1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
正信の次男坊、政重を語れ
これまた微妙な人物を・・・
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 18:02:12 ID:AAHrZFTJ
ここは強制IDなのか
こりゃ伸びないな
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 22:20:14 ID:YzXC6yZ5
前田家の監視役の人?
幕府からの監視役とする小説よりも、渡り奉公人として描く作品の方に魅力を感じます。
詳しく語ると某小説のネタバレになるから語りたくない。
某小説の作家さんはもう少し脚光を浴びてもいいような・・・。
>>7 基本的にどの作品も、ストーリーがこすい気がする>作家さん
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 20:14:21 ID:/OUWPpmR
>>6 山 田 風 太 郎 「 叛 旗 兵 」
本 多 長 五 郎 = 直 江 左 兵 衛
さあ心置きなく語れ。
ネタバレついでに
山本勘助は上杉の間者
如水の書状から切り取られた名は結城秀康
淀の秘密は秀吉を毒殺したこと
二階崩れを仕組んだのは晴英
果心には途中から道三の死霊がとりついている
信長が死んだのは信忠の業務上過失致死
信長が死んだのは貞勝の消極的謀反
信長は秀吉が真っ二つにしたが刀が安かったのでそのまま茶を立てた「愛よ」
すっきり。
う、まだ読んでないのあったよ(⊃д⊂)
正純「政重よ・・・加賀に謀反の兆しは有るか?」
政重「完全にブルってます!芳春院様もあの世へ逝かれますたし。」
正純「左様か・・・次は上杉を探れ!」
政重「おしゃ!」
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 16:06:33 ID:pYTCa2j2
安部龍太郎 『生きて候』
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 12:37:32 ID:HPGnQaF3
こんな頭悪そうな奴にスパイが務まるのか。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 23:13:59 ID:c4rwt249
正純と政重は対照的ですね。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 22:39:26 ID:RRkh3DAO
豪邸に住んでたらしい。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 17:48:44 ID:cf17GJcg
↓金沢市民が一言。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 18:03:17 ID:k3IEaTTT
若いおなごはええのう
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 21:43:47 ID:M4dBxHLD
親の七光り
幕末には主家の前田家より金持ってたらしいけどね。
ほんとに親の七光りなら、正信が死んで正純が失脚した時点で叩き出されていただろう。
対徳川渉外に関しては確かに有能だったのだと思う。
外様百万石を煽りも潰しもせず政権下で安定させた。
正信の一族みんな家康はともかく秀忠とは相性が悪かったともいう。
前田利常と家光の関係は良好だったんだよな。
どちらも相当濃いキャラだが。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:04:14 ID:tf39Nwiy
正純とかなりの年齢差がある。
長男と次男なのに。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 17:43:48 ID:zoWzVG7s
年齢差=正信の出奔期間。身重の妻を置いて謀反出奔て最低だよな。
父と叔父と弟が揃って主家に後ろ足で砂かけて出ていってるわけで、何気に正純は苦労人だ。
正信は徳川の謀臣として大往生。しかもちゃっかり菩提は西本願寺。
正重は一万石の大名になり政重は前田家の家老で五万石。
正純の人生悲惨杉。
釣り天井なんて仕掛けなければよかったのにな
釣天井は存在していない
加納殿の恨み説が有力だけど、それだけじゃないな
土井利勝らとの共謀かな
関ヶ原で自軍を相手に押しまくっていた宇喜多軍の大将(の一人)が
自分の懐刀の息子だとわかった時の家康公はさぞかし複雑な思いだったでしょうね。
家康に捕らえられたらどうなったかな・・・
現実には近江に隠れ、その後何故か引く手あまたで、福島家、前田家、上杉(直江)、前田と仕えるわけだけど
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:33:46 ID:TOfKt/Mw
一時期直江兼続の養子だったんだよね。
兼継には謙信と同じく実子が無かった。
いたよ
嫡男 平八景明 元和元年(1615)七月 数え二十二歳で没
冬の陣にも参陣してる
ちなみに政重の養子解消は、慶長十六年(1611)(人名事典では同十一年になってるが?)
娘もいたよ。つか政重は婿養子。
景勝が「勝」の字をやった相手って嫡男定勝と勝吉(政重)の他に誰か居たっけか。
「景」の字は謙信に引き続き家臣に与えているが藩主には継がれていないな。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 19:31:53 ID:kmd/Tkpd
金沢に本多政重の甲冑が残っているが兼続が長谷堂城合戦で身につけた甲冑と瓜二つ。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 01:13:31 ID:lhwTTMVb
経歴的には凄い妙で面白い人物なのに、ゲームでは登場すら
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 03:10:30 ID:c7nNroSZ
初代決戦の明石隊で異国の踊りがどうしても合わない奴
明らかに間者。しかも土臭く風雅に疎い国出身の。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 13:45:49 ID:o1dqfw7i
金沢市民www
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 00:15:22 ID:XmsMv43/
最初福島正則の家臣だったんだよね
前田に乗り換えて良かったね
正則が惚れ込んだが、結局馬があわず、二年程で前田へ
一回目の前田も二年程いただけで、直江の婿に
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 01:32:59 ID:9d96VWue
頭形兜・色々威二枚胴具足及び烏帽子形張懸兜が、藩老本多蔵品館にあるみたい
政重関係では他に、黒漆紺糸威頭形兜・丸竜蒔絵紺糸威五枚胴具足が、京都戦陣武具資料館に
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 08:35:09 ID:yZtm2qTV
陪臣で五万石といえば徳川政権下最高の石高であろうに
このスレの廃れ具合はどうであろう
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 11:29:07 ID:DwpULAPI
金沢には本多町とか本多の森とか本多の名前のついた地名が多くある
やはり本多ではこいつが勝ち組だな
>>41 立場的には
1万石の大名>5万石の陪臣
100石の幕臣>5万石の陪臣
だからね
政重にしてみればやはり外様の陪臣と言う立場はあまり面白い状況ではなかったと思う
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 00:02:54 ID:Um+/RCWN
加賀藩重臣八家にはなぜか長(元能登畠山家臣)も紛れ込んでいる
信長時代に降伏していつの間にか前田家臣団に組み込まれたらしい
ちなみに他の六家は
前田(長種)家 前田(土佐守直之)家 奥村本家 奥村支家 横山家 村井家
ばりばりの譜代だが、幕府に対抗して百万石を維持するには同郷同族ばかりじゃ不安でしょ
安倍の小説どうだった?
