菅直人のEメール講座『国民主権論』

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1名無しさん@3周年
ネクストプライムミニスターとも目される菅直人氏が、今までどのような主張をされていたのかを保存し、皆で共有するスレです。

『国民主権論』だけでなく、保存しておきたい発言があれば、ここに投稿しましょう。
2名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 04:00:17 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院) @              
 法政大学大学院客員教授 菅 直人
 皆さん、こんばんは。菅直人でございます。 政治家として、いろいろな所で話す機会が多いのですが、大学でキチッとした講義を
持つというのは初めてでして、場合によっては皆さんより私のほうがちょっと緊張しているのかもしれませんが、始めさせていただき
たいと思います。 今日は、一応オリエンテーションということにしたいとは思っていますが、せっかくの機会ですからなぜ私が、この
『国民主権論』という題で話をしようと思ったか、そのことを少しお話しさせていただいて、その後半分くらいの時間で今後のこの講義
の進め方を相談したいと思っております。 実をいうと、私とも割と長くいろいろなことでご一緒してきた、ある意味では仲間と申しまし
ょうか、ここにおられる五十嵐敬喜教授のほうから、「菅さんも代表も辞めて、少し時間も取れそうだからこういう形でやったらどうか」
と誘われたのが直接のきっかけであります。しかし、それと同時に多少長くなりましたが、私も国会でいろいろな活動をし、あるいは
その前から市民運動等の活動の中で、どうも日本の社会、あるいは政治というのは、建前は『国民主権』という形になっている。憲法上
はそうなっているけれども、実際上には、とても『国民主権』とは言えない状況、構造が続いていると、長年感じてまいりました。
3名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 04:02:02 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院) A
 最近、コンスティチューション(constitution)という言葉を、憲法と訳してよかったのかどうかという議論があります。司馬遼太郎
(1923-1996)さん流にいえば、コンスティチューションというのは、本来は憲法というよりも『国のかたち』と訳されるべきではなかった
かと、このような議論もあるわけです。そういう言い方でいえば、日本は憲法上は国民主権の国に規定されているけれども、コンス
ティチューション、『国のかたち』としては、今なお官僚主権国家という状態が続いている。これは私の、ある意味での結論であります。
この講義、この議論の中で、まず「どういうところが実際的に官僚主権国家というふうに言えるのか」。いろいろな議論はありますけれ
ども、私が直接体験したことも含めて、その実態を1つ明らかにしていきたいと。もう1つは、今、憲法のことを申し上げましたけれども、
憲法上は国民主権という言葉も使われていますし、いろいろな規定も明記されておりますけれども、それがなぜそこまではっきりと
書かれた憲法が、そういうふうに理解されないでいるのか。そういう意味では、憲法上の解釈、あるいはそれの運用の問題点という
ことを、もう一面申し上げていきたい。主にその二面ですね。つまり実体的な面と、多少理屈の面から、この『国民主権』というものが
現在の日本において必ずしも機能していないということを申し上げていきたいと思っております。
4名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 04:04:46 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院) B
 それに並行しまして、最近私も「これからの憲法」ということを議論する上で、やはり憲法をつくった経験。日本では憲法と
いわれるものは、聖徳太子の【十七条憲法】を入れれば、それに加えて【明治憲法】、【現行憲法】という3つの憲法を持ったという
歴史がありますが、特に明治憲法というものがどのような形で生まれたのか、これは研究者としての議論というよりも、例えば明治
憲法では国民主権に替わって天皇主権が述べられているわけですが、その天皇主権というのは今の国民主権と、本当の意味で
どういう関係にあるのか。そういった明治憲法というものも横目でにらみながら、この国民主権論を議論してみたいと。これが私が
この講座で、国民主権論というものを題材に選んだ1つの思いであります。 話はちょっとそれますが、「なぜ国民主権というものが
日本では身に付かないのか」ということを、私なりに考えてみました。この間も、読売新聞が出した2004年度の憲法草案というものを
読んでおりました。その全文には、いろいろな文章が入っておりました。しかし中身が悪いというよりも、中身はほどほどさまざまな
ことが書いてあるのですが、何かストンと落ちるものが感じられないのです。要するに、「原点」が感じられないわけです。逆にいうと、
日本の原点というのを、ではアメリカの原点、イギリスの原点、フランスの原点というふうに考えてみたらどうなるのだろうと。これは
私の推測ですが、フランスの国の原点といえば、やはりフランス革命。つまり自由・平等・博愛ですね。しかしそのフランス革命という
のは、それまでのルイ王朝をギロチンにかけて、王様が持っていた権力・権限を、大衆が奪っていく。まさに市民革命によって生まれた、
そこに一種の国民主権というものが根差していく歴史的な経緯があるわけです。イギリスはギロチンにはかけませんでしたけれども
、ジワジワと王様の権限を、税金を勝手に使わせないというような形で奪っていく。アメリカは、もともと王様がいない国を新大陸につくり
上げて、自分たちで自分たちの国の治め方を決めていく。
