願わくばSage進行でひっそりと語るべし
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 22:03:50 ID:f6ptr8AG
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3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 22:04:30 ID:v8VBHJVw
幸村は?
長篠の戦いで兄2人が死んだおかげで昌幸が家督を継ぐことになったんだよな。
結果的には良かったのだろうか。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 22:06:04 ID:vGe0CY6Z
ちっ
あれ幸村がいないのと書こうとしたら
信綱も入れろー
幸隆でなく幸綱だぞ
矢沢の叔父が何でいないんじゃ( ゚Д゚)ゴルァ!
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 23:14:55 ID:jjK66bbL
8に同意。真田家の柱石ですぞ。
天文20年 ○真田幸隆×村上義清●
詳しい資料はないが、戸石城内にいたと思われる知人を通して裏切り工作を行った。
こうして、二度も信玄を破った義清は越後へ逃亡。この功により、小県郡の所領を安堵される。
○真田幸隆×上野諸城●
永禄6年岩櫃城、同8年嵩山城、同9年箕輪城、元亀3年白井城という堅城を次々と攻略、
いずれも城内から内通者を出して、自壊させるやりかたで、幸隆の非凡な才能が伺える。
天正7年 ○真田昌幸×藤田信吉(北条)●
沼田城を攻略するため、重要な支城となる名胡桃城・小川城を調略している、翌年沼田城開城。
天正13年 ○真田昌幸×徳川●
家康は昌幸を討伐するため7000の兵を派遣、昌幸は2000人弱でこれを迎え撃った。
昌幸は巧みな戦術で徳川軍を翻弄し、一日で1200余りの兵を討ち取り、負傷者をあわせると、
徳川軍の半数近くが戦闘不能に、家康は援軍に5000人を送るも、昌幸は決戦を避け、
ついに城を落とすことは出来なかった。
これと同時に北条は20000の兵で沼田城を攻撃するも、矢沢頼綱に撃退される。
天正18年 ○真田昌幸×北条諸城●
前田利家・上杉景勝らとともに、北条の諸城を攻撃。中央がなかなかはかどらない間に、
松井田城、箕輪城、鉢形城などを攻略した。
というように、真田幸隆・昌幸は城攻め、特に調略を得意としている、野戦が少ないのは、
武田時代は、武田軍として出陣したため、取り立てて記録には残らず、独立後は、
北条・徳川・上杉と野戦を仕掛けるにはあまりにも強大な相手に囲まれていたからだろう。
だが、信綱・昌輝・昌幸・信繁と、槍働きで評価されている者も多く、大阪の陣では
信繁の出したと伝わる昌幸の遺案を見ても野戦が下手であるとは、一概には言えない。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 00:07:14 ID:i5qATDn9
○真田幸隆 × ●村上義清
武田信玄ですら、手も足も出ず、2回大敗を喫していてどうにかしなければならなかった難敵、村上義清。
武田家臣の誰一人としてどうにも出来なかった、村上義樹攻略を颯爽と現れた新参者の真田幸隆が快諾する。
戦に勝てないのならば敵重臣を寝返らせばよいと、謀略をかけてあっというまに村上義清を攻略した。
信玄公を超える智の持ち主とまで持て囃された。
○真田昌幸 × ●徳川家康
武田家滅亡後、独立し巧みな外交と類まれなる智で孤軍奮闘のまま勢力を拡大してきた真田家。
徳川家康は、真田昌幸の才能に嫉妬し強大な国力と北条との同盟を匂わせ威圧をかけ領土の割譲を迫った。
真田昌幸は恫喝に屈せず徹底抗戦も辞さない態度を取り、それを見た徳川家康は北条とともに
3万もの大軍で侵攻するが寡兵の真田に返り討ちにあい大敗をしてしまう。
神君家康公も関東の覇者北条家も真田には勝てなかった。この戦いで真田家の名声が大きく高まる。
○真田昌幸、幸村 × ●徳川本軍
故太閤への恩義のために、豊臣家の味方をした真田昌幸。
中仙道をとおってくる、徳川軍は城の割譲を迫る
だが脅しに屈しない昌幸は徳川本軍3万を騙まし討ちにしそのままその場に釘付けにして、関ヶ原の決戦には間に合わせなかった。
しかし真田家が奮闘したのに関ヶ原は豊臣側が負けてしまう。真田家を取り潰そうと考えた徳川家康だが
真田昌幸の智謀により真田信幸を徳川側に派遣し、本多忠勝や小松等といった重臣までもが反対したため徳川家も真田家を取り潰すことができなかった。
そこまで計算してしていた真田昌幸であった。
○真田幸村 × ●徳川連合軍
大阪の冬の陣。負けまくる大阪方。しかし一人奮闘していた男がいた。真田昌幸の次男、真田幸村であった。
大阪城の弱点をただ一人見抜き、真田丸を自らの手で築城。敵を撃退し続けた。 大阪城首脳部は、講和をして堀を埋められてしまった。
○真田幸村 × ●ほぼ全国の大名
堀を埋められ、全国の浪人たちは故郷に帰る中、真田幸村はあきらめなかった。
最後を華々しく飾ろうと残った手勢でほぼ唯一奮闘。伊達政宗の騎馬鉄砲隊を撃退し、松平忠直を撃破。
徳川本陣に突入し、家康を切腹寸前に追い詰めるものの力尽きる。 真田幸村が伝説化された戦いであった。
>>11 真田「信幸」って「信之」でもどっちでもいいの?記念館など行くと
「信之」のほうが多いからさ。
基本的には信之だと思う。
(´・ω・)さんざん徳川軍を翻弄してきた父昌幸の「幸」だから幕府に憚って「之」に変えたってホント?
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 22:04:42 ID:4C94u50R
幸隆より城攻めが上手いのは秀吉くらい。
幸隆って、城攻の巧者ってイメージ無いな。
謀略を上手く使うと言うイメージならあるけど。
>>16 落城自体調略で内側から崩れるってケースばかりなんですが。
幸隆のどの辺りが「攻め弾正」なのだろうか。
>>17 幸隆は、内から崩すと言うより、
ピンポイント爆撃で無力化って気がする。
まぁ、イメージだけど。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 17:43:06 ID:AD9ssTZw
>14
らしいな。関ヶ原終わってから改名したらしい。
昌幸は武田滅亡後の大勢力を泳ぎ回る割に
沼田問題など理不尽な事には相手が徳川でも
屈しない所が好きだ。でも関ヶ原後は徳川に許しを乞う姿がな…
まあそこで終らず信繁がやってくれたから、話のいいスパイスに
なってるけどな
結城秀康の家臣に真田一族がいるのは以外に知られてない
津軽の家臣は有名かな
いや、秀康のアンチ家康っぷりはそれなりに有名だろ
有名なのかな?家康の息子がよりによって真田を召し抱えるって
忠直もろとも尋常じゃないねw
地味に色々な家に分散してるな真田
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 17:39:08 ID:D0NaUdfd
幸村より毛利勝永の方が活躍している気がするのは俺だけですか?
岩櫃城ってどこ?
>>27 群馬県吾妻郡吾妻町
三月に合併して今は東吾妻町らしいが
>>26 俺もそうだよ。毛利勝永はマジでかっこいい。
まぁ一番カッコイイのは木村重成さ
真田太平記の勝永はよかったなぁ。あと関係ないけど平塚為広も。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 07:58:57 ID:kP/CSL0P
>>27 城跡しかないけど当時の地形がそのまま残ってるのはスゴい。
近くに城みたいな温泉があるが。
3日前に松代に行って来た。
真田宝物館には幸隆・昌幸・信之・信繁関連の宝物はほとんどなくて、あってもほとんどが複製。
宝物のほとんどが江戸時代の安定期の代物ばかりで少々ガッカリすた。
おまけに隣の真田邸は工事中・・・
来週の「日本の100人」は真田幸村だそうで
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 21:42:21 ID:nlCxe46N
瀬田で迎撃すれば勝ち目はあったのか
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 23:19:48 ID:b4VxlIJy
>35
ないっしょ。日本ほとんど全部の大名が相手だったんだぜ。福島か浅野位が
寝返っても大勢に影響はなかたはず。
真田大助は実際どうだったの?
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 12:24:50 ID:ix/g+Qxi
>>12 「幸」の字は真田家嫡男に与えられる文字。(幸村の本名は信繁)
関が原で父と弟が西軍に行き、肩身の狭かった信幸は
徳川に気を使って信之に改名した。
だから記念館などでは信之で紹介されてます。
幸が真田の通字とは初めて聞く。棟綱、信綱、近世以前の真田で強いて上げるなら綱ではないのか
もっとも棟綱、幸隆以前など知るよしもないが
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 17:23:15 ID:ZOjryPg+
元は海野一族だったような
>>39 だから幸隆でなく幸綱だと書いてるよ
幸綱という署名の書状しか見つかってないから、幸隆と名乗った事実は無いんだよ
だから嫡男は信綱でっしゃろ
真田弾正忠の書状が見つかったのかいな?
それは置いても高野山蓮華定院過去帳には「真田弾正忠幸綱…天文九已亥四月二十六日」
とあり、上野の白山神社の奥宮社殿の銘文に「大檀那幸綱信綱」とあるので幸綱で間違いないかと。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 22:59:18 ID:Qsye+Sg2
真田って・・・<<(゜Д゜;)>>幸村の方?それとも・・・ま・・・昌幸?
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 01:24:40 ID:C4iMlhUj
>37
大阪夏の陣、幸村の指示で秀頼と行動を共にし自刃。最期は潔かった、さす
幸村の息子だ、と言われたらしい。
子の方か?!親の方か?!!!!!!
子の方か?!親の方か?!!!!!!
((((゜Д゜;))))ガタガタブルブル
>>40 海野は古い一族だね
祢津・望月とともに滋野三家だとか
滋野は神魂命 ( かみむすびのみこと )の子孫 と伝えられるそうだ
無論本当の事ではないだろうが
海野六郎
根津甚八
望月六郎
講談ってひどいな。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 15:30:26 ID:2zfjITpL
昌輝もいれてやってくれ
>>24 有名でそ。
家康の息子がよりにもよって三成とマブダチだったしね。
家康の息子っていったって、そんな扱い受けてないんだからしゃあない。
妾腹とはいえ秀忠の兄なのにな。
望月海野はそれぞれ、元禄の真田三代記に望月卯左衛門幸忠、海野六郎兵衛利一で登場してる
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 09:53:11 ID:ztWWsYez
伊達家の片倉も信繁の娘を側室にしたって聞いたことあるけど。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 20:20:10 ID:LwGPTPM3
真田太平記の渡瀬恒彦は良かった。
苦労人でお疲れさまって演技でした。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 21:27:32 ID:4zh5YXid
おれは草刈正雄だな。人をひきつける魅力的な幸村演じてた。
あとお江がいい味出してた。苑文雀だっけか?
遥くらら でしょ。
武田鉄也が演じる幸村見てみたい、正成ののりで
昌輝の事も忘れないであげてください…
>>51 イケメンで有名で小早川秀秋に尻穴を狙われたこともある片倉重綱が信繁の三女(梅)を連れ帰って
侍女にしてたけど、正室が死んだ後妻にした。側室違う。正室。
何で重綱が連れ帰ったんだ?拉致った?
>>57 男児も連れ帰って、片倉名乗らせてまで旗本かなんかにしてたから、
託されたと見るのが妥当だろうな
というか拉致りようがないだろw
分冊百科、週刊日本の100人で幸村がでたね
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 16:47:01 ID:fSoAguT+
どんなに人をだまし、戦に強く、外交上手でも
所領は沼田と上田あわせて5,6万石。しかも飛び地。
それでも立派。
信之は松代と沼田で十三万石では
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 17:23:30 ID:BNup44cA
>62
>61が言ってるのは
昌幸のことでは?
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 22:56:59 ID:0O/Dq4Xz
○真田幸村 × ●ほぼ全国の大名
堀を埋められ、全国の浪人たちは故郷に帰る中、真田幸村はあきらめなかった。
数少ないながらも精強な手勢でほぼ唯一奮闘。伊達政宗の騎馬鉄砲隊を撃退し、松平忠直を撃破。
徳川本陣に突入し、家康を切腹寸前に追い詰める。 日本一の兵・真田幸村が伝説化された戦いであった。
家康本陣の旗印を倒し踏み躙ったのは、武田信玄と真田幸村だけである。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 22:59:43 ID:2cWFHE7t
嘘は辞めよう
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 23:00:43 ID:0O/Dq4Xz
他大名のバージョンだともっと誇張してるぞ
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 23:33:54 ID:2cWFHE7t
たとえば?
唯一奮闘て。
夏の陣で奮闘した浪人他にもいるじゃん。
いるよ。
真田なんかより活躍した、毛利くんとか。
真田が評価されるのは、
夏の陣じゃなくて、冬の陣だと思うけどね。
俺も真田好きだけど、信繁をあんま神格化するのはどうも。
兄ちゃんの忍従加減がむしろ神格化してあげたいぐらいだw
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 09:54:30 ID:MjDHYmxy
盛親のことも時々でいいからry
高虎のせいで幸村一色になったな。運がわるかった。
74 :
またべえ:2006/07/04(火) 21:00:50 ID:h3Zt8owI
後藤わすちゃいかんがな! 家康ゎ大阪城入城の報受けたら… 親の方か?子の方か?って(((゚Д゚;)))ガクガクブルブルしてたらしい…家康がびびったんゎ幸村ぢゃなくて昌幸なんだよね☆
でもやっぱ戦国最強ゎ島津義弘ですな☆
真田日ノ本一って義弘が言ったらしぃけど…
関ケ原の退却んときなんかヤバすぎやろ?
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 23:43:11 ID:tNFYUGXt
>75かもしれんが最初から真面目に戦ってほしかった
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 23:46:31 ID:PHK4fw2a
島津は静観してたが、東軍側も義弘の朝鮮武勇を知ってるだけに
なかなか攻撃を仕掛けられなかったみたい
戦の端の方で動かず
戦いが終わってから軍隊の居ない所を縫って
兵隊や副将すら捨て駒にして
命からがら生き残って
立花に情けをかけてもらった
島津は最強だな!
ツマンネ
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 06:37:46 ID:U1H4Lcnu
幸隆は蔵之助がやるらしい(風林火山)
日本一の兵といって将とか言わなかったところに
義弘の己に対する自負が感じられる
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 13:18:51 ID:HPo1UOz5
長篠の合戦で兄貴どもが揃って討ち死にしたから、真田の家督を継げたんだんだよね昌幸は。
もし武田の勝利だったら、歴史はどう変わっていたのか
それだと真田以上にその後の信長→秀吉→家康のライン自体が変わって
日本史全体の流れ変わりそうだからなぁ。
>>82 信綱、昌輝ですね、戦死したのは
戦死しなけりゃ、昌幸は武藤家で活躍するのかな
武田がなくなるからなければね
ともすれば無双厨が入りそうになってくるのをどうやって防ぐかがこのスレの課題
信綱って地味に武田軍の一角を担う猛将でかっこいいな。
信繁を神格化して語られる昨今真田好きの癖に信綱や昌輝や幸隆の弟矢沢頼綱とか知らんやつが多くて困る
真田太平記見てりゃ頼綱は知ってるんじゃないかな。
真田家トップ5
小松>昌幸>幸隆>矢沢爺>信之>幸村=その他
その基準なんすか。
>>86 全員わかるぜ。信尹とかまで知ってるぜ。
青江の太刀は一度見に行きたい。
信綱は実際、信濃衆の旗頭を務めてたんだよな、確か。一角どころか、信濃衆の中心だったはず。
信綱って家督継いでたっけ
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 16:25:46 ID:fled7i4V
>>92
正式にいつ継いだのかはわからんが、信玄が死んだ翌年に幸隆が死んだ。
それから長篠合戦までは間違いなく家督は継いでる。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 00:08:00 ID:wApbPb6t
信玄が西上作戦に出たとき、既に幸隆は隠居の身分で、上杉への備えとして砥石に留まっていたはず。
違ったっけ?
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 00:20:01 ID:wApbPb6t
>>88 矢沢の爺がいなければ昌幸は沼田を取れなかっただろうし、
取れていたとしても第一次上田合戦で北条に取り返えされていたと思う。
一族の年長者として、当主である甥の昌幸を良く補佐し、
その子の信幸、信繁兄弟の後見として歴史に名を残す武将に育て上げた手腕は見事だと思う。
自らの子である頼康も、昌幸、信之の右腕として活躍したし。
矢沢の爺あってこその真田三代だと俺は思う。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 10:31:18 ID:htgcGQV0
長い人生で歴史に名を残すってなかなかないんだけど、真田信繁は
わずかな時間にも関わらず後世に名を残した珍しい武将のようです。
有名な戦国武将は数知れず多いですが、わずか一時の戦いで天下人
を恐怖させ追い込んだ武将として有名なんですよね。
逆に言えば一発屋だからこそ何とかなったのかもな。
下手に以前から活躍してたら助命嘆願も聞き入れられなかったかもしれんし、
もっと僻地とか、監視の厳しい所で大坂に行けなかったかも知れない。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 20:07:02 ID:PO1TbmLd
勝頼が昌幸の元に避難していたら?
昌幸が追い返したとか
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:58:18 ID:+M2yMVCr
勝頼を岩櫃へ誘っておきながら、陰では北条なんかとコソコソやってたんだよな。昌幸。
でも、勝頼を裏切るってんではなく、あらゆる可能性を想定して色々な策を打ってたんだろうけど。
勝頼を北条や織田へ差出すようなマネはしなかったと思うけどな。
主君を裏切るような不忠を働けば、自分もいずれ嵌められる事くらい、昌幸ならわかってただろうよ。
というか、あの時点でどうやっても上杉か北条に頼らなきゃ、何の見通しも立てられないだろ。
援軍の見込みがない籠城戦は、勝てないっていうように。
勝頼が来る来ない、どちらにしても北条に使いをやることは必要。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 17:08:01 ID:qbmmhAek
名胡桃城はかなりの要害でした。
あぼーん
名胡桃事件は秀吉の謀略なのかな?
あれがあってもなくても遅かれ早かれ北条は潰すだろう。
島津や伊達は残し、
北条は潰す
徳川対策かな?
おっとちょっと脱線かな
>>107 家康が小田原城を欲しがっていたという話もあるが・・・
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 00:44:25 ID:spDMsuVy
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 13:28:50 ID:i8I50m4r
北条は本能寺のどさくさで領地広げたからな。
身従する必要無しと判断したんじゃないか?
島津とかと違って領国化も完成してたし。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 00:15:04 ID:ci8dMgVY
○真田幸村 × ●ほぼ全国の大名
堀を埋められ、全国の浪人たちは故郷に帰る中、真田幸村はあきらめなかった。
数少ないながらも精強な手勢で奮闘。伊達政宗の騎馬鉄砲隊を撃退し、松平忠直を撃破。
徳川本陣に突入し、家康を切腹寸前に追い詰める。 日本一の兵・真田幸村が伝説化された戦いであった。
家康本陣の旗印を倒し踏み躙ったのは、武田信玄と真田幸村だけである。
太閤秀吉「100万の人数を思いのままに指揮させてみたい」
将軍家康「100万石の大名に取り立てるから大坂城から出てくれ」
と戦国の雄に言わしめただけのことはあるのだ
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 01:51:03 ID:Nlk7aigR
>太閤秀吉「100万の人数を思いのままに指揮させてみたい」
釣りか?
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 02:15:34 ID:eM6HCkaL
秀吉の近習になっていたのは事実。
羽柴の名前貰ってたろ?
信繁が父の命で、秀吉に出仕したのは、天正十四年(1586)頃
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 14:24:23 ID:czJkOvce
信玄好きとしては、幸村より幸隆、昌幸のが好きだなぁ
信繁(幸村)も信玄の弟を尊敬してて名をつけたんだよね昌幸が
信玄・謙信に天才と言われた幸隆格好よすぎ
信玄に、我が眼と言われた昌幸も格好よすぎ
真田の旗の六紋銭はあの世の駄賃という意味と
生涯、信玄公の恩顧を忘れぬ為と言う意味もある
真田一族の仇敵であった武田家だが、若き日の信玄の才能を見抜き
真田家の復興をたくし、忠誠を誓い仕えた隆幸は真田家の名を残した中興の祖
勝永隊も本陣突入しなかったか?つか、勝永が先に突入・蹂躙ってな説もあったり。
秀吉の言葉はそっくりそのまま業病持ちに言った言葉でなかったか?
島津の記録は伝聞なもんで誇張もあったりするだろきっと。
連投すまん。
100万石?信濃一国でなかったかな?
なんか、講釈そのまま信じている人みたいな・・・。
刑部だね
確か
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 23:43:30 ID:9/PxJaCq
>>116よ
おまえが、確かな知識を持っていることは認めよう。
ただ「業病持ち」の表現だけはやめろ。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 23:59:17 ID:dWsyopW9
>>111 ほんとに言ったのかな?
でももしそれで出ていたらあのどけち家康の事だから
100万はぜったいださない
121 :
sage:2006/08/03(木) 00:51:55 ID:ts1O2u0G
>>111 家康側からは70か75万石だったと思う
122 :
121:2006/08/03(木) 00:52:48 ID:ts1O2u0G
間違えて名前にsageを入力してた
スマソ
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 01:03:03 ID:8cHb9Wgd
昌幸・幸村は連隊長としては最強だが、師団長は務まらないって
感じだな。幸隆、信幸の方が器は上だろ。
一体なんの根拠があってそんな事いえるんだ?
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 16:28:10 ID:IFvohkTS
少数しか指揮した事ないから?幸隆と信之も同じか・・・
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 21:14:23 ID:8cHb9Wgd
昌幸・幸村は兵を統率するタイプだが、将を統率するタイプじゃないだろ。
直接命令を下せる人数なら実力を発揮するが、それ以上の数になると、
中間の将を動かさないといけないからな。
>>126 あーそれ凄い分かるわ。なんかスッキリした
タイプじゃないというか、やった事がないだけじゃん。
適正があるかどうかは別の問題だ。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 21:55:29 ID:8cHb9Wgd
>>128 やるチャンスはあったと思うけど、やらなかったからね。
やれないんだろうなと思うわけだ。
つまり経験ゼロ。
たとえ大阪方の全軍指揮権を与えられても、オロオロして何も出来なかったと思う。
そう考えると、大阪の陣で豊臣方には総大将レベルがいないよな。
そういう連中は徳川につくか関ヶ原で没落しているし。
しいて上げれば長宗我部盛親。
しかし、かれを総大将とするのには反対する連中が多そうだな。
能力的なことでなくて、身分というか地位というか格というか豊臣政権との
かかわりにおいてというか。
だからやっぱり
泳 げ よ 宇 喜 多 秀 家
が、大坂の陣の結論なんだな
それなんて新真田軍記?
真田信繁と真田幸村って同一人物ですか
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 06:32:36 ID:QG20fd8C
司馬遼太郎、幻の長編歴史小説「泳ぐが如く」。
大坂の陣に向け、八丈島から脱出した宇喜多秀家の生涯を描く。
第1巻 弧島:八丈島での流人の生活を描く。プライドと困窮と。
第2巻 風雲:秀家の下に、大坂の陣の報告が届く。秀家の決意は。
第3巻 黒潮:秀家に容赦なく襲い掛かる黒潮の流れ。立ち向かう秀家。
第5巻 泳法:黒潮に対抗するため、秀家が編み出した新泳法とは?
第6巻 西方:新泳法の元に、一路大坂を目指し東へと進む秀家。
第7巻 補陀洛渡海:秀家が到達した運命の海は…
>補陀洛渡海
・゚・(ノД`)ウワーン
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 08:00:27 ID:nc1Y8Wi1
真田昌幸の架空名シーン
@1582年 勝頼を岩櫃に迎え織田の大軍と戦う
A1600年 石田三成らとともに関が原で戦う
A1614年 大阪城に息子とともに入城し、家康を大いに苦しめる
即興でいいから誰か書いて。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 13:36:32 ID:7p0abD3M
今月の歴史街道。 昌幸と幸村。
真田の勇名で口吻したい奴は、いますぐ買え!””””
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 18:23:51 ID:YhaElTH+
↑出品者m9(^Д^)プギャー
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 18:28:20 ID:SLsJpJQC
大阪夏の陣で家康が討ち取られていたらどうする?