つまらんやめとけ。
隆慶一郎に憧れて一夢庵風流記みたいのを書きたくて
しかしこねくりすぎて失敗した、そんな感じだ。
本多フリークならおすすめは羽田雄平。
二河白道(正信出奔。家康双子説)
本多の狐(江戸初期加賀本多。家康の埋蔵金伝説)
竜の見た夢(↑の続編。忠輝海外脱出説)
百万石秘訓伝説(幕末加賀本多。明治の忠臣蔵)
と、独自の愉快な本多サーガを語り倒してくれている。
48 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 22:09:29 ID:30Z4irR4
保守
司馬の「城塞」に出てくる本多政重は凄く嫌〜な奴に見えたけど、
やっぱアンチ徳川の司馬が書いたからああいうキャラになったのかな?
前田利長に皮肉を言って楽しんだり、豊臣家の使者一行に追手差し向けて殺そうとしたりしてたが。
はなから司馬が好むタイプの人物ではないことを差し引いて読めば
味のある小悪党として楽しめると思う。
断片的にしか軌跡が残っていないので、再構成した人の解釈によっていろんなキャラになってるからわらかす。
初めてこいつに会ったのは「叛旗兵」だったなあ。懐かしいw
51 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 15:03:04 ID:zndSepVD
政重は「正」重ではない理由は何だろう?
出奔したので、実家を憚って字を改めたのだろうか。
52 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 23:31:57 ID:V20I9YIi
直江兼続が重光に改名したって実話なの?
養子の偏諱を義父が受けるというわけわからん形になってるんだけど
53 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 23:44:25 ID:V20I9YIi
>>51 多分最初に養子に入った倉橋氏の通字が「政」だと思う
54 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 05:06:42 ID:zEG9jQKV
「生きて候」文庫落ちage
55 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 13:04:38 ID:QPJKQHUJ
大名としての本多家はご存知のとおり取り潰されて
しまいましたが、その後100年ほどの間は、行儀作法
の指南などをしながら家名を繋いできたと伝えられています。
宝暦年間に入って幕府帰参を許され、400石の旗本として
維新を迎えました。
56 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 18:17:49 ID:ASY6ZRTh
57 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 21:37:00 ID:E3AN/h+B
のぶやぼにすら出ないこんなマイナー武将にも大河出演のチャンス到来。
こうなったら是非瀬川亮を起用して
「それがし婿入りは初めてじゃ。…武者震いがするのう!」
「天下に名だたる上杉の直江家か。ますます身震いがするのう!!」
などと言わせて欲しい。
それで知名度が上がれば太閤立志伝くらいには出られるかもしれない。
金沢観光ガイドに藩老本多蔵品館が常載される日も夢じゃない。
58 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 20:58:07 ID:U0PilyVX
そこまでいうならageようよw
59 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 22:53:29 ID:EUwb5grb
僕も本多でして家紋も本多立ち葵なので先祖は関係あるのかなと思いますが良い調べ方ないでしょうか?
60 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 19:38:15 ID:kjWPYUcr
生きて候普通におもしろかったんだが。
たしかに某一夢庵っぽかったけれどもw
これ以外にこの人取り上げた小説とか新書系の評論とかないものか。
61 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 22:05:35 ID:zV2qt84r
62 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 20:01:42 ID:6jde4ZNq
>>61 おお!サンクス!
……でも、リンク先がなんだかいろんな意味ですごいんだが。
63 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 17:37:14 ID:tv+Ikwxu
関ヶ原では、宇喜多家の将として働いたらしいね。
64 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 17:06:37 ID:jZFY7f3z
安部龍太郎の 生きて候 読んだが結構面白かったぜよ
65 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 15:49:34 ID:fuDTfHy6
叛旗兵面白かったよ。ここでネタバレ見てから読んだが、そんなんどーでも
よくなるくらい面白かった。
66 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 13:48:32 ID:H5hnoblB
小説では正純と仲良くないけど 実際はどうなんだろう?
