真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ

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934930:2007/10/28(日) 08:14:05 ID:ZD/ITKJ3
>>933
ん?どういうこと?
仕官して安定してから、ってことは、昌輝の岩尾城出生説が間違ってるってことかな?
それなら>>930で言った時期より遅くて別に問題なくなっちゃうな
935人間七七四年:2007/11/08(木) 09:59:56 ID:LGXs0I1c
南原幹おの昌幸の上巻をセブンでお取り寄せした。3ヶ月かかってゲット!。
下巻はまだ入荷してない。多少余剰分があるみたいだから興味アル人
は今のうちにどうぞ。

http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30464229
936人間七七四年:2007/11/09(金) 19:11:44 ID:cCM5mNoQ
>>935
amazonで検索したらマーケットプレイスで上巻は1円から。。。
下巻は685円からで新品は取り扱ってないのかな。
937人間七七四年:2007/11/09(金) 20:17:57 ID:ND1NkRfi
ふと思ったんだが
なんだかんだ良く言われても
昌幸・信繁父子は結局最後に時勢を読み切れなかったということは
うーん、なんていうか・・・ねえ
938人間七七四年:2007/11/09(金) 20:37:51 ID:5kXvuTOj
昌幸は時勢を読み切れなかったけど、信繁の場合、時勢を読む意味がまったく
なかったのでは? あのままでは昌幸同様に九度山で朽ち果てていくだけだもの。
939人間七七四年:2007/11/09(金) 21:01:19 ID:2RwIrmwT
徳川300年が倒れてすら残る武名を立てたならそれはそれで
最も大局的だったという見方もできようさ。
940人間七七四年:2007/11/10(土) 00:09:21 ID:ZLNAs9Ip
昌幸は信之と対局に位置することが目的だったんだから、読む読まないじゃないと思うが
941人間七七四年:2007/11/10(土) 02:28:23 ID:xfEy247L
しかし、伊豆守ってしょっぽいな。左衛門助の方が格上じゃないか?
942人間七七四年:2007/11/10(土) 07:46:11 ID:HD6OSGBO
左衛門佐はデフォで従五位上(元は従五位下だったか)
伊豆守はデフォで従六位下だが信之は従五位下伊豆守
で、松代移封時に従四位下に昇格している

徳川寄騎大名の嫡男と
秀吉の手元に置かれた大谷の娘婿なら
多少は後者が上に来ることがあっても仕方がない

そういや秀吉の命令とはいえ徳川の寄騎大名なんだから
関ヶ原時に沼田は信之となってた時点で真田って譜代大名の資格あるんだな
943人間七七四年:2007/11/10(土) 09:39:24 ID:assEjqLF
>>942
なので譜代扱いだよ。帝鑑間詰で幕末には真田幸貫が老中になっているわけだし。
いくら松平定信の息子とはいえ、外様だったら絶対にそんなことはありえない。
944人間七七四年:2007/11/10(土) 09:42:16 ID:assEjqLF
>>940
家を分けてどちらが勝っても云々は単なる伝説と思っておいたほうがいい。
945人間七七四年:2007/11/10(土) 10:32:50 ID:ghAzmab2
では現実は?
946人間七七四年:2007/11/10(土) 15:53:40 ID:ZLNAs9Ip
単に互いに就く側が違っただけにせよ、時勢を詠みようがなかったらにせよ、
結果的にどちらが勝っても存続する形になったこと、別れた時点でそれが頭にあったことは確かだろw
逸話はともかく、そういう状態になったことに伝説も糞もない。
947人間七七四年:2007/11/10(土) 16:03:32 ID:6ky14P+6
なんかバカが言い訳しているけど、「昌幸は信之と対局に位置することが目的」ではない罠。
948人間七七四年:2007/11/10(土) 17:16:18 ID:ghAzmab2
兄弟は単に縁戚関係で分かれただけだよね

昌幸に関してはへそ曲がりで頑固なところがあったから
喧嘩できそうな相手→あの時点では徳川に楯突こうと考えたんじゃないかな
だってべつに信之についてもよかったはずだし

