなかった。
南蛮渡来
南蛮貿易によって、ヨーロッパのさまざまな文物が日本に伝えられました。
鉄砲はよく知られているもののひとつですが、カボチャやジャガイモのように、
いまでは一般化して、とても外来のものとは思えないようなものもあります。
たばこも当時は南蛮渡来の珍しいものでした。その他、キリスト教や科学・技術など、
後の日本に大きな影響を与えたものも伝えられました。
初期の喫煙風俗
慶長(1596〜1615)に入ると、絵画に喫煙風俗が見られるようになります。
絵師の誇張と思えるものも、なかにはみられますが、喫煙風俗が珍しい異国のものとしてではなく、
日本の風俗として描かれています。このころ、早くも独自の喫煙風俗が形成されつつあったことがうかがえます。
たばこの広がり
日本にたばこが伝来した16世紀の末以降、喫煙の風習が広がり、国内でもたばこの栽培が始まりました。
一方、南蛮渡来の珍しい喫煙の風習は、当時の「かぶき者」と呼ばれるならず者たちが
徒党を組むシンボルとして使われたりしたことから、江戸幕府はたばこの禁令を出しました。
また、喫煙が広まるとともに、主要作物の米ではなく、たばこを栽培する農家が増えたため、幕府は、
農家がたばこを栽培することを防ぐための禁令も出しました。こうしたたばこの禁令は江戸時代の初めから
多く出され、厳しい罰則もみられました。
しかし、禁令にも関わらず、たばこを楽しむ人々は増え続け、たばこの耕作も広まっていきました。
禁令は形骸化し、元禄期ごろを境に新しい禁令も出されなくなりました。
こうして、たばこは、江戸時代の庶民を中心に、嗜好品(しこうひん)として広く親しまれながら、独自の文化を形作っていきました。
たばこが禁令された原因としては火事の原因になるからという話も聞いたことがあるな
江戸みたいに密集した都市では一回火事が起これば恐ろしい事態になるかららしい。
話はかわって調味料の話になりますが、戦国時代まで味付けは塩と味噌が中心で
安土桃山あたりから大豆醤油が出始め、江戸時代に全国に普及したわけだが
海沿いとかの地方では昔から小魚を塩漬けにして発酵させてその上澄みを使ってたらしい
(要するにしょっつるなどの魚醤)しかし大豆醤油が普及していくと次第に姿を消したとの事
醤油の登場は当時としてはかなり画期的なことだったんですね。
タバコの禁煙令といえばこのスレには関係ないけど
ヨーロッパでも当初はかなりの被害が出て酷かったらしいね
ニョクマムみたいなものかね?
慶長十一年(1606)1月7日の江戸、神田観世太夫能楽堂火災はたばこが原因でそうだ
この間の大河ドラマで家康が麦焦がしを練って食べていた。
興味が湧いて自分でも買って、湯で練って食べてみた。
香ばしいけどマズー。
これが戦国の世のおやつか。
麦焦がしね、なるほど
ところで信長は金平糖、秀吉は練り羊羹が好きだったそうだ
砂糖は高級品だったが、家康は麦焦がしに砂糖を入れたのだろうか?
あと、豆味噌を握り飯に塗って食べるのが好きだったそうだが、ダシは混ぜたのか?
両方とも入れないとマズーなんですけど(入れれば十分うまい)。
119さん。
湯漬けの作法のソース教えてください。
お湯の中にご飯を入れる方式(お湯が多め)でそのまま普通に食ったら、とても食えたもんじゃなかったので、たぶん何か違うんだろうなとは思ってたんですよ。
同じ湯漬けでももっとうまい食い方があるはずだと。
そもそも当時とは米の味とか水の味とか違うんじゃなかろうか、という気がしてきた。
米の味が違うというよりも、米が貴重品で滅多に口にはいらなかった事を考えると
おいしく感じたんじゃないですか?
今程砂糖もなかったので、米の甘みだけでもかなり甘く感じた筈ですし。
あと、焼味噌を乗せて湯をかけて食べるという食べ方もあったらしいですよ。
>>233です。
自分でもいろいろ調べて、戦国時代の湯漬けに再チャレンジしてみました。
@ご飯にただのお湯をかける。
Aおかず(香の物)は三河の豆味噌(ダシなし)。
Bおかずを先に食べてしまってから、湯漬けをかきこむ(←あるサイトに書いてあった作法)
という条件でやってみましたが、‥‥やっぱり厳しいッス。
よっぽど薄味に慣れた人か、ご飯の味そのものが好きな人じゃないと、毎日食うのはとても耐えられないかと。
↑ずっと上の書き込みにしたがって、お湯を飲まずにご飯をすくうようにして食ったら、まだ食えます。
これが室町時代〜戦国時代の武士の飯の食い方だったとは信じられません。
お湯をかけずに食おうとは思わなかったんですかね?
>237
>お湯をかけずに食おうとは思わなかったんですかね?
根本的にお米の炊き方が違いますし。
強飯だと、湯でもかけないとしんどいでしょうし。
あと、調味料が今程なかった時代ですから、相当な薄味でも味は感じられたと思いますよ。
何かで実験してたのを読んだ事がありますが、戦国時代辺りの人は
甘みを感じる基準が、現代人の10分の1くらいだったそうです。
つまり、現代人だと甘いと感じないくらいでも、相当甘いと感じてたらしいのです。
ただし、辛味とかはまた違っていたようですけどね。
最近夏のせいか変なのが涌きやすいな…
現代の味噌は速成醸造味噌と言って不味いのが多い
昔ながらの長期熟成醸造味噌や田舎味噌は
ダシなんか必要ないくらい味が濃くて美味しい
長期でなくともきちんと麹いれて豆蒸して塩と混ぜ合わせて熟成させた
味噌なら焼き味噌にしたら涙がちょちょぎれるほどうまいぞ。
高校が農業学校だったから部活動で味噌を作って販売してたのだが
近所のおばちゃん達がしょっちゅう買いに来てた。
ただし保存料も何もいれてないので時間が経つと上の部分だけカビが生えることも・・・・
魚も天然物しかない時代だし、一部の食材の質はある意味今の時代よりよかったのかもしれません
私が使っているのは正保2年(1645年)創業の八丁味噌ですよ。
三河武士が食べていたのと同じ製法で作られている本物の豆味噌です。
偽物の味噌なんか使ったって、検証にならないのはわかってますよ。
いやもう、食ってみてくださいよ。
関東に出てきて最初食ったときは「何だこりゃ」と思ったけど、いまじゃ味噌といったらこれですね。
別に八丁味噌の会社からお金もらっているわけじゃないけど、リンク張っときます。
http://www.kakuq.jp/home/build_history.htm
おお、カクキューは間違いなく美味い
まるや とか カクキュー とか。
有名メーカーは八帖町で番地が違うだけだなあ。
この湯漬けは出来損ないだ、食べられないよ。
>>241 「 『カクキュー八丁味噌』は、今からおよそ360年前の正保2年(1645)に創業した、
八丁味噌の老舗であります。ここでは、その歴史をほんの少しだけご紹介します
第一章 創業 」
Σ('A`) 本当にほんの少しだけだな
二章はまだなのか。
どうでもいい事かもしれんが、湯漬けってのは
現代の茶漬けと同じで普通に食えると思うが
>>233は普段どんな物食ってんだ
まあ…考えてみれば
普通に炊いて美味しいご飯なら、お湯かけてべちゃべちゃになったところで
何事もなく食べられるわな。味噌をおかずに塩っけがあるならなおさら。
あとは推測するに多分これか
>お湯の中にご飯を入れる方式(お湯が多め)
>(お湯が多め)
やばいくらいにお湯が多くて米の少ない雑炊状態だったとか
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 00:25:55 ID:4MB/cPHI
>>249 ある程度はお湯は多いと思う。
後北条氏の4代目がお湯を2回に分けて入れたとき、3代目がこいつの代で我が家は途絶えると漏らしたという逸話もあることだし。
>>250 その話は湯じゃなくて汁だから、味付だけに参考程度かと。
>>251 そもそも氏政が愚鈍だツインテールだっていう味噌汁2回の話自体の
信憑性ってどんなもんなんでしょ?
いかにも庶民にわかりやすい逸話なだけにね。
親兄弟揃ってメシ食うシチュエーションが想像できないんだよね。
つか戦国大名が親子で飯ってありえないんじゃ…
例えば正宗なんか初めて母親の手料理食って毒殺されかけた訳だが
これって普通は各人個別で毒見済みの飯食ってたって事の筈だけど
大河ドラマネタで恐縮だが、氏康が海を眺めながら海鮮てんこ盛りの汁を
旨そうにすすってたシーンが忘れられない
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 01:04:44 ID:GQhiWH7c
ここ見たら湯づけが食いたくなったので作ってみた
ご飯にお湯をかけて軽くもんでから
そのお湯を別の容器へ
ご飯を水洗いしてチャっチャと水をきり
ご飯の入った容器に先ほどのお湯を熱湯を混ぜて入れる
味噌を一塊、塩も少し
おかずとして梅干と大豆の煮物
俺は普通にウマーだったぞ
湯づけって、冷たくなったご飯を暖かく食うものだから味は2の次じゃないのか?
白いご飯を食べてうまいと思わないのか?
米の質によるかもな
ちなみに俺はササニシキをいつも食べてるよ
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 09:41:01 ID:h2LC7Hud
白米なら今のほうが断然うまいだろう。
当時はコシヒカリやササニシキなんてなかったんだから。
まさに飽食
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 13:25:52 ID:dUcFI175
米と少量の塩だけの握り飯でもメチャ旨いもんな
化学調味料と獣肉の味に慣れてしまった飽食現代日本人に
理解しろっつっても無理な注文か・・・・・・・
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 13:42:06 ID:YX/acenn
265 :
農民ごっこ。:2006/08/06(日) 14:37:56 ID:Mw92q01Q
このまえ見つけたので書いとく。
茶碗に山積みの白米を準備。
おー!ご馳走だぁー!神のお恵みだべ。
って言って一気にガツガツ食べる。
これからもオラは上様のためにのらしごと頑張るだ。
っていって終わり。
100パーセント米の飯を食べてたのは
どれくらいの階級からなのかな?
上級武士以外は全部米の飯って毎日は食えんと思う。
農民は盆とか祝い事以外はまず口にできんかったろうな。
たまに米がやや大目のゾウスイ(雑炊ではなく増水と書く場合もあり)
が精一杯だったのでは?山国だと米の生産自体がほとんどないから
キビ粉やソバ粉を湯で練って塩をつけて食べてた場合もあったらしい。
そういえば上杉家の場合出陣前に御立ち飯といって山ほど飯を炊いて
魚とか豪勢なおかずと一緒に腹いっぱい食ってから出陣するって習慣があったらしい
これ目当ての農民の足軽もいたんだろうか?
戦国期は大名も玄米なんじゃない?
「食は黒米たるべし」
麦が入ってて黒い、とかじゃないよね?
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 22:00:11 ID:AFBNsScG
書物には大体
大根や芋で割り増しした麦飯になめ味噌てよくあるよな
戦国時代はサツマイモが普及してなかったから
「芋で割り増し」はどうかな?
山芋のことだと思うな
そっちのほうが貴重だろw
ん?
ならマジレスで「里芋」ね
検索した知識で恐縮だが、稲作頃から既に栽培されてたらしいね
逆に美味そうな気がするんだが
今昔物語に芋粥を死ぬほど食べたい役人の話がありましたね。
芋粥は山芋だと思う
縄文時代からあるらしいぞ
平家物語にもあるらしい、どの部分だかは知らないけど
おっと、これがそうだ
平家物語には、平忠盛と白河院が零余子(むかご)を手に持ちながら、
祇園女御の生んだ子について語る場面があります。
>>267 別スレで見たのだが、
コメ以外の穀類の栽培はあくまで副次的なもので、庶民でも普通に米を食っていた模様。
実家が分け入っても分け入っても山の中という感じのことろにあるのだが、
米はふつうに流通していたらしいです(林業が主要産業だったらしい)。
太閤検地での日本の総石高が約1800万石であり、
一食一合とすると当時の総人口(推定値)が全員白米100%を毎日食える勘定になる。
まあ一食一合では足りなかっただろうと思われるので、
半分程度まで他の穀類で補われていた可能性がある、という感じらしい。
米の飯は食えない、というのは江戸時代が暗黒時代というのと同程度に作られたイメージのようです。
>278
確かに総石高だけ見ればそうなんだけどね。
取れた米は全部主食として用いられたわけではないのよ。
「現在地球上で生産されている穀物を全部食用に回せば飢餓はなくなるね」というのと同程度のお話なのよ
米の飯が食えない、というのは確かに間違いだけどね。
ただ、毎日食えるというほどでもない。
戦国ではなくて江戸時代だけど、農家の一年間の家計
米20石中、食用1.9石、麦6石中食用3.6石。
ttp://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/J004.htm
>>278 それはおそらく井沢元彦の「逆説の日本史1」に書かれていたキチガイ文の鵜呑みです。
まず、当時の人口の推定を米の石高だけでやってるのが間違いだし、
米は兵糧になったり投機の対象になったり通貨にもなるので
武家や有力な商家では備蓄されます。
米は通貨になるので農家はそれを売って現金収入が得られます。
だけど米は金銀銭みたいに、いつまでももつ事はない、だから備蓄といっても限度が
三年立てば食えなくなるんじゃ
日本で通貨経済がほぼ定着するのは江戸時代の元禄期に入ってからだからね。
当時米はいまよりもかなり重要な意味を持つ存在だったようだ。
稗、粟、麦が中心でたまに米を入れた菜飯が食えるぐらいの感じだったのだろうか?
江戸わずらいの話からしても、戦国期は玄米が食べられていたと思うけど
概出かもしれないけど・・・
「たべもの戦国史」永山久夫著
ポピュラーな本だけど、これくらい読んどいたほうがいいよ。
その本、結構勝ち残った人物には大甘な評価だよな
なっとーは謙信が作ったとか清正が作ったとかいう説があるぽ
聞いた話だと出陣前に大豆を煮てわらで包んで持ち歩いて
ころあいになったら食べるって話を聞いたことがあるね、戦国時代の陣中での納豆の
作り方。わら自体に納豆菌がついてるから本当に作れるし
ただし一回わらも熱湯にとうしておかないとだめだけど。
芽胞形成菌だから一度加熱してからじゃないと菌が充分働かない。
納豆を最初に食った奴は根性あるな
ナマコとかホヤとかもね。
むしろ空腹に耐えられなかった根性なし
夏は井戸で冷やした瓜を食う。ウマー
>>288 の義家の話は、地元ではメジャーで、真実だと思われている話です
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:47:00 ID:eRL+udP+
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
飲み物関係はどうなのかな?
現代の澄んだ酒ではないだろうし、茶ッ葉も高級品だろうし。水・湯only?
何かの木の葉を湯に浸したあと、冷まして飲んだって記述を見た気がする、江戸時代かも。
麦湯とか
茶を一番理解しているのはどの武将か、というわけで
各武将それぞれが得意とする方法で茶を表現することになった。
織田信長は、父の位牌に茶をぶっかけた。
豊臣秀吉は、茶室に至るまで純金で揃えてみせた。
上杉謙信は、麗しき側小姓に茶を点てさせた。
北条氏政は、二回に分けてご飯にかけた。
石田三成は、大谷吉継の膿を絞り出し、茶の湯に混ぜた。
徳川家康は、何故かはわからないが家臣を呼び集め、秀吉に向かって勝ち誇った。
今川氏真は、茶碗を蹴って遊びだした。
>>298 続き・・・
松永久秀は、それら全てを巻き込んで自爆した。
ホント現代に生まれて良かったよな
>>301 400年後の人間もそう言っている未来だと良いな。
ウィキで石田三成の項目をちょろっと読んでみました。
関ヶ原敗戦で落ちるとき、飢えのあまり生水と生米を食べて酷い痢病にかかった、とありました。
「米は必ず炊くべし」というのは戦国の常識だが逃亡中だから火が使えない。
辛かっただろうな。
・・・生米は調理せずに食べると腹を壊す他にどんな悪作用がありますか?
口の中が切れる
単純に不味い
奥歯に米粒が詰まる
腹を壊す=消化できないってことだから、つまり生米は食い物じゃないってこと
最初に炊いて(煮てかな?)食べた人、偉大だ
上水道が普及するまで日本人は生水を飲む風習がなく、
一旦沸かした湯冷ましを飲んでいた。
沸かさないと食当たりするんだな。
生米は、でんぷんがベータ化しているので消化できずに腹を壊す。
確か、芋に含まれるでんぷんもベータでんぷんで消化できないとか。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 17:23:24 ID:lmXrtZCP
柿って本当に淡の毒なの?
当時の医学はめちゃくちゃですし、
今の医学でも証明されてたりします?
>>308 戦国じゃないけど、島津斉彬の病気の原因は井戸の生水飲んだせいじゃなかった?
飲む風習が全くなかったわけじゃないんじゃない。
>>308 まあそんなに厳格に考える必要ないんじゃない。
山間部ならいざしらず、川の水なら沸かして飲むという程度で考えれば。
おれは308の文章読んだときに、おやっと思ったけど
その辺は柔軟に考えようや。
今でも水道が普及していない山間部の農家では
井戸水を一度沸かしてから飲んでるよ
>>313 でも、すべての地方がそうしているわけではないだろう。
一般的には、生水は沸かして飲む。
生水を飲む場合もあるでいいんじゃない?
>>314 すべてがそうだとは誰も書いていないと思いますが
>309
漢方系の薬膳だと柿は味は甘、性は涼、肺を潤し痰を少なくし
津液を生み渇きを止め血便を抑える食材。
のどが渇いたって状況で勧めるのは間違ってない。
ただ、涼性で痰をとるっていうのは熱性の風邪とかの処方なんで
当時下痢してたらしい三成にやるのは処方的には逆効果。
少なくとも当時の医学論の話から言えば三成の答えは理に叶ってる。
多分この逸話、多分話を伝えた奴か記述した奴が
当時の医学を知らなかったんだと思う。
「痰の毒になるから…」
じゃなくて
「腹の毒になるから…」か「痰性ではないから」
みたいなニュアンスだったんだと思う。
兵糧丸
アクションって雑誌に戦国時代のご飯の漫画が連載されてたような・・
チラ読みであまりよく確かめてないんだけど、雑賀孫市がお弁当の筍ご飯をヒントに弾丸の形を変える、みたいな話。
ああ、あの漫画つまらんよね。
信長の影武者ワラタ。
定番の笹の葉に包まれたおにぎり
笹の葉って、殺菌効果がある(一応ってレベル)って聞いたけど・・・・・・。
定番の筍の皮に包まれたおにぎり
定番のしびれ薬入り柔児饅頭。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 09:46:17 ID:gDj7i0H0
九州とかこの頃には結構唐人町とかあったのに中華系の料理は
伝わってなかったんだろうか?
ラーメンを最初に食ったのが水戸黄門とは限らんと思うんだよなあ。
朱舜水の弟子だった安東省庵の方が先に食ってた可能性もあるし
それより先に中華系の料理が伝わってるって話はないだろうか?
>>282 微妙に間違え。
室町後期から戦国前期にかけては一時期貨幣経済化が進んだけど(日野富子の話は有名だろ)、
織豊政権が貨幣発行能力もないのに厳しい撰銭令を出したから通貨不足になって米などの物々交換に逆流したと言われている。
>>325 食事に関する史料は余り残ってないからな・・・
この時代の食事の史料となると茶会記が多い。
朝鮮出兵の辺りで博多商人の茶会記が残っているとか聞いたことがあるけど
九州辺りの特殊な材料を使った茶懐石の献立とかの話は聞いたことがないな。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 06:48:26 ID:DQoL/6qu
>>298 なんで誰もつっこまないんだろ?
>織田信長は、父の位牌に茶をぶっかけた。
茶ではなく、抹香だろうが。
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 06:52:10 ID:DQoL/6qu
言うまでもないが、戦国時代の殿様より
現代人の一般人の方がはるかに美味いもの食ってます。
>>329 各人のエピソードの一部を茶に置き換えたネタなのに
そこにつっこんでどうする
井伊直政と大久保忠世のエピソードを見る限り、やっぱり戦場食は美味いものでは無かったんだろうな〜と思う。
ただ、この当時でも醤油かければ大抵のものは美味くなるって認識があるのは興味深い。
「醤油は、牛肉の味を引き立たせる最高のソース」とルイ14世のシェフも書き残している。
・・・というのを以前、世界史板の料理関係スレで見た記憶があるw
陶器や樟脳なんかと一緒に輸出してたんだろうか。
>>335 長崎経由で西欧に運ばれていたらしい。
「醤油 ルイ」でググれば色々出てくる
>>336 ヨーロッパに着くまでに変質してそうな気がするが大丈夫だったんだろうか?