67 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 13:46:46 ID:SbqYkxVR
親父や兄貴との仲がしっくり行っていれば
徳川に素直に仕えてると思うな。
68 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 15:40:26 ID:KSDc7HFc
仲の良し悪しは別にして、真田信之・信繁の所みたいに
兄弟別の家を建てればどちらかが残る可能性が高いから
別れたような気もする。
正信の遺言って、正純の迂闊な性格に釘を刺してるようにも
取れるから、敵を作ってきた自分の尻ぬぐいも含め、長男だけに
家を任せるのは不安があったんじゃないかな。
69 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 22:28:36 ID:Qwcrlymy
好き嫌いが激しくてマイルールでしか動かない奴らが
それぞれ好き勝手に動いてただけかも知らんよ>>正信正重正純政重
70 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 11:59:25 ID:Mm9eodJA
71 :
人間七七四年:2007/12/13(木) 16:19:54 ID:8m1ZWlyN
72 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 02:42:52 ID:6eR1e1fO
>>71 特に正重はあの蒲生氏郷相手にはっちゃけまくりだもんな。
あのおっさんの逸話読んだ時、笑ったもん。
73 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 16:19:57 ID:CjIFg3+z
09年の大河は義理の父が主役だからクローズアップされるだろう
74 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 16:58:21 ID:qQCxvMwY
08か。
ちょっと気の長い話になりますな。
75 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 16:59:13 ID:qQCxvMwY
ごめん09だった。
76 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 15:20:00 ID:RbCXyuTK
お松さんが死ななければ加賀には行かなかったろうね
77 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 03:39:12 ID:ZPbG+cgK
>>40 さらっと書いてるけど、後者マニアックすぎるだろ。普通に民家じゃんwww
>>76 あからさまに乗っ取りポジションな政重は本来上杉にも直江にもいらない子。
もし定勝が生まれなかったら? 出奔前に景明が死んでいたら?
上杉取り潰しの種にならずにすんだのを偶然だけで済ませてよいのだろうか。
78 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 14:48:48 ID:RX8NBB+3
上杉ではいらない子でも、利長にとっては大切な人材だったんでしょかね?
79 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 15:22:27 ID:H+X1JPFM
長連龍の三万三千石を大きく上回る、五万石だからね
80 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 12:17:17 ID:sPUwLC0y
直江スレで農戒書の口述筆記したとか言われてたけれど
実際米沢ではなにしてたんだろうこのひと。
直江家の婿養子として入った以上個人の禄は貰ってないだろうし
徳川の息がかかっている奴に機密に関わるようなことにはかませたくないだろうし。
一、惣別御うしろくらき事いたすましく候、
御父子様御為ニあしきやうなる事、
存もよるましく候、覚悟たてあしき
者ニ同心いたし、御まへかるしめ申ましく候事
一、人より合、大酒、よそありき、さへり口
いたすましく候事
一、けんくわこうろん、あかりまちなる
すいさんなるかくこ存間敷候、一すしニ無所在、
喜平次様ヘ御奉公いたすへき事、
若此旨少も偽ちかへ申ニおいてハ
これは上杉にのこっている本人による起請文案だそうですが
逆に言えばこれらのことが危ぶまれていたということでしょう。
それにしても二項目でかなりキャラがたってしまっているw
81 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 15:09:10 ID:ZvcuUJeq
本人は徳川とは縁もゆかりもないつもりだろうけどね。まわりはそう見ないわな。
82 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 15:54:46 ID:55ZRQph1
直系で現代まで続いているのは立派だね。
83 :
人間七七四年:2008/04/22(火) 16:08:02 ID:FLzIkM2o
当初は加賀七家だね。村井家は元禄になった八家に数えられるようになったのね。
84 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 17:04:38 ID:hS7Dp1Tk
「生きて候」は結構面白い。
85 :
人間七七四年:2008/05/22(木) 16:00:36 ID:HKg3Dnp0
なんだかんだと言っても有能だから どこでも厚遇されたんだよ。
それはもちろんそうだけど、何かありそうな気も
徳川内通とかはないか
87 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 22:36:17 ID:3PC9K4Db
何処行っても徳川の役には立ってない気が。
88 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 00:25:20 ID:wqFQ2/f8
喜平次様って景勝のこと?
その時代でも景勝って通称で呼ばれてたの?
