織田信雄を語る

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1名無しさん@お腹いっぱい。
不肖の子と言われますが、実際はどうだったのでしょう
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 11:48:22 ID:rxEbHwiO
秀吉から、家康の領地だった駿河、遠江、三河
信濃、甲斐に移るように命じられたのを拒んで改易とか・・・・
全部で100万石以上なのに勿体無い。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 11:51:26 ID:rxEbHwiO
舞は相当上手かったらしいね

父親譲りなのはここだけか。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 12:28:57 ID:FTnUQ0q2
家康か秀吉だったか忘れたが信雄は舞や詩文には精通しているが
肝心の武将としては全く無能と評したらしい。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 12:45:54 ID:rxEbHwiO
安土城を燃やしたってのは本当なのかな。
凄く残念だ。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 13:18:42 ID:8HOjcYMZ
安土城があっては困る人物が燃やしたのよ
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 13:37:51 ID:kDhS4qg/
一応近畿で唯一服従していなかった伊賀を攻略した実績があるが、
人口の少ない小国伊賀に4万2千の大軍で攻めれば誰でも勝てるかな
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 13:39:14 ID:rxEbHwiO
何度か負けて、信長に怒られてるし。
9あぼーん:あぼーん
あぼーん
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 15:08:34 ID:T+G37EEn BE:495316875-
ルイス・フロイスが「信長の性格に最も近い」と記していたのは何故だろう
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 15:21:04 ID:T+G37EEn
安土城は落雷で炎上したという説がある。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 19:17:04 ID:IdKJnGUb
>>10
父親の悪いところばかり似てしまったという解釈はどうだろう
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 19:19:31 ID:7GPbHwYf
関ケ原の織田一族 ◎所領加増 ○所領安堵 △改易 ×戦死

東軍:◎織田長益(信秀11男、有楽斉 子孫は芝村藩・柳本藩両藩主として明治まで存続)
   ○織田信高(信長7男 戦後、徳川将軍家旗本衆となるが、西軍に所属してた説有り。石田三成の旗本衆にいるのは同姓同名の別人?)
   ○織田信貞(信長9男 信高と共に東軍につき、徳川将軍家旗本衆となる。) 

西軍所属東軍内応派:◎織田信雄(信長次男 家督を継いだ四男・信良の子孫、信浮・信美父子が天童藩の祖。五男・高長の嫡男・信休が柏原藩の祖。いずれも幕末まで存続)

西軍:△織田秀信(信忠嫡男、三法師 戦後、高野山へ追放、まもなく病死。)
   ×織田長次(信長11男 よく知らんが討ち死にしてたらしい)
   ○織田信包(信秀4男、老犬斉 大坂の陣直前に病死。暗殺説有り。)
   △織田秀雄(信雄嫡男 大谷吉継に誘われて西軍に加担。戦後まもなく病死
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 02:28:40 ID:i5qATDn9 BE:679291586-
信長の子ってみんな短命だよね
みんな戦死したり、若くして病死してる
こいつだけ長生き
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 07:05:30 ID:D8tsDRSZ
弟の有楽斎も長生きだね
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 09:22:57 ID:Rw0h2dj2
>>14
一般的に評価の低い人は長生きだね。
今川氏真とか
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 21:57:06 ID:4C94u50R
信忠や信孝と違い子孫を残したんだから偉い
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 18:25:28 ID:Xh/MGIMs
右大臣を貰った人?
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 18:46:53 ID:ohmiem7y
>>16
戦に巻き込まれずに済むしね
それに競争社会からドロップアウトするとストレス感じないというのもあるんだろうけど
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 18:54:33 ID:/R1fZrZR
何度か大敗し、信長に殺されそうになるも
なんとか2年かかって伊賀平定
それも滝川・筒井・丹羽らの活躍で
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 20:20:39 ID:Tgs9gr0S
信雄さんって信孝より生まれるのが遅かったのに、
母親の身分が高かったから、次男にされた人ですね
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 22:12:03 ID:YzXC6yZ5
やっぱみんなの中では総合力

信忠>信孝>信雄??
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 22:25:52 ID:WHkwyvr6
>>21
そういう複雑な事情が兄弟間の対立を生み出し秀吉に権力を奪われる事になってしまったんだろうな
24747砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/06/13(火) 23:32:20 ID:uGL4Z9Q1
俺が高校の頃の教科書には「おだ のぶお」ってフリガナふってあってなんだか笑った(=^Дメ)ゲラゲラ
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 00:01:23 ID:IkKZW5W2
のぶおは笑わないが奇妙丸は奇妙
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 01:11:54 ID:mXnGfe9u
>>22
織田家を存続させた信雄の圧勝
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 01:47:32 ID:quGVMJA7
織田信成
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 02:59:33 ID:JGZbqwy3
有楽斉や信包の方が評価高い…信雄は嫌いじゃ無いけど。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 03:01:38 ID:WlJ3chJz
織田信雄は、安土城焼いた事になっとる以外、何一つ俺の記憶に残らん御仁やな。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 03:04:45 ID:ye+YU1vt
>>29
むしろ小牧長久手以後、秀吉から警戒されないため、あえて表に出てこない人生を
選んだように見えなくも無い。
小牧長久手で秀吉と家康の間で翻弄されて、自分の限界を感じちゃったんじゃないかな?
31747砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/06/15(木) 13:05:21 ID:UoUTtJ2J
やっぱり策に乗せられて、家老を斬っちゃったのがマイナスに響いてるんじゃあないかな?
でも信雄って北畠の人間を謀殺したりしてるんだよな
前述の信長に似てるって話はこういう、激しい気性のことかもな。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 09:43:14 ID:00bxq8Y6
織田の御曹司ってプライドが崩れたら、もう後はどうでもよくなっちまったのかねえ。
持ち続けたら持ち続けたで、淀の方の様な末路迎えただろうけど。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 15:53:43 ID:Ai4zAKc8
信長が転封に従ってたら、歴史は確実に変わっていた!
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 16:49:56 ID:JE4p8NPU
信長が転封命じられてる時点で歴史変わってるから。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 16:54:41 ID:D0NaUdfd
信雄だった。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 18:33:25 ID:uhgnm/mX
ふいた
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 12:06:32 ID:vaKq7Zzi
かねて庸人、不覚人で名高い織田常真入道は尾張、伊勢107万石から、
徳川家康の旧領5ヶ国130万石への転封を拒否したため、下野烏山に
蟄居となったのである。その後、関ヶ原の戦いで石田方に与したため
捨て扶持2万石も没収され、越前宰相秀雄に寄食し、やがて大坂城に流寓し、
土いじりが好きな落廃した老人になりはてたのである。
大坂城内での密議を家康に売り渡すことによっていくらかの報酬がもらえると踏んだ
信雄はなんと!暴風雨にまぎれて大坂城を退去してしまったのである。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 17:08:15 ID:F6+lXwT3
信長って何人子供が居たのよ? やることやってんだな
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 18:13:24 ID:mGZ3afF8
ざっと20人ほど子供がいたようですが
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 11:40:02 ID:YqF7QtWp
男子は信正、信忠、信雄、信孝、秀勝、勝長、信秀、信吉、信高、信貞、信好、長次ぐらい
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 20:42:35 ID:nlCxe46N
織田信成って、信雄の子孫なのか?
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 12:28:26 ID:RRdfQMlG
信高の子孫だよ
幕臣の高家織田家
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 23:06:21 ID:c4rwt249
信雄が家康の旧領に移転していたら五大老になっていたのでは??
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 23:19:06 ID:MTcupvHU
ええな、先祖が有名人で。
「俺の先祖、織田信長」なんて言ってみてぇわ。
ちなみにウチの御先祖様はお百姓さん。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 00:21:08 ID:DedLOz0q
織田無道は、誰とつながるんだ?

46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 06:50:50 ID:Jjj7M3+N
仮に信雄が秀吉に対し素直な性格であったとしても、難癖つけられていつかは厳封処置か改易はされていただろう。
主筋の子息は邪魔なはずだ。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 08:55:07 ID:h7FqJoIR
>>21
単に信孝の方が報告が遅くなっただけだろ?

>>46
信雄に対して手の出し難い理由があったのかな?
でも、文禄元年に、一応改易はされてるよね。
とはいえ、排除されたって程でもないからなぁ。
商人気質だったっていうし、もみ手でもうまかったのかね?
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 09:33:56 ID:pVmJ4bQ+
秀頼が大坂退転しても100万の太守でずっといられたか?って話だな。
おいらが天下人なら、やだ。
そんな大軍閥&しかも元主筋なんてきっつい。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 15:24:52 ID:qTHjeON7
三法師が十三万三千石だから、百余万石ではバランス悪いなあ
そのままはなさそうかな

だが秀吉は家康みたいに息の根は止めないような気もする

50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 16:46:14 ID:QKyPy4tN
でも、まぁ、織田信雄、今川氏真っていう戦国2タコ武将は、ちゃんと
江戸時代でも生き残っているからなぁ。
ある意味、これも器量なのかもしれん。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 18:01:34 ID:bBHp320/
氏真がもっとがんばって「蹴鞠は武士のたしなみ」ってレベルまで普及させていれば…
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 18:47:40 ID:Jjj7M3+N
劉禅っぽいよな。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 19:37:35 ID:eRisOneX
大坂の陣の時、世間で信雄が豊臣方の総大将になるといううわさも流れていたようである。

信雄すげー
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 20:56:06 ID:l1E4cfbE
織田信雄
ヲタの部活
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 22:41:52 ID:RRkh3DAO
長益と信雄は生き方上手
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 01:07:39 ID:YukMO7q7
バカだったから生き残れたってのもあるだろ。
信忠、信孝みたいに中途半端に優秀だったら消されてただろう。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 02:37:51 ID:1C2yPYgO
鼻毛抜きの前田利常みたいに馬鹿を装ったのかもよ。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 11:06:55 ID:e717psF9
ここまで無能でヘタレだと爽快ではある
なんか素のままで生きたって感じで俺は好きだよ
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 14:19:28 ID:d6imYB0p
勝長なんか、秀吉からは存在すら抹殺されてる。
馬鹿でよかったね、信雄。
信長には認めてもらえなかったけど、長生きできたんだもんね。
もみ手上手どうしで、秀吉とは気があったのかな?
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 15:26:33 ID:TeM3Ma4Q
父親の威光であるだけの地位
秀吉には敵わないと見極めた信雄はバカじゃないよ
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 16:43:58 ID:YukMO7q7
織田秀雄
織田信雄の嫡男。
父が秀吉に逆らって改易されたにも関わらず、
秀吉の偏諱を受けて越前大野城城主に。
しかし、関ケ原の合戦で大谷吉継に加担したせいで戦後所領没収に。
東軍に加担して所領加増された父の跡目は弟達が継いでしまう。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 21:40:59 ID:82lvwzAH
信長亡き後の織田家は悲惨だな。低空飛行を続けている感じがする。
小牧・長久手合戦直後に、秀吉の甘い調略にのらずに単独でも断固決戦に持ち込めば良かったのに。
負けて死したとしても、歴史に違う意味で名を残せたと思う。
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 23:13:21 ID:pEITEU9e
名より生を取った人なんでしょ
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 23:28:05 ID:LA/C5aRA
生き残ったもの勝ち

信雄=長益>>>>>>>信長=信忠=信孝
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 03:00:13 ID:cvVAlLFv
信包は?
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 12:15:45 ID:c8YDLsMo
足利だって喜連川で十万石格とはいえ、五千石だからね
名門で完全に滅んだところも多いし、上等なんじゃない、五万石
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 12:22:46 ID:c8YDLsMo
厳密には五万石じゃなくなるが

宇陀松山藩二万八千石→柏原藩二万石

小幡藩→天童藩二万石
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 20:46:43 ID:M4dBxHLD
ルイス・フロイスが著書「日本史」で信雄のことをボコボコに言ってるのは有名な話だと思うけど
確か信雄が安土城を焼いたと言う話の出所でもあったはず
69バロン曽志崎:2006/06/30(金) 23:17:10 ID:nN7SKgHI
信雄放火説には興味があったので以前、「日本史」(もちろん訳本)をパラ
見してみたけど、信雄が放火したという記述は無かった様な気がした。
天正10年の「イエズス会報告書」(こちらも訳本)には安土城炎上の記事が
あるけど、「近くにいた信長の子の一人が、愚かなためか火をつけた」との
記述しかな信雄とは断定していないようだ。
馬鹿な息子=信雄と解釈されてしまって、信雄犯人説が広まったのなら哀れ
だ。
ちなみに同書は、「主(デウス)は信長の造った安土城が残ることを許さな
かったのだ」的な記述が散見できて、すごく胡散くさい。
誰か原文で確認した事のある人はいないのかな?
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 18:06:55 ID:HOZSCyPK
フロイス日本史文庫版3巻176頁に
付近にいた信長の子、御本所(信雄)が焼き払うよう命じた
              ゴホンジョ
とある。この本では、カタカナで振りがなが振ってある単語は、原文の音を
そのままカナに直したもののようなので、宣教師がゴホンジョが焼いたという
認識を持っていたのは間違い無いだろう。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 23:46:19 ID:tg0hcli8
名門北畠家の最後は織田信雄……
72バロン曽志崎:2006/07/02(日) 00:23:33 ID:kRAyb+OA
>>70
なるほど、「御本所」となると信雄とするのが妥当でしょうね。
そうなると国内資料で安土城の炎上と信雄を関連づけてるのは若干ニュアン
スが違いますが「武功夜話」くらいでしょうかね。

>>71
北畠家は公家中院通勝の3男・親顕が名跡をついで公家として再興しましたよ。
子が無くて、結局一代で断絶してしまいましたが。
ちなみに母親は細川藤孝の娘(養女らしいが)だとか。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 01:22:57 ID:GCcjojNv
信雄配流先の秋田で伝えられていること。

・配流先の家の娘と出来てしまったとき、生まれる子供が
女なら薬を作って生計を立てよということで、実際に女の子が
生まれたことによって以後薬の販売を生業にしたという。
・大正天皇御巡幸のとき、奥羽本線八郎潟〜鯉川の間にあった
信雄配流先(天瀬川)近辺を徐行して通過したという。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 23:54:47 ID:mJfmVVY1
小牧、長久手での信雄の単独講和って悪く言われる事が多いけど
非常に正しい判断だったと思う。
あの時、信雄が講和してなかったら家康も危なかったろうに。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 16:54:54 ID:29/mvi2g
『狂気の父を敬え』
鈴木輝一郎(新潮社)信雄主人公の小説ってこれくらいか?
この信雄は燭台を相談相手にしたり、結構デムパw
そして本能寺の黒幕。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 22:22:36 ID:N1988ZJ6
秀吉は信孝を殺害してるから秀頼が殺されても文句はいえん
77名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 01:32:40 ID:AVByqhGc
信孝は信長の後継者じゃねーもん
78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 08:17:24 ID:CP+AmYwZ
戦国時代なのにノブオってモダンな名前じゃん
とおもっていました。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 12:57:22 ID:zKPv4KgS
まぁ、何気にしぶといんだよな。
散々失敗しているんだけど、最後まで諦めないでちゃんと小大名にまでは
復活しているわけだし。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 21:09:16 ID:fV16aDtX
一度領土ゼロになってしぶとく再興させるのは強烈な外交手腕があったからでは?
81名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 02:52:16 ID:tpNpKEqw
鈴木輝一郎の「片桐且元」に出てくる信雄は飄々としていてちょっとカッコイイ。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 12:47:02 ID:0qNw+rBm
>>80
つうか、打たれ強いんだと思うが。大名の御曹司ならプライドが邪魔して
できないことでも、信雄はけっこうやってのけるから。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 13:25:06 ID:HPo1UOz5
なまじ有能でないだけに、生き残れたという感じかな。


結構評判の良かったらしい、信孝の死に方を考えると
そんな気がする。

秀吉にとって生かしておくのは危険だった信孝と
生きていてもどうでもよかった信雄の差。


「昔より 主を内海(討つ身)の 野間なれば 恨みをみよや 羽柴筑前」

尾張内海で腹を切った、信孝辞世の句。
昔、平治の乱で敗れた源義朝が、同じ内海の地で
家人、長田忠致に討たれた故事とかけている。

この時、信孝は腹を切った後、自分の臓物を掴みだし
壁に投げつけたとかいう話。
確かいまでも残ってるのかな?その壁は。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 14:47:39 ID:KojK1AQ9
昔より主を内海の浦なれば 報いを待てや羽柴筑前 川角太閤記

昔より主を内海の浦なれば 尾張を待てや羽柴筑前 氏郷記 勢州軍記

昔より主を内海の野間なれば 報いを待てや羽柴筑前 坂役叢話

はしば が しばし ってのもあるな
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:17:45 ID:/GGL5bd9
信雄、信孝両方殺すのは立場上まずいから、
無能なほうを残したと。

信雄と信孝は中悪かったけど、信忠とはどうだったんだろうね?
信雄と信忠は同母だから、悪くは無いだろうけど。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:31:35 ID:bPqTFura
信忠と信孝は意外とうまく行ってたらしい。
信雄はあまり家中ではうまく行ってなかったとか聞いた。
史板にあったけど、

信長>林、平手>武家気質
信忠>斎藤、美濃衆>武家気質
信雄>生駒>商人気質
信孝>丹羽、津田>武家気質
勝長>武田>武家気質

信雄だけ商人気質で、武家気質の織田家の中じゃ気が合わなかったとさ。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:38:55 ID:qv8+EcEZ
>>85
同母と言っても、信忠は濃姫の養子だから、一緒に育った訳じゃないだろ?
信長と信行の例もある事だし、仲が良かったとは限らないんじゃないかな?
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:50:13 ID:Q6l5oac/
あまりに資質が悪い場合、同じ環境で育った方が疎みやすいって事もある。
信忠結構気性激しかったらしいし、愚鈍な弟を可愛いと見るか馬鹿と蔑むか。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:58:00 ID:qv8+EcEZ
戦国の世で、天下をどうこうしようって家だと、愚鈍ってだけで罪だからなぁ
90名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 17:59:16 ID:/GGL5bd9
商人気質の信雄だから処世に長けて生き延びれたのかな。
この時代だと同母だからってだけで仲いい要素にはならないんですね。

武将としては駄目だけど、有楽斎と同じく文化人としては優秀な感じ?
91名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 19:57:36 ID:d0dO6s8N
処世に長けていたら減封されてないよ
むしろ長けていたのは長益のほう
92名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 00:43:35 ID:xq/lO9hs
ずっと「のぶお」だと思っていた
93名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 01:17:36 ID:poFiTtA0
100億あった父親の財産が相続税や借金や振込みサギなんかで1億しか残らなかった・・・てなカンジかな?
それでも長生きした信雄は無能だけど、ある意味スゴイ。

94名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 21:45:06 ID:GNV63mEE
司馬遼太郎は信雄のことを「庸人」だの「愚人」だのさんざんこき下ろしていた。
95名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 21:59:31 ID:efVzsznO
信雄の孫娘が徳川忠長に嫁いだんだっけ。でも子供は無し。何処までも微妙な家系だ
96名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 00:45:44 ID:mSJKBtqJ
うちの先祖信雄に仕えて討死した
97名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 16:54:05 ID:ZV58xkq1
>>81
織田信雄が切れ者にして風流人
真田幸村に赤っ恥をかかせたりと
98名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 17:06:29 ID:ihVA693b
>>92
「のぶお」と読むか「のぶかつ」と読むか、いまだに決着
ついてないらしいぞ。
99奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/09(日) 18:33:28 ID:zJZIw7ZY
滝川雄利は誰からの偏諱だろう。
100名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 19:59:13 ID:wlx8F6wi
100ゲトー
101名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 21:11:47 ID:WQm31QFZ
ノブカツって本当に愚鈍だったのかな?
信長の息子ってみんなイマイチだったけど・・・それって逆に変だよな。
あの苛烈な信長が、教育に失敗し続けるというのも。

才能なんてなくても英才教育受けてれば1.5流くらいにはみんななれるだろ。
それが何故かみんな3流。

例えば徳川慶喜ってクソだと評されることも、英雄だと評されることもあるよね。
ノブカツも見方によっては・・・・ないのかな
102名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 03:46:24 ID:5gxzquQ4
さすがに慶喜に失礼だろ
信雄なんて国民の3%も知らない罠
103名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 03:47:03 ID:NXHe8U9N
まあ没落していった者はクソの部分ばかりクローズアップされるからね。
本当にクソかも知れんけど。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 11:35:36 ID:z438m1Hw
>>98
そう
のぶを説も根強いみたいだね
105名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 11:50:05 ID:b7GW1ncB
信雄はノブカツ
1、信雄の前の名が信勝
2、宮廷女官の日記にのぶかつと書いてあった
これが根拠だと前に日本史か三戦で見たぞ
106名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 11:57:04 ID:z438m1Hw
寛政重修諸家譜はのぶをだそうだ
現に二三人名辞典的なものを見たが、両方載ってるね
107名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 12:04:55 ID:b7GW1ncB
寛政譜は後代のものだが女官の日記は当時のものだ
どっちが信頼性が高いかと言われれば後者のような気がするね
108名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 12:21:06 ID:oR/58Lf2
武士関係は「のぶかつ」
公家関係は「のぶお」
109名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 12:23:28 ID:z438m1Hw
のぶお だぁと言いきってるわけでなく、両説あるよ言ってるだけなので…

と引き下がります
110名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 13:06:10 ID:26jxcnHO
真ん中とって、「のぶおつ」とするとか。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 13:56:51 ID:WyUk/f9Y
メンドイから馬鹿でおk
112名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 16:02:34 ID:oR/58Lf2
でも戦国時代は天才か馬鹿じゃないと生き残れない

中途半端に頭いいとすぐ殺される
113名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:01:06 ID:hsZNh6SG
頭が良すぎて殺された例を教えてよ
114名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:09:08 ID:mgt3rDBl
信孝さん
115名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 10:11:31 ID:IV2cNFkD
彈正さん
116名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 23:40:52 ID:bogTaat+
「ノブオ」のほうがイメージ的には合ってると思う。
のろまでバカっぽくて。

「ノオ〜ブオ」



雰囲気でてるねぇ!!



117名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 23:47:12 ID:bogTaat+
余談だが・・・小早川秀秋と織田信雄以外の戦国バカ武将っていないよな。
あ、愛しい子をなくした後の無気力オトコ・朝倉義景がいたか。


118名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 10:43:55 ID:wqR6f/0V
長宗我部とはちがって死ぬまえもよく書かれてるかとがないよね。

佐久間仙石龍興etcをヨイショシテ名将にするセンゴクですら朝倉は………
119名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:14:57 ID:TOfKt/Mw
本当は信孝のほうが次男なんだよね?
それが、信孝の生母の身分が低かったため三男にされちゃったんでしょう?
120奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/12(水) 23:17:21 ID:gbctNDk6
表向きは届出が遅かったからじゃなかったっけ。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 01:14:57 ID:isCYv3bM
先走って惨敗した信雄。
先走って武田を壊滅させた信忠。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 10:16:29 ID:nfQbsuyA
ウチの母方の先祖はこいつの子孫(天童藩)に仕えてました・・・
123名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 21:22:02 ID:HOqz1wlt
養子とか抜きで純粋な信長の血統は現代に残ってるのかな?
天童や柏原には別家から養子が入ってるみたいだし…。
124奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/14(金) 21:38:27 ID:RUILMdTW
っ【織田無道】

自称だったけどね。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 09:50:34 ID:erPEduSe
>>123
逆に徳川に嫁いだ孫娘がいたりするから母系で残ってると思う
126名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 12:16:13 ID:n7WFX9Li
大河ドラマ〜織田信雄〜

父信長を超える器量人と噂されながらも兄を立てるため自らの才覚をひた隠しに隠し
自ら北畠の養子となり、伊賀を独断で攻めた家臣の責を自らが被るといった美談が光る
「青雲の章」

非業に倒れた父、信長の遺志を継ぎ、織田の天下を奪わんとする奸賊秀吉の野望
を阻止すべく盟友、家康とともに挙兵する
「火炎の章」

関ヶ原の折、石田三成の忠義の心にうたれ、恩讐をとおりこして西軍に加担する信雄。
秀信を説得し岐阜城を西軍のものとする功績のほか、西軍勝利のために暗躍する
「曇天の章」

大阪の陣、豊臣方にその隠れた力量を見込まれ総大将に抜擢された信雄。しかし
「天下は天下の天下である」そう考えた信雄は苦渋の末決断を下す
彼の決断が天下を泰平へと導く
「光明の章」

以上4編からなる偉人、「織田信雄」の波乱万丈の生涯を描いた愛と血と涙の感動巨編
2009年NHK総合にて放映予定
127名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 13:49:50 ID:eBrY5UbR

>>126
ぐっとじょぶ。
見方次第で確かにその通り。
128名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 16:02:37 ID:YpuCQ9V7
愛しい子をなくした後の無気力オトコ・朝倉義景がいたか。
大内義隆も
129名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 23:21:46 ID:OqkY8irN
>>126
いつみても秀逸な文章だ。
ちょうど見たかったからGJ。
130名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 01:09:12 ID:t2EtNTVd
信雄役の俳優って誰が一番しっくりくるんだろうね。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 07:50:08 ID:9dApzxur
つ佐藤隆太
132名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 08:01:27 ID:QaKMJGPs
ずーと、[おだ のぶ]おって読んでたけど
本当は[おだ のぶかつ]って読むんだな
とんだ赤っ恥だぜ
133名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 08:05:34 ID:Y7Ca4eTC
どっちでもええよ。信長んとこの足り無い坊やって呼んでもええよ。
134あぼーん:あぼーん
あぼーん
135名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 00:28:11 ID:lhwTTMVb
濃姫が息子生んでればなぁ。
まむし道三の娘の濃姫とあの信長の血を引いた息子だったら、、、
父親を超える男になってたかもしれない。
歴史は確実に違ってたな。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 01:27:18 ID:8C96lwkY
長益は趣味人として一流だったから好感が持てるんだがなぁ・・・
137名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 19:56:40 ID:cIVQipC8
信雄は舞の達人ですよ?

