官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’
G. 改めて『野生のエルザ』という本の意味を考えてみよう。ベストセラーになり多くの国で翻訳出版され、66年に映画化もされたこのノンフィクションは、人間とライオンの心の交流を描いた作品として素直に感動して読んでいい書物だと思う。しかし歴史の流れの中におい
てみると別の意味が浮かび上がってくるだろう。すなわち、英国によるアフリカ統治が終わろうとするときに、白人の存在理由を改めて打ち出した書物なのである。
この本では、主人公はライオンでありまたその育成や再野生化に打ち込む白人夫妻である。アフリカの美しいと同時に凶暴な自然も印象的だ。他方、本来そこに暮らしているはずの現地人の姿は影が薄い。野生動物の育成や保護と言えば、自然が破壊されつつある時代にあって誰
もが賛成せざるを得ない。また、野生動物や大自然には無条件で人を惹きつける魅力が備わっているのも確かだ。しかしこれから独立して近代国家建設を目指すケニアにあって最大の課題は、人の育成と仕事の確保だったはずなのである。 無論、人材育成・仕事確保と自然保護
とは必ずしも矛盾しない。自然を守り、それを観光資源として活かすための人材育成という道もあるからだ。ただしそれは口で言うほど簡単ではない。そもそも野生動物を保護するという思想自体が、アフリカで生業を営んでいる現地人から離れた発想であり、ジョージも述懐し
ていたように(E.を参照)、不遜さを含む考え方だったのである。しかし、減少しつつある野生動物は守らねばという訴えも説得的である。現地人の仕事を作ることと組み合わせれば、文句の付けようのない思想だ。だが、はたして『野生のエルザ』はそういう認識下で読まれ
たのだろうか。むしろジョイとライオンの交流、そしてアフリカの大自然の素晴らしさからベストセラーになったのであって、現地人の暮らしを理解し独立後の仕事を作るという課題からは逆に目をそらさせ、やや厳しい言い方をするなら、英国の積年に及ぶ不当なアフリカ支配
を忘れさせる役割を果たしたのではないか。 60年に出たこの本は、63年のケニア独立と入れ替わるようにして受容されていった。植民地時代には自分たちの利益しか目になかった欧米人が、今度は独立したアフリカの野生動物に目を注ぐ。いずれも現地人への関心が欠如してい