ウーロン茶が紅茶になるくらいの変質はあったかもねw
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 18:43:52 ID:HuKPrU6B
>>337 確か腐敗防止の為に一旦釜で沸騰させて陶器の瓶でつめて瀝青(れきせい、現在の天然アスファルト類)で密封したそうだ。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 00:46:02 ID:KCHLzbdc
でも味噌なんかを栄養源にしてよく戦争が出来たな
ある程度肉食をしないと力がわいてこないと思うが
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 01:44:00 ID:feAtkbRe
>>340 日本人は米と味噌と野菜の漬物だけで何十キロも行軍し
朝に夜にと活動できる超人となった突然変異種族
醤油を沸騰させるのか、海原雄山あたりが激怒するな。
ラジオを聴いていると、あるおばあちゃんからのお便りが。
遊びに来た孫に麦飯を出すと…
孫「ゴミの入った御飯は食べられません」
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 01:47:17 ID:mQdd62a2
孫氏ね
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 03:59:03 ID:EI/rJYnW
豊作の年は米を、凶作の年は山に分け入る生活かと・・・
346 :
古河御所:2006/10/02(月) 04:15:00 ID:flHWxINx
>>341 鎧付けての行軍だと激しくエネルギーを消費する
故に米などの炭水化物を摂取し、エネルギーを補充する
確かに動物性蛋白は必要だが、肉を主食としたところでエネルギー効率が悪くなり疲れやすくなる
味噌は、合戦で汗などで消費するので摂取しなくてはならない
これ位基礎知識
>>343 現代人がたまに麦飯や雑穀の飯を食ってみると返って新鮮でうまく感じる。
毎日だったら嫌になるのかもしれないけどね。
俺も麦飯をためしに食ってみたらサクサクした食感でうまかった。
実際、大麦は昔のヨーロッパでは主食だったし。
戦国時代(江戸時代)は基本的に玄米食。
でも水主は白米食が普通だったので、十分な副食物を取れないと
脚気でばたばたと死んでいったそうだ。
明治以降では帝国陸軍は玄米食が基本だが、海軍では白米食のため脚気に悩まされた。
結局、帝国海軍では、下士官兵の食事は白米50%、麦50%とした。
ちなみに家康は毎日麦を食べていたそうだが、これは健康への配慮とは何の関係もなく、
単に麦の値段が米の5分の1だったため。
白米:麦=7:3くらいで食ったらうまかったから
麦100%にしたらもっとうまいだろうと思って
炊いてみたらまずくて食えたもんじゃなかった。
>>347 欧州の大麦は、horse-breadという馬用の飼料になる場合が少なくなかった。
わざわざパンに加工するのは、人間も食べられるようにするためだけど。
(もちろん、オートミールにする場合もある。)
地域にもよるけれど、欧州北部での主食は主にライ麦だった。
土地も痩せており、寒冷地帯に分類される地域でもそれなりの収穫量が見込まれたから。
ただし、これには「麦角」という弊害もあった。
Wikiの「麦角」についての記事。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%A6%E8%A7%92
ぷりぷりしてうまいよね
>>348 > 明治以降では帝国陸軍は玄米食が基本だが、海軍では白米食のため脚気に悩まされた。
じゃあ、なんで日清・日露で陸軍は膨大な脚気患者・死亡者を出したのだろうか。
特に日清戦争では戦死者よりも脚気病死者の方が多いという話だが。
その時、海軍ではほとんど脚気患者は出なかった。
とりあえず、吉村昭氏の「白い航跡」を読むことをお勧めする。
当時陸軍軍医総監だった森鴎外が自説に固執して白米を改めず
「日露戦争で一番日本兵を殺した男」と言われる事になった一件だな。
というわけで348は単に陸軍と海軍を間違えただけだと思うぞ。
>>353 > 「日露戦争で一番日本兵を殺した男」と言われる
明治時代の牟田口だな。上村提督よりも、鴎外の方が露探じゃないかとw
>>353 しかも鈴木梅太郎がオリザニンを見つけて脚気との因果関係が証明された事に腹を立てて死ぬまで鈴木叩きをやっていたという説もある。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 07:20:58 ID:bTriU6w6
ちなみに現在の刑務所の主食は時代錯誤にも未だに麦飯で
模範的な囚人になるに従って米の混ぜ具合が多くなる。
ちなみに現在の大麦の価格は米よりずっと高いうえに
国内ではまかなえないので、わざわざ、その高い大麦を外国から輸入してまかなってる。
日本国内では米が余って処分してる状態なのにアホらしい話しだ。
いやあ食料は大事だよね
源氏が平家より強かったのは味噌など大豆製品を多く摂っていたからなんて
言いますからね
そして食事といえば伊達政宗 某本で見たけど彼の晩年はかなりの料理マニア
朝起きてトイレの中でその日の朝食を考えるという徹底振り
家康は天下取った後も大豆中心の健康食だったらしい
でも趣味の自作薬にかなり水銀混ぜてたらしくて結局意味無し
水銀って・・・あんたどこの始皇帝だ。不死願望があったのか。
当時はまぁ普通に薬の一種だったんだと思うぞ。
本草綱目にも水銀や水銀粉の項があったはずだけど、どんな効用になってたっけ?
朱砂は鎮静作用があるとされている。
伊達政宗は半ばご機嫌取り+美食狂い演出+食品改良による次代への戦力底上げの要素もあったらしいな。
家臣の誰かが晩年の政宗に「粗食に改めたほうがイイっす」と諫言したら
「お前は伊達家をつぶしたいのか」と返したらしい
>>353 > というわけで348は単に陸軍と海軍を間違えただけだと思うぞ。
かどうか、
>>348本人のコメント聞キタス
現実に、陸軍は白米、海軍は麦ありであった以上
陸軍と海軍を間違えてることは確実。
「単に・・・だけ」かどうか(すなわちさらなる勘違いが
ないかどうか)は、玄米食の言及などもあるから
348を問い詰めないとわからないが。
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 17:23:25 ID:qjOzcwzX
どうでもいいがな。
まったくだ
必死で粘着キモスw
>>363 それは、全てあなたの思い込みです。
陸軍は早くから玄米食を取り入れていたので海軍のように脚気に悩むことはありませんでした。
海軍が玄米食を取り入れたのは、陸軍の成功に倣っただけです。
太公望がいらっしゃったな。
そういえば、蕎麦切りは16世紀ごろできたとかいう話。
荒れる前からいきなりファビョってる奴は何なんだ・・・
>>370 起源はやっぱり信州なんかね?
いやあ聞いた話しによると一般的な武士は平時はお粥みたいなものを食べていて
炊いた白米が食えたのは合戦時だけだったらしいですね
農民はその極端な例で雑兵として戦に出るのも立身出世を夢見てというより
三度(二度?)の飯にありつけるからとよく言いますもんね
>>372 そう言えば古代ローマ人が戦争中に食っていたものは麦粥だったそうだが
良くそんなもので戦争を戦えたものだ。
.
>>371 信州らしい。寺院なんかで振舞われていたらしい。
>>373 お粥は穀物の調理法では世界的にも大変ポピュラー
消化吸収がよく、腹持ちもよい大変優れた料理なのだ。
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 21:24:46 ID:DESJyn3d
ぬるぼ
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 21:35:25 ID:GNqkwj6i
かっ
>>369は陸軍と海軍を取り違えて恥ずかしがっているんだよ。察してやれ。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 21:55:41 ID:kTHUfLvA
俺の朝飯
玄米めし大盛
たくわん
味噌をお湯で溶いて刻みねぎを浮かした汁
徐々に麦の割合を増やしてみる
米8:麦2 とんかつ屋で食べる美味い麦飯
米6:麦4 むかし母方の実家(農家)で食べた事のある懐かしい匂い
米3:麦7 これがよく言われる「刑務所のくさい飯」だと思った
381 :
ななしさん:2006/10/11(水) 03:02:30 ID:1FG1zpX5
俺子供の頃に健康のためって事で親が麦を少量混ぜているのを
食べてたけど後で白米100%にもどしたとき米のおいしさに驚いたな
やっぱり味で行くと麦飯は米を100点とすれば50〜60点の味だ
382 :
ななしさん:2006/10/11(水) 03:05:56 ID:1FG1zpX5
生態系は今ほどは破壊されていないので山肉は調達しやすかったんじゃ
ないかな?
今の山はウサギ1匹めったに見かけないそうだから青々していても動物が
住めなくなっているようだが
今の食用動物って山じゃなくて工場とか牧場にしか
いないイメージだもんな
鳥、獣の類は魚と一緒で、獲れたとしても流通手段がないし、
保存する手段もないから結局山間部で消費されてただけなんじゃないのかな
>>382 仕事で時々田舎に行かされるが、車に轢かれる犬猫はいない。
が、ウサギやイタチやヘビ、タヌキやキツネ、果てはウリ坊などがよく車に轢かれている。
栄養バランスなどと言ってられるのは富俗層だけ
あるものは何でも食う
人間五十年
やっぱ「えのころ飯」かな
日本の山に熊がいる事に驚く
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 15:26:43 ID:UT4fgVdD
>>383 現代家畜として飼育されている動物は
戦国時代も家畜だったはずだよ
>>391 なんてこったい。先祖代々家畜かよ。
救われねーなw
家畜にならなかった大型哺乳類のうちのかなり多くの種は
人間に土地を奪われて絶滅するか、絶滅に瀕するかの状態にあるけどな
白米100%は冷めてもうまいんだよなあ。
冷めた麦飯を食うと塀の中の食事がなんで臭い飯と呼ばれるかよく分かる。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 02:47:53 ID:6/iHPICo
>>391 時代劇じゃサラブレットが出てくるがなw
木曾馬って何キロくらいなんだろうな?オシエテ
300`前後
猪肉と鮎のような川魚はおいしいと思ったことがない。
そんなあなたに本日関西地区放送の探偵!ナイトスクープ
釣れ立ての鮎を躍り食いする爺が出ているガクブル
じゃあ大豆を運べば醤油になってるんじゃね?
川魚は寄生虫がいるから生で食うのはタブーなんだけどな。
京都や大阪で鱧が昔から食べられるのは生のままでもある程度ならもつから
昔は海の魚を山地まで運ぶのは一苦労だったから山間部にすんでる人たちはなかなか海の魚を食う機会はなかったのかも
四国では鮫を食う地域もある、鮫は体内にアンモニアが貯まるから2週間ぐらいもつらしい。
京では大根おろしでブリの刺身食ってたよな。
>>400 もつかも知れんが、アンモニア臭くて食べられたもんじゃない。>鮫の肉
加工品のハンペンなんかも無臭になったのは、冷凍技術が発達してからじゃないの?
好きな人はそれでも好きなのかも知れんが。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 15:52:54 ID:HJqGub5W
サメって食ったことあるけど、あんまうまいもんじゃないな。
サンマのほうが40倍はうまい。
三重出身だが、普通に鮫のタレと称したものが食卓に上がっていた
いまは酒のつまみで、エイヒレ大ちゅき
405 :
山城守:2006/10/15(日) 21:50:12 ID:r+73t1Mw
>>394 麦は健康にいいよ。少しの量で腹持ちもいいし特に便秘のやつは毎日通じも良くなるので腸が活発に
なって消化も早くなりダイエットには最適だな。漏れは白米と混ぜて家康みたいにミソを載せて食う。
406 :
山城守:2006/10/15(日) 21:53:47 ID:r+73t1Mw
家康の食事が一番合理的なんでないの?
福井で揚がった鯖を塩鯖にして京に運びます
鯖は京では普通に食べられていました
中国地方では、日本海で揚がった魚のうち比較的長持ちする塩鯖は
島根県の雲南市(木次町)という山間地域の名物になっています
もっと山奥の広島県三次市くらいになるとサメ料理が名物になります
>>402 そのアンモニアが保存の役割を果たしたそうな。
だから食べられているのは山間部だし。有名なのは広島だったかな。
いつから食されていたのかは知らない。すまん。
>>405 うむじっさい朝うんこしたくなって目が覚めるから目覚ましもいらなくなるしなw
うんこがモリモリ出るとすげー楽しい気分になる、なんか生きてるって感じでw
麦混ぜてみようかな
ふーん玄米ビスケットがあるのにね
ビスケットと主食じゃ一日に食べる量が違うからな。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 11:37:38 ID:1ae4ayD6
麦こがしがビスケットみたいなもんだったんでないの?
一食どのくらい時間かけてたのかね
現代で言うと立ち食いそばは10分以内だし、
普段の食事もあまり噛まなくなってるとかいうけど
早く食べる為とふやけさせる為に湯漬けとかにしたんじゃないのか…。
食事中に会話はしないしTVもないし
かなり早かったと思うよ
百姓なんて一品だったりするから掻き込んで終了だな
食べ物関係なくなるかも知れんが、当時の米を炊く事情が今とは天と地程違う。
米を炊くのにも釜なので1時間前後火の番をしないといけない。
で、飯を食う時間としてだが
「当時の米は炊いても結構硬い(玄米ならなおさら)」
「良く噛まないと消化に悪いので徹底的に噛む・噛む・噛む」
「しかも今みたいに均一に炊けるわけ無いし家によっても炊き方なんぞ千差万別だろう」
昔、学研の本の記事で「昔のご飯を食べてみよう」という特集があったんだよ。
結果:ご飯1杯の飯でも玄米の方が白米の1.5〜2倍ほど全部食うのに時間がかかるそうだ。
今みたいにおかずがあまりないから
食べる米の量が信じられないくらい多かったみたいだね
玄米で一日に5合が平均的な消費量だった
今と比べると多いね
まあ、自衛隊なんかは一日6合計算だがw
あれ?
人1人が1食で食べる米の量が1合じゃなかったっけ?
しかも合戦や田植えや稲刈りのない時は昼飯を取らず1日2食だから
人1人が1日に食べる米の量は2合だよ
それと、米を炊くのに必ず釜を使うとは限らないよ
家族が少ない家庭では鍋を使うんだよ
自衛隊は判らないけど
>>420の一日5合というのは○人扶持で一人当たりに与えられる米の量じゃなかったっけ?
体育会系、肉体労働系の消費量と文系、理系の消費量は比較にもならない。
1日2合では必要なカロリーを摂取できないよ。
もし、一日2合で暮らしていけるなら1人扶持(五合)で人二人生きていけることになる。
実際は1日5〜 6合食べていた。
人が1年暮らしていくのに必要な穀物は1石といわれていた。
1石は1000合で、1日3合消費すると考えて割り出された数値。
実際は1石では食べてはいけない。
そもそも同じ一合でも、籾、玄米、白米で、そろぞれ食べでがまるで違う訳だが。
日本語でおk
人は米だけで生きるにあらず。
大雑把にいうと、米一合(白米)で600kcal、米五合になると3000kcalで、
重労働にはこれくらい必要な計算になる。
さらに雑穀を混ぜて食うのが一般的だから、栄養価はもっと下がるし、
昔は副食物も漬物や味噌くらいしかないから一日5、6合というのは無理もない。
少ない量で多くの栄養を摂取できん時代だしね
合戦時に2合とかいくらなんでも現代的すぎるでしょ
今の野菜より昔のほうが栄養がある。
しかも食物の毒素は腹の虫が食べて、
現代人より戦国人の腸は健康的で基礎栄養の吸収もよい。
かろうじて今の方がエネルギーとビタミンは大量に摂取できているが、
それ以外は昔の日本人より摂取できていないと思われる。
> しかも食物の毒素は腹の虫が食べて、
> 現代人より戦国人の腸は健康的で基礎栄養の吸収もよい。
そうなの?回虫に栄養取られるから逆に現代人より吸収率が低い気がするが・・・。
ところで、戦国期には「炒める」調理方法ってありましたか?
油は貴重品だったろうから・・・
テンプラは戦国期に南蛮から伝わったと聞くが。
戦国期にあった天麩羅は今の天麩羅とは違うらしいよ。
家康が当たったといわれている鯛の天麩羅って
鯛のすり身を油で揚げたもの、つまりさつま揚げのようなものだったらしい。
小麦粉の衣をつけて魚介類揚げるようになったのは、江戸期に入ってから。
炒めた料理なんてシナ戦線帰りの祖父が帰還するまで
我が家の食卓には存在してなかったらすぃ
焼く・煮る・干すくらい?
>>434 関西でさつま揚げのことをてんぷらと呼ぶのは
その名残なんかね。
「焼く」と「炒める」の違いって何?
厳密な境界線ってあるのかな?
「焼く」は火で炙ったり、鍋で熱したりする。基本的に調理中は食材をあまり動かさない。
「炒める」は鍋で熱しつつかき混ぜる。火が通りやすいように食材を細かくしてある場合が多い。
焼きおにぎりは炒めるではなくて焼くで、チャーハンは焼くではなくて炒める。そんな感じ。
炒める日本料理というと「きんぴらごぼう」かな?
残念ながら江戸期元禄の頃の作。
当時上演されていた浄瑠璃の主人公、金平に由来するのだそうな。
けんちん汁も炒める料理DAYONE?
それはそうだが、けんちん汁は元が中国だから日本料理の範疇外だろ。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 19:12:11 ID:h7vNPKx5
このスレかなり良いな。
凄く勉強になる。おまえらの知識に脱帽したのだが、どこでそんな知識得てるの?
記念薩摩揚げ
確かに勉強になるね。
小学生の時、小学館の「少年少女・人物日本の歴史」の秀吉の巻で
雑兵が紹介してた芋がら縄(?)と乾飯が食べたくて母にねだったっけ。
特に、芋がら縄(?)をお湯で戻したインスタント味噌汁は今でも食したい。
ダシも取ってない味噌汁がウマイ筈がないと思うよ
でも食べたくなる気持ちは分るがなw
446 :
421:2006/10/22(日) 23:18:59 ID:T4W/rI9A
久しぶりに来てみたけど
他人の発言を全然読めないアホが数人いるみたいですね。
知ったかぶってウソを書いてるヤツもいるし。
今度こそよく読んでね↓
まず、1人が1食で消費する平均的な米の量を「1合」と定めた。
そして、明治に入るまでは1人が1日に摂る食事は、
平時は朝と夕の1日2食、合戦や農繁時には昼も食べるから1日3食が常識。
その証拠に日本語には、朝食という意味の「あさげ」、夕食という意味の「ゆうげ」
という言葉はあるが、昼食を意味する「ひるげ」という言葉は元々なかった。
1年で1人が消費する米の量を1000合=1石=たんぼ1反
昔の1年は360日〜390日
1日2食で360日で720〜780合、余りは合戦や農繁期に食べたりする分
こういう計算で軍役とかが決められてたんだ
実際にはもっと食べた人もいるだろうし、米など食べられなかった人もいるはずだが、
当時の米を計る単位の決め方や、計算上の国力や軍役などはこのようになっていた。
>>444 あのな・・・?
味噌汁といっても今と違って当時のは具も無ければダシもとってない
まさに「味噌汁」だぞ?
しかも尾張中村ってことは味噌は米味噌(つまり白味噌)ではなく豆味噌(つまり赤味噌)
俺地元三河だから赤味噌のみ味噌汁の味がよく分かるが。
ち ょ お こってり で す よ ?
>>446 まず1820年台の大工さんの家計簿から(大人2人に子供1人)
1年間に使う米代が354匁。
当時の米の値段が大体1升120文
354匁を文に直すと35400文
この額で買える米は295升、石で現すと2.95石
家族で一日に大体8合食べてたことになる。
次、江戸後期の農家。大人二人に子供が一人。
農家は自分の田畑で取れた穀物を食べるのでお金は関係なし。
米1.9石、麦3.6石。計5.5石
家族で1日に大体15合食べていたことになる。
次、下級武士。大人4人に子供が1人。70俵5人扶持
1人扶持で五合なので5人扶持で25合を5人で食べたことになる。
1年で9石消費。
江戸期においては米1升で約100文≒1匁で、二人で1日に消費する米と言う事になる。
参考:
ttp://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/index.html ちなみに1人1年1石というのは、為政者が決めたもので、実情にあってないことが判明している。
まあ戦場で食べる用に設計されてるものは日持ちと栄養以外はあんま考えて
無いのはいたし方ないことですよ
むしろ「美味しそうだから」食べてみたいという気持ちじゃあないでしょう
>>444も
でも干飯とか兵糧丸とか味噌縄とか今のと比べても非常食として
かなり完成してると思う いやあ実戦の知恵ってすごいね
一般的な成人の基礎代謝量(安静状態で消費される必要最小限の代謝量)は1200キロカロリー
米2合だけでは、この基礎代謝量をまかなうので精一杯。
普通に生活するにはこの基礎代謝量の2倍。肉体労働者の場合は3倍必要とされている。
1食1合というのは現代人にとっていいダイエットになりそうですな。(おかずはカブの味噌汁1杯と漬物)
コロッケってオランダ経由の料理でしょ?
今のコロッケとは違うんだろうけど、一応油で揚げるものなんじゃない?
コロッケが伝来したのは明治になってから
モナー板の過去ログにこんなのがあった
して『くろけっと』とはどのような食物なのであらうか…
至極氣になりますなァ。
∧ ∧
( ゚Д゚) |!
/ y~|⊃
〜(_|⊃)
139 名前: 投稿日: 2001/06/23(土) 14:41
「くろけっと」とは潰した薯に肉などを混ぜ、
パン粉の衣をつけて油で揚げた物で御座います。
∧m∧
(*゚ー゚)
U § つ
〇____ヽ
UU
そういや加藤清正が領内で小麦を作らせてて、あの時代には珍しくパンを食べてた
って話を聞いたんだけど、ほんと?
あの時代にパンを作れる技術なんてあったの?
まさか・・・?
俗説では幕末のあの人が「日本で初めてパンを焼いた人」って事になってる。
少し訂正。「日本人では〜」。
日本に来た宣教師はパン作ってたみたいね。
パンって鉄砲とかと一緒に戦国期にポルトガルから来たんじゃなかったっけ?
459 :
ななしさん:2006/10/26(木) 03:28:18 ID:VKFli8La
話が違うが乾パン食べると第2次大戦日本兵を感じてしまう
戦記見るとあれを5個くらい食べて上をしのいだってよく見るもんな
乾パンは最初に支給される時は硬いしカラカラに乾いてるから
「こんなの食えねえよ」と思うんだが
数日間携帯して食う頃になるとタップリと湿気を吸っていい感じになってる
461 :
歌をあなた$C9:2006/10/26(木) 07:02:01 ID:qz7gTHdc
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 07:10:21 ID:eH/AGy7Q
日本軍人は米に執着してパンは嫌うんだけどね。。
旧日本海軍のお偉いさんがドイツの潜水艦を刺殺したとき、あんまり快適なので感心したという。
その秘密はライ麦パンやチーズ、ビン入りジュースなど調理を行わない食事。
それに引き替え日本海軍の潜水艦は船内でご飯を炊くので船内は
いるだけで服がグチョグチョになるような凄い湿気だったという。
それで、その尾偉いさんがドイツの潜水艦式の食事を
日本の潜水艦の幹部たちに薦めたら猛反対だったという。
「潜水艦乗員といういつ死んでもわからない決死の任務に
ついてるのに米を食わしてくれないなんて信じられん」というわけ。
たとえ潜水艦内が湿気だらけになろうとそれより米食う方を優先するって事だ。
刺し殺すなww
464 :
462:2006/10/26(木) 07:29:58 ID:eH/AGy7Q
視察の間違いだ・・・・
でも米の方が腹持ちするんだよなぁ
そこで真空パックの餅ですよ
海軍ていうと陸軍と比べて欧風でスマートな印象あったけど、
最後の一線ではやっぱ日本人って事か。
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 14:49:06 ID:v/KSBux+
海自の大型乾パンは陸自の小型乾パンを大きくした物と思ってください。
現在では海上自衛隊の水上艦艇のみ使用されている。この乾パンは戦時中の
「カンメンポウ」とほぼ同じ大きさで1枚20gで以上あります。
戦時中の「かんめんぽう」は輸送中に粉々になってしまうことが多々あったそう
で小型に改良されたそうです。
海上自衛隊でも小型乾パンの導入を考えたのですが、収納スペースの問題から
大型が今でも採用されている理由のようです。
戦国時代の食事とは何の関係も無いけど!
納豆とか豆の加工食品は結構食べられてたみたいやね。
小豆とかも。
漬物系は江戸時代に色々発展したんで、
戦国時代だと凝ったものはなかったかも。
当時も今も、漬物の王道は梅干しにあり!
>>347 麦主食だったが為に、
不作の時に麦につくカビ(LSD同様の麻薬成分)を食べちまって
狂人を大量に生み出したとかなんとか。
で、その時期と魔女狩りの時期が一致するらしい。
パンではないけどすいとんって幼稚園の給食にあったっけ
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 20:08:33 ID:eH/AGy7Q
>>467 太平洋戦争での日本の潜水艦の生存率は極めて悪く、
ほとんど死にに行ってるようなものだった。
90%以上は最終的に沈められ生き残りは数隻という惨状。
しかも潜水艦は沈められたら乗員全員溺死だったからね。
そういう極限状態だったから米食うの我慢するのはイヤだったみたい。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 21:02:33 ID:30Kvy4aP
醤油や味噌は平安時代にはあったみたいだけどこのころどのくらい浸透してたの?