いや、本当に達人だったかな
一般人より少し巧い程度?
だれか詳しく
138名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 21:04:08 ID:djycgZPs
虚けの舞―織田信雄と北条氏規 伊東 潤かあ
139バロン曽志崎:2006/07/22(土) 00:45:58 ID:gKbLRKMN
どの程度、上手であったかは検証不能でしょうな。
公家の近衛信尹が文禄二年に秀吉が禁中で主催した能に参加した時の手記に
一、山姥 常真 ワキ 矢田 ツレ
  大(鼓) 新八 出来驚けり、 笛
  小(鼓) 五郎二郎 太 彦二郎
   常真(信雄)御能比類無し、扇あつかひ殊勝ゝ。

こっちは作り話だろうけどちょっと面白かったので、「常山紀談」より
 北条亡びて後、秀吉石垣山の本陣に諸将集りて酒宴に及ぶ時、信雄は舞の
上手と聞き、あはれ一曲観申し度しと、秀吉いはれしに、信雄吾を侮る事口
惜しくや有りけん、不吉の詞を舞はれたれば、秀吉かヽる悦の中に忌々しき
事ども心得ずとて、那須に追ひやられけり。(後略)
140名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 22:47:01 ID:X+vV78XV
祝!功名が辻登場!!ナレーションでは散々な言われようだったなwww
141名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 00:58:04 ID:t+RBQOt8
しかし、後継者候補と捏造を受けてたぞ
142名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 02:29:48 ID:LuW8JqjL
>>126
>豊臣方にその隠れた力量を見込まれ総大将に抜擢された信雄。

ほんと最後まで御笑い人生だよな。「なんでワシが!」みたいな気持ちだったろうなw


功名が辻は信雄が脚光浴びてるじゃないか
143名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 18:56:49 ID:l1jSanr1
司馬の「城砦」では、土いじりがすきな落廃した老人という形で描かれている。
しかも、豊臣が信雄を総大将にしようとしたら、びっくらこいて、大雨に
まぎれて大坂を退去してしまった。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 20:54:00 ID:5fHeLNay
この人が大名として残れたのはオヤジの七光だろ
145名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 21:48:51 ID:dIQtxFF9
織田信雄 (おだ のぶかつ)
永禄元年(1558年) - 寛永7年4月30日(1630年6月10日)

織田信長の次男(出生順では三男と言われる)。
1570年、北畠家との和睦の条件として若干12歳にて北畠の養子となり、17歳ま
での間には、完全に織田領化するなど、戦後処理に卓越した手腕を発揮する。
また、北畠家時代には、伊賀の地侍の危険性にいち早く着目し、この点に鈍感で
あった父信長の勘気を受けてでも伊賀攻めを実施するなど、先見の明もあった。

1582年、本能寺で信長が非業に倒れると、近江方面に出兵する。このとき、明智
勢が退去した安土城に火をつけ、信長の菩提を弔った。信長追悼については、細
川幽斎の追悼連歌会や秀吉による大金を投入した葬儀が有名であるが、この城そ
のものを信長の供物にするという豪儀な方法は、信雄の大気さを示すエピソード
といえよう。

本能寺の変の後は、自ら織田当主となることをいち早く放棄し、信長嫡孫である
三法師(後の織田秀信)を一途に立てるなど、織田家の柱石ぶりを見せつけた。
また、非嫡流での三男織田信孝が重臣筆頭の柴田勝家と組んで、三法師を岐阜城
に軟禁すると、羽柴秀吉と組んで両者を滅ぼし、三法師を救出する。
146145:2006/07/24(月) 21:50:28 ID:dIQtxFF9
三法師救出後は、織田家の家政を秀吉ら重臣に任せて一歩退いた形で所領の尾張
から後見をすることになる。しかし、これは時期尚早でもあった。信雄不在の中、
秀吉が勢力を伸ばして織田家の所領を自分のものにしはじめたからである。
これのを見て、信雄はやむを得ず東隣の徳川家康の助力を得て秀吉の暴虐に対抗
することになる。(小牧・長久手の戦い)
この戦いでは、機動力と統制力に優れる信雄・家康の連合軍が数で勝る秀吉軍に
勝利し、戦線を膠着状態に持ち込むことに成功する。後方に不安のある秀吉は、
この状態に焦り、信雄に対して講和の要請をしてくる。信雄も、父信長の仇を討っ
た秀吉の功績に免じ、この講和を受け入れる。このとき、信雄は徳川家康に知ら
せることなく秀吉を講和を結んだが、これを聞いた家康は「天下のために大慶」
とおおいに喜んだという。家康ほどの人物にそれほどの信頼を得ていたというこ
とで、信雄の魅力を語る一端を垣間見せる。

この後、信雄は日本に残った残存勢力の掃討を秀吉に任せている。しかしながら、
小田原の陣(1590年)の後、転封を打診されたのを断ったことに際して、秀吉に
領土を奪われることになる。あくまでも秀吉を信じ続けた信雄の人間性がここに
きて裏目に出た結果であろう。
147145:2006/07/24(月) 21:51:17 ID:dIQtxFF9
所領を奪われた後は、出羽・伊勢・伊予などで軟禁されていたが、1592年には小
禄ながら、秀吉の相伴衆に加えられている。この復帰の理由は定かにはされてい
ないが、すでに一大名の地位の落とされてしまった甥の秀信のためだと思われる。
この血縁の者に対する面倒見のよさは、信雄の特徴であり、後の大阪の陣におい
ては、従姉妹の淀殿のために豊臣家との確執を無視して大坂城で後見をし、さら
に、もう一人の従姉妹であるお江与(淀殿とは姉妹)にも大坂の情勢を伝えるな
ど、深い交流を続けている。

大坂の陣の後には、徳川家からの要請によって大名に復帰し、2つの大名家を出
すにいたる。

また、信雄は、能の名手でもあり「天下を取ったら、この舞いを公卿にみせてやろ
う」というほどであった。天下と匹敵するするほど神域に達したということでもあ
り、かつ、安土城を業火で包んだのを見ても判るように、芸術的への真摯さはたぐ
いまれまものを持っていた。また、茶の湯でも高見達した点をみても、文武ともに
優れた人物であったことがわかる。

〜fin〜
148名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 21:51:56 ID:dIQtxFF9
織田信雄

覇王・信長の子でありその嫡子信忠の同母弟。
生来剛毅であり、幼くして伊勢の名門北畠氏に人質に出されるも
当主具教の弟らを抱き込み家督を簒奪し具豊と名乗って伊勢国司となり
さらに己の地位を安泰とするため北畠一門を根絶やしにする。

覇者となった豊臣秀吉とも対等に渡り合い、理不尽な転封には一顧だにせず断る逸話が有名。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 01:36:30 ID:6v4VrlKI
>>145
けっこう面白い。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 11:28:03 ID:GOxXVluw
こういう書かれ方するとすげぇ大人物に思えるなw

所詮歴史なんて書いた人間の主観によるところが多いなって気になる
151150:2006/07/25(火) 11:28:37 ID:GOxXVluw
多い ×
大きい○
152名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:31:10 ID:a9b0XU5B
経歴読んでも、無能で臆病で卑怯者だったとしか言いようがない。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:50:28 ID:utaGu9yS
安土城の焼失って未だに謎だよね。
信雄が焼いたとしても、意味無く焼くはずが無いというか、燃やすくらいなら居座ってしまいそうな。
『本能寺の変の黒幕である濃姫を焼き殺した』って陰謀説を信じてしまいそうになる。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 01:22:32 ID:7zMzPR6V
安土城はわざと火を放ったって言うよりも、失火じゃないの?
今よりも普通に「火」そのものを利用していた時代なんだし、バタバタしてたら火事にでもなったんじゃない?
今の電気で明かりや暖房、ガスで調理なんて時代とは違って、火の利用頻度は多かったんだし
今みたいに安全装置や消火設備がある訳でもなければ、耐火建材使ってる訳でもないからね。

濃姫がその時代に生きてたとしたら、各種文献に、御台や北の方が蒲生氏郷によって
避難した事はでてきているから、安土城で死んでる訳が無い。
もしその時代に死んでたら、当然安土で死ぬ訳がない。
まぁ、安土殿の事も養華院殿要津妙玄大姉のことも知られてない時代に発表されたトンデモ説だし。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 00:46:55 ID:lbZDVtaf
信雄は大馬鹿だったのはま違いなし
156名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 17:18:48 ID:dq8Y1bQb
司馬遼太郎は
「信長の息子達はいずれも出来がわるく、この乱世では自立できない者ばかりだ。信雄もそうである」とか
「信雄は不覚人(あほう)であった」
「簡単に騙されるのである。秀吉と家康の両人が煽る以上、この不覚人の腰が浮き浮きと小牧に立ち上がるのは当然であった」
と酷評している。
157名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 19:49:27 ID:wm9+8xJK
酷評の元凶は司馬遼太郎か
158名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 23:18:06 ID:fm/B1n0D
>>157
山岡宗八も吉川英次も信雄の書かれ方は「阿呆」だよ。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 12:14:58 ID:N1w/AK7u
誰が見てもアホというクオリティは高いな、ノブヲ
160名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 00:35:35 ID:YpngNkR9
ノブヲクオリティ・・・なんか耐久度基準以下の欠陥マンションとか、事故が多発している
ガス給油器みたいな製品につけたいタイトルだな。
オレのクルマも燃費が悪くなってきてるしブレーキの効きも甘くなってきたから
そろそろノブヲクオリティかもね?
161名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 17:26:18 ID:rFB9hqhy
略してノブヲリティか

ノブヲリティタカス
162名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:29:16 ID:7UrJLhGB
仮に信雄が信長信忠死後の織田家を継いでいたら
163名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:56:46 ID:QMZEPcow
信雄って小牧の戦勃発までは秀吉の言いなりだったんでしょ?
秀信じゃなくて信雄が跡継ぎでも秀吉の天下取りに影響ないと思うが
164名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 13:31:36 ID:8dF3g8Bd
言いなりというより、丸め込まれてたとか野心を見抜けなかったというべきかと。
信雄が家督なら、形式的には上の立場になるから、
家康旧領への転封命令とか出せないだろう。
165名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:33:41 ID:C/9wh//x
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]


【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。

1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。

上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。

謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである

本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 18:41:46 ID:NHl0PEUc
阿呆以外に何を語れと・・・
167名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 22:38:23 ID:VilFrMc8
馬鹿
168名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 19:08:09 ID:2bbMEcO9
大阪の陣での行動を深読みしてみるというのは?
総大将を命じられた信雄は、何故脱走したのか?
そもそも何故、信雄を総大将にすることになったのか?
豊臣家内部の派閥抗争も含めて、どういう考察が出来るでしょうか?
169名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 05:25:31 ID:HojeA7Rv
信忠が生きていたら親族として活躍……駄目か、勝長と信孝がいるもんな
170名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 20:28:32 ID:sG4UsWhN
うわっ・・・今日の大河ドラマの馬鹿っぷり。
さすがだぜ。
171名無しさん:2006/09/07(木) 19:01:17 ID:GbDHCq7i
織田信成君がいるくらいだから、織田信雄と書いて、おだのぶおと言う人がいてもおかしくない。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 02:26:15 ID:CQ23KqE1
織田信雄=長島一茂
173名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 02:28:58 ID:w+u4UshX
>>172
一茂はまだ自分をわきまえてるだろ。個人的には田中真紀子だと思ってる。>信雄
174名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 08:48:44 ID:zJOIoLWo
真紀子と一茂の駄目なところを合わせて三時間ぐらい煮込むとノブヲになるよ
175名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 18:33:47 ID:sHDEk1jr
今川氏真もそうだが、あの時代、それなりの家に生まれて畳の上で死ねたことは
なんだかんだですごい事だと思うわけだが。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 18:35:18 ID:i9FT8Oxu
あの時代のことはあの時代の方にしかわからぬ
177名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 18:54:23 ID:pwb1U/bA
信長に徹底的に逆らったのに、首取られずに生き延びた六角承禎ってすごいよな。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 13:22:08 ID:ugR8r2q5
武田勝頼>>>>>>>>>織田信雄
http://makimo.to/2ch/life_hikky/1011/1011937575.html
179名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 22:01:15 ID:0je5pUpG
そりゃそうだろ
180名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 20:22:06 ID:HKBWA9Rh
信忠と勝頼を比べるならともかくなあ・・
信雄と勝頼なら勝負にならん。信雄と比べるなら、龍興あたりか?それでも龍興のがずいぶんましか。

しかし信秀→信長はまさに最強なのに、なんで信長の子にはろくなのが出ないんだろうか。
信忠は別に悪かないけど、そこまでよくもないような。まあこれからってとこで死んだからなんとも言えんが。
それにしたってそれ以外の子の出来の微妙さはやばい。嫡男の信忠にしか、ちゃんと戦国大名としての教育をしてないんじゃないかというほどだ。
181名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 22:58:45 ID:7eQBGBX+
実際その通りなんだろ?
信忠だけ正室の養子にして斉藤家美濃衆を付け嫡男として英才教育。
信雄なんて商人である生駒付けられて北畠に追いやられてるんだぞ。
信孝は、まだ滝川とか付けられてるから武将としてはましだけど、
そのかわり序列をはっきり付けられて、神戸にいかされた事もあって
意外と家臣扱い。
秀勝は元々身体が弱くて武将という意味では問題外。
秀吉に利用されて最後は暗殺された疑いまで。
勝長は武田に人質に取られてなかったらどうかはわからないが、
武田で武将教育は受けていたらしく、武将としての評価は武田にいた時の
逸話としてはかなりのものだったらしい。
だがそれでも国の経営という意味では教育は受けていないと思われる。
それ以下は信長死んだとき元服もしていない。
182名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 05:36:05 ID:B5wLCGty
信忠は良将の評価を得ていい人物だろ
畿内平定にはもう独立した織田家の一団長として働き
武田征伐は独力でやってる
織田家の後半は信長が政治、信忠が戦争と分担して行われてた
183名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 11:54:08 ID:qkOU6jEF
最後潔すぎたのは親父の教育が間違えていたのかなあ。
あ、ここって信忠スレじゃないんだっけ。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 19:30:06 ID:SdIblaY2
1つだけわかっている事がある。信雄はアホの愚将であるということ。

しかし・・・このスレ、信雄の子孫が見ていないことを祈る。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 17:06:01 ID:hD6yyas4
北条家:父 氏康  徳川家:父 家康  織田家:父 信長  毛利家:父 元就  島津家:父 貴久
長男:氏政 60点    信康 50点     信忠 10点      隆元 40点     義久 70点
次男:氏照 50点    秀康 60点     信雄100点      元春 60点     義弘 60点
三男:氏邦 50点    秀忠 70点     信孝  0点      隆景 70点     歳久 30点
四男:氏規 40点    忠吉 50点     秀勝  0点      元清 40点     家久 50点

俺の集計だと、信雄さまは圧倒的な点差で天下人なんだけどな。少なくとも織田家は信雄さまで確定か?
186名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 21:16:58 ID:qrLX3noo
点数なんてどうでもいい
ズレてない事に感動w
187名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 17:41:38 ID:CAkJ/YY/
細かい部分まで言えば、「北条家:父」という部分を少し左にずらして欲しかったな
188名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 18:52:33 ID:vz5oUPTa
   北条家       徳川家        織田家         毛利家        島津家
  父:氏康         家康          信長           元就          貴久
長男:氏政 60点    信康 50点     信忠 10点      隆元 40点     義久 70点
次男:氏照 50点    秀康 60点     信雄100点      元春 60点     義弘 60点
三男:氏邦 50点    秀忠 70点     信孝  0点      隆景 70点     歳久 30点
四男:氏規 40点    忠吉 50点     秀勝  0点      元清 40点     家久 50点
189名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 19:32:30 ID:bK5aScH3
全然読んでないけど見た目で感動
190名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 19:35:42 ID:CAkJ/YY/
おー綺麗綺麗
191名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 23:32:17 ID:dmww0oK/
ずれてないな
192名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 12:57:19 ID:WuuvKER+
信雄の場合、同い年の信孝よりも認められる事が幼い頃からの目標となってしまっていた。
それなりに出来が良いと言われ、父の容色を最も継いでいて、
実は自分よりも先に生まれていたと言われる信孝へ自然とコンプレックスが生まれた。
信孝に勝ちたいが為に焦り、その結果が実らず暗愚と言われていく。
そんな折、運命の日が来た。本能寺の変である。
兄・信忠の死はとても大きかった。
天下人の座が突如、見えてきたのである。
ただ信雄にしろ、信孝にしろ、目標が天下を狙う事に変じなかった。
年の同じ肉親に勝つために織田の家督を相続する。目標はそれであった。
兄弟の不仲は秀吉に付け入る隙を与えてしまっていた。
信孝憎しに秀吉に荷担してしまった信雄であったが、次第に後悔の念を抱く。
織田の栄華を終わらせたのは、自分と信孝の争いであろう。
悔しいけれども器量は信孝の方にあったのだから、自分が折れて協力しあっていたなら家督を継いだのが幼い三法師であっても、ここまで秀吉を台頭はさせれなかっただろうと思う。
秀吉の目標が天下を狙う事であったのに対し、自分の目標は信孝に勝つ事であった。
憎い憎いと思っていたが、それは信孝への憧れの裏返しだったのかもしれない。
一方、信孝も同じ事を思ったか、死に追い詰められて募るのは信雄よりも秀吉に対する怒りであった。
どこからか信孝の辞世の句を聞いた信雄は、これを叶えてやりたいと思った。
死に追い詰めてしまった、せめてもの償いだ。
元より前評判の悪い自分だ。
それは大いに利用してやろう。
どんどん愚行してやると決意した。
まずすべき事は、自分、織田信雄の没落か。
秀吉が天下をとるにあたって、邪魔な織田の一族は己ぐらいなもんだろう。
信雄は自ら進んで、秀吉と敵対する事にした。
秀吉もそう若くはないし、早く天下をとらせてやらねば。
死ぬわけにはいかないから、勝ってはいけないが負けてもいけない。
己一人では戦わず、誰か有力な大名に協力を仰ぐつもりである。
さて、その人物は…と信雄は考え徳川家康に協力を仰いだ。
信雄自身にはよく分からないのだが、父・信長はこの家康を一目置いていた。
それならば固い人選だろうと思った。
小牧・長久手の戦いで、家康は実に有利に戦を進めた。
信雄は後々豊臣家を滅ぼす人物がいるとしたら、家康だと考えていたのだが、この事実は家康という人物を秀吉に相当深く印象づけれたろうと満足を得た。
193名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 15:20:55 ID:ZeqtWIxT
信孝と仲が悪いのは有名だが兄とはどうなの?
二人の性格のイメージからすると合わなそうだが。
194名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 19:53:45 ID:6LoDiUrt
>>192
そこまで考えられる性格と知性だったらよかったのにね
195名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 03:26:21 ID:mqqoQvHy
秀吉の勘気に触れて改易されたのに、関ヶ原では西軍に付く所が意味不明。
196名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 03:39:35 ID:u+OiD53H
そもそも信忠と同母兄弟であるという確実な証拠もないみたいだね。
197名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 03:43:39 ID:aBqrWRcI
アホとかバカとか言われてるけど、何だか憎めないんだよな、織田信雄。
198名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 04:25:31 ID:KvAm3BVO
こういう歴史上の人物は少ないからな
199名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 07:31:34 ID:0aiqEtR/
昨今の歴史ifものでも、出演すると何故か美味しいどころをもらいやすんだよな
信孝は、ほぼ暴走して死ぬ役なのに
200名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 08:19:47 ID:DdVAvPoZ
   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
 /    茶 筅 丸  \
/                ヽ
l:::::::::               | 
|::::::::::   (●)    (●)   |  
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ヽ:::::::::::::::::::.  \/     ノ 
木 瓜 \\      /|\  ///
 木 瓜 \\  //瓜 ///
瓜 木 瓜 \ //木 ノつ\
 瓜 木 瓜 //瓜 / く瓜
201名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 15:17:06 ID:MFMbXiZv
吉川弘文館のパンフレットを取り寄せたら、
人物ぎょう(漢字変換できない)書の今後の刊行予定に、
信雄、その父、信雄の領土没収した人が入っていた。
三英傑である2人目と3人目がまだ刊行されていないのは、意外だった。

信雄の本は、来年には発売されるのか、期待している。
202名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 15:38:24 ID:fRXG78Tr
「戦国の覇者」著・坂上天陽

でも信雄なかなかいい役だよな。
203中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/12/15(金) 17:00:47 ID:+eiRkdwN
>>201
叢書(そうしょ)な。でも吉川の人物叢書シリーズは気を付けろ
刊行予定に上がってるのに10年たっても出る見込みのないものがある
中には筆者がかわったり書きたがらなったりも
204名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 17:28:18 ID:BjBRi6KN
>>200
ハゲのくせに茶筅とはいかに。
205名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:00:58 ID:Zm01aNfh
>>195
単に大阪城にいただけらしいよ。
206名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 20:12:54 ID:5+juf6c/
能の名手というのを知ってからちょっと好きになった。
207名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 01:17:33 ID:HNXwUGu5
信長は信雄には激甘だな、と思う。

・上方への出兵の軍令を無視
・勝手に軍勢を動かして伊賀攻め
・しかも失敗して家老は戦死

こんなの他の家臣なら切腹か追放もんじゃないか。
信長に叱責されたといっても単に書状の上ことだし、実質的なペナルティーは無し。
しかも二度目の伊賀攻めでは四万ともいわれる大軍を準備して(当時の伊賀の人口は七万とか)、
絶対負けようがない態勢を整えた上で総大将に据えて男を上げさせてるし、
伊賀四郡のうち三郡は信雄、残り一郡も信雄寄騎の信包のもの。
政治的思惑があったにせよ、稀に見る息子に甘い父親だよ。
208名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 02:14:22 ID:OvzP5flT
信雄には、というか、信長が子供達にキツかったというエピソード自体が少ないような

佐藤大輔の信長小説(歴史逆転系だけど)でも、「信長の欠点は子供に甘いこと」とはっきり書かれてたな…
209名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 06:14:37 ID:i9a4wp3I
子供に対してというか、身内全体にも甘い。
信広や信勝は一度は許すし、信勝の子を殺さず育ててる。
一族と血で血を洗う争いをしたっていうけど
明確に殺したのは信友、信勝くらいしかいない。

信忠の守役に様子の聞く話は厳しいようでいて、
父親信長の優しさが出てて好きな話だな。
210名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 06:27:57 ID:OvzP5flT
一応、岩村のお艶の方は勘定しておいてください
彼女も不明瞭な部分が大きいけど
211名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 09:48:11 ID:Ak9vcoYj
でも、信長の実子である勝長を武田に引き渡したからな、岩村の遠山夫人は。
勝長>>>>>越えられない壁>>>>>叔母
これはどうしようもないんじゃないの?
212名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 01:30:10 ID:5fQzmmyV
織田信雄が建てた名古屋市の徳源禅寺は有名だろ?ホームページも開催してるぜ。
213名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 01:32:54 ID:IqT0Hlon
ご先祖様が信長ってすごいんだけど
ご先祖様が信雄ってすごくアレだな。
214名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 04:16:38 ID:lhb/czBx
>>213 >>206で言う才が子孫の氷上の舞に活かされている訳じゃな
215名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 08:11:08 ID:SxoTVM39
信忠は英才委教育を受けたけど、信雄は放置だったのかな?
信孝や信澄は出自が不利だから、それなりにい努力したんだろうけど、
信雄はそんな空気を感じない。
216名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 11:00:06 ID:5fQzmmyV





武士道に通じる「臨済禅」に帰依していた織田信雄こそ本物の武士です(°∀°)





217名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 12:11:11 ID:eWozBL4M
>>214
氷上で舞ってる人は信高の子孫だけどねw
信高の家系、信雄の家系から養子貰って繋いでたりするから
>>214もありかな?
218名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 00:35:13 ID:EtGczVwk





武士道と佛道の間にあるのが織田信雄様が帰依する「臨済禅」です(°∀°)




219名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 00:41:45 ID:EtGczVwk





          織田家に幸あれ!!(°∀°)




220名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 11:12:27 ID:koV02LGK
戦国の郷原洋司
221名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 19:54:48 ID:EtGczVwk





        織田信雄万歳!!徳源禅寺万歳!!(°∀°)




222名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 23:12:54 ID:RgCU7/Lm
>>217

氷上で舞ってる人が信長の子孫って思うと顔的にありえない!!と
思ってしまうが、信雄の子孫って思うと、ああ、確かに・・・
となぜか納得してしまうのは俺だけかな?w
223名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 23:28:48 ID:1vUIkubK
のぶお 笑
224名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 20:12:30 ID:nYsw+N9g
のぶ「かつ」、おぶ「お」のどっち? どっちでも良いんだっけ?
225名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 21:33:48 ID:+ejaDzHp





           の ぶ か つ だ!!(°曲°)




226名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 22:06:43 ID:bPvW5qgy
スレタイが「織田信雄を掘る」に見えた俺はきっと疲れているに違いない
227名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 03:32:20 ID:MCNH7AVP
うわあああああ〜〜〜〜〜ん(T□T)
228名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 08:02:12 ID:F6B8KikK
「のぶかつ」の方がカッコいいんだけど、
今は「のぶお」説が優勢。
229名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 02:41:07 ID:KmEabhHu
教科書ではのぶおだよな
230名無しさん:2007/01/02(火) 05:55:12 ID:qTAs+4pO
信長が戦国最強の英雄なら息子のこいつは戦国最低のぼんくらで有名
231名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 08:46:44 ID:9IVR8y2Q
>>228
信勝とも名乗っているので信雄は「ノブカツ」説が優勢
232名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 10:06:42 ID:5bNQmXLb
>>231
信長に殺された叔父と同じの名前を使ってたのか……。
233名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 12:08:28 ID:7xZ+Yt8P
信雄の時は「ノブオ」だったんじゃないかな?
信勝使ってた時は「ノブカツ」で。
234名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 08:49:37 ID:ud91sPzx
たしか信雄で「ノブカツ」と読んでる文書があったはず。
235名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 08:53:37 ID:bRaddd26
ノブカツよりノブオの方があほっぽくていいじゃん
236名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 08:55:57 ID:o/FKLiwO
>>233
どちらの名前も本人の性格を表してはいない所が
泣き所・・・
237名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 09:42:49 ID:hrE/RuWU
信弱、信泣、信謝・・・

こんな名前つけたら信雄も反骨精神で名将になったかもな。
信長が信雄に甘いというのも次男だし、いまさらどうにもできないという感じだろう。
馬揃えでも信雄と信孝に明確に差つけたし。信忠以外養子に出しまくったのもある意味はっきりしてる。
238朝倉渦中feat.パストマスターズ ◆0Uj4ASAQRA :2007/01/03(水) 09:47:17 ID:+8/+JfCh
「お湯殿の上の日記」の天正十六年四月十四日条
「しゆらくのてい」に集まった人々の中に「おはりの内大臣、のふかつ公」とあり、
信雄の前名が信勝なことから答えは「のぶかつ」ですね。
239名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 10:19:08 ID:hrE/RuWU
雄雄

かつお
240名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 13:37:54 ID:H7c1wRiR
信雄で「のぶお」と書いてる文献もあった様な気がしたが
241名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 13:59:15 ID:8TcjlMoZ





         お だ の ぶ か つ だ!!(°曲°)




242名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 14:00:06 ID:B3TiHtJY
>>241
同意!同意!
243名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 15:05:15 ID:gN/YPwjR
信雄、有楽だけじゃなくて能に熱中して道具を没収された信忠といい、
織田家には数奇者の血があるみたいだな。
244名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 16:31:45 ID:0bS6c8wI
信長自身、女装して踊ってるし
そういう家系なんだろ
245名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 00:38:38 ID:Ds+Czk4D





俺は織田信雄様が開かれた名古屋市東区の徳源禅寺に参って徳を詰んできたぞ!!(°曲°)




246名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 00:47:02 ID:4TobYTgG
俺は信孝はのぶただより才能あったと思う
247名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 04:11:43 ID:dkwvWOWJ
信忠信雄信孝が三人揃って踊ったことあるんだよな
でも信雄と信孝じゃ仲悪いんだよな。信孝も心から兄上なんて思えなかっただろうな
248名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 13:19:44 ID:iHpkottA
信忠と信孝は、それなりに仲良かったみたいなのにな。
249名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 14:31:28 ID:prs357TQ
信勝はすぐ打ててものぶおとうたないと信雄をうてないIMEをどうにかしろ
250名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 13:53:04 ID:XzR88QjH
それなら信忠も”信田だ”とか”の豚だ”になる・・

>>248
信忠は勝手に軍勢動かしても成功しちゃう器だし、信雄は生年月日の因縁があるし
251奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/08(月) 00:00:03 ID:WD+EoZI8
>>248
ウマが合ったのかも知れないが、主従関係が成立していたんだろうね。
252名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 01:55:22 ID:ml6yQloP





織田信雄様の法名は「徳源院実厳常真」です。そして信雄様が開かれた名古屋市の寺は「徳源禅寺」といいます。




253名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 09:59:27 ID:WCUCB0jM
東海道100万石貰ったIFで妄想しようや
254名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 10:19:28 ID:iJW/mFNW
気がつけば家康と合わせて350万石!
これはイケル!
















