靖国の背景を考える★98

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246アジア諸国独立と発展繁栄は靖国英霊の功績
           幕末から現代までの日本史 その1

欧米は、東南アジア独立政府と支援する国民の大虐殺して植民地奴隷支配略奪搾取して
いたのだ。日本は、欧米の侵略行動に直面【馬関戦争(長州と欧州の戦争)、薩英戦争】
して不平等条約により開国した。明治維新は欧米のアジア侵略を阻止するために富国強兵、
殖産興業、廃藩置県、四族平等、立憲君主制の民主主義により、日本人マンパワーをフル
発揮出来る体制を構築して、国力増強にこれ勤めたのです。何れ不平等条約改善を目標
に国を強くした。

日本は、アジア諸民族の富を欧米植民地主義者から守る為には、日本・朝鮮・清国が力
を合わせて欧米に対応するべきと考えて、朝鮮に挨拶して、いきなり日本・朝鮮・清国
共同防衛構想が頓挫した。

それは、幕府から明治政府へ政権交代したので宜しくと挨拶したら、朝鮮は認めず否定
したのだ。理由は、勅とか皇帝とかは、清国のみに認められるものであり、日本が使っ
ては成らないと言う時代錯誤のイチャモン外交を朝鮮は突きつけてきた。そこで、チョ
イと脅して、朝鮮は清国の属国ではなく対等の朝鮮皇帝であり、日本皇帝とも対等です
よと確認する日朝修好条規を結んだ。

以後も何かにつけて清国は、朝鮮を清国の者で有るかのように振る舞うので日清戦争で
決着つけて正式に朝鮮を独立国と確認し、それを期に大韓帝国と改名することになった。

満州を李鴻章との密約で植民地奴隷支配略奪搾取に成功したロシアが朝鮮39度以北を支
配させろと言ってきた。それは朝鮮民族も日本防衛に取っても危険な行為なので日露戦
争勝利し満州をロシアから解放し、後に満州人皇帝による満州国建国を支援した。
つづく
247アジア諸国独立と発展繁栄は靖国英霊の功績:2009/05/29(金) 15:16:38 ID:TSZgw0RD
             幕末から現代までの日本史 その2

朝鮮国内では、日本との合邦(合併)を要求する声が有ったが伊藤博文は反対だった。
ところが、暴徒に伊藤博文が暗殺され、一進会は、1909年12月「韓日合邦建議書(韓日
合邦を要求する声明書)」もあり、日韓併合することに成ってしまった。
日本は、日本の安全保障の為、朝鮮民族の為に朝鮮近代化にこれ勤め、日本国民の税金
・資本金・人材を朝鮮に投入して、原始人のような朝鮮民族を近代化へと誘い大変当時
の朝鮮人から感謝されました。
http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/cyousenrekishi.html 日本統治前と統治中のソウルです。

アジアの小国日本が大国ロシアに勝利し、朝鮮民族・台湾民族を近代化に導引き、帝国
議会に朝鮮・台湾代表議員を受け入れ民主主義の手本を示したのです。【欧米領土であ
るフィリピン・インドネシア・ビルマ・インド等に民主主義の欠片も無かった】
満州をロシア植民地から解放し独立国満州建国支援したことは、欧米奴隷支配と略奪搾
取に苦しむアジア諸国民に、アジア諸国解放と独立への大きな自信を与え、独立闘争が
激しくなり欧米植民地支配は困難になり、不可能になり名ばかりの自治を認めたり独立
約束の空手形を乱発する国まで現れた。

日本のアジア諸国近代化民主化政策に危険を感じた米国は、アジア解放の星である日本
を植民地にしてしまえばアジア諸国民を黙らせ、欧米植民地奴隷支配略奪搾取は永続可
能と企み、米国は植民地として手付かずの日本侵略戦争(オレンジ計画)を企み準備を
進め些細な事にイチャモンを付け日本封じ込め外交政策をした。その最たる者が戦前の
理不尽な要求であり日本がそれでも戦争を回避の外交交渉を模索すると、開戦前から日
本軍攻撃を仕掛け、さらに最後通牒を突きつけててきたのです。これに屈するのは戦わ
ずして植民地にされてしまうと、明治以来抱いていたアジア解放と独立を目指す大東亜
戦争と位置付け開戦に踏み切り終戦後大東亜共栄圏として発展反映を目標とした。
つづく
248アジア諸国独立と発展繁栄は靖国英霊の功績:2009/05/29(金) 15:18:37 ID:TSZgw0RD
             幕末から現代までの日本史 その3

日本軍は、アメリカ領土フィリピンに侵略し米軍を追放して念願のフィリピン人政府に
よりフィリピンを300年ぶりに独立させたのです。
さらにオランダ領土インドネシアに侵略しオランダ軍を追放し、現地人に政治統治教育
と郷土防衛義勇軍を編成し独立闘争訓練をし、インドネシア開拓を厳しく支援して、独
立は貴方たちに独立準備が出来たときですと言い渡し、スカルノ氏(後の大統領)は感
謝しますと答え日本人による郷土建国開拓労働の厳しさの意味を説いて激励した。
つぎにイギリス領土ビルマに侵略しイギリス軍を追放し、ビルマ人の政府による建国を
支援した。そして、東京においてアジア諸国指導者を集い国力戦力20倍の欧米植民地奴
隷支配略奪搾取者から解放と独立の戦いをするにはアジア諸国民が共に協力しなければ
不可能である事を確認し共に戦う事を公約し大東亜共栄圏建国を誓い合った。
日本は、アメリカの戦争ルール違反の、大都市民間人無差別絨毯爆撃と原爆2発により
降伏のやむなきに至ったが、大東亜会議の公約をアジア諸国民が実行して解放と独立を
確かなものにし戦後の世界秩序として大東亜共栄圏は日本敗戦にも関わらず戦争目的は
達成し戦後の発展と繁栄を達成することに成功したのです。
戦争勝利の定義が戦争目的達成にあるなら、日本はアメリカの戦争ルール違反に負けた
が実質的には戦争目的アジアの開放と独立させ大東亜共栄圏を戦後実現し実質勝利した
と表現する事も出来るのです。
日本降伏によりアメリカの占領政策は、日本国民に白人主義思想押しつけ徹底するため
言論思想統制と報道検閲はもちろん民間の信書(手紙)に対しても厳しい検閲をして白
人正義教育を徹底した。その内容は、日本政府と日本軍は日本国民の敵であったとして
白人は日本政府と日本軍から日本人を解放する戦争をしたとねつ造教育を徹底した。
それが戦後占領教育で出てきた軍国主義であり、逆に大東亜とか大東亜共栄圏などを使
うことを禁止したのです。そして日本民族の知恵の集大成である図書7000冊も破棄処分し
て民族思想の断絶させ、日本民族の知恵7000冊を略奪搾取して著作権料も支払わずに
米国に持ち去り未だに日本民族に返却していないのです。つづく