南アフリカで総選挙があり、ネルソン・マンデラ大統領の後任として、
マンデラ氏と同じ与党ANC(アフリカ民族会議)が立てたムベキ氏が
当選した。
黒人差別が終わって5年が過ぎた南アフリカは、どんな状況になっているの
だろう。そんな疑問から、この選挙の結果と、南アフリカの現状について
書こうと決め、欧米などの報道記事を集め、読み始めた。
読んでいくうちに、現在の南アフリカが抱える、いくつかの問題が
分かってきた。そしてその中に、エイズの問題があり
「南アフリカの成人のうち12%にあたる300万人が、HIV
(エイズを発症させるウイルス)に感染しており、
その割合は今後数年のうちに、近隣のジンバブエやボツワナ同様、
25%にまで上昇するかもしれない」などと書かれていた。
これは、衝撃だった。このままでは、アフリカ南部の国々は、
エイズで滅びてしまうではないか。一体、どうしてこんなことになった
のだろう。南アフリカの選挙について書くより前に、アフリカのエイズに
ついて調べて書いた方が良いと考えて、資料を集め直した。
すると、昨年6月に発表された国連の報告書で、すでにアフリカの
エイズ問題の深刻さが指摘されていることが分かった。
昨年6月といえば、アジア経済危機がロシアなどに波及しそうな気配を
見せ始め、アジアではインドネシアで暴動が起き、スハルト大統領が
失脚したころだ。筆者は、国際金融危機について分析することに気を
取られ、エイズ危機にまで目が及ばなかったというのが実情だった。
警鐘が鳴らされてから1年が過ぎているのだが、いまだに問題の深刻さは
変わっていない。そして、その後さらに、カンボジアやインドといった
アジアでも、エイズが広がりつつあることが、指摘されている。
エイズの問題はもはや、先進国での拡大に歯止めがかかった一方で、
発展途上国の貧しい人々の間で、深刻化しており、
世界的な問題となっている。
エイズを発症させるウイルス「HIV」(ヒト免疫不全ウイルス)は、
1940-50年代ごろに、アフリカ南部のコンゴ(旧ザイール)にいた
チンパンジーから、人間に感染したと考えられている。
その後10年ほどかけて、コンゴのジャングルに住む人々が発症し始める
とともに、内戦のためにこの地域を行き来しているゲリラ軍や政府軍の
兵士、トラックなどの運転手や商人たちの体を経由して、
アフリカ一帯へと感染が広がった。1970年代には、アメリカや
ヨーロッパへも広がり始め、エイズという病気とHIVの存在が
知られることになった。
そして1990年代後半になって、エイズはアフリカ南部の国々にとって、
最も深刻な問題となった。ボツワナでは、HIV感染者の推定数は、
1992年には国民の10%だったものが、1997年には25.1%にまで増えた。
若い女性の間で、特に感染率が高く、1997年の都市部での調査では、
検査を受けた妊娠中の女性のうち43%が、HIV感染していた。
隣国のジンバブエでは、1995年の調査で、妊婦の32%が感染していた。
アフリカでは、1970年代には、HIVに感染している人がすでにいたのだが、
深刻化したのは、1990年代に入ってからだった。なぜここで、
20年近いタイムラグがあったのか、アフリカのエイズに関する報道記事や、
国連、NGOのサイトなど、インターネット内で回って資料を読んでみたが、
その理由について分析しているものは、見つからなかった。
そのため正確なことは分からないのだが、筆者が考えるに、
1990年代になってアフリカでHIV感染が広がったのは、
冷戦終結後のこの時期、世界の他の地域と同様、アフリカでも
経済の自由化が進められ、人々の移動が以前より多くなったことが、
関係しているのではないか。
エイズは、旅行者が多く集まるところで、感染が広がりやすく、
たとえば世界的な観光地として有名な、ジンバブエ北部の
「ビクトリアの滝」周辺の地域では、HIV感染が成人住民の40%近く
にまで達しているという。
「自由化」がエイズ問題を広げたケースとして最も皮肉なのは、
南アフリカだろう。
1990年にアパルトヘイトが終わり、それまで「ホームランド」と
呼ばれる特定の狭い居住地に押し込められ、許可なく外へ出ることが
できなかった黒人の人々に、行動の自由が与えられた。
また、マンデラ政権の政策により、風俗産業などに対する規制も、
緩やかになった。
これらのことが、アパルトヘイト終了後の南アフリカで、
HIV感染が増える一因となってしまった。南アフリカでは、
最近の3年間で、感染者は2倍に増えた。南アフリカは、
アフリカ南部の国々の中では最も工業化が進み、賃金はボツワナ、
ジンバブエ、ナミビアなどの周辺諸国より高い。
金やダイヤモンドの鉱山もあり、鉱工業の労働力として、
周辺諸国からたくさんの人々が南アフリカへと出稼ぎに来ている。
これらの人々が、南アフリカでの感染率を高め、さらに故郷の国々へと
ウイルスを持ち帰る、という状況を作ることになった。
もう一つ、アフリカ南部でのエイズ禍の広がりのきっかけとなったと
思われるのが、コンゴとその周辺諸国での内戦である。
HIVの感染者の割合は、軍隊において、特に高い。ジンバブエでは、
兵士の80%が感染しており、アンゴラ軍では感染率50%といわれている。
(英国エコノミスト誌 99年1月2日の記事による)
軍は内戦の発生とともに移動し、そして休暇になれば兵士は買春する、
という行動を取るため、HIV感染を広げる役割を果たしたと考えられる