6 :
名無しさん@3周年:
ユダヤ人の世界的解放と
ユダヤ民族主義の台頭
http://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1000.html#06 ●1789年、「自由・平等・博愛」を掲げるフランス革命が勃発すると、その2年後に、フランス議会は
ユダヤ人に平等の権利を認めた。つまり、法的にユダヤ人差別の撤廃が決定されたのである!
これはユダヤ史上、画期的な出来事であった。
ナポレオンがその人権宣言(ユダヤ解放宣言)を基に、ユダヤ人を隔離してきたゲットーを解体すると、
その潮流はヨーロッパ各国に広がっていき、世界的にユダヤ解放政策が行なわれた。
7 :
名無しさん@3周年:2012/02/12(日) 04:36:06.07 ID:Z+Z4K6tn
フランス革命と明治維新
http://roronotokoro.blog113.fc2.com/blog-entry-35.html 「近代化とは、土着勢力を抹殺し、国家や社会を無色透明化することである」
近代化の正体というのは、金を持っている人間が全部を独り占めに出来る仕組みを作り上げるということに他ならないんです。
、ナポレオンはスペインやドイツに攻め込んで、そこでもフランス革命の「成果」を
広めてしまったんですね。ナポレオンが支配した地域は、みんなナポレオン法典の精神にのっとった「近代市民法」を作りました。
法学の世界では、大陸法とか言われているやつです。
そのナポレオンがやったことで、画期的なことがあります。それは、「民法」を作ったことです。
私は少し法学をやっていたことがあるんで分かるんですが、近代的な民法を作ったのはナポレオンだと、
どの教科書でも書いています。
そのナポレオン法典の核心は、「財産権の不可侵」です。簡単に言えば、俺のものは俺のものなんだか
ら、手を出すなということです
非難されるのを承知でいいますが、そういう連中は大半がユダヤ人です。
もう一つ重要なことがあります。それは何かというと、近代国家が成立してから、文化伝統というのが死に始めるということです。
フランス革命⇒共産主義(ソビエト、集団主義)、自由主義(アメリカ、個人主義)に分派
8 :
名無しさん@3周年:2012/02/15(水) 23:53:45.02 ID:HPHOuU2W
アドルノとフランクフルト学派批判
http://hidemichitanaka.net/column/single/111020/ 田中英道(東北大学名誉教授、元新しい歴史教科書をつくる会会長)
それはユダヤ人グループである。当時の新聞が発表したソ連の指導者の
記事は、いかにユダヤ人が多かったことと記している。そのロシア名から
、彼らがユダヤ人であるかとうか判然としないが、この記事では、その本
名と偽名を両方記しているのである。
私はトロッキーとかカーメネフがユダヤ人であることは知っていたが、レー
ニンもメシュコフスキーもユダヤ人の血があることは知らなかった。 事実、
レーニンの母親はユダヤ人であった(ロシア正教に改宗はしていたが)。
そして指導者一四人の名が並んでいるが、すべてユダヤ人であった。
この書の調査によると、ソ連政府の各委員会におけるユダヤ人の数、及
びパーセンテ―ジは、政府の中心の人民委員会、総数二三人のうち、一
七人、七七%がユダヤ人なのである。
また軍事委員会も七六%、外務委員会、財務委員会が八〇%、司法委
員会に至っては九五%であり、裁判がこの委員会の下で行われたとする
と、ユダヤ人に処刑された、という印象が生まれたとしても不思議ではな
い。社会委員会、公の新聞記者の数に至っては、一〇〇%すべてユダヤ
人なのである
これらの状況証拠から、ロシア革命の裏の姿は、ユダヤ人の革命運動で
あった、ということである。
9 :
名無しさん@3周年:2012/02/15(水) 23:54:42.69 ID:HPHOuU2W
元ソ連外交官が語る「ロシア−ユダヤ闘争史」の全貌
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html 旧ソ連時代、駐日ソ連大使館に勤務する外交官だったアレキサンドル・イ