・・・と思っちゃいけない時期に思ってしまって、家康と秀吉に左右から挟撃→降伏→史実へ。
255名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 18:21:08 ID:DZyEmDzC

東海道100万石貰わなくて正解だろ
貰ってたら秀吉に殺されてたかも
256名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 19:21:37 ID:JBjihzrZ
常真って名前もなめてるよなw
257名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 22:32:30 ID:nnyUdvmv
>>255
家康に殺されるだろ。
信雄を東海に封じるのは徳川の対抗馬のため。
それに家康が恩義ある織田家を東海に封じれば
家康もおとなしくするだろうという考えだ。
しかも尾張美濃に三法師もいるしかなり強固だ。
258名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 21:13:02 ID:/1MOK4bi
>>257
秀吉に騙されて成人した三法師以外の織田一族は秀吉に対する忠誠心なんてかけらもないのだがw
259名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 00:33:25 ID:v1nTF7mE
信雄の立場って義昭的な感じなんじゃないの?
家康を裏切る際も(勝手に講和)微塵も罪悪感を覚えなかったし
秀頼を裏切った際も(大阪の陣)微塵も罪悪感を持ってなかった。
人間として恩義を感じるとか、義理や約束を重んじるという習慣は全く無く
朝鮮人みたいな気質だったんだろうと思うよ。
仮に反日朝鮮人に東海をあげたら、家康の盾になるどころか
「日本海ではなく2000年前から東海だったニダ!」「天皇の先祖は韓国人ニダ!」とか
意味不明な事を言って罪悪感0で平気で裏切るよな。
260名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 00:39:42 ID:iPUiEBCb
そもそも家康自身織田家に対する恩義なんて全く感じてないだろ
この人は生来そういう感覚が薄い
261名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 05:19:56 ID:v1nTF7mE
家康は良くも悪しくも三河の豪族の頭領の家柄だからね。
人質の苦労もしたけど、やはり生まれつきのボンボン。
他人に忠誠を誓わせるのが仕事で彼が心から他人に忠誠を誓う必要は全く無し。
ただし、徳川家の存続のために必死に義元や信長や秀吉に忠誠心を持ってるような演技は
命がけでした。

でも家康も今川家に領地を与えて再建しようとしたし
秀吉も今川時代に世話になった松下某に心からの礼をしたそうだし
今川家は人質や、よそからの流れ者に優しい家風だったのかもしれない。
262名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 13:40:42 ID:prJOLrSK
>>261
いい視点かもな。
今川氏が客分を大切にしない家風だったら後北条氏・徳川氏・豊臣氏はなかったわけだ。
東海道を押さえる交通要所の守護大名だからお大尽気質だったのだろう。
263名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 13:42:47 ID:BSSQpxdw
信雄って、織田家のためにと頑張ってた佐々を秀吉と一緒に討伐したんだろ?
佐々的にはお前なにしてんねんって感じだろうな

さらに関ヶ原では西軍に組し、改易くらってるし
その後は豊臣家に助けられ生きてたのに
豊臣がピンチになったらそそくさと豊臣から離れて徳川に媚びてるし

どうしようもねえ糞だな信雄はよ。
264名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 14:44:37 ID:v1nTF7mE
>>262
三国志で例えれば劉表の立場だろうか。
265名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 15:49:56 ID:prJOLrSK
>>264
あるいは劉焉でもいいかも。
266名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 16:25:58 ID:B+JeW4G/
>>263
信雄は信孝にも勝家にも家康にも、むしろ秀吉にも「なにしてんねん」って思われてただろうな
信長も地獄でポカーンだろう
267名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 18:42:26 ID:jBaqeONT
そんなわけはないでしょう、戦乱の時代に生きた武士達だもの
生存のリアリズムは誰でも分かってることだし
主家が弱るたびにそれを滅ぼして幕府を築いた某家と、どっちの性根がマシかといわれるとなー
庶民的には、まだ信雄の行動の方が飲み込みやすいような
268名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 18:54:56 ID:IQAjyjdo
あまりに無節操で定見が無いのもどうかと。
269名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 21:01:34 ID:x9k4pax4
豊臣厨必死だなw
270名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 03:06:45 ID:BGFSpzqK
裏切りまくるわりには時流を見る目が全然ないな
さすがに大坂の陣では上手くいったが
271名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 11:44:23 ID:xd3OdfSA
信雄でも身の危険だけはギリギリわかるだろ
272名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 12:26:16 ID:iCMer3P5
>>101

長男以外は家臣として扱えという風潮の時代だったからね。
信忠には教育っぽいことしてたみたいよ。

この人が有楽斎くらい抜け目がなければ歴史は変わってただろうね。
273名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 12:56:28 ID:HIkKgZKY
そもそも信長が手ずから教育って訳じゃあるまいし
274名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 13:01:43 ID:UR3A4JhE
信忠には守役は付けてないから、ある意味手ずからみたいなもののようだが。
275名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 13:15:02 ID:xd3OdfSA
有楽が信長の長男に生まれてれば、国名を茶と改名。

>>272
御所から逃げたあとも有楽みたいな中身じゃ、三法師と大差ないな

信忠は岐阜貰ってるし、滝川等がサポートしたし配下も尾張衆美濃衆と
出来あがったものを与えられて過不足なくレールの上を走ったという感じ。
信雄はその滝川の計略に利用され養子に出される程度の扱いだし天地の差だな。
276名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 18:38:17 ID:00EvK8Id
信忠の守役が信長に様子を話したときのエピソードは親としての期待と愛情が感じられていい話だな。
277名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 18:46:26 ID:USuUKMSM
拾ってもらって世話になった姪を
見捨てて逃げるとはなかなかやるな、ノブヲ。
278名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 18:48:39 ID:8+WuI+/j
>>276
それ、誰が書いた小説?
279名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 18:56:20 ID:00EvK8Id
>>278
さあ?知らないけど史実ではないの?
280名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 19:06:58 ID:mbORCT1M
てか守役だれだ?河尻?
281名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 19:44:17 ID:8+WuI+/j
守役は確定してない。
成人後は確定してるけど、成人前はいなかったと思われる。
282名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 20:19:13 ID:d5QlbJd2
川尻秀隆じゃなかろうか?
283名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 20:21:35 ID:uY8aq0X7
>>282
河尻は信忠の方が縁深いかと。
284名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 20:50:40 ID:8+WuI+/j
>>283
今は信忠の守役の話だよ。
河尻という説もあったが、成人前の守役ではなかったらしい。
285奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/11(木) 22:52:29 ID:75GaMVin
傅役って林秀貞とか坂井利貞あたりじゃないのかな。
286朝倉渦中feat.パストマスターズ ◆0Uj4ASAQRA :2007/01/12(金) 00:22:56 ID:JnYYUBWl
信雄の傅役については…「武功夜話」には小坂孫九郎、「勢州四家記」には織田掃部助とあります。
287名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 20:45:58 ID:gRwz+PWO
征夷大将軍源信雄
関白太政大臣平信雄
288名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 00:56:52 ID:nCyNO4yZ
転勤を拒否するサラリーマンは辞表を懐入れておく覚悟が必要だ。
信雄は解雇されると知らずに辞令を返上するサラリーマンと同じように
人生に甘えた男であった。

引用だけど信雄の暗愚さ加減を端的に表している。
289名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 06:55:01 ID:zDX3BRhB
雇用主と雇用者が逆転してるんだけどな。
サルの詐欺行為とかっぱらいで。
290名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 10:17:51 ID:KdQnCrl+
小牧長久手では信雄も直率軍を率いて戦ってるのに、功績は全部徳川に持ってかれてるよな……
291名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 14:15:40 ID:aeWFQvrO
>>290
陣頭指揮した経験が少ないし、天正伊賀の乱の過去があるから評価されてないね。
292名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 14:41:26 ID:KoIuhtAK
>>289
それは逆に自分の立場が見えて無いって事だよな?
293名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 23:39:09 ID:sqPnaVbe
中村ノリを連想しちゃった。
294人間七七四年:2007/02/17(土) 21:43:12 ID:tz9k1+kv
結局よ、散々馬鹿にされながらも
天童藩の藩祖にはなってるんだよ。
同じ織田の血でも
信忠・信孝・秀信・淀君・秀頼よりは
マシかと思うんだがどうよ?
あ、有楽斎と家光よりは劣るけどな。
295人間七七四年:2007/02/17(土) 23:27:51 ID:+s8bagqu
家光を入れるなら京極忠高や蒲生秀行も混ざってきて、まあ大変なランキングに
296人間七七四年:2007/03/10(土) 16:05:50 ID:8YYUfagG
信孝はかなり焦っていたらしいね
馬揃えでは一門衆の中で叔父の信包に次ぐ4番目にされたり
神吉城攻めでは足軽に混じって城にのりこんだり
まあ勇猛さでは北畠の雪姫にのめり込んでいる信雄よりあったと思うが
さぞかし親父代りの滝川一益もこの二人には苦労したことだろうね
297人間七七四年:2007/03/10(土) 17:06:57 ID:NfMPAh9i
>>297
信孝は四国攻めの総司令官を勤めてるぞ。重臣の蜂屋や丹羽を従えてな。
小国伊賀とは比べ物にならない大任だ
298人間七七四年:2007/03/10(土) 18:40:11 ID:/sxU+7np
>>228
素人考えだけど・・・ この時代、読みが3文字の武将っている?
皆、4文字な気がする  
「のぶお」 より 「のぶかつ」 のほうが自然な気がする
299人間七七四年:2007/03/10(土) 18:48:15 ID:/sxU+7np
居たら教えて  幼名しか思いつかない
しきたりでもあるの?
300人間七七四年:2007/03/10(土) 19:08:03 ID:0JsSTNRR
301人間七七四年:2007/03/10(土) 20:56:21 ID:VDo8sr5U
>>298-299
大久保忠世は「ただよ」で良いんだっけ?
だったらこの人。
302人間七七四年:2007/03/10(土) 21:04:06 ID:w5TSsAfB
相良義陽(よしひ)とか、酒井忠世(ただよ)、大久保忠世とか…
考えなきゃ出てこないぐらい少ないのは確かだね
法号にはそこそこあるんだけど
303人間七七四年:2007/03/17(土) 16:33:52 ID:Edm1f0nR
>>298
松浦系なら2文字、3文字だよな
波多親とか鶴田前とか、いろいろ
304人間七七四年:2007/03/18(日) 00:20:52 ID:H6c7EDUt
でも読みは3文字じゃん。
305人間七七四年:2007/03/18(日) 00:21:24 ID:H6c7EDUt
しまった。意味不明なこと書き込んだ。スマヌ…
306人間七七四年:2007/04/09(月) 12:46:04 ID:Oei8Gf9L
age
307人間七七四年:2007/04/11(水) 02:51:15 ID:DDHUx2f7
信長の子供ってたくさんいるのにみんなどうなったの?
308人間七七四年:2007/04/11(水) 04:41:07 ID:63o8b7+4
皆お墓の中に入った
309人間七七四年:2007/04/11(水) 07:32:03 ID:5HV0M/sk
ワロタ
310人間七七四年:2007/05/04(金) 10:20:23 ID:PAelbWSZ
信成クンは信雄の家系なんですか
311人間七七四年:2007/05/04(金) 13:34:13 ID:bxcWf4nY
信高
312人間七七四年:2007/05/04(金) 13:50:13 ID:eOAwTlAj
信雄って三男だろ?信孝の弟
313人間七七四年:2007/05/07(月) 10:34:01 ID:FHZaiqka
生物学上ではね
でも側室の子だから三男にさせられた
>>296の言っているように次男と仲が悪い
314人間七七四年:2007/05/07(月) 11:53:19 ID:r2vGF6Fn
>>313
信雄も側室腹だけどね。
単純に報告の遅れだろ。
清洲城の産屋で生まれた信雄はその日のうちに報告。
熱田で生まれた信孝は、少し遅れて報告。
ほとんど同じくらいに生まれたからに過ぎない。
信雄生母の生駒より、信孝生母の坂の方が、由緒正しいし
当時では家格は上と思われる。

信雄が生駒屋敷で生まれたとか、生駒が正室格だったなんてのは
偽書に出てくるだけだし、家格が生駒の方が上だなんてのは
信雄が作らせた文献からしか登場しない。
315人間七七四年:2007/05/07(月) 13:06:19 ID:BMqbQPhq
>>314
>信雄が生駒屋敷で生まれたとか、生駒が正室格だったなんてのは
>偽書に出てくるだけだし、

悪名高い「武功夜話」ですな。
316人間七七四年:2007/05/07(月) 14:45:30 ID:OD+wTfWz
母系の家格が信用できないのはわかった。

でも一門の順位にはこの兄弟の間に信包が入るよな?
届けが遅れたというだけならばすぐ上下に並んでいれば話もわかるんだが、
間に楔を打つ理由は何なんだ?
317人間七七四年:2007/05/07(月) 15:00:54 ID:r2vGF6Fn
そりゃ、信包が親族の代表だからだろ。
信雄は北畠、信孝は神戸の養子だから、明らかに格差を付けなくてはいけない。
その更に下に、親族代表を置けるか?

信長は武将としては、信雄と信孝にその実力に見合った格差を付けているし
信雄が二男なんだから、こういう馬揃えの時くらい信孝より上に持ってこなければ
親族間の乱れに繋がるだろう。様はバランス感覚だよ。
信忠が、生駒腹ではないと考察もされ始めているし、信忠と信雄が生駒腹だから
一つにまとめられていると考えるのは、早計ってことさ。
318人間七七四年:2007/05/07(月) 15:03:43 ID:r2vGF6Fn
追記

信孝は四国征伐のあとは、三好の養子に決まっていた信長の書簡が残っている。
三好の養子に信孝がなったら、信雄と並ぶから、養子先の家格で
2人の格差を明確にしたというのも、なしだな。
信孝が神戸に養子にいったのは、坂が神戸の親戚だからだしな。
319人間七七四年:2007/05/07(月) 20:11:49 ID:BMqbQPhq
>>317
そういや、信包は長野氏に入嗣したんだっけ?(長野信良)
320人間七七四年:2007/05/14(月) 01:43:18 ID:qwwoxvJA
信雄と信孝の不仲は有名だけど、信忠と信雄、信忠と信孝の関係はどうだったの?
321長門 ◆q8GdomS4XA :2007/05/14(月) 01:51:22 ID:QFKVhfFN
信雄信孝はいくらがんばっても信忠にはかなわない。
だからいろんな意味で仲が自然とよくなるものだ。
322人間七七四年:2007/05/22(火) 22:00:56 ID:jpxETEIT
>信忠と信孝
信孝は連枝衆として信忠の下で働いてた
323人間七七四年:2007/05/24(木) 20:26:33 ID:mJaSEgC7
俺は織田3兄弟が好きだ。

まあ信忠が一番優秀かな、
あと、異戦国志の信雄、信孝の扱いがひどい気がする。

誰か信雄が活躍する小説知らない?
324人間七七四年:2007/05/24(木) 20:46:52 ID:5f0RcbS4
>>323
乾坤関ケ原
325人間七七四年:2007/05/25(金) 13:41:16 ID:1MfNzlBU
一部の本では正室の北畠具教の娘、雪姫が具教一族討伐の際に自刃したと書かれ
ているけど、実際は1583年に秀雄を産み、その後も高雄と2人の娘の母親になっ
ているんだね
なんで雪姫は助命されたのかな、そんなに殺すのに惜しい程の器量があったとい
うわけかな、4人も子作りしてるぐらいだし

あと世界帝王事典見てたら信忠に信正(1554-1647)という兄が載っていた
何者?
一応、古渡城主で2人の子供の父親となっているが
326人間七七四年:2007/05/25(金) 13:49:57 ID:R2SOSq42
>>325
長庶子だが、ホントにいたのかね?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E6%AD%A3
327人間七七四年:2007/05/25(金) 13:57:44 ID:1MfNzlBU
>>326
徳川時代はどうなったんだろう?
史料が断片だけじゃ、ほんと実在してたかもわからんし
328人間七七四年:2007/05/25(金) 15:43:00 ID:NqBGFrNy
どうも実在はしたらしい。
96歳ぐらいまで生きた、と歴史読本
「信長と26人の子供たち」で読んだ。
あれ買えばよかった。もう一度読みたい。
329人間七七四年:2007/05/25(金) 17:39:00 ID:9wG4dek8
信正は信広の後継なんだな。
古渡に固定されているのを見ると、一族の墓守を職分にさせられたか。
330人間七七四年:2007/05/26(土) 03:08:11 ID:OeoSTuNR
フィギュアスケートの織田信成って、織田の誰の末裔なの?
織田の家系は美男美女が多いと聞くが、織田の末裔にしてはブサイクすぎ〜
331人間七七四年:2007/05/26(土) 11:34:55 ID:Ne6SkyEU
信高の家系だけど、信雄の家系から養子をもらって家系維持しているから
結局のところ信雄の血筋なんじゃね?
332人間七七四年:2007/05/26(土) 11:45:16 ID:g+DIlVZ9
信成君はお母さんそっくりのような。
333人間七七四年:2007/05/26(土) 14:23:08 ID:I9DL60wd
同族会の会長は認めてないんだよな>信成くん
334人間七七四年:2007/05/26(土) 15:00:58 ID:iYdehuNY
えっ、なんで?
可哀想じゃん
335人間七七四年:2007/05/26(土) 15:12:26 ID:I9DL60wd
史料に基づいた血縁証明ができないから。
336人間七七四年:2007/05/26(土) 15:33:53 ID:JcqzbuWj
誰か2003年ごろに出た歴史読本の「信長と26人の子供たち」
持ってないか?
図書館で読んだんだが内容を忘れた
337人間七七四年:2007/05/26(土) 15:37:59 ID:2KYg0jKQ
末裔がご先祖そっくりのほうがビビるわ。
338人間七七四年:2007/05/26(土) 17:31:14 ID:PcJbfGmh
>>333
自称信長の子孫なんて掃いて捨てるほどいるだろうからな
339人間七七四年:2007/05/26(土) 17:44:18 ID:I9DL60wd
同族会からすれば、織田無道の事件があってからナーバスになってるんじゃないかな。
由緒正しい家系まで変な目で見られかねなかったんだし。
340人間七七四年:2007/05/26(土) 21:02:38 ID:iYdehuNY
信成くんのお陰で織田家そのものに世の中に好印象与えたのに
341人間七七四年:2007/05/26(土) 22:12:26 ID:OeoSTuNR
えっ!あの畜生坊主の織田無道も織田の末裔を名乗っていたの?
嘘と判っていてもなんだか笑える。
342人間七七四年:2007/05/26(土) 22:20:25 ID:22e3FsPT
のぶおーーーーーーーーーー
343人間七七四年:2007/05/27(日) 06:26:09 ID:XUr0CogO
>>323
異戦国史って信雄は家康に唆されて信長を裏切ってたけど
信孝ってどんな扱いだっけ?
344人間七七四年:2007/05/27(日) 08:39:19 ID:c9Qrjx2v
>>343
信雄よりは功績があるという事で信長から後継者に選ばれた。
信長が死ぬと仇討ちに向かうけど、家康の返り討ちに遭って逃げる途中で討ち死に。
345344:2007/05/27(日) 14:35:13 ID:A/PyIpSY
加賀井重望に討たれたのが納得出来なかった
346人間七七四年:2007/05/27(日) 15:33:19 ID:CkWH15xb
架空戦記ものだとだいたい信孝は性格悪い。
辞世の句が効いてるのか。
347人間七七四年:2007/05/27(日) 15:41:33 ID:A/PyIpSY
尾張を待てや羽柴筑前
報いを待てや羽柴筑前

辞世の句がここまで凄いのは他に知らん
信孝は父信長の性格を受け継いでいたんだな

俺は信忠も信孝も好きだ。
信雄は違う意味で好きだ。
348仙台藩百姓:2007/05/27(日) 15:55:58 ID:kpVgFoFp
辞世で未練たらしい泣き言ぐだぐだ言うなんて
見苦しいだけだお( ´ω`)
信長はこんな女々しい事言わなかったお
単に言う暇もなかっただけかもしれないけど(≧ω≦)
349人間七七四年:2007/05/27(日) 15:58:33 ID:ahTtQDQl
その辞世の句、本によってバラバラだし後世の創作っぽくない?
そういう心境でも不思議ではない状況だけどさ。
350人間七七四年:2007/05/27(日) 15:58:35 ID:EUaYeyMR
この辞世の句の良さがわからんとはな
351349:2007/05/27(日) 16:13:55 ID:A/PyIpSY
「昔より主を内海の野間なれば、
報いを待てや羽柴筑前」
定説はこれ

尾張を待てや、とかは誰かが尾ひれを つけたっぽい

あと切腹したとき自らの腸を引きちぎり
羽柴秀吉への恨みを込め、投げつけたという。
その時にでた血がついた掛け軸が今もある。
352仙台藩百姓:2007/05/27(日) 16:33:22 ID:kpVgFoFp
確かに創作の可能性はあるおね
余りに酷過ぎるお(;^ω^)
辞世は己の生き方を示し、最後を飾るものだお
それが武士が戦いに敗れて
「キーッ悔しい、お前なんか死んじまえバーカ」
的な無様な辞世遺すなんて普通有り得ないお
これじゃ負け犬人生世間に曝して自分を貶るようなもの
こんな惨めな辞世見た事ないし
適当な町人あたりが創作して流布したんじゃないかお
353人間七七四年:2007/05/27(日) 17:41:14 ID:seTIc0qw
信孝スレになってきたから、誰か信孝専用スレ立ててくれ
俺はなぜか立てられぬ
354人間七七四年:2007/05/27(日) 18:19:01 ID:5C9wymoz
355人間七七四年:2007/05/27(日) 19:20:04 ID:4DFEH2Cq
各々の器量はどうあれ信雄の家臣団は信忠家臣団程でないが、ある程度整ってい
たと思うが、信孝の家臣団はどうだったの?
可児とか下っ端でいたらしいが
もちろん長秀とか蜂屋とかみたいな四国遠征軍編成時の寄騎は除いて
356奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/27(日) 21:02:18 ID:o6LCyiRg
岡本良勝・関盛信とか?
357人間七七四年:2007/05/27(日) 22:31:06 ID:4DFEH2Cq
メジャーどころですね
信雄家臣団にさえ母衣衆とかいたけど信孝家臣団にも母衣衆いたんですかね
358人間七七四年:2007/05/28(月) 00:45:51 ID:Ed0uBmyz
>>318
>信孝が神戸に養子にいったのは、坂が神戸の親戚だからだしな。

確かに神戸氏の支族に坂氏はいるが、信孝生母の坂氏とは別だろう。そんな話は知らない。
断定するなら根拠を示せ。
359人間七七四年:2007/05/28(月) 00:52:37 ID:IwS1OJT+
>>358
何でそんな攻撃的なの?落ち着けよ。
360人間七七四年:2007/05/28(月) 09:40:21 ID:xPtPLFMI
同じ伊勢への養子でも、国司家の信雄・名門長野家の信包に対して
信孝の神戸家は一等低いやね。

親父信長に能力を認められて引き上げてもらった瞬間に本能寺。
自前の家臣団をまとめきる時間がなかったのではないかな。
361人間七七四年:2007/05/28(月) 11:13:04 ID:l85Cfsxi
養父もそうだけど関盛信が癌だろうね
北畠みたいに殺せばよかったのに蒲生に気を遣ってか日野に幽閉だもんな
一時的には改易処分だけど子供の一人は武田に走ってるし
家臣団統制に苦労してたんだろうな
362人間七七四年:2007/05/28(月) 11:32:50 ID:p2xRFlnL
尾張から家臣団統制できるような家臣連れていなかったのかな
まあ、すぐ側には頼れる一益がいたけど
363softbank218130162042.bbtec.netn:2007/05/28(月) 11:55:41 ID:XbfItyWC
enter
364人間七七四年:2007/05/28(月) 12:04:28 ID:XbfItyWC
最強の戦国武将!
365人間七七四年:2007/05/28(月) 12:05:22 ID:GkiZEtj1
ようこそ裏にちゃんねるへ
366人間七七四年:2007/05/28(月) 16:01:01 ID:tCMQhV77
安土城の発掘調査によると、燃えたのは本丸部分だけだったみたい。
ソースは出せないけど、何かに書いてあった。
想像だけど、放火したのは夜盗連中じゃないのかなぁ。
信雄放火説は、「あいつならやりかねん」みたいな認識をみんな持ってたのかもね。
367人間七七四年:2007/05/28(月) 18:07:18 ID:5ie+VV0L
信雄が警備を怠ったせいで
土民が城に乱入し放火したらしいね
368人間七七四年:2007/05/29(火) 12:07:12 ID:yF4TYIM4
>>366
イエズス会の書簡で信雄がやったと書かれたのが原因かな?
369人間七七四年:2007/05/29(火) 20:11:16 ID:msITwJQ7
信雄の失敗
伊賀攻めで苦戦
長久手の戦いで勝手に講和

以外にもこれぐらいしか思いつかんのだが
370人間七七四年:2007/05/29(火) 21:51:00 ID:8wk0PI6R
移封拒否して改易
関ヶ原の時の優柔不断な態度で改易
371名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 19:39:23 ID:BMVwLbV0
将としても駄目。政治家としても駄目。ただ権力者の取り巻きとしてはなかなかの実力を発揮する人物。
372人間七七四年:2007/06/02(土) 10:22:06 ID:kPWMSgWJ
>>371
今だったら政治家、議員として1流
家名がある、知名度がある、政治的資質なんかなくていいし
猿以下の知能しかない大○田、神○よりは知性があるだろうし
贅沢、女好き、政治的適性が無いくせにプライドが高いのも現代政治家の特徴
373人間七七四年:2007/06/02(土) 18:40:00 ID:cyxyxIp9
勢州軍記には信雄の坊ちゃん振りが描かれているよ
思慮が足りないおバカさんって感じ
374人間七七四年:2007/06/03(日) 00:07:55 ID:/hVeTo1D
坊ちゃんの信雄だけど、乱世を生き延びるしたたかさは持ってたんだから面白いな
375奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/03(日) 00:31:06 ID:vQaz3D96
本人が改易されようが、子孫はキッチリ大名で残ってる。
愚者に見せかけた才人であると頑なに信じたい。

パラメータでいうと政治も統率も低いけど智謀と教養は高い感じで。
376人間七七四年:2007/06/03(日) 13:32:59 ID:Kg0p2OSJ
>>372
大○田を馬鹿にするなよ。秀吉の側近中の側近だぞ。
377人間七七四年:2007/06/04(月) 09:31:23 ID:7IbxEmR8
>>369-370
肝心なところでミスしてるんじゃ低評価もしょうがない。
378人間七七四年:2007/06/08(金) 03:51:51 ID:6QWt5JrU
織田の次男は〜
379人間七七四年:2007/06/10(日) 12:50:11 ID:2dRwPjRO
優柔不断な態度で改易
→伊達・上杉・毛利と名だたる大名が・・・

結局小牧・長久手みたく事実上の天下人秀吉に反旗を翻すような大勝負、
出来る器の武将は殆どいないって事。
家康が天下人になったのも当然だな。
380人間七七四年:2007/06/11(月) 14:31:51 ID:3sa/z/5R
>>369
信雄の略歴
1569茶筅丸、北畠具房養子になる
71茶筅丸、具教娘雪姫と婚姻
72茶筅丸元服、北畠具豊名乗る
73.1具教、武田氏に鳥屋尾石見守を密使に送り、内通を約す
74.9信雄、信孝と共に大島城攻め(初陣、長島本願寺攻め)
75長篠に信孝と共に参陣
信孝はその後、越前朝倉攻めに参陣(信雄は参陣せず)
76.春、安土普請(縄張り-丹羽長秀、信孝も事務方として有能な働き、信雄不参加)
76.夏、信雄、加藤甚五郎に紀州熊野へ侵攻命じるが、紀州新宮の堀内氏善らの反
撃により敗走
76具教とその家臣らによる信雄、信雄家臣を蔑しろにする行為、信長の耳に入る
信長、南伊勢奉行織田掃部助に具教一族討伐を命ずる
76.11具房、雪姫以外の具教一族討伐(雪姫はこの時、自決したと言われるが、事実
は助命されており、その後、信雄との間に秀雄、高雄ら二男二女をもうける)
76.12家臣の柘植、滝川の讒言により織田掃部助一族を滅ぼす
77.2一益、信孝と共に信長、信忠の紀州制圧に参陣
77具教弟、還俗し具親を名乗り、具教旧臣らと伊賀で挙兵
信雄、家臣の日置、滝川、柘植、長野、天野、田丸らに命じ鎮圧
具親は中国地方へ逃亡
捕えた具親家臣峯、乙栗栖を火炙りに処する
381人間七七四年:2007/06/11(月) 15:02:50 ID:mTaa0cpw
>>380
>76.11具房、雪姫以外の具教一族討伐(雪姫はこの時、自決したと言われるが、事実
>は助命されており、その後、信雄との間に秀雄、高雄ら二男二女をもうける)
へぇ〜、裏切り者(というには語弊があるが)の娘の正室を、
そのまま正室として据えておいて、お飾りでもなく子供まで生ませてるのか。
意外と、戦国時代ってそういうものなのか?
382人間七七四年:2007/06/11(月) 15:12:45 ID:sheYXT56
信長の目下女への優しさは異常
383人間七七四年:2007/06/11(月) 15:16:24 ID:mTaa0cpw
寧々への手紙とかか?

