1 :
名無しさん@3周年:
ここでやれよ
2 :
名無しさん@3周年:2009/09/07(月) 22:23:09 ID:QjZRKKkj
2GET
カワイイへ
慣習的な状況も説明も出来ないまま、個人に対し平和に対する罪で裁く事が、
国際慣習法として存在していたと主張するのもオカシイ。
カワイイへ
>そこで、それまでの国際条約を基盤として「平和に対する罪」と「人道に対する罪」に収斂させた。
一体いつ、誰がだよ。
俺にはそれが、ドイツと日本が戦争を始めた事後におけるロンドン協定以外しらないぞ。
5 :
名無しさん@3周年:2009/09/07(月) 22:43:51 ID:EJCv6+7D
田母神を野放しにしては
ならない!
6 :
名無しさん@3周年:2009/09/07(月) 22:48:14 ID:FAtYUnhS
ヒトラーマンセーで三国軍事同盟(交戦国と軍事同盟で自動参戦)運動したのが
「宗教と社会主義」のダブスタの近衛文麿や民主党思想の前身の社会大衆党
7 :
名無しさん@3周年:2009/09/07(月) 22:54:10 ID:FAtYUnhS
三国軍事同盟は第二次世界大戦交戦国(1938年、ナチスの宣戦布告なきポーランド侵攻で
英仏からナチスドイツは宣戦布告される。)のドイツとの軍事同盟である。
交戦中の国との軍事同盟は、国際法上、一般的に「自動参戦」を意味する。
その自動参戦を熱烈運動したのが↓の連中
(戦前)社会大衆党―(戦後)社会党、民社党―社民党、民主党
「近衛首相はこの精神をしっかりと把握されまして、もっと大胆率直に日本の進むべき道はこれであると、
かのヒトラーの如く、ムッソリーニの如く、あるいはスターリンの如く大胆に進むべきであると思うのであります」
(昭和13年3月16日、衆議院本会議、社会大衆党代表西尾末広、国家総動員法、三国軍事同盟熱烈賛成演説)
http://www.c20.jp/1938/03nisio.html
8 :
名無しさん@3周年:2009/09/07(月) 22:55:53 ID:FAtYUnhS
訂正
>1938年、ナチスの宣戦布告なきポーランド侵攻
↓
>1939年、ナチスの宣戦布告なきポーランド侵攻
9 :
名無しさん@3周年:2009/09/07(月) 23:02:57 ID:FAtYUnhS
パリ不戦条約や国際連盟の理想主義は、ヒトラーのようなファシス
にとっては侵攻にとって援軍でしかなかった。
その反省にもとづいて、できたのが安全保障思想を重視した戦後の国際連合、
国際連合憲章。
その連合軍側の、第二次世界大戦への反省が十分になされないうちに、
空想的平和主義のパリ不戦条約を妄信して憲法草案したのがGHQ。
10 :
名無しさん@3周年:2009/09/07(月) 23:06:57 ID:tLDDcb95
靖国の背景を考える★108のID:KKY3ECeb(南京事件FAQ)へ
>関係のないこちらに聞いても、答えなんざ出るもんかW
おーい! 南京事件FAQ。答えは出ているぞ。
「国際条約を違反した大日本帝国は100%悪いということになりますね。」
南京事件FAQは、満州事変と南京事件について、
中国に出かけて、中国人に直接謝罪して来いよw
謝罪は行動で示せ。南京事件FAQは、中国で切腹して来いよw
11 :
名無しさん@3周年:2009/09/07(月) 23:18:06 ID:FAtYUnhS
現憲法9条は、
1、第二次世界大戦にいたる経緯について、国際社会の歴史調査が十分にされないうちに
つくられた「周回遅れ平和主義(破綻したパリ不戦条約が元)」で、歴史の教訓を無視した、
最も知恵の遅れた、陋習の安全保障思想の条項でしかない。
2、国際連合憲章での敵国条項を裏づけするために対応した条項でもあり、
敵国条項が無効になった今日、憲法9条の意義はまったく陳腐なものでしかない。
3、第二次世界大戦からの歴史の教訓によれば、戦争誘導条項であって、
平和条項ではない。
4、上記3は、米軍が朝鮮半島から撤退した(李承晩が日本侵攻を企て韓国軍を釜山
に集結させ北との国境線一体がガラ空きになった。)隙をついて北朝鮮軍が侵攻した
朝鮮戦争によって再度、実証されている。
12 :
名無しさん@3周年:2009/09/07(月) 23:27:36 ID:FAtYUnhS
李承晩思想(日本への侵攻思想)は今も朝鮮半島で隠然たる勢力を持つ
(特に旧朝鮮王朝のヤンバン階級)支配層に厳然として残っている。
そもそも中華思想、小中華思想(朝鮮半島)は「日本は属国」とみなす思想。
(ついでに言えば、だから小中華思想国民にとっては「日韓併合」は「耐えがたき屈辱」
なのである。だから執拗に「植民地政策」という言葉を使い「保護国政策」とは
言わない。)
13 :
名無しさん@3周年:2009/09/09(水) 17:17:04 ID:vxYqia1F
14 :
名無しさん@3周年:2009/09/09(水) 17:17:39 ID:9kPMZBQ+
15 :
名無しさん@3周年:2009/09/10(木) 14:24:23 ID:jQ9l0GfM
16 :
名無しさん@3周年:2009/09/10(木) 21:12:52 ID:0H6h3uC2
>>10 日中共同声明(1972年)
「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた
ことについての責任を痛感し、深く反省する」
反省をしている人に「謝罪」は不要と先方は言ってきているが?