ワノフ氏は、1993年夏に日本を訪問しました。そして全国各地で講演を
行ない、これまでのロシアでは何が起きていたのか、今のロシアで何が
起きているのか、そもそもロシアの「ユダヤ問題」とは何であるかについ
て、熱を込めて語りました。
イワノフ氏はモスクワ大学を卒業し東京大学大学院を修了した、日本事情
にも詳しいロシア人外交専門家です。彼の講演には、私たち日本人がお
よそ耳にすることのなかった驚くべき内容が数多く含まれていました。
彼は私たち日本人に、知られざるハザール系ユダヤ人とロシア人の戦い
の歴史を余すことなく語ってくれたのであります。
以下は、彼が行なった講演内容をまとめたものです。
スターリンは更に大きな反ユダヤのプランをもっていた。シベリアの極東地
方にビロビジャンというユダヤ人の自治州があったが、彼は大都会からす
べてのユダヤ人を集めて、シベリアのビロビジャンに送ろうとしたのである
が、それが実行に移される前に、彼はベリヤによって暗殺された。1953
年3月のことであった。スターリンは自然死であるという説があるが、実際
はそうではなかった。ユダヤ人による暗殺であった。ベリヤによってスター
リンは殺されたのである。
スターリンが亡くなって後、ベリヤはカガノビッチの真の右腕になった。こ
の2人はスターリンが暗殺されてから130日間、実質的にロシアを支配し
ていた。この間、彼らは何をやろうとしていたのだろうか。
それは、ソ連の分裂への策謀であった。ベリヤが逮捕されて後に、こうし
た計画のあったことが発覚している。
ユダヤ人たちはソ連とアメリカという2つのユダヤ国家が力を合わせれば、
全世界を支配できると考えた。
当時の誰がこのような陰謀を阻止できただろうか。
その当時、国家保安省のエージェントはあらゆるところにいた。そして、密
告が制度として国民の義務となっていた。当時のロシア人は、こうしたユ
ダヤのネットワークには、何らの抵抗するすべをもたなかった。
しかし奇跡が起こった。第二次世界大戦におけるファシズムとの戦争で勝
利をもたらしたジューコフ元帥が、1953年にユダヤとの戦いでも勝利を収
めたのである。
1953年6月26日、モスクワ郊外でジューコフ元帥は陸上演習を行なっ
ていた。この演習の途中で、ジューコフ元帥は突然、自ら戦車部隊二個師
団を率いてモスクワ市内に入り、国家保安省本部に向かって進撃を始め
たのである。国家保安省はこの動きをまったく感知していなかった。
そのため、ジューコフはあっという間に国家保安省本部の占拠に成功する
ことができたのであった。
国民と指導者の運命共同体
ある民族の勃興と繁栄とは、要するにその民族の中にいる貴族の分子が、肉体的にも精神的にも
健全であるかないかに因って、非常に左右されるものであって、この関係は歴史の経験から判断
しても、殆ど疑うことの出来ぬ明らかな事実なのである。一国に健全な貴族が存在しておればこそ、
国民は始めて道徳並びに国家の繁栄に導かれて行くものだ。反対に肝腎の貴族が弱くなるか或いは滅びて
しまうと、それに依って指導されていた国民一般もまた必ず萎縮する。従ってその萎縮を避けようと思え
ば、そういう危機に先立って、今までの貴族に代りうるような、何らかの新しい指導者層を、その上
に載せなくてはならぬ。『本来優秀でそして支配的であった貴族が、一旦その富なり教養なり政治的
精進の力なりを失ってくるか、或いは貴族以外のほかの人民層が、之に取って代りうるような状態になる
と、今までの貴族には自分の支配に対する確信がなくなり、従って、その国家は病気にかかったも同然
で、果ては憲法の改変も不可避となる』(トライチュケ)だから国民全体と、之を指導する層との間に
は、極めて密接な一個の運命共同体という関係が成立する。
リヒャルト=ワルター=ダレー著 「血と土」
族と意識的指導者主義
処が国民の指導が、ただ国民の優秀な層の手に委ねられているというだけの条件で、その優秀な才能
が何ら世襲的鞠養も育成もされないで放ってあるような場合には、その国民なり或いは国民の天分
なりというものが、やがてはきっと元も子もなく浪費され、荒れ果ててしまうに決まっている。素より、