なんか、戦国時代って、実家と対立したら正室は戻されるばかりだと思ってた。
384人間七七四年:2007/06/11(月) 15:18:07 ID:3sa/z/5R
(380の続き)
78.6一益、信孝、信包と共に神吉城攻めに参陣-信孝、足軽に混じり城に乱入するな
どの活躍(信長公記より)
78九鬼嘉隆、一益により信長に出仕、信雄に属する?
79.9第1次伊賀討伐-信雄親征
家臣の柘植が討死するなど惨敗
信長より叱責受ける
80信雄の金奉行玄智、信雄の居城田丸城の金銀を盗み、城の火薬庫に放火し逃亡
信雄、雪姫ら一族は松ヶ島城に移る
81.8信忠、信孝を松ヶ島城に呼び舞楽を楽しむが、信長に「金銭を費やし、家業
を忘れることは国を乱す事だ」と叱責される
81信長より諸国で悪逆非道な行為を行う高野聖を勢州で数百人捕え、信雄、信孝が
処刑を見物
最後の1人の15、6歳の美少年の高野聖を連れてきた時、信雄はそれを助命した
信孝は信雄がそれを男色相手にするため助命したのだと家臣と歌を読み嘲笑した
81.冬、第2次伊賀討伐
信雄の他に滝川一益、信孝、信包、蒲生ます秀、筒井順慶が参陣
一益、富益城を落とす
信孝、柘植城を落とす
蒲生、土山城を落とす
《本願寺の変以降は省略します》
主に勢州軍記を参考にしました
385項龍 ◆Sw15bzOP8. :2007/06/11(月) 15:24:54 ID:YOrlJqml
>>184

結局美少年はどうなったんだ?
386人間七七四年:2007/06/11(月) 15:54:42 ID:3sa/z/5R
>>381
あまり当てにはならないが
まず千代御前(雪姫)家臣柘植三郎左衛門の幼い娘をたいそう可愛がっていたの
だが、柘植が木造具政らと共に織田に寝返った際、父具教は人質の幼い柘植の娘
を残忍に生きたまま串刺しにした(これは事実)
雪姫はそれにかなりの嫌悪感を覚え、父を恨んだそうだ
(柘植は勿論、それを恨みに思い、具教一族討伐を願うのだが)
あとこれも確証はないのだが信雄と雪姫が相思相愛だったという説
あと養父で馬に乗れないほど肥満だった具房と信雄は変にうまが合ったというら
しいが、これも確証はない
とにかく確証があるのは具教の家臣たちが信雄の家臣たちを蔑しろにしていたの
は確かでそれが信長の耳に入って具教一族追討を命じたのは確かなようだ
387人間七七四年:2007/06/11(月) 19:46:55 ID:mTaa0cpw
>>384
>81.8信忠、信孝を松ヶ島城に呼び舞楽を楽しむが、信長に「金銭を費やし、家業
>を忘れることは国を乱す事だ」と叱責される

結局、信忠が死ななかったら、信雄と信孝って別に後継者争いなんかしないで
普通に庶子の兄弟同士、うまくやってたのかもな。
388人間七七四年:2007/06/11(月) 21:50:43 ID:uhQfG+FH
父親の生前は別に仲は悪くなかったって話もあるしな。
それにしても信孝スレが地味ではあるが、ハイレベルな話で盛り上がってるのが意外。
389うんこ麻呂:2007/06/11(月) 22:51:45 ID:2jPqvkeG
・・・いっぺんあげて見る?だれか喰いついてくれるかも。
390宇喜多直家信者:2007/06/11(月) 23:53:09 ID:vFRXuLvq
能の舞だけは天下一の逸話は本当か?
391人間七七四年:2007/06/12(火) 02:04:07 ID:rSC9FvPZ
>>387
しかし信孝はかなり信雄との序列の差はかなり意識していたようだ
じゃなかったら神吉城攻めで大将らしからぬ、足軽に混じって城にのり込んだり
しないだろう
信孝の焦りを感じさせるエピソードだ
割りと信孝は地道に働いているのに父親に評価してもらえないのかという焦りが
見えるけど
392人間七七四年:2007/06/12(火) 10:29:34 ID:Pdt0SDCG
大将自ら突撃城に肉薄ってエピは信忠にもあったような。
393人間七七四年:2007/06/12(火) 10:31:16 ID:q1CqWydN
信長だってあるし。
394人間七七四年:2007/06/12(火) 15:23:12 ID:rSC9FvPZ
信孝は2回目の伊賀攻めに刈り出されても活躍しているから
「てめえでケツ拭けよ」
って心境か
395宇喜多直家信者:2007/06/24(日) 20:17:11 ID:FgrnJ3d0
「信雄」の名前の読みについてだが、

滝川雄利とか土方雄久とか、信雄に偏諱を与えられた家臣は皆かつ〜、と
名乗っているので、信雄=のぶかつでいいと思う、
396人間七七四年:2007/07/01(日) 15:05:54 ID:v7wFYvt8
大河ドラマ〜織田信雄〜

父信長を超える器量人と噂されながらも兄を立てるため自らの才覚をひた隠しに隠し
自ら北畠の養子となり、伊賀を独断で攻めた家臣の責を自らが被るといった美談が光る
「青雲の章」

非業に倒れた父、信長の遺志を継ぎ、織田の天下を奪わんとする奸賊秀吉の野望
を阻止すべく盟友、家康とともに挙兵する
「火炎の章」

関ヶ原の折、石田三成の忠義の心にうたれ、恩讐をとおりこして西軍に加担する信雄。
秀信を説得し岐阜城を西軍のものとする功績のほか、西軍勝利のために暗躍する
「曇天の章」

大阪の陣、豊臣方にその隠れた力量を見込まれ総大将に抜擢された信雄。しかし
「天下は天下の天下である」そう考えた信雄は苦渋の末決断を下す
彼の決断が天下を泰平へと導く
「光明の章」

以上4編からなる偉人、「織田信雄」の波乱万丈の生涯を描いた愛と血と涙の感動巨編
2011年NHK総合にて放映予定
397人間七七四年:2007/07/07(土) 22:35:26 ID:OMH+Njbw
>>358
信孝生母の坂氏が信雄生母の生駒より家柄がいいというのは
ここに出ている。
  ↓

http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180257020/
398人間七七四年:2007/07/08(日) 00:37:41 ID:TD5dAOvp
>>314
そうそう、しかも正室格なんて言葉は存在しない。
生駒は清洲の奥に上がっていた側室の一人。
大体、当時の織田家が生駒家の娘を正室にする政治的メリットは全く無い。

しかも最近の検証では、信忠の生母は生駒とは別人の可能性が濃厚らしい。
実際に信忠が位牌所を設置してるし、没年が生駒とは違っている。


399人間七七四年:2007/07/14(土) 07:46:05 ID:xkvvIR8f
>>398
基本的に、大名家は大名家同士でないと婚姻を結ばないからな。
400人間七七四年:2007/07/14(土) 10:54:53 ID:Zwj0p09u
まあ、逆に言えば、家格云々なんていうのは非常に流動的で、
当人(信雄・信孝)の地位を左右する最要因ではなかったともいえるでしょう
ぶっちゃけ、織田家が拡大した後は、どちらが上でも大差ない範囲

伊勢支配の過程とか含めて、彼ら自身の格が作られた部分も、もちろんあるだろうし、
源平の僭称なんて当たり前だったことを考えれば、かわいい程度ではあるw
401人間七七四年:2007/07/23(月) 07:35:46 ID:dh9YZeus
三男スレに抜かれとるがな
402人間七七四年:2007/07/28(土) 00:05:06 ID:HoA0jbAI
織田信成とどっちが優秀?
403人間七七四年:2007/07/28(土) 01:20:23 ID:BE7QlhTf
そういえば信長の野望ではすぐ謀反起こすんだよなぁこいつ
信長に対して
404人間七七四年:2007/07/28(土) 02:52:53 ID:3SV1/OGC
天下創世だと義理が最大値100で6と直家道三並に低いからな。兄の信忠は79とかなり義理堅いのに。
信雄が不義理とされるのって小牧長久手の独断講和が効いてるのかね。
405人間七七四年:2007/07/30(月) 06:55:56 ID:cGWEWXjo
義理と野心は低そうだなw
406人間七七四年:2007/07/31(火) 00:25:57 ID:SEZjeAvr
大坂攻め寸前で豊臣を離れたことも含まれてるのかも
まあそれは信雄だけじゃないし、そんな強烈な査定にする必要はないと思うけど…
たまにその辺、他の武将が主役の小説で面白く扱われてる時もあるし
407人間七七四年:2007/07/31(火) 00:37:32 ID:wZi8s610
有楽斎と一緒で小物。
408人間七七四年:2007/07/31(火) 06:17:02 ID:I+es6z/q
保護してくれた姪を見捨てたのは有楽と一緒だが
堂々とスパイ行為をやらなかった分信雄のほうがマシかも・・・。
409人間七七四年:2007/08/31(金) 03:55:37 ID:nzQ2sP9y
age
410名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 11:08:28 ID:pxsp9lGb
つーか大阪の陣なんて、殆ど浪人が大阪城占拠したようなものだからな。
411人間七七四年:2007/08/31(金) 11:11:02 ID:zG1Cv4OW
信長の血を引いているというところは子作りだけか
412人間七七四年:2007/08/31(金) 21:54:37 ID:YeAZIRKT
そうかな? むしろ誰かが意図的に暗愚に見せている印象を受けるけど?
信雄は家光の弟、松平忠長に孫娘を嫁がせている。
信雄の息子の信良の嫁は、さほど名門の出ではなかったので、実質信雄が忠長の後見人だった訳だ。
光秀と忠長の間に後継者争いがあったのは周知の通り。
忠長は信雄の死後、間を置かず、まだ父が存命中であるにも関わらず、失脚させられている。
表向きは悪行のためだが、ステレオタイプの表現で信憑性に乏しい。
信雄の72歳という寿命に惑わされて、天寿を全うしたと思いがちだけど
実は家光派の人間に暗殺されたのかなぁと思う時もある。
因みに、信良は信雄に先立って死亡、その舅は信雄の死後後を追うようになくなっている。
信雄は狡猾で、小物だったけど、暗愚と罵られるほどの人間でもないと思う。
それなのに、やたら暗愚と謗られるのは、逆に晩年まで政権争いに手を染めていたからかもしれない。

413人間七七四年:2007/09/08(土) 18:33:38 ID:fNFB9+75
>>412
「信雄のその瞳に映ったものは」まで読んだ
414名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 13:40:48 ID:mJNlBdlN
この人の北畠家乗っ取りは異常に陰惨だな。強引に家督を継いだ後、だまし討ちで北畠一族郎党皆殺し。
3歳児1歳児もその場で殺してる。挙句の果てに養子に入るまでに北畠家と交渉に当たった織田家譜代の家臣まで
暗殺してる。どうせ信長の指令だろうが、血塗られすぎ。

小牧長久手の前の三家老暗殺もこの時と同じ殺し方をしているな。そう言う意味で信雄は、信長の忠実な
後継者と言っていいかもな。
415人間七七四年:2007/09/11(火) 18:30:17 ID:QWF3Or/m
>>414
三家老暗殺は秀吉の謀略じゃないのか?
416人間七七四年:2007/09/15(土) 09:18:31 ID:qvZo4RKZ
何を言いたいのかいまいち判然としない…
信雄しかそういう残酷な真似をしていない、といいたいわけでもなかろうし
北畠氏の本流を絶やすのは必然だったわけだし、それでも昌教は結果的に命を繋いでるしな
417人間七七四年:2007/09/18(火) 10:37:01 ID:0cAVuTdZ
信雄だけ攻められんだろう
もともと具教が武田と内通したこと信雄をないがしろにしたのが原因だし
具教自身もかつて人質の柘植三郎左衛門尉のわずか9歳の娘を生きたまま串刺し
にしたから残虐さでは変わらんだろう

信雄は養父具房と信雄の妻の雪姫は許している
恐らく信雄が助命を信長に頼んだのだろう
雪姫は後に信雄の嫡男や二男らを産んでいるし、夫婦間が疎遠になっていたとは
思えない
具教と具房、雪姫間はあまり仲が良くなかったのかもしれない
418人間七七四年:2007/09/21(金) 11:14:37 ID:I3HrfIKM
age
419たられば君:2007/09/21(金) 11:34:48 ID:hDqJ2RSv
北畠の家督を持ちながら織田に復姓しているんだよな。
子供が複数いるのなら庶長子か次男に(嫡男でもいいが)北畠家を立てさせて家を分けておけば
信雄改易のショックは半減で済んだかも知れないな。
420人間七七四年:2007/09/21(金) 17:39:09 ID:ncLvMdAt
でも変後のあの時に、北畠の価値はほぼ無いからなあ。
むしろ関わりを少しでも残したら「すでに一度は北畠の家督を継がれ・・・」
みたいな不利な材料にしかならなかったと思うけど。
それに結果論だけど、織田ってブランドのお陰であの程度で済んだワケだし。
421人間七七四年:2007/09/22(土) 11:04:16 ID:xRJisEFn
北畠の家名を残すなら雪姫の血筋ならわかるが、北畠の者(といっても絶滅され
たが)にとっては裏切り者の木造の血筋だと承服しかねるだろうな
422人間七七四年:2007/10/08(月) 20:15:53 ID:1JyP2kSH
豊臣秀次とどちらが小人だろ?w
423人間七七四年:2007/10/08(月) 20:20:22 ID:ByRSQCIb
そりゃしたたかに生き延びた信雄の方がスケールは上だろ。
小人としても。
424人間七七四年:2007/10/10(水) 16:25:24 ID:oGz26LwK
あげ
425関連スレ:2007/10/17(水) 23:10:48 ID:BCrPQdLz
【三法師】清洲会議を語る【天正十年】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192629955/
426人間七七四年:2007/10/31(水) 20:33:30 ID:L7LU3Mer
家康が北条の旧領に国替えになった時織田信雄が家康の旧領への
国替えを拒んだけれど、あれを素直に受けいれてたら
織田家は、どうなっていたろう。
427人間七七四年:2007/10/31(水) 20:54:57 ID:E4TWT56H
たらればにマジレスも何だが・・・
秀次の例があるように、バカはいつでもどうにでもできるでしょ。
428名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 21:04:57 ID:TSJcjmsV
まあ、普通に考えれば信雄に200万石近い家康旧領を与えるとはとても思えないよな。
429人間七七四年:2007/11/02(金) 00:09:00 ID:JbEPUI35
>>428
越前大野位が分相応だな。
430人間七七四年:2007/11/04(日) 13:07:38 ID:a2dwl996
/\___/\
/ /    ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|  ,,ノ(、_, )ヽ、,,   |  < ま〜た三介か
|   ,;‐=‐ヽ   .:::::|    \_______
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431人間七七四年:2007/11/13(火) 20:19:10 ID:O+C5scpH
きっと信雄おじさんも、まさか小牧・長久手の戦いを起こした分際でそんな
大国与えられるとは思わんかったんだろうよ。
「え!?俺に・・・いいの?嘘臭え〜。」とか言ってから、改易されたんだろ
うな〜。
432人間七七四年:2007/11/18(日) 23:43:12 ID:GSJQBP05
>>426
その場合関ヶ原で思いっきり空気読まない行動して領地没収とかされていそうだなw
433人間七七四年:2007/11/19(月) 09:27:34 ID:zolvC5g+
信雄かあ。
のぶおと読んだら、アメリカ本土空襲やれるぐらいの武人になったかもな。
434名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 17:31:34 ID:BN+3KB/I
>>433
つーか「のぶお」と読むのが正しくて、「のぶかつ」と言う読みを当てたのは後世の事だと聞いた覚えが。
435人間七七四年:2007/11/19(月) 18:52:53 ID:aTegSNxi
>>434
偏諱を受けてる滝川雄利は「かつとし」と読む矛盾。
436人間七七四年:2007/11/20(火) 10:54:01 ID:UO1u/Dpa
>>434
“のぶお”なんて嫌すぎる呼び方だな
437名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 18:53:25 ID:6DHPsrAW
>>436
戦国武将らしくは無いが、現代にはたくさんいる名前だろ。むしろ時代から言えば斬新な名前かもなw
438人間七七四年:2007/11/22(木) 23:37:38 ID:0gwEY2TY
ノブカツじゃないの?
公家か何かの日記にあったはず。
439人間七七四年:2007/11/23(金) 16:04:23 ID:+fR77Hdr
どっちでもいいんじゃないの?
440人間七七四年:2007/11/23(金) 17:51:23 ID:WkmIzXNE
そうだね。その程度の人だし。
441人間七七四年:2007/11/24(土) 00:28:43 ID:E5FikCKm
兄弟の信孝を類いまれなる謀略で自害させ、小牧長久手の戦いの際に独断で和議を結ぶという先見の明を持っている信雄殿をその程度と申すか
442名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 02:51:53 ID:o9PKLMTj
>>441
謀略と言うのはその後の本人の飛躍が会って始めて成立するものだ。
443人間七七四年:2007/11/24(土) 08:31:49 ID:E5FikCKm
>>442
皮肉で言ったんだが通じなかった?
444人間七七四年:2007/11/30(金) 11:03:36 ID:200DjTGp
信雄の肖像画見たが信長にソックリだな。
445人間七七四年:2007/12/02(日) 12:55:50 ID:KvFFk+9G
血が受け継がれてるのか、絵師が手を抜いているのかしらんが、織田一族の肖像画はみんな信長ベースのマイナーチェンジ感があるよなw
446人間七七四年:2007/12/02(日) 21:40:14 ID:6E6iOnGm
>>445
本人の死後、江戸時代に描かれたものなので適当だろw
447人間七七四年:2007/12/03(月) 18:08:35 ID:iH1wE40x
江戸時代のいつよ?w
そこまで書いて煽れw
448人間七七四年:2007/12/03(月) 18:43:19 ID:Xmt+k0NZ
信孝の肖像画ないよな。
449人間七七四年:2007/12/04(火) 10:07:42 ID:9s6TlRBa
通説では、子供達の中で一番信長に似ていたのが信孝だったらしいな。
秀信もそっくりだったという関ヶ原での逸話があるんだったかな?
450人間七七四年:2007/12/04(火) 11:10:01 ID:6GiOqnZi
秀信、何で西軍についたんだろ・・・
451名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 22:50:22 ID:siCgqp5h
>>450
秀信云々より、家老級が先に西軍に取り込まれてたっぽい。
秀信はいい意味でも悪い意味でも「お殿様」な人間だったようだ。
452人間七七四年:2007/12/30(日) 15:27:13 ID:3Jc9fCNk
こいつの生母って、馬鹿息子しか生めない馬鹿女で
散々信長の肉便器にされた挙句、早死にしたんだってなw

453人間七七四年:2008/01/08(火) 21:19:02 ID:z0k691bR
『戦国繚乱記 壱』河丸裕次郎

信雄がまともだ、自分に軍事的才能が皆無であることを自覚してる。
454名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 10:27:41 ID:a4xbzgej
>>453
それはそれで面白くないなw
おだて挙げられるとどこまでも調子に乗って、なのにちょっと叩かれるとたちどころにシュンとなる
超お坊ちゃん体質こそ信雄の真骨頂。
455人間七七四年:2008/01/10(木) 23:00:35 ID:f3cUddBn
のぶおって名前、子供っぽくも聞こえるし、オヤジっぽくもきこえる不思議な
名前だよな〜〜〜w

現代だと、姜暢雄、大木伸夫、寺島伸夫などなど若者も結構いる名前なのがミソ。
456人間七七四年:2008/01/10(木) 23:21:21 ID:/SDOdPhX
>>455
チョン混ぜんな
457人間七七四年:2008/01/10(木) 23:33:01 ID:f3cUddBn
>>456

え?誰がチョンなの?
個人的には、「のぶお」って名前好きなんだよな〜
なんつーか、コミカルっていうか、ポップというか意外とオシャレな名前に感じる。

よしお、まさお、たけおとかとは一線を画すというか。
「〜お」系の名前でも比較的ニュータイプの名前なんでないかい?
実際に出逢った事もないし。
458人間七七四年:2008/01/11(金) 10:06:12 ID:bchIK6Kk
何度も失敗することがあってもいいんだ。
だってにんげんだもの。
                     のぶを
459人間七七四年:2008/01/11(金) 16:17:59 ID:hwbO4BeH
織田のぶおって戦国にありながら現代風の名前で一発で覚えたわ。
確かに居そうで居ない名前が「のぶお」だな。よしおとか昌雄とかうじゃうじゃ居るのに。
460人間七七四年:2008/01/11(金) 20:19:21 ID:I7cUkOU6
信雄は本能寺の変のときに明智光秀と組んでいた
461人間七七四年:2008/01/11(金) 20:22:07 ID:AwWY/I+5
そこに痺れる憧れる^^
462人間七七四年:2008/01/11(金) 21:29:49 ID:rnSP5ND9
徳川・信雄連合軍が秀吉を討ち全国統一したなら、信雄はどうなったんだろう
家康が信雄をなんか名誉職に就かせて実権を握るか
信雄→征夷大将軍
家康→執権
とか
463人間七七四年:2008/01/12(土) 00:01:29 ID:A0Ffopal
可能性が低過ぎて想像する気にならない
464人間七七四年:2008/01/12(土) 21:54:48 ID:wBfRGpyq
>>462
それじゃ信雄はまるでバカ殿じゃないか
465人間七七四年:2008/01/13(日) 03:59:06 ID:bQNieTFp
学研かなんかの徳川家康に関する本に小牧・長久手で徳川・織田連合軍が勝利する場合をシュミレーションした特集がのっていた。
それによると家康は、一応信雄を推戴して上洛し、やがて凡将の信雄にとってかわって将軍に任命され、なんと名古屋に幕府を開くという凄まじい結論で幕引きになってる。
ただ、そこに至るまでの過程がかなり強引なようで、↑にも書かれてるとおり、非現実的な感がある。
戦線離脱者が続出して六万にへった羽柴軍と織田・徳川連合軍一万八千が野外決戦して勝利し、秀吉が大坂に逃げ帰る設定になっていた
466人間七七四年:2008/01/13(日) 20:52:16 ID:GbPWOlse
秀吉直属の家臣以外の旧織田家家臣なら秀吉が負けたら離反する者は多くなるだ
ろう
467人間七七四年:2008/01/23(水) 11:59:45 ID:Dtape3tu
>>466
そうかもね
468人間七七四年:2008/01/23(水) 14:20:01 ID:JjN88HTa
>>462
家康、信雄に難癖をつけて滅ぼし、徳川政府を樹立。
歴史に変化なし。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 17:10:51 ID:z/zOtCzm
>>468
秀吉も最初、信雄との連合政権にする、みたいな顔して講和したのに、利用価値がなくなったら
さっさと捨てたからなあ。
470人間七七四年:2008/03/04(火) 09:20:41 ID:udMK4/um
秀雄が嫡男で母系で北畠家の血筋引いてたけど夭折して断絶だっけ
471人間七七四年:2008/03/04(火) 19:25:54 ID:+bQZlWCB
>>470
正確にはそうだと思うけど
子孫は木造氏の血を引いているから分家とはいえ北畠氏の血筋はわずかながらは
あったと言えるかもしれない
472名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 19:34:11 ID:LFzwxtFM
信雄は北条征伐のあとの領地替え拒否で処罰されるまで、実は豊臣政権内序列で
ずーーーっとNo2だったんだよね。素直に領地替えを受け入れていれば、秀吉死後の
政権の主導権を取る事が出来たかも…



無理か。
473人間七七四年:2008/03/05(水) 13:59:31 ID:rYsuQOSm
群馬県甘楽郡の崇福寺を訪ねたことのある人はいますか?

東京在なんで、一日旅行がてら出かけてみたいような気もするんだけど
墓いがいは見るべきものが残っていないのだっけ?
474人間七七四年:2008/03/14(金) 00:12:24 ID:5FLm2end
信雄は本能寺の変時は割とまとまった兵力持ってたよね
南伊勢と伊賀一郡持ってたんだから
筒井順慶あたり取り込めば光秀に対抗できたかもしれないのに
まあ資質がなかったこともあるけど今更言っても仕方ないけど
475人間七七四年:2008/03/14(金) 00:21:25 ID:WokMScNo
家中の評価が血筋と能がうまいくらいしか
評価しようがないような気が
476名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 00:23:19 ID:+0mJp1Ri
>>475
得意技に親譲りの『謀殺』があるのだが。
騙まし討ち超得意。
477人間七七四年:2008/03/14(金) 00:31:10 ID:dppVPr4d
よかったじゃん、結果藩保てて
478人間七七四年:2008/03/14(金) 00:40:47 ID:GpPU97x3
>>474
やったことは、明智秀満が去った後の安土城を失火で炎上w
479人間七七四年:2008/03/14(金) 05:54:18 ID:5FLm2end
>>476
それは信長か、具教に幼い娘ら家族を残忍に殺された柘植ら北畠家出身家臣の意
向だろ?
当時18歳に過ぎない信雄が一人で画策したとは到底思えない
昵懇だった養父や好いていた千代御前(雪姫)の命ごいをしたのは信雄だろうが
田丸城の簒奪に関しては信雄のわがままとわかるけど
480名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 06:33:47 ID:+0mJp1Ri
>>479
自分ところの家老も見事に謀殺してるじゃんw
481人間七七四年:2008/03/14(金) 07:00:56 ID:M0+L/B0h
>>472
序列二位?嘘ばっかつくなハゲ
482人間七七四年:2008/03/16(日) 00:13:54 ID:PPEsX+iJ
>>481
案外本当だぞ。領地は尾張、伊勢、伊賀で100万石以上だったし官位も正二位、内大臣で1590年の豊臣政権下ではトップ。家康は当時、大納言。まぁ、秀吉に反抗して領地もなくなっちゃうけどな、、
483人間七七四年:2008/03/16(日) 00:22:52 ID:PPEsX+iJ
>>481
あくまで秀吉や豊臣一門以外の中じゃ1590年当時では能力は別にして家康と同格ぐらいの扱いは受けてたって事だな。官位では上にも書いたが内大臣だしな。
484名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:31:01 ID:fBtdMKN6
毛利家文書によると、関東征伐前までの豊臣家諸侯の序列は

織田信雄
徳川家康
前田利家
豊臣秀長
宇喜多秀家
上杉景勝
毛利輝元

こんな順番だったようね。毛利家文書でも、諸侯の中で信雄にだけは「様」をつけてる。
485人間七七四年:2008/03/16(日) 05:32:29 ID:WN/v8pA2
>>484
信雄公は偉大な人物お( ^ω^)
風流を愛し、妻を愛し
それでいて自分の意にそはない家老はぬっ殺し
味方についてくれた同盟者は無視して単独講和
時流の流れもおかまいなしに転封拒否して改易くらうなんて
おいらには偉大すぎて理解できないお( ^ω^)
486人間七七四年:2008/03/16(日) 05:50:59 ID:WN/v8pA2
一度落ちぶれた状態から
大名家に返り咲きしたんだから
関ケ原で改易くらって浪人
また大名家に復活した立花宗茂公くらい
評価していいとは思えないのが不思議だお( ^ω^)
487人間七七四年:2008/03/16(日) 07:41:38 ID:PPEsX+iJ
>>486
父親と戦った相手が悪すぎる。本来は家を存続させたんだから普通ぐらいの評価があってもいいんだが、、親父が信長で、秀吉、家康が相手じゃな。江戸時代は小大名だが信雄の織田家は国主並の扱いを受けてたらしいしな。
488人間七七四年:2008/03/16(日) 07:46:13 ID:PPEsX+iJ
>>486
一度、落ちぶれたにしろ立花とは全然違うよWW立花は関ケ原後に元の領地に帰り咲いてるが、信雄は天下人の次男から最後は5万石の小大名に帰り先だからなWWせめて尾張、伊勢、伊賀、100万石を前田のように残してたらまだ良かったんだがなWW
489人間七七四年:2008/03/16(日) 08:15:17 ID:XJOSq8Px
>>484
毛利のあつかい上杉以下かよ…ヒドスwww
490人間七七四年:2008/03/16(日) 08:52:13 ID:WN/v8pA2
父ちゃんあんまり偉いと気苦労多いお( ^ω^)
一茂みるお、馬鹿装って精神バランス保とうとしてるお
でもテレビで真面目な話してても馬鹿にみえるお
人物評価は難しいお( ^ω^)
491名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 09:14:31 ID:fBtdMKN6
>>489
景勝の方が臣従早いからな。
492人間七七四年:2008/04/26(土) 00:07:58 ID:2mVmcW7+
内大臣
493人間七七四:2008/05/04(日) 09:39:51 ID:v9X6VRqJ
家名を残したことは素晴らしい
494人間七七四年:2008/05/18(日) 21:41:45 ID:zUlAFnyx
日本の阿斗参上
495人間七七四年:2008/05/18(日) 22:18:50 ID:OJK9O8z8
かねて不覚人と評判の織田常真入道信雄は、大阪城から風雨に紛れて逃げてしまった
496人間七七四年:2008/05/19(月) 00:00:16 ID:pUfCqTwP
>>495
小牧長久手の頃の若さなら「二つ返事で」承ってそう。
年とともに自分の才薄さに気づいたんだろうね。
過去の苦い経験からアホはアホなりに成長してるんだなあ。
497人間七七四年:2008/05/19(月) 00:52:36 ID:39q/A/yo
しかし柘植や木造父子のように旧北畠家家臣で信雄に従った者達はわりと信雄に
忠誠を尽したと思うが
498人間七七四年:2008/05/21(水) 00:15:40 ID:fenGYx8v
南朝に良い感じに付き合った人の子孫だからな。
499人間七七四年:2008/05/21(水) 08:25:30 ID:R4uSBXMJ
>>498
そういえば確かにそうだね。
今でこそ、南朝北朝と戦国時代は
直接的に結びつく感じが無いし、
史家でもその視点が抜け落ちてる人も多いけど、
あの時代は、南朝か北朝かは大きな問題だったしな。
500名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 10:22:39 ID:O7asoarv
信長信雄の、あの残虐で陰惨な北畠乗っ取りに協力したんだから、いまさら信雄から離れられないだろ>北畠旧臣
501人間七七四年:2008/05/22(木) 23:27:59 ID:giLgkyJ5
好人物みんなののぶおくん伝説