89 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 15:03:29 ID:1ZmN1VeZ
景勝様とは呼ばれなんじゃないかな
90 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 19:32:14 ID:j69ESlfy
Wikiの本多政重の項の子供のところに
「戸田政勝」という名前がありますが、何者なんでしょうか。
政重の子が忠純の後継いだり旗本になったりするのはわかるけど
政重が戸田家と直接関わった形跡があるのですか。
大垣藩戸田家といえば
本多正純・直江兼続両人の嫡男に娘を嫁がせて
どっちも出戻ってきた(本多の方はこぶつきで)家ですよね。
大変気になります。
>>88 >>80のことをいっているのなら、図録解説によると定勝のことらしい。
91 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 20:14:21 ID:GzlT8Syf
五万石だと支藩の七日市藩一万石より上だね
92 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 17:41:27 ID:fkGTeRXY
>>81 直江だって自身の養子に迎えたのはそういう縁を重視したからだしね。
ただ、この両者は交流が深いんだよね。たしか政重の甲冑は直江が
最上陣の時に着用した具足に似ているというし
93 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 13:51:48 ID:rNzPuzV9
加賀の行ってからも直江と政重とは交流あったんでしょ。
94 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 21:01:36 ID:d+wJD5+b
上杉家の文書には結構名前が出てくるね
「安房守も元気だそうでなによりだ」とか、消息程度だけれど。
大坂役に臨んだ政重の心中もなかなか興味深い
すぐご挨拶できる範囲に兼続も正純もいて
囲んでいる城にはかつての戦友明石掃部がいて
主君利常にとって敵の頭は同じ名護屋陣で仕込まれた乳兄弟で義兄弟
政重は真田に散々やられ、
宇喜多の叛臣坂崎直盛は人生を踏み外し
なぜかそれを正純が柄にもなくかばって賞賛される。
95 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 15:13:49 ID:PmshDYJg
こう見ると宇喜多の影が濃いですね、大坂の陣
96 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 15:13:36 ID:QcK6TKld
うまく立ち回ったよね
97 :
人間七七四年:2008/08/26(火) 15:34:54 ID:66OQUtps
実力があんでしょ。
98 :
人間七七四年:2008/09/04(木) 00:15:16 ID:yGJTEAaa
>>94 無双っぽい妄想だけどさ
もし戦場で政重と明石掃部が遭遇してたら、説得できたかな。
前田家は高山右近を食客にしてた実績もあるし、豪姫も居て宇喜多家との縁が深い。
浪人多いし石高も十分にあるし居心地は悪くないと思うんだが、やっぱ棄教しないと無理かな。
99 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 16:05:36 ID:Un92ScpJ
直江兼続の兜、金沢に 来年「大河」主人公 加賀八家・本多家に伝来
ttp://www.hokkoku.co.jp/news/OD20080904501.htm 来年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公で上杉家に仕えた名臣、直江兼続(なおえかねつぐ)(一五六○―一六一九)
ゆかりの兜(かぶと)が加賀八家の一つ本多家に保管されていることが三日までに分かった。
本多家の初代、政重(一五八○―一六四七)が兼続に請われて婿入りした際に、
結納の使者に返礼として贈ったものとみられ、十九日から金沢市の藩老本多蔵品館で初公開される。
金沢市内にある本多家に保管されている史料をひもとき、十五代当主の本多政光氏、本多俊彦高岡法科大専任講師、
長谷川孝徳北陸大教授が確認した。
兜は、冠のような形をした変わり兜の一種で、漆や金箔(きんぱく)で装飾されている。
出羽(山形)の最上義光(もがみよしあき)との戦いで実際に使われ、
兼続に献上された縁起物の「勝兜(かちかぶと)」と伝わっている。
一六○四(慶長九)年に兼続の娘婿として政重を迎える際に、徳川家の側近だった政重の父、
本多正信が直江方に結納の使者を派遣しており、勝兜に添えられた記述から、
兼続がその返礼として使者に贈ったものと推定される。
同年に主君の上杉景勝と兼続がそれぞれ政重にあて、
「(上杉家の本拠地)米沢にいつでも来てほしい」という内容を記した書状も確認された。
(中略)
これらの史料も勝兜と合わせて藩老本多蔵品館で開かれる特別展「直江兼続と本多家」で初公開される。
十月五日には長谷川教授と本多専任講師による講演も予定されている。
100 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 04:31:38 ID:EkmhmMPs
こんなん見つけた。1992年放送の単発時代劇らしい。
>テレビ朝日 徳川家康の秘宝「忍者 本多の狐VS伊賀忍者軍団・日光東照宮に潜む埋蔵金の謎に挑む青年剣士と二人の美女」 9月29日
> 原作:羽太雄平 脚本、監督:中村敦夫
>高島政宏、黒木瞳、かたせ梨乃、林隆三、芦田伸介、細川俊之、津川雅彦、蟹江敬三、夏八木勲、久米明
101 :
人間七七四年:2008/09/26(金) 14:15:58 ID:2BzZaqjJ
原作は 本多の狐―徳川家康の秘宝 講談社文庫かな。
102 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 17:32:23 ID:i+2WEiu3
>>101 そうだと思うんだけど、まさかドラマ化していたとわ
本多屋敷に謎のジジイが現れて、それが明石掃部と名乗ると
大身者になったはずの政重が転がるようにして出てくる場面好きだ。
あとデレツンな正純も。
103 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 14:49:06 ID:dqa1W/9V
見たことあんだね?