味噌は足軽の携帯食になってたみたいだけど、醤油はあまり聞かないな。
しょうゆの本格普及は江戸時代に入ってからじゃなかったっけ?
平安時代のしょうゆは、現代の「ひしお」(しょっつる鍋の材料の一つ)に近かったとか。
474 :
ななしさん:2006/10/27(金) 01:24:16 ID:JaCwyJgE
当時は自然だけはふんだんにあったから山肉の調達は
簡単だったんじゃないかな
それなのに動物の肉を食べた記録をあまり見ないのが不思議だ
猪や鹿なんかは普通に食べてたよ
仏教色が強かった昔の日本では
人と同じ赤い血を流す獣や鳥を殺して食べる事は
野蛮かつ下品な行為であるとされていました
だから比較的よく食べられる動物の肉には柏、牡丹、桜など
植物の名前がつけられていました
普通に食べると言っても安定供給が不可能で保存技術も流通経路もない時代なので
家畜以外は普通には食べられません
日本には動物食べる習慣がなかったからね
鳥や魚は普通に食べたが
奈良時代頃に仏教が伝わって以来四つ足と呼ばれる牛、馬、豚など哺乳類は食わなくなり
近代までこの風習は続いた
勿論全く食わなかったわけじゃなく一部の人や地域によっては食べられていたが
ゲテモノ食いの類で一般人からは気持ち悪がられた
最後の将軍で知られる徳川慶喜は豚肉が好きでよく食べていたが
周りの人達は「豚一」と陰口を叩いた
将軍ですら陰口叩かれるように肉食は嫌われた
俺は土田舎育ちなのだが地元の祖父母や年寄り達は肉は気持ち悪いと言って嫌がる人が結構いた
現代ですら多少名残りがあるw
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 04:09:16 ID:g/4FEU6M
天明の飢饉の時の記述に
「飢えた百姓たちは犬や猫は言うに及ばず牛や馬まで食べた」とある。
少なくとも牛や馬のような役に立つ家督は原則食べなかったと思われ。
食べるとしたらウサギや鹿だろう。
これに対する反論は細川忠興が他の武将に牛肉をふるまった逸話だが、
特殊な事例と思われ。
細川はグルメで有名だし、
現代でもグルメの一部に特殊なものを食べることがある。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 04:12:36 ID:g/4FEU6M
家督は家畜ね
当時の食用の家畜といえば鶏の事ね
以前テレビの鬼平犯科帳で、おかゆのトッピングに炒り卵が登場してたけど、あれ本当?
あとは、梅干とか削り節とかあったなあ。
そういえば、キリシタン大名の高山右近が陣中食として、牛肉を味噌仕立ての鍋にして食べていたと雑誌に載っていたな。
当時、主に宗教上の理由により悪食とされていた様だが高山右近の陣中を訪れた細川忠興と蒲生氏郷がこの牛鍋を喰って味をしめてからというもの、度々二人は高山右近の陣中を訪れる様になったとか。
その雑誌に載っていた味噌仕立ての牛鍋には薄切りにされた脂身の少ない腕・肩・腿系のロース(?)牛肉にセリ、大根、白葱、牛蒡などが具として入っていた。
試しに敢えて昆布や鰹節等のダシを使わず、そして牛肉は脂身がなく牛肉としては比較的固い目のオージー・ビーフの腿をチョイスして作ってみたが、充分美味かったぞ!(笑)
…、まぁ新鮮な牛肉なんて戦国時代や江戸時代に入手困難だろうし、獣肉に慣れ切った現代人だから美味いと感じるだけかもしれないが…。
もしかしたら、細川忠興と蒲生氏郷の二人もそのテの味がたまたま好みだっただけかもね。
長文、スマソ
肉は熟成させた方が美味い。
新鮮なほうが美味い!というのは幻想。
>>483 >>482だが、確か屠殺してから豚は7〜10日、牛は10〜14日冷暗所にて肉を寝かすんだったっけ?
春先から夏場は肉を熟成させる前に腐らせてしまうだろうから、秋口から冬にこの牛鍋を喰っていたのか?
ともあれ、高山右近が陣中に牛肉を備蓄していたのとこの味噌仕立ての牛鍋は美味いのは間違いないです。
>>483さんも作ってみては如何か?
邪道だが、鰹節や昆布のダシを加え牛肉も国産和牛バラ肉を使い、更にざく切りの椎茸、白菜、人参そして湯通しして油抜きしたアゲ、下茹でした里芋を加える更に鍋の締めにはうどんまたはきしめんをぶち込むとマジでめっちゃイケてます。
料理スレでもないのに長文スマソ
でも皆様方も是非お試しあれ♪
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 11:27:41 ID:BtFWuyN2
味噌に漬けておけば多少は長持ちしたかもな
当時の野菜って、今と味はどう違うんだろう?
渋いのかな?
食べ方は、おひたしか味噌汁の具にする位かな?
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 16:11:46 ID:/sE3zPhS
>>486 戦国時代の野菜類は菜っ葉物、根菜類問わず洋人参みたいな外来種は少なかった筈だから今で言う京野菜、例えば人参ならば金時人参みたいに色や味も風味も豊かな物だったと俺は思うな。
当然、無農薬(または低農薬)で有機栽培の筈。
調理方法も漬物や鍋、味噌汁の具に煮付け等以外と多彩だったであろう。
天麩羅は江戸中期頃に庶民に普及したであろうから戦国時代にはあまりなかったかもね。
ただ、ポルトガルの宣教師が大名連中に天麩羅を(フリット・フリッターの類い)振る舞った可能性は充分考えられるかな。
冷蔵庫ないからね。
保存が効く調理法がほとんどだったろうと想像。
今ある野菜の大半は江戸時代以降に入ってきたものだからね
古くから入っていたものでも普及しなかったものも多い
同じ種類でも現代では品種改良を繰り返えされたものだから見た目も味も大きく違う
昔の物は形は小さくアクや青臭さが強く筋ばっていたり
現代人からしたら決して美味いものではない
ただ、栄養価は極めて高いだろうね
化学肥料もないし、農薬も自然由来だから健康的ではある
そして寄生虫持ち。
>>490 それだw
農薬かけない野菜には必ず寄生虫がつく
まして昔は人糞や動物の糞が肥料だから寄生虫がループしてる
だから野菜を生で食べる習慣がなかったんだよな
戦後まで日本も食中毒や寄生虫などとにかく不衛生だった
食べ物で命落とした人も多い
まあ寄生虫は火を通せばいいだけの話。
あと植物の栄養素には大気中の二酸化炭素量が影響していて
二酸化炭素濃度が濃いと植物はよく育つが
単位あたりの栄養素は少なくなる。
戦国時代は今より二酸化炭素濃度が薄かったので
栄養価は高かったろうな。
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 21:27:49 ID:iE1p1V2u
いやちゃんと肥にすれば寄生虫問題はない。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 21:43:17 ID:g/4FEU6M
>>492-493 でも、現実に戦前くらいまでは寄生虫問題があったんだが・・・
ただ、これは明治以降の近代の話しかもしれない。
なお、最近、またグルメブームで肉を生で食ったりすることから
寄生虫が復活してきたらしい。
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 21:47:47 ID:g/4FEU6M
トウゴマの種から造られるひまし油なんかを飲んで寄生虫を排出してたようだね
昭和40年頃まで使っていたようだが
いつの時代からやっていたかは分からん…
今は寄生虫ダイエットなんてもんもあるからなぁ。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 22:39:01 ID:5KiyWFOi
>>477 俺の母親は結構な田舎育ちなもんで
子供の頃は牛・豚肉なんてまったく食う気すらしなかったらしいぞ
牛は農耕用に飼って家族同然で共同生活していたから
俺たちが犬・猫肉を食うみたいな感覚で可哀想なのと気持ち悪いのとで受け付けなかった
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 22:49:21 ID:iE1p1V2u
一番多かった寄生虫問題はサナダムシ。
あれは鮭のルイべなんかでもなるが無害らしい。(藤田先生談)
藤田先生は何匹もお腹で飼ってる。
ちなみに鰊や烏賊・鯖・鯨のアニサキスは昔なら確実に死ぬ。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 00:08:09 ID:/P6K44DC
>>454 パンのようなものなら世界中に存在するよ。日本にもね。
>>477 古来から獣肉を食べる風習は普通にあるよ?戦国期でも獣肉を細かく刻んで
味噌に漬けた物が食べられてたりする。酒のつまみとして食べられもしたと文献にも残っているよ。
江戸になると、武士達は食べなくなったが、庶民達はおおっぴらに「薬」と称して獣肉を食べてたりする。
徳川吉宗に至っては牛肉の味噌漬けが好きで、近江だかの大名に「送ってくれないか?」と書状まで出している。
>>499 毛利元就は寄生虫でやられたらしいね。寄生虫いるの知ってて生魚やめられなかったそうだからグルメだったのかも。
>>487 徳川家康が晩年天ぷら好きだったとか伝わってるよね?
>>501 どうやら徳川家康の天麩羅好きは俗説らしいぞ。
隠居して駿府城にて余生を過ごしていた時に、出入りの商人に何か流行の物はないかと尋ねたところ鯛を油で揚げた南蛮渡来の食べ物を(天麩羅説とさつま揚げ説あり)勧められ、それを食べて食あたりを起こし結果、それが元で亡くなったとの事。
ちなみに徳川家康の普段の食事は麦飯と野菜等の具沢山の味噌汁に漬物、鰯の焼き物なんかの粗食中心だった為、いきなり高カロリーの食品を摂ったので高齢の身体が受け付けなかったという説と揚げた油が古くてそれであたったのが原因という説がありますよ。
長文、スマソ
>>502 ふむ、そうなのか。
家康が自分で鯛の天ぷらを揚げて
その鯛の小骨が喉に詰まって昇天なんてのもあるけど、
如何にも笑い話だものな。
しかし、揚げ油の件も面白杉な与太話だね。
江戸時代初期、冬の時期の庶民のご馳走と言えば犬鍋だった。
冬期になると野良犬が街中から居なくなるほど。
んで犬好き(食べるわけではなく愛玩として)の綱吉が悪法名高い
生類憐れみの令を出した。
くじらは当時魚類と思われてたが実際には哺乳類の獣肉だし、
猪や鹿、馬(武士は特に食すのをタブー視されてたが)なんかも
植物の名前の隠語で呼んで、専門店もあったほど。
505 :
483:2006/10/28(土) 01:33:24 ID:R96UCxRP
>>484 俺、どちらかというと肉は嫌い。
魚のほうが好きだし安上がりだな。
赤身は好きだけど、セリ、大根、白葱、牛蒡って癖の強い野菜ばかりだな。
肉の旨味なんて打ち消されているんじゃないかな?
結局、肉を好んで食ったというのとは違うと思う。
>>505 >>484だが、いやぁ豚汁みたいで美味かったぞw
なんというか牛蒡と牛肉の相性は抜群だし、旨味の染みた大根や白葱が良い味出していたわ、コレがwww
更に、後日改めて新規に作りなおした味噌仕立て牛鍋に里芋や油揚げ等を加えたヤツをこしらえたが、美味さが倍増だったw
いや、本当マジお薦め♪
まずは連投スマン。
これだけは言わせて貰うが、戦国時代の美味な陣中食は、東の獣肉系鍋の横綱が猪肉入りのほうとう鍋ならば、西の横綱は味噌仕立て牛鍋だと思うな。
無論、個人の好みもあるだろうが野趣溢れるワイルドな鍋で獣肉が好きな御仁ならば理解してくれる筈である。
…、ん?
当時の水軍(海軍)の陣中食?
誰か知ってる御仁はいるかな?
ちなみに俺は当然知らない罠www
食肉専用に育てられた牛の肉と
年老いたか怪我をしたかで働けなくなった
農耕作業用の牛を潰して食べるのとでは
全然別物のような気がする今日この頃
>>507 マジレスすると、その通りだと俺は思うなw
まず食肉用の牛は肉質を(霜の振り具合や肉の柔らかさ)前提に飼育するが農耕用ならばそんな事は度外視しても全然構わない訳だ。
だから、当時の牛鍋や牛肉食をなるべく再現したいならば、農家に頼んで老牛を潰して貰うか、肉質が硬くて霜の刺し具合(脂身が悪い)輸入物、オージー・ビーフかメキシカン・ビーフで作るとちょっとは似てくるかも?
ちなみに鶏肉でもブロイラーならば若鶏でなくヒネ(親鶏)ならばちょっとは戦国時代の鶏肉の雰囲気を味わえると俺は思う。
確かに肉質は半端じゃなく硬いが、旨味が段違い。
どっちかというと、当時庶民の中で獣肉といえばポピュラーなのが
猪、鹿あたり。牛は労働力として農業を生業としてる連中は口にしないし、
馬は武士にとってのタブー。
犬は綱吉時代に禁止されて以降、口にする習慣が無くなった。
連投スマソ
毛皮としての需要もあったが、猪、鹿は猟師という職業が成立していた上、
江戸近郊の山でも獲れたので、江戸に毛皮食肉を売る猟師ももちろん
いろんな史料に出てくる。
ムツゴロウこと畑正憲氏は大学時代、寮で数匹の犬を飼っていたのだが、
学園祭の時に空手部員に無断で食べられてしまったそうな。犬を。(大学は東大)
犬食万歳。
犬食は戦後もしばらくはあっただろ。親や祖父母にでも聞いてみたらいい。
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 11:56:17 ID:tuu/VDWO
猪、鹿、山鳥なんて所詮は供給の安定しない野生動物。
そりゃ全く当時の日本人が獣肉を口にしなかったとは言わないが
あたかも頻繁に常食されていたかのような表現は誤解を生むよ
あくまで当時の基本的な動物蛋白源は圧倒的に魚介類が中心である事をお忘れなく
他の追随を許さない極めて発達した魚食文化圏
獣肉は滋養あるものとして「薬食い」と言うのであった。
>>515 なんかその辺を勘違いしてる人もいるね
狩りやってたからって、鳥獣を当たり前に食べてたとか思ってる人が
けっこう多い
抵抗なく食べられる事が武勇伝の一つにもなったって話もあるし
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:36:54 ID:HYvDCD/T
>>500 庶民が食えるほどの獣肉をどこで手に入れるのよ。
狩猟じゃ、そんなにまかなえないよ。
狩猟採集の縄文時代なんて最盛期でも、人口26万だぞ。
江戸時代人口3000万、牧畜してない日本人が、肉なんてた食べれる機会はほとんどないよ。
江戸時代はもちろん、戦国以前に至っては今から見たら、まともな食いもんなんて、ほとんど
ないな。
鶏の卵さえ、江戸時代後期まで食べなかったわけだし、鶏肉なんて、もっと後だし。
大名や貴族でも、ろくなもん食ってない。
ましてや庶民なんて。
しかし、米がすべての日本人て変わってるよなあ。
そこまで、米がいいかよ、日本人。
米と味噌
色々と意見活発なのはいいけど、
食べ物スレなんだから、まったりしようよ!と思う。
お袋の留守に紅葉(鹿肉)を煮てくらい
ご隠居は嫁のいやがる薬食い
薬食い女房きせるをひったくり
江戸時代の川柳(スレ違いですまん)だけど、
やはり臭いを受け付けないことが多かったみたいだね。
まあまあ。
でも江戸時代の不良若侍(今で言う珍走団やチーマーみたいな連中か)は
「俺たちは太平の侍とは違うんだぜ」と野犬を殺して食ってたらしい。
戦国時代の侍を真似たつもりだとかだったそうだが、
本当に戦国期の侍が犬っころなんて食べていたかどうかは不明。
余談ながらこの悪臭がひどいせいで生類憐みの令が発令されたという説もある。
全国に肉屋は存在してたが普通に食卓に上るようなものではないわな
山間部の田畑の少ない所は肉から栄養取ればいいのにと思うのにそれでも食わない人が大半だった
魚類や鳥類は普通に食べたが哺乳類嫌悪の習慣は余程強かったようだ
肉を扱う人もエタ・非人と呼ばれる差別階級の人達だったし
田舎じゃ今でも
「あの家は昔屠殺やってた」
「あの家の人は肉食ってた」
とあまり良い意味でない話題になる事がある
畜産を盛んにすれば不作による飢饉も少しは緩和できたのに
俺も
>>500 >>504の意見はマユツバだと思うぞ。
こいつらは国民全体が肉を常食とするのがどれだけ大変なことか全然わかっていない。
現代ですら肉を大量に国内で養殖してかつ大量に輸入しなければ維持できない。
江戸時代の日本の人口の三千万前後は当時としては大変、膨大だ。
しかも首都の江戸は世界一の百万都市。
ヨーロッパの国々は実は数百万程度でしかなく、ロンドン、パリも三十万程度。
実は当時が世界でもっとも日本人比率が高かった。
どう考えても
>>504 みたい「当時庶民の中で獣肉といえばポピュラー」とかは思えない。
日本の数千万の膨大な人口の口を満たすほどには
山肉(鹿や猪)や犬がいたとは思えん。
「一年に一回のごちそう」程度ならありえるかもしれんが、
そんなあたかも日本中の民が当たり前のように肉を食ってたとかいうのは
需要と供給を考えると無理ありすぎ。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 15:29:24 ID:VxKuBpht
ちなみに地球全体で養える人口は
「穀物中心なら百億人」
「先進国型の肉食の多い食生活なら三十億人」
「原始的な植物・野生動物の採集のみの場合は一億人」と考えられてる。
人類が文明を持ってから急速に増えたのは「農耕」という大発明で食料が大量かつ定期的に作れるようになったからだ。
それを「日本にはたくさん山かがあり狩猟を生業とする人間がいたから普通に食べられてた」とか甘すぎ。
縄文時代は26万人だった人口が江戸時代は三千万人もいるのに
どうやって庶民が当たり前に食べるくらいの肉が手に入るのよ?
ましてや日本ではヨーロッパみたいに畜産業もなかったのに。
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 15:46:51 ID:VxKuBpht
>>522 >畜産を盛んにすれば不作による飢饉も少しは緩和できたのに
それをしなかったから日本の動物や自然環境は守られた。
日本よりずっと人口密度が少なかった西洋ですら、
中世に多くの森林と動物が消滅したのにね。
つーか日本の自然環境ってそんなに強固なものか?
明治あたりにちょっと狩猟が盛んになるとニホンオオカミは絶滅するし、
現代でも国土75%が森林なのに
ニホンカモシカはちょっと狩猟が盛んになっただけで絶滅寸前になるし。
膨大な居住面積持つはずの山林の動物たち(クマとかニホンザル)は
食料求めて人間の畑を荒らすしさ。
西洋では大量のと開墾と牧畜で土地を奪われ
狩猟によって動物たちが大量に取られて動物たちが激減したのに
ニホンじゃたいした土地開発(75%の山林が残ってる)も狩猟も
されてないのにニホンカモシカやニホンオオカミが絶滅するような
状態になるほど実は脆弱。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:01:08 ID:HYvDCD/T
>>525 日本は国土が貧しいからね。
しょうがない。
この貧しい国土で、これだけの人口大国になった日本はやはり異常。
そんなに、米がいいか、日本人。
江戸時代にヨーロッパ型の農業やったとしたら、600万人の人口養うのが限界だそうだからな。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:05:57 ID:HYvDCD/T
ちなみに、畜産物1kgの生産に要する飼料穀物の量(トウモロコシ換算)
鶏卵 鶏肉 豚肉 牛肉
3kg 4kg 7kg 11kg
お肉食べるのって大変なのよね。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:08:50 ID:HYvDCD/T
>>519 米と味噌か、後、漬物、焼き魚があれば、俺でも何とか生きていけそうではあるが。
醤油は普及は江戸時代まで待たんといかんからなあ。
>>515-518 いやいや、江戸時代猪専門店だってあるし、鬼兵犯科帳じゃ軍鶏鍋専門店が
密偵の拠点になってる。
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:21:28 ID:XSE/YOHV
いやあ、勉強になります。ハイ。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:22:05 ID:HYvDCD/T
日本以外の稲作地域では稲作には豚と鶏がついてくるんだけど、日本では何故かそれもなし。
魚がすべて。
親子丼も、トンカツも江戸時代以前にはありえない料理。
親子丼も、焼き鳥も、トンカツも豚の生姜焼きもすき焼きも全部、カレーやなんかと同じで、外
国からの無理やりの開国があってこその料理、実は日本料理じゃない。
しかし、江戸以前の日本料理は相当貧弱、料理を考えたら、日本には住みたくない、たとえ大
名でも、庶民は問題外。
隣の中華料理はあんなにすごいのに・・・
>>522 今でも仏教系の新興宗教団体なんかじゃ「肉屋が三代続くとカタワが生まれる」とか平気で言ってるね。
>>531 唐時陳藏器著本草拾遺、謂人肉治羸疾、自是民間以父母疾、多刲股肉而進。
(新校本新唐書 卷一百九十五 列傳第一百二十 孝友 より。)
別な面もスゴイけどね。
ワラビゼンマイなど山菜取り関係の本読んだけど、江戸時代よりも前は資料らしい資料が無いみたい。
江戸時代には、秋田、山形、新潟の山村での主要商品で、公方様にも献上されていたみたいだけど。
>>525 田舎では極度の過疎化が進んでいて、都会人の言うような「環境破壊」などは実は皆無。
物理的にありえないと言うのが現実。
むしろ、過保護によってカモシカやニホンザルが増えすぎた為に、人間のテリトリーにまで進出していると言うのが事実。
都会人のマスコミの論調を鵜呑みにしてはイケナイ。
>>529 獣肉を食べさせる店、ももんじ屋だっけ?
猪の絵看板がかかった店の風景が浮世絵の題材になってるよね。
鬼平の軍鶏鍋屋は本所の「五鉄」だ。
それと、仏教の経典では別に肉食を禁じてはいないんだったよな。
なあに、かえって免疫力がつく。
>こいつらは国民全体が肉を常食とするのがどれだけ大変なことか全然わかっていない。
>現代ですら肉を大量に国内で養殖してかつ大量に輸入しなければ維持できない。
話を飛躍させすぎ。
しかも「こいつら」などと煽り文句までご丁寧に。
眉唾とか言うけど、江戸時代の文献には普通に獣肉料理店は登場するけどね。
それに国民全体が獣肉を常食してたなんて一切記述してない。
物流が盛んでかつ山肉の供給も盛んあった江戸の風俗史料なんかは豊富
無論一生を獣肉を食べずに終えた江戸市民も普通に居るだろうし、
手軽に食べられるほど値段も安くないし、当時の宗教観だって獣肉を禁忌としてた
と庶民は思っていたし。
とはいえ、獣肉を卸す業者も居れば専門にする店もあり、需要があったのは紛れも無い事実。
ポピュラーという言葉を使ったのも、
日本で食用にする昆虫といえばポピュラーなのがイナゴ、ザザムシといったニュアンスなのに
いきなり日本中の人間が常食にしてるとかわけわかめなこといわれても。
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 18:34:37 ID:VxKuBpht
>>529 >>534 そんなことはわかってる。
ごく一部のグルメのためにそういう店はあるが
一般人が「普通に食べてた」という理屈がおかしいといってるだけ。
>>533 そうだよ。すでにニホンオオカミが絶滅しているので、
一時は絶滅に瀕したニホンカモシカも人間が取らなければ増えるのも事実。
そのため、今では猟友会が増えない程度に適正な狩猟が認められてる。
しかし、そんな数はたかがしれてる。
このスレのどこに「俺、ニホンカモシカの肉食ったぞ」
「俺、毎日ニホンカモシカの肉食ってるよ」なんて奴がいるんだ?