歌舞に興じすぎて家老に「そんなものに現を抜かし殿は将来何になるおつもり
か?」と詰られ「当然、天下人になるのじゃ!そしてこの舞を京の公家衆に見
せてやるのじゃ!」とのたまい、周囲の国々の人々に大失笑を買う。

秀吉に厚遇され気を良くした信雄は秀吉の言うことに何でもOK、「秀吉の言
うこと、いちいち尤も」を連発したため、「尤も殿」と呼ばれた。

秀吉さんに逆らったため伊勢をほとんど失い困ったから自分だけ単独和睦。
困れば「家康なんてしーらない」のマイペースぶり。

こうして好人物&恥知らずの彼はたくさんいる信長子息の中でも長命で僅か
ながらも領地を存続できたのでした。

結局、アホだから殺すにも値しない&ちょっとくらい領地あげても謀反とかの
心配ないでしょという相手に与える安堵感で生き残れた人。
502人間七七四年:2008/05/30(金) 11:09:48 ID:2e8pBdGm
>>500
北畠側もかなり残忍だろう
柘植の幼い娘を生きたまま串刺しにしたりしたし
もともと北畠が滅ぼされたのは具教が武田に通じていたからだから仕置としては
やむを得なかっただろう
それに養父の具房や信雄の妻雪姫は助命されている
具房は具教との仲が悪かったというし、雪姫に至っては自ら自決するやり方があ
ったにも関わらず、平然と後に嫡男他、信雄の子を産んでいるから具教は自分の
子にもけっこう恨まれていたんじゃないの?
503名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 17:58:41 ID:kGzk4vk1
>>502
織田に好意的過ぎ。
504人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 23:36:50 ID:hfHgjAyn
>>503
『伊勢国司北畠氏の研究』藤田達生編より
信雄は天正四年に信長の指令を受けて、ついに・・北畠氏一族を謀殺し、南伊勢
から旧勢力を一掃した。しかしこれは必ずしも“規定方針だったと思われない”
・・永禄十三年正月に、信長は諸大名の上洛を要求している。それを記す・・信
長触状の宛所の筆頭に「北畠大納言(具教)同北伊勢諸侍中」を載せており、有
力織田大名として北畠氏が伊勢一国の武士を率いるべきことを命じている・・
→信長は具教を高く買っていたことがわかる

しかし北畠氏は元亀三年には密かに武田信玄と結んで将軍足利義昭陣営に属した
天正四年に信長が北畠氏一族を虐殺したのは、長嶋一向一揆を殲滅したことや信
雄が家督を継承したことを前提としながらも、なによりも“敵対する義昭の指令
を受けて反信長派大名と連携するのを阻止するためであったと考えられる”
→北畠氏の研究を行っている専門家も信長の北畠氏の排除は正当と書いてありま
すが
505名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 00:37:57 ID:RrlJ7zlL
>>504
藤田達生かよ。

あの人は自分の説に資料をあわせちゃう癖があるから気をつけたほうが良いぞ。
506名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 00:51:52 ID:RrlJ7zlL
こんな風に笑われてるしw

http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1207092431/
 “■■本能寺の変を徹底考察するスレ■■”

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/05/01(木) 16:12:37 ID:WRKAxvpD
藤田説の中身と、その評価の経緯をお手軽に知りたけりゃ

藤田達生『謎とき本能寺の変』(講談社新書)
   ↓
鈴木眞也・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか』(洋泉社新書)
谷口克広『検証本能寺の変』(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー)
   ↓
藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社新書)

の順に読むといいよ。
藤田説の叩かれっぷりと、藤田氏の反撃時のキレ具合がかなり笑える。
全部手頃な値段の平易な一般書で、簡単に流れが追えるから、一通りよんでごらん。


403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/05/01(木) 16:17:39 ID:QDFeKx0R
>>402
関係ないが

> 藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社新書)

これは酷い本だったなあ。秀吉神話なるものの定義すら自分の中できちんと出来ていないじゃん、って
感想しか涌いてこなかった。牽強付会って言葉がぴったりな本だったな。


407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/05/01(木) 16:46:06 ID:WRKAxvpD
>>403
俺も、一冊の本の評価としては、かなり低いね。
朝廷黒幕説への反論の方が、主たる目的になってる印象だし。
終章の飛躍っぷりも酷かった。

単独としてはオススメできない本だけど、
上記の流れの論争をふまえて読むと、別の意味で愉快な本w
507人間七七四年:2008/06/23(月) 15:27:07 ID:vGP4jbcS
あらゆる戦国大名に比しても長寿なのにネタのない信雄君哀れ
508人間七七四年:2008/06/24(火) 01:06:47 ID:J36z7lWo
虚けの舞、読んだ
結構面白かった
509人間七七四年:2008/07/02(水) 01:29:15 ID:fWanIfja
>>508
よく見つけたな
古本?
510人間七七四年:2008/07/02(水) 02:18:17 ID:orKeFFh3
信雄=駄息のイメージ強ッ!!
511人間七七四年:2008/07/02(水) 05:00:17 ID:6MZ8mHpB
信孝よりはマシだよね?ね?
512人間七七四年:2008/07/02(水) 08:12:14 ID:HS4oou7i
信孝は、どちらかというと有能故のコンプレックス、
信雄は、無能故のコンプレックスってイメージだなぁ。
信忠は、英才教育受けてきたけど坊々ってイメージ。

本能寺までは、3人それなりに立場をふまえて仲良くしてた様に
史料なんかから読み取れる感じもする。
本能寺以降の、信雄vs信孝のイメージが、一人歩きしている感じだ。
513人間七七四年:2008/07/02(水) 13:19:19 ID:wtIfRaSX
>>489
亀レスでスマンが
秀吉が五大老を決めるために大坂城に諸大名を集めた時、
景勝はカラクリ人形を持参して秀頼を喜ばせた。
以降、景勝にだけなついたため景勝を五大老に決定した。
これがあるから上杉>毛利
514人間七七四年:2008/07/02(水) 18:42:25 ID:f6UtIj4E
>>512
信忠は同じ兄弟でも立場はかなり上だったから、内心はどうあれ表向きは
信忠を挟んで信雄、信孝のバランスはとれてたんだろう。
その信忠が死んじゃって、二人の関係も変わっていったんじゃないかな。
515人間七七四年:2008/07/03(木) 05:41:21 ID:8jn3UGDh
信忠は嫡子扱いで別格、信雄は北畠家の名跡を継いでいるからこれも別格
家格、領地からいって信孝はずっと下です
勝家が烏帽子親だからっていい気になるなってんだ
516人間七七四年:2008/07/03(木) 11:18:41 ID:0qtuNQAj
和田竜『忍びの国』を読んだ。天正伊賀の乱を題材にした小説なんだけど、
信雄がいきなりポロポロ泣き出す萌えキャラで笑った

信雄かわいいよ信雄
517人間七七四年:2008/07/03(木) 13:17:08 ID:Fs/XH5dh
結局負けたのは、まだまだ青二才でしかも強大で知られる伊賀衆だけやないか
あとは勝ち続けてる
戦に関してはとても有能だね
信孝なんて直接対決で制した奴が才能溢れるとはお笑いだぜwwwww
このおっさん、欲がないだけなんだよな
518人間七七四年:2008/07/03(木) 13:28:16 ID:NrVxmQhJ
信孝に四国遠征を成功させてやりたかったなあ

それにしても本能寺の変の時、光秀に一番近くにいたのに何をしてたんだろ、
丹羽長秀もいったいなにをグズグズと
519名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 13:37:28 ID:wYO0yP9Y
>>518
変の直後逃げ出した兵たちを再集結させていたり信澄殺していたり。
520人間七七四年:2008/07/03(木) 15:19:43 ID:o5F81JPQ
>>518
四国遠征軍の信孝自身が率いた兵は14000〜15000といわれ
当然の事ながら信孝支配下の北伊勢二郡では当然その兵力はない
そこで信孝は信長の御朱印を取りつけ、領内の15〜60歳の名主・百姓の非武士身
分を動員するとともに伊勢国内の牢人衆も召し抱えたが、まだ不足したため
伊勢、伊賀、甲賀、そして雑賀衆などの国衆を信長の命で補強した
先の御朱印が出たのが約1ヶ月前の五月
従って自領や他国の国衆以外はたいした訓練も施されなかった頭数合わせの烏合
の衆、だから本能寺の変で四散するのは無理もない
恐らく変後は信孝の自領の譜代・国衆しか残らなかっただろう
521人間七七四年:2008/07/03(木) 17:46:25 ID:Szh+yMHy
大坂に集結しつつあった信孝・長秀配下軍勢だが、信長が死んだと聞くとすぐに散ってしまうのはなぜ?
522名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 17:49:57 ID:wYO0yP9Y
>>521
一つ上のレスを読みなされ
523人間七七四年:2008/07/03(木) 19:26:39 ID:MXLUrPeE
しかし本能寺の変が起きなかったとして、
その烏合の衆の四国討伐軍で屈強の長宗我部軍に勝てたのだろうか?
524名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 19:29:14 ID:wYO0yP9Y
>>523
まず

> 屈強の長宗我部軍
ここが間違いなのと、四国情勢は政治的には既に「詰んだ」状況。
政治で既に負けている長宗我部が戦闘で勝てるわけがない。
525人間七七四年:2008/07/03(木) 19:43:15 ID:8jn3UGDh
>>520
>恐らく変後は信孝の自領の譜代・国衆しか残らなかっただろう

国衆の関氏や国府氏などが逃亡しているので最悪譜代のみかもしれません
526人間七七四年:2008/07/03(木) 19:50:16 ID:o5F81JPQ
>>523
>>520の兵はあくまで信孝のみの軍です
長秀の若狭衆
蜂屋、信張の和泉衆
三好勢は別です

変後は長秀以外は居城へ戻ってしまったので信孝、長秀の周辺は僅かの手持ちし
かいなかったでしょう

織田側に組していた鈴木重秀(遠征軍には不参加)でさえ、対立していた反織田
派の雑賀庄の土橋氏の反撃で居城を捨て織田信張のいた岸和田城に逃げている位
ですから報償が出ないと解った牢人衆や強制徴集された百姓、命の惜しい足軽ら
は四散するでしょう
527人間七七四年:2008/07/03(木) 21:04:32 ID:k2znuYAa
名将織田信雄が大阪を出奔したことが、開戦の引き金になったのは言うまでもない
名将信雄と戦うのだけはなんとしても避けたかった
調略に調略を重ねなんとか投降に成功した
だから領土を貰えたんだぜ
528人間七七四年:2008/07/03(木) 21:50:14 ID:o5F81JPQ
>>525
確かに信孝配下には不忠な旧神戸家家臣もいたでしょうが
信孝配下には少身ながら可児才蔵や山路将監のような武辺者もいましたね
529人間七七四年:2008/07/03(木) 21:55:31 ID:DT/WDESk
笹蔵は抜け出して勝家の所へいってしまったでそ
530名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 22:18:24 ID:wYO0yP9Y
>>529
信孝と勝家の関係から考えて、抜け出したというより派遣されたと考えるべきでは?
531人間七七四年:2008/07/03(木) 23:31:12 ID:DT/WDESk
>>530
派遣か うまいこというね
で才蔵が仕えた信孝、勝家、成政、秀次と見事に順番通り滅んでいるのは偶然と言う事ですね
よくわかります。
532名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 23:39:28 ID:wYO0yP9Y
>>531
偶然じゃなかったらどうだと言うんだw
533人間七七四年:2008/07/04(金) 05:42:41 ID:o6gArraW
可児といったら美濃でしょ、岐阜城を貰ってから配下になったんじゃないの?
神戸城主時代にすでに配下だったのならソースは?
534人間七七四年:2008/07/04(金) 19:21:53 ID:GnzdlwzU
神戸の頃に配下なんて一言も言ってませんが
本人が言ったとされる十数人の武将に仕えた武将名が全部わかれば
今ある小説よりもいい物が書けそうですよね、わかります
535人間七七四年:2008/07/05(土) 01:44:45 ID:Dnb2oM9D
>>534
なら山路のような神戸侍と同列に並べるなよ、それに奴は異父兄小島兵部の臣だろ

あと山路将監は福島正則じゃなく柴田勝豊の家老だから
山路久之丞と間違ってるだろw  
536人間七七四年:2008/07/05(土) 13:18:56 ID:LyyA7CUu
なんか急激に伸びてるな。
空前の信雄ブーム?大河もらったな。
537人間七七四年:2008/07/05(土) 13:40:38 ID:MSxhTdI6
興味あるのは、伊賀攻めの時の大失態の後、
信長は信雄の汚名返上の手立てをどう考えていたかということ。

それから関が原からまったく同じ運命をたどる、織田信雄と丹羽長重。
100万石から0へ、しぶとく復活して大名へ。
このあたり家康のなにかしらの思惑があるような気がするが。
538人間七七四年:2008/07/05(土) 16:19:31 ID:vL7beXJr
>>535 おっと他人と勘違いしているぜ
どうでもいいが大河?  ネーーーヨ!
539人間七七四年:2008/07/06(日) 00:53:00 ID:LsB297Zg
>>535
山路は
信孝→勝家→勝豊の順に臣従したらしいが
540人間七七四年:2008/07/06(日) 18:13:15 ID:ayY38IKC
>>539
山路は神戸の家臣、つまり養子に入った信孝の家臣となる
とはいえ山路正幽の子とされる弾正忠が謀反を企てて失敗すると一族は粛清を恐れ逐電したりしているから
正国もそうだったのかもしれないってこった
541人間七七四年:2008/07/11(金) 02:52:04 ID:YhNqO7qo
尾張内府殿の話は全然出て来ないね、最近
542人間七七四年:2008/07/11(金) 06:35:27 ID:e4jvrS5r
そういや官位だけは凄い所まで行ったよね、この人。
有名無実とはこの事か。
543名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/11(金) 09:12:57 ID:nm+y5XnB
>>542
小田原の役の頃までは豊臣政権も、実質秀吉と信雄の連合政権だったわけだが。
544人間七七四年:2008/07/11(金) 09:58:05 ID:YZ9lL+Oe
丹羽や佐々が死んだ時点で信雄の連合価値が無くなったと思われ
545名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/11(金) 10:05:52 ID:nm+y5XnB
>>544
あと家康が臣従したことと北条が滅んだことで、秀吉の求心力が格段に上がって信雄に頼る必要もなくなった。
546人間七七四年:2008/07/17(木) 02:09:09 ID:rbAn4LmX
もはや大大名の夢破れ、困窮する小石高の息子の隠居となった信雄の晩年、何か
楽しみがあったのだろうか
547人間七七四年:2008/07/17(木) 02:57:16 ID:T9cw6mWR
舞とかの名手だからその道を楽しんでたのでは?
548人間七七四年:2008/07/17(木) 05:44:22 ID:FIMtwxhU
カントン
549人間七七四年:2008/07/21(月) 01:17:10 ID:OHFBbeuv
ほうけ
550人間七七四年:2008/07/21(月) 16:25:31 ID:u19K4lOj
>>547
人生きりきり舞い
551人間七七四年:2008/07/21(月) 23:36:48 ID:2vrSfXuA
>>546
われらがアイドル氏真タソのように、自分の好きなことをすればいいじゃない。
少なくとも禄もらって悠々自適な生活なんだし。
552人間七七四年:2008/07/28(月) 00:23:04 ID:x/7V/bux
氏真と信雄は一世代違う年だけど家を潰した文化人と似たような後半生を送った者同士、面識や交流はあったんだろうか。
江戸時代は二人とも江戸にいたことがあるし何かしらありそう。
553人間七七四年:2008/07/28(月) 02:45:56 ID:MV/2+Vuc
案外歌舞音曲話で盛り上がってたりなw
554人間七七四年:2008/07/29(火) 03:48:11 ID:8FfieRdA
晩年は優雅に2人で手紙将棋とかしてると、なんか似合ってるかも知れないw
555人間七七四年:2008/08/27(水) 14:10:58 ID:5+JBCClV
もし北条討伐後の旧徳川領への転封を拒否してなければ
大大名として生き残れた可能性はある?
556名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/27(水) 14:29:04 ID:VvhdqxeB
>>555
多分ほとんど無い。
557人間七七四年:2008/08/27(水) 18:20:35 ID:LDejBKjf
>>555
転封を受け入れて、旧徳川領を手に入れたは良いものの、
その後の朝鮮征伐とさらにその後に起きる関が原っぽいものに耐え切れるかどうか・・・
どっちも少しでも問題起こしたら減封or解易だからなぁ・・・。
558人間七七四年:2008/08/28(木) 00:29:41 ID:VK0Wb3GH
一回改易されて小身になったからこそ、警戒されず本人も家も生き延びれたんだと思う。
バカ扱いされるけど小大名としてやっていく程度の器量はあるようだし、かえって身の丈に合ったんじゃないか。
559人間七七四年:2008/08/28(木) 01:31:19 ID:fVKmKb7M
信雄が反発するの分かってて転封の話を持ち出してたりしてな
560人間七七四年:2008/08/28(木) 01:57:58 ID:BYtCbZw0
>>559
間違いなく断られることを見越して転封を命じたはずだろう。
東海道に旧主筋の大大名なんか、脅威以外の何物でもない
561人間七七四年:2008/08/28(木) 02:01:33 ID:fVKmKb7M
>>560
まぁ転封に従えば、主従関係がハッキリするし、
信雄が反発すれば潰せばいいし、
どっちに転んでも秀吉の有利になるように仕組んである時点でな
562人間七七四年:2008/08/28(木) 16:23:38 ID:S78P9lf/
佐々成政みたいにされるんじゃないか
563人間七七四年:2008/08/28(木) 19:12:24 ID:9/ie6YZM
もし転封を受けても丹羽家みたいに難癖つけて削られそうだな。
一国でも残れば御の字か。
564人間七七四年:2008/08/29(金) 06:09:20 ID:D2BDfAKr
>>559
小説ではそのように描かれている
565名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 14:35:44 ID:LZQYPXp2
実は改易されるまで、名実ともに政権No2だったんだよな>信雄
信雄の改易で秀吉は、政権内からの織田勢力の排除に成功した。
566人間七七四年:2008/08/29(金) 21:15:26 ID:/fa82eJU
まあ、信長や家康でも同じ立場なら同様の事をやっただろうな。
567人間七七四年:2008/08/30(土) 15:09:54 ID:uVE+OfOi
信長も同様とはいかにw

その昔信雄は秀吉と佐々征伐に出陣した
主君筋が行った為戦う事無く信雄を通して降った佐々だが
信雄の為に命捨ててくれる尾張譜代は元々彼一人しか居ない
その後佐々は秀吉と共に九州征伐に従軍、島津を調略した
間接的ではあるけど全部信雄の手柄と言ってもよい筈
信雄はどんな手段を使っても佐々切腹を止めなければいけなかった
守らねばいけない者を守れなかった信雄の運命は転封話が出たとき既に遅かった
568人間七七四年:2008/08/31(日) 10:09:23 ID:ETNpDMMt
>>567
息子に対してってことじゃなくて信長も旧主筋家の生き残りが
大身でいたら同様のことをしたってことだろう。
569人間七七四年:2008/09/01(月) 03:31:32 ID:jcyW24MN
織田家の現当主って誰?
570人間七七四年:2008/09/01(月) 07:05:46 ID:Q+sx6mhl
逆に信雄潰すと暴れそうな佐々を先に言いがかりつけて処分
したのかもよ
571人間七七四年:2008/09/01(月) 19:04:52 ID:X2cU6o50
>>569
織田信孝さん。
たしか埼玉かどっかの職員だったような。
572人間七七四年:2008/09/02(火) 18:30:53 ID:YiE4/KXT
常真の系譜?
573人間七七四年:2008/09/02(火) 18:45:05 ID:YHD+8LdR
今の人は個人情報になるから気をつけないと
>>570そうともとれるね
574人間七七四年:2008/09/05(金) 17:08:00 ID:Y/5QzXym
しかし信雄、重大なミスを何度もしてるのになんで切腹にならないんだ?
よっぽど何か見所があったのか
575名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 17:09:40 ID:pkMeJIpz
>>574
ヒント:織田家
576奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/09/06(土) 00:22:32 ID:0g9FCRon
そして織田家の小分割
577人間七七四年:2008/10/07(火) 06:16:35 ID:qZ7SWMWm
もし北条討伐後の転封に信雄が応じていたなら秀吉はどうするんだい?
もともと信雄が拒絶することを見越して転封を命じたのだから
それにより本来封ずるはずの武将たちが煽りを受けるはずだが
578人間七七四年:2008/10/08(水) 15:50:45 ID:lualHdoh
転封を飲むということは軍門に下るということで、後はどうとでもできると
従順なら、さらに僻地に再転封くらいで済ます可能性はあるが
恭順の仕方が甘かったり秀吉が何らかの脅威を感じるようなら
難癖つけて大減封か改易って感じじゃない?
579人間七七四年:2008/10/08(水) 21:20:23 ID:+S9hH8px
俺が財閥の御曹司だったら、
ちょっと前まで運転手だった男に 「今日から俺はおまえの上司だ」
と言われても納得いかないよな
580人間七七四年:2008/10/09(木) 12:04:43 ID:yhBtFjNU
適当に一揆を煽って改易という佐々成正方式
581人間七七四年:2008/10/12(日) 13:27:18 ID:0RP8goiN
>>577
大坂の陣後、石高随一の大名前田利常に四国全土への転封を打診したが
利常は固辞し、家康は許し、加能越三国を安堵した
やはり秀吉に蟄居させられた信雄とは人間的差が大き過ぎるか
582人間七七四年:2008/10/14(火) 16:50:07 ID:aQjYFiQ/
秀吉政権における信雄は、徳川政権における豊臣秀頼と似たような立場
当時の権力者としては、絶対に無力化しなければならない相手であった
あくまでも戦った豊臣家と、おとなしく改易された信雄を比べるならともかく
天下の体制が固まった後で、さらに絶対恭順の姿勢を明確にしてる
前田家と比べられてもねぇ、状況が違いすぎる
583人間七七四年:2008/11/13(木) 11:19:58 ID:2VrTO+ps
信雄ってバカなの? 世界トップクラスのバカなの? 
全国どの交番でも「バカの家はどこですか?」って聞いたら
信雄の家を教えてくれるほどバカなの?
道を歩いてたら「チリンチリン」って音がして「風流だな」って思ったら。
信雄の頭が鳴らしている音でガッカリするの?
海外で「BAKA」と言ったらキミの事くらい有名なの?
風邪気味だから医者に行ったら「バカにつける薬はありません…」って泣かれるほどなの?
ブラックジャックもキリコを薦めるの?
医者に行って「風邪気味で」って何度言っても額に聴診器あてられるほどのバカなの?
ラーメン屋行って「並」って言っても「バカ盛り一丁!」と言われるほどなの?
メーテルと一緒に銀河鉄道のったはいいけど、途中黙って置き去りにされたの?
機械の体を手に入れたけど、メモリが8ビットしかないの?
それどころか改造手術していた人が「あれ?脳がない!?」ってうろたえてたの?
シロツメクサの花が咲いたらラスカルの代わりに森に還されたの?
頭が軽くてちょっとした風で天高く舞い上がるの?
その飛距離の秘密はタンポポの綿毛も参考にしたほどなの?
機械の体にしてもらったときに「ネジ一本締め忘れました」って言われたけど
メーテルが「もともとですから別にいいです」って言ったの?
584人間七七四年:2008/11/13(木) 11:20:43 ID:2VrTO+ps
空洞の頭が浮き輪代わりになって、夏は重宝するの?
ピラミッドの建設のときに、石を河に浮かばせて運ぶのに使う浮き輪として活躍したの?
アムロが「こいつ動くぞw」って指差して笑ったの?
六波羅探題をセクハラ短大と間違えて興奮するくらいなの?
頭を叩くと良い陶器のような素晴らしい音色なの?
新鋭のミュージシャンに「新手の打楽器として頭を使わせてくれませんか?」って頼まれるの?
ある意味神々しいの?
ビックリマンチョコで「天帝バカ」って名前でシールになるけど、子供たちにはダントツで不人気なの?
チョコもシールも捨てられて、新たな社会現象を巻き起こすの?
蟻が一匹で余裕で運べるくらいに頭が軽いの?
その中空構造と軽量化の研究にトヨタが名乗りを上げてるの?
水素が「自分・・・まだまだっス まだ軽さ極めてないっス」って脱帽したの?
「ピザって十回言って」「ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ」「ここは?」「膝」「やーい肘でしたー」
ってやり取りの意味が理解できないくらいバカなの?
585人間七七四年:2008/11/26(水) 01:58:32 ID:x7dmK22K
>>577
秀吉は信雄を徳川領に転封する予定だったらしいけど
勿論、信濃と甲斐抜きでしょ?
586人間七七四年:2008/11/26(水) 02:08:42 ID:Oa2HNHMh
そうなん?
587人間七七四年:2008/12/20(土) 14:30:07 ID:R24/CC7n
588人間七七四年:2009/01/26(月) 08:58:29 ID:/qLZVKWl
新年になっても誰も書き込んでくれない


現代でも人望のないノブオ君
もといノブカツ君
589名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/26(月) 17:16:40 ID:3AaH0gaU
特に書き込むような話題が。

大河には出てくるのかねえ?
590人間七七四年:2009/01/28(水) 14:30:34 ID:VwMkf9E8
>>589
秀吉に淀川に流されそうだ
591人間七七四年:2009/01/28(水) 14:36:28 ID:Gd5rRQqV
おだのぶお
592人間七七四年:2009/01/29(木) 09:40:36 ID:rXf6+O5Y
前、山形の天童行って来た
のぶりんの一応嫡流なので結構地元から慕われてる模様
将棋のコマの大生産地というのも織田の嫡流にふさわしいかも
にしてもノブかつよりもノブ長を全面に押し出してる天童の姿勢はどう思う?
593奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/01/30(金) 01:05:28 ID:vUu3tj6/
媚びっぷりが爽やかだと思う。
天童、一度行ってみたいなあ。
594人間七七四年:2009/01/30(金) 12:00:58 ID:qY3G6FyR
騙される奴も居ないしね。
みうらじゅんとか喜びそう。
595人間七七四年:2009/01/30(金) 17:15:47 ID:BuzflIHn
天童よしみ
596人間七七四年:2009/01/30(金) 18:18:02 ID:BoLDAmSD
天童行ったら山寺いこう
俺天童行きながら山寺行かなかった事をいまだに後悔してます
597人間七七四年:2009/01/31(土) 14:20:56 ID:euxAxOqE
天童藩歴代藩主は極めて
評判悪かったから
初代の信長を持ち上げざるを得ない