ただ、現実問題、秀忠が真田スルーだったらその真田はどうなってたのかなと興味はある
一説には秀忠は真田攻撃が目的だったみたいな話もあるけど、
それだけであんな大軍を当てないと思う
949人間七七四年:2007/11/10(土) 18:04:18 ID:ZLNAs9Ip
>>947
バカはお前。
昌幸は中立を守る、灰色の立場をとるという手段もあったが、
信幸が徳川方に付いたから、旗色を鮮明にしたと考えてもおかしくはない
950人間七七四年:2007/11/11(日) 02:06:17 ID:8aJic9Ze
まあ、なんだ。ケンカすんな?
951人間七七四年:2007/11/11(日) 04:18:41 ID:mIpIgA8H
http://rd.yahoo.co.jp/recommend/closeditem/evt=76284/*http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m49360439

どうみても偽者なんだが・・・w
これが本物だったら“幸村説”が本当に(ry

952人間七七四年:2007/11/11(日) 16:55:07 ID:XD4NvYWR
今後の大河で真田幸隆からを蔵さんでやってほしい。
953人間七七四年:2007/11/11(日) 17:38:22 ID:m7AJi1+3
老中になったやつは信之の血を引いてないけどな
954人間七七四年:2007/11/11(日) 19:46:45 ID:RyF805uh
血より家の時代だもんな
955人間七七四年:2007/11/12(月) 20:01:08 ID:2pCPYWL5
真田伯爵家・・・伊達
真田男爵家・・・松平(久松)

信之以外の家系ならけっこう男系で繋がっているが。
956人間七七四年:2007/11/13(火) 17:37:42 ID:1MDkJll8
>>937
今だから言えるんだろう。信繁はもう読む読まないじゃないが、昌幸
の関が原は難しいど〜w 家康やや有利と読めたとしても、ややだからw
領地配分の面では西のがいいし、確率は決して低くないし、上田に
孤立しながら現実的に負けず西軍のために仕事してるし。
957人間七七四年:2007/11/14(水) 00:45:32 ID:s/UrX5nU
又五の報告が間に合わなかったからねぇ…w
958人間七七四年:2007/11/15(木) 21:46:37 ID:32dLmiqj
少しでもいいので昌親、のことや信尹のことも思い出してあげてください
959人間七七四年:2007/11/16(金) 04:36:38 ID:/kjYZw4r
>>957
聞けよ、丹波って感じだったよな。いくら渡弟に詰め寄られて切迫
してても、情報を聞いてから判断しろよとw
960人間七七四年:2007/11/18(日) 02:01:39 ID:t95rWv5u
961人間七七四年:2007/12/02(日) 02:44:58 ID:bGVqejBI
こないだNHKのスタパに山之手殿が出てたけど“話”は出なかった。

その前に信之様が出たのは見逃したけど…まぁ、無いだろうな…orz
962人間七七四年:2007/12/19(水) 15:42:04 ID:CsX6lEel
真田の祖先は?海野氏?祢津氏?
963人間七七四年:2007/12/19(水) 16:33:24 ID:UcHXoLNK
実田氏じゃね?
964人間七七四年:2007/12/19(水) 21:01:21 ID:EsPttY6n
先祖は、清和天皇の皇子の貞元親王。
この皇子が関東に下り滋野の姓を名乗ったんだって。
その滋野氏の子孫が海野、祢津、望月。
ちなみに木曽義仲に仕えてた海野幸親は幸隆の父の先祖。
幸隆は最初海野幸隆という名だったが、武田信虎と村上に真田郷を追われ、
再起を願い武田晴信に仕えることを決めた時
故郷の真田の姓に変えた。
でも何の文献か忘れたけど、それよりもっと以前の文献に、
「実田」の名があり、それが実田=真田ではないかとも言われてる。
965人間七七四年:2007/12/19(水) 23:34:05 ID:IYIKggse
信之の二男信政の長男で2代目小野お通との子とされる信就は、本来藩主になるはずだったが
幼少の頃、家光に謁見した際に粗相を働いて家光が激怒し「信就の真田家相続はまかりならん」と言われてしまって廃嫡。
成人してからも部屋に閉じこもって、詩や歌を作っていたらしい。