それくらい山肉なんてごく一部の口に入るだけのものであって、
一般人が簡単に食えるものではない。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 18:45:09 ID:VxKuBpht
>>536 そんなには飛躍させてないと思うけどな。
>>526 日本の人口密度は確かに異常。
しかも昔は北海道に数千人しかいなかったから、
実質、人口密度は三桁はあっただろう。
現代のヨーロッパですらこんなに人口密度の高い国はない。
>>522 >畜産を盛んにすれば不作による飢饉も少しは緩和できたのに
これがどうも違うらしい。畜産は国民の食料不足を緩和するものどころか
実はさらに進めるものだというのが実態。
今の世界を見ればわかる。
>>537 >それくらい山肉なんてごく一部の口に入るだけのものであって、
>一般人が簡単に食えるものではない。
一般人のカテゴリをどうとるのかが問題だが。
遊郭(吉原とかでなく、もっと下級の)にいくような小金持ち程度ならば普通にいける。
当時ももんじ屋では小粒一つあれば大の大人4人が腹いっぱい食えて
酒も飲み放題になるほど。
例えば、三十俵二人扶持の下級武士が、ももんじ屋で食事するのに倹約をした
なんて記述された民族史料なんかも普通にある。
日々の生活に困るようなレベルじゃさすがに無理だが、ちょっと贅沢ができる程度の
生活レベルなら問題無かった。
>>540 どうかねえ。それが日本全国津々浦々とは思えない。
「静岡では普通にイルカの肉売ってるよ」程度の話しだろ。
それに日本の90%を占める百姓とかはどうかという疑問もあるし、
それに富裕層でも「贅沢な外食」って感じじゃないのか。
>しかも昔は北海道に数千人しかいなかったから、
北海道っていっても開発されてないし
南部藩が支配してたのは函館近辺のわずかな区域。
のこりは原住民族のアイヌ人がまばらに集落を作ってた程度だしな。
>>541 誰も日本全国津々浦々なんていってないじゃん。
江戸には食肉文化あったよー
って史料を提示しながら言ってるだけで。
無論、人口比率に比べ農民の割合が少ない、
食肉を供給する専門業者、その食肉調理して出す専門店、
地方に比べ、比較的庶民の暮らしは楽だった
って条件があった上での江戸ならではの文化なんだろうが。
あと東北なんかは犬食文化は幕末まで残ってたらしいが資料がないんでよくわからん。
>それに富裕層でも「贅沢な外食」って感じじゃないのか。
富裕層で贅沢な食事てのは超高級料亭華善での一食百両とかそういうもんでしょ。
江戸の道沿いにある店構え程度で数百文で食えるももんじ屋と比べるのはちょっと。
高級ももんじ屋もあったかもしれんが。
むかし、ツービートの本で赤犬を食べる話とかがあったよ
戦後でも東京の下町の生活水準の低い地域では
「赤犬」という犬を食べるという行為が
普通に行なわれていたんじゃないかと思うが
ID:VxKuBphtのレスを改めて見直してみると
江戸時代の食文化の資料とかをまったく見てないのな。
えらそうに講釈垂れるのは日本の人口が3000万で江戸が百万都市で
国土の75%が森林とか90%が農業を生業にしてるとか
欧州は数百万で倫敦巴里で数十万とか、意味の無い数字は細かいのに。
自分の知ってる知識の範囲で物事を妄想してる。
本論である食文化関係にはまったく数字の根拠とかがないのが証拠。
戯曲や川柳、落首、滑稽本、日本画、銅版画etcetc
いくらでも食肉文化が庶民に浸透してるってのがわかる資料なんざいくらでもあるのに。
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 19:59:12 ID:S2Y3lsM4
500だけど。
>>518 推測だけで書かれても返答に困るな・・・・当時の文献に犬、猿、雉、猪、鹿、兎、等、獣肉は普通に食べられてたって記録が残っているんだけど。
当時の飯屋のメニューにも「肉鍋」がある。肉鍋(大)2000円、(中)1500円、(小)800円。ちなみに鰻と同じ値段。
「あの人口でどうやって供給してたんだ!」言われてもそこまでは知らんがな(´・ω・`)
>>523 言葉悪いよ。あと勝手に人の話しを飛躍させて発狂しないでよ。
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 20:00:59 ID:S2Y3lsM4
>>537 幕府の敷いてた禁猟って知ってる?その身分じゃないと狩れなかったのって
言葉悪くてごめん。
ただ、貴方がたの話しぶりだと
食肉が現代人みたいに普通かつ煩雑に行われてたように
読めてしまったのでね。俺の誤読なら謝るよ。
>>542くらいの頻度の肉食ならあったんだろうね。
>>547 どうでスレタイに「戦国時代」と書いてあるので話を戦国時代に戻すと
織田信長が武田家を滅ぼして甲府を訪れた時
北条氏政は自らが鷹狩でGETした大量のキジを
信長に送ってご機嫌を取ったそうな
光秀が家康饗応役に選ばれたときも鶴の肉とかあったしね
十五日をちつき(徳川家康一行の安土到着時)
●本膳
皮を取った蛸
鯛の焼き物
菜汁
鯉のなます
香の物(味噌漬)
鮒の鮨
飯
●二膳
うるか(鮎の内臓の塩辛)
宇治丸(鰻を丸のままあぶって切り,醤油と酒,または山椒味噌をつける。鰻の鮨のことともいう)
ホヤ冷や汁
太煮
鮑
ハモ
鯉の汁
●三膳
やきとり(キジ)
山芋の蔓(鶴?)汁
かさめ(ワタリガニ)
ニシ(貝の一種)
鱸汁
●四膳
巻スルメ
鴫つぼ(ナスをくり抜いて鴫肉をつめる)
鮒汁
しいたけ
●五膳
まな鰹刺身
生姜酢(刺身用)
ごぼう
鴨汁
削り昆布
十五日晩御膳
●本膳
三つ和え(煮物三品)
こまごま(数種類の和え物?)
鮎の鮨
干し鯛
飯
●二膳
串鮑
鯒(コチ)汁
なしつけ(奈良漬?)
●三ひしくひ(この語不明)
角煮(鰹の?)
鯛のあつ物
つぼ(用途は?)
折二かう(折詰二段?)
角盛り・壷盛り(中味は?)
ふくらいり(ナマコ煮物)
きしませにふとう(不明)
その他いろいろ
十六日御あさめし
●本膳
宇治丸
鱒焼き物
汁
鮒なます
うど
このわた(ナマコの内臓塩辛)
飯
●二膳
ひばり
かれい
鯛の汁
干鱈の削り物
麩の小串
イカ
冷や汁
●三膳
塩引き(魚の塩漬け)
麩と雁の汁
切り蒲鉾・焼き鮎・酢ごぼう盛り合わせ
杉かかり(杉板を使った煮物で,杉の香を食材に移した。)
とさか海苔
●よ膳
大はも
とへた(ツメタ貝)
山の芋・醤煎り・あま海苔色々
そぼろ
鱸
たてす(蓼酢?)
かけいり(魚のすり身団子)
ミル貝
●菓子
薄皮饅頭
山の芋
美濃柿
ビワ
麩揚げ
島津が相手を挑発する為に、鶴の吸い物をわざとだしたとかって話があったような?
名前忘れたけど、その相手の家紋が鶴だったんだとさ。
十六日之夕
●本膳
飯湯漬け
塩引き(魚の塩漬け)
かりの豆(不明)
焼き物
和え混ぜ(スルメ・鮑等の酒和え)
飯
香の物(味噌漬け)
ふくめ鯛(?)
蒲鉾
●二膳
からすみ
皮を取った蛸
サザエ三つ
あつめ汁(ナマコ・串鮑・麩・椎茸・大豆・あま海苔)
小串(何の串?)
和えくしげ(和えクラゲ?)
●三膳
山椒はも
竹の子と白鳥
海老舟盛り
熨斗もみ(鮑の塩もみ)
鯉汁
●よ膳
数の子
百菊(ももぎ)焼き(鳥内臓の焼き物)
青鷺汁
瓜もみ
●五膳
シギのはもり(羽盛り?)
ウドと鯨の汁
バイ貝
●菓子
羊羹
うち栗
くるみ
揚げ物
花煮昆布
おこし米
のし(鮑)
●点心
生姜・あんふん(あんにん?)・山椒
かた海苔
こたうふ(豆腐?)
椎茸
蒸し麦五枚(点心用の小麦粉製皮)
御そんさかな(御添え肴。菓子の時に添えた酒の肴)橘焼き(?)二本
角盛り・壷盛り(中味は?)
鯛のあつ物
折十かう(折詰十段?)・杯の台,その他
光秀が出したのは鶴じゃなくて白鳥だった・・・
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 20:55:48 ID:tuu/VDWO
>>551-555 豪勢な饗応料理においても矢張り魚介類が中心だな
獣肉食の習慣が存在はしていたのは事実だろうけど
日本全国・全階層で魚介類が獣肉より圧倒的にポピュラーで
牛豚鶏が魚介類並みに食されるようになったのは昭和も半ばになってから
>>ID:WSr9mcVC
資料提示ってただ文章羅列してるだけじゃん。
どの文献のどこにのってるとか書いて初めて資料の提示だろ。
それとも鬼平犯科帳が資料?
>>558 あの〜
図書館どころかその辺の大きな本屋に行けばごろごろしてる資料をいちいち挙げろと?
信長が義元を打ち破ったが
ってレスに対してどこの資料にそんなことが書いてあるんだよ。挙げてみろよ。って
文句つけるのと一緒でしょ。
>それとも鬼平犯科帳が資料?
半分正解
鬼平・梅安食物帳 とか面白いよ。
あとは落語「池田の猪買い」とか
病気を治すのに牡丹鍋を食べようと猪を狩りに行くって話。
文献は
「食卓を変えた肉食」
「牛肉と日本人」
「食べ物史話」
「江戸の食生活」
「江戸の庶民が拓いた食文化」
ちょっと調べりゃ判りそうなものになんでいちいち資料を明示しなきゃならんのか。
あと俺は自分の知ってる知識の範囲で物事を妄想してる。って言っただけで
あくまでも資料w見てないって指摘しただけ。
いちいち明示しろなんて一言も言ってない。
だって探せばすぐに江戸時代獣肉の食文化があったってわかるもの。
偉そうに講釈たれてるわりには持ってきた資料は
>>538のみ。
それで「資料提示しながら」ってねぇ。
少なくとも
>>559以前にはまともに文献名すら出してないのに。
あ、鬼平犯科帳でてるか。
資料名まともに出してないのに資料提示してますと言ってることに対して聞いてるんだけど?
ID:VxKuBphtがわざわざID変えてきたのか。ごくろうさん。
意味の無い数字は細かく明示して、
人口多い江戸市民が獣肉を口に出来るわけね〜
って肝心の最後を妄想で語る人に言われたくないな。
俺は一度も資料提示してます
なんぞと言ってないぞ。
そのへんに資料なんかいくらでも転がってるじゃん
とは言ったがな。
>>542 で
>江戸には食肉文化あったよー
>って史料を提示しながら言ってるだけで。
ってレスしてたな。
>>538のみで提示しとるがそれはすまんかった。
×史料を提示しながら言ってるだけで。
○資料はいくらでもその辺にあるよと言ってるだけで
に修正
ただ
>>542以外では、食肉文化の資料、史料はいくらでも探せばあるってのは一貫して言ってる。
お前らくだらない煽り合いは他所でやれよ
糞スレ化すんだろ
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 01:58:04 ID:MeXm7JQX
戦国時代も食事はかなり質素だったんじゃないかな?
江戸初期の話しだが
毛利秀元、丹羽長重、蜂須賀至鎮、林羅山、阿部重次
といった面々が江戸城に登城して弁当食ってる様子が書かれたものがある
皆弁当を広げてお互いオカズを見せあったりした
毛利秀元の弁当には干し鮭が入っていて
皆それを見て良いオカズもって来てると珍しがり
分けてもらって喜んで食べたそうだ
鮭は大名でも余り口にできなかったようだね
ちなみに阿部重次などはオニギリを懐に入れて持ってきて
包みの紙についているご飯粒も全部食べて
更に包み紙を伸ばして鼻をかんだと書いてある
なんかもう、ほのぼのと言うか涙をそそるな…
>>564 大名クラスですらそうなのか、それとも上下を問わずこんなものなのか・・・
大名家の間では自分や自分の藩がいかに倹約してるかを披露し
自慢しあってたんじゃないの?
>>564 やはり大名や上級武士でも天下人(豊臣秀吉や徳川家康クラス)でもない限りあまり贅沢はできなかったんだろうし、彼等の住む地方にはなかなか出回らない様な食べ物だったのだろうな。
産地から取り寄せるにしても、棒鱈みたいに乾燥させきった物ならばともかく、冷蔵庫もなければ高速輸送手段もない、陸路は馬や大八車(リアカー)、海路が一番早いといっても帆船だし潮流や天候の関係もあるしなぁ。
それにしても、鮭が好物の歴史上人物って結構いるのな。
水戸黄門こと光圀公(字はこうだったか?)も鮭、特に鮭の皮が大好物だったらしい。
食べればパリパリ、シャクシャク。
噛み締めたら旨味と脂がじんわり…、といったところかw
最後の14代彦根藩主・井伊直憲の食事を書き記した「御膳帳」を基に再現した
1863(文久3)年10月7日の朝食で、
「今出川豆腐のこし薩摩芋(いも)かけ」と「白玉と牛蒡(ごぼう)のみそ汁」。
ご飯と漬物の代わりに、彦根藩から幕府にも献上されたと伝えられる
醒ケ井餅(もち)が添えられた。
試食会場には大勢の市民らが詰めかけ、煮豆腐にこしたサツマイモをかけたおかずなどを口に運び、
参加者は「質素で、健康によさそう。あっさりとおいしかった」と話していた。
京都新聞 11月6日掲載
文久三年(一八六三)十月七日朝
平皿(今出川豆腐・漉〔こ〕し薩摩芋)・汁(白玉・牛蒡〔ごぼう〕)
同日昼
長皿(味噌漬鯔〔ぼら〕)・汁(栗・卯の花)
同日夕
平皿(蒸兵主蕪〔ひょうずかぶ〕・葛・わさび)
いずれにもご飯と漬け物が加わります。
魚は一日一回程度、 豆腐も毎日のよう御膳に上りました。
この献立を見る限り、大名であっても、普段は「一汁一菜」の質素な食事だったといえるでしょう。
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 03:38:59 ID:74P/dEmQ
>>565 江戸の将軍の話になるが、ご飯を食べているときにご飯粒を落としたら
自分で取って食べるように教育されるそうな。
理由も為政者として農民への感謝と彼らの苦労を忘れないためらしいから、
ご飯粒も残さず食べていたというのは大いにあり得る話、白米も貴重品だし。
>>570 俺も祖父母を始め両親に同じ事を言われて育ったクチだ。
おかげで俺は家だろうが、吉野屋だろうが食器に盛られた飯は米粒ひとつ残さず食べる様にしているよ。
もっとも、将軍家とは縁もゆかりもない家系だが…。w
残す方がおかしいわね
573 :
昨日のID:VxKuBpht:2006/10/29(日) 06:52:38 ID:JkkH4alN
>>561 俺は自作自演なんてしてないよ。
失礼なこと言うな謝れ。
俺はIDの変え方なんて知らないし
お前、そんなこと言うなら証拠出してみろ。
>意味の無い数字は細かく明示して、
>人口多い江戸市民が獣肉を口に出来るわけね〜
>って肝心の最後を妄想で語る人に言われたくないな。
証拠もないのに「ID変えて自作自演した」とかいう
妄想を語るような名誉毀損罪の犯罪者野郎に
そんなこと言われたくないな。
>>561 自分がよくID変えたりするからそういう発想が生まれるんだろw
農民への感謝と彼らの苦労忘れずに・・・・胡麻の如く搾り尽くすのか。
577 :
昨日のID:VxKuBpht:2006/10/29(日) 07:37:50 ID:JkkH4alN
>>576 あいかわらず失礼な奴だな。
俺は光回線の定額接続でIDの変え方すらわからない。
少なくともPCの電源を切っても変わらないし、
どこをどういじれば変わるか俺の方が聞きたい。
まあ自作自演呼ばわり冤罪などよくある事だし、
俺も2chで感情的になりすぎた。気が立ってたんでな。
>>569 家康が異常なまでの質素倹約家だったから、その名残で幕臣達も質素倹約になっていたみたいだね。
でも武具には糸目を使わず金を使っていたのもある。江戸初期に500両かな?で買った刀を幕末の財政苦&黒船襲来で2両で売ったとか、そんな話しもある。
一般人は逆にいい物を食ってた。当時の和歌にも「明日は何を食うか」と歌った物も残っている。内容の詳細は忘れた。ごめん。
うんこの化石の成分分析からも当時の庶民は中々にいい物を食っていたみたい。
男手が多かったために外食産業が発達したってのも要因だけどね。
って、江戸の話しになってるやwスレ違いだな
鮭好き武将といえば吉川元春。
毛利といい吉川といい長州は鮭が名物なのかしらん?
>>577 あのな、いきなり
>>523で「こいつら」「眉唾」「全然わかっていない」なんて
そっちが最初に煽っといて、煽り返したらファビョるってどういう神経だよ。
煽られるのがいやなら最初から煽らないか、ちゃんとした資料を持ち出して
きっちりグウの音も出ないように論破しろってんだよ。
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 13:37:44 ID:bzKtDB9M
>>579 長州は北前船(蝦夷発下関経由大坂行)でおこぼれにあずかれたのではないかと思うのだが
ID:VxKuBphtはちょっと落ち着け。
>>523で喧嘩吹っかけて「名誉毀損」とやらを先にしてるのはどっちだ?
そもそも名誉毀損なんて単語が飛び出したのにビクーリしてるが。
せっかく当時の人口を数字であげてるのだから、反論するなら
>需要と供給を考えると無理ありすぎ。
需要と供給の根拠となる当時の獣肉を扱ってる店舗の数やら売り上げ、
猟師の人数やどれくらいの家畜が食肉用として供給されてたかとかって数字を出して
「無理ありすぎ」とするなら判るが、「考えると」の一言で済ませてるから
ただの煽り文として思われるんだろ?
レスも読み進めていくと二転三転。
>江戸では犬食の他にも猪とか獣肉も食べられてた
のレスに対して日本国民3000万人が当たり前のように肉を食えるわけが無い
と素っ頓狂なレスをしてるし
ももんじ屋の単語が出ると、
>ごく一部のグルメのためにそういう店はあるが
>一般人が「普通に食べてた」という理屈がおかしいといってるだけ。
>一般人が簡単に食えるものではない。
と曖昧な一般人に限定しだすし
そもそも一般人が食べられるとかが問題じゃなくて、食肉の文化の浸透度を問題にしてるわけだろ?
んで最後
>食肉が現代人みたいに普通かつ煩雑に行われてたように
>読めてしまったのでね。俺の誤読なら謝るよ。
もうここで支離滅裂。
>>500>>504のレスを読んで食肉が現代人みたいに普通かつ煩雑に行われてたように読めてしまうなら
半年ROMってろ
としか言えんわ。
どっちも死ね
もしくはよそでやれ
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 19:16:40 ID:9eg+djJu
江戸以前の食肉文化なんてほとんど無視していい程度でしかない。
単なるゲテモノ食い程度。
牧畜してない日本が食肉文化を築けるほど肉を食えたわけはないから。
現代世界でも、牧畜をしていない農業国家では肉を食うことは大変な贅沢だ。
>>583がID:VxKuBphtとID:WSr9mcVC以外のスレ住人の総意だな。
ここは「戦国時代の」食事についてのスレだ。
江戸時代の肉食文化がどうのこうのなんてスレ違い。
そんな話題は違うスレでやるべきじゃないか?
俺はID:WSr9mcVCじゃないぞと。
ID:WSr9mcVCなら
>>568-569で通常に戦国時代の大名の食事をあげてる。
正直祭りに乗り遅れた感があるので消えます。
って戦国時代じゃねーな。幕末じゃんorz
鮭の皮好き武将なら伊達政宗もそうだと聞いた。
仙台辺りの河川に鮭が遡上するというのは聞いた事が無いけど、同じ県の少し北の方の河川なら鮭が上がってくる。
上流の産卵地付近なら、手掴みで鮭を捕まえる事も可能だが、現在では密漁になるらしいw
ちなみに川の上流まで上がってきた鮭はあまり美味しくはないようだ。
しかし、イクラはちゃんと食えるみたいだ。
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 19:39:26 ID:JkkH4alN
鮭は上流まで登って来た時にはエネルギーほとんど使い果たしてるからな
そんな痩せた身があまり美味しくないのは頷ける
イクラだって皮が固くなってるだろうし、やっぱ現代のが美味いもん食ってんだね
ちなみに伊達政宗のグルメっぷりは有名で、
美食道楽は幕府の目をごまかす為だったっていう説まである程
天下は取れなくてもまあまあ幸せな余生だったりするのかな
>>585 食肉文化の浸透度を証明するためにごく少数の裕福な存在の大名を例に挙げるのはおかしいと思います!
>>588 宮城県北に親父の実家があって家の裏に川があるんだけど、子供の頃に鮭を見た事あったよ
海からはかなり上流なのにいっぱい居た。
もっとも、産卵が終わって力尽きた後の大量の死骸だったんですけどね・・・。
身体はボロボロで、流木の様に流れていくさまはショックだったな〜。
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 20:53:24 ID:9eg+djJu
江戸以前の日本の食文化は世界でも有数の貧しさだと思う。
でも、だから、戦争大好きな世界に誇るサムライなんてものが出てきたんだろ
うね。
日本て他のアジア諸国と比べるとなかなかハングリーだけど、きっと、もともと
国土が貧しいせいだろうね。
でもそのおかげで、同じくハングリーな欧米諸国に対抗できたんだろうね。
後、日本みたいな稲作不適各地で米作りを行うのは、大変な執念と努力が必
要だけど、でも、その努力と執念と技術の蓄積が明治維新後の近代化に役立
ったんだろうね。
でも、日本人するのって疲れるよね、今でも、だから自殺が多いんだろうね。
最後の一行いらんw
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 21:06:14 ID:9eg+djJu
>>594 切腹!!これぞ世界に誇る日本のサムライ文化だもん!!
>>593 世界でも有数の貧しさというのは何を基準にして言っているのか知らないが、
豊かな食文化があったところってどこだい?