もちといえば山寺
せみのちから餅だお

(「はだか裸足で種まきしても
織田に取られて
いいんか因果」
などの俗謡が残ってる)
598人間七七四年:2009/01/31(土) 19:28:53 ID:lr2mcuUe
そういえば安土城に信夫から歴代の墓があるけど所詮、偉大なオヤジにすがる馬鹿息子の図が目にはいる
戦国の一茂か、お前は
599人間七七四年:2009/01/31(土) 23:00:51 ID:dPrAOj5/
600人間七七四年:2009/02/06(金) 11:36:08 ID:h8v5r2ZF
なんの関係があるのかと思ったらあれだけか?w
ついでに5まで見ちゃったよ
最後切ないな
もののあはれ全開、日本人の琴線に触れるなあれは
601奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/02/06(金) 22:13:32 ID:n+g/Pf+Z
どこを見ればいいのか教えれ
602人間七七四年:2009/02/16(月) 11:05:36 ID:4CDlxHnr
そういや小説名は忘れたが、不遇な信雄君と北条氏規が主人公の小説あったけど
それ読んだことある人いる?
面白かった?
面白かったら小説名教えてくださいな
603人間七七四年:2009/02/16(月) 12:13:50 ID:P9LU52RE
なんとなく歴群のカホリがする
知らんけど
604人間七七四年:2009/02/16(月) 22:49:07 ID:X1O53fv9
>602
伊東潤『虚けの舞―織田信雄と北条氏規』かな? 内容は知らないが。
605人間七七四年:2009/02/17(火) 20:10:32 ID:U/XLTvIr
近年の研究によれば、謀反の罪で殺された信長の弟、武蔵守勘十郎信行は、信勝が正しいという。
読みは当然のぶかつである。すると信雄と同じ読みである。
信雄が元服してこの名を名乗ったとき、すでに信勝はいなかったから取り違えることはなかったろう。
しかし、ほかにいくらでも名前はあっただろうに、謀反の罪で殺された信勝と同じ読みの名前を選んだのだろうか。
606名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 20:14:32 ID:HZEj7cyK
諱なんて普段使わないから特に気にしなかったんだろ。
信勝だってほとんど「勘十郎様」としか呼ばれなかっただろうし。
607602:2009/02/18(水) 23:59:37 ID:gPO9tIsp
>>604
サンクス
608人間七七四年:2009/02/23(月) 15:41:34 ID:Kd50M/v4
のぶお、のぶかつ、どっちが正式?
609名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 15:44:56 ID:sZIhWmjq
武家式が「のぶかつ」
公家式が「のぶお」
どっちも正解。
610人間七七四年:2009/03/15(日) 23:09:16 ID:AmKyX1np
秀雄は「ひでお」だな。
611人間七七四年:2009/03/16(月) 14:59:33 ID:O0inwA0/
>>585
信州衆は徳川の与力じゃなかったっけ?
612人間七七四年:2009/03/21(土) 07:36:16 ID:aPtq/6XB
>>482
信雄が尾張・伊賀・伊勢と三カ国を領してたのは小牧・長久手の戦い以前のことで
伊賀と伊勢半国は小牧・長久手での敗戦により失ってるんだがな、(蒲生とかにとられた)
613人間七七四年:2009/03/21(土) 22:34:54 ID:vwOKziaO
>>612
丸一年前のレスに今更マジレスせんでも
614人間七七四年:2009/04/08(水) 09:01:52 ID:ECGhpMP7
いいなぁ
ここの平和で穏やかなスレ進行は
615人間七七四年:2009/04/15(水) 20:19:31 ID:Q/SLeann
舞の名手とかそういうの以外で、
武将や人物としての信雄を好評価した記録って本当に全然無いんだろうか。
信孝なんて宣教師から「思慮があり、諸人に対して礼儀正しく、また大いなる勇士」
とか絶賛されてるのに。
616人間七七四年:2009/05/01(金) 07:55:26 ID:gotjFXRd
父の死で織田家の終わりを見抜いて
安土城を父への手向けとして綺麗さっぱり焼き払った豪気な武将だな
617人間七七四年:2009/05/07(木) 14:40:39 ID:c31e6ni8
最近戦国ものの小説色々出てるけど皆そろって信雄=無能で馬鹿と判で押したような描かれ方だ
こいつにも何かしら見所はあったと思わせるようなエピソードってないのか?
618人間七七四年:2009/05/07(木) 14:47:13 ID:5YYQhELU
武将としては無いなぁ。

人としては、舅を殺したのに嫁は信雄についた訳だから
それなりにいい奴だったのかもしれないがなぁ。
619人間七七四年:2009/05/08(金) 13:21:23 ID:QNVchjdP
徳川豊臣の東西手切れの時に、豊臣方の総大将なると思われたんだろ?
流言飛語としても、重鎮としてそれなりの評価をされてたのでは?
620人間七七四年:2009/05/08(金) 13:25:03 ID:O+EPmnA0
理由が淀の叔父ってだけだから…
621人間七七四年:2009/05/08(金) 21:03:15 ID:2eJy9X6f
あの当時豊臣方にいて、秀頼の親族であり、あの世代での実戦経験あるのは(実績はともかくとして)
もう残ってなかったんじゃないの?
622人間七七四年:2009/05/26(火) 11:51:44 ID:7dEQtkJD
なんだかんだで信忠、信孝よりは器量あったんじゃないかW
623人間七七四年:2009/05/26(火) 13:42:24 ID:SHp+5SlM
ないないw
624人間七七四年:2009/05/26(火) 15:47:01 ID:7dEQtkJD
父と兄の器量を大きく越える器量を持った信雄公
父と兄の死後は秀吉の元で天下がまとまりつつあった為、自ら戦を止め天下を秀吉に譲り渡す。
その後も自らに100万石近くの領地があると世が乱れると憂い秀吉に一計を仕掛け自らは隠遁する

625人間七七四年:2009/05/26(火) 16:00:27 ID:7dEQtkJD
その後、関ケ原では息子、秀雄と共に西軍に属し領地をわざと没収させる
そして大坂の陣では人望、実力、血統、威厳、戦略の全てを備える信雄に総大将の話しを持ちかけられたが辞退した
信雄が総大将となれば実力は家康と互角となり戦乱が長引き民が疲弊するのを憂いてである
その後は信雄に感謝をした家康から5万石を仕方なくもらい静かに暮らした
626人間七七四年:2009/05/26(火) 21:33:20 ID:R3/LBDmM
今片桐且元の小説読んでるんだけど
信雄かっこよすぎワロタ
627人間七七四年:2009/06/20(土) 23:29:57 ID:4jWLeVwu
大名として生き残れたのは評価されるべき
628人間七七四年:2009/06/21(日) 03:31:37 ID:HkTVAgo4
大阪の陣のころでは戦国の生き残りといういみでは稀少だったんじゃね
数万規模の軍を総大将として率いたことがあるやつで生き残ってたのは
家康、伊達政宗、上杉景勝、佐竹義宣、島津義弘くらい?
う〜む、この列に信雄を並べるのは・・
629莫邪 ◆Bakuya.ugA :2009/06/21(日) 08:25:58 ID:PJ2Cm8MB
1人ゾンビが混じってるな
630莫邪 ◆Bakuya.ugA :2009/06/21(日) 12:59:17 ID:PJ2Cm8MB
なんでもない、忘れてくれ
義弘が義久に見えた
631人間七七四年:2009/06/21(日) 15:34:59 ID:hjeWy7se
>>628
TERU君も忘れないでください
632人間七七四年:2009/06/22(月) 00:15:08 ID:iDhcBY0X
家康、伊達政宗、上杉景勝、佐竹義宣、島津義弘、織田信雄と並べると違和感あるが
毛利輝元、織田信雄とならべると違和感ないなw

前の大戦から15年戦国の終わり(秀吉の統一)から30年近くたった頃だから
伊賀攻め、小牧と総大将(どっちも負けたけど)をはじめ大小さまざまな戦に参加した経験からみると
妥当だったのかもと思う
他の候補が寄せ集めの浪人衆か大野兄弟とかだしな
633人間七七四年:2009/06/25(木) 01:05:49 ID:wOSftf/u
鍋島直茂も入るけど、数万規模の大将として見れるかどうかはやや複雑なところ、
今川氏真もギリギリ生きてる(大坂役中死亡)…けど、まあ武将として「生きてる」かというと信雄以下だろうな
当時随一の特殊な経歴には間違いないなぁ
634人間七七四年:2009/07/08(水) 16:45:52 ID:TX69oHX8
天下に聞こえた蹴鞠の名手
今の時代なら大名などよりはるかに稼いでいたかも知れない
635人間七七四年:2009/07/13(月) 14:11:28 ID:jqYT5g4g
信雄の家臣では木造氏父子はよく働いた方だな
636人間七七四年:2009/08/14(金) 01:34:45 ID:nTswh47X
信雄の正室雪姫(北畠具教四女)が具教が誅殺されたときに自殺したなどという嘘がなんで今だにまかり通っているんだろう?


具教が殺されたのは1576年だが
信雄と雪姫の長男秀雄が生まれたのは1583年で
秀雄を筆頭に高雄、小姫(後秀吉養女、徳川秀忠室)、?(佐々一義室)の二男二女に恵まれている
一説には雪姫の没年は1594年7月となっている
637人間七七四年:2009/09/02(水) 19:46:09 ID:CDJVKkAJ
>>636
小姫(後秀吉養女、徳川秀忠室)

秀忠にお江与の方のほかに室が…?
お江与の方は嫉妬深かったとも云うが…。
638人間七七四年:2009/09/02(水) 20:01:35 ID:Lud+i24J
>>637
Wikiより

>「多聞院日記」などにより、天正18年(1590年)1月11日(又は21日)、上洛した徳川秀忠と
>結婚したことを確認できる。一説には、秀忠は13歳、小姫は6歳であったという。
>父の信雄と秀吉が不和になったため、直に離縁された。翌、天正19年(1591年)7月9日死去、
>享年不詳(先述の一説から換算すると、7)
639人間七七四年:2009/09/08(火) 05:57:43 ID:Nxykup2e
両親と引き離されて7歳で死か
哀れだな
640人間七七四年:2009/09/08(火) 21:38:19 ID:Oi+TAuWa
小姫は秀吉が北政所に宛てた手紙に豪姫や金吾といっしょに名前が出てくるね。

秀吉の養子はみんな早死にか不幸な目にあってるな・・。


641人間七七四年:2009/09/09(水) 08:26:54 ID:G00LmCc0
伊達秀宗やお江与とかも秀吉養女らしいから、そういうわけでもない

まあここの信雄は例外というか微妙なラインだけど、信長の子は〜というのと同じような印象なんだと思う
可能性としては、家康に徹底的に服従するぐらいしかないし
642人間七七四年:2009/09/17(木) 19:45:37 ID:8vyvs51H
地元にこの人のお墓があるんだけど。

暗愚って言われてるけど、今でも残ってる庭園とかもあるし俺は信雄は結構好き。
643人間七七四年:2009/09/18(金) 00:44:08 ID:dCsn+FGw
>>642
群馬県民?
644人間七七四年:2009/09/18(金) 19:28:10 ID:BmMnfX8H
>>643
642だけど、群馬県民だよ。信雄から七代続いた織田家の墓がある。すんげーひっそりとだけどw

庭園は俺の癒しスポットなんでだいぶお世話になってる。
645人間七七四年:2009/09/18(金) 20:25:31 ID:dCsn+FGw
>>644
楽山園の整備はどのくらいまで進みましたか?
646人間七七四年:2009/09/18(金) 20:46:12 ID:BmMnfX8H
>>645
まだまだ整備は終わってないです。
昼間に行ったりすると普通に土方さんやらボランティアの方々が頑張ってます。
647人間七七四年:2009/09/18(金) 21:50:26 ID:dCsn+FGw
>>646
なるほど。自分はまだ行ったことがありませんが、非常に美しい庭園であると側聞しております。
信雄公の作った庭園、いつか是非見に行きたいです。
648人間七七四年:2009/09/18(金) 23:10:46 ID:BmMnfX8H
>>647
ぜひぜひ。

春は街道一帯に桜が咲いてるのでその時期がおすすめかと。ただ町自体がこじんまりした田舎なんで・・・温泉のついでにでも。
649人間七七四年:2009/10/14(水) 17:52:14 ID:YuqArzIR
質問です。
大坂の陣の時に、豊臣方に属して大坂に居たが、
戦の直前になって家康方に属して知行を受けた、という説
(豊臣→徳川へ寝返り説)が一般的なようですが

ある本を読んだところ、秀頼より大坂入城を要請されたが、これを拒否し(要するに中立を保った?)
豊臣家の滅亡後に5万石を知行された、と書いてありました。

どちらが正しいのでしょうか?
積極的大坂方参加→最後に寝返りなのか
もとからどっち付かずの立場を貫いたのか
650人間七七四年:2009/10/14(水) 17:59:02 ID:GdOiooOk
どちらも正しい。
信雄は大阪にいたし、大阪の陣では秀頼から大阪方総司令官として入城を求められた。
しかしそれを拒否し大阪から逃げて幕府方に走った。
651人間七七四年:2009/10/14(水) 18:40:00 ID:YuqArzIR
なるほど。じゃあ、「大坂」にはいたけど
「大坂城」にはいなかった、という事でいいのでしょうか?
つまり大坂城に自由に行き来できて、内情を探るようなことは無理だったと。
652人間七七四年:2009/10/14(水) 19:07:39 ID:YuqArzIR
よくドラマ・小説なんかでは、大坂首脳陣の中に信雄もいて
軍議に参加してたりして、土壇場で情報を持って家康に寝返ったみたいな
描かれ方もあるけど、あれはフィクションでOK?
653人間七七四年:2009/10/14(水) 19:19:52 ID:dQmIlC8g
この人だっけ?安土城燃やしたの…
654人間七七四年:2009/10/14(水) 19:37:18 ID:YuqArzIR
>>653
宣教師の報告だけだと思う→信雄説
変当時は伊勢にいたし、安土に入ったのは明智勢が山崎で大敗した後。
655人間七七四年:2009/10/14(水) 19:40:24 ID:GdOiooOk
安土は信長が死んだ後大暴動が起こって、そのあおりで焼失したらしい。
656人間七七四年:2009/10/15(木) 00:50:49 ID:auvVBUeZ
とりあえずの説としては
「信長が死んだので安土の財宝を盗みに行こうze!!」って物盗りの皆さんが
安土城内でヒャッハーしてたら失火してしまって燃え尽きた。

ってとこ。
657人間七七四年:2009/10/18(日) 01:54:51 ID:kvIfwEcO
血で血を洗う時代を何だかんだで生き延びたってとこが義昭とかぶる
658人間七七四年:2009/10/18(日) 02:34:45 ID:zm/u0hEJ
有能だと斬首だしね
659人間七七四年:2009/10/18(日) 11:36:54 ID:p1Pl6Gzh
「忍びの国」でちょっと好きになった。
660人間七七四年:2009/10/22(木) 18:27:48 ID:xaxUv4tR
伊賀攻めを失敗
明智を見てるだけ
小牧長久手で勝手に和睦
大坂から逃げ出す
661人間七七四年:2009/10/22(木) 22:17:20 ID:RI1XVHns
俺伊賀住民だけど伊賀は山多いからゲリラ戦を展開して信雄を破ったんじゃね?
662人間七七四年:2009/10/23(金) 01:00:08 ID:IJITKmmG
1・伊賀攻めを失敗
若さゆえの過ち。

2・明智を見てるだけ
秀吉以外、みんなそうです。
特に信雄は四国遠征軍に伊勢の与力も派遣していて、元々兵力が手薄だった。
(信孝の兵がほとんど逃げたのも、丹波・伊勢・甲賀などの他国衆がメインだったから。
当時の信孝自身の動員兵力は北伊勢の1000〜1500程度。後は他国からの援軍の寄せ集めだった)
それでも甲賀まで変報を聞いて出陣している。しかし、甲賀の国人達に不穏な動きがあったので
やむなく撤退している。

3・小牧長久手で勝手に和睦
これは人生最大の失態

4・大坂から逃げた
>>650参照。
もう、この頃は野望を捨てて自由奔放に生きてて、どっちにも加担する気はなかった。
663人間七七四年:2009/10/29(木) 10:36:47 ID:Ddl7s2FG
若くして死んだ信忠も長生きしてたら信雄と変わらない感じだったんじゃないか
664人間七七四年:2009/11/02(月) 09:21:03 ID:lsOAnXwZ
>>662
2.はちょっと違うだろう
結果論すぎる
柴田も滝川も必死に仇討ちしようと画策している
かき集め兵が四散した信孝も仇討ちは考えていたし

むしろ秀吉が帰路の各地点での食糧や武器の大量の蓄積がなければ不可能な大返しの準備を変以前から整えていた方がよっぽど不審だ
特に戦国期の馬は馬蹄でなく鞋を履いていたため、乗馬している人間が武器武具を外し身軽にしたところで
人間より早く鞋を履き潰すから長距離走るにはこまめに履き換えないと絶対無理
665人間七七四年:2009/11/02(月) 09:29:09 ID:lsOAnXwZ
>>663
それはない

信忠は天正五年から信長に代わり織田軍の総指揮を取って無難にこなしている

よく言われるのが美濃尾張国主就任時に就けられた河尻が助言していたというが
信忠が織田の総大将務めてからは河尻はもっぱら美濃の留守居を預かっている
666人間七七四年:2009/11/02(月) 09:47:58 ID:UaqSJ1nA
いやあ、信雄と大差なかったと思うぞ>信忠
667人間七七四年:2009/11/02(月) 18:38:46 ID:7e5OcIS9
信忠は信雄みたいに派手に失敗する事もなく若死にしたからな
だから優秀だったとか言われてるんだろうな
実際の能力は不明
668人間七七四年:2009/11/02(月) 20:39:23 ID:f6UZm+rB
信雄が武田征伐に行っていたら、信忠の場合は武田勢を即刻ごぼう抜きしてるのと対して、
1つ目の壁でぶつかって信長軍と合流できるぐらい遅かったと思われ。
669人間七七四年:2009/11/02(月) 21:30:37 ID:UaqSJ1nA
甲州征伐があんなに上手く行ったのは、家康による穴山を通した駿河方面からの調略と、
織田に内通した木曾を通した調略が上手く行ったためだ。

あんな馬鹿でも出来る作戦で、アレだけ現地に恨みを残したんだから、
信忠の器量のほどが知れる。
670人間七七四年:2009/11/04(水) 04:12:31 ID:ipasqq89
いつでも信長に守られ有能な家臣と大軍を付けられた信忠と信長がいなくなってからの信雄と比べてもな
信忠、信雄の器量は大差ないだろ
671人間七七四年:2009/11/05(木) 11:53:30 ID:G/43OA+B
信忠がどれほどかは未知数だな。本当に優秀だったのかは分からない。
でも転封を嫌がって取り潰されるほどのヘマを信忠がしたかどうかと言われると・・・。
672人間七七四年:2009/11/06(金) 12:05:28 ID:Y3dOwaJX
信雄が出来が悪かったって資料はスゲーありそうだけど信忠が優秀だったって資料あんのか?
まだ信孝が一番マシそうだけどな
673人間七七四年:2009/11/06(金) 13:21:59 ID:24VVMXU/
比べられないよというなら、比べちゃいかん対象で、大差ないって比較もおかしいわけで
どういう具体的な要素があれば「優秀」だと認めるのか、って超原則的な話がしたいわけでも無いでしょう
自軍を保ちつつ最終的に戦略目標を果たす、それが司令官の能力なら、信雄・信孝との差は大きいよ

司令官が功績を上げられたのは配下とそれまでの経過のおかげ、駄目だったのは状況のせい、
では評価じゃなくて単に逆贔屓だし、関ヶ原の家康だって低能大将だw
674人間七七四年:2009/11/06(金) 17:31:53 ID:o1MA8ThC
むしろ信孝こそ信雄と大差ないかそれ以下だろ
675人間七七四年:2009/11/06(金) 18:05:35 ID:CukRqtZt
結論として三兄弟共に大差ない
676人間七七四年:2009/11/07(土) 18:31:49 ID:bRrKTEGD
>>664
論点ずれてるけど、>>660に対しての>>662のレスだからね?

信雄がとびぬけて愚鈍だったとか、
仇討ちをしたいでボンヤリしてたとかいうのに対しての反論だから。
秀吉が想定外の行動をとれただけであって
信孝や勝家など他にも仇討ちを考えて行動を起こした連中はいるし
信雄も途中までは進軍してるのよ。
ただ、他の諸勢力と同じく一揆の妨害などで達成できなかっただけ。
仇討ちの気概がなかったわけじゃない。

あと秀吉が迅速に帰還できたのは、勝家らの敵対勢力は基本、全て滅ぼすって軍事政策に対して
秀吉は外交・調略で支配を広げていったって
過程の違いがあるかもしれない。
どう考えても前者の方がタガが外れた時の反動はでかいもの。
677人間七七四年:2009/11/07(土) 18:40:48 ID:bRrKTEGD
>>668
>>669の言う通り。
無難にこなしたと言っても河尻はじめ重臣の補佐あってこそ。
実際武田攻めの時も河尻はじめ多くの将に信長から
「信忠は軽率なとこがあるから、無理攻めはしないように注意しろ、自分が到着するまで無茶な進軍はするな」とか
いっぱい手紙出されてる。
にも関わらず、武田が内部崩壊や徳川や北条などからの多方面攻略を受けて
抵抗が軽微であるのをいいことに、急速な勢いで信忠は軍を進めた。
結果、信長到着前に武田は滅び、恨みだけが残った。
河尻が死んだのは半分は信忠のせいと言っても過言ではない。

もちろん、長じれば性格も変わったかもしれないし、未知数な部分があるのは否定しないが
678人間七七四年:2009/11/07(土) 19:37:18 ID:PZ0oh3lo
家康を放置して、秀吉と単独講和するような奴にセンスがあるとは思えん。
679人間七七四年:2009/11/07(土) 20:49:29 ID:zsnjq1MS
秀信はどの程度なの?
680人間七七四年:2009/11/07(土) 21:19:49 ID:RU0z3RoV
秀信の方が信雄よりはマシじゃないか
681人間七七四年:2009/11/08(日) 00:33:59 ID:01dUalmp
>>680
秀信なんて信雄以前の問題だろ。家中の統率すら出来ない。
本物のボンクラだ。
682人間七七四年:2009/11/08(日) 07:22:47 ID:WKbBHlh0
空気すぎる信雄の小さい弟たちよりはマシかな
一番下の長次なんか関ヶ原で戦死してるのにほとんど知られてないし
683人間七七四年:2009/11/08(日) 07:54:11 ID:m0hZ7ewO
>>676
あれは確かに失態だが、単独講和せずにいても敗退するのは時間の問題だったろうし、
あくまでいま語られているのは、「他の兄弟に比べて」信雄は飛び抜けて愚鈍だったのか?って話だからね。
結果的に血脈を保ったんだし
移封拒んで除封されたのだって、結局秀吉の嫌がらせみたいなもんだから
従ったところで、後で難癖つけて取り潰したのは目に見えてる。
仮にも信雄は旧主君の息子だし、
織田一族の中でも、信忠、信雄、信孝、信包は別格扱いだった。
この系統が権力持ってる限り、旧織田系を完全に従わせることはできないからな。
684人間七七四年:2009/11/08(日) 08:32:48 ID:TVJGvH9c
よく言うよ
信長は27歳の時、桶狭間でさえ直卒だけでわずか2000の兵しか指揮していない
それ以前の直接指揮はせいぜい1000未満

それに引きかえ信忠はいきなり単独のデビュー戦の岩村城攻めで万単位の軍の指揮を任された
今で言えば士官学校卒業した途端、師団長任官と同じ
それでもよくやった方だ
それに誰かレスっていた通りその岩村城攻めと武田追討以外は河尻は美濃から動いていない
武田追討の時の信長の忠告も結局全く関係なく信忠が電撃的に終わらせたじゃない
高遠城攻めでも信忠の指揮で河尻、森は一配下武将として戦っただけ
それに滝川は途中から本軍から離れ別行動してる
685人間七七四年:2009/11/08(日) 09:51:36 ID:m0hZ7ewO
>>684
>信長は〜
尾張一国も統一してなかった時期と、信忠家督相続時期の織田兵力を比較すれば当然の結果だろ。

>師団長クラス
正当な後継者(嫡男)なんだから、当然の扱い。

>河尻は動いてない
与力は河尻だけじゃないですから。

>武田攻めを電撃的に〜
別に信忠がすごいわけではなく、信長の事前外交や武田の内部崩壊で
もう終わってただけの話。
つまり武田が予想以上に衰退してたってだけ。

>高遠攻めでも〜
>滝川は別行動

つまりは高遠城は河尻や森が落とし、
上野は滝川軍団が落としたってこと。
信忠は名目上の大将に過ぎない。

とりあえず、君の知識が浅はかだというのはわかりました。
686人間七七四年:2009/11/08(日) 12:26:13 ID:zBS9dAB9
名目上の大将(笑)

遠征軍に加わってないならまだしも 何言ってんだw
687人間七七四年:2009/11/08(日) 14:40:22 ID:LnWX46X+
信忠はむしろ大将としてデンと構えてればいいのに先走りすぎなのが駄目なんじゃん
688人間七七四年:2009/11/08(日) 19:31:09 ID:t+f2HXvB
ある程度無難にこなせた信忠と、それすら出来なかった信雄じゃやっぱ差を感じるよ
信忠ら息子世代と信長との間の格差に比べたら目糞鼻糞かも知れないが
689人間七七四年:2009/11/08(日) 19:38:28 ID:01dUalmp
大体信忠には、大将としての役割を無難にこなせたのかどうかを判断できるほどの資料が無い。
どんな人物だったのかすら、まるで見えてこない。
せいぜい個性としてほのかに把握できるのは、能や茶が好きだった、くらいか。
690人間七七四年:2009/11/09(月) 07:03:39 ID:0d6cVuKO
んなこといったら
信玄の方が自分で指揮を取っていたかよっぽど怪しい
自分で指揮を取ったと思われるのは村上義清に惨敗させられた2回だけっしょ
691人間七七四年:2009/11/09(月) 12:32:02 ID:Wg/aIyqk
>>690
申し訳ないが何を言いたいのかさっぱり解らん
692人間七七四年:2009/11/09(月) 14:42:12 ID:MlPlG9fn
>>686>>684
自分の書いてる主張がいかにバカな事か置いといて
突っ込みそれしかないの?
693人間七七四年:2009/11/09(月) 17:47:55 ID:TsgLjegZ
信忠も凡庸だろ
本能寺の時の間抜けさが全てだ
694人間七七四年:2009/11/09(月) 17:52:54 ID:Wg/aIyqk
三兄弟の中では最後まで、しかも大名として生き残った信雄が一番優秀だな。
695人間七七四年:2009/11/09(月) 17:53:54 ID:TsgLjegZ
あれが信雄だったらすぐに退却して逃げただろうな
信忠は凡庸なのにプライドだけ高い二代目だったんだろ
696人間七七四年:2009/11/09(月) 17:55:30 ID:TsgLjegZ
695は>>693に追加
697人間七七四年:2009/11/09(月) 18:35:29 ID:yxufHtOs
と言うか実は男兄弟の中では一番の長生きだぜ
本能寺の頃にはまだ幼かった弟たちはなぜかみんな早死にだ
姉妹だと同母妹ということになっている五徳も長生きなのが面白いな
698人間七七四年:2009/11/09(月) 18:55:28 ID:QfaWzOHD
信忠落とさないと褒められないのかよw
699人間七七四年:2009/11/09(月) 19:28:40 ID:Wg/aIyqk
>>698
必死になって「信忠だけは有能」って言ってるやつに文句言え
700人間七七四年:2009/11/09(月) 20:04:46 ID:CZJi323q
信忠は織田の跡継ぎとしては優秀(信長から家督継承はされてるわけだし)
信雄は最終的に家を残したのでそこら辺の身の振り方は良かった。
信孝は1軍団長としては優秀(信長の息子で地方軍団の指揮権任されたのは信忠以外は信孝だけだし)

つまり、総領(信忠)外交折衝役(信雄)軍団長(信孝)とそろってるわけで、
もう1人良いのがいれば北条や島津みたいにネタになったんじゃない?
701人間七七四年:2009/11/10(火) 18:31:25 ID:H2/fxjkt
信雄が外交折衝役?
まあ手切れの交渉にはちょうどいいかも知れんが…
702人間七七四年:2009/11/11(水) 16:18:48 ID:Mh4GLJtd
面倒だから全員無能でいいじゃないか
703人間七七四年:2009/11/14(土) 14:13:24 ID:333euqwH
信孝は本能寺以前はそれなり
以後はダメダメ

信雄は前でも後でもダメ
704人間七七四年:2009/11/21(土) 22:30:58 ID:L2RDYCmE
信雄の舞の名手としての才能が子孫のアイススケートに引き継がれたんだな
705人間七七四年:2010/02/05(金) 20:24:57 ID:1e7/antH
金子信雄の楽しい夕食
706人間七七四年:2010/02/06(土) 23:07:06 ID:UnANqMcr
>>704
信成の家系伝説など、大ウソだろうがwww
707人間七七四年:2010/04/09(金) 10:39:37 ID:2SjSmAcE
>>706
根拠となる一次史料は?
708人間七七四年:2010/04/10(土) 01:56:14 ID:Fa+raown
織田の末裔の集まりでは認定されてないんだっけか、信成と無道は。
709人間七七四年:2010/04/10(土) 08:39:46 ID:W2Ni8Fga
今の織田の末梢って信雄の子孫?
710人間七七四年:2010/04/18(日) 12:39:04 ID:NHYzRRgk
>>709
信成が織田家の末裔かどうかの真偽は別として
信成は信高の家系といわれている
信高の家系は途中信雄の家系から養子をとっているから
信雄の子孫と言えば子孫だろうな
711人間七七四年:2010/04/21(水) 10:22:53 ID:wIMQd//K
>>704
ホレw


織田信長
- 2代織田信高(七男)
- 3代織田高重
- 4代織田一之
- 5代織田信門
- 6代織田信倉(養子)
- 7代織田信直(養子)←←← 大和宇陀松山藩主織田高長の孫(信雄の系統)
- 8代織田長孺
- 9代織田長裕
- 10代織田信真(1842〜?) ←←←明治維新後、写真師になって、その後消息不明

- (11代から14代は不明)←←← 親戚に迷惑をかけるから、16代信義氏が製作配布した家系図では4代不明となる(週刊新潮の記事より)

- 15代織田重治(1917〜1995?)
- 16代織田信義
- 17代信成(次男)