一時は国民中のいい部分が上に立って支配しているのであるから、その限りにおいて、国が繁栄の域に
達しないという訳ではない。だがその繁栄は一時的な現象に過ぎない。その適例は近世における民主
主義の諸国の歴史である。即ち今まで貴族主義が支配していた所へ、忽然民主主義が取って代ったよ
うな国では、国内の体制がスッカリ変ってしまうのであるから、それまで下積みになっていた随分働き
のある有能な人間が、新たに人民の上層に立って、善治を行なうことも出来るだろう。だがこの民主主義
というものは本来妙な性格の持主であって、世襲の伝統に基づく人間の不平等を何よりも嫌いだという
のだから、今まで国民体の中へ遺伝的に植えつけられた値打ちのある能力などは、なるべく発揮させない
よう、頻りにこれを妨害したり、破壊したりしがちである。そこには民主主義の一番大きな欠点が発見さ
れる。即ち民主主義が台頭すると、一時は大いに栄え得ても、歴史の長い眼から見ていると、不思議に
も国民全体としての才能は次第に萎縮し、文化が枯死してしまうのが普通である。一体その原因はどこ
にあるのだろうか、との疑問はよく起る処であるが、右に述べた事情は、それに対する立派な答えの
鍵となるだろう。
リヒャルト=ワルター=ダレー著 「血と土」
マルクス主義と自由主義
これらの事実より推して、マルクス主義の音頭を取る人々が、いずれも申し合わせたように、農民主義を罵
倒する気持はよく分る。その例として二三を挙げても、こんなのがある。 『農民的経済は慣習的怠惰
と不合理とに充ちた経営である。それ以上に悪いのは百姓自身だ』(カール・マルクス)−『もう
一度ハッキリ言うなら、一体わが国の百姓ほど利己的で、思慮がなくて、残酷で、そのくせ頑固一
点ばりな階級は、どこを探しても無いだろう。だから世の中が退歩しても、なおそれで喜んでいられ
る者は、この層の存続に満足を見出すだろうが、人間の進歩は、そんなものが消えてなくなることを
条件とする』(ベーベル)。−『われ等は農業に於いても、百姓的小経営の没落を進歩させるよう、何処
に於いても、又何時でも努力されていなければならぬ』(エンゲルス)。−「社会民主主義は百姓から、
その土地所有への甘い愛着を剥奪する必要がある』(ゲック=カールスルーエ)
マルクス主義と提携して行くものは自由主義だ。自由主義は、土地問題については、反対の印をつけた
マルクシストである。その意味は、地代の要求を、一般の権利として通告はしないが、これを地主の権利
として通告するのである。だが自由主義は一言たりとも、血の思想に触れようとしない。即ち土地 の所有
者には、その所有を享楽する以外に、血族に対する昔の意味(歴史性、伝統)にしろ、又民族に対する現代的
意味(共同体)にしろ、いずれにしても血族を基とした義務がないのである。この問題に関する自由主義の世界観
的原理は、本質上マルクス主義のそれと、寸分違っていない。或いは自由主義とマルクス主義とは、ド
イツの土地思想を、両方の道から挟み撃ちにしてこれを刺殺するために組織された二つの世界観であると、
言って言へぬことはないだろう。
リヒャルト=ワルター=ダレー著 「血と土」
『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)
http://www.israelshamir.net/ http://www.israelshamir.net/Japanese/JewishJapan.pdf キリスト教徒にとってキリストは救済するためにやって来たが、ユダヤ教徒にとってメシアは
復讐するために来るのである。この点は、ヘブライ大学のイスラエル・ジャコブ・ユヴァル
教授の最新の著書「子宮の中の二つの国の中で説明がなされている。ユヴァルが呼ぶ「復讐に
満ちた救済」が、アシュケナジ・ユダヤによって昔のパリサイ派のテキストから取り出され、
そしてシナゴーグの支配的な教義となったのである。
米国の満ち満ちた復讐心を米国のユダヤのせいにするのは間違っているだろう。
米国はそこに住むユダヤ人にとって特別なものであり、キリスト教徒たちは取りとめも無くま