5名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 04:06:36 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院) C
 つまり国民主権というものは、規定があるから国民主権になったのではなくて、そういう権力・権限を王様とかいろいろな
ところから奪う、そういう市民革命があって初めてそこで述べられた自由・平等・博愛といったものが、本物の主権、つまり
国民が自分たちで自分たちを治めるのだというふうになっていったので、残念ながらそれを考えて幾つかの憲法草案なり
を見てみても、いったいこの日本を、これから21世紀に向かってどういう国にしていこうと思っているのかという原点が、必ず
しも見えてこないものが多いというのが私の率直な見解であります。 そういう意味で、今、国会の中にも憲法の議論をする
衆参の委員会が5年間の日程で、もうすぐ最終報告が出ます。また各政党も、自由民主党も、私の属する民主党も、それぞれ
の中に憲法調査会を持って、今、かなりの議論を進めております。そういう意味では、そういう条文をどうするか、表現をどう
するかということは、それはそれとして重要なのかもしれませんが、いくらいい文章を並べてみても、私は国民主権の日本を
つくるには、単に文章を並べてみただけではできないと。つまり自分たちがこの国を、自分たちで治めるのだという、いまさら
市民革命で誰かを引っ張り出してギロチンにしろと言っているわけではありませんが、自分たちが自分たちでこの国を治める
のだという国の在り方を目指す、ある種の運動というか、ある種のムーヴメント(movement)があって、その中でまさに国民主権
をキチッと明記した憲法が生まれたときに、初めて本物の国民主権国家になる。そういう意味では、新しい憲法をつくるという
ことを考えるときに、それはまさに先ほどコンスティチューションということでいえば、条文上の憲法をつくるというよりも、『国の
かたち』をどうするのだということがあって、初めてそれを実現するためのコンスティチューション、憲法というもの、あるいは
憲法だけではありません。いろいろな関連する行政法、国家公務員法、あるいは内閣法、そのようないろいろなものが、その中
に形づくられた中で、さらには慣例、実態のさまざまな面の中で初めて生まれるとすれば、国民主権の国を生み出すことができると。
6名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 04:10:19 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院) D
 今日は教室の中ですけれども、私があえて国会という場ではないところで、このような議論をするのも国民的な運動と
言いましょうか、国民的なそういう意識というか、議論というか、論争というか、この教室がそういうものをある意味で巻き
起こしていく1つの発信の場になってほしい。それは単に私がものを言うだけではなくて、皆さんと一緒に議論をする中で、
そういう発信の場になってほしい。そういういろいろなところに、こういう議論が、それこそあちらこちらでなされるとすれば、
初めてそのとき『国民主権』というものが可能になるのではないかと思っている次第であります。 そこで、せっかくの機会
ですから、多少内容的なことに少し入って見たいと思います。私はよく『三権分立』という言葉を取り上げます。私も、ここは
大学院の皆さんですから、学部の学生さんとは若干違いますけれども、時折単発で大学の講演とか、若い人たちの前で
話をする機会があります。そこでよく「皆さんは、国会は何をするところだと思いますか」と聴くと、答える人の十中八九どころ
ではなく、大体100のうち98ぐらいまでは、「国会は法律をつくる立法府です」と答えるのです。私が採点すると、甘く採点して
50点。正確に採点すると、これは×ですね。国会は、立法府である。では、立法府しかやっていないのかというと、私の本なり、
いろいろなものを見られた方々はもうご存じかもしれませんが、普通の人は大体立法府だと答えるのです。多分、普通だったら
○なのですね。しかし、国会の第一の仕事は立法ではありません。実際に衆議院選挙が終わって、最初に何をするか。議長を
決めた後、総理大臣を決めるのです。つまり国民に代わって総理大臣を決めるのが、国会の第一の仕事なのです。ここが
きれいに忘れられている。これが、大統領制との違いです。
7名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 04:14:05 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院) E
 国民主権というものが、行政をコントロールするということが当然含まれるとすれば、国会が立法府だけだったら行政と
国民の間が切れてしまう。今日は、私の仲間の平岡さんというわが党の代議士でもありますけれども、もともと法制局にも
いた方で、私の不足部分があれば時々知恵をお借りしたいと思い来ていただいているのですが、平岡さんももちろん役所に
おられた経験を持っていらっしゃいます。霞が関の皆さんは「三権分立ですよ」、依然として議員の私に言うわけです。「国会
の皆さんは、法律をつくる、審議をする、予算を議論する、それは大いにやってください。しかし、行政府の仕事は、大臣を
はじめ私たち官僚の仕事ですから、それは国会議員の皆さんは立法府で、私たちは行政府なのです。三権分立は、中学で
習ったでしょう」と言うわけです。大体よく勉強している人は、そこでコロッとだまされるわけです。「そうだな、確か三権分立は
習ったな。あまり行政府のやることに口を出したら、ちょっとやり過ぎになるのかな」。 例えば今日、非常に具体的な例を1つ
だけ申し上げてみますと、私が「さきがけ」という政党にいた時代に行政監視院法を出した件です。そのときは総務省にあった
行政監察局というもの、大体行政監察局にしても会計検査院にしても、行政がやった金の使い方についておかしいということを
チェックするのですが、ただその役所を辞めたときの天下り先は、大蔵省(現、財務省)にお世話になったり、建設省(現、国土