織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/

712人間七七四年:2010/04/21(水) 10:24:08 ID:wIMQd//K

>>708


〜 織田信長の子孫に関する小ネタ 〜

●金スマ出演時に用意した家系図は某家系図業者共通の装丁で、
安住アナの指摘どおり「昨日作ったばかりのよう」な代物。
代々受け継いだものでないことは明らかで、歴史学的な検証には耐え得ない。
歴史ヲタにはおなじみの業者で、日本史板では落胆と失笑の声が上がった。

●織田母がTV番組出演時に語ったエピソード
「嫁に来て間もない頃に桔梗の花を飾ったところ姑に叱られた。」
「桔梗は明智の家紋だから、織田家では桔梗をいけるのはご法度ご法度なのです」
⇒旧丹波柏原藩織田家(元大名家)の当主である
織田孝一氏(本名は織田信孝、フリージャーナリスト)によるコメント抜粋。
「家には(桔梗ご法度の)習慣はないです」 「彼は誰なのでしょうね」


有名な母による桔梗禁止のお話
家系伝説と家系図を示したという、文体も現代風の真新しい伝来の和綴本

http://www.youtube.com/watch?v=uKtU64tEbt8
713人間七七四年:2010/04/21(水) 10:25:20 ID:wIMQd//K


【織田信成さん、本能寺を知らなかった】

知らないナリ。
織田信成さん(22=文学部休学中)は、一族因縁の地・本能寺(京都市中京区)を知らなかった。
20日付の新聞各紙が、織田さんの“本能寺参拝プラン”を報じたが、
当の本人は会見で「どこにあるんですか」と発言。
フィギュアスケートの世界国別対抗戦後に、周囲を凍らせてしまった。
【河田悌一学長(左)も“本能寺くらい知っとけ”とアキれた?写真は2月25日・千里山キャンパスBIG100ホール】

殿が仰天発言だ。
本能寺の変は1582年、先祖にあたる戦国武将・織田信長が明智光秀の謀反に遭い、自害したとされる。
受験生が“いちごパンツ”と覚える一族の宿命の時、ゆかりの地。末裔の織田さんには決して忘れない場所…と思いきや

「本能寺?どこにあるんですか。行ったことないんです」と、あっさり答えた。

昨年のシーズン開幕前、織田信長が武運を祈った福井県の剣(つるぎ)神社をテレビで知り(何でテレビ?)、
わざわざ電車で2時間かけ参拝。 お守りを身につけ、大会に出ていた経緯がある。
今年は本能寺はどうですか?と、記者からの“無茶振り”な質問にマジボケしてしまったのだ。


本能寺が織田さんの家から近い、京都市中京区にあることを知らされると
「めっちゃ近いんですね。調べてぜひ行ってみたいです」
と笑顔を見せた。ゲンかつぎになるかどうかは疑問だが、細かいことは気にしない。
五輪出場、そしてメダル獲得。信成の野望は、ご先祖の夢が破れた地からスタートする。



●ソース●
関西大学と関大前の情報紙「ブームスポーツ」
http://www.boom-sports.com/archives/51641958.html
714人間七七四年:2010/04/21(水) 10:27:11 ID:wIMQd//K



織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/


715人間七七四年:2010/04/21(水) 11:10:57 ID:yWlYXlht
俺の好きな三男信孝が25歳で自害してこいつだけ生きてるのが腹立つ
716人間七七四年:2010/04/21(水) 13:27:18 ID:oQe4ctre
>>710
>信成は信高の家系といわれている

信成一家がそう「自己申告している」又は「自称している」でしょ。
717す@死:2010/04/21(水) 13:30:20 ID:zhjn4xoJ
秀吉に逆らったからな
しょうがないべ
718人間七七四年:2010/04/21(水) 13:51:53 ID:1YyCd9U3
>>716
信雄に関係ないんだからいい加減巣に帰れ信成依存症患者が。
719人間七七四年:2010/04/21(水) 13:59:31 ID:7qXPeHPk
>>718
本当だよ。誰が信雄と関係あると言い出したんだよ。
織田信成とその父親だろう。本当なら証拠を示して欲しいよ。
720人間七七四年:2010/04/22(木) 22:06:59 ID:GyELd/V6
信雄の末裔を称しているのに、信孝の建立した本能寺の信長廟に、マスコミ連れて、お参りにいった大バカ者。
数か月前まで、本能寺が京都にあることすら知らなかったとか。

大徳寺総見院は無視。
721人間七七四年:2010/05/03(月) 13:58:05 ID:MKqHmkjD
>>715の気持ちが痛いほどわかってしまう
722人間七七四年:2010/05/06(木) 12:37:05 ID:8TD2RNmm
さすがのぶおの末裔!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ
723人間七七四年:2010/05/14(金) 18:12:48 ID:kRi+nmXo
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    / .|::::::     :::::/::   、    ヽ  :| ヽ                                          
   | |:::    ::( ._-.、,.-, )     ::| |                                          
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     |::::::::: /::::::::; −vー 、::::: ヽ ::::::|  <                                        
     |:::::::::::::/:::,--=二二=--::::ヽ:::::::::|   | やあ!織田無道だよ                          
     |\:::::::::::::::::::::::ー‐‐:':::::::::::::::::::ノ|   |                                        
     |::::::ヽ::::::::ヾ:::::::::⌒::::ヽ:::::::::/  |   .\________                            
     |::::::::::::ヽヽ:::::::::::::::::::::::::::/   |                                            
   / |    . \::::::::::::::::::::ノ/    | \                                          
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724人間七七四年:2010/05/14(金) 18:15:33 ID:kRi+nmXo
               、....,,_
           、-‐'"  __ ヽー- 、}ヽ
           ,/´/ /  , _,.  _/ ノ レi
        _,// /  /{  i    ー' ノ
          / // / /  .i  l  l! ー<
        / /  //!/    ヽ ヾ l  〉ヾ,
         !/!  イ  ‐::::::;;;;;;;八;;;;;;;::‐ヾ、  }
          |」l !  。ー-- ;; :; --−。 l  /
        f r| !| ゚ o  ´ ノ ::、 `   o | l/    
          .l ヾハ o /( ,=、_,=、)ヽ,  l/l!   織田無銅!!  
          \ _j   /_,, -―-ー-、_ l  l /      
            l l  | トエエエエエエイ l ./´
          `ト、 l Vェェェェェェェソ //┐
            l \`ー‐---‐‐' / 」、 _ ,,.
          「ヾ、_ヽ、___ノ_/  r―-- `ゝ
             l        イ   /  ̄ ̄  ヽ
              !_ _,..   i |  /          ヽ
          /           !.| ,/
725人間七七四年:2010/05/14(金) 20:13:22 ID:SuhD1glj
つまらんAA貼って得意顔か
726人間七七四年:2010/05/18(火) 05:36:26 ID:WlFmWOUc
シコシ昆布
727人間七七四年:2010/05/22(土) 23:10:21 ID:WrSNGWnn
信成が信長に関する事知らないとしても俺はそんなに疑問感じないな。
本人は子供の頃から信長信長言われてウンザリだろうし信長に対する興味なんて無いんじゃね?
マスコミが煽るから信長に関する言動してるだけだろ。

とりあえず信長の子孫だと思わずに
信雄の子孫だと思っとけば違和感感じにくいんじゃね?
肖像画も信長より信雄の方が信成に似てる気がしないでもない。
728人間七七四年:2010/05/22(土) 23:37:20 ID:OyC5Dbfx
>>727
お〜い、今更、何を言ってるのwww

ここの板の住人達は、スケ板の連中より遥かに、日本史知識や情報収集能力が高い連中ばかりだぞw
悪いこと言わないから、恥かく前に巣に帰りなさい。
729人間七七四年:2010/05/23(日) 00:17:14 ID:JrycUs6X
最初、信長の子孫だって言われるの嫌がってたってのは
名前が出始めた頃に本人が言ってたけどな
730人間七七四年:2010/05/23(日) 00:18:16 ID:UI1Y7IX7
>>727
>本人は子供の頃から信長信長言われてウンザリだろうし信長に対する興味なんて無いんじゃね?
>マスコミが煽るから信長に関する言動してるだけだろ。


嬉々として自慢してるようにしか見えんのだが・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=iIsCsnJ1Pis

親子で・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=uKtU64tEbt8
731人間七七四年:2010/05/23(日) 02:03:25 ID:3wDE8gih
本能寺…信成聞こえた!信長から「頑張るんだぞ」

> 織田信長が志半ばで散ったのは、旧暦の天正10年6月2日。“命日”の前日、
>末裔の織田は黒いスーツに身を包み、生まれて初めて本能寺に足を踏み入れた。
>「パワーをもらいました。“頑張るんだぞ”という声も聞こえた。
>一度も来たことがなかったので自己紹介と、“これからも頑張ります”と誓いました」

http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2009/06/02/06.html
732人間七七四年:2010/05/23(日) 10:28:25 ID:JrycUs6X
だから、マスコミが煽るようになって便乗してきた感じで
初期の頃は信長がどうのと本人の事績じゃない事で騒がれるのを嫌がってたよ
ある程度ネームバリューが出てきてからじゃね?信長の子孫どうこうを信成とその取り巻きサイドが言い出したのは
733人間七七四年:2010/05/23(日) 12:03:25 ID:gJPj5ugN
すっきり

726 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/18(火) 05:36:26 ID:WlFmWOUc
シコシ昆布

727 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん


728 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん


729 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん


730 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん


731 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん


732 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん
734人間七七四年:2010/05/24(月) 18:59:08 ID:QfaYFb9p
>>732
かなぁ〜〜り以前から出てたぜ

たぶん、ばれたらマスコミのせいにしようという作戦だったんだろうな。
ただ、マスコミ連中はそんなに甘い連中じゃないと思うぞ。
所属事務所なき今、ボコボコに叩かれると思う。
一度持ち上げて引きずりおろすというのが、マスコミの常套手段だから。
735人間七七四年:2010/05/24(月) 21:31:09 ID:j7O+pEev
>>734
かなり前から信成側が織田の末裔を自称していたというソースを。
俺の記憶ではマスコミが末裔だ末裔だって騒いでたけど
その話題出されると最初の頃は不機嫌顔だった記憶なんだが
736人間七七四年:2010/08/14(土) 04:13:26 ID:WJov3CBY
保全
737人間七七四年:2010/09/03(金) 22:34:21 ID:D3WmGJ8W
落ち過ぎなので保守age
738人間七七四年:2010/09/08(水) 13:17:00 ID:YQHSXzbN
長久手や蟹江城での戦闘って信雄自身が直接参加してたんだろうか
739人間七七四年:2010/09/09(木) 08:24:30 ID:EaYoupQn
この人の良い話ってないの?
氏真さんですら蹴鞠は代表クラスだったって言うのに
740人間七七四年:2010/09/09(木) 20:03:05 ID:0pSnr2gn
利用されただけとは言え、
結果的に他の兄弟と違って血筋を残して大名として生き残ってる世渡り強さ
あと、どうしても対抗馬として比較されるのが秀吉・家康とかなので
過分にダメなイメージが付いてる部分もある。
凡君ではるけど愚君という程ではなかった。
治世面ではそこそこ実績もある。
741人間七七四年:2010/09/09(木) 21:39:05 ID:hs5s8Nmn
>>739
能と庭づくりが凄い。
742人間七七四年:2010/10/02(土) 15:03:35 ID:p52GIQNw
>>741
子作りも得意だ
743人間七七四年:2010/10/02(土) 20:17:14 ID:jtfFuuNO
木造一派
田丸
星合
滝川
藤方

744人間七七四年:2010/10/29(金) 10:52:26 ID:PvghAAI+
信雄が信長の子でなく単なる家臣であったなら
あんなに長生きできなかっただろう。
745人間七七四年:2011/01/13(木) 22:34:57 ID:kf6wW0Q7
信雄は能が上手かったと言われてるよね…。
近衛信尹が日記に「常真って能が上手いね」みたいな感想を書いてるけど、
これって「プロの犯行」って意味なのか、
それとも「素人芸にしては悪くないんじゃね(プ」な意味なのかどっちなのさ。
746人間七七四年:2011/01/16(日) 17:47:48 ID:OGAS57Kk
上げておこう。
747人間七七四年:2011/03/03(木) 23:15:18.48 ID:/aIB2IyN
秀雄や高雄はどんな人物だったんですかね?
748人間七七四年:2011/03/04(金) 12:38:12.59 ID:ID6IkhCJ
高雄って側室木造氏腹の息子だっけ
749人間七七四年:2011/03/31(木) 22:23:52.31 ID:wSUflcYF
北畠侵攻で味方したのは木造一族だけ?
750人間七七四年:2011/04/08(金) 05:48:34.84 ID:QePoWFWr
>>749
柘植

柘植の娘は具教の命で張りつけにされて槍で串刺しにされた

その後、柘植は信雄の第一次伊賀攻めに従軍して討ち死に
751人間七七四年:2011/04/15(金) 23:20:57.43 ID:oPtGcCRO
踏んだり蹴ったりだな。
752人間七七四年:2011/05/03(火) 21:50:48.63 ID:s2KXLZsd
木造一族は代々裏切者
753人間七七四年:2011/05/04(水) 23:56:45.87 ID:CfZRnomR
秀吉が関白に任官したとき、どんな気持ちだったんだろう?
754人間七七四年:2011/05/08(日) 22:24:56.22 ID:nLHkCk4W
「じゃ俺は亭主関白になろう」
755人間七七四年:2011/07/26(火) 13:39:54.79 ID:q5oLnDS+
>>749
木造具政(木造城主)
木造具康(戸木城主)
柘植三郎左衛門(木造家重臣)
星合具泰(星合城主)
田丸直昌(田丸城主→岩手城主)
水谷刑部少輔(松尾立野城主)
日置大膳亮(松ヶ島細首城主)
藤方刑部少輔(陸田城主)
長野左京亮(小倭山田野城主)
756人間七七四年:2011/12/07(水) 10:17:57.59 ID:wjnuQH28
高雄は秀雄の死後に嫡男になってないし早世したか側室の子だろうな
757人間七七四年:2011/12/07(水) 12:36:17.50 ID:YFwUh9ex
>>755
木造一派はしょっちゅうだが、田丸が裏切ったのは予想外だろうな
758人間七七四年:2012/04/21(土) 15:42:54.82 ID:/e2YvoTk
本能寺後に織田に復姓したから、北畠家は名実共に断絶したの?
759人間七七四年:2012/04/21(土) 16:04:29.85 ID:0TMKCiw/
北畠昌教という人物がいたとかいないとか
760人間七七四年:2012/05/01(火) 23:16:21.36 ID:XxCw8Pm4
近年の研究で、安土城を焼き払ったという汚名は雪がれつつあるが・・・
そんなの輝かしい経歴の氷山の一角でしかない気がする。
761人間七七四年:2012/05/02(水) 14:53:43.08 ID:1NNxqRS6
最大の功績って何?
762人間七七四年:2012/05/02(水) 17:48:04.81 ID:C0MK48jL
ガチで言うと片桐且元に大阪城で襲撃される計画があると知らせて逃したこと。
763人間七七四年:2012/05/02(水) 21:16:01.41 ID:1NNxqRS6
うわ…
764 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/05/04(金) 10:59:10.77 ID:UYfg+ahB
調べれば調べるほどアホっぷりしか見えてこないからな
765人間七七四年:2012/05/05(土) 00:30:01.58 ID:pdFvHuv1
目立ってないけどそこそこ賢くはある。
相手が悪かった。
766人間七七四年:2012/05/05(土) 22:23:17.72 ID:vJ3uhqZ4
のぶおって読むってマジっすか?
767人間七七四年:2012/05/05(土) 23:53:29.82 ID:xCSMAjZY
てことは、滝川雄利、土方雄久らも、滝川おとし、土方おひさとも読みうる?
768人間七七四年:2012/05/06(日) 17:08:19.35 ID:cXPQZM+p
「のぶお」は公家読み
「のぶかつ」は武家読み
769人間七七四年:2012/05/07(月) 11:59:02.73 ID:QTDqKbZx
「拙者は北畠のぶかつでござる!」

「麿は北畠のぶおでおじゃる〜」

770人間七七四年:2012/05/08(火) 21:16:06.76 ID:Xg82gsN8
九男坊あたりだったら、有楽斎みたいになれたかもしれん
771人間七七四年:2012/07/28(土) 18:54:58.87 ID:weNu8cPT
>>386>>417>>479>>502>>750
何度同じこと書くのだこやつは。
勢州軍記を鵜呑みにするばかりでどうしようもないな。
772人間七七四年:2012/08/08(水) 10:38:26.75 ID:eXaOyBTq
信雄は秀吉にも家康にも上手く利用されてるし、利用しやすいチョロさを持っていたのは確かなんだろうな。
最期に大阪の陣で豊臣家に利用されかかった時は、さすがに逃げたけどw
773人間七七四年:2012/08/14(火) 15:51:13.18 ID:K+oDm8So
まあでも不幸な死に方若しくは若死にした人間が多い織田一族の男性
の中でも長生きして晩年はそれなりに優雅に暮らしてるんだから
十分勝ち組だろ。

あの信雄を総大将にしようとした豊臣家の人材難を思うと目頭が熱くなる。
774人間七七四年:2012/09/05(水) 12:55:48.94 ID:mqnjCNd6
器量はあるが相手が悪すぎ
775人間七七四年:2012/10/14(日) 16:48:05.21 ID:HzxH1U0Z
>>772
さすがにあの状況で豊臣に勝ち目あると思う奴はいないもんなw食い扶持がある奴はみんな逃げ出すだろ。
一発逆転に賭けた無職の元軍人しか大坂城には寄りつかないw
776人間七七四年:2012/11/16(金) 01:01:01.02 ID:smeXqWny
豊臣方にしてみれば織田信雄とか織田有楽斎みたいな従軍経験豊富な存在は貴重だろ
木村重成とかほとんど初陣だったし、大野もブランクありすぎるからな
真田や後藤みたいな浪人あがりに指揮取らせるわけにもいかねーし、信雄総大将は当然の発想だな
777人間七七四年:2012/12/30(日) 06:06:10.27 ID:A8nQMMe3
ゾロメ
778人間七七四年:2013/01/11(金) 23:51:09.86 ID:KH1RE+g6
いくら深夜ドラマとはいえ、及川光弘の信長はちょっと違うと思う。
779人間七七四年:2013/01/12(土) 17:17:24.22 ID:VExoJAE4
誰か織田信忠についてのスレも立ててください
780人間七七四年:2013/01/12(土) 17:44:36.83 ID:QJOkA49u
>>779
もうある
*  織田信忠 その2 *
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251717575/
781人間七七四年:2013/01/12(土) 18:50:16.14 ID:/Fu7/Eys
この人佐竹に預けられてた時のエピソードとかはないの?
782人間七七四年:2013/01/14(月) 21:22:08.29 ID:sOaZDESa
家康によって改易された時や
秀吉によって秋田に流刑にされた時のエピもないので
当然、常陸へ流された時もエピもない。
つか恥ずべき流罪時代エピなんて家譜にすら記述しないだろ。
唯一あるとすれば秀吉に許された付き人は少年一人だけだったそうだ。
783人間七七四年:2013/01/18(金) 23:22:35.97 ID:s7ZPb/it
まぁ信雄が改易されまくったのに
なんとかなったのは、信雄の能力とはまったく関係なく
ただ単に浅井三姉妹の叔父というだけの理由でしかないしな。
784人間七七四年:2013/01/19(土) 04:39:18.81 ID:ZsAFRjtb
百歩譲っても小幡が「織田信長ゆかりの地」てのは訴えられるレベル
785人間七七四年:2013/01/19(土) 13:01:45.14 ID:9+Ln2M/f
信雄の改易理由なんて秀吉の言いがかりレベルでしかない
改易そのものが信雄の能力となんの関係もない
マイナスにするんなら信雄が戦争して織田家を滅ぼしたくらいやってないとな
786人間七七四年:2013/01/19(土) 23:25:31.37 ID:r3Rmee+l
家康を関東に転封して、信雄を家康の旧領に転封させるのを断ったから改易って言われてるけど、
実際信雄が素直に秀吉の命に従って家康の旧領に移ってもいずれは因縁つけられて改易されたんだろうな。
家康と信雄の領国合わせたら400万石くらいになりそうだから、彼等が組んで謀反起こしたら日本分裂する大乱になるだろうし。
787人間七七四年:2013/01/19(土) 23:43:04.90 ID:ZsAFRjtb
そうだね、秀吉としたら信雄にいつまでも大領は勿体ないしね
どのみち詰んでたのは同意
小田原以降だったらさすがに家康も秀吉に対抗するようなマネはしないと思うよ
小牧長久手の時とは全然違うからね
788人間七七四年:2013/01/20(日) 20:47:56.93 ID:2iUOoYK6
小牧長久手当時もあくまで家康は本腰出す余裕はできなかったわけだしな
小田原以降は秀吉の勢力が圧倒的だから、家康が反乱起こしても
家臣を固めればなんとかなると秀吉は踏んでいた
だから家康も関ヶ原の時はあくまで豊臣体制を強調してやりぬくしかなかった

ただ織田信雄の場合は小牧の時のように「織田家再興」を掲げられると手痛い犠牲を強いられる可能性があった
どうしても大領を持つ信雄は危険な存在だったのだろう。
信雄の勢力を削減する傍らで、秀信に領地を与えて官位優遇するさまは流石だと思う
789人間七七四年:2013/01/20(日) 21:12:19.22 ID:U+EkxaGX
信雄は織田家再興を大儀として掲げた資料なんてあったっけ?
あの戦争はどっちサイドも書状の内容見ると戦争の名分に織田家どうこうとか使ってないはずだが
790人間七七四年:2013/01/21(月) 17:56:48.34 ID:oT3SLpRy
>>789
表向きは秀吉の壟断糾明だけど
目に見えて織田家の実権が秀吉の意のままになりつつあったからね
ただ信雄本人が織田家の人間で、かつ正当後継者たりうる存在
実際秀吉や丹羽の手で一度は当主にすらなっている

その信雄が「秀吉の政権壟断」を糾明するというのは
ほとんど織田家の実権回復と同義ではないか?とも思うのだよ
791人間七七四年:2013/01/21(月) 22:08:05.39 ID:Hu3DcIRy
みごとなまでに典型的な脳内補正だな
むしろすがすがしい
792人間七七四年:2013/01/22(火) 03:22:40.33 ID:GrnA6QKU
脳内補正要素なんてないだろ
信雄が弾劾したのが「秀吉による織田家の壟断糾明」これはちゃんと書状にある
そして信雄は「一度秀吉等の手で当主になったのに、下された」経験がある。これも書状にある。

誰が見ても「織田家をほしいままにしていた秀吉を廃する」という目的がわかりきっているし
信雄がそれをするということは「織田家の権力回復」に繋がる
793人間七七四年:2013/01/22(火) 04:18:54.97 ID:ymW9bJs5
信雄が織田家どうこうで秀吉を弾劾してる書状ってどれの事ですか?
あと、信雄が一度秀吉等の手で当主になったのに、下されたといってる書状も。
小牧長久手時期の信雄羽柴徳川の書状見ても織田家どうこうなんて文言出てこないはずですが。
794人間七七四年:2013/01/22(火) 17:03:59.82 ID:GrnA6QKU
>>793
高知県史の古代中世史料篇に織田信雄が香宗我部親泰に対して秀吉の専横を弾劾している書状があるよ
これを見る限り、信雄は長宗我部元親とも連携していたようだね

あと信雄当主の件だけど秀吉は仮の当主としてしか考えておらず、石川数正宛ての書状にも
「先勢既ニ三介殿被申付候条(中略)柴田以所行三七殿被企御謀叛候条、此上者惟五郎左衛門上、池田勝三郎、我等申談、三介殿ヲ御代ニ相立」(愛知県史)
とあくまで「代理」当主であることを書いているし
それ以前の堀秀政宛て柴田勝家書状(南行雑録)でも「織田家当主は三法師で、若君を安土城へ送る」ように書かれている。
実際信孝から取り返した後は織田秀信が安土城に入っている
また信雄本人も1583年の5月に「京都奉行職事申付(中略)相尋筑前守、何モ彼申次第可相極事」(愛知県史)と
秀吉の言うとおりにするようにと前田玄以に書状を送っている。
要地京都の奉行であるにも拘らず、秀吉を積極的に頼れというのはかなり当主権力が薄い証拠だろう
前述の秀吉書状を見ても、あくまで当主秀信の代理と考えた方が自然

確かに佐々成政のように信雄を当主として見ていると言う書状を書いている武将もいるので
断定口調で話したのは言い過ぎだったな、すまんね
795人間七七四年:2013/01/22(火) 18:03:13.17 ID:ymW9bJs5
信雄が香宗我部にあてた書状には秀吉の天下の儀に関してほしいままの振る舞いとはいってるけど
織田家どうこうは書いていないよ
天正11年時点では織田家どうこうの話は出てくるけど12年になると両陣営側から織田家という言葉自体大義名分として使用されなくなるのがわかる
796人間七七四年:2013/01/22(火) 22:01:22.96 ID:GrnA6QKU
うん、今思えばそうなんだよな
勝手な解釈すまん
797人間七七四年:2013/01/23(水) 00:56:28.14 ID:KCjOTu5n
つまりみごとなまでに典型的な脳内補正だな
むしろすがすがしい
798人間七七四年:2013/01/23(水) 20:49:11.77 ID:3VhniBBK
ソースまで明示されているのにその理屈はおかしい
799人間七七四年:2013/01/23(水) 22:15:10.14 ID:gYpJGAtJ
素直に認めるのはいいことだろ
無駄な煽りしてる>>797より余程いい議論に寄与するわ
800人間七七四年:2013/01/23(水) 22:55:02.16 ID:KCjOTu5n
謝ればいいってもんじゃねえ
どうせ知らないだろうで「書状有り」でふっかけて返されてビビっただけだろ
今思えば勝手な解釈って、今思うまでにどれほどレスしてるんだよって話
ハナから一度自分自身で疑ってみて、言ってる事に落ち度がないか見直してからあんだけ長文の持論たれろって話
こういうバカは、その性格上他の事だって見切り発車でドヤ発言するんだよ
この程度も出来ない低レベルな議論は議論でもなんでもねえよ、勘違いするな
801人間七七四年:2013/01/23(水) 23:12:39.37 ID:3VhniBBK
それはソースも出さずに妄想垂れるような意見の事だろ
ちゃんと根拠となる書状や資料を出して、それを基に発言しているじゃん。

俺が思うに、信雄が香宗我部にあてた「天下の儀」というのが
意見の相違でなっているだけとしか思えないな。
>>794は恐らく「天下=信長含め天下に君臨した織田家の事」とでも考えたのだろう。
そして>>795は「天下≠織田家」と考えていると思う。

まあ煽るのは否定しないが、こういう議論の場においてただ煽るだけの人間はスレを妨げる害でしかない。
場合によっては、荒らしと認定されても仕方ないかもな
802人間七七四年:2013/01/23(水) 23:59:46.23 ID:KCjOTu5n
>>801
その通り荒らし認定で結構
ただこういうタチの悪い、それこそ脳内補完持論繰り出すバカはキツく反省や恥ずかしい目に遭わせないとまた繰り返す
優しく接すりゃいいってもんじゃない
そうでないと第2第3のバカが来やすいスレになるし、当人もまたろくに見返してない持論で自信満々に相手をこき下ろすような事を繰り返す
結果スレが腐る
一言謝まれば済む ですませるのはよくない

で、荒らしは以上だ
803人間七七四年:2013/01/24(木) 00:48:01.78 ID:+TwModSq
素人目に見てもそれはあまり意味がないと思うけどね。
「キツく言えば言うことを聞く」が効果出るのはあくまで小さな子供だけ
年齢が進めば進むほど自覚ありきで話が進むから
誰が何を言ったところで、「来る人は来る」「来ない人は来ない」になっちゃうんだよ。
今回は他の人も言っているけど本人同士が何も問題を起こしていないし、レスにして10レスもない。
何より両方の意見に根拠と自論があるし咎める理由はないと思う。
804人間七七四年:2013/01/24(木) 12:56:56.78 ID:U3/YTVDu
>>802
自論を否定されてそれを受け入れるのは至極難しい
だがを見れば分かるだろうし、現にお前も受け入れられてない
何時も正しい議論ばかりできるわけないだろ?
その積み重ねが科学なんだよ

