スティーブ・ジョブズ
1976年、スティーブ・ウォズニアックと共に初期のホームコンピュータ「Apple I」、その後「Apple II」を開発した。
1980年の株式公開時に2億ドルもの巨額を手中にし、25歳でフォーブスの長者番付、27歳でタイムの表紙を飾った。
>>646 だが
1984年に発売した「Macintosh」が搭載したグラフィカルユーザインターフェースは当時のあらゆるパソコンを凌駕する洗練されたもので、新たなコンピュータ像を創造した。
しかし、本人の立ち居振舞いが社内を混乱させたとして、1985年にアップルから追放された。
そこから、1985年にNeXTを作って、最初の製品NeXTcubeを1988年に発売。
ビジネスとしてはNeXTは大成功したとは言えない。
だが、NeXTをてこにアップルに復帰し、アメリオを追い出すための画策を講じる・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA アップルコンピュータ復帰
1996年次期OSの基盤技術としてNEXTSTEPを採用すると発表した。ジョブズはアップルに非常勤顧問という形で復帰した。
ジョブズは経営の実権を奪取すべく、社内で隠密に行動を開始し、アメリオを追い出すための画策を講じる。
そして「アメリオはいまだにアップルの業績を向上させられない」として、すべての役員を味方につけ、彼をCEOから引きずり下ろすことに成功する。
7月に、アメリオが退社すると経営陣は、ジョブズにCEO就任を要請したが、彼は多忙を理由に断った。
ジョブズはアップルの士気をあげるため、従業員のストックオプションの引き下げを役員に株主提案をしたが、役員のほぼ全員がこれを否定すると、当時筆頭株主であった立場を利用して役員たちに辞任を迫る。
結局、マイク・マークラを含む経営陣はほとんどが辞任し、その後任としてエリソンや、ジョブズと縁のある人物が就任した。
(つづく)