官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

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276名無しさん@3周年
わたしはツルカナ族にワニを食うのをやめよというのか?(…)ワカンバ族はなぜヤブの中で弓矢を使ってクーズーを撃ってはいけないのか?18)
彼はまた、戦争中にヨーロッパ側の指示で大量の野生動物(シマウマとオリックス)殺しが行われたことにも触れ、《わたしには植民地主義という窮極の傲慢さが二五年間にアフリカを二度もヨーロッパのつまらぬいざこざに巻き込んだように思われた》とも述べている。19) 後
年の回想だから後になって得た認識が混入されているとは言えよう。最初の自伝ではこれほど内省の度合いが強くないことは確かだ。それにしても、密猟を取り締まるだけではなく、場合によっては人を襲う野獣を殺さねばならない仕事を長年続けた彼が、野生動物は絶対に保護
しなければとか、現地人は無知だから白人が指導しなければという、白人が抱きがちな一方的な価値観もしくは綺麗事を越えた視点を持っていたことはうかがえるだろう。自分は矛盾を抱えながら生きてきたのであり、自伝ではその矛盾を余すところなく書き残しておかねばなら
ないという意識を、彼は明瞭に持っていたようだ。マウマウ団についてのジョージの記述も、妻の記述よりはるかに大局的である。まず、52年2月にエリザベス皇女がケニアを訪れたことを回想する。滞在中に国王=父が死去し、彼女は英国女王となった。野生動物を見物する施
設にいた女王はしかし《その時ケニアに渦巻き、爆発寸前だったトラブルの全容を(…)十分に把握していたとは思えない。じつはそのころマウマウ団の反逆活動が彼女の政府を打倒しようとしていたのだ。》20) そして彼らの行動を《不快きわまりない残虐な殺人活動》としな
がらも、次のように述べる。この反乱が鎮圧されるまでには、さらに二年かかった。二六人のアジア人と九〇人のヨーロッパ人、そして一八〇〇人の”忠誠”なるアフリカ人が死んだ。さらに約一万一五〇〇人のアフリカ人”テロリスト”が殺された。(…)/ギクユ族はその時
の戦いには負けたが自由への戦いには勝とうとしていたし、自分たちの国の最初の独立政府において優位を占める立場も確保しようとしていた。21) こうした視点は、最近の用語を使うなら完全にポストコロニアリズムのそれであって、彼が時代の変遷を痛切に感じ取っていたこ