官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

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273名無しさん@3周年
は免れた。10) 彼女のこうした最期について、藤原は訳者あとがきで次のように述べている。ジョイを殺した使用人は、金銭上のトラブルから殺意を抱いたと自ら証言しているが、ジョイの仕事を金銭感覚を通してしか理解し得なかったところに、犯人の重大な錯誤があった
(…)。ジョイの動物をめぐる活動には無私の自己犠牲と金銭感覚では計れない奉仕の精神に基づくものがあり、それを理解していた多くの使用人はジョイの活動に献身的に貢献した。(…)犯人が少しでも動物好きな青年でジョイの仕事に理解をもっていれば、不幸な事件は
避けられたにちがいない。11) 藤原は、ジョイの仕事の意義をまず前提として打ち出し、それを「理解」しなかった現地人を断罪する。はたしてそれで事件の真相は説明できたと言えるのだろうか。C. アダムソン夫妻の仕事の意味を考えるにあたって必要なのは、歴史的な
背景を知ることである。二人の活動舞台ケニアは19世紀末から英国の統治下にあり、1963年に独立した。夫妻のアフリカとの付き合いは20〜30年代から80年代にかけてであるから、ケニアが植民地だった時代から独立した時代にまたがって行われていることになる。 そうした
背景は、夫妻の著書にどの程度現れているだろうか。ジョイについて言えば、驚くほど少ない。『野生のエルザ』は雌ライオンの仔を育て野生に戻す話であるからやむを得ないが、彼女の自伝を読んでも歴史に関する話はほとんど出てこない。アフリカの大自然の素晴らしさと
恐ろしさ、野生動物との付き合いなどには文才が遺憾なく発揮されているが、社会的な動向には恐ろしく無頓着なのである。現地人を差別的に見ているというわけでは必ずしもなく、ヨーロッパ文明に冒されて民族衣装を捨てていく現地人への同情、杓子定規に文明化を推し進
める宣教師への批判、また原住民を殺戮したフランスへの批判もある。ところが英国によるケニア支配となると、ほとんど触れられていないのだ。 そもそも『野生のエルザ』が出た60年前後のケニアはどんな状態にあったのか。 30年代の世界的大不況の頃からアフリカでも労
働組合運動が盛んになっている。 44年、ケニア・アフリカ人同盟(KAU)という政治結社が結成された。そして戦後の47年にインドが独立したのを受け、50年代になるとKAU内部でも政治的独立のためには武装闘争も辞さないという急進派が、自力向上を訴える穏健派を圧倒し