大勢に変化はないけど、
家康が目標達成目前に死んだ悲劇のヒーロー扱いになってるのと
秀忠の自由がきくようになるので改易される大名が増えたかも
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:16:25 ID:C/9wh//x
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 21:52:32 ID:OUxzHuzu
真田昌幸が生きていて大阪入城していたらどうなったか見てみたい
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 23:51:09 ID:n1C3B57z
>>148どうせ意見聞き入れてもらえないかと・・・幸村よりマシかもしれないけど
昌幸は能力でなく身分・立場・地位の点で過大評価されてるよな。
「阿波守」とか「伊豆守」っていう小国の国主の官職は
他の普通の国の国主より官位が低いんだよ
>>150 そういう身分・立場・地位を築いて、危機を乗り越え
維持した能力が評価されてると思うのだが。
主家が滅亡し、家康にも攻められてるのに、旧領維持したからね
昌幸と黒田如水が囲碁とポーカーやったらどっちが勝つやら
囲碁はともかく、勘兵衛はポーカーフェイス苦手そう。
おっと
×勘兵衛
○官兵衛
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 14:26:33 ID:8lSj6CRe
>>148 大阪城内・軍議にて
昌幸「城を出て戦うべきです」
一同「昌幸殿がそう言うなら異論はありません」
オワリ
>>157 昌幸「城を出て戦うべきです」
淀君「秀頼公は誰が守るのじゃ?戦線が伸びきっておる上に少なき守備兵の中で関東方に攻め込まれたら何とする!
その上大坂城は太閤殿下が築きし(ry」
昌幸も軍団長レベルでの活躍を見てみたかったな。
部隊長としては十分過ぎるくらい有能なのはわかるが。
ゲームだと政治力も高いけど、外交的な駆け引きは
政治なんだろうか?いや政治は政治だけど。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:26:56 ID:8lSj6CRe
>>158 昌幸の発言力と幸村の発言力の違いだろうね。
昌幸なんて、その武勇は天下に轟いていたわけだから、
まあ当時の無名の幸村のように意見を一蹴されるなんてことは
なかったと思うよ。まあ、タラレバだが。
総合的に信繁より昌幸が優秀なのはわかるんだけど、昌幸は幸隆よりも優秀なの!?もちろん総合的にみて
2人とも与えられた状況下で最高の結果を残してるから
比較しようがなくね?
あえて実績で比較するなら攻め手に優れた幸隆だろうけど。
163 :
六紋銭:2006/09/02(土) 18:09:14 ID:L7jzVNNu
NHKで放送した真田太平記は!よかったなぁ
164 :
べんまる:2006/09/02(土) 23:12:57 ID:Op/ZnR/e
DVDが発売されているが、約3万×2集でとても買えない。最初のタイトル映像が
さすがNHKですばらしかった。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 12:38:52 ID:p9kjhgOY
謙信がワシに8000の軍勢を与えれば、この世のどんな軍でも打ち破ると言ってる
んだが、大阪の陣の幸村は、20万の軍に対して家康の目前までいってる。
急造の兵でなくて、越後兵クラスの洗練があれば家康を討ち取れていたのだろうか?
謙信いわく、手・足の如く動かせる兵はせいぜい7・8千くらいのもんだということ
なんだろうけど。幸村の鬼神の突撃で、この言葉にも信憑性があるんではと思ってしまう。
まあその前に毛利勝永あっての真田の活躍ですがね。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 21:02:25 ID:VpQc6qhz
信幸と幸村はどっちが器量上なんだろう?
>>157 籠城は兵力で劣りながらも援軍が来るのを耐え、援軍が来たら挟撃に持ち込む戦術
更に当時の情勢を見ると、援軍に当たる勢力が無いのと、豊臣の勝利条件が、
家康を倒して権威が消えたときに、家康の権威で集まった兵力と同等の兵力(豊臣方)の存在に対し
外様勢が秀忠に絶対の忠義を尽くして消耗戦を繰り広げるよりも、一端終結して群雄割拠の再スタートに落ち着かせるものと思われる
昌幸が大阪に入城していたなら、全面的な野戦に持ち込むよりも
大阪+昌幸の難攻不落の威光を持って、戦わずして家康との和睦になった可能性もある
開戦しても、大砲を撃ち込まれたくらいでは、淀を叱責し降伏は起こらず
籠城しながら隙を突いての不意打ちが、幸村よりも上手く運んだと思う
和睦による不穏分子がのさばりながらも徳川の治世か
家康討ち死による数十年太平の世が遅れたか
どちらにしても冬の陣で結果が出て、夏の陣は起こらない
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 22:45:10 ID:D9mgmQCy
幸村は家康の誘いにならなくて正解
どうせ福島正則みたく取り潰されてるだろうから
というか兄がしっかり真田の家を継いでいる以上、誘いに乗る必要性がないんだが・・・・
>>168 昌幸は軍団を率いた実績こそないが、たぶんまあ名将だろうけど
さすがに一人の人間に左右出来るような時点ではないとも思う。
時流が出来上がってたよ完全に。
>>171 総大将・大将・軍師と分けて
昌幸は総大将や大将としては評価できるとは思えないけど、
総大将の元に立つ軍師としては十分評価できる
信玄(勝頼に非ず)の武将だった事、上田を護った実績で発言力と信頼も他の武将より抜きでてる
総大将は秀頼(秀吉の威光)、大将として幸村や又兵衛、行長等で軍団構成が十分
豊臣の復権は無理だけど、豊臣の存続は起こりえたと思う
行長って・・・・天より小西行長降臨?
これは 「泳げ 宇喜多秀家」 に並ぶ名作の悪寒ですね
>>172 真田昌幸の強さは遊撃軍を率いてのゲリラ戦法的な部将として
しか評価できんと思うのだが。大軍の統率に対する助言なんて
出来ないでしょ、元が地方の豪族なんだから。
あと、「信玄の部将だった」は評価にならない。「信玄公の旗下、
赫々の武功あり、感状○枚頂戴いたし候」とかなら別だが。
信玄最強説は江戸時代に徳川の軍学者が
「神君を打ち破った信玄最強じゃね?」
「オマエ頭いいな」
って流れで作ったもので、当時の信玄像は地方の有力大名の中で
強い方、ぐらいのものだったかと。
真田信繁と徳川家康の違いは、楠木正成と足利尊氏の違いと似たようなものだ。
ゲリラ隊長と軍司令官に必要な資質は必ずしも一緒ではない。
人の将たる者と、将の将たる者の違いではなかろうか。
>楠木正成と足利尊氏の違い
なかなかいい例えですね
>>175 地方豪族ってのは説得力に足らないぞ
松平家は豪族以下だったし、秀吉は農民、半兵衛・官兵衛なんか元農民に仕える程度の身分
逆に憲正は関東管領のくせにろくでもない
実際に生きていて大阪に入城したとしても、秀頼が受け入れた待遇で決まるわな
>>179 それもどうかと思うけど。家康の場合徐々に自力を広げていった結果
大軍統御できるようになった履歴を持つし。秀吉は天才としか言いよう
がないけどそれでもステップアップタイプ。二大軍師はその功績自体
やや誇張の気があるので触れないが。
「昌幸にかかれば〜」とか言ってる奴は昨日まで千から二千の兵を
率いてた奴が十万単位の軍略をまっとうできると本気で考えてるの
かと問い詰めたい。
要するに経験の裏づけのない「実力」なんて妄想以下に過ぎん。
>>180 別に昌幸が総大将になる必要はないんだよ。
軍師として発言権が高く
実戦部隊を戦術に長けた人間があと一人でも大阪方にいれば
かなり助かったと思うが。
大軍を相手に篭城するのには慣れきってる男だし
参謀にしたら経験から非常に重宝しただろう。
×実戦部隊を戦術に
○実戦部隊を率いる戦術に
冬の陣での大阪方に足りなかったもの
淀への恫喝役
>>181 安房守さん、まず淀の方と大野治長あたりを消してしまいそう (ノ∀`)
>>181 あのな、「自分の子飼いと篭城して大軍を撃退」と「自分の同僚と
篭城して大軍を撃退」だと状況が違う。
後者だと政治的な駆け引きが必要になってくるし、部署配置なんか
もあんだけの規模なら相当大変。なんでそんなに昌幸が政治・軍事
にたけ、かつ小規模から大規模までの軍略をマスターしている、
なんて考えられんの?
謙信でさえ10万規模の軍を統率しそこなって空中瓦解してんだよ?
謙信は献身的じゃないからな
どの道大坂の陣で大坂側が勝つことなんて不可能
真田信繁あたりが奇跡のような善戦をしても家康を討ち取れなかったわけだし
昌幸が入ったからって勝てないもんは勝てない
基本的に篭城で後詰が無いようではいづれ陥落する
昌幸が幸隆程度にはやれたと考えても大阪落城を防ぐのは無理。
せいぜい積極策で徳川方の損害増やす程度。幸村とあんま変わらんよ。
将棋でいったら完全に詰みなんだからどうしようもない。
あの場に信長と信玄と秀吉と謙信がいても無理ぽ
>>188 冬は全力での力責めが出来なかった状態に、
家康が昌幸を震えるほど恐れてたってのが影響すると
落城までもっと長期戦にはもつれ込む
家康以外が総大将なら昌幸効果は無いけど
家康などという耄碌老人を討ち取ってもしょうがない。
秀忠を戦で討ち取ってこその大坂陣。
秀忠では外様を押さえられないから
日本の半分くらいは徳川から離反
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 20:55:01 ID:wzyHPzO3
残念・・・
193 :
六紋銭:2006/09/25(月) 20:59:25 ID:wzyHPzO3
昌幸〓丹波哲郎・・合掌
去年の痩せ方は異常だったもんな。
昌幸はあの印象が強すぎる。合掌。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 21:39:25 ID:W26Rjshm
昌幸さんとこの三男と四男は大阪の陣どっちについたの?
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 04:51:40 ID:Mg5zf4+s
>>193 丹波昌幸様の御冥福を心からお祈り致します。
・゚・(ノД<)・゚・。
本当に泣けてきた
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 11:20:49 ID:gCHSq50P
真田丹波守昌幸合掌…。
迫力・風格よかったなあ。
あと、スレ違いだが、二百三高地の
児玉源太郎役もはまってたなあ。
加藤嘉と丹波哲郎が叔父甥。
老優が好きな人にはたまらんわな。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 21:25:44 ID:f5F7rVkU
幸村と信玄は会った事があるのかな?
あったとしても幸村は覚えてないだろうけど。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 21:38:24 ID:W2MFoydh
信玄が没したとき幸村は6歳だから年齢的に微妙。
それに父が側近とはいえ、外様の三男の次男坊に目通りを許すかな。
204 :
昌幸:2006/09/29(金) 22:29:48 ID:Kg9Lmqig
さらば・・・丹波ありがとう!
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 23:32:15 ID:5pY7EGux
大阪夏の陣で、幸村は家康の首を討ち取った(ちなみに、その後の1年間は家康は影武者)
というのは本当????
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 02:00:43 ID:rG7a2+Ix
>>188は能力の問題だろ。
信長や秀吉があの場にいたら大阪の陣なんて起きもせん
>>205 その後の一年「徳川家康が存在してる歴史」に対する知識が
がないなら何を言っても納得しないでしょう?
勉強して出直してらっしゃい。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 13:03:59 ID:zmDLl28q
>>209 209じゃないけど、側近って書いてあるやん。
信綱は、重臣として信濃衆率いてたから、側仕えは昌幸であってない?
昌輝も百足衆かなんかで、近侍してたんだっけか。
父が側近と書いてたから、信綱もと言いたかっただけです
失礼
昌幸は小姓だね
弾正が居なかったら、ケツを掘られる役
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 23:54:56 ID:9DafGTaS
>>212 なことはない。なぜなら昌幸が男役だから。
幸村は1570年生まれ説がある
理由は上杉に人質に出されるとき、元服前で
19歳で元服してないのはおかしいだろうということらしい
まだ弁丸を名乗ってたことを証明する書状があるそうな
お気に入りのお小姓は二十歳越えても元服させなかったりするらしいぞ
うほっ
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 09:02:48 ID:OrUYGTiA
【家康を討ち取った男】本名「信繁」。後に真田十勇士と言われた者達を使い、大坂の陣前から徳川方を苦しめ、いよいよ冬の陣が始まると、彼らと共に大活躍をする。
夏の陣では、何と家康の首を討ち取り(それから一年間の家康は影武者である)、秀頼らと共に落城する大坂城から脱出し(夏の陣で死んだのは彼らの影武者である)、
薩摩に逃げ落ち島津家に匿われた
昌幸が入城してたら、淀殿謀殺しそ
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 19:21:09 ID:TLT0gcBs
家康の首はともかくとして
真田の鉄砲隊が家康を撃ち殺したのは本当だ
信じるに足る証拠は?
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 19:43:44 ID:jEP5KylN
>>220 本当に?
つまり大阪以降の家康=真田信繁なのでしょうか?
また、それが確認できる資料はどこでしょうか?
誰か教えて〜><;
大阪夏の陣以降の家康が
本物だったのか偽者だったのか
今となっては確認できない
795831264
猿霧真真穴三三望海
飛隠田田山好好月野
信信 清為
之繁
そういや、昌輝もいたな。 どうして入ってないんだ?
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 11:15:06 ID:Jj/9RcRr
真田氏は幸隆の代で滋野氏の嫡流となったという説があるけど
詳細分かる人います?
信綱も昌輝も長篠で討死してなかったら昌幸並に活躍してそうだ
実際、信濃衆束ねたり、百足衆に名を連ねたりで、すでに才を発揮してたからな。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 00:27:53 ID:L1n51Cmu
関ヶ原合戦のあと、小早川秀秋が佐和山城を攻めて功をあげたが、
上田城の真田親子は攻められても勝てそうな気がする
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:45:47 ID:fj75Stto
城攻めって城側は救援か和義がまとまる以外に勝つ道は無いけどな
実際は武勇ばかりの信繁より、
信之の方が苦労したんだろうなあ。
それでも憎みあってたわけじゃなく,
きちんと兄弟として情もあったようだし。
互いにやるべきことをやったんだろうなあ。
ただ、信之はもっと評価されてもいい存在だろうが。
上田城は先に進む予定の軍の足止めに成功して撤退させたから勝利だけど
佐和山攻めは全滅させるための攻めだから真田でも勝てないわな
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 07:23:27 ID:kS66Vmu4
真田太平記は!良かったなぁ
大袈裟なマンセーをしないだけで、信之贔屓はわりといると思いたい。
信之は充分評価されてると思うけどな
ゲームでも充分強い(というか妥当な能力値だし)
父と弟が過剰評価だから、兄も過剰評価しようってのは賛成しかねる
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:47:33 ID:7wBB+ZSG
信之以降の真田氏の系図どなたか載せて下さい
養子が何代もあるみたいなんですけど、信之の血は繋がっているんでしょうか?
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 01:31:39 ID:f3PhYmnU
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 01:32:30 ID:f3PhYmnU
幸俊(幸長の子、現当主・慶應義塾大学理工学部電子工学科助教授)
ってあるね。見落としてた。
そこ、二重線は養子だぞ
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 09:07:37 ID:7wBB+ZSG
>>241ありがとうございます
幸貫は母方から辿っても真田の血は流れていないのでしょうか?
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 09:49:29 ID:JzdVzuDV
NHKその時歴史が動いた
我が手に郷土を
〜真田昌幸・信州上田の市民戦争〜
放送日 平成18年11月15日 (水) 22:00〜22:43 総合
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 11:00:09 ID:nUVbXuWj
↑今日、観ます
真田家って江戸時代は譜代大名で老中まで出してたのか!
譜代になれたのは、小松姫のお陰だな。
ただ老中になれたのは、当人が養子で将軍の曾孫だったからだろうね。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 21:41:12 ID:f3PhYmnU
津波で放送ないんじゃない?
250 :
sage:2006/11/15(水) 21:48:28 ID:E26WvBci
だめそーだな。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 22:03:03 ID:f3PhYmnU
津波じゃ真田昌幸もしかたないと諦めてるだろう
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 22:06:07 ID:M0N2yoTg
俺の県は海ないんだからやれよ。
津波は教育のクソ番組でやれ。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 22:15:42 ID:f3PhYmnU
>>253 さっきまでやってた、お遍路のはそこそこおもろかったぞ
その時〜見逃した…;再放送ってあるの??
NHKほんと糞だな
同じこと何回言うんだよ
案の定放送しないじゃないか
22日に放送するみたいだね
最近詳しく調べて知ったんだけど、真田家ってマジかっこいいよな
あの秀吉にも勝ってる天下の徳川を少ない兵で二度も撃退した昌之
絶望的状況の大阪で、獅子奮迅の活躍をして家康に死を覚悟させた程の信繁
そして秀忠に睨まれたりで苦労しながらも藩を存続させた信之
こいつら半官贔屓のオレのツボにぴったりと嵌ったわ
みんな仲が良いのも好きだわ
22日マジ見逃さねえ
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 10:41:00 ID:RPaltprh
皆さん今日ですぞ、忘れずにage
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 10:54:12 ID:0tsX2XQ3
>>260 トンクス
今知った
放送はどこから始まりどこで終わりかな?
昌幸産まれてから信之の死まで?はたまた真田騒動まで?
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 11:05:44 ID:n+NxL0LX
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 11:09:35 ID:0tsX2XQ3
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 17:05:41 ID:RPaltprh
真田で大河ドラマやらないかな
真田三代
はじめは幸隆の戸石城奪取から、信之が往生するまでか
>>266 なぜか、信繁討死で完にされて、涙する信之
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:20:04 ID:z8CVxWSj
大御所はいずくぞ!真田幸村見参!
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:22:10 ID:z8CVxWSj
大助十三歳 花も蕾の まことはかない命だった。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:24:06 ID:qbyqHv+1
大河で真田太平記が観たい
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:38:04 ID:z8CVxWSj
幸村は家康だけを狙った 幸村軍は具足 冑 みな赤一色だ それが真紅の旗印を風になびかせ 家康の旗本めがけて真十文字の槍を突き立て! 阿修羅の如く荒れ狂っている !
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:39:16 ID:n+NxL0LX
その時歴史が動いた
「家康と秀忠」
真田昌幸から子ども扱いされた徳川秀忠、
しかしこれは家康と秀忠の徳川軍温存による時間稼ぎという
緻密な計算だった。
昔、デブ大久保が三好入道(どっちかは忘れた)を演じてた奴があったが、あれはヒドい出来だった。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:47:29 ID:z8CVxWSj
崖っぷちに立った幸村が考え出した起死回生の策
幸村には恩賞などなんの魅力もなかっただろう 幸村は義によって立ち 徳川にひと泡ふかせることしか念頭にない!
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:50:31 ID:n+NxL0LX
つーか、後藤基次も真田信繁も恩賞はウソというのを見抜いてたんだろう。
後に福島や加藤が取り潰されてるしね。あとで潰されるのがオチ
もうすぐ始まるな
wktk
幸村なんかより、親父の昌幸のほうが面白いエピソードたくさんあるからな。
昌幸特集やるみたいだからすごい楽しみだ。
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:04:05 ID:OOUfhHFO
そのとき歴史上げ
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:04:42 ID:qbyqHv+1
始まり!始まり
ちくしょう!六文銭ジャージかっこいいな!
あの高校の近所のスポーツ用品店に売ってないかな
正直、微妙だったな
知ってることばっか
知ってることだったけど、すごくよかった。
昌幸、兵農分離の時代に逆行しても得るものはあったんだな。
六文銭ジャージめさカッコヨス
>>284 お前が楽しめても、俺は楽しめなかったんだよ、カス
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:53:59 ID:CrgjupI+
どこもジャージの話しかしてNEEEEEEEEEE
あのジャージ、学年ごとに色違うのかな?
せっかくなら赤がほしいw
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:05:12 ID:OgFgWV1y
>>286 過剰に期待するもんじゃない。
詳しいのを見たいなら、真田太平記でも見ればいいこと。
この番組は大まかにしかやらないんだから。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:24:43 ID:U/iyyAyM
六文銭ジャージ・・・今、オークションに出たら高値で売れそうだなw
多分上田高校は、今日のアクセス数に驚いてるだろうw
いやー高校のジャージのことは知らなんだ。感動した。
武将(以外でも)の家紋を背負ってる学校って他にあるんだろうか。
あんなジャージだったら迷わず武道系の部活やるよ!
にしても高校のアクセス数すごw
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:47:36 ID:H0OVEvPR
真田の家紋というか旗印は梯だよね?
六文銭は江戸期の創作?
>>224 かなり遅レスだが南宗寺の家康の墓は大阪の陣とは関係なく
本能寺の変の時に家康が死んだからと言う設定のもとの
お墓と聞いた事がある。
昌幸で45分番組が出来るとは…。
いい時代になったな。
個人的には、家康が秀忠の遅参に激怒した理由に、目からウロコが落ちた気分だ
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 19:52:50 ID:qsHT5hY3
秀忠が上田に攻め入らなければ上杉と組んで背後から西軍を突いたかも知れないし
間違った判断ではなかったと思う
徳川軍の思惑以上に真田が強かっただけで
>>299 みてないんですが、なんだったんです?>理由
>>301 身内で手柄独占して、豊臣系の領地を直轄地&古参の領土にしたかったのに、
秀忠が遅れた所為で、外様やらが手柄をほとんど持っていったため、
せっかく豊臣から奪った領地を、そっちに分配しなきゃいけなくなったっていう感じだったな。
今みてるが、真田太平記の映像がめちゃ使われてるな。
ちょうどDVDもゆっくりみてる最中なので、よくわかる。
>>303 「そのとき歴史が動いた」はほとんどそうだ。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 21:49:49 ID:5XbLIfHB
昌幸=故・丹波さん
これは大河で真田モノをやる前兆と思っておく。
そーならないかなー
>>306 今の大河制作陣の劣化ぶりはどうしようもないので、
大河になんぞしないほうがよい。
>>307 そんなモン人それぞれなんだから、自分がそう思ってても
わざわざ口に出して言うなよ
まぁジャニーズやらアイドルやらで固められた真田一族なんか見たくない気持ちはわかる。
いっそハリウッドでうわなにをするやめ
昌幸が櫓のうえから「おお、信繁が戦っておるぞ」
信之が「後ろに回っておるぞ、そうそこだ!」
とかやるわけですなw
(´・ω・`)なんか家に信繁ゆかり
の品が多いと思ったら…。
私の家は信繁殿の娘っ子を貰ってた。
(`・д・´)血が滾るぜ〜!
片倉家の末裔ですか?
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 11:30:11 ID:Swh3zmqX
要するに真田昌幸がいなきゃ日本は近代化遅れたという事だな
幕府軍が圧倒的になっただろうし
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 12:27:38 ID:XOjAHgWj
あの解説だとそう解釈できますね
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:32:19 ID:2xCc0NnU
テレビ見ながらニコニコしてた
こんなにテレビ見てニコニコしてたの久しぶり
音楽が良いな。
ジャーン、ジャーン
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 17:21:23 ID:wtZonjcb
真田幸村の血は、伊達藩のなかで受け継がれているんだろ
伊達殿の中あたたかいなり・・・
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 00:31:44 ID:eRqx67Pu
ジャージもそうだが校歌も涙ものだな・・・上田高校
関八州の精鋭を ここに挫きし英雄の
我に至剛の誇りあり いざ百難に試みん
家紋入りのジャージか・・
なら、毘って文字の入ったジャージとかもあったらかっこよく根?
てか、喪前ら信綱もわすれてるよ・・
昌輝と信綱の兄弟も真田一族なんだからさ・・
なにか信幸の面白いエピソードないですかね?
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 14:46:19 ID:6C0k93QR
小松姫の婿選びくらいしかないな。
これは講談臭いが他に目立つ話もないしな。
>>324 毘のジャージは見た事はないが米沢市にある全部の小学校の体育館または講堂には上杉謙信と上杉鷹山の肖像画が飾られてるよ
上越市は知らないが
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 15:06:57 ID:a+RRFLx5
>>320 7代藩主幸専が彦根藩井伊氏からの養子、8代幸貫は松平定信の子
でのちに譜代扱いになり老中になる。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 20:50:21 ID:ukognRkO
要するに真田家現当主は真田信之の子孫じゃ無いって事だろ?
なんだかな〜
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 21:22:35 ID:oMfloBfG
Sageないの?
>330
邦楽板に突撃して欲しいIDだ。
歴史が動いたの再放送は金曜午前1:10から。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 13:52:49 ID:XeikZY8T
真田信之の子孫っていないの?
偽子孫が当主になっちゃってるし(´・ω・`)
流石に直系数代のうちに嫁にいった娘の系統も辿っていけば、どこかしら残ってるでしょ。
偽とか言ってるけど、そうやって継いでくれなければ真田家そのものが無くなっていたわけで
ならば真田の血を引く者が家を継ぐべきだった
そもそも信之の男系の子孫っていないのか?
沼田藩とか勝手に馬鹿やって改易されてるんでしかたあるまい。
いわゆる末期養子じゃなく、藩主が健在のうちに
後継者として取った養子なんで、別に異常でもなんでもない。
他には阿波の蜂須賀氏なんかがこのパターン。
上杉氏なんかも到底、謙信の子孫とは言いがたい血筋になってるし。
沼田藩が存続してればそちらからという可能性もあったろうけど。
>>335 江戸期の大名なんてみんなそんなもんだろ。
藩は会社みたいなもんなんだから後継者がいなくて藩が改易されるより
有力大名や幕閣の息のかかった後継者が来たほうがお家も安泰。
日本の文化じゃそう言うのは偽者とは言わんのよ。
血筋より"お家"だからねぇ
真田のDNAが遺ってたらいいのにな、って話じゃないの?
