官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

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263名無しさん@3周年
集団であるから、この見方は一部の朝日記者にも通用するのではなかろうか。94年5月のIWC会議では南極海の鯨聖域案が可決された。その数日前に朝日に載った社説は、基本的に前年の最初の社説と同じものであった。すなわち南極海からの撤退と日本沿岸
捕鯨の確保である。「反捕鯨国の代表が言うように、『これは科学ではなく、政治の問題』である。」私は、反捕鯨国がこうした非論理的な言辞を吐くのはともかく、日本を代表する新聞がこの摩訶不思議な論理に賛成することを恥ずかしく思う。朝日新聞は自
分がやっていることの意味が分かっていたのだろうか。日本は外国から差別されても我慢しよう、そう言ったも同然なのだ。いや、日本だけの問題ではない。ノルウェーなど他の捕鯨国や原住民捕鯨を行っている他民族の問題でもあるのだ。「政治」と言いさえ
すれば少数者への差別がまかり通ってもいい、朝日の社説はそう述べているのである。確かに「政治」上、論理的におかしなことや差別的な政策が通ってしまうことはある。政治家は諸般の事情からこれに同調せざるを得ない場合もある。心情倫理では政治は語
れないからだ。だが、高級紙がそれに同調するとなれば話は別である。政治は政治として、その決定は文化差別だとはっきり指摘することが言論機関の責任ではないのか。朝日はその責任を放棄したのである。この卑屈な姿勢は、(1)でオランダと日本の関係
に言及した朝日の記事と同じ論調だと言っていい。朝日の記者は、国際関係や歴史認識において徹底的にズレている。それは一見両論併記的な他の箇所にも見て取れる。「クジラを食べることを野蛮呼ばわりされる筋合いはない。一方、地球上最大の動物として
のクジラを敬愛する気持ちも分かる。」社説のタイトル自体が「クジラ文化の多様性を求めて」なのだが、右の文章は果たして「多様性」を求めるものと言えるだろうか。捕鯨問題の現状を見えれば、答はノーである。そもそも「鯨への敬愛」というのが、自然
から遠ざかって生活している都市生活者が、エネルギーを濫用しハイテクに囲まれた快適な暮らしを送りながら、自然を利用して生きている非都市生活者に自分の身勝手な幻想を強制するものであって、おのれの生活は棚上げして「俺は自然保護に賛成している