原子力委員長らへの告発状受理=「勉強会」問題で−東京地検
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012081500818 内閣府原子力委員会が核燃料サイクルに関する報告書原案を推進派だけが集まる「勉強会」で
事前配布していた問題で、東京地検は15日、国家公務員法(守秘義務)違反容疑などで最高検に
提出されていた近藤駿介委員長ら27人に対する告発状を受理した。告発した弁護士グループが発表した。
告発されたのは、近藤委員長ら委員5人と、内閣府、文部科学省、経済産業省、独立行政法人「日本原子力研究開発機構」の
各職員。昨年12月〜今年4月、18回にわたり「勉強会」を開催し、原子力小委に提出予定の未公開資料など
計24点を電気事業者らに事前配布、反対派委員の発言への対応者も取り決めていたとされる。
(2012/08/15-19:19)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120612-OYT1T01105.htm 枝野経済産業相は12日の閣議後の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所事故を検証する
国会の「事故調査委員会」が「東電が全員撤退を決定した形跡は見受けられない」と指摘したことについて、
「テレビ会議の詳細など分析してもらえれば事実関係ははっきりしている」と反論した。
東電の清水正孝前社長が事故直後、作業員の「全面撤退」の意向を政府に伝えたとされるこの問題で、
国会事故調の参考人聴取に対し、官房長官だった枝野氏ら当時の政権幹部は全面撤退と受け止めたと説明。
東電側は「緊急対応要員は残す趣旨だった」などと、主張が食い違っていた。
857 :
名無しさん@3周年:2012/08/16(木) 17:18:18.51 ID:TfHt82Av
模索 〜原発ができなかった町で〜
http://www.nhk.or.jp/nagoya/kintoku/archives/2012/20120629/index.html 三重県南部、熊野灘に面した「芦浜」と呼ばれる海岸に、中部電力が原子力発電所の建設を計画していました。
計画がもちあがったのは1963年のことです。芦浜は、南伊勢町(旧南島町)と大紀町(旧紀勢町)の2つの町にまたがっており、
南伊勢町の古和浦では当初、反対派が多く、大紀町の錦では推進派が多くを占めていました。熊野灘一帯の漁民が強く反対したため、
1967年、当時の三重県知事が終止符を打つと宣言しました。しかし、70年代を通じて原発の立地を目指した地元への働きかけは続いていました。
1985年、芦浜原発計画は再浮上し、住民の対立はさらに深まっていきました。推進派は原発誘致による地域振興などを期待していました。
反対派は、事故が起きた場合の放射能汚染などをおそれていました。2000年に当時の北川知事が、「白紙に戻すべき」という見解を表明。
これを受けて中部電力は計画を取り下げました。
860 :
名無しさん@3周年:2012/08/16(木) 21:05:26.26 ID:LLvNIFtB
サイレントマジョリティは原発再稼働を歓迎している
>>860 サイレントマジョリティって便利だよな
ソースが無くてもいると主張できるから
サイレントマジョリティは反原発を歓迎している
って言われてソース付きで反論できるか?
860の書き込みは、単なる自分の「願望」だしな。
東電ビデオ:班目氏 吉田所長への指示「記憶にない」− 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20120817k0000m040025000c.html 内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長が、東京電力福島第1原発の吉田昌郎所長(当時)に
直接電話で事故の対応策を指示し、2号機の空だきを早めたとされる問題で、班目委員長が16日の
記者会見で経緯を説明した。詳細について「記憶にない」「覚えていない」と繰り返し、「(自分の指示に
よる)是非の検証は第三者がすべきだ」と述べた。
東電が公開したテレビ会議映像によると、現場では(原子炉内の蒸気を逃がす)SR弁の操作を急ぐと
炉内の水位が急激に下がると認識していたが、班目委員長はSR弁を操作するよう指示。
弁が開けられると、炉内の水位が急低下し、「燃料露出のタイミングを早めた」(国会事故調)とされる。
班目委員長は「(原子炉を冷却する)代替注水設備(消防車)の準備が整っているならば、早くSR弁を
開けるべきだと述べた」と説明。その上で、「記憶に残っているのはそれだけ。いきなり政治家から吉田所長に
つながる携帯電話を渡され、話さざるを得なかった。吉田所長からどんな説明を受けたかはまったく覚えていない。
いろいろなことをやっていて状況の変化を把握できなかった」と語った。
東京新聞:「原発事故で死んでない論」は許されない