とまった「ユダヤ-キリスト教徒」、もっと正確に言えば「ユダヤ-アメリカ人」なのだ。
彼らの大部分がキリストの精神をほとんど全くと言って良いほど持っていないからである。
カール・マルクスはこのように言った。《キリスト教世界を覆うユダヤ精神の実質的支配は、
北アメリカで二律背反的ではない完全な実現を成し遂げている。》
このユダヤ人の復讐熱は厳しい大西洋の渡航にも生き抜いた。米国ユダヤ人はハリウッドを創出した。
そしてハリウッドは復讐をそのメイン・テーマにしたのである。最近の「三銃士」のアメリカ再映画化
では、ダルタニャンは復讐の精神で動かされている。そんなモチーフが原作やフランス映画ではほ
とんど表れないにも関わらずである。実際には、レイディー・ウインターの息子であるモードレッド
は悪いやつで、彼が復讐の夢をあたためているのである。しかし新しいアメリカ映画にとっては、それ
はユダヤ系米国人によって作られたものだが、復讐は正当な感覚なのである。
ある意味ではアメリカ映画はユダヤ人の集団的深層意識の表現であって、そしてそれがアメリカ的心理
の創造における主要なファクターだったのだ。ハリウッドから、復讐に満ちた精神が地球の上にあふれ
出た。そして間違いなく我々が今住んでいる世界を作り上げる補助となったのである。
言い換えると、ユダヤの陰謀など何の必要もなかったのである。トライヤー・ラビの孫であり、自身は
教会の中で育ったカール・マルクスは、1840年代(!)には、米国が(人種的な意味でユダヤ人が
一人でもいたのかどうか)「ユダヤ的」精神を持つ国になっていたことに、そして貪欲と不和の「ユダヤ的」
イデオロギーを抱いていたことに気付いた。
マルクスの弟子であるワーナー・ソンバートは米国のユダヤ精神に関して類似の結論に達した。
彼の意見によると米国はユダヤ人とともに育ちそのごく初期からユダヤ人に作られていたのだが。比較的未熟
な米国はユダヤのメンタリティーの衝撃に耐えることができず、そしてユダヤ国家となったのである。
このことは米国ユダヤ人の成功を説明する。「ユダヤ」国家で本物のユダヤ人がより成功しやすいことは
まさに当然と言える。その突然の栄光と豊かさへの上昇を、のぼせ上がりと自画自賛の原因とすべきではない。
他に求めるべきだ。偉大な米国の哲学者インマニュエル・ウォーラースタインの論理に沿うならば次のよう
に言える。今の時代において物質的な成功は道徳的な欠損の印である。「成功」と富は神の恵みの印ではないのだ。
いずれにせよ、貧乏人を祝福する神のものではない。泥棒の集団で成功する人間は神の目にかなうことはない。
飢え死にしつつある何百万人もの人々と恵まれすぎる少数者のいる我々の世界は、不道徳的であり反キリスト
教的である。ユダヤ-アメリカの「十字軍」と同じくらいに反キリスト教的である。
《米国人たちは、この世界の半分にとっての生贄の山羊としての選択肢となっている点で、ユダヤ人と同様である。
ユダヤ人たちは世界の経済をコントロールしていると非難された。そして米国もそうである。ユダヤ人たちは文化
と芸術のコントロールを通して退廃を推し進めると非難された。そして米国もそうである。ユダヤ人たちは自分の
権力を極悪な使い道に投入すると非難された。そして米国もそうである。》
伝統的なキリスト教徒の社会では、成功のモデルは、詩人、聖人、芸術家、勇敢な兵士、優秀な労働者や農民、他人
のためにより良い生活を送る者、といったものだった。
ホーマーの時代のギリシャ人たちにとっては、the Feaciansのすばらしいユートピアから学ぶことができるように、
優秀なスポーツマン、船乗り、詩人、音楽家とダンサーが成功のモデルであった。この牧歌的な人々は、昔のオック
スフォードの陽気な学生のように、貿易商人や資本家を軽蔑し、優秀なヨット乗りを好んだ。
ユダヤ人の観点から言えば、ユダヤ人たちは常に成功してきたことになる。彼らが二つの種類の成功を持っていた
からである。しかし最近まで、ユダヤ人の外的な成功はキリスト教徒たちによっては認められていなかった。
常に彼らと同じ観点を分かち合うキリスト教徒たちもいたのだが。しかしそれがリチャード3世とかハルパゴンの