>>337 謙信の場合、血筋といっても実子はおろか結婚すらしていないんだから仕方が無い。
それでも長尾家の血筋はキチンと受け継がれてるよ。
養子とはいえ景勝は謙信の甥。
3代目米沢藩主が実子がない状態で急死した時も甥が継いでいる。
9代目藩主の鷹山は血縁者といってもかなり上杉の血が薄いので上杉家の人間とはいえないだろうけど、後を継いだ藩主は8代目藩主の実子だから上杉の血は受け継がれてる。
真田家よりは血筋は確かだよ。
真田家の血筋は回りまわって伊達政宗・片倉景綱・真田信之の血を一応引いてるけどね。
確か、吉本の若手芸人で真田家の末裔が居たと記憶してるが。
ただ、直系かどうかは分からん。
真田の源流は「滋野氏」だったのでは?
345 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 10:38:11 ID:8H3EnsJx
とりあえず信之の男系の子孫はいない訳?
あんなに孫いたのに
>>344 滋野氏とも海野氏とも言われている。
だから十勇士に「海野六郎」がはいってる。。。とも言われてたっけ。
昔、信綱の野太刀を見たよ。
刃こぼれしてて、長篠の激戦を思うと目頭が熱くなった。
部下の兄弟が持ち帰ったあと、殉死した奴かな。
青江の太刀?
>>348 たぶんそれ。
宝物館じゃない所で特別展やってたもんで。刃渡りや由緒からして青江の太刀ですね。
血染めの陣羽織を見たい…
確か、青江の太刀が納められてるところって、
季節だか、定期的に展示物が変わるところだっけ?
青江の太刀みたいんだけど、展示されてる時期にあわせていかなきゃとか思っていた気が。
それとも、青江の太刀クラスなら、常に展示してるだろうか。
351 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 15:14:24 ID:Npo8h8k6
名古屋から木曽路〜松本〜長野(善光寺)経由で上田に来ています。(といっても今はまだしなの鉄道の車内だけど)
今週水曜からスタートして今日まで各地をそれなりに観光してきたけど、やっぱり今回の旅のメインはここ上田。
上田城、真田太平記館、上田高校以外でこのスレ的な見所ってありますか?ちなみに明日の午後位までの滞在予定です。(あんまりゆとりはないかも?)
槍持ってるオッサンの家に行け
生えてる竹で弓矢作りも忘れずに
>>351 松代にある真田宝物館はどう?
近所に真田邸?もあるよ。
あと学校指定のジャージ売ってる店
356 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 21:33:31 ID:4RDbkAka
信之が一番偉いと思う
357 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 21:35:06 ID:4RDbkAka
信之の奥さんカッコいい
359 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:05:23 ID:sAGdyM16
真田信繁、伊達政宗と同い年っていうのは有名な話だけど
鎮西一の猛将と言われた立花宗茂とも同い年らしい
まさに黄金世代だね
松坂世代ならぬ、政宗世代か。
幸村世代だろ
宗茂世代だろ
真面目に考えたら本能寺の変のすぐ前あたりに元服しとるから本能寺世代か
だから何?
塙直之や武田信勝らもその三人と同い歳なんだよな。
信勝もかなり利発だったって話もあるし、
前の3人といい、確かに粒ぞろいな年かもしれん
昌幸の子供に真田信勝ってのもいなかったけ?
誰だよ、それw
信繁の下の弟で三男若しくは四男、通称左馬助のことかと
369 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 20:29:41 ID:YfBJVjKS
家老の矢沢家って真田の分家でしょ?
想像はしていたけど、やはり殆ど話題にあがらない昌輝カワイソウ…
371 :
C171 :2007/02/02(金) 21:07:19 ID:WVF7FGIQ
あれだけの短時間で後世に名前を残せたのだから幸村の戦闘指揮はかなり高い。
だって講談(ry
373 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 23:48:10 ID:XQcU1CXL
2009年大河ドラマ
「真田三代」
,:::-、 __
,,r::::::::::::〈:::::::::) ィ::::::ヽ
〃::::::::::::;r‐''´:::::::::::::::::::::ヽ::ノ
,'::;'::::::::::::::/::::::::◎:::::◎:::◎:::
l::::::::::::::::::l::::::::::◎:::::◎:::◎:::::ji
|::::::::::::::::::、::::::::::::::( _●_)::::::,j:l サナダー!
}::::::::::::::::::::ゝ、::::::::::|∪|_ノ::;!
. {::::::::::::::::::::::::::::`='=::ヽノ:::::/
';::::::::::::ト、::::::::::::::i^i::::::::::::/
`ー--' ヽ:::::::::::l l;;;;::::ノ
【ユッキーレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後淀殿から告白されるわ家康は老衰死するわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
>>372 もちろんそうだけどな
十勇士はともかく、昌幸の軍功はわかりやすいだろ
376 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 03:11:33 ID:xkoQMlWq
山本勘助は真田幸隆によって見出されたってことになってるね大河
377 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 05:08:17 ID:9E21hu+8
山本勘助はもちろん、真田幸隆も武田に臣従するまではよくわからんから、
フィクションにしやすいからなぁ。
378 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 08:23:31 ID:YS+rnB7g
山勘は駿河にずーっと留まってたんだよな、有力なハナシは。
幸隆はこのあと、村上に攻め込まれて、長野業正頼って落ち延びるのか・・・・
379 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 12:09:08 ID:FG4KyUjF
真田とサナダムシの関係は?
380 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 12:33:36 ID:xcv5hWaV
>379
真田紐とサナダムシの外見が似てるだとか。
381 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 17:40:09 ID:FLnqqmaD
浜崎秀達とは何者ですか?
382 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 13:01:14 ID:TBAMsVgL
武田が信濃に侵入するまで、東信で最大の領地をもってたのは誰?
383 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 15:12:46 ID:typzG9zt
小笠原、村上じゃね
384 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 23:42:06 ID:TBAMsVgL
小笠原は東信に領地ないでしょ…
385 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 23:52:06 ID:typzG9zt
その辺りって単位じゃダメなの?
東信って、完璧な定義がなにかしらんが。
386 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 00:33:43 ID:g+qaYyVk
387 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 01:00:46 ID:nksOj9ML
これは現代じゃね
388 :
真田幸村がA型:2007/02/24(土) 08:22:52 ID:V2J41x9y
織田信長はA型と言われて、いましたが近年、遺髪や掛け軸から発見された物は別の物であると分かったそうです。なお現在判明しているのは
豊臣秀吉がO型(血判から検出)、
上杉謙信がAB型(血判から検出)、
伊達政宗がB型(遺骨から検出)
武田信玄がA型(血判と碑文書から判明)
北条氏康がO型(これも同じ理由で判明)・
真田幸村がA型(これは遺髪から判明)これは間違いなく
本人のものだそうです。情報源は知り合いの研究者の方と知ってるつもりからですぜひ参考にしてください。
真田幸村A型かよ!!!
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/jinbutsu.htm
389 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 20:06:32 ID:Rk6iTs89
A型かよ!!!ってまさか血液型性格診断を信じてるのかね?
あれは合コンとかで相手のパーソナルデータを聞き出すための
ちょっとした話のネタでしかないんだがな
390 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 21:23:15 ID:Zgtp8/l7
>381
自称幸村薩摩落ち後の子孫。
多くの掲示板やブログに出没しては長文書き込みをしている。
この人物のせいで閉鎖した掲示板も・・・
391 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 21:39:01 ID:Zgtp8/l7
>>370 松代長国寺の真田家墓所に、幸隆・信綱・昌幸3人一緒の供養碑があるけれど、そこに昌輝の名前はありませんでした。(涙)
長国寺には、幸村・大助親子の大きな供養碑もあります。
392 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 00:36:19 ID:H5umgNA9
>>391 >幸村・大助親子の大きな供養碑もあります。
幸村って書いてある供養碑があるの?
393 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 14:57:54 ID:7rgsjRTD
>>388 合コンネタの域を出ないが、謙信と政宗は興味深いなw 変わってる
もなぁ。今度コンパでネタにしてみよう。
394 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 18:43:22 ID:aGNvADQB
大河ドラマ「真田三代記」を見るまでは生きよう
395 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 21:16:51 ID:GcOexLzH
396 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 10:35:39 ID:EJy8NY8b
真田幸隆の領土ってどのくらい?武田諏訪村上が攻めるほど大きかった?
397 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 15:34:10 ID:lAR5xXHo
>>396 なんか勘違いしているようだけど、真田vs武田諏訪村上ではなく、
佐久攻めの一環で村上が攻め込んだんだぞ? 史実でもドラマでも。
398 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 20:37:34 ID:xw4A+jj1
真田側からしてみれば、迷惑な話だな。
399 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 12:13:02 ID:Vq58OKFe
まぁ、戦なんて全部攻め込まれる側からしてみれば迷惑千万なものだけどな。
400 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 12:24:08 ID:25iYqCS4
この間、博物館いったけど、青江の太刀は飾ってる期間じゃなく、見れなかったわ。
聞いたところ、本当に短い期間しか展示してないみたいだなー。
401 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 15:01:41 ID:jw9RNpHG
400>自分は昨年のGW前後に見に行けた。展示される際は「企画展示」の名目で、
HPで告知されるので、チェックするといいかも。
402 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 15:51:03 ID:XQ2enQI9
兄貴達の事はどうでもいいのかおまいらは
403 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 16:09:52 ID:dlQnyZjV
可愛いかったな、信綱役の子供
頬っぺたぐりぐりしたくなる
404 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 19:30:40 ID:8Gn7NOmi
最終的に武田からもらった真田家の領地って十万石にも満たないそれ以下の
領地でしょ。
405 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 20:57:08 ID:dpOFGQlM
最終的に徳川から十万石貰うから良し。
406 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 01:24:46 ID:TNsw6VBf
>>404 真田氏の旧領なんてそれよりもずっと小さいレベルと考えられているから無問題。
幸隆は一時的に箕輪城城代となってほぼ譜代の家臣と化していたわけだし。
武田氏の親族集で小山田氏みたいに郡内地方を領していたり、穴山氏みたいに
河内地方を領していたりする武田氏内の最大級の国人とは領地の大きさは
ちょっと比較にはならんけど、箕輪城城代という職責はかなり大きかったはず。
407 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 01:41:37 ID:zrQBPhJW
真田は家康の養女貰って譜代の扱いになり、無職の昌幸信繁は
信之経由で徳川の飯も食ってたのに信繁は酷い奴だな
信之も相当胃がきりきりして寿命の縮まる思いだっただろう
ん?90年以上生きたか・・・
408 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 03:26:34 ID:TNsw6VBf
信綱の息子には信興、信光といるらしいけど、なんで武藤家の養子になっていた
昌幸が家督継承したんだろう?
409 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 04:43:06 ID:eOpmEouE
だって何歳だったのよ? 死んだ信綱だってまだ若いべ。長篠から武田は
下り坂だし。育ちきるまで待ってる余裕はあるまい。斜陽君主を戴く家臣
としては、例えば毛利家みたいに叔父が補佐して、、なんてケースとは
違いそうだがな。
410 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 05:39:03 ID:ocEuzrAO
>>409 信綱が死んだのは満38歳。若いといえば若いけど、そこそこの年齢。
ちなみに信綱は幸隆が満24歳のときの子だし、信幸は昌幸が満19歳のときの子。
ってことで、信綱が死んだとき信興は元服していた可能性も高いと
思うんだけど、その辺りどうなんだろ?
411 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 16:46:41 ID:hnLyum3L
ただ長篠終了時だと、昌幸より上の存在が健在だよね。父幸隆 君主勝頼。
勝頼と昌幸は相性悪くなかった気がしたから、勝頼あたりが指図したという
可能性はあるんじゃないだろうか。元々武藤を継いだのも信玄の命だし。
412 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 17:37:24 ID:DntepaR1
>>409 幸隆は長篠の1年前に死んでいます。というわけで、信綱、昌輝は親より先に死ぬという
親不孝は避けられた…
あと、武藤家から呼び戻すということは他家への口出しにもなっちゃうから、
やはり、指図できるとすれば勝頼でしょうか。真田家内のお家騒動になりかねないネタですし。
413 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 21:31:02 ID:KvqKk4d0
信興と信光は正直な話、実在しているかどうかも怪しい。
滋野世紀・加沢記などの史料で信綱の娘が信幸の室(加沢記では勝頼の命で、という文がある)
になったという記述もある。
弟の信昌も加津野家に信玄の命で入れられたが、昌幸が本家を相続する時点で必要無いだろうに、
真田家に復姓している事実を見ると、そんなに重要なことでも無いと思われる>他家の相続
薀蓄スマソ。
414 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 23:46:23 ID:dK5Zg6V/
幸隆=オーベルシュタイン
415 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 15:54:20 ID:CkylncpM
>>413 なるほど。実在しない可能性もあるのか。とはいえ、あの年齢だと嫡男はいそうなんだけどなぁ。
もしいなかったとしたら、それこそ信玄や勝頼が養子を入れるなりしているだろうし。
416 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 21:34:03 ID:IWR2IOGB
415>というより、真田家自体の系譜も色々あやふやというか、ごちゃごちゃしてる・・・。
昌幸が家督を継いで大名化し、信綱・昌輝の子供達の系譜が抹消・改算されている感も否めない。
ここらへんは、研究家の方々が取り上げてくれるといいのにな。
しかし肝心の信綱・昌輝の史料が少なすぎるorz
417 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 23:22:57 ID:fKnDuL+m
そら、残った血筋が徳川に仕えた信之だからなぁ。
徳川と戦ってた連中の名前は残りにくいだろう。
昌幸や幸村はまれなケースだからな。
418 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 10:34:12 ID:KIkLVL6P
大河は信之主役で、信繁(やっぱ幸村の方が知名度高いかな)、小松(やっぱ
某ゲームの影響で稲姫の方が知名度高いかな)の3人主体でやってほしいな。
真田昌幸や本多忠勝の武勇も見せれるし。見所は、三方が原、長篠、(信之の初陣といわれる)
天目山、二度の上田の戦い、小田原攻め、信之・忠勝の真田親子への助命、
大阪の陣(信之と幸村との一騎打ちとかありえないこと考えてみる)とか
見所はおのずとある。
419 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 18:56:12 ID:BD6w3YgE
>>418 wktk
個人的に信幸は好きな武将の一人だから、大河でも使って是非とも知名度を上げて欲しいところ
まぁ、今年はじいちゃんが出ちゃってるので、5年後くらいの展望でひとつ。
420 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 20:09:06 ID:koCdQFRZ
>>419スタートは三方が原というか京上洛を目指し武田軍につきそって、
真田昌幸が出陣。甲斐の国を出発するとき、そこへ源三郎、源次郎がお見送りに
きたら。そこへ武田信玄が通りかかり”昌幸の子か・・・、二人ともこの国の宝だ”
と頭をなでる。
ただ、普通の大河ならそれが第一話だけど、敗者の徳川家康にもスポットライトを
当てる。本多忠勝とかの軍議のシーンとかもアレしてあえて公平にやる。
(んで小松殿誕生で第一話終わりかな?)この話をやる場合、三英傑の中では
徳川家康に一番スポットがあたるわけだし
421 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 20:13:45 ID:koCdQFRZ
>>419今年の大河で若かりし昌幸はでてくるんじゃないか?(武藤かへえだっけ?)
三男でいわゆる人質状態で武田家に奉公し、仲のいい幸隆の子で
勘助の弟子の様な形ででてくるんじゃないかな?
最後の川中島の戦いで死に際におまえに全てを託すみたいな形で終わるとか?
(たしか昌幸はこの戦いが初陣のはず?)んで
続編として
>>420をやって欲しいな
422 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 22:43:11 ID:pndMpoA3
>>418 とりあえず、真田太平記を見ませう。
>>421 武藤喜兵衛は側近中の側近の奥近習六人衆の一人だし、
確かに第四次川中島が初陣だしで、ドラマ的に考えても
出てこないほうがおかしいだろうね。
真田信綱
通称:源太左衛門尉
生年:天文六年
没年:天正三年五月二十一日、長篠城にて戦死、享年39
追号:信綱寺殿大室道也大居士
葬地:小県郡横尾村大柏山信綱禅寺
父:真田幸隆
母:河原氏(丹波守藤原隆正妹)
室:於北(村上一門井上新左衛門養女高梨政頼妹・花翁妙栄大姉・天正八年二月十日薨)
子:与右衛門―五郎兵衛(松平昌家家中)―以後越前福井藩に伝承
子:女(信之室・信吉母)
真田昌輝
通称・別名:兵部丞・信輝
生年:
没年:天正三年五月二十一日、長篠城にて戦死
追号:風山良薫大禅定門
葬地:小県郡横尾村大柏山信綱禅寺
父:真田幸隆
母:信綱に同じ
室:
子:信武(五郎兵衛)―七之助―以後越前福井藩に伝承?
出典は「信綱寺殿御事蹟稿」
ところで信綱は家督継いでる
天正2年閏11月11日付「蓮華童子院宛所領安堵状」と
元亀4年(天正元年)12月22日付「河原綱家宛一字書出」と、信綱が残した書状が2通あるが
幸隆が死んですぐ家臣の河原又次郎に一字拝領の判物を発給してるから
すぐ継いだんだろ
ちなみに1574年は八月に改元してるが武田はそのまま元亀年号を使ってる
織田に対する明確な敵対表明だよな
425 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 23:12:23 ID:WSQDwbpQ
御自蹟では、於北が内室という可能性も否定している。
於北は政頼の妹ではなく、娘。政頼の室も長尾氏なので違う。
高梨系図も真田家御自蹟稿しか現在は確認できない上に、近世の物なので
信憑性は無い上に、高梨の系図としても間違っている。
ついでに母・河原氏という史料は過去帖にしかないので、信憑性が低い。
あと昌輝の通称は、信憑性ヌキにすれば「越前真田系図」では徳次郎。
424>元亀元年に又次郎に綱の文字を与えている時点で、幸隆はまだ生きている。
・・・のだが、>ちなみに1574年は八月に改元してるが武田はそのまま元亀年号を使ってる
織田に対する明確な敵対表明
というのは初めて知ったけどそうなの?
>>425 流石真田ともなれば詳しい奴がいるなw
御事蹟稿の史料的価値について全くの門外なのだがこの間たまたま手に入れたので
検証無しに書き込んでみた
天正年号については、元亀四年七月二十一日に信長が元号勘文を奏上し
七月二十七日に天正改元の詔が発せられ
翌二十八日に改元された。永禄から元亀への改元の時も天正を奏上しているから
信長にとっては足掛け四年でようやく達成された意義のある元号なのよ
ということで「天正」は信長主体で実施された元号なので
武田は政治的意味合いで天正の使用を拒否しているわけ
それを踏まえた上で戦国遺文をみると中々面白いぞよ
427 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 00:55:08 ID:DDBXdHXO
にしても、改元に従わないのは反信長を通り越して朝敵扱いされてもしょうがない…
428 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 03:41:10 ID:vV3VrRo2
時代小説にはまったきっかけが池波正太郎の真田太平記だったから
真田には思い入れがあるといえばあるんだが、
異常な持ち上げられ方には不自然さを感じずにはいられない。
と思っていたんだが、山岡荘八の徳川家康だと第一次上田攻めが
1ページちょっとで終わっててワロスw
しかもわざと負けてやったくらいの記述で爆笑。
429 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 00:55:04 ID:lDWoZeJC
>>428油断してたのは間違いないし、あと北条の機嫌を取るためだし(第一次)
ボンクラの集まり北条と人材的にも優れてる真田の天秤にかけて感もあるし。
(勝っても、負けてもさほど徳川の得にはならない。真田も上杉、羽柴との
同盟が確立されつつあったから。大規模には攻めれなかった事情もある)
ただこの戦いを境に北条よりも真田に傾くのは事実だし。
430 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 03:26:05 ID:lHdNVq+z
431 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 11:48:57 ID:gSAfSF/L
>>429 油断も糞も昌幸の防衛が巧妙だっただけ
君は上田合戦に至る経緯わかってるか?
沼田の引渡しは西に秀吉と睨みあいしてる家康にとって東の北条との提携するには必須
北条がボンクラで真田の人材が優秀って・・・ゲームじゃないんだからさ
そもそも家康が真田と北条を秤にかけたことなんて一度もないと思うがw
432 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 10:06:45 ID:xTXcSlTz
>>431真田は当初、徳川・北条と同盟、上杉と仲が悪かったし(武田家の頃の名残か?)
↓
北条が沼田や名胡桃などを欲しがる。しかし、昌幸は”北条のようなチンカス
どもに沼田等をやれるかー”と激怒。以後にらみ合い
↓
徳川は北条に沼田保証、真田にはそんなことないと二枚舌外交
(昌幸の弟が家康の家臣だったので多少の融通はできた)
というのも秀吉との戦いがあったため、信濃どころではない
↓
小牧・長久手がある程度、ケリがついたが、北条・真田は
徳川がくるのを待ってたかのように待機
↓
結果、大きい北条を取り、徳川が上田へ、北条が沼田へ
同時侵攻を画策
↓
黙ってやられるのを見過ごすわけにいかない昌幸は上杉、
そしてその先の秀吉を見据えて(当時は上杉も秀吉の傘下)同盟
信繁を差し出す
↓
ところが家康病気で上田は8千ほどで駿府を出撃
↓
昌幸、北条を含めて撃退
433 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 10:17:53 ID:xTXcSlTz
>>432家康激怒で、自身も出陣を決断するが上杉も背後にいるし、
秀吉も尾張・三河への進入も考えられたから、断念
↓
家康も秀吉の傘下に収まるで、真田との和睦に応じる
↓
(秀吉なんかに頭は下げんと)基地外ぶってた北条よりも、
戦って勝った真田に相通じるモノを感じて稲姫(当時)を信幸の
嫁にすることで同盟をはかる。
↓
(それでも)アホの北条は沼田を欲しがる
↓
できるだけ無血で終わらせたい秀吉・家康は昌幸に
沼田をあげるように要求、昌幸は認める(代わりの土地をその代わりにもらう)
↓
でも北条はアフォだから、秀吉には頭は下げない、さらに名胡桃城を要求
↓
(秀吉の調略説もあるが)アフォの北条、名胡桃を攻撃
↓
同盟を結んでた家康までも堪忍袋の緒が切れて、日本全国vs北条の戦いになる
↓
結果、北条家滅亡、結果名胡桃も沼田もとりかえし。(侵略される心配ないから)
真田家が一番ウマーって話だろ?
434 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 10:21:29 ID:xTXcSlTz
あと、チョン嫌いの2ちゃんねらーから総スカンをくらうかもしれんが
当時の勢力分布を現代史に例えると
秀吉=アメリカ
上杉=日本
真田=韓国
北条=北朝鮮
家康=中国
特に北条のトップがアフォで、家康を切らせて辺りなんかも特に。
(中国と韓国の関係もよく似てるし)
435 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 11:30:10 ID:hBq0K2k3
>>434 当時の韓国は、その地域の鍵を握っているような立場でもなんでもないから、それはちとキツイだろ。
436 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 11:33:52 ID:hBq0K2k3
というか、そういう例えでまともに当てはまるわけがないんだから、やめれ。
437 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 00:18:07 ID:AWZzUnek
>>433 アホの北条ねぇ・・・
いかにも真田贔屓の本を読みましたって感じだな
>戦って勝った真田に相通じるモノを感じて稲姫(当時)を信幸の
嫁にすることで同盟をはかる
同盟?明らかに真田は徳川の組下だろ
小松が養女だということを見ても家康が真田との提携をそこまで重視したとは思えん
>結果、北条家滅亡、結果名胡桃も沼田もとりかえし。(侵略される心配ないから)
真田家が一番ウマーって話だろ?
ただの結果論
別に真田>北条にはならない
438 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 00:48:58 ID:13Xs0wWP
この場合単に北条がバカやってんなぁ、て話だな。
439 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 09:30:06 ID:qmrarm7Y
>>437真田と徳川の婚姻に関しては半分は秀吉の要請で
徳川としても北条と共に秀吉と徹底抗戦というよりは北条と共に
秀吉に頭を下げるってスタンスだったのは明らか
(北条が農民になんで頭を下げないいけないと明らかに空気が読めてなかったのも確か)
真田としても豊臣が潰れた時の保険で徳川との関係を・・・みたいなのがあった。
上田攻め前の約束は”沼田を返せば、代わりにどっかやる”
家康・秀吉合同案”沼田を返せば、信濃の○○をやる(どこだが忘れたがちゃんと明記されてた)”
で、北条寄り案で真田も納得したにも関わらず、頭下げないとなられば、
例えどんな贔屓目にみても100万石大名のアフォ大名<<<<<10万石のカシコイ大名なるだろう。
(秀吉としても北条を潰す事でそれによっておこる空白を恩賞として
分け与えれる狙いもあったんだろうが)
まあ、家康・秀吉合同案がでる以前から氏政のアフォアフォぶりに家康も
サジを投げてたわけだから。(そもそも上田攻めだって、氏政がアフォだから
やる事になったんだし。氏康の頃なら単独でやってた。)
440 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 17:58:50 ID:2dYrZrP1
>>439 真田と徳川の婚姻に関してはほぼ秀吉の命令でしょ
徳川からすれば真田くらいの小大名との縁組が大して重要だったとは思えない
当然、真田が豊臣が潰れた時の保険に徳川に接近したなんてありえない
結果的には秀吉からの命令が後に真田家(信幸)を存続させ得た訳だけどね
真田が秀吉から保障された替地は伊那郡だったと思う
名胡桃の一見に関して言えば氏政の統率が甘かったのは確かだな
ちなみに北条家は当時二百万石越えの全国二位の大大名
氏政の代には最盛期を迎えて意気軒昂、だからこそ開戦したのだろうが
結果的には滅びたことにより時勢が読めないだのアホ大名扱いされてるのは不憫じゃないか?