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2012081202000142.html 将来のエネルギー政策を決める政府の意見聴取会で先月、中部電力の社員が
「(福島原発事故で)放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」と発言した。
この場に限らない。最近、ちまたでよく耳にする「原発事故で死んだ人はいない」論。
そこでは避難を強いられた地域住民の苦しみは置き去りだ。
どうか思い出してほしい。原発事故がなかったら、死なずにすんだ人たちがいる。
「原発事故の死者なし」に反論
「原発事故で誰も死んでないなんて、まるでうそ。姉の死は間違いなく原発事故のせいだ」
福島県南相馬市鹿島区の仮設住宅江井富美さん(71)が声を震わせた。
同市小高区で独り暮らしをしていた姉=享年(75)は、震災発生から2週間後に自宅で病死しているのが見つかった
福島第一原発から約15キロ。
昨年3月12日に避難指示が出され、この日には親戚が電話で姉の無事を確認していた。
「市内のあちこちで断水していたが、近所でお水をもらっているようだった。
偶然電話がつながったのはその日だけ。その後は連絡が取れなくなった。
どこかに避難してくれていたらと願っていたのに…」
心配した親族が市に問い合わせ、25日に警察や市職員とともに自宅を訪ねると、
玄関近くに倒れて死亡していた。
「近くに『水をください』というメモがあったと聞いた。
立ち会った親族によると、発見の数日前の日付だった」
〜今年4月まで警戒区域だった小高区では、上下水道の復旧が進んでいない。
〜津波に襲われた浪江町の沿岸部で、本格的な行方不明者の捜索が始まったのは
震災発生から約1ヵ月後の4月14日。しかし、原発から10キロ圏内では、住民が立ち入ることはできなかった。
〜明確な統計はないが、復興庁のまとめ(今年3月末)によると、
事故避難を含む避難生活などで病状が悪化したり、自殺に追い込まれた震災関連死は福島県で761人だった。
〜ちなみに、今月10日時点での南相馬市の関連死は315人、
浪江町は163人、双葉町60人、大熊町38人、富岡町77人、楢葉町36人と続く。
>>ID:v9Bs6iHq
GJ
873 :
名無しさん@3周年:2012/08/17(金) 18:06:41.02 ID:QtIIwlDy
官僚や電力会社の顔色を伺って
日本の原発放射能被害の報道をしなかった
マスゴミも責任追及しないとな
この機に自己検閲制度、自主規制、記者クラブ制度を
廃止するように日本国民は動いていこうよ
874 :
名無しさん@3周年:2012/08/17(金) 18:29:43.33 ID:nQsD+s5N
反原発の俺ですら、ちまっとした放射能もれなんて興味なかったからしょうがないな。
日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士が原発推進計画から途中で脱退した事は有名ですが、背景には何があったのでしょう?
>初代科学技術庁長官?正力のアメリカの技術導入推進ありきの原子力委員会に招聘されましたが、
初めての会議に出席した時に失望し、その後すぐに、
わしはこの委員会をすぐに辞めたいと部下にもらしたそうです。
自国でで核の基礎を充分研究してから推進すべきだと強く主張しましたが・・・
全く受け入れられる状況ではありませんでした。
>世界でも指折りの頭の良さの人なら日本なら確実にTOPランカーであり
その人間がダメ出ししています。
>初代原子力委員長に就任した正力松太郎氏に抗議して(本人に対してより原子力委員会
の安全の考えに対してだと思います)原子力委員を辞任したのが、日本人初のノーベル
賞受賞者の物理学者・湯川秀樹氏でした。湯川氏は辞任直前、こう訴えました。「動力協
定や動力炉導入に関して何等かの決断をするということは、わが国の原子力開発の将来
に対して長期に亘って重大な影響を及ぼすに違いないのであるから、慎重な上にも慎重
でなければならない」(『原子力委員会月報』57年1月号)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1176811716
■ 撤退方法、細かく検討=炉心溶融「1時間前に」―東電テレビ会議〔福島原発〕 2012/08/18
http://www.jiji.com/jc/ad?p=kabuopu_news&k=201208180454&g=adkikaku01 東京電力〈9501〉福島第1原発事故直後、東電が同原発から全面撤退しようとしたと疑われている問題で、
同社が本社で具体的に撤退の準備を進めていたことが、テレビ会議映像から分かった。2号機が
炉心溶融(メルトダウン)する「1時間ほど前に退避する」、バスで運べる人数は「目いっぱい
乗ったとしても半分くらい」などといった発言があったが、首相官邸には伝えられなかったとみられる。