レベルにでもなるとそれは成功のモデルというよりは怪物的であると受け取られた。19世紀になって限度を超えた
怪物たちの集団が成功を収め、かくして貨幣神信仰の世界が誕生した。
議論(メディア+大学)への積極的な参加によって、ユダヤ人の考察者たちと思想家たちは貨幣神信仰的な成功の
思想を推進させ、それを西側社会の基準的なものに仕立てた。現代のハルパゴンとリチャードは、アイアコッカやソロス
かもしれないが、貨幣神信仰の論議取りまとめ役たちによって創られた新しい社会の中で、幅広く成功を収めて
いるのである。マルクスが位置づけたように、西側世界はユダヤ的になり、そしてそれはユダヤ的な成功の考えを採用した。
平たい言葉で言うならば、ユダヤ人たちは「成功して」きたのではない。むしろ彼らの通常の行動が成功を表す
代名詞となったのである。
リベラリズムの暴政 イズラエル・シャミール
http://www.israelshamir.net/ http://www.israelshamir.net/Japanese/japanesethetyrannyofliberalism.pdf 現代のリベラリズムは米国の支配的なパラダイムであり、欧州やソ連後のロシアやその他のあらゆる地域で主要な役割を演じているものである。
リベラリズムが、イデオロギーや宗教的多元論の判断というよりもむしろ自由を土台とする中立的なものとして
また反宗教的なイデオロギーというよりもむしろ自由として、その姿を現すように思えるためである。
リベラリズムとはそれ自身がある一つのものであるということを否定するようなイデオロギーなのだ。リベラル主義者に質問してみれば彼はこう言うだろう。
どのようなイデオロギーや宗教の支配にも反対するのだ、と。
この迷彩色の内を見抜く試みとして、近代ドイツの思想家であるカール・シュミットのいくつかの思索を適用することにしよう。
彼はリベラリズムが強硬なやり方であると判ったのだ。1945年にドイツが敗れ占領された後で、カール・シュミットはしばらくの間、
ソヴィエト支配地区と米国支配地区の両方に住んだ。そこは後にドイツ民主共和国とドイツ連邦共和国に変わった場所である。
各占領地での経験の比較を元にして、カール・シュミットは、米国のリベラリズムは軍事思想でありソヴィエト共産主義よりも
なお妥協を許さぬ傾向を持つものであることに気付いた。米国人たちはシュミットがリベラル民主主義を信奉している証拠を見せろと要求した。
一方でロシア人たちは決して彼に共産党宣言に誓いを立てるように求めなかったのだ。この個人的な体験によってシュミットは、
近代米国リベラリズムが、イデオロギーの自由や好きな生き方をするといったパラダイムではなく、攻撃的なイデオロギーであり
彼が非常に嫌った共産主義よりももっと危険かもしれないイデオロギーである、という結論に達した。
近年のアフガニスタンやイラクに対する米国の侵略を眼前にし、リベラリズムが攻撃性に満ちた地球的なイデオロギーであるという
シュミットの発見を他の多くの人々が共有するに至っている。それは軍事力によって世界中で実現されるべき特定の諸原則を要求する。
★ 個人の権利、その一方で、集団の権利に対する否定
★ 少数派の権利、その一方で、多数派の権利に対する否定
★ メディアの非公的所有、その一方で、資本による世論形成の独占的な権利
★ 女性の権利と保護、その一方で、家族の解体
★ ホモ・セクシュアル、その一方で、結婚の尊さの否定
★ 反人種主義、その一方で、シモーヌ・ヴェイユの言う「根を持つこと」への否定
★ 経済的自立主義、その一方で、社会的相互補助(神学用語のアガペと慈善による)への攻撃
★ 教会と国家の分離、その一方で、反キリスト教プロパガンダと公共の場でのキリスト教布教への攻撃
★ 投票者のリベラルなパラダイムに対する一致によって制限を受ける政府を公的な選挙で決める事
(“民主主義”)、その一方で、自律的な自己決定権の否定
シュミットの論法およびバウアーの証言を武器として、我々は次のように結論付けるだろう。米国海兵隊によって
チグリスとオクサスを渡って持ち込まれた「リベラル民主主義と人権」の政策は世俗化されたユダヤ教である、と。