177 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 05:30:56 ID:LRRZIq5a
>>176 イタチの最後っぺにつき合うとは、また人の良い御仁だ
178 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 06:32:26 ID:3vYqpCEB
っつーか
史学から推測と類推と仮定を使用禁止にしたら何の話もできなくなるだろーが と。
179 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 07:43:59 ID:77ce9lbq
騎馬鉄砲隊とはちょっと違うけど
短筒や馬上筒が大活躍した例があるよ。
島津では武士全員が短筒や馬上筒を標準装備してたんだ。
つまり士族全員が鉄砲射撃に精通していた、と言う事で…
関ヶ原における島津の撤退戦でこれが大活躍したんだ。
馬上で使用したのではないので、どちらかというと竜騎兵的運用なんだけどね。
十分な数をそろえて状況にあった運用をすればそれなりに使えたのではないかという事例。
>>179 それ、逆に言うと貧しいので鉄砲足軽を大量に揃える事ができなかったという事でもある
181 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 09:22:45 ID:1eVxExP4
>>178 142は元ネタとなる資料もなしに推測するのはヤメレ。だから推測や仮定を話すのなら何でもいいから元ネタを出せってことだろう。
182 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 11:20:09 ID:mR1/4nma
>>157を参照
彼は推論や仮説を立てるのに必要な資料ではなく、仮説を立証するための一次史料を要求したのよ。
しかも
>最終的には信憑性の高い当時の史料(騎馬鉄砲を否定したもの)を提示しなければ決定打にはならないと思います。
と「悪魔の証明」を要求。
何人かが提出した仮説の元ネタとなる資料に対して
>別に西洋の事例が100%当てはまらないとは言ってないんだけど。
と認めるような記述も見られる。
要するに彼は「仮説」ではなく「正解」を要求してただけなんだな。
にもかかわらず
>>175見たいな事を言ったら、そりゃーいじめられる罠。
175だけを単独で取り出すと181のように思うのはごもっともなんだけども。
……はっ、ひょっとして釣られてる?本人乙?
183 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 16:01:57 ID:3vYqpCEB
>179
そりゃ 数さえ揃ってれば一応の役には立つわな 戦はなんだかんだいうても数だからな
けど 撤退戦における後衛戦闘ってのは普通の鉄砲足軽で代替可能な役回りなわけで
わざわざ貴重な騎兵を鉄砲隊化してまで求める要素じゃないわけさ
結局のところ
竜騎兵は汎用性・射撃戦能力という点で歩兵に及ばず
故に 敵歩兵に対する攻撃力で騎兵に敵わないという中途半端な兵科だったからこそ
騎兵の主役になりえなかった
184 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 22:54:12 ID:/JAf+2ha
185 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 23:41:53 ID:1gFRKvsI
言葉足らず
186 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 02:15:39 ID:YxBmqh7p
>>185 突撃出来なかったんじゃないかと思う。
槍を持てば馬の首が邪魔で左右どちらかにしか突けなくて反対に回られると終わり。
刀では槍持った歩兵には無理。槍で隙間を開けず集団で突撃したとしても、相手の歩
兵が槍でバンバン地面を叩くと馬はびびったんじゃないか?音でびびらすって良く言
うけど(?)視覚的にもやられたらびびるはず。やっぱ側面からの不意打ちやソレをち
らつかせたりして使ったんじゃないかな?あと追撃とか。
正面から正々堂々となんて、ありゃ憧れに過ぎん。
187 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 02:53:09 ID:2HiN3S8A
そもそも島津は騎馬武者がほとんどいない
徒武者が基本編成
関ヶ原でも騎馬なんて侍大将クラスしか使ってなかったんじゃ?
188 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 03:19:57 ID:wKYTBHrI
>>186 言葉足らずどころか、知恵遅れだったのか
騎兵の正面突撃説に安価かけるかレス引用しろ
自分のイメージ(騎兵の正面突撃)を否定してるだけだろ
何を今更って感じでびっくりしたわ
189 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 07:22:48 ID:Yh0XceV+
>>187 そうなの?
島津貴久は、わざわざペルシャ馬を輸入していたんだろ?
それくらい騎馬に関心がある大名家なのに、騎馬武者がほとんどいないということは無いと思うが?
190 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 00:55:19 ID:YSwbOzMu
昔から騎馬武者について疑問に思ってた事なんだけど
生麦事件は少し時代が違うと思うけど
関が原の戦いの最中、徳川家康の前を馬に乗ったまま鼻前を横切った野村某に
「おどりゃ〜なめとるのきゃ〜」と言いながら斬りかかった話や
上杉謙信があらたに上杉配下になった成田長泰(武蔵忍城城主)が
馬に乗ったまま謙信を出迎えたため「無礼者!」て長泰を馬から引きずり降ろして
おまけに烏帽子まで落とした!
「何ぼなんでも謙信やりすぎやがなぁ〜」と部下達はドン引きしたらしい
などの話から戦国時代に馬に乗れる武将はかなり少数だったのでは?
関が原の戦いの時、石田三成と毛利、宇喜多が道端で出会ったらどちらが下馬するのか?
