官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

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279名無しさん@3周年
スが含まれている。藤原英司がこの説に批判的だったのは前述のとおりであり、彼女がそれ以前には原住民の助手から信頼されていたと強調しているのだが、私は時代の変遷という数値を代入すればこの問題は矛盾なく解けると考えている。ジョイが『野生のエルザ』を発表した
のは1960年、ケニア独立の3年前、マウマウ団の決起が鎮圧されて数年後である。つまり時代の大きな変わり目である。それ以前であれば、アフリカの白人はあくまで主人として黒人に君臨することができた。黒人助手の白人に対する「信頼」も、こうした背景から来る従順さの
変形に過ぎない。いかに彼女が短気であれ安全だったのである。しかしマウマウ団決起とケニア独立によって、特に急進的でない黒人の意識も変わっていく。ただしその変化はあくまで徐々にであり、顕在化するのには時間がかかる。ジョイが殺されたのは、そうした意識の変化
が犯罪という形をとって不意に浮上したものだったのではないか。加えて、独立後のアフリカのたどった複雑な事情も働いているだろう。 60年はアフリカで17カ国が一挙に独立し、「アフリカの年」と呼ばれた。しかしやがて新興国家は壁に突き当たる。ここで詳しく論じる余
裕はないが、新しい産業興しが失敗する一方で、部族間の抗争が激化してゆく。32) 独立したての頃の希望が失われ、徐々に現実の桎梏の下で現地人の意識も鬱屈していったのである。ジョージの殺害については資料が少ない。最も信頼のおけそうなGeorgeAdamson Wildlife Pre
servation Trustのサイト33)も、" In 1989 at the age of 83, Adamson was murdered at Kora by Somali bandits."と述べているだけである。田島健二によれば、象の密猟者の大部分がソマリ族であり、それは貧しさと、大ソマリア国家建設を夢見る彼らの反政府的行動が原因
なのだという。象殺戮も、密猟者としてではなくテロリストとしての行為であって、象が政治的な駆け引きの道具とされているのだ。アフリカの現地事情はかくも錯綜しているわけである。34) またジョージ二度目の自伝の後半でも、ソマリ族密猟者とのいざこざが幾度も記され
ている。彼の死は、彼個人の資質からというよりは、こうした政治的混乱の中で起こった悲劇である可能性が高い。35)