国土が貧しいとか馬鹿を言うなよ。
米作りにはあまり適していなかったかもしれないが、
これだけ水に恵まれている国はあまりない。
欧米に対抗できたのは、江戸期に教育水準が高まったからだろう。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 21:14:55 ID:9eg+djJu
だいたい、戦がおこると、当然食い物が不足して土地が荒れて飢えたりするもんだけど。
日本の場合、戦だ!!バンザーイ!!うまいもんが食える、白い飯が食える!!
それ従軍だ!!だもんな。
たかが、白飯で・・・ふだんから、ろくな物、食ってない証拠だ。
普通逆だろ。
そもそも、戦前の軍国主義だって、軍隊入ったら、普段よりうまいもの、白飯が食える!!
これが原因だからな。
戦争したら、うまいもんが食える、これが、サムライの、軍国主義の原動力だったんだな。
あいたたた・・・
9eg+djJuってただの馬鹿だな。
他の地域との比較で言ってみろっての。
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 21:25:05 ID:9eg+djJu
>>596 いや、やはり米作りのシステムとノウハウの蓄積は近代化の重要な要素だと思うよ。
教育水準が高いのだって、日本でより効率のよい米作りをするためには必要だったか
らだと思うよ。
稲作発祥の地の稲作システムと日本の稲作システムを比べたら一目瞭然だよ。
東南アジアなんて、ただ何もしないで米撒くだけで、一年に三回も米が取れるんだぞ。
そんな所と、血の涙を流しながら米作りをしてきた日本の農民とは根性が違うからな。
水が豊富でも(一人当たりは非常に少ないが)、日本の気候に合った作物がなければ
意味ないだろ。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 21:25:09 ID:PTrKBzV8
>>593 大陸国家は人食ったりするほどだから相当貧困だったろ、大陸国家の王は民衆に君臨し酷使するだけだから日本のほうが善政
江戸期にいたっては階級性の中でも競争原理が働いてたから少なくてもアジアの中じゃ豊かな方
荒らしなんか相手にすんなって・・・。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 21:37:48 ID:9eg+djJu
>>600 でも、平均身長どんどん下がってるよ、江戸時代。
これは明らかに動物性たんぱく質の不足が原因。
間引きしまくって、人口崩壊ぎりぎりのところで踏みとどまって、危ういバランスを
保っていたのが江戸時代だな。
後、一言でアジアといってもな。
飢え死にする心配のない東南アジアとじゃあ、比べ物にならんし。
まあ、たしかに、朝鮮半島あたりよりはマシだったのかもしれん、よくわからんが。
モンゴルもハングリーそうだな。
後、大陸国家を馬鹿にしすぎ、黄河文明、長江文明を開いた大陸の基本的な豊
かさは日本を圧倒してるよ。
ただ、日本人みたいに、残酷な、間引きをしないから、300年周期ぐらいで人口崩
壊おこしてるけどね。
でも、大陸へのコンプレックスをバネに一生懸命国づくりをしてきた日本の先祖に
は感謝だね。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 21:40:23 ID:9eg+djJu
>>601 荒らしじゃないですよ、まじめに書いてます。
昔から、日本は豊かな自然にはぐくまれた米作りの国云々という言説に
違和感がありまくりだったんですよね。
米なんて、もともと、熱帯の作物ジャン。
それを無理やり、日本で必死に作ってんだもん。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 21:43:46 ID:bme5AzAZ
中国は熱帯かね?
熱帯・亜熱帯のエリアは多いよ
華南は亜熱帯だな。
華中(江浙、湖広)ですら二期作ができるくらいだから、
日本よりも豊かな土地と言える。
大陸じゃ宋代には石炭利用が庶民にまで普及してた。
火の扱いに関して言えば、日本よりも優れた食文化だね。
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 21:55:14 ID:9eg+djJu
日本の緯度って微妙なんだよ。
稲作の北限地でさ。南北に長くて。
そのせいで、稲作なんていう物を主農業に選択してしまい、えらい苦労するはめになった
んだよ。
一歩間違えば、常に冷害凶作飢えに直面する恐怖の中で、2000年以上必死に米作りし
てきたんだからな。
他のアジア諸国とはその苦労と根性は比較にならないんだよ。
今では、その日本の苦労のおかげで満州でも米作ってんだよね。
日本がなかったら、稲作なんて今でも、熱帯亜熱帯限定の作物だよ。
>>584 2行目と4行目が矛盾してる事には気がついてますか?
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:00:19 ID:PTrKBzV8
>>213 平均身長なんか知らん
日本は江戸時代肉食う習慣なかったし
中国は上は贅沢下は人食いだから豊かとはいえない
欧州もしかり
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:03:56 ID:CVewLbvG
>>602 平均身長がどんどん下がっていると言う説の根拠は?戦国時代の平均身長は157cm程度なんだが?
それと大陸の間引きは日本とは比べ物にならないぐらいに壮絶。三族皆殺しとかぐらいは知ってるよね?
千単位の虐殺なんて挙げたらキリがない。とにかく凄まじいまでに殺している。
飢え死にする心配のない〜〜は今の感覚だけで語ってるだろ。当時は連作する技術はない。ありゃ近代になってからだ。
それと東南アジアは戦国時代には既にヨーロッパの奴隷状態開始だボケ。
で、稲作発祥の地と日本のシステムの違いとやらは何?面白そうだから聞きたいんだが
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:04:55 ID:PTrKBzV8
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:05:31 ID:PTrKBzV8
やれやれまた煽りあいかよ
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:12:42 ID:9eg+djJu
>>611 え、そうなんですか?
自分は身長は戦国時代は結構高くて江戸時代は縮んだと覚えていたんですが。
ググってもだいたい、そんな感じですが・・・
大陸の三族皆殺しの文化は政治的なもので間引きとは関係ないですよ。
間引きの意味をググってでもいいから調べてください。
あと、東南アジアの連作って近代になってからなんですか?知らなかった。
でも、奴隷とか言ってるけど、タイとかずっと独立してなかったですか?
でも、でも、やっぱ、鬼畜欧米でもハングリーなサムライがいる日本は奴隷に出
来なかったんですね。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:13:09 ID:Oi0VR4yA
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:14:29 ID:9eg+djJu
>>608 言葉のあやだよ。ニュアンスぐらいわかるでしょ。
感情的になる必要ないわな、たかが飯スレ。
>>611 >それと大陸の間引きは日本とは比べ物にならないぐらいに壮絶。
間引きって口べらしのために幼児を殺すことだと思ったが・・・
大陸じゃ国家主導で政治的に三族皆殺し、千単位の口減らししてたの?
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:31:41 ID:UaBbqBVZ
とりあえずカツカレー大盛で
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:39:50 ID:PTrKBzV8
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:40:41 ID:9eg+djJu
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:43:38 ID:CVewLbvG
>>618 間引きの意味間違って書いてた。すまんな。
しかし勝手に人が怒っているかのように書き込むのはやめてくれないか?
醜い煽りにしか思えないよ。
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:47:53 ID:9eg+djJu
>>618 たかが飯スレ、されど飯スレ。
文明の成り立ちとか考えると食文化についてははずせないね。
やっぱ、食は基本だよね。
いかに食い物を手に入れるかが基本にあって、そこから、すべての文化生活が始まるんだよねえ。
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:48:07 ID:PTrKBzV8
>>621 戦国時代は大きかったらしいが江戸時代は小さかったらしい
どの程度信憑性があるか知らんが
それと食物の貧しさと関係ないし
確かに、稲作に関しては土壌じゃなくて気候的な問題
土壌ならドイツやアイルランド辺りのジャガイモで人口増えた地帯なんてもっと酷いですし
(もっともドイツの場合30年戦争で国土が荒廃したのもありますが……)
ついでに言えば稲作に適した土地がどれだけあるか、当時の技術でどれだけ改良できるかがもう一つの問題
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:52:41 ID:9eg+djJu
>>624 おおいに関係ありますよ。
身長が食事の内容、栄養状態に左右されるのは基本中の基本でしょ。
同じ民族でも、飢えに苦しむ北朝鮮と韓国では平均身長は全然違いますよ。
これもググればわかりますね。
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:58:40 ID:PTrKBzV8
>>626 戦国時代は魚や鳥のようなたんぱく質食ってたかららしい
大体お前の論理だと江戸時代より戦国時代の方が豊かだったということになるしな
江戸時代は肉を食わないようになったし米を主食にするようになっただけだろ
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:04:12 ID:9eg+djJu
>>625 ヨーロッパはすごいよ。
ドイツとかイギリスあたり。
よくあんなとこで文明を花開かせたもんだ。
中世だと麦1粒にたいして収穫が麦2〜3粒って悲惨すぎ。
農業やる意味によ。
そんなところで花開いた文明が世界最強なのはある意味当たり前だな。
奈良時代の日本では米一粒に対して、40粒だからな。
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:06:51 ID:9eg+djJu
>>627 そう、江戸時代は日本の歴史の中でも、極端に肉を食わなかった時代だったんだろうな。
でも、人口圧力の問題も大きかったと思うよ。
それまで続いていた、人口増加がぴたりとやむなんて怪しすぎ危なすぎだよ、江戸日本!!
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:07:16 ID:PTrKBzV8
>>628 逆じゃね?文明は豊かさから生まれるんだろ?
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:09:55 ID:9eg+djJu
>>630 だから、貧しいところから生まれた文明はハングリーで競争力が強いってことよ。
ヨーロッパとか日本とかね。
あと、リサイクルに長けてるから、崩壊しにくいんだよね。
砂漠化した先行四大文明の哀れなことよ。
江戸初期は人口の増加が続いていましたよ
江戸中期〜後期で人口増加が停滞していますが。
もっとも当時の(農業医療問わず)技術で養える限界に突き当たったのが大きいです。
(つまり戦乱もなくある程度の安定した統治が全国的に続いたのが大きいと思いますが)
文明は貧しいところではなく、土壌が豊かな穀倉地帯から生まれると記憶しております
イギリスやドイツの場合真に強国になりえたのは産業革命以降でしょうが
この辺り(と言うか、江戸期でもギリギリセーフかアウトとは思いますが(はスレ違いになりますので
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:28:27 ID:PTrKBzV8
欧州や中国の場合食物で革命起こったが日本じゃないしな〜
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:31:25 ID:9eg+djJu
>>633 米騒動とかいろいろあるよー
大塩タンの乱とか。
山である程度の人数を養えるから。
>>632 大航海時代に入って大量のリソースがヨーロッパ地域に流入するようになったのが大きいね。
それまでは、人類文明の中心地は、集約農業によって大量の農産物の収穫があり、
それを基にした交易で発展した都市文明を持つことが出来た現在の中東地域だよ。
ヨーロッパ文明の源流もここだしね。
中国もイスラームも産業革命に乗り遅れたのがズッコケた主原因だからなぁ。
文明の発展にハングリー精神云々はあまり関係ない。
砂漠化の問題も、その地域に古くから大量の人間が住んでいたからにほかならないし。
燃料や建材に大量に消費されたからね。
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:42:03 ID:9eg+djJu
>>632 間引きだよ、間引き。
間引きしまくり江戸日本、こわいよー!!
>>635 無理無理!!
日本の山で養える人口は10万くらいだよ、話にならん。
>>636 インテリきたあ!!
ハングリー精神は合理主義を生む。
中国もイスラムも硬直しすぎて合理的な精神をもてなかったのが近代化失敗の原因だあ!!
イタス・・・
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:55:22 ID:QlLx+g7H
ついに本性現したか。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 00:02:28 ID:A3174Sg/
まあ戦国が貧困ということはないだろゴールドラッシュだったし
美味しんぼなんかでさ、北陸の百万石の大名が
もし皮が一尺ある鮭があるならば百万石と交換しても惜しくない
って表現してるのが何度かあるんだけど、自分なりに史料当たってみても
そんな逸話はないんだよね。
北陸百万石の大名って前田家でしょ?
んーどこのソースなんだろうか。
>>641 その漫画は後から次々と作者のウソと勉強不足がバレてるので
何の資料にもなりません
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 00:14:13 ID:A3174Sg/
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 00:15:32 ID:fN46gY6R
美味しんぼを真に受けるなんてのは民明書房を本気にするようなもの
鬱病患者に死ねって言う漫画だからな。
>>641 元美味しんぼスレ住人の俺としては、雄山教とかクリ子一族とかシャッキリポンとかいろいろ言いたい事はあるが、
とにかくあの漫画の信憑性は民明書房よりちょっとマシなぐらいでしかない。
ソースは多分カリーの脳内か自著だろう。
そか。
あそこは第二次世界大戦の話題とかになると左翼の意見しか書かんから
政治的なモノは脳内スルーして、単に料理漫画として読んでるんだけど、
肝心の食い物の逸話自体も出所不明な怪しいものだったのか。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 00:23:55 ID:L9jCkeXq
朝鮮通信士が食べれるものがないというくらいの江戸日本。
やはり相当特異な食文化だったんだろう。
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 00:40:54 ID:EO0oQIeP
朝鮮通信士・・・何だよこれ。
あとそれは水戸の御老公の話じゃ。
確か食べてみたいだか?死んでもいいだか?
流れが早く亀レス、スマソ。
>>590 伊達政宗公について、こんなエピソードがあった。
ソースは『伊達政宗宗壁書』
日頃から「朝夕の食事はうまからずとも、ほめてくうべし」
そして、これは仙台のとある逸話だが、政宗の五男、宗綱の元服式で家臣の茂庭綱元の屋敷にてイモノコ汁や鰯の塩焼き、豆飯が出された。
これを伊達政宗が嘆くと、茂庭綱元にこう諭された。
『伊達家の興亡を賭けた人取橋の合戦の時、一日も早く天下を泰平にしてイモノコ汁を食べたいと言ったのをお忘れか。今日はその望みを叶えたのです。』
それを聞いて深く反省し、以来『イモノコ汁』は仙台の郷土料理として親しまれている。
イモノコ汁や鰯の塩焼き、豆飯を質素と言うあたりに政宗公の普段の食事が結構良い物を食っていた事を予想させるエピソードである罠
長文、スマソ
>>649 だが『伊達政宗壁書』の間違いであるので、切腹する故どなたか介錯頼みまする…。 orz
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 01:15:15 ID:LgcEOWOl
まあ、朝夕の食事は大体うまいけどね。
伊達政宗でさえも昼は食事を摂らなかったのね
本当に食事だけのせいなんかな?>江戸時代の平均身長
別の理由はないだろうかと思うんだが
哺乳類として無理のない自然な体型は、ネコのサイズで
外界からの刺激が少ない島とかに移住すると
動物は長い年月をかけてネコのサイズに近づこうとする
外界の刺激(例えば、内乱とか、外国との戦争とか)が
ある場合は、デカイ人間が好まれ、そういうタイプが多く
子孫を残す傾向がある
戦後も昭和の間は受験戦争だとか経済戦争だとか
なんでも戦争に結び付けてたのでこの傾向あり
そういう風潮の廃れた最近はまた平均身長下がってきてるんでは?
って、まぁ、多分最近の食生活のせいなんだろうけど
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 02:44:45 ID:A3174Sg/
食事だけではないだろう、アメリカ人も今が最高で今後小さくなっていくそうだ
>>647-648 キムチが無いニダ
これは虐待ハサムニダ
謝罪と賠償を要求するニダ
ってことじゃね?
学生も勤労者も、今、普通に酷使されてる=刺激を受けまくってると思うけど
成長期に心身が苛まれて不健康で、背が伸びなくなってるんじゃというなら、分からなくはない
元々、朝6時台〜夜11時まで活動するなんて、ホモサピエンスの生態時間じゃないもんな
このスレ的には、「戦国武心伝」だったかな?の戦国時代の食事を再現してるのはどうなんんだろ。
俺はあれを読んで取り合えず赤味噌を塗りたくった玄米の焼きおにぎりを作って食ってみた。
メチャクチャウマーだったけど、一食三合はとても食えんと思った。
兵糧丸の作り方も載ってたけど、あれも美味そうだったなあ。
この時代鯨ってよく食べていたのかなぁ
>>659 捕鯨の歴史は古いけれど、この時代ではまだ大規模な猟は、
始まっていないから、一般には食べられてなかったと思う。
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 15:06:16 ID:P5skcZND
縄文・弥生と身長は伸び古墳時代でピークになりその後鎌倉・室町と低くなり江戸
時代末期から明治初頭が最も低くなったのです。
その後大正・昭和と伸びに転じているのです。
当時の男性の平均身長が156cmで伊達正宗が159cm
室町時代末期から江戸時代にかけては、布教目的で来日した外国人の影響を受けて
大っぴらに肉食が行われていたと云われます。
いわゆるキリシタン大名などは南蛮料理を食べることを奨励していたと云います。
この風潮は、その後の江戸時代の鎖国によって途絶えてしまいますが、江戸時代の
中期になると肉食をいけない物だとするのは愚かな事だと考える学者が現れ、江戸
時代には法令的には禁じられていたのですが、馬・猪・鹿・狐・熊・狼の肉を食べ
させる店などが現れてきました。
これらの店は罰せられる事がなかったのですが、大っぴらに「肉」をメニューにす
るのは避けられ、その結果「猪肉=ぼたん(山クジラとも云う)」「馬肉=さくら」
「鹿肉=紅葉」などと呼んで、看板にもその図柄を書いたと云います。
へぇ…それは知らなかった。本当なのか?
江戸時代の獣肉食いについてなら、さんざん過去レスが・・・
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 18:59:19 ID:72V2VuiW
>>661 でも人口比などから言って
それ程、たいした量の肉が食われていたとは考えがたいというのも既出。
>>661 >縄文・弥生と身長は伸び古墳時代でピークになり
言うまでもないがそれでも現代人よりはずっと低い。
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 19:08:36 ID:PgexUZev
古代からの食の移り代わりを見ても肉食は残ってるよ。仏教で禁じられても一度覚えた味ってのは、そう簡単にやめられなかったんでしょ。
>>661 俺の読んだ本だと鎌倉時代がピークで(当時の鎧から計算すると平均170後半なんだと)それから徐々に身長が低くなり江戸時代に一番低くなったと読んだな。
なんでも500年ぐらいの周期で変動するんだと。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 19:12:50 ID:PgexUZev
人間じゃないけど、小動物で言えば幼年期に与えた栄養によって基礎骨格やその後の体格が決まるね。
最初に栄養不十分だとどんなに餌を与えても大きくならない。最初に餌を与えすぎるとどんなに運動させても痩せにく大きい子に育つ。
まあ、人間の場合は全然違うだろうけど参考までに
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 19:13:00 ID:72V2VuiW
>>665 。鎌倉時代がピークで(当時の鎧から計算すると平均170後半なんだと)
それはありえない。
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 19:13:32 ID:72V2VuiW
>>665 >鎌倉時代がピークで(当時の鎧から計算すると平均170後半なんだと)
それはありえない。
>なんでも500年ぐらいの周期で変動するんだと。
周期説は俗説
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 19:17:57 ID:72V2VuiW
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 19:34:49 ID:72V2VuiW
戦国時代では長身なほうだった信長も
165cm程度だったとどこかで聞いた
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 20:09:05 ID:9HdjC6De
なんか戦国時代の食文化を詳しく知るのに便利な本知らない?
ちなみに現在アマゾンで購入できるもので頼む。
>>670 義経は低身長で当時から有名だったそうじゃん。なんでそれを鎌倉武士の典型的な例として持ち出すのか意味が分らない。
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 21:34:16 ID:72V2VuiW
>>673 別に「鎌倉武士の典型的例」なんて言ってないよ。
背も低い人もいれば高い人もいるってだけ。
ただむ武士階級はいつの時代も大きな人が多いようだ。
日本人の身長がかなり低かった幕末の時期ですら、武士には大きな人が多い。
坂本、大久保、西郷、山岡、大隈など180cm前後だった。
それを基準にするのは意味が薄い。
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 21:59:28 ID:SpuHy0mh
アリの巣コロリってあるじゃん。
蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。
邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。
そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。
そいつをマネして何匹も入る。
毒とも知らずにツブツブを運び出す。一匹が一粒づつ。
いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。
黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。
一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。
蟻さんって働き者だなと思う。俺も頑張らなきゃなと思う。
次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。
ほんとにいない。探してもいない。泣きたくなった。
このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・
それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。
信じるか信じないかはあなた次第です。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 22:14:29 ID:g1ilem6B
現代を除けば鎌倉時代が一番平均身長が高かったと聞いたことがある。
確か160cmだったはず。
>>674 例が極端過ぎだよ。自分の意見をゴリ押ししようとするのはよくない。
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 01:28:10 ID:O94ukIxS
虫食はどうだったのだろうか?
いなごなんかは今でも食べられているけど。
鎌倉武士って言えば粗野なイメージだけど、実際は上方から下向した貴族の子孫だし毛並みはいいんだよね。
経済状態も江戸や戦国の武士よりずっと良かったし栄養状態は良かったと思うよ。
>経済状態も江戸や戦国の武士よりずっと良かったし
??????????????????????????????????????????????????????????????
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 13:38:28 ID:9sTgLEGg
このスレは電波が多いな。
この板全体か。
日本史板と比べると基本的な知識がなさすぎる。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 14:10:05 ID:tH+Erfeq
粥、おにぎり、かれいい、味噌、湯漬け、干し柿、焼き魚くらいしか
思い浮かばん。少なくとも腰兵糧はかれいいと味噌・塩のイメージがある。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 14:45:47 ID:9sTgLEGg
>>679 むしろ、戦国時代以上に、ろくな文句ってないだろ。
平安貴族もひどいぞ。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 15:08:37 ID:tH+Erfeq
江戸時代前期は江戸の町民は酷い物を食ってたそうだよ。
京に比べても、相当粗末な物を食ってたらしい。
家康、秀忠が質素で家臣にも質実剛健を強制した事もあるし
五大将軍家綱の頃までは江戸独自の文化は、まだ花開いてなかった。
その後、江戸前寿司の発明やら天婦羅の庶民への普及やら
濃い口醤油の発明やら大店舗の出店が相次いだ事などから
一気に江戸食文化は京・大阪と並ぶ食文化都市になったそうだ。
戦国時代のとスレタイに書いてあるにもかかわらず
江戸時代の話をしたがる人が多いですね
そっちの方が詳しい資料が多いから話し易いのかな?
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 17:05:06 ID:tH+Erfeq
>>685 >そっちの方が詳しい資料が多いから話し易いのかな?
その通りですよ。しかし安土桃山時代と江戸前期は連続した時代なので
江戸前期の食べ物から安土桃山時代の食べ物を推測して何が悪いのですか?
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 21:02:58 ID:EJp2c6oR
このスレの各々方、今私の手元に『ヨーロッパと日本の文化 ルイス・フロイス著 岡田章雄訳注』がある。
これを判断材料のひとつとして考えてみるのはどうか?
戦国時代と言われている安土桃山時代の様相を全て克明に記録している(想像ではなく当時の異国人が見たまんま書いてある)ので少しは参考になるかと俺は思うが?