104 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 14:38:57 ID:ZKhDoEnt
来年は重要な役回りかな
叔父さんの本多正重も凄い豪傑なのね
106 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 15:10:00 ID:ODERcfc0
正重の方が豪傑っぽいかな。
107 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 15:24:31 ID:q0Gz5wnc
政重は豪傑ってタイプじゃないから。
108 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 14:30:12 ID:5PrTFzTE
それはまあそうだね。
109 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 15:56:23 ID:f5OlsvW/
>>100 ちょっとしらべてみたら‥すっげー観たくなったんですけど。
脚本・監督‥中村敦夫
本多政重‥林隆三
浮田平四郎‥高島政宏
明石掃部‥夏八木勲
おしろ‥黒木 瞳
柳生宗矩‥芦田伸介
柳生十兵衛‥又野誠治
前田利常‥細川俊之
本多正純‥久米明
本多の狐の頭目‥蟹江敬三
服部半蔵‥中島俊一
かたせは姉御な方のヒロインかな。
110 :
人間七七四年:2008/12/05(金) 14:52:56 ID:BNtOmfPF
ビデオはないんでしょうね。
111 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 14:17:53 ID:qqT1l0E6
面白そうですね。
112 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 15:28:12 ID:lF5rFVKK
来年の大河は登場確実かな。
113 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 15:42:23 ID:bHNvEW/r
だろうな。
114 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 15:15:22 ID:X0Vtsjp6
どんな役回りかな
115 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 01:34:53 ID:YMJ2b2W8
116 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 11:06:59 ID:Sr8gtWbf
前田利常や反政重派グループもそれなりに重要な役作りした脚本でないとつまらなくなる可能性が大
政重が主役じゃないんだから、そんな細かい描写はしないよ。
118 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 14:45:55 ID:4X7KIJKh
だな。でも期待はしたい。
119 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 14:45:39 ID:uWxcbRMn
いや意外と幅を利かせたりして。
120 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 20:45:49 ID:eLsb1oQC
今年の大河をいままで見た限りでは
政重が会津で召抱えた浪人衆の中に紛れ込んでてもおかしくないレベル。
こっそりスパイ活動したり
長谷堂でぎゃあぎゃあ泣きながら死に掛けて、前田慶次に助けられたりするんだろう。
121 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 16:36:11 ID:mWaCQ5/x
むしろそんな政重なら見てみたい
122 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 15:41:15 ID:QOhRosMt
そりゃ隠密系だね。
123 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 02:01:26 ID:31OvKi0z
直江大河なら天地人ではなく密謀原作で!という意見をよく見るが
そのばやい政重は剣豪忍者牧静四郎になってしまうんだろうなw
124 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 19:44:07 ID:MdRIFcmx
天地人に出るかな?
125 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 22:53:57 ID:/1znhu2J
原作にもチラッと出てたし、ワンシーンくらい出るんじゃないかな。
126 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 18:11:40 ID:pbnnkzTS
米沢で政重は鉄砲術をたいそう自慢してたらしい。
おまけにけんか・口論。若いのもあるけど荒っぽい
キャラだったのかもね。前田家でも細かいことは不
向きということにされてるし。
127 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 14:11:46 ID:poc0z7fh
兄貴や親父とは違って どちらかというと武人タイプだ。
128 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 16:19:39 ID:GjIs81OD
前田に行ってよかったね。
129 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 14:27:15 ID:gMWKzyjV
重く用いられたよな
130 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 19:41:38 ID:1SgWi9Bs
あの北国新聞が唯一スルーする加賀藩の黒歴史w
131 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 15:55:07 ID:3ulufjVY
黒歴史とは?
132 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 14:50:25 ID:Do/NlItY
なんかあんのかな。
133 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 13:27:15 ID:RJEO12pe
黒くないでしょ。
134 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 23:56:42 ID:iOPuYBJS
前田家初期の派閥抗争
太田派(親豊臣)筆頭家老・太田但馬守、村井、奥村、篠原、高畠、中川宗半
横山派(親徳川)次席家老・横山山城守、長、富田、不破、高山右近
1602年 利長の命を受けた横山大膳により、太田但馬守粛清される。
↓
政重帰参。奥村派(旧太田派)復帰。
↓
奥村派の巻き返し。横山大膳、京に蟄居に追い込まれる。
↓
1614年 大坂冬の陣前、横山帰参。
↓
横山復権に不満の奥村栄頼出奔。政重も同調しようとするが奥村永福に止められる。
↓
本多、横山、共に執政として前田家を支える。
135 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 11:33:53 ID:SCHixyT7
>>134 それを親豊臣、親徳川で分けるのはちょっと違うと思う。
136 :
人間七七四年:2009/05/08(金) 01:10:24 ID:8DuaEPkC
正則の正室津田氏が難産で亡くなったときに、葬礼場の警備を木造大膳と本多政重が任じられた。
木造の家臣たちは長柄槍が揃ってひしと立ち並び、それを見た人々は殊のほかに見事だとみな褒めたたえた。
それに比べ本多の家臣たちは長柄槍も揃わず、ところどころに長く短く見苦しい事この上なかった。
普段から木造大膳はいらざるところへ大気に使うので貧乏をしていて、いざ御用のときにお役にたてまいとそしり
を受けていたが、このことがあった後はそのそしりもやんだということである。【福島太夫殿御事】
137 :
人間七七四年:2009/05/08(金) 22:36:27 ID:1rPyksDp
138 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 16:34:48 ID:XD1e1iio
結構もめてるんだ 知らなかった。
139 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 14:34:29 ID:CstEEnke
騒動が多い藩だよね。
140 :
人間七七四年:2009/06/11(木) 15:28:43 ID:Co2yUCT2
八家と人持組ですか。
141 :
人間七七四年:2009/06/23(火) 15:56:27 ID:6Te9dlEl
スパイというかお目付け役なのか。
142 :
人間七七四年:2009/06/24(水) 03:47:36 ID:tF5aaT40
天地人で思いっきりスルーされそうな感じだな。
143 :
人間七七四年:2009/07/02(木) 15:22:48 ID:FPcI8FsV
息子だから出てくるよ 多分。
144 :
人間七七四年:2009/07/11(土) 15:31:24 ID:a/iaRBvx
登場することに期待。
145 :
人間七七四年:2009/07/22(水) 14:12:33 ID:ok3URzEp
鍵を握る人物として登場。
て原作ではどうなの?