交通省)にお世話になっているものですから、「大体こういうことを発表しようと思うけど、こんなものでどうですかね」、「いや、
それだけは困るから勘弁してくれ。こっちは、じゃあ仕方ない」と、みんなこんなことなのですからね。こんなばかなことはない
から、国会にそういう行政監察をやる行政監視院という仕組みをつくろうではないかと。
8名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 04:15:42 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院) F
アメリカにはGAO(General Accounting Office)という制度があります。イギリスも、同じような制度があります(NAO:
National Audit Office)。いずれも国会の中に、そういう行政の、あるいは金の使い方のチェックをする機関が、国会に
付属して存在しているわけです。それを日本でもつくろうではないか。単純化していえば、行政監察局の800名全部の
首を切って、その代わりに国会で採用する。そういう法案を出そうとしたことがあります。そうしたら当時の行政監察局の
役所は、役所を挙げて大キャンペーンをやりまして、当時「さきがけ」も与党でしたが、「何か、こんなことを『さきがけ』の
菅あたりが言っているようだけど、これは憲法違反です。これは憲法に反しています」という文章を、与党・自民党の関係者
や自分の関係する役所にずっと送ったのです。私のところでも手に入ったので、局長を呼び出して「これは、おまえのところ
が出したのか」、「出しました」、「どこが憲法違反なのだ」と言ったら「三権分立に反します」、「どこが三権分立に反するのだ」。
9名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 04:18:19 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)G
 国会に置かれた監察局なり行政監視院で、「このお金の使い方はおかしい」、「こういうやり方はやめるべきだ」という、そういう
勧告を出すぐらいは当然やりますよね。「勧告というのは行政行為だから、国会がやるわけにはいかない」と、こう来るわけですよ。
私は「いや、そうかな」なんて、残念ながら全然思いませんでした。「いったいどこに三権分立と書いてあるのだ」と、「憲法何条に
三権分立と書いてあるのだ」と。皆さん、憲法をよく見てください。三権分立なんてことは、一言も書いてありません。書いてある
ことは、「国会が内閣をつくるその総理大臣を指名する」と書いてある。そして「総理大臣になった人が、大臣を任命して構成される
内閣は、連帯して国会に責任に負う」と書いてある。「なぜ、言ってはいけないのだ。予算を決めるのも国会ではないか。予算の
使い方がおかしいときに、おかしいと言ってなぜ悪いのだ」と言って、大げんかをしまして、全部撤回をさせました。しかし残念
ながら、ちょっと議席がまだ300ほど足りませんでしたから、その法案は通らなかったのですが、もうすぐ足りますから。 そういう
意味で、実はこの『三権分立』という言葉ほど、私が経験した中で言えば、日本の国民主権の1つの一番大きなルートを遮断して
いる。そしてその代わりに何があるか。今度は行政というのは、霞が関の皆さんが主にやる仕事だということになっている。誰か
おかしいと思う人はいますか。憲法上ですよ。実は憲法六十五条(【行政権と内閣】)には、『行政権は、内閣に属する』と書いて
あるのです。内閣に属すると書いてあるのです。内閣というのは、定義があるのです。内閣というのは、総理大臣と大臣です。
霞が関のお役人がやるとは書いていない。行政権は、内閣にあるのです。いつの間にか、霞が関にあるように思い込まされている。
特にマスコミが、ちょっと減ってしまったけれども、マスコミの皆さんは、「内閣」という言葉がよほど嫌いなのですね。
10名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 05:42:29 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)H
ほとんどの場合、「政府」という言葉を使います。政府という言葉は、一般的にいえば決して悪い言葉ではありませんよ。
ローカルガバメント(Local Government:地方自治体)、ナショナルガバメント(National Government:中央政府)。今の憲法
でいうと、全文に1個所だけあります。しかし政府という言葉には、憲法上の定義はありません。政府の一員、「じゃあ、大蔵省(
現、財務省)事務次官は政府の一員なのか」、「大蔵大臣(現、財務大臣)は一員なのか」。つまり政府という言葉には定義が
ないから、それは当然一員だろうな。政府は行政をする。しかし、憲法六十五条には、行政権は内閣に属すると書いてあるので
あって、内閣を構成するのは官僚ではありません。1人も入っていません。一般職は、大臣にはなれませんからね。つまり、
行政権を握っているのは、官僚ではなく政治なのです。政と官という言葉もありますけれども、官僚ではありません。政治なの
です。その政治を決めるのが、国民なのです。「政治家は当然悪いことをするから、そりゃ官僚のほうがいいや」と、いいか悪いか
の話は国民が持っている力の問題であって、少なくとも今の憲法は官僚が行政権を握るとは書いていない。内閣が行政権を持つ
と書いてある。マスコミは、『内閣』という言葉をめったに使いません。ほとんど『政府』です。
11名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 05:45:00 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)I
 ついでに、先のほうで言おうと思ったことを言いますと、先日私の党の若い者を集めてクイズを出しました。当時田中真紀子
外務大臣が、いろいろ外交方針で意見が合わなかった野上事務次官を「あんた、私と意見が合わないから辞めてよ」と言ったら、
何と言ったか。野上事務次官が「大臣、私を辞めさせることはできません」と言ったのです。そこでクイズ第1、「それは法律上の
裏付けがあって言った言葉なのか」。第2、「政治家がそう簡単におれを辞めさせるわけがない」という自信で言ったのか。第3、
「それは組織を挙げて、官僚組織が反対するという、その官僚組織の抵抗によって野上事務次官がそう言ったのか」というクイズ
を出したのです。ちょっと自信がある人は、誰か手を挙げてみてください。自信のある人は、誰かいませんか。実は、第2、第3も
あるかもしれませんが、第1なのです。法律上、首は切れないのです。どういう法律構成になっているのか。つまり国家公務員法
の中に、事務次官を首にするとか、局長に格下げする、首とか格下げをするのは「処分」だと。一般職の国家公務員を処分する
には、国家公務員法に規定された規定に該当する、あるいは人事院規則に該当しなければ首が切れない、降格ができない。
「こうなっているのですよ」と言ったわけです。私は、大臣室に入っていたわけではないので、そこまで説明したかどうかは知りま
せんよ。そうすると、事務次官というのは外務省の一番トップですから、辞めさせようにも隣のポストにやろうにも、全部降格人事に
なりますからね。
12名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 05:48:37 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)J
その規定は、例えば酒を飲んで運転して人を殺したとか、わいろをもらえば、これはもちろん首になります。ほとんど無断欠席
ばかり、これも危ない。しかし政策的に間違ったとか、何か大臣と意見が違ったとか、そんなことは国家公務員法にも、人事院
規則にも何も入っていない。だから「大臣、あなたは私を辞めさせることはできませんよ」。実はもう1人、ある大臣、経験者から
聞きました。マスコミの人がちょっといますけれど、ついでですが武村正義さんという人が、かつて細川内閣(1993-1994)で官房
長官をやりました。そのときに、大蔵次官であった斎藤次郎というなかなかの実力者がいて、官房長官に一切相談をしないで、
例の『国民福祉税』というのを小沢さんと一緒になって出したのです。それが終わって1年くらいたったときに、自社さ政権というのが
できて、武村さんが大蔵大臣になったのです。それで武村さんは「斎藤さん、ちょっと。あなたね、そろそろじゃないの」とか、そばで
聞いていたわけではないので、どういう言い方をされたか知りませんが、しかし、見事にはね返されたのですね。
13名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 05:53:40 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)K
 では、憲法十五条はいったいどうなっているのだ。憲法十五条には、『公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の
権利である』。国民が公務員を選んだり、辞めさせたりするのは、国民固有の権利である。憲法十五条に、そう書いてあるのです。
では、その国民固有の権利を、1人ひとりの国民が発動できるか。例えば、皆さんが「どうも、ここの事務次官はおかしい」、「ここの
局長はおかしい、辞めろ」、簡単には辞めませんよね。そこで一応の手続きとしては、皆さん方が選挙で選んだ国会議員が、もう1回
選挙をやって選んだ総理大臣が任命した大臣が、国民に代わって人事権を持っているというのが仕組みなのです。その人事権を、
国民が持っている固有の権利を持っているはずの大臣が、なぜ辞めさせることができないのか。それは全部の役所の若い人まで
「おまえちょっと、気に入らないから辞めろ」と、それはやり過ぎですよ。事務次官とか局長という、事実上政治決定に携わる人まで、
いくら意見が違おうが何しようが辞めさせることはできない。降格もできない、替えることもできない。こんなことは憲法十五条違反では
ないか。つまり私からいえば、国家公務員法は憲法違反なのです。しかし、これまでなかなかそういう議論はありません。
14名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 06:00:03 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)L
 そういう意味で、この三権分立という言葉が、いかに多くの呪縛(じゅばく)を国会議員に対しても、あるいは一般国民、マスコミに
対しても影響している。私も、本物の学者ではないという言い方は変ですが、三権分立が細かくどういうことを意味しているか、辞書
ぐらいは見てみましたけれども、つまりは権限を1つの機関が全部持てば集中しやすいから、2つとか3つに分けて、国によっては
5つくらいに分かれていますけれども、そういう形で国民の人権が、過大に1つの機関によって侵されないために、国民の権利を守る
ために分権の三権分立になっているのだと。物の本には書いてありますが、それを見事に使いこなしているのは、霞が関のお役人で、
これが実態ですね。 私は、国会議員の第1の仕事は『選挙人』だと。アメリカの大統領選は皆さんもご存じのように、実は直接選挙
であるけれども、厳密には間接選挙ですね。各州の選挙人を選ぶわけです。その選挙人の数で大統領が選ばれる。確か前回のゴア
とブッシュの1期目のゴアのときは得票は確かちょっと上だったけれども、選挙人の数はブッシュが上で第1期目の当選をしたわけです。
つまり国会議員というのは、選挙人なのです。あえて言えば、衆参、私も参議院では過半数の首班指名(首相指名)を受けたことが
あるのですが、半分だけやらせてくれるかと思ったけれども、やらせてくれなかったですね。
15名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 06:07:29 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)M
