1 :
名無しさん@3周年:
批判的な立場を取ることで、権力者の自省、自制を促すという理屈は分かる。
しかし、批判自体が目的化してしまっては、そうした効果は得られるのか?
「権力への追随」「多数派への迎合」などと「批判しないこと自体を批判対象とする」意味はあるのか?
目的化した批判行為に拘泥することは批判の力を損なわせ、結果として権力の暴走を招くのではないのか?
認めるべきところは認めてこそ、批判が力を持つのではないか?
政権交代以降、ようやく問題提起が始まった、「権力の監視」を自認する側の
「批判しなければいけない」という姿勢の是非について考えるスレ。
2 :
名無しさん@3周年:2013/08/11(日) 17:39:18.62 ID:isvLuhH8
あまり難しい話ばっかりもつまらないでしょ
とりあえず無料ポイントもらっとこ
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3 :
名無しさん@3周年:2013/08/11(日) 18:38:52.35 ID:e7PN3nBv
核兵器ひしよう非使用宣言に参加拒否の政府を スレ主様がモデル批判をしてちょう。
4 :
名無しさん@3周年:2013/08/11(日) 22:12:16.36 ID:DMFC8399
批判てのは楽しいもんだ。
有用か無用か考えてオナニー止めれるか?つまりそういうことだろ。
5 :
名無しさん@3周年:
反体制のジャーナリズム精神はご立派だが
実際は批判屋の自慰行為と化してるからなぁ