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 21:09:41 ID:tH+Erfeq
>>687 判断材料にするから、中身を書き出してみておくんなせえ
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:26:10 ID:EJp2c6oR
>>687だが、まず肉食云々での項目について
『ヨーロッパ人は牝鶏、鶉(うずら)、パイ、ブラモンジュ等を好む。日本人は野犬や鶴、大猿、猫、生の海草等を喜ぶ。』
とある。
ただし、猫を食べたと言うのは考えられないと同書の訳注にあり、狸や獺(カワウソ)の類いを謝ったものかとある。
また、『我々は犬を食べないで、牛を食べる。彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる。』
と、あるぞ。
あくまでも、一資料として考えて下され。
長文、スマソ。
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:42:15 ID:tH+Erfeq
>>687 なんで彼等は日本人が猫を食べないと思い込んでたんだろうね?
薩摩では生類憐れみの令以前まで平気で食べてたよ。
三味線の材料として猫を捌いた時も肉を捨てたとは到底考えづらい。
でも猫の肉ってアクが大量に出て
泡が立って肉も不味かったらしいよ
まあ、肉食動物なんてみんなそんなもんだろうけど
蕎麦は蒸していたんだよな。
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 23:26:05 ID:tH+Erfeq
家畜の牛・馬は食べると地獄に落ちて牛頭・馬頭になると
脅されてたから一般には食べなかったろうが
死体引取り業者のエタ・ヒニンは普通に食べてたろうな。
だって貧しくて食うもんがなかったらボウズにどれだけ脅されようが
喜び勇んで牛・馬なんてがっつくだろう
篭城戦で腹が減って仕方なく軍馬を食ったという話はウソ?
籠城戦じゃないがその話は実話だよ
関ヶ原の合戦後逃亡中の島津義弘軍の話。
やっぱりやむにやまれぬ時しか食わなかったみたいね>馬
ちなみにこのとき
「殿様なら部下に食事を分け与えるもんじゃろ!」
と勝手に義弘の分まで食ってしまったのが中馬。
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 23:56:32 ID:yTSZ1JVb
カムイ伝では食ってた。
カムイは被差別民だから。
>>693 当時もそういう妄想の類が一人歩きして
差別を加速させてたんだろうね
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 01:21:06 ID:04kCqmVq
へぃ、再び
>>687でヤンス。
まずは
>>690殿、『猫を食べたと言うのは考えられないと同書の訳注にあり』云々の件だが、訳注を書いた人物(当時の日本人)が薩摩の地方の人々が猫を薬喰いのひとつとして食べていたという事実を知らないで訳注を書いてしまったとは考えられないだろうか?
>>692殿、この資料には蕎麦に関する事がらは記載されてなかったが日本の素麺(さうめん)とポルトガルの麺アレトリアとの相違点があった。
当時の日本人は素麺を芥子、唐辛子を薬味に使って食べるとあった。
おそらく似た様な麺類である、うどんや蕎麦、蕎麦については蕎麦を麺に加工しなくとも蕎麦がき、または雑穀として玄米粥に混ぜて雑穀粥としての食べていた可能性は充分ありえるかな。
皆様方の意見を求む。
また長文、スマソ。
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 01:27:22 ID:04kCqmVq
さらに
>>694殿、豊臣秀吉が高松城を兵糧攻めで攻めた際、ある日を境に高松城から馬の嘶き(いななき)が聞こえなくなった事から軍馬をも食い尽くし高松城の兵糧は尽きたものと判断した云々と豊臣秀吉(織田側?)側の文献にあった。
籠城戦や撤退戦、飢饉など切羽詰まった状況ならばたとえ牛馬であろうとも身分や地方を問わず喰っていたのではなかろうか?
餓死寸前の状況ならば宗教上の制約だのと言ってらんないだろうし。
まずは長文連投スンマセン。
さらに甘味物についてだが同書には『我々(ポルトガル人)は甘い物を美味な物とし珍重するが、日本人は塩辛い物を美味い物とし大層ありがたがる。』とある。
当時、砂糖は輸入品でありすげェ贅沢品だったので庶民の口にはほとんど入らず、また市場に出回る代物ではなかったとある。
だから、以前織田信長が金平糖が好き云々のレスがあったが、それこそ天下人クラスの権力者でもない限り砂糖をふんだんに使用した食品なんかは食えなかったと俺は思います。
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 04:06:23 ID:2YZ0JcF6
>>700 飢餓のような極限状態を出すのは無意味なような・・・・
それを言えば三木城干殺しとか天命の飢饉では
人肉食った記録すらあるし・・・
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 04:25:20 ID:04kCqmVq
>>702 >>700だけど、その通りだわ。
飢饉や籠城戦なんかの極限状態の事例は無意味だ罠。
あくまでも戦国時代と言われている安土桃山時代から江戸時代初期の食事(庶民、武士階級の平時の食事や陣中食)をスレタイ通り語るべきだ。orz
またもや連投スンマセン。
戦国時代というからには室町時代後期も含むべきか?
皆様方の意見を求む。
そこらは含んでもいいんでない?
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 19:39:53 ID:zZmqXSpa
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 20:40:04 ID:YBFwnwTq
まあま、皆の衆
「水渇丸」を進ぜよう!
一息つきなされ!
>>701 平安貴族は夏場に雪に蜂蜜をかけて食べてたそうだよ。大名クラスは言い過ぎだと思う。
第一、金平糖職人は明治までは道具さえ持っていれば全国を旅しながらでも一生食うに困らない職業
と、言われていたんだから。
戦国時代と江戸時代じゃ砂糖の価値に雲泥の差があるよ
江戸時代までは国内生産されておらず完全に輸入に頼っていたのだから
毎日白米に玄米と胚芽麦ともち粟を混ぜて炊いて食ってるよ。
炊飯器のメニューで「おこげ」設定にして。香ばしくてウマー。
これにごま塩とタクアンと具沢山の味噌汁(もちろん赤だし)があればもう何もいらない。
いや、琉球王国が日本に組み込まれたのは明治以降だから。
しかも、琉球王国は中国の冊封国だったものだから、領有問題で清ともめて
日清戦争で日本が勝利するまで、領有的にあやふやなままだったんだよ。
それに琉球でのサトウキビの生産は江戸期に入ってから。
琉球王国の重要な輸出品目になっただよ。
各々方、『砂糖を使用した甘味物の類い、または砂糖そのものは戦国時代(室町時代後期から江戸時代初期位)には輸入品で大変貴重な贅沢品だった』という結論で宜しいかな?
いいんじゃない?
金平糖が献上品とされたほどだし、
作る職人は高給取りだったらしいから。
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 17:48:41 ID:DcYH9tnc
皆の知識テラスゴス
>>712 琉球は薩摩藩に組み込まれていて清は関係ないよ。ちなみに薩摩は鬼のように搾取したらしいが。
日清戦争に沖縄は関係ないよ。そりゃ向こうの工作員の流してるデマ。
もめたのは台湾。勝ってガッチリゲット!になったけど、ハナから清は台湾なんかに興味はなかった。捨て駒捨て駒。
ちなみに中国は昔の呼称の大琉球(台湾)小琉球(沖縄)を持ち出して領有化を狙ってたりする。
中国の防衛ラインに実は沖縄が含まれてる不思議。
あくまで日清戦争は朝鮮半島の独立を求めた戦争。
つか、スレ違いですなw
首里城には清と江戸両属のための建物があったと記憶してるんだが。
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:05:31 ID:qxjv9ng7
砂糖が高級品で手が出ない代物だった為に
蜂蜜や果物が貴重な甘味として有難がれていたと。
特に長期保存が利いて当時の果物では図抜けた甘味の干し柿が喜ばれた
子供の頃、教科書で読んだんだけど
「甘い」という単語は元々「美味い」から派生したんだそうだね
昔の人にとって「甘い物」は「無条件に美味しい物」だったんだろうね
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:37:25 ID:fN9IYez+
俺の小学生時代のおやつ
桑の実
花の蜜
あんず
あけび
山なし
兵糧丸ってまじめに食べてみたいんですけど、
詳しいレシピ知ってる方いましたら教えていただけませんか?
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:49:40 ID:3TQdYTqR
>>721 歴史群像シリーズの「戦国武心伝」の特集でつくり方書いてあるぞ
>>721 蕎麦粉・蜂蜜・にごり酒と、あとなんだっけ?
を混ぜてこねて適当な大きさにちぎって丸めて、ふかしてきな粉をまぶして
「いただきます」
726 :
721:2006/11/02(木) 23:57:51 ID:UTCSW+tO
みなさんありがd。
>>725のレシピで挑戦してみます。
兵糧丸に味を期待しちゃいかんよ。
効能も期待しちゃいかんな。
後世のでっち上げ、水蜘蛛みたいなものだから。
そう言えば水飴がどれだけ流通していたのかが気になりますね
乾飯て白米を炊いたあと乾燥させただけでしょ。
で時間があるときは湯でもしくは水でもどして
戦時はがりがりかじってた。
つか無茶苦茶固いよ。
あと荒縄に味噌を練りこんで持ち歩いたとか
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:35:15 ID:OmRmNbec
乾飯って塩味とか付いてないのかな。
>>731 ルイス・フロイスの著にあるが、『我々は普通に小麦製のパンを食べる。日本人は塩を入れずに煮た米を食べる。』
とある。
塩味すらもないかもよ?(笑)
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:56:16 ID:2YfbGzIB
まずは連投スンマセン。
>>730 どうやら白米どころか兵糧として用いられた乾飯(かれいい)は玄米を蒸して天日干しにした物だったらしい。
固くて味気無いが…、大将クラスならば陣中食としてあれこれ作らせた可能性はあるかも?
そうか塩味すらないのか、そりゃ塩分補給のため味噌必要だわ・・・。
ということは味噌味の荒縄(里芋の茎)と一緒に乾飯煮て食べたんだねきっと。
連カキコスマソ。
あと疑問がもうひとつ、大河ドラマとかで鉄鍋で煮込み料理してるの見るけど、
足軽クラスって陣笠ひっくり返して鍋代わりにしてたんだったんでしょうか?
>>734 >>732だが、ルイス・フロイスの著曰く『我々の間では、食事の時に塩が無くても大した不都合はない。日本人は塩が欠乏すると浮腫んだり、病気になったりする。』とある。
当時の日本人は有事(合戦)の際だけではなく、平和な時でも塩気が摂れる物ならば味噌縄に限らず、なんでも食べていた可能性がある。
737 :
734:2006/11/03(金) 01:23:26 ID:OmRmNbec
なるほど、勉強になります。
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 01:26:35 ID:2YfbGzIB
>>735 まずは俺も連投スンマセン。
どうやら、陣笠(雑兵足軽が被る鉄兜の類い)を鍋の代用として合戦中に使っていたらしいぞ。
もっとも、そんな物を鍋代わりに使用する大名(侍大将)なんていない筈だろうから、陣笠を鍋代わりに食事した戦国武将は大変珍しいだろうと俺は思うがどうか?
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 01:35:07 ID:OmRmNbec
そうだったんですね。何かの本で見た記憶があったんですけど曖昧だったもので・・・。
何度もお付き合い頂いてすみませんでした。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 02:03:37 ID:rpvILSru
結局人食ってた中国&欧州が最強のグルメまそ
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 07:12:43 ID:2/ufGAEx
自分が鍋や食器がわりに使った陣笠を
また被るのは何だか気持ち悪いと思うんだけどな。
ましてや当時は石鹸や洗剤などはなかったし(厳密にはあったが超高級品)
陣笠についた脂も取り切れなかったわけで、
そんなものをまた被るとは相当気持ち悪い。
>>741 脂が浮くような料理は陣笠で調理などしなかったと思うが。
>>740 飢饉の時の代用食を食っていたところでグルメとは呼ばんだろう。
>>741 生きるか死ぬかの合戦中に、そんな事言ってられないだろ
欧州人は宗教上の理由だとかで食ってたろ
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 07:51:41 ID:a0IfjEsp
中国人も欧州人も日本人より野蛮性が強いとおもわれ
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 10:06:27 ID:2YfbGzIB
陣笠についてカキコした
>>738だが補足させて貰うと、陣笠を鍋代わりにしていたというのは毎回そんな事をしていた訳ではないと思います。
ちなみに戦国時代では雑兵足軽の類いは、武器防具は全て自前で場合によっては当面の兵糧も自前という事もあった可能性がある。
合戦に参加すれば所属している陣営から兵糧が支給されるだけで、戦功を挙げれば金子(銭)や家臣(家来)としての途用があるにすぎない。
無論、既に家臣(家来)になっている場合は戦功を挙げれば金子や茶器、知行アップという具合であった。
そんな訳で合戦時に雑兵足軽、場合によっては武将達まで侵攻地域での略奪行為が当時当たり前だった。
だから合戦中に食事、調理が必要な場合は現地調達した鍋を用いて調理し、鍋を入手出来なかった雑兵足軽の類いは陣笠を鍋代わりにしたのである。
ちなみに織田陣営は侵攻地域(戦場)での略奪行為を厳しく咎め、兵糧はもちろん武器防具の類いから全てを雑兵足軽に支給したのである。
これは支配地での織田信長に対する支持率をアップさせる目論見があっての事である。
長文、そしてスレ違いスマソ。
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:00:48 ID:312o9W1w
>>747 おまい中々説得力があるな。
感心したよ。
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:11:36 ID:UVh6U5be
つまり・・あれだ
ギャグ漫画で鍋を被った兵はあながち間違えではなかった
と・・・いう事だな
足軽は基本的には自前の武具を持っていません。
具足を初めとする武具は大変高価で所領を持たないものには自前で準備することが困難だったからです。
したがって主君より御貸し具足として貸し与えられます。
もっとも多くの家ではなるべく自前で具足や武具をそろえることを奨励されてもいました。
完全に貸し与えるとなると主君の方に負担がありすぎたためです。
陣笠での調理ですが、毎回陣笠を使っていたというわけではなさそうです。
行軍中の余裕のあるときはちゃんと煮炊きをしたものを支給されました。
いざ戦闘という時になると、何食か分の携帯口糧を支給され、それを食べます。
おなじみの糒と味噌縄とか言う類です。
糒は水で戻して食べます。余裕がない場合はそのままポリポリ食べます。
さらに余裕がある場合のみ、陣笠を使って糒を湯で戻して味噌で味付けをした雑炊にして食す時がありました。
その場合も燃料の問題も有ったので、一人一人別々に作るわけではなく、何人かでまとまって作りました。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 18:07:42 ID:mNum7HE1
さぁさ!皆の衆
晩めし刻でござるよ!
兜を使って羊の肉を焼いたという
ジンギスカン鍋の起源を思い出した。
本当か?なんてのは置いておくとする、。
すき焼きの起源も
農機具の鋤を使って牛肉を焼いたのが始まりだとか
聞いたような気がするけど
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 01:59:51 ID:hqwzAGyZ
ヘイ、
>>747でござんす。
>>750殿の雑兵足軽の武装についての件、兵糧の支給の件についても間違いではありません。
ただ、戦国時代の雑兵足軽は半農半足軽がほとんどですが、徴用(招集)される時は大抵は武器防具は自前で徴用されたとの事です。
そして、
>>750殿のいうとおり具足の類いはピンきりですが、農民達にとっては大変高価な物であった為、首尾よく戦死した者から武器防具をはぎ取れた農民はそれをつけて合戦に参加、それすらない場合は鎌や鉈、鍬・鋤の類いを持ち出して合戦に参加したと資料にあります。
また、購入するととても高価な武器防具(具足)ですが、合戦があると付近に住む農民は合戦が終わると合戦が行われた場所に行き、戦死した足軽雑兵の武器防具、挙句の果ては金品までをはぎ取り、それを商人や専門の職人に売って小銭を稼ぐ者も珍しくなかったとの事です。
長文&スレ違い、スマソ。
昔の兵隊さんは塩分の高そうなものばかり食べて、腎臓とか悪くしなかったんだろうか?
味噌の塩分濃度とか、今と昔で違ったんだろうか?
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 02:17:29 ID:hqwzAGyZ
さらに雑兵足軽の武装についての補足。
また、購入するととても高価な武器防具(具足)ですが、合戦があると付近に住む農民は合戦が終わるとその場所に行き、戦死した武士の武器防具、金品等をはぎ取り、それを商人や専門の職人に売って小銭を稼ぐ者も珍しくなかったとの事です。
流石に主君から碌を貰っている下級及び中級武士はそういう訳にもいかず、
>>750殿の言うとおり『御貸し具足』を利用したり自腹で購入していた様です。
長文&スレ違い、そして連投スマソ。
普通に落ち武者狩りもしてたろ
>>755 ヘイ、お答えいたしやす。
戦国時代の当時、全般的に戦国武将達は濃い塩味を好む傾向にあり、それが元で脳卒中や心筋梗塞で亡くなった武将も結構います。
(例:上杉謙信)
ただし、食生活に気を配り摂生に努めた徳川家康や北条幻庵なんかもいますが…。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 02:45:31 ID:hqwzAGyZ
>>757 普通どころか、落ち武者狩りはガッツリやってた様です。
首尾よく討ち取り、首級(みしるし)を差し出せば褒美はGET出来る上、遺品を強奪して売り飛ばし&着服、そして荒らされた田畑等の恨みも晴らせて一粒で三度おいしい『落ち武者狩り』だった様です。w
スレ違い、またまたスンマセン。
そういえば、上方の高名な料理人が信長に料理を出したところ
不味いと言い捨てられたので、塩味をキツくして出してみたら
信長は喜んで食べた、みたいな話もあるよね。
もっとも、これは信長が薄味を古い室町式味付けと捉えて嫌ってたからって説もあるけどさ。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 02:55:36 ID:dcxyWJFY
今の和食は全般的にマイルド化が進んで
どれも昔の基準で言えば京風の薄い味付けだからね
チト現代人には塩辛すぎるオカズで大量の飯をかっこむのが
一昔前までの一般的家庭料理
「落ち武者狩り」もあるけど「落ち首拾い」ってのもあるからね
>>747ですが、合戦時の食糧についてですが、やはり戦国時代の最初の頃は現地調達だった様です。
現地の農家や商人達から買い上げるのは稀で、大抵略奪行為で賄っていたと資料にありましたが、戦国時代も後期(安土桃山時代後半)になると各勢力の増大化(制圧した地域の吸収合併や付近地域の統一等)により、数万という軍勢を抱える大名も出てきました。
そこで
>>750殿のいう様な飯(兵糧)を用意し、配給したり戦場まで輸送等をするいわゆる『荷駄隊』が出てきた訳です。
スレ違い、スンマセン。
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 03:33:23 ID:hqwzAGyZ
>>760 それは織田信長が三好家を攻め滅ぼした際、料理人として既に高名であった坪内某ですね。
ちなみに最初、信長公に料理を出したところ
『水臭くて喰えるものか!明日、首を刎ねてしまえ!!』
と、激怒。
それを聞いた坪内某が嘆願し、もう一度料理を作ると今度は喜ばれ死罪を赦された上、召し抱えられたという逸話ですね。
名古屋の食物(特に味噌を使ったもの)などは今でも十分味がきついよ。
とても全部食べれなかった。
766 :
古河御所:2006/11/04(土) 04:15:26 ID:SO3EdHH3
>>750 そういえば足軽が5人位で一緒に飯食ってたり、負傷した仲間を治療したりというような絵がありましたね
>>764 こういうエピソード見ると、やっぱり湯漬けには味付けがしてあったのではないかと思えてくるな
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 04:34:12 ID:9CF60yil
味付けはやっぱして欲しいよな
単なる湯って〜
そりゃ、ないでしょw
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 04:39:26 ID:LD2UiLAI
甲府駅の売店でほうとうを買って作ってみた。
信玄が陣中食にしたって噂だが、確かに戦場で食べるにはいいかも。
なんつーかキャンプの食事みたいだし(カレー、豚汁、芋煮とか)。
すぐ腹いっぱいになる。
このスレの人達はへうげもの見てるのかな?
3巻で高山右近がすき焼き作ってて感心したんだけど、みんな普通に知ってたんだね。すげえ
>>767 >>768 残念ながら『湯漬け』には味付けはされてはいない。
ただし、織田信長は湯漬けを食べる際、付け合わせ(おかず?)として焼き味噌で食べていたと資料にある。
尚、塩または味噌漬けの野菜(漬物)や梅干しで食べた可能性も充分考えてられる。
あと、織田信長は意外と甘党で珍しい物好き、新しい食い物は取り敢えず食べるが、常食とはしないという食べ物には結構無頓着な感じだったらしい。
まずは連投スンマセン。
戦国時代、平時の下級武士及び中級武士は玄米と雑穀に大根、蕪、里芋の類いを混ぜた雑炊(または粥)を主食とし食事は朝夕二食のみ、ちょっとマシな者で味噌汁と漬物があるくらいだったとの事。
資料『おあむ物語』によると石田三成の部下の娘が記した記述に『一日二食で雑炊を食べており、三度の食事や夜食なんて思いもよらない云々』等とある。
武士と言えど下っ端の生活は苦しかった様である。
湯漬けって、乾飯を湯で戻したり、冷や飯をお湯で温めたりしたもので
今で言うところの「パック飯のレンジアップ」なわけです。
味そのものは別に問題ないのでは…
ご飯だけをそのまま食べるのはきついから、味を付けたいとか、おかずが欲しいとかなら判るけど。
味噌や塩をトッピングしたり、漬物と一緒に食べれば問題なくね?
現在のお茶漬けに近くなるけど。
>>755 現代人よりも畑仕事や合戦等の肉体労働三昧な毎日だろうから、それだけ塩分の
消費と補給が必要だったんじゃ?
>>772 一般的に昼食を食べるようになったのは元禄年間からと言われている。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 04:43:42 ID:OWha7t1f
>>775 違うだろ。
食わなかったのは昼食ではなく晩飯。
当時の人間は早起きで日が暮れると寝てしまうからね。
そんで腹が減るので「おやつ」なんて習慣があった。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 04:53:05 ID:OWha7t1f
おっと、調べてみると朝、夕の二食とおやつという事だったらしい。
ただ、夕食は現代人のように暗くなって食べたわけではなく、文字とおり、夕方に食ってたわけね。
当時の人は日の出と共におきて日が暮れると寝てしまい、
大人は長い夜を何度もセックスして暮らした。
夜の灯りは高級品でしかもか細いものでだったしな。
>>777 そうすると今の時期だと午後5時頃から晩御飯食べて
7時くらいには寝るのか?
