【鼻陥没】globeのKEIKOは整形!!10【極小穴】
810 :名無しさん@Before→After:2009/10/11(日) 23:37:28 ID:xeCM6esd
離婚から3年半、慰謝料滞納記事が掲載された週刊ポスト記事を、麻美インタビュー部分だけ抜粋。
長文なので、暇な人や興味がある人だけどうぞ。 以下↓
「私と娘は9月末に住み慣れたマンションを出る事になりました。小室さんが家賃の支払いをストップしてしまったからです」
「02年の離婚当時は、私への慰謝料の額についていろいろ報じられました。
慰謝料は10億円という報道もありましたが、そんな大金ではないし、一括で払ってもらう取り決めにもなっていませんでした。
離婚の際は、小室さんが、慰謝料として私と娘が住むためのマンションの賃貸料、
そして娘が成人するまでの養育費をそれぞれ月払いの分割で払うことで決着しました。
私は弁護士を立て、公正証書として書面にも残しています。
ところが、昨年2月から家賃の振込がストップし、さらに養育費の支払いもなくなってしまった。
そこで私は、弁護士を通じて小室さん側の弁護士に「家賃と養育費の支払いを元通りにして欲しい」と訴えたのです。
その後、双方の弁護士が話し合いを続けているのですが、小室さん側からの家賃の支払いはストップしたままです。
その結果、最近になってマンションの大家さんから退去を命じる最終通告をされました。
仕方なく、別のマンションを探し、9月末に引っ越すことになったのです。
そもそも、私はお金が目的で小室さんと結婚したわけではないし、
離婚の際にも「娘と私が安心して暮らせる環境を作ってください」とお願いしただけでした。
彼の性格はよく知っています。優しい人ですし、私と娘のことを今でも気遣ってくれていると思いたいのです。
でも、私は娘が成人になるまで、ちゃんと守り続けなければならないのです。
そこで、今回、『週刊ポスト』からの取材を受けた事もあり、私と小室さんのことをお話することにしたのです」
811 :名無しさん@Before→After:2009/10/11(日) 23:38:37 ID:xeCM6esd
続き
「そもそも、私が小室さんと出会ったのは、95年、『ASAYAN』という番組でした。
その番組で小室さんが担当していたオーディションコーナーに私が出演、合格したのです。
96年に小室さんがプロデュースした『dos』の1人としてデビューさせてもらいました。
その頃は、小室さんは尊敬する別世界の人≠ナしたし、単に仕事上の関係でした。
ところが98年の秋頃に突然、小室さんが私とのユニット『Kiss Destination』の話を持ちかけてきたのです。
仕事上の大先輩との2人組ですから、「本当に私でいいんだろうか」と驚いたのを覚えています。
99年1月に活動を開始したのですが、ちょうどその頃、小室さんから告白されたのです」
交際が始まるまで3回も告白されたんですよ。ストレートな言い方をする人じゃないから、戸惑いはありましたが。
最初は「遊ばれてるのかな」とも思いました。当時は華原さんと付き合っているといわれていましたから。
でも、その後、彼が本当に華原さんと別れたと知り、お付き合いすることになったのです。年齢は16歳も上でしたが、気になりませんでした。
世間では天才プロデューサーなんでしょうが、素の彼は子供みたいで、そんなところも魅力でした。
一度、お台場のお化け屋敷にふたりで行ったことがあるんですが、彼は「怖い、怖い」って私の後ろにしがみついて、最期は腰を抜かしてしまった。(笑い)
ヤキモチ焼きで、寂しがり屋でもありましたね。私がクラブ好きの友人と遊びに行き、酔って帰ったりすると、拗ねてしまったり。
海外にもよく連れて行ってくれました。海外に行くときにはいつも、プライベートジェットでした。
音楽関係のスタッフも一緒に行くことが多かったのですが、ラスベガスのカジノに行った際には、彼が軍資金をスタッフに渡したりしていました。
それは豪勢なものでした。
その頃は、どこに行くのも一緒。1年365日、24時間一緒という感じ。そこまで愛されて本当にうれしかった」
812 :名無しさん@Before→After:2009/10/11(日) 23:39:18 ID:xeCM6esd
続き
「妊娠したのは、交際から2年ほど経った頃のことでした。レコーディングの最中に急に気分が悪くなって、
スタジオの帰りに2人一緒に薬局で妊娠検査薬を購入、陽性と出たのです。
私は彼は困るだろうと思ったんですが、結婚しようと言ってくれた。プロポーズの詩まで作って、私に贈ってくれたのです。
入籍は01年5月1日、挙式は5月5日でした。
マスコミでは電撃入籍と報じられましたが、私たちは特に隠そうとしていた訳ではありません。
小室さんは私がプロポーズを受け入れた直後からスタッフにも明かし、平気で惚気ていたくらい。
外出するときはいつも、彼が手をつないでくれました。ところが、幸せの絶頂は長くは続きませんでした。
結婚から5ヶ月ほど経った頃、そろそろ私が出産のために入院しようかという時期でした。
女の勘ですが、私にベッタリだった彼が、突然、よそよそしくなったのです。
急に電話が入って出かけたり、「スタジオに行く」といって一晩、帰ってこなかったり。証拠は無いんだけど、「アレッ?」という感じなんです。
一旦は、彼が出産に立ち会ってくれたことで、私の思い過ごしかなと思ったのです。
分娩室でビデオを回しながら、私の手を握って励ましてくれましたし、娘が生まれた瞬間も本当にうれしそうな顔をしていましたから。
でも、勘は当たっていました。出産後も不審な行動が続いていたので、追求したのです。
ケンカに近い話し合いが続きました。その結果、彼が出した結論は、「私とのひとつの愛を貫いていくのは無理」というものでした。
ショックでした。彼はバカ正直なくらい、嘘がつけない人なんです。それ以降、彼の意思が変わることはありませんでした。
結局、私も覚悟を決め、01年11月には、別居に踏み切ったのです。
別居後まもなく、globeのKEIKOさんが、彼の浮気相手だったことに気づきました。
まさか同じ小室ファミリーのメンバーだとは思っても居ませんでした。彼女だとわかった時には、全身がわなわなと震えだしたくらいです」
813 :名無しさん@Before→After:2009/10/11(日) 23:40:51 ID:xeCM6esd
ラスト
「KEIKOさんとの結婚については、「とうとう結婚しましたかア」というぐらいの感想しかありません。あの2人の関係が公になって、逆によかったと思っているんです。
離婚直後からマスコミに追われるようになって、一時はホテルにこもりっきりの生活が続きおかしくなりそうになったこともありました。
娘も生まれたばかりでしたし、他人の視線に恐怖を感じるようになっていました。
これでようやく、あんな生活から解放されるんだと。あの結婚式を見れば、みんな「そういうことか」と納得してくれたでしょうから。
離婚後の慰謝料と養育費の取り決めは、離婚時にはすでに済んでいました。彼も責任を感じていたのでしょう。
「できる限りのことは、させていただきます」といって、自分から条件を申し出てきたのです。その条件が、私と娘の生活を保障する額だったのは確かです。
私は贅沢をしたいとも思いませんし、最低限の保証という意味です。ところが、今、その約束が守られていません。
小室さんは、目の前のことに一生懸命になってしまう性格ですから、KEIKOさんとの新しい生活のことで、頭が一杯なのだと思います。
まだ、娘に父親の存在は話していません。そのうち話さなければならない時期が来ると思います。
そのときに、娘の眼にどう映るか(父親として)、よく考えて欲しいのです。
これから私自身、芸能活動を本格化していこうと考えていますが、やはり、私ひとりで育てていかなければならないわけですから、不安は残るのです。
誠意ある人と信じていますので......」