官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

このエントリーをはてなブックマークに追加
284名無しさん@3周年
によるもので、筋書きは次のとおりである。老いさらばえた象が仲間の群れから見捨てられ死を覚悟するが、たまたま人間の持っていたミルクを飲んで生き延びるうちに神象扱いされ、民衆の信仰の対象となる。だがある時ミルクを持った女の首に長い鼻を巻き付けて殺してしま
う。当局は人殺しの象だということで射殺を決定し、英国統治時代に象撃ちを経験した男を探し出して依頼する。男は仲間と共に象を追いつめるが、他方から来た民衆たちが象を囲んだため射殺をあきらめる。この短篇について藤原は解説で、象を霊獣扱いするインドの習慣を知
らないとこの小説の妙味は分からないこと、インドの宗教であるジナ教(ジャイナ教)では輪廻思想に基づいて解脱のためには出家が必要とされ、あらゆる生物を殺すことが禁じられており、この思想はインドの仏教やイスラム教にも影響していること、イランのホメイニ師を中
心とした政変を見れば分かるようにイスラム教は世俗化が進む世界のなかでも行動性を保っていることなどを縷々説明した上で、次のように述べる。こうしたイスラム教的行動力と、仏教やジナ教にみられる”無害”〔殺生の禁止〕の思想がインド、パキスタンでは微妙に民衆の
深層心理を支配しており、それがゾウの神格化と結びついて社会現象を描いたのが、この作品だといえる。41) 藤原はそれに続いて、《では、この作品の中で同じインド(パキスタン)の森林当局がゾウを単なる殺し屋だと判断したのはどういうことなのか。同じインド人であり
ながら、どうして当局は民衆とは正反対の判断をくだしたのか》という問いを発する。そして、それは欧米に留学できるような一握りの裕福な人間だけが当局の役人となっているからであり、彼らは欧米から《人間生活を脅かすものは”害獣”として処理する野生動物管理思想を
吹き込まれて帰国》するのであり、象を神格化する民衆は彼らの目には無知蒙昧と映るので、力ずくでも自分たちの”近代性”を実現しようとするのだ、という。そして象が殺されない結末は、民衆の勝利を表現していると述べて、次のように書く。そしてこれこそ、じつに今日
、アフリカをふくむインド、イスラム圏と第三世界が国際世論の中ではたす新しい傾向を示しているといえよう。自然保護の世界戦略において、欧米諸国は今まで常に自分たちの理念を強引に世界中に押しつけようとしてきた。しかしその理論や近代性、そして武力などでは圧殺