8時間睡眠しても午前3時じゃー真っ暗だし
秋の夜長は一人モンには辛かっただろーなw
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 10:02:36 ID:OWha7t1f
>>778 大丈夫、そのために男色も盛んだったから。
長屋の男どもはお互いやりまくりだった。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 10:07:30 ID:7cfLSolv
一般人はそうでもないだろう。
それが江戸時代に入ると庶民の間で男色が流行りだしたんだよね。
あと、農村では夜這いの習慣が盛んだった。
夜這いは誤解されがちだがレイプや不法侵入では全くなく、
男女の楽しみであり村の女はわくわくして男が来るのを待ってたという。
ちなみに女の側に拒否権もあった。
ちなみに現代の拘置されてる人物のタイムスケジュール。
つまり未確定囚や禁固囚、死刑囚などね。
昼食を除き希少や就寝の時間を二時間ほど早くずらせば
昔の人のスケジュールに似ているかも。
平日の日課表
起 床 7:00
点 検 7:30
朝 食 7:40
昼 食11:50
夕 食16:20
点 検16:50
就 寝21:00
ID:OWha7t1f
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:30:03 ID:P8WNeff4
>>781 あいかわらず、都合のよい江戸史観か。
立場的に拒否できない、女も大勢いただろう。
セクハラ、強姦の自由が大幅に認められていたのが江戸時代だよ。
江戸の性の自由っ結局、男にとっての都合のよい強姦セクハラの自由な社会ってことだからな。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:14:14 ID:xBTpOhhq
甘味料については、甘茶蔓なんかが使われているよ。
今の感覚じゃほろ甘い程度でしかないけど。
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 17:43:19 ID:KKpwtS2k
>>787>>784 両者とも正解でどちらか一方が正しいという事はない
スレ違いだからそろそろ空気嫁
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 19:11:40 ID:P8WNeff4
>>787 どっちにしろ、女の体は、女自身じゃなくて、男が、共同体が、閉鎖的な風習が、管理し縛っていたんだよ。
今とはスタイルは違うけど、女は今よりはるかに不自由で悲惨だったよ。
そんなことも理解できないような奴が、歴史を語るなよ。
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 19:19:04 ID:mylXQctq
お前ら、またまたスレ違いの話題に引っ張られてるぞ・・・
清酒、醤油、緑茶なんかもこの時代はまだ全国・全階層へと普及はしてなくて
どぶろく、ひしお、麦茶あたりで代用されてたとか
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 19:53:27 ID:UiF1O/Kz
戦国時代より少し後になるだろうが、
宿場町で大勢の宿泊客へ出す夕食の焼き魚を作るために、
最初に魚を煮て、それから焼きゴテで焦げ目をつけて大量生産していた。
って話をどこかで聞いたことがあるんだけど、本当ですか?
これ考え付いた人はたいしたアイディアマンだと思いましたが・・・。
最初から素直に煮魚出せばいいような
食えば分るだろ流石にw
煮汁にずっとつけてると崩れるじゃないか
794 :
787:2006/11/05(日) 20:27:41 ID:KKpwtS2k
>>789 それはあんたの思い込みだよ。
だいたい日本史板のスレの数多くの書き込みは別に俺が書いたわけじゃないぞ。
あんたは持論の「昔の女性は不自由で悲惨だった」という意見に縛られてるだけ。
日本ほど世界的に女性の地位が古来高い国はなかった。
女性の地位が低くなったのは武士階級で江戸時代、庶民の間では実は維新以降だったと言われる。
現代? そりゃ現代を比較の対象に出すこと事態間違ってる。
>>788 あんたは大人大人態度して「両者とも正解でどちらか一方が正しいという事はない」
とか言ってるがあまり正しい意見ではないな。
あんたこそ案外、歴史音痴だな。
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 20:48:43 ID:9X01mnJ1
昭和15〜25年代が舞台の「瀬戸内少年野球団」とか「純情きらり」なんて見ると
田舎の女性は一旦、嫁入りすると奴隷階級に成り下がってたようにしか
見えないがな・・・
しかし、江戸期にも「三下り半」という女性からの提出で認められる離婚届けもあるようだから
都会と地方では相当、男女の地位の上下や自由度には違いがあったように思える。
純情きらりも東京で出会い恋愛結婚した主人公の姉夫婦は完全にカカア殿下で
妹のように女性が一方的に虐げられてたわけでもなかったしね。
796 :
787:2006/11/05(日) 20:52:28 ID:KKpwtS2k
>>789 あと夜這いは女の側にも拒否権があった。これは確か。
ただし、その場の勢いで力まかせのレイプとかいう展開も
あったかもしれんが、そんなことをしたら、
そいつは村の和を乱す不届き者として村八分などの制裁が待ってたろう。
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 20:52:30 ID:UiF1O/Kz
奴隷階級って・・・。今時田嶋陽子でもそんなこと言わないぞww
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 20:56:25 ID:9X01mnJ1
>>797 いあ、劇中で奴隷という言葉は一度も使われてないが
だんなが戦死したから、当主の弟とSEXするように強制される場面とか
姑がまさに主人として嫁に次々命令を下す姿は正に奴隷という表現しか見当たらないけどね。
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 20:57:13 ID:mylXQctq
はいはい、当時の女性の地位やらを語りたい奴は別スレ作ってそこでやってくれ
申し訳程度でも良いから食い物の話してくれよ
>>792 やっぱり煮魚よりも見かけだけでも焼き魚の方がお得感あったのかな
魚は焼いて調理するよりも纏めて煮魚にする方が確かに楽
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 20:58:30 ID:9X01mnJ1
女性が男性の奴隷と言いたいわけじゃなくて
嫁は家の奴隷になりさがる場合もつい最近まで田舎ではあったのではと
言っているだけね。もちろん、スレ違いだからどうでもいいけど。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 21:00:17 ID:9X01mnJ1
>>799 東北の郷土料理をTVで見て凄く驚いた事があるが
確か、刺身だったと思うが醤油じゃなくて味噌で食う地方があるんだよね。
老人が「昔は醤油が高くて買えなかったから味噌で食うのが普通じゃったんだ」と
説明してて、「ほー」と思った。
どうでもいいのなら引っ張るなよ…。
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 21:02:26 ID:9X01mnJ1
>>799 >やっぱり煮魚よりも見かけだけでも焼き魚の方がお得感あったのかな
そうかもね。煮魚の方が楽という事は多分、他所の旅籠でも煮魚だから
見た目だけでも違うと客寄せの効果があったのかも。
それで他所もマネしはじめたとか。
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 21:06:22 ID:UiF1O/Kz
>>798 フィクションって意味わかってる?
それに極一部の事象を取り扱って全てみたいな物言いはどうかと・・・。
ま、どちらも観た事ないからわからんがね。
806 :
787:2006/11/05(日) 21:06:51 ID:KKpwtS2k
まあ「昔の女性の地位が低かった」というのが古臭い疑問の残る説で。
「いや女性の地位は案外高かった」というのが新しい様々な文献に裏付けられてる新しい説なんだが。
ルイス・フロイスの日本史でも日本に来てあまりの女性の地位の高さに驚いたと記述してるし。
古くから女性の財産権や相続権を認めてた国なんてほとんどない。
山内一豊の妻が旦那にへそくりで馬を買ってやった逸話は
「へそくり」というのが近代向けに改変された話しで
実際は一豊の妻の「私有財産」で買ってやったんだしね。
つまり江戸期になって儒教思想で女性の権利が縛られる以前
女性が私有財産だの収入源だのを持つのが普通に認められてたんだよね。
まあスレ違いだからもうやめる。
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 21:12:31 ID:9X01mnJ1
まあ、スレ違いをいつまでも引っ張るキチガイねんちゃくんは放置するとして
戦国時代の食事とは言っても、地方による相違は大きかったと思う。
また、同じ国でも山岳地域に住む者と海浜地域に住む者も
普段の食事の差は凄かったのではと推測します。
全国共通の食い物は飯と味噌以外に何があったかが知りたい。
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 21:12:34 ID:UiF1O/Kz
自分は
>>791だけど、
そういやなんで煮魚にせず焼き魚にこだわったんだろう?
一匹づつ焼くには釜が焼く数だけ必要で、
そんなにたくさん釜を作ってられないから、と、いう話だったけど。。。
当時煮魚を食べなかったわけでもないし。
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 21:21:32 ID:9X01mnJ1
「講」だったっけ、江戸時代に旅行代理店のようなものも出来初めて
安定的に大量の旅行者を計画的に宿が受けられるようになったので
「講」に集団観光客の受注を取る宿屋も競争原理が激しくなって
土地の名物を効率的に宿泊客全員の食事に出す必要性が迫られて
大量の食事を同時に作る技術の開発や、名物を痛めずに
なおかつ最高に美味い状態で出す技術の開発に各々の、宿屋や請負飯屋が
しのぎを削ったようなんだよね。
生の状態よりも煮ておいたほうが日持ちするから
性格には、煮魚じゃなくて、蒸し魚だと思う。
煮る料理には水も沢山使うからじゃ?
汁物や蒸し物はまだ良いけど、煮るたびに煮汁を使う(水を飲用or再利用しにくい)ような調理は、
町中では面倒すぎるでしょう
水を沢山使う→火を長く付けておかなきゃならない→薪も沢山必要 という労力もあったろうし
…正直、戦国・江戸期の煮魚の作り方は詳しくないから、違うかも知れないけど
だから、焼き鏝の話は、はじめは魚を焼いて出していたのを、
魚を一匹一匹ひっくり返したりする工程を省くために、
まとめて蒸す→焼き鏝で焼き跡をつける、っていう調理法に切り替えたって話であって、
決して煮魚の替わりではないんだよ。
このスレでは最初に煮魚という言葉が出てしまったので一人歩きしてるけど。
煮魚は煮魚でまた別な形で消費されてたんだと思うよ。
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 03:36:22 ID:BDQv40cf
室町時代、商工業の発達により
味噌、醤油、豆腐など日本料理の基本要素が出揃った。
室町時代に普及したのは味噌、豆腐。
醤油は大阪では江戸時代初期
江戸では江戸時代中期となってますね。
交通の便の悪い僻地は、まだ塩が基本調味料でタンパク質は大豆から取らずに
魚、獣から取ってたのでしょうか?
刺身は江戸期に生まれますが、ナマスはそれより遥かに古くからあったみたいですね。
貴族、僧侶、農民・豪族に分けて考えると貴族は太古からカキ氷食ったり、鱠を食ったり
季節の果物を食べたり、やはりそれなりに豊かな食文化があったようだ。
僧侶も食肉をしない代わりに、手の込んだ凝った料理も開発している。
「つけ揚げ」という昔風の天婦羅だったり、現代の懐石料理のルーツになるようなものを
食べてたようだ。
托鉢で雑穀だけを食べて暮らしてたわけではないらしい。
よく考えれば出家した天皇や貴族がたくさん居るわけだから
そんな粗末な食事で済むわけがないですよね。
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 07:20:48 ID:HJfgwIDd
>>809 >>814 それがちと違うみたいなんだよな。
昔の日本料理の特徴として「必ずしも味が最優先ではなかった」というのがある。
つまり品とか格式とかを重んずるがあまり、味には疑問が残る高級料理が多かったんだよね。
それを皮肉ったのが「信長と料理人」や落語の「目黒のサンマ」の逸話だよな。
お上品で手の凝んだ解析料理よりも
実際、焚き火で串に刺して焼いた魚にちょっと塩をつけたほうが遥かに美味いと思われ。
解析料理は懐石料理
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 08:04:13 ID:ummsESDM
若干異論がある。
信長はともかく、中世以前の日本人の舌の鋭さは半端じゃない。
利き米は当然として、利き豆腐大会なんてのも開催されたそうだし、
甘さに関しては現代人の五倍敏感に感じられたそうだ。
懐石料理の味がわかるのは、そういう日本人であって、
野菜を食べているのかドレッシングを味わっているのか判らないような現代人には十二分に伝わらないのは当然。
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 08:05:15 ID:wdEbsB2Y
>>796 逆だろ、共同体のルールでレイプまがいのSEXでも女の側は拒否できなかったんだよ。
そういう古い性の風習が近代社会のルールと衝突した例はそれこそいくらでも探せばあるだろ。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 08:14:17 ID:HJfgwIDd
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 08:25:52 ID:HJfgwIDd
>>818 >そういう古い性の風習が近代社会のルールと衝突した例はそれこそいくらでも探せばあるだろ。
それも少し違うなあ。
そもそも昔の女は貞操観念がなく夜這いやセックス自体をそんなに嫌がらなかったし、
その手のトラブルは近代社会のルールで貞操観念を持つようになった女と
古来の夜這いのルールを自己中心的に解釈した現代の若い男との衝突だ。
「昔なら昔のルール」「現代なら現代のルール」を
男女双方がキッチリ守っていればそんなトラブルは起こらない。
中途半端な折衷だからそんなトラブルが起こった。
この「中途半端な折衷」や「意識の差」というのが
現代の男女問題にも通じるんだよね。
実は明治当たりの男尊諸費社会では女性自身はそんなに不幸という意識はなかった。
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 08:32:44 ID:Qxf4A4lD
またスレ違いキチガイが沸いてきたのか
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 08:33:02 ID:wdEbsB2Y
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 08:43:38 ID:HJfgwIDd
>>822 それはキリシタンがらみの話しだし、そもそも「奴隷」の話しでしょ。
そんなのが男女の地位の格差のスタンダードにはならないです。
大体、奴隷になるのは女だけではなく男もそうだ。
「男は坑道人夫に女は娼婦に」というのが奴隷でお決まりのパターンだが、
むしろこれは女の方が優遇されてた証拠かもしれない。
坑道人夫は坑道が崩れて死ぬ危険が高かったのだし。
>その昔のルールが今より自由で女性の権利が認められていたという事は
ありません。
それはあんたの思い込み。
夜這いは男には拒否権・選択権がないが、
女にはちゃんと拒否権があった。
嫌なら家人を呼んで追い出してもらえばいいんだし。
それでも男が暴れるようなら、あとで村の与力に言って制裁を
与えてもらえばいい。
こいつらの論争は戦国時代は女性も「食事」だったという捨て身のギャグか?
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 09:05:36 ID:wdEbsB2Y
>>825 そのとうり、性欲と食欲はイコールだよーんw
スレ違い&連続書き込みスマヌ
一応、話しを戻しておくと
>>817 それについては異論はないかもしれない。
日本料理、特に当時の野菜や穀物に関する味の違いに
ついてわかるにはある程度の味覚能力が必要なんだろう。
つまり、料理人だけではなく、味わう側にも技量が求められるわけだ。
そして当時の人の多くはその技量を持っていたと。
少々の脱線は構わないと思うが、脱線した内容での議論とか煽り合いとか馬鹿じゃね?
ここの住人はスルーする事に慣れてないからでしょ
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 12:51:15 ID:BDQv40cf
>>827 信長については、光秀が京で家康を接待した料理にもケチを付けて
激怒したという話が残ってますね。
色々な話を総合すると信長はしょっぱい物が好きだったのでは?
薄口などという物を一切認めなかったのではないでしょうか?
ちなみに俺の父親がそうだ。どんな料理も味が全く分らなくなるまで
ソースをかけないと食べられない人間だ。常に塩辛や明太子や
とにかくしょっぱい物を好む。酒も辛口の日本酒しか飲まない。
キムチも食べた事が無かったが、家族が買ってきたら
この‘朝鮮漬け’というのは美味いな(どの時代の人間やねんw)と
1ケースを丸ごとたべる始末。
まあ、俺の親父の例はほっとくとして、肉体労働者はホワイトカラーより
塩辛い物を好むのは古今東西の事実だ。
大量の汗をかくのだから、あまり汗をかかない京の貴族・僧侶・商人の
料理を「味がない」「まずい」というのは、ごく当たり前の感想だ。
信長の場合は、料理人の価値観を問題としたというとこじゃないの?
公家衆が食べておいしいと思うものを、たとえそれが最高の技術でも
武将に対して何の工夫もなく提供するという、料理人の姿勢とか、
料理を主において、食べる相手を從にしている考え方とか。
だって、信長はその頃、公家風の料理の味だって慣れてたはずだよ。
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 15:26:55 ID:ygZpCWps
うーむ。勉強になるなあ。
ところでお前さん達。一つ質問ついでのネタ振りなんだが、
「オオサンショウウオが山間地の貴重なタンパク源でもあった」というのは本当か?
昨日の新聞の特集に載ってたのだが…。特定の地方の話っぽいけどね。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 15:56:58 ID:BDQv40cf
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 15:58:54 ID:BDQv40cf
オオサンショウウオは既に食用ではありませんが
サンショウウオ自体は今でも食べられてますよね。
>>833 美味い、不味いはともかく、食料の乏しい山間部などでは、
手に入るものは食べられていただろうね。
下手をすれば昭和の中期くらいまでは、どこもそんなもんなんじゃないか。
戦国時代の貴族の生活が苦しかったっていうのは本当?
横山光輝 織田信長で山科卿が苦しんでいたけど…
食生活も貧しかったんだろうね…
>>837 食事内容はそれぞれの日記から窺い知ることができる。出された献立に一喜一憂してたのも事実
それよりも兼見卿のある日の日記に、丹波から35本もの松茸が届いたのが書いてあるが
それについて全く感想をもらしてないことに殺意を覚えた
そういえばテレビで「鎌倉時代から製法を変えずに…」って醤油を見たことあるんだけど
醤油って、普及したのが江戸時代なだけで鎌倉時代からあったものなの?
当時でも松茸って希少価値で好まれて食べられていたの?
現代になって松林が減少した為に希少価値が出たもんとばかり思っていたよ。
>>839 だろ?だろ?
>>841 希少化による価値の向上が松茸にみられたのかどうかわからんが
吉田兼見のあの無感動っぷりは現代人全てを敵に回したと言えよう
正直、本能寺の黒幕は吉田にしてもいいとまで思ってる
松茸が高級品になったのは松林に手が入れられなくなった比較的最近・・・・・・
戦前は里山で一番簡単に採れるキノコだったはず・・・・・
知り合いのおっちゃんは「昔は今日も松茸かとがっかりしていたもんだけどな」と良く言っていた。
馴染の味なんで高級食材になってしまっても買ってしまうらしい。金が掛かるとぼやいていた。
>>747 遅レスですみませんが、調理道具が現地調達だったとは何て言う資料に書いてあったのでしょうか?
身の回りの物(ナタ、チリ紙、ひまし油、火縄、布等、薬)は各自持参が基本であって、鍋等の重い物でも隊毎に所持していますよ?
それと織田が武器、防具を支給したのは牢人(浪人)を大量に投入していたからなんですが。
山椒魚って山椒の香りがするらしいっすね
多分ウナギはその山椒魚の代用品として食べられていたから
山椒の粉をかけて山椒魚みたいな香りにして食べられるんだろうね
>>843 最近高級品になったといえば鰯もそうだよね
ちょっと前までは大衆魚だったのに、漁獲量が減って高級魚化・・・
魚を食う野蛮人と呼ばれてた頃が懐かしい
松茸クイタス…
>>846 鰯は50年周期で豊漁と不漁になる魚なんだそうだよ。俺達が老人になる頃には再び大衆魚になるさ。
クジラのときも同じ情報の流し方だったよな。
平安期では、松茸よりひら茸。
ひら茸が食卓から遠ざかったのも
環境破壊が一因にあるようだ。
平安期では、松茸よりひら茸。
ひら茸が食卓から遠ざかったのも
環境破壊が一因にあるようだ。
いや。
ヒラタケは5年くらい前まで、ホンシメジが主流になる前までは
エノキ茸と並ぶ養殖キノコの主流だったよ。
>>850 一番の問題は科学的根拠を否定し、感情論で鯨を過剰保護している欧米のスタンスに問題あるんだけどね。
鰯を一番消費しているのが鯨。人間の消費量は微々たる物。
>>852 舞茸も松茸よりもずっと高価だったみたいだよ。近代になって養殖が確率できたのは本当に奇跡で
元々は見つけたらあまりの嬉しさに舞い踊る事からその名が付けられたぐらいだからね。
>>856 平安期には養殖はしてないだろ。自生してるし。
「香りマツタケ味シメジ」
これはキノコの中で香りがいいのはマツタケで
味がいいのはシメジですよっていう意味なんだけど
この場合の「シメジ」っていうのは
現在「シメジ」という名前で流通している物ではなくて
ヒラタケの事だと「美味しんぼ」に書いてありました
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 02:32:06 ID:gJtezpfI
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 02:39:14 ID:gJtezpfI
あと、信長の味覚に前の方で触れてるけど
典型的な名古屋人だったのではないでしょうか?
現在も名古屋人は、味が分らなくなるほど味噌ダレをつけたり
一緒に煮込んてみたり、素材の味をい台無しにする料理が多い。
とにかく濃い味付けが好きだ。猛烈な味音痴で
京都とはまさに正反対の地域だと思う。
>>859 >川の水を飲む時は…
雑兵物語下の荷宰料の項が元ネタですね。
中毒というか、余所の国の生水は当たるから云々、って書き方になってます。
この項には、↑にある芋の茎を味噌で煮込んで荷を縛ってきた、とか
敵地の井戸はウンコ入れられてるから川の水飲め、とか
いろいろ書かれてます。
アマゾンで再販された岩波文庫の奴の在庫あると思いますので、
ぜひぜひご購入を〜
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 08:11:04 ID:xxI1ghRr
しかしなあ。
昔だから日本は自然も自然採集品も手付かずで豊富だったと安易に考えるのは早計だ。
実を言うと昔も今も日本は人口過密。
しかも昔の日本は北海道・沖縄を省くべきだし、東北の人口密度もかなり低い。
反面、畿内や西日本の人口密度は相当高かった。
そして食料は100%自給自足に近い点や、食料生産技術の未熟さ。
穀物以外の食料は当時の技術では移送が困難だったことも考慮しなくてはならない。
だいたい日本の人口は幕末で四千万、戦国期で二千万、
平安時代で一千万くらいと考えられ。
平安時代ですら現代の世界の諸国と比べると遜色ないくらい高かった。
特に畿内は現代のヨーロッパ諸国なみに高かったと思われる。
植民地なしの小さな国でここまで人口が増え続けた国ってのは日本だけだしな。
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 10:12:12 ID:qiOSkKei
>>863 おかげで、食料自給率が大変なことになってるがな。
現代では、どうか考えても、耕地面積が足りないんだよな。
日本の高人口を支えたのは、結局米への一点偏重だったんだな。
肉なんて食えるわけないよな。
そんな土地の余裕、昔から、日本にないよ。
おかげで江戸時代の日本人は超ちびっ子。
質より量ってか。
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 12:05:28 ID:pMvAMUba
ウチの親父が言うには
近所の川でウナギやシジミが採れて
戦争中でも食糧難という感じはなかったそうだ
わかさぎも場所によっては取れるからな>川
川で思い出したんだが、鮭とかイクラって当時食ってたんだろうかな・・・。
>>866 >川で思い出したんだが、鮭とかイクラって当時食ってたんだろうかな・・・。
戦国時代当時という事かな?
戦国時代ズバリのデータではないが、慶長後期頃の史料で
島津義弘の娘が江戸に人質になっていたときに義弘宛に鮭をプレゼントしたという話があるから
鮭は食べていたんじゃないかな。
傷みやすいいくらの方は不明。
なんか講談かなにかで、毛利輝元の弁当に鮭の切り身が入っていて、
それを見た他の大名が珍しがってみんなで分けて食べたという話が無かった?
だから鮭は当時あまり食べられていなかったのかな?と思ってた。
それとも弁当に入れるという事が珍しかっただけなのかな?
>>858 逆だろ。
現在シメジとして流通してるヒラタケではなく、
ホンシメジこそが「味シメジ」って書いてあったんだと思うが。
>>868 輝元だっけ?秀元じゃなかった?