君の言だと北条家は秀吉に帰属したどの家よりも劣るアホってことか?
>そもそも上田攻めだって、氏政がアフォだから やる事になったんだし。氏康の頃なら単独でやってた
氏康の頃は上田城はないだろ・・・それにもろ武田の勢力圏じゃないか
それとも氏康が存命ならってことか?
大体北条が北信を取るメリットなんてないだろ
沼田に関してなら上田合戦のどさくさに出兵したりしてる(失敗してるが)
441 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 17:59:26 ID:2dYrZrP1
すまん、ageてしまった
442 :
退屈@親父:2007/04/02(月) 18:15:29 ID:+7f6TVp6
age
443 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 19:45:43 ID:Em8vndAd
北条は数万の軍勢で真田領地を攻めたのに昌幸の親戚に追い払われたんだよなw
北条って弱すぎじゃないかw
444 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 08:08:29 ID:+v31WkAd
利根郡出身の自分としては、沼田城って結構攻め辛い城だったろうって思う
上杉謙信も冬越後に帰れないときは沼田に居たって話もあるし。
445 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 21:33:24 ID:Dqqn+BTd
真田も北条も好きな俺としては一方をあざ笑って他方を持ち上げるのには賛同しかねる。
446 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 21:40:20 ID:Slb0IYVW
この場合アホというより、北条空気嫁、が正しいような気がする。
447 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 23:15:05 ID:j8gtayFd
>>445 俺は真田好きだが、敵対勢力をこき下ろしてやたらと持ち上げる傾向には確かにうんざりだな
448 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 09:31:34 ID:r4uJLlpI
世の中の3割、2ちゃんだと5割くらいがそんな輩だろうw 武将だけでなく
芸能人でもナンでもそうだ。。と最近悟ってきたw
449 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 11:50:11 ID:awgGwEXz
信繁の側室に秀次の娘がいるけど、どういう経緯でなったんだ?
九度山時代に女子産んでるよね。
450 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 00:19:12 ID:qlUQMtKb
>449
隆清院ね
菊亭晴季の娘、一の台が産んだ姫といわれ、信繁の五女、お田の方、三男、
幸信の母とされる。
自分も気になって調べたことがあるが、資料が少なすぎてよくわからん。
ただ、一説によると、秀次自害→側妾斬首の一連の騒動の中で、三成、昌幸、
佐竹義宣、北の政所が、秀次の幼い姫(隆清院とその姉)の助命運動をしたとか
451 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 02:24:51 ID:rQmJ6C1M
昌幸って上田・沼田と合わせて7万石程度の外様の小大名、
しかも徳川の与力衆なのに、豊臣政権で意外と存在感あるんだよなぁ。
上田合戦と名胡桃城事件の影響?
452 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 03:03:48 ID:mn/A+Kr5
豊臣派の東の端で、上杉より仮想敵国に食い込んでいる地域というのも
あるんじゃね? 厳密には時期によって違うけどさ。家康も豊臣に臣従
して真田も徳川傘下に入ったりするわけだが、潜在的な最前線ではある。
453 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 11:37:56 ID:lmhlP0sF
>>450 山手殿が一の台の姉だとすれば、昌幸が助命嘆願したってのも頷けるけどね
彼女が菊亭の姫って説は近年信憑性が低いって言われてるけど。
454 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 14:41:54 ID:+aLSp994
>>453 それが、この話、山手殿が菊亭の姫ではなく、三成の奥さんと姉妹
っていう説にたってる。
秀次の母、瑞龍院がまず助命嘆願し、北の政所が、せめて幼い姫だけでも
救うように三成に命じて、三成が仲のいい佐竹と、妻を通して義兄弟
にあたる昌幸を抱きこんで助命運動をした・・・・・・と、いう流れ。
逆に、この事件を利用して後の松代藩が、三成と真田が縁戚関係で
あることを隠すため、「山手殿、菊亭の姫説」を捏造したのではと・・・・・・
まぁ推測の域をでないけど
455 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 13:55:47 ID:ZuDx+rxb
456 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 17:09:13 ID:5GrPPwzi
安心しろ、上杉に入れれば良いんだな!
457 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 18:45:44 ID:8peQ2+6a
信幸に入れた俺はきっと異端
458 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 22:54:22 ID:ViOzDvno
つか上杉のヲタと言われても、知らない俺らには
>>455の方が必死に見える件
459 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 13:41:59 ID:CaJi7tMA
OK、政宗に入れてきたぜ。
つーか、信長押さえてる兼続の人気は何なのww
460 :
人間七七四年::2007/04/12(木) 18:42:19 ID:ntsR9ou5
信綱と昌輝は長篠で昌幸に撃ち殺されたって兄がいってた
俺は長曽我部元親にいれてきたぜw
461 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 19:17:14 ID:3IXHKMAV
与太話は置いとくとして、武田家が順調に大きくなっていた場合、真田昌幸として信州先方衆筆頭の
半外様の重臣がいいのか、武藤喜兵衛として勝頼の腹心がいいのか。
まあ、領地としては真田のほうがはるかに大きいだろうけど。
462 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 20:25:33 ID:3H2iB1Yl
与太話とまでは言わないが、それもかなり漠然とし過ぎてない?
織田を潰して西に広げたのか、睨みあったまま上杉か北条にでも
食い込んだのか、によって全然違う。どっちにしても、武田が滅び
ても生き延びてんだから、武田が大きくなってもそのままでいんじゃ
ないの。
463 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 20:34:41 ID:ER5MaCQJ
>>461 あくまで真田本家があっての武藤喜兵衛だからなぁ。
武田信勝の腹心が、二男の信繁になるだけの話じゃね?
464 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 01:10:38 ID:0CCkUKV2
ま、武田がとにかく大きくなったとして、織田モデルが一番分かりやすい
と思うが、織田でも豊臣でも、古くは頼朝でも尊氏でも、中心に躍り出る
といつか斜陽となる。そのとき内部にいると共倒れの危険が増す。
織田に対する徳川的な位置につけて、別にいるほうがリスクが低い。
あくまで生き残るためってことだけどね。
465 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 10:00:25 ID:qYs7TyC+
武藤喜兵衛だと武田が天下統一した際でも石田三成や本田正純レベルじゃない?
中央政界で絶大な権力を誇るものの、所領はせいぜい20万石。
466 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 19:39:20 ID:FYksbxhM
467 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 11:34:15 ID:lyxAlr9Q
>466
全然違う。いろんな作家や研究者が書いてる、よくあるタイプの本。
468 :
466:2007/04/15(日) 12:30:42 ID:9SzDJhPk
>>467 情報サンクス!
内容全然違うならダブりはないね、購入してみるよ。
469 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 23:52:14 ID:5MQVdR7I
へうげものに信繁が出てきたけど、九州征伐に従軍ってありえるのか?
秀吉のところに人質に行ったのっていつ頃だっけ?
470 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 15:03:40 ID:GwsT33O/
真田兄弟がもう少し早く生まれてたら島津義久、義弘みたいな感じになったんだろうなあ
471 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 19:13:01 ID:7PaeBmA4
マジレスすると組織形態・規模と地理が違うから無理じゃね?
ぶっちゃけ真田昌幸兄弟だってたぶんすげぇじゃん。でも単なる
武田配下で、上の二人は長篠に巻き込まれて死んでるし。
472 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 19:17:05 ID:ukGFlY5I
信繁の評価は大坂の陣あってのものだし、信之にしても父弟が徳川を
向こうに回してあれだけしといて家を保った点が評価高いんだしなぁ。
473 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 01:53:36 ID:4Tu3yZMB
おい昌輝を忘れてるぞ
474 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 03:13:56 ID:TvcxJfal
↑意味不明w
475 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 00:17:31 ID:t2w5GCst
上田は桜がきれいだったお
476 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 04:38:54 ID:0FbEA1Y0
はいはい真田在住の俺が通りますよ。
477 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 19:46:50 ID:v0BHbAEy
江戸時代の信繁の評価はどうだったんだろ
やっぱタブーだったんかな?
478 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 22:14:04 ID:Dq6Ndo9Z
俺の家の前に真田山公園ってあるが関係あるの?
大阪城の近く
479 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 07:38:52 ID:eufcsiV3
480 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 20:35:21 ID:2IXgVbWJ
江戸時代の扱い
石田三成・・・太閤秀吉の忠臣として徳川光圀から評価を受けた名将
真田信繁・・・後藤基次や大野治長同様、権現様である徳川家康公に逆らう無謀な狂人として触れることすらタブー
481 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 23:08:49 ID:D0chyHg1
482 :
人間七七四年:2007/05/21(月) 23:28:28 ID:PS925Ymj
483 :
sage:2007/05/25(金) 22:28:56 ID:P1wWe03y
真田の武将ばかりの名が挙がってるが、彼らを影で支えていた忍び(真田十勇士)
の名もお忘れなく・・・・・彼ら諜報役を担っていた忍びの存在あっての真田党。
484 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 22:41:54 ID:0e9xNj3o
真田十勇士w
485 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 18:58:34 ID:khcnVTa9
しかもsageられてない。二重苦だ。
486 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 19:58:36 ID:m8xopVdx
487 :
人間七七四年:2007/06/14(木) 15:30:26 ID:YNwDfIGC
6月27日(水)10:00〜10:45
その時歴史が動いたアンコール
「我が手に郷土を〜真田昌幸・信州上田の市民戦争」
488 :
人間七七四年:2007/06/16(土) 10:32:43 ID:LJo20IbZ
真田ひろゆきって子孫なの?
489 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 08:44:17 ID:YLCD/vxY
司馬遼太郎の「関ヶ原」に出てくる昌幸がすげぇかっこよい。プライド高くて田舎もので偏屈ジジイ。
でもゲリラ戦の天才。挑発も天才的w
秀吉大好き家康大嫌い。行動原理は理も利も情も渾然一体。
他の作家の小説では「義の人」として描かれてるけど、どうなんでしょうね・・・
俺は俗っ気たっぷりでもお茶目で憎めない司馬遼太郎版が好きだ。
490 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 17:14:02 ID:Nx3dVTGQ
でも真田ってだいぶ誇張されてるな
まぁ凄いことは認めるけど
島津みたいに一家ほとんど凄いからさらに凄く感じるわけで幸村だって昌幸のおかげであれだけ誇張されたと思うよ
491 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 19:11:30 ID:Orijvwn8
地元では人気ないよ。武田に寝返って田畑を荒らしたし、松代藩になってからも良い領主じゃなかったみたい。ローカル番組で見た。
492 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 19:35:12 ID:CXezSLTg
上田じゃ普通に人気だぞ、地元観光産業にとっては重要だからな。
昔のごたごたより今の利益、こればかりは戦国時代から変わらん世の習いさ。
493 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 14:17:07 ID:szXJbyQ4
松代藩で悪政はないだろ
江戸時代中期における改革者として代表的な4人の一人なのに
494 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 18:42:10 ID:EUIkC/Df
養子入れるまでは駄目君主ばかりだったような
495 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 19:30:04 ID:OhF4JCfk
川中島住民のおっちゃんが、江戸時代をぐちぐち語ってたよ
496 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 02:13:12 ID:8fI+ILGN
ただ、沼田藩は取り潰しになるほどの悪政をしたのは事実。
信之は子孫には恵まれなかったとマヂで思う。
497 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 03:35:25 ID:78BW8UpU
沼田と言えば、その前に昌幸の沼田氏騙し討ちもありますなw
498 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 06:28:27 ID:fpcWDb/Y
名前だけはカッコいいのになあ、沼田万鬼斎
499 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 10:08:27 ID:UfbHKiZT
真田って伊達と親交あったの?
大坂の陣の時信繁の娘を匿ってるよね。
500 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 10:20:53 ID:+HaCy9Qr
バリバリ…では無いにしろ、関係はある。
つーか、むしろ信之の子孫より保護された血脈の方が優秀だったんではないだろうか、とも思う。
501 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 10:25:12 ID:njlt+9MP
幸村の血統から優秀な人物って誰か出たっけ?
502 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 12:12:33 ID:uTwAHRpx
次男が片倉に入って伊達家臣に、三男が岩城氏(佐竹義宣の弟)の養子になってなかったっけ。
娘たちも片倉や岩城なんかの嫁になってる。
結構みんな恵まれてるのね。
503 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 18:15:08 ID:S34IqBZL
九度山時代になっていきなり子供が妻や妾にぽこぽこ生まれてるのがなんとも。
やりまくりだったんだね。
504 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 18:18:13 ID:BnMIrGPS
505 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 18:54:40 ID:qGmY5HIB
やりまくりっていうか暇だったんだろうな。
これまでずっと戦とかしてたわけだし。
506 :
人間七七四年:2007/06/21(木) 04:13:27 ID:Xpxmgukc
>>502 だよな。現体制である幕府から見りゃ、極悪謀反人だからなw
日本的風土からすると、睨まれたらヤダナとなりそうなのにね。
507 :
人間七七四年:2007/06/21(木) 07:36:10 ID:ijKxmJVC
しかし異常なペースで作ってるよ妻妾2人だけで
これは来るべき日の為綿密な子作り計画を練っていたのかもしれんな
その割に女ばかり続いてしまってるが
508 :
人間七七四年:2007/06/21(木) 19:35:33 ID:c1bsdyNc
仙台真田家に血が残った事を考えれば、
九度山での蟄居も無駄ではなかったな。
509 :
人間七七四年:2007/06/21(木) 20:35:56 ID:BXYu4Rqs
幸村の男系子孫は現在でも続いてるの?
510 :
人間七七四年:2007/06/21(木) 20:57:34 ID:gqBDByhK
>>509 こないだNHKの番組にちらっと出てた。
男系で血が繋がってるかはわからないが。
511 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 03:44:40 ID:QNEhMMpo
巨人の真田は男系?
512 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 12:35:48 ID:Phb3bDy0
巨人の真田が信繁の子孫ってのはそもそもフカシだろ。
513 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 01:17:56 ID:mOYEjMue
いや事実だろ
514 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 13:41:58 ID:U96YTsrK
鹿児島出身の巨人真田の祖父が、家系図を見たと主張してたらしいが、
薩摩落ちの真偽があいまいなうえ、後からいくらでも捏造できる家系図じゃな。
よほどの名家による裏づけが無い限り、信用できるものではない。
515 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 21:44:55 ID:BL7O+DK9
歴史街道 8月号(7/6発売)
特集「真田幸隆の鬼謀」
〜昌幸、幸村が継承した不敗の兵法〜
516 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 22:00:56 ID:8WxgN0s0
先祖が真田幸村とかほざいているやつ出て来い
517 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 22:30:32 ID:sIlPm2lD
518 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 22:46:19 ID:8WxgN0s0
519 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 20:12:14 ID:xXOWwRmm
今週の水曜日、22時NHKでまた放送 あるよ。
真田昌幸
520 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 20:26:47 ID:p9pS44Kk
“歴史が動いた”っつー括りだと無理だろうが、そろそろ信之公をフューチャーして欲しいッス。
521 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 15:04:44 ID:fewSO8Wl
>>448 如何様
此方は些かなりとも穏やかですな。
流石は真田様の御領地と感服致しました。
522 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 03:37:39 ID:IkoPv/IO
>>514 鹿児島なの?w ナントナク噂として知っておったが野球詳しくないから
出身地までは知らなんだ。すげー怪しいじゃんそれw
523 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 05:54:09 ID:XaerOK6e
家康が信繁に、寝返るように
信濃一国を与えるとまで言ったのは本当なの?
524 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 07:33:21 ID:2ETT5ZCX
525 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 23:00:05 ID:OuDEoTmr
んでもそういう事実はあったかもしれないかなとも思う
いずれにしても、たぬきおやじの言うことは。。。。
だけど
526 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 00:29:52 ID:dbzALr5b
527 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 01:24:05 ID:0l4GLbh/
信繁の二男である大八の子孫が現在まで続いているって本当?
片倉家の養子になったとかいう
528 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 09:39:20 ID:CYK6WxFl
>>525 ありえない。大阪の陣の時点時点で信繁の評価は昌幸の子というだけで
本人の評価は高くなく細川興秋や仙石秀範と大して変わらない。
大阪の陣の奮戦にしても後世長宗我部や毛利らの活躍分が
信繁の手柄にされただけで家康がそこまで高く評価するほどの働きはしていない。
信濃一国ってのは所詮講談話。
529 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 11:52:49 ID:TkdpOCOf
>>527 それは本当。いわゆる仙台真田家。
大八の墓は白石に、孫以降の墓は仙台市内にあるはず。
仙台真田家の現当主は真田まつりに出たりしてる。
530 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 19:28:07 ID:uPSd3XGl
>>528 家康が昌幸と間違えて震えたのはガチだろう。
もし昌幸が大阪城に入ってたら、実績から言って中心を担ったのは間違いないし、
相当の軍勢が大阪城に集結してたし、まし昌幸に緒戦で叩かれてたら政権自体揺らいだかもしれん。
と考えると、信濃一国くらいで済めば安いもんだっただろう。
豊臣が崩壊した後ならどうとでもなっただろう。
もちろん幸村は昌幸ではないが、昌幸と共に九度山に流された子供だし、信之からも
どういう人物かは聞いていただろうしな。
531 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 19:53:42 ID:zVdKM8qV
昌幸は二度も小勢で大軍の徳川軍を退けたから有名で家康にも恐れられた。
真田入城の報を聞いた家康は震えた。
しかし入城したには次男の信繁。
だが真田丸で散々に蹴散らされた徳川勢前田軍。
大阪夏の陣でも何度も家康の本陣に強襲を仕掛け何度も陣を突き崩した。
本陣を突き崩したのは三方ヶ原の戦いの山県昌景以来。
532 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 19:56:41 ID:AQ+mduKv
真田幸村の三女の阿梅は
片倉景綱の息子の重長の後室。
阿梅を大坂の陣の折保護した重長
5年後に自分の側室にした。
阿梅は美人だったらしいw。
阿梅と共に保護されたのが大八。
533 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 20:26:05 ID:R5vYROSy
阿梅って重長の正室にとても可愛がられて彼女たっての希望で
正室死んだあと、重長の側室じゃなくて正室になったんじゃなかったっけ
534 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 21:16:18 ID:3gkI5QzA
前から気になってたんですが、なぜ国営の歴史番組は“真田太平記”ばかり使うんでしょう?
他の正規大河だと何らかの権利問題でも生ずるのでしょうか?
535 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 22:03:46 ID:AQ+mduKv
>533
そうだよ。
重長と阿梅はすごくラブラブだったらしいw。
536 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 12:38:41 ID:1Ea4/IQD
阿梅って確か母親がはっきりしてない子だったはず
537 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 13:14:57 ID:WOyzj5MV
重長と阿梅、美男美女カップルなんだな。ウラヤマシス
538 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 19:33:36 ID:6N3EnOaj
>>534 自分の局が作ったドラマが誇りでしょうがないんだろ。
539 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 01:34:46 ID:YuSsKPK9
2010年 大河ドラマ「真田三代」
武田信玄亡き後、武田を背負った勝頼に仕える昌幸。
1575年、織田徳川連合軍に敗れた兄たち。真田家の運命がここから大きく揺れ動くことになる。
昌幸、信繁、幸昌の戦いに明け暮れた生涯を送る。
540 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 01:51:27 ID:YuSsKPK9
第一部「栄枯盛衰」(長篠の戦い〜甲斐武田滅亡)
第二部「豊家臣下」(天正壬午の乱〜秀吉天下統一)
第三部「故郷上田」(秀吉晩年〜九度山蟄居)
第四部「日本一兵」(九度山脱出〜幸昌死去)
541 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 13:45:27 ID:HDFhkeEq
まぁ、幸隆公の物語は“今”見ろ!と云う事もありますが、やはりどうせ大河でやるなら一連の流れを一作で見たいものです。
けど、大前提として妙なスタッフ・キャストでやるくらいならやらんでいいッスわ。
個人的には丹波氏亡き今誰が昌幸公をやりゃいんだい!…ってのもありますし。
542 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 16:15:37 ID:y3SksDDO
幸隆がいない真田三代なんて魅力半減じゃん
ドラマにするなら
>>515のノリで描いてもらいたい
543 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 22:21:24 ID:WKAjVhcV
その歴見た
すげえドラマチックだたな。
これなら本当に大河にしてもよさそうだな
少なくとも話の数は持ちそう。
544 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 22:27:04 ID:vBpl408u
>>529 仙台真田家は信繁から男系でずっと現在まで続いているの?
545 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 23:38:27 ID:qFPxKeDb
>>544 仙台真田家13代目当主のサイトみると男系で続いてるみたいだよ。
サイトは自分でググって調べてくれ。
546 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 00:57:24 ID:VFScve5/
幸村、一般的には過大評価されていて、ここでは過小評価だな。
大阪城防衛の大綱は、昌幸から授かっていたとはいえ、
真田丸の配置やら、また徳川方を数部隊も全滅させた斉射、
家康本陣を後退させた突撃など、戦術的にみて普通に優れている。
人間的にもなんとなく誠実さがうかがえる。
ただ、祖父と父が桁外れの鬼才だったためなんとなく凡庸にみえてしまうし、
昌幸のように、戦術面での勝利を戦略的勝利にもつなげるという計算ができなかった。
幸村の戦術は局地的な勝利にとどまり、それが大局に影響を及ぼすことがなかった。
それが昌幸との大きな違いで、評価が低くなってしまう原因。
547 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 02:05:26 ID:sS84e9G8
ただ、検証不能で講談レベルの説とはいえ、真田丸の配置については
生前の昌幸の入れ知恵という説もあるからなぁ。
548 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 07:46:13 ID:qlb+P11Z
仮に人から教わったことであろうが、それを選択して実行に移しただけでも、評価に値するだろう。
言葉だけのことを実際に行うことが、如何に難しいことか。
あくまで、信繁が真田丸の意味を理解して、それを生かす戦術が取れてこそなわけだし。
549 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 19:30:46 ID:+u4PK1z5
幸隆とか昌幸は狭い田舎でしか活躍できないじいさんだからね
全国の大名と戦った信繁とはスケールがちがうよ
550 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 20:11:16 ID:IFWep+3D
◎◎◎
◎◎◎
551 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 02:01:11 ID:rI5zIQyU
大阪の地元の人間でも何故真田山公園が真田山と言うのか知らない奴が多すぎる
552 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 22:24:16 ID:mCE+KEmS
このスレ来てる方で準大河“真田太平記”にネガティブな人って居ます?
553 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 02:38:10 ID:FPjWUZfq
>>551(蓬莱だねw)
真田山公園…なんでこんな都会の中にコブみたいな山が?って感じだね。
大きくないけど、ちょっと静けさがあって歴史を感じる。夜は怖い。
三光神社だったかな?神社や戦没者墓地もあったかな。
大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造」(たまつくり)
または、JR環状線「玉造」駅下車近く。
554 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 18:01:11 ID:6yVZ2Cuz
>>552 役者とか原作・脚本には文句つけるとこないけど、準大河だけあって
ほとんどスタジオ撮りってのがしょぼかったと思う。
まあ仕方ないけど、そこだけ不満
555 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 21:16:25 ID:xyxrmWhp
制作の時代じゃない?
砥石城 や 沼田城 岩櫃城
って字幕でると、ジオラマ合成門番2人でどこも同じだしな
556 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 00:11:07 ID:92kOXV6e
なぜ家康は、大坂に近い九度山に真田父子を
蟄居させたのだろう。
忠勝・信之の助命嘆願で死罪は免れたけど、
いずれは豊臣家と一緒に滅ぼすつもりだった?
557 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 01:36:44 ID:DtQDk4iQ
>>556 あの時代、高野山送りなんて定番だったじゃん。
558 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 01:59:35 ID:GWEuy2zP
家康の強がりの部分もあるかもしれんね
真田のような小大名を高禄抱える宇喜多秀家のように島流しにしたら、「なんだ家康は真田に二度も負けてるからびびってんのか」と思われるが嫌だったんじゃない?