146 :
人間七七四年:2009/07/30(木) 13:50:55 ID:EscG6Y+P
天地人の原作小説でもセリフと出番があるから当然大河にも出るよ。
書店で売ってるガイドブックは後編も出てるけど、今年はドラマの評判イマイチなので、視聴者に
気を持たせるためか、いつもの大河なら前後編なのが更に3冊目の完結編が出る予定。
前田慶次と本多政重役の俳優の発表はぎりぎりまで粘るようでw
147 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 15:09:46 ID:Pgq6pcj3
楽しみにしていましょうか、爽やかな感じかな
148 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 13:40:19 ID:lklTQJ7K
主人公に近い人はみな良い人、そんな感じだ最近の大河
149 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 13:53:59 ID:oLaUit2H
>>134 これですな
210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 12:41:25 ID:8T8VPisE
快心老人は見かけこそ愚鈍に見えましたが、かつては実直さで勇猛さを
評された武将でした。、主君と隣国の大将が戦した際、要の城を任され、
わずか五百の手勢で一万五千の大軍から城を死守しました。援軍に駆け
つけた主君はその時つけていた甲冑を下されました。その武功は老人に
とって今でも誇りです。
ある日、老人のもとを三男が訪れました。三男は言います。もは
や藩にはいられないと。三男は家督を継いだ若殿の信頼厚く、政
敵であった先代の右腕の追放に成功して藩の実権を握りました。
しかし、先年の大坂御陣で失態を犯して面目を失い、先日の若殿
の鷹狩りにも随行を許されませんでした。さらに、追放した政敵
が復帰し、居場所を失ったのでした。
暇乞いを若殿があっさり認めると、さらに長男と次男、三男と「大
の知音」という新参の本多までが藩を立ち退くと憤ります。快心老
人は叱りました。「人として子を愛さぬ者はいない。しかし、一人
の子や兄弟、友のために家臣としての節を曲げるべきではない。し
かもお前たちは万 石もの大封をいただいておるではないか」と。
この藩は家臣同士の権力争いが深刻で、快心老人もそのことを気に
かけていました。「三男はすでに君命もあり、速やかに立ち退きな
さい。その他の者は残りなさい。あとのことはわしに任せ、安心せ
よ」と説きました。
長男と次男、本多の三人は出奔を思いとどまりました。この三人の
家系は藩の家老を出す「八家」となります。快心老人が家中の深刻
な分裂を防いだのです。
快心老人はそれから九年後、静かに亡くなりました。かつては奥村
助右衛門永福と名乗り、主君・前田利家にとっての天下分け目・末
森合戦で奮戦した武将でした。
150 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 23:37:40 ID:HK4aalzW
本多正信の描写がぜんぜんだめだから、政重が出てきても唐突間が否めないだろうな。>大河
151 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 15:18:50 ID:QpPSqde5
さあ本当に出てくるのだろうか?
152 :
人間七七四年:2009/09/20(日) 16:20:37 ID:nprC4Tns
どうか?
153 :
人間七七四年:2009/10/02(金) 15:29:27 ID:9MeGXcbe
黄川田将也だそうだ。
154 :
人間七七四年:2009/10/02(金) 23:39:30 ID:eeaVqP23
こんなに好きな武将が大河に出るのが嬉しくないのは初めてだ。
155 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 12:12:15 ID:ALSSncE/
『おてんば珠姫さま!』見てるのでイメージが…。
156 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 16:37:49 ID:Lfiz7wpe
157 :
人間七七四年:2009/10/04(日) 00:30:33 ID:L31JoVeD
ドラマでは幕府の隠密にするようだな
158 :
人間七七四年:2009/10/04(日) 19:27:51 ID:EJ8O9xE9
久しぶりに大河ドラマ見るか
159 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 10:49:55 ID:Ci8iwNPf
>>153 また泳いで参った人に続いて仮面ライダーか
160 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 15:55:49 ID:6CxcOmwY
ホームドラマ的には重要な役回りのようで。
161 :
人間七七四年:2009/10/06(火) 09:03:13 ID:YpTlusKl
兼続と秀忠と友愛する人になります。
162 :
人間七七四年:2009/10/08(木) 20:43:34 ID:z6VDFMxA
本多正重
163 :
人間七七四年:2009/10/15(木) 15:28:46 ID:D6Mf0K41
篤姫と兼続の人間性が似ている。政重もきっといい人。
164 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 14:06:14 ID:g6qIulcN
1580年生ってマジ?
秀家は二十歳の政重に2万石出したのか
内紛後の雇用?