191 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 01:01:32 ID:7396NiWL
つ礼儀
192 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 01:22:23 ID:DPtGBRHZ
193 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 01:59:39 ID:Vers+gay
>190
何故その話から馬にのれる武将はryなんて推論が導き出されるのか 脳内連結どうなってんのよ
関ヶ原時なら
毛利輝元や宇喜田秀家は五大老のそれぞれ一角
三成はあくまでも五奉行の1人かつ公的には謹慎中の身
礼を払わなければならないのは謹慎関係なく鉄板で三成 となるくらい分からんか
194 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 02:29:44 ID:Eq5/jFMS
>>190 成田は騎乗礼を許された家柄なので、成田が騎乗礼するのは当然
事情を知らない(知って無くてはならない)関東管領殿はブチ切れ、暴行
事情を知ってる関東諸将はどん引き
それだけの話で、騎馬武者全般と絡む問題ではありません
195 :
くるるん:2007/03/06(火) 02:41:20 ID:U9l1HZkw BE:435935074-2BP(24)
『騎兵と歩兵の中世史』というのが面白いよ。
『今昔物語』、『平家物語』、『太平記』、『明徳記』に於ける
合戦の描写のみを比較検証して日本の騎兵の変遷を考察しているから
上記の史書の信憑性云々に関係なく、納得できたよ。
196 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 02:51:54 ID:DAdSPIL/
197 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 09:27:04 ID:ypj6g4WL
>>183 兵種の竜騎兵とマスケット銃装備の騎兵の行なうカラコール戦術がごっちゃなってない?
カラコール戦術の欠点は。>150や>154が書いているように打撃力や衝撃力が中途半端なんだ。
だから歩兵、騎兵、砲兵の諸兵科を協同させる戦術が考案されると完全に廃れてしまった。
一方竜騎兵の方は元々馬に乗って移動する乗馬歩兵で、馬は拠点確保や退却に使うもので馬に乗ったまま戦うことはなかったんだ。
後に騎兵としても運用されるようになったんだね。
その定義だとドラグーンマスケットやカービン銃で武装した軽騎兵や中騎兵を指すようになる。
竜騎兵の末は20世紀まで生き残っているよ。というか重火器の発達で彼らしか生き延びれなかったんだ。
>けど 撤退戦における後衛戦闘ってのは普通の鉄砲足軽で代替可能な役回りなわけで
>わざわざ貴重な騎兵を鉄砲隊化してまで求める要素じゃないわけさ
撤退戦時に兵科がどうとか言う余裕なんてないよ。使えるるものは使う。
ちなみに騎兵は本質的に撤退や撤退している敵の追撃に使ってこそ真価を発揮するので、
殿に騎兵をつかうのはけして悪い手ではない。
まぁ、島津が使った手は騎兵向きではないけどなw 死兵だし。
あと、ここで議論されている「騎馬鉄砲」が、「伊達家の騎馬鉄砲隊の使用したカラコール戦術」
のみを指しているのであれば完全同意。
ありゃー使えない。あくまでも過渡期の産物。
戦国ももう少し続いていれば、騎馬戦術で面白いものが現れたかもね。
198 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 19:07:03 ID:z5JLIZ2X
竜騎兵は、騎乗歩兵って事か?
武士と一緒だな
199 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 21:21:16 ID:e7ulVD6U
200 :
くるるん:2007/03/07(水) 14:38:41 ID:bclEzGBO
>>196 長くなるから要約するけど
『今昔物語』、『平家物語』では騎射戦闘の描写が殆どなんだけど
『太平記』では弓を射るときは下馬して、その後は打物騎兵としての描写が多い。
『明徳記』では、殆どが下馬戦闘の描写ばかり。
つまりは、封建制騎馬兵というのは戦場から消えていったという事。
その理由として、弓矢の性能の向上及び、戦の形態が拠点の奪取戦に推移していったことを
同氏は指摘してるよ。
>>197 >>戦国ももう少し続いていれば、騎馬戦術で面白いものが現れたかもね。
あげ足をとるみたいで申し訳ないけど、それは無いと思う。
201 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 20:17:37 ID:g87W38bP
202 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 21:15:21 ID:biVKVJ/J
203 :
人間七七四年:2007/03/08(木) 00:10:02 ID:CHV+qJ9z
はいはい、板違い板違い
204 :
くるるん:2007/03/09(金) 13:13:01 ID:217faKZw BE:186829834-2BP(24)
205 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 01:08:07 ID:rQz1uNyJ
>>200 >つまりは、封建制騎馬兵というのは戦場から消えていったという事。
??
206 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 11:39:18 ID:zM2FQ10y
騎馬は隊形を組んだ足軽には突撃できなかった。
207 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 09:06:47 ID:0vHLVRPz
>>200 馬防柵があんだから、騎馬突撃もあるんだろ。
208 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 09:10:26 ID:0vHLVRPz
なんでだよ?