あのときは誰のときだったかな。小渕さんのときでしたか。橋本内閣が、1998年の参議院選挙で大敗しまして、参議院では
当時の野党が過半数を超えて『菅直人』と書いてくださったのですが、「半分やらせろ」と言ったけれど、残念ながら駄目でした。
つまり、憲法規定だと衆議院がその問題では優先ですから、あえて言えば衆議院議員というのは『選挙人』、皆さんに代わって
総理大臣を選ぶ選挙人、選挙人というのが第一の仕事なのです。第2の仕事が、立法とか予算とか何かを決める。議会の本来
の仕事。アメリカはそれが分かれているわけです。だからアメリカの制度は、三権分立といってもそれほど支障がない。つまり
国会が、立法府だと。大いに結構。大統領は国民が直接選ぶ、国民主権、大いに結構。この間を切った途端に、国民が総理大臣
を選ばない中で、総理大臣が内閣をつくる中で、国民主権、ある意味で『主権』が一番ダイレクトに機能するのが行政ですから、
行政権を持つ内閣。その内閣のトップを決める、衆議院あるいは国会、つまり国会の機能。国会議員の第1の仕事は、国民に
代わって総理大臣を選ぶ、これが仕事なのです。
16名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 06:14:06 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)N
 ついでに言うと、私も最近多少この講義のためにあちこちでものを読んだりしているのですが、国会で過半数を握るということは、
誰が握るのでしょうか。ほとんどの場合、どこかの政党が握るわけです。明治憲法下では、必ずしも衆議院の過半数が総理大臣
になる条件にはありませんでした。天皇が自ら「おい、次は彼」、実際は元老がやっていたのですけれどもね。ですから衆議院には、
制度上過半数は関係ありませんでした。ある時期、そういう制度が運用として成り立ってきた時期もありますが、この問題は、また
いつか話したいと思いますが、そうすると国会で多数を握った政治家グループ、端的に言えば、政党が、その政党のリーダーを総理
大臣に選び、総理大臣は大臣を任命するわけです。多くの場合、自分のグループから任命します。憲法では、閣僚の過半数は国会
議員でなければならない。これもまた、マスコミは政治家ばかりで民間人は1人もいない。では、なぜ憲法にわざわざ『国会議員が
過半数でなければならない』と書いてあるのか。何で、そんなに民間人がよければ、総理大臣だけは細川さんで、あとは全部民間人
でもいいではないか。なぜ憲法に、『過半数は国会議員』と書いてあるのか。それは、国民が選んでいるからです。「国民が選んだ
中から、半数を選んでください」というのが憲法の意思で国民が選んでいるのです。国民が選んだグループ、1人ひとりを選ぶのですが、
それが民主党とか自民党、何とか党というグループ、その政党が内閣をつくるのです。政党内閣制を今の憲法は予定しているのです。
政党なのです。
17名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 06:20:39 ID:A+E0iqYs
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)O
 官僚の皆さんの言葉にいろいろな言葉があるので、そのうちだんだん出てきます。今日全部言ってしまえば来週から話すことが
なってしまいますが、ついつい調子に乗って話してしまいます。官僚の皆さんがよく使う言葉に、『行政の継続性』なんていうのが
あります。「行政というのは、菅さん、そうは言われても継続性があります」、言っておきますが大間違いです。行政が継続性だったら
政権交代なんていらない、革命なんていらない。国として、他の国と約束した条約等は、一方的にけ飛ばせません。しかし、選挙と
いうのはドンパチをやって相手の首を取る代わりに、頭の首の数を数えるのが選挙であって、それで政権が替わる。昔であれば、
豊臣から徳川に替わったりいろいろな替わり方をしたけれども、その代わりにやるのだから行政は継続なんてするのなら、何のために
選挙をするのか分からない。官僚の皆さんは、「行政は継続するものです」と言うと、何となく「そうかな」と思わせられるのですね。
官僚の皆さんの言葉には、いろいろな言葉があるのですが、ちょっぴり言うと、昔ものすごく好きな言葉があって、最近ちょっと聞かなく
なったのですが、『国土の均衡ある発展』というのです。「菅さん、そうやったって菅さんのところは東京でしょ。北海道は違うんですよ」。
北海道へ行ったら「北海道の皆さん、あなたのところは北海道でしょ、沖縄は違うのですよ」と。何で『国土の均衡ある発展』というのか
分かっていますか。問題は、『国土の均衡ある発展』に目的があるのではなくて、国土の均衡ある発展を「誰が判断するか」にポイントが
あるのです。「九州の代議士さんは、九州のことは分かっているけれども、北海道は分からないでしょ。全部分かっているのは私たち
ですよ」と。これで全部自分たちがやって、そうは言っても「多少のことは面倒を見ますから」、「じゃあ、先生のところは色を付けましょう」
と、予算をちょっぴり付けてくれるのですね。
18名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 19:34:21 ID:RWtzsvSe
長過ぎて初めしか読んでないが、管がやばいのは知ってる。
19名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 21:29:02 ID:DZ4TW96b
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)P
 1つひとつの言葉を見ると、行政の継続性とか全部違うのです。大間違いな解釈をしている。そして先ほどの話に戻ると、最近私も
これは大変だなと逆に思っています。つまり、国会で多数を握ったグループ、単独な政党であったり、今のように自民・公明を併せての
政党であったり、連立であったりしますが、グループ・政党が、事実上、国会が内閣をつくるのです。議院内閣制という言葉は、今日から
