官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

このエントリーをはてなブックマークに追加
282名無しさん@3周年
る」のは時代遅れだ、と言っている箇所である。つまり、野獣を殺す人間は狩猟監視官やその補助には使えないというのだ。ジョージが生きたのは、人を襲う野獣や密猟者が跋扈する現実のアフリカであった。彼自身も金鉱探しや野獣狩りなど、当初は流浪と冒険を楽しむ生活を
送っていたのであり、やがて縁があって狩猟監視官という仕事に就いたのである。つまり、現代にありがちな「野生動物や自然を守れ」という理念から仕事に入った人ではない。そうした人間の行動様式は、たしかに現代から見ると矛盾含みのところもあるだろう。けれどもジョ
ージにとって大事だったのは、現実のアフリカで自分に課せられた仕事をうまく処理するということであって、そこでは野生動物の命だけでなく人間の生活も大事だったのである。自伝を読むと分かるが、彼はしばしば密猟者に寛大であり、形ばかりの罰を与えただけで放免して
いる。密猟がなぜ起こるのか、彼は知っていたからだ。密猟をするのは経済的に恵まれた白人ばかりではない。むしろ現地人に多い。彼らは貧しく、カネが欲しいばかりに密猟を行う。或いは、彼らは以前は生活習慣として狩りをしていたのに、白人が一方的に狩猟禁止の法律を
作ったために「密猟」とされてしまうのだ。こうした状況下にあって、野生動物保護に必要なのは「滅びかかっている野生動物を守れ」という理念的なお説教ではない。現地人が密猟をする必要がなくなるような社会を作っていくことなのである。無論、ジョージのしていたこと
は対処療法的な仕事であって、社会の構造を根本的に変えていく政治的な仕事ではなかった。けれども、自分の仕事が野生動物保護だけでなく現地人生活の秩序維持とも密接に関わっていることは十分自覚しており、それが矛盾を含んでいることも認識していたのである。
E.でも述べたように、彼はその二度目の自伝の中で、自分がアフリカへのいわば不法侵入者であること、ヨーロッパ人がアフリカに勝手に国境線を引いたこと、それによって野生動物の移動が妨げられたこと、現地人に猟を禁じる権利が欧米人にあるかどうか疑問であることな
どを指摘していた。無論、これは正しくはあっても、十分な見解ではない。時代の変遷によって人と野獣のバランスは変わる。場合によっては「野獣は絶対に殺すな」という理念を押しつける必要が生じることもあろう。しかしそれは「野獣を殺すな」という理念が時代と状況を