当時の武士は戦死することは最上の名誉で、討ち死には武士の本懐だった。
兎に角討ち死にすることを望む武士は多かったんだよ。
現代人から見たら無駄死にと呼べるようなものでもな。
特に君主の馬前での戦死は最上の名誉だった。
敵陣に騎馬突撃する逸話は幾らでもある。
209 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 09:19:29 ID:0vHLVRPz
>>190 急いでいるときは鐙をはずす。
そのとき一言、声を掛けるのが礼儀。
その礼儀に欠けると、後日、果し合いにとなる。
命よりも面子が大事だったんだよ。
命を惜しめば同僚から臆病者と散々言われる時代だったんだ。現代とは全然違う。
とにかく、当時の武士は短い命よりも後世に残る名を惜しんだ。武士の一分というやつだ。
一方で、名のない雑兵は命を惜しんだ。
戦国期はその命を惜しむ名もない雑兵が主力となった時代だったけどな。
中公新書の山本博文「武士と世間」を読んでみな。
210 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 00:22:03 ID:rTUH2ROD
211 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 01:02:00 ID:uL1Uczfc
坂の上の雲で書かれてるように、戦国時代の騎馬武者というのは「歩兵の指揮官が馬に乗っていた」
だけであって、戦力には含まれないのではと思うのだが・・
212 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 02:56:23 ID:DKk4+bea
213 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 02:57:14 ID:DKk4+bea
29 :人間七七四年:2007/04/07(土) 17:23:25 ID:D4ihqfOa
槍衾というのは隙間なく長槍の穂先を組み合わせた防御の構え。
長槍衆同士が激突すると、互いに長槍でぶったたくわけだがこれは槍衾とは言わない。
主に騎馬武者の突撃を防ぐために、上段中段下段に組み合わせる。
槍の石突は地につけることで、馬が突っ込んできても長槍が撓ることでこれを弾き飛ばす。
214 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 03:03:06 ID:DKk4+bea
戦国時代の備は、旗、長柄、鉄砲、弓、騎馬、小荷駄の兵種で構成されているそうだ。
川中島合戦図屏風の整然と整列した武田軍の備には、騎馬部隊が描かれている。
>>36参照。
215 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 03:04:21 ID:DKk4+bea
216 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 16:18:32 ID:MYC8Wbbu
長槍を装備した密集歩兵が騎兵突撃に対する有効な対抗策になったのは事実だが、
それはあくまで士気が高く統率がとれていた場合。
心理的な要因で浮き足立ったりすると容易に突き崩される。
217 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 23:30:48 ID:iWxMQWI1
このスレでは日本馬には騎馬突撃に耐える馬格があったから騎馬隊はあった
って話になってんのか?
馬格うんぬんより、士分の者にしか馬が行き渡ってないんだから、騎馬隊なんて
編成できないというのが常識だったはずだが?
218 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 23:54:08 ID:nFqeYx5S
>>217 欧州的な騎兵運用を白紙にした上で、日本の騎馬武者の戦い方を考えるべし
219 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 00:35:03 ID:9A9ExCJl
220 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 00:39:27 ID:6nWgVX99
信長の黒母衣衆・赤母衣衆、信玄の百足衆なんかは立派な軽騎兵といえるだろう。
騎兵のみの編成をしようとするとこんな風に有名なエリート部隊になってしまうわけで、
その手の重騎兵としての活躍の逸話などが残ってないのは騎兵突撃が無かったことの
証拠と思われる。
221 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 04:33:05 ID:uljoaEd9
>長岡藩の慶安3年3月制定の「御軍法」では士大将・さむらいだいしょう(=大組の組頭、家老が務めた)
>以下202騎の騎馬武者について、その持槍・持筒(鉄砲)等の武装・装備や兜の立物(飾り)や旗指物・服装等の出で立ち及び従者の定めを細かく規定した。
>また、足軽についても同様の軍装の定めがあり、戦闘の主力を担う鉄砲足軽隊については足軽頭(大組の士分)17人の統率の下に鉄砲30挺の隊2組、
>25挺の隊15組(鉄砲・計435挺)、合計鉄砲数531挺(士分の持筒等を合計した数と考えられる)である。
>他に弓足軽頭2騎以下、弓50張の弓足軽隊や長柄組と呼ばれる槍足軽隊があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E9%95%B7%E5%B2%A1%E8%97%A9#.E8.BB.8D.E5.88.B6 長岡藩では鉄砲5:2騎馬の割合だった模様
ただ、騎馬武者の馬上筒も含めての数のようだから、騎馬の割合はもっと増えるだろう
関ヶ原の島津軍なんかは騎馬武者のほとんどが馬上筒を装備していたようだ
222 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 04:38:12 ID:uljoaEd9
鈴木説のようなトンデモを信じてるのはもはやこのスレだけ
鈴木本人も騎馬隊はあったと言ってるようだが
223 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 14:49:21 ID:cEgPLDbl
自説を否定する鈴木氏は武田厨に謝れよ
224 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 22:59:35 ID:lX5qXH39
友人にあびるの知り合いがいるが
この子、あまり評判良くないらしい
頭が悪い足軽女で、簡単に寝るんだって言ってた
225 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 21:29:09 ID:aTVRh6O9
騎馬はコスト面でどうなの?
226 :
人間七七四年: