1 :
名無しさん@3周年:
民主党によるテロだろ
3 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 07:58:20 ID:pzNu5O90
ロックフェラーに相談されたラムズフェルドは、自社開発の
強力口蹄疫ウィルスをソン・テジャク(成太作=池田大作)に頼んで
日本でばら撒き、民主党政権を倒すことを試みた。
信濃町から指令された安愚楽牧場は感染牛を輸入、
大騒ぎしてくれる東国原知事のいる宮崎県から事件を発生させた。
4 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 07:59:04 ID:f59KCgV4
【民主党】の実績(たった8カ月でこれだけ実現)
●国家公務員の天下りあっせんを全面禁止
●子供手当支給
●生活保護の母子加算復活
●記者会見オープン化
●父子家庭に児童扶養手当支給
●公立高校生授業料無償化
●密約解明
●私立高校生年12〜25万円助成
●社会保障費年2200億円削減方針撤回
●基礎的自治体に事務事業の権限と財源を大幅に移譲
●医師不足に悩む救急や外科、産婦人科、小児科医などの診療報酬引き上げ
●国と地方の協議の場を設置
●全ての国直轄事業における負担金制度を廃止
●非正規労働者の雇用保険への適用条件を緩和
●原則として製造現場への派遣を禁止
●先進国では常識の農家へ戸別所得補償制度実施
●バリアフリー改修、省エネ改修工事などを支援
●分娩の公的助成
●肝炎患者のインターフェロン治療の自己負担限度額を月7万円→1万円
●マグロ規制問題で、欧米を敵に回し歴史的大勝利
●口蹄疫の発生に対して政府一丸となって対処
自衛隊を早期に投入して蔓延拡大の防止
●事業仕分けで無駄の削減
●シーシェパード船長を逮捕拘束。
→ちなみに麻生政権では、侵入者に天麩羅ご馳走して無罪放免w
●豪州政府との間で物品役務相互提供協定(ACSA)を締結。
アジア、オセアニアの安全保障に大いなる貢献
5 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 08:04:06 ID:pzNu5O90
口蹄疫バイオテロ作戦を企画立案した主犯はデイヴィッド・ロックフェラー
この人口ウイルスを開発したのはドナルド・ラムズフェルドが会長を務めるギリアド社
ウイルスを日本にばらまいた実行犯は統一協会&創価学会
6 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 08:38:54 ID:xS5yC1zm
そのロックフェラー一族と仲がいいのが国連事務総長になってる韓国人だ。
7 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 08:51:51 ID:RK0B5njb
日本国民は、民潭、日教組、民主党の学級会レベル歴史観に対する理論武装が必要
(日韓併合は植民地政策ではない)
8 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 08:57:31 ID:RK0B5njb
独立、国防のための国家戦略としては大別して
一、短慮で幼児性の「激情型攘夷論(激情型独立論)」
二、「したたかな開国」(臥薪嘗胆型・富国強兵論)
の二種類ある。
下関戦争等の体験や、キリスト教系知識人など(ジョン万次郎、新渡戸稲造、福沢諭吉ら)から学習したのが
明治政府。そういう学習ができなかったのが朝鮮半島国。そこが「日韓併合の基点」である。
日本では薩摩藩、長州藩が、上記、一の幼稚さを下関戦争(馬関戦争)、薩英戦争で体験して、「激情型攘夷論」
、「激情型防衛独立論」の愚かさを骨身に染みて悟った。そうして反省して後、更に、ジョン万次郎や、賢明だった
開明思想の勝海舟らの薫陶を受けた坂本竜馬らに触発されて、体験と知識の二重の意味で急速に「開国(臥薪嘗胆型
・富国強兵策)」の必要性に気がつくようになったのである。
明治の元勲らは明治維新の過程で、下関戦争などから「激情型攘夷論」についての幼児性、愚かさを骨身に染みて
学習していた。また明治の元勲らは下関戦争などの体験からだけでなく、維新後も、世界の常識としての「歴史の教訓」
を、維新、開国後の交流の中で外国人やジョン万次郎や新渡戸稲造や福沢諭吉らキリスト教思想の経験者、知識人
から直情径行的な「激情型の攘夷・独立論」の愚かさと危険性を学習した。
つまり「臥薪嘗胆型開国」を指導していたイエス・キリストが十字架に架けられた後、起元30年頃、「熱心党」
(日本で言えば尊王攘夷論)が主流となり激情型攘夷論で「マサドの要塞」に立て篭もり、ローマ軍に攻められて兵卒が
全滅し、それ以後、民族が国を失い1900年もの長きにわたって流浪の民となっているのが当時のユダヤ民族である、
という重大な「歴史の教訓」を知ったのである。
しかし朝鮮王朝は1866年、8000名のキリスト教信者を虐殺するという残忍なキリスト教弾圧思想だったので、
とても「世界の常識」としての「歴史の教訓」に耳を傾けるような体質ではなかった。
現在の朝鮮半島民は、その小中華思想という民族差別思想に起因する高慢さから、かつての日本の尊王攘夷思想と
同じで「激情型攘夷論、劇場型独立論」の幼児性を「日韓併合」にかこつけて恩知らずに正当化し続けているにすぎない
9 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 09:00:46 ID:RK0B5njb
10 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 09:04:12 ID:xS5yC1zm
保護管理下にある国の「将来の独立」のために、独立の気概、義務感を持ったものという条件で
士官学校に被保護国の人間を兵学校に入校させる「植民地政策」なんてありえない。
これがどうして「植民地政策」なんだ?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B5 陸軍士官学校・陸軍幼年学校
日本軍の将校を養成する陸軍士官学校や陸軍幼年学校では、朝鮮人へも門戸を開放していた。
また、 満州国軍の朝鮮人軍人も陸軍士官学校に派遣留学されることがあり、朴正熙韓国大統領は
満州国軍の士官任官後、同校で教育を受け卒業している。[1][2][3][4]。
志願兵の募集選抜と志願目的
志願目的
◎「朝鮮独立の為奮つて陸軍特別志願兵となり、武力を体得して将来の革命蜂起の際に献身すべきなり」
「朝鮮人を志願兵にする事は非常に良いことだ。即ち我々は将来志願兵を逆用すれば良い。志願兵は
内地人より優秀と聞く。之の優秀なる部隊に呼掛くれば彼等は必ず祖国の為に銃を執つであらう。
此の意味に於いて志願兵は忌避すべきではない」[8]
「応募者は真に志望するものにあらずして警察より半強制的に勧誘せらるる為止むなく応募するものなり」
「応募者は淳朴なる農村青年のみにして有識者は殆ど之に応ぜず、寧ろこれを忌避し居る現状なり」
「好条件に釣られ、功利的に走り、除隊後自己の立場を有利に導かんとする輩あり」[9]
11 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 09:05:54 ID:xS5yC1zm
韓国社会、日本の左翼の「学者、文化人、政治屋」は「独立」ということに関して
幼児性歴史観なだけ。
日韓併合時代の朝鮮は、相対的な意味で今の北朝鮮の経済力と同じようなものだった。
外国(隣国の大国)の援助(保護、監督)がなければやっていけなかった。つまりは、
「独立国」になれなかったのだ。日本は併合なんかするつもりは、まったくなかった。だが、
伊藤博文が暗殺されたとき、「ヤンバン階級」とは違って朝鮮人一般は「民族差別に対する反感」
をも示していた。だから伊藤博文が殺害された後に、同じ権利を持つ「日本国民」にするために
併合したのだ。
それ以前から欧米列強は、植民地に対して愚民化政策をとり学校も作らず、国籍付与なんか絶対に
しなかったが、明治政府は当初から「経済発展して富国強兵した朝鮮」を企図して、
1、人材登用によって近代化、経済成長、増収、国防体制整備できる国とするために身分制度を廃止
2、教育制度の抜本的拡充
3、「直情径行の攘夷論による独立」でなく身分制度廃止(人材登用制度)、教育制度を整備して、
日本が「近代化、経済成長、税収増大のよる軍備、独立」(つまり富国強兵による独立)で成功した
ことを手本にして、アヘン戦争でメチャクチャになったシナの二の舞にならないように、「実力なき
直情径行攘夷論」でなく「富国強兵策による独立」を目指すように保護、監督したのだ。
それに対して「ヤンバン階級」の中でも頑迷固陋に既得権益や小中華思想(「知らしむべからず
依らしむべし」の愚民化政策、「貴族以外の平民に教育は不要」の思想)の朱子学思想に固執した
安重根ら特権階級のヤンバン右翼が既得権益を失うことで激怒して反発し、伊藤博文を殺害した。
12 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 09:10:20 ID:xS5yC1zm
そもそも、かの「3.1独立運動」にしたって、かの独立宣言の原稿を書いたのは早稲田大学で、
「独立」の思想、気概を植えつけられた崔南善(チェナムソン)らが「若気の至り」で、やっぱり
直情径行独立論、劇場型独立論に走ったものであった。
伊藤博文らは、そういった朝鮮半島の若者の気持は百も知っていた。なぜなら自分の若いときの、
長州藩士の姿にそっくりだからである。
だが長州藩士だった伊藤は、「貴族は気位だけの感情論で攘夷論を唱え、実力なき外交を国民に
強要するが、それでは将兵、国民にいたずらな犠牲を強いるだけで、そいう国家戦略では後進国
というものは欧米列強にメチャクチャにされ植民地にされるだろう。」と恐れたのである。
なぜなら伊藤博文ら元長州藩士は、三条実美らの「激情型攘夷論」に安易に従った「下関戦争」の
長州藩の失敗を骨身に染みて経験していたからである
13 :
名無しさん@3周年:2010/05/25(火) 10:52:31 ID:xS5yC1zm
1月:[2010/01/08 10:04:52]口蹄疫:韓国で8年ぶりに発生
韓国で8年ぶりに口蹄疫が発生した。 口蹄疫は、牛や豚などの偶蹄類・・・
2月: [2010/02/01 08:19:18]口蹄疫:抱川で発生、全国で6例目
乳牛9頭が追加で口蹄(こうてい)疫の判定を受けた先月31日、
京畿道抱川市蒼水面への入り口に・・
4月: [2010/04/10 13:59:41]
牛や豚の伝染病である口蹄(こうてい)疫が、発生から3日で仁川・江華郡の農家5カ所に拡散した。口蹄疫:終息宣言から16日で再び発生
5月: [2010/05/08 12:13:33] またも口蹄疫発生
7日、忠清南道青陽郡木面大坪里にある韓牛(韓国伝統の肉牛)の飼育場で、
再び口蹄(こうてい)疫が発生した。この農家は、今月1日に10番目の口蹄疫発生
>>8 二、「したたかな開国」(臥薪嘗胆型・富国強兵論)
をテロ明治政府が始めて行き着いたところは
日本のアメリカによる植民地支配なんだが
なぜ薩長閥は腹を切らない!?
16 :
名無しさん@3周年:2010/05/30(日) 12:38:13 ID:XQnWxeJv
李承晩は1949年1月、年頭挨拶で声明を出した。「竹島、対馬は韓国領」とだ。
そうして李承晩は「南侵策」を企て演習を装い半島南部に軍のほとんどを集結させた。
それを見たマッカーサーは激怒した。「訓練ではなく訓練を装って戦後政策で無防備
の日本にドサクサ紛れに侵略するつもりだ。」と、看破したからである。そうして、
在韓米軍を撤退させたのである。
そうした米軍の動きを「ほう、米国は北方領土だけでなく朝鮮半島も我々に譲る、という
ことか。」と、スターリンと毛沢東と金日成は錯覚した。毛沢東はチベット、東トルキスタンと
交換に朝鮮半島はソ連に譲ることを取引した。不凍港を確保することはソ連にとって
以前から(帝政時代からの)絶対的な国是であったことを毛沢東は知っていたから
である。
そうしてソ連軍事顧問団を背景にした北朝鮮軍は韓国側国境地帯の軍事空白を狙って、
1950年6月25日、38度線を越えて南侵を開始した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E9%A6%AC%E5%B3%B6 1949年(昭和24年)1月17日、李承晩は対馬は韓国領として日本に
「返還」を要求した。また、第二次世界大戦後に日本を占領した
連合軍総司令部 (GHQ) に対し、韓国の李承晩政権は竹島だけでなく
対馬についても「歴史的にこの島は韓国の領土であり、日本によって
強制的、不法に占領された」と述べ、日本からの割譲を要求したが、
GHQから「根拠がない」として拒否された。
“KCIA”?
>>1よ、お前はいつの時代の人間だ?
19 :
韓国も北朝鮮も大嫌い:2010/05/30(日) 13:12:35 ID:+uM52CtL
■公海上で操業中の日本漁船を奇襲虐殺した韓国軍 ■
【第一大邦丸事件】
▲済州島沖の公海上で操業中の日本漁船第一大邦丸に韓国船の『第一昌運号』、
『第二昌運号』約55トンが接近、日本語で「魚は獲れますか。」と話をした。
その後、附近で停止して操業を始めたように見せかけ、第一大邦丸が揚網作業
で身動きが取れなくなったところを見計らい、昌運号に隠れていた韓国兵達が
いきなり第一大邦丸に自動小銃を乱射、船員に重症を負わせた。
▲第一大邦丸は拿捕されて韓国に連れて行かれたが重傷者は病院に収容されずに
放置された。
第一大邦丸の船員が「私物を売って必ず代金を払う」と必死になって治療を懇願
すると注射一本だけを打った。重傷者は結局放置されたまま死亡。
▲この後、船員に対して領海侵犯をしたという嘘の調書をでっちあげ、これに強制的
に捺印させ刑務所に留置した。
▲第一大邦丸事件 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%A4%A7%E9%82%A6%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6