でもいいけれど、明日からやめたほうがいいですね。私も、議院の院がどっちのインだったかしょっちゅう間違えますね。意味が、よく
分からない。議院内閣制というのを、どなたか分かっていたら教えてもらいたいのですが、何で議「院」内閣制なのか分からない。国会が
内閣をつくるので。国会内閣制なので。国会の多数を取った勢力が、当然総理大臣を選びます。当然その総理大臣は、それを選んでくれた
というか、その母体を中心に内閣をつくります。政党内閣なのです。その政党内閣は選挙のときに「こうやります」と言ったことを実行する。
20名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 21:30:30 ID:DZ4TW96b
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)Q
前の政権を握っていた、例えば自民党が、「こっちで行きます」と言ったのに民主党が「あっちだ、あっちだ」と言ったら、当然
替わらなければいけないわけです。しかし官僚の皆さんは、「どの政党がなっても行政は継続しているのだから、大臣とか何とか
南野さんでもきちんと答弁できるのだから、大丈夫ですよ、誰がやったって。その代わり中身のことは私たちに任せてください」。
ある時期、それでうまくいった時期もあったのです。戦後の昭和20年、30年、40年くらいまではうまくいきました。うまくいかなくなったとき、
どうやって替えるか。官僚が、自己完結権力になっているから替えられない。官僚が、自己完結的権力です。事務次官も辞めさせられない、
まして局長も辞めさせられない。薬害エイズ問題等、やった人間は組織的ですからね。フランスだったら大統領が訴追されました。当然
歴代厚生大臣から、事務次官、局長ぐらい全員訴追すればよかったのです。1人だけ、松村という課長が訴追されましたが、それはあくまで
部分的な刑法適用ですから、あれは組織的犯罪ですからね。隠しまくっているのだから。
21名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 21:32:14 ID:DZ4TW96b
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)R
 そういう意味でいえば、行政というものが官僚というのは自己完結的な官僚組織をつくり上げている。そして選挙で多数派を握った
自民党は何のための政党か。その官僚永久政権に、正統性を与えているわけですよ。いくら東大法学部1番、上級公務員試験1番の
連中が並んでも、彼らに主権を任せたつもりはないと誰でも言いますよね。試験は通っているけれども、選挙は通っていないのだから。
そうすると、民主主義のルールからいうと、誰かが彼らに正統性を与えなければいけない。天皇の時代は明治憲法でいえば、天皇が
主権者ですから。「よし、私の代わりにあいつらにやらせろ」と言えばよかった。今の時代は、一応そうなってはいない。そうすると自民党は
一生懸命選挙をやって、そして過半数にいって、「よし、おれたちが過半数にいってやったから、中身はおまえたちやってくれよな。やらせる
からな。おれの選挙だけは頼むな」と、こうなっているのです。つまり、官僚主権国家、官僚が永久政権の国のそのグループに正統性を
与えるための選挙政党なのです。選挙政党ならあの程度の政党でいいのですが、自分たちで本当に政権を握って根本的な政策を自分たち
で立案して、もちろん専門家としての官僚の皆さんの能力は大いに使います。もちろん借ります。それを本当に自分たちの多数を握った政党が、
政権を持ってやれる政党が、果たして日本に存在するかというのが、実は私が私に聞いている問題なのです。自民党が駄目だとは思ってい
ますが、別にどの党がどうのと言っているのではなくて、つまり本当の政党内閣制というのは、そこまでの責任と能力と、ある種の力がなければ
やれないということなのです。
22名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 21:34:03 ID:DZ4TW96b
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)S
 しかし、ほかの国を見ると平気でやっているわけです。今から6年か7年前に、イギリスで10数年ぶりに保守党から労働党に、
サッチャー、メイジャーからブレアに替わりました。当時は、1年生議員が6、7割、もっといたかな。過半数を大きく割っていた
労働党が、過半数を大きく超えるわけですから。10何年ぶりですから、1年生議員がぞろぞろいる。1年生議員なんて、そんなに力が
あるわけないなんて思ったら大間違いですよ。ブレア首相が「はい、この法案」、「はい、賛成」と、パッと通るわけだから。今の小泉さん
なんていうのは、「はい、この法案」なんて言っても「だめですよ、小泉さん」、通るはずがありません。大臣までが、「いや、そう簡単には」
と言ったではないですか。ブレアさんの場合は、労働党の本当の意味でいいリーダーシップを握って、そして選挙で60何%の議席を占めて、
出す法案がどんどん通りますよ。大臣ももちろん、自分が任命しているから。大臣が、違うことを言ったら替えてもいいし、つまり総理大臣と
与党と大臣の三者が、本当に1つのことを合意して動いたら、男を女にする、女を男にする以外は何でもできると言われているのです。
法律は通る、行政は自分の仲間が各大臣をやっているわけですから。つまり自由民主党というのは、その3つがバラバラで、霞が関を
それぞれコントロールして、与党の中には族議員というそれぞれの役所の番犬を小さいころから育てるわけです。1年生議員、2年生議員の
ころから「先生、お手伝いしましょうか」、「パーティーでもあったら、お手伝いをしますよ」。パーティーの入り口の、その受付をやってくれるのか
と思ったら、きちんとパーティー券まで売ってくれるわけですからね。
23名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 21:35:34 ID:DZ4TW96b
