官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

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271名無しさん@3周年
ョイ・アダムソン『野生のエルザ』の邦訳を出してからであろう。この書物は原著が1960年に出版されて世界中で読まれ、日本でも62年に訳が出てこの年のベストセラー第11位となっている。7) 藤原はまた、『野生のエルザ』の続編二冊を邦訳しているほか、8)ジョイ・ア
ダムソンの他の野生動物を扱った著作、自伝、そしてその夫ジョージの自伝をも邦訳するなど、アダムソン夫妻とのつながりが深い。また、『野生のエルザ』は世界的に、また日本においても、野生動物というものに対する一般人のイメージを形作るのに重要な役割を果た
した書物である。そこでまず、アダムソン夫妻の人と仕事、そして彼らを藤原がどう見ていたかについて考察を行いたい。野生動物との交流を好む人物のタイプがそこから見えてきて、本論にも少なからぬヒントを与えてくれるだろうと考えられるからだ。
ジョイ・アダムソンは1910年生まれ、名前からすると英国人のように見えるが、オーストリアの出身である。「アダムソン」は、三番目の夫となったジョージの姓で、「ジョイ」というファーストネームは二番目の夫であったペーターが「フリーデリケ・ヴィクトリア」と
いう本来の名を発音しづらいという理由から嫌って、発音しやすい「ジョイ」という名を与えたところから来ている。小さいときに父母が離婚して祖母に育てられるなど、家庭環境には恵まれなかった。しかし音楽や絵画など芸術に広く興味と才能を示していた。二十代でい
ちどアフリカに出かけているが、二番目の夫がナイロビの博物館に職を得たためアフリカに住むようになる。やがて狩猟監視官であるジョージと出会い、ペーターと別れて三度目の結婚をする。この間三回妊娠するがいずれも流産に終わり、自分の子供には恵まれなかった。
しかし、母を失った雌ライオンのエルザを育てて野生に帰す試みを行い、その体験を綴った書物が世界的なベストセラーとなって名が広く知られるようになった。世界中を講演旅行して歩き、またエルザ野生基金を創設するなど、野生保護の国際世論を高めるのに貢献した。
1980年、ケニアで現地人の使用人に殺されて生涯を終えている。