おk?こうした条件を無視し、条約ですでに解決している問題を何度も蒸し返しているのは、
キミのような大東亜戦争は正しかった、侵略ではないと主張している右翼です。
中国に対して謝罪すべきなのは、キミのような右翼です。
ID:VAa8Sq83 こそは、満州事変や南京事件について、
中国人に直接謝罪し、切腹して来いよw
17 :
名無しさん@3周年:2009/09/12(土) 15:43:37 ID:FIX+V4V+
政府が謝罪する度にこう言うアフォが帳消しにしてくれるから本当に困る。
○奥野誠亮 国土庁長官
白色人種がアジアを植民地にしていた。それが日本だけが悪いことにされた。だれ
が侵略国家か。白色人種だ。何が日本が侵略国家か、軍国主義か。(江戸時代に)開
国して目をさましてみたら、軍事力強化の立場に追い込まれていた。(八八年四月二
十二日の記者会見で)
○永野茂門 法相
日本で言う大東亜戦争というものが、侵略を目的にやったか。日本がつぶされそう
だったから生きるために立ち上がったのであり、かつ植民地を解放する、大東亜共栄
圏を確立するということを、まじめに考えた。
私は南京事件というのは、あれ、でっち上げだと思う。(一九九四年五月五日付毎
日新聞朝刊のインタビュー。最近の朝日新聞との会見では「南京虐殺は認めるが、何
十万人も死んだというのはでっち上げ」と釈明)
○桜井新 環境庁長官
日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかったと思っている。(中略)全
体のことについてはある程度わびる必要があるけれども、しかし日本だけが悪いとい
う考えで取り組むべきではないと思う。むしろアジアはそのおかげでヨーロッパ支配
の植民地支配の中からほとんどの国が独立した。(九四年八月十二日の記者会見で)
19 :
名無しさん@3周年:2009/09/12(土) 16:50:24 ID:kf7WHuDe
十五世紀末に、スペインとポルトガルが地球を真っ二つに分けて東西に分割しようとしたトルデシリャス条約に依って、
北海道からインドネシアに抜ける軌道にラインを引き、最終的に日本を狙っていた。
その二百年後、イギリスとロシアがユーラシア大陸を真っ二つに分けて取り合おうとした。
当然日本が最終目標にされていた。
スペインとポルトガルの追い払いには日本は成功したが、イギリスとロシアは簡単にいかず、
イギリスに敢えて利用される形で明治三十七年の日露戦争となる。
植民地争奪の最初、イギリスはアフリカの南を押さえてインドに入り、フランスと戦ってインドを攻略。
次いでビルマを手中にし、一方はインド北方のネパールを侵略。ブータンにも侵入しチベットを服属国にした。
ロシアが日露戦争で足踏みをしている隙を狙った物である。
ロシアはそれに先立ちシベリアを侵略、カムチャッカを強奪、アラスカへの直通航路を開拓し、
黒竜江に侵入して清国と衝突、ロシアが中央アジアを屈服させたのも同時期。
フランスはインドとカナダをイギリスと争って破れ、インドシナ半島に固執して支那雲南に入った。
20 :
名無しさん@3周年:2009/09/12(土) 16:51:05 ID:kf7WHuDe
イギリスはオーストラリアとニュージーランドを早くから植民地しにしていたが、
その北方のインドネシアをオランダと暫く争った。
しかしイギリスはシンガポールを押さえる代わりにインドネシアをオランダに任せ、
オランダは四十年に及ぶ内戦で釘付けになり、疲弊して脱落した。
アフガニスタンとイランは、英露の抗争で分割され、蒙古、ウィグルも蹂躙される。
イギリスはオランダを現地人と戦わせて、その隙にシンガポールを拠点にフランスと支那の進出を競った。
アメリカの対日政策が始まったのは、明治三十八年(1905年)の桂・ハリマン協定以後。
その語にオレンジ計画や日本人への排外政策が始まっている。
アメリカは太平洋に進出、ハワイを攻略後、ジョンストン島、グアム島、ウェーク島、
サモア、フィリッピンを侵略領有し、英仏露と同様に支那を狙う段階に入り、日本が邪魔になった。
満洲事変以前のアジア全土の九十九パーセントは、欧米列強の専横と化していた。
この世界情勢の只中で、日本が当時唯一アジアで残った対抗し得る国であり、この帝國主義を跳ね返す力が有った。
21 :
名無しさん@3周年:2009/09/13(日) 13:40:39 ID:xVo0BphH
22 :
名無しさん@3周年:2009/09/18(金) 17:28:05 ID:8urzBi/a
特攻隊は気持ち悪い
正しくは、終戦を真面目に考えずに無駄に若者達を死へ追いやった、
戦争指導者連中が気持ち悪い・・・・って所やね。
24 :
いるか:2009/09/19(土) 05:36:53 ID:xyE/DcAJ
世界大戦は、すべて日本の計画どおりに・・
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/02/3/34.html 第一次世界大戦も第二次世界大戦も、見事に計画どおり行われた。
敗戦は、日本政府にとって莫大な埋蔵金を作る絶好の機会となった。
当時の軍人は、結構高給取りで、10年も従軍すれば、金は溜まる一方だった。
現在の価値で、4000万円ほどは貯金ができたはずだ。
それが、敗戦の混乱で、円の価値が100分の一になり、気がつくと、貯金は40万円の価値になっていた。
混乱した食糧事情で、10年分の命がけの戦争は、1月分の食料となり、消えていった。
結局、多くの日本兵は、命をささげた「ただ働き」をさせられていたわけだ。
日本政府は、ドイツの第一次大戦後の爆発的インフレを分析し、このことを熟知していた。
そして、経済復興も10年で達成できることも、・・・・・・・・。
25 :
名無しさん@3周年:2009/09/22(火) 01:42:27 ID:avI0bb0R
age
26 :
名無しさん@3周年: