官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

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260名無しさん@3周年
いよ過密化する地球で、野生の生き物と人間が共存するかを真剣にさぐる、という世界の大きな潮流の変化にまったく気がついていないのである。」ここにも捕鯨をやめなければならない説得的な理由は何一つ書かれていない。反捕鯨グループの掲げる理由は「極
端」でないものも全く挙げられていないし、第二段落は、米国の習慣はすべて美しく先進的に見えるという彼の不思議な性癖を伝えるだけだ。「世界の大きな潮流」といった表現は、右で見た93年の反捕鯨論で用いた「不信感」と同じく、資源量やIWCの内幕で
勝負できないがために持ち出された曖昧な美辞麗句の域を出ない。日本で鯨肉が無駄に捨てられているわけでもないのに、他の残飯のツケを鯨に回そうとするのも反捕鯨論者の常套手段である(私とWWFJとの往復書簡を参照)。 さらに、朝日の姿勢が93年に
変わったことを示すのは、「ひと」欄への相次ぐ反捕鯨派の登場であった。まず5月5日にシャチ研究家ポール・スポング(リリーも神谷もそうだが、生物学者というのはそもそも生物が好きだというところから出発しているので、動物が人間より大事に見えるよう
である)が出ているが、この記事には「鯨の言葉、本当にわかるのですか」という見出しがついていて、ここにもリリーの影が感じられる。3日後の5月9日にはWWFJ会長・羽倉信也が登場した。WWFJは5月5日に反捕鯨広告を朝日に出している(それが『nem
o』第2号に掲載した私との往復書簡の契機になった)。第一勧銀相談役でもある彼が、反捕鯨広告を出した団体の会長に前年から就任しているということは、日本の企業や財界の方向転換を暗に示すものだと考えられる。羽倉はここで「出身銀行が捕鯨会社の有力
な融資先だった時代もあります」としながら、「企業も自然と共存していくしか未来はありません」と述べて、「自国のことばかりでなく、世界全体の問題での貢献が求められる時代になったんです」と語っている。一般論としては大変美しく、誰でも賛成するし
かない言葉だ。ただ、その裏も同時に読みとれる言葉でもある。すなわち、企業や財界からするとイメージ戦略が重要な時代になったのだということである。すでに事業規模として小さくなっている捕鯨を支持するより、自然保護に味方していますという企業イメ