不良債権問題の解決はヤクザの殲滅から142

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454名無しさん@3周年
隅田川は東京オリンピック以前は「世界一汚い川」といわれていました。
またの名を「レインボー川」といいました。
工場から流れ出た色々な廃油が交じって流れて、
川面が七色の色をしていることから名付けられました。

都内を流れる神田川、江戸川は汚泥の川でした。
一年中鼻を突く腐臭が川の周辺に漂っていました。
空はどんよりと工場から出る排煙で一年中青空を見せることなく曇り
大気は汚染されてあちらこちらで公害が発生して、
体を壊す小中高生の子供や都民が続出しました。

道路を我がもの顔でクラクションを鳴らしながらダンプカーが暴走し、
交通事故の死者は現在の2倍近くにのぼりました。
神風タクシーというオイハギのようなタクシーも沢山走っていました。
世の中はまだぶっそうで昭和30年代の殺人事件件数は現代の3倍もありました。
東京タワーが建築されていた時代の人々は生きいそぎ、
また自分が生きることに必死で、弱い人に目配りをする余裕など誰もありませんでした。

家族同士でさえその日暮しの貧困のなかでいさかいを起こし、
いがみあって喧嘩をしていました。
「三丁目の夕陽」の時代をなつかしむ人たちがいます。
ファンタジーでございます。
あの時代の現実は厳しく、手前どもにとってはとてもなつかしいといえるものでなく、
二度とあの時代に戻りたくない苦々しいものでございます。