165 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 19:16:00 ID:b/wKrFSn
秀家から二万石ってのはあやしい。
たしかに秀家は重臣の離脱で人材不足だったが、かといって政重は
やんちゃやって人殺ししただけの男。そこまで重用はされないと思う。
家譜にはあるんだが、政重が宇喜多の前に大谷に仕官、関ヶ原後に一度は前田に仕官
(上杉の前)ってのも逸話すら見たことがない。あれば教えてほしいくらい。
前田家は上杉家を離れた直江勝吉の召抱えに幕閣の許可を得るなど慎重に動いている
書状がたくさん残っているのに、一度目はそういうのがない。二度目ならそこまで慎
重にするのも不思議だし。
166 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 19:31:24 ID:9iteJR75
ちゃんと宇喜多時代から描いてくれないと
出てきても嬉しくない。
167 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 22:02:16 ID:utyXrNVc
戸川・岡・花房・浮田左京(坂崎出羽守)がみんな3万石クラスだからな
そいつらがいなくなった宇喜多なら余裕だろ
168 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 23:52:00 ID:b/wKrFSn
余裕があったとしても実績がないやつにそんな大禄は与えないだろ。
前田慶次に百万石やろうとした花の慶次の秀吉じゃないんだから。
169 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 20:04:35 ID:Nu72HW43
今日もOPクレジットに名前なかったな
170 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 10:40:18 ID:sbksojtC
今週か来週に登場するだろう。
171 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 10:59:16 ID:k3G7ZgT/
172 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 14:14:00 ID:b7fSu2LP
本多政重の家臣団の構成と重臣
○正信から派遣された家臣
井村内蔵允・・家康家臣から正信の寄騎、その後政重附き
○関ヶ原戦時に召抱えた者
○福島家時代に召抱えた者
河井外記・・旧宇喜多家臣
○最初の前田家時代に召抱えた者
蜂岡伊賀・・正信家臣から政重附き、直江家との連絡役
○上杉家時代に召抱えた者
篠井雅楽之助・・直江景綱の弟の子孫、政重の重臣筆頭
大橋新左衛門・・越後時代からの上杉家臣
原采女・・兼続から政重附きを命じられる
上杉家時代の召抱えが過半数を占めます。
173 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 18:27:23 ID:u6PWP7GS
174 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 18:57:45 ID:ZzkM9B7T
今のご当主も、篠井のばあちゃんには世話になった、と言ってたな。
175 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 19:25:44 ID:5+JB7wjm
篠井英介の?だとするとやっぱ子孫なのかな。日本舞踊の師範とか育ちよさそうだし。
176 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 19:33:00 ID:WAmEstP7
あ、すまん。元重臣の篠井家とは近年までつきあいがあったってことで、その俳優とどうかじゃありません。
177 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 09:27:36 ID:DY330rNB
直江勝吉が加賀仕官する時には利長や仕官を斡旋した藤堂も直江安房と呼び、
自身も利常からの知行宛がいに対する覚に直江安房と署名している。
当初は直江勝吉として加賀藩に仕えた。
幕府の隠密などと言うのは秀忠の乳母(春日局に限らず当時の乳母の力
は大きい)の子を斬ったことの重大性を軽視している。本人も加賀藩で
は「両御所様から勘気を蒙っている」「公儀日かげ」を理由に藩政トッ
プ就任を断り続けた。
加賀藩での本多家臣団は本多譜代、広島召抱、加賀召抱などさまざま
だが、中核は直江一族で与板衆筆頭の篠井ら米沢召抱衆からなる。
米沢時代の彼等の知行は計七千石に上る。景勝は本庄充長が没すると、
再三にわたって長房の帰参を求めるようになり、景勝の、他家に仕官
した者への帰参要求には抵抗感が感じられない。
藩財政の厳しい上杉家にとっては、禄減らしの効果があったと見るこ
ともできる。
『直江兼続の新研究』 「直江勝吉」に関する一考察 本多俊彦
178 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 15:50:36 ID:lsrkTz4X
いよいよ来週か
179 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 20:31:49 ID:6hPKr4Ha
180 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 08:59:54 ID:Eg0tZTRI
やはりスパイ説を採用でしたな。
181 :
人間七七四年:2009/11/04(水) 01:17:35 ID:PRGhgn46
wikipediaの関連項目ではしつこいくらいに、出奔したと書かれているな。
182 :
人間七七四年:2009/11/04(水) 02:41:21 ID:bv1NyKp7
加賀藩で同じような経歴の成瀬吉正と一緒になってるが
成瀬こそ間諜だったんじゃないのか
183 :
人間七七四年:2009/11/04(水) 14:06:22 ID:i7g2RBIM
いちじくか
184 :
人間七七四年:2009/11/09(月) 19:55:27 ID:n/laU6Rz
金沢本多蔵品館の政重の甲冑が、上杉博物館で展示されてますね。
185 :
人間七七四年:2009/11/12(木) 19:51:32 ID:jBuyYHLi
天地人に出された武将は、どんな海千山千の曲者武将も、気持ち悪いキャラにされてしまう。
186 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 15:19:06 ID:t6oZsyvU
福島とかただのお人好し
187 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 12:24:10 ID:m7EMPCL/
>184
見に行きたい
188 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 12:39:51 ID:b/D2+sEm
本多政重曰く
「…国、民、藩、藩主の為に、自分が働く。
…直江兼続にそう教えられた」
そう言って、加賀・前田藩の基礎を作ってくれた筆頭家老・本多政重は、石川県の誇りだ!
そう言っていた石川県民を見付けた。
良かったな兼続公(つ_;)。
189 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 12:30:32 ID:W+ZguwxS
天地人も一つくらいは良いとこあったんだね・・・(涙
190 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 23:46:22 ID:AoAUvU05
>189
そうじゃないと浮かばれんよね
191 :
人間七七四年:2010/01/01(金) 06:46:10 ID:VrnQZozQ
謹賀新年
192 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:54:04 ID:6xipnc16
この人主役で新作書いてくれそうな小説家いないの?