本心はびびってたかもしれんが、表向きは「真田ごとき大坂に味方したければするがよい」という大きな構えを天下に示したかったのかも。
559 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 02:25:35 ID:97vzl6QS
蟄居生活になっても、生活レベル落とせずにいて、
信之小松夫妻に援助のみならず、借金までしてたって本当?
560 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 07:32:13 ID:bFi//50M
でも何年もあそこにいるわけだろ。昌幸も幸村もどうせバイトとか
しないだろw そんな贅沢せんでも金足りないんじゃね? 大坂前
は戦準備もあるしな。
561 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 08:16:18 ID:DtQDk4iQ
>>559 焼酎きぼんぬ!とか書状やってたんじゃなかったっけ。
ただ、酒が欲しいって頼むくらいのレベルの生活しか、逆にしてないともいえる。
>>560 バイトで真田紐作ってただろ。
562 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 08:36:44 ID:CYS32KBy
信玄の目とうたわれた昌幸ですらバイト、関白秀次や大谷刑部の娘もバイト、
家族みんなでバイトですよ。でもそんなん現代だって苦しくなっちゃうだろ?
563 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 10:29:40 ID:fC/y27/W
真田源次郎信繁は誇張が多すぎるね
史実と全く異なっているよ(笑
564 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 10:36:52 ID:Ey29PjIB
真田って信玄に組しないで
独自でやっていった方が覇権争いに食い込めそうなのにね
565 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 14:15:44 ID:tkOxf+9h
>>559 昌幸は信之宛に家康公に早く許してもらえるよう
お前からも頼んでくれみたいなことも書いてるな
>>564 覇権争いてw
566 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 17:03:37 ID:SUv8OYtM
>>564 信玄に与しなかったら一生上野で浪人やってた可能性が高いんですが。
ついでにたかが数万石(武田時代の加増を考えないとして)で覇権争い
なんて織田信長、豊臣秀吉、徳川家康でも無理ですが。
567 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 22:03:50 ID:3W9E4Dgr
よし、大河じゃなく国営土9枠で九度山時代を扱ったホームドラマ…ってことでどうッスか?
568 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 00:16:50 ID:Q1xJ9bR1
それは安岐姫タンが夫と愛人がギシアンしてるのにヤキモキしたり、
ボケちゃった舅の介護をしたりするドラマですか?
569 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 10:25:00 ID:ymDEZXD1
>>566 それを言ったら秀吉だって百姓じゃん
主君が武田だったから下手に裏切れず
独自路線に持って行くのが遅れた山内上杉とかだったらよかったんじゃない?
570 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 11:13:06 ID:9JlxrAi4
つか時系列無視してないかw 山内上杉に付いてたら、信濃にさえ入れず
覇権?w を争う基礎さえないわけさ。基礎を作るには晴信に付くしか
なく、あとはどこで裏切るかだがタイミングは難しいぞ。長尾(上杉)・
北条、時が下れば織田の動向を見極めなければならない。非現実的な
ギャンブルなんだよ。誰も武田が全く無くなるなんてそうそう予想できん。
571 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 13:02:07 ID:2jFKYOcu
>>569 そうですね、秀吉は後ろ盾がなかったから織田に与してw地位と実力を
築き上げましたね。で、どの辺が「それを言ったら」にかかるのか教えて
くださいますかね?
主君がどこであろうと下手に裏切れませんし、山内上杉についたところで
武田時代以上の地位を手にできるかといわれればノーですね。信濃攻略に
おける重要なファクターだから優遇されたわけですし。
572 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 14:43:55 ID:XxPO+QZz
矢沢の爺は、もっと評価されてもいいと思ふ。
第一次上田合戦の上州において、北条の大軍を撃退とか。
彼我の戦力差・後詰めの有無・戦法など、不明点は多いが、
実力は昌幸に劣るものではない。
573 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 21:14:19 ID:f71xPfbx
叔〜父〜ご〜
渋かったッス。
某は単なる“真田太平記(TV版)”厨…御不興の折はお捨ておき下さいませ。
574 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 04:04:41 ID:okrIrXIl
真田太平記って何で「準」大河ドラマなん?
何曜日の何時の番組だったの?
575 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 06:45:42 ID:rgmoN+oz
水曜20時。ほかに二つくらいあったんじゃないかな。
宮本武蔵とナンか。三年間ということか。
576 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 06:47:28 ID:jX4AtU/e
引っ越して来たら家のまえが真田山公園なんだが…何か関係あるのか?
577 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 10:07:28 ID:Vi242BRJ
真田丸の跡地だよ
578 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 11:54:04 ID:sk+jGpbh
>>575 もうひとつは“壬生の恋歌”かな?
大河が暫く目先変えて明治以後を舞台にした話だったんで、其の替わりとしての枠。
けど、大河じゃないから逆にいいキャスティングが出来たシリーズだと思っとります。
中村梅之助・梅雀親子の家康・秀忠や役所さんの武蔵など自分的にはでふぉると設定。
579 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 12:15:12 ID:UusqLOyz
おんな風林火山はまた別?
あのドラマって確か真田はほとんどスルーされてるんだよな・・・
580 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 13:49:06 ID:okrIrXIl
581 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 16:11:49 ID:LnVwaPW6
壬生の恋歌じゃなくて武蔵坊弁慶だよ。
おんな風林火山は奥向きの話だから、まぁ真田が出ないのは仕方ないかも。
それより、大河の武田信玄で昌幸がスルーされたのが納得いかない。
今回は昌幸の二人の兄も子役で登場済みだから、昌幸登場は期待できそう。
582 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 16:47:56 ID:LkxznVjb
ただ、出番は初陣の第4回川中島だけだろうね。
583 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 17:25:42 ID:ikSJqsap
ネタバレすると、もっと前に出番あるよ。
あと常田隆永が出てくる。
今年の大河ははなかなか芸が細かいっす
584 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 18:52:19 ID:Uy9b46e8
34話は真田家メイン。
ちびっ子の昌幸もちょっとだけ登場予定。
585 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 00:54:18 ID:kN7ZUcy8
sage
586 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 12:46:27 ID:HU3WLaiq
>>584 既に近所の女子をナンパしまくってて、山の手ならぬ
忍芽にどつかれるシーン希望w
587 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 09:34:05 ID:F1LgQXKx
>>577 真田丸跡地なんだ!
閉鎖されてる地下通路と幸村の銅像が有った
588 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 12:01:53 ID:l/A/AHk8
>>581 おお!d 吉さま主演故正規と記憶変換しておりました。
>>586 是非とも。
“風林火山”はダーク方向強めで疲れるから真田家を一服の清涼剤にしていただいて。
589 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 14:01:01 ID:lUKtdY5A
しかし家康は、信繁が配流先に妻を同行するのをよく認めたなぁ。
子を産ませて自分を討つため決起しかねないって思わなかったのかな。、
宇喜多のように遠い離島に流せばまず心配ないけど、大坂に近い九度山でしょ。
実際大助が生まれてそうなった。
信之や北政所、母方の実家とかに引き取られなかったのかね。
590 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 14:31:19 ID:BkF0WjlX
>>589 嫁さん同行とかって時々あったみたいな。
たしか、加藤忠広が改易された際に、清浄院は実家(水野勝成)に
引き取られたらしいが、正応院は配流先へ同行したみたいだし
忠広生母はたしか清浄院だったと思ったが、どっちが正室だったか
わかる?
591 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 19:43:00 ID:D0fihtXo
もう帰る実家もない嫁さん達だしな…
いや隆清院は祖母が健在だが
592 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 15:48:22 ID:ocJsZe3W
池波正太郎の真田太平記では
昌幸の正室は今出川家となってるけど
今出川家は清華家ですごい貴族なのに
田舎のそれも陪臣の家に嫁に出すなんていくら落ちぶれててもあったんだろうか
593 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 16:15:18 ID:C2pXRs2s
想像以上に落ちぶれてた
594 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 16:36:10 ID:Ffkkgwnd
いくら落ちぶれたって貴族が田舎侍の三男に娘をくれることはねーよ。
大方幸村を持ち上げるための作り話。
595 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 18:04:54 ID:/wVoqTXn
それは違うよ
596 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 18:18:31 ID:Ffkkgwnd
597 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 20:06:22 ID:ftu8LhSB
だが、異なる!
598 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 00:42:23 ID:9cpJl9/o
さすがにそれは無いだろうな。
ただ今出川(=菊亭)晴季に晴信の妹が嫁いでいるので、
ツテはなくもない
599 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 00:59:33 ID:MQRUJy4k
昌幸の正室は宇多頼忠の娘じゃないのか?
600 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 07:12:09 ID:Fr6iip+a
>>596 幸村様は山手殿の生まれでは無いでしょ。
601 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 09:04:44 ID:8t/mYWB5
幸村の生母は山手殿。
602 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 17:19:46 ID:Fr6iip+a
えっ!?小説はそうなんですか?
603 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 22:06:45 ID:MQRUJy4k
>>602 信繁の母は山手殿が定説。ただし異説もある。
604 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 23:18:00 ID:Fr6iip+a
>>594の方が「幸村を云々」と書いていたので“真田太平記”では山手殿と幸村様は殆ど接点が無いことを主張させて頂きました。
>>603 実子である方が定説なのは勉強になりました。
此れからも史実について本スレにて勉強させて頂きまする。
605 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 17:36:24 ID:KdiwdrcM
何かの本に載ってた“信繁様の方が実は先に産まれている”って説は箸棒ですか?
606 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 17:43:27 ID:fOm8PnA4
>>605 説の論拠が分からなきゃ否定も肯定もできない罠。
607 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 20:42:24 ID:jgqjYrdn
>>605 真田太平記ではそうなっているけど、根拠はわからない。
「○○の史料に書かれていた」という記述は、一度も読んだことがないし。
単なる俗説か、誰かの創作じゃないのかな。
608 :
人間七七四年:2007/07/21(土) 04:25:16 ID:ppGEM9QH
大河ドラマは真田幸村がいいと思うけどな
真田十勇士が忍者衆だからマジカッコイイ
609 :
人間七七四年:2007/07/21(土) 10:40:07 ID:w8ujknWf
十勇士とか言っちゃうとビミョーだw 大河のカラーとは
ちと違う気が。あくまで嘘なんだが、リアルっぽさが基本でしょう。
610 :
人間七七四年:2007/07/21(土) 21:43:13 ID:a5bpvumc
取り敢えず其の辺りは“木曜時代劇”枠…って事でどッスか?
611 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 11:22:04 ID:kOFoQEJe
じゃあ、あいだ取って土曜朝4時くらいで
612 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 19:14:53 ID:2uqhlfFO
幸隆は
信綱を主君として
昌輝を猛将に
武藤喜兵衛(昌幸だがあえてこうかく)を軍師にして
を三本の矢の如く真田家を盛り立てていこうと
ビジョンがあったんだろうな。
昌幸の知略を見抜いたからこそ、武田家に人質としてわたし、
そこで親友の山本勘助に軍略を学んだと思われ。
真田太平記に信之が父・昌幸を語ってるが
”父は戦場を読む事に関しては(忍びを使って)抜群だが、
ゆえに時勢の流れを読むのが疎い”と称してた。
幸隆も昌幸は政治家ではなく軍師としてのビジョンしか
なかったからそれもやむえないが。
613 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 19:21:14 ID:2uqhlfFO
で、武田家時代の昌幸は勝頼と仲が良かったせいか
(勝頼も主君としての評価はイマイチだが、猛将としての
評価が個人的には強いし)猛将への憧れが強く
息子に信玄の亡き弟の名をつけて、信之を主君として
信繁は猛将として育て感がある。
で信繁自信も山県昌景に憧れの念を抱いて赤備えにしたし
614 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 19:49:35 ID:XR99JKDa
真田好きはいいけど、小説を事実のように思わないように注意してな。
勘助の存在さえ怪しいのに、断言するのは如何なモノ? すごく主観
入ってるし。
615 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 20:30:45 ID:HYZ5WFmp
>>614 勘助は存在する、架空の人物ではない。
昌幸の軍略は信玄の眼とまでいわれるくらいだしな。
幸隆に調略は素晴らしいがそこまでの軍略はない。
616 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 21:40:06 ID:Q9VTT21A
勘助に軍略を学んだとか山県の赤備えって釣り?w
617 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 01:53:41 ID:vY0kl1ZK
>>615 ああ、いつもそこ訂正メンドクサイんだよな。いるのはいたよ。
だから大河で扱われてるような、そんな重要なポジションだったかは
疑問、というのは常識。
618 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 03:55:21 ID:JsrjMgOI
まあ、自分の次男の名前を信繁と付けたりするあたりそれなりに
武田への思い入れはあったんだろうけどな。
619 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 18:04:32 ID:7TFotPXH
「山本管助」という人が資料中に伝達役かなんかで登場するんだっけ?
んで、武田の代表的な謀臣ポジションが欲しかった後世の史家や小説家が
「軍師」や「忍者」の勘助を作ったと。
620 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 22:38:11 ID:Lehk2iqG
長篠の戦いは(そもそも無かった3段討ちや
武田軍は無謀にも特攻、全部鉄砲で死亡。
はたまた酷いのになると1万5千で上洛とかあって)
情報がいろいろ錯綜してるけど
昌輝が織田の柵を1つ突破したが、銃などで討死に
で、撤退命令により、信長軍の執拗な追撃にあい、勝頼をかばって信綱討死に
昌幸は説1・軍師のような立場なので勝頼の側にいたから助かった。
説2・病気ということで長篠には参戦してない。
説3・説2の追加だが、武藤家からは誰もでないのは申し訳ないから
9歳の信幸が代わりに参戦。(当然、後方待機で助かった)
ようは足利高氏が新田の鎌倉攻めのさいに息子を形だけでも
(新田だけに手柄を独占させないため)参戦させたような感じで。
で、いいのかな?俺の読んでる資料のほとんどが
武田騎馬隊が無謀な・・・とか3段討ちで壊滅とか・・・ばっかだから。
621 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 06:33:35 ID:nF8YM31a
そこんとこ諸説ありすぎで…。
現在、歴史マニア(まぁ、戦国ヲタとは言わない)の間ではどう云う展開が一番有力なんですかね?
622 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 12:03:41 ID:uL1tussM
当時の昌幸はまだ武藤じゃなかったか?
普通に考えれば真田と無関係に勝頼の傍にいた、だろう。
その立場が軍師だったのか単に馬廻みたいなものだったのかはともかく。
623 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 22:39:52 ID:2a3bmHWB
というか、長篠出陣してんの?
624 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 17:09:07 ID:VpIbsZlM
勘助は市川文書でしか存在を立証出来ないの?
625 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 17:50:04 ID:0cLEGpok
昌幸の兄弟に子供いなかったの?
626 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 18:56:11 ID:OQC5TcSc
>>625 いた
信綱にも昌輝にも男児がな
信綱の娘は真田信之の早世した嫁さんだ
歴史資料には乏しいがな
627 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 20:20:18 ID:9DtsMwIB
>>626 信綱の子が信興、昌輝の子が信正だっけ。
信正は越前松平家に仕えたらしいが信興の家系はその後どうなったのか史料はないのかな?
628 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 23:31:10 ID:OQC5TcSc
>>627 そう
信綱の子の信興、信光に関しては検索しても引っかからない
生没年は出てくるけど事実なら二人共大阪夏の陣の後も10年以上生きてる
昌幸の弟二人も徳川旗本、帰農と去就がはっきり出てくるのにね
629 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 17:30:37 ID:RaL+ypea
そういった一族郎党を網羅した真田物が見たいな…。
“渡鬼”か!!!
なんせ、登場しないとそう云う人物が居ない様になって仕舞いますからなぁ。
初めて“真・大”見た時は村松様などと云う姉君がいたなんて全くわからなかったし。
631 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 00:06:20 ID:Q0cMP+AK
第一次上田の戦いにおける昌幸は評価できるけど
第二次は昌幸が凄いってよりも秀忠がアホなだけな気がする。
第一次は徳川軍を撃退したけど、更なる援軍等がくる可能性があったからね。
(家康が病に倒れて、何とか和睦に持ち込めたが)
第二次の昌幸の目的は時間稼ぎで、秀忠としても上田城を落す
必要性はないし(前回、失敗したことを考えれば)5000程度の押さえを置いて
素通りすればいいのに。なんでなんだろうね?
(しかも第二次の方が評価されてるのが気に食わない)
632 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 00:53:04 ID:NfdDHKqx
というか、上田合戦が2度あったって知ってる人のが少ないと思われ。
2次で無理に攻め続けた理由は、色々いわれてるけどなぁ。
軽く捻り潰せると手を出して、そのまま負けっ放しでは、引くに引けなくなっちゃったんじゃないの。
633 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 00:56:06 ID:/bgMCi7V
秀忠が関が原に遅参したのは、家康の指示によるとの説もあるけどあまり支持されてないよね。
第二次上田合戦での失敗の原因となった牧野康成だが、家康の死後に破格の栄転をしてる。
ウィキペディアで「牧野康成」を検索してみてね。
第二次が評価されるのは、第一次みたいに上杉の後詰が無かったからかな?
あと兵力の差?
634 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 00:58:17 ID:73Biwdgn
>>632 真田を潰していれば遅参しても言い訳にはなるからな
635 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 01:02:19 ID:HjMvRhHX
>>632 お父さんの軍隊が酷い目にあってるし、
(信幸がどうこういえないのは仕方ないとしても)
本多正信や榊原康政のような立派な家臣がいたんだし。
(そもそも第一の優先事項は家康との合流なわけで)
第一次はもしもあのまま続いてたら真田は間違いなく負けてた。
(家康の病もだけど)上田城ができてまもなくて城の装備も二次の
頃と比べてしょぼかった。(実際にみたけど、上田城は平城ながら
小城だしな)
636 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 01:04:36 ID:1Nhnwa9M
>>631 天下分け目の決戦で、結果3万8千もの大軍を関ヶ原に集結させなかったん
だから凄いのは凄いでしょ。秀忠がアホだとしても。
2・3千の領主相手に3万8千の大軍が取り巻いたら、普通しょんべんちびりまっせ。
637 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 01:09:11 ID:HjMvRhHX
>>636 でも伊勢の諸大名や京極高次もそうやって西軍に抵抗して
(関ケ原への着陣に)影響を及ぼしたわけだが。
(特に京極高次に関しては、真田親子並に役割を果たしたわけだが)
第一次・・・負けたら真田は一貫の終わり
第二次・・・負けても信幸がいるし、何より負けてなんぼ遅延させてもうけもん。
この差は大きい。
638 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 01:15:44 ID:1Nhnwa9M
なら京極なんかを評価すればよろしいよ。
第二次上田が評価に値しない、ただ秀忠がアホなだけって言い方は違うんじゃないか。
もちろん信之がいてもね。
639 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 01:28:43 ID:ZAaxTWNd
>>631 第二次のが評価されるのは当然でしょ。結果的に、史上最大規模の
戦に、多くの徳川勢を間に合わせなくしたんだから。歴史に与えた
影響も込の話。
640 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 01:31:35 ID:HjMvRhHX
>>638 兵が2・3千くらいしかいないんだから1万残しておいて先行しても
なんら問題ない。
少なくとも上記の二人は上田攻めには反対してたし、(目標はあくまで
東軍の豊臣隊と徳川本体との合流)
それに最初の”出て行く準備をするから三日猶予くれ”で騙された
時点で(というかその時点で1万残して残りは西へ行けばいいわけだし)
彼らの目的は明らかでそこで怒ってること自体が問題かと。
昌幸のモチベーションも1次は”まけるだろうなー”で
2次は”真田の軍略を見せてやる”と勝機は明らかに二次の方が高かったようだし。
641 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 01:41:13 ID:1Nhnwa9M
>>640 そんな評価できないかな。
当たり前のことができない秀忠=アホってな論調なんだろうけど、
当たり前のことをさせなかった、その結果天下分け目の戦に4万近い軍を
合流させなかった。 ってのは評価に値しないか?
言いたいことは分かるけどね。 あれでしょそんな感じだと幸村とかも
評価に値しないでしょ?
642 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 02:47:35 ID:NfdDHKqx
>>633 兵力温存のため〜という説はあるけど、実益が少ないんだよな。
そもそも、小早川が寝返らなければ危なかった情勢で、そんな余裕はないし。
双方、兵力削ったところで、本隊投入を狙ってたってわけにもいかない。その前に家康が討死の可能性がある。
結局、勝ちはしたものの、活躍した外様連中に領土を分配しなくてはならなかったわけだし。
643 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 09:51:35 ID:Wh/z/DVH
第一次の方が評価高いような気が…。第二次の方が有名だけど。
まぁ、天下分け目の大戦絡みなんだから当然ですな。
“その時、歴史〜”クオリティではありますが、秀忠遅参の影響は結局幕末に於いて徳川を滅ぼした…ってのは面白かったッス
644 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 12:03:58 ID:wmsSPDEQ
秀忠は上田に突っ掛からずとも天候不順で遅参なんだけどな。
645 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 12:27:19 ID:qkgwPTvq
逆に言えば天候不順だからといって上田に突っ掛かる必要性もないんだよね。
646 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 12:47:36 ID:BOGwSwN3
元々上田征伐だよ
その方針変更の伝令が天候不順で遅れた
あと秀秋は当日じゃなくてもっと前から東軍として動いてるんだから
家康は関が原に行ったんだし
647 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 14:07:14 ID:qkgwPTvq
あれだけの大軍率いて最優先は上田討伐です、ていくらなんでもそれはないだろ。
本来の目的、は(それが何にしろ)別にあったと思っても不自然じゃなかろう。
648 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 14:41:14 ID:BOGwSwN3
本来の目的や建前の題目がどうこう言ってるんじゃないよ
先発の家康隊ものらりくらりと行軍してたし
この役は大垣やもっと大きな城かで時間のかかるものになる可能性だったあったけど
突発的な始まり方で、しかも半日で東軍が圧勝するという結果と
その方針変更を伝える伝令が悪天候で遅れたことが重なったのとが秀忠遅参には大きいってこと
小牧の役や、大阪の役からしたら数日の遅れなんて罰は受けるだろうがたいしたこと無いし
そもそも史実の秀忠遅参も不自然に罰が軽い
649 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 21:29:43 ID:dG+BO+8i
第二次は一見して3万はいたのかもしれないし
第一次は一万足らずだけど。
でもよく見たらだいぶ違う。第一次のメンツは徳川の精鋭だし
(これが敗れても家康が病気をしなければ2万くらいの兵を
率いて上田に攻め込んだのは間違いない。それに沼田には
北条軍数万いたし)
でも第二次は3万いたけど、メンツがいわゆる2世武将が目立ったし。
あと上田城は平城だから攻め込む場合は3万いっぺんに入るのは
不可能だし。(街もそんな地形だし)せいぜい数千が攻め込んでなんぼ。
で先駆けがやられれば大軍なので後方の兵は浮き足立って混乱する
だろうな。で第一次はそれこそいくさ場を経験してきた生っ粋の徳川軍
だけど、第二次は豊臣の大平を経験して(人によってはいくさ知らずも)
統率もそんなにいいとはいえないし。
650 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 21:36:29 ID:LcLj51+c
関が原が数日遅れて東軍西軍とも全軍終結してたらどうなってたんだろうな
651 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 02:41:36 ID:NXYiydLn
小早川は寝返っていたやら・・・
三成の腹痛も治まってたろうしw
652 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 00:26:32 ID:c91WNXvl
そんな面白いことにはならないよな。東軍の勝ちがより濃厚になるだけ
だし。手柄配分で家康はラクになったろうけど。
653 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 00:50:53 ID:Ho28vmLa
その歴で秀忠遅参は明治維新の原因を作ったって説を言ってたな
654 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 15:06:38 ID:n0+J3h/j
それぞれ因を考えるときりがないなぁ、おもしろいけどね。
西南戦争で官軍の会津抜刀隊の活躍にも因がある。
ちょっと違うかw
655 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 21:37:51 ID:wlBs8UJP
幕末の話が出たのでスレ外れだけど言うと、真田三代と並んで好きな歴史上の人物が中岡慎太郎なのです。
656 :
人間七七四年:2007/08/07(火) 15:10:31 ID:awA05W3U
657 :
人間七七四年:2007/08/07(火) 15:20:47 ID:jjtlvawt
2chのスレで正義とか悪とか言い出すこと自体すでに判断を誤ってるだろw
658 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 10:35:41 ID:nhqsvTyo
早く“真田の本懐”が見たい〜。
659 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 21:51:51 ID:6Z2mutpI
うちの母親の旧姓が真田なんだけど
その実家にある変なタブー。
「あんこ餅を作ってはいけない」
なんでも先祖の幸村はあんこ餅をつくっている最中に殺された
という言い伝えがあるからだそうです・・・・
聞いたときは吹いたよw
660 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 21:52:33 ID:v78Ygz1O
先祖ほどアテにならないもんはない
661 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 22:14:25 ID:CEz7cW4B
特に「幸村が先祖」ってのがな
662 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 22:17:23 ID:v78Ygz1O
先祖が○○なのに、証拠がない理由・・・
1、落ち武者狩りから逃れるためになんたらかんたら
2、落とし種だからなんたらかんたら
3、お家騒動がなんたらかんたら
663 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 13:25:11 ID:14rSRdBU
昌幸が思い描いていた家康打倒策って
なんだったんだろうな
もっとも、大阪夏の陣の状況からの大逆転は無理か
664 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 15:00:47 ID:bPK1xJNy
665 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 19:16:12 ID:hsxJAQgi
真田姓で「あんこ餅を作ってはいけない」という家訓が伝わる家は在日朝鮮人だ
666 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 04:24:06 ID:zyLj90+1
>>649 おいおい、太平の世を経験して・・・ って たった10年だし
しかも、お互い様だろ
667 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 08:42:59 ID:fGO8Rr8z
今年の大河で幸隆の家臣(実際は弟)の矢沢頼綱が出てないのがちと不満。
彼は真田家の重臣でしょ?