テレビ会議映像によると、昨年3月14日午後、圧力が高まっていた2号機原子炉の爆発を防ぐために
格納容器の蒸気を外部に放出させる「ベント」がうまくいかず、本社では危機感が募っていた。
武藤栄副社長(当時)は「早くベントしないと、ヨウ素なんかが上からいっぱい出てきてしまう」と現場をせかしていた。
オフサイトセンターにいた小森明生常務は「どっかで判断しないとすごいことになるので退避基準の検討を
進めてくださいよ」と求めた。同日夜、本社社員とみられる人物が「検討の途中状況を申し上げます」と切り出し、
「(炉心溶融の)1時間ほど前に退避をすると。その30分前から退避準備をすることを考えてます」と述べた。
また、撤退場所として福島県富岡町の浜通り電力所を第1候補に、福島第2原発を第2候補に考えていると説明した。
さらに、移動手段としてバスが挙げられ、「マイクロが20人乗りが2台、中型が1台30人乗り」「そのほかに構内のバスが7台」
「目いっぱい乗ったとしても半分くらい。今構内に850人いますが」などの言葉が交わされた。
国会の事故調査委員会の調査によると、清水正孝社長(当時)が首相官邸に撤退の申し入れをした際に、具体的な残留人数などは伝えなかった。
全面撤退問題をめぐっては、東電が必要な人員を残すつもりだったと反論。民間の事故調査委員会は「十分な根拠がない」と
同社の主張を疑問視したが、国会事故調は、全面撤退は首相官邸側の誤解と結論付けた。政府の事故調査・検証委員会は
「(全面撤退を)疑わせるものはあるものの、一部退避を考えていた可能性を否定できない」としており、見解が分かれている。
890 :
名無しさん@3周年:2012/08/20(月) 21:08:47.45 ID:6r8qkeBD
銀座に50万人 これが本当のサイレントマジョリティ
636 返信:名無しさん@13周年[] 投稿日:2012/08/20(月) 15:29:26.54
>>630 2003年6月19日、福島県知事は都内のホテルで、自民党幹部に
「保安院は東電とべったりで、監視役になっていない。東電のデータ改ざんも黙認した。経産省から分離する必要がある」
と訴えた。
しかし、自民党はあっさりスルーした。
原発事故後、自民党は突然、規制庁は政府から独立した存在でなければならないと言い出した。
福島県の訴えをスルーした過去を隠しながら。
34 名前:地震雷火事名無し(家)[] 投稿日:2012/08/20(月) 23:12:42.98 ID:Sjgdw+DT0
冷静に考えると50万人は盛りすぎ
1.1kmで片側二車線+歩道 しかし真ん中二車線はバスと警官だと
二車線+歩道両側だから1100×12(道路分?)=13200u
500000÷13200=37.87人/u
ありえないww
マスコミは頭使って仕事してるのかな?
加圧水型軽水炉「大飯原発」の恐怖 なぜ出さない SPEEDIの被害想定シミュレーション
http://gendai.net/articles/view/syakai/137117 大飯原発の原子炉は、加圧水型軽水炉と呼ばれるタイプ。沸騰水型軽水炉の福島原発と違い、
内部にたまった蒸気を排出するベント装置がなく、事故で圧力が高まれば、爆発する危険性が指摘されている。
「沸騰水型は格納容器内に窒素を封入して水素爆発を抑えています。しかし、
加圧水型は格納容器が大きく、爆発の危険が少ない――として窒素が封入されていません。
このため、(事故で冷却機能が失われて)水素が発生すれば、空気と反応して爆発し、
格納容器は修復できないほど壊れる可能性があるのです」
「レベル7」の過酷事故を起こした福島原発では、格納容器の爆発は免れた。それでも、あれだけの被害である。
核燃料が詰まった格納容器が大爆発すれば、とんでもないことになるのだが、政府は大飯原発が過酷事故を
起こした場合の「SPEEDI」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータのほんの一部しか
公開していない(写真)。さまざまなシミュレーションがあるはずなのに、風向きも限定的で、全然、参考にならないのだ。
関西電力:使用率、8月初の90%超え (毎日新聞) 火力発電所5基が停止中
http://mainichi.jp/select/news/20120818k0000m020068000c.html 毎日新聞 2012年08月17日 20時23分
関西電力管内の電力使用率が17日午後、91%に達した。節電要請期間が始まった7月2日以降で、
電力使用率は7月6日と並んで今夏最高になった。90%を超えたのは8月で初。
関電によると、ピーク時供給力2749万キロワットに対して、最大電力は2518万キロワットに達した。
16日発表の「でんき予報」の予想電力使用率は87%だったが、関電は「最高気温が大阪市で36.5度まで上がり、
想定より電力需要が伸びた」と説明した。火力発電所5基が需給調整や点検などのため停止していたこともあり、
電力が逼迫(ひっぱく)した状況にはなっていないという。