193 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 11:06:59 ID:h/r2A6Z9
すでに前田家の筆頭家老だったのに、景勝と兼続が家康の見舞いをできるように兄の正純に
取り計らったり(「ありがとう。駿府滞在中に会って積もる話をしたい」という兼続書状が
残る)、景勝やお船が亡くなった時には弔意を表したりと上杉との関係はずっといいんだよな。
194 :
人間七七四年:2010/03/14(日) 01:48:58 ID:UQeUvAUE
いい話だ(´∀`)
195 :
人間七七四年:2010/03/24(水) 16:36:48 ID:lXA7QOME
それでもwikipediaでは執拗に「出奔」としたいひとがいるからなw
196 :
人間七七四年:2010/09/04(土) 09:17:24 ID:HRRRPuTB
保守
197 :
人間七七四年:2011/03/10(木) 11:44:20.35 ID:KJ6HKLUo
宇喜多にいた頃は正木左兵衛って名乗ってたらしいね
198 :
人間七七四年:2011/03/10(木) 23:18:42.85 ID:a5g4sX69
結局この人はスパイだったの?それとも慶次みたいな生涯反抗期?
199 :
人間七七四年:2011/03/10(木) 23:22:53.80 ID:NjN3kGqd
スパイって感じはさすがにしないな。実力がある上実家が色々煩わしくて
外に出ちゃったんだろ。
200 :
人間七七四年:2011/03/16(水) 12:01:49.05 ID:bJ4nFZ5T
>>198 秀忠の乳母の子を斬殺したので、徳川家に
帰れず諸家を転々とした感じだろう。
父の正信には諸大名と徳川家の関係を安定
化させる役割があるので、その意味で非常
に大きな存在だった。上杉家では「早くこ
い」とか「家中の杖柱となれ」と言われて
るように、本多を通じて徳川家との関係改
善をしたい大名側にも来てくれると非常に
有益だった。
201 :
人間七七四年:2011/06/11(土) 08:53:12.99 ID:AzqrH8NT
宇喜多家で本当に何万石ももらっていたのだろうか。
福島とか前田(1回目)とかも。そのあとの上杉家でも1万石だし。
202 :
人間七七四年:2011/06/11(土) 15:12:19.84 ID:flBJ9Q5q
本人にスパイする気は無かっただろうが周りがコネ目的にスカウトした
203 :
人間七七四年:2011/06/11(土) 18:30:52.45 ID:AzqrH8NT
それはそうなんだが、
20歳の徳川家から見れば罪人の政重に宇喜多家で2万石。
福島家3万石→前田家3万石→上杉家1万石→前田家3万石のち5万石
前田家は2度目(1度目の仕官が事実なら)の召し抱えの際に幕府に気を
つかって、召し抱えても問題ないことをわざわざ幕閣に確認している。
204 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 21:07:02.19 ID:Qdu7am6N
本田忠勝にはどう思われていたのだろう?
205 :
人間七七四年:2012/01/17(火) 17:21:31.42 ID:AiQGXlmk
>>201 明石全登よりは少ないだろうけど、
宇喜多騒動で前線指揮官が抜けた状況下だから結構もらってたりして。
206 :
人間七七四年:2012/01/28(土) 01:07:55.93 ID:z+I9ob6D
>>205 でも20くらいでろくな戦闘経験もないと思う。
207 :
人間七七四年:2012/01/28(土) 01:43:15.89 ID:3hD+lZsV
例えは変かもしれんが天下りみたいなもんで有力者へのパイプという意味もありそうだから
実績や年齢を考慮されずにそれなりの禄を貰ってたとかじゃねぇの?
208 :
人間七七四年:2012/01/28(土) 13:20:22.75 ID:z+I9ob6D
自分で「公儀日かげ」「両御所様御勘気」って言ってるくらいだからなあ。
まぁ田付流砲術の名手(自称)だったらしいが。
209 :
人間七七四年:2012/02/27(月) 20:25:03.86 ID:U7dyCFMx
親父や叔父貴が出奔してふらふらしてたのもそのくらいの年頃じゃね
210 :
人間七七四年:2013/02/20(水) 10:50:08.03 ID:tOdDxjs6
保守
211 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 22:56:50.90 ID:pWBY7Ygp
藩老本多蔵品館で図録とか売ってます?
HP見てもそれらに関しての情報がないので
212 :
人間七七四年:2014/02/23(日) 13:04:44.12 ID:ORXPSl6W
本多正信の子孫で一番繁栄したのは政重系
213 :
人間七七四年:2014/03/15(土) 18:52:48.78 ID:IM+HjVei
本田政重は秀忠の乳母の息子を殺害した罪で
コ川宗家を追い出されてしまい
各藩を転々とすることに…
直江家に7年間養子関係となり
兼次に薫陶を受け政重は人間的にも成長し
そのことが本田正信はすごく嬉しかったらしい…
いつの世も親は子供のことが気がかりだからね
214 :
人間七七四年:
親父の正信も一向一揆で家康と敵対してたしあんまり譜代って感じがしない