紀州藩初代の頼宣は信之を尊敬していて、よく信之を紀州邸に招いていたそうだ。
で、信之が格上の頼宣を訪ねる場合は、門の前で輿を降りるのが礼儀だったが 
高齢の信之に配慮し、頼宣は玄関先まで輿で入るのを許していたそうだ。
頼宣の嫡男で2代藩主となる光貞に初めて甲冑を着させる儀式の際、兜の緒を締めたのも信之。
こういう縁もあり、頼宣の二男で西条藩初代の松平頼純の娘は、松代藩4代藩主真田信弘の正室となっている。
つまり、8代将軍の吉宗と信弘の正室は従兄弟同士。また、松代藩8代藩主真田幸貫は吉宗の曾孫。
966人間七七四年:2007/12/20(木) 08:49:49 ID:wQeL8dkz
? 
967人間七七四年:2007/12/21(金) 19:51:59 ID:pBvavR1t
>>964
その説は昔の通説じゃね?
今は幸綱は海野氏説、矢沢氏説、元々真田氏説とか色々あってよくわかってないはず
968人間七七四年:2007/12/22(土) 19:58:45 ID:IYVyAKlR
海野氏後裔を強くアピールしていた幸隆が何故嫡男に
海野氏の通字である「幸」の字を使わなかったのか?
969人間七七四年:2007/12/22(土) 20:23:05 ID:YLRHCBde
でも息子の信綱の「綱」は、本人が「幸隆」になる前や、弟にも使われたから
幸だけにこだわることはないのでは?
970人間七七四年:2007/12/22(土) 22:56:38 ID:DcKwxAbD
信幸だと早世した信玄三男の信之に被るからじゃね
971人間七七四年:2007/12/23(日) 11:43:38 ID:yGvEKxtB
『信』の字は、信玄からあやかったものなのかね。
972人間七七四年:2007/12/23(日) 19:53:36 ID:EM1zMsxv
信玄つーか晴信か?
信綱初陣が早い説でも砥石城だからそう考えるのが妥当だとは思うが
そうと断ずることのできる確たる史料はないだろうなあ
973人間七七四年:2007/12/23(日) 20:01:37 ID:dyKf8umJ
幸綱の「幸」は海野家の通字である「幸」、
「綱」は棟綱の「綱」、
で、嫡男に与えるとしたら普通は「幸」?「綱」?
信綱の「信」は晴信からの偏諱だと思うけど。
974人間七七四年:2007/12/24(月) 21:04:22 ID:0HqH+QRX
そういや幸棟の子棟綱は幸の字貰ってないんだな
975人間七七四年:2007/12/25(火) 02:28:24 ID:dFcDp5HC
生誕地が小県の場合は幸の字を、それ以外なら綱の字をつけるのが嫡子の決まりだったらしいね。
976人間七七四年:2007/12/26(水) 18:10:34 ID:EW/bCRMi
>>975
幸綱は?
海野氏嫡流の場合だけ?
977人間七七四年:2007/12/26(水) 18:44:57 ID:GjqqYHD/
>>975
オリバーソース?
978人間七七四年:2007/12/27(木) 00:05:01 ID:bAF0Msaj
さすがに>>975はネタじゃないのかな?
他に綱の字がある嫡子が見当たらないし。
979人間七七四年:2007/12/28(金) 12:35:56 ID:B5FJ+CUB
「松代藩真田家系図」や「真田家御事蹟稿」にあるように、
幸隆が棟綱の長男で真田郷に移り住んで真田を名乗った
というのは、日向畑遺跡や真田屋敷跡が幸隆以前の物で
ある可能性が高い事から、考え難い。
「幸綱」という諱は如何にも海野氏嫡流という感じもするけど、
子で「幸」が付くのは何故か三男の昌幸だけ。

「小県郡海野白鳥系系図」などにあるように、棟綱の娘が
真田氏に嫁ぎ、その子が幸隆であるというように元々は
海野氏の傍流であって、1541年の幸義戦死を受けて
昌輝誕生から昌幸誕生の間に海野氏嫡流をアピール
するようになったというのはどうだろう?
980人間七七四年:2007/12/29(土) 00:28:03 ID:k+iZcmeD
幸義の倅も幸綱の半ば配下になってるしな
981人間七七四年:2007/12/29(土) 12:33:27 ID:ZiZTsyv7
幸村に関する資料館みたいな所て
上田城?大阪城?どちらにあるかご存知ですか?
連休を使って幸村の記念館や資料館に行ってみたいのですが無知なもので・・・
982人間七七四年:2007/12/29(土) 13:54:18 ID:tAkKiYbf
幸村関連なら九度山がいいよ。
松代に行っても何もない。
983人間七七四年
>>982
ありがとうおございます。
和歌山県でしたよね。