官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’
始める。こうした中、52年から「マウマウ団」と白人によって呼ばれた集団が反乱を起こす。史家にも諸説あるようだが、現在ではマウマウ団は植民地ケニアから白人勢力を駆逐することを目指した解放勢力だとして、「ケニア土地自由軍Kenya Land and Freedom Army」と呼ば
れるようである。12) しかし本稿では敢えて当時世界的に流通したマウマウ団という呼称を用いることにする。マウマウ団の中心を占めていたのはギクユ族であった、それは白人専用高地の指定を受けた地域の大部分が本来はギクユ農民の土地だったからである。つまり白人に
土地を奪われた現地人が行動を起こしたのであった。マウマウ団鎮圧のために英国は5万の軍隊と警官を送り、植民地政府予算の4年分を費やした。非常事態は59年まで続いている。マウマウ団側の死者は11503名、英国側の死者は2044名(白人99名、アジア人29名、アフリカ人
1920名)であった。13) 以上の数字で分かるように、実はマウマウ団側の死者の方が圧倒的に多く、特に英国側の白人死亡者数とは100対1以上の差がある。近代的な武器を持っていた英国側に対して、人間の数はともかく敵方から奪った武器以外は持ち合わせていないマウマウ
団は劣勢であった。また英国側につく現地人もいたし、内部の裏切りもあって、最後はそれによって崩壊したらしい。加えて国内外のメディアは英国側に押さえられていたため、マウマウ団は白人虐殺を狙う恐ろしい秘密結社だという英国側の宣伝が一方的に通用することとな
った。それは映画というメディアにも如実に反映している。英国では早くも54年に"Simba"(邦題『暗黒大陸 マウマウ族の反乱』)という映画が製作されている。14) 米国でもマウマウ団を題材にした映画"Safari"(邦題『死の猛獣狩り』、56年)と"Something of value"(邦
題『黒い牙』、57年)が製作された。15) 私はいずれも未見であるが、筋書きから判断する限り、マウマウ団を凶暴なテロリスト集団としか見ていない点では同じだし、特に英国のそれはアフリカに植民する白人の優位をまったく疑っていない点で(この時点でインドがすでに
英国から独立している)時代錯誤の代物と言うしかない。英国映画では87年に制作された"The Kitchen Toto"にもマウマウ団が登場する。この作品は筋書き的には白人と黒人のはざまで揺れ動き苦しむ現地人を主人公にしていて、価値観が変わってきていることが看取できるが、