それを阻害するお前の存在が屑
ところで、そういうお前はどうすれば自省して二度と来てくれないんだ?
805人間七七四年:2013/01/24(木) 16:00:34.34 ID:KefBhMmo
荒らし自認してる相手になに熱くなってるんだ
スレチもいいとこだろ
冷静になれよ信雄並みの頭しかないのか?
806人間七七四年:2013/01/30(水) 10:57:22.63 ID:D5iN8+pt
信雄は頭もそこそこ回る方だよ
807人間七七四年:2013/02/02(土) 20:17:13.38 ID:2MbTtjwd
織田家再興も何も信長横死後に
織田に復姓した信孝と違って
北畠信雄のまま改易強制出家だし。
織田姓に戻ったのは姪の茶々が
秀頼を懐妊した話で異常なまでに大喜びした秀吉が
謀反人光秀旧領の坂本城に幽閉していた織田秀信に
御祝として故信忠の岐阜城をプレゼントして
織田家再興してやった時のおまけで
ついでに信雄への勘気が解けて呼び戻された時だし。
808人間七七四年:2013/02/04(月) 19:08:55.06 ID:bGadbPW1
まず秀吉の改易がいちゃもんだし
対立した信雄よりも、仲のいい秀信の方がやりやすいし
809人間七七四年:2013/02/04(月) 23:22:35.47 ID:vbKYYr3S
仲のいいというより、まだ秀信は子供で自分の意志がないに等しいでしょw
810人間七七四年:2013/02/05(火) 10:14:58.52 ID:roCqigmZ
もちろんそれもあると思うけど、一応秀信からすれば秀吉は
本来忘れ去られて終了だった自分をなんとかしてくれた人だからな
取り立てられて悪い気はしないし
811人間七七四年:2013/02/06(水) 00:39:00.73 ID:M7P+pAaF
復姓してなかったのか?初耳だわ
812人間七七四年:2013/02/06(水) 21:10:39.76 ID:XYmLg+mz
信雄の復姓時期はよくわかってないね
信孝は本能寺終わってすぐ復姓したみたいだけど
813人間七七四年:2013/02/06(水) 21:13:51.64 ID:sFTVdB76
大坂城篭城中に景気のよい発言をして
諸将を喜ばせ士気を揚げておいて
寝てる間に事の重大さに気づき怖くなって
大坂城から脱走した信雄さん。
叔父の有楽斎が朝起きて呆然自失になったのは言うまでもない。
814人間七七四年:2013/02/07(木) 07:37:27.83 ID:H0zps05J
無能へたれ信雄
815人間七七四年:2013/02/07(木) 15:25:52.01 ID:2rKjzqrW
その有楽斎さんも逃げたじゃないかw
816人間七七四年:2013/02/07(木) 18:31:11.34 ID:x61VS0Dg
先越された!って呆然自失したんじゃない
817人間七七四年:2013/02/07(木) 19:37:14.08 ID:4TDVtYRN
有楽斎は大阪冬の陣を講和まで持って行ってきちんと責任果たしているぞ。
夏の陣?そんなん知るか!
818人間七七四年:2013/02/08(金) 17:34:26.34 ID:DNsfXwd+
信雄と有楽の逃げっぷりを見たら信長はどう思っただろう
819人間七七四年:2013/02/08(金) 17:48:41.99 ID:3EQs9q4N
>>818
「ワシより逃げるのが上手い」って思う
820人間七七四年:2013/02/09(土) 18:52:42.38 ID:HQ8QP9Mh
信雄と有楽は引き際にかけては信長以上だからな
普通の武将なら何回死んでるんだってところでも生き残る
才略ありきだが、才略以上に悪運が強い
821人間七七四年:2013/02/11(月) 21:32:41.17 ID:AouNks2p
才略なんてまったくねーよ。雑魚レベルだったが
浅井三姉妹のおかげで牢人せずにすんだだけ
822人間七七四年:2013/02/12(火) 00:11:27.03 ID:BCRFyhlj
戦国時代、人脈をフルに使って生き延びたのならたいしたもんだよ
823人間七七四年:2013/02/12(火) 22:49:06.68 ID:MC6eyeQ7
http://hissi.org/read.php/sengoku/20130211/QW91TmtzMnA.html

3 :人間七七四年[]:2013/02/11(月) 23:05:02.16 ID:AouNks2p
リンク先の2〜11レスがすでに織田厨のキチガイ妄想過ぎて
気持ち悪く吐きそうになった。
過去スレは織田厨のキチガイ妄想ばっかりだったのな・・・
824人間七七四年:2013/02/13(水) 23:48:40.02 ID:drS2c/FG
浅井三姉妹を信雄の「姪」とか書いてる奴は馬鹿なの?
825人間七七四年:2013/04/24(水) 10:41:17.66 ID:2PqPO4zg
長寿をまっとうしての自然死だから、そこはたいしたものだと思うが。
826人間七七四年:2013/04/24(水) 12:24:05.01 ID:HFTEhgcq
信孝を殺しておきながら、
自分は屈辱で憤死するほどの意気すら無かったからな。
ふつう強制出家の挙句にガキ1人のお付きしか許されず徒歩で秋田に流される時点で織田の名誉を守り家門を穢すのを回避するために罪の服さないと抗議の意を表れすため自刃するだろ。
827人間七七四年:2013/04/24(水) 16:09:39.19 ID:Ah8FteUV
しぶとさはAランク
生きている限りどうにかなる可能性は残っているわけで、武将にとってはまぁ重要な素質の一つ
全員玉砕しちゃったら家が残らないしね

ちなみにSランクは小田氏治とか日根野弘就
828人間七七四年:2013/04/24(水) 22:09:00.19 ID:aKVOTDNc
http://hissi.org/read.php/sengoku/20130424/SEZURWhnY3E.html

だがお疲れw
まあだがにとっては、織田家を存続させた信雄は憎き存在だもんな
陰口を叩かれても、持てる才器を十分使って大名として存続させた人間は大したもの
そういえばどこぞに「強すぎる大将」なんて誉れを貰っておきながら、自分の家すら守れず滅ぼした奴がいたっけw
829人間七七四年:2013/04/29(月) 19:13:38.20 ID:lBr1/xNw
えっ?大名として存続?w
いやいや幕府旗本の方がよっぽどマシな陣屋主だろがw
大名じゃねぇよカス
江戸詰めと違って、参勤交代の義務付きの陣屋主なんて
超極貧石高で死亡寸前の生活苦だったじゃんw
織田陣屋の領地なんて住民が地獄のような想いしかしてないから
現在も地元民が織田家を慕って・・・とか織田家を町おこしに・・・
なんて誰も考えないだろwww
830人間七七四年:2013/04/29(月) 19:50:07.93 ID:BjfKzb7M
天童市は織田藩が作った将棋の駒文化を香川のうどん並に愛してるぞ
831人間七七四年:2013/04/29(月) 21:33:33.68 ID:lBr1/xNw
将棋と言えば家康が将棋好きで
家元制度まで作って幕府から棒禄まで与えて
大橋家・大橋分家・伊藤家の世襲名人職を作ったな。
将棋が現在まで生き残ったのは江戸幕府が名人に禄を与え保護してたからだよな。
832人間七七四年:2013/04/29(月) 23:14:32.19 ID:lBr1/xNw
米沢藩 表高 15万石 実高 33万石
上杉氏は実高で水戸徳川家(20位)や越前徳川家(18位)を抜いており石高ベスト20内に入る大藩。
一方、浅井三姉妹との親戚関係だけと言う理由で大名家の家格すら失いながら
お情けで再興を許され命脈を繋げていた乞食の醜態を晒す恥さらし織田陣屋家は?

謀死信忠嫡男 羽柴秀信13万石
秀頼御伽衆北畠信雄嫡男 羽柴秀雄5万石
関が原の役にて羽柴両家改易追放

浅井長政の妻の市の娘達のおかげでお情けで織田家は滅亡せずに済んだだけのヘタレ

柏原陣屋      3万石未満    2万石とされる。 
兵庫県丹波市 織田信包系だったが慶安3年に改易し天領。
信雄系の宇陀藩で信武が発狂し宇陀崩れを起こして宇陀藩が改易されたことから
元禄8年に柏原藩が再興され信武の子が入る。
大名ではないので当然に城もなく陣屋。もちろん幕府に遠慮して城を作らなかったわけでもない。
信長以来の名族という理由だけで城主格にしてもらった為に
現代ではここを藩と呼称することもあるが
そもそも藩という言葉自体が明治以降の造語。
年貢軽減愁訴・百姓一揆・打ち壊し騒動が頻発する超絶貧困藩


天童陣屋       1万石未満    2万石とされる。 
山形県天童市 信雄系 「裸足で紅花さしても織田に取られて因果因果」
で有名な奥羽で南部藩と1、2を争うの超絶貧困藩 天保元年に城主格にしてもらう。
上野国小幡藩時代の不祥事で信長以来の名族としての特権を全て剥奪されて出羽へ飛ばされた。


芝村陣屋   1万石未満  9000石とされる。
奈良県桜井市 有楽斎系 百姓が死ぬ覚悟で藩を大批判したいわくつきのキチガイ藩で
藩の借金が銀2693貫と言う途方もない額に膨れ上がる始末。城主格にしてもらう。


柳本陣屋      1万石未満    まったく不明
奈良県天理市 有楽斎系 陣屋
他の織田系と同様に嘉永5年に信長以来の名族ということもあって城主格にしてもらう。
重税の末に武器を持たない百姓の叛乱に対してガチで織田軍が絶滅戦争をした地獄の超絶貧困藩

米沢藩上杉家の16代当主上杉邦憲は宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部教授
織田家は明治維新後に相馬家の人間が本家を継いでいる。女系を経て繋がっているのは有楽系の超傍流
833人間七七四年:2013/04/29(月) 23:41:13.59 ID:lBr1/xNw
光秀討死前にすでに家康も三法師を秀吉同様に擁立する動きを見せるなど
なぜか織田家内ですでに信忠の兄弟ではなく側室腹の三法師を後継にする合意が存在する謎。
秀吉が三法師を廃止し坂本城へ幽閉し事実上織田嫡流家断絶。
木造家の傀儡北畠信雄政権樹立
秀吉の意を執行する家臣を信雄が殺したので信雄を降伏させる
(ちなみに信雄の昇進は朝臣北畠国司と言う名家を継ぐゆえ)
小田原陣後に信雄を出家させた挙句に小姓1人だけしか付き添いを許さず秋田へ追放し傀儡北畠政権滅亡。
秀吉が朝鮮役での大陣容を見せ付けたいがために旧主筋だった出家中の信雄を呼び出し
息子に秀の名を与え羽柴秀雄(幼名三法師)と称させ4万5000石の領地を与える。

秀吉が信雄を追放した時に旧主への優越感から再興させた羽柴秀信13万石と(白紙期間が長く信忠の子と同一人物か全く不明)
秀雄4万5000石は関が原の戦い後に改易(どちらも秀吉により断絶を経験しておりもはや織田は継続性の無い秀吉の遊び道具化)
秀信は高野山からも信長の所業を理由に拒絶され野たれ死に
秀雄は1602年に野たれ死にそうなのを聞いた徳川秀忠の好意により蔵米3000俵を恵んでもらったが栄養失調のため27で死去。
困窮した信雄はどうしようもなくなり大坂城で生活保護を受けることになる。
大坂陣の1614年に家康により買収されて大坂落城後の1615年に7月に大和国宇陀郡、上野国甘楽郡で加増を受け織田家復興。

小幡藩の悪政ぶり
領民たちは織田信就の領土から幕府の直轄領に変えてくれと嘆願するほどで
上野国でもっとも貧しく上毛ならぬ不毛の地と揶揄された。

山県昌景の子孫で甲斐出身の山県大弐は(現在は尊王論者の神として山県神社で祭られている)
織田家の小幡藩で明和事件を引き起こし上野小幡藩主織田信邦
(高家旗本織田信栄の四男・ちなみに信栄に正室はいない)
に蟄居隠居を強要し、高家から普通の旗本に降格とし
官位剥奪の上(2度と従四位下へなれなくなった)鍛冶橋門内の江戸上屋敷も没収。
織田信長の子孫と言うことで認められていた国主格の待遇も廃止。
(信長のおかげで国主格だった・・・これは表向きの理由で実際は信雄4男の信良の長女松孝院が
1623年に将軍徳川秀忠の三男・忠長(不和だった家光により自害に追い込まれる)
と結婚していて徳川の外戚になっていたと言うのが本当の理由で
宇陀崩れや明和事件を契機に国主待遇は廃止された)
小幡藩改易に伴い信栄五男である織田信浮が継いで出羽入りしたが
天明の飢饉の災禍によってボロボロになり
明和事件で失った家格と旧領の回復を願うばかりで失意のうちに死去。
ちなみに信栄の次男の信憑は柏原陣屋の織田信旧養子となっている。
結局、織田の系統は山県昌景の子孫の謀略で
高家旗本から降格させられただの旗本になってしまった信栄系に乗っ取られた。
834人間七七四年:2013/04/29(月) 23:43:38.96 ID:o3E6y/xS
織田家の直系は男系が大和柳本藩主(ただし先祖は織田信雄)、
女系は大和芝村藩主の家で、傍流どころか超本流なのも知らないのかw

つうか上杉って3代目の上杉綱勝でいきなり子孫断絶して
徳川におべっか使って無理やり上杉の血を引いた吉良家から養子を迎え入れて存続しただけじゃんw
米沢藩屈指の名君が上杉と何の関係もない秋月家の人間w
835人間七七四年:2013/04/29(月) 23:45:54.84 ID:o3E6y/xS
>>829
織田家は幕府旗本すら2家も輩出

・織田信高系

・織田信貞系

伊豆大島に配流されて罪人同然の扱いを受けた挙句、やっと旗本入りしたかと思えば
家に何の血縁もない養子を迎え入れて乗っ取られた某家に比べればw
836人間七七四年:2013/04/29(月) 23:59:17.76 ID:lBr1/xNw
3万石もないのに大和から江戸まで参勤交代の旅費www
そりゃあヤベェわ。
837人間七七四年:2013/04/30(火) 00:23:23.32 ID:pbvkhoMy
それはどこも一緒
838人間七七四年:2013/04/30(火) 06:14:55.76 ID:7fuQz+/t
>>832
世継ぎいないことで石高半減される前の実高は50万石以上あったんだろうかね>米沢藩
839人間七七四年:2013/04/30(火) 06:24:41.57 ID:qzLqEwOJ
そういえば江戸時代には
「石高と官位が釣り合っていない」
大名家もチラホラあるなあ。
840人間七七四年:2013/04/30(火) 08:06:02.52 ID:LyQBWKNm
公称で3万石となってた熊本藩の分枝の宇土陣屋の細川行芬の三男を迎えて
1836年に丹波柏原藩第8代の織田信敬www
貧乏陣屋には大名ランクの養子は来ないんだよwww
柏原藩の重臣は織田家の血を引く鶴姫に再度婿養子を迎えることを考えた。
しかし鶴姫はそれを拒むwww
やむなくまた養子に迎えた黒田長元の四男の織田信民は福岡藩の分枝の公称5万石の秋月陣屋からの養子www
織田信雄系直系子孫からしてこんなぼろぼろの家系じゃん。
841人間七七四年:2013/04/30(火) 23:58:44.45 ID:pbvkhoMy
唯一残っている直系が出家してどうしようもなくなっただけ
842人間七七四年:2013/05/03(金) 23:19:36.12 ID:PdIBjcc3
>>841
>>唯一残っている直系
誰のことを言ってるんだ?
843人間七七四年:2013/05/04(土) 04:01:29.50 ID:P63Om3q2
鶴姫でしょ
844人間七七四年:2013/05/04(土) 08:00:47.57 ID:cztiZSu1
やっぱダメじゃんwww
>>どうしようもなくなっただけ
ププ、それアンチ秀吉のキチガイ在日の口癖じゃんwww
845:2013/05/04(土) 11:12:04.17 ID:JNQMhIHO
安土城を燃やしたバカだっけ?
846人間七七四年:2013/05/04(土) 13:40:59.71 ID:sWpstKKC
>>845

安土城を燃やしたのは土民たちという説もある。

要するに犯人はわからん。
847人間七七四年:2013/05/05(日) 16:36:04.67 ID:voq/ynao
フロイスが「安土城を燃やしたのは信雄デース」と書いたんだっけ?
848人間七七四年:2013/05/05(日) 18:12:45.72 ID:ua8yVzjK
>>847

焼失の原因についてはいくつかの説がある。

明智秀満軍が敗走の際に放火したとの説(『秀吉事記』『太閤記』)。
しかし、安土で出火があったとされるのは6月15日(『兼見卿記』)で、
その日、秀満は坂本城で堀秀政の軍に包囲されていたこと、
また、秀満は坂本城での自刃の際、光秀収集の名刀や茶器、書画を堀直政に引き渡してから
坂本城に火を放っていることから濡れ衣と考えられる。

秀満のあと伊勢国から入った織田信雄軍が明智の残党を炙り出すために
城下に放火したのが天主に延焼したという説。これは、ルイス・フロイスの報告や
『日本西教史』収載の当時の宣教師の記述(日本耶蘇会年報)によるもので、
その記述には「織田信雄が暗愚だったので放火した」とある。


略奪目的で乱入した野盗や土民が原因であるとする説。


落雷によって焼失したとする説。

(ウィキ)
849人間七七四年:2013/05/10(金) 03:01:09.86 ID:3HKlC7ne
安土城焼肉の原因は、混乱のどさくさで無警察状態になった城に忍びこんだ盗賊たちの付け火だよ
850人間七七四年:2013/05/10(金) 03:33:19.37 ID:rajrt8KR
のぶおは馬鹿じゃないよ
851人間七七四年:2013/05/10(金) 19:27:41.04 ID:yimCSUa4
のぶおって名前からして無能ぽい
852人間七七四年:2013/05/12(日) 07:18:40.68 ID:1g3S2I+u
のぶおは悪くない
853人間七七四年:2013/05/12(日) 07:27:34.87 ID:c6oygCrZ
銀河信雄伝説
854人間七七四年:2013/05/12(日) 09:03:35.69 ID:kDxYCusz
>>834
>つうか上杉って3代目の上杉綱勝でいきなり子孫断絶して
>徳川におべっか使って無理やり上杉の血を引いた吉良家から養子を迎え入れて存続しただけじゃんw

それ言うと長尾氏が上杉氏を嗣ぐ方がよっぽどおかしいと思うが。
855人間七七四年:2013/05/12(日) 09:33:07.91 ID:I8hjgfPM
そもそも綱勝の跡を継いだ上杉綱憲は、扇谷上杉と八条上杉の血を引いていた、上杉としてはよっぽど正当な血筋だしな
856人間七七四年:2013/06/18(火) 23:08:11.50 ID:8H5gQgKK
.
857人間七七四年:2013/08/27(火) 01:01:04.51 ID:Qca9aT++
[
858人間七七四年:2013/08/27(火) 01:03:25.33 ID:Qca9aT++
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859人間七七四年:2013/08/27(火) 01:06:16.05 ID:Qca9aT++
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860人間七七四年:2013/08/27(火) 01:08:18.15 ID:Qca9aT++
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861人間七七四年:2013/08/27(火) 13:13:05.70 ID:wdCxW+8B
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882人間七七四年:2013/08/28(水) 13:21:43.95 ID:3TwfySOb
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884人間七七四年:2013/08/28(水) 13:27:47.10 ID:3TwfySOb
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889人間七七四年:2013/08/28(水) 13:55:05.08 ID:z7dTMQDD
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890人間七七四年:2013/08/29(木) 15:41:38.23 ID:MVodJN41
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891人間七七四年:2013/08/31(土) 14:12:52.54 ID:V8/1ieG6
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892人間七七四年:2013/08/31(土) 14:15:48.56 ID:V8/1ieG6
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893人間七七四年:2013/08/31(土) 14:17:32.98 ID:V8/1ieG6
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894人間七七四年:2013/08/31(土) 14:25:07.38 ID:V8/1ieG6
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895人間七七四年:2013/08/31(土) 14:32:36.33 ID:V8/1ieG6
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896人間七七四年:2013/08/31(土) 14:34:09.30 ID:V8/1ieG6
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897人間七七四年:2013/08/31(土) 14:46:01.57 ID:V8/1ieG6
[
898人間七七四年:2013/08/31(土) 14:49:56.21 ID:V8/1ieG6
[
899人間七七四年:2013/08/31(土) 14:54:10.54 ID:V8/1ieG6
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900人間七七四年:2013/08/31(土) 14:55:04.62 ID:V8/1ieG6
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901人間七七四年:2013/09/01(日) 09:54:54.88 ID:obEVxzIr
このスレの何がこのキチガイの心に触れたんだろうな
902人間七七四年:2013/09/03(火) 08:24:19.74 ID:JbuHno4d
他人が理解できないからキチガイなんだよなあ
903人間七七四年:2013/09/04(水) 21:50:13.81 ID:QI+qNWDg
[
904人間七七四年:2013/09/04(水) 21:51:38.02 ID:QI+qNWDg
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905人間七七四年:2013/09/04(水) 21:52:44.39 ID:QI+qNWDg
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906人間七七四年:2013/09/04(水) 21:54:40.87 ID:QI+qNWDg
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907人間七七四年:2013/09/04(水) 21:55:47.23 ID:QI+qNWDg
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908人間七七四年:2013/09/04(水) 21:56:43.31 ID:QI+qNWDg
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909人間七七四年:2013/09/04(水) 21:58:19.19 ID:QI+qNWDg
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910人間七七四年:2013/09/04(水) 21:59:56.22 ID:QI+qNWDg
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911人間七七四年:2013/09/04(水) 22:20:29.08 ID:JebdwARr
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912人間七七四年:2013/09/04(水) 22:24:08.94 ID:JebdwARr
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913人間七七四年:2013/09/04(水) 22:32:08.76 ID:JebdwARr
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914人間七七四年:2013/09/04(水) 22:35:22.52 ID:JebdwARr
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915人間七七四年:2013/09/04(水) 22:37:29.00 ID:JebdwARr
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916人間七七四年:2013/09/04(水) 22:40:26.54 ID:JebdwARr
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917人間七七四年:2013/09/04(水) 22:41:17.61 ID:JebdwARr
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918人間七七四年:2013/09/04(水) 22:42:40.51 ID:JebdwARr
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919人間七七四年:2013/09/04(水) 23:32:13.37 ID:tQvO7ibM
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920人間七七四年:2013/09/04(水) 23:35:44.35 ID:tQvO7ibM
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921人間七七四年:2013/09/05(木) 00:17:24.84 ID:ach91ybT
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922人間七七四年:2013/09/05(木) 00:24:29.96 ID:ach91ybT
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923人間七七四年:2013/09/05(木) 00:27:30.34 ID:ach91ybT
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924人間七七四年:2013/09/05(木) 00:28:39.78 ID:ach91ybT
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925人間七七四年:2013/09/05(木) 00:29:53.91 ID:ach91ybT
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926人間七七四年:2013/09/05(木) 00:30:56.58 ID:ach91ybT
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927人間七七四年:2013/09/05(木) 00:32:30.36 ID:ach91ybT
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928人間七七四年:2013/09/05(木) 00:54:01.16 ID:E7ahgX7X
濃姫スレといい、早く流さないとまずいんだろうな
929人間七七四年:2013/09/05(木) 05:40:10.26 ID:ach91ybT
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930人間七七四年:2013/09/05(木) 05:41:10.39 ID:ach91ybT
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931人間七七四年:2013/09/05(木) 05:41:50.64 ID:ach91ybT
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932人間七七四年:2013/09/05(木) 05:49:00.37 ID:ach91ybT
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933人間七七四年:2013/09/05(木) 05:50:44.37 ID:ach91ybT
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934人間七七四年:2013/09/05(木) 05:51:26.19 ID:ach91ybT
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935人間七七四年:2013/09/05(木) 05:52:11.48 ID:ach91ybT
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936人間七七四年:2013/09/05(木) 07:31:10.77 ID:a6NL0UgL
NGしてあるときれいなもんだわ
937人間七七四年:2013/09/05(木) 15:10:35.43 ID:Ye/G3MkK
オヤジが+で
コイツがーで
差し引きゼロみたいな感じ!
フィギュアスケートの信成はよく頑張ってると思うよ!!
938人間七七四年:2013/09/05(木) 18:28:10.19 ID:nvd/9IgH
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939人間七七四年:2013/09/05(木) 18:29:08.28 ID:nvd/9IgH
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940人間七七四年:2013/09/05(木) 18:29:38.04 ID:nvd/9IgH
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941人間七七四年:2013/09/05(木) 18:30:28.95 ID:nvd/9IgH
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942人間七七四年:2013/09/05(木) 18:31:15.76 ID:nvd/9IgH
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943人間七七四年:2013/09/05(木) 18:32:07.00 ID:nvd/9IgH
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944人間七七四年:2013/09/05(木) 18:32:37.63 ID:nvd/9IgH
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945人間七七四年:2013/09/05(木) 18:34:02.77 ID:nvd/9IgH
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946人間七七四年:2013/09/05(木) 19:49:21.47 ID:k2AtIdTH
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947人間七七四年:2013/09/05(木) 19:53:52.70 ID:k2AtIdTH
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948人間七七四年:2013/09/05(木) 19:55:20.43 ID:k2AtIdTH
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949人間七七四年:2013/09/05(木) 19:59:21.36 ID:k2AtIdTH
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950人間七七四年:2013/09/05(木) 19:59:59.38 ID:k2AtIdTH
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951人間七七四年:2013/09/05(木) 20:05:22.23 ID:k2AtIdTH
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952人間七七四年:2013/09/05(木) 20:08:03.55 ID:k2AtIdTH
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953人間七七四年:2013/09/05(木) 20:09:15.55 ID:k2AtIdTH
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954人間七七四年:2013/09/05(木) 21:28:01.82 ID:k2AtIdTH
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955人間七七四年:2013/09/05(木) 21:29:01.92 ID:k2AtIdTH
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989人間七七四年:2013/09/06(金) 18:58:12.44 ID:Xdx7UJIc
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990人間七七四年:2013/09/06(金) 19:00:38.78 ID:Xdx7UJIc
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991人間七七四年:2013/09/06(金) 19:02:06.32 ID:Xdx7UJIc
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992人間七七四年:2013/09/06(金) 19:23:11.96 ID:Xdx7UJIc
[
993人間七七四年:2013/09/06(金) 19:26:35.33 ID:Xdx7UJIc
[
994人間七七四年:2013/09/06(金) 20:33:02.15 ID:kezelJdJ
[
995人間七七四年:2013/09/06(金) 20:35:38.74 ID:kezelJdJ
[
996人間七七四年:2013/09/06(金) 20:46:34.40 ID:kezelJdJ
[
997人間七七四年:2013/09/06(金) 20:47:09.46 ID:kezelJdJ
[
998人間七七四年:2013/09/06(金) 20:47:41.99 ID:kezelJdJ
>>798
されてません。
むしろ>>796で織田家うんぬんの書状など存在しないと言っています。

>>799
認めてません。

>>801
>>798の通り、根拠となる書状も史料も存在しないことが明らかになっています。

>「天下の儀」というのが
>意見の相違でなっているだけとしか思えないな。
>>794は恐らく「天下=信長含め天下に君臨した織田家の事」とでも考えたのだろう。

無理矢理すぎワロタwww自演乙としかwwwww

>>803
だったら咎めるのを邪魔する理由もないな。
あと、>>796の説に根拠はありません。

>>804
お前には難しいんだろう。
>>802がお前の説を否定してるのは単純に「間違ってるから」だ。
この板は歴史板。科学ではない。
お前が2度と来なければ誰も来なくなるんじゃない?w

>>806
揚げ足取り乙。
999人間七七四年:2013/09/06(金) 20:48:13.68 ID:kezelJdJ
>>901
ゴミは黙ってな。

>>902
こんなゴミレスしちゃう奴が人をキチガイ呼ばわりとかwww
お前の方がよっぽどキチガイだわwww


267 :人間七七四年[sage]:2013/09/03(火) 17:23:56.84 ID:JbuHno4d
日向伊東家においては、『四天王』と称する家柄は、それぞれ二つある。

その一つは、山田、荒武、津留、大脇の四家であり、これは興禅公(伊東祐重(氏佑))が
京より下向されるとき、先に国元にあってこの下向を周旋した人々である。

もう一つは、稲津、落合、湯地、川崎の四家であって、こちらは興禅公に供奉して
京都より来た人々である。

この人々は下向の衆であるからとして客座に着座し、国元に在った四家は
居付きの衆であるからと主座に着座する慣例となっていた。

これはいずれの四家も序列の甲乙がつけがたいため、このように命じられたのだという。
(日向纂記)

「四天王だけど五人六人いる」というのはいくつかありますが、こちらは
『四天王Aと四天王Bの二つ有る』という、斬新な形態である。




122 :人間七七四年[sage]:2013/09/03(火) 17:59:34.52 ID:JbuHno4d
>>121
それは家康じゃなくて大久保彦左衛門だろ
勝手に家康の意思にするなよ気持ち悪い
1000人間七七四年:2013/09/06(金) 20:48:45.32 ID:kezelJdJ
>>928
荒らしの溜まり場になっちゃうからね。

>>936
気になって気になって仕方ないんですねw
ご協力ありがとうございますwww
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/