官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’
マウマウ団を恐ろしい暴力集団と見る点では変わりない。16) D. 話を戻そう。ジョイの自伝はマウマウ団に触れてはいる。しかしそれはあくまで不当なテロリスト集団としてであって、現地人が独立を求めた闘争なのだという考えからは程遠い。夫が戦いに巻き込まれた際に
は、彼らを「悪者の一団」と呼び鎮圧に協力してもいるが、これは下手をすると自分の身が危うい事態なのだからやむを得まい。捕虜となった団員を絵に描いたときには、《彼が数日のうちに処刑されることを知っていたら、わたしはけっして彼の肖像を描けなかっただろう》と
述べるのだが、これはあくまでその場限りの感傷であって、これに続く文章は単に以下のようになっている。ケニアが旧体制に代わって独立するまでに数年がかかった。しかし、その推移は平穏だった。そして、ケニアの人びとは、ただひとつ、自分たちの美しい国を発展させる
という目的のために、力をあわせてともに働いたのだった。17) マウマウ団とケニア独立が彼女の内部で結びつかないばかりではない。独立を勝ち取ったケニアと英国との多年に及ぶ複雑な関係や、ケニア人の中にも穏健派と急進派の対立がなお続いていることなど、彼女の眼中
にはまるで入ってこないのである。無論、地元にいたからこそ現実が見えなかったのかも知れない。現場では歴史の流れは必ずしも良くはつかめないからだ。また英国自体の植民地観が、上で映画を例として観察したように頑ななまでに旧弊さを保っていたことも見逃せまい。た
だ、彼女の自伝がケニア独立から14年をへた78年に出されていることを考えると、この歴史感覚の欠如は時代や場所だけの問題ではなく、ジョイという人間の本質にも根ざすものだと見ないわけにはいかない。それは、夫ジョージの自伝と比較することで明らかになるだろう。
E. ジョージには自伝が二種類ある。 1968年の"Bwana game"(邦題『ブワナ・エルザ』)と86年の"My pride and Joy"(邦題『追憶のエルザ』)である。彼はその二度目の自伝の中で、自分がアフリカへのいわば不法侵入者であること、ヨーロッパ人がアフリカに勝手に国境線
を引いたこと、それによって野生動物の移動が妨げられたことなどを指摘して、次のように書いている。それまで現地人が野獣を日用の糧として、野獣たちと釣り合いのとれた生活を営んでいたのに、それをなぜわれわれは”密猟”というのか?(…)またいかなる権利があって