ちょんまげ頭を寄せ合って人の弁当の中見て喜んでる姿を想像すると微笑ましいな
>>865 うちの親父の地方は、フナ、鯉、雷魚、ヌマエビ、沢蟹、ウナギ、アサリ、シジミ、巻貝、ドジョウ、
タニシ、なんかが取れたそうだよ。もっと種類あったそうだけど忘れた。
今は病院ができた関係でドブ川になってしまったけど。
大阪冬の陣のとき、なぜか大阪城の中には”生鮭”がたくさんあった、
東軍の誰かがこっそり献上した物だろう、といわれている。
…って官本当代記にありますね。日常食ではなくても生のまま流通してたのかも。
農学的にみると、鎌倉時代ごろから耐寒遺伝子を持った品種(赤米、
現在の香米とは違います…)が発見され、寒い場所でも米作りが可能になり、
それ以降の人口増加を引きおこした、といわれてます。
タンパク質は豆から、脂質は菜種ゴマ等からとるのが一般的だったようで、
昔の日本人はほとんど植物食だったと考えられるので、
江戸時代になるまでは、全人口を支える(増える)だけの食料生産はあったかと。
ただ国内流通が制限された江戸自体初期には日本全人口が減少方向にあったので、
一概に農業生産技術だけで食料時給を考えたらまずいかもしれませんが…
いやいくらには(正確には筋子だが)塩筋子とか醤油漬けとか保存のしかたあるよん
おっと塩いくらだって
冬場はもつよ
秀吉が信長に鯛の干物を献上してたって聞いたことあるな
>>872 >東軍の誰かが献上
黒田長政が豊臣方に食料を送っていたのがバレて、言い訳と平謝りで切り抜けったって話もあるし。
福島正則の家臣が豊臣方に内通したとか何とかって話もある。
案外「豊臣軍は倒さねばならんが、城の中にいるその他のものは生かしたい」って考えが誰かにもあったのかなぁ・・・。
カルビーの創業者の人は
戦争中に食べ物がない時代に
母親が近所の川(広島市の太田川)で川えびを採ってきて
おやつでそれをえびせんにしてくれたんだそうな
その味を再現したのがかの有名な「かっぱえびせん」だそうな
昔は都市部でもえびだの何だのと採れたんだね
>>861 詳しく頼む。
そういう本探してたんだ。本のタイトル教えてけれ
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 18:18:26 ID:3ZJHDVMW
関が原で家康に味方した豊臣方の人って、
主に朝鮮で光成に煮え湯を飲まれた人が多くて、
その恨みから(?)家康に味方したんじゃなかったっけ?
基本的には太閤様の遺児の秀頼は助けたいけど、
大野治長とか淀殿とか光成系のやつらは許せんってスタンスだっと思うが。
だから滅亡までは望んでいなかったわけだから、豊臣方に食料支援ってのも
うなづける話だと思ったが・・・。
光成
ええい上げ
三成だよね。ごめん。IMEを訴えてくる
「雑兵物語・おあむ物語(附)おきく物語」中村通夫・湯沢幸吉郎校訂 岩波文庫
てかレスしてんじゃん
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 22:01:51 ID:PWOP5iN5
大野は東軍だぞ。
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 22:58:25 ID:3ZJHDVMW
大阪の陣では豊臣方じゃまいか?
どうでもいい話だが
>>882は絶対買った方がいい。
「雑兵物語」は当時の下級雑兵の鍛練書・教訓書・経験談がほぼ当時の口語で書かれてる
内容は日常における心得や兵器の扱いから戦場での衛生・食事・救急など多岐に及ぶ
「おあむ物語」は関ヶ原合戦の大垣城陥落の様子がこれまた口語で書かれてる
「おきく物語」は大坂落城の様子がこれも口語で書かれてる。
これらが一冊にまとまってたったの600円。マジ買え
>>877 雑兵物語・おあむ物語 (文庫) ¥ 630
出版社: 岩波書店 (1993/09)
ASIN: 4003024516
陣中の食物事情は荷宰料、夫丸の部分で、あわせて5、6ページ程度ですが…
うお 重なりまくり…orz
>>857 採れなくなりつつあったのだよ。
知らないのなら黙っとけ。
>>843 比較的最近というか、50年以内の話だな
>>855 そういう事じゃなくてな
欧米諸国が「鯨を採るな」と言っているのは感情論ではなく
「野生動物を捕まえて肉を商業ベースに乗せるな」という主旨なんだよ。
捕鯨を容認すると象牙とか虎とかの密漁を禁止しようという動きに問題が発生するし
「人間は家畜を育てて食え、魚は養殖しろ」というのが基本的な考え方。
欧米諸国が「鯨は知能が高いから」とか「かわいいから」という理由で「鯨を採るな」と言っているという話は
美味しんぼがバラまいたデマ。
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 05:25:25 ID:SDxL3imq
>捕鯨を容認すると象牙とか虎とかの密漁を禁止しようという動きに問題が発生するし
発生しませんよ。コジツケにもほどがある、
>「野生動物を捕まえて肉を商業ベースに乗せるな」という主旨なんだよ。
じゃあ、途上国の漁業リース権を買い上げて根こそぎ漁を行っている先進諸国はどうなるんだよ。
あれ全部養殖なのか、そーかそーか。
天然物は全部アウトですよね。
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 06:55:20 ID:xEzWo4gr
>>890 。欧米諸国が「鯨は知能が高いから」とか「かわいいから」という理由で「鯨を採るな」と言っているという話は
美味しんぼがバラまいたデマ。
別に美味しんぼがまいたデマではない。
一般人にはかなり「他のが高いから、かわいいから」という動機が強い。
>「人間は家畜を育てて食え、魚は養殖しろ」というのが基本的な考え方
それは畜産業者などの陰謀みたいなもんだが。
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 06:57:57 ID:xEzWo4gr
>>872 その割にはずいぶん、東北で基金が発生してるなあ
895 :
893 894:2006/11/08(水) 07:05:05 ID:xEzWo4gr
タイプミスだらけ
「他の」は「知能」
「基金」は「飢饉」ね
また脱線かよ
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 07:15:21 ID:xEzWo4gr
>>890 >欧米諸国が「鯨を採るな」と言っているのは感情論ではなく
「野生動物を捕まえて肉を商業ベースに乗せるな」という主旨なんだよ。
いいえ、一般人は感情論。
扇動者たちはようするに欧米の食料メジャー会社が
管理する家畜を食うように企ててるだけです。
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 07:58:02 ID:eY9e/Otm
>>890 以前の理屈じゃ説得できないので、新しい屁理屈を考え出したんだな。
>>890 鯨は欧米ではイルカとして分類している。そしてそのまま「日本はイルカを食っている野蛮な国だ!!」としている。
そしてそのままデモを起こす。それのどこが論理的な考え方なの?
ほらほらw
感情的なのはお前らのほうじゃんかw
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 09:03:33 ID:0WU0BJob
あんまり脱線をとやかく言うのも興ざめだから
一発目の脱線はOKとして、だけど
それに派生するレスは禁止にしようぜ?マジで。
静岡じゃイルカを普通に食ってるけどな
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 13:59:32 ID:erKKipqu
米「鯨は頭がいいし、愛嬌があるから食べるな」
日「じゃあ、今度からアメリカ人を食べます」
こないだ読んだ本にこんなジョークがあって笑った。
イルカはクジラより美味しくない希ガス
>>903 スマソ、笑える所はどこだ?
米「鯨は頭がいいし、愛嬌があるから食べるな」
日「じゃあ、今度から(頭が悪く、愛嬌の無い)アメリカ人を食べます」 ってことか?
それでも、面白くないけど・・・。
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 18:38:21 ID:gFmZX+Rw
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:09:25 ID:qPEkPQOl
実際、アメリカ人なんて脂ばっかで食えたもんじゃないだろうけどなw
>>894 東北の飢饉についてはこちらをご参考に。
ttp://www.reigai.affrc.go.jp/zusetu/reigai/kako/history.html 耐寒遺伝子とはいえ、あくまで米は熱帯作物ですから、
米が主力となる農業はどうしても冷害を受けやすいです。
鎌倉時代以後、寒冷地に米作が始まったため、
さらに豊臣秀吉から江戸幕府にかけて、換金作物としての米が重視された結果、
東北地方では不作飢饉が頻発することになりました。
ですが、全国的に不作、ということは起こらないわけで、
流通さえ確かであれば、米の余ってるところから送れば飢饉は…
実際、天明の飢饉でも藩によって被害の程度は大きく違いましたしね。
でもまぁ日本全国で考えれば常に人口増加であったわけで、
余剰生産物は十分にあり自給可能だった、と考えて良いかと。
>909
人口の3割りが肥満なんだもんな。映画のイメージでアメリカ行くと大変なショックを受ける
火葬場を火事にするデブ死体がある国だからねえ。
ここまでよんだ
食べ物の話題だから、マッタリしてんのかと思ったら
そうでもないみたいだな。
饅頭や味醂なんかが広がりだした頃だったっけ?
>>908 皮肉の間には、脂肪がたっぷり詰まってるってことなら笑えるかも。
お前はイギリスに行って修行してこい。
やたらあちこちに当たるなよ。
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:00:18 ID:TJ3gocAk
各々方、某がコンフェイトウとやらをを進ぜる故、落ち着くでござる。
そういえば昔のコンフェイトウって着色してかのかな?
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:04:03 ID:VLCi/DqU
食事スレで申し訳ないんだが
当時の人ってうんこしたら何で拭いたんだろう?
ちり紙とか普段から常備してたっけ?
食紅の色はありえんだろうね。
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:06:52 ID:W9cOpAxP
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:08:48 ID:VLCi/DqU
>>922 【疑問】スレ立てるまでもない質問【戦国時代板】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150022967/ : __,,,,,,,,,,yww,,,,、 .l゚“''''z l゚゚゚゚゚゚》
: .,r''',ラx, ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,、 .l“゚” ̄: `゚'i、 .,xネ .タ--r,#━″ .゙''''=,,
.,r''”゙”ヘ、 ,l`l ̄'ョ゙ト | l .l: _、 .] .l ll゜ ,,,,,,,,,,, 'l:
,r″ .゙'l,,《.゙v,,r゙,ナ .』 : _,,,,,,,,,,,,,レ l,yxrr━'''“゚,√ ,ト .レi、 ,l丶 .l'l| l━=l″ :l
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.,i″ ,l~゚li、 .゙'L ,r″ .,l″ .l′ .ll" .,l 】 .'サ''''″ ]
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.″ ゚!i、 ,r° .l : ┃ ,,/゜ .,r°゚''=@ .゙'┐ `'=x, ] ヤ° .゚'i、 ,,i´,m, ゙K
゙″ .l,,yvrr━・''''''““゙゚゚゚“゙゙゙”””` .゚'v、 ,r" ゙'┐ .,/ .l′ .セ'!l .,,ri、 ,ト.l, .《,,,ド┃
`゚V″ `='′ il,,,,_ l′'h,_._,,r''″ ゚!i,,,/゜ ゙=,,,,,,,r″
゙”゜ `″ .″
荒木村重がほおばっている饅頭は今の蒸しパンみたいなもんですかね
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 02:00:24 ID:INAJbhXa
>>918だが
>>919殿、当時そんな着色料みたいな気の利いたモノはなかったと思われまする。
でも、こないだの某TV番組「信長の棺」にて、信長公が手にしたコンフェイトウには思いっきり赤とか緑とかの着色料バリバリのコンフェイトウが混じっていたよーな気がw
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 03:04:43 ID:W5G/wH7r
上手そう
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 04:32:54 ID:ko05SLH/
>>924 あの饅頭、すげえデカいよね。
てゆうかあれ『酒肴』なんだっけ?酒の肴に饅頭か…中身は何なのかね?
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 07:01:35 ID:UwryMmTy
>>920 基本的にふかなかった。
ただ石田三成は南蛮人の真似してふいたらしい。
>>926 でも、「信長の棺」ではコンフェイトウは日本の菓子職人は未だ作れないって
言ってなかった?
>>930 なるほど。ルイス・フロイスの献上品だったのかぁ。
でも海外なら、当時はもうコチニールやモナスコレッド(紅麹)などの
着色料が使われていたので、色つきだった可能性はさらに高くなるかも?
>>930 元禄まで、日本でコンフェイトウは自作できなかった。
だから、信長の食べたものは輸入もの。
>>931 あの、藍染の技術って食物に使われてるのを応用したり、その逆もしていたんですが・・・・・
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 15:53:59 ID:VLCi/DqU
>>929 それ、やばいじゃん。だとしたら当時の人は普段からうんこ臭かったんだね。
>>934 「ちゅう木」というのがあるよ
奈良時代の遺跡からも発掘されてる
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 16:45:40 ID:VLCi/DqU
先陣でも持ち歩いたの?
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 16:48:47 ID:VLCi/DqU
東南アジアではトイレに尻洗い用の水が入った水桶があり
中東では乾いた砂で尻を洗うらしいね。
日本も厠が川にあった時代は水で洗ったんだろうけど。
それだとかなり不衛生じゃね
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 19:30:49 ID:VLCi/DqU
水で洗うのが一番衛生的でしょう。
紙で拭くのが一番不衛生だと思います。
拭きさえしないのは論外だけど。
なんて言う植物か忘れたけどケツ拭くのに使う葉っぱもあったね
便所の横あたりに植えといてウンコする時に何枚か持っていくとかなんとか
あと紙以外では縄…
外人は今でもケツ拭かなかったりするそうだが
日本人はウンコの性質上なにかで拭かないといけないと思う
朝に顔洗ったりトイレのあと手洗ったりするのに
ウンコついてるのは放置なんて俄かに信じ難い
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 20:28:18 ID:VLCi/DqU
インドネシア(バリ)の空港には洋式便所の他に
ホース付きの蛇口が付いた和式便所が目立った。
使い方は聞かなかったけど、多分ホースを黄門にあてて
手で直接オシリをぬぐって使えという意味だと思う。
タイの地元民向け長期滞在施設(一月滞在で1000円くらいとか)では
トイレ兼シャワーが普通で、和式トイレの穴から排水できるだけじゃなく
トイレ室内全体がシャワー室のように排水穴が付いてて
便器の横に風呂釜級の大きな水がめがあり、ふんばって全身汗だらけになったら
水がめから桶で水汲んでおしりを拭うだけじゃなく
頭から桶で水をぶっかけ全身の汗を落とす事が出来るらしい
トイレの入り口前の脱衣カゴがあって、全身素っ裸でトイレ入るとか
摩訶不思議な事が、タイ滞在期に書いてあった。
最初は慣れずに気持ち悪いらしいが、慣れると
トイレ入った後は全身水かぶって綺麗になって爽快なんだとさ。
クーラーがなくて年中汗かいてるから丁度いいとか書いてあった。
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 21:47:41 ID:UwryMmTy
>>940 >日本人はウンコの性質上なにかで拭かないといけないと思う
何でもかんでも「日本人」の習性でかたづけるなよ・・・・
それは現代人の発想であって昔の日本人にそういう
思いがあるかどうかは別なんだからさ。
例えば昔の人のほとんどが男色してたとか今の日本人には想像もつかないんだし。
なぜ食い物のスレがこの流れなんだ・・・
945 :
726:2006/11/09(木) 22:00:38 ID:FDhxBx+u
兵糧丸(簡易版)ついに完成。思ったより乾燥に時間かかりましたね。
いざ、試食!
サツマイモに味噌混ぜた味というか、干からびたゆべしの皮というか・・・。
まあ思ったより味は悪くなかったです。
米
異食同源
>>948 ごめん、画像のうpのやり方がわからない。
デジカメで撮影した後どうすればいいんだろうか。
>>949 デジカメの画像をパソに取り込んで適当なアップローダサイトに貼りつけて
>>950 あうう、デジカメ現在バッテリー切れしてるorz
充電しますんで明日でもよろしいでしょうか?明日必ずうpしますので。
あとアップローダのリンク貼って頂けると助かります。
人が作ったものを鹿の糞よばわりとはいくらここが2chとはいえ信じられんやつだな
まったくけしからん事だ
そうだ。鹿の糞に失礼ではないか
>>953 戦国時代の食料の再現に努めその食事情を探求する心や天晴れなり
貴殿を典膳に任ずるゆえその才を遺憾なく発揮し、今後もその発展に努められよ
>>953 その勢いで糒を一つ。
炒ったり、油で揚げて”あられ”にして食べるとウマー
サバイバル用品に売ってる「アルファ米」ってまんま糒だよね。
戦国時代の頃から500年近く形や味がほとんど変わらず、
シーラカンスのように生き続けてる料理ってなんかある?
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 00:20:35 ID:BF2qeBcK
>>961 非養殖な魚介類の刺身とかなら
野菜や果物は品種改良が進みまくってるし
調味料も時代と共にだいぶ変わっている
全般的に昔はもっと強烈でクセが強く今はマイルド
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 00:50:50 ID:15LHuBYh
そっか、刺身があったか(゚Д゚;)
魚も環境変化の影響で多少は味に変化があるだろうが、根本的には変わってないもんね。
野菜や果物も米も品種改良がかなり進んだから、500年前の味とはまったく違うだろうな。
柿なんて今ほど甘くなかったらしいし。
やっぱ料理法もそのままで残っているものはほとんどないんだろうなぁ。
野菜や果物なんてほんの一昔前
昭和中期と比べても味が変わりすぎてんじゃないかな
野菜はもっと青臭くてエグ味が有って果物は酸味がキツかった
トマトは甘味が増して果物並みなったしホウレン草はエグ味が消えて栄養価も激減
果物はどれもこれも糖度至上主義の品種改良で甘くなり過ぎた
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 01:15:54 ID:15LHuBYh
品種改良が積極的に行われるようになったのは戦後だもんね。
って、あってるかな??
そうすると戦中ぐらいまでは戦国の味が残っていたのかな?
ホウレン草はエグ味が消えて栄養価が激減ってなんかやだね。
食物としての本質が間違っているような気がするよ。
糖度があるのはいいけど、栄養価がなくなるのはねぇ。
糖度で思い出したけど当時かぼちゃの煮たのはほうべたが落ちるほど甘いって言われたぐらいだもんね。
今のかぼちゃも煮たら甘いのは甘いが、あれがかなり甘いってことになると甘味がある野菜や食べ物って、
そんなになかったんだろうね。
糖分摂るのに味醂飲んでた地方があるくらいだもんね。
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 01:24:31 ID:15LHuBYh
>>966 ウッホ!糖分取るために味醂だけは飲めねぇwwww
当時の甘味料って蜂蜜ぐらい・・・なのかな?
刺身も昔は醤油じゃなく塩とか酢味噌で食べてたから
様式は変わってるはず
あと、品種改良とかじゃなくても
昔のししとうはもっと辛かったらしいけど
現代のししとうは近くで栽培されているピーマンとの自然交配が進んでしまって
昔よりも辛くなくなってしまったそうな
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 02:24:25 ID:15LHuBYh
刺身を塩で!?
今度挑戦してみるでヤス。
昔食べられた野菜を食べたいなら「京野菜」というのはいかがでしょう?
品種改良されていないため、昔と同じもののはずです。
ただ野菜のアクやらコクやら味とかそういうものは、
栽培方法や野菜の旬、というものも大きいかも。
流通に載せるため、どうしても完熟する前に収穫するので味がどうしても…
今の品種でも完熟させれば、昔のコクある野菜に近くなりますよ。
味醂は清酒が出来る前(つまり戦国期)に好んで飲まれいた高級酒なんだよ。
白酒や御屠蘇の材料でもあるよね。
醸造過程のアルコール発酵の初期の段階で焼酎や醸造用アルコールを加えることで
アルコール発酵を抑えるので甘味が残るんだね。
お米を使って糖分を作る方法の一つでもある。
なんか作り方は紹興酒と同じなんだそうな。
味醂飲むって、焼酎で割るってやつ?
>>974 昔ながらの製法でつくる本味醂ならそのままで飲めるよ。
調味料の「みりん」はダメw
ちょっと調べてみた。
焼酎で割った味醂は「直し」と呼ばれているもので、
甘みを押さえるために焼酎で割った飲み物で、江戸時代から飲まれ始めたそうな。
>>961 各地の郷土料理。味も栄養も全てが昔そのまま!となると山菜料理ぐらいだろうね。
えーと、大気中の二酸化炭素濃度や雨の酸性度、調味料の製法などから、山菜といえど
昔そのままとは言えないと思われw
>>961 新巻鮭は、江戸時代に入ってからだと思うが、
無精製天日塩をかなり多めに使って作った物を焼けば、
>>868 の話と、かなり近い味ものになるだろうね。
しかも新巻鮭は正月に夫が妻の実家に贈るという風習が今でもあるらしいが
どこかにそれに近い内容のレスがあったよね
このスレ、次スレどうするのでしょう?
テンプレ作りとかは考えないにしても、需要はまだありそうな感じ
とりあえず話しがループしそうな点は軽いテンプレあってもいいんでない?
「肉食なかった!!ってのは間違い」とか。
そうね、よくある話はまとめてテンプレ化したほうがいいかもね。
すんまへん、「戦国時代の食事」スレ、おかわりwww
民衆生活全般のスレにしたほうがよさそう
味醂の話を持ち込んだのが悪かったのだろうか・・・
987 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:01:36 ID:uT6HoMBK
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:02:27 ID:uT6HoMBK
味醂の甘さはもち米を蒸してから糖化させた糖分
焼酎に浸して1年くらい熟成させたのが本物。
990 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 02:13:27 ID:uT6HoMBK
味醂という語の出てきた最古の記録は文禄年間らしい
991 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 03:16:10 ID:uT6HoMBK
あげ
腹減ってきた
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 04:37:21 ID:o2p9b0CI
日本酒をみりんで割る飲み物が江戸時代に流行ったんだよね。
「直し」と呼ばれていた。
「本直し」と言うと飲用みりんの事で甘口の高級酒として関東で飲まれてた。
1990年代にも流行ったんだよ。飲用味醂。
蒸留酒の輸入緩和に伴って、焼酎の税率が上がった時に飲用味醂は対象にならなかったんだ。
なものだから、焼酎の代わりに一時期流行ったんだよ。
2000年に課税されて落ち込んじゃったけどなー。
永禄じゃなくて文禄?
996 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 07:48:09 ID:uT6HoMBK
>>995 1593(文禄2年)の『駒井日記』という日記に初めて出てくるらしい。
勿論、現存記録の最古なので実際の生産はもう少し遡ると推定されるわけだが。
997 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 07:51:56 ID:uT6HoMBK
また、ほぼ同じ時期に博多の神屋宗湛が徳川家康・石田三成・黒田如水に味醂を送ったという記録があることから博多方面では文禄段階では生産があったと言う事らしい。
1000ならロリコン全滅
結局ロリコン派はまともな主張が一切できてなかったな
次スレいらないよどうせこのスレと同じようにロリコン派が詭弁屁理屈駆使して議論にならないだろうし
1000ならロリコン全滅
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。