上田にも矢沢城址が残ってるしね。
668 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 10:38:30 ID:rI9n6R7y
如何様
大河ファン
670 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 12:11:02 ID:Y0vk7gPv
>>663 無理だな。関が原で西軍が勝つ、しかなかった。あそこが真田に
とっても分け目の戦い。信繁の武勇はあっぱれだけど、もう
体制挽回とかじゃなくて、名誉だけじゃね?
671 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 00:51:39 ID:wn7MutNK
>>663 秀忠軍撃破後、甲斐・信濃に一気に侵攻。周辺勢力も従えて関ヶ原で疲弊した東軍を
西軍と挟撃撃破。 といった黒田官兵衛方式では。 官兵衛は単独撃破か。
672 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 00:55:50 ID:q/S/xsnd
>>671 黒田如水の方策は関ヶ原が一日以上続いた場合の成功したかもしれない。
だけど信濃から関ヶ原なんてすぐだから無理。
673 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 00:58:31 ID:wn7MutNK
そっか。なんか昌幸の小説でそんなこといっとたから書いてみた。
674 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 01:17:44 ID:hexkf+jm
家康も官兵衛・昌幸も、その他の誰もたったの半日で勝負がつくとは思ってなかったよな。
675 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 01:23:54 ID:QHJK4t2k
真田は地元でのゲリラか、篭城じゃないとな
ガチで3万は別に真田じゃなくても無理だわ
幸村みたいにバンザイアタックで”惜しかった”って評価がせいぜい
676 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 01:31:49 ID:wn7MutNK
幸村の万歳アタックは、鉄砲装備率50%徳川軍を四散五裂させたことにより、
長篠で確立された、鉄砲の戦術的優位性をも覆すほど意義深いものらしい。
677 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 04:34:52 ID:bfC9uJFQ
近代軍でもない限り壊滅的被害前提で戦場に臨む軍隊なんてまず
ありえないんだから戦術的に意義深いとは言いがたいと思う。
後世にそれを常態的に利用・応用しうる環境が整えられないのなら、
「地震のときに思わず巨大な箪笥を抱えて走り出した」というような、
火事場の糞力的な事例の域を出ない。
678 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 21:37:47 ID:Bg4+Qgdv
砥石崩れを勘助の言いつけを守らなかった幸隆公のせいにされちったい!
679 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 06:42:47 ID:xMOTvK2s
>>677 いや、天王寺だけでなくその他の合戦での鉄砲装備率も徳川方は高い。
伊達政宗は3,500丁装備してるが、騎馬鉄砲の存在はともかくとして、槍ブスマなんて
古典的な技で撃退してるとこは注目に値する。
680 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 09:01:09 ID:kqg7k6FP
>>679 まだこんなこと信じてるヤツがいるのかよ
681 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 11:34:36 ID:wk87HKrS
>>679 確かに鉄砲なんてたいして役に立たないよな。
幸村の鬼神の働きみればな。
682 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 11:47:20 ID:Zb3mV8gA
真田丸の釣瓶撃ちで殺された兵が浮かばれんぞ
所詮歴史なんて憶測にすぎない・・・なんて事を言ったら身も蓋もなくなってしまうのだが
大河ドラマのように全体の流れはともかく、詳細の部分に至ってはどこまでが事実かなんて
誰もわかりはしない。
もちろん残された資料や発掘調査などから精度は高くはなっているものの、それでもやはり
想像の域を出ないことには間違いないだろう。
例えばテレビ・ラジオ・ネットなど、情報収集の手段は今までにないほど充実した現代でさえ
我々は自身が生きている現在の世の中で起きている出来事をどれだけ正確に把握できてるだろうか?
それを考えると、信憑性の高い資料が皆無に近い歴史は想像の産物と言っても過言ではないだろう。
それゆえ、誰がどのような見解をしてもまた許されるともいえる。
684 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 04:15:50 ID:0N8GUSjN
真保守
685 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 12:06:48 ID:ifPCVMVy
>>683 コピペすんなよ、大した意見じゃないからw
686 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 09:01:10 ID:LXw5gUCk
ほんと、玄人ずらして幸村より信之のが上とかいうやつマジムカツクぜ。
家残したから上だってよ。
家なんて残したやつは、それこそ星の数ほどいるってのによまったく。
武名を高める、名を残すことの難しさがどれほどか分かってねー奴たまんねーよな
ほんとに。 昌幸・幸村がいるから信之なんてマイナーが取り上げられてる
現実に気づけよ自称玄人が!””
687 :
マンキョ:2007/08/16(木) 10:15:51 ID:Df0ukaVU
>686
そろそろ現実と向き合おう
688 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 14:01:10 ID:e1B7P4Bw
誤解を畏れずに申せば、“真田三代”揃って初めて他の有名処に互する実績の様な気がします。(兄弟喧嘩をさせても仕方が無いのでは…)
>>683 自分もそんな風に考えております。
689 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 19:38:57 ID:SZJpx5EQ
家を残したからってのは、まあ信之の功績とは違うよな。
その部分は、昌幸のどちらが勝っても家を残すための手法なわけで。
とはいえ、その後の外様大名にもかかわらず、存続させたのは信之の評価点。
690 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 19:42:57 ID:8QHREDJi
>>688 よほど間抜けなものでなければ、ひとそれぞれが自由に想像できるんですよね。
691 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 21:33:01 ID:oq1axwlQ
香川県の寒川に幸村の子供の墓があると
ある本に書いてあったが、そこを治めてた
生駒家も奇しくも関ヶ原で親が西軍、
嫡男が東軍と分かれてたんだよな。
何か関係あるのかな
692 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 22:04:26 ID:SZJpx5EQ
親族が東西に割れてた家って、かなりあるぜ
693 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 23:18:42 ID:oq1axwlQ
初代 生駒親正 】
木下藤吉郎(豊臣秀吉)に従い各地を転戦する。
天正15年 讃岐国17万石の領主となる。
天正16年 高松城を築城。城下町を建設し、高松と命名する。
寺社に多くの寄進をし、寺社の保護を図る。
豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役)に従軍、波引車を家紋とする故事が伝えられる。
関ヶ原の戦いでは西軍に属する。
戦後罪を謝し高野山にのぼる。
高松にて死去。
昌幸と同じような立場だけど高松に帰れたんだね。
高野山管轄の九度山の真田家と何か交流が
あったかも知れない。高野山の開祖の空海が
香川出身なのでそっちの線かもしれない。
大阪城から薩摩に逃げるより香川に逃げる方
が格段に簡単だろう。
694 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 11:28:46 ID:VhjHd5so
薩摩は宇喜多匿ってた前科があるのに真田を匿うはずも無い。
695 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 22:22:28 ID:RhiEe3Fb
少しでもいいから真田信綱と真田昌輝のことを思い出してあげてください
696 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 09:14:33 ID:wohvKOgy
697 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 09:56:03 ID:k/BEnRqk
昌幸のお兄ちゃん
698 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 09:59:32 ID:UvUOlxyp
真田こそが戦国最強!
それは島津も認めてる。
真田家こそが戦国のブランド。
699 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 10:34:57 ID:fMVytZlN
そうですな
700 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 17:04:18 ID:d0Wc/UK9
幸村は、凄過ぎるっ!!!
家康から、信濃10万石の誘いを
蹴ってるし、夏の陣では、真赤な装束で
挑み、徳川本陣突入。
壮絶な戦いの果て、討ち死。
家康もこの時ばかりは、覚悟を決めたほどに。
2回だけの合戦は、勿体無い…。
701 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 17:21:44 ID:bh7vfIdV
ときどきでいいから真田信伊のことも思い出してあげてください
702 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 21:07:09 ID:wohvKOgy
703 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 21:47:06 ID:purNZzkd
>>702 家康が大坂方に真田裏切りの疑念を生ませるために、信繁に信州一国を与えると発した。
それを信繁に伝えた徳川方の使者である親戚のおっさん。
信繁は「それでは兄の石高を上回るではないか。いへやす(笑)アワレwwww」と家康の計略を見破った。
704 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 21:49:51 ID:purNZzkd
後藤基次も同じような手口で家康に誘われたが、「光栄だが丁重にお断りしたい(笑)」とあっさりウソとばれた
705 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 22:50:10 ID:MvxETzlr
俺は逆に自分が損をしないなら児戯に等しい策でも使い倒す家康に
しびれたな、その逸話。信繁・基次が断ろうが応じようが敵の内部
抗争を煽れるからね。
706 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 23:08:45 ID:Wq/MVY7K
>>695 しがない“真大”厨の某としては是非、信綱・昌輝様の事も折りにつけ勉強させて頂きたいものです。
>>700 余りうるさ方の居るスレで言わんで下さい…。
どうも、真田好きは見下されがちで…。
>>705 如何様
707 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 23:32:04 ID:4CIZObQY
708 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 10:49:47 ID:BMWbZtq3
江戸時代、神とされた東照大権現こと徳川家康に唯一戦で勝った武田信玄
その武田信玄が唯一負けた武将が村上義清
真田三代とも合わせて恐るべし信濃武士
709 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 10:52:55 ID:YVCMDYSL
サナダムシの「サナダ」って、やっぱこの「真田」に由来してるのですか?
710 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 12:06:06 ID:2MOdUnX5
真田昌幸が刀の柄を巻くのに使用したことからその名がついた真田紐、
その真田紐に似ているからその名がついたサナダムシ。
711 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 12:26:43 ID:hL7t0T4q
>>696 だから武藤家を継いでいた昌幸が急遽真田家を継いだんだよ。
>>701 真田太平記だとちょっと活躍するよね。
>>710 紀州九度山蟄居中に作ったんだよね。
712 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 13:36:17 ID:F9RDlS4p
>>710 俺は徳川を散々苦しめた真田の名前を、体内に寄生して人間を苦しめるサナダムシに付けたと聞いた。
どっちが正しいんだろ?
713 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 17:04:55 ID:zjtC4h7D
米708
村上義清も真田も、上田の辺りを拠点にしてたよね。
考古学の観点からは、この地方は積石塚古墳の国内最大密集地で、朝鮮から
の渡来人の墓であると言われている。
日本には馬がいなかったので、その渡来人が馬を生産し朝廷に納めていた。
真田や村上がこうした地方を拠点にしてたのも興味深い。
あと、武田が戦国最強と言われるようになったのは、いつからなんだろ
甲陽軍鑑が原因?
714 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 18:07:07 ID:Ubmf79z9
>>713 そ。神君家康公を破ったヲレたち(の先祖)って最強じゃね? ってことで、
武田系の貧乏御家人が甲州軍学を興した。
715 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 18:52:37 ID:pGQNCq5c
まぁ幕府としても自分らが負けた相手が弱かったら自分らもっと弱いって話に
なるからそれはそれでいっか、どうせさっさと滅びてるし、という感じなんだろう。
716 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 20:46:20 ID:Ve9PMVO5
いちおう高家として武田家は残っているし、スレの主題の真田家もあるけど、
高家なんて取るに足らない小大名だし、真田家も10万石の大きくはない
大名だからねぇ。
上杉クラスの30万石の外様大名として武田家が存続していたら、
ここまで持ち上げられなかったかも。
717 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 21:16:30 ID:xl/ZBlal
10万石の大名家が小さいって?
10万石以上の大名家がどうだけあると思ってんの?
あと、高家は大名じゃない。旗本だな。
718 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 21:33:18 ID:Dc1GxH23
国主格の基準が10万石以上だったろ?
719 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 23:52:13 ID:D3rl/t5M
>659
幸村(信繁)は戦場で餡子餅作ってたのかw
安居神社で殺されたから安居を音読みしてアンコ?
720 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 01:18:21 ID:r8Rt7UJY
>>712 真田紐に由来する…と云う説しか聞いたこと無いなぁ…。
因みに某学研の本のコラムに、家康・秀忠親子の死因には関節的にサナダムシが関わってたと書いてありました。
721 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 01:21:02 ID:r8Rt7UJY
関節→間接…デシタ。 ハズカシー!
722 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 04:15:51 ID:R1LdPbaY
>>714 大名でも、土屋、保科、真田など武田に旧縁のある連中が多いし、
井伊の家臣団ももとは武田組、そのた旗本など、旧武田系が幕臣に
多かったからじゃないか?
723 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 13:10:29 ID:T0O90lvJ
関西人、
っていうか大阪人は信繁=幸村が好きって聞いたけど本当?
だとしたら人気度的にどのくらいの位置にいるんだろ
724 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 14:09:40 ID:bHf2yFpz
>>723 大坂駅前に真田幸村の銅像もあるしね人気もあると思うよ。
ちなみに真田人気は信州上田市あたりが最高だよ。
725 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 14:55:49 ID:tn5Afw/4
大阪って太閤贔屓じゃなかったのか‥orz
726 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 15:42:56 ID:yis7mqKO
>>725 いや、だから豊臣家への忠心から大坂の陣で大活躍したわけだろ。
大阪には信繁ゆかりの名所旧跡が点在してるし、
普通に馴染みの名将なんだと思うが。
この夏休み大阪城行ったけど、真田太平記館展やってた事もあって
すごく「真田幸村」色濃かったw
727 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 22:03:09 ID:r8Rt7UJY
>>726 > この夏休み大阪城行ったけど、真田太平記館展やってた事もあって
なんと!其の様な物が!?
いつまでやってそうでした?
728 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 22:26:32 ID:njCrlU1G
726ではないが9/2まで開催しているよ。
729 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 01:28:23 ID:3njIdsWI
大阪人は秀吉を地元の人だとは思ってない
名古屋の人だと思っている
730 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 12:16:53 ID:BOaCnlSi
731 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 06:39:40 ID:1xGDO1ea
>>724 長野県には「信濃の国」という県の歌があって、小学生から音楽の授業で習う。
長野県の地形・風土・偉人等を歌うものだが、何故か幸村や村上義清が出てこない。
また、自分は長野県南部の人間だが、京都で学生してた時、酒の席でそれぞれの地元の戦国武将を
挙げる事があったが、すぐに思いつかなかった。逆に大阪出身の先輩が幸村の名前を出してくれて
幸村を手放しで誉めてた。
自分の勉強不足もあるが長野県全体では、一般的に幸村は英雄視されてないのかもしれない。
732 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 11:12:36 ID:BDr0ybBK
>>726 >>727 僕はこの夏上田市にある真田太平記館のほうに行ってきたよ。
大阪城のは出張サービスらしい。
>>731 長野県は広い。
南信と北信では別の県と云っても良いくらいですから。
中央本線ラインと旧信越本線ラインとでは帰属意識が全然違いますからな。
734 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 16:27:41 ID:Qh7r6vly
村上よしきよは長野の中でもかなりマイナーだぞ
幸村は東信地方ではかなりのもの
信濃の国なんか関係ないでしょ
735 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 17:56:03 ID:BDr0ybBK
>>733 僕なんて南から北までほとんど長野を廻ったぞ。
>>734 村上義清は郷土防衛できなかったら嫌われてるらしいよ。
上田市はいった瞬間真田幸村公とか真田十勇士の旗ばっかりたってるぞ。
御当地の観光スポット風林火山を忘れるくらい。
736 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 18:09:13 ID:PrpDu4xi
その代わり、長野市松代に行っても、全然真田真田していないんだよなぁ。
737 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 22:56:54 ID:BDr0ybBK
伊那市なんて大河ドラマの誘致でいっぱいだぞ。
738 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 12:42:18 ID:qb2uYGTy
>>726 忠誠心・・・?
最後に一華咲かせたかっただけだろww
確かに正室は大谷吉継の娘、側室に秀次の娘、若い頃大坂に出仕、羽柴姓ゲットと豊臣ベタベタだが。
739 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 13:01:35 ID:Gx6hT/9i
>>738 羽柴姓もらうと豊臣にベタベタなのか?
実際そうでもなくね?
740 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 15:44:34 ID:QlSFw+Yi
三成が挙兵しなければ、豊臣政権は安泰だったのかな?
悪くてもお家存続はできた?
741 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 19:29:13 ID:c6Qrh92c
>>731 たしか、「信濃の国」では仁科五郎が歌われていたはずだけど、
知名度的にはどうなの?しかも、歌詞の中で’信盛’と諱が間違ってるし
742 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 20:07:01 ID:TT3keynZ
>>739 あれ幸村って豊臣性許されてなかったけ?
743 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 22:23:21 ID:V4BI20f2
>>725 大阪の秀吉人気は安土桃山時代から変わらないよ。
今でも太閤さんの愛称で親しまれてる。
大阪の子供は大阪城は遠足で絶対に行くし。
>>740 豊臣が徳川の言いなりなら生き残ることはできたんじゃない。
千姫も嫁がせてるわけだしね。
744 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 22:40:14 ID:8XDxVSUi
745 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 00:07:50 ID:JztexT4O
長野県人だけど
村上は嫌いというより、弱虫という風に捉えられてると思う。
震源に追われて、上杉に泣いて頼ったってイメージ。
長野県人でも震源好きは結構多いよ。
>>741 仁科五郎って誰って感じ。マジで初めて聞いた名前ですね。
ちなみに松代高校は数年前まで、高校野球のユニフォームの袖に六文銭の刺繍がついてた。
その後、甲子園に出場したときには、そのマークは残念ながら取れていた。
高野連かどっかの「ふさわしくない」というお決まりの文句で、はずすことを余儀なくされたようだ
全国に六文銭をはためかす事はできなかった。
ちなみに上田高校は甲子園に二回出場してるけど、ユニフォームに六文銭の刺繍などはない。
他の部のジャージなどにはついてるけどね。
746 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 01:14:41 ID:oMXd4qIf
仁科五郎ってれっきとした信玄の息子なのに、知名度薄いのね。
もしかして勝頼の方が持ち上げられてる?生母も信濃の出だし。
747 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 01:45:55 ID:cBuvH7wk
>>736 真田真田ってどういうことよ? 武家屋敷とかめっちゃ観光に
力入れてる感じしたぞw
748 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 09:25:12 ID:vuBJJQ+U
大阪じゃ秀吉なんてなじみないって
他県の人からすればありそうに思うかもしれないけど
749 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 10:59:41 ID:xrPMgFdp
>>746 高遠城跡に行くと仁科盛信のことは紹介してあるけど。
勇将って書いてあったよ。
750 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 15:09:42 ID:L9vKQuFd
明日は待ちに待った“真田の本懐”の筈なのに…。
……何故か、心が浮き立たない〜!
751 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 17:27:23 ID:xrPMgFdp
真田の謀略は昌幸の方が印象に深い。
752 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 23:46:06 ID:lO31cnPv
>>747 旧城下町だったことを売りにしようとはしているけど、あくまで松代藩が売りで
あって、あまり真田を売りにはしていない感じ。ちょっと前までだと松代といえば
佐久間象山だったわけだしね。
753 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 01:03:47 ID:6TYTsjtZ
今は栗林中将ですかね(w)
754 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 02:07:43 ID:a22eX1yA
松代は、真田資料館が真田一色だったな。
海津城はしょぼかったし・・・・大本営の洞穴が松代では一番の見所だったと思う。
755 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 12:49:04 ID:5e/0by5h
真田以外にあまり誇れるものがないのでは?
756 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 00:44:30 ID:H1O9rgZ+
上田市の中に真田町って場所があるから行ってごらん。
町を挙げてアピールしてるから。
757 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 08:04:39 ID:X/fUMqkZ
風林火山だめだなこりゃ
完璧に真田馬鹿にされてるわ
758 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 09:39:01 ID:o9iSyyb3
今まで散々贔屓されてきたんだから大目に見ろ
759 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 18:48:14 ID:bh5yimI5
手柄横取りは大河の常。
去年に比べりゃ大した事無い。
760 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 21:19:35 ID:Dv6uQ36Y
あれだけ出してもらえているだけでも良しとしよう。
原作にはほとんで出ないらしいし。
761 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 22:08:57 ID:wYXrelLU
しかし読んでないから噂の域を出ないが、結局ドラマで面白い
とこって殆ど原作にない、なんだよねw もう原作決める必要が
あるのかとw
762 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 00:29:58 ID:H1wBl7iy
763 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 01:18:04 ID:gHbouOv0
>>759 去年のやつは、竹中・黒田ファンにとっての鬼門ですw
764 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 21:29:44 ID:rSK1Zyz1
関ヶ原後の黒田長政のいいエピソードを横取りされたよね。
期待して見ていただけに、あの時は頭にきた。
765 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 21:39:02 ID:7onsBchP
所詮は大河ド・ラ・マ!クールに見なきゃ。
…なんて言ってた俺を罵ってくれてよい!
我が身に降りかかって初めてわかる事なんだねぇ…。
766 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 19:37:44 ID:IrQsZJ2Q
そう言えば信長が頭蓋骨杯にした時に厳しく諌めた話もドラマでは捏造オンパレードだな
767 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:13:08 ID:5OpH6YYS
大河ドラマでは史実を元に再構成したフィクションです。
場面により、もしくはこれから先の事態によりましては史実と異なる場合がございますのでご注意下さい。
もう最低でもこれくらいはほしいよ。
768 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:54:49 ID:GCKPuahT
初めて来たが、いきなりのペニス娘にはびっくりした。
769 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 23:30:44 ID:pafRFw8N
おのれ、面妖な!!
各々方、臆してはなりませぬぞ!
770 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 18:01:08 ID:lpQJ38iy
某スレにて色々名前があかってますが、真田党としましては誰にやらせたいです?
09'大河の幸村様。
771 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 18:30:37 ID:TRpmvIpt
CGでいいよ
どうせ内容も期待できないし
772 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 20:08:31 ID:0p6YC02D
真田広之でいいよ
あの人のネックの身長もかえって幸村らしい
773 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 20:09:39 ID:0p6YC02D
日本で三国志やる場合には曹操役を演じてほしいとも思ってる
774 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 02:21:00 ID:yqOpn/pc
今回は若い頃メインみたいだけど。
まぁ“宇宙からメッセージ”の頃のなら広之っちでも良いが…w
775 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 05:41:01 ID:YlfBEecU
大河を扱ったスレみるとなかなか“真田太平記”は評価が高いな記念保守
776 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 00:32:56 ID:i+uPNpVp
長篠で昌輝が生き残ってたら面白いことになる気がした
八幡原戦で信綱が信玄本陣を決して離れなかったって言う説あるけど
信綱は別働隊のはずだから昌輝か昌幸か信昌のことかな
あの状況だと百足衆はあっちこっち行ってるだろうから昌輝も違うか
777 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 00:40:13 ID:QcVyRV9o
百足衆は近衛的な役割もあったから、本陣をずっと守っていても不思議はないべ。
778 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 04:26:42 ID:hMc31BOx
武田時代の真田兄弟の話をもっと聞きたいものです…。
779 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 19:27:03 ID:uR0U6n8Z
真田の子孫ってどのくらいいるんだろ?
信繁の直系は絶えてるの?
