幕末から現代までの日本史 その2
朝鮮国内では、日本との合邦(合併)を要求する声が有ったが伊藤博文は反対だった。
ところが、暴徒に伊藤博文が暗殺され、一進会は、1909年12月「韓日合邦建議書(韓日
合邦を要求する声明書)」もあり、日韓併合することに成ってしまった。
日本は、日本の安全保障の為、朝鮮民族の為に朝鮮近代化にこれ勤め、日本国民の税金
・資本金・人材を朝鮮に投入して、原始人のような朝鮮民族を近代化へと誘い大変当時
の朝鮮人から感謝されました。
http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/cyousenrekishi.html 日本統治前と統治中のソウルです。
アジアの小国日本が大国ロシアに勝利し、朝鮮民族・台湾民族を近代化に導引き、帝国
議会に朝鮮・台湾代表議員を受け入れ民主主義の手本を示したのです。【欧米領土であ
るフィリピン・インドネシア・ビルマ・インド等に民主主義の欠片も無かった】
満州をロシア植民地から解放し独立国満州建国支援したことは、欧米奴隷支配と略奪搾
取に苦しむアジア諸国民に、アジア諸国解放と独立への大きな自信を与え、独立闘争が
激しくなり欧米植民地支配は困難になり、不可能になり名ばかりの自治を認めたり独立
約束の空手形を乱発する国まで現れた。
日本のアジア諸国近代化民主化政策に危険を感じた米国は、アジア解放の星である日本
を植民地にしてしまえばアジア諸国民を黙らせ、欧米植民地奴隷支配略奪搾取は永続可
能と企み、米国は植民地として手付かずの日本侵略戦争(オレンジ計画)を企み準備を
進め些細な事にイチャモンを付け日本封じ込め外交政策をした。その最たる者が戦前の
理不尽な要求であり日本がそれでも戦争を回避の外交交渉を模索すると、開戦前から日
本軍攻撃を仕掛け、さらに最後通牒を突きつけててきたのです。これに屈するのは戦わ
ずして植民地にされてしまうと、明治以来抱いていたアジア解放と独立を目指す大東亜
戦争と位置付け開戦に踏み切り終戦後大東亜共栄圏として発展反映を目標とした。
つづく