靖国参拝、首相は再考を 田中真紀子外相
田中真紀子外相は30日、小泉純一郎首相の靖国神社参拝について記者団に対し「首相は国家の意思そのものだ」として「参拝に行くべきでない」との考えをあらためて示した。
外相は、29日に首相官邸で首相とこの問題を話し合った際、戦後、韓国、中国などとの関係修復に先人らがどれだけ苦労したかを詳細に説明した上で、「(参拝に)行かないでほしい」と迫ったことを明らかにした。
また、首相は国家の最終的な責任を負う立場であると指摘し、「個人としてなどと姑息(こそく)なことは言わないで欲しい」として、首相である以上、いかなる立場でも参拝すべきでないとの認識を示した。
2 :
名無し:2001/07/31(火) 15:04
冗談じゃないよ。
誰かあのおばちゃん追放してよ。
自分は何度小泉や福田に救われたと思って、
偉そうな口叩いているのかねえ。
おばちゃんの個人的見解なんて国務大臣(しかも外務)に
必要ないって事、わからんのかなあ。
3 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 18:23
姑息なのはマキコだろ
さっさとヤメレヤ〜
選挙応援で
みんなもうあきれてるからさ〜
4 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 18:59
この事大主義的かつ軟弱な外交をするマキコには
思想矯正をしても直らない。処断が必要。
5 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 19:14
中国系日本人まきこは即刻中国に強制送還しろ
田中の中国名は 郭
中国語が上手いはずだ
売国奴であったか…
森川 「七つの年から、一人で育てなはったのどすかえ。」
村井 「はい、百姓をしてそのあい間あい間に、一生懸命に笠を作ったりござをこしらえたりして、
男の子だで商業二年まではやらんならんと気張ってやってきました。
どうせお粗末な育て方でありますけど、どうぞ女親が育てたからとうしろ指をさされんようにと思いましてな。
力んでやりましたに。」
斎藤 「うちの兄貴は、動員がかかってきたら、お天子様へ命をお上げ申しとうて申しとうてね、
早う早うと思うとりましたね。今度は望みがかなって名誉のお戦死をさしてもらいましてね。」
森川 「あの白い御輿が、靖国神社へ入りなはった晩な、ありがとうて、ありがとうてたまりませなんだ。
間に合わん子をなあ、こないに間にあわしてつかあさってなあ、結構でござります。」
村井 「お天子様のおかげだわな、もったいないことでございます。」
中村 「みな泣きましたわいな。」
高井 「よろこび涙だわね、泣くということは、うれしゅうても泣くんだしな。」
中村 「私らがような者に、陛下に使ってもらえる子を持たしていただいてな、
ほんとうにありがたいことでござりますわいな。
まあ、ラッパが鳴りますなあ、兵隊さんやろか、あのお羽車のとき鳴ったラッパの音は、
もうなんともかんともいえませなんだ、ありがとうて、ありがとうて。」
森川 「なんともいえんいい音でしたなあ、あんな結構な御輿に入れていただいて、
うちの子はほんとうにしあわせ者だ、つねでは、ああいう風に祀ってもらえません。」
斎藤 「お天子様までお詣りしてくださいやんしたね。拝ましてもらいました。」
中村 「ほんとに、ようよう拝ましてもらいましたあんばいでな、もったいないこと。」
斎藤 「自分は戦争がはじまってから、心の中で始終思っておりやんしたに。われらが可愛いために、
お天子様が麦ままのごはんを食べなさってえ、ご苦労をしてくださるちって聞いておりやんしたでな。
どうぞどうぞしてご恩返しを申さにゃならんと思っておりましたで、お天子様を拝んだときにゃ、
自分は涙がこぼれて仕方がなかったんやに。靖国さまへお詣りできて、お天子様を拝ましてもろうて、
自分はもう、何も思い残すことはありません。今日が日に死んでも満足ですね、笑って死ねます。
こんな次第でございましてな。」
中村 「また今日は新宿御苑ちゅうところを見せていただきましたなあ、何ともいえんありがたい、
息子を結構に祀っていただいて、立派なところを見せていただいて…。」
斉藤 「お花がたくさん咲いてな。どこまでいっても広い広いお庭で、極楽ちゅうところと同じだ。」
高井 「息子も冥土からよろこんでくりょうぞ。死に方がよかっただ。泣いた顔など見せちゃ、
天子様に申しわけがねえ、みんなお国のためだがね、おら、そう思って、ほんとにいつも元気だがね。」
中村 「ほんとうになあ、もう子供は帰らんと思やさびしくなって仕方がないが、お国のために死んで、天子様にほめていただいとると思うと、何もかも忘れるほどうれしゅうて元気が出ますあんばいどすわいな。」
森川 「間に合わん子を、よう間に合わしてつかあさって、お礼を申します。」
――昭和十四年春、靖国神社臨時大祭に参列した北陸出身の遺族のおばあさんたちによる座談会(「主婦之友」1939.6月号)