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)21
そういうふうにして、自分の役所の番犬をつくる。だから総理大臣に、大臣にしてもらいたいけれど、世話になったお役所の顔も
つぶさない。大臣は周りを役所の人に囲まれて、読みにくい漢字には、きちんと振り仮名まで振ってくれて、それで法務大臣は
きちんと答弁ができる、こういう構造になっていますから、間違ってもその三者が一体になってこの方針で行こうという政党政権
にはなっていないわけでして、いったい何年「改革だ、改革だ」と言っていますか。私が知っているだけでも、20年近く言っています。
何にも進まない。あまり話すと政治っぽくなりますから、少し話を戻します。 そういう意味で先ほど申し上げたように、日本の
国民主権という実態は、今、申し上げたようなところです。まだまだありますから、そのうち今日は全部いいところまで言ってしまった
から、来週から来なくてもいいかと思う人もいるかもしれませんが、まだまだいろいろな場面がありますので、また申し上げてみたい
と思います。
24名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 21:36:59 ID:DZ4TW96b
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)22
 その上で、あえて言えば、今、少し申し上げたところですが、「国会の役目」と「内閣の役目」ということです。内閣というのは、
何かということなのです。内閣というのは、まさに憲法六十五条がいうように、多分憲法の中の条文として一番短いでしょうね。『行政権は、
内閣に属する』と、これしか書いてありません。この行政権は内閣に属する。内閣は、総理大臣と大臣で構成する。それは、第六十六条
に出ています。では、その内閣の物事の決定はどうするか。閣議というもので行われるわけです。私も、1996年に厚生大臣(現、厚生労働
大臣)になったときに、初めて閣議に出席をしました。火曜、金曜が定例閣議、それ以外に時々臨時閣議があります。当時自社さ政権という、
今、考えるとなかなかユニークな政権ですが、私は「さきがけ」の推薦で、厚生大臣をやりまして、時の総理大臣は今1億円でいろいろ騒がれ
ておりますが、橋本龍太郎総理大臣、梶山静六官房長官でした。
25名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 21:39:23 ID:DZ4TW96b
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)23
 まず、今の古いほうの官邸ですが、そこの丸いテーブルに座りまして第一声、総理は何か言うかと思いましたが、何も言わない
のです。官房長官が「ただ今より、閣議を開きます」。次に誰が言うのかなと思ったら、部屋の中の大きいテーブルに大臣が並んで
いるのですが、隣に小さいテーブルがあって、私のときには3人そこに座っていました。官房副長官の事務、官房副長官の政務、
それから法制局長官。確かあのとき、官房副長官の事務は古川さんだったかな。石原さんの後だから古川さんだと思いますが、
古川さんが「今日の案件について」と読み始めるのです。次から次へ、書類が回ってくるわけです。ちょっと見ようとしても、どんどん
次から来るわけです。一番上の表紙にサインする欄があるのですが、だいたいの人は「花押」というのを用意していて、自分の花押を
書くのですが、私は大臣になるなんて思ってもいなかったし、花押なんてなかったものですから、「菅」というのを自分で略称して
書いたのです。時々フルネームで書かなければいけない書類も出てきたりして、ずっと送られてくるのです。時々ゆっくり読みたくても、
どんどん来て放っておくとたまってくるわけですよ。だいたい30件から50件くらいやるわけです。次から次へ来て、「仕方ない、後で
見ようか」と思ってサインをして回して、やっと一通り終わったから「じゃあ、ちょっと」と思ったら「これで閣議を終わります」と、私のとき
はだいたい15分でしたね。これで終わりかと思ったら、少し延長戦があって、「それではただ今より、閣僚懇談会を開きます」。
26名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 21:41:15 ID:DZ4TW96b
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)24
閣僚懇談会は、だいたい事前にメモを出しているわけですよ。「厚生省(現、厚生労働省)としては、これこれこういうことについて
こうです」、「分かりました」とか言って併せて30分。翌日の新聞を見たら、「えっ何、建設省(現、国土交通省)こんなことやったの。
いったい誰が決めたんだ」、「いや、昨日の閣議で決まったはずですよ」と。自分の役所のことは、ある程度出す前から分かります。
でもほかの役所の50件も60件も、人事案件から何から週でいうと1週間で100件くらい出てくるわけです。ほとんどそんなことなんか、
細かく見ている暇がなくて、どんどん行ってしまうわけなのです。「こんなんで大丈夫かな」と思ったら、「いや、前の日に事務次官会議
をやっていますから大丈夫です」と言いました。すべての事務次官が集まって、前の日に同じ案件をやって、全部が賛成したら、
それで閣議に上がるというのがルールなのです。全部が賛成する、こんな民主的なことはないではないかと思うかもしれないけど、
全部が賛成するということはどういうことかというと、全役所に拒否権が与えられているということですからね。「厚生省だけ1兆円予算を
増やしてくれて、こっちだけ3千億を減らせなんて、そんなことできるわけがないじゃないか」と誰かが言ったら「じゃあ、仕方がありません
ね。みんな一斉に2%ずつ削りましょう」と、そういうことしか決められない。事務次官会議というのは、一体どこで決まっているのか。
内閣法なのか、国家行政組織法なのか、何法なのかといろいろ調べてみましたが「見つかった」ということはありませんでした。いくら
