不良債権問題の解決はヤクザの殲滅から106

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> 実際、【IMF体制】は、200億ドルの金に裏付けられたドルを軸にして構成
>されたのです。
> この【IMF体制】が●金為替本位制です。
> それは、【●金ドル本位制を前提として、その上に各国の通貨が乗る】という
>形になっていました。
> 協定では
>(略)
>しかし、これは各国の平価設定時の基準尺度を定めたものにすぎません。
>また、同第二項には金の買入れに際しての条件を、また第四項には金の売買と
>平価維持義務の結び付きが明記されていますが、これらはいずれも金とドルの
>交換を積極的に保証しているものではないのです。
> ドルの金価値自体は必ずしも絶対的なものではなかったのですが、IMF成立以前
>から世界の金準備の大半を保有していたアメリカが、なんの支障もなく外国
>公的機関保有のドルに対して金交換に応じていたために、この限りでドルは
>唯一の金為替とされ、また◆準備通貨の地位が与えられていたのです。この
>は1971年まで続きました。
>
> 1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領は
>(略)ドルと金の交換停止を含む新経済政策を発表しました。
> いわゆる★ニクソン・ショック★です。
> この年の12月、アメリカのワシントンにあるスミソニアン博物館で、先進一〇
>カ国蔵相会議が開かれ、ドルの切り下げと為替変動幅の拡大が取り決められました。
>具体的には金とドルの交換率が、一オンス=35ドルから38ドルヘ引き上げられ
>(ドルは七・八九%切り下げ)、円は一ドル=360円から308円(16.88%
>切り上げ)となりました。また、為替変動幅は、上下各1%から上下各2.25%
>へと広がることになりました。この●固定相場制が【スミソニアン体制】です。
>
> しかし、【スミソニアン体制】でも、米国や英国の国際収支の悪化は止まりません
>でした。英国をはじめ、各国が【スミソニアン体制】を放棄、早くも1973年には、
>主要先進国は●変動相場制に移行することになります。
> そして1976年1月、IMFの暫定委員会で、●変動相場制の正式承認を含む、
>IMF協定の第二次改正が決定され、金 が 廃 貨 となりました。