780 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 19:47:11 ID:wOkVm8tl
スレ全部読め
781 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 18:14:26 ID:xOCVMF/T
782 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 20:02:24 ID:KtNTaKXs
兄二人は有名なのに弟二人(昌親と信勝)に関してはほとんど情報ないんだよなぁ。
やっぱ母親の身分が低かったとかなのかね。
783 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 21:18:33 ID:CPq4eoKM
>>779 松代藩は養子が入ってる。
信繁の直系は、伊達藩関係に男系も女系も混じってるから、かなり残ってそう。
>>782 最も武田クラスですら、沢山いる信玄の兄弟で知られてるのは信繁とせいぜい信廉くらいだし…
兄弟全員知名度あるって方が珍しいと思う。
784 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 21:28:24 ID:NemjL+pl
信勝は去年だか一昨年だかの正月の土井利勝でちょこっと出てたな
従弟も旗本で同名(政信とも言うが)だからややこしい
昌親は信之の家老で池田長門と一緒に沼田へ帰ったんだよな
息子の養子が三代幸道の養嗣子となって四代の蔵人信弘になるんだっけか
785 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 03:47:46 ID:3MqYeTk7
埼玉の忍城は真田に攻められながらも落城しなかった。
総大将は真田ではなく石田だが。
786 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 04:33:13 ID:xZ8OXgaE
あれは攻めたってより、遊んでたレベルだ
ましてや真田が落とせなかった城なんていう表現は、ありえねーよ
787 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 16:30:55 ID:c1bTdmxY
>>782 ですなぁ。
真大厨の私くしなんぞはつい二人兄弟と考えて仕舞いがちですからな〜。
一族郎党ことごとくをフォローしたドラマ……は無理ですねw
788 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:06:58 ID:0IE1JJzk
俺は将来頼綱、昌輝、信尹を主人公にした長編の小説を書きたいと夢見ている
789 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 06:57:24 ID:5BhDOA//
9割方、創作になりそうな小説だなw
790 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 18:35:58 ID:rdLQ4ndd
ちゃんと調べれば三人ともそれなりに史料はあるんだぜ
いや、ごめん、昌輝の影の薄さは異常
791 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 10:40:04 ID:Lk1ezAR9
又、変な真田スレが出来てた…orz
792 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 10:40:16 ID:VmPVvyGC
“09'大河”の配役発表はまだか!?ほしゅ〜
793 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 21:44:01 ID:b0Y290Tn
直江大河には真田も出そうかい?
794 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 02:31:17 ID:pBOSASPC
信繁はまず確実に出るでそ
795 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 12:28:57 ID:IgzZlojy
「幸村」と「信繁」、どっちの名前ででるのかな
796 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 13:35:20 ID:CMLLJRA1
『歴史群像』で真田の特集号が出てますね。
797 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 13:45:55 ID:uqEG4CmL
テレビ局ってのは信繁なんて使わんでしょう
798 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 13:53:12 ID:uqEG4CmL
ところでその信繁、自分が知ってる限りだと
風貌に限ってははかなーり冴えないものしか知らない
異説があれば知りたいが
そこで最近もしもそれに忠実にキャスティングしたら誰だろう
と考えたら、特に大坂の時期なら温水洋一あたりが適役かなと思ったりしたが
どうよこれ
まさか過去ログ・他スレでガイスツ?
799 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 14:01:42 ID:35adFz33
大河に出るってんなら人質時代からだろ?
若い奴が演じて、そのまま老けメイクさせるだろ、常考。
800 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 14:06:16 ID:uqEG4CmL
いや単純に大坂の陣をドラマ・映画化した場合
801 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 14:13:20 ID:35adFz33
分かってるのは、小柄だった事、
兄貴の発言から柔和であった事、
姉貴への手紙から歯が抜けていて髭が白かった事だろ?
必ずしも「冴えない」訳じゃなかろう。
802 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 15:24:28 ID:OfgtIZgO
伝わってる肖像画見ると「冴えない」と言われても文句は言えない
803 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 20:36:42 ID:4zDNINrV
何も肖像画に似た奴を抜擢する必要もない
あくまで創作なのだから、山県昌景が長身の美男子だろうが徳川家康がやせ細っていようが
演技がうまく、筋に破綻がなく、物語が面白ければそれでいい
確かにドキュメンタリーでの脚色は眉を顰めざるを得ないが
804 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 23:08:05 ID:o4PGmpds
実際に史実と違うと文句言うくせにwww
805 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 23:22:28 ID:sy6EqN1B
家康は小牧・長久手あたりまでは痩せてたろ。
806 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 01:24:18 ID:kHKpp3qM
>>803-804 お前らワロスw
歴史の嗜み方なんて人それぞれだろうに何言ってんだwww
807 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 01:31:35 ID:Mb4hDm+H
808 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 09:05:52 ID:ckR3rtCk
あの時代の肖像画なんてカコイイ方が少ない
イケメンと言われてる信長や長政、利家ですら肖像画では不細工
809 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 09:43:31 ID:Yj0REOWN
イケメンやブサイクの基準が現代とは違うだろうからな
810 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 14:32:41 ID:N2v/gUOe
やっと調べ終わった。おおまかだが直系現存子孫数。
信綱系 福井県を中心に約700人
昌輝系 福井県を中心に約530人
信之系 宮城県を中心に約3170人
信繁系 宮城県を中心に約2240人
811 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 18:11:14 ID:DnirU/KG
ほとんどが詐称だけどな
812 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 22:03:54 ID:kHKpp3qM
わざわざ信綱系を名乗る人がいるのか
去就のはっきりしている昌輝-信正系ならともかく
813 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 16:30:05 ID:VcWcyDq1
童心を無くしたからか、信繁系の大半は詐称だろうな、と穿った目で見てしまうw
814 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 18:18:10 ID:vGZup+yX
自称信繁子孫は、粘着質なのがいるんだよな
そいつのせいで掲示板を閉鎖したHPがいくつかある
815 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 02:05:22 ID:IGN2iAuK
そういう奴、視野広げて現実見ろよと言いたくなる。
関わりたくねぇ…
816 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 02:14:47 ID:iZYkfczN
どんなやつだ?
817 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 15:51:59 ID:v1YvCqN4
818 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 18:22:40 ID:VqDRIq/5
>>817 Wikipediaで叩かれてから大人しいよね
819 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 20:11:50 ID:WJ05RD2b
>>798 特に大坂の時期なら温水洋一あたりが適役かなと思ったりしたが
いいな、其れ…。
世間の幸村様像がどうなるか…w
しかし、名優ぬっくんではあるが、果たして大音声で号令をかけたりする様な抽斗があるかな?
あくまで、最終的には…「かっこいい〜!!」…って思われる様で無いとね。
820 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 21:06:53 ID:PcwHPZw7
上田時代はまあそれなりだったかもしれんけどね
少なくとも風貌は九度山から変わっちゃったみたいだし
でもそのギャップがいいとは思うね
確か信長だってフロイス?によると声は高かったというから
アメザリの片方とかねwww
逆に秀吉は見かけは猿っぽくなかったとかいうし
そもそも猿とは呼ばれてなかったんでしょ
だから役に入れ込んじゃえばあの貧相な感じが逆に真田の悲壮感が漂っていいかもよ
821 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 10:22:32 ID:14aTIvjZ
信繁の自称子孫って…血が引き継がれてない
信繁は物静かで温厚な普段あんまり目立たない人でガチなのでは
822 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 00:55:25 ID:cz7j0+b1
うちの近所に信繁の息子の墓がある。過去レスにも出てたけど。
その近所には今も真田さんが住んでる。そこの当主は高知で医者をやってるらしいが。
823 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 18:16:12 ID:nEWsjUyk
墓は幾つあってもおかしくないしな
誰の墓?
824 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 19:04:33 ID:mTOKmt67
子孫じゃないけど苗字が真田なので自己紹介のときにいつも真田幸村の末裔ですと言ってる。
そうすると「おおーっ!」となって、後の話がしやすくなる。
就職の面接のときもこれで乗り切りました。
825 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 19:15:26 ID:kT+ViHdQ
826 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 22:55:33 ID:KT9jlTwS
まともな実績があるのは幸隆ぐらいだね
827 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 23:10:20 ID:7OebkBQR
828 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 01:23:14 ID:mJBbolZ9
829 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 01:25:39 ID:LNGg5+hJ
信繁って戦国時代の人物で列伝にしたら昌幸の附伝になりそうだな。
830 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 01:33:25 ID:uxuQVaY5
>>824 考えて見ると信之公の子孫と言うより幸村様の子孫と言った方が洒落になるのかw
此れからは子孫はヤマトの技術班長です…も加えて下さい(名前ウラヤマシス)。
831 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 08:13:53 ID:sj8XkPqE
>>829 そりゃそうだ
年齢的には加藤清正とか伊達政宗とかあの辺の世代なんだけど
親が良くも悪くも凄かったからな
832 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 11:21:23 ID:StoFoFbZ
ばれそうになったらこんな事もあろうかとこの偽家系図を用意したってなもんだな
833 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 17:30:10 ID:lefXtO+Z
ゲリラっぽいね
真田家は
834 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 19:35:38 ID:WotDrvl1
>>830 信繁を知っていて、信之を知らない人は腐るほどいるけど、
信之を知っていて、信繁を知らない人はまずいないだろう。
835 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 19:42:47 ID:YfyqVpqc
>>834 幸村を知ってて信繁を知らない人が圧倒的かと
836 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 20:57:53 ID:RZwVDhhW
837 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 21:00:15 ID:RZwVDhhW
違った、之親
838 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 21:32:03 ID:sj8XkPqE
之親は四男かそれくらいじゃね? 讃岐に逃れた奴だよな
ていうか11人もいたのか、息子?
839 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 00:25:36 ID:lagrv42q
>>838 そう、4男。俺がボケてた。
讃岐に信繁共々落ち延びてきて在地の武将んとこに数年寄食してたってさ。
信繁の件はまずありえないが、息子がこんなとこに来るんかねぇ。
でも
>>691以降のレスは初めて聞いた見解だから新鮮だった
840 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 16:59:34 ID:5wFK0nlH
昨日、信之が主役の池波正太郎作「獅子」を完読しますた。
どこまでが創作か分からないけど、いつもは日陰者のお兄ちゃんが
かっこよく描かれてて、よかったとおもいます まる
841 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 20:20:16 ID:3DMo7+ch
信之は親父と弟のせいで完全に割り喰ってるよな・・・
犬伏の別れにしたって、家を残すための昌幸による功績になってるけど
むしろ評価されるべきは信之だろうに・・・
関ヶ原後の助命嘆願にしたって信之が徳川譜代からの評価が高かったから成功したってのに・・・
不憫だ・・・
842 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 22:35:29 ID:GC8Wezr+
真田氏に関する専門書で最も詳しく一冊は「真田昌幸のすべて」かな?
他にありますか?
843 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 01:23:05 ID:3lmynLLl
なんで信繁が幸村って呼ばれるようになったん?
生前から幸村って呼ばれた訳じゃないよね
844 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 01:46:03 ID:ecenHLqj
>>843 「幸村」という名前が使われた当時の史料が残っていないというだけで、
必ずしも間違いであるとは限らない。
自分こそが真田家の真の後継者だとして、
大阪の陣あたりで「幸」の字を使っていたっていう可能性もあるしね。
幸村の由来に関しては真田家の通字である幸の字に
お姉さんの村の字を足して出来たという説がある。
845 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 01:48:46 ID:rqNdHxoV
はっきりわかってないでしょ。
江戸時代に徳川を相手に戦った、「真田信繁」の武勇伝を語るのは不味いってことで、通称っぽいけど、
なぜ「幸村」かは、不明では。
個人的には、父の昌幸の「幸」と、徳川家に妖刀として恐れられた「村正」をかけて、「幸村」かなぁと思っている。
846 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 01:58:05 ID:oKk/FIlI
>>844 >自分こそが真田家の真の後継者だとして、
大坂の陣じゃ、兄を憚って「六文銭」を使わなかったと聞いたことがあるので、
それはない。
847 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 02:21:28 ID:HOmyshPi
信幸って胃に穴空いてそうなイメージがあるw
848 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 02:28:00 ID:ecenHLqj
>>846 実際に図屏風に旗指物が描かれてるから
六連銭が使われなかった事は確かだろうし、
それは信之の立場を考えての事と見るのが自然だろう。
ただ、豊臣方内部でどう名乗ったかという事とは別。
豊臣家中では真田をアピールする必要があっただろうしね。
まぁ、何の根拠も無いし、あくまで可能性の話だけど。
849 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 02:40:22 ID:nkpyNI+k
真田をアピールしすぎるのは逆効果かと。
信之、信尹等、親族が軒並み徳川方に属していた中で。
内通を余計に疑われることになったろう。
850 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 02:54:12 ID:ecenHLqj
>>849 真田が徳川譜代の家臣なら問題だけど
問題なのは親族が敵方に属しているという事だろう。
「真田」を強調する事に何の不都合も無いと思うが。
兄貴は「幸」の字を捨てたわけだし。
それよりも父親と違って戦歴も知名度も乏しかったであろう
彼の発言力を高めるには有効な手段かなと思ったんだがね。
851 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 03:01:54 ID:nkpyNI+k
いやいや、なんか支離滅裂だぞ。
さっきは「真の真田の後継者として」幸の字使ったっていうが、
その時点で信之が「幸」の字を捨ててる時点で、対抗になってないし。
大体、
>>846の言うとおり、兄に憚って旗印まで意識してるのに、
内部だけでこそこそ別の名前を名乗るなんて、まずあり得ないだろ。
そもそも
>「幸村」という名前が使われた当時の史料が残っていないというだけで、
>必ずしも間違いであるとは限らない。
なんて言いだしたら、どんな名前でも間違いとは限らないって言えちゃうじゃん。
あんた適当すぎ。
852 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 03:11:30 ID:rqNdHxoV
歴史的には、資料に残ってないことは、あるかないかの2択では、「ない」が基本だからね。
立証不可能な時点では、ただの妄想でしかない。
それに、内外で別の名前を名乗るなんて、流石に無理があるような。
内部の人間で生き残ってる人間も少なくないし、息子や娘も生き残っている。
こういうケースにも関わらず、全く資料に残っていない時点で・・・・
大体、別の家名を継いでいて、「真田」性に復すことはあっても、
真田という冠が元々あるのに、「幸」の字を付けることで、発言力が高まるなんてことはない。真田家中ならともかく。
853 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 03:14:54 ID:s5Lj5628
854 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 03:35:02 ID:nkpyNI+k
通字にしても、伝統あるものならともかく、「幸」なんて通字と呼ばれるほど繋がってない件。
幸綱(幸隆)の後継が真田信綱である時点で。
真田家にも多い「信」があくまで武田のものと考えると、「綱」だったんだろうな。
武田滅亡後も「信」が多いところを見ると、当初から「信」だったかもしれない。
どちらにせよ、大坂の陣の時代では、「幸」が真田の通字なんていう認識は周りになかったはず。
信之が「幸」の字を改めたのは、あくまで父親の「昌幸」の「幸」の字であって、真田の通字としてではないのでは。
855 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 03:38:58 ID:rqNdHxoV
両者が真田家を名乗り、「真田家」を残すことが目的である以上、
自分の方が真田家の本筋と主張するためにも、「幸」が真田家の通字だったとしたら、
真田の本流を担う信之が捨てるわけがない。
856 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 03:42:06 ID:ecenHLqj
>>851 言ってる意味が通じてないな。
> さっきは「真の真田の後継者として」幸の字使ったっていうが、
> その時点で信之が「幸」の字を捨ててる時点で、対抗になってないし。
信之が「幸」の字を捨てる事で徳川に敵対した真田家との関係性を否定したように、
信繁が「幸」の字を使う事で逆に徳川に敵対した真田家との関係性を強調できる。
実績のある父親の威を借りる事も出来る。
> 内部だけでこそこそ別の名前を名乗るなんて、まずあり得ないだろ。
こそこそも何も信繁が公に諱を用いる事なんて無いだろ。
> なんて言いだしたら、どんな名前でも間違いとは限らないって言えちゃうじゃん。
江戸時代から伝えられている物であり、荒唐無稽の物ではない。、
一次史料に残っていないというだけで完全な否定は出来ないんだって事だ。
「幸村」を100%間違いだと言い切る方が適当すぎると思うがね。
857 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 04:04:53 ID:rqNdHxoV
>>856 だから、その時代の真田の通字が「幸」なんて、そもそも立証されてないだろ。
立証すらされていないことを前提として、さらに仮説を加えるなんて適当すぎだっての。
>信繁が「幸」の字を使う事で逆に徳川に敵対した真田家との関係性を強調できる。
意味不明。信繁そのもの(というかだけ)が敵対してる真田家なのに、関係性を強調も糞もない。
>江戸時代から伝えられている物であり、荒唐無稽の物ではない。、
>一次史料に残っていないというだけで完全な否定は出来ないんだって事だ。
>「幸村」を100%間違いだと言い切る方が適当すぎると思うがね。
悪魔の証明って知ってる?
858 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 04:16:07 ID:nkpyNI+k
江戸時代から伝わってるなんて言っても、1672年の軍記物が初出なんでしょ。
それすら死後50年以上経ってる上に、フィクションでしか出自が確認できない…
それを昔からあるから、荒唐無稽の物ではないなんて言われても…
ただの迷信を、昔から伝わってるから荒唐無稽じゃないって言ってるのと同じレベル
859 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 04:30:32 ID:ecenHLqj
>>857 > 意味不明。信繁そのもの(というかだけ)が敵対してる真田家なのに、関係性を強調も糞もない。
関係を強調したいのは徳川家と敵対した昌幸の真田家だという事だ。
っていうか、そんな事
>>856見りゃ分かるだろ。
昌幸が父親から貰った幸の字を自分も使えば、それに意味はあるだろ。
> 悪魔の証明って知ってる?
こういう場合に使う言葉じゃない。
860 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 04:33:37 ID:rqNdHxoV
>>859 「真田信繁は真田幸村とは名乗っていなかったことを証明せよ」
この答えが「史料として残っていない」ことが理由にならないんだったら、証明しようがない。
密かに名乗っていた、史料として残っていないだけなんていう主張が通るんだったら、悪魔の証明そのもの。
もろにこういう場面で使うべき言葉ですが?
江戸時代から伝わってたら事実かもしれないなら、源義経がチンギスハンだったってのも否定できないんだな。
真田信繁も豊臣秀頼を守って、九州に落ち延びたんだろうさ。
861 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 04:37:57 ID:nkpyNI+k
「真田幸村は史実だ(否定できない)!」と主張している人が、
「真田幸村は史実ではないと証明しろ!」と求めている図なんだから、悪魔の証明そのものですね
あることを立証できていないのに、ないことを立証することを求めているんだから
862 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 04:45:39 ID:nkpyNI+k
真田の通字でもない「幸」を、仮に名乗る意味があったとして、
「幸繁」や「幸信」等ならば、まだ納得がいく。秀頼からも1字いただいて、「頼幸」とかな。
幸はまだしも、「村」が根拠なさすぎなんだよ。姉から採ったなんて、史実としては絶対に考えられない。
幸を加えたいなら1文字改めるのが普通で、いきなり2文字代えて、「村」が出てくる意味が不明。
姉の名前だ、村正だの、創作としか思えん。
863 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 05:02:39 ID:ecenHLqj
>>860 だからね、証明がどうこう言う問題じゃないって言ってんの。
>>844見れば分かると思うが、
「幸村という諱が必ずしも間違っているとは限らない」って言ってる訳で、
「幸村と名乗っていなかった事を証明せよ」だなんて言ってないの。
飽く迄、可能性の話をしてるわけ。
分かる?
> 江戸時代から伝わってたら事実かもしれないなら、源義経がチンギスハンだったってのも否定できないんだな。
> 真田信繁も豊臣秀頼を守って、九州に落ち延びたんだろうさ。
一応松代藩でも使っていた諱とこんな事を一緒くたにするかね。
>>862 そもそも諱なんてまるっきり変える事はいくらでもあるんだが。
864 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 05:12:34 ID:rqNdHxoV
結局、証明しようがないことを、「必ず違うって言い切れないんだから、否定すんな」って主張してるじゃん。
貴方は違うと思いたいようだが、「こんな事」と同レベルの主張だよ、あなたの。
ちなみに、信繁九州説は、過去帳や古文書に残ってるのも知らないの?
出自がフィクション以外に確認できないものより、ある意味、信憑性あるんじゃない?
865 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 05:43:29 ID:nkpyNI+k
同じ可能性の話を、自分の主張は可能性がある、別の可能性はこんな事呼ばわりw
あくまで可能性なんじゃないのかな〜?
それとも、信繁が九州に100%行っていないって証明でもしてくれますか?
866 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 05:51:07 ID:ecenHLqj
>>864 証明しようの無い事を証明しろと言ってるわけじゃなく、
証明しようの無い事を完全に否定する事も肯定する事も本来は正しくないって事だ。
そこで、仮に「幸村」を名乗っていたとしたら〜かもね、という話をしただけ。
> 貴方は違うと思いたいようだが、「こんな事」と同レベルの主張だよ、あなたの。
当時複数の諱を使用する事は珍しい事じゃない。
当然、一次史料に残っていない諱もあっただろう。
信繁が複数の諱を使用していた可能性や、
その中に「幸村」という物が含まれていた程度の可能性と
歴史的事実に大きく関わるような事が同じレベルの事だと言うなら話にならない。
867 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 05:55:30 ID:rqNdHxoV
自分の主張が通らないと、可能性で逃げるのに、他の可能性は、話にならないで逃げるのな。
こっちからしたら、優良文献に全く残っていないうえに、
初出典としてフィクション文献が上がっているという状況証拠まで揃っているにも関わらず、
「可能性」の一点張りにしてる方が、話にならないよ。
868 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 06:37:02 ID:ecenHLqj
>>867 > 自分の主張が通らないと、可能性で逃げるのに、他の可能性は、話にならないで逃げるのな。
何言ってんの?
話にならないってのは、比べる物の対象を同列に語る事に対してであって
九州生存説自体について言っているんでは無いんだけど。
正確にその可能性を論ずる事がほぼ不可能であるような事と
前後の状況によってその可能性の高低を論ずる事が十分に可能な事を比べる事な。
> 初出典としてフィクション文献が上がっているという状況証拠まで揃っているにも関わらず、
> 「可能性」の一点張りにしてる方が、話にならないよ。
普通はそれまで通説とされていた軍記物に書かれている事と
より信頼性の高い史料との食い違いにより、軍記物が否定されると思うんだが。
初出が軍記物だって事自体が否定する状況証拠になるのか。凄いな。
869 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 06:40:20 ID:nkpyNI+k
>>866 こちらも言い過ぎたとは思いますがね。確かに一次史料に残っていない諱もあったでしょう
けれど、松代藩でも沼田藩でも仙台藩でも全く見られなかった、全くの無名が突然にフィクション小説に登場した…
「実名」で書くのなら、その時点で知名度のある「真田信繁」を用いたでしょうし、唐突に「幸村」を用いた理由がわかりません
徳川家への配慮が理由と考えても、知名度が低いものであっても実際の諱を使ったら信繁の名を伏せた意味がないと思うのです
信繁縁の家々にも伝わっていなかった諱を、死後60年近くも経って、どうやって筆者が知ったのかも疑問が残ります
可能性がゼロでないことは確かですが、現状では「幸村」を名乗っていた全く証拠がないことが事実だということも認めて下さいな
870 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 06:46:07 ID:rqNdHxoV
>>868 「九州に逃げ延びたかどうか」ってことと同レベルで、
「全く信頼性の高い史料残ってないけれど、名乗っていたかもしれない」っていうのは、
可能性を論ずることが不可能である事ですよ?
あなたの言うように「一次史料に残っていない諱もあった」なんて言いだしたら、全ての名を否定できなくるもの。
信頼性の高い史料の数々で「幸村」の名は存在しない。軍記物で初お目見え。
軍記物だから否定ではなく、軍記物より以前に全く記録がないこと、これが史実でないとの食い違いですが、何か?
871 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 07:06:31 ID:ecenHLqj
>>869 だから、そもそも俺が「幸村」という諱が実際に使われていただなんて主張はしてないんだよ。
ただ単に実際に使われていた可能性も完全には否定できないって話をしただけだ。
まぁ、大坂城から上田に出された書状でも「信繁」になってるから
幸村と名乗っていた可能性は低いと思うがね。
飽く迄可能性について言っているだけの事を躍起になって否定する事の意味が分からない。
>>870 「可能性を論ずる事が不可能」っていうのは諱に掛かってるんだけど・・・。
もうちょっと理解してからレスしてくれよ。
軍記物より以前に全く記録がないこと=初出が軍記物
同じ事言ってるだけなんだけど、何が言いたいの?
872 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 07:15:40 ID:rqNdHxoV
何言っても無駄みたいだな。
ご自由に幸村、幸村言ってれば。
873 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 07:20:57 ID:ecenHLqj
>>872 結局それかよ。
本当に日本語が理解出来ない人だったんだな。
かわいそうに。
874 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 07:38:09 ID:rqNdHxoV
>>873 日本語を理解してくれ、もうちょっとでいいから。
人がいってることを全く理解できてないのは自分だという自覚すらできないとは・・・
875 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 07:40:30 ID:yn6Duybh
876 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 07:41:58 ID:rqNdHxoV
>初出が軍記物だって事自体が否定する状況証拠になるのか
↑そのものではなく、「幸村」の名前が松代藩の記録にしろ、追従する形でしか存在しない。
松代藩が急に幸村を用いた理由に、書状が見つかった、用いていた事実が確認された等がない以上、
軍記物から世間で一般化されたものから用いたと見るのが普通で、それは状況証拠になりうる。
少なくとも、時系列を辿っていけば、頭に軍記物が来てしまうことは事実。
いちいち、理解が足りない奴、理解しようとしない奴に書きつづってられませんわ。
偉そうに語るなら、もう少し勉強してから出直してこい。
877 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 07:44:03 ID:ecenHLqj
>>874 今度は鸚鵡返しか?
>>871の内容には結局何も触れず、
> だから、そもそも俺が「幸村」という諱が実際に使われていただなんて主張はしてないんだよ。
こう言っているにも拘わらず、
> ご自由に幸村、幸村言ってれば。
って言ってる人間が日本語を理解しろとはどういう事か。
878 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 08:19:22 ID:ecenHLqj
>>876 だからね、何度も言うようだけどあんた言い様だと「難波戦記」に書かれた「幸村」という諱が
万年や二階堂が創作した物だという事が前提になってるだろ。
ただ、これが創作であったのかそうでないのかを証明するのは非常に困難だ。
歴史的事象なら兎も角、世間一般に伝わり難い諱なら尚更。
だからこそ、「必ずしも間違いであるとは限らない。」と言っただけの事。
> いちいち、理解が足りない奴、理解しようとしない奴に書きつづってられませんわ。
もうこれ、そのまんま返すわ。
879 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 08:29:50 ID:rqNdHxoV
>>878 といいながら、「幸村」が史実かなんて、全く確かな物証が残っていないものよりも、
よほど資料や伝承が残っていて、史壇にまで挙げられた信繁生存説を「まがい物」だと一蹴してるんだよな。
あなたは、単に自分主張していることだけ、「悪魔の証明」で立証できないことをいいことに、
「間違いとは限らない」と言いながら、一方で「事実とはいっていない」と逃げ、
さらに、信繁生存説については、証言から書かれたという書物、松代藩、薩摩藩を初めとした数多くの伝承があり、
「必ずしも間違いであるとは限らない」にも関わらず、ネタ呼ばわり。
ダブルスタンダードも大概にしろ。
880 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 08:51:53 ID:H7Km6Zt1
>だからね、何度も言うようだけどあんた言い様だと「難波戦記」に書かれた「幸村」という諱が
>万年や二階堂が創作した物だという事が前提になってるだろ。
>ただ、これが創作であったのかそうでないのかを証明するのは非常に困難だ。
>歴史的事象なら兎も角、世間一般に伝わり難い諱なら尚更。
>だからこそ、「必ずしも間違いであるとは限らない。」と言っただけの事。
間違いであるとは限らない=正しい可能性がある
という事は、正当化するだけの、可能性を証明するだけの史料的裏付けを提示しなければ話にならないと思うが・・・
「可能性を否定出来ない」なんて言葉は、その「可能性」を少しでも出すだけの根拠無きゃだめだよ
881 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 08:57:44 ID:rqNdHxoV
「幸村」の名が、一切の史料に伝わらないほど、ひっそり裏で使われていたとしても
初代の信之の書状など数多くに残り、最も一般的だったであろう名は「信繁」であったことは確か
もちろん、松代藩では、当然ながら信繁の名が用いられていた
にも関わらず、なぜ唐突に幸村を用いたか? それは、軍記物によって一般的に広まった結果であることは明白
仮に軍記物が発行されなかったり、軍記物で「信繁」であったりすれば、信繁のままだった事は疑いない
最初の2行の通り、仮に「幸村」の名が事実存在したとしても、普通に使われていたのは信繁だったにも関わらず
松代藩が、途中から史料に残る信繁ではなく、一切史料にない幸村の名を採ったのは、「一般的に広まった」以外に考えづらい
上記の理由から、幸村の名が事実としても、当初、松代藩が用いるほどに使われていた名前でないことは疑いない
松代藩に幸村の名が残ったのは、間違いなく軍記物の影響、世間に広まった結果といえる
「幸村」の真偽を問わず、採用理由に上記の理由が含まれる以上、用いられたこと自体にさした史実的影響力は持ち得ない
軍記物で一般的に広まった以外に、数多く史料に残る信繁の名を変えてまで、「幸村」を用いた理由があるならば、
確たる史料なり文献が残っていなければ不自然であり、「全く」残っていない現状は理解しがたい
882 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 08:58:18 ID:H7Km6Zt1
あ、それと
>幸村の由来に関しては真田家の通字である幸の字にお姉さんの村の字を足して出来たという説がある。
説もあるというなら、その説を唱えてる人の名前、紹介してる著書ぐらい書こうね
学説ならいいんだけどね
883 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 09:04:40 ID:nkpyNI+k
徳川の時代で信繁の名が憚られるとき、どうやって作家が幸村の名を付けたかって、そういう話じゃなかったかなぁ
史実扱いで、あの時代に姉から貰った、刀の名前から採ったなんて、説にすらならないでしょw
史実として唱えてる書があるなら、知りたいから教えて欲しいな
884 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 09:11:20 ID:H7Km6Zt1
幸隆か幸綱かの論争なら、まだ「可能性」があるんだけどね
でも幸村ってのはないよな〜
そういえば寛永譜で幸村とあったっけ?
「寛永譜」は信繁で、天保十四年完成の「真田家御事蹟稿」で幸村だったと思う
885 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 09:51:30 ID:ecenHLqj
>>879 九州生存説に一次史料が残ってるのか?
初出は 「胆大小心録」だと思ったが。
古文書は「薩摩風土記」の事か?
それがお前の言う優良な史料なのか?
そもそもネタ扱いで出してきたのはお前だろ?
それとも何か?義経生存説にも優良な史料があるのか?
歴史的事象について否定する論拠は幾らでも見つけられるだろう。
だが、諱が使われていたかどうかを確かめる事はほぼ不可能だ。
そういった性質の異なる両者を同列に語る事自体がおかしいと言ってるんだ。
> 「間違いとは限らない」と言いながら、一方で「事実とはいっていない」と逃げ、
何言ってんの?
必ずしも間違いとは限らないっていうのは間違いか間違っていないか分からないって事だぞ?
事実とは言っていないという事とどこに不合理性があるんだ?
>>881 それまで言っていた事と何ら変わってないじゃないか。
>>883 あのな、それは
>>843の「何故幸村と呼ばれるようになったか」という質問に対するレスであって
実際に幸村という諱が使われていたかどうかとは全く関係無い話なんだが。
頭大丈夫?
886 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 10:53:12 ID:znneri2C
お前、信繁生存説が事実って主張されてるんじゃなく、
限りなく疑わしい信繁生存説よりも、幸村名は資料として残ってないって言われてることにも気付けないのか
887 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 10:56:05 ID:znneri2C
>>843は、お前が過去レスで主張してる「松代藩も使ってる」からって理由に対して、
幸村と呼ばれる理由はこうだから、松代藩が使ってる=幸村の信憑性にはならないって言われてるんだよ
いちいち、他者にまで解説して貰わないと理解できないなら、いい加減に議論やめたらどうよ
マジでお前、まったく人が書いてくれてること理解できてないぜ
888 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 10:59:00 ID:znneri2C
889 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 11:18:00 ID:znneri2C
>>887の
>>843は
>>881の間違い
それにしても、議論するなら単発単発で答えるんじゃなく流れで、ちゃんと自分が何を主張したのかくらい把握してくれよ
ID:ecenHLqj は、誰も同調してくれてない時点で、自分の主張に脈絡がないことに気づいてくれ
自分の主張ばかり肯定して、人の指摘はめちゃくちゃ言って否定って、ただの荒らしになってるぞ
890 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 14:56:34 ID:ZqVj7KuN
キチガイは放置
891 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 16:18:25 ID:a0zGb/w7
うお!
なんかレス進んでると思ったら。。
いろいろ書いてあって読むの面倒だな
892 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 17:44:09 ID:VQSCnaTC
いきなり4連投かよw
893 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 19:57:37 ID:xlxTZwre
とりあえず結論として
生きてる間に「幸村」は使われてたかどうかを知りたいのだが
ところで
九度山から真田出撃
の報を聞いたときの信之の心情は伝えられてる?
がっかりしただろうなあ
894 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:02:49 ID:VZwBG9A2
>生きてる間に「幸村」は使われてたかどうかを知りたいのだが
史料にはない
使われてなかった証明は誰にも出来ないので信じたければご随意に
895 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:15:07 ID:xQwlbqik
>>679 鉄砲が槍に負けるって西洋の戦いでも普通にある話だが
射撃時間と歩兵が突入する時間考えれば
お互いの欠点補完しあうためには諸兵科連合なわけだが…
896 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:16:39 ID:xQwlbqik
ていうかスレ伸びてるとおもたら名前のことか
もう幸村で広まってるからそれでいいんじゃないか?
897 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:25:51 ID:2gbrKgn5
なんで幸村って名前思いついたんだろ?
898 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:30:16 ID:xQwlbqik
>>897 講壇の影響かなあ
幸村ってなんでだろ
まあ、広まってるしいいんじゃね
真田丸は武田流築城術の産物って日本史板にあったがそうなの?
戦術家としては優秀だと思うんだが
戦略家としてはどうかわからん資料ないし・・・
899 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:34:04 ID:VZwBG9A2
幸隆・昌幸・信繁と3代記で語るときに全員に共通する通字があった方がより連続性が感じられて
読者(聞き手)受けがよいと思ったんじゃないの
900 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:37:44 ID:xlxTZwre
>>894 個人的には史料に無ければそれは現実にも無いと考えるタイプ
901 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:50:23 ID:TTwaqGo6
>>900 質問する時に条件の後出しは嫌われるんだぜ?
902 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 22:16:41 ID:4z2NCGnw
何でもかんでも無理に白黒つけようとするから揉める
分からないものは分からないままでいいんだよ
903 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 22:35:05 ID:NFVeMWP0
読み飛ばしたんだが結局当時幸村という諱が使われていた可能性は低いってのを
多少の表現の違いやら揚げ足取りやらで揉めてる馬鹿が複数名いたって事でおk?
904 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 23:06:32 ID:znneri2C
ないと立証できないことはある可能性があるって必死なバカが1人だけいたって話
905 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 23:13:08 ID:GwirUtRg
>>904 お前もくだらん流れに参加してただろうがw
906 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 23:52:50 ID:H7Km6Zt1
可能性低いんじゃなく、可能性ないよ
幸村の初見などを調べて見りゃわかる
907 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 18:55:25 ID:M814STF4
個人の考えはなんだっていいじゃん
押し付けだしたらアレだけど
俺は幸村使用は無かったと思ってるだけ
908 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 19:09:17 ID:V/yoNthF
どう思おうと自由なんだよ
ただ史料にはないけどオレはそう信じていると言われても他人とディスカッションにはならんわな
はぁそうですかで終了
議論になることとならないことくらいわかってもらえないと苦しい
909 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 19:36:23 ID:Eh0rD9xy
今ある史料にあることが史実
過去に真実を求める方があほらしいのに、こういう時だけ悪魔の証明持ち出されても
ところで武田崩壊時に氏邦に昌幸が送った書状ってどんな内容なんだ?
氏邦と内通してたから岩櫃にいっても勝頼の最期は同じだったって話を聞くんだが
910 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 19:36:27 ID:pgdrip2c
可能性があるなんて言い方するから悪いんだよな。
実際に使われていたかもとしれないと思っているとか言っておけばいいものを。
可能性ってニュアンスではないとしかならないわけで。
911 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 23:22:49 ID:Z7K30XXh
可能性が無いとは限らないなんて当たり前の事に一々噛み付いて暴れたってしょうがねーだろw
馬鹿杉
912 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 23:26:23 ID:Kg5uMlxD
↑馬鹿過ぎ
913 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:01:31 ID:jaxKSotw
可能性を見出すだけの証拠がないのに、可能性がないとは限らないと言い切る方が馬鹿なんですがw
914 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:04:45 ID:OW1YA9wk
わかったわかった。
もういいから一々暴れんなよw
915 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:06:44 ID:C308aTq1
暴れて叩かれてたのは一人なんだがw
あ、御本人でしたかw
916 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:09:16 ID:OW1YA9wk
暴れるなって言われたら本人だってさw
すげー思考w
917 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:14:40 ID:jaxKSotw
暴れてたのは幸村と名乗った可能性はないとは言えないといいながら、
他人の話は全否定の馬鹿一匹だったのにねw
んで終わった後に、蒸し返し必死に暴れんなと言い出してる単発IDが続き、今でも必死w
サーセンwwww
918 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:18:15 ID:OW1YA9wk
必死杉www
919 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:22:00 ID:jaxKSotw
ID:OW1YA9wk= ID:Z7K30XXh=ID:ecenHLqj でFAだな
必死すぐるwwwwwwww
920 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:27:10 ID:OW1YA9wk
必ず返事くれるんだな、この人。
面白れーwwww
921 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:29:38 ID:jaxKSotw
でたーw
「俺は遊びでやってんだよ、釣られんなw」レスwwwwww
負け犬の後釣り宣言乙w
922 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:30:23 ID:OW1YA9wk
また来たw
923 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:31:44 ID:jaxKSotw
わかったわかったもう暴れんなよw
924 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:32:38 ID:OW1YA9wk
期待を裏切らないな、本当に。
925 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:35:41 ID:jaxKSotw
これで1000まで流してスレ潰しても、ログ残ってるから次スレにテンプレとして貼るけどなw
ID:OW1YA9wk= ID:Z7K30XXh=ID:ecenHLqjの間抜けぶりを
926 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:36:54 ID:OW1YA9wk
意味が分からないが、是非貼ってくれたまえ。
927 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:39:20 ID:jaxKSotw
914 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:04:45 ID:OW1YA9wk
わかったわかった。
もういいから一々暴れんなよw
918 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:18:15 ID:OW1YA9wk
必死杉www
920 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:27:10 ID:OW1YA9wk
必ず返事くれるんだな、この人。
面白れーwwww
922 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:30:23 ID:OW1YA9wk
また来たw
924 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/10/26(金) 00:32:38 ID:OW1YA9wk
期待を裏切らないな、本当に。
↑自己レスwwwwwww
んじゃお休みニートw
928 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:39:36 ID:bCaE9k3k
どっちも寝ろ
一晩寝て頭冷やせ
929 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:39:59 ID:OW1YA9wk
お休みニート2号。
930 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 08:00:37 ID:nlwGjJ6o
幸隆が武田に仕官したのが河越夜戦あたりとかもう少し遅いってのが結構見るけど
昌輝が岩尾城で生まれていることを考えたら身重な夫人を歩かせたにしても
遅くとも天文十二年には武田に仕えてるはずだと思うんだけどどうなんだろう
931 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 22:19:41 ID:jrx4ceEr
>>893 顔はガッカリ
内心ニヤニヤだった‥‥と思いたい
932 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 00:12:04 ID:I6qXFxiw
>>931 誠にもって…。
しかし、真田スレでも草生やし合戦とかあるんだな〜w
933 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 03:25:25 ID:i4/pKDKs
>>930 仕官して安定してから、呼び寄せたってのは無しかな?
934 :
930:2007/10/28(日) 08:14:05 ID:ZD/ITKJ3
>>933 ん?どういうこと?
仕官して安定してから、ってことは、昌輝の岩尾城出生説が間違ってるってことかな?
それなら
>>930で言った時期より遅くて別に問題なくなっちゃうな
935 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 09:59:56 ID:LGXs0I1c
936 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 19:11:44 ID:cCM5mNoQ
>>935 amazonで検索したらマーケットプレイスで上巻は1円から。。。
下巻は685円からで新品は取り扱ってないのかな。
937 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 20:17:57 ID:ND1NkRfi
ふと思ったんだが
なんだかんだ良く言われても
昌幸・信繁父子は結局最後に時勢を読み切れなかったということは
うーん、なんていうか・・・ねえ
938 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 20:37:51 ID:5kXvuTOj
昌幸は時勢を読み切れなかったけど、信繁の場合、時勢を読む意味がまったく
なかったのでは? あのままでは昌幸同様に九度山で朽ち果てていくだけだもの。
939 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 21:01:19 ID:2RwIrmwT
徳川300年が倒れてすら残る武名を立てたならそれはそれで
最も大局的だったという見方もできようさ。
940 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 00:09:21 ID:ZLNAs9Ip
昌幸は信之と対局に位置することが目的だったんだから、読む読まないじゃないと思うが
941 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 02:28:23 ID:xfEy247L
しかし、伊豆守ってしょっぽいな。左衛門助の方が格上じゃないか?
942 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 07:46:11 ID:HD6OSGBO
左衛門佐はデフォで従五位上(元は従五位下だったか)
伊豆守はデフォで従六位下だが信之は従五位下伊豆守
で、松代移封時に従四位下に昇格している
徳川寄騎大名の嫡男と
秀吉の手元に置かれた大谷の娘婿なら
多少は後者が上に来ることがあっても仕方がない
そういや秀吉の命令とはいえ徳川の寄騎大名なんだから
関ヶ原時に沼田は信之となってた時点で真田って譜代大名の資格あるんだな
943 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 09:39:24 ID:assEjqLF
>>942 なので譜代扱いだよ。帝鑑間詰で幕末には真田幸貫が老中になっているわけだし。
いくら松平定信の息子とはいえ、外様だったら絶対にそんなことはありえない。
944 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 09:42:16 ID:assEjqLF
>>940 家を分けてどちらが勝っても云々は単なる伝説と思っておいたほうがいい。
945 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 10:32:50 ID:ghAzmab2
では現実は?
946 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 15:53:40 ID:ZLNAs9Ip
単に互いに就く側が違っただけにせよ、時勢を詠みようがなかったらにせよ、
結果的にどちらが勝っても存続する形になったこと、別れた時点でそれが頭にあったことは確かだろw
逸話はともかく、そういう状態になったことに伝説も糞もない。
947 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 16:03:32 ID:6ky14P+6
なんかバカが言い訳しているけど、「昌幸は信之と対局に位置することが目的」ではない罠。
948 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 17:16:18 ID:ghAzmab2
兄弟は単に縁戚関係で分かれただけだよね
昌幸に関してはへそ曲がりで頑固なところがあったから
喧嘩できそうな相手→あの時点では徳川に楯突こうと考えたんじゃないかな
だってべつに信之についてもよかったはずだし
ただ、現実問題、秀忠が真田スルーだったらその真田はどうなってたのかなと興味はある
一説には秀忠は真田攻撃が目的だったみたいな話もあるけど、
それだけであんな大軍を当てないと思う
949 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 18:04:18 ID:ZLNAs9Ip
>>947 バカはお前。
昌幸は中立を守る、灰色の立場をとるという手段もあったが、
信幸が徳川方に付いたから、旗色を鮮明にしたと考えてもおかしくはない
950 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 02:06:17 ID:8aJic9Ze
まあ、なんだ。ケンカすんな?
951 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 04:18:41 ID:mIpIgA8H
952 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 16:55:07 ID:XD4NvYWR
今後の大河で真田幸隆からを蔵さんでやってほしい。
953 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 17:38:22 ID:m7AJi1+3
老中になったやつは信之の血を引いてないけどな
954 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 19:46:45 ID:RyF805uh
血より家の時代だもんな
955 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 20:01:08 ID:2pCPYWL5
真田伯爵家・・・伊達
真田男爵家・・・松平(久松)
信之以外の家系ならけっこう男系で繋がっているが。
956 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 17:37:42 ID:1MDkJll8
>>937 今だから言えるんだろう。信繁はもう読む読まないじゃないが、昌幸
の関が原は難しいど〜w 家康やや有利と読めたとしても、ややだからw
領地配分の面では西のがいいし、確率は決して低くないし、上田に
孤立しながら現実的に負けず西軍のために仕事してるし。
957 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 00:45:32 ID:s/UrX5nU
又五の報告が間に合わなかったからねぇ…w
958 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 21:46:37 ID:32dLmiqj
少しでもいいので昌親、のことや信尹のことも思い出してあげてください
959 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 04:36:38 ID:/kjYZw4r
>>957 聞けよ、丹波って感じだったよな。いくら渡弟に詰め寄られて切迫
してても、情報を聞いてから判断しろよとw
960 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 02:01:39 ID:t95rWv5u
961 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 02:44:58 ID:bGVqejBI
こないだNHKのスタパに山之手殿が出てたけど“話”は出なかった。
その前に信之様が出たのは見逃したけど…まぁ、無いだろうな…orz
962 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 15:42:04 ID:CsX6lEel
真田の祖先は?海野氏?祢津氏?
963 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 16:33:24 ID:UcHXoLNK
実田氏じゃね?
964 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 21:01:21 ID:EsPttY6n
先祖は、清和天皇の皇子の貞元親王。
この皇子が関東に下り滋野の姓を名乗ったんだって。
その滋野氏の子孫が海野、祢津、望月。
ちなみに木曽義仲に仕えてた海野幸親は幸隆の父の先祖。
幸隆は最初海野幸隆という名だったが、武田信虎と村上に真田郷を追われ、
再起を願い武田晴信に仕えることを決めた時
故郷の真田の姓に変えた。
でも何の文献か忘れたけど、それよりもっと以前の文献に、
「実田」の名があり、それが実田=真田ではないかとも言われてる。
965 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 23:34:05 ID:IYIKggse
信之の二男信政の長男で2代目小野お通との子とされる信就は、本来藩主になるはずだったが
幼少の頃、家光に謁見した際に粗相を働いて家光が激怒し「信就の真田家相続はまかりならん」と言われてしまって廃嫡。
成人してからも部屋に閉じこもって、詩や歌を作っていたらしい。
紀州藩初代の頼宣は信之を尊敬していて、よく信之を紀州邸に招いていたそうだ。
で、信之が格上の頼宣を訪ねる場合は、門の前で輿を降りるのが礼儀だったが
高齢の信之に配慮し、頼宣は玄関先まで輿で入るのを許していたそうだ。
頼宣の嫡男で2代藩主となる光貞に初めて甲冑を着させる儀式の際、兜の緒を締めたのも信之。
こういう縁もあり、頼宣の二男で西条藩初代の松平頼純の娘は、松代藩4代藩主真田信弘の正室となっている。
つまり、8代将軍の吉宗と信弘の正室は従兄弟同士。また、松代藩8代藩主真田幸貫は吉宗の曾孫。
966 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 08:49:49 ID:wQeL8dkz
?
967 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 19:51:59 ID:pBvavR1t
>>964 その説は昔の通説じゃね?
今は幸綱は海野氏説、矢沢氏説、元々真田氏説とか色々あってよくわかってないはず
968 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 19:58:45 ID:IYVyAKlR
海野氏後裔を強くアピールしていた幸隆が何故嫡男に
海野氏の通字である「幸」の字を使わなかったのか?
969 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 20:23:05 ID:YLRHCBde
でも息子の信綱の「綱」は、本人が「幸隆」になる前や、弟にも使われたから
幸だけにこだわることはないのでは?
970 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 22:56:38 ID:DcKwxAbD
信幸だと早世した信玄三男の信之に被るからじゃね
971 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 11:43:38 ID:yGvEKxtB
『信』の字は、信玄からあやかったものなのかね。
972 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 19:53:36 ID:EM1zMsxv
信玄つーか晴信か?
信綱初陣が早い説でも砥石城だからそう考えるのが妥当だとは思うが
そうと断ずることのできる確たる史料はないだろうなあ
973 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 20:01:37 ID:dyKf8umJ
幸綱の「幸」は海野家の通字である「幸」、
「綱」は棟綱の「綱」、
で、嫡男に与えるとしたら普通は「幸」?「綱」?
信綱の「信」は晴信からの偏諱だと思うけど。
974 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 21:04:22 ID:0HqH+QRX
そういや幸棟の子棟綱は幸の字貰ってないんだな
975 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 02:28:24 ID:dFcDp5HC
生誕地が小県の場合は幸の字を、それ以外なら綱の字をつけるのが嫡子の決まりだったらしいね。
976 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 18:10:34 ID:EW/bCRMi
977 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 18:44:57 ID:GjqqYHD/
978 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 00:05:01 ID:bAF0Msaj
さすがに
>>975はネタじゃないのかな?
他に綱の字がある嫡子が見当たらないし。
979 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 12:35:56 ID:B5FJ+CUB
「松代藩真田家系図」や「真田家御事蹟稿」にあるように、
幸隆が棟綱の長男で真田郷に移り住んで真田を名乗った
というのは、日向畑遺跡や真田屋敷跡が幸隆以前の物で
ある可能性が高い事から、考え難い。
「幸綱」という諱は如何にも海野氏嫡流という感じもするけど、
子で「幸」が付くのは何故か三男の昌幸だけ。
「小県郡海野白鳥系系図」などにあるように、棟綱の娘が
真田氏に嫁ぎ、その子が幸隆であるというように元々は
海野氏の傍流であって、1541年の幸義戦死を受けて
昌輝誕生から昌幸誕生の間に海野氏嫡流をアピール
するようになったというのはどうだろう?
980 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 00:28:03 ID:k+iZcmeD
幸義の倅も幸綱の半ば配下になってるしな
981 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 12:33:27 ID:ZiZTsyv7
幸村に関する資料館みたいな所て
上田城?大阪城?どちらにあるかご存知ですか?
連休を使って幸村の記念館や資料館に行ってみたいのですが無知なもので・・・
982 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 13:54:18 ID:tAkKiYbf
幸村関連なら九度山がいいよ。
松代に行っても何もない。
983 :
人間七七四年:
>>982 ありがとうおございます。
和歌山県でしたよね。