やっても絶対に見つからないのはなぜか。
27名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 21:42:29 ID:DZ4TW96b
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)25
それは、法律がないからですよね。慣例でやられているわけで、法律がないのです。ここがすさまじいでしょう。法律があれば、
法律を変えればいいけれど法律がない。時々、私は「事務次官会議は廃止だ」と言うと「いや、廃止されても、それでは運営が
できないのではないですか」と事務次官経験者が言っていますが、やれるかやれないかは、政権が替わったときに見ていて
もらいたいと思っています。 今ポイントだけを言いましたけれども、そういうふうに日本の内閣というのは、形の上では憲法上も
仕組みの上も、行政の最高決定機関です。政府提案の法案は、そこを通さないと出ません。法案は、まだ国会議員が何10人か
いれば出せますが、予算は内閣しか出せないことになっています。条約の批准も、国会に出すのは内閣です。内閣の閣議決定
がなければ動かない仕組みがたくさんあります。しかし、その行政の中心の中心の中心が、実は空っぽなのです。実は空っぽ。
誰も責任を持っていない。
28名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 21:43:34 ID:DZ4TW96b
 『国民主権論』第1講  (2005年4月11日・法政大学大学院)26
すべての役所の事務次官が、合意をするということは、自分の役所の利害を考えるけれども、日本の国の将来は考えていない
ということですからね。つまりそれが、今の日本の憲法が規定している内閣、内閣の最高決定の閣議の、それが実態、空っぽ
なのです。誰も責任を取らない。だからこの10年間で、多分銀行だけでも100兆以上の金をつぎ込んだでしょう。国債が、戦争も
やらないのにこんなに700兆も増えてきて「誰が悪いんだ」って、「ほんと、悪いですね、ひどいですね」と、政治家も含めてみんな
隣の人の顔を見るわけです。 誰も決めた意識がない。誰も、自分が決めたという意識がない。つまり空洞なのです。だから、
日本はおかしくなってきた。そういう意味で、私は国民主権論というのは単に「もっと民主的にやりましょう」という、そういう立場を
越えてやはり自分たちでこの国をもう一度建て直すには、自分たちがこの国を治めるのだと、そしてそのルールを自分たちでつくる
のだという気概を持ってやることが、条文がどうであっても国民主権になっていくだろうと、なっていってもらいたいと私は思って
おります。ほぼ予定時間を若干オーバーしましたが、今日のイントロのお話をこの程度にさせていただきます。
どうもご清聴ありがとうございました。  (終わり)
29名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 22:04:17 ID:DZ4TW96b
第1講終了。
ムダに長い…orz
30名無しさん@3周年:2010/02/13(土) 09:32:39 ID:LYHiX1/J
キツい電波だなぁ
31名無しさん@3周年:2010/02/18(木) 03:07:09 ID:fWOezLnT
菅直人、原口一博を告発しよう part1
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1266427081/
32名無しさん@3周年:2010/02/18(木) 12:31:25 ID:w8kYf83m
一日一レスにしたらどうだ?
33名無しさん@3周年:2010/02/25(木) 23:00:33 ID:NHp/+Ne+
>>32
そうするわ。
34名無しさん@3周年:2010/02/25(木) 23:19:41 ID:NHp/+Ne+
菅直人のEメール講座『国民主権論』第2講
『国民主権論』第2講  (2005年4月18日・法政大学大学院)
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はじめに・ドキュメントファイル「資料1」(※)を添付します。 ・第2講で課題文献としたものは
「国会イメージの転換を」(松下圭一・『世界』1977年2月号掲載)です。現在では「戦後政
治の歴史と思想」(ちくま学芸文庫)に収録されています。 ・第3講の課題文献は「大臣」
(菅直人・岩波新書)の「第5章 座談 行政権とは何か」(p.171〜 p.232)となります。
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(※転載者註 添付資料は割愛します)
35名無しさん@3周年
『国民主権論』第2講 1
菅教授 
それでは今日は、先週手を挙げていただいたAさんが、この報告をしてくださるということで、もうメモも出ていますが、この場所を
譲りますので、20分、30分くらいで、課題文献「国会イメージの転換を」(松下圭一・『世界』1977年2月号掲載)を読んでの問題提起
をしていただきたいと思います。よろしくお願いします。
発表者A 
皆さん、こんばんは。法政大学大学院のAと申します。 大学院のほうでは、政治学ではなく環境マネジメントのほうを専攻しています
が、今回菅先生の講義に参加することができ、しかも一番最初にこのレポートを発表することができて、非常にうれしく光栄に思って
います。 私は、この松下先生のような論文を読む機会というのは、今まであまりなかったのですが、読んでみて非常に内容が濃い
論文で、このページ数以上に内容が詰まっている論文だという印象を受けました。今日は、要約のレポートと問題提起ということで、
本当にこの論文をお話しすると、20分、30分どころか、1時間、2時間とかかってしまいそうな内容です。1時間半という限られた時間
ですし、ディスカッションの時間も非常に重要なので、皆さんは私の話ではなく、菅先生の話を聴きに来ていると思いますから、なるべく
手短に、簡潔に要点をまとめたいと思いますので、よろしくお願いします。