不良債権問題の解決はヤクザの殲滅から106

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>■リカードウと地金論争
>
> マルサスの友人にして論争相手であったリカードウは、19世紀初頭のイングランド
>で盛り上がった二つの経済論争に加わることで自らの理論体系を構築していった。
>リカードウが経済学者としてデビューする舞台となったのが地金論争である
>(「金の価格」1809年)。地金論争はその後の通貨や信用に関する数多くの研究を
>生み出すきっかけとなっていく。
>
>リカードウ:(1772-1823)。古典派経済学を確立した経済学者。株の仲買人として
>大もうけし、1799年に休暇先で読んだ『国富論』がきっかけとなり経済学の研究を
>開始する。穀物法批判のために執筆した『利潤論』(1815)を発展させ、階級間での
>分配問題を焦点にした体系的な『経済学原理』(1817)を著す。(略)
>分配論はマルクスなどに継承され、貿易を扱った比較生産費説は新古典派へと
>継承される。(略)
>
> 18世紀にはまだ中央銀行が存在していなかった。民間の金融業者たちが設立した
>イングランド銀行は、ロンドンでの銀行券の独占的な発行権を持っていたが、
>あくまで民間業者に他ならず、他の地域では小規模な地方銀行がそれぞれの
>銀行券を発行していた。ナポレオン戦争期の1797年にウェールズにフランス兵が
>上陸した。この情報は人々をパニックに陥れ、人々は安全な資産である金を争って
>求めようとした。そのために、地方銀行は兌換請求(銀行券の金貨への交換)に
>見舞われる。金準備の枯渇した地方銀行はイングランド銀行から金貨を借り受け
>ようとした。しかし、イングランド銀行も金準備が急速に減少した。そこで政府は
>ポンドと金の一時的な兌換停止を決定し、★金本位制から離脱することになる。
>この兌換停止は1821年まで継続する。
>
>★金本位制から離脱したために物価上昇がはじまる。多くの商品の価格が上昇し
>始めたのである。とりわけポンドで表示される地金価格の上昇が注目をあびる
>ようになった。また、為替市場では外国の通貨に対してポンドが下落する事態、
>すなわちポンド安が起きていた。こうした状況の中で物価上昇の原因やその
>対策をめぐる論争が生まれた。これが【地金論争】である。